
『かさおか』第44巻 第1号
北西より称念寺橋を望むをやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次立教百六十八年の初春のお慶びを申し上げますばなりません確かに昨年までは実動する事が目的であったように思いますしかし親の思いが届いてこそ実動の意味があるならば実動によって実を上げる必要がありますその為に本年は全教会昨年は大変御苦労様でした教かせ頂きますが大自然の営みの一名以上の初席者を御守護頂こう祖年祭活動の二年目という事で一中に生かされている事を忘れ我を申し合わさせて頂きました一年目に増してより勇んで三つの実身勝手に生きようとする全ての人名でよいのではなく一名以上であ践項目の実動に力を注いでまいりに対する警鐘と思案できますそりますその為にはよふぼく一人ましたお陰で十一月二十八日のして十年前と昨年とちょうど年一人が洩れなく初席者一名を御守別席伏せ込みひのきしん団参には祭の旬に起こった事を考えますと護頂く心定めをしなければ実現致千名を越える方に参加して頂きよふぼくの成人の鈍さに対するもしません求められているのは教大変勇む事ができました改めてのと思案する事も出来ますとい会の成人ではなく全てのよふぼ皆様の御丹精の賜と御礼申し上げうよりむしろそう思わせて頂かなくの成人であります仕上げの年ますしかしながら一方ではぢければならないと思いますに相応しい成人めざし力の限り勤しんをふかぜ水つき等の天災にさて本年は年祭活動の仕上げのめ切らせて頂きましょうよって多くの方が被災されました年でありますよふぼくの成人が長誠に痛ましい事でありますこれ求められているこの旬に何としてわ月日のざねんりいふくとお聞でも親の思いに応えて行かなけれ上原理一表紙のことば昨年本誌の表紙は初代様の遺品を掲載させていただきましたが本年は上原元子さん大教会長様の長女が初代様縁の地のデッサン画で飾ってくださることになりました称念寺橋袂浜側東詰二軒目初代会長上原さとが舅姑上原佐吉八重の元へ身を寄せた明治十九年六月佐吉八重さとの長女光が暮らしていた借家である取材の為吉岡輝昭さん上原元子さんと暮れの十二月二十九日現地に佇んだ曇り空で冷たい風が肌を刺すそんな日だった初代が大阪二軒茶屋の住まいを引き払って堅い決心のもと笠岡へ帰って来たのは六月だった梅雨時分多少肌寒い頃だったのだろうかこの橋の下を流れる隅田川の水嵩も毎日の雨で増していたかもしれないその日雨が時折パラついていたかとも思う初代は帰るや翌日姑八重の出直しを看取っているいかに堅い決心のもとの帰郷とはいえ悲しかったであろう木から落ちた猿という言葉がある最近の猿は路上でも悪戯をするが猿は樹にあってこそ本領を発揮する備後屋佐助通称備佐は大阪で屈指の畳表問屋であったその大店の御寮はんもこの時は木から落ちた猿であったまさに上原家のどん底だった初代は生活の為小間物屋を営みながら上原家の来し方を振り返り遺された年寄佐吉と幼子光当時七歳を見ながら万感胸に迫る思いがあっただろうそしてその中じっと親神様の思惑の現れを待っていたと思うお言葉に落ちきった水は上がるよりないとお聞かせ頂く葬式その後の片付けと人は遠慮していたが一週間程して旧知の神保マンさんが挨拶に来た世間話の後帰る間際となって初代が尋ねた正兵衛さん達者かなマンさんはその一言で目に涙を浮かべて主人の正兵衛が持病の腹痛で困じ果てている事を話した初代は即座にマンさんに御供ごくを与えた帰って正兵衛さんに頂かしなはれ私はここで教祖にお願いしとくから神保さんは誠に鮮やかな御守護を頂いたあまりに鮮やかだったので噂は口から口へと伝わりお助けを願ってくる者が後を絶たなかった上原家では小間物屋に手が回り兼ね店番の光はお母はんおらんからお代適当に置いて行ってと言うのが常だったという初代は連日早朝から夜遅くまでおたすけに笠岡の町内は言うに及ばず近在の村金浦吉浜茂平有田追分富岡横島を周り席の温まる間もなかったの道あけであるよく父親が話していた機会チャンスというものは前髪しかあらへん通り過ぎてからはどもならへん初代は見事にガッチリと親神様の思惑チャンスをしっかりと手中にした初代は上原家のどん底で世界救けの一条の道があかあかと見えたに違いない私は年を経てずいぶんと変わったであろう称念寺橋の姿とその周辺を見ながら金浦吉浜をはじめ広島県境の村に近くまた笠岡町内をはじめ町の東北の村にも道が通じているこの場所はお助けの拠点として格好の場所だったのではと思った笠岡は歩いて歩いてついた道初代の言葉である史料部長上原繁道世話人神殿講話十二月月次祭元を振り返り救け一条の心定めを島村廣義先生してきた日を振り返られ三年目に向かう最後の年を迎えるに相応しい二年目の通り方であったかどうかご反省いただきたい年祭の意義過去二年を振り返って教祖百二十年祭三年千日活動第一年目の昨年は本部巡教地方講習会をもってよふぼく一人ひとりに諭達の趣旨徹底が図られましたその思召を体して二年目に入り先ずはそのをやの思いを聞いて教会長先達よふぼくは如何に通るのかということで先達大会が開かれ実動にかかりましたしかし教祖百二十年祭ということで実際にその動きができてきたかと考えると燃え上がるような感触が今一つ感じられませんでした全教の動きからそう感じられるが故に十月配偶者役員同道で本部直属教会長をおぢばに集めたおやさと集会で両統領からいろいろとお仕込みを頂戴しました皆さん方も一年目から二年目に続いて通り越思い返せば教祖百年祭をつとめ終えて後道の動きが決まる上で責ある立場の本部員直属大教会長教区長に対して真柱様から次の百十年祭をつとめるかどうか問いかけられました教祖の年祭をつとめる元一日は子供の成人を思われる御親心から教祖が現身を隠されたという一点にありますですから教祖の年祭は旬が来たからするというものではなく年限仕切って何が何でも思し召される成人の実を上げて教祖にお喜びいただこう姿を隠されてまで成人を急き込まれた親心にしっかり応えようと私たちの側からのどうでもこうでもつとめずにはおれないという心からつとめるものです真柱様のお問いかけに対して改めて私たちの側から是非ともどうでもこうでもおつとめいただきたいと願うて百十年祭をつとめたわけです教祖百十年祭後の道程百二十年祭を迎える環境この教祖百十年祭をつとめて後教祖のご誕生二百年という節目を過ごし真柱の理が三代から現真柱様へと引き継がれました道の若きをやを戴き一手一つの前進よふぼくの奮起を促されて新たなたすけ一条の門出をしましたその中にかんろだいの事情という節を見せられぢば親神様に対する信仰姿勢を厳しく親神様の方から私たちに問いかけられましたまた前真柱様の奥様のお出直しという節をも見せられましたこの道の上に見せられた大きな節と世の中に見せられた大きな事情阪神大震災世界各地に起こったいろいろな争い事との立て合いの中に教祖百二十年祭が打ち出されるということになります教祖百二十年祭は正しくその三年千日おたすけということを促されていますおたすけの心の涵養と実践これが教祖百二十年祭への活動です入信の元一日の意義付け本部の秋の大祭の後真柱様は立教の元一日の中山家のご様子を台にしながら私たちの入信の元一日と比べていろいろと親心のほどを諭されました立教の元一日の中山家の事情は一家の中心たる人がそれぞれに身上をいただかれ寄加持でご神意を伺われますたすけてほしいと願われたその思いに対してのお言葉は何もなく下ったのは世界一れつをたすけるために天降ったみきを神のやしろに貰い受けたいというお言葉でこの仰せに対して夫善兵衞様は一身一家の都合を捨てて仰せに従う旨を答えられましたこれが一番最初に示されたひながたですひながたは私たちがそれを手本として実践実行して通るものなので立教の元一日に教えられることが即私たちの入信の元一日に置き換えていろいろと思案しながらその思し召されるところを自らが実行しなければ何にもなりません立教の元一日を私たちの入信の元一日に置き換えて思案しますとたすけ一条の道具として私たちを使われる親心があってしっかりその心を定めるようにと身上事情に知らされてお手引きいただいたことと思案します初代は如何にあったか私たちの初代はいろんな身上事情に徴を見せられどうにもならない苦しみ悩みの中からたすかりたい一心で親神様にお縋りしおたすけを願いましたその時初めて親神様のお話を諄と聞かせられこれまでの心得違いを諭されそれを心に治めて親神様の思召に添う心を定めてたすけられました教祖からたすけられて結構なら恩返しに人をたすけなさいと自分のたすかったことを人に真剣に話すのだとその方法まで解りやすく教えられて人だすけの道を歩むようになりましたたすけられたことのご恩報じの道としてたすけ一条の心を治めて通られたのが私たちの先人の道です今日の私達は如何にあるべきかなぜにをいがけおたすけか初代がならん中をたすけられたという元一日があっての今日の私たちです初代がたすけられた喜びにご恩報じの道を通られそれを代受け継いで通られたその人だすけの道の上に今日の自分達があるのですこれを思うと今日の自分が初代の報恩の心を受け継いで人だすけの道を歩いているかどうか思案しなければなりませんそれぞれがお道に引き寄せられた元一日を今一度思案し直しその心を今の私たちの心に治め直し初代の入信の元一日の心に立ち返るということが私は一番の急務だと申したいそれが根本になければにをいがけおたすけだ実践実行だといくら言われても力が出てこない本当に勇みの心が湧いてこないこの辺にもう一つ勢いを御守護いただけないモヤモヤがあるように思います今一度それぞれが道に引き寄せられた元一日に立ち返り自分の心に初代の心をしっかり治めそれを基にしてにをいがけおたすけに出るということが一番肝心です教祖にお喜びいただく一番のご恩報じはにをいがけおたすけであるということは道を信仰する者なら誰しもが分かることでしょうが年祭と仕切って三年千日活動を続けている一番のもとはそこにあるわけです如何なる道か大恩を報ずる道大恩忘れて小恩送るようなことではならんと仰せられますが小恩身上事情をたすけられたことを台として親神様の御守護を諄と諭されそれに報いようとする行為は大恩を報ずる道です真柱様は今日私たち信仰する者の多くは代を重ねている自分自身が身上事情をたすけられて入信した人でも年限が立つに連れて感激が薄れる身上事情をたすけられて良かったというだけでなく日の御守護を喜び感謝して通れるまでに成人する丹精することが肝心だと仰せられますがそうすることがお互いが大恩を報ずる道だと思案します私たちは親神様の造られた身体をお貸しいただき天地抱き合わせの親神様の懐であるこの世界に親神様の十全の守護をいただいて生かされていますかりものが分からないようでは何にも解からないかしものかりもののご教理が教えの台とお聞かせいただく所以です病んでみて初めて常日頃の身上健やかにお連れ通りいただく親神様の十全の御守護の有難さに気付きますが日当たり前当然のように思っているこの御守護こそ大恩です人をたすけに行くことがたすけられた親神様への一番のご恩返しだからと諭されしっかり人だすけに励むようと促されて大恩を報ずる道を先人達初代はみんな歩きました年限代を重ねたら元一日に立ち返ろういんねんのたましい神が用に使おうと思し召す者はどうしてなりと引き寄せるから結構と思うてこれからどんな道もあるから楽しんで通るよう用に使わねば成らんと言う道具は痛めてでも引き寄せると仰せられます親神様がそれぞれの魂をお見定めになり身上や事情に徴を付け手引きをして引き出されたのは急き込まれる陽気ぐらしへのたすけ一条の道具として私たちを使おうと思し召されたからだと教えられます真柱様は初代の人は不思議なおたすけに浴し段に教えの理も聞き分け成人するに連れて親神様の守護の有難さ教えの素晴らしさに対する確信も次第に深められたこれは初代の人に限らず長年信仰を続け代を重ねた場合にも言える三原典を何時でも手にでき教祖のひながたについても承知していて草創期の先人達とくらべて格段に教えに通じているはずのお互いが成人の鈍さ故に素直に思召に添い切れない神一条に徹し切れない姿がある教えを知識として解っていても本当に身に付いていない信じ切れていない教祖のひながたを取捨選択して自分の都合のよいように解釈したりするたとえ自分自身は身上事情に迫られずとも思召を自ら悟って行えるところにこそ年限代を重ねた信仰の価値がある自らの胸の掃除につとめ心を澄まして私たちに求められていることを真っ直ぐ悟り取れるようにそしてそれを素直に実行できるようになってほしいと仰いました改めてお互いにたすけられた元一日に立ち返りご恩報じの道を自分自身のものとしてしっかりたすけ一条の道を踏み行なわなければなりません今からでも遅くないそう言う意味で二年目は本当に大事な年三年千日の心定めが成るかどうかは二年目の歩み方一つにかかっていると年の始めに促されましたがもう二年目も過ぎてしまいました今からでも遅くありません一つ心を入れ直して三年千日の最後の年今よりも前へ前進した成人の姿を教祖に御覧いただきお喜びいただけ実践項目集計月るような姿をどうでもこうでも御守護いただいて年祭の年には教祖の前へ行きたいこんなふうに思います大教会長さんはどこの教会も一人以上の初席者を心定めて通ろうと神様に誓われましたこれは年祭活動の原点ですそこを台にして大きな成人の姿を御守護いただいて教祖の前に行けるよう踏ん張っていただきたい共にそれこそ命がけで歩んで年祭の日を迎えましょう以上要約百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所談話室上下分教会の元旦祭上下分教会田中勇立教一六八年の元旦は大晦日夜半の吹雪もやみ美しい銀世界で迎えた暗い中を新雪を踏んで参拝に向う信者さん達皆一様に喜として明るい顔少年会員も眠い目をこすりながら後につづくおめでとうございますの声に参拝場はにぎやかになっていくおつとめ準備三番太鼓とともに神殿へ急ぐ午前六時会長さんの手に合せて親神様教祖祖霊様礼拝祭儀式座づとめおてふりと順調につとめられ前半終了ここで会長さんの声次七八下り目は少年会員でお願いしますハッピ姿で待機していた少年会員が勇んで上段へ各役割につく後半開始毎月第一日曜日に練習していた成果がここに披露されるなかなか自信のつかなかった子も笑顔で座についている太鼓が得意になった子すり鉦小鼓も調子良くリズムにのっている拍子木チャンポンは各二人ずつ内三才の女の子もいるでにぎやか琴三味線胡弓もいい音で合せているおてふりも堂としている地方の子も自信をもって声を張りあげている一手一つ皆それぐに真剣につとめて八下り目おわり参拝された方から感動と賞賛の拍手折から初日の出の光が神殿に映える九下り目から大人に変るこういう形の元旦祭をつとめるようになったのは一昨年からで後継者の育成をとの大教会長様のお言葉を頂かれた会長さんが奥さんと相談の上毎月一回少年会育成おつとめ練習をつとめることにされ成果発表の場を元旦祭にされてからである昨年は七下り目のみであったが今年は七八下り目と一歩前進元旦祭後の直会の席で少年会員達は会長さんよりお年玉お年玉教材を頂いて四月二日のおつとめ総会笠岡に向けて決意を新にした御供の天場山分教会長仙田公男昨年教会長の御命を頂いてから賽銭箱を開けるようになりました前会長は月に一回か二回しか開けてなかったようですが私は頻繁に開けるようにしていますその理由は二つ一つは盗難防止の為大教会の賽銭箱と違い我が教会のは片手で持てる程の重さですからしかも神殿の玄関には鍵がありません金目の物は置いとかないのが一番二つ目はこれが重要であります亀田山の前会長は御供の封筒を開いてみるとその人の家庭の状況がよく分かると言われました就任早生意気な事を言うようですが私も何となく理解できますというのは我が教会の信者さんは少ないしほとんどが親戚関係ですから元家庭の状況はよく分かっているつもりですその人がまとまった額の御供をされたらこれはあのことのお願いだなと大体想像がつくのですしかし封筒に記名してあれば問題ないけど無記名だったり裸で御供えしてあるのは困りますだから私は頻繁に開けるのです日参されている方の御供なら大体分かるそうではない人が参拝された時は帰られたらすぐすそしてその人のこれからの運命をも暗示しに賽銭箱を開けてみる裸であってもこれはているのかも知れませんそこを読み誤らないであの人の御供だなさっき話しておられた事の御的確なアドバイスをするそれが教会長の仕事だ願いだななどと推測できますと常日頃思っています何も話されないのにまとまっこころの詩た金額が入っているとどういう意味だろうと頭をめぐらせますそれでも分からないと明日お下がり持って行ってみるかということになるのです信者さんの中には家庭で何か身上や事情が起こっても教会には話したがらない方もいるようですけれど神様には縋りたいから御供はされるそのお金にはその養徳社発行陽気誌一月号道柳より転載今回の課題は出選五十二句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠川島郷分教会前会長香取敏子荒道を通りて出来る理のさんげ佳詠東悠分教会長夫人田林美智子人の指紋が付いているその指紋出産の守護に感謝の初参りのを読み解くのですそのにはその人の過去から現在までの信仰態度がしっかり書き込まれているような気がしま病喜録のうた東濱十三雄歳末のあわただしさを感じつつ心静めて往診受けるわが父わが母木津和分教会松本悦朗父の晩年は木津和分教会二代会長であったが二十三年前七十九歳で出直した父は学問もなく本も読む人でもなかったしかしどことなく存在感があり我兄弟の中で口答えする者はいなかったしようにも出来なかったと言うのが正しいだろう大きな声を出すわけでもない理詰めで話すわけでもないがそれでも父は絶対者であったそれはおそらく厳にして優を体現していたからではないだろうか父の主なる仕事は農業であったが毎日朝は夜明けと同時に夜は月の明かりでと働きつづける姿は子供心にも正直な働き者だと思った今でも私の脳裏に鮮明にやきついている父が威厳を保ち頑固さを通せたのは母の存在があったからこそだったと思う不平不満をこぼさずただ家庭を守ることだけを楽しみに生きてきた母も十一年前に出直したやさしかった母の写真は今でも毎日私を見守ってくれている小走りの宅急便で此年も北海道の長芋届く何事も我があしきと自覚して振り返りつつ今年も暮れる川柳夢油木分教会黒瀬修弍行く先の夢を語れば成るふしぎ絶対者であった父が生前私に諭してくれたことがある一ツ職場には人より五分先に行くこと帰りは人より五分後に帰れ二つ酒は飲んでも呑れるな自分は控えめで人には勧め上手である方がよい私も間のなく古希を迎えるが今まで人生の教訓として納得出来る諭しであったと思っている自分も二人の息子ようぼくと四人の孫を持つ身であるが父から受けた以上の教えを時代に残すことが出来るかと自問するこの頃であるが日を感謝と報恩の心で子供たちに信仰の道をつなぐことが私の使命であると認識して教祖百二十年祭を迎えさせていただきたいものである諦めは夢を失う敗北者老いて尚夢追う若さ道求む先の道夢広がれば今日樂し安眠で樂しい夢は夜開く人生物語り一浪も嵐も思いかなわぬ泣くも笑うも笑らって暮らそう人の世の物語り胸次第一日を詩かくしん二会うも別かれも思いかなわぬ親から生まれた父さん母さん人の世の物語りおれだものありがとう三夜ありて昼のある人の世の思いかなわぬ物語り苦るしみの中をたのしんで喜ろこびの人生一代次の世にモスクワサンクトペテルブルグ演奏会に参加して大教会岡本久善荷物の積込等スムースに運び二十七日定刻十二時に遅れること五十分昔から古いとかボロとか聞いていたロシアの飛行機アエロフロート五七六便いざ乗り込むと他の国際線の飛行機と何ら遜色ない離陸した飛行機は機首を急激に上げ上昇続け間もなく水平飛行に移る飛行機は一路北方ウラジオストク方面に日本海を飛び続けそれより西に方向を変え上空一万メートルを西へくと飛び続ける天候は良く雲も少なく眼下に一面緑の山が飛び込み時に蛇行を繰り返すレナ川の上流域がまこと見て取れる真に美しい緑の原野だ所高い山頂が白い帽子を冠り冬の訪れがそこまで来ていることが分るこの美しい風景も共産主義崩壊より急速な商業経済の拡大は南米アマゾン流域の開発同様タイガと呼ばれる巨大なる森林帯も永久凍土の上に何千年も掛けて育った巨大な木は森林伐採によって斬り倒され無惨にも地肌を剥き出し跡に大きな湿地や水たまりが何十何百も出来ていると聞くその点とした水たまりから何億年も掛けて凍土となった大地からその凍土の溶けると同時に含まれる二酸化炭素を空気中に発生今日の人類最大の問題温暖化を押し進めていると聞くそんなことを思い浮べつつ又眠りに落ちていたしばらくして夕食の準備の音と客室乗務員の声に時計を見るともう夕食の時刻食べつけないパンサラダハム等をなれぬホークとナイフで平らげ又眠る良く眠る安定した気象状況が深い眠りを与えてくれた成田出発から十時間徐に機首を下げ降下を始めると窓から地上の燈火が点と見え始めるモスクワ郊外の街の灯りが拡大され建物が確認出来るともう着陸していた現地時間午后七時日本時間午后十一時それぐ荷物を分担し入国ゲートに向う少建物内の照明が暗いのは七年前旧共産圏を旅して経験ある私は別に皆んな違和感を感じているだろうと思う我日本人が如何に明るい照明の下に生活しているか痛感されただろうこれが外国での大変良い経験だと思うその明りの下入国ゲートに着き荷物の検査の為一般の人とは別のゲートに整列荷物と人と交互に列ぶと大層な列となる入国の人が我の荷物を横目にスイくと通り過ぎて行き十分二十分三十分と一向に検査が始まる気配がない若い人がブツブツざわぐとし始めるそのとき田中さんと云う美しい女性天理大学ロシア学科卒業現地旅行会社勤務が皆さん此はロシアです日本ではありません全てがこう云う国であると認めてもうしばらく御待ち下さいと説明して下さり落ち着いて時間を過すそのうち芸術担当検査官がやっと来たのは一時間を裕に過ぎたと思える頃でした待った時間の割には早く荷物の中身を見ることなく通してくれるかくして暗い照明の空港の外に踏み出す日本と異なり十月末と云うのに人は皆オーバーのエリを立てて荷物を持って歩いているバスの駐車場まで百メートル歩きやっとバスに乗り込む現地時間の夜十時前バスは一路モスクワ市内に向けて白樺の林の中を走ること四十分位でホテルに到着旧いホテルではあるが今迄経験したことのない厳しい警備を感じさせる屈強なガードマン五人が出入る人を注視している早に部屋に二人ずつ分かれて入り入浴を済ませて老人の私は床につく少暖房が足りない感もする毛布二枚翌朝早に目覚めた老人二人相棒は名東大教会の部内会長で私しより年は一つ若い大学の後輩であるしかし頭の髪は五年から十年先輩で貫禄がある時計を見ると朝五時ゆったりと洗面を済まし窓の外を眺めて居ると彼は携帯した湯沸し器でコーヒーを立ててくれ二人で頂いていると私の友人他大教会の役員の子弟で現在実業家石川氏が眠れないのか訪ねて来て下さり三人で街の散歩に出掛ける未だ暗い中石川氏の案内で喫茶店に入り日本語とヂェスチャーでアメリカンと菓子を注文出て来たのは大変大きいカップのコーヒーとそれにも増すクリームパフェ四苦八苦しながら食べホテルの朝食に間に合うよう帰る未だ日は昇らない七時三十分朝食を済ませてサンクトペテルブルグに向う準備をしロビーに降りると例の警備員が厳重に目を光している九時ホテルの前にバスが来ているとの事で外に出て見るが未だ薄暗い太陽は何時になったら昇るのかと気になる平原の中に位置するモスクワの街に日が昇るのは十時近くになってのことであったやっと北極に近いと認識すると同時に夏の白夜が理解出来るかくしてモスクワの街を見学することなく第一回の演奏地サンクトペテルブルグに移動の為昨夜降り立ったモスクワ空港に向うバスは郊外に出ると白樺の林の中を走ること一時間朝のラッシュ位で空港に到着する又機内持込に時間掛るかと思いきや意外に早く飛行機に乗り込むことが出来るサンクトペテルブルグ聖ペテロの町はピョートル一世によりロシアのヨーロッパ化政策を進める上で新らしい首都として創られたと聞く又街全体が屋外美術館とも云われ世界に二つとない街の風景は詩の旋律を思わせると聞く余りロマンチストでもない私も心の踊る思いで国内線に乗る皆も同様心の高まりを圧え二時間待望の街サンクトペテルブルグ空港に到着まさにヨーロッパの街並だ次号に続く明明鏡止止水おせち新しい年のはじめまして三年千日最后の打止めの年明けとなりました日は一日一日と過ぎて行くのに心の進歩はなかなかです我が教会からもおせち参拝の車が出ました私のまだ若く現役の頃鈍行の団参列車でいそくと参拝させて頂きました大きな餅切りを拝見してさすがおぢばよネェと感心したものでした翌寒い朝南礼拝場の広場に列をくんで並び御神酒を戴く迄が中でやっと御本部の先生からおとそを頂戴して次におせちを頂きに行くのです空いているイスを探して散らばって頂きました暖い雑煮のしかも得も云えぬ香ばしい香りに舌鼓を打って手を暖め暖め頂いたものでしたその頃我が教会の古老の先生方が現存しておマナられて切り餅の生を三四ヶ頂いて帰ってほしいと云はれました切り餅を配っておられる学生さんに無理を云ってすばやく袋に入れ戴いて帰りましたこの古老のおばあさんは初代で古くからこの信仰に入られた方ですほんとに熱心で近所あちこちに匂いがけをして下さってゐましたお餅をありがたさ一杯の姿で拝んで頂いて下さいましたこの餅をなアラレに切って干して大切にしまっておくのや近所に熱が出たりお腹が痛くなられた時などこの一粒を頂いて頂くとすぐになおるのやこの餅には親神様教祖の息がこもってゐるのやでと大変喜んで戴いて下さいましたその事が事実で大ていの方はなおられるのです腹から信じ切ると云う事は口では簡単ですがそれが中出来ないから道は中のびて行きません奇跡を頂けないのです初代の方は本当に真実だったのだなあと感じ入りお腹の中には只親神様教祖を信じる心一杯だからこの餅の一切でも御守護頂かれるのだなと私は感じ入るばかりでしたこのおばあさんの匂いかけられた方が数軒ありますが皆神様をおまつりして講社祭をつとめて下さっていますおまつりには一しきりこのおばあさんの話が懐かしくはづみます粗衣粗食で上手も云はず神様の理を話して之を頂くとなすぐなおるでの言葉通りすぐに良くなるのです昔は誠真実だったのだなあこんにち今日あたりを見廻してもこの様なえらい方は中お見かけいたしません考えれば後につヾく私達の信仰がにぶい本気が無い口先だけでは神様のおはたらきを頂けないのだ腹からしみぐと昔の方の偉大さにつヾかなくてはと思う今日ですようぼくをつくる丈が本意でなくて人を助ける人ようぼくが誕生して下さる事を願って運ばせて頂かなければ切ない教祖の御心に通じないのではないかよくを忘れ腹を空にして一歩一歩運ばなくては先達として教会を設立して下さった先輩の先生古老の方にも申し訳がないではないかうどん屋をしながら来る客にちょびりく話し又配達近くの病院を頼まれて一歩く足を引きづりつヽつけられた道の先達が我が教会にもいらっしゃるこの先達のあとをつヾけさせて頂く事こそ私達の任務だとこヽにしみじみ心深く誓はせて頂きおせちに依せてしたヽめました宮本おふさ第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目中村邦義大教会役員渡邉孝信神驛分教会長下田輝夫神村分教会前会長佐木滋郎福廣分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい立教年教会長講習会日時月日午後時半受付時開講日正午閉講場所笠岡詰所講師本部員表統領飯降政彦先生他外部講師名内容大教会長様挨拶講話飯降先生講話外部講師ねりあい時間対象教会長受講お供円受付で頂きます身上等でやむなく欠席の場合は必ず大教会長様に理由を連絡して頂くようお願い致します立教百六十七年十二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の広く大きな親心溢れる御守護とお導きのままに慌ただしく月日を重ねる内に立教百六十七年もあと十日を残すのみとなりました日頃の御高恩に御礼申し上げつつ今年一年を振り返ってみますと教祖年祭に向かう三年千日の二年目として昨年以上にをやの思いをにをいがけ内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそうとの思いを強くし全教会でのにをいがけおたすけ実修会や別席伏せ込みひのきしん団参等を通して三つの実践項目の実動に邁進させて頂いてまいりましたしかしながら成人を焦る気持ちからか思うようには実動に拍車がかからなかったように思いますそういう上からか今年は地震台風大水等月日の残念立腹と言われる天災に見舞われた年でもありました確かにオレオレ詐欺や幼児誘拐殺人等弱者に対してより残忍さを深めて来ている事に対してでもあると思いますがやはりよふぼくに対する不甲斐なさも多くに関係しているように思えてなりませんそんな中にもたすけ一条の上に不思議自由の御守護をお現し下さりお連れ通り下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございます只今から今年一年賜りました御守護お導きを改めて御礼申し上げさせて頂きたいと年末の慌ただしさを厭いませず寄り集いました道の子供達のお歌の唱和と相共におつとめ奉仕者一同喜び勇んで座りづとめてをどりをつとめて十二月の月次祭を執り行わせて頂きます皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は世話人の島村廣義先生にお越し頂いております教祖年祭に向けての成人の歩みが出来るのは後一年しかありませんその一年の通り方の指針としておぢばの声を聞かせて頂く所存でございますその上で今年一年を振り返り我が心使いや行いを真摯に反省し至らぬ処は改め良き処は更に伸ばすべく来るべき一年に向け新たな気持ちで成人を誓い合い全教会で一名以上の初席者を御守護頂けるようにをいがけおたすけの上に勤め切らせて頂く覚悟でございます何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りに届かぬながらも精一杯に成人の歩みを進める皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り一人でも多くの人の心を澄み切らせて頂いて明るく楽しく喜びに満ち溢れた年末年始を迎えさせて頂けますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます学生層育成者講習会日場講対時所師象月日月大教会月次祭おつとめ終了後大教会神殿深谷徳重先生学生生徒修養会部部長中野大教会長教会長先達よふぼくにをいがけおたすけ実修会要員研修会日時月日午後時分受付時開講時閉講場所講堂講内師大教会長様容講義別席についてにをいがけ実修ドリル対服象実修会要員装ハッピ着用立教年春の学生おぢばがえり趣旨道につながる学生が一人でも多くの友とおぢばに帰り集い真柱様のお言葉を心に治め教祖年祭に向けて今後の成人を誓い合うテーマ友とおぢばへ万人への決意を期日立教年平成年月日月内容式典午前時本部中庭真柱様お言葉直属アワー午前時笠岡詰所別席正午より受付後夜祭春まつり夕つとめ後東西泉水プール前広場参加対象高校生新年生を含む大学生短大生大学院生専門学校生など各教区で団参を計画しているのでそれをご利用の上ご参加ください尚ご不明な点お問い合わせは笠岡学生担当委員会吉岡まで鼓笛バンド講習会日時月日木月日土泊日内容お供え演奏曲の練習修得お楽しみ行事室内オリンピック等月日は少年会おつとめ総会へも参加します少年会笠岡団おつとめまなび総会日時平成年月日土午前時受付時半開会午後時閉会内容午前おつとめまなび総会式典若木門出式午後お楽しみ行事ゲームスーパーボールすくい他参加御供各隊円服装ハッピ学校のズボンスカート白い靴下なお祭儀式をつとめる人はおつとめ衣各隊からの少年会員が日頃のおつとめまなびの成果を親神さまおやさまにご覧頂く年に一度の総会です大勢の参加をお待ちしております会長さん奥さんこの機会に教会おとまり会などで少年会員におつとめの大切さを教えおつとめの練習をよろしくお願い致します各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みください内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい訂正とお詫び発行の第頁訃報の村川ハツエ姉の立場は大江橋分教会三代会長ではなく三代会長夫人の誤りでしたここに訂正し謹んでお詫びを申し上げます昨年の夏息子二人と自転車でのおぢばがえりを敢行しました月日の流れは早いもので初めての自転車おぢばがえりは九年前当時小六だった長男を連れほとんど児童虐待状態で帰えったのを思い出します次男も何とか連れて帰えってやりたいと思いつづけ昨年八月八日実現しました早朝二十歳の長男と中二の二男を連れ自教会を出発最初の峠越えで早くもチェーンが切れるというアクシデントもう止めろと神様が言わよぎれているのかもしれないという思いが頭を過る中イヤイヤ止める理由は次と浮かぶがこれで止めていたのでは前には進めないぞと思い返えして知人に代車を借りて再び出発例年にない猛暑の中九年前とは少違い父さんについてこいって言うじゃないでもあんた連れていくどころか連れられてますから残念ギター侍風になんて状態で何度かくじけそうになりながら結局二十八時間走りつづけ姫路の健康ランドにたどり着き仮眠を取る事に夕方迄休憩再び走り出し又又夜中走りつづけ明け方大阪の女房の里の教会へ到着仮眠を取らせて貰い夕方出ひょうたんやま発瓢箪山から十三峠の側道を登りこかん様の碑を参拝させて頂き一路おぢばへ深夜三時すぎやっとおぢば到着身上の方のお願いを込めおつとめをさせて頂く中こうして息子二人と何と幸せな事と涙が出て久の感動でしたはたして息子達はまぁ何にしても仕上げの年もスタート悔の残らない様よいしょよいあぐらしょと一歩一歩心に胡座をかかない人になれと息子達にも自分にも少しでもくと