『かさおか』第61巻 第2号
芦加茂分教会本年の活動目標おぢばがえり喜びいっぱいのおたすけを目指しさあおぢばに帰ろう人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう大教会長様お話喜びいっぱいのおたすけ目指しさあおぢばに帰ろう年頭会議において立教年大教会年頭会議は月日午後時から大教会神殿で行われ役員部内教会長布教所長らが参集した大教会長様は就任後初めての年頭に当たり先ず制限下での記念祭奉告祭が無事につとめられたことの御礼を述べられた続いて真柱様年頭のごあいさつまた記念祭奉告祭のメッセージを引用され教祖年祭三年千日活動を来年に控えた本年の大教会の活動目標を心をおぢばに向け人だすけのためのおぢばがえりをと打ち出された最後に地域社会に根付き地域から必要とされる教会を目指して喜びいっぱいにおたすけに向かえるよう日弛まず努力されるご自身の胸中を披瀝されたなお恒例の会食はコロナ禍のため中止立教年明けましておめでとうございます昨年は大教会創立周年記念祭をコロナ禍にあって参拝者を制限してという形ではありましたが笠岡に繋がる皆さんの真実のお心寄せをいただき無事につとめることが出来たことは本当にありがたく嬉しく思います誠にありがとうございました記念祭に向かう間大勢の方が準備ひのきしんをおつとめいただいて神殿正面の石畳や壁は驚くほど白くきれいになり来賓の先生方をお出迎えすべく花が飾られ雨樋や手摺りなど金属部分は黒とした美しい色に塗り替えられ神殿内から見下ろす中庭のレンガブロックは鮮やかな色を取り戻し客殿に向かう渡り廊下のガラス窓はきれいに磨きあげられ隅まで掃除の行き届いた客殿から見える庭の景色は美しく整えられておりましたそのような状態で来賓の先生方をお迎えし記念祭をつとめることができたことまた当日の様子をインターネットを通して遠く離れた海外の信者さん日本国内でも参拝が叶わなかった信者さん方に観ていただけたことを本当に嬉しく思います重ねて御礼を申し上げますありがとうございました新しい年を迎え今日は年頭会議ということで先ず天理時報に掲載された真柱様の年頭のごあいさつを読ませていただきます真柱様年頭あいさつ真柱様は冒頭新年のあいさつを述べるとともにさまざまな制約のある中での昨年年間の一同のつとめをねぎらわれたうえで今年も心そろえておつとめいただきたいと話されたこの後教祖の年祭について話を進められたその中で年に一度年祭を勤めるということになれば立教年が教祖年祭の年に当たり来年は年祭を目指す三年千日の動きに入っていくとして道を伸展させるためにはいろいろな意味において教祖の年祭を勤めることは大切なことだと思うので次の年祭は勤めさせていただきたいと述べられたさらにご自身が関わった教祖年祭を振り返られたうえで教祖の年祭を勤める意味を徹底させることは本当に難しいことだとあらためて思うやはり伝える側の責任は大きいと指摘伝える側の姿勢としては信仰姿勢普段から教祖の教えられたことを身に行いなるほどの人になる努力おこたをすることを怠ってはならないその人の信仰から伝わるということはあると強調された最後に真柱様は感染症がこの先どのようになるかは予想もつかないとして安心して御用ができてもできなくても時間は同じように過ぎていくできないのはコロナのせいだというようにせずに与えられた条件の中でやらなくてはならないことをいかに進めるかということをいまの時旬を考えてそれぞれのつとめを果たしていただきたいと述べてあいさつを締めくくられた天理時報本年の活動はおぢばがえり昨年記念祭をつとめ終えた私たちが目指すべき次なる塚は真柱様が勤めさせていただきたいとの思いをお聞かせくださった教祖年祭ですこの教祖年祭に向ってとしては今年年の活動はおぢばがえりおぢばがえりを主眼に置いてつとめさせていただきたいと思います心をおぢばに向け人だすけのためのおぢばがえりをなぜおぢばがえりなのかそれは陽気ぐらし世界の実現に向って私たちのすべきことはやはり人だすけだと思うからです人にたすかってもらうには教祖の教えを実践しおつとめをつとめることおさづけを取り次ぐことはもちろん大切なことですが同時におたすけをする者の心の向きがたすけの元であるおぢばの方をしっかりと向いていないといけないと思うからですコロナ禍でおぢばでの様な行事正月のお節会こどもおぢばがえりなどが中止になりおぢばがえりをする機会が減ってしまっています青年会本部の例会もずっとオンラインで行われていましたが昨年月に久し振りに陽気ホールで開催された例会後に出合った同級生がこの例会がなければおぢばに帰ってくることができなかったと言っておりそういう状況の方もおられるわけですコロナ禍下でおぢばが物理的にではなく少し遠くなってしまっているように感じます真柱様は昨年の記念祭において教祖の教えは変わることはないのでありますしかし人の心の向きは時折思い直すことが必要だと思います自分たちは毎日一生懸命に勤めているつもりであってもうっかりすると最初目的としたのとは違うところへ進むようなことをしているかもしれませんそれが小さなずれであっても万一そのことに気付かず進んでしまったならばやがては大きな狂いとなり目的地を見失って大変な結果を招いてしまうことになりかねないのでありますとメッセージをくださいました今コロナ禍下でおぢばがえりがしづらい状況ですがだからこそおぢばがえりを通して心の向きをおぢばにしっかりと向けたいのですそのために今年はとにかくおぢばがえりをしていただきたいただ今日本では余りにも速いスピードでコロナの感染者が広がっていますいろんなことが難しい状況になるでしょうがこの年の中でチャンスを見つけておぢばがえりをしていただきたいのですそしてこのおぢばがえりは人だすけのためのおぢばがえりとしていただきたいのですもちろんただ帰らせていただくだけでも大きな意味があり大きなご守護をいただけるでしょうがそのおぢばがえりをたすかってもらいたい人のためのおぢばがえりとして行っていただく今年年は人だすけのためのおぢばがえりを通しておぢばにしっかり心の向きを合わせおぢばに心を寄せるそのための年としたいと思いますのでどうぞ宜しくお願いいたします理想の教会像を目指して弛まぬ努力を昨年月に会長の理のお許しを戴いて会長とならせていただきましたそれ以来今この現代社会にあって教会のあるべき理想の姿とはどんなものだろうと自分なりに想像してみると教会が地域社会に溶け込んでそして活発におたすけをする姿地域に根付き地域から必要とされてそしてそこに関わる教会の人たちが喜びいっぱいにおたすけに向っているそんな姿が思い浮かびますそんな姿を思い浮かべながら私自身は悩んだり迷ったりばかりしていますこんなことは言うべきではないかもしれませんが今日のお話もこれで良いのかといつも自問自答しながらお話ししています明日の春季大祭も参拝者を制限しました今の状況下で皆さんにどうぞ参拝してくださいとはとても言うことができないと思ったからですおつとめ奉仕人直轄教会長のみで明日の春季大祭はつとめさせていただきますこのことも一日中迷いましたいろんな方に意見を聞いて話を聞くたびにコロコロと自分の考えが変わってでもやはりこの状況では参拝者の制限をするしかないそう考えて決めましたしかしやはりどこか心残りがあるのです本当なら大祭にお帰りいただいて参拝していたはずの人が私の決めたことによって来られなくなるおつとめをおつとめを参拝をしてもらえなくなるもう何て何て申し訳ないんだでもでも今この状況では決めないといけないのです情けないことに私はまだまだ本当に決断が遅くて時間が掛かりますが個個今その決断をしています間違えるときもあるでしょうからそのたびにそれを修正して直して会長としてより良い教会の姿を目指していきたいと思います年頭のごあいさつで真柱様は安心して御用ができてもできなくても時間は同じように過ぎていくできないのはコロナのせいだというようにせずに与えられた条件の中でやらなくてはならないことをいかに進めるかということをいまの時旬を考えてそれぞれのつとめを果たしていただきたいと述べられましたまた昨年の記念祭において教会長は教会の責任者でありますしかしそれは成人を遂げたからというわけではないと思います親神様から御覧になれば成人への道中にあるという点に於いては皆と同じでありますからこれまで勤めてきた歴代会長の見習うべきところは見習い日会長としての勤めを果たすことによって教会に関わる人から一層信頼され慕われる教会長になるように努力を重ねてもらいたいと思いますとメッセージをくださいました会長を交替してから初めて迎えるこの年頭において少しばかり今私が会長になって思っていることをお話ししました本当に迷ってばかりの決断が遅い者ですが日自分に出来る精一杯で会長のつとめを果たす中で少しずつ成人を進めていきたいと思います今年年私自身もおたすけのおぢばがえりを通してしっかりとおぢばに心を向け心を寄せて通りたいと思いますので皆様方におかれましても今年年はどうぞしっかりおぢばがえりを進めていただきますようお願いいたします春季大祭講話人だすけのおぢばがえりを通してぢば一つに心を寄せよう大教会長様立教年大教会春季大祭は月日大教会長様祭主のもとコロナ禍下のためおつとめ奉仕人直轄教会長のみで執り行われた大教会長様は先ず記念祭奉告祭も含め制限下の中おつとめをつとめることが出来たことのありがたさを述べられた続いて春季大祭の意義を述べられ思召にお応えするには教えを求め行いおたすけに励むことが大切としたうえでたすけの元であるおぢばにしっかりと心を寄せることが大切だと述べられたさらに本年の活動目標であるおぢばがえりをどのように進めるかをつぶさに述べて今年年の歩みを促されたただ今はの立教年の春の大祭をともどもに陽気に勇んでつとめさせていただくことができました誠にありがとうございます本日は春の大祭をつとめる意義に併せての今年年の動きについてお話ししたいと思います始めに一言御礼を申したいと思います昨年月日に創立周年記念祭並びに代会長就任奉告祭を執り行いコロナ禍下で参拝者を制限しました今日の大祭も人数を制限しています記念祭も今日の大祭もここにはおられない方ここに来られなかった方が大勢おられますがそういう方の真実の心寄せをいただいてこうしておつとめをつとめさせていただけたことこのことを先ず胸に置きたいのですおつとめをつとめることが出来たことのありがたさをここにおられない方のお陰でもあるということあらためて無事に記念祭をそして今日の大祭をつとめさせていただけたことの御礼を申し上げたいと思います誠にありがとうございますたすけの元はおぢば春の大祭の意義は明治年陰暦正月日に教祖が現身をお隠しになられたこの大節を元一日として親神様教祖の思召をしっかり心に納めさらにはその思召にお応えすることにありますではこの大節に込められた思召とは何かと言うとおさしづに子供可愛い故をやの命を二十五年先の命を縮めて今からたすけするのやでとありますようにこどもかわいいいっぱいの親心から教祖は定命を縮めてまで世界たすけに出られましたすなわち一刻も早くたすけてやりたい一刻も早く心の成人をさせてやりたいとのをやの思いが込められているのですこのことを春の大祭をつとめるに当たりしっかりと心におさめたいと思いますそのうえでこの思召にお応えするには教祖から教えていただいた教えをしっかりと先ず求めそして日実践して通り悩み苦しむ人のおたすけをしないといけませんたすけの手段としてつとめとさづけをお教えいただいていますおつとめをつとめることおさづけを取り次ぐことが大切なのは言うまでもありませんがそれと同時に忘れてはいけないのは親神様教祖にお働きいただいて人にたすかってもらうにはそのための理づくりが大切だということとたすけの元はおぢばだということです親神様がお鎮まりくださり教祖が御存命でお働きくださっているおぢばにしっかりと心を向けて心を寄せることが大切です心の向きをおぢばに合わせる昨年の記念祭にて真柱様はメッセージの中で教祖の教えは変わることはないのでありますしかし人の心の向きは時折思い直すことが必要だと思いますと述べられましたまたおさしづにぢばに一つの理があればこそ世界は治まるぢばがありて世界治まるまたぢばという理を第一心に治めにゃならんまた元というぢばというは世界もう一つと無いもの思えば思う程深き理とありますおぢばは人間世界の元でありたすけの元であるこの元が重要でそれを外してしまってはいけないと教えていただきますまたおぢばに心を寄せることの大切さを思うときに一つの教祖のご逸話が思い浮かびます一八七ぢば一つに明治十九年六月諸井国三郎は四女秀が三才で出直した時余り悲しかったのでおぢばへ帰って何か違いの点があるかも知れませんから知らして頂きたいとお願いしたところ教祖はさあく小児のところ三才も一生一生三才の心ぢば一つに心を寄せよぢば一つに心を寄せれば四方へ根が張る四方へ根が張れば一方流れても三方残る二方流れても二方残る太い芽が出るでとお言葉を下されたこの世界は心通りの守護の世界だとお教えいただく私たちは何か良くないことが起こったとき自分に何か心得違いがあったのではないか自分が何か心得違いをしていたからそれを親神様が身上や事情でお知らせくださったのかと考えますもちろんその考えは間違ってはいませんがこのご逸話ではこれが悪かったからこうなったという因果を越えてもっと大切なことを教えてくださっているように思いますそれがおぢばに心を寄せるということわが子の出直という大節を通して教祖はぢば一つに心を寄せれば四方へ根が張り太い芽が出るとお教えくださっているのです人だすけのおぢばがえりそこででは今年の活動目標をおぢばがえりとしたいと思います今年の年頭に真柱様から道を伸展させるためにはいろいろな意味において教祖の年祭を勤めるということは大切なことであるので勤めさせていただきたいとの思いをお聞かせいただいた立教年の教祖年祭これが記念祭をつとめ終えた私たちが目指す次なる塚になりますがこれに向って来年にはご本部から三年千日の動きの発表があるかと思います大教会としてはこの年祭に向っての今年年はおぢばがえりを主眼に置いて進めていきたいということですただ現在のコロナ禍下では大勢でのおぢばがえりは難しいでしょうから教会単位や家族単位といった形でのおぢばがえりを計画し実行していただきたいそしてただおぢばに帰らせていただくだけでも大きな意味があり大きなご守護を頂戴できますがこのたびのおぢばがえりは具体的なおたすけの対象を決めて行っていただきたいのです人だすけのためのおぢばがえりとしていただきたい今日本では今までにない勢いでコロナ感染者が増加しています今すぐおぢばがえりというのは難しくおぢばに帰られない期間がまだ続くかと思いますがこの期間はおぢばがえりの準備期間としてたとえば教典や逸話篇をひもといて教えを身につける教祖のひながたを求めるそういった時間にしていただきたいのです天理王命教祖ぢばはその理一つ典章談話室であるとお聞かせいただきますおぢばに帰られない期間教えを求今こそおつとめでめるをやの思いを求めるをやの思いにその心を寄せることが私はぢば一つに心を寄せることにも繋がる祈りを捧げる旬米美分教会長三代信行と思います小さな教会ではあるが毎朝一時間そしてこのおぢばへの思いを程かけて神殿掃除をさせて頂いてい教会であれば信者さん家族であればる兄弟子供や孫にしっかりと伝え朝の凛とした空気の中お社等の掃共有してこのたびのおぢばがえり除をさせて頂いているとフッと頭には人だすけのおぢばがえりとし浮かぶ事があるふと浮かぶが神心ていただきたいそれを消すのが人間心と聞いた事がそのうえでおぢばがえりを通してある神様に一番近い所での御用の最ぢば一つにしっかりと心を寄せ人中に思い浮かばせて頂くその時の事だすけのおぢばがえりを楽しみにを私は親神様教祖からのお知ら今年年勇んでお通りくださいますせであると大事にしているコロナウィルスの流行による最初ようお願いいたしますの緊急事態宣言の一昨年月修養科教養掛としてか月詰所で生活させて頂いた月月の月次祭又教祖誕生祭も祭典中は境内地にも入れないので修養科生も詰所で遥拝詰所の宿泊者もほとんど無い状態だったしかしその中で私が感じたのは祭典中以外はマスク消毒間隔を空ける等の予防措置を取れば神殿を始め教祖殿祖霊殿へも参拝出来るおぢばでは今までと変らず親神様教祖が待っていて下さるという事だったそうして教会へ帰り朝の神殿掃除の最中にふと私のこの仕事って何だろうと思い浮かんだそうだ宗教家だでは宗教家って何だ昔から災害が続いたり疫病が流行ったりしたら神社や寺を建てたりして平癒を祈って来たそしてその祈りに携って来たのが宗教家ではないのかとコロナウィルスという疫病に世界が難儀している今この時に祈りの最中心であるおぢばでのかんろだいづとめに現地で祈りを捧げる事は今を生きる宗教家として必然な事であると思った幸いおぢばへは自家用車で行っていたのでそれまでと変わらず毎月車でおぢば帰りをさせて頂いている人との接触をしないよう移動し本部駐車場で車中泊し祭典参拝後非接触で帰った事もあったが宿泊者が無いと詰所も大変なので詰所に宿泊するようにしているしかし自教会にも基礎疾患のある者や教育機関で働いている者等もあり帰宅後週間は家庭内隔離で一ところで前述の不要不急県境をぢばへ帰り境内地に入れない月でもで花の蜜を吸うその時の羽音が蜂に人自室で食事もしていた跨いでの外出を控えるよう言われていイスを持参して本部駐車場で参拝して似ているところから名づけられたといそんなさ中も年程前から始めたる中でのおぢば帰りについて同じ笠地元の道の駅前での神名流しと路岡の人達又支部教区等地域の教会傍講演はずっと続けさせて頂いてい長さん達と話しをさせて頂くと周りる片側車線の国道の反対側からハの環境やその人の考え方等色と違ンドマイクで話しているので感染のいがある事を考慮しても本部からも心配もないと思う夫の教会布教所等で参拝するよそこで私は祈るという事につうにと言われているからおぢばへいて話をし神様でも仏様でもどこは行かないという意見が多く私のに向っても良いからコロナ禍からの考えが皆とは違っておかしいのだろ世界の治まりを祈って欲しい祈る対うかと思った象と方法が解らない人には天理教の教とそこで頭に浮かんだのが私の信会では毎朝に夕にそして天理市に仰初代の入信の動機であったある天理教本部では毎月日夫の明治時代丁度今の様にコレラの教会でも毎月日を決めておつとめと流行の波が何度もあったようであるいうものを通して祈りを捧げているの明治年米府分教会初代三代幸之助で近くの天理教教会へ行ってみて下はコレラに感染した伯母の見舞にさいというお話しをしている行った夜なわで囲み病室にしてい又当教会では教祖年祭活動とした離れの部屋の床下から床を叩く音がいたし引き継いだ現会長も毎月おぢばに帰っていることを思う時初代の信仰につながる魂がおぢばへと運ばせているのかなと思う折りしも大教会年頭会議で大教会長様は本年の活動の上でおぢば帰りに言及された今米府初代の心を動かした布教師のような事は現実難かしいとしてもやり方を工夫すれば出来る事も有るのではないかと考える私はこれからもリモートではなく直接おぢばへ足を運び一日も早く世界中でのコロナ禍で苦しむ人の救かうハチドリのひとしずく辻真一明治学院大学教授監修光文社ではこれはちいさな力の大切さを教えてくれる南米アンデス地方の古くてあたらしいお話ですと次のような話を紹介している森に火事が起きて動物たちはわれ先にと逃げ出しているでもクリキンディという名前のハチドリだけはくちばしで一滴ずつ水を運んで火の上あざわらに落としていく他の動物たちは嘲笑りを祈っていきたいと思ううが私は私にできることをしているだ陽だまりけとクリキンディは答えた本文要約て大教会から提示して頂いたおたすする床板をはがすと下から入ってこの話の続きはなくあとは自分がけお願いカードと毎日のお願い来たのが天理教の布教師であった人つとめを年祭後も継続させて頂いている思い浮かぶ個人の名前と共にコロナ感染が始まってからはコロ目をさけて夜中に床下からコレラの病人のおたすけにやって来たその布教師の態度とお話に感動して入信一握の土ビエンナウイルスで苦しんでいる人終息その年のうちに用木となり布教に出たハチドリという鳥がいる英語ではとの枚も加えている現在教会とのが信仰の始まりだと聞かせて頂くハミングバード体長がにも満たしては年祭直後の倍程の枚数に私の兄である米府分教会前会長もない小さな鳥であるハチドリは空なっている会長を辞す一昨年月までは毎月お中でホバリングしながら長いくちばし感じたままのストーリーを膨らませていけばいい私はこの話を初めて聞いたときある情景を思い出した平成年月天理教教会本部で西境内地拡張整備ふしん土持ひのきしんが始まった教祖年祭に向けて天理教のホームページには本部からのお知らせお道のニュースの他上図のように教理についての項目や諸活動の案内など様な項目が設けられており一般の方もご覧になっていますおぢばがえりを打ち出された本年は特におぢばがえりをするおぢばがえりに際してなどの項目には目を通しておきましょうの活動の一つだったと記憶している重機を使えば短期間で済んでしまう土木工事を人がもっこを担いでするのだからビジネス的に考えればまことにコストパフォーマンス費用対効果の低い活動であると思うしかしそこには決してコスパいう考えだけでは計れない意味と喜びがあった親神様からの借りものである体を使いおぢばのふしんに伏せこませていただいている喜びがあったのだある夏の日別席を運ぶために帰参した甥っ子とこのひのきしんに参加したそこで私はある女性の姿を目撃して目頭が熱くなった車椅子に乗った彼女の膝の上には真っ白なハンカチがおかれていたその上にほんの一握りほどの土を乗せ落とさないように大切に何度も運んでいるのだったこれこそが信仰の喜びなんだと実感した人から褒められたいとか社会的評価を得たいとか何かの恩恵を受けたいとかというよくの心からではなく何が今の自分にできることなのだろうか一握の土が大きな意味を持って私に問いかけて来る春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原明勇慎んで申し上げます親神様には人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召から人間世界をお創造り下されたばかりでなく天然自然のお働きをもって陽気ぐらしへとお導き下さるご慈愛の程は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日を結構にお連れ通り頂いている事を日夜御礼を申し上げると共に御恩報じを思い念じてたすけ一条の御用の上に努め励ませて頂いておりますその中にも今月は教祖がおつとめを急き込んで世界ろくぢに踏み均しに出られた尊い月に当たりますので只今からおつとめ奉仕人一同おつとめをつとめられる喜び一杯に明るく陽気に勇んで坐りづとめてをどりをつとめて立教百八十五年の春の大祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中も厭わず寄り集いました道の子供たちが事改めて御高恩に御礼申し上げ共にお歌を唱和する皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて私共は昨年勤めさせて頂いた創立百三十周年記念祭の成人の歩みを台として次なる塚教祖百四十年祭に向かっての更なる成人の歩みを進めるべく今年はおぢばがえりを主眼に活動を進めさせて頂きます日本では現在急激にコロナ感染者数が過去最多を更新しながら尚増加していますこれまで以上に難しい状況が続きますがそんな中だからこそたすかりの元であるおぢばにしっかりと心を寄せるべく努め励ませて頂く所存でございます何卒親神様には先の見えない難渋の中でも親を信じて慕う皆の誠真実の心をお受取り下さいましてお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます訃報砂流勲氏輝伯分教会元会長月日出直されました享年才横山ミキエ姉東城分教会前会長夫人月日出直されました享年才丸山勤氏木津和分教会前会長月日出直されました享年才竹本勘市氏福芦分教会前会長月日出直されました享年才矢田路子姉八尋分教会前会長夫人月日出直されました享年才重政富子姉仲條分教会三代会長夫人月日出直されました享年才田林志計實氏大教会承事東悠分教会二代会長月日出直されました享年才福島悦子姉福満分教会三代会長夫人月日出直されました享年才三宅八壽夫氏稲芳布教所長月日出直されました享年才昨夏以来お知らせが滞ってしまい関係者の皆様にはご迷惑をお掛けいたしました立教百八十五年春季大祭祭典役割表祭主大教会長様中村道德扈者吉岡誠一郎淺野明教賛者上原繁次指図方上原繁道講話大教会長様三月講話武内正美区分役割地方おつとめてをどり笛ちゃんぽん拍子木太鼓すりがね小鼓琴三味線胡弓坐り勤前半後半吉岡壽佐藤道孝上原志郎三島渉中村道德森本忠善山田敏教渡邉隆夫佐藤真孝大教会長様門脇元教田中隆之前会長様三島渉吉岡誠一郎上原繁道山野弘実横山逸郎大教会奥様武内正美横山小智榮前奥様門脇加津吉岡八恵田中ますみ中村初美田中つかさ吉岡誠一郎淺野明教上原繁次岡﨑真一山田敏教内海史郎中村剛武内清明岡田誠横山逸郎虫明立生今川昌彦今川昌彦高木昭祥岡﨑真一森本忠善赤木素志三代温生上原順子森本冨美子岡﨑豊子内海安子三島照美室悦子今川佐智子岡﨑和美笹尾一美今年の元日今年の元日は穏やかな晴天に恵まれ午前時から人に満たない人数だったがいつもと変わらぬ顔ぶれで元旦祭をつとめさせて頂いた不思議な事に毎年の事だがおつとめも後半が終わる頃になると中年のおじさま方が次と現れるのだ今年の正月は県内ではコロナウイルス感染者の数もまだ小康状態だったのでおつとめ教祖殿行事を終え例年と変わらず酒にお節料理雑煮と強い感染対策の縛りもほどほどに召し上がって頂いたそれぞれの家庭での予定もあるので足早に帰る人が多い中いつも最後まで賑やかに残ってくれるのはおつとめの終わる頃にやって来る常連のおじさま方だしかし将来のおつとめ奉仕者になるかもしれないこのおじさま方は大変貴重な人材であるゆっくりと我が家で寝正月をする事も出来るのにわざわざ足を運んでくれ教会で寛いで下さっている私の心の中はこのおじさま方がおつとめ着を付けてくれるのは自分の信仰姿勢がしっかりとお道のレールに乗ってからなんだろうなと思いながらみんなで楽し気な会話をしている中重鎮である昔の青年さんが少し暖かくなったら又昔の様に日帰りの旅行でも計画しないかと提案した確かに今は県外への移動が自粛と言われる中だが以前は別席伏せ込みひのきしん団参を機会に年に一度はおぢばに帰らせて頂きその帰りの観光を楽しみにマイクロバスを出していたそれが唯一信者さん達がおぢばがえりをする機会だったのだ大切な事はまず教会に心を向けて頂けるようその人たちに興味のある何かしら楽しみの中からでも繋ぐ心を大事にし今までの教会の有り方や自分自身の人に対する態度も再確認しながら教会に来られる人たちが窮屈にならず私自身が喜び勇んで教会生活を送る様つとめなければいけないなとその人の提案のお陰でこれからのお道の中で歩むべき道筋の気づきを頂いた様な今年の元日だったむ