
『かさおか』第48巻 第11号
初代の心にかえり信仰の喜びを深めよう伝えよう広げよう一持ち場立場で日理作り一家族揃って教会参拝一一日一件にをいがけこの時中山家の夫善秋季大祭講話兵衞様みき様長男秀受けて始まる司様それぞれの身上お手入れから寄加持をしているあなたからの世界だすけ大教会長様最中でした本来いつも加持台になるそよさんが不在で急遽中山みき様がその加持台を本日は大祭ということで大祭の意義またつとめての祈祷最中に前述のお言葉がありまし創立百二十周年記念祭に向けての今の時旬に合わたせて思うところをお取り次ぎしますお言葉があってこの道が始まったのなら立教の元一日が十月二十三日ということになりますがそこから親神様と中山家との押し問答が始立教の元一日まりました三日三夜の押し問答の末仰せのままに順う旨当時みき様は家事一切を任されまだ小さいこたを対えた夫善兵衞様子どもさんがおられて子育ての真最中でした家事一切と言っても普通の家ではなく使用人も我は元の神実の神であるこの屋敷にいんたくさん抱えているような屋敷ですから使用人ねんありこのたび世界一れつをたすける一人ひとりへの気遣いや畑仕事など中山家の中ために天降ったみきを神のやしろに貰い受心で働かれる一番重要な役割を担っていましたけたいそういう訳ですからさあみきを神のやしろこの一言によってお道が始まったとお聞かせいに貰い受けたいと言われてもそう簡単にはどただきますが厳密に言えばこの一言をきっかうぞとは申せませんけとして道は始まったのです他様の方へお越し願いますというようなこ教祖伝をよくみるとこのお言葉があったのはとも言われる中で押し問答が繰り返され再三再天保九年十月二十三日夜四ッ刻午後十時です四お断り申されましたが中お下がりにならない不承知とあらばこの家粉も無いようにするという厳しいお言葉や二十年三十年経ったなれば皆の者成程と思う日が来る程にという言葉も交えながら三日三晩押し問答が続きましたその間みき様は加持台として御幣を持ったまま時には手は激しく揺れ動き御幣の垂紙は散に破れるというような状況の中不眠不休で飲まず食わずの三日間でした見た目もやつれてきこのままでは一命の程も気遣われる様子になったのでこの上はお受けするしかなかろうと思い定め十月二十六日朝八時頃夫善兵衞様がみきを差上げますと申し上げた実はその時が立教の元一日になります教典に遂にあらゆる人間思案を断ち一家の都合こたを捨てて仰せのままに順う旨を対えた時に天保九年十月二十六日天理教はここに始まると書いてありますようにお言葉があって道が初まったのではなく夫善兵衞様がみきを差上こたげますと対えられてその時に天理教が始まると明記されていますつまり天理教が始まったのはお言葉があったからではなくそのお言葉を受けたところから実はお道が始まり同時に親神様の世界だすけが始まっているということです人間創造のとき親神様の思召を計りかねるも承知をされた道具雛形たい様に思いますのでお断りさせて貰いますと書いてありますですからそこでも断られたいきさつがありますが最終的には承知をさせて貰い受けられそれで初めて道具としてお使いになられたということですこの受けて始まったということについては天保九年だけではなく人間創造のときにあっても同じことですこの世の元初りは泥の海月日両神いたばかりで何と味気ない何とか人間というものを創ってその陽気ぐらしをするのを見て共に楽しもうと思いつかれて人間創造にかかられたとのことですがそれにあたって道具を寄せておられますうをとみとを引き寄せしやちかめうなぎかれいくろぐつなふぐといろんな道具を引き寄せられましたその一つひとつに対して道具雛形として使いたいと相談され承知をさせて貰い受けたと元の理の話の中に書いてありますこれにつきましては教典には人間創造にあたって寄せられた道具一つひとつが断られたとは書いてはありませんが二代真柱様のひとことはなしには寄せられた道具が私には役が重御身お隠しのとき真意を解しかね扉を開いてろくぢにならし下されたいと申上げた先人先生方また明治二十年に教祖が御身をお隠しになられたときには教祖の御身を案じた真柱様始めおそばの先生方が本席様を通して親神様と押し問答をされましたその中で扉を開いて地を均らそうか扉を閉まりて地を均らそうかとの問いかけに対し当時の先生方は扉を開いてろくぢにならし下されたいとご返事を出されました結果としてそれが教祖御身お隠しに繋がったのですがこれも親神様の方から声を掛けられ私たちの方がどうぞこうしてくださいと承知をした受けて初めてすべてのことが始まっているということです私たちの信仰の元一日ならぬ中をはいと受けた初代たち合わせて今のこの旬を思案すると初代の心にかえりと明記して歩んでいますが私たちの信仰の初代も承知をさせられて月日のやしろとなられた教祖と同じようなことでした私たちの信仰の元一日初代の人たちも身上事情があったとも限りませんが話を聞き分けられいろいろと話を聞く中にあんたも信仰せんかと言われてはい分かりましたはい信仰させてもらいますというような状況の中で信仰が始まりました言われたからではなくて最終的には私たちの方からお道を通らせていただきますと承知をしたからこそ今日の道があるのですこのすべて受けたところから始まっているというこのことをお互いにこの旬に思案しなければなりません皆様方の初代も同じだと思います身上にかかって無い命を助けてもらったその当時の先輩先生方が助けてやりたいからおぢばがえりせんかおつくしせんか日参せんかひのきしんせんかといろいろと言われそんな中初代が聞きにくい中をはいと承知をしたなればこそ大きな御守護もいただける今日の姿がある訳です初代もそんな中を通ってきたそれも都合の悪いときは聞かずに都合のいいときだけ聞いてきたのかと改めて考えてみるとむしろ都合は悪かったのですその都合の中承知をした命がないと言われているときにはいと承知をしたその中で都合を捨てて親の声をはいと受けて通って行く中に不思議な御守護をお見せいただいて今日の皆様の姿があるということではないでしょうか代が重なってくるとその素直さはいと受けることを忘れてしまってつい自分の都合が先に立ってしまう今は都合が悪いから後でさせてもらいますとついつい自分の都合が先に立ってはいないでしょうか初代の心にかえりということを真剣に通るなら自分の都合を一切捨ててよし分かりましたやらせてもらいますと先ず受けることが大事ではないのか今まさしくそこに立ち返る旬ではないのか改めてこの旬に思案したい改めてそこからもう一度歩み出す必要があると思うしまたそういう道に今向かって歩いている旬だということをしっかり心におきたい今時旬は世界一れつをたすけるために引き寄せられたお互いであるということを自覚しようそしてそれに合わせてはいと受けることの意味をそこからもう一つ深めて思案したいと思います世界一れつをたすけるためにみきを貰い受けたいと言われた世界一れつをたすけるために天降ったみきを神のやしろに貰い受けたいつまり中山みき様をたすけるために中山家をたすけるためにではなく世界一れつをたすけるためにもらい受けたいと仰ったこのことも合わせて思案したいのですが私たちお互いの初代は我が身たすかりたいそういう思いからはいと承知をされたのでしょうしかしながら単にその人だけだったのでしょうかもしそうならまさしく今ここにお道がこの姿になってないはずです教祖お一人をたすけるため中山家をたすけるためではなくて世界一れつをたすけるために月日のやしろとされたそれと同じく私たち一人ひとりのよふぼくはまさしく同じ目的で引き寄せられたお互いではないのかつまり私たちの初代もそうそして私たちもそうですが今引き寄せられているお互い一人ひとりは私たちをたすけるためではなくそれと同時に世界をたすけたいから引き寄せられたお互いだと言えるのではないでしょうかその点をしっかりと思案しなければならないのではないか受けるということはそういうことです決して我が身我が家だけのたすかりではないのですその受けるということが大きく世界だすけに繋がっていくのだということそれ程大きな意味があるということですただ一つ承知をしましたという一言がそれ程の大きな意味があるということです代後に続けて信仰をしてきたのはその思いがそこにあったからこそではありませんか我が身我が家だけのたすかりではなく我が身我が家のたすかりを通して世界一れつがたすかってゆくそのための信仰なのだだから是非とも伝えていかなければならないそういう思いがあったからこそ今日の姿があるということではないでしょうか代が重なってくるとそういう初代の心がなくなってしまいつい我が身のたすかりになってはいないでしょうかはいと言うことを聞くということが自分がたすかる我が家がたすかるということにとどまってはいないでしょうかそういう思いがあるから今では都合が悪いという言葉も出てくるのではなかろうか我が身我が家のたすかりを求めているから親から一言言われたときにいやちょっと都合が悪いという言葉になっているのではないのかそれはまさしく我が身のたすかりにしかしていないということですしかし祭文にも述べましたが立教の元一日の親神様の心親の思いは世界一れつをたすけたいのです教祖そして初代を初め今信仰している皆さん私たちを通して世界一れつをたすけたいそれがまさしく親神様の思し召しなのです初代今時旬次代へ一人のたすかりから世界のたすかりへあなたから始まる道言い換えれば私一人がたすかることによって私を通してどれだけの人がたすかるか分からないということですはい承知しましたと一生懸命受けるそしてにをいがけするおぢばがえりする教会に日参する人がポツポツ出てくるはいと受けたその人からまた大きなたすかりが伸びてゆくのです代が重なって我が身のたすかりになっていませんかさらに我が身のたすかりすらも止めてしまったらせっかく引き寄せられた親の思いに報いることができません神様は難しいおたすけをせよと仰っているのではないのですさあ旬の声ただはいと受けてくれさえすれば後はいかようにもたすけてやろうという親神様の思し召しでしょっつまりはいと受けるまでが私たちのつとめであってはいと受けてしてくれれば後は親神様が自由用な働きをしてくださるない命をたすけてくださるその人を通してまた新たなおたすけに繋がってくるというのもすべて親神様教祖が働いて御守護してくださるのです何も難しいことをする必要はありませんそのきっかけであるところの旬の親の声をはい分かりました承知をしましたつとめますとただ受けるそれだけです今そのただ受けるそのことが我が身のたすかりだと思案してしまってそれを流してしまっているお互いだとするならばその点もしっかりと改めて我が身のたすかりではなく私のたすかりがより多くの人のたすかりそして私のこのはいと受けたこの一言がまさしく世界だすかりに繋がって行くんだという思いをもってそれぞれ今与えられた一つひとつの立場今与えられた身体の自由用をしっかりと使わせていただいてはいと受けて御用につとめきらなければならない今はそういう旬ではなかろうかと思います代が重なってくると我が身のたすかりになってしまいつい子どもにも信仰を伝えていかない子どもが信仰しなくてももう子どもの好きだから子どもの自由だから信仰しなくていいと言ってしまうでも子どもを通してどれだけの人がまたたすかってくるのかと考えたら子どもの自由だなんて言っていられないそれだけたすけが遅れるんですよ教祖お一人から始まったこの道そして初代一人から始まったこの笠岡の道すべて親神様の世界一れつをたすけたいというその心をまともに受けて旬の親の声にしたがってきた姿です改めて我が身のたすかりだけではなく世界一れつをたすけるために一人ひとりしっかりと信仰を伝えてゆく広めてゆく大切さを心に置いていただきたい一人をたすけそこなったらその先のその人を通してたすかるべき人がたすからないのです決してその一人だけのたすけではないのですどうか皆様方には申しましたこと一つひとつをしっかり心に留めおかれまして世界一れつたすけたいという親の思いに今できる精一杯の努力でもって応えさせていただきたいと思いますのでどうぞよろしくお願い申しあげます共に勇んでつとめさせていただきましょう以上要約教養掛研修会開催月日金午後時於詰所月日火午後時於大教会大教会長様より教養掛としての心構えと期待についてお話し下さり続いて修養科教養掛勤務規則の確認及びねりあいを行った今までややもすれば教養主任独自の判断に於いて修養科生の丹精につとめておりましたが部内教会長をはじめ修了者の方から各種のご意見を頂戴していましたこうした上から新しく任命された人もありましたのでこの機会に従来から備えてありました修養科教養掛勤務規則を基に研修会を行い大教会長様の思召しをしっかり心に刻んで同一歩調をとることにしました大変貴重な時間を過ごすことが出来ました但し一回だけの予定でしたが時間を区切ったこともあって回に亘りました皆真剣にねりあうことが出来良かったと思います今回もそうでしたが今後も各方面からのご意見や要望を受け賜り乍らねりあいを重ねてよふぼくの中のよふぼくの丹精の上に努力させて頂きたいと存じます教養掛主任谷内伸自おかえり講話開催親神様のご守護の有りがたさと教友の明るい笑顔に心弾む月日午後時より笠岡詰所北棟階講堂にて秋季大祭お帰り講話が行われました大教会長様のご挨拶の後講師の松尾真理子先生加古大教会長夫人は秋季大祭に帰られた会場一杯の教友に親神様の思召しについて切と御講話いただき締めくくりに皆様はおぢばに帰られ親神様教祖にお喜び頂きひのきしんに伏せ込みをされて一杯のおぢばの理をいただいておられますから国所に帰って多くの皆さんにこの喜びの理をお伝え下さいと述べられました十月三十一日から十一月一日にかけて女子青年で別席団参をさせて頂きましたこの日に向けて毎月の例会では大教会周辺ににをいがけに出させて頂いたり婦人会本部でお作り下さったハガキ支部長様が女子青年のために購入してくださったに一枚一枚裏表手書きで笠岡に繋がる三百名近い女子青年さんたちに送らせて頂いたりそれぞれが色んな周りの方に声掛けをしたりと委員一丸となって取り組んで参りましたその甲斐あって二名の初席者をお与え頂く事ができました賑やかで楽しくて素晴らしいおぢばがえりになりましたこの場をお借りしてご協力頂きました担当の奥様方お声がけして下さった委員部長の奥様方にまずお礼を申し上げたいと思います本当にありがとうございました初日のお昼に大教会を出発し浅野明教先生のプロ級の運転のお陰で予定通り夕方五時ピッタリに本部に到着することができましたありが婦人会笠岡支部女子青年部節や悩みを乗り越え初席者をご守護いただいておぢばがえり別席団参とうございましたみんなで神殿教祖殿祖霊殿を参拝させて頂き詰所に到着しました温かいお出迎えを頂いてお腹いっぱい夕ご飯を頂いてそのあとの懇親会ではおぢば管内からの参加者も迎え我を忘れて大はしゃぎしました中でもウインクキラーというゲームをしたのですがウインクと瞬きの見分けがつかない人がいて全くゲームが進まないという事件が起こったり普段は見えないセクシーな表情が見えたりして担当者の奥様を筆頭に楽しませて頂きましたそして支部長様から別席についてお話を頂戴しました初めて神様のお話を聞いて下さる方にはとても分かり易くて心が温かくなるようなお話をして下さり参加してくれた方がとても感動してくれましたそしてよふぼくである私たちには理の親になって別席を運んで頂いている間の心遣いを妊娠中の十月十日の心の遣い方に喩えてお話下さいました心に染み渡りぜひ色んな方にも聞いていただきたいなぁという思いになりましたその後時間がない中車を飛ばして来て下さった三名の参加者が合流し夜は心行くまで語り合いカップラーメンを平らげ笑早い朝づとめに備えぐっすりと眠りました次の日天気予報は雨でしたところが初席も無事に運んで頂き基礎講座もしっかり受けて頂き詰所に帰って一息ついた所で雨は降り出しました子供達の姿を見て親神様が踏ん張って下さったのかと思うと嬉しくてたまらない気持ちになりました午後は練り合いアンケートの記入片付けひのきしんをして詰所を後にしました参加して下さった皆さんそれぞれが節の最中だったり思いを抱えたりしていてその中を参加して下さって一つでも喜びを見つけることができた団参になったのではないかなと思います私自身も心の中に素晴らしいお土産を頂くことができましたもし女子青年さんがここを目に留めてくれていたらちょっと読んで下さい私は笠岡にお嫁に来るまで女子青年活動を敬遠していました何かかしこまっておしとやかで絵に描いたように素直な女の子だけがする活動と思っていてそういうタイプではなかったのでもう一生縁がないものだと思っていたんですが大教会の奥様に声を掛けて頂いて参加するようになりました初めはよく分からないのもあってただ行かせて貰ってたのがいつの間にかそこが自分の居場所になって癒しになっていますグレてた進行形でもとかおもしろくなさそうとかなんとなく嫌とか色んな思いがあると思いますがとにかく一度遊びに来て下さい委員部長の奥様方にも女子青年活動に娘さんや周りの方をどんどん出して頂きたいと思います喜んで貰える様これからも委員長を中心に素直に可憐に笑顔で頑張りたいと思います女子青年副委員長上原宏恵談話室バス団参芦品分教会竹内理江月にバス団参のお話を聞いた時職場の親戚のおばと話し私は仕事をするからおばちゃんは参拝させてもらったらと参拝する気はでしたただ主人と子ども達には日帰りで参拝して来たらとおぢばに帰るよう勧めていました日にちは過ぎ月芦品大祭前日のひのきしんでの事おつとめ練習終了後みんなでコーヒーを飲みながら大祭参拝について話し合いがありましたバスを出すか出さないか日にちはいつかみんなで押し問答した結果日にちは日でバスを出す事に決まり私は行かないからと頭で思いながらも仕事を休めたら主人と子ども達と一緒に団参できるなぁけど職場のおばやいとこと話をしない事には参加するしないの返事はできないなぁとその日は考えておきますと言って家に帰りました次の日芦品の大祭での神殿講話高屋の会長様のお話を聞き内容はすぐ忘れるけど心が勇むとっても良いお話でした親の想いに添う事が大事なんだとなんとしてもおぢばに帰らせて頂きたいと気持ちがコロッと変わりましたいくら心で思っていても行動に移さないといけないんだと広島の親戚職場の親戚と話をした結果陽気本店福山店大手町店を臨時休業にしてみんなで参拝させて頂く事に決まりましたさてバスで天理まで行くとなると子ども達は大喜びおやつを用意していざ天理へ主人子ども人と楽しいバスの旅本部でのおつとめ回廊ひのきしんこの後月曜は仕事の主人は親戚の車で福山へ帰り私と子ども達は詰所へ用意されたご飯に布団主婦としては極楽な時間が過ぎていきました夜には一度お話を聞いてみたかった松尾真理子先生のお話ジョークまじりの理のあるお話は心にスーっと入ってきました色んな事がある毎日人の言葉にカチンときたりイライラしたりけど一日の終わりには喜びに変えれるようこれなら私にもできるなあと忘れなかったら実行していますで大祭当日は朝から雨私達は西礼拝場の下で参拝してお話終了後本通りで買物を済ませバスに乗りこみ帰福バスの中では安那の会長さんが大祭に雨は珍しいけどインフルエンザが流行している今雨でよかった雨のお陰で湿度が高く気温も高くなかった晴れて気温が高かったら空気が乾燥していて菌がまん延していたかもしれないこれも親神様の御守護だなぁと言う話をして下さいましたなるほど雨の御守護神様ってすごい働らいて下さっているんだなぁと思いました以下余談ですが私はお気に入りの靴をはいておぢばに帰らせて頂きました実は両方の靴底には穴が空いてまして雨のお陰で靴も靴下もびちょびちょ雨だけは降らないでほしいと願っていましたが雨は神様の御守護これで新しい靴を買う決心がつきました全教野球大会に参加して府中市分教会豊田宏哉今回天理で行われた野球大会に日日と参加してみてとても有意義な時を過ごせた何故かと言うと自分は天理教の教えを学びだしたのが昨年の月の修養科からでまだ一年にもなっていない日学んで行かなければならないが一番大変で大切であろうと自分の考えているのは他人とのつながりである今まで子供の頃からおぢばへ帰ってたわけでもなく知人も居ないその中で少しずつ知り合いを増やし話し合える語り合える人を作っていく中どうしても自教会の枠外の知人の少なさそんな時青年会の委員長である上原さんに誘って頂きチャンスと思ってお願いしたフタをあけてみれば平日なので仕事等がある方がこれず人数は人程いわゆるギリギリであって監督の采配とみんなの頑張りで一回戦突破が二回戦は交代する者が居らずボロボロの体を引っ張るように皆頑張ったが負けてしまったたしかに負けてはしまったけど笠岡チムの問題点等次回への目標は出来たと思うそんな中この大会のお陰で自分には話しが出来る人が多少なりとは増えた事が大きな収穫であったと言える他教会の会長さんや信者さんとの会話これはこうゆう時でもないとそうそう出来ない野球大会に限らず人と語り合える場にはこれからも積極的に出て行こうと思える程の収穫のある二日だったこういう想いを持っている若い人にはぜひスポツに限らず各行事に出れば辛い事もあるかもしれないがそれに見合った得るものも有るということを知ってほしいと思う自分も今回はさすがに疲れたがそれ以上に楽しく色な話しが出来た二日間だった皆さん有り難う御座いましたまた道の上で会いましょう川柳芦品分教会金谷眞佐代川柳初競馬みんなはづれるでも楽し日に布教所の月次祭を終え直会も終わり弟やめいやおい達が馬券を買いに行く私も投資してみた初めてのこと胸をワクワウさせながら帰りを待ったみんなはづれたョ道柳俳壇今年には二度もできたよバス団参月日と父才の米寿のお祝に大型バス一台貸し切って淡路島の洲本温泉でお祝をしてお礼のおぢばがえりをさせて頂いた子供夫婦孫夫婦ひ孫また父のお祝をして下さるお道の方総勢何名だったかな秋季大祭別席ひのきしん団参にも出させて頂いた日に嬉し涙の朝づとめ才になる母は朝のおつとめの時毎日嬉しくてもったいなくてと涙を流しながらおつとめをしています地域の知恵袋皆さん犬の落とし物に困っていませんか私も実に困っていたのです教会の玄関前挟む東西の道路へ煩瑣な落とし物しかし最近は少しずつ解決していくようです私の悪戦苦闘が地域のお知恵拝借になって役立てばいいですね最初は誰でもするようにここでをしないで下さいの始末をして下さいの貼り紙をしましたこれが全く役に立たないんだなあ段腹が立って世間の言うプッツン切れた最後通牒にこう書いた飼い犬のはあなたのですまあ飼い主が外でをするみたいなもんだこれは効果が有ったしばらくの間はだ刺激的な言葉は日が経てば刺激にならなくなるのか雨風にさらされて貼り紙も字が薄れ汚れ千切れ強い言葉は教会に似合わないなそれで一寸思いを変えた貼り紙を外し例え落とし物が有っても何も苦情を披瀝せず黙と清掃始末する朝玄関道周りを掃除する夏なら水を打つ丁度犬を散歩させている人が通りかかるこの飼い主が始末をしないやからかという思いを捨てておはようございますと声を掛ける知らない人だがこちらが声を掛ければリアクションが必ず有るその内に本当に段落とし物が減ってきた場所を換えたのかも知れないが当方はきれいになったやっぱり人間だものきれいにしている所や挨拶を交わしたような所は遠慮するもんやこれからも北風と太陽の寓話のように旅人の上着を脱がすのは犬の落とし物をなくすのは北風に似た強い注意ではなく太陽のような暖かい言葉態度なんだな皆さんへのお知恵にというのは一寸おこがましいことですが私の一つの成功例なんです詰所掛より大祭月次祭の日下記の時間で事務所を閉所させて頂きます月次祭春季大祭秋季大祭教祖ご誕生祭食事申込みについて喫食の日前の夜迄に申込み本部食も同様です大祭月及びご誕生祭の宿泊の申込みは輸送部へ食事は詰所へお申込み下さい宿泊喫食の日前の夜迄年末お正月が日に参拝されます方は月日迄に人数食事をお申込み下さいお正月は特別食になりますので申込みのない場合喫食出来ません炊事本部がお正月はお休みです秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますつくり親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て楽しみたいとの思召から道具を引き寄せ守護を教えて人間とこの世をお創造下されたばかりでなく陽気ぐらしができるようにと絶え間ない御守護によってお育て下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます加えて旬刻限の到来と共に教祖をやしろとしてこの世の表にお現れになり人間の進むべき道筋をお示し下さり又お通り下されて今なおお導き下さっております事は御礼の申し上げようもございません親を通してお引き寄せ頂きました私共はその御恩に少しでも報いさせて頂きたいものと日は朝夕に御礼申し上げると共に世界一列救けたいとの思召に応えさせて頂くべく届かぬながらもたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中でもこの月二十六日は教祖が月日の社となられ世界救けの始まった尊い日柄に当たりおぢばでは秋の大祭が執り行われますので当教会に於きましても理のお許しを戴いて只今からおつとめ奉仕人一同立教の元一日の親心に思いを馳せ明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせて頂きます御前には遠近を問わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝み尚も変わらぬ親心にお縋りする状を御覧下さいまいして親神様にもお勇み下さいますようお願こころの詩い申し上げます又おぢばの秋の大祭に合わせ別席ひのきしん団参をさせて頂きます創立百二こころのうた想ひ出十周年記念祭に向けての成人の歩み一年目の様子を御覧頂こうと募集の上に余念思ひ出つて樂しいものですネはございません何卒一人でも多くの人をお引き寄せ下さいますようお願い申し上悲しかつたこと苦しかつたことげますまして楽しかつたこと更には又今月直轄教会の大祭参拝をさせて頂き年頭の心定め完遂を誓い合わ嬉しかつたことせて頂きました完遂目指し力の限り勤め切る所存でございますみんな神様が淨化して下さるのかしら何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声を素直に受け止めたすけ一条に邁想ひ出つて樂しいものですネ進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を芦辺分教会会長松岡睦代賜り次と親心に触れ御恩報じを願う人が弥増して一日も早く陽気ぐらしの世の中に立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます表紙の絵福満分教会前会長夫人福島悦子さん訃報松岡睦代姉芦辺分教会長十一月六日出直されました享年八十七才門脇誠教氏大教会理事島根分教会前会長十一月十日出直されました享年七十七才宮本おふさ姉大教会おつとめ奉仕人十一月十八日出直されました享年八十九才内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい修養科での教養主任のある日の朝席であるある時月様と日様と雷様が一泊旅行に行くことになりある旅館で大変楽しく一夜を過ごし次の朝ぐっすり寝込んでしまった雷様が目を覚ますと月様と日様は既に先に立たれ一人残された雷様は月日の立つのは早いものだと呟いたそうな閑話休題私はヶ月目の助員として聞かせて頂いており続いて修養科生活も一ヶ月が過ぎ後のヶ月のおぢばでの生活で何かを掴もうとする人は希望を語り怠けようとする人は不平や不満を語る様になるからそれぞれの時間の使い方心の持ち方考え方で残りの生活を意義あるものにして下さいと話された私は何気なく日過ごす時間の中で如何に無駄が多いことかと反省する誰もがあの時こうしておけば良かったと後になって後悔するが大げさに言うと迫り来る人生から考えると時間を無駄にするという事は自らの命をも削っているように思える残りの人生を少しでも親神様の御教えに近づいてゆく心を持てる様陰の理づくりというのは本当に重要な事だと思うむ