かさおか 『かさおか』第63巻 第2号
○1立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314米美分教会明治29年1月18日岡山部属大仙分教会設立昭和17年3月23日部属変更・移転・改称(米美)昭和39年5月26日神殿移転建築昭和40年7月9日落成奉告祭立教187年2月号かさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号2○2018620大教会長様お話教祖にお喜び頂ける成人の姿を求め続ける1年に【真柱年頭のごあいさつ】明けましておめでとうございます。昨年は、いろいろとご苦労さまでした。本年もよろしくお願い1・年頭会議においていたします。昨年の暮れは、私には珍しく、立教年大教会年頭会議は、1新年の準備も順調に終わりまし月日午後1時から大教会神殿でて、例年よりもゆったりとした気行われ、役員・部内教会長夫妻・布持ちで新年を迎えたのであります教所長らが参集した。が、元日早々、大地震という大変大教会長様は、先ず、真柱様年な姿を見せられてしまったのであ頭のごあいさつを拝読され、そのります。この中には、強い揺れをなかで一番大切だと思う点を述べ経験した人もあれば、部内教会、られた。続いて、年祭活動2年目布教所、信者が被災したけれども、を通るうえでは、「①持ち場・立場すぐに駆けつけることもできず、に応じて、親神様・教祖がお喜び心配なまま、ここに集まってきたくだされるに相応しい振る舞い・という人もいるでしょう。心より行いを思案し続ける、②それぞれお見舞い申したいと思います。の教会に繋がる皆に年祭活動を実地震について言えば、お、ふ、で、さ、践してもらえるように、諦めるこき、では、天災を月日の残念、立腹となく丹精し続ける、③ふ、し、に直と仰せられているのはご承知のと面したときにこそ、そこに籠もるころでしょう。それは、教祖の教を、や、の思いを見つめて通る」1年えを信じ教祖の道を通らせていたにしていきたいと述べられた。だくお互いの、心の成人の鈍さに引き続き「おたすけ推進の集い」対する厳しいお仕込みであると思(3月号掲載)が開催され、その後、うのであります。3年振りに会食が催された。年祭活動の二年目を迎えまし(要旨は次の通り)た。厳しいお仕込みに対し、どの点をお知らせくだされているのか、いろいろと振り返り、思案して、気づいたところがあれば改めて、歩みを進めることだと思うのであります。教祖百四十年祭は、私は前回の年祭に倣って、一月二十六日、一日に勤めさせていただきたいと思っています。再来年の一月二十六日は、その年祭の当日、一つのゴールであります。しかし、その日に何かするのではなく、その日を目指してつとめ励んで、どれだけ成人することができたかをご覧いただくところに意味があるのであります。この三年千日の歩み方が大切であります。三年千日は、立教一八九年一月二十六日のための準備期間ではなく、もうすでに本番であります。普段よりひ、な、が、た、を強く意識して毎日を通る。昔から、非常時と言われますが、普段とは違う緊張感を持って歩む時であって、いまは何をしなければならない旬であるか、各人の立場で何をしなければならないかを見失わずに、年祭への活動を着実に進めていかなければならないと思うのであります。こういう大ごとが起こったのでありますから、なかには心が倒れてしまった人、気持ちはあるが動こうにも動くことができない人がいるのは、当然のことであります。そこは、上級の教会長など、関わる人がしっかり心を通わせて、一日も早く立ち直るご守護を頂けるようにつとめてくださるようお願いしたいと思います。また、年祭へ向かって歩もうという、その気持ちを持って歩む人を一人でもご守護いただく、そのための丹精もしっかり進めていただきたいと思うのであります。最後に、これはお知らせでありますが、父(三代真柱様)の年祭を、今年、出直して十年になりますので、十年祭を、命日である六月二十四日に勤めさせていただきたいということを最後にお知らせして、年頭のあいさつを終えさせていただきたいと思います。どうぞ、本年もよろしくお願いします。(『みちのとも』R・2)1873○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号かさおか187140【大教会長様年頭の挨拶】立教年、あけましておめでとうございます。昨年は、教祖年祭に向かう年祭活動期間1年目の年として、大教会で定めた、「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の活動方針と、「ひながたを学び、そのお心を実践しよう。」の活動目標のもと、それぞれの教会でも、目標と実践項目を定めていただき、この1年間の成人の歩みを進めました。昨年1年、それぞれの持ち場・立場で精一杯お努めくださり、誠にありがとうございました。まず、真柱様のごあいさつのなかで一番大切だと思うことについてお話しします。それは、①「年祭当日に何かするのではなく、その日を目指してつとめ励んで、どれだけ成人することができたかをご覧いただくところに意味がある。この三年千日の歩み方が大切」、②「三年千日は、立教一八九年一月二十六日のための準備期間ではなく、すでに本番」、③「普段よりひ、な、が、た、を強く意識して毎日を通る。普段とは違う緊張感を持って歩む時であって、いまは何をしなければならない旬であるか、各人の立場で何をしなければならないかを見失わずに、年祭への活動を着実に進めていかなければならない」ということです。▼あるべき姿を常に模索する一年に年祭活動1年目を終え2年目が始まるに当たり、それぞれの教会の目標・実践項目を継続するか変更するかを昨年お尋ねし、それぞれで決めたものを提出いただきました。そのうえで、あらためて、この1年間、どのように通るかということですが、持ち場・立場年祭活動2年目を通るうえでの思いを述べられる大教会長様に相応しい振る舞い・あり方をあらた思うのです。それは、親神様・教祖にめて問い直して、問い続けていただきお喜びいただける、受け取っていただたいと思います。ける心でおつとめいただきたいと思い自分自身が与えられている、その立ます。場、教会長という立場、家庭であれば教祖のお言葉に子供の親、奥さんの旦那さん、いろん何するも、皆、神様の御用と思う1465な立場がありますが、それぞれの立場てするのやで。(篇)に応じて、親神様・教祖がお喜びくだまた、されるに相応しい振る舞い・行いとは塵一つ拾うても誠。大きな木取り一体どういうことかを、あらためて、片づけても真実といえん事もあ思案していただきたい。そして、そのる。・・・心の持ち方、思い方が大思案し続ける1年にしていただきたい事やで。(教祖口伝明8・6・)と思います。というお言葉があります。持ち場・立場で何が相応しいか、何それぞれ、ご自分の与えられた今のをすべきかは、それぞれで違ってきま立場をしっかりと思案し、思案し続けす。ながら、その相応しい行いをしっかり教会であれば、教会がどのような場と積み重ねていく。そういった1年間所にあるのか、回りにどのような人がにさせていただきたいと、そのように住んでいるのか、繋がる信者さんはど思います。んな方がおられるのか、それによって、自分自身だけで為すことなのか、それ▼全員参加の年祭活動とも、教会に繋がる方を巻き込んで何昨年、この年祭活動は、笠岡に繋がかを為すのか、そういったことも違っる全員に、年祭活動として動いていたてくる。だきたい、教会のよ、う、ぼ、く、・信者だけそれぞれで何をすべきかというのはではなく、こどもたちにも「年祭活動本当に違ってきます。しかし、その何の風」というものを感じてほしいとおをするのかの根本、それぞれの心とい話ししました。うものは、同じになってくると、私は昨年の秋季大祭では、真柱様も次のかさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号4○50ように仰いました。教祖は、年もの間、どんなことが起こっても諦めることなく、丹精し続けられたということを、これもひ、な、が、た、として忘れてはならないことなのではないかと思うのであります。どんなことが起こっても諦めることなく丹精し続けられた、そのひ、な、が、た、をわれわれも忘れずに、この笠岡大教会、それぞれの教会に繋がるよ、う、ぼ、く、・信者の皆さま方一人ひとりに、この年祭活動を少しでも実践してもらえるように、しっかりと声掛けを継続していただきたいと思います。▼「ふし」に籠もる親心に感謝して年祭活動1年目を送るなかで、昨年1年間、様々なことが起こりました。「た、す、け、の旬」であるこの年祭活動期間にはいろんなことが起こってくると、昨年のこの場で申しましたが、本当に、普段以上のいろいろなことをお見せいただきました。そのなかで、私自身、どうしても「つらいな。しんどいな。」と感じてしまう出来事、特に、人の出直や身上・事情ということをよく耳にしました。ですが、そのたびに、あらためて思わせていただくのは、どんなことを目にしても、どんなことを耳にしても、そこには、「陽、気、ぐ、ら、し、をさせてやりたい。たすけてやりたい。心の成人をさしてやりたい。」という親心、を、や、の思いが、必ずあるということ。そのことを忘れてはなりません。特に「つらいな。しんどいな。」と思うときにこそ、この忘れがちなを、や、の思いをしっかりと見つめ、ふ、し、のなかにある喜び・感謝を見つめて通る、そういう1年にもさせていただきたいと思います。以上、年祭活動2年目を通るうえで思うところを、3点、お話ししました。最後に、何点かお伝えします。まず、2・3月の部内巡教は、それぞれの教会で定めた目標と実践項目について、祭典後の巡教員の話のなかで触れますので、その内容について事前に相談することがあれば、あらかじめ巡教員と相談してください。また、昨年5月にコロナの扱いが変わって一段落したところではありますが、祭典後の食事などについては、教会によってそれぞれかと思いますので、そこは、巡教員と事前にご相談ください。それと、年祭活動期間の本部からの打ち出しとして、ようぼく一斉活動日の第1回目が、昨年、開催され、今年、2回目・3回目があります。開催日や内容は、お住まいの支部によって変わってきます。このようぼく一斉活動日について、1点、私があらためてお願いしたいこと、それは、このようぼく一斉活動日を、この時旬のお、ぢ、ば、からの声として受け止め、まず、積極的にご参加いただきたいということ。教会に繋がるよ、う、ぼ、く、の方にお声掛けいただくのはもちろんのことですが、まず、教会長さん・布教所長さんご本人が、積極的に参加していただきたいということと、どのような思いでそれに参加するのか、受け止め方が大事です。ようぼく一斉活動日に参加して何を持って帰るのか、どんな喜びを見つけて自らの日々の信仰生活に映していくのか、そこをしっかりと受け止める心でご参加いただきますようお願いします。この後、「おたすけ推進の集い」を開催します。教会長・教会長配偶者・布教所長、それぞれの立場で、どのような角目でこの年祭活動を通るかを思案する助けになると思います。「①日々のに、を、い、が、け、/②積極的なお、た、す、け、/③ぢ、ば、の理を戴く」の3つの項目でお話しいただきます。また、聴いた内容からどんな感想を持ったかを共有しあう時間も設けています。しっかりとお聴き取りいただき、ご自身の立場での思案を進めるうえでの一助としていただければと思います。年祭活動2年目を通るに当たっての私の思いをお話ししました。この時旬に、それぞれの立場で何をすべきかを、あらためて思案し続け、自分の立場に相応しい行い、親神様・教祖にお喜びいただけるに相応しい在り方ができるように、お互いに勇ませあって、この年祭活動2年目をお通りいただきますよう、よろしくお願いいたします。5○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号140140かさおか21187春季大祭講話教祖にご安心頂ける年祭活動に世話人・板倉知幸先生立教年大教会春季大祭は1月日、大教会長様祭主のもと役員・部内教会長・布教所長・よ、ふ、ぼ、く、・信者ら参拝のもと執り行われた。ご参拝くだされた新世話人・板倉知幸先生は、初めての当教会ご参拝に際して、『諭達第四号』に則って話を進められ、教祖に直にお仕えされた高弟の先生方の逸話や身近なおたすけ談などを交えて、教祖年祭三年千日活動の残された2年で、教祖にご安心いただけるような成人の実を挙げられるように、2年目を歩む私たちの心の置き所をお話しくだされた。(講話要旨は次の通り)ただ今は、教祖年祭に向かう三年千日2年目のスタートという時期になってきています。あっという間の1年間で、「もう1年過ぎた」というのと「まだ2年ある」20262224という複雑なところですが、「まだ2年ある」というところで、あらためて、「教祖の年祭」、そして「ひ、な、が、た、」ということについて、思うところをお話ししたいと思います。▼教祖年祭の意義明治年陰暦正月日、教祖は現身をおかくしになられましたが、教祖はご存命ですから、私たち人間が亡くなった人を偲んで行う「年祭」とは全く違うものです。教祖はご存命で世界た、す、け、の先頭に立ってお働きくだされ、私たちをお導きくださっています。その親心にお応えすべく、よ、ふ、ぼ、く、一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義です。これまでの教祖の年祭を、少し振り返ってみたいと思います。教祖1年祭。これは、残念ながら祭式中に警察が雪崩れ込んできて、式を中止せざるを得なくなりました。当時の方々にとっては、何とも残念な気持ちだったろうと想像します。教会本部が設置されていない、公認がないことが主たる原因でしたので、一応、神道本局の公認を取ることができ、晴れて活動を許されるようになって、明治年に教祖5年祭が勤められました。1年祭のときに止めに入った警察が、このときは警備に当たっています。この違いは当時の方々にとっては、何とも言えない喜びの姿であったと思います。この年祭から、「教祖の年祭」はどのように勤めれば良いのかをお導きくださるようになりました。明治年、次のような刻限お、さ、し、づ、をもって、ひ、な、が、た、の道を通る大切さを示されました。難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つくのひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。・・・ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。・・・五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。・・・僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しのや。ひながたの道より道が無いで。・・・どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。・・・三年辛抱すれば、落ちようと思うても落28102211ちられん。(明・・7)教祖年祭は、お、や、し、き、拡張が進められたときです。明治年4月に初代真柱様がご身上となられ、数度に亘りお、さ、し、づ、を伺われましたが、なかなか好転せず、今度はお、ぢ、ば、に本部員・分教会長一同が集って心得を伺うと、「神のご守護の理の根本が良く分かっていないから皆を寄せた」と仰り、「全教が真の兄弟として心を一つに合わせて精神を定める」ことをお仕込みになりました。この後、一同のお詫びと心定めをお受け取りくだされてか、容態は落ち着き、7月には全快のご守護を頂かれ、29122510明治年陰暦正月日、教祖年祭が勤められました。しかし、その翌月には、政府より「内務省訓令第号」、いわゆる「天理教弾圧令」、通称「秘密訓令」が発令されました。なぜそのようなことが発令されたかは、道の飛躍的な進展に当時の政府が脅威を感じ国家の統一には天かさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号6○29理教が邪魔になったのだと想像します。ですから、教祖が現身をおかくしになられてから、お言葉通り道は勢いよく伸びて、一説には「天理教布教師が行くところ、病院には患者がいなくなる」という風評が伝えられるぐらい、不思議なた、す、け、が各地に現れて、入信する人が絶たなかったそうです。明治年の統計で、信者総数が約万7千です。当時日本の人口が約4千万人ほどですから8%が天理教の信者だったそうです。しかし、逆に社会の偏見・誤解・妬みなど、社会秩序を乱すものだと非難さ新世話人・板倉知幸先生10044404310411130273133932206011273170502190100100れました。内務省訓令の結果、教えられた教理を変えなければいけない状況が現われてきて、残念ながらそれに従う日が続きますが、明治年頃から「一派独立運動」が始まります。明治年に教祖年祭がつとめられました。社会情勢は日露戦争直後であり、大飢饉などがありました。お道としては弾圧のなかと、一派独立がなかなか認めてもらえない道中でしたが、多くの人がお、ぢ、ば、へ帰られました。この年祭を期に、この笠岡の道も大きく進展していったと聞いています。そして、明治年月日には、待望の「一派独立」を果たします。明治年3月頃のお、さ、し、づ、で教会本部のふ、し、ん、について諭され、ご本席様が出直しになられる6月まで「百日のお、さ、し、づ、」が続きます。そのなかには、教祖年祭を迎えるに当たり、「ふ、し、ん、の準備に3年、ふ、し、ん、に5年」と神殿ふ、し、ん、に関するお、さ、し、づ、があり、年掛かるお、さ、し、づ、を日で仰ったわけです。その後、明治年から土持ちが始められ、年に起工式、そして「大正ふ、し、ん、」と繋がってきます。10030301150勇みに勇んで教祖年祭を迎えようと進んでいる最中、大正3年末に年祭を1年1ヶ月後に控えて、初代真柱様が出直されました。大正5年に教祖年祭がつとめられましたが、初代真柱様のお出直という大きなふ、し、を乗り越えての年祭でした。昭和5年には「昭和年に教祖年祭・立教年祭執行」の旨が公示されて動いていきます。2代真柱様は本教の歴史を振り返られ、本教の年祭は「ふ、し、から芽が出る」とのお言葉通り、教勢が進展する時旬は同時にふ、し、に出遭うときであるとされたうえで、教祖が明治年に現身をおかくしになって以来つとめられた6回の年祭は、いずれも本教史上大きなふ、し、と立て合ってきたこと、しかし、それにも関わらず、そのふ、し、が返ってお道発展の肥となり道が進展する結果となっていると述べられて、教祖の年祭がふ、し、であると同時に発展の旬であることを強調されました。昭和年1月に教祖年祭、年に年祭、年に年祭が執行されますが、昭和年の『みちのとも』には次のような記事が掲載されています。2070教祖の「七十年祭」というこの言葉が、今、教内に波紋のように拡がりつつある。既にこれを布教の目標として目覚ましい活動を始めた教会もある。が、現在、本部からは未だ従来の様な御年祭についての打ち出しはない。打ち出しを待たずして年祭の活動ということが、教内の一種の合言葉の様になり始めたというところに、これまでの余程異なった趣がある。戦時下体制で迎えた教祖年祭とは違い、年祭は、しっかり年祭活動ができる、また、何の気兼ねもなく教祖の教えを堂々と実践し説くことができる、これらの思いが自然と年祭活動への勇んだ気運を生み出したと思われます。また、お、や、さ、と、や、か、た、の今後の展望と計画が発表され、実際にふ、し、ん、が始まり、全教の勇みは頂点に達して、実動が形に現れてくるという喜びも見せていただきました。その後、ご承知の通り、教祖年祭、年祭、そして、東西礼拝場のふ、し、ん、、教祖年祭と時を刻んできました。その後、年祭の後に3度の年祭を通っ60807○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号126018370かさおか14018013026てきました。教祖年祭を迎えるに当たって通るこの三年千日は、今までとは違ったを、や、の思いを感じます。というのも、教祖年祭後の道の歩みとして、立教年7月日にか、ん、ろ、だ、い、が倒され、翌年には、道の芯であられます真柱様がご身上になられました。そして、立教年の年頭からコロナウィルスが世界的に流行して5類に分類されましたが、まだ余波を残しています。道を信仰する者から、この三年千日をしっかりつとめるようにというを、や、の思いを強く感じます。▼ご存命の教祖の身近に先人先輩方が通って来られた年祭は、その昔は、教祖のお姿を直に拝してお仕込みいただいた方々が勤められ、その後はお、さ、し、づ、を仰いでお導きいただき、教祖年祭から年祭ぐらいまでは、そういった人たちがまだ在世され、その先生方に教授された方々がたくさんおられました。増井りん先生もそのお1人で、明治年から教祖の身の回りのお世話を仰90せつかり教祖より直に仕込まれた方です。昭和7年頃に本部青年を務められたある先生が感じられたおりん先生のお話です。その当時歳のお歳でしたが、なかなかお元気でお背は丸くこぢんまりとした先生が、別席のお取り次ぎから人力車で本部の詰所に帰って来られまして、西側の廊下で西の方を向いてお座りになりました。私はちょうどその日は詰所の当番でしたので、広い詰所の部屋を掃除しておりましたが、全部終わってもまだお座りになっておられます。先生が座っておられる廊下だけがまだ水拭きが終わっていませんので、お立ちになるまでお待ちしておりました。「早くお帰りになれば」と思っていましたら、やがて、日が沈みかけ辺りが仄暗くなりかけた頃、やおらお立ちになりまして、「長うお待たせしましたな。私はなあ、今まで、親さん(教祖のこと)がお休みになるのをじっとお見送り申していましたんや。あんさんら、寂しいと思いなさらんかな。私は生が次の様に仰ったそうです。寂しうてなあ、毎日、こうして、宮森先生が「髙井さん、おらあお見送りしてますのやで。」と目親さんの仰ること、嘘と思わなをショボショボされていました。かったけど、この俺の目でこんな新入りの若かった私には「何を立派なお屋敷の姿を見るのは思わしておられるのだろう」ぐらいになかったで。」思い、むしろ「早くお帰りになれ髙井先生が「そやったなあ。」ば良いの」とさえ思っていたのでと仰り、続いて宮森先生が「ホンしたが「親さんをお見送り申しまマやったなあ。」と言われ、またしたんや」と聞かされたときには、髙井先生が「そやったなあ。」、宮初めてお日さんを「親さん」と心森先生が「ホンマやったなあ。」からお慕いなされているお心に触と、この「そやったなあ。」・「ホれ、ついさっきまで「早くお帰りンマやったなあ。」の応答は、そになれば」と思っていた自分が恥れこそ、もっと何回も繰り返されずかしく、申し訳なく思ったことつつ、お2人していつしか涙をボでした。ロボロこぼされていた。また、別の先生のお話です。というお話で、この物語をジッ1024昭和8年月日の夜、ただ今と側で聞いておられた井筒先生の教祖殿が新築落成して鎮座祭がは、「私はそのとき、ゾッとしま勤められた夜、当時まだ本部青年したね。このお話を聞いて、私自であられた井筒先生が、教祖殿お身も、もう、もう、何か嬉しうて守り所の当番をなされていた。嬉しうて嬉しうてしようがなかっ厳かな御遷座祭典の後、お、や、し、き、の青年第一号であられた髙井猶たですね。」と申されるのであったと。吉先生・宮森與三郎の両元老先生また、本席・飯降先生には次のようが同お守り所にご休息にみえらなお話があります。れ、井筒先生の汲まれたお茶にの本席様の晩年のこと、平野楢藏どを潤されながらしみじみと両先先生が本席様のご苦労をお労いしかさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号8○ようと考え、詰所に立派な庭園を造り、その落成祝いに庭のお好きな本席様をご招待し、心一杯のもてなしをされたことがあったそうです。やがて食事となり二の膳・三の膳付きの御膳が本席様の前に運ばれてきました。郡山部内の信者さんが国々から持ち寄った真実の籠もったご馳走であったろうと思われます。ところが、本席様はいつまで経ってもジッとしていて箸を付けようとなさらない。平野先生始め役員の方々は、何かお気に障ることでもあったかとハラハラするばかり。とうとう平野先生が堪りかねて「何かお気に召さないことでもございますか。」と尋ねると、本席様は「何の何の。こんなご馳走をしてもろうて、色々もてなしてもろうて何が気に入らんものか。儂は嬉しうて嬉しうてならん。けれど、こんなご馳走を出してもらって、『ああ、あのとき、親さまにこんなご馳走を召し上がってもらえたのやったらなあ。』と思うと、勿体のうて勿体のうて心が一杯に10詰まってしまうのや。」と仰せになり、ハラハラと御膳の前で涙をこぼされたのであります。並み居る人々は皆一様に顔を伏せて共に涙を流し、声出す者もなかったそうです。教祖をお慕いする先人の気持ちが胸に伝わってくるようなお話です。しかし、私たちが、実際に教祖にお仕えなされた方々の思いには、なかなか追いつくことはできません。今を生きる私たちに信仰が伝わるまでの間には、世の中の人々の生活様式や物事の考え方まで、世界の様相は随分と変わり、私たちが知り得る教祖の面影やお話は、すべて何代も前の道の先人を通して伝えられたものばかりです。それだけに、お道の草創期の先人に比べて、意識のうえで、教祖が段々遠のいていることは否めません。だからこそ、時が経てば経つほど、私たちの方から、常に教祖に近づく努力をすることが必要です。そのなかでも、年に1度迎える教祖の年祭の旬は、その意識をより強く持って通ることが重要です。と教えられました。「執着を去る」と教祖がお姿をかくされたことで、私いうことです。たちはいつでも教祖と1対1でお話がそれと、物を施していくに当たってできます。は、夫・善兵衞様へ、親神様の思いをお姿があったときはそうはいきませお伝えしていく心遣いに大変ご苦労さん。お会いする順番もあったと思いまれたと思います。夫・善兵衞様にとっす。て、代々受け継がれた家の将来を考えしかし、今は教祖殿に行けばいつもたとき、どのような思いで通られたか居られます。教会の教祖殿にも居られは想像が付きませんが、そのようななます。そこで、悩み事やお願いをしたかをご家族で通っておられます。ときなど、ふと、何かを浮かばせてもこの、容易ではないなかを親神様をらうことがあります。頼りに家族で通るのも、ひながたの1また、に、を、い、が、け、では教祖のお供をつだと思いますが、一貫して言えるこし、お、た、す、け、でも教祖のお供をします。とは、教祖は、道中を親神様に凭れて、存命でありお姿がないということ喜んで通られたというです。は、私たちは、存分に1対1で教祖とご一緒できます。▽水を飲めば水の味がするしかし、人間、ふ、し、のなかを喜んで▼陽、気、ぐ、ら、し、のひ、な、が、た、通るというのは、なかなか難しいものでは、教祖のひ、な、が、た、を辿るとはどです。ういうことでしょうか。心底喜ぶことはできないかも知れま教祖はまず親神様の思召で貧の底にせんが、見方を変えて喜ぶ材料を探す落ち切られました。これは「貧乏のなことはできます。例えば、コップに水かを通る」ということではありません。が半分入っているとします。これを、物を施すことによって、「ま.だ.、半分あ.る.。」と考えるか、「も.執着を去れば、心に明るさが生れ、う.、半分しかな.い.。」と捉えるかでは、心に明るさが生まれると、自ら陽考え方が正反対です。前者の場合は喜気ぐらしへの道が開ける(典3章)べますが、後者では不足になります。9○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号かさおかですから、諭達にもあるように、「水を飲めば水の味がする」というお言葉は、「味がする」→「親神様がお働きくだされている」→「食べる物が満足になくても、常に親神様のご守護が溢れている」と、そこを喜んで通るということです。▽ふ、し、から芽が出るまた、人間は、必ず、ふ、し、に相当する身上や事情が起こってきますし「、い、ん、ね、ん、の道」もあります。別席のお話には、因縁と道がございます。この因縁にも現世にて現れるものもあれば、先の世へ持ち越すのもあります。良き事をすれば良き理が沿うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が沿うて現れます。心に作りた理は心通り、善悪共に現れます。身上に現れる人もあれば、事情に現れる人もあります。とあります。ですから、蒔いた種は必ず生えてくるのです。続いて、この世は、一軒限り一人限り、その日その日、旬が来たならば、銘々に通り来たれる道は、善悪共わけです。に皆現れ出ます。何程通ろうまい「あの人が悪い事を言った。あの様と思うても、通りただけは自然にな事をされた。」といっても、その悪通らねばならん、また、通さねば口を聞かなければいけない、悪いことならんと仰せられます。が身に降りかかってくるというい、ん、ね、どんな人でも、何でも自分が幸ん、が、自分にあるというわけです。せになりたいと思っておりますけそこで、聞いては「成程」、見てはれども、思う様にならないのは因「成程」と、「もしかしたら、前世・前々縁。世に何かそうなるだけの事をしたのかと、蒔いた種は必ず生えてくるものなも知れない。」とた、ん、の、う、の心を治めら、起こってくることの原因は自らにてくれと、そのなかを喜んで通ってくあるから、結局、果たさなければいけれということです。ないのがい、ん、ね、ん、と教えられます。次「た、ん、の、う、」というのは「我慢」でに、も「辛抱」でもありません。喜んで通人間、身上に不足はありませんる、苦しいなかに何か喜びを探してけれども、前生のほ、こ、り、を持って通っていくところが「た、ん、の、う、」です。生まれて出て来ると申します。そして、続いて、出直したら心のほ、こ、り、はリセットさ身の不足あって足納は出来ようれるのではなくて、積んだほ、こ、り、はそまい。なれども足納は前生のさんのまま持って出てくるということ。続げとも仰せられ、身上になれば喜いて、ぶことはなかなか出来ない。しかそこで、世界の理を見ては成程、し、そこを喜んで通る事が、前生聞いては成程と十分に足納の理を積んだほ、こ、り、のさんげになると仰治めねばなりません。足納の理はせ下さる訳であり、そこをよく聴真の誠であります。き取って心を治めたならば、大難とあり、回りで起こってくること、聞は小難、小難は無難となります。くこと、見ること、すべて、これは、と続きます。自分が蒔いた種が原因で起こってくるふ、し、があるから成人ができるので13す。苦しいなかを通るから人の気持ちも分かるようになるだろうし、思案もすれば、心を定めて前へ進むことができるのです。そのときは、辛く苦しい日々であっても、時が経てば、「成程」と思う日が必ず来るのです。私も、年前、白血病を患いましたが、その身上を通して、自分のい、ん、ね、ん、の自覚の大切さであったり、そこから感じることのできる親神様のご守護や不思議を直に感じることができました。ふ、し、から成人の道が見えてくるというものです。▽人救けたら我が身救かる教祖のひ、な、が、た、は、た、す、け、一、条、の道です。逸話篇に「人を救けるのやで」というお話があります。大和国神戸村の小西定吉は、人の倍も仕事をする程の働き者であったが、ふとした事から胸を病み、医者にも不治と宣告され、世をはかなみながら日を過ごしていた。又、妻イエも、お産の重い方であったが、その頃二人目の子をかさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号10○妊娠中であった。そこへ同村の森本治良平からにをいがかかった。明治十五年三月頃のことである。それで、病身を押して、夫婦揃うておぢばへ帰らせて頂き、妻のイエがをびや許しを頂いた時、定吉が、「この神様は、をびやだけの神様でございますか。」と、教祖にお伺いした。すると、教祖は、「そうやない。万病救ける神やで。」と、仰せられた。それで、定吉は、「実は、私は胸を病んでいる者でございますが、救けて頂けますか。」と、お尋ねした。すると、教祖は、「心配要らんで。どんな病も皆御守護頂けるのやで。欲を離れなさいよ。」と、親心溢れるお言葉を頂いた。このお言葉が強く胸に喰い込んで、定吉は、心の中で堅く決意した。家にもどると早速、手許にある限りの現金をまとめて、全部を妻に渡し、自分は離れの一室に閉じこもって、紙に「天理王尊」と書いて床の間に張り、なむてんりわうのみことなむてんりわうのみことと、一心に神名を唱えてお願いした。部屋の外へ出るのは、便所ヘ行く時だけで、朝夕の食事もその部屋へ運ばせて、連日お願いした。すると不思議にも、日ならずして顔色もよくなり、咳も止まり、長い間苦しんでいた病苦から、すっかりお救け頂いた。又、妻のイエも、楽々と男児を安産させて頂いた。早速おぢばへお礼詣りに帰らせて頂き、教祖に心からお礼申し上げると、教祖は、「心一条に成ったので、救かったのや。」と、仰せられ、大層喜んで下さった。定吉は、「このような嬉しいことはございません。この御恩は、どうして返させて頂けましょうか。」と、伺うと、教祖は、「人を救けるのやで。」と、仰せられた。それで、「どうしたら、人さんが救かりますか。」と、お尋ねすると、教祖は、「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで。」と、仰せられ、コバシ(註、ハッタイ粉に同じ)を二、三合下された。そして、「これは、御供やから、これを、供えたお水で人に飲ますのや。」と、仰せられた。そこで、これを頂いて、喜んで家へもどってみると、あちらもこちらも病人だらけである。そこへ、教祖にお教え頂いた通り、御供を持っておたすけに行くと、次から次へと皆救かって、信心する人が100ふえて来た。(篇)というお話です。すじ欲を離れて、一条心になるということです。いままでは、自らが身上で苦しんでいるから、当然、「人をたすける」ということには全く関心もなかったし、思い浮かばなかった。しかし、「人をたすける」という、その心を持ったことによって、回りに苦しんでいる人がたくさんいることに気付くわけです。「た、す、け、一、条、の道」こそが、教祖のひ、な、が、た、です。やはり、常に人をたすける心を持って、その気持ちを持って周囲に目を配ることが望まれます。▼ひ、な、が、た、の実践諭達によ、ふ、ぼ、く、としての具体的な歩み方が分かりやすく示されています。教会へ足を運ぶ、また、お、ぢ、ば、へ帰ることも不可欠です。ま、た、、、ひ、の、き、し、ん、の実践ということを考えれば、ひ、の、き、し、ん、の態度というものを常に心に持っておく必要があると思います。ちょっと前ですが、東京で街を歩いていると、前に重い荷物を持った女性が横断歩道を渡っておられた。そのとき、私ではなくて、若いサラリーマンがサッと行って、その方に「荷物を持ちましょうか」と訊いた。そういう心遣いというのは常に持っておかなければ出てきません。私はその姿を見てショックを受けました。一応、私、これでもよふぼくですから、ちょっと恥ずかしくなりました。親神様への感謝の行いがひ、の、き、し、ん、ですが、ひ、の、き、し、ん、の態度というものを常に心に築きながら生活していないと、ハッピを脱いだらよ、ふ、ぼ、く、を忘れてしまうということになりかねません。11○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号1013010かさおかまた、この教祖年祭を通っていくなかでは、当然、お、さ、づ、け、が、大切で、自らが率先してお取り次ぎすることはもちろん、この旬に、よ、ふ、ぼ、く、の方々すべてに取り次げるように成人してもらうことが大切です。年前、教祖年祭へ向かっている三年千日の真っ直中でしたが、ちょうど年祭活動に入った月頃のこと、修理巡教に回ってから帰ってくると、一番下の小学校1年生の息子が、それまでは元気に通っていたのに、「頭が痛い」と言い出しました。ちょっとした頭痛だろうと心配しませんでしたが、余りにも毎日言うので病院へ連れていきました。最初は、ちょっと様子を見ようということで一遍帰りましたが、土・日を挟んでまた痛がるから月曜日に行くと、今度はCTを撮ることになりました。CTを撮った結果、小脳が腫れているが、なぜ腫れているのか、MRを撮ってみないと菌が入ったのか脳腫瘍かは分からない。脳腫瘍なら処置できないので、他に移るということで、もしかしたら出直すかもと思いました。MRの結果は幸い脳腫瘍ではなかっ22たが、原因が分からないので、髄液を取って調べるという手もあるが、脳が腫れているところに背中から髄液を取ると脳が下がって窒息する可能性があるので、調べるのは止めました。結局、なぜそうなったかは分からないが、取り敢えず治療はしなければいけない。今までそういう症例が日本ではなく、海外で例ぐらいあるから、その例に沿うということでステロイドを注入する治療をしました。1週間ほどしてステロイドが効いてきたのか、腫れは段々と引いてきましたが、小脳は運動神経を司るところなので、1週間、息子は寝たままで歩けない。それまで元気に走り回っていた息子が、急にそういう状況になって便所にも行けない。ちょっと元気になってきても歩けないという状況でした。医者はやるだけのことはやってくれて、後はもう人間の力ではどうにもならない。障害が残るかどうかは分かりませんが、とにかく朝夕お、さ、づ、け、を取り次いで、必死にお願いしました。そうする内に、あるときを機会に、本人の脚の運びが見違えるように良い方向へ変わっていきました。なぜか分かりません。もう、お、さ、づ、け、の取り次ぎとしか言い様がありません。そんななか、その半年前に、信者さそして、ちょうど1ヶ月後に退院でんが膠原病になり、医者に調べてもらきたのです。うと、胸の奥の方の普通では絶対に分退院はしたがリハビリには通わなけからないような場所にガンがあることればと言われて連れていくと、もう快が分かりました。復しているから来なくても大丈夫と言手遅れになる前で良かったとは言われました。え、直ぐ抗ガン剤治療でガンを小さくそれはやっぱりうれしかったですして取り除かなければいけないので入が、なぜご守護がいただけたかという退院を繰り返しました。のは、お、さ、づ、け、しか考えられません。入院中は、私もお、さ、づ、け、を取り次ぎ当然、それまでも、自分でもお、さ、づ、に行き、何とかガンも小さくなってどけ、を、取り次いでいますし、大切なことうにか取り除きましたが、まだ少しは分かってはいましたが、息子の身上残っているという状態でした。で、本当にお、さ、づ、け、の偉大さ・大切さその後、経過も良く、数ヶ月後に再を痛感しました。検査をすると、ガンが少し大きくなっその後、定期的に検査してもらうと、ているが、抗ガン剤治療をするほどで小脳は真っ白で機能していないが、大はないので、年明けた1月に再検査す脳の一部が小脳の替わりをして、それることになりました。が動いているとのことで、活動は普通そのようなときに、先ほどの息子の通りに天理高校で元気に野球を練習で身上があったのです。きるぐらい不思議なご守護を頂きましその方の奥さんは信仰2代目で、自た。分の家の講社祭は欠かさず参拝してい130そのときは年祭三年千日で、「お、ましたが、特に身上で困ったというこた、す、け、」・「お、た、す、け、」と人にも言いなともなく、自分でお、さ、づ、け、を取り次いがら自分もその積もりで通ってはいまだことはなかったろうと思います。したが、神様から「まだまだや。お前、本人には、全然、信仰はありません何をしてるんや。」と言われたようなでしたが、息子さんが天理中学校を受気がしました。験したことで、別席だけは運ぼうといかさおか10立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号12○2224175130うことでお、さ、づ、け、の理を戴かれて、それっ切りでした。ですから、神様が急き込んでおられるとは思いつつも、そのご夫婦の家まで行ってお、さ、づ、け、を取り次ぐことを躊躇していました。本人が未信仰なのでついつい私に遠慮があってどうしても家まで行くことができませんでした。しかし、教祖から追い風を頂いて私の子供の身上もあり、奥さんにお願いして、夫婦で毎日お、さ、づ、け、に通いました。そうして1月日に診察を受け、日には、大きくなっていたガンの成長は止まったので抗ガン剤はまだ打たなくて良いという結果でしたので、「今後は、週に何回か通いたいが、その他は奥さんがお、さ、づ、け、を取り次いで頂きたい。」とお願いすると、奥さんも「実は、私もそう思っておりました。」ということで、私の思いと奥さんの思いが一致して、それからは、私たち夫婦が週に1回、その他の日は奥さんが、よ、ふ、ぼ、く、としてお、さ、づ、け、を取り次いでくれています。年前のことですが、今もご主人はガンが残っている状態で、元気に仕事をしておられます。よ、ふ、ぼ、く、全てがお、さ、づ、け、を取り次い命と宣告されました。何とか手術をし○○さんは不思議な人で、逆に私がたでお、た、す、け、に励むことができれば、道て一命は取り留めましたが、依然、意すけられました。看護師という仕事はの進展に大きく影響を及ぼすのではな識不明の重体です。いろいろな患者さんをお相手します。いでしょうか。小さな波かも知れませ奥様は、「勇んで取り掛かろう。」と時には夜中に呼び出されて怒鳴られるんが、それが集まると大きな波になり、思ったときだけに、「なぜ?」ということもありますし、疲労困憊状態が続世の中を変える何かに繋がるような気思いが起こったそうですが、「神様のくこともあります。しかし、○○さんもします。する事に間違い無い。」と思い返して、をお世話取りすると、なぜか心が和む全よ、ふ、ぼ、く、がお、さ、づ、け、を取り次いであらためて、一生懸命、努め始めたそのです。そうして、何回も心を助けら年祭活動を推し進めれば、これほど力うです。れました。だから、お礼を言いに来た強いことはありません。お、さ、づ、け、のお取り次ぎと十二下りののです。」と、全く信仰のない看護師お願いづとめが連日続けられ、部内のがお礼に来られた。教祖年祭はた、す、け、の旬、たすかる旬会長さんやよ、ふ、ぼ、く、の方々が、何とか話せなくても、直接お、さ、づ、け、を取りです。普段よりも増して、親神様のおという思いから、皆が真剣にお、さ、づ、け、次げなくても、「何とかこの人にも助働きを肌で感じることができるのが年の取り次ぎに励まれたそうです。奥様かって頂きたい。」という思いが、人祭の旬です。動かなければ勿体ないとも必死でお、さ、づ、け、のお取り次ぎを実行の心に働き掛けることがあるというこいうことに尽きます。そして、「何でされました。と。その大教会長さんは、回りが意識もお、た、す、け、」というその気持ちに神様そのとき、「助かりたい、助かりたがないと思っていただけで、本人の心が働かれ、教祖が導かれます。いでは助からん。助ける理が助かる。には意識があって、おたすけを実行さこれも教祖年祭のときの話です人様の助かりを願わなければ助けて頂れていたのかも知れません。が、立教年の秋の大祭で、ある大教けない。」と思って、またお、た、す、け、に結果、自らの身上を通して、部内教会長さんが諭達を聴いて感動され、「こ拍車が掛かったそうです。会長・よ、ふ、ぼ、く、・信者の方々の成人を、れからはお、た、す、け、や」といって、帰っ1年9ヶ月して、意識は戻らないま身を挺して行われた。年祭を待たずして来られた翌日、町の役所の用事からまで退院すると、1人の看護師がお礼て出直しはされましたが、教祖年祭を帰ったときには様子がおかしく、いびに来られました。自ら率先して通られた結果ではないかきをかいて寝ておられるのです。医者大教会長さんの奥さんが「いままで、と思います。である息子さんが診ると、瞳孔が開い面倒をみてくださってありがとうござているので、すぐに病院へ救急搬送すいますと、お礼を言うのはこちらからまた、教会としては、外へ向かってると脳内出血で意識不明、2・3日のではないですか?」と言うと、「実は、の布教と内への丹精という2つの重要13○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号150200かさおか課題があります。とないときへ繋がっていきますある大教会長さんが会長就任に際しし、繋げていかなければなりませて、元気のある教会はどう違うのかとん。常に、道を後生へ伝えていくいうことで、いろいろな教会を回られ、努力を怠ってはいけないのです。外へ向かって布教している教会が元気教祖にご安心いただくには、時があるという結論が出たそうです。間が必要です。お喜びいただくこ内への丹精も必要ですが、外に向とは1回のは、こ、び、でできるかも知かっての布教、直接的な戸別訪問、れませんが、ご安心いただくにはに、を、い、が、け、、地域の方々との繋がりを時間が必要であり、内容が伴わな大切にしていく、そういった外へければいけません。の布教が肝心で、地域に根差した教会後2年ですが、教祖にご安心いのそういう姿が望まれていると思いまただける三年千日の道を通らせてす。もらいたいと思います。残り2年、成人の旬としてどの▼教祖にご安心いただける年祭活動をようなお導きがあるのか、先を楽教祖の年祭は、動いたら、動いただしみに通らせていただきましょけの働きをご守護いただけます。う。教祖お一人から始まったこの道を、苦労を楽しんで通る残りの年限先人はひ、な、が、た、を心の頼りとして懸命に、年祭当日、教祖に「よう頑張っに通り、その成果を私たちに残してつたな。」と、こう言われる通り方ないでくださいました。を目指していきたいと思います。これから、その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと伝承していくのは、私たちの使命であり、引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となります。残り2年となったこの3年の動きが、次の年祭・立教年というまた春季大祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には一列こどもの陽気ぐらしを楽しみにこの世と人間を御創造下されたばかりではなく「いちれつのこどもがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなり」と親心をもってお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私どもはこの思いにお応えするべく日々は朝夕に御礼申し上げつつたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にもこの月二十六日は教祖が世界だすけの為扉開いてろくぢに踏み均しに出られた尊い日柄に当たりおぢばでは春の大祭がつとめられますので当教会でもその理にならい只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて春の大祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中をも厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本年は教祖百四十年祭に向けて三年千日と仕切っての年祭活動二年目の年であります大教会で定めた方針と目標それぞれの教会で定めた目標と実践項目のもと一年目の動きを継続発展させてより一層ご存命の教祖にお喜び頂けるよう努め励ませて頂く所存でございますまた本日は世話人板倉知幸先生に初めてお越し頂いておりますお聞かせ頂くお話を時旬のおぢばの声として真摯に受け止めこの二年目の成人の歩みに繋げさせて頂きたいと存じます何卒親神様には陽気ぐらしを目指してたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号14○立教百八十七年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者岡﨑真一淺野明教賛者佐藤真孝指図方門脇元教講話板倉知幸先生三月講話中島誠治区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前佐藤道孝田今川昌彦中中村義太郎渡大教会長様門前会長様上上原繁道山大教会奥様上前奥様中田中ますみ山岡﨑真一淺谷内伸自虫中村剛山三島渉内吉岡壽高虫明立生赤佐藤香苗岡門脇加津内今川佐智子三中村邉脇原野原村野野明田海木木﨑海島半後半隆之中島誠治道德田林久嗣隆夫上原繁次元教上原志郎浩吉岡誠一郎弘実横山逸郎順子武内正美初美横山小智榮なつ吉岡八恵明教杉原善朗立生岡田誠敏教佐藤真孝史郎三代温生昭祥谷内秀自素志岡﨑真一豊子谷内美知子安子上原千枝子照美室悦子かさおかかさおかビンゴゲームで、いつもの笑顔になって散会3016>直轄委員部長・委員研修会開催婦人会笠岡支部(上原きよの支部長)は2月3日、大教会で直轄委員部長・委員研修会を開催し、人が受講しました。時からの開催ですわりつとめを行った後、支部長様から年祭活動2年目を迎えた本年の支部の動き、大教会の動き、婦人会長様の思いなどについてお話しがありました。29婦人会コロナ禍の3年間で動きが止まっている教会は、どうしたら教会に足を運んでもらえるようになるか考え、丹精のための動きを作ってほしい、教えを学ぶだけでなく、学んだ教祖のひながたを自らが行って、通って、その姿を日々周りの人たちに見せることも大切であると、話されました。又、感話では、「お役を頂いて」と題して、田中つかさ女子青年担当者と吉岡八恵ホットテラス担当者が、それぞれの思いをお話しされました。午後からは、5班に分かれて、今後の歩みについて、ねりあいを重ねた後に、本年の動きについて、銘々心定めさせて頂き、お楽しみ行事のビンゴゲームで和やかな時を過ごすこともできました。最後に、武内正美委員は、教会は、それぞれ教祖にお喜び頂きたいという歩みを止めないよう、定めた心をこつこつとつとめさせて頂きましょうと閉講の挨拶をされ、勇み心で終わらせて頂きました。(記録係桑田恵美子)談話室島根教区教誨師三代温生氏に感謝状感謝状あなたは多年にわたり教誨師として矯正施設における被収容者の指導にあたられその功績は誠に顕著でありますよってここに深く感謝の意を表します令和五年六月二十七日広島矯正管区長日向正己本年の歩み方についてねりあう参加者年祭活動の歩み方を話される支部長様15○立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号101月日島根教区会議の冒頭に、稲葉教区長より、代読のあと、授与されました。このような感謝状は滅多にお目にかかることは出来ません。と教区長からも祝意を頂かれた。三代温生先生は年間、教誨師として継続して務められてこられました。被収容者の更生への指導にあたられて、人のため世のために必要な人間へと更生への道を、導いてこられました。その中には、親身な心が通じた被収容者からの手紙が数十通あります。御礼やら今後の真っ当な気持を正直に書かさおか立教187年(令和6年/2024年)2月21日第63巻第2号16○いてあったそうです。もう高齢で認知気味な私です80=30先生は、受け持ち時間の%を被収が、これを伝えずして、三代温容者の話しを聞いて、心が軽くなった生先生への恩返しの一分に成りら、教理をもとに心の持ち方、人とのましたら幸いで御座います。関わり方、親兄弟への想い、そう云っ(かさおか編集掛OB)た事を取り次いでこられたのです。先生は、道一条を真っ直ぐにお通りに成り、心から、教祖のように伝えられて、崇高な面持ちで、信仰の信念を、信じて疑わず、推し進められます根性があるのです。今年1月のある日の昼前、私は車に前会長(父親)の厳しい教訓と叱責をガソリンを入れ、その帰りに食材を買も手本とされる孝行者、更には、奥様うためスーパーに寄り、グッドタイミへの愛情は、これに勝る人は見ングで入口近い駐車スペースが空いた受けません。ので、そこに頭から突っ込み、買い物今日の受賞への道のりは、奥様の理を済ませて出た。解や協力が無くしては在り得ない昼時なので切れ目ない車の動きに注と申し上げても過言ではありません。意しながらバックさせていると、左側今後の活動の上にも、共々に歩んで後部座席の窓ガラスをドンドンと強く行かれるものと、拝察しながら。叩く男性がいた。何事かと思い助手席の窓を開けて「なにッ!」と見知らぬ歳くらいの男性に向かって言った。男性は「身体が当たって足をタイヤで踏まれた。」と言うのだ。「当たり屋かッ!」と思いながら、車はその状態にしたままエンジンを切って男性と店内に入り、私は店員に「当たってもないのにいんねんを付けられている。」と30話すと他の店員と相談した後、警察を呼んで下さい。との事だった。私は放置した車を移動させなければと一旦車に戻った。その間男性は店内の休憩スペースで椅子に腰掛けて待っていた。私は車に戻った途端、警察を呼んで時間を割くのがバカバカしく思い、「こんな男性に付き合っていられない!」と思い無責任にもそのまま男性に声も掛けずに家に帰った。分程して家に2人の警察官がやって来て、「被害届が出てます。」と言う。スーパーの防犯カメラで割り出したそうだ。それから免許証・車検証・保険証のコピーを取られ現場検証があると言われ、スーパーに戻る事になって実地検分が行われた。警察官は「今後本人、または保険会社から連絡があるかもしれないので」と私の携帯電話を聞いた。続けて、「先方が医者の診断書を出してあなたが示談に応じなかった場合、車の方が悪いとの位置づけだから刑事事件扱いに発展するかもしれない。」とまるで脅しの様な事を言う。その場はそれで終わりとなり私は、歩くより遅いスピードでバックしている車に当たった、足を踏まれた、と言い放つ男性に腹立たしい思いで家に帰った。その後1時間程して同じ警察官から電話があり、先方が大きな怪我もないので被害届は取り下げる、との事だった。男性は「私の第一声に腹が立った。」と言う。すぐに謝ってくれていたら警察に連絡する事もなかった。と男性の話を警察官が伝えてくれた。思わぬ事態に出くわした時には冷静な判断で対応しなければと反省した出来事だった。(む)