かさおか

『かさおか』第62巻 第2号

○1立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314大惠山分教会昭和11年1月31日設立立教186年2月号かさおか立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号2○2018620大教会長様お話ひ、な、が、た、を学びな.お.し.全員参加の年祭活動を1・年頭会議において立教年大教会年頭会議は、1月日午後1時から大教会神殿で行われ、役員・部内教会長夫妻・布教所長らが参集した。大教会長様は、先ず、真柱様年頭のごあいさつを拝読され、その要点が「肝心なのは我々の心の成人」・「教祖の年祭は全教の節目」であるとして、年祭の意義を徹底するための心構えについて思いを述べられ、続いて、大教会の活動方針・目標を定めるにいたった経緯を縷々述べられた。なお、恒例の会食はコロナ禍のため中止し、引き続き「教会長夫妻並びに布教所長講習会」(別掲)が開催された。要旨は次の通り。まず、今年頭の真柱様のごあいさつを拝読します。昨年中は、いろいろとおつとめくださいまして大変ご苦労さまでした。昨年は、年が明ければ教祖百四十年祭への三年千日の動きが始まるというので、諭達を出しまして、そして年が変わって、年祭へ向かって仕切ってつとめる期間に入ったのであります。仕切ってつとめるということは、年祭という目的に向かって集中してつとめるということでありまして、この期間は、普段よりも力を入れて成人を進める旬であります。成人という言葉は、皆さん方は、その信仰的に意味するところは、あらためて言うまでもなくお分かりでありますが、ここにそんな人はいないと思いますが、成人というと、即物的に考えて、嫌気が差すという人もあるようであります。しかし、肝心なことは心の成人であり、そのための教祖のひ、な、が、た、でありますから、ひ、な、が、た、を目標に歩もうということを諭達で申し合わせているのであります。お、つ、と、め、を勤めてご守護を頂くのも、人が話を聞き分けるようになってくれるのも、つとめる者の心の成人ということが大きく関わっていると思うのであります。教祖の年祭は、私たちが最終的に目指す、親神様が思召される陽、気、ぐ、ら、し、の、世、の、中、へ、向かうための一つの区切り、節目という意味合いをもって勤めてきたと思うのであります。陽、気、ぐ、ら、し、への道のりは、人間の心の成人の道であります。考えてみたならば、非常に先長い話であって、何もなければだらけてしまうか、忘れてしまうということもあり得るのであります。そこで、身近に区切りを設けて集中的につとめる。そうして、ひと節ひと節、芽を出していくようにつとめることが必要ではないかと思うのであります。節目というのは、いろいろにあります。所属する教会の歴史の中においての節目。また個人の人生においての節目。節目というのは個人的にも集団としてもいろいろありますが、教祖の年祭は全教の節目であります。だから、全教の人が年祭の意味を知って歩めば、歩む人が増えれば、最初から分かっている人だけがつとめるよりも、一手一つの力も大きくなり、それだけ成人の道を進ませてもらうことができると思うのであります。そこで、年祭の意義を徹底するために、まず現在は、本部巡教を行っているのでありますが、巡教だけがすべてではなく、意義徹底のためにいろいろな方法を取り続けていかなければならないと思うのであります。皆さん方は、そのための心配りをする教会や部署などの責任ある立場にいるわけであります。年祭へ向かって進むときは、全教が一手一つにならなければならないときであります。一手一つの芯となるもの、何に一手一つになるかといえば、それは教祖の親心であり思召であります。お互いは、教会や施設、部署などでは、いわば芯という立場にあっても、芯となる思召に心を寄せてつとめる立場にあるということについては、ほかの人たちと同じであります。教祖の親心に応えることができるように、それぞれの務めを果たしていっていただきたいと思いま3○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか186140186す。コロナもいまだすっきりと収まらず、また世の中も、戦争などで不安定な様相であります。そういうなかで三年千日へ向かってのスタートを切ることになりましたが、この年が、良いスタートを切る年でありたいと思っておりますので、心を合わせてつとめてくださいますように、よろしくお願いしたいと思います。年頭に当たって、あいさつとさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(みちのとも年2月号4頁)立教年、明けましておめでとうございます。昨年は、教祖年祭に向かう道すがら、理づくりとして「人、だ、す、け、のためのお、ぢ、ば、が、え、り、」を目標に、それぞれ、一生懸命にお努めくださり、誠にありがとうございました。今年は、いよいよ、教祖年祭への三年千日活動、その1年目を迎えました。このスタートの年を互いに勇ませあい喜ばせあって通り、三年千日をしっ140かりと通り切れるように、本日は、年頭における真柱様のごあいさつと、笠岡大教会としての年祭活動の方針・目標についてお話しします。(拍手)▼肝心なのは我々の心の成人真柱様の年頭のごあいさつのなかで、私は、大きく2つのことが重要だと思います。1つは、「肝心なことは(我々の)心の成人であり、そのための教祖のひ、な、が、た、である」ということ。「お、つ、と、め、を勤めてご守護を頂くのも、人が話を聞き分けるようになってくれるのも、つとめる者の心の成人ということが大きく関わっている」と話されました。お互いは、教会長や布教所長など、それぞれの信仰の拠点での中心となる立場です。この年祭活動の芯となる私たちこそ、教祖のひ、な、が、た、をしっかりと学び、まず、自らが成人することが大事だと思います。▼教祖の年祭は全教の節目もう1つは、「教祖の年祭は全教の節目であり、年祭の意味を知って歩む人が増えれば、一手一つの力も大きくなり、それだけ成人の道を進ませてもらうことができる。/全教(の人)が一手一つにならなければならない。その芯となるものは教祖の親心であり思召である」ということ。諭達の冒頭にも、立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。とあるように、道の教えに繋がる全員の方に、それぞれに違いはあるにしろ、それこそ誰1人余すことなく、「年祭活動、頑張ろう/何かさせてもらおう」という心になってもらうことが大切だと思いました。▼意義徹底のために続いて、「年祭の意義を徹底するために、本部巡教を行っている。巡教だけがすべてではなく、いろいろな方法を取り続けていかなければならない」とあります。笠岡大教会としても、月日に本部巡教を受け、1月、直轄教会に対して、大祭参拝と兼ねて全教会一斉巡教を取り行い、諭達と年祭活動の意義の1121徹底を図りました。続いて、2月・3月には、部内の教会にも回ります。それだけではなく、その後もしっかりと、それぞれの教会に繋がる全員に、年祭活動の大切さを伝えることを、続けていかなければならないと思います。「巡教終えたから、これで全員に伝わった」ではなく、大教会としても、引き続き、諭達と年祭活動の意義の徹底を行なっていきたいし、それぞれの教会・布教所でも同様に、そこに繋がる皆さん方、一人ひとりに、年祭活動に自ら参加して成人の歩みを進めてもらえるように働きかけましょう。「全員」というのは「1人残らず」ということで、すなわち、教会に繋がるよ、う、ぼ、く、・信者はもとより、お、さ、づ、け、を戴けない年齢の子供たちにもということです。その子供たちにも、まず、年祭活動というのが大事な期間で、我々大人が「頑張っている/こんなことやっている」という姿を示すと同時に、何かしら動いてもらえるような声を掛けましょう。恥ずかしながら、私自身は、子供の頃の教祖年祭活動の記憶というのがほ年祭活動に臨む心構えを述べられる大教会長様立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号4○め、それから、それぞれの教会でも目がイメージした年祭活動は、「とにかのが、「教祖のひ、な、が、た、をテーマとし標と実践項目を定める、という流れにく、お、た、す、け、。では、この現代社会でて、それを毎月、発信していく」といなっています。は、具体的には、どのようにお、た、す、け、うものでした。昨年末に、大教会としての方針と目相手と繋がっていくのか。そのことを、これが、本当にいいなと思って、そ標を発表しました。年祭活動として打ち出していく。」、そこから、とにかく、「ひ、な、が、た、」に重諭達を受け、大教会として、何を打んなイメージでした。きをおいた、今回の方針と目標を決定ち出していくべきか相談したときに、教会によって様々で、どんなことがすることに繋がったわけです。とにかく「教祖のひ、な、が、た、」を、三年できるかも違うでしょうが、これまでそして、真柱様の年頭のごあいさつ間、しっかりと辿ろうということで、のに、を、い、が、け、・お、た、す、け、、路傍講演やを拝聴した今、現時点では、「方針と「つながろう、おやさまのお心に。つパンフレット配りでは、現代社会にお目標、間違っていなかったな」と感じなげよう、信仰の喜びを。」を活動方いては、実際に、お、た、す、け、相手と繋がています。針とし、目標を「ひながたを学び、そるのがなかなか難しいと思います。私が、それまで思い描いていたイのお心を実践しよう。」と定めました。もっと具体的に、別の形で、お、た、す、メージがなくなったわけではありませとんどありません。今の年齢になって、年頭の真柱様のごあいさつを拝聴しけ、相手と繋がることができる方法を模んが、このたびの年祭活動は、やはり、子供のときに、親がしていたことをて、あらためて、この方針・目標で間索していけないか。例えば、教会ひ、な、が、た、に重きを置いて、もっと基本知っておけばよかったと後悔していま違いなかったと思いました。でのこども食堂などの先に、お、た、す、け、的なことをするべき旬だと思ったのす。あえてお話ししますが、諭達・本部する相手と繋がる姿を思い描くといっで、そういう方針・目標になりました。簡単なことではありませんし、「せ巡教を受けて、私がそれまででイメーた、お、た、す、け、相手と繋がる具体的なこなあかんのや」という押し付けになっジしていた年祭活動というのとは、正と、何か新しい方法(路傍講演や戸別▼年祭活動の重点てもいけないと思いますが、分からな直、違いました。訪問ではない)を提示したり、共有し会長として初めての年祭活動を迎えいなりにも、子供たちにも、少しでも、混乱されるかもしれませんが、私は、ていく。そんな形をイメージしてるにあたり、私は、正直、「どんなこ年祭活動の意義、易しく言って「空気」昨年のこの場で、「理想の教会像」にいたので、本部巡教を受けた時点で、とが起こってくるんだろう/どんな喜でも伝えていけるように、それに向ついて、地域社会に溶け込んで地域に年祭活動をどうしていけばいいのか、びを見せていただけるんだろう」といかって努力しましょう。必要とされて、そこに繋がる皆さんが正直、全く分からなくなりました。う不安や期待もあります。▼ひ、な、が、た、を目標に歩もうお、た、す、け、に喜んで向かっている、そんな姿を夢想するとお話ししました。そこで、年祭準備委員会のメンバー「成人の旬」であるこの三年千日に人を集め、私の考えや思いを話したは、間違いなく、普段より多くの節や10かさおかこのたびの年祭活動、年祭に向かっその後、昨年、『みちのとも』に掲うえで相談すると、今回の三年千日の身上・事情、慶び事も見せていただけては、まず、大教会の方針と目標を定載された両統領先生の対談を読んで私具体的な大教会の活動として出てきたると思います。5○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおかこの3年間をしっかりと通り切るには、本部巡教で井筒先生が仰ったように、とにかく、教祖を見失わないこと。教祖さえ見失わなければ、ご存命の教祖が間違いなく導いてくださる。そのためにも教祖のひ、な、が、た、を「もう知っている/十分学んできた」という方もおられましょうが、あらためて教祖のひ、な、が、た、に込められた親心を学びな.お.し.、そのお心を実践して、互いに成人を進める。そんな三年千日になるように、この3年間は、とにかく、「ひ、な、が、た、」、これをしっかりと辿りましょう。それも、自分だけで努めるのではなくて、教会・布教所に繋がる全員に子供たちにも、まだ見ぬ新たなお、た、す、け、相手にも伝えていけるように、互いに勇ませあい喜ばせあってお通りいただきますようお願いいたします。最後に、連絡事項を、3件、お伝えします。1件目:2月・3月の部内巡教ですが、しばらく実施できませんでしたので、しばらくぶりの巡教になります。このたびは「全教会一斉巡教(諭達28186巡教)」として行います。祭典を終え、ひとまず区切ってから、決められた式次第に則って勤めますので、祭典後の巡教に重きを置いてください。基本的には、従来の部内巡教同様、巡教員がお、つ、と、め、衣でお、つ、と、め、を勤めます。祭典後、式次第のなかでお話を取り次ぎ、食事接待は無しで帰るという形で勤めます。コロナ禍もあり、教会によって様子も事情も違うでしょうから、教会によっては、弁当を準備したり、あるいは、巡教員がお、つ、と、め、の終わり頃に到着して、背広・スーツでお話を取り次いで帰るというケースもあるかと思いますが、一斉巡教(諭達巡教)の講話の取り次ぎに重きを置いたうえで、具体的なことは、それぞれの教会で巡教員と相談してください。2件目:学生担当委員会から。今年の3月日に本部で開催される春の学生おぢばがえりには、笠岡として初めて団体を組んで参加します。諭達にあるように、「ぢ、ば、を慕い、信仰を受け継ぎ、引き継いでいく」ことを考えれば、学生に対する行事も非常に重要ですので、笠岡に繋がる学生が、1人でも多く、お、ぢ、ば、に教祖に繋がるように、皆さま方には、ぜひ、動参加して、共に、成人できるように、員の声がけをお願いします。このことをお願いして、私の年頭にあ3件目:本部に提出する今年・立教たってのごあいさつといたします。年の人づくりと御供・ご奉公の心定(拍手)めについて。人づくりはそれぞれの教《以上要旨》会からの数を合計したもの、御供は昨年と同様に心定めしましたので、ご承知おきください。春季大祭講話教祖にお喜びいただけるこのたびの年祭活動、一人ひとりが、教祖のひ、な、が、た、を学び、そのお心を実践し、あらためて、成人の歩みを進め真心をもって取り組もう大教会長様21186ようということと、笠岡に繋がる全員、立教年大教会春季大祭は1月どんな方にも、もう、1人も余すことなく、残らず、年祭活動に、少しでも日、大教会長様祭主のもと役員・部内教会長・布教所長・よ、ふ、ぼ、く、・信者ら参拝のもと執り行われた。大教会長様は、教祖年祭の元一日を記念してつとめる春季大祭に殿内北側半分は椅子席となった当たり、正に、年祭活動が始動したこの旬の心構えとして、諭達・真柱様年頭のごあいさつ・逸話篇を引用され、まず、「笠岡の心を一つにして歩むこと」・「自らの心の成人を進めること」を促された。続いて、教祖にお喜びいただける「真心をもってつとめること」・「心のほ、こ、り、を払.え.る.よ.う.に.通ること」に気を付けようと述べられ、かさおか立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号6○最後に、このたびの笠岡としての活動方針・目標への取り組みについて述べられた。前日の年頭会議同様、終始、即物的な考え方ではなく、心の持ち方・置所に重点をおいた講話となった。要旨は次の通り。140186ただ今は、立教年の春の大祭を、皆さまと共々に陽気に勇んで勤められました。誠にありがとうございます。本日は、教祖年祭に向かっての三年千日と仕切っての年祭活動期間を歩むにあたって、思うところをお話しします。(拍手)1026▼笠岡の心を一つにしたい昨年月日、真柱様より『諭達第四号』が発布されました。この諭達と本部巡教を受けて、笠岡大教会としての方針と目標を決めました。このたびの諭達では何が一番大事かと考えると、笠岡の方針・目標を知っている方の多くは、おそらく「ひ、な、が、た、」が思い浮かぶと思いますが、私はそれと同じか、もっと大切だと思うことがあります。それは、諭達の冒頭にある「全教の心を一つにしたい」ということです。真柱様は、今年頭のごあいさつのなかで、年祭へ向かって進むときは、全教が一手一つにならなければならないときであります。一手一つの芯となるもの、何に一手一つになるかといえば、それは教祖の親心であり思召であります。と話されました。教祖の親心・思召を芯として、全教が一、手、一、つ、になる、このことを、三年千日の年祭活動を歩むに当たって、私は、とても重要なこと、大事なこととして、皆さんにお願いしたい。このたびの年祭は、「自らが勇んで通る」のはもちろんのこと、「年祭活動を、身の回りの方にも伝えて、共に、成人の道を歩もう」ということです。全教の心を一つとするために、まず笠岡として、一、手、一、つ、に、心一つにできるように努めましょう。教会・布教所や家庭に繋がる方、とにかく身の回の方一人ひとりに、誰1人漏らすことなく、どんな形でもどんな小さなことでもいいので、自らが求めて年祭活動を努めてもらえるように、その意識を持って、3年間通り切りましょう。このことを、まず、最初に、私の思いとしてお話ししました。▼まず、自らの心の成人を特に、次の世代を担う子供たちに、伝えていきましょう。もちろん、押し付けになってはいけないし、「しなければならないからしろ」と声高に叫ぶのではなく、子供だち一人ひとりを見て、「この子ならどう言ったら伝わるだろうか」と思い巡らし、伝える努力をして、「少しでも、どんな小さなことでも、親神様が、教祖が、喜んでくれるんだよ。それでたすけてもらえるんだよ。」と伝えて、ともに歩む3年間にしましょう。「子供の成人」という逸話ですが、教祖の仰せに、「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。親の教が、隅々まで届いたなら、子供の成人が分かるであろ。」と、繰り返し繰り返し、聞かして下された。お蔭によって、分からん人も分かり、救からん人も救かり、難儀する人も難儀せぬようの道を、おつけ下されたのである。(逸話篇)196とあります。また、年頭のごあいさつでも、真柱様は、お、つ、と、め、を勤めてご守護を頂くのも、人が話を聞き分けるようになってくれるのも、つとめる者の心の成人ということが大きく関わっていると思うのであります。と話されました。まず、自分自身の心の成人を進めたうえで、進めながら、同時に、子供に、また身の回りの人たちに、教えを伝える声がけを行なっていく、ということを心がけましょう。▼年祭に向かう心構えそのことを、まずお願いしたうえで、この3年間、通るうえでの注意点、「今さら、そんなことを」と思われるかもしれませんが、あえてお話しします。2つあって、1つは「どのような心で努めるのか」ということ。もう1つは「心のほ、こ、り、をしっかりと払って通る」ということです。▽何事も真心をもってつとめるどのような心で通るのかということについて、教祖の逸話を拝読します。7○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか真心の御供中山家が、谷底を通っておられた頃のこと。ある年の暮に、一人の信者が立派な重箱に綺麗な小餅を入れて、「これを教祖にお上げして下さい。」と言って持って来たので、こかんは、早速それを教祖のお目にかけた。すると、教祖は、いつになく、「ああ、そうかえ。」と、仰せられただけで、一向御満足の様子はなかった。それから二、三日して、又、一人の信者がやって来た。そして、粗末な風呂敷包みを出して、「これを、教祖にお上げして頂きとうございます。」と言って渡した。中には、竹の皮にほんの少しばかりの餡餅が入っていた。例によって、こかんが教祖のお目にかけると、教祖は、「直ぐに、親神様にお供えしておくれ。」と、非常に御満足の体であらせられた。これは、後になって分かったのであるが、先の人は相当な家の人で、正月の餅を搗いて余ったので、とにかくお屋敷にお上げしようと言うて持参したのであった。後の人は、貧しい家の人であったが、やっとのことで正月の餅を搗くことが出来たので、「これも、親神様のお蔭だ。何は措いてもお初を。」というので、その搗き立てのところを取って、持って来たのであった。教祖には、二人の人の心が、それぞれちゃんとお分かりになっていたのである。こういう例は沢山あって、その後、多くの信者の人々が時々の珍しいものを、教祖に召し上がって頂きたい、と言うて持って詣るようになったが、教祖は、その品物よりも、その人の真心をお喜び下さるのが常であった。そして、中に高慢心で持って来たようなものがあると、側の者にすすめられて、たといそれをお召し上がりになっても、「要らんのに無理に食べた時のように、一寸も味がない。」と、仰せられた。(逸話篇7)このように、教祖は、品物ではなく、真心を、何よりも喜ばれる。それは、御供物に関することだけではなくて、教会でのお、つ、と、め、・お掃除、に、を、い、が、け、・お、た、す、け、など、私たちの、日々の全ての行動の根底にある心が、教祖にお喜びいただける心で何事もさせていただくということ。▽心のほ、こ、り、を払.え.る.よ.う.に.通るそしてもう1つは、心のほ、こ、り、を払って通るということ。これも、逸話のなかで、こんな風に、教祖が仰っています。どんな新建ちの家でもな、しかも、中に入らんように隙間に目張りしてあってもな、十日も二十日も掃除せなんだら、畳の上に字が書ける程の埃が積もるのやで。鏡にシミあるやろ。大きな埃やったら目につくよってに、掃除するやろ。小さな埃は、目につかんよってに、放っておくやろ。その小さな埃が沁み込んで、鏡にシミが出来るの130やで。(逸話篇)と。親神様のお心に添わない心遣いを、「ほ、こ、り、」に例えてお教えいただいていますが、道を信仰する我々は、お、つ、と、め、を勤め、お、さ、づ、け、を取り次いで、日々通るなかで、心のほ、こ、り、を払う機会は、何度もあると思います。なぜ、あえて、今、この話をしたか。ある女性が健康のために走っていたが、体調を崩して医者に診てもらうと「筋力が低下している」と言われた。健康のための運動だったのに、使っていた筋肉が違ったので、調子を崩す元になり、鍛えていたはずなのに、全然鍛えられていなかった。この話を聞いて、私が、さらに思い浮かんだのは、私が、本部勤務から大教会に帰って、神殿掃除をするようになったときに、とても気になることがあった。毎日、掃除しているのに、太鼓とスリガネの足の部分に白いほこりがずっと溜まったままになっていた。それは、ほこりを隅に寄せて終わるような掃除の仕方になってしまっていたから。私は、特に、神殿掃除することは、「自分の心のほ、こ、り、を払う」つもりで努めているので、余計に気になったのでしょうが、「しているつもりで、実は、ほこりを溜めてしまっている」ということが、私たちにも、あり得ると、そのように思案しました。このたびの記念祭に向かっては「ひ、な、が、た、を学び、そのお心を実践しよかさおか立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号8○10261121う。」という目標を掲げています。当然、承知しているであろうこの教祖のひ、な、が、た、を、あらためて、学んで、自分自身の心の掃除の仕方、ほ、こ、り、の取り方が、ほ、こ、り、を隅っこに追いやるような掃除になってしまっていないかを、あらためて、確認して、スッキリ、そのほ、こ、り、を払えるよう、努めていただきたいうえから、このお話をしました。▼笠岡としての方針このたびの教祖年祭に向かっては、月日に真柱様より、『諭達第四号』をご発布いただき、月日に本部巡教を受けました。その後、年祭準備委員会を立ち上げ、年祭に向かう方針と目標を相談し、決定しました。活動方針は「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」、目標は「ひ、な、が、た、を学び、そのお心を実践しよう。」と定めました。▽つながろう、おやさまのお心に。このたびの諭達の根底にあるのは、ひ、な、が、た、を辿ることだと考えましたが、「ひ、な、が、た、」というと、「貧に落ちきる/ご苦労」など、「苦労をしなければならない」というようなイメージがあるという意見もあったため、「ひ、な、が、た、」という言葉を使わずに考えてみました。そうして、「あのとき、教祖はどうなさったのか/どんなお気持ちだったのか/教祖ならどうなさるか」そういったことを想像してみて、常に教祖を思い浮かべ、教祖のお心に繋がろうとする態度が、ひ、な、が、た、を求めることになるのではないかと思いいたったので、方針を「つながろう、おやさまのお心に。」としました。▽つなげよう、信仰の喜びを。また、お道を通るうえでの、喜び、「か、し、も、の、・か、り、も、の、/生かされて、生きている喜び/元なるを、や、を明かされていること/たすかる筋道を教えられていること」、教えを知っていることで喜べることは、たくさんあることに気付きます。そして、その湧き上がる喜びを態度に表すことがひ、の、き、し、ん、であり、周囲の人々に喜びを映していくことがに、を、い、が、け、やお、た、す、け、だ、と思います。さらには、この喜びを次代へ繋げていくということ。「道は末代」。諭達にも、親から子、子から孫へと引き継いまつでいく一歩一歩の積み重ねが、末だい代へと続く道となるのである。とあるように「末代」に信仰の喜びを繋げていこうという思いを込めて、「つなげよう、信仰の喜びを。」としました。▽ひながたを学び、そのお心を実践しよう。目標は「ひ、な、が、た、を学び、そのお心を実践しよう。」です。これまでの年祭活動は、数値目標を掲げ、その達成に向けて奮起を促してきたという歴史があったかと思いますが、年祭活動は「しないといけない」ものではなくて、飽くまでも「させてもらおう」という勇み心でするものだと捉え、このたびは、具体的な数の目標は掲げず、皆さんが、それぞれに、何をするかを決める。そのために、このような表現にしました。ひ、な、が、た、を学んでいく手段、1つの方法として、大教会では、教祖をテーマにした「KASAOKAひながた通信」というものを作り、毎月、発信します。ポスターがお手元に届いているかと思いますが、その右下にQRコードが2つあります。1つは、昨年末に作った笠岡大教会のホームページにアクセスするためのQRコード、もう1つは、この「KASAOKAひながた通信」にアクセスするためのものです。最初はLINEの友達登録をすることになります。毎月1日に、教祖のひ、な、が、た、から1つテーマを選んで、それに基づくお話をすることになっています。この「QRコード」は、スマートフォンでそれを読み込んでアクセスすることになります。それが、ご自分でできなくても、近くにいる若い方でしたらできると思いますので、お子さんやお孫さんに、「これ見たいけど、分からんんのよ」と言って、操作して一緒に見てもらうこと、これも次代に信仰を繋げていくための一助になるでしょう。また、スマホで見られない方には、紙に印刷したものも配布しますので、それぞれの教会ごとに、希望数・必要数を大教会にお申し込みください。そしてもう1つ。このたびの年祭活動では、「おたすけ・お願いカード」を活用していただきたい。9○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか323123191121371214このたびは、「必ず大教会にお供えする/数をカウントする」ということはしません。それぞれの教会で、どのように活用するかを考えて、使ってください。大教会にお供えしたい教会は、大教会の方で、それを受付して、月次祭のお、つ、と、め、が始まる前に、それを供えて、お、つ、と、め、を勤めます。▼ご存命の教祖を見失うことなく、一、手、一、つ、につとめよう真柱様の「全教の心を一つにしたい」という思いに沿うことができるよう、まず、笠岡が、一、手、一、つ、となって努めたいと思います。一、手、一、つ、ということについて、お、さ、し、づ、に、一手一つに皆結んでくれるなら、どんな守護もする。(明治・1・)また、皆んな一手一つの心が無けりゃ、治まっても治まらん。(明治・7・)また、皆心、一つの心に成りてくれ。一つに成れば強いもの。そもくの心は、どうしてやろうこうしてやろう、と言うたとて、出来ん。そこで暇が要る。もうこれから、皆心というは、一人の心にようあれだけの心を揃うたなあというは、世界にどんな事も映る。これをよう皆々の心に持ってくれにゃならん。(明治・・)とあります。諭達の最後に、この道にお引き寄せ頂く道の子おやさまふしめ一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界た、す、け、の歩みを一いっ手てひとおごぞんめい一つに力強く推し進め、御存命でおやさまお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。とあるように、一、手、一、つ、に、喜ばせあい勇ませあってつとめ、三年千日を通り切り、御存命の教祖にご安心いただきお喜びいただけるように、お通りいただきますよう、お願いいたします。最後にもうひとつだけ。年祭活動期間に入りますと、いろいろなことが起きてくると思います。それは、慶び事、うれしいこともあれば、身上・事情や、しんどいな辛いなと思うことも数多く起こってくると思います。ですが、月日の本部巡教で井筒先生が、私たちは、教祖さえ見失わな今日は、天理教の教会は現代社会にければ、どんななかでも教祖が支えておいて用無しになっていくんでしょうくだされ、「存命の理」で、間違いなか、このまま消えて行くんでしょうかく導いてくださる、と話されたように、というようなお話をさせていただきた教祖を、教祖のひ、な、が、た、を見失わずに、いと思います。ちょっと質問に答えてしっかりと見つめて、そのお心を学び、下さい。これから道に明るい未来はあ自ら実践していくことをお願いして、りますか?これからの道に明るい未お話を終わります。(拍手)来はあるとYESと思う人、じゃあ未《以上要旨》来があると思われたかたはなぜそう思うんでしょうか。ちょっと心に浮かべ布教部教会長夫妻並びに布教所長講習会開催てみてください。また未来はないと思った人はなぜ未来はないと思ったんでしょうか。なぜという所を深めてい201・年頭会議に引続きかないと私はいけないと思います。どちらでもいいですが、ただ現状は非常80布教部(田中隆之部長)は、年祭に厳しいものはあります。教祖年祭90活動歩み出しの大切な時旬に、笠年祭をピークにおさづけの理拝戴の岡が一丸となって年祭活動を推し人数なんですが、客観的に見ると右肩進めるためには、教会の竜頭であ下がりになっている。大事なのはなぜる教会長・その配偶者・布教所長のそういったことになってきたのかとい合力は外すことが出来ないとしうことです。て、「教会長夫妻並びに布教所長伝統宗教は、生老病死という人間の講習会」を開催。杉江健二先生(甲根源的な悩みに応えてきました。新興賀部属美張分教会長)を講師に招宗教においても、貧病争、このテーマき、「多様化する社会の問題を学に答えを出している宗教が伸びたんでび、自分にできるおたすけに取りす。お道は結核のおたすけで伸びたと8090組もう」をテーマに次のようにお言われますが、教祖年祭年祭はそ話しいただいた。ういったものに一生懸命かかればおたかさおか立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号10○すけを待っている人々が大勢いました。釣りに例えると、今、一生懸命にをいがけしておたすけをしようと思っている私たちの船の下には魚はいないんです。困ってる子達はそこに困ってないんです。今は保険もある、病院は立派にある、医学も発達し、以前困っていた結核は現在ほぼありません。そういう中で私たちがおたすけしようと思っていたその人達、今日は魚はそこにいないで移動してしまったんです。バブルがはじけ教祖年のあたり、1980年ぐらいから、助けを求める魚達はそこにはいなくなってしまった。私たちが一生懸命おたすけしようと思ってやっているその下には魚はいないんです。じゃあ困ってる人はいないのか、いるんです、別のところに。ある時、前真柱様とお話をさせて頂いてる時に、「世の中にはなお助けを待ってる人は大勢いるのに私たちようぼくはそこに行けてないで」って言われたんです。これが実は教勢が伸びて行かない原因の1つなのではないでしょうか。私たちの思いばかりではおたすけは現実には起こってこないんです。天理教と全く接点がない方そして天理教の100302452195915教会もしくは教会長様ようぼく信者と接点がある方、うちも子ども食堂やってますが、こども食堂に来る人たちと向き合い、おたすけ活動を展開しなければならないことにようやく気付いた。私たちはもう一度、お道を知らない人たちと接点を作って何に困ってるのか聞かなきゃいけないと思いませんか。私がそのことに気づいたのが年祭の3年前、ちょうど年前からその思いに駆られて少しずつ少しずつ躓きながらやってきたことを少しご紹介をして、何かのご参考になればということでお話を聞いていただきたいと思います。まずは2011年、今から年前に私は空手道場を始めたのですが、生徒の保護者から、「先生うちの子供学校行けてないんだけど先生の空手教室は行くんですけどどうしたらいいですか」ってご相談を受けたんです。そして不登校のおたすけを始めた。よく調べてみると世の中には不登校ってのがいっぱいいて万人、このコロナ禍で今万人にもなっているんです。年間日以上の欠席を不登校と言いますが、不登校気味の子どもたちも含めると、なんと万人もいるんです。どん1013012151773010130147616どんどんどん増えています。また引きこもりや仕事をしないニートは合わせて万人もいるということが分かってきたんです。今のこの世の中で万人の人たちが引きこもり不登校ニートなんです。この8年間に復帰した人は件、まだ継続してしているのは件、相談だけで終わった人件、中断した人件、合わせて件の不登校のおたすけに関わってきました。その中で教会に住み込んだ人は名ありました。そんなことでお助けにかかり初席運んだ人が人、ようぼくになった親が人、講社を祀った人もあります。そして年前、年祭の三年千日の始まるそのタイミングで、親の代からやっている里親、空手道場など得意なことをやろうということで、陽気会という名前を付けて子どものおたすけを始めました。私は里親をしているのですが、今までに人の子どもを預かってきました。そのうちの8割の子どもたちが虐待を受けていた。そんなこどもたちと一緒に生活しながら、このままでいいのだろうかと思うようになりました。そうするうちに名古屋市の児童相談所がうちの教会の隣に移転してきました。その児童相談所で一時保護11229241030されている建物から、「ママー、ママー!」と叫ぶ女の子の声、「殺せー、殺せー」とわめく男の子の声が聞こえてくるんです。過去に殺されそうになった体験がトラウマになって叫んでいるのです。私はおたすけのつもりで虐待された子どもたちを預かってきましたが、教祖が望まれるのは虐待を受ける子どもたちのいない世の中になり、私たちのような里親がいなくなることだと思うようになりました。児童虐待が社会に知られるにつれ、国が策を講じてきたにもかかわらず、年間増え続ける児童虐待の防止をこの時私は決意しました。名古屋市の市長に会い直談判して、児童虐待の再発を防ぐための保護者支援事業ってのを始めたんです。虐待をしたお父さんお母さんに、虐待だめだよって言うだけじゃなくて、教えてあげるから一緒に勉強しようと。本当に心から訴えれば、天理教とかそんなの関係ない、通じるんです。皆さんも笠岡市の市長さんのところに、こんな事業をしたいと行かれたらどうですか。名古屋市の委託で講座の講師をやっていますが、人のうち人が天理教の教会長か奥さんなんです。そして今までに件以上の虐4001711○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号600かさおか待した家庭を復帰させてきたんです。その中から、もっと早く教えてもらいたかったという声が上がり、イライラしない子育て講座、名古屋で年間2千人ぐらいの人が受講しています。私ひとりで始めたんですが仲間を募って、トレーナー養成講座を始めました。現在、人の方が全国にいますが、まだまだ増え続けています。東京教務支庁、大鳥大教会でも開催されました。笠岡大教会も是非いかがでしょうか。さらに、天理教里親連盟とタッグを組んで、イライラしない子育て講座にちょっとお道の信仰を加えて、TFA天理教ファミリーコミュニケーションアプロー映像を駆使して話される杉江先生チってのを作ったんです。全国の教会や修養科の課外授業でも取り入れられています。これは親になってから学ぶよりも親になる前に学んだほうがもっといいでしょう。そこで産前子育て教室制度化を思い立ち、この必要性を国に訴えるために署名活動をしてきました。教会長になった当初は何をしたらいいかわからなかった。路傍講演するけど素通りするだけ、にをいがけにまわるが誰も聞いてくれない。これでいいのだろうか、世の中の人たちは困っていないんだろうかって思っていましたが、不登校、ひきこもり、虐待、依存症、現代のおたすけはいっぱいありました。ただ私たちが気づかないだけなんです。そういう人たちにもっと目を向けましょう。子育てにつまずいて悩んで役所などに相談に行く親は実は2割程度です。8割の人が諦めてるんです。子育てに悩む人々に声をかけて、地域の子育てステーションの役割を教会が担えるということをぜひ皆さん覚えておいてください。教会ではそれ以外にも、子ども食堂、フリースペース、里親活動などができます。人手がなければ近所から呼んでくればいいでしょう。何でもいいからやれることからやっていきましょう。そして困ってる人のところに行かなければいけない。一生懸命頑張ってますが、魚がいないところで一生懸命やっても自分たちの自己満足でしかない。困っている人はたくさんいるので、そこへ行きましょう。いま社会は、子ども家庭庁が今年の4月にできますが、霞が関でその審議官と話をしてきました。すると、僕らが思っていることと全く同じことをやりたいと言っているんです。ということは、我々お道はそれができるということです。天理教の教会や布教所は、今まさに国や地域が必要としている社会資源になり得るということを話をしたかった。最後になぜ私がここまでできるようになったのか、そのお話をします。私には男の子が3人いるんですが、待望の女の子を授かりました。本当に嬉しかったのですが、娘は重い障害を持って生まれてきました。何とか助けていただきたいとおさづけを取り次ぎ、六座のお願いも初めてしました。しかし時がたつにつれ体には水が溜まり、見るも無残に膨れ上がって本当にかわいそうな姿になった。もうこれが神様の私たちに与えられたと言ったらまた出直してくればということで。NICUで先生達が私達夫婦と娘3人のスペースを作って下さって、生命維持の器具を全部外して、今から出直しを迎える時間を過ごさせてくれたんです。娘の体をさすりながら、本当に申し訳ない、かわいそうだなどといろんなこと考えました。でもこのままで終わったらお道の者じゃないって、この節をどう乗り越えるか、心を定めよう。この子の出直しを無にしないための心を定めようと定めたのが、生かしの道、ということなのです。娘は五体不満足で出直したけれども、世の中には五体満足で生まれてきながら学校に行けず引きこもりがあったり、いじめがあったりして生き生きと学校に通えない子供たちがいっぱいいる。そして親から叩かれ怒鳴られて、寂しい思いをしている虐待にあった子供達が万人もいる。この子たちを生き生きとして生きててよかったって思える子供にしようというのを生かしの道と私は定めたんです。娘の出直しの節がなければ私はそこまでのエネルギーは湧いてこなかったと思います。そうして始めたおたすけですが、2021少年会詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号12○いっぱい教会に不登校の子達を預かっない。知識だけだった。本当に我々が私がやらなかったら誰がやるんでしょて、どんどんみんな元気になっていっするのはおたすけ、不登校の専門家のうか。おたすけの接点の様々なチャンたんです。周囲からは先生先生と呼ば仕事するんじゃない。それ気づいて、ネルづくりをして下さい。この努力はれて調子に乗っていた私なのですが、それから私は全員の親に、すみません必要なんです。周囲にあなたのおたすあろうことか私の長男が不登校になっ私の子供が不登校になってるんですけを待っている人は必ずいます。天理てしまったんです。辛かったですねえ、よ、そんな私でも話していいですかと。教の教会や布教所は現代社会においてもうおたすけやめようかと思いましそしたら相談は減るどころか増えたん本当に必要な場所になれる可能性が高た。助かりますよって言っときながらです。そんな杉江さんだからこそ私のいんです。ぜひチャレンジしていきま自分の子供見てみなさい。お母さんご苦しみを聞いてほしいんだと。これがしょう。めんなさい、うちの子供も助けられんおたすけなんです。支援とおたすけのような私ですよってカミングアウトしようかと思ったけど、どんどんどんどん来るもんだから言えずに心が悶々と違いをその上級の会長さんの態度で教えていただいたということです。まずはおたすけの現場に近づくよう「テッチャンシアター」開催してるんです。本当に心が折れそうにに、こちらから探すということが大事春季大祭後苦しかったんです。そんな時にちょうだと思います。私たち人間には欠点にど春の大祭に上級の会長さんがお見えばかり目が行く習性がありますが、良少年会笠岡団(森本忠善団長)は1月になった。私は初めて自分のたまらないことに着目しましょう。天理教の教日大教会祭典終了後、今年初となるい思いを吐露したんです。そしたらで会元気ないですけれど、でもいいとこテッチャンシアターを開催させて頂きすねうちの上級の会長さん、何て言っいっぱいあるんです。だっておたすけました。土曜日という事もあり子供たたと思いますか。何にも言わず涙ぽろの心持ってる人がこんなにいるじゃなちも多く参加してくれました。ぽろと流してくれたんです、こんな私いですか。世の中みんなお金くれなコロナ禍と言う事もあり、接触などのために。滅茶苦茶嬉しかった。恥ずきゃ仕事しません。ボランティアの人は避け、「まねっこ遊び」や「頭の体かしながら男泣きに泣きました。そしだって、ほめてくれなきゃやらないん操」、ハンカチを使ったゲームなどをてその日の祭典はめっちゃくちゃ勇みです。お道はどうですか、文句言われ行い終始、笑いが絶えない楽しい時間ました。子供何も治ってないですよ、たって、ありがとうございますと言っとなりました。かさおかただ心が元気になった。そこで私は大てひのきしん精神でやるじゃないですありがとうございました。きな間違いに気づいた。私は単なる不か。最後に平櫛田中の言葉ですが、今(少年会委員丸山智旬)登校の専門家だった、おたすけ人じゃやらなければいつやるんでしょうか、13○立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号かさおか春季大祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には「月日にわにんけんはじめかけたのわよふきゆさんがみたいゆへから」と紋型ないところからこの世と人間をお創造になったばかりでなく子ども可愛い一条の親心から今も変わる事なく成人へとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお聞かせ頂いた御教えに込められた親の思いにお応えしたいと日夜御礼を中し上げると共に御思報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は今月二十六日教祖が世界ろくぢに踏み均しに出られた尊い日柄におぢばで春の大祭が執り行われるその理にならい当教会でも只令からおつとめ奉仕人一同おつとめをつとめられる喜びと感謝の心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて立教百八十六年の春の大祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寒さ厳しき中も厭わず寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し尚も変わらぬ親心にお縋りする状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本年は教祖百四十年祭に向かう三年千日と仕切っての年祭活動の最初の年であります今月は直轄教会に一斉巡教を行い諭達の精神と年祭活動の意義の周知徹底を図りました続けて二月三月と部内教会にも一斉巡教を行います笠岡で定めた「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の活動方針と「ひながたを学び、そのお心を実践しょう。」の活動目標のもとそれぞれの教会でも目標と実践項目を定めて年祭活動を推し進めご存命の教祖にご安心頂きお喜び頂けるよう努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様にはどんな中でも親を信じて慕う皆の誠真実の心をお受取り下さいましてお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十六年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者岡﨑真一赤木素志賛者杉原善朗指図方上原繁道講話大教会長様三月講話上原志郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝上原志郎中島誠治山野弘実武内清明虫明立生中村義太郎岡田誠三代温生大教会長様門脇元教田中隆之前会長様中村道德吉岡誠一郎上原繁道横山逸郎森本忠善大教会奥様門脇加津谷内美知子前奥様横山小智榮岡﨑和美田中ますみ中村初美吉岡八恵岡﨑真一杉原善朗岡﨑治喜中村剛上原浩赤木素志吉岡壽今川昌彦山田敏教谷内伸自田林久嗣内海史郎三島渉高木昭祥渡邉隆夫岡﨑治喜佐藤真孝上原繁次佐藤香苗森本冨美子三島照美武内正美岡﨑豊子山野なつ上原順子室悦子田中つかさ立教186年(令和5年/2023年)2月21日第62巻第2号14○84先月、近所の信者家庭で2年前にご主人を亡くした歳の女性が出直され、月次祭前日に葬儀を行った。子供は女性2人いて1人はすでに嫁いでいたのだが数年前に癌で亡くなり、残されたもう1人の女性が母親と2人暮らしをしていた。姉・両親と続けて身内を失い一人ぼっちになった娘さんは頼れる人もなく出棺前には棺に縋る姿に周りの涙を誘った。葬後霊祭後、自宅に仮社を据えると娘さんが母親の遺書かメモの様なものを見せてくれた。「結婚は失敗だった。新築してから私の居場所はなかった。」その様子をずっと見てきた娘さんは母親の気持ちが手に取る様に分かっていたのだろう。亡くなった姉の子供、姪に当たる子とはとても仲良しの様子で五十日祭には2人だけの参列という。何とか納得のいく人生を送ってほしいと願うばかりで私に出来る事があれば力になりたいと思った。隣・近所であっても中々家庭の中まで知る事がなかったのは、自分がそれだけ気にする気持ちが薄かった事、またそうした態度になっていたかもしれない事など反省し、いつも変わらぬ態かさおか度で挨拶する事から助け合える関係が築ける様、この三年千日の間で少しでも自分を成人させられるよう頑張りたいと思う。(む)
かさおか

『かさおか』第62巻 第1号

1○立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号かさおか発行所天理教笠岡大教会かさおか編集掛笠岡市用之江377郵便番号714-0066(0865)電話66-1311FAX66-1314立教百八十六年明けましておめでとうございます立教186年1月号昨年は教祖百四十年祭に向けての理作りとして「ひとだすけのためのおぢばがえり」を目標に、それぞれ一生懸命におつとめくださいまして、誠にご苦労様でした。昨年末に、笠岡大教会として、この度の年祭活動の方針「つながろう、おやさまのお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」と目標「ひながたを学び、そのお心を実践しよう」を定めました。そして本年は、いよいよ年祭活動一年目の年を迎えます。一月に直轄教会、二月三月に部内教会に一斉巡教を行い、年祭の意義の周知徹底を図った上で、それぞれの教会で「目標と実践項目」を定めて、年祭活動を推し進めて頂きたいと思います。三年千日と仕切っての年祭活動、しっかりと笠岡一丸となって通り切れるように、まずスタートのこの一年目の年を、お互い勇ませあって通らせて頂きましょう。笠岡大教会長上原明勇かさおか立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号2○501222185立教年年末大掃除月日(木)、恒例の年末大掃除を行い、大教会長様ご夫妻をはじめ役員・部内教会長・婦人会・青年会・信者ら約人が参加した。事前準備として神殿内の鳴り物、結界、賽銭箱などを廊下に出し、倉庫から養生シートや足場を搬入の後、神殿内で組み立て、午前9時より大教会長様のお手に合わせて三殿礼拝した後、それぞれの持ち場に分かれて大掃除が始まった。大教会長様ほか役員は神床、その他管理部は足場にあがり高所のはたき掛けや拭き掃除、足場の移動、神殿や付属建物の窓拭きや各部屋とトイレの掃除、汚れた布巾の手洗い、昼食や休憩時のお茶や茶菓子の用意と、それぞれの持ち場を手際よくかつ細やかに1年の感謝・御礼を込めて真剣に勤めさせて頂いた。途中、休憩をはさみ午前中には各所ひのきしんを終え、大教会長さまと共に三殿を礼拝して今年の大掃除を終えさせて頂いた。参加の皆様には年の瀬の忙しい中を大教会大掃除にご参加頂き誠に有り難うございました。詰所からのお願い詰所での宿泊・喫食について詰所で宿泊・喫食される場合は、「教会名・代表者名・泊数・食数」を、2日前までには、必ず詰所へご連絡ください。食事をしない(宿泊のみの)場合でも、2日前には申し込みをして下さるようお願い致します。部内教会・信者に徹底願います。3○立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号かさおか1227詰所で本部お供え用餅つきひのきしん昨年末月日、詰所で餅つきひのきしんが行われました。日時頃か駆け付けてくれた若者達搗きたてのお餅に舌鼓2614前日の餅米準備27361810ら精米洗いや餅つきの準備が行われ、当日日には朝7時から時頃まで、詰所関係者含め男性人、女性9人、少年会員9人計人の人がお集まり下さり、本部へお供えする餅つきを賑やかにさせて頂きました。集まって下おいしくな~れと少年会員頑張るベテラン19さった方々ありがとうございました。私がようぼくになったのは才の時ひのきしん後には、つきたてのお餅、で、それから3年が経ちましたが、記温かい豚汁を皆んなで美味しく頂きま憶の中で自分が取り次いだのは、両手した。で数える事が出来る程度だったと思い今年は、3年ぶりに御節会が開催さます。積極的に取り次げなかったのは、れました。(中村剛史)自分の中でどこか恥じらいの気持ちやこれでいいのかという不安があったからだと思います。ですが、修養料に来て、朝と夕のおのとめの後に毎日おさづけの取り次ぎ合いをするようになってから、いつの間にかその抵抗のようなものは無くなりました。修養科でも、生徒にほぼ毎日1回はおさづけを取り次ぐ事が出来るようになりました。おさづけを取り次ぐ事は天理教の教えであるおたすけになり、未信者に取り次げばにをいがけにもなると思います。修養科が終修養科生の声わってからも、継続して積極的に取り次いでいこうと決めています。そして身近な人達の道しるべになれればいいなと思っています。修養科を終えて海松ヶ岡分教会森本伸平修養科の3ヶ月間で特に印象に残った事を挙げると、おさづけの取り次ぎでした。修養科を終えて興明分教会相原一尋一般的な家庭生活から一転して、毎日が天理教修養科生として、3ヶ月がかさおか立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号4○1526過ぎました。私自身、心と体の変化に感じ入っています。詰所での朝・夕づとめ、てをどりの学び、教養掛の先生方のお話、修養科生のおさづけの取りつぎあいと規則正しい生活、また、修養科でのさまざまな学習、クラスの先生方・クラスメイトとの対話を通しての心のふれあい、あるいは、詰所の教養掛の先生方と、人を通しての、生の天理教のお教えを学びました。よろこんでいます。楽しいのです。時に触れ、お話が心に残り感動したことを忘れません。毎日の生活の中で天理教の教えを生かし、人さんによろこんで頂きたいと思います。心勇んで、元気に毎日を通らせて頂きたいと思います。親神様は心定めが第一やとおっしゃっています。私の心定めをここに表明します。一、おぢば帰りを毎月日に、月次祭の参拝をします。一、毎日朝づとめ夕づとめとおさづけの取りつぎをします。一、毎月日、興明分教会の月次祭参拝とひのきしん。一、地成のゴミ拾いひのきしんをします。以上十二月月次祭祭文これの笠岡大教会の神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には「月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりで」と日々自由の御守護を下さるばかりでなく身上事情を通して心の入れ替えを促し陽気ぐらしへとお導き下さいます親心の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日々朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますが気がつけば今年も残すところあとわずかとなりました改めて一年を振り返ってみますと次なる塚教祖百四十年祭を目指しての道すがら今年は理作りとして「ひとだすけのためのおぢばがえり」に重きをおいて一年の歩みを進めさせて頂きましたそんな中秋の大祭においては真柱様より諭達第四号の御発布を頂戴し十一月には本部巡教を受け勇み心一杯に成人の歩みを進めておりますそして今日の吉日は十二月の御祭日でございますので日々の御礼と併せ今年一年の御礼も申し上げたく只今からおつとめ奉仕人一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて本年納めの月次祭を執り行なわせて頂きます御前には年の瀬の慌ただしさも厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年が明ければ教祖百四十年祭に向けて三年千日と仕切って全教挙げての成人の歩みが始まります笠岡では一月は直轄教会へ二月三月には部内教会へと全教会一斉巡教をさせて頂き論達の徹底を計ると共に笠同の動きとして「つながろう、教祖のお心に。つなげよう、信仰の喜びを。」の方針のもと「ひながたを学び、そのお心を実践しよう」を活動目標として「ひながた」を辿らせて頂きそれぞれ一人一人が成人の歩みを進め世界たすけの歩みを一手一つに推し進める事を誓い合いたいと存じます何卒親神様には皆の真実誠の心をお受け取り下さり万たすけの上に自由の御守護を賜りまして一列兄弟が互いに救け合う陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます5○立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号かさおか立教百八十五年十二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者虫明立生渡邉隆夫賛者岡﨑治喜指図方門脇元教講話上原繁道二月講話学生層育成者講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半岡﨑真一中島誠治門脇元教今川昌彦吉岡誠一郎横山逸郎岡﨑治喜山田敏教杉原善朗大教会長様岡﨑真一上原志郎上原繁道上原浩今川昌彦吉岡壽虫明立生山野弘実大教会奥様武内正美室悦子田中ますみ岡﨑和美山野なつ今川佐智子田中つかさ上原千枝子田中隆之淺野明教上原繁次横山逸郎田林久嗣三代温生佐藤道孝高木昭祥淺野明教上原繁次渡邉隆夫岡﨑治喜中村剛杉原善朗岡田誠中村義太郎内海史郎赤木素志上原順子岡﨑豊子森本冨美子佐藤香苗高木孝子吉岡八恵門脇加津門脇加津横山小智榮大教会だより◎第九七六期修養科185185121027自立教年月1日至立教年月日*教養掛(○主主任、○副副主任)一ヶ月目○主森本忠善(大教会役員・海松ヶ岡分教会長)○副三代幸徳(米府分教会長)二ヶ月目○主吉岡誠一郎(大教会役員・興明分教会長)○副藤井治喜(福節分教会長)三ヶ月目○主谷内秀自(輝美濃分教会長)○副余村元(多古浦分教会長)*修了者海松ヶ岡森本伸平興明相原一尋186◎立教年春季大祭参拝・全教会一斉巡教(*印は2月以降)笠岡講社前会長様福山髙屋神邉島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井海松ヶ岡*東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家上原繁道大教会長様岡﨑真一上原志郎門脇元教田中隆之岡﨑真一大教会長様上原繁道上原志郎中島誠治田中隆之中島誠治上原繁道大教会長様前会長様大教会長様武内正美前会長様上原繁道田中隆之中島誠治大教会長様中島誠治田中隆之上原繁道門脇元教上原志郎立教186年(令和5年/2023年)1月21日第62巻第1号6○葦陽湯田原備中神昭*美之郷錦備*神免大教会長様大教会長様門脇元教岡﨑真一武内正美上原繁道岡﨑真一い」他意は無いとは思うが、娘から私に足りて無いものを示された気がした。道を通る者として、常にこんな心で居れたら、きっと教祖はお喜び下さるのでは無いだろうか。今月からスタートした教祖年祭への活動目標も「ひながたを学び、そのお心を実践しよう」である。私はこの140歌を口ずさみながら、三年千日を心明るく勇んで通らせて頂こうと思っている。因みに、これはバックナンバーの「水平線」という歌です。(や)先日、娘から良い歌があるから聴いてみてと言われた。最近の若者の曲はテンポが速く歌詞も意味が解らないものが多いので正直面倒臭いと思いながらダウンロードして聴いてみた。その歌詞の一部がこれです。「出来るだけ嘘は無いようにどんな時も優しくあれるように人が痛みを感じた時には自分の事のように思えるように」(中略)「自分の背中は見えないのだから恥ずかしがらず人に尋ねるといい心は誰にも見えないのだから見えるものよりも大事にするといかさおか
かさおか

『かさおか』第61巻 第12号

門司港分教会平成元年月日神殿落成奉告祭本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう静かに本部巡教の始まりを待つ参加者教祖百四十年祭本部巡教開催去る月日本部秋季大祭の日に教祖年祭へ向かう年祭活動の指針となる諭達第四号が発布されたことを受け本部では月日から来年月末までの間に全直属教会に向けて本部巡教を実施される運びとなったでは本部員井筒梅夫先生を迎え月日午後時より開催大教会役員准役員おつとめ奉仕人部内教会長夫妻部内布教所長らが参加した井筒先生の手に合わせて親神様教祖祖霊様を礼拝その後大教会長様が開講のあいさつをされた次いで全員で諭達の拝読をし井筒先生から約時間講話があったこの後大教会長様が閉講のあいさつをされた最後におつとめ拍子木井筒先生数取大教会長様をつとめ親神様教祖祖霊様を礼拝し巡教の理を全よふぼくへ流していくことを誓い合い終講したあいさつ講話内容は次の通り大教会長様開講挨拶本日は井筒梅夫先生をお迎えして今この場にいる皆様方とともどもに本部巡教を受けられることは本当にありがたくうれしいことだと思います去る月日に真柱様より諭達第四号をご発布いただきましたそのとき私は西礼拝場結界内の一番南側に直属の会長として参拝していましたこの度の諭達は統領先生が代読されるんだろうかと思っていましたがおつとめを終え真柱様がお付きの方に伴われながらゆっくりとお席に着かれてそして直接この諭達第四号を私たちにお示しくださいましたその姿を拝見してこの時旬に道の芯である真柱様から直接この諭達をお聴かせいただけるんだと思わず涙がこぼれました諭達をお言葉を直接拝聴しながら私の胸に湧き上がってきたのはとにかく諭達に込められたをやの思いに添いきらしていただきたいそしてお喜びいただきたいそのことをそのとき強く強く感じましたその思いを実現するためにも今日この日の本部巡教はとても大切な時間です今からお聴かせいただくお話をしっかりと胸に納め年祭活動へと向かう大きな勇みとしていただきたいそして自分の身近な方たちにしっかりと今日得た気付き勇み喜びをお伝えいただきますようお願い申します本部巡教講話去る月日ご本部の秋季大祭において真柱様より直に諭達第四号をご発布いただきました諭達の冒頭に立教百八十九年教祖百四十年祭を迎えるにあたり思うところを述べて全教の心を一つにしたいとあります全教よふぼく信者が諭達の精神に心を一つに結んで教祖年祭を目指す年祭活動がいよいよ始動しますそこでこの本部巡教でまず教会の主立つ方に諭達に込められている精神と年祭活動の意義をお伝えし全教一手一つの成人の歩みを進められるように皆さんとともに諭達第四号の精神をまず心に納めこれから教祖の年祭に向かう私たちの歩みについて考えていきたい教祖年祭の意義教祖年祭を勤める意義は諭達にお教やさ祖まの親心にお応こたえすべくよふぼく一人ひとりがお教やさ祖まのど道う具ぐし衆ゅうしきとしての自覚を高め仕切って成おやさま人の歩みを進めることが教祖年祭を勤める意義であるとはっきり示される通り教祖の親心にお応えするということですそこでまずは諭達にせ子供の成人を急き込まれ定命をうつしみ縮めて現身をかくされたと記される年祭の元一日に籠る教祖の親心を少し考えてみたい教祖年祭の元一日教祖は世界たすけの元立てとしてよろづだすけのご守護をくださるおつとめを教えられましたこのおつとめをしなければ他でどれだけ頑張っても例話を交えながら分かりやすくお取次ぎくださる井筒先生陽気ぐらしは実現しないおつとめこそ天理教の生命線ですから教祖は終始おつとめを急き込まれるしかしおつとめをすれば官憲がご高齢の教祖を警察や監獄へ連行する初代真柱様や先人の方は教祖のお体を案じておつとめに掛かれなかったしかし教祖はその中でも厳しくおつとめを実行急き込まれますそして明治年陰暦正月日いよいよ教祖のご身上が迫った初代真柱様の固い決心の元一同腹を括って白昼堂とおつとめを勤めたところ奇跡的に一人の警官も来なかったが十二下りの終わる頃に教祖は現身を隠されたこれが教祖の年祭の元一日です先人方は教祖の仰せに従っておつとめを勤めたなのに教祖はお姿を隠された何故でしょう正月日のおつとめは勤めることができたしかしもし教祖がそのままおられたらどうでしょう多分人はその先も教祖の御身を案じておつとめをすることを躊躇するはず姿ある限り十分におつとめはできないだろうそこで年定命を縮めてお姿を隠されたすなわち子供たちが安心しておつとめが勤められるように親心のうえからお姿をお隠し遊ばされたのですまた人間思案を捨てておつとめを勤めることができたのだからこれからは皆一人立ちして神一条の道を通ってくれとその成人を促される親心からでもありますこうした親心から教祖は定命を年縮めてまで現身をお隠し遊ばされたわけです親というものは子供の身上が危なければ私の命を何年削ってくださって結構ですその代わりこの子の命をおたすけくださいと親神様にすがるぐらいのことはするものですこれは子を思う親心ですが残り寿命の全てを引き換えてまでとはなかなかいかないものですましてやよふぼく信者つまり理の子の成人を促すために我が身を引き取ってもらうような心定めなどできるものではないでしょうこれを思えば教祖の後に続く人が安心して神様の道を通れる歩めるようにと定命を年お縮めくださった教祖の親心は私には究極の親心であると思えてなりません存命の理それまでお道の前面にお立ちくだされた教祖はお姿を隠されてからは陰に回り目には見えない存命の理として世界たすけの先頭にお立ちくださることになりましたそして存命の理の世界は今も続いておりこれから先も悠久に続いていきます教祖が現身を隠された元一日はひながたの道が完結した日でありそれはまた存命の理として新たなたすけの世界へ扉を開かれた元一日でもあります教祖がひながたの道中幾重艱難苦労の道を歩んでくださったのは可愛い子供たちをたすけたい陽気ぐらしへ導いてやりたいという親心に他なりません教祖のひながたの年にはこの親心が一貫して流れていますそしてひながたの道は定命を縮めてまで子供の成人をお促しくださった親心で締め括られていますさらにはこの親心は存命の教祖の親心として今もこれから先も私たちを守り続けてくださるのですおやさまこたこの教祖の親心にお応えするためによふぼく一人ひとりがお教やさ祖まのどうぐしゅう道具衆としての自覚を高めて全教が同じ旬に一手一つになって仕しき切って成人の歩みを進めることがおやさま教祖年祭への歩みであり教祖年祭を勤める意義です三年千日の所以さて年祭活動は三年千日と仕切って勤めますが三年千日と仕切る意味については諭達に引用されたひながたの道を通らねばひながた要らん略ひながたの道より道が無いで明治二十二年十一月七日というおさしづで教えられますこの略の部分には五十年の間の道をまあ五十年三十年も通れと言えばいこまい二十年も十年も通れと言うのやないまあ十年の中の三つや三日の間の道を通ればよいのや僅か千日の道を通れと言うのや千日の道が難しのやひながたの道より道が無いで明治二十二年十一月七日とつまり教祖のひながたの道を三年と仕切ってしっかりと通ってくれということです年祭活動という文字を見れば活動何か実動することに目が行きますもちろん一手一つになって活発に勇んだ活動をすることは年祭活動には欠かせないことですがその活動の根底にあるものベースとなるのはひながたの実践です年の中の僅か年ひながたを目めどう標に教祖から教えられた教えを実践することですこの旬に通るべきひながたとはではこの旬に私たちが通るべきひながたはどんな通り方でしょうかそれも諭達に教おや祖さまはひながたの道をまず貧ひんに落ちきるところから始められどうちゅうどのような困難な道中も親神様のお心のままに心明るくお通り下されたあるときは水を飲めば水の味がするとどんな中でも親神様の大いなるご守護に感謝して通ることを教えられまたあるときはふしから芽が出ると成ってくる姿はすべて人を成人へとお導き下さる親神様のおはかさと計らいであると諭され周囲の人を励まされたさらにはたすたす人救けたら我が身救かるとひたすらたすけ一条に歩む中すにいつしか心は澄み明るく陽すく気に救われていくとお教え下されたぢばをし慕たい親おぼしめし神様の思召になるほど添いきる中に必ず成程という日をお見せ頂けるこの五十年にわたるひながたこそ陽気ぐらしへひとすじと進むただ一条の道であるとこの旬に通るべきひながたの道の大要が述べられていますここに水を飲めば水の味がするふしから芽が出る人た救すけたら我がたす身救かるというつのお言葉が出てきますがこれらについて思うところをお話しします水を飲めば水の味がする私たちは親神様の尽きることなく絶えることのないご守護にお守りいただいて日通り教祖の親心にお導きいただいて陽気ぐらしへの道を歩んでいますこの親神様のご守護がありがたい教祖の親心がもったいないとご守護をご守護と感じ親心を親心と感じて感謝をするところから信仰は始まると思いますそしてこのご守護と親心をご恩と感じるようになって信仰は深まっていくのですこのご守護と親心に日感謝をすることが信仰の基本であるように思います私歳は歳のときに厄介な身上お手入れをいただきました強烈なめまい目眩が高じてとうとう歩けなくなり立つことすらできなくなって寝たきりの状態になりました布団の中で尿瓶で用を足し後は家内が捨てに行ってくれますがこれが便利とは言っておられませんまだ歳現職の教会長家族もいる子供は小さいこのままの状態がいつまで続くのだろうかと実に不安な日を過ごしましたところがある日の朝トイレに行きたくなって目が覚めぼーっとしていたせいか電気を点けようと思って立ち上がったのですそのとき立てたと思いましたね何日かぶりにいこればかりをお願いしてそしんでいる姿は見ているだけでも辛いで山ほどのご守護をいただいていること立つことができたこれは感激ですて調子が良くなればとにかく動いてすに気付きます身上があるところもう感動でしたそして次の日一歩自分のできることをしてきたように思はしんどいけれどそこ以外は使えるそのまた次の日一歩二歩と歩けるよいますそうして自分の身上と立場病気とはどんな姿かと考えるとこれもご守護ですうになった毎日が感動の連続でしたの御用に向き合いながらそのときどそれまで当たり前のように使っていこうして毎日を過ごせる自然環境普通に立てること普通に歩けるこきに何ができるかを考えながら勤めてた部位や機能するのが当たり前とが整っている周囲を見渡せば家族がとこれがどれほどありがたかったのいるうちにスッキリと身上のご守護を思っていた臓器が当たり前でなくいる大切な人がいる支えてくれるかということを身上になって気付いただきましたなった姿です人がいる同じ信仰をする仲間がいるいたまさに水を飲めば水の味がすこの身上になって気付いたこと悟逆に言えば病気が治るという仕事もできるそして何よりも今生るというお言葉を身に染みて実感れたことがたくさんあった中でかしことは当たり前でなくなったとこかされているこれらすべては親した瞬間でしたものかりもののご守護を身に染みてろが当たり前に戻っただけの姿です神様のご守護で感謝し喜ぶことはこの身上は良くなったり悪くなっ分かったことがありがたかった病気が治れば誰でも喜びます身探せばいくらでもあるのですたりを繰り返して全快まで年掛かもちろんそれまでもかしものかり上が難しければ難しいほどご守護を親神様のご守護教祖の親心を思えりましたこの間最初のうちはたものの教理は教祖の教えですからいただいたときは天にも昇るようにば思うほど感謝の心しか湧いてこなすけてほしいなんとかご守護いた得心して人には説いてきましたが実喜びます病気が治ってうれしいごい報恩感謝の日を通ることだきたいばかりを親神様にお願いし感が伴っていなかったなとしかし守護いただいてありがたいと思いまがお道の信仰の基本的な態度ていましたしかしあるときふと身上をいただいてご守護のありがたすこれを教祖は水を飲めば水のなぜご守護をいただきたいのかごさを実感を持って取り次げるようになこれは何を喜んでいるのかといえ味がするという言葉で教えられたと守護をいただいて何をやりたいのかりました親神様は年掛けて私にば当たり前であるということ思えてなりませんと考えました私はよふぼく現職のかしものかりもののご守護のありがこれを喜んでるのです当たり前で教会長ですそうだ会長として御たさを仕込んでくださったと後にあること普通であること恙ふしから芽が出る用を勤めることよふぼくとして御用なって悟ることができましたなき日これが親神様から頂戴し以前前真柱様から聴かせていただを勤めるためにご守護をいただくんまたこの身上のおかげで病気でている最もうれしくありがたいご守いたことですが教祖は貧の道どじゃないかと分かったときもう直苦しんでいる人の気持ちが分かるよう護ですこれを喜ばずして何を喜ぶん底へ自ら進んで歩まれたのでひなしてくださいご守護くださいとになりおたすけに掛かるときののかこれに感謝せずして何に感謝をがたの道中での一番のご苦労は経済いうお願いは一切しなくなり教会私の大きな力になっています誰しもするのでしょう的な困窮ではない教祖のことを理解長として御用を勤めさせていただきた身上になれば辛く苦しいものです自またたとえ身上があったとしてもする人がいない聴き分ける人がいないよふぼくとしてお使い頂きた分だけでなく大切な人が病気で苦しよくよく思案すればそこ以外ではいなかでそうした人に教えを伝えることこれが一番のご苦労でした月日のやしろと定まってからの教祖の言動は世間の人がそれまでに見聞きしたこともないことばかりでしたから人はこれは理解できません理解しないだけではなく次第に憑き物が付いた気がおかしくなったと嘲り笑うようになりました教祖は人に笑われ謗られる道を通られたこうした人に理解してもらい教えを伝えることに教祖は最も苦心されたつまり教祖のことを理解してくれる者が周囲にいなかったということです芦津大教会は大阪の中心地西区で設立しましたが父の代に現在の東住吉区に移転しました父は終戦後ロシア軍の捕虜となってシベリアで年間抑留生活を送り昭和年終戦年後帰国その翌年に撫養大教会の圡佐家から井筒家へ養子に入りましたその次の年シベリアから帰国してわずか年ヶ月で大教会長になりました会長になって芦津のとんでもない事情を実は二代真柱様が大きな親心で抱き抱えてくださっていたことを知った父はこのままでは申し訳ない芦津は理が立たない教祖のひながたを辿らせてもらおう初代の道に立ち返ろうと考え教会の土地建物をすべて売却して本部にお供えすることを決心役員に相談すると賛同してくれ二代真柱様に申し上げるとやってみよと道のをやが背中を押してくださったそこですべてを本部にお返しして大阪市内にある部内教会に大教会の神様をお鎮まりいただいたこのときの世話人先生はこれから芦津は毎月集まった全ての御供をおぢばへ運ぶように必要な経費があれば後で本部に貰いにくるようにという実に厳しいお仕込みでしたこうした中の再スタートでしたから贅沢など一切できませんとにかく質素を旨とした教会生活が始まりました教会の者が市場へ行き落ちている野菜を拾ったり売れ残りの野菜をもらってくるそれを毎日の食事のおかずにしていましたこのふしは芦津にとって実に大きなふしでしたが父や当時の芦津の人たちはその中をどうして通ることができたのかそれは教祖のひながたの道があったからです教祖は理解をしてくれるものが誰もいないなか笑われ謗られる道をお通りくださったそれを思えばわしらはありがたい道を歩けば挨拶をしてくれる人もいる市場へ行ったら野菜を分けてくれる店もある私たちの周りには理解をしてくれ支えてくれる人はなんぼでもある教祖のことを思えば結構やありがたいまだまだ通れる教祖はご存命や一生懸命に通っていればご存命の教祖が必ず導いてくださる良いようにしてくださる間違いないとご存命の理に凭れて通ったからあのふしの中を安心して通り抜けることができたのですこうした大節の中を教祖のひながたを支えにご存命の理を頼りに通る中に数のご守護が上がってきました人が寄り心が寄り物が寄り真実が寄って年後には現在の場所に小さな神殿でしたが教会復興のご守護をいただきました今の芦津があるのはあの大きなふしがあればこそですあの苦労の中をいつも教祖が支えてくださり教祖がご存命の理でお導きくださったおかげであのふしを乗り越えることができふしから芽が出るご守護をいただけたのです現在皆さんの中には私は苦労の道を通っている大変な道を通っていると思っている方がいらっしゃったとしてもそれを理解してくれる人は必ずありますね皆さんの周りを見てください教会に繋がるよふぼくや信者さんがおられるではないですか理の親はいつも温かい心で見守ってくれるし大教会へ参れば心を打ち解けあえる教友もいるおぢばへ帰れば親心で迎えてくださる私たちの周りには理解をして支えてくれる人はいくらでもいます少の苦労があっても教祖を思えばまだまだありがたいまだまだ結構なのですさらに教祖がご存命で導いてくださっていることが実にありがたく心強い限りです私はどうか教祖のお供をさせていただきとうございますとお願い申して本部巡教に出向していますつまり今私のそばに教祖が居られるので安心して今日の御用を勤めることができるのです皆さんの側にも教祖は居られるから安心してお道の御用を勤めることができるのです教祖はご存命の理をもってお働きくだされていますこれほどありがたく心強いことはありません皆さん方はよふぼくの先達としてたすけ一条の道を歩んでおられるその道中は決して楽しいことばかりではありません教祖はこの者に成人させてやろうと思われたら親心のうえから度とふしをお見せくださいます現に今辛くて苦しい道を歩んでおられる方もあるでしょう人に言うに言えん泣くに泣けんような道を通っておられる方もいるでしょう心が折れそうになるときもありますぺしゃんこに潰れてしまいそうになるときもあると思うそんなときこそ教祖のひながたを思い浮かべていただきたいそして教祖を思えばまだまだわしらはありがたいまだまだ結構やと心を奮い起こして通っていただきたいのですそして存命の教祖にどこまでもお縋りしてお通りいただきたい教祖さえ見失わなければどんなふしでも芽が吹く道へとお導きくださるに違いありません教祖のひながたの道を信仰の支えとしてどこまでもご存命の教祖のお供をさせていただいてどうかたすけ一条の道を進んでいただきたいと思いますたすたす人救けたら我が身救かる教祖がひながたの道中で心を尽くされたのは世界一れつをたすけることとそのための人材を引き寄せて育てることですつまり教祖がなさったのは人をたすけることと人を育てること今で言えばおたすけと丹精ですですから教会活動のすべては人をたすけること人を育てることすなわちおたすけと丹精に繋がっているわけです一人の人をよふぼくに丹精するためにはその道中おたすけが欠かせませんこのたすけが教会長よふぼくの大切な御用です親神様は陽気ぐらしを目め標どうに人間世界を作られた陽気ぐらしというのは簡単に言えば親神様ををやと慕う私たち人間がお互い一れつきょうだい兄弟姉妹として支え合い補い合い励まし合いたすけ合う世界ですから親神様が私たち人間に望まれてきょうだいいることは一れつ兄弟姉妹としてのたすけ合いでありますおたすけと聞けば何か相手を一方的にたすけるような感じがしますが決してそうではありません人間の親子を例にとって考えてみると例えば困難に遭遇して悩み苦しんでいる弟や妹にその支えになってやろうと手を差し伸べる兄や姉の姿その逆に悩み苦しんでいる兄や姉に元気になってほしいと年下ながらも心を尽くしている弟や妹の姿これは形のうえでは一方が手を差し伸べていることになりますが親から見れば子供同士がたすけ合っている姿です親にとってこんなにうれしいことはありませんからおたすけは親神様が望まきょうだいれる一れつ兄弟姉妹のたすけ合いに他ならないのですお道のお互いは悩み苦しむ人に対きょうだいしてその人を本当の兄弟姉妹と思って親身になっておたすけをさせていただきたいものですこのおたすけでまず第一に肝心なことは言うまでもなく人をたすける心です人をたすける誠の心を尽くすことです教祖伝逸話篇四二人を救けたらに次のような話があります福井県に住むある男性が娘の気の間違い精神病を救けてもらいたいと教祖にお願いすると教祖は村にかえったら各家を訪ねて四十二人の人を救けるのやでなむてんりわうのみことと唱えて手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで人救けたら我が身が救かるのやとのお言葉があったその男性は藁にも縋る思いでこの教祖のお言葉を素直に実行村中をにをいがけに廻わり病人の居る家には何度も足を運んで四十二人の平癒を拝み続けたところ不思議にも娘の気の病は全快のご守護を頂いて養子をもらう喜びまでお与えいただいたという話ですこの逸話を読んで拝んだ人の人は果たしてたすかったのかご守護いただいたのかと考えたことがありますがこの逸話ではそのことは問題ではありませんご守護くださるのは親神様であってご守護いただくかどうかは親神様の範疇ですつまりこの逸話で最も大切な部分はこの男性が人の身上平癒を拝み続けたということこの病人さんをなんとかおたすけ下さいませと真剣に願い続けた誠の心を親神様がお受け取りくださり娘さんにご守護をいただいたこの逸話は私たちよふぼくに人をたすける誠の心の大切さを教えているのですおたすけにあたってはこのように人をたすける誠の心をもって掛かることが大事ですがただ願うだけでなくそのうえでなおも大切なことはその人にたすかっていただくために親神様にお受け取りいただけるだけの真実をいかに尽くすかということです以前教祖殿当番を勤めていたときのこと教服を着てお守所から出たところに見ず知らずの青年から声が掛けられた先生教祖のお下がりをいただけませんかと尋ねられたどうしたのと訊くと実は昨夕友達が突然の病気で倒れて病院に運び込まれましたすぐに駆けつけておさづけを取り次いだんですが友人の苦しそうな顔を見たら居ても立ってもおれなくなっておぢばへお願いに帰ってきましたその彼にお下がりを届けてまたおたすけに行きたいとごくのことそれじゃお御供さんをいごくただきなさいお御供さんはこれもご存命の教祖にお供えをしたご洗米のお下がりだからここには教祖の存命の理が籠っているお守所で理立てをしたら頂戴できるからそれを持って友人のおたすけに行っといでと伝えごくた本人は早速お御供をいただいて教祖殿でご存命の働きを真剣に願って友人のもとにおたすけに舞い戻りましたこの青年は教会長でも後継者でもありませんサラリーマンの一よふぼくですそれも福岡から帰ってきたと言っていましたその彼は身上になった友人をたすけていただきたいと大切な一日を友人のためにお供えをした福岡から新幹線で帰れば往復万円は掛かるでしょうそれを身銭を切って友人のためにこれを尽くした友人のご守護を願って自らが真実を尽くしたのです実に素晴らしいよふぼくの姿ではないですか年祭活動はたすけの旬でありそれはまたたすかる旬でもありますしかし必ず奇跡的なご守護をいただけるとも限りませんある布教師の話癌の進行が進んで治る見込みがなく家族も覚悟を決めていた方のおたすけに掛かった必ずたすかりますと毎日通ったなんとかたすかっていただきたいと連日十二下りのお願いづとめをし身上平癒におぢばまで歩いて足を運びみず水ご垢り離もし断食もしておたすけに通ったけれども結局は出直してしまったそのときその布教師は家族に対して私の真実が足りませんでしたと泣いて詫びた家族は私たちですら諦めていたのにこの人は毎日一生懸命にお願いをしてくれ死んだら自分のせいだと泣いてお詫びまでしてくれるとこの布教師の真実が家族の心を揺り動かして信仰の道に入ってくれた身上たすけにおいて結果として奇跡的なご守護をいただけませんでしたがこの布教師の尽くした真実を親神様がお受け取りくださってそのしん家族が真にたすかる道へと導かれたのですこうしたご守護の姿もあるのです不思議なたすけが上がるかどうかは飽くまでも親神様の範疇親神様にお任せするより他ありません私たちよふぼくにできることはこの人になんとかたすかっていただきたいとひたすらに真剣に存命の教祖に縋りお願いを申し上げる人をたすける誠の心を尽くすことですそしてこの人のために私は何ができるかと思案し親神様にお受け取りいただけるだけの真実を尽くすことですこの誠真実によって相たすたす手がたすかり人救けたら我が身救かるというご守護がいただけるのです本当におたすけはありがたいですね私の卑近な体験から諭達に記された教祖のつの教えを思案しました教祖のひながたの道は私たちが陽気ぐらしの道を通るためのお手本です私たちがこの道を歩む中に思案にくれることや何かの岐路に立つことがありますがそうしたときには教祖ならどうなさるだろうか教祖ならいかようにお考えなさるだろうかとこの思案に立って行動に移すことが大切だと思います決して教祖を見失わないことですたすけの手を差し伸べてくださっている教祖に私たちの方から一歩でも二歩でも近づいてこの旬にあらためて教祖のひながたを目め標どうに教えを素直に実践したい諭達に示された旬の歩み方さて私たちの身の回りや世界に目を移したときに諭達に今日世の中には他者への思せつないやりを欠いた自己主張や刹那おの的行動があふれ人は己が力しあんを過信し我が身思案に流れ心やみじの闇路をさまよっていると示される姿が目に写ります争いや混乱が絶えることなく陽気ぐらしには程遠い現状と言わざるを得ませんでは今のこの世の中に対して私たちお道の者は何ができるのでしょうかもちろん今の状況をひっくり返すような大きなことはできませんが私たちにできることは一人ひとりが教祖から教えていただいた陽気ぐらしの教えを実践してその姿を身近なところから周囲に映していくことだと思いますコツコツとした歩みですがこれを積み重ねていくしかありませんそこでではこの旬に私たちよふぼくとしてはどのように歩んだらいいのかについて諭達によふぼくは進んで教会に足を運び日頃からひのきしんに励み家庭や職場など身近なところからにをいがけを心掛けよう身みじょうしんみ上事情で悩む人には親身に寄り添いおつとめで治まりを願い病やむ者にはおさづけを取りしん次ぎ真にたすかる道があることを伝えよう親神様は真実の心をじゅうよう受け取って自由の御守護をお見せ下されると示されていますここに記されているよふぼくの歩み今の旬の歩みですがこれはよふぼくとしての基本的な信仰実践よふぼくとしてして当然のこととも言えますがしかしながらこれができていないという現実もあると思いますこれをよふぼく皆が実践すれば陽気ぐらしへの道は一段と進むに違いありませんそこで皆様方にお願いしたいのはここに集う皆さん方は教会長やその配偶者布教所長など教会の主立つ方ですつまり人を導き育てる立場である皆さん方がまずこれを率先して実行することを心がけて陽気ぐらしへの歩みを進めていただきたいのです陽気ぐらしを人に説く者が陽気ぐらしを忘れてしまっては話になりません短気な人に腹を立てるなと言われても聞けぬ相談です高慢な人に心を低くして通れと言われても飲めぬ話です何の説得力も持ちません身近なところから丹精まずは私を含めてここに集う立場のお互いが諭達に示された旬の歩みを一つひとつ実践して身近なところから陽気ぐらしを世の中に映していくことが肝心ですそして自ら実践しつつ所属のよふぼくや理の子にも動いてもらい成人してもらわねばなりませんこれは一にかかって教会長の丹精理の親の丹精にあると思いますしかしなんとか聴き分けてもらおう成人していただこうと思っても相手がそれを受け入れてくれなければどうにもなりませんけれども教会長が理の子から信頼されていれば慕われていればたとえ厳しい仕込みであっても受け入れてくれるのですそのためには普段から足を運び心を通わせ世話をすることですつまり丹精の基本は足を運び心を通わせ世話をするこのつだと思いますそしてよふぼくや理の子に何かあったら飛んで行っていただきたいかなりの日数が経ってから行ったのではお見舞いにしかなりませんすぐに行けばおたすけになりますおたすけとお見舞いとでは受ける側の気持ちは全然違いますあの辛いときに苦しいときに会長さんはすぐ来てくださったということが理の子にとって忘れることのできない心の宝になるのです困ったときに頼りになるのが教会長ですおたすけが一番の丹精になるということを心においていただきたいと思いますよふぼくはいんねんあって親神様が教会に繋げてくださいました普段からよふぼく信者に心を繋ぎ足を運ぶ遠方であるからといって放っておかずに折を見て年に数度は足を運んでいただきたいと思いますよふぼくにとって教会から流される旬の声はたすけの綱教会長の取り次ぐおさづけは命の綱とも言えるのです所属するよふぼく信者が時旬の歩みを勇んで進めてともに成人につとめ励むことができるようにどうか皆さん本気になってしっかりと丹精に励んでくださることをお願いしたいのです道は末代縦の伝道またよふぼくや理の子の丹精と同様に忘れてはならないのが次の世代を育てることです諭達にもこの旨が述べられていますがこれは大切なご用です道は末代と教えられるようにこの道は陽気ぐらし世界の実現を目指して末代続いて行かねばなりません道は歩いてこその道であって歩く者がいなけれなくなれば道は道でなくなりますそこで皆さん末代と聞けば何か遥か先のことに目が行きがちですが私たちはわずか年先や年先のことですら誰にも分かりません何も見えませんしかしはっきりと見えているものがあるそれは次の世代です道が末代であるためには次の世代を育てることこれを常に意識してコツコツとしかも積極的に取り組むことですこの信仰の継承について以前前真柱様が駅伝のバトンに例えて話されたことがあります駅伝を信仰に置き換えればスタートは入信の元一日ゴールは陽気ぐらしの世界ここを目指して私たちは代と信仰のバトンを渡していくのですその道程も長い距離や短い距離平坦な道もあれば上り坂下り坂もありますそれに相応しい区間を親神様は私たち一人ひとりに与えて下さっている私たちは親神様から託されている現在平坦な道を快走するように順調に道を進んでいる教会もあれば苦心や苦労をしながら上り坂を息を切らして走っているところもあるでしょう中にはもう歩くだけでも辛いようなガタゴト道や砂利道に遭遇している方もあるかもしれないでも今のこの道を通れるのはお前しかいない頼んだぞと親神様が託してくださっている道中だと思えば何か心に力と勇気が湧いてくるではないですか私たち一人ひとりに親神様からお掛けくださるご期待と親心にお応えしながら次にバトンを渡すのが私たちの役目ですそのときになって一生懸命にやっている私の信仰を継いでくれる者がいなければ寂しい限りです先人が懸命に通ってきた信仰のバトンを受けて私たち一人ひとりが今この道を歩んでいますその私たちの命には限りがありますつまり誰もが信仰のバトンを渡すときが必ず来ますそのときに後は頼んだぞと次の者に安心してバトンを渡してやりたいではないですかそのためにも私たちのまずこの次の世代をしっかりと育成することですこれからの道の将来を担っていく次の世代の育成にこの旬にあらためて力を入れることです信仰の喜びを親から子へ子から孫へと繋いでいく縦の伝道は今の旬の最も大切な御用の一つとお考えいただいてどうかそのための骨折りを決して惜しまず大いに工夫をし苦心をしてお取り組みいただきたいと思います教祖にお喜びいただくために一手一つの和さて諭達の最後にこの道にお引き寄せ頂く道の子おやさまふしめ一同が教祖の年祭を成人の節目として世界たすけの歩みをい一っ手てひとおごぞんめい一つに力強く推し進め御存命でおやさまお働き下さる教祖にご安心頂きお喜び頂きたいごぞんめいと述べられていますがこの御存命おやさまでお働き下さる教祖にご安心頂きたいお喜び頂きたいとのお言葉に真柱様の思いが集約されているように私は感じていますこれにお応えするために欠いてはならないのは一手一つです一手一つとはまず芯になる者が親神様のお心に添った神一条の心をしっかりと定めることです芯の心が定まらないところに一手一つの和はできませんそして関わる人が芯になる者の心を汲んで心を結び合いそれぞれの徳分個性を活かして持ち場立場の役割を力を合わせて務めきることです一手一つに結べばどれだけお働きいただけるかはおさしづで一手一つ理が治まれば日理が栄える明治一手一つの速やかの理をあれば速やかと治まる明治一手一つに皆結んでくれるならどんな守護もする明治と一手一つに結んで事に当たれば日に理が栄える治まらんところを速やか治めてやるどんな守護でもしてやるとはっきりと教えられていますこのたびの諭達を受けてでは大教会長さんは心を定めて進むべくそうした心定めをして年祭活動の方針と具体的な目標を定められますがどうかこの大教会長さんを芯にこれに一手一つに取り組んでいただきたいと思いますまたこの大教会の方針に添って各教会において年祭活動に掛かられますが会長さん方一人ひとりが教会の先頭に立って年祭活動を勤める心をしかと定めて所属するよふぼく信者の皆さんと一手一つに心を結んで時旬の歩みを心勇んで進んでいただきたいそして年祭活動に取り組む全教よふぼくの芯として発布されたのが諭達第四号ですが諭達に込められた真柱様のお心をしっかりと汲み取り諭達の精神に則って道のをや真柱様を芯に教会長よふぼくが一手一つに心を結んで年祭活動に勇んで掛かるそうすれば日理が栄える速やか治まるどんな守護でもするという誠にありがたくうれしい姿をこの旬に随所にお見せいただけるに違いありませんいよいよ年祭活動が始動いたします教祖年祭の旬はたすけの旬成人の旬であるならばたすかる旬成人できる旬でもあります教祖の年祭で皆たすけていただき成人させてもらいます皆結構にしていただくのであります私たちは今途轍もなくうれしい旬を迎えているのです親神様のご守護には一点の曇もなく教祖の親心には一部の隙間もありませんこのご守護を信じきり親心に凭れきっておたすけに励めば随所でうれしい姿うれしい理を見せていただけるのです教祖さえ見失わなければどんな中でも教祖が支えてくだされ存命の理で間違いなく導いてくださるのですどうかご存命でお働きくださる教祖にご安心いただきお喜びいただけるように諭達の精神に全教が一手一つに心を結んで教祖年祭を目指して心明るく心勇んで成人の道を進ませていただこうではありませんかどうか皆様方のこの素晴しい旬のたすけ一条弥増しに勇んだご丹精を最後にお願いいたします以上要約大教会長様閉講挨拶皆さまそれぞれに今のお話をしっそしゃくかりと咀嚼し胸に納められたことと思いますいよいよ始まる教祖年祭への年祭活動まずこの本部巡教を受けて大教会から年間の方針目標を年内中に発表しますその後それぞれの教会でも目標実践項目を定めて実践していただきます現時点では方針目標について具体的なことは申せませんが今自分に何ができるのかを考えこの三年千日とにかく勇んで動き続けることこの私の胸にある気持ちをこの場ではお伝えし皆さま一人ひとりにも私と同じような気持ちになっていただくようお願いします笠岡の道編纂委員会史跡探訪実施有為転変という言葉が心に響く年歳花相似たり歳年人同じからず今回月日第回目の大教会史史跡見学に三重県伊賀市と大阪市を歴訪した伊賀市は笠岡初代様の出生地で私は何度か訪れたことがあるがもう随分昔の事でどこに生家があるのか記憶も定かでなかった昔史料部初代様の生家三重県伊賀市の写真を頼りにスマホで探して何とかそれらしい家の前に立ったフト思い出すこの家を何度か訪れてその時の戸主川合ふみさんと時間も話しただろうか家を出て別れ際もう来ないで下さいと言われたあれから年近く経っただろうか隣家のお年寄りがちょうど家から出て来られたあの家川合さんですねそうですよでももう何年も前にお婆さん亡くなられて娘さんが一人暮らしておられますお婆さんはふみさんの事かもしれないそう思いながら川合さんの家のガラス戸を叩いた反応がない鍵はかかってなかったので開けて声をかけた返事がない入って土間の奥まで進んでごめん下さいと度声をかけると奥からはいと返事があった出て来られる前に周囲をみる片付いてない前来た時はこの土間に台が並んで小間物上野の特産品組紐の細工物などが並んでいた何でしょうか出て来られたのはふみさんの娘さんなのか髪がざんばらでなんとなくとっつきにくいふみさんは年程前に亡くなりました何しに来たとばかりの態度に笠岡の親戚ですとも言えず曾祖母の生まれた家なので尋ねてきたと簡単にはなしたいろいろともっと聴きたかったのだがそうそうに家を出た何か尋ねてきたのが悪かったような気がして落ち込んでしまった皆で往年の川合家をバックに記念撮影をして川合川合家の菩提寺念仏寺同市の菩提寺念仏寺に向かった立派なお寺である年近く前に来た時はこの寺町の道は狭くあまり訪れる人もなかった墓地であのとき川合家の墓石を探して見つけたのかどうか記憶が定かでない皆で手分けして探したが見つからないお寺の居宅で声をかけると女の方が出て来られて案内して下さったリウさん初代様の女川合家を継いだ方ふみさんの母の墓が何故か真新しい参る人もないのか生家を見てきたばかりでそれも当然かなどと広い墓所を歩き疲れてボンヤリしてしまったお水だけでもと思って水くみ場で小さい桶に水を汲んで戻って花生けなどに水をさして念仏寺を後にした続いて木淀川遡航終点の碑同市津川遡航終点の地の石碑を見学初代様は歳で川合の生家を後にしてここから高瀬舟に乗って大阪に出られたのかと思いを回らせた私達は車で号線を木津川を左の車窓に見ながら号線の交差点まで下り奈良市経由で天理まで日の日程を終えた翌日大阪天王寺の有栖山清光院清水寺を訪れた昨日と打って変わって晴れ渡った中上町台地の南端に位置する清水寺からの大阪俯瞰図をも大阪清水寺大阪市天王寺区清水寺の舞台し林立するビルがなければと当時でそばをすりぬけて清水明治初年頃を偲びながら眺めさせて頂寺に急ぐのであるがそいた歳の初代様は朝寺起きで大の日の午後備佐の佐吉阪久宝寺町の折井の店から時は月様から呼び出しがあっおよそ里の道を週間の裸足参りをたこれがきっかけで此された松屋町筋には所霜が降りの年明治年暮れ初代松屋町から寺町に入る角のあやめ様は折井を引き払い畳だけが起きていたと初代様の聞き書表問屋備佐の上原佐吉様の娘分としきにはある満願の日不思議な縁でて住み込む事となる次いで月江寺の初代様の身元引受人の上原佐吉様と近くにあったという西照庵跡を探し探ばったりと会う初代様は知らぬ振りして歩くこの料亭西照庵の近くに初代様が裸足参りの際通られた松屋町筋上原佐助さと様の住まいがあった備佐本店は長堀西店は新町上原佐吉様の隠居所は心斎橋筋と三ツ寺筋との角地初代様は毎日の如く西照庵近くの住まいから道頓堀を通って佐吉様の許へ通うのが日課だった続いて久宝寺町あたりを見て長堀まで下り左折して玉造に向かう環状線玉造駅の近くに玉造二軒茶屋の碑がある明治年備佐の家産を整理して上原佐吉様夫婦光様笠原いし様は笠岡へ移住上原佐助様さと様子供様はこの二軒茶屋の近く東雲町に居を移し仮住まいとされたここは大阪の東の出入り口で暗峠越えで奈良に向かう処当時の旅人はこの二軒茶屋で別れを惜しみまた久しぶりの出会いを喜びあった初代様はこの玉造東雲町に明治年から年半ばまで住まいしておられた今回の史跡訪問はこの地で終わりとした当時の大阪の旅の玄関口玉造二軒茶屋跡の碑大阪市東成区年間行事予定表部会婦人会月青年会少年会学生会学生担当委員会婦人会創立の日青年会笠岡分会総会父親講座布教キャラバン隊いずれも開催月日未定てっちゃんシアター年頭幹部会直轄委員部長委員研修会天理高校部受験世話取り冬の運動会学生層育成者講習会学生生徒修養会大学の部学生生徒修養会高校卒業生コース笠岡むつみ鼓笛合同練習会春の学生おぢばがえり本部婦人会総会笠岡団おつとめまなび総会親里管内学校新入生歓迎会縦の伝道講習会てっちゃんシアターこかん様に続く会おやさとふしん青年会ひのきしん隊入隊わかぎの集いてっちゃんシアター学生生徒修養会高校の部てっちゃんシアター日程は未定サマーキャンプ委員部長後継者講習会天理教青年会総会てっちゃんシアター笠岡学生会の日毎月日ひまわり会例会有志ひのきしん隊随時備月月はなし勉強会随時毎月日婦人会例会考毎月日月はなし女子青年伏せ込みひのきしん親睦行事随時立教年令和年年部会全体行事月その他ひのきしん布教部直轄教会春季大祭参拝本部食堂福山ブロック部内一斉巡教年頭会議春季大祭詰所受入教会長夫妻並びに布教所長講習会年頭会議に引続き海外部部内一斉巡教部内一斉巡教修養科修了講習会雅楽講習会直轄教会定期巡教修養科修了講習会行列の出来る勉強会於大教会広島平和公園にをいがけ外国語パンフレット配布教祖ご誕生祭詰所受入本部食堂西ブロック全教一斉ひのきしんデーアフリカ支援バザー草刈り剪定こどもおぢばがえり詰所受入英語講習会布教推進講習会修養科修了講習会直轄教会秋季大祭参拝大教会長杯親睦スポーツ大会雅楽講習会草刈り剪定神殿障子張替秋季大祭詰所受入心定め提出修養科修了講習会年末大掃除詰所餅搗役員部長会毎月日午後註ブロックの区分けは備直轄教会長連絡会毎月日午後東岡山県以東の直轄教会とその部内教会雅鶯会練習毎月日午前時考西広島県以西の直轄教会とその部内教会上府上下府中市布教推進強調月間笠岡にをいがけ推進日全教一斉にをいがけデー祭典講話案月月月月月月月月月月月月大教会長様学学生層育成者講習会上原志郎田林久嗣少縦の伝道講習会佐藤道孝虫明立生布布教推進講習会田中隆之大教会長様海海外伝道講習会門脇元教広島平和公園にをいがけ外国語パンフレット配布海外伝道講習会英語クラブ毎月日時時半支部の集い集合写真女子青年第回女子青年大会ご挨拶の中に諭達第号が発布された事を踏まえ年祭をつとめる意義に笠岡より人参加ついてお話しくだされ今の自分にとってひながたをたどるというのはど去る月日清しい秋晴れの元ういう事なのかを考えて実行に移すよ本部中庭で第回女子青年大会が開催うお促し下さいましたされました午後からは詰所で支部の集いを行い笠岡女子青年としては人うち別ました支部長さまのお話大会の振席者人の御守護を頂きましたり返りとして女子青年同士でグループ式典では真柱様よりメッセージ婦ワークをしました人会長様よりご挨拶を頂戴いたしまし同じ世代だからこそ分かる気持ちた疑問悩みなど短時間ではありました担当の奥様方の手作り晩御飯が共有する事ができ充実した時間になりました今回昨今のコロナ禍で無事に大会へ参加できるのだろうかと不安に思っていましたが沢山の女子青年と共におぢばへ帰らせていただく事ができましたこれも皆様のお力添えお声掛けの賜物だと実感しておりますこの紙面上をお借りして御礼申し上げますありがとうございました委員長山野奈支部の集いにてグループワークみんなでひのきしん笠岡女子青年ポーズ笠岡は桃じゃけえ十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召からない人間ない世界をお創め下されたばかりではなく日夜変わることなくご守護下さりその時に応じた仕込みをもってお導き下さいます親心の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお望み下さる陽気ぐらし世界の実現を目指して一歩でも前進するべく日勇んでたすけ一条の上に努め励ませていただいておりますその中にも今日の吉日は月に一度の御祭日でございますのでただ今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてきどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせていただきます御前には少しずつ厳しさを増す寒さをも厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃のご高思に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月の秋の大祭に於いて論達第四号のご発布を頂きましたこの年祭に向かう時句に真柱様から直接お言葉をお聞かせ頂き身も心も引き締まる思いでありますまた本日は祭典終了後本部より井筒梅夫先生にお越し頂さ居ずまいを整えて大教会役員並びにおつとめ奉仕人教会長夫妻布教所長で本部巡教を受けさせて頂きます教祖百四十年祭に向けての親の声をしっかりと胸に始めて来年から始まる三年千日と仕切っての年祭活動を親神様教祖にお喜び頂けるよう笠岡一丸となって実働させて頂く所存でございます何卒観神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りに成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受取り下さいまして一人ひとりのたすけ心が次と伸び拡がりお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年十一月月次祭祭典役割表祭主大教会長様上原浩扈者山野弘実内海史郎賛者杉原善朗指図方田中隆之講話なし一月講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半上原志郎岡﨑真一田中隆之上原浩横山逸郎三島渉渡邉隆夫佐藤真孝高木昭祥大教会長様門脇元教中島誠治前会長様吉岡誠一郎中村道德上原繁道森本忠善虫明立生大教会奥様門脇加津谷内美知子前奥様横山小智榮中村初美田中ますみ吉岡八恵田中つかさ武内清明今川昌彦山野弘実佐藤道孝赤木素志上原繁次中村剛山田敏教内海史郎谷内伸自岡田誠淺野明教吉岡壽三代温生田林久嗣中村義太郎杉原善朗岡﨑治喜佐藤香苗内海安子森本冨美子上原順子三島照美高木孝子武内正美笹尾一美室悦子藤本惠子姉詰所からのお願い詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ず詰所へご連絡ください食事をしない宿泊のみの場合でも日前には申し込みをして下さるようお願い致します部内教会信者に徹底願います大教会だより年祭準備委員会発足付委員上原愛美門脇元教田中隆之武内正美上原志郎山野弘実森本忠善佐藤真孝上原繁次杉原善朗教会指令任命願島中分教会前任内海安子新任内海史郎奉告祭承認内海史郎氏任命願惠陽分教会前任藤本基喜新任藤本惠子奉告祭承認去る月日おぢばにて天理教校学園高校雅楽部秋雅楽祭結むすびを鑑賞した来年月に閉校する為この最後の演奏会に向けて取り組んできた天理教付属高校から始まり天理教校親里高校そして天理教校学園高校雅楽部と年先輩方から繋いできまし管弦は千年余りに渡って伝えられた感謝の思いを届けられる演奏会にた世界最古のオーケストラらしいとしたいとの事だったても新鮮だった舞楽の衣装も手私は年部員が減っているので作りだったようだ開催されるかといさびしい思いの方が先走っていたがう不安も喜びに替え前向きに学ぶ演奏が始まると心地良い緊張感の中学生たちに感謝した名の学生堂とした楽服姿の学生が現れわの純粋でひたむきな演奏と爽やかな笑ぁーすごい素晴らしい一手一顔に大拍手天理教校学園高校の伝統つ心が合わさって美しい音色とこれまでの歴史も大切にしたい演奏可憐な舞だ壮大だと感輝き続けられるようにむ動の連続だった
かさおか

『かさおか』第61巻 第11号

稲讃分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう秋季大祭講話諭達を真正直に受け止めたすけ一条につとめきろう世話人島村廣義先生立教年大教会秋季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら参拝のもと執り行われたご参拝くだされた世話人島村廣義先生は諭達第四号発布を目睫に控えた秋季大祭にあたりまず本年の歩み方を振り返られ続いて明年迎える教祖年祭三年千日活動に向かっての心構えを整えるうえから教祖年祭の意義に続いて根本教理の角目るるを縷お話しくださった講話内容は次の通りなおでは直轄教会の秋季大祭参拝においてそれぞれの教会で年祭活動三年間の達成目標と御守護を頂くための理作り実践項目を定めるよう打ち出しがなされている旨を伝え教祖にお喜び頂くには今何をすれば良いのかを思案しその上で教会一丸となって取り組めるようしっかりと相談してこの目標と実戦項目を決めるよう促したが図らずも島村先生から教祖にお喜び頂くには今何をすれば良いのかの思案材料をご提供くださったものと拝察する本年の位置付け今年の年頭のごあいさつで真柱様は教祖の年祭について十年に一度年祭を勤めるということになれば一八九年が教祖百四十年祭ということはもう来年には百四十年祭を目指す三年千日という動きに入っていくわけであります私は道を伸展させるためにはいろいろな意味において教祖の年祭を勤めることは大切なことであると思いますので次の百四十年祭は勤めさせていただきたい中略教祖の年祭を勤める意味を徹底させることは本当に難しいことだとあらためて思いますやはり伝える側の責任は大きい中略伝える側の姿勢としては信仰姿勢普段から教祖の教えられたことを身に行いなるほどの人おこたになる努力をすることを怠ってはならないと思いますその人の信仰から伝わるということはやはりあるみちのとも年月号頁と述べられましたさらに教祖百四十年祭三年千日を前にいま教会長としてすべきことと題して両統領インタビューがみちのともに掲載され表統領が年祭活動に向かうにあたってまず道の先達である教会長が何をすべきか考えていくうえでのポイントをつ挙げておられます一つ目はなぜ教祖の年祭を勤めるのか年祭活動に取り組むうえで根本となる教祖年祭の意義を教会長としてしっかり心に治めることをしなければいけない二つ目はお預かりしている教会の現状現在の姿をしっかり確認把握すること中略長い目で自分とお預かりする教会の将来の姿を思い描いてそれを実現していけるように順序だてて進んでいこう中略百四十年祭はそうした目標に向かうための一つの節目三つ目は年祭活動に向けての心構えをつくって準備する中略厳しく通る覚悟というか腹を据え中略どうでも三年千日をつとめきる覚悟心構えをみちのとも年月号頁する教会長の心構え覚悟をよふぼく信者に移していくとこの真柱様のお言葉なり両統領のこの対談を受けて今日まで活動を続けてきました諭達は刻限のさしづそしていよいよこの月日真柱様から諭達第四号をご発布いただきますこの諭達というのはお道の節目にあたって真柱様が教内に対して時旬の理にふさわしい信仰と実践について教示されるものですおさしづに鏡やしきから打ち出す言葉は天の言葉である程に理を恐れずあんな事言うあんな事と思えばあんな事になるめんく身上もあんな事になる程にく明治と仰せいただきますが諭達はまさに鏡やしきから打ち出されるお言葉であり私たちにとっては今日の刻限のさしづ註とも言うべき同様の重みを持って受け止めさせていただかなければならない大切なお言葉であると私は思案します註親神様のほうからその時に応じて神意を述べられたものを刻限のさしづといい人間の側からの伺うかがいに対して答えられたものを伺いのさしづという私たちは諭達を素直に真正直に受け止め全教が心をひとつに揃え一手一つに三年千日仕切って思召にお応えさせていただく道をひたすら歩み進めさせていただきたいと思います教祖年祭の意義教祖存命の理そこで私は本日あらためて教祖の年祭をつとめることの意味を振り返り教祖の親心にしっかりお応えさせていただけるよう自らの心を定めたいと思います教祖の年祭は私たちの親や先祖の年祭のように親戚や親しかった者が集まって故人の遺徳をたたえたり人柄を偲んだりするものではありませんさあくこれまで住んで居る何処へも行てはせんで何処へも行てはせんで日日の道を見て思やんしてくれねばならん明治と仰せられる通り教祖は存命の理をもって今も変わることなく元のやしきに留まり世界だすけの道の先頭にお立ちくだされ月日にハせかいぢううハみなわが子かハいいゝばいこれが一ちよ一七月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりで八いちれつのこともがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなり四とすべて子供可愛いうえのどこまでも限りない隔てないたすけ一条の親心でお見守りお導きくださっています私たちは教祖からお掛けいただく親心をしっかり受け止めて思召に沿わせていただき教祖のひながたの道を真剣に歩み陽気ぐらし世界の実現を目指してたすけ一条につとめきらしていただくことこれが教祖にお喜びいただく何よりもの道です教祖年祭の元一日意欲的なたすけ一条の全開教祖の年祭をつとめる根本は元は子供の成人を急き込み促されるうえから教祖が定命を年お縮めになり現身をお隠しになられた明治年陰暦正月日の事情に由来しますそれは世界一れつをたすけるために一日も早く陽気づくめの世の状に立て替えてやろうと思召す親心からたすけ一条の道として教えられたおつとめを誰に気兼ねすることなく十分につとめられるようにしてくださったことまた誰はばかることなく世界の人におたすけ布教ができるようにしてくださったことです教祖の切迫する身上を台にしてたすけ一条のつとめの勤修を急き込み促されるとともにあらゆる人間思案を断ちきりひたすら親神様を信じ凭れきって通る神一条の道の通り方を厳しくお仕込みくださいました御伝に当時の様子を拝察しますとその日の正午頃から教祖のお身上がいよく迫って来たので一同全く心定まり眞之亮からおつとめの時若もし警察よりいかなる干渉あっても命捨てゝもという心の者のみおつとめせよと言い渡した一同意を決し下着を重ね足袋を重ねて拘引を覚悟の上午後一時頃から鳴物も入れて堂堂とつとめに取り掛った教祖伝十章頁と初代真柱様を芯に先生方が真剣に命懸けでおつとめをつとめられた様子が記されています続いておと陽気な鳴物の音を満足気に聞いて居られた教祖は丁度だいくのにんもそろひきたという十二下りの最後のお歌の了る頃一寸変ったそぶりをなさったのでお側に居たひさがお水ですかと伺うた処微かにウーンと仰せられたそこで水を差上げた処三口召し上ったつゞいておばあ様とお呼び申したがもう何ともお返事がない北枕で西向のまゝ片手をひさの胸にあて片手を自分の胸にのせスヤくと眠って居られるような様子であった教祖伝十章頁と教祖が現身を隠されたときのご様子が記されています仰せ通りにおつとめをつとめたのできっと教祖はお元気になられたと思われたであろう先生方ですがしかしつとめを無事了えてかんろだいの所から意気揚と引き揚げて来た一同はこれを聞いてたゞ一声ワーッと悲壮な声を上げて泣いただけであとはシーンとなって了ってしわぶき一つする者も無かった中略人は全く立って居る大地じつげつが砕け日月の光が消えてこの世が真っ暗になったように感じた教祖伝十章頁と先生方の驚愕落胆された様子が記されています官憲の迫害干渉弾圧の中仰せ通りにおつとめをつとめると教祖に直接ご苦労をお掛けするそのご苦労を思うとなかなかおつとめに踏みきれなかった先生方のご苦衷は私たちの想像以上のことだと思います教祖のご身上を台としてさあ今と言うたら今直ぐに掛れ中略悠長な事を言うて居る場合ではない一体お前達は法律が怖いのかをやの話が尊いのかどちらに重きを置いて信心をして居るのか教祖伝十章頁とつとめの決断を促される厳しいお仕込みに一同心を定め差し迫る教祖の身上から命捨ててもとの覚悟のもとにおつとめをつとめましたその結果教祖が現身を隠されるという事態になってしまいました嘆き悲しみは一通りのことではなかったでしょう内蔵の階で飯降伊藏先生を通しておさしづを伺われるとさあくろっくの地にする皆揃うたかくよう聞き分けこれまでに言うた事実の箱へ入れて置いたが神が扉開いて出たから子供可愛い故をやの命を二十五年先の命を縮めて今からたすけするのやでしっかり見て居よ今までとこれから先としっかり見て居よ扉開いてろっくの地にしようか扉閉めてろっくの地に扉開いてろっくの地にしてくれと言うたやないか思うようにしてやったさあこれまで子供にやりたいものもあったなれどもようやらなんだ又これから先だんくに理が渡そうよう聞いて置け教祖伝十章頁とのお言葉でしたまさか扉を開くと仰せくださる事が教祖が現身を隠されることを意味しているとは思いもしなかった先生方はくだされ扉を開いてろくぢにならし被下たい教祖伝十章頁とお答えになり親神様はその返事をお聞き届けになって心通りに守護くださったのですしかしこのことによって見せられた姿は親神様の思召と人の心との間の大きな隔たりによって年先ある定命を縮めて現身を隠される結果になったのではと思案します子供可愛いうえの親心ならではのお心配りで子供の成人を促されるとともに現身を隠されることによっておつとめをつとめることに踏みきれなかった原因を取り除かれ今からいよいよ世界を駈け巡ってたすけをするしっかり見て居よ今迄とこれから先とどう違しっかうて来るか確り見て居よ中略さあこれ迄から子供にやりたいものもあったなれど思うように授ける事が出来なかったこれから先だんくにその理を渡そう教祖伝十章頁とて広く一般におさづけの理をお渡しくださるとともに積極的な世界だすけの道たすけ一条の道の全開註をお促しくだされたものと思案します註全開全力で行うこともっている力を最大限に出すこと神一条の精神定めその後先人たちは教祖がご存命でお働きくださっていることを信じ教祖の親心に全身全霊を捧げてお応えしたいとの固い信念でおたすけに奔走し全国各地でおさづけの取り次ぎに真実を尽くすなか次と不思議珍しいご守護をいただきました教祖年祭が執行された明治年にはお道は全国津浦まで伸び広がり教会も全道府県註に設置され布教戦線は海外にまで及びました註東京が都になったのは昭和年それは懸命におたすけに奔走した人の真実を教祖がお受け取りくださりお働きくだされた結果であり教祖ご存命のお働きに他なりません教祖のお姿は拝せなくともご存命でお働きくださっているとの確信感激はさらなるたすけの輪となって広がっていきました以後年ごとの教祖の年祭を仕切りとして成人の歩みを進め教祖にお喜びいただきたいと懸命に歩んできたお道です教祖の年祭の元一日を振り返りあらためて教祖のお急き込みはたすけ一条の道の根本であるつとめの実行にあったことさらに親神様の思召に沿いきる神一条の精神定めであったことを思案すると私たち自身が人間思案に流れ神一条に徹しきれないことで教祖にもどかしい思い残念の思いをお掛けしているその自らの歩みを顧みて反省することの多いことに気づきます先人先輩の先生方は神一条の道と世間一般世上の道との狭間でどのように進めば良いのかを常に教祖のひながたに求め思案を重ねをやの思いに近づく努力を繰り返し繰り返し続けて通られたなかに見事節から芽が出るご守護を頂戴してこられましたそれは今これから教祖年祭活動に向かって道を歩む私たちにとっても成人の足取りを進めるうえに学ばなければならない尊い道すがらであると思います教祖がご存命でお働きくださっているその親心に凭れきりいかなる困難ななかも勇んでお通りになった先人に倣い親神様の思召に添いきってご存命の教祖にお喜びいただけるよう確固たる神一条の精神を定めて歩み抜かねばならないと思います根本教理の再確認親神天理王命親神様天理王命様はこの世人間世界をお造りくだされた元の神様火水風を始め人間身の内の温み水気息一筋に至るまでこの世の一切すべてをご守護くださる実の神様です人間が生きるうえに必要なあらゆるものを整えて命を与えられ陽気ぐらしのできるようにご守護くださっていますかしものかりものおふでさき第三号にたんくとなに事にてもこのよふわ神のからだやしやんしてみよ三とあり続いてそれぞれにんけんハみなく神のかしものやなんとをもふてつこているやら三めへくのみのうちよりのかりものをしらずにいてハなにもわからん三とかしものかりものの理が説かれています私はここに親神様の深い思召があるように思案します世の中のものはすべて親神様のお造りくだされたもの全宇宙は親神様のお体であるしたがって人間もすべて自分の力でできたものではなく親神様のお造りくださったものを親神様から貸していただいてこの天地抱き合わせの親神様の懐で親神様のご守護によって生かされていると教えられますこのかしものかりもののご教理が分からなければ何も分からないと教えられますが別の言い方をするとこのかしものかりもののご教理が心に治ればすべて分かってくるということでしょう親神様のご存在はもとより親神様の十全のご守護私たち人間の生きる目的その生き方など教えのすべてが分かってくるということですかしものかりものの理が教えのゆえん台とお教えいただく所以はここにあると思いますじゅうよう自由自在の理当たり前こそは親神様の守護この世に生を享け日結構に暮らすことができるのは親神様の温かい懐で絶えず守られているからです人間というものは身はかりもの心一つが我がのものたった一つの心よりどんな理も日出るどんな理も受け取る中に自由自在という理を聞き分け明治と仰せいただきます日元気に何不自由なく体を使える喜び今日も一日結構に過ごせた私たちは当たり前と思っている日のくらしこそ親神様のありがたくもったいないご守護であることに気付くことでかしものかりもののありがたさ生かされている喜びを味わえるのです陽気づくめの境地またこの喜びは一見喜べないことと思われるなかにも味わうことができるのです教祖は貧に落ちきれとの親神様のお言葉のままに苦心の道中を子供たちとともにお通りくださり食べるに米のない日を過ごされるなか世界には枕もとに食物を山ほど積んでも食べるに食べられず水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もあるそのことを思えばわしらは結構や水を飲めば水の味がする親神様が結構にお与え下されてある教祖伝三章頁と子たちを励ましながら通られました親神様のご守護に気付くことによってどんな中でも心一つで喜べることを教えられているのです私たちの身の回りには身上や事情など思うようにならないことで心を曇らせ喜べないことも沢山ありますがしかしかしものかりもののご守護親神様が大難を小難に小難を無難にご守護くださっていることさらには見せられる節に込められた親心に気付くことで今まで喜べなかつたことも心から喜べるようになり今まで楽しめなかつたことも心から楽しめるようにな教典六章頁れるのですぢばの理おやさとやしき別席のお話の中で次のようにお取次ぎくださいますこのやしきは元親神様が紋型ないところから人間世界をお創めくだされた因縁あるやしきでありましてその宿し込みの証拠としてお据えくだされるのがかんろだいでありますすなわちこのやしきは世界中の人間の元の親里であります親里であるばかりでなく現に元なるをやであらせられる親神様がお鎮まりくだされ月日のやしろひながたのをやであらせられる教祖が存命同様ここでお見守りくだされているのでございます世界からおぢばをやの側と言うて慕うて帰る子供に隔てなくお待ちかねになっているのがをやのお心でありますこのをやを慕うて帰る子供の真実が常に隔てなく子供のうえを思うてその帰りをお待ちくだされるをやのお心に通いましてここに珍しいたすけをお見せくだされ自由のご守護をなしくだされるのでありますからこの元のぢばへ真実の心を運ぶのが肝心でありますてびきこの世人間世界をお造りくだされた元の神様すべてを守護くだされる実の神様親神様がお鎮まりくだされ月日のやしろひながたの親であらせられる教祖がお出でくださる親里ぢばこのたすけの源であるぢばを慕うて帰らせていただくのがおぢばがえりです自らの身上事情のあるいは人様のおたすけを願っておぢばがえりさらにはおたすけいただき結構にご守護いただいたことへのお礼のおぢばがえりなどおぢばがえりの理由は人それぞれに違いがありましょうまた人の勧めや自らの意志でと思うかもしれませんがしかしおぢばへ帰ることはたとえその理由が何であれそこには親神様の思召深い思惑があってのお引き寄せなのです逸話篇に神に深きいんねんあるを以て神が引き寄せたのである程に逸話篇さあくいんねんの魂神が用に使おうと思召す者はどうしてなりと引き寄せるから結構と思うてこれからどんな道もあるから楽しんで通るよう用に使わねばならんという道具は痛めてでも引き寄せる悩めてでも引き寄せねばならんのであるからする事なす事違う逸話篇というお話がありますご恩報じまた教祖は思召あってお引き寄せになった人にはおたすけいただきたいと初めておぢばへ帰った人たちにもにをいがけおたすけ布教の実践を促されています心配は要らん要らん家に災難が出ているから早ようおかえりかえったら村の中戸毎に入り込んで四十二人の人を救けるのやでなむてんりわうのみことと唱えて手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで人を救けたら我が身が救かるのや逸話篇と仰っていますおたすけを願っておぢばに帰った人にたすけていただく道として神様の話をしてにをいがけすること神名を唱えておつとめをすること祈ることを教えられ金や物でないで救けてもらい嬉しいと思うならその喜びで救けてほしいと願う人を救けに行く事が一番の御恩返しやからしっかりおたすけするように逸話篇とご恩報じの道を教えられましたさらにあんたの救かったことを人さんに真剣に話さして頂くのやで中略ごくこれは御供やからこれを供えたお水で人に飲ますのや逸話篇とおたすけの仕方御ご供くやご神水を戴かせて人をたすけることたすけて回ることを促されましたつくしはこびさらにこの屋敷は用事さえする心なら何んぼでも用事がありますいで用事さえしていれば去のいと思ても去なれぬ屋敷せいだい働いて置きなされや先になったら難儀しようと思たとて難儀出来んのやで今しっかり働いて置きなされや逸話篇とおぢばがえりとともにぢばに誠真実真心を尽くし運ぶこと伏せ込むことがいかに大切なこと大事なことかということも教えられました先人たちはおたすけいただきたい一心でおぢばに帰り教祖のお導きのまま親心にお縋りして素直に道を通られた結果それぞれに不思議な珍しいたすけのご守護を頂きその感激と喜びにご恩報じのたすけ一条の道を歩むようになったのですお道に間無しの方であってもお引き寄せになったその深い思召があればこそたすけ一条の御用に使われるのです今日の私たちは親からの信仰を受け継ぎ原典や教典御伝によっていつでも親神様の思召を拝することができ教祖のひながたを求めることができる結構をお与えいただいています入信間無しの先達のご苦労を思えば今日の姿はありがたいことばかりです親神様のみ教えを学び少しは道を聞きわけているお互いはいまだ親神様を知らず親神様の思召も分からずに身上や事情に悩み苦しんでいる人に一日も早くみ教えを伝えることは私たちよふぼくのつとめです先人たちの素直に教祖のひながたを求めてお通りくだされた道すがらに倣って積極的なおたすけを心がけて一人でも多くの方をおぢばにお連れ帰りさせていただき教祖にお喜びいただきたいと思いますたすけ一条の道つとめたすけの元立て教祖は世界一れつをたすけたいとの親心で私たちをお見守りくだされたすけ一条の道としてつとめを教えられさづけを渡されてその実行を促されていますみかぐらうたにようこそつとめについてきたこれがたすけのもとだてや六下り目いつもかぐらやてをどりやすゑではめづらしたすけする六下り目おつとめはたすけの元立てと教えられますが人だすけの元立てあるとともに自分自身もたすけていただける元ですおつとめは親神様へのつとめであり親神様は元の神実の神様その元を立てるのが元立て元を立てるのでお互いの身が立つという意味ですにちくにはやくつとめをせきこめよいかなるなんもみなのがれるで一とのよふなむつかしくなるやまいでもつとめ一ぢよてみなたすかるで一つとめさいちがハんよふになあたなら天のあたゑもちがう事なし一はやくと心そろをてしいかりとつとめするならせかいをさまる一四つとめてもほかの事とわをもうなよたすけたいのが一ちよばかりで一六と教えられます救からんものをなんでもとどんな事をばするやしれんで一五おつとめはたすけ心を持ってつとめ言うて子供が親のために運とお教えいただきまする人の身上事情を始めところぶ心これ真実やがな真実なおさづけは人だすけのための宝での治まり世界の治まりすべてよろづら神が受け取るすのたすかりを親神様に願うおさづけと仰せ下された何としてもたすかっていただきたいの取り次ぎができないときでもおつこの有難いお言葉を頂戴してとのおたすけ人の真実誠の心に親神とめによって親神様にたすけを願うことができますキクは救からん命を救けて頂き様教祖がお働きくだされるのです八十八才まで長命させて頂いたまたこのおさづけの取り次ぎに教会でつとめるおつとめはぢばで逸話篇よって教祖がご存命でお働きくだつとめられるかぐらづとめの理を受けと記されていますがこれは桝井伊さっていることのありがたさを実感すてつとめますよろづだすけの源であ三郎先生が病気で苦しんでいる母親ることができるのでするぢばの理を戴いてつとめる教会でのの姿にどうでもたすけてもらいたよふぼくはこの尊いおさづけの理おつとめはおつとめ奉仕者を揃えていならん中をたすけていただきたを頂戴した元一日の心を忘れることな道具を揃えてぢば一つに心を揃えていと町の道のりを何度もおたすく病む人に期を逃さず躊躇する一手一つに教え通りにおたすけのけを願われた誠真実に対しての教祖ことなく積極的におさづけを取り心を込めて勇んで人のたすかりのお言葉です次ぎましょう世の中の治まりを願ってつとめること見ておれない放っておけないが大切ですたすけていただきたいたすけたにをいがけおたすけいこの何でもどうでものた年齢性別立場に変わりなく自分さづけ生涯末代の宝すかってもらいたいという真実とそのにできるおたすけを見出しいつでもさらにまた身上に苦しんでいる行為こそが親神様にお受け取りいたどこでもおたすけを心掛けましょう人には真実込めておさづけの理をだく誠真実です自分の身の回りを見渡し誰とでも取り次がせていただくのですおかきさげにこの何でもどうでもという止む挨拶を交わす気さくに声を掛けに止まれぬおたすけ心がなかったらることから始めるのですそしてそ人を救ける心は真の誠一つの理おたすけはできませんれを毎日続けるで救ける理が救かるたんくとよふぼくにてハこのよふを無縁社会と言われる昨今またと教えられますはしめたをやがみな入こむで一五コロナウイルスの蔓延で人との繋がり逸話にこのよふをはじめたをやか入こめばがなく寂しい思いを味わっている人が多いしかし概して人は自分の抱えている悩みや苦しみについて他人に隠すことが多いのでそれを他人に打ち明ける人は少ない一度や二度の声掛けぐらいでは容易に心を開いてもらえないので私たちはその人たちの悩みや苦しみを案外見過ごしがちです常に教えを実践し親しく声を掛け続け自分を信用してもらえるまでの人間関係ができるに従ってだんだんと悩み事の相談を持ちかけられるようになるのです困っている人に出会えば徹底したおたすけの心で誠心誠意世話をし相手の心に寄り添い悩みに耳を傾け相手の心の悩みや苦しみを思いやり分かち合うのですまた心に不安を抱え塞ぎ込む人には親神様を信じ凭れて通るそのありがたさを伝え心の向きが変わるように導くのです相手の身になり分かりやすく心を砕いて根気よく導くことが大切ですそしてさらには共に人だすけに向かうまでに丹精させていただきたいものですつくしはこび日に頂戴する限りない親神様のご守護に対しての報恩感謝の行いはひのきしんと教えられますがこのご守護に対するお礼感謝のつくしはこびとともに常おたすけのご守護を頂戴するためにはしっかりとぢばに心を繋ぎ真実真心を尽くし運ぶことが大切です先人たちの道すがらを振り返るとそこにはご守護を願い縋る思いで大勢の方がおぢばに運ばれた姿がありました残らずぢばから救ける万事何から大切第一のたすけぢばより救ける明治ぢばは親神様のお鎮まりくださるところご存命の教祖のお出でくださるところたすけの源ですたすかる理はこのぢばにしっかりと繋がるところからお与えいただくのですやしきハかみのでんぢやでまいたるたねハみなはへる七下り目心さい月日しんぢつうけとればどんなたすけもみなうけやうで八とのよふなたすけとゆうもしんちつのをやがいるから月日ゆうのや八この月日もとなるぢばや元なるのいんねんあるでちうよぢさいを八ぢばへ尽くし運ぶ私たちの真実を親神様は必ずお受け取りくださり真実にふさわしいご守護をくださるのですからしっかりぢばに尽くし運ぶことです誠一つの理人をたすける心それは誠の心ですそれは思召に沿い天理にかなう心だからですこのさきハせかいぢううハ一れつによろづたがいにたすけするなら一二月日にもその心をばうけとりてどんなたすけもするとをもゑよ一二しんちつに心にまことあるならばどんなたすけもちがう事なし一三おたすけに際して人の悩みや苦しみに出合ったときじっとしておられず自分のできることならどんなことからでも手を差し伸べて精一杯の真実を尽くす親神様はこの誠真実を直ぐと受け取っていかなるたすけも引き受けられます自分の心にこの誠真実の理が治まれば常に変わらぬ喜びに満たされおたすけの喜びを味わわせてもらえます人がたすかった感激そして何よりも親神様教祖がお喜びくださっているという喜びおたすけの喜びは何物にも代え難い道を通る者の喜びですそしてその喜びは一人に止まることなく家族隣人へと広がっていき土地ところの陽気ぐらしの姿となって現れてくるのですよふぼくが世界の各地でたすけに歩む姿を親神様教祖は心楽しみにしておられると思います三年千日に向かう心構え今日世の中は新型コロナウイルスの猛威はまだまだ収まらずまた近年地球温暖化による異常気象や天変地異は大変な被害をもたらしています親神様の思召に反した自分中心の他を顧みない行動は争いごとを引き起こし世の中に陽気ぐらしとは真逆の不幸をもたらしていますこうした世の中に見せられる事象は親神様の残念な思いを現されたものと仰せられますが道のうえからもかんろだいの事情や真柱様のご身上名称解消のお運びなど年祭活動を前に厳しいお仕込みを頂戴しています真柱様は年頭に安心して御用ができてもできなくても時間は同じように過ぎていきますできないのはコロナのせいだというようにせずに与えられた条件のなかでやらなくてはならないことをいかに進めるかということをいまの時旬を考えてそれぞれのつとめを果たしていっていただきたいみちのとも年月号頁と仰せられましたがこのような社会の混迷が続く今こそ私たちよふぼくの真価を発揮するときです世界世の中の治まる真実の教えを自分を取り巻く身近なところから世界の人に伝え広めるためよふぼくはまず教会にしっかり心を繋ぎ親神様教祖に心を繋いでおたすけに立ち上がらせていただきましょう教会は世界だすけを推し進めるうえでなくてはならない拠点です教会の活動は親神様の教えを伝え広めることです国処の教会の動きが活発になり悩み苦しむ人にとって心安らぐ場所となり土地ところの陽詰所からのお願い詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ず詰所へご連絡ください食事をしない宿泊のみの場合でも日前には申し込みをして下さるようお願い致します部内教会信者に徹底願います気ぐらしの手本ひながたとなれるようよふぼく一人ひとりが三年千日周囲に心を配ることから始めて勝に会長を芯として寄り集う人が仕切ってひながたの道を通る決意を固手や方法にとらわれずいつもどこで心を合わせたすけ合い陽気ぐらしめたいと思いますも進んで声を掛け繰り返し繰り返しの雰囲気を作り出していくのです難しい事をせいとも紋型無き事根気よくにをいがけの習慣を身につ教会は昔から身上事情に悩む人身寄りのない人あるいは布教専従をせいと言わん皆一つくのひけて身上事情に苦しむ人悩む人ながたの道があるひながたの道があればたすけの手を差し伸べるを志す人たち様な人を受け入れてたすけ合って歩んできました教会とを通れんというような事ではどうおつとめに世の治まり人のたすかりもならん中略ひながたの道よを願い病む人には真実込めておさづいうたすけの道場によふぼく一人ひとりのたすけ心が繋がり合い大きなり道が無いで何程急いたとて急けを取り次がせてもらい悩める人のいだとていかせんでひながたの胸の内に耳を傾けて寄り添ってをやのおたすけの輪陽気ぐらしの輪を作り道より道無いで明治声を伝え心の向きが変わるよう導き出してきましたと仰せられますが教祖はご自身がお願わくばともに人だすけに向かうま通りくだされた年のひながたの道をでに丹精したいと思いますいよいよ明年より教祖年祭に向三年千日ただひたすらに実践すれば心を合わせ頼もしい道を作りてくかっての三年千日の活動に入ります深く大きな親心を持って私たち子供れあれでこそ真の道であるとが先人たちは教祖の年祭をの足りないところを補い年の道を世界に映さにゃならん成人の旬として教祖の親心にお応え通ったことと同じ理に受け取ってやろ明治したい一念でつとめ果たしてこられうと仰せられますと存命の教祖にお喜びいただけるよましたう共につとめさせていただきま私たちよふぼくにとって教祖のよふぼく一人ひとりが三年千日しょう年祭は成人の足取りを進める掛け仕切ってひながたの道を通る決意を定替えのない節目仕切りですめその心準備を今日まで進めてきまどうでも一つ仕切り根性仕切したがいよいよこの月諭達り力仕切り智慧仕切りの道が発布され来年から三年千日の仕切どうでもこうでも踏まさにゃならりが始まりますん明治よふぼくがどんなことからでもおと仰せられますたすけに立ち上がることを誓わせていただきたいおはなしに聴き入る参加者委員部長後継者講習会開催大教会婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月日大教会で委員部長後継者講習会を開催初参加の人も含む人が受講した同じ立場をいただく者が年に一度顔を合わせて成人の糧とさせていただこうと毎年開かれていた講習会だがコロナウィルス感染拡大のため年ぶりの開催となった上原支部長はおはなしの中でかしものかりものの教理をしっかり心におさめさせてもらうことが大事でどんな事も神様からのお与えものなので自分にとって不都合なことも喜び婦人会にかえて理づくり心づくり徳積みを精一杯勇んでつとめてほしいそして三年千日の年祭活動について今日の自分より三年後の自分が少しでも成人している姿を見ていただけるような三年千日の過し方をしてほしいと話された人の感話を聞かせていただいたあとワークショップで心も体もほぐされて勉強させていただきながらも笑顔あふれる楽しい時を過したコロナ禍での開催だったため午前中で行事を終了し先輩委員部長さんたちの心の込もった手作り弁当を受け取って解散した常任委員岡﨑和美緊張の後は心身をほぐして解散立教百八十五年秋季大祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者岡﨑真一淺野明教賛者佐藤真孝指図方門脇元教講話島村廣義先生十二月講話上原繁道区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝上原志郎岡﨑真一中村道德森本忠善田林久嗣中村義太郎淺野明教上原繁次大教会長様門脇元教田中隆之前会長様三島渉今川昌彦上原繁道山野弘実横山逸郎大教会奥様谷内美知子武内正美前奥様吉岡八恵横山小智榮田中ますみ山野なつ室悦子上原浩佐藤真孝淺野明教中村剛高木昭祥岡田誠吉岡壽虫明立生渡邉隆夫中島誠治岡﨑真一岡﨑治喜谷内伸自山田敏教中村道德武内清明赤木素志上原浩上原順子岡﨑豊子内海安子門脇加津笹尾一美中村初美佐藤香苗三島照美高木孝子ダンスパフォーマンス天理大学生によるドラムパーカッションと頼もしく嬉しい思いがしたと述べ今後も福山らしく仲良く助け合って今年を勤め切りしん者の食事作りに心楽しむ者など個に真実を寄せて下さった福山らしいあり方に心をする者教会の掃除を担う者また手作りお菓子料理の差し入れをする者ひのき続いて福山分教会長が今日までの真実に感謝を述べながら法面工事の際には工事年祭活動を来年に控え成人を誓う有意義な記念祭となったお流れを頂戴して親しく和やかに声をか昼食後部内教会ごとにご挨拶に伺いわれ弁当を配布して記念祭を終えた湾からの帰参者の手土産などの抽選会が行げ続いて和牛肉コードレス掃除機台ンとダンスパフォーマンスで会場を盛り上奏天理大学生によるドラムパーカッショその後雅楽によるもののけ姫の演精一杯勤めさせて頂きたいと締めくくった明くる年から始まる教祖年祭の活動にらそれぞれが自身のたすけ心を確認することが大切ではないかと話された挨拶に立たれた大教会長様は初代の心に立ち返る事に触れまた秋季大祭の意義か隔を開けて人の参拝者と共に厳かに勤めさせて頂いた秋季大祭に合わせて勤められた福山分教会創立周年記念祭は感染予防に配慮し間福山分教会創立周年記念祭秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召からこの世と人間をお創造くだされたばかりではなく十全のご守護をもって今も変わる事なくお見守り下さっております加えて天保九年十月二十六日旬剣限の到来と共に教祖をやしろとしてこの世の表にお現れになりよろづ委細の真実を明かし世界たすけの道をつけて陽気ぐらしへとお導き下さいます御慈愛の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は御恩報じを念じて届かぬながらも日勇んでたすけ一条の御用の上に努め励ませていただいておりますその中今日の吉日に立教の元一日に思いを馳せただ今からおつとめ奉仕人一同慶び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせていただきます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが日頃のご高恩に改めて御礼申し上げると共に立教の元一日に込められた親心に思いを致し心新たに思召に沿い切る事をお誓いする真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は世話人島村廣義先生の巡教を賜ります時旬に当たってのおぢぱの思いをお聞かせ頂き今後の成人の歩みの指針とさせて頂きたいと思いますまたいよいよ十月二十六日秋の大祭にて教祖百四十年祭に向けて諭達がご発布されます諭達に込められた思いをしっかりと受け止めさせて頂き来年から始まる三年千日と仕切っての年祭活動を勇んで通り切って年祭の日を成人した喜び一杯の姿で迎えられるよう努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様にはどんな中でも親の思いにお応えするべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいまして神人和楽の陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますけて頂いた敷地内に放出されたハンターから逃げる学担笠岡学生会の日開催大教会月日笠岡学生会の日はじめの第一歩笠岡学生担当委員会主催が大教会で開催されたこの行事は今年初めて結成された学生スタッフの学生が学担と会議を重ねにつながる学生のために開催したもの当日はおぢばや関西近郊の学生も含む人が参加した参加者は自己紹介スゴロククロスインタビュー情報紙などの班別グループタイムを通してお互いの事を知り親睦を深めたまた大教会敷地内を使って逃走中鬼ごっこが行われ元気に走り回る学生の姿が見られ大いに盛り上がった最後に学生と共にプログラムを体験された大教会長様より神様にマルをつけてもらえるような人を助ける心を養っていって欲しいと挨拶があった参加者は同じ笠岡につながる学生同士の絆を深めると共に次の行事への参加を誓い合った学担委員長上原繁次笠岡学生会班毎に盛り上がるグループタイム思う大教会だより今日まで様な出来事や気持ちの葛藤の中不足に思う事もあったり教人資格講習会後期修了者自分自身に自問自答を繰り返しなが終講ら不安に思う事が多かったが周囲葦陽笹尾孝治の方のアドバイスや協力の元ここまでたどり着く事が出来なお一層自分の気持ちも改めて考える事もあって更に頑張って行こうと決意したまだまだスタートラインに立つ準備運動に過ぎないが自分の気持ちを強この度教会長を交替する事になりく持って信者さんや周囲の人達と共今月本部にてお運びを願い出たに協力し合いたすけ合って又これ来年から教祖年祭三年千日というから先家族共支え合って自分も努旬に教会長就任奉告祭を執り行う事が力する事を継続出来る様邁進したい出来るのはとてもありがたい事だとうその頃の気温は連日近く猛暑陽だまり日が続いていた年齢を考慮して心配してくださる方が大勢いたが矢も楯もたまらず災救隊に志願した救援活まごの手救援ひのきしん動で初めて被災地に足を踏み入れたビエン今年の月上旬西日本を襲った豪雨は各地に甚大な被害をもたらしたまび筆者の住む倉敷市においても真備町で時言葉が出なかった水はほぼ引いていたがいつもの見慣れた風景が一変していた私たちはアルミ工場の水蒸気爆発による爆風と浸水という二重の被害を受けた地域で活動したく大水害が発生し人もの尊い命が奪たくたになりながらも何か人様のためわれた浸水地域は町全体のおよそに直接役に立っているという喜びが分のにも及び約千世帯のうちあったその後月には災救隊に再千棟以上が浸水被害に遭った度参加した壁の泥落としや天井の解テレビや新聞ラジオインターネ体など結構危険できつい作業だったットなどを通してこの水害が報道され体中泥だらけになりひのきしん後のると国内はもとよりハワイアメリカ充実した気持ちを抱いて現場から帰るカナダ香港フィンランドなど世界途中一般のボランティア方が道の各地からたくさんのお見舞いのや泥を除去している現場を通り過ぎたメールをいただいたとてもありがたそのとき自分自身の微妙な心の変化く感謝した私の住む地域は幸運にもに気づき動揺した無意識に我は被災地より少し離れていたので大きなとても有意義なひのきしんをしている災害は起こらなかったしかし真備のだ君たちとはちがうという上町やその周辺地域には友人や知人がから目線で彼らを見ていたのだ猛暑たくさん住んでいる友人たちだけでの中での活動を褒められ感謝されはなく他の被災された方のためにも社会的にも高く評価されているうちに何かさせていただきたいと願っていた思い上がっていたのかもしれない私時天理教災害救援ひのきしん隊が出はふとある情景を思い出した次動することが決まった号に続く陽だまり語録陽気月号より著者転載続まごの手救援ひのきしん平成年月天理教教会本部で西境内地拡張整備ふしん土持ひのきしんが始まった教祖年祭に向けての活動の一つだったと記憶している重機を使えば短期間で済んでしまう土木工事を人がもっこを担いでするのだからビジネス的に考えればまことにコストパフォーマンス費用対効果の低い活動であると思うしかしそこには決してコスパいう考えだけでは計れない意味と喜びがあった神様からの借りものである体を使いおぢばのふしんに伏せこませていただいている喜びがあったのだある夏の日別席を運ぶために帰参した甥っ子とこのひのきしんに参加したそこで私はある女性の姿を目撃して目頭が熱くなった車椅子に乗った彼女は膝の上に白いハンカチを置きその上に乗せた僅かな土を落とさないように大切に何度も運んでいるのだったこれこそが信仰の喜びなんだと実感しただから猛暑の中被災地で真剣にボランティアに励む人たちのことをたとえ一瞬でも見下した自分の心の驕りはこの行いをも笑ってしまうことなのであるなんという心の貧しい人間なのかと自分を恥じたさて岡山教区災害救援ひのきしん隊は第次隊をもって平成年月豪雨被災地への救援活動を終了した私は反省を踏まえて何か小さなことでも良いから支援をさせて頂こうと決心した情報を集めて必要な物を必要とする方に届けることかゆいところに手が届くまごの手のようなひのきしんをしたいと願ったすると不思議なことが次と起こってきた避難所などで使用できる一人用断熱シート本新品同様の家財道具や電化製品驚くほどたくさんの新品の日用雑貨食料品等被災した方が直ぐに必要とされるものを無料で提供してくださる方や支援活動への協力金を寄付してくださる方が現れたのだった私たちはそれらの支援物資を必要とされる被災者の方に届けるだけまさにまごの手のようなひのきしんができたのである心を決めて動けば神様が働いてくださる本当にありがたいなあと改めて実感した陽だまり語録陽気月号より著者転載
かさおか

『かさおか』第61巻 第10号

稲富士分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう布教推進講習会開催祭典後布教部田中隆之部長は月日祭典講話に替え安藤吉人先生前青年会本部委員長本愛大教会長を招いて布教推進講習会を開催先生は物事のめまぐるしく変化する現代においてその時代に合わせた様な方面からの布教をされている貴重な体験をお話しくだされた布教部溌剌はつらつとお話しくださる安藤先生昨年大教会長のお許しをいただき就任したが就任翌日表統領室に本愛の部内教会から離脱を申し出る書面が届いたとの連絡が入った私の大教会長としての勤めは事情を治めるところから始まった出鼻から色と悩まされたがコロナなどで時代が変化している時に今自分のできること思いつくことを精いっぱいやっていかないとお道はどんどん縮小してしまうと考えた本愛大教会では失敗も多くあるが思いつく限りのことを行うようにしているその中にの立ち上げがあるにはお道のお話を載せているが未信者の方からも問い合わせがあるそれにはすぐに応じるようにしている全てを通じての出会いだがこれは教祖が先回りして自分に必要なご縁を繋いでくださっていると思うこのところ緊急事態宣言が相次ぎ教会活動の縮小を余儀なくされている現状があるこのままだと教会はどうなってしまうのだろうと思うが最近はスマートフォンなどすぐに連絡を取り合える時代になっている東京の後輩と連絡をしているときに名古屋の友達ですごく悩んでいる人がいる話を聞いてあげてもらえないだろうかと依頼されたすぐに連絡をとりその男性に教会に来てもらったその男性は名古屋駅のツインタワーに居を構える年商億円の企業の社員で一人で億円稼ぐやり手の営業部長コロナなどの影響で会社を解雇されマイホームのローンが残っているさらに先月子どもが生まれたが内反足で歩けるようになる確率はだと医者から言われたその男性の肩に乗った荷物を一つずつ降ろしてもらえたらという思いで話を聞くうちに気持ちが楽になった自分はどうすればいいかと人に喜んでもらうことが徳積みになるから近所の掃き掃除を毎朝一緒にしようと提案した掃き掃除の徳積みを続ける中に内反足の子どもにおさづけをお取次ぎした数日後があり子どもの両足の手術が必要と言われていたが片足だけでよいと言われた神様ですかねありがたいとまたその後再就職も決まったようで次第に身上事情のご守護を頂いた私自身がコロナの状況下で教会活動をどうすればいいか悩んでいたがひとだすけに向き合ううちに自分の心が少しずつ晴れていくように感じた世間がコロナに非常に敏感だった年前の月日に他系統の先輩からコロナにかかったとがかかってきた聞くと親族から非難を浴び世間にばれたらどうしようこれからどうしようかと不安な気持ちでいっぱいとのこと私は先輩心配するのはやめましょう案じれば案じる理が回ると言うでしょう神様にもたれましょうと伝えた毎日連絡をして様子をうかがっていたがコロナに対する世間の目が厳しい折ということもあり先輩は私にコロナのことを誰にも言うなと度念を押したしかしその後ぷっつりと連絡が取れなくなったその先輩には大動脈解離の持病があったのでとても心配したがしばらくして連絡がありコロナが重症化して危ないところだったが一命をとりとめたとのことだったさらにか月後また連絡があり奇跡が起きた先輩の主治医の説明によると大動脈解離の手術でふさぐ予定にしていた箇所がコロナによってできた血栓によって奇跡的にふさがれている人間業ではないもう手術の必要はないとのこと安藤君神様はおるなあコロナになって何で自分だけバレたらどうしようと真っ暗いトンネルに入った気持ちになったしかし神様は不安のトンネルを抜けた先に思ってもみないような大きなご守護を下さることがあるこれまでコロナのことを誰にも言うなと言っていたが俺の話をどこででもしてくれ先輩はそう言ってくれたこの先輩を通じて人は鏡私自身の不安な気持ちを親神様が教えてくださっていた自分が教会長としてこれからどうやって行ったらいいかという不安な気持ちがあることに気づき不安に思うことはいらんなあと悟った親神様にもたれて目の前のできることを思いつく限りとにかく精一杯やっていけばいい失敗したら失敗したときに修正したらいいそんな思いにならせていただいた先ほどお話しした内反足の男の子歳半になり一歩二歩と歩き出した動画をお父さんが送ってくださった歩けるようになる望みがしかなかった子が歩けるようになりましたこれも神様のお陰ですありがとうございましたとその後人目の子おつとめ天理現物代のに豊生かかさすのご用守木護のに道恵まシれリるーたズめには回視聴共有保存報告天理教本愛大教会公式チャンネルチャンネル登録者数人どものおびや許しを頂きにおぢばにもで通ることが大切最後のおさしづに帰参して下さり大教会にも時参拝どうであろうこうであろうと困とあるして男の子は元気にうちの神殿を駆け難の中で皆心を合わせもう一度最後に案じることなく心勇んで回っているまた冒頭で話した部内十年何でも彼でもというはなか心ひとつで成ってくるということを教会離脱問題も信者宅を一軒一軒回くの精神その精神というは社会にまたお道の中に映していけるより解決の方向に向かっている神の自由受け取りたる精神何もうにお通り頂くことを皆様にお願いし本愛の部内会長の大半は歳を超え皆身上は成っても成らいでも案て講話に代えさせていただくておりねりあいでわしらはもう歳じてくれる事要らん篤と心を鎮以上要約副部長佐藤真孝やからという声も聞くが年齢ではめ皆心勇んでくれくないと思う何歳になってもよしやるぞという気持ちがなければ何事もうまくいかないのではないかケンタッキーフライドチキンの創始者カーネルサンダーさんは歳で創業された件断られ続けて件目にやっと店舗開店し歳で亡くなる時には全米に千店舗を構えるまでになった彼の言葉にできることをやろうやるなら最善を尽くせとあるつまり心一つということ心次第でいかようにもなるこのことは私たち信仰者にとって大切なことだと思うもうすぐ年祭活動に入るが教祖が私たちの勤めを何倍にも受け取ってくださるのが年祭活動心定めをしなければならないなどと心が苦しくなる方向に向かうのではなく年祭を楽しん高屋分教会創立周年記念祭が執り行われる天理教高屋分教会創立周年記念祭が土に大教会長ご夫妻前大教会長ご夫妻をお迎えして武内正美会長祭主のもとに執り行われましたコロナ禍の中人の参拝者が集いました参拝者の間隔を空けたり参拝場を複数箇所に分散したりなど出来る限りの新型コロナウイルス感染症感染防止対策を講じての開催となりましたまず大教会長様はご挨拶で高屋分教会の元一日である初代会長様の歩みを振り返られながら教会設立時に親神様と約束したことを末代かけて通らせていただくことが大切であると記念祭を迎える意義を丁寧にわかりやすくお話しくださいましたその後参拝者一同は喜び心いっぱいにおつとめをつとめました大教会長様のご挨拶高屋分教会創立百三十周年のスローガンおたすけの歩みをふたたび実践項目おつとめおたすけおぢばがえり祭典後は次の世代を担う若者たち有志による琴と尺八のコラボ演奏が披露されました会場内は邦楽の力強く美しい音色に包まれて記念祭を祝う心もさらに最高潮に達しました大教会長様からも演奏を聞いて涙が出ましたとお喜びのお言葉を頂戴しましたいつまでも拍手が鳴りやまず短い時間ながら工夫を凝らしたアトラクションとなりました最後に記念祭の御供え物をおたすけに使わせていただこうという合言葉のもとにおさがり抽選会がさらに高屋につながる信者さんのお店からの協賛品を含めた豪華賞品周年抽選会が行われました参拝された方は一喜一憂しながらも満面の笑顔の中で勇み心いっぱいに記念祭をつとめて一日を終了しました参拝者の声頂戴した記念品の中に紙に包まれたピカピカの五円玉がありましたこれからも御縁がありますようにとのメッセージと受け止めさせて頂きました一日も早い日常に戻りますことをお祈り致します記念祭に向けて大勢の皆様がご苦労され盛大に終わられてほっとされておられることでしょうお世話になりましたこれからの教会の益のご発展をお祈り致します記念祭後に送られてきた一通の手紙より九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の絶え間ない御守護により厳しい暑さも少し和らぎ耳にする虫の鳴き声に夏から秋への季節の移り変わりを感じながら結構に日を過ごさせて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は常に変わる事なく頂戴する親心と御守護に日夜お礼を申し上げると共にご恩報じの思いからたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下されたおつとめを勤める日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて九月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は月末に全教一斉にをいがけデーが開催されますまた本日は本愛大教会長安藤吉人先生にお越し頂き布教推進講習会を開催致します物事のめまぐるしく変化する現代においてその時代に合わせた様な方面からの布教をされている貴重なお話を聞かせて頂きこれを今後に活かしてこれまで以上ににをいがけおたすけに努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には親孝心一筋に御恩報じに邁進する皆の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護をお現し下さり世界中の人が親心に触れ一列兄弟の理に目覚めて御恩報じを実践する人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状へとお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年九月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者武内清明赤木素志賛者岡﨑治喜指図方上原志郎講話布教推進講習会十一月講話海外伝道講話区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓控え坐り勤前半後半田中隆之田林久嗣中村義太郎大教会長様前会長様上原繁道大教会奥様前奥様田中ますみ吉岡誠一郎門脇元教吉岡壽内海史郎渡邉隆夫今川昌彦上原順子佐藤香苗今川佐智子岡田誠佐藤道孝谷内伸自上原繁次中島誠治今川昌彦虫明立生武内正美門脇加津田中つかさ岡﨑治喜山野弘実三島渉高木昭祥森本忠善赤木素志内海安子三島照美高木孝子岡﨑真一武内清明山田敏教上原志郎上原浩横山逸郎谷内美知子横山小智榮中村初美杉原善朗内海史郎淺野明教渡邉隆夫岡田誠三代温生笹尾一美上原千枝子室悦子秋季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共に笠岡の道の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊諸の神霊の前に会長上原明勇慎んで申し上げます祖霊様方には教祖を通して親神様の真実の御心とお働きとを知りかしものかりものの喜びと感謝の心からご思報じの道をお通り下さいました今日の結構な笠岡の道の姿があるのも祖霊様方が真実を尽くして下されたお陰と日は朝夕に御礼を申し上げると共にたすけ一条の上に努め励ませて頂いておりますその中にも本日は秋の霊祭を執り行う日柄でございますので御前に心づくしの種の物を供えて只今はおつとめ奉仕人一同親神様の御前にててをどりをつとめさせていただきました続いて祖霊様方の御前に座を移し在りし日を偲び御遺徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下さいまして祖霊様方にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年笠岡では次なる塚教祖百四十年祭に向かっておぢばがえりを主眼に置いて活動を推し進めそれぞれに人だすけのための勇んだおぢばがえりをさせて頂いておりますその中にもいよいよ来月十月二十六日には諭達第四号をご発布頂きます年祭に向けて笠岡一丸となって成人の旬たすけの旬たる三年千日活動を勇んでつとめ仕切っての成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒祖霊様方にはどんな中でも親孝心一筋でたすけ一条に邁進する皆の真実の状をご覧下さいましてより一層笠岡のたすけの道が延び広がりますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年秋季霊祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者横山逸郎淺野明教賛者上原繁次指図方上原繁道詰所かかららののおお願い詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ずご連絡ください部内教会信者に徹底願います区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半前会長様中島誠治山野弘実虫明立生岡田誠三代温生大教会長様岡﨑真一田中隆之武内清明上原志郎高木昭祥大教会奥様岡﨑和美前奥様吉岡八恵上原順子山野なつ上原浩岡﨑治喜淺野明教田林久嗣上原繁次森本忠善谷内伸自山田敏教三島渉杉原善朗吉岡誠一郎赤木素志森本冨美子岡﨑豊子武内正美田中つかさ横山小智榮上原千枝子大教会だより教会指令任命願出雲分教会前任鳥谷秀夫新任高島哲雄奉告祭承認第九七三期修養科教養掛主主任副副主任一ヶ月目主佐藤真孝大教会准役員芳井分教会長副三阪泰人福岩分教会長二ヶ月目主門脇元教大教会役員高島哲雄氏島根分教会長副瀬藤友昭大惠山分教会長三ヶ月目主中島誠治大教会役員鶴山分教会長副三代信行米美分教会長修了者照陽吉岡稜真立教年秋季大祭参拝は月福山大教会長様髙屋岡﨑真一神邉中島誠治島根上原繁道久松佐藤道孝鶴山上原繁道弥髙山大教会長様陽備武内正美摩耶大教会長様金浦大教会長様興明武内正美ひろさと上原繁道陶山田中隆之芳井大教会長様海松ヶ岡上原志郎東悠佐藤道孝吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備神免前会長様中島誠治佐藤道孝上原繁道門脇元教上原繁道岡﨑真一上原志郎上原志郎岡﨑真一岡﨑真一中島誠治田中隆之中島誠治上原繁道上原繁道岡﨑真一田中隆之前会長様去る月日の明け方時前少し身体に異変を覚え熱を計ると度の発熱やばいこれはコロナかもその日は時には仕事に出る日ですぐ仕事先に連絡し休む旨了解を貰い夜明けを待って発熱外来を受診その時点では熱は平熱に下がっていましたがその日の午後で新型コロナウイルスに感染しておられます保健所の指示に従って下さいとの連絡アララその日から日間部屋から出してもらえず缶詰め状態でした幸い家族は感染しておらず仕事先も皆陰性だとの連絡を受けホッとしました月初めの月次祭も皆様方に参拝をご遠慮頂き家族のみで勤めさせて頂きましたここ年参拝を自粛して頂き家族だけでの月次祭は回目になりますが今後どうなりますやらそれにしても全く部屋から出られない日は大変ストレスとなりますね殊にほとんど無症状だっただけに日目に仕事に出た時は兎に角元気で働けることに動ける事に嬉しい気持ちになりました間もなく教祖年祭に向けての諭達が御発布されますそれぞれの立場で嬉しい嬉しい年祭活動にしたいものですねと無理矢理結びました教祖年祭本部巡教日時巡教員対象者服装月日月午後時本部員井筒梅夫先生大教会おつとめ奉仕人教会長夫妻布教所長対象者は万障繰り合せてご参加ください大教会役員承事以上羽織袴男性ハッピネクタイ女性これに準じた服装なお月月次祭後の祭典講話はありません教祖年祭の検索結果件教祖年祭活動に向け教会未来プロジェクト始動神崎大教会神ェク崎ト大教を会立ち藤上原げ親た蔵会は教祖年祭活動の取り組みとしてこのほど教会未来プロジ大こ前教れに会はいたます教みけ会ち委の員とと会しもがてす企立画べ教きしこたとも年のを月踏号ま掲え載の部内両教統会領イがン教タ祖ビュー年祭教活祖動百を四勤十め年て祭い三け年る千よ日うを人そしよがのう参第と加意し歩見とを事し交前てわにし配た布したのね大り教あ会いシ次ー祭トのを後もにと教に会教夫会妻のを現対状象をと見しつ神ため崎ね大り年教あ祭会い活を動中実へ村施の社糧友に動画教祖年祭に向かって埼玉教区創立周年記念大会年月日教祖年祭活動に向けスローガンお願いづとめ喜びおたすけ委員会決北海道教区北この海道たび教区す奥べ村て尚喜び教区すべてでおはたす管け内教北会海が道一教手区一つのにス教ロ祖ーガン年祭を活掲げ動たを推進するうえから教バ中内のも祖ッ教ジ喜年友び祭がを活ひす動種なべの類がて要作た人は成をだし胸す教にけ祖全にの教共歩ひ会まなににれが配年たた布祭し活を年た動常をにで進心あめにるよ置うく今とこ回いとうでスもあロのりーガ北スひン海ロなを道ーが掲教ガたげ区ンとたが意は加表図地記はど代さの表れ教よ社た区う友管缶な
かさおか

『かさおか』第61巻 第9号

稲瀬分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう学生生徒修養会高校の部年ぶりに開催月日から日まで親里で学生生徒修養会高校の部が開催され笠岡からは人が受講した学生らは泊日の日程でレクチャーやお願いづとめなどを通してテーマである感謝の心を仲間と共に学んだ尚受講生とスタッフは以下のとおり受講生田中千洋福山今川楓今川七里金浦猪原美紀門司港スタッフ田中舞福山武内ゆり高屋学生担当委員長上原繁次陽だまりグレープジュースビエンブドウ畑の間の小道を駆けて行くと時折海から吹く風の中に潮の匂いと饐えたようなブドウの匂いが混じっていたラジオ体操のカードにハ書いてあったンコを押してもらうとすぐいつものボクは胸をときめかせながら色を愛木をチェックしに行くのがボクたちので香りを嗅ぎ一口飲んだその途日課だった運が良ければそこでカ端何じゃこりゃと友人には悪ブトやクワガタを捕まえることができいが失笑してしまったのであるたのだそれはかつてボクたちから飽きら昭和四十年ごろボクたちの故郷でれ疎まれ天然酵母菌と密かに深い栽培されていたブドウは主にキャン仲となり冷蔵庫の片隅でブクブクとベルアーリーという品種のブドウでアルコール発酵していたあのキャン噛むと少種の回りが酸っぱいが素ベルのジュースとそっくりだったの朴で爽やかな香りと程よい甘みを持っであるしかしもう一口飲むと芳香た黒いブドウだった暑い夏の盛りと優しい甘さが口中に広がった世の我が家では生産者が出荷するために中には余りにも身近にあり過ぎてその摘み落とした粒を分けてもらい大き値打ちに気づかず低く評価されていな鍋で煮込み濾した後砂糖を加える物がたくさんあるんだろうなあとて冷やすという本格的な濃縮ジュース思いながらまた一口飲むとあの潮風を作っていたいいなあと思わとブドウの匂いと共に夏の思い出がよれる方がいるかもしれないが夏にはみがえってきた麦茶かそれしか飲ませてもらえなかったために飽いてしまい冷蔵庫のドアポケットにいつまでも残っていた大人になり友人からお中元が送られてきたきれいなラベルが貼られた濃縮タイプのグレープジュースだった高原の清冽な気候に育てられた爽やかで芳醇なフレッシュジュースです良く冷やしてお召し上がり下さいとブログ版陽だまり語録をご覧になりたい場合はスマホやパソコン等で陽だまり語録と検索されるか下記アドレスをしてください詰詰所所かからののおお願願いい詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ずご連絡ください部内教会信者に徹底願います学担当委員上原繁次以上宜しくお願いいたします学がそれぞれの教会のになれるよう会活動を進めて笠岡の学だけが教会に集まって開催する事は少なくとも年は開催していませんですので今回の事は未知の領域ですポスターの教会様と共に新しい歩を踏み出したいと思いますので会様からも動員の声かけ宜しくお願いいたします当日は動きやすい服装と運動靴でお越こし下さい屋外の時間も有親管内校は参加できません許可が取れないため笠岡学担当委員会より開催の笠岡学会のについてのお願いと補をさせて頂きます八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしを楽しみに天然自然のお働きを通して絶え間なく御守護を下さっているばかりで無く常に親心をおかけ下され陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日の生活の中で常に親心と御守護を感じ日夜お礼を申し上げると共にご恩報じを念じてたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てたるおつとめを勤める日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて八月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに残暑厳しき中も厭わず寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年の夏はコロナ感染者がこれまでになく増加している中おぢばで夏休みこどもひのきしん鼓笛オンパレード学生生徒修養会高校の部等の様な行事が開催されました笠岡としてもそれら行事に参加させて頂く事でわずかながらもおぢばを賑やかにさせて頂けたのではと喜ばせて頂いておりますただその反面参加者の中からコロナ陽性者が出たり予定していた行事の開催を断念せざるを得なくなったりと厳しい姿もお見せ頂いておりますこれらも全てたすけてやりたい陽気ぐらしをさせてやりたいとの親心からお見せ頂く姿だと信じ凭れきってコロナを言い訳にせずなお一層成人の歩みを推し進めるべく努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には厳しい状況をものともせず親孝心一筋にたすけ一条のご用に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上により一層の御守護を賜り世界中の人が親心に触れ一列兄弟の理に目覚めて互いに欲を忘れ助け合って陽気ぐらしが味わえるようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますまいります立教百八十五年八月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者横山逸郎渡邉隆夫賛者上原繁次指図方門脇元教講話なし十月講話世話人先生区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半谷内伸自上原浩今川昌彦森本忠善吉岡誠一郎横山逸郎杉原善朗渡邉隆夫岡﨑治喜大教会長様門脇元教田中隆之上原繁道今川昌彦三島渉吉岡壽山野弘実森本忠善田中ますみ門脇加津武内正美今川佐智子横山小智榮吉岡八恵上原順子室悦子田中つかさ淺野明教佐藤真孝上原繁次武内清明淺野明教山田敏教佐藤道孝中村道德三代温生中村剛虫明立生杉原善朗吉岡誠一郎高木昭祥内海史郎上原浩田中隆之岡田誠岡﨑豊子谷内美知子中村初美武内正美山野なつ高木孝子門脇加津笹尾一美三島照美ている東京にモスクコーヒーというトルココーヒー専門店がある東京ジャーミーというイスラム教の聖堂横にキッチンカーで出店していたが今は下北沢に移転した店主は日本人であるおよそ年前コーヒーの始まりはジェズヴェまたはイブリックという小さな鍋で細挽きのコーヒー豆を煮出して飲んでいたようでトルココーヒーはユネスコ無形文化遺産と言われトルコには他人に親切にせよという意味で杯のコーヒーにも年の思い出という諺があるトルコ語でにはかなり大きな数という意味があり年の思い出とは長年の思い出ということになるつまり他人に杯のコーヒーをご馳走するだけでその親切をなにかにつけて思い出してもらえるものだという教えになる私も縁あってトルココーヒーの世界を楽しんでいる一人ヨネスケのとなりの晩ごはんでは無くユネスコなんたらであるほ
かさおか

『かさおか』第61巻 第8号

稲倉分教会平成年月日神殿建築奉告祭本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せようこかん様に続く会開催笠岡女子青年山野奈委員長は月日でこかん様に続く会を開催女子青年人担当者人の計人が参加した支部長様からのお話では絵本世界はつの生命からはじまったの内容を基にして元の理についてわかりやすく教えていただきましたその中で朝起き正直働きを守って毎日を健康に過ごし自分に与えられた女子青年支部長様のお話の振り返り役割を全うする細胞のように自分にできることを人のためにという気持ちで行動することが陽気ぐらしにつながるのだとお聞かせくださいましたお話の後には振り返りとゲームを行い笑いの絶えない楽しい時間を過ごすことができましたまた担当の奥様方が豪華なお弁当を作って下さり各自持ち帰っておいしくいただきました今回は午前中のみの開催となりましたがたくさんの方が参加してくださり充実した会にすることができまし支部長様を囲んでギャルピース延長タイブレークを制し笑顔のナインた支部長様をはじめ担当の奥様方声をかけてくださった方参加してくださった会員さん本当にありがとうございました女子青年副委員長岡﨑真実笠岡ワールドブラザーズ全教野球大会出場権獲得笠岡ワールドブラザーズ福島大介監督は月日全教野球大会岡山予選に臨み笠岡市営球場で支部合同チームと試合を行ったゲームは序盤こそ点を取り合ったが両チーム好プレーが続き回以降は対のままスコアが動かずついには延長タイブレークにもつれたタイブレークで点を取られるものの繋ぎの野球で点を取り返しサヨナラ勝ちを収めたこれにより笠岡ワールドブラザーズは全教野球大会の出場権を獲得した笠岡上原繁次試合前でもリラックス人で掴んだ優秀演技賞むつみ鼓笛隊金賞受賞夏休み期間中の土日おぢばでは特別企画鼓笛御供演奏オンパレードが開催され笠岡むつみ鼓笛隊責任者上原繁次は月日に御供演奏とオンパレードに出演した過去年間こどもおぢばがえりの中止に伴い夏の鼓笛行事も中止となっていた事から年振りの出演となった同隊では行事中止により出演できなかった卒業生の分も頑張ろうを合言葉に月より練習に励んできた当日は朝から大変暑い日となったが御供演奏ではテーマソングありがとう夏のおぢばを他の隊と供に心を合わせて演奏演技したその後のオンパレードでは幾度となく練習を積み重ねてきたをおぢばの空に響かせた結果見事に金賞を掴み取り隊員スタッフらは喜びの涙に包まれたまたポンポンの部では小学校年生人だけだったにも関わらず優秀演技賞を受賞するという快挙を達成した笠岡むつみ鼓笛隊責任者上原繁次年振りの集合写真みんなの思いを乗せての演奏演技大教会だより人事付印は本部からまたは過日に発令印は辞令はない会長室室長上原愛美室員上原志郎岡﨑真一今川昌彦上原喜三接待掛主任岡﨑和美掛員門脇加津吉岡八恵山野なつ田中つかさ上原千枝子今川直子森本ひふみ桑田恵美子神事部部長副部長部員岡﨑真一今川昌彦上原志郎上原浩田林久嗣高木昭祥岡﨑輝彦淺野明教内海史郎今川佐智子上原順子谷内秀自岡本善一西村靖彦雜賀元生雅鶯会楽長副楽長相談役楽員田中隆之山野弘実北川治史中島誠治森本忠善武内清明虫明立生岡﨑治喜森本実谷内秀自中村剛史藤井正仁藤井保人枝廣隆文掛谷宣和矢田哲一猪原啓介三代幸徳森川道弘三代拓己高橋徳行仙田勉仙田公男余村元渡邉泰造髙田一弘渡邉孝信田中正之森本孝志藤井成人原正彦北川茂久会計部部長部員佐藤道孝上原志郎今川昌彦武内清明庶務部部長副部長上原繁道岡﨑真一今川昌彦部員山野弘実武内清明岡﨑治喜藤井正仁枝廣隆文吉岡貞彦藤本芳久三代信行渡邉泰造髙田一弘友井道弘友井正人名簿諸統計担当岡﨑真一今川昌彦武内清明友井道弘事情願書担当上原繁道枝廣隆文三代信行渡邉泰造法人実務担当上原繁道山野弘実岡﨑治喜藤井正仁デジタル推進担当山野弘実藤本芳久髙田一弘岡﨑邦夫布教部部長副部長部員田中隆之虫明立生佐藤真孝山野弘実田林久嗣高木昭祥渡邉隆夫室悦子武内清和西迫宏哉鳥井利昭福島大介北川治史瀬藤友昭三代幸徳高橋徳行渡邉泰造藤本知加子海外部部長上原志郎副部長部員吉岡誠一郎佐藤真孝上原順子上原千枝子北川壯一三代幸徳津森朋之武内敬教宮本正明鳥井悠加丸山隼人史料部部長部員門脇元教上原繁道中村道德山野弘実虫明立生山田敏教淺野明教上原繁次三代温生上原喜三藤井正仁吉岡輝昭藤本芳久津森朋之友井道弘大月道昭笠岡の道編纂委員会委員上原繁道門脇元教山野弘実上原繁次岡﨑治喜管理部部長副部長部員虫明立生上原一始藤井正仁門脇元教今川昌彦山野弘実横山逸郎森本忠善中村義太郎赤木素志上原繁次岡﨑治喜武内清和中村剛史藤本晴司藤井保人掛谷善成掛谷宣和矢田哲一三嶋正教北川治史藤本芳久雜賀元生渡邉泰造丸山正人北川茂久防災危険物ボイラー佐藤道孝上原志郎岡﨑治喜上原一始電気管理責任者桑田則昭車両管理今川昌彦上原一始信者部部長副部長部員上原愛美今川佐智子上原順子岡﨑和美上原千枝子上原一始中村理恵上原美可育成掛主任掛員武内正美上原繁道吉岡壽佐藤道孝門脇元教中村剛田中隆之中島誠治谷内伸自杉原博之三島渉横山逸郎森本忠善高木昭祥山田敏教赤木素志渡邉隆夫岡田誠内海安子門脇加津室悦子詰所掛主任副主任掛員上原理一上原澄雄上原きよの上原喜三編集掛主任山野弘実副主任虫明立生掛員岡﨑真一内海史郎上原繁次上原喜三藤井治喜吉岡輝昭瀬藤友昭本多正悟余村元村川久美子香取雅人時宗一実友井道弘教養掛主任副主任掛員中島誠治門脇元教武内正美田中隆之吉岡誠一郎山野弘実森本忠善田林久嗣中村剛史婦人会支部長常任委員上原きよの武内正美上原愛美上原順子岡﨑豊子門脇加津岡﨑和美吉岡八恵山野なつ田中つかさ中村理恵青年会委員長副委員長委員上原明勇岡﨑治喜中村剛史三代幸徳上原喜三上原一始余村元田中正之重政理治森本直彦森本信彦中村元彦坂井幸生高木弘毅藤井成人枝廣正寛三嶋文昭瀬藤大喜丸山優樹丸山隼人河田裕也岡秀明高信雄也少年会団長副団長委員森本忠善淺野明教藤井保人吉岡誠一郎岡﨑治喜谷内秀自中村剛史掛谷宣和三嶋正教吉岡貞彦猪原啓介雜賀元生三代拓己秀平元一上原宏恵佐藤和代藤本久美武内まさみ瀬藤三幸丸山哲子丸山智旬山田英嗣学生担当委員会委員長上原繁次副委員長佐藤真孝杉原善朗髙田一弘委員淺野明教岡﨑治喜上原喜三上原一始藤本晴司貞清知実森川道弘本多正悟下田誠輝武内ゆり藤井成人掛谷喜代子北川茂久第九七二期修養科一期講師久松中村剛史七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には一れつ子どもの陽気ぐらしを楽しみに一人ひとりに身体をお貸し下さるばかりでなく子ども可愛い親心を十分にお掛け下され天然自然のお働きを通して陽気ぐらしが出来るようにと日夜変わる事なく御守護下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はこのお借りしている身体を結構に使わせて頂ける事を朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じの心でたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はお許し戴いた七月の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には暑さ厳しき中をも厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて子ども達の中には早くも夏休みを迎えている子もいるようです今年の夏休みはコロナ感染者が増加傾向にある中ですので感染対策をしっかりとした上で夏休みこどもひのきしんや笠岡団としての夏休みこどもおぢばがえりまた久しぶりに開催される学生生徒修養会高校の部などが行われますこれらの行事を通して道の子ども達に信仰の喜びを伝える事ができるようにまず親が率先して範を示せるようにつとめ励ませて頂く所存でございます何卒親神様には旬の理を生かし只ひたすらに成人の道を歩む皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り親の背を見て育つ子ども達がよふぼくとなり共にたすけ一条の歩みを進めてくれる子に育つようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年七月月次祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者上原浩内海史郎賛者杉原善朗指図方上原繁道講話武内清明九月講話上原志郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝谷内伸自虫明立生今川昌彦山野弘実淺野明教高木昭祥岡田誠大教会長様田中隆之岡﨑真一前会長様上原浩中村道德上原繁道武内清明吉岡誠一郎大教会奥様武内正美谷内美知子前奥様吉岡八恵中村初美田中ますみ山野なつ岡﨑和美今川昌彦杉原善朗岡﨑治喜中島誠治赤木素志渡邉隆夫上原志郎虫明立生山田敏教中村剛山野弘実上原繁次三島渉吉岡誠一郎三代温生中村義太郎内海史郎佐藤真孝上原順子内海安子森本冨美子今川佐智子岡﨑豊子室悦子門脇加津三島照美上原千枝子陽だまりまんじゅしゃげ曼殊沙華ビエン秋の蒜山高原に行ってきた蒜山は難読な地名の一つだろうしかし年に姫路で開催された第回グランプリでひるぜん焼きそばが金賞に輝き一躍有名になったーグランプリはご当地グルメでまちひょうぼうおこしの祭典を標榜しているしたがって知名度が高まり観光客が増えることは本来の目的にも適いとてもよいことだと思うところが私は最近までこの大会を級グルメの日本一を決める商業主義的イベントのようなものと誤解しており恥ずかしい限りであるだからというわけではないがひるぜん焼きそのぼりばの幟を発見して迷わずに道沿いの食堂に入った店の人の応対もよく濃厚味噌だれでやや太麺の焼きそばは期待通りの美味しさだった帰路まんじゅしゃげ曼珠沙華とも呼ばれる彼岸花の群生があちこちに見られ秋の景色を一段と引き立てていただが蒜山では余りその姿を見かけなかったまあしびとばな死人花とも呼ばれ有毒な彼岸花はモグラやねずみなどの侵入を防ぎ畦を守ってくれるため人間にとっては有益であるが牛や馬にとっては余り嬉しいものではないようだ特に彼岸花の球根にはリコリンという毒が多く含まれ誤って食べると大変なことになるしかしすりおろして何日も流水にさらして毒抜きをすると良質なでんぷんが取れ飢饉の時の非常食として多くの人の命をつないできた花でもあるつなぐということは切れかかっているものを引き止めておくことも意味するだから決して安易な気持ちでできるものではない私達は陽気いのちぐらしにむけて生命のバトンを親から子子から孫へとつないでいるだからこそ親神様から貸していただいていいのちる身体に感謝し生命を大切にしなければならないのであるさてこの陽だまり語録が今回で百回目を数える連載を始めた頃は年も続けば良いと思っていたしかしがんばり過ぎずにがんばるをスタンスにしてここまで続けてこられたのはたくさんの方の暖かい応援のお陰であるこれからもボチボチとつないでいく次第だが百回目のお祝いさげはまんず酒かな陽だまり語録より著者転載ブログ版陽だまり語録をご覧になりたい場合はスマホやパソコン等で陽だまり語録と検索されるか下記アドレスを入力してください月から毎週一回夕づとめ後代の未信仰男性がお話を聞きに教会に足を運んで下さっているその男性は仕事での事情から信者さんに勧められ来られるようになった最初は本人の心の内を聞かせていただいた後かしものかりものの理などお取次ぎさせていただいたものの教会長となって年目の未熟な私はどの様にこれから教理をお伝えすればよいのか悩んでいた月の中頃初席者をお連れする車内で信者さんにおつとめをお教えしてみてはとアドバイスいただいた真っ先に人間思案が出てきた今まで順調にお話を聞いていただいたもののおつとめとなると一歩ひいてしまわれるのではないだろうかしかしこのタイミングでアドバイスいただいたのも神様だと思い直し早速おつとめの練習をさせていただこうと決めたおつとめの練習を始めてからある日第二節の練習の途中で信者さんが参拝に来られたさんは毎月欠かさず参拝下さる方であるがその日はなんだか勇めないまま教会に参拝に来たとの事だった夕づとめ後だったのでもう教会は暗くなっているだろうかと思って参拝に来たら夕づとめは終わったはずの時間にまだおつとめの声が聞こえる会長と見ず知らずの男性がおつとめの練習をしていたさんにとってその光景だけでものすごく勇ませていただいたと満面の笑顔で帰って行かれたまさに神様のお働きだと思わずにはおれなかった毎週一回の分程度の未信仰男性への教理のお取次ぎさんからのアドバイスのタイミングさんの月に一回の参拝のタイミングこれらが一つずれてもかなわなかった奇跡の勇みを体験させていただいたよ
かさおか

『かさおか』第61巻 第7号

真金分教会大正年月日豊松村宣教所設立昭和年月日移転改称本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう少年会縦の伝道講習会開催内統領先生のお話コロナ禍における活動について祭典講話に替えて人は何かが起こると誰かのせいにしたり責任を追及したり少年会武内正美団長は月月次という考え方に陥りがちだが祭の祭典講話にかえて少年会本部委員西正一郎先生を講師に縦の伝道講習会を開催した先生はさんさいやリトマガを編集する出版部の御用のほか災害救援ひのきしん隊の主事をつとめられております道の信仰者はすべては親神様のお導きなんだという思いを持ってつらい思いをしている人を受けとめてあげるような大きな心にならせていただきたい今回のふしをチャンスと受けめこれまで気づけなかったことに気づかせてもらい一人お話しの中で縦の伝道の大切さこどもひのきしんから始まるこひとりの感覚をやさしさへと変えていけばそしてやさしい心を伝える努力を心掛ければどもおぢばがえりの歴史と現状育あとは親神様が補ってくださ成会員のつとめなどについておさしづや真柱様お言葉などを引用されながらこども達にはひのきしんの喜びおぢばがえりの喜びこの道を歩むるこれしか出来ないではなくこれが出来るといま出来ることを喜ぶのがお道の考えではないか喜びというつの喜びを感じてほしいそして育成者には先を楽しみにやさしい心で道のこども達を育てさせて頂きたいと話を結ばれました以下先生が引用されたおさしづ真柱様お言葉などです二代真柱様縦の伝道についてよのもと会は横の布教のうえにしっかりと手をつなぎ合っていただきたいいちれつ会なり少年会なりは縦の伝道のうえにしっかりと杖となり柱となっていただきたいそして各自おや達は自分の乳を含ましたこどもに乳と一緒に自分の喜びを伝えてやっていただきたい皆さん方の中には親の信仰に反対しないまでもついて来ないこどもをお持ちの方があるだろう世界へ出てしまって帰って来られなくなったこどもをお持ちの方もあるだろう長男だから教会で世話をする次男だから勝手にしろという時代もあったしかしながら幾人のこどもを与えていただこうとおやの喜びをこどもに伝えることそれは最も肝心なことでありながら難しいこととされているしかし難しいからといって放っておくわけにはいきません中略横の布教の忙しさに紛れて縦の伝道を怠っていなかったか子から孫へ伝わる血の流れのようにおやの喜びはこどもの喜びでありこどもの喜びは孫の喜びであるというようにこの道は続いておってこそ道と言えると申したい逸話篇間違いのないようにどのようにして信仰を伝えるか間違いのないように通りなさい間違いさえなければ末は何程結構になるや知れないで間違いのないように通るには地図や先導者が必要この地図にあたるものが教祖のひながたであり先導者にあたるものは育成者おさしづ信仰の元一日を忘れない神の自由して見せてもその時だけは覚えて居るなれど一日経つ十日経つ三十日経てばころっと忘れて了う小さい時に身につけたものは一生の土台になる上原佐助小人出物の障りに付願もう道というは小さい時から心写さにゃならんおぢばは親里運ぶ者も満足受雅鶯会け取る者も満足小さな運びも大雅楽講習会開催きく受け取って下さるそして満足の理から芽が吹くこれがおやの思召雅鶯会田中隆之楽長はコロナ禍この所は親里をやとは深き理の影響で中止を余儀なくされていた雅深き理なら心の理を運ばねばな楽講習会を月日大教会で開催講らん口で説いてばかりではを師人会員人が参加したやの理とは言わん一時の理を午前時開講昼食をはさみ午後以て些かの処運んでくれる処は十分に受け取る日に尽す処運ぶ処年という中略いかなる者も出て来る出て来たなれば暑ければ暑かろう寒ければ寒かろうと満足さすがをやの理満足すれば一所やない世界に映る不足で行くくすれば理が消えて了う何処までも皆満足集まって道と言うこれだけ一寸話して置こう満足十分さしてやってくれにゃならん満足の理から芽が吹くでこれをよく聞き分けてくれ時まで各管に分かれて練習その後合奏を行い午後時閉講した夕づとめ後感染症対策を徹底したうえで親睦会を行った今回は一日のみの講習会だったが講師の熱意あふれる指導のもと受講した会員も終始真剣に練習に取り組み充実したものとなった雅鶯会員山野弘実前列左から滝川先生篳篥浪速分眞心分田中楽長住田先生龍笛名東大賀竹分森川先生鳳笙笠岡大弓ヶ濱分詰詰所所かかららののおお願願いい詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ずご連絡ください笠岡の道編纂委員会史跡探訪実施笠岡の道編纂会議は毎月日に開催しているが大阪上原家備佐時代の史跡を訪ねてみるという事で月日実施した思えば大教会史は出来上がってはいるが史跡を訪ねたのは筆者のみしかも私費で行ったので今回大教会の公費でしかも若手気鋭の編纂者人大教会長さんとのコンビで行えたのはまことに前代未聞の事であったそれだけ笠岡の人にはあまり上原家の成り立ち歴史を知る心持ちが薄いという事なのかそれとも今更初代様佐吉様がどんな暮らしをどこでしておられたのかエエヤないかという事なのか今回千載一遇のチャンスと笠岡を日朝時半出発した他の編纂委員大教会長さんはおぢばという事で編纂委員最古参の私と写真動画記録担当の者と人眠い目をこすりながら早朝時分からの神殿掃除時からの朝づとめ出させて頂いた午後時過ぎやっと大教会長さんが車に乗って下さり天理を出発時過ぎ長堀の地下史料部駐車場に車を預けて地上に出るかん移転縮小した西店はこのあたりですかん照りの中長堀中橋の碑を探す言うなりあちこち写真ビデオ取りに歩あった年程前と同じ所に同じ格き回る元気やな年程前の僕みたい好でこの中橋の北詰に佐吉先生がやとサングラスで隠した目でその姿有余年勤められた備嘉の店があり南を追うじゃ新町の西店に行きま詰に佐吉先生は暖簾分けで家屋敷を備ひょかとまたてくてくと歩き始める嘉から戴き畳表の商売を始められた分ほどしてはいここです国まこのビルが本店とすると明治勢調査員のファイルに挟んだメモをみの初め頃には中橋南詰一帯に数十棟ながら記録写真記録ビデオこのの倉庫が在ったという事なんや最古あたりは西区でここの警察署に島村伊参が遠くを見るような目つきで話す助先生は務めておられた備佐の西店其の後鰻谷筋を西に歩き心斎橋筋左を知っていたと笠岡に来られて仰っに折れて南へ雑踏をかき分ける様に進たと最古参が話すふと橫を眺めるむソフトクリームコーヒーカップ片とネムノキがあってピンクと白の手の若い人ばっかり新進気鋭の編纂可愛い花がしっかりと咲いている芳者達も歳年取って見えるハイこ井の教会から美星に上がるの谷筋にのあたりが佐吉先生が住まわれていたようけいあるんやでと余分な蘊蓄も隠居所です時間節約のために写真語る大分バテテいるみたいふと時記録員は何故か国勢調査員と書いたフ計を見ると時を廻っている大教ァイルに挟んだメモ用紙を眺めながら会長さんが時までに天理にと言って言うなりビデオカメラで忙しくあちおられるのでそろそろ長堀の本店跡にこちからその角地を撮影するそれ帰らんといけんなという事で帰路にでは次ぎに新町の西店破産を前に規着いたのはよかったけど田舎者で模縮小して移転した西店のあたりを見大阪に住んでいたという人も土地勘がに行きましょうこの時点で最古参はにぶっていたのか道に迷って長堀中暑さと人いきれ睡眠不足でなんとな橋に皆ぐったりとして帰り着いた誰くダルダル長堀通りまで北上して一言うとなくワイらの記念撮影という事路西へまず公園に名前忘れ到着で中橋の年前と変わらぬ碑を中心に一枚パチリほんじゃ今日はここまでとしよう難波まで天理帰りは歩くそれとも地下鉄で行く難波天理の団参券は渡しておいたのですが笠岡帰りは地下駐車場にもぐって乗車帰ってきました大教会長さんはじめ数人の方に笠岡の歴史の最初をチョボッと覗いて貰ってよかったです笠岡の道編纂委員また元史編纂委員大教会史執筆者上原繁道中橋跡と備佐のあった場所六月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護により木の緑が色濃くなる時期となりじわじわと高まる気温と湿度に夏の訪れを感じながら日結構に恙なく暮らさせて頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はかしものかりものの喜び感謝の心一杯に朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じの心でたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は理のお許しを戴いた月に一度の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同心を一つに睦び合わせて明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて六月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年も夏のこどもおぢばがえりの季節が近づいてまいりました残念ながら今年もこどもおぢばがえり自体は開催されませんが夏休みこどもひのきしんやみちのこサマーステージ鼓笛お供え演奏鼓笛オンパレードなど様な行事が夏のおぢばにて計画されておりますおぢばで開催されるこれらの行事をしっかりと活用し道の子ども達に信仰の喜びを伝える事ができるようにつとめ励ませて頂く所存でございます何卒親神様には陽気ぐらしを目指して道の後継者の育成に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜り一列兄弟が助け合い睦び合う陽気ずくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年六月月次祭祭典役割表祭主大教会長様吉岡誠一郎扈者虫明立生淺野明教賛者岡﨑治喜指図方田中隆之講話吉岡壽八月講話布教推進講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝中島誠治今川昌彦三島渉山野弘実森本忠善三代温生岡﨑治喜杉原善朗大教会長様上原志郎門脇元教前会長様谷内伸自吉岡誠一郎上原繁道横山逸郎虫明立生大教会奥様谷内美知子門脇加津前奥様岡﨑和美室悦子田中ますみ田中つかさ吉岡八恵上原浩上原繁次佐藤真孝杉原博之山田敏教内海史郎中村剛高木昭祥岡田誠田中隆之中村道德上原繁次吉岡壽三代温生淺野明教中村義太郎武内清明赤木素志武内正美岡﨑豊子横山小智榮上原順子笹尾一美上原千枝子今川佐智子中村初美山野なつ修養科生の声心の向きを変える為に海松ヶ岡分教会池田靖和月日に教会本部修養科第期を修了させていただきました修養科志願にあたりヶ月やっていけるのか不安でしたが一期講師の先生教養の先生クラスメイト詰所内の皆さん同室の人のおかげで充実した日を過ごすことが出来ました言うまでもなく親神様教祖の回廊ホジック御守護がありお連れ通りいただけたもに参拝させて頂き別の日には夕勤後のと思いますの教祖殿での御手直しにも行き貴重教典教祖伝の講義では各章ごとな体験でしたにわかりやすく細かく解説してくださ教祖誕生殿や大和神社三昧田の教りいままでよりも理解が深まったと会にも連れて行って下さりありがと思っていますみかぐらうたの講義でうございましたは各下りのテーマ首ごとの意味このヶ月の経験習ったことを無又使われている大和言葉の意味を教駄にしないように心の向きをおぢばえて頂きました大和言葉が解るとに向けて日を通らせていただけたらお歌の解釈がしやすくなったように思と思いますいますまた希望者のみですが私は布教註回廊ホジックとは薄いカー部社会福祉課の手話講習を受講させてドのようなもので回廊の板の隙間いただきました短い時間でしたのでのほこりをかき出して集めること基礎部分を少しだけ教えていただけただけでしたがなかなかに難しいものでしたようぼくの歩定時特別ひのきしんでは本部浴海松ヶ岡分教会藤原優人場清掃神殿トイレ清掃回廊拭き回私が修養科を一文字で表すとしたら廊ホジック註西地下清掃とい学です理由はいろんな事を学ろいろなことをさせていただきましばしてもらったからですた個人的には回廊ホジックが楽し月日に笠岡詰所に着き月くて時間が経つのが早かったです日に修養科に入りました詰所に着い修養科生の特権である朝夕の神殿掃た日から日がとても長く感じ早く除では東礼拝場の畳の掃除機掛け担修養科が始まってほしいと思いまし当でした広い上に時間も限られてたいるのでなかなか大変でしたそして修養科が始まり教典教祖月日にははえでのおつとめ伝みかぐらうたおてふりホームルームねりあいの授業をしましたねりあいでは教典教祖伝で疑問をグループ内で話したり教祖伝逸話篇や教祖伝の中の出来事を今まで自身に起きた事と照らし合わせて修了後どのようにしていくかを話しました鳴り物の練習の授業では太鼓ちゃんぽん拍子木すりがね小鼓の正しい打ち方を教わりました私が一番苦労したのは朝の神殿掃除です最初は出発が時ぐらいだったのが日出が早くなり最後には時に出発という風になりました私は朝が苦手で日に時間が早くなっていき起きるのに苦労しました逆に楽しかった事は第一食堂のひのきしんです食堂ひのきしんではモロ蓋を拭いたり食洗機から流れきたお皿を仕分けして乾燥機の中に入れる作業をしました最初は熱くてあまりできませんでしたが次第に慣れていき勤務の方と同じような速さでできるようになりましたまた同じひのきしんに当たっている人と仲良くなり一緒にご飯を食べに行く事もありました修養科の最中にいろんな方から差し入れをたくさんもらったりクラスごとのひのきしんも楽しかったですそして月日におさづけを拝戴させて頂きましたこれも担任の先生方教養の先生方のおかげです修養科を修了してようぼくになった今一日一日ひのきしんをし教会の朝づとめをつとめ親神様のご守護のありがたさを思い勇んで通りたいと思います最後になりましたが修養科で応援して下さった方詰所の先生方誠にありがとうございましたやっぱりお道が好きだなぁ福勇分教会酒井實この度年振りに度目の修養科へ出させて貰いました会う人毎に何んで今更どうしてと色声を掛けてもらいましたが私自身何とか新しい修養科生の一人でもと頑張って居りましたがそれも叶わず結局私一人で出る事と成りました久し振りの修養科生活も昔と大分変って居るし年齢も年齢だし最初は少し戸惑いもありましたしかしヶ月つとめる間には新たな出合いも沢山あり笠岡の若い人達る事はないかと思いいろいろと考中である考えが浮かびましたおさ始めクラスの同期の人達にもたすけらえさせて頂きました考えた結果残づけで本当に人は助かるのか意味はれ何とか最後迄つとめる事が出来まりの期間でたくさんの人におさづけあるのかそう疑問を感じるようにしたを取り次がせて頂こうと思いましたなった私はおさづけをしている理由ヶ月に亘り詰所の先生方始めが決断をしたはいいものの私はがわからなくなりましたそこから私人の教養掛の先生方にも色お仕込み人におさづけをあまり取り次いだが思っている疑問をいろんな人に聞い頂き新しい発見も数多くありました事がなく最初はクラスの人にさえおてみましたそうしていろんな人と話残り少ない人生ですが心新につとさづけさせて頂いてもいいですかをしているとある人がとにかくおめさせて頂きたいと思って居りますと声をかける事に緊張してなかなかさづけを取りつがしてもらいなさい最後にやはりこの道が好きだと言えませんでしたしかし決めたか必ずわかってくる事が増えてくるか云う事がわかりましたらにはしっかりとさせて頂こうと思らと言われましたただその話をありがとうございましたい緊張しながらではありましたが聞いた時にはまだおさづけに対する毎日クラスの方におさづけを取り意味がわかりませんでしたそうし御守護を感じたヶ月次がせてもらいましたて日日が過ぎていきましたそそしてヶ月に入った頃私の中での期間もおさづけをやめることなくや木津和分教会丸山智旬他のクラスの人にも声をかけておさり続けました私は月から月末まで修養科づけを取り次ぐという思いになりま月に入った時でしたその日は本期生としてふせこみをさせて頂きましした最初はクラスに声をかけた時と部員講話で撫養大教会の圡佐先生のた修養科へ来るまでは教校学園を同じく緊張していましたそれに他話を聞かして頂きましたその話の中卒業して少年会本部で年勤務をしクラスという事もあり喋った事がなで圡佐先生がおさづけをするから身ていましたおぢばでの生活が長かっい人や声をかけても断られるのではな上がたすかるのではないおつとめをたという事もありしんどい事や大変いかなどと考えとても勇気がいりまして理を頂いておさづけをする事にな事はありませんでしたその為修したしかし実際の所声をかけてみ意味があるのだと言われました私養科生活も毎日楽しく過ごさせて頂くるとよろしくお願いしますと受けはその話を聞いておさづけについて事が出来ましたて下さる人が多くおさづけが凄く取の考え方が変りましたその日以降しかしヶ月が終わりにさしかり次ぎやすかったです私は神殿でおつとめをする際今までかった時私はこのヶ月何もせずそんなある日の事でしたいつも通以上に丁寧にさせていただくようになに終わるのはもったいない何かできりおさづけを取り次いでいると私のりましたそれを続けながらおさづけを毎日取り次いでいると担任の先生からクラスの方で身上を持っている人の病院に行く回数が減ったと言う話を聞きましたまた他のクラスの人がヶ月目は車いすで修養科に来られていたのにヶ月目には自分で歩きながら来られている姿を見たりしました私はその姿見て信じておさづけを取り次げば神様は御守護下さるのだと思いました修養科生活を通して目に見えて感じたこの御守護は私自身すごく勉強になりました修養科生活が終わっておぢばを離れても学ばしてもらった教えを実践できるように今後も進んで通らせて頂きたいと思います大教会だより第九七期修養科教養掛主主任副副主任一ヶ月目主岡﨑真一大教会役員副貞清知実三郡分教会長二ヶ月目主岡﨑治喜大教会准役員弥髙山分教会長副竹本和道福芦分教会長三ヶ月目主横山逸郎大教会役員東城分教会長副髙田一弘眞府分教会長修了者海松ヶ岡池田靖和海松ヶ岡藤原優人福勇酒井實木津和丸山智旬終講木津和丸山智旬お詫びと訂正本年月日発行のページ五月月次祭祭文の末尾の段落がそのまま欠如しておりましたので次に追記いたします何卒親神様には陽気ぐらし建設のよふぼくとの自覚を持ってたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜り助かりたいから助けたいへと心が変わって人皆助け合う陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます教人資格講習会修了者
かさおか

『かさおか』第61巻 第6号

香地華分教会昭和年月日移転改称昭和年月日落成奉告祭本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう笠岡支部第回総会開催婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月日新型コロナウイルスの感染対策をする中対象者を委員部長と代表会員人に制限し婦人会員人の参加を得て第回総会を開催しました婦人会ではコロナ禍によって活動が制限される中もひながたを辿り陽気ぐらしの台となりましょうとの成人目標の元元をたずねご恩報じの日をを活動方針に掲げ何からでも自分にできるご恩報じの実践を申し合わせて活動を推し進めてきました当日は新緑の香る心地よい風が吹く素晴らしいお天気のなか午前時上原きよの支部長の手に合わせて親神様教祖祖霊様を礼拝し引き続いて三代真柱様のみかぐらうたの地歌に合わせ座りづとめ婦人会とよろづよ八首を勤めさせていただきました式典では大教会長様前会長様をお迎えし中村理恵委員の開会の辞に続き興明委員部長吉岡八恵さんによる会務報告その後の支部長挨拶の冒頭では婦人会本部からのお祝いの言葉を披露された後改めて参加した婦人会員に労いの言葉を述べられ人数を制限しての総会となったが久しぶりに大勢の委員部長と共に年に度の総会を開催できたことを大変嬉しく思うと喜びを伝えられましたまた大教会長様前会長様のご臨席をいただき開催できたこと今日の日を迎えられたのは先人先輩方のご苦殿内の懸垂幕座りづとめよろづよ八首心の賜と謝辞を述べられこれからもしっかりとこの教えを継ぎ自らの心の成人とまだ教えを知らない人への働きかけの道が途切れる事なく続くよう願われそのためにも女性の徳分を生かし温かさ柔軟さ忍耐強さを身に付け日育ての上に低い心でその徳分を発揮させてもらいたい教祖が人を育てる上でのお心配りなさり方を手本として教祖のひながた教えをしっかり学び自らも育ちながら努めるよう話されました続いて本年月の本部総会で婦人会長様は歴代真柱様のお言葉を紐解きながら婦人会活動の根本は道の子を道の子らしく育て上げることその骨折りを惜しみなくやることとお聞かせくださりそのためには子供を育てる上でのしっかりとした信念育て上げるという強い覚悟を持たせていただくことの大切さをお促しくださった今こそ道の婦人がその使命である道の子を道の子らしく立派なようぼくに育てる上でどうしたら良いかを談じ合いどの婦人も道の子を道の子らしく育てるという自覚を持って育てていただけるよう丹精することを課題とし真剣に取り組み共に歩ん支部長挨拶大教会長様祝辞でくださる道の台を一人でも多く増や続いて大教会長様は伏せ込みにつしていきたいそして何よりもまずいて分かりやすくお話しくださり会日のご守護への報恩の心をしっかり員の皆様が今年度の笠岡支部の活動心に治め日のご恩報じを喜びの心方針である伏せ込みおぢばがえりから始めさせていただきこれからもを軸としておぢばに心を繋ぎひのきし皆様と共に教会家庭を支える道の台んを通してしっかりとした陽気ぐらとして成人させていただきたいと述しの台となるよう期待したいと祝辞べられましたを結ばれましたさらに本年月日の女子青年大続いて吸江委員部長西村由理子さ会に向け信仰を継ぐ若い方を育てるんが会員を代表して誓いのことばを絶好の機会であることまた支部活動述べ婦人会第回総会の婦人会長様として努める伏せ込みおぢばがえりひのお話からできないことばかりに目のきしんへの会員の皆様に向けた声がを向けるのではなく今何をすれば良けをお願いし挨拶を終えられましたいのかを考え実行に移すことの大切さまた自身の身上を通して改めて親神様のご守護教祖の親心に守られている喜びを実感し活動方針であるいつもニコニコ婦人会を胸に今まで以上ににをいがけおたすけに励み共に道の台として歩んでくださる婦人会員を一人でも多くご守護いただけるよう実働を誓いました最後に婦人会歌を黙唱し海松ヶ岡委員部長森本ひふみさんの閉会の辞をもって閉式しました参加者はお弁当と味噌汁お茶手作りクッキーお下がりのゼリーを受け取って散会お茶とクッキーには誓いのことば愛美奥様デザインの可愛いシールが貼られていました各委員部へは記念品として三味線と胡弓の糸が渡されました総会開催にあたり会場設営や調饌の上に大教会長様を始め多くの方のお手伝いひのきしんをいただきましたこと紙面をお借りして御礼申し上げますまた駐車場係として青年会の皆様受付託児にひまわり会女子青年の皆様にひのきしんいただきました有難うございました常任委員田中つかさ参加者に配られた弁当など五月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心一杯の御守護により日は結構に恙なく暮らさせて頂いております特に今は朝は少し肌寒く感じられますが日中は清しく晴れやかな素晴らしい季節をお与え頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はかしものかりものの喜び感謝の心一杯に朝夕に御礼申し上げると共に世界一列を救けたいとの親心にお応えすべく御恩報じの心で世界たすけのご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は此の教会の五月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めさせて頂きます御前には今日の日を待ちわびて寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は直轄教会に巡教をさせて頂きぢば一つに心寄せるべく人だすけのためのおぢばがえりの実践を通して教祖百四十年祭の三年千日活動に向かっての成人の歩みを誓い合わせて頂きました又本日は縦の伝道講習会を開催させて頂きます道の後継者育成の上に今何をするべきか少年会本部からお越し頂く講師のお話をしっかりと胸に治めてこどもたちへの丹精の糧とさせて頂きたいと存じます更に又明日には婦人会笠岡支部の総会を開催させて頂きます人数を制限しての開催となりますがひながたをたどり陽気ぐらしの台となるべく今自分にできるご恩報じの実践を全会員に徹底させて頂く所存でございます何卒親神様には陽気ぐらし建設のよふぼくとの自覚を持ってたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜り助かりたいから助けたいへと心が変わって人皆助け合う陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます詰詰所所かからののおお願願いい詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ずご連絡ください部内教会信者に徹底願いますご報告会長室去る月日に集まった万円のウクライナ救援募金を岡山教区を通して現地で医療活動をしているアムダ岡山を拠点とした国際医療チームに届けさせて頂きましたその募金に対してより感謝状が届きましたのでご報告させて頂きますこの度の皆様の真実の募金を有難うございました立教百八十五年五月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者森本忠善赤木素志賛者上原繁次指図方門脇元教講話縦の伝道講習会七月講話武内清明区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半門脇元教上原志郎田中隆之田林久嗣中村道德上原浩中村義太郎山田敏教佐藤真孝大教会長様中村剛中島誠治前会長様三島渉今川昌彦上原繁道山野弘実武内清明大教会奥様谷内美知子武内正美前奥様横山小智榮中村初美田中ますみ室悦子山野なつ吉岡誠一郎岡﨑治喜淺野明教佐藤道孝虫明立生赤木素志吉岡壽森本忠善渡邉隆夫杉原博之高木昭祥内海史郎谷内伸自岡田誠岡﨑真一岡﨑真一上原繁次杉原善朗上原順子岡﨑豊子門脇加津今川佐智子三島照美田中つかさ佐藤香苗内海安子吉岡八恵大教会だより教会指令任命願神邉分教会前任小坂静宏新任岡本善一奉告祭承認任命願上川邉分教会前任友井道雄新任友井正人奉告祭友井正人氏岡本善一氏承認教会長資格検定講習会修了者終講島中内海史郎本部食堂ひのきしん上下押尾啓司上下山野弘実上下西畑珠実
かさおか

『かさおか』第61巻 第5号

御野分教会大正年月日鎮座奉告祭本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう次代を担うおぢばの学生たち共にプレーした大教会長夫妻を囲んで記念写真行動制限なしの晴天下で行われたスポーツ大会連覇の福山ブロックに大教会長杯を授与第回大教会長杯親睦スポーツ大会開催月日第回大教会長杯親睦スポーツ大会が月日笠岡市の茂平グランドで開催され観客も含む人が集った今年の大会は福山髙屋直轄混合のチームによるトーナメント戦で進められた初戦よりどのチームも打線が活発で少年会員から代までみなそれぞれに全力プレーで試合を盛り上げた結果福山が昨年に続いて連覇を飾った以下の順位は次の通り準優勝髙屋位混合位混合年ぶりの開催となったこの日は天理高校教校学園高校天理大学専修科などの学生ら人が参加した開講後は学担委員も含めた参加者をつの班に分けの要素を取り入れたグループタイムが実施されたその中での様な設問やゲームを通して参加者は親睦を図り同じ笠岡に繋がる者同士の絆を一層深めた学生担当委員会親里管内学生新入生歓迎会開催月日笠岡詰所笠岡学生担当委員会上原繁次委員長は月日笠岡詰所で親里管内学校新入生歓迎会を開催した妻の父親が亡くなり告別式に参列陽だまりした後火葬が終わるのを待っているときだった都会の火葬場の待合室はたくさんの人で込み合い故人を偲ん桜で話す声があちこちから聞こえたその時唐突に思ったビエンみんな死ぬんだあの人もこ私の故郷倉敷市玉島には奈良時の人もこどもだってそして自分も代に起源を持つ曹洞宗の古刹円通寺いつか必ずとすると不思議なことがある江戸時代後期の禅僧良寛がに恐れよりも妙な安心感が湧いてき歳から年間修業した寺でもありこたそれから不意に散る桜残るの寺を中心にする円通寺公園は玉島の桜も散る桜という俳句が浮かんで町を一望できる高台に位置し桜をはきたのであるじめとして四季折の花を楽しむこと桜の花が咲き散るしかし翌年ができる良寛様は和歌狂歌俳句にはまた新しい花を咲かせ生命を繋い漢詩などに秀で書の達人でもあったでいるではないかだから死は楽し諸説あるが散る桜残る桜も散みであるただ大切なことは親る桜は良寛辞世の句として有名で子孫という順番とタイミングを間ある違えないことだこの句には明るい時折強く吹く春風に散りゆく桜悟りが込められているに違いないとの花は哀しいしかし残る花だって思ったいつかは必ず散ってしまうのだ人生お道では死ではなく出直しと呼も斯くの如く儚く無常であるぶ親神様からお借りしている身体をとこの句の意味を私は単純に考ひとまずお返しししばらく親神様のえていたふところに抱かれた後新しい身体をところがある時この俳句に込めら借りて生まれ変わってくる死は人生れたもっと深い意味に気づいたのであの終わりではなく新しい人生の出発るを意味するのであるブログ版陽だまり語録をご覧になりたい場合はスマホやパソコン等で陽だまり語録と検索されるか下記アドレスをしてください叶うことならいつかきっと来るその時には旅の装いでスーツケースを持ちそれじゃあ行ってきますと出かけるように出直したい桜散る春に大教会だより辞令付登用理事門脇元教幹部承事中島誠治岡﨑真一准承事岡﨑治喜おつとめ奉仕人上原千枝子雅楽奉仕人田中正之教人資格講習会修了者中期終講葦陽笹尾孝治全期終講輝美濃村田長二立教年定期巡教福山上原繁道髙屋田中隆之神邉田中隆之島根上原繁道久松上原志郎弥髙山武内正美陽備前会長様摩耶田中隆之金浦田中隆之興明上原志郎ひろさと上原志郎陶山前会長様芳井田中隆之海松ヶ岡武内正美吸江佐藤道孝照陽上原繁道輝美濃大教会長様新山邑上原志郎呰部上原繁道立教百八十五年四月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者山野弘実内海史郎賛者渡邉隆夫指図方上原繁道講話岡﨑真一六月講話吉岡壽区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝門脇元教武内清明谷内伸自杉原博之岡田誠淺野明教渡邉隆夫大教会長様田中隆之上原志郎前会長様中村道德上原浩上原繁道森本忠善虫明立生大教会奥様武内正美室悦子前奥様門脇加津吉岡八恵田中ますみ岡﨑和美山野なつ岡﨑真一杉原善朗上原繁次中村剛吉岡誠一郎佐藤真孝中島誠治山野弘実高木昭祥今川昌彦田林久嗣三代温生三島渉横山逸郎山田敏教中村義太郎赤木素志内海史郎佐藤香苗谷内美知子岡﨑豊子上原順子内海安子高木孝子今川佐智子横山小智榮田中つかさ明石市上下府中市東城服部島中驛家葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備神免大教会長様武内正美大教会長様上原繁道大教会長様上原繁道大教会長様門脇元教武内正美中島誠治前会長様上原志郎上原繁道大教会長様普段私は小中学生に学習指導をしているその中で苦手な子が多いのが割合と利益という単元だ一般的な売買の場合仕入れ値をできるだけ安くし売値をできるだけ高くすれば利益は大きくなるところが教祖は商売人なら高う買うて安う売りなはれやとおっしゃられたそれは問屋が立ちお客さんも喜ばせその道理で自分の店も立つという共に栄える道理であると聞かせてもらうまたこれとは別に近江商人の三方よしという精神があるこれは買い手よし売り手よし世間よしという三方よしという考え方だ彼らは自らの利益のみを求めず多くの人に喜ばれる商品を提供し続け信用を得たまた利益が貯まると無償で橋や学校を建てたりと世間の為にも大いに貢献した商いは自らの利益のみならず顧客はもちろん世の中にとっても良いものであるべきだと考えたからであるここで利益という言葉を個人や国家に当てはめてみる自分の得になる事や自国の利益のみを目指すと周囲とうまくいかず問題や争いのもとになるのは明らかだ私たちは同じ家庭同じ地域同じ国同じ地球で生活を営み限られた環境や資源の中で生きているならば利益とは相手よし自分よしみんなよしでなければならないはずであるう詰詰所所かからののおお願願いい詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ずご連絡ください部内教会信者に徹底願います四月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしする状を見て共に楽しみたいとの思召からこの世と人間をお創造め下されたばかりではなく日夜変わらずご守護下さっております加えて旬刻限の到来と共に教祖を月日の社としてこの世の表へお現れになり万一切を明かされて陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有り難く勿体ない限りでございます私共は日親心と御守護に感謝すると共に世界一列を助けたいとの思召にお応えすべく朝夕に御礼申し上げつつたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いております特に今月十八日には教祖の二百二十四回目のお誕生日を迎えおぢばで又それぞれの教会でお祝いを申し上げると共に今までと変わらぬ親心を以て陽気ぐらしへとお導き下さるようお願いをさせて頂きましたその中今日の吉日はこれのの御祭り日でございますのでおつとめ奉仕人一同お教え下さった通りに明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて四月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には春の陽気に誘われ今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は少年会笠岡団のおつとめまなび総会を少年会員百十七名育成会員八十九名でつとめさせていただくことができましたまた月末には全教一斉ひのきしんデーが開催されます更にまた来月は直轄教会に巡教をさせて頂きます教祖ひながたに込められた親の思いを思案しその思いに応えられるよう精一杯成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒親神様には世界たすけの親心にお応えしひながたを辿る皆の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由のご守護を賜りご恩報じを念じたすけ一条に邁進する人が弥増してお望み下さる陽気ずくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます
かさおか

『かさおか』第61巻 第4号

陽實分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せようおつとめまなび総会開催少年会笠岡団武内正美団長は月日おつとめまなび総会を開催少年会員人育成会員人総数人受付数が参加しました今年もコロナ禍の中での開催とな少年会りましたが人を超える参加者の御守護をいただきましたおつとめまなびは座りづとめよろづよ八首を参加者全員でつとめ式典お楽しみ行事と時間ほどの総会でしたが賑やかに勤めさせていただきました大教会長様には育成会長として初めておつとめいただきましたてをどりは見よう見まねで昼食はハンバーガーセットカレースイーツとボリューム満点のお弁当で大人も子供も大満足のメニューとなりました年に度のこの総会は個の教会で子供におつとめを教え共に練習し大教会でつとめさせていただく大変意義深い行事です毎年開催することに大教会長様も大変お喜びになっておられます将来の個の教会において重要なよふぼく育成の場となっているこの総会を皆様と共にさらに内容のあるものになる様ご助言をいただいてつとめてまいりたいと思いますので今後ともよろしくお願いいたします委員中村剛史地方鳴り物を一生懸命につとめる少年会員学生生徒修養会大学の部に人参加本部学生担当委員会主催の学生生徒修養会大学の部が月日から日と月日から日の回に分けて開催され全国から人が受講した笠岡からは森本善修さん森本陽気さん海松ヶ岡今川弘子さん金浦の人が参加し親里で道の仲間と共に教えを学び自らの信仰と向き合ったまた係員として武内ゆりさん髙屋田中舞さん福山が学生の世話取りに当たった笠岡学担委員長上原繁次学修に行って金浦分教会今川弘子学修へは会長である父から誘われたのがきっかけでした高校を卒業し大阪で一人暮らしをしながら専門学校に通っていた私は食費などを自分で工面していたこともあり日間という長期間開催される学学生担当委員会修へは参加することに正直前向きにはなれませんでした高校が天理教校学園高等学校だったこともありお道の勉強をするのはもう充分だと考えて渋っていたというのも少なからずありましたしかし高校時代の同級生も何人か参加するという話を聞き学修への参加を決めました結果高校時代の同級生には会えませんでしたが学修は想像と違いとても楽しくそして自分のなかでのお道の考え方がはっきりと変わった機会でした同世代の人たちばかりなのでとても話しやすくお道のことへの考えや今のつきあいかたを知れそしてたくさんの講話を聴くなかで感じた疑問点や昔から感じていた教えのなかでの疑問点を建前なしで口に出して自分のなかで解決できたこと今まで大人には聞けなかった腑に落ちなかったことなども一緒に考えて答えを出したりしました本当に学修は私のなかで大きなものになりました私の班は大教会の次期教会長になる人や自分が信仰初代である人がいてとても様な意見や考えが聞けたグループでした学修の期間中に大亮様とお話しさせていただく機会がありその中で真柱になると決まるまでと決まってからの思いや向き合い方をお聞きしてスッと心に入ってくるものがありましたなぜなら私のなかでの今回の学修での個人的なテーマはこれから就職して社会に出ていく自分と天理教との向き合い方だったからですこのために私は引き寄せられたのだと思いました教会後継者だけど継ぎたくないこれからどうやって天理教と付き合っていくかなど色な悩みをもつ学生に対して優しく親しくそして笑顔でお話ししてくださっているのをみて大袈裟ですが大亮様も一人の人なのだととても親近感をもちましたおぢばを始め天理教から約年離れていた私が再度おひきよせされる結果となった今回の学修たくさんの学生の信者の人たちと関わり意見を交わしたくさん学んで自分のなかの世界が広がった日間であり今までで一番天理教の教えが好きになった日間でしたこれから就活が始まり放っておけばどんどんお道から離れていくようになるかもしれません私はそうならないように月に度は天理に帰ろうと思います道をはずれないよう自分のなかで信仰心をしっかりもって道を歩めるようにしていきたいと思いますおぢばに集う学修生たち三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には子供かわいい一杯の親心から日は大難を小難に小難を無難にして結構にお連れ通り下さるばかりではなく世界に事情を見せて心の立て替えを促し陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお見せ頂く姿に親心を思案し時には迷いつつもご恩報じの思いを胸に日は朝夕に御礼申し上げたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの名称にお許しを戴いた月次の御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて三月の月次祭を執り行なわせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月はおぢばにて学生生徒修養会大学の部が開催され数名の学生が参加してくれました参加して良かったという喜びの声を耳にし改めておぢばで開催される行事の有難さを感じさせて頂きました難しい状況の中開催を決断してくださった本部学生担当委員会の方に感謝申し上げると共に今月末に開催される春の学生おぢばがえりにも一人でも多くの学生に参加してもらえるようつとめさせて頂く所存でございます何卒親神様には旬にお掛け頂く親の声を頼りに成人の道を歩む皆の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけを願う誠の心の理に自由の御守護を賜りお望み下さる陽気ずくめの世界へとお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます春季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共に笠岡の道の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊諸の神霊の前に会長上原明勇慎んで申し上げます祖霊様方には親神様の妙なるお導きによりお道の人となられ思召に添う陽気ぐらし世界の実現の為にたすけ一條に邁進されました今日の結構な笠岡の道の姿があるのも祖霊様方が真実を尽くして下されたお陰と日は朝夕に御礼を申し上げると共にたすけ一条の上に努め励ませて頂いておりますその中にも本日は春の霊祭を執り行う日柄でざいますので御前に心づくしの種の物を供えて只今はおつとめ奉仕人一同親神様の御前にててをどうをつとめさせていただきました続いて祖霊様方の在りし日を偲び御遺徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下さいまして祖霊様方には御心お安め下さいますようお願い申し上げますさて今年笠岡では次なる塚教祖百四十年祭に向かっておぢばがえりを主眼に置いて活動を推し進めております笠岡に繋がるお互いが一回でも多く人だすけのためのおぢばがえりをすることで成人の歩みをを進めさせて頂く所存でございます何卒祖霊様方にはどんな中でも親孝心一筋でたすけ一条に邁進する皆の真実の状をご覧下さいましてより一層笠岡のたすけの道が延び広がりますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年三月月次祭祭典役割表祭主大教会長様上原浩扈者横山逸郎高木昭祥賛者佐藤真孝指図方田中隆之講話武内正美五月講話少年会育成講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝岡﨑真一今川昌彦中村道德横山逸郎虫明立生中村義太郎上原繁次佐藤真孝大教会長様上原志郎田中隆之前会長様中島誠治谷内伸自上原繁道武内清明山野弘実大教会奥様武内正美谷内美知子前奥様門脇加津中村初美田中ますみ横山小智榮山野なつ今川昌彦岡田誠淺野明教三島渉高木昭祥山田敏教岡﨑真一吉岡誠一郎内海史郎内海史郎淺野明教杉原善朗吉岡壽森本忠善渡邉隆夫上原浩赤木素志三代温生上原順子内海安子岡﨑豊子今川佐智子高木孝子田中つかさ佐藤香苗三島照美吉岡八恵立教百八十五年春季霊祭祭典役割表祭主大教会長様岡﨑真一扈者武内清明淺野明教賛者岡田誠指図方上原志郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半前会長様山野弘実今川昌彦森本忠善杉原善朗上原繁次大教会長様中島誠治上原繁道吉岡誠一郎田中隆之横山逸郎大教会奥様吉岡八恵上原順子山野なつ谷内美知子田中つかさ上原浩佐藤真孝谷内伸自三島渉中村剛中村道德岡田誠虫明立生岡﨑真一高木昭祥淺野明教赤木素志前奥様門脇加津森本冨美子笹尾一美岡﨑豊子岡﨑和美布教部行列のできる勉強会開催大教会だより布教部田中隆之部長は去る月職制人事日で行列のできる付勉強会を開催した史料部この勉強会はにをいがけおたすけに役立つ知識の習得と教理の研鑽を目的に実施されている今回は倉敷市所在児童発達支援センタークムレの牧由佳里先生児童発達支援管理責任者に発達障害笠岡の道編纂委員会委員上原繁道門脇元教山野弘実上原繁次岡﨑治喜の理解と支援と題してお話ししてもらい発達障害の概要と支援の方法を学んだ新型コロナウィルス対策として講義はオンラインで三密を避けて行った現在コロナ禍で行事の自粛が常教会指令任命願福南分教会前任掛谷和由新任掛谷善成態化しておりこの度の勉強会実施が十分に周知されておらず受講者は人と少人数であったが大教会長様を始め参加者は皆熱心に聞き入り質疑を行った次回は月日月次祭終了後開催奉告祭申し込み不要でどなたでも自由に参加承認可能副部長佐藤真孝掛谷善成氏教会長資格検定講習会修了者終講上川邉友井正人ピンポーン突然チャイムの音誰だろうと出てみると小学年生の孫息子の男友達人が玄関前にいる下校中でウンコがしたくて家まで我慢出来ないとのこと早う行きと言うと参拝場にランドセルを放り投げ一目散にトイレにすっきりしたのだろうありがとうございましたと言いながら神殿の中をキョロキョロと見回している珍しいと聞くとうん広いなあとの返事友達が待っていたのでそそくさと帰って行った暫くするとまたチャイムの音神殿掃除中だった今度は年生の孫娘の友達人なぜか男の子一緒に遊ぼうと家に行ったが居ないため教会に居るのかと思い来たとのことだが来ていなかったよく来る子たちで駐車場が遊び場だ孫達は教会から徒歩で分程の所に住んでいるこの際だと思い中に入りと声を掛けた神殿に入るのは初めてだと思うすると一番やんちゃな子が親神様のお社を指さしてありゃー何と神妙な顔をして聞く人間をつくってくれちゃった神様がおってんよと私ほんまでも見えんじゃーと彼ほんまよー鏡があるじゃろうが皆が仲良くしょうるかしょうらんか全部映って見とっててんじゃと話すきょとんとした顔で聞いていたが興味津津の様子残念ながら我教会祭典日以外大人の参拝者はほとんど無いが孫たちのお陰か子ども達はよく遊びに来てくれる子ども達が帰った後ふと思い出した日鍛錬しいつ来るともわからぬ機会に備えよ連続テレビ小説カムカムエヴリバディ月日終了の中で映画村に所属する斬られ役専門のベテランの俳優伴虚無蔵がヒロインに度掛ける言葉だ今この子たちには神様のことはよく分からないと思うしかし教会に遊びだけに来てくれていた子達がいつの日かこの教えを理解し実行してくれたらと願う現在コロナ禍で活動は限られているがその中で何が出来るかそしてその実現のために何を日鍛錬するか今一度真剣に考えてみなければと思う今日この頃だあ
かさおか

『かさおか』第61巻 第3号

惠陽分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう学生担当委員会学生層育成者講習会オンラインで開催大教会笠岡学生担当委員会は月日学生層育成者講習会を開催し人が受講した今回の講習会は新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のうえからオンラインで開催した講師の小西祥治先生本部学生担当委員会委員都大教会長が東京の都大教会よりオンラインにて学生の育成にあたる心構えを自身の体験談を交えてお話しくださった講話内容は次の通り日は学生層育成のうえにお心寄せいただき誠にありがとうございます本日は学生層育成者講習会を開催いただき東京の練馬区にある都大教会からリモートにて努めますまでキロ離れていてもこうして皆様にお話しすることができとても便利な時代になったと感じる一方でこういう道具に振り回されないように慎重に努めたいと思いますどうぞよろしくお願いします学担としては日常における丹精の大切さを十分に理解したうえで日学生担当委員会では共に教祖のに心がけながらも行事の内容の充実ようぼくに育つという基本方針の下にしっかりと努めようというような話日常の丹精の継続おぢばや教会し合いになりましたにつながる活動の推進という点の重点活動項目を挙げて活動を進めてさて現在丹精をテーマにいますあちこちでいろいろな話がなされてい点目の日常の丹精の継続につます丹精には真心を込めて育いては一昨年からのコロナ禍の中てる熱を入れて育てるという意行事が幾度となく中止となってしまい味がありますました現在も活動自体を制限せざるここで育てるをインターネットを得ない状況にありますで検索すると育てることに関し学担ではこの機会に今までの活ての様な手法や手段いわゆるハウ動を振り返り練り合いを重ねましたツーがいとも簡単に出てきますしかよくよく考えてみると主に学生へのしそれらをテクニックとして参考に丹精という点においておおよそすることがあったとしてもそれで行事に頼っていたのではないかと道の育成が完結するというようないう考えに至りましたことにはなりませんそこで過去の学生担当者大会にお私たちは教祖のようぼくですからいて学生担当者や育成者に向けて頂やはり私たちの育成丹精は教戴した真柱様のお言葉から育成者と祖が人に対していかに声を掛けらしての役割をあらためて確認するれ心にかけられ振る舞われたかと学生会の活動を支援するといを自ら求め学んで実践に移すことがうことと道の将来を担う学生が世大切でそれがひながたを辿る基本界だすけのようぼくとして成人するた的な姿勢だと思いますめの世話取りをするということでした私が所属する学担の担当者活動部では教祖のひながたに学ぶ人材育成をテーマに頻繁に練り合いを重ねその練り合いが形になって育成ミニ勉強会というものを開催するまでになりました今日はこのチームで普段から練り合っている教祖の逸話篇を引用して私自身の話も交えながら話を進めたいと思います逸話篇に心の皺をというお話があります本文別掲この逸話篇を読んで私の心に残ったのは人のたすけもこの理やで心の皺を話の理で伸ばしてやるのやでというところとそこを落とさずに救けるがこの道の理やでというところでした私自身の大学時代を振り返ってみると恥ずかしながらお道に対して斜に構え箸にも棒にもかからないような日を過ごしていました夜間大学でしたので昼間はバイト夜は大学終わってからはロックバンドでドラムを叩いていました教会に生まれ育ちながらも親の声など耳にもせず教会にはなかなか帰らず神様から遠く遠く離れていました大学年の秋頃の話ですが授業中に青年会の分会委員長さんからがかかって今晩新宿で美味いすき焼きに連れて行ってやる時半に改札で待っているから乗り換えしないで出口で出てこいと言われました私は半ば困惑しながらいきなりなこの強引な誘いに分かりましたと言ってを切りました帰りには必ず新宿を通りますので言われたとおりに改札を通ろうとすると分会の委員長さんがそこにおられましたなぜかハッピにネクタイ帯を締めて立っておられ小田急の出口中段に設置されたスクリーン越しにリモートでお話しされる小西先生でとても目立っていました私が急安う売るというお言葉がどうしてもても私のことを気遣ってくれましたにどうしたんだろうと思いながら挨耳に残るというお話です食事の時は前回のように半ば説教の拶するとおもむろにハッピを渡してつのお話は商売人に対して物ような感じでしたがいろいろと気遣きましたなんとその日は分会の夜を仕入れて物を売るという行為だいながらお話をしてくれましたのにをいがけの日でしたそのときのけではなく少しでも高く買って私はこの学担の先生がご自身の行私の服装は半パンにシャツニ少しでも安く売るそうすることで関動や心遣いを安く売ってくれたからットキャップをかぶって頭は金髪係する方に喜んでもらえるようにつこそ私自身は買うことができたのだ耳には大きなボディピアスでしたとめるのが大切だというお話だと思と思いますそんな私にこれ読めここのページいますこれがもしもお前のために時間をでいいからこの部分と言われわ私は高う買うて安う売るの割いて教会にも家庭にもしんどいなけが分からないまま人生初の路傍講は物だけではなくて自分や人かを都合をつけて遠いところまでわ演をすることになりましたの心遣い言葉遣い行いも当てはざわざ車走らせて来たんだよと高その後居酒屋へ連れて行ってくれまるとも考えますくドンと出されたら私は買えなかっお前も早く仲間に入ってこいと半私は前述の分会委員長さんに誘わたかもしれませんご飯へ行く車中でば説教のような感じで思いを聞かせてれたにをいがけの一件からその後ももいきなりで悪かったなぁ大学もらいましたあまり変わることができずにいまし遅くまで大変だなあ会えてうれし当時お道に対していろいろと背をたその後大学年のとき都の学いわと高く買ってくれたからこそ向けていた私にとって鮮烈な記憶と担の先生からがかかって今近自分の心を開くことができたのではなして頭の中に残っています心に皺がくを通ったんだけどちょっとコーいかと思います寄り始めていた私にとって一つのヒーでも飲まないかと言われました後から知ったことですが学担や青きっかけになったのは間違いあり私は前回のこともあったので年会の中であいつどうにかしないませんちょっと予定があってと断ってしといけないあのままだったらこのまいましたがまたがかかって先どうなるか分からんここで話し次のお話は高う買うてですこきていまたまたま大学の近くにていても埒があかないからとにかくのお話は逸話篇につありますいるんだけどお前飯食べたかと行動を起こしていこうと私のネガ信心はな高う買うて本文別掲聞かれまだですと言うとじゃティブなことがいつも話題に挙がっどちらのお話に出てくる先人も教祖あ食おうかと言われ車で大学までていたそうですからお話を聞かれて高う買うて迎えに来てくれました車中ではと次の逸話篇は御苦労さんとつ目これが圧倒的に多いのですいうお話です本文別掲が自分の変化に気づいて声を掛け担当者活動部では教祖の話をするてくれることお最近髪型変ときに教祖だからできた教祖だわったね今日は何だか浮かない顔からこういう結果になったというよしてるねどうしたのあれそんうなことをなるべく言わないようにしな携帯使ってたっけいつも見てていますくれている見守っていてくれるそひと言のにをいがけがその人の運んな雰囲気で声を掛けられるとうれし命を変えるとよく言われますがこいという学生がとても多いのときに教祖は一体どのような声色で御苦労さんと声を掛けられたのでまたこんな声を掛けられてうれしょうかきっと温かい神ししかったでこんな話がありますいお声だったのかなと思います数年前に関東ブロックが企画する現在私は東京教区学担委員長とワークトーク大学生の育成行東京教区内の大学生の寮さんさい寮事が東京教区で開催され学生からの寮長を務めています東京教区の学プログラムの中で天理教が生さんさい寮生と関わる機会が数多したいと提案してきましたくありますその時間は分間質問には学担がそんな機会に学生たちにあなた答えますが学生からさまざまな質問たちは大人からどんな声を掛けてもが飛んできました素晴らしかったのらったらうれしいかどんな言葉をは答えが一つではない質問をど掛けてもらったら勇むかと聞くとんどんしてきたことでしたいろんな答えが返ってきますそれに対して私ならこうするつ目はいつもありがとうど私ならきっとこう思うというよううもおつかれさまよく来たねよな正確な答えはなかなか出せませんくやってくれたね会えてうれしいが学担の委員が答える側に回ってよというような感謝の言葉がとても質問に対して答えましたうれしかったと言いますこの時間の終盤になるほどの人になれますかという質問が出てきましたそういう質問をする学生がいること自体が素晴らしいと思いますがそれに対してある真面目な学担の先生がうーんどうだろうなー難しいからなー私自身は到底なれるとは思えないけどなー難しいなーというような答えを出されました質問した学生は何だかもやもやした感じでその時間を終えたようでしたその学生は東京教区の子で私もどうしても気になったので駆け寄って話をしましたその学生はあのときに大丈夫きっとなれるお互いに勇んで頑張ろうよと自信を持って言ってもらいたかったとのことでした大丈夫だよ頑張っていこうよと自信を持って声を掛けてもらいたかったというふうに伝えられました相手を気遣って言ったことが逆に相手を不安にさせてしまうこともある自信を持って伝えることが伝えてもらう側が安心できる材料になるのではないかと思いますおさしづに世界から見ればやっかいとあるように若年層の育成はなかなか取り組めない取り組んでもわずかな成果しかない途中で問題が起きたりまた続けることも大変だと感じるときもあるでしょうそんなとき私はだからお道はありがたいなあ何でもお道はありがたいなあと思いますなぜこのように思うようになったかと言いますと実は数年前祖父の資料を整理していたときに数枚のメモが目に止まりましたそのメモの内容は昭和年頃のものでした当時の都大教会はある事情で現在の練馬の地へ越してきましたが本当に何もない時代で客間はおろか満足に人を受け入れることができないような状況でしたそこへ世話人先生が御巡教に来られることになりました世話人先生とは代会長上原繁雄先生だったのです当時代中頃の祖父は何とか受け入れをしなければと駆けずり回って準備したそうですメモには裸電球一つ灯りを灯すのがやっとだったと書いてありました御巡教を終え上原先生に接待の非礼をお詫びしようと思った祖父としては不備も多あり種ご迷惑を来月に入ると学生生徒修養会大学とお聞かせ下されたを伴って初めておぢば帰りをさせてお掛けしたことのお叱りを受けるかとの部が始まります今回は第回第ある時増井りんがお側に来て頂いた思っていましたがそのときにどんな言葉が返ってきたか小西さん何でもお道はありがたいですなあ今日は小西さんとこれだけお話をさせていただいて私は有り難いなあと思いますよと大変な親心をかけてく回と別れていますがこのとても素晴らしいおぢばでの修養会に育成者の皆様の日常の丹精が加わればより輝きを増すことは間違いないと思いますどうかこれからも学生会の育成お手許のおふでさきを写さして頂きたいとお願いすると紙があるかえとお尋ね下されたので丹波市へ行て買うて参りますと申し上げたところそんな事していては遅うなるからやがて取次に導かれて教祖にお目通りしたところ教祖はあんたどこから詣りなはったと仰せられたそれで私は兵庫から詣りましたと申し上げると教祖はさよか兵庫なら遠い所よう詣ださった学生層の育成に積極的にお心寄せいたわしが括ってあげようりなはったなあ祖父のメモにはこのように上原だきますようお願いいたしますと仰せられ座布団の下から紙を出と仰せ下され次いで先生から言っていただいてボロボロし大きい小さいを構わず墨のつかあんた家業は何をなさると涙がこぼれたと書いてありました学生層の育成はやろうと思ってもなかなか難しいことですがどのような結果になっても何でもありがたいな結構だなと思って通るところに神様にお受け取りいただくことがあるのではないかと思いますこの時だけでなく学生の心の変化言葉の変化行動の変化に気付いて自信を持って声を掛けるまさに日常の丹精というような育成者側の積み重ね繰り返し継続が心の皺を伸ばすことになってそこを落とさずに救けることにつながると思います講話に引用された逸話篇四五心の皺を教祖は一枚の紙も反故やからとて粗末になさらずおひねりの紙なども丁寧に皺を伸ばして座布団の下に敷いて御用にお使いなされたお話に皺だらけになった紙をそのまま置けば落とし紙か鼻紙にするより仕様ないでこれを丁寧に皺を伸ばして置いたなら何んなりとも使われる落とし紙や鼻紙になったらもう一度引き上げることは出来ぬやろ人のたすけもこの理やで心の皺を話の理で伸ばしてやるのやで心も皺だらけになったら落とし紙のようなものやろそこを落とさずに救けぬ紙をよりぬき御自身でお綴じ下されてさあわしが読んでやるからこれへお書きよとてお読み下されたりんは筆を執って書かせて頂いたがこれはおふでさき第四号で今も大小不揃いの紙でお綴じ下されたまま保存させて頂いているという一四信心はな明治十五年九月中旬陰暦八月上旬富田伝次郎註当時四十三才は当時十五才の長男米太郎が胃病再発して命も危ないということになった時和田崎町の先輩達によって親神様にお願いしてもらい三日の間にふしぎなたすけを頂いたそのお礼にとお尋ねになったそれではい私は蒟蒻屋をしておりますとお答えしたすると教祖は蒟蒻屋さんなら商売人やな商売人なら高う買うて安う売りなはれやと仰せになったそして尚つづいて神さんの信心はな神さんを産んでくれた親と同んなじように思いなはれやそしたらほんまの信心が出来ますでとお教え下されたところがどう考えても高う買うて安う売るという意味が分からないそんな事をすると損をして商売が出来ないように思われるそれで当時お屋敷に居られた先輩に尋ねるがこの道の理やで生母の藤村じゅん註当時七十六才たところ先輩から問屋から品物学生担当委員会を仕入れる時には問屋を倒さんようたがいつの間にやらキセルを置きお詫びしたそうするうちに上げ下泣かさんよう比較的高う買うてやる畳に手を滑らせ気のついた時には平だしはいつの間にやら止まってしま天理高校部受験生のやそれを今度お客さんに売る時伏していたがこの時賜わったお言いふしぎなたすけを頂いた学習指導実施には利を低うして比較的安う売っ葉の中でて上げるのやそうすると問屋も立商売人はなあ高う買うて安う一四六御苦労さん月日大教会ちお客も喜ぶその理で自分の店も立つこれは決して戻りを喰うて損する事のない共に栄える理であると諭されて初めて成る売るのやでというお言葉だけが耳に残った善蔵にはその意味合いが一寸も分からなかったそして思ったそんな明治十七年春佐治登喜治良は当時二十三才であったが大阪鎮台の歩兵第九聯隊第一大隊第三中隊に入隊中大和地方へ行軍して奈良市今御笠岡学生担当委員会上原繁次委員長は月日天理高校部受験生の学習指導を大教会で実施した程と得心がいった事をしたら飯の喰いはぐれやないか門町の桝屋という旅館に宿営した今回は受験生名が参加学担委この時お息紙とハッタイ粉の御供百姓の事は御存知でも商売のことはこの時宿の離れに人の出入りがあ員名が数学英語の過去問題の解説を頂いてもどったがそれを生母藤村一向お分かりでないと思いながらり宿の亭主からあのお方が庄をし受験生らはメモをとりながらじゅんに頂かせてじゅんはそれを三木町の生家へ持ちかえったところそれによってふしぎなたすけが相次いであらわれ道は播州一帯に一層家路をたどった近所に住む今川とも分かれ家の敷居を跨ぐや否や激しい上げ下だしとなって来た早速医者を呼んで手当屋敷の生神様やとて赤衣を召された教祖を指し示して教えられお道の話を聞かされたやがて教祖が登喜治良の立ってい演習に励んだ尚天理高校部受験世話取りは今回受験生がおらず未実施となった広く伸びて行ったてをしたが効能はないそこで今る直ぐ傍をお通りになった時佐治は川の連絡で真明組講元の井筒梅治郎言い知れぬ感動に打たれて丁重に頭一六五高う買うてに来てもらった井筒は宮田の枕もを下げて御辞儀したところ教祖は過去問題を熱心に演習する受験生明治十八年夏真明組でお話に感とへ行っておぢばへ初めて帰って静かに会釈を返され銘して入信した宮田善蔵はその後い何か不足したのではないかと問御苦労さんくばくもなく今川聖次郎の案内でおうたそれで宮田は教祖のお言葉とお声をかけて下されたぢばへ帰り教祖にお目通りさせて頂の意味が納得出来ない由を告げた佐治は教祖を拝した瞬間得も言いた当時善蔵は三十一才大阪船すると井筒は神様の仰っしゃるわれぬ崇高な念に打たれお声を聞い場の塩町通で足袋商を営んでいたのは他よりも高う仕入れて問屋を喜た一瞬神しい中にも慕わしく懐か教祖は結構なお言葉を諄とお聞ばせ安う売って顧客を喜ばせ自分しくついて行きたいような気がしたかせ下されたが入信早ではありは薄口銭に満足して通るのが商売の道後年佐治がいつも人に語って身上にふしぎなたすけをお見せ頂いやと諭されたのやと説き諭いた話に私はその時このお道たという訳でもない善蔵は初めはした善蔵はこれを聞いて初めてを通る心を定めた事情の悩みも身上世間話でも聞くような調子でキセル成る程と得心したと共にたとい暫の患いもないのに入信したのは全を手にして煙草を吸いながら聞いていくの間でも心に不足したことを深くくその時の深い感銘からであると婦人会直轄委員部長委員研修会開催去る月日婦人会笠岡支部上原きよの支部長は支部としての動きまた方向性を確認するため直轄委員部長委員研修会を開催しました開講後支部長様大教会奥様を芯に坐りづとめをつとめ場所を移し支部長様より婦人会長様の思いと今自分たちのやるべきことそして支部としての動きについてお話しいただきました休憩をはさみ上原順子委員による言葉遣いについてのレクチャー芳井佐藤和代委員部長葦陽笹尾一美前委員部長名による感話おわりの言葉をもっての研修会となりましたコロナ禍にあり日の予定であった研修を半日とし内容も凝縮した形になりましたが改めて日の心の置き処を確認させてもらう機会となりました委員上原千枝子研修会の風景大教会だより教人資格講習会修了者終講上川邉友井正人お詫びと訂正本年月日発行のページに掲載の本部食堂ひのきしんの記事で期間をと記載しておりましたがに訂正します読者ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともにここに訂正させて頂きます訃報藤本基喜氏惠陽分教会長月日出直されました享年才中村邦義氏大教会幹部承事元油木分教会長月日出直されました享年才し魚卵は気持ち悪いとなかなか売れず悪戦苦闘ところがある名前に変えたら爆発的に売れ出したとかこの続きは次回でと書きたいところです博多のお土産として有名な辛子かが次回のよりみち担当は数か月らし明太子めんたいこがある明先筆者も忘れそうそこで答えを太子とたらこはどう違うのかと調べた明かしますジャジャーンそれはら明太子はスケトウダラの韓国語スパイシーハカタキャビアキ名明太ミョンテの子だから明ャビアはあの高級な世界三大珍味の一太子たらこはタラの子だからつでチョウザメの卵なるほどねこたらこと名付けられましたとのようにネーミング一つで全く印象がすなわちどちらも同じこの明太子を変わり異文化の人たちにも受け入れら炊き立てのご飯に乗せてハフハフといれるのですね何かに応用できないかただくこれって幸せの一つですよねなあところでイクラってロシさて明太子をアメリカア語で魚卵を表すってご存じででも販売しようとした人がいたしかした二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には子供かわいい一杯の親心から日は結構に恙なくお連れ通り下さるばかりではなく月日にハせかいぢうヽはみなわが子たすけたいとの心ばかりでと身上や事情にしるしを見せて心の立て替えを促し陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はかしものかりものの御教えを心に日は朝夕に御礼申し上げつつ世界いちれつをたすけたいとの親心を一人でも多くの人に伝えるべくたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は二月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は祭典に引き続き学生層育成者講習会を開催させて頂きますこの度は講師の先生にお越しいただいてお話し頂くのが難しい状況を考え初めてオンラインでの開催となりましたこのコロナ禍だからこその試みとして節に込められた親の深い御心を改めて思案させていただきつつお話をしっかりと聞かせて頂き学生層育成の上にまたその先の陽気ぐらしの上に更なる実働を誓い合いたいと存じます何卒親神様には未だ終わりの見えない難渋の中でも陽気ぐらし世界実現という希望を持って明るくたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受取り下さいましてお望み下さる陽気ずくめの世の状に一日も早く立て替わりますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者虫明立生赤木素志賛者杉原善朗指図方上原志郎講話学生層育成講習会四月講話岡﨑真一区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半門脇元教岡﨑真一中島誠治森本忠善上原浩吉岡誠一郎高木昭祥上原繁次三代温生大教会長様田中隆之上原志郎前会長様今川昌彦岡﨑真一上原繁道虫明立生森本忠善大教会奥様内海安子武内正美田中ますみ岡﨑豊子門脇加津今川佐智子田中つかさ岡﨑和美上原浩佐藤真孝杉原善朗佐藤道孝山野弘実横山逸郎吉岡壽三島渉淺野明教横山逸郎山田敏教渡邉隆夫中村剛淺野明教内海史郎中村道德赤木素志岡田誠佐藤香苗森本冨美子三島照美上原順子横山小智榮吉岡八恵武内正美笹尾一美高木孝子
かさおか

『かさおか』第61巻 第2号

芦加茂分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう大教会長様お話喜びいっぱいのおたすけ目指しさあおぢばに帰ろう年頭会議において立教年大教会年頭会議は月日午後時から大教会神殿で行われ役員部内教会長布教所長らが参集した大教会長様は就任後初めての年頭に当たり先ず制限下での記念祭奉告祭が無事につとめられたことの御礼を述べられた続いて真柱様年頭のごあいさつまた記念祭奉告祭のメッセージを引用され教祖年祭三年千日活動を来年に控えた本年の大教会の活動目標を心をおぢばに向け人だすけのためのおぢばがえりをと打ち出された最後に地域社会に根付き地域から必要とされる教会を目指して喜びいっぱいにおたすけに向かえるよう日弛まず努力されるご自身の胸中を披瀝されたなお恒例の会食はコロナ禍のため中止立教年明けましておめでとうございます昨年は大教会創立周年記念祭をコロナ禍にあって参拝者を制限してという形ではありましたが笠岡に繋がる皆さんの真実のお心寄せをいただき無事につとめることが出来たことは本当にありがたく嬉しく思います誠にありがとうございました記念祭に向かう間大勢の方が準備ひのきしんをおつとめいただいて神殿正面の石畳や壁は驚くほど白くきれいになり来賓の先生方をお出迎えすべく花が飾られ雨樋や手摺りなど金属部分は黒とした美しい色に塗り替えられ神殿内から見下ろす中庭のレンガブロックは鮮やかな色を取り戻し客殿に向かう渡り廊下のガラス窓はきれいに磨きあげられ隅まで掃除の行き届いた客殿から見える庭の景色は美しく整えられておりましたそのような状態で来賓の先生方をお迎えし記念祭をつとめることができたことまた当日の様子をインターネットを通して遠く離れた海外の信者さん日本国内でも参拝が叶わなかった信者さん方に観ていただけたことを本当に嬉しく思います重ねて御礼を申し上げますありがとうございました新しい年を迎え今日は年頭会議ということで先ず天理時報に掲載された真柱様の年頭のごあいさつを読ませていただきます真柱様年頭あいさつ真柱様は冒頭新年のあいさつを述べるとともにさまざまな制約のある中での昨年年間の一同のつとめをねぎらわれたうえで今年も心そろえておつとめいただきたいと話されたこの後教祖の年祭について話を進められたその中で年に一度年祭を勤めるということになれば立教年が教祖年祭の年に当たり来年は年祭を目指す三年千日の動きに入っていくとして道を伸展させるためにはいろいろな意味において教祖の年祭を勤めることは大切なことだと思うので次の年祭は勤めさせていただきたいと述べられたさらにご自身が関わった教祖年祭を振り返られたうえで教祖の年祭を勤める意味を徹底させることは本当に難しいことだとあらためて思うやはり伝える側の責任は大きいと指摘伝える側の姿勢としては信仰姿勢普段から教祖の教えられたことを身に行いなるほどの人になる努力おこたをすることを怠ってはならないその人の信仰から伝わるということはあると強調された最後に真柱様は感染症がこの先どのようになるかは予想もつかないとして安心して御用ができてもできなくても時間は同じように過ぎていくできないのはコロナのせいだというようにせずに与えられた条件の中でやらなくてはならないことをいかに進めるかということをいまの時旬を考えてそれぞれのつとめを果たしていただきたいと述べてあいさつを締めくくられた天理時報本年の活動はおぢばがえり昨年記念祭をつとめ終えた私たちが目指すべき次なる塚は真柱様が勤めさせていただきたいとの思いをお聞かせくださった教祖年祭ですこの教祖年祭に向ってとしては今年年の活動はおぢばがえりおぢばがえりを主眼に置いてつとめさせていただきたいと思います心をおぢばに向け人だすけのためのおぢばがえりをなぜおぢばがえりなのかそれは陽気ぐらし世界の実現に向って私たちのすべきことはやはり人だすけだと思うからです人にたすかってもらうには教祖の教えを実践しおつとめをつとめることおさづけを取り次ぐことはもちろん大切なことですが同時におたすけをする者の心の向きがたすけの元であるおぢばの方をしっかりと向いていないといけないと思うからですコロナ禍でおぢばでの様な行事正月のお節会こどもおぢばがえりなどが中止になりおぢばがえりをする機会が減ってしまっています青年会本部の例会もずっとオンラインで行われていましたが昨年月に久し振りに陽気ホールで開催された例会後に出合った同級生がこの例会がなければおぢばに帰ってくることができなかったと言っておりそういう状況の方もおられるわけですコロナ禍下でおぢばが物理的にではなく少し遠くなってしまっているように感じます真柱様は昨年の記念祭において教祖の教えは変わることはないのでありますしかし人の心の向きは時折思い直すことが必要だと思います自分たちは毎日一生懸命に勤めているつもりであってもうっかりすると最初目的としたのとは違うところへ進むようなことをしているかもしれませんそれが小さなずれであっても万一そのことに気付かず進んでしまったならばやがては大きな狂いとなり目的地を見失って大変な結果を招いてしまうことになりかねないのでありますとメッセージをくださいました今コロナ禍下でおぢばがえりがしづらい状況ですがだからこそおぢばがえりを通して心の向きをおぢばにしっかりと向けたいのですそのために今年はとにかくおぢばがえりをしていただきたいただ今日本では余りにも速いスピードでコロナの感染者が広がっていますいろんなことが難しい状況になるでしょうがこの年の中でチャンスを見つけておぢばがえりをしていただきたいのですそしてこのおぢばがえりは人だすけのためのおぢばがえりとしていただきたいのですもちろんただ帰らせていただくだけでも大きな意味があり大きなご守護をいただけるでしょうがそのおぢばがえりをたすかってもらいたい人のためのおぢばがえりとして行っていただく今年年は人だすけのためのおぢばがえりを通しておぢばにしっかり心の向きを合わせおぢばに心を寄せるそのための年としたいと思いますのでどうぞ宜しくお願いいたします理想の教会像を目指して弛まぬ努力を昨年月に会長の理のお許しを戴いて会長とならせていただきましたそれ以来今この現代社会にあって教会のあるべき理想の姿とはどんなものだろうと自分なりに想像してみると教会が地域社会に溶け込んでそして活発におたすけをする姿地域に根付き地域から必要とされてそしてそこに関わる教会の人たちが喜びいっぱいにおたすけに向っているそんな姿が思い浮かびますそんな姿を思い浮かべながら私自身は悩んだり迷ったりばかりしていますこんなことは言うべきではないかもしれませんが今日のお話もこれで良いのかといつも自問自答しながらお話ししています明日の春季大祭も参拝者を制限しました今の状況下で皆さんにどうぞ参拝してくださいとはとても言うことができないと思ったからですおつとめ奉仕人直轄教会長のみで明日の春季大祭はつとめさせていただきますこのことも一日中迷いましたいろんな方に意見を聞いて話を聞くたびにコロコロと自分の考えが変わってでもやはりこの状況では参拝者の制限をするしかないそう考えて決めましたしかしやはりどこか心残りがあるのです本当なら大祭にお帰りいただいて参拝していたはずの人が私の決めたことによって来られなくなるおつとめをおつとめを参拝をしてもらえなくなるもう何て何て申し訳ないんだでもでも今この状況では決めないといけないのです情けないことに私はまだまだ本当に決断が遅くて時間が掛かりますが個個今その決断をしています間違えるときもあるでしょうからそのたびにそれを修正して直して会長としてより良い教会の姿を目指していきたいと思います年頭のごあいさつで真柱様は安心して御用ができてもできなくても時間は同じように過ぎていくできないのはコロナのせいだというようにせずに与えられた条件の中でやらなくてはならないことをいかに進めるかということをいまの時旬を考えてそれぞれのつとめを果たしていただきたいと述べられましたまた昨年の記念祭において教会長は教会の責任者でありますしかしそれは成人を遂げたからというわけではないと思います親神様から御覧になれば成人への道中にあるという点に於いては皆と同じでありますからこれまで勤めてきた歴代会長の見習うべきところは見習い日会長としての勤めを果たすことによって教会に関わる人から一層信頼され慕われる教会長になるように努力を重ねてもらいたいと思いますとメッセージをくださいました会長を交替してから初めて迎えるこの年頭において少しばかり今私が会長になって思っていることをお話ししました本当に迷ってばかりの決断が遅い者ですが日自分に出来る精一杯で会長のつとめを果たす中で少しずつ成人を進めていきたいと思います今年年私自身もおたすけのおぢばがえりを通してしっかりとおぢばに心を向け心を寄せて通りたいと思いますので皆様方におかれましても今年年はどうぞしっかりおぢばがえりを進めていただきますようお願いいたします春季大祭講話人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう大教会長様立教年大教会春季大祭は月日大教会長様祭主のもとコロナ禍下のためおつとめ奉仕人直轄教会長のみで執り行われた大教会長様は先ず記念祭奉告祭も含め制限下の中おつとめをつとめることが出来たことのありがたさを述べられた続いて春季大祭の意義を述べられ思召にお応えするには教えを求め行いおたすけに励むことが大切としたうえでたすけの元であるおぢばにしっかりと心を寄せることが大切だと述べられたさらに本年の活動目標であるおぢばがえりをどのように進めるかをつぶさに述べて今年年の歩みを促されたただ今はの立教年の春の大祭をともどもに陽気に勇んでつとめさせていただくことができました誠にありがとうございます本日は春の大祭をつとめる意義に併せての今年年の動きについてお話ししたいと思います始めに一言御礼を申したいと思います昨年月日に創立周年記念祭並びに代会長就任奉告祭を執り行いコロナ禍下で参拝者を制限しました今日の大祭も人数を制限しています記念祭も今日の大祭もここにはおられない方ここに来られなかった方が大勢おられますがそういう方の真実の心寄せをいただいてこうしておつとめをつとめさせていただけたことこのことを先ず胸に置きたいのですおつとめをつとめることが出来たことのありがたさをここにおられない方のお陰でもあるということあらためて無事に記念祭をそして今日の大祭をつとめさせていただけたことの御礼を申し上げたいと思います誠にありがとうございますたすけの元はおぢば春の大祭の意義は明治年陰暦正月日に教祖が現身をお隠しになられたこの大節を元一日として親神様教祖の思召をしっかり心に納めさらにはその思召にお応えすることにありますではこの大節に込められた思召とは何かと言うとおさしづに子供可愛い故をやの命を二十五年先の命を縮めて今からたすけするのやでとありますようにこどもかわいいいっぱいの親心から教祖は定命を縮めてまで世界たすけに出られましたすなわち一刻も早くたすけてやりたい一刻も早く心の成人をさせてやりたいとのをやの思いが込められているのですこのことを春の大祭をつとめるに当たりしっかりと心におさめたいと思いますそのうえでこの思召にお応えするには教祖から教えていただいた教えをしっかりと先ず求めそして日実践して通り悩み苦しむ人のおたすけをしないといけませんたすけの手段としてつとめとさづけをお教えいただいていますおつとめをつとめることおさづけを取り次ぐことが大切なのは言うまでもありませんがそれと同時に忘れてはいけないのは親神様教祖にお働きいただいて人にたすかってもらうにはそのための理づくりが大切だということとたすけの元はおぢばだということです親神様がお鎮まりくださり教祖が御存命でお働きくださっているおぢばにしっかりと心を向けて心を寄せることが大切です心の向きをおぢばに合わせる昨年の記念祭にて真柱様はメッセージの中で教祖の教えは変わることはないのでありますしかし人の心の向きは時折思い直すことが必要だと思いますと述べられましたまたおさしづにぢばに一つの理があればこそ世界は治まるぢばがありて世界治まるまたぢばという理を第一心に治めにゃならんまた元というぢばというは世界もう一つと無いもの思えば思う程深き理とありますおぢばは人間世界の元でありたすけの元であるこの元が重要でそれを外してしまってはいけないと教えていただきますまたおぢばに心を寄せることの大切さを思うときに一つの教祖のご逸話が思い浮かびます一八七ぢば一つに明治十九年六月諸井国三郎は四女秀が三才で出直した時余り悲しかったのでおぢばへ帰って何か違いの点があるかも知れませんから知らして頂きたいとお願いしたところ教祖はさあく小児のところ三才も一生一生三才の心ぢば一つに心を寄せよぢば一つに心を寄せれば四方へ根が張る四方へ根が張れば一方流れても三方残る二方流れても二方残る太い芽が出るでとお言葉を下されたこの世界は心通りの守護の世界だとお教えいただく私たちは何か良くないことが起こったとき自分に何か心得違いがあったのではないか自分が何か心得違いをしていたからそれを親神様が身上や事情でお知らせくださったのかと考えますもちろんその考えは間違ってはいませんがこのご逸話ではこれが悪かったからこうなったという因果を越えてもっと大切なことを教えてくださっているように思いますそれがおぢばに心を寄せるということわが子の出直という大節を通して教祖はぢば一つに心を寄せれば四方へ根が張り太い芽が出るとお教えくださっているのです人だすけのおぢばがえりそこででは今年の活動目標をおぢばがえりとしたいと思います今年の年頭に真柱様から道を伸展させるためにはいろいろな意味において教祖の年祭を勤めるということは大切なことであるので勤めさせていただきたいとの思いをお聞かせいただいた立教年の教祖年祭これが記念祭をつとめ終えた私たちが目指す次なる塚になりますがこれに向って来年にはご本部から三年千日の動きの発表があるかと思います大教会としてはこの年祭に向っての今年年はおぢばがえりを主眼に置いて進めていきたいということですただ現在のコロナ禍下では大勢でのおぢばがえりは難しいでしょうから教会単位や家族単位といった形でのおぢばがえりを計画し実行していただきたいそしてただおぢばに帰らせていただくだけでも大きな意味があり大きなご守護を頂戴できますがこのたびのおぢばがえりは具体的なおたすけの対象を決めて行っていただきたいのです人だすけのためのおぢばがえりとしていただきたい今日本では今までにない勢いでコロナ感染者が増加しています今すぐおぢばがえりというのは難しくおぢばに帰られない期間がまだ続くかと思いますがこの期間はおぢばがえりの準備期間としてたとえば教典や逸話篇をひもといて教えを身につける教祖のひながたを求めるそういった時間にしていただきたいのです天理王命教祖ぢばはその理一つ典章談話室であるとお聞かせいただきますおぢばに帰られない期間教えを求今こそおつとめでめるをやの思いを求めるをやの思いにその心を寄せることが私はぢば一つに心を寄せることにも繋がる祈りを捧げる旬米美分教会長三代信行と思います小さな教会ではあるが毎朝一時間そしてこのおぢばへの思いを程かけて神殿掃除をさせて頂いてい教会であれば信者さん家族であればる兄弟子供や孫にしっかりと伝え朝の凛とした空気の中お社等の掃共有してこのたびのおぢばがえり除をさせて頂いているとフッと頭には人だすけのおぢばがえりとし浮かぶ事があるふと浮かぶが神心ていただきたいそれを消すのが人間心と聞いた事がそのうえでおぢばがえりを通してある神様に一番近い所での御用の最ぢば一つにしっかりと心を寄せ人中に思い浮かばせて頂くその時の事だすけのおぢばがえりを楽しみにを私は親神様教祖からのお知ら今年年勇んでお通りくださいますせであると大事にしているコロナウィルスの流行による最初ようお願いいたしますの緊急事態宣言の一昨年月修養科教養掛としてか月詰所で生活させて頂いた月月の月次祭又教祖誕生祭も祭典中は境内地にも入れないので修養科生も詰所で遥拝詰所の宿泊者もほとんど無い状態だったしかしその中で私が感じたのは祭典中以外はマスク消毒間隔を空ける等の予防措置を取れば神殿を始め教祖殿祖霊殿へも参拝出来るおぢばでは今までと変らず親神様教祖が待っていて下さるという事だったそうして教会へ帰り朝の神殿掃除の最中にふと私のこの仕事って何だろうと思い浮かんだそうだ宗教家だでは宗教家って何だ昔から災害が続いたり疫病が流行ったりしたら神社や寺を建てたりして平癒を祈って来たそしてその祈りに携って来たのが宗教家ではないのかとコロナウィルスという疫病に世界が難儀している今この時に祈りの最中心であるおぢばでのかんろだいづとめに現地で祈りを捧げる事は今を生きる宗教家として必然な事であると思った幸いおぢばへは自家用車で行っていたのでそれまでと変わらず毎月車でおぢば帰りをさせて頂いている人との接触をしないよう移動し本部駐車場で車中泊し祭典参拝後非接触で帰った事もあったが宿泊者が無いと詰所も大変なので詰所に宿泊するようにしているしかし自教会にも基礎疾患のある者や教育機関で働いている者等もあり帰宅後週間は家庭内隔離で一ところで前述の不要不急県境をぢばへ帰り境内地に入れない月でもで花の蜜を吸うその時の羽音が蜂に人自室で食事もしていた跨いでの外出を控えるよう言われていイスを持参して本部駐車場で参拝して似ているところから名づけられたといそんなさ中も年程前から始めたる中でのおぢば帰りについて同じ笠地元の道の駅前での神名流しと路岡の人達又支部教区等地域の教会傍講演はずっと続けさせて頂いてい長さん達と話しをさせて頂くと周りる片側車線の国道の反対側からハの環境やその人の考え方等色と違ンドマイクで話しているので感染のいがある事を考慮しても本部からも心配もないと思う夫の教会布教所等で参拝するよそこで私は祈るという事につうにと言われているからおぢばへいて話をし神様でも仏様でもどこは行かないという意見が多く私のに向っても良いからコロナ禍からの考えが皆とは違っておかしいのだろ世界の治まりを祈って欲しい祈る対うかと思った象と方法が解らない人には天理教の教とそこで頭に浮かんだのが私の信会では毎朝に夕にそして天理市に仰初代の入信の動機であったある天理教本部では毎月日夫の明治時代丁度今の様にコレラの教会でも毎月日を決めておつとめと流行の波が何度もあったようであるいうものを通して祈りを捧げているの明治年米府分教会初代三代幸之助で近くの天理教教会へ行ってみて下はコレラに感染した伯母の見舞にさいというお話しをしている行った夜なわで囲み病室にしてい又当教会では教祖年祭活動とした離れの部屋の床下から床を叩く音がいたし引き継いだ現会長も毎月おぢばに帰っていることを思う時初代の信仰につながる魂がおぢばへと運ばせているのかなと思う折りしも大教会年頭会議で大教会長様は本年の活動の上でおぢば帰りに言及された今米府初代の心を動かした布教師のような事は現実難かしいとしてもやり方を工夫すれば出来る事も有るのではないかと考える私はこれからもリモートではなく直接おぢばへ足を運び一日も早く世界中でのコロナ禍で苦しむ人の救かうハチドリのひとしずく辻真一明治学院大学教授監修光文社ではこれはちいさな力の大切さを教えてくれる南米アンデス地方の古くてあたらしいお話ですと次のような話を紹介している森に火事が起きて動物たちはわれ先にと逃げ出しているでもクリキンディという名前のハチドリだけはくちばしで一滴ずつ水を運んで火の上あざわらに落としていく他の動物たちは嘲笑りを祈っていきたいと思ううが私は私にできることをしているだ陽だまりけとクリキンディは答えた本文要約て大教会から提示して頂いたおたすする床板をはがすと下から入ってこの話の続きはなくあとは自分がけお願いカードと毎日のお願い来たのが天理教の布教師であった人つとめを年祭後も継続させて頂いている思い浮かぶ個人の名前と共にコロナ感染が始まってからはコロ目をさけて夜中に床下からコレラの病人のおたすけにやって来たその布教師の態度とお話に感動して入信一握の土ビエンナウイルスで苦しんでいる人終息その年のうちに用木となり布教に出たハチドリという鳥がいる英語ではとの枚も加えている現在教会とのが信仰の始まりだと聞かせて頂くハミングバード体長がにも満たしては年祭直後の倍程の枚数に私の兄である米府分教会前会長もない小さな鳥であるハチドリは空なっている会長を辞す一昨年月までは毎月お中でホバリングしながら長いくちばし感じたままのストーリーを膨らませていけばいい私はこの話を初めて聞いたときある情景を思い出した平成年月天理教教会本部で西境内地拡張整備ふしん土持ひのきしんが始まった教祖年祭に向けて天理教のホームページには本部からのお知らせお道のニュースの他上図のように教理についての項目や諸活動の案内など様な項目が設けられており一般の方もご覧になっていますおぢばがえりを打ち出された本年は特におぢばがえりをするおぢばがえりに際してなどの項目には目を通しておきましょうの活動の一つだったと記憶している重機を使えば短期間で済んでしまう土木工事を人がもっこを担いでするのだからビジネス的に考えればまことにコストパフォーマンス費用対効果の低い活動であると思うしかしそこには決してコスパいう考えだけでは計れない意味と喜びがあった親神様からの借りものである体を使いおぢばのふしんに伏せこませていただいている喜びがあったのだある夏の日別席を運ぶために帰参した甥っ子とこのひのきしんに参加したそこで私はある女性の姿を目撃して目頭が熱くなった車椅子に乗った彼女の膝の上には真っ白なハンカチがおかれていたその上にほんの一握りほどの土を乗せ落とさないように大切に何度も運んでいるのだったこれこそが信仰の喜びなんだと実感した人から褒められたいとか社会的評価を得たいとか何かの恩恵を受けたいとかというよくの心からではなく何が今の自分にできることなのだろうか一握の土が大きな意味を持って私に問いかけて来る春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召から人間世界をお創造り下されたばかりでなく天然自然のお働きをもって陽気ぐらしへとお導き下さるご慈愛の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日を結構にお連れ通り頂いている事を日夜御礼を申し上げると共に御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今月は教祖がおつとめを急き込んで世界ろくぢに踏み均しに出られた尊い月に当たりますので只今からおつとめ奉仕人一同おつとめをつとめられる喜び一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて立教百八十五年の春の大祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中も厭わず寄り集いました道の子供たちが事改めて御高恩に御礼申し上げ共にお歌を唱和する皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて私共は昨年勤めさせて頂いた創立百三十周年記念祭の成人の歩みを台として次なる塚教祖百四十年祭に向かっての更なる成人の歩みを進めるべく今年はおぢばがえりを主眼に活動を進めさせて頂きます日本では現在急激にコロナ感染者数が過去最多を更新しながら尚増加していますこれまで以上に難しい状況が続きますがそんな中だからこそたすかりの元であるおぢばにしっかりと心を寄せるべく努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には先の見えない難渋の中でも親を信じて慕う皆の誠真実の心をお受取り下さいましてお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます訃報砂流勲氏輝伯分教会元会長月日出直されました享年才横山ミキエ姉東城分教会前会長夫人月日出直されました享年才丸山勤氏木津和分教会前会長月日出直されました享年才竹本勘市氏福芦分教会前会長月日出直されました享年才矢田路子姉八尋分教会前会長夫人月日出直されました享年才重政富子姉仲條分教会三代会長夫人月日出直されました享年才田林志計實氏大教会承事東悠分教会二代会長月日出直されました享年才福島悦子姉福満分教会三代会長夫人月日出直されました享年才三宅八壽夫氏稲芳布教所長月日出直されました享年才昨夏以来お知らせが滞ってしまい関係者の皆様にはご迷惑をお掛けいたしました立教百八十五年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者吉岡誠一郎淺野明教賛者上原繁次指図方上原繁道講話大教会長様三月講話武内正美区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝上原志郎三島渉中村道德森本忠善山田敏教渡邉隆夫佐藤真孝大教会長様門脇元教田中隆之前会長様三島渉吉岡誠一郎上原繁道山野弘実横山逸郎大教会奥様武内正美横山小智榮前奥様門脇加津吉岡八恵田中ますみ中村初美田中つかさ吉岡誠一郎淺野明教上原繁次岡﨑真一山田敏教内海史郎中村剛武内清明岡田誠横山逸郎虫明立生今川昌彦今川昌彦高木昭祥岡﨑真一森本忠善赤木素志三代温生上原順子森本冨美子岡﨑豊子内海安子三島照美室悦子今川佐智子岡﨑和美笹尾一美今年の元日今年の元日は穏やかな晴天に恵まれ午前時から人に満たない人数だったがいつもと変わらぬ顔ぶれで元旦祭をつとめさせて頂いた不思議な事に毎年の事だがおつとめも後半が終わる頃になると中年のおじさま方が次と現れるのだ今年の正月は県内ではコロナウイルス感染者の数もまだ小康状態だったのでおつとめ教祖殿行事を終え例年と変わらず酒にお節料理雑煮と強い感染対策の縛りもほどほどに召し上がって頂いたそれぞれの家庭での予定もあるので足早に帰る人が多い中いつも最後まで賑やかに残ってくれるのはおつとめの終わる頃にやって来る常連のおじさま方だしかし将来のおつとめ奉仕者になるかもしれないこのおじさま方は大変貴重な人材であるゆっくりと我が家で寝正月をする事も出来るのにわざわざ足を運んでくれ教会で寛いで下さっている私の心の中はこのおじさま方がおつとめ着を付けてくれるのは自分の信仰姿勢がしっかりとお道のレールに乗ってからなんだろうなと思いながらみんなで楽し気な会話をしている中重鎮である昔の青年さんが少し暖かくなったら又昔の様に日帰りの旅行でも計画しないかと提案した確かに今は県外への移動が自粛と言われる中だが以前は別席伏せ込みひのきしん団参を機会に年に一度はおぢばに帰らせて頂きその帰りの観光を楽しみにマイクロバスを出していたそれが唯一信者さん達がおぢばがえりをする機会だったのだ大切な事はまず教会に心を向けて頂けるようその人たちに興味のある何かしら楽しみの中からでも繋ぐ心を大事にし今までの教会の有り方や自分自身の人に対する態度も再確認しながら教会に来られる人たちが窮屈にならず私自身が喜び勇んで教会生活を送る様つとめなければいけないなとその人の提案のお陰でこれからのお道の中で歩むべき道筋の気づきを頂いた様な今年の元日だったむ
かさおか

『かさおか』第61巻 第1号

立教百八十五年明けましておめでとうございます昨年は創立百三十周年記念祭に向かう仕上げの年として陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げようのスローガンの元それぞれに成人の歩みを進めて下さり大変ご苦労様でしたこの度の記念祭はどうしてもこれまで通りの開催が難しく多くの方には直接大教会に参拝して頂くことは叶いませんでしたがそんな中でも笠岡に繋がる皆さんの真実のお心寄せを頂き無事に記念祭奉告祭をつとめさせて頂けたことは大変有難く嬉しく思っております本当にありがとうございました我の目指すべき次なる塚は四年後の教祖百四十年祭でありますそこで本年はとしておぢばがえりに主眼を置いて進めさせて頂きたいと思いますコロナによる厳しい状況はまだまだ続くと思われますがこのふしも陽気ぐらしをさせてやりたいとの親心からお見せ頂いている姿だと素直に信じ今自分に何ができるのかを真剣に思案し行動に移して行って頂きたいと思いますコロナを言い訳とするのではなく躍動の糧となるよう心明るく勇んでお通り下さいますようお願い申し上げて新年に当たっての挨拶とさせて頂きます長上原明勇笠岡むつみ鼓笛隊鼓笛発表会開催大教会講堂笠岡むつみ鼓笛隊責任者上原繁次は月日大教会講堂で鼓笛発表会を開催したこれは一昨年に続いて中止になっ努力の成果を発揮する舞台こどもたちの東京五輪かなたこどもおぢばがえりの鼓笛行事上で様なゲームに挑戦し盛り上に代えて一年間の練習の成果を披露がりを見せたするために開かれたもので会場には終盤はありがとう夏のおぢ大教会長様夫妻をはじめ保護者や関ばとサンダーバードが演奏され係者などが詰めかけた隊員たちは一年間の練習の成果を遺発表会ではオープニング映像に続憾なく発揮したその後は卒業するきうっせぇわに合わせてボディーパーカッションとダンスが披露された次に鼓笛隊員が舞台立教年年末大掃除管理部は月日大教会年末大掃管理部中学年生へ向けてのビデオメッセージ上映最後に卒業生人が舞台に立ち幼い頃から鼓笛を続けてきて感じた事や感謝の気持ちを涙ながらに語り会場は大きな感動に包まれた除を行い大教会長様令和年月日のお運びで会長に就任をはじめ役員よふぼく信者ら約人が参加した前日大教会月次祭後に積み込んだ男性は白衣に着替えて吉岡理事は初志様のお守を資材アンチブレス脚立シートなどを当日午前時半から神殿内に搬入組み立てを有志で行い午前時に参加者たちは神殿に集合し大教会長様のお手に合わせて親神様教祖祖霊様を礼拝その後それぞれの持ち場に分かれて年末大掃除が始まった男性は白衣に着替えて神床上段中段参拝場の順に脚立や長梯子ビデを使ってはたき掛け拭き掃除と作業を進めたまた婦人会は奥様今年で度目の大掃除に月に誕生した長男初志様を連れて参加を中心に結界婦人会は各所に分かれて夫婦仲良くの方も内の場所に応じた布巾の手配をはじめ信者室各部屋の清掃からトイレ外回りの掃除まで幅広くひのきしんに当たり食堂においても休憩時の茶菓の用意昼食の準備にと忙しく動いて下さった時を回って一度休憩をし昼食の案内があってからはそれぞれのひのきしん部署の区切りがついた人から順次食事をして頂き終わった人から各自参拝して解散したまた午後から正月飾りの門松に使う孟宗竹の加工外枠の組み立てを有志で行い立教年の年末大掃除が無事終了した詰所で本部お供え用餅つきひのきしん昨年末月日詰所で餅つきひのきしんが行われました日からの精米洗いが寒風吹き荒れる中行われ当日日には朝時から時頃まで詰所関係者以外に人の人が集まって賑年の瀬のお忙しい中を誠に有難うございました管理部長虫明立生やかに本部へお供えする餅つきをしてくださいました集まってくださった方本当にありがとうございましたなお今年の本部お節会は二年連続で中止になりましたが本部でお供えされたお餅は本部に参拝された人に下付されたり直属教会関係者を通してよふぼく信者に下付されました上原志郎前会長様詰所主任ご夫妻の見守られる中で十二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様の自由の御守護と深い親心のお導きを頂いてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いた今年も後十日を残すのみとなりました改めて今年一年を振り返ってみますと世界にお見せいただく新型コロナウイルスの感染拡大による影響に思案を重ねながら陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げようのスローガンの元大教会創立百三十周年記念祭並びに六代会長就任奉告祭に向けての成人の歩みを仕上げの年として一生懸命に進めさせて頂いた一年でありましたその中七月に六代会長の理のお許しを頂戴し十月には記念祭奉告祭を喜びの内に無事勤めさせて頂けた事は誠に有難く勿体ない限りでございます本日は納めの月の月次祭を執り行わせて頂く日柄でございますのでただ今からおつとめ奉仕人一同今年一年賜りました数の御守護の御礼も込めまして明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には師走の慌ただしさ寒さを厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げ尚も尽きせぬ親心にお凭れする皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます私共は今年勤めさせて頂いた記念祭奉告祭の成人の歩みを台として次なる塚教祖百四十年祭に向かって更なる成人の歩みを進めさせていただく所存でございます何卒親神様には親を慕う皆の誠真実の心をお受取り下さいまして世界中の人が心豊かな年末と清しい新年を迎えられますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます修養科修了生の声大教会だより自分を変えてくれたおぢば上川邉分教会友井正人修養科に来て本当に良かったですこの三ヶ月間で天理教の事について多くの事を学ぶ事が出来ました又たくさんの友達も出来ました喋べる事が自分から相手に対して出来るようになりました又勉強の科目である感話にも多少なり自分の思っている事が話せるようになりました人と話す事の大切さが分かりました笠岡詰所の教養掛の先生方には本当に手取り足取りおてふりを教えて下さって本当に有りがとうございますおてふりを十二下りを完璧に覚えます又地域に貢献出来ることを何かしたいですそれとにをいがけまた何かにこまっている人がいればおたすけしたいです第九六四期修養科教養掛主主任副副主任一ヶ月目主上原志郎大教会役員副津森朋之簸ノ川分教会長二ヶ月目主田林久嗣大教会役員東悠分教会長副香取雅人川島郷分教会長三ヶ月目主北川治史稲倉分教会長副西村靖彦瑞北分教会長修了者上川邉友井正人本部食堂ひのきしん島根辻井万喜子立教百八十四年十二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様岡﨑真一扈者森本忠善内海史郎賛者渡邉隆夫指図方田中隆之講話佐藤道孝二月講話学生層育成講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝上原浩今川昌彦横山逸郎虫明立生山野弘実杉原善朗淺野明教上原繁次大教会長様中村剛門脇元教前会長様中村道德吉岡誠一郎上原繁道森本忠善武内清明大教会奥様武内正美門脇加津前奥様室悦子中村初美田中ますみ吉岡八恵田中つかさ岡﨑真一杉原善朗佐藤真孝谷内伸自三島渉岡田誠田中隆之杉原博之渡邉隆夫中島誠治吉岡誠一郎高木昭祥吉岡壽山田敏教淺野明教上原浩内海史郎赤木素志上原順子岡﨑豊子谷内美知子内海安子岡﨑和美高木孝子今川佐智子横山小智榮三島照美立教年春季大祭参拝福山武内正美髙屋上原志郎神邉上原志郎島根田中隆之久松大教会長様鶴山佐藤道孝弥髙山上原繁道陽備田中隆之摩耶前会長様金浦上原繁道興明大教会長様ひろさと大教会長様陶山上原志郎芳井上原志郎海松ヶ岡上原繁道吸江上原繁道輝美濃前会長様新山邑大教会長様呰部大教会長様明石市前会長様上下上原志郎府中市門脇元教東城武内正美服部門脇元教島中大教会長様驛家上原繁道葦陽上原繁道湯田原備中神昭美之郷錦備門脇元教武内正美田中隆之大教会長様前会長様わたくし昨年月に編集掛の辞令を頂戴いたしました文章を読む事も書く事もましてや編集掛なんて苦手を通り越してもう無理無理無理無理無理無理無理という私ですが届かぬ事を承知しつつも懸命に勤めさせて頂きますのでどうぞ温かい目で見守って下さい宜しくお願い致しますや
かさおか

『かさおか』第60巻 第12号

芦常分教会大教会長杯親睦大スポーツ大会開催月日茂平グランドで年ぶりに開催第回今年は新しい大教会長様になっての最初の大会になりました昨年はコロナ禍において中止となったこのブロックを越えた親睦を深めるためのスポーツ大会も今年は全国の新規感染者数が激減している中であっても会場に入る前の手の消毒やソフトボールに使う道具類等の消毒ベンチの中でのマスクを徹底して開催しました部内の様な行事が重なった日程であったにも関わらず選手登録された人数が人で観戦者を合わせて当日人程の人がグランドに集合しました福山チームと合同チームのチームに分かれて試合回を戦い戦目ながら事実上の決勝戦は優勝を争う点の取り合うゲームとなりました最終的に福山チームが対で勝利し優勝を飾り惜しくも準優勝になった合同チームも和気あいあいと時間を過ごしました閉会式では大教会長様から賞状トロフィー賞品などを受け取り昼食のジュースとパンを受け取った全員は来年の参加を誓い合って解散しま大教会だよりした辞令昨年は出来なかったこの親睦大会付が今年は開催することができました職制人事参加者は勿論の事開催にあたり準詰所掛主任備と片づけを進んで努めてくださった上原理一皆様のお陰で開催出来た事を心から感編集掛主任謝いたします有難うございました山野弘実親睦スポーツ大会開催担当者上原志郎第九六三期修養科一期講師門司港猪原啓介教会長資格検定講習会修了者終講笠岡岡本善一親睦を深めた参加者達閉会式での様子和気あいあいとした試合お詫び本年月日発行のページ記念祭奉告祭の記事の末尾に編集掛は本巻第号で特集を組む予定としておりましたが編集の都合で特集号として別途の発刊とさせていただきますなお仕上がり次第の発刊となり発刊期日は未定です十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には子供かわいい一条の親心から昼夜を分かたず変わることなくご守護下さり時旬に応じた仕込みをもってお育て下さいます御慈愛の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は届かぬながらもお望み下さる陽気ぐらし世界の実現を目指して日勇んでたすけ一条の上に努め励ませていただいておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てとお教え頂くおつとめを勤める日柄でございますのでただ今からおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせていただきます御前には寒さを厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて現在世界を覆っている新型コロナウィルスによる脅威は日本においては感染者の減少に伴い徐に行動制限の緩和がされつつあり少し和らいでいるように感じられますしかし世界では日に数十万人という新規感染者が出ている状況はまだまだ安心できるものではありません日本の状況が落ち着きある今だからこそ世界に目を向け今この時もコロナ禍にあって悩み苦しんでいる兄弟達がいることを忘れず自分に何ができるのかということをしっかりと思案し教えに基づく心の入れ替えと人だすけの実践をさせていただく所存でございます何卒親神様にはどんな中にあっても親孝心一筋にたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受取り下さいましてコロナ禍が終息し神人和楽の陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十四年十一月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者山野弘実高木昭祥賛者上原繁次指図方門脇元教講話吉岡誠一郎春季大祭講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半門脇元教吉岡誠一郎岡﨑真一山野弘実武内清明岡田誠内海史郎三代温生杉原善朗大教会長様田中隆之上原志郎前会長様上原浩三島渉上原繁道虫明立生横山逸郎大教会奥様内海安子武内正美前奥様岡﨑豊子谷内美知子田中ますみ岡﨑和美山野なつ今川昌彦淺野明教上原繁次佐藤道孝中村道德赤木素志吉岡壽中島誠治山田敏教谷内伸自杉原善朗内海史郎中村剛高木昭祥渡邉隆夫杉原博之岡﨑真一佐藤真孝上原順子三島照美横山小智榮今川佐智子中村初美室悦子門脇加津田中つかさ吉岡八恵年間行事予定表部会婦人会月青年会少年会学生会学生担当委員会婦人会創立の日直轄委員部長委員研修会本部婦人会総会時半中庭笠岡支部婦人会総会こかん様に続く会年頭幹部会天理高校受験世話取り学生層育成者講習会学生生徒修養会大学の部テッチャンシアター学生生徒修養会大学の部親子参拝推進行事笠岡むつみ鼓笛合同練習会春の学生おぢばがえり笠岡団総会父親講座おやさとふしん青年会ひのきしん隊入隊育成講習会テッチャンシアター親子参拝推進行事親里管内学校新入生歓迎会委員部長後継者講習会第希望布教キャラバン隊テッチャンシアター親子参拝推進行事サマーキャンプ学生生徒修養会高校の部の開催期日は未定委員部長後継者講習会第希望本部青年会総会本部女子青年大会時おやさと毎月日ひまわり会例会有志ひのきしん隊毎月備月月はなし勉強会毎月毎月日婦人会例会考毎月日月はなし女子青年伏せ込みひのきしん教会おとまり会の実施笠岡学生会の日立教年令和年年部会全体行事月その他ひのきしん布教部海外部直轄教会春季大祭参拝年頭会議本部食堂島根ブロック部内巡教部内巡教修養科修了講習会勉強会第回於大教会広島平和公園にをいがけ英文パンフレット配布教祖ご誕生祭詰所受入大教会長杯親睦スポーツ大会本部食堂上府ブロック直轄教会定期巡教雅楽講習会草刈り剪定全教一斉ひのきしんデー修養科修了講習会勉強会第回於大教会修養科修了講習会直轄教会秋季大祭参拝雅楽講習会草刈り剪定笠岡おぢばがえり強調月間笠岡布教推進講習会布教推進強調月間勉強会第回於大教会笠岡にをいがけ推進日全教一斉にをいがけデーアフリカ支援バザー秋祭り秋季大祭詰所受入広島平和公園にをいがけ英文パンフレット配布海外伝道講習会月次祭に合わせて心定め提出修養科修了講習会年末大掃除詰所餅搗部長会議毎月日午前註ブロックの区分けは備役員会議毎月日午後役員並びに直轄教会長会議毎月日午後東岡山県以東の直轄教会とその部内教会西広島県以西の直轄教会考雅鶯会練習毎月日午前時とその部内教会上府上下府中市英語クラブ毎月日時半
かさおか

『かさおか』第60巻 第10・11号

三郡分教会陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指して教会に参拝しおぢばの理を戴こう心を込めておつとめをしよう創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行秋季大祭講話素直に教えを信じそして実践しよう大教会長様立教年大教会秋季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら多数の参拝のもと執り行われた大教会長様は着任後初めての秋季大祭に臨まれ子供可愛い一条の親心から啓かれたこの教えを素直に信じ素直に実践したからこその笠岡の道であるとしてその変わらぬ親心に凭れて明るく勇んでつとめる心構えを促された講話内容は次の通りただ今は立教年秋の大祭を皆さんと共に陽気に勇んでつとめることができましたこと誠にありがたくうれしく思わせていただきますただ今から秋の大祭をつとめることまたコロナ禍にあって日後に迎えるの創立周年記念祭並びに六代会長就任奉告祭をつとめることこのことについての意義についてお話ししたいと思います拍手子供可愛い一条の親心私事ですが今年月日に長男が生まれました前会長である父が記念祭を迎える旬に生まれたので初はつし代の志という意味で初志と名付けてくれました子どもが生まれてヶ月今正に子育て中ですがわが子の様子を毎日見ていると本当に可愛くて可愛くて仕方がないんですね泣き声が聞こえるともう放っておけなくなってついつい抱っこをしに行ってしまったりこの子のためにどんなこともしてやりたいそんな気持ちになります人間のをやである親神様も我人間子どものことを思ってくださる気持ちというのは今の私と同じように可愛くて仕方がないどんなことでもしてあげたいとそのように思ってくだされているのではないかと思いますおさしづに人間幾何名の子でも可愛い神も同じ事明とあります親神様は人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいと思召され人間そしてこの世界をお創りくださいました旬刻限の到来を待って天保年月日教祖をやしろとしてこの世の表にお現れになり世界一れつをたすけるためのこのだめの御教えをお始めになりました秋の大祭をつとめるに当たってはこの根本たるをやの思い世界一れつをたすけて陽気ぐらしをさせてやりたいこの思いにしっかりと立ち返らせていただきたい教えを素直に信じ素直に実践するこのたびつとめる記念祭の意義について真柱様は常次のように仰います教会の設立当時の人の気持ちを心に浮かべることが必要であるまた人の顔ぶれ教会の建物と様子時には場所が変わっても変わってはならないのは教会に関わる人の心だでは変わってはならない人の心とは何か私なりに思案しました笠岡の道は上原家の信仰から始まります上原家は大阪で畳の商いをしていましたその中明治年の正月にこの道の話を聞きそれがきっかけとなって信仰が始まりますそして信仰を始めて上原家がどうなっていったか商売は上手くいかなくなり店を畳むことになるそして一家離散初代会長上原さとさんの主人佐助さんは東京に布教に行かれるさとさんは舅姑の願いから笠岡の地に帰りそしてここでの生活が始まりますそんな中でこの笠岡の地でにをいがけおたすけに励まれたそういう姿を見せられながらもこの道の信仰を止めなかった信仰を続けることができたのは私はお道の教えが間違いないんだと素直に信じ素直に実践した素直におたすけに励んだこの心を神様がお受け取りくださったからこそ今に繋がる笠岡の道となったのだとそのように思います元の神実の神の変わらぬ親心私は子どもの出産に際し今回立会出産をしその様子を妻の傍らで見ましたその様子を目の前で見て私が強く感じたのは先ず子どもが無事に生まれてきてくれた喜びそして母親というのはこんなに大変な思いをして子どもを産んでくれていると子どもが可愛くて何でもしてあげた当初出産予定日は月日でした道の歌の動画笠岡の歴史を綴ったいう衝撃そして感激そして産んでいと思っていたとしても例えば赤私は月に会長になりましたが月動画もご覧いただけるようになってくれた妻への感謝の気持ち同時にんぼうに対してならお乳をあげて日から任命講習を受講しなければないます私自身もわが子と同じように母が産んオムツを替えてお風呂に入れてりません初産はよく日にちが遅く今回は皆さんにご参拝いただくこでくれたんだとあらためてそう思っ何でも親はするでしょうが成長しなると聞いていましたので果たしてとは叶いませんが心は一つにこのたときに母に対しての感謝の気持ちていく子どもに対していつまでも予定通りに生まれてくれるのかと心配記念祭奉告祭を共につとめさせてとそしてこの子どもが生まれて親がその口に食べものを運んでやるしましたが月日に生まれてきていただきたいとこういった準備をしくるのもすべて親神様のお働きがでしょうかそれが親のなすことでくれて日間の入院生活を終えて退ていますご参拝いただけない方はあってのこととわが子が生まれたこしょうか私はそうではないと思いま院してくる妻と子どもを迎えに行くこぜひこの動画をご覧いただきたいとを通してあらためて親神様のご守す皆さんもそう思われるでしょうともでき安心して講習会に向かうこ護お働きということを強く感じまし子どもの成人に応じてその時旬にとができました最後になりますがこの記念祭はたふさわしい人間の成人に必要な与えコロナ禍にあってできるのかできゴールではなく次なる塚への向けて親神様が人間創造のそのときからを親神様はたすけてやりたい陽ないのかそんな状況だったからこその新たなスタートとなりますその新子どもが可愛くて仕方なくて何でも気ぐらしをさせてやりたいとの思いかこの立会出産で得た喜び気付きといたなスタートを希望を持って明るさしてやりたいと私たちのためにずっら与えてくださっているうものがより一層大きなものになっを持って通りきれるように記念祭のとお働き続けてくださっている親神コロナ禍にあってもその親神様のたと思いますその日を喜びいっぱいに迎えられるよ様のご守護というものは何も変わっ思いを素直に信じ切ることができたなう今コロナ禍にあってもどんなてはいないこのことを強く感じたわら素直に実践することができたなら今回の記念祭もどうしても参拝者状況でもとにかく素直に教えを信じけです喜びに気付けることがいっぱいあるとを制限せざるを得ませんでした多くそして教えを実践することこのこと思いますの方にはご参拝いただけませんがせをお願いして今日の私の話を終わりいかなる中も善きに導かれる親心めてその記念祭の様子をご覧いただます今世界はコロナ禍にあってなか実は先ほどの立会出産ができなかっけるように今回はインターネットをありがとうございましたなか思うようにならないままならなたかも知れませんでした月は岡山通して動画で準備していますパソコ拍手い状況が続いていますがこの根本に県は緊急事態宣言下でしたので当然ンやスマートフォンでアルファベットは陽気ぐらしをさせてやりたいた病院での立会出産は叶いませんでしで数字でとすけてやりたいとの親心があるそのた宣言が解除され月になってか検索すると記念祭当日の午後時以思いからお見せくださるちょうど良いらもう立会出産ができるのかなと心降記念祭の様子をまとめた動画と姿だと私は思います配していました記念祭に向かって作ったの創立百三十周年記念祭並ニ六代会長就任奉告祭執行される立教百八十四年十月二十四日明治年月日上原さと様を初代会長として名称の理設立のお許しを戴いたは本年創立周年を迎えた昨年月日の事情お運びで臨時祭典願を願い出願い出通り創立百三十周年記念祭立教百八十四年十月二十四日の執行をお許し戴いた続いて執行日を遡るヶ月前本年月日の事情お運びで任命願臨時祭典願を願い出六代会長上原明勇記念祭同日を期しての六代会長就任奉告祭の執行をお許し戴いた両事情お運びに備え付で創立百三十周年推進委員会を発足立教年年頭に三年千日活動を打ち出したスローガン等は本誌巻頭に掲載さらに執行日までの準備を滞りなく進めるべく記念祭実行委員会を置いて諸般の準備を進めたところ去る月日日曜日爽やかな秋晴れの下お許し戴いた通りに記念祭奉告祭が執行されたなお約年にわたる新型コロナウィルス禍の影響で真柱様お入り込みはご遠慮申し上げ世話人島村廣義先生が世話人巡教の礼式に則ってご参拝くだされたまた来賓は芦津大教会長様玉島大教会長様ご夫妻をお招きしおつとめ奉仕人以外の参拝者も雅楽奉仕人教会長夫妻布教所長当日ひのきしん者に制限した編集掛は本巻第号で特集を組む予定におつとめはありがたいものなのだなとだんだん気付くことができました天理教は親が信仰しており私は今まで天理教について詳しくは知らなかったので修養科で多くのことを勉強できました私は事情から修養科を志願しましたどんな状態になってもそれまでの日に価値があり同じように悩んでいる人をこの先助けられるかもしれませんいつか信仰することが一番の幸せへの近道であり神様のおかげだと心から思える日が来るようこれからも天理教と繋がっていたいと思います修養科生の声修養科を終えて上下分教会日南住結私は修養科で聞いた話の中で今後の目標を三つ立てました一つ目は人を喜ばせることです私が一番印象に残った言葉は人助けて我が身助かるです私のクラスでは毎日授業の合間におさづけの取り次ぎを行っていましただんだん身上のある方からご守護をいただいたという話を聞き人の助かりを願うことは素敵なことだなと思いました私は修養科中に初席を運び無事にようぼくになりましたようぼくになった時私より周りの方が喜んでくれ早速いろんな方におさづけをすることができ人助けの素晴らしさを感じました二つ目は当たり前に感謝することです身の内は神様からのかしものかりものです自分が意識しなくとも十全の守護の働きによって毎日生きることができています三つ目は親神様と教祖から手を離さないことです修養科中はしんどいことがたくさんありました毎日神殿で参拝をすることで今まで作業のように参拝をしていたのにこんな大教会だより第九六一期修養科教養掛教養掛主主任副副主任一ヶ月目主田中隆之大教会役員福山分教会長副谷本章高丸分教会長二ヶ月目主中村剛史久松分教会長副本多正悟西伯分教会長三ヶ月目主上原繁次大教会准役員陶山分教会長副藤井保人福東分教会長修了者上下日南住結教人資格講習会全期修了者終講髙児島瀨良志郎教会長資格検定講習会修了者終講福南掛谷善成立教年秋季大祭参拝福山大教会長様髙屋大教会長様神邉大教会長様島根大教会長様久松武内正美鶴山門脇元教弥髙山田中隆之陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備大教会長様上原志郎前会長様上原繁道前会長様門脇元教門脇元教田中隆之前会長様中村剛田中隆之大教会長様中村剛佐藤道孝前会長様中村剛上原繁道大教会長様前会長様上原繁道前会長様中村剛大教会長様上原繁道上原繁道上原繁道上原繁道大教会長様教会名称の統合お預け付久松久津分教会付大教会油木分教会笠晴分川柳の好きな友人に出合った幾つ教会かの自作を見せてくれるどれも面白福山福中分教会福順分いまあこんなん僕でも作れるわ教会福備分教会と思ってやってみたところが案外難髙屋仲條分教会しいもんや結局一句も出来ないま鶴山鶴南分教会たお道の陽気の道柳に投稿されている陽備鴨方分教会お二人と知りあうなおさら出来ない輝美濃輝華分教会真面目なものはなお苦手だしかし上下行縢分教会清嶽分人には何か取り得が有るもの私には教会ギターが有るじゃないか先日才の府中市河面分教会阿木行娘さんに何か楽しんでもらおうとセ分教会府鮮分教会リフ付きのド演歌の弾き語りを披露し右の通りヶ所の名称がお預け教たディックミネの雨の酒場でだ会になったことにより所属の布教所古い唄だなぁ昔の人はディックミネおよび教人ようぼくは立教年を知っている若い娘さんにようも恥月日時点で上級教会へ所属が変更さずかしげもなくようやるわしかし今れますは楽しんでもらうにはギターと唄しなお油木分教会部内の神免分教会かない案外受けたお世辞かこは大教会直轄教会の扱いとなりますれからの残りの人生ギターが楽しみ頼りだひ名称録の訂正輝美濃分教会番号の変更旧と同番号新九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には世界一れつをたすけたいとの思召から旬刻限の到来と共に教祖をやしろとしてこの世の表にお現れになりたすけ一条の道をつけて陽気ぐらしへとお導き下さいます御慈愛の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日親の御心に添わせていただけるよう心がけ持ち場立場の御用の上に勤め励ませていただいておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下された御祭り日でございますのでただ今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝とたすけ心も一入に明るく陽気に勇んで九月の月次祭を執り行わせていただきます本日はコロナ禍の現状を鑑みおつとめ奉仕人のみで勤めさせていただく月次祭となりましたがインターネットを用いてオンライン配信をさせていただいています離れた場所からでもおつとめ奉仕人と心は一つに皆のたすかりを願う真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月はかねてから進められていた教会統合の動きが一区切りとなりこの度十四の名称を御本部にお返し致しましたこのことをただ寂しい悲しい申し訳ないと言う思いで終わらせるのではなく統合をきっかけにそれぞれの教会がより勇み立ち喜び一杯の姿をお見せいただけるように精一杯教会へつながるようぼく信者の修理丹精に勤めさせていただきたいと存じますまたいよいよ来月十月二十四日には創立百三十周年記念祭並びに六代会長就任奉告祭が執り行われます残り一月となった記念祭奉告祭に向けての成人の歩みを最後までしっかりと進めさせていただく所存でございます何卒親神様にはどんな状況の中でも親の御心に添いきるべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受取り下さいましてコロナ禍が終息し神人和楽の陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十四年九月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者武内清明赤木素志賛者三代温生指図方上原繁道講話中止十一月講話吉岡誠一郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝上原志郎中村道德今川昌彦森本忠善上原繁次山田敏教渡邉隆夫大教会長様門脇元教大教会長様前会長様岡﨑真一中島誠治上原繁道吉岡誠一郎山野弘実大教会奥様武内正美門脇加津前奥様岡﨑和美横山小智榮田中ますみ吉岡八恵山野なつ淺野明教佐藤真孝杉原善朗中村剛武内清明内海史郎上原志郎横山逸郎高木昭祥三島渉淺野明教上原繁次杉原博之虫明立生岡田誠上原浩赤木素志三代温生上原順子内海安子岡﨑豊子佐藤香苗中村初美田中つかさ今川佐智子三島照美高木孝子秋季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共に笠岡の道の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊諸の神霊の前に会長上原明勇慎んで申し上げます祖霊様方には親神様の妙なるお導きによりお道の人となられ思召に添う陽気ぐらし世界の実現の為にたすけ一条に邁進されました今日の結構な笠岡の道の姿があるのも祖霊様方が真実を尽くして下されたお陰と日は朝夕に御礼を申し上げると共にたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも本日は秋の霊祭を執り行う日柄でございますので御前に海川山野の旬の物を供え只今はおつとめ奉仕人一同親神様の御前にててをどりをつとめさせていただきました続いて祖霊様方の在りし日を偲び御遺徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下さいまして祖霊様方には御心お安め下さいますようお願い申し上げますさて現在世界はコロナ禍のさなかにありますがいよいよ来月には創立百三十周年記念祭並びに六代会長就任奉告祭の日を迎えます参拝者の数を制限するなど従来通りの開催は叶いませんがこうした姿も陽気ぐらしをさせたいとの親心からお見せいただく姿だと受け止め残り一月陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げるべく今できる精一杯の御用とおたすけに励ませていただく所存でございます何卒祖霊様方には苦しい状況の中でも親を慕いその思いを受け止めたすけ一条に邁進する皆の状をご覧下さいましてより一層笠岡のたすけの道が延び広がりますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十四年秋季霊祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者吉岡誠一郎淺野明教賛者岡田誠指図方門脇元教区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半前会長様上原浩三島渉虫明立生佐藤真孝杉原善朗大教会長様上原志郎上原繁道中村道德門脇元教武内清明大教会奥様武内正美上原順子岡﨑豊子田中つかさ横山小智榮岡﨑真一上原繁次佐藤道孝高木昭祥中島誠治横山逸郎山野弘実森本忠善杉原博之山田敏教今川昌彦赤木素志前奥様門脇加津吉岡八恵笹尾一美山野なつ岡﨑和美秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には世界一れつをたすけたいとの思召から天保九年十月二十六日旬刻限の到来と共に教祖をやしろとしてこの世の表にお現れになりよろづ委細の真実を明かしたすけ一条の道をつけて陽気ぐらしへとお導き下さいます御慈愛の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は届かぬながらも御恩報じを念じて日勇んでたすけ一条の上に努め励ませていただいておりますその中にもこの月はこの道をお始め下されました尊い月でございますのでただ今からおっとめ奉仕人一同立教に込められた親の御心に思いを致し明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせていただきます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが日頃のご高恩に改めて御礼申し上げると共に更なる成人をお誓い申し上げる真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は大祭の月として直轄教会に大祭参拝をさせて頂き秋の大祭とこの度の記念祭とをつとめる意義の周知徹底を図りましたまた記念祭に向かっては十月とは思えぬような暖かさの中大勢の方が大教会に寄り集い準備のひのきしんに真実の汗を流しましたこの勇んだ姿によりなお一層勇み立ち心を一つに揃えていよいよ三日後に迫りました創立百三十周年記念祭並びに六代会長就任奉告祭を喜びの姿で迎えさえて頂きたいと存じます何卒親神様にはどんな中でも親の思いにお応えするべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいましてコロナ禍が終息し神人和楽の陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十四年秋季大祭祭典役割表祭主大教会長様門脇元教扈者上原志郎賛者指図方上原浩吉岡誠一郎上原繁道講話大教会長様十二月講話佐藤道孝区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝上原志郎中村道德今川昌彦森本忠善杉原善朗山田敏教渡邉隆夫大教会長様門脇元教田中隆之前会長様谷内伸自中島誠治上原繁道吉岡誠一郎山野弘実大教会奥様武内正美門脇加津前奥様谷内美知子横山小智榮今川佐智子吉岡八恵山野なつ淺野明教佐藤真孝杉原善朗杉原博之武内清明内海史郎中村剛横山逸郎高木昭祥三島渉岡﨑真一上原繁次岡﨑真一虫明立生岡田誠上原浩赤木素志三代温生上原順子岡﨑豊子高木孝子佐藤香苗中村初美室悦子内海安子三島照美田中つかさ
かさおか

『かさおか』第60巻 第9号

芦田川分教会昭和年月落成陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指して教会に参拝しおぢばの理を戴こう心を込めておつとめをしよう創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行本部学担に参加者の声名参加海松ヶ岡分教会藤原優人私がジョイアススタイルに参加した本部学生担当委員会主催の高校理由は二つあります一つ目はそれ年生が月からは私が高校一年生の時に行った学修が日の間に親里で回に分け開催さ楽しかったからです当時新型コロれ笠岡から藤原優人海松ケ岡分ナウイルスがまだ出ていなかったた北川乃梨子井上莉渚稲倉分が参め男女共に十人の班で色んなゲーム加したや話をしました最初は人がたくさこれはおぢばで仲間と共に教えをんいて緊張していましたがだんだん学ぶ場を設けたいとの思いから実施さ話していくと班がまとまっていきとれたもので参加者は講話やグルーても楽しい夏休みになったからですプタイムレクリエーションを通して二つ目は新型コロナウイルスの影自分の信仰を見つめた響で色なイベントが中止や延期におぢばで共に教えを学ぶ全教の学生たちなってから親に三日間だけどジョイアススタイルに行けると聞いて高校生活最後の夏休みの思い出にしたいと思い参加しました班の男子は三人で初めはどのように話したらよいか戸惑いましたが二人とも優しくすぐに色な話ができるようになりました女子とは少し距離がありましたが班内でのゲームで仲良くなり班対抗競技では連続で一位や二位を入賞することができましたたった三日間でしたがとても充実した期間になりましたそしてもう一度行ける機会があったら行きたいと思いますこれからは私は講話で聴かせて頂いた八つのほこりをつまないように気を付けまた親が何か頼んできたら口答えせずはいと素直に受けたいと思います高校卒業後修養科に入り己のため人たすけのために教理を学んでいきたいと思います最後になりましたが私をお世話して下さった先生方ジョイアススタイルを企画して下さった方ありがとうございました稲倉分教会北川乃梨子参加の動機は一昨年の学修がとても楽しくまた参加したいと思っていたからです最初の気持ちはとても不安でしたコロナ禍という中で全国から人が集まることや友達ができるのか不安でいっぱいでしたがそれと同時におぢばに帰れることやどんな行事があるのかなとワクワクしていました私が日間過ごした中で一番心に残ったことは感謝することですかしものかりもののお話を聞いて普段自分が当たり前のように生活していることは当たり前ではないと気づき当たり前に感謝をしたいと思いましたこれからは感謝の気持ちを忘れずにしたいと思いましたらいな稲倉分教会井上莉渚夏学で一緒だった友達に誘われてその友達に会えるのが楽しみだった困っている人がいたらすぐに声をかけることが大切だということが心に残ったなんでもプラスに考え自分にないものより有るものを見るようにしたいです八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には一れつ子供の陽気ぐらしを楽しみにこの世人間をお創め下されたばかりではなく長の年限天地の恵をはじめ身の内に至るまであまねくご守護を下され今も変わることなくお見守り下さいます果てしない親心の程は誠に勿体なく有難い限りでございます私共はこのご厚恩に報いるべく朝夕にお礼申し上げると共にご恩報じを思い念じてたすけ一条の道を通らせていただいておりますその中にも今日の吉日は月次の御祭りを執り行う日柄でございますのでただ今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心も一入に明るく陽気に勇んで八月の月次祭を執り行わせていただきます御前には残暑厳しい中を厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが日頃のご厚恩に改めてお礼申し上げなおも変わらぬ親心とご守護にお縋りする状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて現在世界ではコロナ禍にあり日本においても感染の拡大が止まらず非常に厳しい状況が続いております行事の開催が難しい中ではありますが今月一日には少年会笠岡団こどもひのきしんを開催させていただき大勢のこども達の賑やかな声が教会内に響きましたひのきしんを通してこども達に信仰の喜びを伝える事ができたのではないかと心より喜ばせていただきますまた先月二十六日には六代会長の理のお許しをいただくことができました新しい会長を芯とし先人の思いをしっかりと受け継ぎ陽気ぐらしへの成人の歩みを進めさせていただく所存でございます何卒親神様にはこの厳しい状況下にあって親を慕い信じてたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受取り下さいましてコロナ禍が終息し神人和楽の陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十四年八月月次祭祭典役割表祭主大教会長様岡﨑真一扈者横山逸郎淺野明教賛者佐藤真孝指図方上原志郎講話森本忠善十月講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝田中隆之岡﨑真一森本忠善今川昌彦佐藤真孝山田敏教淺野明教大教会長様中村剛門脇元教前会長様岡﨑真一中島誠治上原繁道吉岡誠一郎山野弘実大教会奥様武内正美門脇加津前奥様岡﨑和美横山小智榮田中ますみ吉岡八恵山野なつ淺野明教佐藤真孝上原浩門脇元教武内清明内海史郎上原志郎横山逸郎高木昭祥三島渉上原志郎中村道德中村道德虫明立生岡田誠上原浩赤木素志三代温生上原順子内海安子岡﨑豊子佐藤香苗田中つかさ高木孝子今川佐智子三島照美笹尾一美記念祭ライブ配信のお知らせようぼく信者の皆様へもご案内ください新型コロナウイルス感染拡大防止の対策として月日の記念祭奉告祭は参拝者を限定して勤められます参拝対象者参拝申込済の教会夫妻布教所ひのきしん係員のみ当日は祭典の模様を動画配信サイトにて次の日程でライブ配信しますので参拝対象者でない方は各教会布教所宅などから遥拝をお願いいたします時半開扉献饌時祭典開始真柱様祝辞世話人先生代読おつとめ時笠岡の道ビデオ上映時半頃終了笠岡教会チャンネルにアクセスする際はでウェブ検索または右図コードからアクセスしてご覧ください大教会だより教人資格講習会全期修了者終講福南掛谷善成上下山野哉実木津和丸山彩こんなに長くコロナウイルス感染の影響が続くとは夢にも思っていませんでした百年前のスペイン風邪は蔓延を期に約三年かけて収束に向かったと聞きます今と当時では整う医療環境も設備も随分と違うのにどうしてこんなに長引くのだろうか感染意識に対して自分は大丈夫だからとか周りに感染者がいないからとか仕事を休む訳にはいかないからなど様な思いや考えがありどうしても皆が国の対策に添い切れない現状がある様です身近に何かが起こらないと我が事として考え行動に起こさないのは昔からの私の悪い癖で日常生活で考えてみると何気ない毎日の習慣がいざという時の備えに繋がるのだから間近になって慌てない様に今出来ることは後回しにせずどんな事でも最低限の準備はこまめにしておく必要があると歳のせいか最近つくづくそう思いますむ
かさおか

『かさおか』第60巻 第8号

安那分教会昭和年月日移転落成奉告祭陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指して教会に参拝しおぢばの理を戴こう心を込めておつとめをしよう創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行大教会六代会長に上原明勇様月日のお運びで大教会六代会長に上原明勇様が新任のお許しを頂かれました当日は主だつ大教会役員また直属教会長が午後時頃に乗用車マイクロバスで詰所を出発正装無事お許しを戴いて安堵の表情を浮かべる新会長様詰所に帰り前会長様より御礼のあいさつを頂いた暑中ではありましたがで教祖殿へお運びの後午後時頃に第母屋笠岡詰所に帰着詰所会長宅で新会長夫妻のあいさつがありました略歴昭和年月日生まれ平成年本部青年年青年会笠岡分会委員長年青年会本部実行部員少年会子どもひのきしん実施月日昨年に続き今年もこどもおぢばがえりが中止になった中少年会笠岡団武内正美団長は月日少年会本部発行のひのきしんカードを用いて大教会で少年会笠岡団子どもひのきしんを開催暑い中少年会員人育成会員人が集まりましたまずひのきしんについて掛谷委員から説明を聞きその後生かされている喜びを感じながら教会内の長い廊下を雑巾で丁寧に拭き真実の汗を流しました小さなお子さんにはお父さんお母さんが寄り添い元気な子供達は賑やかに端から端まで一生懸命につとめましたその後にはカードにシールを貼ってもらいオヤツをもらってかき氷そして大教会からお下がりのスイカをいただき熱くなった身体を一休みさせました子どもひのきしんのカードのスタンプが一杯になるとマックカードがもらえるとあって子ども達も楽しみながらつとめていましたこのカードは自教会でも自宅でもひのきしんをしたらスタンプを押してもらう事が出来ます一杯になったら少年会の委員に連絡を下さい月頃にはマックカードと引き換えます詳しくは各ブロックの少年会委員にお問い合わせ下さい神殿回廊も客殿渡り廊下もピカピカに記念祭ライブ配信のお知らせようぼく信者の皆様へもご案内ください新型コロナウイルス感染拡大防止の対策としての記念祭奉告祭は参拝者を限定して勤められます参拝対象者参拝申込済の教会夫妻布教所ひのきしん係員のみ当日は祭典の模様を動画配信サイトにて次の日程でライブ配信しますので参拝対象者でないは各教会布教所宅などから遥拝をお願いいたします時半開扉献饌時祭典開始真柱様祝辞世話人先生代読おつとめ時笠岡の道ビデオ上映時半頃終了笠岡教会チャンネルにアクセスする際はでウェブ検索または右図コードからアクセスしてご覧ください七月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの親心から天然自然のお働きや十全の御守護をして下さり日結構に暮らさせて頂いております事は誠に有り難い極みでございますしかるにその理が分からず我がのものである心の遣い方を誤りかりものである身体や自然の働きに支障が出苦しまなければならなくなっております事は誠に申し訳ない次第でございます加えて身上事情も心の立て替えを願う親心の現れである事に気付かずにいる事も大変申し訳ない事でございます親心を知る私共道の子供は日喜び感謝の心一杯にご恩報じを念じてかわいい一列の子供を余す事無く助けたいとの親心を一人でも多くの人に伝えるべくコロナ禍で大変厳しい中ではございますができる限りのたすけ一条の歩みを進めさせて頂いておりますその中にも今日の吉日は此のの七月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めさせて頂きます御前には厳しい暑さよりも又コロナ感染のリスクよりも今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が声を出せずとも心の中で共にお歌を唱和し日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさてコロナ禍が始まって一年半余りが経ちましたが増減を繰り返すだけで未だ終息の兆しは見えません人の心にも焦りとあきらめが入り交じり日の生活にも支障が出ておりますその中自由とは言え個人の主義に走る人が多くなり肝心の助け合いの姿が見えにくくなっています自由だからこそ助け合いの心が大切な事に気付く人が弥増すようたすけの輪の広がりを目指してますますたすけ一条の御用の上に励ませて頂く所存でございますどうぞコロナ禍が一日も早く終息しますよう御守護の程をお願い申し上げます又今月二十六日六代会長任命のお運びをさせて頂きます速やかに理のお許しを賜りますようお願い申し上げますそして大教会長の顔は変わりましても陽気ぐらし実現を目指しての成人の歩みを緩める事無くむしろ早めて行く所存でございますのでより一層のお導きをお願い申し上げます何卒親神様には時代が変わり顔ぶれが変わってもご恩報じの思い変わる事無くたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいましてコロナ禍が治まり思う存分お助けが出来たすけの輪が広がって世界中が欲を忘れて助け合う陽気ずくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十四年七月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者吉岡誠一郎内海史郎賛者杉原善朗指図方田中隆之講話上原繁道九月講話吉岡誠一郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半門脇元教上原浩山野弘実谷内伸自吉岡誠一郎武内清明淺野明教佐藤真孝三代温生大教会長様田中隆之上原志郎上原明勇岡﨑真一今川昌彦上原繁道横山逸郎森本忠善大教会奥様武内正美門脇加津上原愛美内海安子中村初美田中ますみ岡﨑和美吉岡八恵上原繁次今川昌彦中島誠治佐藤道孝高木昭祥岡﨑真一吉岡壽淺野明教渡邉隆夫中村剛山田敏教杉原善朗三島渉内海史郎上原明勇杉原博之虫明立生岡田誠佐藤香苗岡﨑豊子三島照美今川佐智子谷内美知子田中つかさ上原順子横山小智榮山野なつ上原明勇氏大教会だより教会指令任命願前任上原理一新任上原明勇奉告祭承認月も中旬を迎え年延期された東京オリンピックも終わり気づけばあとヶ月余りで立教年を迎えようとしている今日この頃です昨年に引き続き今年もコロナ禍の中で始まりましたコロナ感染の怖さを改めて身近のこととして感じたことがありました月中旬ごろのことです以前私が会社勤めをしていた頃の後輩の君が尋ねて来ました今日は金曜なのにどうしたんよと聞くと今はコロナの影響で在宅勤務になっとるんよとの返事でした時間余り昔話に花を咲かせましたしかし翌日の朝君からラインが届きました彼の子どもがコロナウィルスの陽性結果が出て今救急車が迎えに来ているとのことでした追伸として先輩も気をつけて下さいとありました思い起こせばマスク無しでその上タバコを吸いながら長時間ここに居て正直何を今更言っているんだと思いましたいわゆる彼は濃厚接触者に当たり私もそうですこれから起こるかも知れない出来ごとを考えると恐ろしくなりました家族のこと信者さん宅の講社祭また教会の祭典など皆さんと接触する機会が多くなりもし自分も感染していたらどうしようと思いました日後知人から君は陰性との連絡をもらい本当にホッとしました決っして他人ごとではありません感染しない様感染させない様最大限の努力をしましょう
かさおか

『かさおか』第60巻 第7号

芦品分教会陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指して教会に参拝しおぢばの理を戴こう心を込めておつとめをしよう創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行明勇様愛美様に第一子の男児ご誕生上原明勇様愛美様ご夫妻には月日の午後時分第一子となる長男がご誕生体重はグラム母子ともに産後の経過は順調はつしで大教会長様より初志と命名された同月大教会長任命のお運びという目出度い月柄に長男誕生という慶事が重なり明るい兆しとなった峠越えにトラブルはつきもの遥か彼方に望む大和の街並青年会十三峠越え実施月日月日青年会上原明勇委員長で十三峠越えを実施しました青年会員人人車両係で朝時にを出発スタートの高安大教会近くから約の道のりを時間分約万歩歩いておぢばへ帰参しました私は年程前の大学生の時に一度経験していましたが今回初めての青年会員さんもありまたまだまだ若いとはいえ肉体的体力的にも多少の不安がある中皆大きなトラブルもなく若干名靴底剥がれ股ずれひざの痛み股関節の痛み等有り無事に帰参することができました峠越えの序盤は意気揚と賑やかに青年会らしく歩みを進めていましたがだんだん疲労もたまり口数も減ってきて無心で歩くようになってくると自分自身の心の中で色な思いが廻ってきました良いことも悪いことも勇んだり案じたりそんな時にふと今自分たちが歩いているこの道はこかん様の浪速布教だけでなく道の先人達も色な思いを背負って通った道であるということこの人にもあの人にもたすかってもらいたいといろんな人の顔が浮かんできました普段のおぢばがえりではあまり感じることのできない苦労して歩いて帰るからこそおぢばで教祖がずっとお待ち下さっているという思いが込み上げありがたく足の痛みも忘れ勇気づけられ気がつけばおぢばへ到着していました歩いたからこそ味わえた先人達の足跡に思いを馳せ大教会の記念祭奉告祭を目前に今自分達にできることを考え一人ひとりの信仰生活の充実プラスに繋がった十三峠越えでした昨今いろいろな行事開催が難しい中送り出して頂いた大教会長様また大教会出発到着時やさしい笑顔で見送り出迎え頂いた愛美奥様サポート頂いた皆様本当にありがとうございました笠岡分会委員三代幸徳何度も気を取り直して気がつけばおぢばへ本部秋季大祭月次祭の昇殿参拝についての本部秋季大祭月次祭に昇殿参拝を希望の方は留意事項を参照のうえ次の通りお申し込みください担当大教会岡﨑真一詰所上原浩記申し込みについて秋季大祭各月次祭に割り当てられたからの昇殿参拝者数は名までです昇殿参拝希望者は当月日日に下記段取りでお申し込みくださいア岡﨑携帯へのショートメール等で次の項目を文字でお送りください伝言は受け付けません時間以内に受付完了の返信が届かない場合はおくださいイ教会名および昇殿参拝希望者名ウ車イス使用の場合は付き添い者の教会名氏名定員を過ぎた場合また昇殿参拝が中止になった場合は追って連絡いたします昇殿参拝者の留意事項コロナ禍の増加傾向等に配慮し次の各点に留意願います当月日から当日まで各自検温体調不良不安がある等状況によっては昇殿参拝を辞退帰参を見合わせるなど無理のないように対応前日からの詰所泊詰所食については日前までに詰所へ連絡昇殿参拝者は詰所発のマイクロバスに乗車し分後に神殿南正面東手水舎に集合詰所出発時刻は当日の午前時秋季大祭は時直接集合場所に行かれる方は詰所上原浩に一報不慮の事態により集合時刻に間に合わない場合は欠席扱いとなり昇殿できない昇殿参拝の際には必ずマスクハッピネクタイ女性は準ずる服装を着用し近距離での会話を避けるシャツ短パン類は不可神殿到着後は東礼拝場階下の受付に代表者が名簿を提出し全員まとまって昇殿係員の指示に従って着座車イスを利用する場合は付き添い者同日の昇殿参拝者といっしょに西礼拝場外のスロープ昇降口から入場西礼拝場内車イススペースで参拝受付不要脚付きの座椅子を使用する場合は西礼拝場車イススペースで参拝殿内の畳の上廻廊では使用不可祭典後アナウンスの指示に従って退場欠席の場合は日までに岡﨑へ連絡以上来る心になってもらえる場所にして行所の先生方をはじめたくさんの方修養科修了生の声きますのおかげで無事に終えることができました感謝の気持ちを忘れず修養科修養科三ヶ月を終えて修養科を終えて髙屋分教会武内さつきで学んだことを活かし人のためにできることをしていこうと思います福南分教会掛谷善成修養科での三か月色んなことを学今回修養科に来るキッカケが年前ばせていただきましたヶ月の修養科を通しての前会長の出直しで自分が会長になコロナで大変な時期でしたが毎日髙屋分教会武内文香る為でした神殿教祖殿に行きおつとめができる私はこの修養科でのヶ月たくさ会長になると決めた時は何度もなこと外に出て普通に生活できることんのことを学び知ることができましんで俺がやらなきゃいけないのかとがありがたいことなのだと改めて感た思いましたが修養科に来て色んな事じることができ毎日元気に過ごせて私が修養科で特にすごいなと思ったを学んでいく中でなるほどと思いるのは親神様の御守護のおかげなののが誰かのたすかりを願って何かをさう事やすごいなぁと思う話を聞くだと身にしみて感じましたせて頂くということです修養科で周事で目指して良かったなと思いましまたクラスのみんなで身上の方のりの人に身上や事情をみせて頂きそたたすかりを願ってお願いづとめやおの度にお願いづとめやおさづけの取り自分の信仰心はまだ浅く人に教理さづけの取り次ぎをさせていただき次ぎをしたすかりをみんなで願いまを説くなども難しいですが今回修養人のたすかりを願うことがこんなに素した今までの私はここまでしてこな科に来て学んだ事や一緒に学んだ人晴しいことなのだと感じることがでかったなと気づかせてもらい反省しま達と過ごした日を心にこの先も学きおつとめやおさづけへの意識が変した修養科に来させて頂いて考えがび成人して行きますわりましたいい方向に変わったように思います今回天理にこれて一番学んだ事は練り合いの授業ではクラスの人のまた修養科詰所でおさづけの取り次おぢばという場所がいかにすばらしいお道の通り方や考え方など色んな話をぎをさせて頂く機会もあり本当にあり所かということです人が人を助ける聞かせていただきとても勉強になりがたいなと思いましたという事がたやすく行われておりあ自分の通り方を振り返るいい機会となまた私達はコロナの影響で修養科にたたかさに満ち溢れていましたりました行けず週間詰所待機になったことに自分の教会も来たら人にやさしく出最初は不安だった修養科ですが詰より普通に生活していた日がどれほどありがたくあたり前ではないんだということに改めて気づかせて頂きました修養科の先生や教養掛の先生詰所の先生方など本当にたくさんの方に支えて頂き毎日感謝の気持ちでいっぱいでしたこれから教会へ帰っても自分のできることを精一杯させて頂きまた感謝の気持ちを忘れず人のたすかりを願い日通らせて頂きたいと思います修養科を終えて島根分教会門脇はづきこの修養科三ヶ月間で本当に様な経験をさせていただきました三ヶ月のはじめから終わりまで詰所だけではなくクラスでも次から次へと小さな事から大きな事までたくさんの身上や事情を見せていただきました起こってくる事は全て親神様からのメッセージであるとお教えいただいています組係というお役をいただいたこともあり人一倍考える機会を頂戴しましたこうして周りにたくさん見せていただく事からまだまだ足りないクラスの皆さんに申し訳ないと反省するとともにでは今何をするべきかみんなで揃って三ヶ月通り切らせていただくには何が必要かと考えさせられましたそうしてクラスでは毎日のように時間を見つけてお願いづとめをしたりおさづけを取り次がせていただいたり休み時間も授業終わりの時間も朝も夕も変わらずずっととにかく人のたすかりを願う時間へと変わっていきましたその結果何人もの方の身上も事情も次とご守護いただきやはり修養科というところはたすかる場所なのだと実感しましたそれと同時に自分の無力さを痛感しました私一人でできたことは一つもなく先生方をはじめクラスの皆さん周りの方がいてくださったからこそ通れた三ヶ月ですそして当たり前の事ではありますが親神様のご守護があり教祖の通ってくださったひながたがあるからこそ今の私たちがあるのだということを改めて強く感じました同時にそれは修養科だけの話ではなく教会でも同じことで今の私があるのは先人の方達をはじめ教会の方達の支えがあってこそです今一度それを胸に置いてたくさんの方への感謝の気持ちを忘れず人のたすかりを願いおつとめをしおさづけを取り次ぎいつでもどこでも親神様教祖にお使いいただけるようぼくとなれるよう起こってくること見えてくることを喜んで日通らせていただきたいと思います節を与えていただいて福富士分教会藤井里奈私は修養科で今ある幸せを感じ楽しむ器作りを目指していたするとその通りの節を与えて頂いたすぐには喜べなかったが今まで信仰を繋いでくれた理の親育ての親また修養科で出会った先生方の親心と周りの方のおかげで生き節にすることができた親神様は望めば望むほど課題を与えて下さりパワーアップさせて下さると感じたまたおつとめで心通りの御守護を頂けると実感したこれからは形だけではなく感謝お詫びお願いの順序でおつとめをしたすけて頂いた方への恩を忘れず返していく通り方をしたいご指導下さいました教養の先生方温かく見守って下さいました詰所の先生方修養科同期の皆様本当にありがとうございました修養科を終えて品治分教会渡邉芙佐子私は自教会の方の付き添いで修養科に入らせて頂きました六十年前に修養科を出ていますがその時はただばくぜんとしていた様に思います教祖伝教典おてふり鳴り物と学ばせて頂き合わせる事誠真実陽気ぐらしおさづけと今さらながら用木の御用につとめさせて頂かないとと決意しました若い娘さん達と一緒にくらす事又私達年寄りに寄り添う様にいつもだれかがそばにいて下さり教養掛の先生方には送迎をして頂きながら一日も休むことなく朝夕の神殿掃除定時ひのきしんにとがんばらせて頂いたと思います四月の中ごろにコロナの事情も有り精神的にも大変なときも神にもたれて無事におつれ通り頂きました感謝で一ぱいです教会に帰らせて頂きましてもよろこび勇んだ心を忘れずに日神様の御用をつとめさせて頂くつもりです三ヶ月間の修養科を終えて品治分教会中山今子長年の間思い続けていた修養科に親神様が引きよせて出させて頂き喜んでおります家の事何もかも忘れて三ヶ月間教祖の元へ帰らせて頂きありがたく感謝しています私のために教会の奥様が二回目の修養に出て下さってほんとうにもったいないと思っております時朝夕のおつとめに本部神殿参拝し生かされていると感動しました又朝のひのきしんでの神殿そうじは修養科に出させて頂いたから出来たと勇んでもったいないと思っております足が悪くつえが必要でしたが御守護頂き良く歩けるようになり喜んでおります親神様教祖の道中を学ばせて頂き地元へ帰り教会の御用ひのきしんおさづけのお取次人にほこりを積まさぬようにしようと思っています陽だまりビエンピリカ知床の岬にはまなすの咲くころ知床旅情は森繫久彌が作詞作曲を手掛け年の第回紅白歌合戦で森繁自身によって披露された歌である後年加藤登紀子がカバーし年には第回レコード大賞歌唱賞を受賞した有名な曲でもあるこの曲の番に今宵こそ君を抱きしめんと岩かげに寄ればピリカが笑うという歌詞があるこのピリカとはアイヌ語で美しいと言う意味であるまた北太平洋に広く分布するエトピリカはアイヌ語でくちばしエトが美しいピリカという意味の通りオレンジ色の大きなくちばしを持つ鳥であるしかし君を抱こうとして岩陰に誘ったら鳥に笑われたでは興ざめだやはりピリカとは美しい女性という説に共感するつまり美しい娘さんがウフフと意味深に微笑むのだと想像すればとても楽しいさて筆者は最近ピリカを始めたこのように書くと大変な誤解を招くかもしれない決してウフフを始めたのではない岡山県環境文化部が主催する晴れの国クリーンアップおかやまによるとピリカは世界ヶ国以上で利用されているごみ拾いを楽しく広げるボランティアですと記されているなんじゃそりゃ余計分からんわという方はスマホを利用して楽しくゴミ拾いをすることと簡単にお考え下さいコロナ禍中三密にならずひのきしんができてしかも心をつなぐ方法はないかと思案していた時にピリカを知り若い人たちを中心に声を掛けたすると結構たくさんの人たちが日本国内だけでなく海外からも参加してくれたピリカのやり方はとても簡単で日常のひのきしんに限らずたとえば全教一斉ひのきしんデーなども個人や家庭の単位でゴミ拾いに参加しその結果を報告するだけでいいピリカにはキッズひのきしんクラブとして登録してあるので日にち参加人数拾ったゴミの量などを写真と共にスマホで投稿するとピリカのメンバーからありがとうやコメントがキッズひのきしんクラブ宛に届くのであるこうして月から僅かか月間でを超えるありがとうやコメントをいただいているピリカは完全無料のアプリなので安心して参加でき活動の成果をグループラインで伝えることによって喜びを共有六月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに十全のお働きを以てご守護下さっているばかりではなく身上事情に苦しむ者には親心のままにおたすけをして下さっております事は誠に有難い極みでございます加えて病の元である心のたすけをすべくこの世の表にお現れになり陽気ぐらし建設の為のよふぼくを寄せてよろづ委細を教え陽気ぐらしへの道をおつけ下さいました事は感謝の念に堪えません先人を始めこの道にお引き寄せ頂いた私共は日朝夕に御礼申し上げると共に陽気ぐらし実現を目指してつとめとさづけの充実を図りつつたすけの輪を広げるべくにをいがけおたすけにも励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は理のお許しを戴いた月に一度の御祭り日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝とたすけ心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めて六月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には緊急事態宣言解除の安堵感を胸に今日を待ち望んで寄り集いました道の子供達が日頃の御高恩に改めて御礼申し上げコロナ禍の一日も早い終息をも願う皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて沖縄を除いて緊急事態宣言は解除されましたが引き続きまん延防止等重点措置に移行するところも多くまだまだ予断が許されない状況でございますがワクチン接種が進み少しは明るい兆しも見え始めていますその中今月から限られた人数ではありますが再び本部月次祭昇殿参拝が始まり喜びも一入でございますこれから徐にではございますが帰参者を増やしていくと共に新しい帰参者をご守護頂けるようにをいがけおたすけに励ませて頂く所存でございます又たすけの輪を広げる為には自分自身のたすけ心を磨き鍛えて行かなければなりません大きなお助けは出来なくても身近な出来るところからのおたすけを続けて行く所存でございます何卒親神様にはコロナ禍により大きな変革を余儀なくされている現状にあって変革に惑わされる事無く親を信じ親に凭れてたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由のご守護をお現し下さり共に助け一条の歩みを進める人が弥増してよろづ互いが欲を忘れて助け合い喜び合う姿に親神様も共に喜んで頂く神人和楽の陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますブログ版陽だまり語録をご覧になりたい場合はスマホやパソコン等で陽だまり語録と検索されるか下記アドレスをしてくださいし心をつなぐことができるのである梅雨の最中でもパプリカのメロディーに乗せて口ずさむとまた楽しいパピリカ雨が降ってても晴れた心でピリカしよう大教会だより第九五八期修養科教養掛主主任副副主任一ヶ月目主吉岡誠一郎大教会役員興明分教会長副福島泰道立教百八十四年六月月次祭祭典役割表祭主大教会長様三島渉扈者虫明立生高木昭祥賛者渡邉隆夫指図方上原明勇講話三島渉八月講話森本忠善区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝上原明勇中村道德杉原博之中島誠治横山逸郎杉原善朗岡田誠上原繁次大教会長様門脇元教中村剛上原明勇三島渉谷内伸自上原繁道上原浩虫明立生大教会奥様門脇加津武内正美上原愛美横山小智榮谷内美知子田中ますみ吉岡八恵山野なつ淺野明教山野弘実佐藤真孝田中隆之山田敏教淺野明教上原志郎今川昌彦内海史郎岡﨑真一三代温生森本忠善森本忠善高木昭祥渡邉隆夫内海史郎赤木素志杉原善朗上原順子笹尾一美三島照美佐藤香苗岡﨑豊子岡﨑和美今川佐智子内海安子田中つかさ瑞北分教会長二ヶ月目主谷内秀自輝美濃分教会長副掛谷宣和坪生分教会長三ヶ月目主武内正美大教会役員髙屋分教会長副下田誠輝神村分教会長修了者福南髙屋髙屋島根福富士品治品治掛谷善成武内さつき武内文香門脇はづき藤井里奈渡邉芙佐子中山今子教人資格講習会修了者全期終講稲倉北川孝道テレビを見ると朝から晩までコロナコロナのオンパレードだ今はワクナンワクチンと言っている私は月日に回目のワクチンを打った回目は月日だ回目を受ける迄は何だか不安だった情けないがこれが現実だ回目ワクチン受け済みのタスキを掛けたらどうだろう回目を受けてもマスクは外せない電車に乗ってもお店もマスクなしに入れない時に思うようぼくとしての自覚はないのか身を潜めているばかりの私では申し訳ない月日発行の天理時報にはこの記事が有る教会本部は日本部神殿でお願いづとめを勤めたおつとめに先立ち宮森内統領があいさつを行った中略親神様の積り重なるもどかしさを私たちが晴らしていったならば少し心配はいらないいま私たちのすべきことは明かるい心でおたすけに努めることであるむねのそうじは人間思案のない先案じのない心に変えていくことであると語ったと掲載されている誠に届かない私ですががんばるしかありませんひ
かさおか

『かさおか』第60巻 第5・6号

笠尋分教会陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指して教会に参拝しおぢばの理を戴こう心を込めておつとめをしよう創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行四月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の親心一杯のご守護により空は光り輝き桜に続いてツツジの花が咲き始め春告げ鳥の声が山に高らかに鳴り響いて春爛漫の季節を味わわせて頂いております事は誠に嬉し楽しの極みであり大変喜ばせて頂いておりますしかし一方ではコロナの感染が徐に拡大し今まで通りの行動がままならない状況でありつらく苦しい思いも同時に味わわせて頂いておりますその中この状況を乗り越えようと気持ちを前向きに努力する者こんな中だからこそと人の為に心を遣い助け合いをする者が居ます事は大変心強い限りでございますそれに負けじと道の者は世界一列を救けたいとの親心とお働きを伝え身上事情の元は心一つの理にあり人救けて我が身助かるの真理を一人ひとりの心に映していくべく今出来る限りのたすけ一条のご用の上に励ませて頂いております又先日四月十八日は教祖二百二十三回目のお誕生日に当たり多くの人は帰参出来ませんでしたが各の教会や自宅でおつとめをさせて頂き共にお祝いを申し上げさせて頂きました誠に有難く存じますそして本日はこれの笠岡の御祭り日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心も一入に教祖に教えて頂いた通り明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて四月の月次祭を執り行わせて頂きます御前にはコロナ禍の中にあって言改めて御礼申し上げたい又コロナ禍を一日も早く終息を願いたいと寄り集いました皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて二十九日の全教一斉ひのきしんデーは皆が寄り集まってひのきしんに励む事は出来ませんが世界中の道の子がこの日ひのきしんに励んでいる事を感じながらたとえ一人でも家族単位でも勇んでひのきしんをさせて頂きたいと存じます又来月はコロナ感染防止に充分配慮しながら直轄教会の巡教をさせて頂きますコロナ禍で心を倒さないよう励まし合うと共に今だからこそ自分の信仰を見つめ助かりたいから救けたいに方向転換し身近な人からその心を映してたすけの輪が広がるよう努めさせて頂く所存でございます加えて今年も夏のこどもおぢばがえりや学生生徒修養会高校の部の中止が発表になりましたおぢばでお仕込み頂けないからこそ親が直接仕込んでいかなければならない事を自覚しこれも良い機会と捉え丹精に力を注いでいく所存でございます何卒親神様には成ってくるのが天の理と全て親神様のたすけ心の現れと捉えたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さり万たすけの上に更なる自由のご守護を賜りまして親心に触れ親の働きを知りかしものかりものの喜び感謝の心一杯にご恩報じを念じる人が弥増して万互いが欲を忘れて救け合って陽気ぐらしを満喫出来る日が一日も早く訪れますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより人事付登用雅楽奉仕人北川茂久職制人事会計部部長学担委員長以外佐藤道孝学生担当委員会委員長副委員長副委員長副委員長委員上原繁次佐藤真孝杉原善朗高田一弘淺野明教上原一始岡﨑治喜藤本晴司貞清知実森川道弘本多正悟下田誠輝上原喜三藤井成人武内ゆり五月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに親心一杯にご守護下さり陽気ぐらしへとお導き下さっております分けても今はサツキが咲き始めたばかりなのに例年より早くもう梅雨入りとなり連日雨が降ったり止んだりが繰り返されてすっきりしない天気が続いていますまるで外出の自粛を促して下さっているようにも感じます東京大阪等に続き岡山広島にも緊急事態宣言が出され人の往来が制限され普段通りの生活がままならない状況ではありますが非日常を楽しむ術をお与え下さっております事は誠に有り難い事と喜ばせて頂いておりますそして道の子は改めて教理の探求をさせて頂くと共にやネット等を使って一人でも多くの人に親心を伝えるべくにをいがけおたすけに励ませて頂いておりますその中今日の吉日はこれの教会の五月の月次祭をつとめる日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めさせて頂きます本日は緊急事態宣言の関係でおつとめ奉仕人以外の方の参拝をお断りさせて頂くと共に備中備後地域在住のおつとめ奉仕人のみで勤めさせて頂きます来られない人の思いも込めて勤め又来られない人は教会や自宅でおつとめを勤めて共に日頃の御高恩に改めて御礼を申し上げ一日も早いコロナ禍の終息を願いたいと存じます皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて記念祭奉告祭まで後五ヶ月でございます本来ならば三年千日と仕切っての成人の歩み総仕上げの時期でございますが声掛けは出来てもおぢば帰りがままならず何とも歯痒い思いでございますそれだけにおぢばへの思いをより強くしてコロナ禍に負けないよう成人していく所存でございます又高齢者からではありますが一般の人にもワクチンの接種が始まり一日も早いコロナ禍の終息が期待されますが肝心なのはコロナ禍を通しての人のこころの変化であり助け合いの輪が広がっていく事だと思わせて頂きますたすけの輪を広げようの合い言葉は記念祭に向かってだけのものではなくよふぼくの使命として再確認しこれから益たすけ一条の上に励ませて頂く所存でございます何卒親神様には陽気ぐらし世界建設のよふぼくとの自覚を高め今まで以上にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚一層のご守護を賜り共にたすけに邁進する人が弥増して一日も早く陽気ぐらしの世の状が訪れますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます掛谷喜代子北川茂久教人資格講習会修了者全期終講髙屋武内ゆかり月が近づくと憂うつな日が続く県庁提出書類予算管理簿の提出日が迫ってくるからだ支部への締切は月日毎年月になったら始めようと思っている昨年もその前の年もそうだったと思うが結局間近になって大慌てするのだ立教百八十四年四月月次祭祭典役割表祭主大教会長様赤木素志賛者中村道德佐藤真孝扈者山野弘実指図方門脇元教講話大教会長様六月講話三島渉区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半上原志郎虫明立生三代温生大教会長様上原明勇上原繁道大教会奥様上原愛美田中ますみ今川昌彦岡﨑真一田中隆之中島誠治佐藤道孝武内清明佐藤香苗上原順子今川佐智子田中隆之吉岡誠一郎上原繁次中村剛岡﨑真一横山逸郎武内正美門脇加津高木孝子佐藤真孝中村道德三島渉高木昭祥山田敏教赤木素志森本冨美子笹尾一美三島照美今川昌彦山野弘実渡邉隆夫門脇元教中島誠治森本忠善岡﨑豊子岡﨑和美田中つかさ岡田誠三代温生虫明立生内海史郎杉原善朗淺野明教横山小智榮山野なつ吉岡八恵立教百八十四年五月月次祭祭典役割表祭主大教会長様山田敏教賛者今川昌彦岡田誠扈者森本忠善指図方上原繁道講話なし七月講話上原繁道区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半田中隆之山野弘実内海史郎大教会長様上原明勇上原繁道大教会奥様上原愛美田中ますみ佐藤真孝佐藤道孝中村剛三島渉高木昭祥赤木素志虫明好美今川佐智子佐藤香苗佐藤道孝森本忠善佐藤真孝上原志郎岡﨑真一武内清明上原順子岡﨑豊子山野なつ上原繁次中村剛三島渉山田敏教岡田誠虫明立生内海安子田中つかさ高木孝子岡﨑真一高木昭祥上原繁次田中隆之今川昌彦山野弘実大教会奥様岡﨑和美田中つかさ上原明勇赤木素志上原志郎虫明立生武内清明内海史郎笹尾一美上原愛美三島照美まずもみじ饅頭の空箱に無造作に入れられた領収書を月ごとにまとめ使用したお金が何の項目祭務教務維持人件費などに当たるか分けお供え収入も管理台帳に記入していく正直どれがどの項目に該当するのか良く分からないのが現状だ次の作業が電卓片手に老眼鏡を上下にしつつパチパチと数字を確めながらの計算やっと終了と思いきや合計金額が合わない何回やっても同じことついには何が何だか分からなくなる最後は支部担当者に助けを求めてやっと完了親しい教会長曰くパソコンで専用のソフトを利用すれば計算間違いもなく簡単に出来る今どき電卓使って何やっとるんじゃーとのことそれが出来んけー頑張っとるんじゃーわしゃーアナログ人間じゃ文句あるきゃーと私考えてみると教会に繋って下さる方の支えがあって教会へのお供えがあり必要に応じて使わせて頂けるから収支の報告が出来るのだなにゅー面倒くさがっとるんじゃちゃんとやれどこからか声が聞こえたき
かさおか

『かさおか』第60巻 第3・4号

深安分教会平成年月日落成奉告祭陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指して教会に参拝しおぢばの理を戴こう心を込めておつとめをしよう創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行少年会コロナ禍の中さまざまな場面で感染拡大防止に配慮しての開催となったおつとめまなび総会開催大教会少年会笠岡団武内正美団長は月日大教会でおつとめまなび総会を開催しました参加者は少年会員人育成会員人総数人受付数でした今年はコロナ禍の中での開催となりましたが人を超える参加者の御守護を頂きましたおつとめまなびはよろづよ八首を総立ちでつとめさせて頂き式典お楽しみ行事と時間程の総会でしたが賑やかに勤めさせて頂きました昼食はハンバーガーセットカレースイーツとボリューム満点のお弁当で大人も子供も大満足のメニューとなりました年に一度のこの総会は個の教会で子供におつとめを教え共に練習し大教会でつとめさせて頂く大変意義深い行事であります毎年開催させて頂くことに大教会長様も大変お喜びになっておられます将来の個の教会において重要なよふぼく育成の場となっているこの総会皆様と共にさらに内容のあるものになる様ご助言を頂いてつとめてまいりたいと思いますので今後とも宜しくお願い致します少年会委員中村剛史修養科修修養科を終えて芳井分教会佐藤孝祐このカ月間修養科で学ばせてもらって身をもって感じさせてもらったのが人を助けて我が身助かるである修養科にはお年寄りの方が多く身上を持っている方がたくさんいたのでたくさんおさづけを取次がせてもらい月からは日回おつとめをする心定めをして親神様に身上のたすかりをお願いしていたその時に思ったのが人のたすかりを願うことってこんなにも体がポカポカするものなんだなということだおさづけおつとめをしている時にその人が助かって笑顔になっているところを想像すると心から助かってほしいなと思えるしその人の良いところをたくさん思い出してとても暖かい気持ちになれる何よりもおさづけおつとめを通して自分が救われているなと気づかせてもらえた陽気ぐらしというのは連鎖反応すると思う暖かい言葉をかけたら自分も他の人に何かしたくなるそうやって皆が誰かに優しくなれたらものすごく良い生活をおくれるなと思う僕は月日からケニアにボランティアをしにいくが自分が陽気ぐらしの種をたくさん蒔いてたくさん笑顔の花を咲かせてまたそれが種になるような陽気ぐらしの循環を目標にこれから頑張っていきたい修養科で学んだこと福冨士分教会藤井俊喜修養科を終えて感じたことは参加させて頂いてよかったなということです入る前に特に不安があったというわけではないですがただ漠然と天理教の教理を学ぶのだろうという思いでいましたヶ月通して多くの方と出会い自分の考え方を良い方へ向かえる時間であったと感じますまず一日の始まりから大切にするということを学びました朝は早かったのですが起床時の心の持ち方で一日の心の在り方が大きく異なることに気づかせて頂くことができましたがたいことなんだと改めて感じましまたクラスの人達は本当に仲が良たく素晴らしい方ばかりで多くのアまた修養科中本部の先生方や担任ドバイスと励ましの言葉を頂きましの先生教養の先生方同期の修養科た先生方にも色と気づかされる生等からたくさんお話を聞かせて頂くお話しをして頂きこうして自分のこ機会がありました今の自分にぴったとを思い良い方向へと導いて下さるりのお話で心にすっと入ってきまし人達が自分の周りにはたくさんいたんたこれからもお話で聞かせて頂いだなと気づきました一つ一つの起た心の持ち方や通り方を忘れず実行でこってくる事を恩に感じてそれを返きるようにしたいと思いますせる人間になりたいと思いますたくさんの方に支えて頂いて修養教養掛の先生方詰所の方には本科カ月を終えることができこれか当にお世話になりました帰参されたらも感謝を忘れずに低い心で親神様信者の方も気にかけて下さり自分教祖周りの方に喜んで頂けるようもまだまだこれからだなと感じましな通り方をさせて頂こうと思いますたこれから教会へ帰って自分のできる修養科中学んだことを胸に納めてことを精一杯させて頂こうと思いまこれから歩んでいこうと思いますす修養科ヵ月を終えて髙屋分教会武内ゆかりこの修養科ヶ月でたくさんのことを学ばせて頂きましたおぢばで生活をしていて毎日かんろだいに足を運んでおつとめができることや教祖のところに行けることがこんなにあり動画にアクセス支部長様ご挨拶みなさんこんにちは新年明けましておめでとうございます笠岡支部婦人会支部長上原きよのです今日はリモートでのひまわり会の集いで少しお時間を頂きましたので一言ご挨拶させていただきます今改めて振り返りますとひまわり会は誕生当初若いお母さんたちの集いの場所と表現していたと思います年ぐらいのことです今から年も前のことです結婚して年おぢばでの生活を終え事情教会の委員部長をつとめまたすぐ大教会長の妻という立場を与えられ支部長の任命をいただいて年ぐらい経っていたでしょうか番目の娘を産んで年ほど経っていたと思います教会生活などまったく知らない私がいろんなことに少し馴染んだ頃だったと思います私の周りには若いお母さんたちは少なくバタバタ過ごしていた気がしますが多系統や地方他家から嫁いできた若い人が集える機会場所もまだ大教会には作れなかったので大教会にそんな場所が作れたらなそんな考えだった気がします当時にも少年会女子青年と育ててくださる場はいくらもあったのですが若いお嫁さんたちの育つ場所集まれる場所ができたらいいなとそんな考えでしたそのうち婦人会本部創立周年の活動の中から若いお母さんの育てという母親講座とは別に女子青年を終えた女性の信仰的にも育つ場を作るという動きが加わって内容的にも少ややこしくなってしまいましたそれまででも若いお母さんという言葉は子育て中のお母さんが対象という空気になり未婚の女性子供を持たない若い女性は入りにくい空気になっていたりしていました笠岡支部という婦人会活動に組み込もうとすると最初の思いや真意が見出しにくくなって数年経って今でもまだまだ落ち着かない形態になってしまっているという感も拭えませんですが元は若い人がお互いに交流を持って集える場所笠岡の中での仲間づくりの一つになれたらいいなという単純なものですそこらへんを上手に必要なことを組み込んで良い活動の場にできれば信仰も信仰心も培える場所であったらいいなとそう思っています改めて女子青年終えた年頃の方から歳半ばぐらいまでの若い女性たち委員部長後継者若い委員部長さんの皆様の活動の場にしていただけたらなと思っていますさて皆さんもそうでしょうが今周りはコロナ禍の渦の中でいろんな考えや思いが溢れていると思いますその中こうして教祖にお育ていただく場にお育てていただいている私たち今どうすればいいのか結論は出ていますそれは何ににもブレない一人ひとりの信仰信念を培うことです今のように多大な情報に溢れる中で自分を見失うことなく教祖の教えに心を収められるような心づくりができることが大切かな思います私は教祖の教えは一人ひとりの心育ての教えだと思っています丸い心づくりそのために私たちは教会に繋がっているのです周りとしっかり上手に繋がり合っていること自分の殻にこもらずに誰かのことを思いながら暮らせるように育つこと誰にでも必要な時に必要な手を差し伸べられるように自分を育てていってほしいと思いますその原動力は親神様の大きな親心かなと私は思います皆さんには少しでも親心が感じられる心に育ってほしいのです年の初め真柱様のお話にコロナにせよ台風にせよやはりそこには親神様の力の大きさというものを見せつけられたように思えますその中私たちのつとめはその親神様のお力を頂かないことには進めていくことができないのでお互い親神様に働いていただけるようにしっかりと素直に教えを心に治めていかなればならないと思ったのですとございました私たちは親神様の大きな親心に守られて生きさせていただいています親神様のお働きがなければ私たちは何も出来ませんこの親神様のお働きをいただく元は素直に教えを納める心姿勢ですそこのところをしっかりと受け止めて笠岡にとっては大きな節目の年となるこの一年を一緒に頑張らせていただけるとありがたいなと思いますどうぞよいひまわり会の活動をこれからも助け合って続けていっていただきたいと思いますありがとうございましたスマホの場合支部長様ご挨拶の右側のをタップパソコンの場合はリモート集い動画メニューはじめの言葉の下のもっと見るをクリックするとはじめの言葉活動紹介タイのさばき方アジのさばき方などの他の動画を見ることができます立教百八十四年二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様岡﨑真一扈者虫明立生賛者指図方内海史郎三代温生上原明勇講話山野弘実四月講話大教会長様区分坐り勤前役割半後半吉岡壽門脇元教岡﨑真一地方吉岡誠一郎山野弘実上原浩山田敏教渡邉隆夫三代温生大教会長様田中隆之上原志郎上原明勇今川昌彦中村道德おつとめ上原繁道森本忠善虫明立生てをどり大教会奥様内海安子武内正美上原愛美門脇加津高木孝子田中ますみ吉岡八恵横山小智榮笛上原浩岡田誠吉岡誠一郎ちゃんぽん上原志郎上原繁次渡邉隆夫拍子木中村剛中島誠治門脇元教太鼓三島渉高木昭祥佐藤真孝すりがね佐藤道孝内海史郎三島渉小鼓岡﨑真一淺野明教上原繁次琴虫明好美岡﨑豊子岡﨑和美三味線佐藤香苗三島照美山野なつ胡弓上原順子中村初美田中つかさ立教百八十四年三月月次祭祭典役割表祭主扈者大教会長様今川昌彦吉岡誠一郎賛者指図方淺野明教岡田誠中村剛講話横山逸郎五月講話三島渉区分坐り勤前役割半後半上原志郎中村道德今川昌彦地方武内清明横山逸郎高木昭祥山田敏教佐藤真孝杉原善朗大教会長様門脇元教中村剛上原明勇谷内伸自岡﨑真一おつとめ上原繁道山野弘実吉岡誠一郎てをどり大教会奥様岡﨑豊子武内正美上原愛美谷内美知子内海安子田中ますみ田中つかさ吉岡八恵笛中島誠治淺野明教上原繁次ちゃんぽん佐藤道孝内海史郎山田敏教拍子木吉岡壽岡田誠上原志郎太鼓田中隆之虫明立生中島誠治すりがね杉原博之渡邉隆夫三代温生小鼓岡﨑真一上原浩赤木素志琴虫明好美森本冨美子三島照美三味線今川佐智子横山小智榮中村初美胡弓佐藤香苗笹尾一美岡﨑和美立教百八十四年春季霊祭祭典役割表祭主大教会長様岡﨑真一扈者横山逸郎淺野明教賛者上原繁次指図方上原明勇区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半佐藤道孝中島誠治谷内伸自杉原博之山田敏教岡田誠大教会長様上原志郎上原明勇上原浩上原繁道虫明立生大教会奥様上原順子上原愛美門脇加津武内正美田中つかさ吉岡誠一郎杉原善朗中村道德高木昭祥中村剛山野弘実岡﨑真一今川昌彦門脇元教佐藤真孝田中隆之赤木素志岡﨑豊子内海安子高木孝子吉岡八恵谷内美知子山野なつ二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに心一つの理に身体をお貸し下され自由のご守護と天然自然のお働きをして下さっております加えて身上事情を通して陽気ぐらしが出来るようにとお導き下さっております事は誠に有り難い極みでございますしかしながらその理が分からず苦しみに喘いでいる人が多く居ます事は誠に申し訳なく世界一列たすけたいとお聞かせ頂く私共は一人でも多くの人にたすけに浴して貰いたいとおつとめを勤めにをいがけおたすけを通してその思召を伝えさせて頂いておりますただ今はコロナ禍の中にあり人との接触が難しい時期ではありますが幸いにや手紙又ネットが充分に活用できる環境がありますのでそれらも駆使して出来る精一杯のたすけ一条に励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てたる月毎のおつとめを勤める日柄でございますので只今よりおつとめ奉仕人一同心を揃えて明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりを勤めて二月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には集い難い中にも今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が日頃の御高恩に改めて御礼申し上げると共に世界中のたすかりやコロナ禍の一日も早い終息を願う皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさてこの笠岡に於いても現在教会統合を進めさせて頂いておりますせっかく末代の理としてそれぞれの教会にお許し戴いた名称の理を統合し御下附戴いた御目標様をおぢばにお返しする事は名称を願い出た当時の方並びに代受け継いできた方に大変申し訳なく断腸の思いでございますしかし統合は単なる事情整理では無く力を結集しより活発なお助け活動を推し進めていく為のものである事を肝に銘じ後先人達に喜び安心して貰えるよう新たな名称のお許し目指してより一層おたすけに励ませて頂く所存でございます又笠岡全体として初代の思いに立ち返りたすけの輪が広がって行くようたすけを実感して貰えるおたすけに邁進させて頂く所存でございます何卒親神様には親の思い先人の思いに少しでも応えたいとコロナ禍の中でも勇んでたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由のご守護を賜ると共に新たにたすけ一条に邁進する人が弥増して僅かずつでも陽気ぐらし実現に近づけるようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより本部食堂ひのきしん新山邑三島美保子教人資格講習会修了者後期終講芦常澤田貴美恵第九五五期修養科教養掛教養掛主主任副副主任一ヶ月目主森本忠善大教会役員海松ヶ岡分教会長副仙田公男天場山分教会長二ヶ月目主上原明勇大教会役員副福島大介福満分教会長三ヶ月目主横山逸郎大教会役員三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の親心溢れるご守護を頂いて日は結構に恙なく生活させて頂いております特に今はあれほど寒さ厳しかった冬も三寒四温を繰り返しながら日毎に暖かさを増し春の訪れを感じるようになりました事は誠に有り難い事と喜ばせて頂いておりますしかしながら非常事態宣言によりようやく下火になってきたコロナウイルスの感染も変異ウイルスの出現が新たな脅威となり安心して生活出来るのは当分先の事になりそうですそんな中私共はかしものかりものの喜び感謝の心一杯にご恩報じを胸に日は朝に夕に御礼申し上げると共にせかいぢうたがいにたすけするならば月日も心みなひきうけるとの真実を一人でも多くの人に伝えるべく今出来る精一杯のたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は三月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めさせて頂きます御前にはコロナ禍の中お互いに感染に気を付けながら寄り集い日頃の御高恩に改めて御礼申し上げつつコロナ禍の一日も早い終息を願って参拝する皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて年度替わりの今多くの若者が環境の変化に不安を抱くと共に期待に胸膨らませておりますそんな今だからこそ絶好の育ての機会ととらえ新たな人との関わりを大切にしていく為にはたすけあいの心が必要である事を伝えたいと存じます二つ一つが天の理とお教え頂きます人たすけたえら我が身たすかるの真理を実践していく事がたすけの輪を広げ人間関係が円滑になり仕事も勉強も上手くいきそして陽気ぐらし実現に繋がる事を感じて貰えると思います又成ってくるのが天の理との御教えも併せて伝え成ってくる全てが親神様のたすけ心の現れである事を胸に充実した新生活を味わって貰いたいと存じます何卒親神様には世界一列を助けたいとの親心に凭れたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上になお一層のご守護を賜り親心に触れ御恩報じを念じ共におたすけに励む人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます東城分教会長副武内清和香地華分教会長修了者芳井佐藤孝祐福冨士藤井俊喜髙屋武内ゆかり訃報室喜久子姉錦備分教会前会長月日出直されました享年才春季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共にたすけ一条の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊諸の神霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には身上事情を通して親神様のお心に触れ教祖様のお引き寄せを頂かれて早くからお道の人となられました以来我が身我が家の因縁を悟り因縁納消の為にご恩報じをすべくたすけ一条に邁進されました今日の結構なお道の姿があるのも祖霊様方のそうした真実をお受け取り頂いたお陰と日は朝夕に御礼を申し上げると共に自らの因縁も自覚したすけ一条の上に努め励ませて頂いておりますその中にも本日は春の霊祭を執り行う日柄でございますので只今はてをどりをつとめて神殿の儀を行い引き続き祖霊殿の儀を行わせて頂きます御前には海川山野の多米津物を供え祖霊様方の在りし日を偲び御威徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下さいまして祖霊様方には御心お安め下さいますようお願い申し上げますさてコロナ禍は一年もしない内に解決すると思っていましたが一年余り経ちワクチンが出来接種が始まった今でも収まる気配はありませんむしろ変異種が現れ新たな脅威となっています私達の使命であるにをいがけおたすけもままならない状況でありますがたすけの輪を広げようとの思いは忘れる事無く十月の記念祭奉告祭目指して出来る精一杯のおたすけに励ませて頂いておりますその中本部の思いに沿って教会統合を進めさせて頂いておりますより力を結集してたすけ一条に邁進する為とは言え真実を伏せ込んで下さった祖霊様には大変申し訳ない事と丹精の足らなかった点をお詫び申し上げますこの上は又新たな名称を御守護頂けるようたすけの輪を広げて行く所存でございます何卒祖霊様方には先達の方の歩みを見つめつつ時代に流される事無くかつ時代に取り残される事の無いよう真実を重ねたすけ一条に邁進する皆の状をご覧下さいましてより一層笠岡のたすけの道が延び広がりますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます花粉症の私はこの十数年春先はマスクが欠かせない物であったそれが今や新型コロナウイルスのせいで春先だけではなく年中手放せない物となった私だけではない日本の殆どの人がそうであろう感染対策は勿論のことマスクをしていないとマナー違反という目で見られてしまいます世界中がそうであろうと思いきや日本人と外国人ではマスクに対する意識が違うようで特に欧米ではマスクを嫌う人が多いようだ某国の某前大統領がそうだったようにマスクが息苦しいということだけではなく他人との会話の時日本人は相手の目元を見るが欧米では口元を見る傾向があるそうでコミュニケーションが取りにくいと言うのも理由と考えられる確かに古今東西怪しい奴くせ者がマスク仮面覆面をするものである先日米テキサス州の知事がマスク着用義務を解除する発表をしたニュースが流れたワクチンの接種が進んでいるからだそうだ間違えてはいけないワクチンは発症や重症化を防ぐもので感染防止の効果はない今のところワクチンを打ってもウイルスは体内へ侵入し他人を感染させる可能性が大いにあるということだ感染を防止するためにまだまだ当分マスクは手放せませんぞ生き苦しいが共に頑張りましょうは
かさおか

『かさおか』第60巻 第2号

八尋分教会陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指して教会に参拝しおぢばの理を戴こう心を込めておつとめをしよう創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行大教会長様おはなしぢば一つに心を寄せ声掛けに励もう立教年明けましておめでとうございます旧年中は記念祭に向けての三年千日の年目としてそれぞれつとめま年頭会議においてした大変ご苦労さまでしたいよいよ仕上げの年精一杯頑張立教年大教会年頭会議はりましょう月日午後時から大教会神殿で行われ役員部内教会長布教所真柱様年頭あいさつ長らが参集した先ず天理時報に掲載された大教会長様は記念祭に向かう本部での年頭のごあいさつを読みま三年千日活動仕上げの年に入ったすぜんすけ年頭に当たりその活動目標と一同を代表して中田善亮表統領つの実践項目を述べられ当たが真柱様に新年のあいさつを申り前のことのように思われる各し上げた項目について今正に時代その中で新型コロナウイルスに求められている歩みだとして親神様教祖ぢば一つにしっの感染拡大や次にお見せいたせだく親神様のお急き込みにふれかりと心を繋ぎながら一つひといまこそをやの思召を真っすぐにつのことに意味を持たせ心を受けられるようひながたを手本配り大切につとめて実践に取に思案を重ね陽気ぐらしの道をり掛かりたいと述べられ特に堂と歩める基本づくりから再出声掛けの大切さを強調して発するときだとしてまずは仕上げの年今の時旬に相応しいここにいる者一同が一手一つに歩みを促された心をそろえ勇んで通りきらせてなお恒例の会食はコロナ禍のいただくと決意を述べたため中止あいさつの要旨は次のこれを受けて通り真柱様は冒頭新年のあいさつを述べられ新型コロナウイルスの感染が拡大する中での昨年年間の一同のつとめをねぎらわれたうえでご自身の体調の経過についてぼちぼち動けるようにはなっておりますと話された続いて昨年はコロナの影響によりいままで当たり前のようにしていた行事ができず月次祭はもとより記念祭奉告祭などの祭典も当初計画していたようには勤められなかったことに言及また二つの台風が続けてやって来る中で二つ目の台風が大型のまま接近すると騒がれたもののそれほど発達することなく予想進路からもそれる結果に終わったことにふれコロナにせよ台風にせよ私はそこに親神様の力の大きさを見せつけられたように思う私たちのつとめはその親神様のお力を頂かないことには進めていくことができないそう考えたらお互い親神様に働いていただけるようにしっかりとそして素直に教えを心に治めていかなればならないと思ったと述べられたまた時代が変わり周りの状況が変わっていく中でどのようおこたに丹精するかということを怠ってきたのではないかと指摘いくら布教したところで丹精ができなければ何にもならないとして地道に丹精するということそれはいつに変わらずし続けなければならないことであったがいつの間にかそれがおろそかになっていってしまったのではないか今の姿のうえに立って私たちには目指すところがあるのでそこへ向かって歩んでいかなければならないと強調された最後に真柱様はどうぞ今年も元気につとめてくれますようにとあいさつを締めくくられた天理時報第号昨年はコロナに翻弄された年でしたそれを踏まえて信仰を見つめ直すいい時期を与えられたように思いますそのうえで今年年の通り方が大切だと思いますので共に心一つに揃えて勇んで成人の歩みを進められるように今年年の動きについてお話しします基本づくりから再出発するとき表統領先生のあいさつに陽気ぐらしの道を堂と歩める基本づくりから再出発するときとありましたが正しく今年の活動目標はそこにあります信仰の元一日を思案しながら今までどおりで良かったのか今していることが本当に正しいのか確認しながら進めることが大切だと思います再出発という言葉の意味のうえにおいても今年の活動目標がそれにちょうど相応しい歩みになっていると思います年目の今年新たに活動目標一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指してを加えました実践項目は教会に参拝しおぢばの理を戴こうと心を込めておつとめをしようですこれを聞いて何と当たり前のことを当たり前に言うんだなと思われた方も多いかと思いますでも当たり前のことが果たして本当に当たり前のこととしてできているかどうかただ流されてしているだけでそこに一つひとつの意味を持たせながらつとめているかどうか教会への参拝が親神様教祖にお喜びいただけるような姿になっているかまたおつとめすることが果たして親神様教祖にお受け取りいただいてたすけ一条のうえに十分にお働きいただける姿になっているかあらためて思案しましょう教会に参拝しおぢばの理を戴こう一回でも多く教会へ参拝する参拝の頻度を増やす人を誘って参拝する初参拝者を教会へ誘う家族揃って教会へ参拝するひのきしんや教会行事に合わせて参拝する所属教会が遠方で頻繁に参拝できない場合は近くの教会への参拝を促す日参を薦める教会長やその家族は上級や大教会へ参拝すると参考例を挙げていますがあらためて教会に参拝することの趣旨を確認しましょう教会へ参拝するとはどういうことなのか教会がどういうところかを考えれば自ずとその意味が分かりますが教会はぢばの理のお許しをいただいて親神様教祖がお出張りくださる場所ですからそれ教会に参拝するということは教会を通しておぢばに参拝しそして親神様教祖に心を繋ぐことだと思いますただ教会に参拝したらそれでいいのではなく教会に参拝するときに常におぢばをイメージしそして親神様教祖に心をしっかり繋ぐことが大切ではないでしょうか果たして参拝を通しておぢばに心が繋がっているかどうかあらためてしっかりと思案しなければなりませんそしてそのことをそれぞれの教会に繋がるよふぼく信者に徹底することが大切です教会に参拝しようというとややもすると自分がしていればいいというふうになりがちですがそうではなく一人ひとりがせっかく参拝するから一緒に参拝しようというように誘い合うことも大切ではないかと思います心を込めておつとめをしよう親神様教祖にお受け取りいただくようなおつとめになっているかどうかあらためて思案しましょう親神様教祖にご覧いただくお手を振るわけですからお受け取りいただけるようにお手を振り鳴り物をつとめましょうせっかくつとめているのにいい加減なおつとめになってはいないでしょうかこれは理を振ると教えられるお手ですから本当に理振りになっているか回同じことをするにしても一つひとつちゃんと心を配り親神様教祖ぢば一つに心を繋ぎながらお手を振っているかどうかこれをしっかりと心においてつとめるとことが大切だと思いますおさづけをいくら取り次いでもなかなかご守護が見えないというようなことをよく聞きますがおつとめがたすけの元立てですからおさづけが効くも利かないもおつとめをしっかりとつとめることが大切ではないかと思います教会の祭典報告書になかなかおつとめの手が揃わない鳴り物の調子が揃わない何とかして揃えたいというようなことも書かれていますが一人ひとりにおつとめの大切さをしっかりとお話ししておつとめをつとめる皆が同じ気持ちでつとめれば自然と手が揃い鳴り物の調子が揃うということに繋がってくると思いますおつとめをちゃんとつとめられれば親神様教祖のお働きは十分にいただくことができます少なからずそれぞれの教会でおつとめをつとめているからこそ親神様教祖が十分に働かれコロナに掛かっても軽症で済んだり重症の人が退院することができたりそれ以外の身上でも同様によくなる親神様教祖が働かれるその元は私たちがつとめているおつとめ次第おつとめをつとめているからこそそうしてお働きいただくことができるのですあらためておつとめの大切さを心におきながらなぜ教会に参拝するのかなぜ心を込めておつとめするのか声掛けの大切さ述べられる大教会長様しっかりと基本に立ち返って心を素直に持って一つひとつの実践に取り掛かりましょう神様に心を繋ぎ常に声掛けをさらに思案を重ねるとおつとめによって親神様教祖が働かれるのは飽くまで身上事情までで病の元は心からと教えられるその本元である心については残念ながらおつとめだけではたすけられません心の自由を許しているがために神様には人間の心を変えることができないからですつまりおつとめを通して身上事情はたすけられてもその本元の心はいくら親神様教祖でも変えることができないでは心そのものを変えるためにはどうすればいいのかそのためにはつの実践項目私たち一人ひとりの声掛けならびに行ないが大切です私たちがしっかりと声を掛けることによってその人の心に触れその人の心を変えることができるもちろん声の掛け方によっては良くも悪くもなりますから心が良い方向に変わるような声掛けをしなければならないわけでそのために正しく教会に参拝つまり神様にしっかりと心を繋いでおくことが大切だということです自分のたすけたいという思いだけで声を掛けてみても自分のたすけにしかならず良い方向へ心を変えることにはなりにくい私たち一人ひとりがしっかりとおぢばに親神様教祖に心が繋がっていなければ良い方向に心を入れ替えることはできないだからこそ教会に参拝が大切なのです当たり前のことかも知れないことを単なる当たり前ではなくしっかりと親神様教祖に繋がった当たり前のことにしていかなければいけないということですあらためて思案して間違いなく教会に上級に大教会におぢばに参拝ししっかりと心を繋ぐそのことを心においてつとめてほしい声掛けが大切と申しました教会へ参拝するのもただ自分一人が参拝するだけではなく周りにいる人に一緒に参拝しようと声を掛けて参拝したならそれも神様が受け取られこちらの声掛けがその人の心さえをも切り替える声掛けにもなってくるのではないでしょうか子供孫曾孫や夫妻や親戚友だちや誰でもよろしい常に声掛けしながら教会に参拝しましょう声を掛けても参拝されない方も当然おられますでもそうしてしっかりと教会に繋がり心がしっかりと神様に繋がって声掛けすれば必らず今度は神様が働いてその人の心を変えてくれるそのきっかけになりますあらためてこの声掛けの大切さしっかり心においてほしいと思います私たちの心定めをしっかりとおつとめをつとめるうえにおいて大切な心遣いは先ずお礼次に心定めそしてお願いはその後です今の時期ですから多くの方がコロナが一日も早く終息するようにとお願いするでしょうしかしあらためて考えるとコロナは神様が人間を苦しめよう懲らしめようとして現わされたものではなくてこれは元あったものですそれが人間にうつって人間が苦しむようになったのは本当に最近のことですがそういう形になってしまった原因は人間にあります私たちがしたことに対して神様にお願いしてもどうしようもありませんこの体自体は神様からのかりものですから願えば何とかはしてもくれましょうが神様がされていないことを頼んでみても神様もどうしようもできませんとするなら神様にお働きいただく方法は何か先ず日のお礼かしものかりもののお礼をしっかりと申し上げこの身上事情をご守護いただくために私たちがこういうふうにしっかりと心を入れ替えますから神さん何とかお働きくださいと心定め次にお願いというふうにしなければならないと思います率先してたすけ合いを実践する旬特にコロナに関して考えなければならないのはたすけ合いということではないでしょうか世界中の人が本当にどんな中でもたすけ合うという心になっていたらコロナもそんなには広がっていなかったはずですかか特に若い人はどうせ自分は罹っても大して悪化しないから罹っても構わないと自分が罹っていることも分からない罹っても症状も出ない人もいるし罹っていることが分からずにいろんな人に触れて盛んになっているのがクラスター特に家庭内クラスターです罹っていると分かったら家の人に迷惑が掛かるから家に近づかないでしょうでもそういうものが発生するということは罹ったことを全く知らない自分は関係ないと知らず知らずにうつしてしまっているそうではなく一人ひとりが気を付けて自分が罹っているかもしれないからひとにうつさないように精一杯の努力をするというような皆がたすけ合いの気持ちを持ったならここまでは広がることはなかったはずですつまり互いにたすけ合うことが大切だということに気付いていかなければなりませんそしてこれは多くの人がそれに気付きつつある例えば東京都知事や医者がうつさないようにうつらないようにと言っています普通ならうつらないようにうつさないようにと言いますつまり先ず自分がうつらないようにでもしうつってしまったらひとにうつさないように普通ならそう言うはずですでも敢えてうつさないようにを先に言っているということはたすけ合いが大切だということに気付いてきている証拠です世間の人は気付きつつありますでも残念ながらまだ多くの人が自分がが先になってひとにが後回しになってしまっているのが現実ですならば私たちがつの実践項目を通して率先して声を大にしてたすけ合いが大切だと皆に知らしていく必要があるのではありませんか正に時代に求められている活動今大教会では周年記念祭会長就任奉告祭に向かって三年千日と仕切って成人の歩みを進めています年目年目済ましていよいよ仕上げの年仕上げの年に何と当たり前のことを打ち出すのだなと思うかも知れませんがこの三年千日の打ち出しと同時にコロナが出てきたということで少なからず記念祭の問題だけではありません教会へ参拝しましょうと声を掛けて一緒に参拝してくださいおつとめをしましょうと一人でも多くの人に声を掛けてつとめましょうそうすれば自ずと百万件にをいがけ初席者一名にもおさづけを身近ににも繋がってきますすべて声掛けから始まっています決して年目だけの活動目標ではありません年間通しての総仕上げの活動目標でありそして記念祭に向けての歩みが今正に時代に求められているところの歩みですそのことをしっかりと心において共に今年一年精一杯成人の歩みを進めましょうどうぞよろしくお願いします以上要旨春季大祭講話教勢の伸展のご守護をいただく大きな節世話人島村廣義先生立教年大教会春季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら参拝のもと執り行われたご参拝くだされた世話人島村廣義先生は教祖がお姿をお隠しになった明治年のことが明治年のおふでさきにあらかじめ書かれていたとして明治年当時の道の動きについて詳しく話された続いて直面する数の節が明治年の節とかぶっているとして教勢の伸展のご守護をいただく大きな節であると私たちの今年年の歩みを鼓舞された要旨は次の通りただ今はの春季大祭滞りなくまた勇んでつとめられ誠におめでとうございますおめでとうというのはちょっと場違いかも知れません滞りなくつとめ終えましたので本日参拝の機会に今の旬の思案をお話しします新年のあいさつが頭にあっておめでとうと失言しましたが今日は教祖がお姿をお隠しになられたことを祈念してつとめる祭典ですのでおめでとうは言わないことになっています春季大祭の意義今日のお祭は教祖がこどもの成人を急き込まれるうえから年先の定命を縮めて存命の理をもって働かれるようになった元一日を祈念してつとめるお祭です教祖がなぜ姿をお隠しになってそして存命の理をもって働かれるようになったのかおつとめをつとめると教祖にいろいろご苦労をお掛けすることになることを慮って初代真柱様と親神様と日間にわたって問答を繰り返されながらお仕込みを頂戴されましたがお姿があるがためにおつとめがつとめられないのならということで姿を隠し存命のお働きをもって導かれることになったと思いますお姿をお隠しになることによってたすけ一条のため陽気ぐらしの世の中に立て替えるために教えられたおつとめを誰気兼ねなくつとめられるようになり何気兼ねなく布教ができるまた広くおさづけの理を渡されるようになり土地処に教会名称の理を許されるようになりましたこのことは明治年の出来事ですがその年前明治年におふでさきをもってあらかじめ教えられていました十一に九がなくなりてしんわすれ正月廿六日をまつ三このあいだしんもつきくるよくハすれにんぢうそろふてつとめこしらゑ三というお歌ですがこのお歌は教祖様が現身をおかくしになることを示されたものだと註釈されています当時教祖を目標として社会の迫害干渉が厳しくなるそういうことでは道が遅れるから教祖は年先の定命をお縮めになって姿を隠され世間の圧迫を除いて道を広める模様立てをされたそしてそれまでに真柱も定まりかんろだいも建築されるから皆の心を澄まして早くしこしら人衆揃うてつとめの仕拵えに取り掛かるようにせよとお諭しになったお歌ですしかし当時の先生方はこのお歌が意味するところを知るはずもなく後日さあく正月二十六日と筆に付けて置いて始め掛けた理を見よさあく又正月二十六日よりやしろの扉を開き世界ろくぢに踏み均しに出て始め掛けた理とさあく取り払うと言われてした理と二つ合わして理を聞き分けばさあく理は鮮やかと分かるやろというおさしづによって初めてこのお歌が教祖がお姿を隠されることを既に予言されていたと分かりましたこのお歌を示された明治年翌年はお道にとって大変重要な意味を持った年です真柱を定めることを急き込まれたのが明治年このたびハうちをふさめるしんばしらはやくいれたい水をすまして三と示されていますそしておつとめの模様立てをどんどんと進められました前川杏助様に依頼されたかぐら面を迎えに行かれ初めてお面を着けておつとめがつとめられたしかしこの時点ではぢばが定められていませんので正式なおつとめにはいたっていません明治年にぢば定めがなされ明治年に女鳴り物等を教えられおつとめの模様立てがと調とのっていきます明治年はこうしたおつとめの模様立てとともに教祖が積極的に高山布教を打ち出され道を広める世界に知らしめるために積極的に行動されました大和神社へ行きどういう神で御座ると尋ねておいで伝六章と教祖の方から積極的に社会に対し明治年頃の道の動きを詳しく話される世話人島村先生て働き掛けられますが大和神社の事件に引き続いて教祖ご自身が山村御殿へご苦労されるという一つの節が出てきますこのとき親神にとっては世界中は皆我が子一列を一人も余さず救けたいのや伝六章と思召され積極的なおたすけを発動されるのが明治年ですしかもこのことがあって後教祖は赤衣をお召しになってそしてご自身が月日のやしろであることを厳然と目の当りに示されるそしてまたこのあかいきものをなんとをもているなかに月日がこもりいるそや六と仰せられ赤衣様のお召しおろしをお守りに調整して証拠守りとして出されるようにもなりますそして一にいきハ仲田二に煮たもの松尾三にさんざいてをどり辻四にしっくりかんろだいてをどり桝井と四名の者に直伝六章おさづけの理を渡されるようになりますこれはいわゆる今日私たちが頂戴している身上たすけのおさづけの理ですそしておさづけの理とともにお屋敷に勤める人の心の置き所伝六章を数え歌式にして教えられたのがこの明治年ですこの年年の出来事を思案するといかに教祖が積極的におたすけに打って出ておられるかそして自らは月日のやしろにおわすことを目の当りに示しながら私たちにおたすけの手立てとしておさづけの理を渡されるようになるまたお守りも下附されるようになりますが一番大事なことはつとめの模様立てを整えおつとめを急き込んでおられることですこのことが予言されて明治年にいたります明治年の日間の問答が本当に教祖年のひながたを凝縮し集約したものであるとまで仰せられますが一つにおつとめの勤修そして積極的なおたすけそして何よりも大切なおつとめをつとめる私たちの心意気神一条のあり方というもの精神を諄と仕込まれましたこれが今日春の大祭をつとめる意義であり意味合いですこれを私たちはしっかり心においてこの春の大祭をつとめなければならんと思います節から思案すべきことさて年改まって今年も真柱様が年頭のごあいさつにお出ましになっていつもより少し時間を取っていろいろと仕込まれました前掲の天理時報と重複する部分は割愛始めに真柱様ご自身のご身上の現状を話され私たちのつとめは親神様のお力をいただかないことには進めていくことができないお互い親神様に働いていただけるようにしっかりとそして素直に教えを心に治めていかなければならないと話されましたそして今まで為してこられた名称の解消について言及され前真柱様の時代にヶ所の御目標様をおぢばにお帰りいただいて名称を解消したことがあったかも知れないが今日解消する数がだんだん増えて申し訳ないような状態だ教会名称の理は末代の理だからといって看板だけ残しそれが結果として却って理を汚すようなことになってはそれもまた親神様に対して申し訳ないと判断したと仰せになり教祖年祭活動に入る前に年以上無担任の教会については御目標様におぢばへお戻りいただくようにということで御祈念解きされて教会解消となりましたそれから昨年までに無担任教会がさらに増えしかもその中で理のお許しをいただいた場所に親神様教祖の御目標様がお祀りされていない会長がおらずそして御目標様をお守りするよふぼく信者がいない教会なので上級や大教会へお遷ししている教会は同様に解消となりました今では統合ということを表統領も仰せられ教会を活性化する力のないというか教勢の伸展を望めないところについては兄弟教会上級教会と一緒になって互いにたすけ合って教会活動を活性化させる統合ということでその整理に掛かられています真柱様は教会は設立したいというそれぞれの願い出に対して許されたものでありその理は末代だと仰いますしかし末代という年限からすると今古いところでも年になりませんから教会を返しますと言えば親神様からご覧になれば自分から願い出ておいて舌の根も乾かん内にもう返すのかということになるだからこれは偏に丹精不足に尽きると思うもともと明治年の教祖が存命の理をもって働かれるにいたるまでの親神様との問答の中に教会本部をお許し下された上は伝十章というくだりがありいかようにも親神の仰せ通り致します同という心定めを私たちの先人がしてその心定めは今も生きているということを心に刻んでしっかりそれぞれの道の中でのつとめを果たせるように努力していくことが大切であると話されました教会の初まりは私たちの側から願い出て末代の理としてお許しいただいたものですしかし現実はこのように本当に申し訳ない状況ですがこれをとにかく何としてでもご守護いただいていきたいと昨年表統領は全教の主立つ方を集めてこれからの道のあり方についていろいろと話されましたその中で教祖年祭立教年祭というつの大きな節に向かってこれからお道を立て直していこうと仕切って全教に呼び掛けられましたそれに向かって先ずは教祖年祭に向けてしっかり教祖にご安心いただけるような姿になれるようまた年祭に向かって飛躍的な道の伸展をご守護いただけるように頑張ってつとめようまた今の節は正しく明治年の節とかぶって心受け止めていると話されましたコロナのことも原典おさしづおふでさきの中ではコレラ疱瘡はやりやまいペストのような流行病を台にして諭されていますがこれらの感染症は親神様の残念な気持ちの現されたもので何が残念かと思案すると私たちのおつとめのつとめ方が心に掛かるまた教会の活動というものを考えてみてもこうして見せられる教会事情も大きな節ですまた自然災害も親神様の残念な姿をお現しになったものだと教えられます教内的に言えばかんろだいに見せられた事情そして我の道のをや真柱様のご身上を通して仕込まれる親神様の思召をしっかり思案しながらそれにお応えする道を心定めて通らなければならない今は大事な旬だと悟らせていただきます大節を台にしてそういううえで今年は笠岡としては正しく周年という節目を迎えますしそれをつの台として吉祥として会長も新たに定めをいただき新しい会長を芯にしてスタートを切ります教会への参拝とおつとめということについてはおつとめをつとめる私たちの心神一条の精神をしっかり定めて人のたすかりを願い世の中の治まりを願うて真剣におつとめをつとめる神一条の精神をしっかり定めておたすけに掛かるこれに尽きると思いますそういううえで今年は笠岡としてもこれを台にして教勢の伸展のご守護をいただく大きな節になると思います教祖がお姿を隠されて後存命の理をもって働かれるようになり尊いおさづけの理を渡されたそれをもって先人たちは燎原の火のごとくおたすけに奔走され凄い道の伸展のご守護をいただいたその先人たちの歩みに負けないよう私たち自身も今見せられるいろいろな大節を台にして教勢の伸展のご守護をいただけるよう教祖にお喜びいただけるよう精直轄委員部長委員研修会開催婦人会笠岡支部上原きよの支部長は月日大教会で直轄委員部長委員研修会を開催人が参加した午前時分から座りづとめ支部長のお話しねりあいがもたれた婦人会婦人会長様の思いを話される支部長一杯つとめることを誓い合って今日のお話しを終わります以上要旨陽だまりビエン支部長は年間活動方針婦人会長様あと僅かで東日本大震災から年の思い本年度の活動と創立周年記が経過します時の経つのは本当に早念祭に向けて委員委員部長としてのいものですね平成年月日付朝役割責任についてお話しくださり婦日新聞の一面に非常に興味深い記事人会にかける親神様の思いをふりかえが掲載されましたそれをもとにしてらせて頂きました拙文を書いたことがあるのでご紹介し本年はコロナ禍ということもありたいと思います午前で終了しました偶然が最悪を救う毎年婦人会本部から頂く活動目標に昨年月日東日本大震災が発生対して本年は支部毎でご恩報じを年頭し未曾有の被害をもたらしたテレビに具体的活動の角目を相談するというでは連日信じられないような大惨事ことでとしては大教会の活が映し出されだれもが胸がつぶれる動目標の底力とならせて頂こうと大教ような思いであったさらに津波に襲会の目標にいつもにこにこ婦人会われた福島第原発では絶対に起こを加えこの一年心揃えてつとめさせてらないとまで言われていた原発事頂こうと話し合いました故が起こり緊迫した状況が連日報常任委員中村理恵道されていた地震発生の翌日から日間本部神殿で正午を期して真柱様が拍子木前真柱様が数取りで被災地の一日も早い治まりのお願いづとめが行われ関係者をはじめようぼく信者が多数駆け付け礼拝場を埋めたこの時私たちの耳目は運転中に恐ろしい事故が発生した原発の号機から号機に引かれていたが実はそれよりももっと恐ろしいシナリオが同時に進行していたというのだ今年月日朝日新聞の面に次のような記事が掲載された偶然が最悪救う福島第原発号機以下記事を要約すると東京電力福島第原発の事故で日米両政府が最悪の事態の引き金になると心配したのは点検中だった号機の使用済み核燃料の過熱崩壊だった核燃料プールの水は事故による燃料の崩壊熱で蒸発していたこのまま水が減り続け核燃料が露出して加熱すると大量の放射線と放射性物質を放出人は近づけなくなり福島第だけでなく福島第など近くの原発も次に放棄せざるを得なくなり首都圏の住民まで避難の対象となる最悪の事態につながると恐れられていたのであるしブログ版陽だまり語録をご覧になりたい場合はスマホやパソコン等で陽だまり語録と検索されるか下記アドレスをしてくださいかし実際には原子炉ウェルに普通なら無いはずの大量の水が残っていたのだしかも隣の核燃料プールとの仕切り壁が偶然にずれてできるはずのない隙間がそこにできプールに約千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かったというのだ原子力安全保安院の幹部は神様がいるとしか言いようがないと話しているもしその水が核燃料プールに流れ込んでいなかったら偶然が最悪救うとタイトルには書いているが果たして本当にそうだったのだろうか私には決して偶然だったとは思えない平成年陽気月号陽だまり語録より著者転載春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますはじめ親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召からこの世と人間をお創造になられただけでなく今尚自由のお働きを通してご守護とお導きを下さっておりますしかしながら心の自由もお許し下さっている為に使い方を誤り互いに傷つけ合い身上事情に苦しんでいるのを哀れと思召され陽気ぐらしへのひながたをお示し下されると共にひながたを通る為におつとめをお教え下さりおさづけを下さいました事は誠に有り難く勿体ない極みでございます私共は日朝に夕にと御礼を申し上げつつ陽気ぐらし実現を目指して御教え通りおつとめを勤めおさづけの取り次ぎに励ませて頂いておりますその中でもこの月二十六日は教祖が私達の成人を促す為に御身を隠しろくぢに踏み均しに出られた尊い忘れ得ぬ日柄でございますのでおぢばで春の大祭が執り行われますが当大教会でも理のお許しを戴いて本日只今よりおつとめ奉仕人一同たすけ心と喜び心を一つに睦び合って明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めて春の大祭を執り行わせて頂きます今日の吉日を楽しみに又コロナ禍の中神一条に寄り集いました道の子供達が日頃の御高恩に改めて御礼申し上げると共にたすけの輪を広げる事をお誓い申し上げコロナ禍の一日も早い終息を願う皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は世話人島村廣義先生にお越し頂いておりますので後程時旬に当たってのおぢばの思いをお聞かせ頂き本年の成人の歩みの指針とさせて頂く所存でございます又本年は大教会創立百三十周年記念祭並びに六代会長就任奉告祭を執り行う年で三年千日と仕切っての仕上げの年でございますので一人ひとりの信仰生活の充実を図るべく教会に参拝しましょうと心を込めておつとめをしましょうを実践項目に掲げて成人の歩みを進めて行く所存でございます今月直轄教会の大祭参拝をさせて頂きその徹底を図ると共に部内のよふぼく信者まで徹底すべく部内の会長には大教会巡教員のつもりで自教会で話をし又実践して貰うようお願いをさせて頂きましたコロナ禍だからこそたすけの輪を広げなければならないし広げる為にしっかりとおぢばに心を繋ぎ親の心の橋渡しをさせて頂く所存でございます何卒親神様にはコロナ禍の中でもよふぼく信者の役割を自覚し出来る精一杯のたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜りたすけの輪が広がってコロナ禍も収まり安心して陽気ぐらしを謳歌出来る世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十四年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様門脇元教扈者上原志郎高木昭祥賛者渡邉隆夫指図方吉岡壽講話島村廣義先生三月講話横山逸郎区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半田中隆之今川昌彦上原浩三島渉虫明立生森本忠善山田敏教佐藤真孝岡田誠大教会長様門脇元教田中隆之上原繁道中島誠治岡﨑真一吉岡壽吉岡誠一郎山野弘実大教会奥様武内正美門脇加津上原愛美高木孝子中村初美田中ますみ山野なつ田中つかさ上原浩上原繁次佐藤真孝佐藤道孝高木昭祥渡邉隆夫岡﨑真一岡田誠上原志郎山野弘実内海史郎中村道德中村剛森本忠善山田敏教中村道德赤木素志三代温生虫明好美佐藤香苗笹尾一美上原順子岡﨑和美内海安子今川佐智子岡﨑豊子三島照美訃報下田孝德氏行縢分教会長月日出直されました享年才北川勇氏稲倉分教会前会長月日出直されました享年才過日スクラップブックを整理していたら古い朝日新聞の切り抜きを見つけたそこにはアメリカの大統領リンカーンとケネディについての興味深い話が記されていた以下天声人語から引用リンカーンが米国の大統領に選ばれたのは年ケネディは年だった二人のあとの大統領はいずれもジョンソン年生まれと年生まれだリンカーンを暗殺したブースは年生まれケネディを暗殺したオズワルドは年生まれ二人とも裁判にかかる前に別人に殺されたリンカーンの秘書名はケネディもケネディの秘書名はリンカーンも暗殺されることになる場所に行かぬよう大統領に進言していたブースは劇場でリンカーンを撃って倉庫に逃げ込んだオズワルドは倉庫からケネディを撃ち劇場に逃げ込んだ世の中には様な偶然があるものだこれはよく知られている話だそうだが私はよく知らなかったので驚いた世の中には確かに不思議な話があるもんだ
かさおか

『かさおか』第60巻 第1号

立教百八十四年明けましておめでとうございます昨年は三年千日と仕切っての歩みの二年目として一年目の初席者一名以上と百万件にをいがけに加えおさづけを身近にを実践項目として掲げ成人の歩みを進めさせて頂きましたところが部内巡教を終えさあこれからという矢先コロナ禍により非常事態宣言が発出され何もかもが自粛を余儀なくされてにをいがけもおたすけも思うように出来なくなりました一時期は収束を見たかのように思いましたがその後益感染が広がり医療が追いつかなくなる手前までになりましたその中出来る精一杯の成人の歩みを進めて下さり誠にご苦労様でしたいよいよ三年目仕上げの年でありますコロナ禍は続いており安心出来るのはまだ先になりそうですがコロナを通しての親神様の思召を思案すると成人の歩みを更に早めて行かなければなりませんまさしくたすけの輪を広げようなのですその為には一人ひとりがしっかりとおぢばに繋がり我がのたすけでは無く親のたすけを広げる必要がありますその為に仕上げとして教会に参拝しようと心を込めておつとめをしましょうを実践項目として掲げました一人ひとりがしっかりとおぢばに繋がり理を戴いてその理を他の人に繋いでいきましょう只自分だけがしたら良いのではなくひとりでも多くの人に声掛けをして共に実践をしましょうそうすれば百万件にをいがけ初席者一名以上おさづけを身近にも自然と出来てくるでしょうみなそろてはやくつとめをするならバそばがいさめバ神もいさむるさあ勇んで仕上げに掛かりましょう長上原理一立教年年末大掃除月日管理部虫明立生部長は毎年恒例の大教会年末大掃除を行い大教会長様ご夫妻をはじめ役員婦人会青年会信者ら約人が参加したまた愛美様も今年笠岡に嫁いで来られて始めての大掃除に参加された例年と同じく午前時半からプレハブ倉庫から資材アンチブレス脚立各所に脚立長梯子ビデを立てて作業を行なったシートなどを神殿に運搬搬入組み立てと有志数名で段取りを行い午前時になって参加者たちは神殿に集合し大教会長様のお手に合わせて三殿礼拝その後それぞれの持ち場に分かれて大掃除が始まった男性は白衣に着替えて神床上段中段参拝場の順に脚立や長梯子ビデを使って神殿内と周囲の廊下を中心にはたき掛け拭き掃除と作業を進めたそして女性は場所に応じた雑巾の手配やトイレ信者室各部屋の清掃から外回り今回から高所作業者はヘルメットを着用子連れの方年輩の方もそれぞれ適所に陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ一人ひとりの信仰生活の充実プラスを目指して教会に参拝しおぢばの理を戴こう心を込めておつとめをしよう創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行の掃除まで幅広くひのきしんに当たり食堂に於いても休憩時の茶菓子また昼食の準備にと忙しく働いて下さったほとんどの参加者は食事後にそれぞれに解散したが神殿横の残りの窓拭きを食後すぐ数名の有志で行い午後時過ぎに居合わせていた人たちで大教会長様と共に三殿を礼拝させて頂き立教年の年末大掃除が無事終了した年の瀬のお忙しい中を誠にありがとうございました修養科生の声三ヶ月の修養生活を終えて照陽分教会劔持秀子新型コロナウィルス感染で心配でしたが嫁に行った娘の身上を通してもっと成人しなさいとこの時期に教祖が早く帰っておいでとおぢばに引き寄せて下さったんだと思わせて頂きました私は修養科度目です度目は結婚する前に母の勧めで来させてもらいましたこの度の修養科は白紙に戻しいちからの勉強です詰所ではすてきな女性のめぐり合わせでもう一人娘ができましたびっくりしたのは生まれた年は違いますが誕生日は同じです当日教室にてクラスの副担任の先生やみんながバースディの歌を歌って祝ってくれましたうれしくて涙でしただいぶ前になりますがだんだんといつの間にかおつとめをしなくなっていました八つのほこりの教理で気付かないうちにほこりを積んでいたこと親神様をほうきとして反省しほこりを払いおつとめの大切さを再度気付けました旦那さんと心を合わせ真剣におつとめを続けますまずは三日三日から一週間一週間からずーと朝と夕方の神殿掃除で教祖殿ろうかの結界のところを掃除させて頂きました私のこれからの人生詰所や修養科で学んだことは忘れないと思います大教会長様奥様皆さまには心配をおかけしましたこれからもご指導くださいませ詰所の皆様教養掛の先生方大変お世話になりましたありがとうございました引き続きどうぞ宜しくお願い致します教祖の存在照陽分教会岡陽子私がカ月間修養科生として過ごし感じた事は題名と同じように教祖の存在です修養科に入るきっかけとなったのは自分の身上でした最初はなぜ自分がこんな辛い思いをして生きなければならないのかと生きる事の意味を失っていましたその時私の看病をしてくれていた母におぢばに帰ろう心の勉強をさせてもらおうという一言で私は救われたのです不安と疑いの気持ちで来ましたが今は本当に来て良かったなと思っていますそれはなぜかというと自分の身上を通して教祖の教えを学べ心の視野が広がり助けてもらうありがたさそしてなにより教祖の存在を感じた事です生きるという事は簡単のようで難しいですが生きる意味を知れた修養科生生活だったなと実感しております三ヶ月で得たもの福芦分教会波多桜ヶ月を通して毎日得るものがありました自分自身と向き合う三ヶ月でした修養科がはじまる前の私は人のために人を助けたいと思い志願させて頂きました修養科がはじまってみると心が優れず助けられてばかりでした修養科を過ごす中人が怖い自分が分からないなどの味わったこのとのない気持ちへなりましたそんな中もクラスの仲間や詰所の方が支えてくれました私は今回度目の修養科を志願させて頂き月日念願だったおさづけの理を拝戴させて頂きました人を助けられることの喜びと同時に責任というものを感じました助けられたいでは助からない修養科中よく聞いたことです人を助けたいという心を受け取って下さって知らない内に助けられていたということを教えて頂きました修養科終了後病む人に自ら進んでおさづけを取り次ぎ素敵な用木になれるよう成人していきたいと思います祭典日以外のお誓い受付時間祭典日は別席受付時間に準ずる秋季大祭教祖誕生祭従来通り月次祭本年月日から本部祭典日の別席受付時間および祭典日以外のお誓い受付時間が変更になりました変更後の受付時間は以下の通りです別席受付時間の変更について十二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の親心一杯のご守護とお導きを頂いて日は結構に恙なく生活させて頂く中に気がつけば今年も早十二月であと十日を残すのみとなりました改めて今年一年を振り返ってみますと創立百三十周年記念祭に向け仕切って二年目の年として一年目より勇んで成人の歩み出しをさせて頂きました直轄巡教部内巡教も終えさあこれから本格始動という矢先新型コロナウィルスの感染拡大が始まり緊急事態宣言が発令され外出もままならなくなり思うようににをいがけおたすけが出来ないばかりかおぢば帰りも出来難いという事態になりましたコロナ禍は一旦終息に向かいましたがそのあと第二波第三波と次第に感染が広がり今も続いていますその中たすけの輪を広げようとの思いを絶やす事無く出来る精一杯のおたすけに励ませて頂いておりますが心ばかりが空回りして実数に結びついていない事は誠に申し訳ない次第でございますその中今日の吉日は本年納めの月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同なお一層の喜び感謝の心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には季節柄の寒さ忙しさも厭わず寄り集い日頃のご高恩に改めて御礼申し上げると共にコロナ禍が一日も早く終息する事を切に願う皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさてコロナウィルスに対する抗ワクチンが急ピッチで開発され海外では認可と共に接種が始まりました日本にも来年二月頃に入ってきて認可され接種が始まると報道されていますが効果が判り安心出来るのはもう少し先になりそうですそれにしてもお道の者としてこの世界中の大節をいかにして生き節にするかを思案しなければならないと思いますよくにきりないどろみづやこヽろすみきれごくらくやとお教え頂きますように自らが心を澄み切る努力をすると共に一人でも多くの人の心を澄み切る事の出来るにをいがけおたすけに励ませて頂きたいと存じます又年明け早に直轄教会へ大祭参拝をさせて頂き仕上げの年の成人の歩みについて徹底を図ると共にたすけの輪を広げる為に育てを意識して共に成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒親神様にはコロナを通して成人をお促し下さる親心にお応えすべくたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいましてなお一層の自由のご守護とコロナ禍の一日も早い終息が出来るようお導き下さいまして心温まる明るい年末年始となりますようお連れ通りの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます春季大祭祭典日の別席受付時間立教百八十三年十二月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者横山逸郎講話吉岡壽二月講話山野弘実区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤佐藤道孝中島誠治上原繁次大教会長様上原明勇上原繁道大教会奥様上原愛美田中ますみ今川昌彦中村高木昭祥杉原博之吉岡門脇元教上原順子今川佐智子武内正美剛壽山田敏教賛者杉原善朗指図方上原繁道前半田中隆之横山逸郎三代温生上原志郎岡﨑真一虫明立生岡﨑豊子室悦子岡﨑和美佐藤真孝赤木素志渡邉隆夫岡田杉原善朗内海史郎内海安子谷内美知子門脇加津誠後半谷内伸自三島山田敏教上原明勇上原森本忠善横山小智榮山野なつ田中つかさ上原繁次今川昌彦杉原博之吉岡誠一郎高木昭祥佐藤真孝高木孝子笹尾一美吉岡八恵渉浩机の上や台所部屋の中をキレイにすれば勉強や料理仕事がはかどります同じように心のほこりを常に払って積もらないように心がければ気分もスッキリして家族と楽しく過ごせます外出を控える今だからこそ暮らしの場で教えに親しみ個人でもできる信仰実践に取り組みましょう動画天理の教えチャンネルわかりやすい基本教理をはじめ発達障害依存症不登校などおたすけの現場で活きるお話お道の教えを知らない方にもお勧めください各話約分動画千遍かしものかりもののひとこと話を月曜から土曜の毎朝配信気持ちの良いスタートをきりましょう各話約分ラジオ天理教の時間教えに基づいた家族円満のヒントをお届けしています毎週土日の早朝全国局でラジオ番組を放送中ネットで聴取できます各話約分朗読動画朝の信仰読本ラジオで放送した朝の信仰読本こころ澄ます教話集中慶純著を親の風景とともにお楽しみください全話各話約分朗読動画神様からの宿題ラジオで放送した神様からの宿題宮﨑伸郎著を親の風景とともにお楽しみくださいチャンネル各話約分動画みんなの少年会少年会がに設置したみちのこチャンネル教えの紙芝居やダンスなど教えを学びながら楽しめるコンテンツを配信動画ようぼくぴーす陽気ぐらしに向かって歩むようぼくのちいさなチカラの一つひとつをパズルのピースに例えてそれぞれの居場所で活動する教友の姿を紹介します写真ギャラリーおやさと百景季節ごとの親のさまざまな風景が楽しめます毎月シーン動画おやさと百景季節ごとの親の情景や事などが楽しめます各回約分天理参考館展室スポーツの歴史と文化創周年特別展を参考館学芸員の解説とともに数回に分けて展室としてお送りします時報から拾い読み天理時報からテーマに合わせた記事やコラムをピックアップ今回はコロナウイルス感染症に関するものを集めました試し読み無料公開試し読みができる書籍を紹介しています部の書籍は全ページを無料公開目印はぜひご覧ください随時更新予定ですあなたが陽気に世界を陽気に陽気ぐらしの手がかりとなる記事を厳選したキュレーションサイトです学生ウェブサイト学生向けに情報を発信中教理コーナー信仰エッセーは人気です大教会だより第九五二期修養科教養掛主主任副副主任一ヶ月目主山野弘実大教会役員上下分教会長副余村元多古浦分教会長二ヶ月目主山田敏教大教会准役員甲井分教会前会長副藤本芳久東水島分教会長三ヶ月目主佐藤真孝大教会准役員芳井分教会長副三嶋正教笠尋分教会長修了者照陽劔持秀子照陽岡陽子福芦波多桜本部食堂ひのきしん久松中村剛品治渡邉泰造葦沼三島順敎立教年春季大祭参拝空欄はコロナ禍のため福山大教会長様髙屋大教会長様神邉上原明勇島根上原繁道久松大教会長様鶴山弥髙山上原志郎陽備上原繁道摩耶金浦中村剛興明佐藤道孝ひろさと上原繁道陶山田中隆之芳井武内正美呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備上原明勇大教会長様上原繁道上原明勇大教会長様中村剛大教会長様上原明勇佐藤道孝上原明勇上原明勇佐藤道孝昨年末我が家で使用していた風呂釜と煙突が経年劣化のため使えなくなった突然の事だったので日程お風呂に入る事ができなかった我が家のお風呂は井戸水を薪で沸かすもので直接的に神様の火水風の恵みを感じる事ができる如何に世の中が進歩しエネルギーや住環境のスタイルが変わろうとも全ては火水風の御守護が無ければ成り立たないそもそも私たちの体内もこの御守護がなければ動かす事はできない私たちは地球という火水風のバランスが絶妙な場所に生きているのではなく生かされてる年が明け新型コロナウィルスの感染が拡大し先行きが見えない状況にあるただどんな世相にあっても親神様の御守護は絶え間なく全世界に降り注いでいるまずはその日の御守護に感謝する事が今改めて必要だと感じているにとって節目の今年神様への感謝の心をいつも以上に込めて自分にできる自分にしかできない事を実践していきたいと思うう
かさおか

『かさおか』第59巻 第12号

坪生分教会昭和年月日神殿建築奉告祭陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行アフリカ孤児支援の為の小さなバザー開催今年月予定していた第回桜祭りが予期しなかった感染症によって中止せざるを得なくなりましたそれまでに集まった支援のための物資を生かすことと今年タンザニアおたすけ訪問が不可能になったことから小さな事でも動きにしたいと月月の月次祭の祭典終了後から短い時間で消毒やマスクの着用などを徹底して小さなバザーを開催しましたたまたま教会内をいつも散歩されている老人ホームの入居者さんやスタッフの人達が準備の段階で見に来られ当日も足を運んでくださいました小さいながらも地域への働きかけに繋がれたように感じ喜びを頂いた気がしました結果として動きを止めることなく来年へ繋げていける活動になりました保管していた物資を出して確認掃除値付け陳列販売片付けることは大変な労海外部力ですが多くの方のお心寄せとご尽力があったからこそ出来る活動であったと改めて思わせていただきました心からお礼を申し上げます尚約万円の売り上げは来年の活動で現地の孤児院へ寄付させていただく予定ですがそれが来年も叶わないのであれば孤児院の子供たちが野菜を作るために荒れ地を開墾するためのトラクターを台寄せられていますのでそれを送るための送料に充てさせて頂きたいと思います来年以降もよろしくお願いします海外部長上原志郎小さなとは言え品数はそこそこ冬季中の祭典及び立教年年頭会議について冬季中の祭典についてコロナ禍対策として密密閉密集密接を避けるため冬季中の祭典日も神殿周辺の障子窓等をすべて開放し参拝場内に暖房を用意しませんので寒さ対策を充分に取ってご参拝ください一般参拝者用に毛布を用意してありますまた厨房が密になることを避けるためひのきしん者の人数を制限している関係でしばらくの間昼食はカレーライス等の単品となります量が少ないと思われる方はご遠慮なくお替わりなさってください当日は次の申し合わせ事項を厳守ください大教会に来会時は手指を消毒必ずマスクを着用健康状態に異常発熱等がある方は来会をご遠慮くださいいずれの場所でもソーシャルディスタンスに配慮し神殿内では畳に人ずつシールの貼ってあるところに座って参拝年頭会議について立教年年頭会議は例年通り月日午後時より開催します冬季中の祭典同様に対処しますのでので寒さ対策を充分に取ってご参加ください例年会議後に開催している恒例の会食は中止しますした連載終了に対して労いの言葉をくりと下りながらこれまでと違った私はこのマスターとは一度もお陽だまりかけてくださった後先生はやや遠景色を眺めたいなあと思ったり会いしたことがなく無論彼がよう慮気味にへ書いてくれへしたがそんな甘い考えでおったらぼくであったことも知らなかったしんかなあとおっしゃいました敬愛あかんでと神様が激励してくだかし同じ教えを信仰するものとしてビエンする先生からのご依頼ですのでそのさったのだと気を引き締めた嬉しかったとお礼の意味も含めてブログ版陽だまり語録をご覧になりたい場合はスマホやパソコン等で陽だまり語録と検索されるか下記アドレスをしてください月日の夜スマホのニュースを場ですぐ快諾させていただきましたその翌日大学の部活会から会へメールを投稿した見て驚きました今年の新語というわけで毎月ではございませんがメールが来ていた同会には数百名のまた以前拙著返信を創部大賞はなんとぴえん陽気誌陽だまりのタイトルでしばらく会員がいるがそのメールの中で私周年記念誌に掲載してくれていたのから年月号を以てと戦力寄稿させていただきますのでどうぞ達より数年後の歴代部員たちや吹奏楽で最近父への手紙と合わせ一つ外通告を受け陽だまり語録の連載よろしくお願いいたします部水泳部の人たちがずっとお世話にの短編小説に改編したことを報告しが終了したばかりなのにもう新語大なってきた恩人が亡くなりその告別たすると私がインターネット上に公賞に選ばれるとはすごいと喜びましちょっとだけ不思議な話式の様子が記されていたそれを読み開している陽だまり語録をそれたしかしよく見ると私のペンネー月日の朝陽だまり語録最進めているうちおやっと思ったまではわずかな人にしか訪問してもらムではありません終回の原稿を編集部に送信したやれ以下メール本文より引用えなかったのにその日から人近くてんてんとまるのちがいは大ちやれ年とか月もの間一度も穴を朝方は曇雨模様でしたがご出棺のの方が閲覧してくれたのであるほんがいなのでしたあけることなく無事に連載できて良ときは青空となりマスターは出直しの僅かだけどにをいがけになっさて月日の夜本部月次祭のかったと安心していたそのとき妙の旅に出られましたたかなあと喜ぶと共に不思議なこと昇殿参拝を翌日に控え詰所で連載終にフラフラするので血圧を測ったら天理教では死ではなく出直しがあるもんだと感慨にふけっている了の喜びを一人でしみじみと味わってというかなり高い数値が出ていと呼ぶそうです神様からお借りしておりましたそこへの編た次第にめまいと吐き気もしてきたいた身体をひとまずお返しししばら集長を兼任される詰所主任先生が来らすぐに家内におさづけを取り次いでもく神様のふところに抱かれた後新しれました先生は日頃のご多忙に加えらい掛かりつけの病院へ連れて行っい身体を借りて生まれてくる死は人日本シリーズで大好きなプロ野球チーてもらった医師から診察後脳神生の終わりではなく新しい人生へのムがソフトバンクにスウィープ勝経学的には特別な異常はありません出発を意味するそうです引用終わ敗で負けることされお疲れのごと言われたし症状も落ち着いたのでり様子で部屋の入り口近くに置いて安心して帰宅したこの文章を書いた方は初めて天理教あったタオル掛けに足をひっかけよいつの間にか年金をもらう年齢になの告別式に参列し大変感慨深かったとろけそうになりながら入って来られまりひと仕事終えて長い坂道をゆっのこと年間行事予定表部会婦人会月青年会少年会学生会学生担当委員会婦人会創立の日直轄委員部長委員研修会婦人会本部総会年頭幹部会天理高校受験世話取りテッチャンシアター学生層育成者講習会親子参拝推進行事大学卒業生の集い第回第回テッチャンシアター第回親子参拝推進行事春の学生おぢばがえりオンライン笠岡団おつとめまなび総会おぢば管内新入生歓迎会委員部長後継者講習会こかん様に続く会おやさとふしん青年会ひのきしん隊入隊ひのきしん団参詰所縦の伝道講習会テッチャンシアター学生生徒修養会高校の部親子参拝推進行事サマーキャンプ本部青年会総会祭典講話案毎月日ひまわり会例会有志ひのきしん隊毎月備月月はなし毎月日婦人会例会考毎月日月月はなし女子青年伏せ込みひのきしんテッチャンシアター親子参拝推進行事教会おとまり会の実施テッチャンシアター親子参拝月の日祭典後月月月月月月月月月月月月世話人先生学学生層育成者講習会山野弘実大教会長様横山逸郎少縦の伝道講習会上原繁道布布教推進講習会三島渉大教会長様海海外伝道講習会佐藤道孝よふぼく勉強会毎月日午後但し大祭月祭典講話が外部講師の月を除く立教年令和年年部会全体行事月その他ひのきしん直轄教会春季大祭参拝年頭会議本部食堂西ブロック印記念祭に向けてのひのきしん布教部海外部客殿庭の滝整備真柱室風呂庭の改造生垣貝塚剪定本部食堂東ブロック雅楽講習会初級初心者コース修養科修了講習会行列のできる勉強会教祖ご誕生祭詰所受入全教一斉ひのきしんデー広島公園にをいがけ英文パンフレット配布さくら祭アフリカ孤児支援バザー直轄教会定期巡教本部食堂髙屋ブロック大教会長杯親睦スポーツ大会月月雅楽講習会草刈り剪定伐採行列のできる勉強会修養科修了講習会本部食堂福山ブロック大教会任命願お運びこどもおぢばがえりこどもおぢばがえり詰所受入前半昼昼英語講習会後半昼昼布教推進講習会月月石畳中庭レンガ磨き腐食箇所の塗装布教推進強調月間剪定草刈り仕上げ笠岡にをいがけ推進日修養科修了講習会全教一斉にをいがけデー直轄教会秋季大祭参拝客殿障子張り替え創立周年記念祭並記念祭用舞台設置総仕上げ代会長就任奉告祭秋季大祭詰所受入広島公園にをいがけ英文パンフレット配布海外伝道講習会月次祭に合わせて心定め提出修養科修了講習会年末大掃除詰所餅搗部長会議毎月日午前註ブロックの区分けは備役員会議毎月日午後役員並びに直轄教会長会議毎月日午後直轄教会長の集い考毎月日午後東岡山県以東の直轄教会とその部内教会西広島県以西の直轄教会とその部内教会上府上下府中市雅鶯会練習毎月日午前時月例勉強会毎月日英語クラブ毎月日時時半海外よふぼく月報部長会議役員会議役員並びに直轄教会長会議月は末日月は日直轄教会長の集いに替えて行なう但し全教一斉ひのきしんデーこどもおぢばがえり全教一斉にをいがけデーが中止の場合は除く部内教会長各位立教年昇殿参拝についてから月までの本部の春季大祭教祖誕生祭及び月次祭に各教会から代表の方に昇殿参拝をしていただきますつきましては各教会の代表者を選定し下記の通りお知らせください担当大教会岡﨑真一詰所上原浩記代表者の選定等選定各教会から教会長を除く名のみ期間中の昇殿参拝希望者を選定連絡次の項目を大教会直轄教会長を通して岡﨑へ連絡ア教会名昇殿参拝希望者名イ各希望者について大祭月月誕生祭月月の内から昇殿参拝希望の祭典の第第第候補ウ車イス使用付き添い者座イス使用この人他教会の希望者と一緒に参拝したい等のその他の希望直轄教会長は部内から連絡があった都度岡﨑へ連絡メール等のテキストで決定毎回の定員名になり次第または各祭典の週間前までに直轄教会長あてに参拝予定者を発表通知直轄教会長は各教会の昇殿参拝予定者に通知昇殿参拝者の留意事項上記選定の時点で希望者にお伝えくださいコロナ禍の増加傾向等に配慮し次の各点に留意願います祭典日週間前から当日まで各自検温体調不良不安がある等状況によっては昇殿参拝を辞退帰参を見合わせるなど無理のないように対応前日からの詰所泊詰所食については日前までに詰所へ連絡昇殿参拝者は全員詰所発のマイクロバスに乗車詰所出発時刻は当日の午前時春季大祭は時半誕生祭は時不慮の事態により発車時刻に間に合わない場合は発車分前までに必らず詰所上原浩へ連絡してから神殿まで直行ただし発車時刻より時間を過ぎると昇殿できず欠席扱いとなる昇殿参拝の際には必ずマスクハッピ正装を着用し近距離での会話を避ける神殿到着後は東礼拝場階下の受付に代表者が名簿を提出し全員まとまって昇殿係員の指示に従って着座車イスを利用する場合は付き添い者同日の昇殿参拝者といっしょに西礼拝場外のスロープ昇降口から入場西礼拝場内車イススペースで参拝受付不要車イスの貸出有り前日までに岡﨑へ連絡座イスを使用する場合は西礼拝場車イススペースで参拝殿内の畳の上廻廊では使用不可欠席の場合は前日までに参拝者交替の場合は直轄教会長から岡﨑へ連絡あらかじめ欠席の連絡をしていた場合次回以降に欠員があれば追加で参拝できますので希望があれば早めに直轄教会長を通して岡﨑へ連絡なおできるだけいろんな方が参拝できるよう配慮するようにとのことで各教会の代表は原則教会長以外としましたが教会長以外に希望者がない場合は教会長でも差し支えありません教会長を含めても希望者がなさそうなときはその教会の枠を他の教会に回すことができ教会から複数人または人が複数回昇殿参拝できることになりますのでできるだけ早めにお知らせください不明の点は担当者岡﨑真一までお問い合わせください以上十一月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げますくら親神様の親心溢れるご守護と陽気ぐらしへのお導きを頂いて日は結構に恙なく生活させて頂いております気がつけば服装も半袖から長袖へ長袖からセーターへと変わり夏から秋を経て冬へと確実に移り変わって行く事を感じます人間の都合だけ考えれば暑いより涼しい方が寒いより暖かい方がと一年中過ごしやすいのが良いと思いますが冬と夏があるからこそ春と秋の良さが引き立つと思えばやはり四季の有難さを感じます親神様の妙なるご守護に御礼申し上げます私共は親神様のその妙なるご守護を一人でも多くの人に伝えたいと日は朝に夕にと御礼申し上げつつ陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げようを心にたすけ一条のご用の上に努めさせて頂いておりますその中今日の吉日はこれの笠岡にお許し下された御祭り日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同気持ちも新たに喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めて十一月の月次祭を執り行わせて頂きます御前にはコロナ禍にありつつも今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が日頃のご高恩に言改めて御礼申し上げる勇んだ姿をご覧頂きまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて発生より一年程たって未だにコロナ禍の中にありお道の人に限らず皆誰しもがコロナ禍の一日も早い終息を願っておりますが願い通りでは無く心通りの守護と常お聞かせ頂くようにコロナ禍を通して心の成人を図っていく事が大切と思わせて頂きます改めて立教の本旨は世界だすけでありたすけは身上事情の元である心だすけにある事をしっかり心に刻み身上事情だすけを通して心のたすけが出来るよう自らの心の研鑚をしつつたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には成ってくるのが天の理とどんな中も喜びと励みに変えておたすけに邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚一層自由のご守護を賜り親心に触れ親の守護を知りかしものかりものの喜びを胸に欲を忘れて助け合う人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十三年十一月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者吉岡誠一郎赤木素志賛者上原繁次指図方上原明勇講話谷内伸自二月講話学生層育成者講習会区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後吉岡壽上原明勇上中村道德杉原博之横渡邉隆夫杉原善朗淺大教会長様門脇元教上上原明勇今川昌彦中上原繁道山野弘実虫大教会奥様門脇加津内上原愛美高木孝子中田中ますみ山野なつ吉岡﨑真一森本忠善上中村剛横山逸郎渡佐藤道孝山田敏教三谷内伸自高木昭祥岡杉原博之三島渉内吉岡誠一郎岡田誠赤虫明好美森本冨美子三佐藤香苗岡﨑豊子岡今川佐智子笹尾一美室原山野原島明海村岡原邉代﨑海木島﨑半浩逸郎明教志郎誠治立生安子初美八恵繁次隆夫温生真一史郎素志照美和美悦子大教会だより教人資格講習会全期修了者終講木津和丸山周太今年月日東北地方在住の叔父が満歳で出直した本来なら親族ではあるが所属の会長を務める私が斎主をするべきところ移動距離など時間的にも準備が難しく仙台大教会に葬儀の依頼をする事にした年前に叔母が出直した時にもお願いをした経緯があったからだ親戚数人でみたまうつし告別式参列の相談をし新幹線宿泊ホテルの準備が整いいざ出発する前夜になって叔父の娘からがあった現在コロナ感染拡大が東京から全国に広がりつつある中にもし遠距離移動中に感染したらとの心配から参列自粛のお願いだったそれを承諾し五十日祭で務める約束をしたがその後感染拡大は更に広がりを見せ仕方なく家族だけで努めて頂く事との話しにまとまり結局一年祭で合祀納骨をする事になった叔父は大正年に教会の長男として生まれ育ち工学の道に専念するため教会は三男であった父親が後を継ぎ叔父は陰の力となり亡くなるまで教会に心を尽くし切ってくれたその生き様は戦後生まれの私には分からないところはあるがこれからの自分の信仰や生き方に何かしら形は違うが学ぶべきところがあった様な気がした何とか一年祭では墓前に参拝させて頂き教会を陰で支えてくれた事へのお礼が言える様今は上手くコロナと共存出来る日が来る事を願うばかりである虫
かさおか

『かさおか』第59巻 第11号

福輝分教会昭和年月日都大寿道分教会設立昭和年月日所属変更改称移転陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行秋季大祭講話世界たすけの心を一人ひとりが培おう大教会長様立教年大教会秋季大祭は月日大教会長様祭主のもと役員部内教会長布教所長よふぼく信者ら多数の参拝のもと執り行われた大教会長様は秋季大祭にあたり立教の元一日に込められたをやの思いを振り返りひながたをひながた通りに歩むことの意味を掘り下げて話され教祖にもたれ切り常に人たすけの心を持つことが大切だと説かれた要旨は次の通り年という節目に向かって心一つに合わせて精一杯たすけ一条の御用のうえに勤めたいと話されましたそれを受けて大教会として何を思案しどういう心を定め直してこれからの歩みを進めたらよいのかということについて今からお話をお取次ぎしたい心の定め直しを自分を見つめ心を定め直すにはただ単に心を定めるのではなくしっかりと方向を定め親神様教祖にお喜びいただけるように心を定め直さなければ全く意味がありません本日は秋季大祭ですのであらためて立教の元一日に込められたをやの思いはどこにあったのかそこからしっかりと思案したいこれからのお道の歩み月日表統領先生が直属教会長らを集められこれからのお道ということについて話されましたコロナ禍でにをいがけおたすけといってもなかなか難しい今現在しっかりと自分自身を見つめ心を定め直して次の教祖年祭並びに立教立教の元一日に込められたをやの思い天保年月日我は元の神実の神であるこの屋敷にいんねんありこのたび世界一れつをたすけるために天降ったみきを神のやしろに貰い受けたい典第一章つまり親神様の目的世界江戸時代は今とは大きく違いました一れつをたすけたいにこの道を始その後また大きく時代が変わって明めたきっかけがあると言えます治大正になり大きな戦争が起こり簡単に言えば陽気ぐらしの世界戦後の苦しい時代がありバブルの時私たち人間は本来は陽気ぐらし代がありそのような形で時代するために生まれてきた陽気ぐらしは大きく変わってきましたの世界に立て替えてやりたいそれがをやの思いではなかったでしょひながた通り歩めるかうかですからひながた通りと聞いてそして陽気ぐらしをするためにはいてもまさしくひながた通りその何が必要かそういうことを教祖ままを私たちは通ることができませ年のひながたを通して示されましたんそのひながたはまさしく人たすけ当時は物も無いのも当たり前の時の道であり艱難苦労の道だったよう代今は逆に物があふれている貧にに思います貧のどん底に落ち切られ落ち切ろうと思ってもなかなか落ち切をびやたすけから次と不思議なたすることができない時代ですけを現されてたすけ一条の道を歩まれそれこそ飛行機もあれば携帯ましたもあるという状況の中でひながたひながたの道を通らねばひながた通りに通れと言われても正直通る要らん明ことができないと若い人たちは言い辿ってほしいということで示されます確かにその通りでひながたひながたを私たちはひながた通た通れと言われてもひながたをそのり通ることが大切だと教えられましまま通ることはできませんたしかし考えてみれば時代も大きくひながたの心の部分は真似できる変わって来ていますそれこそ天私はひながたには二面性があると保年の当時は本当にその日を生きて考えますそれは何かと言うと先ほいくのも難しい方も大変多かったど申したひながた通りは形の部分つまりかりものの世界もう一つは心の部分です確かにかりものの世界はその時代に応じた通り方があったでしょうが形は真似ができませんでも心一つが我がの理であって心一つの理に体があり自然の働きがあってこの世界というものをお借りして私たちは生きているつまりひながたにはかりものの理の部分と心の理の部分がありかりものの理の部分がひながた通りに通ることができなくても心の部分は通ることができると思うのです心の部分は何かというとまさしく世界一れつたすけたいというをやの心そのままの心つまりたすけ一条の心この心の部分は時代がどう変わろうが私たちは通ることができるということですあらためてひながた通り通ることの意味を考えるなら形の部分かりものの世界の部分はその通りにはできないが心の部分はひながた通り通ることができるということ私たち信仰する者お互いはまずこれをしっかり心においてたすけ一条人たすけの道を歩みたい何のために信仰しているのかと考えてみても我が身我が家のための信仰もあるけれども信仰することによって陽気ぐらしの世界に立て替える人のために信仰するという思いをしっかり心に定めることがまず第一ではないでしょうか初代が通った道の心の部分を真似する更に月日のやしろである教祖だからひながたを通ることができたと言う方もいますとするならひながたをそのまま通ることはできなくても私たちそれぞれの道の初代代の通り方その思いは真似することはできるのではないでしょうかまた初代が通った道そのままを真似はできなくても初代のその心は間違いなく真似ができます初代が通った道の心の部分はどうだったかあらためて考えてみるとやはりたすけられたことがきっかけだった無い命をたすけられたご恩報じせねばと思うと教祖から人さんたすけなされやと人たすけこそがご恩報じの道だと教えられた少しでも人たすけの道を歩みたいそんな思いだったのでしょうしかしたすけられたことがきっかけだったのは確かだとしてもただ単に教祖から人たすけしなさいと言われたからしたのかもう少し深く考えてみるとたすけられたから身上がたすかったからいんねんがなくなったとは思えなかったと思うなぜならそれまでに神様のお話を諄と取り次がれているかしものかりもの心一つが我がの理心一つにかりものの体があり身上に苦しむのも心次第ということも聞いている身上が良くなったからといって心が変わったのか心が変わっていないとするならいんねんも当然切れていないということにも思い当たっただろうから教祖にもたれ切るという安心感を持っているか教祖から人さんたすけなされやと言われご恩報じしたいと思ったご恩報じのための人たすけではなくご恩報じの道人たすけの道を通ったら教祖が間違いなく我が家我が身のいんねんを切るのみならず世界を陽気ぐらしへと導かれるだからこのたすけ一条の道を通らねばそんな初代の思いがあったのではないでしょうかそしてたすけ一条の道さえ通っていれば間違いなく教祖はいんねんを切って陽気ぐらしの世界へと立て替えられるというなんとも言えない強い安心感教祖にもたれ切るという心安心感がそこにはあったと思いますだからこそ安心してたすけ一条の道を歩むことができたたすけの道さえ歩むなら当然必ずいんねんを切って陽気ぐらしの世界に立て替えられるという安心感があったからこそにをいがかかろうがかかるまいが安心してにをいがけもできたでしょうしおたすけがあがるまいが安心しておたすけができたのではないでしょうかそこになんとも言えない安心感があった私たちは常お道を通る中にたすけ一条の御用をする中に教祖にもたれ切る安心感を果たして持っているかと考えるとこの旬にこそそのことをしっかり心におかねばならないと思います教祖を感じることができるかすると若い人たちは教祖にもたれ切る安心感と言われても教祖のお姿を見たこともないと言いますそれはそうです教祖のお姿がそこにあるわけではなく信じるしかないしかしあらためて考えてみると初代会長が笠岡に帰ってきたのが明治ごく年月御供から始まって初めての信者ができたのも明治年月末それからポツポツと年までに名足らずの方が信仰するようになった教祖が御身を隠されたのは明治年旧月日ということは笠岡の道が付き始めてから教祖が御身を隠されるまでは本当にわずかな間ですその間に何人がおぢばに帰ったか初代会長は教祖にお目通りしていますが初代会長にたすけられた人がどれだけ教祖にお目通りしたか皆無ですですから当然初代会長の時代も教祖のお姿は拝していませんということは私たちの初代の時代も私たちとなんら変わりはないだから時代がいくら変わろうが教祖存命ということがしっかり心に治まれば何も見えなくとも信じることはできるということです初代はそうだった教祖のお姿を拝していなくてもおたすけに歩めば歩むほどああ教祖がいてくださるんだということをひしひしと感じることができたのですだから見えないから信じられないというのはこれは違いますおたすけをしないから見えないおたすけさえすれば教祖を感じることはできる実際におたすけをすればああ教祖が働いてくださるという場面が度あると思いますまたおたすけしてもおたすけがあがらないにをいがけしてもにをいがかからない一生懸命ひのきしんをしても教会の御用をしてもという方もいるかもしれないでもそういうことをしていくその場では目に見えなくても他のところで教祖のお働きを感じることは多あると思うということは教祖は姿が見えないから信じないではなくて私たちにたすけ心があれば教祖を感じることができるのです常に人たすけの心を持つことが大切不思議なご守護が見えなくてもおたすけがあがらなくても身上にならなくてもたすけ心をもって日おたすけの道を歩みさえすれば教祖を感じることはできるたすけ一条と言いますがパンフレットを持ってにをいがけをするとかおさづけを一回でも多く取り次ぐことは大事なことですが心一つが我がの理ですから日の通り方の中で人たすけの心を常に持ち続けることこれが大事ですその心さえあればあそこで困っている人がいるたすけてあげようという気持ちになります明治年初代会長が笠岡に帰ってから一番最初のおたすけは身上に困っている親戚の人にたすかってもらたいというところから始まった身近なところからおたすけが始まったのであって全く知らない人におたすけに行ったわけではないただ常におたすけの心を持つことが大切なのですおそなえ皆様方は御供は何のためにしますかご守護いただくためですか家内安全のためですかこれは初代の方代の先生方のことを考えてみればみな自分のために御供してません人のたすかりのためにあああの人にこの人にたすかってもらいたいと皆たすけ心で人たすけの理作りのために御供をしている私たちもそうしませんか自分のためではなくああこのわずかな御供でも教祖がたすけ一条で働いてくださる陽気ぐらしの世界に立て替えてくださる御供させて頂きたいとたすけ心で御供できませんかひのきしん一つかしものかりものありがたいまたおたすけのうえに教祖が働いてくださる陽気ぐらしに導いてくださるはーありがたい教会の御用してああ教祖が働いてくださる教祖が陽気ぐらしへと導いてくださるありがたいなぁそんな心になれるのではないでしょうか世界一れつをたすけたいというをやの心を一人ひとりの心遣いに人をたすける心を持ち続けることがいかに大事かそのことを教えてくれたのが世界一れつをたすけたいというをやの心ではなかったのかあらためて思案したい世界一れつをたすけたいというその心は親神様の心だではなくて私たち一人ひとりの心遣いでなくてはなりませんしっかりと見つめ直すなら心を定め直すならさあこれから人たすけの心で毎日通りますと心をしっかりと定め直して明日から新たに成人の歩みを進めたいと思う次第です先代が歩めなかった道を今私たちは歩むことができますインターネットで簡単に地球の裏側の人の顔を見ながら話せますからどこでもお話を取り次ぐことができると考えると先代が通れなかった道を私たちは歩むことができるどうかたすけ心を持っていただきたい今コロナ禍を通して親神様が急きこまれているのも人のたすけ心そのものですテレビでも人がたすけ合うことが大事と伝えていますお道の人間が率先してたすけ心の大切さを人に伝えましょう以上要約大教会庭木剪定ひのきしん実施管理部虫明立生部長は月日日日午前時から大教会の庭木剪定草刈りなど日間延べ約人でひのきしんを行った初日は客殿庭の草刈りを中心に作業を進め同時に松サツキツツジと池管理部の周りの木を仕上げていった呼び掛けていた日間では到底大教会敷地内全ての剪定草刈りは無理なので目前に迎える正月を焦点に判断しながらの作業となった日目日目は特に目に付く入口参道両脇と乱れ石垣上下に配植したツツジの剪定また周辺の草刈りなど片付け焼却作業も含め一応の区切りとさせて頂いた管理部では大教会創立記念祭に向けての作業課題が山積しており年が明けてからは青年会と相談しながら月日にちの調整をしてひのきしんを行いたいと思いますので少しの時間でも皆様方にはご協力下さいます様よろしくお願い致します管理部長虫明立生各所に分かれ剪定草刈り等の作業を分担した渾身の演奏演技を披露発表の場が無くなり特に中学年生笠岡むつみ鼓笛隊秋の発表会開催にとっては集大成の場が失われたこのような状況から何とか発表の場を設けたいとの同隊の思いで秋笠岡むつみ鼓笛隊責任者上原繁の発表会の開催に至った次は月日大教会講堂で秋当日は大教会奥様明勇様愛美の発表会を開催した様を始め保護者や家族連れなどおよ今年は新型コロナウィルス感染拡そ人が観覧した大の影響で月より鼓笛活動も中止ステージではまず昨年のこどもおを余儀なくされ更には鼓笛活動のぢばがえりまでの歩みをまとめた頂点である夏のこどもおぢばがえりが上映された続いて隊員が全も中止となったそれに伴い今年の力少年を合唱し伸びのある歌声が会場を盛り上げたダンス響いたその後岡山教区鼓笛フェスティバル月開催の様子とみちのこチャンネルにリモート出演した様子の映像が上映された次に隊員がダンスとの演奏演技を披露会場の盛り上がりは最高潮に達したそしてこの日最後に卒業式が開催されたまず中学年生に向けた隊員スタッフからのメッセージが流されその後卒業生人が舞力を出しきって最高の笑顔台上に上がった人は鼓笛活動を通して友達の絆を得た事演奏やダンスを通して学校でも活躍できた事本当はこどもおぢばがえりで最後を飾りたかった事隊員やスタッフへの感謝の言葉などを涙で声を詰まらせながら語ったこの日会場は大きな感動に包まれると共に鼓笛を通しての育成活動の重要性を強く感じる日となった髪型も衣装もバッチリです卒業生から涙ながらのメッセージ立教百八十三年秋季大祭祭典役割表祭主大教会長様扈者中村上原志郎講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤佐藤道孝杉原博之高木昭祥大教会長様上原明勇上原繁道大教会奥様上原愛美田中ますみ杉原善朗谷内伸自吉岡岡﨑真一田中隆之上原虫明好美今川佐智子上原順子剛壽浩高木昭祥賛者渡邉隆夫指図方上原繁道十二月講話吉岡前半門脇元教岡﨑真一佐藤真孝中村中村道德横山逸郎武内正美横山小智榮室悦子中島誠治森本忠善吉岡誠一郎淺野明教虫明立生赤木素志佐藤香苗吉岡八恵岡﨑豊子剛後半上原志郎今川昌彦渡邉隆夫田中隆之三島山野弘実谷内美知子岡﨑和美田中つかさ岡田杉原善朗門脇元教内海史郎三代温生上原繁次笹尾一美三島照美中村初美壽渉誠冬季中の祭典及び立教年年頭会議について冬季中の祭典についてコロナ禍対策として密密閉密集密接を避けるため冬季中の祭典日も神殿周辺の障子窓等をすべて開放し参拝場内に暖房を用意しませんので膝掛けなどの寒さ対策を充分に取ってご参拝ください当日は先月号に掲載の次の申し合わせ事項を厳守ください大教会に来会時は手指を消毒必ずマスクを着用健康状態に異常発熱等がある方は来会をご遠慮くださいいずれの場所でもソーシャルディスタンスに配慮し神殿内では畳に人ずつシールの貼ってあるところに座って参拝年頭会議について立教年年頭会議は例年通り月日午後時より開催します冬季中の祭典同様に対処しますのでので寒さ対策を充分に取ってご参加ください例年会議後に開催している恒例の会食は中止します秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にわにんけんはじめかけたのわよふきゆさんがみたいゆへからと紋型無いところから道具をはじめ寄せこの世と人間をお創造になり心と身体の自由をお許し下されてお育て下さいました以来親心のままに温かくお見守り下され陽気ぐらしが出来るようにとご守護下さっておりますしかるに心の使い方を誤り陽気ぐらしから遠ざかっているのをあわれと思召され月日にハせかいぢうヽハみなわが子たすけたいとの心ばかりでと教祖を月日のやしろとお定めになり五十年の長きに亘ってひながたをお示し下されるばかりでなく教祖御身お隠しなされて後も存命のまま今もこれからもたすけ一條にお働き下さいます事は誠に有り難く勿体ない極みでございます身上事情を通してこの道にお引き寄せ頂き陽気ぐらし建設のよふぼくとならせて頂いた私共は日朝夕に御礼申し上げると共にご存命の教祖に凭れ安心してたすけ一條に邁進させて頂いておりますその中にも今月二十六日は立教の元一日に当たりおぢばでは秋の大祭が執り行われますのでその理に倣い当大教会でも今日の吉日に秋の大祭を執り行わせて頂きます只今からおつとめ奉仕人一同立教の元一日に思いを馳せ喜び感謝の心一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます又御前には理に繋がるよふぼく信者が今日の日を楽しみに寄り集い同じ思いに伏し拝み言改めて日頃のご高恩に御礼申し上げる状をご覧下さいまして親神様にお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月は大祭月に当たり直轄教会に大祭参拝をさせて頂きました立教に込められた世界一列を助けたいとの親の思いをお示し頂いたひながたに込められたたすけ一條のお心に焦点を絞り互いに思案をすると共に私達の信仰の指針となる初代を始め先輩の方達が生涯掛けて歩まれたその思いを継承し教祖が助けて下さり陽気暮らしに導いて下さると信じ安心してたすけ一條に邁進する事を誓い合わさせて頂きました何卒親神様には現在お見せ頂いているコロナ禍の事情を通してより深く信仰を求めかしものかりものの喜びを胸にたすけ一條に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚一層自由のご守護を賜りたすけの輪が一人ひとりと確実に広がって欲を忘れて助け合う陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます自転車に乗って郵便局へ行く向こうから車が来る今までは平気だった自転車をこぎながらすれ違った余裕だったいつの頃からか車が来ると身体が緊張して横揺れするようになった今は道の左に寄って車の行き過ぎるのを待っている後ろから車の音がすれば止まって通り過ぎたら自転車をこぎ出す歩行道の有り難さをしみじみ感じる嗚呼若い時はサイクリングクラブのリーダーだったのにしかし今は昔のこと人の可愛い孫の成長を楽しみに長生きしなければ小の孫が小学校のサッカークラブに入った入って一ヶ月早くも練習試合出場年生は交代に出場唯ボールに向かって走るだけ目指せ将来の久保タケひ
かさおか

『かさおか』第59巻 第10号

福備分教会昭和年月日福谷宣教所設立昭和年月日移転改称陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行管理部障子張り替えひのきしん実施管理部虫明立生部長は月日土午前時から神殿及び神殿建物内の障子張り替えひのきしんを実施約人余りが参加した婦人会では毎月日が例会日でありこの日に合わせて定例の座りづとめを勤めそのあと障子洗いひのきしんに取り掛かった午前時半を過ぎてから管理部を中心に外での作業準備やそれに並行して神殿内では障子を取り外す作業から始めそれを神殿玄関外の石畳の上に積み重ねていく準備を進めた障子の水洗いが始まると同時に二階の各部屋から取り外した障子は神殿玄関外に運びまた一階各部屋の障子は一階玄関に並べていった神殿内の障子は婦人会の手際良い作業で水洗いひのきしんは午前中でほぼ終了する事ができた昼食後婦人会は解散し午後からは管理部青年会有志ら人でペースを緩める事なく次と障子を張り続けたがだんだんに人数も減り一階の障子張りを残す事になったがこの日の障子張りひのきしんは終了した次の日日も引き続き残りの障子張りを人の有志で行い無事この年の障子張り替えひのきしんは完了した普段は気付かない障子の黒ずみも新しい障子に張り替えてみるととても綺麗に見え嬉しい気持ちになりましたお忙しい中を大教会の上にお力添各作業が分担して行なわれた乾いた桟に糊を乗せロール障子紙が貼られたえ頂きまして誠にありがとうございました来年月日は創立周年記念祭並びに六代会長就任奉告祭の年に当たり障子張り替えひのきしんの日にちは未定ですが客殿会長宅をさせて頂きますので何卒お心寄せ下さいます様よろしくお願いいたします有志ひのきしん隊実施青年会笠岡分会上原明勇委員長は月日油木分教会にて有志ひのきしん隊を実施したこの日は名で教会敷地内の除草を行いトラック一杯の草を刈り取った青年会荷台に山盛りになった草草ぼうぼうの敷地がみなさんは何十年も毎日毎日おつて頂きたいと思います修養科へ行っ修養科生の声とめをしてるのにどうして戦争は無くてみていろいろ学ばせてもらいましならないのですかと聞かされましたたありがとうございました私はその時答えることができずモヤモヤした感じになり教養の先生からは修養科で学んだことまだその時期でなくて人の成人の途中の段階だからと言われました修養科生活を終えて福冨士分教会藤井教太難しすぎてなるほどと思えませんでし上下分教会山野哉実私は大学受験に失敗し精神的に落ちたが考え方の一つとして得るものが私はこのヶ月の修養科生活で多込んでいたところに大教会長様教ありましたくの事を学ばせていただきました会長様に修養科へ行くように言われ話は変わりますが同じ修養科生の今年の月に足に身上を見せてもら自分の中で気持ちの面でも楽になるの山野さんは足に身上を頂いており車いなんとか御守護して頂きたいといではないかと考えて第期修養科にイスや松葉杖での移動が主でしたがう思いから修養科を志願しました志願しました三日交替で教養の先生方とおさづけをヶ月目は長距離の歩行が難しく松学校が始まって自分と同じ大学受取り次ぐと三ヶ月目にはほとんど不葉杖や車椅子での移動をしていまし験に失敗した人や一度浪人して大学へ自由なく動けており不思議だなぁとたそんな私にクラスの方や教養の行った人など不思議なめぐりあわせおさづけのすごさを感じさせて頂きま先生方が優しく接して下さり毎日おを感じ一月目の教養の先生の僕達したさづけを取り次いで下さいましたまは縁あってこのおぢばに引き寄せらこの修養科生活で私は自分を変えたた私の助かりを願い毎日おねがいれたという言葉を身に染みて感じまいと思い志願しました変われたのかづとめをして下さる方もおられ日がしたどうかわかりませんが人間は常に神経つにつれ徐に足の痛みが和らい修養科では当たり前ですが天理教様の御守護によって日何不自由なくでいき歩ける距離ものびていきましに入信してヶ月というほぼ未信者み生かさせていただいておりその恩をた歩けるということは当たり前でたいな人もいますその方の天理教に返すためにひのきしんがあり日のはなくとてもありがたいことだと思対する質問はとても純粋で悩まされおつとめがあることが分かりましたいましたそれと同時にかしものがることもありました一つの例としてなかなか我を取ることは難しいですかりものの理を改めて感じしっかおつとめは世界一れつ助けるため陽が常に教会につながり人の助かりり心に治めて通らないといけないと思気ぐらし世界建設のためにつとめますを願い神様にもたれて日を通らせいましたどうしたらこのご恩をお返しできるかと考えた時自分ができるおたすけひのきしんをさせて頂こうと心に決めましたヶ月目の初めに担任の先生からしっかり人の助かりをお願いさせて頂きましょうと言われたのを思い出しそこからおさづけやお願いづとめひのきしんを積極的にさせてもらうようになりました自分がしんどくても人の助かりをお願いさせてもらうことによって自分も助けて頂くことが何度もあり人助けたら我が身助かるとはこの事だと感じましたまたおさづけを取り次がせて頂いた後に鮮やかな御守護を見せてもらったり感謝の言葉をかけて下さる方も多くおさづけを通しての喜びも感じることができました身上を頂いてから心が沈んでいましたが修養科に行かせてもらい自分の身上について前向きに捉えることが出来るようになりました今後は自分が助けて頂いたことを周囲の方に伝え積極的におさづけにをいがけをさせて頂きたいですまた何でも喜べる素直で笑顔の素敵な女性にならせて頂きます昇殿参拝昇殿参拝教会長の留意事項コロナ禍の増加傾向等に配慮し次の各点に留意願います参拝月日頃より月次祭当日まで各自検温する体調不良不安がある等状況によっては昇殿参拝を辞退帰参を見合わせるなど無理のないように対応する欠席の場合は当日の午前時月のみ時までに岡﨑へ連絡前日からの詰所泊詰所食また当日の午前時月のみ時詰所発のマイクロバスを利用される方は早めに詰所上原浩へ連絡する昇殿参拝の際には必ずマスク教服を持参着用し近距離での会話を避ける教服は礼拝場階下での着用可神殿まではハッピ着用の上見苦しくない格好で東礼拝場階下から昇殿代表者のみ受付前から詰めて着座する車イスを利用する場合前日までに岡﨑へ連絡は西礼拝場外のスロープ昇降口から入場し西礼拝場内車イススペースで参拝する受付不要この件についてのお問い合わせは担当者大教会岡崎真一まで参拝予定の教会毎月日まで変更を受け付けます括弧内は空き枠数月神邉鶴山照陽島中湯田原備中神驛廣町福廣福勇福芦安那芦田川瑞雲照雲松都米美名月陽備芳井海松ヶ岡東悠新山邑川島郷鴨方作備福山坪生惠陽大惠山八尋米府弓ヶ濱西伯出雲川津名月陶山輝美濃明石市錦ヶ原福節芦品東水島髙児島笠尋吉舍上下名コロナ対策月次祭前後の対処等に付き次の通りよふぼく信者に対して周知徹底願います祭典参拝は通常に戻しますが今ののみ申込を受け付ける情勢を鑑み決して無理をしないよ右記内容に変更を生じた際はそのうにしてください都度直轄教会長宛に連絡します以下の点は厳守願います祭典時奉仕人の着座位置大教会に来会時は手指を消毒必ずマスクを着用健康状態に異常発熱等がある方は来会をご遠慮くださいいずれの場所でもソーシャルディスタンスに配慮し神殿内では畳に人ずつ座って参拝下図参照祭典前の清掃ひのきしん祭典日の昼食ひのきしんは婦人会の当番教会でつとめる日時より月次祭のおつとめまなび祭典講話はありますおつとめ奉仕時も地方笛以外はマスクを着用食堂講堂での食事は食前に手指を消毒神殿内での参拝者の着座位置テーブルに対面して座らず全員同じ方角を向いて喫食食事中の会話は控える月末の諸会議は毎月日月は日詰所の宿泊については笠岡内の方立教百八十三年九月月次祭祭典役割表祭主大教会長様三島扈者上原渉浩内海史郎賛者岡田誠指図方上原明勇講話大教会長様十一月講話谷内伸自区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後吉岡壽佐藤道孝門上原浩三島渉中山田敏教杉原善朗三大教会長様田中隆之中上原明勇吉岡誠一郎今上原繁道武内清明森大教会奥様内海安子門上原愛美高木孝子室田中ますみ中村初美山佐藤真孝横山逸郎山岡﨑真一虫明立生渡中島誠治杉原博之高高木昭祥岡﨑真一佐谷内伸自淺野明教岡内海史郎上原繁次赤虫明好美田中つかさ三武内正美岡﨑豊子吉今川佐智子笹尾一美岡脇島代村川本脇野野邉木藤田木島岡﨑半元教誠治温生剛昌彦忠善加津悦子なつ弘実隆夫昭祥真孝誠素志照美八恵和美立教百八十三年秋季霊祭祭典役割表祭主大教会長様谷内伸自扈者武内清明淺野明教賛者佐藤真孝指図方吉岡壽区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半佐藤道孝門脇元教森本忠善吉岡誠一郎岡田誠上原繁次大教会長様田中隆之上原明勇岡﨑真一上原繁道虫明立生大教会奥様武内正美上原順子門脇加津谷内美知子横山小智榮今川昌彦上原浩三島渉高木昭祥中村剛横山逸郎山野弘実山田敏教中島誠治杉原博之赤木素志杉原善朗佐藤香苗内海安子高木孝子田中つかさ吉岡八恵山野なつ本部神殿で参拝する際の感染防止のエチケット九月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供かわいいの親心一杯のご守護と世界一列を助けたいとのたすけ心一杯のお導きを下さり日は結構に恙なくお連れ通り頂いております中でも今はあれほど暑かった気候も一雨毎に涼しくなり朝晩は肌寒ささえも感じるようになり食べ物を通しても秋を感じる季節をご守護下さっております事は誠に有り難く勿体ない極みでございます私共は季節の移り変わりにより一層の親心を感じ喜び感謝の心一杯に日は朝に夕にと御礼を申し上げつつご恩報じを念じてコロナウィルス感染に注意をしながら出来る精一杯のたすけ一條のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は此の笠岡に理のお許しを戴いた御祭り日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝とたすけ心も一入に心を一つに睦び合い明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりを勤めて九月の月次祭を執り行わせて頂きます本日は久し振りに参拝制限を設けずつとめさせて頂きますがウィルス感染をしないよう一人一人が充分に注意をしてつとめさせて頂きます御前に寄り集い言改めて御礼申し上げる様をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本来ならば今月はにをいがけ強調月であり月末は全教一斉にをいがけデーでございますがコロナの影響で自粛しなければならない現状がございますかといって身上事情で苦しむ人が減ったわけでもなくむしろ増えているように思われますにをいがけが出来難くても常にたすけ心のアンテナを張って出来るお助けをしっかりさせて頂く所存でございます又来月は秋の大祭月でございますので直轄教会へ大祭参拝をさせて頂き立教に込められた親の思いを受けいかに応えていくかを相談させて頂きますがコロナに対する教会の現状を鑑みて無理せず実施させて頂く所存でございます何卒親神様には旬にお現し下さる親心にお応えすべくたすけ一條に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜り親神様のお働きを身近に感じてご恩報じに邁進する人が弥増し助け合いの輪が広がりコロナ禍も終息して陽気ずくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます秋季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共にたすけ一条の艱難苦労の道を歩まれ今日の道の礎を築いて下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊諸の神霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には身上事情を通してこの道に引き寄せられ親神様教祖の親心とお働きを知り又我が身我が家の因縁も悟ってご恩報じの上からたすけ一條の道を生涯懸けて通られましたその道は茨苦労の道でありましたが先を楽しみに勇んでお通り下さいましたお陰をもちまして今日結構な道の姿を見せて頂いておりますのもひとえに親神様教祖のご守護お導きであると共に祖霊様方の真実の伏せ込み理作りの賜と日は朝夕にお礼申し上げつつ親孝心一筋に又陽気ぐらしへの使命感を持ってたすけ一條のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中本日は本年の秋の霊祭を執り行う日柄でございますので只今は親神様の御前にててをどりをつとめさせて頂き続いて御霊様方に改めて御礼申し上げたいと御前に席を移させて頂きました在りし日の面影を偲び御遺徳を称えたいと旬の物を供え拝む皆の真実の状をご覧下さいまして祖霊様方にも御心お安め下さいますようお願い申し上げますさて春の霊祭で申し上げた新型コロナウィルス感染がいっこうに終息の兆しが見えません国内はもとより世界中に拡大し多くの方が亡くなるという厳しい現実をお見せ頂いておりますその中密閉密集密接の三密を避けた新しい生活スタイルの確立が叫ばれ常にマスクの着用や手や物の消毒に気を遣う等今まで経験した事の無い生活を強いられていますそうした中にあって私達は信仰の元一日を尋ねご恩報じの思いを奮い立たせ代辿って来た道は何の為だったかを思案しながら今出来る精一杯のご用とお助けに励ませて頂く所存でございます何卒祖霊様方には時代の変化に惑わされず親を慕い親の思いを受け継ぎつつ足を踏ん張ってたすけ一條に邁進する皆の真実の状をご覧下さいまして祖霊様方が求められた陽気ぐらしの世の状に一歩でも前進できるようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより教会指令臨時祭典願創立百三十周年記念祭承認任命願米府分教会前任三代幸新任三代幸徳奉告祭承認第九四九期修養科教養掛主主任副副主任一ヶ月目主上原志郎三代幸徳氏大教会役員副高田一弘眞府分教会長二ヶ月目主岡﨑治喜弥髙山分教会長副枝廣隆文東福山分教会長三ヶ月目主今川昌彦大教会役員金浦分教会長副藤井正仁福冨士分教会長修了者福冨士藤井教太上下山野哉実教人資格講習会修了者全期終講松都三代真生本部食堂ひのきしん米府三代洋子新輝豊杉本悦子島根門脇はづき立教年秋季大祭参拝福山上原明勇髙屋佐藤道孝神邉上原明勇島根大教会長様久松門脇元教鶴山上原志郎弥髙山上原繁道陽備摩耶上原志郎金浦佐藤道孝興明ひろさと陶山上原明勇芳井上原繁道呉照海松ヶ岡武内正美東悠吸江照陽上原明勇輝美濃大教会長様新山邑中村剛呰部明石市中村剛上下上原繁道府中市東城上原明勇服部上原明勇島中驛家武内正美油木葦陽田中隆之湯田原上原繁道備中大教会長様神昭美之郷錦備印は月空欄はコロナ禍のため訃報髙田賀代子姉大教会おつとめ奉仕人月日出直されました享年才森本忠平氏大教会承事笠晴分教会長海松ヶ岡分教会前会長月日出直されました享年才月も終るころとなりあとヶ月で正月を迎える頃となり年賀状の準備に気が急く頃となりましたこの一年を振り返ってみれば新型コロナウィルスにより戦後生まれた私たちは経験をしたことのない出来事が続いています楽しみにしていたオリンピックの延期小中高学校の臨時休校また各地区の夏祭りの中止と全てがとまりました普段の生活においても友達と話をする時も会話は暑い中マスクを付けまた多く人が集まる場所においては三密を気に掛けるように指導をされています現在世界では百万人の人が亡くなられたそうです陽気ぐらしとは程遠い日がつづく毎日ですこんな中ではありますが思い返せば教祖年祭があと年となったころに聞かせて頂いた言葉を思い出して喜ぶようにしています年祭は助かる旬ですよ
かさおか

『かさおか』第59巻 第9号

福節分教会昭和年月日落成奉告祭陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行令和年月豪雨災害義援金並びに支援物資御礼と報告月日から日にかけて梅雨前線が九州付近を通り東日本にのびて停滞した前線の活動が非常に活発で西日本や東日本で大雨となり特に九州では日から日は記録的な大雨となったまた岐阜県周辺では日から激しい雨が断続的に降り日から日にかけて記録的な大雨となった日には熊本南部の河川の氾濫や土砂崩れの災害のニュースが流れた最近は災害の状況や救援活動の情報が流れるのが早く今私たちに何が出来るだろうかと考え始めた時教友が現地で今必要なものやどういう活動を始めているのかを伝えてくれるようになった笠岡近辺でもすぐに多くの支援物資が支部内の教会や布教所から大教会に集まってきたこの度のコロナ禍では県をまたいでの人的活動は出来ない為支援物資と義援金の支援だけを考えることにした大変な状況にあった熊本県球磨村と人吉市で救援活動に動き始めていた方との連絡からまず集まった物資に今現地で必要な物資を買い足し支援活動が続く人吉市口送らせて頂いたその後岐阜県の下呂温泉近くの集落が水没している情報が入り現地で必要な物の情報を得て集まっていた物資に加え足りないものを購入して口の箱を送らせて頂いた大教会では大教会長様との相談の上義援金の募集と支援物資の募集を月日までの期限で始めていたが終了した時点で万円の寄付が集まった熊本で物資の届かない在宅被災者を支援する物資収集拠点にその日必要な物を購入し届ける救援作業を続けている教会後継者と仲間たちの情報を得てその活動グループに万円の義援金を送金したその後月に入り熊本教区の災害救援隊に寄付するつもりでいたが救援活動を休止している状況だったので再度その活動グループに万円を義援金として送らせていただきましたこの月の豪雨災害に際して多くの方の真実の義援金と支援物資を届けていただけましたことを心から御礼申し上げます多くの方の生活復興のための支援になりました最後にこれからも出来る活動を続けさせてもらいたい思いを述べこの度届いた義援金と物資の御礼が熊本から文面として届きましたので記載させていただきますありがとうございました支援物資送付先口は辺合計の箱全口月日熊本県菊池市口月日熊本県北区津浦町口月日岐阜県下呂市口月日熊本県北区津浦町口月日岐阜県下呂市口月日熊本県菊池市口月日熊本県菊池市口大教会から送り出された物資義援金総額万円月日時点月熊本万円月熊本万円支援物資送料等万円菊池市で救援活動されている西岡さんからの報告今日で水害がおきてヵ月が経ちました皆様から届きました支援物資を月日と本日月日の二回に分けて運搬させて頂きました私が運んでいる物資拠点は避難所ではなく在宅被災者の方が多い地区の物資拠点です避難所は物資が沢山あるのですが在宅被災者さんには物資が渡っておりませんですのでこの拠点は被災者さんが直接取りに来られます二回運びましたが二回とも食料が底をついてるタイミングでしたのでとても喜んで頂きました物資拠点で手渡されたトラックで届けられたそれと紙類ティッシュトイレットペーパー生理用品子供大人用オムツが全く無いということを教えて頂きましたのでさっそく皆様からお預かりした支援金で購入させて頂き届けさせて頂きました本当にありがとうございましたそれと必要なものは現地のスタッフの方が一番分かるし必要なときに必要なものを買って頂いた方が良いと感じたのとこの拠点は定期的に被災者の皆さんに炊き出しをされているということを知りましたので少しでも協力させて頂こうと思いお預かりした支援金をスタッフの方に渡させて頂きました今回も協力して頂きました皆様本当にありがとうございました現地のスタッフの方はとても明るくて前向きで元気です物資を運んだ自分達が元気を頂く程です復興はまだまだ時間がかかりますがコツコツ前を向いて進むだけです菊池市西岡道人自教会が被災しながらも届いた物資を近隣に配り救援活動をされている佐敷分教会長さん八月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召から心の自由をお許し下され身体をお貸し頂くと共に天然自然のお働きを通して御守護下さいます事は誠に有り難く勿体ない極みでございますしかるに心の自由を取り違え勝手気ままな心遣いから身上や事情に苦しまなければならない事は誠に申し訳ない次第でございますせかいちうをみな一れつをたすけたさそこでためしがゑらい事やでとお示し頂きますようにこの度のコロナウィルスを通して世界中の人に助け合いの心遣いが何よりも優先する事をお教え下さっているように思います道の先達たる私共は少しでも親の思いにお応えしたいと日は朝夕におつとめを勤めて御礼申し上げひのきしんに励んで伏せ込み理作りをさせて頂くと共にご恩報じを念じて一人でも多くの人に親心を伝えたすけの輪を広げるべくにをいがけおたすけに励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれのの八月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝を申し上げると共に世界中の人のたすかりを願って御教え通りに坐りづとめてをどりを勤めさせて頂きます今月もおつとめ奉仕人以外の参拝を遠慮頂いておりますので来たくても来れない人が多いますが各自各場所で心一つに勤めて下さっております皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて来年十月の創立百三十周年記念祭に向けにをいがけおたすけに拍車をかけなければならない時期でございますがコロナウィルスの影響で人との接触を極力避けなければならないのに加え連日三十五度を超える猛暑日で熱中症にも気を遣わなければならない等むしろ外を出歩くことさえままならない現状でございますならばと今出来る事を考え通常のおさづけ取次やお願いづとめに加え病たすけに繋がる心たすけに力を注ぐべく改めて教理勉強をし人に伝えるべくや手紙又インターネット等を活用しておたすけに励んで行く所存でございます何卒親神様には残暑厳しき中にも親に凭れ親孝心一筋にたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいましておたすけの上により一層の御守護をお現し下さり親を慕いご恩報じに励む人が弥増してお望み下さいます陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますお知らせ月次祭前後の対処等に付き次の通り部内教会よふぼく信者に対して周知徹底願います祭典参拝は通常に戻しますが今の情勢を鑑み決して無理をしないようにしてください以下の点は厳守願います大教会に来会時は手指を消毒必ずマスクを着用健康状態に異常発熱等がある方は来会をご遠慮ください食堂講堂での食事は食前に手指を消毒テーブルに対面して座らず全員同じ方角を向いて喫食食事中の会話は控えるいずれの場所でもソーシャルディスタンスに配慮し神殿内では畳に人ずつ座って参拝祭典前の清掃ひのきしん祭典日の昼食ひのきしんは婦人会の当番教会でつとめる日時より月次祭霊祭のおつとめまなび祭典講話はありますおつとめ奉仕立教百八十三年八月月次祭祭典役割表祭主大教会長様岡﨑真一扈者横山逸郎山田敏教賛者三代温生指図方上原明勇講話なし十月講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前中村剛上武内清明横渡邉隆夫淺大教会長様田上原明勇三上原繁道上大教会奥様岡上原愛美門田中ますみ岡森本忠善岡吉岡壽中佐藤道孝杉谷内伸自山佐藤真孝高吉岡誠一郎赤虫明好美内佐藤香苗笹上原順子武原山野中島原﨑脇﨑田村原野木木海尾内半後半志郎今川昌彦逸郎虫明立生明教佐藤真孝隆之門脇元教渉中島誠治浩森本忠善豊子谷内美知子加津吉岡八恵和美田中つかさ誠上原繁次道德山田敏教博之上原明勇弘実杉原善朗昭祥渡邉隆夫素志三代温生安子高木孝子一美室悦子正美横山小智榮時も笛以外はマスクを着用月末の諸会議は毎月日月は日詰所の宿泊については笠岡内の方のみ申込を受け付ける上記内容に変更を生じた際はその都度直轄教会長宛に連絡します大教会だより教人資格講習会修了者全期終講芦田川吉岡真生私達の年代の人達が子どもの頃えっ今日は度死ぬななどと会話していましたが近年はえっ今日は度ここ本当に日本と話していませんか数年前アフリカからの帰りに立ち寄ったインドカルカッタの空港での温度が夜時過ぎにもかかわらず摂氏度湿度でタクシーにエアコンはなく窓を開けたら砂混じりの熱風が吹き込んで息が出来にくかったのを思い出します地球温暖化は確実に想像以上の早さで進行していますねそんな中年明けからの新型コロナウイルスの世界的な蔓延という本当に想像だにしない事態が起こり驚愕している昨今ですがと書きだしたものの次の文章が浮かびませんトホホ自教会でも月と月の月次祭は信者さん方に自粛して頂き家族人で勤めさせて頂きました今後どうなることでしょうとにかく一日も早いコロナウイルスの終息を親神様にお願いしながら日気を付けてこの節を凌がせて頂きましょう何かまとまりのない文章で申し訳ありませんでした温暖化による暑さのせいか思考能力がどこかでよりみちしてしまったようですトホホ
かさおか

『かさおか』第59巻 第7・8号

福順分教会昭和年月日落成奉告祭陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行修養科生の声修養科で学んだこと芦田川分教会吉岡真生修養科の参加は内面的に成長するために希望しました元面倒くさがりですぐにイライラてしまう性格であるため他人に迷惑をかけてしまうことがありましたこのままではダメだと思い参加することを決意しましたこのヶ月間多くの方と接しましたがやはり他人の行動や言動が気になりイライラすることが時ありましたそこでイライラしたらとりあえず納得することを実践してみることにしました具体的に言うと一旦落ち着き状況を整理した上で状況を飲み込む面倒くさいなと思ったりすることがなくなりました修養科を終えて米府分教会福谷克巳まずはコロナ過の中期修養科を無事修了させて頂き教会御本部詰所の先生方にお礼申し上げます修養科では十二下りのお手振りをきっちりと覚えることを目標としていましたお手振りは自己流でしたが修養科詰所で教えて頂く中で間違って振っていた箇所を認識させて頂ききちんと踊れるようになったと思います鳴物は笛を選択しましたものの息が続かず上手く吹けるまでにならず帰ってからも練習に励むつもりですまたひのきしんは除草修養科ではクラスでの感話をきっかけに回廊拭きに取り組み期間中は参拝出来なかったため修養科周辺の除草を実施したのを契機として後も回廊拭きに加え昼休みの除草も修養科修了まで継続させて頂きました途中からクラスメイトも一緒に除草してくれるようになり教典の一節ひのきしんは心あるものは次と相携えてを実感しました修養科期間中月次祭教祖誕生祭は参拝が出来ない状態で繁忙時のひのきしんを経験出来ませんでしたがヶ月もおぢばに滞在することは最初で最後との思いから精一杯ひのきしんに取り組ませて頂きました一番の収穫は以前会社の同僚におさづけの取り次ぎを断られたことから身内以外の人へのおさづけの取り次ちゅうちょぎを躊躇していましたが修養科でおさづけを取り次ぎさせて頂くようになりおさづけに一歩踏み込めるようになったのではと思います地元に帰ってもひのきしんに励みおさづけの機会があれば積極的に取り次いでいく所存です感謝の心で木津和分教会丸山周太修養科を通して僕が一番印象に残っていることは恵さんのお子さんと過ごす時間でした最初は慣れてない様子でしたが一週間もすれば僕に慣れてくれました一緒に遊んでまた寝かしつけて楽しかったですしかし楽しい時間だけではなく泣く時があれば僕が泣き止ますことはあまりできませんでした赤ちゃんの気持ちを分かることが難しくそうなると恵さんの所に帰っていきました母親の元へ帰るとすぐ泣き止む姿を見てやはり親は偉大な存在だと改めて気付かされました子どもの気持ちを分かってあげられるのはやさり親であって全てを受け止めてあげられる存在だと気付き我が親の有り難さが大きくなりました一ヶ月二ヶ月と経って何が欲しいとか何がしたいとか分かってきてその分かってあげられた時の赤ちゃんの笑顔を見ると僕まで笑顔になれました親の偉大さを改めて気付く事が出来てもっと親孝行したいと思えるようになりましたこの新型感染症が流行した時期におぢばに引き寄せられまた四人の修養科生との出会いは僕にとってとても大きな財産となりました社会人になる上での相談に乗って下さったり一緒に草刈りをして下さったり雅楽の練習に付き合って下さったり一緒に参拝に行って下さったり本当に成長出来る時間でした有り難うございましたそして教養の先生方には本当にお道のひとつひとつを丁寧に教えて下さり有り難うございましたこれから先今まで以上にお道に繋がり両親上級会長様そして周りの方に喜んで頂ける通り方をしていきたいです感謝ですまだまだ納得するまでに時間はかかるので今後もっとスムーズに納得できるようにしていきたいと思いますまた修養科生活自体はひのきしん尽くしで忙しかったですが教養の先生方や担任の先生方他の修養科生の方の助けもあり辛いと思うことはなく充実した毎日でした初めの頃は乗り気でなかった神殿参拝や回廊ひのきしんも終わる頃には日課となっており今日はどこを掃除させてもらおうかなと思うようにまでなりました当初の目的であった内面的な成長もできた有意義な修養科であったと思います今後もこのヶ月で学んだことを生かしていきたいと思います三ヶ月おぢばで過ごして呰部分教会岡恵あっという間の三ヶ月でしたが子供を連れての宇修養科は想像していた以上に大変でした周りの方たちに助けていただいて本当に救われた三ヶ月でした自分の思った通りに進まず子供が熱を出したりで授業に行けなかったりひのきしんに遅れてしまったりで最初はなにをしに来たんだろうと思ったりもしました実家の母に預けてきた方が良かったのかなと思う事も何度かありましたが子供が一緒でなければこの三ヶ月は私にとってもっと辛い修養科生活にになっていたと思います子供が熱を出したとき落ち込む私に同じクラスの人がお母さんに休みをくれたんだよいい子だねと言ってくれて本当に救われたのを覚えていますまた詰所でもクラスでもみんなが娘を可愛がってくれて本当にありがたく三ヶ月が終わった今は連れて来て本当に良かったと思っています自分自身修養科に来て変わったと思う事は少しずつ気持ちが前向きに明るくなれた事ですまた私は修養科で毎日よろこび探しをさせて頂いていました毎日よろこびを探し生活をしていると有難いと気づく事がたくさんあり神様がお与えくださっていてあたり前ではないのだということを学ばせていただきましたまたいろんな先生方からのお話が参考になり勉強になりました私は修養科中におさづけ拝戴させていただきましたこれからの私に何が出来るか考えた時たくさんの人の助かりを願い一人でも多くの方におさづけの取り次ぎをさせていただきたいと思いました最後になりましたが三ヶ月一緒に頑張ってくれた娘同期先生方への感謝の気持ちを忘れずこれからも頑張りたいです三ヶ月本当にありがとうございました修養科を通じて稲倉分教会北川侑子私は今回結婚を機に修養科を志願しました以前より身上や事情を見せていただくタイミングで親から修養科へ言ってみないかと誘われていましたですが結婚という大きい節目で自分自身を見つめ直したいと思い決断しました不安な気持ちのまま始まった修養科でしたが少しずつ生活にも慣れていき不思議なくらい日あっという間に過ぎていったように感じますコロナウイルスの拡大に伴って修養科もいつ終了するか分からない状況で学校に通えること教友に会えることその当たり前がとても尊く有り難いと感じながら日噛みしめていました今回九四八期の誰一人としてウイルスに感染することもなく無事修了できたのも神様のご守護だと思います月月修養科の受け入れもなくなってしまいましたが私たちは本当に有り難いタイミングで引き寄せて頂きましたこの修養科は私にとって笠岡での締めくくりでもありましたいろいろな面で自分自身を見つめ直す機会が出来て修養科の仲間たち教養の先生方詰所のお世話になった方に本当に感謝していますこれからも当たり前のように動かせる身体自由に使える心周りの方の存在に感謝して通りたいと思います訃報石井守氏神免分教会長月日出直されました享年才橘髙祐高氏國須分教会長月日出直されました享年才六月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしが見たいゆえから身体をお貸し下されるだけでなく自由のご守護も下さっておりますことは誠に有り難く勿体ない極みでございます特に今は梅雨に入り連日雨が降り続いており動物は思うように動けず少し物足りなさを感じておりますが植物は嬉しそうに生き生きと輝き田植えのすんだ田んぼでは稲が弾むようにすくすくと育っておりますそんな中新型コロナウィルス感染による緊急事態宣言が解除され移動も自由に出来るようになりようやく元の生活に戻りつつありますが感染そのものは無くなったわけではなくむしろ今まで以上に気を遣って生活させて頂いております私共はそうした不自由の中にもかしものかりものの御教えを心に日は明るく過ごさせて頂きつつ朝夕にお礼申し上げご恩報じを念じて今出来る精一杯のたすけ一条の歩みを進めさせて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの大教会の六月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心も一入に又ウィルス感染の一日も早い終息を願って明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりを勤めさせて頂きます残念ながら本日も部内教会長及び一般の方には参拝をご遠慮頂いておりますがそれぞれの教会や自宅にて気持ちを一つにしておつとめを勤めて下さっております皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さり一日も早いウィルス感染の終息をご守護下さいますようお願い申し上げますさて世界中が新型ウィルスに心奪われ何とかしなければと夢中になっている最中にあっても事件事故は減るどころか増えているように思いますましてや国毎の覇権争いが顕著になってきているようにも思いますこの現状を見て親神様には大変心を痛めておられるのではないかと大変申し訳なく思いますと同時にこのさきハせかいぢううハ一れつによろづたがいにたすけするなら月日にもその心をばうけとりてどんなたすけもするとおもゑよのお言葉が心に浮かびいかにたすけの輪を広げる事が大切で急務であるかと思い知らされました私共の成人の歩みは微たるものかもしれませんだからこそ一歩一歩確実に進めて行く事が大切である事を胸に陽気ぐらし実現の用木との自覚をもって益勇んでたすけ一条のご用の上に励ませて頂く所存でございます何卒親神様には皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上により一層のご守護を賜り親心に触れ一列兄弟の理に目覚めてたすけ一条に邁進する人が弥増してお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより第九四八期修養科教養掛教養掛主主任副副主任一ヶ月目主田林久嗣大教会役員東悠分教会長副三代信行米美分教会長二ヶ月目主谷内伸自大教会役員輝美濃分教会前会長副村川久美子大江橋分教会長三ヶ月目主杉原善朗明石市分教会長副矢田哲一八尋分教会長修了者芦田川吉岡真生米府福谷克己木津和丸山周太呰部岡恵稲倉北川侑子七月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様の親心溢れるご守護を頂いて日は結構に恙なく生活させて頂いております誠に有難うございます特に今は徐に暑さが増して来て梅雨明け間近を感じさせる季節となりましたが今年の梅雨も雨が激しく各地で被害が続出し多くの方が亡くなりました事は誠に残念でなりません加えてコロナの影響で災害救援もままならず復旧も思うように進んでいない現状でございます人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの親心に背くような姿に大変申し訳なく思っております親にお引き寄せ頂いた私共は少しでも親の思いに応えたいと朝夕にお礼を申し上げると共に災害地の教友の声を聞き多くの方の協力を頂いて必要な救援物資を送ったり義援金に協力する等して今出来るおたすけ活動をさせて頂いておりますその中今日の吉日は此の教会の御祭り日でございますので集いましたおつとめ奉仕人一同明るく陽気に勇んで坐りづとめ手をどりをつとめて七月の月次祭を執り行わせて頂きますウィルス感染拡大防止の為残念ながら奉仕人以外参拝を遠慮頂いておりますが各自教会や自宅にておつとめを勤め日頃のご高恩に改めてお礼申し上げると共にウィルス感染が一日も早く終息するよう一人一人が努力することをお誓い申し上げる状をご覧下さいまして親神様にもお勇み頂きご守護下さいますようお願い申し上げますさてコロナウィルスの感染がようやく収まりの兆しが見えてきたと思っていましたが残念ながら逆に感染がより拡大してきております中でも感染経路が判らない人が増えており人の心配も増えて来ましたそんな現状の中本当は助け合いの輪が広がらなければならない処逆に差別や犯罪が増えております事は誠に申し訳ない次第でございます改めて創立百三十周年に向かう成人の歩みがたすけの輪を広げようであり今こそ親に求められている心の角目である事をしっかり心に治め一人でも多くの人にその親の思いを届けられるよう今出来る精一杯のたすけ一条の歩みを進めて行く所存でございます何卒親神様には成って来る理に親心を思案し親孝心一筋にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由のご守護を賜り世界一列兄弟の理に目覚めたすけの輪が広がってコロナ感染の終息と共に人が安心して生活が出来る世の中になるようご守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます教人資格講習会修了者終講福山田中舞教会長資格検定講習会修了者終講笠岡上原明勇今年の月末に調子が悪くなり近くの病院に行きレントゲンを撮り先生の診察を受けレントゲンの写真を見た時先生が肺の方に黒い影があると言われた後その影がどうゆう物か分からないから他の病院でを撮ればその影が分かると言われ予約をしを撮りに病院に行きました結果を後日病院に行き話を聞き肺の病気と言われかなり落ち込みました結果を聞いて自分なりに色思案してる時にコロナウイルスの話題が増え毎日がコロナウイルスの感染者の話題の中早くコロナウイルス話題がなくなればと毎日お願いしてる最中に思った事がありました自分も前向きに考えて来年の記念祭に向け毎日悔いの無いよう一生懸命頑張っていきたいと思いますう立教百八十三年六月月次祭祭典役割表祭主大教会長様杉原博之扈者森本忠善高木昭祥賛者上原繁次指図方吉岡壽講話なし八月講話上原明勇区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽田中隆之今川昌彦谷内伸自杉原博之森本忠善三代温生山田敏教杉原善朗大教会長様門脇元教上原志郎上原明勇中島誠治三島渉上原繁道山野弘実武内清明大教会奥様武内正美高木孝子田中ますみ谷内美知子横山小智榮虫明好美田中つかさ室悦子上原浩佐藤真孝岡田誠中村剛吉岡誠一郎渡邉隆夫佐藤道孝高木昭祥淺野明教岡﨑真一虫明立生上原繁次虫明立生横山逸郎内海史郎武内清明岡﨑真一三代温生佐藤香苗門脇加津三島照美上原順子森本冨美子吉岡八恵今川佐智子笹尾一美山野なつ立教百八十三年七月月次祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者吉岡誠一郎淺野明教賛者杉原善朗指図方上原繁道講話なし九月講話谷内伸自区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝門脇元教上原志郎山野弘実中島誠治武内清明三代温生上原繁次岡田誠大教会長様中村剛田中隆之上原繁道岡﨑真一中村道德吉岡壽横山逸郎虫明立生大教会奥様内海安子岡﨑豊子上原愛美門脇加津中村初美田中ますみ横山小智榮山野なつ吉岡誠一郎淺野明教杉原善朗谷内伸自高木昭祥赤木素志虫明立生山野弘実渡邉隆夫三島渉森本忠善三代温生岡﨑真一武内清明山田敏教今川昌彦内海史郎佐藤真孝上原順子武内正美森本冨美子今川佐智子谷内美知子岡﨑和美佐藤香苗三島照美田中つかさ
かさおか

『かさおか』第59巻 第5・6号

福南分教会昭和年月日神殿増改築奉告祭陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行大教会長後継者上原明勇様愛美様めでたく御結婚大教会長後継者である上原明勇あきお様と中山愛美よしみ様御分家四女は昨年月日結納の儀幾久しく調い大教会神苑に平戸躑躅が今を盛りと咲き誇る月日の吉日ご両親お兄様のお手により五荷の荷入れ芽出度く納まりましてご婚礼の儀は月日午前時教会本部教祖殿にて厳かに執り行われました五月晴れとなったこの日媒酌人は大教会世話人島村廣義本部員先生みつよ夫人主礼は井筒梅夫本部員先生がおつとめくだされる中新郎新婦両家家族は本部に集合定刻に教祖殿合殿に参進しました両家家族らが参列する中新郎新婦は存命の教祖の御前で夫婦固めの盃を戴かれ続いて主礼が両人に代わって教祖に結婚誓詞を奏上されましたその後神殿にてお礼のおつとめが勤められ媒酌人新郎新婦両家両親はお宅お玄関に赴き真柱様はるえ奥様大亮様布恵様にご報告と御礼を申し上げましたその後笠岡詰所階大広間に会場を移して親族固めの盃が行われ島村先生のご発声乾杯の後両家父親によりそれぞれの親族が紹介されました結びとして階講堂にて集合写真を撮影しお開きとなりましたなおコロナ禍に配慮し婚礼の参列者は両家家族と新郎新婦の兄弟までにとどめられました明勇様プロフィール昭和年月日上原理一大教会長きよの夫妻の長男として誕生天理幼稚園を卒園後小学校中学校を笠岡で学び天理教校親里高等学校を卒業岡山科学技術専門学校に進学その後本部勤務修養科教会長資格検定講習会前期を修了され平成年月から本部ひのきしん青年としてつとめられ平成年月日本部青年に登用された平成年月日六代会長後継者として発表平成年月日青年会笠岡分会委員長拝命愛美様プロフィール昭和年月日中山慶明本部員たまよ夫妻の四女として誕生幼稚園から高校まで親里の学校で学びその後天理大学人間学部人間関係学科生涯教育専攻へ進学卒業後は婦人会文庫にひのきしん者として在籍し平成年より約年親里女子青年委員長を平成年より二期年間在籍者子弟による学生会育成委員などをつとめられた立教百八十三年四月月次祭祭典役割表祭主大教会長様三島扈者上原渉浩内海史郎賛者渡邉隆夫指図方佐藤道孝講話なし六月講話なし区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝吉岡誠一郎横山逸郎岡﨑真一武内清明岡田誠虫明立生淺野明教大教会長様田中隆之門脇元教上原明勇三島渉中島誠治上原繁道中村道德上原浩大教会奥様武内正美内海安子田中ますみ門脇加津岡﨑豊子虫明好美吉岡八恵岡﨑和美山野弘実淺野明教今川昌彦上原浩森本忠善内海史郎中村剛上原志郎山田敏教中島誠治岡田誠佐藤真孝今川昌彦高木昭祥渡邉隆夫岡﨑真一赤木素志上原繁次佐藤香苗森本冨美子中村初美今川佐智子横山小智榮高木孝子上原順子笹尾一美田中つかさ立教百八十三年五月月次祭祭典役割表祭主大教会長様中島誠治扈者山野弘実武内清明賛者虫明立生指図方上原明勇講話なし七月講話上原明勇区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝吉岡壽門脇元教三島渉中村道德上原浩三代温生佐藤真孝渡邉隆夫大教会長様中村剛田中隆之上原明勇岡﨑真一今川昌彦上原繁道森本忠善吉岡誠一郎大教会奥様門脇加津武内正美田中ますみ高木孝子中村初美虫明好美山野なつ吉岡八恵淺野明教上原繁次横山逸郎山田敏教中島誠治赤木素志横山逸郎虫明立生三島渉渡邉隆夫高木昭祥山田敏教上原志郎山野弘実淺野明教赤木素志武内清明岡田誠上原順子内海安子岡﨑豊子佐藤香苗笹尾一美岡﨑和美今川佐智子森本冨美子三島照美四月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の親心いっぱいの御守護とお導きによって日は結構に恙なく生活させて頂いております特に今は桜も花から葉桜へと変わり山ツツジが鮮やかな紫に咲き誇り鳥たちは喜び一杯の声で鳴く等春爛漫の季節をお与え下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら人は新型コロナウィルスの蔓延により外出もままならず当たり前でない生活に戸惑い春を楽しむどころか不安を募らせるばかりの日を送っています事は誠に残念で仕方ありませんそんな中我さえ良くばの人とこんな中だからこそ助け合いが大切との人の心遣いの違いがはっきり現れまるではたらきもどふゆう事にをもうかな善とあくとをわけるばかりやのお歌通りのご守護を感じさせますこの道を信仰している私達こそ改めて自身の心の真実を見つめ直しつつご恩報じの心一筋に日は朝夕に御礼申し上げたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いております又先日四月十八日は教祖二百二十二回目のお誕生日に当たり帰参は出来ませんでしたが各の教会や自宅でおつとめをさせて頂き共にお祝いを申し上げさせて頂く事が出来ました誠に有難うございましたそして本日は此のの四月の月次祭を執り行わせて頂く日柄でございますので只今からおつとめ奉仕人一同かしものかりものの喜び感謝の心一杯に又流行病の一日も早い収束を願って一手一つに坐りづとめてをどりをつとめさせて頂きます残念ながら寄り集う事は出来ませんでしたが時を同じくして教会や自宅にて一心におつとめをつとめる皆の誠真実をもお受け取り下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月末の全教一斉ひのきしんデー五月の修養科教人資格講習会教会長資格検定講習会新任教会長の集いそして今年の子供おぢばがえり等の行事が中止となりました加えて大教会に於きましても直轄教会への巡教始め諸行事中止のやむなきに至りましたこれにより成人の歩みが遅れるように思いますが外出が思うように出来ないならば心を見つめ直す良い機会ととらえじっくりと教理勉強や身近で出来るひのきしんに励み直接接しなくてもたすけの輪を広げられるよう努めさせて頂く所存でございます何卒親神様にはどんな中も常に親心を思案し欲を忘れ親に凭れてたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に御守護を賜ると共に人の心が澄み切り助け合いの輪が広まってお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます更新前同様中央にのマークが配置された講堂舞台の文字幕更新昭和年移転時より講堂の舞台に吊されていた文字幕が半世紀を経て更新されました五月月次祭祭文此のの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに親心一杯に絶え間なくご守護を下さっております中でも今はツツジが終わりサツキが咲き始めるなど春から夏へと確実に又当たり前に季節の移り変わりをお与え頂いておりますことは誠に有り難く勿体ない極みでございますしかしながら世情は新型コロナウィルスの出現により普通の生活が当たり前に出来なくなり不自由を強いられておりますそれにより多くの人が当たり前の有り難さや大事さに気付かせて頂きましたがそこれこそが親神様のご守護である事に気付く人が少ないのは私共お道の者の不徳と言わざるをえません誠に申し訳ございません私共は日朝夕に御礼申し上げつつご恩報じを念じて一人でも多くの人に親神様のご守護と親心の有り難さを伝えるべく伏せ込みやひのきしんで徳積をしつとめやさづけでたすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中今日の吉日はこれの笠岡の御祭り日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同喜び感謝の心と一日も早い流行病の終息を願って明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて五月の月次祭を執り行わせて頂きます人との密集を避ける為多くの人が参拝出来ませんが皆の今日に寄せる真実の心をお受け取り下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて大教会創立百三十周年記念祭まであと一年五ヶ月でございますこの大事な時期に密閉密集密接を避けなければならないのは大変つらい事ではありますが節から芽が出る為にはむしろ今を楽しむ心を持って今だから出来る又今しか出来ない一人一人への確かな育てを意識し確実にたすけの輪が広がっていくように丹精していく所存でございます一件一件大切に百万件にをいがけを目指し一回一回心を込めて大切におさづけを取り次ぎ初席を運んで頂けるまで一度二度三度と言わず声掛けに力を注いでいく等大きな歩みではなくむしろ小さな歩みを積み重ねて行きたいと存じますそして時期を得て大きく歩み出しをしたいと思います何卒親神様にはどんな中にも真実の親を忘れず親孝心一筋にたすけ一条に邁進する皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして小さな歩みも大きく受け取って頂きより自由のご守護をお現し下さり親心に触れご恩報じに勤しむ人が弥増して万互いが欲を忘れて助け合う陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより立教年直轄教会定期巡教中止教会指令附属建物増改築願海松ヶ岡分教会承認任命願松都分教会前任須山克子新任三代拓己承認辞令付登用幹部承事上原志郎承事武内清明三代拓己氏承事准承事田林久嗣虫明立生杉原善朗訃報下田章氏呉中分教会長月日出直されました享年才高信公枝姉府世原分教会前会長月日出直されました享年才飯尾あやめ姉大教会准承事夫人月日出直されました享年才枝廣繰姉東福山分教会前会長夫人月日出直されました享年才髙山森雄氏驛家分教会長月日出直されました享年才先日某自動車学校で高齢者講習会道路交通法に基いて歳から歳迄の人の免許更新時に行われ受講しなければ更新不可を受講した内容は器材を使って動体視力夜間視力視野の測定指導員同乗で学校のコースを実走そして安定運転に関する知識の再確認の講義実走は何とか熟したのだが目の検査の動体視力測定器の奥から視力検査時に使用する形や文字が現われ確認した瞬間の時間では自分の思ってた能力まだまだ大丈夫と現実的な能力性段階評価値で劣っているの差に愕然としたそんな筈はない測定器の故障だとも思った動体視力には少自信もあった講習後指導員が受講者にこう話した皆さん結果に少し驚かれたでしょう歳を重ねるにつれ視力判断力は必ず低下しますこれは誰も同じで当然な事ですしかし低下衰えないものがありますそれは心です心の持天理教ホームページより布教部動画心陽気ぐらし年会動画千遍道友社ラジオ天理教の時間道友社朗読動画朝の信仰読本道友社朗読動画神様からの宿題少年会動画みんなの少年会道友社写真ギャラリーおやさと百景道友社動画おやさと百景天理参考館道友社天理参考館展室スポーツの歴史と化道友社時報から拾い読み道友社試し読み無料公開道友社あなたが陽気に世界を陽気に学生担当委員会学生会学生ウェブサイトち方なのです喜びの心を持つ努力をすれば若さを保つ事が出来ると思いますどうぞ若い心で運転を楽しんで下さい私もそうなれる様頑張りますこの指導員上級教会の信者さん祭典の前日ひのきしんにお婆ちゃんとよく来られていた保育所に通所する前だったと思うあれから数年生徒にも人気があると聞くいやー立派になられたものだら
かさおか

『かさおか』第59巻 第4号

東福山分教会陽気ぐらしを目指してたすけの輪を広げよう今一手一つに一歩一歩一教会初席者一名以上おさづけを身近に百万件のにをいがけ創立百三十周年記念祭並六代会長就任奉告祭立教年年月日執行新型コロナウイルスわせていますでかなぁ私の通り方心の使い方は神理教に少しでも向いてくれた事がうれでは祭典日前後に関わ様の思いにそえてないのかなぁと悩みしく本当に有難かったです友達の感染症に関わる対策らず平生から参拝場神事所の換ました学校の授業でにをいがけハおかげで沢山の事を学ぶことができま気手洗いマスク着用などを心掛けガキを出すことになったのでその友したでは新型コロナウイル出入口食堂に除菌スプレーを常備す達に身上が良くなるようにお願いさ修養科は終わりましたがこれからス感染拡大防止のため大教会月月るなどして対処していますが各部内せてもらうからなるべく教会に足をがスタートだと思い学んだことを生次祭春季霊祭はおつとめ奉仕人楽教会におかれましても随時教会本運んでおさづけ取り次いでもらってかしていきますそして修養科で沢人直轄教会長のみでつとめそれ以部ホームページに掲載の情報を閲覧しねと書いて送っていたので何か変山の方と出会いおつとめがどれ程外の方のご参拝をお控えいただきまして新型コロナウイルス感染症対策にわるかなぁ身上は御守護頂けるかな大切でありがたいものなのかを身にたご配慮くださいと思っていましたが何の変化もなく染みて感じることができましたそしまた祭典前日のおつとめまなび私の心はモヤモヤに変わっていまして人たすけたら我が身たすかるの婦人会による祭典前の清掃ひのきした場面にも出会い本当に神様を感じるん祭典日の昼食ひのきしんは中止しこのことを担任の先生との信仰面ことができ本当にありがたく貴重修養科生の声祭典日の昼食は奉仕参拝されたおつとめ奉仕人楽人直轄教会長に談で話をするとなんにも心配はいらなヶ月になりましたそして相方のないよ返信も今こなくても大丈夫はるかちゃんのおかげで心がすごく弁当を配布するなどの対策を講じまし神様がちゃんと見てくれているから変わったように思いますた月月次祭ではさらに特定警友達の助かりを願ってしっかりもたれてそのまま続けたら最後になりましたがたくさんの方いいよと言って下さり私自身がものおかげで楽しく充実したヶ月を戒都道府県月日現在に教会が福山分教会田中舞たれきれてなかったんだと分かりそ通らせて頂くことができました沢山所在するおつとめ奉仕人楽人直轄私はお道のことを一から学びたいこからもう心配はなくなり毎日お願お心をかけて下さり本当にありがと教会長の祭典奉仕ご参拝もお控えそして身近な友達の身上を御守護頂きいさせて頂きましたうございましたいただくように要請しまた祭典講たく修養科を志願しましたそして修養科が終わる頃今までお話も行なわないこととしました身上の友達の助かりを願いお願いさづけを断っていた友達がはじめて今後も同様の対策が行なわれる場づとめひのきしんを毎日させて頂き帰ってきたらおさづけ取り次いでく合は直轄教会を通して案内しますましたが修養科のクラスの方の身れると言ってくれました本当に自分を変えたか月なお祭典中は廊下の窓神殿周り上事情は鮮やかに御守護頂きました本当に嬉しかったですまいたる種は興明分教会吉岡はるかの障子は開放しマスク着用の上参が私の願う友達はヶ月たってもみなはえるこの言葉を実感したよう月の半ばに年明けから修養科に拝者は離れて着座するように申し合ヶ月たっても何の連絡も無くなんに感じます身上はともあれ心が天通うことを決心していた私は笠岡か天理教ホームページより新型コロナウイルス感染拡大時における活動について教会関係の皆様へ国内における現在の新型コロナウイルスの感染状況は依然として全国的な拡大が収まらず予断を許さない状況が続いています新型コロナウイルス感染は自覚症状が無い人でも気がつかないうちに感染拡大に関わっていると見られていることから政府は密閉密集密接の三つの密を避ける行動をより強く徹底することを求めています天理教の教会は信者が礼拝や信仰実践のために寄り集う場所である性質上感染リスクが低くはない場所であることをよく自覚して常時から十分な防止策を考えて活動してくださいまた都市部を中心に感染者が急増するなど地域によって感染状況が異なることから今後は政府だけでなく地方自治体の方針や情報が重要になっていくものと思われます教会としてそれぞれの地方自治体が発する感染防止のための方針や情報に常に注意を払って教会在住者や参拝者また周囲の人の安全安心によく配慮して活動されるようにお願いいたします月次祭のおつとめはおつとめ奉仕者参拝者周辺地域の人の安全安心によく配慮して勤めてください例講話や直会をやめるなどおつとめ以外の時間の短縮高齢者や感染リスクの高い人不安を感じる人の参拝をお控えいただく消毒手洗いやマスク着用を含む咳エチケットなどの衛生管理を徹底する換気を十分に行う行事は各地方自治体のイベント等の開催に関する方針に従って中止や延期または縮小の是非を判断してくださいようぼく信者の方にはそれぞれに日おつとめを勤めて祈念することはもとよりひのきしんの実践などそれぞれの暮らしの場において個人でできる信仰実践を心がけてください月次祭や朝夕のおつとめはもとよりそれぞれでおつとめを勤めるごとに感染拡大の早期終息罹患された方の身上平癒とともにさまざまな困難に直面している方の一日も早い平穏な日常への回復と社会的経済的な混乱の収まりを祈念しましょうなお今後の状況により内容を更新します天理教教会本部ことは神様に喜んでいただける成長だと思いますこのように自分を変えるきっかけをつくってくれた彼女をはじめ修養科へ送り出してくれた家族日の生活をサポートしてくださった詰所の方お道の素晴らしさを伝えて下さりおてふりを熱心に教えてくださった教養の人の先生方差し入れや応援の声をかけて下さった方人思いで心優しい同じ組の方感謝以外の言葉はないくらい感謝しています病気や怪我もなく無事に修了させて頂き本当にありがとうございました同じ時期に修養科に入った仲間舞ちゃんすごいなだけで終わったらもったいないと思い私も彼女のいいところをたくさん吸収して帰ろうと何度も心に思い本当に勉強させてもらいましたか月の修養科を終えた今何か自分の中で変わったと思うことははっきり分かりませんが彼女のように人の喜びを素直に喜べるようになったり誰かのことを思っておつとめをするようになったりひのきしんに前向きに取り組めるようになったりと少しは変われたのかなと思いますこのいて詰所で少しでも時間があると何かすることがないか探しひのきしんにはげんでいました周りをよく見て気にかける姿はつ上と思えないほどにしっかりしていて今振り返ると彼女に頼りっぱなしのか月だったように思います体調を崩してお休みをしてしまった時落ち込む私に番におさづけをしてくれ神様が休憩くれたんよと励ましてもらったり歳の成人式に地元に帰れず不足をしていた時には部屋でケーキやプレゼントを用意してお祝いしてくれたり多面的に支えてもらったと思いますらは私以外の志願者は聞いていないと聞き一人でか月過ごすのかと不安に思っていましたしかし蓋を開けてみるともう一人修養科生がいることを知りありがたかったです今まで家から出た生活をしたことがなかったりお道の学校を出たわけでもなかったこと寒い中で通う修養科初めてが多い環境に不安がいっぱいの中スタートした修養科そんな私とは対照的でおぢばでの生活を年経験してきた舞ちゃんはとてもお道熱心でおてふりもほぼマスターしていておぢばには多くの知り合いが大教会だより第九四五期修養科教養掛主主任副副主任一ヶ月目主田中隆之大教会役員福山分教会長副貞清知実三郡分教会長二ヶ月目主中村剛史久松分教会長副渡邉孝信神驛分教会長三ヶ月目主武内清明大教会准役員副西村彦一瑞雲分教会前会長修了者福山田中舞興明吉岡はるか訃報雜賀智惠子姉輝伯分教会元会長照雲分教会前会長夫人月日出直されました享年才海外部桜祭り実行委員会からのお知らせ第回アフリカ孤児支援バザー桜祭りは月日に延期して開催する予定でしたが新型コロナウィルス感染拡大防止の為残念ながら中止が決定致しました多くの方のお心寄せに感謝申し上げ来年はより素晴らしい桜祭りにしたいとスタッフ一同思っております尚お心寄せ頂いた品は来年の開催にバザーの品として使わせていただきます有難うございました大教会長杯親睦スポーツ大会担当者からのお知らせ月日に予定しておりました第回親睦スポーツ大会は新型コロナウィルス感染拡大防止の為中止になりました三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の親心いっぱいのご守護を頂いて日は結構に恙なく暮らさせて頂いております特に今は野山には春の息吹が芽生え鶯の心地よい鳴き声も響き渡り春到来を感じさせる季節をお与え頂いております事は誠に有り難い極みでございますしかしながら昨年暮れから始まった新型ウイルスの感染が収まるどころかより広がりを見せ今や世界中が恐れおののいて我さえ良くばの姿が否でも目につきますが一方で助け合いの姿が広がりを見せております事は誠に嬉しく心強い限りでございますその中私共はたすけの輪を広げるべく日はご恩報じを念じて精一杯のたすけ心の涵養とたすけの実践に励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は此の教会の御祭り日でございますので只今からおつとめ奉仕人一同世界中の人のたすかりと一日も早い事態の収まりを祈念して心を一つに揃えて座りづとめてをどりをつとめて三月の月次祭を執り行わせて頂きます本日はウイルス感染拡大防止の為一般参拝者の姿はございませんが皆を代表して心一手一つに勇んで勤めさせて頂きますどうぞ親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさておぢばでの諸行事又大教会での諸行事は集団感染の恐れがある為政府からの要請を受け延期や中止をさせて頂いておりますが神の残念を晴らす為にはたすけの輪が広がり世界中の人間が互いに欲を忘れて助け合う事が唯一の方法である事を胸によふぼく信者一人一人が益たすけ心の涵養につとめつとめとさづけにをいがけおたすけの実践を通してお道らしいおたすけに邁進させて頂く所存でございます何卒親神様には成って来る理に常に親心を思案し今出来る精一杯のたすけ一条に励む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上により一層のご守護を賜り一日も早く事態の収まりと平穏な生活になりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます春季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の神霊初代真柱様並びに奥様の神霊二代真柱様の神霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の神霊初代会長上原さと刀自の神霊二代会長上原伊助大人光刀自の神霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の神霊四代会長上原郁雄大人朝子刀自せい子刀自の神霊歴代会長と共にたすけ一条の上に真実を尽くされた役員部内教会長教人よふぼく信者の神霊新たにお鎮まり下さいました串田幸惠刀自掛谷和由大人瀬藤教雄大人の神霊諸の神霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖のお見定めとお引き寄せを頂かれ加えて親の導きによりこの道の人となられました以来ご恩報じの心一筋にたすけ一条に真実の限りを尽くして通られましたお陰をもちまして親神様教祖に真実をお受け取り頂いて今日結構な道の姿をお見せ頂いております事は誠に有り難い事と喜ばせて頂きつつ私共も親の心を受け継ぎ親の足下にも及ばないと思いつつ日たすけ一条のご用の上に努め励ませて頂いておりますその中本日は春の霊祭を執り行う日柄でございますので親神様の御前にててをどりをつとめさせて頂き引き続き席をこちらに移させて頂きました御前に海山川野の多米津物を供え祖霊様方の在りし日を偲び御遺徳を称えお礼申し上げる皆の真実の姿をご覧下さいまして祖霊様方も御心お安め下さいますようお願い申し上げますさて本日の霊祭は世界的な流行病の関係で一般参拝はご遠慮して頂いておりますので役割に与る者だけでのおつとめ及び参拝となっておりますその分個の参拝のみならず皆の代表としての思いを込めて勤めさせて頂いておりますのでご安心頂きたいと存じます又成ってくるのが天の理とお聞かせ頂きますのでこの流行病も親神様のたすけたいとの親心の表れと悟りたすけの輪を広げられるようより一層勇んでたすけ一条に邁進する所存でございます何卒祖霊様方には私達の歩みは頼りないように思われるかもしれませんが温かくお見守り下さりしっかりと成人できるようお導き頂くと共に一日も早く流行病が沈静化し皆が安心して生活できるようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますパンデミックは感染症の世界的な大流行を表す言葉です今正に新型コロナウイルスが世界を変えるようなパンデミックを起こしていますこのパンデミックは全く終息が見えず感染者数死者数とも恐ろしい予測がなされています実は百年前にもこれを超えるようなパンデミックが有りました新型インフルエンザスペイン風邪です世界中で五億人もの人が感染したと言われ死者は二千万人とも五千万人とも言われています日本でも四十五万人が亡くなったとされているのです何を隠そう我が家の信仰は私の祖父がスペイン風邪に感染しそれを御守護頂いた事に始まるのです大正九年祖父は感冒に罹り四十二度の高熱にうなされ鼻血が止まらず二十日間も寝込んだ感冒と聞いていますが年代症状ともスペイン風邪と思われますその中を支教会より毎日おたすけに通って頂きある日祖父は帰られる先生の後ろ姿に後光がさしているように感じたというそして病んでいる自分の元に運んでくれる人の真実こそ神様の姿なのだと悟り初めて信仰心を起こしたそれから支教会の月次祭に毎月参拝し始めたということです我が家の元一日この度の世界の節を思う時神様の親心からのてびきそれに対する誠の心の大切さを考えさせられますは立教百八十三年三月月次祭祭典役割表祭主大教会長様今川昌彦扈者横山逸郎淺野明教賛者佐藤真孝指図方吉岡壽講話中村剛五月講話谷内伸自区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半佐藤道孝田中隆之今川昌彦中島誠治森本忠善吉岡誠一郎淺野明教高木昭祥上原繁次大教会長様中村剛上原明勇上原明勇岡﨑真一上原志郎上原繁道山野弘実横山逸郎大教会奥様岡﨑豊子横山小智榮田中ますみ中村初美吉岡八恵虫明好美岡﨑和美田中つかさ門脇元教上原浩内海史郎吉岡壽山田敏教虫明立生谷内伸自吉岡誠一郎渡邉隆夫杉原博之淺野明教岡田誠三島渉田林久嗣三代温生中村道德佐藤真孝赤木素志佐藤香苗武内正美森本冨美子上原順子笹尾一美三島照美今川佐智子谷内美知子山野なつ立教百八十三年春季霊祭祭典役割表祭主大教会長様岡﨑真一扈者中村道德淺野明教賛者岡田誠指図方上原繁道区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓前半後半上原志郎山野弘実今川昌彦武内清和淺野明教藤本晴司大教会長様高木昭祥上原明勇桑本光則田中隆之中村剛史大教会奥様門脇加津谷内美知子中村初美横山小智榮山野なつ佐藤真孝杉原善朗田林久嗣岡﨑治喜中島誠治三宅道大吉岡誠一郎余村元虫明立生谷本章上原浩時宗一実内海安子三島照美高木孝子田中つかさ岡﨑豊子岡﨑和美