 かさおか
            かさおか    『かさおか』第44巻 第3号
        笠岡市田頭の神殿をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次表紙のことば明治二十九年から昭和四十六年までの間は世界一列救けの教祖の御思いを此の場所から発信し続けた大教会の草創中興の歴史のほとんどは此の神殿と共に在ったと言えよう明治二十八年十二月二代会長上原伊助は十日間程歯痛で苦しんだ十二月七日おさしづを願い出た全文を掲載するさあさあ尋ねる事情事情どうもこれ一時身上堪いられんと言うなれど随分萬事事情取り扱え掛かる理はあろまい又内事情互い互い事情以て日事情これも鮮やかなるものそんだら日堪いられん事情どうであろと言うよう聞き分け一時の事情一時の事情の一つ又長らえて又や又やと言うて日の処随分送る事情一時事情と一つ聞き分けなかなか事情なかなか事情であるついつい忘れるやろ忘れるやろどんな事でもめんめん事情掛かりて来る掛かりて来れば皆心の理によって満足理であるついつい治まる一寸尋ねたら聞き分け何も案じる事は一つもあらせんようこれ聞き分け二代会長がその意味を桝井伊三郎先生にお尋ねするとこれはなかなか結構なおさしづである歯の痛む位の事は問題ではないこれは新築の事や思うていてもしばらくすればすぐ忘れてしまうから何でも今の時機を失ってはならぬという事やでとお諭し下さった新築工事は明治二十九年二月三日のお許しと共に始まった今の時機はしかし内務省訓令の最中工事はまさに徹底的な当局の監視取り調べの中で行われた寄付金については講社を戸別訪問してまで調査を受け建築現場では取り締まりの名のもとに二名の巡査が常時つききりで出張監視した十一月上旬上棟式が行われたこの時三陸地方の津波で死者二万人を越える惨状に二代会長は義捐金を募り四百円余を災害地に送って餅撒きは行わない事にしていたが当日信者から小餅十数石が献納されたので多数の参拝者の集まる中誠に盛大な餅撒きが行われた奉告祭は十二月十八日行われた当時の記録によれば続いて開講祭十九日月次祭二十日入社祭二十一日神霊祭二十二日と五日間に亘ったとあるこうして笠岡地方に類を見ない壮大な神殿が笠岡の市街を見下ろす龍王山の麓に姿を現したのである初代会長はこれより前明治二十八年四月会長職を伊助に譲ってからは伊イさん所へ行け伊イさん所へ行けと言って努めて二代会長に人の心を向けまた上級芦津大教会の常詰役員として勤めたが初代会長室が附属建物の一角に建築されたのは三代会長時代の大正十一年三月の事であった今大教会の境内地に移築されている教祖殿役員住宅と共に建築された初代会長室は教祖殿横の日当たりのいい部屋だった昔の先生方が幼い頃お菓子をねだりに行ったり窓際に置いて初代が丹精していたカニ欄の花芽を全部摘んでしまったりした部屋だったわいえらい事してしもた夕べカニ欄を外へ置き忘れてしもてネズミがつぼみを全部食べてしもたかわいそうな事したワこの教祖殿建築役員住宅初代会長室の建築には雅志兄の身上が台となっているが割愛する史料部長上原繁道信念を持って後継者の育成を大教会では二月月次祭講話に替えて恒例の学生層育成者講習会が開催され本部学担より深谷徳重先生学生生徒修養会部部長をお迎えして学生層育成の大切さ学生担当委員会の諸活動などについてお話しいただきたきました教祖年祭は教会長布教所長に限らず全ての信者が成人させていただく旬ですから若い学生達も逃していただきたくない真柱様は学生層育成はにをいがけおたすけであり布教の精神で取り組むようと仰せられます正ににをいがけおたすけ実動の今の旬は道の後継者学生層の育成にも力を入れて取り組むべき旬です学担は基本方針としてお道の素晴らしさ教祖の御心たすけ心を学生へ諭達第二号のご精神を学生層に伝え育成者も共に育つ努力をと掲げております真柱様は学生だから年祭は関係ないと思うかも知れないがこの時に心が成人するようにそれぞれの立場に相応しい道の通り方を考え求めてほしいとこの旬の学生の成人の努力を促されまた育成丹精は地味で難しいことだがすべての活動のもとになるどの会がするというものではなくそれぞれの特性を活かして道のあらゆるところで真剣に考えなければならないと仰っていますとにかく教会ぐるみで若い人を学生層を育てていくことに真剣に取り組まなければならないでしょうその一番の理想は少年会の頃から順序よく育ってもらうことで少年会という基礎時代にしっかりと喜びの心教祖の御心ご守護を感じる基礎づくりをしていくよう心がけなければなりません小さい時から言われ続けてきたことは分っても分からなくても何となく心に残っていくそういうことから神さんを身近に感じられるように働きかけることが大切です若い者より来る処厄介世界から見れば厄介なれど道から厄介ではない道から十分大切十のものでも九つ半大切にして半分だけでけん十のもの半の理で九つ半まで消すよう聞き分けというおさしづがあります外に向かって九つ半一生懸命にをいがけおたすけをしていても残りの半分内の丹精道を繋いでいく若い者の育成を蔑ろにしたら道が切れてしまうでしょうさらに続いて年のいかん者我が子より大切そうしたなら世界からどういう大きい事になるやらしれんとお聞かせいただきますお道では十五才が一つの大きな転機です十五才までは親の責任親のいんねんそれ以降は本人の責任ですまた十七才になったら別席も運べるし修養科へも入れおさづけの理を拝戴することが許されますということは親神様からすれば教えがしっかり心に治まる年すなわち教祖の道具衆としての御用ができる年だということですからこの時期を逃すことなく私達はお道の信仰をしっかり伝えていかなければと思いますではこの厄介な学生層にどのように接してどのように教えを伝えていくのかということで学ハープ担で研究して生まれたのが心が目覚めてくる再生のプログラムという手法です五八人の小グループで与えられた課題を相談しながらこなしその中でお道の教えを自分達で勉強し身につけていくまた同じ年代の者が話し合うことによって心を開いてお道の教えが入っていくというような手法です学担の行事ではを多く取り入れて推し進めていますこの手法を通して学生が自ら考え一つきっかけを持ったらコロッと変わってきます今までお道にそっぽを向いていた学生がこの手法を通してお道ってまんざらでもないと思ってくれたら彼らの実行力実践力には凄いものがありますこの手法を取り入れ一週間おぢばで合宿体制で教理を勉強しひのきしんを実践するのが学生生徒修養会春に大学の部夏休みに高校の部を開催です基本的な内容は講義と修練ですが年受講者も増えていますこの一週間で感激して多くのことを学びキラキラと輝きながらお道を求めお道の素晴らしさを身に付けて帰っていってくれますどうぞ全ての教会から受講生が得られますようお声掛けをお願いしますこの他にも学生を対象とした行事活動を本部教区支部でもしています先ずそういう行事に学生達を誘うことその為にもしっかり日頃から声をかけていただきたい学生達がこうした行事に参加することによってお道の教えを身につけていくことは確かですのでとにかく行事に送り込むことに力を入れていただきたい真柱様は昭和五十七年の年頭のあいさつで親神様から預かった自分の子供を一人残らず道を通ってくれるような子供に育てよう漠然とではなく縦の伝道を再認識し自分の子供にこそしっかりと信仰の道を通ってくれるように仕込むということをお互いの責任と認識したいどれだけたくさんの子供を授かってもその子供達がこの道を通らずしてはをやの心には応えられない信念をもって我が子を同じく教え子として立派に道を通ってくれるよう指導することは親として一番関心をもって力を入れなければならない問題で新しい道の友を引き寄せること以上に大切だと仰いました若い人を育てることは非常に難しく時間のかかることですがあるとき真柱様はお道の人材育成の精神は育ってほしいと思う人を親神様が育ててくださるように尽くすことであって人が人を育てるのではない具体的にいろいろと心を配り手をつくすことも必要だがそれが伝わるか伝わらないかは伝える側の誠真実が最も大切だ育ってほしいわかってほしいと願い実行する誠真実が親神様にお受け取りいただければ親神様がお働き下さるおさしづに育てば育つ育たにゃ育たんとあるように育てようという心がなければ育つ道理がなく育ってほしいという心を親神様に受け取っていただきたければ育成する側の者もそれだけ成人の努力が要るさらにおさしづに道に外れたる心で育てようと思うたところが育たんとあるように人間思案や損得計算で考えても育たない教祖のひながたを考え道の御用のために育ってもらいたいと願ってただ自分の悟りや信念を若い人に話すだけではなく自分も一緒に通ろうという姿勢が大切だというふうに仰いました以上要約教祖百二十年祭学生おぢばがえり大会へは各教会から一名以上の参加を教会長講習会去る二月二十六日二十七日と笠岡詰所を会場に教祖百二十年祭へ向う三年千日と仕切っての年祭活動仕上げの年にあたります今年の教会長講習会を実を上げてこそ仕上げの年とお聞かせ頂く今年御存命の教祖にお喜び頂ける成人をさせて頂くの主旨の下表統領本部員飯降政彦先生伊都分教会長岩井喜一郎先生のお二人をお迎えして開催し百十四名が参加しました開講にあたり大教会長様は講話を聞いてただ素晴らしかった良かったで終るのではなく今年一年の歩みにつなげて講習会の意義がある特に理のお運びをされて表統領のお許しを戴かれた飯降先生にお越し頂いたと云うことは真柱様の代わりにおつとめ頂くのと同じであり聞かせて頂いた以上は仕上げの年に相応しい結果を出させて頂かないと昨年と変っていないではないかでは困るのであって間違いなく成人の歩みをさせて頂くよう精一杯つとめさせて頂こうと理を受ける心構えと発奮を促されました本部講師飯降先生はよふぼくの拠り所は教会である教会がよふぼくにとっての拠り所になっているだろうか教会へ行けば自分が人生に行きづまり迷った時に全てを吐き出して再発見が出来るだろうか教会へ行けば自分が信仰者として何をしたらよいかわかる教会へ行けば教祖の話が聞けるそれが出来ない教会になったら大変である又教会はほこりの溜る所である特に教会長の奥さんの立場はほこりをいっぱい吸い易いため身上になるケースが多いだからおつとめに依って懸命にほこりを払うことが信仰者の大切な角目であるとお話下さいました更に教祖の年祭は仕切って成人することであるがそれは自分達の信仰の拠り所を確認することでありそれはとりもなおさず教祖がお姿をおかくしになられた元一日が拠り所であり教祖御存命の理を自分のものに出来ているかどうかが重要であるとお話下さり最後に笠岡の皆様方年祭活動の御諭達の精神は人をたすける心の涵養と実践ですあと十一ヶ月頑張って頂きますようお願いしますと力強く結ばれました第二講の岩井先生は徳のない人は出会いが悪い同じことをしても徳のある人は幸せになる日本は今徳のない人が増えてきたのではないかと思う私は徳のある人生を送って頂くために徳をつけるということを伝えるのがお道の信仰者の使命ではないかとにをいがけおたすけに廻らせて頂いております自らの少年時代の体験子育て部内教会の修理丹精を通してこの道はおつとめおつくしおさづけの取次ぎと御恩報じにとお教え頂いたことをそのまま一生懸命実行すれば必ず神様に受取って頂きその人の徳分としてお返し頂けるものと信じて疑いませんとユーモアと涙を交じえて大変分かり易いとても感動的なお話を聞かせて頂きました年に一度親里で教会長が一堂に会し出来得ることなら全員が参加して頂き心をひとつに合わせぢばの理を頂き一年間を勇んで御用に励んで頂ける源になるような講習会にさせて頂くにはまず一人でも多く参加して頂くことねりあいの内容は班編成は講師の人選は時間配分はと話し合いを重ねてまいりました結果身上高令の為の欠席はあったものゝ昨年よりは参加増となり両先生の講話はとても良かったと大多数の方から満足のいく感想を聞きましたが班編成では人数性別年令系統等まだぐ配慮が必要と感じました今年も少年会活動について体験発表学生会活動については映像を通して学習しましたがねりあいのテーマに教会の将来像を掲げていましたので参考にして頂けたのではと思います十年二十年後の教会の姿を想い描きその為には今何をどうするべきか大いに考え行動することモスクワサンクトペテルブルグ演奏会に参加してが大切なことではないでしょうかアンケートでも教会の将来のことで悩み不安を持っている会長さんがいると云う数字が出ています今後の大きな課題の一つでありますさてこれらを克服するためにもこの講習会を機に勇み心と実動を加速させ今年一年の歩みにつなげさせて頂き悔いのない年祭活動となるようつとめさせて頂きましょうありがとうございました布教部部長佐藤道孝バスはネバ川沿いを走り市の中心部へと近づく車も人も多くなりこの町一番のネフスキー大通りに入ると車は進みにくくなる前を見ると旧海軍省の建物が眼に写るもう宮殿前広場だ何と広い広場だろう世界で最も広い美しいと云われる広場が広がる全て石とレンガが敷かれる広大な広場だ広場中央にはアレクサンドリンスキー柱と呼ばれる大きな石柱が立つその高さは大教会岡本久善二十を裕に超す高さがあるその尖頭には背に翼を持ち十字架をかかげる天使が装飾されてあるこの石柱を中心に広場は広がりそれを囲む様に半円径に建物が立つその建物の巨大さはおやさとやかた東右一棟から五棟よりも長く続き高くロシア建築の伝統を基礎に建てられてあると聞くその壁面はロイヤルイエローと云う淡い黄色で統一され長方形の数え切れない窓が午后二時と云うのに沈みかけた夕陽に照らされて美しいバスを降りると安いよ安いよと云う物売りに囲まれ特産のコハク木ぼり人形マトリョーシカ世界三大珍味の一つキャビアと彼らも一生懸命だそうこうしながらその巨大な建物冬の王宮エミルタージュ美術館に入るこゝの収蔵品はエカテリーナ二世の収集に始まり社会主義革命后王や貴族の宮殿が国有化されそこに個人コレクションを加えて膨大なコレクションを誇る美術館となったとのことである館内に足を踏み入れると館内全てが美術品である入り口正面の間は三階迄を吹き抜けとした空間と広いスペースを有し又又白大理石とグレーの石柱とで装飾され二階へは右側左側の階段共全て白大理石で手すりも統一され舞場は大理石のモザイクで装られてある私は右側から昇り部屋から部屋へは全て赤の厚手の絨毯が敷かれてあり柔かく老人の足に誠に心地よい美術の知識の薄い私でも記憶にあるエルグレコベラスケスゴヤシャルダンゴーギャン等の特色のある画風が次と展示されその絵画の数と大きさに圧倒されるテレビ何でも鑑定団に出品される絵が何とも小さく思える説明をして下さるショーロフさん若いのに猫背で細身なのでショロケているので私はそう呼ぶはジョークを交えて一生懸命説明して下さるが説明の中に入る洒落が少しずれる為笑いがずれ遅れて拍手がバラくと起るこんな説明を聞きながら三十分も歩くと少休憩が欲しくなる所にある椅子にて勝手に休むことにする百号二百号の絵が広い壁面を一様に所狭しの感で展示されてあるが私が館長ならもっと数を減らして展示するのにと思える満腹のお腹にもっと食えと押込む感がして疲れる年齢の所為だけではないこうなると先廻りして少休むことにする丸一日ないし二日を掛けて鑑賞すべきを二時間で鑑賞するとは無理なことである外に出ると夕宵が迫り薄明りの残る中バスに乗り込み夕食へと向う確かに街は緻密に計画された大通広場庭園や公園人を惹きつける数の彫刻で飾られ花崗岩の切石で覆われた川岸と装飾された数の橋に縁取られた無数の水路で巧妙につながれて美しい街が作られてあるプーシキンの詩は人が如何にこの街を愛しているか表現されてある我ピョートル大帝に造られし汝を愛す汝の厳そかにて秀麗なる見目を愛す威容を誇るネバの流れをプーシキンしかし又この街が如何に多くの人の血と汗によって成るかはその戦の歴史の中に証されてある十八世紀初頭のスエーデンとの北方戦争十九世紀ナポレオンの進攻による祖国防衛戦争ロシア革命を経て第二次大戦のナチスドイツとのレニングラード防衛戦と全てこの街が戦場であり特にナチスドイツとの丸三年にわたる攻防戦は悲劇的で戦后数の映画の題材とされその戦の悲惨さは世界の人の知るところであるこの街には数知れない人が争い数知れぬ人が眠る街でもあることを忘れてはならない又これらの戦は冬の寒さが味方し全てロシアが勝利することにより冬将軍と云う言葉の由来の元ともなっている街のほとんどが破壊と云う被害を受けた中歴史的文化遺産の修復も長い時間と多大の費用を要したことだろうそれに価する程人はこの街を愛し続けるであろう次号に続く苦労あったればこそ雲東分教会三代昌年頭早誌の原稿を温故知新の内容で何か執筆する様と不肖私でも温故の筆ならと御申越しに応へさせて頂く事に致しました顧れば道一条七十年御雛形の万分ノ一はおろか先人の足元にも及ばぬ歩み乍ら道中おみせ頂きお連れ通り頂きました不思議珍らし御守護の数思ひ出は尽きません別して今日飛躍的成人をとお仕込み頂くにつけ心に甦る事は何はともあれ助け一条に蒔いた苦労の物種は必ず大き成人の喜びとなって何時かお見せ頂ける又その道中でみるであろう節は親心切なる成人の導きであるんだ等の証しをマザくとおみせ頂いた一節であります偖て十数年前名称新設間も無い一日上級島根に帰参した折一老婦人が如何にも感じ入った口調で私に先生村の家は貴方の処雲東へ日参だそうですネと申されましたのでそれがどうかしましたか此処島根へ参らんのがいやいやいかんのですかと申しますと否そうではありません誰方が匂ひ掛けなさったですと私は誰も匂い掛けた者は居ません先方が自ら助け求めて参って来られたのですと申すや一際声を挙げてアア不思議あの家は先生貴方の幼い時の寝小便からとさエとその先を聞く迄もなく老婦人も然る事乍ら私自身驚き入ると共に思ひ浮かぶのは当時四五才の私そして生前の母が語った一件でしたそもそも抑拙宅の入信は百数十年前で本家の身上に祖父の事情から因縁を自覚した父が一切を納消して道一条に踏切ったのが始まりで成人と共に助一条を目指して出郷斯くて小生の生れる一年前に名称設立後事を委ござしきねられた母は本家の物置を改造した茣座敷のあばらや荒屋に祖母に私共姉妹入四名を抱え昼間は針子に和裁を教えて生計とし夜は五人一丸となってふさま臥と云ふ正にどん底の態でしたかよう此様な道中にあろう事か幼い私の毎夜の寝小かえ便です代替の無い夜具その始末方に止む得んくらし半日針子の来宅を断はれば直ちに生計に事欠くので祖母と談合誰に教はったでなし私のお尻にたま灸を据えたから堪りません近所中へ響く悲鳴を耳にされた会長様がすかさずお越し下され嫁姑うまのり二人掛りで幼児に乗馬よろしく処灸してゐる態をさま御覧になるや否や大喝一声何たる態ぢゃお前等一体何処へお話聞いて来た自分に都合悪いからとて詮ない子供の身に火を着けるとはくらし生計が苦るしからであろうが主人の上を思ってもみよ教会とは名ばかり借家住ひの男手一ついず子供長兄連れて食ふや喰はずのお助け一途何れ結構頂いて一家一統一ッ屋根の下で通らして頂くは必定其時お前泣いて通りどう度いのか何せ半日子供の寝小便で捨たるものなら明日と云はずお助けに出よ厳しいお諭し当時未成人の母には深い理合は判らぬ乍ら会長の仰せはわらじ神の声と治め翌日から草鞋を履いて出雲北山の中腹に散在する無信者部落へ匂ひ掛けに運ぶと共に連夜の寝小便は御守護頂きましたわらじそして最初に草鞋を脱がして頂いたのが老婦人の申される家であり当方へ助けを乞うて来会下さった家なのですすでに八十年前の事とて家に母のお助け等識る人はありませんわ事別きて当地方で助けを天理教に乞ふとなれさば知らぬ者もない島根に参上するは当然然るキロに一粁と隔たぬ吾教会雲東の新設間もない時何時新設されたか知る人稀な新米教会へ選りもしか選って救け求めての参上で然も私が設立さして頂くのを待ちに待ってたとばかりの入信第一号自ら求めての入信とは申せ早三年千日の日参ならぬ朝参りを定められその間三四日あした詮ない事情に不参の他は積雪の中豪雨台風の朝を北山の中腹から朝勤奉仕にお勤め下されたのには一同感銘いたしました更に私取次がして頂く節の御用にも会長それ丈は待って呉れの考へさして頂き度いのとは一度もない素直一筋に息子の身上御守護は実に鮮かでした今日修養科も了へた用木一家としてお勤め頂いて居りますが省みて教会長として何もお助けさして頂いてない氏自身で助かり助けて頂かれたのだと存じ私の道中斯様な入信なり成人して下さった一家は他に思ひ当りがありません是ぞ母よりの賜りものと存じ道一条通らして頂いたればこその奇蹟と存じられます父は名称設立後十年にして現在地米府に当時としては近隣にない神殿附属屋を構へて宣教所から支教会へとそして家族一統を迎へ入れました母は整備された世帯の中へスルくと住込まして頂き父と苦労を倶にした住込人に伍して何等臆する事なくお相手の勤まる奥様として通らして頂ける喜びを頂いたのでした生前是もお前の寝小便のお蔭苦しかったけど会長様のお仕込みあったればこそと今の喜びを語って呉れました通って置け先で分ると仕込まれた会長様それを兎にも角にも受けて通った母省みれば先人から此道聞く丈の道でない通った丈の道ともお仕込み頂いた様に存じますが通った丈でなく一粒万倍にお返し頂いて居るのではと存ぜられます御神言の一節に難儀さそう困らそう親はないでなれど効能を積ませ手柄さし度い為苦労さすのや苦労せいく苦るしみの中に実がある楽の中に実は無いでとこんにち今日の旬に一入に心に沁みるお言葉であります談話室僕の自転車団参大教会谷本光司此の程月日に回目の自転車団参を岡山教区の方といっしょにさせていただきました他の人は何をしているのとたぶん思うだろう僕も反対の立場だったら止めとけぇと思う雨にたたられた自転車団参回中回雨降ってます雨男か通り方がわるいのか行きは数時間帰りは高速バスで時間余りでも帰らせていただいた達成感が何とも言ない思い初代の人は車も無し電車も無しみんな歩き僕は初代の人の百万分の一千万分の一位だと思う回もしているといろいろあるので思いを述べてみたいと思う回目年前の年末の詰所餅搗ひのきしんバスの中僕の天理教の師森本正典さんが自転車でもう回おぢば帰りしてるとそれがきっかけで始めた自転車団参の手習最初は年前の月海松ヶ岡の方人といっしょに僕は完全になめてかかった位どういう事はないと思ってた行けど進めどなかなか天理に着かないこんなにしんどいものなら止めたいと何度も思った人に負けるのが嫌い最後は意地でも結局海松ヶ岡の皆さんに迷惑を掛け足を引っ張ったやっと着いた天理黒門前達成感心を洗われるような気がした正典君が自転車を組んでくれた正典君はすばらしい人です正典君がいなかったら今の僕は無い正典君とよく飲む飲むと天理教談議こうじゃぁねぇといけんと思うと正典君は熱く語る本当に天理教の事よく思っている回目その年の月青年会の人数人と青年会長様をへお呼びするため今度は迷惑をかけれないと思いヶ月前位から自転車でへ参拝も何をするのも自転車で休みを作ってチャレンジ才位才は僕のおやじの出直の年月はもう熱くなりかける熱いのどがかわく数台の人が自転車でおぢばへ一人もリタイヤなしでおぢばへ帰らせていただきました黒門前でみんなで抱き合って喜び泣きました回目その年の暮れの押し詰まった月光ちゃんまた行くけぇつきあうと正典君何人位光ちゃん入れて人雨が降り出してうかいやドライブインで休んだ寒くて寒くて人がコイン精米機の中で暖をとったさみぃさみぃ今でも脳裡に焼き付いていて神戸の垂水のへんで僕の自転車がパンクスペアー持ってたんだけどすでに使っていてスペアーなし話し合って僕がリタイアした悔しかった垂水駅に自転車をカギかけて止めてて自転車を盗られた後日談正典君に申し訳なく思った回目翌年月末こどもおぢば帰りのひのきしんで回目の自転車団参が番思いが深いです正典君はいつも僕に僕が自転車でおぢば帰りするのは別席の人をつれて帰ってる何もなく帰っても意味がないとその一言で決まった何もせんかったらいっしょ自己満足だ何かしてみと言われたような気がした僕の苦手な分野回目はパンフレットを持って出た号線から号線の近くで夜が更けて寝ようと思い公園ベンチ川辺駅寺みんな立禁立入禁止神戸の公園周辺はベンチを仕切って横になれないようにしているどこで寝ようと迷っていて号線沿いで寝ようと思い寝床を探す深夜にここにしようと思い寝かけた時に頭のへんで声が聞こえてくるここはおれが寝とるから出ていってくれどこでもホームレスの人こんな先進国の日本にもそんな人がいるのが不思議今まで恐いと思った事のない僕が怖いと思った世を捨てた人何をされるか分からない決して偏見では何いだんだん人が増えて来るお兄ちゃん新入か新入なら新入のおきてがあるからあいさつをせぇあいさつ寝るのもあいさつが要るのかでも僕はそんな事今の日本にはないと思ってたコンビニでビールを買っていたのでおっちゃんビール飲むつまみも有るでそのうちの人の人がどこ行くんなぁ僕は天理天理でこどもおぢば帰りというのをしょぉるけぇひのきしんと言おうと思ったけどボランティア何なぁそれはこどもが天理に行って日泊まって行事をする事こどもが遊んだり教理の勉強する事偉いんじゃのぉお兄ちゃん偉うねぇでむかしは手もつけられんかったけぇ天理教しょぉるけぇこの位ですんどんじゃぁ話をしているうちにいい人だと思う人間はうわべだけで見たらいけないと思った天理がんばって行けぇよぅと言ってくれたここで寝てもえぇでの人と号線沿いに寝た天理教のハッピをかぶって寝た金は要らんから命だけはと思った朝出る時に人の人が兄ちゃんがんばれぇ楽しかったと言ってくれたその事は心にしみた郡山の駅でパンフレットを配って駅のトイレ掃除をしておぢばに帰った回目翌年月のの土持ひのきしんに出るために自転車で出た朝から雨雨の中の自転車雨がつきまとうふつうの時でも体力を消耗するのに雨の中は余計に体力を消耗する号線で行って玉島でパンクすいませんこのへんに自転車屋さんないですか何か歩く自転車を押して歩いたら余計体力を消耗する倉敷市には入ってた岡山県境の瀬戸パーキングの所で体を休めるさあこれから出発の時またパンクたまたまホームセンターが有ったので店員にすいません自転車パンクなおりませんかすぐには無理日位かかりますよと言われたいいです歩きますと出たちょうど時位だったホームセンターが終る前だったので愛想ない返事されたのかなと思ったその日も雨が降っていたので今夜の宿探し何歩いたか分からないけど派出所でビジネス旅館はないですかと尋ねるひなせ日生の辺ではないかと思うとにかく灯りのある辺へ行こうと思った雨は降るし夜は更けるしいくら声をしても出てくれないまた断られた軒目にやっとビジネスホテルに入った位払ったうっそぉと思った理の親にしてホテルにチェックインしました神様は有るかと言った一生懸命に行こうと思っているのに肩透かしばかり僕は悪口雑言ばかり言った理の親に神様は見ているよ光ちゃん止めて汽車かバスで行ったら神様は確かめているんじゃぁないのと言われた人生一直線の僕に柔らかく諭して下さいましたでも僕はまだ合点が行かないと思った何のためにそんな事せんといけんのんなぁと思ったそれで僕のもう人の師青年会委員長佐藤君にしたやっぱりいっしょの事を言われた心がなごんだ翌日にすいません自転車屋ないですかと尋ねたら軒とも店たたんでいてその町には自転車屋なし国道へ出てたらあそこで直していただけると聞いて訪ねたふつうでは考えられない所だった車屋の様だったお兄ちゃんどこへ行くのと言われたので天理へ行く今ではすぐ言えるほう天理奈良のそうですここからまだは裕に有るよ何をしにボランティアをしに何のために日の反省かな日の反省見たところふつうの人だけどいやあ人には言えない事は有るからねと答えるそんなやりとりに分位でパンク修理が出来た有りがとうと言ってお金を払ったらこんな自転車乗った事ないから乗してくれると言われのでどうぞと答えたまた有りがとうと言って出ようとしたらお兄ちゃんお茶飲んで行かれぇと出して下さったいいですと言ったけど僕何にもできんのでお返しをと思ってタイヤを運んでいたのでいっしょに手伝わせていただいたパンフレットを渡してお礼を言って出その方がまた来ねぇよぅと言われたまた来るでと言っておぢばへ向かった奈良に入って先生に声を掛けていただいたのがうれしかった光ちゃんがんばりねぇでもコーヒー差し入れの方がいいと今でも先生をからかう紆余曲折いろいろ有るけど体が動くまで人生現役で自転車団参をさせていただこうと思います人で行くときはパンフレット携帯灰皿ナイロン袋ゴミ拾いタバコかすを拾ってすね当て回廊拭きのためを持って最後に皆さん僕たちといっしょに自転車団参をしませんか苦しいけどいろんな事が見えますよ教祖年祭の仕上げの年また考えてますいっしょに自転車団参をしましょう今年月才になりますこんな僕ですけどいい出会いをお待ちしていますので皆さんよろしく学生会新入生歓迎会日会対内時月日日午前時午後時頃場笠岡詰所象おぢば管内の学生容大教会長様お話親睦会学生には直接ハガキで案内いたしますがこちらが把握出来ていない学生もおりますので教会からもお声がけをお願いします青年会笠岡分会総会当たり前のように生まれ育ち暮らしている私たち思えば私たちにおかけ下さる使命は果てしなく大きい笠岡につながる天理青年よ今こそ集え迷うことも疑うこともなくただひたすらにをやの期待にこたえ世界勇ますあらきとうりょうの若き力を結集しここに勇み立ち成人の道を共に歩もうではありませんか開催日時月日日時受付時おつとめまなび式典午后にをいがけ時解散予定携行品おつとめ衣にをいがけが出来る服装おつとめ役割座づとめ笠岡分会委員淺野明教よろづよ笠岡分会委員一二直轄森本正典三四福山ブロック五六久松ブロック中村真人七八髙屋ブロック九十上下府中市高田一弘十一十二島根ブロック淺野明教藤井保人瀨良昇門脇裕教こかん様に続く会日時内容対象受講御供携行品平成年月日土午前時分出発日日午後時到着予定月次祭参拝別席基礎講座参考館支部長様お話お楽しみ行事他歳前後の女子青年円基礎講座他は別に頂きます宿泊セット別席を受ける人は席札を忘れないようにお願いします各行事に参加ご希望の方は各ブロックの担当者にお申し込みくださいうそ動物より人間の方がかしこいだってうそでしょう動物はうそはつかないよ人間ってうそのかたまりさ神様はうそとついしょう大きらい人間ってうそのかたまりさなぜうそつくのなぜ人をだますのほんとの事を云おうやほんとの心で話そうやはだかになれば皆んな同なじさ生れた時も死ぬときもみんな同なじさ無一文自分だけがなぜそんなにかわいいのやさしい心で話そうややさしい心ですごそうや詩かくしん二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様にはいちれつのこともがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなりと親心溢れる御守護によって日結構にお連れ通り下さり陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は身の回りに成って来る理に世界一列救けたいとの親心を重ねて思案し常に大難は小難に小難は無難にとお連れ通り頂いている事に感謝の念を強くし御恩報じの思いを深めて朝夕に御礼申し上げると共に親心に応えるべくたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いております中でも今年は教祖年祭の仕上げの年として全よふぼくが実動の成果を挙げようとして一丸となって成人の歩みを進めさせて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの大教会にお許し下された二月の月次祭を執り行う定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には立春を過ぎたとは言えまだ寒さ厳しい中も厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を声高らかに唱和し改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて諭達でお示し頂くように最近年齢に関係なく我欲に走り安逸に流れがちな人が増えており人の心を失っているのではと思えるような事件も多発しておりますそんな時代だからこそよふぼく一人一人がしっかりと成人する意志を持ち後に続く者を育てて行かなければなりませんその上から本日は学生層育成者講習会を開催させて頂きその意志固めをさせて頂く所存でございます加えて実践にも繋げて行きたいと存じますが実のなるものにする為にも親に喜んで貰うべく年祭に相応しくしっかりとひながたを見つめ人間思案を断ち切って神一条にたすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂く覚悟でございます何卒親神様には親孝心一筋に精一杯勤めきる皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り人の心が真実の親心に触れ助け合いの心に立て替わってお望み下さる陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますこころの詩養徳社発行陽気誌三月号道柳より転載今回の課題は先選四十五句中笠岡に繋がる教友の方一名一句が見事選ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠東悠分教会長夫人田林美智子一れつに先は楽しや真の日出直し東濱十三雄叫ぶ声に導びかれつつ来てみればあゝ又夢か亡き父の声寒椿ポトリと落ちて母は逝く九十余年の苦楽を忘れ教友の静かな出直し耳にして無言のまゝで手を合わすなり川柳若き日の思い出油木分教会黒瀬修弍喜びは真似も受け取る親心未熟でも真似ならできる私にもにが手でも親の思いにあわす日押えてもかなわぬ虫の居りどころお手入れに心定めて虫下し内容字数寄稿先原原稿稿募募集集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい実践項目集計月大教会だより第七六四期修養科教養掛三ヶ月間中島誠治鶴山分教会長一ヶ月目渡邉眞次品治分教会長二ヶ月目中村義太郎大教会役員百万軒にをいがけおさづけのお取次身上事情お願い提出教会軒回件ヶ所三ヶ月目修了者稲倉上吉野福勇藤本芳久東水島分教会長廣田真也松井浩宣鳥井裕子元来医者に診て貰うというと激痛差し迫りかなりの決断を要していよいよ治療して貰いに出向く姿勢が善悪問わず幼少より根付いた思考である今年祭実動の年を迎える二ヶ月前に端を発する意図せぬおさづけの取次より此の方日に於いて正直僅かではあるがおたすけの機に直面しまた出会している事を最近強く感じ取る一歩前進のスローガンが絶えず頭を過ぎるのであるが恥ずかしいかな応対たるや全く幼稚である今月に入り以前から気になっていた歯の治療を受けに行き付けの歯医者に行ってみた却って頬が膨れ上がり痛みが増して戻ったところへ見かねて医者を紹介し連絡を取って下さった子後は事を委ね通う様になったのだが何か身上にしるしを頂くと第一おさづけでことが済む済まない場合の医者薬で行くこと自体強く敗北感を抱くのであるおさづけたすかるそれは幼少期に味わった甘い固定観念への思考の帰結に陶酔するが如く中展開へとは踏み出せない今回早期治療を思い至っての安易な考えで医者に行った今までの考えにない事であったのだが事態は思いもよらぬ方向へと急速に変わっていった何時からか心ならずも棚上げして来た諸事に遅ればせながらやっと手を付けて行こうとひょんな拍子に起こった今回の好事に眼を啓き無い知恵を働かせて行きたいと願っている待っておられず押し出されてのことであるがちょん