かさおか 『かさおか』第60巻 第2号
八尋分教会陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指して教会に参拝しおぢばの理を戴こう心を込めておつとめをしよう創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行大教会長様おはなしぢば一つに心を寄せ声掛けに励もう立教年明けましておめでとうございます旧年中は記念祭に向けての三年千日の年目としてそれぞれつとめま年頭会議においてした大変ご苦労さまでしたいよいよ仕上げの年精一杯頑張立教年大教会年頭会議はりましょう月日午後時から大教会神殿で行われ役員部内教会長布教所真柱様年頭あいさつ長らが参集した先ず天理時報に掲載された大教会長様は記念祭に向かう本部での年頭のごあいさつを読みま三年千日活動仕上げの年に入ったすぜんすけ年頭に当たりその活動目標と一同を代表して中田善亮表統領つの実践項目を述べられ当たが真柱様に新年のあいさつを申り前のことのように思われる各し上げた項目について今正に時代その中で新型コロナウイルスに求められている歩みだとして親神様教祖ぢば一つにしっの感染拡大や次にお見せいたせだく親神様のお急き込みにふれかりと心を繋ぎながら一つひといまこそをやの思召を真っすぐにつのことに意味を持たせ心を受けられるようひながたを手本配り大切につとめて実践に取に思案を重ね陽気ぐらしの道をり掛かりたいと述べられ特に堂と歩める基本づくりから再出声掛けの大切さを強調して発するときだとしてまずは仕上げの年今の時旬に相応しいここにいる者一同が一手一つに歩みを促された心をそろえ勇んで通りきらせてなお恒例の会食はコロナ禍のいただくと決意を述べたため中止あいさつの要旨は次のこれを受けて通り真柱様は冒頭新年のあいさつを述べられ新型コロナウイルスの感染が拡大する中での昨年年間の一同のつとめをねぎらわれたうえでご自身の体調の経過についてぼちぼち動けるようにはなっておりますと話された続いて昨年はコロナの影響によりいままで当たり前のようにしていた行事ができず月次祭はもとより記念祭奉告祭などの祭典も当初計画していたようには勤められなかったことに言及また二つの台風が続けてやって来る中で二つ目の台風が大型のまま接近すると騒がれたもののそれほど発達することなく予想進路からもそれる結果に終わったことにふれコロナにせよ台風にせよ私はそこに親神様の力の大きさを見せつけられたように思う私たちのつとめはその親神様のお力を頂かないことには進めていくことができないそう考えたらお互い親神様に働いていただけるようにしっかりとそして素直に教えを心に治めていかなればならないと思ったと述べられたまた時代が変わり周りの状況が変わっていく中でどのようおこたに丹精するかということを怠ってきたのではないかと指摘いくら布教したところで丹精ができなければ何にもならないとして地道に丹精するということそれはいつに変わらずし続けなければならないことであったがいつの間にかそれがおろそかになっていってしまったのではないか今の姿のうえに立って私たちには目指すところがあるのでそこへ向かって歩んでいかなければならないと強調された最後に真柱様はどうぞ今年も元気につとめてくれますようにとあいさつを締めくくられた天理時報第号昨年はコロナに翻弄された年でしたそれを踏まえて信仰を見つめ直すいい時期を与えられたように思いますそのうえで今年年の通り方が大切だと思いますので共に心一つに揃えて勇んで成人の歩みを進められるように今年年の動きについてお話しします基本づくりから再出発するとき表統領先生のあいさつに陽気ぐらしの道を堂と歩める基本づくりから再出発するときとありましたが正しく今年の活動目標はそこにあります信仰の元一日を思案しながら今までどおりで良かったのか今していることが本当に正しいのか確認しながら進めることが大切だと思います再出発という言葉の意味のうえにおいても今年の活動目標がそれにちょうど相応しい歩みになっていると思います年目の今年新たに活動目標一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指してを加えました実践項目は教会に参拝しおぢばの理を戴こうと心を込めておつとめをしようですこれを聞いて何と当たり前のことを当たり前に言うんだなと思われた方も多いかと思いますでも当たり前のことが果たして本当に当たり前のこととしてできているかどうかただ流されてしているだけでそこに一つひとつの意味を持たせながらつとめているかどうか教会への参拝が親神様教祖にお喜びいただけるような姿になっているかまたおつとめすることが果たして親神様教祖にお受け取りいただいてたすけ一条のうえに十分にお働きいただける姿になっているかあらためて思案しましょう教会に参拝しおぢばの理を戴こう一回でも多く教会へ参拝する参拝の頻度を増やす人を誘って参拝する初参拝者を教会へ誘う家族揃って教会へ参拝するひのきしんや教会行事に合わせて参拝する所属教会が遠方で頻繁に参拝できない場合は近くの教会への参拝を促す日参を薦める教会長やその家族は上級や大教会へ参拝すると参考例を挙げていますがあらためて教会に参拝することの趣旨を確認しましょう教会へ参拝するとはどういうことなのか教会がどういうところかを考えれば自ずとその意味が分かりますが教会はぢばの理のお許しをいただいて親神様教祖がお出張りくださる場所ですからそれ教会に参拝するということは教会を通しておぢばに参拝しそして親神様教祖に心を繋ぐことだと思いますただ教会に参拝したらそれでいいのではなく教会に参拝するときに常におぢばをイメージしそして親神様教祖に心をしっかり繋ぐことが大切ではないでしょうか果たして参拝を通しておぢばに心が繋がっているかどうかあらためてしっかりと思案しなければなりませんそしてそのことをそれぞれの教会に繋がるよふぼく信者に徹底することが大切です教会に参拝しようというとややもすると自分がしていればいいというふうになりがちですがそうではなく一人ひとりがせっかく参拝するから一緒に参拝しようというように誘い合うことも大切ではないかと思います心を込めておつとめをしよう親神様教祖にお受け取りいただくようなおつとめになっているかどうかあらためて思案しましょう親神様教祖にご覧いただくお手を振るわけですからお受け取りいただけるようにお手を振り鳴り物をつとめましょうせっかくつとめているのにいい加減なおつとめになってはいないでしょうかこれは理を振ると教えられるお手ですから本当に理振りになっているか回同じことをするにしても一つひとつちゃんと心を配り親神様教祖ぢば一つに心を繋ぎながらお手を振っているかどうかこれをしっかりと心においてつとめるとことが大切だと思いますおさづけをいくら取り次いでもなかなかご守護が見えないというようなことをよく聞きますがおつとめがたすけの元立てですからおさづけが効くも利かないもおつとめをしっかりとつとめることが大切ではないかと思います教会の祭典報告書になかなかおつとめの手が揃わない鳴り物の調子が揃わない何とかして揃えたいというようなことも書かれていますが一人ひとりにおつとめの大切さをしっかりとお話ししておつとめをつとめる皆が同じ気持ちでつとめれば自然と手が揃い鳴り物の調子が揃うということに繋がってくると思いますおつとめをちゃんとつとめられれば親神様教祖のお働きは十分にいただくことができます少なからずそれぞれの教会でおつとめをつとめているからこそ親神様教祖が十分に働かれコロナに掛かっても軽症で済んだり重症の人が退院することができたりそれ以外の身上でも同様によくなる親神様教祖が働かれるその元は私たちがつとめているおつとめ次第おつとめをつとめているからこそそうしてお働きいただくことができるのですあらためておつとめの大切さを心におきながらなぜ教会に参拝するのかなぜ心を込めておつとめするのか声掛けの大切さ述べられる大教会長様しっかりと基本に立ち返って心を素直に持って一つひとつの実践に取り掛かりましょう神様に心を繋ぎ常に声掛けをさらに思案を重ねるとおつとめによって親神様教祖が働かれるのは飽くまで身上事情までで病の元は心からと教えられるその本元である心については残念ながらおつとめだけではたすけられません心の自由を許しているがために神様には人間の心を変えることができないからですつまりおつとめを通して身上事情はたすけられてもその本元の心はいくら親神様教祖でも変えることができないでは心そのものを変えるためにはどうすればいいのかそのためにはつの実践項目私たち一人ひとりの声掛けならびに行ないが大切です私たちがしっかりと声を掛けることによってその人の心に触れその人の心を変えることができるもちろん声の掛け方によっては良くも悪くもなりますから心が良い方向に変わるような声掛けをしなければならないわけでそのために正しく教会に参拝つまり神様にしっかりと心を繋いでおくことが大切だということです自分のたすけたいという思いだけで声を掛けてみても自分のたすけにしかならず良い方向へ心を変えることにはなりにくい私たち一人ひとりがしっかりとおぢばに親神様教祖に心が繋がっていなければ良い方向に心を入れ替えることはできないだからこそ教会に参拝が大切なのです当たり前のことかも知れないことを単なる当たり前ではなくしっかりと親神様教祖に繋がった当たり前のことにしていかなければいけないということですあらためて思案して間違いなく教会に上級に大教会におぢばに参拝ししっかりと心を繋ぐそのことを心においてつとめてほしい声掛けが大切と申しました教会へ参拝するのもただ自分一人が参拝するだけではなく周りにいる人に一緒に参拝しようと声を掛けて参拝したならそれも神様が受け取られこちらの声掛けがその人の心さえをも切り替える声掛けにもなってくるのではないでしょうか子供孫曾孫や夫妻や親戚友だちや誰でもよろしい常に声掛けしながら教会に参拝しましょう声を掛けても参拝されない方も当然おられますでもそうしてしっかりと教会に繋がり心がしっかりと神様に繋がって声掛けすれば必らず今度は神様が働いてその人の心を変えてくれるそのきっかけになりますあらためてこの声掛けの大切さしっかり心においてほしいと思います私たちの心定めをしっかりとおつとめをつとめるうえにおいて大切な心遣いは先ずお礼次に心定めそしてお願いはその後です今の時期ですから多くの方がコロナが一日も早く終息するようにとお願いするでしょうしかしあらためて考えるとコロナは神様が人間を苦しめよう懲らしめようとして現わされたものではなくてこれは元あったものですそれが人間にうつって人間が苦しむようになったのは本当に最近のことですがそういう形になってしまった原因は人間にあります私たちがしたことに対して神様にお願いしてもどうしようもありませんこの体自体は神様からのかりものですから願えば何とかはしてもくれましょうが神様がされていないことを頼んでみても神様もどうしようもできませんとするなら神様にお働きいただく方法は何か先ず日のお礼かしものかりもののお礼をしっかりと申し上げこの身上事情をご守護いただくために私たちがこういうふうにしっかりと心を入れ替えますから神さん何とかお働きくださいと心定め次にお願いというふうにしなければならないと思います率先してたすけ合いを実践する旬特にコロナに関して考えなければならないのはたすけ合いということではないでしょうか世界中の人が本当にどんな中でもたすけ合うという心になっていたらコロナもそんなには広がっていなかったはずですかか特に若い人はどうせ自分は罹っても大して悪化しないから罹っても構わないと自分が罹っていることも分からない罹っても症状も出ない人もいるし罹っていることが分からずにいろんな人に触れて盛んになっているのがクラスター特に家庭内クラスターです罹っていると分かったら家の人に迷惑が掛かるから家に近づかないでしょうでもそういうものが発生するということは罹ったことを全く知らない自分は関係ないと知らず知らずにうつしてしまっているそうではなく一人ひとりが気を付けて自分が罹っているかもしれないからひとにうつさないように精一杯の努力をするというような皆がたすけ合いの気持ちを持ったならここまでは広がることはなかったはずですつまり互いにたすけ合うことが大切だということに気付いていかなければなりませんそしてこれは多くの人がそれに気付きつつある例えば東京都知事や医者がうつさないようにうつらないようにと言っています普通ならうつらないようにうつさないようにと言いますつまり先ず自分がうつらないようにでもしうつってしまったらひとにうつさないように普通ならそう言うはずですでも敢えてうつさないようにを先に言っているということはたすけ合いが大切だということに気付いてきている証拠です世間の人は気付きつつありますでも残念ながらまだ多くの人が自分がが先になってひとにが後回しになってしまっているのが現実ですならば私たちがつの実践項目を通して率先して声を大にしてたすけ合いが大切だと皆に知らしていく必要があるのではありませんか正に時代に求められている活動今大教会では周年記念祭会長就任奉告祭に向かって三年千日と仕切って成人の歩みを進めています年目年目済ましていよいよ仕上げの年仕上げの年に何と当たり前のことを打ち出すのだなと思うかも知れませんがこの三年千日の打ち出しと同時にコロナが出てきたということで少なからず記念祭の問題だけではありません教会へ参拝しましょうと声を掛けて一緒に参拝してくださいおつとめをしましょうと一人でも多くの人に声を掛けてつとめましょうそうすれば自ずと百万件にをいがけ初席者一名にもおさづけを身近ににも繋がってきますすべて声掛けから始まっています決して年目だけの活動目標ではありません年間通しての総仕上げの活動目標でありそして記念祭に向けての歩みが今正に時代に求められているところの歩みですそのことをしっかりと心において共に今年一年精一杯成人の歩みを進めましょうどうぞよろしくお願いします以上要旨春季大祭講話教勢の伸展のご守護をいただく大きな節世話人島村廣義先生立教年大教会春季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら参拝のもと執り行われたご参拝くだされた世話人島村廣義先生は教祖がお姿をお隠しになった明治年のことが明治年のおふでさきにあらかじめ書かれていたとして明治年当時の道の動きについて詳しく話された続いて直面する数の節が明治年の節とかぶっているとして教勢の伸展のご守護をいただく大きな節であると私たちの今年年の歩みを鼓舞された要旨は次の通りただ今はの春季大祭滞りなくまた勇んでつとめられ誠におめでとうございますおめでとうというのはちょっと場違いかも知れません滞りなくつとめ終えましたので本日参拝の機会に今の旬の思案をお話しします新年のあいさつが頭にあっておめでとうと失言しましたが今日は教祖がお姿をお隠しになられたことを祈念してつとめる祭典ですのでおめでとうは言わないことになっています春季大祭の意義今日のお祭は教祖がこどもの成人を急き込まれるうえから年先の定命を縮めて存命の理をもって働かれるようになった元一日を祈念してつとめるお祭です教祖がなぜ姿をお隠しになってそして存命の理をもって働かれるようになったのかおつとめをつとめると教祖にいろいろご苦労をお掛けすることになることを慮って初代真柱様と親神様と日間にわたって問答を繰り返されながらお仕込みを頂戴されましたがお姿があるがためにおつとめがつとめられないのならということで姿を隠し存命のお働きをもって導かれることになったと思いますお姿をお隠しになることによってたすけ一条のため陽気ぐらしの世の中に立て替えるために教えられたおつとめを誰気兼ねなくつとめられるようになり何気兼ねなく布教ができるまた広くおさづけの理を渡されるようになり土地処に教会名称の理を許されるようになりましたこのことは明治年の出来事ですがその年前明治年におふでさきをもってあらかじめ教えられていました十一に九がなくなりてしんわすれ正月廿六日をまつ三このあいだしんもつきくるよくハすれにんぢうそろふてつとめこしらゑ三というお歌ですがこのお歌は教祖様が現身をおかくしになることを示されたものだと註釈されています当時教祖を目標として社会の迫害干渉が厳しくなるそういうことでは道が遅れるから教祖は年先の定命をお縮めになって姿を隠され世間の圧迫を除いて道を広める模様立てをされたそしてそれまでに真柱も定まりかんろだいも建築されるから皆の心を澄まして早くしこしら人衆揃うてつとめの仕拵えに取り掛かるようにせよとお諭しになったお歌ですしかし当時の先生方はこのお歌が意味するところを知るはずもなく後日さあく正月二十六日と筆に付けて置いて始め掛けた理を見よさあく又正月二十六日よりやしろの扉を開き世界ろくぢに踏み均しに出て始め掛けた理とさあく取り払うと言われてした理と二つ合わして理を聞き分けばさあく理は鮮やかと分かるやろというおさしづによって初めてこのお歌が教祖がお姿を隠されることを既に予言されていたと分かりましたこのお歌を示された明治年翌年はお道にとって大変重要な意味を持った年です真柱を定めることを急き込まれたのが明治年このたびハうちをふさめるしんばしらはやくいれたい水をすまして三と示されていますそしておつとめの模様立てをどんどんと進められました前川杏助様に依頼されたかぐら面を迎えに行かれ初めてお面を着けておつとめがつとめられたしかしこの時点ではぢばが定められていませんので正式なおつとめにはいたっていません明治年にぢば定めがなされ明治年に女鳴り物等を教えられおつとめの模様立てがと調とのっていきます明治年はこうしたおつとめの模様立てとともに教祖が積極的に高山布教を打ち出され道を広める世界に知らしめるために積極的に行動されました大和神社へ行きどういう神で御座ると尋ねておいで伝六章と教祖の方から積極的に社会に対し明治年頃の道の動きを詳しく話される世話人島村先生て働き掛けられますが大和神社の事件に引き続いて教祖ご自身が山村御殿へご苦労されるという一つの節が出てきますこのとき親神にとっては世界中は皆我が子一列を一人も余さず救けたいのや伝六章と思召され積極的なおたすけを発動されるのが明治年ですしかもこのことがあって後教祖は赤衣をお召しになってそしてご自身が月日のやしろであることを厳然と目の当りに示されるそしてまたこのあかいきものをなんとをもているなかに月日がこもりいるそや六と仰せられ赤衣様のお召しおろしをお守りに調整して証拠守りとして出されるようにもなりますそして一にいきハ仲田二に煮たもの松尾三にさんざいてをどり辻四にしっくりかんろだいてをどり桝井と四名の者に直伝六章おさづけの理を渡されるようになりますこれはいわゆる今日私たちが頂戴している身上たすけのおさづけの理ですそしておさづけの理とともにお屋敷に勤める人の心の置き所伝六章を数え歌式にして教えられたのがこの明治年ですこの年年の出来事を思案するといかに教祖が積極的におたすけに打って出ておられるかそして自らは月日のやしろにおわすことを目の当りに示しながら私たちにおたすけの手立てとしておさづけの理を渡されるようになるまたお守りも下附されるようになりますが一番大事なことはつとめの模様立てを整えおつとめを急き込んでおられることですこのことが予言されて明治年にいたります明治年の日間の問答が本当に教祖年のひながたを凝縮し集約したものであるとまで仰せられますが一つにおつとめの勤修そして積極的なおたすけそして何よりも大切なおつとめをつとめる私たちの心意気神一条のあり方というもの精神を諄と仕込まれましたこれが今日春の大祭をつとめる意義であり意味合いですこれを私たちはしっかり心においてこの春の大祭をつとめなければならんと思います節から思案すべきことさて年改まって今年も真柱様が年頭のごあいさつにお出ましになっていつもより少し時間を取っていろいろと仕込まれました前掲の天理時報と重複する部分は割愛始めに真柱様ご自身のご身上の現状を話され私たちのつとめは親神様のお力をいただかないことには進めていくことができないお互い親神様に働いていただけるようにしっかりとそして素直に教えを心に治めていかなければならないと話されましたそして今まで為してこられた名称の解消について言及され前真柱様の時代にヶ所の御目標様をおぢばにお帰りいただいて名称を解消したことがあったかも知れないが今日解消する数がだんだん増えて申し訳ないような状態だ教会名称の理は末代の理だからといって看板だけ残しそれが結果として却って理を汚すようなことになってはそれもまた親神様に対して申し訳ないと判断したと仰せになり教祖年祭活動に入る前に年以上無担任の教会については御目標様におぢばへお戻りいただくようにということで御祈念解きされて教会解消となりましたそれから昨年までに無担任教会がさらに増えしかもその中で理のお許しをいただいた場所に親神様教祖の御目標様がお祀りされていない会長がおらずそして御目標様をお守りするよふぼく信者がいない教会なので上級や大教会へお遷ししている教会は同様に解消となりました今では統合ということを表統領も仰せられ教会を活性化する力のないというか教勢の伸展を望めないところについては兄弟教会上級教会と一緒になって互いにたすけ合って教会活動を活性化させる統合ということでその整理に掛かられています真柱様は教会は設立したいというそれぞれの願い出に対して許されたものでありその理は末代だと仰いますしかし末代という年限からすると今古いところでも年になりませんから教会を返しますと言えば親神様からご覧になれば自分から願い出ておいて舌の根も乾かん内にもう返すのかということになるだからこれは偏に丹精不足に尽きると思うもともと明治年の教祖が存命の理をもって働かれるにいたるまでの親神様との問答の中に教会本部をお許し下された上は伝十章というくだりがありいかようにも親神の仰せ通り致します同という心定めを私たちの先人がしてその心定めは今も生きているということを心に刻んでしっかりそれぞれの道の中でのつとめを果たせるように努力していくことが大切であると話されました教会の初まりは私たちの側から願い出て末代の理としてお許しいただいたものですしかし現実はこのように本当に申し訳ない状況ですがこれをとにかく何としてでもご守護いただいていきたいと昨年表統領は全教の主立つ方を集めてこれからの道のあり方についていろいろと話されましたその中で教祖年祭立教年祭というつの大きな節に向かってこれからお道を立て直していこうと仕切って全教に呼び掛けられましたそれに向かって先ずは教祖年祭に向けてしっかり教祖にご安心いただけるような姿になれるようまた年祭に向かって飛躍的な道の伸展をご守護いただけるように頑張ってつとめようまた今の節は正しく明治年の節とかぶって心受け止めていると話されましたコロナのことも原典おさしづおふでさきの中ではコレラ疱瘡はやりやまいペストのような流行病を台にして諭されていますがこれらの感染症は親神様の残念な気持ちの現されたもので何が残念かと思案すると私たちのおつとめのつとめ方が心に掛かるまた教会の活動というものを考えてみてもこうして見せられる教会事情も大きな節ですまた自然災害も親神様の残念な姿をお現しになったものだと教えられます教内的に言えばかんろだいに見せられた事情そして我の道のをや真柱様のご身上を通して仕込まれる親神様の思召をしっかり思案しながらそれにお応えする道を心定めて通らなければならない今は大事な旬だと悟らせていただきます大節を台にしてそういううえで今年は笠岡としては正しく周年という節目を迎えますしそれをつの台として吉祥として会長も新たに定めをいただき新しい会長を芯にしてスタートを切ります教会への参拝とおつとめということについてはおつとめをつとめる私たちの心神一条の精神をしっかり定めて人のたすかりを願い世の中の治まりを願うて真剣におつとめをつとめる神一条の精神をしっかり定めておたすけに掛かるこれに尽きると思いますそういううえで今年は笠岡としてもこれを台にして教勢の伸展のご守護をいただく大きな節になると思います教祖がお姿を隠されて後存命の理をもって働かれるようになり尊いおさづけの理を渡されたそれをもって先人たちは燎原の火のごとくおたすけに奔走され凄い道の伸展のご守護をいただいたその先人たちの歩みに負けないよう私たち自身も今見せられるいろいろな大節を台にして教勢の伸展のご守護をいただけるよう教祖にお喜びいただけるよう精直轄委員部長委員研修会開催婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月日大教会で直轄委員部長委員研修会を開催人が参加した午前時分から座りづとめ支部長のお話しねりあいがもたれた婦人会婦人会長様の思いを話される支部長一杯つとめることを誓い合って今日のお話しを終わります以上要旨陽だまりビエン支部長は年間活動方針婦人会長様あと僅かで東日本大震災から年の思い本年度の活動と創立周年記が経過します時の経つのは本当に早念祭に向けて委員委員部長としてのいものですね平成年月日付朝役割責任についてお話しくださり婦日新聞の一面に非常に興味深い記事人会にかける親神様の思いをふりかえが掲載されましたそれをもとにしてらせて頂きました拙文を書いたことがあるのでご紹介し本年はコロナ禍ということもありたいと思います午前で終了しました偶然が最悪を救う毎年婦人会本部から頂く活動目標に昨年月日東日本大震災が発生対して本年は支部毎でご恩報じを年頭し未曾有の被害をもたらしたテレビに具体的活動の角目を相談するというでは連日信じられないような大惨事ことでとしては大教会の活が映し出されだれもが胸がつぶれる動目標の底力とならせて頂こうと大教ような思いであったさらに津波に襲会の目標にいつもにこにこ婦人会われた福島第原発では絶対に起こを加えこの一年心揃えてつとめさせてらないとまで言われていた原発事頂こうと話し合いました故が起こり緊迫した状況が連日報常任委員中村理恵道されていた地震発生の翌日から日間本部神殿で正午を期して真柱様が拍子木前真柱様が数取りで被災地の一日も早い治まりのお願いづとめが行われ関係者をはじめようぼく信者が多数駆け付け礼拝場を埋めたこの時私たちの耳目は運転中に恐ろしい事故が発生した原発の号機から号機に引かれていたが実はそれよりももっと恐ろしいシナリオが同時に進行していたというのだ今年月日朝日新聞の面に次のような記事が掲載された偶然が最悪救う福島第原発号機以下記事を要約すると東京電力福島第原発の事故で日米両政府が最悪の事態の引き金になると心配したのは点検中だった号機の使用済み核燃料の過熱崩壊だった核燃料プールの水は事故による燃料の崩壊熱で蒸発していたこのまま水が減り続け核燃料が露出して加熱すると大量の放射線と放射性物質を放出人は近づけなくなり福島第だけでなく福島第など近くの原発も次に放棄せざるを得なくなり首都圏の住民まで避難の対象となる最悪の事態につながると恐れられていたのであるしブログ版陽だまり語録をご覧になりたい場合はスマホやパソコン等で陽だまり語録と検索されるか下記アドレスをしてくださいかし実際には原子炉ウェルに普通なら無いはずの大量の水が残っていたのだしかも隣の核燃料プールとの仕切り壁が偶然にずれてできるはずのない隙間がそこにできプールに約千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かったというのだ原子力安全保安院の幹部は神様がいるとしか言いようがないと話しているもしその水が核燃料プールに流れ込んでいなかったら偶然が最悪救うとタイトルには書いているが果たして本当にそうだったのだろうか私には決して偶然だったとは思えない平成年陽気月号陽だまり語録より著者転載春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますはじめ親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召からこの世と人間をお創造になられただけでなく今尚自由のお働きを通してご守護とお導きを下さっておりますしかしながら心の自由もお許し下さっている為に使い方を誤り互いに傷つけ合い身上事情に苦しんでいるのを哀れと思召され陽気ぐらしへのひながたをお示し下されると共にひながたを通る為におつとめをお教え下さりおさづけを下さいました事は誠に有り難く勿体ない極みでございます私共は日朝に夕にと御礼を申し上げつつ陽気ぐらし実現を目指して御教え通りおつとめを勤めおさづけの取り次ぎに励ませて頂いておりますその中でもこの月二十六日は教祖が私達の成人を促す為に御身を隠しろくぢに踏み均しに出られた尊い忘れ得ぬ日柄でございますのでおぢばで春の大祭が執り行われますが当大教会でも理のお許しを戴いて本日只今よりおつとめ奉仕人一同たすけ心と喜び心を一つに睦び合って明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めて春の大祭を執り行わせて頂きます今日の吉日を楽しみに又コロナ禍の中神一条に寄り集いました道の子供達が日頃の御高恩に改めて御礼申し上げると共にたすけの輪を広げる事をお誓い申し上げコロナ禍の一日も早い終息を願う皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は世話人島村廣義先生にお越し頂いておりますので後程時旬に当たってのおぢばの思いをお聞かせ頂き本年の成人の歩みの指針とさせて頂く所存でございます又本年は大教会創立百三十周年記念祭並びに六代会長就任奉告祭を執り行う年で三年千日と仕切っての仕上げの年でございますので一人ひとりの信仰生活の充実を図るべく教会に参拝しましょうと心を込めておつとめをしましょうを実践項目に掲げて成人の歩みを進めて行く所存でございます今月直轄教会の大祭参拝をさせて頂きその徹底を図ると共に部内のよふぼく信者まで徹底すべく部内の会長には大教会巡教員のつもりで自教会で話をし又実践して貰うようお願いをさせて頂きましたコロナ禍だからこそたすけの輪を広げなければならないし広げる為にしっかりとおぢばに心を繋ぎ親の心の橋渡しをさせて頂く所存でございます何卒親神様にはコロナ禍の中でもよふぼく信者の役割を自覚し出来る精一杯のたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜りたすけの輪が広がってコロナ禍も収まり安心して陽気ぐらしを謳歌出来る世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十四年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様門脇元教扈者上原志郎高木昭祥賛者渡邉隆夫指図方吉岡壽講話島村廣義先生三月講話横山逸郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半田中隆之今川昌彦上原浩三島渉虫明立生森本忠善山田敏教佐藤真孝岡田誠大教会長様門脇元教田中隆之上原繁道中島誠治岡﨑真一吉岡壽吉岡誠一郎山野弘実大教会奥様武内正美門脇加津上原愛美高木孝子中村初美田中ますみ山野なつ田中つかさ上原浩上原繁次佐藤真孝佐藤道孝高木昭祥渡邉隆夫岡﨑真一岡田誠上原志郎山野弘実内海史郎中村道德中村剛森本忠善山田敏教中村道德赤木素志三代温生虫明好美佐藤香苗笹尾一美上原順子岡﨑和美内海安子今川佐智子岡﨑豊子三島照美訃報下田孝德氏行縢分教会長月日出直されました享年才北川勇氏稲倉分教会前会長月日出直されました享年才過日スクラップブックを整理していたら古い朝日新聞の切り抜きを見つけたそこにはアメリカの大統領リンカーンとケネディについての興味深い話が記されていた以下天声人語から引用リンカーンが米国の大統領に選ばれたのは年ケネディは年だった二人のあとの大統領はいずれもジョンソン年生まれと年生まれだリンカーンを暗殺したブースは年生まれケネディを暗殺したオズワルドは年生まれ二人とも裁判にかかる前に別人に殺されたリンカーンの秘書名はケネディもケネディの秘書名はリンカーンも暗殺されることになる場所に行かぬよう大統領に進言していたブースは劇場でリンカーンを撃って倉庫に逃げ込んだオズワルドは倉庫からケネディを撃ち劇場に逃げ込んだ世の中には様な偶然があるものだこれはよく知られている話だそうだが私はよく知らなかったので驚いた世の中には確かに不思議な話があるもんだ