かさおか

『かさおか』第53巻 第2号

すっぽり雪化粧の笠岡詰所月日撮影教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ年頭会議におけるお話し一人ひとりが一つひとつを一手一つに大教会長様始まったおたすけお願いカードも月毎にだんだん増えて月には万千枚を超え笠岡に繋がる立教年大教会年頭会議は月日午後時から大教会神殿で行われ役員部内教会長布教所長らが参集した先ず月日本部会議所における真柱様の年頭あいさつを拝聴引き続き大教会長様は積み重ねの年としての歩み方について懇切に話されたその後講堂で会食がもたれたあいさつの要旨は次の通り人の中に着実におたすけを願う人が増えてきたということを実感できました皆さん方が真剣に心一つに揃えておつとめくださった姿ではなかろうかと思います本当にご苦労さまでした積み重ねの年のつとめ方本年はその勢いでもって年目をしっかりとつとめたいと思います年目は年目の実践項目をしながら一歩前進の成人の歩みをすることに立教百七十七年明けましておめでとなりますうございますある会長さんからおたすけお願い昨年は教祖年祭に向かう三年千日カードのお陰でおぢばがえりする人と仕切っての年祭活動の一年目さあができた初席者ができたという喜びおたすけというスローガンのもと祈の声を聞きましたる動くつなぐという実践項目を掲げあるよふぼくが家人に何とか神様共にその徹底を図るべくつとめましたの話も聞いてもらいおぢばがえりもしお陰さまで千枚余りのお供えからてもらいたいということでこの人に何とか一歩前進してもらいたいという願いを込めておたすけお願いカードを書きましたカードの裏にはおぢばがえりとしてほしいことを書いて毎日一生懸命お願いしたところおぢばがえりするに当たって声を掛けたらおぢばがえりしてくれた回目には別席を勧めたら初席も運んでくれたということでしたそれが目的ではありませんがそういう動きに繋がってきたということは大変有難いことだと思いますしまた心や身体を動かしてつとめる姿を教祖にご覧いただいてそういう御守護という形で見せていただくのではなかろうかと思いますまた別のところでは元旦祭でおさづけの取り次ぎをお願いしたところ帰宅直後身上の家人におさづけを取り次いだら鮮やかに御守護を見せていただき普段家に居ない子孫がその姿を見ておぢばがえりに繋がったということも聞いて素晴らしい旬だと思いました特に教祖年祭の旬には少しでも親神様教祖にお喜びいただけるような心実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日平成年月日累計枚遣い動きをすることによって何かしら教祖がお働きくださってそのような素晴らしい御守護もお見せくださるのだと改めて思いましたこの旬に動いてこそ教祖がお喜びくださって大きな御守護もくださるということをしっかり心において教会に繋がるよふぼく信者一人でも多くの人に声を掛けるようにおつとめいただきたい祈るさて成人目標さあおたすけこれは何も変わりませんそして祈る動くつなぐこれも変わりませんただ祈るの動きに対して年目は人のたすかりを願いましょうということでおたすけお願いカードを通してとにかく願うということを基本的につとめました年目同じように願うのですが今度は願うを行ない実働にするたすかりを願うだけではなくたす月毎のおさづけ回数としてこれが月よりけをする行ないに繋げようということです月月より月とだんだん増えてきたらいそういうことでたすかりを願いましょういということで月をちょっと少なめに設定しに加えて教会で毎月何回のおさづけをお取ましたり次ぎをさせていただきましょうと掲げて細これはそれぞれの教会に応じてすれば結構でかな実践項目が掲げられていますすが回数を競うわけではありませんから数がですから年目と別のことをするのではなく多ければいいというわけではありません年目のことをしながら年目のことを積み重おたすけお願いカードによって毎日一ねるということで年目は積み重ねの年と生懸命お願いをするその延長線上でこれ位置付けてつとめたいと思いますだけお願いするならせめておさづけを取り次毎月のおさづけ取り次ぎぎたい回で御守護いただけないなら回回数は大教会では特に決数を重ねてお願いしようという一人ひとりめていませんそれぞれののたすけ心の積み重ねの上でのおさづけ取り次ぎ一手一つを促される大教会長様教会で決めてこれを実行回数ということですしたら結構です皆さん方の教会に繋がるよふぼく信者一人ひ大教会の直轄では月とりの真実の心定めを毎月して実際に実働に移は私が数を決めたがせればありがたいと思います月からは毎月皆の心定それぞれの教会の実情に応じて毎月同じ回数めを持ち寄ってそれを直でも違う回数を心定めしても結構ですが会長轄の心定めとして月に何回おさづけを取り次げたと御礼申しあげ月はこれだけの心定めでつさんが勝手に決めるのではなくて教会に繋がるよふぼく信者の皆さんに言葉を掛けて皆さんの心定めの数をする方が一手一つということに繋がるだろうしまた教会に繋がるよふぼくとめますということを信者さんがそれに向かってより一層真剣に毎月直轄祭の祭文で奏上実働してくれると思いますするある教会ではおたすけお願いカードでお願いする中にどうしてもその人に助かっても確認してくださいいただけば結構ですらいたいということでわざわざ会長さんにでおたすけをお願いされた方もおられましたおさづけをよう取り次がないよふぼくや拝戴していない信者さんでしたらおさづけの取り教祖にたすけられた人がご恩報じしたいと教祖に申したところ人を救けるのやでと仰せられたそれでどうしたら人つなぐつ目のつなぐについては進んで声を掛けましょうに今度は加えて教えを学次ぎを人にお願いしてもそれも回というさんが救かりますかとお尋ねするとび信仰の楽しみを身に付けようことになります教祖は先ず家庭内において教理の勉強をするそういうことも含めて皆で心定めしておつとあんたの救かったことを人さんに真剣もちろん教祖伝や教典のような書物めいただければありがたい諭達にも最初に一手一つということが述べられていますが教会に繋がる者よふぼく信者すべての人が同じ思いで動くところに今回の諭達の思いが関わっていると思いますどうぞ皆さん方には自分がするだけではなくよふぼく信者にしっかりと声を掛けて共に話さして頂くのやでと仰せられ逸話篇ですから不思議な御守護をいただいた人は神様に助けていただいたありがたいということを人さんにお話ししただけでもこれもにをいがけですこれも件かしものかりものの理が十分に分かって毎日神様のお陰でこれだけ結構にありがたいを読むことも一つの方法でしょうが一番皆さん方にお願いしたいのは家の信仰の元一日これを子孫さんたちにお話しするあるいはそういうことについて家族で話し合いをするということそういうことをしていただければありがたいと思います最近特に高校に進学する人たちにお話しするのは中学校までは親の心通りの守護の中で子にしていただけるようにご丹精をお願いいたし嬉しいという心があればその喜びを人に伝どもは生かされているが歳高校からは銘ますえるだけでもこれも同じくにをいがけ自分の心通りなので自分のいんねんで生き動くですからパンフレットを持って天理教ですていかなければならない当然自分の足を踏んと声を掛けることだけがにをいがけではありませ張って大地に根を生やして自分がこれから続いて動く一日一つひのきしんにんどういう人生を歩んでいくかということも考えて今度は加えて毎月何件にをいがけにをいがけもひのきしんの一つですそれぞれができるように心定めしまたこれ進んでいかなければならない高校時代はちょも毎月祭文に入れてつとめてもいいと思いうどそういう時期なので大地に根をしっかりとこれもそれぞれの教会で決めて実践すればます生やすことが一番大事だ大地に根を生やす結構ですが会長さんが決めてしまうのではなくいずれにしてもそれぞれの教会で教会のやとは親が大地なのだから親の歩み方件でもいいので一人ひとりに声を掛けてりやすいように心定めの数を出しておつとめ親の心元を知ると親を知るということが根を生やすということになる元を知れば自分がどういう方向に進んでいけばいいのかが分かる元を知らなければ自分の行くべき道筋はたず決して分からないだからしっかりと親を温たずねなさい教会であれば信仰の元一日を温ねなさいという話をしますだんだん大きくなってしまってもう自分で勝手にどこか分からない大地に根を生やしてしまってからでは話をしてもなかなか聞き入れにくいいずれにしてもそういう機会を設けてお話しするそれが大事な旬なのですこの年目の成人目標はそこにありますから今年は子孫さんたちと話す旬だということを心において信仰の元一日親の信仰に対する思い信仰を通しての親の子どもに対する思いそういう一つひとつをしっかりと話をする機会旬にしていただければありがたいと思いますそしてそれ以外にはいろいろおぢばからの刊行物がありますのでそういうものも大いに利用しながら縦の伝道の御用をしっかりつとめたいと思います一人ひとりが一つひとつを一手一つにあとの細かい項目はこれを全部やれということではなくて実働に関わる一つひとつだということを皆さん方がそれぞれに確認しながらつとめていただきたいと思います昨年一年掛かっておたすけお願いカードは確かに増えてはきましたが徹底というところまでは行ききれていないと思います真柱様は年頭のごあいさつで昨年を反省して届かないと思ったら今からでも決して遅くはないさあ頑張ってつとめようと声を掛けてくださいました今からでも決して遅くはありません昨年徹底できなかったと思えば今年一年しっかりとつとめたなら万千枚が万万枚という形で枚数が増えるのではなくおたすけを願う人がどんどん増えてくるということが大事なことだと思いますどうぞその徹底が図れるように皆さん方にはしっかり心一つに揃えておつとめいただきたいと思います中にはうちの教会はうちの教会のやり方があるというようなこだわりもありましょうこうやって丹精しおたすけしていくというこだわりを持つことは大切ですしこだわりを捨てる必要は全くありませんしかしそれはそれとしてそれもしながらこれも確実にやってほしいということだけは申したいこだわりがあればあるほどプラスこれも合わせてつとめたならよりこだわりが生きますよということは申したい私たちは教祖年祭に向かって一手一つにつとめることによって神様からより大きな旬のお働きをお与えいただきますのでどうぞ心を揃えておつとめくださいますようにお願い申しあげますまた月から月に掛けて本部主催のようぼくの集いが開催されますこれも自分だけが行くのではなくよふぼく信者端にまで声を掛けてどこでもいいから行きやすい場所行きやすい日にち遠方の人にも先ず声を掛けできれば遠方であっても足を運んでそして参加してもらえるように声掛けをしていただきたいと思いますこれもたすけ心を遣う大きな糧になる内容ですのでそれも楽しみにしながら共に声を掛け合って一人でも多くの人に参加してもらえるように丹精をしていただきたいと思います今年一年別席ひのきしん団参また各部各会のいろんな行事がありますがそれら一つひとつもすべて年祭活動の一環としてつとめられる事柄ですので自分のできるところを精一杯つとめて今年一年年目に相応しい成人の歩みにしたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします以上要旨春季大祭講話御存命の教祖にお喜びいただこう大教会長様でまだご存命ですかと尋ねられる方がありますということは存命ですかという言葉は普段接しない方が生死の確認のために遣う言葉のような気がして教祖御存命という立教年大教会春季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら多数の参拝のもと執り行われた大教会長様は神殿講話で教祖にお働きいただいてこその存命の理であることを順を追って話された要旨は次の通りと何か普段教祖に接していないあるいは教祖と縁遠くなってしまっているような気がします普段から教祖が居られるという感覚でいますから敢えて御存命と言われると却って何か違和感をすごく覚えてしまいます教祖が御身を隠されてもうすぐ年経ちますか教祖存命という言葉のニュアンスら当然私たちは教祖のお姿そのものを見たことはありませんから存命の教祖という表今日は春の大祭にちなんで教祖存命と現が出てきても致し方ありませんしまた教祖いうことについてお話ししたいと思いますを想像するとしてもなかなか難しい教祖存命ということの意味は十分に分かり例えば私の母なら生前の姿を見ていますかますが私はどうも存命という言葉の遣ら何年経ってもこんな母だったということがい方が余り好きではありません分かると思いますが残念ながら私たちは教昨年母が亡くなりましたがそれまで多くの祖の姿を直見たことはありません方が心配をしてくださいましたですからどうしても存命のという表現を近くの方はお母さんお元気ですかと尋しなければいけないのかも知れませんが敢えてねられますが普段接する機会がほとんどない言わなくても既に存命であるということを私方や昔お付き合いのあった方の中には元気たちはしっかり心においていかなければいけなかどうかではなくて居るかどうか生死が心配いそれが教祖だということを改めて今日はお話しできればと思います教祖存命の理教祖が月日のやしろとなられ親神様が入り込まれて直おたすけに掛かられたその当時の人にしてみれば親神様は天の神様教祖は地上の神様別のものではありませんが地上におわす神をやという感覚ですから親神様よりも教祖の方が神様だという何かそういう感覚があったろうと思います教祖にたすけていただき親神様の存在や教理を教えていただいた教祖によってすべてのことを聞かせていただいたので当然当時の人にしてみれば親神様は一般的な神さんで教祖が身近にすぐ側に居られる神様の姿でした教祖が神そのものだったので明治年教祖が御身をお隠しなされた直後は目の前の教祖が息を引き取ったという姿から当然亡くなった居なくなったもうこれで神様が私たちをたすけてくださることはない陽気ぐらしに導いてくれることはないという感覚でした教祖伝第十章に人は全く立って居る大地が砕け日月の光が消えてこの世が真っ暗になったように感じた飯降伊蔵を通してお指図を願うと子供可愛い故をやの命を二十五年先の命を縮めて今からたすけするのやでしっかり見て居よ今までとこれから先としっかり見て居よならないそのためには私たちがしっかりとおつとめをしてにをいがけおたすけの上に励まなければならないそうして一生懸命つとめる中に不思議なたすけが次と現われてくるて少しでも教祖を感じるためにおつとめをしっかりつとめにをいがけおたすけおさづけの取り次ぎにとしっかり励まなければならないと思いますこのふしぎなたすけこそ教祖が生きて働いて居られる証拠だということがより心に納ってりょうげん燎原に火を放つがごとくおたすけに邁進するご本部教祖殿でのご奉仕ご本部では教祖殿で生前同様おとお言葉があったという姿になったということです姿があるときと同じように毎日教祖のお接待このお諭しを聞いて姿をかくして後までも一列たすけのために存命のまゝおやさま今も御存命をしておられますこれについて中山もと奥様二代真柱様の娘お働き下さるのかそれならばと一同の教祖は年経とうとする現在姿は見えませさん前の真柱様のお姉さんがおやさまのお人は漸く安堵の胸を撫で下ろしたんが同じようにお働きくださっているというこはなし教祖の一日というものを書いておらさあくこれまで住んで居る何処へも行とですれますので紹介いたしますてはせんで何処へも行てはせんで日のこれにつきましては教祖の一日の御日課は朝勤のお出ましか道を見て思やんしてくれねばならん存命と言うであろう存命でありゃこそら始まります一日の時間の過ごされ方は一明日働きという明年中を通して一定ではなく朝勤と夕勤の時今も尚そしていつくまでも存命のまゝ元のやしきに留まり一列子供の成人を守護されて居る日に現われて来るふしぎなたすけこそ教祖が生きて働いて居ら影は見えぬけど働きの理が見えてあるこれは誰の言葉と思うやない二十年以前にかくれた者やでなれど日働いて居る案じる事要らんで勇んで掛かれば十分働く間が基準になります朝は朝勤三十分前にお目覚め頂くのが普通でございますが元旦祭の時にはお勤が午前五時から始まりますので午前四時にお目れる証拠である伝第十章明とあるように教祖はぢばに留まり世界だすけつまり私たちは教祖のお姿を拝することは覚め頂きまず御入浴になりますそしてお勤にお出まし頂けますよう心掛けさせて頂いの上にお働きくださっているという理教祖できませんが私たちが一生懸命つとめること存命ということを明らかにされましたによってにをいがけおたすけの上にお見せいておりますしかし普段は朝勤三十分前にお目覚めだからこそ教祖が御身をお隠しなされたからただく不思議な御守護こそが実は教祖のお働頂き次いでお化粧室へご案内させて頂きまにはどうでも教祖にお働きいただかなければきだということこれをしっかりと心においすと御洗面御髪上げなどをなさいますのでそのお手伝いをさせて頂きます次いでご休息室で朝のお茶を召し上がり再びご寝室へお戻り願うとお寝間着から御普段着にお着替え遊ばしそれから御殿にお出ましになりますこの時間は大体朝勤十分前位ですお出ましの際は閉まっていた襖が開く次いで午前中御殿にお出ましの間に春夏秋冬時間の頃合いを見計らってお居間へ御よ案内してお四つを差し上げますと召し上がって下さいます教祖殿合殿から参拝して正面が教祖の御殿左手御殿の左側がお居間お運びの時のお部屋次いで又御殿へお戻りになり午前十一時になりますとお昼食を差し上げますお昼食の時間だけが年中変わりございませんお朝食の時間は朝勤の時間の後お夕食は季節によって夕方に召し上がって頂けるように時間が変わりますお昼食を召し上がられましてからしばらくして御入浴の時間になりますと又お化粧室へ御案内しその御入浴中に御殿掃除をやさせて頂きます御入浴に引き続いてお八つをお居間で召し上がられますその後再三御殿へお戻りになります次いでお夕食それから夕勤後大体一時間から二時間の間にというのは旬によって世界映してみせるとおっしゃったのは又お祭り日によって時間が変わりますがそういうふうにしてお働き下さるのですねその一時間から二時間の間に御就床願いま中山もと著おやさまのおはなしすこのようにそこに居られるようにお身体がこれが教祖の御日常の主な日課でございまあるようにお着物も着ていただき御入浴もしすが教祖が御殿にお出ましになっておられていただきお布団にも入ってお休みいただくとる間お一人ポツンとお座りになっておられいうことでするわけではございませんごくごせんまいおそな御供を作る御洗米を御供えいたしました身近なところでのご奉仕はらその御洗米に息をかけて下さり又結大教会ではなかなかそこまでのことはでき婚式にもお立ち会い下さいますし御用場でませんが少なくとも教会名称には親神様だ講習会等が開かれます時にもお立ち会い下さけではなく教祖もお出張りお鎮まりくださっています真柱様のお運びがございます時にはいるという思いは日の中で心におく必要はご一緒に御殿にお座りになっておられますあると思います殊にいつも参拝に来られる大勢の信者さんの普段大教会においても献饌やお灯明をお下方つまり皆さま方が教祖に御挨拶申しげするときは親神様のものを教祖の直前を素上げられます時その御挨拶をお受け下さり通りして上げ下げするのではなくて一旦下段悩み事や痛み事など救けを求めて来られるまで降りてするようにしています方にはその救けを頂き易いようにして下これは祭儀式だからではなくてそこにさる教祖が居られるから教祖の直前を右往左往するつまり私共が参拝の後で心に浮かんだと失礼だと感ずるからですことや見せて頂くこと聞かして頂くことはお掃除のときはなかなかそうもいきませんすべて教祖の私共のお尋ねに対してのお返事し教祖のものを教祖の横から下げる分は別なのでございますねに何ともありませんが親神様のものを上げ下げ教祖の一日はこのように少しの間もお休みするときに教祖の直前を素通りするというのにならずにたすけ一条にお働き下さいますはこれは申し訳ないことです決して祭儀式だからではありません用意をされたところが思わずも熱いお湯になって身を隠された典第三章元の理以前の話しですが夏場になると朝のお掃除てしまったようですちょっと熱いけれども大と示されるいざなみのみこと様と同じお心持ちが朝づとめ一時間前の時から始まりますが掃丈夫だろうということでご用意が済んで自宅だったと拝察します除の準備をするためにはその前から起きなけれに帰ってみると子どもさんがお風呂で大火傷しばいけませんのでご自分がお休みになる前にて大変なことになったということがあったそう障子を全部開けて箒なども前晩から準備されるです方がおられましたそのことでお風呂をご用意された奥さんは私は障子を開けっ放しにしたら教祖が安大変申し訳なかったと姿が見えないか心してお休みになれないから朝になってかららと思っていたが正しく教祖は御存命でこ障子を開けて道具を用意して掃除してほしいうして本当にここに居てくださるということ夜はちゃんと障子を締めてほしいとお願いを改めてしみじみと分かってからは一生懸したこともありました命つとめているということを聞きましたニッコリお笑いになったそのお姿は一れつ子どもが自らの意志でおつとめをつとめた姿が陽気ぐらしの世界に近付く第一歩になったというをやの大きな喜びだったろうと思いますおつとめだけでは陽気ぐらしには立て替わらない現身を隠すことによっておさづけを授けより一層私たちのたすけ心を遣わすことによって陽気ぐらしの世界に近付くしかしおさづけを取り次いでも不思議も何も姿が見えないから居られないのではありませ目に見えないから居ないのではなくて目に見現われなかったら信仰に繋がってくる人もいなんもちろん常にジッとしておられるということでもありません常に私たちよふぼくと共に居てくださってさあおたすけというときにはちゃんとえなくても教祖が居られるということですそして教祖にお働きいただくためには私たち一人ひとりがしっかりとおつとめたすけ一条の上に運ぶことが大事だということですいわけでしょうお取り次ぎするおさづけの一つひとつに教祖がお働きくださり不思議自由の御守護を現わすことによってより親神様の御守護お働きお働きくださいますから常に居られるのと同じ思いで接することが大事だと申したいのです肌で感じる御存命の教祖教祖にお働きいただける年目に明治年におつとめが済んだときの教祖は元の理にたすけてやりたいという親心さえも分かってご恩報じの道を歩みたいという人が次と増えてくるそれが今日のお道の姿そしてこれからの本部の教祖殿でそうしていても目に見えない三度目の宿し込みをなされたがこのものも世界の姿になっていくのではないかと思いますものを御存命とはなかなか思いにくいに五分から生れ九十九年経つて四寸まで成人教祖年祭の旬は教祖が十分に働いてくださるわかに信じられないという方もおられましょうしたその時母親なるいざなみのみことは旬ですある方から聞いた話しですが教祖のお側にお仕えされる方が御入浴に当たってお風呂のごこれまでに成人すればいずれ五尺の人間改めてこの旬は三年千日と仕切ってしっになるであろうと仰せられにつこり笑うかりとをやに喜んでいただけるようにまたをやにお働きいただけるようにつとめ切るということが大切だということを皆共に心においてつとめたいと思います共にお願いカードで一生懸命たすかりを願いそして今年は回でも多くのおさづけのお取り次ぎ回でも多くの声掛けをして年目より一つ成人した年祭活動にしたいと思います年目勇んでつとめさせていただきましょうどうぞよろしくお願いいたします拍手こころの詩弥高山分教会教人藤本節子さん月あかり外燈あかり背に受けてかげ絵追ひつゝ朝参りかな笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます養徳社発行陽気誌二月号道柳より転載今回の課題は心佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん人だすけ心ひとつで治まれり表紙写真上原喜三詰所掛員温故知新いきいきエピソード事歴はしのび詞承前斯くて昭和二十六年三十年の長き歳月に亘りて務め給いし長の理を譲りては祭事室神殿掛検定会委員布教部布教三課長などおやしきの務めに只一条に務め労き給い昭和三十七年大江大教会世話人山形教区修理人として只管に教祖ひながたの道を辿り人を教え導くと共に地方教会修理丹精に格勤み励み給いぬ更には昭和四十五年四月十八日教祖誕生祭の佳き日本部員に登げ用いられてはつとめ人衆として元つぢばのの重しき勤めに格勤み給い検定会委員審判会委員など老いの身も返りみず身も棚知らに努め励み労つき給いぬ更に想い廻せば三度に亘りて台湾伝道庁長として又梅華会親善訪問団団長として十指に余りて台湾の地に赴き斯く道の御教えを伝え教え導きて日台親善に尽力されし功績は多くの人の胸に深く感銘を与え今も尚尊く光り輝きて後の世かけて伝うべきいみじき御功績の一つにはありけり斯くては元つぢばの教会の勤めに寄る年波も忘れて労つき努め締まりてあり来しを如何なる枉事にや去りぬる年の霜月二十六日俄に御身損ない坐して只管に身を養い坐してありけるを医者の手術もその効だになく如何でか日を経るままに篤しれ坐して元の御姿に復り給わん日をこそ思い頼みてあり経しにこの月の二十二日午前五時三十五分と云うに御齢九十歳を生きの涯りと逝く水の返らぬ如く果敢なくも出直し坐しぬるは惜しみても尚余りあることになんありける故れ一世の終いの御祭仕え奉るこれの斎場に親族家族は更なり参来列なる諸人達と共に愁い歎かう中にも汝主の高く広き御遺徳の千千の一つを言挙げ讃えてしのび詞告し奉らくを御心を甘らに聞食せと白す以上であるしのび詞は出直し後直ぐの作文なので多岐に亘る困難はあるがその方のこの世でなされた主立つ功績印象深い人格などが一番反映されやすいものと言える特に親しかった人の手になるしのびはまことに得難いものであろう前史料部長上原繁雄大人三十年上原くにゑ刀自二十年上原郁雄大人二十年祭執り行う三代会長本部員上原繁雄大人三十年祭三代会長夫人本部婦人くにゑ刀自二十年祭四代会長上原郁雄大人二十年祭が月日午前時から大教会世話人島村廣義本部員斎主のもと大教会祖霊殿で家族親族大教会役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら多数が参列し執り行われた年祭祭文奏上の後家族親族そして大教会役員部内教会長よふぼく信者の代表が参拝した当日来賓として芦津大教会長様代理玉島大教会長様ご夫妻が親族として髙知大教会長様夫人池田大教会長様前奥様大江大教会長様ご夫妻中紀大教会長様が参列された参拝順年祭斎員は次の通り斎主島村廣義先生指図方中村剛扈者中島誠治門脇元教賛者森本忠善佐藤真孝勇んで餅つきひのきしん詰所森本重吉さん夫妻海松ヶ岡分から特製うどんが振る舞われた本年月号掲載予定でしたが誌面の都合上割愛させて頂きました力強い掛け声と共に搗きあがった年祭祭文を奏上される島村廣義先生恒例の詰所餅つきひのきしんは昨年月日の準備に続き日に行われ部内教会長をはじめ有志少年会員など約人が参加した日曇り空の中午前時半から力強い掛け声と共に和気あいあいと行われ時過ぎには本部へのお供え用の升餅個正月用小餅などが搗きあがったかき日大教会から牡蛎島根分教会から蟹の差し入れがあり参加者で賞味日のひのきしん後は教会長講習会開催髙屋分髙屋分教会武内正美会長では月日の両日同教会で立教年教会長講習会を開催人が参加した同教会につながる教会長が一手一つに歩むため毎年開かれているもの武内同会長が年祭活動年目の本年教会の竜頭である教会長がまず先頭に立って新しい歩みを進めさせて頂こうとあいさつ引き続き松尾眞理子先生加古大教会長代務者が大教会長の身上を通して大教会長さんに何としても助かって頂きたいという思いから日参をはじめおさづけの取り次ぎなど人の助かりを願っての助けの輪が教会に広がっていった今はこれまでより一歩行動を外に踏み出す旬であり無駄のように思える働き種まきこそ親神様がご守護を持って来て下さるもとになると講話翌日は参加者を班に分けて同教会の年祭活動スローガンおさづけの取り次ぎ百万軒にをいがけ一教会で一年間に一名の修養科生の御守護を頂こう道の後継者の育成などについてねりあったその後大教会まで拍子木を入れて神名流しを行い新たな歩みを胸に閉講した春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列の子供がかわいい上から天保九年十月教祖を月日の社とお定めになり教祖を通して万一切の真実を明かされると共に陽気ぐらし実現の為のひながたを五十年の長きに亘って親が直にお通り下さいました加えて明治二十年一月私達一列の子供の成人を促す上から二十五年先の定命を縮めて教祖のお姿をお隠しになりひながたを通りやすいようにとつとめとさづけをお渡し下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございます真実の親心に触れた先輩先生方の真実に導かれこの道にお引き寄せ頂きました私共は教祖百三十年祭の旬の理も得て日は報恩感謝の心一杯に朝に夕に御礼申し上げつつ自らの助け心をより高めるべくたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今月二十六日は教祖が世界ろくぢに踏み均しに出られた尊い日に当たりおぢばでは春の大祭が執り行われますので当教会に於きましても只今からおつとめ奉仕人一同始まりた理と納まりた理に込められた親の思いを思案し心に修めつつ明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて春の大祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を大切と寒さ厳しき中も厭いませず寄り集いました道の子供達が二万五千七百九十六枚のおたすけお願いカードと共により一層のたすけ心で参拝する真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本年は教祖百三十年祭に向けて三年千日と仕切っての年祭活動二年目でございます笠岡では二年目の成人目標として一年目の上に積み重ねの年と位置付けたすけを願うからたすけの実働へと一歩前進させて頂きます祈るの実践項目ではそれぞれの教会で月毎のおさづけの取り次ぎ回数を心定めして実践動くでは同じくにをいがけ件数を心定めして実践つなぐでは教えを学び信仰の楽しみを身に付けるべく家庭内で信仰の語り合い等をさせて頂きます加えて本部主催で三月から六月にかけて実施されるようぼくの集いに全よふぼく信者の参加を目指して教会長よふぼく信者お互いが声を掛け合って参加させて頂く所存でございます何卒親神様には旬に与わる御用を御恩報じの手だてとして真実一杯に努める皆の誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜り一人ひとりのたすけ心が大きくなり人から人へと伸び広がって御恩報じを願う人が弥増してお待ち望み下さるおつとめ奉仕人の増員が果たせますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます神事部春季霊祭に伴なう合祀について月日午前時半より阪本末子姉おつとめ奉仕人西村道榮姉瑞雲その他教会長配偶者よふぼく信者等で合祀を願い出られる場合月日までに神事部長へ連絡してください詰所掛教祖誕生祭詰所受け入れひのきしん期間割当月日木昼食日土昼食西福山髙屋島根上府ブロック各名計名少年会鼓笛合宿日時月日日月日火午前時係員集合午後時受付午後時半開始参加御供円お米合おつとめまなび総会期日月日火雅鶯会雅楽勉強会日時月日日午前時受付時半開講式講習午後時半閉講会場大教会対象初心者初級者少年会員一般内容初心者は雅楽の基礎から勉強をまた初級者は平調の越殿楽が合奏できるよう勉強します講師大教会雅楽奉仕者参加費円申し込み月日までに大教会に申し込み楽器は各自持参ですが都合がつかない人はご相談に応じます内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい立教百七十七年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様賛者中村道德扈者岡﨑真一門脇元教横山逸郎指図方岡本久善講話大教会長様三月講話三島渉区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝中村邦義笹尾正治三島渉今川昌彦中村道德山野弘実武内清明大教会長様中村剛岡﨑和夫岡本久善岡﨑真一門脇元教上原繁道上原志郎田中隆之大教会奥様武内正美岡﨑豊子田中ますみ内海安子笹尾一美門脇郁子谷内美知子横山小智榮杉原博之吉岡誠一郎虫明立生森本忠平横山逸郎佐藤真孝吉岡誠一郎高木昭祥田林久嗣中島誠治岡﨑輝彦淺野明教内海史郎上原浩渡邉隆夫今川昌彦赤木素志森本忠善虫明好美佐藤香苗門脇加津今川佐智子三島照美中村初美上原順子森本冨美子高木孝子大教会だより教人資格講習会修了者終講稲倉浅野壽賀子稲倉迫田勝子月日は忘れもしない阪神淡路大震災の日年目私は時頃早朝に震災犠牲者の慰霊と鎮魂の行われた神戸三宮の東遊園地公園に行く毎年この日は亡くなられた方の慰霊に行く教会にじっとしていられない気持ちになるその場所は今年も出来事に似合わないあっけらかんとした昼前の明るい陽射しに包まれている竹灯籠竹を斜めに切ってその中にろうそくの灯りが点いている祈愛心と偲ぶ言葉や祈りの言葉が書かれている人は歩きまた立ち止まり合掌している人も唯話し声はほとんどない報道陣かな大きなカメラを持っている台以上の大型バスが停まっているどこから来たんだろう私は唯歩き回る何も考えていない頭の中は空白と思う唯無性に歩き回る亡くなった方の中に私や家族もいたのかもしれないな震災から生まれたきずな支えあう心を次世代に引き継がなくてはならない分程の空白のときは過ぎて黙と教会に帰る神前で深く祈るこれからもその日はじっとしていられないだろうひ
かさおか

『かさおか』第53巻 第1号

新春を迎えた神苑月日撮影教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚立教百七十七年明けましておめでとうございます昨年一年誠に有難うございました一昨年の諭達第三号の御発布を受けて年頭より諭達巡教を実施させて頂き諭達と共に三年千日と仕切っての大教会の一年目の成人目標の徹底を計らせて頂き実働に掛からせて頂きました処二月に千二百枚余りから始まったおたすけお願いカードが月毎に増え十二月には二万五千枚余りにまで増える等着実に成人の動きが広がって来たように思います皆さんの一手一つの心遣いにお礼申し上げますさて二年目の今年は更に成人の歩みを進めるべく助かりを願うだけでなく助けの実践に取り組んで行きたいと思います教会毎に毎月おさづけの取り次ぎ回数やにをいがけ件数を心定めして教会に繋がる皆で実行をさせて頂き加えて三月から六月にかけて開催されるようぼくの集いにお互いに声を掛け合って参加させて頂き昨年より成人した姿を親神様教祖にご覧頂いてお喜び頂きたいと存じます何卒念願のおつとめ奉仕人増員の御守護を頂けるよう今年も昨年以上の一手一つの心で以て努めさせて頂きましょう長上原理一立教年各部会の抱負して頂く欄を新たに追加致しました具体的な活おさづけ取り次ぎ動く毎月件にをい動例の中から或いはそれ以外でも結構ですのでがけ毎月日は笠岡にをいがけデーつなぐ及び年間行事予定自分自身で一年を通しての取り組みを定めて下さい誰が見ていなくても親神様教祖がご覧下さっています教えを学び信仰の楽しみを身に付けようと定めさせて頂きましたどれも自分の心一つで実行できる項目です教祖百三十年祭三年千日年祭活動推進委員会特に教会長は自身の実践はもちろんですが教会に繋がるよふぼく信者が取り組めるよう教会から家庭へ積極的に声掛けを行い家庭に於いては家族ぐるみで実践できるよう声掛け働きかけることを行って下さいそれが教会から家庭教会で毎月回おさづけ取り次ぎでは各教会で毎月の目標取り次ぎ回数を定めていただきますまた家庭個人も同様に毎月の目標取り次ぎ回数を定め内に記入して頂では教祖百三十年祭へ向かう三年個人へのつなぎになるのですきます教会へつながるよふぼく一人ひとりにお千日年祭活動のスローガンをその一つの具体的な活動としておたすけお願さづけの取り次ぎを促し教会挙げて目標回数をさあおたすけいカードに取り組んできました月を重ねるご目指して努めさせていただきましょう祈る動くつなぐとにお願い件数も増加し人のたすかりを願う人諭達におたすけは周囲に心を配ることから始と定めさせて頂いております昨年はその年祭活が増えてきておりますが全よふぼく信者というまるとお示し頂きます真柱様は秋の大祭で動一年目を歩み出しの年として祈る人の上からはまだまだ声が届いておりません陽気ぐ自分の無関心のゆえに苦しんでいる人の存在たすかりを願いましょう動く一日一つひらしの原点は人のたすかりを願う心からです二を見過ごしてしまっては申し訳ないことだと思いのきしんつなぐ進んで声を掛けましょう年目も引き続いて取り組ませて頂きますので教ます身上や事情で苦しむ人のあることに気づいという実行目標が達成できるよう具体的な活動例が列記された成人目標を活用した歩みを進めさせて頂きました会で新たに取り組む人が増えるよう教会で家庭での声がけをお願いしますたならば親神様にご守護をお願いすることからでも出来るでしょうまた見るもいんねん聞くもいんねん明治といううえからはこの成人目標は教会家庭個人で取り組め本年は年祭活動二年目の年を迎えました一年人ごととは思わずわが事と受け取ることも大切るよう笠岡独自に作成したものです教会に一枚目の歩みを継続させ新たな歩みを重ねることがでありますとお述べ下さっています家庭に一枚ではありません一人に一枚です自出来るようこの二年目を積み重ねの年としそれぞれが目標に向かって更には常におさづ分の成人目標ですて歩ませて頂きますけ取り次ぎを意識して通る一年としたいと思いま今年の成人目標は今年一年の活動目標を記入その実行目標を祈る教会で毎月回す更には一年間お願いカードを通してたすかり思召に沿う通り方が出来るようになるには教えを願った方におさづけが取り次げるよう努力を学ぶことが不可欠です教えを学ぶ中に信仰のすることも大変大切なことです楽しみ喜びが身についてきますまずは身近な毎月件にをいがけ毎月日は笠岡にをいがけデー事の中に数え切れない喜びがあることを知ることが大切です一日につは喜びを探してみましょうその喜びを家族に伝えていくことが信仰では毎月日をとしてのにをいがの伝承即ち縦の伝道になるのですまた定期けデーと定めさせていただきます毎月日に刊行物など身近な書物を通して教えを学ぶこともは国所の笠岡につながる全ての教会を拠点大切ですとしたにをいがけ活動の展開を推進いたします本年も年祭活動の上にご尽力と教会へ繋がる時間などは各教会で定めてくださいなおおさづよふぼく信者へのご丹精をよろしくお願い致しまけ取り次ぎ同様教会で一ヶ月の目標件数を定めすてください件数は戸別訪問やパンフレット配布に限りませんひのきしんや知人への一言も大きなにをいがけです成人目標の活動例をご参照下さい関連行事笠岡にをいがけデー統一活動日日時月日火祝教えを学び信仰の楽しみを身に付けよう笠岡として統一した活動を予定しています詳細につきましては後日ご連絡致しますでは各自が信仰の楽しみを身に付けられるよう努力しましょう真柱様は長い道中の中には時には不条理としか思えないような災難や苦しい出来事に出合うことがあるがそれも人の胸の若人のつどい日時月日日祝場所掃除を急ぎ何とか助けてやりたいとの親心から詳細につきましては順次お知らせしますのことであるからそこに込められた思召をしっかり受け止め思召に沿う通り方を心がけてほしいとお述べ下さっています思召を受け止め布教部真柱様は昨年の年頭あいさつの席上諭達に込める思いを毎日の暮らしの中で心がける身近なところからささやかなことでも日頃から心がけることをしてもらいたい年祭へ向かっておたすけの活動に励もうというのがその中心であったのでありますとお話し下さいました正しく笠岡の年祭活動の後押しをして下さったように思います私たちが大教会よりお打ち出し頂く年祭活動に沿って歩みを進めることは間違いのない教祖にお喜び頂ける歩みだと思うのであります更にはこの年祭への歩みの積み重ねがたすけ道場であり土地処の陽気ぐらしの手本道場として相応しい教会の姿へとご守護頂けるのであります現代の日本が抱える社会問題として少子化自殺児童虐待引きこもり心の病多重債務など様それらの根幹は家族をはじめとする地域社会や学校会社などでの人間関係の希薄さが年間行事立教年教会長講習会テーマ地域社会における教会の重要性大きな要因として挙げられます本教の御教えはこれらの問題の根元にアプローチできる教えであ現代のおたすけと教会のあり方日時月日午後時分受付りむしろお道の教えこそが今もっとも求めら時分開講式れている教えでありますその上でぢばの理を戴いた土地処の陽気ぐらし道場である教会のあり講義日午前時分閉講式方が現代日本社会の諸問題の解決に不可欠ですおさづけ取り次ぎと教祖ご存命しかしながら現実は当該の問題に関わる以前講師中山仁氏にその問題自体の認識が弱く関わり方が分か山名部属名陽分教会所属布教所長らず足踏みしている状態が少なからず見うけられ現代のにをいがけおたすけの具体例る現状ではないでしょうかでは教祖百三十年祭年祭活動スローガンをさあお講師郡川善嗣氏へらい小南部部属戸来分教会長たすけ祈る動くつなぐと定めそれぞれの現代のおたすけと教会のあり方実行目標に具体的な活動例を掲げて身近なと講師白木原嘉彦氏ころからおたすけに取り組めるよう実践に励んで本芝大教会長いますそうした身近なおたすけを実践していく講師名は講義順に記載しています上で更に悩む人に寄り添い声を掛けるためにその他笠岡に繋がる教会の中で地域社まず当人が抱える問題の内容について理解するこ会に根ざした活動を推進している教会の取とが必要だと考えますり組みを発表して頂きますそうした上から本年の教会長講習会は私た日は夕食を兼ねた情報交換を予定していち教会長が地域における教会の重要性を認識し個人が抱える諸問題に少しでもアプローチできるように本講習会を通して知識や技術の習得を進ます対象教会長受講お供千円受付で納めて下さいめていきたいと思います身上等でやむを得ず欠席の場合はその理由を必ず大教会長様に連絡して頂くようお願い致します教会長以外で各講義の聴講を希望する方は自由に聴講して頂いて結構です別席ひのきしん団参日時月日日別席ひのきしん団参を実施して数年が経過します帰参者の増員はもちろんですが本年は特に別席者の増員に力を入れて取り組みたいと思います初席者中席者のご守護が頂けるよう各教会で声掛け働きかけをお願いします立教年全教一斉ひのきしんデー期日月日火祝参加への呼びかけを特に教会と離れた地域に住まうよふぼくへも所属教会から積極的な声掛けをお願いします立教年全教一斉にをいがけデー月日日全教会長路傍講演の日月日月日火全よふぼく実動日月は布教強調の月です部内教会を拠点とさせて頂いて布教部員の布教活動を計画しております海外部いよいよ今年は教祖年祭の年目の年であります今現在アメリカ台湾ブラジルそしてタンザニアに笠岡に繋がるようぼく信者が生活をしていますまた海外から日本へ移住している人達もいます年後の年祭にそれらの人に人でも多くおぢばに帰って来て頂き共に教祖の年祭を喜び合いたいと思っていますその為の下積みを今年もさせて頂きたいと思っています今年は月から月までようぼくの集いが日本に限らず世界中で開催されます開催日と会場をしっかりと部員が把握し笠岡の海外に繋がる人達に連絡して行きたいと思いますまたそれに応じて教内の動き笠岡の動きを伝えて行く文書伝道も変わらず続けて行きたいと思います例年の行事も未来に繋がる伝道として続けて行きます今年も月月に広島平和公園で海外からの観光客ににをいがけ夏には海外伝道の後継者育成としてまた国際的な視野思考を持った者の人材育成の為の英語講習会を開催しますそして今年もタンザニア国への衣料救援活動やおたすけ活動も続けていきます昨年末に年目のタンザニア孤児の為の衣料が送られました皆様の心寄せご尽力有難うございました今年も続けて助け合いの心寄せを続けて行きたいと思います海外伝道の歩みは遅たる歩み微たる歩みですが継続をして行きたいと思っています管理部大教会詰所共夫に年限を重ねあちこち手を入れなくてはならない時期が来ております又共に敷地が広く庭木の世話も大変です今年も皆様方の御協力をよろしくお願い致します年間行事予定草刈り夏季植木の剪定月月障子張替え月年末大掃除月日婦人会新年おめでとうございます昨年は婦人会活動の上にお力添えを賜わり誠にありがとうございましたさて年祭活動二年目に入り昨年四月総会でおきかせ頂いた真柱様のお言葉一人ひとりが常に成人の上に努力すること活動方針を実のあるものにすること又会長様の会員の年祭活動は育てるという大切な御用を心してつとめさせて頂くことを活動の芯におくこととのお言葉を台にしっかりつとめていきたいと存じます更には委員部長さん方には委員部長がおぢばの理を戴いて仕切って更なる実動をお誓いさせて頂くべく本会開催の委員部長講習会への参加をすすめさせて頂きますお掲げ頂く成人目標ひながたをたどり陽気ぐらしの台となりましょうに近づくための活動方針全婦人会員はご恩報じまことの道を邁進しよう一教えを実践して実のようぼくに育つ一身近な人を実のようぼくに育てるの実行を促がしていきたいと思います本年もどうぞよろしくお願い申し上げます婦人会笠岡支部長上原きよの青年会立教年も青年会本部のスローガンたすけの渦を巻き起こそうの下教祖年祭に向かって活動を推進していきますまた笠岡分会の年祭への心定め一日一つにをいがけ全会員名の実働の完遂に向けてひとりでも多くの会員に声をかけ共におたすけに向かうきっかけ作りができるよう日コツコツと勤めてまいります昨年年間で全体の分のの会員さんに声をかけましたがこれからがスタートだと思っておりますので皆様方にもご協力頂きますよう宜しくお願いいたします日の実践目標を印したビンゴカードとボールペン各ブロックの委員が持っていますを渡したら人数をカウントいたします続いて今年周年を迎えるおやさとふしん青年会ひのきしん隊月入隊においては名の入隊者を目標としております年祭活動真っ只中の旬におぢばで真実の種を蒔かせていただきましょうその他の行事も活発に進めていく所存ですので皆様には動員面での声かけをどうぞ宜しくお願いいたします必ずこの旬に大きな実を結びます少年会少年会活動の目的は子供たちに信仰の喜びを伝え将来立派なようぼくになるための基礎づくりをすることであり縁あってこの道へ引き寄せて頂いた信仰の子弟をしっかりとようぼくへ育てていく縦の伝道にありますまたいまだこの道を知らない子供たちに陽気ぐらしの教えを伝え子供たちを親神様教祖とつないであげるのも少年会の大切な活動です様な機会を通して子供たちをしっかり教会へつなぎ信仰を伝えさせて頂きたいと思います本年も少年会活動の上にご尽力の程よろしくお願いいたします立教年笠岡団年間行事おつとめ総会月日鼓笛合宿月日月日縦の伝道講習会月日サマーキャンプ月日日テッチャンと遊ぼうわかぎのつどい月日テッチャンシアター教会参拝の推進行事月月月月月の大教会月次祭後学生担当委員会立教年学生担当委員会活動方針基本方針おたすけの喜びを学生にあらきとうりょうみちのだいとして共に育とう教祖百三十年祭に向かう三年千日の今全ようぼくのおたすけの実践が促されていますこの時旬に道に引き寄せられたすべての学生がおぢばに帰り教会につながって信仰の喜びとともにおたすけの喜びを味わえるように導き別席を運んでようぼくとしておさづけを取り次ぐまでに丹精していくことが求められていますそのためにもまず育成にあたる私たちお互いが一ようぼくとしておたすけに励みその勇んだ姿を学生に映しおたすけの喜びを積極的に伝別席を運びおさづけの理を戴いてようぼくになるよう丹精する学生生徒修養会受講者の増員を目指し平成年行事予定雅楽勉強会とき月日日えていくことが肝心です特に回以上の受講を促す午前時受付また縦の伝道を意識して少年会員を終えた時半開講式講習学生が着実に道へとつながり学生を終えた後も青年会活動婦人会女子青年活動への積極道から外れていかないように教会へとつなげ的な参加を呼び掛けあらきとうりょうみ若きあらきとうりょうみちのだいとしての自覚ちのだいとしての自覚を促そうを促していくことも私たちの大切な役割です私たちが道を求め素直にひながたを歩む中で学生にも信仰の喜びを感じてもらいおたすけの喜びを味わってもらえるよう共に育つ努力を重ねさせて頂きたいと思います重点項目学生会年間行事春の学生おぢばがえり月日おぢば管内学生の集い月日学生層育成者講習会月日学生生徒修養会大学の部月日高校の部月日おせち学生ひのきしん隊月日ところ対象内容午後時半閉講大教会初心者初級者少年会員一般初心者は雅楽の基礎から勉強をまた初級者は平調の越殿楽が合奏講師参加費申し込みできるよう勉強します大教会雅楽奉仕者円月日までに大教会に申し込み楽器は各自持参ですが都合がつかない人はご相談に応じますこどもおぢばがえり参加経験者を道につなげよう声かけの一助としてを活用する春の学生おぢばがえり高校生の集いま雅鶯会雅鶯会では各教会での月次祭で雅楽を奉仕する人を養成するため年二回の勉強会と講習雅楽講習会本部主催期間月日土日日場所本部対象少年会員大人初級者中級者なびばをはじめとする各行事への参加を会を開催する予定です将来は少年会員や女性上級者呼び掛ける会員による雅楽奉仕の姿を見たいものですまた祭典に雅楽を演奏したいが奉仕者がいないというおさづけを積極的に取り次げるようぼくへと教会にはご希望があれば平調の雅楽を進呈い丹精しようたしますお役立てください第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目今川昌彦大教会役員金浦分教会長武内清和香地華分教会長仙田勉出雲川津分教会長藤井治喜福節分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書大教会御供住民票神様のお話福冨士分教会長藤井正仁育成部よふぼく勉強会開催テーマは徳積み月月次祭後育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室で徳積みをテーマによふぼく勉強会を開催人が参加した今回のテーマについて中村剛講師は自らの体験を通して懇切に講話された引き続き同テーマについての質疑応答もあり有意義に終講した次回の勉強会は月月次祭後テーマは教祖のお話し講師は大教会奥様第回テッチャンシアター開催祭典後少年会質疑に真剣に答える講師少年会笠岡団武内正美団長は月日大教会月次祭祭典後神殿でテッチャンシアターを開催育成会員を含む約人が参加した家族揃って大教会月次祭参拝の推進を目的に本年度から始めて回目子供達に大教会参拝の良い思い出を残してもらいたいという思いから始まったこの会は後にユーモア溢れる担当者の名前をもらって親しみやすいようにテッチャンシアターと名をつけて活動してきたゲーム紙芝居お話アートバルーンなど当番委員が趣向を凝らして子供達を信仰の入り口へ案内する企画今後更に子供たちの好感度を上げるために正式なキャラクターを作ることになり年度には着ぐるみのテッチャンが出来上がる予定大教会少年会は次代につながるよふぼくの卵たちを精一杯導かせて頂きますので今後とも少年会活動の上にご協力下さいますようお願い申し上げます少年会副団長藤井正仁大教会年末大掃除大教会管理部武内清明部長では月日午前時から恒例の大教会年末大掃除を行い大教会長樣をはじめ役員教会長婦人会青年会少年会など含め人が参加した午前時の開始前から準備は進められ大教会長樣の手に合わせて三殿礼拝後は毎年の受け持ち場所に分かれてのひのきしんとなった当日は日曜日という事もあり普段出て来られない人達も参加して下さり渡り廊下の窓拭き天井のすす払いなど例年には手の届かないところも隅まで掃除をした神殿では長梯子を使っての危険な作業にも慎重に行い中段参拝場にはいつもの様にビデを三段に組み埃を払った後に拭き取るなど高所にも関わらずみんなの一手一つの掛け声とともに怪我なく順調に進められた婦人会は神殿内や信者室などの雑巾の仕分けの段取りや食堂ひのきしんなど女性ならではの目線でひのきしんを行った勤めた奉告祭となった一手一つの大掃除陶山分教会八代会長就任奉告祭執行陶山分教会上原繁次会長では昨年月日大教会長様ご夫妻吉岡壽上原志郎両役員を迎えて八代会長就任奉告祭を執り行った大教会長様が陶山分教会六代会長を勤められていたことから六七八代の会長夫妻が揃って温故知新祭詞作成私は大教会史の編纂高等小学校を卒え更に明治四十五年天理中学編集にも携わっていたのでよく潰れなかった校を卒えられては学びの業広く深く修め又同いきいきエピソードなと今思うじ年の三月二十一日尊きおさづけの理を戴かれあれから三十年改めて内勤の生活を始めて大正三年十月十日教人の列に与だされて救け一事歴はしのび詞私事で申し訳ないが昨年十一月二十六日のお運びで陶山分教会の会長を嗣子繁次に渡させて頂いた私は十二月一日から大教会内勤役員として勤めさせて頂いている思えば道友社を辞退させて頂いて大教会内勤とさせて頂いたのが昭和五十一年の事である四月から布教の家広島寮に入寮させて頂いたの編集主任をご命頂いていたので広島寮で編集を行い教務支庁と道を挟んで向かい側の中本本店印刷に印刷して頂いて十九日あるいはずいぶん変わったと毎日感無量であるさて三代会長の事を書いてきて今回一月三十日に三代会長三十年三代夫人二十年四代二十年の年祭を勤めるにあたり祭詞を書かせて頂きながら事歴はしのび詞をみれば一番いいかと思った次第であるそれで三代会長のしのび詞を見て此の項を終えようと思う三代会長追悼号から斎主真柱様副斎主村田雄三先生しのび詞言巻くも忌忌しき本部員上原繁雄主の御柩の前に副斎主村田雄三慎み敬いて現世条の道のようぼくとして成人の道に恪勤し励み給いぬ又大正四年五月十六日奇しき縁のまにまに上原家に入婿と迎えられくにゑの君と婚姻いて妹背の中いと美しく御子達九人を挙げ儲けて家内は常春の長閑けく転楽しく家内高く栄え坐して人皆より世の福人と仰ぎ慕われ坐しぬ更には大正五年一月には笠岡分教会承事として企じく九年には理事として教会進展に心を尽くしまた大正十年六月二日笠岡分教会三代会長の理を許されては名称の理の長として広く普く教子達を教え導き更に同じ年芦津大教会役員青年会笠岡支会長また岡山教区主二十日に刷り上がりを持って大教会に帰らせての永き別れを告げ奉るに当たり汝主の一世の事として西に東に親神の思召を伝え人を教え頂いた汽車賃がないときには自転車におつと程に立て給い遺し給える御功績の概略を言挙導き給いて名称の理の栄に努め労つき坐しぬめ着と刷り上がりを荷台に乗せて帰った事もげ讃えてしのび詞告し奉らくを聞食せと白す斯くて昭和十年四月二十日笠岡中教会の理を許あったそも汝主は明治二十七年九月二十日宮田善蔵され同じく十四年三月には台湾伝道庁長とし翌年広島寮を卒え大教会に住み込んだが主サト刀自の五男として大阪市東区塩町の地て遠く海外の地に赴きて海外伝道進展の重き勤雨霰のように仕事を申し付けられた別席の取に生れ出で給い直く正しき御性のままにいとめに労き給いぬ次月次祭祭典の役割当役員諸氏の出直しに健やかに生い立ち坐して明治三十二年四月新更には昭和十五年二月十日笠岡の名称の理の大伴うしのび詞及び告別詞作成時に大教会月次町幼稚園に入り明治四十年四月大阪西区第四教会昇格の理を許され同じ年四月十八日本部准員に登げ用いられ元つぢばの重しき務めに戦時体制の厳しき中も撓ゆむ事なく勇み心の一筋に労き給いぬ斯くて終戦と共に復元の旬を迎えては和歌山教区長として又和歌山県分教会主管者として和歌山の地に赴き給いて教会名称の修理丹精に真心の限りを尽くし給いき更には又昭和二十一年神殿おたすけ掛として又都大教会世話人として同じく昭和二十四年には別席取次人に登げられては親神の御教えを宣べ伝え人を扶け導き給いぬこの項続く前史料部長教会おとまり会の報告鶴山隊実施日年月日金日土泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人内容朝づとめ夕づとめお風呂食事児童公園で遊ぶ立教百七十六年十二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様扈者中上島原誠志治郎賛者山野弘実渡邉隆夫指図方吉岡壽講話佐藤道孝月講話東井光則先生区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝吉岡壽中村剛杉原博之岡﨑真一今川昌彦山野弘実淺野明教虫明立生大教会長様中村邦義岡﨑和夫岡本久善門脇元教中島誠治上原繁道三島渉上原志郎大教会奥様佐藤香苗武内正美田中ますみ森本冨美子高木孝子門脇郁子門脇加津中村初美高木昭祥武内清明内海史郎笹尾正治岡﨑輝彦田林久嗣森本忠平横山逸郎渡邉隆夫谷内伸自吉岡誠一郎山田敏教河原節喜上原浩佐藤真孝中村道德赤木素志森本忠善虫明好美内海安子岡﨑豊子上原順子谷内美知子横山小智榮今川佐智子笹尾一美三島照美教会別人づくり一覧表名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定笠岡福山髙屋神邊島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴廣町福廣福勇福芦福満福岩西村福年引野福昭福春福中福冨士福東東福山福南福順福節福備福輝坪生八尋深安笠尋芦品安那芦田川三郡芦常芦加茂惠陽陽實御野香地華真金仲條稲倉稲瀬稲富士稲讃門司港大惠山東水島高児島髙丸出雲瑞雲海潮川錦洋米府弓ヶ濱西伯米美伯仙照雲松都樺島新輝豊亀田山出雲川津天場山簸ノ川多古浦瑞北雲東神村呉中大江橋品治久福久津呉福鶴南鶴眞川島郷鴨方作備輝華錦ヶ原行縢眞府吉舎清嶽上小畠木津和國須上吉野上備河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面府鮮府世原神驛神免葦沼合計十二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にわにんけんはじめかけたのわよふきゆさんがみたいゆへからと子供かわいい一条の親心一杯に御守護下さり陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます教祖に世界だすけの先達としてお引き寄せ頂きました私共は陽気ぐらし建設の用木との自覚の元教祖百三十年祭に向け三年千日と仕切っての歩み出しの年として一年目の成人目標をかかげよふぼくとしてのより一層の成人を目指して日朝夕に御礼申し上げつつたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも月日は過ぎ行き本日は早くも本年納めの月次祭をつとめる日柄となりました改めて本年一年を振り返り至らぬ点は来年に生かすべくしっかりと反省した上で本年賜りました御守護の数に改めて御礼申し上げるべく只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には寒さ厳しき折り又年末の慌ただしさをも厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が二万五千二百三十五枚のおたすけお願いカードに込められたたすけ心と共に同じ思いに伏し拝み尚も変わらぬ親心にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年が改まれば年祭活動二年目でございますこの度の年祭活動は一年目より二年目二年目より三年目と三段階の成人を目指しておりますので成人目標も一年目に二年目分を加えて本年より一段階上の成人の歩みを進めて行く所存でございます又よふぼく信者の一手一つの姿にして行く為に自分一人成人出来たら良いのではなく一人でも多くの人に声掛け共に成人の歩みを進めて行く事を念頭において勤めさせて頂く所存でございます何卒親神様には本年残されたあと十日精一杯にたすけ一条に勤め切り新たな年の心定めを添えてより一層の成人をお誓い申し上げる皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護と喜びと感謝の心に満ち溢れた年末年始の御守護を賜りますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますこころの詩笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます天理教道友社発行天理時報より転載月日付新春歌壇芦品分教会教人金谷眞佐代さんあまたなる修学旅行の生徒来て平和を願う歌声ひびく海松ヶ岡分教会よふぼく藤井光子さん初春のペガサスの星に願いたりよ自然災害無き佳き年を東悠分教会前会長夫人田林美智子さん雪つもる静かな夜明けこの地球にいさか天災諍いどうかなき世に養徳社発行陽気誌一月号道柳より転載今回の課題は新佳詠川島郷分教会前会長香取敏子さん身上得て新人生の意気に燃え東悠分教会前会長夫人田林美智子さん生かされて心新たに今日一日芦品分教会教人金谷眞佐代さん新春に心定めて歩みだし表紙写真吉岡輝昭編集部員大教会だより直属ひのきしん特別隊瑞雲豊田俊美立教年春季大祭参拝福山上原繁道髙屋吉岡壽神邉岡本久善島根大教会長様久松鶴山弥髙山陽備中村邦義佐藤道孝大教会長様吉岡壽摩耶中村邦義金浦興明ひろさと佐藤道孝中村剛大教会長様陶山岡本久善芳井呉照海松ヶ岡大教会奥様上原繁道佐藤道孝東悠河原節喜吸江上原繁道照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴中村剛河原節喜岡本久善大教会長様吉岡壽大教会奥様大教会奥様吉岡壽上原繁道中村邦義佐藤道孝岡﨑和夫中村剛大教会奥様岡﨑和夫岡﨑和夫上原繁道岡本久善中村剛訃報西村道榮姉瑞雲分教会前会長十二月十三日出直されました享年九十二才あれから一年その時の事を改めて思い起こしてペンを執りました一昨年の十二月七日午後四時十六分中学校前の横断歩道上で飛び出して来た中学生の生徒と正面衝突フロントガラスが真っ白にガラスの破片がパラパラと目の前に落ちてきてその瞬間殺した血の海だと思いすくむ身体と心を跳ね除け外へあれ三四先にその子は倒れていて駆け寄るとおじさんすみません僕飛び出してと血も出ておらず生きてたとビックリすぐ番続いて番へ連絡交通誘導しながら到着を待ちその後現場検証幸いにも目撃した方が証言して下さり午後七時過ぎ警察署へそこで搬送先の病院に連絡してもらうと打ち身だけで検査結果に異状が無いので帰ってもらいましたよとの事エッその頃から身体が震えだしその後警察署にお母さんに伴われ来てくれたその子と二人コッテリ叱られました夜九時過ぎ帰会十一時半過ぎに床に入ると布団に身を包まれ眠れる事の有り難さをつくづく感じましたその後すべて保険対応で事無き得て減点五点のみでこの大節を済ませて頂きました今は亡き父が口癖のように一生懸命通っていれば神様がいざと言う時に毛抜き合わせのご守護を下さると話していましたがまさに間一髪毛抜き合わせのタイミングでお連れ通り頂きましたその時以降不思議とあの時無い運命だったと思えいずむとかくさるとかという思いがわかなくなり昨年一年間生かされている不思議の中で通らせて頂く事が出来ました説得するのが一番難しいのはウソのつけない自分自身である孫正義と言う言葉がありますが腹の底からお陰様だったと思える事が有り難いことでした世間の人の中には運が悪かったねと言う方もありますがこの事により厳しき現況の中でも心明るく通れた不思議な一年でしたありがたい幸せだと日歩いた人の後ろに幸せな道ができると信じてと
かさおか

『かさおか』第52巻 第12号

この木を最後に紅葉の季節が終わる月日大教会隣地より撮影教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ神様のお働きを身で心で感じること海外伝道講習会開催海外部上原志郎部長は月日竹川俊治先生飾東大部属飾大分三代会長を講師に迎え大教会月月次祭後に海外伝道講習会を開催役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら多数が受講した竹川先生は自身の海外布教などを通し親神様のご守護ご存命の教祖のお働きをしっかり自分の身体でまた心でつかむことが信仰をさせて頂く上で大切と話された講話要旨は次の通りいつまでも現役私は昭和年歳で飾大分教会三代会長のご命を頂いて年間つとめさせて頂きました年程前長男に会長を譲り今はフリーの身ですが私の心定めとして生涯現役で通りたいと思っている海外部のです現役というのはいつまでもにをいがけおたすけをさせて貰いますという心です現在もそれを実行させて頂いています身上のご守護私には大きな身上が二つありましたその一つが胃癌です昭和年のことです入院治療していましたが月日担当の医者から正月は病院も先生も休みだから一回家に帰るかと言われるので家に帰りましたしばらくして病院に行ったのですが医者があれ君癌が無くなっているよと言われたのです癌が無くなることがあるんですかと聞き返すとそりゃー君医学の限りを尽くしたからねと言われありがとうございましたとお礼を言ったのですが私自身の心定めと実行を神様がお受け取り下さってご守護頂いたと思うのですこぶもう一つは動脈瘤です動脈に瘤が出来る病気です瘤が何かの弾みで出血すると人いたら人皆即死でたとえ救急車で病院に運ばれたとしても皆死亡するという大きな身上ですところがこれ実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚またしっかり心定めをして実行したらご守護頂き現在通らせていただいています海外布教への決意教会長として通らせて頂いている時欲が深いんですか何か腹の底から込みあげる様な感動を得たいという思いが出て来ました毎日夜中の時に神殿に行き日間で何かヒントを与えて下さいと神様にお願いしましたしかし何もありませんまた日間のお願いをしましたが同じことです回目の最後日目の夜夢を見ましたどこの国かは分からないのですが変わった民族衣装を着た人達が大きな通りをうろうろしているのですそこを歩いていると人だかりが出来ている歳位の男性がどこかが痛いらしくうずくまっていて意識がないこりゃー病人さんやおさづけを取り次がせて貰おうと思い私は天理教の布教師ですおさづけというものをさせて貰いますよと言って何処が悪いのか分からないので頭と胸にさせて貰いました終わった途端男性が立ち上がってああ良かったと言っ男の子がいました私はちょっと待ってとおてるんやと怒るんです私は天理教の布教師たのですここで目がさめたのです何や夢母さんを止めておさづけをさせて貰いたいとでこの方に元気になって貰おうと思っておさづやったんかと思いましたしかしよく考えてみ言ったが言葉が通じないいろいろ考えた末御けというものを取り次がせて貰っていたと言うると親神様ご存命の教祖は海外布教をせよと供さんを出して紙に神様のお米と書いてと勝手なことをしやがって出て行けと言わ仰っているんだと思い結局それが機縁となりその一粒を私が食べ他の一粒を子どもさんに与えれたんですご夫婦でした何処でもいいから知らない所で単独布教をさせてました文字が通じたと思うのですそこで名前東京で他に行く所が無い何日か午前時にそ貰おうという心を決めたのですそして一度だけ歳住所と書いたらその方も書いてくれましたの病院に行きました自宅に帰られたと聞いたの団体で観光旅行に行ったことのある台湾で布教をおさづけを取り次がせて頂きました賑やかな街でまた午前時に行きました私はいろいろとすることになったのです中国語も台湾語も分かの真ん中ですこれが台湾での布教の最初です神様の話をさせて頂きどこが悪いのですかとりませんが行ったら何とかなると思ったのです残念ながら子供は半年後に亡くなりましたが両聞いてもただ黙っているだけですしかし日を生涯現役でと布教への熱意を話される竹川先生神様の先回わり親は今も熱心に信仰して下さっています重ねるうちにぽつりぽつりと自分達のことを話東京の布教の家にいた時のことです街角で二して下さったのです台湾伝道庁へ参拝した帰り道若いお母さんが人の婦人が立ち話をしていました私は天理教そのご夫婦は長野県の方で親の反対を押し乳母車を押してやって来ました全然知らない人の布教師ですが近くに病気とか他のことで困っ切って結婚し東京に来た女の子が生まれたが亡です中に歳か歳位の重度の心身障害のあるている方を知りませんかと尋ねたのですそのくなったそんな状態の中主人が同郷の女性と方達が懸命に考えて下さいましたそしてあそ関係していることが分かり奥さんが自殺を図っこに見えるタバコ屋の一軒隣の家に昨日救急車たというのですが来たから病人さんがおられるのと違いますかあると言えばある無いと言えば無い願うりやくと教えて下さったのです早速行きました留心の誠から見える利益が神の姿やでとお聞かせ守でしたが表札が出ていました聞けば総合病院頂きます台湾でのまた東京での出来事も神様へ入院しているとのことです病院に行きましたのお働きをつかんだからこそこうしたらいいよ部屋をノックしたが何の応答もない折角来たんと神様がお教え下さったと思うのですだからと思い中に入ると若いご婦人が酸素吸入をされている言葉をかけても全く反応が無い布教地での出来事おさづけを取り次いでいたら誰かが入って来まし現在台湾に教会二ヶ所布教所三ヶ所のご守た男の人ですそしてこらお前そこで何し護を頂いています今台湾の教会に日本から一人の青年が住み込んでいます裕福な家庭の子ですしかし勉強学校が大嫌いです親が無理矢理入学の手続きをしたのですが入学式に一回行っただけであとは一切行っていないのです台湾に教会を設立するためひのきしんにその青年を連れて行きました何と台湾が気にいって台湾で暮らしたいと言うのです勉強が大嫌いな子が独学で中国語台湾語を勉強し今ではペラペラです聞けば言葉が分からなかったら若者同士の交流が出来ないから必死で勉強したというのです人間は面白いものです青年は台湾で熱心に布教し先日も数名の方を連れておぢばがえりをしました私も言葉も何も分からない中台湾に行ったのですが有難いことに本当に腹の底からこみあげる様な感動を得られる様になったのです現在歳ですが生涯現役で通りたいという思いからミャンマーに単独布教に行っています不思議に次と修養科生をお与え頂きます願い通りのご守護毎日生涯現役で通らせて貰おうという心を決めて通っているのですここに居られる方の殆んどがよふぼくになっておられると思いますがしっかり自分の身体で心で親神様がお働き下さってご守護下さっていることをつかまなくてはいけませんこれが一番信仰する者にとって大事ですいますがそのぼつぼつが素晴らしいのですそして自分の身体で信仰して下さいこれが本物手を合わせるだけではいけません人間生活の目の信仰だと私は思います標は陽気ぐらしです陽気ぐらしをするためには人をたすけて我身たすかる人をたすけるしっかりにをいがけをしなければなりません陽理でたすかるとお聞かせ頂きますが私には身気ぐらしの要素はにをいがけです上も事情もありませんでは人をたすけたら信仰というものは楽しいお道の信仰は奥が深我身たすかるということはどういうことかと考いなということをつくづくと感じさせて頂いていえたら親神はちゃんと浮かばせて下さいましたる今日です以上要約こうして貰いたいこうなって貰いたいと頼んだら神様はちゃんと受け取って実現して下さるこころの詩と私は一人っ子なんです兄も姉も早く死んで兄弟がいないんです淋しいですそこで神様にお願いしたのが孫達の誕生ですそうしたら人の孫を与えて頂いたこの孫達が結婚したらひ孫達もまた増えていきますこちらの願い通りに受笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます天理教道友社発行天理時報より転載け取って下さり実現させて下さっています皆様方も折角信仰されているのだからほんまもんの信仰をして欲しい私はそれを願っています何歳まで生かせて頂けるか分かりません朝起月日付時報歌壇海松ヶ岡分教会よふぼく藤井光子さんたる今年初熟成されし樽のふたみそ開ければふあっと味噌の香のするきてああ有難いなあと心の底から感動が上がっ芦品分教会教人金谷眞佐代さんてくるそして寝床の中でああ手が動く足が動たずね人四日かかりて見つかりしくもう嬉しくてじっとしておれない天理教は神の御守護のお願いづとめに本当に楽しいお道の信仰は本当に有難いもう月日付時報俳壇これでいいということは無いんです私はつくづ海松ヶ岡分教会よふぼく藤井光子さんく毎日そういうことを感じてぼつぼつやって句会後のハーモニカの音秋空へ外国語パンフレット配布にをいがけ実施広島平和公園で海外部上原志郎部長は月日広島平和公園で外国語パンフレット配布にをいがけを実施人が参加した当日は曇天で風が冷たい日だったが原爆ドームを望む同公園でおぢばに向かって世界平和を世界平和を願いよろづよ八首海外部願ってよろづよ八首のてをどりを行ったその後組に分かれて英語中国語で書かれたパンフレットを持ってオーストラリアアメリカアルゼンチンイギリスロシアカナダスペインフランスイスラエルフィリピンなどから訪日した約組に声掛けをした過去回の実施に比べ今回は話に耳を傾け聞く人達が大半だった訪日者のほとんどは原爆資料館を見学自国の核保有について思いを馳せている人もいると感じると共に人間が助け合う姿を見たくて創造された親神様の思召を伝えることは本当に意義のあるものだと確信し終えたにをいがけを通し語学力の向上も今後の課題海外部員上原順子先人の足跡辿り十三峠越え青年会笠岡分会上原明勇委員長は月日同委員会員の結束高揚を目的に十三峠越えを行まなとい歳のホープ岡崎学敏君福勇分をはじめ人の精鋭青年会員人少年会員人が参加あらきとうりょうの勢いをもってこかん様の浪速布教の足跡をたどった青年会当日は月下旬ながら汗ばむ程の陽気な快晴の下勇み心一杯に行路を進めた道中十三峠ではゴミ拾いまた法隆寺付近では路傍講演を行ったおぢば到着後は詰所でカレー食の歓待を受け体の疲れは吹き飛んだ今回はこかん様に想いをはせ歩いたが年祭活動はあと年たすけの渦を巻き起こすべく一人でも多くの方におぢばに帰って頂けるようとも教祖のお供にまた一層にをいがけに歩く決意を固めた青年会副委員長杉原善朗こかん様に想いをはせ十三峠越え修養科修了修養科を終えて上下分教会山野季彦私は今度二回目の修養科生活を送らせて頂きました一度目は百年祭を迎える前年であり事情により入学しましたこのたびは身上により入りました身上事情は道の花とお聞かせ頂いておりますが体験を通して身上や事情と心の在り方について今まで考えてみなかった様なことを学ぶことができましたこの教訓を糧にして更なる成人をお促し下さる親神様教祖の親心にお応えさせて頂く決意を固めました数のご守護と喜び國須分教会原田一平此の度び神様のお引寄せにより國須分教会上小畠分教会上下分教会を通して修養科へ入らして頂き山野先生西村先生三嶋先生吉岡先生他沢山の詰所の方の心のこもった指導お食事安い食費なのに質素で美味な料理で満足世話を頂き無事修了させて頂き真に有難うございましたおぢばへ帰らしてもらってのたすけてもらったことうつ病九ヶ月間悩み苦しんでいましたが三ヶ月間世俗と離れた生活で大変良くなりました股関節の痛み修養科へ入科してから痛くなりでした住居充分な広さで空調付きで寝具は清潔で夏用冬用と完備していました三ヶ月修養科を通ってみて福中分教会穂垣裕右憩いの家での検査をしたり杖をついこの度私は叔父の勧めで修養科を志願させてて歩いたり車で送ってもらったりしましたが頂きました天理教の教理もおつとめも何も知ら一ヶ月程で全快致しました三ヶ月間健康に恵ない状態でとりあえず奈良に行って三ヶ月遊まれ一日も休む事なく全てを勤めさせて頂くことんで来いこれからの事はそこでしっかり考えてが出来ました教理の学び等来るんだこの三ヶ月は君の人生を変えてくれる最後のチャンスだそう叔父に諭されて私自身教典の小栗真人先生教祖伝の山本徹先生お思うことがあったので訳もわからないまま叔父手振り鳴物の市川善一先生三人の頭の低い素直達に連れられておぢばに帰らせて頂きましたな暖かい心の御方教理への強い信念と実行力未信者同然の私の天理教への第一印象はみ素晴らしい多くの実体験をお話し下さった御方んな黒いハッピを着てるこの人達ちょっと危な何も知らない私共を御指導下さった御方にめぐりいかもしれないでした私以外の笠岡の修会えた事は望外の喜びでしたまた多くの同じい養科志願者はなにかしら教会につながっていて教んねんの仲間と出会い色な人間模様を見ながら理やおてふりも理解されている方ばかりでし仲良く助け合いながら生活できた事は良かったとたその中にいきなり放り込まれて今まで生き思います詰所生活てきてそこまで神様の存在を信じていなかった私としてはこの人達少し気が狂っているかもし前述の三人の先生外の方のもと無事生活れない今からオレは洗脳されるんだこんなもできました事有難く思いますん所詮人間が作った後づけの話しに過ぎないこいつらどうかしてるとか色な感情がでてきて三週間目くらいまで顔色が凄く悪く詰所の先生方や教養の先生方にはご心配をおかけしました一ヶ月目は各の身上事情を見せて頂きこれまで私自身体験したことのないストレスと不安で胸が押しつぶされそうになりここに来たのは間違いではないのかと疑念が湧くばかりで全く勇めない自分自身に苛立ち叔父に早く帰らせてくれと懇願してただのゴミ捨てと神殿の掃除と訳がよくわからない教理やおふでさきやおてふりに何の意味があるのかさっぱり理解が出来ませんでした二ヶ月目から少しずつひのきしんや徳積み理作りをさせて頂く意味を理解し身上事情で苦しんでおられる人への配慮自分自身がこれからどう生きてゆくべきなのか家族とどのように接し用木として穂垣家を再興していくべきなのかまた教会と今後も付き合いを続けてゆくべきなのかなど色と思案して考えすぎて気持ちが沈み修養科を休んだり奥歯全てが痛くなり虫歯かと思って歯医者に行ったらかみしめる力が強過ぎと診断されて色んな事を我慢していたことに気付かされその結果が身上として出てくるのを悟らせて頂いたりとにかく二ヶ月目は自分自身の心の修養として得るものは多かったように思います三ヶ月目はやはりもう後一ヶ月で帰れるという教会おとまり会の報告期待とこの先仕事をすることへの自分の未熟さ甘さなどに気付けた一ヶ月だったように思います笠尋隊最後に新しく用木になったからには周りの困っている人悩んでいる人がいたら時と場合に実施日年月日日日月応じてはたすけていかなければならないと思う泊日し今まで他人に対して無関心冷酷な性格が天参加者数少年会員人育成会員人理教を信仰することで優しい温かい心の持ち主に合計人生まれ変わることができたと思いますプログラム天理教と出会えてよかった日月次祭参拝日食事ひのきしんこころの詩準備片づけゲーム夕づとめ笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます養徳社発行陽気誌十二月号道柳より転載今回の課題は生秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん生かされてご恩がえしの八十路ゆく日月夕食食事ひのきしんまなび神様のおはなしお風呂消灯起床朝づとめ朝食食事ひのきしん佳詠川島郷分教会前会長香取敏子さん一日を生涯として日歩む表紙写真吉岡輝昭編集部員解散所感今年は月次祭参拝の計画を取り入れ子供たちも興味深く参拝することができました連休でしたが多くの少年会員が集まってくれにぎやかに行うことができました温故知新のしみに通りてくれは昭和初年頃のおふでさき講習会の時に述ろ論をするのは世界の理神の道には論はなべて下さっているのがみちのともに収録されいきいきエピソードいているから出所はわかるがその手振りまで当ははなし聞いても理の聞き分けなくばはなし時の講習会で実際に振って見せて下さったので教理への探求心三代会長はほとんど生涯に亘って日記をつけこまめていた小忠実な人であったその日記が大教会史編纂にあたって随分と役にたった達筆であるが読みにくいので妻上原順子に依頼して日記の一冊一冊を三代会長に読み下して頂いて原稿用紙に書き取って貰った大変な作業だったが父親三代会長は忙しい日課の中で時間を割いて最後までつきあってくれた今思えば私達夫婦が私は道友社に妻は専科日本語科に勤務して天理に居たことがまことに都合よかったのだろうと思う台湾伝道庁長に赴任の間の出来事の大教会史年表への記載事項のほとんどはこの日記に依っているその日記帳の余白余ったページにいろいろ聞かぬも同じ事に人間の理を立てるからだんだん道の理がうすうなるほほんになるほどという理があれば六つかしいやないへへだて無いのが神の道と通りよい道通りては通りにくい道があるち知恵や学問でゆく道やないゑひ酔いもせすまで続くのであるが当時の天理の刊行物にでも載っていたのであろうかこれの記述の後に大教祖年代記として寛政十年から明治二十年までを年代を追って誌してあるその次におさしづ抜粋またおふでさき抜書またおことば抜書としてこれもおさあろうか随分と教理には探求心があったのかなと思う天啓録と題した小冊子を作っている明治二十一年上原さと三十七年身上御願から始まるおさしづ集であるが東高知芦津など関係教会に戴いたおさしづが年代順に毛筆で手書きされている私はかねがね上原家に戴いたおさしづを年代順に収録してみたいと思っているのであるが三代会長も同じ思いがあったのかなと収録されているおさしづを眺めながら思った次第であるそれにしても忙しい教務の合間にこうした教理探求に過ごしていた求道者としての父親の姿に頭の下がる思いがするこうした体験がと書き並べてあるしづの一節一節だと思うが書き連ねてあるあればこそ大教会史の取材でいろんな疑問点例えばいろは順にどこから引用したのかわ他の日記の余白には十一通りのかぐらづとを尋ねた時それはなと穏やかな調からないが次のように短い言葉が書いてあるめの地歌またその手振りが簡単な人の形を書子で話してくれたんだなと今思うい一代はさんげの世つくしの世くるしみをたいて誌してあるかぐらづとめ十一通りの地歌前史料部長年祭活動推進委員会祭典報告書記載上のお願い各教会宛の年末配布物に祭典報告書記載上のお願いと題した年祭活動の主旨文を入れておりますこれをよくお読みの上毎月のおさづけの取り次ぎ回数にをいがけ件数の目標数と実数成果を祭典報告書に記入してください会長室老会長様年祭前会長様年祭老奥様年祭日時月日木午前時於大教会祖霊殿前奥様年祭日時月日土於大教会祖霊殿庶務部ようぼくの集いの配付資料案内状参加票が足りない場合は庶務部に申出てください教区別開催会場一覧表は余部に限りがありますのでコピーしてお渡しします教区別開催会場の会場追加変更中止一覧を各教会に部ずつ配布しましたので教区別開催会場一覧表を信者さんに配布する前に特に変更中止分を各教会において訂正してから配布してください実際に信者さんに配布するまでには日数がありますが教区別開催会場一覧表の訂正や参加票の記載が難しい場合は庶務部岡﨑にご相談ください育成部よふぼく勉強会立教年上半期の予定テーマ担当者月教祖のお話し大教会奥様月親孝心高木孝子湯田原分教会長夫人月八つの埃吉岡貞彦芦田川分教会長詰所掛春季大祭詰所受け入れひのきしん割当東西福山髙屋の各ブロックより名ずつ期間月日昼食日昼食おつとめくださる方の氏名を月日までに詰所に連絡してください月次祭時の詰所宿泊について配食部屋の割り振りの都合上日前までに申込み願います例えば日宿泊の場合は日までに申込み部会婦人会月年間行事予定表青年会少年会学生会学生担当委員会委員直轄委員部長研修会婦人会本部第回総会午前学修大学の部鼓笛合宿笠岡団おつとめまなび総会春の学生おぢばがえりおぢば管内新入生歓迎会こかん様に続く会縦の伝道講習会おやさとふしん青年会ひのきしん隊学生層育成者講習会あらきとうりょう入門塾キャンプテッチャンと遊ぼう学修高校の部ひのきしん団参わかぎのつどい全分会布教推進週間委員部長後継者講習会第回天理教青年会総会例会日毎月日有志ひのきしん隊毎月備直轄委員部長連絡会日ひまわり会日女子青年例会随時考大教会掃除ひのきしん毎月日教会おとまり会の実施テッチャンシアター親子参拝よふぼく勉強会毎月日午後月月月は休みおさづけの取次毎月次祭直後立教年平成年年部会全体行事月その他ひのきしん布教部直轄教会春季大祭参拝年頭会議老会長様ご夫妻直属ひのきしん特別隊島根ブロック前会長様年祭春季大祭詰所受入教会長講習会笠岡詰所部内巡教雅楽勉強会修養科修了講習会本部食堂福山ブロック部内巡教海外部英文パンフレット配布直属ひのきしん特別隊ようぼくの集い西ブロック会場教祖ご誕生祭詰所受入大教会長杯親睦スポーツ大会本部食堂上府ブロック直轄教会定期巡教別席ひのきしん団参修養科修了講習会全教一斉ひのきしんデー雅楽講習会タンザニアおたすけ訪問本部食堂髙屋ブロックこどもおぢばがえり修養科修了講習会こどもおぢばがえり詰所受入前半昼昼後半昼昼英語講習会笠岡にをいがけデー統一活動日布教推進強調月間全教一斉にをいがけデー直轄教会秋季大祭参拝本部食堂東ブロック秋季大祭詰所受入若人のつどい大教会修養科修了講習会英文パンフレット配布海外伝道講習会月次祭に合わせて心定め提出年末大掃除詰所餅搗部長会議毎月日午前註ブロックの区分けは備役員会議毎月日午後役員並びに直轄教会長会議東岡山県以東の直轄教毎月日午後会とその部内教会直轄教会長の集い西広島県以西の直轄教考毎月日午後雅鶯会練習毎月次祭前日夕勤後会とその部内教会舞楽練習随時上府上下府中市おかえり講話月日月日月日月例勉強会毎月日英文発行海外よふぼく月報部長会議役員会議役員並びに直轄教会長会議月は末日月は日直轄教会長の集いに替えて行なう十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに天然自然のお働きを通して身体の自由と心通りの御守護を下さると共ににちくにみにさハりつくとくしんせ心ちがいを神がしらすると身上や事情にしるしを見せて心得違いをお知らせ下され常に陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながらせっかくしるしを見せて救けて頂いても医者や薬のお陰と思い誤り親心に気付かず又心得違いに気付かずに陽気ぐらしから遠ざかっている人が多くいます事は誠に残念でなりません私共はそうした人達に少しでも親心に触れて頂き陽気ぐらしへの足取りを進めて頂きたいものとかしものかりものの御教えを心に朝夕に御礼申し上げると共にご恩報じを念じてたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同日頃の喜び感謝の心とたすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寒さ厳しさを増す中も厭わず寄り集いました道の子供達が持ち寄りました二万一千四百八十九枚のおたすけお願いカードに込められた皆のたすけ心に自分のたすけ心を重ね合わせて共に声高らかにお歌を唱和する皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本年もあと残すところ一ヶ月余りとなりました改めてこれまでの歩みを振り返ってみますと昨年の秋の大祭での諭達御発布受けて諭達の徹底とそれを受けての大教会の方針の徹底を計る上から一月は直轄教会へ二月三月には全部内教会へ加えて四月にかけて追加の五カ所の諭達巡教を実施させて頂きましたところ二千八百名余りの人に受講して頂き共に教祖百三十年祭に向けて三年千日と仕切っての成人の歩みを始めさせて頂きましたそして五月には別席ひのきしん団参をさせて頂いて順調に成人の歩みを進めさせて頂いておりますが残念ながらまだく諭達の主旨徹底がなされず多くの人が実動に至ってないように思われます本年に残された日時しっかりと声掛けさせて頂き一手一つの活動になるように丹精させて頂く所存でございます又本日祭典に引き続き海外布教推進講習会を開催させていただきます海外にまで心を広げる事によってその地盤である国内布教をより充実させて頂く所存でございます何卒親神様には世界一列を救けたいとの親心に応えるべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜りたすけたい一条の親心一杯の御守護である事に気付かせて頂いて御恩報じの上からたすけ合う人が弥増して神人和楽の陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます登殿参列第回参列者は本誌月号に掲載第一回登殿参列立教百七十六年十一月月次祭祭典役割表祭主大教会長様扈者岡杉﨑原真博一之賛者高田木林昭久祥嗣指図方上原繁道講話海外布教推進講習会一月講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半中村邦義佐藤道孝吉岡壽三島渉中島誠治門脇元教森本忠善山田敏教渡邉隆夫大教会長様中村邦義中村剛岡本久善岡﨑真一谷内伸自上原繁道杉原博之今川昌彦大教会奥様内海安子岡﨑豊子田中ますみ中村初美谷内美知子門脇郁子横山小智榮笹尾一美田中隆之佐藤真孝横山逸郎河原節喜上原浩虫明立生笹尾正治吉岡誠一郎赤木素志上原志郎武内清明田林久嗣森本忠平内海史郎岡﨑輝彦岡﨑真一淺野明教中村道德今川佐智子門脇加津上原順子佐藤香苗森本冨美子三島照美上原順子武内正美高木孝子高木昭祥第回中村剛久松岡本久善摩耶今川昌彦金浦吉岡誠一郎興明掛谷宣和坪生矢田哲一八尋藤本基喜惠第二回登殿参列陽佐藤哲御野武内清和香地華猪原啓文真金猪原啓介門司港谷本里喜男高丸渡邉泰造品治佐藤憲美久福佐藤久枝呉福大教会だより教会指令任命願附属建物増築及屋根葺替願陶山分教会前任上原繁道新任上原繁次奉告祭承認第八六九期修養科教養掛三ヶ月間山野弘実一ヶ月目大教会准承事上下分教会長西村彦一瑞雲分教会長二ヶ月目三ヶ月目修了者上下福中國須國須多古浦多古浦國須三嶋正教笠尋分教会長吉岡貞彦芦田川分教会長山野季彦穂垣裕右原田一平河田正彦余村久美子余村有希子河田和江教会長資格検定講習会修了者終講木津和丸山優樹表彰青少年健全育成に寄与国務大臣表彰橘髙祐高さん橘髙祐高さん歳國須分教会長は月日総理大臣官邸大ホールで行われた平成年度子ども若者育成子育て支援功労者表彰の席上森まさ子内閣府特命国務大臣若者育成担当から表彰を受けた年以上の長きにわたり青少年を対象とした自由で健全な弁論大会の運営に携わり明るく健全な地域社会の発展と青少年の健全育成に大きく貢献したもの今回の表彰は団体と人団体と人は県または市からの推薦橘髙さんは文部科学省から推薦された援護事業に寄与厚生労働大臣表彰高橋伸吉さん高橋伸吉さん歳広島県府中市廣町分よふぼくは月日田村憲久厚生労働大臣から表彰された社会福祉事業などを通し多年にわたり援護事業に貢献したものまた府中市市議会議員として年間務めた交通指導児童見守りに寄与福山市長表彰佐木義治さん佐木義治さん歳福山市駅家はだあきら町芦品分所属は月日羽田皓福山市長から善行市民せんだん賞表彰を受けた長年にわたり交通指導員として登下校時の交通安全児童の見守り活動に取り組み事故防止と不審者撲滅などに尽力したもの訃報西村道榮姉瑞雲分教会前会長十二月十三日出直されました享年九十一才今年の春私たちの住む地域に自主防災会が出来ました近くの公会堂は海抜が低く水害に対して弱いので比較的高い所にある自教会を一時避難所として提供したところ地元の皆さんがとても喜んで下さいましたその時災害に備えて一度見学させて欲しいという声もあり月の下旬に防災学習と災害マップを基にした避難訓練が実施されましたこのときの様子が地元のケーブルテレビで放送されましたが画面に自分の顔がアップで紹介されるとテレビは正直なのでしょうが恥ずかしくてため息が出ましたそれはさておき放送後お礼を言って下さる近所の方に役に立たない方がいいんですけどねとお答えすると一様にきょとんとされるので大きな災害が起こらず避難所としての利用がないことを祈っているんですと続けたら納得されましたできることなら災害のない世の中を御守護いただけることを願ってやまない年の瀬ですか
かさおか

『かさおか』第52巻 第11号

鮮やかな秋色に染まるもみじ月日大教会神苑で教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ秋季大祭講話人をたすける心になってくれ大教会長様お話立教年秋季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員教会長よふぼく信者多数参拝の中執り行われた大教会長様は神殿講話で立教のご宣言から話しを起こされそこに籠められた親ほぐ神様の思召を分かりやすく解しつつ教祖年祭に向かう私たちの歩むべき道筋を諄とお話しくだされた要旨は次の通り立教のご宣言に籠められた思い今日は秋の大祭に籠められたをやの思いそしてその思いが言わば明治年に開花しそして教祖年祭の歩みに繋がったというお話しをいたします我は元の神実の神であるこの屋敷にいんねんありこのたび世界ざなみのみこと様の御魂のお方に神一れつをたすけるために天降ったとして拝をさせようという約束の下みきを神のやしろに貰い受けたい人間創造に掛かられたその約束の年この親神様直のお言葉をもって限が経ったから旬刻限このたびここの道が始まりましたの世に現われたこの一言の中にいろんな思いが込めそしてその目的は世界一れつをられていると思案しますたすけるためこれから世界を親先ず第一に我は元の神実の神であ神が望むところの陽気ぐらしの世界に立るこれは今までいろんな信仰の道があったがこれから始める道は元の神実の神これはいわゆる神という表現ですが神という名の親であるということを後いろいろと教えられたつまり元の親実の親のて替えてやろうそのために続いていざなみの御魂を持っておられる中山みき様を神のやしろに貰い受けたいその神のやしろのみきを通してどうすれば陽気ぐらしの世界に立て替わっていくのかということがこの大宣言の道であるということを先ず最初に明か中に述べられていると思いますされますその中で先ず思案すべきはその元の親実の親つまり私たち人間目的世界一れつをたすけたいですをお創りくださった親でありそして親神様の思いがそこにあればこそ今日もなお親心をもって育ててくださっている実の親であるということを先ず明言されています続いてこの屋敷にいんねんあり元の神実の神だということたすける旬がきたということそして元いざなみのみことの魂であり私たちの本当の産んでくれたをやの魂を持ってい勝手に現われたのではない人間創造るということそういう一つひとつのこに当たっての約束九億九万九千九百とも明らかにしなければならなかったと九十九の子数の年限が経ったならばい思います実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚だめ最後の教えたる所以世界一れつをたすけたいそのをやの思いはど信仰ならわざわざこの道を啓く必要はないわけでこれからは信心の姿思いを変えてく教祖はをびやだすけから始まって次と不思議なたすけを顕わされるがその中にも官憲こにあったのかそして世界一れつをたすけるとはどういうことなのか改めて思案したい普通に信心する者にしてみれば神がたすけてやろうと言えばただたすかりを願って信仰するのは当たり前でしょう今まではそれが信心の姿だったと思いますしかし今までと同じように信心したのではわざわざこのたび世界一れつをたすけるためにといって現われる必要はなかったひらなぜならそれまでにたすけとして啓いてきた道もすべては親神様が啓かれた道であってわざわざ旬がきてたすけるために天降ったというのはそこにある親神様のたすけの思いが大いに変わったからだと思いますれということではないでしょうかそれならこの道はどういう信心をすればいいのかどうすれば親神様が陽気ぐらしの世界に立て替えてくださるのかということでそのひながたを示すために教祖を月日のやしろにしなければならなかった教祖が御自ら年のひながたをお通りくださりそれを辿ることによってたすかり一人ひとりのたすかりであると同時に陽気ぐらしというたすかりをご守護いただけるたすけ心の涵養たず教祖年のひながたを温ねると貧のどん底に落ち切られたそのお姿は先ず心の欲を捨て去圧迫などの事情も起こってくるその中をなってくるのが天の理すべて親神様が陽気ぐらしに立て替えてくださる手立てだといそいそと出掛けられるなど喜びいっぱいに陽気ぐらしの境地をお見せくださっただから教祖のひながたは喜び感謝に基づく御恩報じの心でありそして御恩報じの心によるたすけ一条の道であるこれによって陽気ぐらしの世界になってくるということです心通りにご守護くださる世界ではたすけ一条の道を通ればなぜ陽気ぐらしの世界に立て替わってくるのかということでかしものかりものについて思案したいれば自ずと親神様のご守護がわかるようになり心一つが我がの理心一つの理に親神様が心じゆうよう今までの教えと同じようにただお願いするだ親神様が十分に働いてくださっているという喜び通りの自由のご守護をくださって今日こうやっけでもたすけてはくださいますがただそれだけに満ち溢れた世界が生まれてくるということを教て結構に通っているでは親神様が望まれる陽気ぐらしの世界には立えられたこれは身体だけではありませんて替ってはいかない先ず心の欲を捨て去ることによって喜びせんしよのいんねんよせてしうごふするなぜなら今までもいろんな宗教教えがあっ感謝の心が生まれると喜ぶだけではなく少してお願いはしてきたはずなのにどういう人間でも親孝行したい御恩報じしたいという心になこれハまつだいしかとをさまるりゆうけ一つまり身体だけではなく立毛一切そして生活になったのか苦しめ合いいがみ合ってりはしないでしょうか関わらなければならない身の回りの多くの人たちきた親孝行を望むのならば親神様のお望みは人もすべて私たちの心通りに寄せてくださりだから今までと同じようにお願いするだけの様たすけなされその一つだけなのです心通りにご守護くださっているということでしょう合我が身勝手のお願いをして信仰するならで我がのことを思い留めてでも人のたすかりすべては親神様のご守護の世界でありすべ結局争いはなくならないし陽気ぐらしの世界を願い人だすけをすればするほど今まではてが私たちの心通りに働いてくださっている姿に立て替わるはずがありません我がの守護しかなかったがたすけ合いといですでもそれがだんだんと我が身勝手な心遣いうことをするならたすけ合いの守護をして自分勝手な願いからの脱却になればなるほど自分には都合はいいが他人いただけるだから頼むから人をたすけには都合が悪いしかし神様にしてみればる心になってくれところが皆自分勝手に我が身勝手の願い皆可愛い一れつ我が子だから一れつ可愛いつまで信心しても自分のことだけを願ってばかりしていれば当然そういう心通り願いい子どもであるということを明らかにするためいたのでは結局人間関係がだんだん疎かにな通りではないのご守護をくださいますに一番最初に我は元の神実の神と仰ったり隙間ができてたすけ合いがなくなってしまたすけてやろうということでいろんな教えをのでしょううきっとその理でまた自分が苦しまなけ啓いてきたが皆それぞれが自分の都合のいこの道を信仰し元の親実の親として親しればならないから余計に我が身勝手の心遣いいように信仰し自分勝手なことばかり願ってきみを込めて信心する我にとってただ単に自分我が身勝手の願いをしなければならなくなってしたがそれでもたすけてくださったがたすかるように願うだけの信仰でいいのでしょまうこれがいんねんの世界でしょうだかでも我が身勝手のお願いは要するに他のうかそれだけでは今までの信仰と何も変ら頼むから少しでも人をたすける心になって人からとってみれば不都合な点が多あるわらず結局は人間同士が争いをして苦しめくれ私の心通りにご守護くださる世界が皆にとっ合いいがみ合いそれだけの世界にしかならないそうしたら一人だけのたすけではなく一人て都合のいい世界ならば何も問題ないが決して陽気ぐらしの世界にはなりませんのたすかりを通して多くの人にたすけの守護をそうではないでしょう私にとってありがたいご守護であっても人をたすける心になってくれ顕わしてやることができる心通りなんだこれは人間創造のときから何も変わっていない私以外のより多くの人たちにとって都合が悪つまり我が身勝手の心遣いは我が身勝手の心通りに守護をした結果が今の世の中の姿ではければ私は神様のご守護があった陽気守護しかしてやれない自ずと争いは生まれ苦ないか私たち一人ひとりのたすけ心がいかにぐらしやと勝手に喜んでいるだけでそれはしめ合う姿になってしまうさあ頼むから人大事か思案してほしい銘勝手の陽気は真の陽気と言えんとはっきりをたすける心になってくれ仰っているそれは親神様の望む陽気ぐら一人ひとりが身上事情のときにこそしっしの世界ではないということでしょうかりと親心を感じ取り喜び感謝の心で御恩報ただ単にお礼申し上げるだけではなくこの道を信ずるお互いは喜び感謝とともになおかつ人だすけを願う心を一回でも多く使い人だから今までと同じように我が身勝手の都じの道をより奮い立たせ今道に繋がる皆の中だすけの行ないをするそれが大事だということを改めて心におきたいいので先ず入り込むための理作りとしてつあるということではないでしょうかとめを教えてくださいましたようこそつとめについてきたたすけ心実動の旬これがたすけのもとだてや六下り目人をたすける心でおつとめをつとめたらそのたすけ心を受け取っていかようにも働くことそして教祖年祭は三年千日を仕切って何をするのかこのたすけ心を遣うということですができるこの三年千日は自分のことをおいてでも人いくらおつとめをしても我が身だすかりを願のたすかりを願い人だすけをするための三年千うのなら結局我が身だすけにしかならない人だすけの道具立てとしてのおつとめだから人をたすける気持ちでつとめてくれ日だということですだからこそ今こうして成人目標これもたすけ心になるこれもおたすけになるつまり一人でも多くの人に人をたすける心先ず簡単なところからできるところからしてを遣ってほしいからこそ年先の定命を縮めてみませんかというものを作りわざわざ皆さまでこのおつとめを急き込まれたということではん方にお渡ししているのですたすけ心の実践人をたすける道具立て年のひながたの集大成はつとめとさづけでしたつとめもさづけも人だすけの道具立てです我が身だすかりの道具立てではありません教祖は元のいんねんがある上から親神様が直に入り込まれていかようにも人をたすけることができたをびやだすけから始まって不思議なたすけを次と顕わすことができたしかし私たち一人ひとりに入り込むわけにはいかなないでしょうかだからただつとめればいいではなくおつとめをとつとめる間は人のたすかりを願ってつとめるおつとめはゆっくりしてもせいぜい時間です月の内の時間このたった時間常にあそこにも困っている人がいるここにも困っている人がいるたすけてください世界中が一日も早くたすけ合って陽気ぐらしの世界に立て替わりますようにとたすけ心でつとめをするところに心通りに守護をしてやろうといって不思議なたすけを次と顕わしてくださる元がこの三年千日一回でも多く少しでも多く我がことを抜きにして人だすけの心を遣いましょうところがこれを頂いたがどこにやったかなとか貼ったけどどこに貼ったかなと忘れてしまっている人が多い日たすけ心を遣っているのなら何も問題はないが日のたすけ心を遣うことを忘れてしまっているのでは何の意味もない失くしてしまったらまた持って帰ってこれを一番目に付くところに貼ってこれもひょっとしたらできるかも知れんなこれは少しできているなこれやってみたいなというものこう親のご守護が増えるということからおたすけ枚これを書く同じ人を書いてもいいし毎いうものを確認しながらしてみませんかたすけ心を遣うだけですたすけ心を遣えば遣うほど親神様教祖がより自由のご守護を顕わしてくださり陽気ぐらしへと導いてくださるお願いカードというものも用意しています今日は万千枚余りを教祖の前にお供えしていますが笠岡に繋がるよふぼく信者の数からすれば月に人が枚書くだけでこの日違う人でも構わないどんな使い方でも構いません枚でも多く書いていただいて回でも多くたすけ心を遣うためにこういうものを大いに利用していただきたい我が身だすかりだけを願う信仰は卒業しましょうもう少し成人して大人になって人だすけを願える信仰になりましょうそのためにこれを大いに利用していただきたいどうぞ各教会ごとにすべてのよふぼく信倍にはなるのでまだまだ少ないだからもっともっとお願いをしなければまだまだご守護いただくまでにはならないだろうと思いますこれも信仰するしないは関係なく年齢も関そしてこれをお供えし人のたすかりを願って一生懸命におつとめしてこそたすけづとめになることができるのですおつとめをつとめたらたすけがあるのではなくたすけ心でつとめるからこそその心をお受者の端にまで徹底してほしい係ありません小さな子どもでいいですけ取りくださって自由のご守護を顕わしていたよふぼく信者でなくても構いません他の信一人でも多くの人に声を掛け渡していただだくたすけの元立てとなるということこれを仰をしていても構いませんこんなのを一緒にしいてそして一人でも多くの人に書いていただ改めて心におかしていただきたいてみようかと誘ってください信仰しているしていないではなくて人のたすかりを願うということが大事なのです今の世の中人のたすかりを願う人が少なくなったからこそ絆と声を大にして叫ばなければいけない時代になったのではありませんか家族がたすけ合ってたすかりを願っていたらく名前が書けなかったら書かなくて結構です名前が分からなかったら今日すれ違った救急車の中で苦しんでいる人今日にをいがけに出て腰が痛いと言っていたおばあちゃんでも構いません一回でも多く人のたすかりを願うというこありがたき道の路銀そしてもう一つおつとめと合わせてお急き込みくださったのがおさづけですおさづけの理を頂戴しよふぼくになったら回でも多くこのおさづけのお取り次ぎをする年祭に向かっての三年千日よふぼくはただ自ずと絆というものが生まれてくるとが目的ですからどこの誰かは関係ありませんお願いするだけではなくお願いしたら今度はさあ信仰なんか関係ありませんいっしょにたすけ心を遣えば遣うほどそのたすけ心をおたすけの実動をするもちろんにをいがけしてみませんかと一人でも多くの人に声を掛け受け取りくださり心通りにたすけ合いとそして身上者があればおさづけをお取り次ぎ共にしましょういうご守護をくださる元になるということですするどうぞこの成人目標とお願いカードの徹底をそこで忘れてならないのはこのおさづけの人のたすかりを願う人が増えれば増えるほど図っていただいて一人でも多くの人が日意味合いです長の道中路金なくては通られようまい路金として肥授けよう伝第三章というお言葉がありますこのおさづけは道を歩む者にとって路銀として授けてくださる道を通る上での神様からのお与えだということでしょうるでしょう神殿が手狭になったからお道を通るためおつとめをするために必要だというのなら一回り大きな神殿建築も与えてくださるでしょうこれは教会の者だけではありませんおさづけのお取り次ぎは道を通るためのものですからのお与えとしてこのおさづけがあるということこれを改めてお互いに思案したいおつとめ奉仕人をご守護いただくために私たちは今教祖年祭に向かっておつとめ奉仕人をご守護いただこうと声を掛け合ってでもこれはお金だけではありません道を通るために必要なものとして神はすべて与えてやろうと仰るただおつとめをつとめるだけではなかなか人は寄ってきませんお金も寄ってきませんたすけの元立てとしてお働きはしてくれてもたす皆さん方の子や孫がなかなか信心してくれないとしてでもこの子や孫が信心してくれたらこの家はもっと幸せで陽気ぐらしに向かう道筋になってくるのにと思うならばなおさらおさづけさえ取り次いでいればそれで道の路銀のお与えがありますから今度は後に続く者教祖年祭の翌年から今日まで通ってきましたその間どれだけのおさづけのお取り次ぎができたかを思案するとなかなか寂しいものがあろうと思います教祖年祭目指しておつとめ奉仕人をご守護いただくお互いは先ず教会に繋がるよふぼくける人間に対してのお与えはありませんおたすけしようと思ったら当然衣食住も必要でしょうからそれもすべては道の路銀道を通るために必要なものでしょうさらにおさづけを路銀として授けられたということはつまりおさづけをお取り次ぎすれば路銀として受け取るということです今まで信仰しなかった者が急にこれから私も信心するよとか今まで御供しなかった者が給料が上がったから今度ちょっと御供するわというように心を繋いでくれるようにもなるこの元にもなるのもおさづけにあるということだろうと思いますふじゆうなきやうにしてやらう一人ひとりが回でも多く路銀であるところのおさづけをお取り次ぎするそのことによって神様がお働きくださっておつとめ奉仕人をご守護くださる元になるこれを心において年祭に向かって回でも多くおさづけの取り次ぎができるようにつとめたいと思います改めて年祭の意義を振り返りさづけは道のそれはどんな形で路銀としてお与えお返しくださるか分かりません生活を豊かにするためではなくて道の上でどかみのこゝろにもたれつけ九下り目路銀であるということをしっかりと心に納めて神様に凭れついておさづけを通しておたすけ先ずはたすけ心をつかみそしてたすけ心での道を歩んだら不自由のないようにしてやるともっておさづけを回でも多く使うこれがうしても必要というならばお金をお与えくださるでしょうし食べ物も与えてくださるでしょうおつとめ奉仕人が少なくなったからおつとめ奉仕人が必要だというのなら人も寄せてくださ明言してくださっていますそうなるのはすべておさづけに関わってくるということではないでしょうかおさづけの意味合い道を通るための親神様教祖年祭に向かう成人の歩みであるこれを心において後年ヶ月今からでも遅くはありませんともどもに精一杯つとめさせていただきましょう以上要約温故知新詞遷霊鎭霊火葬諄詞葬後祭詞とできるだけた初代は大教会史にも掲載してあるようにの準備をして霊代お社三宝など必要道具高屋分教会の地盤の開拓育成に生涯伏せ込まいきいきエピソード一式を用意翌日玉串を用意して正午頃大教れた人であるにもかかわらず現在のご当主会を出発した目的地に着いたのは午後五時前はほとんどそういうご先祖の道すがらをご存じ我がいきエピ伝える努力の大切さ先日の事である私は大教会に詰めていたのであるがその時神事所にいなかったので別いくばくの方がに出られたもう母親が幾許もないのですそれで葬儀をお願いしたいのですが亡くなりましたらまた差し上げますので宜しくお願い致しますという事だった午後神事所で皆あちこち行って先生しかおらんナかかってきたら先生頼みますと話しているところへまことにタで早速に準備に取り掛かった遷霊祭には二十人ばかりの方が来られ始まる前に出直しの意味ご当家が大教会に伏せ込まれた事など話させて頂いて執りかからせて頂いた八時頃終わって遅い夕食となり先祖の事全く知りませんでしたとの言葉に私は驚いたのであるがそれよりも明日の告別式の事があるのでご家族の事亡くなられたご本人の略歴など聴きながら過ごさせて頂き九時頃旅館にご案内頂いたごゆっくりして下さいとの言葉でおもむろ部屋に入らせて頂き徐に用意した奉書にしのなく今日まで過ごされておられた私が話をさせて頂いてそうですか全然知りませんでしたとの答が返ってきた時には私の方が愕然としたのである思えば当主の父母は三原に住んで父親が四十九歳で亡くなられその後は当主は仕事の関係で大阪の方に出て家居を構え母親から先祖の話を聞く事もなかったという事なのだろうかと思う現在のこの核家族無縁社会の中で信仰の伝達温故知新の難しさを感じさせて頂いた次第である私は時思うのであるがそれぞれの教会でイミングよくが鳴った今母親が亡くび詞を書き始めた十一時頃何とか書き終わり正月などの心改まる時に寄ってきた親戚縁者になりました宜しくお願い致しますと申床についたが疲れた翌日十時から式に臨み教会の歴史を先祖が歩んでくれた道すがらをします近くの会館で致します日取りはまた火葬場に行き帰って直ぐ葬後祭遅い昼食を会長が話すあるいは前会長が話すこれは別連絡致しますを取ったのが私でこれは呼ばれて食事の間に五十日祭納骨の打ち合に正月でなくても盆とか年祭が執行された時神様がお前行ってくれとの事と理解してわせをして私は骨あげは失礼して葬祭場を出とかでもいいと思うのであるがとにかく伝え午後三時からの神殿掃除を終わって教務上の事させて頂いたていくという意思をしっかりと持っていないと務にかかっている時があり明日午後七時ながながと書かせて頂いたのは四代を数えいけないそういう時代にお道は入ってきてい通夜翌日午前十時告別式でお願い致しまするご当主の初代二代三代は大教会に墓地るのではないかと思案するという事となったあまり費用のかからないよがあり今回亡くなられた方は三原に住んで今回の葬式に出向かせて頂いてほんとに愕うに家族葬にいたしますので宜しくという事いて春秋の神霊祭前後あるいは盆にはいつ然として改めて我が周辺を振り返らせて頂いたで一人で出向かせて頂く事にした早速に払いも奥津城に来られて草引きをしておられたま次第である前史料部長青年会重機出勤育成部よふぼく勉強会開催秋季大祭後に話された引き続き同テーマについての質疑応答が行われた月の勉強会は海外伝道講習会のため中止次回勉強会は月月次祭後テーマは徳つみ育成部吉岡壽部長では月日大教会秋季大祭後会議室で十全の守護をテーマによふぼく勉強会を開催人が参加した三代温生講師雲東分教会長は自らの豊富な体験を通して数のご守護理を立てる一条の通り方を懇切第回有志ひのきしん隊実施月日回目となる有志ひのきしん隊が隅まで整備熱心に受講される呰部分教会岡山県真庭市に出動し人が参加した教会の敷地に生える草木を草刈り機などを使って隅まで整備したまた月日には回目となる有志ひのきしん隊が大教会で活動し人が参加した今回は前奥様の五十日祭に向けての墓地や参道の整備を重機などを使って行った多数の参列者のもと五十日祭祭文を奏上される島村廣義先生四代会長夫人合祀五十日祭納骨執り行う四代会長夫人上原せい子様の合祀そして大教会役員部内教会長よふぼく信者五十日祭は月日午前時から大教会世話人の代表が参拝したその後大教会墓地で納骨式島村廣義本部員斎主のもと大教会祖霊殿で家族が行われた親族大教会役員部内教会長よふぼく信者当日来賓として芦津大教会井筒ふみ子様ら多数が参列し執り行われた大江大教会中西太郎様玉島大教会岡﨑眞彦様合祀のあと五十日祭祭文が奏上され家族親族ご夫妻が参列された納骨式祭文を奏上する中村剛副斎主こころの詩笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます天理教道友社発行天理時報より転載月日付時報歌壇福満分教会前会長夫人福島悦子さん秋桜めぐる畑に出でし日はびんごかすり備後絣着て老いのおしゃれぞ芦品分教会教人金谷眞佐代さん病む日に夢に出て来し弟のやさしき笑顔に胸の納まる月日付時報俳壇海松ヶ岡分教会池田広子さん顔を見に来たと新米届けらる東悠分教会前会長夫人田林美智子さんいた台風のつめあと甚く神意とう養徳社発行陽気誌十一月号道柳より転載今回の課題は言人位川島郷分教会前会長香取敏子さんたんのうは言わぬが花と実運び芦品分教会教人金谷眞佐代さんたんのうは言いたいことば飲みこんで佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん一言の笑顔がむすぶ道の縁表紙写真吉岡輝昭編集部員勇み心いっぱいにおかえり講話開催詰所布教部田中隆之部長では月日午後時から詰所階講堂で高橋和夫先生牛込大教会部属千山分教会長を講師に迎えお帰り講話を開催宿泊者など約人が参加した先生は冒頭教会家族教会に住み込んでおられる人たちの複雑な環境からいんねんよせて布教部守護するという言葉を理解する事が大切であると述べられ続いて自教会の会長に就任するまでの経緯と実兄の身上からつとめとさづけが重要であると話されたそして現在の千山分教会の活動として今まで教会の上に尽くされた高齢の信者さん方が自宅での療養が困難になった時の事を考え教会境内地に住宅用介護施設を作りそれぞれの身体の状態に応じて教会に関わって頂きおつとめを通していつまでも元気に生きた信仰をして息長らえて頂く事を心がけそれが今の私に与えられた時旬のご用であると話された終わりに年祭活動は教祖年祭のこの旬に乗り遅れない様教祖に成人した姿をご覧頂く歩みにしてほしいそして明日はお道の元旦であり真柱様のをやの声を胸に治めて通る事が今の私達に課せられた有り方であると締めくくられた時旬を語られる青年会第回青年会総会開催り家族連れの姿もあった本部中庭青年会長様よりお言葉を頂き更なる邁進を誓い合った後お礼参拝をした式典後は詰所にて会食を行い同じ笠岡につながる会員同士和月日第回天理教青年会総会が本部中庭やかな時間をすごしたまた笠岡分会の年祭へで開催され国の内外から万千人が参加したの心定め一日一つにをいがけの周知徹底を促笠岡分会でも各ブロックより多くの参加があした笠岡分会副委員長上原繁次女子青年大会開催おぢばで月日日と笠岡女子青年は年ぶりにおぢばで開催された女子青年大会に参加させて頂きました女子青年大会では婦人会長様の挨拶を始め真柱様からもお言葉を頂きました真柱様のお言葉の中には教祖のひながたが陽気ぐらしへの道であり日常の中にある教理を肌で感じ親神様からお与え頂いている身体に自然に感謝を忘れず通ってもらいたいとありました私達人間は本当にたくさんのご守護の中に生かされているのだなぁと再認識させられました大会の最後には記念品として配られたカラー手袋を付け参加していた全国の女子青年さんたちと一緒にハンドダンスをしました大会後は詰所で支部の集いを開き大会に向けてあげられていた課題を日の活動である例会でしっかりと学んだ成果を発表しましたその他にも感話や支部長様のお話委員による出し物などしました集いの最後にも参加した人達と一緒にハンドダンスをして大変盛り上がりましたまた大会に向けて笠岡女子青年の目印になるものをと思い委員や担当の奥様たちと一緒になって作ったシュシュ婦人会を参加した女子青年さんに配り記念品として持ち帰って頂きました配っていると先ですごいとか可愛いなどのお声をかけて頂きすごく嬉しい気持ちになりましたたくさんの企画を考えていて中良いように行かない事もありましたが担当者の奥様方や委員達また皆様の支えに助けられ親神様教祖のご守護を受け二日間を怪我や事故なくそして大きな日程の崩れもなく無事通らせて頂く事が出来ました有り難うございました女子青年委員長上原理子シュシュドーナツ状にした薄手の布にゴムを通して縮ませた髪飾りブレスレットとしても用いられる写真上委員によるハンドダンス右上震源地ゲームでアイスブレイクする参加者右下田中舞さん福山による感話左上枝廣美可副委員長による十全の守護のパネルシアター左下詰所伏せ込みひのきしんを終え満面笑みの婦人会員たち月日木午後時より準備月日金午前時より開始管理部大教会年末大掃除日時月日日午前時から布教部教会長講習会期日月日水日木会場笠岡詰所ワールドブラザーズ全教野球大会第回記念大会に参加昨年までよふぼく野球チームワールドブラザーズは年連続岡山大会を制し全国大会に出場してきた今年は記念大会として全国全てのチームがおぢばに集結しトーナメント方式で戦う大会であった月に回戦回戦を勝利した我がチームは回戦で本島大教会と対戦したが苦戦の末で敗退した今年新監督を迎え新たなチーム作りを始めた我がチームこれから年祭に向かって一手一つに向かう素晴らしいチームになる予感がする興味のある方是非ご参加下さい連絡は大教会まで女子青年担当者よりこの度の女子青年大会に向けて笠岡女子青年では百名の心定めをさせて頂きましたこの上については支部長様より育てる立場の婦人会も一緒に参加しようと声をかけて頂きましたので女子青年層以外に婦人会の皆様にも声をかけさせて頂きましたその結果大教会より大型バス台マイクロバス台その他それぞれの教会からもバスワゴン車等を出して頂き大会参加者約名その内女子青年約名の大きなご守護を見せて頂く事が出来ましたこれも女子青年の声がけは勿論の事教会長様婦人会の皆様方が女子青年に育って貰いたいという強い思いでお力添えを下さった事に他ならないと思います我担当者も微力ながら育成の立場でお世話取りをさせて頂いていますがこの大会に向けても色関わらせて頂き若い人達の勢いにリフレッシュさせて貰い大変貴重な時間を過ごさせて頂きましたこれからもすてきなお道の女性に育って頂ける様に担当者一同精一杯丹精させて頂きますので皆様方にも後押しお力添えを賜ります様よろしくお願い致します日時詰所餅つき詰所掛談話室鼓笛のオールドパワー健在海松ヶ岡分教会森本重吉来年月日に開催される第回岡山教区団鼓笛フエステイバル出演に向け鼓笛がに於いて月の日間合宿練習を致しましたフエステイバル出演回目になりますがこの会の第一の目的は各教会各隊に於いて過去にただの一日でも鼓笛活動に参加された全ての方を対象に鼓笛フアミリーとして楽しく集える場を設け共に昔を語り合い道の友としての親睦を深め互いに立て合い助け合ってより一層道の御用に役立たせて頂きたいということであります先般の合宿に際し御協力頂いた直属は東本明和秋津生駒網干岡山玉島愛豫笠岡等であります会場提供には大教会長様の快諾を頂き自ら御参加下さりまた清水岡山教区団明和団長青木玉島団長森本笠岡団副団長の他総員名で出演曲目世界の果てから昭和年こどもおぢばがえり主題歌と少年会の歌の曲を年前の楽器ベルリラ小太鼓等を持ち出し楽しく練習しました最年少は才最高齢は才でありました鼓笛を通して育まれた友情人間関係は年の差等全く関係なく素晴らしく楽しい合宿でありました次の予定は月日日於いて玉島大教会でありますどなたも参加自由ですのでどうぞ気軽に御連絡下さい連絡先九九六五六八六一八六五四四五一九四森本重吉迄お願い致します教会おとまり会の報告福芦隊実施日年月日土日日泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人プログラム日開会式土英語タイム休けいゲーム夕食夕づとめお楽しみタイム夜食就寝準備消灯日起床日朝づとめ朝食掃除お楽しみタイム閉会式解散所感最近の子ども達は習い事や塾などで忙しい子が多いため普段接する機会の少ないような人や新しいお友達と出会う機会を作りたいと思いお泊まり会を企画しました今回は人というたくさんの子ども達に参加していただきましたがエネルギーあふれる小学生のお世話取りをする為には青年女子青年そして婦人会の方や教会の皆様との連携ご協力がとても有難かったです力不足の面や反省点もありますがお泊まり会をきっかけにたくさんの人が教会へ集まり楽しい時間を過ごせるそんな会にしていきたいと思っています坪生隊実施日年月日火日水泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人プログラム日三殿礼拝会長挨拶火昼食準備全員でカレーづくり昼食プールメモリアルパーク日風呂ふれあいプラザ夕づとめお話しバーベキューおやすみ行事就寝起床水朝づとめひのきしん朝食解散所感参加の少年会員は全員が未信者で年齢も低かったのですが充実したお泊まり会でしたバーベキューを未信者の子供の親が手伝ってくれありがたかった又にをいがけにもなったように思います稲倉隊実施日年月日火日水泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人プログラム祭典に引き続き実施年度の恒例行事として芳井天神峡にて川遊びとバーベキュー大会をしました所感毎年の事なので皆この日を楽しみにしているようです香地華隊実施日年月日水日木泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人内容朝づとめ夕づとめどこかへ出かける食事所感子供おぢばがえりに初参加して下さった家族と引き続き交流がもててよかったです芦田川隊実施日年月日土日日泊日参加者数プログラム少年会員人育成会員人合計人日集合参拝夕食土夕づとめ教話花火入浴銭湯自由消灯日起床日朝づとめ朝食自由解散所感例年通りおつとめ花火銭湯での入浴以外は特に何もせず子供達に自由にさせています多少羽目をはずしすぎの時は注意もしますが皆楽しんで過ごしてくれました笠岡隊実施日年月日日参加者数少年会員人育成会員人合計人内容ひのきしん神様のおはなし教祖のおはなしゲーム食事神殿案内料理作りオリエンテーリング流しソーメン作りソーメン流し所感来年はおとまりでという声が多かったのでその意向で第期修養科募集要項再掲修養科期間先月号掲載分に誤り赤字部分がありましたので再掲いたします教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目田中隆之大教会役員福山分教会長福島大介福満分教会長山田敏教大教会准役員甲井分教会前会長渡邉孝信神驛分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書大教会御供住民票秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますはじめ親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみにこの世と人間をお創造になり銘の心通りに身体をお貸し下さり天然自然の御守護を下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかるに生まれ変わりを重ねる内に親の思いを忘れ銘勝手気ままな心になるが故に争いが生まれ身上や事情に苦しまなければならない世の中になるのをあわれと思召されこのみちをはやくみとふてせきこんださあこれからハよふきつくめやと天保九年十月二十六日旬刻限の到来と共に教祖を月日のやしろとお定めになりこれの世界だすけの道をお始め下さいました以来私共は教祖のひながたを通してお教え頂いた我欲を忘れたすけ一条に邁進すべく日は朝夕に御礼申し上げつつつとめとさづけを通してにをいがけおたすけにと努め励ませて頂いておりますその中にもこの月二十六日は立教の元一日を祈念しておぢばで秋の大祭がつとめられますのでその理にならい当教会に於きましても今日の吉日只今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心を一つに睦び合わせて明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせて頂きます御前には今日は大切な日と楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し持ち寄りました一万七千四百九十一枚のおたすけお願いカードに込められたたすけ心に自らのたすけ心を添えて人のたすかりを願う真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて世の中はますく混迷を深めています人の優しさを食いものにする犯罪が増加したり隣人との関係はもとより家族間での人間関係が希薄になる等して家庭内での犯罪も増加しております加えて東日本大震災をはじめ自然災害による被害も拡大しているように思われますかしものかりものの御教えを通してこれらは総て心通りの守護とお聞かせ頂いております改めて年祭に向かうこの旬我が身救かりの信仰から人救けの信仰にと変えて行かなければなりません教祖百三十年祭へ向けて三年千日と仕切って年祭活動の最中道に繋がるよふぼく信者一丸となって成人目標の実践中でもおたすけお願いカードを通して一回でも多くの人の救かりを願うと共によふぼくは一回でも多くのおさづけを取り次がさせて頂いて一人でも多くの人に人救けの心を写していく所存でございます何卒親神様には年祭の旬により一層の成人を目指してたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして人救けの心が次と伸び広がりよろづ互いに救け合って一人ずつの救かりから救け合いの御守護へと立て替わりお望み下さる陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより教人資格講習会修了者終講久松中村剛史お詫びと訂正本年月日発行のページおたすけお願いカード集計の内平成年累計が枚となっておりましたが枚の誤りでしたまたページ第期修養科募集要項の記事中月度にヶ所の誤りがありましたので再度正しい内容を本紙ページに掲載いたしました読者の皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともにここに訂正させて頂きます立教百七十六年秋季大祭祭典役割表祭主大教会長様賛者田中隆之扈者中村邦義中村剛三島渉指図方佐藤道孝講話大教会長様十二月講話佐藤道孝区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝吉岡壽中村邦義門脇元教上原志郎田中隆之内海史郎上原浩森本忠善大教会長様中村剛岡﨑和夫岡本久善谷内伸自岡﨑真一上原繁道中島誠治杉原博之大教会奥様武内正美岡﨑豊子門脇郁子森本冨美子門脇加津今川佐智子谷内美知子高木孝子今川昌彦吉岡誠一郎佐藤真孝森本忠平横山逸郎渡邉隆夫河原節喜高木昭祥武内清明三島渉山野弘実虫明立生笹尾正治山田敏教田林久嗣淺野明教岡﨑輝彦赤木素志上原順子内海安子武内正美佐藤香苗笹尾一美横山小智榮虫明好美中村初美三島照美さまのひながに照らし合わせる事の重要性を改めて感じているメジャーリーグで活躍しているイチロー選手誰しもが知るスーパー先の本部秋季大祭で諭達発布から一年が経った周知のとおりではさあおたすけ祈る動くつなぐをスローガンに年祭活動を推進している月毎に枚数が増える傾向にあるおたすけお願いカード日の生活での実践項目を記した成人目標また個人での心定めなどそれぞれで年祭への歩みを進めている道中であるでは私自身を振り返ってみた時どうだろうかお願いカード記入や個人的な心定めは実践しているスターであるそのイチロー選手が年にシーズン最多安打を更新した時に次のようなコメントをした小さい事を重ねることがとんでもないところに行くただひとつの道近道や最短距離ではなくただひとつの道と言い切っている私たちよふぼくは陽気ぐらし世界建設という地球規模の大目標大きな夢に向かっているしかし日時間という限られた時間の中で一度で大きな事はできないやはりこの大目標を叶えるためにはしかし形ばかりの実践でただ単毎日小さい事を積み重ねる以外無いにこなしているのかも知れないと反のかもしれない省するまた本部や大教会の行事諭達発布から一年日の足元へ取り組みに参加はしているがそののコツコツとした努力身近な人へ時だけ年祭に向かって活動しているの心配りを大切にしたいと改めて思気になっていたかもしれないうそして日の具体的実践項目諭達の中によふぼくは教えをを印してある成人目標をしっか学び身につけ日実践して土地りとチェック実践しまた一人所の成程の人となろうとあるやでも多くの教友に取り組みの輪をはり日の生活態度心遣いをおや広げていきたいう
かさおか

『かさおか』第52巻 第10号

ケニアから初の修養科修了生第期ンジュエサムエルカリユキさん写真後列中央米府分教会月日笠岡詰所で教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ少年会員でごった返す神殿前実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚育成部よふぼく勉強会開催テーマはにをいがけ月月次祭後引き続きテーマについての質疑応答が行われた勉強会に先立ち月次祭後神殿で同部おたすけ掛員より一人におさづけが取り次がれた次回は秋季大祭後テーマは十全のご守護育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催人が参加したテーマはにをいがけ講師は藤井正仁福冨士分教会長自らの体験を通しにをいがけを行う事により心が勇んでくると話された熱心に受講される少年会第回てっちゃんシアター開催祭典後少年会笠岡団武内正美団長では月日大教会月月次祭後神殿で第回てっちゃんシアターを開催人した可愛い風船の犬に一同大感激少年会員人育成会員人が参加し好評のため再度実施予定た次回は月日土月月次祭後少年会員が教会の月次祭に参拝し少し一人でも多くの少年会員の参加を呼びかでも楽しさを感じてもらい将来教会けているにつながってもらおうと祭典日が学校のバルーンアート休みを利用して行っているもの風船を使って動物などのオブジェを今回はさすらいのアートバルーン師作ったりデコレーションをしたりすと呼ばれ親しまれている雜賀元生照雲分ること空気を入れたバルーンをひ教会長が登場参加の少年会員に風船をねったりむすんで連結させたりする配り犬の作り方を指導熱中しすぎてことで様な楽しいオブジェを作る風船を割ってしまう会員もいたが完成ことができる勇んで神名流し先ず布教部員が先頭に立って全教一斉にをいがけデーに先立ち布教部田中隆之部長では月の両日同月日から日まで実施される全教一斉にをいがけデーに先駆けて同部員を中心ににをいがけ活動を行った日大教会霊祭後同部員人有志人がのぼり大教会から天理王命の幟を先頭に拍子木に合わせてよろづよ八首を唱和しながら約時間月日日布教部近くの団地で神名を流した犬に吠えられたり袋小路に当たったりといろんなハプニングが起こった中も勇んで行ったその後活動地を品冶分教会に移し少し人数は減ったが全員教会周辺で神名流しをした引き続きパンフレットを持って戸別訪問に歩いた同教会周辺は団地アパートが点在訪問中話を聞いて下さる人もあり年祭活動の旬と重なり喜びも湧いた日は午前時同部員人大教会に集合時過ぎ岡山教務支庁到着岡山駅まで神名流しをした全員駅前で路傍講演をし周辺の人にパンプレットを配布正午に終えた一手一つに鳴物練習婦人会教会になくてはならない人に成人しよう委員部長後継者講習会開催婦人会笠岡支部上原きよの支部長では月の両日大教会で委員部長後継者講習会を開催人が参加した上原同支部長は講話の中で自身の経験を交え私達は親神様教祖のご守護をつなぐお願いをさせて頂く事しかできないので日の徳積み伏せ込みを通しての歩みの中から信者の方に対して心配りができるよふぼくであるようそして自分を育てていく普請をする事の努力を怠らず皆に頼られ教会になくてはならない人に成人してほしいと話された大教会長様は教祖年祭の活動方針についてユーモアを交えて分かりやすく話され喜びと勇みの心を持って通り切らせて頂こうと決意を新たにしたまた二人の感話練り合い女鳴物練習ひのきしんなど参加者は終始熱心に受講しそれぞれの教会で信者の方一人ひとりに寄り添い相談の中心になって年祭活動に取り組む事を誓い合い解散した婦人会によって次と紙が剥がされる障子張り替えひのきしん実施月日日管理部武内清明部長では月の両日大教会障子張り替えひのきしんを行い約人が参加した日は婦人会が毎月午前時から定例会を行っているがこの日は午前時からのおつとめ管理部練習後からひのきしんに加わった男性が神殿信者室などの障子を取り外し女性は紙を取りやさんすいように桟に水をかけ次と紙を剥がし午前中にほぼ終えた午後からは同部員に婦人会青年会有志で洗った障子を外で乾かし乾いた物から張り付けを行った日も引き続き張り付け取り付け作業を行った例年になく早いペースで当初日間を予定していたが日で無事終了したてきぱきと作業が進められたこころの詩笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます天理教道友社発行天理時報より転載月日付時報歌壇海松ヶ岡分教会よふぼく藤井光子さんせみ降るような蝉の鳴き声聞きながら暑中見舞いの絵手紙を描く海松ヶ岡分教会ようぼく池田広子さんめ病名をあかした人の眼の奥に生きてやるぞと強き意志見ゆ月日付時報俳壇備中分教会よふぼくはいかい塩飽利子さん俳諧の今が青春豊の秋養徳社発行陽気誌十月号道柳より転載今回の課題は前秀詠川島郷分教会前会長香取敏子さん前生を深く噛み締め道を往く佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん生かされて前生を知る因縁道表紙写真上原喜三詰所掛員談話室この旬を生かして芳井分教会佐藤和代ねえ義姉さんは使った割り箸を洗って使うの嫌いもうとじゃったよなー義妹がおつとめ衣をたたみながらニヤッとして言いましたそういえばそうだったかも誰が使ったかわからない箸はあまり嬉しくないそんな事を当然のように話していたような気がするな結婚して年が経ち本当にいろいろと変わったなあー今割り箸どころか手でもいけるしな笑その当時は生まれてから結婚するまでの価値観があらゆる角度から揺さぶられて行く気がしてなりませんでしたその中で右往左往しながらも時を過ごし守るべきもの可愛い子供たちに助けられながら一緒に成長していったのだと思いますそうしていく中で自分の居場所も自然と与えていただけるようになった気がします今年月末私は教会長夫妻おやさと研修会に参加しその日後タンザニア布教に参加しました夏休み中に参加した鼓笛隊やこどもおぢたばがえり英語講習会少年会のキャンプ少年会アフリカから帰り数日して実家へ行ってきま縦の伝道講習会そのほかいろんな行事に参加さした年も経つのに一度もおさづけをさせていただいてほんとにどれをとっても充実しせていただくタイミングを持てないまま天理教ていて今旬なんだなあと感じさせられという話題もあまり出さずにいましたましたでも研修会でアドバイスしてくださった方の声旬以前からよく聞かせていただくこのを思いだし思い切って神様にお願いさせてい旬という言葉がまさか自分の口から出てくただいていいと聞くことができなんとさるとは夢にも思っていませんでしたがなぜか今りげなく父がおさづけを受けてくれましたつい旬だと感じていますでなぜか妹もさあそしたらどう動かせていただけるか実タンザニアで志郎先生におさづけはそ際には難しいのですが私はまず声をかけるこの人の魂に印をつけるんだよと教えて頂きまうちとにしましたまずは実家きっと何年経ってした実家の父や妹にも神様からの印がつきまも動いてくれないかもしれませんがでもこの旬したなぜか私は涙でいっぱいでしたから声をかけてみる努力をすることにしたいで天理教に嫁いだから親不孝こういう気す持ちでいっぱいだったこれまでから教会へ嫁があなたが助けなくて誰が助けるのせてよかったと変わっていくような気がしていおやさと研修会で同じ班の方に相談したら即ます答でこう言われました私は今回のタンザニア全ては神様の思いの旅の目的は実家に足を向けるようにの中にあり実はその前段階としてアフリカへ行かせても繋がっていらったと後で思うようになりましたるんだななんとなくですが全ての講習会や研修会や行そう思える事で私に会った人アドバイスをくださった人ようになりまどれもつながっていて全て私のために準備してしたくださっているような気がしてなりませんでし教会おとまり会の報告福満隊実施日平成年月日土日日参加者数プログラム泊日少年会員人育成会員人合計人日受付土会長お話しおつとめ練習夕づとめ夕食日日室内ゲーム花火大会入浴就寝起床洗面ラジオ体操朝づとめ会長お話しひのきしん朝食海水浴すいか割り昼食解散所感皆話しを良く聞いて楽しく過ごしてくれましたおつとめも手ぶりを真剣に覚えようと努力してくれました雨も各地でゲリラ的に降りましたが万事滞りなく終えることが出来喜んでいます来年は中学生にも参加を呼びかけ内容の向上を図りたいと思います福満隊集合写真芦常隊実施日平成年月日金日日泊日参加者数少年会員人女子高校生人育成会員人合計人プログラム日集合金夏休み宿題入浴花火就寝日朝づとめ朝食土夏休み宿題自由行動昼食三原高校演劇部女子生徒人合宿夕づとめ会長お話し夕食女子生徒部活練習入浴就寝就寝日朝づとめ日少年会員と高校生と育成係朝食女子生徒近くのお宮さん境内で部活練習を午前中昼食部活練習解散稲瀬隊実施日平成年月日土日日泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人プログラム日集合芦常隊会長お話し土日日おつとめ夕夕食花火就寝起床朝づとめひのきしん朝食かたづけ川泳ぎ昼食バーベキュー昼食後川泳ぎ芦常隊三原高校のお姉さんたちとおつとめ久松隊実施日平成年月日月日火泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人内容夕づとめひのきしん神様のおはなしお風呂食事バーベキュー福東隊実施日平成年月日土日日参加者数少年会員人育成会員人合計人プログラム日教会集合参拝土夕食プール帰会夕づとめお話消燈就寝日起床洗面日ゴミ拾い朝づとめ朝食掃除解散所感暑い中でありましたが勇んでつとめさせて頂くことができましてありがとうございました日程の仲でおつとめ練習を取り入れることができず反省しておりますお楽しみ行事を中心にプログラムをたてたようになりおつとめの大切さを伝えさせて頂くことができませんでした次回は反省をもとにつとめさせて頂きたいと思います天場山隊実施日平成年月日月日火泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人内容朝づとめ夕づとめひのきしんお風呂どこかへ出かける食事花火所感もっとふやしたい甲井隊実施日平成年月日月日火泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人内容朝づとめ夕づとめひのきしん神様のおはなし教祖のおはなし所感今年は準備期間もなく少年会員も少なかったですが人数の多い少ないに関係なく継続していづれ毎月出来る様にしたいと思います品治隊実施日平成年月日金日土泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人内容朝づとめ夕づとめひのきしん神様のおはなしお風呂鑑賞食事スーパーボールすくいなど所感少年会員も中学生になるとなかなか参加者が減ったが少人数でもさせて頂くことが出来ました引野隊実施日平成年月日土参加者数少年会員人育成会員人合計人内容ひのきしんゲームどこかへ出かける食事所感少年会員が全員まだ幼児の為短時間で出来ることからやってますこれからですので先を楽しみにしてます惠陽隊実施日平成年月日土日日参加者数プログラム泊日少年会員合計人人育成会員人日教会集合受付土おつとめ会長のおはなしバーベキュー準備全員でバーベキュー花火お風呂就寝仲寝ない日起床洗面かたづけ日おつとめ朝食自由時間会長のおはなしぞうきんがけひのきしん出発近くの体育館へ球技大会昼食おつとめ練習おつとめ終了解散所感子供達はとても喜んで遊んでくれました若い者も子供達の親になったり友達になったりとけこんで有りがたい時間がすごせました川島郷隊実施日プログラム防災訓練お泊り会平成年月日土日日日土受付夕食夕づとめ鳴り物学びお話防災学習避難訓練おやつタイム自由時間消灯惠陽隊集合写真日日起床洗面朝つどめ朝食片付け弁当作りひのきしん自由時間沙美海岸へ出発海岸でひのきしん小競技会ランチ集合教会へ帰る時半ごろ解散川島郷隊防災訓練お泊り会物品川島郷隊おつとめの練習所感準備などで少疲れましたが内容の濃いお泊り会ができたと思っています今年の月に自教会を届け出避難所として登録したので市からの備蓄物資などもありこちらで用意したいろいろな防災グッズと共にこどもたちに見せてあげましたまたお風呂は無し済ませてきてもらったにして寝袋を使って全員が参拝場で休みました寝袋は教区で拝借し持っている人には持参してもらいました鳴り物の練習の後長男が職場の経験を生かして避難訓練や防災クイズをしたり講話には災害救援の話を盛り込みましたまた翌日は朝食後にみんなでサンドイッチを作り沙美海岸まで移動してひのきしんをしました穏やかな晴天で気持ちよく楽しかったです温故知新す人間ない世界を創造した真実たすけ一条の道をここに出てくる七十五日とはこれは奈良長詳しく説き聞かしたら世界の人の心は皆勇いきいきエピソード谷七里の間は七日残る大和の国は四日山城んでくる伊賀河内は十九日残る日本国中四十五日いちれつにはやくたすけをいそぐからしかしお歌ではかみがたまたやまとのぢばと言っているが元は知るまいとおっしゃっています一般の人は関西地方を上方と言うがそれは天子様がおられるからだろうけれども実際はどこにあるか誰も解っていないだからそういう事についてだんだん話をしてやると仰せ下さっているのですしかもこのぢばは人間を最初に宿しこんだ場所であり上方とはいわゆる神の館世間で言う上方とは違うのですこうしてぽつぽつと今まで解らないことをひとつひとつお教え下さるのです計七十五日かかって産みおろしたとおっしゃるのですこのもとをくハしくきいた事ならバいかなものでもみなこいしなる一大和のぢばが上方であるというその訳を詳しく聞いたならばどんな人も自分たちの宿し込みの場所であるぢばが慕わしくなるであろうとおっしゃるのですきゝたくバたつねくるならゆてきかそよろづいさいのもとのいんねん一このぢばが恋しくなり慕わしくなりそのうえに聞きたいことがあるならば幾らでもせかいの心いさめかゝりて一誰彼の区別なくすべての人を一日も早く助けたいから親神様の胸の中を悟れるように世界の人の心を勇ませる以上はみかぐらうたのよろづよ八首と同じ意味のお歌であってそれもこのおふでさきのお歌が出てそれからみかぐらうたの八首のお歌が出たのです明治二年にこれが書かれて明治三年にみかぐらうたのよろづよ八首をお創り下さいましたてをどりのみかぐらうたを教祖が最初にお創りくださったのは一下り目から十二下り目までですよろづよ八首はそれよここで間違わぬようにしてもらいたいのは言って聞かしてやるまたよろづ委細の元のいり後です以上八首のお歌の中でよろづいさぢばは人間を宿しこんで頂いた所ですしかもんねんの話も聞かしてやろうとおっしゃるのいのいさいとは詳しくこまかしくと三度宿しこまれた所ですがいわゆる世間でいですこのいんねんとは普通にいういんねんいう意味といさい全部という意味の二通りにう生まれ故郷とは違います生まれた所は七十ではなくて根本のいわれこの世の成り立ち解釈する事ができます筆者注稿本天理教五日かかって産みおろしてくださったのですをはじめすべての理という事です教祖伝に年が明けると慶応三年教祖七十が第一番は一宮宮地二番は二墓墓地かみがでてなにかいさいをとくならバ歳の年正月から八月迄に十二下りの歌を作三番は三原原寺詣り所とおっしゃるそしてせかい一れつ心いさむる一られた各下りはいずれも十首ずつの数え歌それは全国に拡がっているとおっしゃるので真実の元の親神様がこの世に現れてないから成り親神の望まれる陽気ぐらしの喜びに募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散充ちている思えば教祖は教の創まり以来立てられ家では古手物仕立物をして渡世を長い歳月の間親神の思召のまにまに一日とせられるその年の暮れ頃には舅姑を引き取っして今日という日とてない中をしかも勇んでてもどうにか暮らして行くだけの自信が出来た通り抜けられこゝに目出度く迎えられたのがらしい然しこの間に立って最もお気の毒なの月日のやしろと成られて三十年目の慶応三年新はおせい様であるこの時里子にやられたま春である更に明治三年にはよろづよ八首まその後の消息は絶えてなかった風の便り田中隆之大教会役員福山分教会長福島大介福満分教会長山田敏教大教会准役員甲井分教会前会長渡邉孝信神驛分教会長の歌を十二下りの歌の初めに加えられたとでは夭死せられたとも言う第期修養科募集要項修養科期間ある七三頁から七四頁初代が上原家のどん底の頃大阪で苦労し以上でおふでさきお話からの引用を終ていた時の事を述べた一節であるわるそういえば四代会長は何故せい子せい子と呼ばずにおせいおせいと呼んちょっと一言八月三十日四代会長夫人でいたのか不思議である上原せい子様が出直された名前には四代会長は何か一つの思いがあった昭和二十八年大阪の中西家から笠岡の上原のかも知れない娘にさとよなおみと家に帰って来られた方であるつけているがさとよは初代のさとなおみおせいおせい四代会長のおおきな声は初代の次女おなをを採っているのであろが会長宅に響きわたっていた少しの時間でもう四代会長は上原郁雄というがいつも二代ほんとに寸暇を惜しんでにをいがけおたすけ会長の生まれ替わりと言われていた英文で頭に出掛ける人であった呼んでも詮無いと思っ文字がとなるのは不思議である二代ておせいさんまたにをいがけかと諦めて会長は上原伊助である小さく呟く人だったおせい幽冥でもう暫くしたらこの声教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目笠岡分教会史史に窮すれば通ずたしかが響きわたるようになるかも知れないとにかに旧長様は窮せらるるの余り通ずる道を見出さく寸暇を惜しんでにをいがけおたすけに出てれた手足まといになる子達もそれぞれ方法をおられた方だから前史料部長海外部海外布教推進講習会日時月日木祭典講話として講師竹川俊治先生飾東大教会部属飾大分教会前会長少年会てっちゃんとあそぼうわかぎ練成会日時土勤労感謝の日対象中学年生年生わかぎ層スタッフ大募集高校生大学生の年齢層プログラム受付開始開講おつとめ育成会長様ご挨拶オリエンテーション講話中学生に教理を分かりやすくお話して頂きます子供会に向けての実技習得紙芝居折り紙アートバルーンゲームなど昼食発表会大教会にて子供会を開催閉講解散予定スタッフ集合日夕食を済ませて参加御供円最終締め切り月日各教会に募集チラシを配布致しますので内容をご記入頂いて大教会もしくは少年会委員までご提出下さい教理の勉強や人のために尽くす喜びを味わって頂けるようなプログラムを準備致しております皆様お声がけの方よろしくお願いいたしますまたより子供会を開催致しますのでわかぎ以外の少年会員の方もぜひお越し下さい内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい立教百七十六年九月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者門脇元教杉原博之賛者上武原内清浩明指図方上原繁道講話笹尾正治十一月講話海外伝道講話区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝中村邦義吉岡壽中島誠治門脇元教田中隆之高木昭祥武内清明山田敏教大教会長様中村剛岡﨑和夫岡本久善杉原博之岡﨑真一上原繁道今川昌彦三島渉大教会奥様武内正美内海安子田中ますみ岡﨑豊子谷内美知子門脇郁子高木孝子横山小智榮上原浩内海史郎佐藤真孝谷内伸自岡﨑輝彦淺野明教森本忠平中村道德渡邉隆夫笹尾正治吉岡誠一郎森本忠善河原節喜横山逸郎田林久嗣上原志郎赤木素志虫明立生虫明好美佐藤香苗森本冨美子上原順子門脇加津笹尾一美今川佐智子三島照美上原順子立教百七十六年秋季霊祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎賛者笹尾正治佐藤真孝扈者今川昌彦指図方吉岡壽区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半中村剛雜賀元生上原浩猪原啓文森本忠善渡邉泰造大教会長様矢田哲一岡本久善藤本芳久上原繁道藤井治喜大教会奥様岡﨑豊子上原順子門脇加津佐藤香苗笹尾一美今川昌彦仙田勉門脇元教岡田誠田林久嗣小坂静宏田中隆之掛谷宣和岡﨑輝彦渡邉孝信佐藤真孝仙田公男田中ますみ三島照美武内正美内海安子虫明好美森本冨美子九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にハせかいぢううハみなわが子かハいいゝぱいこれが一ちよとの親心のまにく日は結構に恙なくお連れ通り下さっております特に今はあれほど暑かった夏もせみの声が虫の音に変わると共に朝晩めっきり涼しくなり秋の訪れを感じると共に過ごしやすい日をお与え下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます只一方では局地的な大雨による水害や竜巻による被害等が出て苦しむ人が多くいます事は誠に残念でなりません人に先んじてこの道に引き寄せられました私共はこの残念立腹の姿に込められた親の思いすなわち我さえ良くばの心から救け合いの心への変換を一人でも多くの人に伝え災害を少しでも減らしたいものと日は朝夕に御礼申し上げつつにをいがけ強調月の旬とも相まってにをいがけおたすけにと道の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中本日は九月の月次祭をつとめる日柄でございますので只今からお勤め奉仕人一同日頃の喜び感謝たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には一万六千三百六十九枚のおたすけお願いカードと共に今日の日を楽しみに寄り集いました道のこども達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝み尚も変わらぬ親心にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月はにをいがけ強調月という事で普段以上ににをいがけに出させて頂きましたがいよいよ二十八日から三十日は全教一斉にをいがけデーでございます時間差はございますが世界中の町や村で皆がにをいがけに歩いている姿を想像しながら楽しみ心を持ってにをいがけに出させて頂く所存でございます又来月は大祭月でございますので直轄教会への大祭参拝をさせて頂きます立教に込められた親心をより具現化する為に教祖の年祭活動がある事を改めて思案させて頂き年頭の心定め完遂を目指すと共に教祖年祭に向けてあと二年三ヶ月余り力の限りにたすけ一条に邁進させて頂き九年がかりの目標でありますおつとめ奉仕人増員を果たす事を誓い合いたいと存じます何卒親神様には一切の人間思案を捨て親の思いを素直に受けたところから親のたすけは始まった立教の理にならい素直に神一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に親心一杯の自由の御守護を賜り人の心を助け合いの心へとお導き下さいましてお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます秋季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人の神霊歴代会長と共に笠岡の道の上に多年に亘り御苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者又本日新たにお鎮まり下さいました佐藤理生人大人重政禎子刀自三宅善久大人雜賀明大人の神霊諸の神霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖のお見定めとお引き寄せにより世の人に先んじてこのたすけ一条の道をお通り下さいましたしかしその道はやまさかやいばらぐろふもかけみちもつるぎのなかというように荒道でございましたが決して心を倒す事なくむしろ因縁納消と心楽しくお通り下さいました今日のお道の結構な姿はもちろん親神様教祖の御守護お導きの賜である事は申すまでもありませんが又一つには皆様方のそうした真実の伏せ込み理作りの賜と日朝夕に御礼申し上げつつ親心にお応えするべくたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いております分けても本日は秋の霊祭を執り行う日柄でございますので只今はおつとめ奉仕人並びに部内教会長代表の者一手一つに陽気に勇んでてをどりをつとめさせて頂きました又心づくしの旬の物を供えありし日の面影を偲び御遺徳を称えんものと御前に席を移し言改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして祖霊様にもお喜び下さいますようお願い申し上げますさて私共は教祖百三十年祭に向け三年千日と仕切って成人の歩みを進めさせて頂いておりますさあおたすけとのスローガンのもと祈る動くつなぐを実践項目として一年目の本年は誰でもが実践しやすい内容で歩ませて頂いておりますがその内のおたすけお願いカードの数が月毎に増えており確実に成人の歩みが浸透し広がりを見せている事を感じておりますこれからも尚一層成人の歩みを早め目標でありますおつとめ奉仕人の御守護を頂戴出来るよう心を一つに揃えて努めさせて頂きますので何卒祖霊様には先達として今まで以上に親心を以てお見守り下さりお力添えを賜りますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより教会指令任命願西伯分教会前任本多一男新任本多正悟奉告祭承認第八六七期修養科修了米府ンジュエサムエルカリユキ教人資格講習会修了者終講金浦樋上謙二本多正悟氏本部食堂ひのきしん吸江山本節子立教年秋季大祭参拝福山大教会長様髙屋大教会長様神邉大教会奥様島根佐藤道孝久松吉岡壽鶴山上原繁道弥髙山大教会奥様陽備岡本久善摩耶吉岡壽金浦興明ひろさと陶山中村邦義岡本久善中村邦義大教会奥様芳井吉岡壽呉照中村剛海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃大教会奥様佐藤道孝岡﨑和夫岡本久善佐藤道孝新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴大教会長様中村邦義大教会長様中村剛上原繁道岡﨑和夫大教会長様吉岡壽岡本久善河原節喜岡本久善河原節喜上原繁道大教会長様大教会奥様大教会長様上原繁道訃報三嶋利夫氏笠尋分教会前会長月日出直されました享年才昼晩一日三回祈りをしなさい処方箋を書かなければいけない祈りは効くのであるこのように断言されているまたある大学八月二十五日陽気ホールで祈教授が祈る行為は呼吸器心拍数りサムシンググレートとの対話二酸化炭素の排出量酸素の消費量上映会がありました白鳥哲監督のを抑制させる事が確認されたこの話です欧米では祈りの研究が日本ことから祈るという行為が心臓病に比べて大変進んでおりアメリカや癌不妊症様な病気に大変有国民の八十二の方が祈りによる効であるといわれ始めている祈り癒しを信じておりさらにアメリカが時空を超えて変えていく力があの医師の五十が患者のために祈るもし今この時代に人類が地球りその祈りの研究だけで四万件ののためにエゴからの願いではなく論文が発表されている有名な実験調和を目指した祈りが出来たらことして一九八八年に行われたアメの祈りが世界を変える祈りは時空リカの東海岸から西海岸の病院に入を超えて変化を与える世界は祈り院する心臓病患者三九三人を対象とで一つになると話されていますした祈りの実験を約一ヶ月間に私たちは朝夕のおつとめお願いつわたって行われこの時祈りをすとめで祈りを捧げて御守護頂けるる患者一九二人祈りをしない患者日を通りたいと思いますむ二一人祈ったグループには人工透析器に呼吸器そして抗生物質の使用量が激減呼吸器はほぼで呼吸器を外したこの結果を受けてある医師がこの結果は十分に精査に耐えうるものである医師は朝
かさおか

『かさおか』第52巻 第9号

四代会長夫人上原せい子様出直される四代会長夫人上原せい子様は月日出直された享年歳大教会世話人島村廣義本部員斎主のもとみたまうつしは日午後時から告別式は月日午前時からそれぞれ大教会講堂で執り行われた告別式当日はあいにくの雨にもかかわらず家族親族大教会役員部内教会長よふぼく信者ら多数が参列しお別れをした懐かしの大教会神苑を後に教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ多数の参列者がお別れをした告別式詞を奏上される島村先生をやの膝元で過ごした一週間学修高校の部月日から日まで親里で恒例の学生生徒修養会高校の部が開催され千人が受講した笠岡からは男子人女子人の計人が受講学修ではレクチャーやグループの時間おてふり鳴り物練習ひのきしんなどのプログラムが組まれておりこの学生担当委員会他各寮での行事や受講回数別に十三峠越えや十二下りてをどり神名流しなども行われた親里での一週間の合宿生活を通して生徒たちは教えを学び祈りそれぞれに信仰を深めていったまた本音で語らい笑い時に涙し合えるようなお道の学生同士の絆を深めたあらきとうりよう入門塾暑い熱い夏に開催青年会絆深めた合宿青年会笠岡分会上原明勇委員長では月の両日あらきとうりよう入門塾を開催学修高校の部に続いて参加した高校生天理高校生など笠岡につながる男子高校生人が参加したこの行事は高校生のうちから青年会行事に親しみあらきとうりようとしての自覚を促そうと開催しているもので今年で回目初日は焼肉を囲んで高校生と青年会スタッフとの懇親を計った夕づとめ後大教会長様より青年会員の心構えなどについての講話があり一同真剣に聴き入った翌日は早朝より教会内のひのきしんに汗を流したその後委員長の話に続き親睦タイムとなった親睦タイムでは参加者全員でゲームを行い大いに盛り上がったまた紙ひこうき大会や宝探しも行い終始和やかな雰囲気だった参加者は同じ笠岡の青年会につながる者同士の懇親を深め今後の青年会活動への参加を誓ったお話を真剣に聴く実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚木の枝も運び出す第回有志ひのきしん隊実施月日回目となる有志ひのきしん隊が海松ヶ岡分教会岡山県笠岡市に出動し人が参加した教会の山手側に生える草木を草刈り機などを使って分担して整備した青年会第回家族揃って月次祭参拝開催祭典後少年会テッチャンシアター少年会笠岡団武内正美団長では少年会員が教会の月次祭に参拝することに触れ喜んでもらえるよう大教会の祭典日日が学校の休みの日を利用して今年月日日から家族揃って月次祭参拝を開催月日夏休み中で回目今回も大勢の少年会員達が参加した皆さんテッチャンシアターってご存知ですか少年会笠岡団では大教会の祭典日日が土日祝日又は夏休みに少年会員がたくさん参拝してくれそうな日に企画開催しているものですたとえば教祖の紙芝居を読んで少し神様のお話しに触れてもらったりして後はお菓子のお下がりを配ります月は暑かったので昼食後にかき氷をして中庭で食べて頂きました月には又違った事を計画していますわずかな時間の中でささやかな事ですが少しでも神様のお話しや大教会の祭典が子供たちの心に残ればいいなあと思っています有難いこのお道のみ教えを子供たちにまた次の世代に伝えていくのは信仰する私達大人の責任であると思いますこうした子供たちの休日参拝を利用して親子揃って教会参拝が何とか一回でも多く増える様この旬に縦の伝道に力を入れたいと思っていますみんなまた来てネ待っています少年会委員からの投稿育成部少年会よふぼく勉強会開催テーマは三日講習会月月次祭後第回笠岡団野外錬成会キャンプ開催される育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室で三日講習会をテーマによふぼく勉強会を開催約人が参加した今回のテーマについて吉岡弘子講師興明分は自らの体験を通して懇切に講話をされました引き続き同テーマについての質疑応答もあり有意義に終講した勉強会に先立ち月次祭終了後神殿で同部おたすけ掛員より一人におさづけが取り次がれた次回の勉強会は月月次祭後にをいがけについて行われる真剣に受講される少年会笠岡団武内正美団長恒例のサマーキャンプがおぢばのさんさいの里を会場に月日から日の泊日で開催されたこのキャンプは火水風の親神様の御守護を肌に感じるとともにたすけあいを実践しそこに喜びと感謝を体得する少年会員の育成を目的に実施される行事月日資材を確認不足資材食料等を購入ワゴン車に荷物を満載して出発の準備を整え当日を待った日目月日午前時分絶好のキャンプ日和少年会員人スタッフ人総勢人大教会神殿に参集し泊日の無事を親神様教祖にお願いし大教会長様より喜びと感謝たすけあいを実践して楽しんで頂きたいと挨拶を頂きおぢばに向けて出発正午過ぎおぢばに到着本部神殿に参拝の後午後時おぢばより北に約キロさんさいの里に到着山の中で涼しいと思いきや下界と同じ気温度そんな中急な坂道を各自重い鞄を抱えてテントサイトへ続いて資材搬入そして入所式オリエンテーション終わると早速夕食準備初日の夕食はキャンプ定番のカレーライスと野菜サラダ野菜を切る人米をまき量り洗う人煙で目をこすり咽せながら薪でカレーを炊く人とキャンパースがお互いにたすけあい協力しながら作ったカレーに野菜サラダ御飯におこげがあっても野菜の大きさが不揃いでもそこには笑顔みんなでおいしくいただきました思い切り楽しむよまき続いて夕べの集い山の中にこだまする拍子木どこからともなく又音もなく火矢が飛んでき薪でわいわいバーベキュー夕べの集いナの音に感動しながら今日一日の御礼を申し旗に着火ワーとの感動の叫び燃えろよ燃えろイトウオーキングむちゃくちゃ怖い班ミー降ろしキャンプ長挨拶入所の各団体団体の歌声と共に火はだんだんと大きくなりいよいテイングおやつ就寝雷は怖いけど今日の工夫をこらした自団体の紹介笠岡団にもこんよメインイベントこの日はスタンツフアイヤー一日の疲れには勝てずあっさり爆睡な才能があるのかと思った紹介最後にキャンプ歌やゲームと共に各団体これまた工夫を凝らしたならではの心に響く歌出し物爆笑しながら順番を待つ心臓の鼓動も日目そして日は暮れ辺りは隣の人の顔も見えぬほ最高潮練習もしたそれでも不安ついに笠岡雨音と共に起床朝の挨拶朝食ご飯とどの暗闇いよいよキャンプフアイヤー場に入場団がコールされた班は笠岡団のあたりまえをみそ汁資材返品撤収準備雨の中の撤収は歌った今はやりのあたりまえ体操班は各大変だ退所式一路おぢばへ本部参配役へなりきってのドラえもん実にみんな拝詰所へ昼食マクドナルドのバーガー輝いているこれもおいしい一路大教会へ閉会さんさいの里でのサマキャンプテントに帰るとランタンを頼りに班ミーテイン式解散グおやつそして寝袋に入っての就寝日目が静かに終わった親神様教祖ありがとうござ最後にいましたちなみにキャンプに慣れない武内正強い日差しあり雷ありそんな中にも木の美団長は一睡も出来なかったそうです間から注ぐこぼれ陽と木の間を渡るそよ風朝日目のさわやかさ鳥の起床コールせみの鳴き声谷川のせせらぎ夕焼け夜の暗闇静寂さ目鳥のさわやかな鳴き声と共に心地よい目覚めに耳にそして身に心に自然を感じた泊日このまま書き続けると長くなるので以後はさっ普段何もかも整い教会と言えども文化生活を送と流します朝の集いご飯とみそ汁ピザ作るお互いにあってこうして自然と向き合いあり生地からこねて次発酵延ばしてトッピえて生活の苦労をすることによってお互いがたすングして石窯へ昼食ピザとフルーツポンチけあうそこに親神様の御守護を再確認し何で白玉を作り各自持参したくだもの缶詰をシャもない常日頃に感謝そして大きな大きな喜びをッフル深い味わい実においしい野外感じざるをえないものでしたゲームペタンク焼板作り夕食みんな少年会笠岡団委員掛谷宣和婦人会青年会さんさいの里キャンプに参加して海松ヶ岡分教会森本しほ小全分会布教推進週間たすけの渦を巻き起こそう毛布襟付けひのきしん月日から日のキャンプで天理のさんさいの里へ行きましたキャンプではたくさんのにをいがけ強調月間のスタートを飾る恒例の婦人会上原きよの支部長では月の両行事がありました青年会全分会布教推進週間月日日婦人会員ら延べ人が参加して詰所宿泊者日目はカレーを作りましたお米もはんご笠岡分会でも各ブロック分会で活動を展開した大教会信者室用の毛布襟付けひのきしんを行っうで炊いたし山の上からの景色を見ながら食べその中青年会委員が中心となるキャラバン隊た日は午後から行い人が参加日は生憎たのでとてもおいしかったです夜はキャンプでは岡山福山笠岡府中の各市内においての大雨警報の中にも人が参加し午前時から講フアイヤーをして班毎で出し物をしたのがおも活動を行った堂信者室に別れて行い昼食後解散したしろかったです暗い道を歩くのも怖かったけど日の岡山市内の活動では興明笠尋錦ヶテントで寝る時なかなか眠れずに私だけ起き原の各教会を拠点に台風の影響で雨が降る中ていたのはもっと怖かったです神名流し戸別訪問を行った手際よく襟付けする婦人会員たち日目はピザをかまどで焼いたりフルーツ今後笠岡分会では青年会本部のスローガンポンチを作って食べました全部おいしかったでたすけの渦を巻き起こそうに沿った活動を展す開し全分会での実働を目指している日目は朝旗上げをしました昼には焼いた板に色をぬったり字を書いたりするクラフト工作をしました私がこのキャンプで一番心に一軒ずつ訪問残った事は色んな場所でたすけあいという言葉が使われていた事ですいつもそんな心で過ごせたらいいなあと思います毎年違う所へ行くので来年はどこへ行くのか楽しみです友達もできるし行事もいっぱいで絶対楽しいのであなたも参加してみませんか里庄レッドスネークス森本善修君森本陽気君所属全日本ドッジボール選手権よしのりはるき森本善修君笠岡小年森本陽気君同小年海松ヶ岡分教会長森本忠善さんの三男四男は去る月日行われた第回全日本ドッジボール選手権全国大会東京体育館に岡山県代表の里庄レッドスネークスのメンバーとして優勝杯を胸にサインの森本兄弟出場同チームは岡山県勢初の優勝を果たした月日チームが参加して行われた県予選で優勝全国大会出場となった同大会は都道府県代表と昨年優勝県からのチームを加えチームが参加した試合は出場チームをリーグに分け予選試合を行いその中からチームが決勝トーナメントに進んだ同チームは予選を位で通過決勝トーナメントでは回戦回戦準決勝準決勝と各試合接戦ながら勝ちあがり決勝で奈良県代表チームを破った同チームは年前に結成笠岡市と里庄町の小学年の男女人で構成春夏連続回目の出場で念願の初優勝チームで主将の善修君は入部して以来の夢だった全国制覇が出来てとても嬉しいです優勝した瞬間は涙が止まりませんでした今まで指導応援して下さった皆様に感謝しています弟と人揃ってカラーコートの上で優勝の瞬間の感動が味わえて嬉しいアジア大会でも優勝目指して頑張りたいですまた陽気君は念願の日本一になりました一つ一つの試合を絶対に勝つぞという気持ちで戦いました皆の気持ちが一つになったから優勝出来たと思います決勝戦では特にどんなボールがきても絶対にキャッチするぞと心の中で叫びながら戦いましたアジア大会でも絶対キャッチ頑張りますと抱負を話した同チームは月に東京で開催されるアジア大会に日本代表として出場する温故知新まの望みと大きく違うだからむしろ元の泥のたてなげは月日両神がご相談なさってい海のような形にしてしまったらいいのではないる理と聞かせて頂きましたいきいきエピソードかと月様が仰せられたすると日様がそのはづや今までに説いこのたびハ神がをもていあらハれてなにかいさいをといてきかせる一たこともないのだから無理もないとおなだめ承前になって元のどろ海にすることはやめていたそのはづやといてきかした事ハないだきたいと言われたと聞かせていただいた事がなにもしらんがむりでないそや一それで今までは数の教えの道あるいは心を治めていく修養を教えてきたがそれは親神さまが陰に廻って教えてきたのである親神さまが直接に表へ現れて教えたということはないだから親神さまのお心が何も解らないというのも無理ではないと仰せ下されているのです以上二つのお歌のはじめの歌すなわちよろづよのは月様のお心として今までいろいろ心をつくしてきたけれどもどうもありますそれがおてふりにも現れていますおてふりは理振りとも言います現在そのはづやの手振りはたてなげと言われていますが一体理振りとは何でしょうか手振りの根本となるのはなげいさみふりの三つの手ですなげとは投げる格好をしているからそう言いますこの理は互い助け合いという理ですいさみは夜昼の理すなわちいつのまにか昼になりいつのまにか夜になるという形ですですからこれは静かに振らしてもらわなければなりませんふりは昔はいやいやとかその心を知ってくれている者はない親神さまないないの手と言われておりましたそれもきはなぜ人間を創められたかそれは陽気ぐらしつく振るのと静かに振るのとで意味が違っをさせるためであるところが人間世界をみると陽気ぐらしをしている者はなくてむしろてきますですからこういうところを気をつけけんかをしたり不足を思ったりで陽気ぐらしどて心に治めてやってもらわねばなりません月日親神さまが元のどろ海にしてしまおうかいや今まで説き聞かした事がないのだから何も知らないのも無理でないそれならこの度表へ現れてどんな事も一切説き聞かしてやろうだからそれを真の心から承知するようにそしていよいよ旬刻限が来て表へ現れる即ち教祖の身体を神のやしろとして親神さまが表へ現れて御心の中をすっかり説いて聞かすから承知をするようにという含みを持っているお歌ですこの度とは天保九年十月二十六日旬刻限が到来して教祖が神のやしろにお定まりになった日すなわちこれは立教の日なのですが親神さまがお降りになったのはこれに先立つ天保九年十月二十四日です何故かと言いますと十月二十三日に教祖は腰痛秀司様には足痛また夫善兵衞様には目の痛みがあり寄加持をしようとこの二十三日ころかその逆になっているこれでは親神さそれでよろづよのそのはづやに早速修験者の市兵衛を呼びにおやりになっ原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さいたのですところが市兵衛はそういうことなことは御免こうむりたいところが教祖はそのらばすぐ段取りをしなければと翌二十四日か間ご飯はお召し上がりにならない無我夢中ら準備を始めたけれどもいつも加持台をつとで御弊は畳にすりついてしまいしかも手からめるおそよがいないので教祖にお願いして替わ血が出ているその姿をご覧になって善兵衞様りをつとめてもらおうということになり教祖はこれではいかんと一年前からのいろいろなが御弊を持って加持台に上がられたのですそ出来事を思い浮かべられたすなわちこの神がして市兵衛がお祈りすると教祖の様子が変わかりに先だって秀司先生の足は一年に十度も痛られました市兵衛が何様がお降りになったみ修験者を呼ぶことが何度もありましたいのですかとお伺いすると我は元の神実のろいろ思い巡らされた上昨年からの事などが神であるこの屋敷にいんねんありこのたび重なって今日の事がなってきたのではないかと世界一列をたすけるために天降ったみきを神思われ二十六日の朝に至ってそのおもむきをのやしろに貰い受けたいとおっしゃったこ承知なさったのですそれが天保九年十月二十うして二十四日に神様がお降りになり教祖は神六日朝五ツ刻午前八時です善兵衞様が承知がかりされたのです為さって教祖は神のやしろとおなりになったのしかしこの時お道が始まったのではなくてですこれからお道が始まったのです神がか親神さまがお降り下さってみきを神のやしろりだけを考えますと神様は三日も降りておらに貰い受けたいとおっしゃったが二十四れますそして人間が承知をしてお道をお始め二十五二十六日と三日間の押問答があり夫になったというところに親神さまの親として善兵衞様はお断りになる親神さまはいろいろのお心持ちが伺われると私は思いますと言って下さるそれでもなかなか承知できなこのところやまとのしバのかみがたとい二十年三十年経ったなら解ると言って下さゆうていれども元ハしろまい一内容字数寄稿先るしかし善兵衞様は人間は二十年も三十年もこのかみがたという言葉ですが昔から待つことはできませんと言ってお断りになる京都を中心に関西地方を上方と言いますしかも今たちまち困っているだからそういう以下次号前史料部長第回タンザニア布教に参加して芳井分教会佐藤和代今年月末教会長夫妻おやさと研修会に参加させていただきその興奮冷めやらぬままにその日後私にとっての回目のタンザニアの地を踏むため飛行機に乗りました今回の私の役目はなんだろうこんな私ですがきっと神様の思いはちゃんとあるはずだからとやや開き直りのような気持ちで自分を奮いたたせこの旅に挑みましたタンザニアの支援は今年で回目で岡山県内外より集めていただいた衣料や文具などを現地に届けますそして実際に施設などに伺い子供たちの様子を見たり触れ合ったりして本当にこの支援が役に立っていることを毎回のことながら実感します子供たちとの触れ合いただこの人たちが本当に助かっているかと考えるとうんどうだろうかこのような支援を世界中からして貰い続けることにより自力でこの国を良くしようという思いを邪魔してはいないのか神様の目から見たらどうだろうこう思うのですイスラム教の教えの中に困っている人を裕福な人が助けてもそれは当然だそういうような教えがあるそうです少なくとも私達支援させていただいている方はいらなくなったからではなく使っていただけたら嬉しいな私たちにとってはこんな衣類文具でも本当に喜んで使ってもらえるならありがきっとこの国は自分の足では立つことができなくたい私たちはもっと自分たちの生活を見直してなるに違いありません今あるものに感謝の気持ちを持って行きたいそして私たちの信仰こそ今この国の人にと本当に自分自身の心を助けていただきながら本当に必要な感謝のこころたすけあいのここ支援の輪を広げていくことが出来ていると信じてろを気づかせてくれるものに違いない私はいますそう強く感じましたしかしもしも支援してもらえることは必然で今置かれている現状に感謝しつつ我が身一裕福な人たちは貧しい国の人を援助するのは当番ではなく他の人の助かりを願うことができた時然だという思いだけが先行してしまうのならに本当にこの国の人は助かっていくのかもしれないと思いますはご想像通りですしかし実際には生きるか死ぬかという状況この旅の中で少し時間がとれた時がありまし下にある人間は本当に目の前のことで必死でたダラエスラームのマユンガさんの自宅から少本能のままに行動してしまうこれは仕方のないし外へ出てみることができました志郎先生と二ことなのかもしれないと思います人でにをいがけに行くことにしましたいずれにしてもこの国に生活してこの国のある家の庭に沢山の洗濯物が干してありそこ人と過ごすこれをなくしてこの国は語れへのんびり座っているおばあさんを見つけましないなと痛感しましたたおばあさんはスワヒリ語しかわかりません私にとっては回目のタンザニアでダラエス私たちは持ち合わせのスワヒリ語の書かれた用紙ラームという首都での滞在を前半後半に持っていをちらつかせながら会話しようとしましたが言き中の日程はアルーシャという街へ行きました葉は伝わっていなかったのかもしれませんもうここでは年前に行きそびれた日本料理店へ行く少し会話が成り立つように勉強しないとないことができましたここの店主と少し話をする中つもの反省ですがこのおばあさんとのコミでこの国の全く違った一面を垣間見ることとなりュニケーションはとても楽しくこれは国境をました越えて言語を超えてるなとなんだかとてもそれはこの国が安全な国かどうか本当に楽しく会話できました怪しい奴らがうちの婆親切で優しい人柄なのかという部分でしたさんをと思って途中少し英語のわかるお嫁さきっと現地に住みそこで暮らし関わっていく中でそこでしかわからない問題も関われば関わるほど湧いてくるんだろうなとこの支援に対しての自分の存在がいかにちっぽけで無意味なものなのかということを思い知らされましたちょっと落ち込みながらもその日本料理店で数のちょっとふしぎなメニュー表から握り寿司を注文し志郎先生のじぇじぇという視線を浴びながらも頂くことができましたお味タンザニアの握り寿司んが来てくれてそのおばあさんがカンフーが好きだとか今藁のようなものでゴザのようなものを編んでいるんだなどの情報が後から分かりました才のファトゥーマさんという愉快なおばあさんで歯や足背中が痛いようで志郎先生と一緒におさづけを取り次がせていただきましたきっとまた会うときには笑顔で迎えてくれると思います毎回のことですがタンザニアで思ったこと感じたことこれは特別な宝物になりますあの時あの場所で何を感じていたか誰を思っていたかとっても大切な思い出ですこれらが私のそれ以降の糧になっているような気がしますただタンザニアに限らず日の様な生活の中にも似たようなことは沢山ありますし感激で涙が止まらないことだって日の中で私たちを待ち伏せしてくれているような気がしますきっと気づくか気づかないかその気づきのスイッチの入りやすいのが遠方だったり大変な中を何とかして動かせていただけたときだったりするのかもしれませんが全ては日の普通の生活の中にいろんな感動や感謝の気持ちが早く気づいて欲しいと私たちを待ってくれているのかもしれませんアサンテサーナ教会おとまり会の報告福山隊実施日年月日土日日泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人プログラム日集合土夕食夕づとめ入浴パフェ作りみんなで食べるふとんをひく消灯日起床日朝づとめ朝食ハートクリーンに出発終了教会に帰る教会の外でドッジボールをして遊ぶ解散所感ハートクリーン強調デーにあわせてさせてもらいました前日はパフエをみんなで作り楽しくにぎやかにすごすことができみんなたのしそうでしたドッジボールももりあがり解散するのが吸江隊実施日年月日火日水おしいようなかんじでした泊日子どもおぢばがえりにもたくさん参加してく参加者数少年会員人育成会員人れるよう願っています髙屋隊実施日年月日日参加者数少年会員人育成会員人合計人プログラム日火受付お話しゲームおつとめの練習合計人プログラム夕づとめ夕食日集合遙照山出発風呂火勉強花火夕づとめ就寝夕食入浴遊び日起床洗面消灯水朝づとめひのきしん日起床朝食水朝づとめ勉強朝食水泳川遊びへ出発バーベキュー解散帰会閉会所感多くの方のお力添えによりプログ所感教会では特に何もさせず自由に遊ラム通り楽しく進行する事が出来ました親神ばせていますその方が子どもは喜んでいます様のお働きに対しては言う迄もなく協力してどこでもできるおとまり会です下さいました皆様に心より御礼申し上げます廣町福廣隊合同実施日年月日木日金家族小学生人幼児人に夏休み中の月次祭に参拝しバーベキューで楽しもうと声かけしてみました同時に人が集うことはでき泊日参加者数少年会員人育成会員人ませんでしたがその日の内に人は参加してくれました合計人内容朝づとめ夕つとめひのきしんそして人が撤餞ひのきしん夕づとめバーベキュー花火に参加し時に散会となりま神様のおはなしお風呂どこかへ出かけるした内人はお泊まり会になりました食事等所感日に子供団参より帰り間もないことでなかなか参加出来なかったようで残念海松ヶ岡隊実施日平成年月日金日土です泊日食事を作ることや準備配膳したり後片付参加者数少年会員人育成会員人けしたり楽しく出来ました男の子が一人合計人年生だったので朝食がすんだら帰ってしまいプログラム残念です保育園児に母親が一緒に泊まって下日教会集合さり食事の手伝いもして下さり助かりました金夕勤め実施させて頂き大変良かったと思います夕食バイキング弓ヶ濱隊実施日年月日木日金入浴室内オリンピック消灯泊日参加者数少年会員人育成会員人日起床土ひのきしん合計人所感特にプログラムは作りませんでしたおつとめ朝食おつとめ練習あまり出会いの少ない二従姉弟たち人プール昼食解散所感室内オリンピックバイキングプール皆喜びました多古浦隊実施日年月日金日土泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人内容朝づとめ夕づとめお風呂ゲーム等所感子ども達が来年も来たいと言ってくれた福勇隊実施日年月日日日月泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人内容朝づとめ夕づとめひのきしん神様のおはなしお風呂食事夏休み宿題等福冨士隊実施日年月日火日水泊日参加者数少年会員人育成会員人合計人プログラム日火集合夕食夕づとめ日水お話ゲーム起床ゴミ拾い写真就寝朝食所感登校拒否をしていた子供がの参加は無理であったのにお泊まり会に来てくれて大変嬉しく思う修養科修了生の声修養科を終えて呉福分教会井上隼一私は修養科に来て本当に良かったと思っています修養科に入る前は朝起きるのも遅く怠けた生活をおくっていましたが修養科の規律ある生活います今期このメンバーで過ごせたことに感の中で生活のリズムが改善されました入って間謝してまた皆に会えるようにたまにはおぢばにもない時はひのきしんをあまりしなかったのです帰るのもありかなと考えております皆と出会えが途中から自ら行うようになりました詰所でて本当によかったです他に良かったと思ったこ人で一緒に生活する中でも自分の癖性分をとは自分の中での天理教への考えが変わったこと見させていただきあいかわらず嫌いなのは変わです修養科に入ってしばらくたっても天理教のはいたいりませんがずいぶん丸い心に近づけたのではなことが嫌いでしたがおさづけの拝戴が近くなるいかと思います子どものおぢばがえりの時にはにつれて用木としての責任を感じはじめ修養科炊事本部のひのきしんをさせていただきそこで修了後はお道から遠ざかろうと思っていたのが自分の非力さや体力不足だなと感じ看護師としおさづけをさせてもらう以上はしっかりおつとて働きたいならもっと力をつけなければならないめをしなけらばならないと心定めしましたさらと思い修養科が終わったら勉強ばかりでなく筋に感話大会で私の好きな女の子が天理教は心のトレもやっていこうと考えております炊事本部支えですと言っておりその話に胸をうたれ天では非力さや体力のなさを感じただけでなく理教が嫌いという考えが変わってきました前は仲間の大切さを改めて感じることができました三ヶ月経ったらすぐに帰りたいと思っていたの幸い体力仕事にへばっていた時も同じ煮炊きのメが今では同じメンバーでもう三ヶ月くらいやりンバーが励ましてくれたりいろんな格好で写真たいななんて考えることもあり修養科が終わるをとったりとても楽しませてくれたおかげでことに対して寂しさを感じるばかりです今回の無事こどもおぢばがえり期間炊事本部の煮炊き修養科で学んだことや得たことを終わってからもを休まずやりとげることができました炊事本部活かしながら所属している教会に貢献しおさのひのきしんが終わってからも煮炊きメンバーにづけをとりつげる人になるべくおさづけをさせては仲良くしてくれて本当に楽しい毎日をおくるいただくようにして用木としてのつとめを果たことができました煮炊きメンバーだけでなくクしていきたいと思います三ヶ月間教養の先生ラスのメンバーとひのきしんや授業をうけてみ方や詰所の先生方学校の先生方教会の会長さんなすごく面白いし優しいからめんどうなひのん達詰所や学校の仲間達に大変お世話になりまきしんや授業も楽しく乗り超えていけたのだと思したありがとうございます楽しく勇んでつとめます品治分教会高橋秀行まず最初に修養科生活を最後まで通れるかどうか不安でいっぱいでしたが身上事情で誰一人欠けることなく通らせて頂いたことに感謝しています自身出生の時無い命を助けて頂き特に目立った障害もなく今日まで生かさせて頂いたことに感謝しながら日を歩ませてもらっていますその思いがあったからこそ訳もわからず勧められて入った修養科生活も感情に振り回され過ぎず普通に楽しく過ごせたのではないのかと思っています初めて詰所の教養掛の先生と顔合わせをした時は怖い先生だなあと思っていましたが打ち合わせをしていくうちに先生といっても肩肘張らなくていいんだと思いました詰所ひのきしんはゴミの回収担当になったわけですが最初は要領がわからず時間が足りないと思うこともしばしばありましたそんな中にも同じ期に修養科に来られた二人の方との生活が始まりました最初は二人の考えが理解出来ない事も多ありましたが話しをしていくうちに彼らには彼らなりの考え方ものの見方があるのだなと分かるようになりそれから普通に会話が出来るようになりましたがその最初の一週間が一番長く感じました修養科の授業では教理お手ふり鳴物を学自宅に帰ってからはやはり教会参拝が出来る日ぶわけですが十年前に別席の話を聞かせて頂いを増やしたいと思いましたた時と比べられない程の密度の濃いお話を聞かせてもらいその中に今までは曖昧でわからない事がたくさんあった事について少しずつ疑問が解若い方と共にけていき別席を運び用木となれただけでは何か松都分教会糸川弘美足りないことが修養科生として三ヶ月を過ごす内此の度修養科の八六六期に仲間入り無知識ににだんだんと見えてきました又最初の頃不近い状態で入りました六月七月は雨も少なく安でいっぱいだった自分に対する励みになり温度が高くなり大変でしたおぢばで親神様のひ色と前向きに考えれるようになり相手方の言ざ元で御守護を頂き無事に通らせて下さいましわれる真意のように気付き始めましたお手ふりた天理教の親神様の話し教祖五十年のひなが授業修練の時間に憶えたいという気持ちがあったを三ヶ月聞かして頂きました教祖はやしろにたお陰で先生の厳しい一言でもその時間が一番なられて親神様の言葉を人間に取り次がれ又楽しかったのは今でも心に残りそれが自身の活世界中を助けるために御苦労なされた事が良くわ力となっています鳴物については一つ一つ丁寧かりました詰所での生活は孫の様な年齢の二に教えて頂きました二ヶ月目から笛の練習が始十八才二十三才の若い二人で良く年寄りの自分まった訳ですが音が上手く出ず焦りもありましに合わせてくれました自分も二人の足を引っぱたが練習を重ねていくうちに良くなり長く吹けらないようにと思ってきました手踊り鳴物練るようになった頃には鳴物総合練習となり適度習もなかく覚えられず教養の先生にも手取りな緊張のお陰で楽しく吹けました自分の組では足取り随分面倒掛けました修養科は出来たら若色な身上事情を抱えられている中にも皆さんい内に入った方がいいようですねこれから地元勇んで勤められていて特に何もなかった自分はに帰り今まで習った事を思い出したり本を見た無事に過ごせているのだから頑張らないととりして教祖百三十年祭に向かっての旬と聞かし思いながら自身の今までを省りみながら何一つてもらっており一人でも多く教会に参拝してもらにしても楽しく勇んでいればいいのだと思えるうようにしたいと思います賑やかな祭典に成る楽しい三ヶ月間を過ごさせて頂きました最後に様に頑張ります談話室感謝の日直轄谷本篤子月日に姪の一年祭をさせていただきましたかんかいき病状が落ち着いた寛解期には笠岡の教養掛の先生修養科生詰所の方クラスの先生クラスの同期生多くの方に助けて頂き充実した楽しい時間を修養科生として過ごしたようです病気と必死に闘って居る数年は数回お見舞いに行っただけでした最後の十数日は心待ちにしてくれていたのを感じましたので見守る事しか出来なかったですが病室に毎日行きました目の前で御飯を美味しそうに無理して食べてくれたり母なっちゃんの祖母に用事が有り連絡していると携帯を貸してと言いますので手渡すとお礼を言ってました亡くなる前日には院内レストランでカツカレーを食べたそうです信じられないと思いますが事実です大出血する前にタオルケットを少し汚しただけで年月日に出直しました用事が有り娘と息子が会社を休んでおり家にいました日は私も会社を休みにしていました気兼ね無くなっちゃんと一緒にいる事が出来ました神様の不思議なご守護だと思いました私へのラストメッセージは天理に帰りますでしたこの言葉は神様からの私への言葉だとすれば反省しなければいけません理の親からはにをいがけに出向かなくても自然と人が出向いてくれる人となって下さいと大変難しい課題をいただいておりますし先ず自分が出来る事は教会への参拝だと思い大教会の直轄祭に参拝していると大教会の奥様から自分が親からの徳を使いきったと思うなら親の立場である貴女も子供さんのために頑張りましょうねと温かい励ましの言葉を掛けて頂きましたまた事ある時に何時も理の親からは身上事情が起きるのは神様が貴女に気付いて欲しいからで神様に可愛がられているからです節から芽を出せる人に成って下さいと聞かせて頂いております色な事が有ってもどう受けとるかで状況は随分と変わる事にこの頃気付く様になりました大難は小難小難は無難に日過ごさせて頂いてるのを感謝いたしますかんかいき註寛解期症状が一時的に軽くなったり消えたりしている時期寛解とは症状が落ち着いて安定していること寛解期は必ずしも完治した状態ではなく病気が再発する可能性もある英語講習会に参加して福廣分教会佐木三枝やっぱり参加したい教会の祭典日と重なるため断念していた講習会でしたがどうしても諦めきれず当日の朝をかけました祭典後大教会に着いたのは時半過ぎ途中参加にも関わらず笑顔で迎えてくださり早速中学生のクラスへしかし大人は私一人正直戸惑いました学生時代好きだった英語もあれから数年すっかり忘れていましたが本で勉強するより間違えても話しただけ上手くなるからと励ましてくださり繰り返しやっていくうちに気持ちが和らいできました皆との食事はとても賑やかで婦人会の方の心温まるメニューに感動しメインイベントのコンテストはメンバーに支えられ自分達で考えたものを発表する事が出来て達成感に包まれました短時間で考えたシナリオには読み方のわからない単語にふりがなをうちそれも思い出のつとなりましたハワイタンザニアからのゲストとの交流では新鮮な内容が盛り沢山でもっと英語が話せたらどという時間を設けていて勉強した後にすぐ班んなにいいだろういろんな話が出来て仲良くなのメンバーとの意見交換ができるようになっていれて自分の視野も広がるのにと改めて英語の魅力ましたを感じましたウクレレの音色英語の歌とて私はなんとか班の方の貴重な意見を聞かしても心地良い時間を過ごす事が出来ましたもらいたいと講義の後のこの振り返りの時間がこんなに近くに海外の人と触れ合える場所が待ち遠しくてなりませんでしたあったなんて世界中から知らない人が同じ場所同じ班メンバーの中には今年祭を前にに集まり同じ時間が共有出来る事の不思議さと有諭達が発布されて皆周りの人を助けさせていたり難さを嬉しく思いました短期間ではありましだこうという旬や諭達では教会のものだたが新しい経験と交流が出来てとても有意義なけでは足らんようぼく一人ひとりにもなん日間でしたこの経験が何かのきっかけになればとか動いてもらいたいと書いてあるなのに現状と思っています参加出来て本当に良かったですは動けていないこの旬にひとりでも多くの人を沢山の方のお心と支えを頂き感謝しておりまおぢばへ導かんといかんのや助けさせていたす楽しい時間を有難うございましただかんといかんのや私らあ毎日お助けに回らせてもらっても足らんからな私はこの講習会でおやさと研修会に参加してもみんなの火付け役になりたいと思うてる動こうやこんな事を言われました芳井分教会佐藤和代私は圧倒されてしまいましたが天理教人とし今年月末私は教会長夫妻おやさと研修会にて初めてこんなに熱い人を見ましたそしてその参加させていただきました人の近くに座りその語りを聞かしてもらいた講義内容も自分の置かれている立場や抱えだただ嬉しくて私も何かさせてもらいたいているおたすけにより選ぶことのできる分科会もどうしたらこの人と同じ天理教になれるのか数多くあり充実しそれぞれのニーズに合わせなとやや興奮気味な研修会となりました後た内容でこんなに内容の濃い研修会があるんだで聞いたらその方はとてもすごい布教師の方でなあと始終感激しておりましたしたからお話できただけでも光栄でしたそしてほとんどの講義が班編成での振り返りこころの詩笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます天理教道友社発行天理時報より転載月日付時報歌壇福満分教会前会長夫人福島悦子さんおと落したり拾いあげたりうたの種照りつく畑の草とるわれは月日付時報俳壇海松ヶ岡分教会池田広子さん水もやりほんの気休め夏盛り養徳社発行陽気誌九月号道柳より転載今回の課題は実佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん実の声聞いて思案のたすけ道立教百七十六年八月月次祭祭典役割表祭主大教会長様賛者赤木素志扈者谷内伸自上原志郎内海史郎指図方上原繁道講話岡﨑和夫十月講話大教会長様婦人会女子青年大会おぢばでは年ぶりの開催期日月日日日月女子青年は名の心定め大型バス台日観光日行事参加婦人会の委員部長一般の婦人会員も合わせて団参日別席とおぢばの伏せ込みひのきしん日女子青年大会に参加詰所のひのきしん青年会第回天理教青年会総会日時月日日午前時本部中庭笠岡分会は時分に南支所前集合一れつ会一れつ会扶育出願時期の変更本年から大学高校の出願時期が従来と逆になりました提出先各教区の教務支庁出願期限大学月日日高校月日日区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半中村剛吉岡壽中村邦義上原志郎笹尾正治岡﨑真一内海史郎山野弘実佐藤真孝大教会長様岡﨑和夫中村剛岡本久善中島誠治門脇元教上原繁道今川昌彦田中隆之大教会奥様佐藤香苗武内正美田中ますみ森本冨美子谷内美知子門脇郁子岡﨑豊子横山小智榮高木昭祥淺野明教武内清明三島渉横山逸郎渡邉隆夫河原節喜山田敏教虫明立生谷内伸自中村道德岡﨑輝彦岡﨑真一上原浩森本忠善杉原博之吉岡誠一郎赤木素志今川佐智子内海安子門脇加津虫明好美高木孝子中村初美上原順子笹尾一美三島照美八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりでとの親心のまにく天然自然のお働きと身体の自由を御守護下さるだけでなく人類の目的である陽気ぐらしへと常にお導き下さっております事は誠に有難い極みでございますしかしながら多くの人は夫の都合の上から天災や或いは天罰だと思い誤り苦しみに喘いでいます事は誠に残念でなりません私達道の子は成って来るのが天の理とお聞かせ頂き全てはおたすけを急き込む親心の現れと心の向きを陽気ぐらしへと立て替えるべく日朝夕に御礼申し上げると共に人の心も陽気ぐらしへと向けるべくたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てたるおつとめをつとめる日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて八月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には残暑厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が日頃のたすけ心を一万三千四百二十五枚のおたすけお願いカードに込め参拝する皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年のこどもおぢばがえりも連日猛暑の中ではございましたが雲も多く時に雨も降った為昨年のような痛みを感じる程の暑さではありませんでしたお陰で千三百六十八名の帰参者も大きな事故や怪我等もなく喜び一杯のひとときを味わわせて頂く事が出来ました又引き続いての英語講習会や学生生徒修養会高校の部の参加者も共に昨年より多く道の後継者育成に弾みをつけさせて頂く事ができました誠に有難うございました明日から三日間少年会で野外キャンプを行わせて頂きます何卒事故怪我等なく皆喜び心一杯にお連れ通りの程をお願い申し上げます更には又来月はにをいがけ強調の月であり月末は全教一斉にをいがけデーでございます本年の三分の二が過ぎようとしている今今日までの歩みを振り返り教祖百三十年祭に向けて三年千日と仕切っての歩み出しの年にこどもおぢばがえり詰所内クイズ当選者ふさわしい歩みかどうか反省し残された四ヶ月親に喜んで頂ける成人の歩みにすべくにをいがけ強調月を足掛かりににをいがけおたすけにとたすけ一条の上に邁進して行く所存でございます何卒親神様には旬にお掛け頂く親の声をたよりと成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り人の心を明るく澄ませお互いたすけ合ってお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます小学校低学年甲井甲井甲井錦ヶ原豊田みつき林柚希大下なつみ佐藤なつあ錦ヶ原輝美濃輝美濃輝美濃大江橋亀田山小学校高学年大江橋芦田川芦品甲井府中市鶴眞川島郷神村福山亀田山中学校髙児島芦加茂髙児島門司港髙屋島根佐藤ぎんじ渡邉ゆうま奥村賢太郎谷内みちひで垣内舞あだちゆいか村川元子かりのまな竹田ゆい山田勇希井野薫牧春奈中山あみ西原百香今川七海竹田佳代瀬良佐和子小川せゆ川田明日未猪原優華武内菜緒安達朱理大教会だより多古浦分教会長とがありました月終わり修了者の金土日ですと言うと日曜教会指令移転建築願臨時祭典願松都品治呉福糸川弘美高橋秀行井上隼一は学校行事がありますよとの事でしたそこで素早く月火水に変えますよと答えるとありがと金浦分教会移転元教人資格講習会全期修了者うございますうちの子お願いしますとの事私にとって有難く笠岡市吉浜番地の終講嬉しくなる言葉でした移転先木津和丸山優樹その日を機にその方が皆に声を笠岡市大冝番掛けて下さったのか分かりません地が親子で参加票と費用を持って来鎮座祭て下さる方もありました一人ま奉告祭た一人と増えていくのは嬉しい事で承認したが頭の中では子ども達にケガ第期修養科暑かったこどもおぢばがえりがなく無事帰らせて下さいと思も無事終わりましたう日でした私達の住んでいる町ではだんだしかし終わってみれば皆笑教養掛んと地域に子ども達の姿がなくなっ顔で我家に帰って行きましたまている状態で小学校では年前かた来年も行くよとのひと言を残し三ヶ月間田林久嗣ら少子化という事で子ども達はバて東悠分教会長スで分位の所の小学校に行く事とありがとうございましたお父さ一ヶ月目田中一矩なりましたこどもおぢばがえりんお母さん本当にありがとうご上小畠分教会長のある月はすぐそこに来ているのざいました二ヶ月目三阪泰人に夢多き子ども達来年もまた元気福岩分教会長月初め小学校の役員の方からでおぢばに帰って行きますよ三ヶ月目余村健天理教にはいつ行かれるんですか疲れたぞと
かさおか

『かさおか』第52巻 第8号

今年も元気でかえって来たよ月日笠岡詰所玄関前で教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚元気な声で賑わった日間立教年こどもおぢばがえり立教年こどもおぢばがえりがよろこびげたりというたすけあいのできる人になってほいっぱいさあひのきしんのテーマで月しい家族の中や学校で小さい子の手を引いて日から月日までの日間に亘って行われおあげたり荷物を持ってあげたり引率の人の手ぢばは連日こども達の元気な声で賑わいました伝いをしたりということを実行していったなら今年は教祖百三十年祭三年千日踏み出しの年だんだんと広がっていって陽気ぐらしの世の中また回の節目のこどもおぢばがえりに当たりが来ると思いますのでたすけあいということも全教会帰参初参加者のご守護とお打ち出覚えて帰ってほしいと思いますと子供たちにしをいただき年祭活動に相応しい動きをとつとわかりやすく実行しやすい内容を具体的にお示めさせていただきましたしいただきながらたすけあいの重要性をお話し朝のおつとめ後の真柱様のお言葉ではおぢ下さいましたばは親神様がおられる親里で全ての人間のふる詰所では今年も育成掛による朝のおつとめめどうさとです遠い昔にこのおぢばで初めて人間をおラジオ体操目標発表お休み行事がありまた創り下され親神様はかわいい子供である世界中行事掛による模擬店が月日日月日の人間が互いにたすけあって暮らす陽気ぐらしの日と開催され大人も子供も夕べのひとときを世の中になることを待ち望んでおられると親楽しみましたまた毎日時から各隊の代表に神様の思いをお話し下さいました続いて私大教会長様より帰参の感謝状が手渡されましたたち人間は親神様を親とする兄弟で皆さんの今夏は今まで経験したことのない暑さといわお父さんやお母さんが皆さんに幸せになってほしれる猛暑の中でしたが大過なく無事につとめらいと願って時には厳しく時には温かく愛情をれましたこと御礼申し上げます持って育てて下さっているように親神様も世界育成会員の方には暑い中お世話取り大変中の人間がけんかをせずにたすけあって仲良くご苦労様でした暮らしてほしいというのが一番の望みです皆さまた詰所ひのきしんの皆様お世話になりまんも兄弟はもちろん友達とも仲良くし困っしたありがとうございましたている人には話を聞いてあげたり力になってあ少年会笠岡団団長武内正美縦の伝道の大切さを第回家族揃って月次祭参拝開催祭典後少年会笠岡団武内正美団長は月日大教会月次祭祭典後神殿で家族揃って月次祭参拝を開催育成会員を含む多数が参加した少年会婦人会青年会少年会の三会が合同で提唱している家族揃って月次祭参拝を呼びかけでなく推進実行していこうと月に続いて開かれたもの少年会員向きのお話しや催し物を通して教会の楽しさまた少しでも教理にふれてもらい将来教会につながってもらいたいと祭典が土日曜日休日の月に計画している今回は紙芝居ちゅうちゅうはっけよいが上演された祭典時教祖にお供えされたお菓子が参加者に配られた今後の開催予定は月月月の各祭典後同会では人でも多くの参加を呼びかけている昔懐かし紙芝居よふぼく勉強会開催テーマはおとまり会月月次祭後育成部吉岡壽部長では月日大教会月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催講師は中島誠治先生でおとまり会をテーマに約人が参加した先生は自分のいんねんの自覚から天理教は求める信仰ではなく与える教えである事を柱に自育成部教会でのおとまり会を紹介され理は小さい頃から映さにゃならん軽い理はありゃせんでとのお言葉を引用して親から子子から孫へと繋がる信仰を思い続け縦の伝道の大切さを深く胸に刻んで毎年おつとめ奉仕者増員を夢に描き活動している様子を話されたその後質疑応答では和やかに世間話しをしている雰囲気で進められ最後におとまり会は誰のためでもなくすべて自分に返ってくる親神様の大切なご用であると締めくくり閉講した長い歴史と関わる人の真実に支えられて第回英語講習会開催海外部今年の英語講習会は大教会で月日とハワイからジェイソン宮内氏浅草大教会をゲストとして迎え開催された講習会は日中度を越える猛暑にも関わらず人のスタッフと人の参加者が集まった下は幼児から小学年までのクラス小学年生クラス年生クラス中学年生クラス年生クラス大人クラスと分かれてそれぞれの目的にあったゴールを目指した最初参加者数に対してスタッフの人数不足を心配したが毎回行事を開催させて頂く度に感じる様に必要な人達がそれぞれの徳分を活かして蔭となりひなたとなって支えてくれるから進めて頂く事が出来る本当に有難いとこの度も思えた講習会は英語を使ったゲームありゲストの信仰談数年ぶりに参加してくれた上原聡先生の話昨年用木となったナイマ女史のタンザニアの異文化談を聞かせて貰ったりきもだめし英語ウォークラリーテー聞いて話して覚えたフレーズを持って将来自分ブルマナーの勉強英語での自己紹介スキを活かして行くきっかけになることを楽しみにしットのコンテストなど盛り沢山の内容を持っています今年の講習会を支えてくれたゲストて幕を閉じた今までの長い講習会の歴史の多くのスタッフ食堂のひのきしんをして下さっ中で参加してくれた人達が海外留学をしたた婦人会の方沢山の人達の心を頂いて開催でり中学校の英語の先生になったり何か英きた事を心からお礼申し上げます有難うござい語を通じて人生を広げて行ってくれているよましたまた来年もより多くの参加者を楽しみうにこの度参加して下さった縁ある人達がにしています海外部長上原志郎暑さに負けずいっぱい勉強第五回タンザニアおたすけ訪問今年もタンザニアに訪問させて頂いた毎年大きな目的が二つある一つは岡山広島両教区から送られているみかん箱で約個の衣料救昨年用木になったナイマの両親とマサイ村でのおさづけ海外部援の配布である物資が無く困っている人達へ何かという真実の箱は今年も半分はキゴマ市の難民キャンプへ送られ残り半分はダルエスサラーム市やソンゲア市の孤児院小学校中学校病院へ配布された私たちの滞在中にアルーシャ市の北に位置するマサイ村とダルエスサラーム市にある孤児院を訪問して衣料タオル文具などを配布させて頂いたもう一つの目的であるおたすけ活動は今年も身近な人達からおさづけを中心に運ばせて頂いた現地にいる用木も人に増え共におたすけを通して成人させて頂ける機会を頂いている別席運び中の人達にも教祖年祭の思いを伝えさせて頂きおたすけカードも枚預かって帰って来た毎年行かせて頂くのに大変な覚悟がいる黄熱病マラリア赤痢肝炎などの病気や移動中の事故などである神様を信じお凭れするしか無いこの訪問で毎年不思議な神様おやさまのお働きを感じさせて頂けることがある昨年と今年は人ずつで行かせて頂きましたが興味がある方は是非一緒に行きませんかなお日間の滞在中に路上でのおてふりを回タンザニア人の身上平癒と心のたすかりを願ってつとめさせて頂いた英文天理教パごくンフレット部御供袋人の方に回のおさづけを取り次がせて頂いた微たるもタンザニアの未来に繋がる種になる事を願ってやまない海外部長上原志郎第回広い敷地内を分担して作業有志ひのきしん隊常時実施第回有志ひのきしん隊月日回目となる有志ひのきしん隊が旧弥髙山分教会岡山県高梁市に出動し人が参加した青年会うっそう草や竹などが鬱蒼と茂る中草刈機やノコギリを手に敷地内の整備を行った第回有志ひのきしん隊月日回目となる有志ひのきしん隊が呰部分教会岡山県真庭市に出動し人が参加した時折雨粒が落ちる中教会の敷地に生えた草木の除去を行った温故知新いきいきエピソードおふでさき御話についてこの本の巻頭の自序はじめにそして内容を一部紹介する上でおふでさき第一号の冒頭部分第一首から第八首までの解説を引用する第回木を少しずつ切っていく自序以前から本部で教会長資格検定講習会の講師としておふでさき全編あるいは前半一号より八号まで後半九号より十七号までのお話をさして頂いておりましたが昭和二十一年八月乙種講習会後検定講習会教会長資格検定講習会が始まりまして第一回よりおふでさき講義の講師の御命を頂いて爾来昭和四十七年頃まで勤めさして頂きましたもっともおふでさきは若年の頃から読まして貰いたいと思って居りましたが現今のように印刷したも立教の良き日教典もこの三原典から編述されていますのがありませずなかなか読まして頂く事もで上原繁雄原典とおふでさきの概要については以上ですきませんでしたそれで家池田大教会にありがこれから第一号から順を追って講義させてましたおふでさきの筆写本を無理にお願いしはじめに頂きますて十八歳の頃半紙に毛筆で全文を写さして頂おふでさきは教祖が明治二年七十二歳のきその後も二回毛筆で写さして頂いて読まし御時より明治十五年八十五歳の御時までに第壹号明治貳巳年正月従七十貳才老女て頂いておりましたので御命を頂いた時には自らお誌し下さったものであり十七号一千七よろつよのせかい一れつみはらせど非常の感激と喜びでありました百十一首のお歌が誌されていますむねのハかりたものハないから講習会の最初の頃は全編のお話後に前半一このおふでさきはその当時の事を仰せ下ここで注意しておきますがかたかなのハ号より八号後半九号より十七号のお話をさったお歌もあるしまた将来にわたってはわと読んでいただきますさして頂いておりましたそうした事から中親神様の思召を聞かして下されているお歌も親神様がこの世を創められて何億年の間には二代真柱様がおふでさき研究の席上お教ありますいずれにしても我人類が未来には何億という大勢の人が生まれては出直え頂いた事もあり私の悟らして頂いた点やお永劫に践み行うべき道をお示し下されているのしているがいつの時代を眺めても胸の解っ歌の御思召より各自が心得さして頂かねばならですしかもおふでさきは天理教の原典のた者はいないん事柄をお話しした点もございますしかし何一つですさてこの胸とはどういうことでしょうか分未熟のもので至らん点も多ある事と存じ天理教の原典はおふでさきみかぐらうたこれが眼目だと思いますます今後もっともっと悟り分けて頂く方おさしづの三つでありこの中でおふでさき神のお言葉にこの道は胸の道胸の道はもある事と思いますが一応ご参考までにととみかぐらうたは教祖が自らお誌し下さっ心の道とありますですからここでは親神思っておりますので間違いの点がありましたたものですおさしづは教祖がお姿をお隠し様の思召を解った者はいない人間を創め世界ら御教示下されましたら結構と存じますなおになられた後本席様に親神様が入りこまれを創めた親神様のお心を了解している者はな今後しっかりご研究下さる事をお願いいたしまその思召を聞かして下さったものですいと仰せ下されているのですすお道の教義はこのおふでさきみかぐらうこの項続く教祖九十年祭への第一年目たおさしづの中からすべて出ているのです前史料部長談話室私の寝言その神村分教会下田茂美平成十一年にヨーロッパに出向いたその切っ掛けは私達姉妹三人が月に一度のデートの日でしたフランスから帰って間のない姪妹の子が妹と一緒に来たのであるその頃私の心は荒んでいた時であった外国にでも行ってみようかなと思っていた矢先の事だったので姪に聞いてみた外国はどうすると口数の少ない姪は一言この世に生まれて来て良かったとただそれだけ言ったそれを聞いて私は思い切って行くことにした出発したのは五月十二日であるそれから二年目の十三年にスペインに向かったこれも五月だったスペインは少暑かったことを覚えている昔から馬鹿の大頭と云ことわざう諺が有る正に自分の事であるそんな訳で私には合う帽子がない旅行は日傘にしていたその当日名所巡りをしていたら公園らしき所に差し掛かった時花壇の淵に腰を下ろしていたお爺さんが私の方を向いて大きな声で怒ったしたこのお爺さんの口を通してまでも親神様様に訳の分からぬ事を喋った今お爺さんがは私に成人の道への糧としてお与え下された言何と云ったのかと添乗員に尋ねた折角太陽葉であろうと受け止めたもう絶対に日傘はさが照って下されているのに傘をさして太陽すまいと決めたあれから十二年も経っているさえぎを遮るとは何事か罰当たりめがと云ったそ本当に月日親神様に生かされている事を感謝すうであるこれを聞いて胸を突き刺される思いがれば暑さは半滅する実に勿体ない限りであしたそれもその筈月日親神様に生かされているると口では言いながら行動は全く正反対であにんけんハみなく神のかしものやなんとをる親神様に背を向けているのだこれではまるもふてつこているやらで恩を仇で返している様なものだと気が付いた今日もこのおうたが頭を過ぎる暑さ寒さに感親神様は私がスペインの地にいてまでもお仕謝すべきであろうスペインのお爺さんに感謝込み下されたのかと思うと胸が熱くなる思いがすることを忘れてはなろうまいこころの詩養徳社発行陽気誌八月号道柳より転載今回の課題は出笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん青春の思い出あまた地場の四季佳詠芦品分教会教人金谷眞佐代さん出しゃばらず慎み心を忘れずに表紙写真上原喜三詰所掛員去る月日天理高校総合体育館で平成年度の入学式が挙行され在校生総代の歓迎の言葉に応えて新入生人を代表して森山将大君瑞雲分所属が力強く宣誓を行いました天理高校新聞の新入生の声の欄で森山君はこれからの天理高校の生活は一生記憶に残る思い出となると思います特に人との関わり合いを大切にしたいです入学したばかりでまだ関わりの無い人も多いですが一人でも多くの友達を作り一手一つの精神で勉強や新入生総代森山将大君による力強い宣誓部活行事などに取り組んで悔いの残らない年間にしようと思っていますと述べています思い返せば年前小学にバタフライの選手で活躍をして記事を掲載していただきました発行ページその彼が今度は天理高校水泳部員として活躍してくれるものと夢見ております父母の熱心な信仰態度から行儀よく正しく優しく強く育ってきました兄妹弟で水泳を勤しみ毎日の練習を怠らずさりとて勉学にも劣ることなく優秀な成績で入試の難関を突破して新入生総代を拝命したものでしょう私は彼に高校生は立派な社会人その責任がある今までは親の義務の中のことでこれからは自分で責任ある行動をしないといけないよとうなずき自覚をしてくれた態度の眼力は輝いていました森山の家の初代さん達も今日を夢見て我を忘れて苦難の道中をお通りいただいたおかげでしょうこのお道の教えが代続いてきたからこそ見せて戴く御守護の姿であるとそしてこれからの未来へ今やらなければならないのが次代への伝道陽気な喜びの毎日へ楽しくなければ天理教じゃないそう云った雰囲気がただよう人に成人していただきたい彼に我を忘れるほど真剣に御用の上に通っていただきたいものです教祖年祭のその日には更なるステップで目指すメダリストで元気に活躍していることを祖父母や両親と一緒に応援しに行きたいものと語らい夢見る講社祭の直会です寄稿瑞雲分教会長西村彦一氏立教百七十六年七月月次祭祭典役割表祭主大教会長様賛者横山逸郎扈者岡﨑真一三島渉講話田中隆之九月講話笹尾正治区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤吉岡淺野明教指図方上原繁道前半壽中村邦義上原繁道今川昌彦谷内伸自笹尾正治上原大教会長様中村浩中村道德吉岡誠一郎岡本久善門脇元教岡﨑真一上原繁道三島大教会奥様武内正美門脇加津田中ますみ内海安子高木孝子門脇郁子笹尾一美中村初美中島誠治虫明立生森本忠善森本忠平山野弘実赤木素志田中隆之横山逸郎内海史郎田林久嗣山田敏教武内清明淺野明教高木昭祥渡邉隆夫上原志郎岡﨑輝彦佐藤真孝上原順子佐藤香苗谷内美知子今川佐智子森本冨美子三島照美虫明好美岡﨑豊子横山小智榮後半剛岡﨑和夫渉杉原博之神事部秋季霊祭に際する合祀祭今年の秋季霊祭より大教会役員おつとめ奉仕人部内教会長の出直に際しては直後の春秋霊祭で合祀することになりましたこれに伴ない今秋季霊祭において下記の各柱を大教会祖霊舎に合祀いたします三宅善久氏稲瀬佐藤理生人氏陽實重政禎子姉仲條その他教会長配偶者よふぼく信者等で合祀を願い出られる場合月日までに神事部長へ連絡してください庶務部名称録の改訂誤植がありましたので添付の用紙を切り貼りして訂正願います正誤表のページ番号がページずれておりました布教部本部食堂ひのきしん期間月日火日火割当東ブロック青年会全分会布教推進週間期間月日日日日原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供かわいい一杯の親心によります御守護とお導きを頂いて日は結構に恙なくお連れ通り頂く中に今年は早に梅雨も明け日増しに大きくなるセミの声と共に暑さも弥増し今正に真夏を味わわせて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はかしものかりものの喜びだけではなく四季折の気候や食べ物の変化まで味わわせて頂く喜び心一杯に日は朝夕に御礼申し上げつつ教祖百三十年祭の時旬も得てにをいがけおたすけにとたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は七月の月次祭を執り行う定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には厳しい暑さも厭わず一万二千六百四十九枚のおたすけお願いカードに込められた日頃のたすけ心を持ち寄りました道の子供達が相共にお歌を唱和し尚一層のたすけを願う皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年もこどもおぢばがえりが目前となりました募集の上に余念はありませんが何卒おぢばがえりの際には盛夏の折でもあり熱中症や事故怪我等の無いようお連れ通りの程をお願い申し上げます又八月には英語講習会学生生徒修養会高校の部野外キャンプそして各教会でのお泊まり会等を通じて子供達に積極的に声を掛け参加を促すだけでなく道の大切さや親の思いを伝えて道の後継者育成へと繋げていく所存でございます更には又本年の中間に当たり改めて年頭の心定めと諭達巡教に思いを致し教祖百三十年祭へ向けての祈る動くつなぐの成人目標の実動に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には個人主義の世の風潮に流される事なくたすけ合いを実践する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜り人が親心に触れたすけ合いの心に立て替わってお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先大教会だより教人資格講習会修了者終講三郡谷本裕太直属ひのきしん特別隊三郡谷本裕太本部食堂ひのきしん福山福田恵司こどもおぢばがえり詰所受け入れひのきしん前半東ブロック徳山毅西ブロック内海安子福山ブロック藤原鈴江髙屋ブロック高橋竜二島根ブロック雜賀元生上府ブロック北井幸江後半東ブロック樋上謙二西ブロック中村邦義福山ブロック福島恒彦髙屋ブロック藤井宏一島根ブロック三代あゆみ上府ブロック山田信子有志笠岡福芦福芦芦品瑞雲甲井甲井松田祐亮藤原徳美藤原鈴江中村真妃豊田俊美山田敏教山田信子アトラクションに参加して楽しんでいる見ていてとても気持ちが良い最近の子供達の遊びがネットやゲーム機に変わっていく中こども照りつける太陽と蝉の声神苑におぢばがえりのアトラクションは鳴り響く鼓笛の音今年もこどもお私が子供の頃とさほど変わっていなぢばがえりに子供と一緒に参加させい仮想の空間や一人の時間を楽して頂いたむことの多い今の子供達には人と年思うことだがおぢばの厳し人とが触れ合いシンプルで体をこたい暑さは体に堪えてしまう次の行使った遊びが真新しく映っているの事会場までの道のりを歩くだけで汗かも知れないきっとこの体中を通だるだくになり頭はボーとして怠くして得たものが忘れられない記憶にて日陰に腰掛けずには居られなくななるだろう支える多くの方の真る五十路を越えた最近はこの暑実と共にこの先ずっとこどもおぢさを恐怖にさえ感じてしまう自分ばがえりは続くだろうがアトラク自身なんて情けないことかション等変わらないでもらいた大人はこの暑さの中つい動きが鈍いと思うくなってしまうが子供達は夢中で只暑さだけは何とかしてほしいは
かさおか

『かさおか』第52巻 第7号

講師の高杢禎彦氏元チェッカーズメンバーと共に若人の集い月日大教会神殿にて教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ登殿参列始まる月本部月次祭から年祭に向け確かな歩みを鶴山分教会中島誠治月日に登殿参列をさせて頂いた朝から本降りでえらい日になったもんだと思ったが此れも何かの巡り合わせ照るも良し降るも良し月日付天理時報で既報の通り全教会長早くにおつとめ衣に着替えて修練室で記念撮影を対象とした登殿参列が月日の本部月次後マイクロバスに乗り合わせていざ出発雨が祭から始まりからも第一陣として降っても車内は勇んだ気持ちで賑やかに云いなが人が参列したら本部へ私は前回と同じく部内教会長さんを車大教会では本年月月月平成年椅子に乗せての参列時前には所定の北礼拝場月月月月月月の回一回に着座見回すと案外若い教会長さんが多い頭人から人位に分けて参加するが白いとか光っている方は少ないお道も若返り参列者敬称略と当日のスケジュールは次の通しているのかなあ自分が年を取ってることも忘りれてそう思う祭文奏上に続いてかぐらづとめ田中隆之福山小坂静宏神邉中島誠前半後半と地歌を歌いながらつとめさせて頂い治鶴山岡崎和夫弥髙山虫明立生陽備た増野先生の講話もいつもよりはっきりと頭の宮本泰徳廣町宮本正子福廣鳥井利明中に沁み込んだありがとうございますおぢば福勇竹本和道福芦藤本イツエ西村は誰でも心を素直にさせてくれるありがたい北村保福春酒本嘉子鶴南寺下宏一鶴眞虫明好美鴨方午前時朝食時記念撮影修練場おつとめ衣にて時分マイクロバスにて詰所出発時分受付御用場にて表統領あるいは内統領よりあいさつを受ける午後時分終了時分ごろ詰所到着解散実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚不思議と雨が降って袴が汚れようが足袋が濡れようが参列出来た有難さで全く苦にならない最後に教祖の御前で表統領上田嘉太郎先生がお話しされた言葉をしっかりと肝に命じて三年間歩みたい皆さんはそれぞれの教会の会長さんでありようぼく中のようぼくである龍頭であります信者さん方の先頭を切って進んでもらいたい頑張ります二度とない教祖年祭に向けて登殿参列と登殿参拝川島郷分教会香取雅人私は会長になってから今回で三回目の登殿参列をさせていただいた正確には過去回の登殿参拝と初めての登殿参列である参拝じゃろうが参列じゃろうがやることは一緒じゃとおっしゃる方もおられたしもちろん自教会の代表として襟を正して参列させて頂いたがなぜ今回は登殿参列なのだろうかとずっと気にかかっていたこんな気持ちで臨んだわが生涯で初めての登殿参列の日は朝から雨北大路乗降場で送迎のマイクロバスから降りたときにはかなりの強さで降っていたバスから降りてすぐ目に入ったのは黒い腰巻姿のおじさんたちだったありゃあ何じゃと不審に思ったが実は用意周到にも袴用の雨具を着用されていた大都会の大教会の先生方だっただがそのような物を装着していない私たちは裸足で下駄をつっかけおつとめ衣の袴の裾をからげて集合場所へと向かったのである登殿参列者には専用の受付があるおさづけを戴くときに呼び出しを受ける第御用場北側にある建物がそうであるそこで登殿参列券を渡し下駄を脱いで西回廊北詰へと進む回廊の手前で足袋を履き列に並んで待っていると今回大教会から参列した人の教会長の内私と上級の会長さんと分教会の先生の人だけが別の班に編入されたどうせ行く所は一緒だからどの班でもええわと簡単に考えていたがこのことがその後私たち人に不運を招くことになろうとは誰として知る由もなかった第一次の登殿参列である今回は約人の教会長が参列することになっているこの会長さんたちがいつもは立ち入ることができない結界の内側に着座し月次祭を参拝させていただけるのである私たちは厳かな気持ちで結界内に入り人ずつの班ごとに指定された場所へ案内された笠岡の他の人は幸運にも最前列に着座したところがなんということであろうか私たち人には最後列に座る運命が待ち構えていたのである着座して視界に入るのは他所の大教会の先生方の輝く後頭部ばかりああと落胆しかけたがここに座らせていただけるだけでもありがたいのだと気を取り直し真剣にみかぐらうたを唱和させていただいたしかしこのことが後日嬉しい結果を招くとは誰として知る由もなかったそれは月日付の天理時報の面をご覧くださればよくお分かりいただけるのだが登殿参列を伝える大きな写真に上級の会長さんと私の二人が先生はお気の毒にも前頭部のみだったが写りとても良い記念となったのであるさてかぐらてをどりが終わり増野正俊本部員の神殿講話ののち真柱様つとめ人衆直属教会長の方の後に続いて教祖殿へと移動した私たちは礼拝が終わるまで東回廊で待機しその後御用場で表統領先生のご挨拶を頂戴したこのご挨拶の中で私は参列と参拝の違いを解釈するヒントをいただいたのであるつまり登殿参拝は年祭後その年内に行われるしたがって御礼参拝の意味合いが強いこれに対して登殿参列は年祭活動のさ中に行われそれぞれがおたすけの決意を新たにし勇みを頂く参列であるとこのように考えたのである正しいかどうかは分からないしかし自分自身が納得できたのでこれでいいのだ講師の高杢氏ユーモアを交えた講演に参加者も笑顔に親交を深めおたすけの実践を誓い合う第回若人の集い開催大教会年祭活動推進委員会田中隆之委員長は月日大教会で第回若人の集いを開催遠近を問わず人受付数参加者名スタッフ人が参加したこれは教祖年祭へ向けて主に歳から歳ぐらいまでの働き盛りの年齢層を対象に仕事をしながらでも信仰を深め一人一人が何か実践できるようなきっかけを作ってもらおうと開かれたもの今回は講話とグループタイムが中心講話の講師は元チェッカーズのメンバー高杢禎彦氏平安大教会所属ようぼく同氏は講話の中でチェッカーズ時代の自身の様子に触れた上で布教所長子弟であった恭子夫人との出会いなどを振り返ったそして周りの人夫人自分自身に見せられた身上などを通して信仰心が芽生えていく過程を様なエピソードを交えて話したその後参加者を班に分けて行われたグループタイムでは司会役のスタッフを中心に講話を聴いての感想が話し合われた参加者それぞれが目標を立てた昼食は婦人会によるバイキング形式の料理が振受講者は日を通して同じ笠岡に繋がる若い舞われ各班の雰囲気も和やかな一時となったよふぼく同志の親交を深めまた日常生活の中託児も行われ人のチビッ子が集う中楽しく過で自分にできるおたすけを実践していく事を誓いごした合った昼食後のグループタイムでは今後日常生活の中でどんな信仰実践ができるかを高杢氏の参加者の声講話や教内の刊行物大教会の成人目標を参考に若人の集いは人の参加者で行われた行事終了後アンケートの提出がありその提出数は枚となった第一問の講話についてはあまり参考にならなかったをとても参考になったをとする段階の問い合わせにはの数字が人の数字が人となり提出者のが感銘を受けた等下記の様な感想を記した分かりやすいそれぞれの立場からいろんな意見が出されたとにかくうまい婦人会の皆さんありがとうございます話しに引き込まれた根気よく話しすることの大切さまた機会があれば等第問のグループタイムについては充実度についての数字が人の数字が人となり提出者のやはりが下記の様な高評価となった疑問に思っていたことが解決濃い内容がんばろうの気持ちが芽生えた等若人の集いに参加して川島郷分教会香取千帆私は月日に留学中の北京から帰ったばかりで久しぶりに聞く日本語の講話はとても新鮮でしたチェッカーズは解散してから長い時間が経っているので私たちの世代にはあまり馴染みがありませんでしたが講師の高杢先生は紅白歌合戦に何回も出られていて凄いなあと思いましたそんな有名な方が私たちの目の前でしかもお道の話をされているのが何か不思議な感じがしました先生のお話の中で一番はっとさせられたのは生まれたときから天理教を信仰している人はその有難さに気づいて欲しいという意味の言葉を出されたときです私は教会で生まれ育ちましたが今までにそんなことをあまり考えたことがありませんでしたでも今は中国に住んでいて外から日本を見ていますそのとき日本のいい所や悪い所がとても良く見えるときがありますずっと中にいると見えにくいことも視点を変えてみるとくっきりと浮き上がって見える場合があるのかもしれませんもう年間中国に滞在する予定ですが友人を多く作りしっかりと勉強をして少しでも国際貢献のできる人になりたいと願っていますそしてたとえ小さなことでもいいから自分でできるひのきしんやおたすけをさせていただきたいと思いますおやさとふしん青年会ひのきしん隊第隊に参加して青年会遂げたまた夕食が早いためほぼ毎日夜食を作るのだが夜食が楽しみな一人は一ヶ月でキロ増の大きな御守護を頂戴しその腹鼓の音はおぢばに鳴り響き犬は遠吠えを返しそのいびきは耳栓売り切れの緊急事態を招いたそしてそして親善大ソフトボール大会では奇跡の準優勝青年会笠岡分会では六月におやさとふしん青名誉の負傷ありただの運動不足なのでご安心を年会ひのきしん隊に人で入隊で多いに盛り上がった毎日が喜びの隊期の中今年は全く雨の降らない空梅雨だったがひのでも二人が初席を運んだのは大きな喜びであっきしん隊にとっては毎日がひのきしん日和の快晴たの御守護と日間伏せ込みに充実した汗を流入隊者達は百母屋を宿舎に親神様の御守護教したひのきしんの内容はこどもおぢばがえりに祖のお導き青年会長様の親心のもと不思議な向けてのテント設営や看板製作蛇谷山での木出会いの御守護喜びと宝を頂き大きな事故は出しまた年祭に向けてのパイプ椅子組立などもちろんのこと一人のひのきしん欠席の身上者作業に慣れない者もいたが声を掛け合いひのきも出ることなくお連れ通りいただいた来年はひしんに勇んで取り組む姿が見られたのきしん隊周年なんとか心定めである名その他修練や月次祭まなびや感話大会にを以上での入隊を達成し年祭に沸き立つおぢばにいがけ休養日には詰所の給水タンク清掃など笠岡に繋がる青年会員と共に伏せ込みたすけの感話大会では笠岡から弁士が登場ケニア布教の渦を巻き起こしたい話や奥さん自慢と自身の真っ直ぐな信仰を語入隊者中村剛史久松杉原善朗明石市豊り後にケニアさんと呼ばれ全隊に海外布教の田宏哉府中市中村元彦照陽三代幸徳米熱を広めたにをいがけでは桜井大教会を拠点に府山口晃治芳井福元賢一直轄岡崎啓神名流しや路傍講演戸別訪問へと初入隊者の司直轄以上人一人は初にをいがけながら先輩の出来なかっ第隊は分会名笠岡分会は北分会人とたらやらなくていいよという優しい言葉とは合同の第班となった裏腹の強烈な圧力に屈し初めての路傍講演をやり副委員長杉原善朗育成部よふぼく勉強会開催テーマは理立て月月次祭後意義に終講した勉強会に先立ち月次祭終了後神殿で同部おたすけ掛員より一人におさづけが取り次がれた次回の勉強会は月月次祭後おとまり会について行われます育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催約人が参加した今回のテーマは理立て講師の笹尾正治先生は理立てについて様な理を立てることの角目を永い経験から懇切に講話をされました引き続き同テーマについての質疑応答もあり有熱心に受講されるこどもおぢばがえり看板取付け枠組み作業こどもおぢばがえり実行委員会ひのきしん部では月日に笠岡詰所で看板取付けひのきしんを行った前日の大教会月次祭後雨の中模擬店に必要な資材を中心にトラックへの積み込みを行いワゴン車との台で詰所に向かった当日は曇り空で大変過ごし易いひのきしん日和となり詰所勤務者教養掛の先生などの手伝いも頂き人前後でのひのきしんとなったまた毎年お手伝い下さるノースアメリカの佐藤さんの真実あるひのきしんの姿勢には感謝の気持ち一杯で頭の下がる思いである朝時分からトラックのテント冷凍庫などの積荷を下ろし鋼管や看板を倉庫から準備した後玄関前と詰所階の看板設置二組に分かれての作業を始めた玄関前では鋼管を組むレベル水平を取るのに佐藤さんが指揮を取って下さり本業である笠尋の会長さんが手際よく段取りを先導して下さった階ではそれぞれにインパクトを片手に作業を進め休憩時には教養掛の先生の思わぬ差し入れに皆勇み心もひとしおで昼前には全ての作業を終え風呂の準備に感謝しながら昼食をいただいて詰所を出発した看板を楽しみに第回すぐに山盛りになる一輪車有志ひのきしん隊常時実施第四回有志ひのきしん隊月日回目となる有志ひのきしん隊が青年会大教会にて活動墓地下の草刈りを人で行った第五回有志ひのきしん隊月日回目となる有志ひのきしん隊が甲井分教会広島県世羅郡に出動し人が参加した教会の裏山の木を整理し束ねてトラックに積み込む作業を夕方まで行った第回山の男たちの勇姿温故知新いきいきエピソード三代会長の信仰心の発露三代会長の事歴の中おふでさき御話について触れてみたい編集出版に携わらせて頂いたのは教祖九十年祭の三年程前の事であった当時私は道友社に勤務していて毎月日を決めて講社祭をさせて頂いていた若木町の十三号館に住まいしていたあるとき来てくれた父親が忙しいやろけど本にして欲しいと言って長年大教会で毎月の如く話して来たおふでさきの講話の事を口にした岸本と相談してくれとの事であった出版は昭和五十年十月二十日となっている昭和五十一年一月二十六日から二月十八日が教祖九十年祭でその間私は日刊天理時報の編集に携らせて頂いたそして三月末で道友社を退社して大教会へ住み込ませて頂いて四月から布教の家広島寮へ出させて頂いた三月二十一日に准承事を拝命しているう思いからこのように書いたのだと思う評を読ませて頂くので私の環境がガラリと変わったその直前に夏の暑い時日中から夜は道友社の勤務があ現代国家は法治主義民主主義の完成目指しこのおふでさき御話の編集出版に携わったといるので午前五時から一時間毎朝校正を読まて日夜粒辛苦の努力を続けているがその根う事になる昭和五十一年二月二十一日付のかせて頂いたのも今では楽しい想い出である底には天賦人権説が存在し自由平等の合言さおかに私の編集出版に携わってという苦労の中に楽しみありというような諺があるが葉のもとに福祉国家への道を歩いている国家小文と大教会役員の岡﨑真澄先生の書評が載っ苦の中に楽ありをもじったのであろうと思統治の基本法としての憲法民法刑法などの概ているうこの本を通して最も勉強させて頂いたの説書は沢山あるが逐条解説書は憲法条私の文章四百字詰原稿用紙で九百四十二枚は小生ではないかと思わせて頂いている刑法条にはあっても民法のような膨大なの原稿を何とか本にして欲しいと御命頂いたの教理勉強はなかなか簡単にはいかないものものにはあまり見受けられないは三年程前であったように思うその間にはであるがこの本を通してできるだけおふでそれと同じように道の原典の中でもみかぐ種経緯があったが岸本敏明氏と相談の上さきをはじめとする原典に親しませて頂く事がらうたには逐条解説書も多数あるがおさしづ重複を避けるためにある所を削りまた字句の老会長様の御親心にお応えする道であると思わには重要なもののみの解説書が出版されている訂正を行い天理時報社に依頼したのがそれせて頂く最後に録音テープを丹念に原稿用紙にすぎないから半年ほど経ってからの事であった手軽さに起こして下さった方に心から御礼申し上おふでさきには従来本部から刊行されていたと便利さそしてできるだけお年寄りの方にもげる次第である簡単な解説書上田嘉成先生のおふでさき講読みやすいようにと活字を大きくする事を心掛岡﨑真澄先生の書評こちらの方は私の文義に続いて老会長様のおふでさき御話がけるなどして出来上がった形が本書である章に比べて重厚でさすが永年大阪の夜間高校教祖九十年祭を目前にした昭和五十年の秋の大校正は五校まで岸本氏とは三校まであと二で教鞭をとって居られた方だなと今改めて読祭を期して発刊された事は笠岡の道に繋がる校は岸本氏の海外巡教があったために小生だませて頂いての感想である皆さんはどのよう私達の喜びは勿論の事道全体としてもその意けで見させて頂いた出来上がって更に読み返に思われているのか分からないが三代会長の義は素晴らしいものと思うしかもその内容してみるとまだあちこちに校正漏れの箇所がこの本はおふでさきについての類を見ないは書名に象徴されるように分かりやすく噛んあり汗顔に至りである道友社で徹底して解説書で岡﨑先生はその事に発刊の時点でで含めるように書いてあるので私も一気に読校正を叩き込まれていたので申し訳ないとい気づいておられたという事であるそれでは書破する事ができた行を追うにつれ次と私の知らない知識やいっても過言ではないであろうすすなわち今日で言えば自動車自転車牛内容が走馬燈のように現れてくるので道の知全巻を通じて道の後輩に対し教祖が直筆を車馬車それに歩行者どんな人でも通れる道識が豊富になったという読後感と共に著者の信もって教示された親心理解の手引書としての深の意ですしたがって往還道とはいかな悩み仰の偉大性がひしひしと胸を打つのを覚えたい愛情が秘められている事を痛感するわたしや苦しみを持っている人も不仕合わせな人もたいままで素読的に読んでいたのが一語一語噛達はこの理の親の大きな親心に応えるためにすける事ができる道いわゆるたすけ一条の大みしめて味読するようになった気がするも今後原典に親しみその研究を盛んにしな道の事です五五ページ著者は巻頭におふでさきはその当時の事をくてはとの思いに駆られ大阪の笠岡会でもなどの解説はその適例であり随所に好例が仰せ下さった歌もあるしまた将来にわたって早速おふでさき研究を今後の課題とした次第で散見される親神様の思召を聞かせて下さっている歌もありあるまた文中幾多迫力を持って迫ってくる箇所がますいづれにしても我人類が未来永劫に践次に内容について紹介すると私達の身近なあるみ行うべき道をお示し下されているものです事例で説いて下さっており教語解説も丁寧例えば親神様のお考えは決して後先になりとお述べになって読者に重要な指針を与えてで行き届いている事に感銘を受けたません順序間違いなくなさるのですそれが下さっている例えば一れつにあしきというものはない天理です二六七ページと天理の偉大性を本書の成立は自序にもあるように昭和二十がちょっとでもほこりがついたらあしきの顕示されたりいくら雨が降っていてもそ一年八月から同四十七年頃まで乙種講習会ように思うのであるちょうど透明のガラスがのおつとめの間だけは上がりますおつとめが教会長資格検定講習会の講師として勤められた汚れて向こうが見えにくくなってきたような終わってちゃんと仕舞いが出来てその後に間に二代真柱様のおふでさき研究で教示されものですガラスが悪いのではなくてほこり雨が降ってくる雨がおつとめ中に降ったならた事や著者の悟られた点やお歌の御思召よがついているからです中まで汚ないのではなば御供に雨があたってくるのですがおつとり各自が心得さして頂かねばならん事柄などをくてただほこりをつけたままにしておくのがめの間は雨が降らないのであたりませんこ永年に亘ってまとめられで号を悪いのであると仰せになっているのです四れは天理を戴かれるのです三五六三五七追ってお話し下されそれを更に分かりやすく一頁四二頁ページという奇蹟を教示されている箇所など本にして頂いたと聞いているが著者の数十年とかあるいはは素晴らしいの一語に尽き感激の情を禁じに亘る信仰の総決算がこの書に現れていると往還道とは広い道誰でも通れる道の意で得なかったこのよふをはじめた神のゆう事にせんに一つもちがう事なしと仰せ下さっているように親神様が原典を通じてお示し下さった教えには絶対狂いがないのである私達は原典研究を深めることにより神意がどこにあるかを悟ることができる現在のように思想混乱の世相においては教祖の教えは一段と光彩を放って世人を導いて下さるその意味からもこの度の本書の刊行は全く有り難いことであり老会長様のご愛情とご熱意に感謝しながら教祖九十年祭を迎えた幸福感に浸っている次第である以上である私は今岡﨑先生のこの文章を読み返して先生の信仰心の先鋭さを知ると共にこのおふでさき御話がよくもあの時点で出版され得たと感慨を深くした考えてみれば学者の論文本部公刊の解説書ならいざ知らず一信仰者の手になるおふでさき全巻の信仰的解説書はないのであるこの項続く前史料部長庶務部ようぼくの集いの名簿訂正について回収された名簿上で訂正連絡不要出直不明の処理がなされていた教人よふぼくについては本部へ名簿を返却する時点で同時に訂正連絡不可出直住所不確実の名簿処理を行いますよふぼくの内での所属変更につきましても上記と同様に扱います教人の内での所属変更教人よふぼくの他系統から笠岡部内へまたは笠岡部内から他系統への所属変更につきましては別途正式な届願が必要になりますので庶務部で用紙を受け取り必要事項を記入提出してください信者部大教会での宿泊食事について祭典前日以外に大教会で宿泊される場合祭典前日当日以外に食事をされる場合は部屋割り準備等の都合がありますので予め神事所へご連絡ください婦人会第回女子青年大会について日時月日月祝年に度開催午前時分受付開始式典中庭女子青年支部の集い笠岡詰所前日日午後時分おぢばに帰った女子青年が揃って夕づとめに参拝花広場場所最近は地方開催でしたが久しぶりに本部で開催女子青年の付き添いということだけではなく婦人会としても一緒に参拝をさせていただきます内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい立教百七十六年六月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者笹尾正治今川昌彦賛者山渡田邉敏隆教夫指図方吉岡壽講話谷内伸自八月講話岡﨑和夫区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半中村邦義中村剛吉岡壽谷内伸自田中隆之三島渉武内清明虫明立生淺野明教大教会長様岡﨑和夫上原繁道岡本久善門脇元教中島誠治上原繁道上原志郎今川昌彦大教会奥様佐藤香苗岡﨑豊子田中ますみ森本冨美子谷内美知子門脇郁子門脇加津横山小智榮岡﨑真一吉岡誠一郎横山逸郎河原節喜高木昭祥森本忠善山田敏教上原浩渡邉隆夫杉原博之山野弘実佐藤真孝笹尾正治岡﨑輝彦内海史郎淺野明教中村道德赤木素志今川佐智子武内正美内海安子虫明好美笹尾一美高木孝子上原順子三島照美中村初美こころの詩天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付芦品分教会金谷眞佐代さん悩む日にだれにも言えぬその時はおふでさきひらく心しずめて海松ヶ岡分教会池田広子さん引き出しの奥より見つけし扇子にはかす微かながらも母の香りす月日付芦品分教会と金谷眞佐代さんにをいがけ訪う家のアマリリス海松ヶ岡分教会あんずた藤井光子さん杏食ぶ甘酸っぱさは昔味養徳社発行陽気誌七月号道柳より転載今回の課題は明笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠川島郷分教会前会長香取敏子さん節幾重明るい心に守護を受け表紙写真吉岡輝昭編集部員教会別人づくり一覧表名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定笠岡福山髙屋神邊島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴廣町福廣福勇福芦福満福岩西村福年引野福昭福春福中福冨士福東東福山福南福順福節福備福輝坪生八尋深安笠尋芦品安那芦田川三郡芦常芦加茂惠陽陽實御野香地華真金仲條稲倉稲瀬稲富士稲讃門司港大惠山東水島高児島髙丸出雲瑞雲海潮川錦洋米府弓ヶ濱西伯米美伯仙照雲松都樺島新輝豊亀田山出雲川津天場山簸ノ川多古浦瑞北雲東神村呉中大江橋品治久福久津呉福鶴南鶴眞川島郷鴨方作備輝華錦ヶ原行縢眞府吉舎清嶽上小畠木津和國須上吉野上備河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面府鮮府世原神驛神免葦沼合計六月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに親心一杯の御守護とお導きを賜り日は結構に恙なくお連れ通り下さいまして誠に有難うございます加えてにちくによふほくにてわていりするどこがあしきとさらにをもうなと教祖年祭に向かう時旬に当たりよふぼくを育てるべく夫に身上や事情にしるしを見せて節をお与え下さいます事は誠に勿体ない極みでございます私共は成って来るのが天の理と常に親心を思案し思召に応えられるよう日朝夕に御礼申し上げると共にたすけ心の涵養と実践に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は此の教会にお許し下さいました御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて六月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には台風接近に伴う足元の悪い中も厭わず寄り集いました道の子供達が九八枚のおたすけお願いカードに日頃のたすけ心を込めより一層のたすかりを願う真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百三十年祭に向け三年千日と仕切ってひながたの万分の一でもと歩ませて頂きたいと成人の歩みを進めさせて頂いております中に先月二十五二十六日と別席ひのきしん団参を実施させて頂きましたところ帰参者八百十四名の御守護を頂戴致しました晴天の御守護も頂戴し共に勇んでひのきしんに汗を流させて頂きました有難うございました目標の千人には達しませんでしたが来年再来年と年祭に近づく毎に増員できるよう努めさせて頂く所存でございます又年祭活動の充実を図るべく婦人会では明日明後日と小寒様に続く会を開催し三十日には年祭活動推進委員会により若人の集いを開催させて頂きます更には将来の年祭を担う道の後継者育成の上からも本年のこどもおぢばがえりに一人でも多くの子供達に参加して貰えるよう募集に力を注いでいく所存でございます何卒親神様には先の見えない不安を抱える人に一筋の光明を与えるべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り親心に触れ一列兄弟の理に目覚めてよろづ互いに助け合う神人和楽の陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散山野弘実大教会准役員上下分教会長西村彦一瑞雲分教会長三嶋正教笠尋分教会長吉岡貞彦芦田川分教会長第期修養科募集要項大教会だより教人資格講習会全期修了者終講月日大教会で教祖年祭若芦品中村真妃人の集いが開催され自分も受講さ教会長資格検定講習会修了者終講瑞雲西村靖彦三日講習会修了月芦加茂小川惠子芦加茂小川裕子お詫びと訂正せて頂きました今回の講師の先生は元チエッカーズの高杢禎彦先生が来られ話しを聞かせてもらいました話しの前に分間のを見てその後講師の先生の話しがありました話しの時間は約分位で色と自分の入信までの話しを聞かせてもらいました今回の内容は自分の病気息子の事故妻の病気から次第に天理教に目覚本年月日発行のめるまでの過程の話しでしたその中ページ委員部長講習会開催の記事中行で自分もやはり自分のことではなく目三宅和子先生は三宅加津子先生の誤り周囲や家族特に妻や子供の身上や事同じくページの各部会連絡事項の中育情に見せられた時に改めて信仰に気成掛は育成部の誤りでした付かせてもらう事が多いですがまだまたページ立教百七十六年五月月次祭まだ高杢先生の様には出来ないと実感祭典役割表に掲載の七月講話は佐藤道孝先している次第ですこれから年祭活動生から田中隆之先生に変更になりましたに向けてもっと自分から神様を求めて読者の皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお神様の声を感じられる様にいろんな掛けしましたことをお詫びするとともにここに事から気付かせてもらっていこうと思訂正させて頂きますいますう修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目
かさおか

『かさおか』第52巻 第6号

立年平成年年月日みんな集合大教会長杯スポーツ大会茂平グランドにて教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ一人でも多くよふぼくに育てよう縦の伝道講習会開催月日少年会笠岡団武内正美団長は月日加藤元一郎先生少年会本部委員仙臺大教会長少年会縦の伝道の大切さを話される加藤先生を講師に迎え大教会月月次祭後に縦の伝道講習会を開催役員部内教会長よふぼく信者ら多数が受講した講習会を通し縦の伝道が教会活動の源となるよう開かれたもの同団として年祭活動年目の本年こどもおぢばがえり千人の帰参と全隊からの参加を目標にそして初参加者募集に力を入れている加藤先生は少年会本部の活動方針を基に自身の体験を通しまず私達育成者がこどもおぢばがえり教会おとまり会などを通して日の通り方またひのきしんを心がけその態度を子供達に映す努力をし関わっている子供達を一人でも多く育て信仰の喜びを伝えていこうと話された講話要旨は次の通り信仰の喜び信仰の喜びを伝えるという事はどういうものなのでしょうか喜びという事に関して信仰をしている私達と信仰をされていない方にはどんな違いがあるのでしょうか例えば子供の成績が上がったまた健康が維持出来たとするとそれは学校塾のお陰医者健康食品のお陰という事にもなりますしかし信仰的に考えると子供が学校に塾に元気で行き帰って来るまた注射を受け入れ薬や健康食品が飲めるという事も最終的には神様のお働きという事になるテレビのニュース新聞記事の中で子供の命に関わる事故事件が後をたちませんある日詰所仙臺の前で遊んでいた子供が車にはねられた幸い大事には至りませんでしたがこの時子供を守るという事はどういう事だろうと思った守っているつもりでも本当に守りきれているだろうか心配だからと毎日後をついて行く事は出来ません当たり前の様に一日を過ごさせて頂いているが矢張り親神様に守られている今なんだと事故を通して思った親神様のお陰という実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚立年平成年年月日事を子供達に伝えていくにはいくつか大事な角目ポイントがある親神様教祖のご存在が分からなければならない信じる心がなければお陰とならない信仰の喜びを伝えるにはまず私達育成者が信じる事をしなければならない信念を持って子供達と向き合うある年の少年会年頭幹部会の席上真柱様は自分たちが関わっている子供達を一人でも多く将来道のために働くよふぼくに育てるんだという気持ちを忘れずに少年会活動をして頂きたいと話された私自身教会子弟をはじめ教会に繋がるよふぼく信者の家庭まで皆この道を継いでくれたらいいと思うしかし何でも自由な時代に本人の意志や親の考えもあるから絶対によふぼくに育って欲しいという気持ちを持っていたかどうか反省するのです何としても信仰を伝えてよふぼくになって欲しいという思いを子供達に伝えるには親自身がその気持ちをしっかりと持つと同時に幸せに繋がる確かな道は教祖がお教え下されたこの道だけだという信念を持って子供達と向き合う事が大事だと思う人間は環境の動物少年会の活動方針はひのきしんの態度を映し教えを実行する子供を育てようです家庭教会支部などいろんな活動を通して子供に大人親のひのきしんの態度信仰の喜びを映して子供達が教えを素直に実践していくための基盤作りをさせてもらおうというものです人間は環境の動物といわれます人格考え方も環境に影響されるというのです具体的には子供を取り巻く環境です私は少年会発行のさんさい誌の編集に携わっている関係で教育専門家にお会いする機会がよくありますある号の特集が勉強が出来る子になるためにはでしたどうしたらいいですかと尋ねると勉強が出来る子は出来る環境があるから出来るんだという答えでした例えばオリンピックに出場する様な選手の親は得てしてスポーツが好きだったり習わす事に熱心です本人の潜在的な能力はいうまでもないが出来る環境が整っています育てるにはその環境が必要ですではどんな環境がいいのか具体的には子供に何を見せ何を聞かせるかだと思う子供達は見る物を録画し聞く事を自然に録音していますそして一度録画録音された物はなかなか消えませんし成長にも影響しますまた体験するという事も影響します実際に行う直接体験と話をしたりテレビを見たりする間接体験があります野球のホームランを打つ理屈を知っていても打つ練習を実際にしなければ打てません知識を得て実際に行うどちらも大事だから両方させなさいと先生は話されたおぢばがえりの大切さこの話を聞いて子供達に信仰を伝える体験の場として絶好の所があると思った教会です信仰を育む上での機会体験ですそして最高に大切な場はおぢばです信仰の喜びを伝える上におぢばがえりは欠かせないものです少年会本部では今年のこどもおぢばがえりに関して二つの事を強調しています一つは全教会全隊からの帰参でもう一つは初参加者の募集です私達と親神様教祖を繋いでいるのが教会です全国の教会で参加の声をかけて頂き親神様と子供達を繋ぐ役割をおぢばがえりで実践して頂きたいのです伝える努力おぢばや教会また少年会活動などで神様の話を伝えても家に帰り神様なんかいる訳がないとなったら大変です家庭での私達親と子供の向き合い方が大事になります信仰をどの様に伝えていったらいいのか具体的に教祖のひながたとして教祖伝の中にお残し下さっていますが親として子供達に神様のありがたさご守護を一生懸命伝える努力をしなければならないと思う喜び探し娘の身上を通してお教え頂いた事があります身体の半分が動かないのです診察の結果重い原因と軽い原因があるという親としてはどうしても重い方を想像しますどうしてうちの子がと喜べない勇めない日が続きましたある時まさ奥様前真柱様夫人に相談しました奥様は数時間私の愚痴を聞いて下さいました最後に今加藤君の心はガラスが曇っている様なものよ一時曇っているだけだからそれを拭いて周りをよく見てごらん親神様があなたの回りに喜べる事を沢山用意して下さっているよそれは小さくて探せないかも知れないでも一生懸命探してごらん必ず見つかるから夫婦で喜び探しをしなさいとお諭し下さいました夫婦で話し合い喜び探しをしました娘の身上は検査の結果軽い方の原因でしたこれは私の宝であり信仰の大事な角目だと思います子供の幸せを願わない親はいませんしかし人生は楽しく嬉しく喜べる事ばかりではありませんどんな中でもありがたいな勿体ないなという心を歯を食いしばってでも握り拳握ってでも味わわせてもらい感じさせて頂くこの努力が子供達に映っていくんだと思うのです信仰をしていても神様の事を不足ばかりしていたら子供はそんなに文句ばかり言うんだったら僕は信仰しないと言ってしまうのは当然だろうと思う家庭教会おとまり会おぢばがえりを通してひのきしんの態度を映し立派なよふぼくを育てる御用に携わらせて頂きたいと思いますソフトボールで親睦深め第回大教会長杯親睦スポーツ大会開催月日第回大教会長杯親睦スポーツ大会が開催され人が参加した年振りの開催となった今回も天候が心配される大会となった雨天でなければソフトボール雨天時はソフトミニバレーという事で準備を進めてきたがこの日は茂平グラウンドでソフトボールを行った試合はまずチームずつ会場に分かれて総当たり戦を行いその後各会場の同一順位同士が対戦し最終順位を決める方法で進んだ雨の中気迫あふれるプレー続出婦人会の方の真心こもったカレーおいしかった試合目の途中より雨が降り始めたがどの試合も会長さん女性少年会員青年会員などが溌剌としたプレーを見せ白熱したものとなったまた昼食には婦人会による美味しいカレーが振る舞われ雨で肌寒い中身体を温める事ができた午後からの試合は雨が激しくなったため中止とし代わりに各チーム人の代表によるジャンケンで最終順位決定戦としたその結果久松チームが初優勝に輝き以下位が福山位高屋大教会長賞に直轄となった途中で中止となったものの子どもから大人まで同じ笠岡につながる教友同士の親睦が深まった和やかな一日となった立年平成年年月日海外部にをいがけ広島平和記念公園海外部風薫る平和公園の一角にて海外部上原志郎部長では月日木広島平和記念公園で日本を訪れている外国人に対してにをいがけを行いましたこれは海外伝道に携わらせていただく理づくりとして始まったもので今回で回目参加した海外部員名は園内でよろづよ八首をつとめその後つに分かれて英文パンフレットを配布しました平和学習で園内を大勢の小中学生が訪れている中パンフレットを受け取ってくれた人は約人笠岡ワールドブラザーズ出身地はアメリカスペインフランスオーストラリアニュージーランドインドケニア等など全員野球で多くの国から来られていました昨日日本にやって来たというスペインのカップルは広島は以前からずっと訪れたかった場所で今後は京都奈予選を突破全教野球大会良箱根東京などを訪問する予定だと話してくれました明治年月日のおさしづに心笠岡ワールドブラザース北川勇治監督はから真実蒔いた種は埋ってあるとありますが月日親里白川球場で行われた全教野球大会この度海外部員が蒔いた種が旬が来ていつか第回記念大会予選本部布教部主催に出場しどこか外国で発芽してくれたらいいなーと思いたます海外部副部長吉岡誠一郎小田原分教会嶽東大との初戦は投打に圧倒しで大勝続く試合目は同大会常連の小南部大教会序盤に両チームとも点を取りで接戦にしかし連投の枝廣大樹東福山分が追加点を許さない好投さらに岡秀明上父分の適時打などで突き放しで勝ち同チーム持ち前の全員野球で予選と突破月日からの本大会への出場権を得た回目を迎えた本大会には全国からチームが参加月から月まで予選の全試合を親里で行っている同チームは本大会月日第試合で年前の優勝チーム本島大教会と対戦する長年同チームの指揮を執ってきた平盛秀年監督が勇退新たに北川勇治氏稲倉分が監督に就任したワルドブラザズ参拝を終えいざ出陣物事の受け取り方について話される増田先生おたすけ心を養おう別席ひのきしん団参実施日日布教部田中隆之部長は月日の両日別席ひのきしん団参を実施土曜日曜ということもあり泊日また日帰り団体個人参加などを含め延べ人布教部調べ別席者含むが参加した布教部大教会の年祭活動実行目標さあおたすけを行ったまたおたすけカードを通しておたすけ心を養先生は自身の青年時代奥様の出直しなどのい一人でも多くの人をお誘いしておぢばに帰ら体験を通し物事の基準によって考え方が変わっせて頂こうと行われたものてくる物の見方が変われば見る事が変わってく日午後時から東礼拝場で各ブロックごとる基準を喜び捜し喜ぶ努力とすればどんなのプラカード前に参加者が集合拍子木を入れて悲しみの中からも多くの喜びを見つける事が出来おつとめをつとめたると人間の幸せは人の姿形にあるのではなくその後西境内地第三御用場西側広場で約それぞれの心のあり方にあると話された時間除草ひのきしんに汗を流したそして教祖のひながたはどんな状況の中で午後時半から詰所北棟階講堂で講師に増も喜びを出せる心でこの心を私達は学ばなけれ田正義先生典日分教会長を迎えおかえり講話ばならないさらにどんな条件の中でも幸せを感じる事が出来人の喜ぶ姿を見て自分も喜べる事これが成人した姿で年祭活動を通して成人した姿を教祖にご覧頂きたいと私達の歩み方を約時間話された日は本部月月次祭参拝別席などが行われた田中同部長は参加目標千人と打ち出してつとめさせて頂いたがその数に及ばなかった年祭活動年目年目となる来年再来年に向け教会長がよふぼくを牽引する先導車となり旗振り役として旬の追い風を頂きたすけ一条に邁進させて頂きたいと反省抱負を話した真夏を思わせる暑さの中ひのきしんに汗を流した別席関係は次の通り初席人中席人授訓人立年平成年年月日親の声を素直に受けよう委員部長講習会開催月日婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月日大教会講堂で委員部長講習会を開催同支部委員委員部長人受付数が参加した教祖年祭に向けての歩み出しの本年本会の活動方針の徹底と委員部長の親睦を深めるため行われた上原きよの同支部長は親という立場からおかけ頂く言葉はたとえ出来ないだろうなと思える事でもまずはいと素直に受ける事が第一だと思いますそして実行出来る様にそれぞれの立場で誠真実込めて苦心する事が大事です結果は神様がつけて下さいます教会につながる皆さんに育って頂く手助けをしていく事が私達の役目ですとあいさつ引き続き三宅和子先生郡山大部属鴨分教会委員部長の講話が約時間あった先生は自身の教会での体験を基に心遣い声のかけ方は物事の種として喜びの感じられない言葉切れてしまう言葉は遣わない婦人会人に気を遣わせない怒らないいつも笑顔東ブロック寸劇西ブロックフラダンで不機嫌な表情を顔に出さないス福山ブロック盆踊り髙屋ブロック縁あってつながった方には家族のつもりで寸劇歌島根ブロックコーラス上下付き合う府中市ブロック歌踊り支部委員十全の陽気ぐらしに必要なためのユーモアのセンスご守護を磨く信者さんが気を遣う様な教会であってはならない次と繰り出される出し物西ブロックフラダンスなど教会の夫人としてまた女性として日目標としている通り方を話されたそして教祖年祭に向かうこの旬に赤や黄色の花と共になる程の人という花を咲き誇らせて私達婦人会員は夢を持つ集まり目指して明るく笑顔でこの道を求めたい過去を振り返るのではなく今生かされている事今のご守護に感動し喜びそれを生活の中に取り入れていけるお互いにならせて頂ける様頑張りましょうと結ばれた昼食後講堂でアトラクションが行われ各ブロックごとの趣向を凝らした出し物が次にステージに登場会場は終始笑い声に包まれていた活動方針の徹底委員部長の役目の再確認をすると共に親睦を深め閉会したアトラクションでの各ブロックの出し物は次の通り温故知新いきいきエピソード思えば数の御守護昭和年の暮れには日米開戦となりしだいに戦争が熾烈になってきて米国の潜水艦が東シナ海で日本の商船を手当たりしだい撃沈するようになって船がなくなってしまったその頃日本では砂糖がなくなった台湾から船に積んで送るが途中で沈められて皆海の中へ溶けてしまってるあまり砂糖船が沈められるものやから東シナ海の水も大分甘くなってるんやないかとちょっと嘗めてみたがやっぱり塩辛かったそういう事で一月四月十月とおぢばへ帰らせて貰うときには電報も打てない台湾キールンの基隆の港で乗船したらいつ門司へ着くかわからんはじめは四十八時間で一万トン級の船が通っておりました昭和十七年からはそんな大きな船は行かなくなったしかも三日が一週間や十日とかかるそれは一隻でなく五隻十隻と船団を組んで前後を駆逐艦が護衛してい艦に遭った事はありませんこれも親神様のおく船団の中には一時間に十マイルのと十五陰と常に御礼申して通らせて頂きましたマイル行く船とあるから遅い方に足を合わせ十八年には婦人会青年会とよのもと会が発ますしかも真っ直ぐには進まないでジグザ展的解消して一宇会になりました台湾にもグに航行する港を出入りする時汽笛が鳴ら一宇会台湾委員会ができまして海を隔てた福ず途中で鳴る一度鳴ったら警戒警報潜水建省アモイの教会ではその支部の初会式する艦が近くにおるのでいつ撃沈されるか分からから庁長においで頂きたいと領事の証明書をん荷物はほっておいて船室の外に並んでじっ同封して頼んできました早速渡航手続きをとと待っておる解除になるか襲撃の汽笛が鳴りましたが一週間くらいで許可が出るはずなるかその時間の長い事攻撃を受けたら甲のに十日経っても二十日経っても許可がおり板へ出ていよいよとなったらボートを降ろない尋ねてもしばらく待って下さいというす乗り切れない者は海に飛び込むだから船だけで許可がないに乗るには七ツ道具がいりますその中四ツそのうちに日が迫ってアモイから迎えの人がはぜひ持たねばなりません笛綱ナイフと来てくれたそれでその船は明後日にアモイ名札沈められてもボートに乗れればいいがに行くと言いますしかし許可が出なくて渡航乗れなかったら板きれかブイにつかまってできないからとその人に先に帰ってもらいま自分の体をそれに結びつけて浮いていなけれしたばならないそれで救助の船がきたら自分のところがその船がアモイの港外で潜水艦に居所を知らせるために笛を吹く助けて貰えやられて迎えの人は行方不明となったアモたら体を結んでいた綱が水ぼてになっているイの教会では私も一所に乗っていたのではないからナイフで切る不幸にして助けて貰えずかと心配して伝道庁へ電報をよこしてきまし力尽きて死んだら波に漂う死体を誰かが拾ったてくれた時に名札が役に立つ昭和十八年一月大祭におぢばに帰るために昭和十七年以来私は本部から帰参するよう伝道庁の一月大祭を勤めてから帰ったのでは間に言われて十一度航海しましたが一度も潜水に合わないので郵船の支店に十二月の暮れに出る船はないかと尋ねたところあるけれどきましたなら御免こうむります神様の御用だからやも小さくて船足の遅い船です一月になったらところが四月二十六日の事です常夏ですからせてもらったいつもの大きい船が出ますがとの事でしたがら伝道庁にはいつも草が生えて仕方がないお道の中では命がけという事をよく言われどうでも年内にと思ってその小さい船で帰りま一カ月に一度は草取りをする午前中草取りをる命がけみたいなものはほん何でもない事した十日あまりかかって門司に着きおぢばへして午後お話の勉強会でそれを聞いているとです帽子掛に帽子を掛けたようなものです帰り御用を済ませました笠岡への途中神戸ころへ電報がきたはずしたらそれでしまいです当時の台湾航路の郵船へ寄って大祭が済んだらすぐ台湾へ行くそれは本部詰所詰命ず後任庁長三浦政の船は乗ったら着くまでどうなるやら分かりまとの予定で二月はじめの船の予約しておきまし太郞本部から帰って来いとの事ですそこでせん途中寄港する所も避難する場所もなしたところが一月の大祭に郵船から手紙が来て私は一生懸命やらせてもらっているのに何故潜水艦にやられたらそれで終わりですちょは当社の台湾航路の船はなくなりました他社こういう電報が来るのかと考えましたがよううど命を嵌め込んだようなものですへお申し込み願いますとの事ですやむなくやく思案してこれでよかったと思いましたお道も命がけの仕事ではまだいけません命立年平成年年月日商船へ連絡しましたがこちらも返事が芳しく五年おります間には伝道庁の負債をみな返金を嵌め込んだ真剣な仕事をさせて貰わにゃいけない事情を聞きますと郵船の富士丸加茂しその上剰余金まで出来て整理済みその他ません命を嵌め込んでつとめてこそ本当の丸商船会社の船の三隻が一緒に出たが加茂外部のご用もあったが届かんなりに勤めさせ御用ができるんだとしみじみ思って通らせて丸富士丸は沈没商船の船はスクリューの一てもらったこれでよかったもう用事は済ん頂きましたその中に常に先廻りの御守護を頂部に魚雷が当たったものの何とか航行できただから台湾から引き揚げたらよかろうと神いていますという事でした様からのお褒めの電報や有り難うございますいよいよ教祖九十年祭への働きの最後の年をこういう事でその時台湾へ行くのには骨が折との心になりまして早速船の手配をしました迎えます皆さん方は一年目二年目と懸命におれました二月二十六日商船会社のチャーターら内地へ帰り切りの人なら乗せますが旅行働き下さったと思います今度は更に一層のつ便が台湾へ行くというのでやっとそれで行けの人はいけませんという事でどうやら十日程とめに命を嵌め込んだ働きをさせて頂かんなたのですが出掛ける時海外伝道部長さんにかかって無事門司に着いて帰らせてもらう事らん時ではないかと思いますどうぞ宜しくお今から台湾へ参りますが伝道庁の用事ではができましたこれも神様のお陰であります願い致します完もうよう帰りません伝道庁長の更迭というよ十一回往復する中にこれがお道でなかったで昭和五十年十二月の大教会神殿講話と書うな事があるんでしょうか本部の御用なら帰らこんなにまでして渡海しないと何度思ったきましたが昭和四十九年十二月の講話ですりますが御承知下さいとお暇乞いをして行か分かりませんお金を貰ったり商売でするの訂正いたします前史料部長修養科修了生の声二度の修養科で改めて心定めをした事八尋分教会末永裕最初の二度目の修養科をたどって見ますと約年前に四十二齢で突然クモ膜下出血で倒れた事でした倒れた時点で既に意識は全く無く救急車で病院に運ばれましたが家族は医師から呼ばれ命は無いと思って下さいもし救かっても植物人間が精一杯ですと言い渡されたとの事ですしかしここでも大きなご守護を頂き本来であれば約八年以上おぢばでお仕込み頂いたものを思い出すハズのお道を忘れていました身体が自由に動かず又働く事もなかなか出来ず年近くイライラするばかりの人生でしたその間も特に家内には暴力こそありませんでしたがいわゆる言葉の刃物で傷つけていたと思いますただどうしてもフッとおやさま親神様だけは不思議と頭に浮かび拝をさせて頂きおつとめをさせて頂いていましたそんな中約二年半前に社長をやって欲しいとの話しが出て来たので解りましたとすぐ了解をしたのですが一年半程は上手く仕事も進み家内も喜んでいました処が昨年九十月頃から急変し会社の会長に上手くだまされた様な形の事情が起き自分の家内の仲も冷たくなりましたこの時四人の子供達がお父さん二回目だけど修養科に行った方が良いと言ってくれ自分なりに悩みましたが二度目の修養科を決心しました最初に今回の修養科で感じたのは当然知ってはいましたが一度目の修養科は詰所普請の真真中で忙しくしまた自分も年齢が若かったので覚えるのが非常に早かったと思います処がクモ膜下出血の身上を頂き右半身の障害や頭の回転が非常に遅く正直一ヶ月目は悩みましたおてふりでも境内掛に居た頃は目を閉じても出来ていたものがなんとなくしか出来ずおぢばから離れ練習人様の為親神様おやさまに喜んで頂いていなかった結果が出ていると思いました考えてみますと三ヶ月目の渡邉先生の前会長様からも修養科は本当の修養人様を救けさせて頂く方法を教えて頂く場だから修養科を出た後が大切だよと言って頂いた事を覚えています全く同じ内容の事を修養科主任の中山先生も何度も講話でもお話しされていましたまたおさづけも何度も何度も使わせて頂かないと全く意味はない絵に描いた物にしてはならない等大切なお話しも聞かせて頂き改めて自分は修養科が終了した後が親神様おやさまに本当に喜んで頂ける場なので二度目の修養科を大切にして実行実践させて頂きますそして森本先生竹本先生雑賀先生渡邉先生また詰所の各先生や月次祭等忙しい時においで下さいました先生奥様三ヶ月有り難うございました思い出になる三ヶ月三郡分教会谷本裕太私が修養科を志望したのは事情があったので志願しました始めは三ヶ月間やっていけるかが不安でたまりませんでしたなぜかと言うと集団生活に慣れていなかったので夜も中寝れない日がありました少しずつ詰所生活に慣れてきて詰所で自己紹介の時に色な事や身上で悩んでいる方がいるんだなっと思いましたでもひとり一人個性のある方達だと思いました詰所で鳴り物やおてふりの学びで大半の人ができるので凄く焦りました私はおてふりが全くできない状態でしたので一から覚えなければと努力をする事を決意を心定めをし一ヶ月目は教養の先生は海松ヶ岡分教会長森本先生は三ヶ月間教養の先生で凄くやさしく面白い先生だなって思いました助員の先生は福芦分教会会長竹本先生は立年平成年年月日凄くやさしい先生で色なことをしていて感心しましたおてふりも二人の先生丁寧でわかりやすく教えていただいたのがあって六下りまで覚えることができました学校では昼のまなびも積極的に出ることもできました二ヶ月の助員の先生は照雲分教会会長雑賀先生でした面白い先生でバルーンアートがうまく作る先生でおてふりもわかりやすく教えていただきました三ヶ月目私の誕生日がありまして修養科生の皆と森本先生雑賀先生が祝っていただきましたまさか誕生日会をしていただけるとは思わず嬉しかったです二ヶ月目は十二下り目までおてふりを覚えることができ感激でした学校でようやく昼のまなびで月土までのまなびができることができこれも同じ修養科生の皆が練習をつきあってくれたから覚えることができました本当感謝しています三ヶ月目は品治分教会会長渡邉先生に教えていただきました渡邉先生はやさしく面白く修養科生活を盛り上げてくださいました三ヶ月目は私はよふぼくでなかったので三ヶ月目で念願のよふぼくになることができましたよふぼくになった以上色な方におさづけを取り次ぎをしていきたいですおさづけをいただいて大事にとっとく人ではなく使うことが大切と教えていただきました最後になりましたが森本先生には色な悩みにアドバイスをいただいて感謝です少し前に教人検定の講習を受けたいと思い相談すると詰所の主任先生に相談をしていただいて凄く嬉しかったです森本先生が教養主任で本当に良かったです私が色な相談すると自分のことのように思ってくれる先生を尊敬しました森本先生竹本先生雑賀先生渡邉先生修養科生らっさん末永さん丸ちゃん三輪さんまいちゃん本当に修養科を一緒に修了できたことが悔いのない生活ができました今の気持ちを忘れないように今後の生活に活かしていきたいです笠岡期の皆本当にありがとうございました修養科ヶ月間の思い出瑞雲分教会西村靖彦私は過去におぢばで年間お世話になっていたこともあり修養科を端から見ていて楽に通れると思っていましたいざ始まってみると一番組係の御命を頂き詰所でもクラスでも自分が引っ張っていかねばとの思いが強すぎて無理をして周りに迷惑をかけたりしていました教養掛の森本先生より今のままでは三ヶ月持たないもう少し楽にしたらとお言葉を頂き少し力を抜いたら周りも見えてくる様になり落ち着いて行動できる様になったと思いますそうしてくると組係として何ができるのかと色と考えると自分が表に出るのではなく皆が勇んでできる様にムードメーカーをさせて頂くのがベストではないかと思いましたそんなことを考えながらヶ月目を迎えると今度は周りのことが気になり過ぎて我を出してしまい些細なことで喧嘩してしまいましたそんなときに担任の先生からそんな大人げないことをするなんて西村君らしくないと言われ自分がこうまんだったと反省させて頂き何とか仲直りさせて頂くことができましたこのとき修養科に入る前に自教会の会長様より言われた言葉を思い出しました頭を低くして通りなさいこの言葉を忘れずに通らなければと思いましたこうして振り返ってみて思い出すのが暇さえあれば回廊拭きをさせて頂こうと最初から心定めさせて頂きましたずっと続けさせて頂いていると仲間が沢山できたり回廊拭きをさせて頂いている時に色と思案させて頂き心を落ち着けさせることができたり本当に勇んでつとめさせて頂けたので良かったと思いますまた組係同士でも仲良くなりお互いに支え合って悩み事を解決したりできてこれもまたいい勉強になったと思いましたまたクラスでは始めの頃は少し浮いていたのですがそのうち皆から組長と親しく呼ばれるようになり段クラスも一体感がでてきていい感じになってきましたそれじたことです修養科の方も講師の先生方からばと思いますお道をもう一度深く見直させて頂と昼休みのてをどりまなびもずっと参加させて教典や御伝を通して教祖のひながたを学ばせて頂きました頂いていましたある方から朝礼台に昇ってきました特に御伝ではどんなことでも喜び勇ん二つ目に感じたことは詰所の修養科の方の多てをどりをしたらとの声掛けがありつとめさで通られた教祖のことを考えるとすごいなあくの人との出会いですもし修養科へ志願してなせて頂いたところ参加されている皆さんからとただただ思うだけでしたこんな時教祖なかったら今回のように素晴らしい出会いはきっと喜んで頂いてつとめさせて頂いて良かったと思いらと考える中で喜ぶことの大切さを学ばせなかったことでした同じ笠岡の方とも詰所や大ましたこれもいい思い出でしたが一番はやはて頂きましたどんな中でも勇んで通られた姿は教会で会ってもあいさつを交わすぐらいだったでり修了式の答辞をつとめさせて頂けたことです想像するだけで自分が元気になってくるのは教祖しょうただ同じ屋根の下で三ヶ月過ごして本読ませて頂いたときには感極まって言葉に詰まからいただく力なのでしょう教祖が御高齢にも当に家族のような愛が生まれたんじゃないかとることもありましたが何とかつとめさせて頂く拘わらず何度も警察へと連れて行かれた姿を想思っています嬉しい時楽しい時は一緒になっことができました本当にこの三ヶ月は内容が像すると授業の度につい目頭が熱くなりましたて喜んでくれ辛い時苦しい時は真剣に話しを濃く色と学ぶことができました熱い思いを又教祖の周りの人の事も考えさせて頂きました聞いて下さいました時には自分の軽はずみな行持てば周りを動かすことができること低い心特に私は眞之亮様のお立場が強く心に残っていま動や発言で傷付けてしまいました本当に迷惑かで通らせて頂くことの大切さを感じました教祖す天理教稿本教祖伝の最後の章扉ひらいてけてごめんなさい親のように話を聞いて下さっ百三十年祭三年千日のこの時旬に修養科を修了の教祖と人の間に入って苦労された眞之亮様のた教養の先生方一ヶ月ごとに交代された助員のさせて頂けた喜びを胸に今後勇み心を忘れず事を思うと当時の人は本当に真剣に天理教の先生方はその時の自分に合った方を親神様が出会にしっかりつとめさせて頂きたいと思います最将来の事を考えられてたんだと思いましたそうわせて下さったのだと思いました三ヶ月間一緒後に教養掛の先生方詰所の先生方三ヶ月間大いった先人の方の苦労の道があったお陰で今だった森本先生には本当にたくさん大切なことを変お世話になりありがとうございましたこうして安心してお道の御用をつとめさせて頂い学ばせて頂きました苦しい時も優しく接して頂ているんだと改めて感じさせて頂きました大教き親のように厳しくも接して頂きました本当修養科生活三ヶ月通して会初代会長様であります上原さと様お舅であっに良かったですありがとうございました修養た上原佐吉様の事も大教会史で学ばせて頂きまし科生活三ヶ月間無事に通らせて頂いた事を親神木津和分教会丸山優樹た大教会の歴史を学ばせて頂いた事で今後大教様教祖に感謝しますこの感謝の気持ちをいつ修養科生活三ヶ月を通して今改めて感じたこ会また上級教会の御用をしっかりとさせて頂こまでも持ってお道の御用につとめさせて頂きまとは二つありますうと改めて思いましたその為にはまず自教会すありがとうございました最後に今回の修養一つ目は教祖や先人の方の御苦労を改めて感から会長さんや奥さんを少しでも助けていけれ科生活に関わって下さった多くの皆様のお陰で楽立年平成年年月日しくも陽気に三ヶ月を終わらせて頂きました本当にありがとうございました感謝の心芦品分教会中村真妃私が修養科へ志願した理由は会長さんの薦めでした最初はなかなか素直に受けとめる事が出来ず断っていたのですが親から会長さんが言ってる事は神様が口を通して言っている事だから素直に受けとめて行きなさいと言われたのがきっかけで私はしぶしぶ修養科へ行くことを決意し天理へお引き寄せ頂きました最初は不安とホームシックでなかなか詰所の生活に慣れずごはんも喉を通りませんでしたでも時間が経つにつれ徐に詰所生活に慣れていき他の修養科生とも溶け込んで詰所の生活が楽しくなりました学校が始まり私は一番組係と言う大きな役目を頂きました今まで人の上に立つような立場を経験した事がない私にとってクラスをまとめる事が出来るのか不安で仕方ありませんでしたでも担任の増田先生やクラスの人たちに恵まれて支えてもらいながらこの三ヶ月間低い心で通らせて頂きました上の立場に立つ事で色と見えてくる事があって身上や事情で悩んでいる人があればすすんで声をかけおさづけをとりつがせてもらったり人の喜ぶ姿を見たら同じように自分もうれしくなったりひのきしんではよろこびを感じながら進んで出来るようになりました組係をやらせて頂いて沢山の貴重な体験をさせて頂き毎日が奇跡と感動の連続でした担任の先生教養掛の先生笠岡の人達クラスのみんな本当に沢山の出会いがあり周りに恵まれて幸せでした二ヶ月目では自分自身色と見せて頂く事があり沢山の方に迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいでしたでもその事を通して自分自身を見つめる事が出来色んな事に気付く事ができました修養科へ来るきっかけを下さった会長さんには感謝の気持ちでいっぱいですみんなのおかげで無事に笑顔で修了する事が出来ましたこれからは周りの人達に恩返しできるようにここで学んだ事をしっかり心に定めて感謝の気持ちを忘れず日通らせて頂こうと思いますこの三ヶ月間携わって下さった皆さん本当にありがとうございました本当にお世話になりました鶴眞分教会三輪篤子私はこのたび天理に初めてまいりましたなにもわからない私はまどいました私が思って居た事と大きくちがいびっくりしましたそれは広い広い天理教でした詰所での生活学校での生活なにもかもわからない事ばかりでしたいちばんそばに居て下さった仲村さんでした私もちょっと耳が遠くききにくいので仲村さんにはずいぶんとお世話になりました友達の末永さん西村さん谷本さん丸山さん皆さんに大変良くして頂きほんとうにうれしく思いました森本先生を初め一ヶ月目は竹本先生二ヶ月目はさいが先生三ヶ月目は渡邉先生と良い先生で大変よかったです学校でも担任が増田先生教祖伝の梶本先生おてふりの佐津川先生ほんとうにお世話になりましたおぼえる事は出来ませんでしたが学校は休まずがんばるつもりでしたおかげ様で組の友達の人からも毎日こえをかけて下さってありがたく思って居ます先生からおしえてもらった事は少しずつ思い出して仕事にはげみたいと思います育成掛祭典後の神殿でのおさづけ取り次ぎ会議室でのお話しについて信者さん方にお知らせ下さい史料部月日までに婦人おつとめ奉仕人の履歴を提出して下さい直属ひのきしん特別隊期間月日月日土割当上下府中市ブロック月日火日水福山ブロック庶務部名称録の訂正について作成中に出直した場合は空白となる教人よふぼく名簿の出直し処理について所属教会住所氏名年齢出直し日を庶務部まで連絡して下さい専用の届け用紙はありませんこころの詩本部食堂ひのきしん会計部月は本年回目の仕切り月です天理教道友社発行天理時報時報歌壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付海松ヶ岡分教会藤井光子さんはんなりと色染めつけし桜もちおも食する人を想いつつ作り芦品分教会金谷眞佐代さん母の日は花にしようか食べ物かいろいろ悩むこれも楽しみ福満分教会前会長夫人福島悦子さんよい失聴の五十年経し春の宵彼の草笛聴きたくなった養徳社発行陽気誌六月号道柳より転載今回の課題は恩笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん天恩に感謝つきせぬ五体あり表紙写真吉岡輝昭編集部員期間割当布教部立年平成年年月日ようぼく勉強会の日程テーマ担当者司会月おとまり会中島誠治森本忠善月三日講習会吉岡弘子門脇加津月にをいがけ藤井正仁室悦子月十全の守護三代温生門脇元教月お休み海外布教推進講習会のため月徳づみ中村剛田中隆之各月とも会場は会議室にて午後時分時詰所掛食堂北東階のエアコンを新設しました少年会こどもおぢばがえりについて教祖年祭三年千日活動年目の本年全隊の帰参初参加者の募集におつとめ下さい帰参目標人詰所での模擬店開催日月日日月日日学生担当委員会学生生徒修養会高校の部について期間月日金日木受講費円申し込み用紙は大教会神事所にあります登殿参列について日時月日午前時おつとめ衣にて記念撮影午前時分マイクロバスにて出発第三御用場北側乗降場車椅子は別当日はおつとめ衣下駄不都合が生じた場合至急吉岡誠一郎まで連絡内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい五月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますくら親神様の子供かわいい一条の尽きせぬ親心一杯の御守護によりまして日は結構に恙なく生活させて頂いております分けても今は春の暖かさの中に夏の暑さを感じたり山ではウグイスやホトトギスの鳴き声又花はツツジからサツキへと替わり始め若葉青葉が眩しい等五感を通して楽しみを与えて下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はより一層かしものかりものの有難さを味わわせて頂き朝夕に御礼申し上げる事はもちろん旬の御用とも相まって普段にも増してたすけ一条の御用の上に勤め励まさせて頂いておりますその中にも今日の吉日は五月の月次祭を執り行う定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同部内先から集まりました七千六百九十五枚のおたすけお願いカードに込められた思いをしっかり受け止めたすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月二十九日の全教一斉ひのきしんデーには晴天の御守護を賜り誠に有難うございましたお陰により多くの人と共にひのきしんに汗を流させて頂く事が出来ました又今月は直轄巡教をさせて頂きました諭達巡教を受けてからの実動状況を確認させて頂きましたが多くの人が諭達に込められた思いをしっかりと受け止め歩みは遅いながらも確実に成人の歩みを進めていると感じ取ることが出来ると同時に受け止めれない人への丹精の必要性も感じさせて頂きました又本日は祭典に引き続き縦の伝道講習会を開催させて頂きます次代を担う子供達にお道の有難さや大切さを伝えることの重要性をしっかり勉強し子供おぢば帰りや学生生徒修養会への参加呼び掛けに繋げていく所存でございます更には又今月二十五二十六日と別席ひのきしん団参をさせて頂きます笠岡に繋がる皆の年祭活動の一手一つの姿をご覧下さいまして事故怪我等のないようお連れ通りの程をお願い申し上げます何卒親神様には教祖百三十年祭に向け三年千日と仕切って成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に親心一杯の自由の御守護を賜りこの世は親神様の御守護の世界でありたすけたい一条の親心一杯の御守護である事に気付かせて頂いてご恩報じを願いたすけ一条に邁進する人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立年平成年年月日立教百七十六年五月月次祭祭典役割表祭主大教会長様賛者中村道德扈者門杉脇原元博教之佐藤真孝指図方佐藤道孝講話縦の伝道講習会七月講話佐藤道孝区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝吉岡壽中村邦義田中隆之上原志郎門脇元教横山逸郎高木昭祥中村道德大教会長様中村剛岡﨑和夫岡本久善岡﨑真一谷内伸自上原繁道杉原博之三島渉大教会奥様武内正美門脇加津田中ますみ内海安子高木孝子門脇郁子笹尾一美中村初美山野弘実武内清明佐藤真孝笹尾正治赤木素志田林久嗣河原節喜岡﨑輝彦内海史郎中島誠治吉岡誠一郎渡邉隆夫中村義太郎山田敏教虫明立生上原浩淺野明教岡﨑真一虫明好美佐藤香苗谷内美知子上原順子森本冨美子横山小智榮今川佐智子岡﨑豊子三島照美追加の諭達巡教それぞれの教会で開催された諭達巡教を受けることの出来なかった方に対して左記の通り追加の諭達巡教が開催されました会場笠岡詰所日時月日午前時時分講師上原繁道参加者人会場日時講師参加者米府分教会米子市月日午前時時武内正美人お詫びと訂正本年月日発行のページ掲載の大教会だより付登用の辞令の記事において左記の方のお名前が抜けておりました読者の皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともにここに訂正させて頂きます辞令付登用准承事渡邉隆夫佐藤真孝会場日時講師参加者東悠分教会町田市月日午前時時佐藤道孝人会場日時講師参加者月日午前時時分大教会長様人大教会だより第八六三期修養科教養掛三ヶ月間森本忠善大教会准承事海松ヶ岡分教会長一ヶ月目二ヶ月目三ヶ月目修了者八尋三群瑞雲木津和芦品鶴真竹本和道福芦分教会長雜賀元生照雲分教会長渡邉泰造品治分教会長末永裕谷本裕太西村靖彦丸山優樹中村真妃三輪篤子教人資格講習会修了者終講陶山上原宏恵教会長資格検定講習会修了者終講陶山上原繁次第八六三期修養科一期講師金浦今川昌彦直属ひのきしん特別隊三郡谷本裕太訃報重政禎子さん仲條分教会長月日出直されました享年才鳥取砂の美術館過日所用で出掛けて通りすがりに目に入ったので立ち寄ることにしたの最中駐車場も食堂も何処も人だらけその砂の像は雄大で見る人を圧倒しまた微細な彫刻の技法に歓喜の声援を送るのであります荘厳な雰囲気の建物像と植物の表現は砂と云うより木彫刻にさえ見えます人の顔の表情は其処に居ると感じるほどの視線が不思議な世界へ誘えるのでしょう制作の過程も開示してあり型固剤など一切使わず砂丘の砂とそこの海水のみで大きな型枠に砂と海水を入れて上から填圧を掛ける事を繰り返し目的の大きさに固めるのです当分の間乾燥させてから作者が独自に作ったこて鏝やヘラで削り取りながら造形を作り出して行くのです海内外からの老若男女問わず専門家等で東南アジアを模倣して来年の月日まで展示されています砂上の楼閣蟻の一穴からとてもそんな事では崩れないし雨でも風でも年持つ代物実際に外の園亭には小型の作像が並んでいてその表情が心を癒してくれます親神様は人間が陽気暮らしする為に全ての物を創られたそれを使いこなす考え出すのが英知を集める人間であり創意工夫から始まる結果が造形物教祖年祭に向かい創意工夫をこらし盛り上がりを企する時であり造り出す時であるのです小心者の私は今実動が伴わないジレンマに地団太を踏みながら創意工夫からおつとめ奉仕者の結果を出すには一念通天にをいがけおたすけの実動あるのみなのですに
かさおか

『かさおか』第52巻 第5号

立年平成年年月日色とりどりの花を咲かせたヒラドツツジ月日大教会神苑で教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ四月月次祭講話どんな中もをや一条に徹して歩もう世話人島村廣義先生鏡やしきから打ち出す言葉は天の言葉である程に理を恐れずあんな事言うあんな事と思えばあんな事になるめんく身上もあんな事に四月二十一日大教会四月祭典にご参拝くだされた世話人島村廣義先生はそれぞれに諭達巡教を受講した私たちに対して再度教祖年祭の元一日と年祭活動の歩み方について諄とお話しくだされた続いて三年千日活動は短いようで長い惰性や怠慢に流されて心定めの滞らぬように三日ごとに仕切ってひながたの道を心定めて通るよう諭されまた日のよふぼくの心構えとしてをや一条につとめきって通ることが御守護をいただける元になるとおたすけの体験を交えてお話しくだされた講話の要旨は次の通りなる程にく明と諭されます諭達は正しく鏡やしきから打ち出されるお言葉であり私たち道を通る者にとっては今日のよふぼく一人ひとりに頂戴した言わば刻限のおさしづとも申すべき同様の重みをもって受け止めねばならない大切なお言葉だと思いますこの諭達を発布された真柱様のお心は全教よふぼくの仕切っての成人と一手一つの活動に資したいと仰せられる親心からですをやの思召しは一つであっても人それぞれに許された心の自由からまたそれぞれの信仰の諭達は鏡やしきから打ち出す言葉上からその成人に応じた心の治め方悟り方がありますから皆の心がなかなか一つに揃わない教祖年祭に向かっての三年千日活動を進めるということも得てしてありがちですに当たり真柱様は諭達第三号を発布されましかし教祖の年祭活動はどうでもこうでもしたおさしづに全教が一手一つに心を結び合って教祖の親心にお応えもうさねばならないとの強いお心から実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚発布されたものだと拝します真柱様の親心をしっかりと心に納めてをやのお心に添いきって教祖にお喜びいただける成人の姿をご守護いただきたいと思います教祖年祭の元一日教祖の年祭をつとめる根本は子供の成人を急き込み促される上から教祖が定命を年縮めて現身を隠された明治年陰暦正月日の事情に由来します教祖の身上に異状を見せてその切迫する身上を台としてたすけ一条のつとめの急き込みを促されるとともにあらゆる人間思案を断ち切りひたすら立年平成年年月日親神様を信じもたれきって通る神一条の道の通り方を厳しく仕込まれました初代真柱様を芯として当時の先生方は教祖の仰せ通りにおつとめをつとめたのだからきっと教祖はお元気になられたと思われたことでしょう詳細は教祖伝第十章を参照しかしつとめを無事了えてかんろだいの所から意気揚と引き揚げて来た一同はこれ教祖が現身を隠されたということを聞いてたゞ一声ワーッと悲壮な声を上げて泣いただけであとはシーンとなって了ってしわぶき一つする者も無かったと御伝には記されていますじつげつ全く立って居る大地が碎け日月の光が消えてこの世が真っ暗になったように感じたと先生方の驚愕落胆された様子が残され官憲の迫害干渉弾圧の中仰せ通りおつとめをつとめると教祖に直接ご苦労をお掛けするそのご苦労を思うとなかなかおつとめに踏み切れなかっくちゅうた先生方のご苦衷は私たちの想像を絶する想像以上のことだったでしょうその教祖の身上を台にさあ今というたら今すぐ掛かれ悠長なことを言うている場合ではないお前達は法律が怖いのかをやの話が尊いのかどちらに重きをおいて信心をしているのかとつとめの決断を促される厳しいお仕込みに一同心を定め差し迫る教祖の身上から命捨ててもとの覚悟でおつとめをつとめられましたその結果は教祖が現身を隠されるということになりました嘆き悲しみは一通りではなかったでしょう内藏の二階で飯振伊藏を通しておさしづを伺われますと神が扉開いて出たから子供可愛い故をやの命を二十五年先の命を縮めて今からたすけするのやでしっかり見て居よ今までとこれから先としっかり見て居よ扉開いてろっくの地にしようか扉閉めてろっくの地に扉開いてろっくの地にしてくれと言うたやないか思うようにしてやったさあこれまで子供にやりたいものもあったなれどもようやらなんだ又これから先だんくに理が渡そうよう聞いて置け明陰暦正月日というお言葉が下がりますまさか扉を開くと仰せられることが教祖が現身を隠されることを意味しているとは思いもされなかった先生方は扉を開いてろくぢにならしくだされたいとお答えになったわけです親神様はその返事を聞き届けられてまだ年先ある定命を縮めて現身を隠される結果になったと思案しますがそれは子供可愛い親心ならではのお心配りで子供の成人を促されると共に現身を隠されることによっておつとめをつとめることに踏み切れなかった原因を取り除かれたものと思案しますそれは世界一れつをたすけるために一日も早く陽気ぐらしの世の状に立て替えてやろうと思召す親心からたすけ一条の根本の道として教えられたおつとめを誰に気兼ねすることなく十二分につとめられるようにされたことでありまた世界の人に誰はばかることなく親神様の思召しを伝えるにをいがけおたすけのできるように布教ができるようにされた子供可愛い上からの親心であると思案します今からいよいよ世界を駆け巡ってたすけをする今までとこれから先とどう違ってくるかしっかり見ていよさあこれまで思う様に授けることができなかったがこれから先段にその理を渡そうと広くさづけの理を渡されるとともに教会名称の理のお許しも頂戴する積極的な世界だすけの道たすけ一条の道の展開を促されたものと思案します教祖は現身を隠されましたがお魂は元のやしきに留まられご存命のまま世界一れつのたすけに働かれていますこれが教祖の年祭の元一日です年祭活動の歩み方た年です教祖が現身を隠されるということについては親神様はおふでさきの中で予め日限をお示しになりつとめのもよう立てを整えていかれるとともに仕切って神一条のつとめ方を厳しく仕込まれ人の成人を急き込まれました十一に九がなくなりてしんわすれ真柱を早く定めるよう急き込まれまたかねてから教祖の里方の兄前川杏助様に製作を依頼されていた神楽面をお迎えに出向かれまた出来上がった神楽面をつけてかぐらてをどりをつとめられ毎日毎夜おつとめの稽古がなされるなど着とつとめのもよう立てが進められてい正月廿六日をまつ三たときのことですこのあいだしんもつきくるよくハすれにんぢうそろふてつとめこしらゑ三このおふでさきの注釈によりますとそうしたときに教祖は仲田儀三郎松尾市兵衞おやまとの両名の方に大和神社に行きどういう神で御座ると尋ねておいでと使いに出されていまこのお歌は教祖が現身をおかくしになることすを示されたもので教祖御在世中は教祖を目まさにこの時から教祖直積極的な高山布標として社会の迫害がだんだん激しくなるの教が始まりご苦労が始まりますでかくては道が遅れるから教祖は二十五神職に対して教祖は学問に無い古い九億九年の御寿命をお縮めになり姿をおかくし下さ万六千年間のこと世界へ教えたいと仰せられ世間の圧迫を少なくして道を弘めるもよれまた山村御殿の節にあっては親神にとってう立てをするそれまでに真柱も定まりかは世界中は皆我が子一列を一人も余さず救けたんろだいも建設されるから皆の心も澄ましいのやと仰せられて教祖御自ら積極的にて早く人衆そろえてつとめごしらえに取り掛かるようにせよとお諭しになったのである後略高山へ布教に出られるとともにこの年の月日には赤衣を召されて自ら月日のやしろたるせんめいの理を闡明されるとともにその赤衣のお召下ろと説明されています明治年教祖歳の御時ですがこのおふでさきを書かれたときの背景を色と思案しますと明治年は本教にとって重要な事柄があっしを証拠守りとして弘く人に渡されさらにはさづけの理をも渡されました年が明けて明治年かんろだいのぢば定めが行われ一層つとめの完成と成人を促され急き込まれるそうした時に親神様は重大な時旬の迫っていることをおふでさきをもって予めお教えになり人に日限を仕切って厳しくつとめ一条神一条の道の通り方を仕込まれ成人を促されたをやの御心です更には年先の定命を縮めて現身を隠され誰に気兼ねなくおつとめのできるようにまた誰はばかることなく布教ができるにをいがけおたすけができるようにされた子供可愛い一条の親心ですこの親心を思案しますと何としてでも教祖にお喜びいただきご安心いただけるように成人しなければよふぼくとして全く申し訳ないこれが私たちの教祖の年祭をつとめる心でなければならんと思案します教祖の年祭は役向きの上からあるいは立場の上からつとめなければならんつとめなければならんからつとめるというのではなくつとめさせてもらわずにはおれない私たち道の子のをやを慕う報恩の真心をもってつとめるのです三年千日のつとめ方年祭活動が打ち出されてヶ月を過ぎようとしています諭達を発布されてからは三年千日の括りを外すと半年近くになりますがそれぞれが三年千日の出発に当たって定めたその心立年平成年年月日定め通りしっかりつとめたいついつい惰性に流れてしまい心定めとは程遠い結果になってしまうということのないように心定めは誰でもその気になれば定めることができますがその定めた心定めを守り通すということが難しいのです定めた内容の如何を問わず仕切る期間が長ければ長い程その達成を目指して思い念じて通りきるということはなかなか容易なことではありません教祖の年祭を前にした刻限のおさしづに口に言われん筆に書き尽せん道を通りて来たなれど千年も二千年も通りたのやない僅か五十年五十年の間の道をまあ五十年三十年も通れと言えばいこまい二十年も十年も通れと言うのやないまあ十年の中の三つや三日の間の道を通ればよいのや僅か千日の道を通れと言うのや千日の道が難しせのやひながたの道より道が無いで何程急いそいたとて急いだとていかせんでひながたの道より道無いで明と仰せられます陽気ぐらしへ導かれるたすけ一条の道はこの教祖のひながたの道を辿る以外に他には道がないことを教えられるとともにそのひながたの道を年も通れと仰せられるのではなく三年千日通ればよいしかしこの三年千日の道を通るにをいがけもおたすけも助かってもらいたいということが難しい年の中のつ日の間という誠真実が台となるそれは私たちの日頃のの道を通ればよいと仰せられます心遣い通り方によることまたそれゆえ私教祖の通られた年のひながたの道を思えばたちは日教えに基づくそれぞれの生き方三年千日はほん三日ぐらいのものだからしっ心掛けこれが大切です積み重ねて道の信仰かりひながたの道を心定めて通るようにと諭さ者に相応しいものの考え方や態度を身につけるこれているように思案しますとが肝心だとこのようにも諭されます私はこのおさしづを拝読しながら三日の間この諭達の思召を体しての道とのお言葉からこんなことを思ったので三年千日それぞれに心すが私たちが重病人や長患いの方のおたすけを定めて成に掛かるとき一番長い仕切り方が三日です三人の歩みを日と仕切って心を定めおたすけをお願いします進めることが三日三夜でご守護を見せていただけない時にになりますが心定めは更に三日と仕切って心を定め直して三日三夜の具体的な内容はそれの追い願いをするように年祭活動の三年千日もぞれに異なっていて三年といえば大変長い日数ですが三日三も教祖にお喜びいた日と日限を仕切って頑張る三日振り返ってだきたい少しでも成人したまた三日と定めて頑張るこの三日間の道を姿をご覧いただきたいとの心は積み重ね積み重ねして通る三年千日の誠真実を皆同じです親神様は求められているのではと思案します自らの惰性や怠慢で心定めの滞らぬよう旬の理をいただいて勇みに勇んで三年千日の活真柱様は諭達第三号で教祖年祭へ向かうその活動具体的なその行動はにをいがけおたすけだ年祭活動今だからこそ全よふぼくににをいがけおたすけを心掛けてもらい動に取り組みたいと思います教祖の年祭活動の時旬旬というのは一番厳しく仕込まれますがまた一番ご守護を頂戴できる旬でもあると思いますたいと仰せられますをや一条につとめきって通るの一ほど切除するという手術を受けられました今まで年祭活動を進めてきた中で私もいろその手術の内容を聞いてびっくりしましたがんなおたすけの体験をしました自分の太股の内側の皮膚を切り取ってその皮膚これはちょうど年祭活動をしているときのを二つ折りに畳み切り取った舌のその部分の形部内教会の会長さんの身上のおたすけについてに成形しなおしてそれを根元に移植したそう一つのおたすけの例話を申したいと思いますですこの会長は教会がかって神殿普請をされるとそんなことで舌の働きをするのかなと私はきその教会の御用を支えるために働きに出てお本当にびっくりしましたられその時は父親が教会長でした舌で味覚を感じるのは先っぽの方らしくて世間で働いているときに結婚した奥さんで信食べて物の味わいは先っぽの方は切り取ってま仰はされるが教会を後継するということにはせんので味覚は感じるわけですなかなか決心が付かず教会には住んでいませだけど舌は物を食べるときに食べたものぜんどうんでしたを奥へ送り込んでいく蠕動運動をして物を送りそれが会長である父の出直により教会を継込んでいく働きもしていますが移植した皮膚でぐことになり奥さんと子どもさんは信仰はすそんなこと出来るのかなと心配しましたがそのるけど教会へ入り込んで教会の奥さんはで働きをするそうですきないということで夫婦が別居することになりさらにまた声を出す言葉を発するためにました舌の動きは絶妙な動きをして喉の声帯と絡みそうした中で教祖年祭活動が始まりました合って口の開け方舌の動きで発声が出来るのそんな中上級の会長さんの全くの個人的な借だそうですが話をするのも問題はないと本当金事情から上級の教会が非常に窮地に立たされに不思議なご守護をいただきましたるという事情が起こりました脚の太股のところの皮膚が舌のところへ移植その中を本当に不足事を一つ言わずにをやして舌の働きをする一条につとめきって通られたその道中にこの会細胞を発見してノーベル賞を受賞した京長が舌ガンになりました大の山中教授人工多能性幹細胞というそう舌の左の根元に腫瘍ができまして根元を三分ですがいろんな臓器になっていくというそういう細胞を発見されたということですが細胞どころか皮膚がそういう働きをするということを聞いて私もびっくりしました見せられた身上についてはさんげしなければならないことがあったのでしょう心の底から深くお詫び申しあげるとともに真剣命懸けで神一条に通りきる覚悟を定められました常日頃からをや一条につとめきって通ってこられた会長さんでしたからこのたびの大節についても親神様は会長の真実誠をお見定めになり大難を小難にお連れ通りくださったと思いましたおさづけを取り次ぐときに舌のところと喉そして太股の皮切り取ったところヶ所におさづけを取り次ぎましたが本当にこの人がそんな物凄い手術をした人かということが全然分からない鮮やかな御守護をいただきましたところがこの三年千日の活動を終わっていよいよ年明けて教祖の年祭を迎えるその直前に会長さん癌がリンパへ転移したと言ってきました極め付け深い大きなお仕込みだと思いましたみんなが心配して身上の再発をおそれていましたが腹括って心定めてお願いをさせていただきたいので一言お諭しをいただきたいと上級の会長から頼まれました結論は全て納消して一から生まれ更わらせてもらわなけりゃならんということをいろいろと話し合いもしこれ以上手術をせずに御守護をいただきたいという上から手術代全部お供えしようということになりました手術の前日もう明日いよいよ手術何時かける元になっていると思いました何一つ不足事を言わず一生懸命にぢばに心を繋ぎつとめきって黙とまたにをいがけおたすけに歩いておられる真実の姿に見せられた身上は大変厳しい大きなお仕込みでしたが鮮やかな御守護に結び込んでいただきましたどうでも一つ仕切り根性仕切り力仕切り智慧仕切りの道どうでもこうでも踏まさにゃならん明と仰られます改めて私たち全よふぼくがどんなことからでもおたすけに立ち上がることを共にお誓いらというときにその腫瘍を確認しリンパへ移っているやつを何時からと手術の時間まで決まっていましたが上級を通しておたすけの理立てをおぢばへ繋がせてもらい上級の会長からおさづけを取り次いでもらいましたもう年超えていますが今日も元気にこの会長はにをいがけおたすけに頑張ってつとめてくれていますこのことはまた地域の話しの台となってみんなの勇みになりそれぞれがおたすけに頑申しあげましょう周囲に心を配ることから始め形や方法にこだわらずいつもどこでも進んで声を掛け繰り返し繰り返し根気よくにをいがけの習慣を身に付けて諭達に示される具体的な行動の立年平成年年月日すると前日まではっきり癌ということを確認張ってくださっている元となっています角目を実践しましょうしこれを摘出するというところまで決まってたのが消えて無くなっていました教祖年祭に向かう三年千日もたすけの旬心を合わせ頼もしい道を作りてくれあれでこそ真の道であると世界に映さにゃならん本当に不思議なご守護でしたまた成人できる大切なまた大事な時旬だと明年祭の年の正月本当に直前のことですお節会の終わったそのときにこういう事態になったわけです本当に年祭の直前に大節を見せられましたがそれをまた鮮やかに御守護いただかれ日教思案しますひたすらに教祖のひながた一つ一つよふぼくができることから実践し教祖にお受け取りいただくその誠真実をしっかり繋ぎたいまた教祖は大きな親心をもって私たち子と仰られます今こそたすけの旬教祖年祭活動の始まり出しの今これからの三年千日一日一日を全よふぼくが教祖のたすけ一条の道具衆として一手一つに合力し仕切っておたすけに踏み出ましょ祖の年祭をつとめその月の後の月の修養科供の足りないところを補って受けとるとも仰せら生の教養掛をつとめられましたれますからよふぼく一人ひとりが三年千日私は素晴らしい御守護をいただかれるだけの仕切ってひながたの道を通る決意をしたいそう存命の教祖にお喜びいただけるよう共につとめ励むことをお互いにここにお誓い申しやはり常日頃の教会長としてはもちろんですがよふぼくとして神様に受けとってもらえる真実をや一条のつとめ方が御守護をいただの決意に基づく一人ひとりの真実が必ずやまた親神様教祖が受け取られ働かれる元となると信じますあげて私の本日の責めを終えたいと思います以上要約文責編集掛第回婦人会総会グループに分かれ司会者を中心に活発な話し合いが行われた育ち育てる心が年祭活動の芯月日付天理時報で既報の通り月日婦人会第回総会が親里で開催され国の内外から約万千人の会員が参集真柱様のお言葉中山はるえ婦人会長のあいさつを受けた教祖年祭に向けての三年千日活動への踏み出しの総会となった午後からは記念行事として詰所に会場を移して支部の集いが行われた総会における真柱様のお言葉婦人会長のあいさつをもとに話し合い活動方針の徹底と会員の意識成人を高めようというもの笠岡支部上原きよの支部長は午後時分から講堂で人受付数が参加して支部の集いを行った参加者を人の班に分け講堂と階の部屋を使用し各班の司会者を中心に活発様のお言葉婦人会長様のあいさつを聞かせて頂な話し合いがもたれたき皆さんが感じられた事を今各班で話し合っこの後講堂で女子青年と同担当委員人によて頂きましたいろんな感じ方思いがあったとる息の合ったハンドダンスが行われ集いを盛り思いますこれだったら私にも出来るかもしれなあげたいと思われた事を今日からそれを目標に通り引き続き上原きよの同支部長は総会で真柱来年教祖にこれだけ頑張る事が出来ましたとご報告出来るお互いでありたいと思います真柱様のお言葉を通し婦人会が今つとめていかなければまた考えなければいけない角目またこの道を歩もうとする者にとって教祖のひながたを今一度しっかりと考え直さねばならないと感じさせて頂き婦人会長様のお話しからは新たな活動方針を通して婦人会の年祭活動の芯としてまず自分の子どもをそして身近な人達にもしっかりとこの教えが分かる様に育てあげねばならないと思いました年祭活動は親神様教祖にお喜び頂くために人のたすかりを願わせて頂く日が大切でその心を持って教会のご用婦人会活動におつとめ頂きたいと思いますまずここにいる私達から育つ育てる努力をしっかりとさせて頂きましょうとあいさつその後上原明勇青年会笠岡分会委員長が青年会活動に対するお礼とおやさとふしんひのきしん隊への入隊あらきとうりょう塾への参加について婦人会からも呼びかけをして頂きたいと協力を要請した新たな活動方針全婦人会員はご恩報じの道まいしんを邁進しよう一教えを実践して実のよふぼくに育つ一身近な人を実のよふぼくに育てるの実行を誓い合い午後時すぎ閉会した参加者全員に帰路の際食べて頂こうと袋詰にされたお菓子とジュースが配られた手振りをまじえ自らの信仰体験を通し話される山内先生家族揃って月次祭参拝開催祭典後少年会笠岡団武内正美団長は月日大教会月祭典後神殿で家族揃って月次祭参拝少年会を開催育成会員を含む約人が参加した婦人会青年会少年会の三会が合同で提唱している家族揃って教会参拝を呼びかけでなく推進実行していこうと今月から開かれたもの少年会員向きのお話しや催物を通して教会の楽しさまた少しでも教理にふれてもらい将来教会につながってもらいたいと祭典が日曜日の月に計画している今回は少年会委員によるパネルシアター真心の御供稿本天理教教祖伝逸話編が行われ参加者に祭典時教祖にお供えされたお菓子が配られた今後の開催予定は月月月月の各祭典後同会では人でも多くの参加を呼びかけているなかなかの盛況ぶり立年平成年年月日教会長夫妻が率先してよふぼくの丹精を教会長夫妻講習会開催布教部田中隆之部長は月日午前時から大教会で講師に山内宣暁先生名東部属賀永分教会長本部講演部講師を迎え立教年教会長夫妻講習会を開催教会長夫妻など人受布教部付数が参加した神殿での開講式で大教会長様はこの度の講習会は年祭活動を活発化するための大切な旬に一つ一つの教会がよふぼくへの丹精力を養う事が目的です教会長夫妻が力を合わせて通る中にお見せ頂く身上事情は私達の今後の通り方を示す親神様の深い親心と思案して通って頂きたいヶ所で追加諭達巡教を実施するので受講されていないよふぼくの方に参加して頂けるよう会場日時の声かけを徹底して頂きたい講習会で年祭に向かう勇みの種を心のお土産にして帰って下さいとあいさつ引き続き会場を講堂に移し山内先生は第一講として年祭に向かう教会長としてのつとめ方午後からの第二講はよふぼくへの丹精について親の信仰を台にした自らの信仰体験を通して悟り方教会長としての姿を話され年祭活動三年千日は自分の特長を生かしたつとめ方でお通り頂きたいと話された質疑応答も行われた参加者全員に布教の実践例などが紹介された小冊子がテキストとして配布された最後に田中同部長がおたすけの出来るよふぼくに成人して頂くためにおたすけカードを活用し教会長夫妻が率先して声かけにつとめ丹精に励む事が必要不可欠です山内先生のお話しや配布した冊子の中からこんなやり方もあるんだとおたすけに幅をもたせたつとめ方でお通り下さいと閉講のあいさつをし午後時すぎ閉講した有志ひのきしん隊活動報告本年月より活動を展開している青年会有志ひのきしん隊月月は次のような活動を行った月日島中分教会広島県尾道市に出動青年会員少年会員合わせて人がタンスなど家具の解体や教会の倉庫整理を行った大きな物も細かく解体島中青年会一本一本丁寧に打ち込んでいく眞府続いて月日には眞府分教会広島県府中市に出動し人が参加したこの日は教会に隣接する駐車場で陥没している場所への土入れ看板の立て替え区画用ロープの張り替えなどを行ったまた天理青年たすけの渦を巻き起こそうの合言葉の下両日共にひのきしん後拠点教会周辺で神名流しを行った青年会有志ひのきしん隊要項活動日全教行事大教会行事青年会が関係するもの以外の日曜日平日の場合応相談です申込先大教会神事所上原一始毎月日申し込み締め切り内容についてひのきしんですので業者の技術装備が必要な内容はご遠慮下さい原則として日で終わるものおぢばの学生同士親睦深め笠岡学生担当委員会山野弘実委員長は月日親里管内の学校に通う高校生大学生専門学校生を対象に新入生歓迎会を開催し学生名が参加した学担当日は土曜日のため午後からの開催となり参加者はまずバーベキューを囲んで楽しいひと時を過ごした続いてつのチームに分かれて本部神殿や記念建物南右第棟などを巡るウォークラリーを行った地図を見ながら進路を決め何箇所かのポイントでは問題が出される事もありメンバー同士話し合い協力しながら進めていったゴール地点の笠岡詰所に着く頃にはどのチームも和やかな雰囲気でおぢばの学校で学ぶ笠岡につながる学生同士親睦深めた一日となった笑顔いっぱいの仲間達立年平成年年月日談話室景が思い浮ぶ雨あがり陽光をあびに草むらから一斉に這い出た五ミリ位の真珠そっくりのかたつむり道巾三メートル位ぎっしりとよくく見ると微微と動いている踏まないようひかれないようにと朝参りそれも草もお参りない教会玄関目ざし大移動大自然の営みの南無不可思議主人共感動した一瞬でした弥髙山分教会藤本節子弥高山分教会建立以来朝づとめに参拝のた教祖ご誕生祭西回廊から窓越しに見るだ一度だけこの日この時刻の出会い参拝国所からのおぢば目ざしての人の波からの帰りにはかたつむりはパラパラと見受け波ふとかたつむりの大移動思い浮ぶ日記帳られた陽光前のひとヽきの光景操る昨年六月二十二日教祖御誕生祭ご参拝を御縁にすばらしい感動生れ出でし真珠のようなかたつむり教会を呼び戻すことが出来生涯の宝としていつまめざして一斉移動でも心にとヾめておきたい主人と二人で朝づとめに参拝している時の情主人八十五歳私八十歳温故知新と思いましたが行ってみると米は獲れるしのトラックの兵隊さんに南支派遣軍の報道部茶は出来るし果物は豊富だしなかなかいいはどこかと聴いたら一時間ほど余裕の時間がいきいきエピソード処でしたあるからとトラックで送ってくれましたとこ五月に行って六七月と三ヶ月目のある日ろが報道部に行って受付に書類を見せたところ常に先廻りのご守護教祖五十年祭をつとめさせて頂き働きも済まさせて頂いたのですが昭和十四年台湾伝道庁長の御命を戴きましたちょうど教典の講習会で東京地方から四月一日に甲府分教会へ行っておりますところへ電報が参りました東大教会の叔父さんからでした台湾伝道庁長に御任命おめでとう四月一日ですからどうもはっきり分かりませんでしたそれが昼前の事で午後になって今度は本部から電報で三月三十一日付台湾伝道庁長を命ずこれは三月南支派遣軍の騎兵中尉がやってきて天理教は南支派遣軍の方へ慰問にも来ず宣撫工作註の仕事もしていないし一体どうしとるんですか早く来て貰わねばどうもならんと藪から棒の話です考えてみると中支へは慰問に行ったりいろいろしていても南支は戦場が新しいせいもあってしていない早速行かせてもらおうという事で本部へお願いして七月の終わりに南支の慰問と宣撫工作の一環として日本語学校の開設に台湾から私と書記の橋本さん本部から紺谷先生と柴田さんの四人で行きました往くこの書類は偽です大体あの中尉は不届きな奴だあなた方は騙されて来たんやお気の毒やけど明日朝九時憲兵隊本部へ行ってもらいたいと広東に着くなりそういう事で困ってしまったしかし親神様は落ちきったら上がるより他に道はないと言っておられるまあ何とかご守護頂けると腹をくくって翌朝憲兵隊本部へ出掛けて行った暫く待たされていると背広姿の人が入って来てあんた方天理教の人ですか天理教の人は大体来ようが遅いと最初から文句を言われた出された名刺を見ると広三十一日付ですからほんまもんです時は中尉が証明書をくれたものですから荷物州水上分隊長憲兵少尉森田某と書いてあるそところがこれまでは伝道庁長や教務支庁長は無賃船賃も無料で軍用船で広東へ渡りましして言うのに私は群馬県の群高分教会の倅は本部に籍のある者でなければ御命が戴けなた広東は香港の北の方にあって珠江という大です初めてお目にかかりますご苦労さんでかった本部に籍があるとは本部員准員きな河を遡って行くが途中からランチ註にございますと言葉つきが変わって丁寧になっ青年でありまして直属教会長というだけで乗り換えて広東の桟橋に着いたもののどっちたこの人のお陰でどうやら取調べも済みそういう御命を戴いたのは恐らく初めての事を向いても広東人ばかり迎えに来てくれていその後の便宜も何かと図って貰う事ができたでありますそれで台湾へ行かせてもらいましるかと思ったら誰も来ていないどうしようか親神様は三十日といえば五十日先の守護をしたがその時わしも島流しになったんやなというところへ軍用トラックがやって来たそている事を知らんと仰せ下さっているように先先と先廻りをしてご守護下さったてくれましたその日の午後飛行場の管理者尚三代会長は昭和十四年三月三十一日付でそれから日語学校の開設に当たって警務課からがあって天理教の人と聞いたら台湾伝道庁長拝命昭和十五年四月十八日本部長から日本人のいない処でやってもらいたいと親類の人のように思えてなりません明日軍医准員に登用されているこの項続く言われて指定された方面へ行きましたそのが二人乗る事になっていますが替わりにあな前史料部長辺りはまだ道の真ん中にバリケードがあるした方二人に乗ってもらいますという事で台せんぶ日本人は一人もいないけれど土地柄は静かな湾経由でおぢばへ帰って広東日本語学校開設が註宣撫工作軍隊占領地において軍政を施行処です三階建四階建の立派な家も持ち主まことにスムーズに出来たのであります親神する際被占領地住民が軍政に対し敵対行が香港の方へ逃げて空家になっているのでそ様が先廻りのご守護をして下さってあるという動に走らず協力的態度をとるようにするれを借りるのですがそこの憲兵隊の分遣所に事は一つや二つではないお道の御用で通らいる軍曹や伍長に聞くと母親がおさづけを戴せて頂いていると常に親神様が先廻りして下ために住民への援助を行う仕事ランチ帆走軍艦に積んでいたオールと帆立年平成年年月日いているというような事で天理教を知らない訳さっているという事をしみじみと味わわせてを使う大型ボートではないからあちこち連れ歩いてくれて借家頂きました契約を致しました分遣所の許可を貰わねば使用できないので願書を提出しましたらそこの准尉がやはり天理教に関係のある人で許可証を明日出しましょうという事で何やら行くこころの詩先でお道を知った人を神様が配置して下さっているようで驚きました今言った許可証も普通なら二十日はかかるところをすぐ出すというのでこちらが驚いた次第です許可証が出たらすぐおぢばへ帰って段取りにかからねばならないので司令部へ行って船は五日先にしか出ないので飛行機に便乗させて貰いたいと言うとこれもすぐ手配書を作って持って行っ天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付海松ヶ岡分教会池田広子さん寒暖のはげしき朝の庭すみに春蘭の花ひそと咲きおり月日付海松ヶ岡分教会藤井光子さんひらがなはやさしき字なり春うらら四月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますはじめ親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみにこの世と人間世界をお創造下され御守護下されるばかりでなく天保九年教祖を月日のやしろとお定めになり陽気ぐらしへのひながたをお示し下され明治二十年教祖の御身をお隠しなされて後はご存命のままつとめとさづけを通して陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は身上事情を通してたすけ一条の親心に触れ日は朝夕に御礼を申し上げると共にご恩報じの思いから親孝心一筋に御用の上に勤め励ませて頂いておりますその上から先日十八日教祖御誕生祭には多くの人が声掛け誘い合わせておぢばに帰らせて頂き共に二百十五回目の御誕生日をお祝いさせて頂きました又翌十九日には婦人会員が同じく誘い合わせておぢば帰りし親神様教祖に見守られつつ総会に参加させて頂きましたそして本日は理のお許しを戴きました御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて四月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には日頃のたすけ心の真実を五五七四枚のおたすけお願いカードに込め寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は世話人島村廣義先生にお越し頂いておりますお聞かせ頂く御講話を時旬に当たっての親の声と受け止めお喜び頂けるよう素直に実動に現して行く所存でございます又来たる二十九日の全教一斉ひのきしんデーにはより多くの人に参加して貰えるようしっかりと声掛けし共に欲を忘れて勇んでひのきしんに汗を流させて頂きます更には又二十八日の教会長夫妻講習会に続いて来月は直轄教会へ巡教させて頂き諭達巡教を受けた後の夫の教会の動きを確認すると共に諭達の更なる徹底を図るべく五月の二十五二十六日の別席ひのきしん団参に一手一つに心を寄せ取り組む事を誓い合い教祖百三十年祭に向けての年祭活動をより活発化して目標であるおつとめ奉仕人増員に繋げて行く所存でございます何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声を成人の糧としてたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り真実の親を知り一列兄弟の理に目覚めて万互いに助け合って神人和楽の陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立年平成年年月日立教百七十六年四月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者岡﨑真一田中隆之賛者高森木本昭忠祥善指図方岡本久善講話島村廣義先生六月講話谷内伸自区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽上原繁道佐藤道孝岡﨑和夫門脇元教岡﨑真一吉岡誠一郎内海史郎上原浩大教会長様中村邦義中村剛岡本久善谷内伸自中島誠治上原繁道田中隆之上原志郎大教会奥様佐藤香苗武内正美田中ますみ森本冨美子岡﨑豊子門脇郁子谷内美知子横山小智榮杉原博之淺野明教虫明立生赤木素志中村道德岡﨑輝彦森本忠平森本忠善横山逸郎笹尾正治高木昭祥田林久嗣河原節喜三島渉山田敏教岡﨑真一山野弘実武内清明今川佐智子内海安子門脇加津虫明好美高木孝子三島照美上原順子笹尾一美中村初美大教会だより辞令付登用理事吉岡壽佐藤道孝幹部承事河原節喜岡﨑和夫承事青年三島渉今川昌彦杉原善朗上原喜三上原一始三日講習会修了者芦品加納謙本部食堂ひのきしん大江橋三宅友子立教年定期巡教福山大教会奥様髙屋神邉島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部佐藤道孝岡本久善大教会長様大教会奥様大教会長様佐藤道孝上原繁道大教会奥様大教会長様大教会長様大教会奥様河原節喜中村剛吉岡壽中村剛中村邦義大教会長様上原繁道中村邦義大教会奥様岡﨑和夫上原繁道岡本久善吉岡壽大教会長様河原節喜島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴大教会長様上原繁道岡本久善大教会長様岡﨑和夫大教会長様上原繁道佐藤道孝吉岡壽佐藤道孝訃報佐藤理生人氏陽實分教会長月日出直されました享年才先日書店である本に目が止まった漢字検定頻出度順問題集級から級までずらりと並んでいたまあちょっとと思い級の本を開いて見た読み書きこころの詩取り四字熟語送りがな対義語類義語などいろんな分野に分けて載っていたまず読みのページをやってみた何とか読める何だこんなものかと次の書き取りに移ったカ養徳社発行陽気誌五月号道柳より転載今回の課題は天笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます人位東悠分教会前会長夫人田林美智子さんタカナの部分を漢字に直せというも限りなく天空に舞う理のつばさのここで早くも予想外の展開が待っていた次の問題に進めないあれあれの連続だ誤字訂正文中に間違って使われている佳詠芦品分教会教人金谷眞佐代さん天気よし心勇んでにおいがけ表紙写真吉岡輝昭編集部員同じ音訓の漢字が一字ある正しい漢字を記せというものになるとも級級ならともかく級でする書く作業の大半はパソコンか携う最悪分からないのが多くあるよ主なレベルと出題内容という帯のキーを押せば出来ちゃん私もこれまでの経験である程度はページに級は中学年生程度と漢字に変換してくれる辞書を片読み書くことは出来ると思っていと書いてある手に書かなくてもいい時代になったたが現実を目の当たりにして愕情けにゃーのーわしゃーもうのだしかし何か寂しい気もする然としたよしとカバンを下にの編集掛なんかやめちゃよし級だけでも征服だ置き座り込んで本気モードに突入らーと本を元の所に放り投げてと一念発起し本を買ったいかに本気モードにスイッチを入れやったあまりにも大人げないので熱しやすく冷めやすい私のことても忘れてしまったのか初めからもう一度恐る恐る開いて見た読次回このコーナーを書く頃には知らなかったのか出来ないものは出めるが書けないのだ大体の格好は本箱の肥やしか所在不明の物になっ来ない有りもしないプライドが音分かるが正確には書けないてどこかに転がっているだろうを立てて崩れていくそれもその通りだと自分を慰めよ
かさおか

『かさおか』第52巻 第4号

桜トンネルから神殿を望む月日大教会神苑で教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ吉川先生は次代を担う若学生担当委員会学生層育成はおたすけ活動い人達を育てる事はにをいがけおたすけでありおた学生層育成者講習会開催すけ活動の一環として取り組んで頂きたいと話された講話要旨は次の通り大教会学生担当委員会山野弘実委員長は月日吉川吉郎先生本部学生担当委員河原学生層育成の意識町大本街分教会長を講師に迎え大教会月学生層育成という話をする時私の教会には学月次祭後に学生層育成者講習会を開催約生はいないなあ今の学生は何を考えているのか人が参加した学生層をはじめとする道の後分からないという事をよく聞きます継者育成の重要性を理解すると共に活動を広果たしてそうでしょうか意識を変えてみるとめていく事を目的に毎年開催しているもの教会に参拝に来られる方の子どもは高校生かもしれませんし何年か前にこどもおぢばがえりに参加してくれた子は高校生大学生になっているかも知れませんまた学生はどんな事に興味を持っているのかどんな事に悩んでいるのかそういう事に気付くかも知れません今日は学生層育成という意識を持って頂ける機会になればいいなあと思っています学生層への丹精を話される吉川先生信仰は駅伝のように私は毎年正月の箱根駅伝を楽しみにしていますどの大学が強いかという事もありますが一番はタスキが繋がるかどうかです走っている最中に体調を崩して途中で棄権するという選手も実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日平成年累計枚います意識がもうろうとしながらも立ち上がって走ろうとしています選手の頭の中にあるのは次の選手にタスキを繋ぎたい自分がタスキを途切らせてはいけないその思いで一杯だろうと思います教祖年祭の年に後継者講習会がおぢばで開催されました前真柱様当時は真柱はお道を通る私達に駅伝を例に挙げて陽気ぐらし街道を通る私達は代目代目代目代目もつまり私も皆さん方も皆それぞれが親神様から割り当てられてその時代を行く走者なんです親神様から選ばれたそれぞれの時代に生きた私達の先輩方は皆さんの先輩達はその時代でしか受けられたすけなんだとお聞かせ下さいますその如何によって大きく変わるのではないかと思なかった影響の中を教祖を見失わず教祖のひな子ども達が親神様のご守護ご存命の教祖のおいますがたを唯一の頼りとして私達に道を受け渡して働きを感じてよふぼくとしてたすけ一条の道を下さったのであります今度私達が私達の後に歩んでくれるようになれば確かにおたすけに違斜めの関係続いて道を通ってくれる者にタスキを渡さなけれいないと思うのですそして若者の育成はこの学生とどのように接したらいいかおさしづのばならない更に両親が自分を産んでくれ両親道を通る全ての者が心がけなければならないと思中から思案すると神様も若い者は厄介とけれはまたその両親から生まれそれぞれに過ぎ去っうのですどもお道では大切と仰っておられますた時にかえりああ助けて頂いた親神様のご守学生層という時代は自我に目覚めていく時期で私も学生の姿を見るとついつい厄介だなあ出護によってこそ日を通らせてもらうことが出す特徴として周りの目や評価を非常に気にしま来れば関わりたくないと考えてしまう事がありま来るんだと親神様を教祖の教えを堅く信じてす同時に自分というもの自分の意見を強く押すこちらがそう思っていると相手にも伝わっ道を通ってこられたのだという事を私達はよくし出してきます周りの人のちょっとした間違いてしまいますおさしづの中に日という言思案しなければなりませんそうして次と代を矛盾が許せなく親や学校の先生の言う事を素直葉一つというとお諭し下さっています日重ねて道を引き継いできて下さったお陰であなたに聞かなくなりますしかし一方では納得出来声をかけていく何かにつけて関わりを持とうと方という道の後継者が生まれた私はそう思ってた事は素直に受け入れるという柔軟性を持ちあわする姿勢が彼らとの接点を生み出していくと思ういるそこで私は皆さん方にお願いしたい皆させています人格が形成されそれから先の人生のですん方がしっかりこれまで通られた人から道を受を決めていく大事な岐路になる年代です人間の関係には縦と横があります縦は親子け継いで次の人に渡すまで責任を果たしてくれ具体的にはお守りは歳になれば本人がおぢ横は友人もう一つ斜めの関係があると思うのでることを立派に責任を果たしてくれる事をお願ばに帰らなければ頂戴する事は出来ません歳す例えば親戚のおじさん学校の保健の先生いしたいのでありますとお話し下さいましたになれば別席を運ぶ事が出来おさづけの理を拝別のクラスの担任の先生です縦横でだめな場私もその責任を果たしたいと思っているのです戴しよふぼくにならせて頂く事が出来修養科合斜めが大切な存在になる事もあります学生層の将来は丹精次第へも志願出来ます自分の思いで神様や信仰を理諭達第三号に悩める人の胸の内に耳を傾け解出来る年代です寄り添うとともにをやの声を伝え心の向きが学生層育成というと特別なように受けとられ今後彼らが信仰の道を通るか通らないかま変わるようにと導くとお諭し下されています学生担当という立場を与えられた者がする事だとた通ろうとしてもどういう通り方をするか私達教会はそういう場所斜めの存在でありたいと思われがちですしかし真柱様は常次代を担がどれだけ真実込めて丹精させて頂くかどうかに思っているのですう若い人達を育てるという事はにをいがけおかかっているのです年年後の教会の姿が目標となる人との出会いと育てる心私は学生時代教会の後継者でしたが教師になりたくて大学の教育学部に進みました回生の時事情で教師の道を諦めました大教会長様に相談しました大教会長様は例え教師になれなくても今学んでいる事は必ず将来生きてくるからしっかり勉強に励むようにお前がやらなくても教師の替わりはいるが教会の後継者はお前しかいないとお聞かせ下さいました教師になる事は出来ませんでしたが今こうして尊い学生担当という同じ若い人達を育てるご用をお与え頂いています東日本大震災発生より丸年が経ちました被災された方の事を思うと本当に胸が締めつけられる思いがしますそんな中心温まる話を聞きました福島県内の小学生の兄弟が毎日道路脇に立って復旧作業のために通る警察消防自衛隊の車両に向かって手を振っていつもありがとうというメッセージを掲げて見送っているのです当時小学年生の弟の夢は大きくなったら人を助ける仕事がしたいというのです自分自身の危険を顧みず被災地のために連日汗を流し被災された方に寄り添って作業される姿に幼いながらも心は大きく動かされたのではないかと思います人間は周りの人の行動言動を模倣しながら成長していく動物です成長と共にいろんな人との関わりが増えますそうした中で両親を含めどんな人と出会うのかあんな人のようになりたいと目標になる人と出会う事でその子の人生は大きく変わっていくと思うのですノーベル物理学賞を受賞された方が若者が育つ原動力は憧れですこれがあればものすごく努力すると述べられていました真柱様は一昨年月に開催された学生担当者大会で人を育てるには育てる者の強い意志がなければはじまりませんそして何よりも育てる者の心のおきどころが現われるのです道に外れた心で育てようとしても親神様に使って頂きやすい人材に育てる事が出来ないのでありますとお話し下さいました家訓の実行以前子どもとテレビを見ていると現在家族の関係が希薄になっているこういう時こそ家訓を見直そうと運動している町が取り上げられていました例えば毎日挨拶をしよう皆で助け合おうという事を紙に書いて壁に貼ったりするのですこどもが家にも家訓があると言うので何かと聞きますと神殿に飾ってあると言うのですよろづよ八首のうたの事だったのです立教の元一日たすけ一条これが我家の家訓です先ずは自分が物事の思案判断の根拠を教祖の教えにおきつつ通る中結果として信仰が次の世代に誤りなく伝わっていくのではないかと思うのです大きい仲間の力学生はなかなか大人の話に耳を傾けてくれませんが心を許すのは同世代の友人ではないかと思うのですある調査機関が実施した高校生意識に関するアンケート調査の結果悩み事の相談相手として友人と答えたのが位です勉強や恋愛などの悩みは友人で充分と思うのですしかし信仰家庭で育った学生の悩みは自分の将来の生き方にかかってきますから友人には理解されない事が多いのではないでしょうかこのようなお道の同世代の集い人材育成の柱となるのがおぢばで開催されている学生生徒修養会です月には大学の部が行われました講義を聞いたり修練などもしますメイン行事として神名流し路傍講演戸別訪問というにをいがけ活動をします中にはにをいがけが全く初めてという学生また未信者という学生もいますが実に晴れやかな表情ですなぜそんな事が出来るのか仲間の存在が大きいのです自分は一人ではない同じ環境になって同じ思い悩みを持つ仲間がいるというという事はこれから通っていく上に大きな財産になると思うのです月には学生生徒修養会高校の部があります参加者の中には悩み苦しみを持った生徒生活態度に問題のある生徒もいます期間中仲間のいろんな話に耳を傾けていくうちに自分だけが辛い思いをしているんじゃあない事に気付いたり身体の調子の悪い仲間のためにカウンセラーを中心にお願いづとめをするそういう姿を通して最初は反発していた生徒も日を追うごとに表情が変わり仲間の絆を深めていくのですそれは学修というのはおぢばで行われるという事これが大きいのです働き頂かねばなりませんすぐには結果は出ないかもしれませんが熱意を持ってこつこつと根気よく年年先を楽しみに学生層に心をおかけ頂いて将来彼達が道のよふぼくとして私達と共にこの道を歩んでくれるようご丹精をお願いいたします以上要約旬にとにかく動いて一人からでもたすけの渦を巻き起こしましょうと話されたその後行われた質疑応答では笠岡分会委員より普段の活動を通して感じている様な質問があり有意義な時間となった午後からは同分会委員での練りあいが持たれ教祖年祭に向けた同分会の心定めについて活発な意見交換が行われた真剣に聴き入る参加者青年会こつこつと根気を持って現在教祖年祭に向かう三年千日の年祭のスタートを切らせて頂いたお互いです先ずは私達自身が教祖にお喜び頂けるような成人目指して年祭活動に突き進むそうした勇んだ姿が間違いなく学生に移り伝わっていくのではないでしょうか年祭活動ではおたすけという事を強調して下さっていますこのおたすけ活動の中に学生層の育成というものを加えて頂きたいのですまた人を育てるのは自分の力ではなく親神様におたすけの渦を巻き起こそう青年会本部委員巡回青年会笠岡分会上原明勇委員長では月日片山直明青年会本部委員を迎え青年会本部巡回を受けた片山委員は巡回の中であらきとうりょうの意義について触れた上で教祖年祭に向かうこの危険な作業も手際良く雅鶯会雅楽勉強会開催今回の参加者は全員少年会員でした春休み期間中でしたが鼓笛講習会地区行事等と重なり少人大教会数で行いました次回は初級者や大人の方も参加して頂き賑やかな勉強会にしたいと思いますので各教会の協力をお願いします雅鶯会中島誠一楽長では月日恒例の雅管理部おやじ会楽勉強会を開催しました開講式に続いて各部屋での練習唱歌管別練習昼食後は合奏練習雑木伐採ひのきしんにと皆熱心に練習に打ち込み短時間の勉強会でしたが雅楽の楽しさと奥の深さを体験しました大教会雅楽の楽しさと奥の深さを味わいながらの合奏練習管理部武内清明部長では月日日午前時よりおやじ会三島衛代表を中心に管理部員含め名で大教会教職舎北側敷地内斜面の雑木伐採ひのきしんを行った大木となったコナラの木通称槙はメートルを超えるものもあり下に民家がある為災救隊などで経験を持つ横地の下の空地まで運搬した山逸郎東城分教会長の指示に従いロープをかけ慣れない重労働ではあったが危険を伴う作業倒す方向に誤りのない様チェーンソーで切り口をとあって皆緊張感を持ち疲れた姿の中にも光る入れ伐採していくという手順で作業を進めて汗に親神様の御守護を感じ大きな怪我のなかっいったた事に感謝してのひのきしんであった作業は昼足元の悪い斜面での作業とあって以前に伐採食をはさみ切り倒したコナラの枝や竹の片付けしたとげのあるニセアカシアの枯木の片付けやなどを全員で行い午後時過ぎに残り作業の次邪魔になる竹の切り倒しを並行しながら行い伐回行う日程を月日午前時分と決め解散採した木は人が運べる大きさに切り上に持ち運したんではそれを軽トラに積みやすい様枝を整え墓年祭の歌習得目指して練習学生会道の学生としてできる事をて実行してほしいと要望された午後から行われた直属アワーでは笠岡につながる学生が詰所に集合大教会長様のお話しがあ春の学生おぢばがえりりその後交流行事の室内オリンピックを行った交流行事は学生が計画運営を全て進め月日春の学生おぢばがえりが開催され同じ笠岡につながる学生同士の親睦と学生会活動からも各教区などから名が参加しに対する思いを深めたたまた大教会教祖年祭実行委員会よりおた本部中庭で行われた式典で壇上に立たれた真柱すけお願いカードと成人目標が配布説明され様は教祖年祭の意義についてお話された上で年祭活動に対する意識を高めた年祭に向かって学生として自分にできる事を探し夜には後夜祭春まつりが催されステージや模擬店が立ち並ぶ会場は若い熱気に包まれた我ら笠岡学生会少年会年祭の歌に親しんだ日間隊合同鼓笛バンド講習会各パートに分かれて連日熱の入った練習が行われたまた夜にはお楽しみ行事としてキャン少年会笠岡団では月日から月日までドルファイヤーが行われ各班によるスタンツ出毎年恒例の隊合同鼓笛バンド講習会を開し物やスタッフによる寸劇ゲームなどで大催し全隊より隊員スタッフ合わせて約名がいに盛り上がった隊員らは隊を越えての交流参加したを深め夏のこどもおぢばがえりでの健闘を誓い今回は月に発表されたばかりの教祖年合った祭の歌の習得を目指してファイフドラムキー尚おつとめまなび総会式典終了後教祖ボード鍵盤ハーモニカグロッケンポンポンの年祭の歌のお供え演奏を行った右立派なよふぼくを目指します祭主田中正之君福山分が少年会員を代表し祭文を奏上左皆と心を合わせて真剣におつとめまなびがつとめられた立派なよふぼくを目指しますおつとめまなび総会開催少年会少年会笠岡団武内正美団長は月日同育成会長様大教会長様を迎え大教会でおつとめまなび総会を開催育成会員を含む人受付数が参加した各ブロックごとに役割を決めておつとめまなびがつとめられ式典後は鼓笛演奏模擬店アトラクション抽選会なども行われ楽しいひと時を過ごした右おつとめをつとめることは親神様が一番お喜びになることです育成会長様はおつとめの大切さをお話し下さいました左武内団長より門出者一人一人に記念品が渡された笠岡むつみ鼓笛隊は月日から月日まで講習会を開催練習の成果をお供え演奏したやったぜをゲットだ大盛況の抽選会ステージ一杯にあふれる若さ講堂ではアトラクションが行われた右うまくできたかな食べてみないと分からないョ左スーパーボール簡単そうですがなかなかうまく取れません右昼食は中庭にブロックごとに出された模擬店で長い行列ができた左やっぱりカレーはウマイおかわりが欲しいわかぎ門出者は次の通り順不同敬称略中村幸恵笠岡田中旬福山武内裕希髙屋倉田龍彦髙屋松浦里奈金浦森岡紗那陶山佐藤孝祐芳井森本忠一海松ヶ岡黒川真歩吸江森山舞華吸江国定直輝新山邑山野奈上下佐木雄史福廣岡崎学敏福勇三阪恵太福岩三阪茂喜福岩原康次郎西村桑山ゆかり福節吉岡拓海芦田川澤田明季沙芦常瀨良優介髙児島本多真悠西伯高橋まこ亀田山村川寛子大江橋三宅あおい作備温故知新は教祖殿の建築と初代会長の部屋とを四十年祭までにやらせて頂くそうした上のおさわいきいきエピソードりであると悟り一度にという訳にはいかないのでまず第一期工事として教祖殿初代会豆腐屋が近い承前倍加運動においてはその実を挙げさせて頂きましたがこの間にも笠岡ではいろいろな事がありました振り返ってみると大正八年の夏の事古い信徒室の二階で簀の子天井でいつもゴミが落ちてくるような所で会議があったその時二代会長から笠岡も教祖殿を建てたい初代会長の居間も造りたいし役員住宅もやらしてもらったらと相談があり結構ですやらせて貰いましょうと役員も賛成しましたがその後そうした動きがないま長の居間第二期として事務所客室の改築そして役員住宅をやらせてもらうという事でかからせて頂きましたどうでも助けて頂こうと思いましたが丁度棟上げの時にこれで結構や教祖殿が建ったら私の病気も治るんやと言って出直してくれましたこうして次男の身上から建てさせて頂いたのでありますこういう事がありましてまず第一期の建築は済んで次は部内の倍加運動に精一杯の力を尽くし四十年祭も結構につとめさせて頂きましたそれからいよいよ第二期の建築に取り掛かまに大正十年六月三日二代会長は出直したり事務所客室の改装役員住宅のふしんもですからそれが懸案となっていたのです時あ終了させてもらってこれで二代会長の残されたかも教祖四十年祭という事で懸案は見送った仕事を済まさせてもらえたと喜ばせて頂いて年祭の働きに懸命にやらせて頂く事になったのでありますたそうしている中に笠岡はいつのまにか百カところが私の次男におさわりを頂き思案も所という事になったもともと笠岡の道の成りしまたその頃の上級芦津大教会からもお仕込立ちは芦津からお話し頂いたのでなく始まっみを頂戴したのでありますが結局その心定めたのでありますが何分初代会長は婦人の身でありますしまた信仰は大阪在住の頃からの事でありますから笠岡へ帰ってからもおぢばへ帰るにつけては何かと大阪へ立ち寄ってはいろいろと相談されたその相談柱となって下さったのが芦津の関係の方でありますそうした事で明治二十四年笠岡支教会は芦津分教会の部内としてお許し戴いたのであります笠岡の道の始まりを思案しますと笠岡の元の祖である上原佐吉に戴いているおさしづの上を考えてみると本部直属という事になるのであるという信仰の上からたまたま教会が百カ所にならして頂いた機会に松村吉太郎先生を仲介としてお願いして分離という事になりましたこうして教祖五十年祭の前年に分かれさせて頂いて中教会にならせて頂いたのであります五十年祭には本部では南礼拝殿教祖殿が建築されたのですが笠岡もそういう経緯を経て五十年祭を迎えさせて頂いたしかし年祭の前年でありますから帰参信徒の上を考えますと詰所を早急に拵えねばならんその事をいろいろと話しておりましたが当時の詰所建築の考え方はぢばから少し遠くても広い所がいいというので高知水口南海などが現在の広い敷地で詰所をなされたのでありますそれで笠岡も少し離れても広い所をという考えとそこへもってきてその頃の丹波市町長から今迄に詰所造ると言ったら西にするか北に持っていくかで南に造る処は一つもない今度笠岡は詰所を拵えるという事やが一つ南へもって来てくれませんか私の畑もいくらかあるし足りなかったら私がご希望通りやらせて貰いますから何とか南へ持ってきて頂きたいという申し入れがありましたそういう事ならその畑がどこにあるか一度見て来たらというので神邊の岸本と福山の宮本の二人に見て来てくれと行ってもらったのが現在の詰所の敷地であります二人が帰って来てどう言うたかというとええ処です豆腐屋が近うてよろしいこの二人は豆腐が好きだったんですしかしまあそういう事で定まったのでありますが今ではやっぱり良かったという事になります建増もしましたがこれはどうも三千坪の詰所敷地というのは数あ狭くて団体が帰って来るといりませんつも本部のご厄介にならんならんさていつまでも芦津のご厄介にという事でやがて母屋建築をしなる訳にもいきませんので敷地て二三千人の方が泊まれるよの真ん中に八畳の掘立小屋を建てうにと考えておる訳ですそうして入り込みましたそれでまず井ますと今の詰所の敷地があるか戸掘りをやった今ではそうしたらそういう事も考えられるので最初の頃の事を知っている人はいこれも親神様がご守護下さったかなくなったまあそうして八畳のらと思わせて貰っております間からボチボチやらせてもらったこの項続くのが現在の詰所ですその後建替前史料部長こころの詩養徳社発行陽気誌四月号道柳より転載今回の課題は伝笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん伝道の真意の奥にドラマあり芦方布教所教人金谷眞佐代さんこの道を子に伝えるが我勤め表紙写真吉岡輝昭編集部員内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散これからの活躍が期待される善修君健多古浦分教会長三阪泰人福岩分教会長田中一矩上小畠分教会長田林久嗣大教会准役員東悠分教会長第期修養科募集要項優秀選手賞を受賞笠岡市体育協会海松ヶ岡分森本善修君笠岡市立笠岡小学校年生の森本善修君歳海松ヶ岡分教会長森本忠善さんの三男は去る月日笠岡総合体育館サブアリーナで行われた平成年笠岡市体育協会表彰式笠岡市体育協会主催に招待され優秀選手賞を受賞したスポーツ分野で活躍した同市内在住者を表彰するもので森本君は第回全日本ドッジボール選手権全国大会に岡山県代表選手として出場したことから受賞となった同表彰式での受賞は体育功労賞人体育奨励賞人優秀選手賞人優秀団体賞団体優秀監督賞人の人団体森本君はこのような賞をもらう事が出来てうれしく思っていますこれからも一生懸命目標に向かって頑張りたいです目標は全国大会での優勝とお礼と抱負を話したまた同小学校年生の森本陽気君歳同四男も兄弟揃って同全国大会に出場し笠岡市文化スポーツ振興財団より文化スポーツ賞揚金の贈呈を受けた余村修養科期間月日教養掛笠岡市の広報誌広報誌平成年月号に掲載された陽気君の記事ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目募集要項第回大教会杯親睦大スポーツ大会開催大教会様から笠岡内でブロックを越えた親睦を深める会を開いて貰いたいという思いで始まったこの大会も今年で第回目を迎えます今年は月日日にないます東本大震災より休していた大会を年振りに開催いたします今年も多くのが参加出来るようチームに会さん歳以上の性の少年会員も必ず入るようになっています尚参加お供えは人円中学生以上当日はおいしいカレーも用意されています体力に自信のある方も無い方も奮ってご参加下さい大会スケジュールまでに茂平グランドに集合ソフトボール大会雨天の場合はまでに井原勤労者体育館に集合ソフトバレーボール開会式遙拝大教会様あいさつ競技説明選手宣誓準備体操プレイボールより昼食まで閉会式成績発表表彰式挨拶遙拝解散片付け各ブロックの担当者東ブロック明さん陽備ブロック浅野明教さんひろさと福山ブロック福島大介さん福満高屋ブロック秀平元一さん高屋島根ブロック三代幸徳さん米府久松ブロック中村剛史さん久松上下ブロック田渕忠明さん上備府中市ブロック豊田宏哉さん府中市までお尋ね下さい大会運営委員会年祭活動推進委員会教祖年祭若人の集いについて日時月日日時分受付時開講時分会場講師大教会たかもくよしひこ高杢禎彦先生平安大教会所属よふぼく元チェッカーズメンバー対象歳位程の男女神事部月次祭霊祭の役割まなびについて月次祭霊祭の役割は前月に発表済霊祭後半の役割に当たっている部内教会長には直轄教会長より連絡役割に不都合の場合祭典の前日までに神事部長に連絡霊祭前日の午後時より霊祭の後半のまなびあり役割に当たっている方必ず参加庶務部名称録の改訂について各教会に名称録訂正のお願い配布内容確認の上直轄教会でまとめて月日までに提出記載内容の不明点は岡﨑真一まで布教部本部食堂ひのきしんについて割当福山ブロック期間月日日直属ひのきしん特別隊について割当髙屋ブロック期間月日日史料部婦人おつとめ奉仕人の履歴提出について提出期限月日少年会縦の伝道講習会について日時月日火大教会月月次祭講話として縦の伝道総合講座についてテーマ未来のよふぼくを育てるために期間月日火日金募集人員人出願資格笠岡団よりの推薦者申込期間月日月日武内正美団長宛申込み受講費円講師宮森与一郎本部員ひながたに学ぶ縦の伝道中田善亮本部員育てよう未来のようぼく永尾教昭本部員お道の家族観高橋道一本部員少年会創設の理念と二代真柱様の思召外名婦人会笠岡支部委員部長講習会日時月日土時時会場大教会参加御供円学生担当委員会新入生歓迎会日時月日土正午より会場笠岡詰所その他全教野球大会日時月日時分第試合会場おぢば各球場ワールドブラザーズは佐野原大教会小田原分教会の連合チームと対戦しますおやさとふしん青年会ひのきしん隊入隊募集青年会笠岡分会日頃は青年会活動にご理解とご協力頂きまして誠にありがとうございますまた昨年月には笠岡分会総会を盛大に開催できました事を重ねてお礼申し上げますさて毎年恒例のおやさとふしん青年会ひのきしん隊本年の入隊月は昨年と同様に月となっています月はこどもおぢばがえりの準備ひのきしんが中心となります期間中はひのきしんの他てをどり雅楽祭儀式などの修練月次祭まなび感話大会にをいがけなどが行われますまた同じ班になった方と信仰を語りあったりお世話をさせてもらう中にひのきしんの態度や思いやりの心が自然と身についていきますわずか日間でありますがおぢばで伏せこむ間に心の向きが神様に近づく事は間違いありません昨年の入隊者も何かしら心にお土産を頂き喜んで国に帰ってくれました大教会では教祖年祭にむけてさあおたすけ祈る動くつなぐを掲げておりますひのきしん隊の活動まさにそのものでありますこの旬におぢばで伏せ込む事はいつもの年以上に芽が伸びるに違いありませんまた青年会の活動に参加する参加を促す事もおつとめ奉仕者の増員に向けた道の一つであると言えますしひのきしん隊はまさに丹精育成の場でもありますどうか身近な方にまたあの人にお道の教えに触れてほしいあの人にたすかってもらいたいという方がおられましたらお声がけいただきたいと思います各ブロック教会名称につき人の入隊をよろしくお願いいたします要項おやさとふしん青年会ひのきしん隊期間月日入隊資格歳以上の男子内容おやさと各所でのひのきしん修練にをいがけ感話大会等携行品着替えなどの日用品保険証カッターシャツネクタイスラックス宿舎第百母屋天理市豊田町立教百七十六年三月月次祭祭典役割表祭主大教会長様扈者谷門内脇伸元自教賛者上原浩虫明立生指図方岡本久善講話学生層育成者講習会五月講話縦の伝道講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半中村邦義岡﨑真一山野弘実大教会長様岡本久善上原繁道大教会奥様田中ますみ門脇郁子上原浩河原節喜笹尾正治杉原博之森本忠平田中隆之上原順子今川佐智子虫明好美吉岡壽谷内伸自横山逸郎中村剛岡﨑和夫上原志郎武内正美内海安子笹尾一美高木昭祥三島渉杉原博之虫明立生中村道德岡﨑真一佐藤香苗森本冨美子岡﨑豊子後半上原繁道中島誠治岡﨑輝彦佐藤道孝門脇元教田中隆之谷内美知子高木孝子中村初美内海史郎山田敏教吉岡誠一郎田林久嗣武内清明淺野明教門脇加津横山小智榮三島照美立教百七十六年春季霊祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者上原志郎賛者指図方山野弘実吉岡誠一郎上原繁道区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半佐藤道孝平盛秀年杉原博之津森朋之山野弘実藤井保人大教会長様北川治史岡本久善三代幸上原繁道香取雅人大教会奥様藤本イツエ田中ますみ小川洋子上原順子室悦子淺野明教枝廣隆文谷内伸自岡﨑真一中島誠治原公彦岡﨑輝彦猪原啓文門脇元教本多一男高木昭祥北川壮一武内正美虫明好美岡﨑豊子佐藤久枝門脇加津内海安子三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護を頂戴する中に厳しかった寒さも日毎にやわらぎ梅の花は咲きほこり鶯も春の到来を告げるとばかりに楽しげに声を張り上げて何かしら人の心まで明るくなるような季節をお与え下さるばかりでなく各の旬に身上事情にしるしを見せて成人を促し陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は成って来る理に親心を思案し心の向きを陽気ぐらしへと変えるべく日は朝夕に御礼申し上げつつたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は三月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます同じく道の子供達が御前に寄り集い相共にお歌を唱和し言改めて御礼申し上げつつおたすけお願いカード三千五百六十九枚を通して一人でも多くの子供のたすけを願う皆の誠真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年頭より三ヶ月に亘って実施させて頂きました諭達巡教も部内教会総てで実施する事が出来ました誠に有難うございました只多くのよふぼく信者がまだ受講出来ておりませんので五月末日までの期間を利用し追加の諭達巡教を実施させて頂く所存でございますので一人でも多くの人に受講して貰えるよう引き続き御守護お導きの程をお願い申し上げます又本日祭典に引き続いて開催の学生層育成者講習会を受けての活動として年度替わりに当たり子供達は春休みに入りますので少年会員には鼓笛合同練習とおつとめ学び総会を開催し学生会員には学生春のおぢばがえりが開催されます実践項目の一つつなぐを実動し一人でも多くの子供達に参加の声掛けをすると共にたすけ一条の親の思いを一言添えて道の後継者育成に繋げて行く所存でございます何卒親神様には旬の理を活かし親心の有難さを伝える皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上にたすけ一条の親心をお現し下さり真実の親を知り一列兄弟の理に目覚めてたすけ合う人が弥増して着実に陽気ぐらしの世の状に立て替わりますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます春季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人の神霊大教会草創の頃より歴代会長と共に道の上に御苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊又昨日新たにお鎮まり下さいました武内清大人田中一之大人藤本キヨミ刀自山田麗子刀自の神霊諸の神霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖に夫のいんねんを見定められ早くからこの道に引き寄せられ思召のまにく陽気ぐらし建設の道具衆として素直にたすけ一条の道をお通りになられましたしかも茨苦労の道ではありましたが御恩報じ一筋に通り切られました今日お道の結構な姿をお見せ頂いておりますのはひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜物に相違ありませんが一つには祖霊様方のそうした真実誠の伏せ込みの賜と日は朝夕にお礼申し上げると共に親に喜んで貰いたい一心でたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いております分けても本日は春の霊祭を執り行う定めの日柄でございますので只今はおつとめ奉仕人並びに部内教会長代表の者一同勇んでてをどりをつとめさせて頂きました御前に海川山野心尽くしの物を供え御遺徳を称え言改たに御礼申し上げる状を御覧頂きまして御心をお安め下さいますようお願い申し上げます今私共は教祖百三十年祭に向けて三年千日と仕切っての成人の歩みを始めたばかりでございます年頭より今日にかけて全部内教会へ諭達巡教をさせて頂き輸達の徹底を計ると共に大教会の動きとしましてさあおたすけとの合言葉のもと祈る動くつなぐを実践項目に揚げて共に成人の歩みを誓い合わせて頂きましたがまだ受けておられない人の為に五月末までに追加巡教をさせて頂いて教祖百三十年祭目指しての目標でありますおつとめ奉仕人の増員に繋げて行きたいと思います何卒祖霊様方にはお目怠い点も多あろうかと思いますが只親に喜んで貰いたい一心で精一杯にたすけ一条に励む皆の真実の状を暖かくお見守り下さいましてたすけ一条の御用の上により一層のお力添えを賜りますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより第八六期修養科一期講師上下山野弘実合祀祭去る月日夕づとめ後大教会祖霊殿において合祀祭が執り行われ左の柱の神霊が合祀されました武内清大人髙屋田中一之大人福山藤本キヨミ刀自西村山田麗子刀自六甲なお大教会役員おつとめ奉仕人部内教会長の出直に際しては今後は直後の春秋霊祭で合祀することになりましたので教会長配偶者よふぼく信者等で合祀を願い出られる場合霊祭当月日までに神事部長へ連絡してくださいお詫びと訂正本年月日発行の表紙右下の号数がになっておりましたが月号の誤りです読者の皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともにここに訂正させて頂きます訃報三宅善久氏稲瀬分教会二代会長四月八日出直されました享年七十八才最近親族の結婚が続いている二月に従弟が三月には甥がそして五月には別の甥の挙式が決まっているその他に入籍だけのものもありめでたい限りであるがアベノミクスも何のその我が家の台所は非常に苦しいのであるそれはさて置き二月三月お道と一般の両方の結婚式に出席させてもらった少なからず適齢期を越えた従弟のは教会の後継者として婿入りすることとなり上級の教会で結婚式を挙げたひと回り以上も若い花嫁さんと固めの盃を交わし教祖に夫婦として共に道を歩むことを誓った達周りの皆がこの不思議な縁に手作りで祝福した片や恋愛で結ばれた甥はテレビも流れる人気の結婚式場で大勢のスッタフと華やかな演出の中夫婦となる幸せを皆に披露し自分達も悦に入っているようであった片言の日本語を使う神父に促されて新郎新婦が互いの愛を誓う熱い抱擁そして讃美歌まさにドラマで見かける結婚式の演出であるちなみにはクリスチャンではない結婚を辞書で見ると夫婦関係を結ぶこととあり夫婦を見ると結婚して合体が公認されている一組の男女とあった失笑すら覚える表現だがの結婚はその意味合いが強いものであろうお道は親神様が天地を象り夫婦こしらえたこれが陽気ぐらしの元であると夫婦の在り様をはっきりとお教え頂いている一組の男女が神様を芯に天地の理に沿って一つとなって歩むことをお教え頂くことは誠に有難い実践はなかなか難しいがいずれの夫婦も末永く幸せにと願うばかりであるは
かさおか

『かさおか』第52巻 第3号

咲きはじめた紅梅月日大教会神苑で教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐよふぼく勉強会開催テーマは教祖二月月次祭後育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催約人が参加した今回のテーマは教祖教祖のひながたについて講演される高木先生講師の高木昭祥先生は教祖のひながたよりおふでさきおさしづみかぐらうたの三原典についてのご講話を懇切に話された引き続き同テーマについての受講者の感想等もあり有意義に終講した勉強会に先立ち月次祭修了後神殿で同部おたすけ掛員より一人におさづけが取り次がれたなお月の勉強会は休講おさづけの取次は行われます次回の勉強会は四月月次祭後三日講習会について行われます旧少年会倉庫屋根修繕大教会管理部おやじ会屋根補修力を合わせて実行目標人のたすかりを願いましょうおたすけお願いカード集計枚平成年月日月日管理部武内清明部長では月日日午前時より旧少年会倉庫屋根修繕をおやじ会三島衛代表が中心となりひのきしんを行った年限と共に鉄骨で組んだプレハブも腐食が進み中に雨水の入るおそれが出てきたため補修を行う事にした数年前に強風に煽られ吹き飛んだ屋根の一部を分解する作業や飛んだ箇所にトタンを張り付けるなど昼食を挿んでの作業となった約メートルにわたってひのきしん細かいところまで丁寧に有志ひのきしん隊初出動福東分教会青年会笠岡分会では一昨年は大教会毎月ひのきしん昨年は大教会へ行こうデーと称して月例活動を展開してきた本年は教祖年祭へ向かう中笠岡部内の各教会へ出向き若さと勢いを届けたいとの事から有志ひのきしん隊を結成し活動を進めていく有志ひのきしん隊は各教会で人手が必要な事普段なかなか取り組めない作業などを要請に応じて青年会が出向しひのきしんをするもの詳しくは要項に記載青年会その有志ひのきしん隊の第回目となる活動が月日福東分教会で行われたこの日の活動は教会の面した歩道脇に堆積した土の除去当該教会長青年会員少年会員合わせて名がひのきしんに当たったスコップで土砂をすくっては一輪車で運ぶという作業を繰り返し冬にも関わらず時折汗ばむほどだった結果ひのきしん前と比べ歩道は大変きれいになった藤井保人福東分教会長は現場が以前から気になっていたのでこの機会にきれいになって良かったと話すまた本年の青年会本部スローガンたすけの渦を巻き起こそうの思いに少しでも沿わせてもらう上からひのきしん後教会周辺で神名流しを行った強風の中神名流し青年会有志ひのきしん隊要項活動日全教行事大教会行事青年会が関係するもの以外の日曜日平日の場合応相談です申込先大教会神事所上原一始毎月日申し込み締め切り内容についてひのきしんですので業者の技術装備が必要な内容はご遠慮下さい原則として日で終わるもの温故知新いきいきエピソード三代会長の講話大教会の現今の教勢を形造って下さったのは初代を始めとする歴代会長更に役員達の努力の賜であるが中でも三代会長は大教会中興の祖と呼ぶに相応しいと思われる従って三代会長の折の大教会での神殿講話その他を収録して教祖四十年祭からの大教会の歩みの輪郭を把握してみたい十月に再度のお仕込みがありましたその時にの問題から出願の準備奉告祭の上の事まで一昭和五十年十二月の神殿講話である当時敷島大教会長でいられた本部員の増野道興切相談さして頂いてまずこの五カ所を私自身本年もいよいよ暮れとなりましてどうも先生のお話にぢばから倍加運動という事をの倍加運動の御用とさせて頂いた大正十一年私が大教会で話をさして頂くという事はまあ数打ち出されてある鏡屋敷より打ち出す言葉から十三年にかけての事でありますついで十ない事で本日は皆様方の前に立たせてもらい天の言葉である程にと言われている倍加運四年二代会長の五年祭の年役員会議の席でました次第であります皆様は教祖九十年祭の動という声がかかっているこの旬に倍加ので本年五月に二代会長の五年祭をつとめさせて上について日は本当にしっかりとおつとめきていない処はしない処なんだ敷島大教会は頂きたいがその前におぢばのお声である倍加下され御礼申します昭和五十年の今年はいよこの一年間にきれいに倍加さして頂いたこ運動を進めたい私は既に直轄名称を五カ所ごいよ三年千日活動最後の年で皆様も十分のお働れからは内容の充実であるという事でありま守護頂いて直轄教会は丁度倍加させて頂いたきを下さるようお願いさせて頂く次第でありしたその時頭をげんのうでがつんとやられた今度は部内が四十年祭までに倍加するのが年ますような気持がした申し訳なかったどうで祭に対する御供えになるのではないかと相談年祭という上についてはいろいろと考えさもその上にやらしてもらわにゃいかんしかしして部内の倍加運動の働きにかかったのであせて頂くのでありますが私が会長の任命を受只申し訳なかったというだけでは本当にやらりますそれで大正十五年教祖四十年祭までけたのは大正十年六月二日二十八歳の時でして頂く事にならん当時大教会の直轄に名称には就任当時三十三カ所であったのが倍のその年の十月に教祖四十年祭に対するお仕込みに仕上げていただけそうな処がその頃滞在所六十六カ所にならして頂きましたがありましたといっていた布教所が五カ所あったそれを名この旬の理に添った働きによりその後あっ本部へ全教会長を集めてのその時のおぢば称に仕上げさせて頂こうとその時おぢばからという間に笠岡は百カ所にならせて頂きましの御意向はまず倍加運動四十年祭までに教の帰りに参りましたのが今の興明分教会であた倍加運動という旬のお声に添ってやらして会を倍加するたとえば五百あるなら千にするりますそこで話をして名称という段取りに頂いたお陰によりその後は教勢の上に今日という事であります続いておぢばの拡張こう仕上げてきたのでありますその時名称にならまでのご守護を頂いたのであります旬に添うした上のお仕込みがありましたして頂いたのは興明と金浦広真ひろさと働きこそ本当に親神様のお喜び下さる事であ何と言っても新任早で年も若いですから陶山芳井の五カ所これが大教会直轄におけりそこに広大なご守護が頂けるのだという事そんな倍加運動言うたかて出来るもんかとる四十年祭教会でありますここまで段取りすを就任早以来今日までも心に銘記し続けて思っていましたそれで一年経って翌十一年るには私がそれぞれの処に出掛けて行き家いるのでありますこの項続く前史料部長布教部教会長夫妻講習会日時月日日時分受付時会場大教会講師布教部講演講師山内宣暁先生名東部属賀永分教会長別席ひのきしん団参日時月日土日日時時半時半おつとめ東礼拝場境内地ひのきしんおかえり講話詰所婦人会婦人会総会日時月日金時分式典時分時支部の集い年目その他大教会長杯親睦スポーツ大会日時月日日時分開始種目晴天の場合ソフトボール茂平グラウンド雨天の場合ソフトバレー井原体育館チーム構成必ず女性名少年会員名を含むことブロック担当者福山福島大介髙屋秀平元一島根三代幸徳久松中村剛史上下田渕忠明府中市豊田宏哉東ブロック虫明立生西ブロック淺野明教こころの詩天理教道友社発行天理時報時報歌壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付海松ヶ岡分教会わが我家での講社祭の最後にはきま八つのほこりを決って唱和す海松ヶ岡分教会瀬戸内は穏やかにして見上げると雲ゆったりと流れてゆきぬ養徳社発行陽気誌三月号道柳より転載今回の課題は会笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん同窓会嬉し懐かし地場の春表紙写真池田広子さん藤井光子さん吉岡輝昭編集部員修養科修了生の声陽気ぐらしの教えを体感できた修養科生活東水島分教会國末陽一修養科に来る前までは自分自身あまり乗り気ではなく勝手なイメージでしんどいだけなんだろうなと思っていましたですがいざ修養科がはじまるとそんな感じではなく慣れない生活なのでとりあえず毎日が必死でした二組の人達とは少しずつ仲良くなりはじめ一日ずつ新しい友達が出来ました期生として入った人達とも自分がこのタイミングで修養科に入っていなかったら出会えない人達だったのでこれも親神様のお手引きなのかなと思っていますこの修養科では身上事情と様な人が居て今までの自分の生活環境には居ないような人が居ていろいろな話が聞けて自分も勉強になりすごく貴重な経験をさせてもらいましたクラス別のひのきしんではお年寄りの方の荷物を若い人が持って運んであげたりとみんながたすけあい楽しくひのきしんに勇むことが出来たと思いますみんなが助け合って過ごしている中で少しですが陽気ぐらしの教えを体感できたように思います自分自身修養科へ来る前までは全然天理教のことを知らずに来て修養科の授業で聞くことすべてが新鮮で天理教のことに興味がわいてきたので今後は自分なりに天理教のことを勉強して真剣に信仰していきたいと思いました三ヶ月生の今では無事に別席を終え用木にならせて頂けたので地元にかえったら病む人が居れば積極的におさづけを取り次がせて頂きたいと思います三ヶ月間の詰所での生活は一ヶ月目二ヶ月目と教養助員の藤井先生山田先生そして三ヶ月目の藤本先生に朝起きられず何度も起こしてもらい迷惑をかけてしまいましたそこが詰所での反省点ですこれから残りの少ない修養科生活は気合いを入れ直してみなさんに迷惑をかけないようにがんばりたいと思います詰所での生活も残り少なくなってきましたが最後までヨロシクお願いします仲間に支えられ学ぶことの多かった三ヶ月上父分教会岡秀明今回の修養科で出会うことができた人たちは何かあってこのおぢばに親神様がお引き寄せ下さったのだと思います正直嫌いになったり苦手だったりする人もいましたがそのような人にもいろいろ勉強させてもらいましたそのような人を見て自分もそのようなことをしていないか人に嫌な思いをさせていないかなどを考えることができたので今では本当に感謝しています修養科で後悔していることは生活態度を真面目にできなかったことと修養科でもっといろんな人の話を聞きたいと思ったことです生活態度では朝起きがなかなかできなかったり体調を崩すことが多くてひのきしんなどにあまり積極的でなかったのが残念でしたいろんな人に話を聞きたいと思ったのは自分が感話大会に出させていただいて他の人にいろいろな話を聞く機会がありましたそこでいろんな人のこれまでの人生を聞いて自分の人生をまた新たに見直すことができましたもっと早くからもっといろんな人の話を聞けていたまた自分の通り方も変えることができていたかと思うと本当に残念です一番印象に残っているのはやはり感話大会で互い言い合ったりできました年配の方はやはり自分で参加させていただいた修養科ですが神様す自分も出させていただきましたが他の四人いろいろな人生経験を積んでいるので今までどにお引き寄せいただきここでしか会えない友達の方の話を聞いてその人の考え方をすごいとんなことがあってその時どんな考え方をしたかにもめぐり会えたような気持ちです思ったり尊敬することができました自分がそなど聞くことができましたまた年が近い子で特にこの期はお正月春季大祭と一生に一の立場にいたとするとそんな考え方もできないも年が離れている人でも相談をすると真剣に度しか味わえないかもしれない特別な時期にこさし不足ばかり言っていると思う様なことばかり話を聞いて下さりこの三ヶ月の中で本当に助けせていただきいろいろな体験もさせていただきだったので余計に感動しましたられることが多かったですましたひのきしんもみんなが心を合わせてこの三ヶ月を通して今までの考え方をガラッ一手一つになるだけで楽しく息があってらと変えることができましたしこれからの人生にくにこなせましたもちろん息を合わす大事さぶつかってしまったときに相談できるような人に気がつき声をかけあったり相手のことを思たちに出会えたので本当に良かったですいあったりする心の大事さも大変勉強になりましこれから自分がどのような道に進むか分かりまた相手のことを考えたり大事に思う心は陽せんがみんなに支えられながらみんなも支え気ぐらしにつながっていくと思いますられるような人になれるよう頑張っていきたいと私の大好きな言葉に修養科にきて知った言葉思います長かったようで短かった三ヶ月思い返せば様なことがありました月月月と楽の中に楽はない苦の中に楽があるなのですが楽の中に楽はない苦の中に楽がある何でもくじけずくじけそうになればこの言葉を思い出しながらこの言葉で修養科寒い時期ではありましたがこの時期ではないと鶴眞分教会前原泰子であったいろいろな思い出を大事にこれから参加できない行事にも参加させていただくことが修養科生活をふり返ってみると一日一日が新の人生生きていけそうな気がしますできました元旦祭おせちひのきしん春季大鮮な日でしたこのおぢばに引きよせて下さいました神様祭いろいろありましたが本当に楽しかったです一ヶ月は慣れるのに大変な毎日でしたが修養そして修養科の先生方教養の先生方そしてこの三ヶ月でたくさんのことを学ぶことがで科では若い方から年配の方までいろいろお話多くの私にかかわって下さいました修養科生の皆きました修養科では若い人から年配の方までをたくさんしてお友達にもなりました昼食で様方本当にお世話になりました私のこの三ヶ様な年齢層の中で生活をさせていただきましはみんなでわけて食べあったりそれぞれの悩月間たいした病気もせずこのお道を通らせてたその中で年の近い子達とは自分の意見をみもいろいろありかえって私の方が勉強にないただけたことただただ神様に感謝するばかり交換したり人から聞いて勉強になったことをおりましたこのおぢばでしか会えない友達ですありがとうございました教祖年祭全教会一斉巡教教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員廣町月日武内正美香地華月日笹尾正治呉中月日田中隆之福廣月日佐藤道孝真金月日中村邦義大江橋月日上原繁道福勇月日中村剛仲條月日奥様品治月日門脇元教福芦月日吉岡壽稲倉月日田中隆之久福月日笹尾正治福満月日上原志郎稲瀬月日中村邦義久津月日門脇元教福岩月日谷内伸自稲富士月日大教会長様呉福月日岡本久善西村月日中村邦義稲讃月日上原志郎鶴南月日岡本久善福年月日武内正美門司港月日上原志郎鶴眞月日岡﨑真一引野月日谷内伸自大惠山月日笹尾正治川島郷月日杉原博之福昭月日中村剛東水島月日吉岡壽作備月日奥様福春月日杉原博之髙児島月日岡﨑和夫輝華月日佐藤道孝福中月日上原繁道高丸月日杉原博之錦ヶ原月日大教会長様福冨士月日上原繁道出雲月日田中隆之行縢月日大教会長様福東月日吉岡壽瑞雲月日中島誠治眞府月日佐藤道孝東福山月日門脇元教海潮川月日中島誠治吉舎月日吉岡壽福南月日岡﨑真一錦洋月日岡本久善清嶽月日奥様福順月日大教会長様米府月日岡本久善上小畠月日岡﨑和夫福節月日上原繁道弓ヶ濱月日吉岡誠一郎木津和月日吉岡壽福備月日笹尾正治西伯月日吉岡誠一郎國須月日上原繁道福輝月日中村剛米美月日岡﨑真一上吉野月日大教会長様坪生月日谷内伸自伯仙月日吉岡誠一郎上備月日中村邦義八尋月日岡﨑和夫照雲月日岡﨑真一河佐月日谷内伸自深安月日杉原博之松都月日中島誠治上川邉月日武内正美笠尋月日上原繁道樺島月日中島誠治甲井月日佐藤道孝芦品月日佐藤道孝新輝豊月日杉原博之上父月日中村剛安那月日岡本久善亀田山月日上原繁道阿木行月日田中隆之芦田川月日吉岡誠一郎出雲川津月日田中隆之宇津戸月日上原志郎三郡月日門脇元教天場山月日奥様河面月日吉岡壽芦常月日門脇元教簸ノ川月日奥様府鮮月日谷内伸自芦加茂月日大教会長様多古浦月日岡本久善府世原月日武内正美惠陽月日岡﨑和夫瑞北月日奥様神驛月日中村剛陽實月日佐藤道孝雲東月日上原繁道神免月日岡﨑真一御野月日岡﨑和夫神村月日大教会長様葦沼月日中村邦義原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には子供可愛い一杯の親心のままに日は結構に恙なくお連れ通り下さるばかりでなく月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりでと身上や事情にしるしを見せて心の立て替えを促し陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながらその理が分からず身上事情に恐れ心を曇らせていくばかりでなく人の心をも傷つけ曇らせている事に気付かずにいます事は誠に残念でなりません私共はかしものかりものの御教えを心に日は朝夕に御礼申し上げつつ世界一列をたすけたいとの親心を一人でも多くの人に伝えるべくつとめとさづけを通してたすけ一条の御用の上につとめ励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて二月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月の直轄教会への諭達巡教に続き今月は部内教会へと諭達巡教をさせて頂きました本日千二百十枚のおたすけお願いカードをお供えさせて頂きましたように僅かずつではありますが諭達に込められた思いが浸透し実践して下さる人が出て来たように思います来月も引き続き部内教会への諭達巡教をさせて頂きます加えて追加の諭達巡教の申込みも次第に出て来ておりますのでそれに応えさせて頂くと共に一人でも多くの人に巡教を受けて頂き人だすけの成人の歩みを進めて貰えるよう諭達の徹底につとめさせて頂く所存でございます更にはよふぼく信者一人ひとりの成人を望まれる年祭活動であると共に土地処のたすけ道場である教会もより一層の成人を求められている旬と悟り教会長を芯に教会に繋がる人皆がおぢばへと心の真実を運ばせて頂き親神様教祖に心よりお喜び頂ける年祭活動とさせて頂く所存でございます何卒親神様には諭達に込められた親の思いを真摯に受け止め素直に実践する皆の誠真実の心をお受け取り下さいましてよろづたすけの上に尚も自由の御守護を賜わり人の心がたすけ一条に目覚めてお望み下さる陽気尽くめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先立教百七十六年二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様賛者横山逸郎扈者岡﨑和夫田林久嗣笹尾正治指図方上原繁道講話上原繁道四月講話島村廣義先生区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半中村剛岡本久善吉岡壽笹尾正治田中隆之門脇元教中村道德吉岡誠一郎森本忠善大教会長様佐藤道孝中村邦義岡本久善岡﨑真一谷内伸自上原繁道門脇元教杉原博之大教会奥様佐藤香苗岡﨑豊子田中ますみ森本冨美子谷内美知子門脇郁子高木孝子横山小智榮今川昌彦武内清明淺野明教岡﨑真一山田敏教横山逸郎河原節喜三島渉虫明立生岡﨑和夫高木昭祥内海史郎上原志郎西江昌直田林久嗣中村義太郎上原浩岡﨑輝彦虫明好美武内正美門脇加津上原順子内海安子笹尾一美今川佐智子三島照美上原順子大教会だより第八六期修養科教養掛三ヶ月間中島誠治大教会役員一ヶ月目鶴山分教会長藤井正仁福冨士分教会長二ヶ月目山田敏教大教会准役員甲井分教会前会長三ヶ月目修了者藤本芳久東水島分教会長東水島國末陽一上父岡秀明鶴眞前原泰子第回教会長資格検定講習会修了者終講西伯本多正悟本部食堂ひのきしん多古浦余村弘今年の月で結婚年になりました子供も歳になりありがたいです何がありがたいかと言うと余り病気もせず毎日毎日元気一杯でありがたいです毎日嫁が愛情の弁当を作ってくれてる事が感謝しています毎日子供が寝てる時に教会を出て仕事に毎日行ってます仕事で毎日夜遅くに疲れて帰っても子供が笑顔でお父ちゃんお帰りと言われると疲れても元気になりますね日に日に子供の成長を見るのが楽しみで言葉も色と喋ったりして賑やかな毎日ですこれからも成長していくのがとても楽しみですう
かさおか

『かさおか』第52巻 第2号

真実のおたすけ箱人のたすかりを願う真実の思いを教祖に届けよう教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ心定めについて話される大教会長様年頭会議におけるお話しどういうつもりで頭会議ということではなくて三年千日歩み出しの年の年頭会議として三年千心定めを出すのか日を通る上で大切な事柄として心定めについてお話し大教会長様くだされたその後講堂で会食がもたれたあいさつの立教年大教会年頭会議は月日午後要旨は次の通り時から大教会参拝場で行われ役員部内教会長布教所長らが参集した先ず月年が改まりいよいよ教祖年祭に向かっての日本部会議所における真柱様の年頭あいさ三年千日と仕切っての全教挙げての成人の歩みがつを拝聴引き続き大教会長様は年頭の始まりましたごあいさつに当たり単なる立教年の年そういうことで今日は年祭のための年頭会議と位置づけ年間通る上で大切な心定めについてお話ししたい心定めといえばさあく月日がありてこの世界あり世界ありてそれくありそれぐありて身の内あり身の内ありて律あり律ありても心定めが第一やで明というお言葉が思い出されますが親神が先ず坐してこの世界が生れたのである世界が生れてからそこに国がありその中に人が居りその人が身体を借りて居るその人間が住み易いように申し合わせて作ったのが法律であるいかに法律が出来てもそれを活用するか否かは人の心にある即ち一番大切なのは心であるこの順序を知ったならば確りと親神の話を聞いて真心即ち親神に通じる真の心を定める事が何よりも大切である教祖伝第十章と心定めの意味が書いてあります毎年出している心定めとは何なのか毎年それぞれの教会ごとに初席者何名おさづけ拝戴者何名という形で心定めを出してもらいそれをまとめ大教会として心を定めて真柱様に提出しております本年の心定めは皆様方から出してもらったまま初席者名おさづけ拝戴者名修養科修了者名教人登録者名の心定めをしました心定めとは別に春季大祭のときに真柱様には前年の成果を報告しております悲しいかな人づくりの方は思うように伸びていないと申しますか心定めよりは大分少ないそうすると心定めということの思いがどこか徹底されていないように思えます出せというから出しているのでできるかできないかは関係ないとかいくら出せと言っても出してくれないので上級の方で書いて出しき込まれた一人でも多くの人をたすけたいた皆が真心の限りを尽して事に当るのが肝腎ているというようなところもあるようですすかってもらいたい人だすけの心を使ってもらであるそういうことを聞くと何のために心定めうための道具立てとしてつとめとさづけを教えらと教えられました教祖伝第十章を出しているのか心定めの意味が全く分かっれたそれにつけても心定めが第一やでていないのかなとも思いますつまり心定めとは人さんにたすかって正しく心定め人づくり御供とはそういう上から今日は心定めというこもらうためにするのであって決して自分のた一人ひとりの真実を出す行ないであってその真とはどういうことなのかを勉強することも必要かめでも数合わせをするためのものでもないとい実を出すことによって親神様が自由に働いてやと思いましてお話ししているところですうことですろうと仰せくださいますたすけたい一心からの心定めつまり心定めができないということは言わたすかってもらいたい御守護いただきたいとば人をたすける心にならないということにもな願うその真実こそが心定めでありその心心定めが第一やでというお言葉をいただいらないかということです定めを実行することが親神様の御守護を頂戴たその元はどこにあるかと申せば教祖の御身が迫ってきたときに教祖にたすかっていただき価を以て実を買うのが心定めできる道筋であるということに他なりません重ねて申しますが心定めは人さんにたすたい上から親神様にお願いをされたそうした心定めが第一やでと仰せられたのでさあかってもらうためのものです自分のためでもところつとめせよと言われこういう理由という差迫った時には我の心通り確りと踏ん自己満足のためでもない言われたから仕方なくでつとめはできませんとお答えするとつとめ張って下さいましようかと念を押されたところするものでもないということですをする上では心定めが第一やでと仰せられたつまり教祖の御身を気遣う上からたすかっていただきたい一心でお願いしたところ心定めさあく実があれば実があるで実と言えば知ろまい真実というは火水風さあく実を買うのやで価を以て実を買心定めはさあく実を買うのやで価を以て実を買うのやで明をせよと仰ったうのやで明これを具体的に現したのが心定めであるといつまり心定めというものはたすけたい人に真実の心があれば親神の真実の守護うことを改めて心においてもらいたいと思い一心の上からするのであってしなければならながあるいよくという時は親神が引き受ますいからするのではありませんそこをしっかり思案しなければなりませんけるこの世界の火水風は皆親神の心のまゝに司る処であるたすかってもらうには心定めが第一やたすけの道具立てとしてつとめとさづけを急真実を以て買うならば真実の守護を見せ人にたすかってもらいたいと思うなら本人のてやろう親神の自由自在の守護を頂くには心定めもさることながら願う者の心定めも重要になってきます定めとしておぢばがえりしてもらい初席を運ただくことは何も問題ありませんそれは心定たすかってもらう人にも心定めをお願いしそんでもらうめをお受け取りいただき名のところ名にしてたすける私たちも自分自身の心定めをしてそれもたすける真実という心定めであり御なったり名になったりとさらに自由のご守護そして願う守護いただく理づくりになってくるということでを頂戴した姿ではないでしょうかそうしたところ真実をお受け取りいただきす自由の御守護を頂戴しておたすけいただくというだからこの人と神様との一対一だけの心定め年祭に向けての笠岡の心定めことになってくるのですではありません教祖年祭には年前と同じように笠岡とたすかってもらう御守護いただくためにはこの人にもあの人にもたすかってもらいたいかして年祭の理立てをしたい心定めが必要だということですら別のもう一人別席おぢばがえりに誘う教祖年祭のときには年ごとの心定めと人さんにたすかってもらうためには心定めがこの人にたすかってもらいたいと思ったらこは別に年祭としての御供を申し合わせ皆様方第一やということを改めてこの旬に考えの人には別席を運んでもらおうおさづけを頂戴の真実でもってそのままの額をつとめさせていたいしてもらおうと思いますが他の人に声掛けするただきました心定めは御守護いただく理づくりたすかってもらう理立て真実と受け取っていただく物種ことも一つには心定めでありたすかってもらうことの理立てであり真実と受け取っていただく物種です心定めがいかに大事かということです今度の教祖年祭に対しては笠岡の年祭御供として年前の半分の額で心定めしましたこれはむしろ人づくりの方にもっと力を入れてほしいからそうしましたので人づくりの方その心定めができないということは人をたすける心がないのか御守護がほしくないのか何のために信仰をしているのかということになにしっかりと力を入れてつとめてもらいたい人にご守護を頂戴してもらうためにおぢばが冒頭で申した心定めの数は年目の心えりしてもらう初席を運んでもらうそれ定めでするでご守護を頂戴してもらいたいその思いからささあこれからの年これを基準としてとおぢばから心定めを出せと言われたから出すのせてもらうのが心定めですにかく名でも名でも毎年心定めではありませんおぢばから出せと言ってくださですから初席者人心定めしたからの数が増えるようにさせてもらいたいるのは一人でも多くの人にたすかってもらいた人の人だけをおたすけすればよいとか初席者そして確実に増やしていくためには単なるいからであって言われたからするとかいう問題名できたから今年は何もしなくてもよいとい数合わせではなくこの心定めを実数にではありませんうことではないということですしたいこの人にたすかってもらいたいという一つの心名でも名でも心定め以上ご守護いつまり本年笠岡として初席者名以上おさづけ拝戴者名以上という数字これを実数にしようそれをもって来年の心定めをこれよりも名でも名でも増やしていこうそしてまた年目も実数にしそして年目は年目としてまた心定めの数を増やして春季大祭講話世界一れつをたすけたいをやの心に近づこう大教会長様春季大祭の元一日つとめせよとの仰せに当時の方はなかなかおつとめをつとめることができなかったそれはおつとめをつとめると教祖が警察に拘また実数にして教祖にああようこの年人だすけの上に頑張ってくれたなあとお褒めいただけるようなお喜びいただけるようなこの三年千日の歩みにしたい年ごとの御供の方も年ごとに増えるような歩み方をしたいそういう上から心を定めていくのだということを改めて皆様方にはしっかりと心においていただいてこの心定めの大事さそしてこ立教年大教会春季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら多数の参拝のもと執り行われた大教会長様は神殿講話で春季大祭の元一日に思いを寄せ教祖が現身をお隠しになられたをやの思いとその親心に報いる歩み方について話された要旨は次の通りさあおたすけ引され何日も拘留されるからで教祖にご苦労をお掛けし教祖に申し訳ないというような思いがあったからでしたところがだんだんと教祖ご自身の御身が迫ってきましたので教祖によくなっていただきたい上からいよいよおつとめをつとめる決心が付き拘引を覚悟の上で重ね着をしておつとめをつとめられました当時かんろだいは屋外にありましたのでおつとめは底冷えのする極寒の中でつとめられまの心定めは飽くまで人さんにたすかってもらこれが教祖年祭に向かって三年千日と仕したいたいという止むに止まれぬ思いの上からさせて切って心の角目として心において御用をつと重ね着をされたのは寒いからではなくて拘留いただくのが心定めである人だすけのためめる上での心遣いですされた場合に備えてではありましたが今日多の心定めであるつまり心を定めた以上は人明治年陰暦正月日教祖が一れつこども少なり暖房の効いた場所でおつとめできる私たちだすけに歩むそのことが大切だということをの成人を促す上から御身をお隠しなされたは本当にありがたいことだと思いますがそれ年頭に当たって今日は申してこの三年千日その成人とは私たちの心の成人であ以上にこの春季大祭は当時の先生方の思いを心を違えることなく心を一つに揃えて共にりその心の成人とは一体どういうことしっかりと思案してつとめなければならないと思手を携えて解らぬところはお互いに補い合いななのか今日は改めて思案したいいますがら勇んでつとめさせていただきたいその上でさあおたすけこのことにつ以上要約いて少しお話ししたいさてそうしておつとめをつとめたところ教祖は午後二時頃つとめの了ると共に眠るが如く現身をおかくしになった時に扉閉めてろっくの地に扉開いてろっくの何処へも行てはせんで今まで同様に世界だ地にしてくれと言うたやないか思うよすけの上に働いていくとお聞かせいただくと同時御年九十歳人は全く立って居る大地が碎け日月の光が消えてこの世が真っ暗になったように感じた真実の親長年の間何ものにうにしてやったさあこれまで子供にやりたいものもあったなれどもようやらなんだ又これから先だんくに理が渡そうよう聞いて置けに今までは限られた人にしか渡すことのできなかったおさづけをこれから先だんくに理が渡そうと仰せられた世界一れつをたすけるために天降ったといも替え難く慕い懐しんで来た教祖に別れて身も心も消え失せんばかりに泣き悲しんだ更に又常百十五歳定命と教えられ余このお諭しを聞いて一同はアッと思ったが昨日答えた言葉を今日言い直す事は出来ぬ昨日お答え申上げた時の一同の心う天保年の本旨をより実現するために御身をお隠しくだされたそのためにつとめを急き込まれさづけを私たちに授けてくださるように人はいざ知らず教祖は必ず百十五歳までおからすれば姿をかくされようとは全く思なったということです居で下さるものと自らも信じ人にも語って来たのみならず今日はこうしておつとめをさして頂いたのであるから必ずや御守護を頂けるに違いないと勇み切って居ただけに全く驚愕し落胆した人は皆うないもかけない事であったしかしながら姿をかくして後までも生きて働かれると聞き成程左様であるか教祖は姿をかくして後までも一列たすけのために存命のまゝお働き下さるのかそれならばと一同のそれまでは教祖御身でもってをびやだすけから始まって不思議なたすけを次と現わされたすけ一条の上に歩んでくださったしかしそれではなかなか世界だすけにはなっていかない教祖御自らおたすけをされることにだれて物を言う気力もなくひたすらに泣き悲しんで居たがこれではならじと気を取り人は漸く安堵の胸を撫で下ろしたも限界もありましょうし親神様から一方的に私教祖伝第十章たちがたすけられたのでは本当の陽気ぐらしに直し内蔵の二階で飯降伊蔵を通してお指図を願うとさあくこれまで住んで居る何処へも行立て替えていく道筋にはならないてはせんで何処へも行てはせんで日の本当の陽気ぐらしに立て替えていくためにはさあくろっくの地にする皆揃うたかくよう聞き分けこれまでに言うた事道を見て思やんしてくれねばならん一れつの人間がお互いにたすけ合い勇まし合っ明ていくところに陽気ぐらしの姿があるのです実の箱へ入れて置いたが神が扉開いて出たというお言葉をくださったわけですむしろ教祖が御身を隠されることによってから子供可愛い故をやの命を二十五年先の命を縮めて今からたすけするのやでしっかり見て居よ今までとこれから先としっか世界一れつをたすけるために現身を隠された一人ひとりのたすけ心の涵養と実践私たち一人ひとりが人をたすける心になりたすけ合いの理をこの世に現わすことによって陽気ぐらしの世界が生まれてくるということを教えり見て居よ扉開いてろっくの地にしようか亡くなったのではなくて姿を隠しただけでるためにも御身を隠されたのではないかと思いますうならよしやってみようと半信半疑のままにたすける人とたすけられる人を作るのではなそれぞれに一生懸命にをいがけおたすけに取く世界中の人間一人ひとりがたすけ心を持っり掛かったところ不思議なたすけが次と現わてたすけ合う姿を作りあげるところに陽気ぐられ存命の理がなるほどと心に収まったのではなしの世界があるということを御身をお隠しくだいかと思いますされることによってお示しいただいた姿でしたそうして教祖が御身をお隠しなされた後燎この明治年の親神様教祖の思いは一人ひ原に火を放つがごとくたすけ一条の道が日本中とりがおたすけ人になってくれよといっても一に広がっていきましたその後世界にも広がっ人ではおたすけするのは難しいかろうさあていって今日の姿がありますたすけの元立てであるつとめを先ずしっかりつまり教祖は亡くなられたのではなく正とつとめるそのことによって親神様が十分にしく姿を隠して私たちよふぼくの心に乗って働いてくださる自由に働いてくださって世界だすけの上に今も人を急き込まれると同時に私たちの人だすけを通して今度は人だすけをできる人に育てていくということが成人の歩みの一つではないかと思います成人とはさて成人とは人に成ると書きますがこれは一般的な意味とは違ってお道の上からすれば正しく親の心に成るということですそして成人の道とは親の心に近づくための歩みであるということです親の心は日にたすけたいその心に近づくそしてそれと同時に一人ひとりのたすけ心に乗って教祖が直にたすけ一条の上に働いてやろうさあその上にもさづけも必要であろうという上からさづけをくだされるようになったそのをやの思いは一人ひとりのたすけ心の涵養と実践であったと思います存命の理を以て今も変わることなく実際今までと変わらず存命でいるといわれても心から信じ切っておられたでしょうか半信半疑というところだったのではないかと思いまなお働いてくださっているということですから道ですからつまり人をたすける心になったかお互いにしっかりとたすけ一条の上に歩ませていどうかただきたいこの三年千日は世界一れつをたすけたい教祖のひながたを通るための三年千日教祖年祭に向かっての三年千日は教祖のひながたを通るための三年千日です教祖のひながたは正しく人だすけの一れつこどもだすけのひながたであったとするなら私たちよふぼく信者はこの三年間を仕切って何でもどうでもにをいがけおたすけの上に歩という心に近づくための歩みですから今たすける心がないからおたすけしない少しでも人をたすける心になったからおたすけするというのではなくてたすける心がないからこそ人をたすける心を人にたすかってもらいたいという心を日の中で少しずつでも使うことによってこの三年間で何でもどうでもたすかってもらいたいという心にまで近づくそういう心の成人をするすしかし教祖がこうしてさづけもくださり一人ひとりが人だすけの道を歩むことが大切だといむことが大切であるそれが年祭に向けての成人の歩みであるということです教祖が御身を隠されて私たち一人ひとりの成ための成人の歩みであるということですですからさあおたすけというのは立派なおたすけをせよということではありません飽くまでこの三年掛けてよふぼくらしいよ知ってもらいたいそうしてお願いしていると自分自身の心の動ふぼくになるためですから今はわずかなこと日の中でおたすけ心を遣うということはこうきがだんだんと分かってきますしかできなくても年目はできることからいうことだということを先ず知ってもらうこれ最初は何とかたすかってもらいたいとお取り年目は少しできるようになったらもう少し年が年目の成人の歩みだろうと思います次ぎしますそうすると当然お話しもしなけ目はもう少しできるようになったらもう少し頑しっかりとその旨を理解してもらってつとればならないし相手の思いも聞かなければなら張ってみようかと三年掛けてだんだんと世界めていただきたいない一れつをたすけたいという心にいかに近づく年目はもう少し成人した姿を年目もさらそうしておたすけに掛かるとだんだん相手かということが大切だということを心においていに成人した姿を項目に掲げて知っていただいての心が見えてくるのでそれについてのお話しもただきたいそしてその一つひとつをチェックしながらそするこうしたらどうかこういう心遣いをした心ができたから歩むのではなくてその心になして自分の心の姿を皆が世界一れつをたすらどうかというような話しをするらせてもらうために歩むのが三年千日の歩みであけたいというをやの心に少しでも近づかせてもそうすると少し良くなったと思ってもなかるということですらえればありがたいと思いますなかご守護いただけないのでこの人は私の言それが教祖年祭を仕切って歩む成人の歩みで改めて人をたすける歩みの大切さしっかりうことが分かっているのかあなたの心さえ変わすさあおたすけ笠岡としてはさあおたすけとスローガ心におかせていただきたいと思いますたすかるのは誰か私は今毎日おさづけをお取り次ぎしていれば身上はよくなるのにというような相手を責めるようなおさづけになってしまうなかなかご守護いただけない何故だろうということになると今度は相手ではなくて自分ンを掲げて歩んでいます実践項目として祈ますと神様との話しになってきまする動くつなぐということを掲げその上に成回のおさづけではなくて最初は日回そういうことに気が付くと申し訳なかった人目標を掲げて皆様方のお手許に届けていますだったものを今は日回朝夕のおつとめこちらの心の成人が足らなかったばかりに自分掲げられた項目を全部しなさいということではの後にお取り次ぎする三日三夜仕切ってお願いの心のこういうところが足らなかったと気付きまありませんその一つひとつを確認しながらこをしなかなか徴を見せていただけない追い願すれもおたすけになるということを先ず知ってほいで三日三夜つとめるああ申し訳なかった相手を責めていたが違うしいこれも人のために心を尽くすおたすけの心に繋がる心遣いだということを先ず皆様方に少し良くなったと思ってもすっきりとはご守それこそ鏡こちらの心通りに相手に映ってき護いただけないので追い願い追い願いで毎日たのだと自分がしっかり心定めして心を改めお取り次ぎしている反省しておさづけを取り次ぐようになりましたそうするとおさづけを取り次ぐ心が変わってきましたそれまでは何とか何とかと神様のご守護を願うばかりでしたが自分の心を反省しておさづけを取り次ごうと思ったときに自分が幼いときに母親に取り次いでもらったおさづけを思いいうものを急かれたんだなと思いましたおたすけは相手に対するおたすけだけではなくそのおたすけの心遣い行為によって正しく自分自身の心がたすかっていく陽気ぐらしの心に近づくものなんだなということを味わった三年千日仕切っていんねんを切らせていただける人だすけの道人だすけの苦労共に味わって三年後三年千日長い間ようつとめてくれたなと教祖にお喜びいただけるまたお褒めいただける歩みにしたいと思うところで出しましたあのときのおさづけは何とも言えない暖かい慈愛の籠もったおさづけだったなあそんなおさづけをお取り次ぎできればありがたいなあと思ってからは母親に取り次いでもらったあの感次第ですいんねんを切る人だすけの道をやの思いは一人ひとりの心のそうじです心のそうじは人をたすけるという心遣い人す共に勇んでつとめましょうどうぞよろしくお願いいたしますさあおたすけ以上要約動の心で正しく親心というのでしょうかそのをたすける行ないによってこそ人をたすける心心を思い起こしてお取り次ぎできるようになりましたまだまだすっきりとはご守護いただけていませんがおたすけをすることによって相手の身が生まれてくるということです私たちはたすけていただいた御恩報じということでおぢばがえりし別席を運びひのきしんをするそして御供をしています温故知新いきいきエピソード上が良くなることもさることながら自分自身の心が澄まされていると感じたときに正しくこれがおたすけの効能なんだなと思いました人をたすけて我が身たすかると仰せいただきますが正しく人をたすける心を遣うことによって最初は教義に照らして相手を責めていた気持ちがだんだんと自分の心が洗われていることに気付いてこれが本当のおたすけの姿だとこれを親神様教祖が求めておられるんだなだからこそ御身をもってたすけをするよりも一人ひとりのたすけ心を使うことの大切さとしかし一番お喜びいただく御恩報じは人だすにんけですそれは人をたすけたらその人の心がたすかるからですそうして人だすけという御恩報じの道を歩むことによって御恩報じの心ももう一つ成人して心からああ本当にありがたいなと喜べるようになってきます改めてこの三年千日本当の心のたすかり本当に陽気ぐらしの道に切り替わるたすかりそしていんねんを切らせてもらうたすかりは人だすけにこそあると思います四代会長様の初代の思い出私が会長になりまして教祖七十年祭の前に全部内の教会長を集めて今は亡き二代真柱様から親しく年祭に対する心構えについてお話し頂いたのでありますがその時私は初めて聴かせて頂いたのでありますが初代真柱様のお手帳の中に教祖一年祭に帰られたその当時の講元の名前が書かれていてそれを二代真柱様が挙げられましたその中に初代様の名前が入っておったのであります順次講元の名を読み挙げられて上げるねんこうして引っ張ると口が閉まるになってまあ後には初代さんの相手もさせてましてその中に備中真明組講元上原さとのやろ中に入れた物が落ちへんと説明していただけるようになりました傍で見ておりま名前を述べられたのでありますそれほど初代くれたりしましたすと藤井寛水さんが横の方から私に旧長さんのは教祖というまた道という上について女の身長男が戦死して後はいろんな話を聴かせてく手の内に東という字が幾つあるとそっでありながらしかもおぢばから遠い笠岡の地れたりしましたと聴くんですネ一つあると言いますとそにありながら教祖の年祭にお帰り頂いておるそれで出直しの時の事に話は戻りますがれを捨てなさいと言えというんです初代はこういう尊い理をお造り戴いている私達の初代当時は短縮授業で詰所から学校に出ようとし私より近視がきつかったそれで眼鏡をかけてであるという事を私は初めて知ったのでありまたとき履いていた鼻緒が切れましてそれです配牌を整理しておられるのを見ておりますとす今まで老会長様も又初代様その方も何も私ぐ大教会に問い合わせましたら旧長さんが今東はたとえ一枚しかなくとも端の方にお達に仰って頂いておりませんその時にこれほ亡くなられたとの事でありましたすぐ帰らいて河に流そうとされない南北西とありますどの理を私達に遺してくれている初代その初せて貰おうかと言いましたらあんたは学校ががそういう牌はどんどん切られるそれでは代のおぢばへの思いを受けて教祖の年祭にどもう卒業間近だから帰らんでよろしいという東が一枚だけですから上がれませんよと言っんな中も厭わずおぢばへ帰った初代の心を心と事で葬式にも会えずになってしまった訳ですてもかまわへんネどうして二枚三枚あして通らせて頂きたいと今日も歩ませて頂い私が小学校三年くらいの事だったと思いまる南や西を切って一枚しかない東を手の内に残ている私でありますす今ちょっと髙田の千鶴ちゃんから話がでまされるんですかと聴くとお前らにはわから想い出でありますが初代が出直しましたのしたがその当時藤井の喜代治さん川合一へんネと言われる私もだんだん年がいっては私が天理外国語学校卒業の三年目の年であさん神邉に養子に来られていた方今ちょっその点の理解がいくようになったんです初代りました私が福山の誠之館中学を卒業致しまと名前が出てきませんがそういう方が集まっは伊賀上野の川合家の出であります明治のあす昭和十五年正月の三日に当時中国大陸北支て初代はもう当時八十歳近かったと思いますの当時大阪に出て上原佐吉が身元引受人とで前線におりました長兄の戦死の公報が参りまなんかの楽しみにと皆が寄って初代にマージャなって折井という金具屋に勤めておった折井したそれまでに小さい頃から曾ばあちゃんンを教えておられたのでありますそれを私はの家の一人息子が大病となり医者が匙を投げて曾ばあちゃんと言って傍に行って菓子をもらう小学校二三年頃に傍におって見させてもらっしまったのを初代は一週間の裸足参りでご守のが楽しみでありましたそうすると巾着をておりました最初私は何にも分からなくて鳥護頂いたその信心を見込んで佐吉さんは初代沢山縫って拵えておられまして私が曾ばあのようなのが何羽いるとか丸書いたのが幾つをすぐに上原家に引き取って畳表の商売をしてちゃんこれどないすんねと言いますと初あるとか言ってよく叱られたもんですだんだおった上原家の娘分とされたのであります程代はここへ帰って来た人にいろんな物を入れん私もそういう事からマージャンが分かるようなくして佐吉さんの甥である笠原佐助さんが笠岡から上原家に手伝いに来たそして初代と岡へ帰って来たそしてそれを追うように佐吉という字があるそこにあずまという主人佐助さんは結婚して上原家を継ぐのですが明の意向を受けて初代も笠岡へ帰って来た後といううえに女としての断ち切れない思いが初治十三年商売が左まえになる中縁あって道初代は布教に歩くようになって笠岡の礎を造っ代様の心の中に残っておったのじゃないかといの話を聴き入信しました上原家は東京との取てくれる訳でありますが明治二十年頃未だう思いが私がいろいろな人生経験を積み大き引が多かったものですから佐吉さんの意向でさと佐助結婚後トヨの名前をさとと改名くなりました現在しみじみと考えさせて頂く東京の商売相手碇清水と言いますがその掛は夫婦でありましたので佐助さんが東京に出のでありますだから子供の頃傍で見ておっけをとってこっちに送ってくれと言う事で佐助てきたらと言ったのでありますが初代は私ておばあさんそんな一枚しかないのにあがさんは東京に出て行かれた親神様の思召では親をおいて出てゆく訳には参りませんもしれませんよと言うとあがれんでもええんしょうか東京で佐助さんは腹部が真っ赤にそちらで良い人があったらと申し送っておりまじゃお前らにはわからへんと言われた言葉なって大きな腫れ物ができるという身上にならすですからの墓地には上原家創設に生き別れとなった主人への懐かしい思いといれたその腫れ物の頭に佐助さんはお息の紙をの祖である佐吉八重の墓があります東京はうものがあったんではなかろうかと思わせて貼って銭湯に行かれたご存じのように腫れ物佐助さんからであります頂きますでき物は湯が一番悪いそれを風呂屋の板場で話が長くなりましたが私がマージャンされ今日昭和四十七年十月二十日初代様の三十見た浴客の一人がそんな腫れ物風呂に入れてている傍でいろいろ言っておりました中にお年祭を迎えさせて頂きまして私達はこの十月よいのかね見れば小さい紙が貼ってあるよう前らに分かったもんじゃないと言われたその二十六日に教祖九十年祭へのお仕込みを頂くのだがそれは何のおまじないかねこれは有り難言葉の中に心ならずも道のため親のためにではないかと思うのでありますが大教会の完い神様のお紙でこれさえ貼ってあれば大丈夫普通世間で言えば夫婦は二世親子は三世と成致しました移転普請を転機としましてまただそれじゃうちの子供が家内の乳首に噛みつの言葉がありますがそれほど濃い夫婦の繋が初代様のこの年祭を転機としまして笠岡としいて困っておりますがそれで治りましょうかりを断ち切ってまでも親即ちお道の上に伏せてどうでもこうでも親孝心一筋に歩ませて頂きそんな事は何でもないこれを分けて上げるか込まれた厳しいいわゆる理に立ちきった初代たいそう思わせて頂きますら乳首に貼っておきなさい佐助さんはそう様であったのではありますけれどもそこにや以上初代の三十年祭での締め括りとしての言ってお息の紙を渡したすると間もなく子供はり夫婦の愛情というものが思わず知らず心四代会長の想い出話である昭和四十七年当時が乳首を噛まなくなって疵もご守護頂いたとの中に残っておったのではないかと思わせて頂の録音テープが残っていたのでそれをにいう事でこれが東大教会の元一日でありますくのでありますですから父親を送ってその後再収録して文章にさせて頂いた懐かしい人達一方大阪の方ではいくら待っても東京から笠岡の初代となられた方でありますけれどもの声が聞けて心豊かなテープほどきの時を過ごお金は送って来ない佐吉の方が音を上げて笠皆様方が勧めて下さったマージャンの中に東させて頂いた前史料部長よふぼく勉強会開催テーマは心定め春季大祭後育成部吉岡壽部長では月日大教会春季大祭後会議室でよふぼく勉強会を開催人が参加した今回のテーマは心定め講心定めについて熱弁される谷内先生師は谷内伸自先生先生は岐阜県に教会を置き自教会での体験教区の立場の上からの経験を通しての心定めについてお話しくだされた谷内先生は心定めはする前からできないというのではなく一生懸命通らせて頂いた中で達成できないことは神様は受け取ってくださるが大切な事はたすけ心を持ってはいという気持ちで素直に受ける心が大切であると話されたそして教祖年祭に向かう三年千日の心定めは会長人が定めるのではなく教会に繋がるよふぼく信者皆の定める心なので皆が一手一つに勇んでご守護頂ける様日を大事に三年間をお通りくださいと締めくくられた直轄委員部長研修会開催大教会婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月日大教会で同支部委員直轄委員部長を対象に本年の初例会を兼ねた研修会を開催人が参加した座りづとめをつとめた後支部長様が婦人会本部の活動方針である婦人会全婦人会委員はご恩報じの道を邁進しようについて会員一人一人がこれを目標にすることが大切とお話下さり引き続き大教会長様よりたすかる旬たすけの旬についてお話を頂戴した午後からは大教会長様支部長様のお話を受けて班に分かれ練り合いをしありがたいと思ったら言葉に出すまず自分自身が教理をしっかり勉強するなど活発な意見が飛び交った各班で出た意見は閉講式にて発表をし参加者全員で分かち合えた閉講あいさつとして弥高山委員部長岡崎豊子委員が教祖百三十年祭三年千日歩みだしの年として教会の台として女性の徳分を活かしてご恩報じの道を歩ませていただきましょうとあいさつをし共に奮起を誓い閉講した談話室ありがとうございました海松ヶ岡分教会池田広子一月の春季大祭もとどこおりなく済んで直福山東ブロック西ブロック府中市島根上下髙屋坐りづとめよろづよ八首直轄教会賛者東ブロック賛者西ブロック府中市指図方上下祭主福山扈者髙屋扈者島根日時月日月受付時分祭儀式時分教会おとまり会などで練習した成果を親神様教祖にご覧いただきましょう少年会むつみ鼓笛隊春の合同合宿のお知らせ毎年恒例の笠岡全体合同合宿を下記の通り大教会で開催いたします今すでに鼓笛をしている皆さんこれから鼓笛をやってみたいという人みんなあつまれ少年会を卒業した人は係員をお願いします日程月日土月日月新しい教祖年祭の歌の練習参加お供円と米合詳しくは各隊の責任者又は海松ヶ岡会長笠岡詰所までお尋ね下さい会の時とってもビッグなサプライズがあった会長様から一月生まれの方いらっしゃいますかいらっしゃったらお立ち下さいと言われ私ともう一人の方が立つとお誕生日おめでとうございますとうれしいおことばそこにいるみんなでハッピーバースデイの歌と手拍子にびっくりするやらうれしいやら巡教でいらっしゃった先生までも手をたたいて歌って下さいましたお正月一月一日生まれの私は今までこんなふうに誕生日を祝ってもらったことがありませんこれまでの誕生日は日本中の人がおめでとうと祝ってくれてよかったねですまされてきたような気がします奥様のアイデアだと後でわかりましたがこのサプライズはとってもステキな事だと思います私のように大喜びする人ばかりではないでしょうがきっと心がほんわかとあたたかくなるはずです来月の誕生日はどなたかしら今から楽しみですプレゼントのチュッパチャップスは当分の間食べずに残しておこうと思っています教会のみなさま本当にありがとうございましたこれからも続けてほしいサプライズ行事だと思いますこころの詩下り目下り目下り目下り目下り目下り目役割祭儀式場所大教会おつとめまなび総会養徳社発行陽気誌二月号道柳より転載今回の課題は時笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん先人の往時を偲ぶ雪の道表紙写真吉岡輝昭編集部員内容午前時おつとめまなび式典わかぎ門出式教祖年祭の歌演奏午後模擬店服装ハッピと白靴下祭儀式はおつとめ衣おつとめ役割は月日までに各ブロック少年会担当者に名簿を提出してください東ブロックのおつとめ役割は月日までに海松ヶ岡会長に提出して下さいわかぎ門出式に出席される教会は名簿を月日迄に少年会に提出して下さい学生担当委員会春の学生おぢばがえり月日案内月日は年に一度全国から大勢の学生がおぢばに帰り集い真柱様からお言葉を頂戴します自らの考え方や行動が天理教の教えに沿っているか確かめる大切な日です一緒にお道を伝え広げていく仲間と共に陽気ぐらしへの新たな一歩を踏み出します式典式典では真柱様から道の学生の指針となるお言葉を聞かせていただきますまた世界たすけのようぼくとなるため道の学生成人目標を誓い合います時間時時半入場は時場所本部神殿中庭直属アワー別席直属アワーでは同じ直属教会につながる学生が集い大教会長様からお話を聞かせていただいたり親睦行事を通して絆を深めます時間式典後時頃時場所笠岡詰所ほか後夜祭後夜祭では迫力あるステージパフォーマンスや趣向を凝らした模擬店など楽しい企画がいっぱいですおぢばに帰り集った道の学生の喜びと活気が会場全体に満ちあふれます時間本部夕づとめ終了後から時頃場所東西泉水プール前参加申し込みは各教区支部学生担当委員会まで雅楽部雅楽勉強会各教会の月次祭に雅楽を奏でよう期日月日日ところ大教会対象初心者初級者少年会員一般内容初心者は雅楽の基礎から勉強をまた初級者は平調の越殿楽が合奏できるよう勉強します講師大教会雅楽奉仕者参加費円申し込み月日までに大教会に申し込み楽器は各自持参ですが都合がつかない人はご相談に応じます春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますつくり親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに泥海中より道具を引き寄せ守護を教え八千八度の生まれ替わりを経てこの世と人間をお創造下され心の自由のまにく御守護お育て下さっております加えて約束の年限到来と共に教祖を月日の社とお定めになり陽気ぐらしのひながたをお示し下され成人へとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は身上事情を通して親心と御守護の有難さに気付かせて頂き日は御恩報じを思い念じて朝夕に御礼申し上げると共につとめとさづけを通してにをいがけおたすけにと道の御用の上に勤め励ませて頂いております分けてもこの月二十六日は教祖が一列子供の成人を急き込む上から御姿をお隠しになられろくぢに踏み均しに出られた尊い日に当りおぢばでは春の大祭が執り行われますが当笠岡に於きましてもその理にならい只今からおつとめ奉仕人一同明治二十年当時のつとめとさづけに込められた親の思いと命捨ててもと命掛けでつとめられた先人達のお心に思いを馳せ勇んで坐りづとめてをどりをつとめて春の大祭を執り行わせて頂きます御前には遠近や寒さも厭いませず今日の日を大切と寄り集いました道の子供達が相共に声高らかにお歌を唱和し同じ思いに伏し拝み尚も変わらぬ親心にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさていよく教祖百三十年祭に向け三年千日と仕切っての成人の歩みが始まりました昨年の諭達巡教を受け年が明け早速に今月直轄教会に諭達巡教を実施させて頂きました引き続き二月三月と部内への巡教四月に掛けての追加巡教を実施させて頂き諭達に込められた人の心が混沌としたこの時代だからこそ年祭に向けよふぼく信者一丸となって人助けに邁進する事の大切さを伝え加えて実動に移すべくさあおたすけとのスローガンの基祈る動くつなぐの実践項目を通して三年間を通して共に手を携えてひながたを辿らせて頂いておつとめ奉仕人を御守護頂く為の総仕上げとさせて頂く所存でございます何卒親神様には教祖の年祭に向けての皆の決意に込められた誠真実の心と日の理作りに込められた真実をお受け取り下さいまして万たすけの上に親心一杯の自由の御守護を賜り真実の親を知り一列兄弟の理に目覚めて万互いに助け合い睦び合う陽気ぐらしの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百七十六年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様賛者三島渉扈者中村邦義中村道德中村剛指図方岡本久善講話大教会長様三月講話学生層育成者講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝吉岡壽中村邦義谷内伸自岡﨑和夫上原志郎高木昭祥横山逸郎田林久嗣大教会長様上原繁道中村剛岡本久善中島誠治杉原博之上原繁道門脇元教田中隆之大教会奥様武内正美内海安子田中ますみ谷内美知子笹尾一美門脇郁子門脇加津中村初美岡﨑真一内海史郎吉岡誠一郎西江昌直中村義太郎上原浩河原節喜中村道德岡﨑輝彦笹尾正治今川昌彦淺野明教杉原博之三島渉虫明立生武内清明岡﨑真一森本忠善今川佐智子佐藤香苗三島照美虫明好美森本冨美子横山小智榮上原順子岡﨑豊子高木孝子お詫びと訂正本年月日発行のページこころの詩の記事中陽気誌七月号課題は昇は一月号課題は動の誤りでしたまたページ教会別人づくり一覧表の記事中川島郷分教会の授訓が抜けておりました読者の皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともにここに訂正させて頂きます本部布教部福祉課酒害相談室は昨年開設三十周年を迎えそれを機に岡山教区にも窓口を設置させて頂きましたアルコール依存症は精神障害であり内科医ではやっかいな病気として医者の手余りともされていますアルコール依存症に関わらず心の難渋をたすけるが台とお教え頂く私達用木は昨年真柱様より諭達のご発布を頂きたすけ心を持つ事の急務をお促し下されています酒害相談室では今年よりアルコール問題をベースに自殺者を持つ家族の心のケアやうつ病の人への対応にも取り組む様にして関わる人達に声をかけ一月二十五日午後一時より教会系統超えてのおつとめまなびをつとめさせて頂きました終了後には一人ひとり現況報告と今抱える持って行き場のない生活現状などを話し少しでも心の負担が癒されたすけ合える場になればと親神様の人間始めかけた御心を胸にこの集まりを遊山会と名付け今後末永く続く歩みの方向性を室長よりお話し頂きましたこの活動を通して計り知れない環境の中での生活や身に覚えのない不条理な出来事に出会うという話しを聞かせ頂き今の自分にできる事はその人の胸の内を聞いてあげる事しかできないと思うしいんねんの自覚は成ってくる事見せられる事でしか判断できないと分かっていてもその中で親心を悟り今の自分に都合の良い結果を求めずお教え頂くたんのうの心を定めて通る事がいかに難しく大切であるかという場を与えて頂きこれからは皆の心に溶け込んでいける様心に誓い二十六日の春の大祭を迎えさせて頂きましたむ
かさおか

『かさおか』第52巻 第1号

新春の大教会神殿に飾られている松竹梅なんてん小庭を象る鉢の中には灯籠鶴亀を置き南天ささふくじゅそう笹福寿草などを配植した縁起物の寄せ植えである虫明立生陽備分教会長作月日撮影教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動くつなぐ立教百七十六年明けましておめでとうございます昨年一年間皆様の心寄せを頂いて恙なくご用をつとめさせて頂くことが出来ました事心よりお礼申し上げますさて昨年秋季大祭に於いて教祖百三十年祭に向けての諭達第三号が発布され大教会では全教の先頭を切って諭達巡教を受けさせて頂きました誠に有難い事と喜ばせて頂くと共に年祭に向けての歩みを笠岡挙げて力強く踏み出させて頂きたいと決意した次第でありますいよいよ年が明けて三年千日と仕切っての成人の歩みが始まりましたこの歩みは教祖のひながたを辿り世界一列を助けたいとの親心に近づくための歩みでありますそして教祖のひながたは人助けの歩みであり人助けが出来る人を育て上げる歩みでありますもちろん教祖の通りに歩む事は出来ませんしかし教祖の思いを汲んで自分が出来る範囲の中であれば誰もが出来るものであり諭達にもおたすけは周囲に心を配ることから始まるとありますように決して気構えてしなければならないものでもありません日常の生活の中でいかに助け心を使い実動していくかであります笠岡では三年千日と仕切っての歩みをさあおたすけを合言葉に祈る動くつなぐを実践項目として掲げて成人の歩みを進めてまいりますそして本年の心定めの数を実数とし尚かつ毎年少しずつでも心定めの数を増やしていって十年掛けての目標でありますおつとめ奉仕人の増員を果たしてまいりたいと思います全教よふぼくの仕切っての成人と一手一つの活動となるよう今年一年どうぞ宜しくお願い申し上げます長上原理一立教年各部会の抱負及び年間行事予定この項は一月二十日大教会年頭会議において配布された小冊子立教年年頭会議各部会の抱負及び年間行事予定の再掲です年祭活動推進委員会では教祖百三十年祭へ向かう三年千日年祭活動のスローガンをさあおたすけ祈る動くつなぐと定めさせて頂きましたその一年目踏み出しの年である本年は人のたすかりを願いましょう一日一つひのきしん進んで声を掛けましょうとの実行目標を掲げ歩ませて頂きます昨年秋季大祭で真柱様よりご発布頂いた諭達第三号ではよふぼく一人ひとりが特別なことではなく毎日の生活の中から周囲に心を配り身近なところからおたすけへと取り組むようにとお促しくださっていますまたその日の実践を通して世界の人に心を澄ましたすけ合う陽気ぐらしの姿を写してゆく事が大切であるとお示し頂いておりますそうした親の思いにお応えさせて頂けるよう年祭活動推進委員会では話し合いを重ね談じ合ってまいりました特別な目標を掲げ三年と仕切って努める事ではなく笠岡に繋がる全てのよふぼく信者が日常の生活の些細なことからおたすけへと繋げ一年目より二年目二年目より三年目と一人も漏れることなく一歩でも二歩でも成人させて頂けるよう三年仕切って年祭への歩みを進めさせて頂きたいと思います教会家庭個人で取り組めるよう笠岡独自に作成した成人目標ではその具体的な活動内容を提示しております実践出来た項目実践しようと思う項目にをして取り組みましょう自身の取り組みへのステップアップが目に見えてより積極的に取り組むことが出来ます教会から家庭へ積極的に声掛けを行い家庭に於いては家族ぐるみで実践できるよう声掛け働きかけましょうその一つの具体的活動としてお願いカードを活用します先ずは身近な人のたすかりを願うところから始めさせて頂きましょう今年一年年祭活動の歩みの上に共に精一杯努めさせて頂きましょう布教部布教部では教祖百三十年祭へ向かう年祭活動の歩みを推進委員会とも連携を持ちつつ進めてまいりますその踏み出しの年である本年諭達でお述べ下さるよふぼく一人ひとりの実動を目指します中でもよふぼくの中のよふぼくである教会長夫妻がその自覚を高めることは勿論でありますが教会に繋がる全てのよふぼく信者家庭へ様な角度からのアプローチを模索しおたすけの出来るよふぼくへと丹精していく事が欠かすことの出来ない働きかけです特に本年はそうした教会長からの声掛け働きかけを通した丹精を積極的に進めさせて頂きましょうまた全体行事としては月日日にかけて別席ひのきしん団参が実施されます年祭活動の実行目標を通して周囲の人に眼を向ける心を養いそこから一人でも多くの人をお誘いしておぢばに帰らせて頂きましょうそして今くへも所属教会から積極的な声掛けを年一年私達笠岡に繋がる一同の歩みをご覧下さお願いしまする教祖にお喜び頂けるよう一手一つに明るく前向きに歩ませて頂きましょう本年も何卒よろしくお願いいたします立教年全教一斉にをいがけデー月日土全教会長路傍講演の日月日日日月年間行事全よふぼく実動日立教年教会長夫妻講習会月は布教強調の月です月日にかテーマ教会長のつとめとけ部内教会を拠点とさせて頂いて布教部よふぼくへの丹精仮員の布教活動を計画しております日時月日日午前時分受付時開講育成部時閉講育成部の分掌場所教会長教人よふぼく信者の育成に関対象教会長と配偶者すること受講お供人千円教人資格講習教会長資格検定講習任命その他詳細に関しましては順次発表致しま講習の修了講習会に関することす本部育成部主催の各種講習会の世話取り身上などでやむなく欠席する場合は届用紙おたすけ掛を用意しておりますのでその理由を書いておたすけ講話月次祭日及びおたすけ全般必ず大教会長様に提出して下さい部内布教所へのおたすけ立教年全教一斉ひのきしんデーおたすけ相談期日月日月祝毎月祭典後神殿にて身上者の方へおさづけの参加への呼びかけを取次ぎをさせて頂いています当日神事所に特に教会と離れた地域に住まうよふぼ申込み用紙がございますので用件身上を記載して頂きますようお願いいたします今人気のよふぼく勉強会よふぼく信者の育成に毎月テーマを決め担当の先生がお話しくださいます時間午後時分より分お話しそして時までねりあい午後時に終了です本年月までの予定は次の通りです各月のテーマ担当者司会月心定め谷内伸自門脇元教月教祖のお話し高木昭祥武内正美月学生層育成者講習会のためお休み月三日講習会吉岡弘子門脇加津月縦の伝道講習会のためお休み月理立て笹尾正治中島誠治月以降は誌月号に掲載いたします海外部諭達を受けて教祖年祭に向かう三年千日海外部は年後の当日に海外からの帰参者日本に在住する海外者を含めて名を定めましたこの年の間に部員で海外の地に赴き帰参を呼びかけさせて頂くとともに帰参される方のお世話取りの準備を進めていく予定です遠い地で活躍さ月の月次祭に合わせての海外布教推進講習会れる用木信者の方に教祖年祭に向けての大教は日頃海外に触れることのない人達に海外布教会長様の思い大教会の進む指針などを所属教会の話を聞いて頂いて少しでも身近に感じて頂きたの人達と相談しながら伝えさせていきたいと思いいと思って行われているものですがまた同時にます海外布教経験のある講師の話からおぢばで始ま海外部員は全員が海外布教に想いがある語学り日本で育った教えが世界に向かうことの難しに堪能であるという訳ではありませんむしろどさ世界の中の天理教の存在おやさまが仰せらちらも得意でないかもしれませんしかし今これた世界たすけの想いを聞いて感じられたこの同じ時代に生き笠岡に所属し大教会から命とを日の信仰生活の中で生かして欲しいといを受けた者達で笠岡の海外に繋がる人たち海う思いがあります外から日本へ在住している人達へのお世話取り少ない部員で出来ることは限られてきますがまた次代を担っていく人達の人材育成丹精が少世界への微たる歩み遅たる歩みを少ししでも出来ればと思っていますずつでも切れないように繋いでいきたいと思いま現在笠岡には米国台湾ブラジルケニアすタンザニアに用木が生活していますまた海外から来日している用木信者もいますその人達管理部と少しでも信仰の喜びを深め繋げていきたいと思います今年の年間の行事として月月に広島平和公園などの海外からの旅行者が集まる観光地での外国語パンフレット配布をしますこれは海外布教に携わる理作りをさせて頂こうという思いでさせて頂いています大教会詰所共夫に年限を重ねあちこち手を入れなくてはならない時期が来ております又共に敷地が広く庭木の世話も大変です今年も皆様方の御協力をよろしくお願い致します年間行事予定英語講習会は語学学習を通してのお道の勉強草刈り夏季国際意識の向上また次代を担う海外に向かう人植木の剪定月月材の育成を目標としています障子張替え月年末大掃除月日婦人会新年おめでとうございます旧年中は支部婦人会活動にお力添えを頂き誠にありがとうございました教祖年祭年祭活動三年千日のスタートが切られました心新たに一人ひとりの成人の歩みを進めてまいりたいと存じます東日本大震災の大ふしを通し教祖の教えを信仰する女性としてのあり方を改めて考えさせて頂きました一人ひとりが実まことのようぼくに育つよう自分を育て人様にも育って頂けるようつとめてまいりたいと存じます四月婦人会本部総会に十一月女子青年大会にたくさんの会員と共におぢばへ帰らせて頂けますよう又大教会からのお打ち出し五月おぢばがえり別席ひのきしん団参にしっかり声をかけつながせて頂きたいと存じます会員を育て心一つに大教会の陽気ぐらしの台とならせて頂きたいと存じます本年もよろしくお願い申し上げます成人目標ひながたをたどり陽気ぐらしの台となりましょう活動方針立教年全婦人会員はご恩報じの道を邁進しよう一教えを実践して実まことのようぼくに育つ一身近な人を実のようぼくに育てる立教年婦人会活動月日委員直轄委員部長研修会月日天理教婦人会第回総会記念行事支部の集い月日女子青年こかん様に続く会月日委員部長後継者講習会月日第回女子青年大会記念行事支部のつどい花ひろば例会笠岡支部毎月日連絡会毎月日ひまわり会毎月日女子青年例会不定期神せん物洗毎月日女子青年大会にむけ課題への取り組み月日月日親睦会詰所月日本年は女子青年大会の年ですので特に女子青年の育成に力を注いでいきたいと存じま全分会布教推進週間月日日すお力添えをよろしくお願い申し上げます第回天理教青年会総会月日青年会員のつどい仮月日青年会新年明けましておめでとうございます少年会昨年は青年会活動の上に多大なるお力添え少年会活動の目的は少年会員のちかいにもあを頂き誠にありがとうございましたりますように子供たちを立派なようぼくへ育てる本年もより一層お力添え頂きますようよろしことにありますくお願い致します少年会の活動はそのための基礎づくりの場でさて昨年は天理教青年会笠岡分会総会をす開催し笠岡に繋がる青年一同教祖年祭へ向昨年より活動方針がひのきしんの態度を映しけての第一歩を揃って踏み出す事ができたと感教えを実行する子供を育てように改まりましたじております迎えるこの年は年祭に向けてのひのきしんは子供たちでも実行できる大切最初の一年目です青年会ではこの一年を意義な信仰実践の一つですある年とするため踏み出した歩みを止めることまずは私たち育成者が日常のひのきしんをのないよう青年らしい勢いと情熱を持って失心がけその態度を子供たちの心に映していこう敗を恐れず積極的に活動していきたいと考えておというものですりますそして様な機会を通して子供たちをしっどうぞ皆様方のお力添えを頂きますよう重ねかり教会へつなぎ信仰を伝えさせて頂きたいと重ねよろしくお願い致します思います本年の年会活動は本年も一年縦の伝道の上にも勇んで心を掛け十三峠越え月日て下さいますようお願い致しますおやさとふしん青年会ひのきしん隊月日日あらきとうりよう入門塾月日学生担当委員会平成年度天理教学生担当委員会活動方針基本方針学生に信仰の喜びを伝え立派なようぼくに育つよう丹精しよう重点活動項目一高校生の集いまなびばの啓蒙と増員一学生生徒修養会動員へのさらなる取り組み一学生への声かけの一助としての積極的活用道の学生成人目標一生かされていることに感謝しよう一お道の素晴らしさを伝えよう一進んで教会につながろう大教会の年間行事について学生層育成者講習会月日大教会にて開催学生層をはじめとする道の後継者育成の大切さを広く理解していただくため月次祭の祭典講話として毎年開催させていただいております生が夏休みを大学生が春休みを利用して全春の学生おぢばがえり直属アワー月日本部にて開催テーマ世界の友にをやの思いをさあここおぢばから毎年月日お道につながる全ての学生がおぢばに帰り集い真柱様からいただくお国各地から親里に集い一週間の合宿生活を通してお道の信仰に目覚めその後の歩みの上に役立つよう工夫された行事ですほぼ全員の学生が参加してよかったまた来年も参加したいと言う行事で一週間で学生が見事に変身します言葉を指針として今後の成人を誓い合う春の学生おぢばがえりが開催されます直属アワーでは大教会長様のお話親睦行事会食などが行われ笠岡につながる学生生徒たちが親交を深めます参加にあたりましては各教区が企画する団参をご利用くださいおせち学生ひのきしん隊月日日新春おぢばでの恒例行事お節会に際して会場内の整理誘導接待洗い方などのひのきしんや親睦行事を通して同じお道を歩む仲間がひのきしんや信仰についてまた普段それぞれが思うことを語り合ったりおぢば管内の学生の集い月日土詰所にて開催おぢば管内で学ぶ学生を対象に行う親睦行と泊日の貴重な合宿です対象は高校生大学生短大生大学院生専門学校生です申し込みは各教区の学生担当委員会へ事です大教会長様にもお越しいただきお話を頂戴する予定です是非ご参加下さい学生には案内を出しますがこちらで把握できていない学生もありますのでおぢば管内で学ぶ学生がいらっしゃればお知らせ下さいその他おぢばで開催される主な行事学生生徒修養会高校の部月日日大学の部月日日教区行事主なもの春の学生おぢばがえり高校生の集いまなびば同じ地域に住むお道につながる仲間同士がお道の教えにふれ少しでも教えに基づいた生き方を身につけてもらえるよう開催している行事日頃おぢばがえりをする機会の少ない高校道の学生ひのきしん全国各地で約人以上の学生がひのきしんに励みます今年は月日に実施予定です定期刊行物はっぴすと高校生大学生育成のための月刊誌平成年月号より大学生専門学校生まで対象が広がりました学生担当委員会より学生本人の下宿先などへ直接発送して下さる個人購読も受付中です楽器は各自持参ですが都合がつかない人はご相談に応じます詰所入浴日変更について月より月末まで入浴日は火曜木曜土曜日曜です帰参者がある場合はこれに限りません世界一れつをたすけたいと仰せ下さるのだから自分だけがたすかりたいのではなく身上事情に苦しむ人があれば治まりを願い進んでおさづけを取り次がせて頂き回復をお願いしてをどりをつとめさせて頂くそれを神様に受け取って頂きにをいがけをさせて頂くその慈悲の心を心に治めて欲しいと話されたその後質疑応答が行われた天理教学生会ホームページ雅鶯会雅楽勉強会月日日よふぼく勉強会開催テーマは年祭を迎える第一歩月月次祭後開催前に諭達を拝読する参加者各教会の月次祭に雅楽を奏でよう対象内容ところ講師参加費申し込み初心者初級者少年会員一般初心者は雅楽の基礎から勉強をまた初級者は平調の越殿楽が合奏できるよう勉強します大教会大教会雅楽奉仕者円月日までに大教会に申し込み育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催約人が参加した今回のテーマは年祭を迎える第一歩講師は吉岡壽先生まず参加者全員で諭達を拝読次いで先生は朝夕のおつとめの大切さ鳴物をはじめとする神具の手入れ特にお鏡は曇らせないよう日八つのほこりを払う通り方を自教会の子どもの育成を通して縦の布教の必要性まず教会から勇む諭達を受け教祖は年末大掃除大教会管理部武内清明部長では月日午前時から恒例の年末大掃除を行い約人が参加した大教会長様の神床のすす払いをはじめ上段中段は役員で参拝場は高所作業のため青年会員を中心にビデを段組み蛍光灯の取替え欄間の清掃を行った婦人会少年会は役割を分担して掃除に使用す神床上段中段は大教会長様役員で高所作業は青年会を中心に婦人会少年会も大活躍る雑巾の準備をはじめ渡り廊下の窓拭き信者室の清掃昼食の準備など手際良く進めた教祖年祭三年千日の歩みを心新たに迎えられるよう心の掃除と共に一年間の大掃除をさせて頂いた勇んで餅つきひのきしん詰所恒例の詰所餅つきひのきしんは月日の準備に続き日に行われ大教会長様をはじめ教会長有志少年会員など人が参加した午前時半から力強い掛け声と共に和気あいあいと行われ時過ぎには本部へのお供え用の升餅個正月用小餅などが搗きあがったかき日大教会から牡蠣島根分教会から蟹の差し入れがあり参加者で頂きひのきしん後は森本重吉さん海松ケ岡分から特製うどんが振る舞われた今年もきれいに搗きあがった餅温故知新いきいきエピソード吉岡章女さんの初代会長の想い出うになってもこれは決して理を踏み潰す事に向に活けてくれんのでなあ藤井さんどないはならんとお教え頂きました私の我の強いしたのやと言うたら旧長さん嘘でもよいから事を誰か言うたのかなと思えるようでズバリで親を喜ばせと仰ったでしょう私ほんまはようした以来心にしっかり受け止めて家庭にお活けんのですと大笑いしたのやでもナワイきましても後お道を通らせて頂く道中におき嬉しかったでと笑い話の中に親孝行の最も大私が吉岡家へかえらせて頂きました翌年結ましても心の定規とさせて頂きました切な事をお仕込み下さいましたお二方の奥様婚した翌年即ち大正四年髙屋の初代様と吉又ある時亡き武内オリ奥様髙屋二代会長夫へのお話もよく覚えております他人事と思わ岡の父に連れられて芦津大教会で初めて初代人と藤本ヒサ奥様恵陽二代会長夫人と私とず心にとめて通らせて頂きました様にごあいさつ申し上げましたその時はかね三人でお伺いさせて頂きました時三人三様に旧長様の御前に座ればワイ耳が遠いからあがね子供の時から聞かせて頂いておりましたのお話し下さいました私には親を連れ子供んた達の言う事聞こえへんのやワイの話だけで教祖を拝するような心地がして初めてお目を連れての布教の苦労はワイよう分かるで聞いてくれたらいいのやでといつもニコニコにかかるというような気持はいたしませんでしでもなあ嘘でもよいから親を喜ばしてやりやと笑いながら話して下さいました教祖のぶどたそれはそれはお優しい中に神一条の御目のワイお光に初代の長女いつもそう言うてるのうに喩えてのお話やまりに喩えてのお話の様ヒタと迫ってくる強さ今尚忘れる事は出来まやあのなアあんたとこの親御はなア竹田に思われましたせんその時のお言葉は私一生を通じての心のでも大きな百姓やったのやでそれを思い切っ又六畳一間での布教当時主人と二人でお伺定め方又おたすけの台として大勢の方に助て高屋へ出て来てくれたのだが髙屋の困窮時いしますとおたすけ話を大変お喜び下さいまかって頂けました代でなア火のない火鉢を抱えて毎日ションボしてお聞き取り下さいましたそんな中あの親や夫から何か仰せつかった時必ず一番にリ考えておったあの姿がお道の為になアとなアおたすけ頂いたと言うてお菓子などわざハイそうですねと受ける事が大切なのや思えてワイ忘れられんのや嘘でもよいからわざ買ってくる人があるやろそんな時此のおでそれでもこうやああやと言いたくなるしっかりと喜ばせてやりヤそしたらそれほ菓子がただの五銭でもお金であったらと思う事ものやけれどもそれでは親や夫の理を踏みんまになるんやとシミジミ申して下さいましもあるやろワイもあったのやでもなそん潰す事になるのやで一応ハイと心よく受たこないだもなア神邉の藤井九右衛門さな事思うたらアカン後ご守護が止まるでけて後私はこのように思いますがと意見がんが来てくれたのでワイお花がなかったのでと布教第一線の苦労を通る者の心の底までお分あれば言うのやそうして自分の意見が通りそお花活けてやと言うたらなハイと言うても一かり頂いてご自分のお通り下さった道のすがらをお教え導いて下さいました時と番心の澄んだ時やからと朝おさづ旬は移り替わりましてもつい同じけを取り次いで下さいましたすっ思いのする事がございますがそのきりと不思議にご守護頂き元の大度にそのお言葉が心の底から浮かん教会の溝掃除のひのきしんに出させて頂いて大変お喜び下さいました事で参りましてお詫びと御礼を申し上もございますげ力づけて頂くのであります幾度か死線を越えさせて頂きあ又二度目の腹膜炎の身上を頂いてすっきりいたしませず大教会へ主人と共に参拝させて頂き御伺い申し上げましたところアンタ身上悪いと聞いて心配していたんやで手紙でも出してやろうかと思うておったところやよう帰ってきたなアと優しく労って下されどの心得違いやなどと一切仰せられずアンタよの弱い弱い私が今日まで別にお役にたちませんが生きさせて頂いている事を思います時ただただ夢のような心地が致します早う死んだらアカンデアカンデ御用が出来へんでと繰り返し仰せ下さいました深い深い大きな親心にお守り頂いている事と勿体なく思います大教会へ帰らせて頂く度に旧長様い子やと思うておったが早う死んが二代会長様が又先輩の先生方のだら何にも道の御用出来せんがな御霊様がアンタまだ生きさせて頂い長う生きさせて頂いて御用さして頂ているのかよう帰って来たなアとかなあかん早う死んだらアカンで私の心に新しい力を与えて下さる思と繰り返し繰り返しお聞かせ下さいいが致しますましたそのお声がお顔が今尚まだまだ想い出はありますが時耳の底に目の底に残って消えませ間に限りがございますのでこれで失んそうして三日三夜のお願いして礼致します有り難う御座いました下され大教会に泊まりや朝は一前史料部長こころの詩天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付東悠分教会前会長夫人田林美智子さんまこと今年こそ人の真が天に添う日本の未来に確かなあゆみ月日付海松ヶ岡分教会池田広子さん風向きで今日ははっきり聞こえ来る連絡船の出港の汽笛海松ヶ岡分教会藤井光子さん穏やかな風のなき日に落葉掃きもみじばたまりし紅葉葉腐葉土にせむ養徳社発行陽気誌七月号道柳より転載今回の課題は昇笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん理の世界真に思案の道動く芦品分教会金谷眞佐代さん悩まずに体動かしおたすけに表紙写真吉岡輝昭編集部員第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目森本忠善大教会准役員海松ヶ岡分教会長竹本和道福芦分教会長雜賀元生照雲分教会長渡邉泰造品治分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書大教会御供住民票教会別人づくり一覧表名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定笠岡福山髙屋神邊島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴廣町福廣福勇福芦福満福岩西村福年引野福昭福春福中福冨士福東東福山福南福順福節福備福輝坪生八尋深安笠尋芦品安那芦田川三郡芦常芦加茂惠陽陽實御野香地華真金仲條稲倉稲瀬稲富士稲讃門司港大惠山東水島高児島髙丸出雲瑞雲海潮川錦洋米府弓ヶ濱西伯米美伯仙照雲松都樺島新輝豊亀田山出雲川津天場山簸ノ川多古浦瑞北雲東神村呉中大江橋品治久福久津呉福鶴南鶴眞川島郷鴨方作備輝華錦ヶ原行縢眞府吉舎清嶽上小畠木津和國須上吉野上備河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面府鮮府世原神驛神免葦沼合計立教百七十五年十二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様扈者森杉本原忠博平之賛者今川昌彦武内清明指図方上原繁道講話岡本久善二月講話上原志郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前吉岡壽門脇元教三島渉大教会長様岡本久善上原繁道大教会奥様田中ますみ門脇郁子高木昭祥河原節喜田中隆之杉原博之武内清明中村道德今川佐智子虫明好美上原順子佐森岡岡岡笹内森谷上今横中西赤佐岡高藤本﨑本﨑尾海本内原川山村江木藤﨑木半後道孝忠平輝彦久善和夫正治安子冨美子美知子浩昌彦逸郎義太郎昌直素志香苗豊子孝子中谷山上岡上武門中内田森淺吉虫笹三横村内田原﨑原内脇村海林本野岡明尾島山半剛伸自敏教繁道真一志郎正美加津初美史郎久嗣忠善明教誠一郎立生一美照美小智榮こころの詩月日日記よりお節会参拝弥髙山分教会藤本節子さん甘露台近くに集いおつとめを大教会長様教服の会長笑顔でご挨拶回廊の日だまり通り教祖殿教祖殿ふすまへだてて梅と松若人の笑顔の中をお節会へと学生の給仕嬉しやお節会餅会長様奥様の心のこもったおもてなしに感謝十二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりでと身体の自由を御守護下さるばかりでなく身上事情を通してたすけの旬をお与え下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますが気がつけば今年もあとわずかとなってまいりました改めて一年を振り返ってみますと教祖百三十年祭目指しておつとめ奉仕人を御守護頂くべく昨年の記念祭を節目に理作りに加え育てに重きをおいて成人のあゆみを進めさせて頂きました家族知人を始め一人でも多くの人に教会へおぢばへと声掛け一回でも多くおさづけの取次をすべくにをいがけにと運ばせて頂いてまいりましたその中福山髙屋神邉が創立百二十周年を迎える事が出来十一月二十三日の別席ひのきしん団参も勇み心一杯につとめる事が出来ましたまた諭達第三号の御発布を頂戴し諭達巡教も全教に先駆けて受ける事も出来勇み心一杯に成人の歩みを進めてまいりましたそして今日の吉日は十二月の御祭日でございますので日の御礼と併せ今年一年の御礼も申し上げたく只今からおつとめ奉仕人一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて本年納めの月次祭を執り行なわせて頂きます御前には年の瀬の慌ただしさも厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて次なる年が明ければ教祖百三十年祭に向けて三年千日と仕切って全教挙げての成人の歩みが始まります笠岡はその先陣を切るべく一月には直轄教会へ二月三月は部内教会へと諭達巡教をさせて頂き諭達の徹底を計ると共に笠岡の動きとしてさあおたすけをスローガンに掲げ祈る動くつなぐを実践項目としてひながたを辿らせて頂いておつとめ奉仕人増員に繋げる事を誓い合いたいと存じます何卒親神様には皆の旬の理に応えて心を定める真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に年祭の旬ならではの自由の御守護を賜りまして人が真の親に気付き一列兄弟の理に目覚めて互いに救け合う陽気ぐらしの世の状の実現を予感させる心晴れやかな年末年始となりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますお詫びと訂正昨年月日発行のの表紙の写真撮影日は月日ではなく月日に訂正いたしますまた同ページ温故知新の執筆者が笠岡史料部長となっておりましたが前史料部長の誤りでしたなお同ページ諭達巡教のリード記事に諭達講話要旨は本誌新年号に掲載予定と記載しておりましたが都合により差し控えさせていただきます読者の皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともにここに訂正させて頂きます大教会だより立教年諭達巡教春季大祭参拝福山岡本久善髙屋大教会奥様神邉中村邦義島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家中村剛岡本久善吉岡壽上原繁道佐藤道孝中村剛岡本久善大教会奥様吉岡壽中村剛大教会長様岡本久善上原繁道大教会長様佐藤道孝大教会奥様大教会長様中村剛大教会奥様大教会奥様上原繁道大教会長様上原繁道中村邦義佐藤道孝中村邦義油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴吉岡壽佐藤道孝佐藤道孝中村邦義吉岡壽岡本久善中村剛吉岡壽月日兵庫おせち号教区列車団参行事に家族人乗っておぢばのおせち行事に帰参する毎年日は本部に参拝して昨年の御礼今年の心定めを申し上げる一日だ唯団参の支部担当なので行きの電車内で集金をして添乗員の方に納金行き帰りの乗車切符を受け取り参加者に配るこれがなかなか難しい作業で往復の利用者有り片道の人有り乗車駅が何駅も有りで毎年何とかクリアーしている現状だ今年も時間かかった天理駅から各支部の参加者は帰りの待合室集合時間までフリータイム私達家族はわいわいしゃべりながら神苑へ南礼拝殿教祖殿祖霊殿と回廊を廻る今年も元気で参拝できた当たり前に思っては全く申し訳ない親神様のご守護に深く御礼申し上げる教祖年祭に向かう三年千日のスタートの年深く感謝の御礼を申しながら今年の奮闘を誓う楽しみのお餅は分程並んだが幸い寒風無く穏やかな一日で有難く第食堂で沢山お餅を頂くおすましに水菜焼き餅であっさりして沢山頂いた才才の孫達もおいしいねえと嬉しそうだ帰りの車中は担当の仕事も無くのんびりして無事参拝出来た喜びに浸って帰宅したひ
かさおか

『かさおか』第51巻 第12号

マメイヌツゲカイヅカきれいに刈り込まれたダルマツゲと貝塚伊吹月日大教会神苑で教祖年祭に向かって三年千日さあおたすけ祈る動く繋ぐ全教に先駆けて諭達巡教実施去る月日本部秋季大祭の日に諭達第三号が発布されたのを受けて本部では月日から来年月末までの間に全直属教会に向けて本部巡教を実施される運びとなった冨松先生の講話を熱心に聞く受講者では本部員冨松幹禎先だくための理づくりでしたが今度は実際にご生を迎え月日午後時より開催守護をいただくための歩みにしなければいけませ大教会役員准役員おつとめ奉仕人部んその歩みはたすけ一条ですまず自分が実動内教会長夫妻部内布教所長ら人がするとともに一人でも多くの人に実動していた参加しただけるように年祭活動目指して勇んでつとめさ諭達講話要旨は本誌新年号に掲載予定せて頂きましょうと決意を述べられた最後におつとめ拍子木冨松先生数取大教冨松先生の手に合わせて親神様教祖祖霊様を会長様をつとめ親神様教祖祖霊様を礼拝し礼拝巡教の理を全よふぼくへ流していくことを誓い合その後大教会長様が今日から御本部の諭達い終講した巡教が始まりますその初日に全教に先駆けて巡教を受けさせていただくのは光栄ですこの巡教を受けていただくご案内をしたのは大教会役員准役員おつとめ奉仕人そして教会長夫妻布教所長の方で全よふぼくではありません巡教を受けてそれで終わりではなく部内教会布教所よふぼくに巡教の理を流していく立場の方です受講後は必ずしっかりと今度は一人でも多くの人に伝えていくんだという気持ちで受けていただきたいと開講のあいさつをされた次いで全員で諭達の拝読をし冨松先生から約時間半講話があったこの後大教会長様が笠岡に繋がるお互いは年前教祖年祭をつとめ翌年から年祭に向けておつとめ奉仕人の増員を目指してきました今日まではおつとめ奉仕人のご守護をいた大教会諭達巡教について大教会として次の通り直轄部内教会への諭達巡教を行います大教会から巡教員がそれぞれの教会に出向きます直轄教会月部内教会月月実施当日の次第親神様教祖祖霊様礼拝巡教員開講挨拶当該教会長諭達拝読巡教員諭達講話約分巡教員閉講挨拶決意表明当該教会長親神様教祖祖霊様礼拝巡教員布教部別席ひのきしん団参実施布教部田中隆之部長では月日別席ひのきしん団参を実施人布教部調べが帰参した正午から東礼拝場で拍子木を入れておつとめを勤めた引き続き大教会長様は参加者に日は髙屋日は福山の創立周年日は諭達巡教日は大教会祭典と重なるなか大勢ご参加下さり喜び一杯です月日教祖年祭に向かっての諭達のご発布を頂きました年祭をつとめる意味は三年千日を仕切ってひながたを辿ることだと聞かせて頂いています教祖は年のひながたをお遺し下さいましたがそれは人だすけのためであり人をたすける大切さをお教え下さいましおつとめに参集た年祭に向かって一人ひとりがたすけ一条のおたすけの実動をさせて頂くことが三年千日を通らせて頂く意味です共におたすけの苦労をさせて頂きましょうとあいさつされたその後当初境内地でのひのきしんを予定していたが午前中の雨の中現場の状態が悪いため直轄東福山髙屋ブロックは西回廊直轄西島根久松上下府中市ブロックは東回廊ひのきしんに汗を流した当日の別席者数は初席人中席人満席人の人台湾からも人が帰参され別席は初席人中席人台湾からも初席中席に布教部立教年全教一斉にをいがけデー集計参加者数人日間のいずれかに参加した人の延べ人数教会長人よふぼく人その他人月カ月間の延べ人数人路傍講演参加者人教祖の道具衆として中西先生は異文化布教は最終的には教祖の道具衆としてどれだけ誠真実海外部誠真実をもってを持って人を導いて丹精しているか海外布教推進講習会に掛かっていると話された講話要旨は次の通り海外部上原志郎部長は月日中西光造先生本部准員を講師に迎え大教会月月次私は年昭和年ブラジルに渡り伝祭後に海外布教推進講習会を開催役員道庁の日本語学校の教師として年半サンパウ部内教会長よふぼく信者ら多数が受講したロの天理会館で約年ブラジル伝道庁で書記として年半勤め現在本部修養科の生活係として勤めさせて頂いている大竹忠治郎先生の親心海外伝道への抱負を話される中西先生ブラジル伝道庁の父と称されている先生は常私たちにおたすけとおぢばがえりだけは決して人に負けるなとお仕込み下されたそして異文化圏で気候風土言語に慣れず大変な苦難の道を歩まれる教友に大きな親心で包まれ勇気づけられた戦時下では筆舌に尽くし難いご苦労をされたブラジルの道ブラジルの道は大竹先生を偉大なリーダーとして教友が一手一つに歩んで来た道です初期は渡泊した日本人移民を対象に広がっていった日本人の移民は農業契約民として明治年月日人がサントス港に入港したのがはじまりです現在ではその子孫を合わせブラジルの日系人数は推定万人にのぼる世界最大の日系社会を形成し今では日系世まで誕生している年代に入り今度は逆に来日するようになり今では約万人の日系人が滞在している戦後天理移民として渡伯され苦労して教会を設立された教会長さんの半数が世の方ですしかし信者さんは年の間に日系人から混血の方非日系の方へと広がってきているブラジルでの布教その一例をブラジル修養会海外の修養会は教会本部の修養科の分室として伝道庁に許されたものが年に開催された以後年までの年間は日本語クラスのみの開催で日本語の分かる世世を中心にした受講者ばかりだったしかし年後の年にはポルトガル語の受講者が更にそれ以降はブラジル語の受講者が増加し近年は日本語クラスの受講者が居ないという時代となったこのことからもブラジル人に適応した修養会のあり方を考えなければならないと思う同時にブラジルで布教をさせて頂き異文化布教他宗教をどう乗り越えていくかが今後の大きな課題です最終的には教祖の道具衆としてどれだけ誠真実をもって人を導いて丹精しているかその点に掛かっているのではないかと思うこのことはブラジルのみならず世界中どこで布教させて頂いても同じことです親神様のお望みになるたすけ一条に繋がる布教活動を入信した方にいかに示して実行して頂けるかまたどうしたら実行して頂けるかが一つのポイントではないかと思う実行しやすいのはひのきしんですこれは生かせて頂いている喜びを身体を使って親神様に感謝の念を表して更には周りの方にも喜んで頂けると説明すると分かってもらえる近年ブラジル青年会ではひのきしんに力を入れています今年の月もおぢばでインターナショナルひのきしん隊に人以上の青年会員が入隊しましたそれまでは青年会活動はお楽しみ行事に流れがちだったしかしひのきしんによってお道に対する意識が変わってきたように思う次に身上事情のおたすけの執行へと導いていきたいが簡単にはいきません身上の方におさづけを取り次ぎまたお願いづとめをさせて頂くために十二下りを覚えて学んで頂きたいが難しいことですしかし座りづとめのおつとめは努力すれば覚えることが出来ると思いますこの道に引き寄せられたらまず朝夕のおつと今年は地球で日本の真裏側にあるブラジル伝道めを通して神名をしっかりと覚えて頂き座りづ庁に年書記として活躍された本部准員中西とめをつとめて頂くことが大切ですそれによ光造先生をお呼びして海外での貴重な体験を聞かり教えの基本であるおたすけが実行出来御存命せて頂いたの教祖を体感して頂き何でもおぢばに帰っておブラジル伝道開拓時代戦争勃発による日本人さづけの理を戴きたいという思いになって頂きたの苦境キリスト教社会へ伝道する難しさなどいのです日本では思いもよらないことや想像も出来ない世界に向かってような大変な状況の中での先人の先生方の信仰を聞かせて頂いたこれからお道の者が世界中へ種を蒔いていくとこの講習会は海外布教を少しでも身近にといいうことが必要ですう思いで開催させて頂いていますがまた同時に有名な教祖の逸話の中で教祖は静かにそのこういった話を聞かせていただいて世界宗教な一房をお手になされてよう帰って来なはったがら日本の土地で育った教えが世界へ出て行く事なあこれを上げましょう世界はこの葡萄のの難しさ世界の中での天理教の存在役割まようになあ皆丸い心でつながり合うて行くたおやさまが仰せられた世界たすけという想のやでこの道は先永う楽しんで通る道や程にいなどを聞かせていただいた話から感じられたこ教祖伝逸話篇一三五皆丸い心でよりとおとを日の信仰生活の中で少しでも生かして聞かせ下さいました陽気ぐらしの意味が心からいって頂きたいと思っています分かり世界中の人間が先永く結び合い楽しん部員は先生の昼食後客間において海外布教で通れるように教祖のこの言葉の実現に向かっにおける質疑応答などの時間を持たせて頂き海て僅かな一翼でも担わせて頂きたいと思います外伝道の展望などを勉強させて頂きました以上要約前日の諭達巡教に次いで続いての神殿でのお話でしたが多くの方に参拝して頂いて誠にあり海外布教推進講習会を開催してがとうございました書面を借りてお礼申し上げます海外部長上原志郎月の大教会月次祭に合わせて創立周年記念大会福山分教会福山分教会田中隆之会長は月日大教会長様奥様随行岡本久善大教会役員を迎え創立周年記念大会を行ったこれは創立周年に当たり年ごとに勤めて交代で勇んでおつとめが勤められたきた記念祭をおつとめ奉仕人増員といううえから部内教会か所のよふぼくと共に交代でおつとめを勤める記念大会として行われたもの当日は台湾など海外からの教友も含め約人が参集した同教会では大教会創立周年への歩みを同教会の創立周年へ向けての歩みと位置付け本年はおさづけの取り次ぎ日参の励行修養科生のご守護の三つの実行目標を掲げなかでもおさづけの取り次ぎ万千回を目指して取り組んできたおつとめ後大教会長様は祝辞のなかでおたすけを日常使う道具の修理にたとえ道具の修理はその製造元に願うように身上事情のご守護は人間をお創り下さった親神様に願う他はない真のたすけを戴く手立てはぢばに繋がるおつとめであり人数も揃え確かなつとめをすることが肝心としたうえでこの記念大会を吉祥として教祖年祭に向かっておつとめ奉仕人をご守護戴けるような歩みにして頂くことが大切そして大事な角目としてただ単に人数が揃えばいいということではなくおつとめを勤める一人ひとりが人たすけを願う心で勤めるということが大切であり人にたすかってもらいたいという心こそがこの道を通らせて頂くうえで大切なんだということを心に置いて頂きたいと話されたそしてこの年ごとの節目はその元一日たすけ一条のうえから教会設立を願い出られた一人ひとりの止むに止まれぬ思いをしっかりと尋ねさせて頂きその心を我が心として次の塚を目指してたすけ一条に邁進することを誓い第一歩を歩み出させて頂くのが今日の日の意義ですと示された引き続き田中隆之同会長は大教会長様にこの一年実行目標を掲げて取り組むなか積極的におさづけを取り次ぐよふぼくが増えたことを報告し福山の理に繋がる私達はよふぼく一人ひとりの実動をお促し下さるをやの思いを心に納めこの一年の動きを教祖年祭三年千日へと継続しおつとめ奉仕人の増員に努めそれぞれの教会が親神様教祖そして先人先輩方にご安心頂ける姿を目指して歩ませて頂く覚悟でございますとお礼と決意を申し上げた参拝者にはそれぞれの教会にしっかりと繋がりおつとめを勤めるよう促しまたおさづけの取り次ぎに一層心を置き年祭活動に向かわせて頂きたい旨を話した大会後アトラクションとして鼓笛演奏各教会紹介スライド台湾舞踊ストンプ註バンド演奏婦人会による踊りなどが披露され最後は大福引大会が行われ大いに賑わった註ストンプ激しく足を踏み鳴らしてジャズ音楽に合わせて踊るダンスジャズのリズムのひとつで足を踏みならすような激しくダンサブルなリズム創立周年記念祭髙屋分教会私達の歩みをお話し下さる大教会長様髙屋分教会武内正美会長は月日大教会諭達の精神であるたすけ一条の実践を促され長様奥様を迎え創立周年記念祭を執り行った最後にこの旬を活かすべき今日を吉祥として同教会では記念祭に向け本年たすけ心をもっ髙屋に繋がる一人ひとりがたすけ一条の心を持って日歩もう古い信者さんの掘り起こし道て教祖年祭に向けて歩んで下さることをお願いの後継者の育成を実践項目に邁進してきたしたいと結ばれた当日はあいにくの雨にもかかわらず約人のおつとめの後武内正美同分教会長は大教会長よふぼく信者が参集した様に創立周年記念祭をつとめさせて頂きこ参拝後あいさつに立たれた大教会長様はまれから教祖年祭に向けての三年千日活動またず髙屋分教会の年という歩みは決して楽な神殿ふしんにと心新たにたすけ心を持って精一道ではなかったと思う親神様教祖のご守護は杯つとめさせて頂きますとお礼と今後の決意を申すまでもなく先人達が心倒すことなくお通り申し上げた下されたお陰で今日があり創立周年を迎える参拝者には年は年の倍ですたとえていことが出来たしかしお祝いをするだけが今日えば還暦を回迎えたようなもので還暦は元にの目的ではない年ごとの記念祭は初心の心にかえるという意味あいもあります年ごとの記返ることであり新たな始まりです初代は身上念祭も初代の心に返ることだと思います丁度事情のご守護の喜びからご恩報じをさせて頂きた教祖年祭活動創立周年神殿ふしんといういとたすけ一条を心に定めて通られたたすけお与え頂く大きな旬に倍のおたすけ心を持って一条のもとだてはおつとめですおつとめをつと歩ませて頂きましょうと述べ今日を新たなスめるために教会設置のお許しを願い出られた先タートとしてをやの思いに応えられるよう一層の人達の思いをくみ取らせて頂いてたすけ一条の成人を呼びかけたうえに働かせて頂くことが大切と教会設置の思祭典後は各教会から出された模擬店和太鼓い記念祭をつとめる意義について話された鼓笛雅楽演奏ダンス福まきなどのアトラクそして月日諭達のご発布を頂き丁度ション大教会長様奥様も参加された福引きが教祖年祭三年千日活動へ向かう旬と周年記行われフィナーレは明日があるさを大合唱念祭後の歩みの時が重なったことを考えれば親し勇みふしん倍のおたすけを誓い合った神様からすばらしい旬をお与え頂いたと思うと創立周年記念祭月に笠岡分教会青年を拝命している当時青それからの私の心にはまともな事が考えられ神邊分教会年に入って未だ間もなく無論私に信仰があろうない性分を自覚しているので何やら底の底ま筈もなく全く教会制度が矛盾だらけとしか映で穢い面まで覗かれるような気がして恐ろしいらない頃でどなた様であろうと一向お構いなような気がしましたそれ程にそのときの私の神邊分教会小坂静宏会長は月日大いという生意気盛りの時代でありましたその心の動きにタイミングの合ったお言葉を頂いた教会長様奥様を迎え月月次祭に合わせ日も気紛れから会長宅のお庭の掃除に降り立つように思いますて創立周年記念祭を執り行ったとその前から盆栽の手入れをしておられた初初代様は会長宅の二階に何時もお控えになっ当日は晴天のなか同教会に繋がるよふぼ代様も私の目には只の老婆としか映らず挨拶ておられ時折夕刻お庭に降り立って盆栽に手く信者が参集したもせず箒を動かしていましたすると何時の間を触れておられる姿をお見かけする程度です参拝のあと大教会長様は勇んで道一条にか音もなく近づかれていてえらいなおまがその垣間見る風格あるお姿の中にもお徳をにお通り下さいと一同を励まされ一手一はんが赤木はんかとお声を頂いたその親心偲ぶ事が出来ました瞬きもなさらず視線を向つに陽気におつとめが勤められたも実の処内心憤懣のやり場を求めていた私のけたまま見据えられるお方でその後滅多にない心には実は瞬間的ではありますが挑戦的な感御用を仰せつかる時も先ず心を改め襟を正し情が走りました然し余りにも間近に寄せられてから参上致しましたそうせざるを得ないもていたお顔を拝して疎うとむように思わずのがありました為さる事言われた事を外の人温故知新はいと案外に素直な返事を致しました然から伝え聞いてその一事一句から初代様の人もその瞬間からたった今僻んでいた心が何処徳を私の心の中に憧れのように画きあげていまかに飛び去っていました暖かい血が流れ込んしたいきいきエピソードできたように思えたのですそうした或日会長様三代会長の御用を神様の事が出来て勿体ないやろ喜ぶんや承っての帰り階段から降りて来られた初代様赤木利行先生吸江分教会三代会長の思い出話でと私の振り向いた顔を見据えるように言わに廊下でバッタリとお会いしましたもう心を初代様に初めて身近にお目見えしたのは私がれましたその態度とお言葉の中に拒みがたい整える間もなく頭を下げると十四歳の初夏の頃であったと記憶しておりま慈愛と威厳がありましたおまはんすまないが一寸用事をしてんかす赤木先生は大正年生まれ昭和年そんな形で初対面をさせて頂いたのですがと言われて庭に降り立たれました管理部大教会大掃除月日土午前時より詰所掛餅つきについて日時月日水午後時より準備月日木午前時より開始参考館招待券について月日月日日本古代の鏡が特別展示されます無料招待券枚が詰所にありますこの鉢よいだろこっちへ持って来てんかが頭を擡げていたのですたとえそういうと言われ教祖殿の前へ運ばせて戴きましたそ事情を初代様が他から聞かれて知っておらの間も何やら背後から見透かされているようでれたにせよまことに当を得た言葉がおさ落ち着かぬ思いがしました果たせるかなしづのように簡潔に出る訳のものではないおまはんなお母さん憎むんやないでえと思います大教会に置いて頂いていてもえかお母さんが居るからお父さんが機嫌よくいつも曇り空のような心で過ごしていたの働くんや皆神様の事やででありますがこの日以来僅かではあり私は全くビックリしましたどうして私の心ますが心に明るさを持つことが出来るようの中が分かるんだろう実に図星へグサッと突になりました長年培われた性格はそう簡き刺さったようにかえってうすら寒いものを単には直りませんが初代様のあの時のお覚えてハイと目を伏せたまま返事して退散言葉で自らの心の闇の一端を自分で自覚しましたできるようになったと思います実は私の母とはなさぬ仲で私の八歳の時に数年の間にほんの数える程しかお会い後入って来た人でそれ以来私は愛情を失ったした事はないのですが赤木先生は昭和少年時代をいやという程託かこってきまし年分教会青年拝命後昭和年まで大教会た父初太郎氏は大正年生田キクヨ女とに住み込みその後岐阜の紙問屋に勤める結婚大正年キクヨ女を離別し市園ミ子女と実に強烈に初代様の面影は私の心に焼き付結婚そのため私の心は最初にも述べましたよいておりますうに知らず知らずのうちに妙な反抗心となって以上誌に掲載の文章である歪み長じるに従って自立の道が立てば仇を討少し言い回しに分かりにくい部分があるつぐらいの気持ちでいたのですだからその日が赤木先生の物言いがそのまま伝わっても何かと考える上に気持ちが高ぶりこんくるようで訂正せずに掲載する事にしたな事していたらという案じと母への憎しみ笠岡史料部長部会婦人会月年間行事予定表青年会少年会学生会学生担当委員会委員直轄委員部長研修会十三峠越え婦人会本部第回総会午前鼓笛バンド講習会おつとめまなび総会学修大学の部学生層育成者講習会春の学生おぢばがえり新入生歓迎会おぢばこかん様に続く会青年会ひのきしん隊縦の伝道講習会あらきとうりょう入門塾キャンプ委員部長後継者講習会全分会布教推進週間学修高校の部学生親睦会第回女子青年大会午前親子で大会に参加しよう第回天理教青年会総会青年会員のつどいてっちゃんと遊ぼうわかぎのつどい例会日毎月日月例活動日備直轄委員部長連絡会日ひまわり会日女子青年例会随時考大教会掃除ひのきしん毎月日教会おとまり会の実施よふぼく勉強会毎月日午後月月月は休みおさづけの取次毎月次祭直後立教年平成年年部会全体行事月その他ひのきしん直轄教会春季大祭参拝年頭会議諭達巡教春季大祭詰所受入部内一斉巡教修養科修了講習会本部食堂島根ブロック部内一斉巡教雅楽勉強会布教部海外部観光地での外国語パンフレット配布教会長夫妻講習会教祖ご誕生祭詰所受入大教会全教一斉ひのきしんデー直轄教会定期巡教本部食堂福山ブロック大教会長杯親睦スポーツ大会別席ひのきしん団参修養科修了講習会直属ひのきしん特別隊髙屋ブロックタンザニアおたすけ訪問及び衣料配布日間教祖年祭若人の集いこどもおぢばがえり直属ひのきしん特別隊上府ブロック本部食堂西ブロックこどもおぢばがえり詰所受入英語講習会修養科修了講習会布教推進強調月間布教部活動日全教一斉にをいがけデー直轄教会秋季大祭参拝本部食堂東ブロック修養科修了講習会秋季大祭詰所受入観光地での外国語パンフレット配布海外布教推進講習会月次祭に合わせて心定め提出年末大掃除詰所餅搗常詰会議毎月日午前註ブロックの区分けは備役員会議毎月日午後役員並びに直轄教会長会議毎月日午後東岡山県以東の直轄教会とその部内教会直轄教会長の集い西広島県以西の直轄教考毎月日午後雅鶯会練習毎月次祭前日夕勤後舞楽練習随時会とその部内教会上府上下府中市おかえり講話月例勉強会毎月日月日月日英文発行月日海外よふぼく月報いずれも午後常詰会議役員会議役員並びに直轄教会長会議月は末日月は日直轄教会長の集いに替えて行なう修養科生の声もあってか詰所内の割り当てられたひのきしん良かったのか等と考えもしますが詰所やクラスがすぐに終わってしまい自由になる時間が多くの気の良い仲間達に出会えた事やお道の事につ初めの内はただただ漫然とと過ごしていましたいて学べた事他にも様な得るものがあり大変何をするでもなく部屋で横になりポーッと過ご貴重な時間を過ごさせて頂いたなと思っておりましているのでは自分が駄目になると思い空いてす今回得たものを心に留め大切にしこれから弥髙山分教会岡﨑治喜いる時間はなるべくひのきしんをするように心掛の生活に活かして行きたいと思います修養科を三ヶ月無事何事もなく修了する事がでけました主に詰所の草抜きをしていたのですがき大変嬉しく思います思えば嫌ながら来さ雨の日や他の用事が無い時以外は休む事なくでき芦品分教会小林謙太せて頂いた修養科ですが振り返ってみれば大変たのでちょっとした達成感もあり嬉しく思いま三ヶ月間楽しく元気で無事に終えることがで有意義なものでした来た当初は憂鬱で仕方なす又草抜きをしながら今後の事や色の事きましたこれから親孝行して家族の絆を深めてかったのですが来させて頂いたからにはしっかに思いを巡らせる事も出来充実した時間でもあいきたいですありがとうございましたり通らせて頂こうと思っていました私は教会のりました今回の修養科で一番良かったなと思う子供でありながらまともにおてふりも出来ない事はおさづけを取り次げた事です私は用木に稲瀬分教会前原啓史のでしっかりと覚えて帰る事又教典や教祖伝もなって年半ほど経つのですがこれまで一度もヶ月間の修養科生活を通して周りに気配り読んだことも無かったので授業でちゃんと学ばおさづけを取り次いだ事が無かったのですとい出来る心が養われたと感じていますこれからのせて頂こうと心に決めていましたお手ふりは教うのも私は余り信心深い訳でもないのでその様人生修養科で得た大切な経験や教えを忘れる事養の先生方や授業で細かい所まで丁寧に教えて頂な者が取り次いだおさづけに効果があるのかとなく勇んで通らせて頂きたいと思いますき拙いながらも何とかできるようになりました思っていましたし気恥ずかしさもあって取り次教典教祖伝に関しては初めの内はしっかりとげなかったのです初めてのおさづけは実習で米美分教会三代斉幸ノートもとり先生の話しに耳を傾けていたのでの取り次ぎですが真剣に心を込めて手順も間修養科のヶ月間の生活が終わろうとしているすが途中から気の弛みか寝て過ごす事が多く違える事なくたった一度のだけのおさづけでし今振り返ってみるとヶ月間とても早かったよなりしっかり学べなかった事が心残りでありたが取り次ぐ事が出来たという事実が私の中でうに感じます私たち期の修養科生は全員で深く反省しております帰ってから又自分で読は重要であり思い出深い出来事でした修養科の人と近年では多くにぎやかに楽しく過ごすこみ返し学びたいと思います詰所での生活はヶ月最初の一ヶ月は異様に長く感じましたがとができたように感じますまた修養科生の中気の合う若い仲間や優しい御年輩の方と大変楽ヶ月目はあっと言う間に過ぎて行きましたで私が歳で一番若くいろいろと気にかけていしく過ごさせて頂きましたただ人数が多い事もっと何か出来た事があるのではないかこれでただきましたありがとうございました教養主任の横山先生をはじめ助員の吉岡先生津森先ますヶ月間見守って下さった教養係の先生生仙田先生大変お世話になりましたこれか詰所の方笑いと包容力ある修養科生遠くから皆元の生活にもどりますが修養科でヶ月らあたたかく支えて下さった両親信者さん本学んだことを忘れないようまた少しでも実践で当にありがとうございましたきるようにしていきたいと思います多古浦分教会山田廣國簸ノ川分教会津森一重私は多古浦分教会の会長さんの勧めで修養科へ修養科には仕事とのタイミングを見計らい来さ志願しました修養科へ来る前に会長から何かせて頂こうと思っていましたが結婚も決まり仕一つ身に付けて帰って来て下さいと言われ約束事にもケジメがついた為修養させて頂きましたしてきました修養科の生活もヶ月目に入り以前より仕事でイライラすることも多くなってき会長との約束をはたす為鳴物やておどりよろた為今回心素直に腰を低く笑顔で通らせて頂づ八首十二下りの練習に取り組んでいますくことを心において入りました笠岡詰所での入まだ十分にこなす事は出来ませんが残り一ヶ月で所式が始まり自分と同世代から上は歳まで可能な限り成長したいと思っていますまた修養人という大所帯皆さん元気ハツラツとしていて科の生活を通して私達の生活リズムが規則正しくひのきしんや修練でも活気溢れる修養科生活とな改善されてきていると感じますまた詰所でのおりました以前より時間に制限されないせいかつとめやておどり修練にはげみました心のゆとりが出来た為かイライラすることも少なくなり本当に有難いことやなあと思いますた眞府分教会藤田宗士だまた修養科生活を終え家庭生活に入り仕有り余る時間で自分を見つめ直すことができま事も復帰すればイライラすることも必然のようにした起こってくることと思います修養科で学んだ不足心を持った時の切り換え方を意識すること東城分教会横山真衣又その心の中に積もるほこりを大きくさせない六年前に頂いた身上と心の入れ替えをする為に為にもおつとめを行い本日も何事もなく通らせ自ら志願した修養科本当に行って良かったと思て頂いたことに感謝し今後の生活を送っていきいます修養科での生活はすごく楽しく和気あいあいと賑やかな三ヶ月を過ごさせて頂きましたクラス代表として感話大会に出させて頂き胸の内を話すことができましたたくさんの方が笑顔で接して下さり私の気持ちも陽気になり心が元気になりました八五七期の方と共におさづけの理を頂いたことがすごく思い出に残っています修養科は私の心に一生残る大切な大切な思い出となっていますお引き寄せ頂いたこの出会いをこれからも大切にしたいです芦品分教会青木縫子四年前に修養科を修了しました今回が二回目です四年前は詰所も古い詰所で大変でした掃除にしても食事も何にもかも不便な時代でしたそれでも勇んでました本部と詰所を何回となく往復したものです今回私も不幸が続き主人が二年前に八才で出直しました今年七月娘の婿が五十六で出直しました親としてどうすればいいかと思い修養科に出る事を決めました次の日娘から長女の婿を連れて出てもらえないかと言われほんとに喜んで引き受けました私にとっては孫の婿になるのですその婿も七月に東京から広島へ孫と一緒に帰って来たばかり親に修養科へばあちゃんと行く様に言われ素直に返事してついてきたのです大丈夫かなと一寸不安でしたが教養掛の先生に厳しく又やさしく教えて頂きおてふり鳴り物何でも出来る様になり先生に感謝しております十九日はおさづけも頂き用木となりましたありがたく涙が出る思いです先生方のおかげです感謝の心でいっぱいです私も役目を果たす事が出来ました又私は修養科中に八才を迎えることが出来てほんとに幸せです三ヶ月間若い人達に助けられて元気で修了出来皆様に御礼申しあげますこれから教祖百三十年祭に向かって頑張って行きますほんとに喜びでいっぱいです有りがとう御座居ました天場山分教会野津萬知子三ヶ月の修養科生活もあと二日となりました娘主人私息子今年になってから妹と次に御守護いただき親神様教祖に御礼申し上げたく又お道の更なる向上を目指しておぢばに帰らせていただきましたおぢばでも老眼鏡が全く必要なくなるという御守護を戴きました八月詰所に着いた翌日に何十年音信不通だった甥が神殿に参拝してから訪ねてくれましたここで又神様に感謝申し上げました修養科生活の中でも度存在を示して下さいましたその一つに詰所で同期の八十二才のさんを黒門前でお手振りおつとめに参加させてあげた時天理教の事何も知らなかったさん神殿が見えるなあの言葉に私は涙が溢れましたよろづよから十二下り迄休みなしにおつとめされましたさんの参加に当たり風邪は私が引き受けますと神様に約束してた通り翌日から二日程鼻水が出て神はここに居るぞとお知らせ頂いたと思います詰所では横山先生を芯に副の教養掛の先生と修養科生はいろいろひのきしんさせて頂きました一階から三階迄のゴミ箱の清掃は印象に残っています全員嫌な顔せず協力して励みました今月十八日若い人に負けないで十三峠を歩きこかん様を偲びました詰所主任御夫妻事務所の先生方そして毎晩のお風呂は格別でした充実した修養科生活でした親神様の思召し教祖の思いをしっかり治めさせて頂きましたので次世代隣り近所地区ににほいがけをし教祖の百三十年祭に向けて頑張りたいと思います教祖の前でのまなび昨夜大教会長様に手おどりを見ていただきうれしかったです親神様教祖有りがとうございました稲瀬分教会前原英子年前夫の身上から夫婦子供二人の四人で修養科に出させてもらいましたその時一緒に連れてきていた長男の身上事情でこのたび二度目の修養科となりました入信の動機は子供に恵まれず夫の姉から別席を勧められ満席の時に妊娠している事がわかりおさづけも戴き無事に子供も授かる事が出来ました修養科では授業長期ひのきしん神殿掃除心定めしたひのきしん等休まずにつとめさせて頂ける健康を有難く思わせて頂きました年近く付き合いのある友人が一期下で修養科に御夫婦で入られました一ヶ月目は車イスで通うことが出来ましたが二ヶ月目に入り憩いの家に入院されましたお見舞いに行かして頂きおさづけを取り次がせて頂きました時涙が溢れ声にもならないものでしたそれでも心のこもったおさづけを有り難うと握手してきてくれた彼の手は病人とは思えないほど力強いものでしたその握手が最後となり一週間後に出直しされました癌があちらこちらと転移していたようです絶対に御守護頂けるからと励まし合い心定めをしてお願いづとめをしたきたこともあってこの事は思いがけないことでした悲しみと無念さは有りますがお地場で出直されたことはやはり御守護だったのではと思います最後におさしづの中から神の自由して見せてもその時だけは覚えているなれど一日経つ十日経つ三十日経てばころっと忘れてしまう日が経てばその場の心がゆるんで来るから何度の理に知らさにゃならん私の信仰は全くこの通りだと思います神様は人間に忘れるということを教えて下さり悲しみ苦しみを時間と共に軽くしていってくれていますしかし恩を忘れる事はしてはいけない事です改めて気を引き締めてこのことを心に治めてつとめて参りたいと思います鶴眞分教会藤井末子修養科の修練に参加させて頂いて三十代の若い人と肩を並べて勉強させてもらって考え方が自然に少し若返らせてもらえた様で有難く感謝しております又特にその都度親切ていねいにアドバイスを手に取る様にやさしくしてもらえた時の喜びと嬉しさは私の残りの人生に何時までも忘れられない美談として心のささえとなる事と思いますこの少しみだれ気味な世の中にこの様な考えの若い人がおられることを見直し有難く又昔の教育を受けた者から見ると心強く嬉しく思います修養科に来させてもらった後と前とでは私の考え方思い方が百八十度変わったように感じます何事もブラス思考に考える様になろうと又人生の尊い先輩者であることの自覚もしてその様に努力しようと努めましたがまだまだと悔いております教会おとまり会の報告福満隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員名育成会員名合計名日受付会長さんのお話し夕づとめ夕食ゲーム花火入浴日就寝起床洗面ラジオ体操朝づとめ会長さんの話しひのきしん朝食海水浴スイカ割り昼食解散所感子供達の学校のキャンプやスポーツクラブの試合等で参加人数が少なくなりました談話室事故により離婚夫婦を救う神昭分教会神予布教所長渡部京子平成年月日神予布教所用木石丸アツ子さん歳が夕方友達二人で散歩されて横断歩道を渡っている時歳の女の方が運転されていた車に跳ねられ救急車で病院に運ばれ腰の骨が折れる重しょうをおいました加害者夫婦が病院に来られその時御主人様から離婚する話をしていたから妻が考え事をしていたのでしょうと言われたそうです石丸さんが離婚はしないで下さいと言われたら御主人様が頑張りますと言って下さいました又話に来てもいゝですかと言われ何時でも来て下さいと言ったらお二人が大変喜ばれたそうですこの度の事故で嬉しい事ばかり石丸家の講社祭に行く度御主人様が京ちゃん来てくれていたのですかと言って下さいました御主人様はおさづけの事は知って居られませんでした奥様が事故に合われた夜御主人様からアツ子が事故に合ったのでおさづけをしてやってほしいと立教百七十五年十一月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者谷岡内﨑伸真自一賛者高内木海昭史祥郎指図方岡本久善講話海外布教推進講習会春季大祭講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半佐藤道孝吉岡壽中村邦義上原志郎門脇元教笹尾正治今川昌彦上原浩田林久嗣大教会長様上原繁道中村剛岡本久善森本忠平谷内伸自上原繁道杉原博之田中隆之大教会奥様佐藤香苗上原順子田中ますみ岡﨑豊子高木孝子門脇郁子笹尾一美横山小智榮吉岡誠一郎森本忠善山野弘実岡﨑和夫中村道德山田敏教上原澄雄西江昌直赤木素志中島誠治虫明立生岡﨑輝彦河原節喜三島渉淺野明教高木昭祥中村義太郎武内清明髙田賀代子内海安子谷内美知子今川佐智子武内正美門脇加津虫明好美森本冨美子三島照美岡﨑真一内海史郎が有りました私大変嬉しかったです次の日病院に行きその話をしましたら奥様が主人がそんな事を言ってくれたのかと大変喜こんで居られました私の家と御勤め先の中間に病院が有り親神様の親心の深さを感じました朝夕のおさづけを取り次ぎに行ける喜こび本当に有難く心から嬉しく思いました加害者二人が来る度に石丸さんが元気になられている姿を見てお二人も大変喜こばれ笑顔も出て来たそうです石丸様も辛い苦しい毎日を過ごされたのに加害者の夫婦の心を助けられました話を聞き私も嬉しかったです石丸様が信仰を続けて下さったお陰だと思い親神様教祖に心からお礼を申しあげましたこの事故の節を通し神昭分教会月次祭に勤める心定めをして下さいましたある日大分良く成ったので京ちゃんも休んで下さいと言われ私は心定めをしていますから心配しないで下さいと言って帰えりました次の日病院に行きビックリ石丸様がやつれて大変辛そうな顔をされていましたどうされたのですかと聞きますと私が不足心を使ったばちので神様が罰をあたえられたのだとばち言われました神様は罰はあたえられませんよ素直な心が大切よと言ったら神様に凭れて行きますと言われその後おさづけを取り次がせて頂きました直ぐ優しい顔に戻りました親戚にも事故の事は知らせていられませんでした耳にして次ぎ次ぎ見舞いに来られ石丸様の姿を見てビックリ信じられ無い夢のようだと皆様喜こんで居られました今日迄信仰させて頂いたお陰京ちゃんのお陰と喜こんで頂きました信仰して心の一歩前進をして下さった事を心から嬉しく思い会長様奥様に親孝行が出来ました教祖年祭に喜こんで頂けるよう私も信者さん達と共に心の成人が出来ますよう頑張りたいと思っていますペンを取らせて頂きありがとう御座居ました十一月月次祭祭文こころの詩これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの親心溢れる御守護を賜る中に青かった山や里の木の葉も紅や黄色に変わりそして落葉となって夏秋冬と季節の移り変わりを味わわせていただいております事は誠に有難い事と喜ばせて頂いております加えて陽気ぐらし実現の為の成人を促す上から旬に親の声をお聞かせ下さり陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます先月も秋の大祭に於いて真柱様から教祖百三十年祭に向けて諭達の御発布を頂きましたが諭達に込められた思いを親の声と聞かせて頂き以来日は心も新たに親孝心一筋に今まで以上に勇み心を持ってたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて大教会に続き本年は福山高屋神邉分教会が創立百二十周年を迎え九月の神邉に続き今月高屋福山が夫に記念祭を執り行わせて頂く事が出来今日までの御守護お導きの程に御礼申し上げると共に先人達の思いを受け継ぎより一層の成人を目指してたすけ一条に邁進する事を誓い合わせて頂きました又昨日は本部より冨松幹禎先生にお越し頂き大教会役員並びにおつとめ奉仕人教会長夫妻布教所長で諭達巡教を受けさせて頂きました諭達に込められた教祖百三十年祭に向けての成人の歩みをしっかりと受け止め親神様教祖にお喜び頂けるよう笠岡一丸となって実動させて頂く覚悟でございます更には又たすけ一条の歩みが国内のみならず海外にまで延び広がるよう本日は祭典に引き続き海外布教推進講習会を開催させて頂きます世界一列をたすけたいとの親心に一歩でも近づく歩みに繋げていく所存でございます加えて明後日二十三日には別席ひのきしん団参をさせて頂き教祖年祭に向けての成人の歩みにより拍車をかけて行く所存でございます何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りに成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り一人ひとりのたすけ心が次と伸び広がりお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付芦品分教会金谷眞佐代さん屋上に陽気ぐらしの幕を張りいつも見上げて心勇むる福満分教会前会長夫人福島悦子さんいざな封書にておぢばがえりを誘えばメール届きぬおねがいしますと海松ヶ岡分教会藤井光子さんふゆあ富有柿の入りし白和えはんなりとやさしき味よ柿の甘さは海松ヶ岡分教会池田広子さん川べりに自転車よせてやり過ごすみこし子供神輿の威勢よきこと養徳社発行陽気誌十二月号道柳より転載今回の課題は理笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん願えども心通りや理の世界表紙写真吉岡輝昭編集部員大教会だより第八五七期修養科教養掛三ヶ月間横山逸郎大教会准承事一ヶ月目東城分教会長吉岡輝昭安那分教会長二ヶ月目津森朋之簸ノ川分教会長三ヶ月目仙田公男天場山分教会長修了者弥高山岡﨑治喜芦品小林謙太稲瀬前原啓史米美三代斉幸簸ノ川多古浦眞府東城芦品津森一重山田廣國藤田宗士横山真衣青木縫子天場山野津萬知子稲瀬前原英子鶴眞藤井末子教人資格講習会修了者終講西伯本多正悟直属ひのきしん特別隊笠岡徳山毅眞府藤田宗士三日講習会受講者以降第講第項月芦品加納謙備中岡田和子月松都斉藤志満子月香地華渡辺美恵子芦加茂小川惠子芦加茂小川裕子高屋重政康子坪生阿部通子月芦品加納謙月上下山野賢司月出雲鳥谷美奈子訃報武内清氏大教会理事髙屋分教会三代会長元岡山教区長月日出直された享年才毎年月に発表される流行語大賞今年の大賞はワイルドだろぉだったこれは某芸人が持ちネタの中で言うお決まりのセリフで子どもから大人まで幅広い世代に流行したワイルドとは野生などの意味があるが私がワイルドと聞いて思い浮かべたのは青年会本部制作のポスターである熊野古道の険しい山中の写真をバックに荒道を行けという文字が印してあるまさに青年会のあらきとうりようの精神を画に現したものださてこの一年私自身ワイルドだっただろうかとふり返ってみる教会家庭会活動など様な場面において現状に甘んじて守りの姿勢に入り開拓の精神を忘れていなかっただろうかそこに情熱はあっただろうかなどを自問してみると反省の念ばかりであるましてや自分があらきとうりようを自負する青年会員である事を思えばワイルドではなかったと思う教祖百三十年祭向かう年祭活動諭達の中ではおたすけが急務とされているしかし身近な人に声をかける事は実はなかなか勇気がいる事ではないかと思うそんな時こそ荒道を突き進むワイルドな精神で自分の殻を破っていきたいと思う来年はワイルドかつ繊細な心遣いで少しでもおやさまに喜んでいただこうと考えているう
かさおか

『かさおか』第51巻 第11号

天に向かって色づくイチョウ月日大教会神苑で教祖年祭に向かって成人目標おつとめ奉仕人の増員前へ前へそして日のたすけ心の声掛け秋季大祭講話大教会長様つに道具として使おうと思うがどうかと尋ねられましたこの道具も親神様のお言葉を聞いて最初は断わりましたがやはり押し問答の末に承知をさせて貰い受けそして人間創造に取り掛かりました立教の元一日について話される大教会長様承けることからたすけは始まる立教のタイミング我は元の神実の神であるこの屋敷にいんねんありこのたび世界一れつをたすけるために天降つたみきを神のやしろに貰い受けたい教祖御身お隠しの元このお言葉がくだったとき中山家にもいろい明治二十年教祖の御身に身上の上からお伺いろと事情がありましたので簡単に承けるわけにを立てたときにはろくぢに踏み出す扉を開はいかずなかなか承知することができませんでいて地を均らそうか扉を閉まりて地を均らそうしたが三日三晩押し問答を繰返す中に夫善かというお言葉があり当時の人は意味が解り兵衞様がみきを差上げますとお返事をされたませんでしたが扉開いてとお返事申しあげのが今から百七十五年前天保九年十月二十六たところ教祖御身お隠しという結果になりまし日の朝八時頃教典には天理教はここにた始まると書いてありますこれも親神様が勝手に教祖の御身をお隠しにつまりみきを貰い受けたいというお言葉によって親神様が勝手に道を始められたのではなく親神様のお言葉に対して夫善兵衞様なったのではなくて人間の答えを受けて御身お隠しろっくの地に踏み均しに出られる御守護世界だすけが始まりましたがみきを差上げますと承知をされたときからこのお道は始まりました承けることからたすけは始まる人間創造の始まり天保九年より遡ること九億九万九千九百九十九つまり親神様が世界一れつをたすけたいという思いを発信され私たちがその思いを承けたところからすべて親神様の御守護たすけの年前親神様が人間創造に当たっていろんな道世界が始まっています具を寄せられましたが寄せられた道具一つひとつまり私たちがこのお道を通る上においては旬にお聞かせいただくをやの声というものを承知しましたと承けることが大事だということです教祖年祭の旬に発布される諭達はをやの声たすかりでありなぜ病気になり災難が起ために生まれてきたと聞いても陽気ぐらしがでこるのかが分かってないのでたすけると言きるとはなかなかいきませんうと神さん任せにしてしまうのが人間の常です話しを聞かせただけではなかなかたすけにはしかしながら親神様のたすけは真のたすけ至らない通って示さなければ分からないだろうですという上から親神様は教祖のお身体に入り込ま十年ごとの教祖年祭の旬も親神様教祖により一層たすけ一条にお働きいただき不思議かしものかりものれ神様にしてみれば通らなくていいものをわざわざ御自ら五十年のひながたをお示しくださ自由の御守護を現わしていただこうと思うなら先ず諭達を通してをやの声を聞きそしてそのをやの声をハイと承けることによって陽気ぐらしへグッと近付くことができる旬だと思いま病気や災難が起こってくるのは親神様が罰を与えてやろう苦しめてやろうというものではなく一人ひとりの我が物である心の遣い方を間違えているからですいましたこうやって日歩んでいけば必ずや自分だけでなく世界が陽気ぐらしの世界に立て替わっていくという陽気ぐらしに向かう道を示されましたす諭達をしっかりと承ける承けた以上はしっかりとつとめるその心を今からしっかりと作ることが大切でありそして諭達を承け承知しまだから先ず心の反省をすることが大事であり陽気ぐらしに向かうためには心の入れ替えをすることが大事だということでかしものかりものということを教えられていますひながたに示されるよふぼくの使命欲の心を捨て去る教祖のひながたの第一は貧のどん底に落ち切したやらせてもらいますと親神様に申しあげることが大切だそういう旬だということを心に教祖のひながたられたという姿でした貧に落ち切らねば難儀なる者の味が分からおいてもらいたいと思います陽気ぐらしに向かう道筋真のたすかりとはその上で改めて立教の元一日のをやの思いしかしながらすべてのお話しを聞いたからといってすっきりと心を入れ替えて陽気ぐらしの心に切り替わるかといえばなかなかそうはいかないのが人間の欲の心です八つのほこりの説き分けを聞いたからといっんという意味もあって貧のどん底に落ち切られましたがこれは欲の心を捨て去るということを教えられたのだと思いますよくがあるならやめてくれかみのうけとりでけんから九下り目四ツを思案したいと思いますはじこのお道を啓められた目的は世界一れつをたすけるためです人間にとっては病気や災難が無くなることがて人は腹立ちをする心は治まらないし恨む心はなかなか消えるものではない剛気強欲もなかなか消えるものではない元の理の話を聞いて人間は陽気ぐらしをするよくにきりないどろみづやこゝろすみきれごくらくや十下り目四ツいくら陽気ぐらしを要望してみても欲の心があったのでは無理だからこの道を通る上で先ず大事なことは欲の心を捨て去ることだということを教えられたのだと思います戦後は金が無いどころかその日に喰うに困喜びの心を味わうひながたのつ目はそうすることによって木を打って神名を唱えるだけのおつとめでしたが我が身がたすかるためのおつとめであって世界だすけのためのおつとめではありませんでしるような時代でした一生懸命働いてその日に自ずと心に明るさが生まれ喜びと感謝の心が湧食べていければもうそれで幸せというようなこといてくるということを教えられたのではないでで隣近所もたすけ合いながら日過ごしていくしょうかたたすかりたい人がおぢばは元より日本中を走り回って神名を唱えておたすけに回りました家を空にするときも鍵を掛けもせず扉は開けっ世界には枕もとに食物を山ほど積んでもそうしてお互いにたすかってはいきますがそ放しでした食べるに食べられず水も喉を越さんと言うのたすかりはその場限りのたすかりにしかならしかしだんだん小金が貯まって生活が豊かにて苦しんでいる人もあるそのことを思えばないことも多かった自分が困ったときにはたすなってくるとドアに鍵を掛けるようになり隣わしらは結構や水を飲めば水の味がするけるが普段はしないということも少なくはあ近所との付き合いが薄くなってきました親神様が結構にお与え下されてあるりませんでした現代はどうでしょうかマンションの入口でス伝章とてもかみなをよびだせばトップさせられ部屋に入るにもつもつも鍵をしている隣近所は一体何をしているのか下手にドアを開けると隣の人さえも信用できないというような姿になってきています欲の心を捨て去ることによって自ずと心に明るさが生まれ物や金が無くても生かされているという喜びが自ずと湧いてくるそれが陽気ぐらしに向かう第一歩だということを教えはやくこもとへたづねでよ九下り目十いたる所で神名を唱えてはいるがおぢばに帰ってきて親神様教祖に御礼を申す人がなかなかいませんでした何か一つの物が与わればすぐ次の物が欲しくなる良い物が与わればそれより良い物が欲しくなる欲は欲を生んで正しくよくにきりないどろみづやという姿これが現実の姿でしょうそれがほこりの心遣いになって我が身が苦しまなければならない姿を招いているとするなら陽気ぐらしに向かうためにはその欲の心を捨て去るこれが大事だとひながたの第一のこととして教えられたと思いますられたと思います人だすけに歩むつ目にはをびやだすけから始まる人だすけ困っている人を次から次へと不思議なたすけ御守護でもってたすけられましたもと教祖にたすけられた人が教祖の許に集まってくるその人たちに教理を教えられたすかる手立てとしておつとめを教えられましたその当時のおつとめはただ御幣を立てて拍子ですから本気でたすかりたいのなら世界たすけを願うならおぢばに帰れとわざわざちゃんとみかぐらうたにも述べておられます月日に別席ひのきしん団参をしますがおぢばに帰るということも陽気ぐらしをする上では大事な角目でありさあ皆さん一人でも多くおぢばに帰らしてもらいましょうと声掛けするならおぢばがえりしても大きな意味があるということですそうしておつとめはつとめてはいましたが我が身のたすかりのおつとめであって世界だすけにはなかなかいきませんでしたそこでおさづけを当時の先生方に授けられるようになりました人だすけのできる人を育て上げるとするならばお道を通る私たちのよふぼくの使命は何かと言えばひながたの道を通らねばひながた要らん確実に増えていますおつとめ奉仕人がどれだけの数が減ったかは定かではありませんが間違いなくそれ以上に笠岡としてのよふぼくは増えていますそうなると今度はそれは自分の力だというふうに勘違いをして自分が神だと勘違いする人が出てきてしまいましたその上から改めて心のたすかりは何が大切かということで人たすけて我が身たすかるとひながたを辿ることがよふぼくとして大切だということなら日欲の心を捨て去り喜び感謝の心を味わってそしてつとめとさづけを通して人だすけに歩むプラス人だでもおつとめ奉仕人は減っているのです何が足らないのでしょうか教祖は御自らをびやだすけを始めて次とおたすけをされましたがそれでは足らないとつとめとさづけを通しておたすけ人を育て上げらいうことを教えられたのではないでしょうかすけをできる人を育てていくということですそれまでの神名を唱えるだけのおつとめは一その最後の部分を忘れていなかったでしょう人でできるおつとめであり我が身たすかりのおか教祖年祭の旬に改めて思案したいつとめです教祖年祭が済んだ後教祖年祭に向かって今のおつとめは人が集まってみんなでつとおつとめ奉仕人を御守護いただこう年祭のとめるおつとめでありこれは我が身がたすかるたきそれぞれの教会のおつとめ奉仕人を年祭めのおつとめではなく人さんにたすかってもらのときより一人でも増やそうと皆さん方に声を掛うためのおつとめ世界たすけに繋がるおつとめけましたです多くの方が簡単なことだと仰いましたがおさづけも素晴らしい効能の理はあっても年経ち年経ち年限が経つと同時に人れました実際教祖御身お隠しの後燎原に火を放つように世界中のよふぼくがおたすけに走り回りました別科修養科の前身が終わって帰ったらもう直ぐ早速にをいがけおたすけに歩き回られたどこかで初席者ができたよふぼくができた修養科生が一人修了したということに満足してしまってはいないでしょうかそれらを通して一人ひとりがおたすけ人になってもらうというところまで思いが至ってい我が身には取り次ぐことはできません減りました人減りましたもう人も人なかったのではないでしょうかつとめもさづけも人さんにたすかってもらうたも増やさなければならないそういう声を聞きまおぢばがえりに一人誘うのも別席を運んでもめの道具立てでしかありませんこれが教祖のひながたの集大成でした教祖五十年のひながたの集大成はつとめとさづけをやりたいその一点でしたしたそれぞれの教会が人増えるどころか現実にはだんだんに減ってきています何故なんでしょう全教会ではありませんが少なくとも毎年よふぼくは生まれ修養科修了者教人登録者もらうのも大変なことですがおたすけ人にまで育て上げるという最終的な目的を持っておかなければ一つひとつが世界たすけというをやの思いに添いきれない姿になってしまうということを心に置いて年祭の旬はおたすけ人を育て上げるための苦労をする旬だということを心に置きくそこからのおたすけ人に育て上げるというとたいと思います教祖の五十年のひながたは正しくおたすけ人を作るそこに五十年のひながたがあったと思ころが欠けてしまっているからではないでしょうかよふぼくになることだけで満足してしまっいますて一番大事なおたすけ人に育て上げるとこ日のたすけ心の声掛けおつとめはたすけの元立てそれぞれの教会の修養科を修了された方あるいはおさづけを拝戴された方が間違いなくろまでいききれてない姿が奉仕人が増えてない姿にあるのではないでしょうか前へ前へ勢いのある人を増やそう祭典に参拝しておつとめの理を真っ先に頂戴おたすけ人になったならおつとめ奉仕人は増えしたいと思うなら自ずと前へ前へと来て結ているはずですなぜならおつとめはたすけの元立てでありおさづけをお取り次ぎするためにはおつとめを界の前に座るのではないでしょうか我が身がたすかりたいだけなら後ろの方で参拝していてもいいかも知れませんが人にたすつとめなければいけないからですかってもらいたい何とか神様に働いてもらいた例えば仕事の都合でどうしても祭典をいと思ったら自ずと前へ前へと心が向き身つとめられないとしても人にたすかってもらい体が行くのではないでしょうかたいおさづけに十分に働いていただくためには大教会でも普段は椅子席を後ろの方に置おつとめの理を頂戴したいと思うなら祭典にはいてありますが今日は前の方に置きましたつとめられなくても祭典の前の日に祭典の準備椅子が後ろに置いてあるから止むなく後ろでをしよう仕事が終わってから夜に教会に行っ参拝しているが本当は前で参拝したいというよて後片付けをしようそうやってでもおつとめうな方もおられまいかということで今月から椅の理を頂戴さしてもらいたいおたすけ人な子席を前の方にしましたらそうなるはずですある先生が真柱様に真柱様は日本国内は修養科を修了してヶ月はつとめても元より世界中いろんな教会に行かれますが勢いだんだん都合が悪くなったりするのは間違いなのある教会とそうでない教会の違いはどういうところにあるのでしょうかとお尋ねされたところ教会に違いは一つもない違いがあるとするなら祭典のときに参拝場の前から埋まるか後ろから埋まるかの違いだと仰ったそうですそれぞれの教会も参拝者が少ないかも知れませんが椅子席も全部前に結界前に出しませんか教会に参拝した人が前から前から埋まるようなたすけ心を持った勢いのある人を増やしていくようにしていきませんかこれは形だけのものではなく心からそういう形になっていくことが大事なことではなかろうかと思います日のたすけ心の涵養たすけ心を声掛け今世の中はどんどん陽気ぐらしとは逆の方向に向かっているように思われます人をたすける心がなくなったときにいろんな災いが起こり苦しまなければならなくなるわけですから一人ひとりの心の中に人をたすける心をいかに持ってもらうかが大切なことではないかと思いますこういう今の旬だからこそ人をたすける心を一人ひとりが持つことが大切だということを改めて心に置いて共に教祖年祭に向かってたすけ人を育てるその目的を持って日しっお話しくださる永井先生かりと辿りたいと思いますそのためには日の歩み日のたすけ心の涵養が大切になってきますそしてこのたすけ心をただ持つだけではなくその日のたすけ心を少しでも一人でも多くの人に声掛けをしていくということ教祖年祭に向かって日の理づくりと申し合わせていますがそれに加えて今度は日のたすけ心の声掛けこれを加えて年祭に向かう中に回でも多くおさづけを取り次ぐ機会になれば親神様教祖にお喜びいただける姿になると思います以上要約言葉に触れられ今は結構に暮らしているけれどご用もその人に与わる大事な旬の声と受け取り初代二代と続く先祖の元一日を忘れないように低い心で素直に通らせて頂くことの大切さを述と結ばれたべられた引き続き約分同テーマについての質疑応答そして教祖年祭に向けては三年千日というが行われ参加者は熱心に受講した勉強会に先月日は歳を重ねている人程早く感じられるも立ち月次祭終了後神殿で同部おたすけ掛員よりのだから一日一日を教祖真柱様の思召しに添一人におさづけが取り次がれたなお月の勉強えるよう心定めをして通ることが大切でありそ会は休講おさづけの取次は行われますれが継続できるということが重要と話された最後に年祭活動を晴れ晴れと心残りなくやらせて頂くことができて良かったなという気持ちで教祖年祭を迎えさせて頂きたいと締めくくられたよふぼく勉強会開催テーマは元一日について月月次祭後育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催約人が参加した今回のテーマは元一日講師の河原節喜先生は天理教の元一日について説かれまたそれぞれに入信の元一日個の生まれた日結婚の日人生の節目の一日もまた元一日と話されたそして本席様が昔を忘れないようにとのお秋季大祭おかえり講話開催布教部田中隆之部長では月日午後時から詰所階講堂で永井芳樹先生を講師に迎えおかえり講話を開催宿泊者など約人が参加した先生は冒頭若い時の自身の体験からどんな諭達御発布の翌日に開催第回天理教青年会総会月日におぢばで開催された第回天理教青年会総会に笠岡分会上原明勇委員長からも各ブロックより参加があった参加人数は月末発表笠岡分会では本部総会と分会総会への動員に向け月に直轄教会へ巡回を実施更に全会員にハガキを出し呼びかけを行ってきた全ブロックより参集当日は快晴の空の下青年会長様よりお言葉を頂きおぢばにかえり集った会員同士年祭へ向け意気と情熱を持って活動に取り組む事を誓い合った年連続で出場第回全教野球大会笠岡ワールドブラザーズ平盛秀年監督は月日よりおぢばで開催された第回全教野球上原志郎主将が記念盾を受け取る笠岡ワルドブラザズワールドブラザーズの精鋭たち大会に岡山代表として年連続回目の出場をした今大会は雨により開催が日順延となり棄権するチームが出てくる中での変則的な日程で行われた開会式では年連続出場の記念盾が授与された前日の雨でグランド状況が悪い中初戦は熊本大教会と対戦した打線は初回よりコンスタントに点を積み重ね守備も安定対でコールド勝ちを収めた続いてこの日試合目となる対戦相手は優勝候補の髙安大教会大阪代表のチームとあって投打にレベルが高く笠岡は終始劣勢にそれでもタイムリーヒットで点を返し意地を見せた試合は対で敗戦笠岡ワールドブラザーズではここ数年で若い選手が少しずつ増えており来年以降も楽しみなチームとなったまた共に野球を通してつながるようぼく選手を募集しているヤッタゼラムネ早飲み対決会計部お節会本部献灯料について円納入してください仕切りについて月は本年最後の仕切り月ですよろしくお願いいたします史料部教会長履歴書の提出について月日切です詰所掛年末年始の詰所宿泊申込みについて正月日間は食事がないので宿泊される方は月日迄に詰所に申込んで下さい年祭活動開始の旬に開催長代読に続いて大教会長様より祝辞があったその中で大教会長様は諭達発布直後の月日という日付は親神様が決めて下さった日である青年会笠岡分会総会と述べられ青年会が笠岡の先頭に立って年祭活動に励みあらきとうりようの本分を発揮する青年会笠岡分会上原明勇委員長は月日よう諭された大教会で青年会笠岡分会総会を開催大教続いて委員長が百三十年祭へ向かう第一歩を会からの遠近を問わず教会ぐるみ家族連れなど早と踏み出せた事は大きな喜びである年祭会員に向け挨拶する上原委員長各ブロックごとにつとめられたおつとめまなび合わせて名うち青年会員名の参加があったに向けてしっかりとおたすけに励みましょうとこの度の総会は祭儀式を行い各ブロックから挨拶をした選抜された楽人の雅楽演奏の中厳かな雰囲気の午後からは笠岡オリンピックと称したスタートとなったおつとめまなびでは一同真ブロック対抗の室内競技を開催ラムネ早飲み対剣に勤め一手一つにおうたを唱和する声が殿内決や万歩計腰振り対決など計種目を行い福山に響いたブロックが優勝に輝いたその後は大抽選会を式典の部では青年会長様御告示杉原副委員行うなど大いに盛り上がった一日となった温故知新教会で七十四歳のお歳を召しても御元気でお人を教会へ足を運ぶようにした布教師の苦労を勤め頂いておりましたが笠岡へお帰り頂いて考えてみよ決して粗末に出来んでとお教えいきいきエピソード初代会長様の想い出岡崎幸逸も落ち着いて休んで頂く室がありませんそれ戴いた事は私の肝に銘じております又苦労で教祖殿と初代様の室が第一期工事として完成すまいと思うたら苦労するんやで苦労しようされたのでありますと思えば何もかも嬉しく楽しみになり苦労前号の最後に四十年祭から五十年祭の歩みを大正十五年十月に私が大阪へ布教に出させてないようになるんやで苦労と楽しみは紙一重振り返ってみたいと書いた丁度今大教会史頂きました時にも芦津大教会にお勤め下さっやでとお聞かせ頂きました本文の昭和四十七年からの下書き作成中でかておられました初代様によく布教に出て来今でも勿体なく思いますのは初代様が二代さおか等の史料を見ていたら昭和四十七年たなあしっかりおやりとお励まし頂き親伊助先生に会長を譲られてずっと後私の父岡の初代会長三十年祭朝子夫人二十年祭の記事心溢れるお言葉に何にも代え難い勇気が湧いて﨑時之祐は広島布教をしておりましたが大が載っていて当日式後初代会長の想い出をきたのを思い出します又芦津大教会の勤め教会の都合で笠岡へ引き揚げるようご命を戴い語って下さった方の話が収録されているその暇暇に笠岡の道に繋がる大阪に居る人のて帰り広島の道がそのままになっておりましれで今回から暫くその方の語る処に耳を傾け宅へお運び頂きお育て下さった或日芦津大た処これでは申し訳ないと初代様が広島にてみたいと思う以前門脇一教先生の当日の話教会へ私をお呼び頂きお伺い致しますと皿自ら布教にお出で下され持ち物をすっかり尽を収録したがここに載せるのは鉢砂糖壺等を下さり心を倒さずしっかりくされ裸になってまで信者をお育て頂いた事で編集部が原稿依頼したものと思われる布教させて貰いなさいとお言葉を戴いて嬉しあります明治四十年六月九日御本席様が出直先ずは岡﨑幸逸先生であるさに涙した時もありましたされたという報せに急いでお帰りになられまし初代様と申し上げるよりは旧長様とお呼び笠岡へ帰られてからも帰会の挨拶等でお部たが半年ほど広島で布教頂いたものですからしておりましたのでその方が何か懐かしみを屋にお伺いすると誰もおらん時に来いや広島の人がいつもお徳を慕っておりました広覚えます誰にも言うなと反物やお金を包んで内緒や真分教会ひろさと分教会の奉告祭の時初代笠岡が分教会当時大正十三年四月十八日でとそっと下さった事が幾度あったか分かり様は益本老母や数人がお供をして比治山へ登教祖殿と初代様のお休み頂く室の落成奉告祭がません又教会へはたとえどんな格好したられた事があります初代様は若い人に心配を行われました初代様は大阪新町にある芦津大人が尋ねて来ても粗末に扱うてくれなよそのかけまいと急いで登られたのでお顔が真っ青になられ途中から私が背中に負わせにどんな苦労もお通り頂いた訳ですて頂いて上へ登らせて頂きしばらくが笠岡へお帰り頂いたのは三十六歳お休み頂いてお楽になって頂きましたで姑八重様は六十四歳でお出直しにな又私は大阪布教中よく自転車で笠岡り舅佐吉様は七十一歳になっておらへ帰っておりましたが或時笠岡でおれましたが舅様にもよくお仕えされ目にかかると自転車には乗ってくれながらお子らを育まれつつ女の身でな危ないからとお心を遣って頂い笠岡の道をお開き頂いたのでありますた上実は先日芦品の会長さんが信者神様の理は何処までも絶対に理を立二三人とおぢばへ自転車で帰られてぬかれたのですが又一方では人の奈良へ廻って春日さんの方へ行って心の底まで入り込んでお心におかけ頂信者の一人がブレーキが利かなくなりきましたお目にかかった人は誰でも畑の土手へ突き上げて片手を痛めて片あの温かい親心に包まれて嬉しい心で一方の手で運転してようやく芦津へ帰っ帰りましたあの温情溢れたお人柄にたどうか危ないからくれぐれも用心触れた人は生涯ほのぼのとした暖するようにとご注意頂いた事も今はかさに感じ入った事でしょう懐かしい想い出と共に勿体ない心がよ晩年のお顔には苦労艱難の道を通りみがえります抜けられた面影はなく神しいようおぢばへ帰られた初代様にお伴をしな崇高な暖かいお姿をのみ拝しましたて今の本部の保安所のあるあたりにあっ静かに初代様がた高知の詰所や東の詰所へ菓子折を持っしっかりしいやと微笑みつつお励て行き高知の初代の奥様や東の旧奥まし下さっているお姿を瞼に浮かべつ様と話して帰って来られたお姿も目につ想い出の一端を思い出すままに綴ら浮かびます思えば初代様は真実一路せて頂きました前史料集成部長こころの詩天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付海松ヶ岡分教会池田広子さん時間かけやっとメールを送信す絵文字も書けず用件のみを月日付備中分教会塩飽利子さんまんじゅしゃげ百選の棚田の景や曼珠沙華養徳社発行陽気誌十一月号道柳より転載今回の課題は昇笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん四季の守護名物供え旅語る表紙写真吉岡輝昭編集部員展示場で来客に応対する野津正樹先生中央さおか誌の表紙を飾って下さり島根の爽や野野津津正正樹樹氏氏かな風を書作し季節の趣をしたため届けて頂きました履歴は前回の記事で紹介致しており書書作作展展ます今回は年代物の硯や墨も同時に展示してあ十一月一日から七日まで一畑百貨店松江店り中国の明の時代の丸型墨約百万円以上や五階美術サロンで暮らしの中の書と題して硯も六十万以上と貴重な道具ばかりで見る野津正樹書展が開催された米子美術館にも同人毎の質問に笑顔で答えて居られるのです時出展暮らしの中の書と云う事で掛け軸から色野津正樹先生は昨年一年間の長丁場をか紙大など各種即売もされており十五五十万円の力作を二日目ですでに半数近くが売約野津正樹先生と暮らしの中の書の大作していました萬佐正樹の正を考案した筆名に純金で書いた般若心経や小さな文字は一字が何千円字そのものの価値も付加されるその書が人気を誘い訪れる人の目を引もあるそこにしたためる書は高価な書物いていたとなるのです薄い墨で書いた大きな書画は小約一年前から企画して課題に沿って書き始め指くらいの細い筆字が時間経過とともに滲たが書いた時より後に成って作風が判るのみ出て全体の形が現れるので時として書き直で書き直す事もあるとまた大きい字が得し作り上げるそうです展示会の全てが作風で意と思っていたが今回の小さな印字の様な書あろうも出来るとは私は知らなかったと実のお姉一芸に秀でる者は天性と日の努力の賜物さん談でありそれを企てる器量も備えているので軸物の紙は百年以上前の中国の物で超薄しょういベンガラ色の版画が押してあり作者の落款ともあれ盛況を感じ取りサロンを後にした秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召から次と道具をお引き寄せになり守護を教え八千八度の生まれ替はじめわりを経てこの世と人間世界をお創造になられたばかりでなく火水風を始め十全の御守護で以てお育て下さっております加えて天保九年教祖を月日のやしろにお定めになり万一切の真実を明かされて世界たすけのこの道をおつけ下さいました事は誠に有難く私共は喜び感謝の心一杯に朝に夕に御礼申し上げると共に世界一列を救けたいとの親心にお応えすべく日は御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中今月二十六日本部に於きましては立教の元一日を記念して秋の大祭が執り行われますが当教会でも理のお許しを戴いて今日の吉日只今からおつとめ奉仕人一同慶び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせて頂きます御前には深まりゆく秋を楽しみつつ今日の日を心待ちにして寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し立教に込められた親心に思いを致し心も改たに思召に添い切る事をお誓い申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさていよいよ五日後にせまった本部の秋の大祭で教祖百三十年祭に向けての諭達のご発布がございます誘い合わせておぢばに帰らせて頂いて共に諭達を拝聴させて頂き諭達に込められた思いをしっかりと受け止めさせて頂いて思いも新たに教祖百三十年祭に向け成人の歩みを進めさせて頂く覚悟でございます又その上から十一月二十日に本部巡教を受けさせて頂き二十三日には別席ひのきしん団参を実施させて頂きます何卒親神様には教祖百三十年祭に向け心を一つに睦び合わせてたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り共にお救けをする人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百七十五年秋季大祭祭典役割表祭主大教会長様扈者佐藤道孝吉岡壽賛者上田原中志隆郎之指図方上原繁道講話大教会長様十二月講話岡本久善区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半吉岡壽中村邦義中村剛森本忠平笹尾正治田中隆之山野弘実今川昌彦森本忠善大教会長様岡本久善佐藤道孝岡本久善岡﨑真一岡﨑和夫上原繁道上原志郎門脇元教大教会奥様武内正美門脇加津田中ますみ内海安子高木孝子門脇郁子谷内美知子中村初美中島誠治武内清明高木昭祥上原澄雄西江昌直淺野明教河原節喜中村道德虫明立生三島渉吉岡誠一郎山田敏教内海史郎岡﨑輝彦田林久嗣杉原博之上原浩赤木素志上原順子佐藤香苗岡﨑豊子虫明好美笹尾一美三島照美今川佐智子森本冨美子横山小智榮中村義太郎教会おとまり会の報告福東隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム日教会集合ゲームソング夕食入浴夕づとめ教話ビデオ上映消灯日起床洗面朝づとめ朝食おつとめ練習部屋掃除プール昼食解散所感予想を上回る数の御守護を頂き賑やかにつとめさせて頂くことができました小学生の低学年が主体ということでゲームや体を使った歌などを利用して楽しく過ごしました大切なおつとめ練習にもっと工夫をつけて指導できたらと思いました夏休み最後の楽しい思い出になったのではと思いますありがとうございました引野隊実施日参加者数プログラム平成年月日土少年会員名育成会員名合計名午前時頃午後時分頃まで実施しました少年会員と育成会員で座りづとめを勤めました今年の子供団参のビデオ見ながら歌を歌いましたお昼は育成会員で作り少年会員にもお手伝いをしてもらいました昼食後は後かたずけをして少年会員は自由に皆で遊びました育成会員は雑談です所感少年会員は才未満ですので親と共に教会へ上記のような参拝することが大事だと常に思っていますので簡単な楽な予定にしております顔を合わせて親は親同士で話したり子供は子供同士で遊ぶことを今は考えてますこれからですのでぼちぼちと考えながら実施してゆきたいです親の顔が見たいとは育てた親の顔を見たいの意味でよその子の言動に呆れて発する言葉であるが私は我が子に対して云っているそんな父親がいますか現にここにいますがしつけの悪い我が子の言動にあきれて親の顔がみたいよのおうと一言それを聞いた子供たちはポカーンとしている訳が分かっているのやら分からないのやらその我が子の姿を見て私が最後に一言情けねえとそう聞いた子供たちはまたもポカーンの態度自虐ネタになるのかなか
かさおか

『かさおか』第51巻 第10号

秋の夕暮れ月日午後時大教会神苑より撮影教祖年祭に向かって成人目標おつとめ奉仕人の増員テキストとして使用された冊子年祭活動推進委員会発足部長の笠岡の次代を担う教養掛に講話を引き継いでもらいたいとの意向から谷内同主任に依頼結果講習会用の冊子を作製し実施となった今後教祖年祭三年千日に向け大教会史講話は修養科中教養掛が行付う冊子は神の方でハなかなか大イそ大教会では教祖年祭三年千日に向け月ふやで上原佐吉さとの信仰の周日付で年祭活動推進委員会を発足委員長委員は次の通り敬称略委員長田中隆之委員上原きよの門脇元教上原志郎辺のタイトルで判時代ごとペーの白黒写真入りでジ序から始まり天理教略史初代上原さと伝笠岡の三大おさしづについての構成となっている養掛員への期待が込められている更に笠岡の教勢の基本は笠岡三大おさしづ山野弘実吉岡誠一郎虫明立生笠岡三大おさしづを除いては上原前同部長がによって形作られた私達は常にこのおさしづを武内正美佐藤真孝上原繁次折に執筆しこれまでみちのと節に遭うごとに思案させて頂く覚悟をもっておかもに掲載したものを使用なければならない笠岡の道に繋がるよふぼくの史勉強会を開催勉強会では上原前同部長が冊子をテキストに心構え使命をこのおさしづは常に私達の心に語目次に添って大教会史の重要点を約分間話しりかけてくれると現在の笠岡の基盤となるおさ修養科教養掛員を対象にたしづの重要性を強調また冊子の作製について修養科生の教養掛員そして温故知新の心でしっかりと学んで教養掛谷内伸自主任では月日午後時特に三ヶ月間の人達は大教会の次代信仰者育成欲しいと望んでいるペーから大教会会議室で上原繁道前史料の中枢に在る人達と考える時この人達に大教会参加者の一人はジもある冊子を参考に修養部長を講師に教養掛史勉強会を開の元一日を熟知して頂いておく事が大切そして科生に大教会史を伝えることは正直大変なこと催同掛員人が参加した何度もこの冊子を読んでその上に自らのこれかだと思うしかし笠岡の歩みを学ぶことは後に続これまで修養科生への大教会史講話は大教会らの信仰を立ち上げ笠岡の信仰の伝承に役立てく者にとっては大事まず自ら何度も読み返してでの修了講習時に上原史料部長が行っていたがて貰いたいまた三ヶ月間の教養掛からその期しっかり理解し伝える努力をしたいと話して本年月の大教会人事の刷新に伴い上原前史料の一ヶ月ごとの教養掛にも伝えて頂きたいと教いた婦人会霊祭について講話される上原先生諭達巡教月日本部秋季大祭において諭達が発布されますそれに伴い左記の通り諭達巡教が行われます日時巡教員対象服装月日火午後時時冨松幹禎本部員大教会役員准役員おつとめ奉仕人部内教会長夫妻布教所長大教会役員は羽織袴それ以外はハッピにネクタイ転建築などを通し大教会の初代二代三なったまた各教会布教所家庭でもそれぞれ代四代の歴代会長の道すがらを話されたの先代の伏せ込みの御功績を振り返らせて頂きそして大教会の霊祭は役員だけが拝するのでその上に立って歩む筋道を立てると共にしっかではなく大教会の祖霊殿には大教会に御功績をりと霊様の心に添ってつとめることが大切と霊残された霊様をお祀りしていることから部内の祭をつとめる意義について話された教会また笠岡に繋がる方が先人を偲ぶ心を引き続き約分同テーマについての質疑応答持っておつとめ下さいその上から現会長になりが行われ参加者は熱心に受講した霊祭のおつとめに部内教会長もつとめるように勉強会に先立ち月次祭終了後神殿で同部おたすけ掛員より一人におさづけが取り次がれたなお月月月は休講の同勉強会の詳細については本誌月日号参考委員部長後継者講習会開催よふぼく勉強会開催テーマは霊祭について月月次祭後育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催人が参加した今回のテーマは霊祭について講師の上原繁道先生はまず本席様のお入り込み笠岡に頂いたおさしづに添った神殿普請倍加運動芦津大教会から分離教会移大教会で婦人会笠岡支部上原きよの支部長では月日大教会で委員部長後継者講習会を開催人後継者人婦人会係員人託児人が参加した午前時半開始上原きよの同支部長が講話引き続き後継者人が感話をした午後からは先輩委員部長の話しねり合いひのきしんなどが行われお互いの成人を誓い合い午後時閉会した温故知新いきいきエピソード岡本久作先生二銭はそのままにあったということも甲山のサヨ笹尾栄藤井君子らが次と患った久南久井の路傍でお地蔵様にお供えしてあった作先生は一番後であったがこれを機に先生赤飯をそっと頂戴して一刻を凌いだというのは笠岡三代会長の命のまま会長を岸本亀三郎も今は昔の物語として残っている中略氏に渡して笠岡へ引き揚げたこの間の事情は主立つ者が多少残っていたがこの人も別に三代会長の聞き書きがあるので引用する岡本久作先生は明治年月監督教師という相談する事もなく自発的に負債整理のために大正十四年の初め頃やったか久作さんの名目で神邉に派遣され明治年月神邉出張遠地の労働に出掛けるなどして遂に教会には息子の久則と家内の伊志さんが身上おさわりを所代所長に就任した明治年月本教の一留守居の者さえ居ないまでに寂れ果てたこれ頂いたそれもなかなかの大病やったがとに派独立で神邉支教会長となり大正年月では神様に申し訳ないと笠岡に残していた家族かくご守護頂いたんやその後春頃やったか日支教会長を辞任し笠岡分教会へ帰り以後理を呼び寄せ布教に勤しんだ妻伊志女は日夏頃やったか岡本久作さんが笠岡で病気になっ事として尽力された親神様への御用の傍ら両親への孝養と二児の養たんや腸チフスやそれに肺炎を併発してど大正年月教祖年祭提唱の諭達第号育を引き受け手内職をして生計を樹てたうもこうもいかんという事になったんやそのが発布され笠岡では大正年月上原繁雄さて教祖四十年祭活動の中での神邉の動きで当時上原の家のかかり付けの医者の森先生に三代会長のもと教祖年祭準備委員が任命さあるが教会倍加運動に向けて懸命の活動を展診察して貰うと法定伝染病だから隔離するれ大正年月の回にわたる教祖年祭に開し十三名称が新設された当時の岡山教務かあるいは避病院隔離病舎に入院させる向けての教会倍加運動が始まる支庁管内中国県では初めての事であったかという事になってきたんや岡﨑軍治さん出張所長支教会長時代の教会負債返済の苦こうした名称新設運動に岡本会長はじめ岸本亀が傍に居て久作さんは役員室の間に寝ていた労は前回に述べたこの頃の岡本先生の教会で三郎氏をはじめとする役員の面は一手一つにんやがここは奥の間で誰も入りませんからの生活状態を笠岡分教会史から抜粋してみるつとめたのであるが大正十四年三月年祭を隔離しているのも同然ですという事から森先古さびた冷やかな教会に落ち着いた氏は一年後に控えて岡本先生は腸チフスの身上と生がそれでは避病院に入れなくても結構で月次祭にもろくろく集まらぬ信者の復活に寝食なったこれは突然に会長一人が身上となったすという事になった久作さんは教会の役員を忘れて運んで運んで運び抜いた懐中僅かに訳ではなくそれより前岡本の妻伊志女室にそのままおったんやがこれはえらい事二銭を持って服部府中上下油木東城さらに岡本喜代子岡本千鶴子岡本久則まになってきたなとワシは思った森先生はそ等往復四十里の行程を巡回布教した而してた住込青年の海内茂高木一夫その他高木ミの後も毎日来てくれていた次第に病気は悪くなっていったある日身上迫ってきたので軍さして貰うどういうお願いや言うことはわら呼び寄せといてんかと頼んだそれで二治さんにあんたはどなたですかと森先生がしは言えんけれどもあんたら共に三日のお日目がすんだ三日目や森先生に診察して貰尋ねたワシはこれの伯父ですと軍治さん願いづとめさして貰うんやから会長がどうと不思議な事ですもうこれで持ち直しが言うとすぐ濃い親戚を集める手筈をしてほういうお願いをするのや知りませんけどもましたと言う事やそれからわしは三人髙しいという事になったんやこれはもうあ会長の心通りにどうぞ何かしるしを見せて頂き田淺野岡﨑理事を呼んで願いの筋を打かんという事やこれを聞いて軍治さんがワシたいという事にお願いして貰いたいどなち明けたんやこの病気で岡本さんが出直したのところへとんで来たんやそれでワシは軍治いや言うたら結構ですという事になったそらどうしても会長を変更せにゃあかんいやさんの知らせを聞いて考えた岡本さんが死んの心に添うてわしらもお願いさせて貰うとい会長を変更して頂いて命をおいて頂きたいこだらどうなるか死んだらどうでも笠岡へ帰っう事で三日三夜のお願いづとめをさしてもろうれが親神さまの思召に添うのでしたらその通て来る岡本さんはもともと笠岡から神邉へ教た訳やそしてお願いづとめの後で岡本さんり運ばせて頂きますからどうぞお願い致しま会の負債整理に行ったんや整理に行ったらの枕元であんた今夢の中でな耳が聞こえすそうお願いしたんやと話したでは会長変それが済んだら笠岡へ帰って来るというのがんのやけどなわしはあんたの心に話をする更すると言うたら後は誰ですかと聞くからこれが筋やところが岡本さんが悪くなる以のやで神様に今お願いさせて頂いたがその会長代理の岸本さんやないかこれは笠岡の前藤井九右衛門さんや桑田音吉さんら神邉のお願いの筋でご守護頂く事になったらわしの二代会長からちゃんと決めてあるんやと話し役員に聞いてみても久則さんが大きくなっ心積もりの治め方するで承知しなはれやとたそして三日のお願いがすんで髙田さんとたら会長を譲ってもらっても結構ですという話した翌日森先生が来て診察をした後で聞淺野さんに運んでもろうた神邉の教会ではように会長変更の事については何も言わへんのくと昨日と比べてちいと具合がよろしいでびっくりしとったけどそれから岡本さんはやそれでわしは久作さんの身上になるまですなという事やったそこへ藤井九右衛門さずっと良くなってきたんやそれから言うたらにどうしたらええか考えとった訳やそれで岡んが来て会長さんうちの会長の身上はど命が二十年延びたんやでその頃久則はまだ本さんが身上になっていよいよあかん医者がうでしょうかと聞くからあんたどない子供やったんやそれが大きくなって嫁さん貰手を放すという事になってわしはハッと心に思うんやと聞いたらわしは何も考えとりうて子供までできてその後に久作さんは出直思う事があったもんやから髙田松太郎岡﨑ませんという事やそれで神邉の教会にしたという事になるねんそういう事やったん軍治淺野彌三郎この三人に寄ってもらって今理事連中おるかいなと聞くとおりまやところが翌年が教祖四十年祭やろ会長なわしは岡本さんの身上について神様にお願いすという事やもし出張している者あったらば正服着て今日のように登殿参拝する事ができた役員なら教服という事に発表もあってそれで他の役員が四十年祭済んで会長変更という事にしたらどうでしょうかと言うたんや岡本さんに会長として四十年祭を勤めさせてやろうという事やそれでわしは岡本さんはなあの時出直してたもんやで神様の思召で会長変更という事で寿命を伸ばしてもろうたんやだから今さらそんな事はできませんと言うて頑張って教祖四十年祭までに会長の変更をして岸本さんが神邉の会長として登殿参拝させてもろうたんやそれで岡本さんの心に何とも言えない割り切れないものがあったらしいところが四十年祭済んでしばらくして岡本さんがわしの処へ来て有り難う御座いましたわしの命は会長さんに助けて頂いたんです有り難うございましたそう言うて御礼に来たがな何でやな久作さん言うて聞くと年を同じくして某系統のある教会の初代が出直して息子が幼かったもんやから初代会長の実弟が一時会長を持ったその人が身上になってそれでその教会の最上級教会長が行って会長変更の話をしたんやそして承知しましたという事で身上は助かったところがその後で同じ事なら四十年祭がすんで変更のお願いさして貰いたいと言うたら最上級教会の会長がうんうんそうやなあ言うたんで変更を伸ばしたすると初代の実弟はころっと出直してしもたそれを岡本さんが聞いたんやなうちの役員が岡本さんに同情して会長変更を伸ばしてほしいというのをわしがイカン言うて頑張った事が命をおいてもろた言うことをその時知ったんやそれで改めて御礼に来たんや人間的に考えたら神邉の教会を一生懸命どん底の中を丹精し教会の負債整理をし部内名称もできた力も出来て来ただからその後ずっと会長という事で構わない訳やけれど理の上から教会の治め方を考えてみるとやはり上級から出向いた整理会長は整理会長や適宜いい後任者ができたら上級に帰るという事が理の建前や昭和五十一年二月二十八日聞き手は上原繁道笠岡三代会長は当時未だ新任の若い会長でそうそう当時の錚たる役員を前に理の治め方を進めていくのは大変であったろうと思われる思えばこの四十年祭から五十年祭の十年が笠岡の道が大きく飛躍するかしないかの時であったようであるその最初の節とも言うべき岡本久作先生の身上ご守護であった次回はその四十年祭から五十年祭の歩みを振り返って見たい大教会前史料部長第期修養科募集要項修養科期間教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目中島誠治大教会役員鶴山分教会長藤井正仁福冨士分教会長山田敏教大教会准役員甲井分教会前会長藤本芳久東水島分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散談話室高校生だった娘は別席を運ぶという約束をして用木にならせていただきました長い入院生活中は今は亡き理の親が笠岡便が有るので病院へは少し歩くと来られるから私の行き帰りは心配しないでと言われ毎日の私の生きてる生きてくように顔を見に来て下さりやさしい言葉をかけて下さいました主治医に聞いて下さったり抗ガン剤を打つ時にも何度か立ち合って下さったの大教会谷本篤子でとても心強く感じ私は点滴の一滴一滴落ちお陰様で月日に歳にならせていただきまるのを心おだやかに見つめていましたすどうして女性が年令を公表するのか首をかし多くの方の真心と真実をいただいてげる方も多いと思いますワンクールの治療を終え翌年の月に退院しま実は平成年月日歳遅れた定期検した診に行くと思いもよらぬ病名を告げられましたこれまで私は二人の子供の成長を自分の命の主治医からセカンドオピニオンを求めて下さっ区切りとし神様にどうか娘の高校の卒業式てもかまいませんと言われましたまで生かして下さい次に人の子供が社会主治医の話しを伝えるのが精一杯で家族や母とに出るまで生かして下さいとお願いしてきましじっくり相談出来ないうちに自分自身も半信半た疑のまま月日に手術をしましたなんとか今までに息子も母親が生かしていただいている無事に手術は終わりましたお礼にと別席を運んでくれ用木にならせていガンという事もあり入院生活が長くなりましただいておりますた長い入院を知ったおばが母から病名を聞き現在娘は社会人となり年目どうにか自立身内でお願いづとめをしようと大教会に親戚が集して欲しいと才から親元から離していた息子もまった日には何故か用事が有って神殿にいら社会人となり年目になりましたした多くの信者さんも一緒に加わって下さった理の親はとても親孝行な息子さんでしたねそうです親としていろいろ心配された事も多かったと思いますがそれが貴女の生きる力になったでしょうと言って下さいました加齢に伴う老化現象とか体を使う仕事をしているので当然とか息子も頑張っているので少の痛みは我慢我慢と自分で思い込もうとしていたところ今年月に股関節の激痛で身動きが出来なくなりましたこの事を講社祭に来られた理の親にお話ししました今回も厳しい諭しはありませんでした来ていただいたお礼のメールをお送りするとこんな返信がありました良い思案も含めてその話しを人様にお話し出来ればにをいがけになります第一に良い思案が出来るようになる事次に人様にお話し出来るようになる事それが身上事情をお見せ下さる親神様のお望みであり神様へのご恩報じになるかと存じますと有りました今新たな節を迎えて何事も切羽詰まらないと分からないのを恥じるとともに感謝していますという言葉だけになっていた自分自身の反省としてとても理の親のお気持ちがありがたくてこの原稿となりましたいることは天理教の信者ならば周知のことだと思うこの入信のきっかけの割合をデータの数値として示すことができないのは残念であるが読者の皆様はこれに同意して下さるものとして話を進めることにするさて前にも述べたことだが現在の日本とタンザニアでは神なるものに対峙する姿勢が全く異なるという点についてもう一度よく考えてみたいと思う衣食住そして医療の満ち足りた日本とそうでないタンザニアでは助かりを神様に願う姿勢が自ずと異なるのは当然なのである私はタンザニア滞在中そのことを身をもって体験することができた実はソンゲアの小学校を訪問した際に私はタンザニア布教を終えて周囲の求めに応じて大学時代に手ほどきを受けた今回でようやく最後となるが日本に帰国して空手を披露したのだが続けざまに四ヵ所の学校から拙文を書きつらねていくうちに私なりの信で演武を行ったことも手伝って途中で右足を痛仰のあり方が次第に鮮やかになってきた原稿のめてしまったその痛みは非常に激しく情けな依頼を受けて当初は正直荷の重いものを背負いことに歩くのがやっとの状態であったその日わされたとそれをマイナスに捉えていたが今の日程をどうにか終えてホテルに到着するや否では執筆を通じて自分のこれまでの信仰を見直や志郎先生におさづけを取次いで頂いたそのし整理することができたと感謝しているそこで際に深谷忠政先生はお取次ぎの前に時間が最終回はタンザニア布教を通じて得た私なりの悟あるならその方の痛むところを時間をかけてさりを述べてみたいと思うすってあげなさいと言われていたと言いながところでこの道に引き寄せられ入信した先人ら私の痛む箇所を丁寧にさすって下さったその多くが病を助けられたことをきっかけとしてしてその後におさづけを取次いで頂いた当地の方には失礼な話だがソンゲアの町には日本人が病院と呼べるような病院はどこにもないまたホテルにも熱を持った足を冷やす氷もないし当然薬局のようなものもないので湿布や痛み止めの薬も手に入らない異国の地におけるこのような状況の中で取次いで頂いたおさづけはあたかも無力な子どもが苦しんでいるのを母親が温かい手でよしよしと撫でてくれる感覚に似たものであった正直なところおさづけを受ける側の心境が日本でのそれとは相当に異なるものであるタンザニアの食事と感じられたちなみに症状の悪化を覚悟して迎えた翌朝予想とは裏腹に痛みが少し治まっていたその朝用木のマユンガさん宅での朝食を終えると志郎先生は彼に私の右足におさづけを取次ぐようにと伝えたところが彼は前日の過ぎた晩酌が抜けきらない顔に無邪気な笑みを浮かべながらおさづけの手振りや唱和のしかたを忘れてしまったと弁明したそれに対して志郎先生はどうされるのだろうと窺っていると何とマユ孤児院にて衣料配布ンガさんの隣でおさづけの手振りを見せて唱和をてみようと思っていたのだが結局止めることに始められたそれに続いてマユンガさんもそれをしたそれはタンザニアでの私の体験は考え横目にたどたどしく唱和しながら私の患部に取ることよりも感じることの方が圧倒的に多かった次ぎを行った一瞬唖然としたがそのようなおと思えたからであるタンザニア布教は知に走ていさま世辞にも体の良いおさづけとは言えない様でり論を求める私の信仰を戒めてくれたかけがえあったにもかかわらず熱を帯びたような温かいのない旅であった掌で触れられた時には親のぬくもりをまざまざと実感させられた異郷にて神にすがりもたれるここころの詩とによって得られた安穏はこれまでに味わったことのないものであった日本から遠く離れたタンザニア天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございますの地で取次いで頂いたおさづけは月日付福満分教会福島悦子さんおも生涯忘れ得ぬ格別のものとなった三陸のリアス海岸想いつつが置かれる状況によっておさづくねりくねりと鶏頭を描くけはかくも有り難いものになるの月日付海松ヶ岡分教会藤井光子さんだと痛感させられたそれからもなす初採りの秋茄子一本供えけりう一つこのようにおさづけが状況依存的であると思えると同時におさづけは誰がどこで取次いでも常に教祖はそこにおいでになるの養徳社発行陽気誌十月号道柳より転載今回の課題は情笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございますだという普遍的なものも痛切に感じることができた実はこの最後の稿はこれからのお道論みたいなことを述べ秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん理か情か思案にくれて神意問う表紙写真吉岡輝昭編集部員教会おとまり会の報告大惠山隊実施日平成年月日日日火泊日参加者数少年会員名名は初日のみ育成会員名名は初日のみ合計名プログラム日日日月教会集合三殿礼拝髙屋分教会参拝満席順序参拝大教会参拝満席順序参拝夕勤め夕食ゲーム大会就寝おぢばがえりへ教会から出発やかた東棟周辺散策午前席中昼食みんなでサッカーゲームやかた東棟周辺散策午後席中本部参拝回廊ひのきしん詰所到着本部で記念撮影夕食詰所おたのしみ行事おさづけの理拝戴中就寝日起床朝食みんなで記念撮影西礼拝場前まだ眠いよーお兄さん達はゲームの神様だよおぢばへ向かう車中笠岡詰所火詰所おたのしみ行事午前席中昼食天理出発教会到着三殿例会解散所感名の満席名の中席のお兄さん達と一緒に初めて子供達だけでのおぢばがえりをすることが出来た今年のこどもおぢばがえりへの参加につながるおとまり会となったお兄さん達とゲームや食事をしてとても楽しそうであった結果今年のこどもおぢばがえりに人は参加してくれた備中隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム教会のふんいきになじませるため泊まりました所感素直に前進を考えています真金隊実施日参加者数プログラム平成年月日月日火少年会員名育成会員名合計名日集合芦加茂隊夕食夕づとめ遊び就寝日起床おつとめ朝食解散所感小さい子供がいるということは家の中が和やかになって良かった芦加茂隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名おとまり名育成会員名おとまり名合計名プログラム日祭典参拝お昼食カレー祭典後のひのきしん夕食準備夕食バーベキュー夕づとめ花火入浴日朝づとめ朝食パン後かたづけひのきしん絵手紙教室参加者人解散所感おとまり会の準備大変でしたが育成人の手だすけにより出来ました子供達に絵手紙をならわせましたのびのびと大変うまく出来ました素直な心をのばしてやりたいと思います髙屋隊実施日平成年月日火日水参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム日集合夕づとめ花火就寝日起床朝づとめ朝食天神峡へ水球バーベキュー解散所感おとまり会は基本的にあまり行事を入れず自由にさせていますその方が子供は楽しいみたいです廣町隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名稲瀬隊合計名プログラム日夕食夕づとめお話花火自由入浴日朝づとめラジオ体操朝食準備朝食後片付け勉強プールへ昼食後片付けひのきしん解散所感子供達の習い事が多く参加者が少なかったがめばえの子も遊び仲間に入れてもらい大喜こびだった親が忙しくなかなかプールへ連れて行く事が出来ないので大変喜こばれたお泊りは子供にとって楽しい行事だったようだ継続しておとまり会が実施出来るよう努力したい稲瀬隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員名小学名中学名育成会員名合計名日日受付部屋割り夕勤め会長様お話夕食入浴お楽しみ行事花火就寝起床洗面朝勤め朝食片付け準備ひのきしん片付けそうじ川遊び会長様お話参拝解散福勇隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員名育成会員名合計名日月次祭参拝直会準備後片付け夕づとめ夕食準備後片付け日花火入浴消灯起床朝づとめ草取りひのきしん朝食後片付けおつとめ練習鳴物練習夏休み宿題おやつタイム解散所感教会月次祭に参拝出来てありがたいことでした坪生隊実施日平成年月日日日月参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム日日集合礼拝昼食準備カレー作り昼食川遊び天神峡夕づとめお話しバーベキュー花火消灯起床朝づとめひのきしん朝食礼拝解散所感本年は少年会員の参加者が非常に少なくどうなることかと思いましたが夕づとめ後より高校生大学生社会人などがかけつけてくれバーベキュー花火はその子達が中心になってやってくれ少年会員達も大いに喜んでくれたように思います又毎年おとまり会出身の者が花火やおやつを持ち寄って世話取りをしてくれるというありがたい姿を見せて頂いております久松隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム日夕づとめお話夕食バーベキュー一緒に入浴日朝づとめお話後朝食ひのきしん所感解散日から親子人が都合で退会のため終了しました小人未就学人でまだ十分な行事が出来ませんが先の楽しみに頑張りますありがとうございました稲倉隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム日夕づとめ屋外バーベキューカラオケ大会日朝づとめ芳井天神峡川遊びバーベキュー解散所感毎年この時期にクルゼイロドスール布教所より家族が月次祭参拝を兼ねて川遊びを楽しみに帰って来られます今年も家族と信者さんの家族を含め大人数にての実施となりました朝から小雨が降っていましたがそんな事は関係なく早朝より場所取りに先発隊が出発し着がえ用テント休憩用テントを設置早速クルゼイロ布教所より持参の肉のかたまりとウィンナによるバーベキューが始まりました髙児島隊実施日平成年月日泊日合計名プログラム地区の祭りへの参加と教会でのおつとめまなび所感少年会員が少ないため思う程何も出来ない髙児島隊福冨士隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム日集合夕食夕づとめお話トランプ大会参加者数少年会員名育成会員名日起床朝づとめひのきしん合計名朝食プログラム泊日別にプログラムらしいも解散のはないが朝夕のおつとめは時間所感小さい教会で楽しくつとめましたどおりにつとめる日には瀬戸大常連の少年会員が高校リーダーとなりま橋を渡り高松の海につれて行く等とめてくれる事がうれしく思います府中市隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名少年会活動から続く学生会に喜こんで運んでくれる事を望みます廣町隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員名育成会員名合計名日集合支部ハートクリーンに参加ごみ拾いパンフレット配布バーベキュウ甲山の祭に参加入浴日大教会へ参拝解散所感親子でひのきしんさせて頂き共にパンフレット配りをさせてもらいました初めてではありませんがなれる事も大事かなと思いましたお祭のみこしを引くひのきしんもさせて頂き楽しみの多い泊日でした大教会の月次祭には初めての参拝の子もいましたが育成係として嬉しい事で続けて実施したいと思います品治隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム日夕づとめお話し夕食プチおたのしみ行事スーパーボールすくいおつとめ練習入浴おたのしみ行事就寝日起床朝づとめビデオ鑑賞朝食ひのきしん自由時間自由解散所感日程があわず人余りの少年会員の参加の予定が残念ながら少なくなったが参加してくれた子は楽しくよろこんで帰ってくれました少年会員も中学生が増えて年齢層が上がってきているのでおとまり会とあわせて又ちがった形のあつまりが出来ればと思います高丸隊実施日参加者数プログラム平成年月日木日金少年会員名育成会員名合計名日カレーを作る木夕食カレー夕つとめ花火をして楽しむ入浴就寝日朝づとめ高丸隊金朝食頃解散所感常に教会にいる子供人とその友達人に泊ってもらっておとまり会とさせていただきました次回はひとりでも多くと思わせていただいております鶴山隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員名育成会員名合計名日夕食おつとめおはなし散歩入浴就寝日起床朝づとめひのきしんおやつ解散所感人共おとまり会で育った親の子ですしっかりとつながって信仰の道を歩んでもらいたいものです別席ひのきしん団参平成年月日金祝日正午より東礼拝場にて拍子木を入れてのおつとめおつとめ後殿外に集合大教会長様の挨拶後境内地にてひのきしん雨天の場合回廊ひのきしん別席者はおつとめ終了後別席場へ布教部本部直属特別ひのきしん期間月日土日木まで歳未満の健康な男子人海外部海外布教推進講習会について月日月次祭に合わせて行います講師本部准員中西光造先生ブラジル伝道庁へ約年間書記としてつとめる管理部境内地剪定ひのきしん期間月月諭達巡教が行われるため月中旬位までには終えたいのでよろしくお願いします育成部よふぼく勉強会月日午後時分より霊祭について上原繁道陶山分教会長を講師に行いました講話後質疑応答がありました詰所掛秋季大祭詰所受け入れひのきしんについて今期修養科生が多いため今回に限り修養科生とひのきしん有志の方で行います立教百七十五年九月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者中村剛田中隆之賛者三赤島木素渉志指図方上原繁道講話中村邦義十一月講話海外布教推進講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半中村剛吉岡壽佐藤道孝上原澄雄田中隆之上原志郎高木昭祥岡﨑輝彦山田敏教大教会長様中村邦義岡本久善岡本久善谷内伸自中島誠治上原繁道笹尾正治杉原博之大教会奥様上原順子岡﨑豊子田中ますみ佐藤香苗笹尾一美門脇郁子高木孝子横山小智榮岡﨑真一淺野明教森本忠善河原節喜吉岡誠一郎田林久嗣岡﨑和夫西江昌直山野弘実門脇元教今川昌彦上原浩森本忠平横山逸郎武内清明中村道德内海史郎虫明立生髙田賀代子武内正美内海安子今川佐智子森本冨美子谷内美知子虫明好美門脇加津中村初美三島渉赤木素志立教百七十五年秋季霊祭祭典役割表祭扈主大教会長様者中門村脇邦元義教賛者上淺原野明浩教指図方岡本久善区分役割地方てをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半佐藤道孝瑞雲分教会長三島渉福勇分教会長武内清明田林久嗣大教会長様芦品分教会長岡本久善吉岡誠一郎上原繁道福東分教会長大教会奥様内海安子武内正美森本冨美子門脇加津谷内美知子田中隆之福冨士分教会長中島誠治錦洋分教会長谷内伸自弓ヶ濱分教会長岡﨑輝彦森本忠善杉原博之福春分教会長高木昭祥雲東分教会長上原順子佐藤香苗岡﨑豊子横山小智榮笹尾一美三島照美九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供かわいいの親心溢れる御守護により夏から秋への季節の移り替わりを感じる頃となり風くらの爽やかさや食卓の賑わいを味わえる等日結構に恙なく生活させて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら昨年の東日本大震災から一年半経った今尚三十四万人の方が避難生活を余儀無くされている事を思うと手放しでは喜べません私共は一日も早い復興を願うと共に今後の災害が起こらない事も願って親神様に少しでもお喜び頂きたいものと日朝夕にかしものかりものの御礼を申し上げると共にひのきしんに励み一人でも多くの人に思召を伝えるべくにをいがけおたすけにと勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は理のお許しを戴いた月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心と救け心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて九月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が自分のみならず教会に繋がるよふぼく信者や関わりのある人の分まで御礼申し上げるべく相共に声高らかにお歌を唱和する真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月はにをいがけ強調の月とお聞かせ頂いておりますのでいつもより増してにをいがけに歩ませて頂いておりますが月末二十八日から三十日に掛けては全教一斉にをいがけデーで特に二十八日は教会長路傍講演の日でございますので教会長始めよふぼく信者一手一つの心で一人でも多くの人に親の思いを届けられるようにをいがけに邁進させて頂く所存でございます又来月は大祭月でございますので直轄教会へ大祭参拝させて頂き立教に込められた親心を再確認すると共に本年の心定め完遂と諭達御発布を受けての年祭活動を通して一人でも多くのおつとめ奉仕人を御守護頂く事を誓い合わせて頂く所存でございます更には本日付けで年祭活動推進委員会を発足させて頂きました来年からの本格的な年祭活動をより活発なものにさせて頂くべくしっかりと談じ合いを重ね目標であるおつとめ奉仕人増員に繋げて行く所存でございます何卒親神様にはお与え頂く旬の理を生かすべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り親心の有難さとご恩報じの大切さに気付かせて頂いて世界中の人がおつとめ奉仕人となって陽気ぐらしの世の状が実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより教会指令神殿建築願髙屋分教会奉告祭承認任命移転願稲讃分教会前任下村信義新任北川壮一移転元香川県丸亀市富士見町五丁目一六番一二号移転先香川県丸亀市綾歌町富熊一四一番地一奉告祭承認北川壮一氏秋季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人の神霊歴代会長と共に笠岡の道を築いて下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊諸の神霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には親神様のいんねん見定めと教祖のお引き寄せを頂かれ早くからこの道をお通り下さいましたしかしてその道は暗闇の中生い茂る藪をかき分けて進むようなもので決して通り易いものではありませんでしたしかしその中いんねんの自覚の上親神様教祖に凭れて心明るくたすけ一条の上に生きの限りに勤め切られました今日お道の結構な姿をお見せ頂いておりますのは親神様教祖の御守護お導きの賜である事は申すまでもありませんが又一つには祖霊様方のそうした真実の伏せ込み理作りの賜と朝夕に御礼申し上げつつ御恩報じの思いを受け継ぎたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いております分けても本日は秋の霊祭を執り行う日柄でございますのでおつとめ奉仕人並びに部内教会長代表の者只今は親神様の御前にて心を揃えて陽気にてをどりを勤めさせて頂きました又御前に旬の心づくしの物を供えありし日の面影を偲び御遺徳を称え言改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして祖霊様方にもお喜び下さいますようお願い申し上げますさて来月二十六日本部の秋の大祭に於いて教祖百三十年祭に向けての諭達御発布がなされます引き続いて直属教会への諭達巡教続いて直属教会による部内巡教続いて地方での講習会と年祭活動が進められて行きますが笠岡ではその動きに応え尚かつ目標でありますおつとめ奉仕人の増員を図るべく昨日年祭活動推進委員会を発足させて頂きましたこれからしっかりと練り合い談じ合いを重ねさせて頂き来年からの年祭活動を通して親神様教祖にお喜び頂き安心して頂けるように精一杯たすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂く所存でございますので祖霊様方にも皆の真実心をお受け取り頂きまして一人でも多くのおつとめ奉仕人を御守護頂けるよう今まで以上のお見守りとお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます教人資格講習会修了者終講葦陽笹尾光孝本部食堂ひのきしん吸江西村理人立教年秋季大祭参拝福山髙屋神邉島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡大教会長様大教会長様中村剛上原繁道上原繁道中村邦義吉岡壽大教会長様上原繁道中村剛佐藤道孝岡本久善大教会長様上原繁道中村邦義岡本久善東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下大教会奥様中村邦義吉岡壽大教会奥様上原繁道吉岡壽岡本久善佐藤道孝府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原大教会奥様岡本久善佐藤道孝大教会奥様吉岡壽大教会奥様吉岡壽中村剛備中神昭美之郷錦備笠晴中村剛佐藤道孝中村邦義大教会奥様岡本久善今回の編集掛員に任命して頂き大変感謝しています十月号のよりみちに何か書いて下さいとの依頼を受けましたが本日まで書くことが見つからず控えてまいりましたそんな中今日こんなことがありましたので書かせて頂きますいつも親しくさせて頂いている方が会うなり突然会長なにか忘れていませんかと言われいくら考えても思いつかず大変なことをしたかと思いつつ何でしたけと聞き返すと免許証を出して私の誕生日ですよと言われてほっとしました何か意味があったのかなあと思いつつおめでとうございますで終わらせて頂きました家に帰り私の奥さんにこの話をするとえっ何の日か知らんのんと言うと同時に今日は結婚記念日と言いここ十年完全に忘れていました思えば早きこと二十四年目がきていましたいつ別れても不思議のない日でしたしかし今はいつの間にか二人の子供も育ち私達に注意するようになっていましたことわざに縁は異なもの味なものと言いますが縁はなかなか切れませんよ思い通りにならないのが円だとも思っています奥さんには感謝感謝感謝子供たちにはちょっとだけでも感謝感謝して欲しいところです人生不思議なものですね人生よりみちもけっこうけっこうみ
かさおか

『かさおか』第51巻 第9号

さるすべり白露に咲く百日紅月日大教会神苑で白露二十四節気の一つの日これから秋の気配が深まっていく今年は例外かも教祖年祭に向かって成人目標おつとめ奉仕人の増員よふぼく勉強会開催テーマは時旬月月次祭後育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催人が参加した今回のテーマは時旬講師の話を熱心に聞く参加者講師の佐藤道孝先生は真柱様は教祖年祭の年の秋季大祭後の神殿講話の中で教会の常時の活動はおつとめと布教であります中略おつとめによって親神様教祖にお勇み頂き世の治まりよろづたすけのご守護を願うことが教会の第一の使命でありますそのためには中略おつとめ奉仕者の数を揃えるための努力が欠かせませんとお諭し下さいましたこれを受け大教会長様は教祖年祭には全部内教会が一名以上のおつとめ奉仕者の増員を打ち出されました秋の大祭に合わせて諭達のご発布の準備が進められている中ある週刊誌の人を救えなくなった現代宗教という記事を見て衝撃を受けました我よふぼくの手の差し伸べ方の足りなさへの反省と奮起を促される天の声と受け止めさせて頂きました芳井分教会の教祖年祭活動の最中の自教会の神殿移転建築また人を救ける心は誠一つの理でたすける理が救かるというお言葉に感動し勇み心で歩ませて頂いたことが先日のように思い出されます同じ頃我家のいんねんを次から次へとお見せ頂きました身上事情からにをいがかかりご守護頂かれて現在も教会に住み込んで通っておられる方もあります教会での生活の中ではいろんなことがありますがよく思案するとお世話をさせて頂いている立教年こどもおぢばがえり帰参者参加者人昨年人様に見えても実際は私達が救けて頂いているのだと感謝しています自分の出来る布教としてこれからも教会家族というおたすけを通しおつとめ奉仕者の増員のご守護につながる様つとめさせて頂きたいと自身の布教体験を通し教祖年祭に向かう時旬の角目を話された引き続き同テーマについての質疑応答が行われ参加者は熱心に受講した勉強会に先立ち月次祭終了後神殿で同部おたすけ掛員より一人におさづけが取り次がれた同勉強会の詳細については本誌月日号参考未帰参教会ヶ所昨年ヶ所協力しながら組み立てるあらきとうりよう入門塾開催一同真剣に聴き入った翌日ひのきしんの後委員長よりあらきとうりようの意義の説明や今後の行事についての勧めがあった青年会笠岡分会上原明勇委員長では月続いてミニ四駆モーターで走る四輪の玩具日とあらきとうりよう入門塾を開催した大会を開催高校生スタッフがそれぞれに車初日は受付後高校生の参加者青年会スタッフ種や改造パーツを選び組み立てていった高校共にまずは腹ごしらえ焼肉を囲んで会話生には馴染みのないミニ四駆スタッフが手を貸も弾んだ夕づとめ参拝後大教会長様から親しながら楽しんで完成させた大会は車の速神様とはどんな存在かなどの内容のお話がありさ見た目ボーリングのピン倒しなど競技の総合点数で競われた参加者は入門塾を通して交流を図り青年会行事に親しんだ今回の参加は名うち名が未信者家庭の高校生であった動員の面などに課題が残ったが今後の行事にしっかりと活かしていきたい青年会副委員長上原繁次女子青年の集い開催本部女子青年大会に向け婦人会また来年も参加するぞっ婦人会笠岡支部上原きよの支部長では月日大教会で女子青年の集いを開催人女子青年人婦人会員ら人が参加した来年月日本部で開催される第回女子青年大会に向けての参加の呼びかけと会員の親睦を目的に行われたもの午前時から始まりまず七交替で十二下りのおつとめまなびをつとめ続いて上原きよの同支部長が挨拶引き続き会員人が感話婦人会手作りのバイキング形式での和やかな昼食のあと女子青年によるアトラクション十全のご守護の拝読ハンドダンスなども行われ楽しいひと時を過ごすと共に本部女子青年大会には一人でも多くの参加者と別席者のご守護を頂くことを誓い合い午後時分閉会したサマーキャンプ実施大教会境内地で少年会笠岡団武内正美団長では月日から日まで泊日の日程で大教会境内地を使用して第回野外錬成会サマーキャンプを実施人少年会員人育成会員人が参加した若年層の育成を目的に対象は小学校年生から中学校年生までで高校生以上はスタッフとなり行った真夏の最後を飾る少年会恒例行事サマーキャンプを今年も楽しく終えました新しい団長の元に集結した委員のメンバーには女性が多くその特色を充分に活かしたキャンプは名余りの少年会員とスタッフ名で初めて大教会境内地をお借りしての開催となりました大教会でするなんてちょっとノリが悪いかなと思っていた私ですがテントサイトを神殿前北側駐車場の芝生の上にはり神殿北側と浴場棟の日影にメイン広場とかまどを設置して境内地を存分に使って肝だめしウオークラリー水鉄砲ゲーム大会また福山市営メモリアルパークでの水泳といった充実した内容で日頃の生活より不自由があるもののぞんぶんに楽しんでもらえたようで少年会す大教会は設備が充分整い緊急時の対応にも応えられ安心して行事が組めました新スタッフには少年会本部出身の女性が二人研修生が一人好奇心旺盛のアフリカンの方神石高原町の関西芸人系の方重機に乗って年の方看護師さんが集まり二日目のキャンプフャイヤーでは新委員達が火の神水の神風の神を熱演してキャンパーを喜ばせましたなかでも料理コンテストでは各班が一人円の予算で食材の買い出しから始めスタッフの知恵を借りながら創意工夫を凝らして味見た目総合評価を競いました合計点で優勝したチームはチャーハンと豚ケチャップ見た目では豚キムチのまんま餃子スープデザートにチョイスケーキでした更に多くの皆様にご参加下さることを委員一同心よりお待ちしております笠岡団副団長藤井正仁楽しかったウオークラリー芳井分教会佐藤こみちわたしが一番楽しかったのはウオークラリーですウオークラリーはのしきちの中にかしょに問題がかくしてあるのでグループに分かれて問題をといていきましたその中でも一番わたしがおもしろいと思った問題はつあります一つめはかえるの歌のりんしょうですかえるのりんしょうはわたしたちのグループが一番じょうずだとスタッフの先生がいっていたのでうれしかったです二つめは大きな木の上にモールがひっかけてあるのでそれを木にのぼってとるというルールですでも高い所のほうが点数がたかいのでしほちゃんが一番にのぼってとってくれましたつめはかくしポイント探しです食堂の前の倉庫の間にあったので私が見つけました大教会の自然を満喫した泊日キャンプフアイヤーでの出しものは自分のチームの司会をしましたきんちょうしたけど最後まで出来てうれしかったです来年は優勝したいですキャンプで一番楽しかったこと亀田山分教会竹田ちえみ月はおか山県の市の大教会の庭でキャンプをしました新しく友だちもできました一ばん楽しかったのはきもだめしやプールでしたきもだめしは木がごそごそと鳴ったりおにや口さけ女にゴリラが出てきてこわかったですプールは深いプールだったのでうきわをもっていきましたプールではウオータースライダーを四回すべりましたそのあとメートルのプールに入ったら気もちよかったですあと深さもちょうどよかったですまたキャンプに行きたいですキャンプで楽しかったこと課題をクリアウォークラリー亀田山分教会竹田佳代大教会の庭で料理コンテストをしましたカレーライスといちごのヨーグルトとヨーグルトとぶどうとバナナを使ったデザートを作りましたその結果見た目は四位味は位そう合得点は位でしたけっきょく班は位でしたとてもうれしかったですプールにも行きましたたこさんおどりをしてから深いプールに行きましたうきわは使いませんでした泳げるから必要ないと思いましたふつうのスライダーとはちがいましたスピードが早くておわりそうになったときに水がジャポンっていう音がしましたスライダーは回乗りました楽しかったですまた行きたいです全日本ドッヂボール選手権決勝トーナメントで惜敗里庄レッドスネークス本誌月日付号で紹介した森本善修君海松ヶ岡分教会長森本忠善さんの三男が所属する里庄レッドスネークス岡山県代表は月日大阪市此花区舞州アリーナで行われた第回全日本ドッヂボール選手権大会に出場予選トーナメントは善通寺クラブ香川を城内キッズ静岡はメタルドラゴンズ東京をの勝敗で位通過決勝トーナメントに駒を進めた決勝トーナメントでは高須ドラゴンズ広島と対戦の僅差で惜敗した森本君は初めての全国大会で緊張した日本でチームしか出場できない貴重な大会でチームの皆とカラーコートの上で戦えたことは一生の思い出です大会後年生の引退にあわせてポジションも変わったので気持ちを切り替えて自分の役目を果たしたい大会を通して得たものは勇気全国制覇目指して練習や試合に勇気をもって戦っていきたいと今後の抱負を話した街頭に立ち路傍講演する布教部員青年会全分会布教推進週間各地で勇むあらきとうりよう青年会笠岡分会では月日の全分会布教推進週間期間中各分会ブロックで神名流し戸別訪問路傍講演ひのきしんなど様な活動を展開した集計は月に発表その中委員が中心となるキャラバン隊の活動として大教会府中市分教会久松分教会福山分教会海松ヶ岡分教会活動日順を拠点にそれぞれの街で神名を流したまた月日と島根方面島根分教会亀田山分教会米府分教会多古浦分教会にも赴いた月日は雨と風が強かったが亀田山分教会から松江駅前まで神名を流した後街頭に立ち道行く人に自らの信仰を熱く語った青年会副委員長上原繁次まず布教部員が先頭に立って全教一斉にをいがけデーに先立ち一軒一軒丁寧に訪問布教部田中隆之部長では月の両日同部員人が参加して福山府中岡山方面でにをいがけ活動を行ったこれは青年会が布教推進週間月日から日の初日山陰に向け出動したのを受け月日から日まで実施される全教一斉にをいがけデーに先立ちまず布教部員が先頭に立って行動を起こし秋季大祭での諭達発布に向け布教活動に弾みをつけようと行われたもの日午前時福山分教会に集合福山駅まで神名流しをし駅前で参加者を人ずつ班に分け路傍講演パンフレット配布を行い午後からは府中市分教会を拠点に神名流しをした日は人が参加照陽分教会から岡山駅まで神名流しをし駅周辺での路傍講演の後大教会で解散した毛布襟付けひのきしん婦人会上原きよの支部長では月の両日婦人会員ら人が参加して詰所宿泊者大教会信者室用の毛布襟付けひのきしんを行った日は午後時から時半ごろまで行い人が参加日は人が参加し午前時半から講堂信者室に分かれて行い午前中で終え昼食後に解散した婦人会員らの手によっててきぱきと作業が進められた婦人会こころの詩天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付海松ヶ岡分教会池田広子さん日焼けした若者たちが降りてくる海水浴の船着く港芦品分教会金谷眞佐代さん最高の人生だったと言い残し親孝行な弟が逝く海松ヶ岡分教会藤井光子さん子つばめが巣立ち始めぬ五六羽が飛ぶ練習を低き空にて海松ヶ岡分教会石川泰子さん忘れたい忘れたくないこの思い遠くすぎたる終戦の日を月日付備中分教会塩飽利子さん思うまま闇の深さに飛ぶ蛍養徳社発行陽気誌九月号道柳より転載今回の課題は目笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん目に見えぬ縁ぞ神の差配なる芦品分教会金谷眞佐代さん目標をめざす道すじまっしぐら表紙写真友井道弘編集部員内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい温故知新いきいきエピソード岡本久作先生の事岡本先生は玉島初代岡崎軍治先生の甥である笠岡二代会長の懇望で笠岡の入り込み役員としてご苦労下さる事となった明治年月の事である先生の一番大きなご苦労は神邊の教会の負債整理であった明治年月当時出張所であった神邊に監督教師として派遣された出張所の負債一千円と部内布教所の負債整理の為であったこの頃の状況を神邊分教会史には次のように記している岡本は年程笠岡から通いその後所長不在の神邊出張所へ入り込み種画策したがそう簡単に建て直しはならなかった長坂二代所なげう長は敢然すべてを擲っておたすけに奔走する人であったがいっこくな性格でなかなか役員諸氏と心を合わせて事に当たる事ができにくくこの頃ほとんど教会に姿をみせなくなっていた所長不在の為役員達も借金先に対して面目ないという事で教会へ出入りするのを遠慮するという具合で遂に教会には岡本のみがといつのまにか神前の洗米を下げてお粥を炊い滞在する事となったしかし役員達も何とか返ていた天井を走っているネズミが写ると言わ済しなければと明治年には桑田音吉桑れたかつての笠岡の食堂のお粥よりもまだ水田嘉助藤井九右衛門岡本吉次郎らが呉市に分の多いものであったそんな朝食を済ませて出て働いたこれと前後して上下布教所から大神邊から四里の行程を府中まで行かれた今の本猪助吉岡和太郎府中市布教所から植田伊ように汽車も自動車もなかったまない方が三郎が同じく呉市に出て働いたまた東城布教結構であったところで乗れないのは分かり所の笹尾亀満の子息笹尾杢太郎も呉市にでた切っている二人は広い田圃の中をうねうねとが後大阪に移転したなお上下布教所は神邊足を進めて行った朝が遅かったから昼はすぐの上を思い新築した教会建物を抵当に入れて来る鼠粥で拵えた腹は二時にもなればペコ運んだこうした努力にも拘わらず負債は利ペコである息が加算されて一千円余から三千五百円余まで岡本さん何か食べようかに膨らんだ岡本の苦心は筆舌に尽くし難くヘイもう一寸行けばよい処があります中には役員を相談づくで稼ぎに出したのであ又一町余り旧長様はもうやりきれなくなっるから負債はあなたから支払って頂きたいた出来なければ教理を説いて下さるなという者岡本さん何か食べようやないかもあったこのため遂に神邊の教会建物を処分ヘイもう一寸して不足額を篤志家藤岡嘉七目崎伝右衛門この時旧長様はふと思い付いて田辺金二良らに仰いだ岡本さんこれならあるでと帯のあたりをポンと叩かれたすると岡本氏はニコッとし又当時笠岡初代会長が神邊府中方面に巡て教のとき次のようなエピソードが笠岡分教会じゃあ何か食べましょう史に載っていると早速その辺のうどん屋に入った神邊を出る時岡本氏は旧長さん初代会長岡本氏は当時大分空腹の日が続いたらしいの事今日はチト寒いからお粥を炊きました何分部内はあっても祭典の日ならものの三人も寄って来る処はない氏はそういう中をグ岸本亀三郎氏の尽力を得て十年以上に亘る負阪に出て海産物問屋に奉公してその後独立しルリグルリ廻っておつとめをして歩いた部内債整理は大正年月に終了したこの間の事て朝鮮に渡って釜山で海産物の店を開いて成功枝先の役員や信徒の先先まで運んだ田圃の中情については笠岡三代会長の聞き書きがあるのしたんや成功したもんやからちょうどそので一服している信徒を相手に話したり四里五で収録しておく頃の神邊の整理という上についてだんだん岡里と運んでも先方が忙しくして居れば通りが本さんや他の人も神邊から頼みに行って帰ってかりに寄ったような顔をして直ぐに次へ行くときにはまた三里も五里も行かねばならぬような場合さえあった夜道を行った事も道で夜の明けた事も雨のしょぼつく日宮の拝殿に夢を結んだ事も辻堂の軒に蚊の群れと戦ってまんじりともしなかった事も無論数えきれぬ程であったこの時の負債は本教が一派独立した時の負債やその当時神邊は出張所やったそれで支教会に改称という事になったんやがその当時の支庁長岡山教務支庁長当時中国五県は岡山教区であったの諸井國三郎先生が神邊は普請していないじゃないか神殿を普請したら支教会の願書を受理するという事で岡本久作さんが何はともあれ普請させて頂きますと来てほしいという事で朝鮮を引き揚げて神邊の教会のすぐ北メートルくらいの処へ自分の家を普請すると共にそのときの教会負債整理に大分金を出したんやそれで教会の負債整理が済んだという事になる岸本亀三郎さんが帰って来たもんやから笠岡の二代会長が岸本さんを会長代理と決めたんや岸本さんが会長代理となってしばらくは岡本さんが会長職に淺野彌三郎先生が松江と大東を行き来しておたすけに奔走された事を思い出すさてこうした中本教は明治四十一年十一月一派独立を果たし神邊は支教会となったなったものの教会規定では支教会は五百戸以上の信者教会敷地建物は教会所有である事との規定があり岡本先生は無理して笠岡と相談の上敷地を購入教会新築をおこなった当然負債が残り再び教会の敷地建物を抵当に入れて借金をし一時を凌いだが莫大な負債額のため元お答えした訳やそれで今の教会の場所に移転して普請をしたんやがその普請の負債が残ってそれが大正年に整理がついたという事や神邊は長坂静次郎さんが二代所長やったがいろいろな事情ができて途中から自分の家に引き込んで教会に出て来んようになったさかい岡本久作さんが監督教師として行ってやがて三代所長になったんや支教会になったんやから三代会長やなさて二代の長坂さんは岸本家から亀三郎さんを養子に貰っていたんやがどうも二人の間で折合が悪いそれで亀三あったんやが岡本さんは笠岡の仕事をする方が多かったそこで岸本さんは会長代理として神邊の教会の上に心を尽くしたという事や岡本先生は笠岡の理事であり神邊の負債整理は済んだとはいえ多忙であったと思われるこの年大正年月日笠岡三代会長に上原繁雄が就任翌日日二代会長が出直しているまたこの年月日教祖年祭提唱の諭達第号が発布された従って神邊支教会の教祖年祭活動は岡本久作会長のもと進められ金はおろかその利子さえも払えぬ状態となっ郎さんは岸本姓にもどったんや亀三郎さんとたこの項以下次号たこうした中後に神邊四代会長に就任するしては神邊にいるわけにいかんものやから大大教会理事上原繁道修養科生の声修養科を修了してこれから金浦分教会樋上謙二今年一月二十八日長男が出直した直後三月十八日の五十日祭の後の六月志願の修養科を決意しました五月二十五日詰所に到着してすぐに切れ痔となって以降八月二十六日の鼻血まで全身のあちらこちらに身上を見せられましたダイアリーに記録した身上の数二十七回おさづけも何回となく取り次いでいただきました傷や痛みは癒えてすぐに直りまた次の傷や痛みを見せられるという繰り返しでしたそんな中にあっても授業やひのきしんを休まなければならない事態には一度もなりませんでした不思議なことに二十八年前からの持病である腰痛の症状が一度も出なかったのですこどもおぢば帰り期間中の炊事本部でのひのきしんなどは一日中重い物を運んでいましたが腰は悲鳴をあげませんでしたまた三ヶ月間アルコールを絶ったのは成人になってから初めての経験でした小学校二年生のときから五年間新聞配達をさせられ当時は親に反発しましたが結果として朝起きの習慣が身につき就職してからも二時三時起床は当たり前という状態が二十年以上続いていましたし長男の介護でも朝起きは当たり前でしたおかげで修養科期間中朝起きが辛いと思ったことは一度もありませんでしたさらに子供の年令に近い同期の修養科生とも何とか一緒に過ごさせていただき感謝しています三ヶ月で体重は約減りましたでも妻からは早くも家に帰ってからが大切なんだよネと言われています妻の言うとおりだと思います体重だけでなく修養科修了後の行動が大切だと思います人間目標にならないよう精進しようと思います最後に大教会長様奥様詰所主任先生奥様教養掛の先生助員の先生には連日猛暑の中大変お世話になりました詰所の先生方ひのきしんの方も色とお世話になりました本当にありがとうございました修養科生活の感想芦品分教会原歩ヶ月という長いようで短いとも感じるほど充実した日を過ごすことができた修養科生活の間に父の出直しという大きな節目もみせていただきましたそして月日には自分の誕生日もあり今までで一番多くの人から祝っていただきました修養科に行くことを少しためらっていたとき背中を押してくれたのは父でした私の家では昔から誕生日は親に感謝をする日であったため親からのプレゼントはもらったことなかったのですがこの修養科は誕生日に淋しい思いをさせないよう父からの最初で最後のプレゼントだったようにも思います修養科生活が始まり詰所では修養科生人とありましたがヶ月間私もお腹の赤ちゃんもす私以上に幼い子供達は本当に頑張ってくれたいう少ない人数でしたが毎日笑いのたえない毎日元気に無事に過ごさせていただき神様やごと思います日でした学校では長期ひのきしんのお守所も先祖様目に見えないたくさんの力に守っていた私自身の考えで二人を修養科へ連れていき慣させていただきそこで出会う人はすごく良いだいている事を強く感じましたれない生活が始まりこの二人を本当に連れてき人たちばかりで日間という短い間でたくさんの修養科の学校では毎週クラスで感話の時間があてよかったのかと毎日のように悩んだりもしまし素晴らしい仲間に出会えたことや修養科でしか学りました元気に見えても色な身上を抱えてた修養科生活の中で日が経つにつれ皆と共にべないこと体験できないことも本当に様な来られている方がたくさんいましたたくさんの行動する事時間を守る事子供たちを大人に合ことを体験させていただきました方のお話を聞かせていただき健康な体がある事わせさせる事その難しさの中で皆に合わせる今後どのような人生を送っていくかまだわか家族が元気でいてくれる事そして赤ちゃんを授事が大切なのかそれとも子供の方に合わせてやらないことばかりですが今回の修養科で得たもかれた事元気にお腹の中で育ってくれている事るべきなのかこの二人さえいなければ私は皆とのをしっかり生かせるよう健康な体であること全て当たり前ではない有難い事なんだ奇跡な共に行動できひのきしんなども思うようにできに日感謝しながら過ごせていけたらなと思いまんだという事を改めて考えさせられましたたのにと二人の子供の事を悪く思う時もありましす修養科のヶ月間たくさんの事を学ばせていた修養科を終えてただきましたこのヶ月間で学んだ事を帰ってから忘れていかない様に夫婦揃って教会に足を運ばせていただいて自分達に出来る事を親にそれでもこの子供二人がいてくれたから私は修養科を志願し共に三ヶ月間を通りきる事ができました教養の先生は常に私達親子がどうし恵陽分教会藤本幸江喜んでもらえる事を主人と一緒にさせていただたら修養科生活を最後まで乗り切る事ができるかつわり妊娠ヶ月悪阻も落ちつき安定期に入った頃こうと思います考え支え助け下さり私達親子三人なりの修主人の両親教会長夫婦に修養科を勧められ主人と何度も話し合い初めての妊娠なので不安はたくさんありましたが今声がかかった事に何修養科生活を振り返って養科生活の送り方をその時で変え教え導いて下さいましたこの三ヶ月で私達三人が得たものは言葉では表か意味があると思い修養科へ行く事を決めまし引野分教会原田泰子す事のできないものです修養科を終了したからた三ヶ月の修養科生活三歳の息子と二歳の娘とといって自分自身の中で求めていたこたえが出修養科中今までとは違う生活リズムに修養共に無事に終了する事ができました教養の先生たわけではありませんがこれからゆっくりと科ではじめて出会った人達との共同生活毎日暑をはじめ同期の修養科生詰所の先生方周り自分自身私なりの信仰を見つけていきたいとい中での学校への通学少しハードに感じる事もの方の理解と協力支えがあったからこその事で思っておりますソンゲアでのおたすけへきち僻地の現状タンザニアでの四日目の朝が明け私たちは第二の目的地であるソンゲアに向けて出発したこの国の医師であるマユンガさん志郎先生のにをいがけによりようぼくとなるは約八千人を超える孤児を抱える孤児支援団体オレスを運営しており日本から届いた支援物資を各施設へ届けている首都ダルエスサラームから九百離れたソンゲアにもオレスの拠点があり私たちがオフィスを訪問した際にもスタッフが物資の分別作業に追われていた聞くところによるとこの度の救援衣料物資の多くはキロサという町に送られたとのことである一昨年キロサの地で大洪水が発生して多くの方が被災したため政府よりオレスに支援の依頼があり物資の約八割がその被災者への支援に充てられたそうであるこのようにマユンガさん率いるオレスによって我の送った物資が支援を優先すべきところへ効率よく届けられているようであるマユンガさんが抱える孤児施設はタンザニア各地に点在しているがソンゲアにもその施設が数ヶ所ある我はそれらの孤児院と町の小中学校を訪れ支援物資の残りの二割をそこの子どもたちに手渡すとともに願い出た子どもたちにおさづけを取り次いだ現地の子どもたちを取り巻く現状は厳しく学校に通う子どもたちはみな制服を着ていたが履いていた靴は粗末なものでサイズの合っていないものが多かったまた千人を超える児童数にもかかわらず教室が十部屋ほどしかないといった状態であった学校内ではあらゆる物品が不足しており客として招かれた我に椅子を差し出してくれたがそのために教師自身が座る椅子がないといった有り様であったこのような現状を憂いて昨年まで小学校の校長を務めていた一人の女性が我が家で採れた農作物を売りその収益を学校に助成していると聞いたそこで私たちは十分な支援には満たないとは思いつつ教内で募った募金の中から百ドルをその女性に預けることにしたしかし孤児院に至っては状況は更に厳しく子どもたちの多くはボロボロの衣服を身にまとい靴を履いている子どもはほとんどいなかったそして寂しげな表情を浮かべて私たちをぼんやりと見つめていた聞くところによると彼らは八畳程度の部屋に三十人が入居して暮らしているとのことである私たちは彼らに衣類を手渡すとともに元気が出ないと訴える子どもたちにおさづけの取り次ぎを行った人知人力ではどうすることもできない彼らの現状に幸福の到来をひたすらに願うばかりであったぜいじゃくソンゲアへの訪問を通じて国の経済的脆弱さから政府による孤児院や学校の質的向上が図られずや一個人のボランティア的活動によってその一端が担われている実情を知ることができたそして世界いちれつきょうだいを教えられる者として今後のさらなる支援を誓わざるを得なかったメキシコで布教を行っている私の義弟が十年以上も前から海外布教の重要性や意義について熱心に語っていたがなるほど百聞は一見に如かずお道を信ずる者として心を大きく揺さぶられるものがタンザニアにも確かにあったかつての日本にも多くの人が病苦や貧困にあえぎ救済を求めていた時代があったそこに人助けの御教えを信ずる道の先人がいまだ医療の進展を見ない明治大正昭和初期に病に苦しむ人にさづけを取り次ぎ自らも食うや食わずの貧しい中貧窮する者に親身のおたすけを行ったしかし戦後めざましい経済発展を遂げ欲しいものが労せずして手に入り世界最高水準の医療を享受できるほどの社会に発展した現在の日本においてそのような状況を探し出すことは極めて難しくなった昔のようにどうでも助かってもらいたいとの純粋な心でおたすけに精を出すことの困難に私たち道の信仰者は直面している小学生に囲まれて学校にてのではなかろうかこのような現状を思案するとき未だに衣食住や病に困窮する世界の兄弟の救済を教祖は何よりも急き込まれ私たちにお望み下されているのではなかろうかなどと想像してみるのである芳井分教会長佐藤真孝平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日教会集合夕つとめ鳴物をする夕食風呂就寝日起床朝づとめ食事部屋のかたづけ竹原の竹の館出発尾道の道の駅尾道造船進水式を見る教会着おつとめ夕食後解散尾道造船の進水式があったのでそれを見に行きました初めてみる進水式に皆とてもよろこんでいました竹原の竹の細工もよかったです暑さでクタクタでしたが帰ってからの夕づとめも皆まじめにつとめてくれとてもよかったです教会おとまり会の報告立教百七十五年八月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者岡中﨑島和誠夫治賛者山森田本敏忠教善指図方岡本久善講話河原節喜秋季大祭講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半佐藤道孝中村邦義吉岡壽中島誠治笹尾正治杉原博之三島渉山野弘実虫明立生大教会長様中村剛上原繁道岡本久善森本忠平岡﨑真一上原繁道田中隆之上原志郎大教会奥様武内正美谷内美知子田中ますみ内海安子門脇加津門脇郁子森本冨美子中村初美上原浩吉岡誠一郎武内清明西江昌直今川昌彦淺野明教上原澄雄高木昭祥横山逸郎谷内伸自森本忠善内海史郎河原節喜中村道德田林久嗣岡﨑和夫岡﨑輝彦赤木素志虫明好美佐藤香苗岡﨑豊子上原順子笹尾一美三島照美今川佐智子高木孝子横山小智榮中村義太郎山田敏教実施日参加者数プログラム所感葦陽隊別席ひのきしん団参とき内容平成年月日金祝日正午より東礼拝場にて拍子木を入れてのおつとめおつとめ後殿外に集合大教会長様の挨拶後境内地にてひのきしん別席者はおつとめ終了後別席場へ雨天の場合回廊ひのきしん布教部秋季大祭詰所受け入れひのきしん期間月日木昼日土昼まで割当各ブロック名本部食堂ひのきしん期間月日月日月割当東ブロック本部直属特別ひのきしん期間月日土日木まで歳未満の健康な男子人史料部歴代教会長履歴を月末日までに提出して下さい詰所掛こどもおぢばがえり期間の節電にご協力頂きありがとうございました教養掛修養科第期人男人女人修了修養科第期人男人女人修養科生の理の親は帰参の際教養掛に現状をお尋ね下さい青年会会員名簿提出について未提出か所の教会は早めにお願いします少年会こどもおぢばがえり実行委員会会議について期日月日月より来年の各ブロック日程調整教会おとまり会実施教会は報告書を提出して下さいその他全教野球大会について笠岡大は月日日熊本大教会と対戦大教会だより第期修養科教養掛三ヶ月間門脇元教大教会役員島根分教会長一ヶ月目二ヶ月目丸山正人木津和分教会長淺野明教大教会准役員三ヶ月目佐藤真孝芳井分教会長修了者金浦樋上謙二引野芦品惠陽原田泰子原歩藤本幸江教人資格講習会修了者終講西村藤本久美八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召のままに天然自然のお働きを通して日自由の御守護を賜ります中に秋とは名ばかりの残暑厳しき中とはいえ時折吹く涼しい風夜毎に虫の音の高まりと共に涼しさが増し少し秋の気配を感じる時節とくらなり身体にも心にもやさしさを感じつつ日結構に恙なく生活させて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日朝に夕に御礼申し上げると共に御恩報じを思い念じてひのきしんに励みおつとめを通して理作りしにをいがけおたすけを通してたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は理のお許しを戴いた八月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には残暑厳しき中も厭いませず親孝心一筋に寄り集い言改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年のこどもおぢばがえりは連日の猛暑日ではございましたが笠岡からは一千四百名程の方におぢば帰りして頂くことが出来ました心配していた熱中症や事故怪我等もなく喜び一杯の一時を味わう事が出来ました加えて少年ひのきしん隊にも例年より多くの子供達が参加することが出来ました又引き続いての学生生徒修養会そして大教会での英語講習会でも昨年より多くの子供に参加して頂きにぎやかに勤めさせて頂きました誠に有難うございました又明日より三日間サマーキャンプも行いますので宜しくお願い申し上げます更には又教祖百三十年祭が近づくにつれおつとめ奉仕人増員が気に掛かりますこの旬に改めて百二十年祭の時の人員を確認しよふぼく一人ひとりが所属する教会のおつとめ奉仕人増員の為には何が必要かそして何が出来るかを思案し実行して行く所存でございます九月はにをいがけ強調月であり月末は全教一斉にをいがけデーでもありますので出来ることの一つとして取り組みたいと存じます何卒親神様には世界一列を救けたいとの親心に添うべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上にたすけの理をお現し下さり人が真の親心に気付き御恩報じを願う人が弥増し救け合いの理が広まってお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますこの夏嬉しかった事書いちゃいました夏といえばこどもおぢばがえりこのおじょばがえりに姪っ子が家族四人で参加おぢばに帰って来てくれました姪っ子は現在フランスのパリで暮らしています夫婦共働きで大変な中コツコツ何年もかかっておぢばがえりの費用を貯めて帰って来たのですもちろん夫婦揃っておみちの御用の上にも頑張って勤めてヨーロッパ出張所にはほとんど日参を欠かさずなにか事あるときには夫婦で勤めさせて頂いている様で今回もおぢばがえりの時真柱さまに偶然お会いした時真柱さまから帰ってきたのか一緒に写真を撮ろうとお言葉をおかけ頂き喜んでいましたそれも真柱さまヨーロッパ御巡教の時夫婦でひのきしんさせて頂いた事を真柱さまが覚えていてくださったからだと感激した事です歳になる息子がこんなに楽しかった事ははじめてだよ母さんと言ったとの事本当に嬉しいことでした姪っ子談おじちゃん子ども達が毎年帰りたいって言い出したらどうしょうたしかに嬉しいこと書いちゃいました
かさおか

『かさおか』第51巻 第8号

猛暑の中力強く咲くひまわり月日撮影今月号表紙写真は大教会神苑で撮影されたものではありません教祖年祭に向かって成人目標おつとめ奉仕人の増員七月月次祭講話何が何でも一手一つに世話人島村廣義先生諭達発布前後の流れについて月日付天理時報に教祖年祭準備会議から年祭に向けた動きが発表されました月日本部員会議の席上で真柱様から年祭に向かっての活動を進めていく上に秋季大祭に合わせて諭達を発布する旨をご発表になりましたこの諭達を受けて秋季大祭の翌日本部員本部直属教会長など全教の先頭に立って御用をつとめる先達が一堂に会して年祭に向けて活動の先頭になってつとめることを誓い合う教祖年祭教祖年祭に向かう心についてお話し下さる島村先生決起の集いが開催されます続いて年祭活動の意義を徹底するという意味から月日から来年の月末に掛けて各直属教会へ本部巡教が実施されこの本部巡教の理を受けて来年月末に掛けて直属ごとに部内教会へ一斉巡教を実施するようにと発表されました今日までの教祖年祭活動の進め方の中にあって直属教会に対して部内に一斉巡教をするようにと仰せになったのは今回初めてです本部巡教で各直属へその理を流されその次は本部から直接各地域へ出向き各地域においてよふぼく対象に地方講習会が実施されてきましたが今回はその前に直属の責任において部内教会に諭達と教祖年祭活動の意義を周知徹底するようにということですその直属巡教が終わった夏以降によふぼく対象の講習会を開催する予定ですそして今回も年祭活動はおたすけを中心に展開していくという基本線を踏まえて各自の信仰実践に繋がる具体的かつ実践的な内容を検討していると発表されました諭達とは改めて諭達とはと申しますとお道の節目にあって真柱様が教内に対して時旬の理に相応しい信仰実践について教示されるものであると示されています要は今日の私たちにとって刻限のおさしづとも申すべき同様の理を以て受け止めなければならない大変重要なお言葉であると私は思案しています諭達は素直に真っ正直に丸ごと受け止めてその思召にお応えするよう懸命に努力しなければならないと私は思っています教祖年祭に向かう一人ひとりの心構えかつて年祭を打ち出された時の真柱様のお言葉が昨日の様に思い出されますがこれまで年を仕切って十何度つとめてきた教祖の年祭は言われて立ち上がってそして活動しつとめた年祭が多かったが次の年祭をつとめるならもう年祭もつとめたのだから声が掛からなくても言われなくても自主的に動くようでなければ一向におぼつか成人は覚束ない一人ひとりが仕切って立ち上がる様な年祭活動を今度はさせていただきたいとのお言葉でした年祭までつとめたのだから今度はをやにいわれるまでもなく自分から求めてをやにお喜びいただきご安心いただけるような成人の実を上げるようにと一人ひとりの積極的な行動をお促しくださるとともに一手一つの大切さと三年千日と仕切ってひながたの道を歩みその成人の実が結果として教会内容の充実のご守護をお見せいただけるよう通ろうと年祭のご発表と三年千日仕切っての活動を真柱様は諭達ではなく年頭のおことばでお促しくださいましたこれが年祭の活動の始まりでしたこのおことばによりそれぞれの直属部内教会においては教会長よふぼくそれぞれの立場でこころを定めて年祭活動に取り組みました一手一つになるための諭達このようにして年祭活動が始まりましたがをやの思召は一つでも人それぞれに許された心じゅうようの自由がありそれぞれの信仰の上から成人に応じた心の納め方悟り方があるので時と場合によっては皆の心がなかなか一つに揃わないことも得てしてありがちですしかし教祖年祭活動はどうでもこうでも全教が一手一つに心を結び合うて教祖の親心にお応え申さねばならないとの強いご信念からその年の月に諭達第四号をご発布くださった全教の心を一つに揃えるという意味から諭達を発布されました年祭以降の年祭活動に対する心構えや諭達に込められた思召親心を思案するとき何が何でも真柱様のお心に全教が一手一つに心を結び教祖にお喜びいただけるよう成人への歩みを進めなければなりません教祖年祭の意義つとめの急き込みたず教祖年祭の意義は立教の元一日を温ねひながたを辿りさらにこどもの成人を急き込んで御身つくを隠された元一日に返り親神様が人間世界を創り給うた元始まりの思召である陽気ぐらしを実践することにあると教えられます教祖年祭の元一日を振り返りその思召を思案するとそれはおつとめの完成とそれに向かう人の心の成人のお急き込みにあるといえますつとめはたすけのもとだてようこそつとめについてきたこれがたすけのもとだてや六下り目いつもかぐらやてをどりやすゑではめづらしたすけする六下り目と仰せられますが世間の嘲笑や迫害の中も心倒すことなくようこのつとめについてきたこのおつとめこそが世界一れつをたすけていただく根本のつとめであるいつもかぐらやてをどりを心掛けて通っていさいすれば必ず珍しいたすけを見せてやるぞとお教えくださっていますおつとめはたすけの根本の手立てであり人だすけのもとだてであるとともにまた自分自身をもたすけていただける元なのですこのつとめは親神が紋型ないところから人間世界を創めた元初りの珍しい働きをこの度はたすけ一条の上に現そうとて教えられたつとめである即ちこれによつてこの世は思召そのままの陽気な世界に立て替つてくる教典第二章とご明示くだされていますおつとめは私たちの親神様へのつとめです親神様は元の神様実の神様ですその元を立てるのでもとだてでありまたお互いの理が立つのですおつとめがたすけのもとだてであるという意味はここにあるわけですみなそろてはやくつとめをするならバそばがいさめバ神もいさむる一命の源でありすべてのご守護の源である親神様の懐に飛び込むのですさあく皆勇んで掛かれ勇む事に悪い事は無いで明勇んで掛かれば十分働く明と仰せくださりおつとめをするといつしか気が晴れて心が澄んできます親神様のをやという理を頂くから心が澄んでくるのですこのたすけのもとだてであるつとめの完成とそれに向かう人の心の成人を教祖は現身を以てお急き込みくださいました真柱様は本年春季大祭講話の中でその日のおつとめは形の上からは決して十分とは申せませんしかし教祖が満足気にしておられたということはおつとめをつとめる人の心の真実をお受け取りくださったということだと思う今日の恵まれた環境のもとにある私たち自身が思召に叶うお受け取りいただける心に近付くための手掛かりをたず先に述べた先人達の心の動きの中に温ねると先ずは銘が立場や状況による違いはあるでしょうが信仰的にはしなければと思いながらいろいろな理由から怠っていることはないかと顧みることでしょう自分は常日頃どれだけ親神様教祖を念頭におき教えを拠り所に考え行動しているだろうぶぶかと考えるそしてたとえ一分でも二分でもより教えに基づく考え方通り方を心掛けることが大切だと思うとお話しくださっていますぢばかんろだいを囲んでつとめられるかぐらづとめの理を体して今日私たちはそれぞれの教会においても月次祭のおつとめもつとめますそれぞれの教会がおつとめの道具を揃えおつひとすじとめをつとめる人の手を揃えさらにはぢば一条に心を揃えて一手一つに教祖からお教えいただいた通りに何欠けることなく惰性に流れず心陽気に勇んでおつとめをつとめているでしょうかこのおつとめの理を一人でも多くの世界の人に写していくこと広めていくことにをいがけおたすけこそが急務と仰せられる私たちよふぼくの使命です年祭活動に向かう時旬の上から一番私たちが心しなければならないよふぼくの大事なつとめであると思案しますかぐらづとめの地歌からお教えいただくこと話は変わりますが諭達を受ける前にそれぞれがそれぞれの立場立場で信仰の元一日原点に立ち返るという上で皆様方といっしょにかぐらづとめの地歌からお教えいただく教えの根本をおさらいしたいと思いますかぐらづとめの地歌の中に年祭活動を進めるお互いがよふぼくが当然心に納めておらなければならない信条教えの角目基本をお教えいただいていると思うからですひとすじ第一節のお歌は親神様に一条にもたれて祈念しお願いするお歌ですそのためには先ずそれぞれ各自が心を入れ替えて胸の掃除をして親神様の思召に叶う心になることが肝心であると教えられますそこに親神様のたすけ御守護が一身一家に留まらずこの世が陽気ぐらしに治まる御守護をお見せいただけるようになっていきますつく親神様とはこの世人間をお創りくだされ今なお十全の守護を以て私共の身体を始めすべてを御守護くだされている元の神様実の神様ですその御守護の理はこれに神名を配して説き分けられ入信の元一日誰しもが始めに聞かせられる神様のおはなし教えの台ともお聞かせいただくかしものかりもののご教理はこの親神様の十全の御守護の理から納得ができまた親神様の限りなき御恩が分からせていただけますたんくとなに事にてもこのよふわ神のからだやしやんしてみよ三にんけんハみなく神のかしものやなんとをもふてつこているやら三めへくのみのうちよりのかりものをしらずにいてハなにもわからん三とお教えくださっています胸の掃除心の入れ替えとはそれぞれがこれまでの心遣いを教えに基づいて反省しさんげをするとともに親神様の思召に添わない心遣いを八つのほこりを基準にして改めることですすなわち胸の掃除心の入れ替えとは弛みがちな心を人をたすける陽気な勇み心に入れ替えることです人を救ける心は真の誠一つの理で救ける理が救かるおかきさげとお教えくださっています第一節のお歌は親神様の十全の御守護の理かしものかりものの理八つのほこりの教理が台となっていますそれぞれがしっかり胸の掃除をして親神様の思召に叶う心になってひたすら親神様にお凭れして祈念しお願いすることを教えられます第二節のお歌は親神様の思召仰せを聞いてしっかり心に納めるということでしょうこの世の元初りの理話親神様が元の神実の神ゆえんである所以をお聞かせくだされていますかたど親神様はこの世の始まりに天と地を象って道具を引き寄せ男女夫婦の雛形を定め人間つくをお創りくだされたことこのことは並大抵でない御守護であるばかりでなく以来人間は親神様の御守護のもとに長い年月を経て今にいたることを教えられていますこの理が真に納得でき心に納まればほこりの心欲の心は消えていきますそしてお歌の最後になむてんりわうのみことひとすじと親神様の神名を唱え一条に親神様にお縋り申しあげるのです第三節のお歌は親神様のお急き込みである世界だすけ陽気ぐらしの世の実現を目指して一日も早く御守護いただけるように祈念すると同時に親神様の思召実現に向かって私たちがひたすらその御用にお使いいただくというお誓いのお歌ですあしきをはらうのは第一節と同じですがそれぞれの胸の掃除の上に世界中の胸の掃除と仰せられています親神様の御用にお使いいただいてその御守護を祈念するのですこの御用にお使いいただきつとめさせていただくのがよふぼくですよふぼくは常に胸の掃除をし心を入れ替えて世界だすけの親神様の御用にお使いいただくのでありその中につとめの喜びがあるわけですかんろだいは元なるぢばの証拠に据えられ人間の創造とその成人の理とを現して形造り人間世界の本元とその窮りない発展とを意味する教典第二章と教られる台ですしたがってかぐらづとめの芯となる台であるとともに他面かんろだいはこの世が治まる柱とも教えられまた陽気ぐらしの世の中をかんろだい世界とも仰せられ親神様の御守護のもとに私たちが積み上げていく姿を教えられていますよふぼくの究極の使命はここにあると思案します世界一れつの人間の心が澄み切ったならばかんろだいの上にひらばちをのせそれによってじきもつをくださいます人間歳定命その健康と寿命をお約束くだされています以上が掻い摘んで申しあげましたがかぐらづとめの地歌に教えられる教えの要点です年祭に向かう心日常の心遣い通り方月次祭大祭のおつとめ朝夕のおつとめまた事情身上のお願いづとめやお礼づとめなどおつとめによって鮮やかな御守護を頂戴しますがそれには何と申しても日常の心遣い通り方が大切ですおつとめをつとめる人それぞれが日親神様に真実誠の心をつくしはこび親神様にお働きいただく理をつくることが大切です日ひのきしんに励み真実誠の心をぢばにはこぶことが肝心です道のためあちらへもこちらへも種を下ろし道のために尽したなら何処からでも芽を吹く明日運ぶ尽す理を受け取りて日守護と言ううたゆ明と教えられるように倦まず弛まず日に身を尽くし心を尽くして真実を運ぶところに必ず御守護をお見せいただけます教祖年祭の元一日の思案から思召はおつとめの完成とそれに向かう人の心の成人のお急き込みであると受け止めておつとめについてまたつとめさせていただく私たちの心の拠り所をお話ししましたが要はこれから諭達を以て思召される年祭活動に三年千日を仕切ってどんな中もひとすじ教祖ひながた一条に私心を捨てて通り切ろうということですものというものは旬がある旬が外れると種を下ろしても生えるものもあれば生えんもおぼつかのもある旬が外れば覚束ないものどんなものでも旬が外れると一花だけで落ちて了たらどうもならんこれから一つの理を聞き分け明と仰せられます年祭活動の三年千日お打ち出しも目前に迫った今日です旬を外さず悔いなくつとめて教祖にお喜びいただける成人の実を上げたいと思いますがそのためにも今諭達のご発布を前にしてそれぞれがひとつそれぞれの入信の元一日信仰の原点に立ち返って自分の足許を眺め心を正してその理を丸ごと受けれる一つのそりをしっかり作って秋の大祭を迎えたいこのように思う次第です以上要約立教年こどもおぢばがえりおぢばに弾ける笑顔よろこびいっぱいさあひのきしんを新テーマに立教年こどもおぢばがえり教会本部主催が月日から月日までおぢばで開催され期間中参加の子どもたちはしこみふせこみ行事やおたのしみ行事を通してお互いのたすけ合いを学び本部詰所での楽しい一時を過ごし終日元気な子どもたちの笑顔と歓声が響き渡った笠岡団武内正美団長では昨年同様千人の帰参と全隊からの参加また各教会でのおとまり会の実践を目標に募集世話どりを行った大教会関係参加者数は次号掲載よろこびいっぱいさあひのきしんとの新しいテーマのもと立教年こどもおぢばがえりが賑やかに開催されました親神様の御守護を子供達に気付かせて喜びの心をひのきしんに表すことを教え身に付けさせ更には日の暮らしの中に生かしてもらいたいその絶好の場となるのがこどもおぢばがえりですそしてしこみふせこみ行事おたのしみ行事を通して三つの約束を子供達に伝えますからも連日大勢の子供達が帰参して元気な笑顔と歓声が響きわたりました詰所では今年も育成係による朝のおつとめラジオ体操目標発表などがありケジメのとれた生活をおくることが出来ましたまた月日日月日と行事係による模擬店が開催され夕方の楽しいひとときを過ごしこれには中学生のわかぎひのきしんも参加してよろこんでもらいたいという思い一つにひのきしんをさせていただきました今年も連日猛暑続きでさらに電力の問題から子供達の体調が大変心配されましたが大きな事故ケガもなくつとめ了えさせて頂くことが出来ましたことに御礼申し上げますまた期間中大勢の方がひのきしんに当たって下さり御苦労様でしたありがとうございました月月は教会おとまり会強調月間ですこどもおぢばがえり後の丹精として長い目で見たおたすけの大事な御用として実施して下さいますようお願い致します少年会笠岡団長武内正美賑やかだった詰所行事今年もおぢばに帰った子供達に本部行事だけでなく詰所でも楽しんで貰おうと詰所行事が行われた例年通りの模擬店映画上映詰所内クイズなどに加え今年は引率者の方にも喜んで貰える様に模擬店で生ビールを販売したが売れ行きはもう一つだったまた来年思考を凝らした行事を考えて行きたい今年のクイズの問題と解答を記載します詰所内クイズと解答小学校低学年幼児小学校年生コースとらをたべちゃうくるまってなあにトラックこいでもこいでもおなじところをいったりきたりするのりものってなあにブランコうえからよんでもしたからよんでもおなじなまえのおみせなあにやおやおいしゃさんでうっているものってなあにちゅうしゃさかだちするとかるくなるうみのいきものってなあにいるかくびはくびでもくちからでるくびってなあにあくびとられてしまうのににっこりわらうのはなあにしゃしんだいきょうかいのしょうねんかいのなつのきゃんぷはがつのなんにちからでしょう日あしでのぼっておしりでおりるものってなあにすべりだい天理教てんりきようのおしえをおしえてくださった人ひとはおやさま中山みきさま小学校高学年年生コース電車の中でみんなに喜ばれているスリとは手すり読むとしびれる本って何伝記目にさされてもケガをしないものってなあに目薬フランスといえばフランスパンでは日本といえばジャパンゾウやワニなら出来るのにキリンやライオンが出来ないものは何しりとり焼くことは出来るのに食べることが出来ないぱんって何フライパンびっくりするほど早く飛ぶ虫はハエ負けた方がにこにこ笑っているのは何にらめっこりっぱりっぱと言われているのにいつも踏ふまれているものは何スリッパ八つのほこりはうらみはらだちよくこうまんとあと四つは何おしいほしいにくいかわい中学生コース顔がつ目が全部であるものって何サイコロ水の上にはたてないけどお湯の上にはたつものって何湯気数字のが嫌いな動物ってなあにスカンク走っている車が落としても誰にも拾われないものってなあにスピード点を取ると大きくなる動物ってなあに犬大教会第回英語講習会の参加対象は何年生から年生はしははしでも鳥が使うはしってなあにくちばし通るとき通れなくて通らないとき通れるものってなあに踏切オーストラリアの中央部にいる動物は何トラおやさまは病気の原因を病の元はからと教えて下さいましたさてひらがなでとはこころクイズ当選者今年もクイズに名の少年会員が応募してくれました各学年で満点を取った人達の中から厳選なる抽選の上当選した人達の名前を列挙しますおめでとうございました残念ながら当選出来なかった人是非来年再度挑戦してみて下さいね幼児小学生の部くろ田さやさい神村梅林あやねさい弓ヶ浜垣内聡太朗さい大江橋足立結花さい亀田山中村まさや幼稚園久松小学生高学年小川莉加子年府中市岸本紗月年稲倉小野櫻年錦ヶ原楠聖奈年上下奥れん年福芦中学生の部小川せゆ中芦品生田真莉菜中福満森本忠一中海松ヶ岡藤村拓叶中川島郷森山真夏中吸江以上順不同こどもおぢばがえり実行委員会行事部第回英語講習会吉備青少年の家にて開催自然の中での講習会月日新体制の海外部員で練りあった節目の第回英語講習会は初めて大教会から外へ出て吉備青少年自然の家で開催された俄に揃えたスタッフポロシャツ毎食食べ放題のバイキング食自然の中での学習と英語オリエンテーリング英語を取り入れた肝試しスキットコンテスト等新しい行事が多く組み込まれた講習会だったゲストは米国からレイモンド森下さん名東部属とサブゲストとしてケニアから日本語学生のサムエルさん米府が参加してくれた小中の学生だけでなく大人の参加もありそれぞれ特徴がでた楽しい講習会だったという参加者達の口の感想だったこれからも尚一層の充実した講習会になるようスタッフ一同喜んで楽しんで努めて行きたい海外部長上原志郎英語講習会に参加して照陽分教会三浦和美今回初めての参加ですきっかけは大教会で鼓笛の手伝いの時英語講習会にぜひ来て下さい楽しいですよと声をかけられた事です子どもと参加したいと思い英語はすごく苦手な私ですが参加を決意しました結局我家からは私一人で不安だったけど国立きび青少年センターに到着大自然の中での勉強が始まりました英語ゲームきもだめし降ってきそうな沢山の星流れ星季節はずれのホタルゲストの先生のお話ドキドキワクワクビクビクジーンと日頃味わえない事が沢山ありましたロサンゼルス出身のレイモンド先生とケニア出身のサムエル先生はとても素敵な方で先生やスタッフの方が丁寧に教えて下さり以前より英語に興味が持てました今からじゃ遅いという事は何もないよやろうと思った時が大事なのよ英語の勉強と思うと難しいけど相手の言葉がわかったり自分の言葉が相手に伝わると良いよねという言葉に私も英語で伝えたいと思うようになりました先生のお話からはそれぞれの母国の事や日本との違いこれから先の目標に向かって頑張っておられる様子が伝わり皆さんは恵まれている感謝する事を忘れないでという言葉が印象的でした今回講習会を通じて英語だけでなくスタッフの方の支えや頑張り自然や外国の文化に触れる事感謝する事の大切さを感じられ参加できて良かったです皆さんありがとうございました来年も行きます大教会松浦杏奈英語講習会ではしっかりと英語を学ぶことができましたはじめは分からないことがたくさんあったけスキットで英会話を楽しむど先生達やゲストの二人がすごく分かりやすく説明してくれたからだんだん読めるところが増えました私は英語の塾に行っていてそこにいった時に似たような文章の問題が出てとけたことがすごくうれしくて前より英語が好きになりました講習会のおかげですこの講習会で一番楽しかったのはコンテストですみんなが練習した発表がみれたし自分もまちがえたりすごくきん張したけどがんばれたから一番思い出に残っていますグループの一番良かった人になれなかったしどっちでも良くて選ばれなかったって知ったときはちょっとざんねんだったけどそこまでいいって言ってもらえたことはうれしかったです英語講習会はすごく楽しかったし来年あるか分からないけどコンテストのリベンジもしたいのでまた行こうと思います自然とのふれあいの中で髙屋分教会武内敬教この度の英語講習会は回目ということで国立吉備青少年自然の家で行われました子供達が英語の学習だけではなく自然とふれあうこともできる素晴らしい環境でした教会では見られない子供達の表情をみることができるこうした機会をもっと増やしてもいいと思いました私自身としては外部での英語講習会は今までなかったことから経験のない自分でも話し合いなどに気負わず参加することができ大変ありがたく感じましたゲストを中心した授業風景ダルエスサラームでのおたすけ前号より続く富裕層への布教教会設置の機運ダルエスサラームでは経済的に裕福な家庭ばかりを訪問したどの家に招かれても居室には大型テレビとステレオが置かれ豪華なソファーが据えられていた志郎先生曰くタンザニアを訪問する度に少しずつダルエスサラームでのおたすけ先が増えておりそれも会社の経営者などの富裕層を中心とした拡がりを見せているとのことであったその最たるはタンザニア大統領の夫人を叔母に持つナイマ先述した用木のキルワ家であったキルワ家を訪ねるとその庭先にはヨーロッパや日本の高級自動車が六台も並べてあったタンザニアの一般庶民には中古車一台すら到底持ちえない代物であるからその経済力の凄さがうかがえるこの家の主であるキルワさんは見るからに徳の高そうな方でダルエスサラームにある複数の孤児院の支援にも精力的に携わっていたまた我に非常に好意的で日本人は海の幸が好物とどこかで聞いてわざわざ自ら海に出向いてディナーの食材を釣り上げてくれたほどだまたさらに私たちの乗るソンゲア行きの自動車が手配出来ず困っていたところ自分の自動車を快く貸してくれたタンザニアの道路には自動車の速度を意図的に落とさせるバンプという段差が設けられておりソンゲアへの片道の道中このバンプを数多く乗り越えて進まなければならないので自動車の損傷を免れないことは百も承知のはずなのにであるこのような親切の背後に何らかの意図が含まれていると考える人もいるかもしれないが私にはキルワさんの気高く柔和な表情からそのようなものを想像することは難しいこのようにダルエスサラームではマユンガさんを媒介にしてタンザニアの上層階級に位置する人との交わりが深く広く持たれるようになってきているキルワ家に限らずどの家庭を訪問しても手厚くおさづけの後で迎えて下さりとても嬉しかったのだがそれと同時におさづけも真剣に受けて下さる方の多いことに非常に感銘を受けたマユンガさんの兄にあたるマーティンさんのお宅にも訪問したがこの方は三年前に初めて伺っておさづけをお取り次ぎした際には体が麻痺して寝たきりの状態であったそうであるしかしこの度訪ねてみると何と自らの足で歩いて私たちの前に姿を現してくれたのである親神様の深い思召しと教祖の自由のお働きを実感するとともに私はおさづけのお取り次ぎの最中に素直に神に乞い願う彼の姿に神に対する純朴な姿勢を感じたこれはマーティンさんに限らずおさづけをお取り次ぎした他のタンザニアの方にも見受けられた苦しい時の神頼みで一時的に神様にすがる多くの日本人と比べて彼らはその日常において神様との距離がとても近い状態にあるような気がした大抵の事が自分の思い通りに叶うようになった現代の日本では神に願い神にすがる姿はほとんど見受けられなくなったようである我信仰者の間においてもその傾向は次第に浸透しつつあることをタンザニアに来てはっきりと気づかされた物質文明の発展とともに失われゆくものがあることを信仰者である我は特に自覚しなければならないのではなかろうか今回の拙稿にもう一つ載せておきたいことがあるそれはタンザニアの方が天理教の施設教会の設置を願っていることであるダルエスサラームに滞在中一人の女性が志郎先生に教会を建てましょうと繰り返し訴えていた彼らの会話の中でこのフレーズは何度となく私の耳に飛び込んできたので英語の不得手な私にも聞き取れるようになってしまったほどである彼女は別席運び中のエディ口からタンザニアに行ってみてお道の信仰初ナの妹で日本を含めて世界数カ国を見聞し女代の人達が教会設立を切に願った気持ちがわかっ性を支援するを主宰するやりてである彼たような気がしたと語られた病苦にさいなま女はタンザニアに教会を建てれば必ず人が集まれ貧困にあえぐタンザニアの人にとって助り更に人が人を呼んで多くの人が集まると力かりを求めて寄り集う場所の設置を願う気持ちは説するそれに乗じてスティーブ用木が俺は当然のことであろう志郎さんに会ったときから教会を建てようといちれつ兄弟を説くこの教えは今まさにこの言っていると彼女に加勢するのを聞きながら国の人から必要とされているようである妻の言葉を思い出した未信者で教会に嫁いだ妻芳井分教会長佐藤真孝が初めてタンザニアを訪問して帰国したとき彼女のこころの詩用木第一号のマユンガ氏と共に天理教道友社発行天理時報時報歌壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付福満分教会福島悦子さん無理すなと言いてくれしが野良仕事無理は承知で晴れ間と競う養徳社発行陽気誌八月号道柳より転載今回の課題は満笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん満席の孫念願の用木に表紙写真吉岡輝昭編集部員温故知新ツの姪と三人だけが血縁として孤独な存在と立ったなってみると千代の心は幼い時からここま幾太郎の一年祭を主に以和美津千代のいきいきエピソード生涯内助の功での道のりが美しい楽園から出て降りる下慰霊を済ませて二月の寒風の中を宇三郎は歩いるそして谷の底へ底へと落ちるだけだったとた井原高山豊松と進み山を越え川を渡思えて涙も出ぬ程放心していた宇三郎は養り心の中で僅か三年の間余りにも多かったコウさんの事を誌そうと思ってつい宇三郎子に来て相手に死なれて元の谷口に帰るか不幸を思い返してさてどうするか胸の中は空先生の当時の身辺を記し始めたら長くなってし藤井の家を立てるか信仰とは何だったのか虚で確たる事は何も決まらず油木から川沿いにまった長くなったついでにもう少し幸男先いんねんとはどういう事なのか迷いに迷った登って恐らく暗くなって東城集談所に着いた生の文章に従って書き進めたいろう亀代と松代はお父さんがいるまだお集談所の島田さん始め皆さんから慰められたが一月に美津が死に七月に以和が死に九父さんがおると安心していた丸一年の親子詳しくは話さず翌日西城へ入った八十三才月に良一が死ぬそして年末になると養父なのでお父さんといっても遠慮があり千代の父最三次にどう話すか以和が死んだとは幾太郎はべったり寝付いて食事が出来なくなっの方へ千代の腕にばかりまとわってはいるが言ったろうが詳しくは話さず長逗留を覚悟でた生来一徹なので気はつっぱっているが衰一旦結ばれた縁のこれが子供かと思えば不憫孝養の最後だと看護に努めた最三次は宇弱はひどく明けて一月教祖と同じ二十六日息で離す気にはなれなかったやっと春になり夏三よう帰ったよう帰ってきたとその程度を引き取った満で六十才四十五才から天理が来ようとする時梅雨の湿気に押しひしがれで宇三郎が幸か不幸などには触れずに喜んで教になって祖先から引き継いだ財産を全部使たように千代が倒れた既に病に侵されていたいた或晩夕食のあとわしはゆくぞもうゆい果たしてこの裏小屋で体一つになって最後はのかそのまま六月十日死亡数えの十九才くぞと最三次が言うのでどこへ行くんかその体も癌で失った看病葬式看病葬式亀代と松代が息絶えた叔母に取り縋って離れこの夜中にゆくぞゆくぞこんな言葉を交と何度繰り返したのか新婚宇三郎はそのたない哀れさに皆眼をそむけたこの千代の十わしている間にこっくりと臨終となった可愛めに藤井へ来たような来たから皆が助かった八年の生涯に喜べる日はあったのか幼児の想く思っていた末子の宇三郎に抱かれて最三次はとも言えるが情ない運の悪さであるい出しかなかったろう明けて三十六年西城満足してこの世を終わった宇三郎が来てくれ幾太郎に死なれて最も打ちひしがれたのはの実父最三次が弱ったと様子が来て宇三郎るのを待っていたかのような大往生であった十八になったばかりの千代であった九ツと七は子供を上原伊助様に預けて西城へ向けて旅その後宇三郎氏は腹を決めて笠岡の藤井の家へ帰って来た人から人に話があって淺野弥三郎さんが尋ね笠岡町内の信者の修理丹精に努めた瀬戸之町笠岡周辺の布教という事で近い所を歩き家て行かれた当主棗田菊太郎は左官を業としの坂の道がちびたと言われる程宇三郎氏は熱に帰って子供の世話をし又出て歩きという長男佐平次次男丈二郎を連れて仕事に励心に信者の丹精に努めた大正十四年五月宇三日を過ごした明治三十七年八月から神邊出んでおり妻のクラは縫物をよくし客からの郎氏は分教会理事を拝命した昭和十五年二月張所の依頼で因島集談所に派遣された大半を頼まれものに忙しく傍ら集談所の手伝いをして七十五歳で出直すまでコウさんと共に過ごさ因島で過ごしたが留守中に亀代が出直したいる娘もコウは学校より縫物が好きだと幼いれた事を思う時人の一生はその人の心に一明治三十八年一月から因島の布教を三島杢次氏時から針を持ち母に仕込まれて早くから一人つの事を貫くものがあらねばと思う二人の連と交替し稲木陶山吉浜長迫今立と笠前になりこの頃では仕立物はコウが主にやっれ添いに先立たれた後コウさんと結婚して後岡周辺を受け持って信者宅を訪問しては新規のていたにも近親に出直しが多かった中で先生は笠岡開拓に努めた宇三郎は毎日歩きに歩いた全明治三十八年五月コウさんは吉井から笠岡の道の中で心倒さず歩まれたそういう人のての過去を頭から消して連日病人に助かっての藤井家へ入嫁した媒酌人は淺野弥三郎夫妻歩みに支えられて今の私達の道がある事を忘貰いたいと困っている人の救援にと下駄を擦であったコウさん二十五才宇三郎さん三十れてはならないと思うり減らして歩き歩き廻った一日一日食べる物九才だった明治四十年支教会承事を拝命コウさんの内助を書こうと思いながら何もがあったら幸運で天の與えだけで過ごす覚悟同時に第三号地区陽備分教会前身の担任と書けなかったただコウさんが藤井家に来らの天理教の布教師の日は生きている以上になった宇三郎さんは虫明元三郎氏宅へときれて宇三郎先生の信仰に輝きが出てきたと私困難を極めていたには泊まり掛けで丹精に次ぐ丹精を重ねた結は思うそれこそ内助ではなかったかなと感じ近所の人達や上原家の人は宇三郎と松代の果明治四十四年十月陽備宣教所が設立される生活を心配していた宇三郎が又西城へ帰って初代所長に就任された藤井憲男先生が身上の時笠岡駅の便所掃除しまうかもしれないから嫁に来てくれる者をその後陽備の上に心尽くし新しい信者を増を毎朝やっておられた事長い間大教会教祖探して藤井の家が立ち直るようにしてやらねやし教会の内容充実に力を入れた大正八年殿の掃除当番を務めておられた事作って下ばこのままでは見ておれないと話し合われた陽備の会長を辞任した二代会長は虫明銀治郎さったひしおの味噌がおいしかった事いろい岡山支教会の部内の後月集談所の役員の棗田氏であったその後宇三郎氏は九州若松にろあるが割愛するさんのところに少し年の過ぎた娘が居ると布教に出たが大正十年五月笠岡へ帰った大教会理事談話室僕が何を言いたいかと言うとおやさまの思いはどこに有るかと言うところです今こそ陽気ぐらしになれる時石巻の震災瓦礫を北九州に受け入れてもらう事になっていても一部の人がストライキまでして大反対をした事です情けないなぁと思って大教会谷本光司を見ました僕が石巻に来させてもらって半年になります今僕たちが何をさせてもらっているのかと言うと仕事は震災瓦礫の受け入れ施設の建設ですガレキをチップにしたり燃やしたり数社のです註参照最大手ですそれだけ復旧に力を入れていると言う事です月中旬から瓦礫の処分が始まりだしました来た月の末ごろは右を見ても左を見ても瓦礫の山でした年で片付くそうですが到底無理だと思いますまだすごいたくさんの瓦礫が有るのでどう考えても無理だと思います僕はいわきに行かせていただいて少しは気持がわかるように思っていました大変だと思っていました石巻の人のたいへんさはまた違うような気がします石巻の人の大変さが痛切にわかりますおやさまは陽気ぐらしにしてやろうと仰っているのに全然陽気ぐらしにならないと言う事です僕はいわきに行かせていただいて震災瓦礫の片付けのひのきしんをさせていただいて人は口ではいい事を言っても口と心が全然違う所ですおやさまはこの事を言っておられるのじゃぁないかと思います心だけが我がの理とおっしゃっているように今こそ本当に陽気ぐらしになれるんじゃぁないかと思います又おやさまは世界ろっくの地と言われているようにこのような事をしてたらまったいら何もなくなってどろうみこうきのように何もなくなってしまうような気がします今からほんとうに一人一人が気持がかわるようにとおっしゃっているんじゃぁないかと思います僕からでも少しでも石巻のために役に立っていきたいと思います自分なりに精いっぱい頑張らせていただこうと思いますみんなが少しでも陽気ぐらしになれるよう頑張らしていただきます編者註の略共同企業体複数の異なる企業等が共同で事業を行う組織のこと主として土木建築業界において一つの工事を施工する際に複数の企業が共同で工事を受注し施工するための組織のことを指す民法上の組合に該当するとされる石巻市では東日本大震災により大きな被害を受けた同市の早期の復旧復興を図るため同市内の地元建設業者が市外の建設業者と共同しその施工能力を強化して復旧復興工事を円滑に施工できるよう復旧復興建設工事共同企業体復興制度を創設している悲しみをのり越えて芦品分教会金谷眞佐代私の弟は七月十五日日に五十五才の若さで出直しました末期の肝臓ガンでした親孝心ひとすじの布教所長がなぜと思いましたが親神様の深い親心をはたはたの者が悟らせて頂きこの大節を生き節としてすばらしい芽を出させて頂きたいと思います今年月より身上がすぐれませんでした弟は私にばあさん母の介護をしてくれよと言いました介護って何をしたらええの私にできるかしらと言ったらばあさんのとなりに夜寝るだけでええんよと答えてくれましたそんなことならお安い御用よと今でもずっと夜はふとんを並べて休ませて頂いています弟は身上がわかった時年間最高の人生を送らせてもらったんだから笑顔で送ってくれよとお嫁さんに言ったそうです写真をとるのがあまり好きでなかった弟ですが入院中はおたすけに来て下さる方お見舞いに来て下さる方みんなといっしょにアイパットという写真をとっていました弟の笑顔はそれはそれは輝いていました出直すまで半年間ありましたお嫁さん五人の子供たちに言っておきたいことを言っていましたまた子供達には親孝行な子供に育ってくれて本当に嬉しいよと言っていました出直す前に母より先にいってしまうので最後に親不孝したなとも言っていましたまた自分はおたすけをしていないとも言っていましたが五人の子供達がようぼくになったということは何よりも大きなおたすけだと私は思っています告別式の日高屋の会長様から弔辞を読んで頂きましたすばらしい内容でした弟もきっと喜んでいると思いました私にとっては兄のような最高の弟でしたこれからは布教所長となった弟のお嫁さんに心をあわせ低い心で陽気に勇んで日を通らせて頂きたいと思います弟もきっと私達のそばで見守っていてくれると信じています年間ほんとうにありがとう全日本ドッヂボール選手権大会海松ヶ岡分森本善修君笠岡市立笠岡小学校年生の森本善修君歳海松ヶ岡分教会長森本忠善さんの三男は月日笠岡市役所市長室で行われた笠岡文化スポーツ振興財団理事長三島紀元市長主催の野球やドッヂボールなど国際全国大会に出場する郷土選手激励会に招待されたこの日出席したのは第回全日本ドッヂボール選手権に出場する森本君原田琉聖君中央小学校年三宅志門君大井小学校年ら人をはじめ東アジア野球大会人第回全国中学生テニス選手権大会人第回全日本レディースソフトボール大会人の人三島市長が練習の成果を発揮して実りの大きい大会にして下さいと激励森岡聰子笠岡市議会議長もあいさつ一人ずつにスポーツ賞揚金を贈呈した出席者の紹介のあと森本君は県予選で悔しい思いをした他のチームの思いを背負って精一杯戦いたい出場出来るのは指導して下さった方をはじめ保護者の支えがあり感謝の気持を忘れず頑張りますと全国大会への決意を話した森本君の所属する里庄レッドスネークス山近克彦監督平成年発足は月日岡山県内チーム約人が参加して行われた県大会で優勝全国への切符を手にした全国大会は月まいしま日大阪市此花区舞洲アリーナを会場に行われチームメイト人と共に全国の予選を勝ち抜いたチームと優勝を争う予選リーグでは香川県代表の善通寺クラブと当たる森本君は小学年生の時学校の先生の勧めでドッヂボールと出合った練習はキャッチボールなどの基本をはじめ実戦練習など監督の指示のもと平日は午後時から同時土日は午前時から午後時まで行われる持ち前の負けん気で毎日休むことなく自宅から練習会場の里庄小学校まで通う弟の陽気君小学校年生四男も兄と同じチームに所属して頑張っているしんどい時もあるしかしチーム皆でプレーし皆で喜び皆で戦えるのがいい止めようと思ったことは無いとドッヂボールの魅力を話す同チームは発足年目の今年月日広島県内で行われたドラゴンカップ西日本大会で優勝するなど活躍が目覚ましいまず予選を突破すること教えてもらったことを着実にするこれをしたから勝ったという理由がある試合を皆でしたい目標は勿論全国制覇力強い言葉が返ってきた市長から激励される選手たち右から人目が森本善修君月日記試合結果などについては月号掲載予定全教会長の参加を立教年全教一斉にをいがけデー提唱周年月日日よふぼく実動日日教会長路傍講演の日全教一斉にをいがけデーが月日金から日日まで全国で実施されるこれは一年に一度地域に住むお互いが力を合わせ一手一つに心を揃えて親神様の神名お道のにをいを広めていこうというもので普段は個で布教していてもこの時は揃って勢いをもって全教が一斉に行動し更なる布教活動の実をご守護いただこうとの思いから期日を定めて実施されるもの日から日までの日間は支部を中心によふぼく信者がよふぼく実動日としてにをいがけ活動を展開し日は教会長路傍講演の日として全教会長の参加を目指して行われる全教一斉にをいがけデーは教祖年祭立教年祭に向かう両年祭活動最中の昭和年月日天理教青年会天理教婦人会の提唱で実施された全国一斉路傍講演デーとして始まり今年で年を迎えるまた教会長路傍講演の日は年目全教会長が布教活動の先頭になり街角に立ち親神様の教えを伝えにをいがけの実動の推進役になってもらいたいとの思いが込められている更に月のか月間をにをいがけ強調の月と定めこの月はそれぞれの教会につながるよふぼく信者はもとより休日や夜の時間帯などを活用して働くよふぼくや学生にも積極的に参加を呼びかけ次代の育成と共に地域での継続的な布教活動につなげる工夫をもっての丹精が必要となるでは教祖年祭に向かっておつとめ奉仕人の増員を成人目標としている日の布教活動を通して目標達成に向けつとめたい全教一斉にをいがけ事務局本部布教部にをいがけ課内では月日から日までの期間中は記念祭奉告祭年祭などの教会行事の自粛を呼びかけているこの記事の一部は同事務局発行担当者用実施要項の中から許可を受けて使用しています会計部大教会長様の署名捺印について必要な場合は事前に大教会に連絡して下さい布教部教会長特別講習会について参加者の送迎を大教会でします希望者は布教部長田中まで連絡して下さい壽司会室悦子河原節喜司会田中隆之上原繁道司会森本忠善佐藤道孝司会中島誠治青年会会員名簿提出について未提出の分会は提出して下さい詳細は本誌月号参照全分会布教推進週間について実施期日月日日日日各分会の活動計画書を提出下さい月年祭を迎える第一歩吉岡月元一日月霊祭について月時旬対象よふぼくテーマと講師月はお休みです日時毎月日午後時受付時分開始時終了立教百七十五年七月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者森笹本尾忠正平治賛者吉岡誠一郎虫明立生指図方上原繁道講話島村廣義先生九月講話中村邦義会場大教会会議室上の間史料部大教会史編纂について歴代会長履歴を各ブロック担当者まで提出下さい区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半吉岡壽中村剛中村邦義笹尾正治上原志郎田中隆之虫明立生横山逸郎田林久嗣大教会長様岡本久善佐藤道孝岡本久善中島誠治岡﨑和夫上原繁道杉原博之門脇元教大教会奥様佐藤香苗上原順子田中ますみ岡﨑豊子笹尾一美門脇郁子高木孝子横山小智榮谷内伸自森本忠善内海史郎河原節喜上原浩山野弘実森本忠平西江昌直山田敏教三島渉高木昭祥岡﨑輝彦上原澄雄今川昌彦吉岡誠一郎岡﨑真一武内清明赤木素志髙田賀代子森本冨美子谷内美知子今川佐智子武内正美門脇加津虫明好美内海安子三島照美中村義太郎よふぼく勉強会育成部原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様にはせかいぢううハみなわが子かハいいゝばいこれが一ちよとの親心のままに春夏秋冬と四季折の恵みを通して陽気ぐらしの一端を味わわせて下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます今は梅雨も明けて夏真っ盛りの中にあり暑さを楽しませて頂いておりますが年温暖化が進みその内暑さも楽しむどころではなくなる恐れがありますそうならないことを願って私共は日朝夕に御礼申し上げると共にご恩報じを念じつつ一人でも多くの人に親神様の御守護によって生かされている事と全て私達の心通りの守護である真実を伝えさせて頂くべくたすけ一条御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同一手一つの心で明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて七月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には暑さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は世話人の島村廣義先生にお越し頂いております教祖百三十年祭に向けての御諭達発布を三ヶ月後に控えたこの旬に当たってのおぢばの声をしっかりと聞かせて頂き目標を見据えて成人の歩みをさせて頂く所存でございます又目前にせまったこどもおぢばがえりの募集に余念はございません一人でも多くの子供に親の息を掛けて頂くと共に事故怪我等のないようお連れ通りの程をお願い申し上げます更には又八月には学生生徒修養会英語講習会サマーキャンプそして教会おとまり会等と子供を対象とした行事を通じて道の後継者の育成に力を注いでいく所存でございます何卒親神様には世の風潮に流されることなく親孝心一筋に御恩報じの道を歩む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして願う心の誠の理に尚も自由の御守護を賜り生かされている喜びを一人でも多くの人に味わって頂いて御恩報じを願う人が弥増してお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先大教会だより教会所在地の変更ひろさと分教会七三二八一八広島県広島市南区段原日出一丁目五番十八号なし本部食堂ひのきしん甲井山田要こどもおぢばがえり詰所受入ひのきしん前半東中島順子東中島洋子西福山髙屋島根上府横山逸郎藤原鈴江栗原興子雜賀元生小西紀惠後半滞に巻き込まれて遅れそうになりました時間を気にしながら渋滞を抜東徳山毅けやれやれなんとか間に合いそう西小坂義孝だと安心して進んでいた時ある福山宮本正明交差点で右折の矢印が出ているのに髙屋藤井宏一発進しない車がいるのです数台前島根三代麗子なのでクラクションを鳴らすわけに上府山田信子もいかずイライラは頂点に達しま有志島根面谷美恵子した瑞雲豊田俊美甲井山田敏教次の青信号で右折してその車をみると高齢の方が運転されていました腹を立て毒づきながら追い越そうとしたそのときもし父が生きていてあの車を運転していたらという考えが浮かびましたそれか二十四節気ではもうじき処暑ら私の部屋にかけてある額の言葉をを迎えます暑さが終わり朝夕に思い出しました涼しい風が吹く気持ちの良い季節だということですがまだまだ暑い日子供叱るな来た道だもの年寄が続きそうですね遅ればせながらり笑うな行く道だもの来た道行残暑お見舞い申し上げますく道二人旅これから通る今日の道通りさて先日ある研修会に参加する直しのできぬ道ため車で出かけましたその日は余裕を持って出たつもりなのに交通渋この言葉は作者がわからずただ妙好人とだけ記されています妙好人とは浄土教の篤信者特に浄土真宗の在俗の篤信者を指す語だそうで永六輔氏が著作大往生の中で引用され有名になったものです毎日見て座右の銘としているにも関わらずいざとなるとなかなか実行できませんね反省反省
かさおか

『かさおか』第51巻 第7号

梅雨の合間の青空月日大教会神苑で教祖年祭に向かって成人目標おつとめ奉仕人の増員パレードスタンド周辺で作業お話し勉強会開催月月次祭後テーマは旬大教会新機構月日付発令の中で育成掛が育成部に昇格同部におたすけ掛が新設されたこれを受けて育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後にお話し勉強会を開催新たにおさづけの取り次ぎも行われるこれまで勉強会は開催されていたが中断このたび再開となった今回のテーマは旬対象は布教所長よふぼく信者場所は会議室上の間お話し勉強会は午後時分から同分引き続き午後時までねりあいを行うおさづけの取り次ぎは所定の申込み用紙神事所に用意に内容を記入の上神事所に提出祭典終了後神殿にてお話しおさづけの取り次ぎがある多数の参加を期待している育成部おやさとで伏せ込みの汗青年会ひのきしん隊青年会笠岡分会上原明勇委員長ではおやさとふしん青年会ひのきしん隊第回隊月隊に名で入隊入隊者は先月号に記載日間勇んでつとめた月はこどもおぢばがえりの看板製作や会場準備蛇谷山での木出しひのきしんなどを行ったまた日の作業を終えてから笠岡分会として三昧田方面ににをいがけに出たり神殿回廊拭きをしたり詰所でのベランダ洗浄ひのきしんをするなど精力的なヶ月を過ごした細かい所も心をこめて神殿ふしんの用材を切り出すまた隊員お互いがおさづけの取次ぎをしながら一人も欠ける事無く無事に隊期を過ごした青年会副委員長上原繁次ひのきしん隊に入隊して吸江分会西村理人私はこの度初めて青年会のヶ月ひのきしん隊に参加させていただきました男臭い環境の中で素晴らしい経験を積むことができました私の家は布教所で小さい頃から天理教が身近にある環境で育ちましたが天理教を避けて生きてきました両親がなぜ信仰をしているのか分からず身近にありすぎて信仰の有難みが分かっていなかったからですしかし去年の月に修養科に参加させて頂いた時に身上のご守護を頂き天理教の素晴らしさを実感することが出来ましたですが修養科を修了し普段の生活に戻ると修養科の時に勇みまくっていた気持ちは一瞬で冷めてしまいました早くも天理教離れしている自分に神様は去年と同じ身上を見せて下さいましたおそらく離れていく自分をグッとまたお引きよせ下さったのでしょう神様は私の事が大好きなんですねと高慢の私は思いましたしかし身上で苦しむ中修養科で狂ったように勇みまくっていた時を美化しすぎてしまう自分がいて今の自分は本当の自分じゃないと勇めない自分を責め続けていましたそんな時にひのきしん隊の誘いを受け天理に行けば何か変わるかもしれないと思い参加させて頂きました初めは慣れない集団生活や作業に戸惑うことが多くとてもしんどかったですしかし笠岡の人や同じ班になった朝倉分会の人暑さもいとわず神名を流す路傍で熱い思いを語る屋根の部分が取りはずされたがとても親切で徐に慣れていくことが出来ました毎日が段楽しくなってきて最後の週間はあっという間に過ぎてしまいました気付いたときには自分の身上も良くなっていて改めておぢばはすごいところだなと思いました修養科を修了してからの自分は天理教を信仰している理由が分からなくなっていましたしかしひのきしん隊に参加して自分は天理教を信仰している人が好きだから信仰したいという気持ちがあるのだと気付くことが出来ましたそれは神じゃなく人を目標にしているということにもなるかもしれませんがまだまだ未熟なひよっこの私にはそれくらいシンプルな考え方がピッタリだと思いますまたおぢばを離れて元の生活に戻っていきますがひのきしん隊で気付かさせて頂いた事や出会った人のつながりを大切にし信仰心を絶やさずに日の生活を送っていきたいと思います中庭ステージ撤去次回使用まで小川工業が管理昨年の大教会創立周年記念祭時にアトラクション用に中庭に設置されたステージの撤去作業が月日から小川工業芦加茂分よふぼく小川孝夫社長によって行われた作業は日間の予定屋根と支柱は解体され次回の使用時まで同社が管理する月日記詰所看板取り付けひのきしんに更なる次の台風号がやってきている中での決行である前日迄日こどもおぢばがえりに向けを変更した方がいいのではと考える中日の天理でこどもおぢばがえり実行委員会佐藤道孝委員の降水確率がであると聞長ひのきしん部虫明立生部長では月日きもしかしたら小雨くらい大教会祭典終了後看板の取り付けをする為有でできるかもとのわずか志人で笠岡詰所に向け出発した台風号が過な期待をしての出発であっぎ低気圧に覆われている中国四国近畿地方た当日の朝は予想していた台風の影響もなく穏やかな曇り空で一粒の雨もなく昨年の暑さが嘘の様な涼しい中でのひのきしんであったこの度は海松ヶ岡分教会から初めて参加してくれた吉田さん神崎さんが大きな力となりそれから足場関係の仕事に詳しい笠尋の会長さんが加わって頂いた事は何よりも心強く当日は早朝より毎年来て下さる佐藤さんにも詰所玄関駐車場南棟階ベランダに取り付けられた趣向を凝らした看板指揮を取って頂いた詰所勤務の方の手伝いや開かれたもの心配り教養掛の先生方のお力も頂いて無事午岩井先生は人生には良い出会い反面悪い前中に作業を終える事ができた出会いというものがある考えてみればそれぞれ階講堂のフロアーの張り替えに続き看板取のいんねんを通してのものであり徳次第だ神り付けとだんだんに準備の進んでゆく中ボイ様は私たちの通り方つとめ方つくし方をちゃラーの徹底修理には至らないが受け入れる側のんとお受け取り下さりそれに応じてご守護下人達全員で力を結集し真柱様の笑顔で溢れるさっているお道を通る上でいろんな節などお見おぢばにしたいとの思いに応えられる様最善の努力をし帰ってくる子供達に喜んで頂きたい虫明立生せ頂くが神様にお喜び頂けるように日楽しんで通ることが大切と思うと自身の布教体験を通して喜びの信仰をしようと話された昼食はバイキング形式がとられ各部内教会から持ち寄られた心尽くしの種類の手料理が会場に並べられ参加者は楽しいひと時を過ごすとともに記念祭に向け一層の躍進を胸に閉会した躍進の集い開催髙屋分髙屋分教会武内正美会長は月日月月次祭後講師に岩井喜市郎先生櫻井大伊都分教会長を迎え髙屋躍進のつどいを開催約人が参加した同教会につながるよふぼく信者が一手一つに歩もうと毎年実施されているもの特に今回は本年月日に創立周年をつとめる上からたすけ心をもって日歩もう古い信者さんの掘り起こし道の後継者の育成を三つの角目にこれまで活動を進めているが一層の弾みになるよう温故知新て家の博物館に飾らねばなるまいお手玉などるわけではなかろうが新入りお父さんは話が一杯作った筈だあの手鞠が今手元にないのがし難くがんすがんすと言って亀や松に笑われいきいきエピソード生涯内助の功残念だがあれは最高の作品だキレイにかがったかもしれないてあった母は手先は本当に器用だったが人宇三郎は早速教会の庶務係に任命され教会との付き合いは反対に大変不器用だったようの中に坐ることより朝晩の清掃に努め暇を先号の続きを読むだ父も人との付き合いは下手だったみては近所の挨拶旁布教にもと足繁く出歩母コウ姉は器用な事この上なしの女だっいていたた出来上がりが変だろうと見掛けがどうあろコウさんは後月郡吉井町の人で岡山大教会の亀代松代の二人はコロコロ元気に動き廻っうと思い付いたら直ぐやってしまう方だった後月集談所の役員を務めた棗田家の人であるていたが以和も美津も千代も日陰の瓜のよう壁襖障子など手製の修理の後が一杯ありどのようにコウさんが藤井家に来られる事にに青白く弱しかったやはり忠四郎の病気に張りぼての用器は沢山作っておりそれに又いなったのか話は長くなるがいんねん納消感染していたのか咳き込む風邪を引きやすろいろの物が収めてあった針仕事は人並み以入信五十五年間の藤井の者達から引用すくすぐ寝込むなどの症状が出ていたろうそ上の腕であった事は確かだがランニングを真る私にはコウさんの辿られた道が藤井家の節れでも幾太郎は一家が揃っていることが何よ似て晒で作ってくれた事がある縫い目が目立目になっているように思えるりの喜びで神様に御礼を申し述べて満足してたないようにこまめに針が運んであった何幸男先生の文章で当時の藤井家をはじめとすいた然し本人の胃の方は少しずつ加減が悪くとかこれを着て運動会に参加した少し恥ずかる役員家の生活状態を偲びながら記してみるなっていたしい気がした友達に堂と自慢するくらいの明治三十三年の正月には幾太郎おじいさ明けて三十四年正月六日旧暦ではまだ元気が私にあったらと今は思うがん宇三郎お父さん忠四郎氏亡き後に養子に年の暮の忙しい中美津がポックリと死んでしお金で買うことができないものは何とか手入るおかあさん以和若いおばさん二人美まったこの美津は呼び名がマサで少し頭の作りで間に合わそうと器用貧乏と世に言うが津千代の二人亀代と松代以和忠四郎の子弱かったところがあったようで最初田林の裏貧乏で器用だった母は何でも自分の手で作っ供は大喜びでお雑煮を食べた和やかな七人へ三軒田中藤井髙田が入る時藤井は田たのだ足袋も手縫いだった鋏と針でできるの団欒で笑い声が続いたことだろう県北の比林の離れ座敷に決めていた何日住んだのか不ものは全部作った今残っていたら家宝とし婆の言葉も備南の農村言葉も別に変わりがあ明だがマサが物を投げるので大切な床柱や綺麗な壁に疵をつけてはいけないと髙田と交たりしたが日が経っても恢復の兆しを見せずなった替した話が残っている吉浜に居る頃はどう精根尽きたように七月十三日息絶えた祈り宇三郎は我が身の周りに次と起こってくだったのか亀代や松代の子守を一日中していとおさづけを次と受けながら三十一才で父る難問にどう対処すべきか迷い惑い神様にたとも言われているから田林の表へ出て子を残し夫を残し今まで一生懸命に育てた二お詫びもできず毎日教会へ行き何でもよい体供がてら陽に当たりいい風を吸っていたのだ人の子を残し今生んだ赤ん坊もそのままにを動かそうと汗水たらして動き廻ってこのろう二十四才で一生を了えたマサのために千代の懸命の甲斐もなく忠四郎の後を追って難局を乗り切る努力を続けた以和と千代は特に心に深く悲しみを受けてい死んでしまったもうすぐ明るい所へ出られる千代は馴れぬ赤ん坊の世話の仕方を田中さつまでも泣いて死を悼んだ数え年二十五才まそうしていい世の中にあえるんだと望み求めてんや田林さんにも教わり助けてもらって精一でこの世にあったマサの倖は薄い薄いもので居たのにそれを夢と消して杯出来るだけの事をしていた千代は良一を姉あった宇三郎は勿論だが幾太郎も千代もがっくりの身代わりと思って本当によく面倒を見たが以和が宇三郎の子を妊った幾太郎は朝に晩力を落としてしまった家の中で誰も語らず二ケ月の命でしかなかった良一を可愛がったに細かく気を遣って大事にするように本人に言お互いに口をきかぬ日が過ぎ悲しみに沈むば千代は生みの親以上の落胆ぶりだった亀代とい周りの者にも口数多く何かと無理をさせぬかりだったやっと取り寄せた書類がきて七月松代を両手に抱いて仕方ないどうしようもように注意した千代は亀代と松代の世話を引二十三日宇三郎は役場に行ったが我が子良なかったするだけはしたのにと涙ばかり流き受けたようにかかりきっていたやっと梅雨一の出生届より妻の死亡届が先になって何していたも明けてジメジメした部屋の中でも少しはしのことをしているのか頭の整理がつかなかっのぎよくなった七月四日男の子を出産した幾た以下次号に譲る宇三郎先生の心の中を思う太郎も宇三郎も跡取りの誕生を心から喜んだ二人の姪の世話から病人の介抱に疲れた千と言葉もない笠岡は田頭の神殿が出来てこれ以和はやっと身重から解放されて満足と安代に今度は赤ん坊の世話役が増えたから役員住宅の建築をとの思いはあったが内心で明るい表情を取り戻してはいるが生気がまだ十七才の若い身には大変な気苦労で困務省訓令の中神殿建築の負債も重なり教職なくまるで全身の力を使い果たしてしまったり果てていた隣の田中多賀さんや髙田のおば舎普請は先送りされた部内先の教会も事情抜け殻のようになっていた千代も心配して力さんがいろいろと手助けしたり知恵を与えてはは同じであったがつくようにと気を遣って食べ物を作ってやっ下さったが弱い千代には耐えきれない重荷と大教会理事いをしたさらに孤児院や学校等を訪問した際に彼らの現状を十分に聞き取り細かなところまでニーズを聞き出すことができなかったことには悔しさを超えて反省の念にかられた自分の信条としておたすけに取り組む際につとめさせていただく側の最低限の努力は神様にお働き頂くための必要条件であると私は常日頃自らに言い聞かせている誠真実の心で願えば神様は必ずお働き下さるとばかりに親神様に一方的に御守護を願うばかりでなく人のたすかりを願うならば人間としての必要な努力は欠かせないと考えるのであるしたがってタンザニア到着タンザニアで難渋する兄弟の助かりを願うならばお道の教えを信ずる者として彼らと心を通前号より続くわせるための必要最低限の言語を私は身につけて異文化との接触と言語の障壁おかなければならなかった実はタンザニア布教関西空港からドーハで乗り継ぎ私たちは約に備えて今は亡き福山の前会長様から英語の学時間のフライトを終えてタンザニア空港に降り習になるサイトを紹介してもらったり川島郷の立ったドーハとタンザニアの空港では言葉が通香取先生から英会話のをお借りしたりしてじず大いに戸惑ったがそこは百戦錬磨の志郎先以前より少しずつ言語の習得に取り組んではいた生が助けて下さった実はそこからが私にとってがこの度の布教には間に合わせることができな言葉の障壁の始まりであった現地に到着してかかったこのことを深く反省して次回のタンザらも初めて出会う人との挨拶に始まりおたニア訪問を目標に現在すでに以前にもましてすけ先や訪問先での会話にはついて行けずとて語学の習得に励んでいるところであるも困った特におさづけを願う人の訴えにしっさて話は空港到着時に戻るタンザニア空港かりと耳を傾けてあげることができず残念な思に着くと現地の用木であるスティーブが出迎えてくれているはずであったがそれらしき人物は見当たらない志郎先生が出発前に彼らの時間のルーズさについて説明してくれていたがその通りで分遅れでスティーブとナイマ用木そしてその友人が迎えに来てくれたそれ以降時間のルーズさについて滞在中ずっと思い知らされることになる毎朝運転手が私たちを迎えに来てくれるのだが八日間の滞在で一度も時間通りの広大な大地迎えはなかった日本の場合だと分の遅れでもすみません遅くなりました実はとまずは時間の遅れに対しての弁解から会話が始められるがここの国では分どころか時間の遅れはざらの様で悪びれる様子も全くない私たちも滞在の後半にはこのタイムラグを一日のスケジュールに盛り込んで宿泊所の近所でにをいがけやおたすけてをどりなど大統領の奥さんの兄家族とを行うほどであった何もせずに待っている時間がもったいないというまさに日本人的感覚の身に染み付いた行動であったなと後で思い返したのだがしかし後に述べるソンゲアの町からダルエスサラームへのの帰り道現地で出会った人の笑顔を思い浮かべながら私はふと思った私たち日本人は時間を大切にして無駄なく効率的に働き暮らしているそうした勤勉さが戦後の日本の復興と経済成長を支えてきたと言えるだろうだがその一方で現在の日本の生活の中で人があまりに時間を精細に意識しすぎてかえって窮屈になっているのではないかと思わされたのである果たして時間に追われ忙しく暮らしている私たちの営みはこれでよいのだろうか現地で出された料理は日本人の舌と相性が良くてどれもみなおいしかったと思っていたのだがひょっとすると日本にいる時のように時間に追われることなくゆったりと食事に向かえたことがその味を十分に味わえおいしいと感じることにつながったとも思われるのである親神様は私たちの日の暮らしの中に陽気ぐらしができるようにと多くをお与え下さっているが時間に追われる私たち日本人はそれらをどれほど味わえているだろうか人が穏やかにのんびりと暮らす異国の地で大いに考えさせられた芳井分教会長佐藤真孝内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい福山市立山野小学校年生の武内いづみさん歳香地華分教会長武内清和さんの長女は先ごろ福山地区歯科衛生連絡協議会主催の年歯の衛生週間図画ポスターコンクールで福山市長賞を受賞したこのコンクールは月日の虫歯予防デーに合わせての啓発行事の一環で福山市教育委員会を通して市内の保育所園幼稚園児から中学生までを対象に毎年実施しているもの今回の応募は点審査の結果福山市長賞人福山教育長賞人福山市歯科医師会長賞人福山地区歯科衛生連絡協議会長賞人が選ばれた各賞とも保育所園幼稚園小学校中学校から人いずみさんは学校の授業でこの絵を描いた机の上に鏡を置き映った自分の顔を水彩絵の具で描いたもの口を一杯に大きく開けていたのでしんどかった眉毛を一本ずつ丁寧に描こうと思ったのでこれが一番難しかった面白い顔になってしまったが自分ではうまくできたと思う賞をもらえてうれしいと話す歯磨きは絵のように口を大きく開けて朝晩必ずする虫歯は無い受賞作品は市役所本庁舎に展示また私製ハガキ正規の切手を貼れば郵送可にされ本人に枚プレゼントされた父清和さんが香地華分教会長就任を機にこれまで過ごした天理の笠岡詰所から今年月末両親と妹とともに教会のある福山市山野町に引っ越した通学する山野小学校は全校生徒人年生は人学校までは約毎日元気で歩いて通っている寂しくはないいろんな景色を見れて楽しい大きくなったら好きな絵を描く仕事をしたいと夢は一杯だ香地華分武内いづみさん表彰状とハガキにされた受賞作品写真提供武内いづみさん日程場所内容対象募集人数参加費携行品応募期間主催第回英語講習会平成年月日月日火泊日月日の朝大教会集合出発マイクロバスワゴン車月日頃大教会解散国立吉備青少年自然の家岡山県加賀郡吉備中央町吉川現地参加も出来るよ自然の中で楽しむ英会話目標によるクラス分け授業ウォークラリーきもだめしゲストによる講話宿題をする時間スキット外国人布教に役立つ布教英会話など毎食おいしいバイキングだよ小学年生以上の学生青年女子青年層大人名程度円宿泊セット筆記用具タオル二枚長袖シャツ辞書英和和英宿題常備薬平成年月日まで天理教海外部教会おとまり会の季節がやってきました少年会本部ではホームページ上に勧誘用の教材などを多種ご用意くださっています教会おとまり会の全隊実施に向けてご活用ください天理教少年会本部ホームページを開きますをクリックしますをクリックしますメニューの中の項目をクリックします案内チラシ実技紹介お話参考例おとまり会例など盛りだくさんの内容ですこころの詩天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付海松ヶ岡分教会今日からは夏服となり涼しげなら半袖姿の子等登校す海松ヶ岡分教会め眼を病みし娘の退院よろこばし玄関先に打ち水をする海松ヶ岡分教会たんぽぽの銀色綿毛吹き飛ばし幼に返りぬ散歩のみちに月日付海松ヶ岡分教会すだれお向かいも隣も簾かけはじむ養徳社発行陽気誌七月号道柳より転載今回の課題は昇笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さんさあ一日陽気ぐらしの太陽が昇る表紙写真池田広子さん石川泰子さん藤井光子さん池田広子さん吉岡輝昭編集部員集え若きあらきとうりよう青年会本部が昨年より提唱しているあらきとうりよう入門塾これは男子高校生層を対象に早いうちから青年会活動に親しみあらきとうりようの道を目指すべく開かれているもので笠岡分会でも昨年に引き続き来る月日に開催いたします出口があっても入口がないというのが今の青年会の現状つまり歳で青年会を終えとなる出口の意識はあっても歳から青年会に入会するという入口の意識が殆どないその青年会への入口を明確にしようというのがこのあらきとうりよう入門塾です今回も学生生徒修養会高校の部の参加者がそのまま受講できるよう月日時受付開始としていますまた学修参加者以外も当然参加可能となっているので夏休みを利用して一人でも多くの受講者をお待ちしています内容は大教会長様お話委員長お話ひのきしんグループタイムバーベキューミニ四駆大会等高校生に親しみやすいプログラムを組んでいます青年会活動に早くから参加する事もおつとめ奉仕人の増員につながり行く行くはそれぞれの教会の力になるものだと思いますどうか皆様方には先を楽しみに育成にご協力いただきたいと思います特に高校生層は人数が限られているのでお心当たりのある方には声かけを宜しくお願いいたします青年会笠岡分会入門塾実行委員会要項日時月日水午後時受付開始日正午ごろ解散昼食後対象高校生層男子高校生以上でもスタッフとして参加可参加費無料携行品宿泊セット汗拭き用タオル内容記事本文に記載日のみの参加でも構いません参加申し込みは大教会杉原善朗まで第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目横山逸郎大教会准役員東城分教会長吉岡輝昭安那分教会長津森朋之簸ノ川分教会長仙田公男天場山分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散神事部神殿奉仕当番について原則としては夕づとめから翌日の夕づとめ迄ですが原則通りの当番が無理なら現時点では朝から翌日の朝とか終日が無理なら半日でも結構です早い内に当番日を決めて原則通りにおつとめいただけるようご努力をお願いします布教部教会長特別講習会について詳細については月号掲載対象教会長人配偶者人日時人数月日金人月日日人月日日人月日火人おたすけマップ実修会期日場所月日火たかみなみ髙南分教会南大部属東大阪市高井田番号詳細は布教部までひのきしんスクールカウンセリング期間月日日日火会場南右第棟階対象よふぼく名詳細は布教月報月号参照史料部大教会史編纂について歴代会長履歴を各ブロック担当者まで提出下さい管理部ステージ撤去について創立周年記念祭に使用した中庭設置のステージを近日中に撤去します詰所掛こどもおぢばがえり期間中ドライヤー小型冷蔵庫は使用禁止教会別人づくり一覧表名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定名称初授三日修教人教人会長席訓講習養科資格講習登録資格検定笠岡福山髙屋神邊島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴廣町福廣福勇福芦福満福岩西村福年引野福昭福春福中福冨士福東東福山福南福順福節福備福輝坪生八尋深安笠尋芦品安那芦田川三郡芦常芦加茂惠陽陽實御野香地華真金仲條稲倉稲瀬稲富士稲讃門司港大惠山東水島高児島髙丸出雲瑞雲海潮川錦洋米府弓ヶ濱西伯米美伯仙照雲松都樺島新輝豊亀田山出雲川津天場山簸ノ川多古浦瑞北雲東神村呉中大江橋品治久福久津呉福鶴南鶴眞川島郷鴨方作備輝華錦ヶ原行縢眞府吉舎清嶽上小畠木津和國須上吉野上備河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面府鮮府世原神驛神免葦沼合計六月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護により今は梅雨のまっただ中にあり山や里の木は恵みの雨とばかりに葉を茂らせ緑の色を深めて来たる夏に光の栄養を取り込むべく成長に励んでおりますこれもまた陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの親心の現れであり有難く勿体ない極みでございます只私達人間は目先の利便さを追求するあまり自然の営みを忘れ生かされている喜びも失って身上や事情に苦しんでいます事は誠に残念でなりません世の人に先んじてお引き寄せ頂いた私共は日喜びと感謝の心一杯に朝夕に御礼申し上げると共にかしものかりものの御教えをお取り次ぎすべくにをいがけおたすけにとたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は理のお許しを戴いた月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同心を一つに睦び合わせて明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて六月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には連日の雨で足下の悪い中を厭わず今日の日を楽しみに寄り集いましたよふぼく信者が日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年も夏の子供おぢば帰りが近づいてまいりました一人でも多くの子供達に親の息を掛けて頂きたいと募集の上に精一杯勤めさせて頂いております加えて今年は少年ひのきしん隊結成四十周年に当たりおぢばよりわかぎの子供におぢばへ伏せ込む事の楽しさを味わわせてやりたいとの声を掛けて頂いておりますので教会長子弟を始めわかぎ年令の子供達に参加の呼びかけをして行く所存でございます又教祖百三十年祭に向けおつとめ奉仕人増員を目指し一人ひとりが心を定め日の理作りに励みながら成人の歩みを進めさせて頂いておりますがより拍車をかけるべく直に御守護を味わせて頂けるおさづけの取り次ぎにも力を注いで行く所存でございます何卒親神様には温暖化による急激な気候変動にも臆せず御恩報じ一筋にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り親心の有り難さに気付かせて頂いて一列兄弟が助け合い睦び合う陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより平成年下半期おさづけ拝戴者月瑞雲周藤寛芳井三宅久恵月東水島國末佳子松都勝田直樹月上下原田ほのか上下日南住彩福満檀上侑子西伯美柑千代樽月吉舍茨木理恵瑞雲石田甫芦加茂小川祐貴子髙屋武内さつき雲東雲東雲東雲東内田沙織内田修一内田真由美木原亮祐月新山邑国定浩二新山邑国定真理子大惠山光成直美上父渡邉直樹月久松横山国男眞府武田凛太郎立教百七十五年六月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者吉杉岡原博壽之賛者横田山林逸久郎嗣指図方岡本久善講話中村剛八月講話河原節喜区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝中村剛上原澄雄笹尾正治杉原博之高木昭祥岡﨑輝彦山田敏教大教会長様上原繁道中村邦義岡本久善森本忠平岡﨑和夫上原繁道岡﨑真一谷内伸自大教会奥様武内正美内海安子田中ますみ森本冨美子門脇加津門脇郁子谷内美知子横山小智榮中島誠治上原浩内海史郎河原節喜中村義太郎赤木素志田中隆之今川昌彦田林久嗣上原志郎三島渉吉岡誠一郎西江昌直横山逸郎虫明立生中村道德山野弘実森本忠善今川佐智子佐藤香苗三島照美虫明好美岡﨑豊子高木孝子上原順子笹尾一美中村初美武内清明淺野明教訃報藤本キヨミ姉西村分教会四代会長六月二十四日出直されました享年九十七才私の入信は家内との出会いにあります結婚前一緒に笠岡詰所へ教養掛の助員で当方の前会長を訪ねた時本部神殿へ案内して頂き何やらクドクド聞いたけれど記憶には有りません子供が生まれて島根へやがて教会へその前会長はお前は元の家に帰って来たのやから婿養子じゃないゆえに名前に一が付いている後継者やと聞き嬉しく成って言われるままにおさづけの理拝戴させて頂いたその時実家に立ち寄り父親におかきさげを見せて俺は今日から天理教の用木やと宣言しました私の実家は親戚に薬師寺の御坊さんが居て伯父が薬師講の講元でしたその御坊には学生時代の多感な時にお世話に成り軌道修正を受けましたそんな関係でかの有名な高僧師から天理教の教えは素晴らしく立派な教えお前の様なものは信仰が無いと駄目だからしっかり信仰しなさいと訓示下さった師は天理教二代真柱様との親交が有った事を後に知りました当の父親はおいあんまり深入りするなよと教祖の雛形時代の阿呆よ馬鹿よの聞き伝えしか知らない父はそうであろう筈でした何が深入りどころか教会長に成ったのだから薬師寺の高僧はさすがに私の先が見えていたのでしょうか間違いのない確かな教えと今でも私の背中を押して頂いているような気がします今教祖百三十年祭に向かう時この秋季大祭には諭達第三号の発布も公表されて諭達巡教も企画されていると伺います私自身おつとめ奉仕人の増員を目指して中席者の推進初席者の発掘にまだまだ間に合うと奔走する毎日で有りますそして目標達成のその日まで懸命に努力と丹精を惜しまず自教会の上に尽くして参りますに
かさおか

『かさおか』第51巻 第6号

昭和年神殿移転建築以来神殿を見守るバベガシ月日大教会神苑で別名バベウバメガシ姥目樫イマメガシ今芽樫ウマメガシ馬目樫備長炭の材料として有名教祖年祭に向かって成人目標おつとめ奉仕人の増員縦の伝道の大切さを話される諸井先生講習会を通し教会活動の源となるよう親が教えを実践し手本を示す開かれたもの諸井先生は少年会本部の活動方針をもとに自身の布教体験を通し縦の少年会縦の伝道講習会開催伝道は育成会員が知識を教え諭すだけでなく自らが教祖の教えを真っ正少年会笠岡団武内正美団長は月日直に受けて日実践し陽気ぐらしの喜びを諸井道隆先生少年会本部委員山名大教会子供たちに映していくことが大切と話され長を講師に迎え大教会月月次祭後に縦るとともに教会おとまり会少年ひのきしの伝道講習会を開催役員部内教会長ん隊こどもおぢばがえりへの参加を促よふぼく信者ら多数が受講したされた講演要旨は次の通り同団として本年のこどもおぢばがえり千人の帰参と全隊からの参加また各教会で横の布教縦の伝道は車の両輪のおとまり会の実践を目標にしている信仰の道筋はにをいがけおたすけによって人ものでありながら非常に難しいことを改めて感じているがこれから克服していかなければならない信仰している姿を子供に映す私は子供にどういう姿を見せているのだろうか逆にどういう風に見られているのだろうかと思う時がある子供は自分の目と耳で感じ育っていくのだから親の信仰している姿をしっかりと見せ伝えそして映していくことが大事だおさしづにもう道というは小さい時から心写さにゃならんそこへく年取れてからどうもならんから人へと伝わっていく横の布教と親から子へと伝えていく縦の伝道があるこれは車の両輪の世上に心写し世上からどう渡りたらこの道に付き難くい明ようなものであり親神様の目指される世界の陽とお諭し下さっています気ぐらし実現にはこの二つがしっかりとなされなければ成就されない少年会本部の活動方針横の布教は先人から延と行われてきて現在活動方針はひのきしんの態度を映し教えを私たちもさせて頂いている一方縦の伝道は親実行する子供を育てようですの言うことを子供が聞いて通るのは当り前でここれは少年会活動に限らず教会家庭においてれが親孝行の道で信仰は自然に伝わっていくだろ子供たちに伝えるべきモットーですうと思われていた時代があったひのきしんの態度を映すとは神一条の精神をしかし現在教会の後継者が定まらない教会が態度に表すことつまり損得とかあるいは近道を多くある縦の伝道はどうしても欠かせられない論せず信仰信念喜びを行動に移すことです信仰の喜びを映す活動の三項目少年会の目的は教えを素直に実行するということです小さい時から教祖の教えにふれさせ成長していくに従い信仰上のいろいろな事柄を教え躾けていくところに目的がある導く育成会員の立場からいえば単に知識を教え諭すだけでなく自らが教祖の教えを真っ正直に受け日実践して手本を示しその姿を子供に焼き付けて教祖の思召に則した陽気ぐらしの喜びを映していくことです縦の伝道の鍵はここにあるのではないかと思うまた陽気ぐらしの喜びはつとめとさづけにあると思うこれは教会おとまり会の継続実施支部でのひのきしん活動の実施わかぎ育成の取り組みです子供たちが信仰に触れる機会を出来るだけ増やしていくたとえば会長さんと一緒に生活し会長さんの姿に接するこの活動として有効なのがおとまり会です今年で少年ひのきしん隊は創立周年を迎えましたひのきしんを通して子供たちに信仰を感じてもらおうというものですこどもおぢばがえりの時お茶接待ひのきしん中ありがとうと言ってもらえることが一番嬉しかったというのが参加者の感想です例を挙げるとある教会の会長さんの身上を通わかぎというのは中学年から年生まででしかかわる人たちが心を一つにしておつとめをつとめさせて頂いた残念ながら出直されたがその姿をみていったんは道を離れかけていた後継者が教会を継ぐ決心をして下さったまたおさづけの取り次ぎにより子供のことは親が一生懸命になって願い子供は親のために願わせてもらうというように家族が互いにたすけあい繋りがとりもどせたことこれも縦の伝道で繋ったものだと思う子供たちに信仰に参加させる機会また触れさせる場を持つことも大事ですす思春期といわれ親の言うことを素直に聞けない年代ですが大事な成長過程ですその間にお道との関わりを持つことをしないと切れてしまうことがありますひのきしんを通して信仰の喜びを感じてもらおうというのが先程の少年ひのきしん隊への参加です隊員募集の上に力を入れて頂きたい同時にわかぎの育成は全教挙げて行って頂きたいのです最後にこどもおぢばがえりはひのきしんの喜びを子供たちに味わわせたいという思いから始まりましたその原点を思い起こし今年のこどもおぢばがえりに臨んで頂きたいのです以上要約大教会長様より役職員に辞令が交附された新人事辞令交附大教会新人事月日付発令の辞令交附が月日祭典後神殿で行われた大教会長様は役職にあたられた方は教祖年祭に向け一手一つの心でつとめて頂きたいと挨拶その後各部の部長各掛の主任に辞令を渡された婦人会おつとめ大会道の台としてをお打ち出し下さっていました婦人会員も教会の台のなるべくつとめおつとめ奉仕人増員に努力をさせて頂こうと今日のおつとめ大会を開かせて頂きました親神様が陽気ぐらしに近づけるため婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月に教えて下さったのがおつとめとおさづけの取り日大教会で笠岡支部おつとめ大会を開催次ぎです今日つとめて下さったおつとめは教祖人受付数が参加したの大きな親心が詰っているのですそしておつと教祖年祭に向けておつとめ奉仕人の増員とめをつとめる人を増やしていくのは私たちがた婦人会の活動方針おつとめに心を込めることすかるもとであり多くの人にたすかって頂く手を目指して開かれたもの立てとなりますとおつとめ奉仕人増員に向けて午前は神殿上段で婦人会員がおつとめ衣をつ教会家庭の台となるようまた活動方針実行のけて坐りづとめ十二下努力を呼びかけたりのおつとめまなびの各引き続き記念講演として宮崎交替でつとめられたおつとめまなび下りを各ブロックごとに伸一郎先生朝倉大梅満分教会分け交替でつとめた長の講話があったページに役割掲載先生は自身の身上またおたす昼食後挨拶に立ったけを通しおたすけをする時そ上原きよの支部長は大の時はうまくいかないかもしれな教会創立周年記念祭をいが下手でもいい一生懸命たすつとめ終えさせて頂きけ続けることが大事それを神様本年総会に代わる何かは見ておられ答は神様の世界をと思っていたら大教私たちはあせってその答えまで見会長様は教祖年祭後かたがるからうまくいかないことら年祭に向けて各教会が多いのだと思うお道の話は楽のおつとめ奉仕人の増員しいものばかりではないが皆がしっかりと前向きになってたし算をしていけば必ず神様の喜ばれるような所に少しでも近づく心の成人というものが見えてくるように思う前を向いて歩んで欲しいそして一期一会を大事に楽しみに通って下さいと話された参加者はおつとめ奉仕人増員とおつとめを通し道の台としての歩みを誓い合い閉会した大会後ピロティでバザーが行われ収益金はタンザニアに送られる同支部では大会に向け三月からスケジュール各係など具体的な準備を進め各ブロックごとにおつとめ練習も行ってきた同支部委員は上段でのおつとめは緊張感がありつとめた人たちは喜んでいた多少の間違いはあったものの全体的には勇んでいて良かった宮崎先生の講話は各人の心に響き今後の勇みの種になれば大会を催した甲斐があったと話していたユーモアを交えながら話される宮崎先生あらきとうりようひのきしん青年会笠岡分会はおやさとふしん青年会ひのきしん隊第回隊月隊に名で入隊おやさと各所でひのきしんに当たっている月はこどもおぢばがえりの準備が主となっており各会場のテント設営や看板の制作パレードスタンド設営などに汗を流しているまたひのきしんの他雅楽や祭儀式などの修練にも積極的に取り組み笠岡分会独自で回廊ひのきしんや神名流し路傍講演を行ったおぢばでの伏せ込みは月日まで続く尚入隊者は以下の通り中村剛史久松上原繁次陶山内海史郎島中豊田宏哉府中市中村元彦照陽余村元多古浦西村理人吸江山口晃治芳井佐藤真理志陽實月日上原記青年会教会おとまり会の報告笠尋隊目的日時御供参加者日程所感少年会員が集まって生かされてる喜びと日の感謝を学ぶ平成年月日土時月日日時円少年会名青年会名婦人会名その他のようぼく名月日日目笠尋分教会に集合夕づとめ参拝夕食カレーおつとめまなび鳴り物含レクリエーションゲームトランプなど花火入浴消灯月日日目起床洗面朝づとめ参拝朝食朝食片づけ自由時間全教一斉ひのきしん参加昼食準備手作りギョウザみんなで楽しく作りました昼食片づけれんげ畑で遊ぼう解散今年も青年会が中心となっておつとめまなびやお楽しみ行事を計画しました今回はスポーツクラブの試合日程と重なり少年会員の参加者が少なかったのが残念でしたが全教一斉ひのきしんにも参加できとても実のある楽しいおとまり会になりました温故知新篤状態だったので急遽帰って来られた誰かに話したい聞いてもらえばそれこの前後中教会長の長男道雄が戦死又で済むのにひとり住いでは心にたまる大教会陞級があり大教会にとってはまことばかり書いておけば誰かが見てくれるいきいきエピソード藤井宇三郎先生の事などなどに多事な時であっただろうあてはなくてもひとりで記して藤井宇三郎先生は月日大教会人事で理事ゆく自分だけの気晴らしによむ人があを拝命され月日歳で出直されているればよい話し相手のつもりで同感して私の手許に三冊の書籍がある故の大教会役幸男先生は約カ月ほど枕辺におられた事にな下さればありがたい員の藤井幸男氏の手になるものであるるれんげの花の中にはタイワンと題し幸男先生は大教会史年表によればさてその冊の書籍であるがてツの文章が記され当時の台湾伝道庁の様大正年月日藤井幸男誕生現笠岡大いんねんなっしょう入信五十五年間の藤子台北の夜店の賑わいなどが記されている教会承事井の者達昭和年月きくの花には昭和年頃から最後の文章昭和年月日藤井幸男笠岡中教会青ページをめくるれんげの花平成年月が平成年となっている年に任命日幸男先生は藤井家の長男であったが台湾か昭和年月日笠岡中教会長夫妻八男ページをめくるきくの花平成年月ら帰って来られてからは大教会役員住宅から上原眞雄歳青年藤井幸男草田靜子を帯同日出て三原市に定住されたしかし心は常に大教して台湾に向け出発の冊である会に向けて下さっていたようで藤井家の入信昭和年月日人事で准承事れんげの花の最初には次の言葉があるからの歴史を書き残して下さった事で当時の役拝命誰にはなそうか相手がおれば話すだけ員家の状態がまことによく分かって有り難い昭和年月日人事で承事拝で気分が発散するだろうにひとり住ましばらくこの三冊の内容を紹介させて頂く命いでは心のにもつのおきどころがないきくの花の中にオヤジとおふくろのとなっているしかたがない紙の上に心のたけをお一文がある昭和年月の文章である先生は昭和年月に台湾から笠岡に単身いてゆくか文春五月号のオヤジとおふくろはエッセ帰って来られている父藤井宇三郎先生が危きくの花の最初にはイストの青木雨彦と国語学者金田一春彦両彦先笠岡大全国大会出場全教野球大会全教野球大会布教部文化体育課主催の岡山地区予選が月日矢掛町矢掛球場で行われ笠岡大笠岡ワールドブラザーズ平盛秀年監督が東備分東備をで下し年連続全教大会出場を決めた笠岡大をはじめ岡山大東備分支部合同岡山東東部倉敷のチームが出場笠岡大は初戦支部合同をで下し決戦は前回同様東備分で接戦を制した同大会は月日から日まで全国地区予選を勝ちぬいたチームがおぢばに集結し優勝が争われる昨年は東日本大震災のため中止笠岡大チームでは野球を通しよふぼくの絆を深めようとメンバーの募集をしている連絡は大教会まで生のものである雨彦さんは父にコンプレッのは好みのようであったが自分から手を汚しクスを抱いていたとあり春彦さんは母は父たことはなかった家の裏の土手の肩に山椒のと結婚するんじゃあなかったと愚痴っていたと木を植えたのは父だったし唐柿いちじくをある植えたのも父だったのだろう秋欄や日照草か私が父母藤井宇三郎コウと一所に暮らしら朝顔を植えるのは母だった父母とも農家のた年限はどれくらいか昭和十五年に父は七十出だからこのような事には手慣れていたのかも五歳で死に母は四十七年に九十三で死んだ知れない父は不器用だったと今そう決められ父とは十五年くらい母とは六十年間を暮らしる手先の小さな事で何か父が作ったのを見たた筈であるしかし父と同じ家の中で話し合っことはないしこれを作ってくれたとゆう嬉したのは笠商時代位のもので母とはそれ以外さの思い出がない私が子供なりに箱とか木刀に終戦前後の数年間で思い返しても意外に一とか額縁など作るといつも感心していた金槌所に暮らしていない親子と言っても結局はの使い方とか鉋の刃の出し方や鋸の歯の立養育されている間だけの暮らしが普通なのかもて方は詳しく説明してくれた一応プロではしれない略父は青年時代石工だった握力あった訳だは相当鍛えられており片手の父に対して棒捩ちょっと引用が長くなったがもう少し続けたりでは両手でやっても歯が立たなかった座っいが今回はここまでにする藤井宇三郎先生はたままの父に対して棒押しでも私は勝てなかっ東城の奥西城の栗という処の谷口家から縁た私とは五十年の開きがあり父は老人であっあって藤井家に入婿された宇三郎先生の実父た酒は滅法強く幾ら飲んでもペケペケにはが亡くなられた時にはお帰りになって近くの山ならなかった碁将棋を父がしているのを見たに入り墓石になりそうな自然石を探し出し運事はない歌や芝居の趣味は無かったらしくんできて戒名を彫り込まれたそうである元石役者の真似や鼻歌など聴いたことはないお酒工の面目躍如というところであろうか以下次が入って上機嫌のときでも歌ったり踊ったり号に幸男先生の文章に従ってコウさん宇三したのを見た覚えはない花など植えて育てる郎先生の奥様の事を綴りたい大教会理事修養科修了生の声いんねん寄せて守護する芳井分教会平井明芳をさせて頂くのが私の心を熱く燃えたたすのでありました詰所主任先生を始め諸先生方はこの様な私ををもたりの命様のごとくあたたか詰所に入所させて頂いた日大教会長様より親く包んで頂きありがとうございましたこの先神様が皆さんを引き寄せて下されたとお聞か親神様おやさまの用木として成人させて頂くせ頂きましたこの事が少しづつ解りかけて参り心定めが出来ましたので大変有意義な修養科生活修養科三ヶ月を振り返って髙屋分教会栗原奈津美私は修養科へ入って身上があっても事情がました私は会社で大勢の社員を抱え高慢のかを送らせて頂くことが出来ましたたまりで通って来ましたある時突然会社も退め家族まで失い会長様から節目の時であるからと諭され修養科行きを心定めさせて頂きました神様との約束あっても最後まで困難にも負けず何が起きて修養科ではお道の話しを聞いておつとめをして髙丸分教会谷本圭子もあきらめないで挑んでいこうと思って来させみかぐら歌にお手振り鳴物を習得出来れば良私は今まであまり何も出来ないところからあて頂きました私も年前に急性リンパ性白血病いと安易な気持ちでいましたがそうではありあでもないこうでもないと迷ったり注意ばかという血液のガンになりましたので修養科に行かませんでした詰所にも組にも身上者が多くりされてその度に落ち込んで悩むという毎せて頂きますという心定めをさせてもらってこ私が健康でいられる事のありがたさを痛感させら日でこの度修養科へ来させて頂き色と学ばの度修養科に来させて頂きました病気のことれました同じ組の内に末期の癌で死を覚悟の上せて頂きましたおつとめは朝晩させて頂くことを理解してもらえるか不安でしたがクラスの皆で来られておられましたので組の皆で早く良くが出来大変ありがたいなと思いました私は頭も先生も心配して下さったりおさづけを取り次なって貰いたい一心でお願いづとめを何度とが高くて素直さが足りないためどうしても人いでもらい不安な心がなくなりました天理教のなくさせて頂きましたが出直しという結果となの言うことを素直に聞けずすぐに言い返してし教えでは病いのもとは心からとお教え頂く様に自りなんと衝撃な一ヶ月目の初まりでしたそしまいますはいと言えないというのが私の一分が身上を頂くような心の使い方をしていたのて詰所の身上者の方へも毎日の心配りは欠かせ番の欠点ですですから今後は頭を低くすぐで神様から宿題を出して頂いたようなものですませんでしたその様な中私が勇めるのはひに何を言われてもはいと言えるように素直本当に修養科生として三ヶ月無事に通らせて頂のきしんでした特別ひのきしん一ヶ月間のな心で通ることを神様にお約束しましたそしいて大変有難く生かされていることへの感謝で交通誘導福祉課の車いすのお世話境内掛の履て三ヶ月無事に修養科を終えることが出来大変いっぱいですこれからも人を助けて我が身助かき物係千人風呂大浴場百母屋青年会宿舎清掃うれしいでするの思いで通らせてもらいたいです楽しい限りでした神殿そうじではトイレそうじ修養科生活を終えて髙丸分教会谷本明香音修養科に入って最初の一ヶ月目の間は三ヶ月間はとても長いのだなと思っていましたがいつの間にか二ヶ月目に入ってしまい三ヶ月目に入るとだんだん日が経つにつれて思ったよりもはやく終わっていくのでお世話になった同じクラスの先生や教室のみんなや同じ詰所の修養科生と別れるのは少し寂しいなと思いましたそして私が来た当初よりも少し変わって来ていると皆に言われる様になり自分では気付いていませんが三ヶ月の間で自分だってやろうと頑張れば変われるんだなと気付きましただから家に帰ったら自分が修養科で変わった姿を見てもらい家族からも私が変わったと言われたら大変嬉しいです私は修養科に行って大変よかったと心より喜んでおります仲間の出直し葦陽分教会笹尾光孝私は修養科での三ヶ月間同じクラスの仲間との出会いや一つのある出来事があったことで変わることが出来ました始め頃は修養科に行ったとき私は少しばかりですがやる気がありませんでしたしかし組担任の先生から二番の組係の御用をさせていただくことになり責任重大で嫌の仕事でしたがある出来事があって私は気持ちを変えることが出来ましたそれは同じクラスでガンの身上を持って修養科に来られた方の事です病いが進行し憩の家に入院されましたが私はその人にどうでも助かってもらいたい気持ちになり憩の家に何回も行っておさづけをさせていただきましたでもその人は助からず出直しされました悲しくて悲しくて泣きましたしかしこの事があったおかげで私は成長出来ましたこれからも出直しされた方を思い出しては人様に喜んで頂けるよう勇んで通って行きたいと思います修養科の思い出亀田山分教会松浦シマ子会長様から修養科を進められ八十一才に成りましたが息子からも強く勧められたので修養科へ行く決心をしましたいつも杖をついて十メートル位歩くと休まなければなりませんので修養科では教室から食堂や神殿迄と長い距離を休み休み毎日毎日必死で皆について行きましたある日突然食堂迄一気に休む事なく歩けましたので私自身そのときびっくりしてしまいました親神様の御守護を頂けたと思いましたおかげさまで修養科一一組の奇跡だと皆様に云われました詰所の同室の四人も皆それぞれに不思議な御守護を戴かれました事をつぶさに感じ頭が下がりました始めに張り切り過ぎて身体を痛め九日程休みおてふりとか男鳴物とか練習が不十分でした修養科生全員の鳴物の練習が講堂でありました荘厳でした私も拍子木をさせて頂き本当に修養科に来させて頂き良かったと今でも嬉しい気持ちで一杯です家族も天理教の信仰はしていませんが担任の先生や組係の方が一生懸命修養科記念アルバムを作って下さったりシャツを作って下さったのでその記念品も家族に見せたりまたおぢばでの喜び事の話しも一杯聞かせて天理教の教えが如何に素晴らしいかを語り伝えたいと思います教会長夫妻特別講習会について対象立教年教祖年祭以降に教会長になられた人及びその配偶者日時月日金月日土月日日月日日月日火時間はいずれも午後時時分場所本部第食堂参加御供人円内容講話ビデオなど対象者には連絡あり会計部本年度教費金を納入下さい庶務部真柱訓話集配布希望者は会計まで冊円布教部こどもおぢばがえり受入れひのきしん前期月日木昼月日月昼迄後期月日月昼月日土昼迄割当前期名後期名各ブロック名こころの詩天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付海松ヶ岡分教会み西山いわおさん若き日に観し西洋の美少女にまた恋をして美術館出る海松ヶ岡分教会藤井光子さんわが味を楽しみに待つ人あれば桜もち作り春を届けし福満分教会前会長夫人福島悦子さん草木のしげくのびきし雨の日にとがま利鎌研ぎをり背筋のばして月日付海松ヶ岡分教会あきかん石川泰子さん空缶を五月の風がころがせり備中分教会塩飽利子さん一望の山まぶしかり新樹光養徳社発行陽気誌六月号道柳より転載今回の課題は清笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠川島郷分教会前会長香取敏子八十路越え清き祈りの日があり表紙写真吉岡輝昭編集部員本部食堂ひのきしん期間月日月日火割当上下府中市ブロック直属ひのきしん特別隊期間月日土日木史料部大教会史編纂について教祖年祭までに大教会創立周年迄のものを出版予定昭和年現在まで歴代教会長履歴を各ブロック担当者まで提出下さい詰所掛こどもおぢばがえり期間中ドライヤー小型冷蔵庫は使用禁止教養掛一ヶ月の教養掛を割り当てられた方で都合によりおつとめいただけない場合は早目に教養掛主任谷内へ連絡して下さい青年会会員名簿提出について笠岡分会総会月日日に向け活動の充実を図るため提出をお願いします対象中学年生歳までの男子提出日月日神事所のボックスに入れて下さい少年会こどもおぢばがえりについて全隊帰参と人の帰参を目標としています詰所での模擬店月日月日月日少年会員雅楽勉強会本部主催期間月日木日土対象小学年生中学年生迄受講費円教会おとまり会研修会本部主催期間月日月日火会場高安詰所受講費円学生担当委員会学生生徒修養会高校の部日時月日木日水費用円願書には大教会長様の捺印が必要です月日大教会より車が出ます婦人会おつとめ大会役割表座りづとめ東ブロックよろづよ八首一下り目西ブロック二下り目福三下り目山四下り目上下五下り目上原順子陶山谷内美知子輝美濃森本冨美子笠晴福田明見服部福田多恵子福山藤本イツエ西村田渕壽子上備地方三島照美新山邑崎谷眞佐美弥髙山岡田和子備中高木孝子湯田原佐木喜久子福廣林眞理子福節丸山志津子木津和高木孝子湯田原藤井光子海松ヶ岡池平精子錦ヶ原内海純子島中青山和未福芦東浜博子福順金本亜紀吉舍岡本弘子直山本節子吸江樋上郁子金浦渡邉いづみ神昭佐藤このえ福芦福島友美福満武田光代眞府今川佐智子直吉岡道子興明萩原知史錦備若井弘親子服部原勝子西村谷屋智子引野池本理恵上吉野てをどり田中ますみ福山森本洋子海松ヶ岡藤井ひろ子芳井稲月稔恵神免藤井乃理世福東宮本雅子廣町桑本和子上吉野支部長様直安斉美代子直仁科幸子直桑田恵美子美之郷藤井靖子福山藤井理恵福節田中昭栄上小畠門脇郁子島根賴経知加鶴眞岡田玉江備中渡邉泰子神驛西田満江福節枝廣都子東福山原田志保上下虫明好美鴨方劔持秀子照陽杉原美津枝明石市笹尾陽子葦陽江原昌子福昭山本由紀子福岩田村扶美恵上小畠笛上原千枝子直三島美保子新山邑仁井享子吸江笹尾恵理東城鳥井節子福勇枝廣久美東福山小西紀惠國須ちゃんぽん山野なつ上下田中タカ子鴨方枝廣孝子金浦金山武子島中新良貴玉惠福春藤田ミヨコ福順冠野惠子眞府拍子木岡崎豊子弥髙山吉岡きわ興明三浦和美照陽堀川豊子湯田原石原妙子福東佐木さと子福廣岡田秀子上下太鼓武内正美髙屋谷内百里佳輝美濃三宅久子作備横山千春東城三阪加奈子福岩田中美幸福輝沖谷節恵行縢すりがね高田賀代子直真鍋珠洲河陶山宇野園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かさおか

『かさおか』第51巻 第5号

五月の薫に誘われて月日大教会神苑で支部長のあいさつを熱心に聞く参加者大教会新機構人事発表おたすけ掛は大教会祭典後願い出により身上事情に関するおたすけ講話相談新たにおたすけ掛新設任期教祖年祭終了までおさづけの取り次ぎなどを行う輸送関係は各ブロックごとに担当者が本部祭典の帰大教会では教祖年祭に向けての新機構参をはじめ時折のおぢばがえりの際詰所と並にそれに伴う人事を月日付で発表連絡をとる今回の機構で育成掛を育成部に昇格同部辞令交附は月日祭典後任期は教祖におたすけ掛を新設大教会輸送部は廃止と年祭終了まで各部掛並びに部員掛員名はなったページに掲載第回婦人会総会布教部教祖誕生祭おかえり講話実施成人目標に向け一歩でも前進を布教部中村剛部長は月日午後時から約時間詰所階講堂で山本祐造先生敷島大教会役員を講師に迎えおかえり講話を実施宿泊者など約人が参加した先生は元一日の親神様の大きなご恩を忘れることなくそれをまだ知らない人たちに伝えていくことが大切と私たちお道の信仰者の使命を強調された月日付天理時報で既報の通り去る月日婦人会第回総会が親里で開催され国の内外から約万千人の会員が参集真柱様のお言葉中山はるえ婦人会長のあいさつを受けた一昨年創立周年の節目を越え今年は新たな成人に向けての総会となった午後からは記念行事として詰所に会場を移し支部の集いが行われた総会における真柱様のお言葉中山婦人会長のあいさつをもとに話し合い会員の意識成人を高めようというもの笠岡支部上原きよの支部長は午後時分から講堂で人受付数が参加して支部の集いを行った参加者を人の班に分け各班の司会者を中心に活発な話し合いがもたれたこの後上原きよの同支部長は総会は親神様教祖の教えを信じさせて頂く私たち婦人が一堂に上原明勇様会して直に親の声を聞かせて頂く場だと思います真柱様のお言葉婦人会長様のごあいさつを聞かせて頂いても心に残ることは皆さんさまざまであったと思います今各班で話し合っていろんな受け取り方を感じられると思いますまた聞くだけでなく自分から思いを声に出すことも意義のあるものです今日お聞かせ頂いたおめどう話しの中で心に響いたことをこの一年の目標にして先人の精神と態度を受け継いで日頑張ったことを来年教祖にご報告して頂きたいのです婦人の元気な教会は教会が元気だと聞かせて頂きますそして大教会長様が教祖年祭に向けて目指しておられるおつとめ奉仕人の増員に苦心させて頂けたら有り難いと思いますとあいさつ道の台として女性らしい温かさをもって実のよふぼくに育ってもらえるよう導かせて頂くと共に自らも成人目標の実行に向け実のよふぼくに育つ努力を誓い合い閉会した同支部では支部の集いに向け今年一月からスケジュール係話し合いの司会者などを決め準備を進めてきた参加者全員に帰路の際食べて頂こうと袋詰にされたクッキーと飴のセットが配られた上原明勇様青年会委員長に任命される去る月日青年会本部月例会において辞令が交附され笠岡分会委員長に大教会後継者上原明勇様が任命された尚副委員長は上原繁次中村剛史杉原善朗の三氏となったグループに分かれ司会者を中心に活発な話し合いが行われた婦人会笠岡支部おつとめ大会月日木時受付時おつとめ開始昼食時分記念講演宮崎伸一郎先生温故知新いきいきエピソード閑話休題我がいきエピ今回教祖百三十年祭に向かうに当たり大教会の機構を大幅に替えできるだけ役割に当たる人を六十歳までとし部内先役割に当たる人達を選出してくださるようお願いして今月のに発表されたような陣容になった六十五歳くらいで一寸寂しい思いをした人も中にはあるのではと思うが大教会のこれからの姿を考えて後輩の育てに心尽くして通って頂きたいと思う新しく役割に当たる人達に望みたい事は種あるが私がやらなくても他に部員はいるから誰かがやってくれる大教会での会議なんか出なくてもいいという気持になって貰っては困る人に都合を合わせて会議に出話し合い談じ合い大教会の教務事務行事開催に心を尽くさせて頂くという気持が大切と思う私は教祖九十年祭の年に道友社を退かせて頂き大教会長様に無理をお願いして広島の布教の家に出させて頂いた年祭は月日から月日まででその間天入寮願書に署名捺印頂く時初代さんが伏理時報は日刊となるのでこの時も日刊天理時せ込まれた場所やまあ頑張って来いと報の編集の中を縫うようにして誌を編楽しそうに署名頂いた大教会史の編纂があり集したのを憶えている月刊の誌の編集があり月日大教会の御用は苦労して勤めさせていただ付で准承事の拝命を頂いていたのでお許し頂いて初めて自分の成人の糧となるのだと思うけないかと思っていただけに嬉しかった老会長様のおふでさき御話の編集出版を広島教務支庁の前に通りを挟んで印刷所が大教会から依頼されたのもこの頃であったあったので行くなり毎月の誌のもう少し丁寧な編集ができればと思っていた印刷を依頼した夜布教から帰って編集して原が出版を急ぐという事で頑張らせて頂いた稿を中元本店印刷に持って行く出来上がりをこの時は原典に親しむ事の必要性大切さを学二十日に会議に間に合うように持って帰るとばせて頂いた私はこれをきっかけにおふでさいう月刊スケジュールで勤めさせて頂いた時きも以来変体仮名のおふでさきに親しませてに旅費がないので自転車の後におつとめ着頂きおさしづを通読させてもらい二代真柱をカバンに入れて寮祭があるので寮に持って様の講話を真柱訓話集を通読させて貰った来ていて大教会月次祭の役割があるので大教会の役割は事務教務そして雑務の分誌と一緒に積み帰って来た時もあっ担であるがその中にワシがワシがという我をた八本松の坂を上りきれば何とかなろうとい捨て皆と談じ合う中に溶け込み協力し合い信う気持でペダルを漕ぎ始めたがその先にまだ仰の成人へ向かう契機を掴ませて頂きたいもの幾重にも登り坂があり大変な道中だったである特に三十歳前後の若い青年層に強くそ誌を編集する人がいないという事ういう姿勢を望みたいなお私は今回で大教会で九十年祭の前年十月頃引き受けさせて頂いて史料部長を退かせて頂きました以来平成元年頃まで携わらせて頂いた九十大教会理事談話室ひのきしん隊世話班に勇む明石市分教会杉原善朗一我らあらきとうりようはたすけ一条の喜びに徹し世界たすけの先達となろうおやさとふしん青年会ひのきしん隊の日はおぢばに響き渡るような勇み心いっぱいのあらきとうりよう指針の唱和から始まりますこの時朝礼台上で大きな声を張り上げているのがひのきしん隊世話班です世話班というのは青年会長様真柱様の親心に添わせていただき世話班班長副班長を芯に一手一つの和を以て入隊された方のお世話取りをつとめます月にこの世話班の御用でおぢばにお引き寄せいただきました今回で三度目となりましたが毎回大きな勇み喜びを与えてもらっています世話班の御用というのは正直大変なのですが世話班をさせていただいて本当にありがたいと心から思っていますひのきしん隊とはなんとすごいところなのかこれが素直な感想ですそしておぢばでの出会いはありがたい出会いは宝だと笠岡分会では月入隊となっておりますひの感じますきしん隊の良さをこの文章では伝えきれません毎日おぢばで伏せ込む中に色んな事を見せらが何としても一人でも多くの方に入隊していたれます隊員さんの身上や事情を通して自分自だいておぢばの理教祖の暖かさに触れ多く身や自分でも嫌になる自分の悪いところが見えての人と出会って欲しいのですきます見るもいんねん聞くもいんねん世話取りするのは尚のこと自分の至らなさに反省しきりの毎日ですが多くの喜びも見せていただけますこころの詩にをいがけに出たいおぢばの理を感じた解隊日前夜の反省会で挙がる意見です反省会ではヶ月おぢばで天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます伏せ込む中に感じた事今後それをどう生かすか等発表月日付海松ヶ岡分教会西山巌さんしていきます約人で一時盲目の兄打つ太鼓響きおり間弱一人の持ち時間は二分みかぐらうたの節目節目に程ですが二分で済みません二分程ではおぢばで感じて伝えたい事が伝えきれないのでしょうそれぐらい大きな宝海松ヶ岡分教会池田広子さん孫たちが忘れ帰りし剣玉でひとり遊びぬ雨の降る日を勇みをいただけますひのき海松ヶ岡分教会石川泰子さんしん隊を終えた人は一様に好誕生日に娘の呉れし万歩計い顔勇んだ顔をして土地ところへ帰っていきますつけて歩こう七十路の坂庶務部教人登録は住民票か戸籍抄本を添えて願書を提出して下さい布教部天理時報増部について少しでも増部お願いします新よふぼくには年間無料配布されますがその後も継続して購読して頂けるよう丹精をお願いします少年会教会おとまり会について平成年下半期月年月に実施は隊です引き続き実施お願いします少年ひのきしん隊参加について本年は少年ひのきしん隊発足周年です多数参加下さい少年ひのきしん隊昭和年わかぎクラスによる地域活動として打ち出された同年よりこどもおぢばがえり期間中に少年ひのきしん隊本部錬成会として開催され人のためつくすよろこびひろげようを合言葉におぢばでの伏せ込みとひのきしんを通して活動している参加についての問い合わせは各教区または支部担当者まで学生担当委員会月日親里で開催された春の学生おぢばがえり直属アワーの記事がはっぴすと月号に掲載されています芦品分教会重なった月次祭と誕生日笑いあふれる直会の時月日付海松ヶ岡分教会風船に園児らの夢のせてゆく月日付芦品分教会折鶴をかかえ弟退院す桜のはなびら舞いちる昼を海松ヶ岡分教会沈丁花杏連翹わが庭に満ちみちてゆく春の花ばな月日付海松ヶ岡分教会押されるも押すも花人車椅子養徳社発行陽気誌五月号道柳より転載今回の課題は縁笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠川島郷分教会前会長香取敏子さん悪因縁地に伏し肥でよき種を準秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん見えぬ縁神のご守護に道悟る表紙写真金谷眞佐代さん池田広子さん金谷眞佐代さん藤井光子さん西山いわおさん吉岡輝昭編集部員立教百七十五年四月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者谷田内中伸隆自之賛者中内村海義太郎史郎指図方岡本久善講話上原繁道六月講話区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前佐藤道孝門脇元教三島渉大教会長様岡本久善上原繁道大教会奥様田中ますみ門脇郁子中島誠治上原澄雄河原節喜田中隆之中村義太郎岡﨑真一上原順子虫明好美今川佐智子内海史郎吉杉森佐岡谷武内谷山吉中虫横赤上佐岡岡原本藤﨑内内海内野岡村明山木原藤﨑半後壽博之忠善道孝和夫伸自正美安子美知子弘実誠一郎道德立生逸郎素志順子香苗豊子中上武中森笹門笹横高山今上岡淺三高中村原内村本尾脇尾山木田川原﨑野島木村半剛志郎清明邦義忠平正治加津一美小智榮昭祥敏教昌彦浩輝彦明教照美孝子初美常詰岡本久善上原繁道佐藤道孝吉岡壽谷内伸自岡﨑真一門脇元教杉原博之上原志郎田中隆之山野弘実武内清明上原きよの武内正美上原明勇神事部部長副部長部員岡﨑真一中村義太郎三島渉高木昭祥横山逸郎上原浩岡﨑輝彦赤木素志淺野明教内海史郎田林久嗣豊田宏哉三阪泰人掛谷宣和雜賀元生仙田公男谷内秀自会計部部長部員吉岡壽上原志郎今川昌彦武内清明庶務部部長上原繁道副部長岡﨑真一部員武内清明枝廣隆文藤本芳久法人担当今川昌彦武内清明部内願書担当田中亜輝武内清和三代信行布教部部長副部長部員田中隆之虫明立生佐藤真孝中村義太郎高木昭祥山野弘実田林久嗣豊田宏哉渡邉隆夫室悦子鳥井利昭福島大介藤井保人武内清和猪原啓文北川治史三代幸余村健渡邉泰造髙田一弘奥忠郎海外部部長副部長部員上原志郎吉岡誠一郎上原順子佐藤真孝佐藤哲津森朋之上原千枝子武内敬教岡﨑治喜宮本正明原裕美北川壮一三代幸徳三代節生史料部部長門脇元教部員中村道德淺野明教音声動画担当山野弘実写真担当吉岡輝昭友井道弘大教会史編纂掛相談役上原繁道主任門脇元教山野弘実山田敏教虫明立生藤井正仁吉岡輝昭藤本芳久津森朋之三代温生書記上原繁次管理部部長副部長部員植木掛武内清明虫明立生今川昌彦高木昭祥横山逸郎豊田宏哉矢田哲一三嶋正教渡邉孝信藤井道博中村義太郎山野弘実赤木素志武内清明森本忠善淺野明教藤井正仁掛谷宣和放送電気掛山野弘実桑田則昭藤本芳久防災危険物ボイラー中村義太郎電気管理責任者桑田則昭車両管理今川昌彦信者部部長部員上原きよの髙田賀代子今川佐智子岡本弘子三島照美岡﨑和美上原千枝子中村理恵淺野はるえ今川直子田中つかさ吉岡八恵森本ひふみ山野なつ育成部部長吉岡壽部員上原澄雄中島誠治門脇元教田中隆之森本忠善武内正美門脇加津室悦子おたすけ掛主任岡本久善上原繁道淺野和芳佐藤道孝吉岡壽中村邦義中村剛上原眞雄河原節喜田林志計實岡﨑和夫上原澄雄森本忠平谷内伸自中島誠治笹尾正治杉原博之西江昌直三島渉高木昭祥横山逸郎三代正道山田敏教赤木素志内海安子小坂静宏福田勝髙山森雄岡田誠詰所掛主任副主任掛員佐藤道孝上原澄雄上原浩佐藤香苗上原喜三佐藤順編集掛主任杉原博之副主任虫明立生掛員岡﨑真一内海史郎藤井治喜吉岡輝昭西村彦一村川和司香取雅人時宗一実友井道弘上原繁次教養掛主任副主任掛員谷内伸自中島誠治門脇元教田中隆之今川昌彦横山逸郎上原浩山野弘実吉岡誠一郎森本忠善田林久嗣虫明立生北川治史三代温生婦人会支部長常任委員上原きよの今川佐智子上原順子武内正美内海安子岡﨑豊子門脇加津三島照美岡﨑和美山野なつ田中つかさ青年会委員長副委員長上原明勇上原繁次杉原善朗中村剛史委員貞清知実森本勇藤本晴司中村行善田中慎一郎三代幸徳重政理治森本直彦三嶋文昭上原喜三余村元枝廣正寛上原一始会計豊田宏哉岡﨑治喜庶務記録髙田一弘中村元彦本部実行部員杉原善朗少年会団長副団長武内正美森本忠善藤井正仁委員鼓笛担当淺野明教門脇加津佐藤真孝竹本和道掛谷宣和吉岡貞彦猪原啓介高橋徳行田中一矩渡邉孝信枝廣久美中村剛史上原宏恵佐藤和代瀨良昇丸山哲子田渕忠明山田睦浩三嶋正教上原繁次枝廣正寛猪原啓介雜賀元生学生担当委員会委員長副委員長委員相談役山野弘実武内清和上原繁次佐藤真孝豊田宏哉竹本和道藤本芳久仙田公男香取雅人下田誠輝上原喜三杉原善朗瀬藤友昭秀平元一北川祥江本多正悟森川道弘山田英嗣吉岡誠一郎機構と分掌付会長室本部よりの巡教参拝の受入に関すること企画運営に関すること事情お運びの世話取りに関すること巡教及び日程に関すること部属教会の鎮座に関すること諸会議の招集運営に関すること会長に関する諸祭の祭文祭詞作成に関すること会長に関する文書の整理保管に関することその他会長補佐に関すること会長宅並に客殿に関すること常詰理事各部長各掛主任各会責任者で構成する大教会諸行事の推進に関すること会長室提案案件の審議及び具体化に関すること神事部おつとめ祭儀に関すること神殿奉仕に関すること神実様御供に関すること別席をびやおまもりに関すること霊璽に関すること大教会及び部属教会の冠婚葬祭年祭に関することお供物品の取扱いに関すること日報作成のこと会計部会計並びにお供物品に関すること食堂及び賄に関することつなぎ袋に関すること庶務部教会事情の諸願書に関すること布教所設置その他布教所の諸願書に関すること個人事情願修養科講習登録扶育等の諸願書に関すること諸統計に関すること渉外事務に関すること他の部掛に属さない往復文書に関すること受発信簿作成のこと調査名簿管理に関すること布教部教義の宣布布教昂揚に関すること部属教会育成に関すること教会長教人よふぼく信者育成に関すること各種講習会大会研修会対外ひのきしん路傍講演に関すること本部詰所関係のひのきしんに関すること文書並びにその他国内布教に関すること海外部海外伝道に関すること海外布教所よふぼく信者の育成に関すること海外巡教に関すること日本在留の外国人布教伝道に関すること外国人参拝者の世話取りに関すること文書並びにその他海外伝道に関すること史料部史料の蒐集保管編纂提示展観に関すること本部史料集成部との連絡に関すること管理部建造物施設及び備品の管理営繕に関すること清掃衛生に関すること大教会ひのきしんに関すること墓地に関すること教旗掲揚献灯に関すること車両の管理に関すること信者部教祖殿の掃除に関すること食堂布団各部屋の清掃等信者受け入れに関すること客殿会長宅等接待に関すること育成部教会長教人よふぼく信者の育成に関すること教人資格講習教会長資格検定講習任命講習の修了講習会に関すること本部育成部主催の各種講習会の世話取りおたすけ掛おたすけ講話月次祭日及びおたすけ全般部内布教所へのおたすけおたすけ相談詰所掛詰所管理運営に関すること信者宿泊に関すること修養科講習の手続き並びに別席をびやおまもりに関すること部内教会事情願書の取次に関することおぢば在住の教人よふぼく信者学生生徒育成監督に関すること編集掛編集配布に関すること教養掛修養科生及び検定講習生の教養並びに生活指導に関すること修養科の入学前講習会に関すること教養掛員会議運営に関すること世話人付福山岡本久善髙屋大教会奥様神邉佐藤道孝島根上原繁道久松吉岡壽鶴山谷内伸自弥髙山笹尾正治陽備岡本久善摩耶岡﨑和夫金浦中村剛興明中村剛ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴中村剛吉岡壽大教会奥様笹尾正治上原繁道谷内伸自佐藤道孝様谷内伸自中村邦義岡﨑和夫吉岡壽吉岡壽佐藤道孝上原繁道中村剛中村邦義大教会奥様上原繁道笹尾正治岡本久善佐藤道孝中村邦義岡﨑和夫笹尾正治大教会奥様岡本久善髙千恵布岡﨑和夫依佐美布岡﨑和夫いわき布上原繁道熊谷布岡﨑真一教会指令移転願ひろさと分教会移転元広島市南区段原日出町二一二番地八移転先広島市南区段原日出町二三四番地二鎮座祭奉告祭承認教人資格講習会修了者笠尋三嶋千春稲倉北川春美スエリポルトガル語クラス本部食堂ひのきしん大江橋三宅友子教祖誕生祭詰所受入ひのきしん東ブロック金浦樋上謙二西ブロック東城横山逸郎福山ブロック福山小野いずみ髙屋ブロック稲讃高橋竜二島根ブロック照雲雜賀元生上府ブロック甲井山田信子有志島根面谷美恵子福芦藤原徳美福芦藤原鈴江瑞雲豊田俊美甲井山田敏教立教年直轄巡教福山吉岡壽髙屋岡本久善神邉大教会長様島根大教会奥様久松佐藤道孝鶴山大教会奥様弥髙山大教会長様陽備中村邦義摩耶佐藤道孝金浦上原繁道興明上原繁道ひろさと中村邦義陶山佐藤道孝芳井岡本久善呉照大教会長様海松ヶ岡大教会長様東悠中村剛吸江吉岡壽照陽佐藤道孝輝美濃中村剛新山邑岡本久善呰部大教会長様明石市中村剛上下大教会長様府中市上原繁道東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴中村剛岡本久善上原繁道大教会奥様大教会長様上原繁道吉岡壽吉岡壽大教会奥様吉岡壽中村邦義中村邦義四月二十九日全教一斉ひのきしんデーが執り行われましたうちの教会からは十六人が参加して遥照山公園で清掃活動をさせて頂き全体としては八十二名と例年とほぼ変わらない人数でした今年は提唱八十年の節目の年でありおぢばからは勇んだ実のあるひのきしんデーにとの声を頂いていましたが声掛けが徹底されていなかったのか又自分自身恒例行事の様に持つ意識が足りなかったのかとも反省しましたがともあれすばらしいひのきしん日和のお天気を頂戴し参加された方が皆んな勇んでたすけ合いながらひのきしんをされている姿を見て晴れ晴れしい気持ちになりました当日は日曜日祝日という事も重なり市の推進する健康づくりの一環として遥照山へのハイキングを大勢の方が参加されており汗を流してひのきしんをしている我に笑顔で挨拶して通って下さる姿にうれしくなりました市の広報を見ていると活動の上から言えばお道の活動以上に楽しむ企画もそして宗教的な束縛が無い点から言えば人の寄り易さも時代に合った取り組みだと感心しますしかし考えてみればそこにはその場だけの楽しみや個人での満足が多くを占めている様に思います震災以降絆という言葉をよく聞く様になりましたが今失われつつある家族の絆や地域社会との繋がりを考えるとその場だけ表面上の楽しみなどでも地域活性化の手段ではあるけれど末代に向け心を繋いでゆく為にはやはり親神様のみ教えを知るという事は必要不可欠な事だと思います今生かされている事への感謝の気持ち目に見えない又気づかないで健康に御守護頂いているという事を私達お道の信仰に関わる者は有難い事にそれを日の中に聞き知っているという幸せへの道筋をお教え頂いていますそれを実行するかしないかがそれぞれの信仰者としての今の姿の様に思います私自身身に迫る事がないとなかなか実行に移せない事ばかりではありますが朝夕のおつとめの中にもそこに心が込められる様少しずつでも成人の歩みになる様一つ一つの日常生活を見つめ直したいと思っていますむ
かさおか

『かさおか』第51巻 第4号

春本番咲き誇る桜月日大教会神苑で郎委員長から人内同担当委員学生会おぢばに心をつないで人が参加した今回は世界の友にをやの思いを春の学生おぢばがえり開催おぢばに心をつないでをテーマに東日本大震災被災地の復興と一人でも多くの仲間たちとおぢばに帰れるこ立教年春の学生おぢばがえりは月日とを願いお願いづとめを勤めさせていただこう親里で開催され笠岡学生担当委員会吉岡誠一と開催の徹底を呼びかけてきた午前時から本部中庭を会場に真柱様ご夫妻のご臨席のもと式典が始まり真柱様のお言葉をはじめ同おぢばがえり実行委員長の挨拶会員近年それなりの参加者数を誇る笠岡学生会の体験発表本部学生会新委員長の決意表明などが行われ最後に参加者全員でテーマソング灯を大合唱し終了した式典後は直属教会ごとに直属アワーが行われ笠岡学生担当委員会はウォークラリーを実施した参加者をつのグループに分け本部第食堂前を時間差をつけスタートコースは神殿記念建物憩の家周辺商店街天理プール真南棟丹波市笠岡詰所途中チェックポイントが設けられ参加者は知恵を出しあいながらクリアしていったゴール後詰所でチェックポイントに関する質問があり位位グループには景品が他のグループには参加賞が渡され会員同士の親睦を深めた夕づとめ後本部東西泉水プール前広場に会場を移し後夜祭が催され同委員会からはひるぜん風焼そばが出店された今回初めての試みで看板タレ作り食材購入など困難な面はあったが会員の協力もあり大盛況反面価格設定に課題が残ったウォークラリーにははっぴすと本部学生担当委員会発行の月刊誌のカメラマンが同行参加者は同誌に記事写真が掲載されることを期待していた楽しそうにウォークラリーに興じる学生たち苦労の甲斐あって大盛況のひるぜん風焼そば少年会立派なよふぼくに育ちますおつとめまなび総会開催学修大学の部にも参加学生生徒修養会大学の部が月日から日まで親里で開催され関係から上原修さんカウンセラーとして上原繁次さん北川祥江さんが参加した少年会笠岡団中島誠治団長は月日同育成会長様大教会長様を迎え大教会でおつとめまなび総会を開催育成会員を含む人受付数が参加した少年会員による雅楽演奏で祭儀式が始まり祭主山野大地君上下分が毎日明るく元気に通らせて頂けるのは親神様のご守護のお陰です教祖年祭に向かう今教祖にお喜び頂ける様な心遣いや行いを実行して道の少年会員らしい歩み方をさせて頂き立派なよふぼくに育ちますと祭文を奏上引き続きおつとめまなびがつとめられ座りづとめてをどりの各下りをブロックごとに役割を決めて真剣につとめたその後式典に移りまず育成会長様がおつとめは一人でするのではなく皆の心が揃ってつとめることが大切で親神様は一手一つの心を受け取って平和な世界が訪れるようお働き下さるのです大教会では教祖年祭目指しておつとめをする人を一人でも増やしていこうということを合言葉に努力しています人をたすけるのはよふぼくです歳になって別席をはこびおさづけの理を頂いてよふぼくになるのです少年会はよふぼくになる為の活動だと思うのですおつとめをつとめおさづけを取り次げ真剣につとめられたおつとめまなびるよふぼくに育って欲しいと少年会員への期待を話された少年会の誓い少年会の歌斉唱そしてわかぎ門出式が行われ中島団長が皆さんはわかぎを卒業して育成会員になりますいろんなわかぎ門出式の参加者ことに夢を持って進んで下さいそして自分の行動に責任を持って下さい歳になったら必ず別席のお話しを聞いておさづけの理を頂いてよふぼくになって欲しいのですと激励門出者人に記念品を渡した名前は記事末に記載鼓笛お供え演奏も行った式典後参加者はブロックごとに出された模擬店で昼食中庭ステージではアトラクション講堂などではゲームが行われ最後は総会参加の少年会員による抽選会が行われ賞が決まるたびに大きな拍手が起こり楽しいひと時を過ごしたわかぎ門出者は次の通り順不同敬称略めい上原孝笠岡田中舞福山田中芽生福山みちのり武内智髙屋門脇理教島根片岡雄貴陽備片岡諒介陽備吉岡やよい興明吉岡みづき美月興明吉岡寛太興明国定舞新山邑日南住唯上下原田陽香上下村上仁美もとき葦陽岡崎元輝福勇藤井成人福冨士服部晃平福冨士浜田賢人坪生瀬藤晶帆大惠山瀨良和歌子髙児島渡邉綾香品治丸山隼人木津和鼓笛講習会も笠岡団むつみ鼓笛隊は月日から月日までの泊日間の日程で大教会で鼓笛講習会を開催約人が参加した参加は直轄福山髙屋の各隊期間中おつとめまなび総会のおつとめ練習を始めこどもおぢばがえりのテーマ曲を中心にパート練習合奏を行った講習の成果をおつとめまなび総会の式典の中でお供え演奏したステージ一杯に繰り広げられたアトラクション温故知新いきいきエピソード初代会長の卓見と都会布教明治二十四年十月十一日笠岡支教会が設立されて翌年正月に入り九百五十数戸に達した講社を地方別に第一号から第十号までに区分しそれぞれに講元を配して世話取りする事となった昨年笠岡では創立百二十周年を迎えたのであるが今年には分離陞級した玉島大教会をはじめ福山髙屋神邉が百二十周年を迎える笠岡の教会設立の翌年に部内教会が四カ所誕生するのは珍しく当時如何に笠岡の教勢が素晴らしかったを反映するものであるがそれにもましてこの教勢を地方別に分割し講元を配して修理丹精に当たらせた初代会長の思いに私は頭の下がる思いがする初代は女性でもあり当時の社会的な常識からすれば会長に就任する事も大変な時代でもあったにも関わらず寄り来る人の中からこれと思う人を定めて地域別の講社を設けてその育成に携わらせた事やはり並の人ではないという気がするちなみに第一号から第十号までを記すと以下のようになる第一号笠岡を中心としてその付近第二号玉島を中心に東西数里の間第三号鴨方占見方面第四号縣主稲木方面第五号金浦陶山福山方面第六号高屋御領方面第七号神辺以北の備後西北部方面第八号新見熊谷方面第九号島根鳥取方面第十号津山を中心にその付近この中で二五六七の講社が玉島福山髙屋神邉の名称となって明治二十五年十月二十四日四カ所同時に布教事務取扱所として設立されるのであるその後島根鳥取方面の道第九号講社の修理丹精に向けて先ず養嗣子上原伊助を派遣続いて淺野彌三郎氏を派遣し現地での布教推進を図ったこれと共に今で言う都会布教に向けても初代は並ならぬ思いを持っていた大阪で生活しておられた事もあると思うが将来を見据えて笠岡の教線がこのまま笠岡を中心とする地域に固定してしまってはとの思いがあったのであろう現に明治の時代から都会への人口流動は始まりその中信者子弟が東京大阪をはじめ大都会へ転住する傾向はあった明治四十年頃岡﨑時之祐氏が広島布教中を笠岡の事務教務推進のため帰って来た時それでは私がと言って初代は広島市へ単独で布教に向かったほんの一年程の事であるが初代は寄りくる信者の丹精に着物から何からすべて捧げ尽くして裸になってしまわれたという話が残っているがその苦労があればこそ今のひろさと分教会の道があるこの度漸くにして広島市の段原地区の再開発に伴う地区区画整理事業が終わりひろさとは換地を確定していよいよ移転建築に取り掛かる思えば初代の思いが戦前戦中戦後の長い苦難を経てポッと芽を出し漸くにして腰を据えた広島布教ができる事となったと言えるのではないだろうか神戸布教東京布教また岡山布教都会へ向けての布教をしなければという初代の思いは笠岡という田舎にのんびりとしていてはという強い思いがあってこそと思う神戸にせよ東京にせよ岡山にせよ道半ばで節に出会いどうすればいいのかという時には必ず誠に的確な雅鶯会青年会アドバイスをしてそれぞれの地での道が大きく伸びゆくように配慮してくれているもしという言葉がよく歴史の上で語られるがもし笠岡が十号の講社を策定することなくのんびりと歩んでいたなら今日の教勢はないであろうし初代の都会布教への強い思いがなかったら笠岡の道はもっと地味なものになっていたのではないかと思われる今創立百二十周年を終えて温故知新の思いを強くするこの頃である笠岡史料部長雅楽勉強会開催月日雅鶯会では月日に恒例の雅楽勉強会を開催しましたこれはそれぞれの教会で祭典の祭儀式などで奏楽を奉仕する人材を育成するための主に初心者初級者の勉強会として計画され今年で回目となりました今回は午前時から昼食を挟んで午後時半まで各パートに分かれての練習と合奏練習をしました春休みでもあり大人人と少年会員人の参加がありみんな熱心に取り組み最後の御供え演奏では短時間の練習とは思えないほどの素晴らしい心を合わせた演奏ができました技術の習得はもちろんですが何より他の楽器の音色を聞いて自分の音を合わせるという人を思いやる大切さを学んだのではないかと思いますなお講師として忙しい中名の大教会雅楽奉仕者がおつとめ頂きましたありがとうございました雅鶯会楽長中島誠治昨年の勢いそのままに一ヶ月隊募集日頃は青年会活動にご理解とご協力頂きまして誠にありがとうございます昨年青年会では毎月ひのきしんを実施しのべ人近い参加を頂きましたまたおやさとふしん青年会ひのきしん隊ヶ月隊へは皆様の声かけにより大目標であった名本部からの割り当て人数での入隊を達成させていただきました昨年は名にこだわったからこそ番目に参加を決めてくれた方が期間中に初席を運ぶなど定めた心に対する不思議なお働きを様な場面で見せていただきました昨年年だけ名を達成したからそれでよいという事ではいわゆる打ち上げ花火に終わってしまいますやはりどんな状況にせよ続けるという事に意味があるのだと思いますさて本年のひのきしん隊の入隊月は昨年と同様に月となっています月はこどもおぢばがえりの準備ひのきしんが中心となります期間中はひのきしんの他てをどり雅楽祭儀式などの修練月次祭まなび感話大会にをいがけなどが行われますまた同じ班になった方と信仰を語りあったりお世話をさせてもらう中にひのきしんの態度や思いやりの心が自然と身についていきますわずか日間でありますがおぢばで伏せこむ間に心の向きが神様に近づく事は間違いありません昨年の入隊者も何かしら心にお土産を頂き喜んで国に帰ってくれました大教会では教祖年祭にむけておつとめ奉仕人の増員を掲げておりますこの目標達成には丹精や育成という言葉が大きく関わってくるのではないかと思います青年会員の年齢層が歳から歳であることを考えると人の人におつとめ奉仕者になっていただくためには大変重要な期間ではないかと思いますつまり青年会の活動に参加する参加を促す事もおつとめ奉仕人の増員に向けた道の一つであると言えますしひのきしん隊はまさに丹精育成の場でもありますどうか身近な方にまたあの人にお道の教えに触れてほしいあの人にたすかってもらいたいという方がおられましたらお声がけいただきたいと思います各ブロック教会名称につき人の入隊をよろしくお願いいたします青年会笠岡分会上原繁次東日本大震災救援活動第隊出動第次隊は月日日の日程で出動以下の名が参加した上原志郎上原浩森本忠善上原繁次樋上謙二中村剛史佐藤和代この度はいわき布教所の現況が落ち着いているという連絡を受け宮城県で教会長さんが手付かずの場所に入り込み町の復興に着手されているほとんどが流されてしまっている宿舎からの風景という情報から宮城県亘理郡山元町に行かせて頂いた町全体が全て津波で流されて被害がとてもひどかったと聞いていたがマイクロバスで到着するとその有様は想像を絶するものであった古い建物は全て流され新しい建物は階部分が無く柱で階部分を支えている状態の家が点在していたその中の電気水道トイレもない民家で初日宿泊させて頂く事になった町で人が亡くなり再び津波が起こると災害がひどいと予想されることから半年間立ち入り禁止区域現在は居住区域外に指定されていて県からは居住に関しては一切援助なしになっていたそんな町での作業はその会長さんの所へ依頼に来られる家の取り壊しであったり大工仕事であったり畑の再生である私達は家を津波でなくし家を取り壊した後の土地で畑をしたいという依頼から畑の再生ひのきしんをさせて頂いた吹雪と突風の中二日間でさせて頂いた作業は町全体の復興からみれば微たる歩みであるがそれでも何とかこの町に住みたいという思いで帰ってくる人達から見れば微力でも心の励みになってほしいと願う大教会に心寄せで集まったお米キロと被災地へのメッセージの入ったふきんを日目に仮設住宅世帯が居住へ届けさせて頂き遠い中国地方からの思いを届けさせて頂いた三日目に残ったメッセージ入りふきんを戸別訪問させて頂き全員で配らせて頂いた午後から名取市に住む上原聡氏家族がひのきしんに合流夕刻入浴後お宅を訪れ全員で夕食をご馳走になった遠い地で笠岡の教友と共にひのきしんやにをいがけに汗を流す嬉しくも不思議な時間を過ごさせて頂いた片道キロ時間という距離会長さんの思いに今回たすけ心で参加した人達だけでなくお米など心を寄せて下さった人達隊員の生活用品食事など準備して下さった人達多くの方の真実によって行かせて頂けた事心からお礼を申しあげます有難うございました畑の再生のための作業風景救援活動に参加して金浦分教会万能倉布教所長樋上謙二四月五日木午前六時四十五分をマイクロバスで出発宮城県山元町に到着したのは同日午後十時二十分過ぎでした現地で九か月以上継続してひのきしんをされている本部直属の下野分教会の十九歳の信者さんに指示されるまま一階が津波の被害に遭った住宅の二階に案内されました長旅の疲れもあり時を過ぎたころには熟睡してしまいました翌日東の空が明るくなった午前五時に目覚めて自分達がどういう状態の場所にいるのか初めて気付きました昨年三月十一日の大震災以降繰り返し何十時間もテレビで見ていた風景が眼前に広がっていたのですが現地に立ってみてテレビの中の風景とは全く異なることに気付きました私の視野の中に人の姿はおろか人の気配さえないという異様な光景が広がっていました初日に泊まった被災した住宅は二週間後には解体する予定だと聞きました二日目と三日目はひのきしんで修繕した牛橋区民会館で宿泊しました今回のひのきしんの内容は二日間とも地区住民さんから要請のあった畑の再生でしたさんの説明によると現在住宅の解体畑の再生など二十一件の作業の要望があり追いつかないということでした現地に到着するまでは畑の再生というのは津波の被害があった畑に塩分を除去する薬剤か何かを散布するのかと思っていましたしかし実際のひのきしんの内容はユンボーで一メートルくらい掘り下げて土の中から出てくるものを選別して種類ごとに山を造るという作業でし救援物資を前に宿舎の公民館でた竹林の址らしく竹の根の間に腐食した金属棒ガラスの破片食器の欠片瓦の欠片等がザクザクと出てきました四月だというのに西の山から猛烈な風が吹き雪が舞うという瀬戸内の温暖な気候に慣れている身には真冬でも滅多に体験できない悪天候の下黙とひのきしんを続けましたひのきしん二日目の土曜日には辺りの住宅に人影が見えましたそこで手分けしてにをいがけをしました一軒目の玄関先で応対していただいた女性から私は仙台で避難生活をしています週末にはこの家に戻って作業していますがひのきしんさん福井先生には本当にお世話になりましたひのきしんさんが私の自宅に溜まった泥を外に出して庭も洗い流してくださってここまで綺麗になったのですよひのしきんさんには本当に感謝していますと感動と感謝の言葉を頂きました田畑で作物を育てることができるようになるまでにどのくらいの年月が必要か想像さえできません二十年や三十年ではとても再生できないのではと思えるほどでしたそれほど広大な面積の被災地がほとんど手付かずの状態で自動車や倒木などもゴロゴロしていました自然の猛威の凄まじさ人間の無力さを思い知らされた山元町でしたでも救いはひのきしんさんの素晴らしさが根付いていることでした自然の猛威の前には目糞鼻糞ほどのことしかできませんがチャンスがあればまたひのきしんに参加させていただきたいと思いました潮の匂いのするひのきしん芳井分教会長夫人佐藤和代えっここに泊まるんですか思わず皆そう言った到着後向こうのスタッフの案内で救援物資を届けた避難所の前で真っ暗やみの中案内された家の様子を見て年甲斐もなく少し幽霊やお化けを意識してしまった電気水道トイレがなく懐中電灯とタンクの水だけが頼りであることがすぐに分かったとにかく夜遅い何とか早く寝ようでも怖いこの家の住人の人は無事だろうかもしかしてなどと皆で話していたら余計に目がさえてなかなか寝付けず隣の部屋から聞こえる誰かのいびきさえ人の温かみに感じながら何とか朝を迎えた朝一番にすることはトイレ探し辺り一面見渡しても特に何もなく数件の民家が何とか形を残しているがそのほとんどが私たちがお借りしている民家のように一階は津波のため人の住める状態ではなく壊す時期をうかがっている状態のように思えたやっと世界で一つだけのマイスポットを探しなんとか用をたせたが海からメートルでほとんど家のないここでは隠れる場所も少なく警戒しながら妙な動きをするおばさんだったろうなと自分でもおかしくなったここへ来るまで十六時間マイクロに揺られながら私はぼーっとしながら家族のことを考えていた家族から見た私ここまでは頑張ったけどちょっと休憩したいなあでもお母さんだしなあ嫁だしなあそう思っていた時に主人が災救隊があるよ時期的には大丈夫だからと言ってくれたので私が行っても役に立つはずはないと分かっていながらも来てしまったいつものことながら女伊達らにと言われてしまうのは分かっていたが私だけのトイレを探し用をたした後ここでは何でも素直に楽しく感謝のある数日を送れそうだなあと感じた人生でふと立ち止まりたい時休憩したい時は青空の下のトイレすべてかいケツかもしれない本題のひのきしん作業はとにかくシンプルなも吹雪の中山元町の復興を願いよろづよ八首をおどるのでひたすらスコップを手に土を掘り竹の根のようなものを掘り出すもので丸二日時折降る雪の中を黙と作業したのだった時突風が吹き目が開けれず口の中にジャリッと砂が入ったが潮の匂いのするこの作業地が先どんな畑になっているのかなと話しながらひたすらゆっくりとした作業時間が流れて行った震災後一年以上もたち少しずつ復興しているんだろうと思っていたのだが実際私たちの行った宮城県山元町はあの時のままの景色が数多く残り人もまだ仮説住宅で過ごしている東北に住む笠岡の教友宅でこの町は民家を再生させることを目標とした復興は難しく農地として復興を目指している場所の様で自治体の動きを待つばかりでは手つかずが現状の様だったそこでボランティア団体ひのきしん本部直属下野分教会今回お世話になっているが住民の希望を伺い全国からのひのきしん希望者との橋渡しのような重要な役目を果たす拠点をカ月も前から作っていたと聞き本当に素晴らしい事を実際にされていることに感動してしまった三日目に行った仮設住宅で笠岡の皆さんからのお米少年会の皆さんからのメッセージ入りのハンカチをお渡ししたが本当にうれしそうにありがとうみんなで平等に分けますと言われていたまたそのあと現場のご近所の方にもハンカチを持ってそれぞれが伺ったがどこのお宅も私たちをひのきしんさんといって本当に心から感謝してくださっている様だったあの日の様子の写真を見せて下さったり仮設から一年間毎日通って家の修理をしたことあの日流された犬が週間して自力で帰ってきたこといろんな話を伺いながらこのボランティア団体ひのきしんがこの山元町の一部として信頼され今を動いていることに強く感銘した帰ってきてわが子供の始業式入園式入学式と教会の祭典といつものようにバタバタと数日が過ぎた帰ってきて末娘の第一声がお母さん楽しかったうん楽しかったよ私は笑いながら答えた多少何をするために日も留守だったか勘違いしているのかもしれないが一言でいうと楽しかったこの言葉につきるのかもしれない今現地でひのきしんに合流して下さり夕食を招待してくださった上原聡さんご家族にお世話頂いた大切なほやの最後の一切れを喉の奥にいくまで大切に食べた潮の匂いがたまらなかったいろいろとお世話になりましたスコップ折ってごめんなさい少年会員ひまわり会など様な人達からのメッセージ入りの手作りふきん談話室兄の想い出海松ヶ岡分教会宮地布教所藤井光子私は双子として生まれさせて頂きました男とみようと女の夫婦子です年前の昭和年月日母は背が低く地に着く様な大きな腹をしていたと聞いています今の様にエコーも無くもう一人居ると慌てて産着を買いに走ったと聞いています私が先に生まれ四女てガッカリされましたが次は男の子で父が大喜びをしたと聞いていますその頃は後から生まれた方が上に成り兄と成った庄助これからは庄ちゃんと呼ばせて下さい庄ちゃんは皆に可愛いがられ甘やかされて育ちました幼き時の甘えは大きくなっても仲直りませんちなみに主人も四歳ずつ離れた人兄姉の末っ子です月日が流れ私は大門へ庄ちゃんは滋賀でそれぞれ結婚しました父が夫婦子と言った通り不思議な事に私は佐藤から藤井へ庄ちゃんの嫁さんは藤井から佐藤へと庄ちゃんは息子と娘を私は娘三人授かりました私は娘を厳しく育てました年平成年今から年前の月日朝時交通事故をおこしました鎖骨が折れて肋骨本にひびが入りヶ月の入院で足も日歩かれませんでしたヘルメットは飛んで居たのですがお陰様で頭は打っていませんでした補償が良くて年半のリハビリに行かせて頂きましたお陰様で今はどこも悪くなくてあざやかなご守護を頂きました同じ頃庄ちゃんの嫁さんも事故に遇い目の焦点が定まらないと聞きましたそして庄ちゃんは離婚に私にも離婚の危機がはは年前私が結婚する時に父が主人の義母にゆき届いた躾はして居ませんが元の家にお返しします娘として可愛いがってやって下さいと言って呉れた事を思い出しました父は私には女は台だと教えたろ台がぐらついていたら柱がぐらぐらするのは当たり前だと私は離婚を思いとどまりましたそこで運命が大きく変わりました娘二人が嫁ぐ時私も父と同じ事を言って向こうのご両親に感激され娘達も向こうの両親を大切にして呉れて居ます有りがたい事ですさて行く所の無くなった庄ちゃん父の強い希望と天理に姉が居たと言う事で詰所でお世話に成る事になりました修養科検定講習と教会長の資格と順調に詰所の仕事を熱心にさせて頂いていたのですが幼き時の甘えが所に出ます淋しさも有りアルコール依存症になり何回か救急車で運ばれました庄ちゃんに言った事が有りますみな様はおぢばの風を感じ本部に帰って来られます庄ちゃんはおぢばに住まわせて頂いて居るので朝夕の本部のおつとめと所属教会への毎月の参拝をと心をどこに向けるか心一つが我がの理と聞いているよねとその時はふんふんそうだなと返事はして呉れますが実行がともないませんみかぐらうたの十下りの七つなんぎするのもこころからわがみうらみであるほどにこのおうたを聞きますと庄ちゃんの事を想い出しますそして年平成年月日胃癌が見つかりました一応手術はしたのですが肝臓すい臟肺に転移していましたの体重でしたその節は詰所の皆様にはご心配ご迷惑をおかけして申し訳けございませんでしたそしてお世話様に成りありがとうございました又天理に居る姉の介護にも頭が下がります日に三度四度と見舞って呉れた時も有り私にはとても出来まと御礼を言ってふと空を見上げると寒い中にせんありがとうございましたもあたたかな風が一瞬吹いた様な気がして庄月のある日無性に庄ちゃんに会いたくなっちゃんが喜んで呉れていると感じましたて見舞いましたその時最後と思い来て呉れお陰様で今私は優しい主人と娘達息子達娘るかどうかわからないけど娘さんにも連絡しま婿孫人に囲まれて日を楽しく幸せに過ごしたその時の庄ちゃんとの時間は貴重なひと時させて頂いています有りがたい事ですとなりました口の重い人で寝たのかなとた私のモットーで有る足るを知る笑顔と感思うとポツリと言いますその時光ちゃんは謝で無い命を救われて庄ちゃんの分まで生光輝く名前でいいなあ僕は庄助と言う名は好かされて居るのだと今自分に出来る事を素直きでないと言った事は頭からはなれませんにさせて頂いていますありがとうございました娘さんが来て呉れたのですその時の庄ちゃんこの短歌は庄ちゃんが出直した次の春に詠の嬉しそうな顔三人で色話をし泣きました娘さんもお父さんを許すと言って呉れた事が庄ちゃんへの何よりの親孝行になりましたみましたみまか双子とし生まれし兄が身罷りてたむ彼岸に手向けしカサブランカの花私もとても嬉しかったです娘さんの手をずっと握っている庄ちゃん仲はなそうとしませんでしたそして年平成編集部註文中の佐藤庄助さんは長年詰所に勤務されました年朝時穏やかな顔で静かに出直しました病気がわこころの詩かり半年の命でした庄ちゃんが出直した時は落ち込みましたが一年祭も済み昨年の月日好きな百合の花を持ってお墓に参りいつも東悠分教会前会長夫人はなめはな田林美智子さんやそじ桜を愛でまた桜をめで八十路ゆく感謝の日にまた感謝なる見守ってくれてありがとう表紙写真吉岡輝昭編集部員第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間門脇元教大教会役員島根分教会長ヶ月目丸山正人木津和分教会長ヶ月目淺野明教大教会准役員ヶ月目佐藤真孝芳井分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散今年月日付天理時報の時報歌壇に次の藤井光子さんの短歌が掲載されました我もまた七十億の一人なり日の出とともに起きて働く三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに火水風の御守護を通して天然自然のお働きや身体の自由を御守護下さっております中でも今は日毎に寒さもやわらぎ鶯の声やふきのとうが春爛漫の時が近いことを告げてくれているようで何かしら少し心浮かれる季節をお与え頂く等日は結構に恙なく生活くらさせて頂いておりますことは誠に有難く勿体ない極みでございます私共は暑さ寒さも季節の又人生の味わいの一つと楽しませて頂いておりますがやはり春が一番と喜び感謝の心も一入に朝夕御礼申し上げると共に日は御恩報じを思い念じてひのきしんにをいがけおたすけにとたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は三月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達のお歌の唱和と共に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前に打ち揃いご恩報じの思い一条につとめる一手一つの状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて一月には直轄教会へ大祭参拝し二月三月と部内教会へ巡教をさせて頂きました改めて教祖百三十年祭に向けての成人の歩みを確認し合いおつとめの大切さ手を揃える事の大切さを心にきざみ一人一人がおつとめ奉仕人増員の思いを高め合って真柱様に御揮毫頂いた一手一つの心で成人の歩みを進めていく所存でございます又よふぼく三信条とお示し頂いております神一条の精神ひのきしんの態度一手一つの和を日の心の指針としてよふぼくらしいよふぼく目指してたすけ一条に邁進させて頂く所存でございます何卒親神様には世界一列救けたいとの親心に少しでもお応えしたいとたすけ一条に心尽くす皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りおつとめ奉仕人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百七十五年三月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者岡門﨑脇和元夫教賛者山山野田弘敏実教指図方上原繁道講話杉原博之五月講話縦の伝道講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前吉岡壽田中隆之田林久嗣大教会長様岡本久善上原繁道大教会奥様田中ますみ門脇郁子中村義太郎河原節喜中村道德三島渉上原澄雄上原志郎今川佐智子上原順子虫明好美岡岡淺佐岡門佐岡門中西上岡横今髙笹武本崎野藤﨑脇藤﨑脇島江原﨑山川田尾内半後久善真一明教道孝和夫元教香苗豊子加津誠治昌直浩輝彦逸郎昌彦賀代子一美正美中谷森中森杉谷高中山内虫武山吉中横三村内本村本原内木村野海明内田岡村山島半邦義伸自忠善剛忠平博之美知子孝子初美弘実史郎立生清明敏教誠一郎幸子小智榮照美春季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊明治の時より歴代会長と共に道の上に御苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には夫の心に旬を得て親神様教祖にこの道に引き寄せられ陽気ぐらし建設の為のよふぼくとして生きの限りにたすけ一条の御用の上に勤め切られました加えてひながた通らねばひながたいらんとのお言葉通り敢えて艱難苦労の道を歩んで下さいました今日お道は結構な姿をお見せ頂いておりますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜物である事は申すまでもございませんが又一つには祖霊様方のそうした真実の伏せ込み理作りの賜物と日は朝夕にお礼申し上げると共に親の意思を受け継ぎ届かぬながらもたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いております分けても本日は春の霊祭を執り行う定めの日柄でございますので御前に海川山野心づくしの種の物を供え有りし日の面影を偲び御遺徳を称えたいものと只今はおつとめ奉仕人並びに部内教会長代表の者一同勇んでてをどりをつとめさせて頂きました又昨年十一月三十日真柱様ご夫妻のお入り込みを賜り二千三百人余りの参拝者を御守護頂いて賑やかに創立百二十周年記念祭をつとめる事が出来ました日頃のお力添えに改めてお礼申し上げます誠に有難うございます今私共は四年後の教祖百三十年祭に向けて全教会でのおつとめ奉仕人増員を目標によふぼくらしいよふぼくに成るべくたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いております何卒祖霊様方には旬の理を生かし届かぬながらも精一杯に成人の道を歩む皆の真実の状を御覧下さいまして一人でも多くのおつとめ奉仕人を御守護頂けますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百七十五年春季霊祭祭典役割表祭扈主大教会長様者中岡島﨑誠真治一賛者淺内野海明史教郎指図方岡本久善区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半中村邦義香地華分教会長谷内伸自田林久嗣山野弘実上原志郎大教会長様安那分教会長岡本久善吉舍分教会長上原繁道大江橋分教会長大教会奥様武内正美田中ますみ笹尾一美上原順子中村初美今川昌彦福輝分教会長岡﨑輝彦行縢分教会長門脇元教中村義太郎杉原博之三郡分教会長内海史郎田中隆之上原浩葦沼分教会長虫明好美福廣分教会長岡﨑豊子谷内美知子門脇加津佐藤香苗布教部本部食堂ひのきしん期間月日日西ブロック詰所掛帰参者名簿住所氏名年齢を記入して下さい青年会おやさとふしん青年会ひのきしん隊月隊ページポスター参照期間月日金日日入隊資格歳以上で日間つとめられる健康な男子内容おやさと各所でのひのきしん修練にをいがけ感話大会等携行品着替えなどの日用品保険証カッターシャツネクタイスラックス宿舎第百母屋天理市豊田町月例活動日月日月日月日月日月日月日いずれも日曜日少年会教会おとまり会について平成年下半期月年月に実施した教会は報告書別紙配布を提出して下さいこどもおぢばがえりについて月日要項配布昨年と行事内容に変更あり縦の伝道講習会期日月日月大教会月月次祭神殿講話に代えて大教会だより教人資格講習会修了者終講大江橋松本武夫教会の庭に白梅紅梅が見事に咲いて香りを一杯に発散しています今年は寒さが続いたせいか開花が随分遅れましたそけんの中に椿が妍を競うように咲き始めました椿も赤色と白赤白の交じったのが眼を楽しませてくれます万両の花も赤と橙の実を一杯に咲かせています気疲れする仕事を終えた後疲れたなあと思うとき咲きわたる花が心を癒してくれるのです鉢植えの可愛い花達もいいもんです白ピンク紫の桜草黄白紫オレンジのパンジーチューリップも芽を出し始めました花のことを書いているだけで心にぽっと小さな灯りが点くように思います老の進みと共に花を愛でる思いが進んできました私も庭の花や鉢植えの可愛い花のように人に愛され心を和ませることが出来たらいいなあと夢を見るのです若き時も老いを増しても夢はかなうまで持ち続けられるもんやなあ本部食堂ひのきしん稲讃高橋竜二ひ
かさおか

『かさおか』第51巻 第3号

例年より遅く開花した小梅月日大教会神苑でしかし秀司様こかん様を始め先学生生徒修養会に積極的に参加を人先輩にお教えくださったことを思案すると例えば人に笑われそしられたり世相とかけ離れたり先行きが案じられてもあらゆる人間学生層育成者講習会開催思案を絶ってひながたを通らせていただけば無事に親神様はお連れ通りくださると思います大教会学生担当委員会吉岡誠一郎委員長は月日木村信也先生本部学生担当委ひながたを通ろうとすることで信仰は伝わる員北大教会長を講師に迎え大教会月月立教の時秀司様は今の高校年生こかん様次祭後に学生層育成者講習会を開催約は満才正にお子様方が学生の時代に教祖は人が参加した学生層をはじめとする道のひながたを通られお子様方に信仰を伝えられま後継者育成の重要性を理解すると共に活動したを広めていくために毎年開催しているもの今の私たちも先ず自分が教祖のひながたを木村先生は自分の中で道一条で通るのを通る姿を見せることによって子供若い年代に決めたのは学生生徒修養会大学の部に参加信仰を伝えることが大切ですしたお陰と学生生徒修養会への積極的な参ひながたを通ろうとすることで信仰は伝わ加を話された講話要旨は次の通りるということを肝に銘じなければなりません私は秀司様やこかん様は教祖伝の中だけの世学生層の育成は神一条の精神で界であって自分が実際に接している学生とは別昨年月日学生担当者大会において真だと思っていましたが実際に学生層に携わる柱様より学生を育てるにあたっては神一条の精ようになってそれがなかなか難しくてもでき神が大切だとお仕込みいただきましたるところから教祖のひながたを辿らせていただく考えてみれば教祖のお示しくださったひながことが大切だと思うようになりましたたは人間思案では容易には通れないものです学修で心をたすけられた私の学生時代の話しですが年前才の時に学生生徒修養会大学の部に参加しました父に参加を勧められ本当は参加したくなかったのですが渋参加しましたそういう気持ちで参加したのですが参加して本当に良かったと思いました学修に参加したお陰で自分の中で道一条で通る心が決まり自分の人生はそこで変わった転換点になったと思います何が良かったのかといえば班の雰囲気が大変暖かいおぢばだからだと思いますが自分の悩みが何でも話せるしみんなが人の悩みを解決できるように必死で聞いてアドバイスし合うそういう暖かい雰囲気がありました本部の朝づとめの後に教祖殿でまなびがありますが班の一人がまなびに出ようと言いだしましたその方は卒業したら就職も決まっていてそうなると修養科へもなかなかいけないそれで何とか一寸でも十二下りがおどれるようになりたいとのことでした学修では参加不参加は自由ですが私は大教会の長男で後継者の立場だったのに反対しました恥ずかしかったのですが班の雰囲気が良かったので勇気を出して正直に言いました実はよろづよ八首しかてをどりができなかったのですしかし班の人は誰一人信じてくれませんでした結局班みんなでまなびに行くことになりましたその時は一二下りでしたいきなり変則的で早いので必死でおどりました終わってから友達からほんまにできなかったなあといわれましたその当時は大教会の後継者というプレッシャーもありましたがおどれないことを正直に言える暖かい仲間でしたまた一週間おぢばにおいていただけたからこ学生生徒修養会参加を促される木村先生そ道一条で進もうと思うきっかけになりましたその時心をたすけていただいたのではないかと年以上経ってから気が付きました私が変わったから悟りができるようになったまた本部に勤めさせていただいたりしたので心のことが分かってきたのかとも思います本当のたすかり心がたすかるということ教祖伝逸話篇のに年来の足の悩みをすっきり御守護いただいた山本いささんがそのあと手が少しふるえてなかなかよくならないのでお息をかけて頂きとうございますと願ったというお話がありますこれに対して教祖は息をかけるはいと易い事やがあんたは足を救けて頂いたのやから手の少しふるえるくらいは何も差し支えはしないすっきり救けてもらうよりは少しぐらい残っている方が前生のいんねんもよく悟れるしいつまでも忘れなくてそれが本当のたすかりやでと仰せられて結果として教祖は息をかけられませんでした私は学生の時には身上が助かる助からないが大きな問題だと思っていましたのでこの話に違和感を感じていましたなぜ息をかけられなかったのか社会に出るまでは自分の心のことより身上の珍しいたすかりが大事だと思っていました卒業して社会人となり気持ちの問題心の問題それがうまくいかないと一番大変だと感じるようになりました修養科を出社会に出て当初は勇んでいましたが半年年経つとどうしても勇めなくなりました明日こそは勇もうと思うのですが勇めないそれを繰り返していましたその時お道は身上だすけであるけれど心だすけの道と聞いていましたが初めてそう思いました学修の時に道一条の決心ができたのも神様に心をたすけていただいたからだと思いますおぢばでたすかった喜びを人に伝える人様に自分のたすかった話しをさせてもらったらいいと教えられています私の場合学修でたすかったのですからそのことを人様に話しできる何よりおぢばだったからご守護いただいたやはりおぢばの理修養科で三ヶ月間通られたらその真実を神様が受け取ってくださる私の場合は一週間で短いけれど心をたすけていただいたのです自分なりに悟るのは教祖の年のひながたそれが私の心をたすけていただいたと思うのですその年はどんな年であったか二十数年は誰も教祖の話しを聞かなかったけれども自分が教祖にない命をたすけていただいてご恩報じの心で足繁くお屋敷に帰った人も多数おられるのです迫害の中に帰ると教祖は我が子が家に帰ってきたように心から温かくよう帰ってきたなあと仰ったその年限が何年も続きました昔は教祖が人間の姿でおぢばにいてくださったけれども今は直接お声やお姿は拝せない今ではおぢばでお迎えする立場に先生方がなった温かく迎えられた経験があるから自分も同じく温かく迎えることができる何年経っても人が変わっても同じです今でもこの雰囲気は変わらず教祖がひながたの親として通ってくださったから修養科講習おぢばでのひのきしんとかおぢばで何日かおられた方は何かしら心がまたがんばろうと思うのですこのおぢばでの経験が大切だと思います私の場合はたまたま学修でしたおぢばがえりのススメ理づくりの大切さ今の高校生大学生がおぢばに何日かいるということはなかなかできません教会長子弟でもなかなかいけない春の学生おぢばがえりを誘われても一週間の休みがとれないしかも就職が決まったら尚更難しいしかしおぢばで心の経験を得たら温もりを知ったらまたおぢばへ帰ろうとなるやはりおぢばにおいていただき教祖の温かさを感じてもらうことが何より素晴らしいのですそのことがその人の財産になるのです心が楽になって再スタートができるのです実際に自分がおぢばでたすけていただいたことは事実です珍しいたすけのある所を知っているのですから伝えることが大切ですおぢばがえりの機会を持たせてもらうことが大切ですですから若い方をおぢばに連れて帰ってほしいのです相手が学生であれば学修に参加してもらい教祖の温かさを知ってもらうのですまた三日講習会修養科へもぜひとも身近な方にお勧めいただきたい子供のため人様のためにどれだけ神様のことができるかが大切だと思います若い子におぢばに帰ってもらう自分の子供甥を連れて帰る努力するのです神様に働いて貰わないとおぢばに連れて行けないですから理づくりをすることが大切ですどうぞよろしくお願いいたします以上要約教祖年祭に向け各教会のおつ教祖年祭に向けおつとめ奉仕人の増員をとめ奉仕人増員目指し邁進していこうとの思いから教理勉強を中心に開かれたもの昨年つとめられた創立周年記念祭の慰労会も兼ねて教会長講習会開催行われた開講に先立ち大教会長様はこ大教会布教部中村剛部長は月の両日の講習会をそれぞれの教会がおつとめ奉仕人のご詰所で立教年教会長講習会を開催人が守護を頂くひとつのきっかけにして欲しい真の参加したようぼくとはにをいがけおたすけの出来る人で十全の守護八つのほこりについての教理勉強も行われたドーム近くで世界平和に祈りを込めて所長が教理勉強として十全の守護と八つのほこりの関係について講習会用の資料を使用して話されたこの後会場を大和高原に移して創立記念祭への歩みを振り返り慰労を兼ねた会食が行われ詰所に宿泊した翌日は本部朝づとめ参拝前に回廊拭きひのきしんを行い詰所での朝食後教祖年祭に向けての新たな歩みを胸に閉講したちで取り組んでみた私の恩師から世界にキリスト教が広まった理由の一つに古代ローマ帝国時代に世界からの観光客が訪れたそのときローマにキリスト教が伝わっていたので観光客に伝わりその人達が世界に帰って広めたために世界に伝わったと聞いていた手渡した人がほんの少しでも教理の一端を知り陽気ぐらしに繋がる生活を世界の地で歩まれることをこれからも楽しみの一つとして続けて行きたい海外部長上原志郎第回英文パンフレットにをいがけ広島月日海外部ありそれがおつとめ奉仕人増員を計る本来の意味ですおさづけの理を拝戴された後はよふぼくとして教会での育てが肝心おたすけは常に親神様教祖にお働き頂ける日の理づくりが必要でその一つ一つが理のご用になるように心の研鑚をすることが大切そして教祖年祭に向かっての歩みは親神様教祖にお喜び頂きお働き頂ける為の旬でなければいけないと挨拶引き続き瀬戸嗣治先生川之江部属寿布教こんなに人が少なかったっけというのが年降りの印象だった一昨年来たときは約時間で部のパンフレットを配布したが今年は海外からの旅行者が少なく感じた聞いてみると震災の影響だとかそれでも部員人で海外からの人を見つけては天理教の説明を加えて約時間分で部程のパンフレットを手渡したオーストラリアアメリカフランスドイツタイフィリピン西アフリカなど様な理由から日本へ訪れた人達に少しでもお道の教えを知って貰いたい気持青年会委員研修会開催月日日青年会笠岡分会上原繁次委員長は月の両日大教会で委員研修会を開催したこれは月より発足予定の新委員会上原明勇新委員長の委員を対象としており人が受講した研修会ではまず大教会長様より会活動を進新委員長の思いに耳を傾けるめるに当たっての心構えなどについてお話しがあったまた翌日には上原明勇新委員長より今後の活動についてのお話しがありその後秀平元一委員より委員の心得についてのお話しがあったお話しのふりかえりとなる練り合いの時間では異なった立場の受講者がいるとあって様な意見が積極的に交わされた受講者らは委員としてつとめる決意を新たにし会活動に対する士気を高めた目指すべきところを熱く語り合う内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい修養科修了生の声修養科で学んだこと新山邑分教会国定恵修養科で三ヶ月間を過ごして沢山のことを学びましたその中でも笑顔素直な心つなぎの大切さを改めて感じました人とまじれることが好きではなく一人で行動することが多かったのですが修養科ではみんな誰かのことを想って行動していて人は一人では生きていけない支え合って助け合って生きているんだということを実感しましたそして支え合い助け合っていくには素直になって低い心でさせていただくという気持ちが大切でそうしていると心も勇み自然と笑顔になっていく自分がいましたこれからは素直な心で笑顔を忘れずに人と接し人と人人と地域人と教会をつなげることが出来たらなと想いますおぢばに伏せ込み親神様教祖にもたれかかって通らせていただいた三ヶ月間でいろいろ御守護も見せていただきましたこの貴重な経験をいつまでも忘れることなく日勇んで過ごしたいと思いますそして困っている人や身上の人におさづけの取り次ぎをしていきたいと思います修養科を終えて笠尋分教会田邊充根修養科を終えて入る前は天理教の事はほとんどわからず修養科も何をする所かはっきりわからず入らせてもらいました不思議と何もわからないのに不安などはなく詰所につくと少しの緊張とわくわく感であまり感じた事のない気持ちになりましたそして修養科生活が始まりすぐ天理教の歴史について興味が湧きいつも自分から勉強しない自分が進んで勉強している事に驚き修養科の先生や教養の先生とわからない事を話し一つずつすんなり頭に入っていきとても充実した三ヶ月を送れました今では修養科にくる半年くらい前に離婚していましたがそれについても自分なりに答えが解かりこれからの人生においての人間付き合いや考え方も大きく変わりましたその中でも一番身を持って感じた事はぢばの尊さです修養科のクラスでも不思議なご守護が何人にもあらわれ今まであまり気にしていなかったおぢばの尊さを感じ見る事ができた事です修養科を終えて用木となりまだ出来る事は少ないですができる事を少しずつやりいつまでもおぢばと繋がっていこうと思います修養科生活ヶ月をふり返って輝美濃分教会谷内きよ私はある事情から修養科を志願しましたそれまでも理の親自教会の会長さんより修養科の話は出ていたものの仕事は楽しいし任される事も多くなってきた矢先にヶ月も職場から離れるのは無理だからせっかく家から自転車で分と近い事などこんな条件がいい所は無いのに仕事を辞めなきゃ次探して働くとなればまた一からかと色思うとなかなか行く気持ちにはなれませんでしたでもある悩みが頭から離れず泣いてばかりの日になったので何か解決のきっかけになるかなという思いと気分転換になるかなと思い修養科へ行く事にしましたいざ修養科生活が始まると来たからにはがんばろうと思っているのにいきなり身上で寝込む日やいろいろあって勇めない日がありましたがそのたびに教養の先生や同じ期の子に話してアドバイスをもらいなんとかヶ月終える事が出来ましたこのヶ月で心の成人が大切なことを学びました低い心とつなぐ心が私にはまだまだ足りない事も分かりましたありがたい事に仕事は休職出来またすぐ働けます働きながらは大変ですがしっかり教会につながって家庭では夫をたてて低い心を忘れずにこのヶ月が無駄にならないようがんばっていきたいと思います談話室子のつとめ稲富士分教会よふぼく須毛田英尋今年月号年誌におふでさきのある一句を引用させて頂き人間は神様の話を真実聞いて通らないと大変な天災に遇いそしてその理由を私なりに書かせて頂いた人間のしんじつ神を思わない高慢な心を天災によって知らせようとされている次の一句であるこのはなしなんとをもふてきいているてんび火のあめうみわつなみや六またこらほどの月日の心しんバいをせかいぢうハなんとをもてる六そして奇しくも同三月十一日人間社会を飲み込むような大津波に見舞われ全世界を震撼させた益ここに我天理教信者は天意を悟らねばならないと思うたんくとなに事にてもこのよふわ神のからだやしやんしてみよ三にんけんハみなく神のかしものや神のぢうよふこれをしらんか三この世も人間も神のぢうよふになるのであって神を思わない人間などの思う様にはならないのである人は往にして幸せを思い誤り他人より優れ他人より豊かになろうとしてそのため常に勝ちにこだわるてがけからいかなをふみちとふりてもすゑのほそみちみゑてないから三にんけんハあざないものであるからにすゑのみちすじさらにわからん三神を思わない勝ち負けに拘泥した争いや進歩の行く末をかように案じておられる誠に現代文明否人の心の大きな転機であるここに天意を人間には誠真実の心が求められていると悟るべきだおふでさきにしんじつは百十七度書かれているこの世は神様のしんじつの御心の賜物なのだから人間にもしんじつの心が求められている事が悟れるその真実の理によってのみ心の自由自在が叶えられるのであって人に勝って叶えられるのではない天理教は世界が助かる真実誠の教えと言われるべきと思うまた神を思わず人に勝ち人の上に立ち世の中を自分の思う様にしようとする人をざんねんに思われおふでさきに上とか高山とうじんと言い表され高山ハせかい一れつをもうよふまゝにすれともさきハみゑんで三高山のしんのはしらハとふじんやこれが大一神のりいふく三いまゝでハからがにほんをまゝにした神のざんねんなんとしよやら三をなじきのねへとゑだとの事ならバゑだハをれくるねハさかいでる三いままでわからハゑらいとゆうたれどこれからさきハをれるはかりや三にほんみよちいさいようふにをもたれどねがあらハればをそれいるぞや三見える物でなく見えない根を大切にするしんじつにほんとはそういう誠真実一見弱いものの様に思われるしかしこれこそ親神の心に通うのであるから真にそのまま受け取って頂くことができながい眼で見ればこれほど堅く強いものはない誠程強いものはない誠は天の理である誠であればそれ世界成程と言う教典第八章みちすがらここに全教こぞって成程の人にならせて頂く事が急務である為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり上杉鷹山米沢藩山形県藩主立教年定期巡教表教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員廣町月日大教会長様香地華月日岡本久善大江橋月日門脇元教福廣月日上原志郎真金月日大教会長様品治月日笹尾正治福勇月日門脇元教仲條月日谷内伸自久福月日岡﨑真一福芦月日大教会長様稲倉月日吉岡壽久津月日佐藤道孝福満月日中村剛稲瀬月変更吉岡壽呉福月日大教会長様福岩月日吉岡壽稲富士月日中村剛鶴南月日吉岡壽西村月日中島誠治稲讃月変更大教会長様鶴眞月日岡﨑和夫福年月日中島誠治門司港月日佐藤道孝川島郷月日笹尾正治引野月日上原志郎大惠山月日岡本久善鴨方月日門脇元教福昭月日岡本久善東水島月日岡﨑真一作備月日笹尾正治福春月日大教会奥様髙児島月日大教会長様輝華月日中村剛福中月日岡本久善髙丸月日吉岡壽錦ヶ原月日佐藤道孝福冨士月日笹尾正治出雲月日上原繁道行縢月日岡﨑真一福東月日谷内伸自瑞雲月日大教会奥様眞府月日大教会奥様東福山月日中村邦義海潮川月日大教会奥様吉舎月日上原繁道福南月日吉岡壽錦洋月日上原志郎清嶽月日笹尾正治福順月日中島誠治米府月日上原志郎上小畠月日大教会長様福節月日大教会奥様弓ヶ濱月日岡﨑和夫木津和月日谷内伸自福備月日中村剛西伯月日岡﨑和夫國須月日中村剛福輝月日中村邦義米美月日佐藤道孝上吉野月日杉原博之坪生月日上原繁道伯仙月日岡﨑和夫上備月日上原繁道八尋月日佐藤道孝照雲月日佐藤道孝河佐月日岡本久善深安月日中村剛松都月日大教会奥様上川邉月日大教会長様笠尋月日岡﨑真一樺島月日岡﨑和夫甲井月日岡本久善芦品月日門脇元教新輝豊月日大教会長様上父月日谷内伸自安那月日佐藤道孝亀田山月日田中隆之阿木行月日杉原博之芦田川月日杉原博之出雲川津月日上原繁道宇津戸月日田中隆之三郡月日谷内伸自天場山月日中村邦義河面月日門脇元教芦常月日中島誠治簸ノ川月日中村邦義府鮮月日岡本久善芦加茂月日大教会奥様多古浦月日田中隆之府世原月日岡﨑真一惠陽月日佐藤道孝瑞北月日中村邦義神驛月日岡﨑和夫陽實月日吉岡壽雲東月日田中隆之神免月日谷内伸自御野月日中島誠治呉中月日杉原博之葦沼月日上原繁道二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護と世界一列救けたいとのお導きを頂いて日は結構に恙なくお連れ通り下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら世の多くの人はしやんせよやまいとゆうてさらになし神のみちをせいけんなるぞやとの思召が分からずただ闇雲に身上や事情を怖れ心を曇らせています事は残念でなりません私共はその心得違いの理を一人でも多くの人に伝えようと日かしものかりものの御教えを心に朝夕に御礼申し上げ自らの心の埃を払いつつ御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下さいました御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて二月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に言改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて当笠岡に於きましては教祖百三十年祭に向け各教会のおつとめ奉仕人増員を目指し成人の歩みを進めさせて頂いております増員の為にはにをいがけおたすけに励ませて頂き横への布教をさせて頂くのはもちろんですが併せて縦への伝道もして行く必要があり中でも一番難しいとされる学生層への育成が急務でございます本日は祭典に引き続き学生層育成者講習会を開催させて頂き育つのを待つのではなく育てる事への大切さを再確認して今まさに進級進学又卒業就職等の転機を迎える子供達にしっかりと声掛けをして道の後継者としての育成に繋げていく所存でございます又今月二十六日七日と教会長講習会を開催そして今月に引き続き来月も部内巡教をさせて頂き更におつとめ奉仕人増員に向けての動きを活発化させて行く所存でございます何卒親神様には何でもどうでも親に喜んで貰いたいとの親孝心一筋にたすけ一条の御用に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り一人でも多くの人にかしものかりものの理を気づかせて頂き御恩報じを願う人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状へと一日も早くお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百七十五年二月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者中岡島﨑誠真治一講話学生層育成者講習会次月講話杉原博之区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤佐藤道孝杉原博之上原大教会長様岡本久善上原繁道大教会奥様田中ますみ門脇郁子高木昭祥岡﨑和夫上原澄雄中島誠治河原節喜淺野明教虫明好美今川佐智子上原順子浩中岡虫吉谷上髙中笹武山三上吉田佐岡門前賛者赤淺指図方岡本久善村﨑明岡内原田村尾内野島原岡中藤﨑脇半後邦義真一立生壽伸自志郎賀代子幸子一美清明弘実渉浩誠一郎隆之香苗豊子加津上門横中笹田武横中今西森山岡田内谷高木野原脇山村尾中内山村川江本田﨑林海内木素明半繁道元教逸郎剛正治隆之正美小智榮初美昌彦昌直忠善敏教輝彦久嗣安子美知子孝子志教神事部神殿奉仕当番についていろんな事情があると思いますが定められた当番日に合わせておつとめ下さい当番のない日日日日日日日布教部感謝慎みたすけあいの横断幕が新デザインにて頒布円円詳細は月日付天理時報ページに掲載教祖ご誕生祭詰所受入れひのきしん期間月日火昼食日金昼食まで各ブロック人計人全教一斉ひのきしんデー月日日本年は提唱周年です参加者増員につとめて下さい日に参加出来ない場合は他の日に参加して頂き参加報告して下さい報告書は必ず提出して下さい天理時報増部について少しでも増部お願いします新よふぼくには年間無料配布されますがその後も継続して購読して頂けるよう丹誠をお願いします青年会ひのきしん隊期間月日金日日歳以上で日間つとめられる健康な方本年心定め人大教会だより第期修養科教養掛三ヶ月間北川治史大教会准役員稲倉分教会長一ヶ月目福島泰道瑞北分教会長二ヶ月目豊田宏哉府中市分教会長三ヶ月目掛谷宣和坪生分教会長修了者輝美濃谷内きよ新山邑国定恵笠尋田邊充根お知らせ連載中の温故知新は都合により先月に続き今月もお休みさせていただきますこころの詩養徳社発行陽気誌四月号道柳より転載今回の課題は芽笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠川島郷分教会前会長香取敏子さん種通り心通りの芽生えあり佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん大自然芽ぶく守護や早春賦表紙写真吉岡輝昭編集部員三月に入りウグイスの声を聞くとああ春が来たなあと穏やかで平和な春の到来を感じ心まで温かくなるでも一年前を振り返ると同じように始まった春も三月十一日に起きた東日本大震災によって日本中が大きな衝撃と大きな悲しみに包まれたあれから一年が経つマグニチュード九という巨大地震によって押し寄せた大津波は改めて自然の大きな力を示したそして甚大な被害を与え掛替えの無いものを奪ったが多くの人にたすけ合いの大切さ互いの絆を深め合うことの大事さを気づかせてくれた殊にお道の者はわが事と受け止め神様の思召を思案し心の向きを正すことが大事と御教示頂いた初めは大変な事と思い自分なりに何かできることはないかと努めたように思うしかし一年経った今はどうだろうかどれだけ心の向きを正せているだろうか気が付けば目先の事に終始している自分がいる被災された方は心を切りかえ今なお大きな困難に立ち向かい懸命に立ち上がろうとされているわが事として思案することを忘れてはならない三月は温かさを受け止めさせてもらうと共に厳しく神様の思いを受け止めさせてもらう月であろうは
かさおか

『かさおか』第51巻 第2号

春を待つ白梅のつぼみ月日大教会神苑で年頭会議におけるお話し教祖百三十年祭に向けておつとめ奉仕人を育てよう真柱様奥様には前晩からお越しいただきお玄関にお帰りになられるまで終始にこやかにご機嫌麗しくお過ごしいただき本当に良かっ大教会長様たと思います随行先生来賓の方にも大変お喜びいただき大変嬉しく思っています立教年大教会年頭会議は月日午後特におつとめに関しては参拝者の皆さんが心時から大教会神殿で行われ役員部内教一つに一緒にお歌を唱和していただいてうねり会長布教所長らが参集した先ず月に近いような何とも言えない雰囲気で神殿全日本部会議所における真柱様の年頭あいさ体がお歌で響き渡ると言うか本当に親神様つを拝聴引き続き大教会長様は記念祭を教祖祖霊様が心を震わしてお喜びくださっていつとめ了え教祖年祭に向かって新たな歩るようなそんなおつとめを感じ今日は笠み出しを始めた本年私たちの日の通り方岡挙げて本当に心を一つに合わせて記念祭をつの心構えを話されたその後講堂で会食がとめている本当に有難いなと思いましたもたれたあいさつの要旨は次の通りその姿をご覧いただいたお陰か御揮毫は一手一つというお言葉でした記念祭の御礼改めてお礼を申し上げたいと思います記念祭大教会創立百二十周年記念祭には本当に大勢におきましては本当にご苦労様でしたありがの方二千三百人余りの方がお集まりいただきとうございました大変賑やかにつとめることができました誠にあ真柱様奥様に感じていただいたその一手一りがとうございましたつの心で教祖百三十年祭に向かって共記念祭までの間記念祭当日も連日大勢のにまた勇んでつとめたいと思いますのでどう方が準備のひのきしん等をおつとめいただいてぞよろしくお願いいたします素晴らしい記念祭をつとめることができました今年一年の歩み方おつとめ奉仕人の育て今日は年頭会議ということで今年一年の歩みの上についてどういう用向きでご恩報じをするかを申し上げて心を一つに合わせてつとめたいと思います私たちは教祖百三十年祭に向かってそれぞれの教会でのおつとめ奉仕人をとにかく一人でも二人でも増やそうということで記念祭はおつとめ奉仕人をご守護いただくための理作りの節目と位置づけ三つの実践項目を掲げて今日まで歩んできました記念祭が目的ではなく記念祭は飽くまで教祖百三十年祭に向かっての一つの節目三年千日の歩みの集大成です教祖百三十年祭に向かっておつとめ奉仕人をご守護いただくための歩みはむしろいよいよこれから始まります本年は教祖百三十年祭に向かっておつとめ奉仕人をご守護いただくための歩みにいよいよ本格的に掛かっていきます正式なご発表ではありませんが昨年の秋の大祭また年頭のごあいさつの中でも真柱様は教祖百三十年祭という言葉を使われました私たちは教祖百二十年祭が済んだ翌年から百三十年祭に向かっての歩みをもうすでに始めておりますが百三十年祭に向かっての理作りから今度はいよいよおつとめ奉仕人の育てにしっかりと意識をもってつとめたいと思います本年特別な打ち出しはしませんがおつとめ奉仕人を育てていくという思いで歩んでくれたらありがたいと思います実践項目はよふぼくの心の角目思いは変えずにつとめよう三つの実践項目については記念祭までのものではあってもこれはよふぼくとして同じ事なら日つとめるべきことだと思いますのでスローガンを掲げてではありませんがその思いはしっかりと持って日の理作りに励みながらつおつとめ奉仕人の育てについて具体的な方途を説かれたとめたいと思います真柱様は昨年の秋の大祭で二代真柱様が提唱された神一条の精神ひのきしんの態度一手一つの和というよふぼくの三信条について述べられました私はこれを伺ってこのよふぼくの三信条が大教会の三つの実践項目に符合すると感じました先ず実践項目の一つ日の理作りは親神様教祖の御守護お働きに対する喜び感謝の気持ちを日の態度に現わすのが一つの意味ですが神一条の精神がなければそういうことはできません神一条の精神を日の具体的な姿に現わしたものが日の理作りという行ないに現われてくるということです続いての実践項目は家族揃って教会参拝でした家族揃ってということは家族が一手一つになってということですもちろん一手一つの和というのはお道全体とかそれこそ人間皆が心を一手一つに合わせてという意味ですが一番身近な一手一つの姿こそが家族団欒の姿でありそれこそ家族揃って教会参拝が一番身近な一手一つの和ではないでしょうかそして一日一件にをいがけが正しくひのきしんの態度に符合すると思いますややもするとひのきしんと言うと掃除とか教会の用事だけのように思われがちですがひのきしんは飽くまで親神様教祖の御守護お働きに対する喜び感謝の気持ちを態度に現わすそれも他人様のために態度に現わすのがひのきしんなら当然にをいがけおたすけもひのきしんですむしろにをいがけおたすけこそが一番お受け取りいただきやすいひのきしんの態度だと言っても過言ではありませんこう考えてみるとそれこそよふぼくの三信条そのものを日の中に現わしたものが実践項目に当たらないでしょうかとするならば正しく真柱様が笠岡が三年千日と仕切って歩んできたその道は間違いないむしろその思いその行ないはこれからも記念祭が終わってからもしっかり歩んでほしいと後押ししてくださったような思いがしますですからもう記念祭が終わったからではなくてむしろ是非とも日の理作りをしっかりとして今度は一つこの喜び感謝の気持ちを先ず家族にそれから一人でも多くの人に声掛けして共に教会に参拝しそして共に一人でも多くの人ににをいがけをするならば必ずおつとめ奉仕人という大きな御守護も頂戴できるでしょうということで三つの実践項目については思いを変えずに年祭に向かってしっかりとつとめたらどうかと先ず提唱したいおつとめ奉仕人をいかに育てるか一人でも多くの人を修養科へ出すしかしそれだけでは参拝することはできてもおつとめ奉仕人を育てることにはなかなか結びつかないのでそれをしながら今度はおつとめ奉仕人にどう育てていくかを一人ひとりが考えそれを実践しなければなりません例えばそれぞれの教会でおつとめ勉強会をするとかおさづけ取り次ぎ勉強会をするとか大教会がまとまってするよりもむしろ教会ごとにそういうものをするなどして育てに関わることも大事でしょう一番手っ取り早い方法は修養科に送り出すことも一つの手立てでしょうどうしても修養科が無理なら三日講習会を一人でも多くという形で大いに利用したらいいでしょう正式な打ち出しではありませんが一人でも多くの人を修養科へ出すという思いを持って今年一年つとめたいと思いますおつとめ奉仕人を増やすということそれからおつとめについて詳しくは明日改めてお話ししますがおつとめ奉仕人が一人でも増えることが親神様教祖にお働きいただいてより自由の御守護が現われて陽気ぐらしに立て替わってくる大きな道筋になってきます単に教会が栄えるためにおつとめ奉仕人を増やそうと言っているのではなくてやはり目指すべきは世界一れつ陽気ぐらしに立て替わる元立てだと改めて認識しそのためにおつとめ奉仕人を増やすことが大事だとしっかりと心に置いていただきたいとにかく声を掛けられる人には一人でも多く声を掛けていくなかなかお話しを取り次ぎにくかったら世界の人にたすかってもらうためにあなたにおつとめ奉仕人になってほしいとそれこそストレートに言っても構わないと思いますおつとめ奉仕人をとにかく一人でも増やすのだという気持ちを強く持ち続けてその思いを一人でも多くの人に声掛けしそして育てていくことが大事です教会のあり方昨年の秋の大祭の真柱様のお言葉の中でよふぼくがよふぼくらしいよふぼく教会長が教会長らしい教会長そして教会が教会らしい教会になるためには教会に繋がる一人ひとりがにをいがけおたすけにしっかりと励むことが大切だとお示しいただきました教会もにをいがけおたすけこれをどうしていくかしっかりとこれに掛かることが一番大事な角目でしょう本年いよいよ教祖百三十年祭に向かってのおつとめ奉仕人を御守護いただく育て上げていくための歩み出しの年ですしっかりとして足下を固めながら共に心を一つに揃えて精一杯力一杯今年一年の歩みをしたいと思いますどうぞよろしくお願い申し上げます以上要約春季大祭講話親神様教祖にお働き頂けるおつとめをつとめよう立教年大教会春季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら多数の参拝のもと執り行われた大教大教会長様会長様は神殿講話で春季大祭の元一日に思いを寄せおつとめによってご守護をいただくという思案に立ち返ることの大切さを強調され親神様教祖にお働きいただけるつとめ方について話された要旨は次の通りおつとめ奉仕人増員の意義を事を分けて話される大教会長様つとめを急き込まれた明治二十年春の大祭は明治二十年教祖が御身をお隠しなされたその思いを改めて思案しその思いに沿った成人の歩みを決意するのが春の大祭の意義ですその明治二十年の教祖の思いはどこにあったかと言えばおつとめをつとめるということでしたおふでさきにこれからハこのよはじめてないつとめだんくをしへてをつけるなり四このつとめせかいぢううのたすけみちをしでもものをゆハす事なり四にちくにつとめのにんぢうしかとせよ心しづめてはやくてをつけ四このつとめなにの事やとをもているせかいをさめてたすけばかりを四とありますようにつとめによって親神様教祖に十分にお働きいただき身上事情や争いをこの世からなくして陽気ぐらしの世界に立て替えていくそのための大切なおつとめですだからこそ教祖が二十五年先の定命を縮めてまでもおつとめを急き込まなければなりませんでしたおつとめを以ってご守護をいただく明治二十年つとめを急き込まれるやりとりの中でのおさしづにさあく実があれば実があるで実と言えば知ろまい真実というは火水風さあく実を買うのやで価を以て実を買うのやで明というお言葉がありました真実というのは火水風親神様教祖の自由のご守護でしょう親神様の自由のご守護を頂戴するためには実を買うことしかも値を以て買うことが大切であると仰る値を以てというお言葉から身上事情をご守護いただくためのおつくしということもよく言われるのでしょうがよく考えてみると親神様教祖の自由のご守護を頂戴するのは値を以てつまりおつとめを以ってご守護をいただくのだと悟ることができますさあくご守護をもらうのやでおつとめを以ってご守護をもらうのやでとも解釈できると思いますとするならしっかりとおつとめの充実を図らなければいよいよおたすけに取り掛かることも難しいただつとめるのではない昔はおさづけを取り次いだら不思議自由がいっぱい現われた最近はおさづけを取り次いでもなかなかご守護の理が見えないというふうなこともときどきには聞きますがおさづけの理に何も変わりはないとするならばおつとめに一つ問題があると言っても過言ではありませんただつとめればいいのではない親神様教祖に少しでもお働きいただくようにやはり理を以っておつとめをつとめるご守護いただくために値を以て僅かずつでもお供えをしてという姿にもなってくるでしょういずれにしてもそれぞれの教会でのおつとめの内容をしっかりと充実していくことによって親神様教祖に十分に働いていただき陽気ぐらしに立て替わってくることをしっかり心においてお互いにつとめねばなりませんにんおつとめの人かずを揃えるそこでこのおつとめの人数は一体何人なのかと改めて考えるとにん五十六十の人かずがほし七と仰っています座りづとめ前半後半と三交替しますが座りづとめだけでおてふりをする人が六人鳴物九人地方が一人で十六人ですそれではそれで揃ったのかという問題です実際には地方は本部では三人せめて二人なら十七人十七人で三回やれば三交替ではなくて十七人が総入れ替えで三交替と考えれば十七人三つまり五十一人になりますおぢばのかぐらづとめは十人ですから四人足して五十五人控えも何人か必要なので当然五十六十の人かずがほしということになるわけですということはおつとめをつとめられる人が六十人いて初めておつとめ奉仕人が揃ったのであってややもすると十六人いたら一通り人が揃ったからおつとめ奉仕人が揃ったというふうな勘違いもあるでしょうしかし本当の三交替がそういうことなら全然足らないので本当は一人や二人増えてもまだまだ足らないのが現実なのですましてや人口がどんどん増えているのにそれ以上におつとめ奉仕人が増えなければ親神様教祖にもっと働いていただけなくより身上事情に苦しむ人は出てくるし陽気ぐらしからは遠退いてしまうことにもなりかねないやはり人口の増加以上におつとめ奉仕人をもっと増やしていかないと親神様教祖に十分にお働きいただけなくてたすけもなかなか上がりにくいそういうことを考えてみてもいかにおつとめ奉仕人がまだまだ足らないかそういう意味からとにかく一人でも二人でもおつとめ奉仕人が欲しいのですせめて今ある教会だけでも五十六十の人かずを増やすぐらいの勢いでにをいがけおたすけにかからなければなりません明治二十年当時はおつとめをつとめたくても官憲圧迫などの事情もあってなかなかおつとめそのものをつとめることができませんでしたから人を揃えることよりも先ずおつとめをつとめることが第一だったと思いますしかし現代はおつとめをつとめることに何ら問題はありません今私たちのこの時代はおつとめをつとめなおかつ人数をしっかりと揃えることが加わってきたと言えるでしょう今世界中に教会ができそれぞれにおつとめをつとめられるようになってきましたしかしその教会がぢばの理を戴いてつとめる場所ならそれぞれの教会のおつとめ奉仕人はやはりきちっと揃うことが大切な角目であり人数を揃えることが大前提でなければなりません親神様教祖にお働きいただく道筋また教祖お一人だけで世界だすけに取り掛かっていくのは無理な話で姿を隠さなければ本当の意味で世界一れつを立て替えていくことはできません姿がないからこそ世界ろくぢに踏み均しに出ることができるわけですそれでは姿がなかったらどうやって親神様教祖の言葉を聞くのかということでこれまでもやりたくてもやれなんだおさづけの理を一人でも多くの人に渡しおさづけを戴いたよふぼくの働きの上に乗って親神様教祖が働くことができれば正しく世界だすけを成就することができるのですそしてよふぼくがより勇んで働いておさづけを取り次ぐそのおさづけにより一層親神様教祖が入り込んで働くためにはおつとめが必要だということに外ならないわけです最近若い人と話しをするとややもするとどうしても自分人間の知恵や力でおたすけをしようという傾向がありますこれをすればもっとおたすけができるのではなかろうかこうすればもっとおたすけが上がるのではなかろうか親神様の思召を伝え易くはなかろうか親神様教祖にお働きいただいてご守護をいただくよりもややもすると方法論になってしまってどこか自分の知恵力であるいは技術資格を持つことによっておたすけしやすいと考える風潮があります一つの手立てとしては間違いだとは申しませんがおつとめ奉仕人に育ってもらうためのおたすけはやはり親神様教祖に直働いていただいてたすかっていただくしか道がないことも考えなければいけないどこかで親神様教祖を感じていただかなければおつとめ奉仕人として育っていただく手立てにはならないということもしっかりと心においておたすけに掛からねばなりません教祖百三十年祭に向かっておつとめ奉仕人の増員ということ記念祭でご挨拶したようには教祖百三十年祭に向かっておつとめ奉仕人増員を目指して成人の歩みを進めている最中ですこれからもいよいよ本格的におつとめ奉仕人をご守護いただけるように精一杯つとめようと申しました教祖百三十年祭については今秋ごろには真柱様から正式なお打ち出しがありましょうがそうすると全教挙げていよいよ本格的に教祖百三十年祭に向かっての歩みとなります私たちは教祖百三十年祭という目標を持ってもうすでに歩んでいるお互いですからおぢばからお打ち出しをされて動くのではなく一人ひとりがおつとめ奉仕人増員という目標を持って共に歩むことが大切で要は育てていくという気持ちを持って歩む今年の一年の歩みとしたいと思うところです教祖百三十年祭に向かってとにかくおつとめ奉仕人を一人でも二人でも増やそう皆が同じ思いを持ってそれなら私に何ができるだろうか若い私に何ができるだろうか年いった私に何ができるだろうか一人ひとりが考え自分ができるおつとめ奉仕人をご守護いただくための手立てを一人ひとりが確実につとめたならば必ずや親神様教祖にお働きいただいておつとめ奉仕人をご守護いただきよりまたたすけが上がるおつとめになることができるでしょう実践項目の心は変えずにそのためにも記念祭が終わったから実践項目がもう終わりだではなくてこれをよふぼくの心の角目としてしっかり心において百三十年祭に向かって気持ちを変えずにつとめることも大切です昨年の秋の大祭において真柱様は二代真柱様が提唱されたよふぼくの三信条ということをお述べくださいましたがいみじくもこの実践項目の三つがそれに符合すると思います年頭会議におけるお話しを参照正しくよふぼくの三信条を私たちは記念祭に向けて知らず識らずにやってきたその歩んできた道筋は決して間違いではなかったむしろ真柱様が間違いなくこれからも続けていけよと後押ししてくださったようにも私は思いますどうぞせっかくの実践項目を心においていただいて日辿りたいと思います一回でも多くつとめとさづけを加えて明治二十年思いはつとめとさづけでしたから朝夕のおつとめ月のおつとめとはまた別に一回でも多くおつとめをつとめ一回でも多くおさづけをお取り次ぎするようににをいがけおたすけにと励みたいと思いますおつとめ奉仕人増員どうぞ目標をしっかり見定めてそれに向かって精一杯今年一年努力しましょうどうぞよろしくお願いいたしますおつとめ奉仕人という言葉なおおつとめ奉仕者という言葉ですが時おつとめ奉仕人という表現を使うことがあります大教会ではおつとめ奉仕人になっていただく方には辞令を出しますが前会長さんがお作りくださったその辞令簿の上におつとめ奉仕人と書いてあるのですおつとめ奉仕人を命ずるという形で辞令を出しますがせっかく前会長さんがおつとめ奉仕人という表現をしてくださっているのなら笠岡ではおつとめ奉仕人という表現の方がよかろうかと思いそれに気付いてからはおつとめ奉仕人という言葉を使うようになりました言葉の違いだけで意味は一緒ですのでその点を誤解のないようにしてください以上要約おかえり講話開催月日詰所で布教部中村剛部長は月日午後時から約時間半詰所修練場で講師に加藤道義先生西成大教会部属神桑分教会長を迎えお帰り講話を開催宿泊者など約人が参加した加藤先生は十全のご守護八つの埃りについて話され殊にかしものかりものについて生かされて生きている貸主である親神様の思召しに添って使わせて頂く心の大切さ貸主である親神様に喜んで貰えるよう借りものなので期限が来たらお返しすると点について諄と分かりやすく話された布教部つとめとさづけについて分かりやすく話される大教会長様道の台としての心構えを説く支部主任熱心に話し込む委員部長たち婦人会委員直轄委員部長研修会開催婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月の両日大教会で同支部委員直轄委員部長を対象に本年の初例会を兼ねた研修会を開催人が参加した本年の婦人会本部の活動方針を受け同支部直轄委員に対しての徹底を図るために開かれたもので毎年実施している例年は日だが今回は泊日の日程初日はおつとめまなびをつとめた後上原きよの同支部長が自分自身の信仰心をしっかりと育てる事が大切と講話引き続き支部長の講話を受けてのねり合いまた支部のつどいに対して活発な話し合いが行われた夕づとめ後慰労会が開かれ親睦を深めた翌日は朝づとめ後つとめとさづけについて大教会長様から教理勉強を受けた最後に全員で大教会内の清掃などひのきしんを行った参加者の人は久しぶりの泊りがけの研修会で日頃ゆっくりと話す事のない委員部長さん達と色話しをする事が出来た教会らしい教会をご守護頂くために私達女性がしっかりと成人させてもらわなければいけないと話し今年一年の奮起を誓い閉講した教会おとまり会の報告笠尋隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人教会おとまり会のごあんない参照笠尋分教会四代会長就任後今回はじめてのおとまり会でしたが教会の青年会が中心となりおつとめまなびやお楽しみ行事を通して少年会員と青年会員との交流も図れ楽しい会となりました今後もおとまり会のみならず継続できるよう楽しい会を企画していきたいと思いました呉福隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員めばえ名育成会員名合計名日教会到着参拝紹介おやつ親神様教祖霊様の参拝の仕方紹介神殿白いくつ下をはくお掃除夕づとめなにも出来ないけれどみんな会長の横に座る白いくつ下をはく親神様教祖霊様のお名前復唱自由おあそび夕食おふろ折紙ゲームおやすみ日洗顔おふとんかたづけ着替起床神殿お掃除白いくつしたをはく朝のおつとめ親神様教祖霊様のお名前復唱おつとめ後ごみひろいつ朝食後解散少年会員は才才赤ちゃん来年も帰って来てね可愛いかった白いくつ下をはくのが不思議そうだったが白いくつ下をはけば神殿上段にあがれるのが嬉しい様子が楽しかった反省この度は到着出発で会長自身心に余裕がなかった次回は鳴物をむりやり教会おとまり会にひっつけたようなかたちでしたが曽孫と神様のお話が出来て嬉しかったこととスローガン伝えよう家族揃って教会参拝をようやく実現出来まして親神様教祖霊様に感謝の心でいっぱいでした東悠隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日平成年月日少年会員名育成会員名合計名月日教会大掃除ひのきしん月日元旦祭参拝大掃除では近隣の清掃ゴミ拾いをして元旦祭朝夕のおつとめは鳴物を一生懸命つとめました神事部大教会当番についていろんな事情があると思いますが定められた当番日に合わせておつとめ下さい会計部教会教費金早めにお納め下さい海外部ナイマキルワさん大教会歳女性おさづけの理拝戴タンザニアから女性として初のよふぼく春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますはじめ親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召からこの世と人間世界をお創造下され心と身体の自由をお与え下さり日陽気ぐらしが出来るようにと天然自然のお働きを通してお育て下さっているばかりでなく約束の年限の到来と共にこの世の表にお現れになり教祖を月日のやしろと定めて万一切をお明かし下され陽気ぐらし実現へとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお聞かせ頂いた御教えに込められた親心に心よりお応えさせて頂きたいものと日夜御礼申し上げると共に御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にもこの月は教祖が御身を隠されて世界ろくじに踏み均しに出られた尊い月に当たりますので理のお許しを戴いて只今からおつとめ奉仕人一同おつとめをつとめられる喜び一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて立教百七十五年の春の大祭を執り行わせて頂きます御前には遠近を問わず寒さ厳しき中をも厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が言改めて御高恩の程に御礼申し上げるべく共にお歌を唱和する状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて私共は四年後の教祖百三十年祭に向けおつとめの奉仕人の増員を果たすべく本格的に育てを意識しての成人の歩みを進めさせて頂いております昨年世界の人口は七十億人を超え尚増え続けております中その増加に遅れないようたすけの元立てたるおつとめの奉仕人を増やして行かなければなりませんつきましては昨年の記念祭に向けての三つの実践項目を継承し一回でも多くおつとめを勤めおさづけの取次をすべくにをいがけおたすけにと邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には御恩報じ一筋に我が身の助かりのみならず助かりの本質を見定めて世界中の救かりを願い真実の限りを尽くす皆の誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜りおつとめ奉仕人が弥増したすけの理がより広まってお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます雅鶯会雅楽勉強会各教会の月次祭に雅楽を奏でよう期日月日土ところ大教会対象初心者初級者少年会員一般内容初心者は雅楽の基礎から勉強をまた初級者は平調の越殿楽が合奏できるよう勉強します講師大教会雅楽奉仕者参加費円申し込み月日までに大教会に申し込み楽器は各自持参ですが都合がつかない人はご相談に応じます立教百七十五年春季大祭祭典役割表祭扈主大教会長様者上原志郎田中隆之賛者今森川本昌忠指図方上原繁彦善道講話大教会長様日朝食後解散詰所掛帰参者名簿に年齢も記入して下さい布教部教会長講習会日時月日午後時分開講場所笠岡詰所受講御供円本部食堂ひのきしん月日日髙屋ブロック区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前中村剛森本忠平山野弘実大教会長様岡本久善上原繁道大教会奥様田中ますみ門脇郁子中島誠治上原澄雄河原節喜門脇元教三島渉上原志郎上原順子虫明好美今川佐智子内海史郎岡岡吉佐岡笹佐内岡中西田虫山今髙武笹本﨑岡藤﨑尾藤海﨑村江林明田川田内尾半後久善真一誠一郎道孝和夫正治香苗安子豊子義太郎昌直久嗣立生敏教昌彦賀代子正美一美吉田淺中谷杉谷門高武高上中横赤中中三岡中野村内原内脇木内木原村山木村村島半壽隆之明教邦義伸自博之美知子加津孝子清明昭祥浩道德逸郎素志幸子初美照美婦人会天理教婦人会第回総会日時月日木時分式典本部中庭時分支部の集い詰所時分解散参加予定人員報告願います笠岡支部おつとめ大会日時月日木時受付時開始おつとめ交代上段にておつとめ衣昼食時分記念講演宮崎伸一郎先生役割座りづとめ支部長常任委員他よろづよ八首下り目直轄東ブロック西ブロック下り目福山下り目上下下り目府中市下り目髙屋下り目久松下り目島根青年会本年の心定めひのきしん隊人本部総会人笠岡分会ホームページ新設青年会笠岡分会ではこのたびホームページを新設いたしました従来のものよりも見やすくなりました行事案内開催記事コラム等随時更新していく予定です携帯からもアクセス可能笠岡分会ホームページ少年会隊長任命隊必要願書月日配布むつみ鼓笛隊春の合同合宿のお知らせ毎年恒例の笠岡全隊合同合宿を下記の通り大教会で開催いたします今すでに鼓笛をしている皆さんこれから鼓笛をやってみたいという人みんなあつまれ少年会を卒業した人は係員をお願いします記日程月日金準備時係員集合受付開始時開講時月日日少年会おつとめまなび総会の中で御供演奏参加御供円とお米合詳しくは各隊の責任者又は海松ヶ岡森本まで案内チラシ月日配布おつとめまなび総会教会おとまり会などで練習した成果を親神様教祖様にご覧頂きましょう日時月日日受付時分祭儀式時分場所大教会役割祭儀式祭主上下扈者福山扈者髙屋賛者島根賛者東ブロック指図方西ブロック府中市座りづとめよろづよ八首直轄教会下り目福山下り目髙屋下り目西ブロック府中市下り目上下下り目島根下り目東ブロック内容午前時おつとめまなび式典わかぎ門出式鼓笛お供演奏午後アトラクション模擬店ゲームお楽しみ抽選会参加御供一教会千円服装はっぴと白靴下祭儀式はおつとめ衣模擬店東ブロックポップコーン西ブロックカレー福山焼ソバ髙屋フライドポテト島根ぜんざい久松スパーボウル府中市射的わかぎ門出式に出席される教会は名簿を月日までに少年会に提出して下さい大勢のご参加をお待ちしております学生担当委員会学生層育成者講習会日時月日火大教会祭典講話として講師木村信也先生本部学生担当委員北大教会長世界の友にをやの思いをおぢばに心をつないで春の学生学生生徒修養会おぢばがえり大会大学の部平成年月日水月日土日金式典真柱様お言葉午前時本部中庭直属アワー別席後夜祭時間本部夕づとめ終了後笠岡模擬店出店蒜山風焼そば対象高校生新年生を含む大学生短期大学生大学院生専門学校生など対象大学生専門学校生大学院生全期間を通して受講出来る人受講費円願書は大教会神事所にあります災害救援募金大教会関係平成年月中旬月まで円初のタンザニア女性用木誕生先に笠岡に繋がる用木となったマユンガ医師から周年記念祭に参拝予定をしていたが予定変更になっていた彼女に是非別席を運ばせお道の勉強をさせて貰いたいと月日にタンザニアからナイマキルワさん歳が来日し大教会とおぢばを行き来しながら別席を重ね無事日におさづけの理を拝戴したより下がることのないタンザニア首都の気温から一変した日本の月の気温と朝づとめから始まる大教会の生活に戸惑いながらも生活を共にした用木となってからは毎日おさづけの取り次ぎを喜びにしていた彼女の将来の夢はタンザニアの大統領になり国を良くしたいとの事敬虔なイスラム教家庭に育ち教内タンザニア人目の用木で初の女性用木となった彼女があの国でどう世界たすけの役を担うのか今から楽しみが一杯であるこの度の滞在中多くの方の心配りを有難うございましたこれからも笠岡に繋がる仲間として宜しくお願いします海外部長上原志郎こころの詩東悠分教会前会長夫人田林美智子さん生かさるゝ身上尊し夫婦してひとしお感謝一入初めての地場もろびと春立ちて諸人の幸祈りつゝひいな雛かざるやさらに祈りて表紙写真吉岡輝昭編集部員大教会だより教人資格講習会修了者終講瑞雲西村剛春季大祭詰所受入ひのきしん福山ブロック福輝田中亜輝髙屋ブロック稲讃高橋竜二島根ブロック雲東三代節生上府ブロック木津和丸山哲子有志島根面谷美恵子福芦藤原徳美福芦藤原鈴江瑞雲豊田俊美甲井山田敏教甲井山田信子先日月日広島教区福祉の三布連視力聴力肢体障害者布教連盟おつとめ学び総会に参加させていただきましたその時感じた事は色んな障害をもたれてる方が障害を感じさせない程一生懸命に鳴り物をつとめられている姿にとても感激しました目の不自由な方でも完璧にみかぐらうたとリズムもきっちり覚えていた事や何よりもおつとめを真剣にされている事が素晴らしく思いました改めて自分のおつとめに対する意識が再認識させられました最近は色と忙しくしていて心もマンネリ化していた今日この頃だったのでこのおつとめ学び総会に参加して感じた事をこれからも大切に日忘れないように努力していきたいう
かさおか

『かさおか』第51巻 第1号

新春の太陽を浴びる大教会神殿立教百七十五年明けましておめでとうございます昨年は誠にありがとうございました中でも月に発生した東日本大震災に対して義援金や救援物資又災救隊派遣に真実の心をお寄せ下さいましたもちろんその中十一月三十日の大教会創立百二十周年記念祭に於いては連日準備ひのきしんに又当日のひのきしんにと大勢の方に真実の心寄せを賜りお陰で二千三百余人の方の参拝を頂き誠に盛大に賑やかに記念祭を勤めることが出来ました加えて真柱様奥様にも前日当日共に常ににこやかにお過ごし頂き随行先生や来賓の方にも本当に素晴らしいおつとめ記念祭ですねとお喜び頂けました事は誠に嬉しい限りでありますさて記念祭で申し上げましたようにいよく教祖百三十年祭に向け本格的におつとめ奉仕人増員を目指しての歩みが始まりました本年はその歩み出しの年であります只増員くと唱えるだけではご守護はありません行動が大事である事は皆さんも知るところでありますではどう行動するかは皆さん一人ひとりが考え自分が出来るところからさせて頂いたらどうでしょうかけれども勝手気ままにしたら良いというのではなく神殿に額ずき親神様教祖にご相談申し上げるか会長さんに相談する等して実動に掛からせて頂くと良いと思いますそうすれば心通りのご守護を頂けるはずですどうぞ記念祭で培った一手一つの心で今年一年精一杯御恩報じにつとめさせて頂きましょう長上原理一温故知新いきいきエピソード明男先生の真実病室の入口には面会謝絶の貼紙がしてある入口近くには急を知った親戚やら隣家の代表達が見舞いに先着して居られる中主人同道だから病室へ入らせて貰った病人は意識不明になっているさんも急変に驚いて声をかけるが全く返事がないこの状態に私も困ってしまったこれでは病人を連れ出す事もできない途方に暮れて一旦病室を出た見舞いに来た人達の処にも居れず庭に降りて考え込んでしまったフト出発の時教祖殿へ参拝して教祖のお供をした事を想い出し何という馬鹿だ教祖の姿が見えず病人の姿を見て途方に暮れるなんて教祖申し訳ありません笠岡の方へ向かってお詫びし病室へ引き返し教祖お連れ帰り下さるのでしたら病人の口を通じてお知らせ下さいませと時間を切っておさづけを取り次がせて貰ったその御願いの時間が迫ると同時に病人が笠岡へと口走った意識なかった病人の口から出た言葉に一同驚いたと共に意識も戻り私にも会釈した奥さんこれから笠岡へ帰るのだから元気を出せよと言うと病人がこの身体では無理だとかぶりを振るそれで教祖が連れて帰って下さるのだと納得のいくようお話させて貰った病人も得心がゆき主人が医者の処に退院手続きに行ったら医者から大変なお叱りを受けたあの病人は動かす事は出来ない動かしたら即死だ我は一時間でも二時間でも何とかして息を伸ばす事を考えているのだと次いで病人の兄が大阪から来ていたので許可を貰うように話しに行って貰ったこれも同様に叱られて帰って来る岡山駅発の終列車に間に合わねば死んでしまうのだからそれまでには是非連れ出さねばと今度は私が医者の処に行ったどういう立場かと聞かれて私は天理教の布教師ですが先刻から度御願いしたのに許して貰えないと医者といろいろと話したがなかなか承諾してくれないので最後に私から注文をつけた今日笠岡を出る時は子供が学校へ行っていたしこんなに病状急変とは知らなかったから連れて来なかったその子供が母親の死に目に遭えない事は生涯の心残りになるので死に目に遭わせてやって貰いたいと頼むとその時間がないと言うそれを請け合って貰えぬのならでは連れて帰るから宜しく頼むすると勝手にしなさいと言ってくれた医務室を出ようとしたら一寸待って下さいあんたが無理に連れ出すのだからそれもよいが病院の門を出ないうちに死んでも病院では診断書しないからそれを承知して貰いたいハイ承知しましたと返事はしたものの困った病院内で死んでも死亡診断書してくれないと警察の問題が起きるよし病人が死んだらオレも死のうと腹は決まった警察の取り調べを受ける前に自殺するとさあ許しを貰った早く支度せよ病人の方も早く早くと急き立てる寝間着を着替えさそうと身体を起こした途端に息切れてしまったおいしっかりせよ姉さんしっかりと泣き泣き大きな声で連呼しだすし意識不明の病人の口から教祖が連れて帰ってやろうと確かに信じ切っていただけにその驚きは激しい私は居ても立ってもいられないで病室を抜け出しどうしようかと思案していた時教祖という事が浮かんできたお姿がみえぬ私の心をお試し下されたのだ死に直面して心が転倒した事をお詫びし病室に帰っておさづけを取り次がせて貰ったおさづけの取次が終わると同時に息を吹き返した一同驚いた汽車の時間は切迫している急ぎ寝間着を着替えさせ運搬車ストレッチャーに乗せて玄関まで玄関からタクシーに乗せ最徐行して駅へ二等車に乗せて笠岡へ駅には隣家の人が戸板を持って迎えて下された病家に帰り着くなり病院では頭に胸に置いていた氷嚢を取り除け腹に卵大のしこりがあったのも二十日余りで手に触わらなくなる奇跡を見せて頂いたその月二十五日には教会設立吸江し宣教所長の御任命を戴いた私にとっては大学病院でのおたすけはその教会長資格試験であったのかも知れないとよく人に話すのであるがこの試験に合格さして戴けたのも私の為したものでない祖父淺野芳太郎が断絶因縁を悟って道に入信して下されたのであり又初代二代の伏込によって教祖が試験に合格さして下されたものと思う要はつくしはこびおさづけを使わせて頂く喜びの日が教祖の道具衆としてのつとめであろうと思う以上である昔の先生方にはこうしたおたすけの話がいくつもあったに違いないと思うのであるが私の手元にお寄せ頂いたのはこれ一ツである笠岡史料部長談話室御霊と娘の投稿同時入選す海松ケ岡分教会池田広子ばあちゃん時報歌壇に載っているよ月日の時報に母と私の短歌を見つけてすぐに母の写真に報告した一昨年の月に出直した母のノートにいくつかの短歌を見つけて思わず投稿した私と言うのも生前母は時報に載った私の短歌をみてはとてもうらやましそうな様子だったのでこれはぜひとも母の短歌を時報に載せてあげたいとハガキを送ったのですとても入選するとは思わなかったのでびっくり十二月の月次祭のあと食堂で重吉先生がみんなの前で御霊となった人の短歌が天理時報に載ったという不思議なことがありますその仕掛人はこの人ですと紹介されみんなに大笑いされ拍手をもらいました本当にその場を盛りあげるのが上手な人です家に帰って母の写真にばあちゃんよかったねと話しながらひとりでにやにやしている私ですまた投稿しようかなおかえり講話のご案内日時月日午後時会場笠岡詰所講師加藤道義先生西成部属神桑分教会長勾配の急な坂道ようやくに登れば見ゆる瀬戸の内海笠岡市石川泰子田の畦に山羊つながれて秋日和稲もたわわに穂をたれており笠岡市池田広子第号時報歌壇より教会別人づくり一覧表名称教人会長初授修資格資格名称講習検定教人会長初授修資格資格名称講習検定教人会長初授修資格資格講習検定笠岡福春福山福中髙屋福冨士神邊福東島根東福山久松福南鶴山福順弥髙山福節陽備福備摩耶福輝金浦興明坪生ひろさと八尋陶山深安芳井笠尋呉照芦品海松ヶ岡安那東悠芦田川吸江三郡照陽芦常輝美濃芦加茂新山邑惠陽呰部陽實明石市御野上下香地華府中市真金東城仲條服部稲倉島中稲瀬驛家稲富士油木稲讃葦陽門司港湯田原大惠山備中東水島神昭高児島美之郷高丸錦備笠晴出雲瑞雲廣町海潮川福廣錦洋福勇米府福芦弓ヶ濱福満西伯福岩米美西村伯仙福年照雲引野松都福昭樺島新輝豊亀田山出雲川津天場山簸ノ川多古浦瑞北雲東神村呉中大江橋品治久福久津呉福鶴南鶴眞川島郷鴨方作備輝華錦ヶ原行縢眞府吉舎清嶽上小畠木津和國須上吉野上備河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面府鮮府世原神驛神免葦沼合計募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散高木昭祥大教会准役員湯田原分教会長藤井保人福東分教会長貞清知実三郡分教会長高橋徳行亀田山分教会長第期修養科募集要項十二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一れつ子供の陽気ぐらしを楽しみに昼夜を分かたず天然自然のお働きを通して御守護下さり身上事情を通してお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますが気が付けばあと十日程で立教百七十四年も終わるという頃となりました思い返せば記念祭に向かう三年千日と仕切っての成人の歩みも仕上げの年として勇んで実践項目の実動に掛からせて頂きましたところが三月十一日東日本大震災により未曾有の災害に見舞われ国内は元より世界中から救援の手が差し伸べられました私共も義援金や救援物資又災害救援ひのきしん隊を通して支援をさせて頂きましたそんな激動の中成人の歩みはより勢いを増し十一月三十日真柱様奥様のお入込みを頂いて喜び心一杯ににぎやかに創立百二十周年記念祭を執り行わせて頂いたばかりでなく次の塚教祖百三十年祭に向け新たな成人の歩みを踏み出すことが出来ましたその中にも今日の吉日は十二月の月次祭を執り行う日柄でございますので月の御礼と共に今年一年の御礼も込めて只今からおつとめ奉仕人一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には年末の慌ただしさも厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝み加えて言改めて記念祭の御礼を申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年が改まればいよいよ教祖百三十年祭に向けての成人の歩みを本格化させて頂きます目標のおつとめ奉仕人増員を目指しよふぼく一人ひとりが育って欲しいの思いから育てる意識を持ちその為の思案をし実動に邁進させて頂かなければなりません今世上は親の子に対する思いは言わなくても判る時代から言わなくては判らない時代にそして言っても判らない時代へと変わり親心そのものが判らない為に欲にまみれ人の心が荒れ人間関係が崩壊しつつあるように思います人と人との絆を深める為にも親心の大切さ有難さを一人でも多くの人に伝え一列兄弟としての助け合いの輪を広げて行くべくつとめとさづけを通しておつとめ奉仕人の育てに繋げて行く所存でございます何卒親神様には時代の流れに臆する事なく人の心の本流をしっかり見定めて親孝心一筋にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜り人の心を澄まして下さいまして心明るく晴れやかな家族団欒の年末年始となりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目年末大掃除大教会恒例の大教会年末大掃除は月日午前時から役員教会長婦人会青年会など約人が参加して行われた親神様教祖祖霊様礼拝後親神様のお社を掃除される大教会長様を芯にそれぞれに分担し日常手の行き届かない格子や梁御簾などにハタキを掛け埃を拭き取った又上段参拝場は天井まで届くビデを組んで埃を払い最後に畳に掃除機をかけて一年間の汚れを落とし終了した餅搗きひのきしん詰所恒例の詰所餅搗きひのきしんは月日の両日行われ大教会長様をはじめ教会長有志少年会員など人が参加した日は準備日午前時半から力強い掛け声と共に和気あいあいと行われ約時間ほどで本部へのお供え用の五升餅個正月用小餅などが搗きあがったひのきしん後は森本重吉さん海松ヶ岡分から参加者に特製うどんが振る舞われたご連絡月日の震災以来教会本部の救援支援募金に合わせて開始した当大教会の募金も年末日に本部の募金が終了した事に伴って終了させて頂く事になりました大変多くの方の心寄せを頂き月中旬から月までに本部へ送金させて頂いた募金の総額は万円となりました有難うございました大教会災害救援係訂正昨年月日発行のページに掲載の年間行事予定表の記事中左記の各点が訂正になりました全体行事別席ひのきしん団参月未定月ひのきしん月直属ひのきしん特別隊島根髙屋ひのきしん月直属ひのきしん特別隊東ブロック島根海外部観光地にて外国語パンフレット配布月月婦人会月おつとめまなび総会おつとめまなび大会表紙写真吉岡輝昭編集部員大教会だより直属ひのきしん特別隊稲讃高橋竜二立教年春季大祭参拝福山上原繁道髙屋中村剛神邉吉岡壽島根大教会長様久松大教会長様鶴山岡本久善弥髙山中村邦義陽備大教会奥様摩耶大教会長様金浦大教会長様興明大教会長様ひろさと中村剛陶山岡本久善芳井大教会奥様呉照佐藤道孝海松ヶ岡大教会奥様東悠吉岡壽吸江大教会奥様照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴上原繁道吉岡壽佐藤道孝上原繁道上原繁道大教会奥様佐藤道孝中村邦義吉岡壽岡本久善岡本久善中村剛中村剛大教会長様佐藤道孝中村邦義佐藤道孝上原繁道中村邦義訃報田中一之氏大教会理事福山分教会前会長十二月二十一日出直されました享年七十二才正月二日の朝我が家で恒例になっています大和風雑煮を作るのです大根人参里芋豆腐を白みそ仕立てで少し甘いのです丸餅を焼いてから食べる少し前に入れるがコツ溶けずに良い感じに仕上がります六人の子供に付いている人達みんなで雑煮で祝ってもらいます私自身もこれを頂かないと正月を迎えた気に成らないのです今でも私の実家では正月三賀日は男が台所を仕切り三食みんな給仕するのですその当時母が寝正月を楽しみ百人一首やらカルタで私等五人の姉兄弟にミカンや吊るし柿を褒美に競うのです貰った物を更に坊主めくりと称する百人一首の絵柄を積み上げてお坊様を引いたら負けで御姫様が出たら大勝利その歌の読み方が五七五七七で丁度おふでさきの読みと一緒なのです長様のように綺麗には読めませんがそれらしく味わって読んでいます今ではやらスマホでゲームが出来るので孫達のお遊びに付いて行くことが出来ませんお爺ちゃん将来的には携帯は全部スマホになるから早くやった方が良いけんねえと尻を叩かれていますが半世紀前の私等の遊びと言えばコマまわしベッタメンコ缶けりや石けりチャンバラごっこそれこそ正月の定番は凧揚げの競争でどれだけ高く揚げるかで糸の長さと強さが決め手風が弱いと走り回り田圃の中でも何でも入るから靴やズボンが汚れて母に叱られていた事も懐かしい気がしますだから学校のマラソン大会や運動会でも走っていたものです結果は中学の学年三百余名で七位入賞だったのが自慢ですが当時は流線型でカッコ良かった今はその影も無く未だ生え揃わない前髪にポッコリお腹と入れ歯のアンサンブルですわ真柱様のお言葉に今は時代が違うからとか昔の考え方だから今の時代には合わない等と云うのでは無くて親神様と初代達が交わした約束は自分達の約束としてその真髄を語り伝え通る事が大切であり信仰者の目的地として見定める事が大切であると御教示下さいました目指す四年先に照準を合わせて初代の想いに違うことの無いように粉身の努力を惜しまず通らせて頂く事を御誓い申上げた正月で有りましたに
かさおか

『かさおか』第50巻 第12号

神人和楽お言葉を下さる真柱様参拝者の唱和の中勇んで陽気におつとめがつとめられた創立百二十周年記念祭執行真柱様奥様ご臨席のもと全部内教会一手一つに大教会では月日真柱様奥様随行島村廣義桝井幸治両先生を迎え創立周年記念祭を執り行った大教会では記念祭に向け初代の心にかえり信仰の喜びを深めよう伝えよう広げようを活動のスローガンとして持ち場立場で日理作り家族揃って教会参拝一日一件にをいがけを実践項目として三年千日にわたり活動してきた当日は好天に恵まれアメリカブラジルからの参拝者を含め千人実行委員会発表のよふぼく信者が参集した午前時から真柱様のお手に合わせて礼拝し祭典開始大教会長様の祭文奏上ののち真柱様が参拝引き続きお言葉があったあいさつに立たれた真柱様は創立周年を迎ステージ一杯に繰り広げられたアトラクション参拝者にお礼を言われる大教会長様える意義私たちのこれからの歩みかたなどについて諄とお話し下された引き続き参拝者の唱和する中真柱様を芯に座りづとめがつとめられ次いでてをどりが陽気に勇んで勤められたおつとめの後大教会長様は真柱様に教祖年祭目指し教会のおつとめ奉仕人の増員を図ろうという事で日成人の歩みを進めさせて頂いていますその中年祭と年祭の間にこの記念祭を迎えさせて頂き記念祭はおつとめ奉仕人をご守護頂く理づくりの旬と申し合わせ初代の心にかえり信仰の喜びを深めよう伝えよう広げようの実践項目を掲げて今日迄つとめさせて頂きました先程賜わりましたお言葉をしっかり心にたたえて今後親神様教祖はもとより初代会長様歴代会長様先人達にもお喜び頂けるようしっかり親孝心のもとにたすけ一条の上につとめさせ教会長は結界内で参拝参拝場でおつとめ奉仕人また部内教会会長と共に記念撮影をされた祭典時部内教会長は教服で結界内で参拝祭典後は中庭に設置されたステージで鏡割り実行委員会和太鼓演奏有志ハーモニカ演奏と踊りいわき布舞楽雅鶯会ペープサート島根分扇舞詩吟と舞錦ヶ原分ジャズダンス女子青年大黒様の福撒て頂く覚悟でございますとお礼申し上げた参拝者に向かっては記念祭に向けた三年千日の活動に対するお礼と共に記念祭をつとめさせて頂いた喜びを明日からの成人の歩みにつなぎ次の塚に向かっておつとめ奉仕人の増員をしっかりと共に心に定めて勇んでたすけ一条の道を歩ませて頂こうと話されたこの後真柱様奥様随行先生来賓は神殿き大惠山分管楽器演奏惠陽分海外帰参者の紹介海外部みんなで唱おう全員などのアトラクション豚汁の模擬店も行われ終日賑わった日には東ブロック西ブロック福山髙屋久松日には島根上下府中市の教会長が真柱様からお流れを頂いたまた日夜には少年会笠岡むつみ鼓笛隊同福山隊同髙屋隊同島根隊がステージで合同演奏日祭典後には会長宅中庭で有志による和太鼓演奏を行い真柱様奥様をはじめ随行先生方にもご覧頂いた当日来賓として井筒梅夫芦津大教会長様年子奥様岡﨑眞彦玉島大教会長様ひさの奥様が参拝下された真柱様お言葉大教会長様の真柱様へのお礼全文は創立周年記念祭特別号に掲載予定が明治年に設立のお許しを頂いてから今年で年の歳月が流れた遥か明治の頃親神様の不思議なご守護を頂いた上原さと様が親神様のご恩に報いるためには一人でも多くの人にこの教えを知ってたすかってもらいたいという思いで笠岡の郷を中心に近郷近在を人だすけに回られましたこういう所からこの笠岡の道は始まり明治年月上原さと様を初代会長に教会が設立された初代会長上原さと様大教会本年心定め初席者数人人よふぼく数人人修養科修了者数人人教人登録者数人人参考教人資格講習会人教会長資格検定講習会人括弧内は月日月日温故知新いきいきエピソード淺野明男先生の憶い出話大教会史の資料集成中役員先生達に心に残るおたすけ談を御願いした事があったしかし時は経っても一向に原稿は来ない結局そのままになってしまった半年程して淺野明男先生が緑色の封筒を私に差し出して参考にでもなればと言われた何だか私も分からずにはい有難う御座いますと受け取った便箋五枚に細かい字で細と何かが書いてある読み始めて初めて先生のおたすけ談という事が分かった有難かった明男先生は彌三郎先生の子供さんで門脇一教先生の三歳違いの弟さんである当初晃と命名頂かれていたが後に明男と改名された島根に巡教で参拝されると二人でよく碁を打っておられたと或る役員さんの話である名人戦ならぬ迷人戦であったという事であるちなみに彌三郎先生には五男三女があり上から一教明男きぬえ勇喜信夫昌夫富恵末子であるついでという訳ではないが一教先生彌三郎先生と紹介してきたのでここに明男先生のその手記を転載させて頂く若い頃から教祖は存命の理をもってお働き下されている事は聞き覚えに知ってはいても悲しいかな凡夫の目には教祖が見えないわれわれの力では医者の手あまり救ける力はない親神様教祖がたすけ人の真実受け取ってお働き下さればこそ不思議という御守護下さるのであるでも救かるとワシが救けたとうぬぼれる以上が書き出しである昭和四年六月八日午後信者のさんが訪ねて来られた先生家内が一両日うちが危険だから知らす処へ知らせと医者の注意で今朝岡山から帰って手配しこれから病院へ行く処ですが先生おたすけにご苦労下さいませんかという挨拶折角だがさん話が違う奥さんは神様に助けて貰うのだと信じていて岡山大学病院へ行かないというのにあなたは笠岡の医者では病気の原因すら分からんので岡大の安藤博士は神様より偉い先生だから安藤博士に診て貰いに行こうと連れて行きそのまま入院させてしまった入院して四十日近くなって神様より偉い博士が診察してさえ病因が判明せずその結果一二日が危険だと宣告されたのだから偉くない神様が行っても駄目ですよするとさんはあれは岡大へ連れ出す方便でしたので医者から手放されたら神様より頼るところはありません申し訳ありませんどうぞ御願いしますこういう返事でしたので神様の方が偉いという事が分かれば行かして貰いましょうと身支度して父彌三郎氏に挨拶して出かけようとしたらそれはご苦労さんその病人を連れて帰らせて貰えよハイと素直に返事をして家を出て教会へ行く途中名医が死の宣告をした病人を而も岡山から連れて帰れるものじゃないこれは教祖にご無理を願わねばならぬ平素は神殿で教祖殿の方へ向いて遥拝するのにその日はわざわざ教祖殿まで足を運んでしみじみとお伴さして頂きますからとご苦労頂く御願いをして出発した以下次号笠岡史料部長年間行事予定表部会婦人会月青年会少年会学生会学生担当委員会創立の日委員直轄委員部長研修会婦人会本部第回総会学生層育成者講習会学修大学の部鼓笛バンド講習会おつとめまなび総会春の学生おぢばがえりおつとめまなび総会こかん様に続く会一ヶ月ひのきしん隊縦の伝道講習会新入生歓迎会おぢばあらきとうりょう入門塾女子青年の集いおつとめまなび全分会布教推進週間キャンプ委員部長後継者講習会学修高校の部本部青年会総会青年会笠岡分会総会例会日毎月日備直轄委員部長連絡会日ひまわり会日大教会ひのきしん毎月日午前考女子青年例会随時大教会掃除ひのきしん毎月日教会おとまり会の実施輸送部月春季大祭参拝月教祖ご誕生祭参拝月こどもおぢばがえり月秋季大祭参拝教養掛修養科修了講習会月日月日月日日月日日月日日立教年平成年年部会全体行事月直轄教会春季大祭参拝年頭会議部内巡教部内巡教雅楽勉強会ひのきしん布教部直属ひのきしん特別隊島根春季大祭詰所受入本部食堂西ブロック教会長講習会海外部広島訪日外国人への英文パンフレットでにをいがけ教祖ご誕生祭詰所受入未定大教会長杯親善ソフトボール大会直轄教会定期巡教本部食堂東ブロック全教一斉ひのきしんデー未定別席ひのきしん団参こどもおぢばがえり本部食堂福山ブロックこどもおぢばがえり詰所受入英語講習会布教推進強調月間直轄教会秋季大祭参拝全教一斉にをいがけデー本部食堂髙屋ブロック秋季大祭詰所受入観光地にて外国語パンフレット配布海外布教推進講習会月次祭に合わせて心定め提出年末大掃除直属ひのきしん特別隊東ブロック詰所餅搗常詰会議毎月日午前註ブロックの区分けはおかえり講話月例勉強会毎月日備役員会議毎月日午後直轄教会長の集い東岡山県以東の直轄教会とその部内教会月日月日英文発行毎月日午後考雅鶯会練習毎月次祭前日夕勤後舞楽練習随時西広島県以西の直轄教会とその部内教会上府上下府中市月日海外よふぼく月報いずれも午後役員並びに直轄教会長会議毎月日午後月は末日月は日直轄教会長の集いに替えて行なう修養科修了生の声心の持ち方に気を付けたい仲條分教会重政理治修養科に志願したけれど理由はないし目標もなくスタートしました今までに朝がにがてで起きることができませんでしたほこりの心づかいをしているから直した方がいいと言われましたがそんな心づかいはしていないと思っていました修養科生活の中でほこりの心づかいに気付いて使わないように心がけていました朝は起されることもありましたが自分でも起きれるようになって有難いうれしいと思うようになりましたそれから一ヶ月半が経った十月半から一ヶ月間交通誘導のひのきしんにあたりました交通誘導は登校時間が早く朝食後のひのきしんができない為朝早く起きてひのきしんをしようと考えていましたしかし朝早く起きることができず逆に寝坊するようになりましたそれからは感謝の心をもてず不足ばかりするようになりほこりの心づかいも使うようになりました十月の終わり頃からは朝の定時ひのきしんもしなくなり心も荒れて気の抜けた生活を送っていましたある日自分に注意して下さった方のおかげで再び感謝の心をもつことほこりの心づかいを使わないことに気付けましたここからは心の持ち方も変わり前向きになりました最後の方は朝も起きれるようになり最初の頃の心の持ち方にも戻ることができ荒れた心も治まり楽しくすごすことができましたこの三ヶ月で感謝の心をもつことほこりの心づかいに気付けたことはとても良かったです常に心において日をすごさないとすぐに不足の心がでてしまうから心の持ち方に気を付けていきたいです良い経験をさせてもらえた修養科でした修養科を終えて瑞雲分教会西村剛今回修養科期組番でお地場にお引き寄せ頂きお仕込み頂いた事は忘れる事の出来ない貴重な経験をさせて頂きました修養科に行かせて頂くにあたり私は人生の岐路に立たされていましたそれは今年の月に年間の生活を離婚という形で終わったことです自教会に帰ってまず思ったのが結婚生活していた間自分本位な考えで両親や兄弟に迷惑かけて来たことそしてあまりにも教会から離れすぎてしまって何も見えなくなっていたと感じましたそんなときに会長様から修養科に行ってみないかと言われかなりの時間迷いましたが全ての都合を捨てて行くことにしました最初は初めての事ばかりでとまどい言われている事をこなすので精一杯でしたしかし自分の周りを見ると自分よりもっと大変な事情や身上があるにもかかわらず皆がひのきしんを頑張って居られるし手おどりも一生懸命に勤め覚えて行かれる姿を見て今までの自分は与えられた事しか出来なかったしそんな自分が情けなく思えもっとしっかりと頑張らないと駄目だと思いちょっとでも空いた時間があればひのきしんや手踊りの練習をするように心掛けてそう成って行きましたでも修養科に入ってしばらくは今迄の事を深く考え込むことが多く気持ちが沈み込む事が続いていましたそんな時修養科のクラスの人に大丈夫かいと声を掛けて頂いたり朝礼前に人で神殿へ参拝に行ってしまい時間ぎりぎりに間に合った時なども何人かの人がなかなか来ないから休みかと思ったと心配して下さったのですその時すごく有難いと思いましたしそう云う周囲に対する心遣いも忘れていた事に気付かされましたそして教室の仲間の皆さん方の話がすごく自分にとってプラスになると感じました詰所での教養掛の先生方にも親身の御指導を頂きましたし修養科の先生はもちろん同じクラスの仲間の感話や練りあいでの人生経験話しも勉強になりました修養科のか月で来る前より姿は減少しましたが心は少しだけ変われたかなと思います物事の見る方向は一つではなく他方な視点から見て考えてそれをどう心に納めていくかという事良い事も悪い事も全てが親神様教祖が映して下さる事でありこれからの自分の人生に必ずプラスになるということを学びましたそして人様に対する心遣い思いやりを大切にし親神様にもたれて行けば必ずご守護を戴けると云う事を胸にこれからの人生を歩んでいきたいと思いますこの度の修養科に大教会長様の御心尽くしに修養科に行く為に支えて頂いた瑞雲分教会長様と信者様そしてお世話いただいた教養の先生方一緒にヶ月間頑張った枝廣さん重政くん大変お世話になりました本当に有難う御座いましたおさづけの取り次ぎを胸に東福山分教会枝廣久美私は修養科に入るまでほとんどおさづけを取り次いでいませんでした以前からの友人が修養科の同期にいて一か月目のある日修養科棟の吹き抜けで地面に正座しておさづけを取り次いでおりその姿からこの人に助かってほしいという思いがひしひしと伝わってきて鳥肌が立ちましたその数日後中間考査で私もあの子の様に身上の人に会ったときにすぐおさづけを取り次がせてもらえるように勇気を出したいと作文を書きましたその次の授業が教祖伝だったのですが授業中友達がずっと咳をしていて先生があんた大丈夫か授業が終わったら誰かにおさづけを取り次いでもらいなさいと仰って私はこれはもしかして神様がチャンスを与えてくださったんじゃないかと思い授業後勇気を出して声を掛け取り次がせてもらうことができましたその後も何度も取り次がせて頂く機会があり私の心が変われば神様もそれに合わせて動いて下さると感じました修了する何日か前私は修養科中におさづけの理を拝戴された八十歳の女性が初めておさづけを取り次ぐときに横で説明しながら沿い願いさせて頂きましたが耳も遠かったため分からず何度も間違えながらでも必死になむ天理王命と唱えながら一生懸命に念を込めて取り次ぐ様子を見て最初はこの人が間違えないようにと思っていましたがだんだんとなんとか神様に働いてもらいたいと気付けば涙を流してお願いしていました授業でもおさづけは取り次ぐ者の心を神様が受け取って下さると聞きましたが私は修養科で人のために本気で祈ることを体で感じることができました今までも自分が気付かないだけで神様はちゃんと準備してくれていてもっと周りにおさづけを取り次がせてもらえる方がいたと思いますこれからは神様からのメッセージを逃さず行動できるような心で過ごしたいです平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合土夕食夕づとめ入浴教会おとまり会の報告こころの詩東悠分教会前会長夫人田林美智子さんより寄稿懐かしや小春日和の障子ごしは和紙暖かくおかき食みし日きゅうお鏡餅のおさがりでしょうか舊長さんはよくお居間の火鉢でおかきを煎って居られました香ばしい美味しい薫りが懐かしく甦ってまいります遥かなる日祖母につれられて伺っていた頃の想い出です当時は初代様のことを舊長さんくとお呼びしていました天理時報月日号時報歌壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます芦品分教会教人金谷眞佐代さん懇親会ぎんなん落ちるおぢばにて表紙の書天場山分教会役員野津正樹さん実施日参加者数プログラム笠晴隊十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますくら親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護を頂戴し日は結構に恙なく生活させて頂いております中に寒暖を繰り返すうちいつしか季節は紅葉から落葉に変わりすっかりと冬景色に様替わりして何かもの悲しさも感じるようになってまいりましたが笠岡に於きましては目前にせまった創立百二十周年記念祭の準備に連日大勢の人達が集まり記念祭に向けた日の理作りの総仕上げとばかりに賑やかな姿をお見せ頂いております加えて記念祭目指しての心定め完遂の上に於いても自由の御守護をお見せ頂き喜び一杯に日の御用をつとめさせて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私達は日喜び感謝の心のまま御恩報じを思い念じて朝夕にお礼申し上げつつたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は十一月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達と相共に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には声高らかにお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる皆の真実の状を御覧下さいまして何卒親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて記念祭まであと十日足らずとなり準備も心定め完遂もと大急ぎで進めさせて頂いておりますがその中にも心は常に行事のための歩みではなくたすけ一条の歩みの一環であることを意識しつつ勤めさせて頂きます世上の価値観は共通から個別へと変わり人と人との繋がりが希薄になり人としての本当の喜びが失われつつありますそんな中だからこそ私達よふぼくが親に一つ心を結び一列兄弟としてたすけ合い共に喜び共に楽しむ陽気づくめの世の状を築き上げていかなければなりません初代の心に立ち返る旬に改めて日頃の心遣いを思案し自分一人の喜び信仰から親兄弟姉妹全ての喜び信仰となるよう身近な所から精一杯にたすけ一条の上に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には皆のそうした真実の心定めをお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り一人でも多くの子供が人としての喜びは一人では味わえない事に気付きそして救け合いの輪が広がってお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい大教会だより第八四五期修養科教養掛三ヶ月間谷内伸自大教会役員輝美濃分教会長一ヶ月目香取雅人川島郷分教会長二ヶ月目下田誠輝神村分教会長三ヶ月目山田睦浩甲井分教会長修了者仲條重政理治瑞雲西村剛東福山枝廣久美教人資格講習会修了者終講多古浦小澤操三日講習会受講者以降第講修了月輝美濃谷内きよ月芦加茂小川孝夫芦加茂小川裕子芦加茂小川恵子月輝美濃谷内文義輝美濃大林正子月坪生阿部通子香地華渡邉美恵子髙屋重政康子大教会創立周年記念祭を部内教会長としてまた記録写真係としてつとめさせて頂いた創立周年周年周年と記録写真を撮らせて頂いた時は経ちフィルムカメラからデジタルカメラへと機材も大きく変化した大教会の暗室に籠って白黒フィルムを現像した周年プリント会社にカラーフィルム現像を依頼した周年記録カードをパソコンで処理保管する周年がいくら形は変っていっても時の記録を正確に残しておこうという気持ちに変わりはない残念ながら流れゆく月日には勝てず気力に体力が伴わないのが現実だ真柱様奥様と部内教会長との記念写真は撮影機材をはじめ準備時間場所人数配置など考えて私には到底無理と当初断念したしかし年に一度のことでありこれまでになかったことスタッフと何回も現場に足を運びデーターを取った不安を抱えての当日教会長さん達は限られた時間内に係の指示に従って手際良く設営の準準そして粛粛と整列された十分な出来ではなかったが正に奇跡の一枚だ今回の真柱様の御揮毫は一手一つ記念写真撮影を通しにつながる教会長さん達に脈と流れる底力を垣間見た感じがしたよ
かさおか

『かさおか』第50巻 第11号

慶創立百二十周年初代の心にかえり信仰の喜びを深めよう伝えよう広げよう一持ち場立場で日理作り一家族揃って教会参拝一一日一件にをいがけ秋季大祭講話この道の信仰の意義は世界たすけの実践あるのみ世話人島村廣義先生去る月日大教会秋季大祭にご参拝くだされた世話人島村廣義先生は立教の元一日の出来事に話しを起こされ善兵衞様が最初のお道の信仰者であり立教の元一日の出来事がひながたの始まりであるとしてそのひながたを歩むべきよふぼく一人ひとりのそれぞれの入信の元一日の心定めを思い起こし立教の本旨に立ち返ることに焦点を当てられ本教の本旨である陽気ぐらし世界実現のための実践を促された以下にその要旨を掲載するお道を通るとは世界たすけを実践すること教典第一章の冒頭に我は元の神実の神であるこの屋敷にいんねんありこのたび世界一れつをたすけあまくだもらるために天降ったみきを神のやしろに貰い受けたいおやさまとは親神天理王命が教祖中山みきの口を通して仰せになった最初の言葉であるおつげ家人はこの思いがけぬ啓示にうち驚き再三言葉を尽して辞退したが親神は厳としひついて退かれぬにより遂にあらゆる人間思案を断ち一家の都合を捨てて仰せのままにしたがこた順う旨を対えた時に天保九年十月二十六日天理教はここに始まる第一章おやさまとありますゆえんこのお道がある理由天理教が始った所以はこのお言葉の中にすべて凝縮されています世界一れつをたすけるのがこの道の本旨です人間の陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと思召つくして私たちをお創造りになったのですから人間が陽気ぐらしをすることを親神様は望んでおられます世界一れつの人間をすべて余すことなくたすけあげ陽気ぐらしをさせるところにこの道のお道たる所以がありますおふでさきに月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりで八にんけんもこ共かわいであろをがなそれをふもをてしやんしてくれ十四月日にハせかいぢううハみなわが子かハいいゝばいこれが一ちよ十七大教会本年心定め初席者数人人よふぼく数人人修養科修了者数人人教人登録者数人人とお教えいただきますつく人間をお創造りくだされた親神様からすれば世界一れつは皆我が子と仰せになりただたすけてやりたい陽気ぐらしをさせてやりたいとの一念なのです入信は世界たすけの心定め立教の元一日の状況をいろいろと思い巡らしてみるとこの親神様の思いも掛けぬお言葉を告げられた中山家の当主善兵衞様のお心はどうだっ参考教人資格講習会人教会長資格検定講習会人括弧内は月日月日記念祭までに心定めを完遂するようつとめさせて頂きましょうたでしょうか中山家の主立つお三方が身上になられその平癒を願われて始められた寄加持でしたしかしこの身上についてどうすればよいというようなお返事はなく今までに聞いたこともない神様がお現われになっていきなり世界一れあまくだつをたすけるために天降ったみきを神のやしろもらに貰い受けたいとお告げになったのですから当時の方は全く理解できない状態だったでしょう三日三夜の間親神様と善兵衞様との押し問答が続きその間寄加持の加持台に立たれた教祖は寝られず休まれず食事もなされず親神様の思召を伝え続けられてその緊張と疲労は限界に達し命も気遣われる状態に立ち至り遂に善兵衞様より一切の人間思案を捨て一身一家の都合を捨ててみきを神のやしろに差上げますと返答陽気ぐらし世界実現のための実践を促される島村先生されましたこれが天保九年十月二十六日午前八時のことでここに教祖は神のやしろとお定まりくだされこの天理の教えが始まりますこの善兵衞様のあらゆる人間思案を捨て一身一家の都合を捨てて世界一れつをたすけるためとの親神様の仰せに従われたこの心定めこの決心決断があってたすけ一条の道が始まりました親神様の仰せに従われたということは善兵衞様こそが最初のお道の信仰者でありこの心定めと決断実行が入信の第一歩だと思いますよふぼくは世界たすけに使うために引き寄せられた教祖五十年のひながたはこの立教の元一日の出来事から始まるのですひながたはひながた通りに通らせてもらう私たち自身が通らせてもらうひながたですからひながたの始まりがこの立教の元一日だということを我が事として考えてみましょうこれには善兵衞様が最初のお道の信仰者立教の元一日に善兵衞様が入信されたとするならそれぞれの入信の元一日初代がこの道に引き寄せられたときのことを想像しながら悟らせてもらうのが一番分かりやすいと思いますそこで冒頭の御言葉を私なりにこんなふうに置き換えてみました我は元の神実の神であるこのたびそれぞれの所属の教会に結ぼれて世界一れつをたすけるためにお前たちによふぼくとしてたすけ一条に立ち働いてもらいたいこのたびとは身上事情でお手引きいただきにをいをかけていただいてこの道に引き寄せられたときのことです親神様のたすけ一条の御用にお使いいただくよふぼくとしてお引き出しいただいたのだと思案すると我が事として心に納めやすいように思います教祖の御逸話の中にさあくいんねんの魂神が用に使おうと思召す者はどうしてなりと引き寄せるから結構と思うてこれからどんな道もあるから楽しんで通るよう用に使わねばならんという道具は痛めてでも引き寄せる悩めてでも引き寄せねばならんのであるからする事なす事違う逸定めた心と仰せられています親神様は陽気ぐらし世界建設の普請の用材としてたすけ一条の御用にお使いくださるそのためにお引き出しをいただいたと思案するとお使いくださるほどこの上ない名誉と思えるまたよふぼくとしての誇りと自信を持ってたすけ一条の道ご恩報じの道をしっかり歩まねばと思います入信即世界たすけは今の話し教祖の御逸話を拝しますと教祖は初めておぢばに帰った方や入信間もない人に対してご恩報じの道としてにをいがけおたすけの実践をお促しくださっています前田藤助タツというご夫妻にはあんたは種市さんやあんたは種を蒔くのやで種を蒔くというのはあちこち歩いて天理王の話をして廻わるのやでとお教えになっています逸種を蒔くのやでまた初めておぢばに帰った榎本栄治郎という方には無条件でいきなり村の中戸毎に入り込んで四十二人の人を救けるのやでなむてんりわうのみことと唱えて手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで人を救けたら我が身が救かるのやとお諭しになっています今で言う戸別訪問しかも四十二人という人数までお示しになっています逸人を救けたらまた腰痛をたすけていただいた村上幸三郎という方がご恩返しの方法をお伺いすると金や物でないで救けてもらい嬉しいと思うならその喜びで救けてほしいと願う人を救けに行く事が一番の御恩返しやからしっかりおたすけするようにと仰せられています逸救かる身やものまたご恩返しに人だすけを促された小西定吉さんという方が人だすけの方法をお尋ねになるとあんたの救かったことを人さんに真剣に話さして頂くのやでと仰せられてコバシハッタイ粉を二三合お下げくださりこれは御供やからこれを供えたお水で人に飲ますのやとおたすけの方法までお教えになっています逸人を救けるのやでこいねがいずれもたすけを希って初めておぢばに帰られた方や入信間もない方に教祖はこうして人をたすけることをお促しになっていますおつとめの原型をすることにをいがけおたすけをすることその方法までお教えくださりたすけ一条の御用にお使いくださる教祖なのですこうして入信間ない人に対しても陽気ぐらしを御守護いただくために積極的に道具としてお引き寄せになりお使いくださっているひなかぶがたと善兵衞様の立教の元一日の出来事とを被せ合わせて思案するとこの道の理を少しは聞き分けたすけ一条の御用の一端を担っている私たちよふぼくに対してお望みくださるをやの御期待はいかばかりかと思いますしっかりこのをやの思いにお応えする道を通らねばと私は思います真柱様は昨年の秋季大祭においてかつては入信即布教と言われ教校別科を了えたばかりの人たちがもっぱら十全のご守護と八つのほこりの教理を頼りに布教に出向いたと聞くのでありますそこには身上事情をおたすけいただいたご恩に報いたいという感激があり天理教の教えは素晴らしいこの道の信仰はありがたいという確信があったに違いないと思います時代背景が異なるとはいえそうした人たちの心意気を単なる昔話に終わらせてしまってはならないと思うのでありますとお話しくださっています正しく先ほどの教祖の御逸話と同じように別科を了えられたばかりの先輩たちが布教に出ておられます世界たすけの実践かりものの理を心に納め話し一条で心たすけあとせきおさづけの理を拝戴したときの後席で三人の先生からお取り次ぎをいただきますが二席目のなかせき中席の先生はおたすけに出る上での心得注意をお教えくださいますそのお話しの中でこの道のおたすけは病気などではなくその人の心をたすけますからおさづけを取り次ぐ前には先ず親神様の日の御守護を十分に納得していただくようにお話しを取り次ぎますとお教えいただきますこれを話し一条と仰せになりますが話し一条はたすけの台とお聞かせいただくようにお道のおたすけは何で御守護をいただくのかと言うと神様のお話しの理でたすかるのです身上事情をたすけることにとどまらず話し一条で心をたすけるこれがお道のおたすけです教祖は側の先生方にこふきを記せと仰せになりましたが二代真柱様のこふきの研究という書物の中にそのこふき話を収めてくださっていますその中にかみさまハはなしばかりてにんげんのこヽろよごれをあらいなさるで山澤本たすかるもこヽろしだいやいちれつにはやくこヽろをすます事なり山澤本ヨロヅタスケト云ノハナ薬出スデナシヲガミキトウスルデナシタダ神様ノヲハナシバカリデフシギナリヤク喜多本神のゆうことわしんしつとをもてねかゑばおかみきとふやくすりのまいでもはなしいちしよふでみなたすかることこれしよふこなり桝井本と記されています親神様の十全の守護親神様のお働き親神様の思召をしっかり心に納めることによっておたすけをいただきますおさしづにもたすけ一条の理は渡してある話一条は諭しある何度聞いても分からん者理はどんならん中略この事は前に十分諭し人間はかりものの事情心に発散出ければ尋ねるものやないかりものくと言うては居れどかりものの理が分からん明とお諭しになっていますおふでさきにもめへくのみのうちよりのかりものをしらずにいてハなにもわからん三とありますがかりものの理親神様の御守護が分からないようではおたすけはいただけませんこれをしっかり心に納めてにをいがけおたすけによふぼくとしてのつとめを果たすことこれを真柱様は昔の先生方の事だと言って終わらせるのではなく今日の私たちの為さねばならぬことだとお促しくださっていますこれをしっかり私たち自身が心に納めてそしてにをいがけおたすけに歩むことこれがまた自らがたすけていただく道でもあると思います自分自身の世界たすけの再確認をは来月創立百二十周年記念祭をつとめることになっています記念祭は何でつとめるのかと言えば信仰の元一日に立ち返る初代の道に立ち返るとともに道は末代とお教えいただくように我の究極の目的陽気ぐらしを目指してひたすらたすけ一条の道を推し進めるその使命をお互いに再確認することが記念祭をつとめることの意味だと思います三年千日と仕切ってその活動をつとめることも日からよふぼくとして心掛けなければならないことは重分かっていてもなかなか取りかかりにくいことしかもその理の重いものからしるし集中してそれに取り組み成人の証を御守護いただいて親神様教祖にお喜びいただきたい真柱様にもご覧いただいてお勇みいただくことを私たちの喜びとしてつとめたいこれが記念祭をつとめる私たちの心だと思います特に今日代を重ねて信仰している私たちにしてみれば自分は直接おたすけをいただいたまた我が身にいろいろお知らせをいただいてそれに気付いた方は一番よくお分かりでしょうが親の代の信仰を受け継いでそのお徳のままに通っているお互いならばやはり初代の道に思いを致し我が家の入信の元一日これをしっかり思案しながら今日おいていただいている自分の結構を本当に喜べるように思案することが第一ですそしてその喜びを台として子孫にそれをまた伝えその喜びを広く世界にお伝えして一日も早く陽気ぐらしの世界が訪れるようよふぼくとしてのつとめを果たすこれをお誓いすることが記念祭をつとめることの意味だと思いますいろいろと心を定めて三年千日通ってきました一生懸命やった人それなりにやった人なかなか御用はできなかったよふぼくとしてのつとめもなかなか果たし得なかった方もあるかも知れませんがまだ一ヶ月ありますまた結果成果を云ではなくて一所懸命やった自分がどれだけ実動しつとめたかが私は記念祭を意義付けることになると思いますやっただけのことは必ず神様はどこかで芽吹きの御守護をくださる蒔かん種は生えてきません蒔いたものは必ず神様は発芽開花結実へと御守護くださるものです一つ後一ヶ月少ありますが百二十周年は二度とやってまいりませんどうぞ悔いのない百二十周年をつとめをやにお喜びをいただきまた私たち自身も末代亙ってのお徳を頂戴できるよう勇んでつとめたいこのように思います立教の元一日を思案しながら要は親神様の思召をまた私たちよふぼくに期待くださるをやの思いをしっかり受け止めてその思いにお応えする道を心して通らせてもらいたいこの点をお互いに申し合わせて今日のお話しを終わりたいと思います以上要旨各係主任会議行う月日実行委員会実行委員会田中一之委員長は月日午前時から約時間大教会会議室で大教会長様奥様同実行委員記念祭各係主任が出席し会議を行った具体的な打ち合わせに入るため各係主任も加わった大教会長様田中同委員長の挨拶の後上原繁道同委員から月日日のスケジュールの詳布教部細な説明があった引き続き各係の役割の再確認準備状況今後の予定問題点などが細部にわたって話し合われたまた日午前時係員集合し全員でお願いづとめ後ひのきしんを行い日は午前時に係員は集合し配置に付く各係によっては集合時間は異ることを申しあわせて閉会したおかえり講話開催月日詰所で布教部中村剛部長は月日午後時から約時間詰所階講堂で講師に茶木谷吉信先生本部布教二課研究員大江大教会部属正代分教会長を迎えお帰り講話を開催宿泊者など約人が参加した細部にわたっての打ち合わせが真剣に行われた記念祭に向けて意気高め青年会員のつどい開催青年会笠岡分会では月日大教会で青年会員のつどいを開催し遠近を問わず名が参加したこの日は同じ青年会員という立場で御用に励んでいる酒井耕平氏大阪教区青年会副委員長を講師に招きお話を頂いた酒井氏は元来にをいがけが苦手であったが親の声がきっかけで神名流し駅前での手をどり野宿布教などの日を通して不思議な神様のお働きを頂いたエピソードなどを熱く語った直後のグループタイムでは酒井氏のお話を聴様な体験談を語る酒井氏信仰談議のグループタイム年会いて感じた事やこれからそれぞれが心がけていきたい事などについて活発に意見が交換された午後からは今年青年会が行っている創立周年毎月ひのきしんの一環として客殿まわりのひのきしんを行いその後は初代会長様の足跡をたどるを視聴した最後に記念祭実行委員会の上原志郎先生より記念祭の意義や当日の予定についてお話を頂いた参加者らは日を通して笠岡につながる仲間と信仰について語りひのきしんに汗を流し記念祭への意気を高めた青年会笠岡分会委員長上原繁次以下参加者の声心がけていきたい事親の思いに素直に沿っていく先人の話を聴く職場でもにをいがけひのきしんを実行する教会への日参月次祭への参拝行事等に積極的に参加するその他一つ一つの出来事に対して親の思いを感じ取ろうとする心構え姿勢を見習いたいお話布教はできる事から自分で行動する事が大切だと思ったお話みんなで記念祭へ向けてのひのきしんに携われて良かったひのきしんのルーツを知る事ができてとても良かった連帯感が生まれたペンキ塗り記念祭についてのお話温故知新いきいきエピソード島根の道の礎これは昭和年月笠岡で行なわれた婦人会委員部設立二十周年青年会支会設立十周年記念連合総会の席での講話をつばさという小冊子に纏めた中の忘れ勝な私の心と題した淺野弥三郎氏の講話の抜粋であるじゆうよう神言に自由用といふ理はどこにあると思ふなよ只めんめん精神一つの理にあると仰せられてあります私はその自由用を頂く精神一つの理というのは元一つの心を貫徹する処にあると思うのであります即ち無い命を救けて頂いた元一日の飛び立つような喜びと燃えるような信仰を持続して万事にその心持で当らせて頂きますれば朗らかな晴天続きの道を通らせて頂く事ができるのでありますしばしば前会長様笠岡二代会長からも屡道の理はそろばんけた算盤の桁のようなものである一とも言えば十とも百とも千萬億とも言うと聞かされました元の心を失わずして何でもどうでも成っても成らいでもというすさまじい精神一つの理を神様は御要望なさって居るのでありますその精神に神様が働いても下され我が救けても戴けるのであります明治二十六年旧十月私は島根県へ布教を命ぜられました勿論費用は一切支給されなかったのです専心布教に従事したのですが道は思うように伸びなかったのですされど出発の際にどうでもこうでも道をつけさせて貰うと堅い決心を定めて出て居るのですからこうなる事は覚悟の前です然し僅かな布教費は欠乏を告げ全く困苦艱難な現状に到達したのです当時商売に馴れた私の経験から或る品物に手を染めると必ずいささかな利益を見られる事柄が突発しておりました衣食に事欠くまで窮迫すると一時はそれでもやって現状だけでも切り抜けるかという人間考えが絶え間なひらめく私の心に閃いて参ります一方では反対に利害勘定に心が走るようで神一条の道が立つかお前は何しにどうした心で単身布教に出たのだささやという良心の囁きが鋭く頭を持ち上げる一ヶかんだん月の間間断なくこの心の戦争は続いて居りましたが神様は邪道に迷わんとする私の心を導いて下さって眼前の利益問題を心から取り払う事が出来たのでありますすると間もなく八里程隔たった地から私の布教地の本庄に出て来ている人が永年のリューマチで苦しんでいたのに匂いが掛かり一度のおさづけで自由用を戴いたのでありますあまりいっきょうの嬉しさと不思議な力に一驚したその人は私に向かって八里向こうの大東に私の懇意な人が病気になって困って居りますこんな有難い神様なら私が手引きさして頂きます是非行って下さいと申します私は二ツ返事で引き受けたものの懐中無一物行けば旅費も要ろうし宿も取らねばならぬそこで或る信徒の家へ何とか頼んでみようと門口まで行ってフト考えたこれはいけない天理教の先生が金を貸きずしてくれと言って神様の道に疵をつけるような事があっては神様に申し訳がないそう思ったままきびすとかくので其の儘踵を返して他の一軒の信徒へ兎に角留守にする挨拶だけして歩いて行こうと心に決めその家に立ち寄り大東へ行く旨を話したそして別れを告げ十四五間も後戻りした時その家の主人が忙しく私の後を追いかけて来て先生これはほんの些細な金ですが何かの用に足して下さいと一封の包をくれたのですあこうだいあ神様は何という御慈悲だろう神恩の鴻大な御恵に感謝と喜悦の念を捧げて出発しました目的の地大東へ着いて五日程滞在して居る間ひとまに病人も御守護に浴しましたので一先づ帰る事にしましたというよりは実はその昼までの宿料を勘定してみると四銭しか残らないのです四銭では夕食にも有り付けないので先方へてい急用が出来たと体よく断ってテクテク歩いて本庄の所在地へ帰りました時は夜中の十二時頃です家人が私の遅い帰宅に驚きながらも先生笠岡から書面が来ておりますというので開封してみると為替が同封してありました私は神様の御慈悲と霊妙な御働きにここでも有難涙にむせばずには居れませんでしたこうした温かい親心に切羽詰まった急場をその場その場で通して頂いたのですこの事に端を発して大東方面に道が芽生えかけたので本庄方面に五日居れば大東方面へは夜道を厭わねば昼の大切な布教時間を無為にせないで済むので幸い頃は夏であったし大抵テク付いて夜間布教地を交互に往復した訳でありますかかる布教状態が二ヶ月続いた時六十五軒の信徒を神様から御与え下さったのです生活難と伝道上の障害に遭遇して前途の多難をうたた憂慮せずに居れなかった当時の苦境を神様は私の僅かな仕切り根性に乗って道を切り開いて下さったのですそうこうして居ります内此処に常識を以って考え及ばない面白い事件が興ったのですそしてその出来事が燃えかけているものに油を注いだように細道を大道に進出さす動機となったのです明治三十八年の秋でしたか三代貞七という村会議員まで勤めた村での名望家がありましたその人の奥さんがコレラに罹り私はてっしょう徹宵このお救けに当たらせて頂いたのですが不幸にして夜が白と明け放たれると同時に絶命しました本人はそれで済んだのですが済まないのは家族の者達誰彼なしに一様に伝染の気配がして枕を列べて倒れて了ったのですそれが為に三代家は交通遮断の憂目に会ったのです私はそんな事を意に介せず三代氏に懸命に教理を取次ぎました三代氏の胸にほんに人間の躰は借り物だ借り物である以上神様の御思召であれば一度は必ず御返しせなければならぬそれを人間が案じたって煩うたってどうもなるものでない神様に縋って居ればよいのだという考えが浮かぶと同時にスーと胸がすいて救かったこの事を家人に話ふじつすとコレラの罹病状態から不日にして家人も救われたのです嘘のような本当の話そこで交通遮断の解禁されない中を五日目に私は運んで行って夜の十時頃から十二時近くまで話し合って居ります処へ運悪くも巡回中の巡査がヒョッコリ入って来たのですさあ大変天理教の布教師ともあろう者が社会に害毒を流すような事をする又三代さんも名誉職まで勤めて居るような人でありながら不都合だと散油を取られ即刻役場に引っ張られて全身を消毒されました私は此事件が影響してもし漸くにして燭光を見出さんとして居る道を瓦解するような事が有ってはと真に断腸の思いがしました然し世の中は何が幸いになるか分からないものです天理教の先生にはコレラが取っ付かないという妙な噂が拡がって私の心配と反対に世間はその事で反って好感を持ってくれるようになったのです神様のお働きは全く人智のらち埒を超えるものですこうした事が教祖の御教えを急速度に本庄大東の地で伸べ拡げて行ったのです講話は内務省訓令の余波で島根出雲の二名称の取り消しと更に復興にいたる事情が続くのであるがそれはまたの機会に譲る弥三郎氏のこの話は一筋に信仰の道を歩む者の厳しさを今に伝えてくれる話である温故知新のもと話を綴っているのであるがこれを昔話としてほしくない信仰はいつも途上つまりプロセスである事を私たちは常に心においておかなければならないと思う先代が通ってくれた後の楽の大道を歩いていると思うのは錯覚である先代と同じいやそれ以上の細道を今私たちは歩いているその思いが信仰の根本にないといけないそう思う笠岡史料部長教会おとまり会の報告吸江隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日受付ゲームおつとめの練習夕づとめ夕食花火風呂就寝日起床洗面朝づとめひのきしん朝食勉強水泳解散今年も教会おとまり会が開催出来た事に親神様に御禮申し上げます又駐車場が無いし教職舎もせまい中雑魚寝で寝食にひのきしんして下さった婦人会の皆様に深謝致します芦田川隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日土日日少年会員人育成会員人合計人日集合土夕食夕づとめ教話花火入浴自由消灯日起床洗面日朝づとめ教話朝食自由解散こどもおぢばがえりに参加した小の娘の同級生が参加してくれました花火をした以外はお楽しみ行事のようなことは何もしなかったのですが家と違った広い参拝場で自由に遊び一つの布団で仲良く眠り楽しかったようです参加者の親も夏休みの終りにとても良い想い出作りができましたと喜んで下さっていました大惠山隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日少年会員人育成会員人合計人日集合みんなでバドミントン参拝おつとめこどもおぢばがえり詰所内クイズ当選の受賞みんなで夕食会昨年度のおとまり会泊なしに参加した子供のうち今年度名の子供が今年のこどもおぢばがえりに参加してくれた昨年に引き続きみんなでバドミントンに汗を流した後教会参拝こどもおぢばがえり詰所内クイズに当選した子供に景品を渡すことができた大変喜んでいた来年もこどもおぢばがえりに参加すると誓ってくれました実行委員会創立周年記念祭について参拝者目標人月日第回集計人大人人歳小学生人歳歳人記念祭案内チラシ各教会配布参拝募集の上に活用して下さい神事部記念祭当日の神饌物があれば月日までに岡本久善神事部長まで連絡下さい会計部記念祭までに本年の心定めの完遂をお打ち出し頂いています御奉公の上にも記念祭までにお心寄せをお願いします庶務部教会長布教所長家族名簿未提出の教会は至急提出して下さい管理部記念祭に向けて連日ひのきしんを行っています編集掛記念祭誌発行のための原稿を依頼しています月日までに郵送大教会神事所受付箱までお願いします布教部春季大祭詰所受け入れひのきしん福山人髙屋人島根人上下府中市で人計人立教年布教の家入寮者募集期間立教年平成年月日入寮研修会翌年月日卒寮の集いまで資格所属教会長ならびに直属教会長から推薦された天理教教人ただしヶ所の布教の家には原則として直属から人とする年齢は問わない単身で入寮のこと願書月日より本部布教一課にて配布受付午前時より月日午後時まで布教一課まで持参詳細は大教会布教部か本部布教部布教一課まで直通詰所掛正月三が日は炊事本部が休みになります食事申込みは月日までにお節会に団体人以上で帰参の教会は月日までに詰所上原澄雄副主任に連絡して下さい記念祭に向けて詰所よりマイクロバスを運行します申込みは詰所まで日時月日往路午前時詰所発復路午後時大教会発青年会全分会布教推進週間の報告分会で実施毎月ひのきしん月日実施予定少年会教会おとまり会実施教会は報告書を提出して下さい月末で教会で実施学生担当委員会学生担当者大会日時月日金内容真柱様お言葉他場所第食堂立教年おせち学生ひのきしん隊直属隊期間木日土参加費円切り月日各教区での申込みは教区学生担当委員会へお問い合せください平成年度東京教区三才寮入寮案内保護者がよふぼくで東京近郊の年制大学へ入学予定の男子こころの詩養徳社発行陽気誌十一月号道柳より転載今回の課題は風笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん秋風に教祖偲ぶ月あかり表紙の書天場山分教会役員野津正樹さん第回インターハイで新山邑分国定和輝君本誌平成年月号で紹介した笠岡工業高校ウェイトリフティング部所属の国定和輝君現在年生新山邑分新賀布教所長国定節喜さんの長男は先ごろ岩手県奥州市で行われた第回インターハイ平成年度全国高等学校総合体育大会重量挙げ級クリーンアンドジャーク種目に出場全国の県予選を勝ち抜いた人が出場するなか位に入賞した昨年僅かな体重差重量挙げ競技の場合同重量を上げても体重の軽い方が上位になるに泣き位に終ったしかし持ち前の負けん気と猛練習で今年は見事に昨年のリベンジを果たした重量挙競技にはスナッチバーベルを一気にクリーンアンドジャークでに成功写真提供国定和輝君頭上に引き上げるとクリーンアンドジャーク一旦肩まで上げそこから頭上に持ち上げるの種目があり試技は各回上げた重量で競う大会に向け授業後筋力トレーニングを中心に引き上げ差し上げなどの基本練習また各種目の実戦練習が毎日時間余り続いたバーベルの重さを徐に増していくため練習により筋力筋肉そして食事の量もアップ身体の成長期も伴って体重も増えこれまでの級から一ランク上の級へ迎えた今大会最初はスナッチ種目気分も体調も絶好調からのスタートを希望したが同部監督の指示でで試技自分の力なら軽くクリヤー出来ると思ったが結果は回とも失敗規則により失格まさかの敗北だった頭の中に昨年の悔しさが浮びあがったこのままでは恥ずかしくて笠岡には帰れない絶体絶命のピンチの中で彼の不屈の闘志に火がついたそして次の種目クリーンアンドジャークに挑んだ重量はこれまでの長く辛い練習を思い起こし満身の力をこめてバーベルを頭上に見事成功堂の位夢にまで見た念願の表彰台へ立った国定家は代所属教会への心寄せを始めとし何事に対しても不足を言わない実直な信仰一家一生懸命頑張って練習したもうちょっとでバーベルが上がるしかし最後のもうひといきの力が出ないその時神様が少し手を添えて下さったんだろうと今大会を振り返るそしてこれまで何回かクラブを辞めようと思った事もあるが苦しくても練習すれば必ず成果が数字で出てくる合宿などで他府県の人たちとも友達になりライバルが出来てまた頑張ろうという気になると重量挙げの魅力を話す国定君の試技を見てヶ所の大学から入学の要請があった意中の学校は決めている高校と大学とではレベルも練習内容も全く違う高校はクラブ全員が協力しあい皆で強くなろうというのに対し大学は一人の世界だ自分に合ったメニューを基本に行い強い者だけが残っていく厳しい所と未知のクラブの不安を感じながらも目指すのは大学チャンピオン表彰台の一番高い所に立つことと力強く夢を語った国定君は今年月国民体育大会岡山県予選のクリーンアンドジャーク種目でを上げ県高校新記録を樹立した記事提供新山邑分三島衛氏秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にわにんけんはじめかけたのわよふきゆさんがみたいゆへからと紋型ないところより道はじめ具を引き寄せ守護を教えこの世と人間をお創造下さったばかりでなく約束の年限の到来と共に教祖を月日のやしろとお定めになりこれの世界救けの道をおつけ下さいました以来各のいんねんをお見定めになり次とこの道にお引き寄せ下さり国内は元より海外にもお道が広がっております事は誠に有難い極みでございます私共はお引き寄せ下さいました親心の程に感謝の念を抱きつつ朝夕にお礼申し上げると共に世界救けの用木との自覚のもと日届かぬながらも精一杯につとめとさづけを通してたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にもこの月二十六日は親直にこの世の表にお現れになり世界救けに踏み出された尊い日柄でございますのでおぢばでは秋の大祭が執り行われますが当教会に於きましても理のお許しを戴いて今日の吉日只今からおつとめ奉仕人一同心も晴れやかに一手一つに揃えて明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ思召に添い切る心を更に強める状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます又本日は世話人島村廣義先生にお越し頂いております後程時旬に当たってのおぢばの思いをお聞かせ頂き今後のたすけ一条の御用の指針とさせて頂く所存でございます更には又来月三十日の創立百二十周年記念祭に向けての成人の歩みも残すところ一ト月余りとなってまいりました悔いの残らないよう力の限りにつとめ切らせて頂く所存でございます加えて年頭の心定めも記念祭までの完遂目指して何でもどうでもの心で勤めさせて頂く覚悟でございます何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りに御恩報じ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り世界一列救けたいとの親心に一人でも多くの人が気付き共にたすけ一条に邁進する人が弥増してお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより教会指令任命願福廣分教会前任佐木滋郎新任宮本正子福輝分教会前任宮﨑可夫新任田中亜輝香地華分教会前任渡邉勇喜新任武内清和田中亜輝氏宮本正子氏任命移転改称恒例祭日変更願髙丸分教会前任松岡陸代新任谷本里喜男移転元広島県福山市駅家町坊寺四五五一移転先大阪府八尾市沼一一二旧名称系統位置髙屋芦品芦辺新名称系統位置髙屋髙丸春秋大祭月次祭谷本里喜男氏武内清和氏日日鎮座祭奉告祭以上四件承認教人資格講習会中期受講者終講吸江西村理人秋季大祭詰所受入ひのきしん東ブロック笠岡中村裕美西ブロック神驛渡邉泰子福山ブロック福節藤井治喜髙屋ブロック稲倉藤井宏一島根ブロック多古浦余村元上府ブロック甲井山田信子有志島根面谷美恵子福芦福芦瑞雲甲井藤原徳美藤原鈴江豊田俊美山田敏教お詫びと訂正本年月日発行のページ大教会便りの本部食堂ひのきしんの記事中お名前に誤字がありましたので折田英昭を織田英昭に訂正します読者の皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともにここに訂正させて頂きます創立百二十周年記念祭を迎えるに当たり今それぐの立場で準備は着と進められていますそうした中で意見の違いや視点の置き所によって不足を生じる事も少なからずある様に思います笠岡に繋がる一人くの思いの結果が喜びのその日となる為にもしっかりと談じ合い心の通じ合いを持って事に当たらなければと思うこの頃です私は会長になって五年その頃の日記を引っ張り出し読み返すと相手の事が嫌だと思う所は自分の直すべき所を相手が見せてくれているのだから感謝しようそして素直に直せる様日常生活の中から自分の都合勝手で自分を擁護する様な考えを押さえて相手の立場を尊重し行動する中で人間を大きく丸くしてくれるだろう自分一人のちっぽけな学習経験だけで物事を判断する事なく素直に大勢の人の意見に耳を傾けて徐に心の視野を広げてゆこうと書いてありましたこの大きな旬が自分にとっての大切な旬である為にも成って来る事にバランス良く対応できる様つとめたいと思いますむ
かさおか

『かさおか』第50巻 第10号

元一日初代の心にかえり信仰の喜びを深めよう伝えよう広げよう一持ち場立場で日理作り一家族揃って教会参拝一一日一件にをいがけ記念祭までに心定めを完遂するようつとめさせて頂きましょう括弧内は月日月日教会長資格検定講習会人参考教人資格講習会人教人登録者数人人修養科修了者数人人よふぼく数人人初席者数人人大教会本年心定め立教年全教一斉にをいがけデー親神様の教えを津浦にままずず教教会会長長がが先先頭頭にに立立っってて月日付天理時報で既報の通り立教年全教一斉にをいがけデーが月日から日まで実施されたこれは年に一度地域に住むお互いが力を合わせ一手一つに心を揃えて親神様の神名お道のにをいを広めていこうというもの今年で回目日日日はよふぼく実動日として支部を中心によふぼくがにをいがけ活動を展開し日は教会長路傍講演の日として教会長が先頭に立って神名流しリーフレット配布戸別訪問路傍講演などを行った大教会につながる各教会よふぼくもたすけあいこそ人間の生き方のリーフレットを手に支部教会ごとに各地で参加実動した教会長路傍講演の日の日管内の教会ヶ所の内ヶ所が部内教会という広島教区東部支部山田敏教支部長の活動を取材した当日は教会長人よふぼく人が参加した午前時府中市の府中市分教会豊田宏哉会長に集合山田敏教同支部長が最近ある団体の行事に招かれた参加者の熱意もさるものながら指導の立場にある人達の考え方行動統率力に感心すると共にリーダーシップの大切さを痛感した天理教で全教がつく行事はひのきしんデーにをいがけデーの回だその一つが今日でまず教会の竜頭たる教会長がよふぼく信者の先頭に立ってにをいがけの実動を推進して頂きたいと挨拶この後参加者を元気な人高齢な人の班に分けて行動男性はネクタイ着用女性はスラックススカート姿元気な人のグループは同教会から約離れた福廣分教会まで陽気ぐらしの天理教感謝慎みたすけあいと染め抜かれた路傍講演旗を先頭に山野弘実上下分教会長の拍子木に合わせて全員でみかぐらうたを唱和し神名流しを行った同教会前では山野弘実同会長がハンドマイクを使用しての路傍講演引き続き神名流しをしながら眞府分教会髙田一弘会長へ道中地区内の公園では参加者が一列に並んでみかぐらうたを唱和横山逸郎東城分教会長同教会前では髙田一弘同会長山田睦浩甲井分教会長が路傍講演弁士以外の参加者は周辺でリーフレットの手渡し配布を行った続いて府中市内商店街銀天街で神名を流して歩いた商店内から手を合わせている高齢の女性もいた最後に同市内バス通りに面した駐車場教内者所有で丸山正人木津和分教会長岡本雅也豊田分教会長尾道分部内が声高らかに道行く人達に親神様のお話しを伝えた地域の教友が路傍講演をカメラに収める場面もあり約時間半の活動を終えた一方高齢の人達は府中市分教会周辺で戸別訪問やリーフレット配りなどを行った同支部ではヶ月前から毎月日の例会で支部長を中心に教会長路傍講演の日に向けて管内の全教会長の参加を目標に弁士の選出路傍講演場所神名流しコースと役割そしてリーフ声高らかに神名流しを府中市石州街道でレットはポスティングではなく出来るだけ戸別訪問や手渡しで行うことなど話し合ってきた当日集合時間に欠席の教会長には出欠の有無を連絡した昨年より名増えた反面路傍講演の場所方法時間帯によって人通りの変化ほとんど立ち止って聞く人はいないまた講演弁士は各組管内組数は今回はその内の組から選出から選出という事前の取り決めにもかかわらず路傍講演は苦手だという理由で弁士を辞退する人も結果毎年同じ人が弁士をつとめるということもあり今後の活動に課題を残した道行く人達に親神様のお話しをする参加者談話室節甲井分教会前会長山田敏教このせかい山ぐゑなそもかみなりもぢしんをふかぜ月日りいふく六地震に関するおふでさきを悟らせて頂くと親神様の残念立腹と思わせて頂けるしかしそれはこれら一連のお歌の背景にある権勢をもって本教を弾圧した人高山の横暴に対してのおことばと同時に高山を恐れて神一条から遠ざかった人に対する警鐘と悟らせて頂けるこの地球上で又国際社会で常に一番先頭を走ってきた日本は最近は存在感を失い国際化の波にのれず将来像も夢もないまったくつかめない教育は画一的で政治と来たら八月二十三日の産経新聞に民主代表選どんぐりの背比べ永遠のたらい回し信念も目標もなくなっている様な気がしている昨今にいる中に大震災が発生し人間の力のすべてを打ちのめすほどの地震と津波が東日本を襲った自然の猛威にただただ呆然と立ちすくんでもう半年みちのとも九月号によると震災発生直後より七月二十日迄の百三十日間延べ一万八千六二一人の災救隊員の活動報告が発表されて居りますが感動と感謝で一杯でございます大教会でも自主的な出勤がなされまだあるなら私もとひのきしん本来の勇み心が伝わって見送る私達迄もが勇ませて頂きました日本は過去二度の奇跡を起こして居るが必ず三度目の御守護を奇跡を起こしどうしても東日本日本を復活させなければならないと思う繊細さで緻密探求心が強く勤勉な民族の日本人は素晴らしい国民性がある明治のお道の先人達の信仰のすばらしさと同様過去の奇跡の一つは明治維新の時代幕藩体制から近代国家をあっという間に作った事その中に三を超える諸藩の教育体制で現在の一律な教育制度とは違いそれぞれの藩ごとの教育が行われ特色を持って熱意ある教育で素晴らしい人材が新しい時代を築いて今日の日本があると思うもう一つの奇跡は終戦後わずかの間に復興し世界有数の経済大国になった事だと思う敗戦で廃墟になった土地で皆なが寝食を忘れて働き立ち直ったのであるしかし経済大国の時代が来た私達昭和十八年生が若い時代新幹線が出来オリンピック万博とお祭り騒ぎの道中真面目な実直な国民性が色あせ人は考えなくなり闘争心もなく経済的な豊かさだけを求め日本の文化生活文化の豊かさを忘れてしまい未来を担う子供は親の思いのままに敷いたレールの上を走るのに精一杯で想像力をつける為の貴重な時間さえもない八月二十二日からの少年会のキャンプ等スタッフの方は大変だと思うがもっともっと大勢参加し自然の中で自由奔放にさせるべきと思う本来子供は友達と自由に自然と戯れながら遊んで好奇心感性を磨き挑戦する勇気や責任感を身につけて行くのであるが今子供達は過保護に育てられ自分で考える体験が絶対必要であり緊張感も判断力のないまま成人し大人の仲間入りするや社会を支える立場に立つ正しい価値観で物事を決めることができず国際社会で立ち遅れている今の日本を子供を取り巻く状況は決して無関係ではないと思う改めて少年会のお泊まり会子供おぢばがえり学生生徒修養会と大事だと思わせて頂くのである私達の時代は自分で生きる力を身につけないとならないという思いを皆なが持っていたが今は自分の意志が希薄で人と直接ぶつかり合おうとしない芯の弱い今の若者や子供を見ていると日本の将来が淋しくなる人間性を育む教育を行い自分なりの価値観をもつ自立した個人をつくり家族や地域への愛情を持った日本人の国民性を回復したいものだ改めて元に戻りこのはなしなんとをもふてきいているてんび火のあめうみわつなみや六こらほどの月日の心しんバいをせかいぢうハなんとをもてる六とのおふでさきのお歌からすればこうした節は広くせかいに対しておのべになった警告であり我一人ひとりが親神様の真意を悟り心を立て替えていくためのものと思う決して罹災された方に向けられたおことばではない今現在高山について思う事は社会全体に漂う自己中心主義な流れとすべてを金銭や人知人力であやつろうとする人間の傲慢さだと思うおさしづにずつない事はふしふしから芽を吹くやれふしやく楽しみやと大き心を持ってくれ後略明とおさとしお教えいただいている中これほどの今回の未曾有の大災害であっても長い月日には必ず芽が出てくる我よふぼくが一丸となって活動に又にをいがけおたすけに心注げば必ず御守護頂けるし親の思いを感じて勇んでたすけ合う中にいかなる災難困難な節からも芽が吹き今から先楽しみな道を通らせて頂けるものと信じている我皆親神様の子供であり兄弟姉妹で親神様の懐に住まわせて頂き銘がかりものの体を使わせて頂き心一つをわがのものとして生かされているそうしたお互いが陽気ぐらしをする為日常生活の中で心のほこりを払い心を澄ましてたすけ合って頑張って共に勇ませて頂く中に一日も早くこの度罹災された方の笑顔が見れますよう希望を持って節を乗り越えていただきますよう皆なで支え続けて応援させて頂きましょう更には又十一月三十日残り僅かとなりました大教会創立百二十周年記念祭に向けてよふぼく一同一丸となって親の思いに添わせて頂ける様心を一つにして頑張らせて頂きましょう温故知新いきいきエピソード初代会長のおたすけ初代会長のおたすけ話はあまり残っていない無理もないと思う笠岡に帰って来た時の家族構成は上原佐吉本人長女光五女フサ笠原イシの五人であるそれに笠原荒太が後に加わるが年齢をみると家族である佐吉光フサは七十歳と七歳と一歳イシさんは東京に出た佐助さんの腹違いの妹で辻川家に嫁ぎ荒太氏は佐助さんの子供であるが笠岡市大島の難藤家に預かって頂いていたのを初代が申し訳ないと言って引き取った方であるこの件については又機会があれば詳述したい初代は笠岡の道は歩いて歩いてついた道と語っていたがそのおたすけにをいがけに同行した者は誰もいないし帰って来ても話すに足る人は年老いた佐吉さん以外に傍に誰もいなかったおたすけ戴いて次と上原家を訪れる人で毎日ごった返す中で教会設立となっていくのである昭和初年三代会長上原繁雄の意思で役員川合梅太郎が中心となって笠岡分教会史が昭和七年上梓された初代の聞き書きがなされたと思うが助けられた人が存命でいる時代でありあの時はなあという風におたすけ話を話す訳にいかなかったのではないかと思う幸い初代は長命であった笠岡支教会として名称が設立されて分教会中教会と陞級して後昭和十七年に出直しているのでその間部内教会長をはじめその家内役員よふぼく達が時折訪れておたすけを受けたりしている昭和四十七年十月二十日上原さと三十年祭が執り行われたが数人の教会長役員達が想い出話を語っている貴重な話なのでここに収録しておきたい先ず最初に演壇に立たれたのは門脇一教氏である一教氏は明治中頃笠岡初代の命を受けて島根の地盤に笠岡から修理丹精に赴き教会設立をした初代淺野彌三郎氏の長男で三代会長門脇清太郎氏にとてもなついて彌三郎氏が島根を引き揚げる時に門脇家に残してきた人である一教氏六歳の時である生まれながらに奇しき因縁を持った人と言うべきなのか成人して四代会長に就任し島根分教会の疾風怒濤の時代を部内教会を丹精して教勢伸展に努め明治時代内務省訓令により名称取消となり復興した折り島根分教会では地方庁の認可が取れずやむなく雲東分教会として復興認可の下りた名称を元の島根に見事に復興した中興の祖である島根教区長を永年勤め私が道友社にいた頃出雲民芸紙製作で著明だった安部榮四郎さん昭和四十三年三月人間国宝に指定を紹介頂いた事があった今から思えば身上を押してよく紹介の労を執って下さったと思う以下昭和四十七年十月二十日の想い出話の要旨である大正七年十月数えて二十二歳の秋の事でありました本部大祭に帰って二十六日の夕づとめに参拝してその後芦津詰所にどうして帰って来たか分らず急に意識を失ったらしい意識が戻ったのは二十九日の朝でした芦津の詰所の一室に寝せて頂いていました当時笠岡は芦津部内そして枕元に初代様と叔母の相田フサが坐っていてお二人が看護して下さったのを知りました意識は戻ったが物は言えず手も足も十分動かず初代様がカズさんや分かるかカズさんや分かるかと呼んで下さっており大変な事になっているとは気がつきました初代様は大変な事やでと仰って下さり私は初めて容易でない身上と気づきましたけれども不思議に躰の他の部分がどう痛むという事もなく腹が減って腹が減って何か食べたくてしょうがなく枕元にリンゴや柿やバナナ等が沢山あったので思わず手を出した後で分かった事ですが芦津大教会長様や岡島先生奥田先生が見舞いに来て持って下さったとの事でしたそれを見て初代様が大変キツイ声でお咎めになり一体誰に許されて食べるのかカズさんはなあ二十六日の夕づとめの後分からんようになった今日は二十九日やエライ事や島根へ電報を打とうと思うたがワザワザ遠方から来さすのにもうすこし様子を見てと思うて手紙を出しておいたと言われた本当はもしもの事があろうと思い連絡は控えられたようでありますそして枕元に置いてある土瓶を持ち上げ捧げて拝まれカズさんやこのお水を戴いて死んだら本望やで芦津大教会の初代の奥様が教祖のお守りをしておられるので御願いしまして存命の教祖の戴かれたお水を頂戴して来られたのやでカズさんこのお水を戴いたら本望やろそれを知らんこに枕元の果物に手を出すとは何事かカズさんやよう聴けお前は親と六歳の時別れて島根の門脇さんにお世話になって育てて貰うただから私はかんろう台に参拝して救けて下さいとは御願いしておらんでこの子が将来お道の御用に使うて戴けるなら使うて下さいませと御願いしているこの私の言う事が分かるかと仰るそして私が分かりましたとの思いを込めて頭で頷くとニッコリして下さいましたワイの言う事が分かるかワイのいう事が分かったらサア戴けと言うてお水を呑ませて下されバナナの皮を剥いて私の口の中に押し込んで下さいました皆様の真実で戴いた物だから有難く戴けとも仰いました翌日の三十日夕方には奥田先生におぶさり風呂に入れて戴き廊下伝いに杖を付いて歩いて部屋まで帰ったのが歩き初めでした島根に帰らせて貰ったのは十一月十一日で御座いましたそれからというもの曲がりなりにも道の中を通らせて頂きましたのは実にその時の初代様のお救けお導きの御陰で御座います思えばいろいろと尽きない事で御座います爾来今日までとにかくお道の御用一筋に使うて頂いて参りました今日初代様に何のご恩報じも出来ませんただ私が神様の御用に使うて戴き今日まで生かせて頂きました事はまことに笠岡初代様のお陰で御座いますそのご恩に島根より手を合わせて日御礼申し上げております以上である一教氏はこの後大正九年三月部内の出雲分教会二代会長に就任し大正十三年まで勤めている当時の出雲の教会はあまり参拝者がなくある時の月次祭には参拝場に座布団を折り立て並べてそれに向かって話をしたという逸話が残っている島根分教会四代会長には大正十五年就任している初代会長であった実父彌三郎氏は本庄島根分教会所在地から大東出雲分教会所在地へお救けに出て苦労されている事を思うとここにも何か親と子の魂のいんねんを感じる次回は一度に収録した事があるが彌三郎氏の島根大東のおたすけ苦労について書いておきたい笠岡史料部長教会おとまり会の報告米美隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合昼食テレビ娯楽等夕つとめ入浴就寝日朝つとめ朝食勉強等昼食解散里親の家庭体験事業として一時預りをした子供と共に実施しました才半の幼児を預り教会で一緒に寝泊まりしましたが女の子達が喜んで面倒を見ていました亀田山隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合公園ゴミ拾いおつとめ練習夕づとめ夕食自由時間入浴おやすみ行事就寝日起床朝づとめ朝食解散こどもおぢばがえり勧誘を兼ねての実施シンプルな内容でつとめさせて頂きました香地華隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日髙屋参拝髙屋にて就寝日香地華分教会へ移動参拝おつとめ川遊び勉強読書昼食づくり昼食川遊び自由時間夕づとめ香地華髙屋参拝宿泊日こども団参出発いつもの人が来てくれて今年もおとまり会が出来ましたありがとうございました髙屋隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合宿題鑑賞夕づとめ教話夕食花火入浴就寝日起床洗面朝づとめ朝食川遊びへ解散学校行事と重なり人数は少なかったので残念でした特に何をしたという事はないのですが子供達の自由にさせていましたこういうおとまり会だとあまり負担に思わなくてすみますのでどの教会でも実施できると思います天場山隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合夕食夕づとめ入浴ゲームおやすみ行事消灯日起床朝づとめひのきしん朝食海水浴昼食休憩解散夜には一緒にゲームをしたり朝は海水浴と子供達も少人数ながら大喜びでした福山隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合夕食入浴夕づとめ会長さんのお話ゲームラリーかき氷などふとんをひく自由消灯日起床朝づとめ会長さんのお話ひのきしん朝食プールに出発プール昼食解散所感今回は夏休みということではじめて姉弟で参加してくれる子もありたくさんの人数でおとまり会をすることができにぎやかでしたゲームラリーも暑い中でしたがみんな楽しく参加してくれよかったです日目もプールに行きみんな仲良く事故もなくすごすことができましたありがたいかぎりですこどもおぢばがえりにはなかなか参加してくれる子が少ないですが来年こそは一人でも参加者がふえてくれるよう願っています坪生隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合三殿礼拝会長様お話川遊び天神峡夕食準備ひのきしん夕食夕づとめ会長様お話薬師様参拝教会の上で当日祭りでした花火消灯日起床朝づとめひのきしんゴミ拾い朝食三殿礼拝会長様お話解散いつもになく少人数でしたが皆楽しんでくれた様に思います日の夜教会のすぐ上の薬師堂の祭典でそれに皆んなで参拝をさせて頂きました又その後花火をさせて頂きその時近所の子供が名参加してくれました夜は高校生大学生も来てくれ手伝ってくれ又夜遅くまで話していたようですおとまり会出身者がこうして夜集まってくれるありがたいことです髙児島隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合夕づとめお話夕食お風呂花火消灯日朝づとめひのきしん掃除朝食福山みろくの里解散親せきの子供のみの参加でした来年はこどもおぢばがえりに行ってくれた子供さんにも声をかけて出来ればと思います稲瀬隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合おつとめ夕食カレーお風呂就寝日起床朝勤後朝食頃から川へ行って泳ぎ乍ら昼はバーベキューのつもりでしたが大雨で教会の車庫でバーベキューをし夕方解散しました思ったより多くの人が寄って頂いてなごやかなおとまり会が出来たと思います多古浦隊実施日参加者数プログラム平成年月日金日土少年会員人内教会おとまり名育成会員人合計人日教会へ集合金おつとめおつとめ後会長よりお話夕食会その後怖い話肝だめしトランプこの日だけの者は解散おとまり会の者はお風呂へ消灯日土所感朝づとめ朝食朝食後とまった部屋の片付け解散こどもおぢばがえり後の焼肉パーティーも恒例となり人数もふえて来ました今年は雨天の為食堂で開催花火もなしでもなごやかで子供も大人も満腹おとまり会は少年会員名だけでした一回で行事をすまそうとして考えが安易でした来年は分けて考えたいと思いますおとまり会参加の子は家の事情も有り日夕方まで教会で過してくれました芦常隊回目投稿実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日食事金夕づとめ会長お話ゲーム入浴就寝日朝づとめ土おつとめの練習朝食後片づけ隣地グランドゴルフ場の草取りひのきしん夏休み宿題昼食甲山日えびす祭へ中型バスで参加東部支部帰会風呂入浴就寝甲山えびす祭への参加今年で回目の参加で東部支部内の少年会員がホコ行列の綱を引く惠陽隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合夕食夕づとめ会長の話宿題夏休みのこの間順番にお風呂ゲームビンゴ花火就寝仲寝ませんが日起床朝づとめ会長の話朝食部屋のかたづけ掃除廊下ふきひのきしん自由時間おやつ市民体育館で球技遊び大会おにごっこ他その後昼食解散所感こどもおぢばがえりに行きたかった子が集まってくれてにぎやかにつとめさせて頂き有りがたかったです次の日は雨だったので予定が少変わって教会内のひのきしんをしてくれて廊下がピカピカになり有りがたかったです外遊びをさせたかったのですが市民体育館を借り切って色な球技大会が出来てその後は大人も混じっておにごっこをしたりで逆に良かったという感想でした夏休みのストレス解消だったのか思い切り走り回わって楽しかったようですその後は昼食参拝会長の話解散喜んで帰ってくれたのが何よりです廣町隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合夕食夕づとめ会長様のお話夕食の後片付けひのきしん花火お風呂消灯日起床洗面朝づとめ朝食の準備朝食後片付け自由プールひのきしんそうじ等昼食解散福勇隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日夕づとめ夕食準備夕食夕食後片付花火入浴就寝日起床洗面朝づとめひのきしん草取り朝食後片付けお話おつとめ練習鳴物練習おやつタイム夏休み宿題解散子供達は喜んでくれました食事のカレーがおいしかったことと夏休みの宿題がだいぶ出来たことが良かったそうです第期修養科募集要項修養科期間教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目北川治史大教会准役員稲倉分教会長福島泰道瑞北分教会長豊田宏哉府中市分教会長掛谷宣和坪生分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の親心溢れる御守護によりまして季節は夏から実りの秋へと移り変わり空には澄み渡った空気と十五夜のまん丸の月山や里には真夏の暑さを取り込み一仕事終えた後の満足感をたたえた緑の木そして食卓にはたわわに実った食べ物の数残暑さえも心地良く感じられる今日この頃誠に有難く勿体ない極みでございますしかし一方では東日本大震災で被災された人又原発事故により避難を余儀なくされた人が復興の先行きが見えなく不安な日を送っています事を思う時手放しで喜べない現実があります私共は被災された方の一日も早い復興と世界中の人の心の復興を願って朝夕に御礼申し上げると共ににをいがけ強調月との時旬の理を受けて日たすけ一条の御用の上につとめ励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡の九月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には折からの台風による強い雨風をもろともせず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し改めて御礼申し上げつつ世界の人のたすけを願う真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月末二十八日から三十日にかけて全教一斉にをいがけデーでございます本年お見せ頂いている親の残念立腹の姿に少しでもお応えさせて頂き政治経済と共に混迷を深める人の心に一筋の光を指し示すべく一人でも多くの人に親の思いを伝えさせて頂きたいと教会長を始めよふぼく信者一丸となってにをいがけに邁進させて頂く所存でございます又来月は大祭月でございますので直轄教会への大祭参拝をさせて頂きます十一月三十日の創立百二十周年記念祭に向けての思いをより強くして残された日と悔いの残らないよう成人の歩みを進め皆揃って心晴れやかな記念祭となるよう誓い合いたいと存じます何卒親神様には旬の理を生かしつつ御恩報じの心一筋にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さり願う心の誠の理に尚も自由の御守護を賜りまして世界中の人が待ち望む陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同共に慎んでお願い申し上げます係員打ち合わせ行う実行委員会実行委員会田中一之委員長は月日大教会月月次祭後創立周年記念祭係員打ち合わせを行った大教会長様田中同委員長の挨拶の後上原繁道同委員から月日のスケジュールの説明があった引き続き各係ごとに分かれ役割の確認準備などを話し合った役割打ち合わせを行う各係新たに柱を合祀月日執行大教会では月日春季霊祭に先立ち大教会長様祭主のもと合祀を行い新たに柱の神霊を大教会祖霊殿に合祀した神霊は次の通り門脇誠教中島宇一赤木由枝三島克巳藤井昭子豊田道人黑瀨修弐高木一夫開地俊夫桑田正則石井幸森本浪江佐木滋郎福島忠三阪道輝東濱十三雄宮﨑可夫吉岡智三松岡陸代下村信義渡邉勇喜内田華惠岩﨑吉男高橋久光仙田夫次村川秀夫渡邉スミエ佐藤ミツコ小池宏一佐藤昌平難波猪八郎酒本喜之田中照夫三宅一正箕成一夫髙田弘之橘髙キヌヨ時宗一善井上モモヨ奥忠儀畑敏男谷内千代子宮本おふさ実行委員会創立周年記念祭について参拝者目標人月日第回集計人月日第回参拝予定者報告月日参拝券配布記念祭スケジュール各係員駐車場案内図を本誌別冊にて発表おつとめ時部内教会長は教服にて結界内で参拝庶務部教会長布教所長家族調査加筆訂正のない場合も用紙左上の欄に確認日を記入し確認印を押印してください配布した用紙は紛失しないように厳重に取扱い必ず月末日までに提出してください布教部お帰り講話期日月日詰所講堂講師茶木谷吉信先生本部布教二課研究員大江大教会部属正代分教会長海外部記念祭当日英語中国語ポルトガル語の同時通訳を行います教会に該当の方があれば海外部までご連絡下さい詰所掛月日から佐藤順氏御野分が勤務されています青年会毎月ひのきしん月分月日実施参加者人月分は月日日青年会員のつどいのプログラム内で実施少年会教会おとまり会実施教会は報告書を提出して下さい大教会だより本部食堂ひのきしん自立教年至立教年米府折自立教年至立教年松都勝月日月日田英月日月日田直昭樹立教年秋季大祭参拝福山佐藤道孝髙屋大教会奥様神邉岡本久善島根吉岡壽久松吉岡壽鶴山大教会長様弥髙山岡本久善陽備上原繁道摩耶中村邦義金浦佐藤道孝興明大教会奥様ひろさと佐藤道孝陶山吉岡壽芳井大教会長様呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城中村剛上原繁道岡本久善上原繁道大教会長様岡本久善上原繁道大教会奥様吉岡壽田中一之大教会長様大教会長様服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備笠晴中村邦義中村邦義佐藤道孝田中一之大教会奥様田中一之田中一之中村剛中村剛岡本久善大教会奥様こころの詩東悠分教会前会長夫人田林美智子さんきぬぬ秋雨に衣縫う母のそばにより民話に耽ける遠き日の午后旅さきの加賀の里より届きたるとも秋一杯の教友の小包落日の甘樫に立ち三山に古代といつゝ秋深みゆく表紙の書天場山分教会役員野津正樹さん教会長路傍講演に参加した当支部は箇所に別れそれぞれの駅前で時から時間の行事だ残念ながら参加者が年減って多いときの半分位になったどうしてだろうかなあ私は絶対参加します毎年のことながらハンドマイクを握ると思わず押すスイッチに力が入ります教祖のこと神殿のこと朝夕のおつとめ月次祭の話し修養科の話し等を申し上げるバス停から次に下車してくる人達歩いて駅に来られる人達コンビニや大きなストアの買い物客達その方達に向かって懸命に話しする横に陽気ぐらし天理教感謝慎みたすけあいの旗差し物を掲げて立ってくれている他の教友はパンフレットと感謝慎みたすけあいの字句が入ったティッシュを配っている枚のティッシュは時間でなくなったでもやはり少人数ではどうしても意気が上がらない日は決まっているのだから来年こそ大勢で勢いよく勤めたいものだひ大教会創立百二十周年記念祭タイムスケジュール月日真柱様奥様随行諸先生ご到着月日受付開始弁当券記念品配布教会から配布している参拝券を忘れずに提示してください祭典開始真柱様御夫妻随行先生の入場おつとめ終了弁当缶ビールお茶を配布致します中庭舞台でアトラクション開始お供えした樽の鏡割のあと御希望の方に樽酒をお分けします車運転手の方は缶ビール樽酒は飲まないで下さいアトラクション終了真柱様御一行ご出発役割主副総務理事幹部承事控所会計室横応接間武内清田中一之岡本久善上原繁道淺野和芳佐藤道孝吉岡壽中村邦義中村剛付淺野明教総務室実行委員控所神事所田中一之岡本久善上原繁道佐藤道孝吉岡壽中村剛森本忠平門脇元教上原志郎田中隆之高木昭祥山野弘実山田敏教森本忠善武内正美神事岡本久善三島渉田林志計實岡﨑和夫西江昌直中村道德上原浩三代正道虫明立生福田勝髙山森雄宮地勝之藤本五郎北村保串田幸惠掛谷和由藤井治喜藤井マス子掛谷宣和矢田哲一北村立人藤本基喜佐藤理生人猪原啓文三宅善久山成友司瀬藤教雄鳥谷秀夫本多一男川上道美須山克子塩田能往仙田勉仙田公男下田章寺下宏一三宅俊正下田孝德田中幹夫橘髙祐高友井道雄川上正毅会場佐藤道孝岡﨑和夫司会進行武内正美室悦子会場吉岡誠一郎岡﨑輝彦赤木素志小坂静宏岡田誠竹本和道三阪泰人藤本イツエ枝廣隆文三嶋正教原公彦小川洋子重政禎子高島寛松本幹則三代信行佐藤久枝酒本嘉子箕成節子田中一矩丸山正人岡明田原節夫松谷靜子奥忠郎渡邉孝信三島順敎他婦人会安斉美代子小林信行佐藤憲和永戸孝弘池田孝志樋上謙二西村健常井二三代長谷川裕岡﨑佳夫受付河原節喜佐藤真孝東ブロック時宗一実西ブロック宮本泰德福山吉岡孝彦髙屋三代温生島根佐藤憲美久松酒井實下宮真治高島直道村川文夫山田要淺野宣宏山野季彦弁当記念品佐藤道孝中村道德高木昭祥豊田宏哉鳥井利昭福島大介藤井保人吉岡貞彦佐藤哲森川弘志雜賀元生高橋徳行余村健下田誠輝村川和司池平武司髙田一弘桑本光則田渕光明山田睦浩高信正人前山欣映佐藤大地檀上康男原敬之助藤井道博髙島裕一郎藤井宏一大月道昭内田比呂志村川真二郎安原道治松浦勲吉岡久信田中俊道押尾功司坂上通正安斉和美三島衛教会記念品上原澄雄笹尾正治上原眞雄他各ブロックから一名参拝者接待中島誠治藤井正仁虫明好美貞清知実瀨良善彦三代幸岩崎光生香取雅人石井守来賓接待客殿上原繁道吉岡壽谷内伸自上原志郎上原浩淺野明教上原聡役員一同准承事を含む各ブロックの責任者上原きよの田中ますみ今川佐智子武内正美岡﨑豊子門脇加津高木孝子横山小智榮西村由理子岡﨑和美桑田恵美子吉岡八恵田中つかさ森本ひふみ山野なつ女子青年会計武内清佐藤道孝今川昌彦武内清明北川勇庶務放送記録記録写真記念写真備品電気設備上原繁道岡﨑真一三代もとい髙田しのぶ杉原博之中村義太郎虫明立生西村彦一他編集掛員吉岡輝昭友井道弘粟田省吾猪原英之ビデオ録画冨士スタジオ参拝場で撮影岡﨑和夫武内清明淺野明教内海史郎山野弘実藤本芳久桑田則昭猪原啓介田中亜輝福田恵司猪原英之北川勇二会長室御揮毫上原明勇上原谷内伸自上原浩聡三宅八壽夫駐車場保安山田敏教田林久嗣上原繁次豊田宏哉平盛秀年貞清知実髙田一弘豊田俊美山田英嗣田渕忠明谷内秀自杉原善朗中村元彦岡﨑治喜森本正典森本勇森本直彦平盛尚樹藤本晴司谷屋賢三秀平元一重政理治三嶋文昭辻井伸雄三代幸徳三代一実中村真人中村剛史中村行善行事中村剛門脇元教模擬店森本忠平横山逸郎渡邉隆夫イベント鼓笛上原志郎田中隆之森本忠善猪原啓介津森朋之渡邉泰造三宅紀子宿泊中村邦義淺野明教炊事三島照美中村理恵淺野はるえ今川直子内海純子他信者室今川昌彦中村義太郎淺野明教髙田賀代子岡本弘子内海安子救護中村初美淺野はるえ猪原和恵瀨良恵海外帰参者上原順子上原千枝子津森朋之宮本正明原裕美三代幸徳三代ガシェリ三代あゆみ三代節生佐藤和代田林宏章杉原栄司詰所上原珠世教養掛北川治史福島泰道駐車場のご案内駐車場には限りがあります乗り合わせてお越しください大教会入口や通路の途中に立っている係員の指示に従って同乗者を乗降場で降ろし誘導される場所に駐車してください運転手の方は往路復路とも交通法規を遵守願います大教会出口の退場は必ず左折してください右折禁止
かさおか

『かさおか』第50巻 第9号

稲金色にかがやく穂波初代の心にかえり信仰の喜びを深めよう伝えよう広げよう一持ち場立場で日理作り一家族揃って教会参拝一一日一件にをいがけ若いうちから会活動をあらきとうりよう入門塾開催青年会笠岡分会では月の両日大教会であらきとうりよう入門塾を開催し名うち高校生層名が参加したこの行事は高校生層を対象に青年会本部が今年より提唱しているもので笠岡分会では学生生徒修養会高校の部の参加者がそのまま受講できるよう月日からの開催とした初日は親睦のバーベキューを行いまず腹ごしらえ夕づとめ後には自分の過去現在未来の事を語り合うグループタイムを設け参加者同肉への熱い眼差し年会初代様のお話を聞かせて頂く士また委員と参加者の親睦を深めた日目は上原繁道先生より講話それぞれの先代の信仰のおかげで今日の自分たちがある事や笠岡の初代様の逸話を聞かせて頂いたその後風呂そうじと舞台資材運搬ひのきしんに汗を流した最後に親睦ボーリング大会を催し参加者はみなそれぞれ楽しいひと時を過ごした今回青年会行事に初めて参加してくれた会員もおり若いうちから青年会行事に触れる重要性を改めて実感笠岡分会として来年以降もあらきとうりよう入門塾を開催していく予定です青年会笠岡分会委員長上原繁次大教会本年心定めおもしろ話などを語った舞台用コンパネを運ぶ初席者数人人よふぼく数人人修養科修了者数人人教人登録者数人人参考教人資格講習会人教会長資格検定講習会人括弧内は月日月日記念祭までに心定めを完遂するようつとめさせて頂きましょうヒーロー大集合青年会女子青年合同行事を開催青年会笠岡分会と婦人会笠岡支部女子青年は月日大教会で合同行事を開催し名青年会名女子青年名その他名が参加したこの日はまず全員でおつとめをつとめた後育成掛の佐藤道孝先生が講話先生は自身の体験談を交えながらおつとめとおさづけなどについてお聞かせ下され参加者は熱心に耳を傾けていた続いての班別対抗ミニゲーム大会では班員一人一人が正義のヒーローで敵のしかけてくるゲームをこなしていくという設定で進められ班で協力し合う姿が見られた午後からは中庭の窓枠拭きと除草ひのきしんを行い爽やかな汗を流したその後笠岡ビューティーコレクションを開催各班代表の男子がいかにキレイな女子に変身するかを班毎にプロデュースしてもらい様な設定の美女が誕生した最後に各会毎に活動紹介と創立周年記念祭への呼びかけを行った参加者は日を通して縁あって同じ笠岡につながる若者どうしの絆を深め記念祭への意気を高めた隅まで心をこめて優勝したチームのショータイム府中市内で手をどりまなび年会全分会布教推進週間開催青年会笠岡分会では月日月日を全分会布教推進週間として各分会で活動を展開した活動集計は月に発表その中キャラバン隊の活動として大教会府中市分教会久松分教会海松ヶ岡分教会活動日順福山分教会と東悠分教会は台風のため中止を拠点にそれぞれの街で神名を流したできる活動を全教会で本年各分会からの活動計画提出状況は良くなかったがキャラバン隊で行かせていただいた教協力して作ったごはんは美味しいネ会は例年より参加者が増えている所が多かった例を挙げると海松ヶ岡分教会では教会子弟に加えその友達の中学生たちも参加し数年後には青年会員となる若い力が加わった勇んだ活動となったこの全分会布教推進週間は文字通り全分会教会で活動を繰り広げるところに意義があります神名流し路傍講演ばかりが活動の全てではありません各教会の状況年齢層に合わせてひのきしんなどでも構いません人からでの活動で構いませんどうか来年以降各分会で計画実施報告ができますようお願い申し上げます最後になりましたが本年も推進週間にご協力頂きまして誠にありがとうございました青年会笠岡分会委員長上原繁次みんな集まれサマーキャンプ開催久しぶりに素晴らしいキャンプ場に巡り会った今年のキャンプはイイぞ月に下見してそう思った一晩休んだ朝は涼しい風が吹きそうだ森に囲まれ水はけのよさそうなテントサイト燃えろよ燃えろよと唄う歌が似合いのファイアー場整然と並んでいる使いこんだカマド水の流足下は悪くても子どもたちは楽しそうテーマは達成できたカナ少年会れがよい流しそしてなにより雨や雷等もしも危険な状況になった場合の避難場所体育館もあり万全だそして朝夕のおつとめもちゃんと出来そうだし天理キャンプというに相応しいキャンプ場だ他にもプール公認フィールドアスレチック場も完備日朝大教会に集合し育成会長さまより自然との共生を楽しみみんなで助け合うキャンプにしましょうとごあいさつを頂きマイクロバスに乗り込み出発です予報では天気があまり良くないけれど子供達のテンションはどんどん上がりプラス思考でいくことですしかしキャンプ場に着いてから資材の搬入をする頃からポツポツと雨が降り始めてなんと皮肉なことにテントを張り終えた直後本格的な雨となった一旦体育館に荷物を置いて夕食の準備に取り掛かった今日のメニューはカレーライス先ずは飯盒で米を洗い薪を割り火をつける役は男の子野菜を切ったり肉の用意は女の子と分担が自然と決まるのが不思議モウモウとした煙の中でごはんを作るなどは家では味わえないこと正に火水風の調和を体験みんなで助け合いながら作って食べるごはんは美味いスープのような薄いカレーや焦げ付いたご飯もなんのそのだ夜は近くの風呂屋で入浴残念ながら雨のため体育館で寝る屋根を打つ雨音が一晩中聞こえて明日も天気が悪そうだなあ朝起きるとやはり雨キャンププログラムを大幅に変えて午前中はごはんづくりとクラフトをする昼からは予定どおりプールタイム雨の中だがみんな喜んで泳いだりウオータースライダーを楽しんだ後風呂で体を温めてから夕食の準備炭を熾してバーベキューです一日中動き廻ったのでみんな食欲旺盛雨の中での炭火が程良く体の温みを助けてくれる今夜も広い体育館で就寝あちこちでいびきや寝ごとが聞こえる外ではヒキガエルがゲロゲロ明日は晴れてほしいみんなの願いが通じたのか三日目の朝さわやかに晴れわたり今日こそキャンプ日和やっと外でのプログラムができる登山の予定だったが道が二日続きの雨でずるずる状態オプションのクイズラリーをすることにした子供たちは人づつのチームに分かれポストが記してある地図を見ながらキャンプ場内を走り回って遊び気持ちの良い汗をかいて飲むお茶はうまいお楽しみの後は撤収寝れなかったけど濡れたテントを干して荷物の片付け最後に退村式をして予定どおり午後時に無事帰会キャンプのテーマである自然との共生たすけあいと創造は達成できたのか答えは子供たちの記念写真に写っているようです少年会笠岡団団長中島誠治談話室ひのきしん甲井分教会前会長山田敏教詰所のひのきしんは毎月の事で別に変わりはないが大人より子供の団体の方が時間が厳しいので短時間で終わられる朝六時三分放送と同時に殆どの子が食べ終えるが大人は八時過ぎる人がいる今回の前期後期十日間受入ひのきしんに勤めて下さった人達非常に暑い中頑張られ共に汗を流し協力し合う姿に五日目の別れは感極まり手を取り合って又のひのきしんを楽しみにお帰りになりましたその中でも毎月御夫妻でひのきしんに来て下さいます福芦分教会内福芦門真布教所の藤原さん夫妻ふうふそろうてひのきしんこれがだいゝちものだねや以前から思ってはいましたがなかなか二人で勤めるのは大変な事と思って居りましたが二人の姿に感動し主人のひた向きなひのきしんの姿を毎月見せて頂き奥様のテキパキとされる姿負けてはおれぬとこどもおぢばがえりより妻と共に勤めさせて頂く中十日間はさすが疲れた様だったが夫婦共毎月勤めさせて頂くと心を定めさせて頂き八月二十五日朝から改めて誓いを新たにした次第でございます第回心を育てる教職員の集いに参加して吸江分教会西村絵里子月日日と日間心を育てる教職員の集いに行ってきましたこの集いは教育に関係している人たち現役の人退職している人めざしている人などが全国から集まり研修を通して高め合っていこうという会です代代まで名が集まりました日目は本部員の宇野義明先生のお話が心に残りました奈良県の教育委員会の教育長もされた方で宗教家から一人是非教育委員会へということで呼ばれたそうですお話の中で教育委員会の人たちにこの先生が最初に言われたことが印象的でした宗教という字これはうかんむりに示すに教えつまり家の中で親が示す教えということですだから宗教は特別なものではなく宗教アレルギーを起こさないでくださいただ家の中で親が子供に示す教えと考えたらいいですと言われたそうです宗教は普通公的教育には受け付けられませんしかしこのお話を聞いて心が軽くなりました日目は体験発表での京都の先生のお話が心に残りました借金ばかり作っていた発表者の先生の父親は家の中ではひきこもり布団にずっとくるまっていたそうです借金が趣味のように次と事業に手を出し作った借金は億千万それでも自分の因縁を生き切った父親に感謝したいという言葉がすごく印象的でした私も時に親などに不足してしまうことがありますがみんなそれぞれ自分の因縁と向き合い因縁を生き切っていることを知ると今の自分があることに親や周りの人たちに感謝しなければと思わせていただきましたまた法人スペース海代表の方のお話トンカツのパン粉の法則も心に残りましたこの方は重度の知的障害の娘さんの父親でもあります自分の娘は何もできないと思っていましたが親孝行ができると諭されたそうです親孝行とは親を喜ばせることだから親自身が子どもの小さな変化に目を向けいっぱい喜ぼうと思われたそうですこのことをトンカツのパン粉に例えられました感謝や喜びのパン粉を重ねればどんな肉でもおいしいトンカツができる逆に不足のパン粉を重ねればどんな高級な肉もまずいトンカツになってしまうわたしも自分の子どもにまた学校の子どもの中に喜びを見つけたくさんのありがとうのパン粉を重ねていきたいと思いました他にもこの集いではオーケストラ鑑賞祭儀の練習話し方の勉強など好きなものを選んで受けたりグループトークをしたりしましたこの日間はとても内容が濃くたくさんの刺激を受け前向きな気持ちになりましたそれは年代を問わずいっしょに悩みを語り夢を語ることができるからだと思います来年も夏休み期間中にあるのでまた参加したいと思います修養科終了生の声修養科三ヶ月を振り返って松都分教会勝田直樹ほぼゼロからのスタートだった小学生の時にこどもおぢばがえりにいって以来の天理教だったうろ覚えで何となく座りづとめが出来る程度の知識しか無かったこの修養科の事を知ったのはつい最近で自分が仕事やプライベートの事でつまずいて悩んでいた時父から天理教には三ヶ月間おぢばで自分を見つめ直す所があると聞いていたその時は何気なく聞き流していたがいよいよ自分の中で仕事を続けていくのがしんどくなってふと父に言われた修養科の事を思い出した今までの生活をリセットして生き方を見つめ直しまた新たにやり直すつもりで修養科に行ってみようと決めた父からはもし修養科に行くなら気候の良い三四五月が良いと言われていたが仕事に引き継ぎ諸で結局六七八月の一番暑さの厳しい時期になってしまった天理教や修養科に行く事に対してあまり不安に思うことは無かったが僕は暑がりで一番暑い最中に行く事だけが気がかりだった五月末身の回りの整理をして駆け込むようにおぢばに帰り詰所で自己紹介今回の修養科生は僕を含めて四人年は僕が最年長だったがお道の知識はほぼゼロの僕が一番の初心者だった修養科では色な身上事情の人がいた年を取った人若い人身体の不自由な人心を病んだ人本当にごちゃ混ぜだった修養科生の一日は朝五時に起きてひのきしん朝のおつとめをして朝食九時から修養科で教典教祖伝おてふりを学び昼食午後から鳴り物練習やひのきしん昼過ぎには修養科は終わり夕方から詰所でひのきしん五時半から夕食その後夕方のおつとめおてふりの修練就寝それとは別に二三日に一度朝夕の神殿掃除があった夕方の神殿掃除はさほど大したことは無いが朝の神殿掃除は三時過ぎに起きて四時から掃除あまりに早すぎて清しい気持ちは一切無かった正直なところ学生の時に戻った気分で働いていた時の方がよっぽどしんどかったと思うただ朝夕詰所と修養科の片道二キロを汗だくになりながらの行き帰りだけが大変だった最初の一ヶ月は全てが初めての事で色と気疲れもしたが二ヶ月目からは生活にも慣れてと言うよりも慣れすぎて中だるみにそれでも天理教の成り立ちや初めて習う十二下りのおてふりは新鮮で楽しかった三ヶ月目七月末からこどもおぢばがえりがあった前にも書いたが子供の頃に何度か行った事はあったが今度は自分が迎える立場だ僕はカレー食堂のひのきしんが当たっていて十日間毎日食器洗いをしたこの期間中は修養科は休みで詰所での修練も無いものの見事におてふりを忘れたそれでも三ヶ月の修養生活の終わりにおつとめ学びがあると思うと気合も入るし忘れていたおてふりもある程度思い出してある程度様になった最後にこの修養科三ヶ月を振り返ってこのおぢばで親神様のお導きで出会った様な人達と過ごした三ヶ月はここでしか味わえない貴重な経験と素敵な思い出になったこれからまた社会に戻ってもこの事がしっかりと僕の心の支えになると思うヶ月間の修養科を終えて東水島分教会國末佳子私が修養科を志願した理由は早くようぼくになって病気で困っている方を一人でも多く助けたい自らの身上を治したかったからです一ヶ月目は本当に分からない事が多く夜も不安でなかなか寝つけなくて教養係の先生方に毎日おさづけを取りついで頂いていました二ヶ月目になるとようやく気持ち的にも落ち着いてきて色んな人の体験談等色な話しを聞いたりし時には一緒に泣いたりふざけ合ったりもありこどもおぢばがえりの時は本当にしんどくてなんでわざわざこの期に来てしまったんだろうって思ってしまった時も正直ありましたけど詰所の皆さんクラスの皆に励まし合って何とかこどもおぢばがえりを乗り越える事が出来ました三ヶ月目は本当にあっという間だったし身上で来ていた私は数える程しか朝勤めも出られなくてだんだん不安と焦りの気持ちばっかりになってしまって本当に後一ヶ月で手振りも琴も完璧に覚えて帰れるかなって内心本当に焦りまくりで休み時間とかの少しの時間も使ってクラスの皆に手振りで不安な所とかを何回も何回も繰り返し教えてもらって何とかついて行けているって感じでしたそして八月二十日にやっとおさづけを拝戴する事も出来喜びと感動で胸が一杯でした次の日早速クラスで風邪をひいている方が居たのでおさづけの取次をさせて頂きましたせっかくいただいたおさづけを使わないなんて本当に勿体ないこれからはもっともっと困っている方病気の方の為におさづけを取次がせて頂こうと思います私にとってこの三ヶ月間は本当に一生の宝物になると思いますこの気持ちを忘れずこれからはより一層教会の為に頑張ろうと思います世界一れつ皆きょうだい道の仲間はきょうだいの中のきょうだい毛布襟付けひのきしん月日大教会で婦人会では月日午前時半から午後時半まで約人が参加して講堂を中心に各部屋で毛布襟付けひのきしんを行った詰所宿泊者用として使用される物テキバキと毛布の襟が付けられていく平成年月日原爆の記憶芦品分教会役員中村昭雄広島に原爆が投下されて年去る月日広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊式平和記念式典が行われた原爆に奪われた約万人の尊い命この惨劇を忘れることなくそして二度と核兵器による悲劇を繰り返えさないことを誓いあった同時に東日本大震災による福島第原発事故を目の当たりにし今後人類がいかに核と向きあっていくか問いかけられているこの度被爆者中村昭雄さん歳芦品分教会教人から原爆の記憶という貴重な体験記を寄稿頂いた中村さんは昭和年歳で召集入隊そして月日被爆終戦後被爆というハンディを背負いながらも仕事に従事昭和年定年退職を機に修養科志願修了後今日までの年間所属教会の朝づとめには欠かすことなく夫婦揃って勇んでつとめられている運命を分けた盲腸炎昭和年月私は会社で腹が痛くなり昼食後に早退し帰る途中に嘔吐を回するやっと帰り寝たが腹が痛く一晩中眠れず朝一番に町立病院に運ばれ診てもらう盲腸炎と言われ手遅れかもしれないと言われ直ぐに手術をした幸い手遅れでなくそれでも手術は長く時間分も懸かる普通なら早ければ分位いで終わるのです後日この病気が私の命を救う事となりました戦局は益厳しくなり我が国の兵が足らなくなり徴兵検査が才で行われていたが才に切り下げられたが未だ足らず才に又切り下げられ私は月に徴兵検査を受けた第二乙になり月に召集令状が来ました月日芦品部隊に入隊せよとの事入隊して翌日皆不慣れで朝食を食べる間もなく全員集合の声が掛かる私たちは飯盒にご飯とおかずを入れて朝食は食べずに集合するご飯は汽車の中で食べる気でいたが大変な間違いで府中駅から広島経由で海田市駅迄行くのですが福塩線は満員で食べる事は出来ない福山から広島までは貨物列車で無蓋車に乗る貨物列車では座る事は出来たのでやっと食べられると飯盒を出して見れば暑い中を昼過ぎ迄持って乗ったので傷み変な匂いがして食べられない入隊早大変な目にあった兵舎で炊事係に選ばれる朝早く出て海田市の兵舎に着いたのは午後時ごろ兵舎の広場に全員集合私等は中隊で来たのです隊長の訓示の後各小隊から名炊事係を出せと言われ小隊長が炊事係の希望者は一歩前に出よ他のものは解散と言われ私は歩前に出た名と言われたのに名も希望者が出て居るので人ずつなぜ炊事を希望したかその訳を言えと言われ皆それぞれに言うて居たが私は盲腸の手術をして間が無いので出来れば炊事係をお願いしたいと言ったら良ろしいと炊事係の許可が出た他に人足が痛いと足に包帯を巻いていた者が選ばれた炊事係に選ばれた事で後日命が助かるとは夢にも思っていなかった炊事係は朝が早い時に不寝番が起こしてくれるが眠たくてし方が無い炊事場に行って見ると皆来ていた班長の指示で私はご飯を炊く事になり米と大麦半を水で洗う大麦は家で食べる裸麦と違い少し大きく中の筋が少し固い古いのかカビが有る釜は家に有る様な釜で無く平釜で薪を燃やして炊くので底着きが多く出きる底着きを取るのが一仕事ある底着きは米ばかりで美味しいが私達の口には入いらない炊事軍曹が皆持って帰る炊事軍曹は兵舎にはいなく民家から通って居るので皆持って帰るのです食事の支度が出来たら各班の炊事当番が取りに来るので渡せば私らの仕事は済むと思ったら他に仕事があったふけ飯のごちそう下士官室と部隊長の部屋に食事を持って行くのが炊事係の任務となっている交代で行く事にしたが誰も行くと言わないので私が部隊長の部屋に行くと言ったら他に人下士官室に行くと言った部隊長の所は人で下士官室は人で行く事になっている私は部隊長の部屋の前で大きな声で炊事係中村等兵食事を持って参りましたと言ったら入れと言われ入りますと言って入ると其処え置いとけと言われ置いて帰りますと言って私は帰る下士官室に行った者は中帰って来ない帰って来なければご飯が食べられないしばらくして大変な目に合ったと言って帰って来た入る時に声が小さいと怒られ入る迄に何回も出たり入ったりして怒られた箸の置き方が悪いと言われ部屋を出る迄生きた気がしなかったという炊事軍曹が怒り明日はふけ飯を食わせてやれと言われたふけ飯とはご飯の上に頭のふけを落として食べさす事なのです翌日早速フケ飯を作り食べさした皆揃って朝食を食べる片附けて炊事係の者は朝が早いので昼迄寝る芦品部隊の任務は今の平和公園の所に県庁の建物が在って其の建物を守るために周囲の家を壊すのが任務家屋疎開である時頃迄には行か無ければ為らないので時前には出発する兵舎は静かなので良く眠れる午後暑いので近くの川で時間位泳いで風呂が無いので体を洗って風呂の代わりにする他の兵は汗をかいても風呂にも入れず可哀想だ毎日泳ぐのが日課で泳いで帰ったら夕食の支度をする広いグランドの半分以上が芋畑で其の芋蔓を皆で翌日食べるだけ刈り取る芋蔓が味噌汁の具になる良く洗って茹で汁に入れる此れが毎日の仕事なのです毎日毎日焼け付く様な暑さがつづくピカッ原爆投下の瞬間月日の日も朝から暑い何時もの様に炊事が終わり階に上がって寝ようとしたとき警戒警報のサイレンが鳴りだしたので窓のところに出て見たら広島の上空をが機飛んでいた機ならたいした事はないと皆見ていたらキラキラ光るものが枚落ちて来た誰かが電波防止の亜鉛板ではないかと言った時ピカッと強烈な光がして思わず顔を背けた見れば広島の方に猛烈な砂煙がパッパッと上がっていた大きな爆弾を落としたどおと言った時ドガンと言う大きな音と同時に猛烈な爆風が来て兵舎が倒れるかと思うほど揺れた気が付けば皆部屋の中頃迄飛ばされていた吃驚して布団を持って皆グランドの芋畑に逃げる芋畑に布団を被り広島の空を見上げて驚いたオレンジ色の実に美しい雲がもくもくと上っていたこの雲が万人以上の命を奪った恐ろしい原子爆弾の雲とは当時は分からなかったしばらく芋畑に居たがも居なくなったので出て見たら広島方面から多くの人が逃げて来て兵舎が避難所になった時頃には兵舎に多くの人が逃げて来て火傷や傷の手当てをしてもらっていた私達も寝てはいられず皆の手伝いをする逃げて来た者に何処に爆弾が落ちたのかと聞けば駅の方から逃げて来た者は駅に落ちたと言うし比治山方面から逃げて来た者は比治山に落ちたと言う色聞いて居ると芦品部隊の場所が爆心地に近いのではないかと心配になる午後時過ぎ全員集合せよと号令が出た全員と言っても炊事係の私達人と作業に行かず休んで居た人の者だけで只今より芦品部隊の救出に出発すると言われたその時私は手を上げて全員出て行っては逃げて帰って来た者の治療が出来ないのでは無いのですかと言ったらお前残って見よと言われ他に人か人で残り他の者は全員爆撃で燃えている広島に出発して行ったしんどい苦しい水をくれこの時残ったのが良かったのです原子爆弾で放射線にやられるとはこの時には誰も夢にも思っては居ませんでしたこの時行った者は皆んな後日原爆症で早く亡くなった私達人は火傷の薬に卵の白身が良いと言うので手に入り難いのに炊事軍曹が個程持って来てくれた割って白身を取り黄身は炊事軍曹が持って帰る私達の口には入ら無い日が暮れても逃げて帰る者は人もいない時頃人帰って来た広島から川を下り海に出て海岸沿いに帰って来たと言う火傷も外傷も無く元気で帰ったと思ったがむすびを出しても欲しく無いと言って一口も食べないあれほど食べる事には餓鬼の様に食べて居た者が何も食べずに水だけ飲みたがる私達は不思議に思った夜中の時頃迄に人位帰って来たが誰も皆何も食べないしんどい苦しいと言って水だけは飲む放射線にやられているとは思ってもいない翌日には人亡くなった驚きと怒りの光景翌日芦品部隊長が来て私等人に広島へ救出に行けと言われ担架を持って東練兵場に日野伍長が逃げていると言うから救いに行け私も一緒に行くからと言われ人で行く分程歩いた時馬車引きが来た部隊長が止めて駅迄乗せて来れる様話して私等人は馬車に乗り駅迄行く駅近くなった時部隊長が私は用事があるから降りるので人で日野伍長を救出して日赤病院に行けと言って馬車から降りて行かれ少し行って私等も馬車から降りて東練兵場に向かって歩いてゆく私は焼けた死体を見たら恐怖で何も出来なくなるのではないかと心配しながら行く練兵場に着くや目の前に広がる光景に恐怖は消え驚きと怒りで一杯になる広い草原に焼けた死体や負傷者が数知れず倒れている私等は担架を持って歩いているので死に掛けた兵がひょろひょろと立ち上がり乗せてくれと言う死んでいると思った兵が立ち上がり手を出すので吃驚して思わずととっと前に行ったらばたっと倒れた乗せて遣れば良いのに私達には部隊長の命令で日野伍長を救出する任務が在るので仕方がない広い練兵場を大声で日野伍長ー日野伍長と叫んで歩く広い練兵場にテントで仮の救護所が箇所あって大勢の負傷者が収容されている其の箇所も日野伍長ー日野伍長と探して歩く昼過ぎ迄探したが日野伍長は見つからないので諦めて日赤病院に行く事にして練兵場を後にした石段に人の影が広島市内に入ると建物は殆どない半壊のコンクリートの建物が所どころに見える呉の海兵団が食事に乾パンを市民に配っていた私達も昼食に乾パンを貰う市民は人個だが私等兵には何個でもくれる私は袋貰う水は水道が壊れ何処でも出ているので其の水を飲みながら乾パンを袋食べて電車通りを日赤病院へと行く暑い中を行って居ると壊れた建物の前の石段に人が座った影がはっきりと焼け着いていた私等も其の石段に腰を下して少し休む直ぐ前には電車が完全に焼けて中に黒く焼けた死体が在るがもうどの様な死体を見ても何ら気にならない又歩いて日赤病院に行く着いて驚いた真っ白い日赤病院は焼ける事なく完全に建ち残り道路一つ離れた文理科大学は瓦礫となり跡形もない真っ白い建て物でピカッと光った熱線を反射して焼けずに残ったと思う爆風で窓などは吹き飛んでないこの建物が残ったお陰で大勢の者の手当てが出来た門から病院入り口までの広場に負傷者が一杯で足の踏み場がない何とか人を分け分け中に入り皆の居る所に着く同級生の死私が日野伍長の報告をしていたら直ぐ足元で中村かと言うので見れば背中一面焼けてひと皮むげ血筋が出て油が浮いているのに薬も何も手当をしてない私は高尾かやられたのおーと言ったらおーやられたと残念そうに言った直ぐ中に入り看護婦を連れて来ようと思ったが日赤の看護婦は人もいない皆地下に居て出て来ない他から応援に来た者ばかり私は白い塗り薬と筆と油紙を貰い傷に着けたが油が出ていて思う様に付かない痛いかと聞いたら冷たいので気持ちが良いと言う彼は青年学校の同級生で用土の高尾と言う頑張れよと言ったらおう勝つまでは死なれはしないと言ったが翌日には帰らない人となった高尾の手当を済ましたらてるちゃんかーと言うので見れば実家の裏の大森のお父さんではないか火傷も傷も無いので良かったなあと言って乾パン出して上げたが欲しくない水をくれと言われるので水を上げるこの時は大森のお父さんは大丈夫と思った他の者の手当をして廻る病室に寝て居るのではない大森のお父さん等も皆廊下に寝ているのです重傷者を名トラックに乗せて其の日は帰る今度の爆弾は毒ガスだ翌日は建物を掘起こして探せと言われ皆な鳶を持って現場に行く今の平和公園で此れから作業に掛かろうとした時掘り起こしてはいけないこの度の爆弾は毒ガスの様な物で掘り起こせば作業者がやられると連絡が来て中止となる仕方がないので念を入れて見て歩く事になった県庁の建物が鉄筋の柱が本残って吹き飛んで何も無い中見つからない死体は幾等でも在るが芦品部隊の者で誰で在るかが分からなければいけない皆で名程見つけ人ずつ並べて焼く川の中には多くの者が暑いので水を求めて入り水死体となって多く浮かんでいる其の死体を川に入って上げて居るのは青い服を着た囚人達である其の日帰る時大森のお父さんが連れて帰ってくれと言われるが私には如何も出来ない翌日も探しに行く暑い中探したが中分からない初めに見た時は元気に思えたが今日の大森のお父さんを見たときこれはもう駄目だと思ったこんなに早く悪くなるとは思ってもいなかった負傷者を皆今日は連れて帰る事になった負傷者はトラックで宿舎に運ぶが私等名は班長に連れられ海田市の宿舎に歩いて帰る暑い中を休み無しで歩くので喉は渇き水も水筒に無くなり道の辺りで水道が壊れ水が吹き出ているのを見て欲しくなり班長の隙を見て私が水筒を個持って水を飲みに行く水筒に水を入れ隊列に入る直前に班長に見られた貴様は何をしとる馬鹿者と言うや顔を殴られた其の時軍のトラックがぱっと止まり助手席の窓から将校が軍刀の鞘で班長の胸を突き貴様は兵を殴るとは何事だと怒り私にお前は行けと言われたので私は隊列に帰り皆に水をやり夕食は皆食べられんどー覚悟をしとけよと言った皆は夕食より今の水の方が良いと言って喜んでくれた明日全員芦品部隊へ帰るぞ暫くして班長は戻って来たが一言も何も言わない宿舎でも何も言わないし夕食も食べたが皆気持ちが良く無い後で何かが在るのでは無いかと心配したが其の時明日は全員芦品部隊に帰るからと連絡があった皆はもう心配はないとほっとする翌日海田市駅迄負傷者を担架で運んだ列車の中に両畳を敷いた車両があって其の車両に負傷者を寝かして帰る福山駅に着くと福山は空襲でやられ電柱が未だ燃えていた福山の陸軍病院は焼けて春日の小学校が仮の陸軍病院になって居るので列車を切り離し福塩線で横尾駅迄行き横尾からトラックで春日の陸軍病院迄連れて行く此れでやっと任務が終わり芦品部隊に帰る部隊に帰ると婦人会がむすびを用意してくれていた真っ黒い中星の光でむすびが光って見える其の銀飯の美味しさは今も忘れない其の日直ぐ除隊となり我が家に帰る家に夜中の時過ぎに帰ると家では一度は死んだ者と思って葬式の支度迄して居たので夜中に帰って吃驚し大喜びする私は喜んでばかりは居られない直ぐ裏の大森さんの戸を叩いて起こすと吃驚して起きて出て来た私は大森のお父さんを春日の陸軍病院に連れて帰って居る事を話し明日朝一番の汽車で行きなさいと言って上げた一番の汽車で行ったお陰で死に目に会えた行って間も無く亡くなったと帰ってから私に礼を言われた勇んでつとめられる中村昭雄さん夫妻芦品分で核は恐ろしいわずか日程の軍隊生活でしたが良く助かったものだ運が良かったと思って居たが今では父母が良く信仰してくれたお陰だと思って心より感謝している核は恐ろしい私は身をもって体験している世界から核は無くしなければ為らない温故知新いきいきエピソード閑話休題我がいきエピ温故知新は肩が凝るとの声が聞こえてきた無理もないこちらも毎回肩を凝らせながら書いているしかし私にとっては肩が凝るけれども懐かしい取材の想い出でもあるま気長に付き合って頂けたら有り難い今日は閑話休題という事で私のいきいきエピソードを書いてみたいとしたのは時こういうエピソードを書いてもいいかなと思ったからであるいいともと言って下さる事を期待してそれでは老会長夫妻の米寿の御礼つとめがつとめられその後老会長が一言と言って演台に立たれた参拝者は少なく結界の中に役員がかなりの人数坐っていたと記憶している後で記念品として参拝者に袱紗を頂いた事を憶えているその袱紗は今も大事に使わせて頂いているその時又長くなりそうやなとの思いで聞き始めた話であったなぜか話が台湾の事になっていった老会長は本部准役員を拝命しそして台湾伝道庁長として戦時中台北に赴任していたその間老会長は本部の要請のもと昭和年月日から月日にわたり一カ月近く掛かって中国の厦門の本部出張所へ神実様を奉持して船で出張している大変な揺れだったらしいが老会長は船酔いもせずわしがいつも時間になったら食事に行くので船員がビックリしてたワとその時の事を話してくれたそれでこの時の米寿の御礼つとめの後の話の中で昭和年に庁長をやめて本部詰所詰を命じられた時の話が中心となった史年表に次のように記してある月日午後台湾伝道庁長上原繁雄本部詰所詰を命ず後任庁長三浦清太郎の電報あり早速帰本の便船手配する月日に基隆を出発しているのでもう既にこの頃台湾航路は危険で便数が少なくなっていたのではないかと思われる以下次のように話してくれた米国の潜水艦が出没するようになって日が日それが週間とあちこちに寄り道してホントに命懸けでの往き来でした切符の販売員が言いよりますねん子供さんいはりますかはいと答えるとあかちゃんですかはいと答えるとあかちゃんは荷物扱いですねんはあ潜水艦にやられますやろ船を軽くするために先ず積荷を海に捨てます全部捨てると次に海に捨てるのはあかちゃんなんです伝道庁に帰って家内にこの話をしましたらよう帰らん言いますねんまあヶ月のあかんぼうを持っている母親としては当然ですわな老会長はその時ワシはこう思うと言って次のように母親に話したという本部から電報戴いて帰って来い言われた直ぐ便船手配したそれで予約できた船や本部に帰れる船はこれだけやこの船で帰るこの船で帰ろう老会長一行は予定通り月日基隆出発月日門司に着いているこの時のヶ月のあかんぼうは私である私のおまもりにはセンチセンチぐらいの大きさの木札がついていたのを記憶している木札には氏名生年月日台北市御成町番地記憶が定かでない伝道庁の住所であろうが墨書してあった私はこの木札を無くしてしまったが恐らくあれは船に乗船する時船会社から言われて付けた荷札だったのではないかと思う今こうして閑話休題などと笑って書いてはいるが私はこの時九死に一生を得たのだと思うこの米寿の御礼つとめの後の話はその時私には初耳であった昭和年月日の事である笠岡史料部長教会おとまり会の報告西伯隊実施日参加者数実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員人育成会員人合計人少年会員の内人はみきの同級生未信平成年月日日少年会員人育成会員人合計人少年会員の内人はみゆの同級生未信日目集合夕食手伝夕づとめ参拝夕づとめ後おつとめ練習友達人は拍子木チャンポンをはじめて練習しました就寝日目朝食昼食など手伝い話し合ったり近くの公園で遊び解散日教会の人は鼓笛練習おつとめまなび総会のため朝出発しました所感同じ日に都合の良い日がなくてこのような結果です用木家庭の子供人は祭典の前日に年に春休み夏休み冬休みだけ泊って夕づとめに参加して今日の出来ごとを話したり今月のめどう子供たちのきめごとをいっしょに唱和しました今月も祭典の前日から泊りました日の夕づとめ後に拍子木を練習しましたいつの日か祭典のおつとめ人数に加わってもらいたいと思っています陶山隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合夕食夕づとめ神様のお話花火鑑賞入浴消灯日起床朝づとめ朝食自由時間ミニピザ作り解散こどもおぢばがえり前ということで毎月の子ども会をおとまり会にしました初花火でみんな喜んでくれましたひのきしんもすすんでしてくれて和気あいあいととても楽しい時間になりました福満隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日受付け会長さんお話しおつとめ練習夕づとめ夕食室内ゲーム花火入浴就寝日起床洗面ラジオ体操朝づとめ会長さんお話しひのきしん朝食海水浴すいか割り昼食解散毎年同じ内容で申し分けない気もしますがかと言って変わった事も出来ませんおつとめの練習を真剣につとめすぐに憶える子供達に感心します福昭隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合続いて神殿そうじひのきしん夕食夕づとめ花火日起床洗面朝づとめ朝食くさとりひのきしん解散小学生人幼児人のおとまり会ですが毎年開催していて年年子供達が成長していることに喜んでいます今後とも毎年おとまり会を実施して人でも多くの少年会員に参加してもらえるよう丹精をさせて頂きます芦加茂隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日祭典参拝昼食カレー子供達は食事から参加後かたづけひのきしんおつとめ練習夕づとめ町内の夏まつり参加花火入浴就寝日起床朝づとめラジオ体操朝食解散月次祭参拝からでしたがそれぞれ行事がありお昼食から参加してくれましたおつとめの練習だけで帰るものもありましたおとまりは名です小さい子供達はおとまりは親と一緒でないとむずかしいです早く大きくなるのがたのしみです島根隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日夕づとめ参拝会長はなし入浴夕食日朝づとめ参拝会長はなし朝食ゴミひろいひのきしん北浦貝ひろいおいっ子めいっ子を集めてのおとまり会でしたとても喜んでいました寒くなったらこどもおぢばがえり参加の子供に呼びかけ又させて頂きたいと思います海松ヶ岡隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合おつとめ食事室内オリンピック入浴消灯日起床おつとめ朝食ひのきしんおつとめ練習プール昼食解散たのしかったみたいです例年とちょっと内容と日程をかえてみました例年は夜はビデオ土日でやってました上下隊実施日参加者数プログラム所感平成年月日日少年会員人育成会員人合計人日集合各自名札作成はじまりの会ゲームソング夕食カレーおつとめ練習夕勤め会長教話おたのしみ行事お泊り会選手権おやすみ行事入浴就寝日起床洗面朝勤めラジオ体操朝食ひのきしん神殿回廊ガラスペーパークラフト昼食バーベキューおわりの会選手権表彰式解散参加してくれた子の殆どが信者子弟では無い子でこどもおぢばがえりに参加してくれた子供達が誘ってくれたみたいです今後もこの子たちの丹精に勤めさせて頂きたいと思います八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には子供かわいい一条の親心のまにく日は結構に恙なくお連れ通り下さっております中でも今は残暑厳しい中ではございますが秋雨前線の影響で暑さが和らいだのに加え夜毎に虫の音が大きくなり心なしか涼しさも加わり秋の気配を感じる季節となり実りの秋の期待に胸ふくらませつくらつ日生活させて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は旬にお見せ頂く身上や事情にとまどいをおぼえながらもそこに込められた救けたいとの親心を感じとらせて頂いて陽気ぐらしへと心の向きを変えより成人の道を歩ませて頂くべく朝夕に御礼を申し上げご恩報じを思い念じつとめとさづけを通してたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下さいました御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜びと感謝の心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて八月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年の子供おぢばがえりも誘い合わせて笠岡から大勢帰らせて頂きました仕込み伏せ込み行事やお楽しみ行事を通して親神様教祖のお働きや一人ではなく共に楽しむ事の大切さを学ばせて頂きました又少年ひのきしん隊にも参加させて頂き人に尽くす喜びも味わわせて頂きました大きな事故怪我もなく結構にお連れ通り頂いた事をお礼申し上げますその他学生生徒修養会高校の部英語講習会各教会でのお泊まり会等の参加を通して子供達の育成に力を注いで参りました引き続き野外キャンプや教会お泊まり会等を開催させて頂きますので宜しくお連れ通りの程をお願い申し上げますひとつき更には又来月末は全教一斉にをいがけデーとなっており来月一月はにをいがけ強調の月とのお打ち出しを頂いておりますので記念祭に向けての強調実践項目であります一日一件にをいがけに心を添わせより一層勇んでにをいがけに邁進させて頂いて記念祭に向けての成人の歩みによりはずみをつけさせて頂く覚悟でございます何卒親神様には旬の理に遅れまいと親孝心一筋にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして皆の一つ一つの御用を通して縦と言わず横と言わず一人でも多くの人に御教えが広がりお望み下さる陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます実行委員会創立周年記念祭について参拝者目標人月日第回集計月日第回参拝予定者報告月日係員打ち合わせおつとめ時部内教会長は教服にて結界内で参拝人神事部神殿奉仕当番について月から実施している部内教会はヶ月に度その部内教会はヶ月に度庶務部教会長布教所長家族調査票について配布物は必要事項をご記入の上必ず提出してください提出締切日を設けておりますが出来次第提出願います布教部全教一斉にをいがけデー月日日日教会長路傍講演の日本部食堂ひのきしん期間月日土月日土島根秋季大祭詰所受入ひのきしん期間月日火昼食日木昼食各ブロック人計人管理部大教会ひのきしん神殿正面石段補修手すり渡り廊下ペンキ塗り剪定ひのきしん障子張り替えひのきしん婦人会と合同月日日詰所掛詰所帰参帳簿には必ず記入願います青年会青年会員のつどい日時月日日午前時半受付開始午前時開講午前時分頃解散予定場所対象青年会員内容お話大阪教区青年会副委員長酒井耕平さんひのきしん上映初代の足跡グループタイム等参加費円少年会立教年こどもおぢばがえり帰参者少年会員人育成会員人計人学生担当委員会学生生徒修養会高校の部月日日参加者人全体人大教会だより第八四五期修養科教養掛三ヶ月間三代温生大教会准役員雲東分教会長一ヶ月目内海安子二ヶ月目三ヶ月目修了者吸江吸江松都東水島島中分教会長仙田勉出雲川津分教会長藤井治喜福節分教会長西村理人山本裕三勝田直樹國末佳子こころの詩養徳社発行陽気誌十月号道柳より転載今回の課題は祈笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠川島郷分教会前会長香取敏子さんない生命祈る真実に教祖がみえ佳詠川島郷分教会長夫人香取律子さん甘露台長き祈りにあかりみえ表紙の書天場山分教会役員野津正樹さん教人資格講習会修了者全期終講雲東三代節生教会長資格検定講習会修了者終講福山田中亜輝髙屋武内清和アアウウウンウンテレビを見ていると二歳になる息子が言葉にならないことばでしきりに何かを訴えてくる家内がまたあのビデオを見ると言ってるよと教えてくれるエッまたこれで何回目色ごまかしてみるが聞き入れられず仕方なくビデオに切り替えるこんなやり取りがここ数日続いている息子は今年初めてこどもおぢばがえりに帰らせて頂いたのだがその時のビデオが家内の実家から届いたのである朝の起床から伏せ込み行事お楽しみ行事おやさとパレード参観とこどもおぢばがえりの様子がよくわかる特に息子はおやさとパレードの映像がお気に入りである幼い心はその色彩音色華やかさ楽しさに大きな衝撃を受けたようであるその時の感動を思い出しているのだろうか食い入るように見ているそしてその感動を共感してもらいたいのか一緒に見ろという態度であるこちらは同じ映像にもはや苦痛すら感じているのだが息子にとって今年のこどもおぢばがえりは感動的なうれしいものとなったことだろうこの感動をいつまでも忘れないだろうかこの感動はいつまで続くのだろうかそしてこのビデオ鑑賞はいつまで続くのだろうかは