かさおか 『かさおか』第51巻 第10号
秋の夕暮れ月日午後時大教会神苑より撮影教祖年祭に向かって成人目標おつとめ奉仕人の増員テキストとして使用された冊子年祭活動推進委員会発足部長の笠岡の次代を担う教養掛に講話を引き継いでもらいたいとの意向から谷内同主任に依頼結果講習会用の冊子を作製し実施となった今後教祖年祭三年千日に向け大教会史講話は修養科中教養掛が行付う冊子は神の方でハなかなか大イそ大教会では教祖年祭三年千日に向け月ふやで上原佐吉さとの信仰の周日付で年祭活動推進委員会を発足委員長委員は次の通り敬称略委員長田中隆之委員上原きよの門脇元教上原志郎辺のタイトルで判時代ごとペーの白黒写真入りでジ序から始まり天理教略史初代上原さと伝笠岡の三大おさしづについての構成となっている養掛員への期待が込められている更に笠岡の教勢の基本は笠岡三大おさしづ山野弘実吉岡誠一郎虫明立生笠岡三大おさしづを除いては上原前同部長がによって形作られた私達は常にこのおさしづを武内正美佐藤真孝上原繁次折に執筆しこれまでみちのと節に遭うごとに思案させて頂く覚悟をもっておかもに掲載したものを使用なければならない笠岡の道に繋がるよふぼくの史勉強会を開催勉強会では上原前同部長が冊子をテキストに心構え使命をこのおさしづは常に私達の心に語目次に添って大教会史の重要点を約分間話しりかけてくれると現在の笠岡の基盤となるおさ修養科教養掛員を対象にたしづの重要性を強調また冊子の作製について修養科生の教養掛員そして温故知新の心でしっかりと学んで教養掛谷内伸自主任では月日午後時特に三ヶ月間の人達は大教会の次代信仰者育成欲しいと望んでいるペーから大教会会議室で上原繁道前史料の中枢に在る人達と考える時この人達に大教会参加者の一人はジもある冊子を参考に修養部長を講師に教養掛史勉強会を開の元一日を熟知して頂いておく事が大切そして科生に大教会史を伝えることは正直大変なこと催同掛員人が参加した何度もこの冊子を読んでその上に自らのこれかだと思うしかし笠岡の歩みを学ぶことは後に続これまで修養科生への大教会史講話は大教会らの信仰を立ち上げ笠岡の信仰の伝承に役立てく者にとっては大事まず自ら何度も読み返してでの修了講習時に上原史料部長が行っていたがて貰いたいまた三ヶ月間の教養掛からその期しっかり理解し伝える努力をしたいと話して本年月の大教会人事の刷新に伴い上原前史料の一ヶ月ごとの教養掛にも伝えて頂きたいと教いた婦人会霊祭について講話される上原先生諭達巡教月日本部秋季大祭において諭達が発布されますそれに伴い左記の通り諭達巡教が行われます日時巡教員対象服装月日火午後時時冨松幹禎本部員大教会役員准役員おつとめ奉仕人部内教会長夫妻布教所長大教会役員は羽織袴それ以外はハッピにネクタイ転建築などを通し大教会の初代二代三なったまた各教会布教所家庭でもそれぞれ代四代の歴代会長の道すがらを話されたの先代の伏せ込みの御功績を振り返らせて頂きそして大教会の霊祭は役員だけが拝するのでその上に立って歩む筋道を立てると共にしっかではなく大教会の祖霊殿には大教会に御功績をりと霊様の心に添ってつとめることが大切と霊残された霊様をお祀りしていることから部内の祭をつとめる意義について話された教会また笠岡に繋がる方が先人を偲ぶ心を引き続き約分同テーマについての質疑応答持っておつとめ下さいその上から現会長になりが行われ参加者は熱心に受講した霊祭のおつとめに部内教会長もつとめるように勉強会に先立ち月次祭終了後神殿で同部おたすけ掛員より一人におさづけが取り次がれたなお月月月は休講の同勉強会の詳細については本誌月日号参考委員部長後継者講習会開催よふぼく勉強会開催テーマは霊祭について月月次祭後育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催人が参加した今回のテーマは霊祭について講師の上原繁道先生はまず本席様のお入り込み笠岡に頂いたおさしづに添った神殿普請倍加運動芦津大教会から分離教会移大教会で婦人会笠岡支部上原きよの支部長では月日大教会で委員部長後継者講習会を開催人後継者人婦人会係員人託児人が参加した午前時半開始上原きよの同支部長が講話引き続き後継者人が感話をした午後からは先輩委員部長の話しねり合いひのきしんなどが行われお互いの成人を誓い合い午後時閉会した温故知新いきいきエピソード岡本久作先生二銭はそのままにあったということも甲山のサヨ笹尾栄藤井君子らが次と患った久南久井の路傍でお地蔵様にお供えしてあった作先生は一番後であったがこれを機に先生赤飯をそっと頂戴して一刻を凌いだというのは笠岡三代会長の命のまま会長を岸本亀三郎も今は昔の物語として残っている中略氏に渡して笠岡へ引き揚げたこの間の事情は主立つ者が多少残っていたがこの人も別に三代会長の聞き書きがあるので引用する岡本久作先生は明治年月監督教師という相談する事もなく自発的に負債整理のために大正十四年の初め頃やったか久作さんの名目で神邉に派遣され明治年月神邉出張遠地の労働に出掛けるなどして遂に教会には息子の久則と家内の伊志さんが身上おさわりを所代所長に就任した明治年月本教の一留守居の者さえ居ないまでに寂れ果てたこれ頂いたそれもなかなかの大病やったがとに派独立で神邉支教会長となり大正年月では神様に申し訳ないと笠岡に残していた家族かくご守護頂いたんやその後春頃やったか日支教会長を辞任し笠岡分教会へ帰り以後理を呼び寄せ布教に勤しんだ妻伊志女は日夏頃やったか岡本久作さんが笠岡で病気になっ事として尽力された親神様への御用の傍ら両親への孝養と二児の養たんや腸チフスやそれに肺炎を併発してど大正年月教祖年祭提唱の諭達第号育を引き受け手内職をして生計を樹てたうもこうもいかんという事になったんやそのが発布され笠岡では大正年月上原繁雄さて教祖四十年祭活動の中での神邉の動きで当時上原の家のかかり付けの医者の森先生に三代会長のもと教祖年祭準備委員が任命さあるが教会倍加運動に向けて懸命の活動を展診察して貰うと法定伝染病だから隔離するれ大正年月の回にわたる教祖年祭に開し十三名称が新設された当時の岡山教務かあるいは避病院隔離病舎に入院させる向けての教会倍加運動が始まる支庁管内中国県では初めての事であったかという事になってきたんや岡﨑軍治さん出張所長支教会長時代の教会負債返済の苦こうした名称新設運動に岡本会長はじめ岸本亀が傍に居て久作さんは役員室の間に寝ていた労は前回に述べたこの頃の岡本先生の教会で三郎氏をはじめとする役員の面は一手一つにんやがここは奥の間で誰も入りませんからの生活状態を笠岡分教会史から抜粋してみるつとめたのであるが大正十四年三月年祭を隔離しているのも同然ですという事から森先古さびた冷やかな教会に落ち着いた氏は一年後に控えて岡本先生は腸チフスの身上と生がそれでは避病院に入れなくても結構で月次祭にもろくろく集まらぬ信者の復活に寝食なったこれは突然に会長一人が身上となったすという事になった久作さんは教会の役員を忘れて運んで運んで運び抜いた懐中僅かに訳ではなくそれより前岡本の妻伊志女室にそのままおったんやがこれはえらい事二銭を持って服部府中上下油木東城さらに岡本喜代子岡本千鶴子岡本久則まになってきたなとワシは思った森先生はそ等往復四十里の行程を巡回布教した而してた住込青年の海内茂高木一夫その他高木ミの後も毎日来てくれていた次第に病気は悪くなっていったある日身上迫ってきたので軍さして貰うどういうお願いや言うことはわら呼び寄せといてんかと頼んだそれで二治さんにあんたはどなたですかと森先生がしは言えんけれどもあんたら共に三日のお日目がすんだ三日目や森先生に診察して貰尋ねたワシはこれの伯父ですと軍治さん願いづとめさして貰うんやから会長がどうと不思議な事ですもうこれで持ち直しが言うとすぐ濃い親戚を集める手筈をしてほういうお願いをするのや知りませんけどもましたと言う事やそれからわしは三人髙しいという事になったんやこれはもうあ会長の心通りにどうぞ何かしるしを見せて頂き田淺野岡﨑理事を呼んで願いの筋を打かんという事やこれを聞いて軍治さんがワシたいという事にお願いして貰いたいどなち明けたんやこの病気で岡本さんが出直したのところへとんで来たんやそれでワシは軍治いや言うたら結構ですという事になったそらどうしても会長を変更せにゃあかんいやさんの知らせを聞いて考えた岡本さんが死んの心に添うてわしらもお願いさせて貰うとい会長を変更して頂いて命をおいて頂きたいこだらどうなるか死んだらどうでも笠岡へ帰っう事で三日三夜のお願いづとめをさしてもろうれが親神さまの思召に添うのでしたらその通て来る岡本さんはもともと笠岡から神邉へ教た訳やそしてお願いづとめの後で岡本さんり運ばせて頂きますからどうぞお願い致しま会の負債整理に行ったんや整理に行ったらの枕元であんた今夢の中でな耳が聞こえすそうお願いしたんやと話したでは会長変それが済んだら笠岡へ帰って来るというのがんのやけどなわしはあんたの心に話をする更すると言うたら後は誰ですかと聞くからこれが筋やところが岡本さんが悪くなる以のやで神様に今お願いさせて頂いたがその会長代理の岸本さんやないかこれは笠岡の前藤井九右衛門さんや桑田音吉さんら神邉のお願いの筋でご守護頂く事になったらわしの二代会長からちゃんと決めてあるんやと話し役員に聞いてみても久則さんが大きくなっ心積もりの治め方するで承知しなはれやとたそして三日のお願いがすんで髙田さんとたら会長を譲ってもらっても結構ですという話した翌日森先生が来て診察をした後で聞淺野さんに運んでもろうた神邉の教会ではように会長変更の事については何も言わへんのくと昨日と比べてちいと具合がよろしいでびっくりしとったけどそれから岡本さんはやそれでわしは久作さんの身上になるまですなという事やったそこへ藤井九右衛門さずっと良くなってきたんやそれから言うたらにどうしたらええか考えとった訳やそれで岡んが来て会長さんうちの会長の身上はど命が二十年延びたんやでその頃久則はまだ本さんが身上になっていよいよあかん医者がうでしょうかと聞くからあんたどない子供やったんやそれが大きくなって嫁さん貰手を放すという事になってわしはハッと心に思うんやと聞いたらわしは何も考えとりうて子供までできてその後に久作さんは出直思う事があったもんやから髙田松太郎岡﨑ませんという事やそれで神邉の教会にしたという事になるねんそういう事やったん軍治淺野彌三郎この三人に寄ってもらって今理事連中おるかいなと聞くとおりまやところが翌年が教祖四十年祭やろ会長なわしは岡本さんの身上について神様にお願いすという事やもし出張している者あったらば正服着て今日のように登殿参拝する事ができた役員なら教服という事に発表もあってそれで他の役員が四十年祭済んで会長変更という事にしたらどうでしょうかと言うたんや岡本さんに会長として四十年祭を勤めさせてやろうという事やそれでわしは岡本さんはなあの時出直してたもんやで神様の思召で会長変更という事で寿命を伸ばしてもろうたんやだから今さらそんな事はできませんと言うて頑張って教祖四十年祭までに会長の変更をして岸本さんが神邉の会長として登殿参拝させてもろうたんやそれで岡本さんの心に何とも言えない割り切れないものがあったらしいところが四十年祭済んでしばらくして岡本さんがわしの処へ来て有り難う御座いましたわしの命は会長さんに助けて頂いたんです有り難うございましたそう言うて御礼に来たがな何でやな久作さん言うて聞くと年を同じくして某系統のある教会の初代が出直して息子が幼かったもんやから初代会長の実弟が一時会長を持ったその人が身上になってそれでその教会の最上級教会長が行って会長変更の話をしたんやそして承知しましたという事で身上は助かったところがその後で同じ事なら四十年祭がすんで変更のお願いさして貰いたいと言うたら最上級教会の会長がうんうんそうやなあ言うたんで変更を伸ばしたすると初代の実弟はころっと出直してしもたそれを岡本さんが聞いたんやなうちの役員が岡本さんに同情して会長変更を伸ばしてほしいというのをわしがイカン言うて頑張った事が命をおいてもろた言うことをその時知ったんやそれで改めて御礼に来たんや人間的に考えたら神邉の教会を一生懸命どん底の中を丹精し教会の負債整理をし部内名称もできた力も出来て来ただからその後ずっと会長という事で構わない訳やけれど理の上から教会の治め方を考えてみるとやはり上級から出向いた整理会長は整理会長や適宜いい後任者ができたら上級に帰るという事が理の建前や昭和五十一年二月二十八日聞き手は上原繁道笠岡三代会長は当時未だ新任の若い会長でそうそう当時の錚たる役員を前に理の治め方を進めていくのは大変であったろうと思われる思えばこの四十年祭から五十年祭の十年が笠岡の道が大きく飛躍するかしないかの時であったようであるその最初の節とも言うべき岡本久作先生の身上ご守護であった次回はその四十年祭から五十年祭の歩みを振り返って見たい大教会前史料部長第期修養科募集要項修養科期間教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目中島誠治大教会役員鶴山分教会長藤井正仁福冨士分教会長山田敏教大教会准役員甲井分教会前会長藤本芳久東水島分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日午前時に解散談話室高校生だった娘は別席を運ぶという約束をして用木にならせていただきました長い入院生活中は今は亡き理の親が笠岡便が有るので病院へは少し歩くと来られるから私の行き帰りは心配しないでと言われ毎日の私の生きてる生きてくように顔を見に来て下さりやさしい言葉をかけて下さいました主治医に聞いて下さったり抗ガン剤を打つ時にも何度か立ち合って下さったの大教会谷本篤子でとても心強く感じ私は点滴の一滴一滴落ちお陰様で月日に歳にならせていただきまるのを心おだやかに見つめていましたすどうして女性が年令を公表するのか首をかし多くの方の真心と真実をいただいてげる方も多いと思いますワンクールの治療を終え翌年の月に退院しま実は平成年月日歳遅れた定期検した診に行くと思いもよらぬ病名を告げられましたこれまで私は二人の子供の成長を自分の命の主治医からセカンドオピニオンを求めて下さっ区切りとし神様にどうか娘の高校の卒業式てもかまいませんと言われましたまで生かして下さい次に人の子供が社会主治医の話しを伝えるのが精一杯で家族や母とに出るまで生かして下さいとお願いしてきましじっくり相談出来ないうちに自分自身も半信半た疑のまま月日に手術をしましたなんとか今までに息子も母親が生かしていただいている無事に手術は終わりましたお礼にと別席を運んでくれ用木にならせていガンという事もあり入院生活が長くなりましただいておりますた長い入院を知ったおばが母から病名を聞き現在娘は社会人となり年目どうにか自立身内でお願いづとめをしようと大教会に親戚が集して欲しいと才から親元から離していた息子もまった日には何故か用事が有って神殿にいら社会人となり年目になりましたした多くの信者さんも一緒に加わって下さった理の親はとても親孝行な息子さんでしたねそうです親としていろいろ心配された事も多かったと思いますがそれが貴女の生きる力になったでしょうと言って下さいました加齢に伴う老化現象とか体を使う仕事をしているので当然とか息子も頑張っているので少の痛みは我慢我慢と自分で思い込もうとしていたところ今年月に股関節の激痛で身動きが出来なくなりましたこの事を講社祭に来られた理の親にお話ししました今回も厳しい諭しはありませんでした来ていただいたお礼のメールをお送りするとこんな返信がありました良い思案も含めてその話しを人様にお話し出来ればにをいがけになります第一に良い思案が出来るようになる事次に人様にお話し出来るようになる事それが身上事情をお見せ下さる親神様のお望みであり神様へのご恩報じになるかと存じますと有りました今新たな節を迎えて何事も切羽詰まらないと分からないのを恥じるとともに感謝していますという言葉だけになっていた自分自身の反省としてとても理の親のお気持ちがありがたくてこの原稿となりましたいることは天理教の信者ならば周知のことだと思うこの入信のきっかけの割合をデータの数値として示すことができないのは残念であるが読者の皆様はこれに同意して下さるものとして話を進めることにするさて前にも述べたことだが現在の日本とタンザニアでは神なるものに対峙する姿勢が全く異なるという点についてもう一度よく考えてみたいと思う衣食住そして医療の満ち足りた日本とそうでないタンザニアでは助かりを神様に願う姿勢が自ずと異なるのは当然なのである私はタンザニア滞在中そのことを身をもって体験することができた実はソンゲアの小学校を訪問した際に私はタンザニア布教を終えて周囲の求めに応じて大学時代に手ほどきを受けた今回でようやく最後となるが日本に帰国して空手を披露したのだが続けざまに四ヵ所の学校から拙文を書きつらねていくうちに私なりの信で演武を行ったことも手伝って途中で右足を痛仰のあり方が次第に鮮やかになってきた原稿のめてしまったその痛みは非常に激しく情けな依頼を受けて当初は正直荷の重いものを背負いことに歩くのがやっとの状態であったその日わされたとそれをマイナスに捉えていたが今の日程をどうにか終えてホテルに到着するや否では執筆を通じて自分のこれまでの信仰を見直や志郎先生におさづけを取次いで頂いたそのし整理することができたと感謝しているそこで際に深谷忠政先生はお取次ぎの前に時間が最終回はタンザニア布教を通じて得た私なりの悟あるならその方の痛むところを時間をかけてさりを述べてみたいと思うすってあげなさいと言われていたと言いながところでこの道に引き寄せられ入信した先人ら私の痛む箇所を丁寧にさすって下さったその多くが病を助けられたことをきっかけとしてしてその後におさづけを取次いで頂いた当地の方には失礼な話だがソンゲアの町には日本人が病院と呼べるような病院はどこにもないまたホテルにも熱を持った足を冷やす氷もないし当然薬局のようなものもないので湿布や痛み止めの薬も手に入らない異国の地におけるこのような状況の中で取次いで頂いたおさづけはあたかも無力な子どもが苦しんでいるのを母親が温かい手でよしよしと撫でてくれる感覚に似たものであった正直なところおさづけを受ける側の心境が日本でのそれとは相当に異なるものであるタンザニアの食事と感じられたちなみに症状の悪化を覚悟して迎えた翌朝予想とは裏腹に痛みが少し治まっていたその朝用木のマユンガさん宅での朝食を終えると志郎先生は彼に私の右足におさづけを取次ぐようにと伝えたところが彼は前日の過ぎた晩酌が抜けきらない顔に無邪気な笑みを浮かべながらおさづけの手振りや唱和のしかたを忘れてしまったと弁明したそれに対して志郎先生はどうされるのだろうと窺っていると何とマユ孤児院にて衣料配布ンガさんの隣でおさづけの手振りを見せて唱和をてみようと思っていたのだが結局止めることに始められたそれに続いてマユンガさんもそれをしたそれはタンザニアでの私の体験は考え横目にたどたどしく唱和しながら私の患部に取ることよりも感じることの方が圧倒的に多かった次ぎを行った一瞬唖然としたがそのようなおと思えたからであるタンザニア布教は知に走ていさま世辞にも体の良いおさづけとは言えない様でり論を求める私の信仰を戒めてくれたかけがえあったにもかかわらず熱を帯びたような温かいのない旅であった掌で触れられた時には親のぬくもりをまざまざと実感させられた異郷にて神にすがりもたれるここころの詩とによって得られた安穏はこれまでに味わったことのないものであった日本から遠く離れたタンザニア天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございますの地で取次いで頂いたおさづけは月日付福満分教会福島悦子さんおも生涯忘れ得ぬ格別のものとなった三陸のリアス海岸想いつつが置かれる状況によっておさづくねりくねりと鶏頭を描くけはかくも有り難いものになるの月日付海松ヶ岡分教会藤井光子さんだと痛感させられたそれからもなす初採りの秋茄子一本供えけりう一つこのようにおさづけが状況依存的であると思えると同時におさづけは誰がどこで取次いでも常に教祖はそこにおいでになるの養徳社発行陽気誌十月号道柳より転載今回の課題は情笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございますだという普遍的なものも痛切に感じることができた実はこの最後の稿はこれからのお道論みたいなことを述べ秀詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん理か情か思案にくれて神意問う表紙写真吉岡輝昭編集部員教会おとまり会の報告大惠山隊実施日平成年月日日日火泊日参加者数少年会員名名は初日のみ育成会員名名は初日のみ合計名プログラム日日日月教会集合三殿礼拝髙屋分教会参拝満席順序参拝大教会参拝満席順序参拝夕勤め夕食ゲーム大会就寝おぢばがえりへ教会から出発やかた東棟周辺散策午前席中昼食みんなでサッカーゲームやかた東棟周辺散策午後席中本部参拝回廊ひのきしん詰所到着本部で記念撮影夕食詰所おたのしみ行事おさづけの理拝戴中就寝日起床朝食みんなで記念撮影西礼拝場前まだ眠いよーお兄さん達はゲームの神様だよおぢばへ向かう車中笠岡詰所火詰所おたのしみ行事午前席中昼食天理出発教会到着三殿例会解散所感名の満席名の中席のお兄さん達と一緒に初めて子供達だけでのおぢばがえりをすることが出来た今年のこどもおぢばがえりへの参加につながるおとまり会となったお兄さん達とゲームや食事をしてとても楽しそうであった結果今年のこどもおぢばがえりに人は参加してくれた備中隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム教会のふんいきになじませるため泊まりました所感素直に前進を考えています真金隊実施日参加者数プログラム平成年月日月日火少年会員名育成会員名合計名日集合芦加茂隊夕食夕づとめ遊び就寝日起床おつとめ朝食解散所感小さい子供がいるということは家の中が和やかになって良かった芦加茂隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名おとまり名育成会員名おとまり名合計名プログラム日祭典参拝お昼食カレー祭典後のひのきしん夕食準備夕食バーベキュー夕づとめ花火入浴日朝づとめ朝食パン後かたづけひのきしん絵手紙教室参加者人解散所感おとまり会の準備大変でしたが育成人の手だすけにより出来ました子供達に絵手紙をならわせましたのびのびと大変うまく出来ました素直な心をのばしてやりたいと思います髙屋隊実施日平成年月日火日水参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム日集合夕づとめ花火就寝日起床朝づとめ朝食天神峡へ水球バーベキュー解散所感おとまり会は基本的にあまり行事を入れず自由にさせていますその方が子供は楽しいみたいです廣町隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名稲瀬隊合計名プログラム日夕食夕づとめお話花火自由入浴日朝づとめラジオ体操朝食準備朝食後片付け勉強プールへ昼食後片付けひのきしん解散所感子供達の習い事が多く参加者が少なかったがめばえの子も遊び仲間に入れてもらい大喜こびだった親が忙しくなかなかプールへ連れて行く事が出来ないので大変喜こばれたお泊りは子供にとって楽しい行事だったようだ継続しておとまり会が実施出来るよう努力したい稲瀬隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員名小学名中学名育成会員名合計名日日受付部屋割り夕勤め会長様お話夕食入浴お楽しみ行事花火就寝起床洗面朝勤め朝食片付け準備ひのきしん片付けそうじ川遊び会長様お話参拝解散福勇隊実施日参加者数プログラム平成年月日日少年会員名育成会員名合計名日月次祭参拝直会準備後片付け夕づとめ夕食準備後片付け日花火入浴消灯起床朝づとめ草取りひのきしん朝食後片付けおつとめ練習鳴物練習夏休み宿題おやつタ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