
『かさおか』第51巻 第8号
猛暑の中力強く咲くひまわり月日撮影今月号表紙写真は大教会神苑で撮影されたものではありません教祖年祭に向かって成人目標おつとめ奉仕人の増員七月月次祭講話何が何でも一手一つに世話人島村廣義先生諭達発布前後の流れについて月日付天理時報に教祖年祭準備会議から年祭に向けた動きが発表されました月日本部員会議の席上で真柱様から年祭に向かっての活動を進めていく上に秋季大祭に合わせて諭達を発布する旨をご発表になりましたこの諭達を受けて秋季大祭の翌日本部員本部直属教会長など全教の先頭に立って御用をつとめる先達が一堂に会して年祭に向けて活動の先頭になってつとめることを誓い合う教祖年祭教祖年祭に向かう心についてお話し下さる島村先生決起の集いが開催されます続いて年祭活動の意義を徹底するという意味から月日から来年の月末に掛けて各直属教会へ本部巡教が実施されこの本部巡教の理を受けて来年月末に掛けて直属ごとに部内教会へ一斉巡教を実施するようにと発表されました今日までの教祖年祭活動の進め方の中にあって直属教会に対して部内に一斉巡教をするようにと仰せになったのは今回初めてです本部巡教で各直属へその理を流されその次は本部から直接各地域へ出向き各地域においてよふぼく対象に地方講習会が実施されてきましたが今回はその前に直属の責任において部内教会に諭達と教祖年祭活動の意義を周知徹底するようにということですその直属巡教が終わった夏以降によふぼく対象の講習会を開催する予定ですそして今回も年祭活動はおたすけを中心に展開していくという基本線を踏まえて各自の信仰実践に繋がる具体的かつ実践的な内容を検討していると発表されました諭達とは改めて諭達とはと申しますとお道の節目にあって真柱様が教内に対して時旬の理に相応しい信仰実践について教示されるものであると示されています要は今日の私たちにとって刻限のおさしづとも申すべき同様の理を以て受け止めなければならない大変重要なお言葉であると私は思案しています諭達は素直に真っ正直に丸ごと受け止めてその思召にお応えするよう懸命に努力しなければならないと私は思っています教祖年祭に向かう一人ひとりの心構えかつて年祭を打ち出された時の真柱様のお言葉が昨日の様に思い出されますがこれまで年を仕切って十何度つとめてきた教祖の年祭は言われて立ち上がってそして活動しつとめた年祭が多かったが次の年祭をつとめるならもう年祭もつとめたのだから声が掛からなくても言われなくても自主的に動くようでなければ一向におぼつか成人は覚束ない一人ひとりが仕切って立ち上がる様な年祭活動を今度はさせていただきたいとのお言葉でした年祭までつとめたのだから今度はをやにいわれるまでもなく自分から求めてをやにお喜びいただきご安心いただけるような成人の実を上げるようにと一人ひとりの積極的な行動をお促しくださるとともに一手一つの大切さと三年千日と仕切ってひながたの道を歩みその成人の実が結果として教会内容の充実のご守護をお見せいただけるよう通ろうと年祭のご発表と三年千日仕切っての活動を真柱様は諭達ではなく年頭のおことばでお促しくださいましたこれが年祭の活動の始まりでしたこのおことばによりそれぞれの直属部内教会においては教会長よふぼくそれぞれの立場でこころを定めて年祭活動に取り組みました一手一つになるための諭達このようにして年祭活動が始まりましたがをやの思召は一つでも人それぞれに許された心じゅうようの自由がありそれぞれの信仰の上から成人に応じた心の納め方悟り方があるので時と場合によっては皆の心がなかなか一つに揃わないことも得てしてありがちですしかし教祖年祭活動はどうでもこうでも全教が一手一つに心を結び合うて教祖の親心にお応え申さねばならないとの強いご信念からその年の月に諭達第四号をご発布くださった全教の心を一つに揃えるという意味から諭達を発布されました年祭以降の年祭活動に対する心構えや諭達に込められた思召親心を思案するとき何が何でも真柱様のお心に全教が一手一つに心を結び教祖にお喜びいただけるよう成人への歩みを進めなければなりません教祖年祭の意義つとめの急き込みたず教祖年祭の意義は立教の元一日を温ねひながたを辿りさらにこどもの成人を急き込んで御身つくを隠された元一日に返り親神様が人間世界を創り給うた元始まりの思召である陽気ぐらしを実践することにあると教えられます教祖年祭の元一日を振り返りその思召を思案するとそれはおつとめの完成とそれに向かう人の心の成人のお急き込みにあるといえますつとめはたすけのもとだてようこそつとめについてきたこれがたすけのもとだてや六下り目いつもかぐらやてをどりやすゑではめづらしたすけする六下り目と仰せられますが世間の嘲笑や迫害の中も心倒すことなくようこのつとめについてきたこのおつとめこそが世界一れつをたすけていただく根本のつとめであるいつもかぐらやてをどりを心掛けて通っていさいすれば必ず珍しいたすけを見せてやるぞとお教えくださっていますおつとめはたすけの根本の手立てであり人だすけのもとだてであるとともにまた自分自身をもたすけていただける元なのですこのつとめは親神が紋型ないところから人間世界を創めた元初りの珍しい働きをこの度はたすけ一条の上に現そうとて教えられたつとめである即ちこれによつてこの世は思召そのままの陽気な世界に立て替つてくる教典第二章とご明示くだされていますおつとめは私たちの親神様へのつとめです親神様は元の神様実の神様ですその元を立てるのでもとだてでありまたお互いの理が立つのですおつとめがたすけのもとだてであるという意味はここにあるわけですみなそろてはやくつとめをするならバそばがいさめバ神もいさむる一命の源でありすべてのご守護の源である親神様の懐に飛び込むのですさあく皆勇んで掛かれ勇む事に悪い事は無いで明勇んで掛かれば十分働く明と仰せくださりおつとめをするといつしか気が晴れて心が澄んできます親神様のをやという理を頂くから心が澄んでくるのですこのたすけのもとだてであるつとめの完成とそれに向かう人の心の成人を教祖は現身を以てお急き込みくださいました真柱様は本年春季大祭講話の中でその日のおつとめは形の上からは決して十分とは申せませんしかし教祖が満足気にしておられたということはおつとめをつとめる人の心の真実をお受け取りくださったということだと思う今日の恵まれた環境のもとにある私たち自身が思召に叶うお受け取りいただける心に近付くための手掛かりをたず先に述べた先人達の心の動きの中に温ねると先ずは銘が立場や状況による違いはあるでしょうが信仰的にはしなければと思いながらいろいろな理由から怠っていることはないかと顧みることでしょう自分は常日頃どれだけ親神様教祖を念頭におき教えを拠り所に考え行動しているだろうぶぶかと考えるそしてたとえ一分でも二分でもより教えに基づく考え方通り方を心掛けることが大切だと思うとお話しくださっていますぢばかんろだいを囲んでつとめられるかぐらづとめの理を体して今日私たちはそれぞれの教会においても月次祭のおつとめもつとめますそれぞれの教会がおつとめの道具を揃えおつひとすじとめをつとめる人の手を揃えさらにはぢば一条に心を揃えて一手一つに教祖からお教えいただいた通りに何欠けることなく惰性に流れず心陽気に勇んでおつとめをつとめているでしょうかこのおつとめの理を一人でも多くの世界の人に写していくこと広めていくことにをいがけおたすけこそが急務と仰せられる私たちよふぼくの使命です年祭活動に向かう時旬の上から一番私たちが心しなければならないよふぼくの大事なつとめであると思案しますかぐらづとめの地歌からお教えいただくこと話は変わりますが諭達を受ける前にそれぞれがそれぞれの立場立場で信仰の元一日原点に立ち返るという上で皆様方といっしょにかぐらづとめの地歌からお教えいただく教えの根本をおさらいしたいと思いますかぐらづとめの地歌の中に年祭活動を進めるお互いがよふぼくが当然心に納めておらなければならない信条教えの角目基本をお教えいただいていると思うからですひとすじ第一節のお歌は親神様に一条にもたれて祈念しお願いするお歌ですそのためには先ずそれぞれ各自が心を入れ替えて胸の掃除をして親神様の思召に叶う心になることが肝心であると教えられますそこに親神様のたすけ御守護が一身一家に留まらずこの世が陽気ぐらしに治まる御守護をお見せいただけるようになっていきますつく親神様とはこの世人間をお創りくだされ今なお十全の守護を以て私共の身体を始めすべてを御守護くだされている元の神様実の神様ですその御守護の理はこれに神名を配して説き分けられ入信の元一日誰しもが始めに聞かせられる神様のおはなし教えの台ともお聞かせいただくかしものかりもののご教理はこの親神様の十全の御守護の理から納得ができまた親神様の限りなき御恩が分からせていただけますたんくとなに事にてもこのよふわ神のからだやしやんしてみよ三にんけんハみなく神のかしものやなんとをもふてつこているやら三めへくのみのうちよりのかりものをしらずにいてハなにもわからん三とお教えくださっています胸の掃除心の入れ替えとはそれぞれがこれまでの心遣いを教えに基づいて反省しさんげをするとともに親神様の思召に添わない心遣いを八つのほこりを基準にして改めることですすなわち胸の掃除心の入れ替えとは弛みがちな心を人をたすける陽気な勇み心に入れ替えることです人を救ける心は真の誠一つの理で救ける理が救かるおかきさげとお教えくださっています第一節のお歌は親神様の十全の御守護の理かしものかりものの理八つのほこりの教理が台となっていますそれぞれがしっかり胸の掃除をして親神様の思召に叶う心になってひたすら親神様にお凭れして祈念しお願いすることを教えられます第二節のお歌は親神様の思召仰せを聞いてしっかり心に納めるということでしょうこの世の元初りの理話親神様が元の神実の神ゆえんである所以をお聞かせくだされていますかたど親神様はこの世の始まりに天と地を象って道具を引き寄せ男女夫婦の雛形を定め人間つくをお創りくだされたことこのことは並大抵でない御守護であるばかりでなく以来人間は親神様の御守護のもとに長い年月を経て今にいたることを教えられていますこの理が真に納得でき心に納まればほこりの心欲の心は消えていきますそしてお歌の最後になむてんりわうのみことひとすじと親神様の神名を唱え一条に親神様にお縋り申しあげるのです第三節のお歌は親神様のお急き込みである世界だすけ陽気ぐらしの世の実現を目指して一日も早く御守護いただけるように祈念すると同時に親神様の思召実現に向かって私たちがひたすらその御用にお使いいただくというお誓いのお歌ですあしきをはらうのは第一節と同じですがそれぞれの胸の掃除の上に世界中の胸の掃除と仰せられています親神様の御用にお使いいただいてその御守護を祈念するのですこの御用にお使いいただきつとめさせていただくのがよふぼくですよふぼくは常に胸の掃除をし心を入れ替えて世界だすけの親神様の御用にお使いいただくのでありその中につとめの喜びがあるわけですかんろだいは元なるぢばの証拠に据えられ人間の創造とその成人の理とを現して形造り人間世界の本元とその窮りない発展とを意味する教典第二章と教られる台ですしたがってかぐらづとめの芯となる台であるとともに他面かんろだいはこの世が治まる柱とも教えられまた陽気ぐらしの世の中をかんろだい世界とも仰せられ親神様の御守護のもとに私たちが積み上げていく姿を教えられていますよふぼくの究極の使命はここにあると思案します世界一れつの人間の心が澄み切ったならばかんろだいの上にひらばちをのせそれによってじきもつをくださいます人間歳定命その健康と寿命をお約束くだされています以上が掻い摘んで申しあげましたがかぐらづとめの地歌に教えられる教えの要点です年祭に向かう心日常の心遣い通り方月次祭大祭のおつとめ朝夕のおつとめまた事情身上のお願いづとめやお礼づとめなどおつとめによって鮮やかな御守護を頂戴しますがそれには何と申しても日常の心遣い通り方が大切ですおつとめをつとめる人それぞれが日親神様に真実誠の心をつくしはこび親神様にお働きいただく理をつくることが大切です日ひのきしんに励み真実誠の心をぢばにはこぶことが肝心です道のためあちらへもこちらへも種を下ろし道のために尽したなら何処からでも芽を吹く明日運ぶ尽す理を受け取りて日守護と言ううたゆ明と教えられるように倦まず弛まず日に身を尽くし心を尽くして真実を運ぶところに必ず御守護をお見せいただけます教祖年祭の元一日の思案から思召はおつとめの完成とそれに向かう人の心の成人のお急き込みであると受け止めておつとめについてまたつとめさせていただく私たちの心の拠り所をお話ししましたが要はこれから諭達を以て思召される年祭活動に三年千日を仕切ってどんな中もひとすじ教祖ひながた一条に私心を捨てて通り切ろうということですものというものは旬がある旬が外れると種を下ろしても生えるものもあれば生えんもおぼつかのもある旬が外れば覚束ないものどんなものでも旬が外れると一花だけで落ちて了たらどうもならんこれから一つの理を聞き分け明と仰せられます年祭活動の三年千日お打ち出しも目前に迫った今日です旬を外さず悔いなくつとめて教祖にお喜びいただける成人の実を上げたいと思いますがそのためにも今諭達のご発布を前にしてそれぞれがひとつそれぞれの入信の元一日信仰の原点に立ち返って自分の足許を眺め心を正してその理を丸ごと受けれる一つのそりをしっかり作って秋の大祭を迎えたいこのように思う次第です以上要約立教年こどもおぢばがえりおぢばに弾ける笑顔よろこびいっぱいさあひのきしんを新テーマに立教年こどもおぢばがえり教会本部主催が月日から月日までおぢばで開催され期間中参加の子どもたちはしこみふせこみ行事やおたのしみ行事を通してお互いのたすけ合いを学び本部詰所での楽しい一時を過ごし終日元気な子どもたちの笑顔と歓声が響き渡った笠岡団武内正美団長では昨年同様千人の帰参と全隊からの参加また各教会でのおとまり会の実践を目標に募集世話どりを行った大教会関係参加者数は次号掲載よろこびいっぱいさあひのきしんとの新しいテーマのもと立教年こどもおぢばがえりが賑やかに開催されました親神様の御守護を子供達に気付かせて喜びの心をひのきしんに表すことを教え身に付けさせ更には日の暮らしの中に生かしてもらいたいその絶好の場となるのがこどもおぢばがえりですそしてしこみふせこみ行事おたのしみ行事を通して三つの約束を子供達に伝えますからも連日大勢の子供達が帰参して元気な笑顔と歓声が響きわたりました詰所では今年も育成係による朝のおつとめラジオ体操目標発表などがありケジメのとれた生活をおくることが出来ましたまた月日日月日と行事係による模擬店が開催され夕方の楽しいひとときを過ごしこれには中学生のわかぎひのきしんも参加してよろこんでもらいたいという思い一つにひのきしんをさせていただきました今年も連日猛暑続きでさらに電力の問題から子供達の体調が大変心配されましたが大きな事故ケガもなくつとめ了えさせて頂くことが出来ましたことに御礼申し上げますまた期間中大勢の方がひのきしんに当たって下さり御苦労様でしたありがとうございました月月は教会おとまり会強調月間ですこどもおぢばがえり後の丹精として長い目で見たおたすけの大事な御用として実施して下さいますようお願い致します少年会笠岡団長武内正美賑やかだった詰所行事今年もおぢばに帰った子供達に本部行事だけでなく詰所でも楽しんで貰おうと詰所行事が行われた例年通りの模擬店映画上映詰所内クイズなどに加え今年は引率者の方にも喜んで貰える様に模擬店で生ビールを販売したが売れ行きはもう一つだったまた来年思考を凝らした行事を考えて行きたい今年のクイズの問題と解答を記載します詰所内クイズと解答小学校低学年幼児小学校年生コースとらをたべちゃうくるまってなあにトラックこいでもこいでもおなじところをいったりきたりするのりものってなあにブランコうえからよんでもしたからよんでもおなじなまえのおみせなあにやおやおいしゃさんでうっているものってなあにちゅうしゃさかだちするとかるくなるうみのいきものってなあにいるかくびはくびでもくちからでるくびってなあにあくびとられてしまうのににっこりわらうのはなあにしゃしんだいきょうかいのしょうねんかいのなつのきゃんぷはがつのなんにちからでしょう日あしでのぼっておしりでおりるものってなあにすべりだい天理教てんりきようのおしえをおしえてくださった人ひとはおやさま中山みきさま小学校高学年年生コース電車の中でみんなに喜ばれているスリとは手すり読むとしびれる本って何伝記目にさされてもケガをしないものってなあに目薬フランスといえばフランスパンでは日本といえばジャパンゾウやワニなら出来るのにキリンやライオンが出来ないものは何しりとり焼くことは出来るのに食べることが出来ないぱんって何フライパンびっくりするほど早く飛ぶ虫はハエ負けた方がにこにこ笑っているのは何にらめっこりっぱりっぱと言われているのにいつも踏ふまれているものは何スリッパ八つのほこりはうらみはらだちよくこうまんとあと四つは何おしいほしいにくいかわい中学生コース顔がつ目が全部であるものって何サイコロ水の上にはたてないけどお湯の上にはたつものって何湯気数字のが嫌いな動物ってなあにスカンク走っている車が落としても誰にも拾われないものってなあにスピード点を取ると大きくなる動物ってなあに犬大教会第回英語講習会の参加対象は何年生から年生はしははしでも鳥が使うはしってなあにくちばし通るとき通れなくて通らないとき通れるものってなあに踏切オーストラリアの中央部にいる動物は何トラおやさまは病気の原因を病の元はからと教えて下さいましたさてひらがなでとはこころクイズ当選者今年もクイズに名の少年会員が応募してくれました各学年で満点を取った人達の中から厳選なる抽選の上当選した人達の名前を列挙しますおめでとうございました残念ながら当選出来なかった人是非来年再度挑戦してみて下さいね幼児小学生の部くろ田さやさい神村梅林あやねさい弓ヶ浜垣内聡太朗さい大江橋足立結花さい亀田山中村まさや幼稚園久松小学生高学年小川莉加子年府中市岸本紗月年稲倉小野櫻年錦ヶ原楠聖奈年上下奥れん年福芦中学生の部小川せゆ中芦品生田真莉菜中福満森本忠一中海松ヶ岡藤村拓叶中川島郷森山真夏中吸江以上順不同こどもおぢばがえり実行委員会行事部第回英語講習会吉備青少年の家にて開催自然の中での講習会月日新体制の海外部員で練りあった節目の第回英語講習会は初めて大教会から外へ出て吉備青少年自然の家で開催された俄に揃えたスタッフポロシャツ毎食食べ放題のバイキング食自然の中での学習と英語オリエンテーリング英語を取り入れた肝試しスキットコンテスト等新しい行事が多く組み込まれた講習会だったゲストは米国からレイモンド森下さん名東部属とサブゲストとしてケニアから日本語学生のサムエルさん米府が参加してくれた小中の学生だけでなく大人の参加もありそれぞれ特徴がでた楽しい講習会だったという参加者達の口の感想だったこれからも尚一層の充実した講習会になるようスタッフ一同喜んで楽しんで努めて行きたい海外部長上原志郎英語講習会に参加して照陽分教会三浦和美今回初めての参加ですきっかけは大教会で鼓笛の手伝いの時英語講習会にぜひ来て下さい楽しいですよと声をかけられた事です子どもと参加したいと思い英語はすごく苦手な私ですが参加を決意しました結局我家からは私一人で不安だったけど国立きび青少年センターに到着大自然の中での勉強が始まりました英語ゲームきもだめし降ってきそうな沢山の星流れ星季節はずれのホタルゲストの先生のお話ドキドキワクワクビクビクジーンと日頃味わえない事が沢山ありましたロサンゼルス出身のレイモンド先生とケニア出身のサムエル先生はとても素敵な方で先生やスタッフの方が丁寧に教えて下さり以前より英語に興味が持てました今からじゃ遅いという事は何もないよやろうと思った時が大事なのよ英語の勉強と思うと難しいけど相手の言葉がわかったり自分の言葉が相手に伝わると良いよねという言葉に私も英語で伝えたいと思うようになりました先生のお話からはそれぞれの母国の事や日本との違いこれから先の目標に向かって頑張っておられる様子が伝わり皆さんは恵まれている感謝する事を忘れないでという言葉が印象的でした今回講習会を通じて英語だけでなくスタッフの方の支えや頑張り自然や外国の文化に触れる事感謝する事の大切さを感じられ参加できて良かったです皆さんありがとうございました来年も行きます大教会松浦杏奈英語講習会ではしっかりと英語を学ぶことができましたはじめは分からないことがたくさんあったけスキットで英会話を楽しむど先生達やゲストの二人がすごく分かりやすく説明してくれたからだんだん読めるところが増えました私は英語の塾に行っていてそこにいった時に似たような文章の問題が出てとけたことがすごくうれしくて前より英語が好きになりました講習会のおかげですこの講習会で一番楽しかったのはコンテストですみんなが練習した発表がみれたし自分もまちがえたりすごくきん張したけどがんばれたから一番思い出に残っていますグループの一番良かった人になれなかったしどっちでも良くて選ばれなかったって知ったときはちょっとざんねんだったけどそこまでいいって言ってもらえたことはうれしかったです英語講習会はすごく楽しかったし来年あるか分からないけどコンテストのリベンジもしたいのでまた行こうと思います自然とのふれあいの中で髙屋分教会武内敬教この度の英語講習会は回目ということで国立吉備青少年自然の家で行われました子供達が英語の学習だけではなく自然とふれあうこともできる素晴らしい環境でした教会では見られない子供達の表情をみることができるこうした機会をもっと増やしてもいいと思いました私自身としては外部での英語講習会は今までなかったことから経験のない自分でも話し合いなどに気負わず参加することができ大変ありがたく感じましたゲストを中心した授業風景ダルエスサラームでのおたすけ前号より続く富裕層への布教教会設置の機運ダルエスサラームでは経済的に裕福な家庭ばかりを訪問したどの家に招かれても居室には大型テレビとステレオが置かれ豪華なソファーが据えられていた志郎先生曰くタンザニアを訪問する度に少しずつダルエスサラームでのおたすけ先が増えておりそれも会社の経営者などの富裕層を中心とした拡がりを見せているとのことであったその最たるはタンザニア大統領の夫人を叔母に持つナイマ先述した用木のキルワ家であったキルワ家を訪ねるとその庭先にはヨーロッパや日本の高級自動車が六台も並べてあったタンザニアの一般庶民には中古車一台すら到底持ちえない代物であるからその経済力の凄さがうかがえるこの家の主であるキルワさんは見るからに徳の高そうな方でダルエスサラームにある複数の孤児院の支援にも精力的に携わっていたまた我に非常に好意的で日本人は海の幸が好物とどこかで聞いてわざわざ自ら海に出向いてディナーの食材を釣り上げてくれたほどだまたさらに私たちの乗るソンゲア行きの自動車が手配出来ず困っていたところ自分の自動車を快く貸してくれたタンザニアの道路には自動車の速度を意図的に落とさせるバンプという段差が設けられておりソンゲアへの片道の道中このバンプを数多く乗り越えて進まなければならないので自動車の損傷を免れないことは百も承知のはずなのにであるこのような親切の背後に何らかの意図が含まれていると考える人もいるかもしれないが私にはキルワさんの気高く柔和な表情からそのようなものを想像することは難しいこのようにダルエスサラームではマユンガさんを媒介にしてタンザニアの上層階級に位置する人との交わりが深く広く持たれるようになってきているキルワ家に限らずどの家庭を訪問しても手厚くおさづけの後で迎えて下さりとても嬉しかったのだがそれと同時におさづけも真剣に受けて下さる方の多いことに非常に感銘を受けたマユンガさんの兄にあたるマーティンさんのお宅にも訪問したがこの方は三年前に初めて伺っておさづけをお取り次ぎした際には体が麻痺して寝たきりの状態であったそうであるしかしこの度訪ねてみると何と自らの足で歩いて私たちの前に姿を現してくれたのである親神様の深い思召しと教祖の自由のお働きを実感するとともに私はおさづけのお取り次ぎの最中に素直に神に乞い願う彼の姿に神に対する純朴な姿勢を感じたこれはマーティンさんに限らずおさづけをお取り次ぎした他のタンザニアの方にも見受けられた苦しい時の神頼みで一時的に神様にすがる多くの日本人と比べて彼らはその日常において神様との距離がとても近い状態にあるような気がした大抵の事が自分の思い通りに叶うようになった現代の日本では神に願い神にすがる姿はほとんど見受けられなくなったようである我信仰者の間においてもその傾向は次第に浸透しつつあることをタンザニアに来てはっきりと気づかされた物質文明の発展とともに失われゆくものがあることを信仰者である我は特に自覚しなければならないのではなかろうか今回の拙稿にもう一つ載せておきたいことがあるそれはタンザニアの方が天理教の施設教会の設置を願っていることであるダルエスサラームに滞在中一人の女性が志郎先生に教会を建てましょうと繰り返し訴えていた彼らの会話の中でこのフレーズは何度となく私の耳に飛び込んできたので英語の不得手な私にも聞き取れるようになってしまったほどである彼女は別席運び中のエディ口からタンザニアに行ってみてお道の信仰初ナの妹で日本を含めて世界数カ国を見聞し女代の人達が教会設立を切に願った気持ちがわかっ性を支援するを主宰するやりてである彼たような気がしたと語られた病苦にさいなま女はタンザニアに教会を建てれば必ず人が集まれ貧困にあえぐタンザニアの人にとって助り更に人が人を呼んで多くの人が集まると力かりを求めて寄り集う場所の設置を願う気持ちは説するそれに乗じてスティーブ用木が俺は当然のことであろう志郎さんに会ったときから教会を建てようといちれつ兄弟を説くこの教えは今まさにこの言っていると彼女に加勢するのを聞きながら国の人から必要とされているようである妻の言葉を思い出した未信者で教会に嫁いだ妻芳井分教会長佐藤真孝が初めてタンザニアを訪問して帰国したとき彼女のこころの詩用木第一号のマユンガ氏と共に天理教道友社発行天理時報時報歌壇より転載笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます月日付福満分教会福島悦子さん無理すなと言いてくれしが野良仕事無理は承知で晴れ間と競う養徳社発行陽気誌八月号道柳より転載今回の課題は満笠岡に繋がる教友の方が選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会前会長夫人田林美智子さん満席の孫念願の用木に表紙写真吉岡輝昭編集部員温故知新ツの姪と三人だけが血縁として孤独な存在と立ったなってみると千代の心は幼い時からここま幾太郎の一年祭を主に以和美津千代のいきいきエピソード生涯内助の功での道のりが美しい楽園から出て降りる下慰霊を済ませて二月の寒風の中を宇三郎は歩いるそして谷の底へ底へと落ちるだけだったとた井原高山豊松と進み山を越え川を渡思えて涙も出ぬ程放心していた宇三郎は養り心の中で僅か三年の間余りにも多かったコウさんの事を誌そうと思ってつい宇三郎子に来て相手に死なれて元の谷口に帰るか不幸を思い返してさてどうするか胸の中は空先生の当時の身辺を記し始めたら長くなってし藤井の家を立てるか信仰とは何だったのか虚で確たる事は何も決まらず油木から川沿いにまった長くなったついでにもう少し幸男先いんねんとはどういう事なのか迷いに迷った登って恐らく暗くなって東城集談所に着いた生の文章に従って書き進めたいろう亀代と松代はお父さんがいるまだお集談所の島田さん始め皆さんから慰められたが一月に美津が死に七月に以和が死に九父さんがおると安心していた丸一年の親子詳しくは話さず翌日西城へ入った八十三才月に良一が死ぬそして年末になると養父なのでお父さんといっても遠慮があり千代の父最三次にどう話すか以和が死んだとは幾太郎はべったり寝付いて食事が出来なくなっの方へ千代の腕にばかりまとわってはいるが言ったろうが詳しくは話さず長逗留を覚悟でた生来一徹なので気はつっぱっているが衰一旦結ばれた縁のこれが子供かと思えば不憫孝養の最後だと看護に努めた最三次は宇弱はひどく明けて一月教祖と同じ二十六日息で離す気にはなれなかったやっと春になり夏三よう帰ったよう帰ってきたとその程度を引き取った満で六十才四十五才から天理が来ようとする時梅雨の湿気に押しひしがれで宇三郎が幸か不幸などには触れずに喜んで教になって祖先から引き継いだ財産を全部使たように千代が倒れた既に病に侵されていたいた或晩夕食のあとわしはゆくぞもうゆい果たしてこの裏小屋で体一つになって最後はのかそのまま六月十日死亡数えの十九才くぞと最三次が言うのでどこへ行くんかその体も癌で失った看病葬式看病葬式亀代と松代が息絶えた叔母に取り縋って離れこの夜中にゆくぞゆくぞこんな言葉を交と何度繰り返したのか新婚宇三郎はそのたない哀れさに皆眼をそむけたこの千代の十わしている間にこっくりと臨終となった可愛めに藤井へ来たような来たから皆が助かった八年の生涯に喜べる日はあったのか幼児の想く思っていた末子の宇三郎に抱かれて最三次はとも言えるが情ない運の悪さであるい出しかなかったろう明けて三十六年西城満足してこの世を終わった宇三郎が来てくれ幾太郎に死なれて最も打ちひしがれたのはの実父最三次が弱ったと様子が来て宇三郎るのを待っていたかのような大往生であった十八になったばかりの千代であった九ツと七は子供を上原伊助様に預けて西城へ向けて旅その後宇三郎氏は腹を決めて笠岡の藤井の家へ帰って来た人から人に話があって淺野弥三郎さんが尋ね笠岡町内の信者の修理丹精に努めた瀬戸之町笠岡周辺の布教という事で近い所を歩き家て行かれた当主棗田菊太郎は左官を業としの坂の道がちびたと言われる程宇三郎氏は熱に帰って子供の世話をし又出て歩きという長男佐平次次男丈二郎を連れて仕事に励心に信者の丹精に努めた大正十四年五月宇三日を過ごした明治三十七年八月から神邊出んでおり妻のクラは縫物をよくし客からの郎氏は分教会理事を拝命した昭和十五年二月張所の依頼で因島集談所に派遣された大半を頼まれものに忙しく傍ら集談所の手伝いをして七十五歳で出直すまでコウさんと共に過ごさ因島で過ごしたが留守中に亀代が出直したいる娘もコウは学校より縫物が好きだと幼いれた事を思う時人の一生はその人の心に一明治三十八年一月から因島の布教を三島杢次氏時から針を持ち母に仕込まれて早くから一人つの事を貫くものがあらねばと思う二人の連と交替し稲木陶山吉浜長迫今立と笠前になりこの頃では仕立物はコウが主にやっれ添いに先立たれた後コウさんと結婚して後岡周辺を受け持って信者宅を訪問しては新規のていたにも近親に出直しが多かった中で先生は笠岡開拓に努めた宇三郎は毎日歩きに歩いた全明治三十八年五月コウさんは吉井から笠岡の道の中で心倒さず歩まれたそういう人のての過去を頭から消して連日病人に助かっての藤井家へ入嫁した媒酌人は淺野弥三郎夫妻歩みに支えられて今の私達の道がある事を忘貰いたいと困っている人の救援にと下駄を擦であったコウさん二十五才宇三郎さん三十れてはならないと思うり減らして歩き歩き廻った一日一日食べる物九才だった明治四十年支教会承事を拝命コウさんの内助を書こうと思いながら何もがあったら幸運で天の與えだけで過ごす覚悟同時に第三号地区陽備分教会前身の担任と書けなかったただコウさんが藤井家に来らの天理教の布教師の日は生きている以上になった宇三郎さんは虫明元三郎氏宅へときれて宇三郎先生の信仰に輝きが出てきたと私困難を極めていたには泊まり掛けで丹精に次ぐ丹精を重ねた結は思うそれこそ内助ではなかったかなと感じ近所の人達や上原家の人は宇三郎と松代の果明治四十四年十月陽備宣教所が設立される生活を心配していた宇三郎が又西城へ帰って初代所長に就任された藤井憲男先生が身上の時笠岡駅の便所掃除しまうかもしれないから嫁に来てくれる者をその後陽備の上に心尽くし新しい信者を増を毎朝やっておられた事長い間大教会教祖探して藤井の家が立ち直るようにしてやらねやし教会の内容充実に力を入れた大正八年殿の掃除当番を務めておられた事作って下ばこのままでは見ておれないと話し合われた陽備の会長を辞任した二代会長は虫明銀治郎さったひしおの味噌がおいしかった事いろい岡山支教会の部内の後月集談所の役員の棗田氏であったその後宇三郎氏は九州若松にろあるが割愛するさんのところに少し年の過ぎた娘が居ると布教に出たが大正十年五月笠岡へ帰った大教会理事談話室僕が何を言いたいかと言うとおやさまの思いはどこに有るかと言うところです今こそ陽気ぐらしになれる時石巻の震災瓦礫を北九州に受け入れてもらう事になっていても一部の人がストライキまでして大反対をした事です情けないなぁと思って大教会谷本光司を見ました僕が石巻に来させてもらって半年になります今僕たちが何をさせてもらっているのかと言うと仕事は震災瓦礫の受け入れ施設の建設ですガレキをチップにしたり燃やしたり数社のです註参照最大手ですそれだけ復旧に力を入れていると言う事です月中旬から瓦礫の処分が始まりだしました来た月の末ごろは右を見ても左を見ても瓦礫の山でした年で片付くそうですが到底無理だと思いますまだすごいたくさんの瓦礫が有るのでどう考えても無理だと思います僕はいわきに行かせていただいて少しは気持がわかるように思っていました大変だと思っていました石巻の人のたいへんさはまた違うような気がします石巻の人の大変さが痛切にわかりますおやさまは陽気ぐらしにしてやろうと仰っているのに全然陽気ぐらしにならないと言う事です僕はいわきに行かせていただいて震災瓦礫の片付けのひのきしんをさせていただいて人は口ではいい事を言っても口と心が全然違う所ですおやさまはこの事を言っておられるのじゃぁないかと思います心だけが我がの理とおっしゃっているように今こそ本当に陽気ぐらしになれるんじゃぁないかと思います又おやさまは世界ろっくの地と言われているようにこのような事をしてたらまったいら何もなくなってどろうみこうきのように何もなくなってしまうような気がします今からほんとうに一人一人が気持がかわるようにとおっしゃっているんじゃぁないかと思います僕からでも少しでも石巻のために役に立っていきたいと思います自分なりに精いっぱい頑張らせていただこうと思いますみんなが少しでも陽気ぐらしになれるよう頑張らしていただきます編者註の略共同企業体複数の異なる企業等が共同で事業を行う組織のこと主として土木建築業界において一つの工事を施工する際に複数の企業が共同で工事を受注し施工するための組織のことを指す民法上の組合に該当するとされる石巻市では東日本大震災により大きな被害を受けた同市の早期の復旧復興を図るため同市内の地元建設業者が市外の建設業者と共同しその施工能力を強化して復旧復興工事を円滑に施工できるよう復旧復興建設工事共同企業体復興制度を創設している悲しみをのり越えて芦品分教会金谷眞佐代私の弟は七月十五日日に五十五才の若さで出直しました末期の肝臓ガンでした親孝心ひとすじの布教所長がなぜと思いましたが親神様の深い親心をはたはたの者が悟らせて頂きこの大節を生き節としてすばらしい芽を出させて頂きたいと思います今年月より身上がすぐれませんでした弟は私にばあさん母の介護をしてくれよと言いました介護って何をしたらええの私にできるかしらと言ったらばあさんのとなりに夜寝るだけでええんよと答えてくれましたそんなことならお安い御用よと今でもずっと夜はふとんを並べて休ませて頂いています弟は身上がわかった時年間最高の人生を送らせてもらったんだから笑顔で送ってくれよとお嫁さんに言ったそうです写真をとるのがあまり好きでなかった弟ですが入院中はおたすけに来て下さる方お見舞いに来て下さる方みんなといっしょにアイパットという写真をとっていました弟の笑顔はそれはそれは輝いていました出直すまで半年間ありましたお嫁さん五人の子供たちに言っておきたいことを言っていましたまた子供達には親孝行な子供に育ってくれて本当に嬉しいよと言っていました出直す前に母より先にいってしまうので最後に親不孝したなとも言っていましたまた自分はおたすけをしていないとも言っていましたが五人の子供達がようぼくになったということは何よりも大きなおたすけだと私は思っています告別式の日高屋の会長様から弔辞を読んで頂きましたすばらしい内容でした弟もきっと喜んでいると思いました私にとっては兄のような最高の弟でしたこれからは布教所長となった弟のお嫁さんに心をあわせ低い心で陽気に勇んで日を通らせて頂きたいと思います弟もきっと私達のそばで見守っていてくれると信じています年間ほんとうにありがとう全日本ドッヂボール選手権大会海松ヶ岡分森本善修君笠岡市立笠岡小学校年生の森本善修君歳海松ヶ岡分教会長森本忠善さんの三男は月日笠岡市役所市長室で行われた笠岡文化スポーツ振興財団理事長三島紀元市長主催の野球やドッヂボールなど国際全国大会に出場する郷土選手激励会に招待されたこの日出席したのは第回全日本ドッヂボール選手権に出場する森本君原田琉聖君中央小学校年三宅志門君大井小学校年ら人をはじめ東アジア野球大会人第回全国中学生テニス選手権大会人第回全日本レディースソフトボール大会人の人三島市長が練習の成果を発揮して実りの大きい大会にして下さいと激励森岡聰子笠岡市議会議長もあいさつ一人ずつにスポーツ賞揚金を贈呈した出席者の紹介のあと森本君は県予選で悔しい思いをした他のチームの思いを背負って精一杯戦いたい出場出来るのは指導して下さった方をはじめ保護者の支えがあり感謝の気持を忘れず頑張りますと全国大会への決意を話した森本君の所属する里庄レッドスネークス山近克彦監督平成年発足は月日岡山県内チーム約人が参加して行われた県大会で優勝全国への切符を手にした全国大会は月まいしま日大阪市此花区舞洲アリーナを会場に行われチームメイト人と共に全国の予選を勝ち抜いたチームと優勝を争う予選リーグでは香川県代表の善通寺クラブと当たる森本君は小学年生の時学校の先生の勧めでドッヂボールと出合った練習はキャッチボールなどの基本をはじめ実戦練習など監督の指示のもと平日は午後時から同時土日は午前時から午後時まで行われる持ち前の負けん気で毎日休むことなく自宅から練習会場の里庄小学校まで通う弟の陽気君小学校年生四男も兄と同じチームに所属して頑張っているしんどい時もあるしかしチーム皆でプレーし皆で喜び皆で戦えるのがいい止めようと思ったことは無いとドッヂボールの魅力を話す同チームは発足年目の今年月日広島県内で行われたドラゴンカップ西日本大会で優勝するなど活躍が目覚ましいまず予選を突破すること教えてもらったことを着実にするこれをしたから勝ったという理由がある試合を皆でしたい目標は勿論全国制覇力強い言葉が返ってきた市長から激励される選手たち右から人目が森本善修君月日記試合結果などについては月号掲載予定全教会長の参加を立教年全教一斉にをいがけデー提唱周年月日日よふぼく実動日日教会長路傍講演の日全教一斉にをいがけデーが月日金から日日まで全国で実施されるこれは一年に一度地域に住むお互いが力を合わせ一手一つに心を揃えて親神様の神名お道のにをいを広めていこうというもので普段は個で布教していてもこの時は揃って勢いをもって全教が一斉に行動し更なる布教活動の実をご守護いただこうとの思いから期日を定めて実施されるもの日から日までの日間は支部を中心によふぼく信者がよふぼく実動日としてにをいがけ活動を展開し日は教会長路傍講演の日として全教会長の参加を目指して行われる全教一斉にをいがけデーは教祖年祭立教年祭に向かう両年祭活動最中の昭和年月日天理教青年会天理教婦人会の提唱で実施された全国一斉路傍講演デーとして始まり今年で年を迎えるまた教会長路傍講演の日は年目全教会長が布教活動の先頭になり街角に立ち親神様の教えを伝えにをいがけの実動の推進役になってもらいたいとの思いが込められている更に月のか月間をにをいがけ強調の月と定めこの月はそれぞれの教会につながるよふぼく信者はもとより休日や夜の時間帯などを活用して働くよふぼくや学生にも積極的に参加を呼びかけ次代の育成と共に地域での継続的な布教活動につなげる工夫をもっての丹精が必要となるでは教祖年祭に向かっておつとめ奉仕人の増員を成人目標としている日の布教活動を通して目標達成に向けつとめたい全教一斉にをいがけ事務局本部布教部にをいがけ課内では月日から日までの期間中は記念祭奉告祭年祭などの教会行事の自粛を呼びかけているこの記事の一部は同事務局発行担当者用実施要項の中から許可を受けて使用しています会計部大教会長様の署名捺印について必要な場合は事前に大教会に連絡して下さい布教部教会長特別講習会について参加者の送迎を大教会でします希望者は布教部長田中まで連絡して下さい壽司会室悦子河原節喜司会田中隆之上原繁道司会森本忠善佐藤道孝司会中島誠治青年会会員名簿提出について未提出の分会は提出して下さい詳細は本誌月号参照全分会布教推進週間について実施期日月日日日日各分会の活動計画書を提出下さい月年祭を迎える第一歩吉岡月元一日月霊祭について月時旬対象よふぼくテーマと講師月はお休みです日時毎月日午後時受付時分開始時終了立教百七十五年七月月次祭祭典役割表祭扈主大教会長様者森笹本尾忠正平治賛者吉岡誠一郎虫明立生指図方上原繁道講話島村廣義先生九月講話中村邦義会場大教会会議室上の間史料部大教会史編纂について歴代会長履歴を各ブロック担当者まで提出下さい区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半吉岡壽中村剛中村邦義笹尾正治上原志郎田中隆之虫明立生横山逸郎田林久嗣大教会長様岡本久善佐藤道孝岡本久善中島誠治岡﨑和夫上原繁道杉原博之門脇元教大教会奥様佐藤香苗上原順子田中ますみ岡﨑豊子笹尾一美門脇郁子高木孝子横山小智榮谷内伸自森本忠善内海史郎河原節喜上原浩山野弘実森本忠平西江昌直山田敏教三島渉高木昭祥岡﨑輝彦上原澄雄今川昌彦吉岡誠一郎岡﨑真一武内清明赤木素志髙田賀代子森本冨美子谷内美知子今川佐智子武内正美門脇加津虫明好美内海安子三島照美中村義太郎よふぼく勉強会育成部原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は一句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様にはせかいぢううハみなわが子かハいいゝばいこれが一ちよとの親心のままに春夏秋冬と四季折の恵みを通して陽気ぐらしの一端を味わわせて下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます今は梅雨も明けて夏真っ盛りの中にあり暑さを楽しませて頂いておりますが年温暖化が進みその内暑さも楽しむどころではなくなる恐れがありますそうならないことを願って私共は日朝夕に御礼申し上げると共にご恩報じを念じつつ一人でも多くの人に親神様の御守護によって生かされている事と全て私達の心通りの守護である真実を伝えさせて頂くべくたすけ一条御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同一手一つの心で明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて七月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には暑さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は世話人の島村廣義先生にお越し頂いております教祖百三十年祭に向けての御諭達発布を三ヶ月後に控えたこの旬に当たってのおぢばの声をしっかりと聞かせて頂き目標を見据えて成人の歩みをさせて頂く所存でございます又目前にせまったこどもおぢばがえりの募集に余念はございません一人でも多くの子供に親の息を掛けて頂くと共に事故怪我等のないようお連れ通りの程をお願い申し上げます更には又八月には学生生徒修養会英語講習会サマーキャンプそして教会おとまり会等と子供を対象とした行事を通じて道の後継者の育成に力を注いでいく所存でございます何卒親神様には世の風潮に流されることなく親孝心一筋に御恩報じの道を歩む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして願う心の誠の理に尚も自由の御守護を賜り生かされている喜びを一人でも多くの人に味わって頂いて御恩報じを願う人が弥増してお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先大教会だより教会所在地の変更ひろさと分教会七三二八一八広島県広島市南区段原日出一丁目五番十八号なし本部食堂ひのきしん甲井山田要こどもおぢばがえり詰所受入ひのきしん前半東中島順子東中島洋子西福山髙屋島根上府横山逸郎藤原鈴江栗原興子雜賀元生小西紀惠後半滞に巻き込まれて遅れそうになりました時間を気にしながら渋滞を抜東徳山毅けやれやれなんとか間に合いそう西小坂義孝だと安心して進んでいた時ある福山宮本正明交差点で右折の矢印が出ているのに髙屋藤井宏一発進しない車がいるのです数台前島根三代麗子なのでクラクションを鳴らすわけに上府山田信子もいかずイライラは頂点に達しま有志島根面谷美恵子した瑞雲豊田俊美甲井山田敏教次の青信号で右折してその車をみると高齢の方が運転されていました腹を立て毒づきながら追い越そうとしたそのときもし父が生きていてあの車を運転していたらという考えが浮かびましたそれか二十四節気ではもうじき処暑ら私の部屋にかけてある額の言葉をを迎えます暑さが終わり朝夕に思い出しました涼しい風が吹く気持ちの良い季節だということですがまだまだ暑い日子供叱るな来た道だもの年寄が続きそうですね遅ればせながらり笑うな行く道だもの来た道行残暑お見舞い申し上げますく道二人旅これから通る今日の道通りさて先日ある研修会に参加する直しのできぬ道ため車で出かけましたその日は余裕を持って出たつもりなのに交通渋この言葉は作者がわからずただ妙好人とだけ記されています妙好人とは浄土教の篤信者特に浄土真宗の在俗の篤信者を指す語だそうで永六輔氏が著作大往生の中で引用され有名になったものです毎日見て座右の銘としているにも関わらずいざとなるとなかなか実行できませんね反省反省