かさおか 『かさおか』第51巻 第11号
天に向かって色づくイチョウ月日大教会神苑で教祖年祭に向かって成人目標おつとめ奉仕人の増員前へ前へそして日のたすけ心の声掛け秋季大祭講話大教会長様つに道具として使おうと思うがどうかと尋ねられましたこの道具も親神様のお言葉を聞いて最初は断わりましたがやはり押し問答の末に承知をさせて貰い受けそして人間創造に取り掛かりました立教の元一日について話される大教会長様承けることからたすけは始まる立教のタイミング我は元の神実の神であるこの屋敷にいんねんありこのたび世界一れつをたすけるために天降つたみきを神のやしろに貰い受けたい教祖御身お隠しの元このお言葉がくだったとき中山家にもいろい明治二十年教祖の御身に身上の上からお伺いろと事情がありましたので簡単に承けるわけにを立てたときにはろくぢに踏み出す扉を開はいかずなかなか承知することができませんでいて地を均らそうか扉を閉まりて地を均らそうしたが三日三晩押し問答を繰返す中に夫善かというお言葉があり当時の人は意味が解り兵衞様がみきを差上げますとお返事をされたませんでしたが扉開いてとお返事申しあげのが今から百七十五年前天保九年十月二十六たところ教祖御身お隠しという結果になりまし日の朝八時頃教典には天理教はここにた始まると書いてありますこれも親神様が勝手に教祖の御身をお隠しにつまりみきを貰い受けたいというお言葉によって親神様が勝手に道を始められたのではなく親神様のお言葉に対して夫善兵衞様なったのではなくて人間の答えを受けて御身お隠しろっくの地に踏み均しに出られる御守護世界だすけが始まりましたがみきを差上げますと承知をされたときからこのお道は始まりました承けることからたすけは始まる人間創造の始まり天保九年より遡ること九億九万九千九百九十九つまり親神様が世界一れつをたすけたいという思いを発信され私たちがその思いを承けたところからすべて親神様の御守護たすけの年前親神様が人間創造に当たっていろんな道世界が始まっています具を寄せられましたが寄せられた道具一つひとつまり私たちがこのお道を通る上においては旬にお聞かせいただくをやの声というものを承知しましたと承けることが大事だということです教祖年祭の旬に発布される諭達はをやの声たすかりでありなぜ病気になり災難が起ために生まれてきたと聞いても陽気ぐらしがでこるのかが分かってないのでたすけると言きるとはなかなかいきませんうと神さん任せにしてしまうのが人間の常です話しを聞かせただけではなかなかたすけにはしかしながら親神様のたすけは真のたすけ至らない通って示さなければ分からないだろうですという上から親神様は教祖のお身体に入り込ま十年ごとの教祖年祭の旬も親神様教祖により一層たすけ一条にお働きいただき不思議かしものかりものれ神様にしてみれば通らなくていいものをわざわざ御自ら五十年のひながたをお示しくださ自由の御守護を現わしていただこうと思うなら先ず諭達を通してをやの声を聞きそしてそのをやの声をハイと承けることによって陽気ぐらしへグッと近付くことができる旬だと思いま病気や災難が起こってくるのは親神様が罰を与えてやろう苦しめてやろうというものではなく一人ひとりの我が物である心の遣い方を間違えているからですいましたこうやって日歩んでいけば必ずや自分だけでなく世界が陽気ぐらしの世界に立て替わっていくという陽気ぐらしに向かう道を示されましたす諭達をしっかりと承ける承けた以上はしっかりとつとめるその心を今からしっかりと作ることが大切でありそして諭達を承け承知しまだから先ず心の反省をすることが大事であり陽気ぐらしに向かうためには心の入れ替えをすることが大事だということでかしものかりものということを教えられていますひながたに示されるよふぼくの使命欲の心を捨て去る教祖のひながたの第一は貧のどん底に落ち切したやらせてもらいますと親神様に申しあげることが大切だそういう旬だということを心に教祖のひながたられたという姿でした貧に落ち切らねば難儀なる者の味が分からおいてもらいたいと思います陽気ぐらしに向かう道筋真のたすかりとはその上で改めて立教の元一日のをやの思いしかしながらすべてのお話しを聞いたからといってすっきりと心を入れ替えて陽気ぐらしの心に切り替わるかといえばなかなかそうはいかないのが人間の欲の心です八つのほこりの説き分けを聞いたからといっんという意味もあって貧のどん底に落ち切られましたがこれは欲の心を捨て去るということを教えられたのだと思いますよくがあるならやめてくれかみのうけとりでけんから九下り目四ツを思案したいと思いますはじこのお道を啓められた目的は世界一れつをたすけるためです人間にとっては病気や災難が無くなることがて人は腹立ちをする心は治まらないし恨む心はなかなか消えるものではない剛気強欲もなかなか消えるものではない元の理の話を聞いて人間は陽気ぐらしをするよくにきりないどろみづやこゝろすみきれごくらくや十下り目四ツいくら陽気ぐらしを要望してみても欲の心があったのでは無理だからこの道を通る上で先ず大事なことは欲の心を捨て去ることだということを教えられたのだと思います戦後は金が無いどころかその日に喰うに困喜びの心を味わうひながたのつ目はそうすることによって木を打って神名を唱えるだけのおつとめでしたが我が身がたすかるためのおつとめであって世界だすけのためのおつとめではありませんでしるような時代でした一生懸命働いてその日に自ずと心に明るさが生まれ喜びと感謝の心が湧食べていければもうそれで幸せというようなこといてくるということを教えられたのではないでで隣近所もたすけ合いながら日過ごしていくしょうかたたすかりたい人がおぢばは元より日本中を走り回って神名を唱えておたすけに回りました家を空にするときも鍵を掛けもせず扉は開けっ世界には枕もとに食物を山ほど積んでもそうしてお互いにたすかってはいきますがそ放しでした食べるに食べられず水も喉を越さんと言うのたすかりはその場限りのたすかりにしかならしかしだんだん小金が貯まって生活が豊かにて苦しんでいる人もあるそのことを思えばないことも多かった自分が困ったときにはたすなってくるとドアに鍵を掛けるようになり隣わしらは結構や水を飲めば水の味がするけるが普段はしないということも少なくはあ近所との付き合いが薄くなってきました親神様が結構にお与え下されてあるりませんでした現代はどうでしょうかマンションの入口でス伝章とてもかみなをよびだせばトップさせられ部屋に入るにもつもつも鍵をしている隣近所は一体何をしているのか下手にドアを開けると隣の人さえも信用できないというような姿になってきています欲の心を捨て去ることによって自ずと心に明るさが生まれ物や金が無くても生かされているという喜びが自ずと湧いてくるそれが陽気ぐらしに向かう第一歩だということを教えはやくこもとへたづねでよ九下り目十いたる所で神名を唱えてはいるがおぢばに帰ってきて親神様教祖に御礼を申す人がなかなかいませんでした何か一つの物が与わればすぐ次の物が欲しくなる良い物が与わればそれより良い物が欲しくなる欲は欲を生んで正しくよくにきりないどろみづやという姿これが現実の姿でしょうそれがほこりの心遣いになって我が身が苦しまなければならない姿を招いているとするなら陽気ぐらしに向かうためにはその欲の心を捨て去るこれが大事だとひながたの第一のこととして教えられたと思いますられたと思います人だすけに歩むつ目にはをびやだすけから始まる人だすけ困っている人を次から次へと不思議なたすけ御守護でもってたすけられましたもと教祖にたすけられた人が教祖の許に集まってくるその人たちに教理を教えられたすかる手立てとしておつとめを教えられましたその当時のおつとめはただ御幣を立てて拍子ですから本気でたすかりたいのなら世界たすけを願うならおぢばに帰れとわざわざちゃんとみかぐらうたにも述べておられます月日に別席ひのきしん団参をしますがおぢばに帰るということも陽気ぐらしをする上では大事な角目でありさあ皆さん一人でも多くおぢばに帰らしてもらいましょうと声掛けするならおぢばがえりしても大きな意味があるということですそうしておつとめはつとめてはいましたが我が身のたすかりのおつとめであって世界だすけにはなかなかいきませんでしたそこでおさづけを当時の先生方に授けられるようになりました人だすけのできる人を育て上げるとするならばお道を通る私たちのよふぼくの使命は何かと言えばひながたの道を通らねばひながた要らん確実に増えていますおつとめ奉仕人がどれだけの数が減ったかは定かではありませんが間違いなくそれ以上に笠岡としてのよふぼくは増えていますそうなると今度はそれは自分の力だというふうに勘違いをして自分が神だと勘違いする人が出てきてしまいましたその上から改めて心のたすかりは何が大切かということで人たすけて我が身たすかるとひながたを辿ることがよふぼくとして大切だということなら日欲の心を捨て去り喜び感謝の心を味わってそしてつとめとさづけを通して人だすけに歩むプラス人だでもおつとめ奉仕人は減っているのです何が足らないのでしょうか教祖は御自らをびやだすけを始めて次とおたすけをされましたがそれでは足らないとつとめとさづけを通しておたすけ人を育て上げらいうことを教えられたのではないでしょうかすけをできる人を育てていくということですそれまでの神名を唱えるだけのおつとめは一その最後の部分を忘れていなかったでしょう人でできるおつとめであり我が身たすかりのおか教祖年祭の旬に改めて思案したいつとめです教祖年祭が済んだ後教祖年祭に向かって今のおつとめは人が集まってみんなでつとおつとめ奉仕人を御守護いただこう年祭のとめるおつとめでありこれは我が身がたすかるたきそれぞれの教会のおつとめ奉仕人を年祭めのおつとめではなく人さんにたすかってもらのときより一人でも増やそうと皆さん方に声を掛うためのおつとめ世界たすけに繋がるおつとめけましたです多くの方が簡単なことだと仰いましたがおさづけも素晴らしい効能の理はあっても年経ち年経ち年限が経つと同時に人れました実際教祖御身お隠しの後燎原に火を放つように世界中のよふぼくがおたすけに走り回りました別科修養科の前身が終わって帰ったらもう直ぐ早速にをいがけおたすけに歩き回られたどこかで初席者ができたよふぼくができた修養科生が一人修了したということに満足してしまってはいないでしょうかそれらを通して一人ひとりがおたすけ人になってもらうというところまで思いが至ってい我が身には取り次ぐことはできません減りました人減りましたもう人も人なかったのではないでしょうかつとめもさづけも人さんにたすかってもらうたも増やさなければならないそういう声を聞きまおぢばがえりに一人誘うのも別席を運んでもめの道具立てでしかありませんこれが教祖のひながたの集大成でした教祖五十年のひながたの集大成はつとめとさづけをやりたいその一点でしたしたそれぞれの教会が人増えるどころか現実にはだんだんに減ってきています何故なんでしょう全教会ではありませんが少なくとも毎年よふぼくは生まれ修養科修了者教人登録者もらうのも大変なことですがおたすけ人にまで育て上げるという最終的な目的を持っておかなければ一つひとつが世界たすけというをやの思いに添いきれない姿になってしまうということを心に置いて年祭の旬はおたすけ人を育て上げるための苦労をする旬だということを心に置きくそこからのおたすけ人に育て上げるというとたいと思います教祖の五十年のひながたは正しくおたすけ人を作るそこに五十年のひながたがあったと思ころが欠けてしまっているからではないでしょうかよふぼくになることだけで満足してしまっいますて一番大事なおたすけ人に育て上げるとこ日のたすけ心の声掛けおつとめはたすけの元立てそれぞれの教会の修養科を修了された方あるいはおさづけを拝戴された方が間違いなくろまでいききれてない姿が奉仕人が増えてない姿にあるのではないでしょうか前へ前へ勢いのある人を増やそう祭典に参拝しておつとめの理を真っ先に頂戴おたすけ人になったならおつとめ奉仕人は増えしたいと思うなら自ずと前へ前へと来て結ているはずですなぜならおつとめはたすけの元立てでありおさづけをお取り次ぎするためにはおつとめを界の前に座るのではないでしょうか我が身がたすかりたいだけなら後ろの方で参拝していてもいいかも知れませんが人にたすつとめなければいけないからですかってもらいたい何とか神様に働いてもらいた例えば仕事の都合でどうしても祭典をいと思ったら自ずと前へ前へと心が向き身つとめられないとしても人にたすかってもらい体が行くのではないでしょうかたいおさづけに十分に働いていただくためには大教会でも普段は椅子席を後ろの方に置おつとめの理を頂戴したいと思うなら祭典にはいてありますが今日は前の方に置きましたつとめられなくても祭典の前の日に祭典の準備椅子が後ろに置いてあるから止むなく後ろでをしよう仕事が終わってから夜に教会に行っ参拝しているが本当は前で参拝したいというよて後片付けをしようそうやってでもおつとめうな方もおられまいかということで今月から椅の理を頂戴さしてもらいたいおたすけ人な子席を前の方にしましたらそうなるはずですある先生が真柱様に真柱様は日本国内は修養科を修了してヶ月はつとめても元より世界中いろんな教会に行かれますが勢いだんだん都合が悪くなったりするのは間違いなのある教会とそうでない教会の違いはどういうところにあるのでしょうかとお尋ねされたところ教会に違いは一つもない違いがあるとするなら祭典のときに参拝場の前から埋まるか後ろから埋まるかの違いだと仰ったそうですそれぞれの教会も参拝者が少ないかも知れませんが椅子席も全部前に結界前に出しませんか教会に参拝した人が前から前から埋まるようなたすけ心を持った勢いのある人を増やしていくようにしていきませんかこれは形だけのものではなく心からそういう形になっていくことが大事なことではなかろうかと思います日のたすけ心の涵養たすけ心を声掛け今世の中はどんどん陽気ぐらしとは逆の方向に向かっているように思われます人をたすける心がなくなったときにいろんな災いが起こり苦しまなければならなくなるわけですから一人ひとりの心の中に人をたすける心をいかに持ってもらうかが大切なことではないかと思いますこういう今の旬だからこそ人をたすける心を一人ひとりが持つことが大切だということを改めて心に置いて共に教祖年祭に向かってたすけ人を育てるその目的を持って日しっお話しくださる永井先生かりと辿りたいと思いますそのためには日の歩み日のたすけ心の涵養が大切になってきますそしてこのたすけ心をただ持つだけではなくその日のたすけ心を少しでも一人でも多くの人に声掛けをしていくということ教祖年祭に向かって日の理づくりと申し合わせていますがそれに加えて今度は日のたすけ心の声掛けこれを加えて年祭に向かう中に回でも多くおさづけを取り次ぐ機会になれば親神様教祖にお喜びいただける姿になると思います以上要約言葉に触れられ今は結構に暮らしているけれどご用もその人に与わる大事な旬の声と受け取り初代二代と続く先祖の元一日を忘れないように低い心で素直に通らせて頂くことの大切さを述と結ばれたべられた引き続き約分同テーマについての質疑応答そして教祖年祭に向けては三年千日というが行われ参加者は熱心に受講した勉強会に先月日は歳を重ねている人程早く感じられるも立ち月次祭終了後神殿で同部おたすけ掛員よりのだから一日一日を教祖真柱様の思召しに添一人におさづけが取り次がれたなお月の勉強えるよう心定めをして通ることが大切でありそ会は休講おさづけの取次は行われますれが継続できるということが重要と話された最後に年祭活動を晴れ晴れと心残りなくやらせて頂くことができて良かったなという気持ちで教祖年祭を迎えさせて頂きたいと締めくくられたよふぼく勉強会開催テーマは元一日について月月次祭後育成部吉岡壽部長では月日大教会月月次祭後会議室でよふぼく勉強会を開催約人が参加した今回のテーマは元一日講師の河原節喜先生は天理教の元一日について説かれまたそれぞれに入信の元一日個の生まれた日結婚の日人生の節目の一日もまた元一日と話されたそして本席様が昔を忘れないようにとのお秋季大祭おかえり講話開催布教部田中隆之部長では月日午後時から詰所階講堂で永井芳樹先生を講師に迎えおかえり講話を開催宿泊者など約人が参加した先生は冒頭若い時の自身の体験からどんな諭達御発布の翌日に開催第回天理教青年会総会月日におぢばで開催された第回天理教青年会総会に笠岡分会上原明勇委員長からも各ブロックより参加があった参加人数は月末発表笠岡分会では本部総会と分会総会への動員に向け月に直轄教会へ巡回を実施更に全会員にハガキを出し呼びかけを行ってきた全ブロックより参集当日は快晴の空の下青年会長様よりお言葉を頂きおぢばにかえり集った会員同士年祭へ向け意気と情熱を持って活動に取り組む事を誓い合った年連続で出場第回全教野球大会笠岡ワールドブラザーズ平盛秀年監督は月日よりおぢばで開催された第回全教野球上原志郎主将が記念盾を受け取る笠岡ワルドブラザズワールドブラザーズの精鋭たち大会に岡山代表として年連続回目の出場をした今大会は雨により開催が日順延となり棄権するチームが出てくる中での変則的な日程で行われた開会式では年連続出場の記念盾が授与された前日の雨でグランド状況が悪い中初戦は熊本大教会と対戦した打線は初回よりコンスタントに点を積み重ね守備も安定対でコールド勝ちを収めた続いてこの日試合目となる対戦相手は優勝候補の髙安大教会大阪代表のチームとあって投打にレベルが高く笠岡は終始劣勢にそれでもタイムリーヒットで点を返し意地を見せた試合は対で敗戦笠岡ワールドブラザーズではここ数年で若い選手が少しずつ増えており来年以降も楽しみなチームとなったまた共に野球を通してつながるようぼく選手を募集しているヤッタゼラムネ早飲み対決会計部お節会本部献灯料について円納入してください仕切りについて月は本年最後の仕切り月ですよろしくお願いいたします史料部教会長履歴書の提出について月日切です詰所掛年末年始の詰所宿泊申込みについて正月日間は食事がないので宿泊される方は月日迄に詰所に申込んで下さい年祭活動開始の旬に開催長代読に続いて大教会長様より祝辞があったその中で大教会長様は諭達発布直後の月日という日付は親神様が決めて下さった日である青年会笠岡分会総会と述べられ青年会が笠岡の先頭に立って年祭活動に励みあらきとうりようの本分を発揮する青年会笠岡分会上原明勇委員長は月日よう諭された大教会で青年会笠岡分会総会を開催大教続いて委員長が百三十年祭へ向かう第一歩を会からの遠近を問わず教会ぐるみ家族連れなど早と踏み出せた事は大きな喜びである年祭会員に向け挨拶する上原委員長各ブロックごとにつとめられたおつとめまなび合わせて名うち青年会員名の参加があったに向けてしっかりとおたすけに励みましょうとこの度の総会は祭儀式を行い各ブロックから挨拶をした選抜された楽人の雅楽演奏の中厳かな雰囲気の午後からは笠岡オリンピックと称したスタートとなったおつとめまなびでは一同真ブロック対抗の室内競技を開催ラムネ早飲み対剣に勤め一手一つにおうたを唱和する声が殿内決や万歩計腰振り対決など計種目を行い福山に響いたブロックが優勝に輝いたその後は大抽選会を式典の部では青年会長様御告示杉原副委員行うなど大いに盛り上がった一日となった温故知新教会で七十四歳のお歳を召しても御元気でお人を教会へ足を運ぶようにした布教師の苦労を勤め頂いておりましたが笠岡へお帰り頂いて考えてみよ決して粗末に出来んでとお教えいきいきエピソード初代会長様の想い出岡崎幸逸も落ち着いて休んで頂く室がありませんそれ戴いた事は私の肝に銘じております又苦労で教祖殿と初代様の室が第一期工事として完成すまいと思うたら苦労するんやで苦労しようされたのでありますと思えば何もかも嬉しく楽しみになり苦労前号の最後に四十年祭から五十年祭の歩みを大正十五年十月に私が大阪へ布教に出させてないようになるんやで苦労と楽しみは紙一重振り返ってみたいと書いた丁度今大教会史頂きました時にも芦津大教会にお勤め下さっやでとお聞かせ頂きました本文の昭和四十七年からの下書き作成中でかておられました初代様によく布教に出て来今でも勿体なく思いますのは初代様が二代さおか等の史料を見ていたら昭和四十七年たなあしっかりおやりとお励まし頂き親伊助先生に会長を譲られてずっと後私の父岡の初代会長三十年祭朝子夫人二十年祭の記事心溢れるお言葉に何にも代え難い勇気が湧いて﨑時之祐は広島布教をしておりましたが大が載っていて当日式後初代会長の想い出をきたのを思い出します又芦津大教会の勤め教会の都合で笠岡へ引き揚げるようご命を戴い語って下さった方の話が収録されているその暇暇に笠岡の道に繋がる大阪に居る人のて帰り広島の道がそのままになっておりましれで今回から暫くその方の語る処に耳を傾け宅へお運び頂きお育て下さった或日芦津大た処これでは申し訳ないと初代様が広島にてみたいと思う以前門脇一教先生の当日の話教会へ私をお呼び頂きお伺い致しますと皿自ら布教にお出で下され持ち物をすっかり尽を収録したがここに載せるのは鉢砂糖壺等を下さり心を倒さずしっかりくされ裸になってまで信者をお育て頂いた事で編集部が原稿依頼したものと思われる布教させて貰いなさいとお言葉を戴いて嬉しあります明治四十年六月九日御本席様が出直先ずは岡﨑幸逸先生であるさに涙した時もありましたされたという報せに急いでお帰りになられまし初代様と申し上げるよりは旧長様とお呼び笠岡へ帰られてからも帰会の挨拶等でお部たが半年ほど広島で布教頂いたものですからしておりましたのでその方が何か懐かしみを屋にお伺いすると誰もおらん時に来いや広島の人がいつもお徳を慕っておりました広覚えます誰にも言うなと反物やお金を包んで内緒や真分教会ひろさと分教会の奉告祭の時初代笠岡が分教会当時大正十三年四月十八日でとそっと下さった事が幾度あったか分かり様は益本老母や数人がお供をして比治山へ登教祖殿と初代様のお休み頂く室の落成奉告祭がません又教会へはたとえどんな格好したられた事があります初代様は若い人に心配を行われました初代様は大阪新町にある芦津大人が尋ねて来ても粗末に扱うてくれなよそのかけまいと急いで登られたのでお顔が真っ青になられ途中から私が背中に負わせにどんな苦労もお通り頂いた訳ですて頂いて上へ登らせて頂きしばらくが笠岡へお帰り頂いたのは三十六歳お休み頂いてお楽になって頂きましたで姑八重様は六十四歳でお出直しにな又私は大阪布教中よく自転車で笠岡り舅佐吉様は七十一歳になっておらへ帰っておりましたが或時笠岡でおれましたが舅様にもよくお仕えされ目にかかると自転車には乗ってくれながらお子らを育まれつつ女の身でな危ないからとお心を遣って頂い笠岡の道をお開き頂いたのでありますた上実は先日芦品の会長さんが信者神様の理は何処までも絶対に理を立二三人とおぢばへ自転車で帰られてぬかれたのですが又一方では人の奈良へ廻って春日さんの方へ行って心の底まで入り込んでお心におかけ頂信者の一人がブレーキが利かなくなりきましたお目にかかった人は誰でも畑の土手へ突き上げて片手を痛めて片あの温かい親心に包まれて嬉しい心で一方の手で運転してようやく芦津へ帰っ帰りましたあの温情溢れたお人柄にたどうか危ないからくれぐれも用心触れた人は生涯ほのぼのとした暖するようにとご注意頂いた事も今はかさに感じ入った事でしょう懐かしい想い出と共に勿体ない心がよ晩年のお顔には苦労艱難の道を通りみがえります抜けられた面影はなく神しいようおぢばへ帰られた初代様にお伴をしな崇高な暖かいお姿をのみ拝しましたて今の本部の保安所のあるあたりにあっ静かに初代様がた高知の詰所や東の詰所へ菓子折を持っしっかりしいやと微笑みつつお励て行き高知の初代の奥様や東の旧奥まし下さっているお姿を瞼に浮かべつ様と話して帰って来られたお姿も目につ想い出の一端を思い出すままに綴ら浮かびます思えば初代様は真実一路せて頂きました前史料集成部長こころの詩天理教道友社発行天理時報時報歌壇時報俳壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付海松ヶ岡分教会池田広子さん時間かけやっとメールを送信す絵文字も書けず用件のみを月日付備中分教会塩飽利子さんまんじゅしゃげ百選の棚田の景や曼珠沙華養徳社発行陽気誌十一月号道柳より転載今回の課題は昇笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん四季の守護名物供え旅語る表紙写真吉岡輝昭編集部員展示場で来客に応対する野津正樹先生中央さおか誌の表紙を飾って下さり島根の爽や野野津津正正樹樹氏氏かな風を書作し季節の趣をしたため届けて頂きました履歴は前回の記事で紹介致しており書書作作展展ます今回は年代物の硯や墨も同時に展示してあ十一月一日から七日まで一畑百貨店松江店り中国の明の時代の丸型墨約百万円以上や五階美術サロンで暮らしの中の書と題して硯も六十万以上と貴重な道具ばかりで見る野津正樹書展が開催された米子美術館にも同人毎の質問に笑顔で答えて居られるのです時出展暮らしの中の書と云う事で掛け軸から色野津正樹先生は昨年一年間の長丁場をか紙大など各種即売もされており十五五十万円の力作を二日目ですでに半数近くが売約野津正樹先生と暮らしの中の書の大作していました萬佐正樹の正を考案した筆名に純金で書いた般若心経や小さな文字は一字が何千円字そのものの価値も付加されるその書が人気を誘い訪れる人の目を引もあるそこにしたためる書は高価な書物いていたとなるのです薄い墨で書いた大きな書画は小約一年前から企画して課題に沿って書き始め指くらいの細い筆字が時間経過とともに滲たが書いた時より後に成って作風が判るのみ出て全体の形が現れるので時として書き直で書き直す事もあるとまた大きい字が得し作り上げるそうです展示会の全てが作風で意と思っていたが今回の小さな印字の様な書あろうも出来るとは私は知らなかったと実のお姉一芸に秀でる者は天性と日の努力の賜物さん談でありそれを企てる器量も備えているので軸物の紙は百年以上前の中国の物で超薄しょういベンガラ色の版画が押してあり作者の落款ともあれ盛況を感じ取りサロンを後にした秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召から次と道具をお引き寄せになり守護を教え八千八度の生まれ替はじめわりを経てこの世と人間世界をお創造になられたばかりでなく火水風を始め十全の御守護で以てお育て下さっております加えて天保九年教祖を月日のやしろにお定めになり万一切の真実を明かされて世界たすけのこの道をおつけ下さいました事は誠に有難く私共は喜び感謝の心一杯に朝に夕に御礼申し上げると共に世界一列を救けたいとの親心にお応えすべく日は御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中今月二十六日本部に於きましては立教の元一日を記念して秋の大祭が執り行われますが当教会でも理のお許しを戴いて今日の吉日只今からおつとめ奉仕人一同慶び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせて頂きます御前には深まりゆく秋を楽しみつつ今日の日を心待ちにして寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し立教に込められた親心に思いを致し心も改たに思召に添い切る事をお誓い申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさていよいよ五日後にせまった本部の秋の大祭で教祖百三十年祭に向けての諭達のご発布がございます誘い合わせておぢばに帰らせて頂いて共に諭達を拝聴させて頂き諭達に込められた思いをしっかりと受け止めさせて頂いて思いも新たに教祖百三十年祭に向け成人の歩みを進めさせて頂く覚悟でございます又その上から十一月二十日に本部巡教を受けさせて頂き二十三日には別席ひのきしん団参を実施させて頂きます何卒親神様には教祖百三十年祭に向け心を一つに睦び合わせてたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り共にお救けをする人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百七十五年秋季大祭祭典役割表祭主大教会長様扈者佐藤道孝吉岡壽賛者上田原中志隆郎之指図方上原繁道講話大教会長様十二月講話岡本久善区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半吉岡壽中村邦義中村剛森本忠平笹尾正治田中隆之山野弘実今川昌彦森本忠善大教会長様岡本久善佐藤道孝岡本久善岡﨑真一岡﨑和夫上原繁道上原志郎門脇元教大教会奥様武内正美門脇加津田中ますみ内海安子高木孝子門脇郁子谷内美知子中村初美中島誠治武内清明高木昭祥上原澄雄西江昌直淺野明教河原節喜中村道德虫明立生三島渉吉岡誠一郎山田敏教内海史郎岡﨑輝彦田林久嗣杉原博之上原浩赤木素志上原順子佐藤香苗岡﨑豊子虫明好美笹尾一美三島照美今川佐智子森本冨美子横山小智榮中村義太郎教会おとまり会の報告福東隊実施日平成年月日日参加者数少年会員名育成会員名合計名プログラム日教会集合ゲームソング夕食入浴夕づとめ教話ビデオ上映消灯日起床洗面朝づとめ朝食おつとめ練習部屋掃除プール昼食解散所感予想を上回る数の御守護を頂き賑やかにつとめさせて頂くことができました小学生の低学年が主体ということでゲームや体を使った歌などを利用して楽しく過ごしました大切なおつとめ練習にもっと工夫をつけて指導できたらと思いました夏休み最後の楽しい思い出になったのではと思いますありがとうございました引野隊実施日参加者数プログラム平成年月日土少年会員名育成会員名合計名午前時頃午後時分頃まで実施しました少年会員と育成会員で座りづとめを勤めました今年の子供団参のビデオ見ながら歌を歌いましたお昼は育成会員で作り少年会員にもお手伝いをしてもらいました昼食後は後かたずけをして少年会員は自由に皆で遊びました育成会員は雑談です所感少年会員は才未満ですので親と共に教会へ上記のような参拝することが大事だと常に思っていますので簡単な楽な予定にしております顔を合わせて親は親同士で話したり子供は子供同士で遊ぶことを今は考えてますこれからですのでぼちぼちと考えながら実施してゆきたいです親の顔が見たいとは育てた親の顔を見たいの意味でよその子の言動に呆れて発する言葉であるが私は我が子に対して云っているそんな父親がいますか現にここにいますがしつけの悪い我が子の言動にあきれて親の顔がみたいよのおうと一言それを聞いた子供たちはポカーンとしている訳が分かっているのやら分からないのやらその我が子の姿を見て私が最後に一言情けねえとそう聞いた子供たちはまたもポカーンの態度自虐ネタになるのかなか