かさおか 『かさおか』第44巻 第4号
在りし日の大教会教祖殿と現大教会境内地へ移築した教祖殿をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば割愛すると言いながら書いてみる尚先月号で蟹蘭と書くところをカニ欄と書いてしまったパソコンで書いていると目に涙が溜まったりすると画面がぼやけて誤字のままにする事がある史を書くのに父親三代会長に聞き書きを取る事をお願いした二代会長の仕込みについて神邉分教会の治め教祖殿初代会長室役員住宅の普請教祖四十年祭倍加運動への笠岡の姿勢分離昇格に伴なう詰所の経営四代会長への会長職の譲り渡し等今から考えれば聞いておきたかった事はまだまだあったのに私の若さの故か思いつく事柄が限られていたように思う教祖殿の普請について尋ねた時父の目に涙がひかったそこに私は会長としてでなく父親としての姿を初めて見たように思ったわしの悟り違いやったと最後に言って父は黙ったその沈黙を私は何とか堪えてそれでも教祖殿の普請を通して初代の居間が出来たし役員住宅が出来たし良かったですねと言ったそやなあ役員が足腰伸ばす処がそれまでなかったからなア大教会史には次のように誌している大正十年八月三代会長夫人が身上となり大熱に苦しんだがこの月六日青年会本部の巡教があり村田勇吉氏の信仰の生命は親孝行にありとの講演があったこの時当時三歳の会長次男雅志が幾度となくタオルを冷やして夫人の頭にあてたこの講話子供の姿から三代会長は初代会長がゆっくり休める居間の建築を早急に進める事が必要と理の思案を進めたこれは既に大正八年の会議で教祖殿の建築と共に定まっていた事なので役員会議で何ら異論なく建築が決定されたところが大正十年十月二十五日雅志が俄に発熱医師は脊髄炎と診断しこのままでは到底もとの身体に戻らないとの事であった三代会長は井筒たね大教会長宮田佐蔵氏に諭しを伺った処初代会長の居間建築も結構であるがそれより教えの親教祖のお鎮り下さる建物を建つべきであるとの事であった直ちに役員会議が開かれ思いを切り替えここにまず教祖殿続いて初代会長室更に役員住宅信者室等の附属建物建築が決まったこうして第一期工事として教祖殿初代会長室の建築が決定された教祖殿の新築落成奉告祭は大正十三年四月十八日であった私情に立ち入らず簡潔に記した積もりであるがしかしその背後に普請と立て合って子供を一人亡くした父親の思いがあったという事をもう少し書いた方がよかったのではないかという気もするそう言えば私は昭和四十五年三月移転前の大教会の此の教祖殿で今の西江昌直金浦分教会長さんと大教会青年の辞令を頂いたこの頃辞令交付は教祖殿で行われていたように思う今教祖殿は現大教会の会長宅庭園の一角に移築されている知る人はその姿を格別の思いをもって見つめるしかしその思いは歳月によって徐に風化してゆくそれで良いのだろうでも父親の目に浮かんだあの涙だけはいつまでも私の胸の中にしまっておきたいと思う大正十二年月日教祖殿建築起工式月日上原雅志出直し六歳大正十三年月日教祖殿落成奉告祭人参加史料部長上原繁道第五回にをいがけおたすけ実修会要員研修会二月二十日十三時神殿にて親神様教祖霊様を礼拝後大教会長様より教祖百二十年祭活動仕上げの今年全教会が一名以上の初席者を御守護頂く上に要員一人一人が自覚を高め少しでも教会のお役に立ち勇んで頂き実を上げるべく一層の実動と活躍をお促し下さいました講話では原田浩先生から実を上げてこそ仕上げの年と題して未信者の色な人を制限なく受け入れ二十名前後を教会に預かり長年日物心共にそれこそ言葉に言い尽くせぬ御苦労の中を教祖のひながたを心の支えと夫婦心を尽し力を協せて全力でつとめ切る中に数の不思議自由を見られたことなど人だすけのよろこび素晴しさをお聞かせ頂きましたその後各班に分かれて二十分程ウォーミングアップで心を整え高めてにをいがけに出発折しも小雨が降り風が強まる中を二人一組になって一軒一軒戸別に訪問日曜日で在宅の家も多く一言でも親の思いを伝えるべく真剣に勇んで一時間程つとめさせて頂きました帰会後ふりかえりでそれぞれにつとめて気づいたこと感じたこと学んだことこれからやってみたいことをねりあい有意義につとめました閉講では佐藤布教部長より実修会も五回目となり慣れが出て心が緩む事を案じて一同に心を引き締めて尊き使命を勇んで全うする様熱き思いを聞かせて頂き一同新たな決意を定めて終了しました布教部次長中村剛春の学生おぢばがえり立教年春の学生おぢばがえりが月日おぢばで開催されました当日は前日からの雨がやまず東西北礼拝場を使って式典が行われ千人を超える学生が真柱様のお言葉に耳を傾け学生に対してのをやの思いを真剣に聞かせて頂きました式典後各直属に分かれ夕方まで直属アワーが行われました春のおぢばがえりは教区主体で帰参する関係で直属との関わりがないため直属とのつながりを持たす場が直属アワーです内容は直属教会長のお話直属毎に趣向をこらした企画や別席です今回笠岡につながる学生は名の参加で内名が別席を運びました笠岡には大教会としての学生会がまだ整っていないため笠岡につながる仲間として親睦を深める行事を毎年計画しています限られた短い時間のため何をするか毎年頭を痛めるわけですが今年は会食後別席を運ばない学生は奈良公園へ行き班毎に公園を散策しながら猿沢の池に集合するプログラムを行いました教祖年祭の来年は一万人のおぢばがえりを打ち出されています笠岡につながる学生はもっともっといます今年参加してくれた学生はもとより参加できなかった学生には是非とも来年はおぢばがえりに参加してくれるようお声かけの程宜しくお願いします学生担当委員三阪泰人鼓笛バンドは例年より一泊少ない日程であった為子供達が合宿の内容に満足してく講習会れるかが心配の種でした大教会では月日より月日最終日のおつとめ学び総会の迄の泊日で笠岡むつみ鼓笛隊中で親神様教祖祖霊様そして春季合同合宿が開催されました総会参加者の前で御供演奏をさせてこれは毎年この時期に笠岡に頂いた時は当初の不安も感動に繋がる鼓笛隊が一堂に集まり合宿変っていました練習を行なうものです今回の合宿も大勢のひのきしんの月日といえばまだまだ朝晩方に見守られながらの合宿で特肌寒く大教会の桜もさすがにつぼに食堂ひのきしんの方には毎食子みをしっかり閉ざしておりました供達においしい食事を作って下さりそんな時候の中今年の合宿は始ま有難うございました又それぞれりました参加者は本隊より名に忙しいスケジュールをぬって顔を福山隊より名高屋隊より名出して頂いた係員の皆様にも御礼申島根隊より名計名の方が隊員し上げますとして参加して下さり又係員の今年もまた夏の子供おぢばがえり名を含めると総勢名の方が今回のに向けて各隊の練習がスタートしま鼓笛合宿に参加して下さった事になしたこれから鼓笛隊に入りたい方りますがおられましたらぜひ各隊の方へ内容はテーマソング夏に飛び連絡を下さいどこの隊も首を長く出せ教祖年祭の歌の習得して皆様のお来しをお待ちしており室内オリンピック等と昨年と大きますな変化はありませんでしたが今年本隊隊長今川昌彦少年会おつとめまなび総会を護を頂く中五百名を超える多勢の参加を頂いてにぎやかにつとめさ盛大に開催せて頂きました育成会長様大教会長様の御臨少年会団長中島誠治では去席を頂いて午前九時三分より雅る四月二日年一度の総会を大教会楽奏上の中おつとめ衣を着用した神殿で開催しました心配していま各ブロックの代表の少年会員が祭した天候もお陰により好天のご守主扈者賛者指図方と緊張しながらもおちついて真剣につとめる事が出来ました引き続き座りづとめから十二下りのおつとめを各下りごとに交替して陽気につとめ各ブロックごとにこの日を目指して懸命に練習してきた成果を親神様教祖に御覧頂きましたおつとめまなびの後総会式典では育成会長様より御祝辞を頂きおつとめをつとめさせて頂く事の大切さを皆に分かりやすくお話し下さいました全員により少年会員の誓いを力強く唱和した後わかぎ門出式が行なわれました今春中学を卒業する二十三名の少年会員が一人ずつ呼び出され記念品を贈呈団長よりお祝いの言葉を頂き学生会青年会女子青年への引き継ぎが行なわれました神殿では最後に鼓笛の御供演奏が行なわれ合宿での練習の成果を見て頂こうと一生懸命演奏する隊員の姿に会場から大きな拍手が贈られました昼食には前日から大勢ひのきしんして下さった婦人会の方の心のこもったカレーに大喜び午后からのおたのしみ行事では今回初めての試みとしてマジックショーを開催致しました教内で活躍中のマジシャンを山口県よりお招きして前日から準備して頂いたアートバルーンとマジックショーは大いに盛り上がり喜びの中に今年のおつとめまなび総会を無事終えさせて頂く事が出来ました開催に当りお世話取り下さいました方に心より御礼申し上げますありがとうございました少年会副団長北川治史幸せとは幸せって感じる心これだけ満たされたら満足するということはおそらくないでしょう人間って欲張り欲の心に際限はないんですから幸せって物や金地位や名誉でつかめると思いがちですがどうやらそんなものが幸せの条件でもなさそうですごくなんでもない道端の草花を見て毎日の快食快便にああなんて幸せなんだろうと感じられればそれにすぐる幸福はないんじゃないでしょうかいま在ることに幸せって思える感性そこから幸せ感はどんどんふくらむことでしょう天理教ホームページより談話室出会いその一神村分教会前会長下田輝夫昨年十月秋季大祭の佳日に長男が教会長任命の御許しを頂き四十年五ヶ月つとめさせて頂いて前会長となりました四十年と云へば長い筈ですが過ぎてみると本当に早いナー短いナーと思えてなりません私如き者が長年勤めさせて頂く事が出来ましたのは素晴らしい人との出会いが有ったからこそですそれは今から五十数年前の事になりますが私の想い出を綴りますので我慢してお付き合い下さい私は中学は是非天理中学へ入りたいと思って居ましたが戦前の物の不自由な時末っ子で親にとっては可愛いかったのかひもじい思いをさせたくないから家から通える学校へ行けとの事で福山の盈進へ五年通い卒業も近くなった或日上級の会長様から今なら天理の学校へ入れるがどうするかと云はれ即座に行きたいと返事をして手続きをして頂きました戰後の学制改革で六三三制が施行された時です中学五年をもう一年行けば高校卒業となる時に新制天理高等学校三年に転入一年間お地場で勉強させて頂き天理高校第一回卒業生の一人とならせて頂きました当時笠岡部内で男子では陽備分教会前会長虫明昌平さんと私の二人だけでした今考えてみますと第一回と云う貴重な時によくぞ卒業させて頂けたものと改めて感心して居ます第一の出会いはこの一年学生寮で同室になった同級生の木船さんと云う方ですとても真面目で親切で頭が良くて優しくて心のひくい正にお道の人でした何も知らないわからない私に色教えて下さり又色な所を案内して下さりお道の素晴らしさを次とわからせて頂きました学生であり乍ら毎晩本部の夕勤めに参拝し教祖殿御用場でのお手直し毎晩二下りずつ私はここでおてふりを覚えました教祖の御前で十二下りを学ばせて頂き他で習った事は一切ありませんこれも木船さんの御陰です探し求めてもこんな素晴らしい人とは出会えないと思います私にとりましては此の上ない有難い人であり此の人こそ私の理の親と云うべき人と思う程です色教え導いて下さりたすけのだいと云う本の柳井徳次郎先生神殿お助け掛として北礼拝場の北東の隅に有りましたお助け所でのお話もよく聞きに連れて行って貰いました今思えばなつかしい想い出です木船さんは山名部属浜松分教会所属の布教所でしたが七十年祭の頃教会になり母親の後を継いで二代会長になられましたが数年前出直されました私にとりましてはかけがえのない大事なく人でした今でも当時の御恩が忘れられず盆暮と御命日には細やかな気持をお届けして居ますせずに居れない尽してもく尽し切れない程の大きなものを頂いて今日の私があるのです木船さん本当に有難うございました感謝感謝錦備分教会長室悦子テレビの天気予報があさって月日は雨だと告げていた雨か祭典の日に雨が降る様ではダメですたとえ雨が降っていてもこの教会の上だけは晴天のご守護をいただく位の信仰をしなくてはいけませんキッパリ言い放つ巡教の先生のど迫力と信仰信念に子供ながらに強い衝撃を受けた時の事を思い出しながらいったい何を反省させてもらえば良いのだろう次の日目覚めた時少年会員だった頃親の恩について教えてもらった事を思い出した朝目が覚めてから一日の行動を考えて親から受けている恩について考えてごらん雨露しのげる家で暖かい布団で一晩安心して休ませていただけたのは親のおかげもし家や布団がなかったらダンボールや新聞にくるまって寝なあかんでひょっとしたら野犬におそわれるかもと思ったら安心して寝てられんやろ歯を磨いて顔を洗えるのも歯みがき粉を買ってくれて水道代を払ってくれる親のおかげ暖かい朝ごはんを食べられるのも皆が寝ている間に起きて朝ごはんを作ってくれた親のおかげ洗濯してもらった服を着れるのも親のおかげ洗濯してもらえなかったら毎日同じ服を着て学校へ行かなあかんでそしたら皆から臭い近寄るなと言われなあかんでちょっと考えただけでも数えきれないほど恩があるやろそしたらその恩を返して行くのが人間の姿なんやで皆は小さいから働いて親に今月お世話になったお礼ですと言うてお金を渡すわけにはいかんやろ朝起きたらどうしたら恩が返せると思うそしたらニコニコしながらおはようございますと元気にあいさつする事ああ今日も元気やなあと親に安心してもらえるやろ反対にねむたいからムスーとして何も言わんかったらどうしたんかなあ体調悪いんかなあと心配かけるやろそれは恩をあだで返すことになるんやで朝ごはんでも今日もおいしいわーありがとうと言って食べたら朝起きして作ってくれたお母さんもうれしい気持ちになるやろつまり今の自分にできる恩返しとはどうしたら親に喜んでもらえるかそれを考えて行動する事なんやで今の私に足りないのはこれだ会長就任奉告祭を迎えるまでにどれだけ多くの方にお世話になっている願書を作成して下さった先生視察に来て下さった教区主事先生加古支部長さん講習会でお話し下さった先生方講習課の方おつとめに手が足りなかったら応援に行かしてもらうで足りない物があったら調達してあげるでと声をかけて下さった先生方こんなに多くの方の暖かい心を頂戴しながら日がせまっているのにあれもこれもまだ出来ていないと感謝するどころかあれはどうなっているのと聞かれると心の中でそんなことは後でも間に合うからこっちを先にしたいのにと不足心を使っていたなあ教会や私の事を思えばこそ言って下さっているのに申し訳なかったと心からおわびしたそして当日明け方少し雨がぱら付いていたけれどこの雨がなかったら作物も育たないしありがたいなあなんだか全ての事がありがたくもったいないうれしいなと感じることが出来たおつとめの頃にはパーと明るい日差しが差して来て神様が今日のこの日の心を忘れないようにと言って下さっている様な気がして涙があふれて止まらなかった何事も一生懸命させてもらおう足りない分は神様が足して下さるのだからと心に決めた日でしたどうぞ皆様これからもよろしくお願い致しますモスクワサンクトペテルブルグ演奏会に参加して大教会岡本久善エミルタージュ美術館での膨大な数の美術鑑賞を短時間で了えたのち専用バスにて夕食へと向うその途中港へ寄り思いも掛けぬ船を見学させて頂く艦名はオーロラ号何んとも優しい名前の軍艦であるこの船は日露戦争時日本海戦で東郷平八郎元帥率いる日本連合艦隊との戦に破れロシアまで逃げ帰ったバルチック艦隊の内の一隻現存する唯一の艦とのこと早速記念写真をフラッシュを焚いて撮る港に係留され記念艦として展示されてある戦に破れどの様なルートで帰ったのか乗組員の当時の心理等誠に興味深いが暗いのと時間が艦内見学を許さない外装は立派で古さを感じさせない現在でも通用すると思える位のスマートさを持つひょっとすると第二次大戦にも改装して使用したのではなかろうか市内のレストランの一室で何時もの様に石川社長おごりのワインとビールを頂きながら豪華な反省会を兼ねた夕食会となるその話の中の海外危険情報を一つ今日広場散歩中の好川氏荷物担当職業弁護士の先生である写真が趣味で大変良く動かれる夕暮れの王宮前広場で被写体を求めて歩いている時前を歩くロシア人が透明のビニール袋を落とす落し物ですよと声を掛けるが去ってしまう良く見ると米ドルが千ドル以上入って居るこの時あっ例の詐欺だと好川氏は気付いたので現場を離れたとのこと世界中観光地の何所にでもある代表的なケースこの後この袋の中身に気を取られたり中味のドルを計算したりしていると第二の男が登場し二人で山分をしようとなり拾ったくと喜んでいると第三の男落とし主が第二の男と登場し落とした金額が二千米ドルと云ふことになり第二の男と五百米ドルずつを支払うこととなる金を持って居ると見ると大変な金額を要求する第二の男はサクラである海外の観光地には沢山の危険が潜んでいる私もスリヒッタクリ等何度も目にしました昔親しい先輩がルーブル美術館でミリを撮影中持っていたポーチから現金トラベラーズチェック等全て盗まれたことがあった今日の様な知能犯的犯罪も増して居る困ったものであるロシア滞在の長い曽山氏も又度大変な出来事に遭遇したとのこと特に日本人は中央アジアの人と似ている為反政府組織テロ集団のメンバーと勘違いされて警察に拘引され長時間調べられる等沢山の苦い経験の持ち主でもある何ごともなく過ごせて何よりである明日はサンクトペテルブルクの街との別れの日である早朝の出発に備へて老人二人は今夜も早に床につく少疲れも加わり相棒のイビキが気になるがすぐ休むことが出来る翌朝五時心地宜い目覚めで朝を迎えることが出来六時には広いロビーの片隅のソファーで皆んなを待つその間空港までのバスの中での朝食が配られるパン野菜ハムジュース等十分だ車中で朝食を取り八時五十分日の出前モスクワへ向けて飛行機は離陸一時間少にてモスクワに着く空港よりバスにて例の白樺の林の中を走ること一時間市内中心部にあるコンセルバトーリャ音楽院に着くこゝは演奏会場でなく曽山田中両氏の大変工夫された点で昼食会場である曽山氏の友人を介して頼んで頂いた学生用の食堂である安価で栄養価に富んだ代表的なロシア料理を頂くことが出来たこゝでの食事を済ませてドラマ芸術学校に移動こゝが最后の演奏会場である市内中心部ながら大通りから一筋入った人通も少なく閑寂を感じる場所であるこの劇場は世界各地から演奏家だけでなく工芸家画家等種な芸術家の集る所のようでホールは大中小ホールを備へ入口横は広いスペースの展示場となって現代画家の絵画が展示されてある我は楽屋と云うか控室に荷物を入れ大ホールにて会場の準備をする劇場側から担当のロシア人の方が曽山田中女史の通訳にて照明音響の調整や舞台の位置設定等芸大卒の中沢君と相談しながら整えられる斯の如く会場は多様な演奏に応えられるようフロア様式で舞台はなく客席もフロアから椅子席中二階二階三階と三方から鑑賞出来るオペラ劇場の舞台が無い状態を想像して頂ければ宜い我舞楽を舞うのには都合の宜い会場であるヨーロッパはオペラが盛んで各都市にオペラ座があり舞台の下に楽員が入って演奏する為客席に近い所が傾めに上向ているその為狭い舞台では舞人がよろけることがよくある流麗にして勇壮に舞う若き多古浦分教会長二十五年前イタリアの小都市のオペラ座では度よろけたことを思い出す最近は酒を召して度よろけると耳にするが体に注意し信者さんの為に頑張って下さい会場準備が早く出来た為前日の注意事項を守って二時間少の自由時間だ皆三三五五に別れて市内の見学だ私も老人組数人で近くのカフェに入り四十ルーブルでコヒーを頂く窓越しに道行く人を眺めているとお前も年取ったナー二時間もあればもっと歩いて見学しろーともう一人の自分が言っている若い時は飛行機乗継ぎの時間を一人でアムステルダム市内観光をやったこともある年だけでなく寒さが左足の筋肉に痛みを起し長時間歩くと痛むので座ることが多くなるゆったりと時間を過して会場に帰りリハーサルに入る今日が最后の演奏会であり有料の入場者である入場ロビーではパンフレットも売られてある表に日本の秋と日本語で印刷され京都の山荘の写真が小さく入れられ中は源氏物語の墨筆をベースに行事日程内容等がロシア語で印刷雅楽の説明天理教の紹介された立派なパンフレットである入場料は日露友好協会の収入となり友好協会の女性がチケットとパンフレット本等の販売をされ入口附近のロビーは華やいでいる入場者三百四百人位午后七時曽山氏の流暢なロシア語の説明と友好協会会長の挨拶で始まり管絃三曲と楽器紹介龍笛の紹介の時住田君がモスクワの夕べを独奏すると大変な拍手と歓声を頂く続いて舞楽蘭陵王名曽利の二曲で終る予定がアンコールの要求に長慶子の三度拍子を奏すがアンコールの声止まないのでもう一曲奏す止まないがこゝで終りとする中沢君の今日は宜かったの一言に楽長藤井先生も満足そうである在留邦人の人が荷作りをしている楽屋まで御礼を申しに来て下さり感激する以下次号に続く昔がたり昔の遠い記憶になってしもうたなわしが宣教所長に任命されたのは昭和十五年三十二才の時じゃったあの時三代会長上原繁雄先生が津山までおいでんさってなお前所長になってくれんかわしゃびっくりしてな夜中まで押問答が続いたんじゃ返事をせえと云われてもよわったなあと思うだけで考えがまとまらんわしゃ別の部屋へ行って頭をかヽえとったと突然どこからかお受けせえお受けせえという声が聞こえてきてなこりゃ受けにゃなるめえとその旨三代会長様に申し上げたら喜こんでくださってな早速奉告のおつとめをさせてもらおうということで拍子木が三代会長様そりゃ当然じゃが数取はお前がやれと云われ又びっくりじゃ役員さんや年上の人が居るのにと思うたがやれと云われたんでハイと云うたなもう恐縮してしもうたがつい先日のような気がするその当時津山から笠岡までは今と同んなじコースじゃが何しろ時間がかかったなこ一日かかったような気がする津山から岡山までは中国鉄道ガタコンゴタコンのんびりかけるんじゃけえな三時間位はかかったんじゃねえかな岡山から笠岡までは山陽鉄道で二時間位はかかったんじゃねえかな笠岡へ着いたら井笠鉄道軽便とも云うとったひと駅でくぢば駅でここで降りりゃ近かった井笠鉄道は昭和四十年代前半まではまだあったように思うがな昭和二十年の終戦後のある時じゃった一人で笠岡まで自転車で帰ったことがあってな当時の道は今では考えられん道じゃった若かったけえ出来たんじゃが二度と帰ろうとは思わなんだ今はどこまでも舗装されてスイスイじゃがあの頃は石ころだらけの悪路悪路で山登りの道ぐれえ悪かったなあ岡山の街並を抜けて津高町をぬけりゃ辛香峠へさしかかるんじゃこの峠が大変じゃった今はトンネルでスポンと抜けられるけえどなあ峠を降りた所へ池があってなひょいと見るとカメが居ってなこりゃ子供の土産になるぞと思い捕えて帰ったことがあったその池は今でもあるぞなもう一寸昔ばなしをしてもよろしいかな昭和の初期の頃までは月次祭の前にゃみくにの舞いう舞を舞うて祭典を初めとったんじゃ長ごうは続かなんだと思うみくに御国と書き皇国の意である現在でも格式の高い神社では舞われている舞のことだろうか朝夕のおつとめの前に祝詞をあげとった掛巻くも畏き天理大神の御前にという祝詞じゃったこれは昭和二十年で中止になったと思うがな月次祭の前にゃ朝風呂に入って身を浄めてとりかかっとったが正直云うて面倒くさかったなこれも昭和初期の頃までじゃったような気がする昭和二十年頃までの月次祭にゃ衣冠束帯でつとめとったがこれもいちいち面倒くさかったな朝夕のおつとめにゃ羽織袴をつけておつとめをしとったせえでおつとめの後のおてふりまなびにゃいちいち羽織をぬいでな昭和二十年代半ばまではそうやっとったと思うけえど教会によっちゃ遅くまでそうやっとる教会があったんじゃねえじゃろうかこうやって話しゅうしょうりゃついきのうのような気もするけえど考えてみりゃどえりゃ昔の話しじゃなわしも九十五才になったけえど教祖がな一一六才まで長生きさせてやろうといわれてなハハハハまだまだこれからじゃ九十五翁より聞きし話鶴山分教会前会長中島宇一こころの詩養徳社発行陽気誌四月号道柳より転載今回の課題は進選六十句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会長夫人田林美智子ランドセル光りて進むご神苑病喜録のうた東濱十三雄今日もまた父母の遺影が笑ってる陽気ぐらしをうながす様に鏡見て笑うレッスンしてみれど口は笑うが目は無表情春風に逆いもせず流雲里の騒音聞き流しつつ川柳言油木分教会黒瀬修弍をやの道言うて樂しむ道でなし言う程に出来ぬ己の恥かしさ言い過ぎてやり場なき身の理の思案言わずとも誠伝わる理の世界よき事を言えばよくなるふしぎかな自分の心は使えても人の心は使えないあれもしたいこれもしたい何でも思い考えることはできます自分の心は自由に使えますが人の心はその人の自由ですから自分の思うようにはなりません我を通せば衝突するのは火を見るより明らかでしょう神様は親子でも夫婦の中も兄弟姉妹もみなめいめいに心違うと私たちの使う心はみな違うのですから自分がああしたいこうしたいと思うのは勝手ですが人にああしてほしいこうあってほしいと思えば思うほど自分の不足心を増幅させる結果になりかねませんね天理教ホームページより青年会笠岡分会総会当たり前のように生まれ育ち暮らしている私たち思えば私たちにおかけ下さる使命は果てしなく大きい笠岡につながる天理青年よ今こそ集え迷うことも疑うこともなくただひたすらにをやの期待にこたえ世界勇ますあらきとうりょうの若き力を結集しここに勇み立ち成人の道を共に歩もうではありませんか開催日時月日日時受付時おつとめまなび式典午后にをいがけ時解散予定携行品おつとめ衣にをいがけが出来る服装おつとめ役割座づとめ笠岡分会委員淺野明教よろづよ笠岡分会委員一二直轄森本正典三四福山ブロック五六久松ブロック中村真人七八髙屋ブロック九十上下府中市高田一弘十一十二島根ブロック淺野明教藤井保人瀨良昇門脇裕教第回ひまわり大会婦人会笠岡支部ひまわり会期場内対間所容象平成年月日金午後時半受付時開会時半解散神殿よろづよ八首支部長様挨拶会員感話講話高屋分教会長ひまわり会対象者青年会別席伏込ひのきしん団参いざぢばへ老若男女問いません年祭に向けて仲間とともに集合月日午前時半笠岡詰所玄関前広場お問い合わせ青年会笠岡分会輸送部森本正典各ブロック担当者島根本田正悟直森本正典久松中村真人福山平盛尚樹上下高田一弘高屋瀬良昇府中市山田睦浩縦の伝道講習会とき平成年月日火祭典講話ところ大教会内容少年会本部委員による縦の伝道についてのお話こかん様に続く会日時内容対象受講御供携行品平成年月日土午前時分出発日日午後時到着予定月次祭参拝別席基礎講座参考館支部長様お話お楽しみ行事他歳前後の女子青年円基礎講座他は別に頂きます宿泊セット別席を受ける人は席札を忘れないようにお願いします各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目門脇元教大教会役員島根分教会長三代幸米府分教会長下田孝德行縢分教会長吉岡誠一郎興明分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい名ヶ所名名名なし初席教会数おさづけの理拝戴修養科修了検定講習前期修了検定講習後期修了人づくり集計月末三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には暖かく果てしない親心と御守護により日は結構に恙なくお連れ通り頂き誠に有難うございます特に今は厳しかった寒さもようやく緩み日毎に春の暖かさを感じるようになり梅の花が咲き誇り鶯の声も聞かれる季まなびやお節を迎えておりますそんな中子供達は一つの学舎を卒え卒業証書を誇らしげに見せる姿を通してけなげにもたくましく育っている喜びも味わわせて頂ける事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら一方で子供達を取り巻く大人達の環境はお金以外の信ずるものを失う等益混迷の度合いを深めております事は誠に申し訳なくお道にお引き寄せ頂いた私共はご恩報じを念頭に後に続く子供達の時代が少しでも良くなる事を願って日たすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てとお教え下されたおつとめをつとめる定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめ手をどりをつとめて三月の月次祭を執り行なわせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集い相共に声高らかにお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向けて三年千日と仕切っての成人の歩みを仕上げの年に相応しいものとさせて頂くべく一月は直轄教会へ二月三月は部内教会へと巡教させて頂き全教会一名以上の初席者を御守護頂こうと改めて誓い合わせて頂きました併せてその実現の為のみならず諭達に込められた親の思いに応える為には全よふぼくが一丸となってたすけ一条の成人の歩みを進める事が大切とお互い励まし合い力を合わせて行く事も申し合わさせて頂きました又卒業進学就職等大きな節目を迎えている子供達に本部や大教会で開催される色な行事の参加呼びかけ等を通してしっかりと声を掛け道の後継者育成を目指し丹精させて頂く所存でございます何卒親神様には旬にお掛け頂く親の声を頼りに力の限り成人の道を歩む皆の誠真実の心をお受取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜わり親の思いに近付く人が弥増し互い立て合い助け合う陽気づくめの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます軒回件ヶ所実践項目集計月百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい春季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家御先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊大教会草創の頃より歴代会長と共にご苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます祖霊様方には親神様教祖のお見定めを頂かれ早くからこのお道に引き寄せられて真実の親を知るや私利私欲を忘れ御恩報じを願う上からたすけ一条の上に生きの限りに勤め切られました今日お道の結構な姿をお見せ頂いておりますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜でありますが又一つには御霊様方のそうした誠真実の伏せ込みのお陰と朝夕御礼申し上げると共にその意志を受け継ぎ親心にお応えすべく日はたすけ一条の上に邁進させて頂いておりますその中にも本日は春季霊祭を執り行う定めの日柄でございますので只今はおつとめ奉仕者一同親神様の御前にて手おどりをつとめさせて頂き引き続いて御霊様方の御前に参らせて頂きました御前にはゆかりある人が寄り集い海山川野の心づくしの物を供え奉り在りし日の面影を偲び御遺徳を称えて御生前の御苦労に改めて御礼申し上げたいと存じます何卒祖霊様方には皆の心を御心安らかにお受け取り下さいまして道の弥栄えは申すまでもなく教祖百二十年祭に向け仕上げの年にふさわしい成人を目指してたすけ一条に励む家人達の上にも御心放たずお見守りお力添えを下さり年祭のこの旬に親神様教祖にお喜び頂ける成人が果たせますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます内容字数寄稿先大教会だより教会指令任命願錦備分教会前任室新任室喜久子悦子奉告祭承認坪生分教会前任掛谷富子新任掛谷宣和奉告祭承認真金分教会前任猪原縷理子新任猪原啓文奉告祭承認教会長資格検定講習会修了者後期終講芦常原啓道前期終講海松ヶ岡渡辺和善革命はコミュニケーション革命あるインタネット企業がテレビマスメディアに革新を起し是からは低価格のブロードバンド高速大容量通信サービスでネット放送を実用化するようになりテレビは情報技術型テレビになると言っている一方的な現状メディアから双方向の対話や交流が主体となる通信と放送の融合であるテレビは居ながら世界の情報を見る事や情緒的なドラマが心を癒してくれるのに慣れ親しんだ団塊の世代の私の連ドラのフアンも熟年層と言うのも理解できます一方では自己指向情報を四六時中幾通りも検索しその必要な情報が探せるのである特に隠密裏に出来るのが最大の魅力であり逆に最も危険な事が隠されている場合も有るのですお道が起した革新それは時代背景が士農工商の頃に世界は一列みな兄弟姉妹や他人と言うは更に無いぞやである世界陸地ろくぢに踏み均すと説いた教えは時の政府や高官には許し難き事であったから弾圧を加えられた事は教祖伝にある教祖は身近な所から始められたので五年掛けられたその後からが実際の広まりで人から人へと確実に伝わったそれも時間が掛かった今利用すれば瞬時に世界へ発信できて質問回答などの意思伝達が誰とでも無差別に交換できる利点があるという反面誹謗抽象や攻撃もあるのですその為に犯罪の横行も事実です本当に必要なことは利用する側の心が誠実でないといけない世界兄弟姉妹の意識があれば人を騙す事は無いし便利な物をより快活に利用する事こそ陽気暮らしに向かう事でありそれを伝え広める手段の一つの方法であるべき物で無ければ成らないのですこれからの教会はつながりが道なんて言う事に成るのでしょうかヒコ