かさおか 『かさおか』第47巻 第2号
西礼拝場南隅おつとめ奉仕者の増員一人ひとりが日に真実を尽す布教によるおつとめ奉仕者の増加立教年後継者講習会への参加による奉仕者の増加月号おぢばへの伏せ込みひのきしん年頭会議における大教会長様お話し喜び上手になろう高と掲げておりますのでこれは百三十年祭に向かって間違いなくつとめるとにかくおつとめ奉仕者の増員が第一目標です昨年は教祖百二十年祭が無事つとめ終えられて次の塚教祖百三十年祭に向かっての新たな歩み出しの年として一年つとめました笠岡においては一つの大きな目標を掲げることによってもっと歩きやすい道になろうとの思いから大教会として教祖百三十年祭に向かっておつとめ奉仕者の増員を目標に掲げて昨年一年間共に歩みを進めましたありがたいことに部内先どの教会でもよふぼく信者の方がおつとめ奉仕者の増員を常に口に出してそれに向かって歩み出しを進めている姿が見うけられます今年は次の塚に向かっての二年目の年ですので今年一年の成人の歩みについて皆さん方と共にご相談を申したいと思います本年の成人目標大教会としては百三十年祭に向けての目標を日に真実の種をまき真実を積み重ねるよふぼくになるとおかきさげを頂戴しますがこれはよふぼくになった一人ひとりがこれをよふぼくの心の角目としてしっかりと成人の道を歩むという意味でこのおかきさげを頂戴しますその中に書いてある事柄を申すなら第一には日の心遣いということです時よふぼくだったらいいということではなくやはり日常によふぼくの心を持ち続けるということよふぼくとして日の理をしっかりと積むことの大切さがここに述べられています教会に来た時だけはよふぼくになるが普段はよふぼくであることを忘れて不足ばかりになったりいんねんを積むばかりというようなことになりかねませんから先ず日の中でよふぼくとしての自覚をしっかり持つことが大切ですおつとめ奉仕者を育てるこれは真実の人を育てることに外なりませんがそのための理作りとして今いるよふぼく一人ひとりが日の真実をしっかりと伏せ込み積み重ねるという上から笠岡に繋がるよふぼく一人ひとりが日の真実の種まきをしようということを申しましたそれも踏まえて昨年一年をおつとめいただきましたがこれは百三十年祭に向けての動きであって昨年一年で終わりではないので毎日続けるところに大きな理があるということを改めて皆さん方には知っていただき昨年より思いをより強くしていただきたい誠の心とは何かといえば親神様のご守護に対する喜び感謝の心こそが誠の心であります百三十年祭に向かってよふぼく一人ひとりがその喜び感謝の心をお礼として真実の種まきとして何か一つ心定めしてそれを日積み重ねていくというところに日親神様のご守護お働きを感じる機会にもなるし例え喜べない日があってもその心定めを果たすことによって親神様のお働きをそこで改めて気づきまた喜びの心を持つきっかけにもなろうかと思いますですから日の理作り親神様へのお働きに対する喜び感謝の気持ちを先ず態度に表すということを改めてお互いにしっかり心に置きましょう何やそんな簡単なことかと思わずに続けていく続いてこそ道でありこれを百三十年祭まで続けていくというそこまで本当に長い気持ちをもっていかなければこれは簡単なようでなかなか続けられないことですからこの二年目何でも続けるという思いを更に強めて昨年以上にしっかりと確実に毎日積み重ねていくそのことを二年目としてつとめられればありがたいと思いますご恩報じの心をもって心定めの完遂を更におかきさげにはよふぼくとしての二つ目の大切な心の角目が書いてありますが又一つこれまで運ぶという尽すという運ぶ尽す中に互い扶け合いという互い扶け合いというはこれは諭す理人を救ける心は真の誠一つの理で救ける理が救かるというよく聞き取れ又一つこれまで運ぶ尽す一つの理は内事情の理めんく事情の理に治め人を救ける心は誠の心ではなく真の誠一つの理だと仰せいただきます私たち信仰者には救けていただいたご恩に対してご恩返しをしたいということからこの道を通っている元があります国所の教会もご恩報じをするための理作りおつとめをする場所としてお許しをいただいて名称の理がありますよふぼくとしてありがたい結構と喜ぶだけではなくて喜びがあるほどご恩報じの気持ちを持たせてもらうことが大事だと思いますそしてそのご恩報じこそが人をたすける道だと仰せいただいています共にご恩報じの道としての思いを更に強めて百三十年祭に向かい今年一年を歩みましょう年頭にはそれぞれ心定めをしていただいておりますがただ数さえ出せばいいのではなくてそれは毎年仕切ってのご恩報じでありますご恩報じとしてそれに向かって何でもどうでもご守護いただくためのにをいがけおたすけの道を歩みますしっかりたすけ一条の上につとめますという心を定めているのがこの心定めですですから心定め完遂これを目指してどうぞ皆さんしっかりと心を一つに合わせてつとめきらせていただけますようによろしくお願い申し上げます講習会への積極的な参加と事後のたんせい昨年は講習会に道の後継者を一人でも多く送りだすことがおつとめ奉仕者を育てていく第一歩のつとめだとも申してそれぞれに後継者講習会を始めとする講習会に大勢の方が参加されました本当にありがたいと思っております後継者講習会は今年の四月で終了しますが参加する資格がありながらまだ参加していない方もあろうかとも思いますので今からでも決して遅くはありません参加してもらえるように講習会が終了するまでしっかり声掛けを続けましょうまた他の三日講習会等のおぢばでのいろんな講習会にも今年も一人でも多くの人を送り出すようにしましょう真柱様も年頭のご挨拶で仰っていますがおぢばでお育ていただいた一人ひとりをしっかりと教会でたんせいしてもらいたいということですので今後は教会活動に加わっていただくためにしっかりと声掛けして教会活動に繋がり教会の手足になるようにそれぞれ教会ごとにたんせいしましょうむしろこちらの方が大事であっておぢばでお育ていただいて良かったと手放しで喜んでいるだけでおぢばでたんせいした後の教会のたんせいがしっかりしていかなければ同じことの繰り返しになります例えば修養科生を送り出した後なかなか教会に繋がってくれないというのもお育ていただいただけになってしまって教会での手足となっていないということですおぢばへの伏せ込みひのきしんまた合わせておぢばでお育ていただいたお礼の意味も込めて大教会では今年一年おぢばへの伏せ込みも心においてつとめたいと思いますおぢばがえりをしてただ参拝して帰るだけではなくせっかくおぢばがえりした機会にお育ていただいたお礼の意味をこめてひのきしんをしてから帰ったらどうかということですそれぞれの教会でひのきしん団参という形でされてもよろしいが大教会としては十月二十五二十六日おぢばの秋の大祭がちょうど土日ですので別席ひのきしん団参ということで大教会全体として取り組みたいと思っておりますメインの行事は二十六日にしますがそれぞれの都合もありましょうから二十五二十六の二日間に分けて別席ひのきしん団参をしようと思いますのでそれに向けて別席者のご守護をいただけるように努めてもらうと同時に皆さん方にもしっかりお心寄せをしていただいて共にひのきしんに汗を流せればありがたいと思いますですから昨年と比べればおぢばへの伏せ込みが加わったかなという程度ですがしかしながらその思いは昨年と同じではなく百三十年祭への思いはむしろ昨年より更に強めて二年目今年をしっかりとした足取りでつとめられればと思いますのでよろしくお願い申し上げます喜び上手になろう心一つが我がの理さておかきさげにそれ人間という身の内というは神のかしものかりもの心一つが我がの理心の理というは日という常という日常にどういう事情どういう理幾重事情どんな理どんな理でも日に皆受け取るとありますつまり心一つの理は全て受け取るということですいい心遣いも悪い心遣いも皆受け取る私たちは身上なり事情が起こるとついつい心を濁してしまう濁してしまうその心も全て受け取っているいんねんがあるから身上事情にお見せいただくかも知れませんがそれらに関わる心遣いも実は全て受け取っているということです受け取るけども受け取る中にたゞ一つ自由という一つの理自由という理は何処にあるとは思うなよたゞめんく精神一つの理にあるただその中にも心一つは自由があるこれを改めてしっかりとお互いに思案しなければなりません身上だから事情だから心を病むのではありません私たちはつい現れた姿に心を囚われてしまってそこで親神様の心に添わないような心遣いをしてしまいますがそれも全て受け取られますしかし例え身上事情の中にあってもああこれも親神様のありがたいご守護やという心になることもできますこの世界は全て親神様の世界さあたすけてやろう喜ばせてやろうというご守護の世界だということがしっかり心に治まっていればそれこそああ身上事情ありがとうございますと喜べる理はいくらでもあるはずですその一つひとつをしっかり喜んで通ったらそれこそ誠一つ誠の理なんだということでしょうそれが誠の心だということでしょう喜ぶときに喜ぶのだったら誰でもできるのであって普通なら喜べない時にこそしっかり喜ぶという理を積むことが誠の理に繋がってくるということではないのかしっかりと思案しなければなりません心一つが我がの理ということですお道を通っていてやはり頭で分かっていてもこれがなかなか日の理になっていません受け取っていただけない正論は無意味であるお道を思うがあまりという気持ちは分からないのでもありませんがそれが不足になったのではそれが誠の心になるのかどうか見るもいんねん聞くもいんねんということを聞いていながらどこかで不足不足の理になっていないかこれは教会長が先ず思案しなければなりませんよふぼく信者ももちろんですが先ず道の先達たる竜頭といわれている教会長はやはり喜び上手でなければよふぼく信者にその喜びの理を伝えていくこと喜びの心に換えていくことはできません正論は正論かも知れないしかし正しいということと受け取っていただくということは違います何をもって正しいというのか何をもって正論というのか大事なのは親神様教祖に受け取っていただけるかどうかその心遣いです人の姿を見て不足するのは誰でもできるしかしその一つひとつを先ず自分の反省に繋げまたそれを喜びに換えることができたならばそれこそよふぼく信者の端まで喜び上手になっていくはずですこれが先ず先達たる私たちの日の心遣いでなくてはなりません例えば祭儀式を教えるときに本部ではこういうようにしているというと後で時こうしないといけないのですかこれに合わさないといけないのですかというような質問がありますそう言われたときは私は必ずいや別に合わさなくていいですよと申します何故ならもう既に合わさなければならないんですかという心を使っているからですああ大教会長さんこう仰ったんならよし何でもどうでも合わせようなら聞く必要はないのですそうでしょう黙って合わせばいいのですああこういうように教えていただいたら本当にそうさせてもらおうと思えばいいのですでもああやって言われるけどとけどとかが出た時点でその人の思いであってそして実はそれはもうその通り心通りなのです例えば心定めもそうですがもうだめだと思ったらもうだめなのです何でもどうでもやろうどうしてもこれだけはさせていただこうならよろしいがああ言われるけどあんなこと言われても無理だわと思ったらやっぱり無理なのです心通りだということですあいつはだめやと思ったらもうやっぱりだめなのですその人がだめなのではなくこちらの気持ちがもうだめなのです相手がどうのこうのではなくて全部自分の心通りだということです私一人を見てああ素晴らしい人だという人もあればとんでもない奴やという人もおられましょうがその違いは何処にあるのか私は何も変わらないのにやっぱり見る人の心次第正しくその人の心通りなのですだから自分自身がどういう心を使っているのかということは全て見て聞いた中に全部現れてきるということを改めて皆さん方に知ってほしいと思います一寸言葉が足らないかも知れませんが要するにぱっと言われたことに対して素直にすっとそのまま考えずにできる人はすごい徳があると思いますまたそういう人はどんどん徳をいただかれるけれどやっぱり考えて考えてどうしようどうのこうのと言えば言う程自分の徳を失っているなあと感じますその辺のニュアンスどう説明したらいいのか皆さん方にもまたしっかりと思案していただいて今年の歩みを進めていただいたらありがたいなあと思いますお受け取りいただける心喜び上手見るもの聞くもの全てを喜ばさせてもらうところにどんどん親神様教祖に受け取っていただく理が生まれそれがたすけあいという一つの理に繋がってくるのです年頭から皆さん方には少し耳の痛いことを申しましたが今年一年でどれだけ喜びに切り換えられるかつまらんことをつまらんというのではなくありがたいという心に切り換えることができるかそれが今年一年の成人のバロメタと思案していただいて共にしっかりと成人できる一年としましょう以上要旨談話室後継者講習会東福山分教会枝廣千香この度後継者講習会を受講させて頂きました仕事は何とかお休みを頂き講習でお道の色んな立場の方とお話出来るのを楽しみにしていました講習では朝づとめから始まりクラスの人とのねり合いや講話を聞いたりビデオを見たりと一つ一つの時間で気づかされる事心に残る事がありました授業では教祖のひながたを学びました教祖がご苦労された数の出来事先人の方の命を懸けた信仰やおつとめの話を聞かせて頂きたくさんの方の苦労と真実のお陰で今の天理教の教えがあるのだと改めて感じましたそしてどんな状況でも常に喜びの心を持って通られた教祖は苦しい思いや辛い状況に立たされても喜びに変えて通られており自分も心をきれいにして教祖に自分の心に居て下されるように努力する事が大切なんだと思いましたとはいえ時には喜べない状況や悲しみや後悔に直面してしまう事もありますその時それを不足や悲しみの気持ちだけで過ごすのかそれとも自分の行いを振り返り何を考えさせられているのか考えて気の持ち方を改める努力をするのかでは先の道が変わってくるのではないかと感じましたその時は辛い気持ちでいっぱいで見えない先の事は誰にも分からないと思いますだからおつとめをしていつも神様にもたれて心を通わす事が大事なんだと思いました教えの八つのほこりは誰でも積んでしまうものうそはついてしまうこともありますだからおつとめでほこりを払って頂き心をきれいにして頂くことが大切なのだと教えて頂きました喜べない事を喜びに変えることは本当に難しくて頭で分かっていてもなかなか実行に移せないのが現状ですが少しずつでも実行することが自分の成長に繋がり神様にお喜び頂けるのだと思います改めて自分が両親の子供として生まれさせて頂き今の教会に生まれさせて頂いたという事は神様のお引き寄せなのだと感じましたそして家庭の信仰の元一日を知りいんねんを理解した上で私達兄妹の代でも明るい信仰をさせて頂きたいと思いますその為には教会の月次祭に一人でも多く参拝に来て頂いておつとめ着を着ておつとめを勤めさせて頂くことが神様もお喜び下さる事だと思いましたそしてこれからは職場でのひのきしんやおさづけの取り次ぎも自分なりにもっと身近なものとしてさせて頂けるような努力をしていきたいです今回の講習で学んだ事は本当にたくさんあって自分にとってとてもプラスになったと感じておりますいい時期に行かせて頂いて有り難く思いました春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますはじめ親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに紋型ない所より道具を引き寄せ守護を教え八千八度の生まれ替わりを経てこの世と人間をお創造になったばかりでなく旬刻限の到来と共にこの世の表にお現れになりよろづいさいの真実を明かされ今日の成人へとお導き下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございますくら身上事情を通してお引き寄せ頂いた私共は真の親心に触れ御守護お働きを心身共に感じさせて頂き日は喜びのうちに生活させて頂きながら御恩報じを念頭に朝夕に御礼申し上げつつにをいがけおたすけにとたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にもこの月二十六日は月日のやしろとなられ五十年もの長きに渡って陽気ぐらしのひながたをお通り下さった教祖が御身をお隠しになられてろくぢに踏み均しに出られた尊い日柄でございますのでおぢばでは春の大祭が執り行われますがその理にならい此の教会でも只今からおつとめ奉仕者一同明治二十年の親の思いを感じ取りながら心を引き締めて勇んで坐りづとめてをどりをつとめて春の大祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ御守護にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年が改まり心も新たになったと言っても世上では相変わらず痛ましい事件が次と起こっています個人の自由尊重の意をはき違えて欲に切りない泥水の深みに入り込んでしまっている人が多くなっている事に心を痛めますそんな中だからこそ私共はおつとめ奉仕者増員という目標をしっかりと定め親神様教祖に受け取って頂ける真実の理作りをまず自らが日わずかずつでも確実に行う所存でございますそして後継者講習会や三日講習会等おぢばでの仕込みに一人でも多くの道の後継者を送り出すと共にその後の丹精をしっかりと教会でさせて頂く所存でございます又本年はおぢばでお仕込み頂いた御礼も兼ねておぢばへの伏せ込みひのきしんを勤めさせて頂く所存でございます更には又御恩報じを念じ年頭に定めた心定めの完遂を目指し親神様の思召を伝え個の自由の意味目的は扶け合いにある事を一人でも多くの人に知って貰うべくにをいがけおたすけにと邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には年毎に親孝心の思いを深めより一層の成人を目指す皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護をお現し下さり世の人の心が扶け合いの理に目覚めてお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます原原稿稿募募集集内容字数寄稿先小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さいこころの詩養徳社発行陽気誌一月号道柳より転載今回の課題は案選七十句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます天位東悠分教会前会長夫人田林美智子案ずれど心通りや理の世界表紙の版画東城分教会長横山逸郎氏大教会だよりよしゆき塩田能往教会指令任命願照雲分教会前任雜賀明新任雜賀元生新輝豊分教会次なる塚に向かう歩み出しの昨年隣地坪建物付をご守護頂き皆勇みに勇んだ慶事と立て合い二人の用木がおたすけの甲斐なく出直された又ギャンブルでカード借金事情より希望退職に応じ返済に充てた用木にギャンブルを慎み今の内に中古住宅購入との勧めに逆ギレされおたすけの難しさを痛感していた折先輩の書物に信心していてもすべて順調にゆくとは限らない病気をすることもあれば返って悪いことが起きてくる場合もある今のことだけ考えていては疑問は解けない信仰以前のことも考えてみると皆相当なほこりを積んでいるのが普通良い種悪い種をまく場所芽が出る順番古い方を先に出して下さるが全部一度に出されると一家全滅という姿になったのでは最近まいた種が元も子もなくなるので大難を小難として下さると今だけを見るのではなく見えないところを悟り心を入れ替え勇んでおつとめ奉仕者の増員に向けて頑張りたいものであるえ