かさおか

『かさおか』第45巻 第7号

一年間を通しておぢばを賑やかにしよう毎月一千人のおぢばがえり五十万軒にをいがけとおさづけの取次理の立つ信仰のあり方六月月次祭祭典講話本部員高井猶久先生去る月日大教会月次祭に縁故ある高井猶久先生をお招きし親しくお話を頂戴いたしました長い間おぢばでおつとめくださった先生はアフリカでの布教経験談なども交えて御守護をいただく元について現代のお道が抱える問題点を縦横に断ち斬り今私たちのあるべき心の歩み方を平易にかつ示唆深くお示しくださいました今後の笠岡私たち自身の発展を期してここにほぼ全文を掲載いたしますので字間行間に込められた先生のお心をしっかりと汲み取り学ばせていただきましょう御守護をいただく元私たちお互いにこのお道を信仰さしていただいております限りは何かにつきまして親神様の御守護を求めて信仰しているはずであります何もこのお道に限らなくても人間というものは皆幸せを求めて生きているのでありますましてやこの親神様教祖から教えられております御教えを自分の天分として布教に専従して通らせていただいているお互いよふぼくは人様に喜んで貰いたいたすかって貰いたい一心でそのためには我が苦労や我が苦しみを厭わずむしろ自分の楽しみとして教祖のおひながたを見つめて日通らせていただいておるつもりでありますこのお道が始まってからつとめとさづけは道を通るお互いにとっては絶対に欠くことのできない大事なことであると教えられて以来今日まで百有余年私たちは今も尚それを信じて日を通らせていただいているのであります釈迦に説法あるいは屋上屋を架すことになるかもしれませんが御守護をいただく元というものを一度考えてみたいと思うのであります御教えの元を振り返る教会や布教の現場にあっては現実には身上や事情の相談が多い訳でございますから勢いそうしたことに対するお諭しや悟りの話が主流になることは多いと思うのでありますそのために原典に関する勉強はついつい後回しになってしまい易いのであります代を重ね長年信仰生活を営んでいる間に熱心のあまりに知らず知らずのうちに教祖から教えられている御教えが少しずつずれてきているということも無きにしもあらずであります私達お互いにもう一度この点を振り返ってみてずれているところはやはり直していかなければ時間が経てば経つほどその幅は広がっていくのであります御守護の元はおつとめこの世は親神様の御支配の元に全てのものが成り立っていることは皆様方充分ご承知のところでございます親神様ふは全ての命あるものに対して殖えるという御守護をくださっているのでありますその御守護のお陰で全ての命あるものは永遠に繋がりしかも生まれ更わる道中に進化するという御守護をいただいて末代に繋がる楽しみをお与えくだされているのでありますそうした親神様のおはたらきが人間にとって分かりやすいように理解できるように知恵の守護そしてまた文字の守護を成しくだされているのでありまして現在の世界の全ての文明医学科学その他諸の発達は人間が生まれ更わりを繰り返しながら知恵の発達文字の発達の御守護によって今日のような結構な世の中にしていただいているのでありますこのおつとめは親神様の自由の御守護によって人間をお創りくだされたその守護の理おはたらきの理を私たち人間の心得違いを正させるために親神様がお与えになっている事情や身上をたすけるためにこの世において再現願うおつとめなのであります万物の成り立つ根本はおつとめ月日親神様はこの世の元の神実の神様であります八柱の守護の理は親神様が道具としておつかいになりましたその道具の理に与えられた神名でございますたいしょく天のみこと艮のおはたらき親と子の胎縁を切る役割と息の終わりあるいは思い切る決断の心のおはたらきその他切ること一切のおはたらきを成しくださいますかといって切れるべきものが切れなんだり切れたら困ることも多あるのでありますそこはやはり人間にとって都合のいいように切れるべきものが切れ繋がるものが繋がらなければなりませんあるいはくもよみのみことのおはたらきは人間の飲み食い出入りあるいは水気上げ下げあまり水分が多いと困りますしありすぎるとまた困る多くても少なくても困るのでありますまた飲み食い出入りに関しては人間は自分の好みで食べるわけですから好き嫌いがあって好きなものは食べるが嫌いなものは食べないということになりますとその食べた物から摂取された栄養は消化されて必要な部分に送られるのでありますが栄養が足りるところと不足するところが出てまいりますいわゆる栄養のバランスが崩れるのでありますそしてその崩れたところが痛むということに結果としてなってくるのでありますまたくにさづちのみことは全てのつなぎ慈悲の心のはたらきその他金銭縁談よろずつなぎのおはたらきを成しくださいますやさしい心温かい心でありますまた月よみのみことは男一の道具および全てつっぱる心のはたらき立てつっぱりこの世の中には何かにつけてつっぱる方がございますがあまりつっぱりすぎるとこれも困るのであります全てのものが立ってあるのもこのおはよたらきに因るものでありますかしこねのみことは風あるいは息吹き分けのはたらき言葉による人をたすける心のはたらき暴風雨のように強い風であれば何もかも吹っ飛んでしまうわけですしやはり人間にとってそよそよとした心地良い風でなくてはなりません言葉遣いによって人を喜ばせることも怒らせることもできるのでありますまたをふとのべのみことは人間子供生まれ出るときの親の胎内から子を引き出すおはたらきよろず新芽を引き出してくださる全てのものを引き出すはたらきをしてくださる我人間世界でもよくお引き立てをいただきましてというようなことを言うわけですがやはり相手に引き出していただいて人間はお互いに成り立っているのでありますいざなぎのみこといざなみのみことは真っ直ぐの心一すじの心神様より定められた心のはたらきでありますこのようにそれぞれの親神様から与えられたはたらきや役割あるいは性格というものを考えましたときにそれは良きにつけ何かにつけて非常に個性の強いものでありますしかしながら親神様の傘下に入ってまいりますと親神様の御守護をいただけば親神様の思召に叶えばそれぞれの持っている個性が生かされるということを象徴されたおつとめであります全てのものの成り立つ根本のおつとめなのでありますこれらの役割やはたらきは全てぬくみをもたりのみこと様水気くにとこたちのみこと様の御守護があればこそ成り立っているのでありましてこのぬくみ水気の御守護がなければ全ての存在は成り立たないのであります即ち月日親神様の水の守護および人間の身の内の眼うるおいのおはたらき素直な心一すじ心のはたらきあるいは五分五分のぬくみ火の御守護温かい心たすけたい心のはたらきこうした親神様のおはたらきを戴かせていただくことによってそれぞれの個性が充分に活かして使わしていただくことができるのでありますつとめ一条でみなたすかるそれぞれの親神様の思召に叶う行ないや心遣いをするときにはそれぞれが前生から持たせていただいておりまする全てのものが活かされまたそうした場が与わるかそうした能力を見つけ出して貰える人に巡り逢うか何れにいたしましても自分の人生の上にとって大きなチャンスになり大きな分岐点となって何もかも思うように事が進むのであります逆に親神様の思召に添わない行ないや心遣いがございますと何かにつけて上手くいかない思うようにならぬがいんねんと聞かしていただきますように人にも物にも金にも恵まれず結果として身上や事情で苦しまなくてはならなくなる時には命を落とすことにも繋がっていくのでありますまたそういうときに限って自分だけがなぜこんな苦労をしなければならんのだろうなぜこんな身上で苦しまなければならんのだろうと人一倍苦しみもがいて神様を恨み挙げ句の果てには自暴自棄になって世をすねてみたり自殺するといったことにも繋がっていくのであります神様のお言葉にしんちつが神の心にかなハねばいかほど心つくしたるとも十二号と仰せの通り我が身我が家の中で事情や身上が起こってくれば人間の知恵力では治まらないということは皆様方ご自身がよくご承知のところでありますそんなときにはしっかり最寄りの教会に足を運ばしていただいて訳分からんながらでもおつとめをするということが大事なことであります一心不乱におつとめをすることによって御守護をいただくことができるのであります人間は直ぐ何でも分かりたがる癖を持っているのでありますしかしながら人間は分かったからというてそれじゃ実行するのかといえば分かる分からんと実行するということは別問題でありますそういうことが分かるようにまた修養科があり検定講習会があり現在では基礎講座や三日講習会その他諸に開催される講習会がおぢばでは信者さん達にいろいろと教理を勉強する場をご用意くだされているのであります一口に申せば一心不乱に親神様の思召に添う心を定めておつとめをつとめたらそれでよいのであります何もかも分かってくるのはうんと時間が経ってからであります事情や身上のさなか最中何がどうなのか分からないのでありましてそういうことが分かってくるのはそれこそ十五年二十五年経ってからいろんなことが分からしていただくのであります逆に申せばおつとめをしなければ御守護はいただけないのであります教祖は素直が神の望み人の笑いを神が楽しむといろいろ仰せいただいておりますがそのためにはやはり自分自身の癖を性分をとるということも大事なことなのであります御守護をいただくためにはぢば一条神一条の精神で親神様の思召に添う心定め私たちは真剣に道を通っているつもりでも心遣いが教祖のお心即ち神一条の精神から外れるときにはたとえそれが無意識な行ないであってもどんな小さいことであってもそのことは教祖にお喜びいただくことにはならないのでありますむしろ御心配をかけることになるのでありますそればかりか銘の身上や事情あるいは教会をあずかる者の立場から言えば教会の事情になるということもありうるのでありますそこにはやはりどうしても反省がなければなりません思召に叶うた反省があって初めてぢばの理を聞き分けるということができてくるのでありますぢばの理に添うということは親神様の思召に添うということと同じであります自分の考えや行ないがもっとも正しいという思い上がりあるいは自信過剰な点はお互いにこの際そういう点がないかどうか一度自分の信仰チェックをしてみる必要もあるのではないかと思うのでありますぢばの理がしっかり身についていなかったならばたすけ一条の道は少しも進歩したことにはならないのでありまして教会はお許しいただきたいと願い出た者の心にお許しをいただいたといういわゆる元一日を常に心から忘れないように治め向きの御守護をいただく必須条件なのであります時代が変わり建物が変わっても人の心が変わってはならんのでありましてそのことは親神様はひながたの中で教祖がとくとお教えくださっているところであります私たちの信じる親神様は人間創造の元の親である都合のいいように解釈していることがないかどうかということを時反省してみる必要もあるのではないか私たち信仰者の思案や行動は教祖の教えに自分を合わせさせていただくことから始まっているのでありまして教会が治まるのも治まらないのも家庭が治まるのも治まらないのもお互いに身上や事情にお手入れやお知らせをいただくのもいただかないのもそれは皆その人その人の胸次第心次第なのであって常に心得なければならないのは私たちの心に教えを合わすということではなくてこの順序の違わないことをわきましっかり弁えなければならんと思うのでありますいんねんを自覚してさて私たちの日の生活を考えましたときに親子兄弟夫婦また諸の人間関係全部お互い前生前生からの通り来たりの道によってこの組み合わせは神様がそういう組み合わせをつくってくださっているのでありましてそういう人間生活私たちの日の生活は一生の内に自分が直接関係を持つのは肉親を始め諸の人間関係全部数えてみましても百五十人か二百人そこそこでありますその中には無くて七癖と言われる性分を持った人間の集まりでありますからいろんな癖性分の方がおられるのでありますでもそれはお互いの前生前生からの通り来たりの道によってそういう組み合わせは神様がつくっておられるそれはお互いそういう癖性分をいんねんを切るように神様がそういう人間関係を与えておってくださるのでありますところが人間は常日頃何でもないときにはいんねんがどうの何がどうのと分かったようなことを言うておりますけれども一度節を見せられたときには常識を持ち出してあれやこれやとお互いに批判をするということが多いのであります言うなれば常識という定規を持ち出して上級やあるいは大教会に対して上級はこうあるべきだあああるべきだああでないといかんこうでないといかんまた子供は子供で定規を持ち出して親に合わせ子供はお互いにその定規を親に合わすどっちもが常識という定規をお互いに合わせおうてそして顔と顔と付き合わして毛穴に溜まっている埃垢まで目に付いてお互いに批判し合っているお互いにそういうことになればそれこそ御守護いただく目安というのは何処にもなくなっていくのでありますお互いにそこに見せられた姿を通してそれを自分のいんねんとして自分がどうさんげをしようお詫びをするかそこからおたすけは始まるのであります勇み立って特に現在のような難しい現状ではそれこそ神様のお話を素直に聞こうという人は極少ないないと言っても過言ではありませんしかしながら一頃のようにそれこそこのお道が爆発的に伸びた時代あの当時のように珍しい不思議が雨後の竹の子のごとくに現われてきたならどうなるかそれこそ問答無用になってくるのでありますそういう御守護を今こんな時代だからこそいただかなけりゃなりませんそのためには今の私たちに一番足らんのががむしゃらさでありますこのお道が爆発的に伸びました当時それこそ世間一般からの迫害干渉今では信じられないような反対攻撃があったのでありますそんなときにこのお道は伸びたんですなぜ伸びたかと言えば珍しい不思議がどんどん現われてきたから伸びたんです今こんな時代なんですそれこそ珍しい不思議がどんどん現われてくるそんな御守護をいただかにゃなりませんそのためにはがむしゃらにおたすけするしかないんです教えられたことを教えられた通りにそしてまたおさづけの取り次ぎ方も教祖から教えられた通りにおさづけを取り次いでいないということも大きな問題点であります例えば私が料理のことを何も知らないとしても説明書に書いてある通りにすれば何とか口に入るものができるところが五分でよいところを十分やってみたり醤油入れにゃならんところを砂糖を入れてみたり塩を入れてみたりとそういう勝手なことをするから喰おうに喰えんものができる言うなれば教えられた通りにおさづけを使わずに失礼なことを言うようですがいい加減なことをしておいてそして御守護がない御守護がないと神様を恨んでいるやはり教えられた通りにおさづけを使わしていただくということもこれ一遍考え直して見なけりゃならん点ではなかろうかと思うのであります仮席の中で一番最初に出てくるお話が時間を仕切って願えと一番長い仕みっかみよさふつかふたやいちにちいちや切り方は三日三夜二日二夜一日一夜という願い方がございますですからよふぼくとして相手の病状をよく聞いて三日三夜にするか二日二夜にするかあるいは一回切りのおさづけでいいのかそういうよふぼくとして判断するそして判断したらそれをやはり神様に申し上げる柏手二つたたかしていただきましたらそこにもう神様下がっておられるわけですからその神様に何町何番地何の誰がし何歳何時から何処がどう悪いこういうふうに心定めさせていただきましたついてはこういうふうに御守護いただきたいと願いの筋をはっきり申し上げてそしてお取り次ぎするしるし三日間のお願いをしてもなお徴をお見せいただけないときにはまた三日どんなに長くかかる場合でも三日三日と仕切りを付けて願うていくのでありますそしてまた一人の人がおさづけをいただく回数は六回までと決められております朝一回昼一回夕方一回宵の口一回夜中一回朝方一回と六回までであります自分が病人さんの側に付き添うておるからというてのべつ幕なしにどんどんどんどんおさづけするということはそれでは真実が届かんのでありますそしてまた目耳鼻口両手両足と人間には九つの道具がありますけれども順序としては上から下へ前から後ろ下の方をしておいて次に上ということのないようにですねそして目の場合は目元から目尻へ耳の場合は頭の上まで手を持っていって手を割って撫でさせていただく両手両足は別のはたらきを致しますので右手は右手左手は左手右足は右足左足は左足別にお取り次ぎ教祖殿や神殿で見ておりましても頭の先から足の先まで一遍にザーッと撫でている姿をよく見受けるのでありますそしてまた次に大事なのは直肌に取り次げと聞かしていただいておりますこのことも私はアフリカへ行って布教して参りましたがシャツをほとんどの方が着ておりませんので自然に裸になっているような感じで取り次いだわけですがマラリアなんていうのはもの凄い熱ですそれが撫でる間にスーッと熱が下がっていくのが手で分かるんですよ四十何度の熱がスーッと下がっていくあるいは熱帯潰瘍という血膿でズルズルになった人そういう人もそれこそ川底を撫でているみたいですね血膿でズルズルになっている一月ほどして行ってみたら綺麗に皮が張っている大きなカサブタがポコッと外れる下に綺麗な皮が張っているそれはもうアッと驚くような御守護を随分お見せいただきましたその当時それだけの経験をしておりながら私自身おさづけの理というものは理のものでありますからなぜ直肌でないといかんのかなぁという疑問は私自身ずぅと思っていたそして帰りましてから丁度布教部長をやらしていただいているときに胃癌を患いました胃を四分の三取られたんですそのときに憩の家に入院しましたから来てくださるいろんな先生方がおさづけしてくださるこの切り口というのはね熱を持っているでしょう冷たい手で触って貰うたらもの凄う気持ええんですねそしてまた切り口というのは痒いんです人によってはガサガサの手やら温かい手やらいろいろありますからその手で撫でて貰うたらもの凄う気持ええんです何れにしても気持ええんですそれで私は納得いったんです成る程直肌というのはこのことやなとやはりおさづけするときには勿論そういう直肌を見せられない場所がありますのでそういうときにはこういう場でございまするから服の上からでお許しいただきたいあるいは寝巻きの上からでお許しいただきたいちゃんと神様に願わなければならないということです神様にお許しをいただいて服の上からお取り次ぎをするそれ以外は必ず直肌何も素っ裸にならなくてもお腹ならお腹腰なら腰へお取り次ぎさせていただいたらいいわけですそしてまた一人の人が頭痛い胸痛い腰痛いとか病むところが二ヶ所あるいは三ヶ所ある方がございますその方にも先ず頭三回三回三回それから次に頭から胸に移るときには言上だけなんです次に胸に移らせていただきますという言上だけで手はたたかないそして胸に三回三回三回それを終わったら次に腰に移らせていただきますと言うて腰に三回三回三回おさづけというのは丁寧にお取り次ぎするということもこれ大事なポイントではないかと思うのであります今なすべきこととにかく動く私も癌を患うた後心筋梗塞それから脳梗塞もやりましてどれ一つ取り上げても本当に命と引き替えになっても仕方のないことでございましたが何とか先祖さんの徳のお陰でこうして元気に使うていただいておるのでありますですからそれぞれの家庭でいろんな事情や身上がむしろない方がおかしいんであります大なり小なりみんなあるはずなんですそれをお互いそれぞれ信仰する者がそれが自分にとっては丁度良いんだと身上も事情も姿形も何もかも自分にとっては丁度良いように神様がしてくださってるんだと悲しみも腹立ちも何もかも自分にとって丁度良いように神様がお与えくださっているそう思えばあまり腹も立たん何もかも自分に丁度良いように神さんお与えくださっておるですからしっかりおさづけ取り次がしていただいて病気が治るとか治らんそんなことを考えるよりも数をたくさん取り次ぐようにしていただきたい数をたくさん使わしていただいている間に親神様が陰へ回って微妙なはたらきをなさるそういうことがよく分かってまいりますそういうことが分かってきたらそれこそ意欲も出てまいりますし自分の口から出る言葉に力もついてまいりますとにかくひのきしんをするお道の人間は先ず動くということひのきしんするそして後はおさづけを取り次ぐおつとめするこの三つなんですと言うて三つとも百点でなくてもその人その人にとって精一杯であればそれで充分神様は受け取ってくださるんですをやの声に素直に例えばこれだけの物を持ち上げようと思ったらそれだけの糸なら糸の太さが要るんですが人間の考える精一杯というのは八分どおりあるいは精頑張っても九分どおりなんですこれではそれだけの糸の太さだけでは上がらないですそこに親の声というものが助け船と同じであります自分にとってはそんなこと言うたって無理ですわと思えるような話あるいはおつくしこれだけしなさいそんな金もあらへんのにどないしますとあるいはこの忙しいときにそんなことやってられませんわと人間思案から言うたらそういうことなんですそんなときにできるかできんか分からんけど親の言うことならとにかくやらして貰おうという勢いですねいわゆるがむしゃらです半分やけくそでもええですわ結果としてようそんなことでけたなあとようそんな身上たすかったなあといわゆる珍しい不思議がそこに結果として出てくるのであります上級部内理の親子これだって神様が前生からのいんねんを見てそういう縁を結んでおってくださるんです肉親の親子だって勝手に頭の良い賢い子をよ選って産むわけにいかないし自分の子だからというて自分の思うように育てられないそのようには育たないんです皆それぞれ前生からの通り来たりの道をみて神様が良いように良いように導いておってくださるそれを自分の考えで勝手にどうじゃこうじゃとそれがたすからん元になっていくのであります今年おぢばを賑やかにしようと真柱様から聞かせていただきましたができるかできんかそんなこと関係なしやとにかく一人一人がその気になってやればできるんです要は本人がやる気になるかならんかということだけであります一人一人がその気になって声をかけたらそれはできるんですおぢばの声に添うということは一生懸命に添おうと思ってやったら有形無形に神様がたすけてくださるんですさしてくださるんです例えば四十年祭当時の倍化運動の時代皆さん方余り経験ないかもわかりませんがあの当時でも本部から教勢倍化と声が出た皆その気になってやったから倍化できたんでしょそれを人間思案でそんなこと言うたって判だけ百個集めて教会にしたって後苦労するでと思ったところは未だに分教会のままなんです増えない訳が分からんながらでもとにかくおぢばからこんな声が出たやらせて貰おうと思ってやったところは大教会になっているそれはもうハッキリしているんです苦労を先送りしないですからみなさん方もとにかくこんな時代だけに不思議珍しいをやっぱりどんどん見せて貰わなきゃあかんのですからそのためにはがむしゃらにおたすけしまくるとかあるいはこんな時代ですからそれはお金がなかったら生活もできにくいでしょうけれどもそれでもその気になったら仕事やめてでもやろうと思うたらやれるんです食べ物でもそこら中何ぼでもありますしそれはまぁお金がなかったら不自由やその苦労を先送りにしていることが多いんじゃないでしょうか特に若い人今せにゃいかん苦労を何じゃかんじゃいうて苦労を先送りにしている人間は段年とってくるんですから年とったらその苦労は倍増してくるんですそれこそワラジ履いてでも苦労せいと教えて貰うているんですから若い間にエネルギーのどんどん湧いてくる間にそういう苦労をしておかなければ年とってからそれこそ体が付いてこんようになってきたらそれこそどうしようもなくなってしまうのでありますまぁひとつ特に若い方よぅしというぐらいの気になってひとつ頑張っておたすけしまくるというような日に頑張っておつとめいただきたいと思いますどうぞ宜しゅうお願いいたします文責編集掛こころの詩養徳社発行陽気誌七月号道柳より転載今回の課題は成選五十九句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠東悠分教会長夫人田林美智子成って来る姿に思案理の世界健康長寿しまね推進会議が島根県内の小中学校へ平成年度健康づくり標語を募集したところ出雲市大社町の荒木小学校年生の木村紗英さん瑞雲分教会少年会所属が見事に島根県知事賞に選ばれました去る月日に島根県民会館での表彰授与式で表彰されましたその標語は日のスイッチ入れる朝ごはんでした紗英さんはこどもおぢばがえりに歳からずっと参加しています教えを守り勉強もできる活発な少年会員ですしてあげたい心でこの世を満たしたいあれが欲しいこれも欲しいこうしてほしいああしてほしいこれはいわば子心逆に人にこうしてあげたいこうすれば喜んでもらえるだろうと行えばこれは親心してほしい心は時に不足を生みます期待しそれがかなわないとなんだあの人はとなるからですだれもが周りの人にわが子や愛する人に対するように無条件に思いやってゆけばもっとこの世は住み心地いいでしょう多くのしてあげたいを集めて親心共同体が築ければいいなと私たちは提言いたします天理教ホームページより笠岡ワールドブラザーズ野球チーム県大会決勝戦敗退教会本部主催の行事に布教部全教野球大会がある知る人ぞ知る行事であるが毎年各県を勝ち抜いた強豪チームで月日よりおぢばで全国大会が開かれる我の少し上の年代の笠岡のチームはこの全国大会の常連チームだったそうだが我の年代に至っては全国大会に行くのは試練のことであるそれもそのはず人数集めに始り練習もほとんどすることなく地区大会に参加するのだから今年も然り試合に人集まったものの毎年メンバーの高齢化と練習不足がたたり惜しくもで岡山大教会に惜敗してしまった例年ならやはり今年もだめだったかで終わるが今年は昨年からの呼びかけで新しく大学生のメンバーが二人そして長年遠のいていたメンバーが復活してくれ新チームのつもりで戦った悔しい思いも含めて敗戦後すぐベンチで反省会をしたそれでも笑って頑張ろうと言える笠岡らしいチームで良かったじゃないかという意見がでて来年にかける課題も見えた何事も出た良い結果よりもそれまでの様な過程が楽しいのである笠岡の野球チームも今始ったばかりこれからが楽しみである弱くてもあすなろ精神で来年の全国大会出場を夢見て来年に望みますなおこの野球を通してよふぼくになった方もおられます是非若い人達で野球を経験されている方私も是非やってみたいと言う方がおられましたら大教会上原志郎まで一方下さい資格はよふぼくであれば誰でも参加可能ですこんなところにこんな逸材があるという情報があれば一方下さい教区主催で土砂降りの悪天候の中にも一時晴れ渡った間に野球が出来て良かったですありがとうございました世話係上原志郎第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目横山逸郎大教会役員東城分教会長福島泰道瑞北分教会長内海安子島中分教会長平盛秀年福昭分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴こどもおぢばがえりについて詰所へ到着されたら宿泊者と食事の数を必ず事務所にご報告ください変更の有無に関わらず大教会長さまより帰参の感謝状と記念品をお渡し頂きます帰参した日の午後時より教会の責任者と少年会員の代表者は事務所前の応接室にお越しくださいおやさとパレード見学について交通安全周辺道路の交通事情騒音迷惑などにより大型バスは運行禁止としますご理解ください中型バスマイクロバスについては運行して頂いて結構ですがなるべく歩いて参加して下さい食事について時間申し込み弁当業者夕食の時間は午後時から時までにお願いします午後時以降の食事はご遠慮ください保健所からの指導がありました食事をされる日前の夕方までに詰所へご連絡くださいなお食数の変更は減らすよりも増やす方が簡単ですので人数がはっきりしないときは少なめに申し込み出発当日に正確な数を連絡してください食事をされる日前の午前時までに詰所へご連絡くださいなお変更はできません業者のチラシは希望者にお渡しします水について詰所では絶対に生水は飲まないようにしてくださいお茶を用意しております水は親神様からのお与えです粗末にしないように指導して下さい入浴について風呂場では暴れたり騒いだり湯に潜ったりしないよう引率者は子供達といっしょに入って入浴のマナーの手本を示してください水不足のうえから特に水を大切に使うよう指導して下さいおつとめについて詰所では毎朝時からおつとめの放送をします各部屋でそれに合わせておつとめをしてくださいラジオ体操について毎朝おつとめにつづいてラジオ体操の放送をします廊下玄関前などで体操をしてくださいカードには引率者の印鑑を押してください目標めどうについて期間中詰所内に目標を掲示します実行するよう子供達に手本を示してくださいこどもおぢばがえり期間中の詰所行事わかぎひのきしん期間中帰参した中学生に食堂ひのきしんをしていただきます毎朝時からの育成放送をお聞きください模擬店開催日内容チケット月日金日日月日火日木いずれも午後時から時までたこ焼きフライドポテトかき氷スーパーボールすくい輪投げいずれもチケット一枚円枚綴り円を開催日の午後時半から階渡り廊下で頒布パターゴルフ模擬店開催日の午後時から時まで階渡り廊下にて実施無料ビデオ上映月日から月日までの間毎晩午後時半から時まで修練室北棟階西にて上映無料クイズ月日から月日までの間詰所内各処廊下階段おどり場などに展示小学生低学年高学年中学生コース解答者の中から抽選で景品をプレゼント原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい六月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様にはこのみちをはやくみとふてせきこんださあこれからハよふきつくめやと慈しみ深い親心のまにつくりくこの世と人間をお創造下さりお育て下さるばかりでなく旬刻限の到来を待ってこの世の表にお現れになり万一切を明かされると共に不思議自由の御守護を現し実の親であることの証を示して御恩報じを願う真実の人をお引き寄せ下さいまして陽気ぐらしへ向かうたすけ一条のこの道をおつけ下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はかしものかりものの御教えを心に湛えて日は喜びと感謝一杯の心で通らせて頂いております加えてたんのうの心を磨きつつどんな中も喜びに変えて御恩報じの思いを強め朝夕に御礼申し上げると共にたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は六月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心を一つに睦び合って明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には旬の喜びを胸に今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今世上では経済を始め心の面でも二極化が進んでいるように思われます貧富の格差が益広がりを見せ人の心も荒廃が進みより非道さを増しておりますまさしくたんくとをんかかさなりそのゆへハきゆばとみへるみちがあるからのお言葉通り人間としての心を失いつつあるように思えてなりませんそんな世上の風潮に流されることなく道の子供達は教祖年祭の年を意義あらしめんものと勇み立ち一年間を通しておぢばが賑やかになるようににをいがけおたすけにと成人の歩みを進めさせて頂いておりますが只おぢばにお誘いするだけでなく少しでも喜びと感謝の心を持って頂き御恩報じする心になるまで丹精させて頂く所存でございます又本日はおぢばより本部員高井猶久先生にお越し頂いております後程親しくお話を聞かせて頂いて今後の成人の歩みの糧にさせて頂く所存でございます更にはまた目前にせまったこどもおぢばがえり十万人増員に向け尚一層心を奮い立たせ募集に励ませて頂きます何卒親神様には皆の親への御恩報じ一筋の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り一列子供が真の親を知り一列兄弟の理に目覚めて互いに助け合う陽気ぐらしの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先大教会だより辞令発令会長室常詰神事部会計部庶務部布教部海外部史料部管理部室長武内清森本忠平岡﨑真一今川昌彦上原志郎企画運営担当武内清田中一之上原繁道吉岡お運び担当上原澄雄壽武内清田中一之門脇誠教岡本久善上原繁道佐藤道孝吉岡岡﨑和夫中島誠治吉岡誠一郎上原きよの淺野明教壽河原節喜部長岡本久善中村邦義田林志計實上原澄雄森本忠平岡﨑真一西江昌直三島渉中村道德笹尾正治今川昌彦中村義太郎上原浩上原志郎岡﨑輝彦小坂静宏福田勝高山森雄岡田誠渡邉隆夫部長次長武内清田中一之今川昌彦上原志郎北川勇部長次長上原繁道岡﨑真一今川昌彦山野弘実藤本芳久津森朋之佐藤憲美田中亜輝武内清和部長次長次長佐藤道孝中村剛谷内伸自岡﨑和夫西江昌直杉原博之中村義太郎田中隆之山野弘実吉岡誠一郎内海安子森本忠善室悦子福島大介鳥井利昭武内清明北川治史三代幸三代温生渡邉眞次部長次長田中一之上原志郎上原眞雄中村義太郎山野弘実吉岡誠一郎上原順子吉岡貞彦津森朋之香取雅人上原聡藤井正仁佐藤哲部長次長上原繁道岡﨑和夫西江昌直吉岡輝昭香取雅人淺野明教部長次長岡﨑和夫中村義太郎門脇元教高木昭祥横山逸郎田中隆之山野弘実森本忠善赤木素志桑田則昭平盛秀年渡邉孝信武内清明虫明立生防災管理者中村義太郎電気管理責任者桑田則昭詰所掛輸送掛編集掛教養掛育成掛婦人会青年会少年会学生担当委員会危険物取扱責任者中村義太郎車両管理責任者今川昌彦食堂員ふとんひのきしん客殿会長宅主任岡﨑和美内海安子今川佐智子岡本弘子中村理恵淺野はるえ今川直子安斉真澄内海安子淺野はるえ髙田賀代子岡本弘子今川佐智子岡﨑和美上原千枝子高木孝子横山小智栄門脇加津田中つかさ上原千枝子主任吉岡壽上原澄雄上原浩吉岡松枝武内清和上原珠世武内まさみ主任吉岡誠一郎今川昌彦高木昭祥藤井宣人秀平善敬門脇裕教主任副主任河原節喜杉原博之岡﨑真一中村義太郎枝廣隆文吉岡輝昭西村彦一佐藤憲美時宗一実主任副主任吉岡壽谷内伸自上原繁道中村剛岡﨑和夫中島誠治岡﨑真一西江昌直門脇元教杉原博之今川昌彦中村義太郎高木昭祥横山逸郎上原浩田中隆之山野弘実主任上原きよの支部長常任委員上原きよの田中ますみ門脇郁子上原順子中村満子岡﨑豊子武内正美門脇加津髙田賀代子内海安子今川佐智子岡本弘子岡﨑和美委員長副委員長副委員長副委員長副委員長淺野明教森本正典平盛尚樹本多正悟中村真人内海史郎秀平元一門脇裕教中村行善中村剛史渡邉和善谷内秀自杉原善朗藤井保人藤本晴司廣田真也高島伸雄高田一弘田渕忠明山田睦浩山田英嗣団長副団長副団長中島誠治森本忠善掛谷宣和渡邉隆夫室悦子吉岡貞彦猪原啓介高島定彦高橋徳行時宗一実渡邉孝信竹本和道藤井正仁内海史郎中村剛史佐藤真孝平盛尚樹山田睦浩渡邉理恵委員長副委員長吉岡誠一郎山野弘実上原志郎森本忠善香取雅人佐藤真孝竹本和道矢田哲一瀬藤友昭門脇元教本多正悟仙田公男下田誠輝武内清和山田睦浩教祖百二十年祭登殿参拝六月久松中村剛瑞雲西村彦一海潮川高島寛弓ヶ濱森川美雪米美三代信行伯仙川上道美照雲雜賀明輝伯雜賀元生松都須山克子樺島岩崎光生出雲川津仙田勉天場山仙田公男呉中下田章大江橋村川和司品治渡邉眞次久福佐藤憲美久津小池宏一錦ヶ原池平武司神驛渡邉孝信第七八期修養科一期講師八尋矢田哲一雲東三代温生人づくり集計上半期初席名教会長資格検定講習会修了者前期終講三郡山岡啓訓訂正とお詫び誌において名言迷言編集後記の冒頭全教一斉ひのきしんデーについての記述がございましたが実施日の記載に誤りがありましたので左のように訂正し不備の段お詫びいたしますおさづけの理拝戴名修養科修了名検定講習前期修了名検定講習後期修了名誤去る四月二十六日全教一斉ひのきしんデー正去る四月二十九日全教一斉ひのきしんデー先ずは自らが教えに基づく生き方を日実行し私達一行は諭達第二号の中の一節を車中で声高らかに繰り返し唱和し信仰者としての自覚品位を決して忘れる事なく行動しようと固く誓い合いとある場所へと向かったそれは遠くに水平線を望む小さな漁港の中にあった満面笑を浮かべ全身から湧き出るフェロモンに包まれたとある方が私達を迎えてくれた正に地上の楽園がドアの向こうに広がっていた私達の固い決意が音をたてて崩れ落ちるのに時間はかからなかったあれだけ皆で談じ合い心に決めていたのに冷静な私はチョット恰好を付けグラス片手に周囲を見渡した皆いい顔しているこれが目に見えぬ何者かから解放された本当の顔だろうが見てしまったのだその中の一つを目はうつろ意味なくニヤニヤしながらも懸命に踊っている姿をこれが眼光鋭く立板に水の如くいつも堂と教話をされる某先生かと今後お話を聞く時は後ろにこの顔が浮かぶだろう何はともあれ夢見ごこちの中で竜宮城での一時は幕を閉じたのだ教会に参拝しましょう日参させて頂きましょうよく言うパターンである本当に参拝しなくては何でも参拝をしたい私のお預かりしている教会はそんな教会だろうか参拝すれば気が重く足が遠のく教会ではなかろうか先日とある場所でとある方のお持成を受け立場は違え教会としてまた教会長としての心構えの一端を感じたような次第ですき
かさおか

『かさおか』第45巻 第6号

平成年年天理教発笠行岡所大教会電郵笠か便岡話さ番市お号用か之編江集掛一年間を通しておぢばを賑やかにしよう毎月一千人のおぢばがえり立教年五十万軒にをいがけとおさづけの取次月号人会婦かをお置の所し心のらか日今といき欲めを全てうしさのてと台きたつ頂とをばねぎらいのとことしおおかてれらいて大とつ良をめ変とつおくし初かっめかぐみらてを唱和せ合されてを歌いた姿心また一員後大り全教会手ず長様の先よそにつ一促を覚されま自たしがの長部員委らか事るれらめとつで場会方地会成に年向人かう子大年青へ女年来とめ定心の周を拝し四年後の婦人会創立百祝のりよ部本詞を拶したまき頂いに告て支づ挨務会ご部つ長様はで典より報式まし頂てせさたときめを心びと張緊に事るけ頂てって真剣せさつに持喜おつとめ段つでめしまめと上会とつ教た大をの立交四代で様皆十員会と長部員委全は度のこでの教したま年を頂加き者おなびをさせて頂きつ参のとめま名平成た十五百が九当日は小雨模五様のお天気しで年会総のですに年度三たし一が開催されま年総支岡笠会会部第回二十二月二月五る去十三日婦人日任委員常中村満子たしましこうと誓い合っ頂閉会せいたてか動人ひとりがて員会り帰このち喜持に部員委を心み勇とび一げま上すし上ましこ申は礼おに様長事な部支とび喜のたいき頂てし催開を会教祖百二十年祭この旬に総さていたしまき頂せか聞おを話おの実真るっ心をい思にの親れさ話でてお場立のい通り下置と三井常代各部員委部様呰様枝弘白二井た部員委島水東様えみま森津部員委川簸ノ記後行事で午三人の方の感のは話がありまし念賑わ花をでそえて頂きい店ました昼食後ひ擬模の年青子女会りわまーバザたしまきせ頂ききか会員一同うれしく心新たにさせて頂二つ一つで新たな生命がプラスとプラスマイナスとマイナスでは反発し合いプラスとマイナスでもって一つの生きた流れが生じます男と女天と地月と日水と火水気と温みこれら相対するもの同士がたすけ合い補い合いしてこそ言い換えればハーモニー調和が奏でられるところにこそはじめて新たないのちが誕生します発展があります片方だけでは何も生まれないしましてや互いに争いいがみ合っていては何事も成就いたしません夫婦の理合いも同じことこれが天理というものなのですね天理教ホームページより進いてしら暮で域地ずらわかかもにるいでん度立教格差を是正程るあは療治に既域すにとともる在現め各都道府県における地進し押とへ心の年平に途入院医目又を中心ら地域療生活中年後か成年行いし欲てし有りてえ変を度態し解理くし正動で気病るうりかかがも誰で様同と病慣習活生をれ年がし識認かとだ険危かとだ変大はがそだち月つ病にわけられる深く知識のいものにとって無日精うと病裂分神精障害は大症調きく失合統神第たと思います巻かるけいあで会習講たれらけかい問うそしてっ第にどうおたす町のけをとかう中で教会が地域共号我にょしでるきでがおやさまの用木がの家族何欲しいとメッセージを送っているそや人本のそてるのは間違いなくいつも近くの者にたすけあでいし苦番一害障神精るれさとるのは本人でんの時代では大今人から子供まるかかがもで誰で会教大上原志郎受講てしクス講座を別特のルー月んしきのひの日たおとれ入け受すけあ人障害るののかさ精や神患疾のおかかみゆたてりあ顔新祭次月笑変大すまいてきてっなにムテスすい伝手シがチームおてとなっるジネアメ活介ンケトのどな護マの支援生労就療中医に心をい市町村に法地域援支伴立準秀詠東悠分教会長夫人田林智美子すおめでとうございますまてせさ載でのたしま頂れさ載掲れば選事見いきて転今回の課題は次選六十二句中一名一句が害障たれさ行施月年今者自養載転りよ柳道号月六誌徳社発行陽気たこころの詩事い項分かりやすく説明されをせどこれからなおたすけに欠のか的済経な支援連のと政行の域携ると自このにめの機関地当り問題となるた立違相のれぞれすがどな見解かそるすけすたおら掛養教所詰長会教るれらおてれ入け者障害受を神精神神経科部長白川分院事務長実際に長年精てしとるの者の急務なおたすけで憩いの家のあ増えるであろう精神疾患の受け入れは我お道者益らかれこはでルークスんしきのひの回今自殺者も増え一方であるるはで中の会社多もスレトスにか確たいもいう思うそてし対に問といとる人たえ応うあが性能可るなに者害障神精も誰はで会代社で現るす化変くし激で査調識の民国年成平意すまれさ載掲に報時理天は細詳るあ年月発表で予開でばぢん定ですでひのきしスクールが催おン進する精神保健医療平成福祉の改革ビジョう人と共にるあの害障の患疾神精もに月者患疾神精のを解消するるというのが国が推ょしでるなにけすたおのり余手の者医たっあける受け皿がないために退院出来ない社会的入院だと思いがちだこれからの社会のニーズにがこどもおぢばがえりについて平成年年詰宿の大所泊責教へ者任会到長者と着さ食とさ事ま少れよの年たり数会ら員帰を参必の代ずの表事感者務謝所状は事にとご務記念報所品告前くのをだお応さ接渡い室しに頂変おき更越ますのし有く無だ帰にさ参関いしたわら日ずの午後時より教会お加く交や通だしさ安てさと全い下パさレ周中いー辺型ド道バ見路ス学のに交マつイ通いク事てロ情バス騒に音つ迷い惑てなはどに運よ行りして大頂型いバてス結は構運で行す禁が止となるしべまくす歩ごい理て解参食事時につ間いて申し込み弁当業者食に減で遠食夕慮申きら事食事しますをくのをせさよ込ださ時んれ間りれみさもるるはい増出業午発や日者後日保当健す前の前日チ所方の時のラにが午かか夕シ方簡正前ららは単確のまなで時希指で時望導す数まにま者をのでがで詰あで連ににに所り絡おへおまし人詰渡ご願し数て所し連いた絡がくへししだはごままくっさ連すだすきい絡さりく午いしだ後なさないい時おと以降きな食はお数のの食少変変事な更は更めはごは水水詰に所はつで親い神は様て絶対かにらの生水おは与飲えまでなすいよ粗う末ににししてなくいだよさういに指お導茶してを下用意さいしております入風てて浴呂下に場さ入つ浴でいいのはてマナ暴ーれのた手り本を騒示いしだてりくだ湯さにい潜っ水た不り足しのなういえよかうら引率特者に水はを子供大達切にと使いうっよしょうに指導入しっおさ詰つ所いとでめはに毎つ朝いて時からおつとめの放送をします各部屋でそれに合わせておつとめをしてくだラ毎さジ朝いオ体おカ操ーつにドとつにめいはにて引つづ率い者ての印鑑ラジをオ押体し操てくの放だ送さいをします廊下玄関前などで体操をしてくだ目期標間中めど詰う所内ににつ目い標てを掲示します実行するよう子供達に手本を示してくださいこどもおぢばがえり期間中の詰所行事わか聞期ぎき間ひく中のだきさ帰しい参んした中学生に食堂ひのきしんをしていただきます毎朝時からの育成放送をお模擬開店催日内容チケットたいいこ枚月ずず綴焼れれきりもも日午チフ後ケ金ラッイト時ド円か一ポ枚らテを日ト開時催ま日か日で円きの午氷月後ス日時ー半パ火ーからボール階日す渡くり木い廊下で輪投頒布げパタ模ー擬ゴ店ル開フ催日の午後時から時まで階渡り廊下にて実施無料ビデ映オ月上無映料日から月日までの間毎晩午後時半から時まで修練室北棟階西にて上クイ低ズ月学年日高か学ら年月中学生日まコでーのス間解詰答所者内の各中か処ら廊抽選下で階景段品をおプレどゼりン場トなどに展示小学生平成年年祭祭次月月五文う同と共に慎んでお願い申し上げます一さのに人召思いし者ま成の心うて下よすまいさ下き導おく早も日一に状の世のめくづ気陽るさがみ望おし増弥叶み歩の人成のら自下り取け受を後に続く者の育てに邁進する皆の真実の心をおしか生を何卒理の旬はに様神親とすまじ存いたい合い誓を事く行てめ進者の育成を推してしか生を分道のて育み生の後徳継で心のうのんため会支部総会を開催させて頂きみちのだいとの自覚を高をまいざごである事の自覚す存所く頂てさと助一のけ掛声のへ達供子め高せ二日後明又はに更十三日には婦人くの子供で賑わうよう本日は縦の伝道講習会多も催させて頂きよふぼく信者一人一人が育成会員でで人一が開を歩みを進めさせて頂く覚悟でございまのす人又教百二十年祭子供おぢば帰りを二ヶ月後に控えた今日おぢば祖す目に節をーデ益日の喜びと感謝の心をんわい御恩報の思いを深めて次の塚に向かっての成しきのひ味じ申礼御をとこたしま来出が事く頂て一せさめ上つてっ合び結を心につ一い思のばしぢおたっさ下てしと斉とまげび一杯の汗を流させて頂喜ましたに共きし日の寄進だからひのきしんあをろことるあで教全てめ定を日てえ一加参がさて先月二十九日に行われました全教は斉ひのきしんデー人の勢大もで地各界世りよともは内国にすまげ上いさすようお下み勇まし申おもに様神親願てしいまいさ下覧御を状るす瀝披を実真の夫し和唱をい歌おに共相すまがり寄楽みしを日の日今てめ強を心の謝達層一に葉若葉青なかや鮮にはに前御供子の道たしまい感集目につをりどてめとづり座でん勇に気陽くる明りとえ教御に入一も心び喜同一者仕奉めとつおらかめさせて頂通きを只でのすまいざごで柄日う行り執を祭次月の月五たしまいさ下し許おに岡笠のれこは日吉の日今もに中のそ今おりていすまとにけすたおけがいをにくべるえたを理のび喜に人のく多もで人一に共すけ一条の御伝用に勤め励ませて頂の上び喜日は共私たし浴にせとき引おの祖教き導をの様神感謝の気持寄ちとるげ上し申礼御心に夕朝つつえ湛におてれわらとに欲の先目ずらかわがじ苦し喜に喘いでます事は誠に残念でなりませんびの理さえ不足み感とい親下きはおとさしらぐ気陽いますへ誠に有難く勿体ない極みで導ございます事しかるに世の人の多くはその理下る護と共に身上事情の上さをにりさ下え教おをい合理の護守供子列一くなでりかばるさ下を護守御の済救もにたけす守の然自然天の旬は親御神日とにめくづきふ様よてへしをになみにつれ一も事なよのとハに日月はにすまげこれのの神床お鎮まり下さいます親神天に王命の御前に会長上原理理一慎んで申し上高屋谷本道子福山安達直子甲井為平寛稲倉藤井宏一芦品梶山哲治芦品藤井潔福勇川島正福廣楳田昌志高屋谷本男里喜福山岡崎豊彦修了者長会教分倉稲月ヶ目三北川治史雲川津分教会長出目月ヶ二仙田勉門司港分長会教目月ヶ一猪原啓介役会教大員三月間ヶ中村義太郎教養至自掛立教立教月年日日年月第七七九期修養科だ会教より大か一よまいに状日も早さ下き導おくすさ陽気て望みづしる下おの世のめくさおか心ま人もおたけ身のりも下さいす賜を護守御の由自万たすけの上にわの思いのままにしたすけせきこむぎしふてしあいさ下り取受らハま尽をく心のをのす誠皆く真実おな事筋の心れ一つつね親も流孝さ心るは委を身にれ何の時はに卒様親神流の記後段落最すしたい詫お段びまで左記備不ようのにのし訂の正章が切れ掲載されておりました文て立月月祭祭四文の末尾のてい次教おに号第巻誌第年詫おと正び訂平成年昌芦福藤佐子年本谷屋髙倫子月史内岡笠郎海日前期終講第者修会習講定検格資長会教了巻第号葦沼弓濱ヶ井森上川典子望メ入れた買オの坊その他にシ袋物ト袋赤ん子菓ルボトッペ弁当るあでのくいてて捨て全をミゴののこ込みの中へ下車した時た植りこれが植曲者だっで込みさあが下停スに約はバ線りたい長の子様が一は年違っ今てていがる寸を下上いつも掃除し道高速バス停線我が教会もすぐ近くの中国縦貫きしんデー四日去る月二十のひ斉一教全六享年才七八十たしまれさ直出日八月六長会教分方鴨照中田夫氏訃報ます共一同とに慎げ上し申い願おでんうか世ノ中マリアデ和ス平っあてめたに納が金税の量大は事な見と拾いあげると何とそこたイョヒとうろだのばされたいてち落紙聞飛に風ががない行くと新先端までらなさ小でゴミがるの拾あもの側溝があ中のそりにさの後に幅長室程くらかか有はる合しい待か前以ミは少らないしゴバス停線り上てのさミにあるゴ方い人だが闇のにくが心蠢大袈裟ないはかさるみをのさ心たっ人間のなくあゴッタとがピうなどミだとる切っすたっましてりぱっいれきをみ込植月さだのたっ困三春ろうのこ理会社もホホト管路道トてらかだミえも家ゴ庭考うどるあもミるねひゴののゴミ数には首を中原稿募集内容字数寄稿先小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール
かさおか

『かさおか』第45巻 第5号

平成年年天理教発笠行岡所大教会電郵笠か便岡話さ番市お号用か之編江集掛一年間を通しておぢばを賑やかにしよう毎月一千人のおぢばがえり立教年五十万軒にをいがけとおさづけの取次月号婦人会総会回第か次第終了後全委員部長は所属氏名入り式さたしまき頂しとおか葉と共にみちの台としての成人をねんごろにおさら婦人会長様からはねぎいと励ましのお言様れらげ掲くき大りがンガーロスのうょしま真柱な台のしらぐ気陽りどたをたがなひ標であるとこわ変生終の会人婦はに方前とのない成人目るたしまき頂せ参出来ることの喜びを無性に嬉しく感じさて加はこの場所に毎中年の心の私てっあに中の衆群とてれ揺く強力には真の各支部旗がまぶしくふ紅催れました時間を追う毎に好天に恵まれ最前さ本部中庭におまして第八十回き人開が会総会婦八十分三時九付受りよ時八前午は日当会総日九十立頂きました護守ごの員満超も場会のれ教棟階いず東堂一東堂食第堂講と第食右年祖しの命と題教記たしまれさ催開が演講て念平成本年は総会前日十八日十七時から十八時御存年年想婦人会総会にう月日常任委員内海安子座でした有難たしう居ま御皆様には本当様労苦御に御守護頂きました方の者加参の勢大の名七別席者七名総会は約五名四約は笠岡支部では前日の記念講演にたしまし致戴をさせて頂きめ頂をれ入供御はに品念記たしま中はんさ皆に員会たしまおいて共とつ庭におの婦し殿昇に会長様を芯におつとめ人せて頂きさ左ワにペり肩の南ンを場ッ貼礼拝場を除く三礼拝参にを分自かたっかないてし加動方なく年祭活っなに持気な的極消ていとだのるいてしらかう仕れるわ言らか部本は動活の日千年三去過又ていきたい使を心てしと親様つ育に人るきでえることがっ思えるように又その喜びを伝かと素直に心ら四人の娘達が各にお道に出会えて良かったた頂え与おるあで話な理無どな教胎らか今いりで私はもうすでに出産からはかけ離れた年令あ条の徳分を与えて頂いて一いるからと話されたって育らか時たそれは子供が人間の胎内に宿たるあで命使たし適に性女そこ成育の供子分や特性ら育てるという役割について語られか徳の性女れま望といたいらもてれ入を力にとこ道婦人として育てる年となる様にしたいの又義意有るなと台土の点発出のへ次てしと年なの祭年は年一年今に中の次に真柱様はお言葉説進める重要性かれたをの人成のてしと人台の道歩れら目標げ掲みをを成に様同年昨も年本はで葉言おの様長会人婦れさ催開が会総人婦の回八十八た会五第し集参が員四月十九日七万千余人の会福満分会教福島時子心新たにたじ銘に肝といなれおはてしカウカウも立教帽脱に姿の方の配年るとをモに私メ心熱はで時同た訳ま集席っ通が方たれさ参帰らか外年平海く遠たし聴拝を演講の生の存命の教ご祖成年一第東は達棟四階に於いて安野嘉彦本部員先右日には記念行事前として私前総会るす後が年たっかなれらいはにずわ思月人が一手一つになったら素晴しいだろうなとら日を埋つくす人の数に圧倒されたがのけだれめこ第ためとつをめとつおに芯を様長会人婦し神殿巻第終了後は委員部長が東会北礼拝場に昇殿西総りいた自分に厳しく通号か生を料材のそし省反してを分自の迄日今体原稿依頼が来たこと自てしに様のこ回今ないれしもか釈解のりな分自もれこがるいはでるだけの努力をしているつもりいるしかし自分としてはでき叱りを受けても仕方がないと思ってい加減な毎日を送っているとおい事をしてな端半途中もらちど仕に間合の用御の会教に様の私すめておられる方からればあとった道一条でつで葉言おな様るすとッキかさド身自私たれさ話お切大がとこる返り振とだかとるすりたっかなまやき泣すまい思とかいなはも私が心豊かにを実践てしも遅くはないのでがしてあげれでらか今たしまえ考か何はとこる私今に子のこすまりあがち持気う言とたっかしな今育てている子どもに対しては少申し訳たしい思といたきいてしら暮てけが心まをに感じますた子どもを授かった時はか豊心まよたういてしおとりかば欲にの分自いたしま思ていたのではないかとけを担負に夫かにりばか心豊かにとおっていたかと自分がしんどいし接くし優にて人が身自私した願ってはいたけどはいにし子優たその言葉に私ははっとしまとしいなけいばれなさら暮にか豊心が分自ばれけけか豊心たしまいてっ願とねてたみ産を子ないくお腹にむかって優しい心豊かな子になってっなくきんだんいわ味をび喜だ大振たっか授をもど子たしまり返りを中娠妊の分自らがなき聴を話おし胎教のお話のそは私たまりあがにに思います真柱様葉お言中ののうよたいてしという気持で参加しなゃじ人婦だした今まではまいで会総会人婦のてめ初てっなに親母真柱様のてお話をきいすまい思といたきてげなつとへもど子夫を仰信のこの私てしいい思といたきだたいてせさら通ずれ忘すそま私とこのんの周りの人に感謝ろちの気持ちをかれこすまいてし謝感らも親神様教祖にはも日に親護守ごいしら晴素の様神産むことができに康健をもど子すまいてっ願をとこるわ伝もにますその思いは子どもにそして親神様いて考えとうよし接でち持気なからおおり作をりとゆに心れからはっと一呼吸おいて自分が落ちついてーふすまり広に心がち持気な嫌とでんなこがを三く十歩峠岡学生おぢばがえり笠かさたし明表を加参でん勇は私ぞく行しよおかう十三いとるえ越てい歩を峠新入生歓迎会が企画されおぢ中道のでまばえがりぢお生学岡笠で委員会略して学担ばき生担当く好合都変大に学とるいてそう思っゃないかじらないか分も何ばれけなみてし験経しかしいうろだる方もれさ笑冷と暇あなゃじんなあっそうるれるないがいかも知い方るさ下を告忠な切親ごといなゃいがんじのそ方たいとめやもでーぇへて年で初める立とにてっ私てったしの全く初めがあてで験経教ずれまャにス実現できなかっただンチかの恵年なかならがないてっ思といたし加参はかつい平成かでもないら年い人達若嬉として歩くで会養修徒生生学の夏が年たかったのではないき行様にん続くてい続に会月子女た青年のこかっなにとこく歩を峠三十日とめ痛を腰なめじんまんりあうゅしわいとるねとわざと訊かすでのんか歩生先るれわ言ン車でおぢばに向かとうゴワたの学生を乗せてき後たい歩けだ地集合現先生は十三峠をちょっとかと心配しとるいてると中高年登山でないはかすしもはれこおおれることになりさ乗便が歳三十六生先の会教分ういとるあが用所でばぢおもかしくしかっず恥なし少が備装重た年齢四十六歳以上はいたって軽装であり均平係担学の他とく着員所事神がろこと推に定わくわくしながら大教会へと向かった履きみをボなうよの靴山登だん込い使込めロ靴スーツドリンク防寒具な詰にクイデをどッパポコレートのど飴チ食常非羽合雨でこそョ教に座即と理無らかるべすしいくてれたえつきが道坂ろとた尋に男三のりかばたし験ねこ年学修で経昨雨傘をさして登れるかと二十二日土四気曇り予想では月天午後から気だったりょしっび汗ら天あなたっか良り曇でるなくつきに急かり辺た切途が家民られて阪からの登り道はさ大ある辺で周にの着いてしまった会教大安高の市尾八トンく間に十三峠への出発ポイ快しい笑愉に話お大な瞬がそんなことを考えならうろだのう違がこどもいる人ズるじ感をみ重るくとンー語らないが一言の言葉にをく多はいるあるも人るなくたり繰勘とかいろだのるいてせまう意か何に裏のそをし優で寧丁は葉言味いが含うかのだがうかどはと私うだろいなはでら思かこがりやい思るす対に手相とさし優たっているもとしリラカに側の葉言の口辛くら恐はれ裏そうましてっま治のかや和てっだに笑かぜなもで容内なうよるえこ聞に口悪ばけ聞か傍ら言の生先いなが棘はにしかしこの葉いだたいてたか聞とっず中車を見意せ御の口辛でかじや爽は舌弁もつつい言とゃ胸かうろだのいなはでのたっなにうそれが塞がで立教の若い女りにとっ盛安不娘道り登い長性てく続くがおぢばから竜田川を越え十だ三峠へとた年平教祖のい思聞し召しに素直に従われたとせかお成年たみたてえ考をかち持気おの様んとそこの時ふ年でがぢおらりの道の長かばのだとい教えまれら月てし胆いると実は落やとかんもなんこここや日たいてれさ置設けがとりひっそ第れメだ今は簡単ュな説明文が刻まトた石のモニン巻第れさの撤ぜなか詳しい事情は知たらないが去子とツたっーらシもョてっッ撮を真写のト号あ念った所で息記の様んがか碑こそは私でこたし着到し登り始指て一時間め思ったよりも簡単に約子いいなと横目で見ながら峠の頂上を目あ様なうるおらよやのにな始見まもがのて広げ花トーシい青をはで場広たしとっょちの上のそたっかな得をるざめ諦でのるの配年たべ並んさくたんでい婦が熱夫心に水を汲おいしそうな水が出ているのだがポリタンクをてくた憩休で尊冷蔵地み呑水中いで行く途んどんどに目尻を達んさ度高をじおの担学る登稼しかし若者やはり元気であるはヨレヨレとかさ登ったおを道坂らがなし話と男長たし流合地現とゃじか員委当担生学香取雅人んせまでかきりと子に浮かあ様のきとのそりあんらほ目が十だち三を歩くょ峠けとっくてしだ挿をさをい入け打ちだとっょち歩く三の峠十三と峠の間に十をすだが簡ば単こお分くできたたにとかりだまれけい副いてえ加を葉言ののッエのこはイ次に方題セ先生教誰のか知り分たい会だでころとがいたいてせわ思くたがたりあ変大き然にもがるあはでて偶子で参加させていただ親るくし行いに残け事に係員の出立場とし想た楽か出でまレースにあるなにわ食いしんぼ横丁にうよるえらもでん阪のットプ天保山マ大ーケし楽りよにちた生学てえ変向趣と年例し参を加が人員の係担合計人十学五当日は学生十人五歓迎会を開催させていただいた教長様の親心をいただきおぢば管内の会入生新うよるえ合り知く良がい互おちた生学にという大二翌てさ十三日るじ笠にの理につはがな岡同のであるたせをしみじみと感じちたのい私るてだたいてせら帰てい歩くを楽し幸逆とへばぢおのー親いしか懐コてしそ里ス上しる察拝とのであるげ申内容字数寄稿先原稿募集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さいかしい七十の坂を越してからやっと神様に少まさてれがのにき働情事いついつらがなりあで祭年おかより布教所をお預り才てから五度目の三し五十を向えさせて頂き日有今難う御座居ました日のともの導指の生先郎八猪波難き續にみこしおの男波難代初会教先生眞鶴生先一宇島分中会一教鶴てしを信入で才五十二ばれえ返り山ふ分月始めての登殿参拜を御許し頂きましたましては教会をあずからして頂いて三年四ヶめられした又しと私はに祭次月の日六十二ま十九日の婦人会総会も晴天に恵まれ盛大につとはもう葉っぱばっかりになってうぃましたに桜うで教祖誕生祭の邸柱真たっ散く早りよよ席年は例年になく別が桜れだしの前場今立すげ上し手紙ま差教長会おに生代先郎八猪波鶴眞分教会二故の難年宏下寺会分眞鶴教一平成年参文想殿登感拜年二四月十日六月日ゐきしてれさか生に様神親ていつにーデんのひ斉一教全又とでやのるけ救を人で暮のるれ離を欲又にうよるなと芯のしらや親神様の御前で早朝ぬかづくこれが一日のと調るあるのがわれでとこな切大も最のれわ強え唱礼て毎朝毎晩神様の大恩にげ上し申御がいつも心にたたえるとして天理王命と心本部員の神殿講話よふぼくづい根石井松てついわたしでい思いないたっもたしまき頂てせさ和唱よろづ八首から十二下り迄の後ろ姿を見ながら様柱真すでいだした思っとこたい頂てしさ拜をめをつくづく有難とくもれそがう思かいたしになわずつ結界で内とをづ台ろんかていとづらぐかとめ目め續しなをら真柱様の着座心感にに類種の饌献がる始が典祭座着内前目をコ界のまタにイ拜場結西らがなれさ倒圧てれまこかに達人の着めと礼千着名以到上もの部本会のマイクロでおつに先にか記大は教会長様教大影撮念づなんまを会でと様皆の名十二りよ様教大は日当たし御苦労されたにとこ事と思わせて頂きますま殿登は度四くらそ拜はに生先郎八猪な参おをおて頂すせてりまいよらせて頂くかが出来ました事事しを喜ろこ近ばてせさめとつてしと長会教年のげ上仕動年祭活しトき頂をし許おの長会教月三年昨てしそを三年前諭達第二号戴き年祭活動をスターたいう事が私のつとめだとも思わせて頂きましくと理とこ頂てせば運でま会教をかのそに更い重の拝参殿登させて頂くとをいうことはいかに理際会実し長のお許しを頂き教会を代表し教て私自身重心得ているつもりでしたがしかはつけて着結界の中で参拝させて頂くということをめとつおはに祭年度姿のを見ながら十年に一年祭毎の登殿参拝三代会母長会代四父長会教分生坪掛谷宣和百殿参拝を終えて登二十年祭五三月十日りおすい頂ててまばんが様皆同一様者信木っさような用らいさ下みこしお又は点ぬらたいすまげし申告報御紙手御又様長会代二眞鶴上たんばろしでり切うと勇んだ話しでもちがてっか向に祭年三百は次はで中の車の十りえ帰し戴頂を品のりがさおのりよ部本いきとむすばれましたた頂しつうに動行でん勇る喜びを態度に表してざいましたご立教うとがわせて頂いた先般の登殿参たしりであ拝とばえ応もさでんな誓に頂て声く頂せ仰ねかせ年平にか今年や賑をばぢ一お年の祭年十二百年と成年にま頂しかてせわくたと思頂けるとる種があき年ん勇とこつとめさせて護守とへ頂会教だにくろ月こにめじつつうよこるけ頂とていま応えさせに日旬に頂くおやの声頼りに思戴を理のこをき第の意の言おをましたと頂の百葉祭二教年き十祖巻めんだ教会にて頂きたい御守護頂けるようつと第てそれぞれが勇るれ預かる教しふとあ気会が陽号年以か更にやの降塚に向か次にみ歩う成人来のの歩日労いのみ言葉一と今年賑をおのばぢお年てその後真柱様から年祭を迎える三年千そした祖への拝の教のてせにはわ感激合で一杯でしに時祖教後殿拝のへ様神に参進し真柱の手様のおと親はで有に難事こし当いたけ頂た本させてに結界をで拝おつとめ内着を参つけて方と共参拝をさ長会て頂の様きそしてせ他この四月当日は十の激感と方の三者信四名の信者未に思よたっあ年十す祭まうい二百もで私なんそと些み省とた歩みしでと遅いな訳し申るかかさけも祖教お様頂親が身のあったかるにび神喜でおかしその歩みをり返る時私自した頂し振まきかひと回り大きく育ってほしい金米糖を口にほうりこむまろやかな甘味が広がる次第に角が溶けてまん丸くこの金米糖のようにおまえも角を取ってまあるい心になるんだよなるほどでも小さくなってしまいましたもっと大きな丸にできないでしょうか人生の節に逃げずに正面から対する人格が形成されるそれらが角と角の間を一つひとつ埋めていく越えた節が多いほど大きなきれいな丸になる角とは我でもありますがその人だけの大切な個性でもありますこんな子供の育て方はできないでしょうか天理教ホームページより事無くなにとこるけかを惑迷に様礼終わったおも運離距長間転し手年十三はに妻たて人を八と言いわれっ習をりふまておして科へ行って来の目回修らか様長二会った今年なに才十六養て頂けきまたしすれてい神く教祖のでい親おはたたらきを頂様けづり次取をが妻て全は上さ身たこの様なおにな腺肥大りにもなり六ま十才しには膀胱症癌腎臓の中に特大なの中が出来たり又前立石胆に五半上身後十てはが出才会社定年前には体の年間長距八十離三ラてックに乗しりましトたがふるがさ科てに帰って運とっ送会社に就職養了修た修科しでの活生ヶ月間は毎日が無我夢中養は人数は三の養五代四科三で時人数月十修五言われて修養科に入りまし行といあの来ってたす前就奈良る県に天理市の天理に教修養科職三八様にに高年校卒業十して私は昭前長会和会教分井甲為平寛回語物活生科養修二の私目のか教すまいざごうとがりあ方生先の養すさたでか良変大てい頂てせさ来に科養修に後最っおかすま気らいこれからせらくでん勇にも陽を生人の先式教会てせさ験月次祭遙拝まなび祭儀など経大すもあろいろ生校学い話感で所詰がりま活せすま来た付さんをこまら俺は帰ると言って添福山からがすまき行てし校機嫌よく集団になると登昼福山から来た脳梗塞の人は朝はすましリクッ脳梗塞の人の回ビ復が日に日に良くなる姿にはの感人二の岡笠たが思うように話せませんでし話二の分自てし張緊もと回話がたしまりあ回二は感すまいて話をしたり聞いたりして楽しくやっ国北は北海道南は沖まで修養生が集まり縄科立教科は全養修りま始もは活生校三月三日から学し復もて修養生活が始まりましたなって体回年平話に世おとろいろい他のそ又りたっらもでい成りをけづさおで症大肥腺立前上身の私はに取次年は足になりま不たが方そのし睡後同期の眠年リしましたこの日から体が興奮して十日間位ク月て見を方るあッビ縄での縁因な様いなかいは日隅とこのら筋一なまでうよく知っているよな第の世とすま見期の修養科に入る同期の方を中巻九して笠岡詰所に二月二十五日に来ました七七第頭とうよし養修で心条一祖教様神親坊丸をに主号礼おたっなに難小そ難大が上身とのが為にをれすでいし嬉くごすでのたっなにうよるわれて今でとは喜んで食言らべいさなべ食でん喜もで何らか生先なの養教てっに目月ヶ二もでたせて食べ事が出来ませんでしるわ合になんみてしをい嫌き好てっ言を足不も間時の事食たしまりあも日何が日ういいたりと朝起帰てめ辞を活生養修うもてく辛ものるきたしまけかを惑迷くごすも生先の養教迷惑をかけましにたは私がたしまいていつもみんなを待たせてすごくはっ神なりと言って五分前行動をしなさいと言修科が始まって一ヶ月養目は教養の先生が時せませんでしたて大変でした感謝の気持ちもなかなか行動に表えていました毎日泣くハンカチが手放せなく両親がいて当たり前だと思って自分にすごく甘の事は全く考え様いませんでしたて神には養修は前科来私たしまき頂せさ来るて身なき大たまりよをめ薦いたので修養に上に頂私が養科に来させて頂いた理由は会長様の修沼分教会葦井上典子顔より笑たい泣たっ顔と思いますたり帰でんかついいて神様の心蒔をせりかっしをてさ種をんしきもらいのひの山沢もでし少てけつ見を時間てくなはでのく頂てせさをんしきひに自分のでとあ残りわずかな修養生活を決め間時たれらすまいり次がさせといたき頂て思てをけづさおらた見を人るいでんも病気で病取っ帰に元地てしそすまれたもに様神てっらもで次り取かっしをけづさおらかたい頂てせ見いりらせて頂きたいと思います私は山の身上を沢通てし謝感に様神親もついでのるいてっさ下き日働おが様神親ものるめ覚が朝起き目て毎力をしいますて感謝して一手一つにでるように努てし省反もな何とましを分自た三い月目は今までの悪ヶ思いいなけいといなし動行てえ考に番一を事の様神たしま出が涙てく辛くごすはきとたれわ言くつきといさな来てめ貯を用費科養修て修養科を辞めてら帰りなさい今度は自分で働い様の事全く頭のがな事なんこいないてっ入に中いてっ解がいつもなワフワしている神心フい科に来てい養のに両親のありがた修てみるが親二ヶ月目になって両っにお金を出してもら養等態状康健格性アリャキ令年は科修立教しまりなにとたる来に科養修こ人七七け一私名十七百だ九三約生のてしと期年平先に一がすでのたっ合し話を科と一緒の修養足成年ほででんす今はとんど完治していますでけ妻だ生活を折骨にずたうを頭がたしまりなに事る送院年今が妻は度年昨一たには入の月ヶ四てれらね車月いてしばのを事返てしにいせの妻がすでのたい日会長かて教らめすれすを科養修ので緒一婦夫ら第たし巻ず太くするようにしていましと少をりがなつのつ第を機れこりなに全不心に会社をし退社会て教会号れ助けいろいろと思案していた五十五才のら時五に才十五なりそれも十三才と又心筋梗塞られそたしまれらけ助きだたいを護守ごに議か思不を四十三才に心筋梗塞になり命がない所な会につがっていました細きたをうてけ別教の理と席を運ばせいだ銘感く深にえ教のそり知を在存の様神親てい聞をし話おの教理天で婚結のと妻しかしでんせした在を信じていまの様神ていてっ育に庭家いなの仰信は私存福山分教会岡﨑豊彦私の修養科いぽ屈理く強が分性癖は私又ていただきたいと思いますっ使に用御の会教り帰に山福ていだ理を一をいたし申上げぢば杯のひのきしん出来るを心から御礼び喜神様を心にしかりと治めっいてるな謝感たまに日日の謝感までた愛を愛む歩稀を桜で古桜めなははなめ季の花桜節ち立に教しを布ときうつし見れ流の川てりふ年にる付気にい違をいただき自分の思いら紙手のし励い暖たでも教会かので杯し一で持気足不は初最い違なのひと日会窓青春同るもの花桜しわかみく酒の里ふとはな方な使の間りいがてし想予いた時かり返しでく福山にての日毎のこ時しますを求るさため満夕て墨ね行きりぶ尋十五園梅古年にそせといをんしきのひのし干んとふ除掃呂会東悠分教田林智美子レイトに他のこすで風頃時十こころの詩は寝就い行を練修迄分十三時八てい時三十分夕づとめひきつづ六食分夕食分十三時堂ひのき五しん十十五時三時四り帰頃時三発出に校学礼朝分います七けづたか後食朝十三時六めとづ朝時六分まれたことはすなおな心で勇んで通りたいと思のらんしきのひ堂食時五床起分十三時四でか無理なので教会から言われたことたはのるけ生詰所活は名修養科生十二名男八名女四は神様の言わん言えんの理を聞き分私たしまきだすまい思といためして心におさひのきしんもみんなと一緒に楽しく送らせていた解理てえ考で分自度一うもをつ一手一恩報人生ものでばぢおも強勉の理教たしまりわか観学え考てし通を達人のそい会出こ出ぶと来が先生から示された目標時は神なり鏡屋敷めうど三週間勤めてゆきたいと思います教養た掛のをそれれ違ういろいろな人がいますその人達とぞの人な間れさ残にうよく除取もでし少をれこで平成年年く祭祭次文四月月実真の皆すく尽を誠くな事るれさ流は心の筋心心孝親もつつね委を身にれ流の時はに様神親卒何をお受一取のせていきます合わせて参加頂さんのきし斉デーには全よふぼくに声掛けすることはもちろんお互誘も人の信未い一教全の日九十ひ二又更にはでいすまござ所く行が存おたすけをてげ繋もけ精丹通しての代世い若う担を道のらかれこに共とるえ伝に人のく多もで人に一すまれわ思にうよるいえてにをい据見りかっしを心の実真誠いならなはてっわ変ずれさわ惑に化変の時は共私取り巻く環境も著しく変化しておりますてし増弥は人ぐ喘にみし苦に為がるてれさにり去き置は面の心しかし又面を今世上では携帯やロボット等技術の人での進歩は目を見張るものがありますそしてそれに伴って間ござでます存所く頂てさと針指のでせい上い思のをおばぢ聞のてった当に旬程後てでのすまりおおるめ進をみ歩の人成なた新てっか向に塚の次てい頂せか典祭の月四てさ今日のこの日に初めてつい頂し越おに生先義廣村島人話世りよばぢおり当にく頂てせさめとを上しすげま申い願おうよすまいさ下み勇おもに様神親てしまいさ下覧御を状るすり縋おに心親も尚し和唱を歌おに共相い集や婦人会総会の帰参から帰ったばはりの子供達祭疲れも見せず今日の日を楽しみに寄りに前御す生誕御祖がか教をりどをてめとづり座でん勇に気陽くる明にた新もつ同一者仕奉めとつおらか今只でのすまめせて頂きま心とさり執を祭次月の月四たしまいさ下し許おてめ行を日にり取日の来本は日吉の日今もに中のそう日柄でござ改い条一けすたてめ高を覚自のてしと木のの設建しらぐ気陽じ念い思をじいて御用の上に勤め励ま用せおります頂てまいざごでみ極いな体勿く難有にすは事まり誠す筋日は朝夕に御礼申し上私共は謝感心の一げつつ御恩報に八十がめとづでえははに日お日い頂てせわわ味杯一心をび喜には二百回八の目て教等るれわ行り執が祭生御誕祖今に中るいてい旬をえ野はには色とりどりの花が咲春爛漫山のき誇り光も水も風もやさしさに満ち溢れ又十六迎親にま神様の深のき導おのへ人成と護守御すまりよに心親いか暖く広くな恙に構結く日お連れ通り頂は原上長会にこれのの理床にお鎮まり一下慎んさいます親前天理で申し神すまげ御の命王神上島中内服部福東城横市石明杉ヶ岡松海森福山田登殿参拝三月海田山原本中安逸博忠隆子勝郎之善之教立年月承認日祭告奉立教月日年新任小坂静宏前任藤井昭子神邉教分会任願命会教指令準事承承事登用教立辞令吉岡岡中岡﨑﨑島月年誠一郎輝彦真一誠治付日よ大教会りだ平成年年坪生神昭驛家呰部新山邑ひろさと陽備弥髙山掛渡高河三淺虫岡谷邉山原島野明﨑第巻鶴髙山屋中武月四拝参殿登第号島内作備三宅神村下田福節藤井福南掛谷福東藤井福昭平盛西村藤本福岩三阪福満福島福芦竹本福廣佐木廣町原田湯油木宮高中本木村宣隆森節和好和誠正和夫雄喜渉芳美夫治美俊正誠輝治喜和由宣人秀年エツイ泰人大介和道滋郎泰德昭祥邦義多浦古余村至教立年月日自教立年月日んしきのひ堂食部本修稲倉稲倉北川真由美芦常原志登子福廣木佐照江福廣佐木進前期教立年月講終日者了修会習講定検格資長会教川郷島鶴眞鶴南東水島大山惠稲倉真金御野深安香寺酒藤瀬北猪佐北取下本本藤川原藤村雅宏嘉芳教治啓主立人一子久雄史文計人享年才八十七しまれさ直出日三十二月三た長会教分福呉藤平氏昌佐訃報かを輪もれ遅の私中のさ寒とたんばかりの足先が悪い予感を感じりくなかなー効え凍にさがータヒ寒ど降りたやんてで江松てとがはほり降電車の乗客が米子駅で半上数以のく聞てめだなをそとでご機嫌食定き焼きすに食夕たれら居てたれで情事に交し憤私へ駅慨通遅師の方の講一先生は市雲出でこいでもレャシャ無とシって色気で寝てきたのだよもでま息空朝今子のワゴン下港ら痢でのい無はですか夜昨とく聞で気が分気も五十のでまく着にルテホとかーワャシの出現らか聞くと体調悪く黄色イレトてがやずらた当見がんさ港空ので迎おすでと子の手え歌頂く先生と演芸歌ご苦労なこの手越おりよ方遠に日前事の時たしし過日陽気暮らし講座の開催をう違がここぞう違はロプかを決め込んでいる控え室からバさ次の会場への息休にか静も中動移おかたきて出が涙と歌時一う間ロは女彼プロプの中でん込き引へ界世の歌を人十三約演さんはすでうよの面画のビレテ子うげありはを声テージで顔笑歌しなめて始った歌謡ショーのスまてもたつく私の音響操作をたさ私イった走口とイあんたはエラらえ答で笑微業営の面満れたエラのよく頂て見もでけだと装衣てめいけせにんさ皆るさ下ち待おど立無はく良かたしまり成く良は教状手歌歌演態です調が準備完了体年ステージ衣装の子ンャジら平成覗たいのを室え控でりか掛気が芸演年しで在健は術話のがすさた後間年時一方講師の先生は上等の話を月ぞんら日ませたのよだってもう俺は知済第自う分もがため進をゆかおで巻こちらに悪い予感が走った翌朝第歌手の先生は夕食を抜きとか号たしで事のと頭心り怒てけ貧の想発はれそ困さらくかもるが合った計の旦試しがない算こうして数十年生きてき元て旦は計の元あ年一にりたしいざごまひりあーが生とうへぇへかとぇ先の属所課二教布部本はんさ子た切る事が道だとそう教えてくれりやうよいなめらきあうよいなげ逃事からもとっきなだ方の私何はのたい戴入手おらか様神親は実れ訳をして体調を理由にドロンい私にはこんな強さは無いきっと言あでロプるれこたの道おロプがしまり帰に宅自の崎長に事無で様礼おの日一お頂い後た蔭にすでのたその意気込みが違う演され全場会定予間日三で部地土公いれる身内なら知がだ別ばれいがくてっわたいなうろだい辛た場でも楽しむかのように歌ってくれ続ああまだいてい会のこかのるタントイレの戸が鳴ります様う奪を心やり怒やみし悲たいだたいてせさえ迎ち持心なでうよの面物静かな凪の湖かういとなかや穏かいとなからうたす心からなる感激ではなく安けしそ迎えた年祭はて旺盛なだうよん歩てし心に心を砕き心言行が剥がれぬ千年祭に軒万百たっま始らか前たっあかしよく物思った三年千日でもが前に出たのではあるがしずと足自れか引を手にやをぬえ見に目に出たように思える前が足にい大は度のこがぬれ知きたもてめ進をみ歩の人か成くし少てしご過を祭年祖教の度幾去過三子の魂はつあるで在健れな末路であった目に蝉と戯れたキリ尻ギ哀のスリを人友たえ終り遣を題宿に中月七八月末日には泣いていた時とは言え小てっま決は代中るあで実結の生人いならのでなく正に思い通りになはだおンメゴは劇悲のスリもうキリギす出に前を足らすたひりが曲にまた左るが曲に右ばばれた当き突突き当たれりなく丸ばれれか突シるあでムルマは生人の私れた近に感ぜら身をの実かや陰がの年祭で実の前を失ったお親たま収と胸にっスッ解とず自がろここなな頑れかたほくぐ心不徳の致す処と謙虚に承ける子だ親心たいせ仰と理の天がのくと仰せいただく親心成って来るらなんねんいにゃなら通んらい付近にた親心の年祭を過ごして少しそのはてがたっかないこっ至に意真のそもていてりと祭文に奏上はし体勿にな小は難大い難限う思もとか証の日千年三なと心に鞭打った直向きそれでもひたむまやだなてれが拉ち打に事来出いひし
かさおか

『かさおか』第45巻 第4号

平成年年天理教発笠行岡所大教会電郵笠か便岡話さ番市お号用か之編江集掛一年間を通しておぢばを賑やかにしよう毎月一千人のおぢばがえり立教年五十万軒にをいがけとおさづけの取次月号生学おえがぢば年祖教祭か生担当委員長学さ名員委担学名おか了終し参加した学生ははた吉り岡会大誠一郎名内別席者たーワア属直きだ長い拶挨ご様りよ会てしごた最後に詰所食堂で大教いを間時いし楽く多も人の過知見顔で等会養修徒りは加参で定学生生者な設ういとへ所詰らがししてウォークラリーをそごとに本部食堂で昼食プーグはでーワア属直の後のそルる人になてもらいたいと述べられたっ親神様の思召にふさわしい陽気ぐらしを実践でき立心てしら照にたがなひの祖教び学を方めさおの教れられた後教に基づ触えくていつに義意の祭年年は親神様の人間創造の思召しやで典式様柱真平成たし加参が年生学るえ超を人千九の高最去過れさ催開ぢばで年生おぢばがえり大会がおマに教祖年祭学月ーテををいのやをに友の界世日月思日つおらか様長会成育はとで典おつとめ後の式たしはつらつとのびくびとつとめられましのによる十二下りのてをどりも少年会員らクッロ各らめとつが首八よづろよめブれしましたつづい直轄教会によるり勤て坐て参加することを親神様教祖さまに奏上んの友達をさそっさくたてっ合け助くがば仲はにりえ良ぢおもどこの年今親神様とに感謝をすることをまた親強をび喜るいるいてっ張頑にツーポスや勉に気元日毎はで文祭儀式をつとめたし張緊や面持ちながら大人顔負けの堂たる祭やは員会年少たし正を身に着めとつおも年今め始りおもたしまれらめ始が式儀祭にろむ鳴が色音だん澄の楽雅に半時たっなにいぱっいとまってきましたそして参拝場廊下にと集な者加どので子が参時親やんさ長会らか前続当日は朝から雨模様でしたが受付が始まるたししま催開を会総びなまめとつ会笠岡団では年日日に本年度の月お少おつとめまなび総会少年会笠岡団たしまいざごうとがりあめ関係各会各部のじ皆に誠え添力おの方まさりの大勢でした各教会はを会人婦たま隊各少加年会員育は会員合わせて成者参名余とめまなたび総会の意義を感じさしまき頂せて道そこてい続も年つお今にうよるれわいとですンつとめている様子などは誠に微笑ましいものをポンャチなき大りよ顔の分自児幼の前学たまが就が一生懸命におつめをつとめる姿は頼もしくとし毎年思うことですが次代をになう子供たちたームを食リて解散しまクーュシスーュジのつべとを楽しんやおたし会閉しまいではに時後午頭に題問くながらゲーム合をひねったり助けいも達は各子れわ行どコーナーではとんちで解んくのクイさズやミニスポーてし更変にリラツだりものでどなービロや屋部各めたの雨は会大ルらのアトラクションは予定していたドッジボーいしいカレーライスおのか後午き食昼をいただ後の木の門出として記念品が贈られましたそ会年少員す業卒を校学中に若る春のこたまたてしをし話おな近さてっとに達もどこしまい下身下さいと分かりやくときには微笑みながらすをりえがばぢおに緒しと達友やんさ母おやん一て祖教十やさ百大のめ年祭父お切二の今年さは木しと芯の会教てしとを用のけすた界世し通立教会大又よりお示し下さいます活動目標教葉言おの様柱真く頂に旬をはじめ達年平め迎える教祖年祭であります諭て成年教会長として初し出ち打おの祖ん祭年十二百そ教中な年すまし致が気なうよた月きの理てねの思案を積りみ重日とかば辺上い良って都合の第きその度自分に頂せ見おを巻なりに色節な様事来出第未とすまみてっ返熟者は未熟者な号七来爾たし余りの歳月ひとつひとつ振り年会き頂てせさをし出み歩てしと長会代四の教自まき頂をび運おの命任私年れわ行り執が祭告た奉承継柱真ちわなす年の年百二生誕御祖教分亀田長会教山高橋徳行間近に拝しをだろんかばぢいてのそし拝に前眼てめ改がたしでりもつたすけたいての源であると承知しのお神様づろよ所るさ下り鎮親のぢばはりあで間空こすまぐ雨そこは正に異次元のり降り注よ上真のいだろんか中静の数澄み切った空気とさけ見事に盛付けられ神饌物のたり更面らぐかるいてれか置えには頂きましり取むように据又囲た拝させてだろんか央にをそびえ立いつ真て歩かせて頂きながら初めて近に中礼北際るすう添に段上とへ南西らか場拝き教祖殿へと移動続きせて一同礼拝引わの講話の後真柱様のお手に合表統領降飯すでて頂く機会をお与え頂いたのせさ拝りどをてらぐかに共と方を結界内にての長会教す超を人百六千神き頂をし許おの殿参殿登中のり拝はてしと祭珍しい程の雨次降月部本日十六二月も覚めやらぬの感二般先動祭年十二百祖教たえ迎てしそそすらもこの三年千日らせて頂いたように思いま通がなぬか届ともの意決のとうらもおてせま歩をやの思いに近付かせて頂け道をで少てもしるくたしまいざごう難有に誠すまりあで次第しにやかに心地よい足取りで神殿をあたとながら送バスまでの道中心の中は実に晴れ迎とめ着の袴のおをたくし上げつがすでろこと裾したらいつるくでんか浮もつとひの心足不に役も傘てし増立たぬ程の強い雨と普段で風拝出てみるとてに参前もし戴頂をりがさお表にりお労いのお言よ様柱真を頂きてに殿祖教葉すまとなた登殿参のひと時であったようにも思い拝っせて頂くさにた新をい思契き頂てせさじ感を機待期ごのやをるな切のとくてっいてれいを入れて成人の歩みをしもっと気合の十か年はもっとられこし対あり私のような青二才にもで旬す出み踏を歩一第のて向け祭年十三百祖教にな塚次は年本る又すでりあ第ませて頂いたような次さ識認てめ改を義意の頂てせさめく教会月祭次いつづとめの理を受けてと会の使命とかんろだと所場しけましたそしてぢばの出張り教のて受を激感い神神しさにこれまで経験した事のなか頂いたという思場用御殿祖教に次すまりあがいさはで一てせさめ勤に緒まは回今どけたっや拝参おか今あなう違はとでま今りぱっやは拝参の内界結踊参拝をり御講話の聞かせて頂きましたを手りめとづり座りま始が典祭よいよいすで慢下ョするョのロもキ行キがロ儀悪我とっじでのいり拝礼東に場まんあたしまり座に内界結りが上で出発しいいがち持気で気天おい良たしまスを拝付着め遥けとバロクイマ影撮念記合集で所らかの教会長は名つおで所詰日当とやましよっえをで体全たた迎しま名長とさん会よっ言ぽれど嬉わいんやなあはし月次祭のと都度皆さんたしまに伝きえさせて頂殿月登え伝参拝てが速ありますと早立各祭は年のれ全御の月きつが国教長会にか分に教で今年祭次月の会教自月年去たしまいて年楽てみえ数り折にしし指にうよのも嬉しくて子ど平成と私は感張と緊りもま決三日六に十共二月てと年まれに月かて登殿すしたいを拝参分年一年の祭年十二百祖教が長会教全すでてなの月えるのは初め教会長の立場で教祖の御年祭を迎日市明之博原杉長会教分石第巻かそしてこれら第緊張と喜び号精すすまき頂てせら通杯一かう向一く陽里気ぐらまい塚下せとおさか聞しに人てきました御年祭は成の道のゴールではな頂せさをけ分裾おのび喜き頂でん飲を醂味酒神御様に登殿参拝の喜びを改め語り教祖お下がりのてに皆して明石へ帰りました月の月次祭ではみ教祖年祭のしビデオとを買い見るのを楽け解戻へ所詰てりとぅぼました帰りにはしおのちもお醂味有りを難く頂き緊張もりが下たいう思い御神酒頑張らとくてはな御年祭の意義についてのお葉をいただきまし言真柱様のおてに合わせて祖礼手に拝続いて教内容字数寄稿先原稿募集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さいはに剣真を日一日一じ感といなせた果は任責立教分教会長様ので持気な端半途中引け受をぎ継港十ました二門五日夜一ヶ月つとめ終えられた司年平てせら通てしと事が我姿が我心こうと思い頂成年が我ず先らかすまき頂せか聞おとるす護守てる寄んねんいがたしでままいならかわかせい年方なんが引き寄せられてどすで葉言おのと月い導とりかっしてう思と子の理頂きたいて日のは事前研修会での大教会長様の我が教会の第二月五日おぢばに帰らせて頂きましたす出い思巻してぎ過がまいこれという定めなしに三だ第日でどな備準るすを思守留つついか心定めを号です生の月ヶ一ばぢおてさを何めたるす活と共生科養つとでろことるいてい頂てせさめに頂誠に届かぬ者が主任先生のもとき名の修を命御の員此の度修養科第七七九期教養掛助雲川津分教会長出仙田勉御命を頂い修掛養教科養のて談話室けが声けがいほに務急がけすたなるあで旬な切大は今はにう思り返り振を事来出此た時あり実もったがしなみ極い難有い面場にでいありま事が味がすそうい多うのういとやの意護守御のりわま先にを言おたしま来出が葉るすと頂をか届か何えならも終めとつぬきるが事ピーを頂いたり又伝手おな身親の様長会教級上など準又第次式の儀葬たい頂備丁寧て品なコのしし渡とに考参にけが出たまりどもに会教自面お許しにを頂き早速向の葬儀かいり取段の当さたしるいてれま込き急まい思のとなだてと御るな護の人にくぼうよに上な以又を方り通守で早りく修養科生のご少守うよるけ頂をも護しも又主任先生にも伺がったりしましたやはしういう神様の思召だろうかと自分なりに案思ど一う思と事な議思不えいはとせわ合り巡方たなら自教会に帰らねばかしまりあが緯経たっな夫のそのたいてめとつと方が出直され急遽中くもの様長会教分松久りあが命御の掛養教じ同百祖教前年祭の年十ましたというのも十年とですがまさか本当になるはと気が動の転したでした気にかけながら来てい頼という依いいらもてげ挙を儀葬で会教たし直出が母のたから戚親の住在阪大はれそたしまり入が絡連日は一日日と過ぎ四月後五日の朝づとめ終了一気を緩める事なく通らせて頂こうと思いました道川小子いますてっ思とばれれらに伝様皆が動感のそすまれらせえさ動感もかされます小さな草花になてえ見てづ気かにとこのく多たっつめてきてき生年十五とるいてい描かひにれとみっじ年二てめ始い習手紙に感銘そのパワーの大きさ絵下たっ会出で廊たっかか偶然通り開業児育援中支動活病院勤務二前より助産院年十年けついでいるを三てしと婦産助受髙屋分教会直属信祖父よりの仰プロフーィルたしまりなにとこくだたい今で表紙月からを飾って手絵紙すまいざごうと難有に誠すまいざごで養科生の一手一つの成人の姿を願ってやまない所任先の思いに添又わせもらい修き尊の名二十生てっかりと伏せ込ませて頂くと共に主しがすです中最の掛養教だ今と思わせていた次第ですでいならなばねか頂てせ時帰れつにばぢ里親ここらもで人一てしそだ時るいてれま込き急がく多平成年年こころの詩の人拍車殿祖教浪ますまけかす浪殿と人祖教のへ心にひびき合すわ手を浪高き音くき音浪ひ二時の歌音さわるたえ扉開いて年十二百ぎわにのい今日人の浪世より国の界るせ寄又は寄し返せてるせ寄又起てこう通た浪船のしり足年祭と云う型船大がき如のうとどの人浪寒さとわづいり胸の髙なちたてむかえ待祭年祖教此こ大和の国ののに理町天よ寄せ来浪るにか髙らか勇む詩おいがけに三日二十六月んしかくに回歩数孫りのを子拍手廊秀詠会教分夫東悠人長田林子智美佳詠会教分品芦ぼふよく金谷代眞佐ごでざまとまおすので転い載させて頂きうすめ句二名が見二選ばれ掲載されてい方の事ました友句七十六選拍中は題課の回今笠繋教るが岡により転載柳道行号養月社発徳陽気誌四縦の伝道講習会万人増員の本部巡回を兼ねてと内対講き象容師平こ教岩ど成会も長谷お夫ぢ妻富年ば太が郎月布え教り先所生長日縦の隊日少育伝年道成会祭典委本に講員つ部話い委長て員とのしよてう講ぼ話く信者第回婦人会笠岡支部総会日場内参ど尚し加うまか者す準所時容一に備は人の昼で都平笠お食も合岡つ成弁多上大と当く教めをのま会年準会な備員び月しをてお式さい典日にそま感参い火す話加頂人午き名数前御をミ参とニ加時り下喫ま茶さとい分バめまザますーすよのう昨でお年事願の前い残に申り心し物づ上もげりまをすお願いいた各行事に参加ご希各望ブのロ方ッはクの担当者にお申し込みください平成年年第期修養科募集要項修養立科教期間年月日月日教養ヶヶヶヶ月月月月目間掛目目高三田三阪木代中泰昭一祥人矩幸米福上大小教府岩畠会役分分分員教教教会会会長長長湯田原分教会長募集志に教要月会解願ヶ項散に者月順はの序日修参ま養拝で期月にす末間る笠日をこ岡現修と詰在了所後でに満は入所大し歳教以会教上で養での掛修の下養面表科接修のを了必受講要け習書る類会こををと携受え講し上級教月会を経日由のし昼て食後大教お科ふで書さき必須みかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参お考てふ書り概出要来ればな持り参もの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携お行つとめ品の扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服ハッピ装及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよいお平成年年くと共に同一慎をでお願い申し上げます程のき導おん心が澄みのたり喜びとわ感謝の心人杯に助け合う陽気ぐらしのてし世の状に一日もくまい一早さ下り取心の様実真の皆るすを進けすたに杯一精お応にい思の親何卒受邁にともでうどもで親神え条何はにけ一所いごすでく存頂まざての人にその喜多もと感謝人心をくび伝えさせて頂でき次の塚に向のかってせさとめ固足のみ歩の人成の一も子供え迎を達目たつつきは頂てせら通に杯一心の謝節ちてし通をり帰ばぢお又けすたおけがいをにんろ済救心であるに共のに思いを致しその為事にはま感とび喜を日いわ味を理ののもりかのもしかがら自ずけすた感とのび心を喜失っ謝ている事がすまれらげ挙てしと因要にとけ救病はけ救の親は同一くぼふよ共私やいますまりおてし化悪凶りよに共とるす加増が罪犯の者若で著事のて全物や人てぎ過れ慣に前りた当はれこすまは廃荒の心で方一のそがすで上世るいてれか浮とたきてい向上が気景てさ顕が層年若に特み進しす上げまもお勇み下さいます神うお願に申親てしまいてしくつさ下覧御いを状るすり様縋おに心親ぬらわも変よ尚ますき今は日のまし日を楽た道し御前み子供達が相いに声高らにかにお寄り歌を唱の集和し真に実を共只今からで頂てせおつとめ奉さめ仕者一同喜とび心も一入につ明るく陽気にを勇んで座づとめてをどりり柄日う行のり執中にもござを祭次月そ月三たしまいさ下しいので許おに会教大のまの今す此は日吉の日おてい頂てすじ念一条ま励め勤に上のてりけの御用たいませすじ報恩御つつ起もげ上し申思御に夕朝日てえこしかをし礼は湛に心をち持気の謝感とび喜ののもりかのを無事十年とめ終え新た二い祭つ塚へ向かって歩み出した思祖教私共一同は改めて信仰のをな百元一日み極いな体勿くでご有ざ誠は事すまりおいています難に胸躍らせる等希望に満ちにた旬を迎えさせて頂花強子も新く草の山野は今は吹たえ卒供春爛漫のをく舎時風に学げ告を事い近がたな始まもも旬折雨達りきとおを頂い護さ守実真の様神親活て御りまする導れ溢心頂いて日は結構に恙なく生親のせおきてとお特くら神まり鎮のすまげ上し申会教で大下お岡一理原上長笠会に前御の命王理天さい慎の神親れ床こすんまに三月月次祭祭文この世で陽気ぐらしが私たちの願いてきこまのし世たは苦の生娑き婆るこ極と楽はは苦あでのあり世にあ死る後との長世界く説にか楽れを求めて生きてきた人と時代もありましたところがそうじゃないこの世で陽気ぐらしをしこの世に陽気ぐらし世界を築くんだと宣言されたのが天理教教祖中山みき様でした古い着物を脱ぐように世を去り再び新しい着物にで着あ替るえよてうこ願のっ世てに出い直つしのて世きもて努力ましたた陽い気もぐのらでしすをねするその時も住みよいこの世天理教ホームページより平成年年祭文春季祭霊お一同と共に慎んで願い申し上げますを条に心楽で明るすくしけ進一ん程のえ添力おき導おうよすまりなに姿る邁方様霊には祖卒お何れすたが皆てからも御心放しまいさ下り守見こずたいますでざ中いている最ごづけの取次の実おとけがさの足固めをみ歩の人成い合い誓を動させて頂おの人千一月毎に葉言合をぢよしにかいをに軒万十五やぎ帰ばうりすまいざごでころてし通を間年一え応にい思の親はで岡笠おにをばぢ歩の人成なた新たっか向み塚の次後祭年祖教は道お今みに踏出したとをたっあればすまげ上し申礼御てせわ合とそこが切る事がえも皆が心一出来勤につり作理み込せましたのも祖霊様方の伏めしまたき頂てせさめとをどりをつ御り供人の祭年十二百祖教の日先又作うらぐかみのなから高声の人唱和と共に親神た御様の前にて陽気にるて同寄り集ましたゆかりある一者仕奉めとつおは今只てえ供を物のしくい御てめ改言に労苦ごの礼御前に海山川野の心づ申し上げたいと存じましての日の日柄でござめりあでの定し前生ご面いまてえ称を徳遺御び偲を影す御に朝と賜のみ込せ夕う行り執を祭霊の春は日本がすまりおてげ上し申礼申事までもすは様伏の誠実真の条一神の方る霊祖はにつ一又がんせまりああで賜のき導お護守をお見せ頂いておりますのもひとえに親神様教祖の御たしまいさてしたをめ拡の道に共とるれか築果下日今のお道の結構な姿すたにり限の生くる明けも中のれ岡の道笠の礎を一条の御用を勤め切心らして早くからこの道に引きせられ御恩報じとの思いままにどんな難寄渋の浴に護守御な議思不又れらけ分す聞を話おの様神親はに方様霊祖るき等の一慎御で申し霊の前に会長上す原んま理げ上に会部ご内教共苦長教人よふと信労下さい員ましくた者の御霊諸役ぼ長会代四上御の自刀ゑに長会代歴りよ頃の創原郁大霊雄御人霊大教会草の原繁雄上大人くと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長霊大教御の祖創設の祖上原佐吉先会人大八重自の御霊初代会長上原さ刀初代真柱様並びに奥の様席本御霊様の御霊代真柱様の御霊中家御山二のれ教会すまいさ下りま鎮おに殿霊祖の岡笠こ大富士稲田毛須康弘惠陽藤本道喜前期立教月年日終講会教資格検定講者習会修了長リメカスーノア井芹正昭稲倉北川円芦品山下育代坪生掛谷富子稲讃高橋竜二修了者神昭分教会長三ヶ月目渡邉隆夫長会教分芦福ヶ目月二竹本和道会分山場天前会長教一ヶ目月仙田雄久喜大教会役員間月ヶ三今川昌彦教養至自掛立教教立月年日年日月第期修養科大よだ会教り年享才九十八しま三れたさ直出日十二月長会前会教分舎吉宗一善氏時訃報多古浦余村至立教月年き隊別特んしのひ属直日日修雲東三代温八尋矢田哲自立教日月年第修講師期七養科一八期生一行きまとうょしかさながしずれ恐を敗み失楽でん歩らおたスター旬にトラインのに立っこか十祭を迎え二百祖次年教ものがら聞き入った次第です達私なしいると言ってほどと関心なる分そにーバンメの室究研てし自楽うもしめを敗失いなに常と進あはに前はていてれ恐を敗失る連で続研究の敗失九九十九はの言われるには私たち教の助授のるあでのう言とだのもすなこでそ分ピューターが百年かかる計算を数ーコンパースの現でうそだ究研在ーターュピンコの量るれわいと子この研究は未来のコンピューターり立シしているとの事つま成はンョ功教にテレポーテールでベレ子ではす年つゝ聞量いとるいてい思とし平トータゃレッいまるあスじ界世のク成年いとだ者人一うの界世の研第究の授教なんとテレポーテンョシー年助のそとるいてとうろだのな方見月教授が出演さなんれていまどたし日先日の番組で東大の助ひの年今すまいすさはんしきのをんするよう申し施わせして実合のひ掃清のし辺周会教に時典祭きたまた今年は各教会の五の月済しませまくなり滞どな送発備頼へ準のの依力協加参の方くの支部内に教会ぼのないよ事ふ会の布教所への参加促進は勿論教直を進めるとともに支部内の見しでき駐車場もある会場へのれ入この目標達成の為多人数受てけ千百人を目標にし三ています従っ人わが支部では開闢以来の万二で区教島広けをれこすまいて請提加参の唱いただい人万十五教全を二して年の祭年十と百祖教は年今すで間月調強んしのひき月五では一教全は九十ーデんしきのひ日斉まりおていだた二月四末月今す聞かせきて移すのがひのしんとい気持ちを報恩の行動に感の謝このんせまえ耐に念の謝感き頂護守ご様るれ回き動に儘気由自で気元し堪能させていただきまたし梯子年も弥生の桜をあちこちと今りなうゆりかばを事るたへみハにんけんの心とゆてふのざあう葉が言んびお浮込んで来たかふと心にだで誠に鮮やか彩りを見せ目に飛なが一分咲きの梅たい戴梅花の紅枝の綿白はに処其へ殿祖教らがを雪るい降り神殿を回廊越しに見渡しなるそんな或舞とンシンシの雪日過るいてい頂てせさごをる日毎の謝感謝感じ感で肌を事い事やが踏ん張り無てお連れ通り頂いお見せ頂いている改めてを難にをろ無て凡でいら計おの様神親こでとるあ難大ばれえ違間歩一きる起く如の日連が節ぬせ期予たい続だ寒さ厳しく親里は雨雪の日が入学当まだまもてっ言と初月三修養科二迎えているヶ月目をさしわもこれからひのきしんやむほどつらいことハないうょしり張頑うよるけだたいびまのきしんだったと教祖にお喜ひい百二十年祭祖年に相応し教にのがあでるちょん吹き出しちて芽を今昨るいて来て満チ期がけすたな議思不ラホラと付は別にしていなかかると云気かく付気に事のそか事うけんだ喜びもだ徳もお与え頂け分という難儀したる分だけ伏せ込めし楽でまく長はラクサの年今いるい時期をて親里で過ごさせて頂いな桜雪柳と正に百花繚乱またとて経を雷春が春たっ待にち待た今か遅もれ訪の春で冬厳は年っごのかしておる入がじ感人のきって過けにどれだに起こって来る一つ一つのおはたらでちがい日ましてれわら目をとに事く頂を護守或なかや鮮はい御がきのけ気人付だるれど守護にがては満開になっておいてい頂せ見息なさい吹をてや目をやり小戴木たっなに様の木れ枯しと落を葉に冬の最中厳がるで愛てう云だと人は満開になった梅の花を見て綺麗三号
かさおか

『かさおか』第45巻 第3号

平成年年天理教発笠行岡所大教会電郵笠か便岡話さ番市お号用か之編江集掛現神殿正面石段下から見上げる一年間を通しておぢばを賑やかにしよう毎月一千人のおぢばがえり立教年五十万軒にをいがけとおさづけの取次月号平成年年初上原さとは代年七十和昭るび立とうとするイメージを感じを拡げて両今将に風の中に飛翼が鳳てっか向にけ救界世るあでき好がルグンアのこの殿私は神面神たえ考とはで殿のいいがが大教会の正岡笠の今りはやら後の絵をどこにしようかと思いな最たっで廻り歩いて一年が経の出い場所憶を上原元子さんの絵面影を偲ぶあこちの初代のちるあでぶよすはが偲を様有の台躍飛のそっ寄せて頂く飛た台とな碑石躍でら生まれものありこの道にたの吉か佐に将心は佐畳表商備信るれは佐吉の深い思いが感じらにこるあが碑石の名合だん刻このう利助せいの名ををな原上だに中のそがのたし移をたあに丸小の岡っ笠石碑たっあ事が墓地の事で書いておきたい紙のことば表月日長会代初会教大岡笠十妻台湾より帰会月日三代会長夫日行執祭月日代笠会長五会岡大初教奉仕前霊日毎りよ日のこ月時前午日火葬場で骨揚葬密月日長会代初笠会教大岡代し直出とさ原上長会和昭月年日初みよう大教会史年表で様子を振り返てっ事の後し大出会さを史直て教るな事たにで存命で大い戴を会の守ご護教九十四は代初でのな年年たえ大教会陞級が昭和十五年を数代二代初は長会だ代三ん歩を道人成と会教大て経をの会中教会教教支は会岡笠間分してくれたという事になるそのにをみ歩の共へ会教大の称名の岡年だから約五十年間笠年四十二治明が立設会教たし直十年九日出で歳二十九月台旬中月四は向動の長会代三の事になってるいすた昭和十年七常に地現で妻夫は長庁で正改の駐規教たいてし駐常に湾台てしと長庁道伝湾台は長会代三頃のこできる感実がかだんし哀をし直先生方が初代を慕い初代の出に三如代会長をはじ当時の何め年一会祭代会執行初長正主の先生齋教大岡笠とも昭和年月日山本利部本員祭執行日月日会代初会教大岡笠百長行執祭祀合に教大行執祭日十祖霊会殿月日初代会長五日十祭執行月日四長会代初会教大岡笠十日祭執行月日初代会長三十日祭執行月日二長会初会教大岡笠代葬会代初主で本長月日利正山員部本先生齋本行執祭日史料部長上原繁道る終ての電報っっ迫たと思であにれわ胸感万さしかどもぬけ動にうよ台湾の地あって思にく遠にうし母祖りようと会代初の出直い長シハエウムノタチラヨニカエルミコミデリキノカホンヒシキノテコイソレマクベハツゴハリヨシンスヤシイマノ一八ウヨチウミウキユウチナジサミヨ時午局後岡笠分月日台北局午後時分に後最を報電の宛せる載月九会教大の長会十代三の日一きたのはごで賜の護守あるで笠帰に日八十が妻夫長会代三らうように往復できなかっただか思かなかな為たっあに下視監の艦水潜の国米に常に既は路航湾での往復であったのでしかも台出張視察となっている当時船は九月へ門らか日六廈てけかに日七月発出に湾八台らか戸神日慰霊祭に臨席五月三十の戦没者日二十二月五会笠らか湾岡帰町ま種き分がお道の信仰を伝えてもらっていなかった自立教れてよかたと思いましたっいくていてしを仰信が親う話しを聞くたびに両年平うそは私がたどんとほが話おたししとロでド成年苦で情んしや上身はれ事ロドういとるいでそました年方るさだくてしをしがとんだんだにちうで話き月が戸別訪たをま出るいて問しに願い出て布教し日ぢばで生まれ育った私お立教百五十年の年は第きだたいてせさをすおていつにさ切大のま話巻第でそのいろいろな体験を交えて学生層育成こおてしを教布独単で知愛たは前のそりまし号生担当委学が員になって四年になりますます私は現在副員長のお役をいただいており委たしま催開を会習講者成育層生学てしえし迎おを生先一忠浦西長員委副会員委当担生学部本き続き引に祭次月会教大日一十二月二る去笠岡学生担当委員会吉岡誠一郎委員長では西浦忠一先生をとてっも夢ンマロかさ習講者成育層生学会おかたしまきっかかが話電て林さんという方から一本のとすまりおてれく何軒廻っても誰も相手に百してくれず途方にを定めて布教に廻りましたとか一人でも子供をおぢばに連れ帰ろうと心何てと仰せいただておりましよめとつてたのでいっ切仕らか様柱真前たしまりなに節季のりえ布がばぢおもどこ教に出てからしばらくしてしまい思とばれけなえ伝に達人のり周たてをび喜のそらかすでのたきていつっ思といなじ信をえ教の祖教さお道の素晴らししこれかく初代は不思議な奇跡についてきたのではなんなことでも喜べますうはゼロからの出発ですそれを思えばどのたまなことでいと元すでとこる出が気元す切大もてとはとこる知を元でのんせまはあり得自の今てくな日一元しんせまり分なはてくなら知をかじ報恩御の為の何すで切大がとこる知ねている者は先ず信仰の元一日をしっかりとい若くよは申すのですが代を重私人達にもたしまきでがとこるじ感とみじみ代までの仰を繋いでくれたお陰だなあとし私信いろい間のそがすで目代五ろ節私中のなで入に信した初代から年七治明たしまきでがとこて信始て出めるじ感をび喜のながら布教に仰らどうなっていただろうとおぢばで生まれ育ちがよもろしい私は心の豊かな子どもになって方たせか行へよらな強勉でのたれらこてねそあるとき塾をしていると聞いてご婦人が訪なりましうよる来も人七十はたにそうして最初三人だったのが多いときにくてっ誘を達るのです友とるなといしらい白面がこそあでもいの子ッどもたちの間のネ白面はのういとクーワトを見強るるようになりましたそうすと街の噂勉の子の男の弟兄人三て出が声ういとかいなれおぢばがえりの後の今度は勉強をみてくそたしまれくてっ帰もど子の人二十がおぢばがえもには二どこの年翌りなにうよりるるいてしうそ来に会供子がいらく人十二とたしまので供月会をすることになりに二回くらい子たしまきてえ増とんだんだらか人六は初最たたちが布教先の家に足繁く来るようになりましもど子たし加その後こどもおぢばが参りにえばがえりに参加することになりましたぢおもどこで人八局結とらなるす加参がんさそうなると街というのは不思議なもので林くださることなりましたに子供にもよい経験になてし加参でとこういとるらないらく日二泊一とるすたしまい伺に明説はリトマガや私おぢば案内の写真集を携えてるが芽らか節出かにうよるさだくて来も人の人大とんだんだなさとまきでがたしおかずるけ続にさ倒を心かと何で陰おのちたもどこ子その間何度も挫折しそうになりましたがた目年四はのたいだたい護守御をくぼふよてでして出に教布んせまれくてしに手相かなか始めがすでの来はもど子るなりはやは人大がりに帰ってくれるのですえが東京や長野四国からわざわざおぢばすまりあもとこだん組を参団で人二十九はきとい多にたでちた子たっ育で会供子のそ皆はちたフし立いらぐ名十六にりましたがそのスタッ参で団し教三えがばぢおもどこの日昨泊二で隊浦西も年年りましたな平成ぢばがえりのスタッフをにつとめてくれるようお年もたちが現在では大学生社会人になって年子の時当てきでが用信とんだんだもに間のちど月こちも一生懸命しておりますと親御さんたら日たしまりな第うよる来とんだんだにそによを見意の親でいの巻またが子どもは友達の行くところに行きたし第で天教の教えを遠慮なく話理し申とすまし号らいいので躾をしますし天理教布教師ですのたしたこいど置の心のせてで節なき大くだたろを悟きら人の本当二ちのとこは布たこ私るいて出に教たしまれわ言とんお応えしいるかあなら作を心のそず先やてんに布教に出てるのにどれだけその思いてい戴思いに添をし許おの様柱真前やんいなてっ切いまのやをはれそとすしを話電に親にぐ直ましたさ省反にれせらたいてしと穏自ていかをらぐあ分自身を本安当に形のりかばし少れ忘を心初に内るね重を月軒から始まったおぢばがえり一ったのにだ歳たしまれさかめのほを明失りなに離剥膜網の症重が内家そんなとき予定日の週間前の七月十九日二たしまりなに気ういとまぁこんなものかなてれが約予の人十とのネットワーんで六月ぐらさ御クい六五に親ッネのもど子がクでたげ拡を敷呂風ーワトす訳心しめりをました当時の実績としては大えが定立の年十六年にばぢおもどこの名十八百教はたしまきだたいせ見おを節なき大にきと御守護を見失って我流の信仰に陥そうしたり大きなの様神らがなきだたいせ見おを護守御てしをいるように勘違いしてしまうのですとるくてっなにかや賑りとこう自分でそうい陰おの節ういでと心私たち夫婦は師教布のりたしまりなにりえがばぢおいたがあにのたれくてじだをび喜るえ当与本すま感い思とらかび喜るれらえ与のでま今うょしでぜなばがえりだったとその高ぢ生達校が言いまたしおいし楽番一で中のでま今らかてっわ終がたでりえがばぢおしの目回八て出に教布がちた私れましたたちの面倒を看てく子の女た懸生一に当本日三泊二命てしそしまいらもてしをりわ代の内家てし明説を情事一番上の女の子たちが五人いましたのでたいてで育って高校生になっ会供子にきとたしうそとができないのです入院しておりますので女の子の面倒を看るこが内家たしまりあがとこたっ困つ一がろことただきまいた守御のをし人十八どうょち護いましたら皆さんのお心寄せただいて当日もでも日帰りでもよいからと事情を話して勧誘し日二泊一を日三泊二かうょしでのういと性根りそういうときというのは不思議なもので仕切かにとく日三家を廻りましたりません神様に申し訳ないと思い二たれさ残足人十はにめ定心の名十八がたしまいてきでいぐら名十七は方のりえがばぢおこの時点で決まりました十三月七が手し院入に家のい憩日日に術翌動活諸の会員委当担生学休みの学生生徒修養会高校の部三月には大夏立教諸てめ初てっな動を知りました活担に員委たしで知無はてい事行の会員委当つに年平て学り生し充実もおらがなしかず恥がたしま成年は歴も組織も年も認識でまれそ会活少史動きまいただたし年でをいん命御の員委当担生学に前年四きたと月きすおる悩とかいよらたしうどいな許心は導に日のけと出へ会いでは信仰を植え付けよふぼく第しんしか知きのかったのですがならだ回二に年巻てる術といばこどもおぢばがえりとお節会ひえ第号当時高校生大学生になった子どもたちを育だとこ節を通して痛感いたしましたの切大もりよ何がとこるす行実め定を心ていだ入れ替えそこに込められた親心を悟らせたていれをひながたを見心め切つているのかを反省しの祖教かのるいてれ切い添にい思のやをに当本見せいただいたときにはお自をが心の身自分か節らすでのる神様の深い親心が込められていう親願を人成のもど子もていだたいを節なんどすで節るさだくえ与を味わわせたいと神様がお何とかそ喜らため定いたせさびれを成し遂げかさす心をでもき付はてっとに者る通を道おの節おきましたいてせら作をのもだたかんの学生たちの力がだだんと増してくればこすがけをいに生がしたとでとこのけだれうをい学の生学の人十八親が未信者でしたつまりそましたがその十五七百っ帰が生学の余きて学生おぢのがえりには五千人春の年昨実ば際と思用御すまだいいってくかなき大がとこるえ考をとこういともる者はにどをーギルネエの人い若ういうそこさわ携に成育め含をんここにいらっしゃる皆たと痛しまし感れの並ならぬ努力のだ果そ成ッタスるえ支をフたまれりあで果効ミコ口のへ友友らかはそ上がっているのですりとういう若い人たちを育てるものそが右肩がばがおえりであり少年会活動では鼓笛隊であぢえ生学の春りあで部の学大会養修徒生生学ばが例はのるいてび伸てっ右上もでし少が肩かとえいとか何なかと右肩下が何で中の況状のりか別い者が増な少が生科養修は道お今と席一生懸命な姿に感動しましたッフ達のるしてタスてっなにうよそわ携に事行のそりますあせおすまりあ学生ひのちも事行ういきしん隊と方地りえがのがういとばびなまはで区教があります三月二十八日に部学生おぢばの学はえ何はのういと成育のる者継後い若のそとをて大切い考をとこういと道の代末すで材人なく若い人たちというのはこれからのお道を担っすでのな実現がくのういとるれればそういう子どもに育ってが学修せに参加さのや教会で学すでかなかなは家るすを精丹の生すでとこういとだ損はのいなせさ私生を参申が学しに修学ういうそはのいた加でのるなにち持気ういといたぎ次りすにいたりな取をけづさおくぼのふよで間週一んそるものでとありませはが学修に参加するもてっなに歳七十れくなでん運を席別かなか大きな親心のお陰なのですで姿な命懸生一にり真柱様のお掛けくださるあぜ変わるのかな当それはスタッフの本すでのるわ変で間週一がたいてっ言とる帰う子ば学修マジックと呼れているそうですがもすで景光てるのです凄いいてボロボロと感動の涙を流ししりたっ合き抱に倒を看いておりますので退寮式の頃には互面間ますがスタッフたくよに当本い週一がちきてっ帰も子す出います来るなりりたいと言帰校高部には千七の学生生徒修百人ぐらい養会がいてきます湧なに姿なんどは道お来将の望だろうかと希るらか胸胸へかありますでさんせまりま始ればけお胸らか胸へと伝える教えかながい会出のと人もでえいくら素晴らしい教と仰いたしまおけがいをたにはれこはとこだんなけすういとるて育を人い若う担をは様柱真前次代でとこういとだ事行の会員委す当提担生学がれそがしてやることが大切です供を境環るきでのても理な話で自ら変わること無かのよばれすいえようといっ変をちた人い若接にうよのどとちたもど子の期時のこしかしすでとこ立しての御用をつとめることのでき年代だというる教様神親すでとこういとるきで教祖の道具衆と年それはこの年代になれば神様のお話を理解平成で歳七十ものたれら出に教布速浪が様んす年別席も養科も十七からですこかたま歳修す年まし申と任責のら自はお守り下附願もそうです月お道では十五歳までは親の掛かりそれから日切な時期でもありすま第のは本当に厄介ですが自ら信仰を大す出見う巻いとちた人い若かのいよばれすうどでは第だと思います号ならなばれけならかかりいもてい措大なこと切取うそすまくにいる学生の背中をう行事にい近で会は委当担様な行事を企いてし催開画員よらたしでは実際に何をのかどいう学生大が切とですこるめとつてっもを心み勇は成の層生学す育神は心に乗りて働くとお聞かせいただきまこ成育のでするあの斐甲り遣に実はのういととてに感じくれ実層生学らかすまれくてし行気ちらが一生懸命話せば意すまれくこてっわかなな人大か変わりませんが若い人はは変すまい思とるくてっなに礎くいてめ進とへしらぐ気そいう地道なおたすけ活動がこの世界を陽うすま教師よふぼくのロマンがありみし楽なき大んせまの道すまりあが夢布れりか分かるが拡び伸うどがそすでとこな心肝がれことこくだたいてさえ伝をえ教い一せ番しら晴素こに人い若に方のく多もで人一のず残りますり必なときま種は理あはりませんたとえ伝わらなくと駄の込伏も問訪別戸にでのるいが人す無るいてっ待をのるけ開をアドがちた私軒一に軒万軒一に軒千何も起こりませんは何よばれけなか動すで切大がとこりく動もにめたのそがすまりあで命使たれらね委にくぼいやの思いをにをふよ元なるはとこるけがをいをえ添力おの方願いおたしすま据えての皆様どうぞ十年先二十先年見を掛けておりますを加参のら称名全くべす成達をめ定心かび呼の人万一はに会大りえがばぢお生学の日八十二せ月三きだたいてわ添にい思の様柱真ういとに十祭の年おぢ二ば百賑や祖教は年今年かをを丹精させていただきたいとすまりおてっ思ら若るきで践実てっもを心けすたういといたい者もてっかすたに様人はに後最心御の祖教て知にていただくそしちたんさ生学を質本のそっ様な育成行お道の素晴らしさてし通を事すまいて立を針方ういとへ生学を心けすた心御の祖て教さしら晴素の道おは会員委当担生学期今仰いますといなけいといなしを力努つら育真柱様は若い人を育てようと思ったら自て変わってくれるのですい理戴を参すで損加さのばぢおすでのるわ変とるせといなせさ加参に事行ういうそがすまし返り繰に声をかけていただきたいのですうそうでずはいす戚隣近所に親るに必ずい人もてくないに会うょしでるれわ思といない教は子い若に会教が我学生層の育成とってもいすでのいたを声いたきだたけてし押てい叩たきて掛いいだっております思立教めきらせて頂くことが今の私の勤めであるとまとつでく頂足満御にやおすまりおでん年平てませたたいッ振心き続き引ま許さぬ歩チれるを成年にントバのへ次らか様神を続けるよう親とタいなり足の私とつたしは今も委員部長め年をりずゆ私の主人は三年前に教会長に長男ま月すま日百六十九年も三う次十年祭へ向っておりるな百第な教立しとうと大きこ親心をおかけ頂いての巻てじ応に表わさ成果をせきまし場立場ょ持て頂第号はらか三柱真に頭年年千日の年動祭活様のせと下さいました仰やかにさせて頂き教祖にお喜び頂きましょう賑をばぢおを年一年今てしと年の祭年の祖教は一月二十日大教会の年頭会議で大教会長様海松長部員委岡ヶ森本子美冨種まきの旬修研会長員委轄直員委部かさ人会婦おか帰へばぢおず必でスーエらて頂くとせこましたことしは月十人のりのハイじるすをめとつの礼おに恩高のは今と感さ護守ごなき大は私き頂てせけ受ご二十二日月委員二去を会修研の長る部こすで頃のだな大切が方り通とるいてじ感みじみし頃ますが同時に自の心の日分のん拝をい姿でるにくてっれ集ま教にもとと会孫毎日りかなば子らさい娘のずわ様わな心しつ一何で直素てくし優に私いなか届くら六人の息子の嫁達晴素又く良が仲もてとはしで康健くなとこるて八人の子供は一人も欠けしまり参てい頂そのおかげでしょうかたそにくる明てじ念をけだとこく頂でん喜通らせて人主様長会海又姑松のヶ前岡様長会老すでらかるあに中の護守御いなれらには居ずてれ喜ばしくて何もかも結構い頂てせらなにらなに元気一杯になせて頂いてもう有難くてうん在ではこ現年十四て来出婚結かと私が何のがすま臓で弱かっ代それもその筈病心時娘たでも喜び笑純の絶えないにい何毎日を過していわ言とぁかホ単らか人主の私れ程アるいなけ情ずけ掛も葉言のりわてめ思責でいしまたいに父るす禁失びたびたい患を病尿糖いどひとしまし出いたこたを思ましてし涙想いで席のい合り練ったし然直出は一月三日に父を突の日私一年前の委員部長修会研部員吸江長委西村子理由前を一り返り振年すまげ上し申い願お下さいますてう宜しくし押りさ下てっ張よ引頂きますので笠岡支部の会員の皆様私をてをま歩で心ういといなれらおにずかま今せ種親が教えて下ぢさばがえりという種たっおで塚の次向かって勇みに勇んへ播くべき旬のまぢおばがすまい思といたみ励にいそさおのりえだと思いまますす楽しく嬉しくのすな旬ま百三十が祭の御守護を頂く為の種まきの今す年出がりがまいざごうとがりあに当本たしま来えば三日十月三日十人で第二回ぢ目の日帰りおたし昨のまし信確とだ標目がそこ心定めの完遂修こしたそして二十二日の研て会をうけ日二月十九日第一回目の帰り帰参が実現しまがをたしまりおてしとめ定心の部員委の私と私かうよく頂てせさを員委の年青子女が娘らか年今さがありましたお葉言おかいつにわ御つうとるいてしてを護守このぼてけ傾をわつうら自いないてっわ変も何はき働話にも親神様のお様長会の教大のらか後午お話にとても感動しましたおに一るあの第のそたれらておき神様の御用実通も情事なんどたしまれさを話おうさいとよんるとうつわが大きくなるえ越り乗をふが輩先し大の長部員委け受を葉言おのそ時のい合り練順につとめるという姿勢ですさ先れる理の重い優が条一神はれそたしま頂せさを方めとつくようにとのお言葉を頂きてこのたびの研修で支部長様より理になる会立せて頂いております教さめとつくし楽でん人と参加して下さり皆で喜年だ五人った参加一十人十はで今え増と段が者平成例会を四頃の初最りなにうよく頂日にもたせて年十月毎らか月二くそっさし職退に末月一た五年く頂てせされ入を力に動活会人婦定心ましめしを月していたか疎め辞を社ため勤年長は私れ会に日らけづ気勇もてとにしま励の方の長部員委めじ第部支りあが会修研時なんちょうどそはを様長巻たしまき続がしふういと第告別式が済んで間なしに義母が身上で入院する号の父たしで後最た見を姿な気元の父がのたっ手に身自分自の今姿の今がすでのいなけ書上成人不足の者が人に読んで頂けるは稿原なうよ長部員委雲出高島房子委部長としての立場員心の成人貴重な一日となるでしょううになるいとる返り振かたい頂てせさを方めとつ理なうよるくてれ現てっなに形が護守御間日となりましたまた来年のこの日自分は一年うにつとめさせて頂くかという指針となる大切な私にとってこの研修会はその年一年をどのよすまい思といたき頂てせら通う頂てせさけ受に直守護をこぼすのなき事ごいよました私も子供達に負けないよう親の声を素き頂てせさ加参に部学大の修学が男次りなにすまい思とだめとつの過去ふり返るより前向きにとり組む事が私すをます心に痛む話しもあります反省する毎日でていったら一良いのかいろいろなお話しもで番に上の動活会人婦すまりもどのように進めなてせさをしたそして毎月頂の年き十に例会う事は肩にどんとで日毎なうよたっ乗もで荷言物とつ立に上の会人婦てしと親母てしと長部員委今思えば早いものですすまり成に年五十き頂場立のてしと長部員委ままいならかわもを左も右きくなりました子育ての中大んぶずも供子いすま婚結は私どけすでたて十八年に成りしき書すま来出が人成前の心ら長かっがた来出ががすまいがちも方ち育事るえ変にび喜をれそも生皆はきすまい思人とだのたいつに身が事方てまへたその事によって一っで絶える校人行しい家に帰り一人で寝て学誰時なの校高いもあるのだと心からそ喜がう思えるようになりびうのりあがせ幸の今そこらたれくてっ通てしかが今でも目に焼きつい離れないのですてたん母に心供子うょしで事たっだりかが気てしの姿は事う言とる残に家けだ人五供子た母とがしんど家に居ない毎日でほとり回んさ者信と級上と中私が六才の時父の出直しそして母はたしまち育ででの会教れま生私は教会そまい思といたき書をままのい思のす平成年年く傷人りたけつでめたり言葉じいを人なくでは素直うのは第巻いと心るば角のあ第れなに逆れこたがしまいさ下てえ教とにうよくいてしら暮てっ合号どうのように素直で優しく温かい丸い心で助けぶ丸い心なんみは中の世のこは祖教で皆り話のうどぶすまあに中のし話の祖しが道は明るくなるらしょう教っなにうよるえでたて思とたっか構あんな事教え結もらってよ働はいて下さるこんな事言ってもらっ様神てばれいてい先の事は見えませんが心通りに動るあでちみんほなかしたがれこ号一をちみそほんだやちみふをばせこらそいみちありたしこをれそほ一号ひのなかもありふちなかもるみだまへつらたけぬりふともかなのぎる号一やまさかやいばらぐろふもがけみちもにきさでふおや分徳の性女の来本で中の会社くいてし殖繁く多い現在では強くたくましく経済る女性がも力あなし珍も罪犯の犯主性女は現表の前以ういとくのいこ弱い女か性がもいた悪と裏には意外に仕切ういと罪犯てしそたしまりあで親父はり家でけだういと親のがのるす取をけつし母りんもたしまりあで様奥ちのる握を紐の布財おろは子際様那旦は心の育てか家一りよ前以実らについて考えてみたいと思いすま葉言のこいなれ離らか耳とっずたしまき頂てせされたこの言がまさ柱真かたっだを聞か引葉用ついもに中の話おの長部支ので会様修研の回今員委井芳長部佐藤和代犯罪の陰に女あり通らせて頂きたいと思います神様に見て頂きをいぶどうのように丸心でまの祭年のこたしまれさ方め勤の杯一精年励たしまいさ下てっ言とみし楽がる参へ会教がレばストス発散にもなります年老いた信者さんも女の役目陽気ぐらしなんです笑ってれい柱らたぐらつきます教会の中が明るくなるのもっかないていつに地とりっしが台すまかいてい頂せか聞台は女すまい言を心るめ痛を心のてとたしまいざごとがりあたういかなければと思わせていただきましし覚て自とっもとっもてしと長部員委てしと妻てしとな訳し申で状現ですい女性とし母親ばかりて最くをれているのがに大限に発揮してもある母性性男のが様那旦るあ解理くしさやとすまいい中のですが我が家はまことこいとっ良はですまは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わもな度子落供が命うをあも罪ら何に中校下はいる家を出てでいっ中校登気元朝すまりあでてに思うのてといとう思を中心のなは様で事人もれた子きのまに件事こな巻うよのこ親御供両ておこりが相つしもと親件父の三供子いの私人で凶に事が供な悪牲子いっな幼に犠特昨年はたをきたいと思います書いとよ私あろことう思近最っ特身自にでのた立かぶままにい思に書いた感想心でもに浮別文紙教の事談同とるがあ封す載掲のに室もりしか話年頼依か編さか生日稿集先掛原のりお先よ平成甲会分井山田睦浩教年年バンガ月日談話室んがもすまりば私んせまりあはでうこてやっていかっな切をりと丸一がく替全てよえぼふ頭年祭に十三う百りわたしもまおは祭教祖十二百年のであうますでみのすあ動り行くかにと思るとるすばまないが実は界世の山くち現遊気陽くけゆてめ弘を教御のめだき尊ぼに界世全がに先んじ世我ふよたれらせ寄てき教引えにえすとこまはないりると思うあでのでくし難てすえ抱を頭も何きとたえ考とばれ考うどはのるす正修を向方たっではこのまちがしがんでいてなるり様ませんな気今ではよほどかけはなれた方向に世界が進ますとありゆきんがみたよらかへさふゆいにんけんはじめかけわたのに日月わの中に言御神ですまりのあ様ににいてわざるを間ぐき近えないせてるっ思まのす国出のそもどれけの様よに思たいてっ来事でういと事火の岸対今かは事まはな様のこ返事れり繰が人るさ件に殺か特でどの本日日毎事こ件事故中るれだれにもある億年のいのちがあれもないこれもないないものを探しはじめるとあるものまでもが見えなくなってくるものですまわりは豊かになりましたが欲望に限りはなくないものを探し求めますそして物があふれ大切なものが見えなくなりましたいま一度ないもの探しをやめあるものを数えてみましょういくらでもありますたとえ私にはないと言う人にもあるではありませんか億年も生き続けいま私が預かって生きているというかけがえのないいのちが天理教ホームページより庄院山津山岡い思が我ぬらわ変に久永立わと教をはくせるい心思になも花音三る恋散の作ちかい雪心昔の美のい宿かち津奥年平も音なき引を愛二の人二るくとるくれづくめ成年ぢ山おま陰の銀朝宿のか旅てし声婚ろどき年ざにさ白の窓ため目くそおに雪る降くなも音一月の雪宿日うならさよ白らけよ空にうす化粧ふるさとあとに灯台の灯きたり三なみだなねか阪大戸神りかある見てえさむおのれ流流るちけさくれだ別のみ二お府ちの内戸瀬かりあ恋台灯の岬い思のむこけことに浪か灯りののけ明瀬内後お君戸夜台灯の岬路航うまれの髪ゆるてれだみい黒恋思先で一心瀬戸海内台灯恋詩下寺宏一日一日今し楽精丹根くゆきづ林田人夫長会詠分悠教東秀美智子転す載させて頂きますまいざおめごうでとでの名ていました一句れが見題課事選ば方の友教るがれ掲載さ四の回今繋に岡は根選笠中句五十一載転り養徳社発行陽気誌三月号道柳よこころの詩鼓笛バンド講習会日内時容お供月え演奏日曲金テーマソ月ング日が変日わりま泊す日練習修得お楽しみ行事室内オリンピック等月日は少年会おつとめ総会へも参加しますにをいがけおたすけ実修会希望教会のみ実施期間内容教話月にを月いがけねりあい今年の活動指針等その他教会長と派遣要員と相談の上実施してください申込み月日までに所定の用紙で申込み平成年年少年会笠岡団おつとめまなび総会内日時容午平成前お年つと月めまな日び日総午会前式典時受若付木門出式時半開会午後時閉会午後お楽しみ行事ゲムなど対参服各加隊御か供象装らの少少各ハな年隊ッお年会会ピ員祭員が儀学日式校幼頃児をののズつおボ小と円つン学めと生るめス人まカは中なーお学びト生つのとめ白成育着い果成靴を会下員親神さまおやさまにご覧頂く年に会一度長のさん総会奥でさすん大勢このの機参会加にをお教待会ちおしとてまおりり会ますなどで少年会員におつとめの大切さを教えおつとめの練習をよろしくお願い致します婦人会第回総会日時期間おつとめ本部月中庭日午前時分る式典に続き会長様を芯に全委員部長が殿内で御礼とお願いのおつとめをつとめ記念行日事時講演月会日午前時時場所東第右二食一堂棟四階第講三堂食堂同時東通講訳堂テーマご存命の教祖学生会おぢばがえりを大対教象会と学し生た担お当ぢ委ば員が会えでりはを計お画ぢしばてをい賑まやすかにと日いにうはこの旬の峠越月え日日に日はにお学ぢば生層管参内の加学御生供となのど詳懇し親い会ことは新来入月生こ歓の迎紙会面でとおい知っらたせ内い容たをし考まえすてい大ま勢すの参集加合をお解待散ち時し間てまいたます立教年全教一斉ひのきしんデー期教祖日年平祭成の年の年全教月一斉ひ日のき祝しんデーに全よふぼくが家族ぐるみで参加し是非とも万人の達成を縦の伝道講習会万人増員の本部巡回を兼ねてと講対内き師象容岩平成谷富年太郎月先日生日少年祭会典本講部話委と員して教こ会ど長もお夫妻ぢばが布え教り所長縦隊の育伝道成委に員つ長いてよのう講話ぼく信者各行事に参加ご希各望ブのロ方ッはクの担当者にお申し込みください平成年年く一一条の道が延び拡がりお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日もすまげ上し申い願おでん慎に共と同けを程のき導おうよすまし現実く早を段階の人成に実確も昇でる歩の歩牛え例はに様神親卒何み皆すまり賜を護守御の由自に上のけすた万てしまいさ下り取け受おを心の実真のすたを学ぶと共に育成の切とさせて頂く所存でさ糧すご大まいざ条覚く頂てせま歩に実確歩一歩一を道のすまいざごで悟一の事るえ伝をい思の親そこに代時生学な感多き頂てせさ催開を会習講者成育層生学は日本又め改りお互いの信仰の元てけすたのてしとじ報恩御てしく強りよを心の謝感とび喜ののもりかのもしか謝感とび喜たい頂てけ助命い無し至をい思に日一を忘れのある結恩今すまれわ思にうよるいてし増弥が人るいでいえあにみし苦い失を心の謝感とび喜ずけ付気にさ構親たあにく頂てせわか向へ塚の次際戴頂をし何たしま来出も事く頂てせわ誓をみ歩の人成のてっか向へ塚なた新に共とるえぼおを動感いなえ言もとたれわ奪心にさか豊の先目は上世今手一つすまいざごで第次るげ上し申礼御てめ改く難有には誠事たしま来出が事るめとつに葉言おのいらぎねてし対に動活祭年りよ様柱真後のめとつおやたしまれわ行り執にめかしさて先月二十六日は大勢の帰参者のもと教祖百二十年祭が一てっよにせ寄心の実真の皆もみ歩の人成のてけ向に祭年又げすまし申い願おうよすまいさ下み勇おもに様神親てしまいさ下覧御を状む拝し伏にい思じ同し和唱を歌おに共相が達供子の道たしまい集り寄にみし楽を日上すまき頂てせさめとつをりどをてめとづり座でん勇に気陽くる明に汐一も心び喜同一者仕奉めとつおらか今日今ずせまい厭も中きし厳さ寒はに前御のすまりおてい頂てせま励めとつに上のでのすまいざごで柄日う行り執を祭次月の月二たしまいさ下し許おに只の岡笠のれこは日吉の日今もに中のそ理御の条一けすたに日てし通をけすたおけがいをにくべすえ応おに心親のといたけ救列一界世てじ念い思をじ報恩御に共とるげ上し用礼御に夕朝申すまいざごでみ極いな勿に誠は事すまりおてっさ下き導おとへしらぐ気陽れさ下し促おを人成の供子列一体な事るれ忘をち持気の謝感のへ親は共私くれさなし隠おを身御の祖教に共とるさ下けつおを道のけすだ界世のれこらかい思のとるぢんあをちみきなふあきわこ事ぢなをもうもを子てわのんけがすまいざごでみ極い難有に誠は事すまりおてっさて育おりさ下護守御を供子列一てしくつを心親の条一いいわか供子日はに様神親下にてえ加んまげ上し申でん慎一理原上長会に前御の命王理天神親すまいさ下りま鎮おに床神の会教大岡笠のれこす二月月次祭祭文会教大雲だ東瑞北浦古多より三福余川ノ簸津山田亀高西伯本米府三錦洋松出雲高備中岡濃美輝谷照陽中立教年平成年年吸呉芳陶興金江照井山明浦赤岡佐上吉西月日摩島耶根岡門第月二拝参殿登巻第号代島村森橋多代本島田内村木﨑藤原岡江本脇温生泰道健朋之徳行一男幸幹則定彦誠伸自道德素志輝彦道孝繁道郎誠一昌直久善元教享年才七十八したま三月九日出直されおつ教とめ奉仕大会者コダサ本岡姉訃報山田亀山下至教立年月んしきのひ堂部本食日日満多古浦品川寿子前期教立年月日終講教会資検定講習会修了者長格病へ院で点滴一本だけきな事で取をけづさ次すてし車ぎ救急ぐおいリクを呼んだが応答がな前ビッおでのいしかう吐した様子がお名寒い気分悪いと次のが男て来へ床寝後間もな一い二月年十三日中祭た治め通って頂きたいと仰有っにてもかりもはしかの心をにのめたのうそこ楽とな頂ぁてせらやでしんではなしにさせて頂いて有難いん務りや義怖感から恐ゃな感にせら次う成ぎい取折の表発ご標目人と一けのとけづ万軒にさおをがいばがえり千ぢおの一人毎月一様長会教大でよ会頭年の年り今議え二月の十き殿参拝にのぞみたい登姿を教たにごらん頂し人成て祖い動てい動とぁないし楽ぁない難有一のこいの親不孝をさんげ年しっ頼に案思身我でまてっ通た心得違守護神様次第と悟らせて頂き今様りのでありどうな御のも神るもまでお仕込み頂き改めて身上はか二同じ度にって月身に上痛めて亘が出来たこる帰へ詰はとら事ず昼前に至に所査するも大で検頼色へ家のん憩イレで女房が動けなをくなり救急車二十六日朝月同今度は詰所のトなに様るたにけがいっ出を方をお詫びに日し毎りよ日て次のた過ぎり通な発活不年得三をし
かさおか

『かさおか』第45巻 第2号

平成年年天理教発笠行岡所大教会電郵笠か便岡話さ番市お号用か之編江集掛傍と山上辺ら初朝原東にを代日大八あ永会只教重る遠射長会ののすのの墓佐奥ま墓初石吉都ぶは代はの城しひ会墓とら舅っ長石しにそは姑て上のり夕原わ上と上日佐し原佇原柔助に佐さんら氏刻吉とでにがまい八茜懇上せる重に原望てその佐しくま墓吉たれるの一年間を通しておぢばを賑やかにしよう毎月一千人のおぢばがえり立教年五十万軒にをいがけとおさづけの取次月号平成年年のもの数有で阪大都商は力本資盛全のとるえ考時てし推らかな苦しくなっていた頃でそりれい商の佐備に既ばえいと月かは治明るいてれさクンラに年の内市中の屋問の上位十番内治明時当し属年阪大の月備佐こと上原佐助は壱級弐等にばれよにれこう思といよてっ言と各のもたし現表を力本資の屋問う行を金はれこたいてっなに事て各問屋に信認金と称する積立しと証るす行履守確を約規引取商規則は一般の信用を厚くしで書であるがこの頃畳表問屋文たしつに屋問商表畳のでまて記い治於れは大阪市に明ける後前年こたっあに棚書の本重貴で物革史明治年編纂の綴じの和沿商表畳事の頃である題名は和昭目にした書類があった年館で書図立府ふいな載っいてとべた事がある公的書類には調ていつに模規のい商の佐備表のことば紙治松塚石たいてし仰信らか組惠天い集に所居隠の吉佐の筋橋斎心家一後のそき聴を話が助揃って佐で屋床正るあで事の年月不況の嵐が吹き荒れた明治阪に大したのは信こ入が家原上たしうういは一際目を引くものあったとが乗船の佐備がるあでのす出込り繰に物見み込り乗てしら凝を飾装に船の種各どな馬伝小伝馬大するので御渡へが輿神は祭海のこの頃の事であろう大阪神天ういとたいてっなに慣習がのるすをし干虫の札金で持当弁が重八の入口に内から錠をかけて佐吉蔵土はに日の天晴の用土月ともで年毎又たし話んせやしもとツリピてとうた人十五人や食て寝日毎の人がの佐代はな三十身備とさおるとも言ったがさととので話はできる時にはくように出来湧金は後年この頃を振り返って佐吉値約十五億円にも及んだ算換定推両万十間年は髙い商のであっ佐備の時当のこう思とた太はに時の出外時当がるす立設を会教大東で京東後は助佐家原上たっあでのもなの主当した上棟式の餅だでも大変け力尽に束結の人てしりたしを式に多数の米穀寄進し炊出をし棟上はに更築新の屋家会教の町は家原上で中たし力協が北炭屋惠真心組その他大阪の講元組天れさ画計が立設の会教輪天本日大てっなと心中が至誉未内竹治三組惠天月年番の者信助などの各氏が来訪された明之山與田岡郎三利本郎三伊井桝作忠辻吉利田鴻氏蔵伊降飯はいるあ氏吉儀直井高郎三田に中山真之亮様をはじめ仲時そはらかのばぢおたまたっあでかや華てし出を肴酒き招え心さ間仲人商はいるあ人の組組の人達のみならず真明明組の惠天てたをく多はに前の家幟回の講づとめしている当日はを信した以来上原家では月三し激感がとさと吉佐い入一は家訪れた話を聴い一際信心深てが氏吉駒藤安駒床てっ伴を氏郎長部料史上原繁道るい佇とりそっひは石墓の重八原でんとさ原上てし上吉佐原上とを城都奥のに茜にそまる山辺遠永日朝只射すまぶしらに夕日柔らの代墓は大教会の墓地にある初に照らるあでのもいたみ歩てし道の苦困たれくてっ通が代初もにあっての困なもどうよ中の難のないそしていつてっあに代時に肝を事らなばれけなじの深く命のである私達後に続く者はこぼたっわ変れま生に商からよふく豪の阪大は家原上てっよにとさ慕うひたぶるな心にあるいを想た上原さとの教祖会長に任じられ代初の称名の岡笠に重一のはた会っなに事るす進邁に筋一け設を教の岡四の十地に明治二年方笠地国中てっ担を翼一のけ救界世が既に誌したところである上家原いつにみ歩ので岡笠阪大てはのの後の備佐の没落又上原家そ力人のえ車お佐備で行った抱らぶ下鎖銀にり帰げおぢをもば太でん挟を計時銀に脇の腹鼓いれじは様柱真方生先たるらおに側お時当と祖教立教れこは明治二十六年に至ゆわいまですまるはりあで事事知存ごくよの方様皆うういとたれも年平をすが明治二十年に教祖が御身お隠しなさんで成年改く頂てせういうさ案思てめどとあなかのな事んざはれこ体一ごたしでいせま言うご挨拶は年ご挨拶を頂いたとすまいざごうとでめおでけだ月とたしまきがとこるえ迎を年新の年九十六百で日教もどれけたしまき頂てせか聞に共てし立第頂き頂てせさ流をプーテの様柱真のそていてま巻ごがせさを議会頭年で会教大も日昨んせまいざ第こ葉言おのそけだ年の祭年の始がすまりまら号のすうございまか拶挨ご年新らか辞祝う言ととがらな年例がすまいざご明けましておめでばを挨ごの頭年で議会頭年たしまし致を戴頂拶葉言おくし親らか様柱真てしまりた当に頭年すまい思といたき頂てせさをぎ次り取おを話お間のくらばしろことすまい思てしうことでございますので今この時にあたり言ま祭の年のと春季大祭年の祭年十二百祖教は日今春季大祭講話ういとあないなくしかおもてっ逝時はで方一もつつりあもい思う何いる私たちを導いてくれだろうととてき生はでま歳五十百らゃちがんばけうなしかしもどれけるあでそかしくはないと人間の思案からい今からもうすおもてっなくば亡ぐれえ考年御歳十もれこるくて九っなく悪が上身に段段らかてれめかにろめ初のらかうょしでそよれが十二月私たちをお導き下さるんだと言う思いが強かった仰っていましそれまでは必ず教祖はお元気ですをとこう言と命定歳五十百は祖教ります常いでことで教祖と先生あ方の話があったわけうの教祖の御身の身上なんとかご守護頂きたいとこのままではどうなってしまうんだろうかとこ時重くなってきたと言うことで当の先は方生が上身の祖教に段とらかろことういやしるし動の界世はれこお風呂場でよろめかれてく言が祖教に日八月二十ばえで暦陰ねすまりあでりますがその当時まだけわたっか強が方の暦陰で言えば明治二十年のなに形正月一日と言う暦陽はれそがすまりあでけわたっあがり取りやで言うてもいい位の壮絶な教祖とお側の先生方の間とルトバるゆわいかすま言とな絶壮のと方い伊蔵先生またお側におられた先生降飯席本めとあなかうろだんたっかなはでい思時るざら偽の方生先の当がのう言と来出がとこるじたっかな月さえも感正そこれそた年末年始を迎えられでのい葛中藤心のなえ言もと何ういのは山ですけれどもといいさをたき頂めとついせせせて身の上かうはからつとを御祖め教っかなも暇るじたろだんいなはでん頭になくてれこそ年末始もかしとこの年感そこれそ教そんせりあも何は時当のその祖御ま身れけるおてしにかや賑てう言とや始年も年末どんでしょはなうね先ほど申しました様に今で藤葛の心いくてもつとめられない何とも言えなとつばえ思を祖教てたくためとつかなかなもめ引っ張っていかれるそうでなくても心配なのに当に段御身上が悪くなっている教祖さえも本もどれけすまき頂てせさもめとつおしも慢我ばらなけだるす棺石てれか警察に引っ張って行がかかる自分たばらなけだいし苦だたがち惑迷ごに祖教のろことるあで上そこれそな事大な身自分たちが苦労するならばいざ知らず一番大事れもつとめをしたならば警察がやって来てど頂たせさはめとつおもでてしとんないいてきけたしはめとつやいんらなばねせをめとつでそかうろかなはでんたっあもい思の安不の中なかとい思のてけ向に祭大季春の年毎に単だたはのさ取らせて頂いて年祭に向けての思いといもうみおかしもちた私はのっういとい思の様柱もか真りくがんせまいざごてし決はで事ういとれなにい思ういうそがちた私てし決すまき頂てせわ思てのめ改なかいなはで情心るざら偽がのういといなえ言はとこういとい祝おたえ迎を年新もて言はとこういとたしまえ迎を年新ばえ思うそえあなだんたれらおてしをのもういとめとつおの接祖とけが命に当本ものもういとめとつおし生方は本当に言うに言われないような思いで教を思んばかればそ先の時当どほう思ばえ思う治明てめ改はとこい思の方生先の時当の年十二ういといなれわ言にうふういうそはに祭年祖教立いますと言うことは言われるんですしかし教通の春季大祭の時には明けましておめでとうござ年挨普だたとんゃちはに拶ごの頭年の年毎らか平成ろうかなと言うふうに思うんでありますです年るあんのもいではなが強はてしとい思の様柱真か年には葉言のい祝なかなか言い難いという思いも月な様うお言とすまいざごでうとめおてしまけ明日えれば思の方生先の時当のそ年を十考二治明い第たうっしかしながらかな当は時の先生方はでそ巻やすましが思な様う言とかいなやい良らたっい第春も祭年の毎十年てしとい祝おらかや祭大の号祭大の春くな気はちた私ねすまりあでんう思何ようにどうぞよろしくお願いを申し上げますす頂り帰きおにばぢおてせわ合い誘おけかを声またい斯様に思いますどうぞ一人でも多くの方頂てせさげ上し申を礼御に共に祖教ていきてせら帰てっ誘一人でも多くの方をおぢば頂にいな斯様に思わせて頂きます持もでしたき頂てせさめたして頂けるようにつと月毎月毎をい思のおつとめには少のそういとためすそのつお方生とつでけが命はめ先の時当とければならないなと思わせてまいざごで第次く頂かっしとした足取りでてつとめさせて頂かな以りはのもういとみ歩の人成のてっか向に祭年十三ます新たな次の塚に向かっての新たな今度は百りあで第次るいてい頂てせわ思てめ改とないな重きに置きながらつとめさせて頂かなくちゃなら改に当本めのもういと祭はての年案させて頂いてこれからないと思りかっしりはやら至はにき向めとつなう頂てせよくういとさえ応に当本にい思様柱真のれけなか頂いな訳し申ばものはやはりつとめさせてういとみ歩のてけ向に祭年なうよるけ苦頂てせさと労苦が我を労先生方ののは大きく違ってくるんだとしかりとその当時はやばめ済が祭年ばれみてえ考をとこう言とだ関わらず目角いならなばれけなか頂てせさめとつに祭年はとこう言とく頂てせさをみ歩実な成人のてだけが成人の歩みではないんであって日確しながら成人の歩みというものは年祭に向かっ下ろして頂いて結構だと思いますけれどもしかうこれで済んだと思らってその肩の荷はもだまき頂てせわ思とあなだ心親つい年祭が済んすすまりおてい頂てけか本当にありがたいを声おかや賑がばがぢしてもらいたいと言しておうに通間年一にうよるけ頂び喜おに祖教てしと年の祭年は年九十六百教立もどれけだり限日六十様から年祭は一月二柱真てしまりた当にれそがすまいざごはでちがい思いつとあなかり終わ年今うもらたっわ終が祭年すまおてい頂てもりっ仰らか様柱真でとこう言とり限日一は祭年すで第次ご頂ていざくまいなあと斯様に思わせたがりあばれえ合りかっての歩みの労を労向祭に共とに年間よう頑っ張たのう皆さん方共に三年教祖にお喜び頂くと同時にてお帰り頂しそいて共にばう思に様斯といならなとれけなか頂てせさ案思立教と言うことりかっしはお道の姿はどかのたっがう年は後だん済が祭年後のおぢばの姿また祭年平成年年月日す掲げまい思といたき頂てせさめとつてい頂てせさも目項践実たまてい頂てせさげ掲を葉言い合しー年のスロは今年ンガた新たに大教会とて一わらか上す思といたき頂てせさま添とりかいまっにし召しいう親心だろうと思いますその思しでからも成人の歩みを進めてくれ歩んとれくでっかりとまた年祭が済ましらか上のそすんきて頂くということは大事頂てせわ思とうろだせ言さをし出み歩とりかっしてっ合いうものは誓と下ろして頂いてもまた新たな成人のみ歩はのの肩のてけ向も確かでございますにで年祭荷かさと歩みのう言りといならなばれけなか頂てしさ出おり新たな塚に向かの成人の歩みはしっかってかくく二を命のやを故い愛可供子らかた出て事実開扉が神のがたい置い箱へ入れてかこけたう言にでま分き聞うよれあさたう揃皆るすに地のくっろ図を願うと指おてし通を蔵伊降飯で階二の蔵内し直がれでならじと気を取り居でんしこ悲たはき泣にらすたひくなも力気う言を物てれだけ全く驚愕し胆した人は皆うなに落を頂けるに違いないと勇み切って居ただ護か守御やず必らるあでのたい頂てしさをめのたてとつおてしうみ来ならず今日はこでっ語もに人下じ信もら自とのもるさ居人はいざ知らず教祖は必ず百十五歳までおに又常余れらえ教と命定歳五十百更だんし悲き泣にりかばんせ失え消も心も身てれ別に祖教来でんし懐い慕く難え替もたうに感じた真実の親長年の間何ものにったなに月暗っ真が世のこてえ消が光のよ地大る居てっ立く全は人碎けが日歳十九年御眠るが如く現に時身をおかくしになった教祖は午後二時頃つとめの了ると共にすまい思といたき頂てせま扉開いて教祖御身をお隠し後のところから読でんあのりますそういう上から教祖伝第十章くくくんだ先らうそ渡を理のそに出かれこたっかな来が事るけ授にうよう思子供にやりたいらのもあったなれどもか神は心通りに守護したのであるさあこれ迄親かい均にはなでたえ答とれくてし地ない平開を扉に時たう言とかうそ均てめて日扉を開いて平な地に均そうかを閉昨扉よ居て見り確かる来てう違うどと先らかけをするしっかり見て居よ今迄とこれすいたてした今からいよよ世界を駈け巡っかを身然突てめ縮命るあ年五十二先らをくかれこだまてとうそ促を人成の心のそにてれわ現て総はる子供可愛いばっり来か親神がやしろの扉開にらかた出ていをうた事はよいらかたい置てれ入に箱の実さあ今から世界を平な地にする今迄に言たっあとお言葉がんだ先渡が理そけにう置てい聞うよらかれこ又だんななれどもようやら子まれこあ供にやりたいものもあったでさたっやてしにうよう思かなやたうい開いてろっくの地に扉し言てくれとの地にしようか扉閉てろっくの地にくめら先としっかり見て居よ扉開いてろかっとこれでま今のやでしっかり見て居よけすたらか今てめ縮を命の先年五十るすくかか決して教たあでうそ程る成ああてい頂てっさいうおとだん言る巡葉せけ駆を中界世に条を聞かおかぢはに留まって一けすたに上以でま今魂おば御てっま留に世のこでけだたし隠を姿は祖教らだんし悲れき泣どてう言けとかしかしながもになられたその時りにわ終も世に当本はああし祖が御身をお隠教は時一がすまいごてい書とざ治二三三一七明れくてしばんをなのらんねや思て道見はてんはせ行んで行せ日もでへ処何てあさ居これもへま処何でるで住んたろ下しばと一同のは漸く安堵の胸を撫でら人なかそれめに存命ののまゝお働き下るさ平成年年はすた列一たをのもでま後てけ姿しくか様祖教かるあで働かれると聞き成程左まかてしきてをかながでもしく後姿ら生いであっ事しなけかたう全くいは思ともよをされ姿くかかす心ばれら一の時た同の上げ日お昨え答申ぬ事す出来い言日今は直を葉たが言昨日答えたと一っッアは思このお諭しを聞てい同いがけとおさづけの取次五に軒十万軒にをいをうことありますしてもうで一つが五十万そかいなやうこ頂てせさにかや賑いでとの岡笠力かいなゃじうそらぢばを少しでもうやておおっおてもせさりえがばぢは上以人千一月毎りえが毎月一千人のおぢば践てそつし一項実と目のて教祖にお喜び頂こうということでありますばぢ帰多おくぢばらに誘せってて一回で頂もいにでのもが身も多る人一らがな方さこをおく我とかにとうよしにか一人でも多くのや賑を方く年一間ばぢをおいて通頂てせさとしンガーロてまうスそまいう上から真柱様のお言の葉をそにせわ思すま様斯きいたき頂頂る年にさせてて共に年祭の年て意い頂てせか置し義あらめに心てめ改をとこう言といらったことにはならなばさせて頂かなけ教祖年祭をも迎えさせてれ祭を節目としす年より勇らんだてな道の姿にんのば姿なでぢあおりまのがのし教と祖御身隠おあぞ勇うたっ立み言てむとけか歩にすでらこ条一れた下てさあ勇んいさるんだに上の条はら一けすたたつに人緒に一てい一人しろ私たちい一むたっなくないはではな祖ん善いことすると心いきいきよみがえるがたあかるま統り計に長よ生るきとしボボラケンなテいィアと活い動うを結し果ていがる出人たはそう免で疫す力だれでもたとえ小さくとも親切行為をして気分よくなった経験はおもちでしょう人のために何かをする喜ぶ姿を見る自然と心さわやかになるどの人にも生来のやさしい心があるのですがただ表現するのがチョッピリ苦手なだけなのです思いきってまず一歩を長寿社会に免疫力増して自分活性化を図ってみては天理教ホームページよりのでんいなはでんるなにとこういとけすたお共立教心けすた身の当本がそことこおく頂てせさげ申を礼おに祖教上てげ上し申を礼おに祖し直年平教っばぢおずて帰てう言とす先まいざごうに成年たすけて頂いたなりがとらたうあはりらやおだす共身けたすと上け頂こに思じゃなし心にう年共たおにるな単身心すけたらを身う思とうこ頂月たおで味す意のの当本すけ頂はすたまきおけ日らいたはでてさ界世まはれ祖い教はす下今が中第ばにてけすた帰っにて教祖そたっかなかしく頂巻かなかったるおぢ帰にばぢおはにく頂けすし第先ほ申しましたよ教うに昔は本当にたおどに祖号けすまけ頂護守ごは上にか確れっどよにもて身頂せさをけをきとこおく取次さおさ頂せててづおっすまりうでて第次そうつあやに様斯と思めき頂てたいら切めとつ年一年今にせように共さけをお取次出来るよづうにおたすけが出来るありますにをいがけによて一回でも多くのおっめにで切大ははとこく頂てせさけ多がいをにくく頂り帰おにばたぢくもで人一りはやんせ多おを半分に減ら数したというわけでは決してありままどるんそれだとのうてん来で歩けたもいしでもど百んをう万みんなの力でにをいがけす軒軒なゃに万せもでうどもでんなにをいがけはらかさ年祖教そンこれスがに向けての百違いますそ祭おュニ少多はと軒万百たげ掲にでま祭年はけがアかすまい思といたき頂てせ約要上以こう言楽うとさめとつ年一年今て以を心みしうこ頂てせし年よ今んは楽らしでやらせ頂て帰にばぢおくめ多もで人たるすに年一る一けに喜び頂年とに祖に祭が済んだおくはとあ教かすまいざごで第次く頂てせわ思に様斯とおぢばないたがりあらたけ頂てせさにりえがはを申礼し上お年今るけ頂てせさかせて頂いてげ殿までしっか祖教の祖教にしなはでりけだ様行言神親うてに教と年りも祖のかと今っろはこしざいたしがあまき頂てせ見をまとりうとたごしすおたますけ護守ごなかや鮮なうよののこに上いざごうとがりあたしまき頂護守ごをれことれこああに直祖教てい頂てせか行とんゃちろことたおの祖教ばもらなるげ上し申礼にをとい悪るは申そいしもませ頂てけすたがんれ人るいてせま済を拝参でけだ殿神かうょしがい内容字数寄稿先原稿募集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい談話室かしきのひ会年青らかんしきのひ属直すまり居さ切懇に今りなに話世てい頂てしに御分随き頂ておかる迄共に輸送掛としてれとめさせ離分が島玉つさの送輸会教大も御私らか祭年十八た命を頂き掛しのもたっ張頑くよい合し出を気元にい互おでなでわ違り余も令年すで生先明豊本岡るれいのて居しれられないのは現在玉島の詰所主任をら忘がしまり参てっなくな少も人るすい会おはたで今れさ直出に次も方の連常のんしきのひ持気一時感杯で通らせて頂いて当居りますの謝ている事は誠に有難くい勿体ない限りで日頂り通れ連おで気元で日今たえ迎を寿喜れまま恵に康健もてくさ小は体たしでんせまりあが事そんな事をしても少しもれたと云う思いをし疲た立運び方をしたものです当時は若かったせいかの教もっこに山盛り土をでれて周囲の人が驚く程入年井先生といもコンビでんしつきのひ持土藤は平成神村教夫輝田下長会前会分年年年の想い祭出月日の班長さんが北海道小樽の方で色お話しを聞ありました二十日だったと六ちた私すまい思爺洞船絡連函青りよが沈没すると云う大惨事が丸ひのきしん第二十五回隊でしたがこの時台風に和二十九年九月二十一日から三十日まで青年昭会今から思えばよくやったものだナと思いますがプをう事ッは少しも苦痛とは思いませんでした使てし当それが当たり前でした時とかコスらはのを積み込むも中大変でした土杯一やスココップが主役の頃ですのでトロッにシハルツだまは時当がすま来出に間う云とッアーザーやダンプカーですルブドれば少の工事はトロはで頃今たしでッ業作ぶ運でん込み積にコ路新設工事でやかたの掘り方で出た土を大の北今のは時の初最十日間つとめさせて頂きましたてしと舎宿を部本会年青のそてしまりあが部本南のるいて婦なに場側に人会本部と青年会っ車駐在現館教たしまりあに東の家の憩がたしなは今はで隊んしきのひ会年青たしまなりくま変わる時に色な所で色な体験をさせて頂きてきさ地場せ頂御の姿が大くき十日余りつとめ五はしん常備隊と云うのがありまして常備隊にのひく頂てせさめきとつ上以月ヶ一とんしきのひ常く頂てせさめとつてったわに期長上以年勤しん隊青年会ひのきしん隊の他に半きのひ属たしまき頂てせさ加参か何もに隊ん時は直回当す以下次回にる時に聞きましたのでよくおえて居りまいてしぼしたこの時は天高校三年生の春季大祭に参拝理まれらめ定とーデ火防財化文を日のこてっなに後国宝の壁画が消失した事から隆寺夢殿が火災で法日六十二月一年四十二和昭はれこがすま居て一月二が六日が文化り十す財防火デーとなっま時大変な事が起こるナーと思います余談になに日う云と日六十二とすまみてえ考すでは事の事でたので忘れられない一つの大きな出来し先矢たかいてじ感に近身もてとを道海北き頂てせ立教年平成年年さめさいの笠やい岡め友にてっ明向向に来未かてっか日祖年二教祭百で今こんこ心さに始まいる十つづ気との陽め一一手にしみくくびこためめのろよづづ月日るにしす地歌ょかう声歌わ高らさん中始んとさ陽る太天めにまとつ第巻教祭に祖たてっ待待年ち笠東への岡詰東屋道国中根かがや所きてへ第号し空さりか光に寒心おどて山陰り山陽日千仕切ってつと年三た朝た来がめ二の一朝日六十月詩詩くしかん薫り后午う舞見をほにか師の返冴える手春袋仙水のやしのちしのり帰癒草七いちたのわ賑大い笑初幼無を我自にして一れつ祈るむ利砂ご玉に心神弾苑も田林智子美こころの詩教祖年祭学生おぢばがえり大会迫る全国から道につながる高校生大学生らが親里に帰り集う教祖年祭学生おぢばがえりの大会思いがを月学生会日では前夜祭万は人を日夕学づ生と担め当終委了員後会で開は催さ全れ名ま称すからテ学ー生マのは参加世を界のと友おに打をちや出人しでいもた多だくいのて学い生まにすこ大の教旬会にでおはぢば帰り名しのて参も加らえをま目す指よしうておい声まがすけを大よ会ろましでくあおと願いヵし月ま余すり一大天会理ホ時ー報ムページ月日号に特集記事あり鼓笛バンド講習会内日時容月日金月日日泊日おお供楽しえみ演奏行曲事テ室内ーオマリソンングピッがク変等わります練習修得月日は少年会おつとめ総会へも参加しますにをいがけおたすけ実修会希望教会のみ実内施期間容申込み教話月にを月いがけねりあい今年の活動指針等そ月の他教日会ま長でとに派所遣定要の員用紙とで相談申込の上み実施してください平成年年少年会笠岡団おつとめまなび総会内日容時平午成前お年つと月めま日なび日総午会式前典時受若付木門出式時半開会午後時閉会午後お楽しみ行事ゲムなど服対参各加隊御か供象装らの少ハ少各な年隊お年ッ会ピ会員員祭が儀学日式校幼頃児をののズつおボ小と円つン学めとる生め人スまカは中なー学おびト生つのと白め成育着い果成靴を会下員親神さまおやさまにご覧頂く年に一会度長のさん総会で奥さすん大勢このの機参会加にをお教待会ちおしとてまおりり会ますなどで少年会員におつとめの大切さを教えおつとめの練習をよろしくお願い致します婦人会第回総会日時期間おつとめ本部月中庭日午前時分る式典に続き会長様を芯に全委員部長が殿内で御礼とお願いのおつとめをつとめ記念行日事時講月演会日午前時時場所東第右二食一堂棟四階第講三堂食堂同東時講通堂訳テーマご存命の教祖学生会おぢばがえりを大対教象会と学し生た担お当ぢ委ば員が会えでりはを計お画ぢしばてをい賑まやすかにと日いにうはこの旬の峠越月え日日に日はにお学ぢ生ば管層内参の加学御生供となのど詳懇し親い会ことは新来入月生こ歓の迎紙会面でとおい知っらたせ内い容たをし考まえすてい大ま勢すの参集加合をお解待散ち時し間ていままたす立教年全教一斉ひのきしんデー期教祖日年平祭成の年の年全教月一斉ひ日のき祝しんデーに全よふぼくが家族ぐるみで参加し是非とも万人の達成を縦の伝道講習会万人増員の本部巡回を兼ねてと講内対き師容象平岩成谷富年太郎月先日生日少年祭会典本部講話委員として教こ会ども長お夫妻ぢばが布え教り所長縦隊の育伝成道委に員つ長いてよのう講ぼ話く信者各行事に参加ご希各望ブのロ方ッはクの担当者にお申し込みください平成年年くすに慎んでお願い申し上げまおみ下さる神人和楽の陽気づくめの世の状に一日も早く立て替えて下さいますよう一同と共き頂き導おとへ人成望すまにみ深の水泥いなりきに欲に共とるわ賜を護守御の僅えとたをかずのつで人くてりまはめもい行洗清心の親様元は実の親と慕い思召に応え神皆親の誠真実の卒心をお受けに取り下さいまして万るたすけの何上に自由実践項取の目として次の新けがおを塚さに向かう成人の足取りとさせな次とけたづすまいざごで存所く頂てい葉言合をにうよしかや賑一をばぢおてし通を間年一くべにをに軒万十五一り帰ばぢおの人千一月毎ぢばしおて賑やかにしをて貰いたいとの親心をかけて頂く頂てせさえ応にい思のそはで岡笠でのすまりおてい通存といじまたい合す称をみ歩の日千年三のえ又年を間年一てしと年の祭年らか様柱真ていつに上のみ歩の後祭て教祖年祭にさを一人で掛声も多くは頂い互おに共とくのび喜おもに祖教き頂てせら帰にばぢおてせわ合い誘け伏しにい拝む状をすまげ思し申い願おうよすまいさ下み勇おもに様神親てしまいさ下覧御上同つつしじ唱を歌おに共相が和供子の道たしまい集り寄にみし楽を日の日今ずせ達とのもをさ寒いし厳はに前御もり執を祭大の春てめとつをりどをてめとづりす行ん勇し致をい思に時当し隠お身御祖教の年まなきで頂わて座せらか今只日今てい戴をし許おの理りよばぢおもおしまき於に岡笠のこがすまれわ行り十つ二治と明同て一者奉め仕たしまり至にでまろことういと日五とあも祭年のそろことたし二月のこはでばぢお十六に教祖百二十年祭が執日歩の人成くべる辿をたがなひてっ切仕と日千年三はてけ向に祭年十二百祖教たい頂進めさせて頂いてまいりまみをりおてい頂てせま励め勤に上の御の条一けすたくべるえ応に召思す用ま毎中年も十の成人の節目としてお与えでるげ上し申礼御に夕朝は日つつとま包に念の謝感とび喜き恩のとにいれたけ御報救列一界世つつじ念をじ共たしまれさ下り通おら自御をたがなは共私祖ら又おたすけを通して御守護教お慈愛の口程をおか聞かせ筆頂や御のこてしと社の日月を祖教世ひうか向表しわぐ気陽に共ににとるれさかのお明を理の元に現のいさい万らりさ下れれ生の度八千八え教を護守りで替かばたれさ下造なく約束させ創おを間人と世れた年限のをのこてせ到来と共さりつくり一はに様ぐ親子供がらしをするのを見て列共に楽しみたいと思召され気神陽紋型ないところより道具を引き寄げ上し申でまこれの笠ん慎一理原上長会す前御の命王岡大理天神親すまいさ下りま鎮お教会にに床神の春大季祭祭文実践項目集計立教年集計百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い軒回件実践項目集計月百万軒にをいがけ軒おさづけのお取次回身上事情お願い件り教会だよ大立満山山田亀下教教年月日至立年年月日自教立平成部食堂ひのきしん本年年宏静坂小邉神月終前期講日者了修会習講定検格資長会教い船うこの狂気じみた日本丸と仰たっとなるれくてしに末粗もで枚一葉の菜は教祖方方う買らな買うもいくやら者でまこども業業者らこだまだまれか何が出てやるくら人間も畜生も飽食の時代む佇しばの我輩し用その売り場の前で犬もぞすまりあ袋福とんゃちに更犬ですぞ料犬用のお節すで理なたったの五万円かと馬鹿にしなんさ何と五万円のた出が理料節おはに話てしらんなくうまだまだそれ位でびっりいとし現出たでま袋ついに一億円の福ビでその位でしッなクなさんリしかり何万円何十万何ま円万百円又袋も福るあで界世の元ては異次ら円台まで貧乏人にとっ十何万るとか台円千何らがなとこのもつい見トフたきてっやに前ーナーのコうるをブおブラ料理ラ節ちにす出にけた内店かスーパーへ買い物あ年師走のる日ある大手の昨中かに年高を車てしが港目もは指達者な若をかてねかち待それ北上笠岡港集結するというにでま海内なぜか群をなして瀬戸がて美味険危とるれさ刺く鋭は尾し長体程菱形の海魚食用と息南日本沿岸に生イエるいてし来本それは水微ころから始まる温笠岡港怪の奇大教会某先話より聞きし生得るだろうかり堪忍袋の緒が切れることもあの様神親にさ慢傲の類人いいらたきれま生が喰らって又新命しい生てを槌鉄の様神親しよ又もれそう地に落ちた場合球いとるす壊崩はっだた直径一キロの隕洋平太が石たうなるという放送衝しにら突こ先日地をみ球が石隕らたいてなれしもいのい早が方かま丸が沈没して新したし直れく生本し流漂てゝいる日とっいそのこるロロドまたえ抱をのもたしとド議い会員でん絡が屋治政ういと国ず必程るあばれあで題問なき大は犯はにられそ職汚罪事件だろか船のにはあらゆる問中題うは太平洋のどこを漂流しているのてし指目者よめとたい信教えのに基づく当本仰び喜おもでし少に祖教るつ頂け様存御ちたに線前最のけすたのお命では話仰く身なを以てにをいがけ身自私る見信てきた様な人のあがたがなもひたれさ下し示ておっ下身をあがえ教たてお説きりされ祖がはにちた私教年にわたっのだくいてもの石流はスン某セの生先せ迷ストーリーへと展開さてしそ想か議思不のから何現象ならの名発定かではないがか実信でまこどがプロなら朝飯前だ笠岡港の奇怪も表に現物する事アなどのリ書ルにっ話聞いてさ現場をに行様たのもいうとい言らくし人るあが葉様新聞記者書を記な事たきて見だ話いてっる変いとわい深味興う白潮乳ころぬ内は赤潮なるら港にめ始み白らか間の島が空のる東が広にこそが園楽場会の楽和っている様にうつ目正はに人魚ろ一漂くとごて舟小きな舵っのをい間腰を振り波動に身波をまかせ体合り乗くそ恭来に背の客ししはてに色の銀面海める若者達染仄なをぷっ陽とがは光みりと沈月に西るせら走
かさおか

『かさおか』第45巻 第1号

平成年年天理教発笠行岡所大教会電郵笠か便岡話さ番市お号用か之編江集掛御みた嶽け山やまから初笠代岡が市明神治島年及かびら瀬布戸教内を始地め方たを笠望岡む一年間を通しておぢばを賑やかにしよう毎月一千人のおぢばがえり立教年五十万軒にをいがけとおさづけの取次月号平成年年くし申を上慶おの春げまびす初六教年九十立の百く上原一理っの通もをたあ間た年り一やてにし供と子なで年まいの祭年は年九十六も日限りさですやがの一立す教け百す六たあ十二一こる月日れで略中会長教大岡笠年教り様柱真て祖祭よ百さ二十らか今ろるっすくにの地は略中の隠し後さお教あます迎えさせて頂きた身祖といと思います御げます又百二十祭の元を一し致年祭年祖教てっ張を胸がすまりあも日を思案頂ますよう何卒宜しくお願い申し上きに上れないとはますかったとこわじ現存の字数らろ手一うに一まりなに年すよつおつとめたがきしまなと定めて実動に邁進させて頂きたいざごう難有に誠残念目祖にみ教に動実て励一るけ頂びお喜次をけづ践取おとけがいをさの項実頂めとつおにつ一手ろ心を揃えて一としをに事るめでりま始心りかあっどば帰りとぢ五十万軒人をの御こ守護頂こうと申しにお合わせたと一るとりの人あなた新に時同成のみで歩ーガンを掲げて一毎ロ一千者席初の上以名一会教月全らかい思ののスの人成のつ一は区祭年祖教はに方様切の目上実動のといた実総項賑を仕ぢしをげ践おてし通をばしとうよやにか皆思ますどうぞ笠岡の理に繋がるいく頂てせさえべく笠岡のでは一年昨間年に当りげ上仕動活祭年は年応言とあに後え年ろしむはとる祭歩るみな事と喜ばせて頂いております親心と思わせて頂きますそれにお構いでじ同と自た来でん歩らの成人ののなはてめ止ら取足の人成じとさせて頂けました事は誠に有難く結の温かり手は日を千年引いててい三のて頂向けか聞おすまを親のを年健やりおてっさ下かなるせ身上をお借りして迎え心にかや賑してを欲の祭し十二百祖ばぢ教年九お六百教立いと年して十に祭れき込またと同じように教祖年をらし急こぐてし気と指む歩らが陽目は後のし隠お私御がたれさ下達身自き導隠しまではおに手をい引て親直よすまにり身御しうあ祖おさにづ教のとそおうら先だんに理が渡どやらなうよれもんだ又こかれが出が長班に分自いな少加験経めたいないてし立教外の本部や教区の学生会にの行事以参どんとほはして参させて頂いたのですが実を言とそれう加年平までお員節会のひのきしんは回大学生班の班と成年いかとのこと去年なれくてしを長班のるれか分に班生校高と班あ生学大は班班生学大り年月の半ばに本部の学生担当委員会から連絡が月年班長をしての今参加でしたは日もかしたしまき頂てせさ加参に隊んしきのひの第ん勇とうこ頂てせさをんしきのいます私もこで巻生ひてっま集に里親学大でと生校高らか国全が第ば達はお節会学生ひのきしん隊と呼人れる達号ますこの人思とたれしらなに覧ごをのたいてい仕給や導誘が人い若た着をぴっははたまバをーうかょし帰られた方は会場で青いジャンでたしまれら帰はに会節おのが年今すで然突弥髙山分教会江村宏幸謝する心の大切さ感節おてじ通をんしきのひの会談話室たしまいましでん込え考とかうなかっただるなく白面くし楽らたしうどのでろ方も場を盛り上げるという性格で分も自相たはも参加しとい班員が半数以上ということでしたう年去もてが面白かっいつにたから今年しきのひん積極的に参加しているに事行の会ことお節会のく校生の時から学生高がの員班は多のたっ知でこそして日班員と顔を合わせたのですがそをたきし紹介して頂ま人だったことで相方伝いに色な女一名ずつは去年も同じ班人の男長班方相の分自はい救一唯はのしてし立孤で中のそはいましたま達分りかばに参加している人自区動活会生的に本学部や教での極積はのるいにり周の分自しか場所に行きましたし合集し意決と間すまき頂てせら通を道の自分はこの期誠真実の分自は分祖で中のそ母を助けて頂くため自にい行をめとつい願おで部本にめたの母祖のそ念か自分の祖母が体調を崩しお節会に行くらのを断校生より一早く集合しますこの日どほ前間週の他めたるあが修研高や生学月日大事前のたしま機承会を生かそうとし諾こらかだのたっさだくも自分にわざわざしてれ来るのだろうかという不安がありましたそでたっかなり頼で力非に当本は分自たしまいましてし涙ずわ思てきてっ返が想感とたっかし楽隊式のに班員のんなからこの班で本当に時みてせたのではと感じるようになり過ましたご解後までみんなが一手れつ晴つずし少最になって一ま今日て最てしにそものもた不感安いじ終でけ掛心にうよう言とまたしりあもで事な細些らかがとうてい聞をれそ葉言というよるくてっわ変も顔のなんみらたしうそや感謝の気持ちを大切にしようが相談した相手が話してくれたのに時たいでん悩に営運班が分自えるようになっていましたているほうが楽しい考となかしよりも他の班にいる仲間と話班の達分自すでのっか多が人たるまとまりが弱くすぐ班からはぐれとのんしきのひもでれそ以外は班としてのきたしまれくてめ勤でん勇に気元に的極積もで容内事仕るかかが担負に腰ういとむ汲にん屈んかやでをしん中は明るく汁出るくてれば運で缶なき大出しき雰のひでげかおたしまれくてっ作を囲気を恵知とうよげ上り盛とっもら員班くなとこかまいましてっ行へかここっちから何かすしるたどただその不安はひのきしん本番になったらかさまいといたせわす思おか度員のみんなと顔を合班一うもてしも分ぜひ参加れます自わえ行がりがばぢ生お学はに月すでいたしにずれ忘をるす謝感に心常てしそすまいてし謝感に事たいだたいてせさを験体なよいなきでが事るす験体はで人の通う普がすまし化格本が動活職らかれこは分自就すまい思といなかしで跡奇に当本はのたきも無く最後までひのきしんを勤める事がで身が上立スが取れていたと思います何よりも班員全員教バていが人るれくてい聞をみ悩の分自てラン年を支えてくれる人がいて班を盛り上げる人がい平成え自ばれ考くよくよたしまじ感とだせわ合り分年班員のし会えたのも神様の巡みんなに出てそ年すまいてじ感とたっな月ましたが今回参加できたことは本当に勉強に日会に参学しなかっ生加たのだろうかと後悔もしに第たのは確かです的極積らか時の生校高てしうど巻っなに糧つとひてっとに分自に当本が間期のこ第いたしで心一た号にと感謝しじんると共にただただ班なのみ感員張拡てっか向に祭年十七がれそたしでじ感うさで前は広いが後ろは本当に余裕がないナーと云態状う云とるいてし来往が人を所のいらぐ下の軒殿祖教てっあが路道に傍ぐすはに側裏の殿広のでまさは今と余り変りはありませんが教祖ら十年祭以か門黒は敷神殿前の御本部のお屋七たしで備での工事ですそれとお屋敷の整拡張ま棟四第左東事になりましたらか棟東真の在現るれさ工着が事工期一第の其てし指目を祭年十お教祖七やさとやかたの大構想御発表になりが十り依に様柱真代二すで祭年十七祖教の迄日八月二らか日六十二月一年一十三和昭たしまき頂させて迎を祭年の祖教のてめ初に目年七てしえ月六年四十二和昭期修養科を六修了第十九すまじ存に甚幸ばれけ頂てめ止に目おき続き引でのすせて頂きま出い思か祭年のりな私てし断書のをたらとそいて今迄か書をこ頂せでの話は一時中い出まして年祭の思び浮に心トフ日今がたし紙面を汚している事を大変心苦しく思って居ま貴てね連き書と長を事私いならだくに重な祖旬時な切大く頂教百二十年祭を迎えさせて長会前会教分神村下田輝夫いの出年想祭その一くを十七と時の代十二んせまれ知もかのたじ感うし致したそれは自分自身の体力の衰えからそまいと云うか活気がなと云うなかそんな思いがいたが七十年祭の頃にくらべると今少しし元気が思い出し懐かしい思いで月まき頂てせさ加参を頃の前祭年十七でんしきのひち持土のり振し土の前場拝礼西の回ひのき今たししんは久持方が勇みに勇ん参加されまの勢大日連とんでん夫婦揃うてひのきしん欲を忘れてひのきしれこもしわんしきのひてうのにこしきのひらか方が始まりましたみかぐらうたにある通りもっ昭和二十八年四月いよおやさとやかたの堀りになるかと思います棟辺一右東らか場焼餅及堂食五第の今たしまがあり学中理天はに南らか場席別すまい思にうよ校の東側に本部の施設としては何たっかなもは場席別旧り居てれさ残てしと物造建場所の存保が物建とつの元にめりの東講堂の東側辺今は方の東たしく整備されまらし屋れきれいおに敷さ張拡にうよの在れる事になり現平成年年つも一緒にいと生三正先以下次回に藤井れら居て隊とたつてしと者任責のめひの山でをき布し持んっ教れら居て所度参毎に福加で員さ役会教大せて頂き会のはそに機のそく頂てせさ加参にん日間ひから各直の会五て教きししま属し属ひのた来出がのう云と隊んしき直自の位いな信負もに誰はにぐがありまけ調しておくきたいと担をコッモにか強たしでれこ髪を毛も沢山あたしまのり時の七当祭年私は十若もく気ててと元ありま議せではも不思んかさ云ってっあ大はにな的い違てがも体力きおてぎはとら過とい気分的には変らかなかこころの詩祖年祭教祭年十二百の親のえ教今ぐめのみ神親護守のどやり命の間人てまれ生てきだ年祭四年二六月花卯へ地場とへ場地の人浪に殿祖教こ咲きほるみなぎ陽梅の花気る三年祭だ年六二月弥生台ぢかろばんいがみ拝合とめつておどりしさづけ受けもえのめと界世をらか国教二だ祭年年二六月如が現祖身か教さくれ百二年十をい思の親思いをけすたる友の伝だ界世えにる旬だ祭年一六年今睦二月詩んしくか佳節詠てやくあ開り悟り夫長会教分悠東人次月田祭林美智子せて頂きますおとうございさ載転までのすめでれ事掲載見しまば句方れていの友一た名さ一が選祭は題の回に岡繋笠今教が中る選句五十課五気陽よ誌一月柳徳社養号り転載発行道天からの手紙読むのはあなたです自分の中のマイナスをプラスに転じ跳躍するチャンスそれ例がえ病ば気病気ある身い体はの事ど情ことにみ原て因はがどあうりでしどょうう病んでいるのかを突きとめ処方するのが医者の役目同時に自らはどこかに無理があり生き方考え方にひずみがあったにちがいないと顧みることも根本治癒には大切です手助病け気をやし事て情さはしあ天げからられのる手立紙場に読あむるののはで自す分そして天理教がしばしばその天理教ホームページより学生層育成者講習会平成年年期会場日大教月会神殿日火おつとめ後祭典講話として婦人会委員直轄委員部長研修会内期容日参加御供月日円水練閉昼支掃大支部り教部長総時合会挨受会食除い長講拶付様におつ話い時て半開講笠岡女ー子み青ん年なおでぢ帰ばろがうえりぢばへおやさとへー会対期詳細は間象費各ブ女ロ子月ッ青ク年担層日当円者土までお問い日合わ日せ下詰所さ泊い教祖年祭学大世生会界テおのーぢ友マソにばンをがグやえの灯り思い大を会内日前大直夜属会祭時式容ア大大下ししの道笠り迫くあへ灯典ワ岡力会教さのの旬まてふとまー会ホいあすににお学歩すなれふのー生おみ互つ立がるるれムぢ学一いのをな日教別おこるペば人夕席生が指の進日教ぢとスーに針午担をでつるめづば区をテジも前当斉帰とまな学とに誓支ー委唱多っながす生め年ない部ジ員しくてるりが後時日れ合のパ会きの真を平午ばい団フた柱成で礼学深大前とま参ォ拝様は生道め教東本思すにー場西さののて会部い都マ泉ん中参に学おい長年時まそ合ン水庭加に生移言様きすしがス者動葉おのよまプて悪やーしを喜りす月分声原学いル真数び聞おが則生方柱かとま話前けとには名様の活せをた日をしよ大気を模て別聞南時してる教擬右の芯にいか席て教決会店心に満たせをい区意の定だおなちて運棟日分た表学支どき北めつたいびだ明生部側をと楽楽世たき担よ広さめしし世界だ詰大場界せをいいきた所こ当り会イてしす企たの委のテベ画いまけす親別日員参ーンけ睦席たすのががま加マト行の場だよあ学でをソで事よいふり生おごンすふてぼ年を達相願グぼおく祭通で談い各行事に参加ご希各望ブのロ方ッはクの担当者にお申し込みください平成年年第期修養科募集要項修養立科教期間年月日月日教ヶヶヶヶ養月月月月目間掛目目猪中仙北村原田川啓義治太郎介史勉門稲出大雲司教川倉港津会分分分教教教役会会会長長長員募集教に志要月会解願ヶ項散に者月順のは序日修参ま養拝で期月にす間末る笠日をこ岡現修と詰在了所後でには満入所大し歳教以会教上で養での掛修の下養面表科接修のを了必受講要け習書る類会こををと携受え講し上級教月会を経日由のし昼て食後大教お科ふで書さき必須みかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参お考てふ書り概出要来ればな持り参もの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携おつ行とめ品の扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服ハッピ装及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい平成年年れ通りすまいざごでみ極いな体勿く難有に誠は事たしまいさ下連子おりさ下し現おを護守御の由自はに上のみ歩の人成の条一けすたののすまい思にうよたっあで年一たい頂し示おをさ切大の事う合道中のそけ助もにかいてい頂せ見おを路末のりぶ高り驕の間人のばく良いさ今ばく良いさ我てし通を件事の等界業設建たし覚発が装偽や合談したしまいさ下せ見おを腹立念残の日月等るす生発がきつ水風大震地で中界世すまいざごで存所く頂てせさめとつずらなみの本日も年今様同年昨又ずえ変をい思でま日のその祭年でのんせまりおてっ至はにでまく頂護守んせまえ絶に念の謝感く難有に誠は事たしまき頂え与お御で会教全只を者席初い近歩みを進めてまいりましたところ全教会数を上回る二百名の人成てえ揃につ一を心せわ合し申とうこ頂護守御を者席初の上以名一で会教全てし通を動実の目項践実くべすにのもたし実充てしと年のげ上仕をみ歩の人成のてっ切仕と日千年三てっか向に祭年十二百祖教とすまみてっ返りたしまりいまてっなと振を年一今つつげ上し申礼御に恩高御の頃日年かずわとあも年本の年八十百教立かしついに内るてい頂てせさご過く六な恙てい頂をき導おと守御るれ溢心親の条一いいわか供子の様神親護すまげ上し申でん慎一理上長会原前御の命王理天神親すまいさ下りま鎮おに床神の教大岡笠のれこ会に文祭祭立教百六十八年十二月月次くすまげ上し申い願おでん慎に共と同一を程のき導おうよすまけ頂てせさえ迎を始年末年なかやれ晴くる明りきみ澄心てい頂てし写を心親に心の人り賜を護守御の由自るな更に上のけすた万てしまいさ下り取け受おを心の実真誠の皆るめ進をみ歩の人成に杯一精くべるえ応に声の親く頂せか聞おに旬はに様神親年何すまいざごで在所く行でい注力に更はにけすたおたしと芯を次取のけづさおに共とるす進邁に動実のけがいをに軒万十五もに為くいてめ進し推をれそ又すまいざごで悟覚く頂てせさ施実てせわ合し申をり帰ばぢお人千一月毎はで岡笠でのすまりおてい頂てけかを声おのとにうようわ賑がばぢすまじ存おてし通間年一てしと年の祭年の祖教年来りよ様柱真てえ加くたき頂覧御に祖教様神親を姿たし人成き頂てせさり帰ばぢおてせわ合よいてさすまいざごで祭年二百祖教とすまけ明が年十に共誘いい願おうよすまいさ下み申おもに様し上げ勇ますすまき頂てせを状の実真るせ寄にめといおの皆御下覧さまして親神つとつをりどをてめとづり座でん勇び喜めめの月次祭を執り行わて本年納歌おの達供子の道たしまり唱一者のと和相共に只今からおつとめ奉仕同さ寒の柄折さしだた厳ま集り寄にみし楽を日の日今ずせまい厭も中きししまり賜年今守た護の数に改めて御礼申し上げたいと年の瀬の慌御平成年年また人が一人でも弥増す一年になりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げすう合喜びに満ち溢れ触に心親けのとい案助に明け暮れ身上事情に苦たしむ人の心が世界一列救けれ皆の誠真実の心をお受け取り下我てまして万たすけの上しまり賜る身さを護守御の由自思るな更いに歩の人成くき大りよに糧を動を実の日進め三といたきみ頂び喜おに親もでうどはに様神親千卒何年軒にをいがけとおさづけの取次を実践項目として実動に邁進させて頂く所存でございますがの賑をやかにしぢしをスロてばーガ人ばえンにぢより掲げをお一月一一五通おう毎万十千せが賑わうようにとのお声を掛けて頂いておりますのでそれにお年一はで岡笠くべく頂てえさ応すまげ上し申い願おうよすまり賜を護守御のぢばてし通を間年おてしと年の祭年らか様柱真又一者す席初のく多もで人一がまいざごはで数日なか僅でのまいざごで悟覚く頂てせら切めとつにずえ変初の上以名一で会教日でせわ合し申といのそま席るたえ迎を祭年はい思のとうこ頂護守者御を全えよ祖迎いをよいの祭教百て年さたま十二年し人成ののて歩みをけ向に実の有るもの祭にした年しもお勇みいさ神に下さいますようお親下様て願い申しすまげま上いに伏し拝思じ同しむ状を担覧和唱を道を歌のらかれおにう御こ又者信く共相子がぼふよた供達ましせ夜まい厭も明寄けもき新春の慶びとずり集感謝の心一杯らぬ内かいし厳い中らさ寒のらか折にはにを祭旦元の年九十て百頂き教立執せとつをりどをりまてめとづり座で行めわすてん勇に気陽六御前慶入び心く同る人一明ぼふよるが繋にのに岡笠らか今只つもくつい願を事るさ下り通れ連おとへ道一昨賜成るな更年一年今に共とるげ上しわ礼りました御てめ改にき導おのへ人成と数の護守御申年ざごとすうまいおでめせて頂きましたます上し申を拶挨ごの年新でん一同寿ぎ心とげ慎てしまめ御礼とを込明けましてぬ親心と暖かくせおおらきなさえのを年新にた新も心か御神親守尽護とお導迎きを頂いてこ様にこすまし上上げさでん慎一親神ま理王理原いります鎮おに床神申天下これ命の御前に会長の笠の会教大岡立教六祭九年元祭文十旦百内容字数寄稿先原稿募集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい享年九十七才出さたしまれ直教立六十八年十月二十五日百二長輝分教会福宮﨑可夫氏訃教大福会だ山報より植田立月年教至立教年ん別隊しきのひ特属直平成年山田亀山下年森川弓ヶ濱月教年月立期後日検定講習会修了者格資第長会教巻第号健日日二満弘志日終講字漢字のだうそたればが選が年目を迎え漢るまたたあ初心の年愛は字漢の年今にしろ雪はで会教のが遑な下いとまい間たれわ舞見に雪豪な的録記部山したに後ぢおてばをと軒気意は達人昂し先尽安らかぬせ溢れ言さたっ浸にいい喜びとなる胸いに感限ゞ明激がり不平も皆跡方もなく解け去たりも教疑の切一しり通目おに祖問実践項目集計月百万軒にをいがけ軒おさづけのお取次回身上事情お願い件に取り掛たっつと堂堂てれ入と物鳴らか頃時めも拘てね重を引を覚悟上午後一のを重ね足着下一同意を決し袋いい違にたっかな年前の日も一入百の十寒そ二るい立って際が姿たっ切み勇の人先達教祖やて照の字にらもれさそれされるが出見いに所ずとるヶめ求にと伝御寒いを字うるあ似もをわせる趣てきがに直感的思物に些か興醒めな思秋しかしでん孕いるを字のも五寒十二はらに厳内実の冬の三十八は語季の霊言幸ふ國の俳句歳時記にもはきさいいれて知もかたなな寒日っにらたっだ月がょしうおつ手一に勤め切まきだたいてせら一れからも変わらぬ心で勇んでこたいてせら浸だしきまょうそしてにさから安激を胸ぬに感言い尽せていただき限りない喜びと明るい揚ぢ気意とさら帰せばおにあ歩三日年千んだき向に前にき向直人押し並べてひたむたしく千日に心配おたすけに誠の心を尽をりけがいをにをい思のやを内治ちううちさと年三たれこ望切をつに勤めが上ち一る切立でり一手ん勇が教重くべるねる実を積み全その先人な達の足跡の上に更
かさおか

『かさおか』第44巻 第12号

備佐の店舗の在ったと思われる中橋南詰あたり長堀通りから南東方向を望むをやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことばさとは佐助と結婚以来一男五女をお与え頂いた順を追って記すと明治十年十二月一日光誕生後二代会長夫人長女明治十二年一月二日なを誕生次女明治十二年三月十五日なを出直し数え二歳明治十三年四月二日鹿造誕生長男後明治十七年一月三十一日伊賀市の川合家に入籍明治十四年十一月五日リウ誕生三女明治十六年三月八日お勢誕生四女明治十八年八月一日フサ誕生五女後明治四十三年五月十六日赤木梅太郎を養子に迎え川合家をたてる明治三十一年四月二十日上原リウ伊賀市の川合清助の養女となる明治三十二年五月三十日川合鹿造出直し東京國學院在学中さてここで初代会長の舅上原佐吉と初代の主人佐助について記す上原佐吉は文化十三年年三月十六日笠岡の洲崎に笠原利吉お律の長男として誕生した十二歳で志を抱いて大阪に出備後屋上原嘉兵衛備嘉に奉公した佐吉は備嘉に三十歳まで勤めたこの間十六歳で番頭に取り立てられたそして三十歳で備嘉から備後屋の暖簾と上原の姓を貰い上原家を創設し長堀川中橋南詰に店舗を構えた中橋北詰に備嘉の店舗はあった佐吉はその後三年間通いでお礼奉公として備嘉に勤めた佐吉は信仰心が厚かった午前四時には起きて手水を使って小田原提灯に灯を入れて大阪市内の主立った神社仏閣を巡拝するのが日課であった嘉永元年年から畳表商を始めたが営業種を選ぶについて裏の長堀河畔で祈念を凝らしていたが満願の日水面に流れてゆくものが眼についた急いで拾いあげると一個の木株でそれに藺草が挿まっていたという佐吉はこれを根のあるいわば確実な商売は藺草の商いであるとの神の報せと悟り畳表商を始めたという畳表は広島県尾道市福山市近辺から採れる備後表が品質最良とされる備後屋佐助の畳表の商いは評判をとり数年後には江戸積みでは備佐が一番と称されるまでになった笠岡洲崎の笠原家は佐吉の弟が継ぎ屋号を濱屋と称し当主は代儀七を襲名し通称濱儀と呼ばれ煙草の製造販売をしていたさとの主人佐助は嘉永三年年濱儀の長男として誕生した十二歳で祖母お律の出直しに遭い同年父儀七を失い続いて十四歳で継母つるの出直しに遭った佐助は従って儀七を襲名し濱儀の経営に若くして苦労するが家運は傾き伯父佐吉を頼って大阪に出た佐吉には嗣子がなく佐助を養子として娘分として上原家に入っていた川合豊初代を娶せ後継としたこの頃女性は結婚すると姓も替わるが大抵名前も替えるのが通例であった教祖御伝の中にも出てくる初代は豊とよからさとに改名した備佐の商いは明治十年頃から急激に大きくなった畳表の取引と共にこの明治十年末から新町三丁目に西店を置き北前船の問屋を開き米味噌醤油などの卸売りを始めたこうして備佐の世帯が大きくなるにつれて佐吉八重夫妻は心斎橋三ツ寺畳屋町角に隠居所を設け佐助さと夫妻は当時有名な料理屋西照庵近くに別宅を設けて住んだ史料部長上原繁道婦人会委員委員部長後継者講習会婦人会では去る十一月二十二日二十三日と委員委員部長後継者講習会を開催しました参加者二十名託児十七名と大勢の方の参加を頂きましたこの度は一泊二日の講習会でした一日目支部長様より母として親としてそして女性としてどう通らせて頂いたら良いかとお話し頂きましたその後三班に別かれてねり合いその後三曲の勉強夜は四名の方の感話夫の立場でお話し下さってとても良かったです二日目大教会長様よりおつとめの理についてお話し頂き前日の班に別れてねり合いをさせて頂き様な意見が出て時が経つのも忘れてあちこちの部屋から談笑する声が聞かれました又ゲームでは楽しい一時を過ごしました閉講神殿にて大教会長様のおつとめの理のお話しを心に持って支部長様を芯におつとめを真剣につとめさせて頂きました教祖百二十年祭後一ヶ月あまり真柱様はおぢばを賑やかにと仰せ下さいました一人でも多くの方をお誘いしておぢばに帰らせて頂こうと誓いあって閉講しました子供を連れ又子供を家においておつとめ頂きそして留守をお預かり下さいました会長様奥様そしてご主人様にお礼申し上げますありがとうございました常任委員中村満子講習会で得たもの福節分教会藤井理恵私は今年の月に縁あって埼玉から笠岡部内の山の中の教会へ嫁がせて頂きましたその後月に主人の会長就任のおはこびそして月にはその奉告祭と有難くも忙しい毎日を通らせて頂きましたそして奉告祭を無事につとめさせて頂いた次の日上級教会より委員部長後継者講習会のお話しを頂きその中で感話をつとめるようにとのお声を頂きました嫁ぐ前の東大教会ではこのような講習会はなく又感話をつとめるという事もありとても不安でしたしかし日間の委員部長後継者講習会が私にとりまして気持ちの上でもとても励みとなり充実した楽しい時間を過ごさせて頂きましたこの講習会で初めてお会いした方でもどこかで繋がりがあったりと本当にお道の広さとお道の深い結び付きを感じましたそして大教会長様のお話しではおつとめについてお話しを下さり改めておつとめの大切さを学ばせて頂きました又本部の月の月次祭では生まれて初めてかぐらづとめを見させて頂き言葉にならないほどの感激でなお一層おつとめに対する気持ちが強まりおつとめの素晴らしさを肌で感じさせて頂き本当に感動致しましたそして支部長様のお話しでは神様から見て使いやすい道具とならせて頂く事又受ける心を喜ばせて頂く事このつのお言葉がとても心に残り何に対しても心の使い方ひとつで変わるのだという事を教えて頂きました又ねり合いでは個の考えや意見を出し合いとても良い雰囲気でねり合い盛り上がりました話しが次に展開して横道に逸れたりしましたが逆にそれがあったからこそ色な方の方の今まで通って来られた話しまで聞く事が出来て大変勉強になりましたこの日間の委員部長後継者講習会で私自身プラスになる内容ばかりでいずれ委員部長とならせて頂くにあたっての心構えとなりました又参加された方が皆同じ立場という事もあり話しが意気投合できた事で皆様からエネルギーを頂く事が出来ましたそしてこれからもっともっと経験を積み重ねながら少しずつ受ける心を作らせて頂きつとめさせて頂きたいと思いますそしていつも心の中に感謝と喜びを忘れずに日通らせて頂きたいと思いますこの日間の委員部長後継者講習会でお世話どりをして下さった婦人会の先生方に感謝致します有難うございました痛がる子供を前に木津和分教会丸山哲子十一月二十二二十三日私は大教会での委員部長後継者講習会に参加させて頂きました今年は一泊二日で開催され二日がかりという事もあるのか大体集合は夕勤め前か三四時ごろ位ですが今年は一時三十分受付開始翌日一時終講式とほぼ二十四時間大教会でお世話になりお勉強の時間を頂きましたこの講習会に参加し初めた最初のころ私はただ参加して楽しくてそれで終でしたでも四五年位前から去年支部長様はどんなお話をして下さったかそれについて私はどうだったのかとほんの少しですがふり返っている自分に気付きましたそしてこの後継者講習会は一年のおわりのほうで開催され今では私の反省の良い機会とならせて頂いておりますもっとも反省だけで前へ進んでいるかは又別なのですが今回の講習会で大教会長様のお話おつとめについて今の私にとって大変有難いお話でしたなぜおつとめをするのか一般の人達の様にただ身上事情が治まればそれでよいのではないお道を歩いている私達はそれを通して心の助かりが必要であるとこの秋より十才の長男が足に身上を頂いて一か月それが治まるころ今度は盲腸で入院盲腸はよくなったのですがどうもお腹が痛いすっきりしなくて又一か月が来ようとしています自分の事なら自分が辛抱してすむのですが痛がる子供を前にどうしてやればよいのか本当にこの二か月色悩みました考えましたでも有難い事に子供は夜はゆっくりとねる事が出来ます食事もとれてしんどい時もありますが学校もがんばって通っていますこういう状態の中がんばっている息子を見てあー私がしっかりしないとイライラしたり落ち込んだりしている時ではないのだと息子の担任の先生が言って下さいますお母さんぐるぐる同じ所をまわって全然直らないみたいに思うかもしれませんがらせん階段あがっているようなもんですよ確実に上向いてあがっていますよと私の心が助かるというか私自身が親としてさんげしてほんの少しでも成人させて頂かないとなにもなければ反省する事も考える事も多分ないのでしょうからそういう有難い機会なのだと最近少し思わせて頂けるようになりましたどうぞ子供といっしょに乗り越えさせて頂けますようにそういう状態の中でしたが子供四人家の者に預けて独身気分で食事や洗濯という日常かひとときらも解放されて一時ホントに有難い時間を過ごさせて頂きました支部長様のお話練り合い女鳴物の練習順子奥様の脳のオリンピックという様な二種類のゲームもすごく楽しかったです又今回は名札があったりプログラムがあったりと細かい所までお心づかい頂いてこの講習会がより身近なものであったように思います又余談ですがこの六月にはおぢばへ教会長資格検定講習前期へもかえらせて頂きました教祖百二十年祭のこの旬に息子に頂いている身上を通しまして少しでも成人させて頂けます様又出来ますれば一日も早く息子も元気にならせて頂けます様合わせてお願いしておわらせて頂きます談話室夫婦その一神村分教会前会長下田輝夫結婚当日花嫁は精神的にとても疲れている新郎は優しくいたわりの気持をもって早くやすませて上げる位の心遣いが大切であると何かに書いてあるのを目にした事がある優しくて思いやりのある私は忠実にこれを実行したはやる心をおさえて翌日から二人の生活が始まったがここから先は人並同様で特筆すべき事は何もない理想と云うか希望と云うか私は結婚したら四人の子供を授けてほしいと思っていたそれも只四人でなく男二人女二人順番はどうであれきょうだいとして二人二人与えてほしいこれが私の願望でした何故かと云えば話相手になるには最低二人である男は男同士女は女同士となるとどうしても四人になるのは当前である私のきょうだいは兄三人姉一人に私の五人である親が居る間はともかく居なくなった時二人ずつ居れば話も出来るが一人では話にならない姉の姿を見ていると皆集まって話をしているがいつの間にか居なくなるどこえ行ったのかナと思えば幼な友達の所へ行っている折角きょうだいが集まっても男の世界と女の世界は当然違う訳である暑い寒いの時季の話をしている間はよいが仕事関係の話になると男と女では全然話が合わないのであるそこで姉はいつも友達の所へ行って駄べって来るのであるこれが二人ずつ居れば男は男女は女と話が出来るから外へ出て行かなくてもよいのであるそれで私は二人ずつ授けて頂きたいしかも仲の良い子をと願っていた次第であるそんな思いのある中にやがて第一子を授けて頂いた男でも女でもよいまず元気な子を授けて頂きたい誰もが思う心境と同じであるそして予定日はいつ頃と聞いたら十一月十日頃との事である同じ生れるなら十月二十六日に生れたらいいナと二人で話していただんくと日が過ぎて十月二十五日団体列車で母がおぢば帰りをするので駅迄見送って帰って来たら大事な女房が今日は調子がおかしいと云うのである早速産婆さんに連絡をして来てみて貰ったら今日生れるかも知れないとの事である母が居るから安心していたのに出ていささ行った後にこうなるとは些か私もうろたえた幸い兄嫁が近くに居たので来て貰い産婆さんも熱心な用木の方で初産の場合早くから付添って下さり心配はいらないと云われて私もホッとした次第であるそして廿五日に生れるより廿六日の方がいいネと云って下さり貴男も側に居て上げなさいと云われて私はズッとついていた夜が更けるにつれ次第に痛みが増して来た産婆さんが夜中の十二時を過ぎたら廿六日だから十二時一分に生みましょうネと笑い乍ら話して居られた兄嫁が私が時計を見ていると云っている間にだんく時が迫り十二時少し過ぎた頃無事に女の子が産声を上げたのである以下次回に年祭に寄せて瑞雲分教会前会長西村道栄教祖百二十年祭の旬年祭と申しますと大正生まれの私は戦中戦後の時代の中から初代会長実母の道なくして今を語ることは出来ません私が信仰と向き合ったのは初代が教校別科へ前後約七ヵ月間本部に行かれた時の事です当の本人は求道精神に燃え勇んで向かい教祖のお雛型を追い求めた結果にあるに相違ないとしても当時十六歳の私にはその離別の寂しさがの方が強烈に感じ父にせっついた事が思い出されますその教校別科より帰った母は以前とは違いまるで教祖のように感じましたそして三刀屋方面つへ出かける毎日は憑き物が取り付いたかのように見えたものですそんな道中の宣教所から一人の青年が大東町の上級教会へ参拝することになりましたその人は竹のようにやせ細り一目で肺結核とわかるような姿でした悪しくもその日は未明からの雪で凍りつくような寒空の中を裸足で三里の道を歩いて身上ご守護を願う命懸けの参拝でありましたその青年が三刀屋へ戻ってゆく途中で命絶えるのではと心配しながら見送ったのでありますしかし何度の運びがあったのかその青年は見る見る元気を取り戻し参拝する笑顔が高潮してくるのでしたそれは家人も寄り付かず近隣の人達はその家の前を通るとき口を押さえ足早に通り過ぎ医者もさじを投げた重病人とは全く違う人でした三方に載せてお供えをしてまで青年の一命を乞うた真剣なおたすけで見事に花咲いた素晴しい御守護はその当時近在のうわさとなったようですそのようなお陰もあり教会名称のお許し戴き代を重ねられていつしか私が三代会長としてお預かりする頃にはその青年が教会の重責役員として献身的に私のような人生経験や布教経験の少ない者に蔭と成り芯となり支えて下さったのですしかし思わぬことが起こった晩年の姿がありました当時私の家族もいろいろな事情を得て教会に住み込んで参りました後継者であった現会長も役員先生とあおぎつかえ一方のことも覚えた頃に後継者も雑多の事や何かと出来るし勤めの準備も出来るようになったので私は少し身を引くようにするとか言って帰った年末明くる一月二十六日本部春季大祭参拝後の私に教会で遥拝をすませて皆に挨拶しての帰り自分家の茶畑で倒れ出直ししたとの思い返せば神一条の心定めでご守護戴いた身上その用向きを退いたことによる天の与えであったものと悟らせて頂いたのですあの時強く止めていればしかしその強烈な鮮やかなご守護は家族や身内に容易に理解し受け入れできるものではないものでありましょうあれ程勤め尽くしたのに何故なんだろうと無い命をここまで連れて通り立派な家屋敷も構え長男長女もある普通以上の六十七才の生涯は誠に教祖の御教えにお連れ通り戴いたのであり本人の心どおりであったと喜び勇ませていただいた事を昨日のように思い出します初代会長から聞かせて頂いた座右の銘何事も神様の御用が一番先にそれがご恩報じでありました今の時代にはそぐわぬ大正生まれの老体教祖百二十年祭に巡り合わせて戴く事が出来るのもお連れ通り戴く親神様教祖のご守護あったればこそそれは申すまでもありませが三代会長として初代会長の想いには遥かに届かぬ乍も初代の心を大切に御礼申し上げつつ我を忘れて通らせていただいた二十三年そのお蔭と想う今日この頃であります親の徳にいだかれ三代並ぶ月祭り見せたい親は心中に立教百六十八年十一月こころの詩養徳社発行陽気誌十二月号道柳より転載今回の課題は実選六十一句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠東悠分教会長夫人田林美智子生かされて花も実もある人生を教祖年祭一成人の節目だ定命を縮めて変わる事なくひながたの親めどう二教祖のひながた目標に勤めきる進む我らの誠の道は神の守護に感謝喜び土地所に陽気ぐらしの種をまく三元始まりにこの世人間創られた親の思いに近づく成人つとめを教えさづけわたしひながたの親たたえよう今日は年祭だ現身隠されて導かれたたたえよう詩かくしん年頭会議日会対時月日午後時より場大教会神殿象大教会役員おつとめ奉仕者教会長布教所長学生層育成者講習会期会日月日火おつとめ後祭典講話として場大教会神殿婦人会委員直轄委員部長研修会期内日容参加御供月日水時受付時半開講支部長挨拶練り合い昼食大教会長様お話支部総会について掃除閉講円笠岡女子青年おぢばがえりーみんなで帰ろうぢばへおやさとへー期間月日土日日詰所泊会費円対象女子青年層詳細は各ブロック担当者までお問い合わせ下さい各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください立教年年間行事部会全体行事月直轄教会春季大祭参拝年頭会議教祖年祭ひのきしん直属ひのきしん特別隊献血ひのきしん春季大祭詰所受入布教部部内巡教本部食堂島根ブロック教会長講習会修養科修了講習会部内巡教予定表海外部直轄教会定期巡教直属ひのきしん特別隊教祖ご誕生祭詰所受入本部食堂上府ブロック月にをいがけおたすけ実修会月希望教会全教一斉ひのきしんデー修養科修了講習会こどもおぢばがえり直轄教会秋季大祭参拝本部食堂直ブロックこどもおぢばがえり詰所受入本部食堂直ブロック秋季大祭詰所受入修養科修了講習会英語講習会月にをいがけおたすけ実修会月希望教会布教推進強調月間布教所長講習会全教一斉にをいがけデー修養科修了講習会心定め提出年末大掃除詰所餅搗常詰会議毎月日午前註ブロックの区分けは備考役員並びに直轄教会長会議毎月日午後直轄教会長の集い毎月日午後直鶴山明石市直久松東城錦備上府上下府中市おかえり講話月例勉強会毎月日月を除く毎月日英文発行但し月は日海外よふぼく月報いずれも午後役員並びに直轄教会長会議月は末日月は日直轄教会長の集いに替えて行なう部会婦人会月青年会少年会学生会学生担当委員会輸送部委員直轄委員部長研修会女子青年移動例会おぢばがえり婦人会本部総会春季大祭参拝学生層育成者講習会教祖年祭学生おぢばがえり大会前夜祭鼓笛バンド講習会おつとめまなび総会教祖ご誕生祭参拝学生会おぢばがえり笠岡支部婦人会総会縦の伝道講習会育成講習会ひのきしん団参初旬夏季伝道講習会夏季錬成会全分会布教推進週間こどもおぢばがえり団体列車本こかん様に続く会本部青年会総会一ヶ月ひのきしん隊委員部長後継者講習会支部例会毎月日午前時大教会ひのきしん備直轄委員部長連絡会毎月次祭後毎月日午前考女子青年例会日毎月第日曜日ひまわり会毎月日教会おとまり会の実施秋季大祭参拝雅楽部練習毎月次祭前日夕勤後舞楽練習毎月次祭日夕刻軒回件実践項目集計月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりでと一列子供かわいいの親心のままに身体の自由を御守護下さり季節の移り変わり等を通して味覚視覚等五感の味わいもお与え下さり陽気ぐらしが出来るようにとお働き下さっているばかりでなく身上事情を通して心の成人をお促し下され陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら身上事情が我が心の招きである事が分からず心の反省どころか罪を与えられているかの様に思い誤り逆恨みしより陰気ぐらしの泥沼の深みにはまり行く人が多くいます事は誠に残念でなりませんお道に引き寄せて頂いた私共は日喜びと感謝を心に湛えつつ朝夕に御礼申し上げると共にたすけたいとの親心に応え一人でも多くの人に親心を伝えるべく自らの人をたすける心の涵養と実践を目指してにをいがけおたすけを通してたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけのもとだてとお教え下されたおつとめをつとめる定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には日頃の御高恩に改めて御礼申し上げたいと今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和する真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖年祭に向け三年千日と仕切って成人の歩みを進めてまいりましたが仕上げの年としての今年もあと一ヶ月教祖百二十年祭まであと二ヶ月というところまで来ました果たしてお望み下さる成人にどれだけ近づく事が出来たか甚だ心もとないところであり大いに反省しなければならないところでありますがいざここに到ってはもう只がむしゃらに進み切る他ありません幸い岡山教区では十二月四日に一万人おぢば帰り団参が実施されますのでそれ等も大いに利用しつつにをいがけにおたすけに又よふぼく信者の育てにと邁進させて頂く所存でございます何卒親神様には旬の理を受け精一杯に歩む皆の誠真実の心をお受け取り下さいましてたすけ一条の上には尚一層の自由の御守護とお導きを賜りまして教祖百二十年祭には神人和楽の大らかな喜びを味わわせて頂けますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます軒回件実践項目集計月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い大教会だより教会指令恒例祭日変更願四月月次祭日日承認任命願油木分教会前任黒瀬修弍新任中村邦義奉告祭承認建築模様替及神殿増築屋根葺替並附属建物増築願瑞雲分教会遷座祭鎮座祭奉告祭承認教会長資格検定講習会修了者前期終講錦ヶ原池平はるみ第七七三期修養科教養掛三ヶ月間一ヶ月目二ヶ月目三ヶ月目岡﨑真一大教会役員吉岡貞彦芦田川分教会長上原浩大教会役員三島順敎葦沼分教会長修了者神邉福芦福勇稲倉宇津戸小坂静宏藤原徳美鳥井智代藤井和子井上トミコ訃報三島克巳氏大教会承事新山邑分教会長十二月十二日出直されました享年六十八才子供の痛ましい事件が広島と栃木で起き返ってこないわが子を悲しむ親は狂わんばかりの悲痛にうちひしがれて居られるもし私の可愛い孫が何とかして犯人に一矢報いたい気持ちになるだろう知人が犯人の人権重視が許せん被害者の親に一刺し二刺しさせて苦痛と恐怖のどん底へ落させてやりたいよと言っていたがまるで仇討御赦免状じゃないかってね徳川三百年の歴史にはそれが在った大罪人は市中引き回しの上打首獄門不義密通姦通罪には男女重ねて三つに切り殺すとか極悪非道の五右衛門は家族もろとも釜茹での刑に処されたのです当然幕府に楯突く一族郎党は廃絶され幕府に従順しても女子を人質として側室に召したのですだから天下泰平二六五年一五代続いたのでしょう今のご時世を乱す事件が無くならないのは人権を処遇されたその手の犯人が再犯率四八これでは被害者は浮かばれず親族はいたたまれない現実から逃避し静かに暮らすしか無いでしょう現場でえんざいは国選弁護士が過去の冤罪事実から犯人の人権擁護の立場で変わってきたのが実際それを良い事に刑期の軽い少年犯罪が横行し外国人が出稼ぎに犯罪を手段としている向きもあるのです今から裁判制度が変わるとかそれこそ犯人の親一族の名前顔写真を公表し親を厳しく証人喚問して育て方がまずいよ今度は許さないよなんてねこれで犯罪の根絶になるのでは無理かナ私の少青年期の頃巷にやくざ侠客が居たものです歓楽街で遅くまで遊んでいると早く帰れこんなところで遊んでいたらロクな人間にならんぞと叱ってくれたそれはある種の治安維持があったと言ったら過言かそれを美化してはいませんそういう世間のはぐれ者を集めて其処なりの行儀で収めていたのでしょう今は両親も怖くない学校の先生も友達同様の時代道徳が善悪が見えなくなったのか今こそ世界に向かって親神様が作られた人類親神様の子である我その兄弟を殺すのをやめて陽気暮らししようと声かけて教祖百二十年祭の一年間を将来を平和な世界にしようそんな毎日になるよう今日から再出発しようぜに
かさおか

『かさおか』第44巻 第11号

中橋の石碑をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば中橋の石碑この石碑より向かって右側一帯に備佐の店舗倉庫が在った前回の途中に跣参りをしていて褒められるかと思いきや叱られてそれからは身許引受人でもある備佐上原佐吉から櫛の歯を挽くように使いが来て引き戻そうとするそうしてとうとう備佐の家へ入る事となったと記した身許引受人としてとよ初代の身体を心配しての事もあったと思うが佐吉は恐らくとよ初代の信心の並でない点に強く心惹かれて養女にとの思いが強くあったのではないかと思われるこの間の消息を笠岡分教会史年表には次のように記している明治四年此の年晩秋折井家の幼児生後七ケ月大患旧長様初代の事は此の幼児の苦しみと一家の悲嘆に痛く同情せられその頃最も霊験著しき噂ある清水様に一週間跣参りの願を掛けらる朝は寅の刻より小田原提灯を点じて出られる満願の日より幼児は全く死地を脱して快方に向かう此の美行を知られたる備佐の主人佐吉様は直ちに折井家に掛け合われ旧長様を備佐に引き取る事を請はる之れ旧長様の上原家に入家せらるる端緒なり明治五年旧長様去年暮より備佐の内に引き取られ以来毎日裁縫を励まる又史には明治五年一月笠原儀七上原佐助妹イシを連れて伯父上原佐吉を頼って上阪備佐に入る明治六年この年春川合とよ笠原儀七と縁談進むにより伊賀の生家へ帰るこの年暮れ川合とよ笠原儀七と明春結婚のため備佐へ入る明治七年二月十六日川合とよ上原佐助笠原儀七と結婚川合とよは以後改名してさとをなのるこうして年を追って出来事を眺めれば初代さとの方が先に娘分として上原家に入っている事が分る血の繋がりは上原佐吉佐助は伯父甥であるが親神様の采配による此の世での縁は佐吉さとの方が強かったのではないだろうかさとが結局佐吉の願いを容れて笠岡へ帰って来たのもその縁によるものではないかと感を強くするさて畳表商備佐備後屋佐助にゆかりの地長堀について書かねばならない長堀は現在は長堀通り国道号線となっているがもともとは長堀川だった心斎橋の東側にはこの長堀川に東から藤中橋中橋三休橋の三本の橋が架かっていた上原佐吉が畳表問屋備後屋佐助通称備佐の店を持っていたのは中橋南詰西側一帯鰻谷町であった鰻谷町は西之町中之町東之町と地名があるが恐らく長堀川の川筋に沿って備佐の店舗はこの三町にまたがって在ったものと思われる現在は長堀が道路になっているために鰻谷筋の北面の商店街の北側長堀通りに広い歩道があるこの歩道は勿論長堀川であった訳で言ってみれば鰻谷筋に面した備佐の店の裏側という事になるそこを歩きながら中橋の跡を探したあったのは橋の名を刻んだ石碑であった草に蔽われて見過ごしてしまうところであったが何とか分った三休橋はバス停として地名が残っているが中橋はこの石碑だけであるさとは備佐の当主佐助に嫁して以来大阪きっての畳表問屋の御寮はんとして明治七年春から十八年始め迄足掛け十二年舅姑の佐吉八重の心を安んじまた大所帯の備佐の家内を安泰にして通った史料部長上原繁道秋季大祭講話教祖にたすけたいとの心ばかりで八号にんけんもこ共かわいであろをがなそれをふもをてしやんしてくれ十四号お喜びいただこう月日にハせかいぢううハみなわが子かハいいゝばいこれが一ちよ十七号世話人島村廣義先生と仰せ頂いておりますが人間をお創り下された親神様から見れば世界一れつはみん秋季大祭は先程大教会長さんの祭文にもござな我が子でありますただたすけてやりたいの一いましたとおり立教の元一日を祈念してつとめ念であられるのでありまするおつとめでございますお祭りでございます人間の親である親神様が如何に一れつの人間立教の元一日親神様は世界一れつをたすけるを可愛く思われたすけてやりたいとお思い下さために天下ったと仰せ下され人間宿仕込みの元れていますことかそこでこの度は神が表へ現なるぢばに教祖を月日のやしろともらい受けたれて何か委細を説いて聞かすると仰せ頂きますいと旬刻限を待ちかねてお現れ下さりご宣言如く親神様は人間をお創り下された時の元初下さったわけでありますがこの親神様の最初のりのお約束である旬刻限を待ちかねて即ち天お言葉でも分かりますとおり立教の本旨は世保九年十月二十六日を待ちかね教祖をやしろと界一れつをたすけるためにと仰せ下さるこのお言してこの世の表にお現れ下さり親神様直よ葉一語に尽きるわけであります世界中の人間をろづ委細の真実をお明かし下されたのでありま余すことなくたすけ上げることにあるとはっきすりとお述べ下されているのでありますこのよふのにんけんはじめもとの神言い換えれば世界一れつをたすけること世たれもしりたるものハあるまい三号界だすけが天理教が開かれた所以であり世界一れつの陽気ぐらしがお道の目指すべきところであ親神様は元始まりに泥海の中紋型ないとこりますろから人間世界をおつくり下された元の神様つおふでさきにくられただけではなく命を与えられたものが月日にハせかいぢうゝハみなわが子その命を全うすることが出来るように常にご守護して下さる実の神様であります即ち人類の元なるをやであることを初めてお教え下さり月日にわにんけんはじめかけたのわよふきゆさんがみたいゆへから十四号と人間をつくったその思いは陽気ぐらしをするのを見て共に親神様も楽しみたいとその創造の目的ををやの思いを説き聞かせ真実たすかる道陽気ぐらしへの確かなたすけ道をおつけ下されたのであります世界一れつの人間を余すことなくたすけ上げたい陽気ぐらしをさせてやりたいとの思召下さる親神様の本心これが立教のあのお言葉に全てお示し下されているのでありますおさしづにこんなおさしづがあります反対する者も可愛い我が子念ずる者はなおの事なれど念ずる者でも用いねば反対同様のものと言うお言葉でありますがこれは明治二十九年四月二十一日のおさしづでありまして政府官憲の迫害干渉が厳しくなった時にお伺いされお尋ねになった時の神様のお言葉の中の一節でありますたとえ親神様に反対する者であっても親神様にとってみればみんな可愛い我が子であるそのをやの心を知らないをやの心を知らないから反対するのでありますがその者達に人間の元なるをやを教え元のをやの思いを伝えて思召をわからせて本当に真実たすかる道陽気ぐらしへの道を教えてやりたいとお思い下さいますのが親神様でありますしかしその親神様の思召をお聞かせ頂き親神様の思召を承知しているお互いがその教えを実行しなかったら反対しているのと同様だと用いねば反対同様のものとお教え頂くところを私達はよく思案させて頂き親神様の教えを日に実地に身に行のうて通らせて頂くということが何よりも肝心であると思案させて頂くのであります諭達第二号にもお示し頂いておりますが先ずは自らがお教えに基づく生き方を日実行し身近な人達に信仰の喜びを伝えることが肝要であるとお教え頂きます何にも知らない人にをやの思いを伝えるために教祖をやしろとしてこの世の表にお現れ下さり教祖のお口を通じて思召のほどをお聞かせ下されたのでありますいまなるの月日のをもう事なるわくちわにんけん心月日や十二号しかときけくちハ月日がみなかりて心ハ月日みなかしている十二号とお教え頂きますなぜ教祖が月日のやしろとお定まり下されたのかその所以は教祖は親神様が人間をお創り下される時女ひながたにおなり下され母親の役をおつとめ下されたいんねんある魂のお方様であったからでありますこのことはおふでさきにどのよふな事をふしへてかゝるのももとなるをやてなくばいかんで八号とお教え頂くところでありますどこそこで誰それというものではないほん何でもない百姓家の者何にも知らん女一人だめ何でもない者やそれ最後の教えを説くというところの理を聞き分け何処へ見に行ったでなし何習うたやなし女のところ入り込んで理をひろめるところよう聞き分けてくれと仰せられていますようにこのお道は中山みき様の知恵や力或いは修行をして悟りを開いたそういうところから始まった道ではありません親神様が何にも知らん女一人その女のとこだめろに入り込んで世界一れつがたすかる最後のみ教えをお開き下されたのであります世界中の人間をお創り下された親神様が元なるをやのいんねんをお持ち下される教祖に入り込んで直接をやの思いを子供である人間にお教え下されたのでありますこれをしっかり心に治めて通らせて頂くことが信仰の根本でありますしかし人間というものは割と疑い深いものでありまして教祖からお教え頂くことでも一つ一つそれが姿形になって或いは実証されないとなかなか信用できないもの信心することが出来ないのが人間でありますがひながたの中にご本席様の道すがらを以ってお示し頂く如く教祖を信じ切ってもたれきって通らせてもらう私達の信仰の有り様をお教え頂いております真っ正直に通るようにお促し下されているわけであります教祖を信じて心一つで陽気ぐらしが出来るこのひながたの道をひながた通り真正直に辿らせて頂いて陽気ぐらしの足取りを進めさせて頂くことが何よりも大切なことでありますご本席様の道すがらの中ではたすけてやろうたすけてやるけれども天理王命という神は初めての事なれば誠にする事難しかろうと仰せになり素直にをやのお心に従えばおたすけ頂くことをお諭し頂いておりますが更に神様はたすけてやろうと仰るに付き案じては行かんと重ね重ね素直に親神様を信じてお凭れして通るようお諭し下されているのであります私達の道の初代も皆多かれ少なかれこういう道を通って歩んで下さった一日があって今があるわけであります立教の元一日の私はおひながたから常に申すことでありますがおひながたは私達が辿らせて頂く手本ひながたでありますから立教の元一日の出来事も私達が通らせてもらう手本ひながたであります私はこれを私達の入信の元一日によく置き換えてお話しをさせて頂きまた私もその様に思案させて頂きながら通らせて頂いているのでありますがそれぞれに身上事情をおたすけ頂いた時の事お道にお引き寄せ頂いたことをご思案頂きたいと思いますが親神様はたすけ一条の御用の上に使いたいから身上事情に手引きをししるしを見せてお導き下さりお引き出し下さってお連れ通り下さったそれがこの立教の元一日と同じように悟らせて頂けるように思うのであります中山家の方はお三方それぞれに身上をお見せ頂かれたすけて頂きたい一心で神様にお願いをされるわけですがその願い出に対して神様のお言葉は先程お話し申したお言葉でありまして身上をたすけてやろうというお話しは出ておらないわけであります世界一れつをたすけるためにという親神様の思召しそのためにみきを神のやしろに貰い受けたいというお言葉であります無論旬刻限のお約束がありまた御現れ下さったその場所は人間宿仕込みの元なるぢばであります私達にとってみれば身上事情をおたすけ頂くそのお引き出しは皆たすけ一条の御用に使いたいそれぞれをよふぼくとしてたすけ一条の上にこれから立ち働いてもらいたいと親神様がお引き出し下さったことだと思わせて頂くのであります立教の元一日を祈念してつとめるお祭りの時には常にそうして自分たちの信仰の元一日を思案させて頂くとともにひいては立教の元一日また親神様が人間お創め下さった始まり出しの元一日に思案をしてしっかりその親心にお応えする道を心定めて通らせて頂くことこれが大祭をつとめることの意義だと思わせて頂くのでありますお互いに立教の元一日を思案させて頂きます時にそれぞれのお道を信仰を初めさせて頂いたこと我が自らのことを思案させて頂きながらそこに思召し頂く親神様の親心教祖のお心をしっかり思案させて頂いてそれにお応えする道を歩ませて頂くという事が一番大切な事だと申したいのであります三年千日と仕切ってつとめさせて頂いて参りました教祖の百二十年祭の活動もあと三ヶ月余り本当に最後の仕上げと申しますかそれこそ脇目も振らず最後の追い込みをさせて頂かねばならない最終段階に立ち至りました今年の春の大祭の時に真柱様はどうでも教祖にお喜び頂けるような成人の姿を御覧頂きたいと自ら心に定めそしてつとめて来たことをやり遂げることが出来るように仕上げというに相応しい一つ悔いのない通り方をして欲しいと仰せ頂きました今迄三年千日特に仕上げの年として本年のそれぞれの歩んできた道すがらを反省させて頂きながらしっかり最後の仕上げに向かって突き進ませて頂きたいこのように思わせて頂きます申し上げるまでもなく教祖の年祭をつとめさせて頂く根本は私たちお互いの成人その成人をお急き込み下さりお促し下さる上から教祖が定命を二十五年お縮めになって現身をお隠しになったことに由来するわけであります世界一れつをたすけるために一日も早く陽気ぐらしの世の様に立て替えてやろうと思召す親心から教祖はたすけ一条の道をおつけ下されましたおつとめを教え世界たすけの上にこのつとめの理によって陽気ぐらしに立て替えてやろうとお教え下されたおつとめこのおつとめを誰に気兼ねすることなく充分につとめさせて頂けるように教祖はして下さったんでありますまた誰はばかることなくにをいがけおたすけへ布教が出来るようにして下さった子供可愛い上からの教祖の親心これが二十五年先の定命を縮めて現身を隠された理由であります教祖の身上に異常を見せて切迫する身上を台にしてお仕込み下されたことはたすけ一条のつとめのお急き込みをお促し下さるとともにあらゆる人間思案を断ち切ってひたすら親神様を信じ親神様にもたれ切って通る神一条の通り方を厳しくお仕込み下されたのであります初代真柱様を芯にして先生方が真剣それこそ命がけでおつとめをつとめて下さったその様子などは御伝をお読み頂きますと詳しくお書き頂いておりますが仰せ通りにおつとめをつとめさせて頂いたきっと教祖は元気におなり下されてあると思われたであろう先生方でありましたがお姿をお隠しになったということつとめを無事終えてかんろだいのところから意気揚と引き上げて来られたご一同がお姿を隠されたということを聞いてみんなうわーと悲壮な声を上げて泣いただしわぶきけであとはもうしーんとなってしまった咳一つする者はなかったと御伝には書かれています全く立っている大地が砕け日月の光が消えてしまい世の中が真っ暗になったように感じたと当時の先生方の驚愕落胆された様子が述べられています官憲の迫害干渉の中命がけでおつとめをさせてもらうと教祖に直接御苦労をかけるその御苦労を思うとなかなかおつとめが出来なかったその中を決断をし命捨ててもという者だけそれぞれに真剣におつとめをされたその結果が現身を隠されるということになったわけであります嘆き悲しみだけでは事が進みません内蔵の二階で飯降伊蔵先生を通しておさしづを伺われるわけでありますがそれが有名なおさしづさあさあろっくの地にするという一連のお言葉であります事前に扉を開いて地を均らそうか扉を閉まりて地を均らそうかと神様からお問いかけ頂いた事に対して扉を開いてろくぢに均らし下されたいと閉めるより開けていた方が明るい陽気な感じがするところからそのようにお答えなされた先生方のお気持ちもよくわかるのでありますがまさか扉を開くというそう仰せ下さることが教祖が現身をお隠し下されることを意味しているとはお思いにならなかった当時の先生方親神様はその返事をお聞き届け下さり心通りの守護をなされたのでありますしかしこのことによって見せられた姿は親神様の思召とは大きな隔たりがあったんでありますこの隔たりが言わば二十五年先の定命を縮めて現身を隠される結果に結びついたと思案させて頂くのであります子供可愛い親心ならではのお心配りで子供の成人を促されるとともに現身を隠されることによっておつとめをつとめることに踏み切れなかったその原因を取り除いて下さった今からいよいよ世界を駆け巡ってたすけをするしっかり見ていよ今までとこれから先とどう違うて来るかしっかり見ていよさあこれまで子供にやりたいものもあったなれども思うように授けることが出来なかったこれから先段に理が渡そうとおさしづにお書き下されてありますがひろくさづけの理をお渡し下されるとともに積極的な世界だすけの道たすけ一条の道の展開をお促し下されたものと思案させて頂くのであります教祖は現身をお隠しなされましたがお魂は元の屋敷にお止まり下さってご存命のまま世界一れつのたすけにおはたらき下されているのでありますこれが教祖年祭の元一日の出来事であります現身を隠されるということについては親神様は前もっておふでさきでいろいろとお記しになりつとめの模様立てを整えていかれるとともに仕切って神一条のつとめ方を厳しくお仕込み下さっています以前にも此処でお話しを申したと思うんですがお姿を隠される十三年前明治七年に十一に九がなくなりてしんわすれ正月廿六日をまつ三号このあいだしんもつきくるよくハすれにんぢうそろふてつとめこしらゑ三号とこのようにおふでさきに教祖が現身をお隠しになることをご予言下さっているのであります教祖を目標に社会の迫害が段段激しくなるそういうところから道が遅れる教祖は二十五年のご寿命をお縮めになり姿をお隠し下され世間の圧迫を少なくして道をひろめる模様立てをするそれまでに真柱も定まりかんろだいも建設されるから皆皆の心を澄まして早く人衆揃うてつとめごしらえに取り掛かるようにせよとお諭しになったんであります私はこのおふでさきをお書き下された明治七年教祖七十七才の御時に執筆されたお歌でございますがこの明治七年という年は本当に本教にとって大変重要な事柄があった年であります真柱を早く定めるようにと急き込まれまたかねてから教祖の里方の兄に当たられます前川杏助様にかぐら面の制作を依頼なされていましたがそれが出来上がってかぐら面をお迎えに出られたりまたその出来上がったかぐら面を付けてかぐらてをどりをおつとめ下さり毎日毎夜おつとめの稽古がなされるなど着とつとめの模様立てが進められていた時でありますそんな時に教祖は仲田儀三郎さんという先生と松尾市兵衞先生この両名に命じて大和神社へ行きどういう神でござると尋ねておいでとお使いに出しておられるんでありますまさにこの時から教祖は直積極的な高山布教をお打ち出し下さり教祖御自らその先頭にお立ち下されているのでありますここから教祖の御苦労が始まるんであります神職に対して教祖は学問にない古い九億九万六千年間のことを世界へ教えたいと仰せられまた山村御殿の節にあっては親神にとっては世界中は皆我が子一れつを一人も余さずたすけたいのやと仰せられて教祖を自ら積極的に高山へ布教にお出まし下さるとともにこの年の十二月には御自ら月日のやしろであることを厳然とお示し下さる上から赤衣をお召しになった赤衣をお召しになるとともにその赤衣のお召し下ろしをお下げ下さって証拠守りとしてひろく人にお渡し下されるようになり更にはさづけの理をもお渡し下されたのであります年が明けると明治八年はそれこそかんろだいのぢば定めがなされ一層つとめの完成と成人を促されてお急き込み下されるのでありますそうした時に教祖は重大な時旬の迫っていることをおふでさきを以って予めお教えになり人にそれこそ日限を切って仕切って厳しくつとめ一条神一条の道の通り方をお仕込み下されているのでありますそして二十五年先の定命をお縮め下さり現身を隠されて誰に気兼ねなくおつとめが出来るように誰はばかることなくにをいがけおたすけ布教の出来るようにして下され子供可愛い一条の親心この親心を思案させて頂きますと何としてでも教祖にお喜び頂きご安心頂けるようにお互いが成人させて頂くことこれが教祖の年祭をつとめさせて頂く私達の心であるこのように思案させて頂くのであります教祖の年祭はつとめさせてもらわずにはおれない私達道の子のをやを慕う報恩の真心をもってつとめさせて頂くのでありますその年祭活動も今年はもう二ヶ月ちょっと一月二十六日までというても三ヶ月ということになってしまったわけですがそれぞれに三年千日出発に当たって定めた心定めそれぞれに定めたとおり御守護頂いてお連れ通り頂いているかどうかついつい惰性に流れてしもうて心定めとは程遠い結果になってしまっているということにはなっていないでしょうか心定めは誰でもその気になったら定めることが出来ますがそれを定めたとおりに御守護頂くその心定めを守り通すということが難しいんでありますその定めた内容の如何を問わず仕切る期間が長ければ長い程その達成を目指して思い念じて通りきるということはなかなか難しい教祖の年祭活動三年千日と仕切らせて頂いておりますがこの三年千日という仕切方は教祖の五年祭を前にした刻限のおさしづでお示し頂いているのであります口に言われん筆に書き尽くせん道を通りて来たなれども千年も二千年も通りたのやない僅か五十年五十年の間の道をまあ五十年も三十年も通れと言えば行こうまい二十年も十年も通れと言うのやないまあ十年の中の三つや三日の間の道を通ればよいのや僅か千日の道を通れと言うのや千日の道が難しいのやひながたの道より道がないでなにほど急いたとて急いたとていかせんでひながたの道より道ないでと仰せ頂くのであります陽気ぐらしへお導き頂くたすけ一条の道というのは教祖のおひながたを辿らせて頂く以外に外には道はないということをお教え頂くとともにそのひながたの道を五十年も三十年も通れと仰るんではなしに三年千日通ればよいと仰せになるんでありますその三年千日の道を通ることが難しい十年の中の三つ三日の間の道を通ればよいと仰せですが教祖のお通り下された五十年のおひながたを思いますと三年千日はほん三日ぐらいのものだからしっかりひながたの道を通りなさいとお諭し下されているように思案させて頂くのであります百二十年祭は諭達でお示し頂きますとおり人をたすける心の涵養と実践と仰せになります具体的なその行動はにをいがけおたすけでありますにをいがけおたすけ年祭活動の今だからこそ全よふぼくがにをいがけおたすけを心掛けて貰いたいとも仰せられにをいがけおたすけは本当にそれぞれがたすかって貰いたいたすかって頂きたいという誠真実が台となるだからそれは私達の日頃の心使い通り方に依るそれ故日教えに基づく生き方を私達自身がしっかり心掛けて積み重ねて通らせて貰うという事が大切だということをお諭し頂いていますそれでこの諭達を体してそれぞれに心定めをさせて頂きました日参を心定めした方もおられましょうまた手ぶらで日参よりも日の理をもってお供えさせて頂き日運ばせて貰おうとつくしはこびを心定められた方もおられましょうまた教会の月次祭は欠かさず参拝させて頂こう或いは毎日十二下りのておどりをさせて貰おうとかおつとめをしっかり覚えさせて貰おう或いは今までにをいがけなんか行ったことないけれども一つチラシをにをいがけ用のチラシをせめてポストへ入れさせて貰おうと月決めて部数を決めてチラシ配りを心定められた方もおられましょうまた毎日おさづけを取り次がせて貰おうと三年千日心定められた方もあると思います心定めはそれぞれに違われましょうとも教祖にお喜び頂きたい教祖に受け取って頂けるような少しでも自分の成人した姿それを御覧頂きたいという心はみんな同じであります自らの惰性や怠慢で心定めが滞らないように旬の理を頂いて一つ勇みに勇んで三年千日の仕上げに取り掛からせて頂きたいと思うのであります特に年祭では私は今までにないつくしはこびも大きく心定めて一つ運ばせて頂きたいこのように思案させて頂く者の一人でありますが別席のお話の中にこの道は若きも年寄りも男女の隔てはありません尽くした理はつんであります尽くす理運ぶ理によっていんねんの理も切って下さるんでありますからこれから先は教祖のお通り下された五十年の間の道筋道すがらいかな理もよく聞き分けてその足跡を踏んで通り教えを聞いては日変わらぬように心を定め理を守り道のため誠の心を奮い起こしてこうのうを積み重ね人の為に苦しむは後の楽しみ我が身のいんねんの上から苦しんでいるのと違って人のために苦しむは後の楽しみづつなき事あれば節と思うがよろしい節から良き芽が吹き楽しみの道みえてくるんでありますとこうお取り次ぎ頂いているんですがいんねんなら通らなきゃならん果たさなきゃならん道を教祖百二十年祭という旬の理を頂いて全てをお互いに出し切って尽くし切って一つ教祖にお喜び頂けるような成人の姿を御守護頂きたいこのように思わせて頂くのであります仕上げの年も三ヶ月を残すのみとなりましたが一つお互いにどうでもという精神をもって仕上げの年を悔いなくつとめさせて頂いて年祭の年には教祖によう頑張ったなあと言うて頂ける様につとめ切らせて貰いたいまたこの三年千日しっかりにをいがけおたすけにはたらかせてもらったその結果が一年間おぢばを賑やかにさせて貰おうと仰せ頂きますが教祖にお勇み頂ける様な姿に結びつきますよう一つしっかりつとめさせて頂きたいこのことをお互いにお誓い申し上げて本日の私のお話しを終わらせて頂きたいと思いますご静聴頂きまして有難うございました以上要約人間はなんのために生きている私たち人間はなんのために生まれなんのために生きているのでしょうか科学文明が考古学がかなり人間のなんたるかを明らかにしてくれましたしかしどうしてもわからないことがあります人間はいったいだれが何のためにつくったのかということ親なる神親神が人間をつくりその陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいという言葉に尽きます陽気ぐらしは人みんなが励まし合いたすけ合いをする世界みんなの願いは一人ひとりの心がけから天理教ホームページより本部女子青年大会天理教婦人会主催の第二十四回女子青年大会は本年九月から十一月にかけて国内四十七会場国外十一会場であふれるご守護に感謝して笑顔で喜び伝えようをテーマに開催されました教祖百二十年祭の年はおぢばがえりをする人達で毎日賑やかになるようにつとめてもらいたいという真柱様のお心に添わせて頂きたい上から本会では今回の大会はおぢばではなく女子青年のみなさんがもれなく参加できるよう各地域で開催して頂きました年祭には少しでも成人した姿で一人でも多くの友とおぢばへ帰ることを決意し奮起する大会にしたいとの婦人会長様のお思いもございます大会が目的ではなく私達の身の回りにあふれる親神様のご守護に感謝して女子青年活動のかどめを実行し親神様教祖にお喜び頂けるように成人させて頂きましょう又教祖のひながたを手本に優しく温かく何があっても心倒さず喜びに変えていく強さと明るさ人をたすける心をもつ女性へと育つ努力をする決意をもってこれからも歩んで下さいと心にしみるメッセージを頂きました大会の内容はビデオ上映式典記念講演親睦会とまたたく間に時は流れどの会場も女子青年が中心となり心を合わせてひとつく創意工夫しこの大会を迎えました又女子青年のあゆみ発表会感話に感動し涙する場面もありました教祖百二十年祭帰ろうぢばへおやさとへと心誓いあい閉会しました女子青年担当者岡﨑豊子これからの生き方私はこの年間布教所で育ちました信仰のきっかけは両親や祖母の信仰からですしかし私にとっておつとめはほぼ強制的な義務でしかありませんでした口には出しませんが何の意味があってこんなことをしなくてはならないのかと常に思っていた時期もありましたまた親神様教祖を恐怖に感じることもありましたそれは親におつとめや月次祭をさぼると怪我をしたり病気になると言われたら本当にその通りになる時があったからですその時はなんて恐ろしい宗教だと感じていましたそんな考えを変えるきっかけになったのは今回参加させていただいた女子青年大会ですお話も感動したのですが私は当日受け取ったパンフレットに深く感動したと同時に今後の生き方について考えさせられました私は両親からたくさんの愛情をもらって育ててもらったにも関わらずわがままで意地っ張りで毒舌ただからと開き直り平気で人を傷つけてしまう言葉を言うような性格です特に自分の嫌いなところはないものねだりな性格でしたその考えを変えたのは今回の女子青年大会で頂いたパンフレット小さな種の物語に記されていた無いものばかり数えるのではなく有るものを数えなさいという言葉です両親がいて兄弟がいて安心して寝られる家があって食べ物があって日当たり前のことに思えるすべてのものに感謝をして生きるこれが私の今後の生き方だと気付きましたまたネガティブ思考の私にとって親神様はどんな時もその人にとって一番いいようにしてくださっている目先の小さいことにとらわれずに親神様がつけてくださった大きな道を歩いていけばいいという文も心に響きましたどんなにつらい時や道に迷ったときも親神様教祖が見守ってくださっている導いてくださると思えるようになり私にとって心の支えとなりとても楽になることができましたつらいときや悲しいときは神殿に行っておつとめをするととても楽になれるのです今一番考えていることはどうしたら一般の方にお道を分かりやすく伝えることができるかです天理教を信仰していない人にいきなりこの体は神様からの借り物だひのきしんをしたら徳をつめるなどと言っても嫌な顔をされるかそんなことあるわけがないと信じてもらえないのが大半だと思います実際友人がそうだったからです今の時点では今まで親神様教祖のご守護をいただいた経験を話すことが一番伝わりやすいと考えています以前母親が死んでもおかしくない事故にあった際助けていただいたこと私が交通事故に遭う前にお守りをなくし事故後ぼろぼろになったお守りを兄が拾った事これら親神様教祖がお守りくださったことを話した上でおみちのお話ができたらと考えてます今後は一人でも多くの方におぢばに帰ってもらえるようによふぼくとしてがんばっていこうと思います女性としての徳分福満分教会福島佑佳この女子青年大会は前から母にしつこく勧められまあ仕方がない教会の娘だししばらくの間辛抱してこようかというのが正直な気持ちでしたビデオでは働きながらにをいがけに出る人仕事を辞めて教会のひのきしんに精を出す人等画面に映る人たちの瞳は生き生きと輝いていたのが印象的でした講話の中では女性の徳分というのが心に残っています天理教ってなんか女の人が損をする様な女だからこうしなければならないという様な物の考え方をすると思っていましたしかしこの大会が終わる頃には女性であることの素晴しさ喜びを感じることができました私は友達も多く人からも好かれていると思っていましたがもっともっと心を使うことで周りの人達を明るく和やかにすることができると思いましたテキストの中に私の好きなお道のことばが掲げられていましたこの中でもよっしゃんえ女はな一に愛想と言うてな何事にもはいと言うて明るい返事をするのが第一やでというお言葉は私のこれからの目標にしたいと思います笑顔で素直にはいと言う姿は誰が見ても女性らしい姿だと思えるからです心の向きを変えたら弓ヶ濱分教会森川歩十月三十日に鳥取教務支庁で開催された女子青年大会に参加させて頂きました晴天に恵まれ多くの参加者のもと始まった大会では午前中にビデオ上映婦人会長様のお言葉記念講話があり女子青年としての通り方をわかり易く教えて頂きました会場にはあふれるご守護に感謝して笑顔で喜び伝えようと大きく掲示してありその言葉に目をやる度に今の私に足りない事だなあとしみじみと感じていました午後からはお楽しみ行事ということでダンスやゲームで女子青年同士の親睦を深めましたこの度の大会が地元で開催されるということでスタッフの方達は準備で忙しい合間をぬって出し物のダンスの練習をしていたと聞き頭が下がる思いです私は結婚式場に勤めている為土日に休みをとるのが難しくそれを理由に日頃から天理教の行事には参加していませんでしたこの度の大会も開催日を聞いた時点で婚礼シーズンの十月の日曜なんて絶対無理と休みをとる為の交渉をせず最初から諦めていましたしかし九月のある日支部の委員長さんから自分の都合をお供えしてなんとか参加してください私も最後の御用と思って一生懸命準備を頑張ってますというメールを貰い今迄の考え方を深く反省しました早速神様に絶対女子青年大会に参加させて頂きたいですとお願いし上司と交渉するとその日だけは組も結婚式が入っておらず休みを貰う事が出来ました自分の心の向きを神様が喜こんで下さる方向へ変えるといいように働いて下さるんだなあと感動しましたしかもそれからすぐに以前から天理にお誘いしていた人が行くと心が落ち着くという場所がどんなとこか行ってみたいと自分から言ってくれましたその人は私の人生で初めての天理教を知らない人へのおさづけを取り次がせてくれた人だったので快くおぢばがえりえりを約束してくれたというのは本当に嬉しい事で大きな喜びでしたそんな中での参加だったので聞かせて頂いたお言葉を以前の自分よりは素直に心に治める事ができた気がします大会の締めくくりで来年は一人でも多くの友とおぢばへ帰らせて頂きましょうとのお言葉がありそのお言葉を聞いた時何人かの顔が浮かんできました来年はその方達とおぢばがえりをさせて頂けるように頑張りたいと思います本部青年会総会荒木棟梁の使命に燃えよう福東分教会藤井保人去る月日晴天の御守護の下第回青年会総会が本部中庭にて開催されました我が分会も会旗を先頭に一時間程前に入場受付けを済ませ記念品を片手にまだ空席の目立つパイプイスが広がる中壇上正面という絶好の場所を与えて頂き静かに時を待ちましたそうした中ふと隣の方に目を向けますとテープレコーダーを横に携えて参加されている姿に何かしら心を打たれる思いがしました多分来れない会員さんに何とか親の思いを届けたいという心がそうさせるのだろうかと考えました時私との意識の差に始まる前にして感動と反省を受けましたその後定刻通り式典が進み真柱様よりお言葉を頂戴しましたその中で日ごろ信念を持って通っていて自分は間違いないと思っていても神様の思いとの間にずれが生じる時がある親神様はそれを知らせるために節を見せて下さるその時に謙虚に反省し反省の上にさらなる実践を心掛けてこそ心の成人が一歩進むとお述べ下さり改めて節に対する親の思召心構え通り方を反省させて貰いました日に現われてくる節において大きいものもあれば小さいものもあると思いますが全ては神様の計らいであると悟らせて頂いたならば些細な事にでも親の思いを温ねることが大切であると思うのですあらきとうりょうと自負するお互いはどんな節に出会いましても乗り越えるだけの若さと情熱を兼備えているのですから燃えてその本分を発揮したとえ不完全燃焼であっても力を出し切る努力を重ね切磋琢磨しながらまずは三ヶ月後に迎えます教祖の年祭へ進みたいと思います笠岡分会におきましては来年の総会に一教会が二名以上の方を御守護頂こうと心を定めさせて頂きましたので年祭の動きと合せて取り組んでまいりたいと思いますまた本部総会におきまして遠近を問わず多忙の中御参集下さいました方へ心より感謝申し上げますありがとうございました理によって海松ヶ岡分教会森本正典青年会笠岡分会の第一陣が秋季大祭及び青年会本部総会へ向けて出発した他の分会がどれだけ実動するのか気になる思いを抑えながらの車中色な事が頭に浮かんでは消えた私は笠岡分会の一員として委員長の思いにどれ位添わせて頂けたのか本部の想いにどれ程応える事が出来たのか教祖年祭目前の今実動という名の数字にばかり気を取られ理によって親神様にお働き頂く事を忘れていなかったのか批判を恐れていなかったのかなどとさまざまな角度から自分に求めたおぢばに着く頃にはではない自分が大いにカラ回りしていた大祭は大勢の唱和で本部中が沸き立ち神殿からは人が溢れている人は皆笑顔まるで念願かなっておぢばへとたどりついたかのようだ我は一旦詰所へ返り実動につなぐべく笠岡分会委員長と数名の委員でお願いづとめへと本部に向かったそこにはおびただしい数の青年会員がひしめきあっていた平日だと言うのに世界中から集まった人そんな中歳は代後半だろうか四五人がひさしぶりやなあと話していた会話の中にお前仕事休んで大丈夫かおおもちろんクビも覚悟の上じゃこの旬に神さんの御用でクビなら因縁も切れる最高じゃと私は涙が込み上げて仕方なかった日は明けて総会に一番乗りを目指す笠岡分会は開始時間前に出発した聞けばおよそ名もの参加中には会員の手本にといくつかの教会の会長様の参加もあったむろん婦人会及び年配の方の参加も含む私が思うにこの身どうなってでもとおぢばに帰った人も数多く有ると思いました共通して言えるのは出きる理由をさがし出きない理由をさがさない人達だと言う事とにかく旬におぢばへ帰りたいと願うその理によって状況が変わっていくと言う事を教えられたような気がしますそしてならん中皆さんに行事参加の声かけに全力を尽くした委員長の理によってこれからの青年会がますます元気にますます熱くなってゆくのだと感じました各教会につながる青年会員が少なくなっているという事を良く耳にしますが反対にどんどんと増えている教会も笠岡の中には実在するのですきっと会長様の理によって心どおりに現われているのだと思います自分が上級へ日参をすれば理の子も教会へと運ぶはずですし行事に自ずと参加すれば自教会の行事も大勢の人で賑わう事でしょう先ず自分が成らん中勇んで通る事が大切だと思わせて頂けた今回の総会に私も参加する事ができたのが何よりも親神様からの御褒美であったと感じています本当にありがとうございましたひのきしん稲倉分教会藤井和子今夏こどもおぢばがえりに孫と一緒に帰らせて頂きました途中から岡山教区チャレンジ広場のひのきしんも兼ねてでしたがその時笠岡詰所で会長様より修養科を考えておいて下さいと言われましたがお話をお聞きしてもそうだなぁー退職もしたし天理教の信仰も勧められるまゝについてしているだけで自分からこれといって進んで何もした事もなくせいぜいパンフレット配りとかひのきしんとかで本当に信仰は何だろうとは思っていました五日間の真夏の一日立ってするお茶所は夕方になると足がすごくだるく明日は歩いて現場にたどり着くだろうかと心配して寝るものの次の日は何事もなく起きれ早朝の神殿参拝もすんなり出来おぢばは不思議な所だと思いましたと申しますのもこちらに来るまで腰痛があり不安でしたひのきしんを終えて家に帰って三日間経った日ふと私も修養科へ行ってみようという気になりおぢばに帰って神様にもたれて通らせて頂けば三ヶ月はあっという間ではないかお手ふりもみかぐらうたも出来ないし修養科へ入れば完璧に習得出来るという思いからです九月七七三期で修養科生とならせて頂きました最初に頂きましたおためしは組係でしたどんな方達がいるのか心配でしたがこのおぢばへ寄せられるいんねん天理教という言葉を聞いて自分で入学している人と思うと意外に気分は落ちつきました修養科生活は教理の勉強とひのきしん授業教室は下見に行き皆さんに迷惑がかからないように汗をかきながらの一ヶ月が過ぎましたその一ヶ月も教養掛の先生詰所の方笠岡の修養科生に助けられ二ヶ月も過ぎようとしております教室での感話も一回は済みましたその感話も一番組係なのではい一番さんと担任の先生からでも意外なのですこんなに人前で話すのが苦手な私なのに教壇に立つと皆様の顔がはっきり見え思っている事がすらすらと話せたのですとても嬉しかったですこのおぢばで色と御守護頂いております朝もやの中で午前の神殿掃除を終え神殿での朝づとめの日は一日中爽やかでしたこの三ヶ月一生懸命修養させて頂き特に手をどりを覚えたいです修了させて頂きましたらしっかり教会に運ばせて頂き陽気に細でも後に続く信仰を考えております只私は修養科は若い時の方が良いなと思わせて頂きます一歩前進の時福芦分教会藤原徳美特発性喀血症最初に喀血したのが三年前の七月の末のこと出血した箇所が胸部と云うことで専門病院え入院結核菌は無いものの結核患者に準じた治療を受け七十日ほどで退院しその後は一年目が一ヶ月に一度その後は三ヶ月に一度の割合いで検診に行き今年も一月の中旬検診を受け異状なしとの結果で安心していたところ一月の下旬前回と全く同じように喀血土曜日の深夜と云う事もあり病院を二転三転しようやく専門病院え運ばれたもののその時すでに私の片方の肺は機能していないとの医師の説明があり治療方法など話してる間に私は意識はなくなり一週間ほどは呼吸器に助けてもらい今回と充分でなかった前回の傷の処置をしていただき改めて肺に酸素を送ると二日ほどで元の肺に復活しその後は動脈から造影剤を入れ肺の血管の中側から特殊な薬で破れた血管をふさぐ手術をしていただきあと三日の命と云われ乍ら思いのほか回復が早く今は元の体にもどりおぢばの土を踏ませてもらっています病院のベッドで一人思いめぐらせている時妻がもう仕事の事は考えないでおぢばに三ヶ月帰らせてもらったらと私自身も今の仕事をどう区切りを付けるかその時一度は修養科えとの思いはもっており今が良い機会と思い体力的にどうかと気に成っていましたがすでに三ヶ月の半分が過ぎようとしております修養科のクラス四十名ほどですが年令は七十過ぎから二十才の若者まで親子孫とちがいますが和気あいあいと楽しく過ごしており特に若い人の先輩に対する態度が素晴らしくとかく今の若者はなどと云いますが見直しています又若いから積極的に身上者の方入院された方等へのおねがいづとめなどと時にはなごやかに時には真剣な毎日です私も先輩の方方からは豊富な知識を又若い人からはあのあまりあるエネルギーをもらい乍ら教祖百二十年祭最後の年におぢばに帰らせていただいたよろこびを心にきざみながら感謝慎みたすけ合いの心で頑張って行きます談話室にをいがけおたすけ実修会報告川島郷分教会長香取雅人ある晴れた秋の日髙屋分教会で開催されたにをいがけおたすけ実修会に参加させていただきました教会の玄関では元気な少年会員達が鼓笛の練習に勤しんでいましたそうか今日は日曜日だったなあと思いつつ参拝場に入ると突然軽快な音楽が流れてきましたとても楽しく踊りだしたくなるような曲で今日は幸先が良いと嬉しくなりました鼓笛隊の育成係の先生に伺うとペコリナイトという曲で来年のある大会を目指してキネヅカ隊が秘密練習を行っているのだと人差し指を口の前に立てながら内緒で教えて下さいましたさて実修会はにをいがけドリルを参考にして進行させていただきましたこのにをいがけドリルを採用しますと私のような未熟なものでも比較的円滑にまた楽しくプログラムを進めていくことが出来るので大変重宝しておりますましてや参加者がとても熱心な方ばかりで反応が鋭く真剣に聞いてくださったので非常にしゃべりやすく与えられた時間が驚くほど早く過ぎてしまいましたプログラムは簡単な導入からにをいがけ用のワークへと進み短い講話をさせていただいた後勇んで戸別訪問に出発いたしました当日は晴天に恵まれ実修会に参加された大勢の方と共に大変気持ち良くにをいがけに歩かせていただきました髙屋分教会では其の方が担当の地域を決め責任を持ってにをいがけに回らせていただいているということで私が戸別訪問した地域は普段は教会の役員先生が担当されている所でしたしたがいましてどのお宅を訪問させていただいても非常に気持ちよく応対して下さり中には有難うございますとお礼を言って下さる方もあり戸惑うほどでしたにをいがけ後のふりかえりにおきましても参加された方が具体的に実働の様子をお話下さり大変有意義でしたやはり旬の動き親の思いに素直に添わせていただこうというところに親神様教祖からの大きな追い風のご守護を頂戴していると感じざるを得ませんでした私どもの教会でもこの時旬の大きなうねりに乗せていただけるよう地道な日の活動ときめ細かな丹精を心掛けて行きたいと改めて思わせていただきました結婚神村分教会前会長下田輝夫見合いから二十三日目の挙式貰う方はともかく来てくれるイヤ来て下さる方は大変だったと思う式当日教会に入る花嫁姿を垣間見て初めて顔を見たのであるも少しキレイだと思っていたのに面喰いの因縁が思わず頭を過ぎるマテマテ因縁に引きずられては絶対駄目神様が丁度良いと結んで下さった縁であるこれを大切にしなければとこの時固く心に誓った我乍らよくそんな気持になったものと感心しているそれはさておき好天に恵まれ式は順調に進んだ話は又横道にそれますが私は小学校五年生の頃から白髪が有った自分には見えないので気にした事はない所が天理高校生の時月次祭の後今の綜合案内所から少し南に出た辺りで女の先生がお話をして居られた木船さんと二人で聞いていたら若くして白髪の多い人は色情因縁の濃い人だと云われ私は思わず周囲を見廻した誰か私の頭を見ていないかと幸い誰も見ていなかったもののその言葉は五十余年過ぎた今でも昨日の如く脳裏に焼付いている又柳井徳次郎先生からは金銭の間違いはともかく色情の間違いは許すに許されんと神様が仰言ると聞かして頂き修養科では見るも因縁聞くも因縁とよく聞かして頂いた高校を卒業してすぐ修養科に入り修了して家に帰って二ヶ月も過ぎぬ時に次兄が色情の間違いから大きな事情を起したまじめな兄がそんな事は絶対にしないと信じていたのに矢張り男である因縁のなせる事と思うが同じ職場の女と関係を持ち傷つけた侭其後職場をかわり後に他の女性と結婚して二児の父となったそこえ其の女が入れ墨をした男を連れて来て今で云う慰謝料の請求であるトテツもない金額を請求し金が出来る迄帰らぬと居坐った其の時の母の心配父は出直していないする姿を見た時兄貴の奴何テ事をしたんだと思うと共に色情の間違いの恐さと云うものが骨の髄までしみ込む思いがした見るも聞くも因縁私にもこんな事をする種がある事を神様は見せて下さったと思い親に心配をかける様な事は絶対してはいけないとこの時つくぐ思った若しこの事態を見ていなかったら私も同じ様な事をしでかして居たかも知れない大きな事情も見ず神様のお話も聞いていなかったら今迄どんな事をしているか知れたものではないこう見えても若い頃は女性に好かれた方である自惚れではなく因縁が色と誘惑をしたのだろうと思うがそれに負ける事なくバカ真面目に過せたのは神様のお話を聞いていたのと木船さんのお蔭である彼の真面目な姿が私の心に勇気を与えてくれたのである人間は真面目が一番神様に認めて頂く事が肝腎であるそんな事でまじめで女の肌にふれた事のない私が結婚して晴れて女に接する事が出来るのであるその楽しみや如何に以下次回に内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さいをや心松都分教会須山克子誌編集掛より温故知新の命題で執筆の依頼を受けどうしたものかと思案にくれましたが私の教会の初代会長様よりお育て頂いた三十五年間の忘れ得ぬお仕込みの数を書かさせて頂くことにいたしました私は女学校三年生の時学校の先生の結核が生徒に集団感染し肺結核の身上となり昭和十八年修養科に入らせて頂きましたが修了して帰っても体調はすっきりせず休んでいました当時は戦時中にて医師は殆んど軍医として出征し残る医師は老令の先生ばかりで夕方になると往診にこられヤトコニンという注射をして頂くのみでした初代会長様は毎日お助けに運んで下さって寝てばかりいても身上はよくならん人を助けさせて頂いてこそ我身は助かるのだと云われ朝九時になると家へこられ私を床からひっぱり起こしてお助けにつれて歩かれましたある結核の人の所へ毎日運ばれおさづけされる時は私は室の隅で頭を下げてお祈りしていました帰る道中あんたは本当に助かって頂くように祈っていたのか替えた便器はそのまゝにしてあるし室は臭いし早く逃げたいとばかり思って唯頭を下げていたばかりではないのか明日からわしはこゝへは運ばんからあんた一人でおたすけに運べ枕許の痰壺の痰をぐっと飲む気持になったら自分の肺病は助かるのだと云われ翌日から一人で運ばせて頂くことになりおさづけ取次の後みかぐらうたを一緒にとなえ何日もそのまゝになっている髪をといて母親が下から持って来られた食事をお話をしながら口に入れてあげたりしていました食事が終わったらあなたも食べてくれと持って来られたけど箸を忘れたので病人が今食べた箸で食べてくれと云われ当時の私にはとても出来ない事だけれどそれでも神様がためされるのだと頂戴させて頂きました三人の幼い子供達がトイレを使ったあとはとても見るに見られぬ状態でしたが私は毎日トイレ掃除をさせて頂いて帰りましたが私の性格として石鹸で手を何度洗っても気がすまないのに手を洗わなくても何ともなく夕方には医師が私の往診にこられるのでねまきに着替えて床に入っていました医師は動いてはいけないよ今が一番大切な時だからと云って帰られるけど毎日がこのような生活でした然し家へ帰ると熱が出て苦しむ私はいくら注射しても直らず会長様がこられておさづけをして下さるとよくなるそれで会長様は教会に住み込んで人助けに歩かないと助からん人だと云って教会今の教会のことへつれて帰られるとうそのように元気になるそれを何度もくり返すうちとうく自宅で大変苦しみ会長様は生きてさえおればいつでも親子は会えると云って教会へ連れて帰られました六畳一間の当時の教会の長屋の家には食べる物はありませんでした夜背中の苦しい所を柱の角でグッと押えて目をつむっていた時ガラッと戸があいて二人のおばあさんが入ってこられました一人は大教会の淺野弥三郎先生の奥様一人は米府の初代会長様の奥様三代マス様でした米府から村尾ミヤさん松都の初代会長様が松江へ単独布教に出たとの事そこへ行って見たいと淺野先生の奥様がおっしゃって島根分教会へ行かれた帰途お寄り下さったのですその時私が苦しそうに柱にすがっている姿を見られて自分の胸を押えられあゝあんたはこゝの病気ですね必ず助かる道を教えてあげるとおっしゃったお云葉それは今でもあのお声ははっきりと聞こえてきます理の親さまがコップにどぶ水を一ぱいくんできてこれをのみなさいと云われたら有難うございますとそのどぶ水をのむのですよそしたらあなたの身上はすっきりと直るのです分りましたかと云ってお帰りになりましたお茶を差し上げるにもお茶も湯呑茶碗もないたった六畳一間の部屋昭和十八年のあの時の光景は忘れる事が出来ませんそれ以後私はあのお云葉を事ある毎に思い起こして通らせて頂きました長い年月になりますと元一日を忘れていつのまにやらわがまゝな心が出てきますが私にとっては宝にひとしい有難いお言葉です山陰地方は山陽と比べて随分雪が多いと思います終戦頃は長靴は配給で運のいゝ人でないと履く事は出来ず下駄に手作りの緒を作って履いていたから鼻緒が切れて足袋はだしで歩いた事も度でした朝お助けに出かける時会長様はお前の家の前を通っても必ず入る事はならん家をちょっとでも見る事もならんまっすぐ前を見て歩けと云っておられたので私は家の前を通っても入った事はありません今でも教会のすぐ近くにポストがありますが私が家の近くを匂いがけに歩いていた時丁度母が郵便を入れる為外に出たら私が下駄をぶら下げて足袋はだしで雪の中を歩いているので驚いて呼び止めようと思ったが娘は家も見ずまっすぐに行ってしまったあゝこれは会長様の仕込を素直に聞いて実行しているのだと思ったら涙が出て私の姿が見えなくなる迄両手を合わせて拝んでいたという事をあとから聞きましたその時はそのまゝ片原町という所迄行ってそこで写真屋のおばあさんが身上だと聞き匂いがかゝり以後長らく運ばせて頂きましたその帰途大工さんが屋根から落ちて医師が往診に行っている家へ匂いがかゝり夜になって帰りました今日は二軒匂いがかゝってうれしく思い私達の布教の家へ帰ったら初代会長様から今迄どこに居ったかあれ程須山の家へ寄ったらいけんと云ったのに今迄ごはんをよばれて寝て帰ったのかと大変叱られそんななまけ者は上へ上る事はならんもう一軒匂いをかけてこいと云われたので教祖のおともをさせて頂きますと云い乍ら空襲警報発令の中を外へ飛び出した事もあります父は時教会へ来てみれば食事をしていない事も分ります毎月会長様と私の二人分の食費を会長様にお渡ししていました父が帰るとお前の父親はばか者だ神様より我子が可愛いゝのかこれを食わせれば飲んで食ってチョンだ何も残らんお前さんが一生食うに困らんように上級へお供えしてくると云われて上級へ運ばれる会長様父親が差し上げたまとまったお金を持って行かれる会長様の嬉しそうな姿私は親に翌日から又ひもじい思いをすることなどは一度も云った事はありません私はおなかがすいて起きられなくなった事がありましたするとどこからかみかぐらうたが聞こえてきましたよく聞くと会長様の声ですみかぐらうたを口ずさみながら何か仕事をしておられたのです私はその声を聞いて元気が出ました会長様は神様のような方だと思いましたあれから年月がたって私も今は早や八十才が目の前となり今は初代会長様の後継者としてつとめさせて頂いておりますが人様は私がだんく前会長様に似てくると云われますがとても前会長様のような心で人様を育てさせて頂く事は出来ません初代会長様は私にあんたの世話にはならんと何度も云われたけれど御身上になられたら私の名前を呼び続けて食事を口の中へ入れるのでも下着を替えるのでも私でないと人様には一切させられずそれこそ前生の本当の親子かと思いましたどんなむごい云葉を出しても信者さんがよろこんで受取って下さるような親になりたいものと思わせて頂きますおわりこころの詩養徳社発行陽気誌十一月号道柳より転載今回の課題は着選五十五句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠芳阪布教所長杉原幹夫着座して教祖お出まし待つ廊下佳詠芳井分教会長夫人佐藤香苗紋服の試着を了えて明日地場へ地場へ命運ばん一おやさまを親と仰ぎてそして神と仰ぎて幾年月その理一つと拝をしておろがみまつりて百二十年はてしなき親心に今答えんとぢばへ地場へと命運ばん世界の姉妹親神の子かくしん二争いをすてて六十年そして今親の思いに近かずかんと一手一つで立ち向かうふんばり切りて百二十年存命の親心に今答えんといさめや勇め命運ばん世界の兄弟親神の子期間各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください大教会だより教会長資格検定講習会修了者前期終講稲富士須毛田英尋弓ヶ濱森川弘志亀田山山下満先日二年に一度の神殿及び館内障子張り換えのひのきんが晴天のお日和の下勇んでつとめられました今回行事日程の都合が合わずそれでも多忙の中お集まり下さった方の誠真実によって二日間の日程で張り終える事が出来ました親教会に少しでも伏せ込ませて貰おうと勇んでつとめられた方中には私今回初めてで何をしたらよいのか分からないのでと予定の開始時刻より随分早くお越しになり準備段取りから夜遅くま秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますはじめ親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに泥海中より道具を寄せ守護を教えてこの世と人間をお創造になられると共に八千八度の生れ変わりを経てお育て下さいましたしかしながらその思召がかなわぬと見るやこのさきハせかへぢううハどこまでもよふきづくめにみなしてかゝると旬刻限の到来を待って教祖を月日の社とお定めになられてこれの世界だすけの道をおつけ下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は教祖のひながたによってその思召をお聞かせ頂きたすけの理に浴すると共に一人でも多くの人にその思召を伝えようと日は朝夕に御礼申し上げつつひながたを辿るべくたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いてひらきおりますその中にこの月二十六日は天保九年教祖が月日の社になられだめの御教えをお啓示下された元一日の日柄でございますので御本部では秋の大祭が執り行なわれますがその理にならい当大教会でも只今からおつとめ奉仕者一同立教の元一日に思いを馳せ明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせて頂きます御前には実りの秋に感謝一杯の心を湛えて今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさていよく本年もあと二ヶ月又教祖百二十年祭まであと三ヶ月というところまでやってまいりました三年千日と仕切って歩んで来た今日までの成人の歩みははたしてどうだったのか秋の大祭の旬こそよふぼく一人一人がしっかりと思案させて頂きたいと今月は直轄教会へ大祭参拝をさせて頂きました反省すべき点をしっかりと認識し残された日はあとわずかですが年祭に向けての成人の思いを更に高めて世界一列を救けたいとの親心を我が心として一人でも多くの人に伝えるべく力の限りたすけ一条の御用の上に邁進させて頂く覚悟でございます更には本日世話人島村廣義先生に御入込み頂いておりますので旬に当たってのおぢばの声を聞かせて頂きその声を真摯に受け止め素直に実動へと移させて頂く所存でございます何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りに神一条に歩む皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り人の心が真の親心に触れ一列兄弟の理に目覚めて共にたすけ一条の道を歩む人が弥増して陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますでまあ精一杯におつとめになられた方もお見受け致しましたオーイ早よーこっちに来い何しょんならーこれ持って来てくれーと声を掛けられ目下引っ張りダコでーすと受け答える青年さん頼りにされているのか気易く声を掛けられるのかは兎も角としてほぼ五分置きに声を掛けられる彼その煩わしさを微塵も見せず素直に応対する彼の態度に人柄がにじみ出てエー徳積んでますナーと微笑ましくも頼もしく感ずる終始和やかな雰囲気の中で大教会長様を芯に奥様婦人会青年会女子青年の方の精を出す姿もあり持ち場立場の中無事つとめ了える事が出来ました張り替えの終わった障子は照明に明るく反射し一層身の清まる思いが致します人生のリスタートは障子の骨組みの如く壊す事は無理ですが垢シミの付いた障子を取り除き教えを光に明るく反射出来る心に張り替えねばと痛感致しましたちょん
かさおか

『かさおか』第44巻 第10号

清水寺の中にある玉出の滝七名泉の一つをやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば承前松屋町から寺町に行く角のあやめが一軒起きているだけどこもまだ寝て居る清水さんへ参れば五時帰れば六時という有様出る時手水を使って居ると旦那が来てアア御苦労やなあと言ふて小田原提灯に灯を点けて出される或朝の事オオ跣参りだけはやめてくれ又すそが冷えて病気にでもなって呉れると申し訳なひからと言はれた私はハイそれではそういたしますると其朝から雪駄履きで出る一二丁程行った時雪駄を脱いで懐に押し込み又跣足となって走った道道の人が此節の跣参りは本当の信心やと言ふてくれた者もあった願ひの筋はお百度を踏みながら私には七人も兄弟がある私はもういらん者ですからどうか私の命と坊ちゃんの命ととりかえて下されと云ったのであった折井の旦那があんたがそうして参ってくれれば私はこふして拝んでいるのやと私の出てゆく後姿を拝んで下さった一週間満願の朝帰りがけ備佐上原佐吉とピッタリ逢ふたそれを知らぬ顔して小走りに走ったその日の午後備佐から折井の家へ使ひが来た私に用事があるから一寸来てくれとの事であるそれから行った処がおとよさん今朝清水さんへお参りの途中あんたによう似た娘が朝早くから跣参りをして居ったあれはおまはんやなかったかたしかそふ思はれるがトッと行き過ぎてしもふたから言葉をかけることが出来なんだと尋ねられた私はモウ仕方がないハイそうですと答えると何や何を信心して居るのや此の寒空に跣参りとは何事やハイ実は斯斯の次第と主人の家の坊の患ひの事代参の事など話すと今度は備佐の御寮人上原八重がおとよさんおまはん主人に忠義もエー加減にしておきや馬鹿らしい此の寒空に跣参りとは何事や足腰冷えて病気にでもなったらどうするのやと大変叱られたマー若いのによう信心してあげたと褒められるのかと思いの外叱られたそれからというものは櫛の歯を挽くやうに備佐から使いが来て引き戻そふとするそうしてとうとう備佐の家へ入る事となった折井の方ではその坊の姉に当たる養女があったので其の養女や坊の姉さんになって万事面倒をみてやってくれとの事であったが備佐へ入る事になったのでその事は断った坊の病気であるがそれは一週間私の満願の日から目に見えてよくなり遂に全快したその後は折井の家へも屡出入りしまるで親類のように親切にし合うた坊も次第に成長せられ相当出世せられた以上であるこの跣参りはさとの若い頃の信仰心の発露であるがこれを機として備佐へ入る事となり養子となった佐助後東大教会初代会長の伴侶となった事を思えばそこに大きな宿世を感じる若いからできたとはいうものの四キロ余りの道のりの早朝の跣参り女子青年のあなたできますかさてこの項の最後に清光院清水寺について書いておこう有栖山清水寺清光院は十一面千手観音菩薩を本尊とするこの菩薩像は聖徳太子の作と伝えられる他に風天尊十二天の一つに数えられる仏天で風気を司る観世音菩薩の化身で昔から風邪除け感冒除けに信心されている地蔵尊言い伝えとして夜毎池の上に浮かび上がる霊木がありそこから赤子の泣き声が聞こえるので引き揚げ地蔵尊を彫ったとされる子供を守護される玉出の滝寺の南側の谷にある等がある初代の願いの筋にピッタリの寺ではなかったかと思われる史料部長上原繁道談話室出合いその三ノ神村分教会前会長下田輝夫絶対だと思っていたのがノーである世の中甘くないですネ物事はそう簡単に思うようにゆくものではないヨクワカリマシタ水前寺清子の押しても駄目なら引いてみなと云う歌が其の頃有ったら一押しも二押しもする所であるがあれは大分後に出来た歌である嫌われてノーかと思ったらそうではなかった親の気持ちとしては娘を呉れと云われてハイ差上げますと返事をしては娘を安売りする事になるだから一度は断って其の上に呉れと云われればの返事をしようと云うのが本音だったとの事後からわかった事だがもうおそいもう一押しすればよかったと思ったが心に浮んだ事が妙にひっかかって神様がいけないと思われればノーと自分としてはほしいと思ったけれど将来的には駄目なのかナと思って二度と申し入れはしなかったそして其の次に有った話が今の家内との出合いでした同じ部内の布教所長さんのお世話取りで彼女満二十二才の誕生日にお見合いと云う事になったのである見ず知らずの女性との初めての見合である少なからず緊張したのはお察し頂きたい若い頃の私は随分内気な方であった本人が云うのですから間違いない其の為に面と向った彼女の顔をまじくと見る勇気はとてもなかった布教所長さんの紹介で相対して坐ったものの顔は一切見ず仕舞である着物を着て坐っている其の膝の上に置いた指先が一番目についたとてもキレイで可愛い指であるそれを見た時こんなキレイな指をしていれば顔はそれ以上にキレイだろうと勝手にきめてそう思い込んでしまったのである元我が家には面喰いの因縁があるようで顔ぢゃない心だよと寅さんは云うが因縁ならそうはゆかない事もあるのである最近になって女房に云った事があるもし先に写真を見ていたら見合はしなかっただろうとどうしてわしの好みぢゃないと随分失礼な云い草だが今なら何でも云へるのであるそれはさておき見合いは指先を見ただけで無事に終ったのであるこの時も私は神様がよいと思われれば来てく実践項目集計月れるだろうそうでなければまたノーと云われるだろうと全く相手まかせの気持で居たそしたらの返事が来たのであるそれならば善は急げと云う通り事を運ぶには早い方がよいとてトンく拍子に物事が進み見合いをして二十三日目には挙式と云う事になったのである其の間今のようにが有るぢゃなし車があるぢゃなし一度でもデートするぢゃなし手紙のやりとりをする事もなくとにかく何もしないまま結婚式を迎えたのであるとにかくよく来てくれたイヤ来て下さったものであるサテく問題はこれからである以下次回に百万軒にをいがけ軒おさづけのお取次回身上事情お願い件つくし一条運び一条西村分教会前会長藤本キヨミ聞き手枝廣隆文聞き手今までの信仰をふり返って若い頃よりお聞かせ下さい昭和年才の時奉公先から福山分教会へおつとめひのきしんに通っていた折本部の二人の先生より別科募集案内を聞いて一ぺんに行きたくなり父に頼み奉公先に借金して出させて頂いた六ヶ月の費用が円芦津から人が別科生となった帰って毎月円の給金より円返済に当てた当時は路傍講演が盛んだった提灯に伝道太鼓を携えて福山分教会から笠岡方面又箕島の方へも出掛けた講演は常に一番手であった炭箱の上に立って女の若い身空で何を話すか注目してもらう為でもあった尾道ではバタンコの荷台より農協病院に向かって拡声器で話した窓を開けて話に耳を傾けてくれた駅前の知らない花屋さんが花束を贈呈してくれた聞き手スターみたいですねうれしかったでしょういやではなかったニッコリ現在では話す事を嫌う人が多いが話す事は言うた事の裏付けとして通らなければならないので大切だと思う昭和年結婚し昭和年前任会長が出直し後主人藤本金一氏才が会長となったが昭和年戦争に召集されて戦死聞き手ご主人の思い出は若い頃余り信仰熱心でなかったが盲腸が癒着して腸結核となり医者より三日の命と言われたのが別科にお引き寄せ頂き御守護頂いてから熱心に信仰する様になった昭和年頃向島浦崎岩子島辺りを布教中浦崎から向島へ行くのに一銭の渡り賃がなかったので頭に着物を括り付けて泳いで渡り土手で着物を干して又布教に回っていた時皆大きな海どんガメが泳いでいると騒いだ又ゲタの歯の取替えがきくので諸生ゲタを愛用していたが足の形が代にめり込んで歯の取替えがきかなくなるまで履いていた聞き手キヨミ先生が教会長に任命されてからの事を聞かせて下さい昭和年月日任命のお許しを戴いてから古い役員のおばさんに信者宅を教えてもらってから毎日年間信者に変わった事ないか安否を知るため昼食抜きで運んだおたすけにかかると朝食まで抜いて回ったひのきしんがある時は少し体に堪えた聞き手へぇそれでよく体がもちましたねぇ又大教会が田頭にあった頃昼から祭典がつとめられていた銭の汽車賃が無かったのでひと回り上の平盛オイチ姉と一緒に福山分教会から歩いて時間かけて参拝しただれからせいと言われたわけでもないが二人で清酒一升づつさせて頂いた大教会が用ノ江に移転してから会計の岡本先生より年間したからもうえかろうと言われた最初一升円のものが円近くになっていた聞き手福山分教会神殿普請の頃の事聞かせて下さい当時正一会長様は奥様が出直されてお一人であったので平盛オイチ姉と十日間位自教会放っておいてひのきしんの為福山分教会に詰めていた正一会長様は身上で米のご飯大工さんは麦くいち米半その他ひのきしん者には九一のご飯麦九合米一合と三通り炊いたおやつにパンは仲買えないので米をうどんに換えてくれる所があったのでうどんをよく出したひのきしん者が少増えても調達が出来るので便利なかったがいつも何時もうどんなのでうどんの顔も見たくないと言う者も居たワッハハー支払いには大変難渋していた瓦家さんが支払ってくれるまで待たせてもらうと言った時会計の福島先生が私が端金は借りれないので平盛さん藤本さん頼むと言われたが商売人の金は二ヶ月までしか借りれませんと言うとあれがあろう当時むじんという定額をヶ月掛けたら貸してくれて千円の利息を取ってヶ月で返済するのを有志で積立てていたまぁ会計さんは人の懐まで見て感心するワワッハハーむじんくんに良く助けてもろうた聞き手つくし運びはどういう思いでされましたかおつくしは信者さんも教会へ住んで居る者も同じ立場教会の者は守りをさせて頂いているだけ信者さんが運んだものを上へ運ぶだけではなかせ仲施であると思う御用がある時私はこれだけさせて頂きたいと決める出来るからするのではなく出来んから種をまく種をつくる種をつくることによって生えて来る神様には空手形は出来ないお父さんがくれたり遺族年金子供にもさせる長男の所へボーナス時貰いに行ったら平盛オイチ姉がボーナスまで狙うのかと言ったがちょっと薄情かと思うけどその子の金廻りが良くなるやはりこれが種となる本人もイヤと言わずしてくれた聞き手おたすけについてお聞かせ下さい私は不足は言わないいつも前向きにつとめ相手の身上から自分はどの様に通るか決めておるおもしれえよたすけしないと理が通らないこちらがおたすけ聞き手貴重なお話有難うございましたした事忘れても毎月祭典前には運んでこられる運んだ理おたすけした理は神様こころの詩が運ばすどういうたところで神さんに働いてもらわなければ何にも出来ない出せと言うより出さねばならん様に理をつくる聞き手今まで一番心に残る思出は養徳社発行陽気誌十月号道柳より転載今回の課題は意選六十四句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます私が日間位福山分教会へつとめる時子供には金も置けんし食地位東悠分教会長夫人田林美智子意の中にだんだん見える道のあり物も準備して出れない子供は神様が守ってくれる私の母があんたはここでワハハと笑っているが子供はどうしょうるんなぁと言ったので死んだという電報も来んので元気でおるじゃろうとでも家の近くまで帰ると子供三人さて何を食べたんじゃろうかとの思いが心をよぎる帰って子供に聞くと芋飴のおばさんが芋をひっくり返したのでとバケツ一杯の芋を持って来てくれたとのことで自信が出来た準秀詠芳阪布教所長夫人杉原優子無意味かな戸惑う運びに実が稔り父の詩語り詩一朝なぎ夕なぎべたなぎの坂手を出てから六十年海に沈みし巡洋羽黒戦死の公報よみがえる二父逝きて帰らぬまゝにすこやかに育った子四人瀬戸内小豆の坂手港戦死者墓地に名を連ね三後世に書き残されたり墓石に刻む物語りマラッカ海峡ペナン島海軍大尉壺井萬吉寺下宏一第期修養科募集要項修養科期間教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目今川昌彦大教会役員仙田喜久雄天場山分教会前会長竹本和道福芦分教会長渡邉隆夫神昭分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散委員部長後継者講習会期場間月日火午後時半開講月日祝昼食後解散所大教会大教会障子張り替えひのきしん日内時月日日午前時より容神殿及び館内障子洗い張り替え大教会年末大掃除日時月日木午前時より詰所餅搗きひのきしん日時月日月日火日より日より各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください訂正とお詫び発行のにおきましてページヘッダーに誤りがございましたので下記の通り訂正旁お詫び申し上げます誤月日正月日九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には子供かわいい一条の親心のままに天然自然のお働きを通して一列子供をお育て下さり身上事情を通して陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかるに真実の親を知らないが為にかしものかりものの理も分からず目先の御利益に一喜一憂するばかりで我が心得違いの立て替えどころか反省さえも出来ずに闇路を彷徨うている人が多くいます事は実に残念でなりません私共は成って来る理に常に親心を求め思案を重ねつつ一筋の灯りを目指して日は親心を一人でも多くの人に伝えるべくにをいがけおたすけを通して世界だすけの御用の上につとめ励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は九月の月次祭を執り行う定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には実りの秋に胸おどらせつつ今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖年祭に向けての成人の仕上げの年の今年も残すところあと三ヶ月となりましたが果たして成人の度合いはと考えるとまだく到らぬ点が多あるように思えます今一度この旬に自分や家族の助かりの為だけの信仰に留まっていないかしっかりと反省した上で教祖御身お隠しの意味を改めて思案しよふぼくとしての自覚を高めてひながたの万分の一でも辿らせて頂く所存でございますその意味でも月末の全教一斉にをいがけデーにはおぢばに心を一つに繋いでにをいがけに歩かせて頂く覚悟でございます又来月は大祭月でございますので直轄教会への秋季大祭参拝をさせて頂き仕上げの年の総仕上げになるようにお互いしっかりと心定め完遂に向けての実動を誓い合わせて頂く所存でございます何卒親神様には旬に当たっての親の思いをしっかりと受け止めたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる親心と御守護を賜り世の人の心に喜びと感謝の気持ちが満ち溢れ互いに扶け合ってお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより教会長資格検定講習会修了者前期終講笠岡上原大安上下押尾啓司廣町宮本和喜治廣町宮本雅子本部食堂ひのきしん芦加茂小川幸平訃報三代昌氏雲東分教会前会長十月十七日出直されました享年九十六才秋季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家御先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊大教会草創の頃より歴代会長と共にご苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖のお見定めを頂かれ早くからこの道に引き寄せられ息の限りたすけ一条の道をお通り下さいましたがその道中は並大抵ではありませんでしたやまさかやいばらぐろうやがけ道であったりつるぎの中であったりもしましたがどんな中にあっても喜びと感謝の心一杯に只御恩報じ一筋に通り切られました今日のお道の結構な姿をお見せ頂いておりますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜であることは申すまでもありませんが又一つには祖霊様方のそうした真実の伏せ込みの賜でございます私共もその思いを受け継ぎ御恩報じの思い一筋に日は朝夕に御礼申し上げつつ届かぬながらも世界だすけの御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日のこの日は秋の霊祭を執り行う定めの日柄でございますので事改めて祖霊様方をお偲びし御遺徳を称えたいものと御前に海川山野の旬の物を供えて寄り集いましたゆかりある人と共に只今はおつとめ奉仕者一同親神様の御前にててをどりをつとめさせて頂き続いて御前に参らせて頂きました祖霊様方をお慕い申し上げる皆の真実の状を御覧下さいまして祖霊様にもお喜び下さればと存じますさて教祖百二十年祭まであと四ヶ月というところまで近づかせて頂きました三年千日と仕切って成人目標を揚げて今日まで歩んでまいりましたところそれなりに成人の姿も数の上での成果も現われてきておりますが只それなりにの域を越えていないのも確かでそれに対する奮起を促す為に雷地震大風水つき等の自然の脅威でお示し下さっているようにも思えます残された四ヶ月祖霊様方にいい年祭を迎えたと言って頂けるよう反省すべき点は真摯に反省ししっかりと心定めをして精一杯たすけ一条の成人の道を歩ませて頂く所存でございます何卒祖霊様方にはおつけ下された御恩報じの道を引き継ぎ大環道を目指して先へ先へと道を伸ばして行く皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして旬にふさわしい成人の姿を御守護頂けますようお見守り後押しの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます秋季大祭を迎えると年末の足音がそこまで来たかと感じる今年は特に月日の過ぎる速さに苛立ちを覚える何故かと言えば心定めの初席に未達があるからです今年は心定めや種の思いがあり一月中頃四十数年の喫煙を中断し禁煙の願掛けをして初席者確保に臨んでいました早速二月に六十歳の男性で腎臓が悪く透析をうけている氏が同意してくれ時候の好い五月に受講の約束を頂き見事なご守護と喜んでいました所が不幸は突然訪れるものです三月末急に心筋梗塞で出直されましたそして皮肉にも約束の初席受講日が三十五日の法要日になろうとは思いもよりませんでした私の誠真実の不足否あの時の一本の貰いタバコかと反省しつつ再チャレンジしていますが色好いご返事が頂けず十月を迎えています今月は立教の縁の日ですから私も我は元の神実の神の取次ぎ人であるこの屋敷に因縁あり世界一れつをたすける為に天下ったを神のやしろの用木に貰い受けたいとばかり最後の砦としている目立った身上事情もない某家に罷り出ねばと思っています私と同じ境遇の方もいらっしゃると思いますが悶とした日に早く決別する様心定めの達成に向けて頑張りましょうさ
かさおか

『かさおか』第44巻 第9号

初代会長さとが一週間の跣参りをした天王寺の清水寺明治十年頃の全景をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことばさて話を明治三年に戻すこの年の暮さとは大阪久宝寺町の折井家に奉公を始めた身許引受人は備佐の当主上原佐吉であったさとは明治四五六年と折井の家で奉公する明治四年の秋折井家の長男が医者が匙を投げるような大病になった折井の主人はさとが日頃から神信心に熱心なのを見て何とか息子の病気を救ってやってくれまいかと懇望したさとは主人の願いを聴いて天王寺の清水寺に一週間の跣参りをして願掛けした久宝寺町から清水寺まで大体一里余り大阪の今の地図で松屋町筋をまっすぐ天王寺まで下ったものと思われる初代はこの時二十一歳であるこの時の模様を少し長くなるが初代会長の聞き書きから記すとそれで二十歳の春一寸大阪まで行くと云ふて奉公を思いたったが親がどうしても出してくれぬところで私が余りやかましく云ふものだから易者に頼んで占ふてもろふた易者がこの子は生まれた土地に縁がないというたのでやっと出す気になってくれたそこで大阪見物に来る人について出たが備佐へは前以って親元を頼んで置いてあった久宝寺町の折井といへば煙草入れの金具のようなものを扱ふ商売であったがなかなか大家であったそこへ奉公する事となって備佐と川合の前清とは得意先でよく遊びに来もし行きもして知り合ひであったので身許引受人となってくれた折井の待遇は普通の女中原文のママと違ふて貴方は身元もよし給金も要るまひからいつまでも居ってくれ家から給金の代はりに相当な処へ片付けさしてもらふからと言はれた折井の家にも子供がなかった川合の兄清助にも子供がなく私の八歳の時子供と決めて養子を探して居ったが私の十五歳の時子供ができた大阪に出た理由の一つはそこにある奥さんが十年も添ふて居られるのに子供が無いといふので夫婦とも子供を欲しがって居られた偶妊娠になって無事に出産せられたしかもそれが男の子といふので非常な喜びであったところがそれも束の間生後僅かに七ケ月大変な引付がきて医者も匙を投げた可哀想であるがどうも命は受合はれぬという診察をした両親はもとより親族知己の驚き一通りではない夜も昼もつめかけて人の山をなして居る私の生まれた伊賀の家は黒住教を信仰している私もその信者であったといふわけではないが幼い時から父母の感化を受けて神仏への信仰が大好きであった私がチョイチョイ信仰して居るのを折井の旦那さんや奥さんが知るともなしに知って居られたあんた気の毒なけれどもあんたは平生から信心をよくする内には今この病人を抱へてどうしょう云ふてもどうもならんあんた私の代わりにこの子の為に信心をしてくれんかと頼まれた私は同情した何でも救けて上げねばならぬと決心したしかし沢山な人の出入りがある又沢山な人が居る家であるから昼に参る夜に参るといふ訳にはいかんそこで朝参る事にし一週間跣参りの願をかけた大阪の清水といへば天王寺の寺町を通り抜けて猶暫く行った処久宝寺町からどうしても一時間位はかかるその頃天王寺は寺町で淋しいそれから先には家はろくろくなかった田圃の中をうねうねと行ったものである冬の事なら今で言ふたら朝の四時まだ闇が深ひその中を小田原提灯を吊して行く橋の上など真っ白に霜が降っている時には薄雪のあった事もあるその中を一生懸命で走ったこの項次号へ続く史料部長上原繁道大教会では八月二十一日大教会の月次祭の祭典後布教部の主催で修養科修了者大会を開催しましたこれは来年立教百六十九年に教祖百二十年祭を迎える上から修養科修了者の人に今一度この時旬の意義を確認して頂き大教会挙げて一手一つに時旬の活動の仕上げをしようとの思いで開催されました当日は祭典を三十分早めて九時献饌九時半開式で月次祭が勤められその後十一時半から大会が開催されました残暑厳しい中にもかかわらず祭典は参拝場一杯の大勢の方と共に勤められ大教会長様の挨拶があって本部修養科主任をおつとめ下さっている本部員永尾隆徳先生のお話を一時間に亘って拝聴しました昼食は大教会で準備下さった弁当を頂きピロティでは婦人会のバザーが行われる中修養科同期の懐かしい顔ぶれに話もはずむ時間もあり実に楽しい信仰豊かなひとときを過ごしました思えばいよいよ教祖百二十年祭にあと五ヵ月という時にお道の中堅ともいうべき修養科修了者の会が大教会で持たれたという意義はまことに大きいものがあったと感じます改めて旬の息吹をそれぞれに心に感じながら着実な歩みを進めたいものです会長室企画運営担当上原繁道聞く気がないのは助からん錦備分教会長室悦子修養科を修了する時に詰所主任の先生から君は頼んだ事は一生懸命やってくれるんだが頼んだ瞬間エッーと思ってしまうだろうだから一生懸命徳を積んだつもりでもプラスマイナスゼロになってしまうんだョこれからはそこを注意しなければいけないョあの頃はにが口を言われていやだなあと思っていたけれど数年たった今あああの言葉は神様が詰所の先生の口を通して注意して下さっていたんだと思える修養科修了生の集いでバザーの責任者の一人として御用を与えていただいた時エッー責任者といわれてもなぁ月に回しか大教会には帰ってこれないのに私にはちょっと荷が重いなぁと思っていました先輩に言うとあんたのそのはじめから言うことを聞く気がないというのが一番あかんそれでは助からんでたとえば親が子供の喜ぶ顔みたさにおいしいお菓子を買って来て手を出してごらんと言ったとするわな素直にサッと手を出した子はお菓子を食べる事が出来るし親は買って来てよかった又買って来ようと思うけど反対に親の事疑ってエッー何やろ何か変な事されるんとちゃうやろかと思って手を出さんかったらいつまでたってもお菓子を食べる事はできんし親の方も言う事を聞かんかわいくないなあもう今度からは買ってこんとこそれと一緒やで親にご用を言ってもらったら白紙の心でパチッと合わせればなんぼでも運命が上がって行くんやからへぇそうなんか一瞬えーと思うのは聞く気がないという事なんかそれやったら毎日の生活の中で一事が万事その心を使ってるなあ自分では一生懸命やってるつもりやったけど気を付けなぁあかんなあそして日に講堂に集められたバザーの品を見た瞬間うわこんなにたくさん今日一日で値段をつけれるかなあ明日も来てやらなあかんのちゃうかなと思ってしまったのですハッこれやこの心があかんせっかく皆さんが寄せて下さった真実なのに勇んでさせてもらわなければ高う買うて安う売りなはれやという教祖の言葉を思い浮かべながら皆さんに満足してもらえる値段はなかなか難しかったけれど皆さんと一緒にワイワイ言いながら一日で終わらせることが出来ましたバザー当日もちょっとでも売り上げを伸ばさなければと思いはじめはちょっとはずかしかったけれど安いですよー外でこんな値段では買えませんいかかですか大声を出して客引きをしたりしてアッという間に時間が過ぎ何とか無事につとめ終えることが出来ました月にもバザーを開催する予定とのことなのでその時には最初から最後まで勇んで勤めさせていただく事ができる様日の生活の中でその練習を積み重ねていかなければと思っていますありがとうございました修養科修了して今改めて思うこと稲瀬分教会岩田典子わぁお久しぶりお元気大勢の信者さんたちの中から同期の仲間を見つけると大きく手を振ってかけ寄り談笑する姿があちこちに見られこの広いもこの日ばかりは大勢の人たちの笑顔と歓声につつまれていた今日はの修養科修了者の集い私は修養科生のとき朝礼でおふでさきを拝読していたときお世話になった永尾先生のお顔を見たとき当時は教服に身をつつんでおられて少し印象は違ってみえたがあのなつかしい声を聞いたとたんに当時のことが私の胸を去来した先生の修養科とは修養科で学んだことはこれからの生き方などわかりやすくご講演いただいたなかで二代真柱様が天理教とは何ぞやと聞かれたら天理教とは俺を見よとおっしゃったという話を聞いて私はどんな姿や動きをしているのかな私の姿がまわりの方たちにどんなに映っているのかなと心のなかで自問自答していた私は幸いにして両親から元気な体をいただいたそのお陰で長いあいだ幼稚園という職場に勤務することができたそのあいだには挫折しかかったことも度あったが傍らにはいつも手を差しのべてくれる仲間がいた特に幼稚園勤務最後の五年は耳の不自由な子どもたちとの日を過ごした彼らとのふれあいを通してこの子たちは耳が不自由というハンデはあるが人として真実を見つめる力を神様は与えて下さっていることを強く感じこのことは私自身の生き方に少なからず影響を受けたように思う今改めて私をとりまいた仲間や子どもたちから学ばせていただいた素直な心や人につくす心をもってどんなに些細なことであってもその人に喜んでいただけるよう気持ちを寄せていく努力をしていきたいと思う人は人との気持ちのあたたかさの通いあいのなかで心のありように変化が生まれてくるのでしょうね月日が経つにつれて修養科時代のあの感激も遠い存在になりがちだがこのたびの修養科修了者の集いは私たち一人ひとりの心のなかに自らをふりかえるチャンスをいただいた最後に永尾先生からのメッセージを自分へのメッセージとし新たな船出としたい今日集まったみなさまに私から新しいハッピを差し上げますそれはあなたにしか見えない透明のハッピうしろには修養科修了者と書いてあるこのハッピは脱がないでくださいね修養科修了者の集いに参加して久福分教会永井喜久子今日は教会の皆様と一緒に久しぶりにへ参拝させて頂き改めて修養科の楽しかった三ヶ月修了後大教会で皆んなと過した三日間の日を懐かしく思ひ出しながら月次祭式典に参拝させて頂き心穏やかな時をありがとう御座居ました修養科を卒業して三年目の私は教会と家庭の調節を取りながらの日の生活を過しています教祖の素直な心を学んで来た私も日の暮しの中で少しづつうすらいで来ていると思ひますでも今日永尾先生の講話を聞かせて頂き素直な心のネジを巻く事が出来又二人の同期生にも会えて今日の一日ありがとう御座居ました修養科卒業後多古浦大芦布教所長余村修私は昭和五十七年十二月から五十八年二月の三ヶ月間を修養科生として過ごしたこの時の人数は三十数人丁度教祖百年祭前の三年千日成人の時であった今思うと結構多かったと感じる私自身入学時まだ才であった誕生月である十二月三十日で十七才を迎えるからだなぜその年にと皆思うだろう別に特別な意味があったわけではない唯高校を中退したちまち何もする事がなく自分自身何をしたら良いか分からず親に修養科に入れと言われて入学した私の修養科生活で自分が得た物は何かと聞かれても何一つ答える事が出来ない反対に悪かったと思う事と言われるといくらでもあるが今更話す気はない修養科を卒業すると大教会実修生活を三ヶ月間その後教会長資格検定講習を受講し修了と同時に教人という立場をお与え頂いたまだ十七八の私がである自分自身心の中で本当に良いのかと考えたものである何せ自分が全ったくその気になっていないのであるそれから後私はいろいろとお道の行事ひのきしん等に参加した一般世間で働いたりアルバイ分トをする事なくそんな折親より上級教会の青年勤めをせんかと言われ一年という約束で青年に入らせてもらったしかし教会の青年勤めとは掛け離れた生活態度のため三年余りも名ばかりの青年勤めをしていたそういう年も年目を迎える直前自教会全焼という大変な事情を目のあたりにした我が教会が焼け落ちる様を目の前にして何も出来ない自分が歯痒く思わず消防団員の方にいらいらをぶつけた後で思うとその時の事はすごく後悔したその様な大節があった年私は見合いをし結納をすませその年十月には結婚をしていた平成元年の事であるそれから今日までいろんな事を勉強させて頂いた全ったく違う教会生活であったあれから十数年修養科を修了して二十年余今回修養科修了者の集いに参加した私の心に残った事は本部修養科主任先生の御講話であるその中に人は皆生活に不自由がなくなり贅沢になればなる程心に甘えが出自分の気まま勝手な心使い行いが出やすくなるしかし自分が苦しい時どうしようもない時こそ心の奥底に勇み心自分がやらなければと言う気持が沸きおこって来ると言った事を聞いた時そうなんだと自分の心の中で叫んでいる私がいた私自身結婚当初は何も分からず今しなければならない事言われる事その頃大変だなと思う事でも心の中は勇んでいた様に思うでも年年数を重ねそれが慣れると心に余裕が生まれる余裕の心の持ち方を間違えると今の生活のありがたさに甘えてくるそうすると自分の気まま勝手な心が先に出てくる様になるその内家内にあたる子供にあたる自分がと言う心が強くなる人の言う事に腹を立てる何もかも気にいらなくなり心が病んでくるまともな考え方が出来なくなる最後には自殺まで考えるようになる私自身そう言う思いをしてきたこれは誰のせいでもないいろいろな方に迷惑をかけ親に心配ばかりかけている今でもそうだろう今自分に何が出来るだろう主任先生の話しを聞いてやはり自分自身をおい込んでいかなければと思った甘える事の出来ないどん底に我が身を置いていかないと本当の喜びは味わえない人にも味わって頂けない名ばかりの教人であります皆さん大いに私の事を笑って下さいただ残された教祖百二十年祭までの日を全力疾走したい家族信者近所身上事情で悩んでいる方の為に今しか出来ない事今だから出来る事今生かして頂いている事教祖にお使い頂く用木として年祭には教祖にお喜び頂ける御供えをさせて頂こうと思う今日である同じ用木として互いに助け合いながら共に喜んで勇んで通らせて頂きたい今年も八月二十二日から二十四日までの二泊三日間英語講習会を開催させていただきました天理教語学院から講師としてステイシー老沼氏を迎え短期間ながら中身の濃い充実した講習会だったように思います参加者数は受講生十四名係員八名でしたさて今回も昨年同様講師のステイシー先生に講話をしていただきました彼女が日本に来るまでの心の葛藤や真剣に悩んだときのことから修養科を修了しの講師として現在に至るまでのことを日本語と英語を交えてお話し下さいましたそして伯父さんである都賀大教会長様と共に参拝され親神様に御挨拶申し上げたときそれまでの不安一杯な気持が嘘のようにさあーっと晴れて心底安心することが出来たと受講生達に伝えて下さいました私は講話を拝聴しながら昨年来て下さったアンディ先生と同様に日本語も流暢で英語の教え方も旨く人柄も誠実で素敵な信仰信念を持った先生を派遣してくださったおぢばの親心にお礼を申し上げ受講生たちは本当にラッキーだなあとの感慨をもよおしました受講生は少人数のグループに分かれ教職経験者塾の講師あるいは海外生活の経験者など英語が堪能なスタッフが其のグループを担任します講習会の内容は英語による簡単な自己紹介から始まりレベルに応じて簡単な日常会話へと進みますまたパソコンを用いてのゲーム感覚でのレッスンや大画面での映画鑑賞今年はインクレディブル倉敷ライフパークへの社会見学瀬戸大橋の下での昼食など短期間で楽しみながらの勉強が盛りだくさんの大変ためになる講習会です私たちの努力不足によってこのような素晴らしい親心一杯の講習会にもかかわらず最近は参加者が少なく大変申し訳なく感じている次第です今後はもっと大勢の人に知っていただくと共に内容の一層の向上を目指して係員一同努力を重ねたいと思っています英語講習会期間中は大教会長様奥様前奥様を初め役員先生御婦人方青年さん教会内の皆様方には暑い中大変お世話になりましたありがとうございました海外伝道部員香取雅人英語講習会で学んだこと上原理子私が英語講習会に参加したのは今回で回目です去年塾の先生に参加してみないと言われたことがきっかけで初めてこの英語講習会に参加しました初めの頃は会った事のない人達や慣れない英語での会話にとまどってしまいなかなか人と話す事ができませんでしたでも時間を過ごしていくとともに英語での会話も人との話もだんだん慣れて話せるようになりましたそしたら授業もゲームもとても楽しくなってグループの人とも同じ部屋の人達とも仲良くなることができました海外からの先生ともスタッフのみなさんとも仲良くなれてとってもうれしかったですとても仲良くなれたので英語講習会が終わってみなさんと別れる時がとてもさみしかったです私はこの英語講習会で人と話すことの大切さと難しさ言葉のおもしろさ人と親しくなることの大変さなどを学びました去年の楽しかったこと学んだことを生かしていくため忘れないために今年も英語講習会に参加しました今年は回目ともあってとまどいは少しうすれましたがやっぱり今年も知らない人がたくさん来ていてまだ少しとまどいよりも緊張をしましたでもまた新しい友達ができたのでそれはうれしかったです今年も去年と同じような行事だけれど外国からの先生も変わっていたりして少しずつ違うところがあっておもしろかったです今年は途中で抜けたり入ったりの人が多くてびっくりしたけれど今年もとてもとても楽しかったです普段あんまり体を動かしたり頭を使ったりしていないのでひのきしんでしっかり体を動かせて勉強やゲームなどで頭を使ったりできたのでとても良かったです今回の英語講習会では体を動かせることのよろこびと頭を使うことの楽しさを学びました私は今年中学年の受験生なのでもしかしたら来れないかもと思いましたでもこうして英語講習会に行くことができて本当にうれしかったです来年もし地元の高校に受かることができたら来年もまた回目の英語講習会に参加したいと思います人のために明石市分教会杉原洋輔私は英語講習会に参加しないかと誘われたとき正直迷いました大学生ということでスタッフとして参加することだったのですが私は英語に自信がなく不安でした高校も英語は苦手で成績も悪かったし全く話せないし自分が行っても役に立たないのではないかと思い断ろうと思っていましたしかしこれも何かの縁だし参加させてもらおうと思い直し参加することにしました前日から大教会に入り英語講習会で使用する道具を揃えたり部屋の準備をしたりと仕事をしているうちに不安も少しずつほぐれていきました前日の準備で一番緊張したのはゲストのステイシーさんを迎えに行くことでしたステイシーさんは日本語が話せると聞いていたのですが私は先述したように英語に自信がなかったのでとても緊張していました福山駅ではっぴを着て待つように言われたので待っているとステイシーさんらしき人が近づいてきたので話しかけ車に案内して何とか終えることができました初日は十時ごろから参加者の受付をはじめました参加者は中学生高校生大人合わせて十人でした参加者は二グループに分けました私は中学一年生六人のグループを受け持つことになりました一日目は自己紹介の練習を主にやりました中学一年生ではまだ英語を習いはじめでわからないことも多かったはずなのに一生懸命やっていました夜は映画を鑑賞し初日の反省をしました皆慣れない生活に緊張していたみたいです二日目は主に英語を使ったゲームやパソコンを使っての発声練習などをしました生徒達はだんだん慣れてきてゲームも楽しんでいました二日目の夜は生徒全員でレクリエーションをした後ステイシーさんの講話を聞きましたステイシーさんが日本に来たときどんな心境だったとか私が経験したことのないような体験の話を聞かしていただき本当に有意義なものでした三日目は倉敷のライフパークに行き全天周映画を鑑賞しその後瀬戸大橋の下で弁当を食べました皆二日間ずっと大教会にいたので外に出ることができ楽しそうでした大教会に戻り閉講式をして解散しました私は授業とかでもスタッフというよりも生徒と一緒に楽しむようなかんじで役に立てたかどうか分かりませんでしたが少しでも人の役に立てたのだったらまた参加させてもらいたいと思いました私は大教会の少年会の委員になってまだ年目の新米です世間で言うならば下っ端どこの世界でもそうですが下っ端と言うのは大変辛い思いをしている事が多いこの私も相当なストレスと激務によって年前に比べると体重がキロ増えた今回も団長からのおい私の名前ですキャンプの原稿書いておけとの言葉に文章を書くのがゴーヤチャンプルーよりも嫌いな私はその重圧から髪の毛が本も抜け落ちてしまったまあ書けと言われるなら書きますが私はもっぱら裏方で子供達の動きはほとんど解っておりませんので下っ端委員のキャンプ生活を書きたいと思います日時過ぎワゴン車で大教会を出発他に資材を満載したトラックと子供達の乗ったマイクロワゴンの同乗者は少年会の暴れん坊将軍こと分教会長の氏と副団長運転を任された私だがこのところの行事続きで疲れも出始めかなり眠いそれでも運転を代わってくれそうな人は無ししかも少しでも目がつぶりそうになると助手席の氏からチョップが飛んでくるのだ泣きだしてしまいそうシクシクまあ何とか鳥取県の北条キャンプ場に着いたああ疲れたぁぁしかし休んではいられないトラックから荷物を下ろし整理をしなければあいにく雨が降ってきてテント張りは無くなったが休む間もなく夕食の準備に取りかかったメニューはカレーとサラダベテランの方達にあれこれと指図されながら微妙な味のカレーが出来上がったカレーはともかく分教会長氏が薪で炊いて下さったご飯は最高にうまかった腹も一杯になったし今日は雨だから何も出来んしと言うことでもう寝ますかテントが張ってないから子供達はバンガローに私はワゴン車の中で寝ることに日早朝地震かと思うくらいの車の揺れで目が覚める寝ぼけ眼で見てみると氏がニヤニヤしながら車を揺らしているドアを開けておはようございます何やってるんですかと尋ねると歯ブラシ忘れたコンビニまで運転してくれと将軍らしいお言葉仕方なく車で出発やっと見つけたコンビニで氏は歯ブラシと私にとサンドイッチコーヒーを買ってくれたいい人だキャンプ場に戻ると朝食と今日海水浴に行く子供達の昼の弁当作り朝食はご飯にみそ汁昼食はおにぎりに焼きそば朝食をとり皆さん出発しかし雨の影響で波が高くプールに変更子供達がプールで楽しんでいる間に晩飯と明日の食材の買い出し私たちの昼食は皆と合流できない為くるくる回る例のやつになったここでも将軍様がお金を払ってくれたいい人だ買い出しをすませ一足先にキャンプ場に暫しくつろぎの一時を過ごす子供達が帰ってきて夕食の準備今日はバーベキュウ楽勝ですおやめずらしく団長御自ら飯ごうでご飯を炊いてらっしゃるさすが団長やるときはやるさぞかし美味しいご飯を炊かれるのでしょうと一同見守っておりますさあ炊きあがりいよいよ蓋を開けてみるおおさすが団長良い仕事してますねぇうんこりゃあ良い炭になる焦げたご飯はさておき炭火で焼いた美味しいお肉やイカを頂いてお腹一杯片付けの後は夜の行事ウオークラリー暗闇の中ランタンの灯りを頼りに広大なキャンプ場に隠された番から番までのミッションの書いた紙を見つけそのミッションを次にクリアーして行くというゲームである子供達は皆楽しそうにそして真剣に歩き回っている分教会氏が必死で準備した甲斐がありますこうして夜も更け第日目終了日朝私は寝坊してしまいました業を煮やした氏が起こしに来た最終日の今日は朝食パンと飲み物昼食はおにぎり弁当ロールパンに切り込みをいれバターを塗った後レタスハムを挟む此を個私がパンに切り込みを入れると団長がバターをぬっていく昨日の飯ごうの事があるから不安でたまらないそして弁当はボイルしたウインナーと昨晩バーベキューで余った豚肉を分教会長の愛娘がカツにしてくれた物をおにぎりと一緒に詰めて出来上がりその間他の皆さんはテントや物品の撤収朝食を済ませキャンプ場を後にする帰りは海に寄って一泳ぎその間アイスの買い出しまたまた店が無くやっと見つけたスーパーに着くとそこに見慣れたマイクロが分教会長氏が腹がへったとマイクロに一人乗って助六寿司を買いに来ていたみんなにアイスを配ってふと山の斜面を見上げると何やら楽しげな乗り物があるではないかそれは山の斜面を一人乗りの車輪付きのソリで駆け下りてくる物でさっそく副団長がその横にあるトロッコに乗ってあがってみた山の上は公園になっており子供達もそこで昼食帰りはあの乗り物で下まで降りて帰ろうという事になった私も当然乗れるものとワクワクしていたのだが私がそれで降りたら車を下に持っていく者がいないこんな時にも新米にはお前乗ってこい車は私が乗って行ってやるからという優しい言葉は全く無いのであるとにかく車を下に回し上から次に降りてくる子供達また心ない大人達の楽しげな顔を見ながらはやく新しい人が少年会に入ってくれないかなぁと一人つぶやく私でした帰りの道中も色ありましたが無事に大教会に到着し楽しい楽しいキャンプが終了したのでした期間中一同無事無難にお連れ通り頂いた事を大変感謝しております少年会はこの様に大変やりがいのある楽しいところです是非皆さん少年会の委員として活躍してみませんか待ってます少年会委員新米デイブこの夏最後の思い出髙児島分教会瀨良章天理の帰りの電車でキャンプの紙をもらった時妹や弟が行きたいと言い出してぼくは行かないつもりだったけど親が良い思いでになるからと言うので行ってみる事にしました初めてだったのでどんなキャンプになるかどういう事をするか楽しみでしたあいにくの雨で一日目はテントも立てられなくてキャンプファイヤーも出来なかったのでハワイ温泉に行きましたいろんなおふろを全部回ってウォータースライダーがあったので回もすべりましたご飯は屋根のある所でみんなで持ち寄った野菜を使って大人の人ぬきで焼きそばやカレーを作りましたとてもおいしかったです火の番がけっこううまくなりました夜はバンガローを借りてくれたのでそこでねぶくろを着てねました二日目は雨は小ぶりだったけど風が強くて海に行く予定がいけなくなったので残念でしたでもそのかわりまたハワイ温泉に行って回もウォータースライダーをすべって楽しかったですその夜はナイトウォーキングできもだめしをしましたシャツをかぶってねぶくろをまいたおばけが出て来て全然こわくなかったけどあまり夜に外を歩く事がなかったのでとてもおもしろかったです三日目にはやっと海へ行けてとてもうれしかったです海の中でも足がつく所が遠くまであってゴーグルが流されてしまったけど波に乗って遊ぶのがすごくおもしろかったですこのキャンプでみんなともとても仲良くなれましたこの間だけは兄弟げんかもしませんでした妹は友達をたくさん作りたかったようだけど子どもの参加者は人だけでちょっと残念がっていましたでも中学生や高校生の人が三人来てくれたので良かったですこんなに楽しいのになんでみんなこないんだろうと思いました今回は親に言われて参加したけど今度そういう機会があったら自分から行ってみようと思います内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい去る月日日日と三日間に亘って天理高校の求道部幼少年指導班の夏季伝道が大教会と部内教会児童福祉施設で行われましたまず日の昼前に学生名名顧問の先生名計名が天高専用バスで到着しました参拝昼食の後迎えに来た各教会と打ち合わせ班編成された生徒たちは福山高屋興明坪生福満の教会での教会おとまり会に出発しました各教会では日頃練習してきたゲームうた等やその日だけの仮想王国を設定するなどこどもたちに夢を与えるような企画を展開しました各教会の感想文参照日の午後にはおとまり会に参加したこどもたちと共に大教会に帰り午後時から講堂でぜったい友達フェスティバル昼の部友達たすけあいが開始されました予想よりはるかに多勢集まった約名のこどもたちにグループ編成名前覚えゲームグループ事に与えられたゲームと進み最後は今回の伝道テーマのぜったい友達を上演劇中のキャラがみんなを夜の部ファイアーに招待するというフィナーレで幕は下り時過ぎからはピロティーでお楽しみの夕食の時間ですメニューは婦人会のみなさんがつくってくれたおにぎりと鉄板焼き係員をふくめて名分の肉いかえびウインナーとうもろこし野菜などを鉄板で焼きテーブルに配食するなど作業は汗だくホント大変しかし大勢のひのきしんの手によって完成こどもたちと生徒は各班事にあつあつの夕食を満足したようですおつとめ後の夕闇せまる中夜の部生きる喜び味わうフアァイアーが広場で始まりました百人余のこどもたちが輪になりドラマファイアーはスタッフの軽妙な導入で薪に点火されスタート歌に寸劇ゲームなど炎に照らされたみんなの顔はよろこびいっぱいにはじけました夜空を見上げると満天の星感動的なファイアーでした日めは福山にある児童福祉施設こぶしケ丘学園を訪問しましたテーマは絶対ともだちここでもゲームうたなどで子ども達の気持ちが柔らかくなった後メインの道の子児童劇を上演しました悪と正義の闘いを通してみんなが仲良くたすけあうことの素晴らしさを力強くまた見事に演じ施設長さん職員の先生方も絶賛の拍手でしたその成功の裏には前夜遅くまで講堂で劇のリハーサルを納得いくまで繰り返していた努力があったのはいうまでもありませんまた生徒の皆さんは子ども達を楽しませてくれただけではなく私達大人にも縦の伝道の大切さを改めて訴えてくれたように思います今回初めて天理高校の夏季伝道を受けさせて頂いてわずか日の間にもあの甲子園球児が一戦一戦と試合を勝ち抜く毎に地力がついて強くなっていくような生徒達の素直でやわらかい感性をうらやましいと思いながらもお世話どりさせて頂いたことをスタッフと共によろこび晴れやかなな気分で皆さんをお送りさせて頂くことができました急な行事にも拘わらず笑顔で受入ひのきしんに動いて下さいました大教会婦人会青年会学生担当少年会の皆様方に厚く御礼申し上げますリーダーの中山君福満分教会長福島大介私が天高求道部男子二名女子四名を迎えたのは八月も終わりに近づいた日だった当教会としてはこの夏は二度目のおとまり会だが今回はその殆どを天高生に任せることにして私は会場を提供し少年会員を集めるのみで高校生がやればどんなおとまり会になるのかお手並み拝見と楽しみにしていた事前にリーダーの中山君からでプログラムが送られてきたのだがなんとそこには教会到着から退会まで分刻みの予定がびっしりと書き込まれていた我が教会では三十年おとまり会を続けているがその二日目はいつも海水浴が恒例近くの海で泳いでその後は浜でスイカ割りをするもちろん今回も子供たちへのチラシには何の迷いもなく水着持参と注意書きを入れていた天理に居たら海も見れんし二日目は海で泳げたら天高生も喜ぶじゃろうと女房と話していた私だがこのを見てこちらが口出しできる隙もないくらい一生懸命考えた予定を変更させるのも気の毒になり海は中止にした彼らの考えたおとまり会は劇パネルシアター紙芝居団扇作り手話コーラス室内ゲームもちろん朝夕のおつとめひのきしん会長教話と内容は盛り沢山唯一気に入らないのは劇に私の参加を強制している点であった丁重にお断りしたのだが会長さんのセリフは短めにしますのでご検討をときた送られてきたシナリオを見て笑った主役である私スペースキングのセリフは全部で十一箇所そのうちうむと頷くところが四箇所もある確かに覚えがいいとは言えないが短すぎるゾ中山君発表の当日彼らが子供たちを楽しませようと考え衣装を作り練習をしてきたことを思うと覚えの悪いスペースキングも奮闘したその甲斐あって子供たちにおっちゃんとしか呼ばれない私でもこの日はスペースキングと呼んで親しんでくれる子もいたさて今回天高生を迎えてのおとまり会で良かったことは子供たちが楽しんでくれたことだ参加者は二十七名で最年長は十三歳で一番下は五歳と年のひらきがあったので教える側は難しいと心配したのだが皆今回のゲームや歌や劇を楽しんでくれていた様子だった子供たちからお兄ちゃんお姉ちゃんと呼ばれる天高生間違ってもおっちゃんとは呼ばれないこの若さこそ彼らの最大の武器だ上手なプログラム進行ができなくてもいいのだ若者が六人もきて兄弟姉妹のように一緒に遊んでくれたというだけで子供たちの心には感動が生まれたった一泊二日の短い出逢いでも別れ際には涙を見せる子もいたところでリーダーの中山君が当日お多福風邪で欠席であったのが残念であった一体どんな顔をした奴か見たかったのにきっとお多福のように愛嬌のある奴なんだろう間違いない同じ目線で福山分教会長田中隆之少年会の団長さんより天理高校の幼少年指導班の学生さんが笠岡に来ておとまり会を実施するので受けてくれないかとの声をかけて頂いた福山ブロックとしては月に一度鼓笛の練習を通して少年会活動を続けていますがかねてより鼓笛に繋がる少年会員とそれ以外の少年会員が一緒になって出来る活動を年に一度は実施したいと思っておりましたので今回の団長さんの声はそのきっかけとして非常に有難かったです事前の天高生との打ち合わせの際参加予想人数を聞かれた時に五十名前後だろうと大風呂敷を広げておりましたので私どもの教会には学生さんを含む九名で一番多い人数のスタッフが来て下さいましたが蓋を開けてみると三十名程の参加者で事前の準備から考えると非常に申し訳ない限りでしたが参加してくれた子供達は非常に喜んでくれ受けさせてもらって良かったなあ有難い機会を頂いたなあと喜ばせてもらいましたさておとまり会を振り返ってみますと日大教会に集合している学生さんを迎えに行き初めての顔合わせ打ち合わせをする中に全て学生さんがしてくれると思って何の心構えもない中劇をするので会長さんには国王をしてもらいますとの言葉に頭の中は真っ白心臓はドキドキ大教会から教会までの道中どの道を通ったのか覚えてない程緊張の中何とか教会に到着徐に集合してくる子供達をゲームで出迎えどの子も緊張した面持ちで恥ずかしそうにゲームを行っているその後ろで真っ青な顔をした会長がブツブツ台詞を覚えているとまあこんな感じで始まりました最初は緊張していた子供達も徐に慣れてきて学生さんに引っ付いて遊ぶ姿があちらこちらで見受けられました学生さんの姿を見て感心させてもらったのはどんな場面でも子供達の間に入って決して上から見下ろすのではなく同じ目線いやそれより下から子供達に接しているという事でした私たちは特に子を持つ親はつい立ったままで子供と話をしてしまう結果上からものを言ってしまう場面が多いなと反省させてもらいました夕づとめ前におつとめ練習夕づとめ後には教会前の広場で綿菓子ポップコーンかき氷を始め射的や空き缶ボーリング魚釣りなどの手作りゲームで縁日の雰囲気を充分に楽しみました日はパネルシアターを見たり想い出カードをみんなで作ったりその後教会の隣にある小学校の体育館を借りて室内オリンピック大会を開催各チーム優勝目指して大いに盛り上げりました昼食後にはいよいよお別れです解散した後も学生さんにひっついていつまでも離れようとしない子供の姿が印象的でした本当に喜んでくれたんだなと実感する一時でした今回天高生のお陰でおとまり会を開催する事が出来ましたが事前の準備から何度も打ち合わせを重ねただ子供達に喜んでもらおうという気持ちだけで本当に苦労して頑張って下さったんだなと感謝の気持ちで一杯です同じ事は私たちには出来ないと思いますが今回の開催をはじめの一歩として少しでもおとまり会を通して子供達が教会につながってくれよふぼくとして成人しそれぞれの教会に無くてはならない人となってもらえるよう少しでも子供達に喜んでもらえるおとまり会を続けていきたいなと思っております最後になりましたが天理高校幼少年指導班の皆さん本当にありがとうございましたおとまり会を終えて坪生分教会長掛谷宣和私方の教会では毎年教会おとまり会をつとめさせて頂いておりますが今年はひと味違ったおとまり会でした今年のおとまり会は天理高校求道部幼少年指導班がを会場に夏季活動をするとの事更にはその中日日と教会で教会おとまり会を実施との事狭い教会ながらぜひ来て頂こうと手を挙げさせて頂きました月に決定し月本部月次祭後学生との打ち合わせ私方の教会へ名来て下さる更にそれに向けて諸準備をしますとの事他の教会広くもあり内容も充実していますが私方の教会参拝場は畳部屋数も少なく狭い更にはトイレバスは旧式で狭いそんな教会で来て下さる学生に申し訳との思いの中話しを進めさせて頂きました月に入ると学生から何度もファックスを下さる参加者の人数は名前は年令はこどもおぢばがえりを前にこちらはそれどころではないと思いながらも学生の熱心さには頭が下がる思いでした参加人数名位お願いしますとの事日が近づくにつれ例年参加してくれる子供達今年はだめ学校がある夏休み最後の土日である休みが終わりで宿題があるとの事日前までに決定していた子供が名高屋鼓笛隊の子供でもお願いしないとと思っておりましたところ私の弟が指導しているバレーの子供達が名参加してくれふたを開けると予定通りの少年会員名の参加でした日昼食後大教会で学生名名計名を預かり狭い坪生の教会へ車中ではこれからの段取り等私の入る余地はなし更に教会に着くなりお茶もそこそこに飾り付け受付の準備と忙しく動いておりました実際に子供達を迎えるとフルーツフェスティバルと銘打ってテーマに沿ってテーマソングをつくり寸劇ありショートコントあり更には工作まくらめ作りありゲームありとプログラムを実に手際よく進めている何よりも感心したのは始まって間がないのに人がもれなく子供達の名前を覚えていた事最初遠回しに見ていた子供達もいつしか輪に入り実に楽しそうに遊んでいる学生から子供達がずっと離れない面倒見がよい子供達が心を開くのに時間はかかりませんでした実に素晴らしい夕食夕づとめその後スーパー銭湯へ休む間も無くプログラムをこなして行く時消灯子供達が寝てからも翌日の打ち合わせ私も参加したのですがここでも出る幕がないので早に退散就寝学生達綿密な打ち合わせは時頃まで続いたそうです日は時起床朝づとめ朝のつどい朝食パネルシアターひのきしんゲームと次とプログラムは続く最後に子供達一人ひとりに賞状を渡したのであるが一人ひとりの子供を実によく見ている昼食時テーマとしていたみんななかよくたすけあいその証であるミックスジュースをみんなで飲んで閉会となりました閉会後学生達を大教会へ送ったのですが車中の人となった瞬間から次の行事の練習をしていました私方の子供達も大教会へ足を運んでくれ大教会での行事を十分に楽しませて頂きました帰る時にはいつまでもいつまでも別れを惜しんでおりました近所の未信者家庭の中学年生の男の子が尊敬できる人ができたよかったよかったと家に帰ってから親御さんにしきりに話したそうです翌日学生が大教会を離れる際には手紙を添えて見送りをしていました後日その親御さんから本当によかったようですありがとうございましたと深と頭を下げてお礼を言って下さいました受け入れ等大変なところもありましたが受けさせて頂いて良かったなと思いました子供達が名学生が名教会側の高校生大学生名食堂のひのきしん等近所の未信者の方も入って下さり総勢名いたる所人人人の状態ではありましたがおぢばの理を頂いた有難い教会おとまり会でしたこういう機会を頂き本当にありがとうございました最後に学生達クラブ活動とは言え実に熱心につとめてくれていました先生が次のような意味の事を言っておられましたこのクラブは高校野球のように他と比べて評価はないが子供達の笑顔そしてこの夏季伝道が私達の甲子園だと実に学生達光輝いていたように思います感動をありがとうございましたチュンチュンワールドから髙屋分教会長武内正美八月二十七日二十八日と天理高校求道部幼少年指導班の高校生四名一名を迎えて教会おとまり会を開催させて頂きましたはじめは四十五十名の子供が参加してくれるだろうと思っていましたが二十八日に学校行事と重なったところが多く二十八名の子供が参加してくれました高屋分教会ではチュンチュンワールドという設定のもとチュンチュンワールドの女王様が病気になりそれをたすけるためにみんなが協力しあっていろいろなゲームや行事をこなしていくというストーリーで始まりました子供たちはゲームをする度にバネルが与えられ最後にバネルをあわせると友だちたすけあいという文字になりましたゲームを通して子供たちにたすけあうことの大切さ物を大切にすること挨拶をすることを教えていました最初は初めて見る高校生に子供たちも戸惑っていましたがすぐにうち解けてチュンチュンくと教会のあちらこちらで聞こえてきて最後には来年も来てもらおうよとか天理高校に行って幼少年に入るという声まで出てきました子供たちの夏休み最後に本当に大きな思い出が出来ました高校生が常に子供たちに心を配り少しでも楽しませよう喜ばせようという気持ちがそばで見ている私たちにもひしひしと伝わってきました青少年の非行不登校いじめなどいろいろな問題の多い世の中本当にすばらしい高校生でした二十九日に訪問したこぶしヶ丘学園の園長先生の挨拶の中でしあわせの道を求める活動をしている高校生という言葉がありました幼少年指導の活動を通してどうしたらしあわせになれるかということを子供たちに伝えているなぁと感じました私も学ぶことの多かった教会おとまり会でしたありがとうございましたチュンチュンワールドの女王よりぜったいおとまり会のすゝめ興明分教会長吉岡誠一郎月だったでしょうか少年会の中島団長から天理高校の幼少年指導班が笠岡に来るのでおとまり会を教会でしてみないかとの打診がありました参加者は少ないのですが昨年から年に数回おとまり会をしており今後の参考にもなると思い興明でよければと返事をし開催が決定しました月日お昼に天高生含む人を迎えに大教会へ前日までの修養科教養掛からの切り替えがまだ出来ていない状態で泊日のおとまり会が始まりました今回のおとまり会ではみんなで協力して宝物を見つけるという設定でプログラムが組まれていました合言葉はみんな仲よく助けアイーンこどもおぢばがえりの三つの約束生きる喜びを味わいますものを大切にします仲よくたすけあいますがキーワードになっていて宝物は友達だったんだというところで終わりますさて今回は歳から歳までの人が参加しました受付を済ませつの班に皆こどもおぢばがえりの経験者ということもあってお互いに面識もあり暑い中お兄さんお姉さんが真剣に指導してくれる歌手話やゲームにもすぐに溶け込んでいきましたその他おつとめ練習教会周辺のゴミ拾いひのきしん花火など盛り沢山の内容に子ども達はノリノリでそのテンションの高さには驚きましたあらゆる場面で参加者の世話取りを事細かくしてくれた天高生には感謝感謝です引き続き大教会で行われたぜったい友達フェスティバルへも人のうち人が参加し新しいメンバーでご馳走をいただきファイヤー等滅多に体験できないことに時間を忘れて楽しい時を過ごさせていただきました全ての行事が終わり夜時過ぎに大教会を出発するとき興明に来てくれた天高生人みんなが子ども達の乗るマイクロバスを見送ってくれたことにも感動しました後日参加者から今度のおとまり会にも天理高校のお兄さんやお姉さんが来てくれるんと尋ねられたとき今回のおとまり会は成功だったと確信しましたもっと大勢の参加者がいればと来てくださった人には申し訳ない気持ちです敢えて苦言を呈すならば事前に何回か打合わせをし共通認識を持つほうがもっとスムーズに事が運ぶと思いましたこの度青年会笠岡分会ではよりまでの間を布教推進週間として各教会各ブロックごとで活動をさせて頂きましたこの間には他の行事等も重なっていましたが皆様方には御協力頂き誠にありがとうございました毎年恒例の行事の一つでありますキャラバン隊ではありますが先輩方の積み上げてきたものを崩さないように何とか自分達も活動を続けてその上にさらに積み上げられたらと年続いてはいますが実動数も減り細とではありますが教祖年祭に向けて一名一人があらきとうりょうの使命を担って戸別訪問パンフレット配り神名流し十二下りと清しい汗を流させて頂きましたその中では個別訪問時にもうパンフレットを私の家に配るのはやめろと一喝された事もありましたが残念に思うよりもあーそうだイヤだと言われてもポストにあるパンフレットを一目でも見て頂いて気にかけて下さっているのだと心を入れかえ喜んで通らせて頂きました教祖年祭という一里塚はもうすぐそこまで来ていますがまだ教祖年祭までには四ヶ月ありますそして年祭は一年を通してありますその時に改めて自分を見つめ直したときその手には少しでも多くの喜びを持っていたいものですその為にも目標に向けて定めた心を受け取ってもらえるよう成人の道を歩みたいと思います青年会委員長淺野明教談話室歩きながら考えたこと芦品分教会長吉岡孝彦皆さんは夜光るたすきをかけて歩く人達を見たことがありますか中高年に最も人気のあるウォーキングに励んでいる人達です朝や昼間行う人もいますがやはり夜の方が光るたすきのせいか目立ちますかく言う私ももう何年も前から歩いていますが用事のついでに歩くのでたすきはしていませんですから私のはウォーキングではなくてあくまで歩きです歩く様になると今迄意識することもなかった歩くという動作に興味を持つ様になりましたある時近所の書店で甲野善紀氏著なんば歩きという本を見つけました私達は右足を出す時は左手を左足を出す時は右手を振り手足を交互にして歩いていますしかし明治以前の日本人はこういう歩き方ではなくて手を振らないか振るとしたら右手と右足を左手と左足を同時に出すなんば歩きという歩き方で歩いていたそうですなんば歩きは当時の人達の生活や仕事から生まれた体に負担の少ない省エネ歩行法でその為旅人は一日キロは歩くことが出来たそうですこれはいい楽に長く歩ける方法があるならと普段歩く時に何度もやってみますがなかなかうまく出来ません腕を振らずに歩くことはなんとか出来ますが右手右足左手左足を同時に出しては不自然で歩けません楽どころかかえって疲れますある日の朝づとめでふと思ったおてふりの動作は基本的に右足を踏み前に出す時に右手を右方に出しなげ振るこれはなんば歩きの動作に似てないだろうか教祖は当時の大和の人達に身近な例えを用いてお話し下されたとお聞かせ頂くあくまで私の勝手な想像だがおてふりも当時の人達には当たり前で自然な体の動きでお教え下さったのではないか私は普段歩く時何度もなんば歩きに挑戦したがどうしても不自然でうまくゆかなかったしかしおてふりは現代人である私にも全く自然に出来る不思議である何を訳の分からぬ事を言っているんだそんなことを考えるよりはおてふりをもっと真剣にやれと皆さんに叱られそうだがでも私にはおてふりの動作はなんと不思議でうまく出来ているのだろうと思われてなりませんこどもおぢばがえりで感じたこと興明分教会長吉岡誠一郎今年で回目を迎える真夏の祭典こどもおぢばがえりが月日から月日まで開催され笠岡につながる少年会員育成会員合わせて人がおぢばへ帰り詰所に宿泊しました丁度この間教養掛の助員として初めてつとめさせていただき詰所におりましたので見て感じたことを述べさせていただきたいと思いますこどもおぢばがえりは少年会がやっている行事という認識から大教会が一丸となって取り組まねばならない大切な縦の伝道との意識を徹底する上から各会各ブロックから委員が選任され総務育成掛ひのきしん掛行事掛といった実行委員会が組織されましたこのたび各掛が取り組んだ仕事内容を具体的に記すと総務帰ってきた団体に感謝状と記念品を渡す育成掛期間中の少年会員の指導育成起床の案内朝のおつとめラジオ体操の進行今日一日の目標めどうの発表中学生わかぎと一緒に夕食後の食器洗いひのきしんひのきしん掛屋外の看板模擬店の看板詰所内の案内板の作成行事掛模擬店の準備運営ビデオ上映詰所内クイズの作成設置しかし上記の掛の他に詰所受け入れのひのきしんの大変さを今回目の当たりにしましたこどもおぢばがえりの期間は修養科生は学校もなく専らひのきしんに励むときとあって半数以上の修養科生が本部の長期ひのきしんに出かけます詰所へ残った人達は事務所の皆さんと一緒に風呂掃除各部屋の掃除またゴミ集めトイレ掃除など平生より何倍も多いひのきしんが待ち受けているわけですそれも早朝から夜遅くまでです勿論食事の準備片付けは言うまでもありませんその量の多さにうち驚きまた暑さが拍車をかけて余裕がなくなり修養科生間に不協和音が聞こえてきたときもあったように思いますしかしさぼろうとする人は誰一人としてなく真面目につとめてくれました模擬店を例にとりましてもスタッフが集合する午後時にはほとんどの準備は出来ているわけですそれは先生を中心に詰めている氏氏また子供の世話をしながら奮闘している氏の力によるところが大だと思います駐車場の誘導係は氏が毎日暑い中をして下さったので大助かりでしたこうした裏方の人達のお蔭でこどもたちは楽しくおぢばがえりを過ごしていることは間違いありません参加した子供たちにもただ自分たちが喜び楽しむのではなく帰ってきた人達に喜びと感動を与えられるようになってもらえたらと思いますここ何年か詰所内のゴミ集めのひのきしんをしてくれている団体もありますこころの詩養徳社発行陽気誌九月号道柳より転載今回の課題は引選五十三句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠川島郷分教会前会長香取敏子引きこもる友にひとことにおいがけ佳詠東悠分教会長夫人田林美智子引き寄せて守護鮮やかに理の世界東濱十三雄共に生き三十七年愚痴などをこぼさぬ妻にチョット救われ人生に折返し点など無い様だ只前を向き勇喜忘れず乱文に長の目通し頂いて感謝し乍ら筆を置きます了各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください間月日火午後時半開講月日祝昼食後解散所大教会全青年会員が教祖のお待ち下さる親里ぢばに帰り集い青年会長様のお言葉に心の向きを揃え更なる実動を誓い合う場今まさに旬集え若人よ万波をこえて布石となろう典日時木午前時場所本部中庭委員部長後継者講習会第回天理教青年会総会八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますくら親神様の一列子供かわいい一条の親心あふれる御守護により日は結構に恙なく生活させて頂いております中でも今は連日三十度を越える猛暑の中にも朝晩の涼しさと虫の音によってわずかではありますが秋の気配を感じる事が出来る等誠に有難く勿体ない極みでございます私共は常に喜びと感謝の心一杯で朝夕におつとめを通してお礼申し上げつつ御恩に報いるべく未だ真実の親心に触れず身上事情に苦しむ人に親心を伝え共に御恩報じの道を歩んで貰うべくにをいがけおたすけにとたすけ一条の御用を勤めさせて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡の名称の理にお許し下された八月の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び感謝の心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には折柄の暑さ厳しき中も厭いませず又遠近を問わず寄り集いました道の子供達が同じ思いに伏し拝み相共にお歌を唱和する真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて世上は政治不安や経済不安又非人道的な犯罪の増加や地震水害に怯える等増混迷の度合いを深めておりますそんな中だからこそ親心に凭れ御恩報じの道を歩ませて頂く事が大切と思わぢかせて頂きますので本日は修養科修了者の集いを開催させて頂いておぢばで直にお育て頂いた者が集まりお互いの親交を深めると共に修養科時代を思い起こしよふぼくとしての自覚を高めて教祖年祭の仕上げにふさわしい成人を求めて一手一つに御恩報じに勤めさせて頂く所存でございます又来月はおぢばよりにをいがけ強調の月とのお声を掛けて頂いておりますのでにをいがけ百万軒を達成すべく又一人でも多くの初席者をご守護頂けるよう力の限り実動に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には親孝心一筋に旬に寄せる皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り人の心が不安から解放され喜びと感謝の心に立て替わり仲良く助け合う陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます期場式実践項目集計月大教会だより教会指令任命願福節分教会前任藤井サトコ新任藤井治喜承認百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い軒回件第七七期修養科教養掛三ヶ月間門脇元教島根分教会長一ヶ月目余村健多古浦分教会長二ヶ月目下田孝德行縢分教会長三ヶ月目吉岡誠一郎興明分教会長修了者直轄上原大安直轄内海史郎久松横山忠男海松ヶ岡山本幹郎呰部河原誠明石市杉原栄司米府大羽晴実弓ヶ濱森川弘志亀田山山下満簸ノ川野津剛神免亀井宏明久松中村京子教会長資格検定講習会修了者前期終講芦加茂小川幸平海松ヶ岡渡邊理恵芦品原美紀皆さぁんこどもおぢばがえり楽しかったですかパレード最高でしたかホップステップマーチング見ましたかあイャイャ親ばか大臣の私くしめ実は私の愛娘が本年四月より教校学園マーチングバンド部に入り頑張ってます中学の時から吹奏楽部に所属し毎日フルートを吹いていた娘高校へ進学どうしても音楽が好きとマーチング部に入部夏のこどもおぢばがえりに向け猛練習父はドキドキハラハラいつものこどもおぢばがえりとは一味違うヤレヤレバカパレードもホップステップマーチングも感激でよくやったくと四月に入学わずか三ヶ月で複雑なドリルをマスターし出来るものだなぁと感心しきりでした何ともはや親バカと上級の会長様夫妻にあきられながらさて残暑厳しき今日この頃ですがそれでも秋の気配を感じはじめそれと同時に教祖百二十年祭が目の前だとあせりの様なものを感じてしまう私くしめでありますが皆様いかがお過しでしょうかイヤイヤ愛娘が高一でわずか三ヶ月であれだけの事が出来るのだから父さんも余すところ三ヶ月仕切ってそして思い切ってダイブするぞと言い聞かしている今日この頃ですが皆様ご一緒にどうぞと
かさおか

『かさおか』第44巻 第8号

をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば引き続き玉造二軒茶屋について述べるこの時の洪水の様子をさとの佐吉八重宛の手紙で紹介する猶先日の大洪水に大きに困りご存知の通り荷物乳母方へ運び又借り宅畳建具箪笥のような物運び候所なかなか斯様な事はあるまいと油断いたし候所大水につき舟にて荷を出して貰いそれゆえ大きに物入油断いたしとあるがこの時の洪水は二度三度と大阪全域を湖のようにしてしまった大阪百年史によれば六月上旬からの雨で十日土佐堀川の水量は三五メートルに達し十七日夜天野川堤防と三矢村の淀川堤防が決壊したその被害戸数は一万四千戸続いて七月二日枚方付近で堤防が決壊したその後大阪市内の浸水が甚だしく中之島等では軒下十五センチまで浸水しかろうじて屋根に避難した人が舟に救いを求めた結果天満天神の両橋をはじめ大阪市内のほとんどの橋は流失した府下全域の被害は流失家屋二万六千余戸死者二百九十人余を数えた大教会史にはこの時洪水の為さとは多くもない金をほとんど使ってしまい懐中に二円残っただけであった東が後東大教会初代会長になった佐助をさとはこのように呼んでいた東京へ行くについて船賃が七十五銭足らぬというので又出して残りが一円二十五銭となった私はとても心細かったとあるこの時佐助は東京の碇清水という畳表商に勤める事になっていたその月給の二十五円の内五円をさとの許に送るという事だったのであるが佐助は東京に出るなり腹部に大きな腫れ物ができて勤めどころではなくなり結局さとの許への仕送りはなかった木から落ちた猿のようなさとの生活は生まれたばかりのフサを抱え長男鹿造手伝いのお雪の四人であったがその苦しい生活を見かねて実家川合家から九月上旬鹿造を引き取りに来たこの時の模様を笠岡分教会史には次のように述べている鹿造を伊賀へやったのはお房が生まれてから後の事どうで其の年の九月初頃の事やったろ鍬吉椿卯之助氏と同じ備佐の店員が大島備佐の老舗を購入した店へ奉公して伊賀伊勢の得意廻りをして居ったのでその序でに川合に寄って話したのやろそしたら兄が子供なら一人くらい世話してやろうという事で向こうから人を以って連れに来た籠の一方へ鹿造を入れ一方へ荷物を載せて連れて帰った夫れから十二の歳まで伊賀に居った初代はそうした中常に笠岡へ帰った舅姑の佐吉八重の上を案じて手紙を書き八重の状態が悪いと聞けば本田の井筒氏芦津大教会の元の元に出向きお願いづとめをしてもらい御供さんを笠岡へことづけたりなけなしの生活費の中から盆暮れの節季には高野豆腐黒砂糖佐吉の好みだった等を送って機嫌を伺っているこの年明治十八年暮れ頃には手紙の中に大阪の方規則立て行き候との言葉が出ている規則立つとは大阪の言葉で生活がきっちりとできるという意味である初代はこの中何度も佐吉八重夫妻に大阪へ出て来るように勧めているそれは佐吉の希望でもあったしかし笠岡へ帰って後寝たきりとなった八重の事を考えると佐吉はどうしようもなくいっそさとに笠岡へ帰ってほしいと思うようになった今から思えばはかり知れぬ親神様の思召であったのかも知れない何度も手紙のやりとりがさとと佐吉の間で行なわれ佐吉が大阪へ来たり最後にさとが笠岡へ出向き翌明治十九年六月さとは規則立ち始めた大阪玉造二軒茶屋での生活を終えて笠岡の舅姑の許へ身を寄せる事となった史料部長上原繁道青年ひのきしん隊に入隊して上下分教会押尾啓司僕は始め入隊したときものすごく緊張してドキドキしていたけど皆やさしい人達ばかりですぐに緊張感がとれて周りの人とも話せるようになりものすごく楽しく思えてきてこんなに楽しい所だとは知らなかったひのきしんのほうでは始めに日ぐらい雨が降りどうなるのかと思ったけどその次の日には晴れになり少し動くだけで汗だくになりカンカンでりの中でパレードスタンドの設置にいどみ皆なれた手つきで次とパレードスタンドを組立てるのに必死になり時間をきにすることなくあっというまに半分ぐらいできて皆疲れた顔すらみせずにむしろ心の中まですっきりとしたような感じでまだまだできるという表情でしたそしてパレードスタンドを組立てることができた喜びをかみしめながら皆パレードスタンドをあとにし次のひのきしん現場へ行くのでしたそのあとつの班に別れて別のひのきしんを何回かしてそろそろ一個班でやりたいと皆が願っていたら次の日のひのきしん現場が久しぶりの一個班と先生が言うと皆おお喜びではしゃぎ夜の手をどり学びとおふでさきと諭達を拝読し終りそして夜の挨拶をしたあと皆で楽しくご飯を食べながら飲んだりしゃべったりして皆楽しそうに自分の話や趣味の話などをしてその他色な話していましたそして次の日には気を引き締めてひのきしんにはげみ皆楽しそうにひのきしんをしていました僕が一番楽しみにしていたひのきしんは蛇谷山でいったいどんな感じの所かと思っていたら他の人はあそこは危険だから気を引き締めていどめといわれ声をだしていかないと痛いめにあうといわれたそしていよいよ蛇谷山に行く日が来て僕も皆も気を引き締めてついに現場につき準備をととのえいざひのきしん現場に行くと僕が想像していたのとちがっていておどろき皆がいっていたことが理解できたものすごく急斜面で一歩踏みはずせば転げ落ちてしまう所だというのがわかり慎重にあがりそしてでっかい丸太を皆でしたに落としその作業をくりかえしながらひのきしんをさせていただき無事に作業が終り皆ケガなく一日とおらせていただきました今回初めて青年ひのきしん隊に来て僕は感じましたそれは皆楽しくひのきしんにうちこむ姿がすばらしく感じてときにはハメをはずすようにさわぎとても楽しそうにしている姿に感動してもう一度このひのきしん隊で汗を流しそして勇めるような心でとおらせてもらいたいです本当に青年ひのきしん隊に来て楽しくすごせて心の中までキレイになる感じがしてとても楽しい一ヵ月でしたぜひ皆さんも参加してみてはいかがですか自分が思っているよりかはとても楽しい所ですありがとうございました今年のこどもおぢばがえりは月日が台風の影響で雨となったが翌日から最終日の月日までは好天気というより正に酷暑という中に日間で万人余の帰参者でした大教会では日の髙屋団体を皮切りに各ブロック教会単位で次と帰参が続き詰所は連日子供達の明るく元気な声で活気のある毎日でしたしかし年子供達のマナーが良くなったのか大騒ぎをしたり暴れてけがをするということもなかったようで結構なことでしたまた今年から育成掛による朝のおつとめラヂオ体操目標発表などケジメのある日課となったようです例年のようにやはりお楽しみの一番はなんといっても中庭での模擬店でしょう育成掛のお兄さんが威勢よくけずったかき氷やお姉さんが丁寧に揚げたフライドポテトはおやつの定番で一番人気でした今年初めてお目見えしたパットゴルフはやはり男の子に人気集中で将来のプロを目指そうとしているのかクラブをにぎりボールを見る目は真剣そのものですまたおなじみの館内クイズも好評で詰所のあちこちで友達どうし相談する姿がみられましたところでことしも直轄福山高屋島根の鼓笛隊が日頃の練習の成果をお供え演奏しました子供達にとって神様と真剣に向き合う場面があるということは素晴らしいことです毎年感じることですがこどもおぢばがえりは面白さだけだったらディズニーランドに負けますがなによりも手作りの素晴らしさ欲を忘れたひのきしんの心意気を感じたときには無条件で熱いものがこみあげます少年ひのきしん隊のお茶いかがですかお茶いかがですかという声と真に明るい笑顔はこれでお道は大丈夫だと思わせる一方詰所では人が見ていない食堂裏で一人もくもくと大きな鍋を洗っている人は徳人だなあと遠方で見てしまう今年も大勢の心と体の一手一つが私たちに感動を与えてくれましたこどもおぢばがえりありがとう少年会団長中島誠治盛況だった模擬店詰所内クイズとパターゴルフ少年会からおぢばがえり実行部として活動が変わった今年からの詰所行事今年から新たにパターゴルフも加わり詰所二階の渡り廊下で多くの子供達が参加し楽しむ顔が見れました盛況だった模擬店も多くの方の尽力とひのきしんによって沢山の子供達に喜んで帰って貰うことが出来ました紙面を借りてお礼を申し上げますさて詰所内で行われたクイズですが今年は昨年の倍以上の回答がありました全部で人がクイズに参加してくれ次の少年会員の皆さんが最高得点を獲得しましたおめでとうございます景品を全員に渡したいのですが約束通り各部より名ということで行事部で厳正に抽選しました結果当選された方に抽を名前の後に記載しました後日景品をお渡しいたします最後に今年のクイズの問題と解答をこの紙面に掲載させて頂きます来年も楽しみにしていて下さい大教会こどもおぢばがえり実行委員会行事部主任上原志郎小学校低学年の全問正解者谷本たつや小やぶあやかみしまたくみたにかいとさとうはな竹本彩乃無記名小学校高学年の全問正解者さくらはずき安達亜妃門脇里央内田絵美竹下つかさ湯浅紀子湯浅郁子門脇祐子上野眞夏市木藍吉岡ちなつ津國葵久富ひかり森田真由山本みすず無記名髙屋大恵山抽大恵山抽大恵山抽福芦抽福芦抽枚島根島根島根雲東簸ノ川簸ノ川簸ノ川抽亀田山抽興明興明抽興明興明興明興明抽興明抽枚中学生全問正解者無し問正解者は富岡祐希西山竜矢安原隆平北川歩内海由喜吉岡賢哉立石正大棗田祐一朗竹本裕貴余村喜久代田中匠無記名稲倉抽稲倉稲倉稲倉抽葦陽福芦福芦抽福芦抽福芦抽多古浦簸ノ川枚順不同こどもおぢばがえり詰所内クイズ問題と答え低学年みんながさんせいしてのむのみものはなあに答えソーダとにはさまれたまとはどんなやさい答えトマトいろがついていてもしろいというたてものなあに答えしろ城つかうときにほねがのびてつかわないときにはほねがおれるものなあに答えおりたたみかさかさんんてなあに答えにんじんいつもまんいんのくるまなあに答えきゅうきゅうしゃでかけてもすぐにもどってくるいきものなあに答えかえるいつもころんでいるばかりのむしなあに答えばったてんとうむしはでもはというとりなあに答えにわとりかみはかみでもこわいおおきなかみはなあに答えおおかみ高学年高いたてものにぼうを一本いれたらあわのでるのみものになったよさてなあんだ答えビールさいしょはしろいけれどたべるときにひやけをしてでてくるものなあに答えトーストおもち食パンはが本だけのいぬってなあに答えしばけんきれいな声でなくいすはなあに答えうぐいす顔の中につを書いて泳ぐ魚なあに答えかつお目の上に鈴をつけているとりはなあに答えすずめぬるぬるしているのに焼くとカバになるものなあに答えうなぎ目の前にいるのにいないと言われる動物は答え犬ドアをノックすると出てくる動物は答え豚トントンきつねこんこん誰かが来るまでじっと待っている虫は答え松虫中学生どんな魚にもしがみついている子は答えうろこ目にヒゲがはえた生き物は答え貝犬をあっというまに大きくするにはどうする答え点を取る大しったかぶりをする鳥と魚は答えたかぶり蔵の真ん中に字を書いたら動物になった答えくじら動物のイモリが持っている甘いお菓子は答えもなかリンゴの下に隠れている数字は答え顔の周りが全部耳の食べ物は答え食パンレストランでお茶を半分下さいといったら出てきた食べ物は答えチャーハンおじいさんが孫を逆さにして振ったら何かが出て来た答えゴマ感想文より佐木亨僕は今回初めて学修に参加しましたが来てよかったと思っています僕の班はほとんどの人がいい人でしかもカウンセラー講師の先生共に素晴らしい人達ばかりで本当にメンバーに恵まれていましたやはり最初はあまり話せませんでしたが班長になった人が沢山話してくれて皆を盛り上げてくれました少し恐そうな感じの人もいたけど少し話したら見方が変わったりしました初日はチームエクササイズがあって軍隊の練習みたいでした僕は野球してたし声出しも経験していたからあまり苦痛ではありませんでしたそれが終わるとみんな帰りたいとか何できてしまったんだろと言っていましたけどそれを一緒に乗り越えた仲間達は日目にもかかわらず心なしか団結していたかと思います元メンバーはほとんどがいい人らばかりですぐに仲良くなりましたでも本当の友達とはまだ言えませんでした僕らの班に人だけはみだしぎみの女の子がいましたそこで男子のみんなで夜に話をしました始めはみんな気持ちを出さなかったけど段と本音でトークをするうちに話しに熱が入り皆の心がつながった気がしますそれからは毎日のように本音トークを続けて消灯過ぎても部屋に集まって怒られながらも班を良くしようとトークを続けましたそれからカウンセラーの先生講師の先生も熱心に生徒と話したり考えたりしてくださったおかげでだいたい男女なじみましたしかし男子に一人だけいい加減な人がいてけんかになりましたそれで皆が言いたいだけ言ってたくさん泣きましたそしたら次の日その人も心をいれかえみんなが一丸となりましたはみだした女の子も最後には笑顔を見せたりしていましたそしてみんなが大泣きして別れましたこの学修でみんなが最高の仲間になりましたカウンセラー講師メンバーお世話してくれた人皆に感謝ですそして天理教万歳ですこれから無理をしない範囲で天理教をより信仰していこうと思います高島元恵初めて学生生徒修養会に参加していきなりチームエクササイズがあってどんなものかなぁと思いましたチームエクササイズはきびしいけど後からすごい声を出せてのでよかでした夜のあいさつで足がつかれたりしたけどりょう長先生の話の時にすわれたのでらくでした日目は朝づとめで早く起きらないといけんでねむたかったですレクチャーはねむくてねてしまった時がありました日目にひのきしんをしてめんどくさいかと思ったらすごい楽しかった日目にワークショップをしてちょっとつまずいたことがあったけど大きな声ではっきりといえたのでよかったです日目に楽しかったことはチームマーチングチャンピオンシップでグランプリをとってすごいうれしかったです班日目に大きな行事として感話大会を見ました感動するような話しで涙はがまんしてました全体のつどいでちょうもりあがりですごい楽しかったです退寮式ですごいさみしくて涙が出て歌えにくいと思ったら歌えたのでよかったですまだ学生生徒修養会に行くかは決めてないけどひまだったらまた行こうかなあっと思いました以上です田中道徳自分はこの学修に参加して色なことたくさんのことを学びましたたくさんありすぎて全ては書けないけど今までの自分を特に変えてくれたものを書きますまずは学修中に見せてもらった身上ですこの身上は学修の日目折り返しの日に出てきましたその日から自分は班の皆と共に歩いたり行動したり出来なくなり毎日のように救護室所に行っていましたこの身上は辛くて何度もくじけそうになりましたでもそんな時班のみんなやカウンセラー寮の方救護の方に励まされ何とか無事に学修を終えることが出来ました自分が辛いときに大丈夫ガンバレと声をかけてくれたことが自分の力になり元気の源になりそして友情人への優しさ生きることの辛さと楽しさ感謝を自分に教えてくれました最後に班の人やフロアの友達寮の人たちそしてこの学修で出会った全ての人たちです自分の辛い時には励ましてくれたり悲しい時には一緒に悩んでくれたり楽しい時に一緒に楽しんでくれる人ばかりですこの人がいなければ今回の自分の学修はなかったと思うし新しい自分を発見することもなかったと思いますこの学修の経験や楽しさ辛さいろんなものを一生忘れずこれから生かしていきたいです学修サイコー内田沙織最初は私は口べただけん友達が出来るか心配だったけどみんなフレンドリーでたくさんの友達ができてうれしかったですあと私は日目ぐらいからおなかがいたくなったりかぜでせきがすごいでたときにみんなが私のために涙を流しながらおたすけをしてくれましたそのときはこんなに私のことを思ってくれて心配してくれる大切な友達がいてくれたんだなぁってすごく感動して涙が止まりませんでしたとてもうれしかったですでそのおたすけのあとぐらいからなんとせきが止まりだいぶんらくになりましたそうならしてくれたのも大切な友達カウンセラーや親神様に感謝しなければいけないと思いました本当いろんな面で楽しいことつらいことうれしかったこと学んだことがあっていい経験ができたし良い思い出になりましたまたこんども学修いきたいと思います学修サイコー修養科そしてこれからの私大教会上原大安私はから三ヶ月間の修養科に志願させて頂きました一年間通っていた大学を辞退しそれから一番早い時期がこの期だったので迷う事なく自ら志願させて頂きました私がこの修養科に来させて頂いたきっかけは自分で感じる自らの癖性分の改善又大学に入ってからの自分の天理教に対する不満や疑問の確認をしたかったからです修養科生活が始まって一ヵ月目は自分でも反省の連続でした全く知らない人と共に生活をして行く事に少し戸惑い慣れない早起きや起床とともに始まるひのきしんや毎日の修練自分の当初修養科に志願した目的を考える暇もなくただ生活のペースを掴む事に精一杯気がつけば本当に風のように過ぎてしまった一ヵ月目でしたでもそんな一ヵ月目の生活の中でも国所から集まったいろんな年齢層の人と関わり十人十色の様な価値観や考え方に触れ合わせて頂いた事は本当によかったと思いました二ヵ月目に入ると段生活のペースにも慣れ詰所だけではなく学校でもいろんな人と触れ合う機会が多くなりました学校での感話の時間や修養科の先生方から頂くいろんなお話しなどは私にとってとても貴重で有意義な時間に感じさせて頂きましたそして二ヵ月目の末から三ヵ月目の頭にかけて行われる天理の大イベントこどもおぢばがえり修養科での授業はなかったもののそれに代わり詰所や又おぢばがえりの特別ひのきしん息をつく間もない程に忙しい十日間でしたでもその中で共に頑張る修養科やひのきしん者帰ってくる多くの人達の笑顔などに元気づけられしんどい中も喜び心で通らせて頂いたのを覚えています今私は修養科三ヵ月目の中頃を向かえています私にとってこの二ヵ月半という修養期間はとてもよかったと思えるし自分がやるだけの事は精一杯やってきたと胸を張って言える自信がありますただあなたはここへ来て何を得ましたかと言われても多分今の時点では何かと具体的には言えませんそれはここで経験した事や学んだ事をここを出た後に自分がどれだけ日の生活に生かせるか意識を持ち続けられるかで決まると思うからです今の時点間違いなく言える事があるとすればここに来て本当によかったと思える自分の気持ちだけです残り少なくなった修養生活ですが私は今月の詰所月次祭の祭主という大役を頂いていますしこの今の気持ちを忘れる事なく当初の目的を忘れる事なく精一杯通りきらせて頂きたいと思います修養科生活も終わりに近づいて久松分教会中村京子修養科に志願して実際におぢばに来るまでめんどくさいいやだなぁーと思っていましたヶ月も地元から離れおぢばで過ごす事を苦痛にしか思っていませんでした実際に修養科に入学してみると楽しくて友達はたくさん出来たし毎日が楽しかったですこの多い修養科生の中で同じ地元や地元が近いととてもうれしかったのを覚えていますひのきしんでは夏の大イベントこどもおぢばがえりは大変だったけど子供たちの笑顔を見るととても楽しかったです長期ひのきしんでも代理としてしか当たらなかったけどいろいろなひのきしんをさせていただきました修養科生でしかめったに入れない神殿お守所や会議所地下道のひのきしんを回ずつですがやらせていただきました他にはおふきん洗いのひのきしんには何度かさせていただきました代理でしたがこんなにいろいろなひのきしんに参加させていただいたのでうれしく思っています私はこの修養科で別席のお誓いの言葉から勉強させていただきました別席では少し寝てしまう事も何度かありましたが席を運んで行って満席に近づくにつれておさづけをいただく日を待ち遠しくしている私がいる事に気付きうれしく思っています朝などはことに早く朝の弱い私にはとてもつらかったです早く起きれない事で同期の修養科生さんに迷惑をかけてしまいましたでもそんな私に少しずつでいいから起きておいでととても優しい言葉をかけていただいてとてもうれしかったですこの修養科では大切な友達と大切な笠岡の同期の修養科生さんなどいろいろ大切なものをいただきました最初は早く帰りたいと思っていたけど少し帰るのがさみしくなっています先に修養科を修了した人の話を聞いているとヶ月はあっという間だし帰りたくなくなるよと言われて本当かなぁと思っていたけど実際にヶ月間をもうすぐ終わる今の私には分かる気がしていますヶ月間本当に楽しかったです談話室出合いその三ノ神村分教会前会長下田輝夫前生の因縁よせて守護すると云われる夫婦の出合い縁は異なものと云う世間の言葉夫婦となるべき男女の出合いこれは実に不思議なものであり又面白いものだと思います私事を述べて紙面を汚す事を御許し下さいまして御目を通して頂ければ幸せに存じます若い頃を振返ってみるに私には四回出会いの機会がありました最初は同じ年のいとこを貰えと伯父が仲に入ってくれて話がきまりすぐに挙式するのでなく約束だけと固めの酒を納めました所がこれは事情が出来て御破算になりました信仰に無関心だったのでこれで良かったと思っています次にありましたのは部内の布教所長さんがこに良い娘がいるから見合いをしないかと昼に届いた手紙に書いてあって其の日の夜本人を連れて家まで来て下さった其の頃結婚の事など全く考えていなかったのでこれには私も面喰ってエーッてなもんで実は其の頃松永市消防団のポンプ操方大会自動三輪車の部で優勝して県大会に出場する為に毎晩小学校の校庭で訓練をしている時で選手六人の中一人欠けても訓練が出来ないので折角ですが話見合いなんかして居れないとお客さんをほったらかして訓練に出て行った申し訳ないけどその気がないし余りに急な事で私も対応の仕方がないその夜は家に泊って貰ったが私の帰りは夜中近くである翌日その気がないのでとお断りしたが後日その娘が私の印象を声がとてもきれいな人だと云ったと聞かされ今迄何とも思っていなかった自分の声をいささか気にするようになったそれから何年か過ぎて或る宴会で下津井節を歌った時同席していた福山市内の大きな呉服屋の奥さんから貴方の声を買えるものなら百万円で買いたいとずい分ほめて頂いた事があるカラオケのまだ無い頃である自分では何とも思っていない声をこんなにまで云われるとは自分の声を自慢する気持は毛頭ありませんが高く評価して頂いて本当に嬉しかったのと親に感謝の気持が湧いて有難いと思ったのは事実です柔か優しい言葉人様に喜こんで頂ける声の使い方こんな事を思う様になったのはこの頃からでした話は横道にそれましたが三番目にありました話は私の理想とするものを九九九九パーセント兼ね備えていると思える良い娘の出現でした二三回会っただけで長い付合いをした訳ではないが何故か心をひかれてこの人を仲に立てたら絶対になると勝手に思い込んでお願いしたら返事はノーと返って来たこの時私の心に浮かんだ事は神様が私に丁度良いと思われればの返事神様がこれはいけないと思われればノーと云う返事が来るだろうとこんな気持になっていたそしたら私の思いに反してノーと云う返事が返ってきたのである以下次回に親は有り難い苦労は宝道は素晴らしい米府分教会前会長三代正道戦前戦中戦後と激動の中齢重ねて八十年動員学徒兵の学友も随分と若い命を散らせ痛惜の極みです幸い生を得て戦後六十年の節目よくぞ色な道すがらの中叱られ励まされお導き下さった先人達にお礼を申している日です私の祖父米府分教会の初代を知る人も私一人となりました小学四年の頃神殿前の松の枝先の色を眺め乍ら今誰が難儀をしている早く誰かお助けに行ってやれと全く眞の出来事に子供心に神様だなァと感心したものです生涯を助一条三昧に捧げた初代にふと浮ばして下さった理でしょう常識外のことでした六年生の修学旅行は父と担任先生との会話の一言で二人中私一人が不参加でした現在は不可父答えて曰く此の子は將来日本全国を廻らねばならぬ日が岐度来るから今は関西旅行には行かせませんとの事暫く父を恨んで泣き通しました今にして回顧すれば若い中にしっかり出来ない辛さを通らして置かねばと云う父の親心に感慨ひとしおです父の言葉通り国内海外と随分歩かせて頂きました私の教会長二十年間七十年祭の前には教祖恋しさに親に内緒で自転車で殆ど石がら道の道中野宿を重ね天理時報を配り乍ら三日掛けておぢばへ到着眞棟一番最初のやかたの堀り方ひのきしん重機もダンプも無く人海戦術で全員ひとことはなしはひのきしんの歌を口ずさみ乍ら感激一杯で青年の意氣を燃やしました教祖八十年祭頃故上原郁雄前会長様より戦前サハリンに在った教会樺島分教会を移転復興せよ然も笠岡部内では東京以北には名稱が無い故必ず北海道内でと云う嚴命を頂きました信者も無く金も無く途方に暮れ兎角腹の立ち易い私そんなこと出来るものかと前会長様を心の中で睨みました然し父も既に晩年でしたがいや親の言はれた事は信じて通れ教祖は働いて下さる必ず成って来る精魂込めて通れと諭し励まして呉れましたお陰で十年後苫小牧市に復興の御守護を頂き奉告祭には前会長様が私も無理を言ったが心の中は君以上につらかったんだと帰路札幌空港で言はれ肩を抱き合って喜んで下され私の形見だと思って見守ってくれとよろづよ八首の額を書き残して下さいました親は有り難いですね八十年祭より百年祭へと大教会移転建築詰所ふしん親里やかたふしん本部神殿建築上級島根及び自教会の建築と全く息つく暇も無い程の御恩報じの連続でした上級島根の役員会でも未だ足りん借金してでも運んで来いと故四代会長様のお仕込み皆どうしたものかと思案顔の中必ず出て来るのは笠岡の分離昇格問題北礼拝殿建築にまつわる御本席様百日のおさしづ談じ合いは長時間に及びました当時の用木の方は眞に私心を捨て伏せ込み一杯とつないで下さいました筋金入りの信仰でした時用木の後姿を拝みました詰所も大祭月誕生祭子供団体と超満員廊下で寝たり他の施設や詰所にも赴きましたが一寸も苦になりませんでした今なら大分文句も出ると思いますが信仰は感激一途ですね昭和三十年代島根参拝にオンボロ車を手に入れ四十粁の道程でしたが途中で何回も動かなくなハサるのです暖房も無く豆炭アンカを股に挿んでいた父が又島根の祭典に間に合わずもう終わる頃だなあーと然ししんどの中に実が有る楽の中に実はない岐度神様や島根の会長様は喜んで下さる今持ってるお金で車は買えるが先楽しみの実の種にしておくからなーよう覚えて置けと今でも父の冩眞を見ると私の不甲斐なさが思われてなりません初代の頃より教会の伝統で食事は住込人入り込人教会長家族全員一緒です今も同じです精神病アルコール依存症身体障害者生活保護家庭崩壊失職離婚孤児等寄り合い世帯でした皆用木となって頂きましたが成人への道は仲ですね道の上には徴細な私でしたが以来教区長十二年間も合せて両眞柱様のお入り込みも頂戴し其の間脳くも膜下出血肺氣腹膜血と危険な手術も重ね今日迄不思議な御守護に導かれ尚先般五日福祉用木として突然に叙勲の栄に浴し家内共皇居に参内陛下の拝を賜わり改めて本部神殿に参拝疊の上にしたたる感激の涙に頭も上がらず数十年の年を忘れて励まして下さった親先人達の遺訓を想い返し先人の足跡に更に親孝心の思いを重ねて命の限り道の御用にお使い頂き度いと教祖にお誓いいたしました毎日が有難い勿体ないの心一杯です軒回件実践項目集計月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願いこころの詩空と心と太陽と詩かくしん養徳社発行陽気誌八月号道柳より転載今回の課題は身選六十三句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠故油木分教会長黒瀬修弍身に余る使命尊び日勇み病喜録むそとせ東濱十三雄あの日からもう六十年も過ぎたのか戦艦大和の模型静かにつぎと水晶玉が落ちて来るく半眼にして点滴数えさわやかな風の香りに秋桜がふれあいクラブの花壇で唄う一ソーラー目をとぢて両手をひろげ心開いてとび立つ思いにソーラー明日を夢見て東に太陽残月西に二ソーラー青く青く高く心すましてすみきる思いにソーラー鳥等の喜び夏の太陽稲ほみのりて三ソーラー真赤にもえる情熱の心もやしておどる思いにソーラー明日への希望しづむ太陽感謝よろこびひのきしん各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください全青年会員が教祖のお待ち下さる親里ぢばに帰り集い青年会長様のお言葉に心の向きを揃え更なる実動を誓い合う場我が分会の青年会員こぞってぢばへ結集しよう典日時木午前時場所本部中庭第回天理教青年会総会第回女子青年大会テーマあふれる御守護に感謝して笑顔で喜び伝えよう主催婦人会本部内容ビデオ上映式典婦人会長様からのメッセージ他記念講演対象女子青年参加御供円日時会場は月号掲載の一覧表を参照願いますひとりでも多くの参加をお待ちしております七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には元の親実の親とて一列の子供かわいいの親心から天然自然のお働きを通して自由の御守護を賜りお育て下さいます事は誠に有難い極みでございます加えてめへくのみのうちよりのかりものをしらずにいてハなにもわからんと身上や事情にしるしを見せるだけでなく火水風の御守護に異常を見せて心の成人を促して下さいます事は勿体ない極みでございます早くからお道にお引き寄せ頂きました私共は常に喜びと感謝の心一杯に朝夕に御礼申し上げると共に成ってくる理が成人への導きである事を未だ判らず苦しみに喘いでいる人に少しでもその思召を伝え御恩報じの大切さを伝えるべくにをいがけおたすけに励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はぢばに於けるかんろだいのつとめの理を受けぢばの理につづいて勤める大切な御祭日でございますのでおつとめ奉仕者一同心を引き締め陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて七月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には暑さ厳しき中も厭いませず寄り集い言改めて御礼申し上げる皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます又今年も子供おぢば帰りに一人でも多くの子供さんを連れ帰り親神様教祖におぢばへの伏せ込む姿を御覧頂きたいと存じますのでどうぞ事故怪我等ないようお連れ通りの程をお願い申し上げます更には又教祖百二十年祭まであと六ヶ月となった今日尚一層年祭への成人の思いを強くし教祖にお喜び頂けるよう御恩報じに徹してにをいがけおたすけにと邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には教祖年祭に寄せる皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り人の心にかしものかりものの理が治まり喜びと感謝の心に立て替わり共にたすけ一条の御恩報じの道を歩む人が弥増しお望み下さる陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます式大教会だより教会長資格検定講習会修了者後期終講米府塩田能往前期終講甲井山田耕治多古浦田中邦枝第七六九期修養科一期講師簸ノ川津森朋之直属ひのきしん特別隊営繕陽實下宮真治日勤務芦加茂小川幸平上下山野季彦芳井山口晃司日ずつ交替で勤務こどもおぢばがえり詰所受入ひのきしん順不同神邊小坂百合子髙屋福田和子簸ノ川津森一重海松ヶ岡森本洋子久福佐藤憲美東城横山逸郎引野谷屋富男金浦西江昌直吉舎時宗真一吉舎茨木百恵吉舎瀬尾明代瑞雲豊田俊美出雲高島直道明石市西江絹恵島根面谷美惠子訃報黒瀬修弍氏大教会準承事油木分教会長八月八日出直されました享年六十八才教祖百二十年祭があと半年足らずと切迫した今日私もある事からやっと重い腰が上がり戸別訪問に出させて頂く様になりましたお宅では困り事や悩み事はございませんうちかいや家では皆幸せに暮らして居りますと大抵その様な返事をされる取りつく島なくお茶を濁して引き下がる時にはで困っているが何をしてくれる何が出来るのかと怒られる事があるそんな時にはこちらが一番困る諭達二号で真柱様は年祭活動の成人の歩み実動はをやの思いをにをいがけ自らが教を日実行し身近な人達に信仰の喜びを伝える事又身上事情に苦しむ人のおたすけは元を教えてたすけることであるとお諭し下さいましたそしてにをいがけドリルはそれを楽しみながらする方法を教えてくれているしかし要は相手が何で困っているかそれが分らなければ手あては出来ないし前へ進めない当教会でのにをいがけおたすけ実修会に来られた若い女の会長さんは訪問先の奥さんに会った時主人のギャンブルで困っておられると心に浮かんだのでお話しさせて頂いたら大変熱心に聞いて下さったと伺いもう大したもんだなぁと感服致しました教祖は貧に落ち切らねば難儀している者の心が分らないと仰有ったにをいがけに出て難儀している人をさがしているこちらがしっかり困って難儀させて頂いてその人を一目見ただけで何で困っているか見えて来る様心を落させて頂き果てしない親心に微力ながらお応えさせて頂きたく思って居りますえ
かさおか

『かさおか』第44巻 第7号

玉造二軒茶屋をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば初代上原さとの生家は伊賀上野の西町に在るそこから三百メートル程西が鍵屋の辻であるインターネットの大和街道を歩くの中に次の文章がある鍵屋の辻を過ぎて少し歩くと木津川にぶつかりますここに淀川遡行終点の地の碑というのがありました大阪から登ってきた船はここまで来たのでしょう又当時の上野から京阪神方面への物資運搬について次のように記されている米や茶雑穀などは相楽郡大河原にあった舟場かそこから四キロ程下流の笠置の舟問屋に運ばれる道中の大和街道は険しい山道で荷車さへ通れない峻険な山道だった初代は二十歳で大阪久宝寺町の金具問屋折井家に塩踏みに出ている行儀作法見習いの奉公を当時塩踏みと言った初代はなかなか気丈で大阪の某旅館に泊まって自分で口入れ屋職業を世話する処に行って決めたというこの時の川合豊初代上原さとの結婚前の名前の身許引受人が備佐上原佐吉だった初代の生家前清と備佐は商売の取引上以前から極く懇意で始終往来していたからである上野から大阪へ出るのに上述の笠置越の難路と柳生を通って奈良へ出る路がある従って初代は大阪へ向かうのに荷運びの舟に乗せて貰って笠置まで下ったのかも知れないそれから先は木津から南都奈良へ出て暗峠越えで玉造への路であったかあるいは木津川から淀川を経て天保山へ水路を辿ったかいろいろ考えられるどちらにしても当時二十歳の女性が独りで大阪へ出るのは大変な事だったと思うここに玉造二軒茶屋の碑がある大阪環状線の玉造駅のすぐ傍であるすぐ傍といってもそうと知って探す分には造作ないが記憶は三十年前見つけにくかった二日がかりの史跡探訪の一日目五月四日午後駅近辺始め東雲町の辺りを車で廻って探して見つからず夜詰所のパソコンで検索して初めて場所が分かり五日早朝現場に赴いた玉造二軒茶屋碑にはこう記されているこの路の両側に明治中期までつる屋ます屋の二軒の茶屋があった市中から暗越奈良街道を旅立つ人の多くはここで見送りと別れを惜しんだ又碑の後に立つ説明文にはこの付近は旧奈良街道への大阪側からの入り口で街道の南北両側には旅行者めあての茶店があり俗に二軒茶屋と呼ばれて繁盛したとある初代会長はもし陸路を通ったならこの二軒茶屋で一服し大阪に入り明治十九年大阪に別れを告げ笠岡へ立つ一年をここで過ごした思えば明治三年から十九年この十六年間は初代にとって有為転変の激動の時であったその始まりと終わりがこの玉造二軒茶屋という地名に関係があるのも何か興味深い明治十八年備佐のあらかたの整理を終えて佐助さと夫妻は東区玉造東雲町一丁目五番七号の借家に移ったすでに佐吉八重の老夫婦はさとの長女光佐助の妹イシと共に笠岡へ帰った十八年六月下旬降り続いた雨で大阪は空前の洪水に見舞われたこの時さとは身重で洪水のさなか陣痛を催したさとは親神の名を一心に唱え洪水が引く迄しばらく出産を延ばして頂きたいと願った不思議にも陣痛は治まり無事その場を切り抜けた後八月一日末女ふさ後の摩耶分教会初代会長川合梅太郎夫人が誕生した七月二十四日洪水の引くのを待って主人佐助は店員椿卯之助を連れて東京の碇清水備佐の取引先の東京での畳表問屋を頼って上京したこうした状況をさとは笠岡の佐吉への手紙で木から落ちた猿と表現している史料部長上原繁道少年会笠岡団では月日に少年会本部委員井筒夏夫先生をお迎えして縦の伝道講習会を開催しました井筒先生は祭典講話として自らの体験を通して子育ての難しさと共に信仰の伝承の大切さを分かりやすくソフトな感じでお話くださいましたまた最近のこどもおぢばがえりの傾向としてだんだんと小グループになってきているそれに伴い育成会員が割合として増えてきているがこれは家族そろっての参加が増えてきている証拠ですとお話くだされました子供達が一年の内で一番心身ともに成長する夏笠岡団では全教会からの帰参を心定めさせて頂いております育成にあたる私たち大人がおぢばがえりの喜びをもって仕込みのポイントを念頭において三つの約束を実行する姿を子供達に写し勇んで道の後継者育成の御用をつとめさせていただきましょう少年会団長中島誠治何ヶ月も前から練り上げてきたこかん様に続く会の日がやってきました日早朝大教会を出発夜にはおぢばの子たちも集まって賑やかになったところで支部長様よりお話を聞かせて頂きましたまずおぢば帰りや教会参拝の大切さ日の生活の中で自分から何かしら不自由させて頂く事で感謝や喜びの心が身についてゆき自分の人生を幸せと感じる心が出来ることなどお話し下さり今回仕事を休んだり試験発表中にもかかわらず参加してくれた会員たちに皆はこの二日間という時間を自分のやりたいことをお供えして伏せ込んで参加してくれたネとお労い下さいました又お道の者は日常生活の中で心を磨く努力をさせて頂く里の仙人でありその中で女子青年というのは同じ悩みを持つ同世代の女の子達がひながたをお手本にさせて頂きながら伏せ込ませて頂く場であり自分の得た経験を人に伝えられるようになってほしいとお話し下さいました一時間半に亘ってあれもこれも話してやりたいどんなふうに話したら女子青年の子たちにわかる理解できるだろう支部長様の熱い親心が伝わってくるお話でしたお話の後はお楽しみ行事です委員の用意したゲームやおやつに今までつながりのなかった会員たちがほんとうに楽しそうに和んでいる様子を見てよかったなあこの子達がこれから一緒につながって行ってくれたら素晴らしいなあそんな思いでいっぱいになりました翌朝は四時起床して教祖のおでましを参拝させて頂きましたおぢばに帰ればいつでもご存命の教祖にお会いできることを感じてほしいという支部長様の思いからです続いて朝勤めを参拝し一度詰所へ戻り再び八時に月次祭参拝へ出発神殿講話の終わるまで参拝させて頂きました女子青年にはハードではと思っておりましたが前夜の支部長様のお話が皆の心に届いていたのでしょう誰一人遅れることなくきちんとつとめてくれましたおぢばの子達に別れを告げ一路笠岡へ帰りのバスでは皆トイレ休憩も気付かぬくらいぐっすり休ませて頂き酔う者もなく無事大教会へと帰らせて頂きましたこれで一つの大切な行事を終えさせて頂いた訳ですが担当者という立場を頂いてまず我娘からといつも早くから声をかけて参加させてきた中で思いますことはお打ち出し頂いた行事に参加させる事で親の届かぬところをお育て頂いているということです親の四苦八苦しているステップを親の理を戴いてすんなりと飛び越えてゆく我がの子を見るにつけ頼もしく担当者という御用を与えて頂いてありがたかったなあと感謝しておりますこの秋には各教区主催で女子青年大会が開催されますテーマあふれるご守護に感謝して笑顔で喜び伝えようが日に実践できるよう与えて頂いた目標に向かって親子共努力させて頂こうと思います最後になりましたが安全運転でしかも予定より早く私たちを運んで下さった今川昌彦先生詰所やお弁当などでお世話になった皆様大勢の会員を参加させて下さいました親の皆様に厚く御礼申し上げますありがとうございました婦人会女子青年担当者枝廣陽子ぶどうのようなまあるい心六月二十五日二十六日にこかん様に続く会を開催させて頂きました今回は今年の秋に開催される女子青年大会の理づくりとしておぢばがえりをさせて頂きましたしかし土日ということで団参を組んでいたりテストが近かったりで案内してもなかなか良い返事をもらえないこともありました以前から女子青年の行事によく参加してくれていた会員さんも不参加委員の中でも仕事の都合がつかず不参加の人が続出してこんな状態でちゃんとおぢばがえりできるのか不安になってしまうこともありましたでも今まで行事を開催してきて参加してくれた会員さんに対してどこかで来てくれてあたり前という気持ちがあったと思いますその人たちが参加してくれたのはあたり前ではなく今までの委員さん達がしっかりつないでくれていたからなんだと気づかせて頂くことができました人が集まってくれることがどれだけありがたいか今回のこかん様に続く会でたくさん感じることができましたそして参加してくれた会員さん達に心から来てくれてありがとうと言うことができました支部長様は今回のお話で不自由をしなさいと教えて下さいましたもしこの度すんなり会員さんが集まってくれていたらきっと今回感じた不安やあせりそして喜びや感謝の気持ちは味わうことができなかったと思いますそれに何とか都合をつけて来て下さった会員さん達や一緒にがんばってくれた委員さん達とは以前よりさらに友達の輪委員同志の絆を深めることができたと思いますこれは何ものにも代えられない神様からのごほうびだと思います今回女子青年では新しく旗を作らせて頂きました表には大きくと女子青年の文字裏にははぎれで作ったぶどうが縫ってありますはぎれで作ったので全部少しずつ違いますがどれもまあるくかわいらしく真ん中の芯によりそっていますこれから私たち女子青年一人一人がまあるいやさしい心で女子青年の大切さ楽しさを一人でも多くの人に伝えていけたらいいなと思ってみんなで作りましたそして秋の女子青年大会にはこの旗を持ってたくさんの会員さんと参加したいと思っています最後にこの会を開催するにあたり参加して下さった会員さん協力して下さったみなさん温かい親心をかけて下さった支部長様そして奥様方本当にありがとうございました女子青年委員長三島知佳子心ひとつに甲井分教会山田睦浩今回の実修会で初めて山陰地方に行かせてもらう事になり思いおこせば十数年前青年会のキャラバン隊で島根部内のカ所をまわらしてもらって以来の山陰地方一週間前の月日妻と子供をのせてとりあえず松江に一番近い所までいった実修会の内容よりまず地理的な事が最優先でしたそして月日出雲川津の会長様との事前の打ち合わせでとりあえず松江駅まで来て下さいとの事意気揚と出発したのであります号線から号線にでて美しい宍道湖の見えるコンビニの駐車場で愛妻弁当を食べて少し時間も早かったが松江駅を標識どおりいっていたつもりだったが迷ってしまい仕方なく来た道を帰り道路沿いより会長様にほどなくして会長様がさっそうとおいで下さりそしてなんとか無事に教会に到着すでに数人の方が参拝場におられた会長様と軽く打ち合わせをすませて時分より実修会開始最初分分話をしたらいいかなと思いふと気がついて時計を見ると時間以上しゃべりっぱなしみなさんが真剣に私のささやかな体験談に耳を傾けて下さり時間がものすごくすぎていました今回はみなさんベテランの方ばかりで行かしてもらった私が一番年下という中ねりあい質疑応答という形にさしてもらいとても活発な意見がとびかいなるほどこちらの教会は会長さんを芯にみなさんが心をよせ心をそろえておられるのだとつくづく思わせて頂きました終了予定の時間が近づいてもアツイ意見がとびかいこれこそまさに実修会のあるべき姿なのだと痛感いたした次第でありますそしてまたの再会を約束して帰路の途につく前に近くの亀田山天場山の両教会に案内して下さり参拝さして頂き号線に入る所まで会長様に先導して頂き無事帰らして頂きました過去何回も要員としてとどかぬながらつとめさせて頂きいよいよ教祖年祭仕上げの年の実修会にしてようやく私なりに収穫の多い実修会になりました秋にはいよいよ最後の実修会今回にもまして収穫の多いみのりの秋にしたいと思うしだいであります出雲川津の皆様方本当にありがとうございました談話室出会い髙屋分教会小川道子三ヶ月ほど前講社祭の講話で会長様が人の出会いについてお話くださいました人の出会いには偶然と言うものはなく必然であるそれは銘が望んだからといって会えるものでもないしその人にふさわしい人と神様がめぐり合わせてくださると言う事であったかと思います実はそのお話を聴く少し前私は退職してから一年今日まで今までにない多くの人にお会いできたなあと振り返っていたところでした今までも仕事で人に接する機会も多ありましたしかし退職後初めてお会いした方からはこれからの行き方を模索していた私に新鮮な刺激やる気をいただきました会長様のお話を聴きながらそういうことだったんだ有り難いことだと思わずなぞが解けたような気持ちになりました五月末岡山シンフォニーホールでの村上和雄先生の笑いは遺伝子のスイッチをオンにするの講演会のお話の中にも巡り会いは偶然でなく神さまのおはたらき時所タイミングと言う件があり科学の世界で生きておられる先生のお話の中にも神様の存在があり出会うこと出会えることのすばらしさを知りそのお話に感銘しました六月末三十年前おぢばで一緒に働かせていただいていた婦長さんの喜寿の祝いをするからとのお誘いを受けおぢばに帰らせていただきました憩いの家創設当時の話に花が咲き当時の諸姉輩方の苦労を知りました看護用木がなんたるものかも知らない私たち若輩者を導いてくださり本当に親のような気持ちでお連れ通り頂きその御苦労の中に我の今日があるのだと感謝の気持ちでいっぱいになりました母の信仰により十五歳の時からおぢばに引き寄せていただきました以来数知れない多くの方との出会いのすべてが神様のおはからいおあたえであったのだと考えられます人との出会いには色ありますありがたい出会いばかりではないこともありますがそんな時はおやさまのお言葉砥石の心で相手が自分を磨いてくださるを思い出し時には神様のお試しもあるのではと思い通らせて頂きたいと考えておりますよいお与えを頂く時にはちょうどよい器でタイミングよく受け取れる自分でありたいと願っておりますちょっと欲張りでしょうかそのうつわ作りをどうするかがこれからの私の課題ですがともあれ出会いを求めて外へ出て行く事が先決のようですねおにをいがけおたすけお仕事に出会いを大切にそれぞれの持ち場立場で通らせて頂きましょう強情な人だと決めつける前に私たちは往にして自分の言葉をそのまま聞いてくれる人を素直な人だと思いそうでない人を強情な人だと思いたがるものです素直な人だ強情な人だものわかりのいい人だ悪い人だと他人を決めつけるその前にちょっと忘れていることはないでしょうか自分の話す内容を相手に得心してもらえるだけの努力を果たしてどれだけ重ねたかどうかということこちらの意見を相手に押し付けるより前に相手の立場に立った配慮はいくらしてもしすぎることはないでしょう天理教ホームページよりモスクワサンクトペテルブルグ演奏会に参加して演奏会全てを了え今日一日をモスクワ市内観光に当てる昨夜の余韻を残しつつホテル食堂で黒パンの朝食を済ます薄暗いなか目を凝らすと窓の外は生憎の雨模様である雨具を用意して専用バスに乗るモスクワの街も蛇行するモスクワ川に沿って出来た街で中世大量の物資の輸送を船に頼る時代河を中心として町が出来栄えるのであるヨーロッパの主要都市全て同様であるバスはクレムリン宮殿に向うクレムリンは一七三年まで帝政ロシアの王朝府でありロシア革命以后はソビエト連邦共和国最高会議場として用いられソ連政権の代名詞となった建造物であるその前に広がる赤の広場もモスクワ一の観光名所である広場の前に着く新聞テレビ等で見る限り北京の天安門広場と赤の広場を同じように想像していたが広場に立つとそこはなだらかな丘の上であるクレムリンが城壁に囲まれた堅固な城跡であることに気付く南を悠とした流れのモスクワ川が蛇行するその岸辺に高大教会岡本久善い石垣を礎きその上に立つ城であるちょうど南のモスクワ川に沿った城壁を底辺とした三角形を想い浮べて頂き左に公園アレクサンドロフ公園モスクワ大学が立地する三角形の中がクレムリン宮殿大統領官邸兵器庫イワノスカヤ広場教会等が置かれて在る広大な敷地を有する城域である冬へ向う季節風雨の中頭に当る雨が痛く感ずる又茶色の軍服の色に似た服を着た小太のロシア人の女性が両頬を真赤にして抑揚のない片言の日本語で案内して下さる傘を持ち襟を立てて広大な敷地を建物から建物へと歩く足の悪い私には大変な行である一番にレーニンの遺体の安置されたレーニン廟に市民の人と一緒に並び数人ずつ間隔を開けて入場ロシア革命時多くの人の精神的支柱であったレーニンの遺体は部屋の中央の台の上に立派な柩に納められロウ人形の如く天井を向いて休んで居られる柩の両側に衛兵二人が儀仗の銃を持って立つ我は立止まらないようと云う注意を受け柩の囲りを一周する休みでもないのに多くの国民が切れることなく訪れ参拝している一度レーニン全集を読んでみたくなる屋外は相当に冷え込む両手を温めつゝ三時間余り見学赤の広場の横で待つバスに帰る暖房の弱いバスでもシートに座るとホットして一息も二息もさせてくれるロシアの人はもっと厳しい寒さの中五ヶ月も過ごすのかと思うと日本は四季があって過し易い国だと思うのは私達であってその国くでそれぐの文化を創り出しそれぐに楽しみを持って生活を営む衣服住居食事皆異なる近年のグローバル化はそれも無くしてしまうのであろうかそうこうしながらバスは東京で云えば銀座か六本木に比されるアルバート通りに到着し見学と買物をする夕刻雨上りに映えるネオンがエキゾチックである広いストリートは両側に商店が並び中央道路は歩行者天国となり道路中央にみやげ物を売る露店が立つロシアの民芸品絵画食品衣類軍服バッチ何んでも有る豊富な品揃えで値切ると安くなる行き交う人が肩が触れ合う様に多い中には時代に取り残された老夫人が物乞いをしている社会体制の急激な変化はこういった人をも生むことになる数は少ない一時間半位散策しホテルに帰り夕食を頂くその後は各部屋に集い最后の夜を談笑にウッカビールウイスキーと皆持寄る相棒の杉島氏は若い人を相手に楽談義に花を咲かせて杯を重ねている病持ちの私は早めに退散する十一月一日ロシア滞在最后の日私は常の通りに目を醒まし昨晩のアルコールに爆睡中の相棒を横目に邪魔にならないよう静かに帰国の準備をする整理すること一時間余り昨夜の疲れを全身に残した老友も起床する団体の荷物自分の荷物を助けあって完了しホテルミンスク最后の黒パンを食べにホテルレストランに向かう流石に昨夜の疲れで欠ける人が何人も居る薄明りの中窓に頭をつけると天気は良さそうだ今日は午后三時まで自由行動となり数人ずつグループとなり希望する所に出掛ることとなる我年配グループ四人十時頃ホテル出発歩いて昨夜のアルバート通りに向かう地図を頼りに道路巾の広いことに感心更に道路端は二十五巾の緑樹帯が中央道路に添って続く我は公園の様な葉を落した緑樹帯の中疲れるとベンチに腰を下して休みながら歩くこと一時間半目的地に到着昼間の通りは人も少なく露店の数も早いので少少ないしかし暗くて見えなかった看板が昼間は目に入る心配した昼食も日本人向けの看板が有る日本インド中国料理更ににぎり寿しの店まである買い物を済まし行列の出来る店満員のハンバーガーショップマクドナルドに入りビッグマックとスープを注文し昼食とする周囲はロシア人で溢れんばかりである今ロシアで一番人気なのがファーストフードの店と聞く斯してロシアの食文化も変り行くであろう遅い昼食を済まして又歩く緑樹帯のない通りは輔道を歩く急速に増加した自家用の車が輔道に駐車して歩きにくい日本車とドイツ車が目に付く主流は外国車の様である今后急いで駐車場が作られることだろう午后四時曽山先生関係者の見送りを頂いてホテルを出発し二時間陽の落ちたモスクワ空港に到着入国時と異り団体荷物もあまり手間取ることなく通関することが出来機内のシートに落ちつきモスクワの街の灯火が小さくなる頃には眠りに落ちる楽しい一週間であった参加各人が曽山先生の意を体し行動する雅楽の好きな人であったことが質の高い演奏会を創出思出深い日を作ったと思える以来半年曽山先生は五月には日本のロシア向けの紹介映画制作スタッフ四名を迎えおぢば案内されたことが時報に記載されてあり太田君は今年大河ドラマ源義経の古典雅楽を含む音楽を担当するスタッフとして大変多忙と聞く若手の岩佐住田両氏も各地演奏会にはリーダーとして出演していると聞く演奏会が人を育て育った人がレベルの高い演奏会を創ってゆく頼もしい限りである若人の先途を祈り読んで下さり声を掛けて下さった方を始め関係諸氏にお礼申し上げさせて頂き筆を置かせて頂きます終こころの詩養徳社発行陽気誌七月号道柳より転載今回の課題は会選五十四句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠東悠分教会長夫人田林美智子会釈する老女の一言つと重し佳詠油木分教会長黒瀬修弍幼子と老も忘れるお泊り会病喜録あじさいが息をひそめて濡れているなぜに大きな息が出来ぬか此の季節薬の箱に手が伸びる速く効いてはさんげ出来ぬにいたらない我を支えし人達の幸せ祈る梅雨の晴間に鶴山百十周年記念祭の詩詩かくしん岡山の津山鶴山百十年笠岡の道つたえはげまん鶴山も百十年を迎えたりいさめやいさめ笠岡の道笠岡の長老となり前会長鶴山の道末はたのもし笠岡の理につながりてたすけられ親を思うてはこぶにちにち笠岡の道ありてこそ鶴山の道につながる友よ楽しく東濱十三雄修養科修了者の集い期日月日日午前時受付場所内容月次祭参拝永尾隆徳先生修養科主任の講話修養科修了者の感話等尚昼食は弁当飲物コーナーを用意しております青年会布教推進週間決起の集い布教推進週間に向け又年祭仕上げのこの時期青年会員の方普段は共に活動できにくい状況ではありますがあらきとうりょうの熱い心を持ち寄り大教会近辺に神名を流しましょう期日月日日修養科修了者の集い終了後集合場所ピロティー前の芝生内容大教会より大門方面への神名流し約時間対象青年会員青年会の方婦人会少年会の方もどうぞ御参加下さい服装暑い季節でありますので帽子タオルの用意をお願いします英語講習会期間月日月午前時受付日水午後時ごろ解散受講対象中学年生以上高校大学一般受講御供円持参品英和和英辞典筆記具着替え洗面具プログラム少人数グループでの英会話パソコンを使った英語学習おつとめ講話ひのきしん社会見学などお問合せ詳細はスタッフの香取雅人吉岡誠一郎御連絡下されば大門駅まで送迎いたします少年会夏季練成会サマーキャンプときところ内容対象定員参加お供申し込み月日月月日水海辺のキャンプ場水泳テント張り料理コンテスト野外ゲーム他小学校年生中学校年生高校生はスタッフとして参加名円米合と野菜品月日までに各ブロックの委員に申し込んで下さいにをいがけおたすけ実修会要員研修会期場対日期日月日日所場所象対象実修会要員ぜったい友だちフェスティバルとき出演主催参加御供月日日午後集合開会第一部児童劇ぜったい友だち場所講堂夕食おつとめ第二部ぜったい友だちファイアー場所広場天理高校幼少年指導班一人円食事をする人終了青年会全分会布教推進週間期間月日日月日日例年通り全分会にて布教推進の活動を計画していただきたいと存じます年祭仕上げの期間という事もありより一層実動をもって歩ませていただきましょう尚ブロック行事キャラバン隊の活動内容は後日各教会へ配布させて頂きます詳細については下記担当者にお尋ね下さい平盛尚樹福昭分教会山田睦浩英嗣甲井分教会高島伸雄出雲分教会第回女子青年大会テーマあふれる御守護に感謝して笑顔で喜び伝えよう主催婦人会本部内容ビデオ上映式典婦人会長様からのメッセージ他記念講演対象女子青年参加御供円日時会場は別掲一覧表を参照願いますひとりでも多くの参加をお待ちしております各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください第回女子青年大会開催会場一覧表国内県名月日開催時間会場名所在地奈良第第食堂天理市三島町京都河原町大教会京都市左京区東丸太町三重松阪大教会松阪市大黒田町大阪大阪教務支庁大阪市天王寺区小宮町兵庫神戸新聞松方ホール神戸市中央区東川崎町神戸情報文化ビル階滋賀中野大教会東近江市妙法寺町和歌山中紀大教会田辺市天神崎静岡山名大教会袋井市三門町愛知つるまいプラザ愛知県勤労会館名古屋市昭和区鶴舞岐阜岐美大教会岐阜市長良福光山梨山梨教務支庁甲府市宝丁目長野桔梗ヶ原分教会塩尻市丘郷原徳島撫養大教会鳴門市撫養町木津高知高知大教会高知市追手筋愛媛愛媛教務支庁松山市石手香川高松大教会高松市西春日町東京東中央大教会東京都区渋谷区神宮前千葉千葉教務支庁千葉市稲毛区稲丘町埼玉埼玉教務支庁さいたま市北区東大成町群馬群馬教務支庁前橋市下石倉町栃木栃木教務支庁宇都宮市平出町神奈川神奈川教務支庁横浜市西区北幸横浜天理教館階茨城茨城教務支庁水戸市平須町表原福井越乃國大教会敦賀市三島町丁目石川石川教務支庁金沢市長土塀富山富山教務支庁富山市千原崎ー新潟新潟大教会新潟市小針大通岡山ピュアリティまきび岡山市下石井広島広島教務支庁広島市中区東白島町鳥取東陰分教会鳥取教務支庁倉吉市新田山口防府大教会防府市桑山島根雲陽分教会島根教務支庁出雲市今市町大分安東分教会別府市上田の湯町福岡宗像ユリックス宗像市久原長崎長崎教務支庁諫早市若葉町鹿児島鹿児島教務支庁鹿児島市紫原熊本熊本教務支庁熊本市水前寺公園宮崎宮崎分教会宮崎市池内町西ノ園佐賀東松浦分教会佐賀教務支庁佐賀市川原町沖縄那覇分教会沖縄教務支庁那覇市辻北海道ロイトン札幌札幌市中央区北条西丁目福島福島教務支庁福島市新浜町宮城宮城教務支庁仙台市青葉区台原山形山形教務支庁天童市桜町岩手岩手教務支庁盛岡市馬場町青森青森教務支庁青森市西滝秋田秋田教務支庁秋田市東通観音前第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目岡﨑真一大教会役員吉岡貞彦芦田川分教会長森本忠善海松ヶ岡分教会長三島順敎葦沼分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい六月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護とお導きを頂いて日は結構に恙なくお連れ通り頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら世の中には親神様の御守護と分からないまでも自分達の力ではなく大きな御恵みに浴して生きていると感じつつもそれにどう応えていいか分からず結局は目先の欲に心奪われ御恩報じどころか恩に恩を重ねて心の徳を失っている人が多くいます事は残念でなりません私共は日朝夕に御礼申し上げ自らの心の埃を掃除しつつ少しでも親心に触れ御恩報じの道を歩んで頂きたいものと未だ道を知らない多くの人ににをいかげおたすけを通してたすけ一条の上に邁進させて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下さいました御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて六月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には遠近は元より梅雨時の蒸し暑さをも厭わず寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向けての成人の歩みを仕上げの年にふさわしいものにすべく一日一日を大切によふぼく各が初席者一名の御守護を目指してたすけ一条の上に励ませて頂いて早や半年が過ぎようとしておりますこの旬に改めて半年を振り返ると共に年頭の心定めを思い返し年祭に向けての成人の思いをより一層強くしもうすでに初席者を御守護頂いた者も未だ御守護頂いてない者も年祭を迎えるその日まで常に初席者一名を目指してたすけ一条の上に歩み切る覚悟でございます又本日は後に続く道の子の育成を推進すべく縦の伝道講習会を開催させて頂きよふぼく家庭の子弟育成に役立てると共に来月行われる子供おぢば帰り募集の上に拍車をかけさせて頂く所存でございます何卒親神様には心の混迷を深める世の中にあって常に神一条に通る皆の誠真実の心をお受け取り下さいましてたすけ一条の上に更なる自由の御守護を賜り次とこの道に真実の人をお引き寄せ下さいまして多くの人で賑わうおぢばの姿を御守護頂けますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先実践項目集計月人づくり集計上半期初席名百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い軒回件教会数ヶ所おさづけの理拝戴名修養科修了名検定講習前期修了名検定講習後期修了名大教会だより教会長資格検定講習会修了者後期終講稲倉廣田真也本部食堂ひのきしん福山福田恵司おかえり今日も暑いのうんただいま気をつけて帰れよ早う宿題せーようんバイバイちゃん先生に言うよ帰る時知らん人と話しちゃーいけん言うちゃったろーええんじゃここのお寺のおっちゃんはある日の教会前での会話であるこれまで教会前は道路とは名ばかりで草に覆われ自転車がやっと通れる程の畦道だった昨年市の下水道工事が行われたのを機に舗装され防犯灯も設置されて立派な道路に生まれ変わり小学生の通学路にも指定された夕方下校中の小学生に神殿掃除をしながらよく声をかける数人の子とは顔見知りで先の会話主もその一人だお寺のおっちゃんとは変な気もするが安全な人間として彼は認めていてくれるのだろう先生の教えを忠実に実行した女の子には少気の毒だが某小学校区で防犯パトロール隊の設立総会が行われ席上隊長があいさつ運動を通じ地域の子供は地域で守る様努力しようと呼びかけたと先日新聞が報じていた確かにその通りだが低年齢層を狙った犯罪が多発しているのが現状で知らない人と話をしないというのも犯罪にあわない手段の一つかもしれないこども番パトロール中のステッカーを貼った郵便配達車タクシー育成会有志の車が走り回っている我町もとうとうここまできたか悲しい限りだ人間として親として育成者としての日の在り方考え方人間関係の大切さを問われている今日ではなかろうかよ
かさおか

『かさおか』第44巻 第6号

初代の生まれ故郷と生家をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば先月号で本席様の御来臨について書いたが絵の説明の不足を指摘頂いた掛け軸は飛龍在天右側にはお泊まりの時お使い頂いた布団その前の丸い物は朝洗面の際の金盥白扇の手前の棒状の物は煙管きせるである煙管等というものは国鉄からになって以来廃語となった感があるが恐らく今の若い人は絵を描いてくれている元子さんも知らない代物しろものであろうさて歴史は年月が産み出すものであるがその重みに耐えてズッシリと底光りするものと流れに浮かぶ水泡みなわのように消えてゆくものとある今回初代上原さとの生まれ故郷三重県上野市と更に畳表問屋備後屋佐助備佐の在った大阪長堀一帯を写真を撮ってくれる吉岡輝昭さんと歩いた私が大教会史執筆の命を頂いて取材に方を廻ったのは昭和四十六年から四十八年頃である道友社勤務中だったので大阪上野は天理から近く何度も足を運んだ今回の取材はだから三十年余の時を隔ててのものだった驚いたのは私の心の中で底光りしていた風景が現実には三十年余の時に風化してしまっていたという事であるよく考えれば当然の事である各地の美観地区ならいざ知らず世間的には名もなき市井の人のゆかりの地の面影を残していては街そのものの経済的発展は望めないだから初代の足跡を偲んで現地を訪れてもその現地はアスファルトと鉄筋のビル等に代表される近代的衣裳をまとって昔日の面影を温ねようがない恐ろしいのはともすれば現地のその姿によって私の心の中に底光りしている初代の憶い出や風景が破壊されてしまいそうになる事であった信仰は元一日に心を常に還し襟を正す事が大切であり今回のこの企画は年祭を前に私の心を正したい更に言えば笠岡に繋がる人の心の正し方の一助にでもなればとの想いがなきにしもあらずであったが今回の取材を通して私はその元一日に心を還す事の容易でない事に改めて気づかせて頂いた何か信仰談義になったようであるが今回の表紙絵に戻る初代会長上原さとは千八百五十一年嘉永四年一月十六日三重県阿山郡上野町西町五十八番屋敷に父川合清兵衛母婦みの四女として誕生した三人の兄三人の姉七人兄弟姉妹の末子だった先日上野市は広域合併で伊賀市となったこのあたりにも言葉による検索が困難となり昔日の風景に近づく道の狭まりを感じる大教会史の文章に従えば川合家は屋号を前澤屋と称し前澤屋清兵衛を略して前清と言えば上野の町内は勿論の事近在で知らぬ者はなかった上野の藩主藤堂家の御用商人御用達で相当の資産家であった生まれて七夜の命名式の時祝いの膳の鮑あわびから数個の真珠が出たこの時前清の旦那寺念仏寺の僧が来て感心しこの子は後世名を挙げる人になる大事に育てなさいと言った旧上野市街には寺町がある上野城の南東の方角に在り街並は静かで美しい念仏寺はこの寺町の南端に在る本堂の木造阿弥陀如来坐像は重要文化財であり百態観音を安置する六角堂や鐘楼等観る所は多い由緒ある寺である伊賀越仇討で荒木又右衛門の従者だった河合武右衛門の墓所でもある初代の生家川合家の墓所はこの念仏寺の一角にある史料部長上原繁道青年会笠岡分会総会日頃は青年会活動にお力合わせ頂き誠にありがとうございます月日には青年会笠岡分会総会を無事終えさせて頂きました当日にはお忙しい中総会の為にお時間をつくって頂き参加人数総計百六十六名の方にご参加頂き誠にありがとうございました当日は足場の悪い天候ではありましたが会員の皆様の大きな唱和により陽気に十二下りのおつとめ学びをつとめさせて頂き一つとなった姿を大教会長様をはじめ皆様方に喜んで頂きました続いて式典に入り青年会長様の御告辞を頂き私達が歩ませて頂く指針をさらに示して頂きました教祖の年祭に向かってあらきとうりょうとしての使命を担って別席者増加に歩み一手一つに力を合わせ勇んで会活動を進めさせて頂きます又大教会長様にはあらきとうりょうとしての役割を分かりやすくご説明頂きました続いて昼食後予定では大門までの神名流しでしたが雨天の為神殿廻りの回廊ふきに変更させて頂きました回廊ふきではありましたが神名流し同様によろづよ八首を唱和させて頂き大きな声が大教会中に響きわたりましたのは皆様が一手一つになった姿ではないでしょうか形は変わっても心を一つにして神名をたたえさせて頂いた事は親神様教祖にもお喜び頂けた事と思います以上をもって総会を終えさせて頂きました当日は雨天でしたがそのまま神名流しをさせて頂く思いでおりましたが雨も強くなり神名流し同様の行いを私自身思案に迷い大教会長様奥様にお伺いしたところ回廊ふきで神名を流したらどうかとお声を頂き急な事ではございましたがすぐに奥様のお力添えで雑巾を手配して頂き温かくお見守り下さいました紙面上ではございますが皆様方のお力添えを頂き青年会笠岡分会総会を無事終えさせて頂きました事を心よりお礼申し上げます青年会委員長浅野明教心をひとつに青年会委員田渕忠明上備分教会五月二十二日午前十時より大教会で青年会笠岡分会総会が行われました今年は教祖百二十年祭の節目の年であり我青年会員は心を一つに揃えて総会を盛り上げて行こうという決意で臨ませて頂く事が委員の総意でした今期より青年会の委員をつとめさせて頂くことになった私にとって委員として初めて迎える大きな行事というだけでなく青年会総会自体も初めての参加ですそのため右も左も分からない様な不安な気持ちで準備に取り掛かりました前日からの準備の中で委員を始め皆でこの総会を素晴らしいものにしたいという気持ちが一つになっていく実感がありましたまた総会が始まって暫くするとある先生が以前おっしゃった親神様にもたれて通らせて頂けば心配するようなことは何もないという言葉を思い出し私の不安な気持ちも消えて程よい緊張感というか充実した気持ちで臨むことができました総会は大事なく進行して行きおつとめをする順番になり上段に上がった時に初めて気がつきましたが青年会員の皆さんが唱和する声がまさに音の塊のように聞こえてきてその時に心が一つに揃っていると実感できました式典も私個人の細かい失敗はあったものの周囲の人たちの助けもあり概ね予定していた時間通りに終わることができホッと胸を撫で下ろしました午後に予定していた神名流しは朝からの雨で回廊拭きのひのきしんとなりましたがよろづよ八首を唱和しながら気持ちよくつとめさせて頂きました青年会総会を終えて思わせて頂くのは大教会長様のお言葉にもありましたように私たち青年会員は青年会活動を盛り上げるとともに次期次代へと繋いで行かなければならないという責任もあります総会を終えたからといって気を緩めずこれからが真価を問われるものと気が引き締まる思いです初めての青年会総会を通して青年会員は委員はこうあるべきとは分かったとは言えませんが今回つとめさせて頂いたより以上に親神様教祖に御満足して頂けるよう委員の心をひとつにしてつとめさせて頂こうと思いますイメージチェンジ青年会委員山田英嗣甲井分教会今年から青年会笠岡分会の委員にならせて頂きましたが最初は絶対にやりたくないというのが本音でした一月二十日の初めて参加させていただいた例会の席上でも他の委員に言いましたが青年会という言葉を聞いただけで飲んだくれのムサくるしい男の集まりというイメージしかなかったのでありますしかし例会に出席してそれも一回目で一気に青年会に対する私の中のイメージが度変化していきましたそして四月十七日新委員会発足の結束団参として十三峠越えをさせて頂きましたお互い肩を組んでたすけあいまさに結束にふさわしい十三峠越えでした神殿が見え全員横一列になって境内地に入った瞬間身体の中がアツクなったのを今でもハッキリと覚えています無事に歩き終えた御礼とやむを得ず参加出来なかった委員のことを思いながら全員でおつとめをつとめました本当に笠岡分会の一員で良かったと心から思いましたいよいよ青年会総会が近付いてきた直前の例会では空気の張りつめた中で夜遅くまで色と議論しましたそして総会の日に行う神名流しのコースを下見しようということになりました深夜時近くに暗闇の国道沿いの道を歩きながら気付いたのは笠岡分会を本当に甘く見ていたということでした歴代の青年会の諸先輩方には大変申し訳なく思いますがようやくこの時気付くことが出来ましたもうひとつ余談にはなりますが新委員全員でハッピの帯を刺繍入りで揃えることになり例会日に届いたばかりの真新しい帯を手にした時に自分の帯の刺繍が未完成の状態である事に気が付きましたその場では笑い話にしましたが私なりに思案させて頂き私自身がまだまだ未完成なのだからこの青年会活動を通じて少しでも心の完成をさせて頂こうとまた刺繍の文字は欠けていましたが青年会例会には欠かさず参加し一生懸命努めさせて頂き一歩ずつでも成人させて頂きたいと思います最後になりますがどうか皆様今後とも青年会笠岡分会に御協力と御理解の程宜しくお願い致します第回ひまわり大会六月三日爽やかなお天気に恵まれ会員四十二名と婦人会青年会子供たちを合わせて四十名余りの方が平日にもかかわらず遠近をとわずご参加下さり又お力添えを頂き第二回ひまわり大会をつとめさせて頂くことができました午後一時より支部長様のお手に合わせ親神様教祖霊様を礼拝し続いて支部長様より教祖に喜んで頂けるようあらゆる立場にふさわしい人になって下さいとお話し頂きました次に教祖を身近に感じる時をテーマに三名の方の感話がありました最初の方は布教の家に行かれた方で人様の為に苦労させて頂かねばと言う体験話しをして下さいました二人目の方は自分が母のお腹にいた時母がおびやゆるしを頂き色な事情の中教祖にもたれ切って通られ不思議な安産のご守護をいただかれた話しをして下さいました三人目の方は入り込みの方をお与え頂きその方を通して日を陽気ぐらしの心で励んでいるお話を聞かして頂きましたその後高屋分教会長様の講話を聞かせて頂きました会長様は女性の徳分である育てという上からと又私達にとって大切な女らしさについて会員にわかりやすくお話しして下さいました今後みんなで力を合わせ回を重ねて成長させて頂きたいと願っていますのでこれからもみなさま方のお導きとお力添えを頂きますようよろしくお願いいたしますひまわり会担当者高木孝子ひまわりの種興明分教会吉岡きわこの春から年ぶりに県外から岡山に帰ってきたこともあり義姉からひまわり大会があるけどどんなかなと声をかけてもらいましたその時は軽い気持ちでいいよと受けたのですが日にちが近付くにつれ娘の幼稚園で忙しかったり小学生の息子たちの帰宅後のことそして前の週に私が体調を崩し寝込むなどかなり私の中で何で平日にあるんだろうと疑問がふくらんできました当日午前中幼稚園の付き添いを終え急いで大教会の方へ向いました受付でプログラムをもらい中を見るとひまわりの種が入っていましたこの時このパンフレットを作られた人のことを思いましたたぶん家のこともあり子供のこともしかしたら教会のこともあるかもしれないその中で作られたのかと思うと来させてもらうだけの私がすごいすれた考えを持っていたなあと反省しました講話もとても心にひびくお話をして下さり今すぐからでも気を付けようと思いましたそして託児の方へお迎えに行くとその託児のためだけに遠方から来られていたり目に見えない部分でたくさんの方に支えられていたのでしたその流れが私の中でわかり始めたら帰りに原稿依頼があり自分の気持ちを読まれているようでドキッとしましたもっともっと初心に帰るつもりで何事も通らせてもらわないといけないなと心に刻む出来事でした家に帰りプログラムに入っていたひまわりの種をさっそく植えました粒だったけど芽が出ればそれ以上のたくさんの意味を持つひまわりとなりそうです晴天の下で福東分教会藤井乃理世去る六月三日大教会に於いて第二回ひまわり大会が開催されました午後一時より支部長様を芯に鳴り物を入れよろづよ八首を総立ちでつとめさせて頂きました支部長様の隣りでおてふりをさせて頂けるという又とない機会に恵まれました事とても勿体なく有難く思っています支部長様の祝辞では親心溢れる温かいお言葉をおかけ頂きその後の三名の方の感話ではそれぞれの持ち場立ち場で日思っている事を上手に話され常に親神様教祖を身近に感じながら毎日を送っているのだという事が伝わり私も頑張らねばと感化されました続いて髙屋分教会長様の講話では会長就任以来会長として母としての自問自答の日そして今やはり神様第一で間違いないという事を話されこちらも何度か目頭を熱くしながら聞かせて頂きました中でも実家のお父さんが男の会長のようにならなくて良い女の会長になるようにとの話しにたとえどんな立場であっても女性は女性らしさ低い心つなぎの心を忘れてはいけないのだという道の台としての通り方を教えて頂いたように思います終了後支部長様に御礼の挨拶に伺うと集いではなく大会としたのだから第三回第四回第十回と続けるように多人数の年もあれば少人数の年もあるだろうが心倒さず続ける事が大切とお話し頂きましたどんな事でも続けるとは難しく努力が必要なのは勿論その上で後押しして下さる方のお陰で勇ましてもらえるそこに感謝できる心の方が大切なのかなと感じました最後になりましたがひまわりの種のような元気な子ども達の世話を始め折でお力添えを頂きました婦人会の奥様方本当に有難うございました女らしさを忘れずに多古浦分教会品川句記先日第二回目となりましたひまわり大会に参加させて頂きました大教会へは少遠方という事もあり仕事におたすけに忙しく走り回っている母に家事子供達を任せて出掛けさせて頂くのは申し訳なく参加を迷っておりましたですがその母に毎月はなかなか運べないのだから良い機会を逃さず心配しないで行ってきなさいと言葉を頂いてありがたいなという気持ちで行かせて頂きました当日は暑いぐらいの晴天の中私達は大教会での昼食を終え開会に挑みました神殿はとてもさわやかでしたが会員の皆様の熱気をひしひしと感じながらよろづよ八首を踊らせて頂きました続いての支部長様の御祝辞では気の引き締まる思いで聞かせて頂き会員三名の方の感話へと進行しましたその一つに近頃結婚秋には出産予定の方で私は今幸せいっぱいですと言われた言葉がとても印象に残りました私は結婚七年程になりますが子育てに追われ主人や子供に対する思いやりが欠けている事に気付かされました初心に還り今を喜びたいと思います又一つには出産に関わるお話でしたが妊婦でありながら親神様にもたれきって通られた日子供の身上はまず病院へ私は自分を恥じました親神様にもたれきる心真実の心一つですばらしい御守護が頂けるその心でおたすけさせて頂く大切さを改めて思いました最後に武内正美奥様の御講話を頂戴し胸がいっぱいになりました嫁いで来られてからのご苦労や大変な道中を思い言葉では表現できない熱いものがこみあげましたがそんな中にも時折見せられる失礼ですがかわいらしいしぐさに私はホッとし笑いがあふれとても感動しそこに女らしさを感じましたお話の中で前会長様の御身上を通して他にはない私達はおさづけと言う大切なものを神様から与えられているこれを心の拠り所とさせて頂けるこんなすばらしい事はないとのお言葉に目が醒めた気がします今は会長様のお立場ですが女性として母としてのお立場を忘れずとても美しく輝いておられる奥様はステキだなと思います女は台成ってくる事を喜び広く温かい心でそして女らしく日通らせて頂けるよう努めて行きたいですこの会を通していろいろ勉強させて頂きましたにをいがけおたすけが苦手な私ですが一二年祭に向けて少しでも人様のお役に立てるよう心掛けて行きたいと思いますいただいたひまわりのタネを来年倍にして大教会へ運ばせていただきたいものです青年会別席伏込ひのきしん団参五月二十二日に笠岡分会総会を無事に終えさせて頂き教祖百二十年祭青年会目標別席者増加に向けて笠岡分会でも六月五日に別席ひのきしん団参を開催させて頂きました総会が終わってすぐの行事でもあり各教会でも行事等がある中参加総数五十名内別席者二名のご守護を頂きました前日の夜にそれぞれ仕事を終え又教会でのご用をすませ遅くにおぢばに帰らせて頂き詰所にて各分会で親睦をふかめ一夜をすごさせて頂きました午前七時半詰所玄関前にて集合し主任先生のお話を頂きひのきしん現場へと出発させて頂きました毎年恒例になってはおりますが教祖百二十年祭に向けて六年前より心定めをしてこどもおぢばがえり準備のひのきしんをさせて頂いております今年は全員少年会のフロートで午前午後とひのきしんをさせて頂きました内容は旗を水拭きさせて頂きたくさんの枚数がありましたが皆さん楽しく勇んで拭いて下さる姿が見られこのおぢばで親神様のお膝元でひのきしんをさせて頂く喜びを各自心の中で感じさせて頂いたのではないでしょうかこの度の団参には老若男女を問わずと掲げて開催させて頂きましたその中で教会ぐるみ家族ぐるみでご参加頂きまして誠にありがとうございました青年会委員長淺野明教別席ひのきしん団参青年会委員杉原善朗明石市分教会そういえば丁度一年前の確か今ぐらいの時期参加したよなあとこの行事の話を聞いて思いました去年のひのきしん内容を詳しくは覚えていませんが夏のこどもおぢばがえりの準備の手伝いで楽しくひのきしんさせていただいた様に記憶していますそして去年一緒に参加した子がこの六月から修養科という事で急に詰所に顔を出してビックリさせたらおもしろそうだなという思いもあり話を聞いてすぐに行かせていただく事にしました前日夕食後電車でおぢばに向かい天理駅に着いたのは十時前でしたそのまま御本部参拝しました体が疲れていたので教祖殿祖霊殿には廻らなかったのですが僕は深夜の教祖殿が大好きです昼間の教祖殿には温かい雰囲気を感じるのですが深夜には月明かりのせいもあってか何か優しく包みこまれる様な心地良さを感じ心が素直になれる気がするのですこの文章を書いていたら今深夜の教祖殿に行きたくなってしまいその日も行っておけば良かったなと今更思います近い内行こうと思います五日になりひのきしんは何かなと思っていたのですが午前は別席の付き添いをする事になり午後の一時間がひのきしんになりました内容はビニールシートのような物に付着しているホコリ等の汚れをゾウキンで拭いていく事で炎天下でのこの作業は思ったより大変なものでしたがコレもひのきしんこどもおぢばがえりの準備と思い勇んでさせていただきました夏のおぢばがえりのどこかでそのシートが使われるのだと思うと夏が楽しみですまたひのきしんを通じて新たな仲間ができるというのはありがたい事だなぁと再認識しました来年もぜひ参加させていただこうと思える楽しい行事となりましたどんな中でも青年会副委員長森本正典海松ヶ岡分教会去る月日に盛大に行われた笠岡分会青年会総会の後片づけの最中淺野委員長から正典さん次の月日のだんどりを早急につめましょうと呼び止められ元気よくわかりましたと応える私胸中はそれどころの状態ではないですよと叫びたいばかり総会終了後ただちに委員会全員が会室へと集合したこのたびの準備や片付けでかなり疲れがたまっていると思いますが月日に向けて今日よりラストスパートをするが如くに各ブロックの呼びかけよろしくお願いしますと委員長の熱い言葉に皆疲れているにもかかわらずハイと返事を返したそして月日の別席ひのきしん団参の全体動員数すら把握出来ないまま月日を迎えたどんな中でもと午後まず府中市ブロックの方が詰所へ到着した次いで直轄ブロックの婦人会の方及びの方そして久松ブロックの婦人会女子青年及びの方髙屋ブロックの方など続と詰所へ集結し始めた母体である青年会員はその日の勤務を終え大渋滞の中をおぢばへと向かっていた全員無事を確認できるまで待とうと互いに窓の外を眺める最終便が到着したのは翌午前ちょうどであった皆クタクタになりながらの到着ひと風呂浴びてバタンと倒れるように眠りにつく者よう来たなあと肩をたたき合う者言葉につまっている者私には全てが本物にみえたならん中ようようここまで帰って来はったなあと声が聞こえてくるようで胸が熱くなったあっという間に朝を迎え互いにしんどいけど頑張ろう伏せ込んだら伏せ込んだだけと声を掛け合いながら玄関前に集合した詰所主任先生の励ましのお言葉に拍車がわいたただちにひのきしん現場へと向かい少年会の先生の感謝の言葉を頂いて目をこすりながら作業に入る始めはぎこちなかったが各ブロックごとの会話がはずみかけた頃には全員が一つになれたと確信しました来てよかったという言葉を耳打ちされて何とも言えない感動が胸に湧いていました天理教青年会笠岡分会にはこんなにもたくさんの本物の仲間がいる皆それぞれ各一名一人が責任を感じ実動をもって伏せ込む精鋭たちやむを得ず参加できなかった方を含め皆さんにこの場をおかりしてお願いさせて下さい我青年会笠岡分会は親神様によろこんで頂実践項目集計月ける本物のあらきとうりょうであり続けるべく思い立ったら即実践即実動を目標に前進していきたいと思っておりますどうか皆さんがより団結し支え合いながら行事参加の呼びかけを手伝っていただけたらと思いますこの度の行事を盛大に盛り上げて頂き支えて頂き誠に誠にありがとうございましたこれからもをやのめにかのふたものハにちくにだんく心いさむばかりやを胸に頑張って参りますのでよろしくお願いします百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い軒回件四国の海を越えて明石市分教会長杉原博之月日四国稲讃分教会へ実修会の派遣となりました実は最初からえ明石から四国っしかも時からだってという過程を経て派遣となったのです時刻表で調べてみますとちゃんと間に合うんですね知らなかったいやあ実は楽しみなんです四国は年前新婚旅行に行ったところ古き良き思い出感慨に浸るのも悪くありません思えばあの頃は家内は可愛かった失礼岡山からサンライナーに乗って妹尾茶屋町と進み児島から瀬戸大橋線に乗るのです児島をスタートするとすぐトンネルに入りますこれもしかして海の中を進んでいるんやろかと疑問全く恥ずかしいことだが大勘違いをしていましたトンネルを抜けると大陸橋にかかりました十二三キロの渡海です遙か下に青い海が見えます遠く又近くに小島が散在し小舟が行き交っています本当に絶景夢中で携帯で写真を撮りました何と逆光で皆光って白っぽく映っている残念やなあ分程の恍惚の時間を過ごせました坂出に着いて予讃線で丸亀まで行きます遠くに讃岐富士が見えます後ろにいた観光客と地元の人の会話で知ったのです高さが有るとの話し青く霞んで三角形の美しい山だ香川県で一番きれいな山だとの会話が聞こえてくる青く霞んだ山を見ていると心がスウーと晴れてさあ今日も頑張るぞという思いがみなぎってきたそうやって自ら心を励ますのが僕流なのです丸亀から教会へ着きましたお道は有りがたいですね初めてお会いした方も一つの笑顔挨拶で心がすぐ一つになる朋有り遠方より来たるまた楽しからずや親神様教祖を仰ぎその用木として働かんとする志を同じくする道の兄弟姉妹との思いが溢れて下さるのでしょうか又会長様奥様に加えて参加の皆様が全員教人と成人の道を進まれている時からにをいがけのお話しをさせて頂きその後時まで休憩なしの練り合いを行いました聞かせて頂きますその中に大きな節を乗り越えようと精一杯前を見つめて進まれているとのお話しお話しお道なればこそのたんのうの心を真摯に学ばせて頂きました失礼をする際には教会玄関に皆様お出下ってお見送り下さいますお心配りには誠に勿体ない申し訳ないことでした稲讃分教会の会長様奥様皆様誠に有り難うございました実修会を島根に岐阜広島の神辺町八尋町府中市そして四国親しき朋の輪が広がって要員は有り難いなあをやの思いに素直に添い切る亀田山分教会長高橋徳行朝からぐずついた空模様の中松江の地を出発目指すはこの度にをいがけおたすけ実修会の派遣要員として出向先の御命を頂いた芦常分教会山陰から山陽までの通い慣れた山越えですがやはり雨降りの中地図を頼りにどうにか予定時刻に到着有難い事に当地に着いた頃にはお天気も回復し薄日も差してきて絶好のにをいがけ日和となっておりました神殿参拝の後お集まり頂いた方を前に自らのささやかな布教体験を交えてのお話をさせて頂きその後二つのグループに分かれてのにをいがけに出発初めて訪れた地でもあり案内されるままに戸別訪問に歩かせてもらいました山間地域で家と家の距離もかなりあり数をこなすというよりもコツコツとひとつくのお宅を声を掛けながら丁寧にまわるという布教活動本来の姿でにをいがけをさせて頂けたような気が致します参加された方皆熱心で普段から常時活動としてのにをいがけが定着しておられるのだなあと感じ入りました帰会後お茶を頂きながら練り合い今年は教祖年祭活動仕上げの年に当たり笠岡全部内どうでも初席者一人以上のお与えを頂こうとの声掛けを頂いておる最中こちらの教会はもう既に八名からの方が初席を運ばれたとの事驚きと共に先の講話で偉そうな事を申し上げたのがはずかしくなりそれこそ穴があったら入りたい心境でした諭達を通しにをいがけおたすけの大切さを説き実動を急き込まれている真柱様のお心を教会活動に反映され会長様奥様を芯につながる方が勇んで御用に励んでおられる姿に会わせて頂き今回の実修会も大いに勉強させて頂いたように思います派遣要員として届かなかった点お詫びと反省をさせて頂きつゝ我が教会に於いてもこの旬の動きに遅れぬよう実動の上に更なる前進をはからせて頂き派手さは無くとも地道な活動を続けていきたいものと思いを新たにさせて頂いた次第でございます誠に有難うございました談話室出合いその二神村分教会前会長下田輝夫大教会前会長様が集会員をされていた頃同じ集会員で青森教区から出て居られた山名部属弘前分教会長様から教会移転建築をしているので備後畳表を世話してほしいと頼まれているがお前何とかならんかと云われ畳表を世話させて頂いた御縁で弘前分教会長岩崎寿男先生との出合いが生れました弘前分教会は明治二十八年の設立で青森教区では一番古く部内二十カ所建物の老朽化で普請せざるを得ないとの事でした岩崎先生は病弱で床についている方が多いと云われるがお地場でお会いする時はいつもにこやかに明るく接して下さるので私には病弱とは思えないお方である信仰的に色御教導頂き今迄どれだけ心の活力を与えて頂いたか計り知れないものがある私にとりましては実に得難い道の師である人の出合いとは実に不思議なものであり又有難いものである畳表のお陰で素晴らしい先生との出合いを与えて頂いたのであるすでに前会長となられているが山名詰所のふしん委員長として十年の長きに亘り立派な母屋二棟を完成された皇居の新宮殿を設計された方とつながりがあって自教会の上段の天井は新宮殿と同じに又詰所の屋根も一棟は新宮殿の屋根を模したとの事である山名部内四百余カ所からの帰参者に少しでも満足して貰えるよう色心を尽くされた事は云うまでもない大教会筆頭役員となられて十年近くなり本来なれば私如き者はとてもお側に寄りつけないと思いますが先生にはそんな雰囲気はどこにもなくいつもにこやかに優しく接して下さり威張るような気持ちは微塵も感じられないのである教祖のひながたを常に心に求めてお通りになっているお姿は多くの人から尊敬され信頼されるのも当然である先生のお姿を見る時教祖をとても身近に感ずるのである一昨年秋奥様が出直されましたが出直される前に今度出直しても又一緒になるのを楽しみと云われニッコリ笑って眠りに入られそのまゝ静かに息を引取られたとの事で喪中のハガキでなく出直しの素晴らしさと生かされている喜びと感謝の言葉を述べての年賀状を頂きお道の者は斯くあるべきと熱い感動をおぼえた次第である又先日頂いた手紙では去る五月五日桜の満開の中創立百十周年記念決起大会を開催参拝者四五名その中でおつとめ奉仕者十八名七交替で十二下りをつとめ参拝者も総立ちでおてふりをつとめ教会も移転して四十年になり神苑も貫禄がついたと教会機関誌弘前の大会特集号を頂きあれから早や四十年になるのかと月日の立つ早さに驚いて居ります岩崎先生は大正七年生れの八十七才と聞きました最近はとても御元気であるいつくまでも御壮健で今後共一層の御指導御鞭撻を賜りたいものと念ずる次第である岩崎先生本当に有難うございます会長の理のお許しを戴いて坪生分教会長掛谷宣和再三原稿依頼を受けながら今月の投稿となりました過ぐる三月二十六日坪生分教会五代会長の理のお許しを戴き四月三日就任奉告祭をそして五月二十七日二十八日と新任教会長の集いに出席させて頂きました只親神様の御守護教祖のお導きは申すまでもありませんが親の成らん中をお通り下さったお徳によって今こうして教会長としてつとめさせて頂ける事を痛感致しております三月二十六日緊張と不安の中無事お許しを戴き届きませぬ乍ら会長として精一杯つとめさせて頂く決意を致しましたそして四月三日就任奉告祭をつとめさせて頂きました天気予報では前日夜から当日は終日雨とのこと大教会よりテントを借り準備をしましたがありがたいことに朝夜明けまで大雨でしたが朝づとめをつとめる頃には雨も上がり祭典中は時日も差し外での参拝者も屋外が苦でない暖かな日よりそして奉告祭直会も終えテントも畳んだその時から又大粒の雨と本当にありがたい天気の御守護を頂戴しました又当日は大勢の方が参拝下さいましたがその中に全く信仰のない同じ町内会の方が二十数名参拝下さいましたこれは一重に先代先代が常に町内の方にも心を掛け月の祭典後にはお下がりを欠かさず届けて下さっておりました今も変わらず届けさせて頂いております又直会の席では髙屋鼓笛隊の演奏その演奏に合わせて上級髙屋分教会の会長様の着物でのバトン更に髙屋きねづか鼓笛隊ビビッドチビッドのダンス更には分教会長の成りきり松平健大盃の儀そして妹とその子供達が所属する和太鼓チームと本当に大勢の方が御祝いに駆けつけて下さり参拝して下さった方も大いに喜んで下さいました大変賑やかな奉告祭となりありがたい限りでした奉告祭を終えさせて頂いてふと我に返った時親の徳とそのつとめによって今日の奉告祭がつとめられたのだ私には徳も何もないこれからが私のつとめだという事を痛感致しました先月二十八日新任教会長の集いの後真柱様の御招宴の席では大教会長様が私の在職中には二度とないであろうと言われた真柱様の真ん前の席に座らせて頂き真柱様奥様からありがたいお流れを戴きました又その前日は第二専修科同窓会総会に於いて前真柱様より二回も握手をして頂くというありがたく勿体ない会長就任からの二ヶ月でしたこれからが教会長としての私のつとめです親の声を頼りに親の心に添いきり親に喜んで頂けるようつとめさせて頂かねばと改めて思わせて頂く毎日ですひいてはそうしてつとめる事が坪生に繋がる信者さんの成人更には理の栄えの御守護を頂けるものと思います私の入信の動機木津和分教会丸山伊津子私は農家で男三人女四人の兄弟姉妹の四女として生れ育てられました家の信仰は明治の末期より祖父母の代からでした私は天理教が嫌いで神様を余り拝んだことがありませんでしたところが親神様より大きな身上を頂き悩んでいるところ上級の会長様より修養科を進められ昭和二十五年の夏十八才の時でした食べる物もろくくない時でしたが皆な助け合って修養させて頂きました三ヶ月間お話を聞かせて頂き心一つで運命の切り替えが出来ることを知り自分は駄目だと思っていた気持ちが生き返り人を助けて我が身助かると聞かせて頂きこの道より外はないと悟らせて頂きました二十六年秋には検定講習を受講させて頂きました二十七年の教祖七十年祭の打ち出しの年でした一月十六日木津和分教会え嫁がせて頂き主人が二十三才私が二十才でした何にも分からない者が牛込大教会の部内の事情教会を引き受けさせて頂き西も東も分らない所え縁付きお道の通り方もよく分からないまゝ布教が始まりました結婚して一週間目よりハッピを着て木津和を歩き廻りました七十年祭で世界中が勇んでいる時でした身上で病んで居られる宅え行くのにも道が分からないので信者さんに案内して貰い雪の中長靴を履いて行ったのを未だに忘れることが出来ません色な身上の人のお助けをさせて頂き助かって下さった人もあれば出直された人もあり喜んだり悲しんだりの道中を初代として二十年間つとめさせて頂きましたが事情によ信仰していて良かったと先祖に御礼を申し上げてり担任変更をさせて頂きました居ります担任変更をしたからと云って気を許すことは出病人さんに助かって貰うにはこちらが心を作る来ません運命を切り替える為にはお道より外により外はありません病人さんの身上は我が身上はありませんので百年祭の打ち出しの年に布教と思案させて頂きますそうして運ばせて頂けば所を開設させて頂きました神様が助けて下さいます相手に分らそうと思え此の世の者でなかった私が七十三年間お連れば心苦しいばかりです自分で徳積みをするこ通り頂けたのも親神様教祖のお陰と感謝いたしとですよろしくお願いいたします少しでも恩返しをさせて頂かねばと届かぬ乍らも匂いがけお助けにと頑張って居りますが徳のない者にはなかく初席者を授けて貰えません自分一代は伏せ込みと思い先を楽しみにつとめさせて頂いて居ります百二十年祭に向って一人の人にでも助かって貰いたく私自身心の成人をと思い毎日教会え日参をさせて頂きひのきしんとおつとめをすませ帰りに病人さんのおたすけに廻って帰ります何時まで続くか分りませんが足腰立つ間は神様の用木とこころの詩養徳社発行陽気誌六月号道柳より転載今回の課題は仕選六十句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます天位東悠分教会長夫人田林美智子とき紋服の仕立て上がりて就任を待つ佳詠芳井分教会長夫人佐藤香苗どき年祭へラストスパート仕切り旬奉告祭平成年東濱十三雄してつとめさせて頂き度く思って居りま時流れ親教会の代替わりす寝ても醒めても病人さんのことばかり心清めて福山めざしです助け人として責任がありますから神殿に溢れる人の喜びをいい加減なことはして居れません神が受け取り雨上りたるこうしてお道を通らせて貰えるのも先祖慎重に贈る花束光ありの徳があればこそと思い今では天理教をホッと受け取る目にも光がおやさとふしん青年会一ヶ月ひのきしん隊入隊案内第回隊という記念すべき月隊に笠岡分会は一個班約名の心定めをもって入隊準備をしていますただ今ひのきしん隊へ入隊出来る男子を大募集していますこの年祭目前のおぢばへおやさとふしんという絶好の伏せ込みの場へただひたすらに惜しみないひのきしんという真実の汗を私達と共に伏せ込ませていただこうではありませんか期間集合宿舎内容申込切入隊受付月日日笠岡詰所月日第百母屋ひのきしん修練においがけ月次祭まなび親睦会等月日各ブロック青年会委員もしくは所属の教会長様におたずね下さい天理教青年会笠岡分会ひのきしん部立教年こどもおぢばがえり期間月日月日日間テーマ感謝よろこびひのきしん詰所行事模擬店回開催月日月日月日ビデオ上映期間中毎日午後時分より於北棟階修練室クイズ期間中詰所内の各階に張り出す正解者の中から抽選で景品プレゼント育成にあたる私たちがおぢばがえりの喜びをもってしこみのポイントを念頭において三つの約束を実行する姿を子供達に写し勇んで道の後継者育成の御用をつとめさせていただきましょう修養科修了者の集い期日月日日場所内容修養科主任永尾隆徳先生の講話修養科修了者の感話等尚昼食は弁当飲物コーナーを用意しております少年会夏季練成会サマーキャンプときところ内容対象定員参加お供申し込み月日月月日水海辺のキャンプ場水泳テント張り料理コンテスト野外ゲーム他小学校年生中学校年生高校生はスタッフとして参加名円米合と野菜品月日までに各ブロックの委員に申し込んで下さい英語講習会期間月日月午前時受付日水午後時ごろ解散受講対象中学年生以上高校大学一般受講御供円持参品英和和英辞典筆記具着替え洗面具プログラム少人数グループでの英会話パソコンを使った英語学習おつとめ講話ひのきしん社会見学などお問合せ詳細はスタッフの香取雅人吉岡誠一郎御連絡下されば大門駅まで送迎いたします青年会全分会布教推進週間期間月日日月日日例年通り全分会にて布教推進の活動を計画していただきたいと存じます年祭仕上げの期間という事もありより一層実動をもって歩ませていただきましょう尚ブロック行事キャラバン隊にての活動も展開していきますのでぜひ御参加の方宜しくお願い致します詳細については下記担当者にお尋ね下さい平盛尚樹福昭分教会山田睦浩英嗣甲井分教会高島伸雄出雲分教会日期日月日日所場所象対象実修会要員にをいがけおたすけ実修会要員研修会五月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にハせかいぢううハみなわが子かハいいゝばいこれが一ちょと親心一杯に自由の御守護を賜り日は結構に恙なくお連れ通り頂いております事は誠に有難い事と喜ばせて頂いておりますその中でも今の季節は木の緑が目に鮮やかでまぶしく花は次と咲き誇り虫や鳥達も嬉しそうに動き飛び回る様子を見ますと何かしら心に躍動感を覚える事が出来ますことは本当に勿体ない極みでございます私共はかしものかりものの有難さはもとよりこうした天然自然のお働きを通してお示し頂く親心の有難さをも感じさせて頂きつつ日は朝夕に御礼申し上げると共に届かぬながらも御恩報じを念じてたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は五月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達がおつとめに真実を寄せ真剣につとめる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向け三年千日と仕切っての成人の歩みも仕上げの年の中ばに差しかかっておりますが残念ながら世相は自爆テロや核開発等が進み益混迷を深めておりますそんな中道の子の上に身上や事情を通して大変厳しくお仕込みを頂いておりますのは当事者のみならずひとえに道の子全般特によふぼくに対する成人をお急き込み下さっているものと悟らせて頂き改めて人をたすける心の涵養と実践を胸にしっかりと教祖ひながたをたどるべくたすけ一条の上に邁進させて頂く覚悟でございます又病だすけや事情だすけに留まらず心救けに繋がるよう自らの理作り徳積みも励ませて頂く所存でございます何卒親神様には旬にふさわしい成人を目指し精一杯に歩む皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜ると共にたすけ一条の心を次と人に写して下さいまして親を慕う者が弥増し一列兄弟の理に目覚めて世界一列助け合う陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます期場対大教会だより教会指令神殿屋根葺替願久福分教会承認第七六七期修養科教養掛三ヶ月間中村邦義大教会役員一ヶ月目渡邉孝信神驛分教会長二ヶ月目下田輝夫神村分教会前会長三ヶ月目佐木滋郎福廣分教会長修了者上下押尾啓司福満壇上康男芦加茂小川幸平稲富士須毛田康弘宇津戸向島正敏島根福満芦品門脇とよ檀上キクエ原美紀教会長資格検定講習会修了者前期終講木津和丸山哲子本部直属ひのきしん笠岡安斉和引野谷屋賢美三日本列島隅から隅まで市町村合併の嵐が吹き荒れる中我が町も例外ではない岡山県真庭市となり県下最大の広さをもつだけに問題も多い合併に伴ない市長市議ダブル選挙運動が連日賑やかだった市長立候補二人市議の議席四十席に対し立候補六十五人その中新人の立候補はたったの三人六十二人は現であるいかに肩書が欲しいか偉そうにしたいかいかにメリットがあるか金儲けがしたければ議員になれというのは本当のようだ例えば当選して議員任期中なんにもせずにボーとしているだけで何十万円の手当が出るそりゃやめられんはずだ今回の選挙に限り旧町村単位で投票が行なわれ我が町の議席枠は五席に対し十人が立候補した選挙の告知から一週間朝から晩まで十人の選挙カーががなり立てた政治に対する理念も倫理もヘッタクレもあるか連呼連呼又連呼政策のセの字もあったもんじゃないマイクがガナリ立てる候補は頑張っております誰が頑張ってくれと云うた厳しい戦いをしております当り前じゃろうが人のせいにするな猫のひたい程の谷間の町をぐるっと廻って選挙事務所へ帰って来たら無事元気で帰ってまいりましたおめえイラクへ戦争に行っとったんかアホ選挙運動中バッタの生れ変りの如くヘコペコ頭を下げていたのが当選したとたんおめえらの世話になった覚えはねえとふんぞり返り日本はわしの力で動かしとるんじゃという態度に変る落選した奴はおめえらがわしに票をくれなんだけえ落ちたんじゃといわんばかりにいじけてしまうどっちにしろつける薬がねえ救いようのない連中であるそんな連中にまつり事を委ねる市民はたまったもんじゃない近年上は国会議員から下は市町村議員に至るまで本当の政治家が居るとは思えない皆政治屋ではないか肩書が欲しい偉そうにしたい人を見くだしたい肩で風を切って歩きたいこんな塊の連中はよくとこうまん以外なにものでもない投票に行くのがアホらしいが行かねばならぬと出かけた我が清き一票を入れた候補が当選したシラーとした以上の話わが町の出来事である世の中平和でアリマスか
かさおか

『かさおか』第44巻 第5号

御本席様来臨とお遺し戴いた品をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば敬業館跡の建物を購入し笠岡支教会が設立されて明治二十七年四月十日本席飯降伊蔵先生がお立ち寄り下さった事は既に書いたがこれの実現には初代の並ならぬ苦心があった笠岡支教会を舞台に譬えれば初代は監督兼演出後の二代会長上原伊助が主演男優というところであろう明治二十五年四月伊助は初代の長女光と結婚上原家に入婿した高知大教会初代会長島村菊太郎の弟である笠岡ではこの年玉島福山髙屋神邉の四部内教会が誕生し教勢は盛んであったが会長継承を巡って不穏な空気が流れていた初代が女性であり副会長制を取った事で次期会長は副会長がという思いを持つ人がいたようである弱冠二十七歳上原家の人となった伊助の精神面の苦労は大変だった明治二十六年二月支教会役員改選で伊助は理事兼会計五人の末席に挙げられたがその後高知分教会に里帰りという事で光と共に出向き又四国の高松に単独布教に出ている本席様の御立ち寄りは笠岡のこうした雰囲気を払拭伊助の二代会長就任明治二十八年四月支教会新築明治二十九年二月と教勢伸展に素晴らしい御守護をお与え下さった本席様がお越しになる二日前伊助は高松方面に布教中であった偶笠岡に電報を打って内の治めを問い合わせた事で居場所が分かり笠岡から折り返し本席様来臨を報せた急ぎ帰会して役員共目見えの榮に浴した事は言うまでもない当時の日誌を繙く晴天四月十日旧三月五日理事田中福次郎出勤会計伊沢彦右衛門同庶務中村菊平同世話係長坂亀三郎同本日出勤人髙田松太郎田中光治郎藤井幾太郎淺野弥三郎武内清治郎高橋吉五郎髙田嶺太郎藤本林三郎関戸濱治郎岡本越太郎岡本六蔵岡本久作岡本虎吉岡崎佐與松東山信太郎亀山金十郎湯川勝三郎平田善吉小寺又吉田林繁造淺野芳太郎吉岡蔦吉阪本音吉阪本喜太郎土屋九平小寺元吉午前十時頃高知分教会長午後六時四十六分本部御本席様松田様長尾様高井様増野様喜多様加納ノ七名来所セリ続テ東分教会長芦津分教会長今川様岡本様高知分教会長続テ小野様蒲原様島村熊太郎様八名ノ御方来所セリ晴天四月十一日旧三月六日理事武内清治郎出勤会計岡崎軍事同庶務中村菊平同世話係佐藤菊太郎同本日出勤人ワ五日ト同じく正午本部員続七名付添の御方同じく退会ス岡本久作氏惣代理トシテ太渡津迄見送リ上原伊助氏高知迄見送リ当時笠岡では既に毎日理事会計庶務世話係各一名が教会に詰める事になっていた今の神殿奉仕であるなお伊助は高知迄の途中白地から繁藤迄の間菊太郎と共に本席様の籠を担ぎ通した又四月二十三日には安芸の宮島を発ち三原から汽車にお乗りになった本席御一行を笠岡駅で午後三時六分夫婦で御見送りしている日誌には初代の事は一切出て来ない当時の男性中心の習慣では当然の事ではあるが高知へご巡教の千載一遇の機会を誠に鮮やかに頂戴した心意気を笠岡に繋がるお互いは決して忘れてならないと思う史料部長上原繁道婦人会本部総会四月十九日午前九時半より初夏のような晴天に恵まれ第八十七回婦人会総会が五万余人の会員参集の元に盛大に開催されました教祖百二十年祭仕上げの年ということでいつもの年と違って盛り上がりを感じさせられました真柱様の婦人会に対する思いを切とのべられ和やかな朗らかな明るい心で悩む人と接して頂きたいと親心あふれるお言葉を頂きました会長様の底力をこれまで以上に発揮して頑張って頂きたいと厳しくも温かいお言葉を頂き身が引き締まる思いが致しました私達笠岡支部では各委員部でバスや車等を出し五百余人が参加しました午後からは五会場に分かれて十二時半から旬に勇んで喜んでを題として各会場三名の会員の感話がありました五会場の総数は一万二千余人でした私達第二食堂では一人目は自分の身上と親の身上を通して助かる旬助ける旬親の声をたよりに素直に通り日を何でも種まきをと二人目は一信者から教会へ嫁ぎ何も分らなかったが子供を連れてにをいがけに出る事は神様が二倍の働きをしてくれると聞かせて頂き子供を連れてにをがけに励み今では子供達が協力してくれていると三人目は母も自分も後家因縁を悟り子供の身上を通し孫を死なせたらあんたのせいやと云われ子供をほっておいて教会へつくし因縁自覚のもとすっかりご守護頂いたと夫の三人の方のお話を聞かせて頂き皆身近にあるような話ばかりで私達も頑張れば出来そうだなあーとつくぐ感じさせられましたお互い底力を発揮して頑張りましょう婦人会常任委員髙田賀代子充実した一日明石市分教会杉原美津枝今日は朝一番の電車に乗って天理へ明石大阪鶴橋西大寺と乗り替えて時分に天理に着いたいつもの事ながら鶴橋西大寺あたりから天理へ向かう人がホームにあふれているリュックを背負って杖をついた年配の人がすごく多い駅に着くと皆ひたすら歩くのんびりしている人なんていないただひたすらご本部に向かって歩くすごくいいお天気に恵まれ汗ばむぐらいだった高校時代の友人と黒門で待ち合わせ久し振りに逢って会話もはずむ急いで会場へ式典が始まった目の前に兵神部内の天浦分教会の会長夫妻が座っておられた人の住み込み人のいる大変大きな教会だ去年夏支部の婦人会でにおいがけの実修会があり私達婦人二人に天浦の人がひとり付いて一軒くまわった玄関で土下座して拝をしてから玄関のチャイムを押す奥さん達は座らなくていいですと言われたその時の事が思い出された自分が初めて見た光景だったのですごくびっくりした貴重な体験をさせてもらった式典が終ってもうひとりの高校時代の友人が私達に逢いたいからと仕事の合い間に天理に来てくれた年ぶりかな久し振りに逢ってもずっと逢ってた様な本当に嬉しい楽しい時間が過ごせたもうお道からは離れてしまっているけど時天理に参拝に来てると言っていたまた誘い合って天理で逢おうと約束したいろんな事を考えながら帰路についたまだまだ未熟な私だけれどできる事から少しずつ実行していこうと心の低い優しい人間になりたいと楽しくて幸せな充実した一日を過ごすことが出来ました信仰ゼロ芳井分教会佐藤和代十八日夜子供たちのことを母にお願いしてバスでおぢばに向かう翌日の婦人会総会に参加させていただくためだきっと私の周囲にはこの総会へ何とか参加させていただきたいとの強い思いのもと勇みきっているのだろうと私は自分自身の気持ちにため息を漏らしたそして今日は目の身上で主人が一ヶ月の入院をする日でもあった入院前日の夫婦喧嘩も加わったためかなんだか私など参加させていただけないなと思うどころか行きたくないと思ってしまう自分を情けなく思っていた当日婦人会総会を終え天理市民会館での人の方の感話も聞かせていただいたが自分自身を奮わせてもらえるような耳をもたないまま全ての日程を終え家へ戻った帰るなりかわいらしい子供たちの顔留守を守って下さったお母さんや会長さんには申し訳ないばかりだったこれまでいろんな事を見せていただき自分を振り返りながら少しずつ前へ進んでいけた様に思うしかし今はまたゼロだなと感じていたように思うきっと私など始めから信仰していなかったのだと言われてはっとしてしまったほどだそしてある地点から私の信仰なんていう言葉は使えないとおもっているそして数日が過ぎる中私も何とか神様に縋らせて頂かないといけないと素直に思える一瞬を頂いた私が作り上げて年目に入る保育きずなでのこれまで最大のピンチ裏の川で人ほどが水遊びの最中の事二三十秒程の間になぜか川の水位が五十六十センチほども増水してしまったのだ気づいてから即座に子供たちを避難させ靴が何足か流された程度で済んだのだがほんのメートル下流で遊んでいた同じ学校の生徒たちはレスキュウ隊なども出動するような大惨事の一歩手前の事故であった今でも身震いするような光景ではあるがいろんな条件が全て偶然いいものばかりだったお陰でうちの生徒は無傷で済ませていただくことができたもし日の生活の中で何の信仰もなかったならばもしかしたら何人か亡くなっていたかもしれないと素直に思えたこんな私でも何とか頑張れる節を与えて下さっているのかもしれない毎日自問自答しながら何とか教会に喜んでいただけるようなとおり方をしたいこれだけは確かである心ころころ宇津戸分教会松谷靜子春四月は桜転入転出転勤又入学祝とそれぞれの場の上に節でもあり何かと季節も良い時でも有又活動のある月でもあり心も明るく勇心の弾みもつく頃かと思います教祖御誕生日の日の雲一つない澄み切った素晴らしい日であったとの様も思い浮かぶと共に心も晴れぐ幸福な気持になれるそんな思いを一人でも多くの人と共に味わわせて頂ける婦人会総会本年も親神様教祖から頂いた天候の恵み五万余の会員参集ひながたをたどり陽気ぐらしの台となりましょうとのお言葉教祖百二十年祭活動の底力となろう一教えを求め身につけよう一身近な人に信仰の喜びを伝えよう一おたすけの心を培い実践しようと会長様のあいさつ婦人会としての成人の道を力強く歩ませて頂く目的と意義があることとそれぐの役割の意味お話しを聞き乍らどうすれば役割をつとめられるか何からでもいい一つでもいい自分で心を定め自分に実践出来る事又続けられる事を親神様教祖と約束させて頂くたとえ素晴らしい事が思い浮かんでも自分から申し出て約束したとしても現実三日坊主で終る様では意義も意味も何も無い本当に実行実践して続けられる事を実行実践し続けてこそ日常続いてこそそれが誠真実となるその日の小さな積み重ねの元にある日ある時不思議な御守護に出会えたり日大難は小難小難は無難にお連れ通り頂いている十全の御守護に気付き感謝の思いも湧いてくると私は思います成人のにぶい私ですので小さな事からでも続けられる事を心定めをし実践することも一つの小さな役割になるでしょうか生み育てる努力育つ努力育てる中で育てゝ頂いている自分の発する言葉の中から又てほんひながたの中から心一つで喜びを見つけられるともお話し下さいました女性の特分である生み育ての役目育つ努力我慢強く四方八方に心を配りつなぎ上手になりましょうともお聞かせ下さいました真柱様よりのお言葉の中にも心の涵養温かい心低い心心がこもっていることの大切さを胸に分る様一生懸命お話し下さいました心一つが我がのもの心一つが自由の理とお聞かせ下さいましたやさしい様で一番むつかしいのでは思い様でやさしくもなりむつかしくもなり陽気ぐらしが目標なのでやっぱり心やさしく使わさせて頂くのがたすかる道だと思いますとはいえ強さ厳しさも時折必要ですね心ころころ心くもっと強く島根分教会門脇とよ私は大教会参拝の帰り車の中で会長さんからこの旬に修養科に行かないかといわれ頭が真白になりましたいずれは行かなくてはならないと思っていましたが体力がなく小さい時から肺炎や腸炎ばかりして両親や皆に心配ばかりかけて高校出てからは頭痛がひどくて休むことが多くと自分のことが頭をかすめ大丈夫かなつとめられるかなと心配したり不安でいっぱいでしたが会長さんからいわれるとおりこの旬に少しでも動かせて頂き元気にならせて頂きたいと思い出させて頂きました教養掛の先生からは毎日おさづけをして頂き車に乗せて頂いたり本当にいろいろと心を使って頂き申し訳ない気持ちでいっぱいですいろいろと見たり聞いたりして心を倒しそうになったり帰りたい気持ちになったり体力がつづかないようになった時教養掛の先生からお話を聞かせて頂き元気が出ましたそのつど会長さんや両親皆に心配かけ申し訳なく思っていますまた詰所の皆様方のお心を頂いて何とか二ヶ月が過ぎましたもっともっと自分が強くならなくてはいけないと心の中で自分にいいきかせて通らせて頂こうと思っています神様の御守護を頂くのも親の御恩がわかるのもみな自分が元気を出さないと何にもならないということがよくわかりましたこれからは喜んで通らせてもらおうと思いますおさづけの理宇津戸分教会向島正敏天理教は祖母が布教所で妻が教会の娘だったので生まれた時から知っていましたが私は信仰には関心が無く天理教から逃げて居りましたそんな私に昨年の秋突然腰椎椎間板ヘルニアと言う身上を頂き今年二月二度の手術を受けましたが排尿排便障害神経知覚障害が残りなかば二月中旬頃母から修養科と憩の家の話を聞き病床の中から心を定めて二月二十六日おぢばに引き寄せられ第七六七期修養科生として修養科生活が始まりました座づとめてをどり鳴物どれ一つ分らない事ばかり又つとめようとしても満足に正座も出来ない状態でしたその中毎朝おさづけを取次いで下さり自分では信じがたい御守護をお見せ頂きましたおぼつかない足取りで右足のシビレをかばう様に時間をかけて通う修養科も一週間程過ぎる頃より身上も少しずつ回復して参りました立つ事もおぼつかない中おてふりも出来る様になりましたが一れつの回る処はまだ回る事が出来ませんが正座しての朝夕の鳴物のおつとめも出来る様になった現在歩けば同期の八十八歳の老人に負ける程飲み食いしても自分で排出する事が出来ず周りの人に合せて出来ないもどかしさ人に理解してもらうのは大変です毎日朝夕と神殿に参拝しているのにどうすれば受け取って下さるだろどこ迄すれば許してもらえるだろと思い悩み不足不満の心も湧いて来ましたしかし修養科で神様への参拝はお礼をする処しかし多くの人はお願いばかりする人が多いと聞かされお礼を心掛けて参拝してみると今迄ものに対して感謝の心の少なかった事に実感した両親が元気で居ってくれる事妻が離れていても元気でつとめられる事子供達が成長させて貰える事先生が毎日おさづけを取次いで下さる事何も彼もが有り難い今迄私は病院等でおさづけをして頂くと恥ずかしい思いがしていましたが医学万能と思って居りましたが神経は治せない治療法も薬もないと告げられ精神的ショックと不安を取り除いてくれたのはおさづけでしたわかるよふむねのうちよりしやんせよ人たすけたらわがみたすかるとおことばに示してあるように修養科で学んだ事を教祖百二十年祭を迎える仕上げの時間に少しでもにをいがけおたすけに実践して行うと思って居ります修養科生活も後一ヶ月せんしょのいんねんよせてしうごふするこれハまつだいしかとをさまると教えて頂くが少しは成人出来たのだろうかしかしおぢばの理を一杯に頂いた二ヶ月だった様に思う残された一ヶ月をどうでもこうでも心を定めてをやにお喜び頂ける道をしっかり通り必ず御守護頂く事をお誓いして最後まで頑張らせて頂く所存です本当に修養科に来てよかったと痛感しよろこび心で一杯です私の修養科生活芦品分教会原美紀私が修養科に来させて頂いたのは百年祭の年に生まれた私に祖母がみきと名付けて下さったので百二十年祭の年までに何とか祖母を喜ばせてあげたい思いでおぢばに帰らせて頂きました高校を卒業して直ぐに修養科に入り全く知らない人達との共同生活が始まり不安な事ばかりでした私は長期ひのきしんでお守所ひのきしんをさせて頂く事になり担当の先生がここは教会の娘さんで用木の人しか出来ん所なんじゃけえお前が入れたのも珍らしい事なんじゃけしっかり勇みんさいよと言って下さいました私の仕事は雑巾を洗ったり縫ったりする事でした新しい雑巾を使わないで補修する事が主な仕事でした教祖が縫い物をして居られたと言うことで今も尚常に変わる事なく私達が引き継ぎしていると言う事でした私の今迄の生活とは全く異なり一か月はあっと言う間に過ぎて二か月目に入って私は用木でありながらもまだおさづけを取次いだ経験もなく二か月に入った間もない時同じ修養科生で八十三歳のおばあちゃんが腰が痛くて歩けないと言うので私はいろんな事を思い乍らも初めてのおさづけを取次がせて頂きました何故か取次がせて頂いた後は自然に涙が出てしまいましたおばあちゃんは嬉しいありがとうと涙を流して居ましたこの一言が私の心の中に残りましたその次の日おばあちゃんは起き上がる事が出来修養科に行く事が出来てとても喜んで下さいました二か月目は教祖御誕生祭の期間は特別ひのきしんで境内のお手洗いの世話係私は今迄教祖御誕生祭に帰参した事がなかったので喜んでひのきしんに励みましたお手洗いに居ると参拝者の方がご苦労様何時もおぢばのトイレはきれいですねと言葉を掛けて下さった事が一番心に残りました又反面中垂みと云うか慣れと言うか何でも不足心にとらわれて不足をしたら喘息が出るよと母に言われ乍らも不足の心が出た時見抜き見通しの様に直ぐ喘息の身上を見せて頂き心を入れかえ心を定めると心通りの守護を頂き折しも会長さんから頂いた手紙には周りを見て不足せずに神様はちゃんと自分を見ていて下さるんだ心を鎮めて勇んでつとめて下さいこれこそが将来希望が叶う種蒔になるんだと思いますと書いてありました人から何彼と言われる事やされる事が今迄嫌でたまりませんでしたが大難は小難小難は無難にお連れ通り頂きます事二年程出なかった喘息も今度おぢばでお見せ頂き短気は損気不足は切る理と聞かされ不足心はすぐ神様が身上として見せて下さる事を知りました人間身上かしものかりものとお教え頂きますが今回程身上かしものかりものの理に有り難いと感じた事はありませんでしたこの気持を生涯忘れる事なく歩ませて頂きます談話室地域と共に福廣分教会長佐木滋郎私は事情の上から思ってもみなかった会長にならせて頂きました人様に御迷惑をおかけしましたのでまず頭を低くし私に出来ることならなんでもさせて頂こう心定めさせて頂きました私の住んでるところは府中市にあって山のふもとにあり若い人はにぎやかな便利な良い所へ移り住み老人世帯の多い町になりつつありますまず会長になってまず町内会長さんから飛びこんで来た仕事は民生児童委員の仕事で前民生委員さんの家に内容お聞きする中にこれは私は出来ないと再三お断りしましたが佐木さんは手足も元気で歩けるではありませんか私も家内も足が不自由で二十数年間してきたのですどうかお願いしますと云われてハッとして私は出来ることならなんでもさせて頂こうと心定めしとやないかだれもする人はいなとの事でさせて頂くことになりました最初聞いた話より内容は責任の重い仕事と思いましたがさせて頂く事に決めた以上勇んでさせて頂こうと心定めてつとめさせて頂いておりますその役も町内会老人会と関係がありますのでそのお世話させて頂いております介護保険が施行されるや各市町村でねたきりならないよういきいきサロンと云ったものが始まりました寝たきりにならないよう音楽療法老人ホーム施設の先生の講演を聞いたりビデオテープの観賞仏教の先生外天理教の筒井先生映画等又この間は伊藤正和先生滝沢てるみさんを招いて陽気ぐらし講座をさせて頂きみなさんに喜んでいただきました又花見観賞等いろいろ参加して喜んで頂けるものを毎月一回実施計画しお世話させて頂いておりますこれには町内会老人会女性会民生委員が中心になって進めさせて頂き早や二年となりましたその中に昨年来より二名の人が教会に参拝していただくようになり今年の四月教祖誕生祭団参には初席も快く受けられました又全教一斉ひのきしんデーは町内会長さんから毎年ありがとうありがとうと云って喜んでいただいて今年は数名の人が参加されるようになりました町内会学校関係行政の上に少しでも役に立てば思いながら毎日御恩報じを念頭につとめさせて頂いております私が会長になっておふでさきを読ませて頂く中に一番に頭に焼きついた点はをやのめにかのふたものハにちくにだんく心いさむばかりやをやのめにさねんのものハなんときにゆめみたよふにちるやしれんでこれをいつもいつも忘れずこれからも少しでも人様に喜んで頂くよう勇んでつとめさせて頂こうと思っております三年千日に思う葦沼分教会長三島順敎修養科の教養掛りを務める事になり主任が森本ひちりき先生海松ヶ岡分教会前会長と知り篳篥の管があることを思い出しこの機会に教えて頂こうと思い持参したのだが教えて頂く内にこれは五十が近い私には無理だと思いあきらめていたのだが広島教区の雅広会が福山で講習会を行うので支部の人はなるべく多く参加して欲しいとの事で参加したのだがやはり無理と思っていたのだがその時松永支部の村上先生に声をかけて頂き毎月練習をしているのでと声を掛けて頂き一緒にさせていただくことになった篳篥とは大変やかましい秋の虫にこれをたとえるならばくつわ虫などのようで不快でとても近くで聞けたものではないこれをさらにへたに吹かれたのではほんとうにいやなことであると書いてあるが女房がやかましい近所迷惑と言うのも無理ないと思う二年目の雅楽教習会の時は二回目だから上級の方に参加したらということになり参加したのだがわからないことがわからないのでやっぱり初級に行きますと言ったのだがここで辛抱したらと励まされ練習をしたのだが自信喪失の二年目であったしかし音だけは良いからとの励ましの言葉を信じ三年目の講習を受ける事にした三年目はだんだんわからないことがわかりだしとても楽しい講習会であったその時ふと三年千日と言う言葉を思い出した一つの結果が出るには三年は続けないと出ないのか年祭活動の始めに真柱様は三年千日はひながたを通る年限の目安と仰った物事を続けるときついこんな事してもと結果を考えてしまい途中で止めてしまう事の多い自分ではあるが改めて篳篥を通して三年千日の重さを感じた自分の信仰東福山分教会前会長枝廣茂市幼少才の時腹痛で病んだ其の時おたすけを頂いてよく成った事から何時も教会に参拝する事を楽しみにして現福山分教会へ幼少の頃から自分の生家は現大門町幕山である福山分教会えは道のり二里もある徒歩にて物を持って姉の家が在るので其處へ宿泊しては楽しみに教会参拝をしていた其の頃は無上のたのしみとしていた高等二年卒業して家事手傳いで家にいた笠岡へひのきしんに行ってと福山分教会より云われて大教会へ行った其の時大教会に岡本久則先生が居て話して見たら同じ年であった気安すくなって自分によく何彼と云われた時にこいとよばれるので行くとマージャン初めて見る四人オバアさんがたいくつだから手つだってといわれて一緒に手伝った後で聞いたら初代様だと聞いた其の時は自分も信仰が浅いので別に何にも感じなかった知らないとは強いと思った笠岡の初代様と知らないから失礼したと思ふ其の時のひのきしんは役員住宅建設だった自分は昭和十年別科五十四期生に入ったが其の年四月二十四日に芦津大より分離した早速現地詰所購入敷地ひのきしんが始った自分は別科卒業後家にいたので福山分教会よりひのきしん用員に行ってくれとの事で天理教教祖五十年祭が来るので全般に勢がついている時であったので其の年の教祖御誕生旬間が済んで帰宅した長いひのきしんであった昭和十二年秋福東分教会が大門横道と云ふ所に家をかりていたのを西深津町へかわった現場所には其の場所を変えている教会へ同居してにほいがけやら病人のおたすけに行った昭和十六年夏福山郵便局に奉職する事になった昭和十八年八月軍隊に招集されて満州国に行って二十年日本が歴史的に敗戦になってソ連に捕虜としてシベリヤに三ヶ年抑留され二十三年十一月始めに家に帰った社会的に色様な苦労をして帰って来た福山分教会に出入りしておたすけ活動をしていた昭和三十七年妻身上の節より布教所を心定めして四十年に福誠布教所を始めて布教に専念して大教会長様の御命を頂いて始める事が出来た昭和五十年福山郵便局を退職しましたので退職金を頂いたので現教堂を建設させて頂いている教会に成るについても其の頃は所定の授訓者も又役員に成る人も居ましたので何等心配なく大教会長様の御命にそうことが出来たと思っています昭和五十六年東福山分教会を拝命した以来教会長として道の御用をつとめて参りました自分は会長として自覚して拾四年つとめて現会長に変ってつとめさせて頂く其中にも教養係り等色とつとめさせて頂いて其道中に成人の道も種通らせて頂いて今日も尚勇んで通らせて頂いて居りますが九十才を超へました今日で日楽しくお連れ通り頂いている次第であります第回ひまわり大会婦人会笠岡支部ひまわり会期場内対間所容象平成年月日金時半受付時開会時半解散神殿よろづよ八首支部長様挨拶会員感話講話高屋分教会長ひまわり会対象者青年会別席伏込ひのきしん団参いざぢばへ老若男女問いません年祭に向けて仲間とともに集合お問い合わせ月日午前時半青年会笠岡分会輸送部各ブロック担当者直轄島根本田正悟久松笠岡詰所玄関前広場森本正典森本正典福山平盛尚樹中村真人上下高田一弘高屋瀬良昇府中市山田睦浩縦の伝道講習会とき月日火祭典講話ところ大教会内容少年会本部委員による縦の伝道についてのお話こかん様に続く会日時内容対象受講御供携行品月日土午前時分出発日日午後時到着予定月次祭参拝別席基礎講座参考館支部長様お話お楽しみ行事他歳前後の女子青年円基礎講座他は別に頂きます宿泊セット別席を受ける人は席札を忘れないようにお願いしますおやさとふしん青年会一ヶ月ひのきしん隊入隊案内第回隊という記念すべき月隊に笠岡分会は一個班約名の心定めをもって入隊準備をしていますただ今ひのきしん隊へ入隊出来る男子を大募集していますこの年祭目前のおぢばへおやさとふしんという絶好の伏せ込みの場へただひたすらに惜しみないひのきしんという真実の汗を私達と共に伏せ込ませていただこうではありませんか期間集合宿舎内容申込切入隊受付月日日笠岡詰所月日第百母屋ひのきしん修練においがけ月次祭まなび親睦会等月日各ブロック青年会委員もしくは所属の教会長様におたずね下さい天理教青年会笠岡分会ひのきしん部立教年こどもおぢばがえり期間月日月日日間テーマ感謝よろこびひのきしん詰所行事模擬店回開催月日月日月日ビデオ上映期間中毎日午後時分より於北棟階修練室クイズ期間中詰所内の各階に張り出す正解者の中から抽選で景品プレゼント育成にあたる私たちがおぢばがえりの喜びをもってしこみのポイントを念頭において三つの約束を実行する姿を子供達に写し勇んで道の後継者育成の御用をつとめさせていただきましょう修養科修了者の集い期日月日日場所内容修養科主任永尾隆徳先生の講話修養科修了者の感話等尚昼食は弁当飲物コーナーを用意しております各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください四月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護とお導きを頂いて日は結構に恙なく生活くらさせて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます特に今は春まっさかり大教会の花も梅から桜へ桜からつつじへと咲き替わり緑も日毎に青さを増し草花の芽生えの勢いをそのまま写して心にも勢いをお与え頂き日は喜びと感謝の気持ち一杯に朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じを念じてたすけ一条の御用を果たすべくにをいがけおたすけにと勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡の理にお許し下された四月の月次祭を執り行なう日柄でございますので只今から今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達と相共におつとめ奉仕者一同喜び心をみかぐらうたに託し声高らかに唱和しつつ勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます四月十八日の教祖御誕生祭に想いを馳せ尚も勇む皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて来るべき教祖百二十年祭に向けおぢばでは諭達第二号の発布に始まり諭達巡教続いて地方講習会そして現在は道の先達大会を開催し年祭にふさわしい成人が出来るようにとお導き下さっております加えて別席に繋がる基礎講座修養科に繋がる三日講習会と次にこの旬に始められお仕込み下さると共に伏せ込みひのきしんを通して理作りをもお仕込み下さっております誠に有り難く存じておりますその上で一番大事な事はそれらを日の生活くらしにいかに活かして行くかという思いから一一歩前進百万軒一おつとめの徹底とひのきしん一機を逃さずおさづけの取次の三つの実践項目を揚げて実動に邁進させて頂いております二年目の今年更なる実動を申し合わせるべく来月は改めて直轄巡教をさせて頂いて笠岡に繋がる皆が心を揃えて一手一つに勤めさせて頂く覚悟でございます何卒親神様には届かぬながらもどうでもと親心に応えるべく成人の歩みを進める皆の真実誠の心をお受け取り下さいましてたすけ一条の上に温かい親心をお現わし下さりたすける方もたすけられる方も共に喜び合ってそして共に成人の歩みを進められますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますこころの詩養徳社発行陽気誌五月号道柳より転載今回の課題は葉選五十五句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠油木分教会長黒瀬修弍運命を決める言葉の使い分け病喜録東濱十三雄満開の峰の裾野の山桜霞に溶けて心なごましニコニコと孫が近寄り顔つつき酸素チューブに興味津福知山線大惨事どこで起きるか何が起こるや道の笠歌詩かくしん夏の笠岡にてりつく日ざしにてくだものみのりて日本のほこり上原と云えば初代の道うかぶ笠岡の道足ではこんで国道の二号に見える棟一つ笠岡の屋根かがやきて見ゆ笠岡の道をのばするコマーシャルハッピを着ようよつとめにぎやかすれちがうハッピの笠岡ほれぼれと見てなみだぐむ今日のしあわせ軒回件実践項目集計月國須谷口生子甲井為平郁子本部食堂ひのきしん久松中村剛史百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い訃報大教会だより藤井昭子姉神邉分教会長五月十四日出直されました享年六十五才教会長資格検定講習会修了者後期終講芦常原啓道先月号に月終講分で掲載しておりましたが月の間違いでした前期終講湯田原品川千代美稲倉廣田真也亀田山浜田たつ子時季を逸したが花と言えば桜である爛漫の桜花には寒きを凌いだ強さがあるその華やかさには誰もときひたすら知り得ぬ季を只管に耐え忍んだ奥床しさが偲ばれるやがてハラハラとたおやかに散うるわり敷く花弁も美しくその上遺さあでれた葉桜は改めて艶やかである今年の春は散り遅れた梅桃椿ほころまでが桜と競演し八重が綻びるや平戸が咲き始めやがて足許にはたんぽぽすみれのぞ蒲公英や菫たちが可憐な表情を覗けだしたい一月は去ぬ二月は逃げる三月は去ると謂うが押し並べて春は過ぎ逝くものである色とりどりの花たちに目を奪われかぐわているうちに馨しき若葉たちも萌え出づるホトトギスがつを目には青葉山郭公初松魚白秋にも対峙する好季の到来だ年祭活動仕上げの年は実あらしめるべしとお打ち出しを頂いて既にその折り返し点を迎えようとしている今私たちに何ができただろうかいたずらめ私は徒に花を愛でていた訳ではないが心を奪った花に罪があるのでもない中山眞之亮伝には眞之亮ハ十五十六十七ノ三ケ年位着物ヲ脱ガズ長椅子ニモタレテウツくト眠ルノミ夜トナク昼トナク取調ベニ来ル巡査ヲ家ノ間毎く屋敷ノ角迄案内スルカラデアルとある思春期の青春真只中の三年を道の芯たるべくお通りくだされたものではあるが安易な想像を拒む切迫した空気が伝わってくる残された半年余りの日は食欲の秋を挟んで季節の移り変わりにまた心を奪われることのないよう少しくは控え目に通りたいものと今から心配している次第であるお
かさおか

『かさおか』第44巻 第4号

在りし日の大教会教祖殿と現大教会境内地へ移築した教祖殿をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば割愛すると言いながら書いてみる尚先月号で蟹蘭と書くところをカニ欄と書いてしまったパソコンで書いていると目に涙が溜まったりすると画面がぼやけて誤字のままにする事がある史を書くのに父親三代会長に聞き書きを取る事をお願いした二代会長の仕込みについて神邉分教会の治め教祖殿初代会長室役員住宅の普請教祖四十年祭倍加運動への笠岡の姿勢分離昇格に伴なう詰所の経営四代会長への会長職の譲り渡し等今から考えれば聞いておきたかった事はまだまだあったのに私の若さの故か思いつく事柄が限られていたように思う教祖殿の普請について尋ねた時父の目に涙がひかったそこに私は会長としてでなく父親としての姿を初めて見たように思ったわしの悟り違いやったと最後に言って父は黙ったその沈黙を私は何とか堪えてそれでも教祖殿の普請を通して初代の居間が出来たし役員住宅が出来たし良かったですねと言ったそやなあ役員が足腰伸ばす処がそれまでなかったからなア大教会史には次のように誌している大正十年八月三代会長夫人が身上となり大熱に苦しんだがこの月六日青年会本部の巡教があり村田勇吉氏の信仰の生命は親孝行にありとの講演があったこの時当時三歳の会長次男雅志が幾度となくタオルを冷やして夫人の頭にあてたこの講話子供の姿から三代会長は初代会長がゆっくり休める居間の建築を早急に進める事が必要と理の思案を進めたこれは既に大正八年の会議で教祖殿の建築と共に定まっていた事なので役員会議で何ら異論なく建築が決定されたところが大正十年十月二十五日雅志が俄に発熱医師は脊髄炎と診断しこのままでは到底もとの身体に戻らないとの事であった三代会長は井筒たね大教会長宮田佐蔵氏に諭しを伺った処初代会長の居間建築も結構であるがそれより教えの親教祖のお鎮り下さる建物を建つべきであるとの事であった直ちに役員会議が開かれ思いを切り替えここにまず教祖殿続いて初代会長室更に役員住宅信者室等の附属建物建築が決まったこうして第一期工事として教祖殿初代会長室の建築が決定された教祖殿の新築落成奉告祭は大正十三年四月十八日であった私情に立ち入らず簡潔に記した積もりであるがしかしその背後に普請と立て合って子供を一人亡くした父親の思いがあったという事をもう少し書いた方がよかったのではないかという気もするそう言えば私は昭和四十五年三月移転前の大教会の此の教祖殿で今の西江昌直金浦分教会長さんと大教会青年の辞令を頂いたこの頃辞令交付は教祖殿で行われていたように思う今教祖殿は現大教会の会長宅庭園の一角に移築されている知る人はその姿を格別の思いをもって見つめるしかしその思いは歳月によって徐に風化してゆくそれで良いのだろうでも父親の目に浮かんだあの涙だけはいつまでも私の胸の中にしまっておきたいと思う大正十二年月日教祖殿建築起工式月日上原雅志出直し六歳大正十三年月日教祖殿落成奉告祭人参加史料部長上原繁道第五回にをいがけおたすけ実修会要員研修会二月二十日十三時神殿にて親神様教祖霊様を礼拝後大教会長様より教祖百二十年祭活動仕上げの今年全教会が一名以上の初席者を御守護頂く上に要員一人一人が自覚を高め少しでも教会のお役に立ち勇んで頂き実を上げるべく一層の実動と活躍をお促し下さいました講話では原田浩先生から実を上げてこそ仕上げの年と題して未信者の色な人を制限なく受け入れ二十名前後を教会に預かり長年日物心共にそれこそ言葉に言い尽くせぬ御苦労の中を教祖のひながたを心の支えと夫婦心を尽し力を協せて全力でつとめ切る中に数の不思議自由を見られたことなど人だすけのよろこび素晴しさをお聞かせ頂きましたその後各班に分かれて二十分程ウォーミングアップで心を整え高めてにをいがけに出発折しも小雨が降り風が強まる中を二人一組になって一軒一軒戸別に訪問日曜日で在宅の家も多く一言でも親の思いを伝えるべく真剣に勇んで一時間程つとめさせて頂きました帰会後ふりかえりでそれぞれにつとめて気づいたこと感じたこと学んだことこれからやってみたいことをねりあい有意義につとめました閉講では佐藤布教部長より実修会も五回目となり慣れが出て心が緩む事を案じて一同に心を引き締めて尊き使命を勇んで全うする様熱き思いを聞かせて頂き一同新たな決意を定めて終了しました布教部次長中村剛春の学生おぢばがえり立教年春の学生おぢばがえりが月日おぢばで開催されました当日は前日からの雨がやまず東西北礼拝場を使って式典が行われ千人を超える学生が真柱様のお言葉に耳を傾け学生に対してのをやの思いを真剣に聞かせて頂きました式典後各直属に分かれ夕方まで直属アワーが行われました春のおぢばがえりは教区主体で帰参する関係で直属との関わりがないため直属とのつながりを持たす場が直属アワーです内容は直属教会長のお話直属毎に趣向をこらした企画や別席です今回笠岡につながる学生は名の参加で内名が別席を運びました笠岡には大教会としての学生会がまだ整っていないため笠岡につながる仲間として親睦を深める行事を毎年計画しています限られた短い時間のため何をするか毎年頭を痛めるわけですが今年は会食後別席を運ばない学生は奈良公園へ行き班毎に公園を散策しながら猿沢の池に集合するプログラムを行いました教祖年祭の来年は一万人のおぢばがえりを打ち出されています笠岡につながる学生はもっともっといます今年参加してくれた学生はもとより参加できなかった学生には是非とも来年はおぢばがえりに参加してくれるようお声かけの程宜しくお願いします学生担当委員三阪泰人鼓笛バンドは例年より一泊少ない日程であった為子供達が合宿の内容に満足してく講習会れるかが心配の種でした大教会では月日より月日最終日のおつとめ学び総会の迄の泊日で笠岡むつみ鼓笛隊中で親神様教祖祖霊様そして春季合同合宿が開催されました総会参加者の前で御供演奏をさせてこれは毎年この時期に笠岡に頂いた時は当初の不安も感動に繋がる鼓笛隊が一堂に集まり合宿変っていました練習を行なうものです今回の合宿も大勢のひのきしんの月日といえばまだまだ朝晩方に見守られながらの合宿で特肌寒く大教会の桜もさすがにつぼに食堂ひのきしんの方には毎食子みをしっかり閉ざしておりました供達においしい食事を作って下さりそんな時候の中今年の合宿は始ま有難うございました又それぞれりました参加者は本隊より名に忙しいスケジュールをぬって顔を福山隊より名高屋隊より名出して頂いた係員の皆様にも御礼申島根隊より名計名の方が隊員し上げますとして参加して下さり又係員の今年もまた夏の子供おぢばがえり名を含めると総勢名の方が今回のに向けて各隊の練習がスタートしま鼓笛合宿に参加して下さった事になしたこれから鼓笛隊に入りたい方りますがおられましたらぜひ各隊の方へ内容はテーマソング夏に飛び連絡を下さいどこの隊も首を長く出せ教祖年祭の歌の習得して皆様のお来しをお待ちしており室内オリンピック等と昨年と大きますな変化はありませんでしたが今年本隊隊長今川昌彦少年会おつとめまなび総会を護を頂く中五百名を超える多勢の参加を頂いてにぎやかにつとめさ盛大に開催せて頂きました育成会長様大教会長様の御臨少年会団長中島誠治では去席を頂いて午前九時三分より雅る四月二日年一度の総会を大教会楽奏上の中おつとめ衣を着用した神殿で開催しました心配していま各ブロックの代表の少年会員が祭した天候もお陰により好天のご守主扈者賛者指図方と緊張しながらもおちついて真剣につとめる事が出来ました引き続き座りづとめから十二下りのおつとめを各下りごとに交替して陽気につとめ各ブロックごとにこの日を目指して懸命に練習してきた成果を親神様教祖に御覧頂きましたおつとめまなびの後総会式典では育成会長様より御祝辞を頂きおつとめをつとめさせて頂く事の大切さを皆に分かりやすくお話し下さいました全員により少年会員の誓いを力強く唱和した後わかぎ門出式が行なわれました今春中学を卒業する二十三名の少年会員が一人ずつ呼び出され記念品を贈呈団長よりお祝いの言葉を頂き学生会青年会女子青年への引き継ぎが行なわれました神殿では最後に鼓笛の御供演奏が行なわれ合宿での練習の成果を見て頂こうと一生懸命演奏する隊員の姿に会場から大きな拍手が贈られました昼食には前日から大勢ひのきしんして下さった婦人会の方の心のこもったカレーに大喜び午后からのおたのしみ行事では今回初めての試みとしてマジックショーを開催致しました教内で活躍中のマジシャンを山口県よりお招きして前日から準備して頂いたアートバルーンとマジックショーは大いに盛り上がり喜びの中に今年のおつとめまなび総会を無事終えさせて頂く事が出来ました開催に当りお世話取り下さいました方に心より御礼申し上げますありがとうございました少年会副団長北川治史幸せとは幸せって感じる心これだけ満たされたら満足するということはおそらくないでしょう人間って欲張り欲の心に際限はないんですから幸せって物や金地位や名誉でつかめると思いがちですがどうやらそんなものが幸せの条件でもなさそうですごくなんでもない道端の草花を見て毎日の快食快便にああなんて幸せなんだろうと感じられればそれにすぐる幸福はないんじゃないでしょうかいま在ることに幸せって思える感性そこから幸せ感はどんどんふくらむことでしょう天理教ホームページより談話室出会いその一神村分教会前会長下田輝夫昨年十月秋季大祭の佳日に長男が教会長任命の御許しを頂き四十年五ヶ月つとめさせて頂いて前会長となりました四十年と云へば長い筈ですが過ぎてみると本当に早いナー短いナーと思えてなりません私如き者が長年勤めさせて頂く事が出来ましたのは素晴らしい人との出会いが有ったからこそですそれは今から五十数年前の事になりますが私の想い出を綴りますので我慢してお付き合い下さい私は中学は是非天理中学へ入りたいと思って居ましたが戦前の物の不自由な時末っ子で親にとっては可愛いかったのかひもじい思いをさせたくないから家から通える学校へ行けとの事で福山の盈進へ五年通い卒業も近くなった或日上級の会長様から今なら天理の学校へ入れるがどうするかと云はれ即座に行きたいと返事をして手続きをして頂きました戰後の学制改革で六三三制が施行された時です中学五年をもう一年行けば高校卒業となる時に新制天理高等学校三年に転入一年間お地場で勉強させて頂き天理高校第一回卒業生の一人とならせて頂きました当時笠岡部内で男子では陽備分教会前会長虫明昌平さんと私の二人だけでした今考えてみますと第一回と云う貴重な時によくぞ卒業させて頂けたものと改めて感心して居ます第一の出会いはこの一年学生寮で同室になった同級生の木船さんと云う方ですとても真面目で親切で頭が良くて優しくて心のひくい正にお道の人でした何も知らないわからない私に色教えて下さり又色な所を案内して下さりお道の素晴らしさを次とわからせて頂きました学生であり乍ら毎晩本部の夕勤めに参拝し教祖殿御用場でのお手直し毎晩二下りずつ私はここでおてふりを覚えました教祖の御前で十二下りを学ばせて頂き他で習った事は一切ありませんこれも木船さんの御陰です探し求めてもこんな素晴らしい人とは出会えないと思います私にとりましては此の上ない有難い人であり此の人こそ私の理の親と云うべき人と思う程です色教え導いて下さりたすけのだいと云う本の柳井徳次郎先生神殿お助け掛として北礼拝場の北東の隅に有りましたお助け所でのお話もよく聞きに連れて行って貰いました今思えばなつかしい想い出です木船さんは山名部属浜松分教会所属の布教所でしたが七十年祭の頃教会になり母親の後を継いで二代会長になられましたが数年前出直されました私にとりましてはかけがえのない大事なく人でした今でも当時の御恩が忘れられず盆暮と御命日には細やかな気持をお届けして居ますせずに居れない尽してもく尽し切れない程の大きなものを頂いて今日の私があるのです木船さん本当に有難うございました感謝感謝錦備分教会長室悦子テレビの天気予報があさって月日は雨だと告げていた雨か祭典の日に雨が降る様ではダメですたとえ雨が降っていてもこの教会の上だけは晴天のご守護をいただく位の信仰をしなくてはいけませんキッパリ言い放つ巡教の先生のど迫力と信仰信念に子供ながらに強い衝撃を受けた時の事を思い出しながらいったい何を反省させてもらえば良いのだろう次の日目覚めた時少年会員だった頃親の恩について教えてもらった事を思い出した朝目が覚めてから一日の行動を考えて親から受けている恩について考えてごらん雨露しのげる家で暖かい布団で一晩安心して休ませていただけたのは親のおかげもし家や布団がなかったらダンボールや新聞にくるまって寝なあかんでひょっとしたら野犬におそわれるかもと思ったら安心して寝てられんやろ歯を磨いて顔を洗えるのも歯みがき粉を買ってくれて水道代を払ってくれる親のおかげ暖かい朝ごはんを食べられるのも皆が寝ている間に起きて朝ごはんを作ってくれた親のおかげ洗濯してもらった服を着れるのも親のおかげ洗濯してもらえなかったら毎日同じ服を着て学校へ行かなあかんでそしたら皆から臭い近寄るなと言われなあかんでちょっと考えただけでも数えきれないほど恩があるやろそしたらその恩を返して行くのが人間の姿なんやで皆は小さいから働いて親に今月お世話になったお礼ですと言うてお金を渡すわけにはいかんやろ朝起きたらどうしたら恩が返せると思うそしたらニコニコしながらおはようございますと元気にあいさつする事ああ今日も元気やなあと親に安心してもらえるやろ反対にねむたいからムスーとして何も言わんかったらどうしたんかなあ体調悪いんかなあと心配かけるやろそれは恩をあだで返すことになるんやで朝ごはんでも今日もおいしいわーありがとうと言って食べたら朝起きして作ってくれたお母さんもうれしい気持ちになるやろつまり今の自分にできる恩返しとはどうしたら親に喜んでもらえるかそれを考えて行動する事なんやで今の私に足りないのはこれだ会長就任奉告祭を迎えるまでにどれだけ多くの方にお世話になっている願書を作成して下さった先生視察に来て下さった教区主事先生加古支部長さん講習会でお話し下さった先生方講習課の方おつとめに手が足りなかったら応援に行かしてもらうで足りない物があったら調達してあげるでと声をかけて下さった先生方こんなに多くの方の暖かい心を頂戴しながら日がせまっているのにあれもこれもまだ出来ていないと感謝するどころかあれはどうなっているのと聞かれると心の中でそんなことは後でも間に合うからこっちを先にしたいのにと不足心を使っていたなあ教会や私の事を思えばこそ言って下さっているのに申し訳なかったと心からおわびしたそして当日明け方少し雨がぱら付いていたけれどこの雨がなかったら作物も育たないしありがたいなあなんだか全ての事がありがたくもったいないうれしいなと感じることが出来たおつとめの頃にはパーと明るい日差しが差して来て神様が今日のこの日の心を忘れないようにと言って下さっている様な気がして涙があふれて止まらなかった何事も一生懸命させてもらおう足りない分は神様が足して下さるのだからと心に決めた日でしたどうぞ皆様これからもよろしくお願い致しますモスクワサンクトペテルブルグ演奏会に参加して大教会岡本久善エミルタージュ美術館での膨大な数の美術鑑賞を短時間で了えたのち専用バスにて夕食へと向うその途中港へ寄り思いも掛けぬ船を見学させて頂く艦名はオーロラ号何んとも優しい名前の軍艦であるこの船は日露戦争時日本海戦で東郷平八郎元帥率いる日本連合艦隊との戦に破れロシアまで逃げ帰ったバルチック艦隊の内の一隻現存する唯一の艦とのこと早速記念写真をフラッシュを焚いて撮る港に係留され記念艦として展示されてある戦に破れどの様なルートで帰ったのか乗組員の当時の心理等誠に興味深いが暗いのと時間が艦内見学を許さない外装は立派で古さを感じさせない現在でも通用すると思える位のスマートさを持つひょっとすると第二次大戦にも改装して使用したのではなかろうか市内のレストランの一室で何時もの様に石川社長おごりのワインとビールを頂きながら豪華な反省会を兼ねた夕食会となるその話の中の海外危険情報を一つ今日広場散歩中の好川氏荷物担当職業弁護士の先生である写真が趣味で大変良く動かれる夕暮れの王宮前広場で被写体を求めて歩いている時前を歩くロシア人が透明のビニール袋を落とす落し物ですよと声を掛けるが去ってしまう良く見ると米ドルが千ドル以上入って居るこの時あっ例の詐欺だと好川氏は気付いたので現場を離れたとのこと世界中観光地の何所にでもある代表的なケースこの後この袋の中身に気を取られたり中味のドルを計算したりしていると第二の男が登場し二人で山分をしようとなり拾ったくと喜んでいると第三の男落とし主が第二の男と登場し落とした金額が二千米ドルと云ふことになり第二の男と五百米ドルずつを支払うこととなる金を持って居ると見ると大変な金額を要求する第二の男はサクラである海外の観光地には沢山の危険が潜んでいる私もスリヒッタクリ等何度も目にしました昔親しい先輩がルーブル美術館でミリを撮影中持っていたポーチから現金トラベラーズチェック等全て盗まれたことがあった今日の様な知能犯的犯罪も増して居る困ったものであるロシア滞在の長い曽山氏も又度大変な出来事に遭遇したとのこと特に日本人は中央アジアの人と似ている為反政府組織テロ集団のメンバーと勘違いされて警察に拘引され長時間調べられる等沢山の苦い経験の持ち主でもある何ごともなく過ごせて何よりである明日はサンクトペテルブルクの街との別れの日である早朝の出発に備へて老人二人は今夜も早に床につく少疲れも加わり相棒のイビキが気になるがすぐ休むことが出来る翌朝五時心地宜い目覚めで朝を迎えることが出来六時には広いロビーの片隅のソファーで皆んなを待つその間空港までのバスの中での朝食が配られるパン野菜ハムジュース等十分だ車中で朝食を取り八時五十分日の出前モスクワへ向けて飛行機は離陸一時間少にてモスクワに着く空港よりバスにて例の白樺の林の中を走ること一時間市内中心部にあるコンセルバトーリャ音楽院に着くこゝは演奏会場でなく曽山田中両氏の大変工夫された点で昼食会場である曽山氏の友人を介して頼んで頂いた学生用の食堂である安価で栄養価に富んだ代表的なロシア料理を頂くことが出来たこゝでの食事を済ませてドラマ芸術学校に移動こゝが最后の演奏会場である市内中心部ながら大通りから一筋入った人通も少なく閑寂を感じる場所であるこの劇場は世界各地から演奏家だけでなく工芸家画家等種な芸術家の集る所のようでホールは大中小ホールを備へ入口横は広いスペースの展示場となって現代画家の絵画が展示されてある我は楽屋と云うか控室に荷物を入れ大ホールにて会場の準備をする劇場側から担当のロシア人の方が曽山田中女史の通訳にて照明音響の調整や舞台の位置設定等芸大卒の中沢君と相談しながら整えられる斯の如く会場は多様な演奏に応えられるようフロア様式で舞台はなく客席もフロアから椅子席中二階二階三階と三方から鑑賞出来るオペラ劇場の舞台が無い状態を想像して頂ければ宜い我舞楽を舞うのには都合の宜い会場であるヨーロッパはオペラが盛んで各都市にオペラ座があり舞台の下に楽員が入って演奏する為客席に近い所が傾めに上向ているその為狭い舞台では舞人がよろけることがよくある流麗にして勇壮に舞う若き多古浦分教会長二十五年前イタリアの小都市のオペラ座では度よろけたことを思い出す最近は酒を召して度よろけると耳にするが体に注意し信者さんの為に頑張って下さい会場準備が早く出来た為前日の注意事項を守って二時間少の自由時間だ皆三三五五に別れて市内の見学だ私も老人組数人で近くのカフェに入り四十ルーブルでコヒーを頂く窓越しに道行く人を眺めているとお前も年取ったナー二時間もあればもっと歩いて見学しろーともう一人の自分が言っている若い時は飛行機乗継ぎの時間を一人でアムステルダム市内観光をやったこともある年だけでなく寒さが左足の筋肉に痛みを起し長時間歩くと痛むので座ることが多くなるゆったりと時間を過して会場に帰りリハーサルに入る今日が最后の演奏会であり有料の入場者である入場ロビーではパンフレットも売られてある表に日本の秋と日本語で印刷され京都の山荘の写真が小さく入れられ中は源氏物語の墨筆をベースに行事日程内容等がロシア語で印刷雅楽の説明天理教の紹介された立派なパンフレットである入場料は日露友好協会の収入となり友好協会の女性がチケットとパンフレット本等の販売をされ入口附近のロビーは華やいでいる入場者三百四百人位午后七時曽山氏の流暢なロシア語の説明と友好協会会長の挨拶で始まり管絃三曲と楽器紹介龍笛の紹介の時住田君がモスクワの夕べを独奏すると大変な拍手と歓声を頂く続いて舞楽蘭陵王名曽利の二曲で終る予定がアンコールの要求に長慶子の三度拍子を奏すがアンコールの声止まないのでもう一曲奏す止まないがこゝで終りとする中沢君の今日は宜かったの一言に楽長藤井先生も満足そうである在留邦人の人が荷作りをしている楽屋まで御礼を申しに来て下さり感激する以下次号に続く昔がたり昔の遠い記憶になってしもうたなわしが宣教所長に任命されたのは昭和十五年三十二才の時じゃったあの時三代会長上原繁雄先生が津山までおいでんさってなお前所長になってくれんかわしゃびっくりしてな夜中まで押問答が続いたんじゃ返事をせえと云われてもよわったなあと思うだけで考えがまとまらんわしゃ別の部屋へ行って頭をかヽえとったと突然どこからかお受けせえお受けせえという声が聞こえてきてなこりゃ受けにゃなるめえとその旨三代会長様に申し上げたら喜こんでくださってな早速奉告のおつとめをさせてもらおうということで拍子木が三代会長様そりゃ当然じゃが数取はお前がやれと云われ又びっくりじゃ役員さんや年上の人が居るのにと思うたがやれと云われたんでハイと云うたなもう恐縮してしもうたがつい先日のような気がするその当時津山から笠岡までは今と同んなじコースじゃが何しろ時間がかかったなこ一日かかったような気がする津山から岡山までは中国鉄道ガタコンゴタコンのんびりかけるんじゃけえな三時間位はかかったんじゃねえかな岡山から笠岡までは山陽鉄道で二時間位はかかったんじゃねえかな笠岡へ着いたら井笠鉄道軽便とも云うとったひと駅でくぢば駅でここで降りりゃ近かった井笠鉄道は昭和四十年代前半まではまだあったように思うがな昭和二十年の終戦後のある時じゃった一人で笠岡まで自転車で帰ったことがあってな当時の道は今では考えられん道じゃった若かったけえ出来たんじゃが二度と帰ろうとは思わなんだ今はどこまでも舗装されてスイスイじゃがあの頃は石ころだらけの悪路悪路で山登りの道ぐれえ悪かったなあ岡山の街並を抜けて津高町をぬけりゃ辛香峠へさしかかるんじゃこの峠が大変じゃった今はトンネルでスポンと抜けられるけえどなあ峠を降りた所へ池があってなひょいと見るとカメが居ってなこりゃ子供の土産になるぞと思い捕えて帰ったことがあったその池は今でもあるぞなもう一寸昔ばなしをしてもよろしいかな昭和の初期の頃までは月次祭の前にゃみくにの舞いう舞を舞うて祭典を初めとったんじゃ長ごうは続かなんだと思うみくに御国と書き皇国の意である現在でも格式の高い神社では舞われている舞のことだろうか朝夕のおつとめの前に祝詞をあげとった掛巻くも畏き天理大神の御前にという祝詞じゃったこれは昭和二十年で中止になったと思うがな月次祭の前にゃ朝風呂に入って身を浄めてとりかかっとったが正直云うて面倒くさかったなこれも昭和初期の頃までじゃったような気がする昭和二十年頃までの月次祭にゃ衣冠束帯でつとめとったがこれもいちいち面倒くさかったな朝夕のおつとめにゃ羽織袴をつけておつとめをしとったせえでおつとめの後のおてふりまなびにゃいちいち羽織をぬいでな昭和二十年代半ばまではそうやっとったと思うけえど教会によっちゃ遅くまでそうやっとる教会があったんじゃねえじゃろうかこうやって話しゅうしょうりゃついきのうのような気もするけえど考えてみりゃどえりゃ昔の話しじゃなわしも九十五才になったけえど教祖がな一一六才まで長生きさせてやろうといわれてなハハハハまだまだこれからじゃ九十五翁より聞きし話鶴山分教会前会長中島宇一こころの詩養徳社発行陽気誌四月号道柳より転載今回の課題は進選六十句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会長夫人田林美智子ランドセル光りて進むご神苑病喜録のうた東濱十三雄今日もまた父母の遺影が笑ってる陽気ぐらしをうながす様に鏡見て笑うレッスンしてみれど口は笑うが目は無表情春風に逆いもせず流雲里の騒音聞き流しつつ川柳言油木分教会黒瀬修弍をやの道言うて樂しむ道でなし言う程に出来ぬ己の恥かしさ言い過ぎてやり場なき身の理の思案言わずとも誠伝わる理の世界よき事を言えばよくなるふしぎかな自分の心は使えても人の心は使えないあれもしたいこれもしたい何でも思い考えることはできます自分の心は自由に使えますが人の心はその人の自由ですから自分の思うようにはなりません我を通せば衝突するのは火を見るより明らかでしょう神様は親子でも夫婦の中も兄弟姉妹もみなめいめいに心違うと私たちの使う心はみな違うのですから自分がああしたいこうしたいと思うのは勝手ですが人にああしてほしいこうあってほしいと思えば思うほど自分の不足心を増幅させる結果になりかねませんね天理教ホームページより青年会笠岡分会総会当たり前のように生まれ育ち暮らしている私たち思えば私たちにおかけ下さる使命は果てしなく大きい笠岡につながる天理青年よ今こそ集え迷うことも疑うこともなくただひたすらにをやの期待にこたえ世界勇ますあらきとうりょうの若き力を結集しここに勇み立ち成人の道を共に歩もうではありませんか開催日時月日日時受付時おつとめまなび式典午后にをいがけ時解散予定携行品おつとめ衣にをいがけが出来る服装おつとめ役割座づとめ笠岡分会委員淺野明教よろづよ笠岡分会委員一二直轄森本正典三四福山ブロック五六久松ブロック中村真人七八髙屋ブロック九十上下府中市高田一弘十一十二島根ブロック淺野明教藤井保人瀨良昇門脇裕教第回ひまわり大会婦人会笠岡支部ひまわり会期場内対間所容象平成年月日金午後時半受付時開会時半解散神殿よろづよ八首支部長様挨拶会員感話講話高屋分教会長ひまわり会対象者青年会別席伏込ひのきしん団参いざぢばへ老若男女問いません年祭に向けて仲間とともに集合月日午前時半笠岡詰所玄関前広場お問い合わせ青年会笠岡分会輸送部森本正典各ブロック担当者島根本田正悟直森本正典久松中村真人福山平盛尚樹上下高田一弘高屋瀬良昇府中市山田睦浩縦の伝道講習会とき平成年月日火祭典講話ところ大教会内容少年会本部委員による縦の伝道についてのお話こかん様に続く会日時内容対象受講御供携行品平成年月日土午前時分出発日日午後時到着予定月次祭参拝別席基礎講座参考館支部長様お話お楽しみ行事他歳前後の女子青年円基礎講座他は別に頂きます宿泊セット別席を受ける人は席札を忘れないようにお願いします各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目門脇元教大教会役員島根分教会長三代幸米府分教会長下田孝德行縢分教会長吉岡誠一郎興明分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい名ヶ所名名名なし初席教会数おさづけの理拝戴修養科修了検定講習前期修了検定講習後期修了人づくり集計月末三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には暖かく果てしない親心と御守護により日は結構に恙なくお連れ通り頂き誠に有難うございます特に今は厳しかった寒さもようやく緩み日毎に春の暖かさを感じるようになり梅の花が咲き誇り鶯の声も聞かれる季まなびやお節を迎えておりますそんな中子供達は一つの学舎を卒え卒業証書を誇らしげに見せる姿を通してけなげにもたくましく育っている喜びも味わわせて頂ける事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら一方で子供達を取り巻く大人達の環境はお金以外の信ずるものを失う等益混迷の度合いを深めております事は誠に申し訳なくお道にお引き寄せ頂いた私共はご恩報じを念頭に後に続く子供達の時代が少しでも良くなる事を願って日たすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てとお教え下されたおつとめをつとめる定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめ手をどりをつとめて三月の月次祭を執り行なわせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集い相共に声高らかにお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向けて三年千日と仕切っての成人の歩みを仕上げの年に相応しいものとさせて頂くべく一月は直轄教会へ二月三月は部内教会へと巡教させて頂き全教会一名以上の初席者を御守護頂こうと改めて誓い合わせて頂きました併せてその実現の為のみならず諭達に込められた親の思いに応える為には全よふぼくが一丸となってたすけ一条の成人の歩みを進める事が大切とお互い励まし合い力を合わせて行く事も申し合わさせて頂きました又卒業進学就職等大きな節目を迎えている子供達に本部や大教会で開催される色な行事の参加呼びかけ等を通してしっかりと声を掛け道の後継者育成を目指し丹精させて頂く所存でございます何卒親神様には旬にお掛け頂く親の声を頼りに力の限り成人の道を歩む皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜わり親の思いに近付く人が弥増し互い立て合い助け合う陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます軒回件ヶ所実践項目集計月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい春季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家御先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊大教会草創の頃より歴代会長と共にご苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖のお見定めを頂かれ早くからこのお道に引き寄せられて真実の親を知るや私利私欲を忘れ御恩報じを願う上からたすけ一条の上に生きの限りに勤め切られました今日お道の結構な姿をお見せ頂いておりますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜でありますが又一つには御霊様方のそうした誠真実の伏せ込みのお陰と朝夕御礼申し上げると共にその意志を受け継ぎ親心にお応えすべく日はたすけ一条の上に邁進させて頂いておりますその中にも本日は春季霊祭を執り行う定めの日柄でございますので只今はおつとめ奉仕者一同親神様の御前にて手おどりをつとめさせて頂き引き続いて御霊様方の御前に参らせて頂きました御前にはゆかりある人が寄り集い海山川野の心づくしの物を供え奉り在りし日の面影を偲び御遺徳を称えて御生前の御苦労に改めて御礼申し上げたいと存じます何卒祖霊様方には皆の心を御心安らかにお受け取り下さいまして道の弥栄えは申すまでもなく教祖百二十年祭に向け仕上げの年にふさわしい成人を目指してたすけ一条に励む家人達の上にも御心放たずお見守りお力添えを下さり年祭のこの旬に親神様教祖にお喜び頂ける成人が果たせますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先大教会だより教会指令任命願錦備分教会前任室新任室喜久子悦子奉告祭承認坪生分教会前任掛谷富子新任掛谷宣和奉告祭承認真金分教会前任猪原縷理子新任猪原啓文奉告祭承認教会長資格検定講習会修了者後期終講芦常原啓道前期終講海松ヶ岡渡辺和善革命はコミュニケーション革命あるインタネット企業がテレビマスメディアに革新を起し是からは低価格のブロードバンド高速大容量通信サービスでネット放送を実用化するようになりテレビは情報技術型テレビになると言っている一方的な現状メディアから双方向の対話や交流が主体となる通信と放送の融合であるテレビは居ながら世界の情報を見る事や情緒的なドラマが心を癒してくれるのに慣れ親しんだ団塊の世代の私の連ドラのフアンも熟年層と言うのも理解できます一方では自己指向情報を四六時中幾通りも検索しその必要な情報が探せるのである特に隠密裏に出来るのが最大の魅力であり逆に最も危険な事が隠されている場合も有るのですお道が起した革新それは時代背景が士農工商の頃に世界は一列みな兄弟姉妹や他人と言うは更に無いぞやである世界陸地ろくぢに踏み均すと説いた教えは時の政府や高官には許し難き事であったから弾圧を加えられた事は教祖伝にある教祖は身近な所から始められたので五年掛けられたその後からが実際の広まりで人から人へと確実に伝わったそれも時間が掛かった今利用すれば瞬時に世界へ発信できて質問回答などの意思伝達が誰とでも無差別に交換できる利点があるという反面誹謗抽象や攻撃もあるのですその為に犯罪の横行も事実です本当に必要なことは利用する側の心が誠実でないといけない世界兄弟姉妹の意識があれば人を騙す事は無いし便利な物をより快活に利用する事こそ陽気暮らしに向かう事でありそれを伝え広める手段の一つの方法であるべき物で無ければ成らないのですこれからの教会はつながりが道なんて言う事に成るのでしょうかヒコ
かさおか

『かさおか』第44巻 第3号

笠岡市田頭の神殿をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば明治二十九年から昭和四十六年までの間は世界一列救けの教祖の御思いを此の場所から発信し続けた大教会の草創中興の歴史のほとんどは此の神殿と共に在ったと言えよう明治二十八年十二月二代会長上原伊助は十日間程歯痛で苦しんだ十二月七日おさしづを願い出た全文を掲載するさあさあ尋ねる事情事情どうもこれ一時身上堪いられんと言うなれど随分萬事事情取り扱え掛かる理はあろまい又内事情互い互い事情以て日事情これも鮮やかなるものそんだら日堪いられん事情どうであろと言うよう聞き分け一時の事情一時の事情の一つ又長らえて又や又やと言うて日の処随分送る事情一時事情と一つ聞き分けなかなか事情なかなか事情であるついつい忘れるやろ忘れるやろどんな事でもめんめん事情掛かりて来る掛かりて来れば皆心の理によって満足理であるついつい治まる一寸尋ねたら聞き分け何も案じる事は一つもあらせんようこれ聞き分け二代会長がその意味を桝井伊三郎先生にお尋ねするとこれはなかなか結構なおさしづである歯の痛む位の事は問題ではないこれは新築の事や思うていてもしばらくすればすぐ忘れてしまうから何でも今の時機を失ってはならぬという事やでとお諭し下さった新築工事は明治二十九年二月三日のお許しと共に始まった今の時機はしかし内務省訓令の最中工事はまさに徹底的な当局の監視取り調べの中で行われた寄付金については講社を戸別訪問してまで調査を受け建築現場では取り締まりの名のもとに二名の巡査が常時つききりで出張監視した十一月上旬上棟式が行われたこの時三陸地方の津波で死者二万人を越える惨状に二代会長は義捐金を募り四百円余を災害地に送って餅撒きは行わない事にしていたが当日信者から小餅十数石が献納されたので多数の参拝者の集まる中誠に盛大な餅撒きが行われた奉告祭は十二月十八日行われた当時の記録によれば続いて開講祭十九日月次祭二十日入社祭二十一日神霊祭二十二日と五日間に亘ったとあるこうして笠岡地方に類を見ない壮大な神殿が笠岡の市街を見下ろす龍王山の麓に姿を現したのである初代会長はこれより前明治二十八年四月会長職を伊助に譲ってからは伊イさん所へ行け伊イさん所へ行けと言って努めて二代会長に人の心を向けまた上級芦津大教会の常詰役員として勤めたが初代会長室が附属建物の一角に建築されたのは三代会長時代の大正十一年三月の事であった今大教会の境内地に移築されている教祖殿役員住宅と共に建築された初代会長室は教祖殿横の日当たりのいい部屋だった昔の先生方が幼い頃お菓子をねだりに行ったり窓際に置いて初代が丹精していたカニ欄の花芽を全部摘んでしまったりした部屋だったわいえらい事してしもた夕べカニ欄を外へ置き忘れてしもてネズミがつぼみを全部食べてしもたかわいそうな事したワこの教祖殿建築役員住宅初代会長室の建築には雅志兄の身上が台となっているが割愛する史料部長上原繁道信念を持って後継者の育成を大教会では二月月次祭講話に替えて恒例の学生層育成者講習会が開催され本部学担より深谷徳重先生学生生徒修養会部部長をお迎えして学生層育成の大切さ学生担当委員会の諸活動などについてお話しいただきたきました教祖年祭は教会長布教所長に限らず全ての信者が成人させていただく旬ですから若い学生達も逃していただきたくない真柱様は学生層育成はにをいがけおたすけであり布教の精神で取り組むようと仰せられます正ににをいがけおたすけ実動の今の旬は道の後継者学生層の育成にも力を入れて取り組むべき旬です学担は基本方針としてお道の素晴らしさ教祖の御心たすけ心を学生へ諭達第二号のご精神を学生層に伝え育成者も共に育つ努力をと掲げております真柱様は学生だから年祭は関係ないと思うかも知れないがこの時に心が成人するようにそれぞれの立場に相応しい道の通り方を考え求めてほしいとこの旬の学生の成人の努力を促されまた育成丹精は地味で難しいことだがすべての活動のもとになるどの会がするというものではなくそれぞれの特性を活かして道のあらゆるところで真剣に考えなければならないと仰っていますとにかく教会ぐるみで若い人を学生層を育てていくことに真剣に取り組まなければならないでしょうその一番の理想は少年会の頃から順序よく育ってもらうことで少年会という基礎時代にしっかりと喜びの心教祖の御心ご守護を感じる基礎づくりをしていくよう心がけなければなりません小さい時から言われ続けてきたことは分っても分からなくても何となく心に残っていくそういうことから神さんを身近に感じられるように働きかけることが大切です若い者より来る処厄介世界から見れば厄介なれど道から厄介ではない道から十分大切十のものでも九つ半大切にして半分だけでけん十のもの半の理で九つ半まで消すよう聞き分けというおさしづがあります外に向かって九つ半一生懸命にをいがけおたすけをしていても残りの半分内の丹精道を繋いでいく若い者の育成を蔑ろにしたら道が切れてしまうでしょうさらに続いて年のいかん者我が子より大切そうしたなら世界からどういう大きい事になるやらしれんとお聞かせいただきますお道では十五才が一つの大きな転機です十五才までは親の責任親のいんねんそれ以降は本人の責任ですまた十七才になったら別席も運べるし修養科へも入れおさづけの理を拝戴することが許されますということは親神様からすれば教えがしっかり心に治まる年すなわち教祖の道具衆としての御用ができる年だということですからこの時期を逃すことなく私達はお道の信仰をしっかり伝えていかなければと思いますではこの厄介な学生層にどのように接してどのように教えを伝えていくのかということで学ハープ担で研究して生まれたのが心が目覚めてくる再生のプログラムという手法です五八人の小グループで与えられた課題を相談しながらこなしその中でお道の教えを自分達で勉強し身につけていくまた同じ年代の者が話し合うことによって心を開いてお道の教えが入っていくというような手法です学担の行事ではを多く取り入れて推し進めていますこの手法を通して学生が自ら考え一つきっかけを持ったらコロッと変わってきます今までお道にそっぽを向いていた学生がこの手法を通してお道ってまんざらでもないと思ってくれたら彼らの実行力実践力には凄いものがありますこの手法を取り入れ一週間おぢばで合宿体制で教理を勉強しひのきしんを実践するのが学生生徒修養会春に大学の部夏休みに高校の部を開催です基本的な内容は講義と修練ですが年受講者も増えていますこの一週間で感激して多くのことを学びキラキラと輝きながらお道を求めお道の素晴らしさを身に付けて帰っていってくれますどうぞ全ての教会から受講生が得られますようお声掛けをお願いしますこの他にも学生を対象とした行事活動を本部教区支部でもしています先ずそういう行事に学生達を誘うことその為にもしっかり日頃から声をかけていただきたい学生達がこうした行事に参加することによってお道の教えを身につけていくことは確かですのでとにかく行事に送り込むことに力を入れていただきたい真柱様は昭和五十七年の年頭のあいさつで親神様から預かった自分の子供を一人残らず道を通ってくれるような子供に育てよう漠然とではなく縦の伝道を再認識し自分の子供にこそしっかりと信仰の道を通ってくれるように仕込むということをお互いの責任と認識したいどれだけたくさんの子供を授かってもその子供達がこの道を通らずしてはをやの心には応えられない信念をもって我が子を同じく教え子として立派に道を通ってくれるよう指導することは親として一番関心をもって力を入れなければならない問題で新しい道の友を引き寄せること以上に大切だと仰いました若い人を育てることは非常に難しく時間のかかることですがあるとき真柱様はお道の人材育成の精神は育ってほしいと思う人を親神様が育ててくださるように尽くすことであって人が人を育てるのではない具体的にいろいろと心を配り手をつくすことも必要だがそれが伝わるか伝わらないかは伝える側の誠真実が最も大切だ育ってほしいわかってほしいと願い実行する誠真実が親神様にお受け取りいただければ親神様がお働き下さるおさしづに育てば育つ育たにゃ育たんとあるように育てようという心がなければ育つ道理がなく育ってほしいという心を親神様に受け取っていただきたければ育成する側の者もそれだけ成人の努力が要るさらにおさしづに道に外れたる心で育てようと思うたところが育たんとあるように人間思案や損得計算で考えても育たない教祖のひながたを考え道の御用のために育ってもらいたいと願ってただ自分の悟りや信念を若い人に話すだけではなく自分も一緒に通ろうという姿勢が大切だというふうに仰いました以上要約教祖百二十年祭学生おぢばがえり大会へは各教会から一名以上の参加を教会長講習会去る二月二十六日二十七日と笠岡詰所を会場に教祖百二十年祭へ向う三年千日と仕切っての年祭活動仕上げの年にあたります今年の教会長講習会を実を上げてこそ仕上げの年とお聞かせ頂く今年御存命の教祖にお喜び頂ける成人をさせて頂くの主旨の下表統領本部員飯降政彦先生伊都分教会長岩井喜一郎先生のお二人をお迎えして開催し百十四名が参加しました開講にあたり大教会長様は講話を聞いてただ素晴らしかった良かったで終るのではなく今年一年の歩みにつなげて講習会の意義がある特に理のお運びをされて表統領のお許しを戴かれた飯降先生にお越し頂いたと云うことは真柱様の代わりにおつとめ頂くのと同じであり聞かせて頂いた以上は仕上げの年に相応しい結果を出させて頂かないと昨年と変っていないではないかでは困るのであって間違いなく成人の歩みをさせて頂くよう精一杯つとめさせて頂こうと理を受ける心構えと発奮を促されました本部講師飯降先生はよふぼくの拠り所は教会である教会がよふぼくにとっての拠り所になっているだろうか教会へ行けば自分が人生に行きづまり迷った時に全てを吐き出して再発見が出来るだろうか教会へ行けば自分が信仰者として何をしたらよいかわかる教会へ行けば教祖の話が聞けるそれが出来ない教会になったら大変である又教会はほこりの溜る所である特に教会長の奥さんの立場はほこりをいっぱい吸い易いため身上になるケースが多いだからおつとめに依って懸命にほこりを払うことが信仰者の大切な角目であるとお話下さいました更に教祖の年祭は仕切って成人することであるがそれは自分達の信仰の拠り所を確認することでありそれはとりもなおさず教祖がお姿をおかくしになられた元一日が拠り所であり教祖御存命の理を自分のものに出来ているかどうかが重要であるとお話下さり最後に笠岡の皆様方年祭活動の御諭達の精神は人をたすける心の涵養と実践ですあと十一ヶ月頑張って頂きますようお願いしますと力強く結ばれました第二講の岩井先生は徳のない人は出会いが悪い同じことをしても徳のある人は幸せになる日本は今徳のない人が増えてきたのではないかと思う私は徳のある人生を送って頂くために徳をつけるということを伝えるのがお道の信仰者の使命ではないかとにをいがけおたすけに廻らせて頂いております自らの少年時代の体験子育て部内教会の修理丹精を通してこの道はおつとめおつくしおさづけの取次ぎと御恩報じにとお教え頂いたことをそのまま一生懸命実行すれば必ず神様に受取って頂きその人の徳分としてお返し頂けるものと信じて疑いませんとユーモアと涙を交じえて大変分かり易いとても感動的なお話を聞かせて頂きました年に一度親里で教会長が一堂に会し出来得ることなら全員が参加して頂き心をひとつに合わせぢばの理を頂き一年間を勇んで御用に励んで頂ける源になるような講習会にさせて頂くにはまず一人でも多く参加して頂くことねりあいの内容は班編成は講師の人選は時間配分はと話し合いを重ねてまいりました結果身上高令の為の欠席はあったものゝ昨年よりは参加増となり両先生の講話はとても良かったと大多数の方から満足のいく感想を聞きましたが班編成では人数性別年令系統等まだぐ配慮が必要と感じました今年も少年会活動について体験発表学生会活動については映像を通して学習しましたがねりあいのテーマに教会の将来像を掲げていましたので参考にして頂けたのではと思います十年二十年後の教会の姿を想い描きその為には今何をどうするべきか大いに考え行動することモスクワサンクトペテルブルグ演奏会に参加してが大切なことではないでしょうかアンケートでも教会の将来のことで悩み不安を持っている会長さんがいると云う数字が出ています今後の大きな課題の一つでありますさてこれらを克服するためにもこの講習会を機に勇み心と実動を加速させ今年一年の歩みにつなげさせて頂き悔いのない年祭活動となるようつとめさせて頂きましょうありがとうございました布教部部長佐藤道孝バスはネバ川沿いを走り市の中心部へと近づく車も人も多くなりこの町一番のネフスキー大通りに入ると車は進みにくくなる前を見ると旧海軍省の建物が眼に写るもう宮殿前広場だ何と広い広場だろう世界で最も広い美しいと云われる広場が広がる全て石とレンガが敷かれる広大な広場だ広場中央にはアレクサンドリンスキー柱と呼ばれる大きな石柱が立つその高さは大教会岡本久善二十を裕に超す高さがあるその尖頭には背に翼を持ち十字架をかかげる天使が装飾されてあるこの石柱を中心に広場は広がりそれを囲む様に半円径に建物が立つその建物の巨大さはおやさとやかた東右一棟から五棟よりも長く続き高くロシア建築の伝統を基礎に建てられてあると聞くその壁面はロイヤルイエローと云う淡い黄色で統一され長方形の数え切れない窓が午后二時と云うのに沈みかけた夕陽に照らされて美しいバスを降りると安いよ安いよと云う物売りに囲まれ特産のコハク木ぼり人形マトリョーシカ世界三大珍味の一つキャビアと彼らも一生懸命だそうこうしながらその巨大な建物冬の王宮エミルタージュ美術館に入るこゝの収蔵品はエカテリーナ二世の収集に始まり社会主義革命后王や貴族の宮殿が国有化されそこに個人コレクションを加えて膨大なコレクションを誇る美術館となったとのことである館内に足を踏み入れると館内全てが美術品である入り口正面の間は三階迄を吹き抜けとした空間と広いスペースを有し又又白大理石とグレーの石柱とで装飾され二階へは右側左側の階段共全て白大理石で手すりも統一され舞場は大理石のモザイクで装られてある私は右側から昇り部屋から部屋へは全て赤の厚手の絨毯が敷かれてあり柔かく老人の足に誠に心地よい美術の知識の薄い私でも記憶にあるエルグレコベラスケスゴヤシャルダンゴーギャン等の特色のある画風が次と展示されその絵画の数と大きさに圧倒されるテレビ何でも鑑定団に出品される絵が何とも小さく思える説明をして下さるショーロフさん若いのに猫背で細身なのでショロケているので私はそう呼ぶはジョークを交えて一生懸命説明して下さるが説明の中に入る洒落が少しずれる為笑いがずれ遅れて拍手がバラくと起るこんな説明を聞きながら三十分も歩くと少休憩が欲しくなる所にある椅子にて勝手に休むことにする百号二百号の絵が広い壁面を一様に所狭しの感で展示されてあるが私が館長ならもっと数を減らして展示するのにと思える満腹のお腹にもっと食えと押込む感がして疲れる年齢の所為だけではないこうなると先廻りして少休むことにする丸一日ないし二日を掛けて鑑賞すべきを二時間で鑑賞するとは無理なことである外に出ると夕宵が迫り薄明りの残る中バスに乗り込み夕食へと向う確かに街は緻密に計画された大通広場庭園や公園人を惹きつける数の彫刻で飾られ花崗岩の切石で覆われた川岸と装飾された数の橋に縁取られた無数の水路で巧妙につながれて美しい街が作られてあるプーシキンの詩は人が如何にこの街を愛しているか表現されてある我ピョートル大帝に造られし汝を愛す汝の厳そかにて秀麗なる見目を愛す威容を誇るネバの流れをプーシキンしかし又この街が如何に多くの人の血と汗によって成るかはその戦の歴史の中に証されてある十八世紀初頭のスエーデンとの北方戦争十九世紀ナポレオンの進攻による祖国防衛戦争ロシア革命を経て第二次大戦のナチスドイツとのレニングラード防衛戦と全てこの街が戦場であり特にナチスドイツとの丸三年にわたる攻防戦は悲劇的で戦后数の映画の題材とされその戦の悲惨さは世界の人の知るところであるこの街には数知れない人が争い数知れぬ人が眠る街でもあることを忘れてはならない又これらの戦は冬の寒さが味方し全てロシアが勝利することにより冬将軍と云う言葉の由来の元ともなっている街のほとんどが破壊と云う被害を受けた中歴史的文化遺産の修復も長い時間と多大の費用を要したことだろうそれに価する程人はこの街を愛し続けるであろう次号に続く苦労あったればこそ雲東分教会三代昌年頭早誌の原稿を温故知新の内容で何か執筆する様と不肖私でも温故の筆ならと御申越しに応へさせて頂く事に致しました顧れば道一条七十年御雛形の万分ノ一はおろか先人の足元にも及ばぬ歩み乍ら道中おみせ頂きお連れ通り頂きました不思議珍らし御守護の数思ひ出は尽きません別して今日飛躍的成人をとお仕込み頂くにつけ心に甦る事は何はともあれ助け一条に蒔いた苦労の物種は必ず大き成人の喜びとなって何時かお見せ頂ける又その道中でみるであろう節は親心切なる成人の導きであるんだ等の証しをマザくとおみせ頂いた一節であります偖て十数年前名称新設間も無い一日上級島根に帰参した折一老婦人が如何にも感じ入った口調で私に先生村の家は貴方の処雲東へ日参だそうですネと申されましたのでそれがどうかしましたか此処島根へ参らんのがいやいやいかんのですかと申しますと否そうではありません誰方が匂ひ掛けなさったですと私は誰も匂い掛けた者は居ません先方が自ら助け求めて参って来られたのですと申すや一際声を挙げてアア不思議あの家は先生貴方の幼い時の寝小便からとさエとその先を聞く迄もなく老婦人も然る事乍ら私自身驚き入ると共に思ひ浮かぶのは当時四五才の私そして生前の母が語った一件でしたそもそも抑拙宅の入信は百数十年前で本家の身上に祖父の事情から因縁を自覚した父が一切を納消して道一条に踏切ったのが始まりで成人と共に助一条を目指して出郷斯くて小生の生れる一年前に名称設立後事を委ござしきねられた母は本家の物置を改造した茣座敷のあばらや荒屋に祖母に私共姉妹入四名を抱え昼間は針子に和裁を教えて生計とし夜は五人一丸となってふさま臥と云ふ正にどん底の態でしたかよう此様な道中にあろう事か幼い私の毎夜の寝小かえ便です代替の無い夜具その始末方に止む得んくらし半日針子の来宅を断はれば直ちに生計に事欠くので祖母と談合誰に教はったでなし私のお尻にたま灸を据えたから堪りません近所中へ響く悲鳴を耳にされた会長様がすかさずお越し下され嫁姑うまのり二人掛りで幼児に乗馬よろしく処灸してゐる態をさま御覧になるや否や大喝一声何たる態ぢゃお前等一体何処へお話聞いて来た自分に都合悪いからとて詮ない子供の身に火を着けるとはくらし生計が苦るしからであろうが主人の上を思ってもみよ教会とは名ばかり借家住ひの男手一ついず子供長兄連れて食ふや喰はずのお助け一途何れ結構頂いて一家一統一ッ屋根の下で通らして頂くは必定其時お前泣いて通りどう度いのか何せ半日子供の寝小便で捨たるものなら明日と云はずお助けに出よ厳しいお諭し当時未成人の母には深い理合は判らぬ乍ら会長の仰せはわらじ神の声と治め翌日から草鞋を履いて出雲北山の中腹に散在する無信者部落へ匂ひ掛けに運ぶと共に連夜の寝小便は御守護頂きましたわらじそして最初に草鞋を脱がして頂いたのが老婦人の申される家であり当方へ助けを乞うて来会下さった家なのですすでに八十年前の事とて家に母のお助け等識る人はありませんわ事別きて当地方で助けを天理教に乞ふとなれさば知らぬ者もない島根に参上するは当然然るキロに一粁と隔たぬ吾教会雲東の新設間もない時何時新設されたか知る人稀な新米教会へ選りもしか選って救け求めての参上で然も私が設立さして頂くのを待ちに待ってたとばかりの入信第一号自ら求めての入信とは申せ早三年千日の日参ならぬ朝参りを定められその間三四日あした詮ない事情に不参の他は積雪の中豪雨台風の朝を北山の中腹から朝勤奉仕にお勤め下されたのには一同感銘いたしました更に私取次がして頂く節の御用にも会長それ丈は待って呉れの考へさして頂き度いのとは一度もない素直一筋に息子の身上御守護は実に鮮かでした今日修養科も了へた用木一家としてお勤め頂いて居りますが省みて教会長として何もお助けさして頂いてない氏自身で助かり助けて頂かれたのだと存じ私の道中斯様な入信なり成人して下さった一家は他に思ひ当りがありません是ぞ母よりの賜りものと存じ道一条通らして頂いたればこその奇蹟と存じられます父は名称設立後十年にして現在地米府に当時としては近隣にない神殿附属屋を構へて宣教所から支教会へとそして家族一統を迎へ入れました母は整備された世帯の中へスルくと住込まして頂き父と苦労を倶にした住込人に伍して何等臆する事なくお相手の勤まる奥様として通らして頂ける喜びを頂いたのでした生前是もお前の寝小便のお蔭苦しかったけど会長様のお仕込みあったればこそと今の喜びを語って呉れました通って置け先で分ると仕込まれた会長様それを兎にも角にも受けて通った母省みれば先人から此道聞く丈の道でない通った丈の道ともお仕込み頂いた様に存じますが通った丈でなく一粒万倍にお返し頂いて居るのではと存ぜられます御神言の一節に難儀さそう困らそう親はないでなれど効能を積ませ手柄さし度い為苦労さすのや苦労せいく苦るしみの中に実がある楽の中に実は無いでとこんにち今日の旬に一入に心に沁みるお言葉であります談話室僕の自転車団参大教会谷本光司此の程月日に回目の自転車団参を岡山教区の方といっしょにさせていただきました他の人は何をしているのとたぶん思うだろう僕も反対の立場だったら止めとけぇと思う雨にたたられた自転車団参回中回雨降ってます雨男か通り方がわるいのか行きは数時間帰りは高速バスで時間余りでも帰らせていただいた達成感が何とも言ない思い初代の人は車も無し電車も無しみんな歩き僕は初代の人の百万分の一千万分の一位だと思う回もしているといろいろあるので思いを述べてみたいと思う回目年前の年末の詰所餅搗ひのきしんバスの中僕の天理教の師森本正典さんが自転車でもう回おぢば帰りしてるとそれがきっかけで始めた自転車団参の手習最初は年前の月海松ヶ岡の方人といっしょに僕は完全になめてかかった位どういう事はないと思ってた行けど進めどなかなか天理に着かないこんなにしんどいものなら止めたいと何度も思った人に負けるのが嫌い最後は意地でも結局海松ヶ岡の皆さんに迷惑を掛け足を引っ張ったやっと着いた天理黒門前達成感心を洗われるような気がした正典君が自転車を組んでくれた正典君はすばらしい人です正典君がいなかったら今の僕は無い正典君とよく飲む飲むと天理教談議こうじゃぁねぇといけんと思うと正典君は熱く語る本当に天理教の事よく思っている回目その年の月青年会の人数人と青年会長様をへお呼びするため今度は迷惑をかけれないと思いヶ月前位から自転車でへ参拝も何をするのも自転車で休みを作ってチャレンジ才位才は僕のおやじの出直の年月はもう熱くなりかける熱いのどがかわく数台の人が自転車でおぢばへ一人もリタイヤなしでおぢばへ帰らせていただきました黒門前でみんなで抱き合って喜び泣きました回目その年の暮れの押し詰まった月光ちゃんまた行くけぇつきあうと正典君何人位光ちゃん入れて人雨が降り出してうかいやドライブインで休んだ寒くて寒くて人がコイン精米機の中で暖をとったさみぃさみぃ今でも脳裡に焼き付いていて神戸の垂水のへんで僕の自転車がパンクスペアー持ってたんだけどすでに使っていてスペアーなし話し合って僕がリタイアした悔しかった垂水駅に自転車をカギかけて止めてて自転車を盗られた後日談正典君に申し訳なく思った回目翌年月末こどもおぢば帰りのひのきしんで回目の自転車団参が番思いが深いです正典君はいつも僕に僕が自転車でおぢば帰りするのは別席の人をつれて帰ってる何もなく帰っても意味がないとその一言で決まった何もせんかったらいっしょ自己満足だ何かしてみと言われたような気がした僕の苦手な分野回目はパンフレットを持って出た号線から号線の近くで夜が更けて寝ようと思い公園ベンチ川辺駅寺みんな立禁立入禁止神戸の公園周辺はベンチを仕切って横になれないようにしているどこで寝ようと迷っていて号線沿いで寝ようと思い寝床を探す深夜にここにしようと思い寝かけた時に頭のへんで声が聞こえてくるここはおれが寝とるから出ていってくれどこでもホームレスの人こんな先進国の日本にもそんな人がいるのが不思議今まで恐いと思った事のない僕が怖いと思った世を捨てた人何をされるか分からない決して偏見では何いだんだん人が増えて来るお兄ちゃん新入か新入なら新入のおきてがあるからあいさつをせぇあいさつ寝るのもあいさつが要るのかでも僕はそんな事今の日本にはないと思ってたコンビニでビールを買っていたのでおっちゃんビール飲むつまみも有るでそのうちの人の人がどこ行くんなぁ僕は天理天理でこどもおぢば帰りというのをしょぉるけぇひのきしんと言おうと思ったけどボランティア何なぁそれはこどもが天理に行って日泊まって行事をする事こどもが遊んだり教理の勉強する事偉いんじゃのぉお兄ちゃん偉うねぇでむかしは手もつけられんかったけぇ天理教しょぉるけぇこの位ですんどんじゃぁ話をしているうちにいい人だと思う人間はうわべだけで見たらいけないと思った天理がんばって行けぇよぅと言ってくれたここで寝てもえぇでの人と号線沿いに寝た天理教のハッピをかぶって寝た金は要らんから命だけはと思った朝出る時に人の人が兄ちゃんがんばれぇ楽しかったと言ってくれたその事は心にしみた郡山の駅でパンフレットを配って駅のトイレ掃除をしておぢばに帰った回目翌年月のの土持ひのきしんに出るために自転車で出た朝から雨雨の中の自転車雨がつきまとうふつうの時でも体力を消耗するのに雨の中は余計に体力を消耗する号線で行って玉島でパンクすいませんこのへんに自転車屋さんないですか何か歩く自転車を押して歩いたら余計体力を消耗する倉敷市には入ってた岡山県境の瀬戸パーキングの所で体を休めるさあこれから出発の時またパンクたまたまホームセンターが有ったので店員にすいません自転車パンクなおりませんかすぐには無理日位かかりますよと言われたいいです歩きますと出たちょうど時位だったホームセンターが終る前だったので愛想ない返事されたのかなと思ったその日も雨が降っていたので今夜の宿探し何歩いたか分からないけど派出所でビジネス旅館はないですかと尋ねるひなせ日生の辺ではないかと思うとにかく灯りのある辺へ行こうと思った雨は降るし夜は更けるしいくら声をしても出てくれないまた断られた軒目にやっとビジネスホテルに入った位払ったうっそぉと思った理の親にしてホテルにチェックインしました神様は有るかと言った一生懸命に行こうと思っているのに肩透かしばかり僕は悪口雑言ばかり言った理の親に神様は見ているよ光ちゃん止めて汽車かバスで行ったら神様は確かめているんじゃぁないのと言われた人生一直線の僕に柔らかく諭して下さいましたでも僕はまだ合点が行かないと思った何のためにそんな事せんといけんのんなぁと思ったそれで僕のもう人の師青年会委員長佐藤君にしたやっぱりいっしょの事を言われた心がなごんだ翌日にすいません自転車屋ないですかと尋ねたら軒とも店たたんでいてその町には自転車屋なし国道へ出てたらあそこで直していただけると聞いて訪ねたふつうでは考えられない所だった車屋の様だったお兄ちゃんどこへ行くのと言われたので天理へ行く今ではすぐ言えるほう天理奈良のそうですここからまだは裕に有るよ何をしにボランティアをしに何のために日の反省かな日の反省見たところふつうの人だけどいやあ人には言えない事は有るからねと答えるそんなやりとりに分位でパンク修理が出来た有りがとうと言ってお金を払ったらこんな自転車乗った事ないから乗してくれると言われのでどうぞと答えたまた有りがとうと言って出ようとしたらお兄ちゃんお茶飲んで行かれぇと出して下さったいいですと言ったけど僕何にもできんのでお返しをと思ってタイヤを運んでいたのでいっしょに手伝わせていただいたパンフレットを渡してお礼を言って出その方がまた来ねぇよぅと言われたまた来るでと言っておぢばへ向かった奈良に入って先生に声を掛けていただいたのがうれしかった光ちゃんがんばりねぇでもコーヒー差し入れの方がいいと今でも先生をからかう紆余曲折いろいろ有るけど体が動くまで人生現役で自転車団参をさせていただこうと思います人で行くときはパンフレット携帯灰皿ナイロン袋ゴミ拾いタバコかすを拾ってすね当て回廊拭きのためを持って最後に皆さん僕たちといっしょに自転車団参をしませんか苦しいけどいろんな事が見えますよ教祖年祭の仕上げの年また考えてますいっしょに自転車団参をしましょう今年月才になりますこんな僕ですけどいい出会いをお待ちしていますので皆さんよろしく学生会新入生歓迎会日会対内時月日日午前時午後時頃場笠岡詰所象おぢば管内の学生容大教会長様お話親睦会学生には直接ハガキで案内いたしますがこちらが把握出来ていない学生もおりますので教会からもお声がけをお願いします青年会笠岡分会総会当たり前のように生まれ育ち暮らしている私たち思えば私たちにおかけ下さる使命は果てしなく大きい笠岡につながる天理青年よ今こそ集え迷うことも疑うこともなくただひたすらにをやの期待にこたえ世界勇ますあらきとうりょうの若き力を結集しここに勇み立ち成人の道を共に歩もうではありませんか開催日時月日日時受付時おつとめまなび式典午后にをいがけ時解散予定携行品おつとめ衣にをいがけが出来る服装おつとめ役割座づとめ笠岡分会委員淺野明教よろづよ笠岡分会委員一二直轄森本正典三四福山ブロック五六久松ブロック中村真人七八髙屋ブロック九十上下府中市高田一弘十一十二島根ブロック淺野明教藤井保人瀨良昇門脇裕教こかん様に続く会日時内容対象受講御供携行品平成年月日土午前時分出発日日午後時到着予定月次祭参拝別席基礎講座参考館支部長様お話お楽しみ行事他歳前後の女子青年円基礎講座他は別に頂きます宿泊セット別席を受ける人は席札を忘れないようにお願いします各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みくださいうそ動物より人間の方がかしこいだってうそでしょう動物はうそはつかないよ人間ってうそのかたまりさ神様はうそとついしょう大きらい人間ってうそのかたまりさなぜうそつくのなぜ人をだますのほんとの事を云おうやほんとの心で話そうやはだかになれば皆んな同なじさ生れた時も死ぬときもみんな同なじさ無一文自分だけがなぜそんなにかわいいのやさしい心で話そうややさしい心ですごそうや詩かくしん二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様にはいちれつのこともがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなりと親心溢れる御守護によって日結構にお連れ通り下さり陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は身の回りに成って来る理に世界一列救けたいとの親心を重ねて思案し常に大難は小難に小難は無難にとお連れ通り頂いている事に感謝の念を強くし御恩報じの思いを深めて朝夕に御礼申し上げると共に親心に応えるべくたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いております中でも今年は教祖年祭の仕上げの年として全よふぼくが実動の成果を挙げようとして一丸となって成人の歩みを進めさせて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの大教会にお許し下された二月の月次祭を執り行う定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には立春を過ぎたとは言えまだ寒さ厳しい中も厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を声高らかに唱和し改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて諭達でお示し頂くように最近年齢に関係なく我欲に走り安逸に流れがちな人が増えており人の心を失っているのではと思えるような事件も多発しておりますそんな時代だからこそよふぼく一人一人がしっかりと成人する意志を持ち後に続く者を育てて行かなければなりませんその上から本日は学生層育成者講習会を開催させて頂きその意志固めをさせて頂く所存でございます加えて実践にも繋げて行きたいと存じますが実のなるものにする為にも親に喜んで貰うべく年祭に相応しくしっかりとひながたを見つめ人間思案を断ち切って神一条にたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂く覚悟でございます何卒親神様には親孝心一筋に精一杯勤めきる皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り人の心が真実の親心に触れ助け合いの心に立て替わってお望み下さる陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますこころの詩養徳社発行陽気誌三月号道柳より転載今回の課題は先選四十五句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠東悠分教会長夫人田林美智子一れつに先は楽しや真の日出直し東濱十三雄叫ぶ声に導びかれつつ来てみればあゝ又夢か亡き父の声寒椿ポトリと落ちて母は逝く九十余年の苦楽を忘れ教友の静かな出直し耳にして無言のまゝで手を合わすなり川柳若き日の思い出油木分教会黒瀬修弍喜びは真似も受け取る親心未熟でも真似ならできる私にもにが手でも親の思いにあわす日押えてもかなわぬ虫の居りどころお手入れに心定めて虫下し内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい実践項目集計月大教会だより第七六四期修養科教養掛三ヶ月間中島誠治鶴山分教会長一ヶ月目渡邉眞次品治分教会長二ヶ月目中村義太郎大教会役員百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所三ヶ月目修了者稲倉上吉野福勇藤本芳久東水島分教会長廣田真也松井浩宣鳥井裕子元来医者に診て貰うというと激痛差し迫りかなりの決断を要していよいよ治療して貰いに出向く姿勢が善悪問わず幼少より根付いた思考である今年祭実動の年を迎える二ヶ月前に端を発する意図せぬおさづけの取次より此の方日に於いて正直僅かではあるがおたすけの機に直面しまた出会している事を最近強く感じ取る一歩前進のスローガンが絶えず頭を過ぎるのであるが恥ずかしいかな応対たるや全く幼稚である今月に入り以前から気になっていた歯の治療を受けに行き付けの歯医者に行ってみた却って頬が膨れ上がり痛みが増して戻ったところへ見かねて医者を紹介し連絡を取って下さった子後は事を委ね通う様になったのだが何か身上にしるしを頂くと第一おさづけでことが済む済まない場合の医者薬で行くこと自体強く敗北感を抱くのであるおさづけたすかるそれは幼少期に味わった甘い固定観念への思考の帰結に陶酔するが如く中展開へとは踏み出せない今回早期治療を思い至っての安易な考えで医者に行った今までの考えにない事であったのだが事態は思いもよらぬ方向へと急速に変わっていった何時からか心ならずも棚上げして来た諸事に遅ればせながらやっと手を付けて行こうとひょんな拍子に起こった今回の好事に眼を啓き無い知恵を働かせて行きたいと願っている待っておられず押し出されてのことであるがちょん
かさおか

『かさおか』第44巻 第2号

八幡平の敬業館往時を想像してをやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば称念寺橋からものの五百メートル隅田川に沿って北に正寿場町しょうじばちょうを抜けると敬業館が在る笠岡市教育委員会の資料によれば寛政十年年に開かれた教育施設六百四十八平方メートルの敷地に講堂一棟塾舎二棟教授居宅一棟が建っていたとある明治十六年閉鎖されこの頃代教授方を勤めていた小寺家の持家であった年表によれば明治二十一年八月この頃参拝者多く協議の結果殿川町の塚本信斐氏所有の家屋を借り受け信徒寄所とする更に明治二十二年五月二十二日元の笠岡郷校敬業館八幡道小寺福一郎氏持家を買受け集談所とする上原家もここに移るとある明治十九年六月初代の帰郷と共に笠岡の道は芽吹くがその勢いは将に燎原に火を放つが如くであった史を読んでみる当時一人の信者が納める教費金は五厘であった教会本部への納金から推察する信者数を次の如く記している明治二十年百二十二人余明治二十二年二月三百九十五人明治二十二年九月五百三十五人上原家を訪れる人は引きもきらず家族はゆっくり夜も眠れないという状態このため協議の結果殿川町洲崎に寄所を設け四十人ほどの主だった人が交替で集まる人に話を取り次いだそれでも依然として称念寺橋の上原家には毎日のようにおたすけを願う人が集まるので結局上原佐吉さとは話を取り次いでは寄所へ送って行く帰ってみればまた新たな人が来ているという具合で衆議一決元の敬業館を購入して上原家もここへ移転したこの間明治二十一年三月四日さとに笠岡警察署から呼び出しがあった数多くの人が上原家に出入りするのを当局が不審に感じたのであるさとは尋問に筋の通った明快な受け答えをして拘留もなく帰宅したそして四日後の三月八日おぢばで執り行われた教祖一年祭に備中眞明組を代表して参列したこうして明治二十四年十月十一日敬業館の建物を内部改造して上原さとを初代会長に笠岡支教会が設立されたその後も教会教勢は留まる処を知らず翌二十五年には玉島福山髙屋神邉の四名称が部内教会として誕生した明治二十七年笠岡支教会に本席飯降伊蔵先生の御入込を頂いたがこの時は門から玄関まで赤絨毯を敷いてお迎えしたという本席様は船をあまり好まれなかった高知へ御巡教されるのに神戸の兵神に寄り陸路を通られるとの事で初代はおぢばに帰り笠岡への御入込みをお願いした初代はこの時の御本部での様子を次のように述べている私いよいよおぢばまでお迎えに行ったそして島村さん高知分教会長に会ってその事を頼むとフンフンと表の間では返事をしていてもツーと行って次の間で桝井さんに岡山から船で高松へ渡るような相談をしているそやから私こらどうもならんとすぐに井筒つぁん芦津分教会長に私こうしてお迎えに来ているのに島村さん岡山から船に乗られるように言うていますがうちには畳の表替から壁の上塗り布団も新たに拵えたし夜昼通してやっていますのにお立ち寄りが願われねばどうもなりませんあんたからどうぞそう言うて頼んで下されと言うと井筒つぁんが御本席様に聞こえるところでそう言うて頼んで下さったそれじゃ笠岡へも寄ろうと言うてお立ち寄り下さる事になった翌年さとは上原伊助に会長職を譲るが女の身で錚たる当時の各地の初代会長に伍して笠岡の道に大きな素晴らしい弥栄をプレゼントしてくれたものと涙を禁じ得ない史料部長上原繁道可愛い一条の親心であ春季大祭講話りますから直に地全よふぼくが初席者一名の上に現れて下さって自ら陽気ぐらしに向かうひ御守護をいただこうながたをわざわざ示されているということは本大教会長様当に有難い親心だと思いますところがひながたをお示しいただきながら実のをやなればこその親心目の前の生神様に甘え自らが陽気ぐらしを求めてひながたを辿ろうとしなかったので自発性を本日は春の大祭ということで祭文にも明治促すべく二十五年先の定命を縮めて明治二十二十年までの親のはたらきを述べそれに対する年に御身をお隠しなされましたこれも有難い親御礼を申し上げました心ですいろんな道具を寄せて私たち人間を創造されそういう一つひとつが単なる御守護ではなく守護を教え八千八度の生まれ変わりをして大世界一列をたすけたてやりたいという親心いっぱ変なご苦労をなされてお育てくださる親神様はいのお姿ですから大祭にはその親心にしっかただ人間を造って育てただけではなく天保九年りと御礼を申し上げるのですには教祖を月日のやしろと定められて直にこの世の表に現われて陽気ぐらしに向かうひながたを示されました正しく親なればこその本当お連れ通りくださる成人の道の親心でありましょう神と言えばどうしても怖いもの言うそれに対して私たちもそのご恩に応えるべくことを聴かなければ滅ぼされるというような観念日は朝夕に御礼申し上げつつお導きのままで捉えてしまいがちですが私たちが信仰していに世界だすけの御用の上に勇んでつとめ励んでおるのは実のをやでありますりますが自分が勝手にご恩報じの道を歩んでいるというよりはむしろ親神様が手を引いてお導きくださっているということも有難いことですともすれば日のにをいがけおたすけも自分がしている自分がこの人をたすけたから自分の信者だというような思い違いからいろんな事情が起こってきているのも今の一つの時代の姿ですにをいがけ自体は私たちがしなければなりませんがにをいをかけるのもおぢばにお連れ帰りするのもこれは親神様教祖が導いてお引き寄せくださるのであって私達は親神様教祖が導かれた人を丹精しているのです主は親神様教祖であって自分が主になる信仰をしたのでは本来の信仰にはなり得ません本日の大祭はぢばに理の運びをしてお許しを頂いてつとめているおつとめ二十六日におぢばでつとめられるつとめの理を戴いてのおつとめであります大祭は大祭としての理の運びをしてつとめているのです勝手につとめているのではありませんそしてみんなで真実を込めて御礼を申し上げていますそれぞれが理作り理立てをしながら忙しい中をわざわざ今日ここまでお礼に上がった正しく真実込めてのお礼をしているのです残念立腹に見られる親心さて教祖百二十年祭に向かっていよいよ仕上げの年の本年はどういう心でつとめたらよいのでしょうか昨年から今年にかけて大きな天災の姿を見ましたがおふでさきに月日の残念立腹と示されるように私たち人類に対する残念立腹の姿です十全の守護を頂戴しながら日にその喜び感謝の気持ちのある人が果たしてどれだけいるかと改めて考えるとお道を信仰しているお互いでさえつい忘れてしまうのではないでしょうか身の回りに溢れている御守護の一つひとつを日に感じながら生きているかと考えるとまだまだ感謝の気持ちが足りないのではないでしょうかそれに対するご恩報じとしてお尽くしをしたりひのきしんをしたりしていますがまだまだ気持ちが足らないのではないでしょうかそういうことに対する残念立腹もあるでしょうがこの残念立腹の姿は今年だけではありません百十年祭の仕上げの年にも阪神大震災という形で現われました今回は二年目一年早まっているわけですそれから考えると残念立腹がより増しているとも言えるわけで何れにしても年祭の旬に見せられた大きな残念立腹と考えれば全人類に対することもさることながらそれ以上によふぼくに対する残念立腹という思いが強いと思案しなければ申し訳ないと思いますそれではよふぼくに対する残念立腹とは何かと考えるとそれは成人の鈍さです今全てのよふぼくがよふぼくとしての自覚に立って御恩報じの道を歩んでいるでしょうかよふぼくのつとめを果たしているでしょうか百年祭を一つの大きな節目としてよふぼくが大きく成人するための節として十年毎に年祭をお与えくださっていますが全然成人していないことはないでしょうか成人の心作り成人の歩みをしっかりとしなければならないと改めて思います結果が出るように実動するでは如何に成人するのでしょうか実動そのものに重きをおいた年祭活動から実動によって結果を出す活動とすべく全教会一名以上の初席者を御守護いただこうと申し合わせました過去二年は実践項目を掲げて歩んで参りましたそれは実動するにをいがけをするおたすけをすることが目的でしたそれに対しては皆さん方充分につとめられたと思いますしかしながらこの年祭の旬に成人はそれだけでいいのでしょうか殆ど動かなかった人も少しでもにをいがけに歩いてくれるようになったおさづけを取り次がなかった人がこの旬に取り次ぐようになったこれだけでも私は充分成人した姿だと思いますが親神様に本当にお喜びいただけるような姿にするためにはそれを通して結果を出さなければならないと思いますしっかりと歩いてにをいがけおたすけをしひのきしんもしたらその結果が出なければ本当の意味での成人の姿にはならないということですその上から全教会一名以上の初席者をご守護いただこうと申し合わせました全よふぼくが実動しよう従来は教会で初席者何名ということになると会長さん宜しく奥さん宜しくあんた頼むでと人任せにしてしまってよふぼく一人ひとりがその思いで動いていないという現実もあったでしょう教会で初席者一名以上という打ち出しならばむしろよしよふぼくとして自分がこの教会に初席者一名を必ず御守護いただこうという思いにならなければ本当の意味での成人には繋がってこないのではないでしょうか全教会で初席者一名以上と打ち出したから一名でいいというのではありません一名以上というところに重きをおいてしっかりつとめなければならないと思います考えて見れば諭達第二号は教会に対して発布されたものではありませんさあ全よふぼくが人をたすける心の涵養と実践をしようと発布されたのが諭達第二号の精神でありますですから全よふぼくが必ず初席者一名を御守護いただくという思いでつとめ切らなければ諭達の精神にも反しよふぼくの成人を望まれて年祭をつけてくださったをやの思いにも添うことができません年祭はよふぼくがよふぼくとして成人する旬であります実動を通して一人でも多くの方におぢばに帰っていただき初席を運んでいただけるように丹精をするまたそのための苦労をするところに大きな心の成人ができるその心の成人を親神様教祖がお喜び下さるそしてそれこそが大きな御恩報じになるということをしっかりと心において残る一年精一杯つとめ切りたいと思います本来のよふぼくのつとめ成って来る理の全ては私達をたすけてやりたい陽気ぐらしへ導いてやりたいという親心がかかった理でありますそれをしっかりと思案しどうそのをやの思いに応えるかをしっかり思案して明治二十年に一れつ子供の陽気ぐらしをよふぼくに託された親心に応えましょう確かにお道の成人の段階には色とあります先ず教会へ日参するところから始まるお尽くしをするおぢばがえりをする別席を運ぶ順序がありますしかしながらそれらが目的ではなくそれらを通して人だすけをできる人間に作り上げていくところに本当のお道を歩む意味があるのですよふぼくとしての使命はそこにあるということです尽くし運びをしたらよふぼくのつとめができたというのではありません本来のよふぼくは人をたすける人間を作り上げて初めてよふぼくとしての御用が果たせたということになるのですそういうよふぼくに全よふぼくがなって欲しいと親神様が示された今の旬であるということこれをしっかりと思案して今年一年つとめたいと思います全よふぼくが初席者一名以上必ず御守護いただきましょうどうぞ宜しくお願い致します以上要約婦人会全委員部長講習会婦人会では去る一月二十三日日全委員部長講習会を開催しましたこれは三年に一度の全委員部長講習会を開催するにあたり教祖百二十年祭三年千日仕上げの年に入り一日でも早く本会からお打ち出し頂いた事柄支部としての支部長様の思いを伝えさせて頂き年祭までの最後の年を足並みを揃えて前進させて頂きたいと寒い時期年頭ではありましたが計百九名の委員部長さん方の参加を頂きつとめさせて頂きました当日は午前十時半より開講し支部長様より年祭の旬というのは非常時である寝ても覚めても教祖にお喜び頂ける方向に向かわせて頂かなければいけないのですと懇とお話し頂きましたその後二人の委員部長による本年の活動指針である育てをテーマに感話本部三日講習会案内のビデオ鑑賞昼食午後からは六七名十六班に分かれて練り合いをもちました各の持ち場立ち場の上から様な意見が出て時の経つのも忘れてあちこちの部屋から談笑する声が聞かれましたその後閉講神殿にて支部長様を芯にそれぞれの心定めを教祖に御供して皆揃っておつとめをつとめさせて頂き散会致しました遠近とわずご参加下さいました委員部長さん又留守をお預かり下さいました皆様方に心より御礼申し上げます常任委員門脇加津教祖に思いを寄せて興明分教会吉岡八恵昨年十二月に委員部長という立場を頂きましたそれまで母にもたれて通らせて頂いていた私には思いがけない重責を担うこととなりましたそう思っていた矢先の全委員部長講習会参加でした本当に風の強いしんしんと冷える日であったように思います後継者講習会とは異なり整然と机が並べてある講堂に入った瞬間から凛とした緊張感が漲ってきました支部長様のお話に始まり感話を聞かせて頂き班ごとにねりあいをさせて頂きました感話ねりあいのテーマの一つは私にとってずっと気にかかっている婦人会の例会についてという事もありまさにタイムリーなものでしたその中で後継者講習会においても聞かせて頂いたお道の婦人像についてのお話は耳の痛いものでした私とは正反対であり同性の者もあこがれる婦人像それはまさしく教祖であると思います志は高くそんな教祖に少しでも近づきたいと思いつつ現実にはとても容易な事ではありませんが教祖ならこんな時どうなさるのかどんなとき言葉をかけられるのかと教祖の事を考える時間を少しでも長く持たせて頂くよう心がけてゆきたいです講習会に参加させて頂いて心の底から湧いてくる熱い力のようなものをおみやげに頂きました教会へ帰って夕づとめ後折しもなかなかそろってゆっくりと話すことのできない一番身近な二人のご婦人の方達とねりあいの続きのような形で一時間ほどお話させて頂きましたこれも親神さまのお計らいかなととても嬉しかったです最近感動が人を変えるという話を聞かせて頂きましたがこの熱い思いを忘れずに教祖百二十年祭に向かって歩ませて頂きたいと思います私宛の速達便芦品分教会吉岡晴代一月二十二日の夕方車から降りた瞬間腰に激痛が走りました会長も大丈夫かと心配しますその後痛みは治まるどころかだんだんひどくなるばかり明日の婦人会委員部長講習会に行けるだろうかとの不安が過りましたこの講習会は教祖百二十年祭活動仕上げの年の今年の婦人会最初の大切な行事明日は何とか出席したいと心密かに決め一抹の不安は有りましたが休みました次の日の朝何とか体を動かすことが出来大教会へと向かいましたどうして今日の日に合わせた様に今迄なったこともない腰痛になったのだろう支部長様のお話しを聞かせて頂いている内についつい自分の基準で周りを見てしまったりやる前からあれこれ考える自分に気が付きました感話では地道にこつこつ積み重ねることの大切さをねりあいでは親達の伏せ込みのおかげで今日があるんだということを改めて感じました私達夫婦は教祖九十年祭活動中の年に結婚しました教祖百年祭活動中の年には主人の父である前会長が突然倒れ主人が会長にならせて頂きました十年後の教祖百十年祭活動中の年は真柱様現前真柱様が芦品分教会に御巡教下さり私達に親しくお声をおかけ下さいまして勇ませて下さいました年祭活動の期間ごとに大きな御守護節がありましたまさに年祭の旬は節目の時であると思いますいよいよ今年はその大事な年祭活動仕上げの年です私はこの講習会で感じたことをしっかり胸に治め会長の心に添って教会の台としてのつとめを地道に続け少しでも感謝の心喜びの心の多い不足心の少ない毎日を通らせて頂かなければと決心しました腰痛の事ですが午前中はじっと同じ姿勢をしているのが辛くもじもじしながら座っていましたが午後からは少し楽になりました次の日には身軽に動ける様になり数日後にはすっかり良くなりましたまるで講習会の日だけの腰痛の様でしたこの一年しっかり腰を据えて通りなさいよと親神様教祖が私に手紙をそれも速達で下さった様に思います日の心遣い米美分教会三代由里一月二十三日委員部長講習会が開催されました昨年の十二月初めに案内のハガキを見て一月二十三日まずそう思いました今年の冬は暖冬であるとの予報は出ていますが当教会は大山の中腹にあり年末から降り出した雪でお正月には三十センチ程の積雪がありました一月後半ともなるとはるかに積雪するであろう事は容易に想像が出きたからですしかし親からの声です参加させて頂く様返信致しました講習会三日前まではかなり雪が降っていました二日前当日になるとアレいい天気親の声に素直になると出にくい中も出やすくして頂けたのですまず最初に支部長様にお話を頂きました女性の役割として育てるというお話の中で私達のお道の婦人としての心遣いについて日の生活の中で教祖の御心に添った心遣いが出来ているでしょうかという問いかけでしたこんな時教祖ならばどうされるのだろう教祖ならばどんな言葉をかけられるのだろう教祖なら私に一番欠けていた思いへの問いかけでした思い当たる事情があったのです我が子の事ではありましたがまさにこの心遣いに欠けていましたつい感情の方が先走り正反対な心遣いで叱りつけていたのです会長様に怒られ何で私が怒られるのなどと腹を立てていました我が子とはいえ将来有望な用木要員ですただの枯れ木にしてしまう所でした本当に胸にガツンと痛いお言葉でした次に二名の方の感話午後は十六班に別れての練り合いと続きましたここでもいろんなお話を聞き感銘したり反省したりとアッという間の一日でした毎日の生活に追われ時には年祭の仕上げの時旬である事も忘れてしまうような私ですが支部長様に頂いた教祖の御心に添った心遣いを日の生活の中に求め年祭に向けての残りの時間を私に出来る精一杯勤めさせて頂きます後日マイナス三十度の寒波により降り積もった雪で広場にあるスベリ台は半分雪の中に埋まってしまいました笑すべては心がけひとつ大江橋分教会村川久美子恥ずかしながら委員部長とは名ばかり一昨年五月に婦人会笠岡支部総会第回で支部長様からの第一声不足は切る理ですというお言葉にドキッとしこれからは喜びさがしをと志したはずなのに嬉しくない言葉を発する日もう年祭三年目に突入してしまいましたこれまでありがたいなあもったいないなあと喜びの声をどれくらい発していたか日のあたり前の暮らしの中でどれだけ喜びを見つけられていたか教会の特性をどれだけ生かせていたか教会はぢばにつながっている所祈りの場所神様と向き合う場所それぞれ帰ってこられた方の力になっていたか反省だらけです年祭の旬は非常時実動の年だという事婦人会の活動方針成人目標に沿う通り方を実行させて頂こうという支部長様からのお話がありました通り過ぎてしまえば意味がない今動かなければ十年祭二十年先何も変わっていない事になる流されないよう今を大切に努力しなければと思うことでした御野分教会の奥様の例会のお話は昨年の委員部長講習会の支部長様のお話から心を定め婦人が集まり少しでもおやさまのお心に近づけるような事をさせて頂こうと月一回の例会を始められたとの事でしたとても身近でわかりやすく前向きになれました私自身も婦人の皆様に相談させて頂こうと思っています例会などでその月のお手振りや鳴り物の練習が心安くできれば自信になり月次祭も楽しみになり笑顔もふえそうです輝美濃の奥様は弟さんの未信仰のお嫁さんを三十年かけて導かれたという嬉しいお話私ならやめてしまいそうですがどんな時も神様だけは離したらいけない大きな心で優しく接していらっしゃったご様子が目に浮かびあきらめず積み重ねられた姿に感動しましたすべては日常の心がけひとつ笑顔を喜びの姿勢をどううつしていけるか胸から胸へひとつひとつ教えを伝えて下さったおやさまにお喜びいただけるようつとめていきたいものです今は非常時福廣分教会佐木靜子支部長様は年祭活動最後の一年を迎えたこの旬をどの様な心で通ろうと思っているか今は非常時です即座に動かねばならないそこで婦人会活動方針を手を上げて云って下さいとの事私は三ッ目が出て来ませんすると委員部長が活動方針が云えなくて何をするつもりですかと諭達は云えますがもはや手を上げないのは私一人だワ手も顔も上げられず脳ミソは固まってしまいましたこの事は今の私に大切なものが欠けていることを気付かせて頂きました続いての活動方針については心に沁み入るようでした求めるとは動く事ですョ教祖だったらどうされるか常に頭において伝えるとは有難いねェうれしいねェ結構だねェと口に出す事です黙っていては伝わらないですョそして常に人助けを心掛け実践するところそれが教会例会ではしっかり諭しあって欲しいきっと結果がでますョと未熟な私にも分りやすくお話し下さったと思います毎月第三日曜日の午後は福広婦人会の例会が数十年前から定着しています例会では前委員部長元委員部長共に健在ですのでアドバイスをいただき乍ら前半はお手ふり三曲男鳴物の練習後半はおふでさき拝読福山委員会での連絡事項旬の報告やお願いをしています初例会はぜんざいと福引が恒例で毎月お茶の時は気楽に話し合って楽しく過していますが娘は婦人会に行くと親も教えて呉れなかった事を教わる事が沢山ある親に云われると腹の立つ事も素直に聞けるし親の云う事も間違ってなかったとも思い直せるだって二十代から八十代まで輪になってコーヒー飲み乍ら話し合える場は他には無いョと云います会員さんの中には遠くは車を乗り継いで一時間半位の所からも集まって下さいますお迎えする私はせめて帰られる時は送らせて頂くよう心掛けています例会も高齢化してきましたのでおばあちゃんのお泊り会もしましょうと呼び掛けているところです年祭活動最後のこの一年は特に諭し合って欲しいと支部長様のお話でしたので諭し合いを重ねて御存命の教祖に喜んで頂けるお土産を一人一人が御守護頂けますように会員さんと共に頑張らせて頂きます御指導よろしくお願い致します私と天理教稲倉分教会廣田真也私は天理教が大好きですいや天理教というより天理教の信仰をしている人や天理の街そのものが好きですこのたび私は修養科第七六四期生として十二月から二月までの間おぢばで修養させて貰うことになりました私は物心がついた頃からうちの家は天理教だなと思っていましただから私の子供の頃の写真を見ると稲倉の教会とかおぢばの黒門の前で写した写真がいろいろとあります私の名前である真也というのも稲倉の前会長様につけてもらったそうですさて修養科に入ってからは最初ものすごく不安でしたそれは大教会に順序参拝に行った時今度の修養科入学者は何人ぐらいですかと聞いたらまだ誰もいませんと言われたのでさびしいなあと頭が不安でいっぱいになりましたしかし十一月二十五日におぢばに帰ってみると面接の時修養科生はみんなで三人いますと言われ少し安心しましたでもあとの二人は初めて見る人だったのでまた少し不安になりましたいよいよ月が変わって修養科が始まり最初友達ができるかどうか不安でしたしかし一週間ぐらい経ったらいろいろな世代の人と楽しく話せるようになりようやく不安がなくなりましたこれからの日はおてふりと鳴物特に笛を頑張ろうと思います最後に私は修養科が修了してからは二ヶ月ひのきしん隊に入り続けて検定講習前期を受けようと思っていますしばらくおぢばにいますので詰所で皆さんのお帰りをお待ちしております修養科に来て上吉野分教会松井浩宣私が修養科に来るきっかけには特に大きな身上や事情もなく人生経験の一つぐらいの気持ちで来ました天理教に関しては座りづとめができる程度でほとんど何も知らずに来ました最初に驚かされたのは詰所の修養科仲間の二人の天理教に対する信仰の自然さでした授業が早く終わって回廊ふきをするという発想は私にはなく詰所に少しでも早く帰ってわずかの間でも休もうという気持ちしか考えられませんでした何の意味があって回廊ふきをするのかというような疑いの気持ちを持たないことに最初は少し気味が悪い気持ちもありました特に修養科に来るまでは意味があるとか損とか得とかそういう風に物事を考えていたので不思議でしたしかし誘われてやってみると意外に楽しいものでした本当に回廊をきれいにするならダスキンのモップでサーッとふいた方が早いし楽ですがそういうことではないものがあるような気がしましたそれはうまく言葉にできないことで意味とか損とか得とかの反対の方にあることのような気がしていますさすがに今は回廊ふきをするとあまりにも疲れて風邪をひいたりして詰所のひのきしんや修練に支障をきたすおそれがあるので時間があってもほとんどやっていませんが二月の終わり頃には余裕があればやりたいと思っていますそれから次に驚いたのは本当にいろいろな人たちがここには来ているということでした小さい頃から天理教に慣れ親しんでいる人から何も知らされずだまされて連れてこられたのではないかと思えるようなお年寄りまでそしてその人たちが同じ机で天理教を勉強することが驚きでした最初はクラス分けする時に天理教に対する理解度のようなもので上級者中級者初心者みたいな形で分けろよと思いましたが今はこのいろいろな人たちがいることが大事なのかなと感じています最初の一ヶ月はあまりにも覚えなければならないことが多すぎて大変でした特に詰所での夜の修練は同期生の二人の足を引っ張っていることが分かっていたのでそれに進むのが早くて心苦しい思いもありましたし特にくやしい気持ちもありました負けたくないという気持ちが勝ちすぎてまわりをイヤな気持ちにさせたことも多あったと思います二ヶ月目には少し余裕も出てきて一ヶ月目よりは楽しく過ごせるようになりました特に修練では同じクラスの何人かにすごく影響を受けておてふりの修練が楽しく感じられるほどになりましたそれからまた同じクラスの何人かの話でとても感動させられる話を聞き自分の人生をすごく反省させられたこともありましたこれから三ヶ月目に入ることになりますが残りの一ヶ月は少しペースを落としてまわりに気を配れるぐらいの余裕を持ちたいと思っていますおぢばは行きとうても行かれん所福勇分教会鳥井裕子私は天理高校を卒業しているのですでに教人の資格があります修養科は行かなくてもいいのですが親やまわりの方にいつかは修養科に行った方がいいと言われていましたいったい自分はいつ行くんだろうと思いながら数年ほどたちあるきっかけで修養科へ行きたいと思い始めましたおぢばは行きとうても行かれん所と聞きます通りなかなか行ける状態ではありませんでした車のローン代教会への月の御供保険などのために働いていたのでやめるにやめられずどんどん時が過ぎていくばかりでした昨年の一月から上級の教会へ日参をしていました神様に九月から修養科へとお願いしていたのですがお許しはなく次に十二月からと毎日お願いするようになりましたそしてある日私の心にふと勇気がわき仕事先の上司に思い切ってやめることを伝えましたするとやめなくていいからそれが終わったら戻っておいでと予想外の答えでしたやっと神様にお引き寄せ頂いたと実感しましたそして修養科へ来て女子一人男子二人計三人というさみしさというか厳しさにどうなることかと心配でしたが男子二人がよく動いてくれてとても感謝していますそれに部屋が一人でさみしいけれど気を遣うことがないのでとても楽ですみんなから修養にならんなあと言われましたがこれも私の徳分だと思っています学校では最初なかなかみんなと話せずとまどっていましたがいつも一緒に行動できる友達ができその中の一人におさづけを取り次ぐことができました二ヶ月目ぐらいになるといろんなひのきしんの場面で話すことができクラスのみんなと仲良く楽しく勇んでひのきしんをしています修養科へ来る前人のいやがることをすることが一番の徳積みと聞いていましたので主に本部神殿のトイレ掃除を進んでしましたトイレを使われる信者さんたちからいつもきれいにしてくれてありがとうとかご苦労さまですと声を掛けられた時はああ人の喜ぶことをさせて頂いて良かったなあと思いましたまた修養科でしかできないひのきしんもいろいろあり本当にいい経験になりました風邪を引きみんなに迷惑をかけたこともありましたがほとんど毎日元気に通ることができありがたいなあとつくづく思いますもう三ヶ月目に入りましたすごく早くて少あせっています悔いの残らないよう何事も喜んでさせて頂き残りの日をしっかりつとめたいと思います談話室教養掛助員として品治分教会長渡邉眞次一昨年のこと教養掛にとお前出て三年も過ぎてないのにとお断りしましたが昨年再度おを頂きしかも十二月師走と聞いて驚きましたがすべてを覚悟の上と言いますのも九十一才迄入院もなかった前会長が八月末骨折痴呆も出て手がかかるようになり前に出ていた方が良かったと後悔した七六四期でしたがつとめさせて頂いて心から親神様にお礼を申し上げました銀杏並木も初冬とは思えない暖かさでどの木も秋の名残を惜しむ如くまだ黄金色の葉を残している今回で五回目の御用をつとめさせて頂くことになるけれど年令も重ねて来てもう今回が最後のつとめになるように思った有終の美を飾ることが出来ればと思いたい三人共若い方です私も二六才で修了しましたがそれからの人生は物の見方受けとり方が変り確かに心も明るくなりました何故もっと早く修養科へ出なかったかと思ったものです若い方の三ヶ月はこれから通る長い人生で大変意義がありプラスになると思います修養科生については何も心配ないし健康で食事も美味しく年中で一番日が短かい時期なので私にとっては非常に楽でした過去四回は暑い時でした汗も出ないし睡眠も充分とれましたが只一つ詰所の方とにをいがけに出ましたが一ヶ月間一度もおさづけを取次がれなかったことが教会にいる時では考えられないことですでもそれも結構だったんだと思うようにしました毎日本部神殿に参拝出来教祖にご挨拶が出来ることは教養掛をつとめさせて頂いている時だけですそれだけでなく自教会の事は心配せず御用を勇んでつとめさせて頂くことは必ず親神様はすばらしい御守護を下さいますうちも娘を修養科へ出そうかなと言ってくれたり教会役員よふぼく家族の成人にもつながりパンフレット配りから留守中日参をされる方週五回位がお与え頂きました詰所のひのきしんも年末ではあるしする事が一杯目について修養科生を送った後中島主任先生と寸暇を惜しむが如く一生懸命つとめさせて頂いたごほうびかなと今よろこんでいます小さい体で動いていると修養科生が僕がやりますからとかばって下さるのがとても嬉しく考へて見れば一番いい時につとめさせて頂くことになったんだと思わずにはいられない師走もおしつまり銀杏並木が徐に葉が落ち枝があらわになり始める頃には私の一ヶ月も終りに近づいて来た落葉を踏み乍ら送って行く途中先生煙草止めたらと三人の修養科生の説得に心が動いたどうしても止められなかったここで勇気を出すことは私自身の健康にもつながる心を決める事が出来た有難うとお礼を述べ最後の見送りを終えました詰所主任先生詰所の方教養主任先生のお導びきとお力添えに心からお礼申し上げます修養科生には一月二月と寒い日が続きますが風邪を引かない様無事修了し教祖百二十年祭仕上げの年大切な時旬を又これからの人生勇んだ日でお道の御用に励んで下さる事を祈って止みません結果より道中亀田山分教会高橋た満教祖百二十年祭三年千日も残すところ一年を切りました今まで六回の年祭活動を私の信仰レベルでつとめさせて頂いて参りました七年祭は小学生から中学生になる頃でした父はもう出直しておりました母につれられて心定めの貫通に日を通らせて頂きました私は真実の御供として三年間学校の給食代を伏せ込ませて頂きました昼食の時間になりますと自宅へ帰り又午後の授業を受けました母はまだ子供だからとかまだ信仰が未熟だからとかはありませんでした年祭活動によって悪因縁納消又陰徳を積ませて頂くのだと年限が経つにつれて母の信仰心の強さ大きさをしみじみありがたく想わせて頂きます今日私が有りますのは間違いなく母の力ですお陰様で年祭のお打ち出しを頂きますとまず心定めさせて頂いて通らせてもらって参りました前会長主人は平成十三年脳梗塞の身上を頂きました脳幹の九十六パーセントが梗塞をおこしているとの診断でしたが手足の自由をかなえて頂き教祖の御慈悲に対して感謝の日です前会長は毎日午後一時四十分神殿回りの障子やガラス戸やカーテンなど開放してぐるく歩きます午後二時撤饌です前会長と私は神饌場へ入ります夫婦仲良く撤饌のひのきしんは一日も欠かしたことがありません一時間ほど立ち詰めです十全の守護をかみしめながら丁寧におかたづけをさせて頂いております親神様の御用がさせて頂けることによろこびの心いっぱいです一日でも長く信者さんに理のお取り次ぎがさせて頂けることを陰ながら願ってやみません何かで読みましたが成功より成長とありまひとした成長とは他人を救ける心だと思います今朝のおふでさき拝読を書かせて頂きますいまのみちいかなみちでもなけくなよさきのほんみちたのしゆでいよ三しんぢつにたすけ一ぢよの心ならなにゆハいでもしかとうけとる三口さきのついしよはかりハいらんものしんの心にまことあるなら三たんくとなに事にてもこのよふわ神のからだやしやんしてみよ三にんけんハみなく神のかしものやなんとをもふてつこているやら三ことしにハめつらし事をはじめかけいまゝでしらぬ事をするぞや三いまゝでハなによの事もせかいなみこれからわかるむねのうちより三このたびハたすけ一ちよにかゝるのもわがみのためしかゝりたるうゑ三教祖はおふでさきとゆうものがありましょうがなと仰有っています天の定規をあてながら教祖と問答しつつ残りの日時を明るく勇んで歩ませて頂きます午後四時過ぎになりました愛用のバイクで防寒対策をしっかりしておたすけに行って参ります内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい私にも何かー世界たすけーモスクワサンクトペテルブルグ演奏会に参加して大教会岡本久善スワロフスキー宮殿へは市内に入りネバ川に架かる何本もの橋を渡りやっと到着宮殿前のネバ川は街並みを映してキラキラ輝き釣りを楽しむ市民は釣り糸を垂らしゆったりとして流れるその流れは魚影の動きで初めて判る位緩かであるレンガ敷の舗道を横切り案内された宮殿内の一室には既にティーパーティーの用意がなされ大きなテーブルに果子と飲物が並べられて居る我と迎えの友好協会の方とテーブルを囲み話に花がさく三十分で切り上げて演奏会の準備に全員でかかる会場も控の間もレナ川に面した側は全面ステンドガラスはブルーで飾られその縦長の窓が白に統一された内装に映え又直径が一近く高さ八位の白大理石の円柱も土台と天井のケタを支える部分は金張で装飾され更に天井の空間はキリスト教関連の物語を天使裸婦キューピット等で畳近い空間を埋めつくし描かれ側面壁と天井部のアーチの壁面にも草花紋様で一面覆われその中に館の歴代の主の人物像胸像等が何人も見事に描かれてある窓壁天井柱その上頭上のシャンデリアの豪華さと完璧なまでに装飾されフロアーはモザイク文様が木片ではめ込まれ組まれてある私はこんな空間に長時間居ると徐に肩に血液が集中疲れを感ずる完璧なまでの美しさが私を圧するのであろうこう云う時はトイレが一番安心する場所であるがこゝの便器が又変わって居り日本人には少高くラッパ型の受け口に勢いを圧えてカゝトを上げて用を足すことになる私はおかげで不便さはない私には土の壁と障子と木の香りが一番の安らぎの空間である日本人を実感する開演を前に既に多くの人が入場席席の会場はほぼ満席となる定刻六時日露友好協会会長挨拶曽山先生の流暢なロシア語での挨拶に続いて演奏曲の説明天理教の紹介があり約二時間近く管弦三曲舞楽二曲を演じて無事了る友好色が強く少子供さんの入場者の多いだけ雑音が気になった斯くして夜十時サンクトペテルブルグ郊外モスクワでもないのにモスクワホテルに入る何さま新しく大きな建物でロビーから私の部屋までゆうに五分を要するロビーが百五十畳位あり中央アジアの人中国人ヨーロッパ各国からの観光客と正しく人種の坩堝の感がある私は例の如く室の鍵を手に大きな荷物と共に七階の部屋に入り早に休む若い人は社長のおごりでクラブで楽しい夜を過したとのこと翌朝五時前に目覚めると外は未だ真暗ゆったりと部屋で過して朝食を待つ九時薄明りの中ロビーに下りて玄関前に出ると左右に走る大きな道路にトローリバス電車の架線がやけに目に付くその向うに葉を落した木立の林が見える聞くとロシア正教の修道院とのこと広大な寺院は甲子園六ヶ分位はあるとのこと小山も林も沢山あり枯れた林立に囲まれ静かな環境の修道院である今日はロシア最大の刑務所での演奏会とのこと会場が狭い為楽人の服装は各自の教会のハッピを着用とのことでホテル出発は十時過ぎ十一時フィンランド湾に注ぎ込むネバ川のほとり川に沿った長いく刑務所の壁が続く中会場に一番近い門より入る八千人の収容者はロシア最大であり刑務所の警備は厳重である入口は逃亡防止の為か狭い細長い通路に並び一人ずつパスポートを提示し確認を了えると重く厚いドアを押して一人ずつ入るその時の重いドアの音が今も耳に残って居る斯く二つのゲートを越えてやっと中庭に出る演奏会場といっても鉄の格子入りの小さな窓が二ッあり薄汚れた壁がやけに目につく百畳程の部屋を客席と舞台に分けただけである会場には優秀な受刑者五十名が観客である開演が近づくと俄に賑やかとなる何かと思うとテレビ局五社がスタッフをつれて来場テレビライトが室内をやけに明るくしてくれる例の如く演奏会は一時間三十分曽山氏のロシア語の説明も堂と又会終了時テレビインタビューに応へる堂たる態度ロシア語こう云う場面では彼の鼻の下のヒゲが立派に見えるものである終えて刑務所内食堂にて所長の招待昼食会が持たれる所長特命にて酒灰皿も用意されロシア料理がふるまわれる早にロシア民謡の合唱となり女性の刑務官も制服のまゝ加わり肩を組んでの大合唱一昔前の日本の歌声喫茶の如き様相雰囲気にて大変楽しい思いもよらぬ楽しい一時を刑務所の食堂で過し最后に所長を囲み記念写真を撮り終へて大勢の見送を受けて塀の外に出る午后は時間のゆるす限りロシアを代表するエミルタージュ美術館の美術鑑賞王貴族のコレクション特に絵画はヨーロッパ諸国の有名画家の作品が数多く貯蔵展示されてある楽しみだ以下次号に続く明明鏡止止水浮と何気なく古いアルバムを繰ってゐると奇しくも前会長宮本友二さんが団体列車のまん中でハンドマイクを握って歌を唄っておられるのが目に入りました恐らく教祖八十年祭の頃だろうと思います滅多に見られない姿です十二両編成の団体列車の中です大勢の方が参加して下さった中で主人は嬉しそうな笑顔いっぱいです私は急に懐しさが込み上げて来ました主な役員さんや信者さんが懸命にさそって下さった未信の方が殆んどです一両半位でしょうか丁度教祖八十年祭の歌が新曲として唄はれ手ぶりもついてゐました元気よい勇んだ歌でサァサァ来た来た旬が来た八十年振りに旬が来た老いも若きもと歌は流れて行きます更に加えてなかま音頭が発表され快いメロデーでハァーみんななかまだ明るさを求めてくらす人間の仲間同士の間柄サテどちらも明るくて品位があって唄い易く心が浮とする唄です私達女性軍はこうした歌をおどり乍ら列車の通路にしかれたゴザの上を三両位迄踊って歩いたものでした此の歌詩は兵神大教会の前会長様の作で兵神系生れの私はお会いすると元気でやってるかと暖い言葉をかけて下さりこのなかま音頭を刻を忘れて歌った思い出が懐しく映画のストーリーの様に思い出されます三四十年経った今でも口づさむのはこの歌ですまるでおかあさんのおっぱいの様な暖さで心が慰められるのですあの頃は勇んでゐたなー団参にも順次参加して下さり賑やかだった三泊四日のお地場参拝でしたさて今年は教祖百二十年祭三年千日終りの年です年令も八十才を越え足腰も弱ったけれど教祖が手を差し出して待ってゐて下さるのです年と共に成長せなければならないのにどう云う事です動かなければ答えは出ない事もわかっているしお地場からは事細かになす可き道を細とお示し下さってゐます飛んではねて踊らなくても心がおどればよいのです勇めば良いのです私はゆるんでいゐた心を恥じ一人でもと孫の顔を見る度におぢばの話や別席の話をしています一人から二人三人と連なって行けばこれ以上の事はありませんそうなって行く様にと朝夕お願いをしています先日教会の役員さんの奥さんが以前から身上だったのですが次第に悪くなり医者の手も切れました次第に弱って息もたえだえになられました私も呼ばれましたアッアッアーご主人が急いでおさづけを取つがれましたシーンと静まり返った部屋の中で少しづヽ息を吹き返されました涙がまなじりを伝いますおかげを頂かれたのです今では少しづヽ快復され食事も少しは頂かれるようになられました地場からはおさづけの取次とかヽげて下さってゐるのです私はおさづけのありがたさを目のあたりにお見せ頂きました匂いがけおたすけの最后はおさづけの取次の一言につきるのだなーと腹の底にしみぐと感じ入ってゐる次第です宮本おふさこころの詩養徳社発行陽気誌二月号道柳より転載今回の課題は覚選五十六句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事選ばれ掲載されていましたさらに平成十六年度年間賞選三句中に左記の一句が選ばれましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠東悠分教会長夫人田林美智子月次祭何やら嬉し目覚めかな佳詠芳阪布教所長夫人杉原優子覚悟定め車内さづけに顔燃ゆる年間賞東悠分教会長夫人田林美智子ことじ琴柱立て月次祭をあした待つ朝受賞の盾を抱く田林さん病喜録のうた東濱十三雄天災と北鮮イラクに言葉無く静かに年は改まりたる夜の汽笛凍った様に聞こえ来る熱き心を取り戻さねば明けましたのるかそるかの此年を立ちひるまずにひながた求めふたつがひとつ詩かくしん一夫婦ってなんだろうね男と女の求め合いプラスマイナス求めてはねて天と地とのたすけあい二南極北極自然界暑さ寒さの一年を耐えてよろこびすぎゆきて春の陽気に秋景色三ぬくみと水気で作物そだつ月日のめぐみうるわしくつく息ひく息健康で生かされている今うれし続道中詩油木分教会黒瀬修弍晴れの日も曇る日もあり雨の日も心も同じ傘を用いて勇もうと思う心も沈む時無理せず受けよ親の温もり愛言葉深く心にしみわたる神の心にふれる喜びをや有難き教祖を頂く身に在りて使命果しと今日も勇生きること笠東布教所小学校五年常井康代生きるってどんなことだろうそんなこといつも考えていなかった私たちはそんなことを考えずに自分の心をきずつけてきずつけ合っていた命とは何だろうそんなこといつも考えていなかった命は一人に一つしかない物そんな命をむだにする人がいる心をきずつけるだけじゃなく人の命まできずつける人もいる自分できずつける人もいるでも私はこう思うきずついてもきずつけられてもずっとずっと生きていく仲間だからゆるし合って助け合って生きていこう春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますはじめ親神様には一列子供のよふきゆさんがみたいゆへからとこの世と人間をお創造になり十全の御守護でお育て下さると共に天保九年には教祖を月日のやしろとお定めになり直この世の表にお現れになり陽気ぐらしへ向かうひながたをお示し下さいました更には明治二十年二十五年先の定命を縮めてまで御身をお隠しになりろっくの地に踏み均しに出られて陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はそのご恩に応えるべく日は朝夕に御礼申し上げつつお導きのままに世界だすけの御用の上に勇んで勤め励ませて頂いておりますその中でもこの月二十六日が一列子供の成人を急き込まれて世界だすけに踏み出された尊い日柄でございますのでおぢばでは春の大祭が執り行われますがこの笠岡にても理のお許しを頂いて只今からおつとめ奉仕者一同たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて春の大祭を執り行なわせて頂きます御前には折柄の寒さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝み真実込めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向け三年千日と仕切って歩んでまいりました成人の道も残すところあと一年いよいよ仕上げの年となりました思い返せば十年前と昨年とぢしんをふかぜ水つきを通して月日のざねんりいふくをお見せ頂いておりますがいずれも年祭の旬に当たることからよふぼくの成人の鈍さに対する残念立腹と思案させて頂きますその上から実動そのものに重きを置いていた年祭活動から実動によって結果を出す活動とすべく全教会一名以上の初席者を御守護頂こうと申し合わさせて頂きました特に以上という点に重きを置いてそれを実現する為に全よふぼくが初席者を必ず御守護頂く覚悟で勤め切らせて頂いて仕上げの年にふさわしい成人をさせて頂く所存でございます何卒親神様には成ってくる理に思案を重ね明治二十年に一列子供の陽気ぐらしをよふぼくに託された親心に応えるべくたすけ一条の成人の道を歩む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り人の心を助け合いの心へと立て替えて下さいまして年祭にふさわしい心の成人が出来ると共に一日も早くお望み下さる陽気づくめの世界へとお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますにをいがけおたすけ実修会要員研修会日時月日午後時分受付時開講時閉講場講内対所師容象講堂大教会長様講義別席についてにをいがけ実修ドリル実修会要員服装ハッピ着用立教年春の学生おぢばがえり趣旨道につながる学生が一人でも多くの友とおぢばに帰り集い真柱様のお言葉を心に治め教祖年祭に向けて今後の成人を誓い合うテーマ友とおぢばへ万人への決意を期日立教年平成年月日月内容式典午前時本部中庭真柱様お言葉直属アワー午前時笠岡詰所別席正午より受付後夜祭春まつり夕つとめ後東西泉水プール前広場参加対象高校生新年生を含む大学生短大生大学院生専門学校生など各教区で団参を計画しているのでそれをご利用の上ご参加ください尚ご不明な点お問い合わせは笠岡学生担当委員会吉岡まで鼓笛バンド講習会日時月日木月日土泊日内容お供え演奏曲の練習修得お楽しみ行事室内オリンピック等月日は少年会おつとめ総会へも参加します少年会笠岡団おつとめまなび総会日時平成年月日土午前時受付時半開会午後時閉会内容午前おつとめまなび総会式典若木門出式午後お楽しみ行事ゲームスーパーボールすくい他参加御供各隊円服装ハッピ学校のズボンスカート白い靴下なお祭儀式をつとめる人はおつとめ衣各隊からの少年会員が日頃のおつとめまなびの成果を親神さまおやさまにご覧頂く年に一度の総会です大勢の参加をお待ちしております会長さん奥さんこの機会に教会おとまり会などで少年会員におつとめの大切さを教えおつとめの練習をよろしくお願い致します各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください実践項目集計立教年集計実践項目集計月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い軒回件百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所大教会だより教会長資格検定講習会修了者前期終講瑞雲豊田俊美本部食堂ひのきしん芳井山口晃治訃報阪本末子姉大教会おつとめ奉仕者二月十五日出直されました享年九十六才私にとっての三年千日仕上げの年である立教百六十八年は人づくりの心定め完遂教会よふぼく信者の身上事情への対処家族の絆の緊密化の上から今までと違う自分の遂行力と神のご守護を頂かねばならないと思い先人に習い一月十三日煙草断ち禁煙の願掛けをしました一日四五十本二十分に一本位のペースで吸っていましたので今禁煙後一ヶ月程しか経過してません故どうぞと勧められるとおもわず手が出るのではと心配しています禁煙は過去なんども試みてきましたが最長一年半が最高でした今までの禁煙は煙草代替品飴昆布ガム禁煙パイプなどに頼ってきましたが代替品ではどうしても本物を意識するので今回は根性だけで禁煙を実行しようと思っていますこんな強気を吐いていますが食後や祭文などの考え事をしている時はいまだに物凄く吸いたくなりますあれは丁度禁煙十日目でした食後堪らなく吸いたくなって一箱だけと思い自販機へ走り千円札を入れたが何回入れてもお札は戻るばかり新千札の使えぬ自販機でしたこれは親神様が本気で私の禁煙を守護下されていると悟り以降自販機と決別することにしましたそして吸いたい時は唾液を三回飲み込むことにしています紫煙のなかで唾液を飲み込んで我慢している慎ましい姿を見かけたら頑張れと声なき声を掛けて本人の願掛け成就を祈念してやってくださいさ
かさおか

『かさおか』第44巻 第1号

北西より称念寺橋を望むをやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次立教百六十八年の初春のお慶びを申し上げますばなりません確かに昨年までは実動する事が目的であったように思いますしかし親の思いが届いてこそ実動の意味があるならば実動によって実を上げる必要がありますその為に本年は全教会昨年は大変御苦労様でした教かせ頂きますが大自然の営みの一名以上の初席者を御守護頂こう祖年祭活動の二年目という事で一中に生かされている事を忘れ我を申し合わさせて頂きました一年目に増してより勇んで三つの実身勝手に生きようとする全ての人名でよいのではなく一名以上であ践項目の実動に力を注いでまいりに対する警鐘と思案できますそりますその為にはよふぼく一人ましたお陰で十一月二十八日のして十年前と昨年とちょうど年一人が洩れなく初席者一名を御守別席伏せ込みひのきしん団参には祭の旬に起こった事を考えますと護頂く心定めをしなければ実現致千名を越える方に参加して頂きよふぼくの成人の鈍さに対するもしません求められているのは教大変勇む事ができました改めてのと思案する事も出来ますとい会の成人ではなく全てのよふぼ皆様の御丹精の賜と御礼申し上げうよりむしろそう思わせて頂かなくの成人であります仕上げの年ますしかしながら一方ではぢければならないと思いますに相応しい成人めざし力の限り勤しんをふかぜ水つき等の天災にさて本年は年祭活動の仕上げのめ切らせて頂きましょうよって多くの方が被災されました年でありますよふぼくの成人が長誠に痛ましい事でありますこれ求められているこの旬に何としてわ月日のざねんりいふくとお聞でも親の思いに応えて行かなけれ上原理一表紙のことば昨年本誌の表紙は初代様の遺品を掲載させていただきましたが本年は上原元子さん大教会長様の長女が初代様縁の地のデッサン画で飾ってくださることになりました称念寺橋袂浜側東詰二軒目初代会長上原さとが舅姑上原佐吉八重の元へ身を寄せた明治十九年六月佐吉八重さとの長女光が暮らしていた借家である取材の為吉岡輝昭さん上原元子さんと暮れの十二月二十九日現地に佇んだ曇り空で冷たい風が肌を刺すそんな日だった初代が大阪二軒茶屋の住まいを引き払って堅い決心のもと笠岡へ帰って来たのは六月だった梅雨時分多少肌寒い頃だったのだろうかこの橋の下を流れる隅田川の水嵩も毎日の雨で増していたかもしれないその日雨が時折パラついていたかとも思う初代は帰るや翌日姑八重の出直しを看取っているいかに堅い決心のもとの帰郷とはいえ悲しかったであろう木から落ちた猿という言葉がある最近の猿は路上でも悪戯をするが猿は樹にあってこそ本領を発揮する備後屋佐助通称備佐は大阪で屈指の畳表問屋であったその大店の御寮はんもこの時は木から落ちた猿であったまさに上原家のどん底だった初代は生活の為小間物屋を営みながら上原家の来し方を振り返り遺された年寄佐吉と幼子光当時七歳を見ながら万感胸に迫る思いがあっただろうそしてその中じっと親神様の思惑の現れを待っていたと思うお言葉に落ちきった水は上がるよりないとお聞かせ頂く葬式その後の片付けと人は遠慮していたが一週間程して旧知の神保マンさんが挨拶に来た世間話の後帰る間際となって初代が尋ねた正兵衛さん達者かなマンさんはその一言で目に涙を浮かべて主人の正兵衛が持病の腹痛で困じ果てている事を話した初代は即座にマンさんに御供ごくを与えた帰って正兵衛さんに頂かしなはれ私はここで教祖にお願いしとくから神保さんは誠に鮮やかな御守護を頂いたあまりに鮮やかだったので噂は口から口へと伝わりお助けを願ってくる者が後を絶たなかった上原家では小間物屋に手が回り兼ね店番の光はお母はんおらんからお代適当に置いて行ってと言うのが常だったという初代は連日早朝から夜遅くまでおたすけに笠岡の町内は言うに及ばず近在の村金浦吉浜茂平有田追分富岡横島を周り席の温まる間もなかったの道あけであるよく父親が話していた機会チャンスというものは前髪しかあらへん通り過ぎてからはどもならへん初代は見事にガッチリと親神様の思惑チャンスをしっかりと手中にした初代は上原家のどん底で世界救けの一条の道があかあかと見えたに違いない私は年を経てずいぶんと変わったであろう称念寺橋の姿とその周辺を見ながら金浦吉浜をはじめ広島県境の村に近くまた笠岡町内をはじめ町の東北の村にも道が通じているこの場所はお助けの拠点として格好の場所だったのではと思った笠岡は歩いて歩いてついた道初代の言葉である史料部長上原繁道世話人神殿講話十二月月次祭元を振り返り救け一条の心定めを島村廣義先生してきた日を振り返られ三年目に向かう最後の年を迎えるに相応しい二年目の通り方であったかどうかご反省いただきたい年祭の意義過去二年を振り返って教祖百二十年祭三年千日活動第一年目の昨年は本部巡教地方講習会をもってよふぼく一人ひとりに諭達の趣旨徹底が図られましたその思召を体して二年目に入り先ずはそのをやの思いを聞いて教会長先達よふぼくは如何に通るのかということで先達大会が開かれ実動にかかりましたしかし教祖百二十年祭ということで実際にその動きができてきたかと考えると燃え上がるような感触が今一つ感じられませんでした全教の動きからそう感じられるが故に十月配偶者役員同道で本部直属教会長をおぢばに集めたおやさと集会で両統領からいろいろとお仕込みを頂戴しました皆さん方も一年目から二年目に続いて通り越思い返せば教祖百年祭をつとめ終えて後道の動きが決まる上で責ある立場の本部員直属大教会長教区長に対して真柱様から次の百十年祭をつとめるかどうか問いかけられました教祖の年祭をつとめる元一日は子供の成人を思われる御親心から教祖が現身を隠されたという一点にありますですから教祖の年祭は旬が来たからするというものではなく年限仕切って何が何でも思し召される成人の実を上げて教祖にお喜びいただこう姿を隠されてまで成人を急き込まれた親心にしっかり応えようと私たちの側からのどうでもこうでもつとめずにはおれないという心からつとめるものです真柱様のお問いかけに対して改めて私たちの側から是非ともどうでもこうでもおつとめいただきたいと願うて百十年祭をつとめたわけです教祖百十年祭後の道程百二十年祭を迎える環境この教祖百十年祭をつとめて後教祖のご誕生二百年という節目を過ごし真柱の理が三代から現真柱様へと引き継がれました道の若きをやを戴き一手一つの前進よふぼくの奮起を促されて新たなたすけ一条の門出をしましたその中にかんろだいの事情という節を見せられぢば親神様に対する信仰姿勢を厳しく親神様の方から私たちに問いかけられましたまた前真柱様の奥様のお出直しという節をも見せられましたこの道の上に見せられた大きな節と世の中に見せられた大きな事情阪神大震災世界各地に起こったいろいろな争い事との立て合いの中に教祖百二十年祭が打ち出されるということになります教祖百二十年祭は正しくその三年千日おたすけということを促されていますおたすけの心の涵養と実践これが教祖百二十年祭への活動です入信の元一日の意義付け本部の秋の大祭の後真柱様は立教の元一日の中山家のご様子を台にしながら私たちの入信の元一日と比べていろいろと親心のほどを諭されました立教の元一日の中山家の事情は一家の中心たる人がそれぞれに身上をいただかれ寄加持でご神意を伺われますたすけてほしいと願われたその思いに対してのお言葉は何もなく下ったのは世界一れつをたすけるために天降ったみきを神のやしろに貰い受けたいというお言葉でこの仰せに対して夫善兵衞様は一身一家の都合を捨てて仰せに従う旨を答えられましたこれが一番最初に示されたひながたですひながたは私たちがそれを手本として実践実行して通るものなので立教の元一日に教えられることが即私たちの入信の元一日に置き換えていろいろと思案しながらその思し召されるところを自らが実行しなければ何にもなりません立教の元一日を私たちの入信の元一日に置き換えて思案しますとたすけ一条の道具として私たちを使われる親心があってしっかりその心を定めるようにと身上事情に知らされてお手引きいただいたことと思案します初代は如何にあったか私たちの初代はいろんな身上事情に徴を見せられどうにもならない苦しみ悩みの中からたすかりたい一心で親神様にお縋りしおたすけを願いましたその時初めて親神様のお話を諄と聞かせられこれまでの心得違いを諭されそれを心に治めて親神様の思召に添う心を定めてたすけられました教祖からたすけられて結構なら恩返しに人をたすけなさいと自分のたすかったことを人に真剣に話すのだとその方法まで解りやすく教えられて人だすけの道を歩むようになりましたたすけられたことのご恩報じの道としてたすけ一条の心を治めて通られたのが私たちの先人の道です今日の私達は如何にあるべきかなぜにをいがけおたすけか初代がならん中をたすけられたという元一日があっての今日の私たちです初代がたすけられた喜びにご恩報じの道を通られそれを代受け継いで通られたその人だすけの道の上に今日の自分達があるのですこれを思うと今日の自分が初代の報恩の心を受け継いで人だすけの道を歩いているかどうか思案しなければなりませんそれぞれがお道に引き寄せられた元一日を今一度思案し直しその心を今の私たちの心に治め直し初代の入信の元一日の心に立ち返るということが私は一番の急務だと申したいそれが根本になければにをいがけおたすけだ実践実行だといくら言われても力が出てこない本当に勇みの心が湧いてこないこの辺にもう一つ勢いを御守護いただけないモヤモヤがあるように思います今一度それぞれが道に引き寄せられた元一日に立ち返り自分の心に初代の心をしっかり治めそれを基にしてにをいがけおたすけに出るということが一番肝心です教祖にお喜びいただく一番のご恩報じはにをいがけおたすけであるということは道を信仰する者なら誰しもが分かることでしょうが年祭と仕切って三年千日活動を続けている一番のもとはそこにあるわけです如何なる道か大恩を報ずる道大恩忘れて小恩送るようなことではならんと仰せられますが小恩身上事情をたすけられたことを台として親神様の御守護を諄と諭されそれに報いようとする行為は大恩を報ずる道です真柱様は今日私たち信仰する者の多くは代を重ねている自分自身が身上事情をたすけられて入信した人でも年限が立つに連れて感激が薄れる身上事情をたすけられて良かったというだけでなく日の御守護を喜び感謝して通れるまでに成人する丹精することが肝心だと仰せられますがそうすることがお互いが大恩を報ずる道だと思案します私たちは親神様の造られた身体をお貸しいただき天地抱き合わせの親神様の懐であるこの世界に親神様の十全の守護をいただいて生かされていますかりものが分からないようでは何にも解からないかしものかりもののご教理が教えの台とお聞かせいただく所以です病んでみて初めて常日頃の身上健やかにお連れ通りいただく親神様の十全の御守護の有難さに気付きますが日当たり前当然のように思っているこの御守護こそ大恩です人をたすけに行くことがたすけられた親神様への一番のご恩返しだからと諭されしっかり人だすけに励むようと促されて大恩を報ずる道を先人達初代はみんな歩きました年限代を重ねたら元一日に立ち返ろういんねんのたましい神が用に使おうと思し召す者はどうしてなりと引き寄せるから結構と思うてこれからどんな道もあるから楽しんで通るよう用に使わねば成らんと言う道具は痛めてでも引き寄せると仰せられます親神様がそれぞれの魂をお見定めになり身上や事情に徴を付け手引きをして引き出されたのは急き込まれる陽気ぐらしへのたすけ一条の道具として私たちを使おうと思し召されたからだと教えられます真柱様は初代の人は不思議なおたすけに浴し段に教えの理も聞き分け成人するに連れて親神様の守護の有難さ教えの素晴らしさに対する確信も次第に深められたこれは初代の人に限らず長年信仰を続け代を重ねた場合にも言える三原典を何時でも手にでき教祖のひながたについても承知していて草創期の先人達とくらべて格段に教えに通じているはずのお互いが成人の鈍さ故に素直に思召に添い切れない神一条に徹し切れない姿がある教えを知識として解っていても本当に身に付いていない信じ切れていない教祖のひながたを取捨選択して自分の都合のよいように解釈したりするたとえ自分自身は身上事情に迫られずとも思召を自ら悟って行えるところにこそ年限代を重ねた信仰の価値がある自らの胸の掃除につとめ心を澄まして私たちに求められていることを真っ直ぐ悟り取れるようにそしてそれを素直に実行できるようになってほしいと仰いました改めてお互いにたすけられた元一日に立ち返りご恩報じの道を自分自身のものとしてしっかりたすけ一条の道を踏み行なわなければなりません今からでも遅くないそう言う意味で二年目は本当に大事な年三年千日の心定めが成るかどうかは二年目の歩み方一つにかかっていると年の始めに促されましたがもう二年目も過ぎてしまいました今からでも遅くありません一つ心を入れ直して三年千日の最後の年今よりも前へ前進した成人の姿を教祖に御覧いただきお喜びいただけ実践項目集計月るような姿をどうでもこうでも御守護いただいて年祭の年には教祖の前へ行きたいこんなふうに思います大教会長さんはどこの教会も一人以上の初席者を心定めて通ろうと神様に誓われましたこれは年祭活動の原点ですそこを台にして大きな成人の姿を御守護いただいて教祖の前に行けるよう踏ん張っていただきたい共にそれこそ命がけで歩んで年祭の日を迎えましょう以上要約百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所談話室上下分教会の元旦祭上下分教会田中勇立教一六八年の元旦は大晦日夜半の吹雪もやみ美しい銀世界で迎えた暗い中を新雪を踏んで参拝に向う信者さん達皆一様に喜として明るい顔少年会員も眠い目をこすりながら後につづくおめでとうございますの声に参拝場はにぎやかになっていくおつとめ準備三番太鼓とともに神殿へ急ぐ午前六時会長さんの手に合せて親神様教祖祖霊様礼拝祭儀式座づとめおてふりと順調につとめられ前半終了ここで会長さんの声次七八下り目は少年会員でお願いしますハッピ姿で待機していた少年会員が勇んで上段へ各役割につく後半開始毎月第一日曜日に練習していた成果がここに披露されるなかなか自信のつかなかった子も笑顔で座についている太鼓が得意になった子すり鉦小鼓も調子良くリズムにのっている拍子木チャンポンは各二人ずつ内三才の女の子もいるでにぎやか琴三味線胡弓もいい音で合せているおてふりも堂としている地方の子も自信をもって声を張りあげている一手一つ皆それぐに真剣につとめて八下り目おわり参拝された方から感動と賞賛の拍手折から初日の出の光が神殿に映える九下り目から大人に変るこういう形の元旦祭をつとめるようになったのは一昨年からで後継者の育成をとの大教会長様のお言葉を頂かれた会長さんが奥さんと相談の上毎月一回少年会育成おつとめ練習をつとめることにされ成果発表の場を元旦祭にされてからである昨年は七下り目のみであったが今年は七八下り目と一歩前進元旦祭後の直会の席で少年会員達は会長さんよりお年玉お年玉教材を頂いて四月二日のおつとめ総会笠岡に向けて決意を新にした御供の天場山分教会長仙田公男昨年教会長の御命を頂いてから賽銭箱を開けるようになりました前会長は月に一回か二回しか開けてなかったようですが私は頻繁に開けるようにしていますその理由は二つ一つは盗難防止の為大教会の賽銭箱と違い我が教会のは片手で持てる程の重さですからしかも神殿の玄関には鍵がありません金目の物は置いとかないのが一番二つ目はこれが重要であります亀田山の前会長は御供の封筒を開いてみるとその人の家庭の状況がよく分かると言われました就任早生意気な事を言うようですが私も何となく理解できますというのは我が教会の信者さんは少ないしほとんどが親戚関係ですから元家庭の状況はよく分かっているつもりですその人がまとまった額の御供をされたらこれはあのことのお願いだなと大体想像がつくのですしかし封筒に記名してあれば問題ないけど無記名だったり裸で御供えしてあるのは困りますだから私は頻繁に開けるのです日参されている方の御供なら大体分かるそうではない人が参拝された時は帰られたらすぐすそしてその人のこれからの運命をも暗示しに賽銭箱を開けてみる裸であってもこれはているのかも知れませんそこを読み誤らないであの人の御供だなさっき話しておられた事の御的確なアドバイスをするそれが教会長の仕事だ願いだななどと推測できますと常日頃思っています何も話されないのにまとまっこころの詩た金額が入っているとどういう意味だろうと頭をめぐらせますそれでも分からないと明日お下がり持って行ってみるかということになるのです信者さんの中には家庭で何か身上や事情が起こっても教会には話したがらない方もいるようですけれど神様には縋りたいから御供はされるそのお金にはその養徳社発行陽気誌一月号道柳より転載今回の課題は出選五十二句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠川島郷分教会前会長香取敏子荒道を通りて出来る理のさんげ佳詠東悠分教会長夫人田林美智子人の指紋が付いているその指紋出産の守護に感謝の初参りのを読み解くのですそのにはその人の過去から現在までの信仰態度がしっかり書き込まれているような気がしま病喜録のうた東濱十三雄歳末のあわただしさを感じつつ心静めて往診受けるわが父わが母木津和分教会松本悦朗父の晩年は木津和分教会二代会長であったが二十三年前七十九歳で出直した父は学問もなく本も読む人でもなかったしかしどことなく存在感があり我兄弟の中で口答えする者はいなかったしようにも出来なかったと言うのが正しいだろう大きな声を出すわけでもない理詰めで話すわけでもないがそれでも父は絶対者であったそれはおそらく厳にして優を体現していたからではないだろうか父の主なる仕事は農業であったが毎日朝は夜明けと同時に夜は月の明かりでと働きつづける姿は子供心にも正直な働き者だと思った今でも私の脳裏に鮮明にやきついている父が威厳を保ち頑固さを通せたのは母の存在があったからこそだったと思う不平不満をこぼさずただ家庭を守ることだけを楽しみに生きてきた母も十一年前に出直したやさしかった母の写真は今でも毎日私を見守ってくれている小走りの宅急便で此年も北海道の長芋届く何事も我があしきと自覚して振り返りつつ今年も暮れる川柳夢油木分教会黒瀬修弍行く先の夢を語れば成るふしぎ絶対者であった父が生前私に諭してくれたことがある一ツ職場には人より五分先に行くこと帰りは人より五分後に帰れ二つ酒は飲んでも呑れるな自分は控えめで人には勧め上手である方がよい私も間のなく古希を迎えるが今まで人生の教訓として納得出来る諭しであったと思っている自分も二人の息子ようぼくと四人の孫を持つ身であるが父から受けた以上の教えを時代に残すことが出来るかと自問するこの頃であるが日を感謝と報恩の心で子供たちに信仰の道をつなぐことが私の使命であると認識して教祖百二十年祭を迎えさせていただきたいものである諦めは夢を失う敗北者老いて尚夢追う若さ道求む先の道夢広がれば今日樂し安眠で樂しい夢は夜開く人生物語り一浪も嵐も思いかなわぬ泣くも笑うも笑らって暮らそう人の世の物語り胸次第一日を詩かくしん二会うも別かれも思いかなわぬ親から生まれた父さん母さん人の世の物語りおれだものありがとう三夜ありて昼のある人の世の思いかなわぬ物語り苦るしみの中をたのしんで喜ろこびの人生一代次の世にモスクワサンクトペテルブルグ演奏会に参加して大教会岡本久善荷物の積込等スムースに運び二十七日定刻十二時に遅れること五十分昔から古いとかボロとか聞いていたロシアの飛行機アエロフロート五七六便いざ乗り込むと他の国際線の飛行機と何ら遜色ない離陸した飛行機は機首を急激に上げ上昇続け間もなく水平飛行に移る飛行機は一路北方ウラジオストク方面に日本海を飛び続けそれより西に方向を変え上空一万メートルを西へくと飛び続ける天候は良く雲も少なく眼下に一面緑の山が飛び込み時に蛇行を繰り返すレナ川の上流域がまこと見て取れる真に美しい緑の原野だ所高い山頂が白い帽子を冠り冬の訪れがそこまで来ていることが分るこの美しい風景も共産主義崩壊より急速な商業経済の拡大は南米アマゾン流域の開発同様タイガと呼ばれる巨大なる森林帯も永久凍土の上に何千年も掛けて育った巨大な木は森林伐採によって斬り倒され無惨にも地肌を剥き出し跡に大きな湿地や水たまりが何十何百も出来ていると聞くその点とした水たまりから何億年も掛けて凍土となった大地からその凍土の溶けると同時に含まれる二酸化炭素を空気中に発生今日の人類最大の問題温暖化を押し進めていると聞くそんなことを思い浮べつつ又眠りに落ちていたしばらくして夕食の準備の音と客室乗務員の声に時計を見るともう夕食の時刻食べつけないパンサラダハム等をなれぬホークとナイフで平らげ又眠る良く眠る安定した気象状況が深い眠りを与えてくれた成田出発から十時間徐に機首を下げ降下を始めると窓から地上の燈火が点と見え始めるモスクワ郊外の街の灯りが拡大され建物が確認出来るともう着陸していた現地時間午后七時日本時間午后十一時それぐ荷物を分担し入国ゲートに向う少建物内の照明が暗いのは七年前旧共産圏を旅して経験ある私は別に皆んな違和感を感じているだろうと思う我日本人が如何に明るい照明の下に生活しているか痛感されただろうこれが外国での大変良い経験だと思うその明りの下入国ゲートに着き荷物の検査の為一般の人とは別のゲートに整列荷物と人と交互に列ぶと大層な列となる入国の人が我の荷物を横目にスイくと通り過ぎて行き十分二十分三十分と一向に検査が始まる気配がない若い人がブツブツざわぐとし始めるそのとき田中さんと云う美しい女性天理大学ロシア学科卒業現地旅行会社勤務が皆さん此はロシアです日本ではありません全てがこう云う国であると認めてもうしばらく御待ち下さいと説明して下さり落ち着いて時間を過すそのうち芸術担当検査官がやっと来たのは一時間を裕に過ぎたと思える頃でした待った時間の割には早く荷物の中身を見ることなく通してくれるかくして暗い照明の空港の外に踏み出す日本と異なり十月末と云うのに人は皆オーバーのエリを立てて荷物を持って歩いているバスの駐車場まで百メートル歩きやっとバスに乗り込む現地時間の夜十時前バスは一路モスクワ市内に向けて白樺の林の中を走ること四十分位でホテルに到着旧いホテルではあるが今迄経験したことのない厳しい警備を感じさせる屈強なガードマン五人が出入る人を注視している早に部屋に二人ずつ分かれて入り入浴を済ませて老人の私は床につく少暖房が足りない感もする毛布二枚翌朝早に目覚めた老人二人相棒は名東大教会の部内会長で私しより年は一つ若い大学の後輩であるしかし頭の髪は五年から十年先輩で貫禄がある時計を見ると朝五時ゆったりと洗面を済まし窓の外を眺めて居ると彼は携帯した湯沸し器でコーヒーを立ててくれ二人で頂いていると私の友人他大教会の役員の子弟で現在実業家石川氏が眠れないのか訪ねて来て下さり三人で街の散歩に出掛ける未だ暗い中石川氏の案内で喫茶店に入り日本語とヂェスチャーでアメリカンと菓子を注文出て来たのは大変大きいカップのコーヒーとそれにも増すクリームパフェ四苦八苦しながら食べホテルの朝食に間に合うよう帰る未だ日は昇らない七時三十分朝食を済ませてサンクトペテルブルグに向う準備をしロビーに降りると例の警備員が厳重に目を光している九時ホテルの前にバスが来ているとの事で外に出て見るが未だ薄暗い太陽は何時になったら昇るのかと気になる平原の中に位置するモスクワの街に日が昇るのは十時近くになってのことであったやっと北極に近いと認識すると同時に夏の白夜が理解出来るかくしてモスクワの街を見学することなく第一回の演奏地サンクトペテルブルグに移動の為昨夜降り立ったモスクワ空港に向うバスは郊外に出ると白樺の林の中を走ること一時間朝のラッシュ位で空港に到着する又機内持込に時間掛るかと思いきや意外に早く飛行機に乗り込むことが出来るサンクトペテルブルグ聖ペテロの町はピョートル一世によりロシアのヨーロッパ化政策を進める上で新らしい首都として創られたと聞く又街全体が屋外美術館とも云われ世界に二つとない街の風景は詩の旋律を思わせると聞く余りロマンチストでもない私も心の踊る思いで国内線に乗る皆も同様心の高まりを圧え二時間待望の街サンクトペテルブルグ空港に到着まさにヨーロッパの街並だ次号に続く明明鏡止止水おせち新しい年のはじめまして三年千日最后の打止めの年明けとなりました日は一日一日と過ぎて行くのに心の進歩はなかなかです我が教会からもおせち参拝の車が出ました私のまだ若く現役の頃鈍行の団参列車でいそくと参拝させて頂きました大きな餅切りを拝見してさすがおぢばよネェと感心したものでした翌寒い朝南礼拝場の広場に列をくんで並び御神酒を戴く迄が中でやっと御本部の先生からおとそを頂戴して次におせちを頂きに行くのです空いているイスを探して散らばって頂きました暖い雑煮のしかも得も云えぬ香ばしい香りに舌鼓を打って手を暖め暖め頂いたものでしたその頃我が教会の古老の先生方が現存しておマナられて切り餅の生を三四ヶ頂いて帰ってほしいと云はれました切り餅を配っておられる学生さんに無理を云ってすばやく袋に入れ戴いて帰りましたこの古老のおばあさんは初代で古くからこの信仰に入られた方ですほんとに熱心で近所あちこちに匂いがけをして下さってゐましたお餅をありがたさ一杯の姿で拝んで頂いて下さいましたこの餅をなアラレに切って干して大切にしまっておくのや近所に熱が出たりお腹が痛くなられた時などこの一粒を頂いて頂くとすぐになおるのやこの餅には親神様教祖の息がこもってゐるのやでと大変喜んで戴いて下さいましたその事が事実で大ていの方はなおられるのです腹から信じ切ると云う事は口では簡単ですがそれが中出来ないから道は中のびて行きません奇跡を頂けないのです初代の方は本当に真実だったのだなあと感じ入りお腹の中には只親神様教祖を信じる心一杯だからこの餅の一切でも御守護頂かれるのだなと私は感じ入るばかりでしたこのおばあさんの匂いかけられた方が数軒ありますが皆神様をおまつりして講社祭をつとめて下さっていますおまつりには一しきりこのおばあさんの話が懐かしくはづみます粗衣粗食で上手も云はず神様の理を話して之を頂くとなすぐなおるでの言葉通りすぐに良くなるのです昔は誠真実だったのだなあこんにち今日あたりを見廻してもこの様なえらい方は中お見かけいたしません考えれば後につヾく私達の信仰がにぶい本気が無い口先だけでは神様のおはたらきを頂けないのだ腹からしみぐと昔の方の偉大さにつヾかなくてはと思う今日ですようぼくをつくる丈が本意でなくて人を助ける人ようぼくが誕生して下さる事を願って運ばせて頂かなければ切ない教祖の御心に通じないのではないかよくを忘れ腹を空にして一歩一歩運ばなくては先達として教会を設立して下さった先輩の先生古老の方にも申し訳がないではないかうどん屋をしながら来る客にちょびりく話し又配達近くの病院を頼まれて一歩く足を引きづりつヽつけられた道の先達が我が教会にもいらっしゃるこの先達のあとをつヾけさせて頂く事こそ私達の任務だとこヽにしみじみ心深く誓はせて頂きおせちに依せてしたヽめました宮本おふさ第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目中村邦義大教会役員渡邉孝信神驛分教会長下田輝夫神村分教会前会長佐木滋郎福廣分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい立教年教会長講習会日時月日午後時半受付時開講日正午閉講場所笠岡詰所講師本部員表統領飯降政彦先生他外部講師名内容大教会長様挨拶講話飯降先生講話外部講師ねりあい時間対象教会長受講お供円受付で頂きます身上等でやむなく欠席の場合は必ず大教会長様に理由を連絡して頂くようお願い致します立教百六十七年十二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の広く大きな親心溢れる御守護とお導きのままに慌ただしく月日を重ねる内に立教百六十七年もあと十日を残すのみとなりました日頃の御高恩に御礼申し上げつつ今年一年を振り返ってみますと教祖年祭に向かう三年千日の二年目として昨年以上にをやの思いをにをいがけ内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそうとの思いを強くし全教会でのにをいがけおたすけ実修会や別席伏せ込みひのきしん団参等を通して三つの実践項目の実動に邁進させて頂いてまいりましたしかしながら成人を焦る気持ちからか思うようには実動に拍車がかからなかったように思いますそういう上からか今年は地震台風大水等月日の残念立腹と言われる天災に見舞われた年でもありました確かにオレオレ詐欺や幼児誘拐殺人等弱者に対してより残忍さを深めて来ている事に対してでもあると思いますがやはりよふぼくに対する不甲斐なさも多くに関係しているように思えてなりませんそんな中にもたすけ一条の上に不思議自由の御守護をお現し下さりお連れ通り下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございます只今から今年一年賜りました御守護お導きを改めて御礼申し上げさせて頂きたいと年末の慌ただしさを厭いませず寄り集いました道の子供達のお歌の唱和と相共におつとめ奉仕者一同喜び勇んで座りづとめてをどりをつとめて十二月の月次祭を執り行わせて頂きます皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は世話人の島村廣義先生にお越し頂いております教祖年祭に向けての成人の歩みが出来るのは後一年しかありませんその一年の通り方の指針としておぢばの声を聞かせて頂く所存でございますその上で今年一年を振り返り我が心使いや行いを真摯に反省し至らぬ処は改め良き処は更に伸ばすべく来るべき一年に向け新たな気持ちで成人を誓い合い全教会で一名以上の初席者を御守護頂けるようにをいがけおたすけの上に勤め切らせて頂く覚悟でございます何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りに届かぬながらも精一杯に成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り一人でも多くの人の心を澄み切らせて頂いて明るく楽しく喜びに満ち溢れた年末年始を迎えさせて頂けますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます学生層育成者講習会日場講対時所師象月日月大教会月次祭おつとめ終了後大教会神殿深谷徳重先生学生生徒修養会部部長中野大教会長教会長先達よふぼくにをいがけおたすけ実修会要員研修会日時月日午後時分受付時開講時閉講場所講堂講内師大教会長様容講義別席についてにをいがけ実修ドリル対服象実修会要員装ハッピ着用立教年春の学生おぢばがえり趣旨道につながる学生が一人でも多くの友とおぢばに帰り集い真柱様のお言葉を心に治め教祖年祭に向けて今後の成人を誓い合うテーマ友とおぢばへ万人への決意を期日立教年平成年月日月内容式典午前時本部中庭真柱様お言葉直属アワー午前時笠岡詰所別席正午より受付後夜祭春まつり夕つとめ後東西泉水プール前広場参加対象高校生新年生を含む大学生短大生大学院生専門学校生など各教区で団参を計画しているのでそれをご利用の上ご参加ください尚ご不明な点お問い合わせは笠岡学生担当委員会吉岡まで鼓笛バンド講習会日時月日木月日土泊日内容お供え演奏曲の練習修得お楽しみ行事室内オリンピック等月日は少年会おつとめ総会へも参加します少年会笠岡団おつとめまなび総会日時平成年月日土午前時受付時半開会午後時閉会内容午前おつとめまなび総会式典若木門出式午後お楽しみ行事ゲームスーパーボールすくい他参加御供各隊円服装ハッピ学校のズボンスカート白い靴下なお祭儀式をつとめる人はおつとめ衣各隊からの少年会員が日頃のおつとめまなびの成果を親神さまおやさまにご覧頂く年に一度の総会です大勢の参加をお待ちしております会長さん奥さんこの機会に教会おとまり会などで少年会員におつとめの大切さを教えおつとめの練習をよろしくお願い致します各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい訂正とお詫び発行の第頁訃報の村川ハツエ姉の立場は大江橋分教会三代会長ではなく三代会長夫人の誤りでしたここに訂正し謹んでお詫びを申し上げます昨年の夏息子二人と自転車でのおぢばがえりを敢行しました月日の流れは早いもので初めての自転車おぢばがえりは九年前当時小六だった長男を連れほとんど児童虐待状態で帰えったのを思い出します次男も何とか連れて帰えってやりたいと思いつづけ昨年八月八日実現しました早朝二十歳の長男と中二の二男を連れ自教会を出発最初の峠越えで早くもチェーンが切れるというアクシデントもう止めろと神様が言わよぎれているのかもしれないという思いが頭を過る中イヤイヤ止める理由は次と浮かぶがこれで止めていたのでは前には進めないぞと思い返えして知人に代車を借りて再び出発例年にない猛暑の中九年前とは少違い父さんについてこいって言うじゃないでもあんた連れていくどころか連れられてますから残念ギター侍風になんて状態で何度かくじけそうになりながら結局二十八時間走りつづけ姫路の健康ランドにたどり着き仮眠を取る事に夕方迄休憩再び走り出し又又夜中走りつづけ明け方大阪の女房の里の教会へ到着仮眠を取らせて貰い夕方出ひょうたんやま発瓢箪山から十三峠の側道を登りこかん様の碑を参拝させて頂き一路おぢばへ深夜三時すぎやっとおぢば到着身上の方のお願いを込めおつとめをさせて頂く中こうして息子二人と何と幸せな事と涙が出て久の感動でしたはたして息子達はまぁ何にしても仕上げの年もスタート悔の残らない様よいしょよいあぐらしょと一歩一歩心に胡座をかかない人になれと息子達にも自分にも少しでもくと
かさおか

『かさおか』第43巻 第12号

初代様手縫のパッチワークの裏打ち御礼包の紙を再利用摩耶分教会所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次別席伏せ込み団参に千余名の参加仕上げの年の更なる邁進を誓って全員でおつとめ回廊ひのきしんを去る十一月二十八日大教会では布教部主催の別席伏せ込みひのきしん団参が開催された当初秋季大祭の団参のすぐ後という事で参加者の人数が懸念されたが笠岡に繋がる全ての教会で積極的な声掛け丹精が展開され千余名の参加者を御守護頂く大盛況の中無事全てのプログラムが行われた二十七日詰所には大型観光バスが続と到着し踏切から詰所までの誘導担当者が走り回る姿が印象的であったまたバスから降車する人は故郷に帰ってきた喜びからどの顔も笑顔である大祭でも見た顔また久しぶりに見た顔自然と昔話に花が咲くおぢばならではの光景を嬉しく思う二十八日それぞれが集合場所である別席場基礎講座受付場所に向かう基礎講座ではの為に臨時の入場口を設置して頂き大きな混乱もなく受講させて頂いたビデオを通して教祖ご存命のお働きを目の当たりに拝見させて頂きまた世界で活躍する教友の姿に発奮し講師陣の素晴らしい講話に感動させて頂いた参加者からは先の信者さんは大祭の時だけおぢばへ帰るという意識が多いと思うそうした中こうした行事を通して一回でも多くおぢばへ帰るという習慣づけをする事は大切な事有難かったとある教会長さんが話しておられたのが印象的であった今回こうした大教会挙げての行事を努めさせて頂いたが声掛けにもかかわらず参加者の少ない教会逆に多く帰参して下さった教会など色な姿があったと思うが結果はどうあれ親の声を大きな器で受け止め積極的に動いた姿は必ず先で御守護の姿となって現れてくる残すところ一年余りとなった教祖百二十年祭へも今動かなければ何も残らないし動けば必ず大きな芽が出てくる事を信じ残りを精一杯に努めようと心新たに誓わせて頂いた布教部員田中隆之なにも知らない私興明分教会吉岡真二郎月日金いつになく仕事から早く帰った私は家の様子を見て唖然としたのでしたおいおい誰もおらんじゃぁねぇか家の電気は消えいつもはあるはずの妻の車もないせっかく久しぶりに家族みんなで夕食を食べられるなと今日の晩ご飯は何かなと楽しみに帰ってきた私の前にあったものは真っ暗な人気の無い我が家だったのです心配になってきた私はいつも頼ってばかりの隣の教会へしかしそこにも誰も居ない人の子どもの声も聞こえないするとそこに前会長夫妻が帰ってきましたうちの家族どこに行ったんじゃろうあラーメンの半額券持って会長の家族と食べに行っとんじゃろうとの事結局一緒に前会長夫妻とそのラーメン店に行く事になりましたその店に着くと居ました我が家の家族みんな会長家族みんな結局何も知らない私はそこでご飯にありつけたのでした注文を済ませ待っている間久しぶりの事だったので前会長夫妻と親子の会話を楽しんでいましたすると前会長が真二郎日は空いとるかのぉうん今はちょっと分からんなぁ中学校の教員をしている私は休みという休みは基本的に部活動の指導に明け暮れていましたしかし県大会がすんだ頃でもありちょっとゆっくりしたいと言う気持ちもありましたその私の気持ちを見透かしたように前会長はまぁ久しぶりに天理に参拝せぇと一言その一言から今回のひのきしん団参への参加が決まったのでした当日日の朝笠岡詰所に居る私実はこの後どこで何をすべきなのかを知らない知らないずくめで会長の車に乗り別席場の隣のおやさとやかたへそこで天理教基礎講座を聞かせていただきました今まで何度も聞いてはいましたし何度も活字として目の前を通り過ぎていた陽気ぐらしと言う言葉の意味を改めて自分に矢印を向けて考えさせられる時間をいただく事ができました仕事柄人間と人間の繋がりを大切にしているつもりではありましたがやはりまだまだ足りない所があるなと痛感した所ですその後の神殿でのお勤め回廊ひのきしんもおぢばになかなか足の向いていなかった私にとっては自分自身の有り様を考えさせられる時間でした最後に岡山に帰る私の車には教会の長女と次女が私の家族と同乗していましたこれも実は知りませんでしたもっと教会に参拝しなければと思った今回のおぢばがえりでした別席伏せ込みひのきしん団参に参加して呰部分教会常井二三代私は先日教会の月次祭終了後信者様の前で感話をさせていただきましたなかなか成人にも足らずで小さな人間ですが会長様より声をかけていただいた時には素直にすぐに返事をすることができましたしかし返事はしたものの何を皆さんの前で話したらよいものかと悩んでいた時ふっと子供の見ていたテレビのクイズ番組に目が止まりました正しいマナーを当てるというもので初詣の時ですがあなただったらどうしますか神社の前に立ち拍手と礼をしますその後にお願いをしてしまいますよね私もそうすると思いました今年も家内安全で健康にすごせますようにとか今年こそよいことがたくさんありますようになどでもこれって間違いなのだそうです正しいマナーは二拍二礼をしお願いをするのではなく自分自身の今年一年の決意を申し上げることが正解でした正しいマナーを教えて下さっていた先生言わく百円二百円の賽銭で何千人何万人のお願いばかり神様も聞いてられませんよなんておもしろおかしく話していました今まで私もお道のいろいろな話を聞かせていたのにと私も反省させられた一場面でした私もこの大切な時旬に主人の出直しという大きな節を見せていただきました約年間の道中にはいろいろないばらのような道で苦しいと思うことが多く神様の前でどうか救けて下さいと自分のお願いばかりをしてきた様な気がします今思えば主人に苦しい身上を見せてまで私を成人させてくださったのだと親神様教祖の親心と主人に感謝の思いでいっぱいですこの後を立派にとはいかないかもしれませんが日神様の親心にもたれて喜んでいただける様通らせていただこうと思っております三人の娘という宝物を授けていただいていますからこの子供たちにお道のすばらしさを伝えることが私の大きな務めだと思っておりますその為にも自分がさせていただけることを無理せず喜こんでさせていただきたいと思っておりますとは言うものの気持ちがあせるばかりで何もできないでいる自分ですが先日の伏せ込みひのきしん団参にも人の子供たちと電車を乗り継ぎ帰参し勇んで参加させていただくことができました大勢の方の一つに合わせて唱和したおつとめと大教会長様のあたたかいお言葉に懐住まいの親神様教祖の力強さとやさしさを感じることができました大教会長様の秋季大祭のお話に人をたすけたいたすかってもらいたいという思いを持ち続けて生活することが大事で又親の思いを少しでも伝えたいと思い続けることの積み重ねていくこと結果でなくさせていただけるよろこびを持ち続けることが大切とのことでしたこれなら私も第一歩としてさせていただけそうです秋のおぢば福芦分教会佐藤昌子月日夜時すぎ私たち福芦分教会の一行は本部に到着しました別席伏せ込み団参のため私はヶ月ぶりにおぢばへ帰らせていただくことになったのですがおぢばもすっかり寒くなっていました車から降りると一瞬にして息が白くなり私は薄着をしていたため冷たい風が服の間から通り抜けていきますでもおぢばへ帰らせていただいたことの嬉しさでそれさえもすがすがしく感じられていました私はちょうど半年前のこの日修養科を終了したのですたくさんの人たちと出会い数えきれないほどの思い出がつまっているおぢば今回もおぢばへ帰れると決まった日から心待ちにしていましたおぢばへ到着したのは夜でしたが黒門からの石畳やほのかな光の神殿この夜の雰囲気もとても好きですその日は本部を参拝して詰所へ帰りました翌日の日私の従姉妹と友達が初席別席を受けることになっていたので私は会長様奥様と一緒に従姉妹たちに付き添って別席場へ行きましたこの日は他の大教会の団体も多く別席場へ着くとすでに列ができているほどでした私は従姉妹たちを見送って別席が終わるまでの間一人でおぢばを歩くことにしましたこの日のおぢばは快晴で澄んだ空がどこまでも広がり太陽の日ざしが暖かく本当に気持ちの良い日でしたのんびりと歩いているとなつかしい修養科での日が次と甦ってきます春には満開の花や緑でいっぱいでしたが今はすっかり秋となり木の紅葉がとてもきれいで私が見慣れていたのとはまた違ったおぢばを見ることができました私たちにとっておぢばとは元の親里です今この瞬間にもお道は世界中に広がっていますが中にはおぢばに帰りたくてもすぐには帰ることのできない方もたくさんおられると思いますでも私はこうしておぢばへ帰ることができる本当に恵まれた環境だなと今回感じることができました私は本当におぢばが大好きです好天気に恵まれて十一月二十三日委員部長後継者講習会が開催されました今回は二十三日のみとなりました九時に集合会場準備九時三十分より受付をさせて頂きました遠近問わず受講者十九名託児十九名ひのきしん十九名でした次いで支部長様が教祖百二十年祭を迎える迄の経緯を過去の教祖年祭をひもとき乍ら節にあたっての事柄時代の運び内容を細かく説明下さり年祭を迎える旬の大切さなどを話されました其の後琴三味線胡弓調弦と四カ所で練習致しました午後からはテーマを決めて練り合いを重ね発表を行って支部長様より大切な時旬全て成ってくる事を喜んで通らせて頂きましょうと親心をかけて頂いて終了致しました十九名の幼児園生達も委員部長の暖かい真心に抱かれてけがもなく楽しく過していました共に勇まし合い励まし合って旬の御用につとめさせて頂きたいと思います婦人会常任委員内海安子おやさとふしん青年会ひのきしん隊は今年結成五十年を迎え各分会とも大勢の方が入隊されました毎年各直属分会には教会十名称につき一人の入隊が割り当てられていますつまり笠岡分会は百三十八ヶ所だから十三名以上の入隊を要請されているのですが今年は結成五十周年の旬に呼応して各分会軒並み二三割増しの入隊者数であったようです宿泊所である第百母屋も例年に増して活気に溢れ互いに切磋琢磨する雰囲気に包まれていました朝起床とともに百母屋内の清掃屋外に整列点呼行進にて本部朝づとめ参拝第一食堂にて朝食後百母屋に戻り出動準備屋外にて整列点呼現場へ出動午前のひのきしんが終わると第一食堂前に整列全員揃い次第昼食食後班別に揃い次第行進にて帰隊午後からも屋外に整列点呼現場へ出動と夜の点呼まで延と規律正し過ぎる日課がこなされてゆきます勿論衣服の乱れも許されませんはっぴの帯隊服のボタンヘルメットのあごひもに渡るまで逐一指示があるのですもっとも入隊者の七割程度が入隊経験のある方なので初めての方もいやおうなくその流れに沿わざるを得ませんかくしてひのきしん隊の規律秩序は守られています長とひのきしん隊の日課を述べたのですが我が笠岡分会はここ近年にない少人数で結成五十周年のこの年に臨みましたたったの八名でした今年の青年会総会で青年会長様であられる真柱様は会員に対して別席者増加の取り組みとひのきしん隊の入隊を促されました青年会員の常時の修練道場であるひのきしん隊に入隊して切磋琢磨しこれからのお道に有用な人材に育ってもらいたいとの思いであろうかと思われます今回百母屋では西宮分会と同部屋になり夜遅くまでいろいろと信仰談議に花を咲かせたのですがその中で西宮部内の五十三歳の教会長さんの言葉が忘れられません私はこのひのきしん隊はおたすけの現場だと思ってるんですよ今年は十代の若い子二人を連れてくる心定めをしていたんですが残念ながら駄目でしたひとを連れてくればこの器の中で彼らも鍛えられるし世話取りする自分も成人できると真にひのきしん隊の有意義さを言い得ている言葉でした私自身はこのひのきしん隊をもって委員長の任を解かれたわけですが来年もそして再来年も入隊して成人の糧にしていきたいと思っております来年の入隊月は七月記念すべき七百回隊です青年会前委員長佐藤真孝青年会一ヶ月ひのきしん隊に参加して西伯分教会金平貴之僕がこの度ひのきしん隊に参加させて貰ったのは仕事もしないで家でブラブラしているのを教会の人に見られて仕事が無くてやることが無ければ行こうやと誘われたからです大体僕は去年の夏修養科に入るまで天理教のことなんか全く知らなかったんです半強制的に修養科に入れられたので修養科や天理教の印象は毎日とても辛くて最初の日から最後の日まで早く地元に帰りてとばかり思っていましたそんな調子ですから僕の頭の中では天理と言う所はあまり良いイメージはありませんでしただから今回地元の教会の人が誘って下さった時も半分は興味が有りましたが残りの半分は嫌だー行きたくねーと思っていました結局は参加するはめになちゃった訳ですが色考えた結果ひのきしん隊が始まる迄にやることが決まっていなければ行こうかなと思うようになりました自分でもやることが無いのが辛かったんだと思いますまあそんな感じで何となく参加させてもらったひのきしん隊なんですが家ではやることが無くてもてあましていた時間も天理でははじめからやる事が決められていたので天理での生活は地元家での生活とは正反対でしたゆっくり出来る時間が欲しかったですまた団体生活と言うこともあり僕達の班は名でしたが日間つの部屋で生活しましたやる事はなるべくみんなに合わせようと心掛けましたなんせ普段の生活と違うわけですからもしこの文を読んで下さっている人で自分は今のままでは駄目だ何かを変えないといけないとかあの人に変わってもらいたいとか考えておられる方がいたら是非天理行きひのきしん隊参加をお勧めします何かを変えたいと思っている方にはぴったりだと思います僕がそうだったように正反対ですものでも家に帰ってからひのきしん隊に参加する前と変わらぬ気持ちで生活していても神様の御守護が有ったとは言えなくなるので注意せねばなりませんけどね年頭会議日場時平成年月日午後時所献血ひのきしん日時平成年月日大教会春季大祭終了後日本赤十字社より本人確認へのご協力のお願い日本赤十字社では患者さんが安心して輸血を受けられるよう高感度検査法の導入や問診強化等を図りウイルス等の感染を防いでまいりましたしかし最先端の検査法によっても血液中の微量のウイルスは検出できないことがあるためまれに患者さんに輸血を介して感染するリスクがあります一部の献血者において氏名等を偽って献血される方やご自身が感染症に感染しているかを確認するため献血される方がいらっしゃいます輸血用血液の安全性をさらに向上させるため本人であることを示すこと本人確認によって自ら提供する血液は安全であるという意識をもって献血されるようお願いしております献血受付の際にご自身を証明できるものの提示にご理解ご協力をお願いしますご提示頂く物の例運転免許証健康保険証パスポート等御用はありがたい錦備分教会室悦子御用はありがたいで自分の欠点に気付かせてもらうことが出来るからなあ年ほど前ひのきしんに参加させてもらった時に隣り合わせたおばあさんが連れの若い人に話していた言葉ですそのおばあさんの心からありがたいなあという気持ちが私の心に伝わって心に残る一言となっていました月日午後時頃の事です主人から昨年度の私の源泉徴収票を捜しておいてほしいとのが入ったのです普段の私なら主人が帰って来るまでに捜しておけばいいやと思うのですが明日はにをいがけおたすけ実修会で福年分教会に出向させてもらう事となっていたので今日の家庭の治まり具合が実修会に反映する様な気がして主人に安心してもらえる様にしなければと思い早速捜してメールで徴収票があったことを報告したのです良かったこれで主人も安心しただろうとホッとこれではとく徳を積ましてもらうどころかはありがたいで自分の欠点に気付かせてもらうした矢先今度は会社にそれをしてほしいどく毒を積んでしまった事になる申し訳なことが出来るからなああの時のおばあさんのとがあったのです咄嗟にそんなん無理やかったなあと素直に反省する事ができたのです一言が鮮かに甦った一瞬でもありましたわペラペラの紙やし小さいから機械に挟まって帰る道すがら昨日の事と今日の事を考え合わ親の思いになかなか添うことの出来ない私ですしまうわそうかそしたら明日にするわそせながら本当に私は人の顔色を見ることが出来がこれからも御用を通して一歩一歩前進して行の場はそれで治まったのですがしばらくしてない人間だなあそれにどういう物の言い方をすきたいと思っていますこれからもどうぞよろしハッしまったと思ったのですすることがれば相手の気持ちが和むか全く考える事が出来なくお願い致します出来るかどうか実際ためしてもみないで無理だとい人間だなあと気付かせてもらいました御用ありがとうございました言ってしまった事無理ならコンビニへ行ってコピーしてそれをすれば全て丸く治めるこころの詩続道中詩油木分教会黒瀬修弍用木のつとめ生涯続く道事が出来たのに私は頭が堅いなあ明日は相手に合せる事を心にとめて勤めさせてもらわなければと思っていたのですしかし練り合いの時申し訳ないけれども今後の為に言わしてもらいますが耳の遠い養徳社発行陽気誌十二月号道柳より転載今回の課題は長撰六十一句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠芳阪布教所長夫人杉原優子月次祭長い回廊人の波秀詠東悠分教会長夫人田林美智子定年もなしリストラもなしむづかしく思う心は我心足りぬ力は神の自由用老いるともいつも笑顔でにおいがけ今日を喜び明日を樂しみ老いるとて甘え心は許されず者にも聞こえる様に配慮して感涙や思い出あまた長き道勝利輝く光見るまでもう少し大きな声で話をしてほしかったですと意見してもらった時ほんまや私は緊張してとにかく話をすることにいっぱいいっぱいで肝心な話を聞いてもらっている人の事が全然見えてなかったわあ病喜録のうた東濱十三雄我足でトイレ使える有難さまだく重い人も有るのに臥せしまま十二下りに力入る悩める人の姿浮かんで乳癌の人かしこみて真夜の願いづとめ終えもったいなさに心しびれる受験生の母伏せ込み笠岡詩かくしん一笠岡の備佐の畳本部神殿敷きつめて名高き笠岡備佐のたたみ二笠岡の初代の道をしたいてはこぶ団参は別席伏せこみひのきしん二四年のつとめよここにモスクワサンクトペテルブルグ演奏会に参加してロシア演奏会が初期の目的ロシア布教天理教の布教公認を得る為の活動の一環の一つとして目的を成して帰ることが出来ましたのは団体解散時の陸牧分教会長曽山氏の喜こびの言葉を聞いて判断した次第です先ず曽山氏の長年の努力に敬意を顕して話を進めさせて頂きます彼は天理大学英米学科に在学中は海外伝道を志す学生の集まりに属して夢を温めつゝ卒業しその后本部で翻訳のひのきしんに従事し英語圏への布教を目指すも金沢の自教会に帰ってから日本海を隔てたロシア語を度耳にしては自分の使命をロシアと定めロシア語を始め年重ねて充分に行使出来るようになりロシアに通いつゝ現地の教育関係芸術関係警察関係の人と人間関係を作り日露友好協会の人とも会員として深い関係をもち天理教天理大学との橋渡も担って以来十年今ではロシア刑務所の教戒師として年数度の受刑者への教話をさ大教会岡本久善れ大学の講師をも務められるその関係で今度もロシア最大の刑務所で演奏会を行いました彼は一日も早く天理教の布教公認を得ようと努力している教内唯一の用木であります組織の上での援助もなく時に冷たい視線にもさらされる時もあろう中孤立無援成果なき遅とした歩みの年月使命感だけであゝも情熱を傾けられるであろうか多くの人が成長の過程ではぐくんだ夢を失ったり異なったものへ変化させたり転化させたりして歩む中英語圏布教からロシア布教へと移し教会長職任命以降も変ることなく学びあのオーム真理教の一件以降も多大の困難に直面し又内に在っても多くの障害をクリアーしながら勇んで歩むその歩みは明治末期の遠隔地布教を志した先人の歩みにも似ているまさに不毛の大地を耕す開拓者に重なる現代社会現代の道の中にも成果を急ぐ余り過程を軽んじると感じる言動を耳に眼にすることが度ある信仰者の歩みは神が歴史が評価すべきものである彼のような人が居ていいのではないのかいや居てもらわなければならない全ての歩みは伏せ込みととらえなければならない私は六十才を前にする彼にあらきとうりょうの真骨頂を感じ彼の頼みをぜひ実現したいと友人に相談昨年末より準備し大教会長様を始め大勢の人の応援を得て盛大な意義ある演奏会を無事終えることが出来たと思っています演奏会と云えば雅楽の舞台の道具舞蘭陵王名曽利の衣装二組楽人の衣装楽器合わせて十六点重さ百五十飛行機に乗せることの出来る一人の持込重量二十全員で二十二名で持つと一人の団体荷物持たなくてはならなくなり一人の持込荷物十三と云うことになり冬衣装の着替え数点カバンにつめ大教会の風呂場のハカリで計量すると十一楽人の楽服を計ると二で他の何も入れることが出来ない又現地の情報よりチェチェンのテロ事件以降空港の荷物のチェックが厳しいとのことで一人重量十三を厳守することを全員に通達十月二十七日成田空港に二十二名集合喜とした面は私が最年長楽人は二十代三十代の若者で天理大学雅楽部卒業のメンバーを中心に東京芸術大で雅楽専攻の若者も居て技術的に高い技量を保つことが出来た私は別として次号に続く原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の陽気ゆさんが見たいとの親心溢れる御守護のままに日は結構に恙なくお連れ通り頂いております特に今は暦の上での冬を感じさせるように紅葉から落葉へと日一日と姿を変え季節の移ろいを見事に演出して下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら目先の楽しみに心奪われ親神様の懐に抱かれる大いなる喜びを忘れるどころか季節の移り変わりさえも疎んじる勝手気ままな心遣いの人が増えております事は誠に痛ましく残念でなりませんお道にお引き寄せ頂いた私共は日喜びを味わわせて頂くと共に朝夕に御礼申し上げご恩報じを念じつつ一人でも多くの人に真の喜びを知って貰うべくにをいがけおたすけを通してたすけ一条の上に勤め励まさせて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下された十一月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が親を慕い相共にお歌を唱和して改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年祭活動の二年目としての今年もあと一ト月余りとなりました教祖年祭は成人の旬とお聞かせ頂いておりますが只単に道の子の成人だけでなく全ての子供の成人の旬でもあります世の中の姿を見ますと強きをくじき弱きを助ける姿から強きに屈し弱きをくじく姿へと大きく変貌しますく人の心が荒んできているように見えますこういう時だからこそ全教が一丸となってたすけ一条に邁進する年祭の意義があると思わせて頂きます今この旬だからこそ今日までの歩みを素直に反省したすけの理の流れを正すべく親への伏せ込みと子への丹精そして子となるべき人への種蒔きにと勤め切らせて頂く覚悟でございます又その手だてとしての別席伏せ込みひのきしん団参を来る十一月二十八日にさせて頂く所存でございます何卒親神様には届かぬながらも精一杯たすけ一条の御用の上に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に世界一列救けたいとの自由の親心をお現わし下さり人の心に親心をお映し下さいまして一列子供が救け合い睦び合う陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先立教年平成年年年間行事予定表部会全体行事月直轄教会春季大祭参拝年頭会議ひのきしん献血ひのきしん春季大祭詰所受入布教部海外部部内巡教本部食堂直ブロック教会長講習会修養科修了講習会部内巡教にをいがけおたすけ実修会要員研修会直轄教会定期巡教教祖ご誕生祭詰所受入本部食堂直ブロック直属ひのきしん特別隊月にをいがけおたすけ実修会月全教会で実施全教一斉ひのきしんデー修養科修了講習会こどもおぢばがえり直轄教会秋季大祭参拝直属ひのきしん特別隊本部食堂福山ブロックこどもおぢばがえり詰所受入修養科修了者の集い直属ひのきしん特別隊にをいがけおたすけ実修会要員研修会修養科修了講習会英語講習会本部食堂髙屋ブロック布教推進強調月間月にをいがけおたすけ実修会月全教会で実施全教一斉にをいがけデー秋季大祭詰所受入修養科修了講習会心定め提出年末大掃除詰所餅搗常詰会議註ブロックの区分けは備毎月日午前直鶴山明石市考直轄教会長の集い直久松東城錦備毎月日午後上府上下府中市おかえり講話月例勉強会毎月日月日月日英文発行月日月日海外よふぼく月報いずれも午後役員並びに直轄教会長会議毎月日午後月は末日月は午後月は日直轄教会長の集いに替えて行なう部会婦人会月青年会少年会学生会学生担当委員会輸送部全委員部長講習会春季大祭参拝学生層育成者講習会婦人会本部総会鼓笛バンド講習会おつとめまなび総会春の学生おぢばがえり直属アワー教祖ご誕生祭参拝新入生歓迎会おぢば笠岡分会青年会総会ひまわり会集いこかん様に続く会別席伏込ひのきしん団参ヶ月ひのきしん隊縦の伝道講習会育成講習会新入会員研修会野外錬成会キャンプ全分会布教推進週間月婦人会本部女子青年大会月各地域婦人会本部女子青年大会広島教区岡山島根鳥取教区本部青年会総会こどもおぢばがえり団体列車本秋季大祭参拝委員部長後継者講習会支部例会毎月日午前時大教会ひのきしん備直轄委員部長連絡会毎月次祭後毎月日午前考女子青年例会日毎月第日曜日ひまわり会毎月日教会おとまり会の実施雅楽部練習毎月次祭前日夕勤後舞楽練習毎月次祭日夕刻実践項目集計月大教会だよりおやさとふしん青年会ひのきしん隊久松中村剛史芳井佐藤真孝芳井本名晴三海松ヶ岡高原清陽實佐藤真理志稲倉松田佑太百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所西伯本多正悟西伯金平貴之第七六一期修養科教養掛三ヶ月間谷内伸自輝美濃分教会長一ヶ月目今川昌彦大教会役員二ヶ月目高島寛海潮川分教会長三ヶ月目宮本泰德廣町分教会長修了生福節桑山誠瑞雲豊田俊美弓ヶ濱松田納彦海松ヶ岡森本ひな福節桑山郁恵稲瀬岩田典子教会長資格検定講習会修了者前期終講海松ヶ岡森本ひな訃報村川ハツエ姉大江橋分教会三代会長十一月二十日出直されました享年九十七才秋季大祭で真柱様は年祭活動の仕上げとも言うべき一年をこれまでの歩み方を振り返り目標を見据え直して踏み出す態勢を整えていただきたいとお諭し下さった私の場合教務という自分の囲の中でしか動いておらず行事としてのにをいがけ実動だけで積極的に外に出ていない事に気付いたむしろ生活の為に忙しく働いてくれている女房殿の方が真剣に通ってくれている二男の友人君の母親が足を骨折して入院しているのでおたすけに行ってくると言った折私は宗教の熱心な信者のにとつい口を突いて出たそれがどうしたんと言って二男と君と車で病院に行ってしまった君はリハビリ中の母親に早うこれしてもらいと付いて回った君はお泊り会で腹痛だった時おさづけで良くなった体験があったから病院から帰った女房に聞くとおさづけ取次いだよとアッケラカン君の母親が再婚した父との間に才の妹が居て仕事を休んで見ている女房は君の家の事情を思う時宗教の違いやまして断わられる心配など微塵もなくいてもたってもいられないたすけの行動であった人を救ける心は真の誠一つの理で救ける理が救かるとの真の意味を心の底より学び感じ入った女房を見据え直し惚れなおした仕上げとも言うべき一年は夫婦は五分五分さぁ私の番だえ
かさおか

『かさおか』第43巻 第11号

初代様直筆の手紙海松ヶ岡分教会所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次秋季大祭講話大教会長様お話し立教の元一日は世界一列をたすけたいという親心を啓かれた元一日です世界一列をたすけたいとはいっても親神様の自由の御守護ですべてをたすけてくださるのではなくそれは人間創造に当たっての人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召に由来するということを先ずしっかり考えなければなりません私たちは誰しも幸せになりたいと思いますがそれは親神様のお心そのものが私たちの心の中にあるからでをやが世界一列をたすけたいという親心を持っておられるということは私たち一人ひとりも世界一列をたすけたいという心にならしていただかなければなりませんいまゝでハせかいぢううハ一れつにめゑくしやんをしてわいれども十二なさけないとのよにしやんしたとても人をたすける心ないので十二これからハ月日たのみや一れつわ心しいかりいれかゑてくれ十二この心どふゆう事であるならばせかいたすける一ちよばかりを十二このさきハせかいぢううハ一れつによろづたがいにたすけするなら十二月日にもその心をばうけとりてどんなたすけもするとをもゑよ十二と明らかにおふでさきにお示しいただきますこれから私たちが遣う心遣いはここだということを示されたのが天保九年十月二十六日の世界一列たすけたいというお言葉です肝心なのは親神様教祖を信じて手を合わせることではなく私たちが親神様教祖にたすけていただくだけの理作りをすることですそのためには私たち一人ひとりが世界一列をたすけたいというところまで心を作らなければなりません教祖百二十年祭に向かって成人の歩みを進める今諭達の精神は人をたすける心の涵養と実践ということを仰っています最初から世界一列をたすけたいというところまではいけませんが目標はそこにしっかりと持って先ず目の前のところから人をたすける心と行ないとを積み上げていくところに世界一列をたすけたいというところまで心が成人するのですつまり成人の歩みとは日できる人だすけの心遣い行ないを積み重ねることによって世界一列をたすけたいという大きなたすけ心に近づくことです人をたすける心と言えばいかにも難しそうですがそうではありません日の生活の中で人をたすける心を遣いその行ないをすることです常に人をたすけるという心さえ持っていればいろんな形で人だすけをすることができますたすけたいたすかってもらいたいと何とかして人をたすけていこうという思いを持ち続ければ良いのですそうする中に日の中で知らず知らずに人だすけの理を積め人に尽くす行ないに繋がってくるのですそこが大事だと仰っています先ず身近なところから少しでも人をたすけるという心と行ないその積み重ねが大事でその積み重ねをそれこそ百二十年祭に向かってしっかりしていこうということです一般の人はそれで充分でしょうがよふぼくはそういう訳にはいきません親神様の世界一列たすけたいというお心を伝えていくためにはよふぼくとしての人だすけの道はありますそれは実践項目として皆さん方と申し合わせをしています百万軒にをいがけたった一枚の紙切れを通して一人でもたすかってもらいたい書かれているお言葉一つを読んでいただいて少しでも人をたすける心に近づいてもらいたい何とか何とかとその一つ一つの行ないに人をたすける心に立て替わってもらいたいという思いを込めつつするところによふぼくとしてのにをいがけおたすけの道がありますただポストへ入れるのとは違ってその心を遣うということを考えればをやの思いを少しでも伝えたいという思いを持ち続けながら一つ一つの行ない実践項目を積み重ねていくところによふぼくとしての人だすけの道があるのです年祭まで後一年二ヶ月余り立派なことはできないかもしれない思うような成果が上がらないかもしれないけれども成果や結果ではなくそれができる喜びさせてもらえる喜びを持ち続けてすれば大きな御守護を必ず見せてくださるそのことをしっかりと心においてつとめたいと思いますそしてもう一つ大事な角目を申せばたすけの理を現わしてくださるのは親神様教祖であって私たちがたすけるのではありません私たちがたすけるのなら一生懸命行ないや言葉でおたすけすればいいでしょうが身上事情だけではなく心までもたすかってもらうには親神様教祖にしっかりおはたらきいただく必要があるということですおつとめもおさづけもこれは私たちがそれでたすけてもらうのではなく親神様がその理を受け取ってはたらいてくださる親神様教祖が入り込んではたらいてくださりたすけの理を現わしてくださるのですそれなら親神様教祖にはたらいていただけるような伏せ込み理作りというものをしていかなければなりません私たちはたすけ一条の道として親孝行の道としても歩んでおりますがそれはたすけの理を現わしていただくためです代が重なってくるとなぜご恩報じするのかなぜ教会のためにするのか解らなくなってきます何のためにご恩報じするのかといえば人にたすかってもらいたいがために親孝行もするということを私たちは改めて心におかなくてはならないと思いますお互いに代が重なって教会長でもあるしよふぼく信者でもあります信仰するのだから当たり前というのではなくお互い一人ひとりが世界一列たすけたいというお心に近づくことこそが陽気ぐらしに向かう歩みでありそれがたすけ一条の道だということをしっかり心において間違いなくその理が現われるようにつとめるという心をしっかり定めて通らなければただお道を通ったというだけのことになりかねませんおさづけの理をいただいたよふぼくなら少なくともその自覚だけは持ってたすけ一条の理を現わしていただけるようにつとめることは大事だということを心にしっかりおいていただきたいと思います生きるのに一生懸命の人もおられますしかしながらその中でも人だすけの道は素晴らしい道です皆さん方立派なことをせいとは言いませんどうぞその心だけ気持ちだけはしっかりと持ち続けてできる精一杯のたすけ一条の道を残された一年二ヶ月余り百二十年祭に向かって共につとめましょうどうぞよろしくお願いいたします以上大要本部青年会総会報告昨年一昨年と不慮の出来事により総会の前夜祭において笠岡分会は模擬店の出店が出来ず委員一同残念な思いをして参りましたが模擬店抽選会において新委員長である淺野明教君が見事出店の権利を得うどんを販売することが出来ました三年振りということで準備や采配に戸惑いはありましたが笠岡の女子青年や布教推進週間のキャラバン隊で親しくなった天大生また青年会の先生方と共に和やかな雰囲気の中勤めることができましたうどんの味も大変好評で五百食用意した品全てを完売することができました後半多少強引なところもありましたが来年も必ずや出店して大いに盛り上がっていきたいと思っていますので多くの方に当日の準備販売に携わって下さいますようお願い申し上げますさて総会当日は前日の雨も上がり好天に恵まれて真柱様よりのお言葉を頂戴することが出来ましたお話の要点は二つありました一つは現在青年会本部が掲げています別席者の増加についていま一つ盛り上がりに欠けていることまず自らが教えに基づく生活態度を身に付け成程の理を周囲に映してゆかねばならないそうして周囲にお道の教えの素晴らしさを伝えてゆくつまり身近なところから別席者増加の活動を推し進めてゆくことを教えて下さいましたもう一つは結成五十周年を迎えたひのきしん隊への入隊についてでしたおぢばに伏せ込むことの大切さをお聞かせ下さり一人でも多くの方の入隊を要望されましたこの原稿を執筆中の私は現在ひのきしん隊に入隊しております結成五十周年の節目の年ということでどこの分会も一個班前後の大人数で入隊しています兄弟教会である池田分会は十六名西宮分会は二十七名の入隊でしたちなみに笠岡分会はたったの八名です一人でも多くの入隊をうながされている真柱様に対して全く申し訳のない気持ちで日ひのきしんにいそしんでいるところであります私はこのひのきしん隊をもって委員長の任を解かれるのですが新たなる笠岡分会に期待し陰ながら応援していきたいと存じます青年会委員長佐藤真孝大教会年末大掃除日時月日水午後時より詰所餅搗ひのきしん日時月日月午前時より前日より準備ひのきしんがあります献血ひのきしん日時月日金大教会祭典後奮ってご参加くださいまたも救けられました明石市分教会長杉原博之月日國須分教会へにをいがけ実修会の要員としてゆくことになった前もって大教会では月に御本部から先生をお呼び下さって要員研修会が有りにをいがけドリルの案内書を頂いたどうも若者向きのイラストというか印刷内容に思え目がアッチコッチに跳ぶ程多岐多彩に書かれているこのまま教会で配布しても難しいなあまだ若き代後ヶ月はなんだけどどうも苦手だ情けないけどそれで工夫してパソコンで作り替え簡単明瞭に代以上仕様にした皆さんにお渡しするプログラムを作りその中ににをいがけドリルについての案内チラシについての黙読音読良いと思う箇所の発表添える言葉等を入れるいいとこ取りの優れものと自画自賛尤も何事も自画自賛しているタイプではあります月に既に実修会に行っているので進め方は経験済みで何も心配はない後は苦手な交通機関の順調な乗り方のみと楽観をしていたこれが失敗の元とは後で気がつく唐変木という当日は全く晴天秋晴れ福山までそこから中国バスで寺町経由中須下まで分のバス旅行頭の中には中須下が鳴り響いている中須下とアナウンスが有ればすかさず降りなければいけないのんびりバスは走る福戸橋に通りかかると広い見晴らしの良いところに出たムニャムニャした何かよく分からない大きなモニュメントがあるバスを降りて案内を見たい気持ちになるおべというアナウンスが有って車窓に遠く霞んで大きな山が見える熊がおるんやろかとぼうっと考える気が緩んで眠くなってくるいや寝てはいけない乗り過ごしてしまうやっとアナウンスが有ったボタンを押して大安心それがいけなかった何と気がついたら通り過ぎている慌てて運転手さんに中須下をボタン押したでしょうというと誰も立ってこないからと言うあんまりやけど大体着いてから立つもんやしね信仰者の辛いところじっと耐えるメートル程歩いて戻る福塩線の線路を渡ってメートル位で教会だ神殿に上がる階段が有って正に教会という感じだ会長様と進行を打ち合わせさせて頂いていよいよ始めることが出来た自信を持って始めたのだがどうもうまく話しがつなげない何とか懸命に話しを続けるどうもやっぱり楽観の種を蒔いて努力をしなかったら不首尾の実が実ったようだいつでも誠心誠意努力の種をまいとかないといけないね何とか参加の皆様の暖かい心に包まれて終えることが出来ました慣れたらアカン常に心を引き締めて通ることを学んだ相手はたすからなくても自分は間違いなく一つ学んでたすかることができました有難いなあ今度また行くことになったら頑張りましょう國須分教会長様奥様皆様有り難うございました親子四人で望んだ修養科福節分教会桑山誠私はこの度妻と子供人小学三年生一年生の四人で修養科生活をさせて頂いております親子四人で望んだ修養科生活も早いもので二ヶ月が過ぎ残す処後一ヶ月となりましたこの二ヶ月の間そして修養科に入学するまでの道中をここに綴らせていただきます私の家は私で三代目となる天理教の信者で子供のころから教会へは良く参拝させて頂いておりましたしかし高校受験に失敗してから仕方なく親の勧めるままに夜間高校へ行き辛抱して大学へも行きましたが事情があってその大学も中退してしまいそのころから天理教から足が遠のき始めいつしか年が過ぎていましたこの年間は親の心も考へずに勝手気ままな事をしてきたように思いますそして今年の六月に勤めていた建設会社がこの不景気からリストラ希望退職者を募り初め又丁度この時期に私のお金に対する執着から事情が出始め母の身上もあって教会に相談した所修養科へ行ってみないかと勧められ入学しました当初は私一人で行こうかと思っていたのですが妻と子供二人三ヶ月残して行くものかどうか色と悩んでいたのですが親神様にせきこまれるかのように色と事情母の身上が急をつげ始めこの八月五日に家族四人で子供おぢば帰りに参加させて頂き親神様の前で家族人で修養科に入る心定めをし入学しました入学を心定めしてからは不思議なくらい私の事情母の身上もおちつきはじめこれも親神様の御守護があったのかなと改めて感じております修養科に入学してからの一ヶ月は無我夢中で勤めていたように思います朝夕のおつとめの練習お手振りみかぐらうた鳴物打物の練習詰所のひのきしん覚えなければいけないことがたくさんあって妻や子供の事を考へてあげる余裕がなくそうしたら妻がカゼをひきノドが腫れ私も軽いカゼをひき妻と子供のことでケンカをするようになってしまいましたしかし谷内先生におさづけをして頂き妻のカゼも良くなり子供の事についても親が大きな心で修養科生としてするべきことをしていたら子供は大丈夫ですしっかり修業しなさいとさとされそれからは家族の絆も深まったように思います二ヶ月目に入ってからは妻も私も体調が良くなり家族が明るくなり妻と一緒にひのきしんをさせて頂き大変よろこび感動しましたみかぐらうたに夫婦そろうてひのきしんこれがだいゝちものだねやそれからというものさせて頂く色なひのきしん一つゝに違った喜びがありひのきしんをさせて頂けるこの身体を与へて下さった親神様に感謝の念でいっぱいです最後にこの三ヶ月間お世話になった谷内先生今川先生高島先生宮本先生詰所の吉岡先生はじめ諸先生方修養科生の皆さんのために家族四人で共に喜びいさんで修養科生活を終へたいと思います修養科まなびの日稲瀬分教会岩田典子修養科も九月に入学して早三ヶ月目おぢばのいらか木の紅葉が神殿の甍に映えて美しい一ツひろいせかいをうちまわり今夜も修練場にみかぐらうたがひびく修養科に入って毎夜夕勤めのあとの手おどりの練習思い起こせば私にとっては初めての経験で谷内先生からハイ右足を出してと言われるのに左足が出てみたり手と足の動きがバラバラそのうえ一拍おくれまちがうたびにやり直しと手のつけようのない私のおどりまわりの仲間のお地にのったさり気ない動きとはうらはらであるこんな私も教養掛の先生が私のペースで手とり足とり辛抱強くご指導くださっているお陰で少しずつではあるがなんとか様になってきているところが残念なことに翌日になるとすっかり忘れていることが多くなかなか難儀な手おどりである私は修養科第七六一期一六組四十五名のクラスの一員となったクラスの仲間は全国から集まった年令もさまざまであるしかし修養科に入学した動機は各だが誰もが今までの自分から生まれかわりたいと語る姿があった入おやさま学して間なしの頃あるおばあちゃんが教祖は因縁よせて守護するというここにおる人は互いに自分の姿を写している鏡や相手の姿を見てイヤだったら直す努力せなあかんのやと話してくれた日学校の授業やひのきしんなど盛りだくさんなスケジュールの中で少しずつまわりの仲間との語らいも増えて親しくなってくるにつれクラスの中で私にできることは何だろうと自分のもてる力を身近な人や地域で役立てたいという気持ちを行動にうつす姿が見えてきた毎日通学する道端のゴミひろい車椅子を押したり重い荷物を持ってあげるなどさりげない姿がそこかしこに見られする側にもしてもらう側にも笑顔おやさまがあるのを見ると教祖の人を助けてわが身助かるという教えのすばらしさを実感させていただいている詰所でも教養掛の谷内先生から日の生活の中で自分の心の琴線にふれた喜びを書きとめてみようという提案がありよろこびさがしがスタート今まで見すごしていたあたりまえのことも自分の心の向きをかえてみると喜びがあることを学ばせていただいている先生からは明日の見方につながるコメントもありこれからの私たちの指針として大切にしていきたいと思う教祖の懐に抱かれたおぢばに住む人たちの遠い所ごくろうさんという声かけや布留川のせせらぎ道端の小さな草花が少し疲れた私たちの心をいやしてくれる学びの日はまだまだ続く三ヶ月前の私とどこか違っている私に出会うために談話室おも父母を想う髙千恵布教所岡﨑悦子私の心の中にはいつも祖母父母が生きつゞけています恋しく心の支えとなっています生活の中で父なら母なら祖母ならこういう時どのように考え判断してどのようにするかと心の中で問答をはじめている自分に気づきます私は七人兄弟の長子として昭和六年に生まれ大切に育ちましたと申しましても布教所ですから裕福に育った訳ではありません前近代的な生活でしたが今考えて見て何の不足もなく思い出すことはなつかしいことばかりです祖母父母から教祖の話こかん様の話をわかりやすく聞かせてもらい物はなくても十分に満足を与えられましたある冬の朝早くおこされて一銭銅貨をザルに入れ大ぶろしきに包んで豆腐屋へおからを買いに行ったことがありました湯気の中でとうふ作りを物珍らしく見ておからをいれてもらってすっかり暖まり家へ帰りましたザルについたおからを庭先へはたいて白く散らばった様子を雪に見たてて弟をびっくりさせたことなど本当になつかしく思いおこします父は夜やすむ前にいろいろ話をしてくれました昔話もありましたが今から考えますと道の子として心が育つようにと願いをもっていて一例どんなお金持ちの家に生まれていてもほしいほしいという気持いっぱいであれもこれもほしいあゝしてもらいたいと皆にしてもらうことばっかりの気持いっぱいでいたら今度生まれてくる時おこもさんこじき物もらいの子どもに生まれてきても仕方がないんでと話し生まれ変り魂の生きとおしについて等わかりやすく話し小さい乍らも私の胸は心づかいの大切さを十分納得できその教は今も生きております祖母や母は私たちは皆生きている命をいただいているんよなっぱ一枚お米一粒でも勿体ないそまつにすると自分の命をそまつにしているといっしょだよといろいろな物を大切に生かして見せては勿体ないという心を育ててもらいました母は娘時代苦労の中から早稲田大学女学部を卒業していました大きな卒業証書がでてきてびっくりし大変な努力家だったと尊敬していますこの事は私に大きな夢を与えてもらいました父の出直後大変な中を徒歩でおぢば帰りをしました私はあんまり無謀なと腹立たしく思ったりしたことを今更のように申し訳なくお詫びをしています勤務中時職員旅行に参加しましたが事前に神様にお礼申し上げるように教えてくれた母でした此の度この稿のご命を頂き結局やっぱり祖母父母のことを思い浮べましたお陰さまでなつかしい数の思い出がよみがえりやさしかった面影笑顔に心が満たされています時夢で出会うことがありうれしさにその都度神様にお礼申し上げておりますそして又つヾきを期待してしまいますありがとうございました最近思うこと雲東分教会三代美音私は一信者の立場から教会に嫁いで来ました高校の終り頃から毎日学校の帰りに日参させて頂き高校を卒業すると会長様國須分教会橘高キヌヨ前会長に勧められ専修科に行かせて頂き卒業後は詰所の会長宅で一年間伏せ込みの勤めをさせて頂きましたそののち会長様に働きたいと申し出ると今度は修養科に入ってからと言われ素直に修養科に行かせて頂きそれからようやく一般の会社に勤める事になりました会長様との約束で十一日の祭典は休みをとりつとめさせて頂いていました因縁を自覚された会長様のたすけ一条の通り方は自らにも厳しく又私達にも厳しいものでしたが会長様の周りには不思議な御守護が眼を見張る程溢れていましたそんな会長様のお導きで本当に神様はおられると強く肌身に感じていました縁あり教会に嫁いでから一信者の立場で通るのと教会の内の者の立場で通るのとではギャップが大きく私の心から神様がいつしか形だけになっていると強く感じる様になりました雲東の前会長がいつも二代真柱様が天理教とはなんぞやと聞かれたら天理教とは俺を見よとおっしゃったなかなか難しいがわざわざにほいがけに出んでも己を見せるとにほいがけになるそんな通り方をしなきゃいかんと事ある毎に厳しく仕込んで下さる本当にそうだと思いますその為には日親神様教祖にお喜び頂ける通り方をする事なのですが不徳な私にはわかっているけどなかなか難しい事であり度重ねて云われると私なりに頑張っているのにとつい反発し不足してしまいますそんな私ですが不思議な事に教祖が先回りをしておたすけ先を次と作っていて下さるのですおたすけをさせて頂いている時が一番神様を身近に感じ教祖にすがりなんとか助かって頂こうと自分なりに心定めをし頑張れるからですこれからも主人にささえられながら一歩ずつ一歩ずつ成人への道を焦らないで歩もうと思います内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さいこころの詩東濱十三雄さん福順分教会長よりの寄稿ですマゴウタ初孫の笑顔泣き声手の仕草大人達の目一つに集め喜びも悲しみも語り草なり老の身に今年は嬉し華のおとずれ夕勤め終わりてなぜか静かなり孫の寝顔は幸せに満つ黒瀬修弍さん油木分教会長よりの寄稿です道中詩今は亡き親の信仰受け継いで成人遅を悔む今日心苦してたれに話するすべもなく花と語りて心静かに口ずさむうたの心が理にふれてあふれる涙心安らぐ道の花厳しき中に咲く花よ一に勢い開花目指して養徳社発行陽気誌十一月号道柳より転載今回の課題は命撰五十三句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠東悠分教会長夫人田林美智子親神の守護に感謝の命名日実践項目集計月百万軒にをいがけ軒おさづけのお取次回身上事情お願い件提出教会ヶ所秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますはじめ親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召からこの世と人間をお創造下され十全の御守護をもってお育て下さっているばかりでなく一列子供が陽気ぐらしとかけ離れて行くと危惧されるや旬刻限の到来を待ってこの世の表にお現われになり教祖を月日の社とお定めになられて元の理を明かしそのいんねんがある故に世界一列救けたいとの親心も明かされてこれのたすけ一条の道をおつけ下さいました事は誠に有難く勿体なじかい極みでございます私共は教祖の口や筆を通して直に御教えに触れ又行いを通してひながたに触れ親心の有難さとたすけ一条の大切さを感じさせて頂いて日は朝夕に御礼申し上げると共に届かぬながらも精一杯にたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますひらきその中にもこの月二十六日は親神様が教祖を通して直にお現われになり世界救けをお啓示下された立教の元一日でございますのでおぢばでは秋の大祭が執り行なわれますその理をお許し戴いてこれの教会でも秋の大祭を執り行なうべく只今からおつとめ奉仕者一同今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達のお歌の唱和と相共に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます皆の一手一つにおつとめに込める真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本年は教祖年祭に向けての成人の歩みの二年目に当り親神様より大風水つき等を通して大変厳しいお仕込みを頂いておりますこれは月日の残念立腹とお聞かせ頂きますが単に御守護の世界である事を忘れ人間が我が力と過信し驕り高ぶり喜びと感謝の心を忘れている事に対してのみならずむしろなさけないとのよにしやんしたとても人をたすける心ないのでとお聞かせ頂くように我身助かりたいばかりで人を救ける心がない事に対してのものと悟らせて頂きます今私共は教祖年祭に向け三つの実践項目を申し合わせ実動させて頂いております確かに実動そのものが目的でもありますが本当の目的はやはり人を救ける心になって頂く事にある事を改めて心定めし年祭までに残された一年二ヶ月余り親の思召を伝えるべくしっかりとたすけ一条に邁進させて頂く覚悟でございます又たすけ一条の上でたすけの理をお現し下さるのは親神様教祖でございます親にお働き頂くためには親への伏せ込み理作りが大切とも思わせて頂きますその上からその一つの手立てとして来る十一月二十八日別席伏せ込みひのきしん団参をさせて頂く所存でございます何卒親神様には旬の御用の上に真実込めて勤める皆の誠の心をお受取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り人の心が人を救ける心に立て替わりましてお望み下さる陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより教会指令任命願天場山分教会前任仙田喜久雄新任仙田公男奉告祭承認任命願神村分教会前任下田輝夫新任下田誠輝奉告祭承認教会長資格検定講習会修了者前期終講稲瀬三宅道世とある地方競馬場最終レースエイ争奪牡馬選抜オープン距離無制限の発走が近づいた久のテレビ中継だアナウンサー今日は出走頭の調教ぶりを常に間近で見ておられるザうまの元編集長さんをゲストに迎えお伝えしますまずレース展開をどう読まれますか氏なんといってもワイルドボーイ中心に進むでしょうこれまで数度のビッグレースを経験しここ一番のクソ度胸は天下一品他馬のジョッキーもワイルドボーイの走りに注目ムチの入れ時が勝負の明暗を分けるでしょうアナ他に注目馬は氏トーフクザンプレスでしょうか厳しい夏場中央競馬で頑張り先日は北海道でも走ったそうで他馬主もうらやんでいたとか雲一つない秋空に発走ファンファーレが響き渡った風もなく馬場状態も最高が何と各馬ゲート前で右往左往全く出走の気配なし業を煮した同競馬場理事長ゲートに向って一直線高齢のせいか足元がおぼつかない手振りを交え各馬に何か訴えているが反応なしついにワイルドボーイの耳を引っ張り耳元に口をつけ大声で喋りだしたアナ何を言ってるのでしょうか氏甲高く早口で細かいところまでは分らないが品位と権威あるこのレースを何と思っているのかそこらの草競馬と一緒にするな今は競馬界にとっての大行事を年後に控えた大切な時なんだとに角皆を引き連れて突っ走れという事ですアナ成程確かにその通りですが馬の耳に念仏と感じるのは私だけでしょうかー発走にはまだ少時間がかかる模様私達は旬の声親の声をしっかりと受けとめて決っして馬の耳に念仏とならぬ様つとめさせて頂く事が今の責務だよ
かさおか

『かさおか』第43巻 第10号

初代様遺品摩耶分教会所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次学生の集い月日祝大教会集合大教会長様挨拶昨今の学生層による事件が大変気になる自分の意見だけを主張し周りに合わせる事が出来ない結果だ自分の都合を置いてでも周りに合わせられる様に他人と交わらないと本当の自分を知る事は出来ない学生会の行事を通して他人と交流を持ち他人を知ることによって本当の自分を知り助け合いの出来る自分になって頂きたいそうする事によって現在世間で騒がれている様な事件を防ぐ事になるマイクロ乗車大教会出発青年会佐藤真孝車中青年会活動へのお誘いハートクリーンキャンペーンへの参加別席のお誘い日起こってくる事情身上は自分が成人させて頂ける絶好の機会である同じように青年会の活動も成人のチャンスであり逃さぬよう参加して頂き成長の糧として頂きたい我は人のお世話取りをすればするほど成人させて頂く事が出来る少年会サマーキャンプへのお誘い女子青年つのかどめひのきしん教会への参拝にをいがけ女子青年例会第日曜来年度女子青年大会教区単位つぼみを読んで頂きたい女子青年活動紹介ビデオ上映赤穂海浜公園到着史料見学塩作り赤穂市内史跡見学車中より大教会到着解散参加人員学担名青年会名女子青年名学生名感想少人数ながら大変充実した一日であったと思う学生達も大変喜んでくれ次回の開催に期待するとの声もあったりなかったり学生担当委員山野弘実婦人会委員部長後継者講習会期日月日祝別席伏せ込みひのきしん団参期内日月日日容別席基礎講座伏せ込みひのきしん大教会年末大掃除日時月日水午後時より詰所餅搗ひのきしん日時月日月午前時より前日より準備ひのきしんがあります直東直花形花形優勝直準優勝福山第位花形東福山西久松久松福山西西東東直明子明子上下花形上下上下第位久松久松左門左門左門直直福山西西東東明子一徹一徹上下一徹飛馬飛馬久松直東飛馬西大教会長様の大教会内で余り機会がないので是非ブロックごとの親睦を深める会を開いて貰いたいという親心から長い年月計画を練って開催されたのが親善大ソフトボール大会であったなにせ第一回であるため前例とたたき台のない中思考錯誤を繰り返しグランドを確保し用具を揃えルールも大教会独自のものを考え参加するチーム数と時間を考慮してトーナメントを組み何とか当日に間に合うように準備を整えました行事の重なった日にも関わらずブロックチーム人が参加し家族など観客を合わせると人近くの人たちがグランドに寄ってくれました開会式は大教会長の挨拶に始まり競技説明選手宣誓等オリンピックに負けじと時には子供達のあどけなさにユーモアが溢れ時にはプレーに笑いし試合が進むに連れて熱戦が繰り広げられました最後の優勝チームが決まるまで朝まで降っていた雨が蒸気に変わる如く多くの方が大会を盛り上げてくれたように思います大会の目標であった親睦を深めるを大会参加者のみならずうどん焼きそばやきとりアイス等を振る舞ってくれた青年会が特にそれを暖めてくれたように思います閉会式には大教会長様の挨拶及び参加者全員への参加賞が渡され大教会長賞三位準優勝優勝とそれぞれ賞状トロフィーと記念品が会長様より手渡されました尚結果は表前頁の通りです恒例の行事として来年も開催致しますので是非こぞって参加して下さい来年は出来るだけ行事の重ならない日程を選び全ブロックの参加が出来るのを楽しみにしています大会運営実践項目集計月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所委員会として来年更に内容のあるものに出来るよう進めて参りたいと思います最後に沢山の方のご協力とご尽力によって第一回の大会が無事開催出来ましたことをこの紙面を借りて御礼申し上げますありがとうございました大会運営委員会代表上原志郎第期修養科募集要項修養科期間教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目中島誠治大教会役員鶴山分教会長渡邉眞次品治分教会長中村義太郎大教会役員藤本芳久東水島分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散談話室信仰の喜び神昭分教会神予布教所長渡部京子私は母の身上から十二才頃に始めて神様のお話を聞かせていただきました中学三年生の秋母は七人の子供を残し亡くなりました母が亡き後は弟妹の世話をしながら無事に卒業することが出来ました卒業後は苦労して私達を育てゝ下さった母への恩返しは兄と力を合せ四人の弟妹達を義務教育をさす事が母への恩返しと思い一生懸命頑張って居りました私が二十五才の時たんのうと言う身上をいただきました病院に係って居りましたが私は管が入らないのです痩せて足をひこずるようにしてやっと歩ける状態でした三回目の管も悪い所まで届か無いのです辛くて二度と管を呑むことが出来ませんでした助からないのなら行きたいと思っていた修養科に入っておぢばで死ねるなら本望と思い二四六期の修養科に入学させていただきました身上で入学しましたが夜は今川先生の肩をもませていただき朝早く起きお便所掃除をさせて頂きました二年生の時二四六期の一一組を代表して感話大会に出させて頂きました本部での先生方のお話を聞いている時何時も私の事を言って下さっているような気がしました三ヶ月の修養科生活中に色と身上を見せていただきその度詰所主任山野先生からお話を聞かせていただきおさとしもして下さいました神様にお詫びをしますとすぐに御守護を下さるのです何回もくり返す内主任山野先生が若井さんこれを良く見える所にはって毎日見なさいと言って一枚の紙を下さいました人が何ごと言おうとも神が見ている気をしずめと書いたお言葉をいただきましたそのお言葉が心に定り心が救われた時御守護をいただく事が出来ましたその後四国今治で結婚をし息子三人娘一人を授りお道につながり信仰をし現在は神昭分教会の神予布教所を預り一生懸命つとめさせていただいて居ります平成十六年七月六日仕事に行く途中で八十三才のおばあさんを起して上げようと思った瞬間私の骨がポキンと音がしましたそのまゝ救急車で病院に運ばれ腰椎圧迫骨折と言われ一ヶ月ベットに寝たまゝで動く事が出来なかったので大変でした見舞に来て下さる方が皆んなゆっくりと休みなさいと神様がして下さったのだと言って下さいました一番嬉しかったのは長男夫婦が毎日おさづけを取り次ぎに来てくれましたことおさづけを取り次いでくれます時御守護を頂けるのを肌で感じました嬉しかったですお陰さまで早く良くなり八月十三日には退院をする事が出来病院の先生も早く良くなったのでびっくりされ大変喜んで下さいました退院して病院と違い我家の不便さで少し困りましたが半月が過ぎ日一日と良く成り信じられないような御守護を見せて頂き用木信者さま方にも信仰の素晴らしさを私の身上を通して感じ取っていただけた事と喜んで居ります神昭分教会の月次祭に四ヶ月ぶりに参拝させて頂きました十月の月次祭には大教会から会長様の御巡教で教祖百二十年祭の時旬のお話しをして下さいました神様から私にもっと骨を折ってほしいとの思いから身上に見せて頂きありがたいことと受け止めて居ります私の身上を通して感じましたことは四人の子供は用木に成って居りますが次男三男は今は前向きでは有りませんでも長男家族が皆んなお道につながって居りますのできっと長男がお道に引き寄せてくれますと信じて安心致しました長男夫婦は教会の上にも心を使ってくれますし親がお道につながってくれていますので娘の理奈は天理大学息子剛太は天理高校で来春卒業です二人共用木です二人の孫はおぢばの理をいただき毎日をおぢばで過せる事は幸せな孫達と喜んで居ります二男の京介も今年の夏は学生修養会に参加させて頂き大変良かったと喜んで居りました来年もきっと参加したいと言ってくれましたこの度の身上を通してこれほど信仰の喜びを感じた事は有りません信仰をして来て良かったと心から嬉しく思い感謝をした事はありません十一月二十八日別席伏せ込みひのきしん団参に初席者一人でもおぢばにお連れする事が出来ますこと嬉しく思います信仰って素晴らしい明るい心喜ぶ心感謝する心の積み重ねが大切と教えて頂きました嬉しい気持で一ぱいですがんばります誠にありがとうございましたこころの詩大教会だより呉市東濱十三雄さん福順分教会長よりの寄稿です病喜録のうた秋風の通る音して目覚めれば蝉の音静かなごりおしんですさ名月は荒び勝なる闇の世をどんな思いで照らし給うやヒトの世は埃にかすんで見えたとて人生それぞれ美しいモノハッピー幸せ作詩寺下宏一一幸せ昼休みにまたドッチボールしようなもうすぐ年生だもんゆうくんすき二おはよう母さん幸せ塾から帰るとお手伝いするねだいぶ英語を話せるもん三お父さんお疲れさん幸せ明日の日曜キャッチボールお願いね僕イチローファン将来野球選手四おじさん幸せ私スケートうまくなったでしょうまた回転寿司お願いね五ありがとう神様幸せ私の耳大きいでしょうとってもよく聞こえるのよイヤリングつでも大丈夫よ辞令付職制人事布教部部員山野弘実教会指令任命願清嶽分教会前任岡田光夫新任田中幹夫奉告祭承認教会長資格検定講習会修了者前期終講福昭平盛稚浪福東藤井ひろえ錦ヶ原三宅英子本部保安室境内掛亀田山高橋祐吉九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には子供かわいい一条の親心の上から陽気ぐらしをさせようと思召され身体をお貸し下され自由をお与え下されると共に天然自然のお働きを通して生きる喜びと味わいを賜る事は誠に有難く存じます特に今の季節は天高く馬肥ゆる秋とも言われ一年の内で最も実り豊かな旬を迎えさせて頂いております事は誠に勿体ない極みでございます私共は日成って来る姿に思召を拝し朝夕に御礼申し上げつつ生かされている喜びと感謝の心を伝え一人でも多くの人に救かって貰いたいものとにをいがけおたすけの上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡の理にお許し下された月次の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて九月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し親心に御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先日台風が相次いで中国地方を通り過ぎて行きました被害を受けた方が出ました事は誠に残念でなりませんが戦争を繰り返す人間社会を御覧になっての親神様の残念立腹の大きさからすると大難を小難にとお連れ通り頂いて被害を最小限にして下さったように思いますそれだけに尚一層にをいがけおたすけに励ませて頂きたいものとにをいがけ強調月間にふさわしい実動をさせて頂いてまいりました月末には全教一斉にをいがけデーも控えておりますのでより活発な動きにさせて頂く所存でございます又来月は秋季大祭の月でございます各直轄教会での大祭に参拝させて頂きお互いに立教の元一日に込められた親の思いを思案させて頂き改めて教祖年祭へ向けて成人の誓いも新たにし三つの実践項目の実施はもとより年頭の心定め完遂目指しての歩みを推し進めて行く覚悟でございます何卒親神様には世界一列救けたいとの親心に応えるべくよふぼくとの自覚を高めたすけ一条に邁進する皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に親心溢れる自由の御守護を賜りまして未だ道を知らぬ人も一人でも多くこの道にお引き寄せ下さり教祖年祭にふさわしい心の成人の姿をお見せ頂きますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます本部食堂ひのきしん海松ヶ岡宮崎智司去る九月二十五日午後三時頃うっとうしい雨雲が久しぶりに晴れた少しむし暑い日だった雲が切れた北の空に巨大な地震雲が東西に一直線に走っていた昭和四十年代だったと思うが奈良市に鍵田市長が居たこの人は地震雲の研究で有名だったが当時は自然現象の異変ナマズの行動その他の動植物の異変など気象庁や学者は一切認めておらず鼻の先でセセラ笑っていた時代である私は鍵田秋季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家御先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊大教会草創の頃より歴代会長と共にご苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖のお見定めとお引き寄せを頂かれ早くからこの世界たすけの道をお通り下さいましたしかしてその道中は決して楽の道ではありませんでしたいくら無い命助けて頂いた御恩報じだから又子や孫への徳積みだからと言っても衣食住に不自由するだけでなく世間からは蔑まされる等我身思案を捨てまさしく教祖ひながたをたどるがごとくお通り下さいました今日のお道の結構な姿をお見せ頂きますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜であることは申すまでもありませんが又一つには御霊様のそうした真実の伏せ込みの賜でございます私共も信仰の元一日を振り返りその思いに少しでも近づきたいものと朝夕に御礼申し上げつつ届かないながらも日たすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも本日は秋の霊祭を執り行う定めの日柄でございますので御前に旬の草の物を供え改めて御霊様方のお通り下さった道程をたずね御遺徳を称えたいものと参来集うゆかりある人と共に只今はおつとめ奉仕者一同親神様の御前にて手おどりをつとめさせて頂き引き続き御霊様方の御前に参らせて頂きました皆の真実の姿を御覧下さいまして祖霊様方にもお喜び下さればと存じますさて今お道は教祖百二十年祭に向けて成人の歩みの道中でございますが三年千日と仕切っての中間点に当たり地震大風水つきを通して親神様から大変厳しいお仕込みを頂いておりますもちろんこれは争い事を止める事の出来ない人間への残念立腹の姿ではありますが一方で成人が遅として進まないよふぼく一人一人への思いであるとも受け取れます御霊様方がつけて下さったこの道を引き継ぐ私共よふぼくはその御遺徳に恥じないようたすけ一条に邁進させて頂く覚悟でございます何卒祖霊様方には皆の真実誠の心を御覧下さいまして教祖年祭にふさわしい成人が出来ますようお導きお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます市長の本を読んで面白いと思った要約するとその雲の先端から先で五日十日後に地震が発生するというの確率ではないが比較的高いという私は四十数年前から野外活動をやってきたが欠かせないのが観天望気である故にたえず空を見上げる癖があるこれが実に面白い空が雲が月が木が野鳥が虫達が語りかけてくれるからであるそんなことからヒヨイと見上げた空に地震雲を見たのである地震が発生するしないはさておき近年地球は狂ってきたいや人間が狂わせたのだ地球上各地の異変天災人災は目を覆うものがある人間の傲慢もこヽまでくれば天の鉄槌が降りるのは当然であろう地震雲を目撃してから日後の月日はたして地震が発生した関東地方茨城県南部埼玉県南部に震度弱が起きた雲の位置から約先にあたる地震雲と地震の因果関係あなたは信じますか信じませんか
かさおか

『かさおか』第43巻 第9号

いほみやこわが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり初代様直筆の短冊ひろさと分教会所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次学生生徒修養会高校の部さる月日から日までおぢばで立教年学生生徒修養会高校の部が開催され全国から名笠岡から名男子名女子名の学生が受講しました開催前日の係員結団式にご臨席された真柱様は受講生が親神様の思召教祖の教えを少しでも分かるように布教の心で与えられた役目を一所懸命精一杯心揃えてつとめ学生が来てよかったと思って帰ってくれるようにとお言葉を下されました笠岡から参加した学生の感想文を掲載させていただきます回生男子いろんな仲間と出会って楽しかった日本中に友達が出来た感動した夏一番の思い出になった来年も行くぞー回生女子最初は不安だったけどすぐ友達もできて最終日は帰りたくないって思ったみんなすごいイイ人ばかりだったので良かった来年も行けたらいいなー回生女子朝時分起きがしんどかったケド楽しかった友ダチいっぱいできました回生女子昨年と違った楽しさがたくさんあった沖縄から来た人もいていろんな所へ友達が出来て嬉しかったたくさん問題もあったけどその度みんなで話し合って解決したりしてとても良い体験が出来た回生男子回生は今までの回生とは違い人数も男女合わせて人レクチャーも教典中心でおてふりの練習メインイベントは下りと少しおカタイ印象がありましたが非常に密度の濃い一週間でした皆と一緒に歌ったり騒いだり踊ったりしましたでも楽しいことばかりなくてシリアスな面が多いのも回生でしたけっこう皆悩みや身上を抱えてたりしてました過呼吸の子がいたりしてシリアスな話をするときはハラハラしましたでもそんな話をすることで皆が互いにわかり合うことができさらに絆が深まりましたその分別れは辛かったけど実践項目集計月百万軒にをいがけ軒再会出来ることを信じてこれからの日を頑張っていこうと思いますありがとう学修もっと頑張ります学修サイコー陶山名東城名湯田原名神昭名美之郷名芦品名稲倉名西伯名川島郷名吉舎名学生担当委員長吉岡誠一郎おさづけのお取次回身上事情お願い件提出教会ヶ所第回少年会野外練成会青年会新入会員研修会少年会笠岡団中島誠治団長では八月二十二日から二十四日二泊三日の日程で島根県浜田市の石見海浜公園キャンプ場で第十回サマーキャンプを開催しました開催に際し当初台風の接近が心配され又学校の登校日と重なる等で参加人数が心配されましたが少年会員十一名カウンセラー六名スタッフ十五名と総勢三十二名もの方が参加下さいました出発に当り大教会長様より私達は自然の中で生かされ自然に護られている事を勉強して頂きたいとお言葉を頂き天災地変の頻発する昨今自然に対する感謝の気持ちが薄らいできた私達への親神様からの警告である事を再確認させて頂き心引きしめて出発させて頂きました今回のキャンプは青年会女子青年のスタッフの協力を頂き大学生高校生のカウンセラーも充実しキャンパース一人くに目の行き届いたキャンプをさせて頂く事が出来たように思います危険な状態になったらすぐに引き返して来る様にと出発前大教会長様も御心配下さいました天候でしたが途中雨が降ったり風が吹いたりと急遽スケジュールを変更する事もありましたが貴重な体験をさせて頂きながら料理コンテスト海水浴お楽しみ行事焼杉クラフトなど全日程を無事つとめさせて頂く事が出来ました開催に当りましては大勢の皆様方のお力添えを賜わりましたを事を心から御礼申し上げます少年会副団長北川治史楽しかったキャンプ稲倉分教会小五北川真生八月二十二日から二十四日にかけて島根県浜田市のキャンプ場に行きましたお姉ちゃんが前キャンプに行って浜田の海のことや水族館のアクアスのことをいろいろ話してくれていたのでウキウキしていました行くときにニモのを見ましたそして友達とおかしを食べながら行きました楽しかったので回もねませんでした着くまで時間もかかりました島根に着いたらすぐに荷物を運びましたいろいろ運んでいると島根の人も来ましたぜんぜん知らない人でもすぐ仲良くなれました夕ご飯はビーフカレーでした班のみんなといっしょに作りました作るのは楽しかったけどビーフカレーは水を入れすぎてさらさらになりましたご飯は水が少なすぎてかたくこげてしまいましたでもみんなで作ったビーフカレーとご飯はとてもおいしかったです片づけもみんなでしましたご飯がこげてしまったので片づけはとても大変でしたそしておつとめの後夜のつどいで一番にがてなスピーチにあたってしまいましたご飯の準備の時に友達とスピーチの練習をしていたからかなあと思いましたドキドキしたけれど練習していたのでなんとかしゃべれましたその後はお楽しみ行事でナイトウォークをしました真っ暗の中を歩いたけど七人で歩いたのでこわくなかったです雨がふりそうになったのでテントは中止になってログハウスでねることになりました去年のキャンプでテントでねて虫が入ってきたので今年は安心してねることができましたそして二日目の朝とても早く目が覚めました雨はふっていなかったのでみんなで海岸のゴミ拾いをして朝ご飯をまたみんなで作りました二日目はうまくできたのでおいしかったですその後はまちにまった海に入ることができました係の先生がおもしろかったのでとても楽しかったです昼からは大雨になったので海水浴は中止になって焼き板作りをしました初めてしたけど上手にできたので私の部屋にかざっています夕ご飯は料理コンテストで私たちはハンバーグを作りました味の点数は一番でみんな食べたいと言ってきたので少しあげました最後の日は雨が今にもふりそうだったので早く帰る準備をして水族館のアクアスへ行きました白イルカのショーを見ました今年のキャンプに参加していろいろ大変な事もあったけど楽しいことがいっぱいあったのでまた来年も参加しようと思います祝笠岡人間になる神昭分教会渡部理奈七月半ば島根の余村君からキャンプにスタッフとしての参加のお誘いがありました楽しそうだとは思ったのですが私は笠岡の行事に一度も参加した事がなかったので最初は迷いましたしかし余村君も参加すると言うので笠岡に繋がる良い機会だと思い私も参加させてもらうことにしましたキャンプ当日大教会に集合して早速友達ゲットです会長さんが同じ教会から参加の女の子とスタッフの女の子を紹介してくれました二人ともすぐに仲良くなれました少年会の先生たちも怖い人だったらと心配していましたがどの先生もすごくいい人で面白くて安心しましたキャンプが始まり私は本部スタッフにあたりました私は子どもが大好きなのですが直接子どもと関わるカウンセラーじゃなかったので内心あんまりノリ気じゃありませんでした今だから言えることですけど笑私の仕事は主に本部班の先生たちの食事作りでした初日は先生たち十七人分のカレー二日目は朝にみそ汁と昼には参加者全員分のおにぎりと焼きそば三日目はすいませんサボりました笑食事作りも楽しかったです二日目は朝から海水浴でした私はカメラ係に任命されジャージを捲り上げて足だけ海に浸けて撮っていましたしかし波が結構高くてジャージがびちょびちょに濡れてしまいあまりにもみんなが気持ち良さそうだったので開き直って服を着たまま海に入りました人生初の日本海は最高でした夕方子供たちは班ごとに別れて料理コンテストの料理を作り始めましたどの班もみんな上手に作っていてめちゃくちゃ美味しかったですが大変なのはその後でしたみんな作りすぎ残った物は本部班が食べていたのですが先生たちは私が大食いだと勘違いしたみたいで笑やたらいろんな物を持ってきてくれてしかも私は全部食べておかげで本部班の夕食のバーベキューはほとんど食べれませんでした笑でもどれも全部美味しかったですみんなごちそうさまでしたありがとう最終日は水族館に行きました久しぶりで白イルカのショーも見れたしみんな楽しそうだったので良かったです分かってくれたと思いますが三日間本当に楽しかったです雨が降って雨宿りの場所を求めて走り回ったりどろだらけになったりしたけど自然の中で生活してるって感じがして逆に良かったと思います子どもたちとも仲良くなれたし誘ってくれた余村くん感謝ですそしてお世話して下さった先生方本当にありがとうございましたこれからも積極的に笠岡に繋がっていきたいと思います子供達の笑顔に支えられて新山邑分教会三島知佳子月日から日まで私達は島根県にある石見海浜公園に行ってきましたその頃島根には台風が接近していていったいどんなキャンプになるのか不安な気持ちも抱えつつ日朝大教会を元気に出発しましたしかしキャンプ場に到着したらやっぱりくもり空着いたらまず今夜自分達が寝るテントを立てるはずも強風のため中止しかし気を取り直して夕食のカレーを班ごとで作りみんなでおいしく食べました日目はカンカン照りとはいかないけど晴れのご守護を頂いてみんなでおもいっきり海水浴を楽しみました日本海は遠浅ですごくきれいな海でした波も大きくて海水が鼻に入って泣いている子やおぼれているんじゃないかと周りをヒヤヒヤさせるバタフライをしている人とか砂にうもれている人とかいろんな人がいて本当におもしろかったですでもお昼からはお天気も崩れてしまい結局泊日のうち泳げたのはこの日目の午前中だけでしたこの後は焼き板をしたり料理コンテストをしたり最終日には撤収をして水族館に行ったりと本当に盛りだくさんの楽しいキャンプでした期間中雨が降っても子供達が退屈しないようにと色なプログラムを考えたりもしていましたでも子供達は雨なんてものともせず濡れるのなんておかまいなしに自分達の見つけためずらしい虫に夢中になっていたりボールひとつでずっと遊んでいたり私達大人が与えたプログラムよりずっと楽しそうにしていました出発前に育成会長様は自然の力とは恐ろしいものですでも安全にルールを守れば私達に色なものを与えてくれますと教えて下さいました周りの人から見れば雨ばっかり降って大変だったねえと言われるかもしれませんが子供達のとてつもないパワーと笑顔のおかげで親神様のご守護をいっぱい感じることのできたよろこびいっぱいの最高のキャンプとなりました本当にありがとうございました月日から日までの泊日間英語講習会を開催させていただきました今回も昨年同様に天理教語学院からアンディ富澤氏を講師に迎え短期間ながら中身の濃い充実した講習会だったように思います参加者数は受講生名係員名でした今回の英語講習会で特に印象的だったのは講師のアンディ先生に講話をしていただいたことです先生はアメリカのロサンゼルスで天理教布教師の子供として生まれながらも荒れていた少年時代のことや無理やり入学させられた親里高校留学中に人いたロス時代の悪友のうち二人が射殺され人が刑務所に入ったことなどを赤裸に語られましたそしておぢばで教祖のお膝元で温かい空気に包まれ世界助けのよふぼくとして生まれ変わって行った様子を受講生達にユーモアを交えながら伝えて下さり私たち係員も大変感動いたしました講話は日本語でされましたのでもっと大勢の人に聞いていただきたかったと痛感しましたでは参加者名の感想文を御紹介いたします尚名前は講習会中に使ったニックネームですステファン才女子福芦レッスンについて学校より実践的な英語が習えると思いました初対面の人と話すときの自己紹介は特に大切だと思いましたまた各自で考えた自己紹介を食事の後やゲームなどでどんどん使うことが良かったですパソコンをレッスンに使いましたが自分の発音が正確にチェックできて良かったです生徒も楽しそうでした講師のアンディは日本語もペラペラだったので緊張せず話しやすかったですひのきしんやおつとめはまじめにできましたかできましたでも初めての子が多かったので少し難しそうでした講話ビデオ岡山教区の真実届くインドカルカタはどうでしたかアメリカでの生活海外の人から見る日本の印象を聞けたのが良かったですビデオではとても貧しい生活なのに子供たちがみんな笑顔だったのが心に残りました社会見学倉敷ライフパーク瀬戸大橋ゲーム映画タイムラインはどうでしたか全員での英語ゲームはとても楽しかったです映画はつい見入ってしまいました夜食に出していただいた手作りピザは最高においしかったですこの講習会に希望することがあれば書いてくださいスタッフの方にも本当によくしていただき受講した女の子たちとも仲良くなれ英語も習えるとても良い講習会に参加させていただきましたもっと多くの学生にも知ってもらいたいと思いました本当にありがとうございましたリコ中女子直轄レッスンについて少し分からなかった所があったけどていねいに教えてくれたのでよかったですゲームもいろいろやって楽しかったです同じグループに年生は私だけで後は年の人ばかりだったけど英語のゲームで勝ててとてもうれしかったです発音はたくさんダメな所があったのでやっぱり発音のしかたがちがうんだなと思いましたパソコンでもいろんなゲームができて楽しかったですでも最後の結果がグループの中で位だったので少しくやしかったです講師のアンディはとても話しやすかったしゲームも楽しかったですまた来年も来てほしいなと思いましたひのきしんやおつとめはまじめにできましたかひのきしんでは部屋を掃除したりろうかをモップがけしたりできてうれしかったですおつとめはまじめにできたので良かったです講話ビデオ岡山教区の真実届くインドカルカタはどうでしたかアンディの講話を聞いてアンディは昔はこんな人だったんだなあとか思いましたが今の姿を見ると昔がそんなふうだったとは信じられませんでしたビデオはインドの方に洋服を持って行ってあげている話で世界にはもっと助けを必要としている人がいるんだなと思いました社会見学倉敷ライフパーク瀬戸大橋ゲーム映画タイムラインはどうでしたかライフパークでは全周天映画のタイタニック号の秘密を見ました画面が縦に動いたり横に動いたり上下に動いたりしたときはすごくきもちわるかったですでも本物のタイタニック号がしずんだあとが見れてよかったですみんなとのゲームはとても楽しかったですこの講習会に希望することがあれば書いてくださいもう少し女性の方が多くても良いかなと思いました以上よくお分かりいただけるように少しだけ加筆しましたがほぼ原文のままです講習会期間中は大教会長様を初め奥様前奥様役員先生御婦人方青年さん教会内の皆様方には暑い中大変お世話になりましたありがとうございました海外部員香取雅人青年会全分会布教推進週間去る八月二十九日により九月五日迄毎年恒例の全分会布教推進週間として各ブロック各教会において布教を啓蒙する活動が展開されました福山ブロックでは期間中毎日午後七時より福山駅にて神名流し路傍講演が行われました高屋ブロックは毎年恒例になっている老人ホームきのこ荘での清掃ひのきしんを行いその後はブロック内の親睦会としてバーベキューをして皆が語り合いました島根ブロックでは亀田山分教会に皆が集合して神名流しに汗を流しました久松ブロックは教会の祭典前夜に集合してパンフレットを配布しその後教会に戻って親睦会を開きました上下ブロックでも日曜日の朝に集合してパンフレットを配布しました府中市ブロックでは府中市分教会に集合して教会周辺で神名を流しました直轄ブロックは笠岡駅周辺での清掃ひのきしん神名流し等を予定しておりましたが台風十六号で岡山県沿岸部が高潮の被害に遭い災救隊の応援という形に急遽変更しましたまたキャラバン隊を編成して輝美濃天理明石市を周って会員さん方と共に活動し親睦を深めました全分会布教推進週間は教祖百年祭後の青年会活動の主軸として行われるようになった様ですが二十年前はともかく現在の一般会員さんにはこの活動の主旨を理解して参加していただくにはいささか困難なのではと感じております笠岡分会としましては青年会本部からの打ち出しを出来るだけ忠実に実行することを心掛け尚かつ諸教会の実状にそぐうような活動になるよう努力してまいりましたしかしまだまだ改良の余地は残されておりますこの布教推進に限らずご意見ご感想をいただき真に意義のある会活動にしていきたいと思いますのでご指導ご鞭撻下さいますようお願い申し上げます青年会委員長佐藤真孝青年会キャラバン隊今月の末には全教一斉にをいがけデーもありますがそれに合わせて今月はにをいがけ強調月間として定められていますその先陣を切って青年会では布教推進週間を設けさせて頂き全国各地で若きあらきとうりょうが神名を流しその中で笠岡分会では八月二十九日より三日間キャラバン隊を出動し岐阜市奈良市明石市と神名流し路傍公演戸別訪問パンフレット配布に清しい汗を流しました二十九日のにをいがけおたすけ実修会要員研修会を終えた後先ず岐阜市へ向けて出発して着くまでの間車中では路傍公演等の話で熱く語り合っているうちに夜七時頃に岐阜市へ着いて輝美濃分会委員長の谷内秀自氏を先頭に駅周辺より繁華街へ神名を流し又車中で熱く語り合った路傍公演を人通りの多い所でさせて頂き岐阜での布教を終えさせて頂きましたその後輝美濃分教会長様より親心を頂き教会で宿泊させて頂きました夜には親睦を深めたその中で弟の幸司氏より明日の仕事を休んでまで奈良での布教に参加したいと申し出てくれてキャラバン隊一同胸を熱くし明日への思いを深めました早朝よりおぢばへ向かい詰所にて学生会員五名と合流して奈良駅へと向かいました近鉄奈良駅まで神名を流しその場所で路傍公演を先ず委員がしその後学生さんにマイクを譲りパンフレットを配っているうちにふと学生さんに目を向けるとマイクを外して地声で一生懸命路傍公演をして下さっていました私達委員はその姿を見て尚一層パンフレット配りに力が入りました熱が冷めやらぬうちに戸別訪問へ移り内心学生さんには戸別訪問への不満が出てくるかと心配していましたがそれとは裏腹に学生さん自ら積極的に勇んで戸別訪問をして下さいましたその学生さんの勇み心を引き継いで明石市へと車を走らせました丁度台風一六号が接近しており到着した時には強風となっていましたが明石市分会委員長の杉原善郎氏を先頭に住宅街近くまで神名を流しパンフレット配りをさせて頂き又明石市分教会まで神名を流し明石市での布教を終えさせて頂きキャラバン隊の全日程を終えさせて頂きましたこのキャラバン隊の全日程を通し思っていた以上の成果を頂き帰ってからキャラバン隊に参加できなかった方と喜びをわかち合いました学生さんはもとより各教会長様には多大なるお力添えを頂き誠に有り難うございました青年会副委員長淺野明教布教推進週間皆さんは布教推進週間という青年会の行事をご存じであろうか毎年月の第一週目前後に各分会青年会で布教活動を挙って行うあれであるたとえば不揃いの服装で南無天理王命と書いてある紫のノボリを上げて拡声器を用いて決して聞いていて心地良くは無い歌声を町中に響かせて練り歩くアレである一年にたった一度だけ青年会の委員をさせて頂いてるので毎年いろんな町へ行って声を張り上げていますがいざ自分の町に一人でしようものならと言うか一人では絶対に出来ないような怪しい行事です毎年こんな怪しいことをするのに何故か熱心な若者が参加してくれます何が良くて参加するのか分かりませんがこの行事を通して参加者は何かをえているようですそれが何かは分かりませんがしかし今この行事を進めるうえで現実的な話として全分会に浸透していないという事があります信仰的に成人の度合いが違う以前にいろんな考えの人がいますからこういう事が苦手な人一体こんな事をして意味があるのかみっともないマネはいっそ止めたら良いのに逆効果ではと思っている人もいますまた教会としても青年会の存在が無い教会は沢山あります布教の場で成果は求められませんが自己満足の世界では無いだろうかと思うこともありますしかも今各会や横との連携を取ってと言っているのに今月末の全教一斉にをいがけデーとの関連はほとんどありませんかといって私は何もしていませんが話は変わりますが私たちのブロックでは青年会の委員長交替の総会をこの春に執り行い心機一転新委員長の下先輩先生方の期待を受けながら会活動の充実を目指して微力ながら邁進して参りました交代後初の布教推進週間に向けて例会でこの行事の計画をして呼びかけをして来ましたブロック行事として日に夕方集合して神名流しをしその後懇親会をさせて頂きました貴重な時間を裂いて参加して下さった約名の会員の皆様ご苦労様でした書面では失礼ながらこの場で門脇裕教新委員長に代わり御労い申し上げますこれから益関わり通して若い人のにぎやかな盛り上がりを作り上げて行きたいと思います青年会員はあらきとうりょうとして教えを押し広める役目がありますこういう行事を通してお互いを切磋琢磨して成人させて頂きいつかたすけの現場でお使い頂ける人材とならせて頂きましょう青年会委員本多正悟談話室こどもおぢばがえりを振り返って品治分教会長渡邉眞次第五十一回こどもおぢばがえりも無事に終った昭和三七年から途中身上で三回休んだので今年で三九回参加させて頂いたことになります縦の伝導部員の時当時は列車でしたので大教会として全体をまとめていた一番大きい団体は千五百人位のお世話を部員一同でつとめさせて頂いた事もあった当時は迷子が多く他の教会の子は全解らないのに迷子になったのでさがして下さいとか福山の駅で三秒の停車時間に降り遅れて松永の駅迄一人行ったこともある引率者として福山迄帰ったのに事情を話すことのつらさも味合った一人でも多くと徐に二十人四十人と殖えて来た子供団参だけが賑やかだったので批判された事もあったけど三十万人達成をの声が掛ったのもその頃でした何でもいい頑張ろう募集は自転車や洗濯物を見表札に名前の多い家へ声をかけ効率良く廻った学校帰りの子にチラシを配ったり切りが来ても来年の事考へて歩いた子供は一人出来ると友達が出て三人になったりする一人決まれば三回も四回もその家へ運び又済んだ後も一通り運ぶ末っ子が教壇へ立って募集してくれたり六八名出た時等大人は大変しんどいしかし子供の喜ぶ姿に救われる疲れはあるが喜びの方が勝っている学校の先生をしている子供をお連れした時大勢良くお世話が出来ますね私達は修学旅行で生徒を連れて行くと帰って三日位寝ますと言われたおぢばへ帰るのは親神様が守って下さるとの信念から何十年もお連れ通り頂いて来ました最近では自動車が多く個の団参となった迷子落し物忘れもの身上になると来年から出ないのが普通その点細心の注意が必要です今年は四年生の孫が六人二年の女の子が一人誘い新しい子が殖えたその子達が来年も行くと帰ってすぐ親に言ったそうです天理に住みたいとも言う子がいたパレードは毎年心踊る思いですが初めての子にパレードがあるよと前宣伝していたがちょうど台風であきらめていた詰所のロビーで口惜しい思いを話していたらパレードあるよ神村会長さんから聞いてそれ急げとパレードへ出発したその喜びは子供の顔で解る久松として百五十名位出た事もあった小学一年から中学三年迄出た子の中に私達が友達を誘うから鼓笛をしてと今考へると勿体ないことをしたと思う単一教会では費用の事と指導者がいない私は相当な音痴で自信はなかった例年通りしこみ伏せ込みに重点をおきお楽み行事と帰りは大阪自然博物館見学少年ひのきしん隊に自ら参加してくれた事も嬉しい事の一つでした今年も無事帰ってタスキを干しているのを見て安心と喜びを感じる熱の冷めない間におとまり会をすませました最後になりましたが毎年尊いおぢばの親心を頂き誠に有難うございます又関係する皆様の心強いお力添えに心からお礼申し上げます私の若い頃の信仰呉福分教会長佐藤昌平早く書かねばと思い乍らテレビを見る台風十六号が襲来する様子がテレビで放映される其の地球の姿は小さいがとても美しく感じた地球の中はどうなってるかと考へる中身はマグマ火山爆発で地震が起きる津波が発生して世上が混乱する永い歴史を知る限り人間は天災と人災で苦労に耐えて生かされている不思議な世界だと思案する一時である其の世上に生を受け昭和十八年四月大東亜戦争終わりに近い頃東京神宮で学徒動員がありお国の為に勇んだ姿が浮かぶ其の頃飛行機作ってくれと云われて私もお国の為にと飛行機の生産に従事致しました昭和二十年四月東京大空襲と共にの大梯団の襲来に依り工場は壊滅となり終戦を迎える昭和二十一年九州の砿山え就職石炭生産に従事戦後の日本復興は石炭からで有る事は事実である地下に眠る石炭は三尺層と六尺層が見事な黒ダイヤである現時代は石油に変わった資源も有難く感謝致すのですが其の石炭生産に従事して三年目に胸の痛みにふと心が雲り病院でレントゲン撮って頂くやはり肺結核であったショックである当時薬もなく只心の世界を進む外はない時代で藁をも掴む思いであった贅沢病と云っても食べる物に事欠く時代で仕方なく働かざるは喰ふべからずで配給もわずかであるから山野を歩いて食べる物を探していたものである其の頃に天理教の布教師に出会いました貴男は息づかいが悪いようだが身上なら私の所えおいでなさい拝んでてをどりを修養する事に依り直りますよと云ふ事に引付られて尋ねて見た色のお話の中に感じただめの教えおつとめの理心定めが第一や人をたすけて我身たすかるは神様の至上命令であると思案する我身は薬のない病気である事に気付いたのである先生薬を呑んでいない私は拝むだけではたすかりませんので何か私の出来る事はありませんかとお願い致しましたそんなに云ふなら布教所に今事情が一つ有るが解決する為の保証人になってくれと私は心良くお受け致しました先生はとても喜こんで下さいました信仰するに当り御守護を頂く上に心定めが第一やと申される心定めを致しました一つは三年の住込みひのきしんと日が生涯の心に徹して将来教会設立を目標として成人の為に先生ににをいがけ実修に同道して御指導の道のりを頂きました当時の結核患者さんは家で療養されている人が多かった様に思います先生の神様のお話おさづけのとりつぎに心勇んで来る人先生もっと早く神様の話を聞きたかったと云われる人出直しの話に明かるい顔になる人今も其の顔は忘れられません昭和三十年十月二十七日おさづけ拝戴しんぢつにたすけ一ぢよの心ならなにゆハいでもしかとうけとる三号こころの詩養徳社発行陽気誌九月号道柳より転載今回の課題は達撰五十七句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠芳阪布教所長夫人杉原優子まことおたすけの達人曰く真実のみ新友芦方布教所長子弟金谷眞佐代ありがたや道の先達あればこそ呉市東濱十三雄さん福順分教会長よりの寄稿です病喜録のうたあちこちで異常気象が続いてるなぜか地球も病んでいるのか始まったアテネ五輪の水しぶき観てるまにく元気頂き透きとおる空を見上げてつくぐと己が心の狭さ思える油木町黒瀬修弍さん油木分教会長よりの寄稿です川柳夏の思い出やせ我慢すれども我が先にばて蜂させどふくらむ腕の嬉しけり腕ずもう勝って嬉しや夢の中此の夢に希望託して今日も生き諦らめず勇んで待とう神の守護茨木市寺下宏一さん鶴眞分教会長よりの寄稿です吹く風に詩かくしん一人の世の暮らしの中の風の音さむさにふるえ耐えた日は涙もかれた日日でした道の教えに導びかれ風のあらしはすぎゆきておだやかな今つたえたい二見えない風のなやみし昔自分の心につとめ手振りに風よ風よ音寒くやまいありて何かをもとめひのきしん吹けよ今日も三熱い風の中おぢばがえりに共とすごした教えの中に皆んな仲良くたすけあい土持のさわやかな風ひのきしん親えの孝心は天えの孝心さわやかな風吹いて心すずやか原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますくら親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護のまにく日は結構に恙なく生活させて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら月日両神とお聞かせ頂く天然自然のお働きが親心の現れである事を知らずあたりまえとの思いから謙虚さと感謝の心を忘れて我身勝手な心で生きる状を残念と思召され反省を促す上からか今年の夏は日本のみならず世界各地で猛暑と水害に苦しむ姿が多く見受けられ今なおその苦しみが続いておりますことは誠に申し訳ない次第でございます早くからこの道にお引き寄せ頂いた私共は少しでもその理がわかり喜びと感謝の心を思い起こし陽気ぐらしへの第一歩を一人でも多くの人に歩み出して貰いたいものと日は朝夕に御礼申し上げ自らの心の掃除をすると共に三つの実践項目等を通してにをいがけおたすけの実動につとめ励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は八月の月次祭を執り行う定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心を一つに睦び合って明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には残暑厳しい中も厭わず寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年の子供おぢば帰りは台風の影響でおやさとパレード等一部の行事に支障がありましたが大きな事故怪我もなく仕込み伏せ込み行事お楽しみ行事と喜び一杯に参加させて頂き皆それぞれ心に陽気ぐらしの種をお土産として頂戴致しました又引き続き高校生が学生生徒修養会に参加させて頂きました誠に有難うございましたこの上は戴いた種が大きく芽生えるようお泊まり会や今後行われる英語講習会野外錬成会等を通して丹精させて頂く所存でございます更には又来月九月はにをいがけ強調の月とお声を掛けて頂いておりますそのお声に応えさせて頂くべく今月二十九日にをいがけおたすけ実修会要員研修会を開催させて頂き尚一層の勢いを心に植えつけてにをいがけ強調月を足掛かりに教祖年祭に向けより勇んでたすけ一条の実動に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には年祭に向けての皆の勇み心をお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜り人の心がおぢばへと向き一列兄弟の理に目覚めて共に喜び合う年祭の姿になりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先秋季大祭おかえり講話日会講時場師月日月午後時より笠岡詰所北棟階講堂伊藤正和先生幅下部属愛知旭秋季大祭詰所受入ひのきしん期割間月日昼食日昼食まで当各ブロックより名本部青年会総会一年に一度真柱様が青年会員に対し我の歩むべき道筋をお示し下さいます暗中模索し混迷する時代確かなる親の声に耳を傾け一年の指針にしようではありませんか式典月日水午前時本部中庭前夜祭月日火夕つとめ後東西泉水プール前広場笠岡分会出店予定おやさとふしん青年会ひのきしん隊今年はひのきしん隊結成五十周年の節目の年です十一月隊は南右第二棟の瓦葺きに携わる予定です我青年会員は人様をひのきしん隊にお誘いし共に入隊してそのお世話取りを通して教会に携わるものとしての資質を養おうではありませんか期間資格費用申込み内容月日月月日水歳以上の男子各ブロックが負担します月日迄に大教会淺野へ御連絡下さい別席基礎講座伏せ込みひのきしん婦人会委員部長後継者講習会期日月日祝別席伏せ込みひのきしん団参期内日月日日容別席基礎講座伏せ込みひのきしん各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください大教会だより第七五八期修養科修了者修了笠岡谷本時治髙屋重政正男神邉猪原崇史芳井本名晴三服部若井善仁笠尋三嶋達也米美宮本美奈子教会長資格検定講習会修了者後期終講上小畠田中慎一郎直属ひのきしん特別隊亀田山高橋祐吉訃報池平定子姉錦ヶ原分教会前会長八月二十日出直されました享年九十九才昔から彼岸花が好きだ今を盛りと群れ咲く紅の花を見続けながら何時しかハンドルを握っているのを忘れる程空想に耽った田んぼの畦道は言うに及ばず神社の石鳥居古びた墓所壊れた土塀日本の原風景と言うか彼岸花にはそういうものを彷彿とさせる何かしらノスタルジックな雰囲気がある教典に或る年の秋祭の日に村の娘たちが今日を晴れと着飾つて嬉としているのに娘盛のこかんは晴着はおろか着更さえもなくて半分壊れた土塀のかげから道行く渡御を眺めていたとあるこかん様の足下にもきっと咲いていたに違いない私の世代は中学校に入ると誰しもが華しいウィンカーを装備したスポーツ自転車を買って貰ったが小学校の卒業式の帰り途母が言ったお利口ぢゃけぇ新しい自転車は要らんなぁ私は思わず頷いた自分ではよく覚えていないが中学校入学当時の亡父の日記には何が気に入らないのか帰宅すると直ぐ二階に上がって顔を見せないと牛乳配達の小父さんが乗るような頑丈な自転車を役員先生が真緑に塗ってくださった私は中学校では緑ちゃんと呼ばれ誰よりも早く登校するようになった壊れた土塀の下には色褪せた彼岸花が咲いているその奥に顔を半分だけ覗かせて道行く渡御を眺めている我が娘の顔を想像してみた悲しい程ロマンチックな花だ
かさおか

『かさおか』第43巻 第8号

初代様手縫の土瓶敷芳井分教会所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次記録的猛暑の中もこどもおぢばがえり開催今年も恒例のこどもおぢばがえりが月日から月日までの日間に亘って感謝よろこびひのきしんのテーマで開催されました今年のトップは日に髙屋団体が列車で帰参しました先に到着した鼓笛隊が詰所広場で演奏して団体を迎えましたまた日から月にかけて福山島根久松上下府中市直轄などの教会がそれぞれバスや自家用車などで帰参しましたこどもたちは連日の猛暑の中も元気よくいろいろな行事に参加したり夜は詰所の中庭で開かれたゲームや模擬店を楽しみましたまた直轄福山髙屋島根の各むつみ鼓笛隊は日頃の練習の成果を親神さまおやさまにご覧いただきオンパレードでは髙屋鼓笛隊が統率された行進と迫力ある演奏により見事金賞に輝き他三隊も一手ひとつの演奏により銀賞を戴きました受け入れ側の詰所ではこども達が喜んでくれるよう部屋の掃除や晴れた日のふとん乾しトイレのそうじ食堂風呂などの大掃除などたくさんの宿泊者にそなえ準備のひのきしんに大わらわでした今年も多くの人の真実により大きな事故もなく無事にこどもおぢばがえりは終了しましたなおおぢばは期間中に全国各地から万余の帰参者で連日賑わいました回目の子どもおぢばがえり年定光祐美私は今年でおぢばがえりに参加するのは度目です今年は小学生最後の夏休みなので今までよりもとても楽しみにしてきました当日私は楽しみで大天理教に行きましたそして参拝をしてバスに乗りこみましたバスの中では朝ごはんを食べてなかったせいかいつも以上におかしをたべました本部につくとまずきょうふのやかたに行きました私はあまりおばけやしきなどがすきではなかったのですっごくドキドキしていました入ってみると思っていたよりもとってもこわかったですでも入ったあとにもう一度入りたいなと思いましたそしてとなりで少しあそんだりしてつめ所に行きましたそれから夕食などをすませてからおやさとパレードを見に行きましたとってもすごかったです次の日は楽しみな行事がたくさんあります私が特に楽しみにしていたのが買い物です私はその買い物の時間をいまかいまかと楽しみにして行きましたそしてプールに入ってやっと買い物の時間がきました買い物では友達や家ぞくへのおみやげをたっくさんかいましたでもその日は楽しいことばかりではありませんでしたつかれたこともありますそれは回ろうひのきしんです回ろうひのきしんでは板がたくさんあったのでとってもつかれましたその日の夜には中庭でお楽しみ行事がありましたそしてその日は土居なっちゃんのたんじょう日みたいだったのでみんなでおいわいしましたケーキも食べましたおいしかったです日目おぢばがえりの最後の日その日はにん者村に行きましたにん者村へ行った後は服がすっごくぬれていましただけど気持ちよかったですそれからミュージカルを見た後にカレー食堂に行ってカレーを食べてバスに乗りこみましたぜひ来年も子どもおぢばがえりに行きたいですひのきしんってすばらしい上下分教会原田ほのか私は今年初めて少年ひのきしん隊に参加しました行く前はめんどくさーとかいやだなーとすごく思っていましたそして出発する日が近づいてくるとだんだんきんちょうや不安になってきました出発する日もすごくドキドキしていましたあきよ志教会に着くと知らない人がたくさんいてこんなに行くのと思ってしまいましたそしていよいよバスに乗り奈良へ出発ですバスの中はとてもにぎやかですごく楽しかったです奈良にもあっというまにとう着しました初日は班とカウンセラーさんが発表されました同じ班の子と友達にもなれて不安がちょっとなくなりました二日目今日は本隊と合流の日です宿舎も移動しますまた昨日みたいにドキドキしていたけど不安はなくなっていて逆に楽しみでした本隊と合流して知らない人がますます増えたけどみんなでがんばっていこうと思いました三日目ついにこどもおぢばがえりが始まりましたひのきしんはすごく大変できついけどお茶をあげてありがとうと言われるとうれしい気持ちになってもっとがんばれますひのきしんをすることは良いことだなーと思いましたひのきしんが始まってから一日がすごく短くなった様な気がしてこれはいっしょうけんめいひのきしんをしているからかなと思いましたひのきしん以外にも期間中には楽しいことがいっぱいありましたその中でも私が一番心に残っていることはおやさとパレードです生まれて初めてパレードというものに出てみんなの前でおどれてとても楽しくて気持ち良かったです見る側も楽しいけれど見せる側はその倍楽しいことを初めて知りましたサイコーのパレードでした少年ひのきしん隊だった一週間はとても早く終わってしまったけど良い思い出になりましたおぢばがえりがとても楽しいものになるようにいろんな人ががんばっているんだなぁと思いました去年まで私がすごく楽しめていたのもいろんな人のおかげでしたひのきしんをしてあらためてありがとうという言葉は良い言葉だなーと思いました来年も絶対参加して多くの人を笑顔にさせたいです少年ひのきしん隊に参加して多古浦分教会余村喜久代今年の夏私は少年ひのきしん隊に参加しました去年中学生になって兄が少ひにでていたので私もでることにしました今年は前半隊で出て初日に去年いた友達とかいて会話をかわしていました久しぶりだったのでけっこう長く話していました奈良につきその日は山陰詰所でみんなで自己紹介とかをしました初めてきてた人とかは顔をしらなかったけどすぐに仲良しになることができました二十五日は入隊式があったので隊服に着がえましたあとその日はパレードのリハーサル出演があって本番ではなかったけどすごく楽しみにしていたので踊りをしたときはみんなで楽しんでできました二十六日はいよいよひのきしんがはじまりました私はお茶くみひのきしんとパレードを一番楽しみにしていたので少しきんちょうしていましたその日一班は参考館の所でひのきしんをしましたそこでは鼓笛隊の人達がいっぱいいて休憩の時にどっとくるので少し大変でしただけどそこで一緒にお茶くみをしていたお兄さんとも仲良くなってしまいましたっ二十八日は天理駅前でお茶くみひのきしんをした後おつとめまなび教室へ行きましたおつとめまなびでは私は琴を習いました前からできていたけど他の事もたくさんおそわりましたそして夜すごく楽しみにしていたパレードがありました友達となぜか爆笑しながら踊っていました終ったあとはすごくつかれていましただけどいい思い出になりましたそして二十九日は夜に室内オリンピックがありましたいろんなきょうぎがあって楽しかったですしかもそれで島根一班が位になりましたけい品にお菓子がもらえてよかったです三十日にはやかた前でのひのきしんが終ったあとずっとずっと練習をしていて夜にその練習の成果を見せる行進コンテストがありました去年とほとんど一緒だったけどおかあさん賞をもらうことができてうれしかったです三十一日最終日には解隊式があって泣いている人がたくさんいました少ひにでると友達がたくさんできるのでとても楽しかったです事前事後の研修会でもみんなねずに友達と話していて一夜をすごすという感じですいろいろと思い出ができて良かったです来年も絶対でたいです一通の手紙突然のお手紙大変失礼致します私は広島の分教会のと申します先日三日広島東支部隊のこどもおぢばがえりを終えて山陽道で帰り道福石のでトイレ休憩をとっていました全員トイレを終えたと思ったので出発したところ長女が乗っていないことに気付き引き返そうかとスタッフで話し合っていたところへ貴教会の団体の方からうちのスタッフの携帯へが入り福石ので娘を保護していただいたとの事でしたその後吉備のまで娘を貴教会のバスへ乗せてもらって連れて来て下さりその間ジュースやお菓子までいただき本当にお世話になりましたありがとうございましたもしあの時娘を保護してもらうことができなかったら最悪の場合娘の身に何か起こっても仕方なかったと思います本当に何回御礼を申し上げても言い足りないくらいですが命を助けて下さったのと同じだと思います本当にありがとうございました無事に広島へ着いてから親神様教祖へも御礼申し上げました当たり前のようで当たり前でない家族全員が揃う団らんの喜びを深くかみしめている今日この頃です平成一六年八月五日こどもおぢばがえりから帰って一息吐いていると右のような手紙がきましたこどもおぢばがえりにはいろんなドラマがあるなぁと感慨の裡に読ませていただきました我生涯一修養科生月日のやしろ神邉分教会猪原崇史年月日まで私は天理教信者でもなく身上事情もなく心を修養しにおぢばへ帰参した訳ではなく信者であった祖父が去年出直し後を追うが如く祖母が出直した頃おじさんから修養科は楽しいぞ行くかの一言で心が迷いました生前の祖父が世界の人と仲良くせぇよと言っていたので前から弱い立場の人の力になりたいと思い幾つかボランティアをしていたので修養科で点字と手話両方習得しようと修養科へ来る決心がつきました座りづとめやったことねえっつうの周りの人はできるようで月次祭最中酒を勧められありがたく頂いたのに朝礼で修養科中は禁酒と言われムッとした昨夜のはなんなぁそして朝からひのきしん他六人の仲間に気を使いながらの生活段ストレスも溜まり発散する場もなく修養科が始まったらはっぴを着た女子を目で追うこと笑顔を絶やさないこと髪の毛を立たせる事しか自我を保てず仲間不足を言うことしかできなかったそして胃と十二指腸潰瘍併発と言う身上を頂きました笑岡崎先生に心を治めよと言われ無理を承知之助我慢したこども団参が始まって炊事本部で仲良くなった友達や詰所で子供返りした私と遊んでくれた子供に癒され助けられて少し大人になれた気がしましたあと残り少ない修養科生活で友達を増やし土持ち回廊拭き教室の清掃神殿参拝買い食いなどもうしたくてもできなくなると思うと寂しい気がしますそうした修養科生活の中で得たものは人に合わせること人の気持ちを考えて行動することですそういうことが自然にできたら本当に困っている人弱い人の力になれるんだろうと感じました最後に詰所の方先生方私に声をかけてくれた皆様この場を借りてお礼申し上げますありがとうございました修養科へ来て感じた事米美分教会宮本美奈子修養科に来させて頂いて最初は何でわざわざ修養科に行かないといけないんだろう何でまたお道の話を聞く勉強しないといけないんだろうと思いました修養科へ来る三ヶ月前迄は島根富士通の方で派遣社員として働いていましたが色と事情身上があった為辞めましたすぐにでも修養科へ行けば良かったのですが渋ってましたので寒い時期は嫌だから暑い時期がいいと思って米美の会長さんに六七八月で修養科に行かせて下さいと頼みました修養科へ来て面接があって貴方は一三組ですよっておしえてもらいどんなクラスになるのかなみんなと仲良くなれるのか不安でした老若男女若い人もいれば年配の方もいる大丈夫かな心配でたまりません三ヶ月間無事に通ることが出来るのかな毎日思ってました私は若い人受けはあまり良くなく年上年配の方には良くしてもらえますうちのクラスには修養科生回目という方も沢山おられて修養科で大変なのはというか主なものはひのきしんと鳴物お手振り午前午後の神殿掃除さえやっていれば大丈夫だからねって言われたのにもかかわらず朝早く起きれなくて午前の神殿掃除をおこたったり鳴物も上手く弾けないからと言って休んだりひのきしんも手を抜いたりで番組掛さんに宮本さんこのまま行くと特志ひのきしんの対象となるから頑張って出て下さいネと言われてしまうハメになりました現在まだ三ヶ月目もうすぐ終わりますが鳴物を胡弓から打ち物へ変えてもらい楽しくしております胡弓最初楽しそうだと思って習ったんですが弓をずっとひいておく場面が多いのと調律が分からないしどこをどうしたら調律音の高さが変わるか分からないので辞めてしまいましただから弾けるのはよりづよ八首だけはがくふを見てならひけると思います自分が暑い時期を選んだのは失敗だったと思うことを書こうと思います子供おぢばがえりがあることをすっかり忘れていて沢山団体が帰って来られて詰所ひのきしんがてんてこまいの毎日十日間でした毎日洗浄の毎日洗い物は沢山腰が痛い手が荒れて皮がむけてボロボロ朝起きられなくなり二日程寝込んでしまいましたもっともっと自分なりには働く予定だったのにと終わったあとのまつりでしたもともと体を動かす事は好きだし重たい物を持ってはこぶのも好きなんだけれど食器を洗うといった細かい作業はどうも苦手で一応女性なんだけれど料理が苦手なので来る前は全部母親にまかせっきりなのでする事なかったし多分修養科生で女子は二三人はいるだろうなと確信して来たら今期は修養科生女子は宮本さんだけですよって詰所主任先生が言われたのでがっくりきましたなかなか皆に合わす事が苦手なので大変ですが一生懸命頑張りたいと思います修養科修了したらみんなに助かってもらいたいから沢山の人におさづけを取り次がさせてもらいたいですまだ用木になっていないので二十日前後におさづけの理拝たいが待っているので一生懸命つとめさせて頂きたいと考えております来て良かったのは一三組で良かった担任の高安大教会の橋本要先生で良かったということです親身になって考えてくれた先生なので私は辞退しようと考えていた心をなくさせてもらえたので橋本先生には感謝の心ですごくいっぱいです先生ありがとうございましたと言いたい位です詰所の一ヶ月目の教養掛の先生が伯仙分教会の川上先生でよく知っている方だったのでとても安心できました岡崎先生にもいろいろ本当ご迷惑をおかけ致しましたが三ヶ月間の教養の先生が岡崎先生で良かったと思いますあとはみんなに迷惑ばかりかけてしまった事おわびしますごめんなさいでも本当修養科来て良かったと思います来たくなかったハズなのにもう一度修養科へ来たいと思いますこれからもお道の勉強させて頂いてにおいがけやリーフレット配りをしてゆきたいと思います談話室いまあなたは健康ですか稲倉分教会北川和成いまあなたは健康ですかと聞かれて胸を張って答えられるでしょうか毎日の生活や仕事に追われるなかで果たして自分が健康なのかどうか絶対の自信を持てる人は意外に少ないのが現実です人間ドック受診者を対象とした全国規模の集計によると各検査項目の基準値に照らして健常者の割合は全体の十六四ということですつまり百人のうち八十人以上の人が何らかの病気の発症につながる危険因子を抱えているわけですその多くの原因が日常生活の悪い習慣が原因となっている生活習慣症成人病です過食やストレス運動不足といった体に負担をかける生活を日繰り返すことによって症状を誘発します日本は世界一の長寿を手に入れた一方でこれらが原因での脳梗塞脳出血心筋梗塞失明などで寝たきりの老後を余儀なくされる人が増えているという厳しい現実を目のあたりにします親神様から御貸し頂いているすばらしい体を大切に使わせて頂くためにいま一度毎日の生活を見直し健康で明るい年の重ね方をして頂きたいと思います話は変わりますが私は教会に生まれ両親の熱心な信仰を見ながら育ちました折にふれおたすけの体験を聞き感銘を受け身上を頂いてもおさづけで御守護頂けると言う環境の中現在私が二十年病院の検査業務に携わり多くの患者さんの中で仕事し病気を見つける毎日を何か不思議に思います教会の月次祭には毎月参拝させて頂いていますが病院での経験が少しでも教会の上に役に立ち寄り合った信者さんと話が出来ればと思っています医療の中で特に検査領域は日進月歩で新しい検査が開発され早期に診断が出来るようになりました近年検査データは治療に不可欠になりました反面ストレス精神的疾患は個人差が大きくデータとして出てこないのが現実です天理教のおたすけも決してデータに基づいたものではないと思いますおたすけをさせて頂く側が親神様に受け取っていただくデータをすべて持っているのではと思います日明るく健康にすごさせて頂きよいデータを収集したと思いますこころの詩陽氣川柳原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい養徳社発行陽気誌八月号道柳より転載今回の課題は応撰七十四句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会長夫人田林美智子一言に素直に応え日日感謝佳詠芳阪布教所長夫人杉原優子親神の理に応える日の道楽し病喜録のうた東濱十三雄午前二時ベッドの端を握りしめ歯を食いしばり痛み抑えて花園を進んで行けばなつかしき故人ばかりが手招きをする負けられぬ己が心に負けられぬどんな景色が現れるとも油木分教会長黒瀬修弍さても陽氣に歌を並べてしりとり川柳歌いましょううた詠めばもめるところも穏やかににが口は聞くも語るもなさけないいらくを歌に託して樂しませ川柳で不足転じて喜びににこくと作る笑顔で福を呼び美容にも健康にも良し笑顔かななき事は上手く云えども損は損損ばかり負け越し人生ならぬようみちようき道勝ち越し人生結構く結構で世界救かる守護を受け内容字数寄稿先立教年全教一斉においがけでー一斉活動日月日火日水日木月はにをいがけ強調の月です全家庭へにをいがけ支部より割り当てられた地域に対して一斉活動日を除く日に教会独自で計画を立て責任をもってリーフレットの完全配布をさせて頂きましょう教会長は一斉活動日に一人でも多くのよふぼくを連れて参加させて頂きましょう遠隔のよふぼくには地域での一斉活動日への参加を強力に呼び掛けて下さいリーフレットを教会から送付する時開講時閉講七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列の子供かわいい一条の親心から草花はもちろん総てのものに旬をお与え下さりお育て下さっておりますが中でも特に直に子供に働きかけるものとして個人には身上事情を通して全人類には雷地震大風水つきを通してお道には教祖年祭等を通して個の心の成人をお促し下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかるにその理が分からず只苦しみに喘いでいる人やどのようにして心の成人を計って良いのか分からず苦しんでいる人が多くいます事は誠に申し訳なく陽気ぐらし建設の用木たる私共はその思召を伝えるべく日反省を重ねつつ生かされている喜び心一杯にたすけ一条の御用の上に微力ながらも精一杯勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は陽気ぐらしへと立て替わる手立てとお教え下されたおつとめをつとめる日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同心を一つに揃えて御教え通りに明るく陽気に勇んで座りづとめ手をどりをつとめて七月の月次祭を執り行なわせて頂きます御前には盛夏の暑さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます又今年も子供おぢば帰りが開催されますので一人でも多くの子供さんを連れ帰って親神様教祖にお喜び頂きたいと存じますが元は土持ちひのきしんによるおぢばへの伏せ込みが目的であったことを思案し子供おぢば帰りが単なる娯楽にならないよう積極的に仕込み伏せ込み行事に参加させて頂きたいと存じますのでどうぞ事故怪我等のないようお連れ通りの程もお願い申し上げますさて最近老人の孤独死や母親の育児放棄等の事件が増加しそれが意外と身近な所でおきているニュースを見る度にをいがけが行き届いていないことを痛感致します教祖百二十年祭は実動の旬ほんのわずかな声掛けによって救かる命もある事を思います時ますく勇んでにをいがけおたすけに邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には旬に込められた思いを真摯に受け止め実動する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上にたすけの旬たすかる旬にふさわしい自由の御守護をお現わし下さり人の心にたすけ合いの喜びを思い起こさせて頂いてお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます月日木高校生以上円日時場所対象参加御供学生の集い親善大ソフトボール大会有志ブロック対抗の親善ソフトボール大会を開催致します老若男女を問わずご参加いただき相互の親睦が深まればと存じます昼食もご用意致しますのでどうぞお気軽に日時場所申し込み参加御供連絡係月日日午前時半集合笠岡市茂平運動場月日迄に各ブロック連絡係へお申し込み下さい高校年齢層以上の男性のみ円直淺野明教福山平盛尚樹高屋瀨良昇島久松中村真人上下高田一弘府中市山田睦弘根門脇裕教秋季大祭おかえり講話日会講時場師月日月午後時より笠岡詰所北棟階講堂伊藤正和先生幅下部属愛知旭本部青年会総会一年に一度真柱様が青年会員に対し我の歩むべき道筋をお示し下さいます暗中模索し混迷する時代確かなる親の声に耳を傾け一年の指針にしようではありませんか式典月日水午前時本部中庭前夜祭月日火夕つとめ後東西泉水プール前広場笠岡分会出店予定おやさとふしん青年会ひのきしん隊今年はひのきしん隊結成五十周年の節目の年です十一月隊は南右第二棟の瓦葺きに携わる予定です我青年会員は人様をひのきしん隊にお誘いし共に入隊してそのお世話取りを通して教会に携わるものとしての資質を養おうではありませんか期間資格費用申込み月日月月日水歳以上の男子各ブロックが負担します月日迄に大教会淺野へ御連絡下さい別席団参月日日各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください実践項目集計月大教会だより教会長資格検定講習会修了者前期終講上小畠田中慎一郎直属ひのきしん特別隊海松ヶ岡宮崎智司百万軒にをいがけ軒おさづけのお取次回身上事情お願い件提出教会ヶ所本部食堂ひのきしん出雲高島直道西境内地拡張整備直属ひのきしん五日隊第五次隊世話班弥髙山岡﨑和夫明石市杉原博之参加者島根門脇裕教久松中村剛久松中村剛史海松ヶ岡宮崎智司東悠梅下良子東悠梅下純子東悠梅下恵美福勇鳥井利昭西村有木正治東福山井上正和福南掛谷和由福節藤井治喜坪生掛谷宣和八尋矢田哲一安那吉岡輝昭芦田川吉岡貞彦真金猪原縷理子仲條重政禎子仲條高橋弘明東水島出雲亀田山亀田山天場山多古浦雲東川島郷錦ヶ原行縢上吉野甲井甲井河面平松太髙島京子高橋徳行高橋一郎仙田喜久雄山田喜代士三代温生香取雅人池平武司下田正司松井敏文山田睦浩山田佳余子川上正毅思いがけぬ出来事神意予想していなかった事を今回こどもおぢばがえりの引率を通してみせて頂いた台風通過の煽りを受け暴風豪雨の中での出発となったにも関わらずおぢばに近づくにしたがい天候は一変晴天のご守護を頂いた滞在最終日或る子が転倒し憩の家でみてもらう事に幸い大事に至らずに済んだが唯一の救いは取り次ぐおさづけにその子が興味を示す事になったことである最後に御礼と道中の無事を願い神殿に参拝バスのドアが閉まると同時に夕立ちとなった行事参加の終わるまで引き延ばせいて頂いたおぢばを離れ張り詰めていた心も緩んで知らぬ間に寝入っていたのだがトイレに行きたいと言う子供の声に目が覚め運転手さんにお願いする些細な事だが予定にない事で親神様の思惑が何であるかふと一瞬頭をよぎった確認の点呼をとっているところへ大変な事になったどこかの団体の子がおいてけぼりになっているので連れて行ってもらえないかと見れば三歳ぐらいの女の子で直ぐさま名札に書かれていた携帯にし事の経緯を話し予定していたサービスエリアで落ち合う事にした一人の子がトイレと言わなければまた先行していたワゴン車を運転していた会長さんが気に掛けていなければこの子はと思うと事の必然性に親神様の何処までも先回りをしてお連れ通り下されているおはたらきに深く感銘した見るも因縁聞くも因縁とお聞かせ下さる中に今回は世話取りする側で見せて頂いた事に深く御礼申し上げた次第である
かさおか

『かさおか』第43巻 第7号

初代様直筆の短冊淺野和芳氏所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次こかん様に続く会婦人会笠岡支部女子青年では去る月日から日にかけて中高生を対象にこかん様に続く会を開催しましたこの時期は何かと行事が多く重なり子供達も各の都合をおしての参加となりましたそんな中でも女子青年名委員名婦人会名の参加者がありました一日めは午後時半より開講式後夕づとめ自己紹介をかねたお楽しみ行事があり二日めは支部長様よりおつとめについてと題しわかりやすくお話を頂きその後小雨まじりの中にをいがけに皆で出させて頂いて後クイズ大会やゲーム等をして楽しみました昼食には女子青年ご希望の手巻き寿司を頂き皆で後片づけそうじをさせて頂いて最後に神殿にて三殿礼拝女子青年愛唱歌すてきなあなたにを合唱し来年教区単位で開催される女子青年大会に向かって一人でも多くの友を誘って参加しそれが又二年先の年祭につながっていける様にという願をこめて閉講しました女子青年部担当者門脇加津勇み心にお働き新山邑分教会三島知佳子六月五日六日と大教会でこかん様に続く会を開催させて頂きました今回のこかん様に続く会は女子青年にとって今年一番大切な行事だし私事ですが委員長として初めての行事ということもあって気合いが入っていましたしかし気合いが空回りしてしまって会員さんにお誘いの声をかけてもいい返事がもらえなかったり直前で行事の内容も変更になったりでギリギリまで本当にバタバタして正直不安な気持ちもありましたでもいっしょに準備を進めてきたみんなや来て下さった会員さんの顔を見たら精いっぱいつとめさせて頂こうと自然と力が湧いてきました今回のこかん様に続く会で支部長様は私達に本当にわかりやすくお話して下さいましたおつとめの手ぶりひとつひとつに意味があるという事おつとめには親神様のいろんな思いが詰まっているという事私達の心にすんなり入ってきましたもうひとつ本当にありがたかったのは六日は朝から小雨が降っていて正直残念だなあと思っていましたが支部長様のお話を聞かせて頂いてにをいがけに出発する時には雨も止んで晴れ間がのぞいていました神様にさあ勇んで行ってらっしゃいと言われてる気がしました普段女子青年の例会でもにをいがけに行かせて頂いていますがいつもポストに入れるだけなので今回はがんばって一人にでもいいから手渡ししてみましょうとみんなに言いましたみんなにがんばってもらう為にはまずは自分からしないといけないと思い内心ドキドキしてましたが実際やってみるとみなさん案外すんなり受け取って下さいました会員のみんなもがんばって手渡ししてくれていました本当に神様が働いて下さったんだと思いました一泊二日という短い時間でしたがいろんな人達に協力して頂いていっしょに作りあげてきたこかん様に続く会だったので終わった時には本当に感動しましたいろいろ反省点もありますがそれ以上にうれしかった事や楽しかった事神様を感じて喜べた事がありましたこの感動を一人でも多くの会員さんに伝えられるようにもっともっと内容の充実した楽しい女子青年活動になるように精いっぱいつとめさせて頂きたいと思います最後にあたたかい親心で私達を見守って下さった支部長様担当者の奥様方いっしょに準備をしてきた委員のみんなそして参加して下さった会員のみなさん本当にありがとうございましたあぁもう終わった久松分教会中村京子私はこの笠岡のこかん様に続く会には回目の参加になります毎年委員の方は私達仮委員の人にとても優しく私達を楽しませようといろいろなゲームも行ってくださいました私は今年のこかん様に続く会に人しか友達を誘えなかったのがとても残念に思っています今年のおやすみ行事は日目にあるにをいがけやお楽しみ行事の為のチーム分け自己紹介をクジで決めとても楽しかったです日目の朝が早いのは何回参加しても慣れませんでした日目の朝の支部長様のお話は毎年ためになるお話だと思います支部長様は何も分からない私達に少しでも分かりやすいようにとお話してくださるのがとても優しく感じています支部長様のお話しの後は大門町に行きにをいがけです日目に決めたチームで人枚は手渡しが出来るように配らせていただきましたこのにをいがけですごいと思った事が一緒のチームの委員さんでした軒軒インターホンを押し家の人と話して読んでいただけるようにと全部の家を手渡ししていた事です私は人の子供に手渡しする事で精一杯でしたにをいがけから帰るとさきほどのチームでチーム対抗クイズをしましたそのゲームでは私達のチームはおしくも位でしたがとても楽しかったですこのお楽しみ行事が終わると待ちに待った昼食です今年は手巻き寿司でした婦人会の方が私達の為にたくさんのおかずを作ってくださいました昼食には支部長様婦人会の皆様と一緒に楽しくいただきました昼食が終わると今年のこかん様に続く会も終わるんだなぁと思います閉会式が終わるとみんなで集合写真を撮って解散しました始まってしまうと早いのであぁもう終ったと毎年しみじみ思います来年は今年あまり誘えなかった分多くの友達を誘って参加させていただきたいと思います日常生活に活かせるように神昭分教会楢崎慶子私がこかん様に続く会に参加させていただいたのは今回が回目でしたやはり一番心に残っているのは支部長様のお話です支部長様は私たちに分かりやすくていねいに教え聞かせて下さいましたおつとめは親神様の思いと私たちの思いが込められている大切なものだという事また天理教信仰を通じての両親の私たち子供にたいする思いなども教えて下さいましたその中でも印象的だったのは日常生活で自分の思い通りにならなかったり勇気が出なかったりと反省しなければならない事がある時に先のばしにするのではなくその日のうちに反省し改めることが大切ですよ心からおつとめをさせていただけばきっと親神様が私たちの思いにこたえて下さいますよと教えて下さった事ですこれからおつとめをさせていただく時には支部長様のお話を思い出してさせていただこうと思いますまた今日一日を無事に過ごすことが出来た事を親神様に感謝し毎日頑張りたいと思います次ににをいがけに行かせていただきました初めは緊張していてパンフレットを手渡しすることは出来ませんでしたでも婦人会の奥様方や委員さんに手伝っていただいたので渡すことが出来るようになりました少し自信がもててとてもうれしかったです私たちがにをいがけをさせていただいたことで教会へ足をはこんで下さる人が一人でも多く増えたらいいなと思いながら配らせていただきましたにをいがけを終えた時には充実感でいっぱいでしたこかん様に続く会に参加させていただいてすごく楽しかったしとても勉強になったと思います支部長様のお話やにをいがけをさせていただいた事を忘れずにこれからも通らせていただきたいと思いますありがとうございました少年会縦の伝道講習会少年会笠岡団では月日に縦の伝道講習会を開催しました講師に少年会本部委員の玉置宏俊先生をお迎えし月祭典講話としてお話くださいました先生は自らの体験の中からまだ若年のころ教会長である父親を亡くしたが母親や信者さんに励まされその逆境を強い精神力で乗り越えたことが今の自分に役立っている若いときは苦労することが財産だ自分の子供を厳しく育てていると子供の育成のポイントを熱く語られましたまた近づいたこどもおぢばがえりには大勢の少年会員でおぢばを賑やかにさせていただこうと話をしめくくられましたその後先生を囲んで笠岡団委員との懇談の場を設けこどもおぢばがえりの各団各隊の取り組みへいぜいからの子供への信仰伝道などについて時間を忘れてなごやかにまた有意義に懇談させていただきました笠岡団団長中島誠治婦人会伏込みひのきしん団参婦人会では去る六月二十七日日ご本部西境内地拡張整備の土持ひのきしん団参を実施しましたこれは三年毎の支部総会を目標にその間に一度婦人会員揃っての活動をしようという計画の一環でした当日は正午に西礼拝場に集合してのお願いづとめを勤めた後引き続いてひのきしん現場へ移動しました梅雨時で天候が危ぶまれましたが開始時に小雨がぱらついたもののその後回復し無事に予定通り終了できました又当日早朝に出発したバス団参の人は西名阪道路の事故の余波で大幅に到着が遅れ残念ながら揃ってのおつとめには間に合いませんでしたが土持ひのきしんには合流できてホッとしました総参加人数人支部長様からこの伏せ込みの心で日を通り人助けに励んでいただきたいとの御挨拶がありました婦人会常任委員上原順子心定めが第一上下分教会桑田千泉広島に住んでいる親しい友人より一年振りにがあり肺がんの手術をしたんよ右の肺は三つに分かれている上と下を取ったの退院してゴロくしとるんよおどろきましたひのきしんに参加したいと思いつゝ家庭の都合もあり迷っていた矢先だったので何が何んでもおぢばに帰らせていたヾきたいと心を決めました心定めが第一と聞かせていたヾいておりますがその通りに動き出すのが不思議でした上下分教会のワゴン車で日帰りと決まり山野季彦ふみこさんの運転で六名おつれいたゞきました第一声はみんないゝ子でいきませうネでした平均年令七十才前後の元気なおばあさんです八十六才になられ足の痛い方も心定めをしたら痛みがスーととれたんよとのこと車中は昔話しに花が咲き日帰など想像も出来なかった五十年前を思い出しなつかしみました高令でもひのきしんに参加出来自分が難儀不自由の中でもなんとか人様によろこんでいたゞきたいという気持の持主ばかりそれぞれならん中を出て来られたんだと痛感いたしました早朝出発のときはドシャ降りでしたのにきれいに晴れ涼しい風まで吹いてきました西礼拝場のおつとめひのきしん現場で行き交う皆さんのはちきれんばかりの笑顔笑顔杖をたよりの方腰の曲った方幼い子どもそれぐ身の丈に合ったひのきしんを精一杯つとめておられた姿に感動いたしました帰りのバスの中はみんな興奮して有難いの連発でした混雑する中でも何んとか御供さんをいたヾいて帰りましたので次の日早速機をのがさずおさづけの取り次とおさそいした方をまわらせていたヾきました教祖百二十年祭には元気で是非参拝いたしましょうネと約束いたしました勇み心に授かったお土産廣町分教会宮本正子福山委員部では大型バス二台の心定めをさせて頂いたところ大人七十七名と少年会員十四名の満席の御守護を頂きバス以外ではマイクロバス一台とワゴン車や新幹線で参加して下さりどの委員部もなんとか一人でも多く参加して頂こうと心一つにつとめさせて頂いたお陰で喜こび一杯の嬉しいお地場帰りとなりました広町委員部としては教祖へのお土産を二つ授り勿体ない団参となりました一つは布教所の奥さんが身上危いところを二度三度と結構に御守護さらし頂かれこつくと新しい晒で雑巾を五十五枚も縫って持って来て下さいましたのでそれを御供えさせて頂きました又この日に合わせて初席を運んで下さる方を御守護頂き重ねて喜こばせて頂き教祖から素晴らしいごほうびをいただいた思いで感激しています又婦人会の先輩の方が昔の団参の様に歌を歌いながら楽しく参拝させて頂こうとの提案を頂いたのでお道の歌集を作成してもらい会員一人一人の思いを添えて歌いながらあっという間にお地場近くに来ていましたが事故車があり渋滞に巻き込まれて十二時のお勤めに間に合わなくなりましたが別席は運ばせて頂く事が出来て有難い事でした十二時より四十五分程遅れて乗降場に着いたのに今お勤めが始まったばかりよと聞き笠岡支部長様はじめ皆様方の暖かいお心にふれ胸が熱くなるのを覚えました又ひのきしん現場へ着くと支部長様が優しく迎えて下さいました二日間のどしゃ降りの雨で足元がぬかるんでいるのではと案じていましたらなんとしっかり乾いていてびっくりしました他の大教会の方もすでに大勢ひのきしんされており皆さんの勇んだ笑顔に出合い私達も勇まずにおれない奮囲気で喜こびの汗を流させてもらいました事故もなく無事帰らせて頂き一同心から喜こばせて頂きました教祖百二十年祭三年千日半ばとなりましたが団参から帰ってすぐ教区婦人会総会があり大勢参拝して頂ける様あちこちへ声をかけさせて頂き皆様方の大きなお力添えを頂いて盛大に勤めさせて頂くことが出来ました続いて子供お地場帰りももうすぐでその募集に歩かせて頂いています人の御守護を頂けた喜こび本当に素晴しい団参となり行事の多い事に不足を聞く中に本当に匂いがけに歩く時間の少ない事に申し訳なく思う反面いつも神様の御用をさせて頂いているのだから自分の精一杯を心こめてこつく勤めさせて頂いておれば又いつかどこかで素晴しい楽しい芽を出させて頂くことが出来ると信じ勇んで足を運ばせて頂きます有難うございました意義ある婦人会伏込みひのきしん東水島分教会藤本知加子一緒に行きましょうねと約束していたさんが前日に教会に参拝に来られましたその顔はとても明るくすっきりとした表情でした今日明日のこと断りに来たけどそこでさんに会って勇んださん見たらさんが行くんなら私も行かにゃあと思ったわさんはご主人のまた自身の体調も悪く事情も重なって少し気落ちしているところでしたさんは彼女もまた体調が悪く早朝出発のこのバスに乗り込むことは普段なら考えられないことなのですでもさんはこういうことになると神様の元へ帰らせてもらうのだからと勇んで下さる方なのです当日二人は並んで座り色とお道の話しを語り合っておられました信仰していても立ち止まったり振り向いてしまうこともあるそういう時仲間同士励まし合ってまた神様の方へ向いて歩いていける語り合って勇まし合えるなんかすばらしいなあ嬉しいなあと二人の姿を横目で見ながら私はああ親神様有難うございますと心の中で手を合わせたのでした私は今回次のことを決心して参加させて頂きました信者さん一人一人に成り代り土持ちをさせて頂こう使える時間は全部ギリギリまで使おうでも限られた時間両手でバケツの土を運んでも回しかできませんでした信者さん全員の代理は無理でしたそこでまた私は親神様に手を合わせたのです親神様ごめんなさいバケツ一杯信者さん一人をバケツ一杯一家庭に変更しますと私の住む倉敷では午前中は雷も鳴り響く大雨だったとかそんな中でもおぢばでは少し雨も実践項目集計月パラパラしましたがいいお天気の中いい汗を流させて頂きましたその後我が教会でも信者さんの上に身上事情とみせて頂いておりますが今回の伏せ込みひのきしんこの伏せ込みに大いなる意味が込められているのだなあとしみじみと思い入る今日この頃元気に動かせて頂いていますああ親神様有難うございます合掌百万軒にをいがけ軒おさづけのお取次回身上事情お願い提出教会件ヶ所青年会伏せ込みひのきしん別席団参去る月日昨年を上回る名近い参加者を頂き伏せ込みひのきしん及び別席団参を行わせて頂きました募集の要項に書かせて頂きました通り少年会本部には早い段階からフロート関係で笠岡分会全員が一カ所でひのきしんをさせて頂きたいとお願い致しておりましたが残念ながら作業の進捗状況等の関係上カ所の現場フロート制作現場餅焼き場装飾事務所に分かれてのひのきしんとなりました当日は朝時に詰所玄関に集合し少年会本部の先生よりお言葉を頂戴した後ブロックごとに各ひのきしん現場に向かい真夏を思わせる陽気の中それぞれの現場で皆真剣にひのきしんに当たらせて頂きました昼食は少年会本部のご配慮で第一食堂カレーを頂き午後時頃まで作業各現場ごとの解散となりました最後に非常に短い時間の作業ではありましたが少年会本部よりこの時期に名近いひのきしんはこどもおぢばがえりが迫る中で非常にありがたいですとのお言葉を頂いたことを付記しておきます笠岡分会委員藤本晴司初席者を連れて団参へ久松分教会中村真人今回ひのきしん団参に参加させていただきましたがその中でも今回は初席をはこんでいただける方のお世話をさせていただける事になりましたその人は同じ職場で働く人で何年も勤めている人でしたがお道とはまったくつながりのない人でしたでも年前から体の調子をくずしたびたび仕事を休むようになり普通の生活もできなくなっていた時会社の上司である人から神様の話を聞いてみないかと勧められ神様の話を聞いていただけるようになりました初めは話も真剣に聞いていただき教会にも足を運んでいただけたのですがすぐに足はとおのいてしまい神様の話も聞いていただけなくなりましたでもすぐに身上となってあらわれ今度は心定めをしていただき教会には毎月足を運んでいただけるようになりました次はおぢばと今回のひのきしん団参の前に初めておぢばに足を運んでいただき基礎講座を受けていただきましたそして今回のひのきしん団参でも快く参加いただき午前中はみんなといっしょにひのきしんで汗をながし午後から別席を受けていただきました今回団参に参加させていただきいろいろな経験ができてよかったと思いますねがわくばまた別席者をつれておぢばに帰れるようがんばりたいと思いますたすかるという自信から海松ヶ岡分教会森本正典どうすればこの旬に前進できるか何を改善すればよいのか批判を恐れていないか私は間違っていないのだろうかと暗中模索をダラダラとしているうちに青年会の伏込団参の日程がせまる気が付くと月日の青年会の例会日手みやげのないまま会室へと足を運ぶ皆何を思いどのような結果を持ち寄ったのかこちらからは何も問う事ができず人の発言に耳を傾けるのが精一杯でしたやがて例会が終盤をむかえる頃若き熱き名に心を打たれました初席者名この言葉だけが大勢の会話の中にうかび上がった皆息をのみ少しおくれて拍手がわいたようやったすごいやないかとの委員長の言葉に皆声をつまらせていた私はその時自分自身に強くさあ立ち上がれ失敗を恐れず前へ出るんだと言い聞かせていました次の日職場できらわれる事を恐れず若い男性にあなたは今幸せですか今色と悩みがあるのならおぢばという所へ行って黒い門をくぐらせてもらいませんかと正直な気持ちを伝えていましたはじめは断りを言っていた彼に私の誤った過去の生き方を話し他に助かった人もいるという事を話しましたすると話を途中で切るかのように行かせて下さい私も変わりたい助かりたいと切なる思いを聞かせてくれました何がどうさせるでもなく心に神様が働きかけて下さったと確信しましたそして彼の前で私は四拍手をくり返していましたご守護じゃと思い涙をこらえるのがやっとという所へ旧友からおどろくがかかってきたのです半年前に天理へ行こうって言ってたでしょいつ頃ならいいんですかとの事涙のあふれるのをかくしながら人気のない所へかくれ泣きましたまさにお働きに違いないと感じおぢばへの道中私の全てを話そう良い事悪い事色あるけれど助けたいという思いをそこから感じてもらおうと思いましたはじを乗りこえ一言話しをする勇気から全てが動き出すという事私はそれを例会のあの若き熱き人に学んだ気がします私よりも明らかに若い彼らがどんどんとがんばるすがたを見てあぁ私も笠岡でよかったと思う今日この頃です笠岡青年会員の皆さんどうかあの人の様にどんな逆境にも立ち向かう心を忘れず勇んでこの旬を通りぬけて下さい必ず助かるのですから内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい歴史香る街道を越えて明石市分教会長杉原博之輝華分教会のにをいがけおたすけ実修会に行くことになりました何分自教会の明石から行き先の岐阜は遠く離れているので不安で一杯です全くの方向音痴で目も悪いのです大教会で相談しますとパソコンで行く先を検索して地図をプリントアウトして頂いた駅から歩いて分小学生でも行けるやんか大元気になってそれに遠方へ参るのは何だか嬉しいワクワクする気持ちにもなります電車に乗って知らない所へ一人旅も悪くありませんいんねんよせてしうごふすると神様仰るどんな方達とお会いできるかとの楽しみもあります後の不安はおつとめのお話しがちゃんと出来るのかなぁとのことだけ何せ大心配性の性格で加えて恥をかきたくない高慢慌てて真柱様の訓話集や大教会長様の要員研修会テキストからおつとめの勉強を始めるどうして日に教理を身に付けていないのか通っていないのか今から繰り言を言っても遅いのですしかし窮すれば通ずと言うか適切な例えではありませんがいざとなると開き直る性格でもありますそうなったら恥をかくのも何のその唯有意義な時をつぶしてしまうのが怖いそうならないように月日早朝時分の一番電車にて出発電車の車窓通り過ぎる風景駅名に感激しました近江八幡の広大な田此処は近江米が有名とのこと既に整然と稲が植えられています安土彦根関ヶ原との駅名織田信長の安土城井伊直弼は彦根城やったかなあ関ヶ原は勿論天下分け目の戦い頭の中はタイムスリップして戦国時代をさまよいます旅情深まっていい気分ああ要員は有り難いなあしかし岐阜駅に着いて現実に引き戻されました広大な岐阜駅に驚き出口を間違え道を一本間違え雨の中やっと教会の門の前に立ったときは嬉しかったなあ分どころか分かかった誰にも真似は出来ないでしょう恥ずかしいね心優しい皆様に迎えて頂きお話しも精一杯勤めましたが大教会長様の研修会への御思いを一端でも伝えさせて頂けたかと自問しています続いて雨のあがった町中にそれぞれにをいがけ私は教会奥様が同道して頂きお道の兄弟姉妹共に勇ませて頂きました帰って和気あいあいの練り合い暖かい雰囲気の中では開き直ることも有りません共に勉強させて頂き大役を終えさせて頂きました親神様教祖有り難うございます輝華の皆様有り難うございます談話室神の守護詰所勤務者上原澄雄私の小学校の頃でした町役場の前を通って寺町の方へまがる道だった突然屋根瓦が上から降って来ましたまわりは瓦で一ぱいになりました道行く人が子どもが子どもがというばかりで何もできる状態ではなかったでもかすり傷一つ受けませんでした先日も大きな道での出来事です夜九時頃自転車で詰所に帰る途中自転車灯をつけて走っているのに乗用車がどんどん近づいて来ます私はよけてくれると思ってペダルをふんでいるとなおも近づいて来ますあわや衝突というところで車をとめておりましたと自動車もとまってくれました本当に紙一重のところでしたあのまゝだったら轢き逃げされても当然でしたこれは一寸した助けられた話です帰宅した時にがかかって来た家に入った途端にどしゃ降りの雨考えてみますとこれはすべて親神様の守護です毎日毎日一時たりとも休まずお助け下さっている神様のお働きのたまものです以前はこれであたりまえ運がよかったと思うだけの事でした現在は神様の守護をつくづく感じ思わせて貰っています即ち感謝という心の働きができて来ましたでも神の守護があり守られているのだと感じさ感謝は喜びにかわりますこの喜びは心を陽気せて頂けることが嬉しくもありますにしてくれ何かしたい神様への御恩報じにかわ年祭も何回も経験しましたがこの度ほどいろりますでも毎日都合のよいことばかりではありいろ感じさせられ反省したことはありませんこたまものません心通りに守護して下さるとの事ですれも成人の旬の賜でしょう計画やらやりたい事人様のためにさせて貰いたい十の徳積みも一つの不足で帳消しです事等思うようにいかない事がたくさんあります毎日を感謝と喜びですごさせて頂いていますついつい不足しストレスのたまることがあります私はこれも神の守護の一つだと思っていますこころの詩こんな時には教祖ならどうされるかということをよく聞かされます都合よくいかない時は神様があせるなもっとおちついて相手方の事もよく考えて実行しなさいと言われているんだと思うようにしていますまことにプリミティブな逃避的な思考だと思われるかもでもこう養徳社発行陽気誌七月号道柳より転載今回の課題は力撰五十五句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠東悠分教会長夫人田林美智子おしみなく持てる力で人だすけ呉市東濱十三雄さん福順分教会長よりの寄稿です昔のうたすることで解決し心が晴れること海の日と聞いてなつかし長浜のがあります身上事情の道の華五十年前の汐の香がこの世すべて神の体人間は神の紫の不気味な雲がおしよせてふところ住いです神様にすべてあれから五十九年目の夏をまかして楽しく生かして頂く事が損得なしの極楽の生き方だと思っていますどこにでもいつ一切のふかした芋に想い出す焼野ヶ原の三角兵舎六月月次祭祭文大教会だよりこれのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日より日く心いさめかけよふきつくめにしてかゝるでなと子供かわいい一条の親心のまにく天然自然のお働きやかしものかりものの自由の御守護をお与え下さって陽気ぐらしへとお育てお導き下さいます事は誠に有り難く勿体ない極みでございますしかるに親神様のお働きを知らずにいる人の中には総て我が力と過信するばかりでなく感謝の気持ちさえ失い我身勝手の陽気に明け暮れする人が少なからずいます事は誠に申し訳なく先んじてこのお道にお引き寄せ頂いた私共は日報恩感謝の心一杯に朝夕に御礼申し上げると共に未だ真実の親心による御守護お働きを知らぬ人に少しでも伝えたいものとたすけ一条の御用の上に勤め励まして頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡の名称にお許し下された六月の月次祭を執り行う定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には大型台風接近の大変厳しいさ中に関わりませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて立教百六十七年の今年も早や上半期を終えようとしています改めて年頭の心定めに思いを致し素直に上半期を振り返り反省した上で下半期を勤めるに当たり心定め完遂を目指し実践項目を含めての実動に邁進させて頂く所存でございますその為にも仕切月にふさわしく心も仕切直してつとめさせて頂きたく存じます又来月には子供おぢば帰りが開催されます年祭のこの旬一人でも多くの子供達の歓声をお聞き頂いて教祖にお喜び頂けるよう本日は縦の伝道講習会を開催させて頂き心を一つに揃えて実践項目の一環として募集の上にも尚一層力を注いでいく覚悟でございます何卒親神様には旬にお与え頂く節目を生かしつつ成人の道を歩む皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り一人でも多くの人をこの道にお引き寄せ下さいまして年祭の年に賑やかなおぢばの姿をお見せ頂きますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます直属ひのきしん海松ヶ岡宮崎智司本部食堂ひのきしん出雲髙島直道訃報杉原正夫氏大教会承事明石市分教会前会長六月三十日出直されました享年八十九才教会別人づくり一覧表名称初授修講前講後名称初授修講前講後名称初授修講前講後笠岡福山髙屋神邊島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備廣町福廣福勇福芦福満福岩西村福年引野福昭福春福中福冨士福東東福山福南福順福節福備福輝坪生八尋深安笠尋芦品安那芦田川三郡芦常芦辺芦加茂惠陽陽實御野香地華真金仲條稲倉稲瀬稲富士稲讃門司港大惠山東水島高児島出雲瑞雲海潮川錦洋米府弓ヶ濱西伯米美伯仙照雲輝伯松都樺島亀田山出雲川津天場山簸ノ川多古浦瑞北雲東神村呉中大江橋品治久福久津呉福鶴南鶴眞川島郷鴨方作備輝華錦ヶ原行縢眞府吉舎清嶽上小畠木津和國須上吉野上備河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面府鮮府庄府世原神驛神免葦沼合計第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目谷内伸自大教会役員輝美濃分教会長今川昌彦大教会役員高島寛海潮川分教会長宮本泰德廣町分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい直属ひのきしん特別隊期対間月日金日金象歳までの男子よふぼく名直属ひのきしん日隊第次隊期割間当参加御供月日水日日直轄名直轄名島根名久松名円福山名髙屋名上下府中市名計名英語講習会期間受講対象受講御供持参品プログラムお問合せ月日日午前時受付日火午後時頃解散中学一年生以上高校大学生一般円英和和英辞典筆記具着替え洗面具パソコンを使った英語の学習英会話おつとめレクチャーひのきしん詳細はスタッフの香取雅人吉岡誠一郎へご連絡下されば大門駅まで送迎致します青年会新入会員研修会詳少年会から青年会へとスムーズに移行してもらいたいとの思いからの開催です中学を卒業した若者を対象に少年会キャンプのスタッフとして参加してもらいしてもらう立場からしてあげる立場に成人していくことを目指します細下記少年会笠岡団夏季練成会サマーキャンプに同じ少年会笠岡団夏季練成会サマーキャンプときところ内容対象定員参加御供申し込み月日日月日火泊日島根県浜田市石見海浜公園キャンプ場キャンプファイヤー野外ゲーム海水浴他小学校年中学校年高校生は係員名円米合と野菜品月日までに各ブロック委員までどうぞにをいがけおたすけ実修会要員研修会日時月日日受付場所講師布教部布教二課講師陣数名内容にをいがけドリル対象実修会要員持参品ハッピ筆記具開講閉講青年会全分会布教推進週間期間月日日月日日例年通り全分会にて布教推進の活動を計画していただきたいと存じます尚今年は加えて各ブロックごとで布教を啓蒙するような活動を行う予定です単一分会での活動が困難な場合ブロック行事には必ずご参加下さい詳細については各ブロック担当者にお尋ね下さい立教年全教一斉においがけでー一斉活動日月日火日水日木月はにをいがけ強調の月です全家庭へにをいがけ支部より割り当てられた地域に対して一斉活動日を除く日に教会独自で計画を立て責任をもってリーフレットの完全配布をさせて頂きましょう教会長は一斉活動日に一人でも多くのよふぼくを連れて参加させて頂きましょう遠隔のよふぼくには地域での一斉活動日への参加を強力に呼び掛けて下さいリーフレットを教会から送付する学生の集い日時場所対象参加御供月日木高校生以上円時開講時閉講各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください先般青年会島根ブロック総会が開催された総会と聞いてふと振り返ってみたそれは上級会長の突然の出直しで始まった上級分会で九人乗りの新車購入と言う節の芽分会員相互が各で負担する回払い購入計画や運用方法を談じ合い各会員家庭へ賛同の根回しに回って目標達成したその後挫折しそうに成った事スピーカーで路傍公演お地場への運転などを会報で次と活動紹介をして更にその賛同と継続を仰いだそうして毎晩のように教会であらきとうりょうの本筋を実践した特に楽しかったのは御神酒を戴いて深夜まで本音で語り合い前の田圃の稲に肥やししたそこだけが大豊作で作主が首をかしげたことそしてその集大成として青年女子少年会合同総会をご守護頂いたそんな折こどもおぢばがえり島根合同隊が始まり青年会員で練成会等を重ね毎年続いた上級で大型バス台の実績樹立した事が今自教会のこどもおぢばがえり団体に反映している当時の青年会員が教会長や重鎮になった今参加した少年会員が今の青年会の中枢である総会に近い頃その支援の要請を受けた仲間が燃えた模擬店ロックバンドステージ垂幕やポップにと青年会と一手一つで実施した成果は名の盛況な参加者青年会も立派なおつとめを供えた百二十年祭への轟音を聞いた近くの中高生達が教会の庭に集結した良くぞ集まった総会老人は過去を語り若者は未来を語ると云う老理事先生の名言に私自身が過去を語る年齢に成ったと云うことなのか与えていただいた本文がそれを証明する事になった
かさおか

『かさおか』第43巻 第6号

初代様手縫の御供入れ上お守り入れ雲東分教会三代昌氏所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次去る五月二十三日晴天の御守護のもと会員八十三名婦人会青年会女子青年会大会運営の為に関ってくださった方運転や付添い子供達諸の人数を含め二四名余りの方で賑やかにおつとめ大会をつとめさせていただくことが出来ました午前九時三十分に開会の三番太鼓が館内に響き支部長様を芯に総立ちの十二下りてをどり学びをさせていただきました拍子木と女性の声が響く殿内は温みとやさしい雰囲気に包まれていたように思いますてをどりに続き支部長様よりお道の婦人として又ひまわり会を伏せ込みの場としてそれぞれの教会になくてはならない人になってほしいとの会員に望むお心をどんな立場の方にも解り易いようにおはなしいただきましたその後ひまわり会が発足された経歴月の活動内容と感想などを活動報告として会員に発表してもらい午前の部が終了となりましたそして昼食となり食堂にはカレーの香りが立ちこめカレーを待つ列ができましたこの度は乳幼児向けにシチューとおにぎりおかゆも用意して全ての年齢層に食事をとっていただけるよう配慮いたしました食堂横廊下にはこれ迄発行してきた会報をひまわり会のあゆみとして展示し女子青年会によるコーヒーバザーもあり束の間のランチタイムを和やかに過ごすことができました午後より記念行事として臨床心理士早樫一男先生による健康な家族のコミュニケーションの法則と題してのご講話をいただきました講話の中にはカウンセリングに来られた方の描かれた家族の絵なども用いて健康な心で家族生活を営んでいくヒントを教えていただきました講話終了に伴い三殿を礼拝し解散となりました大会に関連して子連れの会員さんが気兼ねなく参加できるようにモニター室を設けたり婦人会の方に託児のお世話取りもいただきました又記念誌の発行もさせていただきましたひまわり会は七年前の第一回目の集いから毎月三日に集い月の活動を続けてまいりましたこの大会は今迄の若いお母さんの集いというイメージを変えて女子青年層で丹精された後の才才位の大切な年齢層を対象として笠岡に繋がる道の女性が漏れることなく育ち伏せ込む場にひまわり会を活用してもらいたいという思いから一年かけて準備を進めてまいりました近年取り沙汰されている問題に犯罪の低年齢化や心の貧しさを言われています今の自分の為ではなくこれからの世代の心の育ちを考えた時ひまわり会に属する年齢層の役割はとても大きなものであると感じますそして教えをしっかり身につけ女性の特分を生かして社会の中に映していける心を培うことが急がれているように感じられるのですこれからのひまわり会を違う立場の者が集いお互いの心を知り談じ合い伏せ込みを通して心の力を養う場にしていただきたいと願っています係をつとめた会員も心一杯につとめさせていただきました年祭活動の旬を追い風に初めての大会をもたせていただけたことを本当に有難く感じております又この大会に当り多くの方のご協力を頂戴いたしましたことを担当者としてこの場をおかりしてお礼申し上げますひまわり会担当者上原千枝子大会を終えて坪生分教会掛谷喜代子あじさいの花も色づき入梅の候となりました去る五月二十三日第一回ひまわり大会が開催されましたこの日の何ヶ月も前から話し合いが持たれ当日が無事に終了した今ホッとする間もなく毎日お過ごしのことでしょうネ大会終了後初めてのひまわり会六月三日の例会の午後から大会の反省会があり喜びの声や反省をしなくてはいけないという点等さまざまな意見が飛び交った中ひとえに支部長様始め陰になりひなたになりご指導頂いた婦人会の奥様方又大教会の青年先生方の温かいお力添えご協力があってのこの大会だったと改めて感じさせて頂きました又この大会を通して一段と皆の心が一手一つにならせて頂いたのではと思いましたこの大きな旬を通して今後同じ笠岡につながる同じ立場の同士私も共に歩ませて頂きたいものですそして大会時の講師の先生がお話下さった中にくせ性分を取りましょうとお話下さった様に教祖のひながたを今一度身に付け教祖に喜んで頂ける日を通らせて頂きたいものです大会に参加させて頂きましてありがとうございましたてをどりまなびに感無量福山分教会田中照江何事も初めて事にあたるという事は難しいものですがこの度の大会も例外でなくそういった点で難しいものでした私個人としましては何が分からないのかが分からないという手探りの状態に少もどかしさを覚えましたしかし支部長様をはじめ婦人会の方やたくさんの方のお力添えの元無事に大会をつとめさせて頂いた事に心よりお礼申し上げたいと思いますありがとうございました振り返ると大会を決起してからの一年間というものはあっという間でした大会に向けての月のひまわり会ではいつも多くの人が集まり勇んでいたように思います内容としては今後のひまわり会の在り方を模索したりおつとめ練習とふせこみひのきしん大会の話し合いや準備等と多くありどこから取り掛かればよいか戸惑うこともありました期待と不安を抱えながらではありましたが初めて一つの事に向かう喜びを感じていたように思います私たちはこの大会にひまわり会らしい明るさが出していけるよう工夫しアイデアを出し合ってやってまいりました当日気持ちのよいお天気に恵まれ大会を迎えさせて頂きました一番心に残っているのは総立ちでつとめさせていただいた十二下りてをどりまなびでした女性らしい明るい唱和が響く中大教会長様直にお手直し頂いた事やみんなで練習してきたことが頭をよぎりこうやって大勢でつとめさせて頂いている事に胸が熱くなりました前の方でつとめさせて頂いていた私は南無天理王命と後ろを向く度に神殿の後ろいっぱいまで綺麗に並んでつとめるみんなの姿を目にしたのですがその時の光景を今でも鮮明に覚えていて感動が甦ります午後からの記念講演では臨床心理士の早樫一男先生にお話しを頂きましたが女性の役割を考えさせられるお話しでした家族の上で相手を理解しようとする努力や読み取る努力情報処理能力が必要だという事や労う言葉かけや誘い水のような言葉がけが健康な家族のコミュニケーションの上で大切であると教えて頂きました特に情報処理能力に関しては悟る力として信仰者としても重要であると言われていましたが些細な出来事から読み取る力が持てるよう日努力させて頂きたいと感じました振り返るとやり残した事や反省する点の多い大会ではありましたがこれも全て次への土台となることを信じております動かなければどこにも進まないといいますがこの大会は大きく一歩を踏み出したのには違いなくその一歩が少しでも良い方向に向かうようこれからの私たちは努力して行かねばなりません未婚既婚を問わず子どもの有無に関わらず女性としての徳分を頂いているお互いがこのひまわり会の場を支部長様の言われるふせこみの場育ちの場となるようみんなで力を合わせて活動してゆきたいと思っております心輝美濃分教会谷内百里佳大教会でおつとめ大会を今回行うと聞いて修養科を出産という形で終了した為最後に大教会の方へ参拝していないなぁこんな機会に大教会へ行きたいなぁそして母のせっかくの親の声こういう機会におもいきって行かせてもらおうという一声で信者さんの順序参拝も兼ねて行かせていただくことができました当日の三日ほど前から六ヶ月になる娘が初めて三十九度の熱を出して私も初めての事なのでこんなに高熱で大丈夫なんだろうか子供の身上は親の心づかいと聞かせていただいているので自分の事を反省してもっと低い心で通らせていただこうとおさづけをさせてもらいました家族みんなに協力してもらって前日には熱も無事下がりました子供の身上で一つ一つ勉強させてもらって親になっていき子供も一つ一つ風邪をひいて免疫をつけていくんだよと聞かせていただきました大教会に着いて義姉さんと信者さんと三人で並んで手おどりをさせていただきましたなんと私は大教会の奥様の真後ろでつとめさせていただいてありがたかったです記念講演の先生のお話本当に心の病気の子供達が増えてきているなぁこれから自分で子育てしていく上でもちゃんと受け止めてあげられるようにしていかないとあらためて思いました大会も終って大教会を後にする私たちをいつも気にかけて下さる方が車が見えなくなるまで手を振り続けて見送ってくださいました本当にあたたかい心づかいがありがたいなぁとみんな幸せな気分でいっぱいになって帰ることができました私も人をあたたかい心にしてあげられるようこれからも日がんばりたいですもっと女らしく天場山分教会仙田真美私は四月十九日が出産予定日だったのでおつとめ大会にはとてもいけそうにないと思っていましたところが四月十五日無事男児を出産し一ヶ月たっても体調が良かったのでこの大会に参加することにしましたまた教祖百二十年祭の年祭活動の最中であるということも決心した理由の一つです大会で支部長様のお話がありましたがその中で真柱様より理想的な女性像とはそばにいて暖かく感じ感性が豊かで何を話しても怒らずこちらの思う通り動いてくれとお聞かせ頂いたということ自分でももっと女らしくならせて頂こうと思いました実修会は自習会瑞雲分教会長西村彦一五月の風薫る中国山地をひた走り若葉の緑が目に優しい風景から早苗がゆらぐ田園風景のそんな小さな町の大きな教会へご下命を戴いた私は小さな胸の鼓動が早成るままに神殿へ課題のカリキュラムの追行を目指したご参集の皆さんは殆んど教人との事今更私が何をと思いつつも先般出雲市へ御巡教下された前真柱様の教話を交えてお勤めもおたすけもひのきしんでありますと続けたそう云えば今回の出向先の会長様は昨年私方へ講師としてお出で下さったので情報も頂いて自分なりの考えで各家庭の縦の伝道について話すことにした自分が通って来た確かな道徳みちのりを自信を持って伝えようそして家に帰って教会での愚痴や小言を絶対言わないああ良かった楽しかった心が救われたと聞こえるように話そう近くで聞いているお嫁さんや子供がそんな良い所なら行って見ようかしらとなります事実私の教会でも親が喜んで通った家庭程縦に繋がっているそれが見受けられます日曜日で学校の運動会が開催中で町の中もひっそり留守宅が多くにおいがけ実習は個でと言うことに成った練り合いの席で大教会に要望が有ると言われるので聞いてみたら昨年の夏前頃に昼食を戴いたら食える物ではなく苦情を言ったら逆に不足を言うなとひのきしんのご婦人に叱られたとの事そう云えば私も昔少し傷んだ物を食べた事が有るその時は遅い時間外でしたこれからの時期特に時間制限が無い管理に問題が有ると思われる最近では其の事を重んじて詰所でも時間制御をして居られます炊事ひのきしんされた結果が苦情でも甘んじて受けて詫びる態度が伏せ込んだ事に繋がり先のご守護になるそれがひのきしんの極意だと思うのであります詰問下さったご婦人はその味よりもその対応の方に味気無さを一層感じられたのでは無いでしょうか話を元に戻して参加下さった中の先輩先生とは今年一月二十七日から三十一日までの土持ちひのきしん五日隊のときもっこの相棒をしてくださった気丈な先輩五日間の体調配分や休息を気遣って頂いた有難い先輩何やら事前にご縁を頂いていたのだなと私にとっては心なごやいだご下命であり私が習わせて頂いた自習会でもあり素晴らしい内容のある教会でのにをいがけおたすけ実修会でありました御参集頂いた皆さん会長様奥様ありがとうございました談話室ある教養掛の日誌福山分教会長田中隆之月日曜日いよいよ教養係が今日から始まる一体どんな人がいるのだろうかおぢばはいんねん引き寄せる場所と教えて頂く自分のいんねんとは何だろう何はともあれ先生という気持ちは捨ててお互いに成人させて頂く気持ちでつとめさせて頂こう月日曜日修養科教養生活もだいぶ慣れてきてみんなの性格も分かってきた成る程いんねんを引き合わせて下さっている事がよく分かる私は元来短気である短気とは自分の思うようにならないことに腹を立てやすい性格である即ち高慢の心が強いのである修養科生さんを見ているとこの人のここが気になるあの人のそこが気になる一人ひとりの癖性分がずいぶん私には気になる良く私は磁石に例えて話をする人の癖性分をマイナス極とするならお互いマイナスの面では反発を繰り返すだけであるしかし自分の心をプラス極癖性分をさんげするに変えたなら見事に相手と引き合う事になる人を見て不足する前に自分の姿を教えて下さっている神様の手紙としてありがとうございますとの心にならなければ月日曜日毎朝駅前でお手振りをしているのだが一ヶ月間しないのでは申し訳ないので詰所でつとめていると妻と子供達が駅前でおてふりチラシ配りをしている姿が頭に浮かんできた離れていても元気で同じようにつとめれることがありがたい今日も頑張ろう月日曜日今日参拝の帰りに神殿おたすけ掛へお話を聞きに行ったその中で神様への参拝はお礼をする事しかし多くの人がお礼そこそこにお願いばかりをする人が多いと聞かせて頂いた成る程早速今から参拝してとにかくお礼をしようと思いついたお礼を心掛けて参拝してみると今までお礼の少なかったことを実感した両親が元気でおってくれること妻が優しく元気に勤めてくれること子供達がすくすくと成長させて貰えること教会に繋がる会長よふぼく信者の皆さんが心を寄せて力を添えてくれることいろいろ出てくるが何もかんもがありがたいお礼のしっぱなしである自分の願いなど一つも出てこないあありがたいお土産を頂いたと勇んで詰所へ帰った月日曜日今日は修養科生さんのおさづけの理の拝戴日である笠岡からは二名の人が拝戴である二人とも朝から神妙な面持ちリラックスして頑張ってと声を掛ける昼過ぎ無事拝戴して詰所へ帰ってきた二人におめでとう今まではおたすけして貰うしかなかった人が今度はおたすけ人となって生まれ更わってきたんだよ親神様は這えば立て立てば歩めという思いで二人の成人を見ている頑張ってと声を掛けるが何とか直ぐにでもおさづけを取り次がしてあげたいその晩一人の人に他の修養科生さんに取り次いで貰った高校を出たばかりの子が一生懸命に人のたすかりを願って今おさづけを取り次いでいる感動で涙が出てきた何と美しい光景なのだろうか月日曜日昨日は一人おさづけを取り次いで貰ったがもう一人の人にも何とかと思っていたら専修科生さんが腰を押さえて歩いている聞くと腰痛がひどいらしいお願いしておさづけを取り次がせて貰ったこの人は入信初代今までおさづけ自体を見たことがない人多少間違いながらのおさづけだったが汗を流しながら必死のおさづけ必ず受け取って貰えると確信した月日曜日教養生活も残すところ数日いんねん寄せて守護すると教えて頂くが少しは成人できたのだろうかしかしおぢばの理をいっぱいに頂いた一ヶ月だったように思う留守にしている教会が気になりながらもみんなが頑張って勤めてくださることに感謝して最後まで頑張ろう安芸の宮島で思う事稲富士分教会長山成友司安芸の宮島といえば日本三景の一つとして全国的に有名な景勝地であり世界文化遺産にも指定された所であります全国からそして外国からも大勢の観光客の訪れる所でありますが地元に住んでおりながら仲訪れる機会もなく先日久し振りに訪ねて見た宮島口から船で十分位の所にあり船の上から眺める宮島の手つかずの原生林を背景に海に浮かぶ厳島神社の朱色の鳥居そして社殿回廊の景観はまるで龍宮城を思わせる程に美しいものです以前に比べると船も大変にきれいで船着場も見違える程広くきれいに整備されていて日本の代表的な景勝地として誇れる所であるとの感を深くした次第であります全国からそして外国の観光客の多いのも驚くほどである信仰を目的とした人達ではなくほとんどが観光で来ている人達の様に思える鹿が多く遊んでいるのは何か奈良公園を思わせる雰囲気がある宮島は太古から島全体が神の島神域とされている宮島の歴史は一説によると神武天皇が東征の砌宮島に寄られた折夜どこからともなく妙なる笛の音と共に女神が現れてこの地は希なる景勝の地であるから神を祭る様にとのお告げがあって神を祭ったのが始めとされているそして五九三年推古天皇によって社殿が創建され一一六八年平家の氏神として平清盛によって現在の華麗な社殿回廊が造営された源氏を倒し平安貴族として権勢を振い栄華を誇った平家厳島神社の社殿回廊の造営国宝として今に伝わる平家納経の奉納あるいは全国から千人の僧侶を集めての千僧供養等神や仏への信仰に篤かった様であるがその平家が後に源氏に追われ須磨で敗れ屋島の合戦で敗退しついには壇之浦で憐れな滅亡と成ったのは何故であろうかお道で教えられる神は願い通りの守護を下さるのではなく心通りの守護と言う事になるのであろうか奢る平家は久しからずと後の世で言われる如くに平家にあらずんば人にあらずと奢り高ぶった一族の憐れな末路ではなかったろうか平家は一族のみの繁栄を願っての信仰であったのではなかろうかたすけ一条は天然自然の道天然自然の道通るには我身我家の事言うのやないでとお示し下さる様に私共この道の信仰者は人間は元の地場において親神様によってお造りいただいき親神様の子供一れつ人間は隔てない兄弟であるとの根元的認識をもって世界一れつ陽気ぐらしの実現に勇んでつとめさせていただかねばならないと華麗なる厳島神社の社殿を眺めながら思ったのである今こそ教祖の教えを信じて木津和分教会松本悦朗私は教祖七十年祭の年におぢばの大学を卒業させていただき直ちに教職の道に就き中高生と共に四十年間を過したが在任中はクラブバレーボールの指導もつゞけたその間には選手としてまた監督としても或る種の全国大会で優勝の貴重な経験もさせてもらった私の指導理念は一人がみんなのためにみんなが一人のために或る監督の格言を教訓にしたものであったがこの精神はスポーツゲームのみのものではない家庭生活社会生活の中でもまた全世界の人の暮しにも共通するものであると私は確信し人生の信条としている激動する今の世の中にあって今こそ心人のため世のために尽くすことの心を育むことが強く求められているのではないだろうかお道の人をたすけて我が身たすかるの教理を天理から全世界に向けて直ちに発信すると同時に我信者よふぼくは教祖の教えを自信を持って粘り強く行動に示すことを肝に刻む毎日である一日も早く世界中が平和で希望に満ちた安らぎのある陽気ぐらしの世の中にと祈る朝夕である明明鏡止止水上原くにゑ奥様の御霊さまに捧ぐ宮本おふさ去る四月二十二日薫風香る清しき日三代会長夫人上原くにゑ刀自様の十年祭がとり行はれました古い話ですが私が宮本家に御縁を頂いたのが昭和二十七年でしたへ御挨拶に上った時くにゑ奥様の御母堂上原みつ奥様がまだ御健在で紹介をして下さいましたあんたが友さん前会長宮本友二の嫁さんかよう来なはったついでだから三曲をみてあげようと仰言って気さくに三曲をみて下さいました初対面でかたくなってゐた私はスーッと肩の荷がおりてホッとした気持が三十年余り経った今でも忘れられません傍にずーっと付き添って下さってゐたお方こそ三代会長夫人上原くにゑ奥様でその後長きにわたり色とお世話頂いたお方でした福山分教会の古老の役員先生が私達婦人達によく話された言葉がありますあなた方は大教会の奥様をよく見習う事ですな気品があって姿がよく慈悲深いお方声もよくてお話は抜群ですいつ会ってもみだしなみがよろしいあの様なお方はめったにおいでになりませんよあなた方もよく見習う事ですなと当時福山分教会も戦後の復興ぶしんが始まってゐました食料が乏しくて大勢の人の中の炊事係は大変な御苦労を下さったものです先輩の方は一刻として休む暇なく物資の調達に心をくだき心を合せて懸命に炊事のつとめにたづさはって下さってゐましたこうした中に女は台として教えられてゐる婦人の方は先輩としてのかたき信念と努力を持ってふしんの地かためをなしとげて下さったのだと思いますその頃のスナップ写真を見るにつけよくぞほんとにこヽまでといつ見ても胸の熱くなる想いがいたしますこうした中くにゑ奥様がお忙しい中おとのを再三再四訪うて下さって色と気配りをして下さいましたこの苦しいふしんの中でこそ因縁も切って頂けるし難をのがれさせて頂くのやと心をこめてよくお話をして下さいました私達は奥様に依ってどんなにか励まされ勇み心をわき起したかわかりませんいよく奉告祭の前日となりました奥様は朝からつきっきりでお世話どり下さいました当時は未だ鉢植えの榊にひもろぎを飾ってゐた頃でした奥様は御自ら絹の五色の布を買って来て下さり榊に合せて長さを定めそして裾の整理五色の色合わせ等心をこめて下さってやっと新しく奥ゆかしいひもろぎが出来上りました正面のよろづよ八首の額面三代会長様の御寄稿に依るものその額がかもゐの上にかヽげられ重い額を受ける為の受け止め金に紅の三角巾を御手づから縫って下さったのも奥様です前日は誠に忙しい手を休める暇もない百畳余の畳が入り建具がはめられるその上婦人会員の手に依る一千コの二重折りの辨当づくり戦争の様なあわたヾしい一日が終りそしていよく御遷座です輝しい朝日がのぼりよろこびの奉告祭です大勢の参拝の方達が一日中感激とよろこびのるつぼにひたって下さった記念すべき日でした私達婦人会は先輩の方に續かなくてはと想い又くにゑ奥様の御親心を忘れる事なく強固な信仰とその裏にひそまれたる親心に対していつまでも忘れることなく後世にうち續けて行かなければ申し訳ない気持一杯でしたくにゑ奥様の晩年は御本部の方の御用が大変忙しくなられ清楚なお姿をおぢばでしばしばお見受けいたしました福山の先輩の婦人会の方が大教会の奥様に大変お世話になったから何かよろこびのお返しでもと申し出され色語り合ったあげく帝釈峡が如何でしょうかとお伺させて頂いた所気持よくお引うけ下さって日を空けて下さいました十月の十七日紅葉の美しい帝釈峡に出向く事に決りました待ちに待った日朝から手辨当をつくりまるで修学旅行に行く様な浮とした晴れやかな気持で奥様を囲みつヽ帝釈へと同行させて頂きました神竜湖の舟の上で晝食を頂き奥様を囲んでの旅は一日中子供に帰った様な思で楽しく忘れ得ぬ日となりました帰りに福節の教会へ一寸寄らせて頂くと仰せ下さって神石の山の中の教会へ御参拝になり伴をさせて頂きましたが未だ初代会長の奥様が健在で永く生きてゐればこんな嬉しくありがたい日もあるのですなあと涙乍らに握られた手と手が離れぬ程の強い握手となりましたその頃の山道は巾一尺位の上り坂で県道からは八米あまり奥様はいそくと上って歩いて行かれ一同もぞくくと後へ續くのです山ぶかい中に建てられた教会へ御参拝下さって教会の方に續いてこそ道と云うのやでと優しく一言お話を下されました山のなかでもあちこちと天理王のつとめするーのおうたそのまヽで一同しみぐとおうたを味はわせて頂きましたくにゑ奥様は優しく教会の方をえぎらはれ暖い親の息をかけて下さったのでした涙がほヽをばあ伝い續ける中をこんなにも喜んで居られるお母様のお姿を拝見してやっぱり大教会の奥様やなあと一同感激した次第です思い起せば次と話はつきませんが私達にとっては偉大なるお母様であり又恩師ととなえるお方でした神様から長命の徳を頂かれた老奥様私達に尊敬の心を一杯一杯抱かしめられた老奥様の偉大なる御人徳ほんとに心一つになって涙した一日でした本年四月十年祭をおつとめ頂いて月日の経つのは早いものだと切実に感じ入ってゐる次第ですくにゑ奥様を囲んで後にも先にもたヾ一度だけの小旅行でしたがにこくと笑をたヽえて喜んで下さってゐる先輩の緒婦に想いを起し今頃は親神様のみふところへ集ってどんなお話をなさっていらっしゃるか知らと合掌廣町分教会前会長夫人こころの詩養徳社発行陽気誌六月号道柳より転載今回の課題は立撰六十五句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます天位東悠分教会長夫人田林美智子ことじあした琴柱立て月次祭を待つ朝準秀詠芳井分教会長夫人佐藤香苗顔を立て傍立てて我身立ち呉市東濱十三雄さん福順分教会長よりの寄稿です病喜録のうたしとど降る天の恵に感謝して静かに光るあじさいの花失望をなんとか希望に置き替えてしびれた足に今日もありがとう往診を受けつつ思い浮かぶのは医薬届かぬ国もあるのに笠岡詰所詩かくしん一皆んな皆んなと泊まろうや祭典前の八三母屋に会長よふぼく共に寝て教理をたづねて明日の糧をもとめて身につけ陽気ぐらしを一二十六日本部の祭典親神様が待っている人間始め元の守護をつとめに手振りに表わして皆んな仲良く他人と言ふはさらになし朝の詩詩かくしん本部朝づとめ一朝まだ暗き窓の外たいこの音にさそわれて神殿に向かう人の浪喜ろこびの今朝づとめおやさまおはようございます雨の御守護をよろこびてやくどうのお手ふりやくどうの顔二朝の明かりはまだ山の向うに空の白らけを待ちかねて人達の足いそいそと喜ろこびの今朝づとめつとめ終まりてかんろう台たたみを照らす真赤な太陽やくどうの色やくどうの時内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さいこどもおぢばがえり詰所受け入れひのきしん期割間当前半月日日夕食月日金朝食後半月日木夕食月日水朝食前後半ともに直轄名直轄名福山名髙屋名島根名上下府中市名立教年こどもおぢばがえり期間月日月日日間テーマ感謝よろこびひのきしん申し込み月日までに少年会本部に日程計画書を添えて申し込みください今年も一人でも多くの人にこどもおぢばがえりを勧めさせていただきましょう中学生には少年ひのきしん隊を勧めましょう各教区支部にお問い合わせくださいなおこどもおぢばがえり記念品の団扇を作成しました各教会で人数円をお願いしますこどもおぢばがえり期間中詰所模擬店開催日月日日日月日回場所詰所中庭時間毎回時開始時まで出し物かき氷フライドポテトたこ焼輪投げスーパーボールすくいいずれも回円チケットは当日時半より詰所ロビーで販売します教会毎にまとめて購入して下さいスタッフに当っている人は午後時中庭集合準備ですひのきしんの協力をお願いします直属ひのきしん特別隊期対間月日金日金象歳までの男子よふぼく名直属ひのきしん日隊第次隊期割間当参加御供月日水日日直轄名直轄名島根名久松名円福山名髙屋名上下府中市名計名英語講習会期間受講対象受講御供持参品プログラムお問合せ月日日午前時受付日火午後時頃解散中学一年生以上高校大学生一般円英和和英辞典筆記具着替え洗面具パソコンを使った英語の学習英会話おつとめレクチャーひのきしん詳細はスタッフの香取雅人吉岡誠一郎へご連絡下されば大門駅まで送迎致します青年会新入会員研修会期場少年会から青年会へとスムーズに移行してもらいたいとの思いからの開催です中学を卒業した若者を対象に少年会キャンプのスタッフとして参加してもらいしてもらう立場からしてあげる立場に成人していくことを目指します間月日日日火所少年会サマーキャンプ開催地少年会笠岡団夏季練成会サマーキャンプときところ内容対象定員参加御供申し込み月日日月日火泊日島根県浜田市石見海浜公園キャンプ場キャンプファイヤー野外ゲーム海水浴他小学校年中学校年高校生は係員名円米合と野菜品月日までに各ブロック委員までどうぞ青年会全分会布教推進週間期間月日日月日日例年通り全分会にて布教推進の活動を計画していただきたいと存じます尚今年は加えて各ブロックごとで布教を啓蒙するような活動を行う予定です単一分会での活動が困難な場合ブロック行事には必ずご参加下さい詳細については下記各ブロック担当者にお尋ね下さい直轄淺野明教大教会福山藤本晴司西村分教会高屋瀨良昇高児島分教会島根門脇裕教島根分教会久松中村真人久松分教会上下高田一弘眞府分教会府中市山田睦浩甲井分教会立教年全教一斉においがけでー一斉活動日月日火日水日木月はにをいがけ強調の月です全家庭へにをいがけ支部より割り当てられた地域に対して一斉活動日を除く日に教会独自で計画を立て責任をもってリーフレットの完全配布をさせて頂きましょう教会長は一斉活動日に一人でも多くのよふぼくを連れて参加させて頂きましょう遠隔のよふぼくには地域での一斉活動日への参加を強力に呼び掛けて下さいリーフレットを教会から送付する各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください五月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供かわいいの親心から目に青葉山ほととぎす初鰹と詩にもうたわれる素晴らしい芽ときどき生えの季節の御守護等を通してお育て下さるばかりでなくその旬の心にふさわしい身上や事情を通してお仕込み下さり陽気ぐらしへ向かう成人の道へとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日御礼申し上げると共にその思召を未だ知らない人に伝えるべくにをいがけおたすけを通してたすけ一条の御用に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの名称にお許し下さいました御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて五月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集い同じ思いに伏し拝み尚も親心にお縋りする皆の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向う三年千日と仕切って成人の歩みを進めさせて頂いている二年目の今年に当たり一人でも多くの人の成人を急き込まれる上からせかいちうをみな一れつをたすけたさそこでためしがゑらい事やでとまず道の子の上に身上事情を現して成人をお促し下さっております事は誠に有難く存じます只その急き込みが大変厳しいゆえについ心を倒しがちではございますがお仕込み頂くそのにん人に限らず見るもいんねん聞くもいんねんとお聞かせ頂く上から思案して笠岡に繋がる全ての人が我が事として思案し共に励まし合い扶け合って少しずつでも思召を悟らせて頂いてそれに答えるべく一歩ずつ着実にたすけ一条の成人の歩みを進めさせて頂く覚悟でございますその為にも実践項目の実動はもとより子供おぢば帰り等の各行事も惰性に流される事なく丹精や成人の糧となるよう一つ一つを大事につとめさせて頂く所存でございます何卒親神様には旬にふさわしい成人を目指し精一杯勤め切る皆の真実誠の心をお受け取り下さいましてたすけ一条の上に更なる自由の御守護を賜り我身思案で荒び勝ちな人の心が扶け合いの真実の心に立て替わってお望み下さる楽しみづくめの陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます実践項目集計月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所大教会だより教会指令代務者任命願新山邑分教会担任三島克巳代務者三島渉第七五五期修養科修了者修了芳井山口晃治上小畠田中慎一郎福芦佐藤昌子東福山池田カメ子真金猪原縷理子教会長資格検定講習会修了者前期終講鶴眞延原光生多古浦田中みゆき直属ひのきしん五日隊世話班弥髙山岡﨑和夫雲東三代温生参加者髙屋久安玉枝島根足達豊明久松中村剛久松中村剛史鶴山中島誠治海松ヶ岡宮崎智司吸江赤木素志吸江明石市明石市上下東城東城油木福岩福岩福年引野福春深安笠尋芦常芦辺御野髙児島亀田山簸ノ川瑞北清嶽國須河佐阿木行葦沼山地孝志杉原智子杉原万里子田中勇横山雅人横山章黒瀬修弍水本一利水本実子宮地正谷屋冨男牧佳子北村立人三嶋利夫原公彦松岡睦代池田孝志瀨良善彦高橋信男津森まみえ福島理江岡田サカエ橘高俊子中畠實田原節夫三島順敎五月のひのきしん推進月間で参加した小雨の公園清掃ひのきしんで素晴らしいにをいがけの光景に出会いましたそれは私の三メートル横で若い母親と四五才位の男の子が共にカッパを着用し親子睦まじく草取りに励みながらほのぼのとした会話の中に元の理かしものかりもの十全の守護を分かりやすく自然に話している姿でした母けん君雨のお陰で草が気持ちよく取れるね子うん小さい草も根から取れるよ母雨も神様のお恵みよこの草や木も山や海も空やお日様も猫や犬も皆神様がお創り下さったものよ人間もねこの世の中で仲良く楽しく暮らす様子を見たいと言われて神様がお創り下さったのよだからけん君やママの身体は神様より借りているものよだけどこの身体使ってどの様に考えてどの様に動かすかはけん君やママに任されているのよ大切に使おうね子うんママみんなひのきしんひのきしんといっているけどひのきしんて何母ひのきしんはねけん君もママも元気な身体を神様に借りているわねーそのお礼に人に喜んで頂く事をしてお返しすることよ人が喜び仲良く楽しく暮らす様子は神様に一番喜んで頂けることよそしてまた神様から元気を頂けるのよわっかた子うんわかった人に喜んで頂くことをするんだね等など実に見事なにをいがけに感歎し自分は生半可な教養で如何にも熟知しているかの様な態度で易しいことも難しく表現しているのではないかと反省した次第です
かさおか

『かさおか』第43巻 第5号

初代様直筆の掛軸作備分教会所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次本部婦人会総会おぢば管内学生新入生歓迎会四月十九日第八十六回婦人会総会が午前九時半より本部東礼拝場で開催されました例年は本部中庭で開催されますが今回は雨天の為会場が変更されたのです東礼拝場に入れない方は北と西の礼拝場へ又東西礼拝場の階下回廊にもあふれ会員約五万人が参集しましたその中私達笠岡支部では各委員部でバスや車等を出し五百余人が参加しました正午から教祖百二十年祭への歩みの中でと題して第二食堂第三食堂東講堂附属高校講堂親里高校講堂の五会場で講演が行なわれ一万四百三十人の会員が聞かしてもらいました又第三食堂では笠岡支部より亀田山前委員部長の高橋た満さんが話されました婦人会常任委員今川佐智子去る三月二十五日日おぢば管内の学生を対象に詰所で新入生歓迎会が開催されました現在笠岡につながる学生が高校大学専門学校等三十名以上おぢばの学校で学んでいる中当日は大学生医学技術学校生合わせて十四名内新入生は十二名が参加してくれましたまず大教会長様はおぢばについておぢばは親神様のお鎮まり下さる所であり世界一れつたすけたいという親心あふれた所であると説明されおぢばで学ぶ学生に世界一れつたすけたいという親神様の思いを実行する人たすけたいという思いを持てる人になってほしいとお話し下さいましたその後記念撮影昼食ランチバイキングボーリングとみんなで楽しいひとときを過ごしました学生担当委員長吉岡誠一郎素直に勇んで地道に川島郷分教会長香取雅人昨年に続き今年も島根まで出向し多古浦分教会で開催されたにをいがけおたすけ実修会に参加させていただきましたおつとめというとても大切で難しいテーマでしたが参加された方の反応が良く私の稚拙な講話にもかかわらずとても熱心に聞いてくださったので非常にしゃべりやすく与えられた時間が驚くほど早く過ぎてしまいました当日は晴天に恵まれ実修会に参加された大勢の方と共に大変気持ち良くにをいがけに歩かせていただきました教会の近くには加賀潜戸や多古の七つ穴などという日本海に面した風光明媚な観光名所もありどんな所か行って見たいなあと心のどこかに不謹慎な遊び心がふと湧いて来ましたが気持ちを引き締め一軒ごとの戸別訪問をさせていただきました多古浦分教会は平成年に現在地に移転してきたため当初は地元にも馴染みが薄かったということですが移転後年目から地域への全戸にをいがけを心掛け教会を挙げて取り組んでこられました現在では部内の布教所やよふぼく家庭の近辺へのにをいがけも夫の方が責任を持って勤めておられ毎月部のチラシを配布されています私が訪問させていただいた所は教会に隣接する北垣という地区でしたが日ごろの教会の方のきめ細かい活動のおかげでどのお宅を訪問させていただいても非常に気持ちよく応対して下さり中には有難うございますとお礼を言って下さる方もあり戸惑うほどでしたにをいがけ後の練り合いにおきましても参加された方が大変勇んでおられ数名の参加者のうち名の方が訪問先でおさづけを取り次がせていただいたと喜びいっぱいに報告されましたやはり旬の動き親の思いに素直に添わせていただこうというところに親神様教祖からの大きな追い風のご守護を頂戴していると感じざるを得ませんでした私どもの教会でもこの時旬の大きなうねりに乗せていただけるよう地道な日の活動ときめ細やかな丹精を心掛けていきたいと改めて思わせていただきました山の中でもにをいがけ福東分教会藤井保人去年に続いて第二回目の実修会をつとめさせて頂きました今回はおつとめというテーマのもと勉強させて貰いましたおつとめと言っても幅が広くこれだけというわけにもいかず他の教理も合さりながら成立っているのであると思いましたそして出向当日不安と緊張の面持ちで当該教会へ行かせて頂きましたいつも以上に参拝に時間をかけて神様宜しく御願いしますと縋る思いで三殿を拝させて頂き勉強会に臨ませてもらいましたしかしと言いますか私の未熟さぶりを正直に発揮する結果となり改めて教理に対する姿勢の足らなさの大きさに反省と気落ちした次第でありますその後二つのグループに分れてにをいがけに廻らせてもらいました会長様よりダムの方へ行かせて貰いましょうと言われ車で向ったのですが行けども着けども周りに家らしい建物はなくそれどころかますく景色は山深くなる一方でどうするものかと思っていた処信者さん方が車から降りるなり早速ダムを見学に訪れている方へ気軽に話をされている姿を見て成程ダムでのにをいがけとはこの事であっ実践項目集計月たのかと思い後を追うようにして声掛けをさせてもらいました匂いがけとは住宅を一軒歩くという観念が強いだけに意外ではありましたが何も特別なきまりは無くどこでもいつでも心一つで神様の御用はさせて頂けるのであると実感させて頂きました又私のような届かん者に最後までお付き合い下された教会の方に御礼を申し上げる次第であります誠に有難とうございました百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所修養科生活について芳井分教会山口晃治七五五期六才私は事情から芳井分教会に住み込みさせて頂く事になりました家は代仏教でしたので天理教の事は聞いた事が有る丈で全く何一ツ解りませんでした会長さんのすゝめで修養科へ入学させて頂きました最初は不安でいっぱいでした何しろ今迄した事のない事をするのですからはたして皆について行けるだろうか無事に卒業出来るだろうかそう思いつゝ一週間十日とたち考えれば桜の花に迎えられそして鯉のぼりに見送られると言う一年で一番良い季節に巡り会えたものです毎日授業とひのきしんをさせて頂いている内に心もしだいに落ちついて来ました感話の時間には感動し修養科には身上事情をかゝえた人がガンバッテおられるすがたを見て私も三ヶ月ガンバローと思う様になりましたその内に友達も次と出来お互い助け合いはげまし合いながら毎日を送っています気が付けば余す所一ヶ月となり今では鳴物もお手ふりも出来るようになりました教祖の御守護を頂く事が出来たと感謝して居ますある日友人から相談を持ち込まれその話を聞くと自分の若い時と同じ問題でしたので体験談を話した所数日後にその友人から山口さんに相談して良かった問題がうまく解決出来たので今御礼参拝に行って来ましたと言われた時はあゝ良かったこんな自分でも人様を助ける事が出来たと涙が出そうになりました私の心の入替が少しでも出来たのでしょう後わずかな間に六十年間積もったほこりを少しでも払う事が出来良きよふぼくになって帰りたく尚一層勉強とひのきしんに汗を流し清らかな心で卒業したく思って居ます命の大切さ福芦分教会佐藤昌子私は高校を卒業と同時に修養科に出させて頂きましたがこの三ヶ月間は私の人生においてとても重要なものとなりました修養科に入り生活にも慣れ楽しく過ごしていた四月の半ば私のもとに一本のが入りましたそれは友達が出直したというものでした私はすぐに実家に帰らせて頂きお通夜とお葬式に出席しました出直した友達とは中学時代の同級生で死因は交通事故でしたあまりに突然すぎてなぜ彼女なのかと納得がいかないし今でも信じたくありません私は今回のことで友達の大切さに気付き命のはかなさを改めて実感しました明日の命は本当に分からないということを友達はおしえてくれました友達のことを聞いた時人は皆もう運命が決まっているのかとすごく考えましたもしそうだとしたら明日死ぬ運命の人が今日やりたいことや夢を持ちそれに向けて頑張っているそんな事悲しすぎます出直した友達だってやり残したことがたくさんあるはずです生きているということはあたり前のことではなく本当に奇跡だと思います人の命は一瞬で四月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますくら親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護とお導きを頂いて日は結構に恙なく生活させて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます特に今は春まっさかり大教会の花も梅から桜へ桜からつつじへと咲き替わり緑も日毎に青さを増し草花の芽生えの勢いをそのまま写して心にも勢いをお与え頂き日は喜びと感謝の気持ち一杯に朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じを念じてたすけ一条の御用を果たすべくにをいがけおたすけにと勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡の理にお許し下された四月の月次祭を執り行なう日柄でございますので只今から今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達と相共におつとめ奉仕者一同喜び心をみかぐらうたに託し声高らかに唱和しつつ勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます四月十八日の教祖御誕生祭に想いを馳せ尚も勇む皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて来るべき教祖百二十年祭に向けおぢばでは諭達第二号の発布に始まり諭達巡教続いて地方講習会そして現在は道の先達大会を開催し年祭にふさわしい成人が出来るようにとお導き下さっております加えて別席に繋がる基礎講座修養科に繋がる三日講習会と次にこの旬に始められお仕込み下さると共に伏せ込みひのきしんを通して理作りをもお仕込み下さっております誠に有り難く存じておくらしりますその上で一番大事な事はそれらを日の生活にいかに活かして行くかという思いから一一歩前進百万軒一おつとめの徹底とひのきしん一機を逃さずおさづけの取次の三つの実践項目を揚げて実動に邁進させて頂いております二年目の今年更なる実動を申し合わせるべく来月は改めて直轄巡教をさせて頂いて笠岡に繋がる皆が心を揃えて一手一つに勤めさせて頂く覚悟でございます何卒親神様には届かぬながらもどうでもと親心に応えるべく成人の歩みを進める皆の真実誠の心をお受け取り下さいましてたすけ一条の上に温かい親心をお現わし下さりたすける方もたすけられる方も共に喜び合ってそして共に成人の歩みを進められますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます散ってしまうそんな中で生きているということは奇跡としか言いようがありません息を吸える空を見上げられる温かいと感じることができる生まれてきて今という時を過ごしているすべてが奇跡的なことですこんな大切なことに気付かせてくれた友達には感謝してもしきれませんそれに親神様が命の大切さをまわりの人に伝えていきなさいと私におしえてくださったのかもしれません悲しいこと辛いこと嬉しいこと楽しいこと幸せなことそれは生きているから感じることができるのです他の動物ではない私たち人間だけが感じることができるのですこんな素晴らしい身体を親神様から貸して頂いていることに日感謝していかなければならないと気付きましたこう気付くことができたのも修養科に来ていたからかもしれません普通に生活していたら出会うことのなかった人と修養科では出会うことができますそしてそれぞれに身上や事情をかかえておられましたその方たちと接していて毎日が勉強になったし自分自身成長できたと思いますだからこそ命について真剣に考えることができました友達が出直したことは本当に辛いことですが友達の分まで精一杯生きて幸せになりたいと思いますそして命の大切さをまわりの人に伝えていきますきっと友達も天国で喜んでくれることを信じて明明鏡止止水四代会長様を偲んで宮本おふさ四代会長様は丁度私とは同年代で福山分教会へ御巡教頂く時は未だお互に若くて私も接待係としてつとめさせて頂いて居りました神殿参拝のあと福山分教会長夫妻と共に役員御つとめ奉仕が御挨拶にまいりますその後暫く茶菓をお召し上がりになりホッと肩の荷を下して頂きます私はいつもの如くお召し替えの準備をして紋付羽織袴に着替えて頂くのですが一寸足袋をよく見といてヤの言葉が発せられるのですよく考えると私もおつとめ着の中に入れた筈の足袋を忘れてゐた事があったので大教会長様もやはり同じく足袋が心にかヽっておいでなのだなーと思っておりましたけれども何時御参拝下さっても必ず口を開かれる言葉が足袋見といてヤの言葉でしたそのお声が未だに生しくて私の耳の奥にはっきりと刻み込まれてゐます大教会長様はとてもよくお気がつかれてその上寛大な心をお持ちになって私共になる可く心を使はせない様にとのお心使いが伝はってまゐりますおつとめも神殿講話も無事終り落着かれたところで晝食ですいつもおいしいくと召し上って下さるのですが十月の御大祭は又別格です福輝分教会から献饌された松茸をお下げして急いで七輪に炭火を入れてアミで燒くのです秋の味覚が部屋中に宏がり松茸の香が臭覚をゆすぶります三杯酢で召し上って頂くのですがおいしいぞこれはうまいと大変喜んで下さるのが嬉しくてお接待させて頂いたものです御挨拶に来られた役員さんやおつとめ奉仕者青年会婦人会の人達夫に燒松茸の一切れを御自分のお手で相手のお口に入れて居られたお姿が忘れられません大変親心がおありで情に厚く大教会長様の心根を垣間覗かせて頂いた思でしたもう何十年も前の事でしょうか私方の部内の福勇分教会へ御巡教下された時の事ですこんな末端の教会までと一同かたく謹聴してゐる中で大教会長様は心をほぐし講話を柔く暖い雰囲気が流れる中の神殿講話でした宏く優しいお心をおかけ下さるのだなーとしみぐ静聴させて頂くと共に大教会長様ともなればさきざきまで心を使って下さるのだなーと感じ入ったものでした晝食は客間と云っても八帖間の古い建物でしたが御婦人の方達が次御挨拶に来られお流れを頂戴して和気あいくとした中で唄でも歌おうかと仰言って下さり急いで持参して下さった福広の会長さんのカラオケで一番に唄はれたのが古賀正雄作詩作曲の影をしたいてでしたまぼろしのかげをしたいてと唄は流れみんな唱和しました次と古賀メロデー美空ひばりさんの歌佐渡情話リンゴ追分け等まるで大教会長さんが傍においでになるのを忘れる程に一つ心に楽しく歌はせて頂いたのでした大教会長様はしっとりとしたこんな唄がお好なのだなーと暖い安らぎの雰囲気が部屋中を和やかにして下さいます時にはきびしく又優しく暖い親心でつヽまれときて一同楽しく嬉しく胸の中を洗はれる様で刻は過ぎて行きました大教会長様はやはりときときの場所に合った教会の成人程度を見計り乍ら善処して下さるのだなーと会長様の御人格と御人徳に心を打たれた次第です重い原爆症を背に負い乍らよく頑張って下さったものだと心から尊敬し信服いたしている次第です足袋を見といてヤーのお声が今だに一番忘れ得ぬ思い出として懐しく又うら悲しくよみがえってまゐります本年十年祭をおつとめ下さるに当り在りし日の事ども色に思い浮べ今一つ私には大きな御恩を頂いております憩の家から事情部講師としての要請にすぐに御推薦をして下さったのも大教会長様でした事情部講師と云ってもでは初めての人事で先輩は居られなくて途方に暮れた日もありましたがお蔭で十五年間三期無おも事つとめ終えさせて頂きました憶えば他所では絶対に味はえない事どもを憩の病院で経験させて頂き大変勉強になりましたそして又笠岡以外の各大教会役員様方の立派な先生方とも話し合いなり勉強会などさせて頂きました事ども想い合せて私の全生涯に大きな花を咲かせて頂きかけがいのない御用と思い出を残させて頂けたのも大教会長様のおかげでしたこヽに深く厚く御礼を申し上げさせて頂きます御霊様ほんとうにありがとうございました合掌廣町分教会前会長夫人こころの詩養徳社発行陽気誌五月号道柳より転載今回の課題は直撰六十二句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠川島郷分教会前会長香取敏子素直さを座右の銘に道を生き佳詠芳阪布教所長杉原幹夫天の理が素直に治まる嬉し日呉市東濱十三雄さん福順分教会長よりの寄稿です病喜録のうた悲惨なりテロに戦争あちこちでヒトの心の貧しさ思う我学ぶ上手な戦争選ぶより下手な平和の方がまだ良いーある国のことわざー病根と戦う事はもうやめた旅は道づれ仲良く行こうはっぴしあわせ笠岡大詩かくしん一白き太字の天理を背中に背負ってうれしきマイはっぴ婦人総会参加のうれしさ今日はおぢばに集いきていさんでいさんでハッピー二胸にかがやく教会名の笠岡の文字かがやきてマイはっぴ朝な夕なのひのきしんつとめはげもういそいそといさんでいさんでハッピー三ようこそおかえり八三母屋え島根広島岡山の友マイはっぴ老会長老奥様前会長の年祭つとめたよろこびにいさんでいさんでハッピー土持ちひのきしん笠岡五日隊作詞かくしん三番以降割愛しました一つ一に土持ちひのきしん空に太陽さんさんともっこにのおていそいそと行き交う友の笑顔美し二つ不思議ふしんのひのきしん四月初めの桜の下で爽やかな風一息入れて持つ土の重さ心爽やか談話室私の布教日誌福芦分教会前会長夫人すみのへ身は黒衣にやつせども竹本久子昨日のにしき今日のぼろたずぬる里の空しさは道を説きつヽ泣く心水戸黄門のあヽ道一條の夢ははるか府中本通り商店街のど真中から道一條を志し黒一色のハッピを着て毎日く匂い掛けに歩き黒一色黒衣のハッピに身をやつして水戸黄門のこの唄を口ずさみながら聞いてくれる人もない中から布教の第一歩が始まり筆舌にもつくせない日を昭和四十二年から三十年通り抜け会長共に歩いた道は長く短くその結果は三百人近い用木と立派な神殿建築の御守護を頂きました朝夕のおつとめを檜の香たヾよう神殿でつとめさせて頂き此の上なき喜びの日を通らせて頂いておりますすべてを後継者に托して私自身は匂ひ掛けを主とした趣味とボランティアで時間に追ひ廻されて過しています編物が好きでしたが現職でいる間はひまがなくて出来ませんでしたが編物を初め編物のの先生に認められて文化センターの講師をさせて頂く様になりました私方教会へも毎月十五六人の人が講習に来て下さいます皆もう十年近い人達ばかりで早く編めるすばらしいストレッチ編を教へて頂いてよかったなあと皆よろこんで下さっていますボランティアでは新市町更生保護女性会の会長を三期つとめさせて頂いて丁度保護司の五十周年と更生保護女性会の四十周年と有り東京の武道館で県の代表として行かして頂き天皇陛下御夫妻に感謝のお言葉を頂き東京都知事からもねぎらいのお言葉を頂戴致しました日本全国更生保護女性会の最初の会長様島津久子先生や保護観察署の署長さんや様の方との交流も出来て中国地方から東京大会へ招かれて二回も行く事が出来て私しの布教日誌の一頁として大切な思出の一こまです人様が勧めて下さった事を何でも素直に受けて出来ても出来なくても会長に沿って精一杯つとめさせて頂いた事が今日の姿だと思わせて頂きます現在は長寿会の女性部長としてお世話させて頂いております昔からの習慣で長寿会全員で観音様へ年一回参拝されるのです小さなお堂に一杯で外にゴザを敷いて意味のよくわからない観音経を皆さんで読み御詠歌を唄って何千年も続いて来た佛教にはかないません私方広いく教堂で参拝下さいと云いますがまだそこ迄は行きません何とかお地場へお連れしたい想ひ一杯なのですが何ヶ月経っても別席人一人もならずこのまヽでは老人はだんくと弱って行かれます若い後継者の布教意慾を願ひ共に努力して八十年祭九十年祭百年祭の勇みに勇んだ団参を今一度見たいものです人が勇めば神も勇むと教へられ月の祭典に又団参にと用木信者共に勇んで元一日に帰りたい心一杯ですこかん様に続く会対象中高校生日時月日土午後時半日日午後時内容支部長様お話ひのきしんにをいがけお楽しみ行事等参加御供大勢の参加をお待ちしております直属ひのきしん五日隊第次隊期間月日日縦の伝道講習会ときところ内容対象月日月少年会本部委員によるお話し親から子へたすけ一条の心を伝えよう教会おとまり会と親子参拝の実施教会長夫妻布教所長隊育成委員長よふぼく信者婦人会伏せ込みひのきしん団参日場内対時所容象月日日正午西礼拝場本部西境内地拡張整備ひのきしん現場正午お礼参拝西礼拝場午後時ひのきしん午前中ひのきしんも可雨天神殿回廊ひのきしん婦人会員青年会笠岡分会伏せ込みひのきしん別席団参日内程月日日頃容こどもおぢばがえりおやさとパレードフロート製作作業ペンキ等を使用する作業も予想されますので汚れてもよい服装でお願い致します詳細については下記各ブロック担当者までお願い致します直轄淺野明教大教会福山藤本晴司西村高屋瀨良昇高児島島根門脇裕教島根久松中村真人久松上下高田一弘眞府府中市山田睦浩甲井直属ひのきしん特別隊期間月日日こどもおぢばがえり期間月日月日日間テーマ感謝よろこびひのきしん申し込み次月日月日最終月日までに少年会本部に日程計画書を添えて申し込みください詰所受入ひのきしん月日月日期間中日間詰所中庭で模擬店を開きます今年も一人でも多くの人にこどもおぢばがえりを勧めさせていただきましょう中学生には少年ひのきしん隊を勧めましょう各教区支部にお問い合わせください各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください大教会だより辞令付登用承事上原澄雄森本忠平谷内伸自準承事高木昭祥横山逸郎上原浩上原志郎田中隆之山野弘実婦人おつとめ奉仕者森本冨美子中村満子岡﨑豊子教会長資格検定講習会修了者前期終講明石市杉原智子引野谷屋賢三原原稿稿募募集集内容小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字本部食堂ひのきしん仲條福田和子字数題名所属教会名氏名匿名可を明記して下さい俳句等は句からでも結構です寄稿先大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい三代会長様御夫妻四代会長様年祭去る四月二十二日午前十一時より三代会長上原繁雄様二十年祭四代会長上原郁雄様十年祭三代会長夫人上原くにゑ様十年祭が世話人島村廣義先生祭主のもと大教会祖霊殿にて執り行われ大教会役員部内教会長らが参拝しましたなおこれに先立ち二月三日午前十時より本部祖霊殿に於いて同年祭がつとめられ島村先生祭主のもと本部関係者関係大教会の方上原家親族家族が参拝する中併せて四代会長様の合祀祭も執り行われましたこの四月平成の大合併の掛け声のもと我ヶ町も郡から市へと変わったそれと同時に市長選市議選ダブル選挙地元選出議員の応援でモー大変それぞれの家から二三日は会社を休んで交替で選挙カーに乗り込み必死です私くしめも三日程選挙カーの運転で朝八時から夜八時迄候補でございます候補が御挨拶にまいりました何卒よろしくくお願い申し上げますと連呼連呼手を振ってくださる人には車を降りて握手握手又握手それぞれの陣営共候補者共体力勝負の感ありでしたこの数日間関係者の一生懸命な姿この中に身を置いていてなかなかいいものでした結果としてトップ当選だったと言う事もありましょうがさて私達よふぼくもこの度の投票日である立教百六十九年一月二十六日教祖百二十年祭に向け選挙戦も中盤教祖党の候補者の一人として一票でも多くの徳を戴ける様頑張りましょう
かさおか

『かさおか』第43巻 第4号

初代様使用の湯呑と茶托岡本久善氏所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次大教会長様を囲んで直属アワーに集った学生たち立教年春の学生おぢばがえり道の学生たちの祭典立教百六十七年春の学生おぢばがえりが三月二十八日友とおぢばへをやの思いを胸にをテーマにおぢばで開催され大学生短期大学生各種学校生高校生ら四千八百五人が参加した本部中庭で行われた式典で真柱様は年祭の旬に学生として相応しいお道の求め方歩み方についてお言葉を下された式典後は五つの教区岡山広島鳥取神奈川愛媛から参加した学生が笠岡詰所に集合して直属アワーが行われたまず大教会長様より人間は何のために生きているのか人のために役立つように生きているおたすけをできるのがこのお道のありがたさである学生層というのは自我に目覚める頃だから今はわかりにくいと思うがわからないなりに人のためにという気持ちを持ち続けてほしいとお話があったその後全員で記念撮影他己紹介の後詰所にてカレーを頂きマイクロバスで桜井市のボーリング場へ移動みんなでボーリングを楽しんだなお参加者は学生二十四名学担七名であった学生担当委員藤本芳久鼓笛バンド講習会長く厳しい冬も終わりの春の訪れを告げる風物詩笠岡団笠岡むつみ鼓笛隊春季講習会が大教会を会場に今年も三月三十日から四月二日にかけて開催されました少年会員九十三名育成係四十名総数百三十三名の参加者のもと賑やかに開催することが出来ました今社会では少子化の波が押し寄せ各種学校の閉鎖などが問題になっております以前にニュースで少子化についてのデーターを述べられていましたがこのまま日本が少子化状態で進んだならば二百年後はっきり覚えていませんが位には日本の人口は一桁になるという統計を出していました二百年後まで私達は生きていないので分かりませんが少なくとも五十六十年後には日本の総人口は極端に減少傾向へと下降していくのではないでしょうかそうしたことを思った時に今少年会の鼓笛に携わる者として今現在少年会活動を通してお道の信仰を伝えていくことは非常に大切なことであり大きな重責を担っているのではないかと感じずにはおれないのです確かに今は鼓笛隊員の数も少なくなっておりますが五十六十年先を楽しみに出来る限りの努力を惜しまず鼓笛に参加した子供達に鼓笛をやってて良かった鼓笛を通して学んだことが役に立ったと感じてもらえるようそして少年会の柱である立派なよふぼくに育ってもらえるよう係員一同足並みを揃えて進ませてもらいたいと思っております余談ではありますがこのまま一般家庭の子供が少なくなり逆に教会の子供が増えていくと日本は天理教だらけになるのではと感じるのは私だけでしょうか今回の講習会も最終日に笠岡団おつとめまなび総会でのお供え演奏を親神様教祖そして総会参加の皆さんに見て頂きました下は未就学から上は中学三年生までの隊員が一生懸命に演奏演技する姿はいつ見ても感動を与えてくれます私達はこの感動を味わうために鼓笛を続けているのではないかとも思えますまだまだ未熟な者ばかりでありますが一生懸命に努めさせて頂きますので一人でも多くの少年会員の鼓笛参加をお願いします鼓笛責任者田中隆之少年会おつとめまなび総会少年会笠岡団おつとめまなび総会を鼓笛春の合宿に引き続いて開催させて頂きました前夜からの雨も上り晴天の中四百名を超える参加を頂いてにぎやかにつとめさせて頂きました神殿では各下り各鳴物ごとに役目に当たっている少年会員がきちんと整列して育成会長様のご入場を待ちました午前九時半より奏楽の中育成会長様の御臨席を頂き少年会員による祭儀式では緊張しながらもおごそかにおちついてつとめる事が出来ました引き続き坐りづとめから十二下りのおつとめをにぎやかに陽気につとめ日頃の練習の成果を親神様教祖に御覧頂きましたおつとめは後は式典で育成会長様より子供達にとって身近な事柄から例を挙げて分かりやすくお話し下さり続いて誓いの言葉を全員で元気に唱和した後わかぎ門出式が行なわれましたこの春中学を卒業する十二名の少年会員に記念品を贈呈副団長よりお祝いの言葉を頂いた後別室にて学生会との引き継ぎ式が行なわれました神殿では鼓笛隊の御供演奏が行なわれ合宿での練習の成果を見て頂こうと一生懸命演奏する隊員に大きな拍手が贈られました昼食では婦人会が作って下さいましたカレーライスをおなか一杯いただき午后からのアトラクションでは各ブロックに分かれチーム対抗のゲームラリーを楽しみ喜びの中今年の総会を終えさせて頂く事が出来ました今日の日を迎えるに当り役目に当っておられます少年会員のおつとめの練習の上にはお忙しい中御指導頂き誠にありがとうございました又婦人会学生会その他各会の方に大変お世話になりました事をこの紙面をお借りして御礼申し上げますありがとうございました少年会副団長北川治史談話室聞き分け油木分教会長黒瀬修弍聞き分けの良い子は親は一層可愛く万人に好かれます又子供も安心と楽しさの中で元気に育ち強運に恵まれて大成の発展となりましょう理に叶った安心の境地で生涯楽しむ事が出来誰もが望み念掛けるところでありますそれが実際にはその様に出来なくて努力の割には良い結果が得られずに悩み更には絶望に陥る事さえあります個性が強過ぎると人の云う事が聞かれない自分の思いは通し度いそれで良く行けば良いのですが大抵の場合逆の面で苦悩する事が世の中には多くありますなんぎするのもこころからわがみうらみであるほどにみかぐら歌十下り目七ッとお教え頂きます恥ずかしながら素直嫌いで強情者の私は幼少の頃から人の云う事が素直に聞けずもの事の理解が鈍く心の狭い性格のため人と共に楽しむ事が下手でした親の信仰のお陰で助けて頂き今日迄結構にお連れ通り頂いて参りました親程に信仰熱心でない私ですが親以上の重要な立場にお引き出し頂いてお与え頂いた信者の修理丹精の上で苦労し我姿を鏡に写した様で恐ろしく目覚めさせられました深く反省して感じた事は聞分けの大切さでした耳が二ツに口が一ツふたつ聞いて一ツ云えと云われた言葉が心にしみています私事に親から用事を云われて不満的な行動の時がよくありましたそんな時親はいつも労いの声をかけて喜んでくれましたその度に悪かったなと心で思い一人で和んだものです親神様の用木と云えども心の未熟さから成すべき御用も心から喜んで出来ない時に重たく感じる事もしば行動はするものの喜び心の薄い誠に申し訳ない事です親の声は先づ受けて納得得心はさておき行動出来れば結構それが聞き分けであり親につながっている限り自分の心がどうあろうとも親の理に守られて身の立つ様に救い上げて頂け神るやりたくない事をして居る時こそ親の心は子供に向けられ不足が大きいだけ可愛さが増し神マイナスの分は親がかぶってでも子供の身が立つ様に本当に親程有難いものは御ざいません喜びも有難さも後で感じられるものでした実践項目集計月おかきさげのお言葉に言わん言えんの理を聞き分けるなら何かの理も鮮やかと言うと御ざいます成人への歩みを早めて悔いのなき様つとめさせて頂かねばなりません時旬のつとめは皆挙って歩みをそろえてつとめ上げ成人の喜びを共にさせて頂こうとの親の声に応えさせて頂き度いと我通りた道はふり返えらず只前向きにひたすら御恩報じを念じ一途に進む日に心に新たな夜明けを感じていますありがとう御ざいます百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所慈母の心で廣町分教会前会長夫人宮本おふさ憩の病院への御用を頂いて五年位経った頃だと思います六十病棟泌尿科へ入院して居られた若いお方の事です三十五才の若い青年で母は早く亡くなられて父も病弱と聞かされました病の為に入信なさったのでしょうお道には日も浅い故かベッドの枕もとにはみかぐらうた教典教祖御伝教祖逸話集元の理の本等がキチンと揃えて並べられてゐました三人部屋の一番奥のベッドに休んで居られましたが未だ元気もあり笑顔で話もなさいました突然に口から出た言葉先生昔の先生方のように一回のおさづけで私をたすけて下さい想い余っての言葉なのでしょう私は心臓の鼓動の收るのを待って漸くにしてごめんなさいネ私にはその様な徳がないので御期待にはそえないと思いますすみませんねえーとおことわりを申しましたそれでもおさづけを取ついでほしいと云はれ己の不徳さを詫び乍ら静にゆっくりとおさづけを取つがせて頂きました大分気分がほぐれたのか僕にはお母さんが居ないのでまるで母の代りの様な気がしますこちらに来られたら又お願しますと云って下さいましたそれ以来毎月お当番に来れば先づこの青年さんのベッドを訪れてゐました生一本でおさづけの理を信じ切って居られる丈にいとほしく自分の不徳さが情なく申し訳ない想い一杯でした月を重ねるうちに会話もよくなさる様になり一度甘露台へ参拝させてほしいと申されますその事は当時の婦長さんからかたく禁じられてゐたのですがまた暖くなってお天気の良い日におまゐりしましょうねと話をしておりましたある日彼の病棟を訪れた時如何にも嬉しそうに先生先日甘露台におまいりして来ました大変気持が良かったです顔に笑顔がほころびてゐました誰がと不安な気持ちがよぎりますこんなに喜んで居られるのに教祖よろしくお願いしますと祈らずには居れませんでした次に二席運び何ヶ月かして先生昨日お地場に参拝したのですが疲れましたといかにもさびしそうだんぐとやせて行かれますベッドの横にゴムのお風呂を持参してナースさん三人係で入浴されていねいにく介護をして居られましたいつも誰か一人心掛ける様にと婦長さんより指令されてゐる様に思はれました言葉も少くなり重い気分が意識されます若いだけに可愛想でなりませんお別れを云えばさびしがられるので目をつぶっておられる時にソーッと辞するのです御本部へ案内されたのは匂いがけの奥さんでした次の月お当番に行った時同班の女子講師の方が第一声とうくさん駄目だったのよと何れはこの日が来るとはわかってゐましたが一つ心になって講師達がこのさんの身上に心をつくしていた丈にやはりショックでしたそうとうとう個室に移されてでも安らかなお出直しでしたよ胸が一杯になり二人で泣きました病人の助かって頂く事のむづかしさ不徳な自分の心根ごめんねさんでも三席も別席を運ばれて教祖は喜んで居られますよ今度生れ替って来られる時はあなたががんばられた理の重みできっと元気な運命を頂いて帰って来られますよといつも訪ねてゐた病室を思い浮べ頼り甲斐のなかった私達をどう思ってあの世へ旅立たれて了ったのでしょうまたこの世でお会い出来る日があればネーと安らかにおねむり下さいさようなら六十六病棟でした五十才台の奥さん両乳を摘出なさって首からおへその下までまるでつき立ての白い餅を長く伸ばした様相でした痛みはちゃんとドクターがついておられるので心配ありませんが此の世をはかなんだ想が伝はって来ます先生おさづけをと乞はれ三度三度又三度と静にゆっくりとなでさせて頂きました先生の手暖くてきもちいヽーと喜ばれ静になでるのを続けさせて頂きましたおさづけを願うと教祖がうしろから手助けをして下さるのよだから暖くなるのですと辛い時悲しおやさまい時教祖くとお祈りして下さいね心が洗はれ暖りますよと話しましたその方は退院なされた後暫くして出直された様でした五十八病棟でした六十才位の女の方仰向けに休まれてゐるのですが腹水がこれ以上ふくれない位にパンくにはれてゐますガンの末期ですお授けをとりつがせて頂くと先生の手は暖くて気持ちいヽこのまヽ水がお小水となって出てくれたらネーと腹水は冷いから両手の暖味を余計感じられたのでしょう患者さんに喜んで頂ける様なこうのうは中お見せ頂けない情ないごめんなさいね暫くなぜさせて頂いて心を残しつヽ辞しました様な客人明石市分教会長杉原博之好きなことが多くてあれもやりこれもやりそれがみな中途半端なんですねでも結構それで人生を楽しんでいます只今の楽しみはメジロやヒヨドリのバードウオッチング庭石の上や紅葉の枝の所に小さいカゴを置きそこへリンゴやミカンを置くのですするとメジロがすぐ飛んできてつつき始めますヒヨドリがバサッと飛んでくるとメジロは慌てて逃げてゆきます何しろ体の大きさが随分違いますそれにしてもどちらも何を警戒しているのか一口つついては周りをキョロキョロしばらく見渡しまた一口メジロなら警戒するのは分かるのですがヒヨドリも同じ事をしますもしかしてメジロはヒヨドリを警戒しヒヨドリはカラスを恐れているのかなあと思ったりしますメジロは可愛いのですがヒヨドリはどうもと思って餌やりを止めようかなあと思ったのですが或る日ふと見るとヒヨドリが二羽並んでいます頭の大きいのと小さいのとでしたもしかしてこれは夫婦かなあと思ってまあ夫婦仲良くならいいかと思い直しました父も縁側でひなたぼっこをすることが多いのですがお父さんメジロが来ているよというと本当やと言って楽しんでくれているようです虫鳥畜類などと八千八度の生れ更わりを経てと聞かされているので虫や畜類に生れ更りの時は嫌やけどいやいや一寸の虫にも五分の魂それなりに意地も楽しみも持っていただろうなあそれに人間になってゆく過程だから明るい未来を見ていたのかもしれないでも鳥は存外いいなあ空を自由に飛べるしと埒もないことを思ってボーとする時間も仲いいもんですこんな暇なことを考えているのは僕だけでしょうねあぁ何というかのんきな父さん教会の庭には猫も五匹程よく顔を見せます散歩コースなんでしょうかある時ヒヨドリをじっと身を伏せて見ていたのでこりゃ危ないと思って石を投げました動物愛護の皆様鳥を守るためですお許し下さいメジロを追ってヒヨドリヒヨドリを追って猫猫を追って人間のどかなバトルの世界ですそういえば今まで猿が神殿でミカンを食べていたりこれは申年の元旦のことでしたイタチも天井をかけまわってくれました姿は見ていないのですがネズミより明らかに重量を感じましたので犬も入って来たりヘビもいましたねメダカも飼っていますしセミトンボチョウチョかまきり他我が教会は人間以外はよく訪れてくれるようですいつも心に思うこと笠岡詰所吉岡松枝詰所にこさせて頂き早や八ヶ月になりますお正月ぐらいから足に身上をいたゞだきました親神様より印をつけてもらたったのです有難いやら思う様に動けないのがつらいやらでもお陰で徐に回復していますこちら詰所に来て田町の地図を覚えるために自転車で回っていたところ昨年の秋ですコスモスの花に出逢いました少しほしいなと思いつゝ何処の方のだろうかとご近所の方に尋ねると田町のさん方のですよと教えていただきそのさんに或る日お目に掛かりましたコスモスを少しいただきたいのですがといゝますと喜んでいくらでも取って下さいよさんは喜んで下さる人にはいくらでも上げたいとたくさん下さいました詰所はコスモスの花で賑やかになりました花が人と人との心を継いでくれます田町のさんとはそれ以来仲良しになりおつきあいさせて頂いて居ります八十代の方ですがとっても心の美しい方です扨て幼い時の私の夢大きな旅館のおかみになりたいなと思った事がありましたそして不思議にも主人は大きなホテルの総支配人又はアナウンサになりたかったそうです偶然にも今そんな形になっています不思議ですこゝは笑いかな宿の売上げをふやすには宿泊していただかなくてはなりませんそのためにはこちらがよく勉強して宿泊して下さるお客さんのニーズに応えないといけませんカウンター受付の人の態度食堂の人の態度底なしの親切が必要ですそれが宿の売上げになります高速道路が走り昔二三泊の方は一泊になりそして日帰りを楽しむ人も出てきましたそういえば笠岡詰所もそんな感じがいたします百日宿泊の修養科生二十日前後の講習生一日泊りの別席者と増えてまいりますと詰所もコスモスの花菜の花に敗けない人の華が咲くことでしょうお帰りの皆様方に少しでもくつろいでいただける詰所になるよう努力いたします今詰所では全館に百二十年祭の唄が流れています母の五年祭を近くして東福山分教会長夫人枝廣陽子もうすぐ母が出直してから五回目の夏がやって来る脳内出血で倒れて意識の戻らぬまま帰らぬ人となった年をとるにつれ小さく丸くなってゆく母のもとを母の好きな物を少下げて訪れ信仰話をあれこれとしたもっぱら聞き役が多かったがそれが私にできるささやかな親孝行のつもりだったしかし母が出直して私は私が母に対して多少でも何かしてあげられる人間に成長したかのように感じていたのは大きな間違いだったと思うようになったきっと長生きしてくれるであろうと信じていた母の突然の死のショックからなかなか立ち直れず迷い子になって見失った母を求めて茫然としている子どもの如く何をするにも魂の入らないような毎日を送っていた私の中でこんなにも母は大きな存在だったのかと思い知らされた回りの人はさすがおばちゃんじゃなあええ出直しをしたなあこれでよかったんよと慰めてくれたがとてもそんな気持ちにはなれずただくもっと生きていてほしかったという思いが胸の中をかけめぐるだけだったあれから五年両親の居なくなった家にはかわいい三人の孫が誕生し再び賑やかになった月に一度だが母の代わりにと始めた子守りも我が子を育てる時はただく一生懸命だったが孫を看るってこんなのかなと思うような余裕も感じるかわいさである背中に負うて守りしながら三人の子を連れて見てくれる親の居ない中勤めるのはたいへんだこれで母が生きていて世話をしなければならなかったらもっと苦労かけたなあこれでよかったんだなあとやっと思えるようになった母はよく道の書籍を読んで心に感ずる所があれば書き出して貼ったり天井から下げたりしていたいろんな道中があった中を一生懸命教えを求めて前向きに努力していた母そんな母の姿は心にしっかりやきついている最近よく頭に浮かんでくるのはいかに死ぬかよりいかに生きるかということである遠くに立派な形の目標があるように思ってドツボにはまってしまうことの多かった私だがいちばん大切なのは今ご守護を感じて信仰を喜べることなんじゃないそれでなくちゃ匂いがけなどできないし子どもたちに信仰の喜びなどとうてい伝えられないと気付きながらもあくせくしている私だが私なりの精一杯の努力を神様は受け取って下さるのか何度もドツボからはい上がる手を差しのべてくださった先のことを考える余裕のない毎日だが母のように教えに心の向きを正しながら一日くを大切に過ごしていきたいとそんなように思うこころの詩養徳社発行陽気誌四月号道柳より転載今回の課題は陽撰六十九句中笠岡に繋がる教友の方四名四句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠東悠分教会長夫人田林美智子ゆずり合いたすけ合いつつ陽気になる秀詠芳井分教会長夫人佐藤香苗陰陽なた無き道歩む真実の道準秀詠芳阪布教所長夫人杉原優子陽だまりで救済バザー境内地佳詠川島郷分教会前会長香取敏子節幾重ただ一すじの陽を求め呉市東濱十三雄さん福順分教会長よりの寄稿です病喜録のうたいつの間に寒冷前線消えてゆき桜前線黒潮に乗り点滴を数えながらも知らぬ間にうつらうつらと春の海行くしみじみと想い浮かぶはをやの恩桜月夜の舞う花びらに天理教の詩鶴眞分教会長寺下宏一一てんりの教えを知っているかい親神様は人間を作りたもうたおかあさま作りたもうたおとうさまどろ海中より始めかけ二てんりの教えを知ってるかい世界中の人間は皆神の子供やで世界中の人間は皆んな皆んなきょうだいや他人なんてあるものか三天理の教えを知ってるかい親神様が人間作った目的は皆んなが楽しくくらすのを神もそれ見て楽しみたいとその日のくるのが待ちどおしい四てんりの教えを知ってるかい婦夫をこしらえ此れが此世の始めだし昼のお空に太陽が熱ぬくみ夜のお空に月様が水に風五てんりの教えを知ってるかいやまいの元はなんでしょね天よりもらった手紙かも人様と皆んな仲良くしてますか我身ばかりがかわいいと心につもったほこりかも六てんりの教えを知ってるかい人間の体はもちろん親子や夫婦や兄弟もみんな神よりかりものや心一つが自分の物や聞いてたのしみ見てたのしんで日たのしみ陽気ぐらしや三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にハせかいぢううハみなわが子かハいいゝばいこれが一ちよとの親心のまにく昼夜を分かたずお見守り下さり旬の御恵みを以てお育て下さいます事は誠に有り難く存じます又大難を小難にして身上事情に現わして陽気ぐらしへとお導き下さっております事は更に有り難く勿体ない極みでございます私共は成ってくる理に親心を思案し時には迷いつつも常に御恩報じの思いを胸に朝夕に御礼申し上げると共に世界一列救けたいとの親心にお応えすべく日はたすけ一条の御用の上に勤め励まさせて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの名称にお許しを戴いた月次の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて三月の月次祭を執り行なわせて頂きます御前には同じ喜びに満ち溢れた子供達が寄り集い日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて一月には直轄教会へ二月三月には部内教会へと巡教を重ねさせて頂き教祖百二十年祭に向かう三年千日と仕切っての成人の歩みの二年目に当たりひながたへの思いを更に深め共に励まし合い助け合ってたすけ一条のひながたの道を辿らせて頂くことを誓い合わせて頂きましたそして道の先達大会や各教会でのにをいがけおたすけ実修会を通してより活発に楽しんで実践項目の実動に邁進させて頂く覚悟でございます又卒業入学就職のシーズンに加え春の学生おぢば帰り鼓笛少年会おつとめ学び総会等子供達と接する機会が増えてきましたので一人ひとりに一言でも多く声を掛け道の後継者育成へと繋げて行く所存でございます何卒親神様には旬にお掛け頂く親の声を頼りに成人の道を歩む皆の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に願う心の誠の理に自由の御守護を賜り人の心を我さえ良くばから救け合いの心に立て替えて下さいましてお望み下さる陽気づくめの生活くらしへとお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます春季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家御先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三大会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊笠岡の道の始め頃より長の年月歴代会長と共にご苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の御前に会長上原理一慎んで申し上げます御霊様方には早くから親神様教祖のお見定めにより身上事情を通してこの道へ引き寄せられ親神様の世界一列救けたいとの思召に応えるべく又我身我家の因縁納消をすべく私利私欲を捨て生きの限りたすけ一条の上に勤めきられました今日の道の結構な姿をお見せ頂いておりますのはひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜であることは申すまでもありませんが一つには御霊様方の真実の伏せ込み理作りのお陰でございますので朝夕怠ることなく御礼申し上げつつ先人に続けとばかりに日たすけ一条の上に邁進させて頂いておりますその中にも本日は春の霊祭を執り行う定めの日柄でございますので只今は親神様の御前にててをどりをつとめさせて頂き続いて御礼に上がらせて頂きました御前にはゆかりある人が寄り集い海山川野の草の物を供えて在りし日の面影を偲び御遺徳を称え改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして御霊様方にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向けて成人の歩みも二年目に入っております昨年一年の反省をふまえしっかりとひながたを見据えて辿らせて頂くべく自ら苦労を求めてたすけ一条の実動の上に勤め励ませて頂く所存でございますので到らぬ点は多ございますが温かく御見守り下さり家門の栄えはもとより理の栄えを御守護頂けますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教年全教一斉ひのきしんデー期日月日日実施全教一斉ひのきしんデーはひのきしんに真実を尽くす一人ひとりが日を合わせ場所を定めて結集し大きな力で地域に貢献しようというものです欲を忘れひたすら感謝の喜びに汗を流す姿は自ずと人にさわやかな印象を与え良いにをいをかけていくことになるでしょうさあ一手一つに勇んでかからせて頂きましょう婦人会笠岡支部ひまわり会おつとめ大会日時月日日午前時受付時分開会場所神殿内容午前の部十二下り総立ちてをどりまなび支部長様おはなし昼食午後の部時分より講話早樫一男先生臨床心理士京都府知的障害者更生相談所所長補佐ファミリーセラピスト対象才才位の女性参加御供円扇は各自でご持参くださいこかん様に続く会日時月日土午後時受付午後時半開会日日午後時閉会予定場所内容支部長様お話ひのきしんにをいがけお楽しみ行事等対象中高校生参加御供主催婦人会笠岡支部女子青年大勢の参加をお待ちしております直属ひのきしん五日隊第次隊期間月日日縦の伝道講習会ときところ内容対象月日月少年会本部委員によるお話し親から子へたすけ一条の心を伝えよう教会おとまり会と親子参拝の実施教会長夫妻布教所長隊育成委員長よふぼく信者婦人会伏せ込みひのきしん団参日場内対時所容象月日日正午西礼拝場本部西境内地拡張整備ひのきしん現場正午お礼参拝西礼拝場午後時ひのきしん午前中ひのきしんも可雨天神殿回廊ひのきしん婦人会員青年会笠岡分会伏せ込みひのきしん別席団参教祖年祭に向かうこの旬におぢばに真実を伏せ込ませていただき共に汗を流し親神様教祖にお喜び頂きましょう簡単な軽作業も予定しておりますので女性お子様ふるってご参加下さいまた昨年同様に別席団参を併せて行います初席者また運び中で足が遠のいておられる方もぜひご参加下さい日内程月日日頃容こどもおぢばがえりおやさとパレードフロート製作作業ペンキ等を使用する作業も予想されますので汚れてもよい服装でお願い致します詳細については下記各ブロック担当者までお願い致します直轄淺野明教大教会福山藤本晴司西村分教会高屋瀨良昇高児島分教会島根門脇裕教島根分教会久松中村真人久松分教会上下高田一弘眞府分教会府中市山田睦浩甲井分教会各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目岡﨑和夫大教会役員弥髙山分教会長川上道美伯仙分教会長丸山勤木津和分教会長鳥井利昭福勇分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散詳細はバックナンバーを参照願います内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい大教会だより本部保安室境内掛弥髙山岡﨑和明修養科一期講師東福山枝廣隆文教会長資格検定講習会修了者前期終講呰部松永布起子福勇福島サキ子上備田渕忠明直属ひのきしん五日隊世話班金浦西江昌直髙屋武内清明参加者久松中村剛史海松ヶ岡宮崎智司葦陽笹尾正治引野谷屋富男福昭平盛尚樹福東藤井宣人恵陽西平和史香地華渡辺美恵子稲倉高島裕一郎海潮川高島寛出雲川津奥村安雄天場山仙田喜久雄鶴眞寺下宏一作備三宅一正眞府高田一弘上父瀬尾道行上父小林ヨシエ府世原高信公枝会場が分らないので連れて行って欲しいと頼まれ私も知らないが地図を頼りに行けば何とかなるだろうと三台連らなって出発したところが会場の近くまでは来ているがどうしても分らない開始の時間がどんどん迫って来る後続車の運転手が先に到着しているさんに聞いたらと携帯を貸してくれたいくら聞いても自分の位置すら不明なので右も左も分らないとはこの様な事かと思ったぐるぐる廻っている内に後続車の方が先に駐車場を見つけて何とか間に合う事が出来た実は駅まで行ってを怠り車を進めた為自分の居る所まで分らなくなったカーナビと言う便利なものは出発地点と現在進行している車の位置と目的地がいつでも分かる様になっているのでそれを守れば車を誘導してくれるこの三点は信仰の元一日因縁の自覚陽気ぐらしと言えないだろうか原典や教祖ひながたと常に照し合せながら人生を進めて行けば道に迷うことはないと思う
かさおか

『かさおか』第43巻 第3号

初代様遺品摩耶分教会所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次学生層育成者講習会二月二十一日土大教会の月次祭に合わせて学生層育成者講習会が開催されましたこれは学生層育成の大切さを啓蒙する上で大教会で毎年開催されているもので今回は本部学生担当委員会育成部委員の廣正之先生を講師としてお迎えしました先生は過去二十五年間携わっている学生生徒修養会学修を中心にお話くだされその素晴らしさはそこに信仰がいきづいているからをやの思いがいっぱいかけられまたこもっているからで是非学生を本部の行事へ送り出してもらいたいと述べられましたまた笠岡初代会長上原さと先生のビデオ編集に携わった時に聞かれた話笠岡の道は歩いて歩いてついた道を引用され学生層の育成丹誠も月に一度は声をかけてつないでつないで若い人達に信仰をお伝え頂きたいとお話下さいました平成年度天理教学生担当委員会活動方針学生一人ひとりに月に一度は声をかけよう学生担当委員会委員長吉岡誠一郎にをいがけおたすけ実修会要員研修会二月二十二日日大教会に於いてにをいがけおたすけ実修会の要員研修会が開催された昨年はおかきさげをテーマに各教会で実施された実修会だが今年は前後半二回実施される予定で今回はその一回目おつとめの理合いがテーマに取り上げられた六時四十五分の朝づとめ集合要員が揃って賑やかに朝づとめをつとめ朝食を頂いた後八時から大教会長様よりおつとめの理合いについての講話を頂いた難しいテーマだが大教会長様の喩えを用いた分かり易い説明で親神様の御守護についてそしてなぜおつとめをしているのかについてお話下された各教会に派遣されその教会の信者さん達に話をしなければならない要員は皆真剣に耳を傾けていた約一時間の講話の後はおさづけの取り次ぎについて髙屋分教会長島根分教会長のお二人より感話を頂いた喜ばれたおさづけ失敗したおたすけ等実際の生しい体験談はやはり聞く者の興味を引き自分もやらせてもらわねばという気持にさせられる要員は教会長以外の者も多く仕事を持ちながら道を通っている者もたくさんいる普段忘れがちなよふぼくとしての原点を改めて思い出させて頂けたのではないかと思う昨年から笠岡部内全教会で実施されているにをいがけおたすけ実修会はそれぞれの教会に繋がるよふぼく信者さん達を大教会より直接丹精下さる大切な行事でありますがその実修会に赴く要員を育てるこの要員研修会も同様に重い意味を持っているのではないかと思う要員には各教会で中心的な役割を担っている人達が選ばれておりその人達の丹精成人こそが教会内容の充実に直結していると思うからである教会に派遣される要員は必要上真剣に研修会を受講し又今年のテーマおつとめの理合いについても自分なりに勉強し又教会に赴く上にはそれなりの理作りもして行くという要員一人一人の成人が促されることに大きな意義があるのではないかと思う私自身も要員の一人として届かぬながらも真剣につとめさせて頂きたいと思う布教部員武内清明教会長講習会立教百六十七年教会長講習会が去る二月二十六日二十七日の一泊二日笠岡詰所を会場に開催され九十八名が受講しました身上高齢の為に欠席を余儀なくされた方もありましたが当日葬儀が三ヶ所で執り行われ十一名の方が急きょ欠席となりました開講にあたり大教会長様は年祭活動二年目の重要性を強調され若い人はそれなりに勢いをもってつとめることも出来るけれど年を重ね足腰も痛くなってにをいがけに出るのがむづかしい出れないから仕方がないと云うのでなく何か出来ることはないか教会に足を運んでもらえない用木信者その子供達お孫さんに手紙なりなりしっかり声を掛けてそういう人達に心を持ってもらえるようにすることは出来ると思います動きにくい中でも成人の思いをもってどうでもこうでもやらせて頂こうという気持ちを年祭を迎えるまで持ち続けて貰いたい又教会の姿は夫違うのであるから同じ歩みをする必要はない夫の教会に出来る働きをさせて頂くそれが実践項目につながっていくならば素晴らしいことだと思います更に今は結果としては姿は表れないかも知れないが今出来る精いっぱいをつとめて頂いたならば必ず百二十年祭の旬にはこういう結構な姿を見せて頂いたなという御守護を頂けるそういう旬であるとお話下さいました一日目第一講は本部員布教部長永尾一夫先生の時旬の理をテーマに講話があり教祖が現身をおかくしになる直前の四十五日間の心に残るおさしづを通して教祖ご年祭の意義を説かれ三年千日の仕切りについてわずか千日の道を通れというのや千日の道がむつかしいのや三年千日徹底して通れば五十年の道に同じに受取る又人をたすけさせて頂く道は遊び半分片手間ついで仕事では出来ん余力をもってすることではないこの旬教祖お一人のひながたの道から始まって百六十有余年でこの道信仰するからには陽気ぐらしを望むからにはたとえ遅たる歩みであってもやらんならんことはやらんならん誰がやるねんお互い自らやらんならん常なかく出来ないからこそふだんやりにくいからこそ届かないからこそ今の時旬の理を素直に受けて進ませてもらおうその心定めに必ず楽しみの明日の道が見えてくる固くそう信じてその心定め完遂に向けて徹底してひたむきにこつくと道を通らせて頂くことが年祭活動だと思います最後ににをいがけおたすけは私達の命である教団にとってひとつ一つの教会にとってこれは命であると同じ苦労をするならば知らずくのうちに因縁につまされた陰気な苦労をするよりもめいくこの旬にしっかり心を定めてひながたの道の明かるい苦労に置きかえてとにかく残り二年間ひたむきに通らせて頂きたいと締め括られました先生の迫力ある講話に年祭活動に対する新たな決意を強く感じたのは私一人ではなかったと思います二日目第二講は女性教会長として永年お通りになられた旭中央分教会の前会長岡本照子先生八十一才の現在も毎日おたすけに歩かれ教人の人におさづけの取次ぎをされているどんぐ素晴らしいご守護を頂かれているお道の信仰に絶対的な信念を持ち教祖にもたれきった日を歩まれている先生の貴重な数のおたすけの体験を聞かせて頂きました又教祖は八十歳を過ぎられてから大勢の先生方を育てられた私もこれからこれからやらせてもらわないといけないと思っている岡本先生のこの言葉にあの元気を見習って自分も頑張ってつとめたいとたすけ一条へのひたむきな情熱に参加者一同奮起を促されたようでしたアンケートに依る今回の講習会の感想では自分を見つめなおすチャンスを頂き大変良かった教祖年祭活動の旬に勉強させて頂きました実動の糧にさせて頂きたい又ねりあいのテーマが多すぎた誰もが発言出来る内容に来年以降の参考にさせて頂きたいと思います又今年の少年会コーナーに対しては道の後継者の育成の上について熱を感じさせて頂き良かったの声も複数ありました今回の講習会は冒頭にも申し述べました理由で参加者がそれだけ少なかったことは残念でしたが来年は全教会長の参加を目標に又講習会の内容充実の上に更なる努力を重ねさせて頂きたいと思いますありがとうございました布教部長佐藤道孝五日隊に参加させていただいて甲井分教会山田佳余子教祖百二十年祭三年千日の真っ只中というのにこれといって特別な事をさせて頂いているわけではありません一時はにほいがけやチラシ配りに出掛けたこともありましたが昨年十二月に入ってすぐ自分の不注意で怪我をしてしまってからは何故か気が抜けてしまった感があり完治した後もなかなかそういう気にはなれませんで第二次直属ひのきしん五日隊自至立教年月日日したそれでも心の底にはこの旬に何かさせて頂かないとという気持ちもありましたそんな時義父である会長から五日隊の話があり喜んでその話を受けさせてもらったのです主婦が五日間家を空けるとなると大変ですが家に居る主人の食事や洗濯などは全て義母と義姉が快く引き受けてくれたので一月二十六日五日分の着替えや作業用の靴義母が用意してくれていた栄養ドリンクやカイロを入れた大荷物を本部団参のバスに積んで出発しました春季大祭の参拝が済んで夜になってから笠岡詰所に入りました事務所で聞くと女性は私を含め二名だけとのことそれも本当は来られる筈の方の都合が悪くなり担当の先生が女の人が一人では淋しいだろうと急きょ参拝に来られていた方に頼んで残っていただいたと聞き大変感謝しました翌日から午前九時より十一時までと午後は一時半より三時半までの合計四時間土持ちひのきしんが始まりました初日から余り張り切りすぎると五日間持たないとの話を聞き土は少ない目にしてバテない程度に数をこなそうと考えました大体午前午後合わせて二十数回往復させて頂きましたひのきしん中はずっと教祖百二十年祭の歌などのお道の歌が流れていましたが繰り返し流れるので終いには知らぬ間に口ずさんでしまっているほどでしたしかしお蔭様で言はば単純作業である土持も陽気に勤めさせていただけました朝夕は修養科生と共にお勤めを勤め夕勤め後は感話や慰労の会食もありました他系統の教会から嫁いだため上級教会以外には殆んど知り合いがおらず最初は皆さんとお話しすることもありませんでしたがだんだんと気軽に声を掛けてもらえるようになり五日間楽しく過ごすことが出来ました年祭のこの大事な旬におぢばの理を頂く機会を与えて頂けた事は私にとって大変貴重な経験となりました今は又元の生活に戻りましたが残る二年間を少しでも自分なりに意義あるものにしたいと思っています談話室またかと勇める湯田原分教会長高木昭祥年月が過ぎ去り振り返ってみれば早いもので五回目の教養掛の御用を努めさせて頂くことになりました何回努めさせて頂いても初めてのような気持ちでのスタートですおぢばに帰らせて頂いた日は雪景色の寒い日でした次の日から修養科生の方との生活が始まり寒い日が続いていましたが十日位過ぎて行き帰りの道中梅の花が咲いてるのを見つけまだまだ寒い寒いと思っても自然は春のおとづれを敏感に感じ取っているのですその梅の花を見ては寒さに負けず頑張ろうと思いましたおぢばでの生活は不思議に同じ様ないんねんの者が寄せられてご守護をして下さることがよく分かり修養科生を通して自分自身の因縁を自覚させて頂けることが感じられました修養科生が身上で病院に行かれるので送り迎えの世話をさせて頂く中心の持ち方通り方を話しながらも自分自身にも因縁があるのだと心で思って居りました違う環境で育ち因縁も違うし考え方も違う者が共同生活する中皆八つの埃を持っているがその中でもこの度はお互い特にこうまんの埃があると言い合いました因縁でしょう人の言われたことや直さなければならない癖がつっぱりもあってなかなか直せませんからこの埃を少しづつでも祓うよう努めさせて頂きますまた毎日朝早く起きひのきしんをさせて頂きますが時には続けることの難しさから自分にとって苦手なことや成果が生まれない時都合の悪いことの繰り返しの時どうしても怠け心横着心が顔をもたげて来ることがありますある日主任先生が読まれる本の中に勇むことについて拝読されました以前勇まれない時にはひのきしんをさせて頂き動いて勇むのだと聞かせて頂いておりましたがなかなか勇み心がもたれないまま過ごしておりましたがその本には勇むのはマ田カと書くからまたかまたかと思ってする事が勇む事であると言われましたなるほどと思いこれからは何をしても勇まして頂けるのではないかと言う気がしましたおつくしもまたかまたかと言ってするおつとめもまたかまたかと勇めるしまたかまたかは何にでも当てはめられるのでなかなか良い結果が見えない時いずむ時勇まれない時にもまたかまたかと繰り返ししていることが勇んでいるのだと心して通らせて頂けそうですそして本年は教祖百二十年祭実動の年にをいがけをさせて頂く時もまたかまたかと勇んで通らせて頂こうと思わせて頂きました天理教との出会い東福山分教会中村佳弘私は現在結構にお連れ通り頂いておりますがまだこのお道と出会いましてから十ヶ月程でありますこの間様な出会いを通して修養させて頂きましたがお道に初めてふれました事について話させて頂きます以前私は長年付きあった彼女がいたのですが十年程前に不治の病により彼女を失いましたそうした事があり生きる気力が失せ自殺を図るも死に切れず途方に暮れ毎日を送っておりましたこうした中にも幸いに就職できたのですが会社が倒産するなどして長続きはしませんでしたそして一つの転機となった事が前に勤めていた会社の突然の倒産であります職を探すが決らず自暴自棄になりもうどうなってもいいとの思いから自転車で旅に出ました行く当てもなくただ西へ西へとペダルをこぎ続けました道中手荷物がなくなり福山についた時分には着のみ着のままの状態でしたそこで出くわしたある宗教団体の方に尋ねた処相談は一切お断りしていますと言われ宗教に対してマイナスの不信感を抱きましたそして更にペダルを進め三原市に入り駅前を通りかかった時天理教というハッピの文字が目に映りその場は通り過ぎましたしかし何日もろくに食事を摂っておらず心身共に限界がきていましたちょっとした目まいから先程の天理教の言葉が頭をよぎり気がついた時には駅前にひき返していましたそこでハッピを着た方に休む所はないですかと聞いた処私の家へどうぞお越し下さいと言われあ然とする間もなくただ後ろをついて家の方へ案内されました家に着きますと奥さん子供さんが迎えて下さり休ませてもらいましたあの時出迎えて下さった笑顔が何かしら印象に残り不思議な出会いの中にも何かしら安堵感を覚えたように思います偶然にも翌日は講社祭があり一緒に参拝させてもらいましたその折会長さんより初めて天理教の話を聞かせてもらい又修養科をすすめて下さいましたしかし初めて天理教を知り何も分からない中で勧めて下さっても余計に心配と不安が募り返事ができませんでしたその後二十一日大教会の月次祭に参拝しましたそして教会関係の方に話を聞かしてもらいその内に何とも言えない気持ち以前知っていたのかという親しみやさしさを感じ彼女と過した日を思い出させてもらい自分を取り戻せるのではないかという気持ちになりましたこの時点で修養科に入る決心が大方定まり話し合いを進める内に二十四日の朝行かせてもらいますと返事をさせて頂き修養科に入学しました入信よりわずか六日間の出来事でありました修了後より続いて二ヶ月ひのきしん隊検定講習前期とおぢばで六ヶ月余り生活させて頂き信じ合える友達との出会いお世話になりました先生方を通して自然と心がみがかれ前にくらべると少しは素直な心になってきたと感じさせて頂きますこれからの目標として感謝の気持ち素直な心を大切にして日を通らせて頂こうと思います今後もいろいろと御指導ご鞭撻の程よろしくお願いしますありがとうございました神殿で陶山分教会長夫人上原順子昨年末の本部月次祭での事寝不足気味だったので少しボーとしている私のそばに後の方から人を分けてきて中年の男の人が坐りましたやがてかぐらづとめが始まるとその人は身をのり出すようにして大声で唱和を始めましたあまりの声にまわりの人達もびっくりすぐそばの私も眠気など吹きとんでチラくとその人の様子を窺いながら唱和していましたふと気がつきましたその人の隣に教会本部のハッピを着た青年が坐っていますどうやら保安係の人のようです彼はこの元気のいい男の人に付いてきた様子でこの人から視線を離さずあまりにオーバーな動作をするとそっと背中をたたいて注意していますま近かにこの両者の様子を見ている私にいろんな想像が浮かんできました何が起こるか予測のつかぬ昨今の世相です何らかの情報が入ってこの保安係の青年はその男の人の挙動を端的に言えば見張り何かあれば静止するようにと言われて付いているのではないかそんなことを思いつつ額の汗をぬぐいながら身体を揺さぶって声を限りに唱和している男の人との両者を見ていましたやがて十二下りを終えてこれから神殿講話の時はどうなるのかなと少案じかけた私に突然その男の人が話しかけてきました私のハッピを見て懐しいと言うのです修養科の時の担任が笠岡の先生だったとの事で先生が亡くなられたことも知っていましたそして埼玉から自転車で帰って来ておつとめの直前に着いたことなど明るく話し隣の保安係の青年は本部でひのきしん中の上級の若先生だと紹介してくれましたその青年は先程までの緊張した表情とは全く違ってはにかんだ笑顔で会釈しその人を促して立ちました私は自分の想像が間違っていたことを内心大いに恥じかつ大いに喜こんで出ていく二人を見送りました考えてみれば車で楽でおぢばがえりをし決まったコースを行くように月次祭に参拝している私の目にその人の行為が常識外れに映ったのは当たり前でしょう確かに囲りの人にとっては少迷惑だったかも知れませんがもしその理由を知ったらうなずく人達も多いのではないかと思いますかつて徒歩で何日もかけておぢばに帰った先人達はやはりあの人のように全身で喜びを表現し無我夢中でおつとめに没頭したことでしょう貴重な出会いに感謝しつゝ帰路につきました内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会上原理一慎んで申し上げます親神様の一列子供かわいい一条の親心溢れる御守護とお導きを頂くままに今は立春を過ぎ春一番が吹き荒れて肌寒い中にも春の訪れを感じられる季節を迎え心が凍るような事件が頻発する世の中にあっても心に暖かさをお与え頂いて日は結構に恙なくお連れ通り頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は朝夕に御礼申し上げると共に喜び心のまにくご恩報じを念じ痛ましい事件や事故が一日も早く無くなることを願いつつ身近なところからにをいがけおたすけにと勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの大教会の二月の月次祭を執り行なう定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集い同じ思いに伏し拝み共に声高らかにお歌を唱和する皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は学生層育成者講習会を開催させて頂きます大人に成りきれない大人が増えて悲惨な事件が多発している現代学校教育に頼り切りにせず親自らが率先して育成に力を注いで行く所存でございます又せっかく医学や経済が発展してもそれを喜ぶことが出来ない心に徳を失っている現代少しでも心に徳を積ませて頂きたいものとしっかりとひながたを見つめ欲の心を捨て去ってたすけ一条のひながたを辿らせて頂く覚悟でございます何卒親神様には皆の真実の心定めをお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜り世界中の人がたすけ一条の喜びに目覚めてくらしお望み下さる陽気づくめの生活に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますこころの詩養徳社発行陽気誌三月号道柳より転載今回の課題は足撰六十一句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会長夫人田林美智子野ぼたんに足をとどめて講社祭佳詠芳阪布教所長夫人杉原優子白足袋が揃っておどる月次祭呉市東濱十三雄さん福順分教会長よりの寄稿です病喜録のうた天命と只諦めるその前に今生きている此れも天命血圧も下がったようで髪つんで今年二度目の風呂へ入ろう目はかすみ白髪増しても心舞う老いてゆくのも成長の道立教年立教年実践項目集計年間月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件のべヶ所全体の軒回件ヶ所立教年にをいがけおたすけ実修会今年は教祖年祭へ年千日と仕切っての実動年目真柱様は私達一人ひとりの動きが年祭活動の成果を左右する大切な年であると仰せ下さいました今年前期月月のにをいがけおたすけ実修会を下記の要項にて全教会で開催させて頂くことになっております全部内が足並揃えて勇んでつとめさせて頂きましょう実施期間平成年月月派遣要員名内容教理勉強おつとめの理にをいがけ実修ねりあい所要時間約時間月開催分現在要員が不都合の場合また開催日等を変更する場合は布教部岡﨑和夫へご連絡くださいまた内容について他にご要望があれば派遣要員と直接ご相談下さい実施日時教会派遣要員実施日時教会派遣要員実施日時教会派遣要員日時錦備吉岡誠一郎日時府中市原公彦日時上川邊上原志郎祭典後笠尋淺野明教時呰部山野弘実日時照陽中島誠治日時半髙屋田中隆之日時驛家枝廣隆文日時福東黒瀬修弍時河佐宮本泰德時眞府矢田哲一錦ヶ原森本孝志時福勇渡邉隆夫時海松ヶ岡武内正美日時坪生藤本イツエ深安内海安子吸江竹本和道時半湯田原武内清明時半神邉杉原博之東水島藤井正仁日時稲倉仙田公男日時門司港今川昌彦髙児島藤井宣人時多古浦香取雅人時半宇津戸藤井保人時半神驛藤本晴司日時稲讃田中一矩日時半安那佐木滋郎時真金藤井昭子年祭のご案内日時月日午前時より場所祖霊殿年祭故三代会長上原繁雄大人二十年祭故三代会長夫人上原くにゑ刀自十年祭故四代会長上原郁雄大人十年祭準備の都合もございますので各教会よりの参拝者数を大教会直轄教会を通して月日までに大教会会計室宛ご報告ください直属ひのきしん五日隊第次隊ぢばへの伏込みはたすけの理づくり期割間当参加御供月日木日月直轄名直轄名高屋名島根名円福山名上府名教祖ご誕生祭詰所受け入れひのきしん期割間月日土正午日火正午まで当直轄名直轄名福山名高屋名島根名上府名心身共に健康な方をお願いいたしますおかえり講話日場講時所師月日日ともに午後時より笠岡詰所日宇恵義昭先生予定日田口美代子先生第回天理教婦人会総会期日月日月式典午前時分本部中庭南東西礼拝場前記念行事講演会会場学生会新入生歓迎会日会対内時月日日午前時午後時頃場笠岡詰所象おぢば管内の学生容大教会長様お話親睦会学生には直接ハガキで案内いたしますがこちらが把握出来ていない学生もおりますので教会からもお声がけをお願いします立教年全教一斉ひのきしんデー期日月日日実施全教一斉ひのきしんデーはひのきしんに真実を尽くす一人ひとりが日を合わせ場所を定めて結集し大きな力で地域に貢献しようというものです欲を忘れひたすら感謝の喜びに汗を流す姿は自ずと人にさわやかな印象を与え良いにをいをかけていくことになるでしょうさあ一手一つに勇んでかからせて頂きましょう婦人会笠岡支部ひまわり会おつとめ大会日時月日日午前時受付時分開会場所神殿内容午前の部十二下り総立ちてをどりまなび支部長様おはなし昼食午後の部時分より講話早樫一男先生臨床心理士京都府知的障害者更生相談所所長補佐ファミリーセラピスト対象才才位の女性参加御供円扇は各自でご持参ください各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください大教会だより第七五二期修養科修了者修了引野谷屋賢三稲倉藤井彬雲東米原豊鶴眞延原光生髙屋谷本倫子明石市杉原智子亀田山浜田たつ子本部食堂ひのきしん福東中村佳弘第七五五期修養科教養掛三ヶ月間西江昌直金浦分教会長一ヶ月目原公彦芦常分教会長二ヶ月目藤本基喜三ヶ月目惠陽分教会長田中隆之福山分教会長訂正とお詫び発行に掲載された大教会だよりの直属ひのきしん五日隊の期間が間違っておりました左の通り訂正しお詫び申し上げます訃報村川秀夫氏大江橋分教会前会長三月四日出直されました享年七十一才岡﨑輝夫氏大教会幹部承事呉照分教会前会長三月十日出直されました享年七十六才とある地方競馬場本日の最終レースはエイ争奪牡馬選抜オープン距離無制限馬場は常に整備されているが芝あり土ありのアップダウンの繰り返し更には時ならぬ強風にも見まわれ馬泣かせだが毎回珍レースが展開され同競馬場の名物各地から選抜された迷馬頭がエイ笠岡港産を求めて捧腹絶倒のバトルを繰り広げる出走馬と下馬評は次の通りワイルドアザエボーイ百戦錬磨の最長老馬好レースか愚レースにするかの要馬最近パワー下降気味キョセイしてボーイからガールに名を変えるかと馬主するならしてみーと強気の当馬シンイチシンボリーどうもコンピューターを背負った馬らしい何事も表情変える事なく着実にこなす不言実行馬休場日は種馬としても活躍スタミナ配分に留意チュウソンワールドパイ外国での調教経験があり国際派の新進気鋭馬ジョッキー次第では有望株ゴール前のひと叩き期待したいが腹回りの肉少気になるトーフクザンプレス早朝調教はもとより日のトレーニングに余念のない昼夜兼行馬直向な努力をかわれ四月頃より中央競馬出走の噂あり朝が早いためレース中の居眠りが心配ブラックサトーホマレセンスあるレース運びは通もうならせる斬新奇抜馬ダンディに煙を漂わせる姿女性ファンの心をゲット馬力維持のため煙はほどほどにハワイトマウンテンキサ育ちの良さか土地柄か清く正しく美しい少色黒温厚篤実馬時養殖用のマムシをつまみ食いしているらしくムチが入ってからの鼻血レースに影響なき事を祈るストロングヒコイチー前走馬のシッポを噛ってでも前に出て行く大胆不敵馬寒さ厳しき中で培った挫けない諦めない姿勢は競走馬の鏡その勇姿時には見せてオールアンナジョーダンレースに役立ない雑学を好みポリシーも強調性もなくとに角つかみ所のない二股膏薬馬思考力視力低下が激しくコースを間違えずにゴールまで辿り着く事が出来るか発走までまだ少時間がある勝利の女神はどの馬上に微笑むか否その前に海千山千の各迷馬素直にゲートインするかそれが大きな問題だ
かさおか

『かさおか』第43巻 第2号

初代様手縫のパッチワーク摩耶分教会所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次立教百六十七年年頭会議一一歩前進百万軒一おつとめの徹底とひのきしん一機を逃さず二年目こそ素直に大教会長様ご挨拶おさづけの取次という実践項目を申し合わせて既に一年つとめています旧年中は大変ご苦労さまでした昨年は教祖百二十年祭に向かう三年千日の一年目の年でしたがそれに相応しい成人の歩みができたかどうかはそれぞれの心の中でしっかりと反省していただければと思います成人の度合いによってそれぞれの歩幅はみな違うと思いますが百二十年祭に向かってたとえ僅かでも間違いなく成人の歩みを進めることができた一年だったと思いますこれは今年も来年も変わりませんしっかりとこのスローガン実践項目を心において去年にも増して実動の上に心して掛かりたいと思いますその上で二年目に当たって今年一年どういう思いで実践項目をつとめたらよいのか私自身の反省を踏まえた上で今から申し上げたいと思います歩幅が違えば成人の歩みもそれぞれに違いますが例えば百万軒についても残念ながらそれを超えることができませんでした二年目のつとめ方百十周年に向かっての三年千日の一年前から取り掛かっているので四年間通して百万軒にを本年は二年目の年ですが助走をつけての一年目よりも二年目のほうがむしろ力が要りますその二年目の力次第で来年のより大きな成人につながると思えば今年一年の歩み方を共にしっかりと心してつとめたいと思います大教会では教祖百二十年祭に向かってをうちうちやの思いをにをいがけ内治に心を配りおたすいがけをしてきた実績がありますからどこまでやれば百万軒をクリアーできるかは分かっていたと思いますが達成できなかったとなると三年千日を何でもどうでもと仕切って歩んだ勢いが果たしてあったのかと思われます第一歩が小さければ第二歩はその衝撃を受ける力がそんなに大きくないので第二歩を第一歩けに誠の心を尽くそうというスローガンのもとよりしっかりと踏み出す必要があります素直な心と行ないでそのためにはどういう心でつとめたらよいのかと一言でいえば素直ということになるのではと思います親神様教祖にお喜びいただける素直な気持ちで素直に実動することが大切ではないかと思います教祖年祭に向かっての三年千日の成人の歩みは少なくともひながたを辿らせてもらうところにありひながたを辿らなければただ三年千日歩んだことにしかなりません五十年のひながたの中のたった三つを通ってくれたらよいということで三年千日仕切って歩んでいるのですからこの三年間はしっかりとひながたを見つめて歩み切るところに大きな成人の姿があるのです天保九年に教祖が月日のやしろとなられたところからひながたが始まりますがそのもとは何かといえば夫善兵衞様がをやの思いを受けてはいと素直に受けた一言からですまたひながた自体でも貧に落ち切れなどのをやの思いに素直に通られたということを考えると正しく親神様教祖また真柱様の思いを心から受けて素直な気持ちで歩んでいるかどうかを先ずしっかりと思案したいと思います三年千日の一年目ひながたを素直に辿ったかと考えるとどこかで忙しさに囚われてしまってよふぼくとしての本来のつとめが疎かになっていなかったでしょうかお道にはいろんな御用があってお互いに忙しい日を歩んでいるのは確かですが忙しい中にも心の中にひながたがあったかと考えるとまだまだだったような気がしますをやの思いに添い切ってこれは私自身の反省ですが実践項目の二つ目に掲げているおつとめの徹底について心得違いをしていましたそれはどういうことかと申しますと長い間おぢばでつとめさせていただいた中におつとめ祭儀式などを人一倍勉強して自負心を持っぢかたていましたので地方について思い違いをしていました前真柱様が一つの指針として地方のテープやを出されましたが本当に素晴らしいありがたいことだと大教会としてもそれにしっかりと添いたいと思い前真柱様の歌い方はこうだからこういうふうに歌いましょうと地方の勉強もしましたその中に一下り目の一ツ正月こゑののところをそれまではしょーぉーがーつーぅぅとぅぅを二音で上げて歌っていましたがテープではしょーぉーがーつーぅーと一音で歌っておられるなるほどということで大教会おつとめ奉仕者にも申し上げましたところがよろづよ八首のよろづよのせかいのところはよーろーづーよーのぉと二音で歌っておられます私は一下り目のぅぅを一音にされたことを考えてよろづよ八首もよーろーづーよーのーと一音で歌った方が笛や三曲とも合うし歌い方も楽だしまた息継ぎもしやすいと思って敢えて前真柱様とは異なる歌い方で大教会おつとめ奉仕者に申し上げましたあるときその件について改めて考えてみて前真柱様の歌い方に合わそうと思うなら僅かなことでもしっかり合わすことの方がむしろ大切ではないかと反省しました私が考えるようには歌われなかった前真柱様の思いは分かりませんがいろんな面でやりやすいからそうしたらよいと思ってしまった自分自身の心が間違っていたと申し訳なく思いましたをやに添うということで考えるなら例えば自分の正しいと思うことでもそれが僅かでも違うとなればそれは添い切れていない姿でどこかで慢心がはたらいていたと反省しましたほんの僅かなことかも知れませんがそのほんの僅かなことが日重なっていけば大きなズレに繋がってくるのは間違いのないことです初心を振り返って私も大教会長としてお陰様で十数年つとめています何も分からない最初の頃は必死でしたが十年経ってある程度余裕ができどこかで素直さを忘れ一生懸命さを忘れ余裕ではなく甘えが出てしまったということもそこから反省せざるを得ませんでした年限を重ねるほど我流信仰になってしまって親神様教祖の思いに対しての素直さがどこかで薄れてきてはいないか二年目をつとめるに当たってそれぞれが素直な気持ちで振り返っていただきたい昨年一年は確かに忙しく寝る間を惜しんでつとめられた方もおられるでしょうがどこかでこれだけしたからよかろうというような思いがなかったでしょうか五十年というひながたからすればたった三年でよいという思いにすら添い切れていないたかだか三年なのにその三年さえもひながたを辿ろうとする気持ちがどこかで薄れてはいないでしょうかまた教祖の年祭はもう三四回目五六回目だということで年祭そのものがありきたりになってはいないでしょうか年限に関係なく垢が溜まっていないかどうか一人ひとりがしっかりと反省しその反省を踏まえて素直な気持ちと行ないでもってあと二年応えられる歩みにしたいと思いますどうぞみなさん方あと二年しっかりとひながたを見つめて歩みましょう本年の動き本年は大教会役員教会長夫妻布教所長を対象に本部主催で道の先達大会が開催されます漏れなく参加しましょう大教会では各教会で年二回にをいがけおたすけ実修会を開催します四月から六月の間で一回目九月から十一月の間で二回目を開催したいと思いますそれぞれの教会でまたそれ以外のところでしたいというところは申し出ていただきたいと思いますが全教会で開催し一人でも多くの方にこれに参加していただいて実動の上に繋げていただきたいと思いますもう一点十一月二十八日に別席ひのきしん団参を計画していますせっかくにをいがけをしているのですからこの別席団参にも一人でも多くの方をお誘い合わせをしてそして共にひのきしんをしてつとめたらありがたいと思います共に素直な気持ちで素直な行ないでもって今年一年つとめましょうどうぞよろしくお願い申し上げます以上要約春季大祭講話ひながたの真義るのではなくそのときのをやの思いを思案しその思いに沿うべく成人を心定めするのが春の大祭の意義です大教会長様お話辿ってこそのひながた本日は春の大祭に当たり大勢の方にお集ま当時教祖は生神様でした困ったことがありいただきこうして結構におつとめをつとめてればたちどころに御守護くださる生神様だ教それぞれに大祭のおつとめの理を戴かれたわけで祖さえいらっしゃれば陽気ぐらしに立て替わるとすその理をそれぞれ国処にお持ち帰りいたいう思いもあったでしょうだいてよふぼく信者の丹精の上にまたにお側に居られた人はひながたの大切さを分をいがけおたすけの上にとその理を発揮されかっていながら生神様が目の前におられるが故ることになりますについをやに甘えてしまってひながたを辿ろしかし共におつとめを拝しておうたに唱和うとしなかったしたならおつとめの理を戴けますがせっかく辿らなければひながたこそが陽気ぐらしに向居合わしても隣同士で違う話しをしたりおつかう道としてわざわざ御自らお示しいただくとめと全く関係のないことをしていると結局必要はなかったのですおつとめの理を戴けずに帰ってしまうことになるまたたすけを現わすだけなら定命を縮めらので実に勿体ないことですれることなく少しでも不思議なたすけを現わして陽気ぐらしの世界に立て替えようとされたはずです春季大祭の意義このままでは陽気ぐらしが成就するどころか明治二十年のをやの思いどんどん遅れてしまう一日でも早くひながたを辿ってもらいたいという思いがあったからこそ春の大祭は明治二十年私たち一人ひとりの二十五年先の定命を縮めて御身を隠されたという成人を急き込んで教祖が御身を隠されたその日のが明治二十年のをやの思いではなかったでを祈念してつとめますがただ祈念してつとめしょうかひながたを辿る手立て教祖はつとめとさづけを急き込まれて御身を隠されたと聞いておりますがそれでは何のためのつとめとさづけなのかと改めて考えてみましょう教祖は御自らをびやだすけから初めて不思議なたすけを現わしてくださったというひながたがありますが私たちは月日のやしろではないので当然不思議なたすけを現わすことはできませんひながたを辿るためには一人ひとりが不思議なたすけを現わしていく必要もあるわけでひながたを辿るための手立てとしてつとめとさづけというものがあったのではないでしょうか教祖は五十年のひながたを歩まれましたがそれは私たち一人ひとりがこれさえ通れば陽気ぐらしに立て替わるという道として御自らお通りくだされたわけですつとめとさづけはひながたを通るための一つの手立てでですが教祖のひながたはつとめとさづけだけではなくむしろそれはほんの一部でそれだけで陽気ぐらしに向かえるものではありませんつまりひながたは陽気ぐらしに向かうためのものでつとめとさづけはひながたを辿るためにある目的はひながたを辿るということですそのことをお互いに思案しなければなりませんどういうひながたか陽気ぐらしを目指すひながたさて教典第十章に陽気ぐらしとは楽しくらしみづくめの生活であるとありますひながたはそれさえ通れば私たち一人ひとりの力でもって世の中が陽気ぐらしに立て替わってくるという道筋ですから楽しみ尽くめの生活をすることが陽気ぐらしならひながたとは楽しみ尽くめの暮らしを目指すための歩みであるということになりますつまり目指すのです今だけを楽しみ喜こぶのではありません楽しみ尽くめを目指すためのひながたですおふでさきに楽しむというお言葉が二十首ありますが半分程は神の楽しみ月日楽しみで後の半分は先の楽しみ後の楽しみです今を楽しむとはほんのわずかでむしろこの道の先を楽しめです今は楽しめない喜べない日もあるだろうしかしこのひながたさえ通ったならば見るもの聞くものすべて楽しみという楽しみ尽くめの暮らしに立て替わってくるそれがひながたです私たちは今喜べれば今楽しめればいいとつい思いがちですお道を通っていてもそういう部分は捨て切れません信仰しているから陽気ぐらしの天理教だから今楽しめばいい今陽気に暮らせばいいとつい思いがちです確かにそういう部分もあるでしょうしかし本来求めるべきは今の楽しみよりも先の楽しみです先に現われる楽しみ尽くめの暮らしこそが私たちの目的でありそれをお示しいただたのがひながたです陽気な暮らしと陽気ぐらしひながたはそれさえ通れば陽気ぐらし楽しみ尽くめの暮らしに向かうという唯一のありがたい道筋ですところがひながたはと見たときになるほど陽気暮らしだなと思えるでしょうか天保九年月日のやしろとなられるまでは大庄屋の中山家の若奥様です大きなお屋敷大勢の使用人たくさんの田地田畑それこそ遊んで暮らせるようなお立場でした起きても布団を上げる必要もないご飯も作る必要もない掃除洗濯する必要がない寝るときも布団もちゃんと敷いてくれるそれぐらいのことをしてもらっても構わないようなお立場の方でしたお生まれは前川家これも素晴らしいお家です素晴らしいお家からより素晴らしいお家にお嫁に行かれてそれこそ陽気暮らしそのものの暮らしです中山みき様は私たちが陽気暮らしの理想としているような姿は多少の身上事情はあったようですが初めからもっておられたのです私たちが求めるような陽気暮らしができる立場の方ですからもうすでに陽気暮らししておられたのではないでしょうかところが天保九年月日のやしろとなられてからのひながたは真反対で貧のどん底に落ち切られるご自分は流産される夫善兵衛様には先立たれる子供たちにも先立たれるいいことがありますかその日食べるのを苦しむよなところから教祖にたすけれられた人がありがたい教祖どうぞ食べてくださいと教祖のもとに寄ってきた多少なりとも世間が認めるようになってくると警察に拘引され留置される大庄屋の中山家はそれまで世間から素晴らしい家素晴らしい人と認められていたのが月日のやしろとなられた途端に五十年間世間から罵詈雑言を吐かれ忌み嫌われたまま御身を隠されたおふでさきに足のちんばが一の残念とあるこのお道を始めるきっかけになった長男秀司様の足の悩みも一生涯治らなかったとも聞いていますこれがひながたですどうですか皆さん見えた世界は陽気暮らしの世界ですかどこが素晴らしいのですかいいところが一つもないと思いませんか結構になることが陽気ぐらしではない私たちは身上や事情が治まって結構になることが心が豊かになって陽気ぐらしになることだとつい思いがちですが果たしてそうでしょうか明治二十年当時医者もあまりいなかったその当時たすからなかった病気も今日医学の発展もあってたすかるようになったその当時貧しい人がいっぱいいた差別で苦しんでいる人もいっぱいいたその当時からすれば貧困も差別も少なくなって不景気ながらも食うに困るでなし日常生活は何とかやっていけるだけのものはお与えいただいているではないですかどれだけ結構になっていますかたすからなかった身上もたすかるようになり生活も豊かになっているのだから当然それだけ心が豊かになって陽気ぐらしになるはずですところが現実はどうですか今朝のニュースでも十人に八人以上が不安を抱えて生きていると言っていました生活が豊かになっているのになぜ心が豊かになって陽気ぐらしに近づかないのですかむしろ心の方は逆にどんどん荒んできている今世の中に現われてる姿を見てもそうでしょう心一つの理で陽気ぐらしへ見えている世界だけは決して陽気ぐらしの世界ではないということひながたはそれを見せていただているのです教祖が月日のやしろになられ貧のどん底に落ちきられている中に家族の方にも理解がなかなか得られなかった夫善兵衛様が刀を持って憑き物ならば去れと言って教祖に迫られたという史実も残っていますその中に教祖は私さえいなければみんなにも迷惑をかけることもないと宮池に身を投げようともされたこれは教祖がその通りに思われたというよりもむしろ私たちに対する一つのひながただと思いますこのお道を通るということは決して楽な道ではない中には家族からも反対され私さえいなければ私さえ信仰しなければというような思いをする日もあるだろうという一つのひながたではないだろうかと思います私さえいなければという心が日が経つ内にわしらは結構や水を飲めば水の味がするという喜びの心に切り替わってきています晩年になっても大勢の人たちが寄ってくるようになりおつとめをつとめることによって警察に拘引され留置されるようになった普通なら辞めた方がよいと思うでしょうが教祖はふしから芽が出るといそいそと出かけられた正しく楽しみ尽くめですどんな辛い中でも可愛い子供がすることやと拘引され留置されたのです信じがたいでしょうがこれがひながたではないでしょうか陽気ぐらしに向かうためには見えた世界が良くなることではなく一人ひとりの心が陽気尽くめの心になることが一番大切な角目です見えた世界にばかり御守護を求めますがそれは違います見えた世界がどうあれ心一つの理が陽気ぐらしに向かうための道筋としてひながたをお示しいただているのではないでしょうか心一つの理で陽気ぐらしに向かうということが大切です見えた世界では教祖のお姿は良くなるどころかむしろ悪くなっていますしかしそれに相反して心の理は正しく陽気尽くめの心に変わってきているというところにひながたのひながたたる所以があるということを改めて思案したいひながた何もかもが結構だと思うのが違うのです心一つの理で陽気ぐらしに向かうということがひながたであるということです年祭活動の意義苦労を求めてさてそのひながたの道筋は今申しましたように楽の道は一つもありません御自らもそうですし周りの人に対しても並ならぬ道厳しい道を与え通らせておられるような気がして仕方ありません普段は大変お優しい教祖ですがいざ子供の成人に対する仕込みとなるとむしろ厳しいのです末女こかん様を浪速に神名流しに出されたのは夫善兵衛様お出直し直後のまだ心が悲しいときですおはる様の初産のときも壁が落ちるような大きな地震の中で楽と安産しましたこれは不思議な自由な御守護も楽の中には見せていないのですまた最初のつとめ場所の普請のときも棟上げができ皆が勇み切っている中での大和事件たすけのもとだてと教えていただいたおつとめも意気揚とつとめていたら拘引され留置される一番大事なおつとめさえも楽ではさせてないではないですか確かに一方では分らない子供がそういうふうに仕掛けているだけの話であって神様がそうされたのではないと考える向きもあるでしょうが私はむしろ成ってくるのが天の理と考えればそういうことさえも神様がなさったのではないかと思います成人させるために苦労をさせておられるのですここにひながたがあるのではないでしょうか陽気ぐらし楽しみ尽くめに向かうためには一人ひとりがひながたを見つめ苦労の中に身を置いてたすけ一条の道を歩むということが大切なのではないでしょうか人だすけを心定めて目の前の楽しみは短い先の楽しみは細い道のようでも長い真実の楽しみをよく思案すれば楽しみという理は何からできたものか容易ならん道欲を離れて出てくると教えられますまた身上事情あって道と言う身上あって楽しみ楽しみあって道と言うとも仰せられます身上事情さえも楽しみに向かう道筋です身上事情が悪いのではなくその中にこそたすけ一条の心をもってその歩みを進めるから楽しみ尽くめという心に切り替わらせてもらえるということではないでしょうか教祖年祭の旬には大きな身上事情を見せていただきますがそれが悪いのではなくその中にこそ人だすけの道を心定めして歩んでくれという神様のお急き込みなのです何が悪いこれが悪いと反省することよりも人小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さいだすけさえ心定めして通ったならば神様に十分お受け取りいただく道筋がありますこの旬に身上事情を見せていただく程ありがたいのです見せていただけないのならむしろ自ら苦労を求めて歩んでこそひながたを辿るということになるのではないでしょうか実践項目を掲げておりますができるからするできなかったらしなくてもよいというのではなく少しでもさせてもらうための苦労にをいがけおさづけおつとめひのきしんをさせてもらうための苦労を一つひとつ自ら求めて歩むところに年祭の意義があると思います改めて昨年一年を振り返ってみたときひながたというものを見つめそれを辿らしてもらえたかどうかお互いが思案させてもらいたい残された二年はしっかりとひながたを見つめてひながたの万分の一でもよし今こそひながたを辿らせてもらんだという思いで通ることが大切です残された後二年一人ひとり苦労を求めて御恩報じの道を歩ませていただきしょう以上要約原原稿稿募募集集軒回件ヶ所立教年実践項目集計月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会ひながたを求めて教祖のひながたは五十年ですがその中のたった三つ三年千日ひながたを通ればよいとの親心をお示しいただたのが年祭活動です教祖年祭は私たち人間の都合で決めたものではなく十年ごとを仕切っての年祭に向かって三年千日しっかりとひながたを通るような年祭活動にするようにと付けてくださったものですですから三年千日仕切って教祖の年祭を目指してひながたを通り切るというところに年祭を迎える意義があるのです百二十年祭に向かってはもうすでに一年が過ぎてしまいました内容字数寄稿先婦人会委員委員部長講習会昨年九月婦人会本部よりそれぞれの委員部長に一通のお手紙をいただきました四月の婦人会総会でお聞かせ頂いた真柱様会長様のお言葉をうけてその後どのように動いているか年祭活動の底力となっているだろうかと委員部長の日の歩みを反省させていただくものでしたこのころから一月三十一日委員と全委員部長の講習会を開催させて頂きましたまず支部長様から会長様の思い立場の自覚婦人の徳性を活かしたにをいがけおたすけについてお話を聞かせていただきこの旬にふさわしい通り方をお促し下さいました午後より六七人のグループに分かれて練り合いをさせて頂きました今委員部長としてどう歩めばいいのかということを中心にそれぞれが年祭活動の底力となる成人と実動を求めてねりあいを重ねましたその後各班の代表が練りあったことを発表し活動方針を日の暮らしの中に素直に実行することを誓い合い勇んだ雰囲気の中閉会といたしました参加者数百十七名婦人会常任委員武内正美第二次直属ひのきしん五日隊直属ひのきしん五日隊第二次を一月二十七日より三十一日迄中村剛久松分教会長を隊長に二十八名内女子二名で伏せ込ませて頂きました一月二十七日の入隊式で本部責任者の方より工事はおよそ半分終える事が出来ました予想を超える大勢の方の真心と伏せ込みのお陰です五日間勇み心でひのきしんに伏せ込ませて頂きましょうと挨拶が有り参加者の中には足の不自由な人腰の痛む人高齢の人等様な人の集まりでしたが一同楽しく真剣に精一杯伏せ込ませて頂きました夜には修練として一日目は各班での自己紹介二日目も班毎で今の旬について練り合い三日目は上下分教会長山野弘実氏福成布教所長藤井正仁氏による感話世話班中村剛氏の教話を聞かせて頂きました四日目は大教会の親心による会食で鍋を囲みお酒も入って楽しい一時を過ごしました五日目は午前中の作業終了後神殿でお礼づとめをさせて頂き昼食後解散しました私自身一日目を終えた時世話班という重責をお与え頂きながら右足のすねが腫れ上がり痛くて曲げる事も出来ず歩くのも右足をひこずるような姿をお見せ頂き二日目の朝今日は休ませて頂こうと横着心が出てきた時中村先生が足のちんばが一のざんねんと一言はっと私は何をしに来ているのかと気付かせて頂き痛む足をお見せ下さり私をおためしになっている少しの土でも運ばせて頂こうと考え直し現場へ土が運ばれなければモッコの修理をさせて頂けるとの事で残りの四日間モッコ修理に伏せ込ませて頂き五日目には少し痛みは残りましたが元通りの足にもどり親元での伏せ込みに対する心構えをお教え頂く事が出来ましたのは心うれしく勇み心を持たせて下さいました昨年の十一月三十日の大教会挙げての伏せ込み団参で大教会長様より陽気ぐらしの家を建てよう陽気ぐらしという家はにをいがけとおたすけで建てるのですその為の理作りがおぢばでの伏せ込みで有りますと御挨拶頂きましたこの事を改めて肝に銘じ毎日をつとめさせて頂く事を心の定めて帰らせて頂きましたおぢばへの伏せ込みはたすけの理づくりとお教え頂く事をしっかりと実践させて頂く事が出来五日間晴天の御守護を戴き事故もなく皆さん元気につとめ終えられ明るく勇んで帰られました事は非常に有意義な五日隊であったと思わせて頂きました布教部員岡崎和夫直属ひのきしん五日隊に参加して亀田山分教会高橋信男今回の五日隊土持ひのきしんに参加するようにと教会の会長より話があったのは五日隊初日の四五日前で急な事では有りましたがこころよく受けさせて頂きました昨年の十一月三十日に行われた土持ひのきしん団参の時は残念ながら島根教区災害救援ひのきしん隊の九州ブロック訓練の日程と重なり参加出来なかったので何とか次の機会には是非ともと思っていましたので喜びいっぱいで参加しました私は二十六日の京都行き夜行バスでおぢばへと向かいました山陰地方は二十五日より雪が降り道中心配をしましたが定刻に京都に着き近鉄電車に乗り換えておぢばに帰らせていただきました詰所で朝の食事を頂き休む間もなく詰所のマイクロバスにて土持ひのきしんの行われている現場まで送ってもらいました今回は笠岡を含めて十ヶ所位の直属教会の人達が老若男女を問わず大勢参加されており土持の現場もにぎやかになっていました九時に朝礼をしてから土持ひのきしんを開始しましたがその日は土を持った所が水を含んでおり靴の底にベットリと泥が付着してまことに歩きにくい状態でした特に坂の上り下りではすべらない様にと慎重に歩かざるを得ない状況でこれではひのきしんがやりづらいなと思っていた所本部の係の人がむしろを引いて下さったのでやっと安心して歩く事が出来るようになりひのきしんも捗る様になりましたその後は天気にも恵まれて順調にひのきしんが進んでいきました午前中二時間午後二時間とひのきしんの時間が決めてあり最初は短い様な気がしていましたがいざ始めて見るとあの距離をモッコを担いで往復すると足に負担がかかり普段余り歩く事のない私のような人間にはきついものがあり休憩を十分に取りながら自分にあったペースで土持ひのきしんを行った方が良かったと思いましたお年寄りのご婦人が手押し車を押しながら黙と土を運んでいる姿を見た時に親神様より結構な身体をかりものとして貸して頂いてその体で親神様の喜んで下さる欲を忘れて人のため世のためにひたすら尽くすひのきしん精神の原点を見た思いがしました最後に今回の五日隊ひのきしんは色と勉強になる事も多く有意義な五日間を過ごす事が出来ました心の修養雲東分教会米原豊母親の信仰の始まりから私くしも用木になってかなりの年月が過ぎています会社の退職後やっと教会の月次祭に足を運ぶ様になりましたがまだまだ未信者同様でございますこの度会長様の勧めにより修養科生としてお道の修養に入らせて頂きました今のところ幸いにも身上事情もなく有り難く思っていますこれからも無難に通らせて頂きたく心づくりの願いもございました今期の笠岡詰所には七名の修養科生の集いです年齢性格も違う中親神様のお引寄せによりこれから三ヶ月間の生活が始まりましたお互いに助け合い協力しながら日を楽しく過ごす事を誓い私くしも心がけてまいりましたこれまでの生活とは違い早朝からそれぞれの受持の清掃食事の準備など手際良く行い学校での授業そして定期長期のひのきしん年末年始大晦日のひのきしんや土持ちひのきしんなど又詰所では信者様が気持ち良くお帰り頂く為に色な面に対して気配りをしなければならない事これもひのきしんを通して教祖のひながたをたどり常に感謝の気持を忘れず勇んで通らせて頂くことが喜びにつながり心がすっきりすることにより嬉しさが増してくれますひのきしんをすることによって癖性分などを見つめ直す事も出来言われなくても進んで行い又陰徳を積む様にと聞かされこれまでの自分を改めて見つめ直して反省することも多く親神様にお詫びしながら心を戒めています修養科生活も三ヶ月目に入り修練場では一段とをてふり鳴物に熱が入ってまいりましたがなかなか思う様に成らず焦りが募りますが投げ出さず勇んで修練に臨んでいますこのところ寒さも厳しくその影響か体調をくずす方も出始めお互いに体に注意しましょうと声がけし教理の上から親神様のかしものかりものの理又八つのほこりの心違いを思い浮かべ体を大切に扱いそして勇み心でお連れ通らせて頂ければと思って居ります修養科で学んだ事を更に深めお道の上から思案をしながら一歩一歩成人に向けて歩みまず教会へ足を運ばせて頂き来る教祖百二十年祭に向かって勇み心で通らせて頂きます修養科に入って明石市分教会杉原智子教会の娘という風に呼ばれるのが本当にいやでした小さい頃は何も考えずにいましたが大きくなるにつれ家が天理教の教会である事も嫌いおつとめにも何かと理由をつけては出ないようになっていきました中学高校の頃には両親にも反発し何を言われてもはいと返事はしても全く聞いておらずまた返事すらしない事もままありました何故自分の家は教会なのか何故教会に生まれたからといって天理教を信仰しなければならないのかそんな疑問を抱き続けたまま両親にぶつける事もなくただ何もかも否定してきましたそんな私も大学を卒業し社会に出てようやく少しですが両親とも話をできるようになって申し訳ない気持でいっぱいになりました何でもいいから少しは私も両親の役に立ちたい喜んでもらえるようなことをしたいと思えるようになった頃仕事を退職し両親から修養科へ行ってみないかという勧めがありました天理教のことを何も知らないまま否定し続けていた私にとって両親への気持ち感謝を表す一つの機会だと思っておぢばへ帰ってきました修養科は私が思っていたよりずっと楽しく過ごすことができました最初は教会の娘なのにそんな事も知らないのかというようなことがあってひどく落ち込むこともありましたけれど私が教会の娘であることは事実であとは自分がどのように行動するかにかかっていると思ってひのきしんに勇むようになりました特に長期ひのきしんで当たった神殿のひがしお守り所は修養科生のやるひのきしんの中でもかんろだいに最も近いところでさせていただいています決まった時間で各担当場所を掃除しつつそれぞれのつながりでひのきしんが進んでいきます普段入れないお守り所のひのきしんというだけでなく各担当のつながりの和が大切なひのきしんでやりがいがあり充実していました修養科も残り一ヶ月を切りましたが最後まで悔いの残らないよう勇んで参りたいと思います談話室元旦の一日出雲分教会鳥谷秀夫立教百六十七年の元旦四時四十五分さわやかに目覚める穏やかな好天気の御守護を頂いて本年の第一日が始まる洗面を済ませるとすっきりと心も引き締まる直ぐ教服に着替えて我が家の神床に拝し開扉献饌親神様御霊様に各十五台正月らしい神床になるおつとめを勤めてより教会の元旦祭に参拝する徒歩で十分今年は孫達も一緒に歩く教会に着くと子供達のにぎやかな声が聞こえる直ぐにつとめ着に着替えて祭典準備にかかる人数も次第に多くなり五時三十分奉仕者も揃う二番太鼓と共に開扉が行われ献饌へと進み六時より祭典が始まる祭主会長様の祭文奏上は昨年中に頂いた御守護へのお礼と反省そして教祖百二十年祭へ三年千日の二年目を迎えての心構えを述べられる続いて坐りつとめてをどりつとめと和やかに勇んで終え会長様より新年の御挨拶を頂くと新年を迎えさせていただいた喜びが実感をして心に広がる個に新年の喜びを挨拶した八時三十分頃より食堂にて直会を頂くお酒を招れながら皆が和やかに又にぎやかに語らい笑う想えば私も新年の行事にも五十年間位ほとんど欠かさずに勤めさせて頂いて来た様に思う天候は年に雨の日吹雪の日又晴れた日と変わるが月次祭とは異なった感じのある元旦祭は意味深いものがあると思う年祭活動も半ばを迎える本年一歩前進を心して歩ませて頂かねばならないと誓いを新たにする所である私も七十五才次の年祭には八十に近い年令になる事を考えると尚更の事である十時三十分頃より帰途に着く家に帰ると張り切った満足感と少しの寝不足の疲れも出て届いた年賀状を読みながら心良い昼寝の眠りに入り今年の元旦を終える教養掛助員一年生瑞雲分教会長西村彦一立教一六七年午前五時十分本部元旦祭が始まった厳寒の神殿でピーンとした緊張の一瞬ふと此処に居る自分がなんとも快感である修養科七五二期の教養助員としてお引寄せ頂いた賜り物であるのだと思い返せば御命を頂いた頃は正月は自教会の大祭後に出れば良いだろうと決めていたが十二月大教会祭典終了後に大教会長様が掛は一日も休まず勤めるようお願いしますと私の顔を見て仰いましたはいと返事してしまったそれは四名の掛員が揃いおてふりの御手直し後の事でした戻って皆に話したら大丈夫頑張ってお地場に勤めて下さいと後継者は兄弟で力合わせて何とか勤めるから心置きなく行くなと懇願されるものと思いきや逆に押し出された嫌いあり心が定まったさて詰所では出雲そばで年越しを祝い吉岡奥様の心こもるお雑煮特製おせちの持て成しは経済的かつ効果的な新年のお祝いとなるご馳走でありましたでは肝心の教養掛の方は修養科生にとっては至らぬ届かぬ点は多在ったと思うが必ずや此れからの人生の糧となり貴重な基盤となる三春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様にはいちれつのこどもがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなりと人間の陽気ぐらしを楽しみにこの世と人間をお創造になったばかりでなく天然自然の理でお育て下さると共にお約束のままに天保九年この世の表にお現れになり教祖を月日の社とお定めになり陽気ぐらしに向かうひながたをお示し下さいましたその親心の程は誠に有難く勿体ない極みでございますお引き寄せ頂いた私共は真実の親心に触れ我が心の反省を重ねつつ生かされている喜びと御恩報じを胸に日はたすけ一条の御用の上に勤め励まして頂いておりますその中にもこの月二十六日はひながたの親たる教祖が一れつ子供の成人を急き込まれ御身をお隠しになされてろくぢに踏みならしに出られた尊い日でございますのでおぢばでは春季大祭が執り行われますがこれの大教会でも理のお許しを戴いて只今からおつとめ奉仕者一同喜びと感謝の心一杯に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて春の大祭を執り行わせて頂きます御前には遠近を問わず又冬の寒さも厭わず寄り集いました理に繋がる道の子供達が同じ思いに伏し拝み改めて御礼申し上げる真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年も改まり教祖百二十年祭に向け三年千日と仕切っての成人の歩みも二年目を迎え皆夫に年頭より心を定め実践項目の実動に邁進すべくたすけ一条の上に勤めさせて頂いておりますが昨年一年を振り返って見た時教祖年祭に向けての三年千日の歩みはひながたを辿るべき歩みのはずが辿りきれていない感があります教祖百二十年祭に向けて残されたあと二年ひながたをしっかりと胸に湛えて自ら苦労を求めてたすけ一条の上に勤め励ませて頂く覚悟でございます何卒親神様には我さえよくばの混迷の時代にあって私利私欲を捨て世界一列救けたいとの親心に精一杯応えようとする皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜りたすけ一条の喜びを共に味わせて頂いて今より多くの人で喜びを分かちあえる百二十年祭を迎えさせて頂けますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますヵ月に成るであろう私の其れがそうで在ったように私の子供達と同じ年恰好の皆は少人数ながら互い認め合い因縁寄せて守護する自己のしっかりした考えを持っている過去の無軌道なことの修正成ってくる姿を受け入れている様に見える反面情報化時代の携帯で知り得る事自分を出す前に相手を伺いけん制する建前と言う垣根を越えない本音自分の方針は損してでも誇示するそう見えたのも一月末には少し変わってきたあと少しだ皆で頑張ってほしい正月四日の恒例鏡開きには初体験の緊張で勤めた西礼拝場の北側の場所で包丁で餅を切っていましたら御免なさいここ良いですかと真柱様の奥様がお出ましに成られ私の横で始められましたそれからの時間は高貴で暖かく得も言えぬ心地に感じましたこんなにも素晴らしい正月がお地場に在るなんて勤めたものにしか解からないご守護でありましょう有難う御座いましたここで改めて訓示下さった大教会長様教養主任私の教養主任だった吉岡詰所部長詰所諸先生方にありがとうございました更に五日隊も中身があったよ春の学生おぢばがえり日時月日日内容式典真柱様お言葉午前時本部中庭直属アワー別席後夜祭春まつり夕づとめ後こころの詩養徳社発行陽気誌二月号道柳より転載今回の課題は生撰六十一句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠芳阪布教所長杉原幹夫伏せ込みの長き道経て理が芽生え川島郷分教会前会長香取敏子生と死の狭間で悟るをやの恩呉市東濱十三雄さん福順分教会長よりの寄稿です病喜録ふり向けばささえてくれた人ばかり痛む身体を春風包む改革は心のほこりはらう道なれど進まぬ改革の道点滴の音を目で聞き木枯しを耳で聞きつつ今日も生かされ鼓笛バンド講習会日時内容参加御供月日火月日金泊日お供え演奏曲の練習修得お楽しみ行事室内オリンピック等円月日は少年会おつとめ総会へも参加します立教年少年会笠岡団おつとめまなび総会日時平成年月日金午前時受付時半開会場所内容午前中おつとめまなび式典午後アトラクションお楽しみ行事対象少年会員高校生大学生係員としてひのきしん参加御供各教会円おつとめまなび総会役割よろづよ下り目上下下り目直大教会下り目福山下り目高屋下り目島根下り目久松下り目直府中市期間割当参加御供特別ひのきしん日隊月日木月日月名参加ご希望の方は早めに各ブロック布教部員へ円第回天理教婦人会総会期日式典記念行事月日月午前時分本部中庭南東西礼拝場前講演会会場大教会だより教会長資格検定講習会修了者前期終講三郡貞清律子芦常原淑恵直属ひのきしん五日隊世話班久松中村剛弥髙山岡﨑和夫福廣佐木滋郎参加者福山藤井正仁海松ヶ岡宮崎智司吸江山地孝志新山邑国定春一明石市花島智恵子上下山野弘実美之郷桑田正則福勇鳥井利昭福芦竹本和道福芦山本勝佑西村東福山芦品芦加茂恵陽稲倉稲瀬稲富士門司港瑞雲亀田山吉舎木津和甲井神驛藤本晴司枝廣隆文藤井潔小川宣由藤本道善高島卓久三宅善久須毛田昇猪原啓介西村彦一高橋信男時宗一実丸山勤山田かよ子渡辺孝信訃報畑敏男氏福冨士分教会長立教百六十六年十二月二十八日出直されました享年九十一才おぢばの教祖殿の脇にお守り所があるが東回廊をお守り所前まで来ると窓はなくなりそこからは手摺になっている窓と手摺りの角は鋼板瓦だが手のとどく一番前の鋼板は人の手によってよく光っている以前はもっとテカテカと光っていた何故答えは簡単であるその鋼板瓦を撫でて自分の病む所を摩ればおかげがあるというわけだエッ本当かと思うだろうが信じる者にとっては本当だから始末が悪いお道にもこうした迷信が他にもあるが歴史の経過と共にいろんな事が出てくるもんだ大和路の古寺を巡るとよく線香が焚かれており濛と煙が立ち昇っているその煙を体のあちこちつけて撫で摩っている姿をよく目にするがこの行為は説明がつくしかし瓦は科学的にも説明がつかない昨年のある時信者さんのおさづけの理拝戴を待つ間お守り所の前の手摺りに持たれてボンヤリしていたそこへ七十代のお爺さんがやって来て手摺りから身をのりだしてキョロキョロしているどうしたんですかいやこのあたりに瓦を摩るとおかげがあると聞いたんですがどれですかなこの瓦でしょうおかげがあるんでしょうなあのなァお爺さんここは教祖が居られるんですよ教祖にお願いせんで何で瓦にお願いするんですかそりゃそうですな納得したようなせんような顔をして立ち去ったお屋敷もいろんな伝説迷信が生まれるもんだと溜息が出た