『かさおか』第62巻 第7号
○1立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314新輝豊分教会大正13年10月31日輝北宣教所設立昭和22年12月26日移転、改称(輝伯)平成19年5月26日移転、改称(新輝豊)立教187年7月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号2○25140布教部別席・伏せ込みひのきしん団参実施布教部(田中隆之部長)は、去る5月日、教祖年祭三年千日の年祭活動の一環として、別席・伏せ込みひのきしん団参を実施した。大勢の参拝者が東礼拝場に集合し、年祭活動への取り組みについてお諭し下さる大教会長様のお言葉に耳を傾けた。続いてそれぞれの年祭活動の取組を胸中に振り返りつつ、一手一つにお勤めが勤められた。その後殿外に移動し、神苑で草引きひのきしんにいそしんだ。天候もよく暑さを感じるほどであったが、参加者は久しぶりの団参に懐かしい面々と出会い、お互いの近況を語り合う姿があちこちに見受けられた。また青年会は長らく控えていた活歓談しながらor黙々とひのきしん115021720013動資金カンパの売店を詰所内に催し、多くの帰参者が買い求めに集まり談笑するなどして、詰所館内は久々に賑やかな雰囲気に包まれた。(副部長佐藤真孝)能登半島支援活動(第2回目)報告とお礼6月6日夜8時、人はワゴン車2台に便乗し大教会を出発。2回目の能登半島支援活動の炊き出しの為に珠洲市に向かいました。珠洲市にある宝立小中学校の避難所近辺は、珠洲市内でも一番被害の大きかった地域で、避難所には約数人の人達が幾つかの教室に分かれ避難しておられました。更にその小中学校に隣接する仮設住宅が約軒ほどあり、多くの家を失った人たちが生活されていました。時半から時過ぎまでに食を全て出し終えました。多くの方々から感謝の言葉を頂き勇ん10会長室50で貰えるようにとの思いで来たのにこちらが勇ませていただきました。その後、近くの珠洲市内朝日避難所(人ほどが避難されている)を訪問し、出発前に預かっていたスイーツや飲み物など食分を届けさせて頂きました。災害から既に5ヶ月以上が経っているのにも関わらず、潰れた家屋や水に流された家屋はそのままであり、まだまだ復興への道のりは先長く、継続が必要であると感じました。尚、この度皆様から寄せられた能登半島復興支援の寄付金は6月4日までに317,989円集まりました。6月初旬に大教会長さんと相談をして、珠洲ひのきしんセンターに万円の寄付をさ1530半年経っても復興が進まない現状3○立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号20010かさおかせて頂きました。珠洲市内で避難されている方々の必要な物を購入して届けられるそうです。残りは大教会には留保しています。寄付する良い場所があればさせて頂こうと考えています。皆様の真実の寄付を有難うございます。(会長室員上原志郎)▼参加者の声吸江分教会西村由理子6月6日夜人で、珠洲市へ2回目の炊き出し支援に行かせて頂きました。朝6時、ひのきしんセンターである北乃州分教会に到着。参拝場に置かれたホワイトボードには連日来られる教会のスケジュールが書かれていて、地元の方からひのきしんさんと呼ばれているそうです。被災された方々を想い勇んでおつとめをし、避難所となっている宝立小中学校で炊き出し。開始前から長蛇の列ができ、食のお弁当(ロコモコ丼、ポテサラ、スープ、スイーツ)と飲み物を笑顔で一言ずつ声かけながら提供していると、「体調はまあまあだけど、家は津波で全壊でなあ」と。涙が出て、返す言葉がありませんでした。その後、少し離れたあさひ避難所へお菓子や飲み物を届けさせて頂きました。そこでは避難者自らが外の調理場で炊き出ししておられ、笑顔で助け合っている姿に親神様教祖もどんなにかお喜びのことだろうと思いました。移動の際道路はだいぶ改善され、田んぼや庭先の花に少し安堵したけれど、海岸近くを通ると前回とほぼ変化ない様子に、まだまだ息の長い支援が必要だと感じています。この度も教友や友人達から支援金や食材、車中で食べてとお菓子も届きました。前日には、スイーツ作りやお弁倒壊した建物を前に、私達の微力さを感じる1010>10当の下ごしらえといった、陰の支えがいませんでしたが、実際に動いて現地あってこその支援だと思います。また、の空気を感じることで、もっと何かさ2時間おきに交替で運転して下さったせてもらいたいという気持ちになりま方々、本当にありがとうございました。した。今回は参加させていただきあり今回も、ドリームチームの一手一つがとうございました。の姿に感動しています甲井分教会山田英嗣東福山分教会枝広正寛「能登へ行かない?」と上原志郎先今回、笠岡大教会からの能登半島支生より声を掛けて頂いたのが、この度援活動に初めて参加させていただきま支援活動に参加させて頂いたきっかけした。笠岡大教会からは総勢人で片です。炊き出しをするとの事で、お役道時間ほどかけて現地に到着しましに立てるだろうかと不安に思いましたた。ガタガタで不安定な道路や崩れたが、せめて遠い能登までの運転だけでままの家屋が多くあまり復興が進んでも頑張らせて頂こうと参加を決意しまいないな、という印象です。拠点であした。る北乃洲分教会を経由して、宝立小中多くの方々による事前準備の食材や学校で炊き出しをしました。メニュー荷物を積み込み、夜7時ごろ大教会をはロコモコ丼、ポテトサラダ、スープ出発し、明け方に現地に到着しました。と盛りだくさんで、避難所や仮設住宅テレビで見たままの、まだ家屋が倒壊の方には「、遠くからありがとうね「」おしたままの街並みを目の当たりにし、いしかったよ」と明るく声をかけていここで炊き出しをさせて頂いてはたしただきました。て被災者の方々が本当に来て下さるの初めて支援活動に参加させていただか?というのが私の第一印象でした。き、最初は被害状況から1人の力は小炊き出し現場の宝立小・中学校で準さいな、と虚しい気持ちになりました備が始まり、提供開始までの3時間、が、人いればこれだけ多くの人に喜私以外の9人の先生方の手際の良さんでもらえるんだとも思いました。今に驚きながらも、まだ心の中では「、こまで被災地のために祈る事しかできてんなに沢山の数を用意して本当に来かさおか立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号4○てくれるのか?」という不安の気持ちがありました。しかし、時間になると行列が出来るほどの多くの方が来て下さり、「いただきます。ありがとう」と直接、感謝の言葉を聞かせて頂きました。参加させてもらって良かった、次回があるならまた来たい、と思った瞬間でした。いつも当たり前に過ごしている日常生活がどれほど有難く、決して当たり前の事等一つもない親神様の御守護であるのかを改めて感じさせて頂く事の出来た貴重な体験となりました。200食の昼食を出し終えて1401516女子青年女子青年委員長講習会笠岡から2人参加6月日・日に天理教教会本部で行われた女子青年委員長講習会に参加させていただきました。婦人会長様のお話、女子青年活動についてのお話、中野大教会長深谷徳重先生の講話を聞かせていただいたり、グループで話し合いをしたりしました。婦人会長様は、「女性の在り方」「おふでさきを身近に感じること」「教祖のひながたをたどり、心の成人への歩みを進めること」の3つのポイントに分けてお話をしてくださいました。その中で、もとはじまりのお話を学び、男女がそれぞれのはたらきを果たして助け合って生きていくこと、おふでさきを通して〝親〟の心を知ること、心の成人に向けて教えを素直に実行することの大切さを教えていただきました。女子青年活動についてのお話では、教祖年祭に向けて、「女子青年活動のかどめ」を日々しっかりと実行することが大切だと聞かせていただきました。その中で、親神様・教祖に心をつなぐ参拝・おつとめ、日々の御守護への感謝を行動に表すひのきしん、何事にも喜びを見つけようとする姿を通してのにをいがけなど、かどめを実行することでどんなときにも親神様の御守護やお導きを感じられる心を育てるのだと教えていただきました。深谷先生の講話では、「女子青年活動のかどめ」の1つである「にをいがけ」について、〝にをいがけ上手〟ではなく〝にをいがけ熱心〟を目指すのだと聞かせていただきました。その中で、においをかけてくださるのは親神様であるので、私たち人間は、ひたすら熱心にやり続けることが大切だと教えてくださいました。「にをいがけ」と聞くと、チラシ配りや戸別訪問をイメージして、とてもハードルの高いものだと感じてしまっていましたが、あいさつや少しの声かけ、ちょっとした行動が人の心を変えることもあり、自分の行動や姿で教えを示す・伝えることもできると分かりました。グループの話し合いでは、同世代の仲間たちと教えや女子青年活動について、自分の経験や考えを話しました。同世代でお道の話をすることは普段ほとんどないので、いろいろな話を聞く2219ことができ、とても良い刺激になりました。今回いろいろなお話を聞かせていただいたり話し合いをしたりする中で、全てのことは自分の心のつかい方次第で変わると感じました。私たちが自由につかうことを許されている心だからこそ、どんなことでも喜べる心のつかい方をすることが大切だと思いました。今回の講習会で学んだことや得たことを今後の女子青年活動に生かし、より充実したものにできるよう努力していきたいと思います。(笠岡女子青年委員長岡﨑真実)こかんさまに続く会笠岡女子青年(岡﨑真実委員長)は、6月日、笠岡大教会でこかん様に続く会を開催、女子青年人、担当者7人の計人が参加した。支部長様からのお話では、元の理やお道の教えに触れながら、教祖とはどのような存在か聞かせていただきました。その中で、私たちの身体は神様からの借り物であり、自分のものとして12女子青年5○立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号かさおか与えていただいている心のつかい方を考えることが大切だとお聞かせくださいました。自分のつかい方次第で物事の見え方・感じ方が変わるので、どんなことでも喜べる心のつかい方ができるようにしていきたいと思いました。お話の後には振り返りを行い、率直な感想を話しながら、自分たちの心のつかい方を見つめなおすことができました。また、昼食はバーベキューをさせていただき、海松ヶ岡分教会の会長様支部長様のお話振り返りが作って下さった鉄板焼きや焼きそば、担当の奥様方が作って下さったス修養科修了生の声イーツ、アイスやかき氷などもいただいて、とても楽しい時間を過ごすことができました。今回もたくさんの方が参加してくださり、充実した会にする宝の山修養科ことができました。支部長様をはじめ、大惠山分教会山中祐二担当の奥様方、声をかけてくださった知子方、参加してくださった会員さん、本無事夫婦揃って修養科を修了させて当にありがとうございました。頂きました。主人の身上をご守護頂き(委員長岡﨑真実)たい一心で修養科行きの心定めをして主人も納得の上でおぢばへ帰らせても支部長様と笑顔でピース!41らいました。主人と私にとって年間朝早くから夜遅くまでの仕事ばかりの毎日を過ごしてきましたが、昨年3月末に脳出血で主人が倒れて仕事を続ける事は無理だと思い、会社を廃業することに決めました。主人が倒れた事は非常に辛い事でしたが、今から思えばこれは親神様の深い親心があっての事だと改めて気付かせて頂きました。修養科の生活は慣れない事が多く、その為主人には精神的にも辛い時も有り、何とか慣れていこうと努力している姿に元気づけられました。授業は楽しく知らない事も多くありましたが、教祖伝、教典を勉強するなかで多くの学びが有り、人の前で話しをする感話の時間も私たちの心の中の思いを出す良い機会にもなりました。そして自分の事ばかり考えていた私達に多くの身上、事情を抱えている教友達の心の内を知り、自分自身の事の様に心配し、話しを聞かせていただき、おさづけを取り次がせていただけました。修養科には人と人との出会いが多く、修養科の担任の先生方、教養の先生方、撫養大教会土佐先生、生駒大教会大井さん、山陰大教会井本さん達との素晴らしい出会いが有り大変感謝しております。最後に高井久太郎先生の講話はとても心に残りました。1,人を勇ます生活をしよう、人を喜ばす生活をしよう2,かしものかりものの理を分かって毎日を送ろう3,親神様、教祖の手を離さないようにこの3つの事を修養科後も忘れずに通って欲しいという内容でした。修了後は私達にとって第二の人生だと思っています。親神様への親孝行はおつとめ、教祖への親孝行はさづけと教えて頂きましたので、毎日実行させて頂きたいと思います。立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号6○末の弟のまなざし4▼道雄兄雅志兄の事など眞雄兄の偲びが終わって、次は上から順番に心にある事柄、を述べていこうと思う。道雄兄から。私は此の世で会った事はないので,父母から聞いた話、大教会史執筆の為に史料蒐集の過程で心に残った史実を誌していきたい。この兄は天理外語で英米学科に在籍中、選ばれてアメリカに研修に行っている。飛行機で旅行できる時代ではないので、船旅だったろうと思うのだが、一人旅で恐らく行く先はロサンジェルスの伝道庁だったと思う。別に知己があるわけでもなく、心淋しい思いがしたのではないか。そのときに書いたもの、日2214121010記風のもの、一人旅の感想など、先日会長宅の倉の中を見ていたら、ほこりを被って紙袋に入ったまま積み上げた箱の上にポイと置いてあった。昭和年代?いや初年代、大学生で経験したアメリカの印象は衝撃的であっただろうと思う。私がニューヨークターンパイク、片道車線以上の高速道路を見てアメリカの物量輸送のすごさに驚いた以上のものがあったのではないか。恐らく2代真柱様の次代の若者を育てる上からの米国派遣だったと思うのだが、笠岡の海外布教への思いは、道雄兄のこの旅行から始まっているように思う。若し彼が昭和年月日中支・湖北省京山県劉家嶺で亡くなってなければ、帰国してアメリカ布教を推進して行ったと思う。不思議に4番目の豊明兄は、台北帝大から戦後京都大学哲学科へ再入学し、卒業後、2代真柱様の思いを受けて、アメリカ伝道庁勤務の傍らサザーンカリフォルニア大学に留学、コロンビア大学を経てインディアナ大学に奉職する事になるのだが、そこにはやはり道雄兄の遺志があったのではないか。府中市分教会へ教会史の取材に行った時、取材が終わって部内の教会長さん方がお帰りになった後、道人会長さんと話をする機会があって、あの方はビール党で最後までビールだったが、「学生時代、年に2,3回道雄さんと詰所の会長宅に招待頂いてすきやきをご馳走になった、あの時代あの年頃で、今もあのときのおいしいすきやきの味が忘れられない」と話してくださった。道人さんは外語中国学科だった。卒業後満州へ出られたと思う。余談だが、この時2時間程話し込んで、岸本の真理さんを車に乗せて神邉の教会まで2510254412帰った。真理さんは部内教会史取材の助手をして下さっていた。見事な何とか運転で、よく事故を起こさなかったのが幸いでした。101211122512121513簡単に昭和年頃からの道雄兄の事歴を書いておく。昭和年7月日徴兵検査第1乙種合格、同年月日天津伝道庁へ向け出発、同月日門司港で召集令状を受け翌日帰会。昭和年1月日岡山市歩兵第連隊入隊。その後、幹部候補生として豊橋教導学校卒業後、会津若松の部隊に配属、昭和142212年月2日陸軍少尉に任官。同年30102422月日、中国湖北省で戦死歳。12502218年祭は5年祭(昭和年月日)・2223年祭(昭和年月日)・年祭(昭和年月日)・年祭(平成5年435月日)・教会本部合祀(昭和年4月日)。この項続く。12大教会だより◎第九九四期修養科自立教年4月1日至立教年6月日*教養掛(○主主任、○副副主任)一ヶ月目○主岡崎真一(大教会役員)○副掛谷宣和(坪生分教会長)二ヶ月目○主吉岡誠一郎(大教会役員・興明分教会長)○副福島大介(福満分教会長)三ヶ月目○主谷内伸自(大教会役員・輝美濃分教会前会長)○副下田誠輝(神村分教会長)*修了者大惠山山中祐二大惠山山中知子2994訃報岡﨑京子さん呉照分教会前会長夫人6月日出直されました。享年才かさおか187187277○立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号かさおか六月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には子どもかわいい一条の親心のまにまに天然自然のお働きと自由の御守護を賜り陽気ぐらしへとお導き下さいますことは誠に有難く勿体ない極みでございます私共は生かされている喜びを胸に朝夕に御礼申し上げたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこの笠岡の六月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝とたすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月二十五・二十六日とたすけの元であるおぢばにしっかりと繋がらせて頂くべく別席伏せ込みひのきしん団参を実施し共々にひのきしんの汗を流させて頂きましたまた今月一日二日には第二回目の「ようぼく一斉活動日」が開催されました同じ地域に住むようぼくが寄り集いお互いに勇ませあい喜ばせあって年祭に向かっての成人の歩みを進める機会とさせて頂きました何卒親神様には年祭の旬に込められた親の思いを胸にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に親心一杯の自由の御守護を賜りお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十七年六月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者山野弘実佐藤真孝賛者岡﨑治喜指図方門脇元教講話横山逸郎八月講話今川昌彦区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半谷内伸自中島誠治門脇元教横山逸郎吉岡誠一郎田林久嗣淺野明教谷内秀自高木昭祥大教会長様上原志郎田中隆之前会長様中村道德山野弘実上原繁道森本忠善虫明立生大教会奥様谷内美知子門脇加津前奥様中村初美山野なつ田中ますみ田中つかさ上原千枝子杉原善朗岡﨑治喜上原繁次上原浩赤木素志杉原善朗吉岡壽高木昭祥岡田誠虫明立生三代温生内海史郎佐藤道孝淺野明教上原志郎田中隆之佐藤真孝上原浩武内正美岡﨑豊子内海安子今川佐智子横山小智榮室悦子上原順子三島照美吉岡八恵かさおか立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号8○我が家は瀬戸の海を眺望できる里山のふもとにある。その山裾に広がる草地に伐採された木が立っている。毎年、雉は国鳥である。「日本の固有亜種で春になるとこの木の下で美しく大きなあること、人里にいて馴染みやすいこ雉のオスが「ケーン、ケーン」と鳴く。と、オスは勇敢でメスは母性愛が強い木の下でケーンと鳴くので「木下ケン」こと」がその理由であるそうだ。さて、と名付けて可愛がっている。とは言っここにはたまにサルも現れる。近所にても窓から眺めているだけだが……。は飼い犬もたくさんいる。イヌとキジとサルがいて、桃も時にいただくことがある。これは桃太郎の世界だなと喜んだのもつかの間、オニはどこにいるのだろうかと考えた。オニの棲み処とならぬよう心の「ほこり」を払いたいものである。(V)詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。