『かさおか』第45巻 第7号
一年間を通しておぢばを賑やかにしよう毎月一千人のおぢばがえり五十万軒にをいがけとおさづけの取次理の立つ信仰のあり方六月月次祭祭典講話本部員高井猶久先生去る月日大教会月次祭に縁故ある高井猶久先生をお招きし親しくお話を頂戴いたしました長い間おぢばでおつとめくださった先生はアフリカでの布教経験談なども交えて御守護をいただく元について現代のお道が抱える問題点を縦横に断ち斬り今私たちのあるべき心の歩み方を平易にかつ示唆深くお示しくださいました今後の笠岡私たち自身の発展を期してここにほぼ全文を掲載いたしますので字間行間に込められた先生のお心をしっかりと汲み取り学ばせていただきましょう御守護をいただく元私たちお互いにこのお道を信仰さしていただいております限りは何かにつきまして親神様の御守護を求めて信仰しているはずであります何もこのお道に限らなくても人間というものは皆幸せを求めて生きているのでありますましてやこの親神様教祖から教えられております御教えを自分の天分として布教に専従して通らせていただいているお互いよふぼくは人様に喜んで貰いたいたすかって貰いたい一心でそのためには我が苦労や我が苦しみを厭わずむしろ自分の楽しみとして教祖のおひながたを見つめて日通らせていただいておるつもりでありますこのお道が始まってからつとめとさづけは道を通るお互いにとっては絶対に欠くことのできない大事なことであると教えられて以来今日まで百有余年私たちは今も尚それを信じて日を通らせていただいているのであります釈迦に説法あるいは屋上屋を架すことになるかもしれませんが御守護をいただく元というものを一度考えてみたいと思うのであります御教えの元を振り返る教会や布教の現場にあっては現実には身上や事情の相談が多い訳でございますから勢いそうしたことに対するお諭しや悟りの話が主流になることは多いと思うのでありますそのために原典に関する勉強はついつい後回しになってしまい易いのであります代を重ね長年信仰生活を営んでいる間に熱心のあまりに知らず知らずのうちに教祖から教えられている御教えが少しずつずれてきているということも無きにしもあらずであります私達お互いにもう一度この点を振り返ってみてずれているところはやはり直していかなければ時間が経てば経つほどその幅は広がっていくのであります御守護の元はおつとめこの世は親神様の御支配の元に全てのものが成り立っていることは皆様方充分ご承知のところでございます親神様ふは全ての命あるものに対して殖えるという御守護をくださっているのでありますその御守護のお陰で全ての命あるものは永遠に繋がりしかも生まれ更わる道中に進化するという御守護をいただいて末代に繋がる楽しみをお与えくだされているのでありますそうした親神様のおはたらきが人間にとって分かりやすいように理解できるように知恵の守護そしてまた文字の守護を成しくだされているのでありまして現在の世界の全ての文明医学科学その他諸の発達は人間が生まれ更わりを繰り返しながら知恵の発達文字の発達の御守護によって今日のような結構な世の中にしていただいているのでありますこのおつとめは親神様の自由の御守護によって人間をお創りくだされたその守護の理おはたらきの理を私たち人間の心得違いを正させるために親神様がお与えになっている事情や身上をたすけるためにこの世において再現願うおつとめなのであります万物の成り立つ根本はおつとめ月日親神様はこの世の元の神実の神様であります八柱の守護の理は親神様が道具としておつかいになりましたその道具の理に与えられた神名でございますたいしょく天のみこと艮のおはたらき親と子の胎縁を切る役割と息の終わりあるいは思い切る決断の心のおはたらきその他切ること一切のおはたらきを成しくださいますかといって切れるべきものが切れなんだり切れたら困ることも多あるのでありますそこはやはり人間にとって都合のいいように切れるべきものが切れ繋がるものが繋がらなければなりませんあるいはくもよみのみことのおはたらきは人間の飲み食い出入りあるいは水気上げ下げあまり水分が多いと困りますしありすぎるとまた困る多くても少なくても困るのでありますまた飲み食い出入りに関しては人間は自分の好みで食べるわけですから好き嫌いがあって好きなものは食べるが嫌いなものは食べないということになりますとその食べた物から摂取された栄養は消化されて必要な部分に送られるのでありますが栄養が足りるところと不足するところが出てまいりますいわゆる栄養のバランスが崩れるのでありますそしてその崩れたところが痛むということに結果としてなってくるのでありますまたくにさづちのみことは全てのつなぎ慈悲の心のはたらきその他金銭縁談よろずつなぎのおはたらきを成しくださいますやさしい心温かい心でありますまた月よみのみことは男一の道具および全てつっぱる心のはたらき立てつっぱりこの世の中には何かにつけてつっぱる方がございますがあまりつっぱりすぎるとこれも困るのであります全てのものが立ってあるのもこのおはよたらきに因るものでありますかしこねのみことは風あるいは息吹き分けのはたらき言葉による人をたすける心のはたらき暴風雨のように強い風であれば何もかも吹っ飛んでしまうわけですしやはり人間にとってそよそよとした心地良い風でなくてはなりません言葉遣いによって人を喜ばせることも怒らせることもできるのでありますまたをふとのべのみことは人間子供生まれ出るときの親の胎内から子を引き出すおはたらきよろず新芽を引き出してくださる全てのものを引き出すはたらきをしてくださる我人間世界でもよくお引き立てをいただきましてというようなことを言うわけですがやはり相手に引き出していただいて人間はお互いに成り立っているのでありますいざなぎのみこといざなみのみことは真っ直ぐの心一すじの心神様より定められた心のはたらきでありますこのようにそれぞれの親神様から与えられたはたらきや役割あるいは性格というものを考えましたときにそれは良きにつけ何かにつけて非常に個性の強いものでありますしかしながら親神様の傘下に入ってまいりますと親神様の御守護をいただけば親神様の思召に叶えばそれぞれの持っている個性が生かされるということを象徴されたおつとめであります全てのものの成り立つ根本のおつとめなのでありますこれらの役割やはたらきは全てぬくみをもたりのみこと様水気くにとこたちのみこと様の御守護があればこそ成り立っているのでありましてこのぬくみ水気の御守護がなければ全ての存在は成り立たないのであります即ち月日親神様の水の守護および人間の身の内の眼うるおいのおはたらき素直な心一すじ心のはたらきあるいは五分五分のぬくみ火の御守護温かい心たすけたい心のはたらきこうした親神様のおはたらきを戴かせていただくことによってそれぞれの個性が充分に活かして使わしていただくことができるのでありますつとめ一条でみなたすかるそれぞれの親神様の思召に叶う行ないや心遣いをするときにはそれぞれが前生から持たせていただいておりまする全てのものが活かされまたそうした場が与わるかそうした能力を見つけ出して貰える人に巡り逢うか何れにいたしましても自分の人生の上にとって大きなチャンスになり大きな分岐点となって何もかも思うように事が進むのであります逆に親神様の思召に添わない行ないや心遣いがございますと何かにつけて上手くいかない思うようにならぬがいんねんと聞かしていただきますように人にも物にも金にも恵まれず結果として身上や事情で苦しまなくてはならなくなる時には命を落とすことにも繋がっていくのでありますまたそういうときに限って自分だけがなぜこんな苦労をしなければならんのだろうなぜこんな身上で苦しまなければならんのだろうと人一倍苦しみもがいて神様を恨み挙げ句の果てには自暴自棄になって世をすねてみたり自殺するといったことにも繋がっていくのであります神様のお言葉にしんちつが神の心にかなハねばいかほど心つくしたるとも十二号と仰せの通り我が身我が家の中で事情や身上が起こってくれば人間の知恵力では治まらないということは皆様方ご自身がよくご承知のところでありますそんなときにはしっかり最寄りの教会に足を運ばしていただいて訳分からんながらでもおつとめをするということが大事なことであります一心不乱におつとめをすることによって御守護をいただくことができるのであります人間は直ぐ何でも分かりたがる癖を持っているのでありますしかしながら人間は分かったからというてそれじゃ実行するのかといえば分かる分からんと実行するということは別問題でありますそういうことが分かるようにまた修養科があり検定講習会があり現在では基礎講座や三日講習会その他諸に開催される講習会がおぢばでは信者さん達にいろいろと教理を勉強する場をご用意くだされているのであります一口に申せば一心不乱に親神様の思召に添う心を定めておつとめをつとめたらそれでよいのであります何もかも分かってくるのはうんと時間が経ってからであります事情や身上のさなか最中何がどうなのか分からないのでありましてそういうことが分かってくるのはそれこそ十五年二十五年経ってからいろんなことが分からしていただくのであります逆に申せばおつとめをしなければ御守護はいただけないのであります教祖は素直が神の望み人の笑いを神が楽しむといろいろ仰せいただいておりますがそのためにはやはり自分自身の癖を性分をとるということも大事なことなのであります御守護をいただくためにはぢば一条神一条の精神で親神様の思召に添う心定め私たちは真剣に道を通っているつもりでも心遣いが教祖のお心即ち神一条の精神から外れるときにはたとえそれが無意識な行ないであってもどんな小さいことであってもそのことは教祖にお喜びいただくことにはならないのでありますむしろ御心配をかけることになるのでありますそればかりか銘の身上や事情あるいは教会をあずかる者の立場から言えば教会の事情になるということもありうるのでありますそこにはやはりどうしても反省がなければなりません思召に叶うた反省があって初めてぢばの理を聞き分けるということができてくるのでありますぢばの理に添うということは親神様の思召に添うということと同じであります自分の考えや行ないがもっとも正しいという思い上がりあるいは自信過剰な点はお互いにこの際そういう点がないかどうか一度自分の信仰チェックをしてみる必要もあるのではないかと思うのでありますぢばの理がしっかり身についていなかったならばたすけ一条の道は少しも進歩したことにはならないのでありまして教会はお許しいただきたいと願い出た者の心にお許しをいただいたといういわゆる元一日を常に心から忘れないように治め向きの御守護をいただく必須条件なのであります時代が変わり建物が変わっても人の心が変わってはならんのでありましてそのことは親神様はひながたの中で教祖がとくとお教えくださっているところであります私たちの信じる親神様は人間創造の元の親である都合のいいように解釈していることがないかどうかということを時反省してみる必要もあるのではないか私たち信仰者の思案や行動は教祖の教えに自分を合わせさせていただくことから始まっているのでありまして教会が治まるのも治まらないのも家庭が治まるのも治まらないのもお互いに身上や事情にお手入れやお知らせをいただくのもいただかないのもそれは皆その人その人の胸次第心次第なのであって常に心得なければならないのは私たちの心に教えを合わすということではなくてこの順序の違わないことをわきましっかり弁えなければならんと思うのでありますいんねんを自覚してさて私たちの日の生活を考えましたときに親子兄弟夫婦また諸の人間関係全部お互い前生前生からの通り来たりの道によってこの組み合わせは神様がそういう組み合わせをつくってくださっているのでありましてそういう人間生活私たちの日の生活は一生の内に自分が直接関係を持つのは肉親を始め諸の人間関係全部数えてみましても百五十人か二百人そこそこでありますその中には無くて七癖と言われる性分を持った人間の集まりでありますからいろんな癖性分の方がおられるのでありますでもそれはお互いの前生前生からの通り来たりの道によってそういう組み合わせは神様がつくっておられるそれはお互いそういう癖性分をいんねんを切るように神様がそういう人間関係を与えておってくださるのでありますところが人間は常日頃何でもないときにはいんねんがどうの何がどうのと分かったようなことを言うておりますけれども一度節を見せられたときには常識を持ち出してあれやこれやとお互いに批判をするということが多いのであります言うなれば常識という定規を持ち出して上級やあるいは大教会に対して上級はこうあるべきだあああるべきだああでないといかんこうでないといかんまた子供は子供で定規を持ち出して親に合わせ子供はお互いにその定規を親に合わすどっちもが常識という定規をお互いに合わせおうてそして顔と顔と付き合わして毛穴に溜まっている埃垢まで目に付いてお互いに批判し合っているお互いにそういうことになればそれこそ御守護いただく目安というのは何処にもなくなっていくのでありますお互いにそこに見せられた姿を通してそれを自分のいんねんとして自分がどうさんげをしようお詫びをするかそこからおたすけは始まるのであります勇み立って特に現在のような難しい現状ではそれこそ神様のお話を素直に聞こうという人は極少ないないと言っても過言ではありませんしかしながら一頃のようにそれこそこのお道が爆発的に伸びた時代あの当時のように珍しい不思議が雨後の竹の子のごとくに現われてきたならどうなるかそれこそ問答無用になってくるのでありますそういう御守護を今こんな時代だからこそいただかなけりゃなりませんそのためには今の私たちに一番足らんのががむしゃらさでありますこのお道が爆発的に伸びました当時それこそ世間一般からの迫害干渉今では信じられないような反対攻撃があったのでありますそんなときにこのお道は伸びたんですなぜ伸びたかと言えば珍しい不思議がどんどん現われてきたから伸びたんです今こんな時代なんですそれこそ珍しい不思議がどんどん現われてくるそんな御守護をいただかにゃなりませんそのためにはがむしゃらにおたすけするしかないんです教えられたことを教えられた通りにそしてまたおさづけの取り次ぎ方も教祖から教えられた通りにおさづけを取り次いでいないということも大きな問題点であります例えば私が料理のことを何も知らないとしても説明書に書いてある通りにすれば何とか口に入るものができるところが五分でよいところを十分やってみたり醤油入れにゃならんところを砂糖を入れてみたり塩を入れてみたりとそういう勝手なことをするから喰おうに喰えんものができる言うなれば教えられた通りにおさづけを使わずに失礼なことを言うようですがいい加減なことをしておいてそして御守護がない御守護がないと神様を恨んでいるやはり教えられた通りにおさづけを使わしていただくということもこれ一遍考え直して見なけりゃならん点ではなかろうかと思うのであります仮席の中で一番最初に出てくるお話が時間を仕切って願えと一番長い仕みっかみよさふつかふたやいちにちいちや切り方は三日三夜二日二夜一日一夜という願い方がございますですからよふぼくとして相手の病状をよく聞いて三日三夜にするか二日二夜にするかあるいは一回切りのおさづけでいいのかそういうよふぼくとして判断するそして判断したらそれをやはり神様に申し上げる柏手二つたたかしていただきましたらそこにもう神様下がっておられるわけですからその神様に何町何番地何の誰がし何歳何時から何処がどう悪いこういうふうに心定めさせていただきましたついてはこういうふうに御守護いただきたいと願いの筋をはっきり申し上げてそしてお取り次ぎするしるし三日間のお願いをしてもなお徴をお見せいただけないときにはまた三日どんなに長くかかる場合でも三日三日と仕切りを付けて願うていくのでありますそしてまた一人の人がおさづけをいただく回数は六回までと決められております朝一回昼一回夕方一回宵の口一回夜中一回朝方一回と六回までであります自分が病人さんの側に付き添うておるからというてのべつ幕なしにどんどんどんどんおさづけするということはそれでは真実が届かんのでありますそしてまた目耳鼻口両手両足と人間には九つの道具がありますけれども順序としては上から下へ前から後ろ下の方をしておいて次に上ということのないようにですねそして目の場合は目元から目尻へ耳の場合は頭の上まで手を持っていって手を割って撫でさせていただく両手両足は別のはたらきを致しますので右手は右手左手は左手右足は右足左足は左足別にお取り次ぎ教祖殿や神殿で見ておりましても頭の先から足の先まで一遍にザーッと撫でている姿をよく見受けるのでありますそしてまた次に大事なのは直肌に取り次げと聞かしていただいておりますこのことも私はアフリカへ行って布教して参りましたがシャツをほとんどの方が着ておりませんので自然に裸になっているような感じで取り次いだわけですがマラリアなんていうのはもの凄い熱ですそれが撫でる間にスーッと熱が下がっていくのが手で分かるんですよ四十何度の熱がスーッと下がっていくあるいは熱帯潰瘍という血膿でズルズルになった人そういう人もそれこそ川底を撫でているみたいですね血膿でズルズルになっている一月ほどして行ってみたら綺麗に皮が張っている大きなカサブタがポコッと外れる下に綺麗な皮が張っているそれはもうアッと驚くような御守護を随分お見せいただきましたその当時それだけの経験をしておりながら私自身おさづけの理というものは理のものでありますからなぜ直肌でないといかんのかなぁという疑問は私自身ずぅと思っていたそして帰りましてから丁度布教部長をやらしていただいているときに胃癌を患いました胃を四分の三取られたんですそのときに憩の家に入院しましたから来てくださるいろんな先生方がおさづけしてくださるこの切り口というのはね熱を持っているでしょう冷たい手で触って貰うたらもの凄う気持ええんですねそしてまた切り口というのは痒いんです人によってはガサガサの手やら温かい手やらいろいろありますからその手で撫でて貰うたらもの凄う気持ええんです何れにしても気持ええんですそれで私は納得いったんです成る程直肌というのはこのことやなとやはりおさづけするときには勿論そういう直肌を見せられない場所がありますのでそういうときにはこういう場でございまするから服の上からでお許しいただきたいあるいは寝巻きの上からでお許しいただきたいちゃんと神様に願わなければならないということです神様にお許しをいただいて服の上からお取り次ぎをするそれ以外は必ず直肌何も素っ裸にならなくてもお腹ならお腹腰なら腰へお取り次ぎさせていただいたらいいわけですそしてまた一人の人が頭痛い胸痛い腰痛いとか病むところが二ヶ所あるいは三ヶ所ある方がございますその方にも先ず頭三回三回三回それから次に頭から胸に移るときには言上だけなんです次に胸に移らせていただきますという言上だけで手はたたかないそして胸に三回三回三回それを終わったら次に腰に移らせていただきますと言うて腰に三回三回三回おさづけというのは丁寧にお取り次ぎするということもこれ大事なポイントではないかと思うのであります今なすべきこととにかく動く私も癌を患うた後心筋梗塞それから脳梗塞もやりましてどれ一つ取り上げても本当に命と引き替えになっても仕方のないことでございましたが何とか先祖さんの徳のお陰でこうして元気に使うていただいておるのでありますですからそれぞれの家庭でいろんな事情や身上がむしろない方がおかしいんであります大なり小なりみんなあるはずなんですそれをお互いそれぞれ信仰する者がそれが自分にとっては丁度良いんだと身上も事情も姿形も何もかも自分にとっては丁度良いように神様がしてくださってるんだと悲しみも腹立ちも何もかも自分にとって丁度良いように神様がお与えくださっているそう思えばあまり腹も立たん何もかも自分に丁度良いように神さんお与えくださっておるですからしっかりおさづけ取り次がしていただいて病気が治るとか治らんそんなことを考えるよりも数をたくさん取り次ぐようにしていただきたい数をたくさん使わしていただいている間に親神様が陰へ回って微妙なはたらきをなさるそういうことがよく分かってまいりますそういうことが分かってきたらそれこそ意欲も出てまいりますし自分の口から出る言葉に力もついてまいりますとにかくひのきしんをするお道の人間は先ず動くということひのきしんするそして後はおさづけを取り次ぐおつとめするこの三つなんですと言うて三つとも百点でなくてもその人その人にとって精一杯であればそれで充分神様は受け取ってくださるんですをやの声に素直に例えばこれだけの物を持ち上げようと思ったらそれだけの糸なら糸の太さが要るんですが人間の考える精一杯というのは八分どおりあるいは精頑張っても九分どおりなんですこれではそれだけの糸の太さだけでは上がらないですそこに親の声というものが助け船と同じであります自分にとってはそんなこと言うたって無理ですわと思えるような話あるいはおつくしこれだけしなさいそんな金もあらへんのにどないしますとあるいはこの忙しいときにそんなことやってられませんわと人間思案から言うたらそういうことなんですそんなときにできるかできんか分からんけど親の言うことならとにかくやらして貰おうという勢いですねいわゆるがむしゃらです半分やけくそでもええですわ結果としてようそんなことでけたなあとようそんな身上たすかったなあといわゆる珍しい不思議がそこに結果として出てくるのであります上級部内理の親子これだって神様が前生からのいんねんを見てそういう縁を結んでおってくださるんです肉親の親子だって勝手に頭の良い賢い子をよ選って産むわけにいかないし自分の子だからというて自分の思うように育てられないそのようには育たないんです皆それぞれ前生からの通り来たりの道をみて神様が良いように良いように導いておってくださるそれを自分の考えで勝手にどうじゃこうじゃとそれがたすからん元になっていくのであります今年おぢばを賑やかにしようと真柱様から聞かせていただきましたができるかできんかそんなこと関係なしやとにかく一人一人がその気になってやればできるんです要は本人がやる気になるかならんかということだけであります一人一人がその気になって声をかけたらそれはできるんですおぢばの声に添うということは一生懸命に添おうと思ってやったら有形無形に神様がたすけてくださるんですさしてくださるんです例えば四十年祭当時の倍化運動の時代皆さん方余り経験ないかもわかりませんがあの当時でも本部から教勢倍化と声が出た皆その気になってやったから倍化できたんでしょそれを人間思案でそんなこと言うたって判だけ百個集めて教会にしたって後苦労するでと思ったところは未だに分教会のままなんです増えない訳が分からんながらでもとにかくおぢばからこんな声が出たやらせて貰おうと思ってやったところは大教会になっているそれはもうハッキリしているんです苦労を先送りしないですからみなさん方もとにかくこんな時代だけに不思議珍しいをやっぱりどんどん見せて貰わなきゃあかんのですからそのためにはがむしゃらにおたすけしまくるとかあるいはこんな時代ですからそれはお金がなかったら生活もできにくいでしょうけれどもそれでもその気になったら仕事やめてでもやろうと思うたらやれるんです食べ物でもそこら中何ぼでもありますしそれはまぁお金がなかったら不自由やその苦労を先送りにしていることが多いんじゃないでしょうか特に若い人今せにゃいかん苦労を何じゃかんじゃいうて苦労を先送りにしている人間は段年とってくるんですから年とったらその苦労は倍増してくるんですそれこそワラジ履いてでも苦労せいと教えて貰うているんですから若い間にエネルギーのどんどん湧いてくる間にそういう苦労をしておかなければ年とってからそれこそ体が付いてこんようになってきたらそれこそどうしようもなくなってしまうのでありますまぁひとつ特に若い方よぅしというぐらいの気になってひとつ頑張っておたすけしまくるというような日に頑張っておつとめいただきたいと思いますどうぞ宜しゅうお願いいたします文責編集掛こころの詩養徳社発行陽気誌七月号道柳より転載今回の課題は成選五十九句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠東悠分教会長夫人田林美智子成って来る姿に思案理の世界健康長寿しまね推進会議が島根県内の小中学校へ平成年度健康づくり標語を募集したところ出雲市大社町の荒木小学校年生の木村紗英さん瑞雲分教会少年会所属が見事に島根県知事賞に選ばれました去る月日に島根県民会館での表彰授与式で表彰されましたその標語は日のスイッチ入れる朝ごはんでした紗英さんはこどもおぢばがえりに歳からずっと参加しています教えを守り勉強もできる活発な少年会員ですしてあげたい心でこの世を満たしたいあれが欲しいこれも欲しいこうしてほしいああしてほしいこれはいわば子心逆に人にこうしてあげたいこうすれば喜んでもらえるだろうと行えばこれは親心してほしい心は時に不足を生みます期待しそれがかなわないとなんだあの人はとなるからですだれもが周りの人にわが子や愛する人に対するように無条件に思いやってゆけばもっとこの世は住み心地いいでしょう多くのしてあげたいを集めて親心共同体が築ければいいなと私たちは提言いたします天理教ホームページより笠岡ワールドブラザーズ野球チーム県大会決勝戦敗退教会本部主催の行事に布教部全教野球大会がある知る人ぞ知る行事であるが毎年各県を勝ち抜いた強豪チームで月日よりおぢばで全国大会が開かれる我の少し上の年代の笠岡のチームはこの全国大会の常連チームだったそうだが我の年代に至っては全国大会に行くのは試練のことであるそれもそのはず人数集めに始り練習もほとんどすることなく地区大会に参加するのだから今年も然り試合に人集まったものの毎年メンバーの高齢化と練習不足がたたり惜しくもで岡山大教会に惜敗してしまった例年ならやはり今年もだめだったかで終わるが今年は昨年からの呼びかけで新しく大学生のメンバーが二人そして長年遠のいていたメンバーが復活してくれ新チームのつもりで戦った悔しい思いも含めて敗戦後すぐベンチで反省会をしたそれでも笑って頑張ろうと言える笠岡らしいチームで良かったじゃないかという意見がでて来年にかける課題も見えた何事も出た良い結果よりもそれまでの様な過程が楽しいのである笠岡の野球チームも今始ったばかりこれからが楽しみである弱くてもあすなろ精神で来年の全国大会出場を夢見て来年に望みますなおこの野球を通してよふぼくになった方もおられます是非若い人達で野球を経験されている方私も是非やってみたいと言う方がおられましたら大教会上原志郎まで一方下さい資格はよふぼくであれば誰でも参加可能ですこんなところにこんな逸材があるという情報があれば一方下さい教区主催で土砂降りの悪天候の中にも一時晴れ渡った間に野球が出来て良かったですありがとうございました世話係上原志郎第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目横山逸郎大教会役員東城分教会長福島泰道瑞北分教会長内海安子島中分教会長平盛秀年福昭分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴こどもおぢばがえりについて詰所へ到着されたら宿泊者と食事の数を必ず事務所にご報告ください変更の有無に関わらず大教会長さまより帰参の感謝状と記念品をお渡し頂きます帰参した日の午後時より教会の責任者と少年会員の代表者は事務所前の応接室にお越しくださいおやさとパレード見学について交通安全周辺道路の交通事情騒音迷惑などにより大型バスは運行禁止としますご理解ください中型バスマイクロバスについては運行して頂いて結構ですがなるべく歩いて参加して下さい食事について時間申し込み弁当業者夕食の時間は午後時から時までにお願いします午後時以降の食事はご遠慮ください保健所からの指導がありました食事をされる日前の夕方までに詰所へご連絡くださいなお食数の変更は減らすよりも増やす方が簡単ですので人数がはっきりしないときは少なめに申し込み出発当日に正確な数を連絡してください食事をされる日前の午前時までに詰所へご連絡くださいなお変更はできません業者のチラシは希望者にお渡しします水について詰所では絶対に生水は飲まないようにしてくださいお茶を用意しております水は親神様からのお与えです粗末にしないように指導して下さい入浴について風呂場では暴れたり騒いだり湯に潜ったりしないよう引率者は子供達といっしょに入って入浴のマナーの手本を示してください水不足のうえから特に水を大切に使うよう指導して下さいおつとめについて詰所では毎朝時からおつとめの放送をします各部屋でそれに合わせておつとめをしてくださいラジオ体操について毎朝おつとめにつづいてラジオ体操の放送をします廊下玄関前などで体操をしてくださいカードには引率者の印鑑を押してください目標めどうについて期間中詰所内に目標を掲示します実行するよう子供達に手本を示してくださいこどもおぢばがえり期間中の詰所行事わかぎひのきしん期間中帰参した中学生に食堂ひのきしんをしていただきます毎朝時からの育成放送をお聞きください模擬店開催日内容チケット月日金日日月日火日木いずれも午後時から時までたこ焼きフライドポテトかき氷スーパーボールすくい輪投げいずれもチケット一枚円枚綴り円を開催日の午後時半から階渡り廊下で頒布パターゴルフ模擬店開催日の午後時から時まで階渡り廊下にて実施無料ビデオ上映月日から月日までの間毎晩午後時半から時まで修練室北棟階西にて上映無料クイズ月日から月日までの間詰所内各処廊下階段おどり場などに展示小学生低学年高学年中学生コース解答者の中から抽選で景品をプレゼント原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい六月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様にはこのみちをはやくみとふてせきこんださあこれからハよふきつくめやと慈しみ深い親心のまにつくりくこの世と人間をお創造下さりお育て下さるばかりでなく旬刻限の到来を待ってこの世の表にお現れになり万一切を明かされると共に不思議自由の御守護を現し実の親であることの証を示して御恩報じを願う真実の人をお引き寄せ下さいまして陽気ぐらしへ向かうたすけ一条のこの道をおつけ下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はかしものかりものの御教えを心に湛えて日は喜びと感謝一杯の心で通らせて頂いております加えてたんのうの心を磨きつつどんな中も喜びに変えて御恩報じの思いを強め朝夕に御礼申し上げると共にたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は六月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心を一つに睦び合って明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には旬の喜びを胸に今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今世上では経済を始め心の面でも二極化が進んでいるように思われます貧富の格差が益広がりを見せ人の心も荒廃が進みより非道さを増しておりますまさしくたんくとをんかかさなりそのゆへハきゆばとみへるみちがあるからのお言葉通り人間としての心を失いつつあるように思えてなりませんそんな世上の風潮に流されることなく道の子供達は教祖年祭の年を意義あらしめんものと勇み立ち一年間を通しておぢばが賑やかになるようににをいがけおたすけにと成人の歩みを進めさせて頂いておりますが只おぢばにお誘いするだけでなく少しでも喜びと感謝の心を持って頂き御恩報じする心になるまで丹精させて頂く所存でございます又本日はおぢばより本部員高井猶久先生にお越し頂いております後程親しくお話を聞かせて頂いて今後の成人の歩みの糧にさせて頂く所存でございます更にはまた目前にせまったこどもおぢばがえり十万人増員に向け尚一層心を奮い立たせ募集に励ませて頂きます何卒親神様には皆の親への御恩報じ一筋の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り一列子供が真の親を知り一列兄弟の理に目覚めて互いに助け合う陽気ぐらしの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先大教会だより辞令発令会長室常詰神事部会計部庶務部布教部海外部史料部管理部室長武内清森本忠平岡﨑真一今川昌彦上原志郎企画運営担当武内清田中一之上原繁道吉岡お運び担当上原澄雄壽武内清田中一之門脇誠教岡本久善上原繁道佐藤道孝吉岡岡﨑和夫中島誠治吉岡誠一郎上原きよの淺野明教壽河原節喜部長岡本久善中村邦義田林志計實上原澄雄森本忠平岡﨑真一西江昌直三島渉中村道德笹尾正治今川昌彦中村義太郎上原浩上原志郎岡﨑輝彦小坂静宏福田勝高山森雄岡田誠渡邉隆夫部長次長武内清田中一之今川昌彦上原志郎北川勇部長次長上原繁道岡﨑真一今川昌彦山野弘実藤本芳久津森朋之佐藤憲美田中亜輝武内清和部長次長次長佐藤道孝中村剛谷内伸自岡﨑和夫西江昌直杉原博之中村義太郎田中隆之山野弘実吉岡誠一郎内海安子森本忠善室悦子福島大介鳥井利昭武内清明北川治史三代幸三代温生渡邉眞次部長次長田中一之上原志郎上原眞雄中村義太郎山野弘実吉岡誠一郎上原順子吉岡貞彦津森朋之香取雅人上原聡藤井正仁佐藤哲部長次長上原繁道岡﨑和夫西江昌直吉岡輝昭香取雅人淺野明教部長次長岡﨑和夫中村義太郎門脇元教高木昭祥横山逸郎田中隆之山野弘実森本忠善赤木素志桑田則昭平盛秀年渡邉孝信武内清明虫明立生防災管理者中村義太郎電気管理責任者桑田則昭詰所掛輸送掛編集掛教養掛育成掛婦人会青年会少年会学生担当委員会危険物取扱責任者中村義太郎車両管理責任者今川昌彦食堂員ふとんひのきしん客殿会長宅主任岡﨑和美内海安子今川佐智子岡本弘子中村理恵淺野はるえ今川直子安斉真澄内海安子淺野はるえ髙田賀代子岡本弘子今川佐智子岡﨑和美上原千枝子高木孝子横山小智栄門脇加津田中つかさ上原千枝子主任吉岡壽上原澄雄上原浩吉岡松枝武内清和上原珠世武内まさみ主任吉岡誠一郎今川昌彦高木昭祥藤井宣人秀平善敬門脇裕教主任副主任河原節喜杉原博之岡﨑真一中村義太郎枝廣隆文吉岡輝昭西村彦一佐藤憲美時宗一実主任副主任吉岡壽谷内伸自上原繁道中村剛岡﨑和夫中島誠治岡﨑真一西江昌直門脇元教杉原博之今川昌彦中村義太郎高木昭祥横山逸郎上原浩田中隆之山野弘実主任上原きよの支部長常任委員上原きよの田中ますみ門脇郁子上原順子中村満子岡﨑豊子武内正美門脇加津髙田賀代子内海安子今川佐智子岡本弘子岡﨑和美委員長副委員長副委員長副委員長副委員長淺野明教森本正典平盛尚樹本多正悟中村真人内海史郎秀平元一門脇裕教中村行善中村剛史渡邉和善谷内秀自杉原善朗藤井保人藤本晴司廣田真也高島伸雄高田一弘田渕忠明山田睦浩山田英嗣団長副団長副団長中島誠治森本忠善掛谷宣和渡邉隆夫室悦子吉岡貞彦猪原啓介高島定彦高橋徳行時宗一実渡邉孝信竹本和道藤井正仁内海史郎中村剛史佐藤真孝平盛尚樹山田睦浩渡邉理恵委員長副委員長吉岡誠一郎山野弘実上原志郎森本忠善香取雅人佐藤真孝竹本和道矢田哲一瀬藤友昭門脇元教本多正悟仙田公男下田誠輝武内清和山田睦浩教祖百二十年祭登殿参拝六月久松中村剛瑞雲西村彦一海潮川高島寛弓ヶ濱森川美雪米美三代信行伯仙川上道美照雲雜賀明輝伯雜賀元生松都須山克子樺島岩崎光生出雲川津仙田勉天場山仙田公男呉中下田章大江橋村川和司品治渡邉眞次久福佐藤憲美久津小池宏一錦ヶ原池平武司神驛渡邉孝信第七八期修養科一期講師八尋矢田哲一雲東三代温生人づくり集計上半期初席名教会長資格検定講習会修了者前期終講三郡山岡啓訓訂正とお詫び誌において名言迷言編集後記の冒頭全教一斉ひのきしんデーについての記述がございましたが実施日の記載に誤りがありましたので左のように訂正し不備の段お詫びいたしますおさづけの理拝戴名修養科修了名検定講習前期修了名検定講習後期修了名誤去る四月二十六日全教一斉ひのきしんデー正去る四月二十九日全教一斉ひのきしんデー先ずは自らが教えに基づく生き方を日実行し私達一行は諭達第二号の中の一節を車中で声高らかに繰り返し唱和し信仰者としての自覚品位を決して忘れる事なく行動しようと固く誓い合いとある場所へと向かったそれは遠くに水平線を望む小さな漁港の中にあった満面笑を浮かべ全身から湧き出るフェロモンに包まれたとある方が私達を迎えてくれた正に地上の楽園がドアの向こうに広がっていた私達の固い決意が音をたてて崩れ落ちるのに時間はかからなかったあれだけ皆で談じ合い心に決めていたのに冷静な私はチョット恰好を付けグラス片手に周囲を見渡した皆いい顔しているこれが目に見えぬ何者かから解放された本当の顔だろうが見てしまったのだその中の一つを目はうつろ意味なくニヤニヤしながらも懸命に踊っている姿をこれが眼光鋭く立板に水の如くいつも堂と教話をされる某先生かと今後お話を聞く時は後ろにこの顔が浮かぶだろう何はともあれ夢見ごこちの中で竜宮城での一時は幕を閉じたのだ教会に参拝しましょう日参させて頂きましょうよく言うパターンである本当に参拝しなくては何でも参拝をしたい私のお預かりしている教会はそんな教会だろうか参拝すれば気が重く足が遠のく教会ではなかろうか先日とある場所でとある方のお持成を受け立場は違え教会としてまた教会長としての心構えの一端を感じたような次第ですき