
『かさおか』第61巻 第12号
門司港分教会平成元年月日神殿落成奉告祭本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう静かに本部巡教の始まりを待つ参加者教祖百四十年祭本部巡教開催去る月日本部秋季大祭の日に教祖年祭へ向かう年祭活動の指針となる諭達第四号が発布されたことを受け本部では月日から来年月末までの間に全直属教会に向けて本部巡教を実施される運びとなったでは本部員井筒梅夫先生を迎え月日午後時より開催大教会役員准役員おつとめ奉仕人部内教会長夫妻部内布教所長らが参加した井筒先生の手に合わせて親神様教祖祖霊様を礼拝その後大教会長様が開講のあいさつをされた次いで全員で諭達の拝読をし井筒先生から約時間講話があったこの後大教会長様が閉講のあいさつをされた最後におつとめ拍子木井筒先生数取大教会長様をつとめ親神様教祖祖霊様を礼拝し巡教の理を全よふぼくへ流していくことを誓い合い終講したあいさつ講話内容は次の通り大教会長様開講挨拶本日は井筒梅夫先生をお迎えして今この場にいる皆様方とともどもに本部巡教を受けられることは本当にありがたくうれしいことだと思います去る月日に真柱様より諭達第四号をご発布いただきましたそのとき私は西礼拝場結界内の一番南側に直属の会長として参拝していましたこの度の諭達は統領先生が代読されるんだろうかと思っていましたがおつとめを終え真柱様がお付きの方に伴われながらゆっくりとお席に着かれてそして直接この諭達第四号を私たちにお示しくださいましたその姿を拝見してこの時旬に道の芯である真柱様から直接この諭達をお聴かせいただけるんだと思わず涙がこぼれました諭達をお言葉を直接拝聴しながら私の胸に湧き上がってきたのはとにかく諭達に込められたをやの思いに添いきらしていただきたいそしてお喜びいただきたいそのことをそのとき強く強く感じましたその思いを実現するためにも今日この日の本部巡教はとても大切な時間です今からお聴かせいただくお話をしっかりと胸に納め年祭活動へと向かう大きな勇みとしていただきたいそして自分の身近な方たちにしっかりと今日得た気付き勇み喜びをお伝えいただきますようお願い申します本部巡教講話去る月日ご本部の秋季大祭において真柱様より直に諭達第四号をご発布いただきました諭達の冒頭に立教百八十九年教祖百四十年祭を迎えるにあたり思うところを述べて全教の心を一つにしたいとあります全教よふぼく信者が諭達の精神に心を一つに結んで教祖年祭を目指す年祭活動がいよいよ始動しますそこでこの本部巡教でまず教会の主立つ方に諭達に込められている精神と年祭活動の意義をお伝えし全教一手一つの成人の歩みを進められるように皆さんとともに諭達第四号の精神をまず心に納めこれから教祖の年祭に向かう私たちの歩みについて考えていきたい教祖年祭の意義教祖年祭を勤める意義は諭達にお教やさ祖まの親心にお応こたえすべくよふぼく一人ひとりがお教やさ祖まのど道う具ぐし衆ゅうしきとしての自覚を高め仕切って成おやさま人の歩みを進めることが教祖年祭を勤める意義であるとはっきり示される通り教祖の親心にお応えするということですそこでまずは諭達にせ子供の成人を急き込まれ定命をうつしみ縮めて現身をかくされたと記される年祭の元一日に籠る教祖の親心を少し考えてみたい教祖年祭の元一日教祖は世界たすけの元立てとしてよろづだすけのご守護をくださるおつとめを教えられましたこのおつとめをしなければ他でどれだけ頑張っても例話を交えながら分かりやすくお取次ぎくださる井筒先生陽気ぐらしは実現しないおつとめこそ天理教の生命線ですから教祖は終始おつとめを急き込まれるしかしおつとめをすれば官憲がご高齢の教祖を警察や監獄へ連行する初代真柱様や先人の方は教祖のお体を案じておつとめに掛かれなかったしかし教祖はその中でも厳しくおつとめを実行急き込まれますそして明治年陰暦正月日いよいよ教祖のご身上が迫った初代真柱様の固い決心の元一同腹を括って白昼堂とおつとめを勤めたところ奇跡的に一人の警官も来なかったが十二下りの終わる頃に教祖は現身を隠されたこれが教祖の年祭の元一日です先人方は教祖の仰せに従っておつとめを勤めたなのに教祖はお姿を隠された何故でしょう正月日のおつとめは勤めることができたしかしもし教祖がそのままおられたらどうでしょう多分人はその先も教祖の御身を案じておつとめをすることを躊躇するはず姿ある限り十分におつとめはできないだろうそこで年定命を縮めてお姿を隠されたすなわち子供たちが安心しておつとめが勤められるように親心のうえからお姿をお隠し遊ばされたのですまた人間思案を捨てておつとめを勤めることができたのだからこれからは皆一人立ちして神一条の道を通ってくれとその成人を促される親心からでもありますこうした親心から教祖は定命を年縮めてまで現身をお隠し遊ばされたわけです親というものは子供の身上が危なければ私の命を何年削ってくださって結構ですその代わりこの子の命をおたすけくださいと親神様にすがるぐらいのことはするものですこれは子を思う親心ですが残り寿命の全てを引き換えてまでとはなかなかいかないものですましてやよふぼく信者つまり理の子の成人を促すために我が身を引き取ってもらうような心定めなどできるものではないでしょうこれを思えば教祖の後に続く人が安心して神様の道を通れる歩めるようにと定命を年お縮めくださった教祖の親心は私には究極の親心であると思えてなりません存命の理それまでお道の前面にお立ちくだされた教祖はお姿を隠されてからは陰に回り目には見えない存命の理として世界たすけの先頭にお立ちくださることになりましたそして存命の理の世界は今も続いておりこれから先も悠久に続いていきます教祖が現身を隠された元一日はひながたの道が完結した日でありそれはまた存命の理として新たなたすけの世界へ扉を開かれた元一日でもあります教祖がひながたの道中幾重艱難苦労の道を歩んでくださったのは可愛い子供たちをたすけたい陽気ぐらしへ導いてやりたいという親心に他なりません教祖のひながたの年にはこの親心が一貫して流れていますそしてひながたの道は定命を縮めてまで子供の成人をお促しくださった親心で締め括られていますさらにはこの親心は存命の教祖の親心として今もこれから先も私たちを守り続けてくださるのですおやさまこたこの教祖の親心にお応えするためによふぼく一人ひとりがお教やさ祖まのどうぐしゅう道具衆としての自覚を高めて全教が同じ旬に一手一つになって仕しき切って成人の歩みを進めることがおやさま教祖年祭への歩みであり教祖年祭を勤める意義です三年千日の所以さて年祭活動は三年千日と仕切って勤めますが三年千日と仕切る意味については諭達に引用されたひながたの道を通らねばひながた要らん略ひながたの道より道が無いで明治二十二年十一月七日というおさしづで教えられますこの略の部分には五十年の間の道をまあ五十年三十年も通れと言えばいこまい二十年も十年も通れと言うのやないまあ十年の中の三つや三日の間の道を通ればよいのや僅か千日の道を通れと言うのや千日の道が難しのやひながたの道より道が無いで明治二十二年十一月七日とつまり教祖のひながたの道を三年と仕切ってしっかりと通ってくれということです年祭活動という文字を見れば活動何か実動することに目が行きますもちろん一手一つになって活発に勇んだ活動をすることは年祭活動には欠かせないことですがその活動の根底にあるものベースとなるのはひながたの実践です年の中の僅か年ひながたを目めどう標に教祖から教えられた教えを実践することですこの旬に通るべきひながたとはではこの旬に私たちが通るべきひながたはどんな通り方でしょうかそれも諭達に教おや祖さまはひながたの道をまず貧ひんに落ちきるところから始められどうちゅうどのような困難な道中も親神様のお心のままに心明るくお通り下されたあるときは水を飲めば水の味がするとどんな中でも親神様の大いなるご守護に感謝して通ることを教えられまたあるときはふしから芽が出ると成ってくる姿はすべて人を成人へとお導き下さる親神様のおはかさと計らいであると諭され周囲の人を励まされたさらにはたすたす人救けたら我が身救かるとひたすらたすけ一条に歩む中すにいつしか心は澄み明るく陽すく気に救われていくとお教え下されたぢばをし慕たい親おぼしめし神様の思召になるほど添いきる中に必ず成程という日をお見せ頂けるこの五十年にわたるひながたこそ陽気ぐらしへひとすじと進むただ一条の道であるとこの旬に通るべきひながたの道の大要が述べられていますここに水を飲めば水の味がするふしから芽が出る人た救すけたら我がたす身救かるというつのお言葉が出てきますがこれらについて思うところをお話しします水を飲めば水の味がする私たちは親神様の尽きることなく絶えることのないご守護にお守りいただいて日通り教祖の親心にお導きいただいて陽気ぐらしへの道を歩んでいますこの親神様のご守護がありがたい教祖の親心がもったいないとご守護をご守護と感じ親心を親心と感じて感謝をするところから信仰は始まると思いますそしてこのご守護と親心をご恩と感じるようになって信仰は深まっていくのですこのご守護と親心に日感謝をすることが信仰の基本であるように思います私歳は歳のときに厄介な身上お手入れをいただきました強烈なめまい目眩が高じてとうとう歩けなくなり立つことすらできなくなって寝たきりの状態になりました布団の中で尿瓶で用を足し後は家内が捨てに行ってくれますがこれが便利とは言っておられませんまだ歳現職の教会長家族もいる子供は小さいこのままの状態がいつまで続くのだろうかと実に不安な日を過ごしましたところがある日の朝トイレに行きたくなって目が覚めぼーっとしていたせいか電気を点けようと思って立ち上がったのですそのとき立てたと思いましたね何日かぶりにいこればかりをお願いしてそしんでいる姿は見ているだけでも辛いで山ほどのご守護をいただいていること立つことができたこれは感激ですて調子が良くなればとにかく動いてすに気付きます身上があるところもう感動でしたそして次の日一歩自分のできることをしてきたように思はしんどいけれどそこ以外は使えるそのまた次の日一歩二歩と歩けるよいますそうして自分の身上と立場病気とはどんな姿かと考えるとこれもご守護ですうになった毎日が感動の連続でしたの御用に向き合いながらそのときどそれまで当たり前のように使っていこうして毎日を過ごせる自然環境普通に立てること普通に歩けるこきに何ができるかを考えながら勤めてた部位や機能するのが当たり前とが整っている周囲を見渡せば家族がとこれがどれほどありがたかったのいるうちにスッキリと身上のご守護を思っていた臓器が当たり前でなくいる大切な人がいる支えてくれるかということを身上になって気付いただきましたなった姿です人がいる同じ信仰をする仲間がいるいたまさに水を飲めば水の味がすこの身上になって気付いたこと悟逆に言えば病気が治るという仕事もできるそして何よりも今生るというお言葉を身に染みて実感れたことがたくさんあった中でかしことは当たり前でなくなったとこかされているこれらすべては親した瞬間でしたものかりもののご守護を身に染みてろが当たり前に戻っただけの姿です神様のご守護で感謝し喜ぶことはこの身上は良くなったり悪くなっ分かったことがありがたかった病気が治れば誰でも喜びます身探せばいくらでもあるのですたりを繰り返して全快まで年掛かもちろんそれまでもかしものかり上が難しければ難しいほどご守護を親神様のご守護教祖の親心を思えりましたこの間最初のうちはたものの教理は教祖の教えですからいただいたときは天にも昇るようにば思うほど感謝の心しか湧いてこなすけてほしいなんとかご守護いた得心して人には説いてきましたが実喜びます病気が治ってうれしいごい報恩感謝の日を通ることだきたいばかりを親神様にお願いし感が伴っていなかったなとしかし守護いただいてありがたいと思いまがお道の信仰の基本的な態度ていましたしかしあるときふと身上をいただいてご守護のありがたすこれを教祖は水を飲めば水のなぜご守護をいただきたいのかごさを実感を持って取り次げるようになこれは何を喜んでいるのかといえ味がするという言葉で教えられたと守護をいただいて何をやりたいのかりました親神様は年掛けて私にば当たり前であるということ思えてなりませんと考えました私はよふぼく現職のかしものかりもののご守護のありがこれを喜んでるのです当たり前で教会長ですそうだ会長として御たさを仕込んでくださったと後にあること普通であること恙ふしから芽が出る用を勤めることよふぼくとして御用なって悟ることができましたなき日これが親神様から頂戴し以前前真柱様から聴かせていただを勤めるためにご守護をいただくんまたこの身上のおかげで病気でている最もうれしくありがたいご守いたことですが教祖は貧の道どじゃないかと分かったときもう直苦しんでいる人の気持ちが分かるよう護ですこれを喜ばずして何を喜ぶん底へ自ら進んで歩まれたのでひなしてくださいご守護くださいとになりおたすけに掛かるときののかこれに感謝せずして何に感謝をがたの道中での一番のご苦労は経済いうお願いは一切しなくなり教会私の大きな力になっています誰しもするのでしょう的な困窮ではない教祖のことを理解長として御用を勤めさせていただきた身上になれば辛く苦しいものです自またたとえ身上があったとしてもする人がいない聴き分ける人がいないよふぼくとしてお使い頂きた分だけでなく大切な人が病気で苦しよくよく思案すればそこ以外ではいなかでそうした人に教えを伝えることこれが一番のご苦労でした月日のやしろと定まってからの教祖の言動は世間の人がそれまでに見聞きしたこともないことばかりでしたから人はこれは理解できません理解しないだけではなく次第に憑き物が付いた気がおかしくなったと嘲り笑うようになりました教祖は人に笑われ謗られる道を通られたこうした人に理解してもらい教えを伝えることに教祖は最も苦心されたつまり教祖のことを理解してくれる者が周囲にいなかったということです芦津大教会は大阪の中心地西区で設立しましたが父の代に現在の東住吉区に移転しました父は終戦後ロシア軍の捕虜となってシベリアで年間抑留生活を送り昭和年終戦年後帰国その翌年に撫養大教会の圡佐家から井筒家へ養子に入りましたその次の年シベリアから帰国してわずか年ヶ月で大教会長になりました会長になって芦津のとんでもない事情を実は二代真柱様が大きな親心で抱き抱えてくださっていたことを知った父はこのままでは申し訳ない芦津は理が立たない教祖のひながたを辿らせてもらおう初代の道に立ち返ろうと考え教会の土地建物をすべて売却して本部にお供えすることを決心役員に相談すると賛同してくれ二代真柱様に申し上げるとやってみよと道のをやが背中を押してくださったそこですべてを本部にお返しして大阪市内にある部内教会に大教会の神様をお鎮まりいただいたこのときの世話人先生はこれから芦津は毎月集まった全ての御供をおぢばへ運ぶように必要な経費があれば後で本部に貰いにくるようにという実に厳しいお仕込みでしたこうした中の再スタートでしたから贅沢など一切できませんとにかく質素を旨とした教会生活が始まりました教会の者が市場へ行き落ちている野菜を拾ったり売れ残りの野菜をもらってくるそれを毎日の食事のおかずにしていましたこのふしは芦津にとって実に大きなふしでしたが父や当時の芦津の人たちはその中をどうして通ることができたのかそれは教祖のひながたの道があったからです教祖は理解をしてくれるものが誰もいないなか笑われ謗られる道をお通りくださったそれを思えばわしらはありがたい道を歩けば挨拶をしてくれる人もいる市場へ行ったら野菜を分けてくれる店もある私たちの周りには理解をしてくれ支えてくれる人はなんぼでもある教祖のことを思えば結構やありがたいまだまだ通れる教祖はご存命や一生懸命に通っていればご存命の教祖が必ず導いてくださる良いようにしてくださる間違いないとご存命の理に凭れて通ったからあのふしの中を安心して通り抜けることができたのですこうした大節の中を教祖のひながたを支えにご存命の理を頼りに通る中に数のご守護が上がってきました人が寄り心が寄り物が寄り真実が寄って年後には現在の場所に小さな神殿でしたが教会復興のご守護をいただきました今の芦津があるのはあの大きなふしがあればこそですあの苦労の中をいつも教祖が支えてくださり教祖がご存命の理でお導きくださったおかげであのふしを乗り越えることができふしから芽が出るご守護をいただけたのです現在皆さんの中には私は苦労の道を通っている大変な道を通っていると思っている方がいらっしゃったとしてもそれを理解してくれる人は必ずありますね皆さんの周りを見てください教会に繋がるよふぼくや信者さんがおられるではないですか理の親はいつも温かい心で見守ってくれるし大教会へ参れば心を打ち解けあえる教友もいるおぢばへ帰れば親心で迎えてくださる私たちの周りには理解をして支えてくれる人はいくらでもいます少の苦労があっても教祖を思えばまだまだありがたいまだまだ結構なのですさらに教祖がご存命で導いてくださっていることが実にありがたく心強い限りです私はどうか教祖のお供をさせていただきとうございますとお願い申して本部巡教に出向していますつまり今私のそばに教祖が居られるので安心して今日の御用を勤めることができるのです皆さんの側にも教祖は居られるから安心してお道の御用を勤めることができるのです教祖はご存命の理をもってお働きくだされていますこれほどありがたく心強いことはありません皆さん方はよふぼくの先達としてたすけ一条の道を歩んでおられるその道中は決して楽しいことばかりではありません教祖はこの者に成人させてやろうと思われたら親心のうえから度とふしをお見せくださいます現に今辛くて苦しい道を歩んでおられる方もあるでしょう人に言うに言えん泣くに泣けんような道を通っておられる方もいるでしょう心が折れそうになるときもありますぺしゃんこに潰れてしまいそうになるときもあると思うそんなときこそ教祖のひながたを思い浮かべていただきたいそして教祖を思えばまだまだわしらはありがたいまだまだ結構やと心を奮い起こして通っていただきたいのですそして存命の教祖にどこまでもお縋りしてお通りいただきたい教祖さえ見失わなければどんなふしでも芽が吹く道へとお導きくださるに違いありません教祖のひながたの道を信仰の支えとしてどこまでもご存命の教祖のお供をさせていただいてどうかたすけ一条の道を進んでいただきたいと思いますたすたす人救けたら我が身救かる教祖がひながたの道中で心を尽くされたのは世界一れつをたすけることとそのための人材を引き寄せて育てることですつまり教祖がなさったのは人をたすけることと人を育てること今で言えばおたすけと丹精ですですから教会活動のすべては人をたすけること人を育てることすなわちおたすけと丹精に繋がっているわけです一人の人をよふぼくに丹精するためにはその道中おたすけが欠かせませんこのたすけが教会長よふぼくの大切な御用です親神様は陽気ぐらしを目め標どうに人間世界を作られた陽気ぐらしというのは簡単に言えば親神様ををやと慕う私たち人間がお互い一れつきょうだい兄弟姉妹として支え合い補い合い励まし合いたすけ合う世界ですから親神様が私たち人間に望まれてきょうだいいることは一れつ兄弟姉妹としてのたすけ合いでありますおたすけと聞けば何か相手を一方的にたすけるような感じがしますが決してそうではありません人間の親子を例にとって考えてみると例えば困難に遭遇して悩み苦しんでいる弟や妹にその支えになってやろうと手を差し伸べる兄や姉の姿その逆に悩み苦しんでいる兄や姉に元気になってほしいと年下ながらも心を尽くしている弟や妹の姿これは形のうえでは一方が手を差し伸べていることになりますが親から見れば子供同士がたすけ合っている姿です親にとってこんなにうれしいことはありませんからおたすけは親神様が望まきょうだいれる一れつ兄弟姉妹のたすけ合いに他ならないのですお道のお互いは悩み苦しむ人に対きょうだいしてその人を本当の兄弟姉妹と思って親身になっておたすけをさせていただきたいものですこのおたすけでまず第一に肝心なことは言うまでもなく人をたすける心です人をたすける誠の心を尽くすことです教祖伝逸話篇四二人を救けたらに次のような話があります福井県に住むある男性が娘の気の間違い精神病を救けてもらいたいと教祖にお願いすると教祖は村にかえったら各家を訪ねて四十二人の人を救けるのやでなむてんりわうのみことと唱えて手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで人救けたら我が身が救かるのやとのお言葉があったその男性は藁にも縋る思いでこの教祖のお言葉を素直に実行村中をにをいがけに廻わり病人の居る家には何度も足を運んで四十二人の平癒を拝み続けたところ不思議にも娘の気の病は全快のご守護を頂いて養子をもらう喜びまでお与えいただいたという話ですこの逸話を読んで拝んだ人の人は果たしてたすかったのかご守護いただいたのかと考えたことがありますがこの逸話ではそのことは問題ではありませんご守護くださるのは親神様であってご守護いただくかどうかは親神様の範疇ですつまりこの逸話で最も大切な部分はこの男性が人の身上平癒を拝み続けたということこの病人さんをなんとかおたすけ下さいませと真剣に願い続けた誠の心を親神様がお受け取りくださり娘さんにご守護をいただいたこの逸話は私たちよふぼくに人をたすける誠の心の大切さを教えているのですおたすけにあたってはこのように人をたすける誠の心をもって掛かることが大事ですがただ願うだけでなくそのうえでなおも大切なことはその人にたすかっていただくために親神様にお受け取りいただけるだけの真実をいかに尽くすかということです以前教祖殿当番を勤めていたときのこと教服を着てお守所から出たところに見ず知らずの青年から声が掛けられた先生教祖のお下がりをいただけませんかと尋ねられたどうしたのと訊くと実は昨夕友達が突然の病気で倒れて病院に運び込まれましたすぐに駆けつけておさづけを取り次いだんですが友人の苦しそうな顔を見たら居ても立ってもおれなくなっておぢばへお願いに帰ってきましたその彼にお下がりを届けてまたおたすけに行きたいとごくのことそれじゃお御供さんをいごくただきなさいお御供さんはこれもご存命の教祖にお供えをしたご洗米のお下がりだからここには教祖の存命の理が籠っているお守所で理立てをしたら頂戴できるからそれを持って友人のおたすけに行っといでと伝えごくた本人は早速お御供をいただいて教祖殿でご存命の働きを真剣に願って友人のもとにおたすけに舞い戻りましたこの青年は教会長でも後継者でもありませんサラリーマンの一よふぼくですそれも福岡から帰ってきたと言っていましたその彼は身上になった友人をたすけていただきたいと大切な一日を友人のためにお供えをした福岡から新幹線で帰れば往復万円は掛かるでしょうそれを身銭を切って友人のためにこれを尽くした友人のご守護を願って自らが真実を尽くしたのです実に素晴らしいよふぼくの姿ではないですか年祭活動はたすけの旬でありそれはまたたすかる旬でもありますしかし必ず奇跡的なご守護をいただけるとも限りませんある布教師の話癌の進行が進んで治る見込みがなく家族も覚悟を決めていた方のおたすけに掛かった必ずたすかりますと毎日通ったなんとかたすかっていただきたいと連日十二下りのお願いづとめをし身上平癒におぢばまで歩いて足を運びみず水ご垢り離もし断食もしておたすけに通ったけれども結局は出直してしまったそのときその布教師は家族に対して私の真実が足りませんでしたと泣いて詫びた家族は私たちですら諦めていたのにこの人は毎日一生懸命にお願いをしてくれ死んだら自分のせいだと泣いてお詫びまでしてくれるとこの布教師の真実が家族の心を揺り動かして信仰の道に入ってくれた身上たすけにおいて結果として奇跡的なご守護をいただけませんでしたがこの布教師の尽くした真実を親神様がお受け取りくださってそのしん家族が真にたすかる道へと導かれたのですこうしたご守護の姿もあるのです不思議なたすけが上がるかどうかは飽くまでも親神様の範疇親神様にお任せするより他ありません私たちよふぼくにできることはこの人になんとかたすかっていただきたいとひたすらに真剣に存命の教祖に縋りお願いを申し上げる人をたすける誠の心を尽くすことですそしてこの人のために私は何ができるかと思案し親神様にお受け取りいただけるだけの真実を尽くすことですこの誠真実によって相たすたす手がたすかり人救けたら我が身救かるというご守護がいただけるのです本当におたすけはありがたいですね私の卑近な体験から諭達に記された教祖のつの教えを思案しました教祖のひながたの道は私たちが陽気ぐらしの道を通るためのお手本です私たちがこの道を歩む中に思案にくれることや何かの岐路に立つことがありますがそうしたときには教祖ならどうなさるだろうか教祖ならいかようにお考えなさるだろうかとこの思案に立って行動に移すことが大切だと思います決して教祖を見失わないことですたすけの手を差し伸べてくださっている教祖に私たちの方から一歩でも二歩でも近づいてこの旬にあらためて教祖のひながたを目め標どうに教えを素直に実践したい諭達に示された旬の歩み方さて私たちの身の回りや世界に目を移したときに諭達に今日世の中には他者への思せつないやりを欠いた自己主張や刹那おの的行動があふれ人は己が力しあんを過信し我が身思案に流れ心やみじの闇路をさまよっていると示される姿が目に写ります争いや混乱が絶えることなく陽気ぐらしには程遠い現状と言わざるを得ませんでは今のこの世の中に対して私たちお道の者は何ができるのでしょうかもちろん今の状況をひっくり返すような大きなことはできませんが私たちにできることは一人ひとりが教祖から教えていただいた陽気ぐらしの教えを実践してその姿を身近なところから周囲に映していくことだと思いますコツコツとした歩みですがこれを積み重ねていくしかありませんそこでではこの旬に私たちよふぼくとしてはどのように歩んだらいいのかについて諭達によふぼくは進んで教会に足を運び日頃からひのきしんに励み家庭や職場など身近なところからにをいがけを心掛けよう身みじょうしんみ上事情で悩む人には親身に寄り添いおつとめで治まりを願い病やむ者にはおさづけを取りしん次ぎ真にたすかる道があることを伝えよう親神様は真実の心をじゅうよう受け取って自由の御守護をお見せ下されると示されていますここに記されているよふぼくの歩み今の旬の歩みですがこれはよふぼくとしての基本的な信仰実践よふぼくとしてして当然のこととも言えますがしかしながらこれができていないという現実もあると思いますこれをよふぼく皆が実践すれば陽気ぐらしへの道は一段と進むに違いありませんそこで皆様方にお願いしたいのはここに集う皆さん方は教会長やその配偶者布教所長など教会の主立つ方ですつまり人を導き育てる立場である皆さん方がまずこれを率先して実行することを心がけて陽気ぐらしへの歩みを進めていただきたいのです陽気ぐらしを人に説く者が陽気ぐらしを忘れてしまっては話になりません短気な人に腹を立てるなと言われても聞けぬ相談です高慢な人に心を低くして通れと言われても飲めぬ話です何の説得力も持ちません身近なところから丹精まずは私を含めてここに集う立場のお互いが諭達に示された旬の歩みを一つひとつ実践して身近なところから陽気ぐらしを世の中に映していくことが肝心ですそして自ら実践しつつ所属のよふぼくや理の子にも動いてもらい成人してもらわねばなりませんこれは一にかかって教会長の丹精理の親の丹精にあると思いますしかしなんとか聴き分けてもらおう成人していただこうと思っても相手がそれを受け入れてくれなければどうにもなりませんけれども教会長が理の子から信頼されていれば慕われていればたとえ厳しい仕込みであっても受け入れてくれるのですそのためには普段から足を運び心を通わせ世話をすることですつまり丹精の基本は足を運び心を通わせ世話をするこのつだと思いますそしてよふぼくや理の子に何かあったら飛んで行っていただきたいかなりの日数が経ってから行ったのではお見舞いにしかなりませんすぐに行けばおたすけになりますおたすけとお見舞いとでは受ける側の気持ちは全然違いますあの辛いときに苦しいときに会長さんはすぐ来てくださったということが理の子にとって忘れることのできない心の宝になるのです困ったときに頼りになるのが教会長ですおたすけが一番の丹精になるということを心においていただきたいと思いますよふぼくはいんねんあって親神様が教会に繋げてくださいました普段からよふぼく信者に心を繋ぎ足を運ぶ遠方であるからといって放っておかずに折を見て年に数度は足を運んでいただきたいと思いますよふぼくにとって教会から流される旬の声はたすけの綱教会長の取り次ぐおさづけは命の綱とも言えるのです所属するよふぼく信者が時旬の歩みを勇んで進めてともに成人につとめ励むことができるようにどうか皆さん本気になってしっかりと丹精に励んでくださることをお願いしたいのです道は末代縦の伝道またよふぼくや理の子の丹精と同様に忘れてはならないのが次の世代を育てることです諭達にもこの旨が述べられていますがこれは大切なご用です道は末代と教えられるようにこの道は陽気ぐらし世界の実現を目指して末代続いて行かねばなりません道は歩いてこその道であって歩く者がいなけれなくなれば道は道でなくなりますそこで皆さん末代と聞けば何か遥か先のことに目が行きがちですが私たちはわずか年先や年先のことですら誰にも分かりません何も見えませんしかしはっきりと見えているものがあるそれは次の世代です道が末代であるためには次の世代を育てることこれを常に意識してコツコツとしかも積極的に取り組むことですこの信仰の継承について以前前真柱様が駅伝のバトンに例えて話されたことがあります駅伝を信仰に置き換えればスタートは入信の元一日ゴールは陽気ぐらしの世界ここを目指して私たちは代と信仰のバトンを渡していくのですその道程も長い距離や短い距離平坦な道もあれば上り坂下り坂もありますそれに相応しい区間を親神様は私たち一人ひとりに与えて下さっている私たちは親神様から託されている現在平坦な道を快走するように順調に道を進んでいる教会もあれば苦心や苦労をしながら上り坂を息を切らして走っているところもあるでしょう中にはもう歩くだけでも辛いようなガタゴト道や砂利道に遭遇している方もあるかもしれないでも今のこの道を通れるのはお前しかいない頼んだぞと親神様が託してくださっている道中だと思えば何か心に力と勇気が湧いてくるではないですか私たち一人ひとりに親神様からお掛けくださるご期待と親心にお応えしながら次にバトンを渡すのが私たちの役目ですそのときになって一生懸命にやっている私の信仰を継いでくれる者がいなければ寂しい限りです先人が懸命に通ってきた信仰のバトンを受けて私たち一人ひとりが今この道を歩んでいますその私たちの命には限りがありますつまり誰もが信仰のバトンを渡すときが必ず来ますそのときに後は頼んだぞと次の者に安心してバトンを渡してやりたいではないですかそのためにも私たちのまずこの次の世代をしっかりと育成することですこれからの道の将来を担っていく次の世代の育成にこの旬にあらためて力を入れることです信仰の喜びを親から子へ子から孫へと繋いでいく縦の伝道は今の旬の最も大切な御用の一つとお考えいただいてどうかそのための骨折りを決して惜しまず大いに工夫をし苦心をしてお取り組みいただきたいと思います教祖にお喜びいただくために一手一つの和さて諭達の最後にこの道にお引き寄せ頂く道の子おやさまふしめ一同が教祖の年祭を成人の節目として世界たすけの歩みをい一っ手てひとおごぞんめい一つに力強く推し進め御存命でおやさまお働き下さる教祖にご安心頂きお喜び頂きたいごぞんめいと述べられていますがこの御存命おやさまでお働き下さる教祖にご安心頂きたいお喜び頂きたいとのお言葉に真柱様の思いが集約されているように私は感じていますこれにお応えするために欠いてはならないのは一手一つです一手一つとはまず芯になる者が親神様のお心に添った神一条の心をしっかりと定めることです芯の心が定まらないところに一手一つの和はできませんそして関わる人が芯になる者の心を汲んで心を結び合いそれぞれの徳分個性を活かして持ち場立場の役割を力を合わせて務めきることです一手一つに結べばどれだけお働きいただけるかはおさしづで一手一つ理が治まれば日理が栄える明治一手一つの速やかの理をあれば速やかと治まる明治一手一つに皆結んでくれるならどんな守護もする明治と一手一つに結んで事に当たれば日に理が栄える治まらんところを速やか治めてやるどんな守護でもしてやるとはっきりと教えられていますこのたびの諭達を受けてでは大教会長さんは心を定めて進むべくそうした心定めをして年祭活動の方針と具体的な目標を定められますがどうかこの大教会長さんを芯にこれに一手一つに取り組んでいただきたいと思いますまたこの大教会の方針に添って各教会において年祭活動に掛かられますが会長さん方一人ひとりが教会の先頭に立って年祭活動を勤める心をしかと定めて所属するよふぼく信者の皆さんと一手一つに心を結んで時旬の歩みを心勇んで進んでいただきたいそして年祭活動に取り組む全教よふぼくの芯として発布されたのが諭達第四号ですが諭達に込められた真柱様のお心をしっかりと汲み取り諭達の精神に則って道のをや真柱様を芯に教会長よふぼくが一手一つに心を結んで年祭活動に勇んで掛かるそうすれば日理が栄える速やか治まるどんな守護でもするという誠にありがたくうれしい姿をこの旬に随所にお見せいただけるに違いありませんいよいよ年祭活動が始動いたします教祖年祭の旬はたすけの旬成人の旬であるならばたすかる旬成人できる旬でもあります教祖の年祭で皆たすけていただき成人させてもらいます皆結構にしていただくのであります私たちは今途轍もなくうれしい旬を迎えているのです親神様のご守護には一点の曇もなく教祖の親心には一部の隙間もありませんこのご守護を信じきり親心に凭れきっておたすけに励めば随所でうれしい姿うれしい理を見せていただけるのです教祖さえ見失わなければどんな中でも教祖が支えてくだされ存命の理で間違いなく導いてくださるのですどうかご存命でお働きくださる教祖にご安心いただきお喜びいただけるように諭達の精神に全教が一手一つに心を結んで教祖年祭を目指して心明るく心勇んで成人の道を進ませていただこうではありませんかどうか皆様方のこの素晴しい旬のたすけ一条弥増しに勇んだご丹精を最後にお願いいたします以上要約大教会長様閉講挨拶皆さまそれぞれに今のお話をしっそしゃくかりと咀嚼し胸に納められたことと思いますいよいよ始まる教祖年祭への年祭活動まずこの本部巡教を受けて大教会から年間の方針目標を年内中に発表しますその後それぞれの教会でも目標実践項目を定めて実践していただきます現時点では方針目標について具体的なことは申せませんが今自分に何ができるのかを考えこの三年千日とにかく勇んで動き続けることこの私の胸にある気持ちをこの場ではお伝えし皆さま一人ひとりにも私と同じような気持ちになっていただくようお願いします笠岡の道編纂委員会史跡探訪実施有為転変という言葉が心に響く年歳花相似たり歳年人同じからず今回月日第回目の大教会史史跡見学に三重県伊賀市と大阪市を歴訪した伊賀市は笠岡初代様の出生地で私は何度か訪れたことがあるがもう随分昔の事でどこに生家があるのか記憶も定かでなかった昔史料部初代様の生家三重県伊賀市の写真を頼りにスマホで探して何とかそれらしい家の前に立ったフト思い出すこの家を何度か訪れてその時の戸主川合ふみさんと時間も話しただろうか家を出て別れ際もう来ないで下さいと言われたあれから年近く経っただろうか隣家のお年寄りがちょうど家から出て来られたあの家川合さんですねそうですよでももう何年も前にお婆さん亡くなられて娘さんが一人暮らしておられますお婆さんはふみさんの事かもしれないそう思いながら川合さんの家のガラス戸を叩いた反応がない鍵はかかってなかったので開けて声をかけた返事がない入って土間の奥まで進んでごめん下さいと度声をかけると奥からはいと返事があった出て来られる前に周囲をみる片付いてない前来た時はこの土間に台が並んで小間物上野の特産品組紐の細工物などが並んでいた何でしょうか出て来られたのはふみさんの娘さんなのか髪がざんばらでなんとなくとっつきにくいふみさんは年程前に亡くなりました何しに来たとばかりの態度に笠岡の親戚ですとも言えず曾祖母の生まれた家なので尋ねてきたと簡単にはなしたいろいろともっと聴きたかったのだがそうそうに家を出た何か尋ねてきたのが悪かったような気がして落ち込んでしまった皆で往年の川合家をバックに記念撮影をして川合川合家の菩提寺念仏寺同市の菩提寺念仏寺に向かった立派なお寺である年近く前に来た時はこの寺町の道は狭くあまり訪れる人もなかった墓地であのとき川合家の墓石を探して見つけたのかどうか記憶が定かでない皆で手分けして探したが見つからないお寺の居宅で声をかけると女の方が出て来られて案内して下さったリウさん初代様の女川合家を継いだ方ふみさんの母の墓が何故か真新しい参る人もないのか生家を見てきたばかりでそれも当然かなどと広い墓所を歩き疲れてボンヤリしてしまったお水だけでもと思って水くみ場で小さい桶に水を汲んで戻って花生けなどに水をさして念仏寺を後にした続いて木淀川遡航終点の碑同市津川遡航終点の地の石碑を見学初代様は歳で川合の生家を後にしてここから高瀬舟に乗って大阪に出られたのかと思いを回らせた私達は車で号線を木津川を左の車窓に見ながら号線の交差点まで下り奈良市経由で天理まで日の日程を終えた翌日大阪天王寺の有栖山清光院清水寺を訪れた昨日と打って変わって晴れ渡った中上町台地の南端に位置する清水寺からの大阪俯瞰図をも大阪清水寺大阪市天王寺区清水寺の舞台し林立するビルがなければと当時でそばをすりぬけて清水明治初年頃を偲びながら眺めさせて頂寺に急ぐのであるがそいた歳の初代様は朝寺起きで大の日の午後備佐の佐吉阪久宝寺町の折井の店から時は月様から呼び出しがあっおよそ里の道を週間の裸足参りをたこれがきっかけで此された松屋町筋には所霜が降りの年明治年暮れ初代松屋町から寺町に入る角のあやめ様は折井を引き払い畳だけが起きていたと初代様の聞き書表問屋備佐の上原佐吉様の娘分としきにはある満願の日不思議な縁でて住み込む事となる次いで月江寺の初代様の身元引受人の上原佐吉様と近くにあったという西照庵跡を探し探ばったりと会う初代様は知らぬ振りして歩くこの料亭西照庵の近くに初代様が裸足参りの際通られた松屋町筋上原佐助さと様の住まいがあった備佐本店は長堀西店は新町上原佐吉様の隠居所は心斎橋筋と三ツ寺筋との角地初代様は毎日の如く西照庵近くの住まいから道頓堀を通って佐吉様の許へ通うのが日課だった続いて久宝寺町あたりを見て長堀まで下り左折して玉造に向かう環状線玉造駅の近くに玉造二軒茶屋の碑がある明治年備佐の家産を整理して上原佐吉様夫婦光様笠原いし様は笠岡へ移住上原佐助様さと様子供様はこの二軒茶屋の近く東雲町に居を移し仮住まいとされたここは大阪の東の出入り口で暗峠越えで奈良に向かう処当時の旅人はこの二軒茶屋で別れを惜しみまた久しぶりの出会いを喜びあった初代様はこの玉造東雲町に明治年から年半ばまで住まいしておられた今回の史跡訪問はこの地で終わりとした当時の大阪の旅の玄関口玉造二軒茶屋跡の碑大阪市東成区年間行事予定表部会婦人会月青年会少年会学生会学生担当委員会婦人会創立の日青年会笠岡分会総会父親講座布教キャラバン隊いずれも開催月日未定てっちゃんシアター年頭幹部会直轄委員部長委員研修会天理高校部受験世話取り冬の運動会学生層育成者講習会学生生徒修養会大学の部学生生徒修養会高校卒業生コース笠岡むつみ鼓笛合同練習会春の学生おぢばがえり本部婦人会総会笠岡団おつとめまなび総会親里管内学校新入生歓迎会縦の伝道講習会てっちゃんシアターこかん様に続く会おやさとふしん青年会ひのきしん隊入隊わかぎの集いてっちゃんシアター学生生徒修養会高校の部てっちゃんシアター日程は未定サマーキャンプ委員部長後継者講習会天理教青年会総会てっちゃんシアター笠岡学生会の日毎月日ひまわり会例会有志ひのきしん隊随時備月月はなし勉強会随時毎月日婦人会例会考毎月日月はなし女子青年伏せ込みひのきしん親睦行事随時立教年令和年年部会全体行事月その他ひのきしん布教部直轄教会春季大祭参拝本部食堂福山ブロック部内一斉巡教年頭会議春季大祭詰所受入教会長夫妻並びに布教所長講習会年頭会議に引続き海外部部内一斉巡教部内一斉巡教修養科修了講習会雅楽講習会直轄教会定期巡教修養科修了講習会行列の出来る勉強会於大教会広島平和公園にをいがけ外国語パンフレット配布教祖ご誕生祭詰所受入本部食堂西ブロック全教一斉ひのきしんデーアフリカ支援バザー草刈り剪定こどもおぢばがえり詰所受入英語講習会布教推進講習会修養科修了講習会直轄教会秋季大祭参拝大教会長杯親睦スポーツ大会雅楽講習会草刈り剪定神殿障子張替秋季大祭詰所受入心定め提出修養科修了講習会年末大掃除詰所餅搗役員部長会毎月日午後註ブロックの区分けは備直轄教会長連絡会毎月日午後東岡山県以東の直轄教会とその部内教会雅鶯会練習毎月日午前時考西広島県以西の直轄教会とその部内教会上府上下府中市布教推進強調月間笠岡にをいがけ推進日全教一斉にをいがけデー祭典講話案月月月月月月月月月月月月大教会長様学学生層育成者講習会上原志郎田林久嗣少縦の伝道講習会佐藤道孝虫明立生布布教推進講習会田中隆之大教会長様海海外伝道講習会門脇元教広島平和公園にをいがけ外国語パンフレット配布海外伝道講習会英語クラブ毎月日時時半支部の集い集合写真女子青年第回女子青年大会ご挨拶の中に諭達第号が発布された事を踏まえ年祭をつとめる意義に笠岡より人参加ついてお話しくだされ今の自分にとってひながたをたどるというのはど去る月日清しい秋晴れの元ういう事なのかを考えて実行に移すよ本部中庭で第回女子青年大会が開催うお促し下さいましたされました午後からは詰所で支部の集いを行い笠岡女子青年としては人うち別ました支部長さまのお話大会の振席者人の御守護を頂きましたり返りとして女子青年同士でグループ式典では真柱様よりメッセージ婦ワークをしました人会長様よりご挨拶を頂戴いたしまし同じ世代だからこそ分かる気持ちた疑問悩みなど短時間ではありました担当の奥様方の手作り晩御飯が共有する事ができ充実した時間になりました今回昨今のコロナ禍で無事に大会へ参加できるのだろうかと不安に思っていましたが沢山の女子青年と共におぢばへ帰らせていただく事ができましたこれも皆様のお力添えお声掛けの賜物だと実感しておりますこの紙面上をお借りして御礼申し上げますありがとうございました委員長山野奈支部の集いにてグループワークみんなでひのきしん笠岡女子青年ポーズ笠岡は桃じゃけえ十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召からない人間ない世界をお創め下されたばかりではなく日夜変わることなくご守護下さりその時に応じた仕込みをもってお導き下さいます親心の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお望み下さる陽気ぐらし世界の実現を目指して一歩でも前進するべく日勇んでたすけ一条の上に努め励ませていただいておりますその中にも今日の吉日は月に一度の御祭日でございますのでただ今からおつとめ奉仕人一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで坐りづとめてきどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせていただきます御前には少しずつ厳しさを増す寒さをも厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが相共にお歌を唱和し日頃のご高思に改めて御礼申し上げ尚も変わらぬ親心にお縋りする皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて先月の秋の大祭に於いて論達第四号のご発布を頂きましたこの年祭に向かう時句に真柱様から直接お言葉をお聞かせ頂き身も心も引き締まる思いでありますまた本日は祭典終了後本部より井筒梅夫先生にお越し頂さ居ずまいを整えて大教会役員並びにおつとめ奉仕人教会長夫妻布教所長で本部巡教を受けさせて頂きます教祖百四十年祭に向けての親の声をしっかりと胸に始めて来年から始まる三年千日と仕切っての年祭活動を親神様教祖にお喜び頂けるよう笠岡一丸となって実働させて頂く所存でございます何卒観神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りに成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受取り下さいまして一人ひとりのたすけ心が次と伸び拡がりお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百八十五年十一月月次祭祭典役割表祭主大教会長様上原浩扈者山野弘実内海史郎賛者杉原善朗指図方田中隆之講話なし一月講話大教会長様区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半上原志郎岡﨑真一田中隆之上原浩横山逸郎三島渉渡邉隆夫佐藤真孝高木昭祥大教会長様門脇元教中島誠治前会長様吉岡誠一郎中村道德上原繁道森本忠善虫明立生大教会奥様門脇加津谷内美知子前奥様横山小智榮中村初美田中ますみ吉岡八恵田中つかさ武内清明今川昌彦山野弘実佐藤道孝赤木素志上原繁次中村剛山田敏教内海史郎谷内伸自岡田誠淺野明教吉岡壽三代温生田林久嗣中村義太郎杉原善朗岡﨑治喜佐藤香苗内海安子森本冨美子上原順子三島照美高木孝子武内正美笹尾一美室悦子藤本惠子姉詰所からのお願い詰所での宿泊喫食について詰所で宿泊喫食される場合は教会名代表者名泊数食数を日前までには必ず詰所へご連絡ください食事をしない宿泊のみの場合でも日前には申し込みをして下さるようお願い致します部内教会信者に徹底願います大教会だより年祭準備委員会発足付委員上原愛美門脇元教田中隆之武内正美上原志郎山野弘実森本忠善佐藤真孝上原繁次杉原善朗教会指令任命願島中分教会前任内海安子新任内海史郎奉告祭承認内海史郎氏任命願惠陽分教会前任藤本基喜新任藤本惠子奉告祭承認去る月日おぢばにて天理教校学園高校雅楽部秋雅楽祭結むすびを鑑賞した来年月に閉校する為この最後の演奏会に向けて取り組んできた天理教付属高校から始まり天理教校親里高校そして天理教校学園高校雅楽部と年先輩方から繋いできまし管弦は千年余りに渡って伝えられた感謝の思いを届けられる演奏会にた世界最古のオーケストラらしいとしたいとの事だったても新鮮だった舞楽の衣装も手私は年部員が減っているので作りだったようだ開催されるかといさびしい思いの方が先走っていたがう不安も喜びに替え前向きに学ぶ演奏が始まると心地良い緊張感の中学生たちに感謝した名の学生堂とした楽服姿の学生が現れわの純粋でひたむきな演奏と爽やかな笑ぁーすごい素晴らしい一手一顔に大拍手天理教校学園高校の伝統つ心が合わさって美しい音色とこれまでの歴史も大切にしたい演奏可憐な舞だ壮大だと感輝き続けられるようにむ動の連続だった