かさおか 『かさおか』第46巻 第12号
剪定作業中天理おつとめ奉仕者の増員一人ひとりが日に真実を尽す立教年布教によるおつとめ奉仕者の増加月号後継者講習会への参加による奉仕者の増加秋季大祭講話大教会長様昨年秋の大祭で立教の元一日人間創造のときそして明治二十年の御身お隠しのときという三つの大きな角目のときは全てをやの声をいただきそのをやの声を素直に受けてそして全てのご守護の元が始まっている旬にしっかりをやの声を聞いて勇んでかかることが大事だとお話ししましたまた今年の春の大祭には教祖百三十年祭に向けての今年の歩みについて真心の御供という一節を紹介して自分の理を立てて通るのではなく先ずをやの理をしっかりと立てて日通ることの大切さをお話ししました百三十年祭に向かっておつとめ奉仕者をご守護いただくために一人ひとりが日の中でをやに対する喜び感謝の気持ちを持ってしっかりと真実の種まきをしようとお話ししましたが今日はそれに関わってよふぼくとしてのつとめ方についてお取り次ぎいたしますお入り込みいただけばこそおさづけの理を頂戴することによってよふぼくになりますがたんくとよふぼくにてハこのよふをはしめたをやがみな入こむで十五号このよふをはじめたをやか入こめばどんな事をばするやしれんで十五号と仰せいただくように私たちよふぼくはをやに入り込んでいただいて初めてたすけの理を現わすことができますよふぼくになったら無条件で入り込んで働いてくださるのではなくよふぼくになりよふぼくとしての理づくりをさせていただくことによって入り込んでお働きいただくという術がなされるのではないかということです教祖に親神様が入り込んで働いてくださって陽気ぐらしに向かうひながたを御自らお通りくださったそしてその中での理づくりは先ず貧に落ち切るまた貧に落ち切ることによって親神様のご守護の世界だと自ずと解ってくるその一つひとつが親神様の思召に添ってしっかりと歩んでいく理づくりの道を歩まれたひながたでもあろうと思いますそうした時に私たちはそのひながたをひながた通りと歩ましていただくお互いとして改めて思案しなければなりませんよふぼくとしておさづけの理をいただいたその日の心が澄み切った心で何でもどうでもこれからは日理づくりに励み親神様教祖に入り込んでいただいてたすけ一条に励もうと思うならそれこそよふぼくになった元一日になるでしょうしかし私自身もおさづけの理をいただいたその日にどんな感激があったか正直申して覚えておりませんこれは大変申し訳ないことは確かですが自分では思っていないところの心の部分を親神様がちゃんとお受け取りくださっておさづけの理をくださることができたんだなと改めて思っているそんな状況ですですからよふぼくだからつとめしておさづけすれば神様が働いてくださるかといえばなかなかそうはいかない部分があるのではないかそれならよふぼくとなったらよふぼくとしての理づくりも日しっかりとしながらにをいがけおたすけにかからなければ入り込んで働くという姿にはなってこないと思いますよふぼくとしての理づくりではお互いよふぼくとしてどういうふうに理づくりをしているかということこれは実は今年の春の大祭のときのお話につながってきます日親神様が陽気ぐらしせよと絶え間なしにご守護くださっている今日もおいしそうな里芋やら柿やら一杯旬に与えていただいてこれで味わって陽気ぐらしをしてくれよとその一つ一つを有り難い嬉しいと日喜ぶもちろんそれが大事ですしかしそれは子としての喜び子供としての理づくりであってよふぼくとしての理づくりとは意味が違うと思いますそうしたときに先人たちがどうやってよふぼくとしての理づくりをしてこられたのか改めて温ねてみると決して特別なことは何もなされていないことに気づきますそもそも教祖御在世当時直にさづけを戴かれた人たちがどの辺を見定められて教祖からおさづけの理を頂戴されたのかを考えてみるとただたすけていただいたその喜び一つだけご恩返しをしたいその心だけで教祖のところに日参に近いかたちでとにかく親元へ親元へと足を運ばれた例えば増井りん先生はお屋敷に住み込むようになられてからお屋敷に包丁が無いということで大阪から包丁を買って帰られたをやに対するほんのわずかな気遣いを親元に帰ることによって気づきそしてほんのわずかな部分で心を運んだ理によっておさづけの理を頂戴したということです飯降伊蔵先生も同じです当時おさづけの理を戴いた多くの方はただ親元へと足を運び心を運んだその中で気づいたところをああしようこうしようとその一つひとつの気遣いを教祖にお喜びいただき赤衣やいろいろなさづけを授けられましたところが中には助造事件というのがありますが福住村へ道がつき多くの人が相次いで参詣して来た中に針ケ別所村の助造という者があった眼病を救けられ初めの間は熱心に参詣して来たがやがてお屋敷へ帰るのをぷっつりとやめて了ったばかりではなく針ケ別所村が本地で庄屋敷村は垂迹であると言い出した教祖伝第四章と教祖伝に記されておりますお互いしっかり思案しなければならないのは最初の内はそうやって足を運んでいたけれども段に足が遠のくということこれはよふぼくとしてはしっかりと思案しなくてはいけない問題だと思いますをやに入り込んでいただくということはをやに働いていただくということですから常にをやに働いていただけるような理づくりを日の中でしなければならないその一番肝心な角目が先ず心を運び足を運ぶことですをやに足を運び心を尽くす動もするともうよふぼくなんだから月に一回上級の祭典だけ足を運びおつとめだけつとめて後はただにをいがけおたすけだけすればよいということになりかねないあるいはをやから声が掛かったときに自分の都合が先についてしまってをやの御用が後回しになったりという一つひとつの事柄は今申した心が通わない足を運ばないという理にも繋がってくるでしょう先ずをやありきそしてをやに働いていただくためにはいかにをやに対して理づくりをしていくかその理づくりはそんなに難しいことではなくただ心を運び足を運ぶ機会を一回でも多くするその理を作るのが大事だと改めて心に置かなければならないと思います自分が動くのですが飽くまでをやに働いていただくという思いをしっかり心に置いて共によふぼくとしてをやに働いていただけるようなをやに対する理づくりをこれからしっかり積まなければならないと思います根に肥をしてこそ枝葉は繁る最近教会事情等を見てもそれにかかわることが多見受けられますそれぞれの教会名称の理はおぢばからそれぞれの直属上級を通じてそれぞれの教会の理の流れがあるとおぢばで聞かしていただきます教会長になられる方が任命の理のお許しを頂戴して教会長になりますが教会長になって一番最初に聞く言葉はぢばとそれぞれ教会名称の繋がりがどういう関わりか一本の木にたとえてのお話ですぢばは根でありそれぞれぢばに繋がる教会名称は幹であり枝葉であるぢばという根に教会本部そして直属という幹部内教会という枝葉その一つひとつの理によってそれぞれ教会名称の理があるとその理は一つであるとしかしながら枝が栄えるためにはしっかりと上級を通しておぢばに理を運ぶことが大事だと聞かせていただきますそうしたときにお互いよふぼく一人ひとりはただ祭典のつとめだけしていればいいのではなく足繁く教会に運んでその中に気づく一つひとつを何か自分の真実として伏せ込みをすることが真実の伏せ込みになりましょうし教会名称にあってはどういう事情があろうとも上級教会にしっかりと足を運び心を運んで御用としてさせていただくことがをやに対する理づくりになりをやが働いてくださってよふぼくとしての大きなおたすけに繋がりより大きな名称の理の栄えがそこに生まれてくるのではないかと思いますよふぼくとしての種まきおつとめの奉仕者の数を増やすということを年頭に申して今つとめておりますが一番大切な角目は日に一人ひとりが真実の人を育てる理づくりをすること真実を磨くことの大切さを申しましたがそれと同時に今度はよふぼくとしておつとめ奉仕者もよふぼくですからよふぼくで真実の人ということを考えてみればよふぼく一人ひとりがよふぼくとしての真実の種まきも合わせてつとめなければいけないと言えるのではなかろうかという思いから今日のお話をさして戴きました今のお道の現状をみたときに何か足らない正直先人よりもむしろにをいがけおたすけに歩いてるはずなのに何故かそこにをやにお働きいただけない何かを感じる親神様教祖のお働きに何とも言えない喜び満足感を感じている人はしっかり感じているけれどもその格差がひろがっている今の経済ではありませんが豊かな人はどんどん豊かになり貧しい人はどんどん貧しくなるのと同じようによふぼくの中にも勇む人はどんどん勇むが下に行けばだんだん格差はひろがってくるという現実をみたときにやはりこれはいけないせっかく道を信仰しよふぼくとしてたとえわずかでもにをいがけおたすけというご用をしているお互いならせっかくのご用を通して少しでもをやにお働きいただけたという喜びを持てなければ勇んでこの道を通り親神様のお望みくださる陽気ぐらしに向かうことがなかなか難しくなりますのでよふぼくの皆さん方にはよふぼくとしての本当の喜びを味わっていもらいたいのです理づくりの先に見えたもの私自身年祭をつとめ終えた昨年次の塚に向かってどう歩もうかと思う中に少しでも親神様教祖に働いていただけるような理づくりが何かないかと思案しましたせっかくにをいがけおたすけしおさづけの理を取り次ぐならそこで少しでも親神様にお働きいただけるような理づくりを何かしたいそんな思いもありまた日おぢばに足を運びたいと思いつつもなかなか運ぶこともできない本当は日参をしたいけれども日参までは叶わない何とか代わりのものをしたいそんな思いから毎日十二下りのおつとめをするようになりましたすでに多くの方がしておられますしそれまでにも願い事があって三日間とかはしたことがありますが毎日つとめという形で心を定めてしたことは今までありませんでしたそういう形で昨年の九月から今日まで一年以上つとめられたというのは大変有り難いと思いますがそうすることによって常に親神様教祖に心を運びそのことによって日通る中にほんのわずかな一言を受け取っていただいて喜んでいただけるそういうところにも神さんが先回りをして働いてくださるおさづけの理を取り次いでも神さんにお働きいただいたと実感できるようにもなってきた今日でありますよふぼくだから無条件に神様が入り込んで働いてくださるのではありませんよふぼくならよふぼくとしての日の理づくりをすることが親神様教祖に入り込んでいただいて働いていただく道筋ができるということを今日この日に皆さん方にはしっかり心に置いていただきたいただ朝晩にありがとうございますだけではなくをやに心を運ぶ中に気づく一つひとつを実行するだけでをやが喜んでくださりをやが働いてくださる道筋になるんだということをしっかり心に置いてつとめ切れればありがたいなと思います改めて申し上げますたんくとよふぼくにてハこのよふをはしめたをやがみな入こむで十五号このよふをはじめたをやか入こめばどんな事をばするやしれんで十五号これを百三十年祭までによふぼくとしてしっかり味わえる次の年祭に向かっての歩みにしたいと思いますのでどうぞよふぼくの皆様方にしっかりそのことを心に置いていただきまして今後しっかりとをやに対する理づくりの上に歩んでいただきますようにお願いを申し上げます以上要約後継者講習会福芦分教会竹本あい今回二泊三日で後継者講習会の為天理に帰らせて頂きました一日目母室でオリエンテーションを終え東礼拝場での開講式後午後から教室にて第八次受講者の方と第一講一親神様の御守護について先生からお話を聞きました改めて御守護を考えさせて頂きねりあいの中でもみなさんの御守護のお話を聞かせて頂き勉強になりました第二講一たすけ一条の親心についてお話を聞かせて頂いた後記念建物見学に行かせて頂き高校時代に一度行かせて頂いていましたが今回違った見方ができ教祖の存在を身じかに感じる事ができました第三講成人への道では西田伊太郎先生のお話を聞かせて頂きました西田先生のお話の中ではまさかと言う坂たら笑う事が印象に残っておりまさかと言う坂では上り坂下り坂と言う決まった坂の中でまさかと言う坂があるまさかの中には良い事悪い事の二つがあり事が起こるか分からない状況の中にある不思議な坂であると聞かせて頂きましたたらの話ではしたらどうなるだろう事が起ってしまった後にいつも考えるそうなのですが一つお話をあげると最近あった飛行機事故の中で乗客が全員降りた後に飛行機が炎上した事故それがもし乗客が降りていなかったらどうなっていただろう時の差が起こってしまう事は難しい事ですがたらと考えると不思議な感じがしました笑う事それは一番の特効薬なのでよく笑いなさいと聞かせて頂きました西田先生のお話は楽しくすごく勉強になりました後継者講習会では普段なかなか聞かないお話やみなさんとのねりあいの中で改めて自分の信仰を考え信仰のすばらしさ自分ができる事を考える時間を頂き本当に勉強になりました二泊三日と言う短い期間でしたがこのような場の大切さ重要な時間を与えて下さり感謝します後継者講習会を終えて福東分教会石原妙子参加するまでは歳になる子供が託児所に慣れてくれるかな私自身妊娠しているので宿舎や教室への移動のことなどを考え無事に通ることができるかなと不安な気持ちでいっぱいでした講話をされた先生の話の中で先のことはどんなことが起こるか分からないが楽しみや喜びを見つけて通らしてもらうことが成人への道だと聞きその日から私もそう考えれるよう通らせて頂きました最初は努力して思うようにしないとできませんが自然と喜ばせてもらえるようになりたいと思いました最初は大泣きをしていた子供も日目日目になると預ける時は泣いてもあとはほとんど好きなことをして遊んでいたと聞きたくましくなったなあと喜ばせて頂きました無事日間通らせて頂き親神様教祖のご守護にいつも守られているんだなと思わせて頂きました最後に世話どりをして頂いた先生方本当にありがとうございました後継者講習会第次に参加して芦加茂分教会小川陽大私は年前の春におさづけの理をいただいて自身としてはまだ才という若さゆえに我が身助け人を苦しめといった心で通ってきたと今思い返せば心苦しいと感じました当時そんな私でしたが親を見て親の思いやりを受け止め心の入れ変えが出来たのかと振り帰れば喜びに変わりましたそれからというものおぢばへは年に回程度詰所のお風呂場天井の工事くらいしかおぢばへ帰る事をせず仕事が忙しいという言い訳をしていたのだと気づきましたこの度の後継者講習会は今の自身を見つめ直したいという気持ちと汚れた心をきれいにしたいという気持ちがおぢばへと帰る気持ちにさせてくれたのだと思いますこれから書く講習会へ参加した感想文は自分自身の心に偽りなく書かせていただきますまず初日オリエンテーションから始まりたくさんの後継者の人の数にあっとうされた事が自分の心の中で大丈夫かなぁと少し恐さを感じましたそれは自身の汚れた心との間での葛藤だったのかと今はありがたく思えますその後に始めてグループになった名との出会い緊張と不安の中で始まったウォーミングアップ終了時には皆の笑顔がすべての不安とおぢばへ帰る前の自身の心をきれいにしてくれた感覚でしたとして参加したメンバーとおぢばで一緒になったメンバーの人が話ししているのを見て喜びになったのが強く心に刻まれています講義の時間は先生の話を集中して聞いていたつもりが睡魔に襲われた事ははずかしながら興味という文字が欠けていたのかと思い情けないなぁと自己嫌悪になっていましたしかしその後のねりあいの場でグループの皆で話していたらリーダーから皆が皆完璧な人はいないよって言葉にすごく励まされた事に感謝の気持ちでいっぱいでした日目の朝朝起きはいつもの事ですが寝惚けた状態で教祖お出ましお迎えと始めての体験に感動し日目の朝にして最終日の皆との別れに寂しさを感じ涙が出た事が不思議な感覚でした日目ともなるとグループの皆昨日までまったく知らなかった皆心を開いてねりあいの時間を過ごせました毎回授業が終わるたびに時間が少ないねと私達のグループだけ教室で残っていろんな話をしてたなぁと思い出すだけで笑顔になれますあのメンバーと出会ったからこそ自身の失いかけた心と喜びを取り戻せたそう感じます皆個に身上や事情を抱えている事今の自分自身がどれだけ幸せなのかを今回の後継者講習会に参加させていただきそしてすべての人に感謝の心を授かった事を含めこれからの人助けに繋げるようおつとめと日感謝の気持ちを忘れずに人生を歩んで生きて生きたいと思います上手く話は出来ない私ですが私の口から言葉になり出て来る言葉で人を幸せに出来たらと思います本当にありがとうございました第回全教野球大会福昭分教会平盛秀年第回全教野球大会に監督として参加させてもらいましたこの大会以前はよのもと会野球大会という名で行われていました笠岡チームは第回から第回大会まで参加して準優勝回ベスト回ベスト回と常に好成績で私も回大会から年連続捕手として参加していましたそして回目から人数が集まらなくて次第に消滅していきましたそして約年の間参加もなく自然消滅のようになり年程前ぐらいからまた笠岡ワールドブラザーズというチームのもと岡山教区の予選に参加し岡山大教会との本大会をかけ負けたり負けたり勝ったりという中おぢばでの本大会になかなか一勝出きなかったのであります私も何回か予選を見に行ってアドバイスもしていたのですが今年初めて監督として予選本大会に参加し何とか一勝をというみんなの思いがつよく月日に川之江大教会との一戦にのぞみました試合の結果は対のコールド勝ちという思った以上の結果で悲願の勝を勝ちとりました残念なが回戦は郡山大教会チームに対で敗れはいたしましたが手ごたえのある戦いで来年もやれるという気がしましたなお郡山チームはベストになったと聞きましたこの全教野球大会の出場資格はよふぼくというのが条件でありなかなか人数も揃いにくいのでありますが今年から若い人が増えてまいり来年以後も楽しみですそうした上から笠岡につながるよふぼくで野球経験者がおられましたらお声がけしていただき一緒に参加して頂けるようよろしくお願いいたします初戦突破米府分教会三代幸徳立教年全教野球大会が月日から親里球場をメイン会場に白川グラウンドなどで開催された全教野球大会とは全国の教会教区のチームがそれぞれの地域で予選をし各都道府県の代表として参加する言わばお道の全国大会で笠岡ワールドブラザーズは年ぶりの出場である私が初めて参加したのは去年の予選からでそのとき大変悔しい負け方をしたので今年に賭ける思いは一入で去年の悔しさをバネにチーム一丸となり全教への切符を手に入れたときは本当に嬉しかった全教でのチームの目標は初戦突破初戦の相手は初出場の川之江大教会であった練習もほとんどすることなく全国大会という大きな舞台で緊張もあったせいかなかなか自分たちの流れを作りにくかったがそこは笠岡らしい笑って楽しむ野球とこの初戦に賭ける皆の気持ちが相手チームを上回り対で見事に念願の全教勝を果たすことができた去年の予選敗退からこの日の勝を夢見てきたのだから喜びで胸がいっぱいになった大会日目回戦に進んだ笠岡ワールドブラザーズの相手は強豪奈良代表の郡山大教会メンバーのほとんどが代という郡山大教会の機動力野球に苦しめられたが回まで対の互角しかし後半力尽き惜しくも対で敗れてしまった残念ではあったがこの大会を通して来年に向けての課題を見つけることができたし近年には無いダブルプレーを取ったり年齢に関係なくガッツ溢れるプレーが飛び出したりと多くの収穫もあったしそして大きな怪我もなく最後まで皆が精一杯プレーでき楽しみ喜び合えたことが何よりも良かったと思うまた私は小学年から今まで年間野球をやってきたが年の離れた弟と同じチームでグラウンドに立つ機会は無かった今回私の野球人生において初めて弟と一緒にプレーできたことがこの笠岡ワールドブラザーズに参加して一番嬉しかった事で何不自由ない身体で野球ができるということ更に弟と一緒に野球ができるという喜びを感じながら試合できたこと笠岡ワールドブラザーズに誘ってくださった大教会の上原志郎さんチームメイトの皆さん応援してくれる両親に感謝の気持ちでいっぱいです本当にありがとうございました私たちが野球をできるのもこの元気で健康な身体を使わせていただけるからであります私の尊敬する野球選手に桑田真澄という選手がいます彼は歳にしてメジャーリーグに挑戦し勉になれるチャンスが巡ってくるところにあると思強をしたいといういつまでも夢を追い続ける姿がいますそして人それぞれの特徴を生かして私は好きですがそれだけではなく彼の感性にポジションを組み立てることができるため老若尊敬していますというのも桑田選手は月に男女を問わず幅広く受け入れられるスポーツであ足首の手術をしたのですがその後の彼自身のブりますこの野球を通してよふぼくになった方もログにこのような事が書かれていました命おられます新たな野球大好きメンバーをいつでがあること健康であることがこんなにも有難も募集しています私も是非やってみたいというく重みさえ感じるね元気な時はこんな気持ち方がおられましたら大教会の上原志郎さんまでにはなれないし考えもしないけど生きているご連絡下さい資格はよふぼくであれば誰でもこと健康であることがとてつもなく凄いんだ参加可能です野球を通して笠岡に繋がるよふなと思う名誉や富権力学力実力などそぼくの輪を広げ絆を深め合えたらと思いますれはそれで大事かもしれないけどそんなことよ皆様これからも暖かい応援よろしくお願いしりもまず生きていること健康なことが番ますありがとうございましたに大切だよねと信仰あるないに関わらずこのように感じられる桑田選手の感性は素晴こころの詩らしいと思います私にとって笠岡ワールドブラザーズは始まったばかり常日頃から当たり前が当たり前でない感謝の心を忘れず来年の全国大会に向けて一歩一歩成長していけれたらと養徳社発行陽気誌十一月号道柳より転載今回の課題は久選六十七句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子思います節目の日初代の道を久に説く野球はとても魅力あるスポーツですそれは順番に打席に立つので選手みんなにヒーロー表紙の切り絵芦品分教会佐木ふさ子さんよふぼく談話室ある日のレストランで私は月に一度は市へ出かける用件がありますその折昼食のためバイキングの店をよく利用しますここは安くて品数も多くバラエティに富んでいて楽しい食事ができるので嬉しい店なのです人気もよくいつ行っても大勢の人で賑わっていますがしかしいつも気になることがありますそれは残飯の量ですバイキング方式なので何をいくらでも皿にとっていいわけです故に人間の欲はこんなところにも如実に現われるようです喰わねば損とらねば損とばかりしこたま皿へ盛る人が多いのです人間の胃袋はたかがしれています喰えるだけずつ何回でもとってくればいいのですがそんなことはおかまいなしです見ていてそんなに喰えるんですかと云いたくなるほどですいきおい残飯になりますテーブルが多いだけにその量は半端ではありませんよく見ていると若者だけではなく中高年層も結構多いのですその中でも我慢ならない風景は子供連れの若い夫婦の食べ方です子供がどれだけ食べるかは親が一番よく知っているはずですしかしとらねば損とばかり盛りあげて皿にとるから食べられるわけがありません子供達の前で大量に残して立去るわけですから子供は食べ物は残してもいいんだという思いが植えつけられてしまいますその子供がそのまま大人になるからこれは末恐ろしい話ですもったいないの心などあろうはずがありません今世界中で食べ物がなくて死んでいく人は一日に四万人から五万人といわれています今の日本では考えられない出来事ですがこれは現実ですよその国の事だとのんびりしてはおられません現にオーストラリアが旱魃で小麦に打撃を受けていますそれが日本にどう影響するかいわずとしれたことです教祖は菜の葉一枚でも粗末にせぬようにすたりもの身につくでいやしいのと違う教祖伝逸話篇百十二と仰っています話はかわりますがこの店でもう一つ気になることがありますそれは箸の文化が崩れている現象です日本独特の文化はたくさんあります畳の文化障子の文化床の間の文化壁の文化茶の文化花の文化と教えればきりがありませんその中の一つに箸の文化もあります箸の使用にはいくつかのタブーがあります例えば迷い箸ねぶり箸渡し箸つつき箸等まだまだありますが見ていると箸の持ち方がデタラメです特に若者や子供達に多いようですがあの持ち方でよくもまあ物がつかめるもんだと妙に感心してしまいます箸の持ち方一つ躾られていない子供達が親になっているわけですから我が子にも躾られるわけがありません日本のあらゆる文化はこんなところから崩壊していっているようです美しい国日本どころではありません私達道の者からもったいないを実践していきたいものです原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の慈しみ深い親心によります天然自然のお働きや私達の心一つの理におくら貸し下さっております身体の自由の御守護のままに日は結構に恙なく生活させて頂き心の成人へとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます教祖を通して救けて頂いた私共は日生かされている喜びを胸に朝夕に御礼申し上げつつ御恩報じを思いに念じて世界一列救けたいとの思召にお応えするべくつとめとさづけにをいがけおたすけを通してたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いております分けても今日二十一日は月毎の御祭を執り行う目出度い日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心を一つに睦び合って明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集い日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年もあと一ヶ月余りとなりました年頭に定めた心定め完遂に向け精一杯成人の歩みを進めさせて頂いておりますが遅たる歩みにも関わらず親神様には温かくお見守りお連れ通り下さっております事喜びよりも申し訳ない気持ちで一杯でございます只私共の成人の歩みよりも世の中が荒んで行く方が早い現状を思う時立ち止まったり躊躇している場合ではありません本年は元より次の塚へ向かっておつとめ奉仕者増員を何をしてでも果たすべくたすけ一条の御用の上に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には親孝心一筋に脇目もふらず成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚一層の親心を頂戴し自由の御守護をお現し下さいまして用木一人ひとりの真実が未だ道を知らぬ人に一人また一人と伸び広がって行きお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先大教会だより教会指令移転建築願東悠分教会移転元東京都世田谷区桜新町一ー二五ー二一移転先東京都町田市つくし野三丁目一四番地五奉告祭第七九七期修養科教養掛三ヶ月間岡﨑和夫弥髙山分教会長一ヶ月目高島定彦出雲分教会長二ヶ月目上原志郎大教会役員三ヶ月目瀨良善彦髙児島分教会長修了者笠岡陶山弥髙山陶山葦沼柴田卓志上原繁次岡﨑ひさよ上原宏恵三島直美教会長資格検定講習会修了者後期終講稲倉北川雅子前期終講大江橋村川明今年五月上旬のある日教会の玄関先で四人が立話をしていたすると一人のおばさんがあねえなとこれえホオジロがおるでと云うみると二羽のホオジロがサツキの枝から枝へ忙しく動いているするとそのおばさんは何を思うたかサツキの下に置いてあるタヌキの置物へ近づきそれをパッと持上げた一体何をするのかとわけの解らぬまま見ていたがおばさんはタヌキの腹の中から鳥の巣を引っぱり出したのである何とその巣の中には生まれてまだ二三日の丸裸の赤いヒナが三羽いるではないか三人はあわてて早よう元へ返しんせえ巣をもとにもどしたが見ていると二羽の親が交代で一度づつ巣の中へ入ったがやがてどこかへ飛び去ってしまったそして二度と帰ってはこなかった三羽のヒナが哀れでならなかった人の手で育てるにはあまりに小さすぎるし素人の手におえるものではない自然界に人間が迂闊に手を出すものではないし野性の動植物にチョッカイは禁物である云い替えれば神様の懐にヅカヅカと踏み込むものではないと思う諺にやはり野におけレンゲ草というか