
『かさおか』第51巻 第3号
例年より遅く開花した小梅月日大教会神苑でしかし秀司様こかん様を始め先学生生徒修養会に積極的に参加を人先輩にお教えくださったことを思案すると例えば人に笑われそしられたり世相とかけ離れたり先行きが案じられてもあらゆる人間学生層育成者講習会開催思案を絶ってひながたを通らせていただけば無事に親神様はお連れ通りくださると思います大教会学生担当委員会吉岡誠一郎委員長は月日木村信也先生本部学生担当委ひながたを通ろうとすることで信仰は伝わる員北大教会長を講師に迎え大教会月月立教の時秀司様は今の高校年生こかん様次祭後に学生層育成者講習会を開催約は満才正にお子様方が学生の時代に教祖は人が参加した学生層をはじめとする道のひながたを通られお子様方に信仰を伝えられま後継者育成の重要性を理解すると共に活動したを広めていくために毎年開催しているもの今の私たちも先ず自分が教祖のひながたを木村先生は自分の中で道一条で通るのを通る姿を見せることによって子供若い年代に決めたのは学生生徒修養会大学の部に参加信仰を伝えることが大切ですしたお陰と学生生徒修養会への積極的な参ひながたを通ろうとすることで信仰は伝わ加を話された講話要旨は次の通りるということを肝に銘じなければなりません私は秀司様やこかん様は教祖伝の中だけの世学生層の育成は神一条の精神で界であって自分が実際に接している学生とは別昨年月日学生担当者大会において真だと思っていましたが実際に学生層に携わる柱様より学生を育てるにあたっては神一条の精ようになってそれがなかなか難しくてもでき神が大切だとお仕込みいただきましたるところから教祖のひながたを辿らせていただく考えてみれば教祖のお示しくださったひながことが大切だと思うようになりましたたは人間思案では容易には通れないものです学修で心をたすけられた私の学生時代の話しですが年前才の時に学生生徒修養会大学の部に参加しました父に参加を勧められ本当は参加したくなかったのですが渋参加しましたそういう気持ちで参加したのですが参加して本当に良かったと思いました学修に参加したお陰で自分の中で道一条で通る心が決まり自分の人生はそこで変わった転換点になったと思います何が良かったのかといえば班の雰囲気が大変暖かいおぢばだからだと思いますが自分の悩みが何でも話せるしみんなが人の悩みを解決できるように必死で聞いてアドバイスし合うそういう暖かい雰囲気がありました本部の朝づとめの後に教祖殿でまなびがありますが班の一人がまなびに出ようと言いだしましたその方は卒業したら就職も決まっていてそうなると修養科へもなかなかいけないそれで何とか一寸でも十二下りがおどれるようになりたいとのことでした学修では参加不参加は自由ですが私は大教会の長男で後継者の立場だったのに反対しました恥ずかしかったのですが班の雰囲気が良かったので勇気を出して正直に言いました実はよろづよ八首しかてをどりができなかったのですしかし班の人は誰一人信じてくれませんでした結局班みんなでまなびに行くことになりましたその時は一二下りでしたいきなり変則的で早いので必死でおどりました終わってから友達からほんまにできなかったなあといわれましたその当時は大教会の後継者というプレッシャーもありましたがおどれないことを正直に言える暖かい仲間でしたまた一週間おぢばにおいていただけたからこ学生生徒修養会参加を促される木村先生そ道一条で進もうと思うきっかけになりましたその時心をたすけていただいたのではないかと年以上経ってから気が付きました私が変わったから悟りができるようになったまた本部に勤めさせていただいたりしたので心のことが分かってきたのかとも思います本当のたすかり心がたすかるということ教祖伝逸話篇のに年来の足の悩みをすっきり御守護いただいた山本いささんがそのあと手が少しふるえてなかなかよくならないのでお息をかけて頂きとうございますと願ったというお話がありますこれに対して教祖は息をかけるはいと易い事やがあんたは足を救けて頂いたのやから手の少しふるえるくらいは何も差し支えはしないすっきり救けてもらうよりは少しぐらい残っている方が前生のいんねんもよく悟れるしいつまでも忘れなくてそれが本当のたすかりやでと仰せられて結果として教祖は息をかけられませんでした私は学生の時には身上が助かる助からないが大きな問題だと思っていましたのでこの話に違和感を感じていましたなぜ息をかけられなかったのか社会に出るまでは自分の心のことより身上の珍しいたすかりが大事だと思っていました卒業して社会人となり気持ちの問題心の問題それがうまくいかないと一番大変だと感じるようになりました修養科を出社会に出て当初は勇んでいましたが半年年経つとどうしても勇めなくなりました明日こそは勇もうと思うのですが勇めないそれを繰り返していましたその時お道は身上だすけであるけれど心だすけの道と聞いていましたが初めてそう思いました学修の時に道一条の決心ができたのも神様に心をたすけていただいたからだと思いますおぢばでたすかった喜びを人に伝える人様に自分のたすかった話しをさせてもらったらいいと教えられています私の場合学修でたすかったのですからそのことを人様に話しできる何よりおぢばだったからご守護いただいたやはりおぢばの理修養科で三ヶ月間通られたらその真実を神様が受け取ってくださる私の場合は一週間で短いけれど心をたすけていただいたのです自分なりに悟るのは教祖の年のひながたそれが私の心をたすけていただいたと思うのですその年はどんな年であったか二十数年は誰も教祖の話しを聞かなかったけれども自分が教祖にない命をたすけていただいてご恩報じの心で足繁くお屋敷に帰った人も多数おられるのです迫害の中に帰ると教祖は我が子が家に帰ってきたように心から温かくよう帰ってきたなあと仰ったその年限が何年も続きました昔は教祖が人間の姿でおぢばにいてくださったけれども今は直接お声やお姿は拝せない今ではおぢばでお迎えする立場に先生方がなった温かく迎えられた経験があるから自分も同じく温かく迎えることができる何年経っても人が変わっても同じです今でもこの雰囲気は変わらず教祖がひながたの親として通ってくださったから修養科講習おぢばでのひのきしんとかおぢばで何日かおられた方は何かしら心がまたがんばろうと思うのですこのおぢばでの経験が大切だと思います私の場合はたまたま学修でしたおぢばがえりのススメ理づくりの大切さ今の高校生大学生がおぢばに何日かいるということはなかなかできません教会長子弟でもなかなかいけない春の学生おぢばがえりを誘われても一週間の休みがとれないしかも就職が決まったら尚更難しいしかしおぢばで心の経験を得たら温もりを知ったらまたおぢばへ帰ろうとなるやはりおぢばにおいていただき教祖の温かさを感じてもらうことが何より素晴らしいのですそのことがその人の財産になるのです心が楽になって再スタートができるのです実際に自分がおぢばでたすけていただいたことは事実です珍しいたすけのある所を知っているのですから伝えることが大切ですおぢばがえりの機会を持たせてもらうことが大切ですですから若い方をおぢばに連れて帰ってほしいのです相手が学生であれば学修に参加してもらい教祖の温かさを知ってもらうのですまた三日講習会修養科へもぜひとも身近な方にお勧めいただきたい子供のため人様のためにどれだけ神様のことができるかが大切だと思います若い子におぢばに帰ってもらう自分の子供甥を連れて帰る努力するのです神様に働いて貰わないとおぢばに連れて行けないですから理づくりをすることが大切ですどうぞよろしくお願いいたします以上要約教祖年祭に向け各教会のおつ教祖年祭に向けおつとめ奉仕人の増員をとめ奉仕人増員目指し邁進していこうとの思いから教理勉強を中心に開かれたもの昨年つとめられた創立周年記念祭の慰労会も兼ねて教会長講習会開催行われた開講に先立ち大教会長様はこ大教会布教部中村剛部長は月の両日の講習会をそれぞれの教会がおつとめ奉仕人のご詰所で立教年教会長講習会を開催人が守護を頂くひとつのきっかけにして欲しい真の参加したようぼくとはにをいがけおたすけの出来る人で十全の守護八つのほこりについての教理勉強も行われたドーム近くで世界平和に祈りを込めて所長が教理勉強として十全の守護と八つのほこりの関係について講習会用の資料を使用して話されたこの後会場を大和高原に移して創立記念祭への歩みを振り返り慰労を兼ねた会食が行われ詰所に宿泊した翌日は本部朝づとめ参拝前に回廊拭きひのきしんを行い詰所での朝食後教祖年祭に向けての新たな歩みを胸に閉講したちで取り組んでみた私の恩師から世界にキリスト教が広まった理由の一つに古代ローマ帝国時代に世界からの観光客が訪れたそのときローマにキリスト教が伝わっていたので観光客に伝わりその人達が世界に帰って広めたために世界に伝わったと聞いていた手渡した人がほんの少しでも教理の一端を知り陽気ぐらしに繋がる生活を世界の地で歩まれることをこれからも楽しみの一つとして続けて行きたい海外部長上原志郎第回英文パンフレットにをいがけ広島月日海外部ありそれがおつとめ奉仕人増員を計る本来の意味ですおさづけの理を拝戴された後はよふぼくとして教会での育てが肝心おたすけは常に親神様教祖にお働き頂ける日の理づくりが必要でその一つ一つが理のご用になるように心の研鑚をすることが大切そして教祖年祭に向かっての歩みは親神様教祖にお喜び頂きお働き頂ける為の旬でなければいけないと挨拶引き続き瀬戸嗣治先生川之江部属寿布教こんなに人が少なかったっけというのが年降りの印象だった一昨年来たときは約時間で部のパンフレットを配布したが今年は海外からの旅行者が少なく感じた聞いてみると震災の影響だとかそれでも部員人で海外からの人を見つけては天理教の説明を加えて約時間分で部程のパンフレットを手渡したオーストラリアアメリカフランスドイツタイフィリピン西アフリカなど様な理由から日本へ訪れた人達に少しでもお道の教えを知って貰いたい気持青年会委員研修会開催月日日青年会笠岡分会上原繁次委員長は月の両日大教会で委員研修会を開催したこれは月より発足予定の新委員会上原明勇新委員長の委員を対象としており人が受講した研修会ではまず大教会長様より会活動を進新委員長の思いに耳を傾けるめるに当たっての心構えなどについてお話しがあったまた翌日には上原明勇新委員長より今後の活動についてのお話しがありその後秀平元一委員より委員の心得についてのお話しがあったお話しのふりかえりとなる練り合いの時間では異なった立場の受講者がいるとあって様な意見が積極的に交わされた受講者らは委員としてつとめる決意を新たにし会活動に対する士気を高めた目指すべきところを熱く語り合う内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい修養科修了生の声修養科で学んだこと新山邑分教会国定恵修養科で三ヶ月間を過ごして沢山のことを学びましたその中でも笑顔素直な心つなぎの大切さを改めて感じました人とまじれることが好きではなく一人で行動することが多かったのですが修養科ではみんな誰かのことを想って行動していて人は一人では生きていけない支え合って助け合って生きているんだということを実感しましたそして支え合い助け合っていくには素直になって低い心でさせていただくという気持ちが大切でそうしていると心も勇み自然と笑顔になっていく自分がいましたこれからは素直な心で笑顔を忘れずに人と接し人と人人と地域人と教会をつなげることが出来たらなと想いますおぢばに伏せ込み親神様教祖にもたれかかって通らせていただいた三ヶ月間でいろいろ御守護も見せていただきましたこの貴重な経験をいつまでも忘れることなく日勇んで過ごしたいと思いますそして困っている人や身上の人におさづけの取り次ぎをしていきたいと思います修養科を終えて笠尋分教会田邊充根修養科を終えて入る前は天理教の事はほとんどわからず修養科も何をする所かはっきりわからず入らせてもらいました不思議と何もわからないのに不安などはなく詰所につくと少しの緊張とわくわく感であまり感じた事のない気持ちになりましたそして修養科生活が始まりすぐ天理教の歴史について興味が湧きいつも自分から勉強しない自分が進んで勉強している事に驚き修養科の先生や教養の先生とわからない事を話し一つずつすんなり頭に入っていきとても充実した三ヶ月を送れました今では修養科にくる半年くらい前に離婚していましたがそれについても自分なりに答えが解かりこれからの人生においての人間付き合いや考え方も大きく変わりましたその中でも一番身を持って感じた事はぢばの尊さです修養科のクラスでも不思議なご守護が何人にもあらわれ今まであまり気にしていなかったおぢばの尊さを感じ見る事ができた事です修養科を終えて用木となりまだ出来る事は少ないですができる事を少しずつやりいつまでもおぢばと繋がっていこうと思います修養科生活ヶ月をふり返って輝美濃分教会谷内きよ私はある事情から修養科を志願しましたそれまでも理の親自教会の会長さんより修養科の話は出ていたものの仕事は楽しいし任される事も多くなってきた矢先にヶ月も職場から離れるのは無理だからせっかく家から自転車で分と近い事などこんな条件がいい所は無いのに仕事を辞めなきゃ次探して働くとなればまた一からかと色思うとなかなか行く気持ちにはなれませんでしたでもある悩みが頭から離れず泣いてばかりの日になったので何か解決のきっかけになるかなという思いと気分転換になるかなと思い修養科へ行く事にしましたいざ修養科生活が始まると来たからにはがんばろうと思っているのにいきなり身上で寝込む日やいろいろあって勇めない日がありましたがそのたびに教養の先生や同じ期の子に話してアドバイスをもらいなんとかヶ月終える事が出来ましたこのヶ月で心の成人が大切なことを学びました低い心とつなぐ心が私にはまだまだ足りない事も分かりましたありがたい事に仕事は休職出来またすぐ働けます働きながらは大変ですがしっかり教会につながって家庭では夫をたてて低い心を忘れずにこのヶ月が無駄にならないようがんばっていきたいと思います談話室子のつとめ稲富士分教会よふぼく須毛田英尋今年月号年誌におふでさきのある一句を引用させて頂き人間は神様の話を真実聞いて通らないと大変な天災に遇いそしてその理由を私なりに書かせて頂いた人間のしんじつ神を思わない高慢な心を天災によって知らせようとされている次の一句であるこのはなしなんとをもふてきいているてんび火のあめうみわつなみや六またこらほどの月日の心しんバいをせかいぢうハなんとをもてる六そして奇しくも同三月十一日人間社会を飲み込むような大津波に見舞われ全世界を震撼させた益ここに我天理教信者は天意を悟らねばならないと思うたんくとなに事にてもこのよふわ神のからだやしやんしてみよ三にんけんハみなく神のかしものや神のぢうよふこれをしらんか三この世も人間も神のぢうよふになるのであって神を思わない人間などの思う様にはならないのである人は往にして幸せを思い誤り他人より優れ他人より豊かになろうとしてそのため常に勝ちにこだわるてがけからいかなをふみちとふりてもすゑのほそみちみゑてないから三にんけんハあざないものであるからにすゑのみちすじさらにわからん三神を思わない勝ち負けに拘泥した争いや進歩の行く末をかように案じておられる誠に現代文明否人の心の大きな転機であるここに天意を人間には誠真実の心が求められていると悟るべきだおふでさきにしんじつは百十七度書かれているこの世は神様のしんじつの御心の賜物なのだから人間にもしんじつの心が求められている事が悟れるその真実の理によってのみ心の自由自在が叶えられるのであって人に勝って叶えられるのではない天理教は世界が助かる真実誠の教えと言われるべきと思うまた神を思わず人に勝ち人の上に立ち世の中を自分の思う様にしようとする人をざんねんに思われおふでさきに上とか高山とうじんと言い表され高山ハせかい一れつをもうよふまゝにすれともさきハみゑんで三高山のしんのはしらハとふじんやこれが大一神のりいふく三いまゝでハからがにほんをまゝにした神のざんねんなんとしよやら三をなじきのねへとゑだとの事ならバゑだハをれくるねハさかいでる三いままでわからハゑらいとゆうたれどこれからさきハをれるはかりや三にほんみよちいさいようふにをもたれどねがあらハればをそれいるぞや三見える物でなく見えない根を大切にするしんじつにほんとはそういう誠真実一見弱いものの様に思われるしかしこれこそ親神の心に通うのであるから真にそのまま受け取って頂くことができながい眼で見ればこれほど堅く強いものはない誠程強いものはない誠は天の理である誠であればそれ世界成程と言う教典第八章みちすがらここに全教こぞって成程の人にならせて頂く事が急務である為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり上杉鷹山米沢藩山形県藩主立教年定期巡教表教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員廣町月日大教会長様香地華月日岡本久善大江橋月日門脇元教福廣月日上原志郎真金月日大教会長様品治月日笹尾正治福勇月日門脇元教仲條月日谷内伸自久福月日岡﨑真一福芦月日大教会長様稲倉月日吉岡壽久津月日佐藤道孝福満月日中村剛稲瀬月変更吉岡壽呉福月日大教会長様福岩月日吉岡壽稲富士月日中村剛鶴南月日吉岡壽西村月日中島誠治稲讃月変更大教会長様鶴眞月日岡﨑和夫福年月日中島誠治門司港月日佐藤道孝川島郷月日笹尾正治引野月日上原志郎大惠山月日岡本久善鴨方月日門脇元教福昭月日岡本久善東水島月日岡﨑真一作備月日笹尾正治福春月日大教会奥様髙児島月日大教会長様輝華月日中村剛福中月日岡本久善髙丸月日吉岡壽錦ヶ原月日佐藤道孝福冨士月日笹尾正治出雲月日上原繁道行縢月日岡﨑真一福東月日谷内伸自瑞雲月日大教会奥様眞府月日大教会奥様東福山月日中村邦義海潮川月日大教会奥様吉舎月日上原繁道福南月日吉岡壽錦洋月日上原志郎清嶽月日笹尾正治福順月日中島誠治米府月日上原志郎上小畠月日大教会長様福節月日大教会奥様弓ヶ濱月日岡﨑和夫木津和月日谷内伸自福備月日中村剛西伯月日岡﨑和夫國須月日中村剛福輝月日中村邦義米美月日佐藤道孝上吉野月日杉原博之坪生月日上原繁道伯仙月日岡﨑和夫上備月日上原繁道八尋月日佐藤道孝照雲月日佐藤道孝河佐月日岡本久善深安月日中村剛松都月日大教会奥様上川邉月日大教会長様笠尋月日岡﨑真一樺島月日岡﨑和夫甲井月日岡本久善芦品月日門脇元教新輝豊月日大教会長様上父月日谷内伸自安那月日佐藤道孝亀田山月日田中隆之阿木行月日杉原博之芦田川月日杉原博之出雲川津月日上原繁道宇津戸月日田中隆之三郡月日谷内伸自天場山月日中村邦義河面月日門脇元教芦常月日中島誠治簸ノ川月日中村邦義府鮮月日岡本久善芦加茂月日大教会奥様多古浦月日田中隆之府世原月日岡﨑真一惠陽月日佐藤道孝瑞北月日中村邦義神驛月日岡﨑和夫陽實月日吉岡壽雲東月日田中隆之神免月日谷内伸自御野月日中島誠治呉中月日杉原博之葦沼月日上原繁道二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護と世界一列救けたいとのお導きを頂いて日は結構に恙なくお連れ通り下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら世の多くの人はしやんせよやまいとゆうてさらになし神のみちをせいけんなるぞやとの思召が分からずただ闇雲に身上や事情を怖れ心を曇らせています事は残念でなりません私共はその心得違いの理を一人でも多くの人に伝えようと日かしものかりものの御教えを心に朝夕に御礼申し上げ自らの心の埃を払いつつ御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下さいました御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて二月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に言改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて当笠岡に於きましては教祖百三十年祭に向け各教会のおつとめ奉仕人増員を目指し成人の歩みを進めさせて頂いております増員の為にはにをいがけおたすけに励ませて頂き横への布教をさせて頂くのはもちろんですが併せて縦への伝道もして行く必要があり中でも一番難しいとされる学生層への育成が急務でございます本日は祭典に引き続き学生層育成者講習会を開催させて頂き育つのを待つのではなく育てる事への大切さを再確認して今まさに進級進学又卒業就職等の転機を迎える子供達にしっかりと声掛けをして道の後継者としての育成に繋げていく所存でございます又今月二十六日七日と教会長講習会を開催そして今月に引き続き来月も部内巡教をさせて頂き更におつとめ奉仕人増員に向けての動きを活発化させて行く所存でございます何卒親神様には何でもどうでも親に喜んで貰いたいとの親孝心一筋にたすけ一条の御用に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り一人でも多くの人にかしものかりものの理を気づかせて頂き御恩報じを願う人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状へと一日も早くお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百七十五年二月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者中岡島﨑誠真治一講話学生層育成者講習会次月講話杉原博之区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤佐藤道孝杉原博之上原大教会長様岡本久善上原繁道大教会奥様田中ますみ門脇郁子高木昭祥岡﨑和夫上原澄雄中島誠治河原節喜淺野明教虫明好美今川佐智子上原順子浩中岡虫吉谷上髙中笹武山三上吉田佐岡門前賛者赤淺指図方岡本久善村﨑明岡内原田村尾内野島原岡中藤﨑脇半後邦義真一立生壽伸自志郎賀代子幸子一美清明弘実渉浩誠一郎隆之香苗豊子加津上門横中笹田武横中今西森山岡田内谷高木野原脇山村尾中内山村川江本田﨑林海内木素明半繁道元教逸郎剛正治隆之正美小智榮初美昌彦昌直忠善敏教輝彦久嗣安子美知子孝子志教神事部神殿奉仕当番についていろんな事情があると思いますが定められた当番日に合わせておつとめ下さい当番のない日日日日日日日布教部感謝慎みたすけあいの横断幕が新デザインにて頒布円円詳細は月日付天理時報ページに掲載教祖ご誕生祭詰所受入れひのきしん期間月日火昼食日金昼食まで各ブロック人計人全教一斉ひのきしんデー月日日本年は提唱周年です参加者増員につとめて下さい日に参加出来ない場合は他の日に参加して頂き参加報告して下さい報告書は必ず提出して下さい天理時報増部について少しでも増部お願いします新よふぼくには年間無料配布されますがその後も継続して購読して頂けるよう丹誠をお願いします青年会ひのきしん隊期間月日金日日歳以上で日間つとめられる健康な方本年心定め人大教会だより第期修養科教養掛三ヶ月間北川治史大教会准役員稲倉分教会長一ヶ月目福島泰道瑞北分教会長二ヶ月目豊田宏哉府中市分教会長三ヶ月目掛谷宣和坪生分教会長修了者輝美濃谷内きよ新山邑国定恵笠尋田邊充根お知らせ連載中の温故知新は都合により先月に続き今月もお休みさせていただきますこころの詩養徳社発行陽気誌四月号道柳より転載今回の課題は芽笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠川島郷分教会前会長香取敏子さん種通り心通りの芽生えあり佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん大自然芽ぶく守護や早春賦表紙写真吉岡輝昭編集部員三月に入りウグイスの声を聞くとああ春が来たなあと穏やかで平和な春の到来を感じ心まで温かくなるでも一年前を振り返ると同じように始まった春も三月十一日に起きた東日本大震災によって日本中が大きな衝撃と大きな悲しみに包まれたあれから一年が経つマグニチュード九という巨大地震によって押し寄せた大津波は改めて自然の大きな力を示したそして甚大な被害を与え掛替えの無いものを奪ったが多くの人にたすけ合いの大切さ互いの絆を深め合うことの大事さを気づかせてくれた殊にお道の者はわが事と受け止め神様の思召を思案し心の向きを正すことが大事と御教示頂いた初めは大変な事と思い自分なりに何かできることはないかと努めたように思うしかし一年経った今はどうだろうかどれだけ心の向きを正せているだろうか気が付けば目先の事に終始している自分がいる被災された方は心を切りかえ今なお大きな困難に立ち向かい懸命に立ち上がろうとされているわが事として思案することを忘れてはならない三月は温かさを受け止めさせてもらうと共に厳しく神様の思いを受け止めさせてもらう月であろうは