【かさおか】

★ 笠岡大教会の機関誌『かさおか』(立教163・平成12・2000年1月以降に発行)のバックナンバーを掲載しています。

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かさおか

『かさおか』第63巻 第11号

○1立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314簸ノ川分教会大正12年10月25日設立昭和45年3月8日移転鎮座祭昭和45年3月9日移転奉告祭立教187年11月号2210211871026立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号2○2118710秋季大祭講話陽、気、ぐ、ら、し、に向かって喜び感謝を声に出そう140申します。誠にありがとうございます。た。それを聞いて私は、いや、本当に皆さん方におかれましては、日々はそうですよねと全力で同意しました。陽、気、ぐ、ら、し、に向かってのたすけ一条の私にも3歳3ヶ月になる長男と8か月御用のうえに、また教祖年祭に向かになる長女、2人の子供がいます。こ子供が可愛くてしょうがない親神様が、今から年前、天保9年月日に、教祖を月、日、の、や、し、ろ、とお定めになり、その身の内に入り込まれて、世界大教会長様う年祭活動のうえに、それぞれお励みの子供たちが本当に可愛くてしょうが一れつをたすけるために始められたのくださいまして、誠にご苦労さまです。ありません。子供というものはそもそが、このお道の教えです。立教年大教会秋季大祭は月本日は、秋の大祭を勤めるにあたり、も可愛いものだと思いますが、私は、この立教の元一日を祈念して、秋の日、大教会長様祭主のもと役員・思うところを話しますので、お付き合子供が生まれ親になって「我が子」を大祭が勤められます。秋の大祭を勤め部内教会長・布教所長・よ、ふ、ぼ、く、・いのほどよろしくお願いします。見たときに、「我が子」というものはるに当たっては、この立教の元一日に信者ら多数の参拝のもと執り行わ(拍手)こんなにもかわいいものかと、それま込められたを、や、の思い、子供が可愛くれた。本日は、大枠4つのことに関して話で想像できていなかった、想像以上の、てしょうがない、だから世界一れつを大教会長様は、親神様が、このします。1つ目、「大祭・秋の大祭を勤何とも言えない可愛さを、親になってたすけて陽、気、ぐ、ら、し、をさせたい、この教えを啓かれたのも、ふ、し、を通しめる意義・意味合い」について。2つ初めて味わいました。長男が生まれて思いに立ち返らる、その機会にしたいて成人を促されるのも、子供可愛目、年祭活動期間に私自身の通り方と3年3ヶ月経ちますが、それは今も変と思います。い一条の親心に他ならないと述べして、「起こってくる物事をどのようわってなく、本当に毎日もう可愛くてそれぞれご自身の日常生活を振りられ、その親心にお応えする年祭に捉え、どのように通るか」について、しょうがない、そんな思いでいっぱい返って、このを、や、の思いに果たして近活動の歩み方として、年祭活動後私がしていること。3つ目、年祭活動です。づくことができているかどうかをご思半に打ち出された実践項目につい期間、通るなかで起こってきた出来事お道の教えでは、我々人間と神様・案いただきたい。て、一歩踏み込んだ思いを披瀝しについて。4つ目、年祭活動後半の動親神様の関係は親と子の関係だと教えて、陽、気、ぐ、ら、し、への道標とされた。きとして、大教会から打ち出した実践られます。お、さ、し、づ、に、▼年祭活動期間の通り方講話内容は次の通り。項目、〝毎日、喜び感謝を声に出そう〟人間幾何名の子でも可愛い。神も私自身が、果たしてその思いに近づについて話して締めくくります。同じ事。(明治・・)けているのかどうか、それを振り返るかさおか187ただ今は、笠岡大教会の立教年秋とあります。意味合いで、この年祭活動期間、私がの大祭を、皆さんと共々に陽気に勇ん▼秋季大祭の意義親神様が私たち人間を見つめる視線どのように物事を受け止めようと心にで勤められました。今日この日を迎え、ある若い方が願書に署名捺印を欲しは、私が「我が子」を思うのと同じよ決めて通っているかを話します。お、つ、と、め、を勤められたことを、この場いと大教会にこられ、子供の話になりうに、可愛くてしょうがない、もう何それは、「ないことに囚われるのでにいる皆さんといない方も含めて、笠ました。初めての子が9月に生まれ、でもしてやりたい、そんな思いに違いはなく、あることに意識を向け、その岡に繋がる皆さん方にあらためて御礼子供って本当に可愛いですよねと仰っないと、私は思います。なかから喜び感謝を見つけて通る」。かさおかどういうことかを説明するのに、こになってしまって、そこを不足に思っ良い環境を既に与えられていると思いに「お知らせいただいてありがとうごれ(左写真)をご覧ください。「ランドてしまったり、また、自分自身を見つます。ざいます」とお礼を申して喜ぼうと。ルト環」という記号ですが、これを見めたときに、ほんとは長所・良いとこその思案を進めていくときに忘れてそう思って通りました。たときに、どこに目が向くでしょうか。ろもいっぱいあるけれども、できないならないのは、どんなことが起きても、そうして通るなかで、ある日、妻か輪の線の上でしょうか。輪が欠けていこと・足りないところ・欠点が気になっそこには、「子供が可愛くてしょうがら「会長さん、今、こうして喉に身上る辺でしょうか。おそらく多くの方は、てしまい、落ち込んでしまったり、そない、たすけたい、陽、気、ぐ、ら、し、をさせを見せられて、どんな思案をされまし輪が欠けている部分に目が向く・意識んなことがないでしょうか。たい、心を成人させたい」というを、や、たか、どんな心定めをされましたか」が向くのではないのかと思います。どそうではなくて、そういった習性がの思いが必ずあるということ、それをと聞かれ、「思案できていなかった、うやら我々人間には欠けているとこあることを踏まえたうえで、意識を「な忘れずにいたい。心定めできていなかった」ことに気づろ・足りないところに意識が向く・目がいところ」ではなく「あるところ」にきました。向く、そういった習性があるようです。向ける。▼年祭活動期間に見せられるふ、し、お、ふ、で、さ、き、に、4323「ランドルト環」の図を示し、人間の「意識」の習性について話される大教会長様3○立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号これが、ものではなくてひとを見たさて、実際にそのように思い心に決このよふにやまいとゆうてないほどにときに適用されるとどうなるか。「ないことに囚われるのではなく、めてこの年祭活動期間を通るなかで、みのうちさハりみなしやんせよ二本当はいいところがいっぱいあるはずあることに意識を向け、そのなかから素直に「ありがたいな・うれしいな」の人でも、欠点・足りないところが気喜び感謝を見つけて通る」その「喜と思えることもあれば、なかなかそうめへくのみのうちよりもしやんして心さだめて神にもたれよ四び感謝を見つけて通る」ためのヒントは思えず、どうしても「辛いな・しんとあります。は、教祖のひ、な、が、た、にあると思います。どいな」と思ってしまうようなことも毎朝、読んでいるお、ふ、で、さ、き、にこれ起こってきた出来事に対して、教祖起こってきます。ほど明確に示されているにもかかわらならどうされるのか、教祖なら何と仰実際に私自身に見せられた出来事でず、私はそれができていなかったと気るのかを思案したい。すが、今年の5月1日、夕づとめのとづきました。『諭達第四号』には、教祖のお言葉きに、突然、歌声が出なくなりました。言うなれば、神様からのお知らせ、が3つ出てきますが、その中の1つ「水このように自分の体に起こってきたメッセージ、それを仮にお手紙だとしを飲めば水の味がする」というお言葉ときに、私がどうしたか。身上とましょう。お手紙を頂いて、頂いたおは、「親神様が結構にお与え下されてして見せられているこのことにも神様手紙を「あー、ありがとうございます」ある」と続きます。の親心は必ずあると。そして、神様かと感謝して、お礼申し上げて、実は封親神様は、陽、気、ぐ、ら、し、に向かって心らのメッセージ、お知らせを身上といを切って中身を読んでいなかったといの成人を進めるために、今の自分に1う形で見せられていると。それを喜ぶ、うことでした。番良いものを、1番良いひとを、1番感謝する。まず、朝夕のおつとめの際あらためて、この「声が出ない」とかさおか立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号4○いう身上を通して、神様はどんなことでした。をお知らせくださっているのかという私は、人に物事をお願いする・人を理の思案をせねばならない、私なりに頼ることがとても苦手で、本当はいろ思案しました。んな大教会の御用も「これお願いしまそうして思案するなかで気づいたこす」と言って務めてもらうべきところとがありました。それは、朝夕のお、つ、を、ついつい頼みそびれ、日数がなくと、め、の際に、「拍子木を勤めながら、なって自分でせざるを得ないと、そん会長としてなるべく大きな声で地方をなことが何度もありました。そのこと歌おう」と思って勤めていましたが、に思いが至り、そのことを神様がお知声が出なくなってから、一緒に勤めるらせくださっているのかなと。「自分役員先生方に地方をお願いしてお、つ、と、で何とかする」のではなくて、「しっめ、を勤めていると、自分が一生懸命かりと周りの人をもっと頼ろう」、そ歌っていると気づけなかった「周りののことを心にあらためて定め直して通人の声」に気づくことができました。りました。これだけの方が一緒にお歌を歌って5月1日に声が出なくなって、7月くださっている、そのことにあらために入ってもまだ違和感が喉に残り、咳て喜び、感謝したことと、お、つ、と、め、だが出てしまう状態でしたので、病院でけではなくて、日々会長として務めて診てもらいましたが、特に何の異常もいることも、自分自身の力ではなくて、ないとのことで、そうして過ごすうちもちろん親神様・教祖のご守護・お働きに、現在では、その喉の違和感もスッがあって、そして周りの方々に、大勢キリ消えて、しっかりと地歌も歌えるの方に支えられて、なんとか会長としようになっています。私なりの心定めて務めることができていたことに、あを神様が受け取ってくださったと思いらためて気づいて、それにまた喜び、ます。感謝し、そして、では、どんなメッセーお、さ、し、づ、にジ、「何をしようか」というところは定めるも定めんも定めてから治ま私自身できていないなと感じていたとる。治めてから定まるやない。・・・ころ、それは「人に頼る」ということ定めて掛かって神一条の道とい24113414137う。(明治・・3)でちょうどいい」、もちろん、これだとあります。けではなくて、これ以外にも喜び感謝自分なりの心定めをする。見せを声に出せるタイミングがあるでしょられた出来事に対して理の思案をしうし、これ以外にももっといろんな言て、そしてその神様の思いに近づくに葉があるでしょう。は何をすればいいか、心を定めて通る。喜び感謝につながるその言葉を、そここまでがセットになっているのれを感じたときに素直に声に出す。「あかなと気づけた出来事でした。りがたいな、うれしいな」と感じたときに、ただ心のなかで思うだけではな▼打ち出された新たな実践項目くて、言葉に出すことを実践しようとこのたびの年祭活動後半に入り、大いうことです。教会から、方針・目標に加えて実践項『逸話篇』の教祖のお言葉に、目を新たに打ち出しました。言葉一つが肝心。吐く息引く息一「毎日、喜び感謝を声に出そう」とつの加減で内々治まる。(篇)いうポスターのようなものを作ってそまた、お、さ、し、づ、に、れぞれの教会に配っています。大教会言葉は道の肥、言葉たんのうは道のホームページからダウンロードしての肥く明・6・印刷もできます。ぜひ、ご活用くださ喜び感謝を感じたときに、素直にそい。れを言葉に表すことを、日常生活のなこの「喜び感謝を声に出そう」といかで習慣づけようという思いから、こう実践項目について話します。のたびの実践項目の打ち出しとなりままず、このポスター(左図)は、日常した。生活のどのようなときに、どんなこと実際に、私自身、年祭活動後半に入っに感謝ができるかがわかる一覧になって、これを日常生活のなかで実践してています。います。特に喜び感謝を感じるとき、そして、実際に声に出す言葉として、私ですと、今、子供たちと一緒に、朝「もったいない/幸せ/うれしい/あ起きたときに神殿に参拝して、「神様りがたい/結構/・・・のおかげ/これにごあいさつさせてもらおうね。」と5○立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号かさおか言って、「今日も元気に目が覚めました。ありがとうございます。一日よろしくお願いします。」そんなことを子供と一緒にお願いするつもりで、口に出したり、また、食事を食べるときに、「ああ、美味しいね。ご飯が食べれて幸せだね。」そんなことを独りでも口にして、子供に対しても言ったり、そんなことをしながら日々を通っています。そのおかげか、2つ、最近、うれしいことがありました。1つは、3歳の長男が夜寝る時間になって、床についたときに、「父たんと一緒に参拝に行く」って言い出しました。突然でした。おそらく、眠りたくないからの言葉かもしれないですが、もうそう言われると、思わずうれしくなって、「じゃあ、一緒に参拝行こうね」と、一緒に、9時頃で真っ暗な神殿にきて、「今日も1日、ありがとうございました。おやすみなさい。」と、そう申し上げて眠る日がしばらく続いています。また、これは妻から聞いた最近の出来事として、その息子がトイレに行ったときに妻にズボンを脱がしてもらって、「ズボンを脱がしてくれてありがとう」と、そんなことを言ってくれたんだと。喜び感謝を声に出して通っているその姿が子供に届いていたのかなと、親神様・教祖に届いていたのかなと思ったうれしい出来事でした。この喜び感謝を感じたときに素直に声に出すということと付け加えて、もう1つ、実践項目でお願いしたいことがあります。一覧表には書いてありません。それは何か。喜び感謝を感じたときではなく、喜び感謝を感じれなかったとき、「辛いな、しんどいな」と思ったときにも、「辛いな、しんどいな」という声を出すのではなく、口から出る言葉は、「ありがたいな/結構やな/これでちょうどいい」そんな言葉に変えようということです。お、さ、し、づ、に、言えば言う程言う者は言う通りに成る。明・7・苦いものでも、口で甘いと言えば言えるやろ。明・7・4とあります。「辛い、しんどい」と感じた自分の心を、「ありがたい」と感じる心に変252117140えていくために、出す言葉を変えましょう。言葉を変えることによって、自身の心を変えることに繋げましょう。この世界は心通りの守護の世界だと教られます。心が喜んでいなければ、心が明るく通れていなければ、陽、気、ぐ、ら、し、には近づいていくことはできません。この実践項目、ここには書いてありませんが、喜び感謝を感じれない=「辛い、しんどいな」と思うときにも、自分の口から出る言葉は、喜び感謝の言葉に変えて、そして自身の心を「喜び感謝」な陽気な心に近づける。このことを後半にあたっての実践項目としてあらためて打ち出したい。この「実践項目」、またそれぞれの教会で定めた目標・実践項目を通して、教祖年祭に向かって成人の歩みをお進めくださいますようあらためてお願いして、私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。(文責:編集掛・岡﨑)集合写真詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。10187吹き抜けでの親睦会青年会15101941立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号6○青年会笠岡分会セージを頂いた。青年会長様は立教進める会話の事で、今回の話題は①自年度の青年会の基本方針である、『心分の好きなこと、趣味、休日の過ごし夕づとめ参拝総会を澄ます毎日を。ほこりを減らし、方、②お道の好きな言葉、について話誠を増やす』について、ご自身のし合い、会員同士の理解を深めあった。青年会笠岡分会(瀬藤大喜委員長)は体験をもとにわかりやすくお伝え下さ瀬藤委員長は「今回、多くの若い世月日(土)「青年会笠岡分会夕づとり、「教祖の年祭に向けて、自らが〝楽代の方々が参加して下さいました。こめ総会」を開催。委員人を含む、青しんで〟通らせて頂く事が一番大事」れは各教会、各会にて先輩・先生方が年会員人の参加があった。とお話し下さった。育成に丹精して下さった賜物です。青今回の総会は、2年後の青年会長様小休止をとった後、大教会中庭の吹年会もそのバトンを受け継ぎ、2年後御臨席総会に向けた一歩目の総会としき抜けでバーベキューを囲んでの親睦の御臨席総会に向かって、より一層つ1830て、時分からの大教会の夕づとめ会が催され、親睦会の後半では代かながりを広め、深めてまいります。お203040に全員で参拝。その後式典が行われた。ら代、代から代の世代が2人1声掛け、お心寄せ頂き誠にありがとう式典では大教会長様のご挨拶、続いて組となって『対話』を行った。『対話』ございました。」と語っている。中山大亮青年会長様よりビデオメッとは、ある話題を基にルールを定めて(委員余村元)夕づとめ参拝青年会長様ビデオメッセージかさおか7○立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号かさおか241116秋学(秋の学生会の日)実施月4日、笠岡学生担当委員会は、『秋学(秋の学生会の日)』を実施し、人(うち学生人)が参加した。参加者はまず大教会で、大教会長様より、目にしたり、体験する事をしっかり喜ばせてもらう事が大切だとお話を聴かせて頂いた。その後、今回の目的地である、香川県に移動するバスの中で、年祭活動後半の実践項目、『毎日、喜び・感謝を声に出そう』につい学担愛情を込めて生地を延ばすての説明を受けた。香川に着くと、金比羅山散策の時間となり、段を超える石段を、皆元気に上った。この日は秋晴れで、山頂付近では、讃岐平野を一望できる景色が広がっていた。午後からは、うどん打ち体験という事で、「中野うどん学校」に入学。学校のような教室で、ユーモア溢れる先生の指導の下、うどん作りの工程を実践した。この1日を通して同じ笠岡に繋がる700全員、うどん学校卒業です学生同士の絆を深め、来年3月に開催されてる「春の学生おぢばがえり」参加への足がかりとなった。(委員長上原繁次)瀬戸大橋を背に皆良い表情10爽やかな空気の中、石段を上る末の弟のまなざし6▼まだ心にある大教会史編纂の想い紙面の都合があったり、私の私用公用があったりで、なかなか前に進めない。申し分けないと思う。でも書き続けなければ、いつ何時、八十の隈路に迷いこむかもしれない。そんな事を感じる昨今です。では、、、次は3男4代笠岡大教会長を勤めた上原郁雄兄についてである。兄は戦時中台湾にいて南洋年鑑の編纂に携わった事がある。そのあたりから大教会史の編纂を会長になってから考えていたのではないかと思う。笠岡は既に「笠岡分教会史」は編纂済みであったが、昭和年代、大教会に陞級して、大教会史を編纂する事の大切さをずっと考えていたのではないかと思う。分教会史を一読して、私が思った事は、これは芦津部内の教会史であるという事、ほとんど初代の聞き書きに依存している事、佐吉が初代の長女・光を養女として上原家の存続を図った事への認識があまりない事、執筆者は川合梅太郎氏であり、史料の整理ができなかさおか立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号8○かったのか、記述が煩瑣で、年代順の記述がなってないので、理解に苦しむ点が多い事、兄が大教会史の編纂を考えていた因は多々あったのではないかと思う。私は私なりに分教会史を一読して、この教会史の史料を読んでみなければ、と思ったが、当時大教会は移転普請中で、その後大教会が移転して、史料もかなり散逸したのではないか、と思う。残念であるが、仕方がない。それで、私が天理大学に通っていた、2年次生のとき、夏休み私は図書館からドストエフスキー全集を借りてきて机の左端に積み上げて読んだ本を右端に積み上げていた。兄はこの頃会長宅の庭で青年とキャッチボールをしていた。ある日、その兄が書生部屋の私の処へズカズカと入ってきて、突然「繁道、お前大教会史を書いてくれよ。部内の教会史から始めてくれ。お前しかおらんね。頼んだぞ。」と言うなりまた出て行ってキャッチボールを始めた。私は「何言うとるねん。アメリカ留学も考えとる大学生に早すぎるワ」と、あまり深く考えもせずに読書に戻ったのを覚えている。私はその後、「天理文芸」の発刊などもあって、道友社に出入りするようになって西山輝夫氏の勧めもあって道友社に勤めることとなったが、同時に笠岡で大教会青年の辞令を頂き、更に笠岡大教会史編纂委員の辞令を貰った。第1回の会合が旧大教会の2階の大広間であったが、人ばかりの部内担当者達と待っていると、武内清先生が来られて「大変な仕事ではあるが、皆さん力を併せて神殿移転建築普請が始まるこの時、よろしく頼みます。それで、後の編纂の進め方などは、道友社にいる繁道君に一任せよと大教会長さんの思いだから、私はこれで失礼する。それでは、繁道君頼んだよ」これには、私は驚いた。今日青年の辞令を貰ったばかりの私に編纂委員会を任せると言われても、とおもったが、考えて見れば、大学生の時のあの「ズカズカ」が、ここに生きていたのかと納得した。兄はそういう人だった。そういう兄の思い出を話したいのであるが、大教会史の史料集成に携わった私の手許に今一冊の本がある。少し寄り道して、この本の部分を抜粋する。(此の項続く)20秋季大祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召から人間とこの世界をお創造下さいました爾来変わらぬ親心のままに天然自然のお働きと自由の御守護を賜り陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は親心にお応えするべく朝夕に御礼申し上げると共に届かぬながらもたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこの二十六日に立教の元一日を祈念しておぢばでつとめられる秋の大祭の理にならい当教会でも只今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて秋の大祭をつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は秋の大祭の意義と年祭活動後半の動きとして打ち出した「毎日、喜び感謝を声に出そう」の実践項目の徹底のため直轄教会へ大祭参拝をさせて頂きました年祭活動二年目の動きとして今月十九日に青年会笠岡分会が夕づとめ参拝総会を開催更に十一月四日学生会秋学が開催されますまた今月二十七日におぢばにて第九十八回天理教青年会総会十一月三日四日には全国にて第三回ようぼく一斉活動日が開催されます教祖百四十年祭に向かって残り一年三ヶ月しっかりとつとめ切らせて頂く所存でございます何卒親神様には旬々にお見せ頂く姿を親心と受け止めたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り一日も早く陽気ぐらしの世の状が実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます○9立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号かさおか天理大学おやさと研究所発行『GlocalTenri(月刊グローカル天理)』(第25巻第6号)より転載(転載許可取得済み)ニューヨーク通信(20)ニューヨークセンター初代所長上原眞雄氏を偲ぶ天理教ニューヨークセンター所長福井陽一YoichiFukuiコロンビア大学占拠マンハッタンにあるコロンビア大学では、イスラエルのガザ侵攻を非難する学生による抗議活動が続いている。次第に活動が過激化し、校舎建物を破損して侵入して占拠し、バリケードを築き、窓を割るなど暴動を起こす事態にまで悪化している。4月30日、大学側の要請によってニューヨーク市警が出動して、建物内に立てこもる学生らを強制的に排除し、多くの逮捕者が出た。これらの抗議活動は全米各地の大学に広がっており、これまでに2,000人以上の逮捕者が出ているようで、ベトナム反戦運動以来の全米規模の学生運動になりつつある。デモに参加しているのは一部の学生である。それ以外の一般の学生からは、キャンパスがロックダウンされているため、図書館や食堂を使えなかったり、授業が休講したり、リモートになったりしているため、高額な授業料に見合う教育が受けられないと不満の声が高まり、授業料の返還などの要求も出ているようだ。5月6月は卒業式のシーズンでもあり、卒業式の開催も危ぶまれている。すでに中止を決めた大学もある。全米の大学に拡大する反戦活動だが、学生とは無関係のプロの市民活動家が潜入して学生を煽っているとか、外部から資金が流れてプロの活動家を支援しているとの話も聞かれる。ニューヨークのエリックアダムズ市長は、「若者たちを過激化しようとする動きがある。彼らがそれをやり遂げ、その存在が白日の下にさらされるまで、手をこまねいて待っている気はない」と述べている。コロンビア大学当局は、抗議デモには「外部の扇動者たちが関与しており、彼らが学生たちを訓練した」と警察に伝え、支援を要請したとのことだ。実際に拘束したデモ隊の半数近くが大学とは無関係の外部者だという、警察側の発表もある。そうであれば、プロの活動家に扇動された一般の学生たちが一番の被害者になりうる。この動きがどこまで激しくなるか非常に心配だ。バイデン大統領は全米各地の大学でのデモについて「抗議する権利はあるが、混乱を引き起こす権利はない」と述べ、キャンパスの占拠などの違法行為を非難した。イスラエルを支援する現政府に対して若者の支持離れが目立ちつつある。今年の大統領選で再対決するトランプ前大統領は、コロンビア大学でデモ隊を強制排除した警察官らを「素晴らしい仕事をした」と称賛。バイデン氏の弱腰な対応が混乱を招いたと批判をしている。この動きは大統領選挙にも影響が出てくるかもしれない。ニューヨークセンター初代所長上原眞雄氏を偲ぶ2024年1月10日、ニューヨークセンター初代所長の上原眞雄氏が出直した。享年89歳だった。上原氏は天理大学スペイン語学科を卒業後、1962年にニューヨークに渡った。それは、ちょうど吉田進氏や森下敬吾氏がニューヨークに布教に来たのと同じ頃になる。その頃はブロンクス区にあった吉田氏の自宅に皆集まって月次祭を勤めていた。1971年に吉田氏がハワイ伝道庁庁長としてハワイに行ってからは、集まる場所がなくなり、当時おもだった信者の家庭を毎月順番に廻りながら月次祭を行なっていた。そんな中、同年7月に3代真柱がニューヨークに巡教された。それを契機として集いの場所設置の機運が高まり、翌1972年クィーンズ区にあるアパートに神様をまつり、センターの第一歩となった。その後、上原氏の自宅で神様を預かって月次祭を勤めていた。文化協会起工式での上原氏上原氏は1972年にニューヨークジャージー笠岡アメリカ布教所を開設している。1977年に現在のニューヨークセンターが設立された時には、センター初代所長として務めた。布教所長を兼任しながら、センターの運営に携わり、現在のセンターの土台を築いた。渡米以来62年間、長きにわたりニューヨークのお道の先駆的な存在として活躍された。個人的な思い出としては、ニューヨーク文化協会の設立準備委員として熱心に会議に参加され、文化協会の設立に携わり、設立後も運営に心をかけられたことを思い出す。文化協会では、日本語学校の上級クラスを長い間担当された。読書が好きで、小説などの生教材を時間をかけて準備し、楽しく熱心に教えられた。上級クラスを教えるのは準備も知識も要求されるので、私達スタッフはとても助かっていた。音楽も愛好され、晩年は集めた音源をコンピューターに移したり、アーカイブしたりするのが趣味だった。出直される1年前の頃でもお元気で、毎週のように自分で車を運転してニューヨークセンターに来られていた。センターのスタッフと一緒にコンピューターを調整したり、時には自宅のフェンスを一緒に直したりして、お元気な様子だった。センターの10周年記念誌に上原氏の手記が掲載されているので、その一部を紹介したい。「今、こうして思い返してみますと、月次祭を欠かすことなくつとめさせて頂いたことが、今日の、このニューヨークの道に続いていると思います。そして、このニューヨークセンターは本当に自然に出来上がってきたのです。無理することもなく、また、無理を強いられることもなく、より集う人たちは皆、自分の心でこのセンターに参拝にみえる。とても素晴らしいことです。人に言われて来るのではなく、お参りしたくてやってくる。実に素晴らしいことだと思います。」長きにわたりニューヨークの道の発展の上に尽力されたことに、心より感謝申し上げるとともに、先人の足跡を見つめ直して、ニューヨークセンター50周年の節目に向かってさらに一段と成人の道を歩めるように努力したい。GlocalTenri6Vol.25No.6June2024かさおか立教187年(令和6年/2024年)11月21日第63巻第11号10○立教百八十七年秋季大祭祭典役割表祭主大教会長様上原志郎扈者今川昌彦佐藤真孝賛者上原繁次指図方上原繁道講話大教会長様十二月講話上原繁道区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝上原志郎山野弘実上原浩吉岡誠一郎横山逸郎中村義太郎山田敏教佐藤真孝大教会長様門脇元教田中隆之前会長様今川昌彦上原浩上原繁道横山逸郎森本忠善大教会奥様門脇加津武内正美前奥様横山小智榮吉岡八恵田中ますみ山野なつ田中つかさ淺野明教上原繁次杉原善朗中村剛赤木素志谷内秀自吉岡壽高木昭祥田林久嗣谷内伸自内海史郎虫明立生田林久嗣岡田誠淺野明教虫明立生佐藤真孝岡﨑治喜上原順子内海安子谷内美知子今川佐智子室悦子上原千枝子佐藤香苗高木孝子岡﨑豊子1876310102110※お詫びと訂正本年月日発行の『かさおか第巻第号』ページ「立教年秋季大祭参拝」の記事中「照陽田中隆之」としておりましたが、月には参拝されませんでした。読者の皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともに、ここに訂正させて頂きます。訃報岡﨑和美さん大教会おつとめ奉仕人月日出直されました。享年才11に何が残るか」で決まるんだ。じゃあここで一つ聞きたい。俺たち人間はどうだ?「一名」、そう、「名前」だ。俺たち人間は死んでも「名前」は残るんだ。お前たちは、自分の大事な大事な「名」に恥じない「生き方」ができているか?一回きりの人生、後悔せぬよう意識すべきことは、「能力」ではなく「生き方」でな、「知識」ではなく「行動」、読むべきものは「空気」でも「本」でも無い、「自分の心」だ。明日人生が終わると思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。それじゃあ、元気に征きます。▼引用元YOUTUBE「心を揺さぶる最期の質問…歳特攻兵士が後輩に遺した教え」14021102162年祭間近の今、知識よりも行動有るべきと思いつつ、、、自分の因縁に振り回され。21歳特攻隊兵士の言葉が突き刺さるなあ、お前たち知っているか?牛や馬は一頭、鳥は「一羽」、魚は「一尾」と、こう数える。なぜか?実は動物の数え方はな、「死んだ後時に昨年は沢山の出直しに際し、涙がこれでもかと流れた年だった。名に恥じぬようと立派なことや凄いことしなくて良い。ただあの人のお陰で今があると故人を偲ぶ時、私もそうありたいと願う。(ほ)
かさおか

『かさおか』第63巻 第10号

○1立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314天場山分教会昭和29年10月27日豊榮町分教会設立平成6年8月26日移転改称立教187年10月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号2○2114021布教推進講習会開催9・祭典後布教部(田中隆之部長)は、9月日祭典講話に替え、村田幸喜先生(本部准員、布教部布教二課長、満州眞勇分教会長)を招いて、布教推進講習会を開催。講話要旨は次の通り。教祖年祭に向けた三年千日活動は、各教会が目標を立て、教祖の道を歩む重要な取り組みです。真柱様は、年祭当日に向けての努力が、教祖に喜布教部お話しくだされる村田先生7080130ばれることの意義を強調しました。まなく、歳を過ぎた人でも今からでもた、布教活動は、結果が見えにくくて何かを始めることができるのだと思いも信仰の実践を通じて教祖へのご恩報ました。じとなると述べています。そのため、教祖の教えに関する私の思いがあり個別訪問や様々な方法での布教を実践ます。ある先生が教祖に対し、子供のすることが大切であり、身近な人々にために苦労をかけて申し訳ないと伝え信仰を広めることが重要です。3代真たところ、教祖は「苦労でも何でもな柱様も、にをいがけおたすけが我々のいねやで。人に頼まれてしていること使命であると語り、目に見える結果にならまたやめるということもあるやろこだわらず、自分にできる範囲での努うが、人に頼まれてしていることやな力が自らがたすかるる道につながるといもの。やめるに止められんがな、通確信しています。らずにはおられへんがな。また苦労で1080私共の教会では、年以上にわたりも何でもないのやで」と語ったと記さ毎月「にをいがけの日」として活動をれています。この教えから、信仰の道続けています。その中で、歳を超えは他者に言われて行うのではなく、自た信仰初代の女性が、毎回参加しておらの意志で自発的に真心をもって尽くり、駅前でリーフレットを配るなど熱すことが重要であると思います。心に活動しています。最近の例会で、私は今回の三年千日の年祭活動におこの女性が自らの経験を語りました。いて、教会の様々な項目に取り組んで彼女は歳後半から信仰を始めたのでいますが、その中でも特に重要視してすが、彼女の息子の満席を報告しつつ、いるのが路傍講演であり、1100回過去の反省から他人のために何かをしの実施を使命として毎日続けていまたいと感じたことを明かしました。今す。路傍講演を行うこと自体に特別なからでもできることをしようと思い立意味があるわけではありませんが、ち、未信仰の友人におさづけを行いま年前の教祖年祭の際に、私が大きなした。すると友人はとても喜び、彼女節に直面していたことがきっかけで、自身も大きな感動を覚えたとのことで3年で1000回の路傍講演を決意しす。教会長や信仰の深い人々だけではました。その結果、実際に多くの不思1011010議な出来事が起こり、小さな教会でも初席者を名お与え頂く喜びを得たほか、神殿の修築や付属建物の建設も実現しました。年祭活動が終わった後も、コツコツと続けており、今までに1900回を達成しました。今回の年祭活動で1100回を加えると、年前からの合計が3000回になる見込みで、それを目指して日々努力しています。今朝も天理からおぢばに参拝し、JR天理駅で路傍講演を行い、現時点で2524回目です。この数は私にとって、教祖に喜んでいただくための実践の証であり、別席者ができるかどうかは重要ではなく、1回1回の実施が私の喜びになっています。さらに、続ける中で体調を崩すこともありましたが、親神様の御守護により活動を続けられていることの有難さを改めて実感しています。たとえ誰も聞いてくれなくても、三年千日の間続けることで教祖は私の心を受け取ってくださり、素晴らしいお働きを示してくださると信じています。布教活動において、私が続けやすい方法として選んだのが路傍講演であり、皆様も自分に合った方法を見つけて実践されてはどうでしょうか。例えば、個別訪問やリーフレッ3○立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号100かさおかト配り、神名流し、またはYouTubeやインスタグラムでの発信など、多様なアプローチが可能です。最近、私の後輩がYouTubeやtiktokを活用しているのを見て、私もそのような新しい挑戦に興味を持ち始めています。私はこのおたすけの第一歩は「一言のにをいがけ」から始まると考えており、時にその重要性を再認識することがあります。教祖年祭に向かう3代真柱様の論達に「一言のにをいがけは人の運命を変える。それは親の声を聞くとき心の向きが変わるからである。一度のおたすけは人の心を入れ替え、ない命をもおたすけけいただく。それは親の理を受けるからである」。と示されています。私たちはこの一言に心を込めて喜びを持って努め、教会やおぢばに人をお連れして教祖に繋ぐ役割を果たすことが大切なのではないでしょうか。教祖に代わってお話を取り次ぎ、病気の方々には真実を込めておさづけの取り次ぎを行う。助け主は親神様であり、私たちはその手足となって尽力することが重要です。私は教会で「こんにちは天理教です」とひと様に声をかけ、おぢば帰りを勧めるのが私たちの役目だと考えています。その13010010人がおぢばに帰ってくるかどうかは神様のご守護によるもので、私たちは声をかけることに専念します。また、おさづけを取り次ぐことも私たちの仕事ですが、その結果は神様にお任せし、天理教を知らない人々と出会い、自分にできることを精いっぱい行うことが大切です。私たちの使命は心を低く保ちつつ、一言のにをいがけを行い、教祖に繋ぐ方法を工夫していくことだと信じています。年祭当時、私の家族と信者さんの協力で初席者人を目指し、多くの人々に声をかけ続けた結果、大学生との出会いが生まれました。その大学生は後に私の弟と連絡を取り合い、友人を教会に連れてくるようになりました。その友人の1人は修養科を経て本部勤務を希望し、実際にその技術を活かして神殿の手すりを溶接するという貢献をしてくれました。このことから、にをいがけが神様の働きを通じて大きな結果を生むこと、そして一言の声かけがどれほどの影響を持つのかを強く感じました。私は教会長を務め、本部で働いているため、普段は天理教の信者に囲まれているので、天理駅や奈良駅へ出向き、天理教を知らない人との出会いを求めて活動をしています。具体的には、路傍講演を行い、出会った人に声をかけてチラシを渡し、連絡先を交換することをしています。最初は周囲から理解されないこともありましたが、続けているうちに様々な出会いが生まれています。例えば、年前の年祭活動で駅前で清掃をしていたおじさんと出会い、対話を重ねる中で天理教へ興味を持っていただくことができました。彼は初めは無関心だったのですが、最終的には本部に参拝するようになってもらった。このように「にをいがけ」を続ける中で、人々の心が変わることを実感しています。また、私は自分の信仰を公言し、新しい知り合いを作るよう努めています。天理教に関心を持っているか尋ね、興味がないと答えられれば、その人を「別席予備軍」として心に留め、年に数回の別席団参の際に声をかけます。信頼関係を築くことで、教祖の教えを伝える機会が増えると信じています。さらに、布教部でも身近な人ににをいがけをと言っていますが、これは逆に難しいこともあります。例えば、駅前でチラシを渡した際、初めて会った人に連絡先を教えられないと断られることもありましたが、体調の話をしたところ、腰が痛いと聞き、真剣におさづけを取り次ぎました。その結果、相手から電話番号を教えてもらえるなど、関係が深まるのを感じています。出会いを大切にしながら、おさづけを通じて教祖の教えを伝えていくことが私の使命だと考えています。一方で身近な人に対するにをいがけは難しいと感じています。特に学校や職場の友人、親戚に対しては、天理教という信仰を直接伝えることで人間関係が壊れるリスクがあるため、慎重になります。私の姉は一般の人と結婚して熱心に布教し、多くの信者や別席者を作ってきましたが、学生時代の友人ににをいがけをした際、金銭に関することで反発を受け、非常に悲しい思いをしたようです。私たちは人に助かってもらいたいと思ってお世話させてもらってているのに、時には否定的な反応を受けることがあります。教祖も同様に、多くご苦労なされ、警察に連れて行かれたり、アホやバカやと揶揄されたりしましたが、その中で道の信仰を広めることにご苦労されたことが思い起こされます。教祖が向き合われたのは、当時の人々に親神様の教えを理解してもらうことでした。私たちの苦かさおか21立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号4○労も教祖の雛形を辿るものであり、この活動が教祖の教えの核心であると思います。ですから、どんな状況でも教祖の雛形を意識しながら、布教活動に励むことが重要だと思います。友人や知人に声をかけていくことが、教祖の教えを広める一助となると考えています。教祖は「種をまくのやで、天理王命の話をするんやで」と言われました。種をまいてもすぐには結果が出ないかもしれませんが、長い年月を経て必ず芽が出ると信じています。最近では、戸別訪問とか神名流しではにをいがかからない、種をまいても結果が出ないと感じる人もいますが、種をまかない限り結果は出ないと思います。この道は人間の心で行けるものではなく、神様のお働きが必要であり、種をまき続けることで心を作り、理作りをすることが大切だと考えています。私は布教活動に出かける際、低い心になることを意識しています。というのも、会長や部署長になると高慢になりがちですが、にをいがけではただの天理教の一員として、謙虚さが求められます。年前、布教の家に行く際に、恩師から「断られることが多いが、それがありがたい」との電話を受けました。その後布教に歩いてみて、布教は心を低くするために行うもので、たとえ誰も話を聞いてくれなくても、心を低く通ることが大切なのだと気づかされました。恩師の愛情深い指導に感謝しつつも、その教えを実践し続けるのは簡単ではなく、時には辛いこともありました。しかし、自分自身を作り直す機会と捉え、教祖の教えを信じて布教活動に励んでいます。最近は、恩師の言葉が教祖の導きであったと感じるようになり、その信念が私の活動への後押しとなっています。今も心を低くするためににをいがけに出させていただいているのです。現在では、子供食堂や里親制度、ファミリーホーム、自立準備ホームなどのおたすけの様々な工夫も大切だと思います。道の信仰をする人々は、困っている人をたすけたいという気持ちが強く、天理教の福祉活動や社会貢献は素晴らしいものです。このような活動を通じて出会った人々とのつながりが生まれ、例えば子供食堂からの支援が続いているケースもあります。また従来の布教活動も、心の成人、教祖の教えをたどるという意味でもとても大切902040です。自身の教会でも子供食堂を運営しており、地域との信頼関係を築いています。天理教の活動を通じて、周囲の人々から興味を持たれることが増え、信念を持って取り組む姿勢が伝わると考えています。これにより、様々な活動を通じて従来の布教も大切にしながら、信頼関係を築いていくことが大事だと思っています。私がにをいがけで一番大切にしているのは、おさしずに「どんなところにをいかかるも神が働くからかかる。またどんなところへにをいかかるもみんな入り込んでの自由と聞かしおこう」と言われてますように、おたすけは親神様や教祖にお働き頂くものですから、私たちはその教えを伝え続けることが重要だと思います。布教活動を始めた頃から今もつながっている方がいますが、年前に出会った方で、現在は2件だけのつながりとなっています。昨年、福岡寮の周年の記念講演の前日に、その方を訪問しました。その方は歳のおばあちゃんで、家族や近所の人たちを集めて、私の話を聞いてくれると言ってくれました。この出会いは不思議で、私が年前の8月日に初めてその方に会った日を今でも2116覚えています。その時、団地を訪問していた際に、出迎えてくれたのはその方の旦那さんでした。彼は自分の母が天理教を信仰していたことを思い出し、私に興味を持ってくれました。その後、奥さんが帰宅し、最初は怖そうな印象を抱いたものの、意外にも私を家に招いてくれました。それから何度も訪問し、ご主人にもおさづけを取り次ぎ、いつでも訪問していいと言ってもらったのです。その後、3か月経っておぢばに帰ることになった際、奥さんから驚くような話を聞きました。彼女は、「今まで天理教の人を家に入れたことは一度もない」と言い、私を受け入れた理由を教えてくれました。当時2歳の息子が、天理教の熱心な信者であるお義母さん宅に向かう道中、バイクにひかれて出直してしまった。息子を失った悲しみから事故を天理教のせいにして、あえて別の宗教に入ったそうです。しかし年月が経つにつれ、彼女たちは過去の選択を悔い、8月日にお義母さんのお墓参りをして涙を流して謝罪したそうです。その翌日に私が訪問したことで、お義母さんが出会わせててくれたと感じたとのことです。それ以来、私たちは年以上の長20155○立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号かさおか10い付き合いを続けており、彼女は私の大切な宝物となっています。現在もお供えを送ってもらったりしながら、彼女との繋がりを大切に思って歩んでいます。年前、私は自分自身の事情で本当に辛い時期がありましたが、その中で本部の御用をしながら、三年千日毎日布教を続ける決意をし、路傍講演を行ってきました。しかし、私の事情はなかなか良くならず、苦しい思いをしていました。それでも、続ける中で急激ににをいがかかって、不思議なお働きもたくさんいただきました。人をお連れすることに尽力しているうちに、「神様に任せよう」という心境になり、自分の悩みが気にならなくなりました。不思議なことが次々と起こり、活動を続けるうちに、自分の状況も少しずつ改善してきました。もしあの事情がなければ、私は布教を続けていなかったでしょうし、皆さんの前でお話しすることもなかったと思います。教会には多くの用木さんをお与えいただき、その中には大工さんもいて、教会の神殿を普請することもできました。これらは全て神様のお導きであり、逃げることなく、心を定めてその状況を2323婦人会受け入れることが大切だと感じています。今月は全教会布教推進月間であり、にをいがけ・おたすけこそが私たちの使命です。教祖にお喜びいただくために、またご安心いただくために精一杯努力したいと思います。皆さんにも自分にできるにをいがけやおたすけを続けていただきたいです。結果が出なくても、続けることが何よりも大切であり、その先には必ず良い結果が待っていると信じています。長時間にわたって私の話をお聞きいただき、ありがとうございました。(要約布教部次長佐藤真孝)委員部長後継者講習会開催9・大教会婦人会笠岡支部(上原きよの支部長)は9月日「委員部長後継者講習会」を開催し、9人が受講しました。支部長様お話では、「おやさま」という題目の紙芝居を取り入れて、おやさまを身近に感じてもらえるよう分かりやすくお話下さいました。また、年祭活動後半の歩みとして掲げて下さった「毎日喜び感謝を声に出そう」との実践項目を、それぞれが毎日の生活の中に取り入れて実践し身につけていく事で、年祭の旬に少しでも成人した姿を教祖にご覧頂ける様、歩ませて頂きましょうと締めくくられました。その後、2班に分かれて、サイコロの目で決められたテーマに沿ってそれぞれが話をする「サイコロトーク」で盛り上がり、楽しい時間を過ごしました。午後から大教会周辺を神名流しを紙芝居を使ってのお話テーマに沿ったサイコロトークし、未だ厳しい暑さの残る中ではありましたが、時おり吹く風に教祖の親心を感じながら勇んで歩かせて頂くことが出来ました。世話取りに当たった委員部長さん達の心の込もった昼食作り、人を越える託児の甲斐もあり、受講者も落ち着いた環境の中で、改めて委員部長後継者として、今後の年祭活動の歩み方を思案できる充実した講習会になりました。(常任委員山野なつ)20大教会周辺を神名流しお話に聞き入る受講者かさおか10立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号6○2010能登半島支援活動(第3回目)報告大教会は、月5日、珠洲市の直小学校仮設住宅広場で、被災地支援の秋祭りを行った。3回目となる今回は、能登の皆さんに楽しい時間や空間を提供したいとの思いから、秋祭りを実施する事となった。1ヶ月前より、屋台ブースのメニューや出し物、必要な人数、物品などの調整を始めた。秋祭りを現実化するには、人が必要であった。また、開催予定地は、プレハブ小屋が1つあるだけの広場であったため、ほとんど全ての物品をこちらから持参する形となった。様々な声かけのおかげで、自主的に参加したいという有志人が整い、各教会や地区の繋がりで、物品、食材なども揃える事ができた。一行は、月4日の午後8時に大教会を出発し、翌5日の午前6時半頃、珠洲ひのきしんセンター(鹿島大・寳立分教会)に到着。現地コーディネートをして下さったセンターの石橋氏と打ち合わせ、準備がスタートした。午後3時半の開場に向け、うどん、20会長室150炊き込みご飯、焼き鳥&豚バラ焼、揚げたこ焼き、クロワッサンたい焼きなどの準備、テント、提灯、音響などの会場設営が、一手一つに進められた。およそ人が来場した秋祭りは、今回同行した女性を中心としたメンバーによるダンスでスタート。続いて、マジシャン『&u』(アンドユー)によるマジックが披露された。また、子ども餅つき、ビンゴ大会、カラオケ、花火も大いに盛り上がり、仮設住宅の住民がほとんどだった参加者の方々に、楽しい秋のひとときを提供することができた。(災害対策委員上原繁次)大盛況の予感!お祭り会場入場受付2610052能登半島支援活動に参加しては大成功だった。貴重な体験には感謝しかない。興明分教会長吉岡誠一郎仮設住宅で「秋祭り」を開催。これが今回の支援活動の内容である。ただ現場は珠洲市立直小学校。仮設住宅に世帯人が暮らしている。活動の拠点は,珠洲ひのきしんセンターである寶立分教会。会長夫妻は,毎日のようにひのきしんに来られる方々をその作業内容に応じてコーディネートされていると思われる。頭が下がる。さて,「秋祭り」の受付では,うどん・炊き込みごはん・揚げたこ焼き・たい焼き・焼き鳥&豚バラ,更に子どもたちがついたおもち等,全てが食べられるチケットを円で販売。更にみんなに必ず景品が当たるビンゴカードを配布。アトラクションは&Uさんのマジックショーに始まり、カラオケ・こども餅つき・ビンゴ大会・花火と盛りだくさん。家に食べ物を持ち帰って食べる傾向が強い住民が,笑顔でステージを見ておしゃべりをしている。特にビンゴゲームは大きな声も出て盛り上がった。途中で帰る人はほとんど見受けられない。天候にも恵まれて今回の「秋祭り」支援活動で感じた事大教会女子青年田中彩今回、私は人生2度目の炊き出しに行かせていただきました。前回の炊き出しでも感じたことですが、炊き出しができるのは、当日炊き出しをしに行く人はもちろん、炊き出しに行けなくても、心を寄せて、見えないところで子ども餅つき7○立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号かさおか動いてくださる方々の蔭の働きがあるからなんだと改めて感じさせていただきました。秋祭りは、準備の段階で色々とハプニングもありましたが、被災された方々が喜んでくださる姿やたくさんの笑顔を見させていただき、私自身、すごくパワーをいただきました。私は、今回炊き出しメンバーの中で最年少ということもあり、うまく馴染めるか不安もありましたが、そんな悩みも吹き飛ぶくらい、みなさんが本当に優しくて、面白くて、温かくて、とにかく笑顔溢れる時間でした。まだまだ被災地の復興は進んでいない状況ですが、被災された方々が一日でも早く元の生活に戻れるよう、これからも神様にお願いさせていただきます。秋祭り甲井分教会山田英嗣前回に続き第3回能登半島支援に参加させて頂きました。今回は現地で祭15りを開催するとの事でした。当然後方支援をするのだと思っていましたが自分が想像していた事とは全く違い、ゼロの状態から秋祭りを開催するという大変なプロジェクトでした。お祭りの会場は、仮設住宅横の広場でした。模擬店の会場づくりをしていても、此処で秋祭りをして本当に人が集まるのか?という感じでしたが、開始時間の時半には既に行列が出来ており、予想以上に盛況なモノとなりました。幾つか有る模擬店の中で私は芳井分教会の奥様と揚げタコ焼きの係になりました。志郎先生から「積極的に現地の方に声をかけて」との事でしたので、被災者の方々と色々な話をさせて頂きました(話に夢中になって、子ども達の歓声が会場に響いた花火10ついつい揚げタコ焼が黒焦げになったりもしましたが)。ひとりの年配の女性が強烈な方言で言ってくれた「タコ焼きなんて久しぶりに食べた!凄く美味しい!」と言う言葉を聞かせて頂いた時、時間かけて能登まで来さてもらった事を心から喜ぶ事が出来ました。前回も感じた事ですが、当たり前の生活を送らせて頂いている日常がどれほど有難いか再確認させて頂けた事に感謝しています。どうか、皆さんも機会があれば是非参加してみて下さい。支援活動からの気づき葦陽分教会塩出久美この度、第3回能登半島支援に初めて参加させて頂きました。以前から能登の復興が進んでいないという話を聞いていたので、どうしても参加したいと思いました。一人で参加するよりは、誰か一緒に行ってくれないかと思い大学生の息子に声をかけたところ、二つ返事で参加してくれると言ってくれました。今回は仮設住宅に入られている方々に秋祭りを楽しんで頂くということでした。能登の現状は、想像を超えていました。完全に倒壊していたり、傾いていたり、とても住める状態でない多くの家がそのままだったのです。いつ元の生活に戻れるのかわかりません。そんな中で、秋祭りに来られた方々は、その時間を楽しんで下さって、私たちに笑顔を返してくれました。私は、バスの狭さや、たった1日お風呂に入れないことに不自由を感じた自分を恥ずかしく思いました。毎日、当たり前と思っていることが、全てご守護であって、感謝を忘れてはいけないと改めて思わせて頂きました。大人も子供もお楽しみビンゴ大会かさおか立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号8○九月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には子どもかわいい一条の親心から天然自然のお働きと自由の御守護を賜り旬に応じての仕込みを通して陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日々お見せ頂く姿は親神様の親心と受け止め朝夕に御礼申し上げると共にたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は九月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前にはいまだ暑さ厳しい中も厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は全教会布教推進月間として通らして頂いており二十三日には「笠岡にをいがけデー」月末には「全教一斉にをいがけデー」がございます本日は祭典に引き続き布教推進講習会を開催致しますお聞かせ頂くお話をしっかりと胸に治めて年祭活動二年目の年に相応しくより一層勇んでにをいがけに励ませて頂く所存でございますまた来月は秋季大祭の月でございますので直轄教会に大祭参拝をさせて頂きます立教に込められた親の思いを改めて思案すると共にそれぞれ定めた目標・実践項目と年祭活動後半の動きとして新たに打ち出した「毎日、喜び感謝を声に出そう」を実践し成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒親神様には世界一れつ救けたいとの親心にお応えするべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます秋季霊祭祭文これの笠岡大教会の祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共に道の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊また新たにお鎮まり下さいました中村幸子刀自岡﨑京子刀自諸々の神霊の前に会長上原明勇慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖から夫々のいんねんを見定められ身上事情を通して早くからこの道に引き寄せられました以来我が身我が家のいんねんの自覚の元ご恩報じ一筋にたすけ一条の真実を伏せ込まれました今日のお道が結構な姿をお見せ頂いておりますのは親神様教祖のご守護お導きの賜物である事は申すまでもありませんがまた一つには祖霊様方の真実の理作りのお陰と日々は朝夕にお礼申し上げると共に祖霊様方にもお喜び頂きたいと届かぬながらもたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも本日は秋の霊祭を執り行う定めの日柄でございますので御前に心づくしの種々の物を供えて只今はおつとめ奉仕人一同親神様の御前にててをどりをつとめさせていただきました続いて祖霊様方の御前に座を移し在りし日を偲び御遺徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下しまして祖霊様方にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百四十年祭に向けての年祭活動二年目の年も残すところ三か月余りとなりました来月には直轄教会への大祭参拝を行い立教に込められた親の思いに改めて思いを致し大教会の方針と目標と新たに打ち出した実践項目またそれぞれの教会毎に定めた目標と実践項目をもとに成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒祖霊様方には変化の激しいこの時代においても親孝心一筋にたすけ一条の歩みを続ける皆の真実の状をご覧下さいまして教祖百四十年祭に向かっての成人の歩みがより確かなものになりますようにお力添えを下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます9○立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号かさおか立教百八十七年九月月次祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者山野弘実高木昭祥賛者岡﨑治喜指図方門脇元教講話布教推進講習会十月講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半岡﨑真一佐藤道孝中島誠治虫明立生田林久嗣山野弘実上原繁次杉原善朗谷内秀自大教会長様田中隆之上原志郎前会長様上原浩今川昌彦上原繁道吉岡誠一郎横山逸郎大教会奥様武内正美横山小智榮前奥様中村初美室悦子田中ますみ吉岡八恵上原千枝子佐藤真孝淺野明教岡﨑治喜高木昭祥岡﨑真一佐藤真孝吉岡壽岡田誠上原繁次中村剛山田敏教谷内伸自中村義太郎内海史郎虫明立生淺野明教門脇元教赤木素志佐藤香苗岡﨑豊子内海安子上原順子谷内美知子田中つかさ今川佐智子三島照美高木孝子立教百八十七年秋季霊祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者横山逸郎内海史郎賛者上原繁次指図方上原志郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半前会長様谷内伸自今川昌彦藤井治喜岡﨑治喜貞清知実大教会長様枝廣隆文門脇元教渡邉孝信田中隆之北川壯一大教会奥様武内正美門脇加津吉岡八恵田中つかさ山野なつ岡﨑真一高橋徳行杉原善朗仙田公男中島誠治武内清和上原繁道田中亜輝谷内秀自三阪泰人佐藤真孝三代拓己前奥様内海安子岡﨑豊子三島照美上原順子上原千枝子詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。かさおか立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号10○修養科修了生の声修養科を終えて上下分教会山野大地3ヶ月の修養科生活は、私に多くの学びを与えてくれました。組掛のお役を指名していただき、私は、多くの人をお世話どりさせていただこうと思っていました。しかし、現実はそう甘くはありません。詰所の事や組掛としてやる事が多く、自分の事だけで精一杯でした。そんな時、修養科主任・髙井久太郎先生のお話の中に「人を助けようと思ったらあかん。人に助けてもらえる人間になりなさい」という言葉が心に響きました。私はなんと高慢な心で通っていたのかと反省しました。ありがたいことに、私の周りには、困ったら助けてくれる。物事を頼んだら快く受け入れてくれる人がたくさんいて、私にはこんなにも助けてくれる人がいる。本当にありがたい事だと思いました。優しい言葉がけ一つ、話を聞く態度一つが、どれだけ心に温もりと余裕を与えてくれるか。私は、私を助けてくださった人の低い心や、人の為に尽くす行動をまざまざと見せていただき、今回修養科に入ったのは、この事を気づいてもらうために、親神様が引き寄せてくださったのだと思いました。修養科を修了することを新たなスタートとし、これから多くの人と関わる中で、低い心、人の為に尽くす行動を意識して通りたいと思います。大教会だより◎本部月次祭登殿参列立教年8月日登殿弥髙山岡﨑治喜明石市杉原善朗御野佐藤哲香地華武内清和門司港猪原啓介大惠山瀬藤友昭髙児島瀬良善彦高丸谷本章錦ヶ原池平武司◎第九九七期修養科自立教年7月1日至立教年9月日*教養掛(○主主任、○副副主任)一ヶ月目○主森本忠善(大教会役員・海松ヶ岡分教会長)○副藤本芳久(東水島分教会長)二ヶ月目○主中村剛史(久松分教会長)○副貞清知実18726187187271871871010(三郡分教会長)三ヶ月目○主北川治史(稲倉分教会長)○副津森朋之(簸ノ川分教会長)*修了者上下山野大地◎教人資格講習会修了者立教年月日終講上下山野大地◎立教年秋季大祭参拝(丸数字は当該月に)福山中島誠治髙屋大教会長様神邉大教会長様島根上原繁道久松武内正美鶴山門脇元教弥髙山大教会長様陽備上原繁道摩耶前会長様金浦岡﨑真一興明上原繁道ひろさと上原繁道陶山⑪田中隆之芳井上原繁道11○立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号10かさおか海松ヶ岡武内正美東悠上原志郎吸江大教会長様照陽田中隆之輝美濃上原志郎新山邑上原繁道呰部中島誠治明石市岡﨑真一上下大教会長様府中市田中隆之東城門脇元教服部前会長様島中上原志郎驛家中島誠治葦陽武内正美湯田原大教会長様備中中島誠治神昭岡﨑真一美之郷⑪上原繁道錦備前会長様神免田中隆之今年8月末、義父の年祭があり、家族で妻の実家へ里帰りした。年祭の直会の時、斎主をつとめられた上級教会のK会長さんとお話しさせて頂く事ができた。K会長さんは「お道には大難を小難に小難を無難に、と教えて頂きますが、無難だと御守護頂いた事に気付けないし、大難ばかりではなかなか喜ぶことが難しい。いかに小難を喜ぶかが大事なんです。数年前、自教会の月次祭後、片付けも終わり、信者さん方を見送った後に、教会の玄関で大きな木片が足に刺さったんです。なんで勇んでおつとめをつとめた後にこんな目にあうんやと不足していましたら、私の弟が、『会長さん(K先生の事)、喜んでると思ったわ』って言うんです。理由を聞くと、『月次祭に来られた信者さんや、家族に刺さらず、自分で良かったと思てると思ったわ』と言われ、ハッとしました。その時、心から身上を頂いたのが自分で良かった、小難にしてもらって本当に良かったと思えました。」と自身の経験談を聞かせて下さった。年祭活動期間中、教会の中で様々な事情・身上をお見せ頂いている。この出会いは、私の心の中にあるモヤモヤを救いあげて下さる為に、義父が引き合わせてくれたんだと思えた。(よ)かさおか立教187年(令和6年/2024年)10月21日第63巻第10号○12
かさおか

『かさおか』第63巻 第9号

○1立教187年(令和6年/2024年)9月21日第63巻第9号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314出雲川津分教会昭和7年2月27日川津宣教所設立昭和9年1月25日改称(出雲川津)昭和38年4月26日神殿建築昭和38年12月8日鎮座祭昭和38年12月9日奉告祭立教187年9月号201318学担学担充実した1日でした立教187年(令和6年/2024年)9月21日第63巻第9号2○75113学生生徒修養会高校の部に9人参加●スタッフとして参加・・・武内ゆり(髙屋)、藤井成人(福冨士)夏学(夏の学習指導)開催8月9日から日まで、おぢばで「学生生徒修養会高校の部」が開催され、全国から人、笠岡大教会から9人が参加した。受講生は、この期間を通して、教えを学び、実践し、友との親睦を深めた。●受講生・・・田中千洋・田中隆太(福山)、今川七里・今川昌秀(金浦)、森本ひかり(海松ケ岡)、山本成美・渡邉夏実(吸江)、笹尾涼太(東城)、藤井陽希(福東)それぞれ心にお土産を頂いた学修夏休み1番の思い出に海松ヶ岡分教会森本ひかり兄が6年前に、学修に参加して帰ってきて、とても楽しそうに思い出話をしているのを見て、私も高校生になったら参加したいと思っていました。そして今年の夏にいとこから今年学修あるらしいよと言われ、参加させてもらうことになりました。初めは友達ができるかどうか、緊張と不安でいっぱいでしたが、初日から班のみんなやカウンセラーさんたちが話しかけてくれて、仲良くなることができました。みんなと仲良くなれたおかげでひのきしんなどの、普段あまり自分から進んでさせてもらわないことまで楽しいと感じることができました。いろいろな都道府県の友達ができ、いろいろな方言で会話ができたことが嬉しかったです。夏休み1番の思い出になり、参加させてくれた両親には本当に感謝しています。また来年も参加させてもらいたいです!学生担当委員会は、8月日に「夏学(夏の学習指導)」を大教会で開催し、人(うち学生人)が参加した。今回、初めての開催となったこの行事は、従来冬に開催していた学習指導を早目に行い、受験や新学期に備える事を目的に行われた。当日は、塾の現役講師を勤める学担委員や、大学生らが、高校生、中学生に様々な教科を指導した。また、昼食は、バーベキューを行い、午後からの勉強に備えて、腹ごしらえをたっぷりとした。尚、学担では、従来通り冬も学習指導を実施する事にしている。勉強の合間のバーベキューは最高●苦手課題や夏休みの宿題に取り組む●かさおか3○立教187年(令和6年/2024年)9月21日第63巻第9号かさおか19211723362123少年会サマーキャンプ開催8月日~日於さんさいの里少年会笠岡団(森本忠善団長)は少年会員人、育成会員人、計人の参加のもと、少年会本部施設「さんさいの里」を会場に8月日から日の2泊3日でサマーキャンプを開催しました。このキャンプは、火・水・風の親神様の御守護を肌に感じるとともに、たすけあいを実践し、そこに喜びと感謝を体得する、少年会員の育成を目的に実施される行事です。大教会での出発式では、3日間の無事を親神様、教祖にお願いし、おぢば森の中でのおつとめは心が澄むラダーゲッターって何だろう?へ向け出発。途中渋滞もあり、到着時間が予定よりも遅くなりましたが、それでも移動中、バスの車内の子どもたちは終始盛り上がっていました。初日は詰所でお世話になり、夕食を済ませ明日に備えて早めに就寝。2日目は7時半に詰所を出発し、本部参拝。9時ごろにさんさいの里に到着し、入所式。その後、昼食のカレー作りを、わかぎをリーダーに各班で飯盒炊飯。具材を切る人、お米を研ぐ人、炊く人、皆で協力してつくったカレーの味は格別でした。昼食後は、皆楽しみにしていた野外ゲーム。さんさいの里スタッフの指導のもと、ペタンクとラダーゲッターを楽しみました。特にペタンクでは、子どもたちはもちろん引率の先生方も一緒になって大いに盛り上がり、その歓声はさんさいの里じゅうに響き渡っていました。そして夕食はみんな大好きBBQ。外で、みんなで食べるご飯は最高でした。続いて夕べの集い、日も暮れていよいよキャンプファイヤー。スタッフの方々のゲームに歌声、他団体のスタンツを観て楽しませていただき、笠岡団は、引率で来てくれた青年会の2人がこの日一番の盛り上がりを見せてくれて、子どもたちも現地スタッフも大変喜んでくれました。各テントに帰り、おやつのフルーツ本格的なキャンプの醍醐味、飯盒炊飯16みんなでハイチーズ!!ポンチ。その後寝袋に入り就寝。3日目は、朝の集いの後、朝食作り。前日の経験を生かして手際よくご飯と味噌汁を作りました。そして撤収。あっという間にキャンプも終わりを迎え、退処式。お世話になったさんさいの里、スタッフの皆さんにお礼を言い、一路大教会へ。時ごろ大教会到着し、閉会式、解散。当初天気予報では期間中雨の予報だったが、3日間天気にも恵まれ、道中大きな事故、怪我なく無事に終わらせていただいたことを改めて感謝させていただきます。ありがとうございました。(委員三代拓己)かさおか立教187年(令和6年/2024年)9月21日第63巻第9号4○八月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には一列子どもの陽気ぐらしを楽しみに親心一杯の御守護とお導きのまにまに結構に恙なくお連れ通り頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日々お見せ頂く姿はすべて世界一列を救けたいとの思いの現れと朝夕に御礼申し上げると共にたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は理のお許しを戴いた月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて八月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には残暑厳しい中も厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年の「こどもおぢばがえり」も九日間の日程を恙なくお連れ通り頂き誠に有難うございました子どもたちの一杯の笑顔に引率する私たちも大変喜ばせて頂きましたまた続いての英語講習会学生生徒修養会を通して多くの喜びと学びを得る事ができました加えて本日から三日間さんさいの里にてサマーキャンプを行わせて頂きます事故怪我等なく喜び一杯にお連れ通りの程をどうぞよろしくお願い致しますまた来月は「全教会布教推進月間」としてそれぞれの教会で計画を立て勇み心一杯ににをいがけに努めさせて頂く所存でございます何卒親神様には年祭に向かう皆の勇み心をお受取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜りお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十七年八月月次祭祭典役割表祭主大教会長様岡﨑真一扈者森本忠善内海史郎賛者谷内秀自指図方上原繁道講話今川昌彦十月講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半上原志郎門脇元教谷内伸自吉岡誠一郎上原浩森本忠善岡田誠岡﨑治喜佐藤真孝大教会長様中島誠治岡﨑真一前会長様今川昌彦上原浩上原繁道山野弘実虫明立生大教会奥様門脇加津谷内美知子前奥様山野なつ中村初美田中ますみ田中つかさ上原千枝子岡﨑治喜上原繁次杉原善朗吉岡壽谷内秀自内海史郎佐藤道孝横山逸郎赤木素志高木昭祥岡田誠淺野明教中村剛高木昭祥田林久嗣淺野明教上原志郎三代温生上原順子横山小智榮三島照美今川佐智子吉岡八恵岡﨑豊子武内正美室悦子高木孝子詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。18718711268030300かさおからいの関係。さらにその中で仲良くなば人は必ず集まってくる。』自分の物大教会だよりり、会話をするのが人。さらにその差しばかりで人を判断するのではな中で友達になるのが人。親友になるく、人の良い点に目を向け、そして自=教会指令=のは、3人と言われている。世界の人分に取り込んでいく。それにより自分◎任命願口を億人として、自分に接点があるが磨かれ、結果的に幸せにつながって神免分教会人が3万人。これを計算すると、およいく。出会いを大切にするというのは、*前任石井守そ0.00037パーセントになる。さらに相手が子どもであろうが大人であろう*新任稲月稔恵学校、職場、近所、友達、親友、夫婦が、誰に対しても一人一人に敬意と真☆奉告祭立教年月9日となれば、出会う確率は更に低くなる。心をもって接する事だと思う。私たち立教年8月日承認そう考えると、人は縁あって奇跡的には、今後も様々な人と出会っていきま出会っていると言える。人は人によっすが、身近な人々と縁あって奇跡的にて育てられ、教養を身につけ、心身を出会えた事と、今の自分があるのは出5○立教187年(令和6年/2024年)9月21日第63巻第9号発達させていく。出会いが人生を左右会いのおかげである事に、感謝の心をすると言っても良いかもしれない。た持ち続けたいものだ。(う)だ、出会いはこちらから選べるもので天理高校1年生の長男が、夏休みにはなく、親、子ども、学校の同級生、帰省し、学校のクラスや部活の様子、職場の方々、地域の人々などは、自分寮生活について、色々と話してくれた。が希望した人が集まっているわけでは普段は、親元を離れて生活しているのない。「縁」あって出会い、夫婦や家で、親以外の多くの方々との出会いに族、友人、知人、ご近所さんになってよって、彼の現在があるのだと実感しいく。しかし、時には、相手の事が理た。解できないといった事がある。ところで、私達は、一生涯で多くのそれに関して、幕末の思想家吉田松80人と出会う。仮に年の人生とするな陰は、人との出会いについて次のようら、何らかの接点を持つ人の数は、3な言葉をのこしている。『自分の価値万人とも言われている。その中で近い観で人を責めない。一つの失敗で全て関係になるのが3千人。これは、同じを否定しない。長所を見て短所を見な学校、職場、近所など、挨拶をするぐい。心を見て結果を見ない。そうすれかさおか立教187年(令和6年/2024年)9月21日第63巻第9号○6
かさおか

『かさおか』第63巻 第8号

○1立教187年(令和6年/2024年)8月21日第63巻第8号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314亀田山分教会大正3年10月31日設立昭和35年2月26日神殿及附属建物増築昭和56年6月26日神殿及附属建物増改築立教187年8月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)8月21日第63巻第8号2○27海外部英語講習会開催海外部は、8月8日に参加者人のもと、英語講習会を開催しました。昨年に引き続きオーストラリアからMAX(マックス)こと足立正直さん(河原町部属)がゲストとして来られ、MAXさんと一生懸命に英語で話をする参加者の姿がみられました。まずは大教会で、英語のフレーズ練習などを行い、その後、倉敷美観地区に向けて出発。到着後、美味しい手作りロコモコ弁当をいただき、元気いっぱいに美観地区散策をスタート。グループ毎に謎解き英語クイズを解きながらゴールを目指します。また外国人観光客に英語で「好きな日本食は何ですか?」とインタビューを行い、返ってきた答えで列を揃えるビンゴゲームも行いました。ゴール地点では、ソフトクリーム券が配られ、好きな味を英語で注文しました。晴天に恵まれ、暑い中ではありましたが、参加者達は積極的に謎解きクイズやインタビューを行い、英語に触れながら、楽しく有意義な時間を過ごすことができました。(海外部員鳥井悠加)英語講習会に参加して鶴山分教会中島遼・中2今年の夏、僕は友達と2人で英語講習会に参加しました。大教会に集まり開講式を行い、そしてバスに乗り目的地の倉敷に着いてまず昼食をとり、そしていよいよ海外部の方が考えてくれた謎ときと海外から来ている観光客にインタビューをしました。インタビューは、何十人かの方に聞いてまわりましたが快くインタビュー"好きな日本食はなんですか?"を受けてくださり、優しい人が多いんだなあと思いました。僕は海外に住んでみたいなという夢勇気を出してインタビューがあって英語を勉強中です。まずインタビューをする時にはめちゃくちゃ緊張しましたが観光客はこっちが頑張って伝えようとしたら大体真剣に理解しようと聞いてくれました。なので気持ちが楽になりました。僕はこの英語講習会を受けて英語に自信がつきました。日本ではみんなが英語をしゃべるわけではないし日本全体で英語をしゃべれるようになることはないけど少しでも英語に興味がある方はぜひ英語講も名乗らず、不躾に「お気に入りの日習会に参加してみてください。ぼくは、本食は?」と尋ねるわたしたちに外国来年も参加したいなと思います。人観光客の方たちは笑顔で気さくに答こうしてえてくださるし。海外に滞在経験のあるメンバーさんたちが海外の方と話が世界が広がっていく弾んでいる様子を目の前で見ると、話せるようになりたいなぁと目標になり新山邑分教会三島美保子ます。話せる英単語が昨年から一つも増えほぼスペイン語しか話せない女性にていないまま参加しましたが、同じグ会ったときに、「こんにちは」とか「どループの積極的なメンバーたちの姿にうぞよい旅を」ぐらいは話せたらいいつられて、話せないのにたくさん声をなぁと感じたので、帰ってすぐにスペかけていけました。イン語の挨拶を調べ、発音の練習をし『お気に入りの日本食』のお題でのてみたらとても楽しくて。こうしたビンゴゲームに気を取られすぎて、名きっかけで学びたいことや世界が広3○立教187年(令和6年/2024年)8月21日第63巻第8号かさおかがっていくんだろうなぁと感じたとっても気持ちのいい一日でした。解き甲斐のあるクイズ、観光もできるようにと楽しい時間を用意してくださったスタッフの皆様ありがとうございました。末の弟のまなざし5▼雅志兄は次男である。笠岡大教会史に次の一文がある。3代会長の就任日浅い大正年8月、くにゑ3代会長夫人の身上がにわ10謎解きしながらたどり着いたデニムストリートかに悪くなり、大熱にくるしむところ生(3代会長実兄)におさとしを願っとなった。この月6日、たまたま青年た。その大要は、「初代会長の居間の会本部から村田勇吉先生の巡教があり建築も結構であるが、それより第一に村田先生から「信仰の生命は親孝行に教えの親、教祖のお鎮まり下さる建物あり」との講話があった。またこの時を建つべきではないか」との事であっ当時3歳の3代会長次男・雅志が、幾た。ここにおいて3代会長は再び役員度となくタヲルを冷やして会長夫人の会議を開いて心の練り直しをした。額にあてた。この間の事情願書をひもとくと、131111101218242029村田先生の講話、子供の姿などから、大正年3月日教祖殿、初代会3代会長は理の上の思案を進め、初代長室建築決定会長がゆっくりと休める居間の建築を大正年月日笠岡分教会教祖早急に進めることが必要ではないかと殿建築判断した。大正年4月日笠岡分教会教祖これは既に大正8年の会議におい殿落成奉告祭執行(1600人)て、教祖殿の建築とともに定まっていそして大正年4月日上原雅志はたものなのであるが、教祖殿を建築し6歳で出直した。ない以上、順序の上から見あわせてい505010たのであったが、ここにおいて3代会史料庫に上原雅志の年祭詞、年長はひとまず初代会長の建築をと考え祭詞がある。年祭詞は口語調で書かたのであった。ただちに役員会議が開れているので、掲載してみる。かれ、何等の異論もなく建築をする事此の笠岡大教会の祖霊殿にお鎮まりに決定した。下さいます上原雅志真名子の霊の前101025ところが、大正年月日、雅志に慎んで申し上げます雅がにわかに発熱し、医師の診断で脊髄志の君は遠く大正七年八月三十一日笠炎と判明、このままでは到底元の体に岡大教会長上原繁雄・くにゑの二男ともどらないとの事であった。して誕生され生まれつき人に勝れて3代会長は、雅志の身上お手入れかさとくかしこく両親の掌中の珠と育みら、井筒たね大教会長様、宮田佐蔵先育てられ行く先を楽しみてすくすくと生い立してありましたが教組殿ふしん完成の途上大正十二年四月二十九日齢六歳で御出直しになりました事は返す返すも口惜しく心に残るものがございました思えば教組四十年祭を迎える旬の中に二代会長のお出直し三代会長就任会長夫人の身上おぢばより村田先生の巡教二代会長の思いありし第一期建築教祖殿のふしんと数々の事情の中での出直しでございました今もまぶたに残るものは三代会長夫人母君の身上中三歳の君が高熱に苦しんでおられた母の枕辺に寄り添う如くタヲルを冷やしてい幾回となく取り替えつつ親思う幼心に親の身を案じておられた姿幼い紅葉の手でおさづけ取り次ぐ手まねのいたいけな姿など見舞いの訪れるた人々には忘れ得ぬ一コマでございます齢六歳幼な子でございましたが旬の中に雄々しき道の礎とおなり下さいました姿はいつになりても消える時とてありませんここを以て花に紅葉に御姿を偲び二十年三十年の時折霊の御祭厳かに御仕え申して参りましたが月日の小車はやまず廻り廻りて今年は早くも詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みを35して下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。25立教187年(令和6年/2024年)8月21日第63巻第8号4○五十年の御祭を営む年となりましたので忘れ得ぬ面影心に浮かべ在せし日の事共語り合いつつ霊をお慰め申し上げたいと心づくしの種々のものを供えて伏し拝む状を御受け取り下さいまして今もこれからも上原家の行く末長く御見守り下さり笠岡大教会の弥業を御導き下さいますよう一同と共に慎んで御願い申し上げます以上である。小生も史料庫のかび臭い年祭詞を読んで心なしか涙ぐんでしまった。本部合祀年月日昭和年3月日(この項続く)七月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には「いちれつのこともがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなり」と一列子どもが可愛いとの親心から日夜変わらぬ御守護とお導きのまにまに結構に恙なくお連れ通り頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はこの夏の暑さも汗の流れも変わらぬ御守護の賜物と朝夕に御礼申し上げたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は七月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさていよいよ「こどもおぢばがえり」が目前に迫ってまいりました一人でも多くの子どもたちに親の息をかけてもらい笑顔になってもらうべく募集の上に努め励ませて頂いたおります何卒期間中は無事無難にお連れ通り下さいますようお願い申し上げますまた来月には英語講習会学生生徒修養会高校の部サマーキャンプと夏の行事が続きますこれらの行事を通して信仰の喜びをつなげていく所存でございます何卒親神様には旬に込められた思いを真摯に受け止めたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますかさおか5○立教187年(令和6年/2024年)8月21日第63巻第8号かさおか立教百八十七年七月月次祭祭典役割表祭主大教会長様上原浩扈者横山逸郎赤木素志賛者杉原善朗指図方上原志郎講話岡﨑真一九月講話布教推進講話区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝田中隆之上原志郎山野弘実虫明立生中村道德中村義太郎三代温生上原繁次大教会長様谷内伸自門脇元教前会長様吉岡誠一郎上原浩上原繁道横山逸郎森本忠善大教会奥様武内正美門脇加津前奥様横山小智榮中村初美田中ますみ吉岡八恵室悦子淺野明教岡﨑真一佐藤真孝田林久嗣高木昭祥赤木素志中村剛岡﨑治喜田林久嗣上原志郎中島誠治杉原善朗吉岡壽山野弘実内海史郎内海史郎岡田誠谷内秀自佐藤香苗内海安子岡﨑豊子上原順子三島照美山野なつ今川佐智子上原千枝子田中つかさ大教会だより◎本部月次祭登殿参列立教年3月髙屋武内福昭平盛福冨士藤井東福山枝廣日登殿正美秀年正仁隆文1872618721福節八尋芦品惠陽稲倉稲瀬稲讃藤井治喜矢田哲一吉岡孝彦藤本惠子北川治史三宅道大北川壯一=辞令=立教年6月日付◎登用承事淺野明教◎職制人事管理部部員瀬藤大喜田中真実18726◎本部月次祭登殿参列立教年6月日登殿久松中村剛史坪生掛谷宣和安那吉岡輝昭芦田川吉岡貞彦三郡貞清知実東水島藤本芳久亀田山高橋徳行出雲川津仙田勉かさおか18718727立教187年(令和6年/2024年)8月21日第63巻第8号6○神村下田誠輝大江橋村川久美子品治渡邉泰造葦沼三島順敎◎第九九五期修養科一期講師自立教年5月1日至立教年7月日金浦今川昌彦187187291871872926◎こどもおぢばがえり詰所受入ひのきしん☆前期自立教年7月日至立教年7月日福山ブロック福山福山真実廣町宮本やわら髙屋ブロック稲倉大月道昭島根ブロック照雲雜賀元生東ブロック鶴山中島育子西ブロック品治渡邉泰造上府ブロック木津和丸山隼人☆中期自立教年7月日至立教年8月1日福山ブロック福冨士藤井成人髙屋ブロック大惠山瀬藤俊希島根ブロック照雲雜賀元生東ブロック187187吸江西村健西ブロック吉岡隆男吉岡京子上府ブロック府中市奥忠郎府中市坂井幸生☆後期自立教年8月1日至立教年8月4日福山ブロック福芦青山和未髙屋ブロック芦品青木茂男島根ブロック新輝豊杉本悦子東ブロック興明吉岡八恵西ブロック神村下田真紀上府ブロック上吉野松井小夜「言うとることと、しとることが違うとったら、人はついてきゃーへんで。〝言行一致じゃあ〟」酔が回ってくると人差指の先で、コンコンとテーブルを叩きながら力説するのが彼の癖だった。彼の家までは私の家から徒歩で約2分程。保育園、小学校、中学校までは登校時はほとんど一緒だった同級生。その後は、離れ離れになった。ある時、知り合いのタクシーの運転手さんから彼のことを聞き、連絡を取り合うようになった。お互い都合をつけてよくお酒を飲んだ。職業は全く違う二人だったが、話題に事欠くことはなかった。彼は仕事柄、移動が多くだんだんと会う機会も少くなった。私の住む地域を管轄する警察署の副署長をつとめ、四十数年間の警察人生をおえた。217月日、彼の一回忌であり祥月命日だった。部屋に掛けてあった遺影が、冒頭の言葉を話しかけているように感じた。年祭活動2年目も早や後半。教会をお預かりする竜頭として、間違わないよう、正しく時を刻んでいかねば、と思う日日です。(あ)
かさおか

『かさおか』第63巻 第7号

○1立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314新輝豊分教会大正13年10月31日輝北宣教所設立昭和22年12月26日移転、改称(輝伯)平成19年5月26日移転、改称(新輝豊)立教187年7月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号2○25140布教部別席・伏せ込みひのきしん団参実施布教部(田中隆之部長)は、去る5月日、教祖年祭三年千日の年祭活動の一環として、別席・伏せ込みひのきしん団参を実施した。大勢の参拝者が東礼拝場に集合し、年祭活動への取り組みについてお諭し下さる大教会長様のお言葉に耳を傾けた。続いてそれぞれの年祭活動の取組を胸中に振り返りつつ、一手一つにお勤めが勤められた。その後殿外に移動し、神苑で草引きひのきしんにいそしんだ。天候もよく暑さを感じるほどであったが、参加者は久しぶりの団参に懐かしい面々と出会い、お互いの近況を語り合う姿があちこちに見受けられた。また青年会は長らく控えていた活歓談しながらor黙々とひのきしん115021720013動資金カンパの売店を詰所内に催し、多くの帰参者が買い求めに集まり談笑するなどして、詰所館内は久々に賑やかな雰囲気に包まれた。(副部長佐藤真孝)能登半島支援活動(第2回目)報告とお礼6月6日夜8時、人はワゴン車2台に便乗し大教会を出発。2回目の能登半島支援活動の炊き出しの為に珠洲市に向かいました。珠洲市にある宝立小中学校の避難所近辺は、珠洲市内でも一番被害の大きかった地域で、避難所には約数人の人達が幾つかの教室に分かれ避難しておられました。更にその小中学校に隣接する仮設住宅が約軒ほどあり、多くの家を失った人たちが生活されていました。時半から時過ぎまでに食を全て出し終えました。多くの方々から感謝の言葉を頂き勇ん10会長室50で貰えるようにとの思いで来たのにこちらが勇ませていただきました。その後、近くの珠洲市内朝日避難所(人ほどが避難されている)を訪問し、出発前に預かっていたスイーツや飲み物など食分を届けさせて頂きました。災害から既に5ヶ月以上が経っているのにも関わらず、潰れた家屋や水に流された家屋はそのままであり、まだまだ復興への道のりは先長く、継続が必要であると感じました。尚、この度皆様から寄せられた能登半島復興支援の寄付金は6月4日までに317,989円集まりました。6月初旬に大教会長さんと相談をして、珠洲ひのきしんセンターに万円の寄付をさ1530半年経っても復興が進まない現状3○立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号20010かさおかせて頂きました。珠洲市内で避難されている方々の必要な物を購入して届けられるそうです。残りは大教会には留保しています。寄付する良い場所があればさせて頂こうと考えています。皆様の真実の寄付を有難うございます。(会長室員上原志郎)▼参加者の声吸江分教会西村由理子6月6日夜人で、珠洲市へ2回目の炊き出し支援に行かせて頂きました。朝6時、ひのきしんセンターである北乃州分教会に到着。参拝場に置かれたホワイトボードには連日来られる教会のスケジュールが書かれていて、地元の方からひのきしんさんと呼ばれているそうです。被災された方々を想い勇んでおつとめをし、避難所となっている宝立小中学校で炊き出し。開始前から長蛇の列ができ、食のお弁当(ロコモコ丼、ポテサラ、スープ、スイーツ)と飲み物を笑顔で一言ずつ声かけながら提供していると、「体調はまあまあだけど、家は津波で全壊でなあ」と。涙が出て、返す言葉がありませんでした。その後、少し離れたあさひ避難所へお菓子や飲み物を届けさせて頂きました。そこでは避難者自らが外の調理場で炊き出ししておられ、笑顔で助け合っている姿に親神様教祖もどんなにかお喜びのことだろうと思いました。移動の際道路はだいぶ改善され、田んぼや庭先の花に少し安堵したけれど、海岸近くを通ると前回とほぼ変化ない様子に、まだまだ息の長い支援が必要だと感じています。この度も教友や友人達から支援金や食材、車中で食べてとお菓子も届きました。前日には、スイーツ作りやお弁倒壊した建物を前に、私達の微力さを感じる1010>10当の下ごしらえといった、陰の支えがいませんでしたが、実際に動いて現地あってこその支援だと思います。また、の空気を感じることで、もっと何かさ2時間おきに交替で運転して下さったせてもらいたいという気持ちになりま方々、本当にありがとうございました。した。今回は参加させていただきあり今回も、ドリームチームの一手一つがとうございました。の姿に感動しています甲井分教会山田英嗣東福山分教会枝広正寛「能登へ行かない?」と上原志郎先今回、笠岡大教会からの能登半島支生より声を掛けて頂いたのが、この度援活動に初めて参加させていただきま支援活動に参加させて頂いたきっかけした。笠岡大教会からは総勢人で片です。炊き出しをするとの事で、お役道時間ほどかけて現地に到着しましに立てるだろうかと不安に思いましたた。ガタガタで不安定な道路や崩れたが、せめて遠い能登までの運転だけでままの家屋が多くあまり復興が進んでも頑張らせて頂こうと参加を決意しまいないな、という印象です。拠点であした。る北乃洲分教会を経由して、宝立小中多くの方々による事前準備の食材や学校で炊き出しをしました。メニュー荷物を積み込み、夜7時ごろ大教会をはロコモコ丼、ポテトサラダ、スープ出発し、明け方に現地に到着しました。と盛りだくさんで、避難所や仮設住宅テレビで見たままの、まだ家屋が倒壊の方には「、遠くからありがとうね「」おしたままの街並みを目の当たりにし、いしかったよ」と明るく声をかけていここで炊き出しをさせて頂いてはたしただきました。て被災者の方々が本当に来て下さるの初めて支援活動に参加させていただか?というのが私の第一印象でした。き、最初は被害状況から1人の力は小炊き出し現場の宝立小・中学校で準さいな、と虚しい気持ちになりました備が始まり、提供開始までの3時間、が、人いればこれだけ多くの人に喜私以外の9人の先生方の手際の良さんでもらえるんだとも思いました。今に驚きながらも、まだ心の中では「、こまで被災地のために祈る事しかできてんなに沢山の数を用意して本当に来かさおか立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号4○てくれるのか?」という不安の気持ちがありました。しかし、時間になると行列が出来るほどの多くの方が来て下さり、「いただきます。ありがとう」と直接、感謝の言葉を聞かせて頂きました。参加させてもらって良かった、次回があるならまた来たい、と思った瞬間でした。いつも当たり前に過ごしている日常生活がどれほど有難く、決して当たり前の事等一つもない親神様の御守護であるのかを改めて感じさせて頂く事の出来た貴重な体験となりました。200食の昼食を出し終えて1401516女子青年女子青年委員長講習会笠岡から2人参加6月日・日に天理教教会本部で行われた女子青年委員長講習会に参加させていただきました。婦人会長様のお話、女子青年活動についてのお話、中野大教会長深谷徳重先生の講話を聞かせていただいたり、グループで話し合いをしたりしました。婦人会長様は、「女性の在り方」「おふでさきを身近に感じること」「教祖のひながたをたどり、心の成人への歩みを進めること」の3つのポイントに分けてお話をしてくださいました。その中で、もとはじまりのお話を学び、男女がそれぞれのはたらきを果たして助け合って生きていくこと、おふでさきを通して〝親〟の心を知ること、心の成人に向けて教えを素直に実行することの大切さを教えていただきました。女子青年活動についてのお話では、教祖年祭に向けて、「女子青年活動のかどめ」を日々しっかりと実行することが大切だと聞かせていただきました。その中で、親神様・教祖に心をつなぐ参拝・おつとめ、日々の御守護への感謝を行動に表すひのきしん、何事にも喜びを見つけようとする姿を通してのにをいがけなど、かどめを実行することでどんなときにも親神様の御守護やお導きを感じられる心を育てるのだと教えていただきました。深谷先生の講話では、「女子青年活動のかどめ」の1つである「にをいがけ」について、〝にをいがけ上手〟ではなく〝にをいがけ熱心〟を目指すのだと聞かせていただきました。その中で、においをかけてくださるのは親神様であるので、私たち人間は、ひたすら熱心にやり続けることが大切だと教えてくださいました。「にをいがけ」と聞くと、チラシ配りや戸別訪問をイメージして、とてもハードルの高いものだと感じてしまっていましたが、あいさつや少しの声かけ、ちょっとした行動が人の心を変えることもあり、自分の行動や姿で教えを示す・伝えることもできると分かりました。グループの話し合いでは、同世代の仲間たちと教えや女子青年活動について、自分の経験や考えを話しました。同世代でお道の話をすることは普段ほとんどないので、いろいろな話を聞く2219ことができ、とても良い刺激になりました。今回いろいろなお話を聞かせていただいたり話し合いをしたりする中で、全てのことは自分の心のつかい方次第で変わると感じました。私たちが自由につかうことを許されている心だからこそ、どんなことでも喜べる心のつかい方をすることが大切だと思いました。今回の講習会で学んだことや得たことを今後の女子青年活動に生かし、より充実したものにできるよう努力していきたいと思います。(笠岡女子青年委員長岡﨑真実)こかんさまに続く会笠岡女子青年(岡﨑真実委員長)は、6月日、笠岡大教会でこかん様に続く会を開催、女子青年人、担当者7人の計人が参加した。支部長様からのお話では、元の理やお道の教えに触れながら、教祖とはどのような存在か聞かせていただきました。その中で、私たちの身体は神様からの借り物であり、自分のものとして12女子青年5○立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号かさおか与えていただいている心のつかい方を考えることが大切だとお聞かせくださいました。自分のつかい方次第で物事の見え方・感じ方が変わるので、どんなことでも喜べる心のつかい方ができるようにしていきたいと思いました。お話の後には振り返りを行い、率直な感想を話しながら、自分たちの心のつかい方を見つめなおすことができました。また、昼食はバーベキューをさせていただき、海松ヶ岡分教会の会長様支部長様のお話振り返りが作って下さった鉄板焼きや焼きそば、担当の奥様方が作って下さったス修養科修了生の声イーツ、アイスやかき氷などもいただいて、とても楽しい時間を過ごすことができました。今回もたくさんの方が参加してくださり、充実した会にする宝の山修養科ことができました。支部長様をはじめ、大惠山分教会山中祐二担当の奥様方、声をかけてくださった知子方、参加してくださった会員さん、本無事夫婦揃って修養科を修了させて当にありがとうございました。頂きました。主人の身上をご守護頂き(委員長岡﨑真実)たい一心で修養科行きの心定めをして主人も納得の上でおぢばへ帰らせても支部長様と笑顔でピース!41らいました。主人と私にとって年間朝早くから夜遅くまでの仕事ばかりの毎日を過ごしてきましたが、昨年3月末に脳出血で主人が倒れて仕事を続ける事は無理だと思い、会社を廃業することに決めました。主人が倒れた事は非常に辛い事でしたが、今から思えばこれは親神様の深い親心があっての事だと改めて気付かせて頂きました。修養科の生活は慣れない事が多く、その為主人には精神的にも辛い時も有り、何とか慣れていこうと努力している姿に元気づけられました。授業は楽しく知らない事も多くありましたが、教祖伝、教典を勉強するなかで多くの学びが有り、人の前で話しをする感話の時間も私たちの心の中の思いを出す良い機会にもなりました。そして自分の事ばかり考えていた私達に多くの身上、事情を抱えている教友達の心の内を知り、自分自身の事の様に心配し、話しを聞かせていただき、おさづけを取り次がせていただけました。修養科には人と人との出会いが多く、修養科の担任の先生方、教養の先生方、撫養大教会土佐先生、生駒大教会大井さん、山陰大教会井本さん達との素晴らしい出会いが有り大変感謝しております。最後に高井久太郎先生の講話はとても心に残りました。1,人を勇ます生活をしよう、人を喜ばす生活をしよう2,かしものかりものの理を分かって毎日を送ろう3,親神様、教祖の手を離さないようにこの3つの事を修養科後も忘れずに通って欲しいという内容でした。修了後は私達にとって第二の人生だと思っています。親神様への親孝行はおつとめ、教祖への親孝行はさづけと教えて頂きましたので、毎日実行させて頂きたいと思います。立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号6○末の弟のまなざし4▼道雄兄雅志兄の事など眞雄兄の偲びが終わって、次は上から順番に心にある事柄、を述べていこうと思う。道雄兄から。私は此の世で会った事はないので,父母から聞いた話、大教会史執筆の為に史料蒐集の過程で心に残った史実を誌していきたい。この兄は天理外語で英米学科に在籍中、選ばれてアメリカに研修に行っている。飛行機で旅行できる時代ではないので、船旅だったろうと思うのだが、一人旅で恐らく行く先はロサンジェルスの伝道庁だったと思う。別に知己があるわけでもなく、心淋しい思いがしたのではないか。そのときに書いたもの、日2214121010記風のもの、一人旅の感想など、先日会長宅の倉の中を見ていたら、ほこりを被って紙袋に入ったまま積み上げた箱の上にポイと置いてあった。昭和年代?いや初年代、大学生で経験したアメリカの印象は衝撃的であっただろうと思う。私がニューヨークターンパイク、片道車線以上の高速道路を見てアメリカの物量輸送のすごさに驚いた以上のものがあったのではないか。恐らく2代真柱様の次代の若者を育てる上からの米国派遣だったと思うのだが、笠岡の海外布教への思いは、道雄兄のこの旅行から始まっているように思う。若し彼が昭和年月日中支・湖北省京山県劉家嶺で亡くなってなければ、帰国してアメリカ布教を推進して行ったと思う。不思議に4番目の豊明兄は、台北帝大から戦後京都大学哲学科へ再入学し、卒業後、2代真柱様の思いを受けて、アメリカ伝道庁勤務の傍らサザーンカリフォルニア大学に留学、コロンビア大学を経てインディアナ大学に奉職する事になるのだが、そこにはやはり道雄兄の遺志があったのではないか。府中市分教会へ教会史の取材に行った時、取材が終わって部内の教会長さん方がお帰りになった後、道人会長さんと話をする機会があって、あの方はビール党で最後までビールだったが、「学生時代、年に2,3回道雄さんと詰所の会長宅に招待頂いてすきやきをご馳走になった、あの時代あの年頃で、今もあのときのおいしいすきやきの味が忘れられない」と話してくださった。道人さんは外語中国学科だった。卒業後満州へ出られたと思う。余談だが、この時2時間程話し込んで、岸本の真理さんを車に乗せて神邉の教会まで2510254412帰った。真理さんは部内教会史取材の助手をして下さっていた。見事な何とか運転で、よく事故を起こさなかったのが幸いでした。101211122512121513簡単に昭和年頃からの道雄兄の事歴を書いておく。昭和年7月日徴兵検査第1乙種合格、同年月日天津伝道庁へ向け出発、同月日門司港で召集令状を受け翌日帰会。昭和年1月日岡山市歩兵第連隊入隊。その後、幹部候補生として豊橋教導学校卒業後、会津若松の部隊に配属、昭和142212年月2日陸軍少尉に任官。同年30102422月日、中国湖北省で戦死歳。12502218年祭は5年祭(昭和年月日)・2223年祭(昭和年月日)・年祭(昭和年月日)・年祭(平成5年435月日)・教会本部合祀(昭和年4月日)。この項続く。12大教会だより◎第九九四期修養科自立教年4月1日至立教年6月日*教養掛(○主主任、○副副主任)一ヶ月目○主岡崎真一(大教会役員)○副掛谷宣和(坪生分教会長)二ヶ月目○主吉岡誠一郎(大教会役員・興明分教会長)○副福島大介(福満分教会長)三ヶ月目○主谷内伸自(大教会役員・輝美濃分教会前会長)○副下田誠輝(神村分教会長)*修了者大惠山山中祐二大惠山山中知子2994訃報岡﨑京子さん呉照分教会前会長夫人6月日出直されました。享年才かさおか187187277○立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号かさおか六月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には子どもかわいい一条の親心のまにまに天然自然のお働きと自由の御守護を賜り陽気ぐらしへとお導き下さいますことは誠に有難く勿体ない極みでございます私共は生かされている喜びを胸に朝夕に御礼申し上げたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこの笠岡の六月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝とたすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月二十五・二十六日とたすけの元であるおぢばにしっかりと繋がらせて頂くべく別席伏せ込みひのきしん団参を実施し共々にひのきしんの汗を流させて頂きましたまた今月一日二日には第二回目の「ようぼく一斉活動日」が開催されました同じ地域に住むようぼくが寄り集いお互いに勇ませあい喜ばせあって年祭に向かっての成人の歩みを進める機会とさせて頂きました何卒親神様には年祭の旬に込められた親の思いを胸にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に親心一杯の自由の御守護を賜りお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十七年六月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者山野弘実佐藤真孝賛者岡﨑治喜指図方門脇元教講話横山逸郎八月講話今川昌彦区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半谷内伸自中島誠治門脇元教横山逸郎吉岡誠一郎田林久嗣淺野明教谷内秀自高木昭祥大教会長様上原志郎田中隆之前会長様中村道德山野弘実上原繁道森本忠善虫明立生大教会奥様谷内美知子門脇加津前奥様中村初美山野なつ田中ますみ田中つかさ上原千枝子杉原善朗岡﨑治喜上原繁次上原浩赤木素志杉原善朗吉岡壽高木昭祥岡田誠虫明立生三代温生内海史郎佐藤道孝淺野明教上原志郎田中隆之佐藤真孝上原浩武内正美岡﨑豊子内海安子今川佐智子横山小智榮室悦子上原順子三島照美吉岡八恵かさおか立教187年(令和6年/2024年)7月21日第63巻第7号8○我が家は瀬戸の海を眺望できる里山のふもとにある。その山裾に広がる草地に伐採された木が立っている。毎年、雉は国鳥である。「日本の固有亜種で春になるとこの木の下で美しく大きなあること、人里にいて馴染みやすいこ雉のオスが「ケーン、ケーン」と鳴く。と、オスは勇敢でメスは母性愛が強い木の下でケーンと鳴くので「木下ケン」こと」がその理由であるそうだ。さて、と名付けて可愛がっている。とは言っここにはたまにサルも現れる。近所にても窓から眺めているだけだが……。は飼い犬もたくさんいる。イヌとキジとサルがいて、桃も時にいただくことがある。これは桃太郎の世界だなと喜んだのもつかの間、オニはどこにいるのだろうかと考えた。オニの棲み処とならぬよう心の「ほこり」を払いたいものである。(V)詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。
かさおか

『かさおか』第63巻 第6号

○1立教187年(令和6年/2024年)6月21日第63巻第6号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314樺島分教会昭和16年8月26日設立昭和26年10月26日移転建築昭和48年4月26日移転立教187年6月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)6月21日第63巻第6号2○少年会笠岡団育成講習会開催5・祭典後少年会(森本忠善団長)は5月の月次祭に育成講習会を開催しました。昨年は子供達にわかりやすい話し方を勉強しました。今年はその上で実際に子供達に教会で楽しく遊んで、しかもおつとめに役立つ事を!と思い計画しました。祭典講話に代えて少年会本部委員の中村総司先生から、ご自身の子育てをはじめ、自教会での活動を通して少年21少年会パラバルーンを使ったエクササイズ会活動の大切さ、お助けの大事さなどを教えて頂きました。又午後からは本部部員の平野先生から、音楽を使って様々なゲームなどを通して、おつとめに必要なリズム感を養う為の実技指導をして頂きました。ミカンの花の歌でお互いにリズムを取って手叩くエクササイズ参加して下さった方々は終始楽しそうに受講し、近づいてきたこどもおぢばがえりや夏休みの教会での活動に活かして下さると思います。ありがとうございました。(団長森本忠善)リズムに合わせてじゃんけんをするエクササイズ先生からの質問に手を挙げる参加者《講話内容は次の通り》笠岡大教会の5月の月次祭誠におめでとうございます。また、引き続いて育成講習会を開催され、重ねてお祝い申し上げます。私は普段、千葉県にある大三國分教会の会長をつとめております。又、9年前に結婚しまして、今は、5才と1才の子供のお父さんをやっています。どちらも元気な男の子で、毎日教会の廊下を駆けずり回っている息子を追いかけ回すような日々です。その息子と同じ様な世代の子供達も何人かいまして、小さい子が一堂に会しますと、毎回教会のどこかが壊れたりとか、何かが無くなったりとか絶対にあるんですね。私の小さい頃もよくあったんですが、そう考えますと、私と同じ時代を一緒に教会で駆けずり回ったメンバーというのは、今の教会の力となってくれています。ですから今、長男と一緒に駆けずり回っている小さい子も、いずれ教会、お道の何かの力になってくれるだろうなと考えますと、非常に有難いことであると思います。少し長男が生まれた時の話をいたします。私、自分の子供ができるのがすごく嬉しくて、出産の時に立会いを希望しました。3○立教187年(令和6年/2024年)6月21日第63巻第6号51少年会活動の大切さを話される中村先生10かさおかそうした時、いよいよ長男が生れてくる頃に、私の携帯が鳴り、一つの連絡が入りました。それは私共の教会は、ブラジルに部内の布教所があり、その布教所にとって、本当に大切な信者さんが、仮にこの人をAさんとします。このAさんの血液にガンができたんです。白血病ですね。命の危険にさらされているという連絡です。そのAさんは私にとって親戚関係にあり、大変世話になった人でありますので、ショックでした。本人にしてみてもまだ働き盛り、・2才くらいで、私以上にショックだと思います。急遽、私はおたすけをしにブラジルに向かいました。予定を教会行事などを考えて組みますと、長男が生まれる出産予定日と重なってしまう。だからといってブラジルに行かないという選択肢にはならなかった。妻からすると初産なので私がそばにいないと不安な思いをすると考えましたが、夫婦で話し合い、信者さんに留守中のことをお願いしてブラジルに向かいました。そして、到着後すぐさまAさんのもとに駆け付けますと、私の顔を見るや、「あ~これで救かった。」と呟き、ありがとうございます。と礼を言うて本当に喜んで下さいました。ブラジルでの日間滞在中、宿泊している布教所からAさんのもとにおさづけの取り次ぎに毎日通いました。Aさん本人、ご家族、私にとっても本当に内容の濃い期間でありました。そして、帰国中、私はサンパウロのガビロス空港のロビーで妻が分娩室に入ったと聞き、私は教会の青年会のグループLINEにメッセージを送りました。これから飛行機に乗ります。到着は明日の夜8時になりそうですが、誰か迎えに来れませんか。そのまま病院に送っていただきたい。そのメッセージを送ったのが日本時間の夜中の3時頃でしたので中々既読がつきま25せん。結局既読がつかないまま私は飛行機に乗りました。こうなると日本へ着くまでLINEは見れません。日本からブラジルまで時間くらいかかり、その間に生まれるという可能性も十分ありました。羽田空港には女子青年さんが迎えに来てくれて、私の顔を見ると「会長さん早く、早く」と焦らせるんです。車の中で状況を聞きますと、まだ生まれてないことは確かです。きっと神様は待ってくれている。そのことに違いないと思い、ありがたいなと思いました。病院に着いて分娩室に案内されて入ると、そこにはお茶を飲みながらテレビを見て笑っている妻の姿があり、私はもうちょっとドラマティックな展開を考えていたのですが、私の顔を見ると笑顔で「あっおかえりなさーい」と和やかな空気に拍子抜けしました。それから約1週間後に長男をお与え頂き私も出産に立ち会うことが出来ました。一連の出来事の中で、もしかしたら長男の出産に立ち会えないだろうなと何度か頭をよぎりましたが、それはそれで仕方ないなと思いました。妻にとっては不安もあったんでしょうけど子供は無事生まれてきてくれるだろう。をびや許しを頂戴し、妻も元気でいてくれるだろうと信じていました。たとえ立ち会えなかったとしても私は、おたすけで神様の御用で立ち会えなかったのですから。更に言えば、今の時代病院の設備も薬も医学もすごく進歩し、子供を産むことに対して大変ではありますが命を落とすことはほとんどありません。そう考えますと、今の時代はありがたい限りです。教祖の時代の出産は本当に大変であったと改めて考えました。当時、出産は命がけの行為で、今あって当たり前のものがなく、それはコロナ禍の中マスクが同じくらい重要で、品薄にもなりましたアルコールの存在がないのがすごく大きかったと聞きます。細菌という存在を知らなかったので消毒という概念がなかった。だからお産の時に消毒が出来ないということは、子供を産む時にお母さんの体の中に細菌が入ってしまう事なのです。ですから出産後、母親の体は体内に入った細菌と戦うのです。そしてその戦いに負けて命を落とすということは珍しいことではなかったのです。赤ちゃんもせっかく生まれてきたのに、まだ細菌に対しての抵抗力が少なく、菌に負けてしまい、1才の誕生日を迎えることが出来ないかさおか立教187年(令和6年/2024年)6月21日第63巻第6号4○150子が多かった。本席飯降伊蔵先生もそんな出産にまつわる出来事に悩まされ、お産によって命の危険にさらされ入信したのであります。元治元年5月今から年前、飯降先生の奥様おさとさんは妊娠しましたが、お腹の子は流産しておりました。伊蔵さんからするとおさとさんは3人目の奥さん、実は1人目の奥さんとの間にも子供を授かり出産しましたが、奥さんは命を落とされ、生れてきた子供も2歳で亡くなっています。この状況、伊蔵先生が特別運が悪かったのではなく、どこにでもある話です。そして、おさとさんも体に負担がかかり寝込んでしまい、伊蔵先生からしたらまたかという思いです。大工の仲間から庄屋敷村に安産の神様が現れたと聞いて、早速おぢばに帰らせていただき「妻の病気を救けて下さい。」と必死になって教祖にお願いしたと思います。そして教祖から散薬を頂いた。これだけで伊蔵先生は大喜びです。なぜかというと皆さんが今、目の前で自分の大切な人が苦しみだしたらどうですか。用木でしたらおさづけを取り次ぎますが、世間の人は救急車を呼んで病院に運んでもらいます。でも教祖の時は電話機も救急車もありませんし、医者と医療と人間が直像の範疇を抜けないのですが、妻の安結していない時代です。普通の人は簡否を案ずる伊蔵先生の気持ちの方は想単に医者にかかることができない。仮像しやすいかなと思い、もし自分ならに医者にかかって薬をもらっても、そと伊蔵先生を重ねてみたことがありまの薬も効くのかどうかよく分らない事す。もし自分が伊蔵先生と同じ状況が多かった。そんな時に安産にしてやだったらブラジルに行ったのか、そのろうと言われて手を差し伸べられ、散ままどんどん想像を膨らませてみまし薬を下さり、これがどんなに有難かったがすぐにやめました。考えてみたくたか。すがりつく何かが現れたことがもなかったんです。それぐらい嫌だっ嬉しくて、嬉しくてたまらないわけでたんです。そういう状況を伊蔵先生はす。藁にもすがる気持ちで教祖に会い実際に味わっていたのだと。これだけました。よく分からないけど散薬を頂大変な思いをして子供を産むわけですいたから飲ましてみようとおさとさんから、子供は本来本当に大切なありがに上げたところ、なんと気分が良くたい存在なんだと感じました。特に道なった。少しのことですが、伊蔵さんにつながる子供たちは道の宝でござい本当に喜びます。何にすがればいいのます。この宝物を大切に丹精していかか分からない気持ちに、まるで一筋のなければなりません。小さいうちは分光が差し込んだ気持ちになったのでりやすいものから、私の場合はありがす。翌日お屋敷へお礼を申し上げに参とうという言葉だったり、感謝をするり、更に散薬を頂くと、夕方から大層心をよく子供に教えたりします。先程楽になった。伊蔵先生は夜またお屋敷の伊蔵先生は教祖に救けて頂いた後、に帰り、おさとさんは3日目には食事あまりの嬉しさと有難さに、神様の社ができるまでにご守護頂いた。日ならを造らせて頂きたいと申され、教祖はずして産後の煩いをすっかり全快されお礼の気持ちがあるのなら社は要らなたという話がございます。今の時代もいから、小さいものでもいいからつと出産というものは大変なものですが、め場所を建ててもらいたいと仰いまし教祖の時代はまさに命懸け。私は当然、た。どの位のものか伺いますと、1坪出産に伴う苦しみや痛みの大変さは想四方といわれ、畳2枚分でいいから、42おつとめをする場所を造ってほしいと仰せられました。伊蔵先生は快く承り、つとめ場所の建設が始まりました。しかし、当時奈良県の周りで何が起こっていたかと申しますと、京都で大きな火事があり、大阪では戦争があり、火事や戦争によって、京都や大阪は木造住宅がどんどん壊れてしまい、壊れた木造住宅を立て直そうということで、奈良県はもともと木材が有名なので、木材がどんどん京都や大阪に流れていったのです。それで奈良県にある木材が品薄になってしまい、値段が跳ね上がったんです。これはこれからつとめ場所を造ろうという伊蔵先生にとっては、あまり都合のいい話ではありません。それでも伊蔵先生の救けてもらった感謝の心の方が大きすぎて、又、伊蔵先生のように教祖に救けられた人々の感謝の心の方がはるかに大きすぎて、木材の値段が高くなり、教祖は畳2枚だけでいいと言っているのに、もう少しだけ、もう少しだけと建設する建物の大きさはどんどん大きくなり、最終的には畳枚程の広さの建物が出来上がった。これがつとめ場所です。つとめ場所は伊蔵先生が救けていただいた喜びから感謝の心で建てられ5○立教187年(令和6年/2024年)6月21日第63巻第6号かさおかたものです。私は子供達に、教祖の記念建物の見学をすると絶対この話をします。伊蔵先生が救けていただいた背景には、この感謝の心というものが大変大きいように感じます。教祖から散薬を頂き、少し気分が良くなったからお屋敷にお礼に行きます。更に、散薬を頂いて、つわりが良くなったから、またお屋敷に行きます。また良くなればお屋敷にという具合に、感謝の心から足繫く何度も何度もお屋敷まで足を運ぶんです。私達は自分や近しい人の身上に苦しみ、事情の悩みを直面した時、親神様に救けを求めるわけですが、ただ救けて下さいと願うばかりでなく、既に与えられているご守護、ちょっとのことかもしれないが、そのご守護に対して感謝の心を忘れてはいけないなと思うのです。年頭幹部会で「教祖のひながたを目標に、教えを実践し、子供たちに信仰のありがたさを伝えよう。」と活動方針が打ち出されました。信仰の喜びを伝えようという表現はよく聞きますが、信仰のありがたさを伝えようというのはちょっとめずらしい表現だと思います。次に、重点項目の取り組みが大事になってきます。「子供に教祖のお話をしよう。」「教会おと33まり会、教会こども会を実施しよう。」「地域で少年会ひのきしんを実施しよう。」とあり、同世代の子供達が集まり、信仰実践を積みながら教祖のお話を聞いて、信仰のありがたさを味わって頂く時間は本当に大切です。年頭幹部会で真柱様は、「みなさん方には少年会の活動を通して、しっかりした信仰の基礎を、子供たちの中に築いてもらいたいと思います。そしてそのために、先に道を歩いているみなさん方自身が、日頃から、親神様、教祖の親心を求めて生きることを心掛け、成ってくる姿にたんのうの心を治める努力をしながら、自分の信仰をより深め、親心に近づく修練を重ねて頂きたいのであります。おさしづに、「道に外れたる心で育てようと思うた処が育たん。」(明・1・4)とあります。ともすれば忘れ勝ちになりやすい、人を育てる上の大切な注意点をお諭し下さっているのではないか、と悟らせて頂くのであります。」という一節があります。少年会活動に携わる者の最大の目的は、子供たちを立派なようぼくに育てることにあります。ですから、育てるという処に意識が行き過ぎて、時には自らの成人に対しては、疎かになってしまうこともあるかもしれません。しかし、まずは自らが信仰を深めて、親心に近づく努力をして、信仰のありがたさを味わうことが大切です。自らが信仰のありがたさを味わい、そして、それを子供たちに伝える。この取り組みをする上でとても効果的なものが子供おぢばがえりです。本年は、「子供とおぢばがえりの喜びを味わおう」、「全教会からの帰参を目指そう」と掲げています。子供おぢばがえりは、子供をおぢばに連れて帰ることが最大の目的です。そして、何とか子供たちに楽しい思い出を残してあげたいという思いで、育成会員の皆様方が真実込めて取り組めば、その思いは神様が必ず受け止めて下さいます。一人でも多くの少年会員たちと子供おぢばがえりにご参加いただく事をお願い致しまして、本日の私の話を納めさせて頂きます。どうもありがとうございました。(文責:副団長藤井保人)雅楽講習会開催5・大教会雅鶯会(田中隆之楽長)は5月日大教2828雅鶯会会で雅鶯会員を対象とした雅楽講習会を開催、教内外から3人の講師を招き、管別練習(篳篥)管別練習(笙)かさおか立教187年(令和6年/2024年)6月21日第63巻第6号6○15雅鶯会員人が参加した。午前9時半開講、大教会長様のご挨合奏練習管別練習(龍笛)1715左側に親族、右側に関係教会長らが参列した拶に続き、田中楽長からは「一人一人され、また親族家族の主立った者、関の技術の向上を」と挨拶。その後、各係教会長方は席を分けて会食、午後4管に分かれて練習、昼食を挟んで時時過ぎ現地散会となりました。より合奏練習を行い時半閉講した。(大教会理事上原繁道)夕勤め後には講師の方や会員同士の親睦を深める会食が行われ、1日のみの開催では有ったが、大教会年祭を間近に控えての講習会でもあった為、事前の練習を兼ねての非常に内容の濃い充実した講習会となった。(雅鶯会副楽長山野弘実)本部婦人上原くにゑ刀自4代会長上原郁雄大人同夫人上原せい子刀自式年祭執行11301030305月日、大教会で、本部婦人・3代会長夫人上原くにゑ刀自年祭、4代会長上原郁雄大人年祭、4代会長夫人せい子刀自年祭が、大教会世話人板倉知幸先生の祭主で勤められました。午前時開式、正午過ぎ終了、親族家族また芦津、玉島などの関係教会長・部内教会長が参列しました。終了後部内教会長はじめ参拝者には弁当が配布末の弟のまなざし3▼種々の思い出ある日の事。「ターンパイク走ってみるか?」「高速道路?」「そうや」という事でニューヨーク・ターンパイクを兄の運転で走った。驚いたのはレーンの多さだった。輸送トラック用レーンが6車線くらい、乗用車用レーンが4車線くらい、もっと多かったかもしれない。アメリカという国の国土の広さと物流の莫大さ、その経済力に驚いた。その驚きを兄はあのとき私に感じさせたかったのだろうと思う。また、ある日の事。「マンハッタンで食事しようか」という事でこの頃はやりだした和食専門店に連れて行ってくれた。カウンター席で、日本人料理人が向こうに居て、天ぷら、寿司、丼物何でもどうぞ注文を、という形。兄と1時間ほど過ごして、その日はニューヨークセンターに行ったように思う。兄は出来たばかりのセンターの所長であった。私は1カ月余りで一人帰ってきた。ケネデイ空港からハワイ経由の飛行機で私はハワイで伝道庁に寄らせて頂いた。この時団体客と一緒で、皆機内でアロハシャツに着替えているのに不思議な感覚だったが、2月厳寒のニューヨークで私は背広にコートを着たままだった。ホノルルで降りて蒸し暑さに成る程と思った。2日ほど伝道庁にお世話になり、羽田に帰ってきた。東京駅の八重洲口で東悠の美智子奥さんに7○立教187年(令和6年/2024年)6月21日第63巻第6号かさおか会って、あまりにも荷物が多いので、土産代わりに少し教会に持って帰って貰ったのを記憶している。2回目に行った時は、布教所はボールドインに移転していたように思う。子ども達も皆大きくなってそれぞれに家を出て別所帯になっていたのかなあ、滞在中、ほとんど会わなかった。この時は私は一人旅で、ロサンジェルスのクリッチフィールドさん、サンフランシスコのネイデイさん、オレゴンのキッシンジャーさん、また金浦の信者さんの樋上さんと、あちこち訪問させて頂いて兄の処に到着した。何を話したのか、何を聴いたのか、海外巡教という事で、1週間程インデアナの豐明兄の処にも滞在して、アメリカの道をどこかに纏める事はできないものかと、兄弟の心の内を聴いたように思う。伝道庁で、当時の篠森庁長さんともお会いして話を聴いて頂いたようにも思う。この頃の兄・眞雄は少し落ち着いて居たように思う。義姉の道江さんもアルバイトを始めていたように思う。私のような大教会住まいの者には分からない生活の苦労が、種々あったのだろう。しかし兄はそんな中でも、趣味の音楽鑑賞は捨てていなかった。真空管のアンプでクラシックを聴くという贅沢を、この時も私は少し味わわせて貰った。ずっと後になるが、本部の神殿奉仕当番で日本橋の町田さんと一緒になった時、彼の趣味がやはり真空管アンプにあった事で話が弾んだのも、懐かしい思い出である。もうずいぶん前に彼も鬼籍に入った。眞雄兄にとっては、私はたった一人の弟という事で、年祭毎に日本に帰って来た時には、呰部分教会に行ったり、蒜山まで出かけたりした事もあった。何故か道江姉と一緒に帰って来た事はなかったように思う。布教所を留守にする訳にはいかなかったのだろう。昨年は、CDにクラシックを録音したり、ハウゼが日本のなじみの曲を編曲してタンゴに纏めた曲を送ってくれたり、彼は五木ひろしが好きだったので、送ってあげたり、そんな中今年に入って、突然の別れだった。今大教会の墓地の一画に墓標が建っている。一言も物を言わないが、前で手を合わせると、心の中にいろんな場面が浮かん89でくる。歳。長生きだったと思う。私も、もうすぐだなと思ってしまうこの頃です。この項続く五月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には一列子どもの陽気ぐらしを楽しみに変わらぬ親心と御守護のまにまに日々は結構に恙なくお連れ通り頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は暖かく過ごしやすい新緑の季節に山や森のみずみずしい若葉が心まで潤してくれるように感じつつ朝夕に御礼申し上げたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの名称にお許し下さいました御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて五月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は直轄教会に巡教を実施し教祖百四十年祭に向かう三年千日の中ごろを迎えようとするこの時にそれぞれの教会で定めた目標に向かっての歩みについて再確認させて頂きましたまた本日は祭典に引き続き少年会育成講習会を開催させて頂きますお聞かせ頂く一つ一つの事柄をしっかりと胸に治めて次代を担う子ども達の育成の糧にさせて頂く所存でございます何卒親神様には旬にふさわしい成人を目指してたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますかさおか立教187年(令和6年/2024年)6月21日第63巻第6号8○立教百八十七年五月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者虫明立生淺野明教賛者上原繁次指図方田中隆之講話少年会育成講習会七月講話岡﨑真一区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半門脇元教上原志郎佐藤道孝森本忠善中村道德上原浩佐藤真孝岡﨑治喜岡田誠大教会長様岡﨑真一中島誠治前会長様上原浩吉岡誠一郎上原繁道虫明立生横山逸郎大教会奥様谷内美知子武内正美前奥様山野なつ横山小智榮田中ますみ上原千枝子吉岡八恵田中隆之山野弘実淺野明教吉岡壽内海史郎赤木素志佐藤道孝渡邉隆夫谷内秀自中村剛上原繁道田林久嗣中村義太郎高木昭祥佐藤真孝岡﨑治喜上原繁次杉原善朗上原順子内海安子三島照美門脇加津田中つかさ中村初美今川佐智子岡﨑豊子室悦子2212皆さん、ご存じですか。道友社発行の月刊誌『人間いきいき通信』(天理時報特別号)が、2023年1月号からリニューアルされて、『天理いきいき通信』と改称されたということを。それに伴って巻頭も、天理のシダレザクラをサクラボールとして世に広く紹介した、写真家の藤波秀明さんに替わられたということを。私は、それまでの挿絵の方が好きです。昨年、西薗和泉先生の講話を聞く機会に巡り合いました。先生は、定年となる2021年まで天理中学校美術教諭を勤められました。先生が特別号の表紙の挿絵を描かれた期間は、2001年1月号から2022年月号までの年間という長い年月でした。私が、特別号と言えば表紙の挿絵が醸し出す穏やかな世界と感じ取っていたのも無理はありません。私は、興味本位で西薗先生の最後の特別号を1部おやさと書房で取り寄せてみました。そこには特別でないいつも通りの挿絵「冬日」が描かれていました。そして、表紙のはなし欄には次のように書かれています。「僕の風景画は、すべて現地で描いています。春夏秋冬の光と風を感じながら風景と一体となります。アウトドアが僕のアトリエなのです。」先生らしいコメントだなあと感じました。絵手紙教室とセットで行われた西薗先生の講演会、是非「高屋便り」の絵手紙教室にもお呼びできたらいいのになあと密かに願っています。もう一つ、西薗先生とのちょっとした御縁を書き添えます。それは、一昨年の夏、修養科教養掛に行かせていただいた折、参拝後に神殿説教で東井先生(元天理中学校長)のお話を聞かせていただいたときのことです。その中で、西薗先生が不登校になった生徒に対して、神殿でのお願いづとめに一緒に行こうと誘われ、その生徒が毎日参拝にくるようになり、いつのまにか登校するようになったという内容のお話でした。ぢばの理と人のたすかりを願う心が、内向きにちょっとだけ休息していた彼の心を動かし始めるきっかけになったのだと感じました。そのことを、西薗先生へお話すると、「そんなことがありましたね、その通りですよね。」と、穏やかな表情で話されました。「ぢばの理」と「たすける心」を大切に、年祭活動2年目を歩んでいきたい。(友)
かさおか

『かさおか』第63巻 第5号

○1立教187年(令和6年/2024年)5月21日第63巻第5号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314松都分教会大正14年3月23日東耀宣教所設立昭和14年4月8日御分霊鎮座奉告祭昭和23年1月26日移転改称昭和23年2月7日移転改称遷座奉告祭昭和27年6月27日神殿増築昭和35年2月26日附属建物増築立教187年5月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)5月21日第63巻第5号2○182261918おやさと伏せ込みひのきしん団参実施4月・日婦人会笠岡支部(上原きよの支部長)の本年度の活動計画の一環として、4月・日におやさと伏せ込みひのきしん団参を持たせて頂きました。内容は、日、教祖誕生祭参拝、教祖の回目のお誕生日をお祝い申し上げ、午後より神苑西支所前での伏せ込み除草ひのきしんを約1時間程させて頂きました。コロナ禍が明け、5年振1819婦人会神苑での伏せ込みひのきしん19りとなる「よろこびの大合唱」に国内外から大勢の方々が集い賑やかに響くお祝いの歌声に感慨深い気持ちになりました。夜は詰所で「笠女マルシェ」と銘打って、各ブロックから趣向を凝らした品々を販売してもらいました。この売上は、今年元日に起こった能登半島地震への支援に繋げてもらいました。翌日、婦人会第回総会が本部中庭で開催されました。この度の式典には、笠岡支部長が「会員の誓い」をされるということもあり緊張感いっぱいに参加させて頂きました。午後の行事として、支部の集いを詰所でもたせて106神苑での伏せ込みひのきしんもらい、白熊繁一先生(郡山部属)の講話を頂き、年祭活動のこの旬に、教祖おやさまを身近に…。支部の集い美味しい物いっぱいの笠女マルシェのお雛形を学ばせていただく機会となりました。(委員上原千枝子)支部の集い。年祭活動の勇みをおみやげに支部長あいさつ3○立教187年(令和6年/2024年)5月21日第63巻第5号あなたが食べたのは何味?かさおか28学担親里管内学校新入生歓迎会開催笠岡学生担当委員会(上原繁次委員長)は、4月日、親里管内学校新入生歓迎会を開催した。今回は、天理大学、天理高校Ⅰ部、Ⅱ部などの学生5人が参加した。この日は、まず詰所で、『利きうまい棒選手権』を開催した。これは、目隠しをして自分が食べたお菓子が何味かを当てるもので、学生らは苦戦しながらも楽しんだ。続いて、天理市内のいちご園で、いちご狩りを実施した。大きく紅く実ったいちごを、みな存分に堪能した。昼価値の順番を語り合うマイナンバーワンいちご988食後は詰所で、ゲームやグループワークの時間を過ごした。学生らは、1日を通して同じ親里で学ぶ者同士の親睦を、より深めた。(委員長上原繁次)修養科修了生の声修養科と私期芦品分教会青木茂男私は、一信者の家庭に育ちましたが小学校から鼓笛隊でおぢばがえりをしたり、天理高校でお道の勉強をしたりして、親神様から多くのお引寄せが有りました。しかし、私は、今まで教会への参拝やひのきしんは、ほとんどしてませんでした。今思えば、私の人生での『ふし』は、沢山有りました。自家用車が全損する様な事故が数回、難病の靭帯骨化症の大手術、癌の疑いからのうつ病発症と数多く有りました。親神様、教祖は、いんねん寄せて守988護をすると仰せになられましたが、正にその通りだなとこの修養科で思わせて頂きました。修養科生活をしていくと自分が歩んで来た人生のいろんな事情や身上がこの期に寄せられた方々に重なり合う事が多く感じられました。交通事故で行き辛くなられた方、精神的に行き辛い方、難病に悩まされている方等などです。私も、もしあの時、ご守護を頂けなかったら同じ様な事で悩んでいたかもしれません。昨年の1月、運転中に無呼吸症候群で意識を失い、一旦停止をせずに、国道2号線に侵入して4トントラックが運転手側から衝突された時も肋骨に少しヒビが入っただけで、他は、大丈夫でした。もしトラックに衝突されなかったら正面のコンクリートの山に衝突して脳がぐちゃぐちゃになって出直していたと思います。また、同じ難病の方の助言で手術を希望しましたが、予約が一杯で半年先しか出来なかった処、急に予約キャンセルが出て、会社の閑散期に手術が出来て、4時間以上の大手術にも関わらず成功に終わった事等、数々のご守護かさおか立教187年(令和6年/2024年)5月21日第63巻第5号4○988を頂きました。全て『大難は、小難、小難は、無難』と通らせて頂いたんだなぁと非常に感謝させて頂きました。これまでの『ふし』が良い経験となり、同じ様な悩みを持たれた方への気持ちの寄り添いが出来る様に低い心でお道を通っていく努力を致します。また、これからは、難儀な時は、言うまでもなく、日々の生活の中にも十全のご守護を感じ、報恩感謝の気持ちを持ち、より多くの方にお話して、においがけをして参ります。修養科を終えて期大江橋分教会村川陽子年祭活動の1年目の中の、昨年の月から修養科に行かせていただきました。それまでは詰所の食堂でお皿洗いひのきしんなどをされている修養科生さんの姿を見て、いつかは私もと思っていました。おぢばにお引き寄せいただき、とても有り難いことに、教養掛の先生方、担任の先生方、同期、笠岡の仲間、と周りの方に恵まれ、あっという間に日々が過ぎていきました。沢山お世話になり、本当に有り難く感じ10ております。修養科前までは、十分に結構に過ごさせていただいていることに対し、頭では分かっているつもりでも、周りの人や環境のせいにしてしまうことが多く、感謝できない、どこか喜べない日々を送っていました。そんな日が続き、いつしか仕事、信仰、将来のことなどに対する漠然とする不安、葛藤、悩みが大きくなっていきました。そんな私は、神様にもたれきるということなんて到底できないと思っていました。ですが、このままではいけない、私にできることを探し、掴みたい、何か行動を起こさなければ思い、修養科に行かせていただくことになりました。そして、教理を学び、ひのきしんを皆でさせていただく中で、今までこんなにも有り難く元気に過ごさせていただいていたこと、今も変わりなくずっと親神様の大きな御守護と教祖のあたたかさに包まれていることを実感しました。全ては心次第、受け取り方次第だということが少ずつ分かり、気づけば以前より心から感謝し、喜べる様になり、本当に嬉しく思っています。毎日夕づとめのまなび後におさづけの取り次合いを、また、朝の神殿掃除の後に同じ組の方におさづけのお取り最初は全てのことが初めてで、場所次ぎをさせていただいていました。恥もわからないので、どこに行けばいいずかしながら、ここ数年間はおさづけのか、どんな事をするのかと戸惑うこを取り次がせていただく機会が少なとばかりでしたが、同じクラスの人がかったのですが、おさづけを取り次ぐ、声をかけてくれました。取り次いでいただく、添い願いをする、クラスの人達が色々な所で私に話しその中で様々なご守護を見せていただかけてくれたので、少しずつ私も自分き、改めておさづけの尊さを感じるから話ができるようになり、修養科生日々でした。活にも慣れていきました。これから、是非とも教祖に使ってい2ヶ月目になり、修養科生活にもだただきやすいようぼくとなれるよう、いぶ慣れてきた頃に、私はコロナウィ感謝とご恩報じの気持ちを忘れずに、ルスに感染しました。陽気に明るく過ごさせていただきたいまさか自分が病気になると思いもしと思います。てなかったので、最初は不思議な感じでした。修養科を終えて病気で休んでいた私に、教養の先生が毎日おさづけを取り次いでくれた991期神驛分教会渡邉響子り、クラスの人が心配して電話をくれ私は結婚を機に入信したので、何もたことで、人の優しさがこんなにもあわからない状態で3ヶ月間の修養科生りがたいことなんだと強く感じまし活が始まりました。た。修養科の学校が始まると、ひのきし3ヶ月目には私にとって1番大事なんや神殿掃除などの様々な説明を聞きおさづけ拝戴がありました。着物を着ました。るのが初めてだったので、最初はなかその中で、私は1ヶ月目に長期ひのなか慣れませんでしたが、拝戴後にはきしん、特別ひのきしん、神殿掃除の少し慣れました。道具運搬係にも当たりと色々なことをおさづけの取り次ぎも上手にできる経験しました。か不安でしたが、拝戴後にすぐ、クラかさおかスの先生に取り次ぐことができたので、初めてで少し緊張はしましたが、なんとかできました。修養科修了前に取次実修はありましたが、私はその前に2回取り次ぎをしていたので、実修の時には少し慣れた状態で臨むことができました。何も知らなかった私が、修養科に来たおかげで、今まで気にしてなかったことに気付けるようになり、相手に対する向き合い方なども変えることができるようになりました。修養科に来ていなければ、心の向きが変わることはなかったと思います。なので、今は修養科に行けて本当に良かったと思っています。5○立教187年(令和6年/2024年)5月21日第63巻第5号41413710802135末の弟のまなざし2▼ニュージャージー布教所の最初眞雄兄は昭和年9月大教会で青年勤め、9月日に大教会青年を拝命した。年東商事会社へ入社、渡米した。クイーンズへ家を借り、マンハッタン丁目の(?)店に地下鉄で通う毎日で、創業の苦労をしたのだと思う。昭和年教祖年祭参拝のため一時帰国した。独身では任された店の運営が難しい、布教への思いもあったのだろうと思う、誰か海外布教に思いを持つ若い人はいないか、当時海外部長だった岸本敏明兄との話が弾んだと思う。結婚は5月日、先号で述べた。年に天理大学英米学科卒業の村川文夫さんが仕事を手伝いながら布教するという話が出ていたように思う。実現しなかったけれど、その後のアメリカ布教3941の道はずいぶん変わったものとなって勤務で天理市の若木町に住んでいたいただろうと思う。が、休みを取らせて頂いた。3カ月ク昭和年、3代会長夫妻、武内清先イーンズの眞雄兄の布教所暮らしをさ生が神実様奉戴で道江姉を連れて渡せて頂いた。目的からいえば、順子だ米、これでニューヨークに笠岡の布教け行けばいいのであるが、初代の年祭拠点ができた。の偲び品とか、おむつとか、とにかく兄は帰って来た時、レコード数拾枚、いろんな持って行く物品があるという主にクラシックとフィッシャーのステ事もあって私も行く事となった。年祭レオアンプを持って帰った。それまで偲びの品は、備前の花瓶で、直径は私は父親の部屋にあった電蓄と言ってセンチほどある、それを豐明兄と眞雄たモノラルアンプでクラシックを聴い兄へと2つだった。私は当時道友社でていたので、全く耳が洗われるような天理時報の編集担当で、特に青年会、感じだった。兄はアメリカへ帰ったが、いこいの家を記者としてカバーしていアンプとレコードは置いていったのた。青年会はこの頃海外研修を盛んにで、私がその後ずっと管理して、道友実施して私は東南アジアインドま社に勤務していた時もひまがあれば、たハワイ大会などの取材で毎年のよう聴いていた。に海外に出ていた。インド研修取材の48次に兄に会ったのは、昭和年2月帰途には、いこいの家のラオス医療隊下旬、兄の次女・やすよが生まれるとの取材でラオス・バンクーンに3・4日き、入院出産と姉・道江さんが大変と滞在した。海外初めての順子にとっていう事で大教会長命で私と順子が手伝も私の随行(?)は心強かったと思う。い(?)に行く事となった。私は道友社この時の3カ月は、かさおか誌に「東30遊西録」として掲載した。この時兄は仕事に毎日出かけて、私達はほったらかしであったが、時々休みを取ってくれてマンハッタン、自由の女神、ジョーンズ・ビーチなど案内してくれた。順子と2人でワシントンへ列車で行ったのもニューヨークのセントラル駅まで送り迎えしてくれた。ヤンキースのホームグラウンド、また、ここが、とても危険な処と車で案内してもくれた。私は2週間くらいで地下鉄の利用の仕方が分かったので、しょっちゅうマンハッタンに出て行ってはグッゲンハイムメトロポリタン美術館を訪れ、またセントラルパークを散策した。当時地下鉄はとても危険だといわれていたけれど、そんな場面にでくわす事はなかった。(この項続く)兄を悼んでと見出しに書いたが、私の事も書いて申し分け無いと思う。多分、「かさおか」誌に寄稿するのはこの機会が最後でしょう。立教187年(令和6年/2024年)5月21日第63巻第5号6○四月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしするのを見て共に楽しみたいとの思召によりこの世と人間をお創造になられたばかりでなく約束の年限と共に魂のいんねんある教祖を月日のやしろとお定めになり世界たすけのこの道をおつけ下さいました更には教祖はお姿は見えませんが今尚たすけ一条の先頭に立ち陽気ぐらし実現へとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はそのご恩に報いるべく日々は朝夕に御礼申し上げたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますまた先日十八日には教祖御誕生祭にて教祖の二百二十六回目のお誕生日をお祝い申し上げ翌十九日には婦人会総会にて教祖百四十年祭に向かって道の台としての成人を誓い合わせて頂きましたその中にも今日の吉日はこれの笠岡大教会の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて四月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には春の陽気の中今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月二十四日は笠岡団笠岡むつみ鼓笛隊の合同練習四月一日には少年会笠岡団のおつとめまなび総会を開催致しました少年会活動を通してこの道につながる子供達に親の思い伝え共に成人の歩みを進めさせて頂くことができた事を嬉しく思いますまた七日には第五回目の「桜祭り」支援バザーをアフリカ孤児支援に加え能登半島復興支援を目的に開催し多くの方にご参加頂きました更にはこの二十九日には全教一斉ひのきしんデーが開催されますこれらの活動を通して陽気ぐらしへ向かっての歩みを一歩一歩着実に進めさせて頂く所存でございます何卒親神様には「世界いちれつをたすけたい」との親心を我が心として我が身思案を捨てたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますかさおか1871871873016大教会だより◎本部食堂ひのきしん自立教年4月日至立教年4月日海松ヶ岡藤原優人◎立教年直轄教会定期巡教(丸数字は当該月、他は5月)福山上原繁道髙屋上原志郎神邉田中隆之島根田中隆之久松田中隆之鶴山大教会長様弥髙山門脇元教陽備上原志郎摩耶大教会長様金浦⑧大教会長様興明ひろさと陶山芳井海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑岡﨑真一岡﨑真一武内正美大教会長様大教会長様中島誠治中島誠治上原繁道中島誠治岡﨑真一呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家葦陽湯田原門脇元教田中隆之上原志郎武内正美中島誠治上原繁道大教会長様岡﨑真一門脇元教上原志郎7○立教187年(令和6年/2024年)5月21日第63巻第5号かさおか立教百八十七年四月月次祭祭典役割表祭主大教会長様上原浩扈者森本忠善内海史郎賛者三代温生指図方上原繁道講話上原浩六月講話横山逸郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半中島誠治上原志郎田中隆之田林久嗣横山逸郎虫明立生中村義太郎上原繁次杉原善朗大教会長様谷内伸自門脇元教前会長様中村道德今川昌彦上原繁道森本忠善山野弘実大教会奥様武内正美門脇加津前奥様中村初美吉岡八恵田中ますみ室悦子田中つかさ岡﨑真一上原浩佐藤真孝佐藤道孝谷内秀自横山逸郎中村剛内海史郎三代温生岡﨑治喜岡﨑真一高木昭祥吉岡壽山田敏教岡﨑治喜赤木素志淺野明教岡田誠佐藤香苗谷内美知子内海安子今川佐智子三島照美山野なつ上原順子岡﨑豊子上原千枝子6321備中前会長様神昭前会長様美之郷前会長様錦備⑥上原繁道神免⑦田中隆之※お詫びと訂正本年4月日発行の『かさおか第巻第4号』4ページ掲載の「桜祭り支援バザー」の記事について、「開催部署・執筆者」がそれぞれ「会長室・会長室員」と記載されていましたが、「海外部・海外部長」の誤りでした。読者の皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともに、ここに訂正させて頂きます。風薫る5月、自然環境に恵まれた我が家の周りは、緑が心地よく映えると言うよりは、緑が迫ってくるようで怖いとさえ感じる今日この頃です。そんな中で、今年も押し寄せる雑草達との戦いが始まりました。これから先冬将軍が来るまで常に草刈り除草に追われるのです。先日も、庭にいつの間にか生えている雑草を見つけて「私家(うち)の庭に勝手に生えてくるとは不届きな奴だ!」とつぶやきながら引っこ抜いてやった。でもハタと考えた・・・「私家の庭」本当にそうか人間同士の間ではそうかも知れないが、この世の物は全て神様のものであった。山も川も田も畑も、それぞれの家が建つ土地も全て神様の体、私の身体もそうである。私も雑草も、神様のお働きを戴いて、今この場に命を与えて頂いているのである。そう言えば、昔私家の屋根には松が生えていた。それは私が中学生の頃まであって、葺き替え工事の折りに切られてしまったが、当時笠岡内では少々有名になっていたように思う。又ある教会では、竹が教職舎の畳を持ち上げたと聞く。松も竹も梅(縁起が良いので入れました)も、その場に命を与えられたのである。人間一人々もそうであろう。場所を選んで産まれる事は出来ない。そこに命を与えられたのである。この真実が広まる時、人間同士の争いも少なからず治まるであろう。でも、雑草達との戦いは続く。(は)かさおか立教187年(令和6年/2024年)5月21日第63巻第5号○8「ようぼく一斉活動日(第2回)」が6月1日(土)または2日(日)に、全国の会場で開催されます。開催日時・会場は、教区・支部ごとに下のリンクで予め調べ、お誘い合わせのうえ、奮ってご参加ください。ようぼく一斉活動日*会場一覧https://tenrikyo-regional.net/yoboku-katsudobi/
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『かさおか』第63巻 第4号

○1立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314照雲分教会昭和2年5月集談所新築昭和2年12月15日照雲宣教所設立昭和4年3月5日鎮座祭昭和15年10月27日移転立教187年4月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号2○鼓笛合同練習会開催笠岡団笠岡むつみ鼓笛隊は、3月日に、大教会で、鼓笛合同練習会を開催しました。コロナの影響から活動を停止している隊もありますが、この日は、本隊・福山隊・髙屋隊から合計人の参加者がありました。又、育成係としては、昔から笠岡むつみを支え続けてきた方々も終日参加してくださり、賑やかに有意義な合同練習会を開催する事が出来ました!54夏に向けたテーマソングの練習少年会24練習曲は昨年同様、今年のテーマソング「ありがとう、夏のおぢば」、又お楽しみ行事の様子振付けをしっかり確認お供演奏リハーサル28直属アワーで盛りあがる7022282722学生会・学担初級の子たちは「みずすまし」を習い、その練習した曲を、4月1日のおつとめまなび総会でお供え演奏として披露してもらいました。今年は鼓笛活動周年の節目にあたり、本部でも記念の集いなどが開かれます。「笠岡むつみ鼓笛隊」は、本部が鼓笛活動を打ち出した時から活動している歴史ある隊です。これからもこの歴史を更に新しく刻んでいける様に進めていきたいと思っています。(団長森本忠善)。春の学生おぢばがえりに学生名が参加3月日、「春の学生おぢばがえり」が実施され、笠岡学生会からは、学生人が参加した。前日の日は、班のメンバーとの交流を深めるグループタイムが中心となった。また、夕つとめ後には、東西泉水プール前広場で、前夜祭『春Fes』が開催され、ステージやゲームコーナーは、盛り上りを見せていた。翌、日の式典では、真柱様よりメッセージを頂き、学生たちは、真剣に3○立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号かさおか耳を傾けていた。その後実施された『直属アワー』では、同じ笠岡に繋がる学生が集まり、室内オリンピックなどを通して絆を深めた。おつとめまなび総会開催少年会笠岡団(森本忠善団長)は4月1日に本年度のおつとめまなび総会を開催しました。心配していました天候も好天のご守護を頂く中、少年会員少年会154快晴の下、式典へ笠岡学生会、最高です!10124278この2日間、学生たちは、教えに触れると共に、お道の仲間と心の交流を図り、有意義な春のひとときを過ごした。 (学担委員長上原繁次)人、育成会員人、総数人の参加を頂いて、にぎやかにつとめさせて頂きました。育成会長様(大教会長様)の御臨席を頂いて、午前時より座りづとめ・よろづよ八首、四下り目まで鳴り物を入れて参加者全員でつとめさせて頂きました。鼓笛お供演奏おつとめまなび後、総会式典では、育成会長様は、おつとめの大切さ、人のたすかりを願うおつとめをこれからもっとつとめてほしいとご挨拶を終えられました。そして、全員により「少年会の誓い」を力強く唱和した後、各教会の新隊長に新しくつくられた隊長バッチを団長より渡され、隊長規則『三つの約束』を率先し、隊員達を引っぱっていくことを約束されました。続いて「わかぎ門出式」が行われ、今春、中学を卒業した人の少年会員に記念品を贈呈、団長より少年会の卒10青年会ダンスチーム「OJI小町」業生としてこれからは、少年会員を導いていってほしい。そして、歳になったら別席を運んで、おさづけを取り次げるよふぼくになってほしいと、お祝の言葉を贈られました。最後に鼓笛隊のお供え演奏が行われ、隊員達が一生懸命に演奏演技する姿に感動を与えて頂き、会場からの大きな拍手が贈られました。昼食は、各ブロックより準備していただいた模擬店で射的・スーパーボールを楽しみながら、おいしくいただきました。17模擬店は賑わいを見せたかさおか立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号4○練習の成果を神様にご覧頂いたステージでは、青年会の『OJI小町(オジコマチ)』がダンスをしながら、会場を盛り上げて下さり、笠岡の新しいアイドルが誕生しました。続いて、少年会委員の紹介があり、その中で団長と藤井保人副団長による体を張ってのコーラ・ボトル一気飲みをしていただき、会場のみなさんを楽しませて下さいました。最後に待ちに待った恒例の抽選会が行われ、楽しいひとときを過ごしながら大いに盛り上がり喜びの中におつとめまなび総会を無事終えさせて頂く事ができました。今日の日を迎えるに当たり、それぞれの教会では、おつとめ練習又、模擬総立ちまなびでつとめた店等おつとめまなび総会開催に当たりお世話取り下さいました方々、お忙しい中ひのきしんして下さいました方々に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。(副団長淺野明教)大盛況だった第5回目の桜祭り支援バザー第5回目の桜祭り支援バザーが多くの方々のお力添えを頂き、晴天と満開の桜のご守護の中、4月7日に大教会会長室衣類食器子供ふろしき市が行われた講堂中庭で開催することが出来ました。今年は例年通りのアフリカ孤児支援に加え、能登半島支援を目的に開催されました。5回目を迎えたこのバザーは、今回約4百人の方がこの教会に足を運んでくださいました。協力してくださった人には感謝しかありません。開催するにはとても大きな力がいります。本当に開催するための準備が出来るのだろうか、スタッフは揃うのだろうか、人は当日来てくださるのだろうか、桜は?天気は?開催するには心配事も頭をよぎりますが、回を重ねていくと多くの支援活動に賛同してくだ賑やかだった模擬店バザー会場5○立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号かさおかさる方々が増えてくるのを心強く感じます。1つは近隣のお店を経営する人たちにポスターのお願いをすると、快く受けてくださり大きなポスターを貼ってくれました。2つ目は近所の人たちが天理教さんは本当にいいことをしているねえ、私達はしたいと思ってもどう活動していいのか分からない、すばらしいと思うと何人もの人たちが言ってくださる。3つ目は当日何かさせて頂きましょうと模擬店風景協力してくださるスタッフの方々、和太鼓チーム、マジック、アートバルーンと会場を賑やかにしてくださる人たちが居てくれること。また部内の教会の人たちが、笠岡大教会で唯一外に向かって活動している行事だからこれは続けた方がいいよ、と言ってくださる。そういった言葉が心の支えとなって単純な私達はまた来年への活力を生み出そうとしています。このバザーが関わってくださる方々の喜びの元となり、神様にお勇み頂く行事となることを念じ、これからも続けていきたいと思います。この度の収益金は目的通りアフリカ孤児支援並びに能登半島支援に使わせて頂きます。(会長室員上原志郎)13毎年大人気の花の苗の販売1030末の弟のまなざし去る1月日、大教会承事・上原眞雄先生(三代会長様8男)が出直され、翌月末の「連絡事項」で三代会長夫人・上原くにゑ様の年祭の日取が発表されたみぎり、かさおか編集掛では、上原繁道先生(同9男・末弟、前史料部長)に、おぼろげな追憶を頼りに筆に任せしたたて兄御たちのご事歴を認めていただき、「三代会長様時代に笠岡の目指したもの」を回顧することをもって『温故知新』の続編とする。▼眞雄兄の出直を悼んで思い出すままに田頭の教会、会長宅、段の階段を上がった処で眞雄兄と2人で泣いていた。郁雄兄と祥雄兄が喧嘩で殴り合いになり、やめてよと止めに入るわけにもいかず妙に悲しくなって、泣いていたように思う。私の小学校低学年の思い出。眞雄兄は西中学校に行っていたのかな、祥雄兄は誠之館高校だったんだろうと思う。眞雄兄を除いて皆誠之館に通っていた。眞雄兄は天理高校に行ったのであまり私はその後、会って話す機会はなかった。その後、天理大学に入って、ドイツ語を学んでいた。2年終わってスペイン語科に代わった。2年経って父親に呼ばれて、卒業後どうする?と尋ねられて、もう2年ありますと言ってずいぶんと叱られていたように記憶している。父親としては、授業料の事もあるし、何の相談もなく学科を代わっていたので、今の言葉で言えば、頭にきたんだろうと思う。学生時代、福山部内の教会の娘さんかさおか立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号6○が、天理の会長宅に住み込みで女子青年勤めをしていた。兄は仲良くなって、父親に結婚したいと言ったのかどうか、学生の身で何を言うかと言う事だったのか、しばらくの間、ずいぶん荒れていたように思う。炊事を担当して下さっていた田辺さんという方から聞きました。私は高校に行くのに、福山の広大附属にするか、天理高校にするか、兄は天理高校も難しいぞ、と言ってくれたように思う。私は附属中学校を受験してくじ引きで入れなかったので、リベンジの思いがあったので、附属を受験して、何とか入れた。もし天理高校に行っていたら、兄ともいろいろ話せたのかなと思う。兄はこの頃から、アマチュア無線に夢中で自分で短波帯の受信機を作って2級の無線技士の資格を取って楽しんでいたように思う。東京大学理Ⅰを卒えた祥雄兄は、この頃一足先に1級無線技士を取っていた。ちなみに祥雄はJA1AUZ、澄雄はJA1DOQ、眞雄はJA3BOK、私はJR4OUH。祥雄兄は在学中、砂川闘争に参加して、父親が警察署まで身柄の貰い受けに行った。ために卒業後、数年スバルの会社(富士重工)に就職し、その後防衛省に技官として入省ので最初の頃は、毎日にをいがけに歩した。くことがしんどく感じ、出発前のお願眞雄兄が渡米したのは、豐明兄の友いづとめでは「なんとか今日も1日乗人が東(あずま)商事会社をニューヨーり越えさせて頂きますように!怒ら36!!クに設立、1ドルショップを開くといれませんように」とお願いして、嫌々う事からであった。昭和年頃だった自転車に乗って布教先へ向かっていまと思う。渡米にあたって結婚して行っした。たほうがよいという事で急遽、加藤勇しかし、いざ布教が始まると、近所先生の長女・道江さんと縁談相整い、に響き渡るような声で怒鳴られ、謝り結婚式は大教会で挙行だった。宴席後、ながら逃げるように走ってその場を住吉港から屋形船で仙酔島へ行ったよ去ったり、また訪問して怒られた家にうに思う。新郎は酒に弱く、宴席で沈間違えてもう1回インターホンを押し没してしまった。ちなみに私の兄弟9てしまい、鬼のような形相で塩を投げ人ですが、奇数は割合酒に強く、偶数られたりと様々なお仕込みを頂き、「神はどうもという感じらしい。様僕のお願いを聞いていましたか?(この項続く)僕は褒められて伸びたいので、もうちょっと優しくしてくれ」と神様にお談話室願いしては、次の日にまた怒られるというような日が続きました。しかし嫌々でも続けていると、教祖布教寮を卒寮してに対してなんともいえない感謝の気持ちが湧いてきたり、「こんな私ですが、「変わらずにつとめること」どうか神様の御用に、おたすけに使って下さい」という思いにならせて頂け福冨士分教会藤井成人ました。昨年、布教の家岡山寮生として1年また、一軒一軒頭を下げること、人通らして頂きました。に笑われたり、時には怒鳴られたりと布教のみをする生活は初めてでしたいうことを続けるお陰で、自分の高い心を少しずつ低く低くして下さっている。低くならせて頂いたお陰でおたすけ先をお与え頂き、その方のお世話取りをさせて頂くことで、私のいんねんを少しずつ減らして下さる、「人をたすけて我が身たすかる」という理の流れを身をもって感じさせて頂きました。ピンポンを押して頭を下げているだけで、こんなに心を低くさせてもらえて、こんなに有難いと思えるなんて、本当ににをいがけはすごいなあと思います。他にも、にをいがけに歩くよりもダラダラすることが好きな私が、こうして布教に歩く環境を与えて頂いている、布教に歩かせてもらいたいと思えているのは何でなのか?と考えたときに、自分の頑張りよりもまず、親々が伏せ込み続けてくれているお陰で私の心に神様が働いて下さり、布教に歩くことができたのだと強く感じました。このように沢山の気付きを与えて頂きましたが、恥ずかしく申し訳ないことに、続けて頑張るということができず、布教の家の期間中でも自分に負けて、にをいがけや、おたすけに行かな7○立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号かさおかいという日がありました。少し頑張ったつもりで通っていてもお与え頂かなかったら、すねて、やめるというような情けない期間もありました。しかし、最後の最後に自分なりに一生懸命心を定めて通らせてもらうと、不思議なお出会いで初席の方をお与え頂きました。このことから、神様が私に一番仕込みたかったのは「変わらずにつとめること」だと感じさせてもらいました。私の場合ですが、気持ちを入れてにをいがけに取り組むと、通い先との関係が悪くなったり、おぢばがえりが決まっていた人に断られたりと、必ず喜べないことを見せて頂いていました。しかし、力を入れて取り組むからこそ、神様もこちらを成人させてやろうと力を入れて見せて下さる。そこで続けさせてもらうからこそ、お与え頂けるということを気が付かせて頂きました。本当にたくさんお仕込み頂き、有難い1年だったと思っています。自分の課題である「続けること」、「諦めないこと」を胸に刻み、これからも布教に歩かせて頂きたいと思います。大教会だより=教会指令=◎神殿建築願木津和分教会☆鎮座祭立教年6月7日☆奉告祭立教年6月8日立教年3月日承認◎第九九一期修養科自立教年1月9日至立教年3月日*教養掛(○主主任、○副副主任)一ヶ月目○主佐藤真孝(大教会准役員・芳井分教会長)○副掛谷善成(福南分教会長)二ヶ月目○主岡﨑治喜(大教会准役員・弥髙山分教会長)○副丸山正人(木津和分教会長)三ヶ月目○主横山逸郎(大教会役員・東城分教会長)○副本多正悟18718727187188188261871871872726101871871917*修了者神驛(西伯分教会長)渡邉響子◎教人資格講習会修了者立教年4月日終講海松ヶ岡森本善修◎春の学生おぢばがえり詰所受入ひのきしん自立教年3月日至立教年3月日東ブロック吸江西村健吸江西村由理子西ブロック葦沼三島順敎福山ブロック福山藤井靖子福勇酒井實福勇酒井洋子髙屋ブロック坪生阿部通子島根ブロック照雲雜賀元生上府ブロック府中市坂井幸生11872895◎教祖誕生祭・婦人会総会詰所受入ひのきしん自立教年4月日至立教年4月日大江橋村川久美子大江橋村川清治大江橋村川明大江橋村川かな江大江橋三宅友子甲井山田敏教甲井山田信子甲井山田英嗣訃報竹本久子さん福芦分教会三代会長夫人3月日出直されました。享年才中村幸子さん大教会おつとめ奉仕人元油木分教会長夫人4月日出直されました。享年才かさおか立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号8○三月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には一列人間の陽気ぐらしを楽しみに御守護お導きを賜り日々は結構にお連れ通り下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は目に映る草花の姿に春の訪れを感じつつ朝夕に御礼申し上げご恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの教会の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心とたすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年祭活動二年目の今年この二月三月に部内教会への巡教を無事つとめさせて頂きましたそれぞれ掲げた目標に向かって教祖にご安心頂けるよう精一杯歩ませて頂きますまた年度替わりに当たりおぢばでは春の学生おぢばがえりが開催され笠岡では鼓笛合同練習少年会おつとめまなび総会を開催致しますこの道につながる子供達に親の思いを伝え共に成人の道を歩ませて頂く所存でございます何卒親神様には親を信じ親に凭れてたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ぐらしへと一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます春季霊祭祭文これの笠岡大教会の祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共に道の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊諸々の神霊また新たにお鎮まり下さいました上原眞雄大人武内清明大人藤井貞女刀自三嶋正教大人三代幸大人森川美雪刀自本多一男大人岡﨑政雄大人諸々の神霊の前に会長上原明勇慎んで申し上げます祖霊様方には親神様の世界いちれつたすけたいとの思召から夫々のいんねんを見定められてこの道に引き寄せられ陽気ぐらし世界建設の用材として息の限りにたすけ一条の御用の上に勤め切られました今日のお道が結構な姿をお見せ頂いておりますのは親神様教祖のご守護お導きの賜物である事は申すまでもありませんがまた一つには祖霊様方の真実の伏せ込みの賜物と日々は朝夕にお礼申し上げると共に祖霊様方にもお喜び頂きたいと届かぬながらもたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも本日は春の霊祭を執り行う定めの日柄でございますので御前に心づくしの種々の物を供えて只今はおつとめ奉仕人一同親神様の御前にててをどりをつとめさせていただきました続いて祖霊様方の御前に座を移し在りし日を偲び御遺徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下さいまして祖霊様方にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年は教祖百四十年祭に向かう三年千日と仕切っての年祭活動二年目の年として一月には直轄教会への大祭参拝二月三月には部内教会への巡教を行い大教会の方針と目標またそれぞれの教会毎に定めた目標と実践項目を基に成人の歩みを進める事を申し合わせて頂きました何卒祖霊様方にはたすけの旬成人の旬と聞かせて頂くこの時に一生懸命に成人の道を歩む皆の真実の状をご覧下さいまして御心安らかにお見守り下さりお力添えを下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます9○立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号かさおか立教百八十七年三月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者虫明立生高木昭祥賛者谷内秀自指図方上原志郎講話中島誠治五月講話少年会育成講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半谷内伸自佐藤道孝岡﨑真一中村道德森本忠善山野弘実谷内秀自淺野明教渡邉隆夫大教会長様中島誠治田中隆之前会長様吉岡誠一郎上原浩上原繁道横山逸郎虫明立生大教会奥様武内正美門脇加津前奥様横山小智榮田中つかさ田中ますみ吉岡八恵上原千枝子今川昌彦杉原善朗岡﨑治喜山田敏教岡﨑真一田林久嗣吉岡壽赤木素志高木昭祥門脇元教上原繁次岡田誠中村剛内海史郎中村道德中村義太郎三代温生上原志郎佐藤香苗内海安子岡﨑豊子上原順子谷内美知子中村初美今川佐智子三島照美高木孝子立教百八十七年春季霊祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者横山逸郎渡邉隆夫賛者杉原善朗指図方門脇元教区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半前会長様山野弘実上原浩仙田公男岡﨑治喜中村剛史大教会長様高木昭祥田中隆之渡邉泰造上原志郎髙田一弘大教会奥様武内正美前奥様室悦子門脇加津山野なつ上原繁次藤井正仁淺野明教谷本章中島誠治矢田哲一中村道德藤本芳久田林久嗣福島大介吉岡誠一郎佐藤哲岡﨑豊子谷内美知子吉岡八恵上原千枝子横山小智榮田中つかさ詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。かさおか立教187年(令和6年/2024年)4月21日第63巻第4号10○1301401010560「ようぼく一斉活動日(第2回)」が6月1日(土)または2日(日)に、全国の会場で開催されます。開催日時・会場は、教区・支部ごとに下のリンクで予め調べ、お誘い合わせのうえ、奮ってご参加ください。ようぼく一斉活動日*会場一覧https://tenrikyo-regional.net/yoboku-katsudobi/1830教祖年祭まで残すところ日余りとなりましたが、未だ年程前の教祖年祭に向けての三年千日活動の旬を忘れることが出来ません。私には2つ違いの弟がいます。折しも年祭活動1年目の月、体調を崩し診察したところ癌と診断されステージ4と告知されました。肺とリンパにあったとのことでした。年も明け、何でもご守護頂きたいと本人、家族はもとより、教会につながる方々にもこの旨を説明、またお願いして4月日の教祖誕生祭にバス団体を計画し参拝させて頂きました。以後7年間、団体を無事続けることが出来ました。しかし新型コロナウイルスの感染が世界中に駆け巡る中、バス団体は移動自粛要請の3年間はやむなく中止しました。弟の病状は検査の数値的には良くなったり、悪くなったりの繰り返しですが、勇んで教会の上にまた仕事も頑張ってくれています。思い返せば、私が代で結婚前のことですが、当時勤務していた会社での検診の結果、尿に血が混っているとのことでした。夕方、教会に帰り恐る恐る会長(父)に検査結果を言うとただ一言「これからおぢばへ行こう。ご守護を頂こう」でした。「えっ!これから」と驚きをもったことが、今でも頭の中に残っています。教会長になって思うことは「後からではなく、今すぐ、とに角、おぢばに足を運ぶ」ということです。25それを心に留めて、年が経ちました。(しかしながら物忘れがひどくなったなー)と感じるこの頃です(と)
かさおか

『かさおか』第63巻 第3号

○1立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314伯仙分教会大正14年3月23日石洲宣教所設立昭和10年12月3日移転復興(改称)昭和35年9月15日神殿建築及附属建物増築昭和36年5月8日鎮座祭昭和36年5月9日奉告祭立教187年3月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号2○2020おたすけ推進の集い開催1・年頭会議後大教会(年祭準備委員会)は1月日、年頭会議に引き続き「おたすけ推進の集い」を開催。このおたすけ推進の集いは、御本部からのお打ち出しに沿い、教会長、その配偶者、布教所長が、日々のにをいがけ・おたすけの更なる充実を目指し、道に繋がる用木・信者の先頭に立ち、陽気ぐらしへのたすけ一条の道を歩ませて頂ける様、開催して下さいました。プログラム・感話の内容は以下の通りです。▼プログラム①内統領先生のメッセージビデオ視聴②日々おたすけに励まれる方々の感話「日々のにをいがけ」明石市分教会会長夫人杉原恵子さん「積極的なおたすけ」福冨士分教会会長藤井正仁さん「ぢばの理を戴く」25090021712大惠山分教会会長瀬藤友昭さん③本部作成のビデオ視聴④少人数での練り合い▼日々のにをいがけ明石市分教会会長夫人杉原恵子さん教会の年祭活動目標は、①「今日も陽気に、いそいそと。」と②「地域のなくてはならない教会を目指そう。」の2つ。②の地域活動を始めたきっかけは、て、元気に一日を過ごして欲しいと週年祭活動前、コロナ禍で地域の子育て1回の朝食を。そして金曜夕方のこど広場が閉鎖している頃、教会に遊びにも食堂がママには助かる、と聞いて月来た事があるママ友から「杉原さんの1回の夕食弁当を始めた。ところで子育て広場をしてほしい。」また幼稚園のPTA会長になり、「うと言われたこと。そこで感染対策をしわ、忙しいやろな、最悪。」と思ったて、「全国おもちゃの図書館連絡会」が、活動を紹介する機会が増え、地域に加入して、おもちゃ図書館を始めた。の広報紙に紹介されたり、小学生が町その後に受講した「教会長夫妻特別の社会見学で来たり、と地域の方から講習会」で聞いた「地域の人に教会に教会に来て下さるようになって、1年来て頂けるように、教会の敷居を下げでおもちゃ図書館は人が利用、こどよう」というお話に、明石市分教会だも食堂は約食の提供が出来た。あるからこそ出来るこども食堂をやる事に先生から言われた「にをいがけして教決めた。教会は通学路に面し、毎日会に一人お連れすることは大変な事人のこどもが通ることや、朝食を摂らや。地域の事やってたら、むこうからない子や行き渋りの子の増加を聞い教会に来てくれはる。」の言葉通りに「日々のにをいがけ」杉原恵子さんなり、どんな事でも一生懸命にさせてもらおう、と感じている。こども食堂に来てくれる1人のママは毎回たくさんの子を誘ってくれる。話を聞くと小さいころに教会に泊まったことがあるので、教会に悪い印象がない、という。前会長夫妻が昔こども会の世話をしていた種がこの形で返ってきたのだと感謝している。食堂を利用の中には事情を抱えた方もいて対応に困り果ててしまうこともある。でもこの方も、教祖にとってはかわいい我が子、私達夫婦へのかしものかりもの、と日々のおつとめでたすかりを願っている。この1年を振り返ってみると、その時々に教祖が必要な人と会わせて下さったおかげで順調に開催でき、感謝の気持ちと、この活動に間違いはなかったと感じている。今後も地域のニーズは何か、教会として出来ることはないか、とアンテナを張って活動を続けたい。▼積極的なおたすけ福冨士分教会会長藤井正仁さん年祭活動直前の月、息子の彼女が3○立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号かさおか本部月次祭に参拝してくれ、とてもありがたく思った。福山分教会の餅つきにも参加してくれ、熱心な信仰をしてくれるのでは、と期待していると、その娘をきっかけに家族がコロナにかか16り、日まで休んで過ごす事となった。その間、いろんな夢を見た。夢占いの「運気が上がっている」との診断結果に首をかしげている頃、おたすけ先の出直しが相次いだ。「藤井さん、よろしくお願いします。」の遺書もあった。そうかと思えば、統合失調症の人が修養科を志願するなど、次から次へと事人間は安心があるから生きていけ情が起こった。る。安心の元は信頼関係と思うが、こ布教寮生の息子から「ホームレスのの2人はそこが欠落しているように思人を預かってほしい」と頼まれ、引きう。受けた。話を聞くと、小さい頃から暴年程前のある男の子のおたすけは力で育てられ、早くに両親を亡くし、思い出に残った。親戚をたらい回しにされ、暴力団に身彼の父は早くに出直し、母は父の弟を置くことになったとのこと。世話をと再婚した。思春期にその事実を知っするうちにいなくなった。た彼は、義父の愛情が自分と兄弟で違次におたすけさせていただいた人うと感じ、非行に走りシンナーを吸っは、教会でお世話になったことがあるた。成人して働くが、そのうち行かな人らしく、月次祭の手伝いもよくしてくなり引き込もりに。酒に溺れ家が荒くれ、よく働く人だった。生活保護・れてきた頃、義父が彼に手をあげるよ通帳・年金と手続きの世話をしたが、うになった。入金の日に姿を消され、借金を背負うそれから年程は家で住めなくなっことになった。たが、その間にある時母の目付きが変101501519910020「積極的なおたすけ」藤井正仁さん10101518415わった。あとから知ったが毎月万円目指す姿をそれぞれで定めて、実現でを彼のためにお供えしていたという。きるように歩んでいこう。(中略)年どれくらい続けたか定かではないが、後になっていたい姿を考えていただいそのうち義父が彼を引き受けてくれ家て、実現できるように、年間をしっに戻ったものの、働かないし酒は飲む。かり歩ませていただくことが大事だとそこに彼を支え続けた母が脳梗塞に思います。」(みちのともR・5月号なってしまう。困ったことになったが、掲載)義父は母の世話から家事全般をそしてこのお話が年程前、校長になって彼の世話をするようになった。彼は安の不安をたすけてくれた恩師の話、「学定して働くようになり、母を献身的に校でも企業でも一隻の船のようなも世話し、自分を大事にしてくれる義父の。船長は次の港を目指して舵を取り、の姿に、義父の事を「親父」から「父次の船長にバトンを渡す。船員の協力ちゃん」と呼ぶようになり、「父ちゃは不可欠。大切な事は航海の最終目的んすごい!」と言うようになった。影地はどこか、船員全員で共有するこで母が尽くした事が理を吹いた。家族と。」につながった。団欒のご守護だった。②諭達ご発布の秋季大祭、当日8時私の仕事は何でも屋みたいなもの。に孫が生まれた。印象に残ったのは「そ自分の出来る親切で繋がり、信頼をつの信仰を受け継ぎ、親から子、子からくって、次の人間関係を構築していく、孫へと引き継いでいく一歩一歩の積みこの私のスタイルを続けていきたい。重ねが、末代へと続く道となるのである。」▼ぢばの理を戴く①・②の事から私達の目的、陽気ぐ大惠山分教会会長らし世界の実現に向かって教会が目指瀬藤友昭さんす姿を、年祭の活動目標と1年目の実教会の年祭活動目標を決める参考に践項目に定めた。したのは2つ。目標は、「大恵山分教会設立周年①表統領先生のお話、「年後の教記念祭(立教年)を目指して、理づく祖年祭、ここに目標を据えて、そのり・土台三年千日を歩む」「ぢばの理を戴く」瀬藤友昭さん100立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号4○21100100周年記念祭までに用木人以上年祭活動期間に5人以上1年目の実践項目は、「①年間人以上のおぢばがえり、②顔を見て名前を呼んで挨拶する、お礼を伝える」。会長を拝命してから多くの信者さんが出直したが、周年を賑やかにしたい。そして用木信者みんなで力を合わせて出来る事、一人でも多くの人を、という思いで別席者を連れて「人以上のおぢばがえり」と定めた。1年やってみてうれしかった事は、20100100「人以上のおぢばがえり」を達成できた。信者さんが我が事として動いて下さり、髙屋の別席ひのきしん団参にマイクロバスを貸し切り人で参加。こどもおぢばがえりには、息子夫婦が作ったチラシを配り、未信家庭から申し込みがあった。願書ほか手続きをしたものの、6年程経過していた人が、団参とこどもおぢばがえりで初席を運べた。最もありがたいのは、若い用木A君。突然会社を辞め、1年以上引きこもっ21てしまった。信仰熱心だった祖父の出直しをきっかっけに修養科を志願して、元気を取り戻し、「今の自分があるのは祖父の信仰のおかげです。」と言ってくれた事。改めておぢばの理はありがたいと実感した。学生担当委員会学生層育成者講習会員を対象に、『グループタイムのポイント』と題して、懇談会が実施さ開催れ、活発な意見交換が行われた。(講話内容は次の通り)2月日、学生担当委員会(上原繁次委員長)は、「学生層育成者講習若者の育成というのは、青年会や婦会」を開催し、本部学生担当委員会人会、学担や少年会といった決まったより、西川寿一委員の出向があった。人だけが携わり、行事に参加すればよ西川委員は、自身のエピソードをいといった単純な事ではありません。交えて、学生層の特性、育成の有り色々な場面で、様々な人が言葉や心をがたさ、会活動の進め方などについかける事によって、お道の人の温かさて講話を行った。参加者は、ひながや、信仰のありがたさがじわじわと、たを求める講師のお話に、熱心に聞若者に伝わります。若者の育成は、同き入っていた。じ人が何度も同じ事を言うよりも、また、午後からは、笠岡の学担委色々な人の言葉や考え方が必要で、家族や教会はもちろん、お道全体で取り組んでいかなければいけない事です。若者と言われる、高校生や大学生の頃は、多感な時期で、自我が芽生え、自分のしたい事もだんだんと出てきます。理屈をこねて物事を斜めから見たり、反抗的に見たりする面もあるかと思えば、逆にとても素直な面も持ち合わせていて、この時期の出会いや出来事が、後々の人生に大きな影響を与えるという事もたくさんあります。そんな若者は、周りから、「もう子供じゃないんだからちゃんとしなさい」と言われる反面、「まだ子供なんだからそんな事はしなくてよい」と言われたりもします。心と体も子供から大人に成長するはざまで揺れ動いており、不安定で色々な事に悩んだりする危なっかしい時期でもあります。しかし、そんな若者が持っている大きな徳分があります。それは字のごとく〝若さ〟です。若いという事は多くの可能性と希望があり、未来に向かって無限の可能性が広がっています。そんな素晴らしい徳分ですが、それと同時に、年齢や学年を重ねるにつれて、自分の進路や道を決めなければならず、それは、自分の持っている無限の可能性を削っていくという作業になります。この自分の可能性を諦めて削るという作業は、心にかさおか5○立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号かさおかとって大きな負担になります。この時期に自分の進路や人生を選択します。その選択の時に、おつとめやひのきしんという信仰的な時間、教会やお道の行事という信仰的な空間、そして、青年会や女子青年、学生会の仲間といった信仰的な繋がりが、必要なものとして残るのか、不要なものとして削られてしまうのか。この時期は、信仰が伝わるかどうかの、人生の大きな分かれ道だと思います。この時までに、若者たちの心の中に、身近な大人の魅力的な信仰者としての姿や、信仰する意味や喜びがなければ、どんどんと信仰から離れていくように思います。学生の育成について体験談を交えた講話時期というのは、私たち大人の努力や工夫次第で、時間や労力を割いてもらえる最後のチャンスと言っても過言ではないと思います。しかし、その学生や若者の育成を、教会や、教会長の丹精、それぞれの家庭でするとなると、簡単な事ではないと思います。そんな中で、学生会という活動は、同じ立場や年代である学生が、互いに楽しく信仰と向き合って、お道の教えを自然と好きになれる素晴らしい場所です。私が一緒に学生会をしていた仲間の中にも、学生会で自分の居場所を見つけることができたり、引きこもりがちだった子が、学生会で自分の良い所に気付けて外に出れるようになったりと、学校やバイトの友達とは違う、家族にも言えない事を正直に言い合えるお道の仲間と、どんな事でも受け入れてくれる学生会の雰囲気に心を救われ、大きく人生を変えてもらったという人がたくさんいます。▼学生会に出会う前にぎわいまち私が会長を勤める賑町分教会は、堺市の中心部から少し離れた住宅街にあって、三軒長屋の一角のとても小さな教会です。今年で教会設立年にな77りますが、教会の建物自体は築年以上経っており、雨漏りがしたり、壁に隙間があったりと、建物のあちらこちらが傷んでおります。神殿は2階にあって、元々は4畳半と6畳の2部屋だったのを、無理矢理一つの部屋にして、6畳の部屋の半分の3畳を上段にして、残りの3畳と横の4畳半が参拝場という感じです。年前に結婚をきっかけに自教会に帰りましたが、その頃は月次祭に来てくれる信者さんは、片手で数えるぐらいしかいませんでした。次に、私の両親はどんな人かと言うと、母はとても信仰熱心で、性格はまさに「大阪のおばちゃん」といった人物です。私が小学校高学年ぐらいの時に、あまりにもお腹がすいたので、「お母さんお腹すいたわあ」と言うと母は「お腹がすいても食べるもんないんやからしゃあないやろ。我慢しなさい。それでも我慢できへんのやったら公園に生えてる草でも食べてきぃ」と言う感じの気合の入った母です。父は、教会長でしたが、私が中学生になった頃から、アルコール依存症が進み、毎日のように家族とトラブルを起こしていました。また、その事をきっかけに、姉が精神的に不安定になり、12100一方的に私との関係も悪化させ、家族関係は、ボロボロの状態でした。私は、幼い頃より母から教会を継ぐようにと言われ続けていたので、このようなひどい状態がずっと続くのかと、何の希望も持てない日々を過ごしていました。私は中学校卒業後、当時の親里高校に入学し、寮生活をする事になりました。おぢばの友達は、皆、信仰家庭の子ばかりでしたので、天理教に対するコンプレックスを感じる事も無く、家にいる時よりもリラックスした生活を送る事ができました。そんな同級生とたわいもない話をしていると、自分と同じように両親と仲が良くない友達もいました。中には、「それでも親が死んだら悲しいもんやで」となだめてくれる友達もおり、自分も父親の事を嫌っているけれども、それは思春期の若者にとっては何も特別な事ではなく、自分もみんなと同じように、さすがに親が死んだら悲しいと思うんだろうなと安心したりもしました。おぢばでの生活を、それなりに楽しく過ごしていた高校2年生の夏休みに、研修で1か月間アメリカに行く事になりました。その期間中に、日本から電話があかさおか立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号6○り、母の口から父が出直したという事を告げられました。その時の私の心境は、急な事で驚きはあったけれども、悲しい気持ちはありませんでした。自分は何て冷たい人間なんだと、ついに自分自身にも絶望し、心底自分の事が嫌いになりました。▼学生会との出会い大学進学を前にした春休み教会に帰ると、先輩や支部の学生会の人が、春の学生おぢばがえりに向けて、直接会いに来たり、何度も電話で声をかけてくれました。しかし、私は、自動車教習に通うという理由をつけて、全てのお誘いを断っていました。教習は順調に進み、仮免許の試験の日を迎えました。しかし、坂道発進で上り坂で車を停める時に、上げたはずのサイドブレーキがなぜか効いておらず、少し後ろに下がってしまい、不合格となりました。その後の再試験は、1週間後という事でした。何と突然できた次の試験までの空白の1週間の中に、ちょうど春学の期間が入っていたのでした。そして、そんなタイミングで、支部の学生会の女の子から、春学のお誘いの電話があり、私は春学に参加することになりました。その後、学生会の行事に何回か参加するうちに、学生会という場は、そんな軽い場ではないなと思うようになりました。自分と同じ大学生や、自分よりも年下の高校生が、とても楽しそうに信仰していました。やらされるのではなく自分から教えを求め、荒削りながらも必死に教えを実行したり、勉強したりと、人のために一生懸命になっている姿が本当にキラキラしていて、何の希望も持っていなかった私には、とてもまぶしく映りました。そして、いつの間にか、自然と仲間と笑い合ったり、誰かに喜んでもらうために努力したり、身上の友達の助かりを願って、真剣に一人でおつとめをしている自分がいました。自分の乾いた心が少しずつ潤っていくのを自分でも感じました。私は、学生会のおかげで、自分が進まなければいけないこのお道は、真っ暗で何も見えないのではなく、目がくらむほどに明るく輝いていて、素晴らしい道なんだと気づかせてもらいました。それからは一転して、もっと色んな人にこの素晴らしい教えを知ってもらいたい。そのために自分がもっとこの教えを知り、深く心に治めたい。20196196そして、こんな自分でいいのなら、教会を継がせてもらって、一生かけて自分の心を教祖の御心に近づかせてもらいたいと思うようになりました。この歳の時が、人を助ける心になりたい、と自ら進んでこの教えを信仰しようと思った、本当の意味での信仰の元一日です。その背景には親々の伏せ込みはもちろんですが、紛れもなく学生会の仲間や学担の先生に親心をかけて下さったおかげだと思っています。▼育成のありがたさ「最近の若者は何を考えてるか良くわからない」という声を耳にしたり、自分も言ったり思ったりしていないでしょうか。私もよく思います。今の若い子達は、物心付いた頃からパソコンやインターネットがあり、スマホを使うのが当たり前で、社会の変化もどんどん早くなっているのも確かです。しかし、それは今の時代に限った事ではありません。なぜなら、今から2千年以上前の、プラトンというギリシャの哲学者が次のように言っています「。最近の若者は、目上の者を尊敬せず、親に反抗、法律は無視、妄想にふけって道徳心のかけらもない、このままではどうなるんだ」と、当時の若者の事をなげいています。そして、日本でも千年前の平安時代に書かれた「枕草子」で清少納言も次のように記しています。「最近の若者は、非常に言葉が乱れており嘆かわしい。何から何まで省略したような言葉を使って、とてもみっともない」。若い子の考え方や言葉が、理解できないというこの感覚は、何千年も前から繰り返しています。では、私たちは何を頼りに若者に向き合えばよいのでしょうか。それは、教祖のひながたという道しるべ、生き方のお手本です。教祖は若者の育成に対して何と教えて下さっているか。まず、逸話篇「子供の成人」を挙げます。「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。親の教が、隅々まで届いたなら、子供の成人が分かるであろ。」と、繰り返し繰り返し、聞かして下された。お蔭によって、分からん人も分かり、救からん人も救かり、難儀する人も難儀せぬようの道を、おつけ下されたのである。(篇)「最近の若い者は」と、分からない7○立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号かさおか子どもが悪いと思うのではなく、伝えようとするこちらの思いを、届かせる事ができていないと仰っています。これは、本当にありがたい言葉だと思います。塾や習い事なら、その関係は、お金を払ってでも勉強やスポーツ、また、何かの技術を身に付けたいと思っている生徒と先生という関係です。しかし、お道の育成の現場はちょっと違うと思います。なぜなら、育成される側の学生や若者は、育成されたいと思ってない場合がほとんどだと思います。つまり、そこに存在するのは、信仰の素晴らしさを伝えたい、親神様の親心を伝えたいという心を持った、育成する側しか存在しないという事です。そう思って先ほどの逸話篇を見てみると、分からない子どもが分からないという事は当然であり、そこに目を向けるのではなく、教えを伝えたいという思いを持ったこちら側が、ひたすらその教えを届ける努力をする事が大切だと教えて下さっています。だから、相手を責める必要もなく、結果を焦る必要もなく、伝わらない事に不足する必要もありません。ただただ、届ける側が届ける努力をしてやってくれと仰って下さっています。お道の育成は本当にありがたい、親心いっぱいだと思います。次に、おさしづにも若者の育成についてのお言葉があります。郡山初代会長・平野楢蔵先生の奥様、平野トラさんの身上に対するおさしづです。若い者寄り来る処厄介、世界から見れば厄介。なれど道から厄介ではない。道から十分大切。・・・年の行かん者我子より大切、そうしたなら、世界からどういう大きい事に成るやら知らん。すれば、そんだら何が間違うてある。日々という、言葉一つという、これ聞き分けてくれるよう。(明・6・)親神様も若い者は厄介だろうと仰っておられます。厄介だと思うのを分かった上で、そんな厄介な若者を、我が子よりも大切に思って育ててくれ、そうしたらどれだけ道の上に大きい働きをするようになるか分からないと仰って下さっています。そして、若者には、言葉一つが大切、どんな言葉をかけるかで、お道が好きという心にもなるし、その逆もあり得ると読みとる事ができます。教会や会活動における若者の育成は、人の子も我が子のように思って心と優しい言葉をかける事が2619大切です。このおさしづは、育成の大切さを伝えるのによく引用されるおさしづですが、今回は折角ですので、このおさしづをもう少しだけ掘り下げたいと思います。実は、平野トラさんには、実の子供はありませんでした。そのトラさんに対して親神様は、教会に来る若者を自分の子ども以上に大切にしてくれと仰ったのです。トラさんは自分の子どもが授かる事を願ってやまなかったと思います。我が子が授かれば、こんな事もしてやろう、自分が母になればこんな言葉をかけてやろうこんな心をかけてやろうと、色々と夢描いたと思います。そんな思い描いた我が子よりも、教会にやってくる他人の若者を大切に育ててくれと仰ったのです。▼会活動を進める上で大切なことどれだけ楽しく魅力的な行事や集まりを企画しても、そこに人が来てくれないと始まりません。私は先にもお話した通り、学生会で運命をたすけてもらいました。そのきっかけ、始まりは声掛けです。つまり、私を誘ってくれた人がいるという事です。今の時代、インターネットやSNSなど自分で情報を手に入れて学生会に参加したという人も、いるかもしれませんが、基本的には、誰かに声をかけてもらって、誰かに誘われて参加したという人がほとんどだと思います。この声を掛けるという行為がなければ、行事や会活動に、また教会にも足を運んでくれる人が増えるという事はないと思います。しかも、ただの声掛けではなく、心からこの行事に参加してもらいたい、あなたに来てほしいという、思いのこもった真実の声掛けが大切です。私もその真実の声掛け、お誘いのおかげで、ボロボロだった心をたすけてもらい、自ら求めて信仰する喜びを知る事が出来ました。今でも、仮免許試験不合格後のあの電話がなければ、自分の運命はどうなっていただろうかと思います。親の教えを届かせる大切なポイントの1つは、この〝真実の声掛け〟だと思います。そして、行事のお誘いの声掛けだけではなく、普段から若い子に声をかけて、電話をしたり、足を運んだり、共に時間を過ごし、心を尽くす。今期の本部学生担当委員会の活動方針に掲げている、「学生のために使う時間を増やそう」これに尽きると思います。かさおか立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号8○次に、会活動や教会に足を運んでくれた若者に、どのような心がけをすればよいのか。清水与之助先生に対するおさしづを紹介したいと思います。大きい心を持って通れば大きい成る、小さい心を持って通れば小そうなる。親が怒って子供はどうして育つ。皆、をやの代りをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。皆、満足さして、元のぢばや親里やと言うて、満足して帰る21のやで。(明・7・7)というおさしづです。親神様は、若い者を育てたかったら、親神様の代わりになって満足させてやってくれと仰っています。この楽しいと思ってもらう事が、若者の育成にはとても大切だと思います。なぜなら、この楽しいという感情から〝また行き!!たい〟という気持ちが生まれます。そして、それと同時に、楽しませてくれた大人に対する信頼関係が生まれます。また行きたいという気持ちからは、次の集まりへのつながりが生まれ、それを重ねていく事により、自主性が生まれ、その場所に自分の居場所が出来ます。自分の居場所が出来れば、次はそこに他の人を誘うようになり、若者同士のつながりが自ずと広がっていきます。それをくり返す中で、若者と私たちの間にも信頼関係が深まっていき、距離が縮まります。距離が縮まるからこそ、先ほどの逸話篇にあるように、私たちが本当に伝えたいこの親の教えが届くという事になると思います。▼自身の目指す育成私の思う育成の理想は、「つとめとさづけ」を通して、医療や福祉、法律でも助けられない、家族からも見放されたような方々の心と運命が変わり、たすかる姿を目の当たりにしてもらう事だと思っています。そんなおたすけをさせてもらいたくて、独身時代、まず貧に落ち切るために、寝袋を抱えて大阪にある西成という街に野宿での単独布教に行かせてもらいました。その布教中は、朝起きたら、通勤ラッシュの駅前に行き、路傍講演と十二下りのてをどりをつとめ、午前中は戸別訪問のにをいがけに歩きました。お昼時も駅前に行き、路傍講演と十二下りのてをどり。そして午後も暗くなるまで戸別訪問に歩き、夜の帰宅ラッシュの駅前で、路傍講演と十二下りのてをどり302020をつとめ、夜は公園や路面電車の駅のホームで寝袋を広げ、眠くなるまで教祖を求めておふでさきを読みました。そして1日の最後に座りづとめをつとめて、そのまま人ぐらいのホームレスの方と駅のホームで川の字で休ませてもらう。朝から晩まで、にをいがけ・おたすけ、そして、つとめとさづけしかしない毎日。口から出る言葉は、みかぐらうたと教祖の話だけ。そんな毎日が本当に幸せでした。食べ物のお与えがなければ食べるものもない、基本的にいつもお腹がすいている。それでも、道の路銀と教えて頂くおさづけを頼りに、親神様・教祖を身近に感じながら生きる毎日が、本当に幸せで仕方なかったです。結婚が急に決まり、1年足らずで教会に帰ってきましたが、野宿していた時と、教祖を思う気持ちは全く変わりません。今も日々にをいがけ・おたすけに歩き、屋根のある所で寝れるだけでありがたい、寒い冬に寒さに凍える事なく休ませてもらえる。ごはんの時間になれば食べるものがある。教祖の御苦労を思えば勿体ない、ありがたい、という気持ちが心から込みあがってきます。こういう心になれる事が、このお道の信仰のありがたい所だと思います。この様に自分なりに一生懸命に教祖を求めて通らせてもらっていたら、年前、少ない時は、月次祭を当時会長の母と私の2人だけでつとめる事もありましたが、現在では、人以上でつとめる事もあり、本当にありがたい姿を見せて頂いております。元々は全くこの教えを知らなかった方が、教会で元のをやである親神様の存在とその親心を知り、教祖のひながたという生き方のお手本がある事を知る。そして、つとめとさづけという具体的な運命を切り換える方法がある事を知って、お道の教えによってその人の心が変わり、言動や雰囲気、実際の環境がたすかっていく。その姿を少しでも多く見せてあげる事が何よりの育成であると私は思っています。そのためには、育成する側の自分が、いつも教祖を身近に感じ、にをいがけ・おたすけにつとめて、自分に付いてきた若者が、教祖を見失わないようにしてあげたいと思います。そして、にをいがけ・おたすけの心で次代を担う若者に接し、次はその若者が同じように、お道の教えを人に伝える側になり、そしていつの日か、喜びや苦労、大好きな教祖について共に語り合うようにな9○立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号かさおかるのが私の夢であり、理想です。育成の御用は、人を育てるのではなく、学生や若者を通して自らの心を育て、そして、共に育つ御用だと思います。若者だけでなく私たちも共に育つ事が出来るありがたい育成の御用を通して、この年祭の旬に共々に一歩でも二歩でも、三歩でも四歩でも教祖のお心に近付かせて頂き、成人した姿を教祖にお喜び頂けたらと思います。笠岡の学担委員との懇談会1263211871260>大教会だより◎教人資格講習会修了者立教年3月日終講芦品青木茂男大江橋村川陽子※お詫びと訂正本年2月日発行の『かさおか第巻第2号』5ページ「春季大祭講話」冒頭の記事名枠内に記載された世話人先生のお名前に誤植がありました。次の通り訂正し、お詫び申しあげます。誤:板倉知治先生正:板倉知幸先生「えーっ、シルバーポイントが付いている」先日、スーパーのレシートを見て、声を上げた私。人のポイントが間違って付いたと思ってしまったのですが。今年、還暦を迎えた私は、自動的にポイントが付いていました(笑)そばにいた娘に話すと、あっという間に家族のグループラインで報告…例のレシート添付で。「お母さん、シルバーポイント見て、歳実感」と。すると、その中のひとりが、「シルバーポイントで倍なんて、得じゃん。歳とってよいことの一つですね」と。私にとっては、シルバーの衝撃だったのですが、喜べるということ?思い、受け取り方は、それぞれ違うものですね。還暦を大きく意識するきっかけをもらいました。の干支が一巡し、第2の人生、歳が長命でめでたいとされた鎌倉時代からお祝いされる大切な節目。華年という別名もあるようです。明るく元気に、笑顔あふれるシルバー人生をめざしたいものです。(む)60詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。かさおか立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号10○二月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には子ども可愛い一条の親心のまにまに天然自然のお働きと自由の御守護をもって結構に恙なくお連れ通り下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私どもは少しでもこのご恩にお応えするべく日々は朝夕に御礼申し上げつつたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日のこの吉日は二月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には遠近を問わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は二年目の年祭活動をより活発に推し進めるべく部内教会への巡教を行いました引き続き来月も巡教を行いますまた本日は祭典に引続き学生層育成者講習会を開催致しますお聞かせ頂くお話をしっかりと胸に治め学生層の若者の育成と丹精へと繋げてこの二年目の成人の歩みを共々に進める事ができるように努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には親孝心一筋に成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り一人ひとりの信仰が後に続く者にまた世の人々に伝わってお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十七年二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者山野弘実赤木素志賛者岡﨑治喜指図方上原繁道講話学生層育成者講習会四月講話上原浩区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半田中隆之門脇元教上原志郎上原浩三島渉吉岡誠一郎山田敏教岡田誠三代温生大教会長様谷内伸自岡﨑真一前会長様今川昌彦中村道德上原繁道山野弘実森本忠善前奥様谷内美知子中村初美田中ますみ横山小智榮室悦子今川佐智子山野なつ田中つかさ上原繁次佐藤真孝淺野明教吉岡壽赤木素志高木昭祥佐藤道孝谷内秀自田林久嗣中村剛中島誠治虫明立生中村義太郎渡邉隆夫山田敏教杉原善朗岡﨑治喜内海史郎上原順子岡﨑豊子内海安子門脇加津三島照美吉岡八恵武内正美高木孝子上原千枝子○11立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号かさおか立教187年部内一斉巡教表教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員廣町2月13日上原志郎香地華2月9日大教会長様多古浦2月13日上原繁道福廣2月7日上原繁道真金2月11日上原繁次瑞北2月9日横山逸郎福勇2月11日田林久嗣稲倉2月13日中島誠治雲東3月11日大教会長様福芦2月9日田林久嗣稲瀬2月5日田中隆之神村2月10日田林久嗣福満2月8日上原繁道稲富士3月15日上原志郎大江橋3月5日佐藤真孝福岩2月12日上原志郎稲讃2月10日前会長様品治2月7日今川昌彦西村3月10日岡﨑真一門司港3月12日大教会長様呉福2月5日大教会長様福年2月7日中村道德大惠山2月12日吉岡誠一郎鶴眞3月10日今川昌彦福昭2月11日今川昌彦東水島2月10日今川昌彦川島郷2月10日中島誠治福春3月5日上原繁次髙児島2月5日上原繁道作備3月6日吉岡誠一郎福冨士3月10日武内正美高丸3月6日杉原善朗錦ヶ原3月3日上原繁次福東2月9日前会長様出雲2月11日田中隆之眞府2月9日門脇元教東福山2月6日山野弘実瑞雲3月6日佐藤真孝吉舍2月4日大教会長様福南2月13日虫明立生米府2月15日佐藤真孝上小畠2月10日大教会長様福節3月8日大教会長様弓ヶ濱3月8日森本忠善木津和3月6日田中隆之福輝2月13日門脇元教西伯3月9日田林久嗣國須2月7日佐藤真孝坪生3月5日上原志郎米美3月5日森本忠善上吉野2月12日中村道德八尋2月10日吉岡誠一郎伯仙2月10日横山逸郎上備2月8日田中隆之芦品2月13日吉岡誠一郎照雲3月6日森本忠善河佐3月4日虫明立生安那3月8日杉原善朗松都3月7日森本忠善上川邉3月12日中村道德芦田川3月3日森本忠善樺島月3日門脇元教甲井3月3日虫明立生三郡2月10日山野弘実新輝豊2月3日杉原善朗上父3月7日大教会長様芦常2月5日今川昌彦亀田山2月12日上原繁道宇津戸2月5日杉原善朗芦加茂3月6日上原志郎出雲川津3月10日田林久嗣府世原2月12日山野弘実惠陽2月14日上原繁次天場山2月8日横山逸郎神驛2月5日岡﨑真一御野3月8日上原繁次簸ノ川2月10日田中隆之葦沼2月7日虫明立生かさおか立教187年(令和6年/2024年)3月21日第63巻第3号○12
かさおか

『かさおか』第63巻 第2号

○1立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314米美分教会明治29年1月18日岡山部属大仙分教会設立昭和17年3月23日部属変更・移転・改称(米美)昭和39年5月26日神殿移転建築昭和40年7月9日落成奉告祭立教187年2月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号2○2018620大教会長様お話教祖にお喜び頂ける成人の姿を求め続ける1年に【真柱年頭のごあいさつ】明けましておめでとうございます。昨年は、いろいろとご苦労さまでした。本年もよろしくお願い1・年頭会議においていたします。昨年の暮れは、私には珍しく、立教年大教会年頭会議は、1新年の準備も順調に終わりまし月日午後1時から大教会神殿でて、例年よりもゆったりとした気行われ、役員・部内教会長夫妻・布持ちで新年を迎えたのであります教所長らが参集した。が、元日早々、大地震という大変大教会長様は、先ず、真柱様年な姿を見せられてしまったのであ頭のごあいさつを拝読され、そのります。この中には、強い揺れをなかで一番大切だと思う点を述べ経験した人もあれば、部内教会、られた。続いて、年祭活動2年目布教所、信者が被災したけれども、を通るうえでは、「①持ち場・立場すぐに駆けつけることもできず、に応じて、親神様・教祖がお喜び心配なまま、ここに集まってきたくだされるに相応しい振る舞い・という人もいるでしょう。心より行いを思案し続ける、②それぞれお見舞い申したいと思います。の教会に繋がる皆に年祭活動を実地震について言えば、お、ふ、で、さ、践してもらえるように、諦めるこき、では、天災を月日の残念、立腹となく丹精し続ける、③ふ、し、に直と仰せられているのはご承知のと面したときにこそ、そこに籠もるころでしょう。それは、教祖の教を、や、の思いを見つめて通る」1年えを信じ教祖の道を通らせていたにしていきたいと述べられた。だくお互いの、心の成人の鈍さに引き続き「おたすけ推進の集い」対する厳しいお仕込みであると思(3月号掲載)が開催され、その後、うのであります。3年振りに会食が催された。年祭活動の二年目を迎えまし(要旨は次の通り)た。厳しいお仕込みに対し、どの点をお知らせくだされているのか、いろいろと振り返り、思案して、気づいたところがあれば改めて、歩みを進めることだと思うのであります。教祖百四十年祭は、私は前回の年祭に倣って、一月二十六日、一日に勤めさせていただきたいと思っています。再来年の一月二十六日は、その年祭の当日、一つのゴールであります。しかし、その日に何かするのではなく、その日を目指してつとめ励んで、どれだけ成人することができたかをご覧いただくところに意味があるのであります。この三年千日の歩み方が大切であります。三年千日は、立教一八九年一月二十六日のための準備期間ではなく、もうすでに本番であります。普段よりひ、な、が、た、を強く意識して毎日を通る。昔から、非常時と言われますが、普段とは違う緊張感を持って歩む時であって、いまは何をしなければならない旬であるか、各人の立場で何をしなければならないかを見失わずに、年祭への活動を着実に進めていかなければならないと思うのであります。こういう大ごとが起こったのでありますから、なかには心が倒れてしまった人、気持ちはあるが動こうにも動くことができない人がいるのは、当然のことであります。そこは、上級の教会長など、関わる人がしっかり心を通わせて、一日も早く立ち直るご守護を頂けるようにつとめてくださるようお願いしたいと思います。また、年祭へ向かって歩もうという、その気持ちを持って歩む人を一人でもご守護いただく、そのための丹精もしっかり進めていただきたいと思うのであります。最後に、これはお知らせでありますが、父(三代真柱様)の年祭を、今年、出直して十年になりますので、十年祭を、命日である六月二十四日に勤めさせていただきたいということを最後にお知らせして、年頭のあいさつを終えさせていただきたいと思います。どうぞ、本年もよろしくお願いします。(『みちのとも』R・2)1873○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号かさおか187140【大教会長様年頭の挨拶】立教年、あけましておめでとうございます。昨年は、教祖年祭に向かう年祭活動期間1年目の年として、大教会で定めた、「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の活動方針と、「ひながたを学び、そのお心を実践しよう。」の活動目標のもと、それぞれの教会でも、目標と実践項目を定めていただき、この1年間の成人の歩みを進めました。昨年1年、それぞれの持ち場・立場で精一杯お努めくださり、誠にありがとうございました。まず、真柱様のごあいさつのなかで一番大切だと思うことについてお話しします。それは、①「年祭当日に何かするのではなく、その日を目指してつとめ励んで、どれだけ成人することができたかをご覧いただくところに意味がある。この三年千日の歩み方が大切」、②「三年千日は、立教一八九年一月二十六日のための準備期間ではなく、すでに本番」、③「普段よりひ、な、が、た、を強く意識して毎日を通る。普段とは違う緊張感を持って歩む時であって、いまは何をしなければならない旬であるか、各人の立場で何をしなければならないかを見失わずに、年祭への活動を着実に進めていかなければならない」ということです。▼あるべき姿を常に模索する一年に年祭活動1年目を終え2年目が始まるに当たり、それぞれの教会の目標・実践項目を継続するか変更するかを昨年お尋ねし、それぞれで決めたものを提出いただきました。そのうえで、あらためて、この1年間、どのように通るかということですが、持ち場・立場年祭活動2年目を通るうえでの思いを述べられる大教会長様に相応しい振る舞い・あり方をあらた思うのです。それは、親神様・教祖にめて問い直して、問い続けていただきお喜びいただける、受け取っていただたいと思います。ける心でおつとめいただきたいと思い自分自身が与えられている、その立ます。場、教会長という立場、家庭であれば教祖のお言葉に子供の親、奥さんの旦那さん、いろん何するも、皆、神様の御用と思う1465な立場がありますが、それぞれの立場てするのやで。(篇)に応じて、親神様・教祖がお喜びくだまた、されるに相応しい振る舞い・行いとは塵一つ拾うても誠。大きな木取り一体どういうことかを、あらためて、片づけても真実といえん事もあ思案していただきたい。そして、そのる。・・・心の持ち方、思い方が大思案し続ける1年にしていただきたい事やで。(教祖口伝明8・6・)と思います。というお言葉があります。持ち場・立場で何が相応しいか、何それぞれ、ご自分の与えられた今のをすべきかは、それぞれで違ってきま立場をしっかりと思案し、思案し続けす。ながら、その相応しい行いをしっかり教会であれば、教会がどのような場と積み重ねていく。そういった1年間所にあるのか、回りにどのような人がにさせていただきたいと、そのように住んでいるのか、繋がる信者さんはど思います。んな方がおられるのか、それによって、自分自身だけで為すことなのか、それ▼全員参加の年祭活動とも、教会に繋がる方を巻き込んで何昨年、この年祭活動は、笠岡に繋がかを為すのか、そういったことも違っる全員に、年祭活動として動いていたてくる。だきたい、教会のよ、う、ぼ、く、・信者だけそれぞれで何をすべきかというのはではなく、こどもたちにも「年祭活動本当に違ってきます。しかし、その何の風」というものを感じてほしいとおをするのかの根本、それぞれの心とい話ししました。うものは、同じになってくると、私は昨年の秋季大祭では、真柱様も次のかさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号4○50ように仰いました。教祖は、年もの間、どんなことが起こっても諦めることなく、丹精し続けられたということを、これもひ、な、が、た、として忘れてはならないことなのではないかと思うのであります。どんなことが起こっても諦めることなく丹精し続けられた、そのひ、な、が、た、をわれわれも忘れずに、この笠岡大教会、それぞれの教会に繋がるよ、う、ぼ、く、・信者の皆さま方一人ひとりに、この年祭活動を少しでも実践してもらえるように、しっかりと声掛けを継続していただきたいと思います。▼「ふし」に籠もる親心に感謝して年祭活動1年目を送るなかで、昨年1年間、様々なことが起こりました。「た、す、け、の旬」であるこの年祭活動期間にはいろんなことが起こってくると、昨年のこの場で申しましたが、本当に、普段以上のいろいろなことをお見せいただきました。そのなかで、私自身、どうしても「つらいな。しんどいな。」と感じてしまう出来事、特に、人の出直や身上・事情ということをよく耳にしました。ですが、そのたびに、あらためて思わせていただくのは、どんなことを目にしても、どんなことを耳にしても、そこには、「陽、気、ぐ、ら、し、をさせてやりたい。たすけてやりたい。心の成人をさしてやりたい。」という親心、を、や、の思いが、必ずあるということ。そのことを忘れてはなりません。特に「つらいな。しんどいな。」と思うときにこそ、この忘れがちなを、や、の思いをしっかりと見つめ、ふ、し、のなかにある喜び・感謝を見つめて通る、そういう1年にもさせていただきたいと思います。以上、年祭活動2年目を通るうえで思うところを、3点、お話ししました。最後に、何点かお伝えします。まず、2・3月の部内巡教は、それぞれの教会で定めた目標と実践項目について、祭典後の巡教員の話のなかで触れますので、その内容について事前に相談することがあれば、あらかじめ巡教員と相談してください。また、昨年5月にコロナの扱いが変わって一段落したところではありますが、祭典後の食事などについては、教会によってそれぞれかと思いますので、そこは、巡教員と事前にご相談ください。それと、年祭活動期間の本部からの打ち出しとして、ようぼく一斉活動日の第1回目が、昨年、開催され、今年、2回目・3回目があります。開催日や内容は、お住まいの支部によって変わってきます。このようぼく一斉活動日について、1点、私があらためてお願いしたいこと、それは、このようぼく一斉活動日を、この時旬のお、ぢ、ば、からの声として受け止め、まず、積極的にご参加いただきたいということ。教会に繋がるよ、う、ぼ、く、の方にお声掛けいただくのはもちろんのことですが、まず、教会長さん・布教所長さんご本人が、積極的に参加していただきたいということと、どのような思いでそれに参加するのか、受け止め方が大事です。ようぼく一斉活動日に参加して何を持って帰るのか、どんな喜びを見つけて自らの日々の信仰生活に映していくのか、そこをしっかりと受け止める心でご参加いただきますようお願いします。この後、「おたすけ推進の集い」を開催します。教会長・教会長配偶者・布教所長、それぞれの立場で、どのような角目でこの年祭活動を通るかを思案する助けになると思います。「①日々のに、を、い、が、け、/②積極的なお、た、す、け、/③ぢ、ば、の理を戴く」の3つの項目でお話しいただきます。また、聴いた内容からどんな感想を持ったかを共有しあう時間も設けています。しっかりとお聴き取りいただき、ご自身の立場での思案を進めるうえでの一助としていただければと思います。年祭活動2年目を通るに当たっての私の思いをお話ししました。この時旬に、それぞれの立場で何をすべきかを、あらためて思案し続け、自分の立場に相応しい行い、親神様・教祖にお喜びいただけるに相応しい在り方ができるように、お互いに勇ませあって、この年祭活動2年目をお通りいただきますよう、よろしくお願いいたします。5○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号140140かさおか21187春季大祭講話教祖にご安心頂ける年祭活動に世話人・板倉知幸先生立教年大教会春季大祭は1月日、大教会長様祭主のもと役員・部内教会長・布教所長・よ、ふ、ぼ、く、・信者ら参拝のもと執り行われた。ご参拝くだされた新世話人・板倉知幸先生は、初めての当教会ご参拝に際して、『諭達第四号』に則って話を進められ、教祖に直にお仕えされた高弟の先生方の逸話や身近なおたすけ談などを交えて、教祖年祭三年千日活動の残された2年で、教祖にご安心いただけるような成人の実を挙げられるように、2年目を歩む私たちの心の置き所をお話しくだされた。(講話要旨は次の通り)ただ今は、教祖年祭に向かう三年千日2年目のスタートという時期になってきています。あっという間の1年間で、「もう1年過ぎた」というのと「まだ2年ある」20262224という複雑なところですが、「まだ2年ある」というところで、あらためて、「教祖の年祭」、そして「ひ、な、が、た、」ということについて、思うところをお話ししたいと思います。▼教祖年祭の意義明治年陰暦正月日、教祖は現身をおかくしになられましたが、教祖はご存命ですから、私たち人間が亡くなった人を偲んで行う「年祭」とは全く違うものです。教祖はご存命で世界た、す、け、の先頭に立ってお働きくだされ、私たちをお導きくださっています。その親心にお応えすべく、よ、ふ、ぼ、く、一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義です。これまでの教祖の年祭を、少し振り返ってみたいと思います。教祖1年祭。これは、残念ながら祭式中に警察が雪崩れ込んできて、式を中止せざるを得なくなりました。当時の方々にとっては、何とも残念な気持ちだったろうと想像します。教会本部が設置されていない、公認がないことが主たる原因でしたので、一応、神道本局の公認を取ることができ、晴れて活動を許されるようになって、明治年に教祖5年祭が勤められました。1年祭のときに止めに入った警察が、このときは警備に当たっています。この違いは当時の方々にとっては、何とも言えない喜びの姿であったと思います。この年祭から、「教祖の年祭」はどのように勤めれば良いのかをお導きくださるようになりました。明治年、次のような刻限お、さ、し、づ、をもって、ひ、な、が、た、の道を通る大切さを示されました。難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つくのひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。・・・ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。・・・五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。・・・僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しのや。ひながたの道より道が無いで。・・・どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。・・・三年辛抱すれば、落ちようと思うても落28102211ちられん。(明・・7)教祖年祭は、お、や、し、き、拡張が進められたときです。明治年4月に初代真柱様がご身上となられ、数度に亘りお、さ、し、づ、を伺われましたが、なかなか好転せず、今度はお、ぢ、ば、に本部員・分教会長一同が集って心得を伺うと、「神のご守護の理の根本が良く分かっていないから皆を寄せた」と仰り、「全教が真の兄弟として心を一つに合わせて精神を定める」ことをお仕込みになりました。この後、一同のお詫びと心定めをお受け取りくだされてか、容態は落ち着き、7月には全快のご守護を頂かれ、29122510明治年陰暦正月日、教祖年祭が勤められました。しかし、その翌月には、政府より「内務省訓令第号」、いわゆる「天理教弾圧令」、通称「秘密訓令」が発令されました。なぜそのようなことが発令されたかは、道の飛躍的な進展に当時の政府が脅威を感じ国家の統一には天かさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号6○29理教が邪魔になったのだと想像します。ですから、教祖が現身をおかくしになられてから、お言葉通り道は勢いよく伸びて、一説には「天理教布教師が行くところ、病院には患者がいなくなる」という風評が伝えられるぐらい、不思議なた、す、け、が各地に現れて、入信する人が絶たなかったそうです。明治年の統計で、信者総数が約万7千です。当時日本の人口が約4千万人ほどですから8%が天理教の信者だったそうです。しかし、逆に社会の偏見・誤解・妬みなど、社会秩序を乱すものだと非難さ新世話人・板倉知幸先生10044404310411130273133932206011273170502190100100れました。内務省訓令の結果、教えられた教理を変えなければいけない状況が現われてきて、残念ながらそれに従う日が続きますが、明治年頃から「一派独立運動」が始まります。明治年に教祖年祭がつとめられました。社会情勢は日露戦争直後であり、大飢饉などがありました。お道としては弾圧のなかと、一派独立がなかなか認めてもらえない道中でしたが、多くの人がお、ぢ、ば、へ帰られました。この年祭を期に、この笠岡の道も大きく進展していったと聞いています。そして、明治年月日には、待望の「一派独立」を果たします。明治年3月頃のお、さ、し、づ、で教会本部のふ、し、ん、について諭され、ご本席様が出直しになられる6月まで「百日のお、さ、し、づ、」が続きます。そのなかには、教祖年祭を迎えるに当たり、「ふ、し、ん、の準備に3年、ふ、し、ん、に5年」と神殿ふ、し、ん、に関するお、さ、し、づ、があり、年掛かるお、さ、し、づ、を日で仰ったわけです。その後、明治年から土持ちが始められ、年に起工式、そして「大正ふ、し、ん、」と繋がってきます。10030301150勇みに勇んで教祖年祭を迎えようと進んでいる最中、大正3年末に年祭を1年1ヶ月後に控えて、初代真柱様が出直されました。大正5年に教祖年祭がつとめられましたが、初代真柱様のお出直という大きなふ、し、を乗り越えての年祭でした。昭和5年には「昭和年に教祖年祭・立教年祭執行」の旨が公示されて動いていきます。2代真柱様は本教の歴史を振り返られ、本教の年祭は「ふ、し、から芽が出る」とのお言葉通り、教勢が進展する時旬は同時にふ、し、に出遭うときであるとされたうえで、教祖が明治年に現身をおかくしになって以来つとめられた6回の年祭は、いずれも本教史上大きなふ、し、と立て合ってきたこと、しかし、それにも関わらず、そのふ、し、が返ってお道発展の肥となり道が進展する結果となっていると述べられて、教祖の年祭がふ、し、であると同時に発展の旬であることを強調されました。昭和年1月に教祖年祭、年に年祭、年に年祭が執行されますが、昭和年の『みちのとも』には次のような記事が掲載されています。2070教祖の「七十年祭」というこの言葉が、今、教内に波紋のように拡がりつつある。既にこれを布教の目標として目覚ましい活動を始めた教会もある。が、現在、本部からは未だ従来の様な御年祭についての打ち出しはない。打ち出しを待たずして年祭の活動ということが、教内の一種の合言葉の様になり始めたというところに、これまでの余程異なった趣がある。戦時下体制で迎えた教祖年祭とは違い、年祭は、しっかり年祭活動ができる、また、何の気兼ねもなく教祖の教えを堂々と実践し説くことができる、これらの思いが自然と年祭活動への勇んだ気運を生み出したと思われます。また、お、や、さ、と、や、か、た、の今後の展望と計画が発表され、実際にふ、し、ん、が始まり、全教の勇みは頂点に達して、実動が形に現れてくるという喜びも見せていただきました。その後、ご承知の通り、教祖年祭、年祭、そして、東西礼拝場のふ、し、ん、、教祖年祭と時を刻んできました。その後、年祭の後に3度の年祭を通っ60807○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号126018370かさおか14018013026てきました。教祖年祭を迎えるに当たって通るこの三年千日は、今までとは違ったを、や、の思いを感じます。というのも、教祖年祭後の道の歩みとして、立教年7月日にか、ん、ろ、だ、い、が倒され、翌年には、道の芯であられます真柱様がご身上になられました。そして、立教年の年頭からコロナウィルスが世界的に流行して5類に分類されましたが、まだ余波を残しています。道を信仰する者から、この三年千日をしっかりつとめるようにというを、や、の思いを強く感じます。▼ご存命の教祖の身近に先人先輩方が通って来られた年祭は、その昔は、教祖のお姿を直に拝してお仕込みいただいた方々が勤められ、その後はお、さ、し、づ、を仰いでお導きいただき、教祖年祭から年祭ぐらいまでは、そういった人たちがまだ在世され、その先生方に教授された方々がたくさんおられました。増井りん先生もそのお1人で、明治年から教祖の身の回りのお世話を仰90せつかり教祖より直に仕込まれた方です。昭和7年頃に本部青年を務められたある先生が感じられたおりん先生のお話です。その当時歳のお歳でしたが、なかなかお元気でお背は丸くこぢんまりとした先生が、別席のお取り次ぎから人力車で本部の詰所に帰って来られまして、西側の廊下で西の方を向いてお座りになりました。私はちょうどその日は詰所の当番でしたので、広い詰所の部屋を掃除しておりましたが、全部終わってもまだお座りになっておられます。先生が座っておられる廊下だけがまだ水拭きが終わっていませんので、お立ちになるまでお待ちしておりました。「早くお帰りになれば」と思っていましたら、やがて、日が沈みかけ辺りが仄暗くなりかけた頃、やおらお立ちになりまして、「長うお待たせしましたな。私はなあ、今まで、親さん(教祖のこと)がお休みになるのをじっとお見送り申していましたんや。あんさんら、寂しいと思いなさらんかな。私は生が次の様に仰ったそうです。寂しうてなあ、毎日、こうして、宮森先生が「髙井さん、おらあお見送りしてますのやで。」と目親さんの仰ること、嘘と思わなをショボショボされていました。かったけど、この俺の目でこんな新入りの若かった私には「何を立派なお屋敷の姿を見るのは思わしておられるのだろう」ぐらいになかったで。」思い、むしろ「早くお帰りになれ髙井先生が「そやったなあ。」ば良いの」とさえ思っていたのでと仰り、続いて宮森先生が「ホンしたが「親さんをお見送り申しまマやったなあ。」と言われ、またしたんや」と聞かされたときには、髙井先生が「そやったなあ。」、宮初めてお日さんを「親さん」と心森先生が「ホンマやったなあ。」からお慕いなされているお心に触と、この「そやったなあ。」・「ホれ、ついさっきまで「早くお帰りンマやったなあ。」の応答は、そになれば」と思っていた自分が恥れこそ、もっと何回も繰り返されずかしく、申し訳なく思ったことつつ、お2人していつしか涙をボでした。ロボロこぼされていた。また、別の先生のお話です。というお話で、この物語をジッ1024昭和8年月日の夜、ただ今と側で聞いておられた井筒先生の教祖殿が新築落成して鎮座祭がは、「私はそのとき、ゾッとしま勤められた夜、当時まだ本部青年したね。このお話を聞いて、私自であられた井筒先生が、教祖殿お身も、もう、もう、何か嬉しうて守り所の当番をなされていた。嬉しうて嬉しうてしようがなかっ厳かな御遷座祭典の後、お、や、し、き、の青年第一号であられた髙井猶たですね。」と申されるのであったと。吉先生・宮森與三郎の両元老先生また、本席・飯降先生には次のようが同お守り所にご休息にみえらなお話があります。れ、井筒先生の汲まれたお茶にの本席様の晩年のこと、平野楢藏どを潤されながらしみじみと両先先生が本席様のご苦労をお労いしかさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号8○ようと考え、詰所に立派な庭園を造り、その落成祝いに庭のお好きな本席様をご招待し、心一杯のもてなしをされたことがあったそうです。やがて食事となり二の膳・三の膳付きの御膳が本席様の前に運ばれてきました。郡山部内の信者さんが国々から持ち寄った真実の籠もったご馳走であったろうと思われます。ところが、本席様はいつまで経ってもジッとしていて箸を付けようとなさらない。平野先生始め役員の方々は、何かお気に障ることでもあったかとハラハラするばかり。とうとう平野先生が堪りかねて「何かお気に召さないことでもございますか。」と尋ねると、本席様は「何の何の。こんなご馳走をしてもろうて、色々もてなしてもろうて何が気に入らんものか。儂は嬉しうて嬉しうてならん。けれど、こんなご馳走を出してもらって、『ああ、あのとき、親さまにこんなご馳走を召し上がってもらえたのやったらなあ。』と思うと、勿体のうて勿体のうて心が一杯に10詰まってしまうのや。」と仰せになり、ハラハラと御膳の前で涙をこぼされたのであります。並み居る人々は皆一様に顔を伏せて共に涙を流し、声出す者もなかったそうです。教祖をお慕いする先人の気持ちが胸に伝わってくるようなお話です。しかし、私たちが、実際に教祖にお仕えなされた方々の思いには、なかなか追いつくことはできません。今を生きる私たちに信仰が伝わるまでの間には、世の中の人々の生活様式や物事の考え方まで、世界の様相は随分と変わり、私たちが知り得る教祖の面影やお話は、すべて何代も前の道の先人を通して伝えられたものばかりです。それだけに、お道の草創期の先人に比べて、意識のうえで、教祖が段々遠のいていることは否めません。だからこそ、時が経てば経つほど、私たちの方から、常に教祖に近づく努力をすることが必要です。そのなかでも、年に1度迎える教祖の年祭の旬は、その意識をより強く持って通ることが重要です。と教えられました。「執着を去る」と教祖がお姿をかくされたことで、私いうことです。たちはいつでも教祖と1対1でお話がそれと、物を施していくに当たってできます。は、夫・善兵衞様へ、親神様の思いをお姿があったときはそうはいきませお伝えしていく心遣いに大変ご苦労さん。お会いする順番もあったと思いまれたと思います。夫・善兵衞様にとっす。て、代々受け継がれた家の将来を考えしかし、今は教祖殿に行けばいつもたとき、どのような思いで通られたか居られます。教会の教祖殿にも居られは想像が付きませんが、そのようななます。そこで、悩み事やお願いをしたかをご家族で通っておられます。ときなど、ふと、何かを浮かばせてもこの、容易ではないなかを親神様をらうことがあります。頼りに家族で通るのも、ひながたの1また、に、を、い、が、け、では教祖のお供をつだと思いますが、一貫して言えるこし、お、た、す、け、でも教祖のお供をします。とは、教祖は、道中を親神様に凭れて、存命でありお姿がないということ喜んで通られたというです。は、私たちは、存分に1対1で教祖とご一緒できます。▽水を飲めば水の味がするしかし、人間、ふ、し、のなかを喜んで▼陽、気、ぐ、ら、し、のひ、な、が、た、通るというのは、なかなか難しいものでは、教祖のひ、な、が、た、を辿るとはどです。ういうことでしょうか。心底喜ぶことはできないかも知れま教祖はまず親神様の思召で貧の底にせんが、見方を変えて喜ぶ材料を探す落ち切られました。これは「貧乏のなことはできます。例えば、コップに水かを通る」ということではありません。が半分入っているとします。これを、物を施すことによって、「ま.だ.、半分あ.る.。」と考えるか、「も.執着を去れば、心に明るさが生れ、う.、半分しかな.い.。」と捉えるかでは、心に明るさが生まれると、自ら陽考え方が正反対です。前者の場合は喜気ぐらしへの道が開ける(典3章)べますが、後者では不足になります。9○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号かさおかですから、諭達にもあるように、「水を飲めば水の味がする」というお言葉は、「味がする」→「親神様がお働きくだされている」→「食べる物が満足になくても、常に親神様のご守護が溢れている」と、そこを喜んで通るということです。▽ふ、し、から芽が出るまた、人間は、必ず、ふ、し、に相当する身上や事情が起こってきますし「、い、ん、ね、ん、の道」もあります。別席のお話には、因縁と道がございます。この因縁にも現世にて現れるものもあれば、先の世へ持ち越すのもあります。良き事をすれば良き理が沿うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が沿うて現れます。心に作りた理は心通り、善悪共に現れます。身上に現れる人もあれば、事情に現れる人もあります。とあります。ですから、蒔いた種は必ず生えてくるのです。続いて、この世は、一軒限り一人限り、その日その日、旬が来たならば、銘々に通り来たれる道は、善悪共わけです。に皆現れ出ます。何程通ろうまい「あの人が悪い事を言った。あの様と思うても、通りただけは自然にな事をされた。」といっても、その悪通らねばならん、また、通さねば口を聞かなければいけない、悪いことならんと仰せられます。が身に降りかかってくるというい、ん、ね、どんな人でも、何でも自分が幸ん、が、自分にあるというわけです。せになりたいと思っておりますけそこで、聞いては「成程」、見てはれども、思う様にならないのは因「成程」と、「もしかしたら、前世・前々縁。世に何かそうなるだけの事をしたのかと、蒔いた種は必ず生えてくるものなも知れない。」とた、ん、の、う、の心を治めら、起こってくることの原因は自らにてくれと、そのなかを喜んで通ってくあるから、結局、果たさなければいけれということです。ないのがい、ん、ね、ん、と教えられます。次「た、ん、の、う、」というのは「我慢」でに、も「辛抱」でもありません。喜んで通人間、身上に不足はありませんる、苦しいなかに何か喜びを探してけれども、前生のほ、こ、り、を持って通っていくところが「た、ん、の、う、」です。生まれて出て来ると申します。そして、続いて、出直したら心のほ、こ、り、はリセットさ身の不足あって足納は出来ようれるのではなくて、積んだほ、こ、り、はそまい。なれども足納は前生のさんのまま持って出てくるということ。続げとも仰せられ、身上になれば喜いて、ぶことはなかなか出来ない。しかそこで、世界の理を見ては成程、し、そこを喜んで通る事が、前生聞いては成程と十分に足納の理を積んだほ、こ、り、のさんげになると仰治めねばなりません。足納の理はせ下さる訳であり、そこをよく聴真の誠であります。き取って心を治めたならば、大難とあり、回りで起こってくること、聞は小難、小難は無難となります。くこと、見ること、すべて、これは、と続きます。自分が蒔いた種が原因で起こってくるふ、し、があるから成人ができるので13す。苦しいなかを通るから人の気持ちも分かるようになるだろうし、思案もすれば、心を定めて前へ進むことができるのです。そのときは、辛く苦しい日々であっても、時が経てば、「成程」と思う日が必ず来るのです。私も、年前、白血病を患いましたが、その身上を通して、自分のい、ん、ね、ん、の自覚の大切さであったり、そこから感じることのできる親神様のご守護や不思議を直に感じることができました。ふ、し、から成人の道が見えてくるというものです。▽人救けたら我が身救かる教祖のひ、な、が、た、は、た、す、け、一、条、の道です。逸話篇に「人を救けるのやで」というお話があります。大和国神戸村の小西定吉は、人の倍も仕事をする程の働き者であったが、ふとした事から胸を病み、医者にも不治と宣告され、世をはかなみながら日を過ごしていた。又、妻イエも、お産の重い方であったが、その頃二人目の子をかさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号10○妊娠中であった。そこへ同村の森本治良平からにをいがかかった。明治十五年三月頃のことである。それで、病身を押して、夫婦揃うておぢばへ帰らせて頂き、妻のイエがをびや許しを頂いた時、定吉が、「この神様は、をびやだけの神様でございますか。」と、教祖にお伺いした。すると、教祖は、「そうやない。万病救ける神やで。」と、仰せられた。それで、定吉は、「実は、私は胸を病んでいる者でございますが、救けて頂けますか。」と、お尋ねした。すると、教祖は、「心配要らんで。どんな病も皆御守護頂けるのやで。欲を離れなさいよ。」と、親心溢れるお言葉を頂いた。このお言葉が強く胸に喰い込んで、定吉は、心の中で堅く決意した。家にもどると早速、手許にある限りの現金をまとめて、全部を妻に渡し、自分は離れの一室に閉じこもって、紙に「天理王尊」と書いて床の間に張り、なむてんりわうのみことなむてんりわうのみことと、一心に神名を唱えてお願いした。部屋の外へ出るのは、便所ヘ行く時だけで、朝夕の食事もその部屋へ運ばせて、連日お願いした。すると不思議にも、日ならずして顔色もよくなり、咳も止まり、長い間苦しんでいた病苦から、すっかりお救け頂いた。又、妻のイエも、楽々と男児を安産させて頂いた。早速おぢばへお礼詣りに帰らせて頂き、教祖に心からお礼申し上げると、教祖は、「心一条に成ったので、救かったのや。」と、仰せられ、大層喜んで下さった。定吉は、「このような嬉しいことはございません。この御恩は、どうして返させて頂けましょうか。」と、伺うと、教祖は、「人を救けるのやで。」と、仰せられた。それで、「どうしたら、人さんが救かりますか。」と、お尋ねすると、教祖は、「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで。」と、仰せられ、コバシ(註、ハッタイ粉に同じ)を二、三合下された。そして、「これは、御供やから、これを、供えたお水で人に飲ますのや。」と、仰せられた。そこで、これを頂いて、喜んで家へもどってみると、あちらもこちらも病人だらけである。そこへ、教祖にお教え頂いた通り、御供を持っておたすけに行くと、次から次へと皆救かって、信心する人が100ふえて来た。(篇)というお話です。すじ欲を離れて、一条心になるということです。いままでは、自らが身上で苦しんでいるから、当然、「人をたすける」ということには全く関心もなかったし、思い浮かばなかった。しかし、「人をたすける」という、その心を持ったことによって、回りに苦しんでいる人がたくさんいることに気付くわけです。「た、す、け、一、条、の道」こそが、教祖のひ、な、が、た、です。やはり、常に人をたすける心を持って、その気持ちを持って周囲に目を配ることが望まれます。▼ひ、な、が、た、の実践諭達によ、ふ、ぼ、く、としての具体的な歩み方が分かりやすく示されています。教会へ足を運ぶ、また、お、ぢ、ば、へ帰ることも不可欠です。ま、た、、、ひ、の、き、し、ん、の実践ということを考えれば、ひ、の、き、し、ん、の態度というものを常に心に持っておく必要があると思います。ちょっと前ですが、東京で街を歩いていると、前に重い荷物を持った女性が横断歩道を渡っておられた。そのとき、私ではなくて、若いサラリーマンがサッと行って、その方に「荷物を持ちましょうか」と訊いた。そういう心遣いというのは常に持っておかなければ出てきません。私はその姿を見てショックを受けました。一応、私、これでもよふぼくですから、ちょっと恥ずかしくなりました。親神様への感謝の行いがひ、の、き、し、ん、ですが、ひ、の、き、し、ん、の態度というものを常に心に築きながら生活していないと、ハッピを脱いだらよ、ふ、ぼ、く、を忘れてしまうということになりかねません。11○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号1013010かさおかまた、この教祖年祭を通っていくなかでは、当然、お、さ、づ、け、が、大切で、自らが率先してお取り次ぎすることはもちろん、この旬に、よ、ふ、ぼ、く、の方々すべてに取り次げるように成人してもらうことが大切です。年前、教祖年祭へ向かっている三年千日の真っ直中でしたが、ちょうど年祭活動に入った月頃のこと、修理巡教に回ってから帰ってくると、一番下の小学校1年生の息子が、それまでは元気に通っていたのに、「頭が痛い」と言い出しました。ちょっとした頭痛だろうと心配しませんでしたが、余りにも毎日言うので病院へ連れていきました。最初は、ちょっと様子を見ようということで一遍帰りましたが、土・日を挟んでまた痛がるから月曜日に行くと、今度はCTを撮ることになりました。CTを撮った結果、小脳が腫れているが、なぜ腫れているのか、MRを撮ってみないと菌が入ったのか脳腫瘍かは分からない。脳腫瘍なら処置できないので、他に移るということで、もしかしたら出直すかもと思いました。MRの結果は幸い脳腫瘍ではなかっ22たが、原因が分からないので、髄液を取って調べるという手もあるが、脳が腫れているところに背中から髄液を取ると脳が下がって窒息する可能性があるので、調べるのは止めました。結局、なぜそうなったかは分からないが、取り敢えず治療はしなければいけない。今までそういう症例が日本ではなく、海外で例ぐらいあるから、その例に沿うということでステロイドを注入する治療をしました。1週間ほどしてステロイドが効いてきたのか、腫れは段々と引いてきましたが、小脳は運動神経を司るところなので、1週間、息子は寝たままで歩けない。それまで元気に走り回っていた息子が、急にそういう状況になって便所にも行けない。ちょっと元気になってきても歩けないという状況でした。医者はやるだけのことはやってくれて、後はもう人間の力ではどうにもならない。障害が残るかどうかは分かりませんが、とにかく朝夕お、さ、づ、け、を取り次いで、必死にお願いしました。そうする内に、あるときを機会に、本人の脚の運びが見違えるように良い方向へ変わっていきました。なぜか分かりません。もう、お、さ、づ、け、の取り次ぎとしか言い様がありません。そんななか、その半年前に、信者さそして、ちょうど1ヶ月後に退院でんが膠原病になり、医者に調べてもらきたのです。うと、胸の奥の方の普通では絶対に分退院はしたがリハビリには通わなけからないような場所にガンがあることればと言われて連れていくと、もう快が分かりました。復しているから来なくても大丈夫と言手遅れになる前で良かったとは言われました。え、直ぐ抗ガン剤治療でガンを小さくそれはやっぱりうれしかったですして取り除かなければいけないので入が、なぜご守護がいただけたかという退院を繰り返しました。のは、お、さ、づ、け、しか考えられません。入院中は、私もお、さ、づ、け、を取り次ぎ当然、それまでも、自分でもお、さ、づ、に行き、何とかガンも小さくなってどけ、を、取り次いでいますし、大切なことうにか取り除きましたが、まだ少しは分かってはいましたが、息子の身上残っているという状態でした。で、本当にお、さ、づ、け、の偉大さ・大切さその後、経過も良く、数ヶ月後に再を痛感しました。検査をすると、ガンが少し大きくなっその後、定期的に検査してもらうと、ているが、抗ガン剤治療をするほどで小脳は真っ白で機能していないが、大はないので、年明けた1月に再検査す脳の一部が小脳の替わりをして、それることになりました。が動いているとのことで、活動は普通そのようなときに、先ほどの息子の通りに天理高校で元気に野球を練習で身上があったのです。きるぐらい不思議なご守護を頂きましその方の奥さんは信仰2代目で、自た。分の家の講社祭は欠かさず参拝してい130そのときは年祭三年千日で、「お、ましたが、特に身上で困ったというこた、す、け、」・「お、た、す、け、」と人にも言いなともなく、自分でお、さ、づ、け、を取り次いがら自分もその積もりで通ってはいまだことはなかったろうと思います。したが、神様から「まだまだや。お前、本人には、全然、信仰はありません何をしてるんや。」と言われたようなでしたが、息子さんが天理中学校を受気がしました。験したことで、別席だけは運ぼうといかさおか10立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号12○2224175130うことでお、さ、づ、け、の理を戴かれて、それっ切りでした。ですから、神様が急き込んでおられるとは思いつつも、そのご夫婦の家まで行ってお、さ、づ、け、を取り次ぐことを躊躇していました。本人が未信仰なのでついつい私に遠慮があってどうしても家まで行くことができませんでした。しかし、教祖から追い風を頂いて私の子供の身上もあり、奥さんにお願いして、夫婦で毎日お、さ、づ、け、に通いました。そうして1月日に診察を受け、日には、大きくなっていたガンの成長は止まったので抗ガン剤はまだ打たなくて良いという結果でしたので、「今後は、週に何回か通いたいが、その他は奥さんがお、さ、づ、け、を取り次いで頂きたい。」とお願いすると、奥さんも「実は、私もそう思っておりました。」ということで、私の思いと奥さんの思いが一致して、それからは、私たち夫婦が週に1回、その他の日は奥さんが、よ、ふ、ぼ、く、としてお、さ、づ、け、を取り次いでくれています。年前のことですが、今もご主人はガンが残っている状態で、元気に仕事をしておられます。よ、ふ、ぼ、く、全てがお、さ、づ、け、を取り次い命と宣告されました。何とか手術をし○○さんは不思議な人で、逆に私がたでお、た、す、け、に励むことができれば、道て一命は取り留めましたが、依然、意すけられました。看護師という仕事はの進展に大きく影響を及ぼすのではな識不明の重体です。いろいろな患者さんをお相手します。いでしょうか。小さな波かも知れませ奥様は、「勇んで取り掛かろう。」と時には夜中に呼び出されて怒鳴られるんが、それが集まると大きな波になり、思ったときだけに、「なぜ?」ということもありますし、疲労困憊状態が続世の中を変える何かに繋がるような気思いが起こったそうですが、「神様のくこともあります。しかし、○○さんもします。する事に間違い無い。」と思い返して、をお世話取りすると、なぜか心が和む全よ、ふ、ぼ、く、がお、さ、づ、け、を取り次いであらためて、一生懸命、努め始めたそのです。そうして、何回も心を助けら年祭活動を推し進めれば、これほど力うです。れました。だから、お礼を言いに来た強いことはありません。お、さ、づ、け、のお取り次ぎと十二下りののです。」と、全く信仰のない看護師お願いづとめが連日続けられ、部内のがお礼に来られた。教祖年祭はた、す、け、の旬、たすかる旬会長さんやよ、ふ、ぼ、く、の方々が、何とか話せなくても、直接お、さ、づ、け、を取りです。普段よりも増して、親神様のおという思いから、皆が真剣にお、さ、づ、け、次げなくても、「何とかこの人にも助働きを肌で感じることができるのが年の取り次ぎに励まれたそうです。奥様かって頂きたい。」という思いが、人祭の旬です。動かなければ勿体ないとも必死でお、さ、づ、け、のお取り次ぎを実行の心に働き掛けることがあるというこいうことに尽きます。そして、「何でされました。と。その大教会長さんは、回りが意識もお、た、す、け、」というその気持ちに神様そのとき、「助かりたい、助かりたがないと思っていただけで、本人の心が働かれ、教祖が導かれます。いでは助からん。助ける理が助かる。には意識があって、おたすけを実行さこれも教祖年祭のときの話です人様の助かりを願わなければ助けて頂れていたのかも知れません。が、立教年の秋の大祭で、ある大教けない。」と思って、またお、た、す、け、に結果、自らの身上を通して、部内教会長さんが諭達を聴いて感動され、「こ拍車が掛かったそうです。会長・よ、ふ、ぼ、く、・信者の方々の成人を、れからはお、た、す、け、や」といって、帰っ1年9ヶ月して、意識は戻らないま身を挺して行われた。年祭を待たずして来られた翌日、町の役所の用事からまで退院すると、1人の看護師がお礼て出直しはされましたが、教祖年祭を帰ったときには様子がおかしく、いびに来られました。自ら率先して通られた結果ではないかきをかいて寝ておられるのです。医者大教会長さんの奥さんが「いままで、と思います。である息子さんが診ると、瞳孔が開い面倒をみてくださってありがとうござているので、すぐに病院へ救急搬送すいますと、お礼を言うのはこちらからまた、教会としては、外へ向かってると脳内出血で意識不明、2・3日のではないですか?」と言うと、「実は、の布教と内への丹精という2つの重要13○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号150200かさおか課題があります。とないときへ繋がっていきますある大教会長さんが会長就任に際しし、繋げていかなければなりませて、元気のある教会はどう違うのかとん。常に、道を後生へ伝えていくいうことで、いろいろな教会を回られ、努力を怠ってはいけないのです。外へ向かって布教している教会が元気教祖にご安心いただくには、時があるという結論が出たそうです。間が必要です。お喜びいただくこ内への丹精も必要ですが、外に向とは1回のは、こ、び、でできるかも知かっての布教、直接的な戸別訪問、れませんが、ご安心いただくにはに、を、い、が、け、、地域の方々との繋がりを時間が必要であり、内容が伴わな大切にしていく、そういった外へければいけません。の布教が肝心で、地域に根差した教会後2年ですが、教祖にご安心いのそういう姿が望まれていると思いまただける三年千日の道を通らせてす。もらいたいと思います。残り2年、成人の旬としてどの▼教祖にご安心いただける年祭活動をようなお導きがあるのか、先を楽教祖の年祭は、動いたら、動いただしみに通らせていただきましょけの働きをご守護いただけます。う。教祖お一人から始まったこの道を、苦労を楽しんで通る残りの年限先人はひ、な、が、た、を心の頼りとして懸命に、年祭当日、教祖に「よう頑張っに通り、その成果を私たちに残してつたな。」と、こう言われる通り方ないでくださいました。を目指していきたいと思います。これから、その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと伝承していくのは、私たちの使命であり、引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となります。残り2年となったこの3年の動きが、次の年祭・立教年というまた春季大祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には一列こどもの陽気ぐらしを楽しみにこの世と人間を御創造下されたばかりではなく「いちれつのこどもがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなり」と親心をもってお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私どもはこの思いにお応えするべく日々は朝夕に御礼申し上げつつたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にもこの月二十六日は教祖が世界だすけの為扉開いてろくぢに踏み均しに出られた尊い日柄に当たりおぢばでは春の大祭がつとめられますので当教会でもその理にならい只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて春の大祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中をも厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本年は教祖百四十年祭に向けて三年千日と仕切っての年祭活動二年目の年であります大教会で定めた方針と目標それぞれの教会で定めた目標と実践項目のもと一年目の動きを継続発展させてより一層ご存命の教祖にお喜び頂けるよう努め励ませて頂く所存でございますまた本日は世話人板倉知幸先生に初めてお越し頂いておりますお聞かせ頂くお話を時旬のおぢばの声として真摯に受け止めこの二年目の成人の歩みに繋げさせて頂きたいと存じます何卒親神様には陽気ぐらしを目指してたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号14○立教百八十七年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者岡﨑真一淺野明教賛者佐藤真孝指図方門脇元教講話板倉知幸先生三月講話中島誠治区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前佐藤道孝田今川昌彦中中村義太郎渡大教会長様門前会長様上上原繁道山大教会奥様上前奥様中田中ますみ山岡﨑真一淺谷内伸自虫中村剛山三島渉内吉岡壽高虫明立生赤佐藤香苗岡門脇加津内今川佐智子三中村邉脇原野原村野野明田海木木﨑海島半後半隆之中島誠治道德田林久嗣隆夫上原繁次元教上原志郎浩吉岡誠一郎弘実横山逸郎順子武内正美初美横山小智榮なつ吉岡八恵明教杉原善朗立生岡田誠敏教佐藤真孝史郎三代温生昭祥谷内秀自素志岡﨑真一豊子谷内美知子安子上原千枝子照美室悦子かさおかかさおかビンゴゲームで、いつもの笑顔になって散会3016>直轄委員部長・委員研修会開催婦人会笠岡支部(上原きよの支部長)は2月3日、大教会で直轄委員部長・委員研修会を開催し、人が受講しました。時からの開催ですわりつとめを行った後、支部長様から年祭活動2年目を迎えた本年の支部の動き、大教会の動き、婦人会長様の思いなどについてお話しがありました。29婦人会コロナ禍の3年間で動きが止まっている教会は、どうしたら教会に足を運んでもらえるようになるか考え、丹精のための動きを作ってほしい、教えを学ぶだけでなく、学んだ教祖のひながたを自らが行って、通って、その姿を日々周りの人たちに見せることも大切であると、話されました。又、感話では、「お役を頂いて」と題して、田中つかさ女子青年担当者と吉岡八恵ホットテラス担当者が、それぞれの思いをお話しされました。午後からは、5班に分かれて、今後の歩みについて、ねりあいを重ねた後に、本年の動きについて、銘々心定めさせて頂き、お楽しみ行事のビンゴゲームで和やかな時を過ごすこともできました。最後に、武内正美委員は、教会は、それぞれ教祖にお喜び頂きたいという歩みを止めないよう、定めた心をこつこつとつとめさせて頂きましょうと閉講の挨拶をされ、勇み心で終わらせて頂きました。(記録係桑田恵美子)談話室島根教区教誨師三代温生氏に感謝状感謝状あなたは多年にわたり教誨師として矯正施設における被収容者の指導にあたられその功績は誠に顕著でありますよってここに深く感謝の意を表します令和五年六月二十七日広島矯正管区長日向正己本年の歩み方についてねりあう参加者年祭活動の歩み方を話される支部長様15○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号101月日島根教区会議の冒頭に、稲葉教区長より、代読のあと、授与されました。このような感謝状は滅多にお目にかかることは出来ません。と教区長からも祝意を頂かれた。三代温生先生は年間、教誨師として継続して務められてこられました。被収容者の更生への指導にあたられて、人のため世のために必要な人間へと更生への道を、導いてこられました。その中には、親身な心が通じた被収容者からの手紙が数十通あります。御礼やら今後の真っ当な気持を正直に書かさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号16○いてあったそうです。もう高齢で認知気味な私です80=30先生は、受け持ち時間の%を被収が、これを伝えずして、三代温容者の話しを聞いて、心が軽くなった生先生への恩返しの一分に成りら、教理をもとに心の持ち方、人とのましたら幸いで御座います。関わり方、親兄弟への想い、そう云っ(かさおか編集掛OB)た事を取り次いでこられたのです。先生は、道一条を真っ直ぐにお通りに成り、心から、教祖のように伝えられて、崇高な面持ちで、信仰の信念を、信じて疑わず、推し進められます根性があるのです。今年1月のある日の昼前、私は車に前会長(父親)の厳しい教訓と叱責をガソリンを入れ、その帰りに食材を買も手本とされる孝行者、更には、奥様うためスーパーに寄り、グッドタイミへの愛情は、これに勝る人は見ングで入口近い駐車スペースが空いた受けません。ので、そこに頭から突っ込み、買い物今日の受賞への道のりは、奥様の理を済ませて出た。解や協力が無くしては在り得ない昼時なので切れ目ない車の動きに注と申し上げても過言ではありません。意しながらバックさせていると、左側今後の活動の上にも、共々に歩んで後部座席の窓ガラスをドンドンと強く行かれるものと、拝察しながら。叩く男性がいた。何事かと思い助手席の窓を開けて「なにッ!」と見知らぬ歳くらいの男性に向かって言った。男性は「身体が当たって足をタイヤで踏まれた。」と言うのだ。「当たり屋かッ!」と思いながら、車はその状態にしたままエンジンを切って男性と店内に入り、私は店員に「当たってもないのにいんねんを付けられている。」と30話すと他の店員と相談した後、警察を呼んで下さい。との事だった。私は放置した車を移動させなければと一旦車に戻った。その間男性は店内の休憩スペースで椅子に腰掛けて待っていた。私は車に戻った途端、警察を呼んで時間を割くのがバカバカしく思い、「こんな男性に付き合っていられない!」と思い無責任にもそのまま男性に声も掛けずに家に帰った。分程して家に2人の警察官がやって来て、「被害届が出てます。」と言う。スーパーの防犯カメラで割り出したそうだ。それから免許証・車検証・保険証のコピーを取られ現場検証があると言われ、スーパーに戻る事になって実地検分が行われた。警察官は「今後本人、または保険会社から連絡があるかもしれないので」と私の携帯電話を聞いた。続けて、「先方が医者の診断書を出してあなたが示談に応じなかった場合、車の方が悪いとの位置づけだから刑事事件扱いに発展するかもしれない。」とまるで脅しの様な事を言う。その場はそれで終わりとなり私は、歩くより遅いスピードでバックしている車に当たった、足を踏まれた、と言い放つ男性に腹立たしい思いで家に帰った。その後1時間程して同じ警察官から電話があり、先方が大きな怪我もないので被害届は取り下げる、との事だった。男性は「私の第一声に腹が立った。」と言う。すぐに謝ってくれていたら警察に連絡する事もなかった。と男性の話を警察官が伝えてくれた。思わぬ事態に出くわした時には冷静な判断で対応しなければと反省した出来事だった。(む)
かさおか

『かさおか』第63巻 第1号

立教187年1月号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-13141○立教187年(令和6年/2024年)1月21日第63巻第1号立教百八十七年明けましておめでとうございます昨年は教祖百四十年祭の三年千日活動一年目として、全教会一斉巡教を行い、各教会が定めた「目標と実践項目」のもと、成人の歩みを進めていただきました。それぞれの持ち場立場で精一杯おつとめくださり、誠にありがとうございました。本年は元日から大地震という大節をお見せいただきました。この節を、成人を急き込まれる親心からお見せいただく姿だと受け止め、一人ひとりが自分にできるたすかりへの願いと実践行動につなげて、年祭活動二年目が勇んだ一年となるようにつとめさせて頂きましょう。笠岡大教会長上原明勇かさおか立教187年(令和6年/2024年)1月21日第63巻第1号2○186立教年年末大掃除管理部(虫明立生部長)は月日、午前9時から大教会に繋がる教会長・よふぼく・信者など約人が参加して年末大掃除が行われた。事前に声をかけた有志数名で、当日午前7時半から今年初めてブロアーを使用して手の行き届かない鴨居の上部や欄間の隙間、階段下など埃を吹き落とし事前準備を行った。午前9時より集まった人たちで大教会長様のお手に合わせて三殿を礼拝後、各部署に分かれて大教会内の大掃701222管理部除が始まった。男性は神殿内の神床・上段・参拝場と順番に長梯子・三脚・ビデを使いはたき・ブロアーをかけ水拭き空拭き後、畳拭きと掃除を進めた。また神殿廊下の外窓の拭き掃除も中庭から梯子をかけ高所作業が行われ新年に備えた。婦人会は神殿内の雑巾の手配を初め、教会内の各部屋の清掃、トイレ掃除・窓拭き・食堂ひのきしんとそれぞれの持ち場で勇んでつとめた。正午を過ぎて神殿に居合わせた人達で三殿礼拝をし、大教会長様は綺麗になった神殿で年末年始を迎えられると皆に労いの言葉を述べられ、今年一年の締めくくりの年末大掃除を終えた。訃報ピカピカになった上段1223高校受験勉強会実施学生担当委員会(上原繁次委員長)は、月日、大教会で「高校受験勉強」を実施し、3人の受験生が参加した。この日は、塾の講師をしている委員2人が、それぞれが受験する学校の過去問題などの解説をした。参加した受験生は、本番に向けそれぞれの課題を見つけ意欲を高めた。学担122987121573森川美雪さん弓ヶ濱分教会前々会長月日出直されました。享年才本多一男さん西伯分教会前会長月日出直されました。享年才三嶋正教さん笠尋分教会長1月3日出直されました。享年才64数学、英語、理科などのポイントを指導10891861225上原眞雄さん大教会承事、ニューヨークジャージー笠岡布教所長1月日出直されました。享年才大教会だより=人事=立教年月日付青年会委員長瀬藤大喜副委員長三代幸徳〃岡﨑治喜〃藤井成人委員上原喜三〃上原一始〃佐藤孝祐〃森本忠一〃岡﨑一真〃淺野芳明〃枝廣正寛〃田中正之〃田中真実〃三嶋文昭〃瀬藤勇希〃瀬藤俊希3○立教187年(令和6年/2024年)1月21日第63巻第1号かさおか〃瀨良優介〃余村元〃三代拓己〃津森美教〃丸山優樹〃丸山隼人〃山野大地〃坂井幸生◎第九八八期修養科自立教年月1日至立教年月日*教養掛(○主主任、○副副主任)一ヶ月目○主上原志郎(大教会役員)○副北川壯一(稲讃分教会長)二ヶ月目○主淺野明教(大教会准役員・ひろさと分教会長)○副三代拓己(松都分教会長)三ヶ月目○主門脇元教(大教会役員・島根分教会長)○副藤本晴司(西村分教会長)*修了者186186121027187福山海松ヶ岡芦品福冨士松都大江橋田中誠実森本忠一青木茂男北田智美齋藤志満子村川陽子◎立教年春季大祭参拝(丸数字は当該月に)笠岡講社前会長様福山大教会長様髙屋田中隆之神邉中島誠治島根岡﨑真一久松岡﨑真一鶴山②岡﨑真一弥髙山田中隆之陽備前会長様摩耶武内正美金浦上原繁道興明中島誠治ひろさと前会長様陶山大教会長様芳井武内正美海松ヶ岡前会長様東悠岡﨑真一吸江門脇元教照陽中島誠治輝美濃岡﨑真一新山邑大教会長様呰部上原繁道明石市大教会長様上下前会長様府中市大教会長様東城②上原志郎服部武内正美島中中島誠治驛家田中隆之葦陽岡﨑真一湯田原上原繁道備中上原繁道神昭中島誠治美之郷中島誠治錦備②上原志郎神免④上原志郎皆さま明けましておめでとうございます。新たな心で年祭活動2年目を歩み出しておられる事と思います。さて私はと申しますと、昨年、教祖年祭三年千日踏み出しの年の月から3か月間、2度目となる本部修養科一期講1014027師を勤めさせて頂き、年末日に修了の日を無事迎えさせて頂いて自教会へと戻らせていただきました。この旬に勤めさせて頂いた、講師としての3か月は、私にとって大変貴重な、そしてありがたい時間でありました。普段、なかなか手につかない教祖伝の勉強も少しばかりですがさせて頂く事が出来ましたし、クラスの修養科生さん達との交わりの中で見せて頂く御守護も、感動や感激も、すべてがありがたく勿体ない日々でした。なかでも、クラス全員の心が一つになった事で見せて頂けた大きな喜びは、生涯忘れる事のない心の宝です。決して喜び勇んでお受けした一期講師の御用ではありませんでしたが、結果として私自身は大きな喜びで心を満たして頂く事が出来ました。いま私たちが歩む旬の中には、自分にとって都合の良くない事、また苦手な事にも向かわねばならない時もあると思います。しかしすべては神様がお与え下さる事で、それは成人へのお導きであり、大きな喜びの種であると感じさせて頂いております。この御用を御命じ下さいました大教会長様、ありがとうございました。(や)かさおか立教187年(令和6年/2024年)1月21日第63巻第1号4○十二月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には『月日にわにんけんはじめかけたのわよふきゆさんがみたいゆへから』と子供かわいい一条の親心で御守護下さり陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私どもは日々朝夕に御礼申し上げつつ教祖の道具衆としての自覚のもと教祖百四十年祭に向け三年千日と仕切っての歩み出しの年をより一層の成人を目指してたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも月日は過ぎ行き本日は早くも本年納めの月次祭をつとめる日柄となりました改めて本年一年を振り返り至らぬ点は来年に生かすべくしっかりと反省し本年賜りました御守護の数々に改めて御礼申し上げるべく只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には寒さ厳しき中年末の慌ただしさをも厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年が改まれば年祭活動二年目の年でございます「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の活動方針のもとそれぞれの教会で定めた目標と実践項目を継続すべきところは継続し改めるべきところは改めてなお一層活発な動きとなるように邁進させて頂く所存でございます何卒親神様には本年残された日々をたすけ一条に努め切り新たな年により一層の成人をお誓い申し上げる皆の誠真実の心をお受け取り下さり万たすけの上に自由の御守護を賜りましてお望み下さる陽気ぐらし世界に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十六年十二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者森本忠善渡邉隆夫賛者上原繁次指図方田中隆之講話門脇元教二月講話学生層育成者講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝岡﨑真一谷内伸自横山逸郎虫明立生三島渉淺野明教谷内秀自杉原善朗大教会長様田中隆之中島誠治前会長様中村道德今川昌彦上原繁道森本忠善吉岡誠一郎大教会奥様門脇加津武内正美前奥様中村初美山野なつ田中ますみ田中つかさ上原千枝子門脇元教岡﨑治喜上原浩中村剛赤木素志内海史郎吉岡壽高木昭祥渡邉隆夫谷内秀自田林久嗣山田敏教中村義太郎淺野明教佐藤真孝佐藤真孝岡田誠上原繁次上原順子谷内美知子内海安子今川佐智子岡﨑豊子室悦子佐藤香苗高木孝子横山小智榮
かさおか

『かさおか』第62巻 第12号

○1立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314西伯分教会大正12年10月25日設立大正13年3月5日設立奉告祭昭和5年5月5日神殿竣工奉告祭平成12年4月30日移転建築奉告祭立教186年12月号立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号2○広島平和公園で外国語パンフレット配布海外部(上原志郎部長)は月9日、晴天の中、広島平和公園へ外国語パンフレットを持って7人でにをいがけに行きました。公園内でまずおぢばに向かい世界平和を願ってよろづよ八首をおどらせて頂き、それから3グループに分かれて約1時間程歩きました。外国人旅行者が大変多く、現在世界で起こっている戦争を踏まえ世界平和への意識がとても高い事が感じられま11海外部した。パンフレットを配らせて頂いても人間ではどうしようも治まらない戦争に対して宗教への関心が高いためか多くの人が受け取ってくださいました。とても有意義な時間を過ごさせて頂きました。(部長上原志郎)参加者の声芳井分教会佐藤和代アメリカ、オーストラリア、オーストリア、ドイツ、イタリア、フランス、ルクセンブルク、ネパール、カナダ、イギリス、スペイン、カ国の人々にチラシを配ることができました。月9日海外伝道初主催で広島平和公園のあたりにパンフレットを配りに行ってきました。7人で参加しました。記念碑の前では、様々な国の人々が平和を祈っていました。コーラス隊の外国の学生さん達が平和の祈りの歌を歌っている後ろで、涙されてる外国の女性が印象的でした。とても刺激的な体験となりました。ありがとうございました。けに参加させていただきました。英語は、どちらかというと苦手で挨拶もできないので、最初はとても不安でしたが、秋晴れの空の下、皆さんと一緒によろづよ八首を踊らせていただき、そんな不安もどこかに行ってしまうような晴れやかな気持ちになりました。にをいがけは、英語が堪能な方と一緒にハイ回らせて頂きました。私は、一言「Hi!」としか言えず、英語の会話をじっと聞いているだけでしたが、他愛もない話や相手のことについて質問したりとコミュニケーションをとられていて、最後にパンフレットを渡すとすんなりと受けとってくれ、どんな教えか質問も111111海外部21してくれました。今回のにをいがけで英語力も必要ですが、コミュニケーション力、たとえ英語ができなくても、笑顔でコミュニケーションをとろうという姿勢が大切で、また神様がきっと良い御縁を下さると神様にもたれて、自信をもって声をかけていくということが大切だなと感じました。海外伝道講習会開催月月次祭海外部(上原志郎部長)は月日、足立正文先生を講師に迎え、大教会月月次祭後に「海外伝道講習会」を開催。役員・部内教会長・よ、ふ、ぼ、く、・信者ら多数が受講した。足立先生は、淡々としたなかにも、終始一貫「世、界、た、す、け、」をテーマに、情熱あふれる思いを縷々お話しくだされた。講話内容は次の通り(挨拶・敬語を省いて、ほぼ原文通り)。英会話を楽しみながらにをいがけドイツから来日した人たちにドイツ語のパンフレット1111かさおか福勇分教会鳥井悠加初めて海外部での平和公園にをいがただいまご紹介いただきました足立正文と申します。私は、教祖年祭の110かさおか15翌年から年間、南半球のオーストラに、私は必ず「今日もまた、世、界、た、す、の屋敷にいんねんあり。このたび、リア第3の都市ブリスベンにある天理▼国内で信仰できることの喜びけ、の御用にお使いください。」とお願世界一れつをたすけるために天11教オセアニア出張所の初代所長という年前にオーストラリアから帰国いすることを日課としています。降った。みきを神のやしろに貰い立場で、世、界、た、す、け、の尊い御用にお使し、お、ぢ、ば、で生活する中で、特にあり本日ご参拝の皆様の中にも、同じよ受けたい。いいただいていました。帰国後は、海がたい・結構だといつも感じているのうに、「世、界、た、す、け、の御用にお使いく親神様は、「世界一れつをたすける外部北米オセアニア課の御用の傍ら、は、毎朝のご本部の朝づとめに参拝し、ださい」とお願いされる方も多いでために」とはっきり仰っています。天理教語学院(TLI)で日本語を学ぶ神殿まで通って、か、ん、ろ、だ、い、を拝してしょうが、一方では、「世、界、た、す、け、」「世、界、た、す、け、」の「世界」とは、「世留学生が寄宿する海外ふるさと寮の寮お、つ、と、め、を勤め、親神様・教祖に直接と常々に言われるが、「世、界、た、す、け、と界一れつ」のことです。つまり、「世長も兼任していましたが、その後、天お礼を申し上げることができるという言われても、私には直接関係ないな。」、界中の全ての人間」のことです。親神理大学へ出向、以来、主に天理大学のことです。あるいは、「生活するだけでも精一杯様は、「お、ぢ、ば、のある大和地方に住ん国際交流関係の御用に携わって現在に私達、この道を信ずるお互いにとっの私などには大それたことだ。」と感でいる人」だけを助けたいのではあり3○立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号至っています。て、自分の望んだ好きな時に気軽にお、じられる方も、もしかするとおられるません。「当教会のある岡山県、あるこの度、当教会の海外伝道講習会のぢ、ば、に帰り、か、ん、ろ、だ、い、の前に額ずくのではないかと想像します。しかし、いはお隣の広島県に住んでおられる講師を仰せつかり、安請け合いして出ことができる。あるいは教祖殿に出向果たしてそうでしょうか?そういう人」だけを、あるいは「日本という極てきました。これまでは飯降政彦先生いて、ご存命の教祖に直接ご挨拶を申考え方を、よしとして良いのでしょう東の小さな島国に暮らす日本人」だけをはじめ、本部の高名な先生方が講師し上げることができる。そしてお礼やか?を助ければそれで良いとは仰っていまを務めてこられたとお聞きし、大したお願いをできるということが、どれほせん。経験のない未熟者の私が果たしてご期どありがたいことか、どれほど幸せな一方、別の見方をすると、お道では世界中、この地球上の全ての人間を待にお応えできるだろうかとの不安もことか。皆様の中には、当たり前のよなぜ「世、界、た、す、け、」ということが常々1人残さずたすけ上げ、その人間たちありましたが、これも神様の御用、世、うに思われる方も多いかもしれません言われるのでしょうか?なぜ私達こが兄弟として互いにたすけ合い励まし界、た、す、け、に繋がる御用であると私自身が、お、ぢ、ば、から遠く離れた海外に長年の道の信仰者は、「世、界、た、す、け、」を目合いながら仲良く陽気に暮らすことをに言い聞かせながら、大役をお受けし住んでいた者にとっては、強くそう思指すのでしょうか?いや、目指さなご覧になり、親神様もまたともに楽し10た次第です。皆様の世、界、た、す、け、の御用います。ければならないのでしょうか?みたいとの思いから、天保9年月ののうえに、あるいは信仰生活のうえに、その答えは、『稿本天理教教祖伝』、・旬刻限の到来とともに、この世の表に多少なりともお役に立てればと念じな▼「世、界、た、す、け、」は本教の本旨であり、『天理教教典』の冒頭に記されている、御現れになり、その目的のために中山がら精一杯努めたいと存じます。どうこの道の信仰者の大義いわゆる立教のご宣言に目をやれば明みき様を神のや、し、ろ、に貰いうけ、以来、ぞ最後までお付き合いよろしくお願いその朝づとめに参拝し、日々のお礼らかです。教祖を通してそのお思し召しを伝えてします。を申し上げ、身上者のお願いをする中我は元の神・実の神である。ここられました。6501032080500505028043220立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号4○174「世、界、た、す、け、」は本教の本旨であり、「世、界、た、す、け、」に向かって努力をし続陸に教会名称の理が許され、世界の一方、ニュージーランドには、布教所この道の信仰者の大義と申しても過言けなければならない。そうすることが以上の国地域に教祖の教えが伝わり、が2ヶ所あります。そして、この両国ではないでしょう。私達、教祖の御教えを応じる者の使命その結果、今年月現在海外教会ヶに在住するよ、う、ぼ、く、総数は約名、子であり、義務ではないでしょうか。所、布教所ヶ所が設立され、世、界、た、供も含めた信者が約名、合わせて約このことについて、真柱様は神殿講す、け、の御用に直接携わっておられま名です。話の中で、次のように述べられました。▼海外での「世、界、た、す、け、」の歴史す。オセアニアの道は、昭和年、天理立教以来年、教えは伸び広がそうした「世、界、た、す、け、」の熱い思い今申した海外の教会・布教所の中に教青年会創立周年の記念事業の一つり、日本国内のみならず世界各地を我が事として、道の先人先輩たちは、は、もちろん当笠岡大教会の理に繋がである留学生の海外派遣がきっかけでに教会や布教のための拠点が設け教祖5年祭が勤め終えられてまもないる海外拠点も含まれています。例えば、始まりました。以来数年、現在の教られ、またお、ぢ、ば、でも教義の確立、明治年頃から、海外への布教伝道のアメリカ、ブラジルには布教所が設け勢までの道の進展をご守護いただいた2629教団組織の整備がはかられる一方機運の高まりとともに日本を飛び立られ、その他にも、アフリカのタンザことは、素晴らしいことであり、そので、境内地は広がり、形のふ、し、ん、ち、海外に出て行くようになりました。ニアの支援活動が実施されているとお間、どれほど多くの方々の真実の伏せは大いに進みました。しかし、姿特に明治年のいわゆる内務省秘密訓聞きしています。込みがあったかは申すまでもありませ形はどれほど移り変わろうとも、令の発令によって本教への取り締まりこのように、遠く海外の地にあってん。そのいずれもが、あくまで立教のが一気に難しくなり、国内では布教伝も、当教会の理に繋がるよ、う、ぼ、く、・信大目標である、世界一れつをたす道を行うことが難しくなったことをう者が在住され、親神様の望まれる「世、▼「世、界、た、す、け、」の人材育成けるために整えられたのであるとけ、その布教の情熱を海外へ向けると界、た、す、け、」という大きな志を胸に、日その現場で、本部の拠点をお預かりいうことを忘れてはならないと思いう事情が一方ではあったそうです。夜に、を、い、が、け、・お、た、す、け、を始めとする、していた私自身、いつもどこか何か心30います。従って、例えばどの教会そういう流れの中で明治年以降「、世、様々な御用を勇んで務めておられまに引っかかる、あるいはモヤモヤとしのどんな活動も全て世、界、た、す、け、、界、た、す、け、」の志を胸にたくさんの布教す。本当に尊い素晴らしいことです。た思いがありました。それは何か陽、気、ぐ、ら、し、に繋がっていなければ師が海外を目指したのです。朝鮮半島と申すと、確かに教勢は着実に伸び、15ならないのです。から始まり、台湾・中国・満州・東南ア参考までに、私が年間に渡って御よ、う、ぼ、く、・信者数も、年々少しずつ増この真柱様のお言葉からも明らかのジア・アメリカ、さらにはロンドン・南用の機会をいただいたオセアニア管内えてはきているが、果たしてこんなように、この道を信仰するお互いは、洋など。(お道の教えが広まっているのは、主ペースで、世、界、た、す、け、の実現にどれだこの「世、界、た、す、け、」という究極の目的記録によれば本教の初の海外布教でにオーストラリアとニュージーランドけ近づいているのか、この現実に満足130かさおかを常に心に留めながら、その実現のたある朝鮮布教から数えて今年はちょうの2カ国)の現在の教勢について申すして良いのだろうかという思いでしめには何をしなければならないのかをど年になるそうですが、その間、道と、オーストラリアには本部拠点が1た。もう少し具体的に申すと、そ思案し、私達の日々の信仰生活の中では世界各地に広がりを見せ、世界5大ヶ所、教会が2ヶ所、布教所は4ヶ所。の当時のオーストラリアの人口は215○立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号かさおか45050000万人、ニュージーランドの人口が万人、合計2550万人になります。先ほどの約人で単純計算すると、よ、う、ぼ、く、・信者1人につき5万人余りを相手にしなければなりません。この人数で一体どうやって、この地域での世、界、た、す、け、を進め、陽、気、ぐ、ら、し、社会を築いていくことができるのだろうかということでした。残念ながら「世、界、た、す、け、」からは、あまりにも程遠いと言わざる終えないのが現状です。そういう意味からも、私達一人ひとりが「世、界、た、す、け、」を我が事として、もっと真剣に、積極的に「世、界、た、す、け、」を目指す人材を1人でも多く作り育て、現場に送り込む努力をしていかなければならないと、つくづく感じています。このことに関して真柱様は、別の年の神殿講話で、次のように仕込まれました。世界一れつをたすけるには、親の思いを体して世界中を駆け巡るよ、う、ぼ、く、の働きが欠かせません。また、もっともっと多くのよ、う、ぼ、く、が必要です。この教えを知らずに、身上事情を通してのお知らせの意味を解せない人々に、その意味するところを伝え、心の向きを変えてもらうには、教祖の道具衆としてのよ、う、ぼ、く、の働きがなければなりません。と述べられ、「世、界、た、す、け、」には、世界一れつをたすけたいとの親神様の思し召しを、他人事ではなく、我がこととして世界中を駆け巡る、もっともっと多くのよ、う、ぼ、く、が必要だと強調されているのです。言い換えるならば、私達この道のよ、う、ぼ、く、一人ひとりが、世界中を駆け巡るよ、う、ぼ、く、の必要性をしっかりと心に刻み、世界中を駆け巡る一人でも多くのよ、う、ぼ、く、を作り育てる努力を続けることを切に望まれていると拝察しました。その意味からすると、当教会では、全教に先駆けて半世紀以上前から、主に若い世代を対象とした英語講習会を実施して、英語のできる人材育成を進められ、現在まで続いているそうですが、それこそは、まさに将来の「世、界、た、す、け、」の人材を育成するという素晴らしい活動だと思います。▼海外での「世、界、た、す、け、」の実際それではここで、「世、界、た、す、け、」の志を持って、日々努力されているよ、う、ぼ、く、の方々をいくつか紹介したいと思います。私が長年住んでいたオセアニア地域においても、シドニー・メルボルン・ブリスベンなどの大都市から飛行機で何時間もかかるような片田舎のへんぴな場所、周りに教会・布教所どころか誰一人として教友がいない、そんなところで孤軍奮闘、教祖の教えを頼りに「世、界、た、す、け、」の志を持って地道にそして着実に信仰しておられるよ、う、ぼ、く、を、私は少なからず知っています。例えば、オーストラリア大陸の北の果て、インドネシアに近いところにダーウィンという町があります。その町に1人の熱心なよ、う、ぼ、く、男性が住んでいました。日本の大学で、体操選手として活躍し、卒業後、縁あって体操の指導者としてダーウィンに渡り、アイルランド出身の熱心なキリスト教信者と知り合い結婚、2人の子どもがいました。自宅に神様を祀り、毎日お供物を供え、朝夕のお、つ、と、め、を1人で欠かさずに勤め、お、つ、と、め、後のまなびで10は一下りずつて、を、ど、り、を勤め、お、ふ、で、さ、き、を拝読する。しかし家族は全く無関心で、全て1人で勤めます。私は、何度かこのお宅を尋ねたことがありますが、こんなへんぴな所で1人拍子木を叩いて、熱心にお、つ、と、め、を勤めている後ろ姿に心を打たれました。奥さんはもちろん、子供たちにも何とかこの素晴らしい信仰を伝えたいと、「世、界、た、す、け、」の志を持って努力されてはいましたが、「年経っても全く伝わらない」と寡黙なこの方が、ぽろっと漏らされたのが今でも私の心に引っ掛かっています。オーストラリア大陸の南の端にタスマニアという島があります。その州のホバート郊外の山中に、ある熱心なよ、う、ぼ、く、女性が住んでいました。ご主人はフランス系オーストラリア人、ホバートの有名なフレンチレストランでシェフとして働いていました。奥さんからすすめられて何度かお、ぢ、ば、が、え、り、され別席を運んでいました。自宅には神様の代わりにお、か、き、さ、げ、を祀って、毎日お、つ、と、め、を勤め、友人や知人に、事あるごとにお道の話をしていました。ある年、その方のお宅を訪れたとかさおか立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号6○き、八つのほ、こ、り、と十全の守護の英語版がトイレの中に貼ってあるのが目に留まりました。私が「どうしてトイレなのか?」と尋ねると、「トイレには、我が家に来られた方は必ず入る。トイレの中では他にすることがないから、貼っておくと必ずそれが読まれる。そうすると皆、本当に良いことが書いてあるわねと興味を持つ。それからお道の話を少しずつするんですよ。」ホバートには、他に誰一人信者さんはいませんでしたが、彼女は「世、界、た、す、け、」の志を持って孤軍奮闘、自分で出来るところから何とかこの素晴らしい教えを伝えたいと努力していたのではないでしょうか。その姿が、実に爽やかで印象的でした。また、ニュージーランドのマオリ族出身の女性ですが、年以上前に、夫婦や家族の様々な事情で生きる望みはないと悩んでいたときにに、を、い、がかかり、その後、お、ぢ、ば、に引き寄せられて修養科英語クラスを志願しました。お、ぢ、ば、では一生懸命に教義を勉強、おてふり・鳴り物を学び、ひ、の、き、し、ん、に励み、よ、う、ぼ、く、となって無事に3ヶ月の修養科を修了、母国ニュージーランド20に帰りました。早速、よ、う、ぼ、く、として身上や事情で悩んでいた家族・親族のお、た、す、け、にかかりました。周りの人々は皆、その女性のあまりの変わりように驚きました。また離婚した元夫が瀕死の身上で苦しんでいると聞き、何とかたすかってもらいたいと親身になって世話取りをし、毎日お、さ、づ、け、を取り次ぎました。すると元夫はしばらくして鮮やかなご守護をいただくと同時に、元妻のあまりにも変わった姿を目の当たりにして感激、再びプロポーズしたのです。そして、なぜ彼女はそんなに変わったのか。彼女をそこまで変えた天理教とは一体どんな宗教なんだと興味を持ち、、数ヶ月後、2人でお、ぢ、ば、が、え、り、、ご主人は別席を運んでお、さ、づ、け、の理を拝戴、晴れてよ、う、ぼ、く、となりました。そしてこの夫婦、新たな人生の再出発にあたり、今後の人生を人様のお役に立ちたいと、オーストラリア大陸のど真ん中にある有名なエアーズロックに近い、先住民アボリジニの人たちが集団生活する小さな村に入って、アボリジニの人々の教育や社会生活を支援する活動を行うことになりました。数百マイル四方、何もない荒れ果てた砂漠地帯の中での不便で過酷な生活環境ですが、人のために尽くす喜びを感じながら、「世、界、た、す、け、」の志を持って、夫婦で心を揃えて、勇んで頑張っておられます。次に、アフリカの教友の話をします。8年以上前ですが、アフリカのウガンダから天理教語学院に入学するためにお、ぢ、ば、が、え、り、した留学生がいました。ちょうど私が寮長として勤めていた海外ふるさと寮の寮生でもありました。語学院卒業後は修養科を志願、英語クラスで3ヶ月間、熱心に努めていましたが、ちょうどその年の英語クラスの一期講師を私が勤めるという偶然が重なり、彼とは何か深い縁があると感じました。修養科修了後、所属教会でしばらくの間、青年として伏せ込み。ウガンダへ帰国後まもなく、「長年ウガンダで布教し、現地信者を丹精していた日本人布教師が日本へ引き上げた」ことから、その彼が布教所長を継ぐことになりました。数年後、彼からメッセージが届きました。彼によれば、布教所長となって以来、地元の人々が少しでも幸せに暮らせるようにと、天理教ひ、の、き、し、ん、団を立ち上げて、様々な活動を行い、中でも、最も力を注いで38いるのが井戸掘り活動だと教えてくれました。その当時、ウガンダは深刻な水不足に見舞われ、自宅近くで清潔な水を利用できる人の割合が、全人口のわずか%。世界ワースト3位にランクされるという悲惨な状況で、今なおその状態は続いているそうです。私は3年半ぐらい前から『天理時報』の「おやのことば/おやのこころ」のコラムの執筆をしています。ある時、このウガンダでの井戸掘り活動を紹介したところ、思わぬ反響があり、大勢の読者から支援の申し出があり、集まった支援金を定期的に現地へ送金し、その資金をもとに、井戸建設、井戸掘りのための機器や資材の購入に充てています。彼によれば、この活動を始めてからこれまでに9基の井戸が完成し、それぞれの村に寄贈され、そのおかげで今では1万2千人以上の村人たちが、安全で清潔な飲水の恩恵を受けているということでした。言うまでもなく、この井戸掘り活動の根底にあるのは、まさに「世、界、た、す、け、」の志です。支援金を寄付する方々も、井戸掘り作業に直接関わる現地の教友たきょうだいちも、一れつ兄弟姉妹としてのたすけあいの心で、水不足に苦しんでいる7○立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号かさおか11人々に喜んでもらいたいと力を合わせ、その結果として、1万2千以上の方がたすかっている、まさに目に見える「世、界、た、す、け、」の姿であると喜んでいます。(『天理時報』立教年月日号に関連記事)ここまで紹介した、オセアニアやウガンダの教友の方々は、ほんの一部の例にすぎません。他にも似たような境遇で、「世、界、た、す、け、」の志を胸に、一生懸命に教祖の教えを伝えたい、広めたいと努力されている方々は、世界中にたくさんいます。もちろん当教会に繋がる皆様の中にも同じような境遇で、「世、界、た、す、け、」を意識しながら日夜、誠真実の心でに、を、い、が、け、・お、た、す、け、に励んでおられるよ、う、ぼ、く、・信者の方々が大勢おられるに違いないと想像しています。▼この道の御用は、ことごとく、「世、界、た、す、け、」に繋がっているただ、ここで皆様に心に留めていただきたいことは、今ご紹介した方々は、お、ぢ、ば、から遠く離れた海外で生活しているがゆえに、「世、界、た、す、け、」の志を持ってそのために努力されているので18610は決してないということです。海外在住のよ、う、ぼ、く、・信者の中には、一応信仰していることになっているが、所属の教会と疎遠になり、同じ地区に住む教友と全く関わりを持たず、世間の常識に流れ、世間の人と同じように、この道の信仰とはかけ離れた日常を送っている方々も決して少なくありません。逆に、お、ぢ、ば、から遠く離れた場所に住んでいようが、お、ぢ、ば、から近いところに住んでいようが、毎日の生活の中で「世、界、た、す、け、」の志を持ち、様々な御用を勇んで勤めておられる方々は、山ほどおられます。「世、界、た、す、け、」の御用は、日本にいようが海外にいようが、この地球上のどこに住んでいようとも、私達がその気になれば心一つでできると信じています。それでは「世、界、た、す、け、」の御用とは、一体何でしょうか?どのように進めていけば良いのでしょうか?教祖はた、す、け、一、条、の道として、つ、と、め、とさ、づ、け、を教えられました。その意味では、本日、一、手、一、つ、に陽気に勤められた月次祭のお、つ、と、め、も、「世、界、た、す、け、」の大きな御用の一つと申せます。実際におてふり・鳴り物を勤められたお、つ、と、め、奉仕者の方々はもちろん、参拝場で心を一つに熱心にみ、か、ぐ、ら、う、た、を唱和された参拝者の皆さん方も、「世、界、た、す、け、」の御用を共々に担ったことになりましょう。もちろん、お、つ、と、め、だけではありません。に、を、い、が、け、・お、た、す、け、こそは、「世、界、た、す、け、」の直接的な御用であると申しても過言ではないでしょう。金銭・物品のお供えもそうです。また、それぞれの教会・布教所・地域社会で実行されている様々なひ、の、き、し、ん、もそうです。草むしりや落ち葉掃き、トイレ掃除も洗濯も、食事の準備片付けも、たとえ布教伝道に直接関係ないことであっても、それが「世、界、た、す、け、」の御用に携わっている方々の役に立っていると信じて行うのであれば、どんな些細なことであろうとも、どんなに平凡なことであろうとも、それは「世、界、た、す、け、」に繋がっていることになり、「世、界、た、す、け、」の御用を担っていることになると私は信じています。そういう意味から、私達は、たとえ日本にあっても、ここ瀬戸内海地方にあっても、「世、界、た、す、け、」の尊い御用に大いに関わっているのだという自覚と誇りを持って、それぞれの御用を勇んでつとめるべきでしょう。▼「世、界、た、す、け、」の問題点一方、海外の地でも、名実ともに「世、界、た、す、け、」の現場に身をおいて、実際に「世、界、た、す、け、」の御用に日夜、努力されている教会長・布教師・よ、う、ぼ、く、の皆さんが毎日の生活の中で、異国の地・異文化の地にあるがゆえの、数えきれないほどの様々な問題に直面しながら、どうしたら現地の人々が教祖の教えを受けいれ、お、つ、と、め、を勤めてくださるようになるんだろう。どのように導けば、お、ぢ、ば、に帰り、別席を運び、お、さ、づ、け、の理を拝戴してよ、う、ぼ、く、になってくださるのだろう。そしてどんな丹精をすれば、共々に「世、界、た、す、け、」の志を持って、人たすけしてくださるようになるのだろうと、現場にいたらそんなことばかりを考え、試行錯誤を繰り返しているに違いありません。それではここで、海外布教の現場で直面する様々な問題についてお話しします。海外布教の初期の段階では、布かさおか立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号8○教対象が日本から移民した日本人が中心でしたので、日本の天理教をそのまま海外へ持ち出すという方法が用いられたと考えられます。しかし教えが様々な国・地域に広がっていくに従い、その方法が通用しなくなってきました。つまり、非日系人社会に浸透しようと試みると、従来の日本的な方法では受け入れられないことが徐々にわかってきました。教えは素晴らしいが、日本的すぎてついていけないという非日系人信者が増え、せっかく教会に足を運んでも、徐々に足が遠のき、しまいには二度と来なくなり、切れてしまう。そうなって初めて「受け入れてもらうには、世、界、た、す、け、を進めるためには、教理とは直接関係のない基本的なものをその国に合った受け入れられる形に変えて行わなければならない」となってきたように理解しています。しかし、なんでも片っ端から変えても良いのかと申しますと、もちろんそうではありません。絶対に変えてはいけないものがあります。つまり、変えていけないものと、変えても良いものを吟味・検討し、現地の人々が納得し、受け入れやすいようにすることが求められます。もちろん、これは国や地域文化や習慣などによって異なりますから、対応方法も国地域によって多少は違ってくると考えられます。日本国内にいて、こうしたことに直接関係のない方には、なかなか理解できませんが、先ほどから申している「世、界、た、す、け、」を推し進めるためには、こうしたことを少しでも理解できる、理解する努力を少なくともする必要があるのではないかと感じています。少し具体的な例を挙げます。本日は、月次祭が勤められましたので、この月次祭について考えてみると、まず変えてはいけないものとは、教祖が直接教えられたものです。例えば、お、つ、と、め、のメロディーやリズム、手振り、鳴り物の演奏方法など、これは、どこの国にあってもどの時代にあっても変えてはならないもので、教祖が教えてくださった通りにしなければならないでしょう。逆に、変えて良いものを考えてみると、例えば、祭儀式の形です。ここは日本ですからお、ぢ、ば、と同じように上段に円座を置いてその上に正座をして祭儀式を務められますが、海外では、円座の代わりに椅子を使う教会がますます増えてきました。私の居たオセアニア出張所も最初から椅子を使って祭儀式をつとめていました。お、つ、と、め、を勤める場合、鳴り物を勤める方も皆、椅子に座って勤めます。もちろん、八足も脚の長いものを使用します。それが良いのか悪いのか、円座を使えばご守護をいただけ、椅子を使ったらご守護はいただけないのか?そんなことはおそらくありません。日本は、高齢化社会となり、足の悪い方がますます増えていますが、今のままでは、足の悪い人、正座ができない人は、お、つ、と、め、奉仕ができないということにも繋がりますが、もし椅子を使うことになったら、そういう足の悪い方でも、月次祭でお、つ、と、め、奉仕をすることができるようになるわけです。日本においても、今後、そういう教会が増えていくことが、容易に想像できるでしょう。また、お、つ、と、め、の服装はどうでしょう?日本ではお、ぢ、ば、と同じようにお、つ、と、め、衣を着用されます。これは、教祖のご在世当時の正装であったと言われています。韓国や台湾では歴史的な背景から、日本的なものは禁止された150時代があったことから、以来、お、つ、と、め、衣の代わりに教服を着て、月次祭を勤めておられます。もう一つ例を挙げると、これは、最も難しい問題かもしれませんが、それは、お、つ、と、め、の地歌です。ご承知のようにお、つ、と、め、の地歌であるみ、か、ぐ、ら、う、た、は、今から年以上前に、教祖が大和言葉で教えられたものですが、日本語が分からない外国の方々には、到底理解できません。入信すると、まずお、つ、と、め、を覚えることが求められますが、日本語が分かろうが分からまいが、地歌やメロディー・手振りを覚えなければいけません。ところが地歌の意味が分からないから、なかなか覚えられない。そこに難しくて複雑な様々な手振りがあるから、ますます分からない。さらには、座りづとめに始まり、よろづよ八首から十二下り目まで長々と続くから、外国人にとっては、お、つ、と、め、を全て勤めるのはほとんど不可能と途中で諦めてしまうことが実に多い。想像してみてください。もし、み、か、ぐ、ら、う、た、が、例えば英語で書かれていたらどうでしょう?私達日本人にとっては、外国語である英語のみ、か、ぐ、ら、う、た、を覚えなければなりません。皆さんは、9○立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号かさおか簡単にできると思われますか?外国の信者さんたちは、そういうハンディを背負いながら何とか、み、か、ぐ、ら、う、た、の地歌を暗記しよう、手振りを覚えようと並々ならぬ努力をしています。韓国では、韓国語のみ、か、ぐ、ら、う、た、を使ってお、つ、と、め、を勤めます。ご本部の大祭や誕生祭前後、本部の朝づとめ後の教祖殿でのま、な、び、に詣ると、韓国の信者さんたちが、大きな声で韓国語のみ、か、ぐ、ら、う、た、を歌いながら、一緒に踊ります。殿内は日本語と韓国語のみ、か、ぐ、ら、う、た、の両方が聞こえてきて、多少なりとも違和感を覚えるでしょう。韓国の場合は、お、つ、と、め、衣の事情と同じように、終戦後、日本的なものは全て排除され、日本からの布教師は強制的に日本への引き上げを余儀なくされたそうですが、それに伴って、日本語で書かれたみ、か、ぐ、ら、う、た、を使うことを禁止されたという事情があり、韓国の信者さんたちは独自に韓国語のみ、か、ぐ、ら、う、た、を作り、以来、お、つ、と、め、を勤める時は、韓国語でみ、か、ぐ、ら、う、た、を唱えるしか方法がなかったという歴史があったということです。それをよしとするか否か、いろんな意見や考え方があります。韓国語のみ、30か、ぐ、ら、う、た、が許されるのであれば、他の外国語でも同じようにしたいという意見が、他の国地域からも当然ながら出てきます。ちなみに英語での試み、「英語で歌って踊れるみ、か、ぐ、ら、う、た、」、(Singable,DansableMIKAGURAUTA、略してSDM)という試みが、アメリカ・ハワイの2世・3世の教会長を中心に、年ほど前から始まっています。日本語の文法に大変よく似た韓国語とは違って、英語などのヨーロッパ言語は、そう簡単にはできないのが現状です。しかし、一方では、教理とは直接関係ない基本的なものを、その国にあった受け入れられる形に変えていくという考え方をよしとせず、日本国内の天理教のやり方をそのまま海外に持ち出すことが、親神様のご守護を頂戴できる最善の方法であるという考え方もあります。椅子も使わない。教服も着用しない。地歌も教祖が教えられた言葉を教祖語と捉え、日本語のままという具合です。皆様はどういう考え方をお持ちでしょうか?ここまで申したことは、ほんの一部の例に過ぎませんが、その他にも、これに似た問題は、「世、界、た、す、け、」の現場には山ほどあり、その最前線では、教会長・布教師の皆さんが、日夜それこそ身を粉にして、布教伝道を進めています。海外でのそうした「世、界、た、す、け、」への苦心を思えば、日本に住み、この教えが日本語で説かれ、み、か、ぐ、ら、う、た、も日本語で歌われ、日本語で人から人へと教えが伝えられる、そんな環境の中で育ち、信仰を深めてきた私達は、そのことをまず喜び、そうした苦労をする必要のない分、もっと積極的にもっと勇んで「世、界、た、す、け、」の志を持って、日々の様々な御用に取り組むことが求められているのではないでしょうか。▼今できるところから、「世、界、た、す、け、」の御用を推し進めてここまで「世、界、た、す、け、」について、その意味合い、それに向かって先人先輩たちの辿られた道、その志を胸に活躍する海外教友たちの姿、さらには、その現場で直面する様々な問題など、具体的な例を挙げながら話してきましたが、最後に、私自身の「世、界、た、す、け、」への思いを少しばかりお話しします。私が最初に「世、界、た、す、け、」を強く意識したのは、大学を卒業して、本部海外布教伝道部(現在の海外部)に入部して2年目に入った頃でした。ある日突然、アラビア語を習得するために3年間エジプトに留学せよとの御命をいただきました。アラビア語が話されている国・地域は、ほとんどがアラブ・イスラム圏で、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教以外の宗教は認められず、布教活動も禁止されている国・地域で、公に布教活動しようものなら、死刑になる国もあるほどです。そんなところですから、もちろん信者は一人もいません。なぜエジプトなのか、なぜアラビア語なのか、アラビア語を勉強してどうなるんだ、その時の私には、親の思いが全く理解できませんでした。このエジプト留学の話は、いかにも強面で口の悪い、しかし、人間的スケールのとてつもない、当時の海外布教伝道部次長であった某先生からの、有無を言わさない命令でした。2代真柱様に仕込まれたその先生は、某大教会長でもありましたが、その教会はインドネシアに布教所があり、長年インドネシアで布教活動を続けていました。その布教所の元となったのは、その大教会所属の1人の青年が太平洋戦争かさおか立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号10○110>で招集されてインドネシアに出征したことから始まります。しかし、出征まもなくして終戦。普通ならそのまま復員・帰国するところを、その方は「世、界、た、す、け、」の志からか復員せずに、そのままインドネシアに残り、現地で布教する道を選んだそうです。インドネシアは、イスラム教徒が人口の約9割を占めるほどのイスラム教の国で、公に布教活動などできない国です。しかしその方は、その後、現地のインドネシア人女性と結婚して家庭を築き、布教所を開設、屋外に音が漏れないようにひっそりと小さな声でお、つ、と、め、を勤め、家族親族を中心に、細々と、に、を、い、が、け、・お、た、す、け、に励まれたそうです。当然、布教の成果は一向に上がらない。そんな状況を長年にわたって目の当たりにした理の親でもあるその某先生は、親神様の思し召しである「世、界、た、す、け、」を進めていく中で、天理教が最終的にぶち当たる大きな壁はイスラム教だ。「世、界、た、す、け、」を実現するためには、そのイスラム教の壁を避けて通ることはできない。ならば今後か、3百年先あるいは5百年先か。その来るべき将来のために、今からイスラム教の本家本元の言語であるアラビア語を話し、イスラム教に通じる人材を数名育成するんだと壮大なプロジェクトを立ち上げ、実際に押し進められていたものです。私は、その熱い思いをその先生から直接聞いて、初めて親神様の望まれる「世、界、た、す、け、」を強く意識し始めました。そして、そのプロジェクトの一員として、私は、エジプト・カイロに派遣され、丸3年間、アラビア語を必死に勉強し、帰国後、教祖年祭を挟んで、次はアメリカの大学院で2年間、アラビア語とイスラム学を専攻し、帰国後は、海外部の翻訳課で細々とアラビア語の翻訳に携わっていました。しかし、いくら教義書の翻訳をすすめてみたところで誰がそれを利用するのか、アラビア語話者の信者さんなど皆無だったことから、翻訳課での御用もアラビア語は徐々に後回しとなり、それよりも目の前に需要のある英語での御用が急速に増えていきました。そんな中、教祖年祭が勤められてまもない頃、突然オセアニア出張所の設立準備を命ぜられ、その後、所長としてオーストラリアでの御用に専念することになりました。私の頭の中には、い100つの間にかアラビア語のことなど完全に忘れ去られ、以来、アラビア語に全く触れることなく、数年が過ぎ、アラビア語を使うことはもう二度とないだろうと確信していたのです。ところが、オーストラリアから引き揚げてしばらくして、天理大学へ出向となり、思いもよらぬ形で再びアラビア語を使う機会が訪れました。その一つは、天理大学には夕方に社会人向けに開講されているイブニングカレッジというプログラムがあり、その1言語として週1回、アラビア語のクラスを担当することとなり、今学期も4名の方々にアラビア語を教えています。もう一つ、ちょうど1年前、天理大学は天理市とJICA関西(独立行政法人国際協力機構)、その3者間の連携に関する覚書を1年前に締結したのですが、その締結活動の一つとして、今後5年間に天理大学の柔道部OB及び現役選手を長期及び短期のボランティアとしてエジプトに派遣し、エジプト柔道ナショナルチームを強化するというプログラムが立ち上がったのです。そのプロジェクトの担当員として、エジプトの留学経験がありアラビア語が話せるという理由から私に白羽の矢が立202030ち、今年3月柔道部の穴井監督とともに、実に数年ぶりにエジプト・カイロを訪れる機会をいただいたのです。5日間ほどの短い滞在でしたが、錆びついたアラビア語が日に日に戻ってきて、留学当時の日々を懐かしく思い出すとともに、その当時に、強く意識していた「世、界、た、す、け、」への熱い思いが私のところに再び蘇ってきました。それと同時に親神様が望まれる「世、界、た、す、け、」実現のために、今の時代では考えられないような3百年先とか5百年先とか、そういうところを見据えながらの人材を今から育てるという熱い思いを持って推し進められた壮大なプロジェクトの一員であったことを心から誇りに思うとともに、ロマンに満ち溢れた壮大な「世、界、た、す、け、」のその思いを忘れることなく持ち続け、次の世代に伝え、いつの日かアラブ・イスラム圏での布教伝道が展開される日を楽しみにしながら、今できるところから、「世、界、た、す、け、」の御用を推し進めていかなければならないとあらためて思いました。以上、ここまで「世、界、た、す、け、」について、長々と話しましたが、最後に、11○立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号かさおか140本日の話を締めくくるに当たり、現在の時旬について、一言お話しします。現在の時旬は、教祖年祭の三年千日活動の真っただ中にあり、その第1年目が終わろうとしているところです。諭達第四号には、私達よ、う、ぼ、く、が今取り組まなければならない、つ、と、め、について次のように具体的にわかりやすくお示しくださっています。よ、ふ、ぼ、く、は、進んで教会に足を運び、日頃からひ、の、き、し、ん、に励み、家庭や職場など身近なところから、に、を、い、が、け、を心掛けよう。身みじょう上、事情で悩む人々しんみには、親身に寄り添い、お、つ、と、め、で治まやりを願い、病む者にはお、さ、づ、け、を取り次しんぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。ここに示されるよ、う、ぼ、く、の務めは、本日お話ししたように全て「世、界、た、す、け、」に繋がっており、立派な「世、界、た、す、け、」の御用だと考えられます。皆様方には、この事を心に留めながら、年祭までに残された2年数ヶ月の日々を共々に喜び勇んで、それぞれの「世、界、た、す、け、」の御用にお励みくださることを心より希望して、本日の私のつとめを終えたいと思います。最後までご清聴いただきありがとうございました。和やかな懇談の後で足立先生と海外部員十一月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心と陽気ぐらしができるようにとの自由の御守護を賜り日々は結構に恙なく生活させて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は喜びと感謝の心一杯に日夜御礼申し上げると共に親心にお応えするべくたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てとお教え頂くおつとめをつとめる日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる様をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月二十九日には「ようぼく一斉活動日」の第一回目が開催され教会系統を越えて同じ地域のようぼくが寄り集い教祖百四十年祭に向かっての思いを共有させて頂きましたまた今月三日は婦人会が移動例会として伏せ込みおぢばがえりを実施させて頂きました来る二十五日には第九十七回青年会総会がおぢばにて開催され更に来月三日には青年会笠岡分会総会を開催致しますまた本日は足立正文先生にお越し頂き「海外伝道講習会」を開催させて頂きますお聞かせ頂くお話をしっかりと心に治め世界いちれつたすけたいとの親の思いに少しでも近づかせて頂く所存でございます何卒親神様には旬にふさわしい成人を目指しひたむきにたすけ一条の真実を尽くす皆の誠の心をお受け取り下さり万たすけの上に更なる自由の御守護を賜りましてお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます1123婦人会立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号12○ホットテラステラスマルシェ開催方々、本当にありがとうございました。拝して、会員さん同士、楽しく勇んでせていただきたいと思います。また次回、一人でも多く大教会に参語り合っていただけるよう、がんばら(ホットテラス担当西村由理子)婦人会笠岡支部(上原きよの支部長)ホットテラスは、月日、大教会でテラスマルシェと銘打って行事を開催、神殿で参拝、担当者のあいさつの後、ハンドマッサージやピラティス(一種の自重トレーニング)・花占い・足湯等の癒しのブースと、手作り品やパン・花の苗等の販売ブースを設けて開催しました。また、スーツ姿で胸にはバラを刺したステキな会長さん方による「ダディーズカフェ」では、スイーツをいただきながらおしゃべりもでき、真心のこもった癒しの時間となりました。名という大勢の会員さんが参加してくださり、アンケートでは「また開催してほしい」・「時間がもっとほしかった」という声があり、担当者一同とてもうれしかったです。開催にあたって、自分の癒しはおいといて、マッサージやネイルに励んでくださった会員さんたち、大勢の子供たちの託児ひのきしんや、おいしいランチを作ってくださった婦人会の27かさおか13○立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号かさおか1218青年会笠岡分会総会開催青年会笠岡分会(瀬藤大喜委員長)は月3日「青年会笠岡分会総会」を開催。委員人を含む、青年会員人の参加があった。今回の総会は「あなたと会いたい、笠岡で」をテーマに、9時分から全員で座りづとめ・よろづよ八首を大教会長様のお手に合わせてつとめさせて頂き、その後式典が行われた。3043青年会並んで始まりを待つ委員大教会長様のお手に合わせて式典は中山大亮青年会長様よりビデゴゲームの3種目で争い、他のブロッオメッセージ、大教会長様ご祝辞、そクの得点をはるかに上回り圧勝したのして今期新委員長となった瀬藤大喜さは髙屋ブロック。優勝した髙屋ブロッ31ん(歳、大惠山分教会教人)の挨拶とクには、今期笠岡分会のテーマである続いた。「つながり」という関連から、景品とこの日は、女子青年が女鳴り物をつして〝ツナ〟缶と〝ガリ〟ボリ(お菓とめ、婦人会が昼食のから揚げを準備。子)が渡された。たくさんの方々の協力を得て、賑やか瀬藤委員長は「これから笠岡につなにつとめる事ができた。がる委員さん、会員さん方と一緒に『心小休止をとった後、各ブロック毎のを澄ます毎日』のキッカケを提供でき6チームに分かれてのクイズ対抗戦でるような青年会を歩んでいく事が楽し盛り上がった。ジャンルクイズ、人気みです」と語っている。駄菓子のランキング当てゲーム、ビン(委員余村元)青年会長様よりのビデオメッセージ最後に、新旧委員会のバトンタッチ新委員長・瀬藤大喜さん挨拶かさおか立教186年(令和5年/2023年)12月21日第62巻第12号14○立教百八十六年十一月月次祭祭典役割表祭主大教会長様上原浩扈者横山逸郎内海史郎賛者三代温生指図方上原繁道講話海外伝道講習会春季大祭講話板倉知幸先生区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半上原志郎中島誠治佐藤道孝田林久嗣今川昌彦森本忠善岡﨑治喜山田敏教谷内秀自大教会長様谷内伸自岡﨑真一前会長様上原浩中村道德上原繁道虫明立生横山逸郎大教会奥様武内正美門脇加津前奥様谷内美知子中村初美田中ますみ吉岡八恵室悦子佐藤真孝淺野明教上原繁次吉岡誠一郎高木昭祥岡﨑治喜吉岡壽三島渉赤木素志中村剛岡田誠佐藤真孝谷内秀自三代温生杉原善朗中村義太郎田中隆之内海史郎佐藤香苗岡﨑豊子三島照美上原順子横山小智榮山野なつ今川佐智子田中つかさ上原千枝子112269◆モロッコ地震、リビア洪水救援支援募金の報告この度笠岡大教会で、北アフリカで起こった自然災害の救援支援の募金をお願いしてまいりましたが、月日の募金期日までに129,008円が集りました。支援をするのに様々な機関がありますが、この度は教会本部の動きがなかった為、以下の所に募金が生きてくるように寄付をさせて頂きました。トルコ地震に際して早急に現地入りし医療救援を始めているアムダ☞☞(AMDA)69,008円リビアに対して食料を中心に救援支援を始めているWFP(国連世界食糧計画)60,000円皆様の真実の寄付金を有難うございました。会長室・海外部訃報三代幸さん米府分教会前会長月日出直されました。享年才1021140今年も残りわずかとなりました。この一年間を振り返って考えると、教祖年祭の三年千日の1年目のスタートから自分が教会長のお許しを頂いて、2月に奉告祭を無事に有難く終えてから後の自分の通り方にとてももどかしい思いが沢山あった。それは、日々の生活や仕事が主になってしまって、教会として掲げた活動目標のにをいがけやおたすけとおさづけの取り次ぎが思うように出来なかった事を踏まえて、もっと身近な人や家族からでも率先して行けるように頑張りたいと思う。まだまだ未熟な自分だが、何とか少しでも日頃から活動目標を意識する事や、新型コロナウイルスも5類に引き下がった事もあるので、率先してにをいがけや信者さん方にもおたすけに繋げる様に話をしたりして些細な所からでも努力していきたいと思います。(う)
かさおか

『かさおか』第62巻 第11号

○1立教186年(令和5年/2023年)11月21日第62巻第11号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314弓ヶ濱分教会大正3年5月14日設立大正3年10月31日移転昭和25年7月26日神殿改築昭和53年4月16日付属建物増築昭和55年10月26日移転建築昭和56年3月7日奉告祭立教186年11月号立教186年(令和5年/2023年)11月21日第62巻第11号2○30232330委員部長後継者講習会開催9・大教会婦人会笠岡支部(上原きよの支部長)は9月日「委員部長後継者講習会」を開催。7人が参加しました。9時分開講、支部長様のお話、続いて心も体もリラックスして日頃の思いを各々に楽しく語りあうアイスブレイクをもち、委員部長達による心のこもった昼食を頂き、午後からは、女鳴物の練習、2時分閉講しました。支部長様から、婦人会活動の根本精神は、まぎれもなく「教祖のみ教えに婦人会基づくひながたの実践」である。互いに談じあい、諭しあい教会の底力になるように。そして「婦人会たすけ一条の道」代々が繋がるという事は陽気ぐらしへの道に続いていくと締めくくられました。支部長様お話女なりもの練習140113040午前時分、本部神殿でのお願いづとめの後、詰所で窓ふき、扇風機のそうじ、除草などのひのきしんを人余りの参加者共々にさせて頂きました。この日のおぢばは思いの外、夏日のような暖かさで教祖年祭にむかう心づくりの一環として嬉しい汗を流させて頂くことができました。(委員上原千枝子)かさおかアイスブレイク午後からの女鳴物練習は、普段中々手に取ることない女鳴物に触れ、短時間であったが真剣に勉強した成果を神殿で御供させて頂いた。月次祭・秋季霊祭に続いての開催であったが、スタッフを含む委員部長後継者達は心新たに年祭に向かうこの旬、老いも若きも心の成人を誓いあい散会しました。11婦人会(常任委員岡﨑豊子)おぢばがえり伏せ込みひのきしん団参実施婦人会は月3日(祝)におぢばがえり伏せ込みひのきしんとして移動例会を持たせて頂きました。3○立教186年(令和5年/2023年)11月21日第62巻第11号かさおか101522第回大教会長杯親善スポーツ大会開催月日に行われました大教会長杯親睦スポーツ大会は快晴のもと、ソフ102798会長室80トボールが行われ4チームがエントリーしてトーナメント方式で熱戦を繰り広げました。結果決勝戦が同点でジャンケンを制した福山チームが優勝、惜しくもジャンケンで敗れた高屋チームが準優勝。3位が直轄チーム。4位が久松チームでした。グランドに集まった老若男女の人ほどの人達がスポーツを通して汗を流しブロックを越えた親睦を深める事が出来ました。(掛員上原志郎)訃報藤井貞女さん大教会おつとめ奉仕者月日出直されました。享年才今年の夏は本当に暑かったですね。そんな中新型コロナウイルス感染症も2類から5類へと移行し、少しずつ落ち着きを見せはじめたかに思える今日1004050この頃ですが、世界へ目を転ずればロシアによるウクライナへの侵攻は未だ停戦の兆しすらみえず、イスラエルによるハマス一掃作戦によりガザ地区は地獄絵図の様相を呈して、連日のニュースに胸痛む日々、そんな中「よりみち」の順番が回って来てさてと思案したあげく、少し前の(年余り前の)自身の話をさせて頂くことにしました。私が修養科に入ったのは教祖年祭の1年前、笠岡の修養科生だけで人、全体では2千数百人で、朝礼の時などは列の最後尾は鳴り物教室の所まで届いていました。詰所での修練は修練場では手狭で3階の講堂で輪になって勤めました。それだけに、もめ事も多く、けんかもたびたび起こり、教養係の先生方には大変なご苦労をおかけしました。6・7・8月の修養科に引き続きすぐに青年会ひのきしん隊・一か月隊へ、その時は笠岡で2個班、約人で勇んだ汗を流させて頂きました。そしていよいよ年が明ければ、教祖年祭、私は、約日間ひのきしんに参加させていただき、黒門前の、特設のテント張りの休憩所で、朝づとめか407110010ら夕づとめ迄、参拝に帰られる方々にテント内を薪ストーブで暖めて、熱いお茶をお出しするひのきしんをつとめさせて頂きました。宿泊は天高のあらき寮で、1部屋に7人が寝泊まりをして、なんと私の部屋は私以外6人の方が東北の方で、最初は津軽弁が理解できず会話についていけませんでしたが、日も経つと理解出来始めました。その時、一番仲良くなった方は、お父さんが漁師さんで、小学校2年生の時、海難事故でお父さんが出直され、それ以来学校へは行けず家の手伝いをしていたそうです。普段は出稼ぎ労働者として生活していて、そんな中、ひのきしんに来られていました。最終日には、東礼拝場でみんなでよろづよ八首を勤めさせていただきました。今書いていてもその時の事がほのぼのと思い出されます。14040さて、教祖年祭、国際世界の状況も、地球規模での危機的な状況も、そしてお道の現状も、年前とはかなり違いますが、全ての事柄に決して無関心にならず出来ることは微々たる事、つたない祈りかもしれませんが日々積140み重ねて年祭を元気に迎えさせて頂きましょう。(KT)かさおか立教186年(令和5年/2023年)11月21日第62巻第11号4○秋季大祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召から人間世界を創造下されお育て下されたばかりではなく天保九年十月二十六日教祖を月日のやしろとしてこの世の表にお現れになり万一切の真実を明かして陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は朝夕に御礼申し上げると共に親心にお応えするべく世界だすけを我が心としてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこの二十六日におぢばでつとめられる秋の大祭の理を戴いてつとめる大祭の日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同立教の元一日に込められた親心に思いを馳せ明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は大祭月に当たり直轄教会に大祭参拝をさせて頂き「世界いちれつたすけたい」との親の思いを再確認しそれぞれ定めた目標に向かって教えを実践しつつ今月二十九日に開催されます「ようぼく一斉活動日」に勇んで参加させて頂いてこの年祭活動一年目の年をひながたを手本に勇んで通り切らせて頂こうと誓い合わせて頂きましたまた本日は島村廣義先生にお越し頂き時旬に当たってのおぢばの思いを聞かせて頂きますお聞かせ頂く一つ一つをしっかりと心に治めて親神様教祖にお喜び頂けるよう精一杯にたすけ一条に邁進させて頂く所存でございます何卒親神様には年祭の旬に一層の成人を目指してたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして人だすけの心が次々と伸び広がりよろず互いに救け合って世界の様々な所で起こっている紛争が治まりお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十六年秋季大祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者岡﨑真一高木昭祥賛者赤木素志指図方門脇元教講話島村廣義先生十二月講話門脇元教区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝上原志郎岡﨑真一三島渉吉岡誠一郎横山逸郎中村義太郎佐藤真孝岡田誠大教会長様門脇元教田中隆之前会長様今川昌彦上原浩上原繁道森本忠善虫明立生大教会奥様門脇加津武内正美前奥様横山小智榮中村初美田中ますみ山野なつ吉岡八恵森本忠善上原繁次杉原善朗田中隆之田林久嗣渡邉隆夫中村剛中村道德内海史郎今川昌彦高木昭祥岡﨑治喜吉岡壽山田敏教三島渉中島誠治赤木素志三代温生上原順子内海安子高木孝子今川佐智子三島照美田中つかさ佐藤香苗岡﨑豊子室悦子
かさおか

『かさおか』第62巻 第10号

○1立教186年(令和5年/2023年)10月21日第62巻第10号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314米府分教会明治42年3月12日米府宣教所設立大正元年12月8日移転大正8年7月24日移転建築願大正8年10月28日支教会昇格大正9年8月16日新築教堂崩落事故昭和23年9月27日教会改築願昭和24年5月14日奉告祭立教186年10月号大好物の中に1つだけ…古山先生による分かりやすいお話1125学担立教186年(令和5年/2023年)10月21日第62巻第10号2○東大教会史料部と会合笠岡の道編纂委員会笠岡の道編纂委員会は、9月日、笠岡詰所で、東大教会史料部との会合を開いた。これは、6月に同委員会が東大教会へ赴いた事が契機となり、両大教会の史料の上から、交流を図ろうと開催された。この日は、笠岡から大教会長様も含め6人、東から5人の委員が出席し、文献や写真など様々な史料を共有した。(委員上原繁次)うやって感謝を表すかを考える『サポーター』が、実施された。その後は、古山和敬先生(東濃学生担当委員会委員長)による講話となった。古山先生は、教祖年祭の意義や、陽気ぐらしについて、時にはフリップお言葉カルタを使いながら、大変分かりやすく学生にお話し下さった。午後からは、窓ふきひのきしんの後、レクリエーションが行われた。特に大教会長様と古山先生による『食わず嫌い王決定戦』は、大変盛り上がり、和やかなひとときとなった。参加した学生は、自分を支えてくれている人たちへの感謝に気付くと共に、陽気ぐらしの心遣いについて学ぶ事ができ、有意義な1日となった。(委員長上原繁次)講師の先生と和やかに集合写真食わず嫌い王決定戦のステージ参加者全員で窓ふきひのきしん10『秋学』初の開催月1日、笠岡学生担当委員会(上原繁次委員長)は、大教会で『秋学』を開催した。この行事は、『感謝をカタチに』をテーマに初めて開催され、人が参加した。午前中のプログラムは、グループで進行。班のメンバー同士の親睦を深めたり、自分がお世話になった人に、どかさおか3○立教186年(令和5年/2023年)10月21日第62巻第10号かさおか立教百八十六年九月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者虫明立生渡邉隆夫賛者佐藤真孝指図方上原繁道講話田中隆之十一月講話海外伝道講話区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝中島誠治虫明立生上原浩山野弘実三代温生渡邉隆夫淺野明教大教会長様田中隆之上原志郎前会長様吉岡誠一郎中村道德上原繁道横山逸郎森本忠善大教会奥様武内正美谷内美知子前奥様室悦子岡﨑和美田中ますみ吉岡八恵山野なつ岡﨑治喜今川昌彦岡﨑真一中村剛内海史郎山田敏教岡﨑真一赤木素志谷内秀自門脇元教谷内伸自三島渉中村義太郎岡田誠高木昭祥上原繁次杉原善朗佐藤真孝上原順子岡﨑豊子三島照美内海安子門脇加津上原千枝子今川佐智子横山小智榮田中つかさ立教百八十六年秋季霊祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者吉岡誠一郎淺野明教賛者杉原善朗指図方田中隆之区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半前会長様猪原啓介山野弘実吉岡貞彦上原繁次掛谷善成大教会長様藤井保人門脇元教岡本善一上原志郎岡﨑治喜大教会奥様上原順子前奥様田中つかさ門脇加津上原千枝子佐藤真孝三代幸徳中村道德友井正人上原浩森川道弘森本忠善吉岡輝昭虫明立生田渕光明岡﨑真一本多正悟三島照美岡﨑豊子岡﨑和美吉岡八恵山野なつ谷内美知子詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。かさおか立教186年(令和5年/2023年)10月21日第62巻第10号4○九月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間創造の目的である陽気ぐらしを楽しみに日々は万一切の御守護を下さると共に旬に応じ成人に応じてお育てお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は夏から秋への季節の移り替わりの中に親神様の御守護お働きを感じつつ朝夕に御礼申し上げると共に親心にお応えするべくたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てとお教え頂くおつとめをつとめる定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて九月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月はにをいがけ強調の月と定めて頂いておりますのでいつもにも増してにをいがけに歩ませて頂いておりますが月末二十八日から三十日に掛けては全教一斉にをいがけデーでございますので教会長を始めよふぼく信者が一手一つの心で一人でも多くの方に親の思いを届けられるようにをいがけおたすけに邁進させて頂く所存でございますまた来月は大祭月でございますので直轄教会に大祭参拝させて頂き立教に込められた親心を再確認すると共に教祖百四十年祭に向かって定めたそれぞれの教会の目標の達成に向かって心合わせて成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒親神様にはお与え頂く旬の理を生かすべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより◎本部月次祭登殿参列立教年9月日登殿廣町宮本泰德福廣宮本正子福勇鳥井利昭福芦竹本和道福満福島大介186265○立教186年(令和5年/2023年)10月21日第62巻第10号かさおか秋季霊祭祭文これの笠岡大教会の祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共に道の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊また新たにお鎮まり下さいました中村満子刀自岡﨑節夫大人仁科富太郎大人の神霊諸々の神霊の前に会長上原明勇慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖のお見定めとお引き寄せにより世の人々に先んじてこのたすけ一条の道をお通り下さいましたその道のりは決して平坦なものではありませんでしたがその道をいんねんの自覚の上親神様教祖に凭れて心明るくたすけ一条の上に勤め切られました今日お道が結構な姿をお見せ頂いておりますのは親神様教祖のご守護お導きの腸物である事は申すまでもありませんがまた一つには祖霊様方の真実の伏せ込み理作りの腸物と日々朝夕にお礼申し上げると共に祖霊様方のご思報じの思いを受け継ぎ届かぬながらもたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも本日は秋の霊祭を執り行う日柄でございますので御前に海川山野の心づくしの種々の物を供えて只今はおつとめ奉仕人一同親神様の御前にててをどりをつとめさせていただきました続いて祖霊様方の御前に座を移し在りし日を偲び御遺徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下さいまして祖霊様方にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて私共は教祖百四十年祭に向かって「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の活動方針の元それぞれに目標を定めて三年千日と仕切って成人の歩みを進めさせて頂いておりますまた来月二十九日にはご本部からお打ち出し頂いている「ようぼく一斉活動日」の第一回目がそれぞれの会場にて開催されます親の声を素直に受け止め今後の歩みの大きな勇みとさせて頂く所存でございます何卒祖霊様方にはこの成人の旬に心を一つに合わせてたすけ一条に邁進する皆の真実の状をご覧下さいまして陽気ぐらしの世の様に一歩でも前進できるようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます福岩米府弓ヶ濱西伯米美照雲松都樺島新輝豊三阪泰人三代幸徳森川道弘本多正悟三代信行雜賀元生三代拓己岩崎光生塩田能往18618627◎第九八五期修養科自立教年7月1日至立教年9月日*教養掛(○主主任、○副副主任)一ヶ月目○主田林久嗣(大教会役員・東悠分教会長)○副村川久美子(大江橋分教会長)二ヶ月目○主田中隆之(大教会役員・福山分教会長)○副藤井保人(福東分教会長)三ヶ月目○主上原繁次(大教会准役員・陶山分教会長)○副仙田公男かさおか立教186年(令和5年/2023年)10月21日第62巻第10号6○186*修了者大惠山笠岡笠岡(天場山分教会長)瀬藤俊希中村幸恵中村二三代◎立教年秋季大祭参拝(*印は月)笠岡講社大教会長様福山前会長様髙屋上原繁道神邉大教会長様島根上原繁道久松大教会長様*鶴山武内正美弥髙山前会長様陽備上原繁道摩耶中島誠治金浦中島誠治興明上原繁道ひろさと中島誠治陶山門脇元教芳井岡﨑真一海松ヶ岡岡﨑真一東悠大教会長様吸江田中隆之照陽岡﨑真一輝美濃大教会長様111967新山邑呰部明石市上下府中市東城*服部島中驛家*葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備神免武内正美大教会長様武内正美上原繁道上原繁道大教会長様田中隆之武内正美大教会長様田中隆之岡﨑真一田中隆之門脇元教門脇元教大教会長様上原繁道訃報武内清明さん大教会承事門司港分教会前会長9月日出直されました。享年才姿を面白くそして時代の流れの中で足掻きながら奮闘する其々を描いている。人生の選択肢が迫るたびに家族会議をし、娘たちに、確り悩め!やり栗の実はおしくらまんじゅうイガの中残しを恐れるな!やり残してこそ人娘たちが小学生の時、次女に宿題の生だ!と熱弁する。無くしてしまい俳句例として詠んだもので、後に表彰たくないものや人、それが失われたくされることになった長女作の句であなければ積極的に関わるしかない。とる。栗を見る度に思い出す迷作である。も。長女がこの夏に結婚して苗字が変あの人どうしてるだろうか?とふわった。幼少期から三人娘というか三と浮かんだら、連絡が無いのつ子のようにすごして、いつもお手本は達者でやっておられるってのようなお姉さんだった。ことだと、いつもは何もしな最近はSNSでさっくりとお互いのいのだが、きっと年祭活生活などを垣間見て、何かあれば心配動が後押ししてくれるのしたりアドバイスしたり、他愛もないで、躊躇しないで何か連話題で繋がっているので、寂しくは無絡してみよう。(ほ)い。良い距離感である。「おいハンサム」というドラマがある。吉田鋼太郎が三姉妹を育て上げる
かさおか

『かさおか』第62巻 第9号

○1立教186年(令和5年/2023年)9月21日第62巻第9号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314錦洋分教会明治30年7月1日渡布教所設立大正3年10月31日錦洋宣教所設立大正14年4月7日鎮座祭大正14年4月8日移転建築奉告祭立教186年9月号21布教部21立教186年(令和5年/2023年)9月21日第62巻第9号2○布教推進講習会開催きっと陽気ぐらしができるはず。もう分がどこに向かって歩いて行くか、神でも踏まさにゃならん」ともある。仕1つ、たすけ一条のひながたという視様が、ここまできたらお宝あげるよと切りの道を通ることで、我々が成人す8・祭典後点が大切だと思う。「世界には枕もと言ってくださっているところを目指しる。諸井慶一郎先生からお聞かせいたに食べ物を山ほど積んでも食べるに食て歩いて行く。もしまだ目標が定まっだくに、例えばおさづけの理、3日本布教部(田中隆之部長)は8月べられず、水も喉を越さんと言うて苦てない方がおられたら、今からでも全気で頑張って、ダメだったら仕切り直日、松村先生(本部布教部長・東京分しんでいる人もある。そのことを思え然遅くない。今日をきっかけにあらたして、また真実を込めて努めていく。教会長)を講師に迎え、大教会8月ば、わしらは結構や。水を飲めば水のめて目標を考えて決めて頂いたら良3年頑張ろうと思ったらしんどいけ月次祭後に布教推進講習会を開催。味がする。親神様が結構に与え下されい、そしてそれを途中で止めないことど、まずは3日頑張ってみろと。仕切役員・部内教会長・よふぼく・信者らてある」と。教祖伝を読むと子供たちが大事。り知恵とは、仕切って、何とか知恵を多数が受講した。講話要旨は次の通を励まされたとあるが、これが大事な教祖年祭への三年千日通り方を教え働かせる。この期間はどうやったらこり。ひながただと思う。目の前にお米はなていただいているおさしづがある「。三の教会で動きが出てくるのか。どう年祭活動が始まって半年経ちましいが、親神様がご守護くださり、今元年辛抱すれば落ちようと思うても落ちやったらこの人の気持ちが神様に向いた。いま一度、どういうふうな気持ち気で過ごさせて頂いている。そこを喜られん。三年の道通れば不自由しようてもらえるのかと、頭を働かすのだと。でその目標を実践すればよいのか、考ぼうという心の使いかた。このご逸話にも難儀しようにもしられやせん「」僅上田嘉太郎先生にもお聞きしたら「、やえるきっかけになればと思う。また、の一番の中核部分は、最後の2行の「親か五十年。五十年の間の道を、まあ五はり知恵働かせるっていうことやな。年祭活動はおやさまのひながたを通ら神様が結構にお与えくだされてある」。十年三十年も通れと言えばいこまい。根性も力も大切だけれども、それだけせていただくことをテーマに掲げていまず年祭活動の目標のお話。おやさ二十年も十年も通れと言うのやない。じゃあかんっていうことかな?」とヒる。おやさまの教えや行い、心の使いまの逸話篇に、「宝の山」という話がまあ十年の中の三つや。三日の道を通ントを頂いた。かた、それをそのままなぞっていけば、ある。ればよいのや。僅か千日の道を通れと年祭活動の目標に向かって動く上で10ユーモアを交えて話される松村先生大きな川に橋杭のない橋がある。途言うのや。千日の道が難しいのや。ひ大切なのは、自分がしんどいと思う時、中まで行くと橋が揺れる。そこを一生ながたの道より道が無いで」人間だかそこを逃げずに頑張る事。成人するに懸命渡っていくと、宝の山がある。途ら五十年通れといってもできないだろは自分にできてないことをすることと中で険しいところがあると、そこからうと神様おっしゃる。年の中の3つ、継続すること。3年間やり続けること帰るから宝がいただけない。年祭活動3年頑張ることで徳を頂ける。これかがポイント。私どもの教会も目標を立で目標を定めるということは、この3らの私たち、自分の家族、また自分のてた。「教会に足を運ぼう」「ひのきしかさおか年間のうちにあそこまで登ってみよう教会に徳を頂ける。またおさしづに、んを心がけよう」「にをいがけ・おたすという目標を定めることではないか。「どうでも一つ仕切り根性、仕切り力、けに動こう」「おつとめやおさづけで山登りの道程はみんな違うと思う。自仕切り知恵、仕切りの道どうでもこう人の助かりを願おう」の4項目。それ3○立教186年(令和5年/2023年)9月21日第62巻第9号1407012010かさおか140100ぞれ出来る事は違うので、どれか1つ自分がやるのを決めようと。数字の目標も挙げた。1つは、おぢばに提出する心定めの数字の完遂。2つ目が、3年間で教会に初めて来る人を人目指す。3つ目、おたすけお願いカード通。4つ目、リーフレットを3年間で1万7千枚。その上で教会で3年間、年3回の団参、別席団参とひのきしん団参と子供おぢばがえり。そして教会中と町内のひのきしんを月2回。さらににをいがけと、教会の活動日をひのきしんも含めて月に1回ずつ活動する。そのうち3、4回はお楽しみ行事をしようと。私自身は自分個人の目標を2つ決めている。1つは、チラシを月枚配る。もう1つは、教会につながっている人に、ラインやメール、電話を使いながら毎月声をかける。教会につながるようぼくの家の人への丹精は、未信者へのにをいがけと変わらない役割がある。ずっと声をかけたら、家の人とのやりとりも出てくるし、そこからにをいが掛かっていくこともある。最近来てない人にちょっと声かけてみるとかを教会のみんなでしていく。うちの教会の信者さんでになる奥さんが先月、「私はおたすけを決めました。電車でしんどい人がいたらこちらから声をかけて席を譲る。この間、1回譲ったら、いいですって言われて。でも、本当にしんどそうだったから、もう1回あなた座りなさいって言って。体は大事にしたほうがいいからあなた座りなさい。明日も仕事あるんでしょって言ったらすごく嬉しそうにありがとうございますって言って座ってくれた。」と。また別の方で初代の信仰の方が、「職場の新入社員さんで、その子を連れて来たい」と言う。その初代の方自身が天理教に出会って、教会でいろんな人の話を聞いているうちに、なるほどと思うことが多いから、天理教の話を聞いといたらいいよって言う。4月のボーリングの時にその彼を連れて来て、教会の若い人といろんな話をして、こんな世界があるんだという事で、月の別席団参に参加を予定している。これも一人で出来る事ではなく教会全体で動くことで、少しずつ出来てくる。教祖年祭の初めての年祭活動で、一人ひとり今出来ることからちょっとハードルを上げようと月次祭で話した。月次祭の後、ある男性ようぼくが、職場の人でおたすけしたい人がいる、会長さんにおさづけして貰いたいと。入社時からお世話になった先輩で、その人が今年の4月に結婚し、7月に具合が悪くなって病院に行った。すると癌でステージ4、覚悟はしてくださいと言われたと聞いたと。それを聞き、私がおさづけしてもいいんだけど、あなたがおさづけさせてもらったらどうか、3日に1回、出来たら毎日おさづけさせて貰ったらどうかなという相談をした。私は教会で毎晩8時半に十二下りのお願いづとめをさせてもらう、おぢばに帰っているときはおぢばでさせてもらいますと。わかりました、じゃあそうします、そして教会に行けるときは行きますと言ってくれた。1か月後、電話がかかってきた。会長さん助かっちゃいました。おさづけって本当に効くんですね、僕のおさづけでも効くんですねって。お腹を開けたら腫瘍がものすごく小さくなってて、お医者さんがこんな急激に小さくなるのは見たこともない、転移もなかったとのこと。その後、その夫婦連れて教会にお礼づとめに来てくれた。その信者さん、本当に熱心におたすけにかかられた。おさづけを毎日と言っていたが、最終的には朝晩取り次いでいた。出勤してタイムカードを押す前におさづけを取り次ぎ、帰る前にタイムカードを押してからおさづけを取り次いで、会社が終わってから教会にお願いづとめに来て家に帰る。その人の家から会社まで1時間、会社から教会まで1時間かかる。その人は神奈川の山手の方に住んでるので、もうバスも止まっている。1ヶ月バイクで横浜駅まで通っていた。その人は職場で自分は天理教だって言ってなかった。その中で天理の話をして、おさづけを取り次いだプレッシャーは相当なものだったはず。神様はやはりそういう真実を受け取って働いてくださるから、それは効くよと話をした。この年祭活動の3年というのは、普段以上に神様が働いて下さる時期だということを年祭の度毎に私は感じている。やはりここは動かないともったいない。皆さん方それぞれ目標をもう一度確認をしていただき、自分に出来るおたすけ。自分がすべきおたすけは何なのかということを考えながら、ここからまた仕切り直して2年半お互いに努めさせていただけたらと思う。(以上要約佐藤真孝)かさおか立教186年(令和5年/2023年)9月21日第62巻第9号4○4年ぶりの英語講習会行事開催予定を発表したのは昨年末。その時はコロナ禍にあって行事が出来ても1日だけであろうという判断から今年は8月8日、1日のみの開催となりました。1日で英語を修得するのは勿論難しく、ならば参加した人達が少しでも英語を話すことで経験を積んで楽しんで貰おう、外国人と英会話をすることで自信を持って帰ってもらおうという目的から、今年は「倉敷の街に行き外国人を探して英語で話をし海外部PracticingEnglishconversationてみよう」という計画を立てました。今年オーストラリアからゲストとして来てくれたMAX(マックス)足立正直さん(河原町部属)と大学生達が倉敷の英語の地図を片手に観光名所を回る為の英語の謎解きクイズを準備し、外国人に話しかける英会話フレーズを何度も練習した後、倉敷の町を訪れました。倉敷の町に到着しスタッフの手作りおにぎりを頂いて後、4つのグループに分かれそれぞれ英語のなぞ解きをしながらミッションをクリアーし、外国からの観光客を探しては練習をした英会話に挑戦してみました。最後はソフトクリームを英語で注文して食べるattheNaturalHistoryMuseum19Whereareyoufrom?という倉敷の町の人も巻き込んでの充実した英語講習会となりました。小学4年生から大人までという参加対象で親子参加もあり、海外部員4人を含む人が参加。参加者が1日英語に触れ、英語を楽しみ、話す事に自信を持ってくれた講習会になりました。(海外部長上原志郎)参加者の声英語講習会は以前にも行ったことがありましたが、その時はまだ小三であまり英語を話すということができませんでした。なので、少し不安もあり、行く前はドキドキしていましたが、実際に行って外国の人に話しかけてみると、とても陽気で優しい人が多かったのでびっくりしました。そして前回の自分と比べると外国人に話し掛けてしゃべることができたと自信にもつながりました。さらには、倉敷ということもあって、観光しながら楽しく学ぶことができたので、とても良かったと思いました。ゲストのマックスが最後に日本語をしゃべっていたので、びっくりしました。最初は冗談かと思いながら聞いていましたが、中盤からまんまとだまされました。お昼に食べたお弁当もおいしかったし、観光しながら学ぶこともできたし、自信にもつながったので、とても楽しかったです。英語講習会での経験を今後にも生かしていきたいです。(陶山・上原遼太)英語に親しんでもらいたいと、小3の息子と一緒に初めて参加しました。4年ぶりの開催ということで、倉敷の街に行って外国人観光客の方に英語で話しかけるというミッションがありました。もちろん初心者親子ですので不安も5○立教186年(令和5年/2023年)9月21日第62巻第9号かさおかありましたが、スタッフの方々のあたたかいオープンな雰囲気の中、少しずつ緊張もとけていきました。出発前には、大教会で基本的な会話を英語でレクチャーしてもらい、必死にカタカナでメモして(笑)、息子と繰り返し練習しました。久しぶりにマジメに勉強した甲斐もあって、現地に着いてから、恥ずかしそうにしていた息子に「失敗しても大丈夫!」と声をかけて、勇気を出して外国人に話しかけてみました。一生懸命な息子の姿を見てとても嬉しく、こちらも元気をもらい、気がついたら、班のみんな笑顔になっていました。優しく気さくな外国人の方々の反応慎重に薪割り代表でファイアー点火CanIaskyourname?に、息子も嬉しそうに「サンキュー」「ハブアナイスディ」と手を振って別れました。ハードルが高いと思ってなかなか参加出来ないと思っていたイングリッシュキャンプでしたが、全くそんな事はなく、来年も息子と参加したいと思っています。新しい参加者の方が増えて下さると嬉しいです。少年会サマーキャンプ実施10少年会笠岡団(森本忠善団長)は、少年会員人、育成会員8人、計人の参加のもと、少年会本部施設「さんさいの里」を会場に8月日から日の2泊3日でサマーキャンプを4年ぶりに開催しました。このキャンプは、火・水・風の親神様の御守護を肌に感じるとともに、たすけあいを実践し、そこに喜びと感謝を体得する、少年会員の育成を目的に実施される行事です。大教会での出発式では、3日間の無222418事を親神様、教祖にお願いし、大教会の味は格別でした。長様からは「たすけあいを実践し、3続いて夕べの集い。日も暮れていよ日間楽しんでください」と挨拶を頂き、いよキャンプファイアー。スタッフのおぢばへ向け出発。方々のゲームに歌声、他団体のスタン正午すぎにおぢばに到着、本部神殿ツを観て楽しませていただき、笠岡団14で参拝の後、詰所にて昼食。時ごろは、会場にいる全員に参加してもらいさんさいの里に到着。「じゃんけん列車」で場を盛り上げま入所式・オリエンテーション。そのした。後、夕食の準備。各テントに帰りおやつタイム。その初日の夕食はキャンプ定番のカレー後寝袋に入り就寝。ライス。わかぎをリーダーに各班で飯2日目は、朝の集いの後、朝食作り。盒炊さん。具材を切る人、お米を研ぐ前日の経験を活かし手際良く、お味噌人、炊く人皆で協力して作ったカレー汁も作れました。かさおか立教186年(令和5年/2023年)9月21日第62巻第9号6○朝食後は、皆楽しみにしていた野外ゲーム。さんさいの里スタッフの指導のもと、フリスビーゴルフ、トランポリン、ボルダリングと身体をいっぱい動かして笑顔が溢れた時間となりました。昼食は、手作りピザとフルーツポンチ。ピザは、生地を一から作ることにチャレンジし、出来上がったピザは、あまりの美味しさにペロリと完食。昼食後は、さんさいの里での記念に焼き板作り。それぞれ想いが込もったものを作り上げました。班ごとに飯盒炊さん15皆とフリスビーゴルフ夕べの集い後には、大教会長様にもお越しいただき、BBQを皆で美味しくいただきました。3日目、朝の集い、朝食、撤収。楽しかった3日間もあっという間に過ぎ退所式。お世話になったさんさいの里、スタッフの皆さんにお礼を言い、一路大教会へ。時ごろ大教会到着、閉会式、解散。2泊3日、親神様の御守護のもと、大きな事故、怪我なく無事に終わらせていただくことができました。ありがとうございました。(少年会委員中村剛史)後片付けもしっかりと美味しくできました生地作り頑張りましたピザ職人7○立教186年(令和5年/2023年)9月21日第62巻第9号かさおか八月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には『月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりで』との親心のまにまに天然自然のお働きをもって絶え間なく御守護下さいますことは誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日々お見せ頂く姿は全てたすけを急き込む親心の現れと朝夕に御礼申し上げると共に親心にお応えするべくたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は理のお許しを戴いた八月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には残暑厳しき中も厭わず寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年は四年ぶりに「こどもおぢばがえり」が開催され笠岡から大勢の子ども達がおぢばがえりをしてくれましたまた英語講習会学生生徒修養会高校の部も無事開催されました誠にありがとうございました更に明日からは三日間さんさいの里でのサマーキャンプが開催されますこれも何卒事故怪我等なく皆喜び心一杯にお連れ通り下さいますようお願い申し上げます更にまた本日は本部布教部長松村登美和先生にお越し頂き布教推進講習会を開催致しますこの時旬にお聞かせ頂くお話をしっかりと胸に治め九月のにをいがけ強調の月そしてその先の教祖百四十年祭に向かってこれまで以上ににをいがけおたすけに努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には世界いちれつをたすけたいとの親心に添うべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより◎本部月次祭登殿参列立教年8月日登殿福山田中隆之島根門脇元教輝美濃谷内秀自島中内海史郎錦備室悦子西村藤本晴司福東藤井保人福南掛谷善成福輝田中亜輝18626かさおか立教186年(令和5年/2023年)9月21日第62巻第9号8○立教百八十六年八月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者横山逸郎淺野明教賛者岡﨑治喜指図方門脇元教講話布教推進講習会秋季大祭講話世話人・島村廣義先生区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半門脇元教岡﨑真一田中隆之森本忠善田林久嗣中村道德中村義太郎岡﨑治喜谷内秀自大教会長様上原志郎中島誠治前会長様今川昌彦上原浩上原繁道山野弘実虫明立生大教会奥様武内正美横山小智榮前奥様門脇加津室悦子田中ますみ田中つかさ上原千枝子杉原善朗吉岡誠一郎佐藤真孝佐藤道孝渡邉隆夫赤木素志吉岡壽杉原善朗横山逸郎中村剛内海史郎高木昭祥三島渉三代温生山田敏教三代温生淺野明教岡田誠上原順子内海安子中村初美今川佐智子高木孝子岡﨑豊子佐藤香苗三島照美吉岡八恵教区青年会の企画がきっかけで、教会を活用して夫婦ではじめた「こども食堂」。2021年6月にスタートして、コロナ感染が拡大した去年は年間5回しか開催できなかったが、今年の5月には新規の参加者だけで名を突破した。こども食堂をやっていなければ、これだけの方に教会へと足を運んでいただき、一緒にお話ししながらごはんを食べる事はなかっただろう。こども食堂をはじめるにあたって、地域で役をしておられる方々にご挨拶に伺ったところ、「なんで天理教さんでやるの?」とか「ほんとに子どもが集まるの?」とか厳しいお声をいただいた事もあった。あれから2年。いまでは地域の公民館さんに、こども食堂の運営者として講演を依頼され、『先生』とよばれるようになった。「蒔いたる種はみな生える」。この年祭活動の旬に蒔けるだけの種を蒔こうと思う。(よ)100詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について・詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。・食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。
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『かさおか』第62巻 第8号

○1立教186年(令和5年/2023年)8月21日第62巻第8号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314海潮川分教会昭和22年10月25日設立立教186年8月号かさおかさあひのきしん現場へ立教186年(令和5年/2023年)8月21日第62巻第8号2○140251401625布教部教祖年祭毎月伏せ込みひのきしん長様ご家族をはじめ人が集まりおつとめ後、西境内地で草取りをさせて頂きました。(布教部員山野弘実)始まる参加者からの感想大教会布教部(田中隆之部長)は年祭○本部勤務者夫人活動における各教会、また個々で定めまだ暑さの残る夕方、広い境内地のた心定め完遂の理づくりとして、「教草を皆で抜かせてもらいました。祖年祭毎月伏せ込みひのきしん」大教会長様を始めとする笠岡に繋がを打ち出しました。る皆さんと、また、親子揃ってひのき毎月日の時、西礼拝場に集合し、しんに汗を流させてもらい、短い時間おつとめを勤めた後、神殿周辺のひのでしたが充実したひとときでした。きしんをさせて頂きます。次回からもなるべく参加させてもら第1回目となる7月日には大教会いたいと思います。日陰で親子で172514025140○教会後継予定者先月の日におぢばへ帰らせていただき、教祖年祭へ向けての理作りということで、おつとめをした後、草抜きに参加させていただきました。暑かったですが、日陰で話しながらワイワイと楽しく理を積ませてもらいました。今、自分は布教に歩かせてもらっていて、神様の理がないと何にもならないなと感じさせてもらっています。これをやってなんになるんやろうか?というようなことでも、そこに向けた自分の心を神様は受け取って下さると思うと、とてもありがたいなぁと思います。来月は参加できるか分かりませんが、教祖年祭に向けて、しっかりと理作りをさせていただきます!ありがとうございました!○教会長7月日、今月は諸用があって一日早く帰参した。詰所で大教会のY先生から、「夕方空いとるやろ、神殿いくぞ!」と、ものすごい勢いで誘われたのは、大教会から打ち出された道具の片付けも大切詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について・詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。・食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。かさおか1401725「教祖年祭毎月伏込みひのきしおぢばに伏せ込む年祭への理作り。ないが、出来る限りつとめさせて頂きん」。毎月日に合わせては難しいかもしれたいと思わせて頂いた。第1回目は名が参加。おつとめ後、境内地の除草ひのきしんへ。学生時代に戻ったような懐かしさと、おぢばで七月月次祭祭文つとめられる心地よさに、暑さを忘れこれの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいますてつとめた。この度の年祭は、つとめ方を各教会で定めてつとめることになっている。年頭の論達巡教を受け、それぞれが定めた目標に向かって歩めているか?と問われたら、足りているとは言い難い。このお打ち出しは、Y先生曰く「それぞれの教会が定めた心定めが、完遂に少しでも近づかせて頂けるように」と親心溢れるお誘いなのだと教えて頂いた。親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には子供かわいい一杯の変わらぬ親心で日々結構に慈なくお連れ通り頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は朝夕に御礼申し上げると共にご思報じの心で日々はたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は七月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には厳しい暑さも厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高思に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて四年ぶりに開催される「こどもおぢばがえり」が目前となりました3○立教186年(令和5年/2023年)8月21日第62巻第8号大教会長様も一人でも多くのこども達に夏のおぢばで最高の夏を感じてもらえるようにしっかり努めさせて頂きたいと思いますまた今月から教祖百四十年祭に向けての伏せ込みと理作りとして毎月二十五日におぢばひのきしんを始めさせて頂きますまた八月には英語講習会学生生徒修養会高校の部サマーキャンプと夏の若者達の行事が続きますこれらの行事を通して年祭活動期間の勇みの姿を共有し共々に成人の歩みを進めさせて頂く所存でごさいます何卒親神様には教祖ひながたを胸にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますかさおか立教186年(令和5年/2023年)8月21日第62巻第8号4○立教百八十六年七月月次祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者森本忠善内海史郎賛者上原繁次指図方上原志郎講話虫明立生九月講話田中隆之区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽谷内伸自上原志郎横山逸郎三島渉今川昌彦上原繁次杉原善朗山田敏教大教会長様岡﨑真一門脇元教前会長様中村道德吉岡誠一郎上原繁道森本忠善横山逸郎大教会奥様岡﨑豊子門脇加津前奥様中村初美吉岡八恵田中ますみ室悦子田中つかさ淺野明教岡田誠山野弘実赤木素志中島誠治岡﨑治喜佐藤道孝虫明立生高木昭祥三代温生佐藤真孝谷内秀自中村剛渡邉隆夫上原繁次中村義太郎上原浩内海史郎武内正美森本冨美子横山小智榮上原順子三島照美岡﨑和美今川佐智子谷内美知子山野なつ大きさ役割の違う歯車と言えます。自分一人で一生懸命回っていても、歯車はその大きさでしかありませんが、他の人の歯車とかみ合った時、比べもの半年ほど前、私は歯に痛みを感じ診にならない位大きな力になります。察を受けました。その結果、虫歯ではところで歯車は、同じ大きさ、歯数なく歯がすり減っていて、その部分がを組み合わせることはあまりないよう神経に触れ痛みを感じるといったものです。それは、いつも同じ歯同士が当でした。かみ合わせが良くなかったのたると傷や音の原因となるからです。かもしれません。かみ合わせは、脳やですので、大きな力を必要とする時は、消化器官、血流など身体の健康、会話無駄歯を設け、回転ごとにかみ合う歯時の発音、筋肉の発達などに影響しまをずらします。それにより回転が滑らす。かになり、均一に摩耗します。そのた歯のかみ合わせというと、歯車がイめ、それぞれ大きさや歯数が異なり、メージされます。歯車は、複数をかみ回転速度も違っています。合わせて回転速度や回転力を伝え、子このような事から考えると、人と人どものおもちゃから高性能の工業製品との歯車が滑らかに回るためには、まなどまで、私たちの生活に密接に関ず相手の歯車の大きさや回転速度を理わっています。また、『歯車がかみ合解する事が大切です。全く同じ歯車をわない』などの慣用表現もあるように、組み合わせる事がないのと同じようしばしば人間関係や人生などに例えらに、自分と全く同じ考え方の人もいまれます。私たち人間は、生活を営んでせん。相手を受け入れ、こちらが速度いく上で、直接的、間接的に必ず誰かを合わせていく事で円滑な関係が築かと関わりを持って生きています。職業、れます。また、家庭、地域、社会でお国籍、年齢、性別など多様な人々が、互いの個性を受け入れ、お互いに合わこの社会で共に暮らしています。社会せる心で回っていくならば、人と人との営みを大きな動きと考えると、私たが繋がりより良い景色が見えてくるのち一人ひとりは、それを構成する形やではないかと思います。(う)
かさおか

『かさおか』第62巻 第7号

○1立教186年(令和5年/2023年)7月21日第62巻第7号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314瑞雲分教会昭和15年5月28日設立昭和47年11月5日神殿移転建築奉告祭立教186年7月号かさおか立教186年(令和5年/2023年)7月21日第62巻第7号2○27こかん様に続く会開催笠岡女子青年(岡﨑真実委員長)は、6月4日、笠岡大教会でこかん様に続く会を開催、女子青年人、担当者人の計人が参加した。支部長様からのお話では、教祖年祭に向けての女子青年としての心構えについて聞かせていただきました。その中で、何事も自分の心次第で見え方が変わってくると教えていただき、自分のできないことばかりに目を向けるのではなく、少しでもできることに目1614011女子青年支部長様とひのきしんポーズを向けるようにすれば、どんなことでも喜べるようになると教えてくださいました。また、お道の教えについて、「親が信仰しているから信じる」ではなく、自分の目で見てしっかり考え、柔軟な心で受け取ることが大切だとも教えていただきました。お話の後には振り返りを行い、率直な感想を話しながら、自分たちの心のつかい方を見つめなおすことができました。また、昼食は手巻き寿司パーティーをさせていただき、担当の奥様方が作って下さったスイーツもいただいて、とても楽しい時間を過ごすことができました。今回もたくさんの方が参加してくださ支部長様のお話振り返りビーチボールドッジで盛り上がる1810り、充実した会にすることができましださった会員さん、本当にありがとうた。支部長様をはじめ、担当の奥様方、ございました。声をかけてくださった方、参加してく(委員長岡﨑真実)レクリエーションの日開催笠岡学生担当委員会(上原繁次委員長)は、6月日、陶山小体育館で、レクリエーションの日を開催し、人学担が参加した。この日は、すき焼きゲーム、ラダーゲッター、ビーチボールドッジ、ソフトミニバレーを実施し、楽しいひとときを過ごした。(委員長上原繁次)ニュースポーツのラダーゲッター具材を揃えたら勝ち。すき焼きゲームかさおかなら総会の主役である会員にも携わっ少年会わかぎのつどい開催てもらうのはどうかということで、この度の行事開催のはこびとなりました。少年会(森本忠善団長)は、去る6月行事内容は、看板にデザインされた111024日、大教会を会場に「わかぎのつど文字へのペンキ塗りでした。カラフルい」を開催、少年会員人、育成会員でポップなデザインでしたので、ペン人が参加しました。キがはみ出ないように塗るのは難易度わかぎのつどいは中学生を対象にしが高めで、一画一画真剣に手元を確認た行事で、毎回手を変え品を変えてしながら作業を進めていました。育成様々な事に取り組んでいます。今回は、会員の手を借りながら徐々に腕前も上毎年4月に行われている「少年会笠岡達し、素敵な看板に仕上がりました。団おつとめまなび総会」で使用する看来年の総会でのお披露目を皆さん楽し板の製作をしました。これまで使用しみにしておいて下さい。てきた看板の状態も悪くなり、新しくまた、今回参加してくれた皆が、掲作り直そうという話が出た際に、折角げられた完成看板を見て、製作に携わった喜びを感じ、今後この看板が使い続けられる事に誇りを持っていただければ幸いです。(少年会委員岡﨑治喜)人が参加した。今回は久しぶりに移動例会を行うことができました。普段はなかなか会えない島根・鳥取の会員さんがたくさん参加してくださり、その中には初めて参加してくださった方もいました。例会の内容としては、「まあるい心」についての短いお話を読ませていただき、みんなでお話の感想を話し合いました。話し合う中で、何でも喜べる心のつかい方はなかなかできないけれど、できるだけ前向きな考え方で物事を見ようとする姿勢が大切だと感じました。話し合いの後には、自己紹介を含めたレクリエーションを行い、初めての方とも親睦を深めることができました。ゲームの後には、島根分教会の奥様方が準備をしてくださった流しそうめんやオードブルをいただき、担当の奥様が作って下さったスイーツもいただいて、みんな大満足でした。食事の後には海にも連れて行っていただき、島根のきれいな海で夏の訪れを感じながら、みんなで楽しく過ごすことができました。今回は初めての方も参加してくださり、いつも以上に充実した例会にすることができました。担当の奥様方、声をかけてくださった方、参加してくださった会員さん、私たちを温かく迎えてくださった島根分教会の方々、本当にありがとうございました。(委員長岡﨑真実)おいしいごはんに大満足!夏の日差しにも負けない笑顔輝く女子青年女子青年仲良く看板作成中143○立教186年(令和5年/2023年)7月21日第62巻第7号7月移動例会を島根分教会で開催笠岡女子青年(岡﨑真実委員長)は、7月2日、島根分教会で移動例会を開催、女子青年人、担当者4人の計18かさおか17017立教186年(令和5年/2023年)7月21日第62巻第7号4○301011笠岡の道編纂委員会史跡訪問実施東大教会を訪問して前笠岡大教会史料部長上原繁道東大教会の訪問取材を終えて6月日夜時半過ぎに笠岡に到着、遅い夕食を頂き時過ぎバタンと寝についた。日、朝5時半からの神殿掃除に何とか顔を出して朝勤め、朝食。さて、と思って、「らんまん」の「愛を愛を」を聴いていたら寝てしまった。今日7月1日、パソコンに向かっている。部内教会史取材の時の、教会に行っては帰ってきて、原稿用紙に、聴いてきた歴史を書いて居たのを思い出す。まるで鵜舟の鵜みたいに、大教会に帰ってはサラサラと書いて、また次の教会に出向いて鮎ならぬ教会の歴史を飲み込んで帰ってくる、そして原稿用紙、当時部内教会カ所、頭が変になりそうだった。今回は1日おいて、ボールペンに替わってパソコンのキイを叩いている。東は僕は2回目で、4年ほど前、その時は東悠の会長と一緒で本当にブラ史料部2916リと訪わせて頂いた。今回は事前に連絡させて頂き、大教会長も加わって頂いての訪問だった。4方を道路で囲まれた敷地、そこに建築された神殿、教職舎、あちこち案内頂き大教会長様始め史料部員の方方と2時間半ばかり別室で種々意見交換して頂いた。明治年秋の頃、上原家に後の初代真柱様、本席様、随行の先生方が数日に亘ってお越しになった。上原家は既に長堀の本店、佐吉夫妻の心斎橋筋の隠居所、佐助夫妻の西照庵近くの住居を引き払い、新町の西店に一家が寄り合っていた。佐助氏は備佐の当主として、数日後お越し頂いた御礼におぢばに参拝し、そのとき「東京、東京、長崎」のおさしづと共に赤衣を頂戴した。佐助先生はあまりペラペラと話さない。この時も一切家人にも舅の佐吉、妻のさとにも話さない。従っておさしづ、赤衣については推測である。(この日、東の赤衣を拝観させて頂いた。)佐助氏はおぢばから帰って来て上原家の窮迫の状況を改めて目の辺りにして、密かに東京行きを決心していたと思われる。年が明けて明治年6・7月大阪は24202621大洪水に見舞われる。橋という橋は全部崩落、大阪の街ほとんどが浸水被害に遭った。百年に一度という洪水だった。佐吉八重夫妻、笠原イシ、長女・光(佐助・さとの長女戸籍上、佐吉の養女)は既に笠岡へ帰っていたが、佐助、さと、また使用人の椿卯之助、大久保鍬吉、雪はじめ、さとの子供達は天王寺の二軒茶屋付近に家を借りて西店から移住していた。水が引いて8月、佐助氏は椿を連れて着の身着のまま、赤衣を奉戴して東京へ旅立った。東京行きの船賃が足りないという事で、さとはなけなしの生活費から幾分かを佐助に渡した。佐助、さとの其の後の筆舌に尽くし難い東京、大阪での苦労はここに書かない。明治年陰暦正月日の教祖現身お隠しの時、佐助氏は2・3日して東京で、さとは笠岡で、同じく2・3日して悲報に接している。翌年、教祖1年祭には2人とも、東京眞明組、備中眞明組の講元としておぢばに帰参している。明治年、教祖5年祭の直後、本席様が東にお入り込み、東の土地に「せい水のさづけ」を下された。これにより、東の道は急激に進展した。せい水173のさづけの取次は東の大教会長のみ、口伝で取次方は現在に伝わっている。今回の訪問は、既に発行済みの大教会史の確認で、本来なら、教会史執筆前に来させて頂くのが本当であるが、当時の笠岡の史料部は手薄で、私も種々大教会事務を兼務していたので果たせなかった。それを大教会長に御願いして今回実現したもので、改めて新しい事柄や史料を集成するのが目的ではなかった。一つには私よりも、今後大教会に関わってゆく次世代の方方に同行して頂けた事が大きな成果であった。東大教会は先年、平成年9月代替わりされ、上原家から柴田家へと法灯が受け継がれた。私達にとっては、そういう意味では千載一遇の機会だったとも言える。2点、写真説明を兼ねて掲載させて頂く。1つは東大教会の神殿玄関階段の橫に掲げてある「誌」の文面、もう1つは御井戸の傍に掲げてある「御井戸の由来」の文面。帰って来て改めて「おさしづで辿るあづまの道」(立教年発行)を読んで、訪問取材とはいえ、意見交換の内容は書けない、書かないほうがよいと思った。ただ今述べ20かさおか2725た2点だけは写真と共に掲載させて頂あとに「本部出張所」が置かれたが明く。治二十二年十月十四日教会創設の土台私は6月日、笠岡号でおぢばへ出となった「東京真明組」(講元上原佐て、日に大教会からの車が天理に助大人)が出張所を引き直して「東分寄ってくれたので名阪国道、東名阪教会所」設立の理のお許しを頂き上原伊勢湾岸道路そして新東名と辿り、佐助大人が初代会長に任命され代を重6時頃予約していた宿舎に到着した。ねて今日に至っている。明治二十四年帰りは同じコースを笠岡まで辿った。四月五日当時の「東分教会所」へお入帰って来て境内地を散策した。所々り込み下された本席様よりこの処にに群生する薮萱草の柿色の花が満開、「せい水のさづけ」を下された。おぢ栗の実もいつのまにかかなり大きくば以外の場所で人にではなく土地処になって、また今年は年前に植えたく「おさづけの理」を下されたのは稀有るみが、草刈り機の難を免れてかなりのことであった。右二つの史実を二代大きく育ち実をつけている。いつも思う。いろいろな大教会で神殿から緑豊かな里山が見えるのは、笠岡ぐらいだろうな。先人の苦心、努力の賜のこの笠岡の道、また建物。大切にして、古い歴史と共に、次代に確実に渡していきたい。初代は時々話していたそうな。「温ネ故キヲ知ル新シキヲ」。会長上原義彦大人の遺志により後世に伝えるためこれを誌す昭和五十五年四月十日天理教東大教会御井戸の由来この御井戸は、明治二十二年(一八八九年)八月二十七日、初代会長上原佐助先生が、本席様を通して神意を伺い、お許しを得て、東分教会所当時の神殿玄関に向かって左脇に掘られたものである。明治二十四年(一八九一年)四月五日、当教会へお入り込み下された本席様から、この土地に「せい水のさづけ」がさづけられた。以後、歴代会長は「せい水のさづけ」の取次に、この井戸水を使用し今日に至っている。大正十二年(一九二三年)九月、関東大震災により教会が焼失。昭和六年(一九三一年)、復興建築の折、御井戸は現在のように神殿上段の床下に保存され、使用されることとなった。平成三年(一九九一年)せい水のさづけ拝戴百年を記念して天理教東大教会(扁額は両方とも松村吉太郎先生)教会本部創設の地に立つ東大教会丁寧な解説に耳を傾ける東大教会長様をはじめ史料掛の先生方と5○立教186年(令和5年/2023年)7月21日第62巻第7号10誌ここ元の東京市下谷区北稲荷町四十二番地は明治二十一年四月十日「天理教会」がはじめて公認創設せられた処である。右の教会は同年七月理のあるぢばへ引き移り「教会本部」となりかさおか立教186年(令和5年/2023年)7月21日第62巻第7号6○六月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心により天然自然のお恵みを頂いて日々は結構にお連れ通り頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお見せ頂く姿はすべて我々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると受け止め朝夕に御礼申し上げると共にたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は六月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同梅雨の湿気を含んだ夏の暑さに負けぬよう明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高思に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年は四年ぶりに「こどもおぢばがえり」が開催されます日程や内容など細かい変更はありますが久しぶりに神苑に子ども達の歓声が響くのを楽しみにこの時旬に一人でも多くの子供たちにおぢばがえりをしてもらえるように精一杯参加の呼びかけをさせて頂く所存でございます何卒親神様にはたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を腸りいちれつ兄弟が親心に気付いて助け合い睦び合う陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十六年六月月次祭祭典役割表祭主大教会長様上原浩扈者山野弘実高木昭祥賛者三代温生指図方上原繁道講話佐藤道孝八月講話布教推進講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半中島誠治佐藤道孝谷内伸自横山逸郎中村道德森本忠善岡田誠杉原善朗佐藤真孝大教会長様田中隆之上原志郎前会長様上原浩今川昌彦上原繁道虫明立生山野弘実大教会奥様門脇加津横山小智榮前奥様岡﨑和美山野なつ田中ますみ吉岡八恵上原千枝子森本忠善上原繁次淺野明教三島渉赤木素志山田敏教田林久嗣佐藤真孝岡﨑治喜中村剛岡田誠渡邉隆夫岡﨑真一高木昭祥内海史郎門脇元教三代温生吉岡誠一郎上原順子内海安子岡﨑豊子今川佐智子谷内美知子室悦子佐藤香苗中村初美田中つかさ7○立教186年(令和5年/2023年)7月21日第62巻第7号かさおか大教会だより◎第九八二期修養科自立教年4月1日至立教年6月日*教養掛(○主主任、○副副主任)一ヶ月目○主武内正美(大教会役員・髙屋分教会長)○副高橋徳行(亀田山分教会長)二ヶ月目○主杉原善朗(大教会准役員・明石市分教会長)○副渡邉泰造(品治分教会長)三ヶ月目○主山野弘実(大教会役員・上下分教会長)○副藤本芳久(東水島分教会長)*修了者福山田中真実海松ヶ岡森本一平髙屋武内菜緒福冨士坂田浩子18618627福東藤井あかり上小畠田村栞理棚から牡丹餅テレビのクイズ番組の中で、この〝ことわざ〟の意味を答える問題があった。出演者からいろんな答えがあった。申し訳けないことだが、飲酒しながらのことで、答えの内容は覚えていない。棚から落ちてきた牡丹餅が、ちょうど開いていた口に収まることから、思いがけない幸運が舞い込むことーーらしい(西東社『使える語彙力』)。この〝ことわざ〟を聞くと、今は亡き教友の言葉を思い出す。彼は信仰はもとより、商売でも手腕を発揮し成功した。特に、おつくしには厳しかった。「そりゃー、棚の上へ牡丹餅を置いとくけー、何かあった時、牡丹餅が落ちてくるんじゃー。置いとかんかったら、ネズミの糞か埃が落ちてくるんが関の山じゃー」これは、あくまで彼流の解釈ではあるが、一理あると思う。〝ことわざ〟と一緒にすることはどうかと思うが、私たちが神様から頂くご守護もそうではなかろうか?思いがけなく、舞い込んでくることはないと思う。日々の理づくり、ふせ込み、おつくしなど、その方法は千差万別だが、ご守護のもとをしっかりとつくって、棚の上に置いておくから、いざという時、ご守護という大餅になってくるのだと思う。教祖年祭に向けての三年千日活動1年目の本年も、早や半ばを過ぎたが、まだまだ活動日は残っている。小さな餅でもいいので、沢山、棚の上に置いておこうと思う。(る)140詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。かさおか立教186年(令和5年/2023年)7月21日第62巻第7号○8
かさおか

『かさおか』第62巻 第6号

○1立教186年(令和5年/2023年)6月21日第62巻第6号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314出雲分教会明治30年7月1日赤川布教所設立明治35年7月24日県知事により布教所取消大正9年3月出雲宣教所設立昭和2年5月5日鎮座祭立教186年6月号かさおか立教186年(令和5年/2023年)6月21日第62巻第6号2○育成講習会開催少年会(森本忠善団長)は、去る5月月次祭に合わせて「少年会育成講習会」を開催した。祭典講話に代え、少年会本部委員・今井請一郎先生は、私たちが世話をしている少年会員は「未信者」だと話され、その少年会員たちには、それなりの言葉でなければ信仰もその喜びもなかなか伝わらない、ということを改めて考える機会となった。また、午後の部(講堂で人受講)では、「こどもに分かりやすい話し方」として、少年会本部部員・杉本先生より、具体的にどの様な言葉が難しいのか、何を噛み砕けばいいのかなど、分かりやすく、丁寧に、参加者と話を交えながら相手に伝わる話し方のコツを学び、これからの少年会活動や、各教会でのお話の場で活用していきたいと感じた。(講話要旨は次の通り)31少年会いよいよ新型コロナウイルスも5類に移行となり、ようやく元の生活に戻りはじめました。コロナ禍にあっては、除菌や殺菌をしっかりしようと言われ、まるで菌が悪者扱いされていましたが、元々人間は菌と共生しており、体に無数の菌が住みついています。これらは常在菌と言われ、一番たくさんいるのはお腹の中で、ビフィズス菌・乳酸菌等、約5百から千種類、重さ2㎏、これらを取り除くと2㎏のダイエットになります。しかし、そんなことをすると大変です。それらは、消化・吸収をたすけたり、体に害を与える菌を防止したり、私たちの体にはなくてはならない存在だからです。もともと人は菌をもっていません。母親の産道を通って生まれる時に菌をもらい受けます。生まれてからは、育った環境の中で様々な菌を取り入れ、丈夫で健康な体を自らで造りあげていきます。生まれながらにして全く驚くべき努力をしているのは、この体で、私たちではありません。教典第七章に、「人体のこの精巧な構造、微妙な機能は、両親の工夫で造られたものでもなければ、銘々の力で動かせるものでもない。すべては、親神の妙なる思わくにより、又、その守護による。」とあります。空気中には無数の細菌やウイルスが漂っていて、一回の呼吸で約5万個の細菌やウイルスが入ってきます。このコロナウイルスのように、体に害をなすものを排除するために、マスクなどをして予防しますが、それでも感染する可能性が誰にでもあります。全ては神様のなさることで、私たちは神様任せです。無数の菌やウイルスに囲まれながら元気に生きている。これは実は奇跡ではないかと思います。日々のご守護により生かされていることに気づき、それに感謝する。そして、お礼を申し上げると共に、親神様のお心に沿った、心と体の使い方をすることで健康に過ごすことができる。これが信仰のありがたさであり、喜びだと思います。さて、「コロナ」と聞いて連想するものは何でしょうか?今は「ウイルス」と答えると思います。しかしコロナが流行する前、私たち雪国の人は暖房機器製造メーカーの内田製作所「コロナ」が思い浮かびました。太陽のおかげで地球に生命が存在するように、「コロナ」が日本初のカーボン式石油ストーブを開発したことで日本人は冬の寒さをしのげるようになって世界一の長寿となったと思えるほど「社名」には自信を持っていました。しかし、新型コロナウイルス感染拡大によって状況が変わりました。社名が新型コロナウイルスを連想させることから社員の家族や子供たちが学校やメディアで何気なく耳にする言葉に心を痛め、落ち込むことがあったという事が社長の耳に入り、これを受け特に社員の子供たちには当社で働く両親に誇りを持ってほしいと是非伝えたくて、2020年に新聞の一面を使って全てひらがなで次のような広告を出しました。コロナではたらくかぞくをもつ、キミへまだまだ、せかいじゅうが、しんがたコロナウイルスで、たいへんなことになっているね。そとであそべなくなったり、マスクをしなきゃいけなかったり、つらいこともたくさんあるとおもいます。そんななかでも、わたしたちコロナは、くらしをゆたかにする〝つぎのかいてき〟をつくろうと、3○立教186年(令和5年/2023年)6月21日第62巻第6号かさおかきょうも、がんばっています。コロナではたらいてくれている、キミのおとうさんやおかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、おにいさん、おねえさんも、いっしょうけんめいです。みんな、じまんのしゃいんです。いえにいるときのイメージとは、ちょっとちがうかもしれないけど。もし、かぞくが、コロナではたらいているということで、キミにつらいことがあったり、なにかいやなおもいをしていたりしたら、ほんとうにごめんなさい。かぞくも、キミも、なんにもわるくないから。わたしたちは、コロナというなまえに、じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています。キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです。かぶしきがいしゃコロナのしゃちょうよりこの広告を出したことにより、たくさんの励ましの手紙や反響があったそうですが、それ以上に「コロナ」で働く社員たちや子供たちはとても救われいて、憐れむような顔をしながら「おました。又、この会社のために頑張ろ気の毒に」と言ったのです。3年生のうという気持ちになり、社員たちのモ子にそう言われたのには驚きました。チベーションが上がり、みんな元気で教育実習生とはいえ彼女にとって私はやる気に満ちていたそうです。きっと先生、結婚していて当たり前、それがそんな親の姿を見て、将来自分たちも、結婚していないと分かって可哀そうだ親と同じ所で働くんだと思った子もいと思ったのでしょう。たのではないでしょうか。また、うちの長女・ハヤがまだ保育縦の伝道を考える上でとても参考に園へ通っていた時のこと、お迎えになると思います。縦の伝道とは子供に行ったとき玄関で長女の友達が「ハヤ信仰の喜びを伝えること。子供は親のちゃんのお父さんお母さんはなんでい姿や、周りの大人の姿をよく見ていまつも笑っているの?」と言うのです。す。そして、親たちが楽しみ、喜んでそんなに笑ってるつもりはなかったのしている事、一生懸命している事を見ですが、その子にしてみたら、迎えに習って、自分たちもしようとするもの来る親たちはだいたい忙しそうにしてです。又、自分の周りの常識で、大人いて笑顔でいるイメージが無かった。たちはこういうものだとイメージを固そんな中、私たち夫妻はいつも笑ってめやすいものです。いたのが不思議だったようです。私は大学時代に小学校へ教育実習に本年、真柱様は年頭幹部会で、「家行き、3年生を受けもちました。ある庭をはじめ、自分たちの関わる社会の日、一人の女の子が「今井先生は一人中で、子供たちは大人の姿をよく見て暮らしなの?」と質問してきました。いるように思います。ありがとう、あ私が「違うよ、先生は自分の家から通っりがたいなどの感謝の言葉からわずかているから、家族と一緒に住んでいるな不足話まで、大人の何気ない一言でんだよ。」と答えると、「結婚しているも、子供の心には、大なり小なり影響んだね。」と、目を輝かせて言いましを与えます。また、大人が教えたことた。もちろん「まだしてないよ。」ととその大人の行いが合わなければ、子答えたのですが、その子は少し間をお供は疑問を感じます。皆さんもよくお30分かりだと思いますが、このことを、私たちはしっかり自覚して子供たちと向き合い、まず、一人ひとりが自らの成人を心がけ、心済まして、育成に取り組むことが大切であります。」とお話しくださいました。おかきさげにも「又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛型。諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という。これが第一。」と記されていますが、おかきさげは、おさづけの理を拝戴してから仮席で「今日限りこれを心の定規として生涯通って下さいよ」という神様のお言葉で、ようぼくとしての心持ちが短い文章の中に凝縮されています。先程の部分は歳未満のようぼくに付け加えられている最後の部分。ようぼくの心得で一番大切な所として日々の通り方、基本となるべきことを最後に教えて頂いています。ですから子供に信仰を伝えるということは、自分自身がまず信仰を高め、手本となるような通り方をしなければと思います。二代真柱様は第1回少年会団長講習会に於いて、「伝道という上に於いて一番大切な補導者、補導者という言葉が悪ければ感化を与える人でもいいでかさおか立教186年(令和5年/2023年)6月21日第62巻第6号4○しょう。また指導者でもなんでもいいです。最も大切な補導者という者はこれは親なのであります。肉親なのであります。」と仰せ下さいました。縦の伝道の主軸というものは、「親」なのです。親が信仰の喜びをもち、子供に伝えていく。親が信仰に対して、喜びをもたなければ、信仰の喜びは伝わらない。私たちの周囲には様々なことが起きています。その中には必ず親神様の親心があります。ですからその中から喜びを探して、感じ取り、その喜びを子供に伝えるためにいかに腐心し、努力をするかということが要の点だと言えます。諭達第四号の最後の方に、「教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。」とご教示下さいました。縦の伝道が大切だということです。親神様は陽気ぐらし世界実現をお望みになっている。そのためにはこの道を末代へとつなぐことが欠かせません。普段から、にをいがけ・おたすけを通して道を広めていくと同時に、自分の子供や孫をはじめとする次の世代にも、この信仰をしっかりと引き継いでいくことを怠ってはならないのです。教会は、信仰ある家庭に育った子供たちに順調に教えが伝われば、この道の信仰者が減っていくことはないと思いますが、現実はなかなかうまくいっていないのが正直なところではないでしょうか。ここで忘れてはいけないことは子供は「未信者」であるということです。教会の子供もそうです。子供は「未信者」です。要するに、この道の教えを説いて伝えなければ信者にはならないのです。これはようぼくも同じです。いずれなってくれるだろうと思っていても、何も教えなければようぼくにならないのです。やはり子供にも、お道の教え・有難さを説いていかなくてはいけません。こういう話をすると、今は信仰の自由があるので子供に無理に継がせることはできないという人がいます。確かに信仰は無理にさせるものではありませんし、無理やり継がせるものでもありません。しかし、この道に引き寄せられ、救けていただいたお互いは、子供にお父さんお母さんはこうしてお道を勇んで通ってきて救かったんだということを、子供を「未信者」だと思って伝えていかなければなりません。その結果、子供が信仰するかどうかは最終的に子供の自由に任せることになろうかと思いますが、信仰の喜び・有難さを伝えるのは親の使命だと言えるのプロジェクターを使って具体的な言葉の説明42受講者に発表を求めるシーンです。二代真柱様は昭和年の年頭会議において、「皆さんの中には、親の信仰に反対しないまでも、ついて来ない子供をお持ちの方もあるだろう。世界へ出てしまって帰って来られなくなった子供をお持ちの方もあるだろう。長男だから教会で世話する、次男だから勝手にしろというような冷飯扱いされた5○立教186年(令和5年/2023年)6月21日第62巻第6号42かさおか140時代もあったと思う。しかしながら、幾人子供を与えて頂こうと親の喜びを子供に伝えること、それは最も肝心なことでありながら難しいこととされている。しかし、難しいからと放っておくわけにはいかない。横の布教の忙しさにまぎれて縦の伝道を怠っていなかったか。子から孫へ伝わる血の流れのように、親の喜びは子供の喜びであり、子供の喜びは孫の喜びであるというように、この道は続いておってこそ道と言えると申したい」と述べられました。57昭和年といえば今から年前です。本当に随分以前から親から子、子から孫へと教えを伝えていく、信仰の喜びを伝えていく、この縦の伝道の難しさはお道が抱えている長い課題であるということが言えますが、それは布教と同じくらい大切なことであるとも教えて頂いています。この年祭活動の時旬に、改めて自分の子供や孫にも真摯に向き合い、声をかけ、信仰の喜びを伝え、教祖がつけられたこの道を引き継いでもらえるよう、共々に先を楽しみに努力させていただきましょう。ご清聴ありがとうございました。《以上要約》本部月次祭登殿参列部係員の誘導で参列場所に着座して、祭典の始まりを待った。始まる祭典後は、つとめ人衆に続いて教祖殿御用場に参進。つとめ人衆がお下が教祖年祭に向かう三年千日の年祭りになってから、その場で、教祖・祖活動に入った今時旬、おぢばでは、本霊様を礼拝し、そののち、表統領より部の月次祭において、全教会長によるあいさつがあり、おさがりを頂戴して「登殿参列」の機会を設けられた。詰所に帰り解散した(当日の詳細な時これは、全教会長が、本部の神殿の間の流れは、5月末配布の「連絡事項」結界内で、よりぢばに近いところで、を参照されたい)。かぐら・てをどりを拝し、この年祭の当日は、穏やかな天候の下、普段と三年千日の旬に、もう一度、心を新た違う緊張感の漂うなか、この機会に、に、勇んでしっかりとつとめきっても教会長としての心定めや決意を親神らいたいの思いから設けられたもの。様・教祖に、あらためて申しあげ、ま今回の「登殿参列」は、これまでよた、年祭期間中・活動中の経過などもりも、より近くでかぐらづとめを拝せご報告して、年祭に向かう残りの期間るように、人数を制限してつとめられ、の実動の励みとした。笠岡大教会では、本年は5月月次祭を1111皮切りに8・9月、明年3・6・8・月、再来年4・6月の計9回に各人から人の席をお与えいただいた。大教会だより142612去る5月日(金)には、人の教会◎本部月次祭登殿参列18626長(別掲)が参列したが、午前7時半、立教年5月日登殿詰所修練場に集合して最終説明・記念鶴山中島誠治撮影(大教会長様は本部誘導係員のた陽備虫明立生50め不在)ののち、7時分過ぎにマイ金浦今川昌彦クロバスに乗り合わせて詰所を出発。海松ヶ岡森本忠善登殿参列受付建物で受付を済ませ、本東悠田林久嗣吸江照陽新山邑備中湯田原川島郷作備赤木素志中村道德三島渉岡田誠高木昭祥香取雅人三宅俊正かさおか立教186年(令和5年/2023年)6月21日第62巻第6号6○五月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに変わらぬ親心で日々結構にお連れ通り下さり陽気ぐらしへとお導き頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は朝に夕に御礼申し上げると共に「世界いちれつたすけたい」との思召にお応えさせて頂きたいと日々はたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの教会の五月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は直轄教会に巡教をさせて頂き教祖百四十年祭に向かう歩みについて再確認させて頂きました大教会の定めた「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の方針と「ひながたを学び、そのお心を実践しよう。」との目標とそれぞれの教会で定めた目標と実践項目を基にこの三年千日の成人の歩みを進めさせて頂きますまた本日は祭典に引き続き育成講習会を開催させて頂きます次代を担う子ども達に信仰の喜びを伝えることと子どもに分かり易い話し方をしっかりと学ばせて頂き共々に成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒親神様には教祖百四十年祭に向け三年千日と仕切って成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十六年五月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者虫明立生赤木素志賛者杉原善朗指図方門脇元教講話縦の伝道講習会七月講話田林久嗣区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽田中隆之門脇元教三島渉虫明立生田林久嗣渡邉隆夫三代温生佐藤真孝大教会長様谷内伸自中島誠治前会長様吉岡誠一郎中村道德上原繁道横山逸郎森本忠善大教会奥様谷内美知子武内正美前奥様横山小智榮中村初美田中ますみ室悦子田中つかさ上原浩杉原善朗内海史郎上原繁次高木昭祥赤木素志中村剛岡﨑治喜上原繁次岡﨑真一山田敏教岡﨑治喜佐藤道孝淺野明教谷内秀自上原志郎今川昌彦淺野明教佐藤香苗岡﨑豊子内海安子上原順子門脇加津山野なつ今川佐智子吉岡八恵上原千枝子7○立教186年(令和5年/2023年)6月21日第62巻第6号かさおか先日、岡山教区記念祭の司会を務めた。毎年5月1日に教務支庁で開催され、コロナ禍以前は人を超える人たちでつとめられていた。2年ほどコロナ禍で中止になっていたが、昨年ようやく人数を制限し、プログラムも大幅に変更して再開された。その記念祭で200も司会を務めたのであるが、開始早々、います」とお応えした後、よせばいい教区長の礼拝号令で大失敗をやらかしのについ嬉しくなって「小指を立てて、た。もう司会はこりごりだと思っていマイクを握らないようにします」といたのに「今年もまたK先生」と教区長らんことまで付け加えてしまった。すから指名され、やや緊張の面持ちで開ると、すかさず奥様が「両手でマイク催日を迎えた。当日には、本部布教部を握らないようにしてくださいね」と長・松村先生の記念講演もあり、緊張ナイスなツッコミをしてくださった。してマイクテストをしていた。そのとお陰で緊張感がほぐれ、閉会時には会き、大教会長様・奥様が司会席の方に場がどっとウケ、めでたく司会を務め来られ、「大役、ご苦労様です」と励終えることができたのである。有難いましてくださった。「ありがとうござですね。(V)詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。かさおか立教186年(令和5年/2023年)6月21日第62巻第6号○8
かさおか

『かさおか』第62巻 第5号

○1立教186年(令和5年/2023年)5月21日第62巻第5号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314高丸分教会昭和22年12月26日設立平成23年10月26日移転・改称平成23年11月6日鎮座奉告祭立教186年5月号かさおか立教186年(令和5年/2023年)5月21日第62巻第5号2○2289全委員部長講習会開催婦人会(上原きよの支部長)は、去る4月日(土)、「全委員部長講習会」を開催しました。これは、3年に1度開催されており、この度は、教祖年祭三年千日始まりの年として、一日でも早く、本会からお打ち出し頂いた事柄、支部としての支部長様の思いを伝えて、年祭までの期間を、足並みを揃えて前進すべく開催されました。コロナ禍が終息しはじめ、コロナ禍の道中のつとめに対してねぎらいのお言葉を頂くなか、計人の委員部長さん方の支部としての思いを述べられる支部長様140婦人会参加を頂きつとめさせて頂きました。当日は、午前9時半より開講し、支部長様は「、委員部長講習会・総会にも、開かれる意味を考えて参加していただきたい」と述べられました。その後、3人の委員・委員部長による「私にとっての年祭」というテーマの感話、昼食。午後からは6・7人班に分かれて「ねりあい」・「サイコロトーク」を持ちました。各々の持ち場・立ち場の上から、様々な意見が出され、時の経つのも忘れて、あちこちの部屋から談笑する声が聞かれました。その後、閉講。講堂で礼拝させていただき、散会しました。(常任委員中村理恵)感話として決意を述べる上原愛美常任委員123○立教186年(令和5年/2023年)5月21日第62巻第5号かさおか雅楽講習会開催雅鶯会(田中隆之楽長)は4月日大教会に於いて雅鶯会員を対象とした雅龍笛講師:清水規彰先生(明和大○明大分○後継者)27雅鶯会10楽講習会を開催。教内外から3人の講師を招き、会員人が参加した。午前9時半開講、田中楽長より「良い音色を祭典祭儀式で神様にお供えさせて頂こう」との挨拶を頂戴した後、各管に分かれて練習、昼食を挟んで篳篥講師:小坂俊郎先生(網干大○陽慶分○会長)15各管に分かれての練習時より合奏練習を行い時半閉講となった。夕勤め後には講師の方々や会員同士の親睦を深める会食が行われ、1日のみの開催では有ったが、非常に内容の濃い充実した講習会となった。(雅鶯会員山野弘実)鳳笙講師:上田弘美先生17くにたち国立音大出身。東京で、伶楽舎・小野雅楽会で研鑚を積み、元宮内庁式部職楽部主席楽長のぶんのひであき豊英秋に師事。宝塚市内で笙・ピアノを教授。講堂での合奏練習30親里管内学校新入生歓迎会開催笠岡学生担当委員会(上原繁次委員長)は、4月日、親里管内学校新入生歓迎会を開催した。この日は、まず詰所に集合し、グループでゲームを楽しんだ。その後、天理市内にあるイチゴ園で、イチゴ狩りを行い、甘さたっぷりのイチゴを満喫した。午後からは、詰所で親睦の時間を過ごし、学生らは、楽しい1日を過ごした。学担甘さたっぷりのイチゴに思わず笑顔かさおか立教186年(令和5年/2023年)5月21日第62巻第5号4○四月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の温かい親心による御守護とお導きによって日々は結構に恙なくお連れ通り頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでごさいます私共は親神様の親心に朝夕御礼申し上げ教祖がお付け下された陽気ぐらしへと向かうひながたの道を通らせて頂きたいとたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中この月十八日には教祖の二百二十五回目のお誕生日をお祝い申し上げさせて頂き翌十九日には第百五回婦人会総会が制限なく大勢の人で開催されました事は誠に慶ばしい限りでございます今日の吉日はこれの笠同大教会の御祭り日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月三十一日は笠岡むつみ鼓笛隊の春の合同練習会翌四月一日には少年会笠岡団のおつとめまなび総会が春の陽気の中大勢の少年会員達が集まり賑やかに開催されましたまた八日には第四回「桜祭り」支援バザーが地域住民の方々にも大勢ご参加頂き開催されましたまた来る二十九日には全教一斉ひのきしんデーが開催されます教祖百四十年祭に向かう年祭活動期間に開催される一つ一つの行事にはひながたを学びそのお心を実践するべくしっかりと参加させて頂き成人の歩みを進めさせて頂く所存でごさいます何卒親神様には旬々にお聞かせ頂く親の声に添い切る皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜りお望み下さる陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十六年四月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者横山逸郎渡邉隆夫賛者岡﨑治喜指図方上原繁道講話田林久嗣六月講話佐藤道孝区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝大教会長様中島誠治谷内伸自吉岡誠一郎山野弘実中村義太郎淺野明教上原繁次大教会長様門脇元教岡﨑真一前会長様今川昌彦上原浩上原繁道山野弘実横山逸郎大教会奥様武内正美谷内美知子前奥様門脇加津横山小智榮今川佐智子山野なつ吉岡八恵岡﨑真一佐藤真孝岡﨑治喜中村剛田林久嗣渡邉隆夫吉岡壽森本忠善内海史郎三島渉高木昭祥岡田誠上原繁次山田敏教淺野明教森本忠善虫明立生赤木素志上原順子岡﨑豊子三島照美内海安子森本冨美子岡﨑和美佐藤香苗室悦子高木孝子5○立教186年(令和5年/2023年)5月21日第62巻第5号186かさおか18621大教会だより=辞令=立教年4月日付◎登用幹部承事谷内伸自准承事谷内秀自◎立教年直轄教会定期巡教(*は6月)福山岡﨑真一髙屋中島誠治神邉武内正美*島根大教会長様久松前会長様鶴山上原志郎弥髙山上原繁道陽備門脇元教摩耶門脇元教金浦武内正美興明大教会長様ひろさと大教会長様陶山岡﨑真一芳井門脇元教呉照上原志郎海松ヶ岡中島誠治東悠上原繁道2986吸江照陽輝美濃新山邑呰部*明石市上下府中市東城服部島中驛家葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備神免上原繁道大教会長様上原繁道前会長様前会長様岡﨑真一中島誠治岡﨑真一上原繁道大教会長様田中隆之上原繁道武内正美田中隆之大教会長様大教会長様大教会長様武内正美岡﨑真一訃報岡﨑節夫さん大教会直轄髙千恵布教所長4月日出直されました。享年才「KASAOKAひながた通信」、いったい、どなたが書かれているのだろうかと思いながら、毎月楽しみに読んでいる。ご存じの方のほうが多いのだろうが、小生、巷の情報音痴ゆえに、知るはずもなく、敢えて知ろうとはせずに、既に、2月から4回が配信されている。構成は、まず「テーマ」があって、次に「天理教教祖伝第二章『生い立ち』よりの抜粋」と「この抜粋部分に対する分かりやすいオリジナルの解説コメント」、最後に「私とひながた」という少し長めの文章から成っている。この「KASAOKAひながた通信」は、紙でも配布されているが、小生は、ポスターの右下のQRコードを読み取って、ラインで受け取っている。まだの方は是非お試しください。さて小生、最初に配信された、2月の解説コメントに、とても心惹きつけられた。幼少の頃のおやさまのお姿が目に浮かんでくるようで、何とも言えない優しい気持ちになった。3月の「私とひながた」に書かれている祖母とのエピソードと結びの3行にも共通する、誠の優しさや温かさに触れて、4月以降も継続して読んでいきたいと思った。4月の「私とひながた」、これも感動した。電車の中で乗客たちが一斉に席を譲ろうと立ったエピソード。そのときの様子を「よく晴れた朝でしたが、車内は一層輝いて映り、何とも言えない優しい雰囲気に包まれました。」と結ばれている。小生は、一度もこんな素晴らしい体験をしたことがない。立とうかと一瞬迷っている間に他の方に先を越されて、ばつの悪い思いをしたことは何度かあるが。これを書かれた先生は、素晴らしい体験をなさったなあとうらやましく感じた。直近の5月は、小生の尊敬する村上和雄先生と祈りのことについて書かれている。どの回も、それぞれに味があって素晴らしい内容である。6月以降の先生方にプレッシャーをかけるつもりはないが、楽しみにしている。最後に、文字を読むのが苦手な方には、ユーチューブ配信の朗読版もあるので利用されるとよい。(友)かさおか立教186年(令和5年/2023年)5月21日第62巻第5号○6詰所からのお知らせとお願い詰所での入浴について入浴機器の故障により、現在詰所で入浴することができません。復旧は早くても7月中旬ごろになります。入浴される方は、入浴券を事務所にてお渡ししますので、16時~20時30分の間で本部千人風呂にて入浴してください。詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。
かさおか

『かさおか』第62巻 第4号

○1立教186年(令和5年/2023年)4月21日第62巻第4号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314髙児島分教会大正14年5月27日設立平成8年12月26日移転・改称平成9年2月2日鎮座奉告祭立教186年4月号31むつみ鼓笛隊212748立教186年(令和5年/2023年)4月21日第62巻第4号2○春の合同練習会開催笠岡むつみ鼓笛隊は、3月日、大教会で「春の合同練習会」を開催した。コロナ禍のため3年振りの開催となった今回は、本隊・福山・髙屋から、スタッフ人・隊員人、計人が参加した。隊員らは、ファイフ・ドラム・鍵盤・ポンポンなどの各パートに分かれ、こどもおぢばがえりのテーマソング『ありがとう夏のおぢば』の練習に励んだ。久しぶりに鼓笛に参加した隊員もおり、鼓笛活動への気運が高まった春となった。尚、翌4月1日に開催された「少年会おつとめまなび総会」で、鼓笛お供演奏を行った。おつとめまなび総会で成果を発表曲に合わせてポンポン練習お供演奏に向け合奏練習初めてのファイフに挑戦細かなリズムまで確認かさおかおつとめまなび総会開催少年会笠岡団(団長・森本忠善)は、少年会132138270104月1日に本年度のおつとめまなび総会を開催しました。心配をしていた天候も、好天のご守護を頂く中、少年会員人、育成会員人、総数人の参加を頂いて、にぎやかにつとめさせて頂きました。育成会長様(大教会長様)の御臨席を頂いて、午前時より、座りづとめ・よろづよ八首を鳴り物を入れて参加者全員でつとめさせて頂きました。おつとめまなび後、総会式典では、育成会長様より、おやさまの御言葉「やさしい心になりなされや」を、分かりやすくお話し下され、参加者に向けて、やさしい心で人のたすかりを願うおつ3○立教186年(令和5年/2023年)4月21日第62巻第4号かさおか18各ブロック代表が鳴物を勤めたとめを、これからもつとめてほしいとご挨拶を終えられました。全員により「少年会の誓い」を力強く唱和した後、各教会の隊長に新しくつくられた隊長バッチを団長より渡され、隊長としての役目として新しい隊長規則「三つの約束」を率先して、隊員達を、引っぱってほしいと約束されました。続いて、「わかぎ門出式」が行われ、今春、中学を卒業した人の少年会員に記念品を贈呈、団長より、少年会の卒業生として、これからは、少年会員を導いて行ってほしい。そして、歳になったら別席を運んで、おさづけを取り次げれるようぼくになってほしいと、お祝いの言葉を贈られました。最後に、鼓笛の御供演奏が行われ、下は未就学から、上は中学3年生までの隊員が一生懸命に演奏演技する姿は、いつ見ても感動を与えて頂き、会真剣なおつとめの姿17心を合わせて弾く場からの大きな拍手が贈られました。お楽しみ行事では、クイズラリーが行われ、大教会長様には、「名探偵アッキー」役としてご参加頂き、子供達を盛り上げて下さいました。続いて、恒例の抽選会が行われ、楽しいひとときを過ごしました。昼食は、3年ぶりに、模擬店が復活、大いに盛り上がり喜びの中におつとめまなび総会を、無事終えさせて頂く事ができました。この日を迎えるに当たり、それぞれの教会では、おつとめ練習、また、模擬店等、おつとめまなび総会開催に当たりお世話取り下さいました方々、お忙しい中ひのきしんして下さいました方々に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。(副団長淺野明教)新たに隊長規則が作られた謎解きクイズラリーを開催かさおか立教186年(令和5年/2023年)4月21日第62巻第4号4○1143笠岡学生会として初の春学参加笠岡学生担当委員会は、3月日に親里で開催された、「春の学生おぢばがえり」に笠岡学生会として初めて参加した。『感謝』をテーマに3月・日で組まれた団体には、学生人・スタッフ人、計人が参加。初日は、班毎に親睦を深めるグループタイムや、神殿参拝、親里の桜見物などのプログラム32272828学担満開の桜の下でありがとうを付箋に書き出すが組まれた。また、夜には、『ありがリンピックが催され、大いに盛り上とうを探してみよう』をテーマに、上がった。原志郎先生の体験談を聴き、学生一人学生らは、1泊2日を通して、信仰ひとりが、身近にある『感謝』についの喜びを見聞きし、様々な事を語り合て語り、考えを深めた。い、同じ笠岡に繋がる学生同士の親睦28翌日、快晴の下、本部中庭で式典や絆を深めた。が行われた。真柱様のメッセージ、学生の代表による体験談などを通して、参加者は道に繋がる学生としての自覚を高めた。春学に参加して午後からは、直属アワーの時間が設芳井分教会上村ちはやけられた。大教会長様のお話に続いて、私は最初、春学の参加に乗り気では学生たちが企画した班別対抗の室内オなかったけど、春学に参加して、毎日笑顔が絶えない直属アワー健康で不自由なく生活できるのは当たり前ではないと言うことを知ることができました。また、春学で楽しかったことは、直属アワーです。みんな、楽しそうに盛り上がっていました。初対面の人や、あまり話したことがない人もたくさんいたけど、直属アワーで自然と距離を縮めることができました。色々な人と意見を交わしたり、天理教について学ぶ機会になった春学に参加してよかったです。新調した旗を先頭に式典へ5○立教186年(令和5年/2023年)4月21日第62巻第4号10かさおか第4回「桜まつり」支援バザー開催令和5年4月8日(土)、笠岡大教会海外部(部長・上原志郎)は第4回「桜まつり」支援バザーを4年ぶりに開催しました。今回は従来のアフリカ孤児支援に加えて、戦時下のウクライナ、地震で被災したトルコの人たちへも支援の輪を広げようということになりました。午前時、大教会の女性有志による海外部多くの人達で賑わったバザー会場300100和太鼓チームの演奏でスタート。衣類や電化製品、家具、台所用品など、皆様から提供していただいたバザーの品々が格安で販売されました。途中、笠岡むつみ鼓笛隊の演奏や豪華景品の当たる2回の福引、また様々な模擬店も出店され、当日は、地元の方々を含め約人が来場してくださいました。このイベントは、海外部員だけではとても出来るものではなく、準備の段階も含めて人を超える多くのひのきしんをしてくださる方々の協力があってこそ成り立つ行事です。この場をお国際色豊かな模擬店に舌鼓借りして御礼申し上げます。教内の人を対象にした行事がほとんどの中、地域の方々を巻き込んだ行事ができたこと、天理教の活動の一部を知ってもらえたこと、また多くの支援金が集まったことを部員一同感謝いたしております。尚、当日の模擬店店舗は以下の通りです。うどん・カレーライス・焼きそば・アフリカンフード・韓国トッポギ・フルーツボックス・炊き込みご飯(道竹)・やきとり・巻き寿司・とうふ・馬油・アフリカ民芸品・コーヒー・ジュース・スイーツ・冷凍食品(フードロス協力)・ハンドマッサージ・笠岡市危機管理課・城見地区自主防災会。(部員吉岡誠一郎)WBC侍ジャパンの世界一奪還は本当にすごかった。濃密なドラマは最初から最後まで目が離せなかった。野球の試合のおもしろさは当然のことであるが、選手一人々々の人間模様と、目には見えない運の力のすごさを見せてもらったように思う。中でも、村上(敢えて呼び捨てにさせてもらう)。最初から不調だった村上宗隆がメキシコとの準決勝で、最終回に打席が巡って来て、そこで劇的な逆転サヨナラ打を打った時には、涙が出そうになった(たぶん2~3滴出た)。又誰もが思ったであろうが、決勝のアメリカ戦!大谷翔平とマイク・トラウトの最終回2アウトの対決は、偶然とは思えない最高のシチュエーションだった。大げさかもしれないが、あの場面に日本中が、いや世界中が一つになれた様な気がする。野球の神様のシナリオとしか思えない。でもそれを引き出したのは、侍ジャパンをまとめた栗山監督の野球に対する情熱だと思う。選手を信じる采配は勿論、野球の素晴らしさを次の世代にいかに伝えていくかを最大の意義としていた。やはり、神様のシナリオを引き出すのは、長たる者の人間力だろうか。考えさせられるものがある。今回のWBCの最強選手達は、最強のたすけ合い軍団かも知れない。誰かがだめでも誰かがカバーして・・・。テレビ画面の中のそんな光景が私の心を動かしてくれた。(は)かさおか立教186年(令和5年/2023年)4月21日第62巻第4号6○三月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心から陽気ぐらしができるように天然自然の御守護を下さり日々は結構にお連れ通り下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は肌に触れる空気の温かさに春の訪れを感じつつ日々は朝夕に御礼巾し上げご思報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこの教会の三月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には春の訪れに心を躍らせ今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高思に改めて御礼中し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月はおぢばにて学生を対象とした学生生徒修養会大学の部高校卒業生コースなど様々な行事が開催されましたまた二十八日には春の学生おぢばがえりが開催されますこの度は笠岡として初めて団体を組んでこの春の学生おぢばがえうに参加させて頂きます笠同に繋がる次代を担うようぼくに育ってもらえるようにしっかりとまず我々がおぢばに心を寄せさせて頂きたいと思いますまた笠岡では一月に直轄教会へ二月三月に部内教会へと一斉巡数を行い諭達の精神と年祭活動の意義の周知徹底を図りました立教百八十九年の教祖百四十年祭に向かって一手一つに心を揃えて成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒親神様には親を信じ親に凭れてたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に親心一杯の自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ぐらしへとお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い中し上げます立教百八十六年三月月次祭祭典役割表祭主大教会長様上原浩扈者武内清明内海史郎賛者上原繁次指図方門脇元教講話上原志郎五月講話縦の伝道講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半上原志郎佐藤道孝岡﨑真一吉岡誠一郎上原浩森本忠善山田敏教高木昭祥渡邉隆夫大教会長様田中隆之門脇元教前会長様三島渉中村道德上原繁道横山逸郎虫明立生大教会奥様谷内美知子武内正美前奥様中村初美吉岡八恵田中ますみ岡﨑和美山野なつ淺野明教山野弘実今川昌彦谷内伸自中島誠治杉原善朗中村剛田林久嗣赤木素志内海史郎佐藤真孝岡田誠吉岡壽内海史郎岡﨑治喜岡﨑真一上原繁次武内清明佐藤香苗門脇加津内海安子上原順子横山小智榮上原千枝子今川佐智子岡﨑豊子田中つかさ7○立教186年(令和5年/2023年)4月21日第62巻第4号かさおか春季霊祭祭文これの笠岡大教会の祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共に道の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊またこの度新たにお鎮まりいただきました四十九名の方々の神霊諸々の神霊の前に会長上原明勇慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖にこの道に引き寄せられ陽気ぐらし世界建設のよふぼくとして息の限りにたすけ一条の御用の上に勤め切られました加えて「ひながた通らねばひながたいらん」とのお言葉通り艱難苦労の道を勇んで歩んで下さいました今日お道が結構な姿をお見せ頂いておりますのはひとえに親神様教祖のご守護お導きの賜物である事は申すまでもありませんがまた一つには祖霊様方の真実の伏せ込み理作りの賜物と日々は朝夕にお礼申し上げると共に親々の意志を受け継ぎ届かぬながらもたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも本日は春の霊祭を執り行う日柄でございますので御前に海川山野心づくしの種々の物を供えて只今はおつとめ奉仕人一同親神様の御前にててをどりをつとめさせていただきました続いて祖霊様方の御前に座を移し在りし日を偲び御遺徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下さいまして祖霊様方にもお勇み下さいますようお願い申し上げます今私共は教祖百四十年祭に向かって「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の活動方針の元「ひながたを学び、そのお心を実践しよう。」を目標としてそれそれにひながたを実践することで成人の歩みを進めさせて頂いております何卒祖霊様方には成人の旬と聞かせて頂くこの時に精一杯に成人の道を歩む皆の真実の状をご覧下さいましてより一層この道が延び広がりますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十六年春季霊祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者吉岡誠一郎淺野明教賛者佐藤真孝指図方田中隆之区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半前会長様三代信行山野弘実丸山正人岡﨑治喜岡﨑治喜大教会長様北川治史門脇元教掛谷宣和上原志郎雜賀元生大教会奥様武内正美上原順子藤本惠子門脇加津村川久美子淺野明教上原繁次上原浩岡本善一中村道德瀬藤友昭杉原善朗竹本和道虫明立生下田誠輝岡﨑真一田中亜輝笹尾一美森本冨美子三島照美田中つかさ高木孝子室悦子詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。かさおか立教186年(令和5年/2023年)4月21日第62巻第4号○8
かさおか

『かさおか』第62巻 第3号

○1立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314東水島分教会昭和36年10月26日瑞和分教会設立昭和36年11月10日鎮座祭昭和36年11月11日設立奉告祭昭和37年12月26日改称(名称重複)立教186年3月号かさおか立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号2○140直轄委員部長・委員研修会開催婦人会笠岡支部(上原きよの支部長)は、去る2月3日、大教会で直轄委員部長・委員研修会を開催、人が参加した。開講に引き続き坐りづとめをつとめた後、会議室で支部長様より教祖年祭に向けての活動方針についてお話を頂戴し、「『道の子を道の子らしく育てる』ために、会員一人ひとりが信仰的成人を目指そう」とお仕込み頂いた。続いて、班毎に年祭に向かう心持ちを練り合い、それぞれの心定めを書いて胸に治め、昼食後には、この度新たに発表された支部内の役割について、各部署の役目と活動を話し合った。最後は再び神殿にて、30婦人会熱心に聴き入る委員部長たち信仰的成人を促す支部長様よろづよ八首の総立ちと終わりの言葉をもって閉講した。今回は三年ぶりに終日開催が叶い、また、年祭に向かうこの旬に支部としての新しい枠組みがスタートしたことも併せて、喜びと希望を感じる研修会となった。みちのだいとしての自覚を胸に、まずは直轄委員部長・委員から成人の歩みを進めていきたい。(常任委員上原愛美)新体制に分かれてのねりあい支部長様の話を受けてふりかえり1924冬の運動会開催笠岡学生担当委員会(上原繁次委員長)は、2月日、「冬の運動会」を陶山小学校体育館で開催した。これは、学生から要望があり初めて開催したもので、人が参加した。この日はまず、ニュースポーツ「キンボー学担3チームでプレーするキンボール盛り上がるダンシング玉入れル」をプレーした。チームで協力しながら大きな球をキャッチするという競技に、参加者は大いに盛り上がった。次に、玉入れとダンスが交互におとずれる「ダンシング玉入れ」を実施。最後は、「ソフトミニバレー」を、心行くまで楽しんだ。参加者は、スポーツを通して親睦を深め、和やかなひとときを過ごした。(委員長上原繁次)すがすがしい表情の参加者白熱のソフトミニバレー3○立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号かさおか学生層育成者講習会開催笠岡学生担当委員会(上原繁次委員長)は、2月日、大教会祭典に引き続いて、「学生層育成者講習会」を開催した。講師に、清水慶政先生(本部学生担当委員会委員長・兵神大教会長)を迎え、学生層を育成するに当たっての心構えやポイントなど、体験談を交えた講話があった。(講話内容は次の通り)昨年の本部秋季大祭において発布された諭達第四号の中で真柱様は、おやさま「教祖お一人から始まったこの道を、先せん人じんはひ、な、が、た、を心の頼りとけんめいして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねまつだいが、末代へと続く道となるのである。」とお諭しくださいました。このように次の世代へと信仰を受け継いでいくことは、私達が常に意識し21学生担当委員会20て取り組まなければならない重要な課題だと思います。しかし、一教会長として申すと、代や代の若者にお道の信仰を伝えていくことは、実は非常に難しいことだと感じています。なぜなら、若者自身が、自分が信仰する必要性・必然性を感じていないと思うからです。例えば、においがけ・おたすけの場面で、自ら信仰を求めている人・助けを求めている人に、この道の信仰や教えを伝えることは、それほど難しいことではないでしょうが、信仰を求めていない人では、なかなか一筋縄ではいかないと思います。お道の若者の多くも、ちょうどそれと似た状況にあると感じています。その上、世間一般でも若者の宗教離れ・信仰離れが顕著になってきているという調査結果もあるようですから、お道の中でも、教会や信仰から離れよう、距離を置こうとする若者が増えてきているような気がします。そのような状況の中で、若者たちにこの道の信仰のありがたさや喜びを伝え、信仰を受け継いでもらうにはどうしたらいいのか。そこが今、本教の最大の課題ではないかと感じています。10そこで、本日はまず私自身が若者の丹精に関わる中で感じた3つの気付きについて話します。▼信仰は身近な人の信念で導かれるまず、以前、教会で預かった2人の女子青年について話します。1人は部内教会の信者子弟で、就職先で上司からパワハラを受け、その後心身ともにバランスを崩してしまい、人から勧められて教会へきました。もう1人は教会長子弟で、中学から患っている激痛を伴う難病のため、学校を途中で退学し、人に勧められて教会にきました。2人とも非常にデリケートで、嫌なことや不都合なことがあるとすぐに自分の殻に閉じこもってしまう。また、悪気はないようですが、都合が悪くなると無意識的に嘘をついてしまう。若い女の子なので、もっぱら妻が相手をしましたが、本当に手をやいていました。まず、第一に約束が守れない。身上で調子の悪い時は仕方ありませんが、調子のいい時でも簡単な約束が守れない。また、お道の教えや信仰の話をいくらしても、生活態度や言動は全く変わらず、少しも前に進もうとしない彼女達に対して、妻は何度も心が折れそうになりました。そんな妻を思いやる余裕もなく、段々と教会の生活にも慣れてきた彼女たちは、なお一層わがままになり、私たち夫婦は、これ以上、教会に置いても何にもならないから、もう家に帰そうかとも相談しました。しかし、それでも妻は教祖のひながたを心の支えに諦めずに根気良く接し続け、2年目に入った頃、私達はある作戦を思いつきました。名付けて「ソフトクリーム大作戦」。これからは買い物でも届け物でも、彼女たちを連れ回し、とにかく一緒にソフトクリームを食べ、こちらの懐に入れてコミュニケーションを図るという作戦です。これを、妻が素直に、頑張って実践してくれました。すると、心の距離がどんどん縮まり、段々と、彼女たちの心の内の本音が聞けるようになり、私たちの話を聞く態度も少しずつ変わってきました。劇的に変わったわけではありませんが、私たちの目標は、彼女たちがとにかく自分自身の足で立ってちゃんと自分の人生を歩めるようになってくれることでしたので、来た頃よりは少し成かさおか立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号4○長して明るい笑顔で教会を巣立った姿を見て、心から安堵しました。そんな彼女たちが妻に送った感謝の手紙には、「いつか奥様みたいなかっこいい女性になりたい。」と書いてあり、どこがかっこいいのかを尋ねると、「神様を心から信じていて、ぶれないところ」とのこと。おそらく、彼女たちの目にする私の妻の姿は彼女たちが寝込むたび部屋にやってきて、おさづけを取り次いで諄々と神様の話を取り次ぐ、若い彼女たちにとってはちょっとうざい存在だったのではないか。おぢばでお届け物に回る姿。本部の神殿や教組殿を真剣に拝する姿。できればまだ誰にも売っていないお初のものを教祖殿にお供えしたいとデパートの店員に事情を話して皆で探し回る姿。ちょっと異常な、変人的な姿だったのではないかと思います。それを間近で見ていて「神様を心から信じていて、ぶれないところがかっこいい」と言うのですから、同じ信仰者として羨ましく思います。しかしながら、それは、何度も心が折れそうになりながらも、何とか少しでも親神様・教祖のご存在とその親心を伝えたいと、教祖のひながたを心の支えに諦めずに根気よく接し続けた妻の信仰信念が、彼女たちの心に刺さったからではないかと感じています。1年後、彼女たちに再会すると、信者子弟の子は無事に就職が決まり、忙しくも充実した毎日を過ごせているとのこと。難病の子も、病気と付き合いながら、元気にアルバイト生活を送っているとのことです。その後の生き方に劇的な変化はありませんでしたが、無事に社会復帰を遂げ、今でも女子青年活動には時間があれば自発的に参加しています。信仰信念と呼べるようなものはまだないかもしれません。また、神様を求める気持ちもそれほど強いものではないかもしれませんが、それでも彼女たちの心の向きだけは少しだけ神様の方向へと向けることができた、このまま進んでいけば、いつの日か自ら信仰を求めてくれると感じています。私自身も、そういう「人の信念」によって導かれた経験があります。年以上も前のこと、本部青年をしていた時、ある本部員先生が私たち青年に対して、「最近、本部へ参拝に来る人を見てると、神殿には参拝に来るが、神15殿から教祖殿を遥拝で済ます人が多い。教祖は親やから、子供の顔を見るのを楽しみに首を長くして待っていてくださるのに、こんなに近くまで来て顔を見せずに帰るなんて、水臭い親不孝なことしとったらあかん。」というようなことを話されました。先生の「水臭い」という言葉を聞いて、なるほどと思いました。また、その先生の「教祖は親なんや、ご存命でそこにおられるんや。」という、ご存命の教祖を想う信仰信念が、私の心に突き刺さったような気がしました。それ以来、私たち夫婦も可能な限り教祖殿に足を運んでいます。また、学修などの機会に関わったスタッフに、この話を伝え、期間中はできるだけ教祖殿へ足を運ぼうと申し合わせています。後日、スタッフを勤めてくれたある若い教会長さんから「先生に言われて、できるだけ教祖殿に足を運ぼうと意識するようになってから、自分の信仰が少し変わってきたような気がします。」という嬉しい声がありました。このように、お道の信仰というものは、誰かの信念によって導かれる部分が少なくないように私は感じています。特に、この道の信仰の喜びを伝えていく上では、先に道を歩んでいる私たちの普段の言動が、若者達に希望を与えたり、あるいは失望を与えたりしてしまっている部分があると感じています。教会の青年さんや若い人たちに、身近で尊敬できる人がいるかと尋ねてみると、尊敬している人の名前を答えてくれるますが、結構な割合で、「あの先生が誰かのことを悪く言っているのを聞いたことがない/いつも自分から率先してひのきしんをしていてすごいと思う/いつもニコニコしていてとても癒される」というような答えが返ってきます。私は少し意外に感じました。「あの先生のおたすけはすごい/通り方はものすごい/お話が最高だ」というような感想が返ってくると思っていましたので。若者の心を動かす信念と言っても、何も大層なことばかりではなくて、日々の生活の中の何気ない言動が若者たちの心に写っていくものなのだなと感じました。ですから、私たちお道の大人は、できるだけ日頃から若者の手本になるような信念のある言動を心がけ、その信念を映していきたいものと感じています。5○立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号かさおか▼信仰は節の中で育つ以前、青年として伏せ込んでいた部内教会の後継者の話ですが、彼は非常に学業優秀で、有名国立大学から大学院へと進んで経済学を学び、卒業後は外資系の一流企業に就職、まさに順風ばくしん満帆エリートコースを驀進中でした。しかしある日、結婚を考えていた彼女の両親に結婚を申し入れたところ、両親が天理教が大嫌いで、ましてや天理教の教会に嫁ぐなんてあり得ない、絶対に許さないとのことで、猛烈に反対されました。彼は必死で説得を試みましたが、受け入れてはもらえず、「自分が天理教をやめればいいのだろう自らの体験談を交えてお話下さる清水先生か」とまで考えたそうです。しかし、天理教を信仰しているというだけで結婚を反対されていることに、段々と自分自身のアイデンティティを否定されているような気持ちになってきて、色々と悩んだ末に結局その彼女とは別れることなり、それを機に自分自身のアイデンティティについて深く考えるに至りました。自分は天理教を選んだのだからと、失恋を機に仕事もきっぱりとやめ、ある日、所属教会長である母親とともに大教会で伏せ込みがしたいと申し出てきました。私は突然のことにびっくりしましたが、親神様・教祖の鮮やかなお手引きを感じました。実はそこに至るまでの経緯があり、教会長をしていた彼の父親は、彼が大学院在学中に、進行性の胃がんで、半年ぐらいであっという間に出直してしまい、その間、おたすけに伺っていた私も非常に落ち込みました。葬式後、改めて五十日祭・合祀祭をお伝えした時に、彼が言うには、「亡父が『もしも自分が出直したら、あとのことは何でも大教会長さんに相談するように。あの人はきっとお前の話を親身になって聞いてくれる。お前の気持ちをきっとわかってくれる人だから、何でも相談30したらいい。』と言っていたので、今後の自分の進路について相談したい。」とのこと。それを知った私も、いろんな思いが込み上げて目頭が熱くなりました。そこで彼が言うには、「自分は就職がしたい。教会の後継についても今はわからないし、約束もできない。」とのことで、私も予想していたので、特に動揺はしませんでしたが、私から「歳までに、必ず、教会を後継するかどうかの結論を出すこと。後継するなら、仕事を辞めて3年間大教会に伏せ込むこと。」という2つの条件を出しました。さらに続けて、「我々教会長は、この道のプロとして志を持って会長という御用をつとめている。だから、この教会長という立場を舐めてもらったら困る。もしもプロとしてつとめる志が持てないのならば、他の仕事を選んだらいい。」と、私自身の信念を伝え、就職を認めました。ひょっとしたら亡くなった会長さんはずっこけたかもしれません。大教会長が止めてくれると思ったのに、すんなり許してしまったので。でも、それは私の偽らざる信念でしたし、覚悟でもありました。その後亡くなった会長さんの奥さんが教会長となり、その会長さんが一心不乱に教会長の務めを果たそうと奮闘してくれたものですから、その母親を支えようと家族の皆が力を合わせて教会を盛り立ててくれました。上級会長である私の目から見ても、かつてないほど家族が一丸となって信仰に向き合ってくれた日々であり、その子供たちも随分と成人してくれたように思います。そうした中に先ほどの長男の節が上がってきたのです。その後、大教会で伏せ込むようになった彼は、自分は一流企業を捨ててこの道を志したのだから、必ず一流の教会長になると公言し、修行僧のように伏せ込み、寝る間を惜しんで教理の習得につとめました。そして自ら志願して布教の家に入寮し、その後残って、今は単独布教師となり、日々おたすけに真実を尽くしています。こうした結構な姿をお見せいただいたのも、彼の両親を始め、周りの人々の願いが彼を導いた結果だと思いますし、彼自身が逃げずに節に向き合ったことで、この節を通して大きくお育ていただいた結果だと思っています。また、おぢばの高校を卒業して、19かさおか立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号6○203030歳の時に大教会にきた歳の女子青年の話ですが、彼女は幼い頃からお道の信仰の中で育ち、おぢばの高校へ進みましたが、卒業後、友達のほとんどが就職や進学など自分の好きな道へ進んで、自分だけが信仰に縛られて道を閉ざされたような気がして、どこか納得がいかないようなもやもやしたものを抱えていて、信仰には前向きになれずにいました。例によって妻が世話取りに当たり、毎日、向き合って話を聞き、談じ合い、お道の教えを根気よく伝えていましたが、頭では分かっていても、なかなか神様の存在を掴むことができず、伏せ込みにも身が入らない状態が続きました。1年以上経ったある日、私が本部の神殿当番をしていると、妻から連絡があり、「お腹が猛烈に痛むので、何か思い当たることがあればお諭しを」とのこと。私には何も思い浮かばず、とにかく親神様・教祖に願うだけでした。夕勤め直前にいよいよ耐え難い痛みになったので、電話でその女子青年を自室に呼び出して、おさづけを取り次いでもらいました。その数日前に、神様をどうしても心から信じることができないその女子青年に対して、私の妻は、「神様のご存在とお働きを心から信じられるようになるためには、この人を助けてもらうためなら何でもしますというくらいの真剣なお願いをして、神様のお働きをお見せいただくしかないと思うよ。そういう節に出合わない限り無理かもしれないね。」という話をしていたらしく、まさに彼女にとってその瞬間が訪れたわけです。「分以内に御守護いただけるよう、仕切ってお願いしてほしい」と頼み、おさづけを取り次いでもらいました。その後、彼女は、夕勤めのために神殿に向かいましたが、ちょうど分ほど経った頃、妻のお腹の痛みが嘘のように消え去り、ようやく体を動かせるようになりました。すぐさまそのことを彼女に伝えると、「奥様本当にありがとうございました。とてもありがたい経験をさせていただきました。夕勤めの時、初めて親神様・教祖におすがりしながらおつとめをさせていただいて、改めて私がいかに毎日何も考えずにおつとめをしてしまっているかを、とても感じて反省しました。さっき奥様から連絡が来た時、本当に親神様・教祖にありがとうございますとお礼をさせていただきました。この気持ちが今日だけのものになってしまう自分なので、少しでもこの気持ちを忘れないように通らせていただきたいです。ありがとうございました。」と。次の日に妻と会った彼女は、「こんなにも誰かのために必死で神様にお願いをしたのは生まれて初めてかもしれません。私がこんなことを言うのはおこがましいと思うんですけど、きっと奥様は私のために痛んでくださったのだと思います。」と嬉しそうに話をしてくれたそうです。教祖のおそばでお仕えしていた高弟の先生が、「天理王命の姿があるか。と尋ねられますが、いかが答えてよろしゅうございますか。」とお伺いしたところ、教祖は「あるといえばある。ないといえばない。願う心の誠から見える利益が神の姿やで。」と仰ったそうです。親神様も教祖も、私たちは、そのお姿を目に見ることはできませんから、その御存在とお働きを信じようとしない人にとっては、「神様はいない」ということになるのかもしれません。しかし、私たちが誠真実の心を尽くして願えば、親神様・教祖がその心を受け取って何らかのお働きをお示しくださいます。そのお働きの姿こそが、親神様・教祖の御存在の痕跡であり、御存在の証なのだと教えてくださったお話だと思います。このお言葉のように、私たちは願うことによって親神様のお働きをお見せいただけるからこそ、その御存在を信じることが出来るのだと思います。教祖は「願う心の誠から見える利益が神の姿やで。」と仰せられますが、この初めてのおたすけという節を通して、彼女は親神様・教祖のご存在とお働きを鮮やかに感じることが出来たのだと思います。よく「身上・事情は道の花」と言われますが、私たちの信仰は、こうした身上・事情といった節の中でこそ育ち、深まると感じます。そして、若者がそうした節に直面した時、信頼して相談できる相手がいるか、支えてくれる仲間がいるか。また拠って立つべき信仰があるかということが、非常に大事な要素になってくると思います。私たち大人が若者のそうした大切な節に寄り添える存在であれるように努力していきたいものです。▼仲間や思い出が信仰をつなぐ冒頭にも申しましたが、若者にこの7○立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号3040かさおか1020お道の信仰を伝えていくということは、非常に難しいことだと思います。代・代という若い時期は社会的な責任も比較的軽いし、どうしても守らないとならないというものもそれほど多くありませんから、ある意味でとても身軽な立場です。身軽だからこそ、若いうちの挫折や失敗はそれほど痛手にはなりませんし、やり直しがきくと思います。ですから若い内は多少しんどいことはあっても、神様におすがりしなければならないほど頭を抱えるようなことはあまりないでしょうし、神様に願ったり、信仰にすがったりするような必要性があまり感じられないというのも、無理もないことなのかなと思います。しかし、代・代になって家庭を持ち、仕事上の責任も増してくれば、難しい悩みや思わず頭を抱えたくなるような大節に直面する場面があるように思います。そんな時、「おぢばや教会に繋いでくれる」仲間がいたり、思い出があったり、あるいは親身に導いてくれる人の存在があれば、その若者はきっと節から芽が出る御守護をお見せいただけるに違いないと感じます。しかし、逆にいくら立派な教会に生まれ育っても、今は仕事や遊びで頭がいっぱいだから信仰どころではないとはねつけるような子もいますが、そこが重大な運命の別れ道になってくると思います。だからこそ、いつの日か自分自身で信仰の必要性を感じたり、自ら教えを求めたりしてくれるその日まで、つまり旬が訪れるその日まで信仰を大事に繋いでおくということがとても大切になってくると思います。では、その信仰を繋ぐためにはどうしたらいいのでしょうか。実はそこに皆一番頭を悩めているのだと思います。私はその信仰をつなぐ上で大きな役割を果たしてくれるのが、同じ信仰を持つ同世代の仲間であり、仲間達との思い出だと思います。お道の学生は自分の立場や進路に意外と悩みや不安を抱えています。また誰かに聞いてほしい愚痴があります。だからこそ、悩みや不安を共有できる仲間の存在を欲しています。ここにおられる皆さんも、若い頃は実はそうだったのではないかと思います。学生会の活動やおぢばでの行事は、表向きは教理や信仰を学ぶ場として開催していますが、もう1つの役割として、共に道を歩む仲間や先輩と出会う場であり、同じ道を歩む仲間と過ごした思い出を作る場所だと思います。そういう意味で言えば、各教会の鼓笛隊や少年ひのきしん隊、学生会活動や親里で学ぶことも同じ事が言えるかもしれません。そういう場所でかけがえのない仲間と忘れられない思い出があるからこそ、多少しんどいことや嫌なことがあっても、このお道に繋がっていられるのだと思います。何度も言いますが、代や代の若者に信仰を伝えていくということはとても難しいことだと思います。だからこそ、旬が訪れるまで何とかしてちゃんと繋いでおかなければなりません。そういった意味でおぢばで行われる学修や春の学生おぢばがえり、少年ひのきしん隊、また各教会で行われる鼓笛隊活動や育成練成会という場所は、若者に信仰を伝えていく上でなくてはならない場所だと思います。学生にとって塾や部活は大事なことですが、道を伝えていくためには、そういったお道の行事に一度でも多く参加させて、仲間や仲間との思い出を作らせることが、今私たちにできる一番重要な1020丹精になるかもしれません。最近は、長引くコロナ禍の影響で私たちが当たり前のように経験してきた楽しい様々な行事も十分な形では行うことができず、おそらく仲間や思い出もなかなか作りづらい状況にあると思います。しかし、彼らの信仰を繋いでおくためには、同じ信仰を持つ同世代の仲間や先輩と出会う機会が必要であり、仲間達との思い出が必要だと思います。ですから、今後は、本部も、直属・教区でも、みんなで一生懸命考えて、これまで以上に学生や若者が共にお道を歩む仲間や先輩と出会える場所を、どんどん増やし提供していかなければならないと思います。ここまで、私の気付き、「信仰は身近な人の信念によって導かれる」・「進行は節の中で育つ」・「仲間と思い出が信仰を繋いでくれる」というこの3つの気付きについてお話ししましたが、最後に、先生方にお願いしたいのは、若者を丹精する上では、若者にどう育ってもらいたいのかという明確な願いや、期待を持って接していただきたいということです。かさおか立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号8○皆さんはご自分のお子さんやお孫さんに対して、将来、信仰的にどうなってもらいたいとお考えでしょうか。例えば、教会の長男なら教会を継いでもらいたい。長男以外なら自発的にひのきしんやおつとめをつとめて、教会を支える人に成人してもらいたい。教会長や布教師になって、バリバリとにをいがけ・おたすけに回るようなおたすけ人に育ってもらいたいという期待をかけておられる方もあるでしょう。私の場合、若い人には、親神様・教祖の御存在とお働きを心から信じられるような人、御恩報じの出来る人になってもらいたいと願っています。もちろん、本人や親の考え方・立場・状況によって違うでしょうから、どれが正解ということは無いと思いますが、どういう願いにせよ、その子に将来どうなってもらいたいのかを、一度ちゃんと整理して考えをまとめておく必要があると思います。もしもそういった思いをちゃんと持てていないなら、「無い思い」が相手に伝わることもありません。ですから、若者の丹精にあたる上で、まず第一に皆様にお願いしたいことは、若者達に「どうなってもらいたい」という明確な願いを持って接するということ。そして、その思いを強く持ち続けて、願い続けていただきたい。更には、子供に期待をかけて育てることも大切だと思います。私は、小さい頃から母に、曾祖父の生まれ変わりと言われて育ち立派だった曾祖父に負けないぐらい立派な人に育てと、非常に厳しく仕込まれました。曾祖父の生まれ変わりと言われることは子供心にも誇らしく、なんとかその期待に応えようという使命感のようなものが芽生えていたように思います。兄弟もそれぞれに誰々の生まれ変わりと聞かされて育ち、それがプレッシャーになってしまうこともあると思いますが、子供に期待をかけて育てるということは、実はとても大事な要素だと思います。このように若者の丹精の上では、若者にどう育ってもらいたいのか、という明確な願いや、期待を持って接するということが意外と大事なことだと私は考えています。そして、その思いをちゃんと相手に伝えることも大事なことです。数年前、学担の集まりで、表統領先生が、ご自身がお道に対して斜に構えておられた若い頃に、お道から離れていこうとする若い本人達にすれば「、ものを言わない背中」など見るはずがない。そればかりか、「自分は信仰の道を通ることを親から一言も言われたこともない」という理屈を与えてしまっているようなものだ」というようなお話をされました。「ものを言わない背中」という表現がとても印象的でしたが、確かに、若い人たちと話すと、意外と「お道を通って欲しい」という親の思いを聞いたことがないということを耳にします。「長男だからしっかりしろ/お前達、兄弟で教会を守っていてほしい」とは言われたが、「教会を継いでほしい/お前が後継者だ」とは言われなかったから、「兄弟の誰かが教会を継ぐのかな」と言うのですが、大体そういう教会はなかなか後継者が定まりません。親からすれば、お道の信仰を受け継いでほしい、教会を継いで欲しいと思っているとは思いますが、きちんと相手に向き合ってその思いを伝えないから、お互いの気持ちが噛み合っていかないのだと思います。ですから、是非若い人たちに向き合って、きちんと親の思いを伝えていただきたい。そして、良い意味での期待をかけてやっていただきたいのです。若者は親の言葉を何でも聞き流しているようでいて、実はちゃんと聞いていますし、ちゃんと心の中に残っているものだと思います。しかしその時は、自分にとってそのことが都合が悪いことなので、なんとなく聞き流して無視しているように見えますが、しかし言われたことはちゃんと聞こえているし、胸にも残っていると思います。そして、先ほどの私の部内の後継者のように、何か人生の重要なターニングポイントを迎えた時、その親の言葉や期待が、ふと浮かび上がってくる。そういうことがあると思います。「信仰しなさい」という命令ではなく、「信仰しなければならない」という強制でもなく、「信仰してほしい」という親の真っ直ぐな願いだけが、若者の心に届くメッセージになるのだと思います。もちろん、期待に応えてくれる若者ばかりではないとは思いますが、諦めずに願い続けるところにこそ、親神様・教祖のお導きがあると思いますので、9○立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号かさおかぜひ、若者の丹精の第一歩として、全旬が訪れて、身上や事情といった節とての道の大人が、皆で心掛けていきた向き合わなければならなくなった時、いと思います。そばで支えてあげられるような存在となれるよう、普段から自身の丹精をを最後に、現在、学担では、基本方針重ねていきたいと考えています。として、「教祖を慕い、ひながたを辿しかしながら、道の若者の育成は学る喜びを共に味わおう」というスロー担だけが頑張れば良いというものではガンのもと活動をしています。学生層ありません。本育成の御用に携わる私たちは、この教来、若者の丹精祖年祭を成人の節目として、教祖のひは、やはり縦やながたを道標に、陽気暮らしに向かう教会における日この道を、学生と一緒に共に歩んでい常の丹精がなくきたいと考えています。ては、本当の成そのためには、まずは私たち自身が果は得られないひながたを学び、そしてそれを辿る中と思います。に信仰の喜びを自ら味わって成人の歩ですから、是みを進めていくこと。そしてその中で非、お子さんや若者たちに声をかけ、ふれあいながら、身近な子供に対同じ道を歩む仲間として一緒に信仰のしては、将来ど喜びを味わいたい、分かち合いたい、うなってもらい共に歩んでいきたい。そういった学担たいのかという側の決意を方針にしました。明確な願いをまずは学生の丹精を担う私たちが、持って接し、諦学生たちの良き仲間となり、共に過ごめずに強く願いした思い出を作っていきたいと思いま続けていただきす。そしてできれば、わずかばかりでたい。更には若も信仰信念を映していくことが出来れい人達に向きばと思っています。更にはいつの日か合って、きちんと親の思いを伝え、いい意味での期待を掛けていただきたい。また、おぢばや教会で行われる行事には、期待を込めて背中を押して送り出していただきたい。そうしたことを、お道の全ての大人が皆で心掛けていけば、今よりもお道の将来は明るくなっていくに違いないと思います。140来たるべき教祖年祭の旬に向かって、お道の将来を担う子供たちの丹精にも精一杯の心を尽くすことを共々にお誓いして、本日の私の話の締めくくります。《以上要約》かさおか立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号10○二月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れるご守護とお導きを頂いて日々は結構にお連れ通り下さいます事は誠に有難く句体ない極みでごさいます私共は日々朝夕に御礼申し上げ自らの心の埃を払いつつお教え頂く御教えを一人でも多くの人に伝えようとたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下さいました御祭日でごさいますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて二月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ一心に親心にお凭れする皆の誠真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月の直轄教会への一斉巡数に続き今月は部内教会へと一斉巡教を行い諭達の徹底を図らせて頂きました来月も引き続き部内教会への一斉巡教を行いますまた本日は祭典に引き続き学生層育成者講習会を開催致します三年千日の年祭活動期間の時旬に学生層育成の上にお聞かせ頂く先生のお話をしっかりと胸に治め学生にも年祭活動を通して成人の歩みを進めて貰うことができるように努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には諭達に込められた親の思いを真摯に受け止め素直に実践する皆の誠真実の心をお受取り下さいましてよろづたすけの上に尚も自由のご守護を賜り人々の心がたすけ一条に目覚めてお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く建て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十六年二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者森本忠善高木昭祥賛者三代温生指図方上原志郎講話学生層育成者講習会四月講話田林久嗣区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽門脇元教田中隆之谷内伸自横山逸郎中村道德佐藤真孝上原繁次淺野明教大教会長様上原志郎岡﨑真一前会長様今川昌彦上原浩上原繁道山野弘実武内清明大教会奥様武内正美門脇加津前奥様山野なつ室悦子田中ますみ田中つかさ上原千枝子吉岡誠一郎森本忠善杉原善朗佐藤道孝山田敏教赤木素志三島渉三代温生渡邉隆夫中村剛内海史郎高木昭祥岡﨑治喜中村義太郎横山逸郎中島誠治岡田誠虫明立生上原順子岡﨑豊子中村初美佐藤香苗谷内美知子笹尾一美今川佐智子三島照美吉岡八恵○11立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号かさおか立教186年部内一斉巡教表教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員廣町2月13日大教会長様御野2月8日佐藤真孝多古浦2月13日中島誠治福廣2月7日岡﨑真一香地華2月9日岡﨑真一瑞北3月9日上原繁道福勇2月11日大教会長様真金3月11日虫明立生雲東2月11日山野弘実福芦2月9日森本忠善稲倉2月13日上原繁道神村2月10日森本忠善福満2月8日門脇元教稲瀬2月5日今川昌彦呉中3月8日吉岡誠一郎福岩3月12日武内正美稲讃2月10日門脇元教大江橋2月5日大教会長様西村3月10日横山逸郎門司港3月12日吉岡誠一郎品治2月7日森本忠善福年2月7日上原志郎大惠山2月12日門脇元教久福2月8日田中隆之引野2月6日岡﨑真一東水島2月10日大教会長様呉福2月5日森本忠善福昭2月11日門脇元教髙児島2月5日杉原善朗鶴眞2月10日虫明立生福春3月5日虫明立生高丸2月6日前会長様川島郷2月10日上原繁次福冨士3月10日上原繁道出雲2月11日武内正美作備3月6日田林久嗣福東3月9日横山逸郎瑞雲2月6日大教会長様錦ヶ原2月3日山野弘実東福山2月6日今川昌彦海潮川2月8日横山逸郎眞府2月9日大教会長様福南2月13日上原志郎錦洋2月14日中島誠治吉舍2月4日虫明立生福節2月8日中島誠治米府2月15日上原繁道上小畠2月10日横山逸郎福輝2月13日佐藤真孝弓ヶ濱(2月15日)米府と合同木津和2月6日上原繁次坪生3月5日上原浩西伯3月9日中村道德國須2月7日大教会長様八尋2月10日田中隆之米美3月5日大教会長様上吉野2月12日横山逸郎深安2月6日田中隆之伯仙(2月15日)米府と合同上備2月8日杉原善朗芦品2月13日門脇元教照雲3月6日上原志郎河佐3月4日大教会長様安那3月8日上原繁次松都3月7日上原志郎上川邉2月12日田中隆之芦田川2月3日上原繁次樺島5月3日門脇元教甲井2月3日中島誠治三郡2月10日今川昌彦新輝豊2月3日前会長様上父2月7日今川昌彦芦常2月5日田中隆之亀田山2月12日武内正美宇津戸2月5日佐藤真孝芦加茂2月6日中村道德出雲川津3月10日中村道德府世原2月12日今川昌彦惠陽2月14日佐藤真孝天場山3月8日上原繁道神驛2月5日山野弘実陽實2月12日森本忠善簸ノ川2月10日山野弘実葦沼3月7日田林久嗣かさおか立教186年(令和5年/2023年)3月21日第62巻第3号12○77訃報中村満子さん大教会おつとめ奉仕人久松分教会前会長夫人3月8日出直されました。享年才10140130150いつもいつもお世話になっています。教祖年祭を迎えるに当たり「諭達第四号」が発布され、すでに日余りの時が過ぎてしまいました。年前、教祖年祭の三年千日活動を始動し始めた頃のことです。ある信者さんとの何げない会話の中で「会長さん。弟さんを某大学病院で見かけた」との話を聞きました。何となく気になるため弟に電話をしました。通院していた病院で病状説明を聞き、妻の運転する車の後部座席で横になっているのとのことでした。本人から返って来た言葉は「もういけんのでー」の一言でした。後は言葉もなく、かなり落ち込んでいる様子が感じられました。命にかかわる大病が発覚したのです。振り返れば年祭活動の年間、3年ごとに病状の悪化など危険な状況が起こりました。昨年の1月頃、病院から病状説明のため来院して欲しいとの連絡がありました。主治医から「当病院ではこれ以10上、治せる治療がないので、家の近くの病院を探して下さい」と言われたそうです。本人はこの病院で治療をして頂きたいとお願いしたのですが、転院せざるをえませんでした。40020自宅の近所の病院に日間入院しました。そして退院後は自宅で療養しました。退院後、日余りが過ぎました。不思議なことに、大病をかかえながらも教会への日参、月次祭のつとめ、お供えをはじめ仕事、家庭のことも怠ることなくつとめ、現在、教会には無くてはならぬ存在で、勇んで頑張ってくれています。130教祖年祭がつとめられる2年前「年祭の三年千日は助かる旬です」という言葉を思い出します。弟の身上を通してまず私から、どんな身上、事情をみせられても「○○、でも○○しよう」と落ち込むのではなく、喜びの思いに変えて通らせて頂こうと思っています。これを読まれる頃は、年祭をあと日位で迎える時かと思います。重復になりますが、「年祭の三年千日は助かる旬ですよ」。(と)700詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。
かさおか

『かさおか』第62巻 第2号

○1立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314大惠山分教会昭和11年1月31日設立立教186年2月号かさおか立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号2○2018620大教会長様お話ひ、な、が、た、を学びな.お.し.全員参加の年祭活動を1・年頭会議において立教年大教会年頭会議は、1月日午後1時から大教会神殿で行われ、役員・部内教会長夫妻・布教所長らが参集した。大教会長様は、先ず、真柱様年頭のごあいさつを拝読され、その要点が「肝心なのは我々の心の成人」・「教祖の年祭は全教の節目」であるとして、年祭の意義を徹底するための心構えについて思いを述べられ、続いて、大教会の活動方針・目標を定めるにいたった経緯を縷々述べられた。なお、恒例の会食はコロナ禍のため中止し、引き続き「教会長夫妻並びに布教所長講習会」(別掲)が開催された。要旨は次の通り。まず、今年頭の真柱様のごあいさつを拝読します。昨年中は、いろいろとおつとめくださいまして大変ご苦労さまでした。昨年は、年が明ければ教祖百四十年祭への三年千日の動きが始まるというので、諭達を出しまして、そして年が変わって、年祭へ向かって仕切ってつとめる期間に入ったのであります。仕切ってつとめるということは、年祭という目的に向かって集中してつとめるということでありまして、この期間は、普段よりも力を入れて成人を進める旬であります。成人という言葉は、皆さん方は、その信仰的に意味するところは、あらためて言うまでもなくお分かりでありますが、ここにそんな人はいないと思いますが、成人というと、即物的に考えて、嫌気が差すという人もあるようであります。しかし、肝心なことは心の成人であり、そのための教祖のひ、な、が、た、でありますから、ひ、な、が、た、を目標に歩もうということを諭達で申し合わせているのであります。お、つ、と、め、を勤めてご守護を頂くのも、人が話を聞き分けるようになってくれるのも、つとめる者の心の成人ということが大きく関わっていると思うのであります。教祖の年祭は、私たちが最終的に目指す、親神様が思召される陽、気、ぐ、ら、し、の、世、の、中、へ、向かうための一つの区切り、節目という意味合いをもって勤めてきたと思うのであります。陽、気、ぐ、ら、し、への道のりは、人間の心の成人の道であります。考えてみたならば、非常に先長い話であって、何もなければだらけてしまうか、忘れてしまうということもあり得るのであります。そこで、身近に区切りを設けて集中的につとめる。そうして、ひと節ひと節、芽を出していくようにつとめることが必要ではないかと思うのであります。節目というのは、いろいろにあります。所属する教会の歴史の中においての節目。また個人の人生においての節目。節目というのは個人的にも集団としてもいろいろありますが、教祖の年祭は全教の節目であります。だから、全教の人が年祭の意味を知って歩めば、歩む人が増えれば、最初から分かっている人だけがつとめるよりも、一手一つの力も大きくなり、それだけ成人の道を進ませてもらうことができると思うのであります。そこで、年祭の意義を徹底するために、まず現在は、本部巡教を行っているのでありますが、巡教だけがすべてではなく、意義徹底のためにいろいろな方法を取り続けていかなければならないと思うのであります。皆さん方は、そのための心配りをする教会や部署などの責任ある立場にいるわけであります。年祭へ向かって進むときは、全教が一手一つにならなければならないときであります。一手一つの芯となるもの、何に一手一つになるかといえば、それは教祖の親心であり思召であります。お互いは、教会や施設、部署などでは、いわば芯という立場にあっても、芯となる思召に心を寄せてつとめる立場にあるということについては、ほかの人たちと同じであります。教祖の親心に応えることができるように、それぞれの務めを果たしていっていただきたいと思いま3○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか186140186す。コロナもいまだすっきりと収まらず、また世の中も、戦争などで不安定な様相であります。そういうなかで三年千日へ向かってのスタートを切ることになりましたが、この年が、良いスタートを切る年でありたいと思っておりますので、心を合わせてつとめてくださいますように、よろしくお願いしたいと思います。年頭に当たって、あいさつとさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(みちのとも年2月号4頁)立教年、明けましておめでとうございます。昨年は、教祖年祭に向かう道すがら、理づくりとして「人、だ、す、け、のためのお、ぢ、ば、が、え、り、」を目標に、それぞれ、一生懸命にお努めくださり、誠にありがとうございました。今年は、いよいよ、教祖年祭への三年千日活動、その1年目を迎えました。このスタートの年を互いに勇ませあい喜ばせあって通り、三年千日をしっ140かりと通り切れるように、本日は、年頭における真柱様のごあいさつと、笠岡大教会としての年祭活動の方針・目標についてお話しします。(拍手)▼肝心なのは我々の心の成人真柱様の年頭のごあいさつのなかで、私は、大きく2つのことが重要だと思います。1つは、「肝心なことは(我々の)心の成人であり、そのための教祖のひ、な、が、た、である」ということ。「お、つ、と、め、を勤めてご守護を頂くのも、人が話を聞き分けるようになってくれるのも、つとめる者の心の成人ということが大きく関わっている」と話されました。お互いは、教会長や布教所長など、それぞれの信仰の拠点での中心となる立場です。この年祭活動の芯となる私たちこそ、教祖のひ、な、が、た、をしっかりと学び、まず、自らが成人することが大事だと思います。▼教祖の年祭は全教の節目もう1つは、「教祖の年祭は全教の節目であり、年祭の意味を知って歩む人が増えれば、一手一つの力も大きくなり、それだけ成人の道を進ませてもらうことができる。/全教(の人)が一手一つにならなければならない。その芯となるものは教祖の親心であり思召である」ということ。諭達の冒頭にも、立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。とあるように、道の教えに繋がる全員の方に、それぞれに違いはあるにしろ、それこそ誰1人余すことなく、「年祭活動、頑張ろう/何かさせてもらおう」という心になってもらうことが大切だと思いました。▼意義徹底のために続いて、「年祭の意義を徹底するために、本部巡教を行っている。巡教だけがすべてではなく、いろいろな方法を取り続けていかなければならない」とあります。笠岡大教会としても、月日に本部巡教を受け、1月、直轄教会に対して、大祭参拝と兼ねて全教会一斉巡教を取り行い、諭達と年祭活動の意義の1121徹底を図りました。続いて、2月・3月には、部内の教会にも回ります。それだけではなく、その後もしっかりと、それぞれの教会に繋がる全員に、年祭活動の大切さを伝えることを、続けていかなければならないと思います。「巡教終えたから、これで全員に伝わった」ではなく、大教会としても、引き続き、諭達と年祭活動の意義の徹底を行なっていきたいし、それぞれの教会・布教所でも同様に、そこに繋がる皆さん方、一人ひとりに、年祭活動に自ら参加して成人の歩みを進めてもらえるように働きかけましょう。「全員」というのは「1人残らず」ということで、すなわち、教会に繋がるよ、う、ぼ、く、・信者はもとより、お、さ、づ、け、を戴けない年齢の子供たちにもということです。その子供たちにも、まず、年祭活動というのが大事な期間で、我々大人が「頑張っている/こんなことやっている」という姿を示すと同時に、何かしら動いてもらえるような声を掛けましょう。恥ずかしながら、私自身は、子供の頃の教祖年祭活動の記憶というのがほ年祭活動に臨む心構えを述べられる大教会長様立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号4○め、それから、それぞれの教会でも目がイメージした年祭活動は、「とにかのが、「教祖のひ、な、が、た、をテーマとし標と実践項目を定める、という流れにく、お、た、す、け、。では、この現代社会でて、それを毎月、発信していく」といなっています。は、具体的には、どのようにお、た、す、け、うものでした。昨年末に、大教会としての方針と目相手と繋がっていくのか。そのことを、これが、本当にいいなと思って、そ標を発表しました。年祭活動として打ち出していく。」、そこから、とにかく、「ひ、な、が、た、」に重諭達を受け、大教会として、何を打んなイメージでした。きをおいた、今回の方針と目標を決定ち出していくべきか相談したときに、教会によって様々で、どんなことがすることに繋がったわけです。とにかく「教祖のひ、な、が、た、」を、三年できるかも違うでしょうが、これまでそして、真柱様の年頭のごあいさつ間、しっかりと辿ろうということで、のに、を、い、が、け、・お、た、す、け、、路傍講演やを拝聴した今、現時点では、「方針と「つながろう、おやさまのお心に。つパンフレット配りでは、現代社会にお目標、間違っていなかったな」と感じなげよう、信仰の喜びを。」を活動方いては、実際に、お、た、す、け、相手と繋がています。針とし、目標を「ひながたを学び、そるのがなかなか難しいと思います。私が、それまで思い描いていたイのお心を実践しよう。」と定めました。もっと具体的に、別の形で、お、た、す、メージがなくなったわけではありませとんどありません。今の年齢になって、年頭の真柱様のごあいさつを拝聴しけ、相手と繋がることができる方法を模んが、このたびの年祭活動は、やはり、子供のときに、親がしていたことをて、あらためて、この方針・目標で間索していけないか。例えば、教会ひ、な、が、た、に重きを置いて、もっと基本知っておけばよかったと後悔していま違いなかったと思いました。でのこども食堂などの先に、お、た、す、け、的なことをするべき旬だと思ったのす。あえてお話ししますが、諭達・本部する相手と繋がる姿を思い描くといっで、そういう方針・目標になりました。簡単なことではありませんし、「せ巡教を受けて、私がそれまででイメーた、お、た、す、け、相手と繋がる具体的なこなあかんのや」という押し付けになっジしていた年祭活動というのとは、正と、何か新しい方法(路傍講演や戸別▼年祭活動の重点てもいけないと思いますが、分からな直、違いました。訪問ではない)を提示したり、共有し会長として初めての年祭活動を迎えいなりにも、子供たちにも、少しでも、混乱されるかもしれませんが、私は、ていく。そんな形をイメージしてるにあたり、私は、正直、「どんなこ年祭活動の意義、易しく言って「空気」昨年のこの場で、「理想の教会像」にいたので、本部巡教を受けた時点で、とが起こってくるんだろう/どんな喜でも伝えていけるように、それに向ついて、地域社会に溶け込んで地域に年祭活動をどうしていけばいいのか、びを見せていただけるんだろう」といかって努力しましょう。必要とされて、そこに繋がる皆さんが正直、全く分からなくなりました。う不安や期待もあります。▼ひ、な、が、た、を目標に歩もうお、た、す、け、に喜んで向かっている、そんな姿を夢想するとお話ししました。そこで、年祭準備委員会のメンバー「成人の旬」であるこの三年千日に人を集め、私の考えや思いを話したは、間違いなく、普段より多くの節や10かさおかこのたびの年祭活動、年祭に向かっその後、昨年、『みちのとも』に掲うえで相談すると、今回の三年千日の身上・事情、慶び事も見せていただけては、まず、大教会の方針と目標を定載された両統領先生の対談を読んで私具体的な大教会の活動として出てきたると思います。5○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおかこの3年間をしっかりと通り切るには、本部巡教で井筒先生が仰ったように、とにかく、教祖を見失わないこと。教祖さえ見失わなければ、ご存命の教祖が間違いなく導いてくださる。そのためにも教祖のひ、な、が、た、を「もう知っている/十分学んできた」という方もおられましょうが、あらためて教祖のひ、な、が、た、に込められた親心を学びな.お.し.、そのお心を実践して、互いに成人を進める。そんな三年千日になるように、この3年間は、とにかく、「ひ、な、が、た、」、これをしっかりと辿りましょう。それも、自分だけで努めるのではなくて、教会・布教所に繋がる全員に子供たちにも、まだ見ぬ新たなお、た、す、け、相手にも伝えていけるように、互いに勇ませあい喜ばせあってお通りいただきますようお願いいたします。最後に、連絡事項を、3件、お伝えします。1件目:2月・3月の部内巡教ですが、しばらく実施できませんでしたので、しばらくぶりの巡教になります。このたびは「全教会一斉巡教(諭達28186巡教)」として行います。祭典を終え、ひとまず区切ってから、決められた式次第に則って勤めますので、祭典後の巡教に重きを置いてください。基本的には、従来の部内巡教同様、巡教員がお、つ、と、め、衣でお、つ、と、め、を勤めます。祭典後、式次第のなかでお話を取り次ぎ、食事接待は無しで帰るという形で勤めます。コロナ禍もあり、教会によって様子も事情も違うでしょうから、教会によっては、弁当を準備したり、あるいは、巡教員がお、つ、と、め、の終わり頃に到着して、背広・スーツでお話を取り次いで帰るというケースもあるかと思いますが、一斉巡教(諭達巡教)の講話の取り次ぎに重きを置いたうえで、具体的なことは、それぞれの教会で巡教員と相談してください。2件目:学生担当委員会から。今年の3月日に本部で開催される春の学生おぢばがえりには、笠岡として初めて団体を組んで参加します。諭達にあるように、「ぢ、ば、を慕い、信仰を受け継ぎ、引き継いでいく」ことを考えれば、学生に対する行事も非常に重要ですので、笠岡に繋がる学生が、1人でも多く、お、ぢ、ば、に教祖に繋がるように、皆さま方には、ぜひ、動参加して、共に、成人できるように、員の声がけをお願いします。このことをお願いして、私の年頭にあ3件目:本部に提出する今年・立教たってのごあいさつといたします。年の人づくりと御供・ご奉公の心定(拍手)めについて。人づくりはそれぞれの教《以上要旨》会からの数を合計したもの、御供は昨年と同様に心定めしましたので、ご承知おきください。春季大祭講話教祖にお喜びいただけるこのたびの年祭活動、一人ひとりが、教祖のひ、な、が、た、を学び、そのお心を実践し、あらためて、成人の歩みを進め真心をもって取り組もう大教会長様21186ようということと、笠岡に繋がる全員、立教年大教会春季大祭は1月どんな方にも、もう、1人も余すことなく、残らず、年祭活動に、少しでも日、大教会長様祭主のもと役員・部内教会長・布教所長・よ、ふ、ぼ、く、・信者ら参拝のもと執り行われた。大教会長様は、教祖年祭の元一日を記念してつとめる春季大祭に殿内北側半分は椅子席となった当たり、正に、年祭活動が始動したこの旬の心構えとして、諭達・真柱様年頭のごあいさつ・逸話篇を引用され、まず、「笠岡の心を一つにして歩むこと」・「自らの心の成人を進めること」を促された。続いて、教祖にお喜びいただける「真心をもってつとめること」・「心のほ、こ、り、を払.え.る.よ.う.に.通ること」に気を付けようと述べられ、かさおか立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号6○最後に、このたびの笠岡としての活動方針・目標への取り組みについて述べられた。前日の年頭会議同様、終始、即物的な考え方ではなく、心の持ち方・置所に重点をおいた講話となった。要旨は次の通り。140186ただ今は、立教年の春の大祭を、皆さまと共々に陽気に勇んで勤められました。誠にありがとうございます。本日は、教祖年祭に向かっての三年千日と仕切っての年祭活動期間を歩むにあたって、思うところをお話しします。(拍手)1026▼笠岡の心を一つにしたい昨年月日、真柱様より『諭達第四号』が発布されました。この諭達と本部巡教を受けて、笠岡大教会としての方針と目標を決めました。このたびの諭達では何が一番大事かと考えると、笠岡の方針・目標を知っている方の多くは、おそらく「ひ、な、が、た、」が思い浮かぶと思いますが、私はそれと同じか、もっと大切だと思うことがあります。それは、諭達の冒頭にある「全教の心を一つにしたい」ということです。真柱様は、今年頭のごあいさつのなかで、年祭へ向かって進むときは、全教が一手一つにならなければならないときであります。一手一つの芯となるもの、何に一手一つになるかといえば、それは教祖の親心であり思召であります。と話されました。教祖の親心・思召を芯として、全教が一、手、一、つ、になる、このことを、三年千日の年祭活動を歩むに当たって、私は、とても重要なこと、大事なこととして、皆さんにお願いしたい。このたびの年祭は、「自らが勇んで通る」のはもちろんのこと、「年祭活動を、身の回りの方にも伝えて、共に、成人の道を歩もう」ということです。全教の心を一つとするために、まず笠岡として、一、手、一、つ、に、心一つにできるように努めましょう。教会・布教所や家庭に繋がる方、とにかく身の回の方一人ひとりに、誰1人漏らすことなく、どんな形でもどんな小さなことでもいいので、自らが求めて年祭活動を努めてもらえるように、その意識を持って、3年間通り切りましょう。このことを、まず、最初に、私の思いとしてお話ししました。▼まず、自らの心の成人を特に、次の世代を担う子供たちに、伝えていきましょう。もちろん、押し付けになってはいけないし、「しなければならないからしろ」と声高に叫ぶのではなく、子供だち一人ひとりを見て、「この子ならどう言ったら伝わるだろうか」と思い巡らし、伝える努力をして、「少しでも、どんな小さなことでも、親神様が、教祖が、喜んでくれるんだよ。それでたすけてもらえるんだよ。」と伝えて、ともに歩む3年間にしましょう。「子供の成人」という逸話ですが、教祖の仰せに、「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。親の教が、隅々まで届いたなら、子供の成人が分かるであろ。」と、繰り返し繰り返し、聞かして下された。お蔭によって、分からん人も分かり、救からん人も救かり、難儀する人も難儀せぬようの道を、おつけ下されたのである。(逸話篇)196とあります。また、年頭のごあいさつでも、真柱様は、お、つ、と、め、を勤めてご守護を頂くのも、人が話を聞き分けるようになってくれるのも、つとめる者の心の成人ということが大きく関わっていると思うのであります。と話されました。まず、自分自身の心の成人を進めたうえで、進めながら、同時に、子供に、また身の回りの人たちに、教えを伝える声がけを行なっていく、ということを心がけましょう。▼年祭に向かう心構えそのことを、まずお願いしたうえで、この3年間、通るうえでの注意点、「今さら、そんなことを」と思われるかもしれませんが、あえてお話しします。2つあって、1つは「どのような心で努めるのか」ということ。もう1つは「心のほ、こ、り、をしっかりと払って通る」ということです。▽何事も真心をもってつとめるどのような心で通るのかということについて、教祖の逸話を拝読します。7○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか真心の御供中山家が、谷底を通っておられた頃のこと。ある年の暮に、一人の信者が立派な重箱に綺麗な小餅を入れて、「これを教祖にお上げして下さい。」と言って持って来たので、こかんは、早速それを教祖のお目にかけた。すると、教祖は、いつになく、「ああ、そうかえ。」と、仰せられただけで、一向御満足の様子はなかった。それから二、三日して、又、一人の信者がやって来た。そして、粗末な風呂敷包みを出して、「これを、教祖にお上げして頂きとうございます。」と言って渡した。中には、竹の皮にほんの少しばかりの餡餅が入っていた。例によって、こかんが教祖のお目にかけると、教祖は、「直ぐに、親神様にお供えしておくれ。」と、非常に御満足の体であらせられた。これは、後になって分かったのであるが、先の人は相当な家の人で、正月の餅を搗いて余ったので、とにかくお屋敷にお上げしようと言うて持参したのであった。後の人は、貧しい家の人であったが、やっとのことで正月の餅を搗くことが出来たので、「これも、親神様のお蔭だ。何は措いてもお初を。」というので、その搗き立てのところを取って、持って来たのであった。教祖には、二人の人の心が、それぞれちゃんとお分かりになっていたのである。こういう例は沢山あって、その後、多くの信者の人々が時々の珍しいものを、教祖に召し上がって頂きたい、と言うて持って詣るようになったが、教祖は、その品物よりも、その人の真心をお喜び下さるのが常であった。そして、中に高慢心で持って来たようなものがあると、側の者にすすめられて、たといそれをお召し上がりになっても、「要らんのに無理に食べた時のように、一寸も味がない。」と、仰せられた。(逸話篇7)このように、教祖は、品物ではなく、真心を、何よりも喜ばれる。それは、御供物に関することだけではなくて、教会でのお、つ、と、め、・お掃除、に、を、い、が、け、・お、た、す、け、など、私たちの、日々の全ての行動の根底にある心が、教祖にお喜びいただける心で何事もさせていただくということ。▽心のほ、こ、り、を払.え.る.よ.う.に.通るそしてもう1つは、心のほ、こ、り、を払って通るということ。これも、逸話のなかで、こんな風に、教祖が仰っています。どんな新建ちの家でもな、しかも、中に入らんように隙間に目張りしてあってもな、十日も二十日も掃除せなんだら、畳の上に字が書ける程の埃が積もるのやで。鏡にシミあるやろ。大きな埃やったら目につくよってに、掃除するやろ。小さな埃は、目につかんよってに、放っておくやろ。その小さな埃が沁み込んで、鏡にシミが出来るの130やで。(逸話篇)と。親神様のお心に添わない心遣いを、「ほ、こ、り、」に例えてお教えいただいていますが、道を信仰する我々は、お、つ、と、め、を勤め、お、さ、づ、け、を取り次いで、日々通るなかで、心のほ、こ、り、を払う機会は、何度もあると思います。なぜ、あえて、今、この話をしたか。ある女性が健康のために走っていたが、体調を崩して医者に診てもらうと「筋力が低下している」と言われた。健康のための運動だったのに、使っていた筋肉が違ったので、調子を崩す元になり、鍛えていたはずなのに、全然鍛えられていなかった。この話を聞いて、私が、さらに思い浮かんだのは、私が、本部勤務から大教会に帰って、神殿掃除をするようになったときに、とても気になることがあった。毎日、掃除しているのに、太鼓とスリガネの足の部分に白いほこりがずっと溜まったままになっていた。それは、ほこりを隅に寄せて終わるような掃除の仕方になってしまっていたから。私は、特に、神殿掃除することは、「自分の心のほ、こ、り、を払う」つもりで努めているので、余計に気になったのでしょうが、「しているつもりで、実は、ほこりを溜めてしまっている」ということが、私たちにも、あり得ると、そのように思案しました。このたびの記念祭に向かっては「ひ、な、が、た、を学び、そのお心を実践しよかさおか立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号8○10261121う。」という目標を掲げています。当然、承知しているであろうこの教祖のひ、な、が、た、を、あらためて、学んで、自分自身の心の掃除の仕方、ほ、こ、り、の取り方が、ほ、こ、り、を隅っこに追いやるような掃除になってしまっていないかを、あらためて、確認して、スッキリ、そのほ、こ、り、を払えるよう、努めていただきたいうえから、このお話をしました。▼笠岡としての方針このたびの教祖年祭に向かっては、月日に真柱様より、『諭達第四号』をご発布いただき、月日に本部巡教を受けました。その後、年祭準備委員会を立ち上げ、年祭に向かう方針と目標を相談し、決定しました。活動方針は「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」、目標は「ひ、な、が、た、を学び、そのお心を実践しよう。」と定めました。▽つながろう、おやさまのお心に。このたびの諭達の根底にあるのは、ひ、な、が、た、を辿ることだと考えましたが、「ひ、な、が、た、」というと、「貧に落ちきる/ご苦労」など、「苦労をしなければならない」というようなイメージがあるという意見もあったため、「ひ、な、が、た、」という言葉を使わずに考えてみました。そうして、「あのとき、教祖はどうなさったのか/どんなお気持ちだったのか/教祖ならどうなさるか」そういったことを想像してみて、常に教祖を思い浮かべ、教祖のお心に繋がろうとする態度が、ひ、な、が、た、を求めることになるのではないかと思いいたったので、方針を「つながろう、おやさまのお心に。」としました。▽つなげよう、信仰の喜びを。また、お道を通るうえでの、喜び、「か、し、も、の、・か、り、も、の、/生かされて、生きている喜び/元なるを、や、を明かされていること/たすかる筋道を教えられていること」、教えを知っていることで喜べることは、たくさんあることに気付きます。そして、その湧き上がる喜びを態度に表すことがひ、の、き、し、ん、であり、周囲の人々に喜びを映していくことがに、を、い、が、け、やお、た、す、け、だ、と思います。さらには、この喜びを次代へ繋げていくということ。「道は末代」。諭達にも、親から子、子から孫へと引き継いまつでいく一歩一歩の積み重ねが、末だい代へと続く道となるのである。とあるように「末代」に信仰の喜びを繋げていこうという思いを込めて、「つなげよう、信仰の喜びを。」としました。▽ひながたを学び、そのお心を実践しよう。目標は「ひ、な、が、た、を学び、そのお心を実践しよう。」です。これまでの年祭活動は、数値目標を掲げ、その達成に向けて奮起を促してきたという歴史があったかと思いますが、年祭活動は「しないといけない」ものではなくて、飽くまでも「させてもらおう」という勇み心でするものだと捉え、このたびは、具体的な数の目標は掲げず、皆さんが、それぞれに、何をするかを決める。そのために、このような表現にしました。ひ、な、が、た、を学んでいく手段、1つの方法として、大教会では、教祖をテーマにした「KASAOKAひながた通信」というものを作り、毎月、発信します。ポスターがお手元に届いているかと思いますが、その右下にQRコードが2つあります。1つは、昨年末に作った笠岡大教会のホームページにアクセスするためのQRコード、もう1つは、この「KASAOKAひながた通信」にアクセスするためのものです。最初はLINEの友達登録をすることになります。毎月1日に、教祖のひ、な、が、た、から1つテーマを選んで、それに基づくお話をすることになっています。この「QRコード」は、スマートフォンでそれを読み込んでアクセスすることになります。それが、ご自分でできなくても、近くにいる若い方でしたらできると思いますので、お子さんやお孫さんに、「これ見たいけど、分からんんのよ」と言って、操作して一緒に見てもらうこと、これも次代に信仰を繋げていくための一助になるでしょう。また、スマホで見られない方には、紙に印刷したものも配布しますので、それぞれの教会ごとに、希望数・必要数を大教会にお申し込みください。そしてもう1つ。このたびの年祭活動では、「おたすけ・お願いカード」を活用していただきたい。9○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか323123191121371214このたびは、「必ず大教会にお供えする/数をカウントする」ということはしません。それぞれの教会で、どのように活用するかを考えて、使ってください。大教会にお供えしたい教会は、大教会の方で、それを受付して、月次祭のお、つ、と、め、が始まる前に、それを供えて、お、つ、と、め、を勤めます。▼ご存命の教祖を見失うことなく、一、手、一、つ、につとめよう真柱様の「全教の心を一つにしたい」という思いに沿うことができるよう、まず、笠岡が、一、手、一、つ、となって努めたいと思います。一、手、一、つ、ということについて、お、さ、し、づ、に、一手一つに皆結んでくれるなら、どんな守護もする。(明治・1・)また、皆んな一手一つの心が無けりゃ、治まっても治まらん。(明治・7・)また、皆心、一つの心に成りてくれ。一つに成れば強いもの。そもくの心は、どうしてやろうこうしてやろう、と言うたとて、出来ん。そこで暇が要る。もうこれから、皆心というは、一人の心にようあれだけの心を揃うたなあというは、世界にどんな事も映る。これをよう皆々の心に持ってくれにゃならん。(明治・・)とあります。諭達の最後に、この道にお引き寄せ頂く道の子おやさまふしめ一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界た、す、け、の歩みを一いっ手てひとおごぞんめい一つに力強く推し進め、御存命でおやさまお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。とあるように、一、手、一、つ、に、喜ばせあい勇ませあってつとめ、三年千日を通り切り、御存命の教祖にご安心いただきお喜びいただけるように、お通りいただきますよう、お願いいたします。最後にもうひとつだけ。年祭活動期間に入りますと、いろいろなことが起きてくると思います。それは、慶び事、うれしいこともあれば、身上・事情や、しんどいな辛いなと思うことも数多く起こってくると思います。ですが、月日の本部巡教で井筒先生が、私たちは、教祖さえ見失わな今日は、天理教の教会は現代社会にければ、どんななかでも教祖が支えておいて用無しになっていくんでしょうくだされ、「存命の理」で、間違いなか、このまま消えて行くんでしょうかく導いてくださる、と話されたように、というようなお話をさせていただきた教祖を、教祖のひ、な、が、た、を見失わずに、いと思います。ちょっと質問に答えてしっかりと見つめて、そのお心を学び、下さい。これから道に明るい未来はあ自ら実践していくことをお願いして、りますか?これからの道に明るい未お話を終わります。(拍手)来はあるとYESと思う人、じゃあ未《以上要旨》来があると思われたかたはなぜそう思うんでしょうか。ちょっと心に浮かべ布教部教会長夫妻並びに布教所長講習会開催てみてください。また未来はないと思った人はなぜ未来はないと思ったんでしょうか。なぜという所を深めてい201・年頭会議に引続きかないと私はいけないと思います。どちらでもいいですが、ただ現状は非常80布教部(田中隆之部長)は、年祭に厳しいものはあります。教祖年祭90活動歩み出しの大切な時旬に、笠年祭をピークにおさづけの理拝戴の岡が一丸となって年祭活動を推し人数なんですが、客観的に見ると右肩進めるためには、教会の竜頭であ下がりになっている。大事なのはなぜる教会長・その配偶者・布教所長のそういったことになってきたのかとい合力は外すことが出来ないとしうことです。て、「教会長夫妻並びに布教所長伝統宗教は、生老病死という人間の講習会」を開催。杉江健二先生(甲根源的な悩みに応えてきました。新興賀部属美張分教会長)を講師に招宗教においても、貧病争、このテーマき、「多様化する社会の問題を学に答えを出している宗教が伸びたんでび、自分にできるおたすけに取りす。お道は結核のおたすけで伸びたと8090組もう」をテーマに次のようにお言われますが、教祖年祭年祭はそ話しいただいた。ういったものに一生懸命かかればおたかさおか立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号10○すけを待っている人々が大勢いました。釣りに例えると、今、一生懸命にをいがけしておたすけをしようと思っている私たちの船の下には魚はいないんです。困ってる子達はそこに困ってないんです。今は保険もある、病院は立派にある、医学も発達し、以前困っていた結核は現在ほぼありません。そういう中で私たちがおたすけしようと思っていたその人達、今日は魚はそこにいないで移動してしまったんです。バブルがはじけ教祖年のあたり、1980年ぐらいから、助けを求める魚達はそこにはいなくなってしまった。私たちが一生懸命おたすけしようと思ってやっているその下には魚はいないんです。じゃあ困ってる人はいないのか、いるんです、別のところに。ある時、前真柱様とお話をさせて頂いてる時に、「世の中にはなお助けを待ってる人は大勢いるのに私たちようぼくはそこに行けてないで」って言われたんです。これが実は教勢が伸びて行かない原因の1つなのではないでしょうか。私たちの思いばかりではおたすけは現実には起こってこないんです。天理教と全く接点がない方そして天理教の100302452195915教会もしくは教会長様ようぼく信者と接点がある方、うちも子ども食堂やってますが、こども食堂に来る人たちと向き合い、おたすけ活動を展開しなければならないことにようやく気付いた。私たちはもう一度、お道を知らない人たちと接点を作って何に困ってるのか聞かなきゃいけないと思いませんか。私がそのことに気づいたのが年祭の3年前、ちょうど年前からその思いに駆られて少しずつ少しずつ躓きながらやってきたことを少しご紹介をして、何かのご参考になればということでお話を聞いていただきたいと思います。まずは2011年、今から年前に私は空手道場を始めたのですが、生徒の保護者から、「先生うちの子供学校行けてないんだけど先生の空手教室は行くんですけどどうしたらいいですか」ってご相談を受けたんです。そして不登校のおたすけを始めた。よく調べてみると世の中には不登校ってのがいっぱいいて万人、このコロナ禍で今万人にもなっているんです。年間日以上の欠席を不登校と言いますが、不登校気味の子どもたちも含めると、なんと万人もいるんです。どん1013012151773010130147616どんどんどん増えています。また引きこもりや仕事をしないニートは合わせて万人もいるということが分かってきたんです。今のこの世の中で万人の人たちが引きこもり不登校ニートなんです。この8年間に復帰した人は件、まだ継続してしているのは件、相談だけで終わった人件、中断した人件、合わせて件の不登校のおたすけに関わってきました。その中で教会に住み込んだ人は名ありました。そんなことでお助けにかかり初席運んだ人が人、ようぼくになった親が人、講社を祀った人もあります。そして年前、年祭の三年千日の始まるそのタイミングで、親の代からやっている里親、空手道場など得意なことをやろうということで、陽気会という名前を付けて子どものおたすけを始めました。私は里親をしているのですが、今までに人の子どもを預かってきました。そのうちの8割の子どもたちが虐待を受けていた。そんなこどもたちと一緒に生活しながら、このままでいいのだろうかと思うようになりました。そうするうちに名古屋市の児童相談所がうちの教会の隣に移転してきました。その児童相談所で一時保護11229241030されている建物から、「ママー、ママー!」と叫ぶ女の子の声、「殺せー、殺せー」とわめく男の子の声が聞こえてくるんです。過去に殺されそうになった体験がトラウマになって叫んでいるのです。私はおたすけのつもりで虐待された子どもたちを預かってきましたが、教祖が望まれるのは虐待を受ける子どもたちのいない世の中になり、私たちのような里親がいなくなることだと思うようになりました。児童虐待が社会に知られるにつれ、国が策を講じてきたにもかかわらず、年間増え続ける児童虐待の防止をこの時私は決意しました。名古屋市の市長に会い直談判して、児童虐待の再発を防ぐための保護者支援事業ってのを始めたんです。虐待をしたお父さんお母さんに、虐待だめだよって言うだけじゃなくて、教えてあげるから一緒に勉強しようと。本当に心から訴えれば、天理教とかそんなの関係ない、通じるんです。皆さんも笠岡市の市長さんのところに、こんな事業をしたいと行かれたらどうですか。名古屋市の委託で講座の講師をやっていますが、人のうち人が天理教の教会長か奥さんなんです。そして今までに件以上の虐4001711○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号600かさおか待した家庭を復帰させてきたんです。その中から、もっと早く教えてもらいたかったという声が上がり、イライラしない子育て講座、名古屋で年間2千人ぐらいの人が受講しています。私ひとりで始めたんですが仲間を募って、トレーナー養成講座を始めました。現在、人の方が全国にいますが、まだまだ増え続けています。東京教務支庁、大鳥大教会でも開催されました。笠岡大教会も是非いかがでしょうか。さらに、天理教里親連盟とタッグを組んで、イライラしない子育て講座にちょっとお道の信仰を加えて、TFA天理教ファミリーコミュニケーションアプロー映像を駆使して話される杉江先生チってのを作ったんです。全国の教会や修養科の課外授業でも取り入れられています。これは親になってから学ぶよりも親になる前に学んだほうがもっといいでしょう。そこで産前子育て教室制度化を思い立ち、この必要性を国に訴えるために署名活動をしてきました。教会長になった当初は何をしたらいいかわからなかった。路傍講演するけど素通りするだけ、にをいがけにまわるが誰も聞いてくれない。これでいいのだろうか、世の中の人たちは困っていないんだろうかって思っていましたが、不登校、ひきこもり、虐待、依存症、現代のおたすけはいっぱいありました。ただ私たちが気づかないだけなんです。そういう人たちにもっと目を向けましょう。子育てにつまずいて悩んで役所などに相談に行く親は実は2割程度です。8割の人が諦めてるんです。子育てに悩む人々に声をかけて、地域の子育てステーションの役割を教会が担えるということをぜひ皆さん覚えておいてください。教会ではそれ以外にも、子ども食堂、フリースペース、里親活動などができます。人手がなければ近所から呼んでくればいいでしょう。何でもいいからやれることからやっていきましょう。そして困ってる人のところに行かなければいけない。一生懸命頑張ってますが、魚がいないところで一生懸命やっても自分たちの自己満足でしかない。困っている人はたくさんいるので、そこへ行きましょう。いま社会は、子ども家庭庁が今年の4月にできますが、霞が関でその審議官と話をしてきました。すると、僕らが思っていることと全く同じことをやりたいと言っているんです。ということは、我々お道はそれができるということです。天理教の教会や布教所は、今まさに国や地域が必要としている社会資源になり得るということを話をしたかった。最後になぜ私がここまでできるようになったのか、そのお話をします。私には男の子が3人いるんですが、待望の女の子を授かりました。本当に嬉しかったのですが、娘は重い障害を持って生まれてきました。何とか助けていただきたいとおさづけを取り次ぎ、六座のお願いも初めてしました。しかし時がたつにつれ体には水が溜まり、見るも無残に膨れ上がって本当にかわいそうな姿になった。もうこれが神様の私たちに与えられたと言ったらまた出直してくればということで。NICUで先生達が私達夫婦と娘3人のスペースを作って下さって、生命維持の器具を全部外して、今から出直しを迎える時間を過ごさせてくれたんです。娘の体をさすりながら、本当に申し訳ない、かわいそうだなどといろんなこと考えました。でもこのままで終わったらお道の者じゃないって、この節をどう乗り越えるか、心を定めよう。この子の出直しを無にしないための心を定めようと定めたのが、生かしの道、ということなのです。娘は五体不満足で出直したけれども、世の中には五体満足で生まれてきながら学校に行けず引きこもりがあったり、いじめがあったりして生き生きと学校に通えない子供たちがいっぱいいる。そして親から叩かれ怒鳴られて、寂しい思いをしている虐待にあった子供達が万人もいる。この子たちを生き生きとして生きててよかったって思える子供にしようというのを生かしの道と私は定めたんです。娘の出直しの節がなければ私はそこまでのエネルギーは湧いてこなかったと思います。そうして始めたおたすけですが、2021少年会詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号12○いっぱい教会に不登校の子達を預かっない。知識だけだった。本当に我々が私がやらなかったら誰がやるんでしょて、どんどんみんな元気になっていっするのはおたすけ、不登校の専門家のうか。おたすけの接点の様々なチャンたんです。周囲からは先生先生と呼ば仕事するんじゃない。それ気づいて、ネルづくりをして下さい。この努力はれて調子に乗っていた私なのですが、それから私は全員の親に、すみません必要なんです。周囲にあなたのおたすあろうことか私の長男が不登校になっ私の子供が不登校になってるんですけを待っている人は必ずいます。天理てしまったんです。辛かったですねえ、よ、そんな私でも話していいですかと。教の教会や布教所は現代社会においてもうおたすけやめようかと思いましそしたら相談は減るどころか増えたん本当に必要な場所になれる可能性が高た。助かりますよって言っときながらです。そんな杉江さんだからこそ私のいんです。ぜひチャレンジしていきま自分の子供見てみなさい。お母さんご苦しみを聞いてほしいんだと。これがしょう。めんなさい、うちの子供も助けられんおたすけなんです。支援とおたすけのような私ですよってカミングアウトしようかと思ったけど、どんどんどんどん来るもんだから言えずに心が悶々と違いをその上級の会長さんの態度で教えていただいたということです。まずはおたすけの現場に近づくよう「テッチャンシアター」開催してるんです。本当に心が折れそうにに、こちらから探すということが大事春季大祭後苦しかったんです。そんな時にちょうだと思います。私たち人間には欠点にど春の大祭に上級の会長さんがお見えばかり目が行く習性がありますが、良少年会笠岡団(森本忠善団長)は1月になった。私は初めて自分のたまらないことに着目しましょう。天理教の教日大教会祭典終了後、今年初となるい思いを吐露したんです。そしたらで会元気ないですけれど、でもいいとこテッチャンシアターを開催させて頂きすねうちの上級の会長さん、何て言っいっぱいあるんです。だっておたすけました。土曜日という事もあり子供たたと思いますか。何にも言わず涙ぽろの心持ってる人がこんなにいるじゃなちも多く参加してくれました。ぽろと流してくれたんです、こんな私いですか。世の中みんなお金くれなコロナ禍と言う事もあり、接触などのために。滅茶苦茶嬉しかった。恥ずきゃ仕事しません。ボランティアの人は避け、「まねっこ遊び」や「頭の体かしながら男泣きに泣きました。そしだって、ほめてくれなきゃやらないん操」、ハンカチを使ったゲームなどをてその日の祭典はめっちゃくちゃ勇みです。お道はどうですか、文句言われ行い終始、笑いが絶えない楽しい時間ました。子供何も治ってないですよ、たって、ありがとうございますと言っとなりました。かさおかただ心が元気になった。そこで私は大てひのきしん精神でやるじゃないですありがとうございました。きな間違いに気づいた。私は単なる不か。最後に平櫛田中の言葉ですが、今(少年会委員丸山智旬)登校の専門家だった、おたすけ人じゃやらなければいつやるんでしょうか、13○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか春季大祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には「月日にわにんけんはじめかけたのわよふきゆさんがみたいゆへから」と紋型ないところからこの世と人間をお創造になったばかりでなく子ども可愛い一条の親心から今も変わる事なく成人へとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお聞かせ頂いた御教えに込められた親の思いにお応えしたいと日夜御礼を中し上げると共に御思報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は今月二十六日教祖が世界ろくぢに踏み均しに出られた尊い日柄におぢばで春の大祭が執り行われるその理にならい当教会でも只令からおつとめ奉仕人一同おつとめをつとめられる喜びと感謝の心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて立教百八十六年の春の大祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寒さ厳しき中も厭わず寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し尚も変わらぬ親心にお縋りする状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本年は教祖百四十年祭に向かう三年千日と仕切っての年祭活動の最初の年であります今月は直轄教会に一斉巡教を行い諭達の精神と年祭活動の意義の周知徹底を図りました続けて二月三月と部内教会にも一斉巡教を行います笠岡で定めた「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の活動方針と「ひながたを学び、そのお心を実践しょう。」の活動目標のもとそれぞれの教会でも目標と実践項目を定めて年祭活動を推し進めご存命の教祖にご安心頂きお喜び頂けるよう努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様にはどんな中でも親を信じて慕う皆の誠真実の心をお受取り下さいましてお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十六年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者岡﨑真一赤木素志賛者杉原善朗指図方上原繁道講話大教会長様三月講話上原志郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝上原志郎中島誠治山野弘実武内清明虫明立生中村義太郎岡田誠三代温生大教会長様門脇元教田中隆之前会長様中村道德吉岡誠一郎上原繁道横山逸郎森本忠善大教会奥様門脇加津谷内美知子前奥様横山小智榮岡﨑和美田中ますみ中村初美吉岡八恵岡﨑真一杉原善朗岡﨑治喜中村剛上原浩赤木素志吉岡壽今川昌彦山田敏教谷内伸自田林久嗣内海史郎三島渉高木昭祥渡邉隆夫岡﨑治喜佐藤真孝上原繁次佐藤香苗森本冨美子三島照美武内正美岡﨑豊子山野なつ上原順子室悦子田中つかさ立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号14○84先月、近所の信者家庭で2年前にご主人を亡くした歳の女性が出直され、月次祭前日に葬儀を行った。子供は女性2人いて1人はすでに嫁いでいたのだが数年前に癌で亡くなり、残されたもう1人の女性が母親と2人暮らしをしていた。姉・両親と続けて身内を失い一人ぼっちになった娘さんは頼れる人もなく出棺前には棺に縋る姿に周りの涙を誘った。葬後霊祭後、自宅に仮社を据えると娘さんが母親の遺書かメモの様なものを見せてくれた。「結婚は失敗だった。新築してから私の居場所はなかった。」その様子をずっと見てきた娘さんは母親の気持ちが手に取る様に分かっていたのだろう。亡くなった姉の子供、姪に当たる子とはとても仲良しの様子で五十日祭には2人だけの参列という。何とか納得のいく人生を送ってほしいと願うばかりで私に出来る事があれば力になりたいと思った。隣・近所であっても中々家庭の中まで知る事がなかったのは、自分がそれだけ気にする気持ちが薄かった事、またそうした態度になっていたかもしれない事など反省し、いつも変わらぬ態かさおか度で挨拶する事から助け合える関係が築ける様、この三年千日の間で少しでも自分を成人させられるよう頑張りたいと思う。(む)
かさおか

『かさおか』第62巻 第1号

1○立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314立教百八十六年明けましておめでとうございます立教186年1月号昨年は教祖百四十年祭に向けての理作りとして「ひとだすけのためのおぢばがえり」を目標に、それぞれ一生懸命におつとめくださいまして、誠にご苦労様でした。昨年末に、笠岡大教会として、この度の年祭活動の方針「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」と目標「ひながたを学び、そのお心を実践しよう」を定めました。そして本年は、いよいよ年祭活動一年目の年を迎えます。一月に直轄教会、二月三月に部内教会に一斉巡教を行い、年祭の意義の周知徹底を図った上で、それぞれの教会で「目標と実践項目」を定めて、年祭活動を推し進めて頂きたいと思います。三年千日と仕切っての年祭活動、しっかりと笠岡一丸となって通り切れるように、まずスタートのこの一年目の年を、お互い勇ませあって通らせて頂きましょう。笠岡大教会長上原明勇かさおか立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号2○501222185立教年年末大掃除月日(木)、恒例の年末大掃除を行い、大教会長様ご夫妻をはじめ役員・部内教会長・婦人会・青年会・信者ら約人が参加した。事前準備として神殿内の鳴り物、結界、賽銭箱などを廊下に出し、倉庫から養生シートや足場を搬入の後、神殿内で組み立て、午前9時より大教会長様のお手に合わせて三殿礼拝した後、それぞれの持ち場に分かれて大掃除が始まった。大教会長様ほか役員は神床、その他管理部は足場にあがり高所のはたき掛けや拭き掃除、足場の移動、神殿や付属建物の窓拭きや各部屋とトイレの掃除、汚れた布巾の手洗い、昼食や休憩時のお茶や茶菓子の用意と、それぞれの持ち場を手際よくかつ細やかに1年の感謝・御礼を込めて真剣に勤めさせて頂いた。途中、休憩をはさみ午前中には各所ひのきしんを終え、大教会長さまと共に三殿を礼拝して今年の大掃除を終えさせて頂いた。参加の皆様には年の瀬の忙しい中を大教会大掃除にご参加頂き誠に有り難うございました。詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。3○立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号かさおか1227詰所で本部お供え用餅つきひのきしん昨年末月日、詰所で餅つきひのきしんが行われました。日時頃か駆け付けてくれた若者達搗きたてのお餅に舌鼓2614前日の餅米準備27361810ら精米洗いや餅つきの準備が行われ、当日日には朝7時から時頃まで、詰所関係者含め男性人、女性9人、少年会員9人計人の人がお集まり下さり、本部へお供えする餅つきを賑やかにさせて頂きました。集まって下おいしくな~れと少年会員頑張るベテラン19さった方々ありがとうございました。私がようぼくになったのは才の時ひのきしん後には、つきたてのお餅、で、それから3年が経ちましたが、記温かい豚汁を皆んなで美味しく頂きま憶の中で自分が取り次いだのは、両手した。で数える事が出来る程度だったと思い今年は、3年ぶりに御節会が開催さます。積極的に取り次げなかったのは、れました。(中村剛史)自分の中でどこか恥じらいの気持ちやこれでいいのかという不安があったからだと思います。ですが、修養料に来て、朝と夕のおのとめの後に毎日おさづけの取り次ぎ合いをするようになってから、いつの間にかその抵抗のようなものは無くなりました。修養科でも、生徒にほぼ毎日1回はおさづけを取り次ぐ事が出来るようになりました。おさづけを取り次ぐ事は天理教の教えであるおたすけになり、未信者に取り次げばにをいがけにもなると思います。修養科が終修養科生の声わってからも、継続して積極的に取り次いでいこうと決めています。そして身近な人達の道しるべになれればいいなと思っています。修養科を終えて海松ヶ岡分教会森本伸平修養科の3ヶ月間で特に印象に残った事を挙げると、おさづけの取り次ぎでした。修養科を終えて興明分教会相原一尋一般的な家庭生活から一転して、毎日が天理教修養科生として、3ヶ月がかさおか立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号4○1526過ぎました。私自身、心と体の変化に感じ入っています。詰所での朝・夕づとめ、てをどりの学び、教養掛の先生方のお話、修養科生のおさづけの取りつぎあいと規則正しい生活、また、修養科でのさまざまな学習、クラスの先生方・クラスメイトとの対話を通しての心のふれあい、あるいは、詰所の教養掛の先生方と、人を通しての、生の天理教のお教えを学びました。よろこんでいます。楽しいのです。時に触れ、お話が心に残り感動したことを忘れません。毎日の生活の中で天理教の教えを生かし、人さんによろこんで頂きたいと思います。心勇んで、元気に毎日を通らせて頂きたいと思います。親神様は心定めが第一やとおっしゃっています。私の心定めをここに表明します。一、おぢば帰りを毎月日に、月次祭の参拝をします。一、毎日朝づとめ夕づとめとおさづけの取りつぎをします。一、毎月日、興明分教会の月次祭参拝とひのきしん。一、地成のゴミ拾いひのきしんをします。以上十二月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には「月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりで」と日々自由の御守護を下さるばかりでなく身上事情を通して心の入れ替えを促し陽気ぐらしへとお導き下さいます親心の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日々朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますが気がつけば今年も残すところあとわずかとなりました改めて一年を振り返ってみますと次なる塚教祖百四十年祭を目指しての道すがら今年は理作りとして「ひとだすけのためのおぢばがえり」に重きをおいて一年の歩みを進めさせて頂きましたそんな中秋の大祭においては真柱様より諭達第四号の御発布を頂戴し十一月には本部巡教を受け勇み心一杯に成人の歩みを進めておりますそして今日の吉日は十二月の御祭日でございますので日々の御礼と併せ今年一年の御礼も申し上げたく只今からおつとめ奉仕人一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて本年納めの月次祭を執り行なわせて頂きます御前には年の瀬の慌ただしさも厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年が明ければ教祖百四十年祭に向けて三年千日と仕切って全教挙げての成人の歩みが始まります笠岡では一月は直轄教会へ二月三月には部内教会へと全教会一斉巡教をさせて頂き論達の徹底を計ると共に笠同の動きとして「つながろう、教祖のお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の方針のもと「ひながたを学び、そのお心を実践しよう」を活動目標として「ひながた」を辿らせて頂きそれぞれ一人一人が成人の歩みを進め世界たすけの歩みを一手一つに推し進める事を誓い合いたいと存じます何卒親神様には皆の真実誠の心をお受け取り下さり万たすけの上に自由の御守護を賜りまして一列兄弟が互いに救け合う陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます5○立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号かさおか立教百八十五年十二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者虫明立生渡邉隆夫賛者岡﨑治喜指図方門脇元教講話上原繁道二月講話学生層育成者講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半岡﨑真一中島誠治門脇元教今川昌彦吉岡誠一郎横山逸郎岡﨑治喜山田敏教杉原善朗大教会長様岡﨑真一上原志郎上原繁道上原浩今川昌彦吉岡壽虫明立生山野弘実大教会奥様武内正美室悦子田中ますみ岡﨑和美山野なつ今川佐智子田中つかさ上原千枝子田中隆之淺野明教上原繁次横山逸郎田林久嗣三代温生佐藤道孝高木昭祥淺野明教上原繁次渡邉隆夫岡﨑治喜中村剛杉原善朗岡田誠中村義太郎内海史郎赤木素志上原順子岡﨑豊子森本冨美子佐藤香苗高木孝子吉岡八恵門脇加津門脇加津横山小智榮大教会だより◎第九七六期修養科185185121027自立教年月1日至立教年月日*教養掛(○主主任、○副副主任)一ヶ月目○主森本忠善(大教会役員・海松ヶ岡分教会長)○副三代幸徳(米府分教会長)二ヶ月目○主吉岡誠一郎(大教会役員・興明分教会長)○副藤井治喜(福節分教会長)三ヶ月目○主谷内秀自(輝美濃分教会長)○副余村元(多古浦分教会長)*修了者海松ヶ岡森本伸平興明相原一尋186◎立教年春季大祭参拝・全教会一斉巡教(*印は2月以降)笠岡講社前会長様福山髙屋神邉島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井海松ヶ岡*東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家上原繁道大教会長様岡﨑真一上原志郎門脇元教田中隆之岡﨑真一大教会長様上原繁道上原志郎中島誠治田中隆之中島誠治上原繁道大教会長様前会長様大教会長様武内正美前会長様上原繁道田中隆之中島誠治大教会長様中島誠治田中隆之上原繁道門脇元教上原志郎立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号6○葦陽湯田原備中神昭*美之郷錦備*神免大教会長様大教会長様門脇元教岡﨑真一武内正美上原繁道岡﨑真一い」他意は無いとは思うが、娘から私に足りて無いものを示された気がした。道を通る者として、常にこんな心で居れたら、きっと教祖はお喜び下さるのでは無いだろうか。今月からスタートした教祖年祭への活動目標も「ひながたを学び、そのお心を実践しよう」である。私はこの140歌を口ずさみながら、三年千日を心明るく勇んで通らせて頂こうと思っている。因みに、これはバックナンバーの「水平線」という歌です。(や)先日、娘から良い歌があるから聴いてみてと言われた。最近の若者の曲はテンポが速く歌詞も意味が解らないものが多いので正直面倒臭いと思いながらダウンロードして聴いてみた。その歌詞の一部がこれです。「出来るだけ嘘は無いようにどんな時も優しくあれるように人が痛みを感じた時には自分の事のように思えるように」(中略)「自分の背中は見えないのだから恥ずかしがらず人に尋ねるといい心は誰にも見えないのだから見えるものよりも大事にするといかさおか
かさおか

『かさおか』第61巻 第12号

門司港分教会平成元年月日神殿落成奉告祭本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう静かに本部巡教の始まりを待つ参加者教祖百四十年祭本部巡教開催去る月日本部秋季大祭の日に教祖年祭へ向かう年祭活動の指針となる諭達第四号が発布されたことを受け本部では月日から来年月末までの間に全直属教会に向けて本部巡教を実施される運びとなったでは本部員井筒梅夫先生を迎え月日午後時より開催大教会役員准役員おつとめ奉仕人部内教会長夫妻部内布教所長らが参加した井筒先生の手に合わせて親神様教祖祖霊様を礼拝その後大教会長様が開講のあいさつをされた次いで全員で諭達の拝読をし井筒先生から約時間講話があったこの後大教会長様が閉講のあいさつをされた最後におつとめ拍子木井筒先生数取大教会長様をつとめ親神様教祖祖霊様を礼拝し巡教の理を全よふぼくへ流していくことを誓い合い終講したあいさつ講話内容は次の通り大教会長様開講挨拶本日は井筒梅夫先生をお迎えして今この場にいる皆様方とともどもに本部巡教を受けられることは本当にありがたくうれしいことだと思います去る月日に真柱様より諭達第四号をご発布いただきましたそのとき私は西礼拝場結界内の一番南側に直属の会長として参拝していましたこの度の諭達は統領先生が代読されるんだろうかと思っていましたがおつとめを終え真柱様がお付きの方に伴われながらゆっくりとお席に着かれてそして直接この諭達第四号を私たちにお示しくださいましたその姿を拝見してこの時旬に道の芯である真柱様から直接この諭達をお聴かせいただけるんだと思わず涙がこぼれました諭達をお言葉を直接拝聴しながら私の胸に湧き上がってきたのはとにかく諭達に込められたをやの思いに添いきらしていただきたいそしてお喜びいただきたいそのことをそのとき強く強く感じましたその思いを実現するためにも今日この日の本部巡教はとても大切な時間です今からお聴かせいただくお話をしっかりと胸に納め年祭活動へと向かう大きな勇みとしていただきたいそして自分の身近な方たちにしっかりと今日得た気付き勇み喜びをお伝えいただきますようお願い申します本部巡教講話去る月日ご本部の秋季大祭において真柱様より直に諭達第四号をご発布いただきました諭達の冒頭に立教百八十九年教祖百四十年祭を迎えるにあたり思うところを述べて全教の心を一つにしたいとあります全教よふぼく信者が諭達の精神に心を一つに結んで教祖年祭を目指す年祭活動がいよいよ始動しますそこでこの本部巡教でまず教会の主立つ方に諭達に込められている精神と年祭活動の意義をお伝えし全教一手一つの成人の歩みを進められるように皆さんとともに諭達第四号の精神をまず心に納めこれから教祖の年祭に向かう私たちの歩みについて考えていきたい教祖年祭の意義教祖年祭を勤める意義は諭達にお教やさ祖まの親心にお応こたえすべくよふぼく一人ひとりがお教やさ祖まのど道う具ぐし衆ゅうしきとしての自覚を高め仕切って成おやさま人の歩みを進めることが教祖年祭を勤める意義であるとはっきり示される通り教祖の親心にお応えするということですそこでまずは諭達にせ子供の成人を急き込まれ定命をうつしみ縮めて現身をかくされたと記される年祭の元一日に籠る教祖の親心を少し考えてみたい教祖年祭の元一日教祖は世界たすけの元立てとしてよろづだすけのご守護をくださるおつとめを教えられましたこのおつとめをしなければ他でどれだけ頑張っても例話を交えながら分かりやすくお取次ぎくださる井筒先生陽気ぐらしは実現しないおつとめこそ天理教の生命線ですから教祖は終始おつとめを急き込まれるしかしおつとめをすれば官憲がご高齢の教祖を警察や監獄へ連行する初代真柱様や先人の方は教祖のお体を案じておつとめに掛かれなかったしかし教祖はその中でも厳しくおつとめを実行急き込まれますそして明治年陰暦正月日いよいよ教祖のご身上が迫った初代真柱様の固い決心の元一同腹を括って白昼堂とおつとめを勤めたところ奇跡的に一人の警官も来なかったが十二下りの終わる頃に教祖は現身を隠されたこれが教祖の年祭の元一日です先人方は教祖の仰せに従っておつとめを勤めたなのに教祖はお姿を隠された何故でしょう正月日のおつとめは勤めることができたしかしもし教祖がそのままおられたらどうでしょう多分人はその先も教祖の御身を案じておつとめをすることを躊躇するはず姿ある限り十分におつとめはできないだろうそこで年定命を縮めてお姿を隠されたすなわち子供たちが安心しておつとめが勤められるように親心のうえからお姿をお隠し遊ばされたのですまた人間思案を捨てておつとめを勤めることができたのだからこれからは皆一人立ちして神一条の道を通ってくれとその成人を促される親心からでもありますこうした親心から教祖は定命を年縮めてまで現身をお隠し遊ばされたわけです親というものは子供の身上が危なければ私の命を何年削ってくださって結構ですその代わりこの子の命をおたすけくださいと親神様にすがるぐらいのことはするものですこれは子を思う親心ですが残り寿命の全てを引き換えてまでとはなかなかいかないものですましてやよふぼく信者つまり理の子の成人を促すために我が身を引き取ってもらうような心定めなどできるものではないでしょうこれを思えば教祖の後に続く人が安心して神様の道を通れる歩めるようにと定命を年お縮めくださった教祖の親心は私には究極の親心であると思えてなりません存命の理それまでお道の前面にお立ちくだされた教祖はお姿を隠されてからは陰に回り目には見えない存命の理として世界たすけの先頭にお立ちくださることになりましたそして存命の理の世界は今も続いておりこれから先も悠久に続いていきます教祖が現身を隠された元一日はひながたの道が完結した日でありそれはまた存命の理として新たなたすけの世界へ扉を開かれた元一日でもあります教祖がひながたの道中幾重艱難苦労の道を歩んでくださったのは可愛い子供たちをたすけたい陽気ぐらしへ導いてやりたいという親心に他なりません教祖のひながたの年にはこの親心が一貫して流れていますそしてひながたの道は定命を縮めてまで子供の成人をお促しくださった親心で締め括られていますさらにはこの親心は存命の教祖の親心として今もこれから先も私たちを守り続けてくださるのですおやさまこたこの教祖の親心にお応えするためによふぼく一人ひとりがお教やさ祖まのどうぐしゅう道具衆としての自覚を高めて全教が同じ旬に一手一つになって仕しき切って成人の歩みを進めることがおやさま教祖年祭への歩みであり教祖年祭を勤める意義です三年千日の所以さて年祭活動は三年千日と仕切って勤めますが三年千日と仕切る意味については諭達に引用されたひながたの道を通らねばひながた要らん略ひながたの道より道が無いで明治二十二年十一月七日というおさしづで教えられますこの略の部分には五十年の間の道をまあ五十年三十年も通れと言えばいこまい二十年も十年も通れと言うのやないまあ十年の中の三つや三日の間の道を通ればよいのや僅か千日の道を通れと言うのや千日の道が難しのやひながたの道より道が無いで明治二十二年十一月七日とつまり教祖のひながたの道を三年と仕切ってしっかりと通ってくれということです年祭活動という文字を見れば活動何か実動することに目が行きますもちろん一手一つになって活発に勇んだ活動をすることは年祭活動には欠かせないことですがその活動の根底にあるものベースとなるのはひながたの実践です年の中の僅か年ひながたを目めどう標に教祖から教えられた教えを実践することですこの旬に通るべきひながたとはではこの旬に私たちが通るべきひながたはどんな通り方でしょうかそれも諭達に教おや祖さまはひながたの道をまず貧ひんに落ちきるところから始められどうちゅうどのような困難な道中も親神様のお心のままに心明るくお通り下されたあるときは水を飲めば水の味がするとどんな中でも親神様の大いなるご守護に感謝して通ることを教えられまたあるときはふしから芽が出ると成ってくる姿はすべて人を成人へとお導き下さる親神様のおはかさと計らいであると諭され周囲の人を励まされたさらにはたすたす人救けたら我が身救かるとひたすらたすけ一条に歩む中すにいつしか心は澄み明るく陽すく気に救われていくとお教え下されたぢばをし慕たい親おぼしめし神様の思召になるほど添いきる中に必ず成程という日をお見せ頂けるこの五十年にわたるひながたこそ陽気ぐらしへひとすじと進むただ一条の道であるとこの旬に通るべきひながたの道の大要が述べられていますここに水を飲めば水の味がするふしから芽が出る人た救すけたら我がたす身救かるというつのお言葉が出てきますがこれらについて思うところをお話しします水を飲めば水の味がする私たちは親神様の尽きることなく絶えることのないご守護にお守りいただいて日通り教祖の親心にお導きいただいて陽気ぐらしへの道を歩んでいますこの親神様のご守護がありがたい教祖の親心がもったいないとご守護をご守護と感じ親心を親心と感じて感謝をするところから信仰は始まると思いますそしてこのご守護と親心をご恩と感じるようになって信仰は深まっていくのですこのご守護と親心に日感謝をすることが信仰の基本であるように思います私歳は歳のときに厄介な身上お手入れをいただきました強烈なめまい目眩が高じてとうとう歩けなくなり立つことすらできなくなって寝たきりの状態になりました布団の中で尿瓶で用を足し後は家内が捨てに行ってくれますがこれが便利とは言っておられませんまだ歳現職の教会長家族もいる子供は小さいこのままの状態がいつまで続くのだろうかと実に不安な日を過ごしましたところがある日の朝トイレに行きたくなって目が覚めぼーっとしていたせいか電気を点けようと思って立ち上がったのですそのとき立てたと思いましたね何日かぶりにいこればかりをお願いしてそしんでいる姿は見ているだけでも辛いで山ほどのご守護をいただいていること立つことができたこれは感激ですて調子が良くなればとにかく動いてすに気付きます身上があるところもう感動でしたそして次の日一歩自分のできることをしてきたように思はしんどいけれどそこ以外は使えるそのまた次の日一歩二歩と歩けるよいますそうして自分の身上と立場病気とはどんな姿かと考えるとこれもご守護ですうになった毎日が感動の連続でしたの御用に向き合いながらそのときどそれまで当たり前のように使っていこうして毎日を過ごせる自然環境普通に立てること普通に歩けるこきに何ができるかを考えながら勤めてた部位や機能するのが当たり前とが整っている周囲を見渡せば家族がとこれがどれほどありがたかったのいるうちにスッキリと身上のご守護を思っていた臓器が当たり前でなくいる大切な人がいる支えてくれるかということを身上になって気付いただきましたなった姿です人がいる同じ信仰をする仲間がいるいたまさに水を飲めば水の味がすこの身上になって気付いたこと悟逆に言えば病気が治るという仕事もできるそして何よりも今生るというお言葉を身に染みて実感れたことがたくさんあった中でかしことは当たり前でなくなったとこかされているこれらすべては親した瞬間でしたものかりもののご守護を身に染みてろが当たり前に戻っただけの姿です神様のご守護で感謝し喜ぶことはこの身上は良くなったり悪くなっ分かったことがありがたかった病気が治れば誰でも喜びます身探せばいくらでもあるのですたりを繰り返して全快まで年掛かもちろんそれまでもかしものかり上が難しければ難しいほどご守護を親神様のご守護教祖の親心を思えりましたこの間最初のうちはたものの教理は教祖の教えですからいただいたときは天にも昇るようにば思うほど感謝の心しか湧いてこなすけてほしいなんとかご守護いた得心して人には説いてきましたが実喜びます病気が治ってうれしいごい報恩感謝の日を通ることだきたいばかりを親神様にお願いし感が伴っていなかったなとしかし守護いただいてありがたいと思いまがお道の信仰の基本的な態度ていましたしかしあるときふと身上をいただいてご守護のありがたすこれを教祖は水を飲めば水のなぜご守護をいただきたいのかごさを実感を持って取り次げるようになこれは何を喜んでいるのかといえ味がするという言葉で教えられたと守護をいただいて何をやりたいのかりました親神様は年掛けて私にば当たり前であるということ思えてなりませんと考えました私はよふぼく現職のかしものかりもののご守護のありがこれを喜んでるのです当たり前で教会長ですそうだ会長として御たさを仕込んでくださったと後にあること普通であること恙ふしから芽が出る用を勤めることよふぼくとして御用なって悟ることができましたなき日これが親神様から頂戴し以前前真柱様から聴かせていただを勤めるためにご守護をいただくんまたこの身上のおかげで病気でている最もうれしくありがたいご守いたことですが教祖は貧の道どじゃないかと分かったときもう直苦しんでいる人の気持ちが分かるよう護ですこれを喜ばずして何を喜ぶん底へ自ら進んで歩まれたのでひなしてくださいご守護くださいとになりおたすけに掛かるときののかこれに感謝せずして何に感謝をがたの道中での一番のご苦労は経済いうお願いは一切しなくなり教会私の大きな力になっています誰しもするのでしょう的な困窮ではない教祖のことを理解長として御用を勤めさせていただきた身上になれば辛く苦しいものです自またたとえ身上があったとしてもする人がいない聴き分ける人がいないよふぼくとしてお使い頂きた分だけでなく大切な人が病気で苦しよくよく思案すればそこ以外ではいなかでそうした人に教えを伝えることこれが一番のご苦労でした月日のやしろと定まってからの教祖の言動は世間の人がそれまでに見聞きしたこともないことばかりでしたから人はこれは理解できません理解しないだけではなく次第に憑き物が付いた気がおかしくなったと嘲り笑うようになりました教祖は人に笑われ謗られる道を通られたこうした人に理解してもらい教えを伝えることに教祖は最も苦心されたつまり教祖のことを理解してくれる者が周囲にいなかったということです芦津大教会は大阪の中心地西区で設立しましたが父の代に現在の東住吉区に移転しました父は終戦後ロシア軍の捕虜となってシベリアで年間抑留生活を送り昭和年終戦年後帰国その翌年に撫養大教会の圡佐家から井筒家へ養子に入りましたその次の年シベリアから帰国してわずか年ヶ月で大教会長になりました会長になって芦津のとんでもない事情を実は二代真柱様が大きな親心で抱き抱えてくださっていたことを知った父はこのままでは申し訳ない芦津は理が立たない教祖のひながたを辿らせてもらおう初代の道に立ち返ろうと考え教会の土地建物をすべて売却して本部にお供えすることを決心役員に相談すると賛同してくれ二代真柱様に申し上げるとやってみよと道のをやが背中を押してくださったそこですべてを本部にお返しして大阪市内にある部内教会に大教会の神様をお鎮まりいただいたこのときの世話人先生はこれから芦津は毎月集まった全ての御供をおぢばへ運ぶように必要な経費があれば後で本部に貰いにくるようにという実に厳しいお仕込みでしたこうした中の再スタートでしたから贅沢など一切できませんとにかく質素を旨とした教会生活が始まりました教会の者が市場へ行き落ちている野菜を拾ったり売れ残りの野菜をもらってくるそれを毎日の食事のおかずにしていましたこのふしは芦津にとって実に大きなふしでしたが父や当時の芦津の人たちはその中をどうして通ることができたのかそれは教祖のひながたの道があったからです教祖は理解をしてくれるものが誰もいないなか笑われ謗られる道をお通りくださったそれを思えばわしらはありがたい道を歩けば挨拶をしてくれる人もいる市場へ行ったら野菜を分けてくれる店もある私たちの周りには理解をしてくれ支えてくれる人はなんぼでもある教祖のことを思えば結構やありがたいまだまだ通れる教祖はご存命や一生懸命に通っていればご存命の教祖が必ず導いてくださる良いようにしてくださる間違いないとご存命の理に凭れて通ったからあのふしの中を安心して通り抜けることができたのですこうした大節の中を教祖のひながたを支えにご存命の理を頼りに通る中に数のご守護が上がってきました人が寄り心が寄り物が寄り真実が寄って年後には現在の場所に小さな神殿でしたが教会復興のご守護をいただきました今の芦津があるのはあの大きなふしがあればこそですあの苦労の中をいつも教祖が支えてくださり教祖がご存命の理でお導きくださったおかげであのふしを乗り越えることができふしから芽が出るご守護をいただけたのです現在皆さんの中には私は苦労の道を通っている大変な道を通っていると思っている方がいらっしゃったとしてもそれを理解してくれる人は必ずありますね皆さんの周りを見てください教会に繋がるよふぼくや信者さんがおられるではないですか理の親はいつも温かい心で見守ってくれるし大教会へ参れば心を打ち解けあえる教友もいるおぢばへ帰れば親心で迎えてくださる私たちの周りには理解をして支えてくれる人はいくらでもいます少の苦労があっても教祖を思えばまだまだありがたいまだまだ結構なのですさらに教祖がご存命で導いてくださっていることが実にありがたく心強い限りです私はどうか教祖のお供をさせていただきとうございますとお願い申して本部巡教に出向していますつまり今私のそばに教祖が居られるので安心して今日の御用を勤めることができるのです皆さんの側にも教祖は居られるから安心してお道の御用を勤めることができるのです教祖はご存命の理をもってお働きくだされていますこれほどありがたく心強いことはありません皆さん方はよふぼくの先達としてたすけ一条の道を歩んでおられるその道中は決して楽しいことばかりではありません教祖はこの者に成人させてやろうと思われたら親心のうえから度とふしをお見せくださいます現に今辛くて苦しい道を歩んでおられる方もあるでしょう人に言うに言えん泣くに泣けんような道を通っておられる方もいるでしょう心が折れそうになるときもありますぺしゃんこに潰れてしまいそうになるときもあると思うそんなときこそ教祖のひながたを思い浮かべていただきたいそして教祖を思えばまだまだわしらはありがたいまだまだ結構やと心を奮い起こして通っていただきたいのですそして存命の教祖にどこまでもお縋りしてお通りいただきたい教祖さえ見失わなければどんなふしでも芽が吹く道へとお導きくださるに違いありません教祖のひながたの道を信仰の支えとしてどこまでもご存命の教祖のお供をさせていただいてどうかたすけ一条の道を進んでいただきたいと思いますたすたす人救けたら我が身救かる教祖がひながたの道中で心を尽くされたのは世界一れつをたすけることとそのための人材を引き寄せて育てることですつまり教祖がなさったのは人をたすけることと人を育てること今で言えばおたすけと丹精ですですから教会活動のすべては人をたすけること人を育てることすなわちおたすけと丹精に繋がっているわけです一人の人をよふぼくに丹精するためにはその道中おたすけが欠かせませんこのたすけが教会長よふぼくの大切な御用です親神様は陽気ぐらしを目め標どうに人間世界を作られた陽気ぐらしというのは簡単に言えば親神様ををやと慕う私たち人間がお互い一れつきょうだい兄弟姉妹として支え合い補い合い励まし合いたすけ合う世界ですから親神様が私たち人間に望まれてきょうだいいることは一れつ兄弟姉妹としてのたすけ合いでありますおたすけと聞けば何か相手を一方的にたすけるような感じがしますが決してそうではありません人間の親子を例にとって考えてみると例えば困難に遭遇して悩み苦しんでいる弟や妹にその支えになってやろうと手を差し伸べる兄や姉の姿その逆に悩み苦しんでいる兄や姉に元気になってほしいと年下ながらも心を尽くしている弟や妹の姿これは形のうえでは一方が手を差し伸べていることになりますが親から見れば子供同士がたすけ合っている姿です親にとってこんなにうれしいことはありませんからおたすけは親神様が望まきょうだいれる一れつ兄弟姉妹のたすけ合いに他ならないのですお道のお互いは悩み苦しむ人に対きょうだいしてその人を本当の兄弟姉妹と思って親身になっておたすけをさせていただきたいものですこのおたすけでまず第一に肝心なことは言うまでもなく人をたすける心です人をたすける誠の心を尽くすことです教祖伝逸話篇四二人を救けたらに次のような話があります福井県に住むある男性が娘の気の間違い精神病を救けてもらいたいと教祖にお願いすると教祖は村にかえったら各家を訪ねて四十二人の人を救けるのやでなむてんりわうのみことと唱えて手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで人救けたら我が身が救かるのやとのお言葉があったその男性は藁にも縋る思いでこの教祖のお言葉を素直に実行村中をにをいがけに廻わり病人の居る家には何度も足を運んで四十二人の平癒を拝み続けたところ不思議にも娘の気の病は全快のご守護を頂いて養子をもらう喜びまでお与えいただいたという話ですこの逸話を読んで拝んだ人の人は果たしてたすかったのかご守護いただいたのかと考えたことがありますがこの逸話ではそのことは問題ではありませんご守護くださるのは親神様であってご守護いただくかどうかは親神様の範疇ですつまりこの逸話で最も大切な部分はこの男性が人の身上平癒を拝み続けたということこの病人さんをなんとかおたすけ下さいませと真剣に願い続けた誠の心を親神様がお受け取りくださり娘さんにご守護をいただいたこの逸話は私たちよふぼくに人をたすける誠の心の大切さを教えているのですおたすけにあたってはこのように人をたすける誠の心をもって掛かることが大事ですがただ願うだけでなくそのうえでなおも大切なことはその人にたすかっていただくために親神様にお受け取りいただけるだけの真実をいかに尽くすかということです以前教祖殿当番を勤めていたときのこと教服を着てお守所から出たところに見ず知らずの青年から声が掛けられた先生教祖のお下がりをいただけませんかと尋ねられたどうしたのと訊くと実は昨夕友達が突然の病気で倒れて病院に運び込まれましたすぐに駆けつけておさづけを取り次いだんですが友人の苦しそうな顔を見たら居ても立ってもおれなくなっておぢばへお願いに帰ってきましたその彼にお下がりを届けてまたおたすけに行きたいとごくのことそれじゃお御供さんをいごくただきなさいお御供さんはこれもご存命の教祖にお供えをしたご洗米のお下がりだからここには教祖の存命の理が籠っているお守所で理立てをしたら頂戴できるからそれを持って友人のおたすけに行っといでと伝えごくた本人は早速お御供をいただいて教祖殿でご存命の働きを真剣に願って友人のもとにおたすけに舞い戻りましたこの青年は教会長でも後継者でもありませんサラリーマンの一よふぼくですそれも福岡から帰ってきたと言っていましたその彼は身上になった友人をたすけていただきたいと大切な一日を友人のためにお供えをした福岡から新幹線で帰れば往復万円は掛かるでしょうそれを身銭を切って友人のためにこれを尽くした友人のご守護を願って自らが真実を尽くしたのです実に素晴らしいよふぼくの姿ではないですか年祭活動はたすけの旬でありそれはまたたすかる旬でもありますしかし必ず奇跡的なご守護をいただけるとも限りませんある布教師の話癌の進行が進んで治る見込みがなく家族も覚悟を決めていた方のおたすけに掛かった必ずたすかりますと毎日通ったなんとかたすかっていただきたいと連日十二下りのお願いづとめをし身上平癒におぢばまで歩いて足を運びみず水ご垢り離もし断食もしておたすけに通ったけれども結局は出直してしまったそのときその布教師は家族に対して私の真実が足りませんでしたと泣いて詫びた家族は私たちですら諦めていたのにこの人は毎日一生懸命にお願いをしてくれ死んだら自分のせいだと泣いてお詫びまでしてくれるとこの布教師の真実が家族の心を揺り動かして信仰の道に入ってくれた身上たすけにおいて結果として奇跡的なご守護をいただけませんでしたがこの布教師の尽くした真実を親神様がお受け取りくださってそのしん家族が真にたすかる道へと導かれたのですこうしたご守護の姿もあるのです不思議なたすけが上がるかどうかは飽くまでも親神様の範疇親神様にお任せするより他ありません私たちよふぼくにできることはこの人になんとかたすかっていただきたいとひたすらに真剣に存命の教祖に縋りお願いを申し上げる人をたすける誠の心を尽くすことですそしてこの人のために私は何ができるかと思案し親神様にお受け取りいただけるだけの真実を尽くすことですこの誠真実によって相たすたす手がたすかり人救けたら我が身救かるというご守護がいただけるのです本当におたすけはありがたいですね私の卑近な体験から諭達に記された教祖のつの教えを思案しました教祖のひながたの道は私たちが陽気ぐらしの道を通るためのお手本です私たちがこの道を歩む中に思案にくれることや何かの岐路に立つことがありますがそうしたときには教祖ならどうなさるだろうか教祖ならいかようにお考えなさるだろうかとこの思案に立って行動に移すことが大切だと思います決して教祖を見失わないことですたすけの手を差し伸べてくださっている教祖に私たちの方から一歩でも二歩でも近づいてこの旬にあらためて教祖のひながたを目め標どうに教えを素直に実践したい諭達に示された旬の歩み方さて私たちの身の回りや世界に目を移したときに諭達に今日世の中には他者への思せつないやりを欠いた自己主張や刹那おの的行動があふれ人は己が力しあんを過信し我が身思案に流れ心やみじの闇路をさまよっていると示される姿が目に写ります争いや混乱が絶えることなく陽気ぐらしには程遠い現状と言わざるを得ませんでは今のこの世の中に対して私たちお道の者は何ができるのでしょうかもちろん今の状況をひっくり返すような大きなことはできませんが私たちにできることは一人ひとりが教祖から教えていただいた陽気ぐらしの教えを実践してその姿を身近なところから周囲に映していくことだと思いますコツコツとした歩みですがこれを積み重ねていくしかありませんそこでではこの旬に私たちよふぼくとしてはどのように歩んだらいいのかについて諭達によふぼくは進んで教会に足を運び日頃からひのきしんに励み家庭や職場など身近なところからにをいがけを心掛けよう身みじょうしんみ上事情で悩む人には親身に寄り添いおつとめで治まりを願い病やむ者にはおさづけを取りしん次ぎ真にたすかる道があることを伝えよう親神様は真実の心をじゅうよう受け取って自由の御守護をお見せ下されると示されていますここに記されているよふぼくの歩み今の旬の歩みですがこれはよふぼくとしての基本的な信仰実践よふぼくとしてして当然のこととも言えますがしかしながらこれができていないという現実もあると思いますこれをよふぼく皆が実践すれば陽気ぐらしへの道は一段と進むに違いありませんそこで皆様方にお願いしたいのはここに集う皆さん方は教会長やその配偶者布教所長など教会の主立つ方ですつまり人を導き育てる立場である皆さん方がまずこれを率先して実行することを心がけて陽気ぐらしへの歩みを進めていただきたいのです陽気ぐらしを人に説く者が陽気ぐらしを忘れてしまっては話になりません短気な人に腹を立てるなと言われても聞けぬ相談です高慢な人に心を低くして通れと言われても飲めぬ話です何の説得力も持ちません身近なところから丹精まずは私を含めてここに集う立場のお互いが諭達に示された旬の歩みを一つひとつ実践して身近なところから陽気ぐらしを世の中に映していくことが肝心ですそして自ら実践しつつ所属のよふぼくや理の子にも動いてもらい成人してもらわねばなりませんこれは一にかかって教会長の丹精理の親の丹精にあると思いますしかしなんとか聴き分けてもらおう成人していただこうと思っても相手がそれを受け入れてくれなければどうにもなりませんけれども教会長が理の子から信頼されていれば慕われていればたとえ厳しい仕込みであっても受け入れてくれるのですそのためには普段から足を運び心を通わせ世話をすることですつまり丹精の基本は足を運び心を通わせ世話をするこのつだと思いますそしてよふぼくや理の子に何かあったら飛んで行っていただきたいかなりの日数が経ってから行ったのではお見舞いにしかなりませんすぐに行けばおたすけになりますおたすけとお見舞いとでは受ける側の気持ちは全然違いますあの辛いときに苦しいときに会長さんはすぐ来てくださったということが理の子にとって忘れることのできない心の宝になるのです困ったときに頼りになるのが教会長ですおたすけが一番の丹精になるということを心においていただきたいと思いますよふぼくはいんねんあって親神様が教会に繋げてくださいました普段からよふぼく信者に心を繋ぎ足を運ぶ遠方であるからといって放っておかずに折を見て年に数度は足を運んでいただきたいと思いますよふぼくにとって教会から流される旬の声はたすけの綱教会長の取り次ぐおさづけは命の綱とも言えるのです所属するよふぼく信者が時旬の歩みを勇んで進めてともに成人につとめ励むことができるようにどうか皆さん本気になってしっかりと丹精に励んでくださることをお願いしたいのです道は末代縦の伝道またよふぼくや理の子の丹精と同様に忘れてはならないのが次の世代を育てることです諭達にもこの旨が述べられていますがこれは大切なご用です道は末代と教えられるようにこの道は陽気ぐらし世界の実現を目指して末代続いて行かねばなりません道は歩いてこその道であって歩く者がいなけれなくなれば道は道でなくなりますそこで皆さん末代と聞けば何か遥か先のことに目が行きがちですが私たちはわずか年先や年先のことですら誰にも分かりません何も見えませんしかしはっきりと見えているものがあるそれは次の世代です道が末代であるためには次の世代を育てることこれを常に意識してコツコツとしかも積極的に取り組むことですこの信仰の継承について以前前真柱様が駅伝のバトンに例えて話されたことがあります駅伝を信仰に置き換えればスタートは入信の元一日ゴールは陽気ぐらしの世界ここを目指して私たちは代と信仰のバトンを渡していくのですその道程も長い距離や短い距離平坦な道もあれば上り坂下り坂もありますそれに相応しい区間を親神様は私たち一人ひとりに与えて下さっている私たちは親神様から託されている現在平坦な道を快走するように順調に道を進んでいる教会もあれば苦心や苦労をしながら上り坂を息を切らして走っているところもあるでしょう中にはもう歩くだけでも辛いようなガタゴト道や砂利道に遭遇している方もあるかもしれないでも今のこの道を通れるのはお前しかいない頼んだぞと親神様が託してくださっている道中だと思えば何か心に力と勇気が湧いてくるではないですか私たち一人ひとりに親神様からお掛けくださるご期待と親心にお応えしながら次にバトンを渡すのが私たちの役目ですそのときになって一生懸命にやっている私の信仰を継いでくれる者がいなければ寂しい限りです先人が懸命に通ってきた信仰のバトンを受けて私たち一人ひとりが今この道を歩んでいますその私たちの命には限りがありますつまり誰もが信仰のバトンを渡すときが必ず来ますそのときに後は頼んだぞと次の者に安心してバトンを渡してやりたいではないですかそのためにも私たちのまずこの次の世代をしっかりと育成することですこれからの道の将来を担っていく次の世代の育成にこの旬にあらためて力を入れることです信仰の喜びを親から子へ子から孫へと繋いでいく縦の伝道は今の旬の最も大切な御用の一つとお考えいただいてどうかそのための骨折りを決して惜しまず大いに工夫をし苦心をしてお取り組みいただきたいと思います教祖にお喜びいただくために一手一つの和さて諭達の最後にこの道にお引き寄せ頂く道の子おやさまふしめ一同が教祖の年祭を成人の節目として世界たすけの歩みをい一っ手てひとおごぞんめい一つに力強く推し進め御存命でおやさまお働き下さる教祖にご安心頂きお喜び頂きたいごぞんめいと述べられていますがこの御存命おやさまでお働き下さる教祖にご安心頂きたいお喜び頂きたいとのお言葉に真柱様の思いが集約されているように私は感じていますこれにお応えするために欠いてはならないのは一手一つです一手一つとはまず芯になる者が親神様のお心に添った神一条の心をしっかりと定めることです芯の心が定まらないところに一手一つの和はできませんそして関わる人が芯になる者の心を汲んで心を結び合いそれぞれの徳分個性を活かして持ち場立場の役割を力を合わせて務めきることです一手一つに結べばどれだけお働きいただけるかはおさしづで一手一つ理が治まれば日理が栄える明治一手一つの速やかの理をあれば速やかと治まる明治一手一つに皆結んでくれるならどんな守護もする明治と一手一つに結んで事に当たれば日に理が栄える治まらんところを速やか治めてやるどんな守護でもしてやるとはっきりと教えられていますこのたびの諭達を受けてでは大教会長さんは心を定めて進むべくそうした心定めをして年祭活動の方針と具体的な目標を定められますがどうかこの大教会長さんを芯にこれに一手一つに取り組んでいただきたいと思いますまたこの大教会の方針に添って各教会において年祭活動に掛かられますが会長さん方一人ひとりが教会の先頭に立って年祭活動を勤める心をしかと定めて所属するよふぼく信者の皆さんと一手一つに心を結んで時旬の歩みを心勇んで進んでいただきたいそして年祭活動に取り組む全教よふぼくの芯として発布されたのが諭達第四号ですが諭達に込められた真柱様のお心をしっかりと汲み取り諭達の精神に則って道のをや真柱様を芯に教会長よふぼくが一手一つに心を結んで年祭活動に勇んで掛かるそうすれば日理が栄える速やか治まるどんな守護でもするという誠にありがたくうれしい姿をこの旬に随所にお見せいただけるに違いありませんいよいよ年祭活動が始動いたします教祖年祭の旬はたすけの旬成人の旬であるならばたすかる旬成人できる旬でもあります教祖の年祭で皆たすけていただき成人させてもらいます皆結構にしていただくのであります私たちは今途轍もなくうれしい旬を迎えているのです親神様のご守護には一点の曇もなく教祖の親心には一部の隙間もありませんこのご守護を信じきり親心に凭れきっておたすけに励めば随所でうれしい姿うれしい理を見せていただけるのです教祖さえ見失わなければどんな中でも教祖が支えてくだされ存命の理で間違いなく導いてくださるのですどうかご存命でお働きくださる教祖にご安心いただきお喜びいただけるように諭達の精神に全教が一手一つに心を結んで教祖年祭を目指して心明るく心勇んで成人の道を進ませていただこうではありませんかどうか皆様方のこの素晴しい旬のたすけ一条弥増しに勇んだご丹精を最後にお願いいたします以上要約大教会長様閉講挨拶皆さまそれぞれに今のお話をしっそしゃくかりと咀嚼し胸に納められたことと思いますいよいよ始まる教祖年祭への年祭活動まずこの本部巡教を受けて大教会から年間の方針目標を年内中に発表しますその後それぞれの教会でも目標実践項目を定めて実践していただきます現時点では方針目標について具体的なことは申せませんが今自分に何ができるのかを考えこの三年千日とにかく勇んで動き続けることこの私の胸にある気持ちをこの場ではお伝えし皆さま一人ひとりにも私と同じような気持ちになっていただくようお願いします笠岡の道編纂委員会史跡探訪実施有為転変という言葉が心に響く年歳花相似たり歳年人同じからず今回月日第回目の大教会史史跡見学に三重県伊賀市と大阪市を歴訪した伊賀市は笠岡初代様の出生地で私は何度か訪れたことがあるがもう随分昔の事でどこに生家があるのか記憶も定かでなかった昔史料部初代様の生家三重県伊賀市の写真を頼りにスマホで探して何とかそれらしい家の前に立ったフト思い出すこの家を何度か訪れてその時の戸主川合ふみさんと時間も話しただろうか家を出て別れ際もう来ないで下さいと言われたあれから年近く経っただろうか隣家のお年寄りがちょうど家から出て来られたあの家川合さんですねそうですよでももう何年も前にお婆さん亡くなられて娘さんが一人暮らしておられますお婆さんはふみさんの事かもしれないそう思いながら川合さんの家のガラス戸を叩いた反応がない鍵はかかってなかったので開けて声をかけた返事がない入って土間の奥まで進んでごめん下さいと度声をかけると奥からはいと返事があった出て来られる前に周囲をみる片付いてない前来た時はこの土間に台が並んで小間物上野の特産品組紐の細工物などが並んでいた何でしょうか出て来られたのはふみさんの娘さんなのか髪がざんばらでなんとなくとっつきにくいふみさんは年程前に亡くなりました何しに来たとばかりの態度に笠岡の親戚ですとも言えず曾祖母の生まれた家なので尋ねてきたと簡単にはなしたいろいろともっと聴きたかったのだがそうそうに家を出た何か尋ねてきたのが悪かったような気がして落ち込んでしまった皆で往年の川合家をバックに記念撮影をして川合川合家の菩提寺念仏寺同市の菩提寺念仏寺に向かった立派なお寺である年近く前に来た時はこの寺町の道は狭くあまり訪れる人もなかった墓地であのとき川合家の墓石を探して見つけたのかどうか記憶が定かでない皆で手分けして探したが見つからないお寺の居宅で声をかけると女の方が出て来られて案内して下さったリウさん初代様の女川合家を継いだ方ふみさんの母の墓が何故か真新しい参る人もないのか生家を見てきたばかりでそれも当然かなどと広い墓所を歩き疲れてボンヤリしてしまったお水だけでもと思って水くみ場で小さい桶に水を汲んで戻って花生けなどに水をさして念仏寺を後にした続いて木淀川遡航終点の碑同市津川遡航終点の地の石碑を見学初代様は歳で川合の生家を後にしてここから高瀬舟に乗って大阪に出られたのかと思いを回らせた私達は車で号線を木津川を左の車窓に見ながら号線の交差点まで下り奈良市経由で天理まで日の日程を終えた翌日大阪天王寺の有栖山清光院清水寺を訪れた昨日と打って変わって晴れ渡った中上町台地の南端に位置する清水寺からの大阪俯瞰図をも大阪清水寺大阪市天王寺区清水寺の舞台し林立するビルがなければと当時でそばをすりぬけて清水明治初年頃を偲びながら眺めさせて頂寺に急ぐのであるがそいた歳の初代様は朝寺起きで大の日の午後備佐の佐吉阪久宝寺町の折井の店から時は月様から呼び出しがあっおよそ里の道を週間の裸足参りをたこれがきっかけで此された松屋町筋には所霜が降りの年明治年暮れ初代松屋町から寺町に入る角のあやめ様は折井を引き払い畳だけが起きていたと初代様の聞き書表問屋備佐の上原佐吉様の娘分としきにはある満願の日不思議な縁でて住み込む事となる次いで月江寺の初代様の身元引受人の上原佐吉様と近くにあったという西照庵跡を探し探ばったりと会う初代様は知らぬ振りして歩くこの料亭西照庵の近くに初代様が裸足参りの際通られた松屋町筋上原佐助さと様の住まいがあった備佐本店は長堀西店は新町上原佐吉様の隠居所は心斎橋筋と三ツ寺筋との角地初代様は毎日の如く西照庵近くの住まいから道頓堀を通って佐吉様の許へ通うのが日課だった続いて久宝寺町あたりを見て長堀まで下り左折して玉造に向かう環状線玉造駅の近くに玉造二軒茶屋の碑がある明治年備佐の家産を整理して上原佐吉様夫婦光様笠原いし様は笠岡へ移住上原佐助様さと様子供様はこの二軒茶屋の近く東雲町に居を移し仮住まいとされたここは大阪の東の出入り口で暗峠越えで奈良に向かう処当時の旅人はこの二軒茶屋で別れを惜しみまた久しぶりの出会いを喜びあった初代様はこの玉造東雲町に明治年から年半ばまで住まいしておられた今回の史跡訪問はこの地で終わりとした当時の大阪の旅の玄関口玉造二軒茶屋跡の碑大阪市東成区年間行事予定表部会婦人会月青年会少年会学生会学生担当委員会婦人会創立の日青年会笠岡分会総会父親講座布教キャラバン隊いずれも開催月日未定てっちゃんシアター年頭幹部会直轄委員部長委員研修会天理高校部受験世話取り冬の運動会学生層育成者講習会学生生徒修養会大学の部学生生徒修養会高校卒業生コース笠岡むつみ鼓笛合同練習会春の学生おぢばがえり本部婦人会総会笠岡団おつとめまなび総会親里管内学校新入生歓迎会縦の伝道講習会てっちゃんシアターこかん様に続く会おやさとふしん青年会ひのきしん隊入隊わかぎの集いてっちゃんシアター学生生徒修養会高校の部てっちゃんシアター日程は未定サマーキャンプ委員部長後継者講習会天理教青年会総会てっちゃんシアター笠岡学生会の日毎月日ひまわり会例会有志ひのきしん隊随時備月月はなし勉強会随時毎月日婦人会例会考毎月日月はなし女子青年伏せ込みひのきしん親睦行事随時立教年令和年年部会全体行事月その他ひのきしん布教部直轄教会春季大祭参拝本部食堂福山ブロック部内一斉巡教年頭会議春季大祭詰所受入教会長夫妻並びに布教所長講習会年頭会議に引続き海外部部内一斉巡教部内一斉巡教修養科修了講習会雅楽講習会直轄教会定期巡教修養科修了講習会行列の出来る勉強会於大教会広島平和公園にをいがけ外国語パンフレット配布教祖ご誕生祭詰所受入本部食堂西ブロック全教一斉ひのきしんデーアフリカ支援バザー草刈り剪定こどもおぢばがえり詰所受入英語講習会布教推進講習会修養科修了講習会直轄教会秋季大祭参拝大教会長杯親睦スポーツ大会雅楽講習会草刈り剪定神殿障子張替秋季大祭詰所受入心定め提出修養科修了講習会年末大掃除詰所餅搗役員部長会毎月日午後註ブロックの区分けは備直轄教会長連絡会毎月日午後東岡山県以東の直轄教会とその部内教会雅鶯会練習毎月日午前時考西広島県以西の直轄教会とその部内教会上府上下府中市布教推進強調月間笠岡にをいがけ推進日全教一斉にをいがけデー祭典講話案月月月月月月月月月月月月大教会長様学学生層育成者講習会上原志郎田林久嗣少縦の伝道講習会佐藤道孝虫明立生布布教推進講習会田中隆之大教会長様海海外伝道講習会門脇元教広島平和公園にをいがけ外国語パンフレット配布海外伝道講習会英語クラブ毎月日時時半支部の集い集合写真女子青年第回女子青年大会ご挨拶の中に諭達第号が発布された事を踏まえ年祭をつとめる意義に笠岡より人参加ついてお話しくだされ今の自分にとってひながたをたどるというのはど去る月日清しい秋晴れの元ういう事なのかを考えて実行に移すよ本部中庭で第回女子青年大会が開催うお促し下さいましたされました午後からは詰所で支部の集いを行い笠岡女子青年としては人うち別ました支部長さまのお話大会の振席者人の御守護を頂きましたり返りとして女子青年同士でグループ式典では真柱様よりメッセージ婦ワークをしました人会長様よりご挨拶を頂戴いたしまし同じ世代だからこそ分かる気持ちた疑問悩みなど短時間ではありました担当の奥様方の手作り晩御飯が共有する事ができ充実した時間になりました今回昨今のコロナ禍で無事に大会へ参加できるのだろうかと不安に思っていましたが沢山の女子青年と共におぢばへ帰らせていただく事ができましたこれも皆様のお力添えお声掛けの賜物だと実感しておりますこの紙面上をお借りして御礼申し上げますありがとうございました委員長山野奈支部の集いにてグループワークみんなでひのきしん笠岡女子青年ポーズ笠岡は桃じゃけえ十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召からない人間ない世界をお創め下されたばかりではなく日夜変わることなくご守護下さりその時に応じた仕込みをもってお導き下さいます親心の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお望み下さる陽気ぐらし世界の実現を目指して一歩でも前進するべく日勇んでたすけ一条の上に努め励ませていただいておりますその中にも今日の吉日は月に一度の御祭日でございますのでただ今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてきどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせていただきます御前には少しずつ厳しさを増す寒さをも厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃のご高思に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月の秋の大祭に於いて論達第四号のご発布を頂きましたこの年祭に向かう時句に真柱様から直接お言葉をお聞かせ頂き身も心も引き締まる思いでありますまた本日は祭典終了後本部より井筒梅夫先生にお越し頂さ居ずまいを整えて大教会役員並びにおつとめ奉仕人教会長夫妻布教所長で本部巡教を受けさせて頂きます教祖百四十年祭に向けての親の声をしっかりと胸に始めて来年から始まる三年千日と仕切っての年祭活動を親神様教祖にお喜び頂けるよう笠岡一丸となって実働させて頂く所存でございます何卒観神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りに成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受取り下さいまして一人ひとりのたすけ心が次と伸び拡がりお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年十一月月次祭祭典役割表祭主大教会長様上原浩扈者山野弘実内海史郎賛者杉原善朗指図方田中隆之講話なし一月講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半上原志郎岡﨑真一田中隆之上原浩横山逸郎三島渉渡邉隆夫佐藤真孝高木昭祥大教会長様門脇元教中島誠治前会長様吉岡誠一郎中村道德上原繁道森本忠善虫明立生大教会奥様門脇加津谷内美知子前奥様横山小智榮中村初美田中ますみ吉岡八恵田中つかさ武内清明今川昌彦山野弘実佐藤道孝赤木素志上原繁次中村剛山田敏教内海史郎谷内伸自岡田誠淺野明教吉岡壽三代温生田林久嗣中村義太郎杉原善朗岡﨑治喜佐藤香苗内海安子森本冨美子上原順子三島照美高木孝子武内正美笹尾一美室悦子藤本惠子姉詰所からのお願い詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ず詰所へご連絡ください食事をしない宿泊のみの場合でも日前には申し込みをして下さるようお願い致します部内教会信者に徹底願います大教会だより年祭準備委員会発足付委員上原愛美門脇元教田中隆之武内正美上原志郎山野弘実森本忠善佐藤真孝上原繁次杉原善朗教会指令任命願島中分教会前任内海安子新任内海史郎奉告祭承認内海史郎氏任命願惠陽分教会前任藤本基喜新任藤本惠子奉告祭承認去る月日おぢばにて天理教校学園高校雅楽部秋雅楽祭結むすびを鑑賞した来年月に閉校する為この最後の演奏会に向けて取り組んできた天理教付属高校から始まり天理教校親里高校そして天理教校学園高校雅楽部と年先輩方から繋いできまし管弦は千年余りに渡って伝えられた感謝の思いを届けられる演奏会にた世界最古のオーケストラらしいとしたいとの事だったても新鮮だった舞楽の衣装も手私は年部員が減っているので作りだったようだ開催されるかといさびしい思いの方が先走っていたがう不安も喜びに替え前向きに学ぶ演奏が始まると心地良い緊張感の中学生たちに感謝した名の学生堂とした楽服姿の学生が現れわの純粋でひたむきな演奏と爽やかな笑ぁーすごい素晴らしい一手一顔に大拍手天理教校学園高校の伝統つ心が合わさって美しい音色とこれまでの歴史も大切にしたい演奏可憐な舞だ壮大だと感輝き続けられるようにむ動の連続だった
かさおか

『かさおか』第61巻 第11号

稲讃分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう秋季大祭講話諭達を真正直に受け止めたすけ一条につとめきろう世話人島村廣義先生立教年大教会秋季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら参拝のもと執り行われたご参拝くだされた世話人島村廣義先生は諭達第四号発布を目睫に控えた秋季大祭にあたりまず本年の歩み方を振り返られ続いて明年迎える教祖年祭三年千日活動に向かっての心構えを整えるうえから教祖年祭の意義に続いて根本教理の角目るるを縷お話しくださった講話内容は次の通りなおでは直轄教会の秋季大祭参拝においてそれぞれの教会で年祭活動三年間の達成目標と御守護を頂くための理作り実践項目を定めるよう打ち出しがなされている旨を伝え教祖にお喜び頂くには今何をすれば良いのかを思案しその上で教会一丸となって取り組めるようしっかりと相談してこの目標と実戦項目を決めるよう促したが図らずも島村先生から教祖にお喜び頂くには今何をすれば良いのかの思案材料をご提供くださったものと拝察する本年の位置付け今年の年頭のごあいさつで真柱様は教祖の年祭について十年に一度年祭を勤めるということになれば一八九年が教祖百四十年祭ということはもう来年には百四十年祭を目指す三年千日という動きに入っていくわけであります私は道を伸展させるためにはいろいろな意味において教祖の年祭を勤めることは大切なことであると思いますので次の百四十年祭は勤めさせていただきたい中略教祖の年祭を勤める意味を徹底させることは本当に難しいことだとあらためて思いますやはり伝える側の責任は大きい中略伝える側の姿勢としては信仰姿勢普段から教祖の教えられたことを身に行いなるほどの人おこたになる努力をすることを怠ってはならないと思いますその人の信仰から伝わるということはやはりあるみちのとも年月号頁と述べられましたさらに教祖百四十年祭三年千日を前にいま教会長としてすべきことと題して両統領インタビューがみちのともに掲載され表統領が年祭活動に向かうにあたってまず道の先達である教会長が何をすべきか考えていくうえでのポイントをつ挙げておられます一つ目はなぜ教祖の年祭を勤めるのか年祭活動に取り組むうえで根本となる教祖年祭の意義を教会長としてしっかり心に治めることをしなければいけない二つ目はお預かりしている教会の現状現在の姿をしっかり確認把握すること中略長い目で自分とお預かりする教会の将来の姿を思い描いてそれを実現していけるように順序だてて進んでいこう中略百四十年祭はそうした目標に向かうための一つの節目三つ目は年祭活動に向けての心構えをつくって準備する中略厳しく通る覚悟というか腹を据え中略どうでも三年千日をつとめきる覚悟心構えをみちのとも年月号頁する教会長の心構え覚悟をよふぼく信者に移していくとこの真柱様のお言葉なり両統領のこの対談を受けて今日まで活動を続けてきました諭達は刻限のさしづそしていよいよこの月日真柱様から諭達第四号をご発布いただきますこの諭達というのはお道の節目にあたって真柱様が教内に対して時旬の理にふさわしい信仰と実践について教示されるものですおさしづに鏡やしきから打ち出す言葉は天の言葉である程に理を恐れずあんな事言うあんな事と思えばあんな事になるめんく身上もあんな事になる程にく明治と仰せいただきますが諭達はまさに鏡やしきから打ち出されるお言葉であり私たちにとっては今日の刻限のさしづ註とも言うべき同様の重みを持って受け止めさせていただかなければならない大切なお言葉であると私は思案します註親神様のほうからその時に応じて神意を述べられたものを刻限のさしづといい人間の側からの伺うかがいに対して答えられたものを伺いのさしづという私たちは諭達を素直に真正直に受け止め全教が心をひとつに揃え一手一つに三年千日仕切って思召にお応えさせていただく道をひたすら歩み進めさせていただきたいと思います教祖年祭の意義教祖存命の理そこで私は本日あらためて教祖の年祭をつとめることの意味を振り返り教祖の親心にしっかりお応えさせていただけるよう自らの心を定めたいと思います教祖の年祭は私たちの親や先祖の年祭のように親戚や親しかった者が集まって故人の遺徳をたたえたり人柄を偲んだりするものではありませんさあくこれまで住んで居る何処へも行てはせんで何処へも行てはせんで日日の道を見て思やんしてくれねばならん明治と仰せられる通り教祖は存命の理をもって今も変わることなく元のやしきに留まり世界だすけの道の先頭にお立ちくだされ月日にハせかいぢううハみなわが子かハいいゝばいこれが一ちよ一七月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりで八いちれつのこともがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなり四とすべて子供可愛いうえのどこまでも限りない隔てないたすけ一条の親心でお見守りお導きくださっています私たちは教祖からお掛けいただく親心をしっかり受け止めて思召に沿わせていただき教祖のひながたの道を真剣に歩み陽気ぐらし世界の実現を目指してたすけ一条につとめきらしていただくことこれが教祖にお喜びいただく何よりもの道です教祖年祭の元一日意欲的なたすけ一条の全開教祖の年祭をつとめる根本は元は子供の成人を急き込み促されるうえから教祖が定命を年お縮めになり現身をお隠しになられた明治年陰暦正月日の事情に由来しますそれは世界一れつをたすけるために一日も早く陽気づくめの世の状に立て替えてやろうと思召す親心からたすけ一条の道として教えられたおつとめを誰に気兼ねすることなく十分につとめられるようにしてくださったことまた誰はばかることなく世界の人におたすけ布教ができるようにしてくださったことです教祖の切迫する身上を台にしてたすけ一条のつとめの勤修を急き込み促されるとともにあらゆる人間思案を断ちきりひたすら親神様を信じ凭れきって通る神一条の道の通り方を厳しくお仕込みくださいました御伝に当時の様子を拝察しますとその日の正午頃から教祖のお身上がいよく迫って来たので一同全く心定まり眞之亮からおつとめの時若もし警察よりいかなる干渉あっても命捨てゝもという心の者のみおつとめせよと言い渡した一同意を決し下着を重ね足袋を重ねて拘引を覚悟の上午後一時頃から鳴物も入れて堂堂とつとめに取り掛った教祖伝十章頁と初代真柱様を芯に先生方が真剣に命懸けでおつとめをつとめられた様子が記されています続いておと陽気な鳴物の音を満足気に聞いて居られた教祖は丁度だいくのにんもそろひきたという十二下りの最後のお歌の了る頃一寸変ったそぶりをなさったのでお側に居たひさがお水ですかと伺うた処微かにウーンと仰せられたそこで水を差上げた処三口召し上ったつゞいておばあ様とお呼び申したがもう何ともお返事がない北枕で西向のまゝ片手をひさの胸にあて片手を自分の胸にのせスヤくと眠って居られるような様子であった教祖伝十章頁と教祖が現身を隠されたときのご様子が記されています仰せ通りにおつとめをつとめたのできっと教祖はお元気になられたと思われたであろう先生方ですがしかしつとめを無事了えてかんろだいの所から意気揚と引き揚げて来た一同はこれを聞いてたゞ一声ワーッと悲壮な声を上げて泣いただけであとはシーンとなって了ってしわぶき一つする者も無かった中略人は全く立って居る大地じつげつが砕け日月の光が消えてこの世が真っ暗になったように感じた教祖伝十章頁と先生方の驚愕落胆された様子が記されています官憲の迫害干渉弾圧の中仰せ通りにおつとめをつとめると教祖に直接ご苦労をお掛けするそのご苦労を思うとなかなかおつとめに踏みきれなかった先生方のご苦衷は私たちの想像以上のことだと思います教祖のご身上を台としてさあ今と言うたら今直ぐに掛れ中略悠長な事を言うて居る場合ではない一体お前達は法律が怖いのかをやの話が尊いのかどちらに重きを置いて信心をして居るのか教祖伝十章頁とつとめの決断を促される厳しいお仕込みに一同心を定め差し迫る教祖の身上から命捨ててもとの覚悟のもとにおつとめをつとめましたその結果教祖が現身を隠されるという事態になってしまいました嘆き悲しみは一通りのことではなかったでしょう内蔵の階で飯降伊藏先生を通しておさしづを伺われるとさあくろっくの地にする皆揃うたかくよう聞き分けこれまでに言うた事実の箱へ入れて置いたが神が扉開いて出たから子供可愛い故をやの命を二十五年先の命を縮めて今からたすけするのやでしっかり見て居よ今までとこれから先としっかり見て居よ扉開いてろっくの地にしようか扉閉めてろっくの地に扉開いてろっくの地にしてくれと言うたやないか思うようにしてやったさあこれまで子供にやりたいものもあったなれどもようやらなんだ又これから先だんくに理が渡そうよう聞いて置け教祖伝十章頁とのお言葉でしたまさか扉を開くと仰せくださる事が教祖が現身を隠されることを意味しているとは思いもしなかった先生方はくだされ扉を開いてろくぢにならし被下たい教祖伝十章頁とお答えになり親神様はその返事をお聞き届けになって心通りに守護くださったのですしかしこのことによって見せられた姿は親神様の思召と人の心との間の大きな隔たりによって年先ある定命を縮めて現身を隠される結果になったのではと思案します子供可愛いうえの親心ならではのお心配りで子供の成人を促されるとともに現身を隠されることによっておつとめをつとめることに踏みきれなかった原因を取り除かれ今からいよいよ世界を駈け巡ってたすけをするしっかり見て居よ今迄とこれから先とどう違しっかうて来るか確り見て居よ中略さあこれ迄から子供にやりたいものもあったなれど思うように授ける事が出来なかったこれから先だんくにその理を渡そう教祖伝十章頁とて広く一般におさづけの理をお渡しくださるとともに積極的な世界だすけの道たすけ一条の道の全開註をお促しくだされたものと思案します註全開全力で行うこともっている力を最大限に出すこと神一条の精神定めその後先人たちは教祖がご存命でお働きくださっていることを信じ教祖の親心に全身全霊を捧げてお応えしたいとの固い信念でおたすけに奔走し全国各地でおさづけの取り次ぎに真実を尽くすなか次と不思議珍しいご守護をいただきました教祖年祭が執行された明治年にはお道は全国津浦まで伸び広がり教会も全道府県註に設置され布教戦線は海外にまで及びました註東京が都になったのは昭和年それは懸命におたすけに奔走した人の真実を教祖がお受け取りくださりお働きくだされた結果であり教祖ご存命のお働きに他なりません教祖のお姿は拝せなくともご存命でお働きくださっているとの確信感激はさらなるたすけの輪となって広がっていきました以後年ごとの教祖の年祭を仕切りとして成人の歩みを進め教祖にお喜びいただきたいと懸命に歩んできたお道です教祖の年祭の元一日を振り返りあらためて教祖のお急き込みはたすけ一条の道の根本であるつとめの実行にあったことさらに親神様の思召に沿いきる神一条の精神定めであったことを思案すると私たち自身が人間思案に流れ神一条に徹しきれないことで教祖にもどかしい思い残念の思いをお掛けしているその自らの歩みを顧みて反省することの多いことに気づきます先人先輩の先生方は神一条の道と世間一般世上の道との狭間でどのように進めば良いのかを常に教祖のひながたに求め思案を重ねをやの思いに近づく努力を繰り返し繰り返し続けて通られたなかに見事節から芽が出るご守護を頂戴してこられましたそれは今これから教祖年祭活動に向かって道を歩む私たちにとっても成人の足取りを進めるうえに学ばなければならない尊い道すがらであると思います教祖がご存命でお働きくださっているその親心に凭れきりいかなる困難ななかも勇んでお通りになった先人に倣い親神様の思召に添いきってご存命の教祖にお喜びいただけるよう確固たる神一条の精神を定めて歩み抜かねばならないと思います根本教理の再確認親神天理王命親神様天理王命様はこの世人間世界をお造りくだされた元の神様火水風を始め人間身の内の温み水気息一筋に至るまでこの世の一切すべてをご守護くださる実の神様です人間が生きるうえに必要なあらゆるものを整えて命を与えられ陽気ぐらしのできるようにご守護くださっていますかしものかりものおふでさき第三号にたんくとなに事にてもこのよふわ神のからだやしやんしてみよ三とあり続いてそれぞれにんけんハみなく神のかしものやなんとをもふてつこているやら三めへくのみのうちよりのかりものをしらずにいてハなにもわからん三とかしものかりものの理が説かれています私はここに親神様の深い思召があるように思案します世の中のものはすべて親神様のお造りくだされたもの全宇宙は親神様のお体であるしたがって人間もすべて自分の力でできたものではなく親神様のお造りくださったものを親神様から貸していただいてこの天地抱き合わせの親神様の懐で親神様のご守護によって生かされていると教えられますこのかしものかりもののご教理が分からなければ何も分からないと教えられますが別の言い方をするとこのかしものかりもののご教理が心に治ればすべて分かってくるということでしょう親神様のご存在はもとより親神様の十全のご守護私たち人間の生きる目的その生き方など教えのすべてが分かってくるということですかしものかりものの理が教えのゆえん台とお教えいただく所以はここにあると思いますじゅうよう自由自在の理当たり前こそは親神様の守護この世に生を享け日結構に暮らすことができるのは親神様の温かい懐で絶えず守られているからです人間というものは身はかりもの心一つが我がのものたった一つの心よりどんな理も日出るどんな理も受け取る中に自由自在という理を聞き分け明治と仰せいただきます日元気に何不自由なく体を使える喜び今日も一日結構に過ごせた私たちは当たり前と思っている日のくらしこそ親神様のありがたくもったいないご守護であることに気付くことでかしものかりもののありがたさ生かされている喜びを味わえるのです陽気づくめの境地またこの喜びは一見喜べないことと思われるなかにも味わうことができるのです教祖は貧に落ちきれとの親神様のお言葉のままに苦心の道中を子供たちとともにお通りくださり食べるに米のない日を過ごされるなか世界には枕もとに食物を山ほど積んでも食べるに食べられず水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もあるそのことを思えばわしらは結構や水を飲めば水の味がする親神様が結構にお与え下されてある教祖伝三章頁と子たちを励ましながら通られました親神様のご守護に気付くことによってどんな中でも心一つで喜べることを教えられているのです私たちの身の回りには身上や事情など思うようにならないことで心を曇らせ喜べないことも沢山ありますがしかしかしものかりもののご守護親神様が大難を小難に小難を無難にご守護くださっていることさらには見せられる節に込められた親心に気付くことで今まで喜べなかつたことも心から喜べるようになり今まで楽しめなかつたことも心から楽しめるようにな教典六章頁れるのですぢばの理おやさとやしき別席のお話の中で次のようにお取次ぎくださいますこのやしきは元親神様が紋型ないところから人間世界をお創めくだされた因縁あるやしきでありましてその宿し込みの証拠としてお据えくだされるのがかんろだいでありますすなわちこのやしきは世界中の人間の元の親里であります親里であるばかりでなく現に元なるをやであらせられる親神様がお鎮まりくだされ月日のやしろひながたのをやであらせられる教祖が存命同様ここでお見守りくだされているのでございます世界からおぢばをやの側と言うて慕うて帰る子供に隔てなくお待ちかねになっているのがをやのお心でありますこのをやを慕うて帰る子供の真実が常に隔てなく子供のうえを思うてその帰りをお待ちくだされるをやのお心に通いましてここに珍しいたすけをお見せくだされ自由のご守護をなしくだされるのでありますからこの元のぢばへ真実の心を運ぶのが肝心でありますてびきこの世人間世界をお造りくだされた元の神様すべてを守護くだされる実の神様親神様がお鎮まりくだされ月日のやしろひながたの親であらせられる教祖がお出でくださる親里ぢばこのたすけの源であるぢばを慕うて帰らせていただくのがおぢばがえりです自らの身上事情のあるいは人様のおたすけを願っておぢばがえりさらにはおたすけいただき結構にご守護いただいたことへのお礼のおぢばがえりなどおぢばがえりの理由は人それぞれに違いがありましょうまた人の勧めや自らの意志でと思うかもしれませんがしかしおぢばへ帰ることはたとえその理由が何であれそこには親神様の思召深い思惑があってのお引き寄せなのです逸話篇に神に深きいんねんあるを以て神が引き寄せたのである程に逸話篇さあくいんねんの魂神が用に使おうと思召す者はどうしてなりと引き寄せるから結構と思うてこれからどんな道もあるから楽しんで通るよう用に使わねばならんという道具は痛めてでも引き寄せる悩めてでも引き寄せねばならんのであるからする事なす事違う逸話篇というお話がありますご恩報じまた教祖は思召あってお引き寄せになった人にはおたすけいただきたいと初めておぢばへ帰った人たちにもにをいがけおたすけ布教の実践を促されています心配は要らん要らん家に災難が出ているから早ようおかえりかえったら村の中戸毎に入り込んで四十二人の人を救けるのやでなむてんりわうのみことと唱えて手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで人を救けたら我が身が救かるのや逸話篇と仰っていますおたすけを願っておぢばに帰った人にたすけていただく道として神様の話をしてにをいがけすること神名を唱えておつとめをすること祈ることを教えられ金や物でないで救けてもらい嬉しいと思うならその喜びで救けてほしいと願う人を救けに行く事が一番の御恩返しやからしっかりおたすけするように逸話篇とご恩報じの道を教えられましたさらにあんたの救かったことを人さんに真剣に話さして頂くのやで中略ごくこれは御供やからこれを供えたお水で人に飲ますのや逸話篇とおたすけの仕方御ご供くやご神水を戴かせて人をたすけることたすけて回ることを促されましたつくしはこびさらにこの屋敷は用事さえする心なら何んぼでも用事がありますいで用事さえしていれば去のいと思ても去なれぬ屋敷せいだい働いて置きなされや先になったら難儀しようと思たとて難儀出来んのやで今しっかり働いて置きなされや逸話篇とおぢばがえりとともにぢばに誠真実真心を尽くし運ぶこと伏せ込むことがいかに大切なこと大事なことかということも教えられました先人たちはおたすけいただきたい一心でおぢばに帰り教祖のお導きのまま親心にお縋りして素直に道を通られた結果それぞれに不思議な珍しいたすけのご守護を頂きその感激と喜びにご恩報じのたすけ一条の道を歩むようになったのですお道に間無しの方であってもお引き寄せになったその深い思召があればこそたすけ一条の御用に使われるのです今日の私たちは親からの信仰を受け継ぎ原典や教典御伝によっていつでも親神様の思召を拝することができ教祖のひながたを求めることができる結構をお与えいただいています入信間無しの先達のご苦労を思えば今日の姿はありがたいことばかりです親神様のみ教えを学び少しは道を聞きわけているお互いはいまだ親神様を知らず親神様の思召も分からずに身上や事情に悩み苦しんでいる人に一日も早くみ教えを伝えることは私たちよふぼくのつとめです先人たちの素直に教祖のひながたを求めてお通りくだされた道すがらに倣って積極的なおたすけを心がけて一人でも多くの方をおぢばにお連れ帰りさせていただき教祖にお喜びいただきたいと思いますたすけ一条の道つとめたすけの元立て教祖は世界一れつをたすけたいとの親心で私たちをお見守りくだされたすけ一条の道としてつとめを教えられさづけを渡されてその実行を促されていますみかぐらうたにようこそつとめについてきたこれがたすけのもとだてや六下り目いつもかぐらやてをどりやすゑではめづらしたすけする六下り目おつとめはたすけの元立てと教えられますが人だすけの元立てあるとともに自分自身もたすけていただける元ですおつとめは親神様へのつとめであり親神様は元の神実の神様その元を立てるのが元立て元を立てるのでお互いの身が立つという意味ですにちくにはやくつとめをせきこめよいかなるなんもみなのがれるで一とのよふなむつかしくなるやまいでもつとめ一ぢよてみなたすかるで一つとめさいちがハんよふになあたなら天のあたゑもちがう事なし一はやくと心そろをてしいかりとつとめするならせかいをさまる一四つとめてもほかの事とわをもうなよたすけたいのが一ちよばかりで一六と教えられます救からんものをなんでもとどんな事をばするやしれんで一五おつとめはたすけ心を持ってつとめ言うて子供が親のために運とお教えいただきまする人の身上事情を始めところぶ心これ真実やがな真実なおさづけは人だすけのための宝での治まり世界の治まりすべてよろづら神が受け取るすのたすかりを親神様に願うおさづけと仰せ下された何としてもたすかっていただきたいの取り次ぎができないときでもおつこの有難いお言葉を頂戴してとのおたすけ人の真実誠の心に親神とめによって親神様にたすけを願うことができますキクは救からん命を救けて頂き様教祖がお働きくだされるのです八十八才まで長命させて頂いたまたこのおさづけの取り次ぎに教会でつとめるおつとめはぢばで逸話篇よって教祖がご存命でお働きくだつとめられるかぐらづとめの理を受けと記されていますがこれは桝井伊さっていることのありがたさを実感すてつとめますよろづだすけの源であ三郎先生が病気で苦しんでいる母親ることができるのでするぢばの理を戴いてつとめる教会でのの姿にどうでもたすけてもらいたよふぼくはこの尊いおさづけの理おつとめはおつとめ奉仕者を揃えていならん中をたすけていただきたを頂戴した元一日の心を忘れることな道具を揃えてぢば一つに心を揃えていと町の道のりを何度もおたすく病む人に期を逃さず躊躇する一手一つに教え通りにおたすけのけを願われた誠真実に対しての教祖ことなく積極的におさづけを取り心を込めて勇んで人のたすかりのお言葉です次ぎましょう世の中の治まりを願ってつとめること見ておれない放っておけないが大切ですたすけていただきたいたすけたにをいがけおたすけいこの何でもどうでものた年齢性別立場に変わりなく自分さづけ生涯末代の宝すかってもらいたいという真実とそのにできるおたすけを見出しいつでもさらにまた身上に苦しんでいる行為こそが親神様にお受け取りいたどこでもおたすけを心掛けましょう人には真実込めておさづけの理をだく誠真実です自分の身の回りを見渡し誰とでも取り次がせていただくのですおかきさげにこの何でもどうでもという止む挨拶を交わす気さくに声を掛けに止まれぬおたすけ心がなかったらることから始めるのですそしてそ人を救ける心は真の誠一つの理おたすけはできませんれを毎日続けるで救ける理が救かるたんくとよふぼくにてハこのよふを無縁社会と言われる昨今またと教えられますはしめたをやがみな入こむで一五コロナウイルスの蔓延で人との繋がり逸話にこのよふをはじめたをやか入こめばがなく寂しい思いを味わっている人が多いしかし概して人は自分の抱えている悩みや苦しみについて他人に隠すことが多いのでそれを他人に打ち明ける人は少ない一度や二度の声掛けぐらいでは容易に心を開いてもらえないので私たちはその人たちの悩みや苦しみを案外見過ごしがちです常に教えを実践し親しく声を掛け続け自分を信用してもらえるまでの人間関係ができるに従ってだんだんと悩み事の相談を持ちかけられるようになるのです困っている人に出会えば徹底したおたすけの心で誠心誠意世話をし相手の心に寄り添い悩みに耳を傾け相手の心の悩みや苦しみを思いやり分かち合うのですまた心に不安を抱え塞ぎ込む人には親神様を信じ凭れて通るそのありがたさを伝え心の向きが変わるように導くのです相手の身になり分かりやすく心を砕いて根気よく導くことが大切ですそしてさらには共に人だすけに向かうまでに丹精させていただきたいものですつくしはこび日に頂戴する限りない親神様のご守護に対しての報恩感謝の行いはひのきしんと教えられますがこのご守護に対するお礼感謝のつくしはこびとともに常おたすけのご守護を頂戴するためにはしっかりとぢばに心を繋ぎ真実真心を尽くし運ぶことが大切です先人たちの道すがらを振り返るとそこにはご守護を願い縋る思いで大勢の方がおぢばに運ばれた姿がありました残らずぢばから救ける万事何から大切第一のたすけぢばより救ける明治ぢばは親神様のお鎮まりくださるところご存命の教祖のお出でくださるところたすけの源ですたすかる理はこのぢばにしっかりと繋がるところからお与えいただくのですやしきハかみのでんぢやでまいたるたねハみなはへる七下り目心さい月日しんぢつうけとればどんなたすけもみなうけやうで八とのよふなたすけとゆうもしんちつのをやがいるから月日ゆうのや八この月日もとなるぢばや元なるのいんねんあるでちうよぢさいを八ぢばへ尽くし運ぶ私たちの真実を親神様は必ずお受け取りくださり真実にふさわしいご守護をくださるのですからしっかりぢばに尽くし運ぶことです誠一つの理人をたすける心それは誠の心ですそれは思召に沿い天理にかなう心だからですこのさきハせかいぢううハ一れつによろづたがいにたすけするなら一二月日にもその心をばうけとりてどんなたすけもするとをもゑよ一二しんちつに心にまことあるならばどんなたすけもちがう事なし一三おたすけに際して人の悩みや苦しみに出合ったときじっとしておられず自分のできることならどんなことからでも手を差し伸べて精一杯の真実を尽くす親神様はこの誠真実を直ぐと受け取っていかなるたすけも引き受けられます自分の心にこの誠真実の理が治まれば常に変わらぬ喜びに満たされおたすけの喜びを味わわせてもらえます人がたすかった感激そして何よりも親神様教祖がお喜びくださっているという喜びおたすけの喜びは何物にも代え難い道を通る者の喜びですそしてその喜びは一人に止まることなく家族隣人へと広がっていき土地ところの陽気ぐらしの姿となって現れてくるのですよふぼくが世界の各地でたすけに歩む姿を親神様教祖は心楽しみにしておられると思います三年千日に向かう心構え今日世の中は新型コロナウイルスの猛威はまだまだ収まらずまた近年地球温暖化による異常気象や天変地異は大変な被害をもたらしています親神様の思召に反した自分中心の他を顧みない行動は争いごとを引き起こし世の中に陽気ぐらしとは真逆の不幸をもたらしていますこうした世の中に見せられる事象は親神様の残念な思いを現されたものと仰せられますが道のうえからもかんろだいの事情や真柱様のご身上名称解消のお運びなど年祭活動を前に厳しいお仕込みを頂戴しています真柱様は年頭に安心して御用ができてもできなくても時間は同じように過ぎていきますできないのはコロナのせいだというようにせずに与えられた条件のなかでやらなくてはならないことをいかに進めるかということをいまの時旬を考えてそれぞれのつとめを果たしていっていただきたいみちのとも年月号頁と仰せられましたがこのような社会の混迷が続く今こそ私たちよふぼくの真価を発揮するときです世界世の中の治まる真実の教えを自分を取り巻く身近なところから世界の人に伝え広めるためよふぼくはまず教会にしっかり心を繋ぎ親神様教祖に心を繋いでおたすけに立ち上がらせていただきましょう教会は世界だすけを推し進めるうえでなくてはならない拠点です教会の活動は親神様の教えを伝え広めることです国処の教会の動きが活発になり悩み苦しむ人にとって心安らぐ場所となり土地ところの陽詰所からのお願い詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ず詰所へご連絡ください食事をしない宿泊のみの場合でも日前には申し込みをして下さるようお願い致します部内教会信者に徹底願います気ぐらしの手本ひながたとなれるようよふぼく一人ひとりが三年千日周囲に心を配ることから始めて勝に会長を芯として寄り集う人が仕切ってひながたの道を通る決意を固手や方法にとらわれずいつもどこで心を合わせたすけ合い陽気ぐらしめたいと思いますも進んで声を掛け繰り返し繰り返しの雰囲気を作り出していくのです難しい事をせいとも紋型無き事根気よくにをいがけの習慣を身につ教会は昔から身上事情に悩む人身寄りのない人あるいは布教専従をせいと言わん皆一つくのひけて身上事情に苦しむ人悩む人ながたの道があるひながたの道があればたすけの手を差し伸べるを志す人たち様な人を受け入れてたすけ合って歩んできました教会とを通れんというような事ではどうおつとめに世の治まり人のたすかりもならん中略ひながたの道よを願い病む人には真実込めておさづいうたすけの道場によふぼく一人ひとりのたすけ心が繋がり合い大きなり道が無いで何程急いたとて急けを取り次がせてもらい悩める人のいだとていかせんでひながたの胸の内に耳を傾けて寄り添ってをやのおたすけの輪陽気ぐらしの輪を作り道より道無いで明治声を伝え心の向きが変わるよう導き出してきましたと仰せられますが教祖はご自身がお願わくばともに人だすけに向かうま通りくだされた年のひながたの道をでに丹精したいと思いますいよいよ明年より教祖年祭に向三年千日ただひたすらに実践すれば心を合わせ頼もしい道を作りてくかっての三年千日の活動に入ります深く大きな親心を持って私たち子供れあれでこそ真の道であるとが先人たちは教祖の年祭をの足りないところを補い年の道を世界に映さにゃならん成人の旬として教祖の親心にお応え通ったことと同じ理に受け取ってやろ明治したい一念でつとめ果たしてこられうと仰せられますと存命の教祖にお喜びいただけるよましたう共につとめさせていただきま私たちよふぼくにとって教祖のよふぼく一人ひとりが三年千日しょう年祭は成人の足取りを進める掛け仕切ってひながたの道を通る決意を定替えのない節目仕切りですめその心準備を今日まで進めてきまどうでも一つ仕切り根性仕切したがいよいよこの月諭達り力仕切り智慧仕切りの道が発布され来年から三年千日の仕切どうでもこうでも踏まさにゃならりが始まりますん明治よふぼくがどんなことからでもおと仰せられますたすけに立ち上がることを誓わせていただきたいおはなしに聴き入る参加者委員部長後継者講習会開催大教会婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月日大教会で委員部長後継者講習会を開催初参加の人も含む人が受講した同じ立場をいただく者が年に一度顔を合わせて成人の糧とさせていただこうと毎年開かれていた講習会だがコロナウィルス感染拡大のため年ぶりの開催となった上原支部長はおはなしの中でかしものかりものの教理をしっかり心におさめさせてもらうことが大事でどんな事も神様からのお与えものなので自分にとって不都合なことも喜び婦人会にかえて理づくり心づくり徳積みを精一杯勇んでつとめてほしいそして三年千日の年祭活動について今日の自分より三年後の自分が少しでも成人している姿を見ていただけるような三年千日の過し方をしてほしいと話された人の感話を聞かせていただいたあとワークショップで心も体もほぐされて勉強させていただきながらも笑顔あふれる楽しい時を過したコロナ禍での開催だったため午前中で行事を終了し先輩委員部長さんたちの心の込もった手作り弁当を受け取って解散した常任委員岡﨑和美緊張の後は心身をほぐして解散立教百八十五年秋季大祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者岡﨑真一淺野明教賛者佐藤真孝指図方門脇元教講話島村廣義先生十二月講話上原繁道区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝上原志郎岡﨑真一中村道德森本忠善田林久嗣中村義太郎淺野明教上原繁次大教会長様門脇元教田中隆之前会長様三島渉今川昌彦上原繁道山野弘実横山逸郎大教会奥様谷内美知子武内正美前奥様吉岡八恵横山小智榮田中ますみ山野なつ室悦子上原浩佐藤真孝淺野明教中村剛高木昭祥岡田誠吉岡壽虫明立生渡邉隆夫中島誠治岡﨑真一岡﨑治喜谷内伸自山田敏教中村道德武内清明赤木素志上原浩上原順子岡﨑豊子内海安子門脇加津笹尾一美中村初美佐藤香苗三島照美高木孝子ダンスパフォーマンス天理大学生によるドラムパーカッションと頼もしく嬉しい思いがしたと述べ今後も福山らしく仲良く助け合って今年を勤め切りしん者の食事作りに心楽しむ者など個に真実を寄せて下さった福山らしいあり方に心をする者教会の掃除を担う者また手作りお菓子料理の差し入れをする者ひのき続いて福山分教会長が今日までの真実に感謝を述べながら法面工事の際には工事年祭活動を来年に控え成人を誓う有意義な記念祭となったお流れを頂戴して親しく和やかに声をか昼食後部内教会ごとにご挨拶に伺いわれ弁当を配布して記念祭を終えた湾からの帰参者の手土産などの抽選会が行げ続いて和牛肉コードレス掃除機台ンとダンスパフォーマンスで会場を盛り上奏天理大学生によるドラムパーカッショその後雅楽によるもののけ姫の演精一杯勤めさせて頂きたいと締めくくった明くる年から始まる教祖年祭の活動にらそれぞれが自身のたすけ心を確認することが大切ではないかと話された挨拶に立たれた大教会長様は初代の心に立ち返る事に触れまた秋季大祭の意義か隔を開けて人の参拝者と共に厳かに勤めさせて頂いた秋季大祭に合わせて勤められた福山分教会創立周年記念祭は感染予防に配慮し間福山分教会創立周年記念祭秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召からこの世と人間をお創造くだされたばかりではなく十全のご守護をもって今も変わる事なくお見守り下さっております加えて天保九年十月二十六日旬剣限の到来と共に教祖をやしろとしてこの世の表にお現れになりよろづ委細の真実を明かし世界たすけの道をつけて陽気ぐらしへとお導き下さいます御慈愛の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は御恩報じを念じて届かぬながらも日勇んでたすけ一条の御用の上に努め励ませていただいておりますその中今日の吉日に立教の元一日に思いを馳せただ今からおつとめ奉仕人一同慶び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせていただきます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが日頃のご高恩に改めて御礼申し上げると共に立教の元一日に込められた親心に思いを致し心新たに思召に沿い切る事をお誓いする真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は世話人島村廣義先生の巡教を賜ります時旬に当たってのおぢぱの思いをお聞かせ頂き今後の成人の歩みの指針とさせて頂きたいと思いますまたいよいよ十月二十六日秋の大祭にて教祖百四十年祭に向けて諭達がご発布されます諭達に込められた思いをしっかりと受け止めさせて頂き来年から始まる三年千日と仕切っての年祭活動を勇んで通り切って年祭の日を成人した喜び一杯の姿で迎えられるよう努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様にはどんな中でも親の思いにお応えするべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして神人和楽の陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますけて頂いた敷地内に放出されたハンターから逃げる学担笠岡学生会の日開催大教会月日笠岡学生会の日はじめの第一歩笠岡学生担当委員会主催が大教会で開催されたこの行事は今年初めて結成された学生スタッフの学生が学担と会議を重ねにつながる学生のために開催したもの当日はおぢばや関西近郊の学生も含む人が参加した参加者は自己紹介スゴロククロスインタビュー情報紙などの班別グループタイムを通してお互いの事を知り親睦を深めたまた大教会敷地内を使って逃走中鬼ごっこが行われ元気に走り回る学生の姿が見られ大いに盛り上がった最後に学生と共にプログラムを体験された大教会長様より神様にマルをつけてもらえるような人を助ける心を養っていって欲しいと挨拶があった参加者は同じ笠岡につながる学生同士の絆を深めると共に次の行事への参加を誓い合った学担委員長上原繁次笠岡学生会班毎に盛り上がるグループタイム思う大教会だより今日まで様な出来事や気持ちの葛藤の中不足に思う事もあったり教人資格講習会後期修了者自分自身に自問自答を繰り返しなが終講ら不安に思う事が多かったが周囲葦陽笹尾孝治の方のアドバイスや協力の元ここまでたどり着く事が出来なお一層自分の気持ちも改めて考える事もあって更に頑張って行こうと決意したまだまだスタートラインに立つ準備運動に過ぎないが自分の気持ちを強この度教会長を交替する事になりく持って信者さんや周囲の人達と共今月本部にてお運びを願い出たに協力し合いたすけ合って又これ来年から教祖年祭三年千日というから先家族共支え合って自分も努旬に教会長就任奉告祭を執り行う事が力する事を継続出来る様邁進したい出来るのはとてもありがたい事だとうその頃の気温は連日近く猛暑陽だまり日が続いていた年齢を考慮して心配してくださる方が大勢いたが矢も楯もたまらず災救隊に志願した救援活まごの手救援ひのきしん動で初めて被災地に足を踏み入れたビエン今年の月上旬西日本を襲った豪雨は各地に甚大な被害をもたらしたまび筆者の住む倉敷市においても真備町で時言葉が出なかった水はほぼ引いていたがいつもの見慣れた風景が一変していた私たちはアルミ工場の水蒸気爆発による爆風と浸水という二重の被害を受けた地域で活動したく大水害が発生し人もの尊い命が奪たくたになりながらも何か人様のためわれた浸水地域は町全体のおよそに直接役に立っているという喜びが分のにも及び約千世帯のうちあったその後月には災救隊に再千棟以上が浸水被害に遭った度参加した壁の泥落としや天井の解テレビや新聞ラジオインターネ体など結構危険できつい作業だったットなどを通してこの水害が報道され体中泥だらけになりひのきしん後のると国内はもとよりハワイアメリカ充実した気持ちを抱いて現場から帰るカナダ香港フィンランドなど世界途中一般のボランティア方が道の各地からたくさんのお見舞いのや泥を除去している現場を通り過ぎたメールをいただいたとてもありがたそのとき自分自身の微妙な心の変化く感謝した私の住む地域は幸運にもに気づき動揺した無意識に我は被災地より少し離れていたので大きなとても有意義なひのきしんをしている災害は起こらなかったしかし真備のだ君たちとはちがうという上町やその周辺地域には友人や知人がから目線で彼らを見ていたのだ猛暑たくさん住んでいる友人たちだけでの中での活動を褒められ感謝されはなく他の被災された方のためにも社会的にも高く評価されているうちに何かさせていただきたいと願っていた思い上がっていたのかもしれない私時天理教災害救援ひのきしん隊が出はふとある情景を思い出した次動することが決まった号に続く陽だまり語録陽気月号より著者転載続まごの手救援ひのきしん平成年月天理教教会本部で西境内地拡張整備ふしん土持ひのきしんが始まった教祖年祭に向けての活動の一つだったと記憶している重機を使えば短期間で済んでしまう土木工事を人がもっこを担いでするのだからビジネス的に考えればまことにコストパフォーマンス費用対効果の低い活動であると思うしかしそこには決してコスパいう考えだけでは計れない意味と喜びがあった神様からの借りものである体を使いおぢばのふしんに伏せこませていただいている喜びがあったのだある夏の日別席を運ぶために帰参した甥っ子とこのひのきしんに参加したそこで私はある女性の姿を目撃して目頭が熱くなった車椅子に乗った彼女は膝の上に白いハンカチを置きその上に乗せた僅かな土を落とさないように大切に何度も運んでいるのだったこれこそが信仰の喜びなんだと実感しただから猛暑の中被災地で真剣にボランティアに励む人たちのことをたとえ一瞬でも見下した自分の心の驕りはこの行いをも笑ってしまうことなのであるなんという心の貧しい人間なのかと自分を恥じたさて岡山教区災害救援ひのきしん隊は第次隊をもって平成年月豪雨被災地への救援活動を終了した私は反省を踏まえて何か小さなことでも良いから支援をさせて頂こうと決心した情報を集めて必要な物を必要とする方に届けることかゆいところに手が届くまごの手のようなひのきしんをしたいと願ったすると不思議なことが次と起こってきた避難所などで使用できる一人用断熱シート本新品同様の家財道具や電化製品驚くほどたくさんの新品の日用雑貨食料品等被災した方が直ぐに必要とされるものを無料で提供してくださる方や支援活動への協力金を寄付してくださる方が現れたのだった私たちはそれらの支援物資を必要とされる被災者の方に届けるだけまさにまごの手のようなひのきしんができたのである心を決めて動けば神様が働いてくださる本当にありがたいなあと改めて実感した陽だまり語録陽気月号より著者転載
かさおか

『かさおか』第61巻 第10号

稲富士分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう布教推進講習会開催祭典後布教部田中隆之部長は月日祭典講話に替え安藤吉人先生前青年会本部委員長本愛大教会長を招いて布教推進講習会を開催先生は物事のめまぐるしく変化する現代においてその時代に合わせた様な方面からの布教をされている貴重な体験をお話しくだされた布教部溌剌はつらつとお話しくださる安藤先生昨年大教会長のお許しをいただき就任したが就任翌日表統領室に本愛の部内教会から離脱を申し出る書面が届いたとの連絡が入った私の大教会長としての勤めは事情を治めるところから始まった出鼻から色と悩まされたがコロナなどで時代が変化している時に今自分のできること思いつくことを精いっぱいやっていかないとお道はどんどん縮小してしまうと考えた本愛大教会では失敗も多くあるが思いつく限りのことを行うようにしているその中にの立ち上げがあるにはお道のお話を載せているが未信者の方からも問い合わせがあるそれにはすぐに応じるようにしている全てを通じての出会いだがこれは教祖が先回りして自分に必要なご縁を繋いでくださっていると思うこのところ緊急事態宣言が相次ぎ教会活動の縮小を余儀なくされている現状があるこのままだと教会はどうなってしまうのだろうと思うが最近はスマートフォンなどすぐに連絡を取り合える時代になっている東京の後輩と連絡をしているときに名古屋の友達ですごく悩んでいる人がいる話を聞いてあげてもらえないだろうかと依頼されたすぐに連絡をとりその男性に教会に来てもらったその男性は名古屋駅のツインタワーに居を構える年商億円の企業の社員で一人で億円稼ぐやり手の営業部長コロナなどの影響で会社を解雇されマイホームのローンが残っているさらに先月子どもが生まれたが内反足で歩けるようになる確率はだと医者から言われたその男性の肩に乗った荷物を一つずつ降ろしてもらえたらという思いで話を聞くうちに気持ちが楽になった自分はどうすればいいかと人に喜んでもらうことが徳積みになるから近所の掃き掃除を毎朝一緒にしようと提案した掃き掃除の徳積みを続ける中に内反足の子どもにおさづけをお取次ぎした数日後があり子どもの両足の手術が必要と言われていたが片足だけでよいと言われた神様ですかねありがたいとまたその後再就職も決まったようで次第に身上事情のご守護を頂いた私自身がコロナの状況下で教会活動をどうすればいいか悩んでいたがひとだすけに向き合ううちに自分の心が少しずつ晴れていくように感じた世間がコロナに非常に敏感だった年前の月日に他系統の先輩からコロナにかかったとがかかってきた聞くと親族から非難を浴び世間にばれたらどうしようこれからどうしようかと不安な気持ちでいっぱいとのこと私は先輩心配するのはやめましょう案じれば案じる理が回ると言うでしょう神様にもたれましょうと伝えた毎日連絡をして様子をうかがっていたがコロナに対する世間の目が厳しい折ということもあり先輩は私にコロナのことを誰にも言うなと度念を押したしかしその後ぷっつりと連絡が取れなくなったその先輩には大動脈解離の持病があったのでとても心配したがしばらくして連絡がありコロナが重症化して危ないところだったが一命をとりとめたとのことだったさらにか月後また連絡があり奇跡が起きた先輩の主治医の説明によると大動脈解離の手術でふさぐ予定にしていた箇所がコロナによってできた血栓によって奇跡的にふさがれている人間業ではないもう手術の必要はないとのこと安藤君神様はおるなあコロナになって何で自分だけバレたらどうしようと真っ暗いトンネルに入った気持ちになったしかし神様は不安のトンネルを抜けた先に思ってもみないような大きなご守護を下さることがあるこれまでコロナのことを誰にも言うなと言っていたが俺の話をどこででもしてくれ先輩はそう言ってくれたこの先輩を通じて人は鏡私自身の不安な気持ちを親神様が教えてくださっていた自分が教会長としてこれからどうやって行ったらいいかという不安な気持ちがあることに気づき不安に思うことはいらんなあと悟った親神様にもたれて目の前のできることを思いつく限りとにかく精一杯やっていけばいい失敗したら失敗したときに修正したらいいそんな思いにならせていただいた先ほどお話しした内反足の男の子歳半になり一歩二歩と歩き出した動画をお父さんが送ってくださった歩けるようになる望みがしかなかった子が歩けるようになりましたこれも神様のお陰ですありがとうございましたとその後人目の子おつとめ天理現物代のに豊生かかさすのご用守木護のに道恵まシれリるーたズめには回視聴共有保存報告天理教本愛大教会公式チャンネルチャンネル登録者数人どものおびや許しを頂きにおぢばにもで通ることが大切最後のおさしづに帰参して下さり大教会にも時参拝どうであろうこうであろうと困とあるして男の子は元気にうちの神殿を駆け難の中で皆心を合わせもう一度最後に案じることなく心勇んで回っているまた冒頭で話した部内十年何でも彼でもというはなか心ひとつで成ってくるということを教会離脱問題も信者宅を一軒一軒回くの精神その精神というは社会にまたお道の中に映していけるより解決の方向に向かっている神の自由受け取りたる精神何もうにお通り頂くことを皆様にお願いし本愛の部内会長の大半は歳を超え皆身上は成っても成らいでも案て講話に代えさせていただくておりねりあいでわしらはもう歳じてくれる事要らん篤と心を鎮以上要約副部長佐藤真孝やからという声も聞くが年齢ではめ皆心勇んでくれくないと思う何歳になってもよしやるぞという気持ちがなければ何事もうまくいかないのではないかケンタッキーフライドチキンの創始者カーネルサンダーさんは歳で創業された件断られ続けて件目にやっと店舗開店し歳で亡くなる時には全米に千店舗を構えるまでになった彼の言葉にできることをやろうやるなら最善を尽くせとあるつまり心一つということ心次第でいかようにもなるこのことは私たち信仰者にとって大切なことだと思うもうすぐ年祭活動に入るが教祖が私たちの勤めを何倍にも受け取ってくださるのが年祭活動心定めをしなければならないなどと心が苦しくなる方向に向かうのではなく年祭を楽しん高屋分教会創立周年記念祭が執り行われる天理教高屋分教会創立周年記念祭が土に大教会長ご夫妻前大教会長ご夫妻をお迎えして武内正美会長祭主のもとに執り行われましたコロナ禍の中人の参拝者が集いました参拝者の間隔を空けたり参拝場を複数箇所に分散したりなど出来る限りの新型コロナウイルス感染症感染防止対策を講じての開催となりましたまず大教会長様はご挨拶で高屋分教会の元一日である初代会長様の歩みを振り返られながら教会設立時に親神様と約束したことを末代かけて通らせていただくことが大切であると記念祭を迎える意義を丁寧にわかりやすくお話しくださいましたその後参拝者一同は喜び心いっぱいにおつとめをつとめました大教会長様のご挨拶高屋分教会創立百三十周年のスローガンおたすけの歩みをふたたび実践項目おつとめおたすけおぢばがえり祭典後は次の世代を担う若者たち有志による琴と尺八のコラボ演奏が披露されました会場内は邦楽の力強く美しい音色に包まれて記念祭を祝う心もさらに最高潮に達しました大教会長様からも演奏を聞いて涙が出ましたとお喜びのお言葉を頂戴しましたいつまでも拍手が鳴りやまず短い時間ながら工夫を凝らしたアトラクションとなりました最後に記念祭の御供え物をおたすけに使わせていただこうという合言葉のもとにおさがり抽選会がさらに高屋につながる信者さんのお店からの協賛品を含めた豪華賞品周年抽選会が行われました参拝された方は一喜一憂しながらも満面の笑顔の中で勇み心いっぱいに記念祭をつとめて一日を終了しました参拝者の声頂戴した記念品の中に紙に包まれたピカピカの五円玉がありましたこれからも御縁がありますようにとのメッセージと受け止めさせて頂きました一日も早い日常に戻りますことをお祈り致します記念祭に向けて大勢の皆様がご苦労され盛大に終わられてほっとされておられることでしょうお世話になりましたこれからの教会の益のご発展をお祈り致します記念祭後に送られてきた一通の手紙より九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の絶え間ない御守護により厳しい暑さも少し和らぎ耳にする虫の鳴き声に夏から秋への季節の移り変わりを感じながら結構に日を過ごさせて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は常に変わる事なく頂戴する親心と御守護に日夜お礼を申し上げると共にご恩報じの思いからたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下されたおつとめを勤める日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて九月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は月末に全教一斉にをいがけデーが開催されますまた本日は本愛大教会長安藤吉人先生にお越し頂き布教推進講習会を開催致します物事のめまぐるしく変化する現代においてその時代に合わせた様な方面からの布教をされている貴重なお話を聞かせて頂きこれを今後に活かしてこれまで以上ににをいがけおたすけに努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には親孝心一筋に御恩報じに邁進する皆の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護をお現し下さり世界中の人が親心に触れ一列兄弟の理に目覚めて御恩報じを実践する人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状へとお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年九月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者武内清明赤木素志賛者岡﨑治喜指図方上原志郎講話布教推進講習会十一月講話海外伝道講話区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半田中隆之田林久嗣中村義太郎大教会長様前会長様上原繁道大教会奥様前奥様田中ますみ吉岡誠一郎門脇元教吉岡壽内海史郎渡邉隆夫今川昌彦上原順子佐藤香苗今川佐智子岡田誠佐藤道孝谷内伸自上原繁次中島誠治今川昌彦虫明立生武内正美門脇加津田中つかさ岡﨑治喜山野弘実三島渉高木昭祥森本忠善赤木素志内海安子三島照美高木孝子岡﨑真一武内清明山田敏教上原志郎上原浩横山逸郎谷内美知子横山小智榮中村初美杉原善朗内海史郎淺野明教渡邉隆夫岡田誠三代温生笹尾一美上原千枝子室悦子秋季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共に笠岡の道の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊諸の神霊の前に会長上原明勇慎んで申し上げます祖霊様方には教祖を通して親神様の真実の御心とお働きとを知りかしものかりものの喜びと感謝の心からご思報じの道をお通り下さいました今日の結構な笠岡の道の姿があるのも祖霊様方が真実を尽くして下されたお陰と日は朝夕に御礼を申し上げると共にたすけ一条の上に努め励ませて頂いておりますその中にも本日は秋の霊祭を執り行う日柄でございますので御前に心づくしの種の物を供えて只今はおつとめ奉仕人一同親神様の御前にててをどりをつとめさせていただきました続いて祖霊様方の御前に座を移し在りし日を偲び御遺徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下さいまして祖霊様方にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年笠岡では次なる塚教祖百四十年祭に向かっておぢばがえりを主眼に置いて活動を推し進めそれぞれに人だすけのための勇んだおぢばがえりをさせて頂いておりますその中にもいよいよ来月十月二十六日には諭達第四号をご発布頂きます年祭に向けて笠岡一丸となって成人の旬たすけの旬たる三年千日活動を勇んでつとめ仕切っての成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒祖霊様方にはどんな中でも親孝心一筋でたすけ一条に邁進する皆の真実の状をご覧下さいましてより一層笠岡のたすけの道が延び広がりますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年秋季霊祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者横山逸郎淺野明教賛者上原繁次指図方上原繁道詰所かかららののおお願い詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ずご連絡ください部内教会信者に徹底願います区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半前会長様中島誠治山野弘実虫明立生岡田誠三代温生大教会長様岡﨑真一田中隆之武内清明上原志郎高木昭祥大教会奥様岡﨑和美前奥様吉岡八恵上原順子山野なつ上原浩岡﨑治喜淺野明教田林久嗣上原繁次森本忠善谷内伸自山田敏教三島渉杉原善朗吉岡誠一郎赤木素志森本冨美子岡﨑豊子武内正美田中つかさ横山小智榮上原千枝子大教会だより教会指令任命願出雲分教会前任鳥谷秀夫新任高島哲雄奉告祭承認第九七三期修養科教養掛主主任副副主任一ヶ月目主佐藤真孝大教会准役員芳井分教会長副三阪泰人福岩分教会長二ヶ月目主門脇元教大教会役員高島哲雄氏島根分教会長副瀬藤友昭大惠山分教会長三ヶ月目主中島誠治大教会役員鶴山分教会長副三代信行米美分教会長修了者照陽吉岡稜真立教年秋季大祭参拝は月福山大教会長様髙屋岡﨑真一神邉中島誠治島根上原繁道久松佐藤道孝鶴山上原繁道弥髙山大教会長様陽備武内正美摩耶大教会長様金浦大教会長様興明武内正美ひろさと上原繁道陶山田中隆之芳井大教会長様海松ヶ岡上原志郎東悠佐藤道孝吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備神免前会長様中島誠治佐藤道孝上原繁道門脇元教上原繁道岡﨑真一上原志郎上原志郎岡﨑真一岡﨑真一中島誠治田中隆之中島誠治上原繁道上原繁道岡﨑真一田中隆之前会長様去る月日の明け方時前少し身体に異変を覚え熱を計ると度の発熱やばいこれはコロナかもその日は時には仕事に出る日ですぐ仕事先に連絡し休む旨了解を貰い夜明けを待って発熱外来を受診その時点では熱は平熱に下がっていましたがその日の午後で新型コロナウイルスに感染しておられます保健所の指示に従って下さいとの連絡アララその日から日間部屋から出してもらえず缶詰め状態でした幸い家族は感染しておらず仕事先も皆陰性だとの連絡を受けホッとしました月初めの月次祭も皆様方に参拝をご遠慮頂き家族のみで勤めさせて頂きましたここ年参拝を自粛して頂き家族だけでの月次祭は回目になりますが今後どうなりますやらそれにしても全く部屋から出られない日は大変ストレスとなりますね殊にほとんど無症状だっただけに日目に仕事に出た時は兎に角元気で働けることに動ける事に嬉しい気持ちになりました間もなく教祖年祭に向けての諭達が御発布されますそれぞれの立場で嬉しい嬉しい年祭活動にしたいものですねと無理矢理結びました教祖年祭本部巡教日時巡教員対象者服装月日月午後時本部員井筒梅夫先生大教会おつとめ奉仕人教会長夫妻布教所長対象者は万障繰り合せてご参加ください大教会役員承事以上羽織袴男性ハッピネクタイ女性これに準じた服装なお月月次祭後の祭典講話はありません教祖年祭の検索結果件教祖年祭活動に向け教会未来プロジェクト始動神崎大教会神ェク崎ト大教を会立ち藤上原げ親た蔵会は教祖年祭活動の取り組みとしてこのほど教会未来プロジ大こ前教れに会はいたます教みけ会ち委の員とと会しもがてす企立画べ教きしこたとも年のを月踏号ま掲え載の部内両教統会領イがン教タ祖ビュー年祭教活祖動百を四勤十め年て祭い三け年る千よ日うを人そしよがのう参第と加意し歩見とを事し交前てわにし配た布したのね大り教あ会いシ次ー祭トのを後もにと教に会教夫会妻のを現対状象をと見しつ神ため崎ね大り年教あ祭会い活を動中実へ村施の社糧友に動画教祖年祭に向かって埼玉教区創立周年記念大会年月日教祖年祭活動に向けスローガンお願いづとめ喜びおたすけ委員会決北海道教区北この海道たび教区す奥べ村て尚喜び教区すべてでおはたす管け内教北会海が道一教手区一つのにス教ロ祖ーガン年祭を活掲げ動たを推進するうえから教バ中内のも祖ッ教ジ喜年友び祭がを活ひす動種なべの類がて要作た人は成をだし胸す教にけ祖全にの教共歩ひ会まなににれが配年たた布祭し活を年た動常をにで進心あめにるよ置うく今とこ回いとうでスもあロのりーガ北スひン海ロなを道ーが掲教ガたげ区ンとたが意は加表図地記はど代さの表れ教よ社た区う友管缶な
かさおか

『かさおか』第61巻 第9号

稲瀬分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう学生生徒修養会高校の部年ぶりに開催月日から日まで親里で学生生徒修養会高校の部が開催され笠岡からは人が受講した学生らは泊日の日程でレクチャーやお願いづとめなどを通してテーマである感謝の心を仲間と共に学んだ尚受講生とスタッフは以下のとおり受講生田中千洋福山今川楓今川七里金浦猪原美紀門司港スタッフ田中舞福山武内ゆり高屋学生担当委員長上原繁次陽だまりグレープジュースビエンブドウ畑の間の小道を駆けて行くと時折海から吹く風の中に潮の匂いと饐えたようなブドウの匂いが混じっていたラジオ体操のカードにハ書いてあったンコを押してもらうとすぐいつものボクは胸をときめかせながら色を愛木をチェックしに行くのがボクたちので香りを嗅ぎ一口飲んだその途日課だった運が良ければそこでカ端何じゃこりゃと友人には悪ブトやクワガタを捕まえることができいが失笑してしまったのであるたのだそれはかつてボクたちから飽きら昭和四十年ごろボクたちの故郷でれ疎まれ天然酵母菌と密かに深い栽培されていたブドウは主にキャン仲となり冷蔵庫の片隅でブクブクとベルアーリーという品種のブドウでアルコール発酵していたあのキャン噛むと少種の回りが酸っぱいが素ベルのジュースとそっくりだったの朴で爽やかな香りと程よい甘みを持っであるしかしもう一口飲むと芳香た黒いブドウだった暑い夏の盛りと優しい甘さが口中に広がった世の我が家では生産者が出荷するために中には余りにも身近にあり過ぎてその摘み落とした粒を分けてもらい大き値打ちに気づかず低く評価されていな鍋で煮込み濾した後砂糖を加える物がたくさんあるんだろうなあとて冷やすという本格的な濃縮ジュース思いながらまた一口飲むとあの潮風を作っていたいいなあと思わとブドウの匂いと共に夏の思い出がよれる方がいるかもしれないが夏にはみがえってきた麦茶かそれしか飲ませてもらえなかったために飽いてしまい冷蔵庫のドアポケットにいつまでも残っていた大人になり友人からお中元が送られてきたきれいなラベルが貼られた濃縮タイプのグレープジュースだった高原の清冽な気候に育てられた爽やかで芳醇なフレッシュジュースです良く冷やしてお召し上がり下さいとブログ版陽だまり語録をご覧になりたい場合はスマホやパソコン等で陽だまり語録と検索されるか下記アドレスをしてください詰詰所所かからののおお願願いい詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ずご連絡ください部内教会信者に徹底願います学担当委員上原繁次以上宜しくお願いいたします学がそれぞれの教会のになれるよう会活動を進めて笠岡の学だけが教会に集まって開催する事は少なくとも年は開催していませんですので今回の事は未知の領域ですポスターの教会様と共に新しい歩を踏み出したいと思いますので会様からも動員の声かけ宜しくお願いいたします当日は動きやすい服装と運動靴でお越こし下さい屋外の時間も有親管内校は参加できません許可が取れないため笠岡学担当委員会より開催の笠岡学会のについてのお願いと補をさせて頂きます八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしを楽しみに天然自然のお働きを通して絶え間なく御守護を下さっているばかりで無く常に親心をおかけ下され陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日の生活の中で常に親心と御守護を感じ日夜お礼を申し上げると共にご恩報じを念じてたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てたるおつとめを勤める日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて八月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに残暑厳しき中も厭わず寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年の夏はコロナ感染者がこれまでになく増加している中おぢばで夏休みこどもひのきしん鼓笛オンパレード学生生徒修養会高校の部等の様な行事が開催されました笠岡としてもそれら行事に参加させて頂く事でわずかながらもおぢばを賑やかにさせて頂けたのではと喜ばせて頂いておりますただその反面参加者の中からコロナ陽性者が出たり予定していた行事の開催を断念せざるを得なくなったりと厳しい姿もお見せ頂いておりますこれらも全てたすけてやりたい陽気ぐらしをさせてやりたいとの親心からお見せ頂く姿だと信じ凭れきってコロナを言い訳にせずなお一層成人の歩みを推し進めるべく努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には厳しい状況をものともせず親孝心一筋にたすけ一条のご用に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上により一層の御守護を賜り世界中の人が親心に触れ一列兄弟の理に目覚めて互いに欲を忘れ助け合って陽気ぐらしが味わえるようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますまいります立教百八十五年八月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者横山逸郎渡邉隆夫賛者上原繁次指図方門脇元教講話なし十月講話世話人先生区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半谷内伸自上原浩今川昌彦森本忠善吉岡誠一郎横山逸郎杉原善朗渡邉隆夫岡﨑治喜大教会長様門脇元教田中隆之上原繁道今川昌彦三島渉吉岡壽山野弘実森本忠善田中ますみ門脇加津武内正美今川佐智子横山小智榮吉岡八恵上原順子室悦子田中つかさ淺野明教佐藤真孝上原繁次武内清明淺野明教山田敏教佐藤道孝中村道德三代温生中村剛虫明立生杉原善朗吉岡誠一郎高木昭祥内海史郎上原浩田中隆之岡田誠岡﨑豊子谷内美知子中村初美武内正美山野なつ高木孝子門脇加津笹尾一美三島照美ている東京にモスクコーヒーというトルココーヒー専門店がある東京ジャーミーというイスラム教の聖堂横にキッチンカーで出店していたが今は下北沢に移転した店主は日本人であるおよそ年前コーヒーの始まりはジェズヴェまたはイブリックという小さな鍋で細挽きのコーヒー豆を煮出して飲んでいたようでトルココーヒーはユネスコ無形文化遺産と言われトルコには他人に親切にせよという意味で杯のコーヒーにも年の思い出という諺があるトルコ語でにはかなり大きな数という意味があり年の思い出とは長年の思い出ということになるつまり他人に杯のコーヒーをご馳走するだけでその親切をなにかにつけて思い出してもらえるものだという教えになる私も縁あってトルココーヒーの世界を楽しんでいる一人ヨネスケのとなりの晩ごはんでは無くユネスコなんたらであるほ
かさおか

『かさおか』第61巻 第8号

稲倉分教会平成年月日神殿建築奉告祭本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せようこかん様に続く会開催笠岡女子青年山野奈委員長は月日でこかん様に続く会を開催女子青年人担当者人の計人が参加した支部長様からのお話では絵本世界はつの生命からはじまったの内容を基にして元の理についてわかりやすく教えていただきましたその中で朝起き正直働きを守って毎日を健康に過ごし自分に与えられた女子青年支部長様のお話の振り返り役割を全うする細胞のように自分にできることを人のためにという気持ちで行動することが陽気ぐらしにつながるのだとお聞かせくださいましたお話の後には振り返りとゲームを行い笑いの絶えない楽しい時間を過ごすことができましたまた担当の奥様方が豪華なお弁当を作って下さり各自持ち帰っておいしくいただきました今回は午前中のみの開催となりましたがたくさんの方が参加してくださり充実した会にすることができまし支部長様を囲んでギャルピース延長タイブレークを制し笑顔のナインた支部長様をはじめ担当の奥様方声をかけてくださった方参加してくださった会員さん本当にありがとうございました女子青年副委員長岡﨑真実笠岡ワールドブラザーズ全教野球大会出場権獲得笠岡ワールドブラザーズ福島大介監督は月日全教野球大会岡山予選に臨み笠岡市営球場で支部合同チームと試合を行ったゲームは序盤こそ点を取り合ったが両チーム好プレーが続き回以降は対のままスコアが動かずついには延長タイブレークにもつれたタイブレークで点を取られるものの繋ぎの野球で点を取り返しサヨナラ勝ちを収めたこれにより笠岡ワールドブラザーズは全教野球大会の出場権を獲得した笠岡上原繁次試合前でもリラックス人で掴んだ優秀演技賞むつみ鼓笛隊金賞受賞夏休み期間中の土日おぢばでは特別企画鼓笛御供演奏オンパレードが開催され笠岡むつみ鼓笛隊責任者上原繁次は月日に御供演奏とオンパレードに出演した過去年間こどもおぢばがえりの中止に伴い夏の鼓笛行事も中止となっていた事から年振りの出演となった同隊では行事中止により出演できなかった卒業生の分も頑張ろうを合言葉に月より練習に励んできた当日は朝から大変暑い日となったが御供演奏ではテーマソングありがとう夏のおぢばを他の隊と供に心を合わせて演奏演技したその後のオンパレードでは幾度となく練習を積み重ねてきたをおぢばの空に響かせた結果見事に金賞を掴み取り隊員スタッフらは喜びの涙に包まれたまたポンポンの部では小学校年生人だけだったにも関わらず優秀演技賞を受賞するという快挙を達成した笠岡むつみ鼓笛隊責任者上原繁次年振りの集合写真みんなの思いを乗せての演奏演技大教会だより人事付印は本部からまたは過日に発令印は辞令はない会長室室長上原愛美室員上原志郎岡﨑真一今川昌彦上原喜三接待掛主任岡﨑和美掛員門脇加津吉岡八恵山野なつ田中つかさ上原千枝子今川直子森本ひふみ桑田恵美子神事部部長副部長部員岡﨑真一今川昌彦上原志郎上原浩田林久嗣高木昭祥岡﨑輝彦淺野明教内海史郎今川佐智子上原順子谷内秀自岡本善一西村靖彦雜賀元生雅鶯会楽長副楽長相談役楽員田中隆之山野弘実北川治史中島誠治森本忠善武内清明虫明立生岡﨑治喜森本実谷内秀自中村剛史藤井正仁藤井保人枝廣隆文掛谷宣和矢田哲一猪原啓介三代幸徳森川道弘三代拓己高橋徳行仙田勉仙田公男余村元渡邉泰造髙田一弘渡邉孝信田中正之森本孝志藤井成人原正彦北川茂久会計部部長部員佐藤道孝上原志郎今川昌彦武内清明庶務部部長副部長上原繁道岡﨑真一今川昌彦部員山野弘実武内清明岡﨑治喜藤井正仁枝廣隆文吉岡貞彦藤本芳久三代信行渡邉泰造髙田一弘友井道弘友井正人名簿諸統計担当岡﨑真一今川昌彦武内清明友井道弘事情願書担当上原繁道枝廣隆文三代信行渡邉泰造法人実務担当上原繁道山野弘実岡﨑治喜藤井正仁デジタル推進担当山野弘実藤本芳久髙田一弘岡﨑邦夫布教部部長副部長部員田中隆之虫明立生佐藤真孝山野弘実田林久嗣高木昭祥渡邉隆夫室悦子武内清和西迫宏哉鳥井利昭福島大介北川治史瀬藤友昭三代幸徳高橋徳行渡邉泰造藤本知加子海外部部長上原志郎副部長部員吉岡誠一郎佐藤真孝上原順子上原千枝子北川壯一三代幸徳津森朋之武内敬教宮本正明鳥井悠加丸山隼人史料部部長部員門脇元教上原繁道中村道德山野弘実虫明立生山田敏教淺野明教上原繁次三代温生上原喜三藤井正仁吉岡輝昭藤本芳久津森朋之友井道弘大月道昭笠岡の道編纂委員会委員上原繁道門脇元教山野弘実上原繁次岡﨑治喜管理部部長副部長部員虫明立生上原一始藤井正仁門脇元教今川昌彦山野弘実横山逸郎森本忠善中村義太郎赤木素志上原繁次岡﨑治喜武内清和中村剛史藤本晴司藤井保人掛谷善成掛谷宣和矢田哲一三嶋正教北川治史藤本芳久雜賀元生渡邉泰造丸山正人北川茂久防災危険物ボイラー佐藤道孝上原志郎岡﨑治喜上原一始電気管理責任者桑田則昭車両管理今川昌彦上原一始信者部部長副部長部員上原愛美今川佐智子上原順子岡﨑和美上原千枝子上原一始中村理恵上原美可育成掛主任掛員武内正美上原繁道吉岡壽佐藤道孝門脇元教中村剛田中隆之中島誠治谷内伸自杉原博之三島渉横山逸郎森本忠善高木昭祥山田敏教赤木素志渡邉隆夫岡田誠内海安子門脇加津室悦子詰所掛主任副主任掛員上原理一上原澄雄上原きよの上原喜三編集掛主任山野弘実副主任虫明立生掛員岡﨑真一内海史郎上原繁次上原喜三藤井治喜吉岡輝昭瀬藤友昭本多正悟余村元村川久美子香取雅人時宗一実友井道弘教養掛主任副主任掛員中島誠治門脇元教武内正美田中隆之吉岡誠一郎山野弘実森本忠善田林久嗣中村剛史婦人会支部長常任委員上原きよの武内正美上原愛美上原順子岡﨑豊子門脇加津岡﨑和美吉岡八恵山野なつ田中つかさ中村理恵青年会委員長副委員長委員上原明勇岡﨑治喜中村剛史三代幸徳上原喜三上原一始余村元田中正之重政理治森本直彦森本信彦中村元彦坂井幸生高木弘毅藤井成人枝廣正寛三嶋文昭瀬藤大喜丸山優樹丸山隼人河田裕也岡秀明高信雄也少年会団長副団長委員森本忠善淺野明教藤井保人吉岡誠一郎岡﨑治喜谷内秀自中村剛史掛谷宣和三嶋正教吉岡貞彦猪原啓介雜賀元生三代拓己秀平元一上原宏恵佐藤和代藤本久美武内まさみ瀬藤三幸丸山哲子丸山智旬山田英嗣学生担当委員会委員長上原繁次副委員長佐藤真孝杉原善朗髙田一弘委員淺野明教岡﨑治喜上原喜三上原一始藤本晴司貞清知実森川道弘本多正悟下田誠輝武内ゆり藤井成人掛谷喜代子北川茂久第九七二期修養科一期講師久松中村剛史七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には一れつ子どもの陽気ぐらしを楽しみに一人ひとりに身体をお貸し下さるばかりでなく子ども可愛い親心を十分にお掛け下され天然自然のお働きを通して陽気ぐらしが出来るようにと日夜変わる事なく御守護下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はこのお借りしている身体を結構に使わせて頂ける事を朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じの心でたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はお許し戴いた七月の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には暑さ厳しき中をも厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて子ども達の中には早くも夏休みを迎えている子もいるようです今年の夏休みはコロナ感染者が増加傾向にある中ですので感染対策をしっかりとした上で夏休みこどもひのきしんや笠岡団としての夏休みこどもおぢばがえりまた久しぶりに開催される学生生徒修養会高校の部などが行われますこれらの行事を通して道の子ども達に信仰の喜びを伝える事ができるようにまず親が率先して範を示せるようにつとめ励ませて頂く所存でございます何卒親神様には旬の理を生かし只ひたすらに成人の道を歩む皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り親の背を見て育つ子ども達がよふぼくとなり共にたすけ一条の歩みを進めてくれる子に育つようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年七月月次祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者上原浩内海史郎賛者杉原善朗指図方上原繁道講話武内清明九月講話上原志郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝谷内伸自虫明立生今川昌彦山野弘実淺野明教高木昭祥岡田誠大教会長様田中隆之岡﨑真一前会長様上原浩中村道德上原繁道武内清明吉岡誠一郎大教会奥様武内正美谷内美知子前奥様吉岡八恵中村初美田中ますみ山野なつ岡﨑和美今川昌彦杉原善朗岡﨑治喜中島誠治赤木素志渡邉隆夫上原志郎虫明立生山田敏教中村剛山野弘実上原繁次三島渉吉岡誠一郎三代温生中村義太郎内海史郎佐藤真孝上原順子内海安子森本冨美子今川佐智子岡﨑豊子室悦子門脇加津三島照美上原千枝子陽だまりまんじゅしゃげ曼殊沙華ビエン秋の蒜山高原に行ってきた蒜山は難読な地名の一つだろうしかし年に姫路で開催された第回グランプリでひるぜん焼きそばが金賞に輝き一躍有名になったーグランプリはご当地グルメでまちひょうぼうおこしの祭典を標榜しているしたがって知名度が高まり観光客が増えることは本来の目的にも適いとてもよいことだと思うところが私は最近までこの大会を級グルメの日本一を決める商業主義的イベントのようなものと誤解しており恥ずかしい限りであるだからというわけではないがひるぜん焼きそのぼりばの幟を発見して迷わずに道沿いの食堂に入った店の人の応対もよく濃厚味噌だれでやや太麺の焼きそばは期待通りの美味しさだった帰路まんじゅしゃげ曼珠沙華とも呼ばれる彼岸花の群生があちこちに見られ秋の景色を一段と引き立てていただが蒜山では余りその姿を見かけなかったまあしびとばな死人花とも呼ばれ有毒な彼岸花はモグラやねずみなどの侵入を防ぎ畦を守ってくれるため人間にとっては有益であるが牛や馬にとっては余り嬉しいものではないようだ特に彼岸花の球根にはリコリンという毒が多く含まれ誤って食べると大変なことになるしかしすりおろして何日も流水にさらして毒抜きをすると良質なでんぷんが取れ飢饉の時の非常食として多くの人の命をつないできた花でもあるつなぐということは切れかかっているものを引き止めておくことも意味するだから決して安易な気持ちでできるものではない私達は陽気いのちぐらしにむけて生命のバトンを親から子子から孫へとつないでいるだからこそ親神様から貸していただいていいのちる身体に感謝し生命を大切にしなければならないのであるさてこの陽だまり語録が今回で百回目を数える連載を始めた頃は年も続けば良いと思っていたしかしがんばり過ぎずにがんばるをスタンスにしてここまで続けてこられたのはたくさんの方の暖かい応援のお陰であるこれからもボチボチとつないでいく次第だが百回目のお祝いさげはまんず酒かな陽だまり語録より著者転載ブログ版陽だまり語録をご覧になりたい場合はスマホやパソコン等で陽だまり語録と検索されるか下記アドレスを入力してください月から毎週一回夕づとめ後代の未信仰男性がお話を聞きに教会に足を運んで下さっているその男性は仕事での事情から信者さんに勧められ来られるようになった最初は本人の心の内を聞かせていただいた後かしものかりものの理などお取次ぎさせていただいたものの教会長となって年目の未熟な私はどの様にこれから教理をお伝えすればよいのか悩んでいた月の中頃初席者をお連れする車内で信者さんにおつとめをお教えしてみてはとアドバイスいただいた真っ先に人間思案が出てきた今まで順調にお話を聞いていただいたもののおつとめとなると一歩ひいてしまわれるのではないだろうかしかしこのタイミングでアドバイスいただいたのも神様だと思い直し早速おつとめの練習をさせていただこうと決めたおつとめの練習を始めてからある日第二節の練習の途中で信者さんが参拝に来られたさんは毎月欠かさず参拝下さる方であるがその日はなんだか勇めないまま教会に参拝に来たとの事だった夕づとめ後だったのでもう教会は暗くなっているだろうかと思って参拝に来たら夕づとめは終わったはずの時間にまだおつとめの声が聞こえる会長と見ず知らずの男性がおつとめの練習をしていたさんにとってその光景だけでものすごく勇ませていただいたと満面の笑顔で帰って行かれたまさに神様のお働きだと思わずにはおれなかった毎週一回の分程度の未信仰男性への教理のお取次ぎさんからのアドバイスのタイミングさんの月に一回の参拝のタイミングこれらが一つずれてもかなわなかった奇跡の勇みを体験させていただいたよ
かさおか

『かさおか』第61巻 第7号

真金分教会大正年月日豊松村宣教所設立昭和年月日移転改称本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう少年会縦の伝道講習会開催内統領先生のお話コロナ禍における活動について祭典講話に替えて人は何かが起こると誰かのせいにしたり責任を追及したり少年会武内正美団長は月月次という考え方に陥りがちだが祭の祭典講話にかえて少年会本部委員西正一郎先生を講師に縦の伝道講習会を開催した先生はさんさいやリトマガを編集する出版部の御用のほか災害救援ひのきしん隊の主事をつとめられております道の信仰者はすべては親神様のお導きなんだという思いを持ってつらい思いをしている人を受けとめてあげるような大きな心にならせていただきたい今回のふしをチャンスと受けめこれまで気づけなかったことに気づかせてもらい一人お話しの中で縦の伝道の大切さこどもひのきしんから始まるこひとりの感覚をやさしさへと変えていけばそしてやさしい心を伝える努力を心掛ければどもおぢばがえりの歴史と現状育あとは親神様が補ってくださ成会員のつとめなどについておさしづや真柱様お言葉などを引用されながらこども達にはひのきしんの喜びおぢばがえりの喜びこの道を歩むるこれしか出来ないではなくこれが出来るといま出来ることを喜ぶのがお道の考えではないか喜びというつの喜びを感じてほしいそして育成者には先を楽しみにやさしい心で道のこども達を育てさせて頂きたいと話を結ばれました以下先生が引用されたおさしづ真柱様お言葉などです二代真柱様縦の伝道についてよのもと会は横の布教のうえにしっかりと手をつなぎ合っていただきたいいちれつ会なり少年会なりは縦の伝道のうえにしっかりと杖となり柱となっていただきたいそして各自おや達は自分の乳を含ましたこどもに乳と一緒に自分の喜びを伝えてやっていただきたい皆さん方の中には親の信仰に反対しないまでもついて来ないこどもをお持ちの方があるだろう世界へ出てしまって帰って来られなくなったこどもをお持ちの方もあるだろう長男だから教会で世話をする次男だから勝手にしろという時代もあったしかしながら幾人のこどもを与えていただこうとおやの喜びをこどもに伝えることそれは最も肝心なことでありながら難しいこととされているしかし難しいからといって放っておくわけにはいきません中略横の布教の忙しさに紛れて縦の伝道を怠っていなかったか子から孫へ伝わる血の流れのようにおやの喜びはこどもの喜びでありこどもの喜びは孫の喜びであるというようにこの道は続いておってこそ道と言えると申したい逸話篇間違いのないようにどのようにして信仰を伝えるか間違いのないように通りなさい間違いさえなければ末は何程結構になるや知れないで間違いのないように通るには地図や先導者が必要この地図にあたるものが教祖のひながたであり先導者にあたるものは育成者おさしづ信仰の元一日を忘れない神の自由して見せてもその時だけは覚えて居るなれど一日経つ十日経つ三十日経てばころっと忘れて了う小さい時に身につけたものは一生の土台になる上原佐助小人出物の障りに付願もう道というは小さい時から心写さにゃならんおぢばは親里運ぶ者も満足受雅鶯会け取る者も満足小さな運びも大雅楽講習会開催きく受け取って下さるそして満足の理から芽が吹くこれがおやの思召雅鶯会田中隆之楽長はコロナ禍この所は親里をやとは深き理の影響で中止を余儀なくされていた雅深き理なら心の理を運ばねばな楽講習会を月日大教会で開催講らん口で説いてばかりではを師人会員人が参加したやの理とは言わん一時の理を午前時開講昼食をはさみ午後以て些かの処運んでくれる処は十分に受け取る日に尽す処運ぶ処年という中略いかなる者も出て来る出て来たなれば暑ければ暑かろう寒ければ寒かろうと満足さすがをやの理満足すれば一所やない世界に映る不足で行くくすれば理が消えて了う何処までも皆満足集まって道と言うこれだけ一寸話して置こう満足十分さしてやってくれにゃならん満足の理から芽が吹くでこれをよく聞き分けてくれ時まで各管に分かれて練習その後合奏を行い午後時閉講した夕づとめ後感染症対策を徹底したうえで親睦会を行った今回は一日のみの講習会だったが講師の熱意あふれる指導のもと受講した会員も終始真剣に練習に取り組み充実したものとなった雅鶯会員山野弘実前列左から滝川先生篳篥浪速分眞心分田中楽長住田先生龍笛名東大賀竹分森川先生鳳笙笠岡大弓ヶ濱分詰詰所所かかららののおお願願いい詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ずご連絡ください笠岡の道編纂委員会史跡探訪実施笠岡の道編纂会議は毎月日に開催しているが大阪上原家備佐時代の史跡を訪ねてみるという事で月日実施した思えば大教会史は出来上がってはいるが史跡を訪ねたのは筆者のみしかも私費で行ったので今回大教会の公費でしかも若手気鋭の編纂者人大教会長さんとのコンビで行えたのはまことに前代未聞の事であったそれだけ笠岡の人にはあまり上原家の成り立ち歴史を知る心持ちが薄いという事なのかそれとも今更初代様佐吉様がどんな暮らしをどこでしておられたのかエエヤないかという事なのか今回千載一遇のチャンスと笠岡を日朝時半出発した他の編纂委員大教会長さんはおぢばという事で編纂委員最古参の私と写真動画記録担当の者と人眠い目をこすりながら早朝時分からの神殿掃除時からの朝づとめ出させて頂いた午後時過ぎやっと大教会長さんが車に乗って下さり天理を出発時過ぎ長堀の地下史料部駐車場に車を預けて地上に出るかん移転縮小した西店はこのあたりですかん照りの中長堀中橋の碑を探す言うなりあちこち写真ビデオ取りに歩あった年程前と同じ所に同じ格き回る元気やな年程前の僕みたい好でこの中橋の北詰に佐吉先生がやとサングラスで隠した目でその姿有余年勤められた備嘉の店があり南を追うじゃ新町の西店に行きま詰に佐吉先生は暖簾分けで家屋敷を備ひょかとまたてくてくと歩き始める嘉から戴き畳表の商売を始められた分ほどしてはいここです国まこのビルが本店とすると明治勢調査員のファイルに挟んだメモをみの初め頃には中橋南詰一帯に数十棟ながら記録写真記録ビデオこのの倉庫が在ったという事なんや最古あたりは西区でここの警察署に島村伊参が遠くを見るような目つきで話す助先生は務めておられた備佐の西店其の後鰻谷筋を西に歩き心斎橋筋左を知っていたと笠岡に来られて仰っに折れて南へ雑踏をかき分ける様に進たと最古参が話すふと橫を眺めるむソフトクリームコーヒーカップ片とネムノキがあってピンクと白の手の若い人ばっかり新進気鋭の編纂可愛い花がしっかりと咲いている芳者達も歳年取って見えるハイこ井の教会から美星に上がるの谷筋にのあたりが佐吉先生が住まわれていたようけいあるんやでと余分な蘊蓄も隠居所です時間節約のために写真語る大分バテテいるみたいふと時記録員は何故か国勢調査員と書いたフ計を見ると時を廻っている大教ァイルに挟んだメモ用紙を眺めながら会長さんが時までに天理にと言って言うなりビデオカメラで忙しくあちおられるのでそろそろ長堀の本店跡にこちからその角地を撮影するそれ帰らんといけんなという事で帰路にでは次ぎに新町の西店破産を前に規着いたのはよかったけど田舎者で模縮小して移転した西店のあたりを見大阪に住んでいたという人も土地勘がに行きましょうこの時点で最古参はにぶっていたのか道に迷って長堀中暑さと人いきれ睡眠不足でなんとな橋に皆ぐったりとして帰り着いた誰くダルダル長堀通りまで北上して一言うとなくワイらの記念撮影という事路西へまず公園に名前忘れ到着で中橋の年前と変わらぬ碑を中心に一枚パチリほんじゃ今日はここまでとしよう難波まで天理帰りは歩くそれとも地下鉄で行く難波天理の団参券は渡しておいたのですが笠岡帰りは地下駐車場にもぐって乗車帰ってきました大教会長さんはじめ数人の方に笠岡の歴史の最初をチョボッと覗いて貰ってよかったです笠岡の道編纂委員また元史編纂委員大教会史執筆者上原繁道中橋跡と備佐のあった場所六月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護により木の緑が色濃くなる時期となりじわじわと高まる気温と湿度に夏の訪れを感じながら日結構に恙なく暮らさせて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はかしものかりものの喜び感謝の心一杯に朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じの心でたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は理のお許しを戴いた月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同心を一つに睦び合わせて明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて六月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年も夏のこどもおぢばがえりの季節が近づいてまいりました残念ながら今年もこどもおぢばがえり自体は開催されませんが夏休みこどもひのきしんやみちのこサマーステージ鼓笛お供え演奏鼓笛オンパレードなど様な行事が夏のおぢばにて計画されておりますおぢばで開催されるこれらの行事をしっかりと活用し道の子ども達に信仰の喜びを伝える事ができるようにつとめ励ませて頂く所存でございます何卒親神様には陽気ぐらしを目指して道の後継者の育成に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜り一列兄弟が助け合い睦び合う陽気ずくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年六月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者虫明立生淺野明教賛者岡﨑治喜指図方田中隆之講話吉岡壽八月講話布教推進講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝中島誠治今川昌彦三島渉山野弘実森本忠善三代温生岡﨑治喜杉原善朗大教会長様上原志郎門脇元教前会長様谷内伸自吉岡誠一郎上原繁道横山逸郎虫明立生大教会奥様谷内美知子門脇加津前奥様岡﨑和美室悦子田中ますみ田中つかさ吉岡八恵上原浩上原繁次佐藤真孝杉原博之山田敏教内海史郎中村剛高木昭祥岡田誠田中隆之中村道德上原繁次吉岡壽三代温生淺野明教中村義太郎武内清明赤木素志武内正美岡﨑豊子横山小智榮上原順子笹尾一美上原千枝子今川佐智子中村初美山野なつ修養科生の声心の向きを変える為に海松ヶ岡分教会池田靖和月日に教会本部修養科第期を修了させていただきました修養科志願にあたりヶ月やっていけるのか不安でしたが一期講師の先生教養の先生クラスメイト詰所内の皆さん同室の人のおかげで充実した日を過ごすことが出来ました言うまでもなく親神様教祖の回廊ホジック御守護がありお連れ通りいただけたもに参拝させて頂き別の日には夕勤後のと思いますの教祖殿での御手直しにも行き貴重教典教祖伝の講義では各章ごとな体験でしたにわかりやすく細かく解説してくださ教祖誕生殿や大和神社三昧田の教りいままでよりも理解が深まったと会にも連れて行って下さりありがと思っていますみかぐらうたの講義でうございましたは各下りのテーマ首ごとの意味このヶ月の経験習ったことを無又使われている大和言葉の意味を教駄にしないように心の向きをおぢばえて頂きました大和言葉が解るとに向けて日を通らせていただけたらお歌の解釈がしやすくなったように思と思いますいますまた希望者のみですが私は布教註回廊ホジックとは薄いカー部社会福祉課の手話講習を受講させてドのようなもので回廊の板の隙間いただきました短い時間でしたのでのほこりをかき出して集めること基礎部分を少しだけ教えていただけただけでしたがなかなかに難しいものでしたようぼくの歩定時特別ひのきしんでは本部浴海松ヶ岡分教会藤原優人場清掃神殿トイレ清掃回廊拭き回私が修養科を一文字で表すとしたら廊ホジック註西地下清掃とい学です理由はいろんな事を学ろいろなことをさせていただきましばしてもらったからですた個人的には回廊ホジックが楽し月日に笠岡詰所に着き月くて時間が経つのが早かったです日に修養科に入りました詰所に着い修養科生の特権である朝夕の神殿掃た日から日がとても長く感じ早く除では東礼拝場の畳の掃除機掛け担修養科が始まってほしいと思いまし当でした広い上に時間も限られてたいるのでなかなか大変でしたそして修養科が始まり教典教祖月日にははえでのおつとめ伝みかぐらうたおてふりホームルームねりあいの授業をしましたねりあいでは教典教祖伝で疑問をグループ内で話したり教祖伝逸話篇や教祖伝の中の出来事を今まで自身に起きた事と照らし合わせて修了後どのようにしていくかを話しました鳴り物の練習の授業では太鼓ちゃんぽん拍子木すりがね小鼓の正しい打ち方を教わりました私が一番苦労したのは朝の神殿掃除です最初は出発が時ぐらいだったのが日出が早くなり最後には時に出発という風になりました私は朝が苦手で日に時間が早くなっていき起きるのに苦労しました逆に楽しかった事は第一食堂のひのきしんです食堂ひのきしんではモロ蓋を拭いたり食洗機から流れきたお皿を仕分けして乾燥機の中に入れる作業をしました最初は熱くてあまりできませんでしたが次第に慣れていき勤務の方と同じような速さでできるようになりましたまた同じひのきしんに当たっている人と仲良くなり一緒にご飯を食べに行く事もありました修養科の最中にいろんな方から差し入れをたくさんもらったりクラスごとのひのきしんも楽しかったですそして月日におさづけを拝戴させて頂きましたこれも担任の先生方教養の先生方のおかげです修養科を修了してようぼくになった今一日一日ひのきしんをし教会の朝づとめをつとめ親神様のご守護のありがたさを思い勇んで通りたいと思います最後になりましたが修養科で応援して下さった方詰所の先生方誠にありがとうございましたやっぱりお道が好きだなぁ福勇分教会酒井實この度年振りに度目の修養科へ出させて貰いました会う人毎に何んで今更どうしてと色声を掛けてもらいましたが私自身何とか新しい修養科生の一人でもと頑張って居りましたがそれも叶わず結局私一人で出る事と成りました久し振りの修養科生活も昔と大分変って居るし年齢も年齢だし最初は少し戸惑いもありましたしかしヶ月つとめる間には新たな出合いも沢山あり笠岡の若い人達る事はないかと思いいろいろと考中である考えが浮かびましたおさ始めクラスの同期の人達にもたすけらえさせて頂きました考えた結果残づけで本当に人は助かるのか意味はれ何とか最後迄つとめる事が出来まりの期間でたくさんの人におさづけあるのかそう疑問を感じるようにしたを取り次がせて頂こうと思いましたなった私はおさづけをしている理由ヶ月に亘り詰所の先生方始めが決断をしたはいいものの私はがわからなくなりましたそこから私人の教養掛の先生方にも色お仕込み人におさづけをあまり取り次いだが思っている疑問をいろんな人に聞い頂き新しい発見も数多くありました事がなく最初はクラスの人にさえおてみましたそうしていろんな人と話残り少ない人生ですが心新につとさづけさせて頂いてもいいですかをしているとある人がとにかくおめさせて頂きたいと思って居りますと声をかける事に緊張してなかなかさづけを取りつがしてもらいなさい最後にやはりこの道が好きだと言えませんでしたしかし決めたか必ずわかってくる事が増えてくるか云う事がわかりましたらにはしっかりとさせて頂こうと思らと言われましたただその話をありがとうございましたい緊張しながらではありましたが聞いた時にはまだおさづけに対する毎日クラスの方におさづけを取り意味がわかりませんでしたそうし御守護を感じたヶ月次がせてもらいましたて日日が過ぎていきましたそそしてヶ月に入った頃私の中での期間もおさづけをやめることなくや木津和分教会丸山智旬他のクラスの人にも声をかけておさり続けました私は月から月末まで修養科づけを取り次ぐという思いになりま月に入った時でしたその日は本期生としてふせこみをさせて頂きましした最初はクラスに声をかけた時と部員講話で撫養大教会の圡佐先生のた修養科へ来るまでは教校学園を同じく緊張していましたそれに他話を聞かして頂きましたその話の中卒業して少年会本部で年勤務をしクラスという事もあり喋った事がなで圡佐先生がおさづけをするから身ていましたおぢばでの生活が長かっい人や声をかけても断られるのではな上がたすかるのではないおつとめをたという事もありしんどい事や大変いかなどと考えとても勇気がいりまして理を頂いておさづけをする事にな事はありませんでしたその為修したしかし実際の所声をかけてみ意味があるのだと言われました私養科生活も毎日楽しく過ごさせて頂くるとよろしくお願いしますと受けはその話を聞いておさづけについて事が出来ましたて下さる人が多くおさづけが凄く取の考え方が変りましたその日以降しかしヶ月が終わりにさしかり次ぎやすかったです私は神殿でおつとめをする際今までかった時私はこのヶ月何もせずそんなある日の事でしたいつも通以上に丁寧にさせていただくようになに終わるのはもったいない何かできりおさづけを取り次いでいると私のりましたそれを続けながらおさづけを毎日取り次いでいると担任の先生からクラスの方で身上を持っている人の病院に行く回数が減ったと言う話を聞きましたまた他のクラスの人がヶ月目は車いすで修養科に来られていたのにヶ月目には自分で歩きながら来られている姿を見たりしました私はその姿見て信じておさづけを取り次げば神様は御守護下さるのだと思いました修養科生活を通して目に見えて感じたこの御守護は私自身すごく勉強になりました修養科生活が終わっておぢばを離れても学ばしてもらった教えを実践できるように今後も進んで通らせて頂きたいと思います大教会だより第九七期修養科教養掛主主任副副主任一ヶ月目主岡﨑真一大教会役員副貞清知実三郡分教会長二ヶ月目主岡﨑治喜大教会准役員弥髙山分教会長副竹本和道福芦分教会長三ヶ月目主横山逸郎大教会役員東城分教会長副髙田一弘眞府分教会長修了者海松ヶ岡池田靖和海松ヶ岡藤原優人福勇酒井實木津和丸山智旬終講木津和丸山智旬お詫びと訂正本年月日発行のページ五月月次祭祭文の末尾の段落がそのまま欠如しておりましたので次に追記いたします何卒親神様には陽気ぐらし建設のよふぼくとの自覚を持ってたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜り助かりたいから助けたいへと心が変わって人皆助け合う陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます教人資格講習会修了者
かさおか

『かさおか』第61巻 第6号

香地華分教会昭和年月日移転改称昭和年月日落成奉告祭本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう笠岡支部第回総会開催婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月日新型コロナウイルスの感染対策をする中対象者を委員部長と代表会員人に制限し婦人会員人の参加を得て第回総会を開催しました婦人会ではコロナ禍によって活動が制限される中もひながたを辿り陽気ぐらしの台となりましょうとの成人目標の元元をたずねご恩報じの日をを活動方針に掲げ何からでも自分にできるご恩報じの実践を申し合わせて活動を推し進めてきました当日は新緑の香る心地よい風が吹く素晴らしいお天気のなか午前時上原きよの支部長の手に合わせて親神様教祖祖霊様を礼拝し引き続いて三代真柱様のみかぐらうたの地歌に合わせ座りづとめ婦人会とよろづよ八首を勤めさせていただきました式典では大教会長様前会長様をお迎えし中村理恵委員の開会の辞に続き興明委員部長吉岡八恵さんによる会務報告その後の支部長挨拶の冒頭では婦人会本部からのお祝いの言葉を披露された後改めて参加した婦人会員に労いの言葉を述べられ人数を制限しての総会となったが久しぶりに大勢の委員部長と共に年に度の総会を開催できたことを大変嬉しく思うと喜びを伝えられましたまた大教会長様前会長様のご臨席をいただき開催できたこと今日の日を迎えられたのは先人先輩方のご苦殿内の懸垂幕座りづとめよろづよ八首心の賜と謝辞を述べられこれからもしっかりとこの教えを継ぎ自らの心の成人とまだ教えを知らない人への働きかけの道が途切れる事なく続くよう願われそのためにも女性の徳分を生かし温かさ柔軟さ忍耐強さを身に付け日育ての上に低い心でその徳分を発揮させてもらいたい教祖が人を育てる上でのお心配りなさり方を手本として教祖のひながた教えをしっかり学び自らも育ちながら努めるよう話されました続いて本年月の本部総会で婦人会長様は歴代真柱様のお言葉を紐解きながら婦人会活動の根本は道の子を道の子らしく育て上げることその骨折りを惜しみなくやることとお聞かせくださりそのためには子供を育てる上でのしっかりとした信念育て上げるという強い覚悟を持たせていただくことの大切さをお促しくださった今こそ道の婦人がその使命である道の子を道の子らしく立派なようぼくに育てる上でどうしたら良いかを談じ合いどの婦人も道の子を道の子らしく育てるという自覚を持って育てていただけるよう丹精することを課題とし真剣に取り組み共に歩ん支部長挨拶大教会長様祝辞でくださる道の台を一人でも多く増や続いて大教会長様は伏せ込みにつしていきたいそして何よりもまずいて分かりやすくお話しくださり会日のご守護への報恩の心をしっかり員の皆様が今年度の笠岡支部の活動心に治め日のご恩報じを喜びの心方針である伏せ込みおぢばがえりから始めさせていただきこれからもを軸としておぢばに心を繋ぎひのきし皆様と共に教会家庭を支える道の台んを通してしっかりとした陽気ぐらとして成人させていただきたいと述しの台となるよう期待したいと祝辞べられましたを結ばれましたさらに本年月日の女子青年大続いて吸江委員部長西村由理子さ会に向け信仰を継ぐ若い方を育てるんが会員を代表して誓いのことばを絶好の機会であることまた支部活動述べ婦人会第回総会の婦人会長様として努める伏せ込みおぢばがえりひのお話からできないことばかりに目のきしんへの会員の皆様に向けた声がを向けるのではなく今何をすれば良けをお願いし挨拶を終えられましたいのかを考え実行に移すことの大切さまた自身の身上を通して改めて親神様のご守護教祖の親心に守られている喜びを実感し活動方針であるいつもニコニコ婦人会を胸に今まで以上ににをいがけおたすけに励み共に道の台として歩んでくださる婦人会員を一人でも多くご守護いただけるよう実働を誓いました最後に婦人会歌を黙唱し海松ヶ岡委員部長森本ひふみさんの閉会の辞をもって閉式しました参加者はお弁当と味噌汁お茶手作りクッキーお下がりのゼリーを受け取って散会お茶とクッキーには誓いのことば愛美奥様デザインの可愛いシールが貼られていました各委員部へは記念品として三味線と胡弓の糸が渡されました総会開催にあたり会場設営や調饌の上に大教会長様を始め多くの方のお手伝いひのきしんをいただきましたこと紙面をお借りして御礼申し上げますまた駐車場係として青年会の皆様受付託児にひまわり会女子青年の皆様にひのきしんいただきました有難うございました常任委員田中つかさ参加者に配られた弁当など五月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心一杯の御守護により日は結構に恙なく暮らさせて頂いております特に今は朝は少し肌寒く感じられますが日中は清しく晴れやかな素晴らしい季節をお与え頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はかしものかりものの喜び感謝の心一杯に朝夕に御礼申し上げると共に世界一列を救けたいとの親心にお応えすべく御恩報じの心で世界たすけのご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は此の教会の五月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めさせて頂きます御前には今日の日を待ちわびて寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は直轄教会に巡教をさせて頂きぢば一つに心寄せるべく人だすけのためのおぢばがえりの実践を通して教祖百四十年祭の三年千日活動に向かっての成人の歩みを誓い合わせて頂きました又本日は縦の伝道講習会を開催させて頂きます道の後継者育成の上に今何をするべきか少年会本部からお越し頂く講師のお話をしっかりと胸に治めてこどもたちへの丹精の糧とさせて頂きたいと存じます更に又明日には婦人会笠岡支部の総会を開催させて頂きます人数を制限しての開催となりますがひながたをたどり陽気ぐらしの台となるべく今自分にできるご恩報じの実践を全会員に徹底させて頂く所存でございます何卒親神様には陽気ぐらし建設のよふぼくとの自覚を持ってたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜り助かりたいから助けたいへと心が変わって人皆助け合う陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます詰詰所所かからののおお願願いい詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ずご連絡ください部内教会信者に徹底願いますご報告会長室去る月日に集まった万円のウクライナ救援募金を岡山教区を通して現地で医療活動をしているアムダ岡山を拠点とした国際医療チームに届けさせて頂きましたその募金に対してより感謝状が届きましたのでご報告させて頂きますこの度の皆様の真実の募金を有難うございました立教百八十五年五月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者森本忠善赤木素志賛者上原繁次指図方門脇元教講話縦の伝道講習会七月講話武内清明区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半門脇元教上原志郎田中隆之田林久嗣中村道德上原浩中村義太郎山田敏教佐藤真孝大教会長様中村剛中島誠治前会長様三島渉今川昌彦上原繁道山野弘実武内清明大教会奥様谷内美知子武内正美前奥様横山小智榮中村初美田中ますみ室悦子山野なつ吉岡誠一郎岡﨑治喜淺野明教佐藤道孝虫明立生赤木素志吉岡壽森本忠善渡邉隆夫杉原博之高木昭祥内海史郎谷内伸自岡田誠岡﨑真一岡﨑真一上原繁次杉原善朗上原順子岡﨑豊子門脇加津今川佐智子三島照美田中つかさ佐藤香苗内海安子吉岡八恵大教会だより教会指令任命願神邉分教会前任小坂静宏新任岡本善一奉告祭承認任命願上川邉分教会前任友井道雄新任友井正人奉告祭友井正人氏岡本善一氏承認教会長資格検定講習会修了者終講島中内海史郎本部食堂ひのきしん上下押尾啓司上下山野弘実上下西畑珠実