かさおか

『かさおか』第43巻 第1号

初代様手縫の巾着芳井分教会所蔵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次立教一六七年明けましておめでとうございますの反省を基に反省に臆する事なくより一層の勢いをもって実動に邁進させて頂きたいものであります又三年千日成人の歩みは仕昨年は大変御苦労様でした一徹底とひのきしん一機を逃さ切ってひながたを辿る歩みとお聞昨年の大祭で御発布された諭達第ずおさづけの取次を実践項目とかせ頂いておりますひながたの二号を受け教祖百二十年祭に向定め実動に励んでまいりました歩みは決して楽の道ではありまけ三年千日と仕切って成人の歩み実動内容については各自に反省をせんむしろたすけ一条の苦労のを始めた歩み出しの年として皆お任せしますが歩幅は違っても道であります文字通り残されたそれぞれがしっかりと心を定め皆間違いなく確実に教祖百二十二年自ら苦労を求めてご恩報じ成人へと歩み出して下さった事と年祭に向け成人の歩み出しをするの歩みをさせて頂きたいと存じま思います諭達に込められた人事が出来たと思いますすを救ける心の涵養と実践の趣旨今年は二年目の年であります何卒一手一つに歩んで下さる事を受け親の思いをにをいがけ昨年踏み出した一歩を受けしっをお願い申し上げて年頭の挨拶と内治に心を配りおたすけに誠のかりと二歩目を踏み出すことにさせて頂きます心を尽くそうを合言葉に一よって三年目はより大きく踏み一歩前進百万軒一おつとめの出せると思います今年一年昨年長上原理一立教年年間行事部会全体行事月直轄教会春季大祭参拝年頭会議部内巡教ひのきしん布教部春季大祭詰所受入直属ひのきしん日隊名本部食堂福山ブロックにをいがけおたすけ実修会要員研修会教会長講習会修養科修了講習会部内巡教予定表海外部ケ年本部保安名月にをいがけおたすけ実修会直属ひのきしん日隊名月全教会で実施代会長夫妻代会長年祭教祖ご誕生祭詰所受入直轄教会定期巡教本部食堂髙屋ブロック全教一斉ひのきしんデー修養科修了講習会直属ひのきしん日隊名こどもおぢばがえり直轄教会秋季大祭参拝直属ひのきしん特別隊本部食堂島根ブロックこどもおぢばがえり詰所受入直属ひのきしん特別隊直属ひのきしん日隊名修養科修了講習会英語講習会ケ年本部保安名本部食堂上府ブロック秋季大祭詰所受入布教推進強調月間月にをいがけおたすけ実修会月全教会で実施全教一斉にをいがけデー別席伏せ込みひのきしん団参修養科修了講習会年末大掃除献血ひのきしん詰所餅搗常詰会議註ブロックの区分けは備毎月日午前直鶴山明石市考直轄教会長の集い直久松東城錦備毎月日午後上府上下府中市おかえり講話月例勉強会毎月日月日月日英文発行月日月日海外よふぼく月報いずれも午後役員並びに直轄教会長会議毎月日午後月は末日月は午後月は日直轄教会長の集いに替えて行なう部会婦人会月青年会少年会学生会学生担当委員会輸送部全委員部長研修会春季大祭参拝学生層育成者講習会婦人会本部総会鼓笛バンド講習会おつとめまなび総会春の学生おぢばがえり直属アワー教祖ご誕生祭参拝新入生歓迎会おぢばひまわり会おつとめ大会こかん様に続く会伏込みひのきしん別席伏込ひのきしん団参縦の伝道講習会育成講習会こどもおぢばがえり団体列車本新入会員研修会野外錬成会キャンプ全分会布教推進週間学生の集い委員部長後継者講習会本部青年会総会ヶ月ひのきしん隊支部例会毎月日午前時大教会ひのきしん備直轄委員部長連絡会毎月次祭後毎月日午前考女子青年例会日毎月第日曜日ひまわり会毎月日教会おとまり会の実施秋季大祭参拝雅楽部練習毎月次祭前日夕勤後舞楽練習毎月次祭日夕刻立教年定期巡教表教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員廣町月日大教会奥様御野月日大教会奥様大江橋月日岡本久善福廣月日河原節喜香地華月日大教会長様品治月日武内清福勇月日岡本久善真金月日門脇誠教久福月日中村邦義福芦月日岡本久善仲條月日岡本久善呉福月日中村邦義福満月日大教会奥様稲倉月日吉岡壽久津月日上原繁道福岩月日上原繁道稲瀬月日大教会長様鶴南月日岡本久善西村月日大教会長様稲富士月日佐藤道孝鶴眞月日岡崎和夫福年月日吉岡壽稲讃月日大教会長様川島郷月日岡崎和夫引野月日大教会長様門司港月日佐藤道孝鴨方月日河原節喜福昭月日大教会長様大惠山月日吉岡壽作備月日河原節喜福春月日河原節喜東水島月日大教会奥様輝華月日中村剛福中月日武内清高児島月日岡本久善錦ヶ原月日武内清福冨士月日門脇誠教出雲月日中村剛行縢月日武内清福東月日門脇誠教瑞雲月日岡崎和夫眞府月日武内清東福山月日武内清海潮川月日岡崎和夫吉舎月日佐藤道孝福南月日中村邦義錦洋月日大教会長様清嶽月日吉岡壽福順月日河原節喜米府月日大教会長様上小畠月日武内清福節月日中村邦義弓ヶ濱月日佐藤道孝木津和月日田中一之福備月日岡崎和夫西伯月日佐藤道孝國須月日田中一之福輝月日岡本久善米美月日大教会長様上吉野月日中村邦義坪生月日岡崎和夫伯仙月日佐藤道孝上備月日大教会長様八尋月日上原繁道照雲月日大教会長様河佐月日武内清深安月日大教会奥様輝伯月日田中一之上川邊月日佐藤道孝笠尋月日大教会奥様松都月日岡崎和夫甲井月日吉岡壽芦品月日岡本久善樺島月日大教会奥様上父月日大教会奥様安那月日河原節喜亀田山月日大教会長様阿木行月日上原繁道芦田川月日中村剛出雲川津月日中村剛宇津戸月日中村剛三郡月日大教会奥様天場山月日吉岡壽河面月日大教会長様芦常月日吉岡壽簸ノ川月日上原繁道府鮮月日田中一之芦辺月日佐藤道孝多古浦月日大教会長様府世原月日岡本久善芦加茂月日中村邦義瑞北月日上原繁道神驛月日中村邦義惠陽月日吉岡壽雲東月日上原繁道神免月日吉岡壽陽實月日河原節喜呉中月日門脇誠教葦沼月日佐藤道孝第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目西江昌直大教会役員金浦分教会長原公彦芦常分教会長藤本基喜惠陽分教会長田中隆之福山分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい日時場所対象学生層育成者講習会のご案内月日土大教会月次祭おつとめ終了後大教会神殿教会長先達よふぼくにをいがけおたすけ実修会要員研修会日時月日日朝づとめより正午昼食後解散場所講堂講師大教会長様内容講義おつとめの理あい感話代表人ねりあい対象実修会要員服装ハッピ着用立教年教会長講習会日時場所講師内容対象受講お供月日午後時分受付時開講日正午閉講笠岡詰所本部員永尾一夫先生布教の家岡山寮副寮長教誨師旭中央分教会前会長岡本照子先生大教会長様挨拶講話永尾一夫先生講話岡本照子先生ねりあい約時間教会長円受付で頂きます実践項目集計月百万軒にをいがけ軒おさづけのお取次回身上事情お願い件提出教会ヶ所春の学生おぢばがえり日時月日日内容式典真柱様お言葉午前時本部中庭直属アワー別席後夜祭春まつり夕づとめ後鼓笛バンド講習会日時内容参加御供月日火月日金泊日お供え演奏曲の練習修得お楽しみ行事室内オリンピック等円月日は少年会おつとめ総会へも参加します立教年少年会笠岡団おつとめまなび総会日時平成年月日金午前時受付時半開会場所内容午前中おつとめまなび式典午後アトラクションお楽しみ行事対象少年会員高校生大学生係員としてひのきしん参加御供各教会円おつとめまなび総会役割よろづよ下り目上下下り目直大教会下り目福山下り目高屋下り目島根下り目久松下り目直府中市期間割当参加御供特別ひのきしん日隊月日木月日月名参加ご希望の方は早めに各ブロック布教部員へ円立教百六十六年十二月月次祭祭文こころの詩これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の親心溢れる御守護とお導きを頂きつつ月日を重ねるうちに立教百六十六年の今年も早や十二月を迎え残すところあと十日となってまいりました日頃の御高恩に御礼申し上げ改めて今年一年を思い返してみますと昨年秋の大祭に御発布戴いた諭達第二号を受け笠岡ではをやの思いをにをいがけ内治に心を配りおたすけに誠の心をつくそうを合言葉に三つの実践項目を揚げ教祖百二十年祭に向けて三年千日と仕切っての歩み出しの年として位置づけ成人の歩みを進めさせて頂いている中に地方講習会に参加又各教会に於けるにをいがけおたすけ実修会等を通して実践項目の心作りと実動に勤め励ませて頂いてまいりましたまだ一年目とて十分な成人は出来ておりませんが成人に向けてのスタートをきらせて頂く事が出来ましました事を有難く存じます今年一年賜りました御守護の数に改めて御礼申し上げたいと年末の慌ただしさ寒さも厭いませず寄り集いました理に繋がる道の子供達と相共に只今からおつとめ奉仕者一同喜び感謝の心も一汐に陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて本年納めの月次祭を執り行なわせて頂きます皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます又年の瀬に当り今年一年を真摯に振り返ってみた時三年千日の一年目とは言え至らぬところもあったように思います素直に反省をすると共に来るべき年に向け新たな気持ちで成人を誓い合い一日一日確実な成人の歩みになるよう諭達に込められた人を救ける心の涵養と実践の思いを心に湛えて申し合わせた実践項目の実動に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には我身思案にとらわれがちな世の中にあって決して惑わされる事なくむしろそんな時代だからこそと我身思案を捨てひながた一筋に歩もうとする皆の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜り助ける方も助けられる方も共にたすけ一条の喜びを味わわせて頂きまして喜び溢れる年末年始になりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申秀詠川島郷分教会前会長香取敏子真実とめどう誠の心を目標とし佳詠東悠分教会長夫人田林美智子おさづけにおさな瞬きもせず幼の目佳詠芳阪布教所長杉原幹夫匂いがけさづけ取り次ぎ目指す朝養徳社発行陽気一月号道柳より転載今回の課題は目撰六十七句中笠岡に繋がる教友の方三名三句が見事撰ばれ掲載されましたおめでとうございますこの誌においても読者の皆様方の才能溢れる作品をお待ちいたしておりますジャンル自薦他薦は問いませんのでどうぞドシドシご寄稿ください立教百六十六年歳晩祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる御守護とお導きのままに日結構にお連れ通り頂いております中に今年も早や数時間を残すのみとなってまいりました改めて今年一年を振り返ってみますと日本の政治も経済もイラク戦争に振り回され何か落ち着きのない一年であったように思います又長雨により農作物が不作で収穫期の盗難が相次ぎ人のモラルもここまで落ちてしまったかの感のする一年でもありましたその中笠岡に繋がるお互いは教祖百二十年祭に向け三年千日の一年目と仕切って成人の歩みを進めさせて頂く事が出来ましたスローガンを掲げ実践項目を申し合わせて人を救ける心の涵養と実践の諭達第二号の精神に応えようと実動に励んでまいりました遅とした歩みではありましたが確実な成人の歩みとならせて頂くことが出来ました事は誠に有難く勿体ない極みでございます今年一年賜りました数の御守護に改めて御礼申し上げたいと遠近を問わず帰り集いました道の子供達と相共に只今から立教百六十六年の歳晩祭を執り行わさせて頂きます皆の喜び心一杯の姿を御覧下さいまして親神様もお勇み下さいますようお願い申し上げますそして来るべき立教百六十七年が今年一年の反省をふまえたすけ一条に邁進して世界中が力で押さえつけ合うのではなく力を出し合って救け合える世の姿に一歩でも近づかせて頂ける一年になりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百六十七年元旦祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の尽きせぬ親心によります御守護とお導きを頂いてここに立教百六十七年の新年を迎えさせて頂きました一同と共に御礼と寿ぎ心を込めまして新年のご挨拶を申し上げます明けましておめでとうございます昨年賜った御守護の数に改めて御礼申し上げると共に今年も変わらぬお見守りとお導きを頂きたいものと只今から笠岡に繋がるよふぼく一同慶び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて元旦祭を執り行わせて頂きます御前には折からの寒さ厳しい中にも関わらず喜びと感謝そして希望を胸一杯に湛えて夜も明けきらぬ内から寄り集いましたよふぼく信者又これからの道を担う子供達が共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧くださいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて昨年は教祖百二十年祭に向け三年千日と仕切って成人するべく歩み出した一年目の年でございました諭達第二号の御発布を受けスローガンを掲げ実践項目を定めてたすけ一条の実動に励んでまいりました加えて西境内地拡張整備ふしんやおやさとやかた南右二棟のふしんを通しておぢばへの伏せ込みの大切さを思い起こさせて頂き土持ちに汗を流させて頂きました今年は二年目昨年の反省をふまえより成人させて頂くべく心を尽くしたすけ一条の実動に邁進させて頂く覚悟でございます人は世上に悲観してか個の楽しみばかりを追い求め助け合う姿が失われようとしていますそんな中真実の親に縋りたすけ一条の誠を尽くそうとする道の子の姿があります何卒親神様には皆のたすけ一条の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけに尚もの自由の御守護を賜りましてお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一歩でも近づける一年になりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます大教会だより第七五二期修養科教養掛三ヶ月間中村剛久松分教会長一ヶ月目奥忠郎府鮮分教会長二ヶ月目西村彦一瑞雲分教会長三ヶ月目高木昭祥湯田原分教会長志願者引野谷屋賢三稲倉藤井彬雲東米原豊鶴眞延原光生髙屋谷本倫子明石市杉原智子亀田山浜田たつ子教会長資格検定講習会修了者前期終講福東中村佳弘大江橋村川忠前期終講海松ヶ岡森本正典第七五三期修養科一期講師輝美濃谷内伸自直属ひのきしん五日隊世話班芳井佐藤道孝福山田中隆之参加者笠岡淺野明教髙屋谷本章髙屋石井伴史島根門脇元教久松河村文子興明吉岡誠一郎陶山上原繁道海松ヶ岡高原清新山邑国定栄江神昭渡邉隆夫美之郷桑田正則美之郷桑田道則廣町宮本泰德福満福島大介福昭平盛秀年福節藤井治喜三郡貞清知実惠陽藤本基喜稲倉北川治史稲富士大惠山出雲米府多古浦雲東雲東品治上小畠上備宇津戸府鮮須毛田昇瀬藤教雄高島定彦三代幸余村健三代温生内田啓一渡邉芙佐子田中一矩田渕光明松谷明彦奥忠郎おやさとふしん青年会ひのきしん隊笠岡内海史郎芳井佐藤真孝海松ヶ岡宮崎智史吸江山地孝志西村藤本晴司引野谷屋賢三福昭平盛尚樹惠陽西平和史陽實佐藤真理志香地華福留誠児西伯本多正悟直属ひのきしん特別隊久松中村剛史一月十七日はメモリアルな日である毎年この日になると思い出す四日後突然の三代真柱様の春季大祭ご参拝陸路は絶たれ空路高知よりのご来笠全教に先駈けてお仕込みくだされた対岸の火のお話しは記憶に新しいその九日後大いなる四代大教会長様のお出直二ヶ月後には地下鉄サリン事件九月には前真柱様のご入院手術明けて一月十二日には老奥様がお出直し遊ばされた洵に心の亡くなる一年であったが忙しくはあっても忘れることのできない一年である教祖百十年祭年祭活動仕上げの一年間はこうして幕を閉じた年祭は出直の旬である前会長様と相前後して多くの先人を失ったあれから九年来月三日には本部祖霊殿において老会長様二十年祭前会長様十年祭老奥様十年祭が執行される来年迎える仕上げの年に向かって昨年の踏み出しの年から何を引き継いでどう仕切り直しをすべきか誠に年祭は出直の旬である
かさおか

『かさおか』第42巻 第12号

椿竹本久子作ちぎり絵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次ひのきしん隊第六八回隊へ笠岡分会より佐藤委員長はじめ総勢十一名内委員三名にて参加させて頂きました残念ながら心定めの人数十四名には至りませんでしたが大きな怪我も無く二十四日間を無事にお連れ通り頂きました来年には南右第二棟瓦葺きひのきしんも始まる大まかな日課は朝つとめ午前午後の作業夕つとめ夜の修練十日間ほどとなっております中ごろには皆が楽しみにしている親善大ソフトボール大会が予定されておりましたが今回は雨のため中止となってしまいました行事の中でも個人的に好きなのはにをいがけの日ですそれぞれ班ごとに決められた場所に行き神名流し路傍講演戸別訪問等を行いますこれといって特別なことをするわけではありませんが普段一緒にすることの無い系統の違う方と出来るということで皆非常に勇んでいる姿を今回も見させて頂くことが出来ました土佐班長は入隊式において作業によってはなんでこんな作業をと言うこともあるかもしれないが私たちは日の寄進つまり二十四日間という時間をお供えさせて頂いているといった意味の話しをされました今回は南右第二棟の普請が始まっており作業に参加させて頂くことが出来ましたが毎日というわけではありませんひのきしんのほとんどは倉庫内整理テント整理古い建物の解体作業といったおやさとやかたと関係の無い作業で占められますしかしひのきしん隊とは班長のお話し又あらきとうりょう指針に進んでぢばに伏せ込み親のいきをかけて頂こうとありますように青年会にて常時用意して頂いているぢばへの伏せ込みの場であり又共同生活を通して心の成人を図る修練道場であると思わせて頂きました解隊式にお出まし下さった青年会長様は二代真柱様のお言葉神一条の精神ひのきしんの態度一手一つの和を引用してひのきしんの実行等ではなく態度という言葉を使われた態度というものは一朝一夕に身につくものではなく毎日心がけておかなくては身につかないものである態度という言葉を使われた心を汲み取って日を通って頂きたいとひのきしんについてご説明くださいましたひのきしん隊に参加しなくてもひのきしんは出来ます教会事情時間的な理由で参加したくても出来ない方もあると思いますがなにもかも置いておぢばで二十四日間ひのきしんをさせて頂くことによって態度となる下地作りになり親神様教祖もお喜び下さると思いますまた来年はひのきしん隊発足五十周年を迎えます笠岡分会では本年と同じく十一月に参加を予定工程表ではその頃に南右第二棟の瓦葺き予定しておりますので一人でも多くのご参加をお願い致します最後になりましたがお心をお寄せ頂いた皆様にこの場をお借りしてお礼を申し上げますありがとうございました青年会委員藤本晴司十一月三十日待ちに待った伏せ込みひの笠岡に繋がる七百名を超える教友が西礼拝場前に集合ぢばへの伏せ込みを誓うきしん団参前日の雨も何とか上がり午前九時西礼拝場正面にて大教会長様のお手に合わせて参加者全員で参拝その後ひのきしんをさせて頂きました当日は前日の雨の影響で足元の少悪い所もあり中には長靴カッパ等準備の良い方もいくらかあり又他の直属からも大勢この日に合わせて参加される所もあり年祭に向けての一人一人の意気込みを感じる事が出来て私を始め参加された方は教祖から大きなお土産を頂戴されたのではないかと思いました終了後大教会長様より配布下さいましたお礼の挨拶文の中にいくら伏せ込みが真実といってもその上に家を建てなければ何の夫婦揃うてひのきしん代を重ね伏せ込む姿も大教会長様の笑顔に心も勇む意味もないのでありまして伏せ込みを意味あらしめる為には家を建てなければならないのでありますおぢばへの伏せ込みは陽気ぐらしへの家を建てなければ意味がありません陽気ぐらしという家はにをいがけとおたすけで建てるのでありますと伏せ込みひのきしんに対する思いを述べておられますまずは教祖より頂いた感激というお土産を身近な方に伝える事が第一歩であり又今回色な事情でおつとめ頂けなかった方も今後何かの機会を利用しておつとめ頂くか或いはそれも出来ない方は別の方法御恩報じ等で今の旬に少しでもおぢばの御用の一端でもつとめさせて頂きたいものと今回の伏せ込みひのきしん団参を通して思わせて頂きました布教部員三代幸会場ではバケツ一輪車等多岐に渡って準備下っているお孫さんの元気に足取り軽く去る十一月二十二日二十三日の二日間にわたって委員部長後継者講習会を実施しました受講者は二十名で託児もほぼ同数ほどでした午後二時過ぎより開講まず女鳴物について支部長様よりお話があり続いての練習では日頃あまり勤めることのない坐りづとめを主にしました夜は支部長様が年祭を迎える今の時旬の大切さについてお話されました次いで受講者三名の感話は身近な仲間の話だけに聴く人達の心に訴えるものがあったようです二日目は大教会長様が伏せ込みということについて現在進められている西境内地の土持ちひのきしんを例にして話されましたその後いくつかのテーマをもとにしての練り合いとその発表を行って講習会を終了しました大勢の幼児や赤子の世話にあるいは日頃集まる機会の少ない受講生を楽しませようと委員部長達先輩も陰でがんばりました婦人会上原順子談話室真実の伏せ込みひのきしん久福分教会長佐藤憲美月日西境内地拡張整備ひのきしん実施の打ち出しを頂き当教会のよふぼくの方に真実の伏せこみをと比較的若い壮健な方を中心に参加者を募っていましたが仕事の都合とか種の事情で思惑通りの参加者を募集できずこの度は仕方ないと諦めていましたある日遥か古の女子青年で才のさんと才のさんよりひのきしん参加の申し込みがありましたお二人いずれも足腰が弱り普段歩行時シルバーカーに縋って歩かれている方達ですが足手まといになるかもしれないがぢばのふしんの伏せ込みひのきしんは私達には最後のチャンスと思います百二十年祭を元気で迎える様このたび本部へお願い参拝させて頂きシルバーカーで土持ちひのきしんに参加させて頂きたいとの申し出でした私はこのお申し出に頭をガンと打たれた思いがしましたまさかこの身上の方が土持ちひのきしんに参加されるとは思いも掛けなかったし又この様な思いを抱かれているとは伺い知ることもできなかった為お二人に参加有無の問い合わせもしなかった自分に恥じ入るばかりでしたそもそもこの度の土持ちひのきしんはふしんの量よりも質即ち真実の心を伏せ込ませて頂くものでたとえ一握りの土でもその人の誠真実があれば受け取ると仰せいただいていますこのことへの私の理解不足を知らされ大いに反省させられました早速お礼を申し上げ参加していただく様手配させていただきました日出発時刻分前にはお二人とも意気揚と丸で子供が遠足に行くかのように喜び勇んで愛車シルバーカーを駆って集合いただきましたしかし天理地方の天気はあいにく雨天の様子足元不良のためシルバーカーでの歩行は困難と予測されるので現地で借用する車椅子でのひのきしんを提案お二人は押し手の人に遠慮して固辞されたが二人分の誠真実を運んでくださいと説得し承知いただきました当日は曇天ながら雨は降らずありがたいご守護を頂き本部参拝西礼拝場前で大教会長のご挨拶をいただいた後車椅子を駆ってふしん現場に到着小さなバケツを借り押し手と当人の真実で一杯の土持ちひのきしんを堪能いただきました車椅子での参加に周囲の方の驚きと賞賛の眼差しでご苦労さまの言葉に少し恥らいながらむりにとめるやないほどにこころあるならたれなりと十一下り目六ツこころの詩今回の課題は時撰六十八句中笠岡に繋がる教友の方四名四句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠時旬に川島郷分教会後継者香取満彦添うて誘いの匂いがけ佳詠時は今年東悠分教会長夫人田林美智子祭の旬匂いがけ佳詠過ぎ去りし川島郷分教会前会長香取敏子時の苦労が今芽吹き佳詠新神殿芳阪布教所長杉原幹夫今感激の時迎え養徳社発行陽気誌十二月号道柳より転載どうぞこの誌に於いてもジャンル自薦他薦は問いませんドシドシ読者の皆様方の才能溢るる作品のご寄稿をお待ち致しております実践項目集計月百万軒にをいがけ軒おさづけのお取次回身上事情お願い件提出教会ヶ所期日月日日祭典終了後場所大教会談話室にて受付新春を迎え輸血用血液が非常に不足致します身上かしものかりものとお教え頂いております親神様のおはたらきに感謝して勇んで献血ひのきしんにつとめよう訂正とお詫び十一月号献血の案内で期日が十二月二十一日となっておりましたが平成十六年一月二十一日に変更になりましたここに訂正し深くお詫び致します十一月月次祭祭文チョちょこれのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供かわいいの親心のまにく昼夜を分かたずお見守り下さり常に陽気ぐらしが出来るようにと天然自然のお働きを通して御守護お導き下さっております事は有難く特に今は山の紅葉や実りの喜びを味わわせて頂く等勿体ない極みでございますしかしながらその収穫の喜びに水を差すような事件が相次いでおり年悪質化しております事は誠に残念でなりません私共は御高恩に対し日御礼申し上げると共に未だ道を知らぬ人に親神様の思召を知らしめ少しでも陽気ぐらしへと歩み出して貰うべくつとめとさづけを芯ににをいがけにおたすけにと勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの大教会にお許し下されたおつとめをつとめる日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同たすけ心も一入に明るく勇んで座りづとめてをどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集い共にお歌を唱和し改めて御礼申し上げる皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向けての心の指針としての諭達第二号が発布されて一年余り又三年千日と仕切って実践項目を申し合わせ成人の歩みを始めてより一年近くになります改めて今日までの歩みを振り返ってみますと果たして人をたすける心の涵養と実践の思いに添い切れているかどうかはなはだおぼつかない感があります昨今のニュースを見てみますと周りから見て何不自由のない恵まれた家庭と思われる家族間で悲惨な事件が起きていますいかににをいがけが行き届いてないかという事を痛感する次第でございます今年もあと一ヶ月余りとなった今こそしっかりと反省し来年に繋げる為にも本年残された日悔いのない成人の歩みを進めさせて頂く覚悟でございます又来る十一月三十日には西境内地拡張整備ふしんの上に笠岡として心を一つに揃えて土持ちひのきしんに汗を流させて頂き年祭に向かう成人への伏せ込みとさせて頂く所存でございます何卒親神様には旬にふさわしい成人を目指しひたむきにたすけ一条の真実をつくし切る皆の誠の心をお受け取り下さり万たすけの上に更なる自由の御守護を賜りまして荒び勝ちなる人の心が我身助かりから人助けの心に立て替わりお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます一寸の話し今春頃行われた婦人会笠岡支部総会に参加送迎バスの運転を頼まれた時の事島根県からは早朝の五時始動です寝ぼけ眼で上級へ途中の各集合場所で諸委員をお迎えして上級教会で参拝後の出発である若手委員と言うより女子青年から手渡された包みなんと手作りサンドイッチに菓子パンでした最近若い女性より頂戴物なんて無かった私は何と幸せ者と喜んでパクついた聞けば前夜から準備したとか心に沁みる味がした大教会までの道のりは委員部の役員が同行者に趣旨やら支部長様の想いを熱弁し意気高揚させている流石じゃのと心地よく走らせて到着総会の内容は前紙面でご存知の通りですその帰り道中が大変やっぱお勤めはが良かったとかが美味しかったの身びいき我が善がりから始まりまあ食べるわ喋るわ呑むわ仕舞いには歌いだす始末賑やかな宴が延と帰着まで続いたそのパワーたるや総会で炸裂したままで箸が転んでもおかしい頃にタイムスリップ陽気なことを地で持ち合わせて居るそれであろう女は道の台とお聞かせ頂きますとおり人間を育む力を持った正に地でありましょう昔御神さんと呼んだのは娘から嫁へさらに姑に化けるからではなく子宮という宮神社が有るからだと聞いたことがある男を生かすも枯れさすのも根からの養分次第とかそんな委員部の日頃の活動は月例会や祭典時のバザーなどを通じて目標に邁進し確かな行動が会長に喜んで頂けるひたぶるの行いと賞賛頂いて百二十年祭への地道な原動力となり皆を引っ張って行く気概がこれからも続いていくであろうそんなサンドイッチの味が忘れられない晩秋であります
かさおか

『かさおか』第42巻 第11号

山葡萄竹本久子作ちぎり絵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次秋季大祭講話要約心を定めて勇んで掛かろう世話人島村廣義先生ひながたは心定めから始まった秋の大祭は立教の元一日を祈念してつとめられるお祭りですこの元一日の様子は教祖伝教典に詳しく書いてありますが教祖をやしろに貰い受けたいという親神様のお告げに対して当時の中山家の方と親神様との問答が三日間にわたって繰り広げられ結果として夫善兵衛様が一身一家の都合を捨てて親神様の仰せに従う旨を答えられたこの心定めがお道の始まりです夫善兵衛様のこの心定めこそ信仰者としての私たちの何よりもの心定めのひながた手本だと思いますそれぞれがお道に引き寄せられた元一日たすけられた喜びとお礼の気持から御恩報じを思い立ち心定めてこの信仰を続けているお互いですがその心定めは夫善兵衛様のこの心定めを手本として今日まで初代から延と続けて守ってきた心定めであるはずです立教の元一日を思案しそこからそれぞれがお道に引き寄せられた元一日を思案して先を見据えて御恩報じの道を歩むその心定めの程を改めてお誓い申し上げて思召に応えられるように通ることこれが大祭をつとめる一つの意義だと思いますつとめはたすけの元立てさづけはたすけ一条のこうのうの理教祖は子ども可愛い親心から親神様の教えを私たちに伝えられたばかりではなく私たちが安心して通れるようにと五十年にわたって陽気ぐらしへのたすけ一条の道を御自ら身に示して通られひながたの道を遺されました私たちが陽気ぐらしへの道を辿ろうとするとき常に教祖の親心溢れるひながたの道があるわけで私たちにとって何とありがたくまた頼もしい限りかと思案します教祖は陽気ぐらしへのたすけ一条の道としておつとめを教えられおさづけの理を渡されましたおつとめはよろづたすけの御守護を頂く手立てたすけの根本の手立てだと教えられますおつとめは私たちの親神様へのつとめであり親神様は元の神様実の神様ですその元を立てるのが元立てで元を立てるからお互いの身が立つのですおつとめがたすけの元立てだという意味はここにあるわけです命の源であり勇む力の源である親神様のお心に溶け込むのですおつとめをすると本当に何時しか気が晴れて心が澄んでまいりますが親神様のをやという理を戴くから心が澄んでくるのですこのたすけの元立てであるつとめの完成とそれに向かう人の心の成人を教祖は現身をもって急き込まれましたおさづけの理については人にたすかってもらいたいとの誠の心に授けられるたすけ一条のこうのうの理と仰いますおつとめはよろづたすけでありおさづけの理は身上だすけのために渡されます教典の第二章にさづけの理はたすけ一条を誓う一日の日の真心に授けられる生涯末代の宝であつてこの理をうけて親神のよふぼくの馳せ巡るところ広い世界に不思議なたすけは相ついで現れると述べられていますおさづけの理は一名一人の心の真実を見定めてたすけ一条のために渡されるのですから戴くだけで終わってたすけ一条のために使わなかったなら親神様の深い親心には応えられませんおさづけの理には子ども可愛いそれゆえ二十五年の定命を縮めて世界だすけを急き込まれた教祖の親心がこめられていることをお互いはしっかりと自覚しそれに応えなければなりませんおさづけの理は人様に取り次いで初めてその結構さが分かりまたその喜びも味わえます真柱様はおさづけの理は教え通りにおつとめをつとめられなかった苦難の時代にも道の飛躍的な発展をもたらした心強い手掛かりでしたと話されていますが政府からの迫害干渉の中でも先人たちはこのおさづけによって教勢伸展の御守護をいただきましたともすれば科学万能とするこの社会情勢の中で私たちはおさづけの取り次ぎが疎かになってはいないでしょうかお互いにもっとおさづけの理の大切さを自覚しその取り次ぎに真実を尽くさねばならないことを自覚しなければなりません誠真実は已むに已まれぬ心と行ないまたおさづけを取り次ぐよふぼくが真剣に心を揃えて教会のおつとめをするこれこそが本当のつとめの在り方だと話されます真柱様は諭達第二号でにをいがけおたすけが年祭を迎える私たちの最も大切な信仰実践だと諭されます教会長布教師だけでなく人だすけのための宝を頂戴している全よふぼくがその使命を自覚しておたすけの心を持ってもらいたい人だすけの実行を心掛けてもらいたいと仰いますおたすけといえば思い浮かぶ逸話で桝井伊三郎先生のお話しがあります教祖の元へ母親の身上たすけを願い出た伊三郎先生がお母さんの身上はたすからんでとの教祖の仰せに諦めて家へ帰られるが苦しむ母親の姿を見て二度ならず三度教祖の元へ願い出られたその真実に対して子どもとして救からんものをなんでもと言うて子供が親のために運ぶ心これ真実やがな真実なら神が受け取ると仰せられたすけられたというお話しですお母さんはたすからん命をたすけられ八十八才までの長命を過ごされたと記されています人をたすける心は真の誠と教えられますが病気で苦しんでいる母親の姿にどうでもたすけてもらいたいならん中を何とかたすけてもらいたいと再三願い出られた伊三郎先生の真実見ておれない放っておけないこの何でもどうでもたすかってもらいたいという心と行ないこそが親神様にお受け取りいただく誠真実ですこの何でもどうでもという已むに已まれぬ心がなかったらおたすけはできません期日月日日祭典終了後場所大教会談話室にて受付師走の時季を迎え輸血用血液が非常に不足致します身上かしものかりものとお教え頂いております親神様のおはたらきに感謝して勇んで献血ひのきしんにつとめよう私たちの初代がたすけられたときのことを考え合わせてみると命をたすけられた喜びから御恩返しをしようと思い立ち已むに已まれぬ御恩報じの気持からどうでもたすけたいたすかってもらいたいという人だすけへの心の変化があったと思いますこれがおたすけの上には必要不可欠だと思いますが今日の私たちよふぼくに一番求められることではないかと思案しますたすけられた勇み心をもってにをいがけ理作り伏せ込みを裏付けとしておたすけ今おたすけにをいがけの実動を仕切って促されますがにをいがけはただの行事ではありません元を教えてたすける道への案内だと教えられますそこからおたすけへと進んでいきますがそれだけに相手さんに信用してもらえるまでのこちら側の誠実さまた重ねて足を運ぶ根気そのためには日教えに沿った生き方を自らどんなに心掛けて通っているかということが一番問題になりますこのお道のおたすけは心だすけです心をたすけるためには先ず自らが相手の心の内をしっかり聞くことから始まると思いますがさらには相手の方の苦しみ悩み心の痛みを共感できるところまでこちらが受け止めることが何よりも肝心だと思います教祖のおたすけの根本基本は本当に子ども可愛い親心からですこの点については逸話篇にいろいろと示されるところです人間思案に流されず固い信念をもち理の筋道を立ててしっかり自らが真剣に通ることがおたすけでは一番大切だと思います御逸話の中に人を救けるのやでと仰せられた教祖にどうしたら人さんが救かりますかと尋ねられたのに答えて教祖はあんたの救かったことを人さんに真剣に話さして頂くのやでと仰ったとありますこれしかにをいがけに行っての話しはありません自分が直接たすけられた実感がないのなら先祖がお道に引き寄せられたときのことを考え信仰を始めた経緯そこから御恩報じで通るようになったことまたたすけられた喜びに御恩報じのためににをいがけに歩いていることを話したらどうでしょうかたすけられたことが台ですから話しの取っ付きはかしものかりもののお話しでこれが教えの台とお聞かせいただきますにをいがけに行って聞いてくださるところは自分のたすかった話しをしそれからかしものかりものの御教理に移っていきます改めて自らの入信の元一日を思案することに立ち返らなければ勇みの心は湧いてこないと思います日月年末大掃除日土詰所餅搗き神様に御守護いただくのにおつとめをつとめることも大切ですがおたすけの御用の上でもう一つ大事なことは裏付けとなる理作り銘がしっかり伏せ込むことが不可欠だと思います旬に打ち出されるおぢばの声を頼りにおたすけに際して自らもしっかり心を定めそれぞれが人様の難儀不自由にしっかり誠真実を尽くすことだと思いますおぢばでは百二十年祭に向かう伏せ込みの場としておやしきの西境内地拡張整備土持ちひのきしんまたおやさとやかた南右第二棟ふしんを打ち出されましたそれらだけではなくおぢばは私たちが常から真実誠を伏せ込む親許ですたすけの根元であるこのぢばにそれぞれが真実誠をつくしはこび親神様に誠真実を受け取ってもらうことが何よりもの御守護の根本ですつくす理はこぶ理によっていんねんの理も切ってもらいまた結構な御守護を頂戴できることは別席でもお話しいただくところです神様の鮮やかなお働きを願う前に自らがおぢばにまたおぢばの出張り場所である教会にしっかり足を運んで真心を伏せ込むことが肝心ですさあ実動の旬教祖百二十年祭は混迷する世の中に対して陽気ぐらしへの方向転換の第一歩ともなるたすけの旬成人の旬だと仰せられます真柱様はこの道を歩むお互いが心の向きを揃え挙ってたすけ一条に邁進して今からたすけするのやでとやしろの扉を開いて世界ろくぢに踏み均しに出られた教祖の大いなるお心にお応えしたいと仰います私たちがこの世おさめの真実の道に目覚めてたすけ一条の真のよふぼくとしてをやの思いに近づく歩みをしっかり実動することこれこそが今日の私たちのつとめだと思います一人ひとりが先ずは動くこと一人が一人に呼びかけてしっかりこの元なるをやを知らしめ元を知らせることからたすけが始まると仰せられますが身近なところから先ず行動を起こし一つひとつお喜びいただける実績を積み上げて三年後の教祖百二十年祭には互いに導きたすけた方をおぢばにお連れ帰りして教祖によう帰ってきたなあとお喜びいただけるような三年千日活動にしたいと思います勇んで掛かれば神が勇む神が勇めば何処迄も世界勇ますと仰せられます残された二年二ヶ月どうでもこうでも心定めてをやにお喜びいただける道をしっかり通ることをお誓いして今日のお話しは終わります直属ひのきしん五日隊第次隊立教年平成年月日火日土親里に真実の汗伏せ込もう女子青年大会に参加して婦人会本部主催による第二十三回女子青年大会が十一月三日本部中庭で直前から降りだした雨の中を開催されました当笠岡支部からは大型バスをはじめマイクロバス乗用車電車等で多数帰参又おぢば在住の高校生と本部勤務者を含め総勢百二十七名うち少年会員十六名が参加させて頂きましたなお別席者は初席二名中席五名でした婦人会長様はおつとめを十分につとめられる女子青年に育ちおぢばがえりの尊さ喜びを感じられる大会を進めてこられました女子青年の三つのかどめ一教会へ参拝しましょう一ひのきしんをしましょう一にをいがけをしましょうを実行することが教祖百二十年祭活動の底力となる働きにつながるとお示し下さいました参加者は雨中にもかかわらず最後までつとめさせて頂きました殿内でのおつとめ終了後詰所へ帰り支第回女子青年大会式典を終え支部長様を囲んで女子青年会員婦人会ひまわり会未来を担う道の子が一堂に会し記念撮影笑顔溢れる大会であった於詰所講堂部長様の親心で冷えた体を暖めるべくお風呂へ入らせて頂きましたのち支部長様より元の理からみたおつとめについてお話頂きましたそして参加者全員支部長様を囲んで記念撮影の後二年後に開催される女子青年大会での再会を誓い合って感激のうちに終えさせて頂きました最後になりましたが大教会長様をはじめ教会長様詰所の先生方車を運転して下さった皆様方に心より厚く御礼申し上げます誠にありがとうございました今回心定め以上に参加者の御守護を頂くことが出来ましたことは女子青年委員長をはじめ委員のみなさん方の一重に心をつくし世話取りされた賜とお労い致します婦人会常任委員岡崎豊子女子青年大会を終えて十一月三日本部中庭に於いて第二十三回女子青年大会が開催されました笠岡支部からも百二十名を超える参加者の御守護をいただき感動の大会となりました大会を振り返り大教会長様支部長様をはじめ担当者の奥様方婦人会またひまわり会の大勢のお力添えをいただき心からお礼申し上げます大会に向けての準備が始まり月に一度の委員会ではなかなか内容が進まずまた現在の委員はお道専務の者が少なく毎回参加出来る人数は四五名で仕事の合間をぬっての準備となりました大会への理づくりの意味も込めて毎月機関誌つぼみを発行させていただいております毎回同じ委員で作成しているうちにある頃からさせていただくという思いよりしなければいけないという気持ちに変わりつつある事に皆が気づき始めていましたこのままでは駄目だと思いながらも行動に移す事が出来なかったある日作成したつぼみを支部長様に見て頂くためお持ちしたところもっと自分達の言葉で表現するコーナーがあってもいいのではと一言の助言を下さいましたその瞬間変えるなら今しかないもう一度作り直そうと思い今まで考えていなかった読んで下さっている会員さんの顔を思い浮かべて私達委員の思いを言葉にするつぼみ作りを始めたのですちょうど大会まであと四ヵ月と迫った日の事でしたそしていよいよ近づく大会に一人でも多くの会員さんとおぢばへ帰らせていただくため直接お誘いのをさせていただくこととなりました仕事を抱えての声掛けは予想以上に進まずお誘いした会員さんも当然仕事や勉強で忙しくされている方ばかりで声掛けは肥になると以前に聞いた事がありましたが本当に芽が出るのだろうか大会まで間に合わないと落ち込む日が続きましたところが間近になった十月中旬頃から徐に増え始め最終的に百二十名を超えるご守護を見せていただきました十一月二日出発の為に大教会に集合した会員さんの多さに改めて多方面にお声掛けして下さった大教会長様や支部長様各委員部長様の親心をひしひしと感じ喜びでいっぱいになりましたその日の夜は支部長様のあたたかい親心でひまわり会の方もお手伝いして下さりホテルのバイキングのような沢山の料理を準備していただき賑やかにお楽しみ行事を開催させていただきましたそして大会当日中庭での式典の後神殿にて揃っておつとめをつとめさせていただきました皆の心がひとつになった瞬間の感動は言葉では言い表す事が出来ないほどのものでした団参中も無事にお連れ通りいただき貴重な経験となりましたご協力をいただいた皆様に感謝の気持ちでいっぱいですまた二年後の女子青年大会に向けて新たな気持ちでしっかりと歩ませていただくことを強く決心しました女子青年委員長笹尾理栄原原稿稿募募集集内容小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字数字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です寄稿先下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい便岡山県郵尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい私の修養科七四九期森本正典木立の枯葉と共に冬の色も日毎に濃くなって参りました今日この頃へ連なる方へはいかがお過ごしでしょうかさてこの度修養科第七四九期が九月一日より始まり笠岡の修養科生私を含め六名が無事日を通らせて頂きましたのでその感動と感謝の思いをお世話になった各先生や教友そして今後修養科生活を送られる方にお伝えさせて頂きたいと思い筆を執らせて頂きました色と書き綴る前にまず私が修養科へ行きたいと願うようになったきっかけからお伝えさせて頂きますそれは以前教会の方や親族の方達の顔にどろを塗る様な道中を通り同時に積んできたほこりを払いもう一度天理教を真剣に学びたいそして胸を張ってやって行きたいと思ったからであります私はバカですバカ息子です若い頃には暴走族をしたりやくざの真似事をしたり教会は暴走族のたまり場の様な時も有りました親に迷惑を掛けたと思っていますこんなバカを本気で助け支え続け信じてくれた信者様を始め父母兄弟妹達そして地元に待つ本当の友達に恩返しをする為のステップにまず修養科が必要だったのです私には莫大な借金がありました借金を払うまでに三年それから三年は理づみの道中だったと思います三年前よし行こうと胸を張り会長様に修養科のお許しを願うと満きしたら行ける様に勝手になる仕事を無理に休む事なく人に迷惑をかけんよう行こうと思ても行かれん所行きとうのうても行かんならん所とあると聞き成る程と納得をしましたやがて親神様からのお許しが出たかの様にとても忙しい中行ってしっかり思った事をしてきなさいと業者や関係者の方から背中を押されるように修養科へ来させて頂く事が出来ました面接の時にあーこの七四九期に入れて良かったと思いました皆全国から集まった同期だ仲間なんだと強く感じとにかく自分の癖であるケンカ早い切れるというものを出さない様に頑張ろうと心に誓い一ヵ月目に突入しました始めは慣れないせいも有り疲れが溜まり不足を多く感じていました色な事を同じ組の人に相談するとたったの三ヵ月なのにもう不足ですか駄目じゃないですか皆同じようにつらい思いしているのにもっと頑張りましょうよつらいからこそ人は皆集まり皆と打ちとけたんじゃないんですかと言われたからびっくりしましたそう言ってくれたその人は天理教の事はほとんど知らないまま修養科へつれて来られたと言っていました生まれてから天理教の子として育った私には大きな一言でしたそうだったと感じすぐに心に言い聞かせ切り替える事が出来ましたそれからというもの色んな事が変わりました私が不足を抱いていた人の言葉が違って来たのですそして行動さえもがらりと変わりこちらが戸惑う位に感じましたあっこれが心通りかなと実感し親神様にお礼を申し上げましたそれまでにあった偏頭痛も消え修練も休む事なく通ることが出来ました修養科に来て出会った人は沢山いますその中でも取り分け接する機会が多い詰所の同室の人にも色と支えて貰いました私が具合が悪いと思えばすぐにおさづけの取次をして下さり色んな事に対応し話を聞いて貰いました共に悩み共に成人し一緒に修了証書を頂こうと肩をたたき合いましたお手ふり等覚える事が頭に入らず自信を無くしかけては励まし合い一生忘れ得ぬ友であると感じましたやがて一ヵ月が過ぎ二ヵ月目を迎える頃には詰所内だけでなく色んなクラスの人達とも打ちとける事が出来ました対人恐怖症のなごりが人との間に壁を作っていましたどうしてもそんな自分を変えたかった正直話す事さえ辛いと思う事もあったので打ちとける事が出来た時はとても嬉しかったです時には友達同志のいざこざや身上事情に一緒になって悩み励まし合える様になって来ていつしか対人恐怖症を克服できた様に思いました皆それぞれにプライドを捨て我欲を払拭しひのきしんや朝夕のおつとめを頑張っていますそんな仲間に会えたからこそこちらも励まされ頑張れた様な気がしますもうすぐ三ヵ月を終え皆とも離れると思うととても辛いまだまだ一緒に学び一緒に頑張りたい通ってみると本当に短い三ヵ月だったと思いますやがて地方に飛び立って行ったらここで感じた事学んだ色んな事は忘れたくないですむしろ糧にして修了証を頂いてからの人生を歩んで行きたいここを出たら八つのほこりを日納消しつつ工事現場でにをいをかけて通りたい今まで話せなかった教会の人達に感謝の気持で対応したい今まであまり使っていなかったおさづけを多くの人に取次たい後世にあます事なく伝えたいです出来る事出来ない事出来る時出来ない時色あると思いますが我が教会我が大教会我が天理教の為頑張ります修養科生活七四九期辻井里実修養科第七四九期としておぢばに帰らせて頂いて二ヵ月が過ぎ修養科生活も残りわずかになりましたこの二ヶ月間は一日一日をとても充実して通らせてもらいました私は修養科に来て初めて聴覚障害という身上を持った人たちと接する機会を与えて頂きました修養科が始まって最初の日クラスで私と同い年くらいの女の子と目が合いました私の中で何か感じるものがあり彼女と話をしたいと思いましたどう話しかけようかと考えていた所に手話の先生が来て彼女と手話で会話を始めましたそこで初めて彼女が聴覚障害者であることを知りましたが私の思いに変わりはなくその日のうちに本屋で手話の本を購入し一人で手話を勉強し始めました朝の挨拶から覚えて毎日少しずつ練習して覚えたての手話で話しかけるという日が続きました三四日した頃彼女は幼い頃から厳しい訓練を受けていて口型口唇の型でだいたい相手の言葉を判断できることを知りましたそれからは手話を覚えながら身ぶりも交えて話をするようになりました音が聞こえないことは今まで当たり前のように五体満足で通らせてもらって来た私にとって想像以上に大変な事だと思い知らされましたすぐ前を歩く彼女を呼び止めるのにも走って追いかけなくてはいけなかったり普段使っている言葉をそのまま手話にするのはとても難しく物事を簡素に話す事にも困る事がありました人に想いを伝えることは言葉を話す事が出来てもなかなか上手く行かないのにコミュニケーションの要である会話をする事がスムーズに出来ないのはとてももどかしく大変な事だと思いました今では根気強く私の質問に答えてくれる彼女のお陰でだいぶ思いを伝え合えるようになり何事もすぐに諦めないことが肝心だと身を以て経験することが出来ました聴覚障害を持った人たち接する中で改めて自分が健聴である事五体満足である事の有り難さを毎日実感しています修養科では自分の周りで見せて頂くことがたくさんありますが少しでもまるく大きくなれるように残りの修養科生活を喜んで通らせて頂きたいと思います本部青年会総会は一年に一度真柱様が我青年会員に対して我の歩むべき道筋方向性をご教示下さる日でありますここに総会当日のお言葉を抜粋して掲載させていただきます要旨青年会では年祭活動の具体的なスローガンとして別席者の増加ということを掲げている全ての会員がこれを自分の目標励みにしようと心を第回青年会総会中庭を埋めた会員たちそろえることが第一歩だということを忘れないようにしてほしいそもそも別席は教理も何も知らない人に教えの概要を紹介する場ではない親神様の御守護をありがたいと感じ親心に感謝しさらに一層深く教えの理を心に治めてご恩報じにつとめさせていただきたいという心で聞かせていただく話である一人の人ににをいが掛かり別席を運ぶまでに丹精するのは簡単なことではないそれには皆さんの真実が大切だと思う別席を運んでもらうだけが目的ではなくおさづけの理を拝戴しておたすけをさせていただけるようになってもらうことが本来の目的だということを忘れないようにしなければならないいまは教祖百二十年祭への三年千日を仕切った活動の最中だということ非常時と耳にすることで分かるように普段ではない時であるこの三年を青年会のあらきとうりょうの意気そして真実の心をもって目標である別席者の増加ということに集中して当たっていただきたいその歩みを素直に一歩踏み出せばおのずと道は開けてくると信ずるひのきしん隊の宿舎百母屋でこの原稿をまとめている最中家内からメールが届きました孝祐六才の息子が人は死んだらどうなるのか心配で泣きながら寝付いたどう答えたらよいかと私は出直しの教えを小さい頃から聞いていたので死についてあまり考えたことはなかった人は死んだらまた赤ちゃんになって生まれ替わると伝えてと返信しました教祖は魂は生き通しており死をもって一切のものが無に帰すのではなく生死を繰り返して成人を遂げたあかつきには病まず弱らず死なない珍しい不思議なご守護をお約束下されています出直すとは文字通りやり直すことであり今世来世来世と何度もやり直して少しづつ成人の歩を進めて親神様の思召通りの人間へと近づく道程であります教祖百二十年祭を迎えるこの時旬に真柱様は我青年会員に対して成人の歩みをより力強くする手段を明確にお示し下さいましたそれは別席者の増加であり一人の人におたすけをさせていただけるようになってもらう努力を通して我の心の成人をご期待下されておられるに違いありません会員の皆さん別席者の増加を成人の手立てとして歩んでいこうではありませんか青年会笠岡分会委員長佐藤真孝去る十月二十八日火晴天の御守護の下予選を勝ち抜いた代表一一五チームが登録全三十九チームが一堂親里球場に会し開会式を皮切りに今年で三十一回目を迎える全教野球大会が盛大に開催された神聖なる開会式開会式の席上参加チームを代表し我が笠岡ブラザーズが選手宣誓の大役に預かりチームキャプテンの氏にその白羽の矢が譲り廻った無論整列した各チームの遙か先頭に立つ羽目になる事は言うに及ばず風貌たるや痩躯中背丹念に洗濯し直され黒白の球衣に身を包み神聖背番号のゼッケンが朝日に輝く満面紅潮を惜しみなく露呈し決意漲る口元はしっきとへの字に結対南和戦喜び溢れ打席に立つナイン達ばれ天高く突き刺すかの如きに伸びきった右手は興奮と感激の念に噎せビブラートを帯びる注目の時が流れ超ド級のうねり上がった宣誓の声が満を持して放たれた瞬間一斉にフラッシュを焚く光に我を奪われた氏の絶頂を回想するにいと容易い舞台ではあったこの千載一遇を機に選手生命を捧げ果敢に挑んだ氏の気概と名台詞に満場割れんばかりの拍手喝采が怒濤の如く鳴り響き名迷門笠岡ブラザーズ此処に有りと一躍全国区にその名を知らしめたのであった再結成以来苦節六年我がチーム球史を飾るに余りある一シーンであるその後一行は安堵の間も無く第一試合が行われる白川仮設球場グランドへと直行する事になる白川グランド二年ぶり三回目の出場を果たした我がチームは秋季キャンプを張ることなく無謀にも夢望とも取れる初戦突破を掲げ激戦区奈良大会を制した南和分教会チームと対戦した両チーム握手を交わしジャンケン先攻を取り先ずはさい先の良いスタートを誰もが切る筈だったところが相手ピッチャーの立ち上がりも殊の外冴え敢え無く斬り返されたピンチはその裏とりつく島も与えず訪れた終始我がエースピッチャーの超速球は打たれ得ぬまま立ち上がりノーヒットで俊足揃いのランナーに二点を献上更にダブルプレーを焦ったベテランらしからぬプレーも続出し計四点を与える結果となったピンチの後は必ずしもピンチのままでないのが野球の妙二回表クリーンアップの攻撃で早くもチャンスを迎えるフォアボール中前ヒットで無死一二塁監督を兼ねた氏が一塁ランナーに出て一転ムードは押せ押せ此処で当然ベンチを見るが監督は塁上其処には多忙の中時間を割き一声とばかり声援に駆け参じ下された大教会長様をはじめ詰所主任先生教養主任先生助員先生現役療養中氏の笠岡きっての超豪華ゲストの方に加え女子四名の方の花を添えての応援を頂く当然一同脱帽の上小拝この小機を見逃さなかった相手バッテリーソツ無く牽制球二塁タッチアウト見事な連携を見せチャンスの芽を積大教会長様もご声援下されたがみ取ったかに思えたが二死後再び中前安打満塁とし一打同点本塁打の機運高まる此の絶好機にヒーロー誕生の甘い香りを漂わせながら指定席に向かった氏相手ピッチャーのカーブに酔い我に酔い打球は強烈な衝撃音を残しながらも堅守に阻まれ惜しくも点に結び付ける事が出来なかったその後二点一点と得点されるも回を追う毎に制球が定まり安定感抜群本来の右腕本格派投手の片鱗を見せつけた期待のルーキー氏バッテリー間の呼吸も俄に増してやや難のあるマウンド裁きさえ覚えれば逸材になる事間違いなしの活躍であったその後チャンスも幾度か訪れ得点圏内にランナーを出すもあと一つ繋がらなかったその中圧巻であったのは我がチーム監督自ら二安打の活躍を見せ果敢に俊足重体を揺るがし二塁を攻め落としたかに思えたが好返球が二塁手の下に送られタッチアウト血気盛んな頃を今にして思い出させるハッスルプレーではあった予定された時間が差し迫り零対七の時間切れコールドの結果に終わったが安打に関しては相手チームを上回り点数に見る程の大差ではなかったかの様ではあるただ痛切せねばならぬ事は練習一字に尽きる事は言うまでもないまた今回平日の真っ直中にありベストメンバーで挑む事が出来なかった事は因であるがその縁として初参加を遂げたヤング層の広がりと又今回も野球を通して新たによふぼくを目指す人もできあらきとうりょうが誕生する場に於いてその名が示す通りワールドブラザーズの名を輝くものにしているこのチーム指針に一助の手をお差し延べ下された親神様教祖に改めて感謝致し大教会長様をはじめ諸先生方の厚きご支援ご協力を賜りました事この場をおかりして御礼申し上げます誠にありがとうございましたまた来年に向け活動を今まで以上に活発に進め青年会層の交流の場としてお使い頂けるべく努力をさせて頂きその輪を広げさせて頂きたいと存じますその一つとして大教会長様のお許しを頂き来年ソフトボール大会を開催させて頂く事になりました詳細は本誌にて後日掲載させて頂きますので何卒宜しくご協力を賜りますようお願い申し上げます広報担当中村義太郎試合を終え更なる躍進を誓うナイン総括にをいがけおたすけ実修会を終えて元一日に返り布教の渦を巻き起こそうにをいがけおたすけ実修会要員百三十三名が任命されて三月四月におかきさげおさづけの取り次ぎ方布教実修と研修会を重ね五月から九月迄部内教会へと出向いてにをいがけおたすけ実修会をさせて頂きましたこの実修会は大教会長様が教祖百二十年祭へ向けて一番大切な事としてにをいがけおたすけを強く推進したいとの思いから始められました今はたすけの旬たすかる旬とお教え頂きます先達の方が一生懸命運ばれつくされたお陰で現在の道の栄えがある事を思えば人を救けて我身たすかるとお教え頂く事の実践しかないのではと思わして頂きますおさづけを取り次ぎ目の前で見せて頂く御守護に喜び勇み感激を体験させて下さる旬今やらねば本当の信仰を培う事は出来ないと思います来年再来年と年二回実修会を各教会で実施する事をお打ち出し頂いておりますが実修会だけに終わる事なく毎日の積み重ねこそが旬に応えさせて頂く私達の使命ではないでしょうか大教会長様の強い思いを戴いて布教の渦を巻き起こそうを合言葉に教祖百二十年祭へとつとめ切らせて頂こうではありませんか布教部員岡崎和夫ー西境内地拡張整備ひのきしんー直属ひのきしん五日隊では十一月一日より五日迄直属ひのきしん五日隊の第一次として三十三名が伏せ込ませて頂きましたこれは教祖百二十年祭へ向けて打ち出されました西境内地拡張整備ふしんにぢばへの伏せ込みはたすけの理づくりとお教え頂く上から六月二十五日の事始めより連日多くの教友が土持ちひのきしんに励んでこられました更に八月初旬からは五日隊も編成されました第一次隊の参加者の第一次五日隊喜び溢れる参加者たち於普請現場内訳は直七名直五名福山五名高屋七名島根五名上下府中市四名でした第一日目は結隊式マイクロワゴン車に分乗して神殿に参拝お願いづとめの後本部より下付された真新しいおやさとひのきしんの旗を先頭に勇躍ふしん現場に向かい九時より二時間昼休憩を挟んで一時三十分より二時間適宜休憩を取りながら片道二百メートルの道のりをモッコを担う人一輪車を押す人布製の小袋を持つ人各体調に合わせて十一月の初旬にしてはかなり日射しも強く足腰の不自由な方にとっては少きついかなと思われましたが親神様からのかりものの身体に感謝し一荷の土でも運ばせて頂きたいとの思いか皆満面に笑みを浮かべ喜びの汗を流させて頂きました夕づとめ後の修練は各班で大教会の実践項目についてねりあいをもちました二日目は昨日と打って変わって曇り空の下でしたが絶好のひのきしん日和で勇んでつとめさせて頂き修練は世話班佐藤氏の教話がありました三日目に入り大教会長様も御参加下さり小雨の降る中も皆一層勇み心につとめさせて頂きましたが午後からは雨足も激しくなり休養としました少し疲れも出てきていた矢先の雨で文字通り恵みの雨だったのでは夜は各班代表三名による感話を聞き終了四日目は昨日の休養で英気を養ったお陰で元気いっぱいつとめさせて頂き夜は大教会の親心で会食をさせて頂き一同時旬の働きについて大いに語り合いました最終日は午前の作業終了後神殿に参拝お礼づとめ詰所にて解隊式後解散しました五日間を振り返りました時に期間中事故過ちもなく終えさせて頂き又皆さん方が一手一つにぢばへの伏せ込みに心から喜び勇んでつとめられました姿に接して今さらながらぢばの理の尊さ御存命の教祖の温かい親心を強く感じさせて頂き本当にありがたく嬉しく思わせて頂きました又ある年輩の会長さんが身上ながらも懸命に頑張っておられる姿に思わずあまり無理をしないで下さいと申しますといやこれくらい頑張らずにはおれんと申されましたその目は日頃の身上かりものの御恩報じとかすけの理づくりですと申しておられるように私には感じられました今回参加されました方全員が年祭活動への勇み心を秘めて国所へお帰り下さったと確信致しております尚今後のの五日隊の予定は第六次隊立教百六十八年まであります第二次隊は来年立教百六十七年一月二十六日より始まります御参加をお待ちしております布教部長佐藤道孝談話室尊い御用を頂いて稲倉分教会前会長夫人北川美子一昨年の暮大教会長様より憩の家事情部へつとめさせて頂く様にとのお言葉を頂き私は一瞬目の前が真白になりました而も期限が一応五年間という長い期間でありそれ以来ことある毎に人間思案が頭の中を駆け巡りました先輩である廣町分教会の前奥様にお伺いしますと病棟のおたすけだけでなく月一回の割合いで夕勤後のお話十五分お昼の全館放送十五分宿直等色なお仕事をさせて頂くことを伺いますく案じ心が強くなったのです早速神様より御仕込み頂きました腰痛と耳鳴り病院へ行き治療して頂くのですが益痛くなり夜は耳鳴りで眠れず本当に困りました大教会長様よりおぢばでの尊い理の御用を頂き乍らあれにこれにと人間思案を重ねる自分の未熟さを心からお詫びしお受けする御返事を申し上げた次第です昨年三月二十五日部長先生との面接も腰は未だ完全ではなかったのですが存命の教祖にお縋りして一生懸命つとめさせて頂こうと心に誓いました早いもので昨年四月一日より勤務以来一年八ヵ月の月日が経ち腰の身上もすっかり御守護頂きました二代真柱様の憩の家創設理念をお聞かせ頂く度にこの憩の家の姿を今迄は外からしか分からなかったのですが今改めて感動の日を過させて頂いております二代真柱様は利用者に可能な限りの満足感を与えて頂くことが出来たら私としてこの上ない喜びであり又憩の家の理想へと着と歩を進めている事になると仰せられています又私達一人一人の歩み方をこれ以上出来ないと言える親切をもって可能な限りの満足感を与えてと強くお示し下され憩の家の理想を要望されています毎朝部長先生の前で一同今日も一日親神様教祖様にお喜び頂ける様つとめさせて頂きますとお誓ひし笑顔と親切を実践させて頂く様心がけております未信の方が大半をしめる入院の方の中にはおさづけに不信感を抱きことわられる事もしばくです陰乍らお祈りさせて頂きますと明るく引き下がるのですが手術が近付き病状が進みますと不安になられ先生おさづけって何ですかと質問され教祖のお話おさづけの素晴らしさを体験を通して話させて頂きお取り次ぎさせて頂く時御存命の教祖のお働きを感じ思はず涙がこぼれます抗癌剤投与で苦しい中を明日への希望をつないで治療されている方にどんな事でも小さな喜びを共に探して見付けるお手伝いをさせて頂くのが私共のつとめと思はして頂きわけても旬の真只中初心にかえって頑張らして頂こうと心に誓う今日此頃でございます約束福南分教会長掛谷和由私は今笠岡詰所で教養掛助員として勤めさして頂いております修養科七四九期生三ヶ月目の助員です男子二名女子四名の修養科生と共に楽しく過ごさせて頂いていますもうこれで忘れ物はない自分で支度して出てきたのに靴を忘れていた詰所主任の吉岡先生に近くに靴屋はないかお尋ねするとあるあるジャスコが直ぐそこにある何でも売っている行って見られぃと教えて下さった教えられた通り助員専用の自転車に乗り門を出て右に曲がり五分程行くとジャスコに着いた大きな店である靴も売っていた少気に入らなかったけどせっかく来たのだからと思い直して靴とツッカケを買って店を出た自転車の前かごに靴とツッカケの入ったビニール袋を入れて走り出したところが急に用が足したくなって来たのである五分とは言えとても詰所まで持ちそうにない人間の我慢にも限度がある何処か良い場所はないかときょろきょろしながら走っているといい場所があった川の堤防の一部分だろう名も知らぬ雑草が背丈程の高さに伸びて思いくの実をつけ秋風にゆらり揺れている其処に程良いへこみがあり誰に気兼ねする事なく用を足す事が出来た後は詰所に帰るだけである自転車のサドルが高く足が地に届かないのが少気になるがこれ位の事なら我慢出来るそれにしても詰所の周りも随分変わったものである新しい住宅が所狭しと建ち並んでいるあまりの変わり様に感心しながら走っているとあれ笠岡詰所がない大きな笠岡詰所が見えないのです笠岡のハッピを着て笠岡詰所を尋ねる訳もいかずただひたすらに走るだけであった走っているうちに大きな道に出た国道二十五号線です我が青春時代自転車で一人走った覚えのある思い出の道詰所出発から帰所まで二時間あまりかかってしまった親の信仰している天理教の神様は本当にあるのでしょうかあるなら私にその姿を見せて下さい三年のうちに必ず自転車で一人でやって来ますからそんな約束をしたのは中学三年夏の子供団参の時の事でしたそれから四年三ヶ月後の昭和三十三年十月はじめ私はこの道を通って南礼拝場の丸柱の影に泥まみれ汗まみれの姿で座っていました今やって来ました約束の時は過ぎてしまいましたと拝をしていると誰かが私をしっかり抱きしめて下さいましたよう帰って来たなあ声が聞こえた親神様を知らず教祖を知らなかった私ですが私はその時いつかきっと本当の天理教の布教師になりますと約束しました今未だ果たされていない約束教祖百二十年祭いやいつかきっとですよこころの詩今回の課題は自撰六十三句中笠岡に繋がる教友の方三名三句が見事撰ばれ掲載されていましたのでここに転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠川島郷分教会前会長香取敏子自信持ち尽くした種が今芽咲き佳詠東悠分教会長夫人田林美智子自由の守護鮮やかに理の思案佳詠芳井分教会長夫人佐藤香苗自由の守護身に染むとこ養徳社発行病床の中陽気誌十一号道柳より転載前回に引き続き和歌をご紹介致しますいかずちのはざまの蝉の初鳴きにつまうり梅雨あけるらし夫と瓜はむうちあの人に又あの家によろこびを伝えて行かん真夏日の午後東悠分教会田林美智子更なる読者の皆様方の才能溢るる作品のご寄稿をお待ちしております秋季大祭祭文チョちょこれのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にわにんけんはじめかけたのわよふきゆさんがみたいゆへからとの思召のままに泥海中より道具を引き寄せ守護を教え八千八度の生れ更わりを経て人間つくりとこの世をお創造になりお育て下されたばかりでなく子数の年限の到来と共に教祖を社としてこの世の表にお現れになり万いさいを明かしひながたを示してこれのたすけ一条の道をおつけ下さいました加えてをびや許しを道明けとして身上事情を通して次と人をお引き寄せになりお仕込み下さって陽気ぐらしへの足取りを確実なものにして下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお引き寄せ頂いた喜びと御用にお使い頂ける誇りを胸に日は御恩報じを念じつつつとめとさづけを通してたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にもこの月二十六日は親神様が教祖を月日の社とお定めになり世界助けに踏み出された芽出度い日に当たりおぢばでは秋の大祭が執り行われますがこれの大教会でも今日の吉日に理のお許しを戴いて只今からおつとめ奉仕者一同参来集う理に繋がる道の子供達のお歌の唱和と共に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせて頂きます皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申しあげますさて本日は本部世話人島村廣義先生が参拝にお越し下さっておりますので後程教祖百二十年祭に向かう成人の時旬に当たっておぢばの声をお聞かせ頂きますお聞かせ頂く一つ一つをしっかり心に治め実動させて頂くべく成人の糧とさせて頂く所存でございますうちうち又私共は教祖百二十年祭に向けをやの思いをにをいがけ内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそうを合言葉に三つの実践項目を定めてつとめさせて頂いておりますがおぢばでは年祭に向け西境内地拡張整備ふしんやおやさとやかた南右二棟のふしんにも取り掛かって下さっておりますのでそれに真実を伏せ込ませて頂くのはもちろんひながたの万分の一なりとも通らせて頂くべく自ら苦労を求めて御恩報じの道を歩む心を定めて年祭に向かってつとめ切る覚悟でございます何卒親神様には旬に当たっての皆の誠真実の心定めをお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護をお現し下さいまして教祖百二十年祭には共に喜び合う楽しみづくめの道の姿をお見せ下さいますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申しあげます一寸の話し秋も深まり紅葉のシーズンが到来しました天理の銀杏並木も今年も又秋空に黄金色の傘を並べ歩道にはその落ち葉で華麗な絨毯を敷きつめてくれる時期となりさして暑くも寒くもなくひのきしんには絶好の季節となりました教祖百二十年祭に向けての西境内地拡張整備ひのきしんも連日七百名近い参加者で予定より七ヵ月早いピッチで二強完了している様です現場では夫婦親子老若男女が相合し日頃の感謝の念を込め喜び勇んでひのきしんに励む真実の伏せ込みに生気が漲っています親神様教祖もお喜び頂いているものと存じます笠岡隊も十一月始めには五日隊ひのきしん隊を派遣する等日を追う毎に参加者も増加し工事のピッチも更に上がっている様です一部情報では来年夏迄には終了するやの話もあります落ちくしていては終了してしまいます十一月三十日日には伏せ込みひのきしんが実施されますこの際万障繰り合わせて共に真実の伏込みに参加させて頂きましょうむりにどうせといはんでなそこはめいくのむねしだい七下り目六つ
かさおか

『かさおか』第42巻 第10号

柿竹本久子作ちぎり絵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次第二回学生の集い九月二十三日祝では第二回学生の集いが開催されましたこれは昨年から始まり学生担当委員会が主催し青年会と女子青年の協力のもと成り立っている中学三年生以上を対象とした行事で学生八名を含む二十七人が参加しました八名のうち五名が今年の学生生徒修養会高校の部経験者で既知の間柄ということもあってか終始なごやかで二つに分かれたグループには青年会から学生生徒修養会高校の部のカウンセラー経験者がつきグループワークのプログラムを進めていきました昼食は中庭で青年会と女子青年が協力してつくったおにぎり焼きそば焼き鳥唐揚げフライドポテトジュースなどを大教会長様と一緒にいただきました和やかに話を聞き入る受講者達参加した学生達一様に喜んでいた様子でした活用いただきたいと思います今後の課題としましては如何にたくさん本部おせちひのきしん一月四日から七日の学生さんに参加してもらうかということ春の学生おぢばがえり三月二十八日教会の先生方には道の後継者育成の上に学生担当委員会吉岡誠一郎本部直属教区での学生会の行事を是非ごにをいがけおたすけ実修会を通して福成布教所藤井道博今年の三月にをいがけおたすけ実修会要員研修会に参加させて頂きました私は出向させて貰うのは二人一組のペアだと思い込んでいましたまさか一人で出向させて頂く事に成るとは思っておらず経験も無い勉強不足の私におかきさげについて話しなど出来るのだろうかと不安でいっぱいでしたそんなある日青年会布教推進週間で新見に行かせて頂く事に成りました周りは山に囲まれた小さな集落で会員一同神名流しとパンフレットの配布をさせて頂いておりましたところ庭先で両膝を神経痛で病んでおられる御婆さんに出会いましたさっそく神様の御話しをさせて頂きおさづけの御取り次ぎをさせて頂く事に成ったのですが申し訳け無い事に家族以外の方におさづけの御取り次ぎをさせて頂くのは久しぶりの事で初めておさづけを取り次がせて頂く様に緊張しました程良く張り詰めた空気の中何をどう話したのか良く覚えておりませんとにかく必死で神様に御願いをさせて頂きなんとか無事に御取り次ぎをさせて頂く事が出来ました思えば初めておさづけの御取り次ぎの時も今回と同様に無我夢中であったと思いますお陰様で忘れていた何かを思い出した時の様にすがすがしい気持ちに成れましたそして胸に支えていたものが取れ出向させて頂く事が出来たと思います私が行かせて頂いた笠尋分教会では午前中約二時間教会周辺の戸別訪問に行かせて頂き昼食を挿んで午後よりおかきさげについてお話しをさせて頂きました聞き取りにくい話しに真剣に耳を傾けて下さり中にはメモを取って下さる方もいらっしゃいました本当に有り難うございました私はこの実修会を通じて初心を思い返す事が出来たと思います合掌第便集合月日月大教会出発参加御供第便集合月日日大教会出発参加御供天理直行の場合笠岡支部バス団参日時平成年月日日日月集合月日日大教会出発内容ユニバーサルスタジオジャパン散策女子青年大会参加参加御供全行事参加の場合時平成年月日月午前時所本部中庭容式典おつとめ支部のつどい別席象中学生才第回女子青年大会今回の課題は教撰六十こころの詩句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます秀詠東悠分教会長夫人田林美智子人はみな神の子守護を教えられ準秀詠芳阪布教所長杉原幹夫ご諭達に生きる道すじ教えられ養徳社発行陽気誌十月号道柳より転載今回読者の方より和歌のご投稿がありましたので併せて紹介いたしますおさな幼らの帰りしあとの静けさにがゆ七草粥に疲れ癒しぬ手作りの小さな雛を手の平に母と祝いし遠き日想うはなずおう花蘇芳老女の紅さす如く見ゆ四季は豊かに春はことさら日場内対東悠分教会田林美智子作次号に続く更なる読者の皆様方の作品のご寄稿をお待ち致しております談話室母が遺してくれたもの香地華分教会渡邉美恵子母が逝って十八年懐かしさで母への憶いが次にこみあげてきます母は若い頃から体が弱かったのですが病院に行く事はありませんでした病院に行くと二度と帰ってこれないと思っていた様です現に子宮ガンと薄感じながらトイレで大量の下血をして倒れ最後に病院に運ばれたその時まで母は家族に何年も病状を隠しておりました医者に頼らない分信仰は信念は強く特に親への思いは真っすぐで団参となると北九州からおぢばへ船で行くと楽に行けるが皆で上級岡山の教会に行って一緒に出るのが常でしたそんな母が支部の団参に一度出た事があり京都観光中トイレで下血したとっさにバごくックの中の御供を探すが包み紙しかない母はそれを丸のみこみして親神様教祖必死にたすけを願い下血はおさまった何事もない顔で無事おぢば帰り出来た又所属の教会の普請の時いち早く私にお金を持たせてひのきしんに出し会長が支払いに頭を痛めていると聞くや年金を担保に大きな借金をして普請のお供えをした又旅費がなくて月次祭に行けませんと連絡するが祭典当日旅費を工面して会長さん今から行きますそういう母でした常母は私は親不孝のいんねんだからと言っていました親への思いは母の生い立ちにあります生まれは福岡炭坑の町大地主の一人娘で家は旅館と映画館と風呂屋を営んでいた父はマントをひらひら闊歩し女性の憧れの的母三才の時ちょっとした夫婦げんかで母親は実家に帰ったその間の事父親が事故に遭い亡くなった母親はもどらないまま他家へ嫁ぐ三才で両親と別れ祖父母に育てられた母は十代で嫁がせられる奥様として大事にされたが相手が好きになれず一年もせず逃げ帰った身ごもっていたその後母は女の子を連れて再婚四男二女をもうけ一人娘で体の弱い母が八人の親になった姑との仲主人の遊び家族をかかえて生きる為一生懸命頑張った母が入信したのは私が生まれる前の話会社の社宅に住んでいた頃戦時中の配給時我先にと皆が並ぶ中いつも最後の残りクズをとられる奥さんがいた大勢子どももいる母は感心していた母が三人目を身ごもってこの子を産んだら貴女も子供も危ないと言われた時大丈夫神様にもたれて産みなさいと一軒隣のその奥さんに励まされ奥さんの日頃の姿を見ていた母はこの人の言う通りにしようと心に決めて産んだそれから母は三人も産んでいる奥さんは母に信仰の種を蒔いて戦時の悪化する中故郷井原へ帰って行った大恵山分教会の信者であった母が親と思い慕った人である母は私達に理の話をあまりしなかったけれど身をもって教え遺してくれた信仰が何だったのか今私わかるような気がします第期修養科募集要項修養科期間教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目中村剛大教会役員久松分教会長奥忠郎府鮮分教会長西村彦一瑞雲分教会長高木昭祥湯田原分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい月日日今後の予定月日日月日日ひのきしん終了後に修練の時間を検討中です参加御供円ー特別ひのきしん五日隊ー間月日土日水当直名直名福山名髙屋名島根名上下府中市名計名人数が増えても差し支えありません第三十一回全教野球大会組み合わせ決まる去る七月十五日笠岡ワールドブラザーズは予選決勝岡山県代表をかけ岡山大教会チームと対戦する予定であったが折からの長雨と試合順延の日程がとれず大会規約に基づきあみだくじにて代表の座を懸けた結果今年は笠岡ワールドブラザーズに幸運の女神は微笑んだチーム再結成以来六年二年ぶり三度目の全国大会出場となる八月二十五日監督会議並びに抽選会が行われた大会三十一回目を迎える今大会に我がチームは図らずも三十一番のくじを引き見事選手宣誓を行う機会を与えられた気になる初戦は激戦区奈良を勝ち抜いた南和分教会チームと今月二十八日午前八時三十分白川球場グランドで対戦する我がチームは全員野球をモットーに野球を通して用木誕生となった選手もいてお互い信仰を深める場にもなっている若干チームの高齢化は営めないが広く参加者を募り名実共に一列兄弟を目指すその輪に加わって頂きたいまた今後ソフトボール大会を企画し親睦を広げていく方針である青年会総会翌日が初戦時間の許される方挙って応援の程御願い致します次号に続く期割西境内地拡張整備ふしん伏せ込みひのきしん期日月日日九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には限りなく慈しみ深い親心のまにく人間創造の目的である陽気ぐらしを楽しみに日は万一切の御守護を下さると共に旬に応じ成人に応じてお育てお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は常に親神様の御守護お働きを身に感じつつ喜びと感謝の心で生活させて頂いておりますしかしながら世上ではその理が分からず目先の喜びにとらわれ生きる喜びを失い苦しみに喘いでいる人が日多くなっています事は誠に残念でなりません親神様の世界一列たすけたいとの思召に少しでも応えたいものとよふぼくとの自覚を高めつつ日はたすけ一条の御用の上につとめ励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てとお教え頂いたおつとめをつとめる定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心たすけ心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて九月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集い同じ思いに伏し拝み尚もの御守護にお縋りする皆の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今月はにをいがけ強調の月とのお声を頂いておりますので青年会全分会布教推進週間や教区支部のリーフレット全戸配布にをいがけおたすけ実修会等を通していつも以上ににをいがけに出させて頂く事が出来ましたありがとうございました月末には全教一斉にをいがけデーが控えておりますのでそれまで気をゆるめず一層気を引き締めてつとめさせて頂く所存でございます又来月は秋の大祭月でございます各直轄教会への大祭参拝を実施させて頂きお互いに教祖年祭に向かう三年千日の歩みだしの年に当たっての年頭の心定めや実践項目の申し合わせに対しての実動を素直に振り返り誇るべきは誇り反省すべきはしっかり反省して完遂目指して心一つに揃えて実動し邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りに成人を目指す皆の真実誠の心を受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜りまして教祖百二十年祭にはたくましく成人した姿を御覧頂けるようお導きの程を一同と共に慎んでお願いもうしあげます秋季霊祭祭文チョちょこれのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家御先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊大教会創設の頃より長の年月歴代会長と共にご苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます御霊様方には親神様のお見定めと教祖のお引き寄せにより早くからこのたすけ一条の道をお通り下さいましたがその道程は決して平坦なものではなくむしろ険しいものでしたその険しい道を生涯通り切られたのは我身我家の因縁自覚はもとより後に続く子や孫末代に亘ってのたすかりを願ったからに他なりません先の楽しみがあったればこそ今の苦しみを乗り越えて通り切られました今日の道の結構な姿がありますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜であることは申すべきもありませんが又一つには御霊様方が言うに言われん艱難苦労の中も勇んでたすけ一条の真実を伏せ込んで下さったお陰と朝夕に御礼申し上げつつ私共もその思いを受け日たすけ一条の御用の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも本日は秋の霊祭を執り行う定めの日柄でございますので改めて御霊様方をお慕い申し御遺徳を称えたいと存じまして御前に旬の物を供えて只今は参来集うゆかりある人と共におつとめ奉仕者一同勇んで親神様の御前にててをどりをつとめさせて頂きました皆の真実の姿を御覧下さいまして御霊様方にもお勇み頂きたく存じます今お道は教祖百二十年祭に向けて成人の歩みを進めている最中でございます諭達第二号を受け実践項目を申し合わせてたすけ一条の実動の上に勤め励まして頂いておりますが私共の実動以上に世上の心の荒廃が進んでいるように思えてなりません年祭に向けての成人の旬我身我家の事に留まらず大きく世界にも目を向け身近なところからにをいがけおたすけに邁進させて頂く所存でございます御霊様方が通って付けて下さったこの道をより陽気ぐらしへ延ばそうと各の真実を伏せ込む皆の誠の心をお受け取り下さいまして笠岡の道の弥栄えを御守護頂けますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます一寸の話しさてさてさてさても一年この一年心定めてお正月三年千日念じつゝあっという間に秋が来て心ならずも不動尊申し訳なく御座候なんて言葉が浮かぶ今日この頃世間では連日米どろぼうのニュースが流れ田舎町でも皆ビクビクえらい世の中になったものです道も世界も合図立て合いと聞かせてもらいますがどうなのでしょうか先月妻と二人天理教基礎講座を受講させてもらいましたビデオお話し共感動でした先生はほとんど視力が無い中毎日感謝と感激の気持ちでお通りになっておられるとの事その心が素直に感じられやはり原点かしものかりものの理に立ち返える事の大切さを実感しました間もなく三年千日中の年に突入します何はともあれ子供達の時代に勇んで通れる様なお道であってほしいとの願いを込めて精一杯陽気に頑張りましょう
かさおか

『かさおか』第42巻 第9号

キキョウオミナエシ竹本久子作ちぎり絵をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次少年会野外練成会開催少年会笠岡団は八月二十二日から二十四日の二泊三日でサマーキャンプをしました今回が数えて九回目ということでしたが三年ぶりの開催ということで参加者を心配しましたが出発前日には少年会員十五名スタッフ十名の参加者が決まり勇んでつとめようと準備万端整えて二十二日朝全員大教会に集合し参拝の後育成会長さまよりこれから楽しいキャンプをするわけですがどうぞ自然と楽しむと同時に自然のこわさとー全員集合ーいうことも体感してほしいとお話しされ定刻に出発キャンプ地である香川県観音寺ファミリーキャンプ場へと目ざしましたのみました十時には疲れた体を班ごとのテントでぐっすりと休め深い眠りに就き一日目は無事終了しました御馳走が出来たイエーイ朝から快晴の天気であり途中瀬戸大橋からは青い海と島船などが行き交うなど素晴らしい眺めをたんのうしながら目的地へと車を走らせ昼前には琴弾公園に寄りそれぞれの弁当を食べ公園内にある水の芸すいきんくつ術とも言える水琴窟を見学した後キャンプ場へ到着しました早速今回のキャンプのテーマであるたすけ合いと創造のもと皆んなでたすけ合いながら木陰の間にテントを設営しましたテントが設営できたらお待ちかねの海水浴ですいくら歩いて行っても水深が殆ど変わらないという超遠浅の海で存分に泳いだ後夕食のカレーライスづくりに入りましたみんなで手分けをして火をおこして薪でゴハンを炊く係野菜や肉を切ってカレーをつくる係など二時間がかりでやっと自分たちで苦労して作ったカレーはおいしいの一言でした後片づけの後おぢばの方を向いて夕づとめ夕日が水平線に沈むのを見てみんなでなんでお日さまは赤いのかなあと云いながら眺めていました夜は天体観測です地球に近づいた火星や北斗七星さそり座など夜空をポッカリと口をあけながら見上げ満天の星に息を二日目は朝ごはんの後近くのプールで一日中水泳で体を鍛えるという事でひるごはんをはさんで三時頃までウォータースライダーや流れるプールで水遊びをたんのうしました夕食はバーベキューみんなで早速準備をしごはんも三回目なので上手く炊けるようになり班ごとに網の上で焼いた肉やソーセージ野菜をしっかりと頂きました夜は近くの風呂屋さんで汗を流し早めの就寝となりました三日目は大忙し朝ごはんの後撤収に入りテントシュラフランタン資材箱整理などを元通りに収め出発前まで再び海の中でのボールゲーム等を楽しみ十一時半には退村式を行いお世話になったキャンプ場を後にしました途中砂でつくった銭形を山の中から見学し昔の人は機械力もなく手作業でよくつくったものだと感心記念写真を撮って帰途に就きましたバスの中では皆疲れているのか無言でグスカグスカ大教会には予定通り三時に到着親神さまおやさまみたまさまに御礼を申し上げた後おやつのアイスクリームを食べて楽しいキャンプも終わり解散しました全員元気でスケジュールをこなし夏休みの思い出の一ページと自然の中で生かされている実感を味わったことを喜ばせて頂きました関係の皆様方に厚く御礼申し上げます若きみちのだい集う婦人会笠岡支部女子青年では八月二十三最近はオートキャンプ場などレジャーキャンプが全盛ですが笠岡団では今後も真の天理キャンプを目ざして遊んで行くことをスタッフ一同申し合わせ来年のキャンプについて早くも思いを馳せ不自由の中の楽しみをテーマにつとめさせて頂こうと話し合い今年のキャンプの総括とさせて頂きます少年会団長中島誠治日二十四日と二日間に亘り中高生を中心にこかん様に続く会を開催しました参加人数は女子青年十九名委員八名婦人会担当者八名でした一日目は中庭にてバーベキューに舌鼓を打ち夕づとめ後花火を楽しみました二日目は朝づとめ後支部長様より十柱の神様について解りやすくお話し下さいましたにをいがけは三グルー支部長様を囲んで童心にかえってプに分かれて大門方面へ勇んで行かせて頂き帰会して美味しいアイスクリームを頂きましたにをいがけから帰った後のアイスクリームの味は格別でしたその後三グループに分かれてハープを取り入れた双六トーキングをしました好きな食べ物は何ですか今はまっていることは理想の女性像はこかん様について知っていることを話して下さい女子青年活動の三つのかどめである教会へ参拝しましょうひのきしんをしましょうにをいがけをしましょうについて等わきあいあいとどのグループも盛り上がり目を輝かせ真剣に語り合いました昼食後使わせて頂いた部屋の掃除食堂の後片づけトイレ掃除とに分かれてひのきしんをさせて頂き最後に神殿で親神様教祖御霊様に御礼申し上げ来る十一月三日おぢばで開催される第二十三回女子青年大会に向かって一人でも多くの友達を誘って参加することを誓い合いすてきなあなたにを合唱し閉会しました女子青年担当者第六十一回英語講習会を終えて英語講習会は今回で六十一回目を迎えた人間ならば還暦である子や孫達に囲まれた若いじいちゃんばあちゃんが赤いちゃんちゃんこなどを着せられあまり嬉しくない表情で写真やビデオに収まる歳でもあるもっとも九年前に春の英語講習会がなくなり年に一度だけの開催となるまでは毎年春と夏の二回ずつ開催されていたので正確には三十五年が経過したことになるさあこれから勉強するぞ英語講習会の始まった一九六八年はまさに学生運動の嵐が吹き荒れようとしていたこの年四月二十三日ニューヨークの名門コロンビア大学での紛争は後の映画いちご白書のモデルとなり日本ではバンバンが歌うフォークソングいちご白書をもう一度で有名になった就職が決まって髪を切ってきた時もう若くないさと君に言い訳したねという歌詞を一度は口にされた方も多いと思う社会の不正に目覚め怒り警官達に対峙した若き闘士達も今は散り行く髪を気にしながらビール腹をなでるオジさんへと変貌し結局ネクタイをつけようがつけまいが人は大人になる失っては困るものが増えると言い訳上手になった全盛時であった一九七四年夏にはスタッフと受講生を合わせて二百名を超えたこの英語講習会も今回はわずかに両方で二十名ほどに減少した三十五年の歳月は世代と時代を変える英語講習会も変わってしまって当然なのかもしれないしかしその根底に流れる親の思いは常に変わらない英語を学ぶことは言葉を学ぶことつまり相手の心を学びお互いが理解し合える方法を身に付けることであると開講式にあたり大教会長真剣に話を聞く様よりお聞かせ頂いたように英語講習会もにをいがけおたすけの一環なのであるしかも現在は天理教語学院から信仰的にも優れたプロの英語講師を派遣していただき今回は東本部属本陸東分ロサンゼルスアンディ冨澤氏二十五才教育経験者や留学経験者中心の優秀なスタッフ等と共にパソコンや様な教育機材を活用し少人数のメリットを最大限に活かした授業を面白く楽しく展開しているこのような英語講習会が二泊三日間おいしい食事におやつもついて二千五百円社会見学費等オール込みというのはまさに驚きであり大教会長様を初め諸先生奥様方の親心以外の何者でもないと私は思うのであるどうかこの伝統ある講習会の灯を消すことなく次回英語講習会への参加のお声がけをして下さることを心よりお願い申上げると共に関係者各位に厚くお礼申上げます海外部香取雅人全分会布教推進週間大佐町に集い神名流し路傍公演戸別訪問パンフレット配布に清しい汗を流しましたの活動に意味があるないではなく青年会本部からの声に素直に添わせて頂くという事だけで価値あるものではないでしょうか去る八月三十一日日布教推進週間の事前研修会を岡山県北部の大佐町にて開催しました青年会員ばかりだけでなく女子青年の方にもご参加いただき総勢四十名が事前研修会開催に先立って大教会長様は我参加者に対して概ね次のようなお言葉を下さいました若干受け取り方の違いから文章の表現が変わっているかもしれませんがお許し下さい皆さんはこれからにをいがけをして下さるそうですがなかなかにをいのかかるものではありません効率優先の風潮の中神名流ししたって戸別訪問したって一体何になるもっと効率的な方法があるのではと思われるかもしれませんしかしよく考えてみれば食物を食べたって百パーセント身になる訳ではありませんその多くは排泄物として体の外に出されるのであり人間は多くの無駄を積み重ねて生きているのですおさづけを取り次いでもいつも立ちどころに良くなるとは限らずむしろその逆の方が多いかもしれませんしかしそこを何とか病人さんに救かって頂きたいと努力を重ねることが真実へと近づく道ではないでしょうかこかん様は教祖のお言葉を素直に受けて浪速に神名を流して歩かれました皆さんもこ私はこのお言葉をいただきはっと目の覚める思いがしました昨年青年会本部委員長さんより何が何でも全ての分会で布教推進活動を行っていただきたいとのお言葉があり殆どの分会に活動計画書ご提出頂きましたしかしその実は半数以上の分会が活動を実施していなかったようですこのようなことから今年は私の心の中には今一つ煮え切らないものがありましたこの度の大教会長様のお言葉は結果や実績ばかりを求める私の心の埃を払い正しき道へ導いて下さりそうです布教推進週間七日目我が芳井町内にキャラバン隊の青年会員さんと共に神名を流しました参加した息子が近所の同級生に手を振る姿が十数年前を思い起こさせました我が家が天理教の教会であることを嫌っていた頃突然やって来た青年会の方に神名流しに参加させられたことをしかしこの出来事は私にとって天理教を積極的に肯定していく大きな第一歩となったようですたかが青年会所詮青年会されど青年会青年会委員長佐藤真孝青年会員が仲間と共に親里ぢばに帰り集い青年会長様のお言葉に心の向きを揃えさらなる実動を誓い合う場教祖百二十年祭へ向かう三年千日あらきとうりょうの力を存分に発揮し教祖にお喜びいただきたい十月二十七日総会へ結集しよう総会式典日時立立教教年年月月日日月月午午前前十十時時場所本部中庭前夜祭日時立立教教年年月月日日日日夕夕づづととめめ後後場所東西泉水プール前広場尚今年は笠岡分会は出店しませんへ出向いて行きました私が行かせて頂いた教会は山間の中にポツンとあり隣の家まで五百メートルくらい離れていて家もあまりなくのどかな所にありますにをいがけおたすけ実修会について仲條分教会長重政禎子この度にをいがけおたすけ実修会の要員に任命されましたが要員研修会を受講し私につとまるのだろうかと大変不安になりました実修会での教話私はお道の学校布教の家などには行ってなく白梅寮から奈良保育学院に通わせて頂きましたので保母さんの経験はあるのですが布教に出て話を聞いて頂けたおさづけの取次をさせて頂けたという体験がないまま今は教会長をさせて頂いておりますまたおかきさげについても自分があまり理解できてないのに当該教会の方にお話しはできないと思い自分なりに勉強しながら原稿を作り始め仕上がるのに丸二日かかりましたが少しでも理解して頂けたらという思いで原稿を作り実修会に臨みました実修会を行う日は朝から大雨で小雨にでもなってくれればと思いながら当該教会教会に着いてからも雨のことが気になっていましたが雨は強くなる一方でおかきさげの教理勉強を行っている間に雨が上がればと思ってもいましたがひどい降り方で一向にやむ様子はありませんそんな中にをいがけ実修は必須になっていたのですが出がけからずぶ濡れになるのでと言う理由で止むを得ず中止にしそのまま練り合いを行いましたその中では皆さんにをいがけは大変だと話されまた身上で大きな手術をされた方は不思議なご守護を頂かれたそうですその方は教会の月次祭は欠かすことなくつとめているんですよと話され私は真実のつとめ方に大きなご守護を頂かれたんだと思わせて頂きました色な話を聞かせて頂き私自身とても勉強になりました届きません者がつとめさせて頂きましたが当該教会の心あたたまる思いを感じながら実修会で行われなかったにをいがけのお願いをして帰路に就きました貴重な体験をさせて頂きありがとうございました第便集合月日月大教会出発参加御供笠岡支部バス団参日時平成年月日日日月集合月日日大教会出発内容ユニバーサルスタジオジャパン散策女子青年大会参加参加御供全行事参加の場合第便集合月日日大教会出発参加御供天理直行の場合こころの詩時平成年月日月午前時所本部中庭容式典おつとめ支部のつどい別席象中学生才第回女子青年大会今回の課題は間撰六十六句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠東悠分教会長夫人田林美智子人間の陽気ぐらしや甘露台佳詠芳阪布教所長夫人杉原優子間に合った最後のおさづけに笑み浮かべ養徳社発行陽気誌九月号道柳より転載どうぞこの誌に於いてもジャンル自薦他薦は問いませんドシドシ読者の皆様方の才能溢るる作品のご寄稿をお待ち致しております日場内対其之壱芦品分教会原美紀最初は早く帰りたいとかいろいろ思って教室に入った雰囲気もいやなふんいきで本当に最初は困りました二日目には友達もできたけど行事とかもぜんぜんおもしろくなくて本当に帰りたいと思ったカウンセラーの方は最初の三日間はつまらんけれど後半の方になってきたらすっごくもりあがるよそれまでしっかりがんばりんさいって言ってくれてすっごくがんばれる気がしましたわたしが一番心に残ったことは感話大会と全体の集いです感話大会はいろんな人の話をきき涙が出るときもありました離婚したり親が出直しをしたりといろいろなことがあるんだなあと思い私はとてもめぐまれていると思いました全体の集いはものすごくもりあがって班の男子とも仲よくもりあがったりさわいだりしてとても笑顔笑顔でいっぱいでした班のみんながまとまらない時は神様が私たちに身上をあたえてくださって何を伝えたいのかといろいろ学びました講師の先生が天理は幸せをさがすところといい私は別席のところで別席の先生もそのことを話してくれてその時から天理おぢばによろこんで帰らせていただきたいと思いました学修は最高でしたまた参加したいです理由は今回出会った人に会いたいしまた神様のお鎮まり下さるところおぢばに帰れるからです其之弐福満分教会福島佑佳私はお父さんやお母さんに言われて学修に参加しました最初は行きたくなくて部屋に着いてからもずっと緊張してましたでも十五班の人たちはみんな話しやすそうだったからすぐ仲よくなれました夜班のみんなとカウンセラーのなっちゃんと話をしたときみんなで泣きましたすごく自分の話をきいてもらえてうれしかったしみんなの話をきいてもっと仲が深まった気がしました私の誕生日がラストの十五日だったのでクラスのみんなで祝ってくれてすごくうれしかったです私はこの学修を通してたくさんの友達ができたしいろんな考え方ができるようになって本当に来てよかったと思いますお父さんお母さん学修に行かせてくれてありがとう来年もまた行きます其之参川島郷分教会香取満彦受験勉強には大切な夏休みの一週間それをあきらめてでも行った理由はもっと大切なものを得ることができると信じていたからだ親友教友成人の心そして教理の勉強など学校では得られないお道を通して得た宝は一生涯の宝となる三回生として参加して感じたのは皆自分から学修を作り上げていこうという強い意志だった皆の目の輝きが違った何かを得たい何かをつかみたいという気持ちがあふれていた一つ一つの行事を終えるごとに生かされていることを実感し喜びを感じた皆が背負っている人生の重みを知った特に印象深いのが三回の学修の総仕上げ十二下りてをどりだ背すじが自然とのび声をはりあげてまさに命にかえてもぐらいの気分でつとめ上げたあの緊張感終わった後の充実感は二度とないかも知れない総勢二百九十五名が一手一つになれた瞬間だった僕は班長をつとめさせていただき班員の学修の成否を左右する一つの要員として多少苦しんだが皆に助けられてつとめ切ることができた通常の生活でも学ぶことは多あろうしかし学修のたった一週間の間に大きな力が働いたことを学ばせていただいたそれがどのようなものか未だ学修に未参加の人はぜひ参加してつかんでほしいと思う其之四府世原分教会高信大輔学修参加して一言で最高ですわ最初はまじでだるくて行きたくなくて班のやつをみた時にはどうなる事やらと思ったけど今思え談話室一期講師の御命を頂いて福昭分教会長平盛秀年六月から八月まで修養科第七四六期一二組担任として三ヵ月間おぢばで修養科生と共に修養させて頂きました三十三年前三五三期生として私自身の修養科生活をふり返ってみてとても真面目に三ヶ月間通ったとは思えませんでした一二組は女子四十二人のクラスで上は九十才から下は十七才と幅広い年齢層で又天理教が初めての方からすでに教人の方と様でした主任先生からの研ばほんまに自分の班でよかった気が合う奴ばかりで最高の思い出だった遊ぶ時やさわぐ時はさわいで真剣な話ではみんなマジで考えて悩んでいろいろと分かりあえたしきずなができた特にカウンセラーの人はめちゃがんばっていてオレらの見てない所でめちゃくちゃがんばり夜も寝ずにすごかったと思うほんまおもしろかったし最高だった修で修養科というのは学校ではなくあくまで修養の場であり修養科を修了しても何の資格もなくよふぼくにならせてもらうだけでよふぼくなるのは何も修養科でなくても別席を運び満席になればよふぼくになれるというお仕込みを頂き三ヵ月間信仰を求めおぢばに伏込み教理勉強の場であるとお聞かせ頂きました私自身の悪い癖性分である短気で怒りっぽく口の悪い言葉を慎んで通らせてもらおうと心に定め勤めさせてもらいましたそして四十二人の修了目指して始まった一ヵ月中頃に七十六才の方が吐血下血で憩いの家に胃潰瘍で入院されましたそして一週間の絶食で点滴を続けそれでも胃に開いた穴がふさがらなければ手術をするとの事でした手術をすると修了が難しくなるので一週間の点滴で御守護が頂けるようお願いづとめをし毎日おさづけの取次に運ばせて頂いたところ一週間で御守護を頂かれ約二週間で退院されその後毎日修養科にこられ無事終了という御守護を頂かれました又十七才十八才の子供達三人が続と帰る帰るという中詰所の先生と連絡を取り合い無事終了させて頂いた事誠に有難かった次第です残念ながら二カ月目終わり頃一人の辞退者が出た事が残念ですが三ヵ月間修養科生と共に私自身の癖性分を出す事なく勤めさせて頂いたこと只勿体なく有難い思いで一杯です又一期講師として別席のお話を聞かせて頂いたことも私自身全くと言っていい程別席のお話しが記憶に残っていなかったのでこれ又感謝の気持ちで一杯でした又教祖百二十年祭三年千日のこの旬におぢばにお引き寄せ頂き誠に有難い気持ちをそのまま残る年祭活動の上に更なる心の成人を目指して勇んで勤め切らせて頂こうと思っていますありがとうございました立場三郡分教会長貞清知実平成十五年六月二十六日おぢばで教会長のお許しを頂きました昨年の暮れに前会長である父が出直し九ヵ月以上が過ぎた現在私は教会長として御用につとめさせて頂いております何もかもが初めての事ばかりで自分の無能さと不安を感じながらも自教会の信者様のお力添えや家族の支えによって何とかつとめさせてもらっています教会長をさせてもらって初めて今は亡き父の心労や人の上に立つ事の大変さを実感しています個人的な意見で私が言うのもひとどうかと思いますが人は他人の立場に立って初めてその人の偉大さや心の内が本当に分かるんだなぁと改めて思っている次第でありますそうした上で私は前会長である父が通ってきた道は非常に大きなものと気付き当時の心労を理解すべくその思いを無駄にする事のないよう教会を預かる立場の者として頑張ってつとめさせて頂くと共に信者様方又家族を護っていきたいと思います国里布教所河田恵理私は今から二三ヵ月前布教所の月次祭の時國須分教会橘高祐高会長様より機関誌に文を書いてみないかと言われ何気なく軽い気持ちで引き受けましたしかし何を書こうか迷っているうちに信者さんの出直しが途中にありやっと自分自身の今までと現在を書こうという気持ちに至りました現在私は市内の小学校でいわゆる特殊学級と呼ばれているクラスの介助員をしていますこの職業に就くまでにはいろいろ経緯があります私は高校受験を控えた中学三年の初めから体調を崩すことが多くなりましたましてや受験するにあたってとても大切で高校受験の合否にかなり関係すると言われていたセミナーテストを熱が出て受けられなかったり体調が悪く思うように結果が出せなかったりと不運続きでした極めつけは公立高校の受験の前はインフルエンザにかかり思うように勉強すらできませんでしたその時初めて勉強が思うようにできない悔しさ体が思うようにならない悲しさで涙が止まりませんでした結果公立高校不合格という私の中で人生最大と言える挫折どん底を味わったのです受験前から教会のトイレ掃除をさせていただいたり両親には神様に理を立ててもらったりしたのに何で私がそんな思いばかりが募っていきました神様なんているはずがないこんなにがんばったのにどうして私立に行くと相当学費はかかるどうしよう両親に申し訳ないそして仲の良い友だちまでが敵に見えてくる可愛そうにと同情しているように外に出ると見えていましただから外に出ることがほんとに嫌になっていましたしかし布教所長である母は私に一緒に布教に出ようと言ってきましたほんとはあまり行きたくなかったし神様も信じられませんでしたが半ば強引に一軒一軒インターホンを押しこんにちは天理教ですパンフレット読んで見てくださいと言っていましたそしてそれから高校入学までは段に気持ちが前向きになっていましたそれはやはり陰で支えてくれた両親や弟や妹それに祖母や叔父友だちその他のひとたちのお陰だと思いますそれからの私は見返してやる気持ちで一所懸命に勉強もし布教も母とするようになりましたパンフレット配りですがお陰で身体も強くなり高校三年間一日も病気で休むことはありませんでしたそして高三将来について真剣に考える時私は教師になって子どもたちと一緒に悩んだり考えたり笑ったりそのなかで子どもたちの心を救いたいと思い養護学校を目指し大学へ進学しました私立へ高額の授業料を払ってもらって両親には申し訳なかったのですがお陰様で大学は公立に合格し家から通いましたので高校よりも安く行かせてもらうことができましたそして卒業を迎える時今のこのご時世就職はないだろうとあきらめていましたが一応履歴書だけは出しておき面接もしてはいましたですがかなりの倍率新卒は相手にされないと思っていましただからわたしは大学を卒業したら修養科に行く心定めをしているしそれを破ることはなんか気持ち悪く思って相談してかけなおしますと言って一端を置きすぐに橘高祐高会長俊子ご夫妻に相談しましたすると引き受けなさいとのこと会長様ご夫妻も自分のことのように喜んで下さり私も引き受けることにしましたそして四月一日に辞令を頂き病弱学級で二人の男の子の担当となりましたいずれも限られた命でありますその子たちと日接していく中には目に見えて衰えていく筋肉や身体の調子胸の詰まる思いがしますその子たちとの関わりが私の心の栄養分の一部であり彼らから学ぶ命の尊さ今の子どもたちにはすこしかけている純粋さが彼らにはあります会長さんがこの仕事を始める前どんなことでもひのきしん精神でやらしてもらいなさいと言われていました私はそのつもり働いていますがたとえ寿命は限られていても先のことは分からないので少しでも将来彼らが困らないように生活指導や勉強を教えたいという気持ちとしかし後少ししか生きられないのだから思うようにさせて楽に生きさせてあげるかその日の生活に毎日心を痛めながら就職してすぐこのように大仕事を与えられたことに感謝と不安とで最初は過ごしてきましたが今は少しでも彼らが長生きできるよう心より祈り彼らが生きていくうえで少しでも力になることができればと私自身長期の休みには大学に通わせて頂いて障害児教育に少しでも知識を身につけるように努力しながら資格もとらせて頂いております最後に私は未熟者ではありますがなってくるのが天の理節から芽が出るとよく母より聞いておりましたが今はそのお言葉をしみじみ感じ喜び勇み日を通らせて頂いておりますこれから高校受験進路等で挫折を味わったりされた時私のようなご守護を頂いたものがいることを思い出し神様にもたれて前向きに努力してください努力は決して嘘をつきません必ず神様は見守って下さりご守護くださいますそしてその挫折が大いに人生に人だすけに役立ちます教祖も貧に落ちきられてひとさまをおたすけ下されたのですからと今は言えますがその時は言えませんでしたけどね原原稿稿募募集集内容小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字数字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です大教会だより辞令職制人事立教詰所部部長年月吉岡日付壽寄稿先下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県電子メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい八月月次祭祭文チョちょこれのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様にはしやハせをよきよふにとてじうぶんにみについてくるこれをたのしめつくりと子供かわいい一条の親心のまにく私達人間をお創造下されたばかりでなくその目的である陽気ぐらしが出来るようにと常にお働き下さり御守護お導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は成ってくるのが天の理とのお言葉を胸に思う通りに又願う通りに行かない中でも常に親心を思案し我が心の反省を重ね喜びの心に立て替えるべく御恩報じを念頭に日は朝夕に御礼申し上げつつたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は八月の月次祭を執り行なう定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同残暑厳しい中も厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子のお歌の唱和と相共に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます皆のおつとめに込める真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて第五十回記念の子供おぢば帰りも無事無難にとお連れ通り頂き誠に有難うございました今年は土持ちひのきしんに特に力を入れつとめさせて頂き子供おぢば帰りが単なるお祭り的な行事ではなく伏せ込みの一つであるとの認識を新たにさせて頂いた次第でございます又引き続いて学生生徒修養会高校の部が開催され最初嫌がっていた子供達が帰る時には喜び心一杯にならせて頂く事が出来ました改めて御礼申し上げます夫参加してくれた子供達が立派なよふぼくになるよう今後の丹精に力を注いで行く所存でございます更には英語講習会野外錬成会こかん様に続く会を通して若い世代の育成を計らせて頂く所存でございます更には又おぢばより来月九月はにをいがけ強調月とのお声を掛けて頂いております教祖百二十年祭に向かう実践項目の一つ一歩前進百万軒をしっかり心に治めてにをいがけに邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には親心に添う皆の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り荒び勝ちなる人の心が真実の親心に浴したすけ合う心に目覚めてお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます一寸の話し諭達第二号が発布されて早や一年を迎えようとしているが実動はと自問してみると昼間の朝顔の様である日課として実動する習慣が身に付いていないし教会長用木だからというアイデンティティ自分が何者であるかという意識がしっかりしていない事が原因だと思っている後者に関しておもしろい話があるおれは刑事であるというアイデンティティがはっきりしている柔道三段の刑事は五段の泥棒をちゃんと取り押さえられる又皆と一緒に酒を飲んでいる医者がこれ以上飲まないという自分は医者だから気分の悪くなった人が出たら面倒を見なければならないその時処置が狂うからと答えたと言う私なんか実動する時なのに私外へ出ん家でお茶お茶のアイデンティティしか持ち合わせていない冗談はさておき世間で会社勤めしている者はノルマ各人の労働責任量をかけられるという厳しさがあるそれに反してお道の者は人に言えない苦労もあるが人に分からないえーこともあると表現した人がいたがえーことに甘えて身上事情に迫られてからハイ実動しますでは親神様教祖に申し開きがたたぬ今回この原稿を反省するよすがとして私の成人の心定めて筆を置きます
かさおか

『かさおか』第42巻 第8号

金魚竹本久子作をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次月日本部月次祭終了後より日間にわたって繰り広げられた第回こどもおぢばがえりは万を超える帰参者を数え親里は喜びに満ちた笑顔と歓声であふれた笠岡詰所では宿泊者は人を超え期間中を通じ賑わいをみせた月日日月日の回模擬店を開催し帰り集ったこどもたちを大いに楽しませたまた笠岡団では帰参者全員にうちわをこどもたちには筆記具替え芯を添えて贈呈した引率してくださった各教会の方詰所で受け入れひのきしんに励まれた方皆様方のご尽力のお陰で記念すべき第回のこどもおぢばがえりも無事終えることができましたありがとうございました楽しかった芦常分教会原綾乃私は少学校一年生の時からおぢばがえりに参加させていただいていますなので今年は六回目です鼓笛隊でも参加させていただいているのですが鼓笛隊で参加するのは五回目です今私がやっているパートはキーボードですでも私は体が細いのでキーボードを持つと肩や背中がとてもいたくなりますがこどもおぢばがえりの鼓笛のパレードに参加するためには練習をいっぱいしなければなりません練習はきついけど楽しい事もいっぱいあります楽しい事は学校以外の人と友達になれる事や練習の後のおやつが楽しみですまた合宿があり昼間は練習で夜はお楽しみ行事をスタッフの人がいろいろな遊びを考えて楽しませてくれますだからがんばろうと思いましたこどもおぢばがえりは三泊四日で電車で行きます福山を九時ごろ出発し四時三十分ごろ天理につきます電車の中でずっと居るのでおやつをいっぱい持っていきます京都をすぎると鼓笛隊員は衣しょうにきがえて天理駅につくとすぐバスに乗ってつめ所に行きみんなをむかえるえんそうをしました模擬店に興じるこどもたち土持ちを楽しむこどもたち次の日おそなええんそうにさんかさせていただきパレードのしん査に出ますきん張して毎年しんさの前ドキドキします本番が来て前よりすごくドキドキしましたでもしせいをよくして横縦の列をあわせるようにがんばりましたなっなんとしん査の結果金賞でしたやったー二年連続金賞だー来年も金賞がとれるように一年間がんばろうと思います三日目は土持ちひのきしんをさせていただきました次はバライティー一六六を見てとても楽しかったです次はカレーを食べたりお買い物をしおみたげを買いましたつめ所に帰り夜はお楽しみ行事で鼓笛隊員はえんそうをしましたその後ビンゴゲームをしました毎年毎年とても楽しいのでこれからもおぢばがえりに参加させていただきたいです今度は友達といっしょに行けたらいいなと思っています要員勉強会のつもりで眞府分教会長高田弘之若い頃から匂いがけおたすけに歩く時おふでさきを拝読し持参して歩かせて頂いておりましたおふでさきは布教のエネルギーでありました今回実修会の要員をつとめさせて頂くに当たり自分にとっておかきさげとは何なのかと問いかけてみました誠の心と言えば一寸には弱いように皆思うなれど誠より堅き長きものは無い誠一つが天の理天の理なれば直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理よく聞き分けと全く匂いがかからず沈んでいた時このおことばが心をなごませてくれました真実誠の心さえあれば存命の教祖がきっとお働き下さると自らに言い聞かせておりました自分の信仰を確かめ深めさせて頂くのがおかきさげでありました六月二十九日高信正人要員の軽快なハンドルさばきで初めて稲倉分教会へ御縁を頂き参拝させて頂きました若い人達は青年会の伏せ込みひのきしんに出ているとの事でしたが三十名余りの方と共に十時開講高信要員より父の出直しを通しての信仰感話を話して頂いた後私にとっておかきさげとはのテーマで話させて頂きましたおさづけの拝戴日はあなたにとっておかきさげとは等の質問にも整然とお答え下さり質問させて頂いた自分が感激致しておりました十一時から昼まで二人一組で匂いがけ実修に出させて頂き先方から話を引き出す工夫をさせて頂くべくお話し聞かせて下さいと話しかけてはどうですか等と言いながら歩かせて頂きました教会に帰って昼食を頂きながら座談雑談と有意義に過ごすことができました先代先代の厳しい信仰があって今日があるとしみじみ話して下さったご婦人又妻の身上を通して助け合う心が深まり毎日夫の帰宅を玄関でお帰りなさいのあいさつが続いているという心温まるお話を聞かせて頂き午後二時過ぎまるで要員の勉強会をさせて頂いた喜び一杯で教会を後にしました稲倉の皆様どうもありがとうございましたにをいがけおたすけ実修会福勇分教会長鳥井利昭今から十年前の平成五年教祖百十年祭三年千日活動一年目の年でありの上では布教開始百十周年を来年迎えるという実動の真っ最中の年でありましたよふぼく勉強会の派遣要員として数ヶ所の教会へ行かせて頂きましたがその内の某教会へ又今回にをいがけおたすけ実修会の要員として行かせて頂きました十年前と同じような事ではいかんと思い自分なりに勉強しておこうと早くから心づもりはあったのですがなかくバタくして思うようには行きませんでした今回は参加者の中に若い学生会の年齢層の人達が四人もおられ平均年齢が十年前と比べるとかなり低くなっていました若い時からお道の信仰の話を聞かせて頂きながら実修会へも参加して実動していると言う事は素晴らしいことでありありがたいことだなあと思わせて頂きました教会の子供達も参加して勇んで頑張っておられる姿がよく伝わってきますが又次の十年後どの様な姿になっているかが楽しみであります恵陽分教会に出向して天場山分教会仙田公男数年前同じような実修会があったがその時私はいづれも会長さんとペアだったので人前で話をする事もなく気楽につとめさせて頂いただがこの度は一人で行かなければならないましてや話の内容がおかきさげであるこの事は私の頭を非常に悩ます問題だった恵陽に出向する六日前我が教会でも実修会を開催したが信者さんたちの反応は難しかったとか眠くなったとかいうものであったからだ先方の会長さんとは一時間の話という打ち合わせだったので何とか一時間聞いてもらえるように話の内容を考えて臨んだしかし自分の体験談とか意見なども入れて話をさせてもらったがやはり皆さん退屈そうにしておられた経験豊富な先生ならばもっと上手に話されるだろうと思いつつも自分の力不足なのだから致し方あるまいその中でも会長さんご夫妻は私の話をメモまでとって熱心に聞いて下さったこれが唯一の救いである続いてにをいがけには教会の奥さんといっしょに商店街を歩かせて頂いた私は普段にをいがけをする時は住宅街を歩いている商店街では仕事中の人ばかりなので訪問しても嫌われると思うからだけれども奥さんは店員さんや工場で働く人などに熱心に声をかけておられたこの人は普段からよく歩いているんだなあと感心をし同時に家を選り好みしている自分を恥じたそれに考えようによっては商店街の方が住宅街より留守の可能性が低いので効率がいいのかも知れない効率ばかり考えても行けないがやはり真実を運ぶという姿勢が大切なのだろう最後にねりあいの時間では質問は全くなく数人の方が少し発言される程度だった我が教会で実施した時も先生が一人でしゃべっておられたので奥ゆかしいのは島根県人の特許というわけでもなさそうだ最も質問しようにも何を話したらいいのかさえわからないというのが本音なのかも知れないねりあいの司会というのも難しいものだなあというのが正直な感想である私としてはこの行事を打ち上げ花火のように一回限りで終わらせるのではなく定期的にこれからもにをいがけを続けていって下さいというのが精一杯であった総会式典日時月日月午前時場所本部中庭前夜祭日時月日日夕づとめ後場所東西泉水プール前広場にをいがけは教会地域よふぼくの日常的な信仰活動です日人の幸せを願いコツコツ積み重ねる一人ひとりの努力更には全支部布教日設定によるにをいがけ活動その動きを一手一つに結集し社会に向けて全教が挙って力強く信仰の喜びを伝え次なる歩みにつなげていくこれが全教一斉にをいがけデーです教祖年祭に向け全家庭へにをいがけを目標に教会地域を問わず勇んで掛からせて頂きましょう期日月日日布教強調月間月日日日一斉活動日内容戸別訪問リーフレットチラシを配布出来れば人組で手渡し声掛け報告参加者数を支部へ報告教会で参加者名簿の作成をお願いします原原稿稿募募集集内容小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字数字前後字字題名所属教会名氏名を明記して下さい俳句等は句からでも結構です寄稿先下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿下さい郵便岡山県電子メール尚原稿はお返し致しませんので予めご了承下さい私とおぢば七四六期村川直子私は去年の十一月まで老人福祉施設で介護福祉士として働いていました去年の秋に腰椎椎間板ヘルニアという身上を頂き初めは仕事をしていたからヘルニアになったんだと思っていましたでも仕事を辞め色考えているうちに仕事をしていたから身上を頂いたのではないと思うようになり今までの自分の心使いや信仰に対する思いを考えるようになり修養科へ行かせて頂こうと思っていたのですがどうしても働きたくて修養科に行く事を先延ばししていましただけどなかなか仕事もなく悩んでいると母親が神さんがおぢばへ帰っておいでって言うとってんよと言ったのがきっかけで修養科へ参加しました久しぶりに帰ってきたおぢばはなんだか懐かしく神殿の中にはいると今まで考えていた事全て忘れ神さんとじっくり深く長くお話しする事ができあー本当におぢばに帰ってきたんだなーと体で実感しました修養科生活も授業では教典教祖伝みかぐらうた等お道の勉強をさせて頂いています朝の神殿掃除も一番早い時で三時起床で眠い目をこすりながら神殿掃除をさせて頂いています朝の神殿掃除が終わった頃に夜が明けていて言葉では言い表すことのできないくらいキレイな景色です授業は講師の先生が分かりやすく興味が湧くように話をしてくださるのでもっとお道の事を知りたいなと言う思いになりますひのきしんでは一般の人は入れないという御守所という一番かんろ台に近い所でひのきしんをさせて頂いていますおぢばでの生活やクラスとの人達とも慣れてきた二ヵ月目に色んな身上や事情を神さんが見せてくれ体力的にも精神的にも辛くてしんどかったけど神さんから与えられた壁を乗り越えられるようみんなと一手一つになるという事をこの修養科で改めて学んだ気がします七月の後半から始まる子供おぢばがえりもありおぢばに帰って来てくださった方全員に喜んで帰ってもらえるようそして思い出に残るよう修養科生全員で一致団結してお世話をさせて頂きましたおぢばに帰ってきた子供達の目はキラキラ輝いていて笑顔がとても印象深く忘れる事ができませんおぢばに帰ってきて気づいた事気づかされた事沢山ありますおぢばは本当に自分と真っ正面に向き合える最高の場所だと私は思います今年から三年千日と言われている旬におぢばへお引き寄せくださった事や沢山の人達と出会わせてくれた事にそして今生かされている事にありがとうと沢山言いたいです教祖百二十年祭に向けて一人でも多くの人にお道の素晴らしさを伝えていけるよう一用木として神さんの御用を一生懸命つとめさせて頂こうと思っています訃報矢田全一氏八尋分教会六代会長六月二十九日出直されました享年七十三歳訂正とお詫び先月号のページ見出しがとなっておりましたがの誤りでしたここに訂正しお詫び申し上げます談話室消えた癌甲井分教会長山田敏教私がまだ青春時代の頃明治初年に乱を起こして刑死した長州藩士前原一誠にまつわる話を読んでこの言葉に出会い強く心を打たれた誠実であれば良い不器用でも良い他人に理解されなくても良い言い訳はしないあるがままの自分を認めてくれる人だけで良いそれもなければそれでも良しそれは己の器量の限界であり又相手の器量の限界でもある仕方のないことだこの言葉を不器用な自分なりに都合よく解釈しいわば開き直って生きてきた私の人生はチャレンジの連続であったし波瀾万丈の今日迄だったと思うし今からも続くであろうと思っていた矢先の出来事神殿ふしんの借金も終わり呑気太平楽に過ごしていた平成十三年の秋妻から気にするからと伏せていたらしいが再検査の為病院に行くとの事元来丈夫な体なので余り気にも止めていなかった公立病院での診察の結果手の施しようがないとの事即尾道の総合病院に入院と聞かされ唖然とした十一月六日の月次祭の翌日入院癌と云う字は病の品が山ほどあると書いて癌と読むと良く聞いていたが子宮癌との事骨盤リンパ腺と四ヶ所も転移しているのでと先生からレントゲン写真を見せられるが鮮明に映し出された癌だった抗癌剤の投与が始まり頭髪はみるみる抜け冬だからいいが毛糸の帽子が不憫でならない後田郷に漏れずお願いづとめおたすけ上級への日参と入院前から始まった明けて正月癌の進行は止まってはいなかった大教会奥様始めおたすけは連日続く一日に二人も三人もの人本人妻は勿論同室の人隣の部屋の患者さんへとおさづけの取次それでも抗癌剤の投与で白血球の数値は極限迄下がっていく私の友人がわざわざブラジルから本場のアガリスクを送らせ持って来てくれたが私には御供ゴクサンがあるからと誰か癌で困っている人に飲ませてと神様に縋りきった妻の姿に感動したものだ一月中旬治療が放射線に変わり二月十二日手術との事約八時間の手術と聞かされ妻もショックの様だった親子での心定め一月二十六日の大祭全員で御願いづとめに参拝私自身も二人の子供もそれぞれ心を定め必ず助かるの思いで励ましあった一月末先生からの呼び出しで手術はしないとの事手術も出来ない程悪いのかと詰寄ったが先生からの返事はなかった二月の初め又も呼び出しレントゲンを見ながら説明を聞いた婦人科の先生一同不思議がっているなんと奇跡が起きたのだすべて消えている鮮やかに御守護頂いたのである本人は勿論の事全員で抱き合って喜びを共にし急いで教会での御礼づとめ二月二十八日に無事退院当日初孫の誕生と重ね重ね芽出度い日を迎えさせて頂いたこの身上を契機に私も子供二人も上級への日参掃除と嫁は乳母車を押してのパンフレット配りとすでに二年目の秋を迎えようとしている私自身も妻の身上を通して我にかえり大教会百三十七番目の会長にやっとなれたと思って日通らせて頂いている六月二十五日大教会長様先導での土持ちひのきしんを夫婦共感激と喜びとで涙を流しながらスコップ二杯の土の重さを有難く感じ年祭へ向けて勇んで通らせて頂く決心を誓い合った母の真実に支えられた今日の道呉福分教会長夫人佐藤久枝思いおこせば私が修養科一九六期を修了し天理より家に到着した時のこと待っていたように母が信者さんが危篤の容態なのでおさづけを取次にすぐ病院へ行くようにとの言葉でした母が原爆を受け時折倒れることを知っていた私は病院へ行きました病室ではお身内の方がずらっと病人を囲んでいたさん久枝ですただいま修養科科より帰りましたおさづけ取り次ぎさせて頂きます切迫したその病人の姿お身内の方の疲れと悲痛のこもったお顔泣きそうな気持ちでつとめた初めてのおさづけお取り次ぎでした病院より帰宅親神様の前に座る何も言えなかった今つとめたおさづけに対する言いようのない心の葛藤をしていたひととき一時が過ぎ母が弱い体で私の側に来て久枝ご苦労さんやったね今さんよりつかいがあっておさづけをいただいてやすらかな出直しやったとの伝言だったよよくつとめさせていただいたね修養科修了おめでとうもう母の声はありがたかったです張りつめた心がすーっとぬけ親神様の前で感謝の涙がボロボロでした心も落ち着きおもむろに生涯たすけ一しるし条の標であるおかきさげを母に見せ大切に胸におさめてきたおさづけをお取り次ぎさせて頂きました生涯布教一条運び一条の精神だった母も八十七歳で出直し一年祭をつとめて間もなくのこと私自身子宮筋腫の身上切迫の折主人に涙のおさづけお取り次ぎをいただきました仕事から帰り私の顔をのぞく食事も取らず夕づとめ十二下りてをどりそしておさづけをお取り次ぎして下さいました一週間過ぎてより薄皮をはぐように一日一日痛み膨らみが引いて来ました今まで病気をしたことのない私にとってかしものかりもののありがたさを感じました又主人のおさづけの姿が大きな成人の一段階になりました歩みの中に身上迫る青年の三十五日間のおさづけおさづけ運び中ぢば教祖殿でご守護いただいているやないかとおやさしいおやさまのお声を心にいただいて青年が待っていると走るようにおぢばを後にした日又心臓病の方共におぢば帰参の道中身上異変近鉄名古屋より憩いの家まで急行お許しいただいた六回のおさづけお取り次ぎおやさまのお膝元に拝した時度の意識のなくなるところをずうっとお連れいただいた事を思えば有り難い気持ちで胸がいっぱいで何も言えず暫く頭が上がりませんでした病院の本人の元気な様子を見て私自身の成人のお試しだったのだなあと深く感謝の念をいただいたものです母が託した布教一条の姿を婦人会の立場の上次代を担う女子青年を勇め私も喜びいっぱいで通らせていただいています大教会だより教会指令立教百六十五年下半期以降任命願福山分教会立教一六五年三月二十六日承認前任田中一之新任田中隆之神免分教会立教一六五年九月二十六日承認前任石井幸新任石井守神昭分教会立教一六五年十一月二十六日承認前任開地俊夫新任渡邉隆夫海松ヶ岡分教会立教一六六年四月二十六日承認前任森本忠平新任森本忠善吸江分教会立教一六六年四月二十六日承認前任赤木由枝新任赤木素志三郡分教会立教一六六年六月二十六日承認前任貞清實新任貞清知実丸山孝志さん福芦分教会用木北斗電気工業社長グリーンラインを愛する会代表去る七月七日七夕の日丸山さんと私は二十年ぶりの再会を果たしました丁度二十年前修養科五六期生として三ヶ月を同室で過ごしたのです本当に懐かしい再会でした個人的な事はさておき今日は丸山さんがお道の精神でいかに社会に広く貢献しているかを紹介したいと思います丸山さんはベンチャー企業の社長さんで丸山さん写真右と対談すがもう一つの顔はグリーンラインを愛する会の代表でもあります氏曰くグリーンラインを愛する会とは県道二五一号線福山市水呑町沼隈町通称グリーンラインは荒廃を極め忘れられた道路となっていましたしかし沿線は瀬戸内海国立公園の一部であり景観に恵まれ住民の憩いの場でもありましたこの沿線を守るため平成十二年にこの会を設立し一定の成果を得ましたそして今回特別非営利活動法人を設立しました沿線の緑と環境と安全を守り住民の憩いの場所観光の拠点として整備することを目指すのです又その活動を通して地域の福祉の向上青少年の健全育成社会教育の推進に寄与することを目的としたものですと熱弁をふるって話してくれましたちなみに平成十四年度の事業報告を見ると定例会を入れて二十一回の活動をしています又平成十五年度の事業計画も約十回にも及ぶ活動計画がなされていますバイタリティーあふれるナイスミドルの丸山さんですがそのバイタリティーはどこからくるのか尋ねると自分自身がやりたい事をやっているので疲れません仕事とボランティアを両立させながらイキイキと生きていますさすがですそして現在の活動は次へのステップです今福山市市役所のロビーでパネル展を開いており活動の紹介をしていますとのこと又私事になりますが修養科の時或る晩私は四十度の高熱を出しダウンその時丸山さんには夜中に三回のおさづけを取り次いでもらいお陰で翌朝には平熱のご守護を頂きました遠いにの事どもを思い返し改めて御礼申しました教祖からお教え頂いた御教えをいかに世に映していくか又手を携えて歩むかを深く考えさせられた感動的なリポートとなりました丸山さんの今後の活躍を祈りますリポーター編集部枝廣隆文時宗一実七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の限りない子供かわいい一条の親心と慈愛溢れる御守護のまにまに日は結構くらに恙なく生活させて頂いております事は誠に有難く存じます加えて一人一人の心の成人に応じ陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に勿体ない極みでございますしかしながらせっかくお与え頂いた豊かさや便利さもそれのみに心奪われそれを求める余りお互い傷つけ苦しめ合っている姿又その事に気付かずにいる人の行く末を思う時同じ子供同士ではかなも果無く感じることがありますましてや親神様のお心を思うと誠に申し訳なく私たちは世界一列を救けたいとの思召に少しでも近づきたいものと日日御礼申し上げつつ真実の親心を伝えるべくにをいがけおたすけを通してたすけ一条の上に微力ながらも精一杯に勤めさせて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの本立てとお教え下されたおつとめをつとめる定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同たすけ心も一汐に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて七月の月次祭を執り行なわさせて頂きます御前には梅雨明け間近で本格的な夏を迎えようとするこの時旬今日の日を楽しみに寄り集い同じ思いに伏し拝みお歌の唱和に感謝の意を込める皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて子供おぢば帰りが目前でございます今年は五十回記念に当たりますし西境内地拡張整備ふしんも始まり五十年前に子供おぢば帰りを始めるきっかけとなった伏せ込みひのきしんにも力を入れて下さっておりますので尚一層募集にも力を入れてつとめさせて頂いておりますが何分にも盛夏であり列車団参からバス車団参に切り替わり又ー一五七も多く発生しております何卒事故怪我食中毒等が起こらず喜び一杯の子供おぢば帰りになりますよう御守護の程お願い申し上げます又夏休み中の学生層に一層心配り丹精すべくしっかりと声掛けして行く所存でございます更には又地方講習会が済んだ今こそ実動に心尽くし教祖百二十年祭に向け着実に成人の歩みを進めるべく実践項目の完遂を目指し勤め切る所存でございます何卒親神様には皆のたすけ一条に向ける真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護とお引き寄せを賜りまして一日も早くお望み下さる陽気ぐらしの世の状に立て替りますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます思う事がうまチョちょく文章に出来一寸の話しればーとよく思う昭和五十三年四月東警察署司法記事クラブに一人の新人記者がやってきた京都大学哲学科卒各社の先輩記者達は彼のことをテツガク君と呼んだ事件事故発生の一報現場着はいつも彼が一番その機動力は誰もが認めていただが彼の労作原稿が手つかずのままゴミ箱に入っている事がよくあった見ると辞書を片手に読まなければならない程難しい漢字と言葉が並んでいた新聞記事の第一条件は誰にでも解かりやすい文章読者の年齢層が幅広いためだいつどこで誰がどうしたなぜと新人記者はまず警察記事でその勉強をする彼は全国紙私はローカル紙歳は私が六つ上立場も歳も違うのだがなぜか彼と気が合ったよく一緒に酒も飲んだ飲みすぎて彼のアパートに泊まった事があった翌日部屋の隅に積み上げられたスクラップ帳に気付いた中には天声人語編集手帳余録産経抄春秋天風録などのコラム記事が貼り付けられ所に赤線が引かれページは手垢で黒ずんでいたその後彼は他県は配属された三年程の付き合いだったが今でも時連絡をとり合っている時は経ち今や彼は読売新聞大阪本社の顔である今日のノートの執筆者だ井手裕彦の署名入りで努力に勝るものなしよくいったものだ
かさおか

『かさおか』第42巻 第7号

朝顔竹本久子作をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次特集西境内地拡張整備始まる真実の汗を流そうと本部中庭は全国各地より土持ちひのきしんに集まった教友たちで埋め尽くされる去る六月二十五日午後一時神殿にて事始めのお願いづとめが勤められましたそして二時から参拝者総出の土持ちひのきしんが行われました折からの親里は曇り空の蒸し暑い一日でしたが噴き出る汗も何のその一荷の土に真実を込め老若男女約二万人が伏せ込みの汗を流しましたからも数十名が参加しました部内の或る会長さんはこの一荷の土が親里の整備につながると思うとありがたく勇まずには居られませんと話していましたこの土持ちひのきしんは再来年の春まで続きますお互いおぢばがえりの時は一人でも多く土持ちひのきしんに参加しようではありませんか縦の伝道講習育成講習会開催さる去る六月二十一日大教会月次祭に梅雨の蒸し暑い中にもかかわらず大勢の参拝者をいただき縦の伝道講習会が開催されました最初にある教会で実施した教会おとまり会のビデオを鑑賞しその後少年会本部委員の高橋尚生先生の講話を拝聴しました先生は先ず教祖逸話編の一説梅谷四郎兵衞さんが子供を連れて教祖にお会いした時その子供が教祖が赤い着物をお召しになっているのを見て達磨はん達磨はんと言ったので四郎兵衞さんがすっかり恐縮して次にお屋敷に帰った時にはその子供を同伴しなかったがその時教祖は四郎兵衞さん道切れるでと云われ道というものは小さいときから写していくものやとお諭し頂いたという逸話をお話しをされ子供に信仰の喜びを伝えていく大切さとそれを続けることの素晴らしさについてまた自身の子供さんたちとの日常の親子のふれあいを通じての縦の伝道の大切さをユーモアを交えてまた丁寧にお話し下さいましたまた今年はこどもおぢばがえりが始まって五十年の節目の年になるので第一回のひのきしん子供おぢばがえりの元一日の思いにかえり今年は特に帰り集った子供達にひのきしんの喜びを味あわせてあげて頂きたいと話を締めくくられましたまた昼食後育成講習会が少年会本部部員の田川あき子先生を講師としてつとめられました今回は教会おとまり会を推進する為いつもの講習会のパターンである講話とゲームというプログラムではなく集まった幼児から小学生を相手に実際に教会でおとまり会をする時の子供達の楽しませ方を実演してもらいそれを育成会員が勉強するという形で始まりましたじゃんけんゲームから始まりパネルシアターでおなじみのピッキーやリボンちゃんが登場すると子供達の喜びモードは最高潮さすが子供達をとりこにする技術はプロという感じでした笠岡団では教祖百二十年祭までに全教会が教会おとまり会を実施するよう活動目標に掲げて推進しております教会おとまり会を通じて将来の若きよふぼくが誕生することを夢みて否それを目指しておとまり会の定着をさせて頂きましょう少年会団長ここかかんん様様にに続続くく会会日時平成年月日土午後時半受付時開講日日午後時半閉会予定場所内容支部長様挨拶お話しにをいがけひのきしんお楽しみ行事バーベキュー花火他対象中学年生高校年生教会子女は必ず参加して下さいにをいがけおたすけ実修会を終えて福実布教所長酒井實この度にをいがけおたすけ実修会の要員として出させて頂きまず最初におかきさげについての勉強会そして暑い中ではありましたが全員揃ってにをいがけに歩かせて頂きましたおかきさげについては私自身暗誦出来る程覚えては居ましたが前もって大教会で内容についての研修を受けてみてその内にこもる親神様の深い親心及び用木としての日の心の持ち方通り方というものを改めて痛感した次第です教会へ出させて頂くに当たり久し振りにおさしづを開きある程度準備もしていよく当日ところが自分なりに考えていた事の半分も参加者の方に伝える事が出来ず誠に申し訳なく力不足を感じましたにをいがけについてはポストに入れるだけではなく戸別訪問をして直接手渡しをすると言う事で廻らせて貰い行く先での会話の中に親神様教祖の先廻りの御守護を感じ有意義な布教実修会であったと思います最後のねりあいでは現代の医学でも治療が難しいと言われる身上を頂かれた方のおたすけに教会一丸と成っておさづけの取り次ぎに又十二下りのお願いづとめをつとめられ現在御守護の姿を見せて頂いていると言うお話しを聞かせて頂き大変感銘して帰らせて頂きました私自身昔毎日の様に布教に歩いて居た頃はチラシ配りが主体ではなく断られながらも何回も足を運び何とか神様のお話を少しでも聞いて貰うように心を尽くしたにをいがけおたすけであったような気がしますしかし現在では只パンフレットを配るだけで別に断られる事もなく追い返される事もない挙げ句にはご苦労様ですと御礼まで言われるそれで今月の布教は終わったと自己満足している自分をふり返って見た時に果たしてこれでいいのか道の初代の人達は今日はチラシ何枚配らなければとか別席者修養科生を何名という思いの布教ではなく自分の因縁を悟り御恩報じを思い只人様にたすかってもらいたいそれだけの道中であったと思う時教祖百二十年祭三年千日の時旬を頂いて居る今日もう一度あの毎日歩いていた頃の様な布教に戻らなければとにをいがけおたすけ実修会を終えて自問自答する今日この頃であるにをいがけおたすけは行事ではないからととききととこころろ内内容容対対象象定定員員参参加加おお供供申申込込みみ月月日日金金月月日日日日観観音音寺寺フファァミミリリーーキキャャンンププ場場ハハイイキキンンググ水水泳泳キキャャンンププフファァイイヤヤーー野野外外ゲゲーームム他他小小学学年年生生中中学学年年生生高高校校生生ははススタタッッフフととししてて参参加加名名円円米米合合とと野野菜菜品品月月日日迄迄各各ブブロロッックク委委員員にに申申しし込込んんでで下下ささいい期間月月日日金金午午前前時時受受付付日日日日午午後後時時頃頃解解散散受講対象中学一年生以上高校大学生一般受講御供円持参品英和和英辞典筆記具着替え洗面具プログラムパソコンを使った英語の学習英会話おつとめレクチャーひのきしんお問合せ詳細はスタッフの香取雅人吉岡誠一郎ご連絡下されば大門駅まで送迎致しますにをいがけおたすけ実修会品治分教会長渡邉眞次要員の中では一番高齢になるようです責任だけは果たさなくてはと思いましたが原稿の依頼の方が戸惑いを感じます派遣に先立ち大教会より勉強会のおかきさげについて読書百遍自ら通ずと言いますから何回も読みましたそのお陰か原稿ごと一件書類忘れて行きましたが何とかつとめられた又おさづけの取次に廻ることに専念した一人でも多くの人が人だすけの出来るよう成人させて頂くことが切望されている庭を思い孫を修養科へ家族を別席へと運ばせ最近一家中を教会へ参拝させるようになった役員もいるそんな話も交えて一時間のお話私の派遣先は山間の教会で会長様の不在の時は役員達で教会を守っているすばらしいよふぼく達が居られる二三軒歩いて又暫く歩いて二三軒一時間七人で歩いても僅かの軒数です中にも留守があるそこで直接対話だとおぢばがえりの話教祖百二十年祭がつとめられることかりものの話等させて頂いたいついつまでもつちもちやまだあるならばわしも行こ或る家の老主人が脳梗塞で半身不随になられ良く転ぶ息子夫婦に恵まれず老夫婦の健在が家運を左右する奥さんもおさづけを頂いているので今主人が倒れたらどうします主人に取り次ぐのは恥ずかしい事はない筈奥さんも胃を三分の二取っている人をたすけて我が身たすかるどうかおさづけを取り次いで下さいと念を押して帰った次に行った時棚からおかきさげを出して三十年一度もしなかったおさづけを取り次ぐようになった主人も悪化の一途が止まった我が教会も表を書き始めて三年取り次ぐ人が徐に増加している又嫁いだ娘の家にをいがけに出る事をためらう姿を感じたが必須科目ですからと全員参加パンフレットを配る歩いてみて大変だったが共に勇んで頂きました山間部の人の受け方素直さ穏やかさには好感がもてたねり合いで感じたことは教会長自らが手本を示すこと本を読んでも話を聞いて感動はしても実行しない奮起はしても実動が出来ない真剣に通る姿を見ることがなければ話だけで終わる後へ続くものへの無言の導きは誰か身に行って通る人がいなくてはそれは教会長先頭になり汽車なら機関車の役目を果たさなければならないと自分に言い聞かせ今日一日のつとめに思いは残るがいい勉強をさせて頂いたと思い乍ら教会を後にした誠の心簸ノ川分教会長津森朋之六月二十二日に稲富士分教会の実修会へ要員として行かせてもらいました今回はおかきさげの勉強をさせて頂くと云う事で大教会でも要員の勉強会を開催頂きましがそのまま投げっぱなしで直前になって慌てて資料に目を通しぶっつけ本番の実修会となりましたが一生懸命お聞き頂き恐縮しましたおかきさげは私にはむつかしいテーマでお話しするこちらがこんがらがってきそうでなんとかわかりやすくと例をあげて話そうと心掛けましたおかきさげの中では特に誠の心という所が大切な角目となりますが誠の心の持ち主と言えば本席様はじめ幾多の先人の先生方がいらっしゃいますが思い浮かぶのは自教会の初代や前会長の姿で勝手ながらそんな話も少し入れさせてもらいましたそうした話の種となる親おやをもてた事は有り難い事だなと改めて思いました稲富士分教会の担当されているにをいがけの地域は教会から車で三十分もかかる何万軒もある広大な新興住宅地ということで全市で七千軒しかない我が市と比べ教会の皆様方のご奮闘振りがしのばれました丁度お昼時でしたが蒸し暑い中汗びっしょりになって共ににをいがけに歩かせて頂きました帰会後奥様手作りのおいしいカレーを頂きながら楽しくお話しをさせて頂きました島根への帰路念願であった毛利元就居城である吉田の郡山城址に登りました青三井山の尼子氏との古戦場を眺めながらいにしえの戦国時代に思いを馳せましたこれも実修会のおかげですありがとうございました大教会よりお打ち出し下さる三つの実践項目を三本の矢として教祖百二十年祭に向かってまっしぐらに突き進んで行こうと思います少年会を卒業した青年は更なる成人を求めてこそ飛躍する参加対象昭和年月日生まれ昭和年月日生まれの男子開催日時土午前時翌朝食後場所天理教内容懇親会研修練り会いお楽しみ他翌日布教推進週間事前研修会参加参加費円直福高島直山屋根担当スタッフ連絡先森本正典平盛尚樹北川勇二高島伸雄久松上下府中市中村真人本多正悟主催天理教青年会育成部談話室楽しみの日をつなげて島中分教会長内海安子因島大橋を渡ってやがて因島北で降りる村上水軍城の五先に島中分教会が位置している今日は教会のすぐ隣に住む九十三歳のさんのお話をさせて頂きます元から住んでいる古い人達はさんと言えば天理教のおばあちゃんと大概の人は知っていますさんは高田八助初代様の頃より親に手を引かれて参拝すること約八十五年近く教会へ繋がって下さっています今も元気でひのきしん近所へのチラシ配りひ孫たちへおさづけの取り次ぎなど年とは思えない程健在でおられますそれでも若い頃は兄妹たちの子供さんを面倒をみて家計をやりくりし乍ら育てあげられましたさんの口癖は主人には相当苦労させられ恥をかいたと定職がなく多勢の人が生活するのは大変だったけれども信仰のお陰でここ迄つれて通って下さったと話をされるある時は茶目気で自分のことをいつ迄生きるんじゃろうか風邪もひきやせんと私の顔を見てはつい言葉がもれてしまうバアチャン島中の神様はさんが大好きなんよと言う五年前に脳梗塞の身上となった平成十年八月八日祭典も終り直ぐに病院へお救けに行かせて頂いたもう見るからに救かりそうにないとつい頭によぎったが月次祭の理を頂いて救ってほしいと一生懸命お願い致しましたさんお救けさせてもらうねと云うともうろうとした状態なのにハッキリとお願いしますと言ったその時のことをさんは云うあの時お救けして頂いたのをはっきりと覚えているあの時から元気になったと云って下さって本当に良かったと嬉しく思いましたそんな中このまゝ病院にいては本人も帰りたいと泣くし嫁さんや孫たちもさんが弱ってしまうと判断して自宅で看護すると覚悟をきめ医者の反対を押し切って退院した退院すると毎日朝からねむっている事が多いのでこのまゝでは頭がぼけるのではと又心配になり相談を受けたさん教典を書かせてもらったらどうですかと言ったその一言で今では百冊近くノートへ書き五年近く朝から時間があれば夜迄毎日楽しみに勉強くと云っては机に向っています以前は嫁姑の仲が悪く近所教会へ来てはぐちをこぼしていましたが教典を読み書きさせて頂くことによって家庭も大変円満になり外歩きも必要以上にしなくなり皆さんに大切にされています親子孫ひ孫と四代親の背中を見て育つ信仰一家を私も心より応援させて頂くと共に良いことは見習って教会へつながる私達も今日又明日へと楽しみの日をつなげたいと思っていますにをいがけは教会地域よふぼくの日常的な信仰活動です日人の幸せを願いコツコツ積み重ねる一人ひとりの努力更には全支部布教日設定によるにをいがけ活動その動きを一手一つに結集し社会に向けて全教が挙って力強く信仰の喜びを伝え次なる歩みにつなげていくこれが全教一斉にをいがけデーです教祖年祭に向け全家庭へにをいがけを目標に教会地域を問わず勇んで掛からせて頂きましょう期日月日日布教強調月間月日日日一斉活動日内容戸別訪問リーフレットチラシを配布出来れば人組で手渡し声掛け報告参加者数を支部へ報告教会で参加者名簿の作成をお願いしますふうふそろうてひのきしんこれがだいいちものだねや第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目佐藤道孝大教会役員芳井分教会長池平武司錦ヶ原分教会長佐藤憲美久福分教会長掛谷和由福南分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい教会別人づくり一覧表名称初授修講前講後名称初授修講前講後名称初授修講前講後笠岡福中亀田山福山福冨士出雲川津髙屋福東天場山神邊東福山簸ノ川島根福南多古浦久松福順瑞北鶴山福節雲東弥髙山福備陽備福輝神村摩耶呉中金浦坪生大江橋興明八尋品治ひろさと深安久福陶山笠尋久津芳井芦品呉福呉照安那海松ヶ岡芦田川鶴南東悠三郡鶴眞吸江芦常川島郷照陽芦辺鴨方輝美濃芦加茂作備新山邑惠陽輝華呰部陽實錦ヶ原明石市御野上下香地華行縢府中市真金眞府東城仲條吉舎服部稲倉清嶽島中稲瀬上小畠驛家稲富士木津和油木稲讃國須葦陽門司港上吉野湯田原大惠山上備備中東水島神昭高児島河佐美之郷上川邊錦備出雲甲井瑞雲上父廣町海潮川阿木行福廣錦洋宇津戸福勇米府河面福芦弓ヶ濱府鮮福満西伯府庄福岩米美府世原西村伯仙福年照雲神驛引野輝伯神免福昭松都葦沼福春樺島合計こころの詩よくをわすれてひのきしんこれがだいいちこえとなる表紙のちぎり絵今回の課題は切撰六十八句中笠岡に繋がる教友の方三名三句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます準秀詠芳井分教会長夫人佐藤香苗一切を神に委ねてつくす誠準秀詠川島郷分教会前会長香取敏子切り替える心に神の守護を受け佳詠芳阪布教所長杉原幹夫切れかけた用木目覚め旬に生き養徳社発行陽気誌七月号道柳より転載どうぞこの誌に於いてもジャンル自薦他薦は問いませんドシドシ読者の皆様方の才能溢るる作品のご寄稿をお待ち致しております本年上半期書家であり布教所長さんでもある三宅白城さん本名八寿夫さんにご多忙の中ご執筆の労をお願い致し表紙を飾らせて頂きました素晴らしい書に託された氏の心までお伝え出来ないのが心残りです六ヶ月に亘り楽しませて頂き誠に有難うございました下半期より福芦分教会前会長夫人竹本久子さんに和紙を使ってのちぎり絵を表紙に飾らせて頂く事になりました押し花の如く繊細で且つ厚みのある作品をそのまま表現出来ないのが残念ですが四季感溢るる作品でありますお楽しみ下さい祝笠岡ワールドブラザーズ去る七月十三日地区代表を全国大会出場かけ岡山大教会チームと軟式野球の試合が行われる予定であった折からの長雨で対決することなく抽選で勝利の女神が我がチームに微笑んでくれた二年ぶりの本大会出場である名前の通り野球を通してお道に繋がる者の親睦を図りまたこれを通じて用木になる方も出来てきています野球好きな方ならでれでも入団出来ます集まれ若人よめざせワールドブラザーズ六月月次祭祭文チョちょこれのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にハせかいぢうゝハみなわが子たすけたいとの心ばかりでと一列子供かわいい親心の上から只単に十全の御守護でお育て下さるばかりでなくぢしんをふかぜ水つきや身上事情を通して陽気ぐらしに向かう心の成人をお促し下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながら親心が分からず天災や身上事情から逃げようとするばかりで苦しみにあえいでいる人が多くいます事は誠に申し訳なく私共は御恩報じを念じつつ朝夕に御礼申し上げると共に親心の有難さやたすけ一条の大切さを一人でも多くの人に伝えるべく日はにをいがけおたすけにと勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡にお許し下された御祭日でございますので只今から寄り集いました理に繋がる道の子供達と相共におつとめ奉仕者一同たすけ心も一汐に陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて六月の月次祭を執り行なわせて頂きます皆のおつとめに込める真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますよう御願い申し上げますさて教祖百二十祭地方講習会開催もあとわずかとなってまいりましたほとんどのよふぼくが参加したと思われますが未だに参加出来ずにいる方もおられますあと十日精一杯参加の呼びかけをさせて頂く所存でございます加えてこの地方講習会を通して教祖年祭に向けての成人の歩みの大切さを教えて頂きました笠岡に繋がるお互いは心を一つに合わせて実践項目の実動によりいよく成人の歩みを進めさせて頂く覚悟でございます又第五十回記念の子供おぢば帰りを目前にしたこの旬に本日は縦の伝道講習会を開催させて頂き少年会活動の重要性を再確認し少年会活動によって育てて頂いた自分達の経験もふまえて子供おぢば帰り募集と共に道の後継者育成の上に力注いでいく所存でございます更には又今月二十五日より本部の西境内地拡張整備ふしんが始まります一人でも多くの人で土持ひのきしんをさせて頂きおぢばへ真実の伏せ込みをさせて頂く所存でございます何卒親神様には旬に当たり親の思いをしっかり受けとめ御用に専心する皆の真実の心をお受け取り下さいまして教祖年祭に向かう三年千日の歩みが親神様教祖にお喜び頂ける成人の歩みになりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます一寸の話しいよいよ今回で五十回目となるこどもおぢばがえりが親里で開催される今年は連日降り続く長雨の天候にも動せず各会場準備にひのきしんに勤しまれる方の誠真実のお陰で着と整備受け入れが整って来ているとの事である子供達に親里で一つでもひのきしんをさせてやりたい親心で始まったこの行事今年は西境内地拡張整備と相まって初心に立ち帰り大いに土持ちひのきしんに汗を流したいものである天理教という枠を越えこどもたちに
かさおか

『かさおか』第42巻 第6号

親孝心三宅白城書をやの思いをにをいがけうちうち内治に心を配りおたすけに誠の心を尽くそう一歩前進百万軒おつとめの徹底とひのきしん機を逃さずおさづけの取次第第回回ここどどももおおぢぢばばががええりり月月日日月月日日日日間間今年はこどもおぢばがえりが始まって回目の記念すべき年です全国各地また海外より大勢の道の子が夏のおぢばに帰ってきますでは全教会からの帰参を目標に掲げております各教会から一人でも大勢のお帰りをお待ち申し上げておりますまた期間中月日日月日の回午後時より詰所中庭で模擬店を開催しますお楽しみ下さい五月二十一日学生層育成者講習会講話ら立ち上げたものを三代目がまた何もな信仰の伝承のためしにしてしまうという人の道として陥飽くなき声掛けをり易い姿を歌った歌です本部学生担当委員会育成部委員伊藤芳正先生この道を歩み続けていく上でも次世代を育て信仰を伝える上で大切な角目と形ある組織が行先長く生成発展を遂げていくためして元一日ということをお聞かせいただきますの条件として次世代の育成が挙げられます次を諭達にもいかに文明が進歩しようとも病む人は担う者が育っていなければ現在どれほど活発に絶えず悩みの種は尽きない心が救われることは活動していても何十年も経てば当然その勢いも陰ないそれは元を知らぬからであるとありまするということですしかしこの元一日ということがなかなか伝本日は学生層の育成ということについてそのわっていきませんここを伝えていく丹精をしなけ大切な次代を担う若者をどう丹精するかという点にれば入信の動機も先人のついてご相談申し上げます苦労もわからなくなってしまって道が伝元を伝えなければ代は続かないわり難くなるでしょう唐様達筆で売り家と書く三代目という川柳年限という年限なくば実がのがあります初代というのは大変な思いと決心をるまい年限段重なれもって何にもないところから一生懸命形あるものば八丁四方になる事分を立ち上げていく二代目は共に苦労しているのからんと年限を重ねるで親の思いを継承してその道を辿っていける三ことが四方八方に代目はそうした親の徳をいただいて達筆になっ成り立っていく大きたが身につけた筆を使って書いた文字は我が家な秘訣であるとは売り家ですと初代二代が何もないところかお聞かせいただきまた一代切りと思ったら頼りない一代は一代とも仰せいただきます一代を長い年限を重ねてお通りになる方は沢山ありますが一代では頼りないとの仰せですので年限があればこそ八方四方に伸び広がるというのは一代限りのことではなく二代三代と代を重ねていくことになりそこにご守護につながる歩みがあると悟らせていただきますそういう点で先ず身の回りにおられる学生層の方にその家の信仰の元一日をお尋ねいただきたいと思います恐らく答えられない若者が多いと思いますが若者のみならずその親さえも知らないということがありえるわけですこれは年限を重ね道を代と重ねていくていく上に非常に心配しなくてはならない現状だと思います若者は厄介であるが若い者寄り来る所厄介世界から見れば厄介なれど道から厄介ではない道から十分大切というおさしづがあります神様は若い者というものは往にして厄介だが大切だと仰るどのくらい大切かと言えば続いて十のもので九つ半大切にして半分だけ出来ん十のもの半の理で九つ半まで消すと仰る信仰が十だとすれば九つ半まで大切にするおつとめ日参ひのきしんにをいがけおたすけ九つ半九十五を大切にして通るしかし半の理あと五を大切にしないがためにその九十五を全部消してしまうと仰るのですその半の理とはどういうことか続いて出てたすけるも内でたすけるも同じ理やと仰る要は外に向かって一生懸命にをいがけおたすけひのきしんすることも大切だが縦の伝道を疎かにすれば一生懸命通ったその信仰が全部無になってしまうということですそのぐらい次の者を丹精することが大切だと仰るのですそれでは厄介とはどのようなことでしょうか若者というのは理想とか理屈でいろんなものを推し量る年代です言うなれば学生層というのは往にして自分のことは一切棚に上げて自分以外のものは理想や理屈で測ろうとするこれは元から物事を見ていこうとする私たちと全く正反対から物事を見ている時代だと思いますそこが厄介なのではないでしょうか逆にその理想から説き起こすということについなびては若者はいとも簡単に靡きますその最たる例がカルト教団であるべき理想ユートピアの世界から若者を引っ張っていくのです本来あるべき理想で若者を惹き付けますからそこには今の現状に対する不満しか生まれてきません理想を強くするということは向上心であって大切ですがそれだけがここかかんん様様にに続続くく会会日時平成年月日土午後時半受付時開講日日午後時半閉会予定場所内容支部長様挨拶お話しにをいがけひのきしんお楽しみ行事バーベキュー花火他対象中学年生高校年生教会子女は必ず参加して下さいすべてになると自分が向かおうとする理想に則してこないものを全部敵対視し今ある現状に対する不満不足という感情が生まれてくるのは当然です天理教にも陽気ぐらしという理想がありますが真柱様から改めてお聞かせいただきましたように常にどんな事も元から説き起こしていく姿勢が大切なのであって若者を育成する者としても大切な心の置き所ではないかと思います理想だけで向かってくる若者にこちらも理想だけで向かっていくとそこに生まれてくるのは対立でしかないように思われますしかし私たちは明らかに違う次元であってもう少し大きな次元で行先のことを考えていくのが私たちですそういう気構えをもって若い人たちに関わるこれこそ正しく真柱様より若い者を育成丹精するのはおたすけの精神で接してもらいたいとお聞かせいただくお互いの心の置き所ではないかと思いますそこに意識を置かなければどうしても厄介な者にはなるべく関わらないでおこうという心が沸いてくるのは自然ではないかと思いますそこをとにかく一歩踏み越えることが若者に向かっていく育成者としての気構えとして大切だとこう神様はお聞かせをいただいていると思います論達に機を逃さぬおたすけとあります人が難儀不自由していることを知っていてもたすけ心がないと知っているだけに止まってしまいこちらが手を差し伸べなかったがために取り返しのつかないことにならないとも限りませんたすけたい育てたいと念ずる私たちは何をおいても育ってほしいと思う人を常に見ている常にその人に目を配っているということがないと機を逃さぬおたすけなどは出来ようがありません煩わしかろうがどうであろうが育ってもらいたいという人に常に目と心を配るということが育成という上での第一歩の努力ではないかと思います先ずは多くの学生を寄せることから教内のいろんな動きが少し頭落ちの中で学生会活動だけが年伸び広がっていますがそこには三つの大きな要因があるように思います先ず一つは楽しいか否かの物差しで全てのことを測っている若者に絶対的に楽しいという環境を提供しているということですそれでは何が学生にとって楽しいのかそれは同年代の多くの者が集まっているということこれにまさる楽しみはないと実感します今の若者は自分がみんなと同じだということに非常に深い安心感や価値観を見い出しているのでみんなと同じ環境に置かれることが安心出来る楽しととききととこころろ内内容容対対象象定定員員参参加加おお供供申申込込みみ月月日日金金月月日日日日観観音音寺寺フファァミミリリーーキキャャンンププ場場ハハイイキキンンググ水水泳泳キキャャンンププフファァイイヤヤーー野野外外ゲゲーームム他他小小学学年年生生中中学学年年生生高高校校生生ははススタタッッフフととししてて参参加加名名円円米米合合とと野野菜菜品品月月日日迄迄各各ブブロロッックク委委員員にに申申しし込込んんでで下下ささいいみの場になると思います今の子供たちは少子化で過干渉過保護気味に扱われているので子供たちの内面的な発達が抑えつけられているということが多ありますそうした子供たちが複数の多くの仲間が寄り合い親の目も届かない環境に身を置くと大変生き生きとした内面の明るさ若者特有の大らかさが次から次へと生まれてきているような気がしますところが各教会で学生層を育成していこうと思っても同世代の人を多く寄せることは非常に難しいことでまたたとえ来てくれたからと言っても上げ膳据え膳の特別扱いをしたら彼らにとっては返って居心地悪いことになります従って本部はもとより大教会挙げて教区挙げてというようなそういう単位で学生層育成に関わっていくことが大切ではないかと思います変わるべき自分に気付かせるには二点目は徹底的に自分の心の位置を見つめ直してもらうということです彼らが日常的に経験している人との関わり合いは一対多という関係です学校でも教会でも先生からの取り次ぎを聞くだけで一対多という中でのコミュニケーションが殆どでしょうまた同世代の若者同士でも真面目にいろんなことを話し合うということも殆どしませんし更にメール友達は何百人もいて自ずと希薄な付き合いしかしていませんその若い人たちに学担では少人数で徹底的にハープお互いの心の内を見つめ合っていくというグループワークをさせていますその中で学生たちは自分にも変えるべきところがあるということに気付きます変わらねばといっても中変われるものではありません何をどうしたら変われるのか変わっていく一番の原動力は変わりたいと思う本人が自分にも変えるべきところがあると気付くことです昨日の自分と今日の自分とは違う成長したと分かることが変わっていく一番の原動力です自分の変わるべきところに気付かないままではいくら努力しても変わりません自分には変わるべきところがないという自己の過大評価があるようでは生涯かけて心の成人を目指していくこのお道にあっては成人しようと思っていても変われないということですグループワークを通して学生層は徹底的にいろんなものを見つめていくことによって各が自らの変えるべきところに気付いていきますそうして気付いていけばたった一週問の間にでも変わっていけるのです神様はほこりの自覚と仰います学生層はあの年代でよふぼくにもなっていませんが期間月月日日金金午午前前時時受受付付日日日日午午後後時時頃頃解解散散受講対象中学一年生以上高校大学生一般受講御供円持参品英和和英辞典筆記具着替え洗面具プログラムパソコンを使った英語の学習英会話おつとめレクチャーひのきしんお問合せ詳細はスタッフの香取雅人吉岡誠一郎ご連絡下されば大門駅まで送迎致しますの繰り返しの中でそうしたものを身につけていきます若者は厄介というのはどうしようもない凝り固まった厄介さではありませんそれはちょうど芋虫が蝶になる前には必ず繭をつくるのと同じであって殻自分だけの世界価値観に籠もっているのは側から見たら厄介でしょうがその時期というのは一度社会と繋がりを切っていくのであって触り方一つで殻から出ないで済んでしまうかそれとも蝶になって羽ばたいていくかに別れますそういう時代にあるのが学生層なのですまさしくこの変わり身です彼らのそうした大きな成長を促すのが徹底して自分の物差しに目を向けさせるプログラムですこれが二点目ですどうでも尽くし切る喜びを実感させるそして三点目は徹底して教えの実践をさせるということですは徹底して心を内に向かわせる一方外に向かっては無条件に教えの実践を身に行わせます教理というのはある程度知識で学ぶことは大切ですがそれを実践しなかったら信仰心には繋がりませんそこで日自己中心的な生き方をし常に自分の思いを解ってもらいたい自分の思うようにしてもらいたいという彼らに人のために心を尽くすという信仰実践を繰り返させるのです私は人間というものは人に心を尽くした分しか自分がどれほど人のおかげで今があるのかということに気付かない生き物だと思いますギブテイクという表現があります尽くしただけの見返りがあるという考え方ですが教祖からお聞かせいただいているのはそうではなくてギブギブだと思います尽くして尽くしてその中に味わえる陽気ぐらしということを私たちは教えていただきますギブギブの上に味わえる幸せこの豊かさを学生たちには徹底的に実感してもらうのですそうすると人に心を添える豊かさ人に自分のことを思っていただける幸せを理屈ではなくて実感してくれますその感性が常に親の言うことなんか聞くもんか俺は俺だ勝手じゃんという生き様だった学生たちの心に物の見事に作用して御教えを我がものにしていくように思います以上申した三点が学生会の行事の三大要素だと思います内容小随筆原稿募集ミニエッセイ心に思い浮かぶままに書いた感想文で信仰的な内容であれば傾向は問いません今私のところでは他の教会布教所と違う独自の活動などをご紹介ください俳句和歌川柳傾向は問いません教会行事開催後の報告記事等字数字前後字字題名所属教会名氏名を明記してください俳句等は首からでも結構です寄稿先下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿ください郵便電子メールなお原稿はお返しいたしませんので予めご了承ください繰り返して声掛けをしかし如何ほど素晴らしプログラムを用意しても各教会から押し出していただかないと彼らは限られた学生生活の中で一度もその感動や感激安心を味わわないで次のステップにいきますこれは勿体ないと思いますそうした上から学担のスローガンとしては学生一人ひとりに月に一度は声をかけましょうということを申し合わせています具体的にははっぴすとという学生会の機関誌を皆様方からしか声の掛からない高校生に手渡ししてもらいたいということを繰り返しお願いしています私たちの信仰は理の声掛け旬の声ぢばからの声を戴くから日一手一つに通らせていただけるのではないでしょうかでも大教会から旬の声を戴くから部内教会が一つの方向に向かって親神様に一番お受け取りいただける一手一つという姿がそこに生まれるのではないかと思います旬の声親からの声はたすけの綱だというところはそこにあると思います常に旬の声がけをしてくださる人があるということはたとえその時には疎んじられたとしても振り返ってみれば感謝され将来的な信仰に繋がっていくのですお言葉に日という言葉一つという言葉一つがよふぼくの力ならみなそれに凭れて若きは育つとお聞かせいただきます日常声掛けしてやってくれ言葉一つがよふぼくの力だその繰り返しの声がけがたすけの綱となって若い者は育っていくんだと仰るのですまた前真柱様はこのようにお聞かせいただきましたいっペんで解らなければ二度三度それで解らなければもっと分かり易くその子の得心のいくような表現の仕方に今までの表現の仕方を変えてまでも心を配っていただくだけの大様さというものが是が非でも必要だそれによって若者が育つも育たんも決まると申しても過言ではないと声掛けとその工夫とについてお聞かくださっています絶対に一言言うてああそんなら行きますとは言いませんそれほど素直ではないわけですしかし必ず何としても行ってもらいたいという心は通じるわけです以上要約こころの詩今回の課題は全撰六十九句中笠岡に繋がる教友の方二名二句が見事撰ばれ掲載されていましたので転載させて頂きますおめでとうございます佳詠芳阪布教所長夫人杉原優子全教が仕切って成人全うし佳詠芳井分教会長夫人佐藤香苗全身の自由用とこ身に沁む病床の中養徳社発行陽気誌六月号道柳より転載この誌に於いてもジャンル自薦他薦は問いませんドシドシ読者の皆様方の才能溢るる作品のご寄稿をお待ち致しております婦婦人人会会笠笠岡岡支支部部総総会会賑賑ややかかにに終終ええるる五月二十二日木午前九時半より六百余名の参加を頂き喜びのうちに第二十一回総会を開催致しました昨年秋支部長様のご身上から委員会で全委員部残らず別席者の御守護を頂こうを合言葉に総会への心定め更に後継者育成の上に丹精させて頂こうとつとめてまいりました当日お天気の御守護を頂き委員全委員部長によるおつとめまなび続いて式典大教会長様より初代会長上原さ模擬店風景と様の親孝心の道すがら並びに内を治める心遣いについてお仕込み頂きました又支部長様からは教祖のひながたをたどり教祖百二十年祭活動の底力となりましょうと婦人会の歩むべき姿を事細かにお話し頂きました昼食後記念講演として特定非営利活動法人理事長菅波茂医師による世界宗教としての天理教に期待するお話しをして下さいました又ひまわり会女子青年によるぜんざいカップケーキオレンジゼリーコーヒーを出店参加者の皆様に喜ばれました参加者全員教祖百二十年祭へ向けての誓いも新たに感激のうちに総会を終えました諸先生方をはじめ部内教会長様青年会員の皆様方の御力添えを頂き盛大裏に終えさせて頂きました事を紙面をお借りしまして厚く御礼申し上げます有難うございました全教一斉ひのきしんデーに思う香地華分教会長渡邊勇喜福山支部のひのきしんデーは日を分けて何ヶ所かに分かれていてどこかのひのきしんデーに参加出来るようになっている毎年私は二回程参加させて頂いているが今年は都合で十八日の神辺の老人ホーム一ヶ所のみ数名で参加させて頂いたその日は丁度地域の運動会や道掃除などが重なってちょっと少ないかなと思っていたらだんだんと集まって来たその中に親と子孫三代で共に汗する或る教会の家族の姿を見ほのぼのと心温まる思いがした親の勇んだ姿は自然と子へ受け継がれ自ずと信仰も伝わる陽気ぐらしされている教会だなあと思った先日大教会でアムダ会長の菅波先生のお話を聞かせて頂いた中に難民のボランティアとして世界に出せる人間それは幸せな人でないといけない幸せな人はみんな幸せになってほしいと願う逆に世界に出せない人は不幸な人不幸な人はひとの幸せをうらやむ又ひとが自分より幸せになってはいけないと心の中ではひとの不幸を喜んでいるこんな人はボランティアとして世界に出せないと話された心のともなわない高慢な親切ほど貧しいものはないなと思った私達お互いはさせて頂く心ではなくてしてやる心になってはいないか考えさせられたお道では人をたすけたら我が身たすかると教えられるひとの幸せは自分の幸せひとの幸せを喜べる人間でありたい話はひのきしんデーにもどるが昨年の事この老人ホームで草刈りをしていた人が草むらで財布を見つけて園の事務所へ届けたひのきしんが終わって園の方から持ち主がわかって届けたら大変喜ばれてよろしく言って下さいとの事でしたと報告があった園の近くで畠をされていた御婦人の貴重品を入れた袋を犬がどこかに持ち去ったという事でした小さなことですが財布のもどったその人もホームの人もひのきしんの人達もよかったくと喜んだすがすがしい一時でしたそんな事を思い出しながら今年もいい汗をかきました有り難かった実修会上原志郎五月四日河佐分教会へ行かせて頂いた百以上ある教会の中から私が当たる教会は縁のある教会だと嬉しく思っていたと同時に百名以上いる要員の中でも一番下手な私が行く教会はかわいそうだなあという複雑な気持ちで臨みましたゴールデンウイークなか日の好天の日に月次祭に来られる人は信仰熱心な方に違いないと思っていましたが予想通り一時間近くに及ぶ私の下手な話を最後まで熱心に聞いて下さった二十数名の方に頭が下がります先だって本部の先生より聞かせて頂いたおかきさげの解釈の流れを大切なおさづけの理に関わるものとして私がアメリカ布教中におさづけを通して経験した不思議な体験を交え説明させて頂きました昼食の後にをいがけそして一時間程の反省会信仰談及び雑談で時間を過ごしました大学で宗教学を学んだもののおかきさげについては全くの無知で大切な角目には必ず引用されるおかきさげの勉強を前からしたいと思っていたので結構な機会を与えて頂いて何より自分が嬉しかったです実修会後五六名の方からおさづけの理拝戴後おかきさげについて初めて聞かせて頂いて本当に勉強になったという声を聞かせて頂いた事は私にとっては何よりも嬉しい声でしたこの度の実修会で共に勇ませて頂く機会を与えて頂き体調の万全でない私にでもつとめられたことがありがたい実修会でしたにをいがけおたすけ実修会に出向させて頂いて福成布教所藤井正仁そもそも私は昔から勉強は大の苦手でありまして嫌いという訳ではないのですが体が拒否すると申しましょうかどうも眠くなってしまってさっぱりと頭に入らない話など聞こうものなら必然的に子守歌に聞こえてしまうでありますから連絡事項だけの会議なども同じくいつも苦痛との戦いでありますそんな私でありますので常に肉体労働派で今日まで勤めて参りましたおかきさげの勉強をさせて頂いて恥ずかしながらわずかな信仰生活の中で自分が納めようと努力したことふしからお教え頂いたことなどがあらためて読ませて頂いた時におかきさげが大変神饌でなるほど大事なお言葉だと痛感致しましたしかし心に治まってないものがお取り次ぎ致しますもので大変聞き取りにくく当該教会の皆様にはご迷惑をお掛けしたことと思います因縁あって行かせて頂いた教会の会長さんは私は教えては頂きませんでしたが元我母校高校の英語の先生でありました何とか私なりに勇んで頂きたいと懸命の努力を致しましたがお集まり頂いた皆様には私の通り返しの姿をお見せ頂きましてなかでも椅子から滑ってこけそうになられた方を見かねて隣の方が布団敷いて寝たらの一言はどれだけ今日まで色んな方に失礼な態度でつとめておったかと深くお詫びをせざるを得ない心境でありました小さいながらも布教所長をさせて頂いているおかげで言葉一つにも責任を感じさせて頂くことが時ありますがそのたびに思いますことは教えをほんとに知らない知らないだらけだとつくづく思いますまた何遍も聞かせて頂いたお話が少しずつなるほどと思えるような事のある今日信仰させて頂く事が楽しくまたうれしく思いますこの御年祭活動教祖にお喜び頂けるよう勇んでつとめさせて頂きたいですなるべく居眠りせんようにして報告書より深安分教会北村立人皆さん真剣に話も聞いて下さりとても良い感じですお年の会長さんを盛り立てて立派と思うにをいがけ実修は田植えの最中でもあり留守の家がほとんどでポスティングをよぎなくされましたが手渡しの出来る事もあり感じよく受け取って下さり所の良さを感じました後のねりあいはほとんど自分の雑談に終わり申し訳なく思っております談話室日よろこびにつつまれて島根分教会面谷美恵子突然の原稿依頼の便りを受け取り何で私が他に偉い教会長さん布教所長さん方がおいでるのにと戸惑いながら第一の機関誌のある事も知らぬ未熟者です自分に出来る事先ずはひのきしんボランティア身上かしものかりものの理で元気に通らせて頂いている感謝の気持ちのお返しそれと父の姿を観て陰ひなたなくひのきしんをしていた後ろ姿を今も思い出しますボランティアを始めたのは両親の出直しの時私に出来ない事まで義姉さん布教所長の親身な介護のお陰感謝しています親に出来なかった事を人様に少しでも役立ちたいとひのきしんスクール大阪のボランティア協会で知識を勉強させて頂きましたボランティアひのきしんと勝手に動いていますがこれも理の親である島根があって主人やお嫁さんが留守を守ってくれますので有難いです二十年前修養科の先生から口と心と行いが一つになるようつとめて下さいと励まされ及ばずながら少しづつ実行に現しています有難い事に幼稚園に行く孫が同じようにゴミ拾いのひのきしんを一緒にしてくれますお道の上での通り方に満足はしていませんが百二十年祭のこの時旬に親神様教祖に喜んで頂けるよう何事にも喜び勇んでつとめさせて頂きたいと思います精一杯泣いて笑って八十年芦方布教所長原コト親からの信仰を受け継いで八十年思い起こせば波瀾万丈の人生だったように思いますその中でも特に心に残っているのは教祖七十年祭の時の事です教会へ十年住込ませて頂いていた時教会のふしんと年祭の御奉公とが重なり食べ物もお金もない中一生懸命勇んで勤め切らせて頂きました年祭を終えホッとした時ある信者さんの出直しその方の後を継いで新市町の相方に布教所を持たせて頂きました親会長様も大変喜ばれ芦方布教所と名付けて下さいました家族六人単独布教同然でしたがせんべいや下着を売りながら一生懸命布教させて頂き親会長様親奥様に喜んで頂いた事で親孝行ができたと喜んでいたのも束の間思いも寄らぬ程莫大な借金を背負っていました一生懸命布教していると何事も成って来るものと思い上がり御守護頂けると思いましたが親神様はまだまだそのような徳はないでと笑われている様な気が致しましたおふでさきに人のものかりたるならばりかいるではやくへんさいれゑをゆうなりのお言葉心が急いでおりました折今は亡き名古屋大教会理事津留田様の店中華そば陽気との出会いがありました親に黙って夜逃げ同然でお社を一歳になったばかりの長男に背負わせふるさとを後にしました親子六人六畳一間共同台所便所という所より新しい生活がスタートしました店とは名ばかりで一坪半の広さでした理の親にこの親不孝をお許し下さいと手紙を出すと親不孝を許すような教理はないとお諭しされました私は一生涯親不孝を詫びて通らせて頂く決心で今日まで如何なる中も親孝行第一また教祖の万分の一でも通らせて頂こうとにをいがけおたすけおつくしと頑張ってきました親神様は私達をお許し下さったのか陽気のそお知らせ大教会階事務所棟女子便所内にベビーベッドを設置しました神殿付近で幼児のおむつ替えをされる場合はご利用くださいよろしくばを前真柱様に二度真柱様にはこの度広島教務支庁で召し上がって頂く事が出来ました形は親不孝でも親孝心で通らせて頂いた事一生懸命ならば何事も成って来るものと確信致しました子から孫まで親神様を信じてついて来てくれる昨今です教祖百二十年祭上級高屋のふしんと重なりこれ又五十年前に振り返り皆心をひとつに一生懸命伏せ込ませて頂きたいと思いますまだまだ八十歳今から頑張ります五月月次祭祭文チョちょこれのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供かわいい一条の親心のまにく天然自然の働きはもとより心の自由をお与え下さり身体をお貸し下さって陽気ぐらしへとお育てお導き下さっております事は誠に有り難く日夜御礼申し上げておりますが心の使い方を誤り陽気ぐらしと掛け離れて身上事情に苦しむ人が多くいます事は誠に申し訳なく私共は一人でも多くの人に親心がわかり陽気ぐらしへと向かって歩みだして頂きたいものとつとめとさづけを通してたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡の五月の月次祭を執り行う定めの日柄でございますのでおつとめ奉仕者一同喜び心も一汐に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を待ちわびて寄り集い日頃の御高恩に改めて御礼申し上げ同じ思いに伏し拝む皆の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますよう御願い申し上げますさて地方講習会を通して教祖年祭への思いをより強くさせて頂いて申し合わせた実践項目の実動を通して成人の歩み進めさせて頂いておりますが未だ参加出来ずにいる人もいますので残された一ト月余りの中で全ようぼく参加を目指してどうでも参加して貰えるよう声掛けさせて頂く所存でございます又九月までに全教会でにをいがけおたすけ実修会を開催させて頂いて実践項目の実動に拍車を掛けさせて頂く所存でございます更には又本日は学生層育成者講習会を開催して育ての意識を強くし又明日は婦人会笠岡支部総会を開催させて頂いて夫が関わる人の成人を支える台との思いを強くして年祭に向けて成人の歩みを進めさせて頂く覚悟でございます何卒親神様には世界情勢や経済状況を考えるとどうしても我身に囚われがちな世の中にあって自分を見失う事なく親神様の思召をしっかり心に湛えて陽気ぐらし実現を目指したすけ一条に邁進する皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に更なる自由の御守護を賜り人の心に思召が染み渡ってお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお連れ通りの程を一同と共に慎んで御願い申し上げます一寸の話しある日の山陽新聞の川柳欄にすり減った亡父の鍬から汗が噴くという句が載っていたそれを見た途端雷に打たれたように走ったものがあったそれは親父の教服のことだった親父が出直してすでに三十数年が経つその当時いろんな物を整理処分したがどうしても処分出来ないものが二つあった一つは着ふるした背広もう一つは教服だったこの二つだけは今も大切に保管している前述の川柳に教服という二文字を入れてみたふくすり減った亡父の教服から汗が噴くまさにその通りなのである古ぼけた背広を着てボロ車に乗り教服を風呂敷に包んで荷台にくくりつけにをいがけおたすけに東奔西走していたそんな親父の背中を見ていた小学生から中学生の頃である昭和十九年頃から二十年代にわたり日本列島隅から隅まで物は無い食料はない貧乏の中天理教の教会という教会も例外ではなかった大勢の子供を抱えて貧乏には事欠かなかった暑さの中寒さの中教服一着を持ってにをいがけおたすけに奔走していた親父の姿が子供心に焼き付いている親父の教服と背広には汗と涙が染み込んでいるそんな物を処分出来るわけがない我が教会の宝として伝えたいと思っているふり返って今の我が姿親父の十分の一にもとどかない情けない話である
かさおか

『かさおか』第41巻 第11号

教祖年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しよう自ら求めてをやの思いに応える歩みを秋季大祭講話世話人島村廣義先生しいただいたよふぼくだということです身上をたすけていただくことは小恩この小恩を台にして親神様の十全の守護大恩を心に治め報恩の道を歩むことこそお道を信仰することの意味だと思います秋季大祭の意義秋季大祭の意味はそれぞれが入信の元一日親神様にお引き寄せいただいたことに思いを致秋の大祭は立教の元一日を祈念してつとめるし立教の元一日に思いを馳せてお引き出しくお祭りで世界一列をたすけるために天降ったださる親神様と道具衆としてお使いくださる教祖と仰る立教の本旨を心に治めそれに応える道をとの思いに応えるべく立ち働こうという決心も新心定めするのがその意義だと思いますたにたすけ一条をお誓いすることです立教の元一日中山家のお三方の身上を台にお願いされたとき我は元の神実の神である世界一れつをたすけるために天降つたみきを神の教祖年祭の元一日やしろに貰い受けたいとのお言葉があった中山家では強く辞退されるも親神様が厳としてこのたび諭達第二号が発布され教祖百二退かれず教祖のお姿を見るに見かねた夫善兵十年祭に向かう親の心を御披瀝になりますが教衞様が心を定め一身一家の都合を捨てて仰せに祖年祭の元一日について改めて思案しましょう従う旨を答えられたここに本教が始まり世界二十六日というは始めた理と治まりた理一列をたすけるために教祖が神のやしろと定まらと理は一つ明れましたというお言葉があります始めた理というのこのひながたを私たちの入信の元一日に置は立教の元一日で治まりた理というのは教き換えて思案すると身上事情から親神様の思召祖年祭の元一日ですが世界一列をたすけるために触れたすけ一条の道具として見定められておに天降った親心と私たちの成人を促すために二引き出しをいただくこのことが立教の元一日十五年先の定命を縮められた親心これは子供に合わせて考えることだと思いますかわいい一条の親心に尽きるわけです私たちは神様からたすけ一条のためにお引き出教祖がお姿を隠され扉を開いて世界ろくぢに踏みならしに出られたその元一日は教祖がつとめの勤修を急き込まれる中理の上からは分かっていても教祖の御身を思うばかりにつとめ切れないその当時の先生方のご心痛を思案するば自ら成人しようとする積極的な姿を求められていると思われます親に甘えることなくひながたを拠り所に自らが求めてたすけ一条の御用の上に積極的に前向きに成人の足どりを進めていくことを求められています教祖年祭の意義この明治二十年の節は唐突に現われてきたのではなくその十三年前明治七年のおふでさきに予言されています十一に九がなくなりてしんわすれ正月廿六日をまつ三号このあいだしんもつきくるよくハすれにんぢうそろふてつとめこしらゑ三号その当時このおうたの意味はなかなか想像できなかったことでしょうがこのことは後日次のおさしづで分かることとなりますさあさあ正月二十六日と筆に付けて置いて始め掛けた理を見よさあさあまた正月二十六日より社の扉を開き世界ろくぢに踏み均しに出て始め掛けた理とさあさあ取り払うと言われてした理と二つ合わして理を聞き分けばさあさあ理は鮮やかと分かるやろう明教祖の五十年のひながたの中でこの明治七年はどういう年だったか思案してみるとこの頃ご執筆になったおふでさきの中に急ぎに急がれる親神様の思召のほどを記され重大な時旬が迫っていることを告げて強く人の心の成人を促されています先ず道をおさめる真柱を早く定めるよう記されまた前川杏助様に作らせていたかぐら面が出来てお迎えに行かれる期日も予め記されてその月の二十六日からお面を付けてかぐらづとめがつとめられましたかかる中大和神社の一件山村御殿の節で高山布教に出られるとともに官憲の迫害がいよいよ厳しくなり弾圧が続いていきました教祖は御自らは赤衣を召されて月日のやしろでおわすことを目の当たりに示されそのお召し下ろしをお守りとしてお下げ渡しになるとともにたすけ一条の道としてのおつとめの模様立てを整えられ合わせておさづけの理をも渡されるようになってつとめとさづけというたすけ一条の道をはっきりと示されて世界だすけへと積極的に歩み出されましたそしてお屋敷の人の心の置き所を示されるとともに明けて明治八年にはかんろだいのぢば定めをされてたすけの根元を証されましたつとめの模様立てを整えられて積極的なたすけ一条の活動を促されているのがこの明治七年八年の年ですそして迎えた明治二十年これまでに言うた事実の箱へ入れて置いたが神が扉開いて出たから子供可愛い故をやの命を二十五年先の命を縮めて今からたすけするのやでしっかり見て居よ今までとこれから先としっかり見て居よ明まさしくこのお言葉通りこの節を境にして広く一般におさづけの理を渡されるようにもなりまた土地処に拠り所として教会名称を許されて積極的なたすけ一条の道を進められました更にこのお言葉を戴いて発奮した先人達の真実が遼原に火を放つがごとく伸び広がり今日の道の礎が築かれましたこれらの一連の出来事また明治七年教祖ご自身の積極的なお取り組みと時を同じくして明治二十年の節を予言されたことを思案すると年祭の元一日は求められる親心に対する成人の鈍さ故に起こった節というだけではなく自らが積極的に求めてたすけ一条に勤しむ姿を神様が求められれているそのことを思わずにはおれませんならばこそ百十年祭のときも前真柱様が百十年祭をつとめるべきか否かと直属教会長に宿題を投げかけられましたつとめなくていいというお心ではなく教祖の年祭はどうでもこうでも私たちの側からつとめさせてもらわずにはおれないというものでそれも求められる成人の実をもってお応えするこれが教祖の年祭ですおぢばや大教会から教祖年祭活動を打ち出されたからするというのではなく積極的に自ら成人を求めて歩ませてもらいその実をもって教祖にお喜びいただくつとめずにはおれないというのが教祖年祭であって人間の故人を偲んでつとめる年祭とは違うここをしっかり心に治めなければなりません教祖を身近に教祖が存命で世界の隅に先回りして働かれ私たちの行く末を守っておられることを心に治めるとともにそれにお応えできるような私たちの成人の歩み姿を思案しなければなりませんお姿は見えませんがみんな教祖が存命にておわすということをどれだけ肌で感じて日教祖に御礼を申し上げて通っているでしょうか真柱様は日に教えに基づく生き方と仰っていますが教祖が存命でおわすということをしっかりと心に治めることがよふぼくお互いに求められている一番大切な点だと思います今日教祖殿では本当に現身あるときと同様に教祖に仕えておられますがまた逆に教祖が扉を開いて世界の隅にまで出られてたすけ一条の上に働かれているということをも合わせてしっかり思案させていただきたいのですお喜びいただけるように教祖からたすけ一条の道筋としてつとめとさづけとを明かされていますがおつとめについては五十年のひながたの中でその完修を急き込まれ二十五年の先の定命を縮めて現身を隠されたことからはおさづけの理と教会名称が許されるようになりました教会は私たちの初代がたすけ一条を心定めしご恩報じの道としてその設立を願い出たのですがその教会はおつとめをもって土地処の陽気ぐらしを願い教会から出でてはしっかりと御教えを伝え頂戴したおさづけを取り次いで一人でも多くの人に親神様の思召を伝えるということそれがその使命ですそういうところからお互い教会に繋がるよふぼくとしては教祖に一番喜んでいただく道として親の懐に飛び込んで行きそれぞれが望まれるような成人の実を上げるということ年祭活動はこのことに尽きると思いますお互いに自分の通り方を振り返り日教えに基づく生き方をどれだけしているかを反省してみてよふぼくとしてまた立場によっては教会長としてどれだけたすけ一条の御用の上に自分の身を尽くし運んでいるでしょうかこのことが自らの成人を御守護いただくと同時に私たちの身の回りの人と共に成人へと導かれる元となると思案します常日頃から心掛けて親神様教祖のお心に添うことはもちろんですが特に年祭活動はその中にあって年祭ならばこそという一つの仕切り仕切根性仕切知恵仕切力をもって普段の歩みとはまた違った一歩歩みを早めた成人を互いに誓い合いたいものですそしてその実をもって教祖にお喜びいただきたいこれが年祭活動だと思いますそれぞれに教祖の年祭に対して色にご思案しておられると思いますが諭達第二号をもってお打ち出しいただく親のお心にお応えできるよう親の声を丸ごと受けて年祭活動に取り組むその心を定め自分の年祭活動はこれだとしっかり性根を定めてその理を受けていただきたいそのことを切に望み年祭活動に勇んでつとめたいと存じます以上要約本部青年会総会一年に一度青年会長様であられる真柱様より直に青年会員に向けてお言葉を下さる日それが本部青年会総会なのです我笠岡分会の委員会では一人でも多くの会員さんに本部青年会総会にお帰り頂き青年会長さまよりのお言葉を紙面などを通じてではなく直接お聞き取り頂きたいと思いまして総会参加を呼びかけて参りました葉書を通じて又直接会員さん宅に出向いてお誘いする等方法は様でありましたが本年は当日が日曜日ということで例年よりも多くの方にお集まり頂けたと思います総会の前夜詰所の一室をお借りしてささやかな懇親会を催しました話に花が咲き明け方まで語り合っていた方もおられたようです当日青年会長様のお言葉をこれから一年間の信仰指針とすべくこころして臨みましたが個人的には真柱様のお言葉の中の青年会員は元気さがとり得というような意味の表現が耳に残りました振り返れば今年の笠岡分会の活動は無計画かつ無鉄砲な展開を繰り広げて参りましたが来年は真柱様のお言葉を胸に元気に勇んで活動に取り組みつつつつしみのある節度を保った姿勢で臨みたいと思っておりますどうぞ今後とも青年会活動の上にご協力とご指導を賜りますようお願い申し上げます尚今年の総会前夜祭において笠岡分会の出店が無かったことは某委員長が模擬店出店の為の抽選会に時間を間違えて出席しなかったからであるということも本年の本部総会に関する特筆すべき事柄であると存じます笠岡分会委員長佐藤真孝第七回グループホーム国際サミットに雅鶯会が出演グループホームサミットとは痴呆症の治療や介護の研究者施設の長などが全国から集まり福祉先進国のスエーデンのドクターたちと研究の成果など最新の情報を交換し合うシンポジュウムです去る十月十六日から十八日までの三日間笠岡市で国際サミットが開催され国内外から三百名の関係者が集まりました笠岡市は福祉施設の人口密度が全国一であるところから国際サミットが開催されたものです最終日の十八日は岡山西ゴルフ倶楽部井原市のホールに於て市長主催のパーティが催されました市では外国人の人にも喜こばれるイベントの演じ物として選ばれたのが雅楽でした要請を受けた雅鴬会では演奏前に英文の雅楽紹介のプリントを配り十六名のメンバーで平調音取越殿楽陪臚を一手一つに演奏し歓迎の意を表しました外国の方は勿論のこと国内の人も雅楽という古典音楽に接するのは初めてのこことて会場内からは感動の盛大な拍手がホール全体に響きわたりました雅鶯会二題去る五月市文化連盟に加盟して以来絶え間なく出演依頼があり嬉しい悲鳴をあげていますが教祖百二十年祭を前に大きなにをいがけになるものと今後の活動にも張り切って頑張りたいと思っています笠岡市芸能祭に初出演文化の日の十一月三日午後一時から笠岡市民会館大ホールで開催された芸能祭は笠岡市最大の文化行事として長年続けられている雅鴬会は数年前からこの催しに参加を申請しており市民の方に広くにをいがけしたいと願って来たが笠岡市制五十周年を記念する今年の大芸能祭でその願いがやっと叶いました午後一時舞台の幕が上がるとすでに朱色の欄干に囲まれた十四人の雅鴬会員が整列している姿が現われその状態のまゝ舞台に上がられた安藤一泉文化連盟会長の挨拶が行われ会長が下がられるとプログラム一番の雅楽が芸能祭初出演ながら市民も驚く見事な演奏を披露して立派に開幕を飾ることが出来た一般の人の耳にも婚礼などで馴じみのある平調越殿楽黒田節のメロディの原型と陪臚の二曲を奏し客席から初めて目の前にする楽服の姿と古典音楽の調べに溜め息まじりの感嘆の拍手が惜しみなく送られた楽人は十四人井原福山鴨方府中市方面や九州からの人もあり朝九時三十分に大教会に集まって音合せや準備を行い昼食を頂いて正午に会館へ向かった箏片岡道雄鞨鼓猪原啓文太鼓原公彦鉦鼓今川昌彦笙藤井正仁掛谷宣和篳篥北川治史森本重吉猪原啓介森本勇龍笛渡辺孝信枝廣隆文渡辺和善森本清伸順不同事前相談準備引率森本忠平髙屋分教会創立周年記念祭執行教祖年祭に向け重き歩みを誓い合う髙屋分教会武内正美会長は月日大教会長様ご夫妻前奥様来賓として門脇誠教島根分教会前会長様田中隆之福山分教会長様を迎え創立周年記念祭を盛大に執り行った当日は晴天に恵まれおよそ余人のよふぼく信者が参集神殿外にもヶ所の参拝場が仮設され各所にモニターテレビを設置祭典の模様が中継された同教会では記念祭に向けおつとめを完修し陽気あふれる教会にしようを本年のスローガンにその実践項目として人材の育成に重点を置かせて頂こうと人づくりおつとめ奉仕者の育成道の後継者の育成教会長の成人を打ち出し歩みを進めたその間神殿付属建物ふしんの発表祭典おつとめ奉仕者として全部内教会長全直轄教会長夫人の婦人役員任命などおつとめ完修と教会内容充実を図り月次祭の前日にはおつとめ練習を行ってきた当日大教会長様は礼拝の後年という歩みは数字の上からみればたかが年だが髙屋の道に係わった一人一人の心がばらばらでなく親神様教祖のお心につながり真実のふせ込み理づくりがあったからの年だと考えれば重い年だという数字を軽く考えないでこれからの歩みを重くして欲しいにをいがけおたすけは真実に人をたすける心にならせて頂くための歩みである教祖年祭のご発表があり諭達第二号のご発布を頂いた年祭への歩みをより重くするには今日参拝された方が我身のことだけでなく少しでも世界一れつをたすけたいとの親神様の思いを我思いとしてたすけ一条の道を三年千日歩んでいく心を定めるのが今日の日の大切な角目であると話されたおつとめの後武内会長は大教会長様に本日頂いたお言葉を胸に次の塚目指して重き道をしっかりと歩ませて頂きますと決意を申し上げ続いて参拝者に年の道中には幾多の節もあったが親神様教祖のご守護大教会の親心先人達のふせ込み皆様方の真実を頂き今日の姿をお見せ頂いた年限にふさわしい形のふしんをと将来の神殿ふしんにつながる付属棟のふしんを始めさせて頂くこととなった髙屋一手一つとなって倍に倍の心をもってつとめさせて頂きたいと奮起を促した祭典後駐車場に設けられた模擬店ゲームコーナーがオープン神殿内ではバンド雅楽鼓笛隊の演奏お祝い芸福引きなどのアトラクションが行われフィナーレは大教会長様ご夫妻をはじめ参拝者全員で明日があるさの替え歌にをいがけに行きましょうを大合唱教祖年祭に向って更なる重き歩みを誓い合った談話室親心の有難さ油木分教会長黒瀬修弍結構な暮しの中で文明の進歩よろしく更にはその域を超え過激な進行は止む事もなく人は真からの喜びや楽しさを味わう間もなく過ぎ行く日に心の安らぎを求めてあえいで居ます用木の使命は益重要極まる中教会長の立場上自らの日の在り方を見つめては時としてこれで良いだろうかと過剰な反省の為に進む道に心の淋しさに陥る時もありここで心を倒したら止ってしまうので思案を止めてにおいがけにおさづけの取次にひのきしんに身をもっての行動に出させて頂くのであるがそんな時は心の勇みは少なく作り出す元気を持っての行動となるその結果は大抵の場合心が軽くなり良かったなと安堵の境地そんな中落込みの最たる日の事こんな状態ではと思えども他に手はなく戸別訪問においがけに強引に出かけた偖出会う人皆余裕ある受け方と感じの良さ又天理教と云った途端に丁寧な態度になって差し上げた書物も丁寧に受け取り双方の和みとなる留守宅へは家毎に拝しては書物を届けさせて頂いて歩く中にふと心中に広がる安堵感に気づいてついホロリああおあやさまありがとうございます暗雲転じて晴天の境地誠に嬉しく貴重な此の日を忘れぬ様に遅れ勝ちな成人への反省も明るく本物の勇み心の元になるつとめに徹し御存命の教祖を見失わぬ様日の努力を楽しみと心得て今日も頑張らせて頂いて居ります世の諺に棒程願って針程叶うと云うのがありますが実はこの反対で子供可愛い一条の親神様の事針程の誠も棒程に受け取り充分な御守護を下さってあるのだと思い有難く申し訳なく大きな親心を感じて少し心が開け元気を頂きました何ぼ小さな誠でも成人到らず苦の誠でも親心を足して充分に御受け取り下されてある誠に有難い親ならばこそ喜びは真似も受取る親心かの人に真似でいいのですよと申し上げたら真似でもよろしいのでしたら私月みんなそろってひのきしん献血ひのきしん日年末大掃除日詰所餅搗日にもできそうですとその笑顔は晴れやかに美しく見えました心の狭い反省の仕方は自他共に勇まれず明るくお創り頂いた世界では明るさで開け繁栄して行けるものでありましょうおやさまは声は肥やでとお教え下さいます人の心の肥となる言葉であればたとえ成人無くとも同様にお受け取り下さり言葉通りの結構をお見せ頂けると教わり意識して使わせて頂く肥の言葉のつもりが肥でなく私語の乱言になり慌てて言い直ししながらも常に結構に御護り頂いて居る事の有難さ忝なく御礼申し上げて居ります秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には泥海の混沌たる様を味気なく思召され人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思惑のまゝにうをとみを始め次とお引き寄せになり雛形と道具を定め守護を教え八千八度の生まれ変わりを経て人間とこの世をお造りになられ天然自然の理でお育て下されたばかりでなく約束の年限の到来と共に教祖をぢばに引き寄せ月日の社とお定めになった上陽気ぐらしへ向かうこれのたすけ一条の道をお付け下された事は誠に有難く勿体ない極みでございます身上事情を通してお引き寄せ頂いた私共お互いは貨物借物のお礼はもとより親心とひながたを胸に日夜お礼申し上げつつ届かぬ乍らもたすけ一条の上に邁進させて頂いておりますその中にもこの月二十六日は親神様が初めてこの世の表にお現れになだめり最後の教えである万いさいの真実を明かされ陽気ぐらしへとお導き下されている元一日の日柄でございますのでおぢばでは秋の大祭が執り行われますがこれの名称にても今日の吉日に理のお許しを戴いて只今からおつとめ奉仕者一同立教の元一日の世界一列救けたいとの親心に思いを致し反省と決意を胸にたすけ心一杯に陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を待ちわび寄り集いました理に繋がる道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいます様お願い申し上げます又本日はおぢばより世話人島村廣義先生の御入込みを頂いておりますので後程教祖百二十年祭に向けての時旬のお話を聞かせて頂きますお聞かせ頂く一つ一つを心に治めて勇躍百二十年祭に向け成人の歩みを進めさせて頂く所存でございます更には又来る二十六日の本部秋の大祭にて真柱様より教祖百二十年祭に向かう心の指針として諭達第二号を御発布頂く事になっておりますが諭達を聞かせて頂いて心を定めるのではなく前以ってよふぼく一人一人が時のにをいがけおたすけに満足する事なく日の生活の中で心のにをいがけおたすけを心定めさせて頂いた上で諭達を聞かせて頂きより確かな成人の歩みにさせて頂く覚悟でございます何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声を頼りにたすけ一条の成人の道を歩む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り親心を知らず苦しみにあえぐ人を次とお引き寄せ下さりお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替えて下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますチョちょ一寸の話し今年しゃ豊年穂に穂が咲いてョ道の小草にもコリャ米がなるョという唄がある唄の通り今年も又豊年万作で結構なことである山形県の民謡もみすり唄にお米ナーひとつぶも粗末にするなョやたび八十八度のョチョイト手がかかる又福岡県の民謡米ぶしにはやたび米という字を分析すればョ八十八度の手がかかるお米一粒粗末にならぬ米は我らの親じゃもの現在の米作りは機械化され大巾に手間が省けているがつい最近迄一粒の米を作るのに本当に八十八回の手間がかかった私が一期講師の時クラスの中に八十才位のお婆さんが居たこの人が一粒の米の中にゃ三宝様がござる粗末にしたらバチが当るでよと云った初めて聞く三宝様という言葉だったクラス全員で耳を傾けたお婆さんは云った三宝様とはな火水風のことじゃ皆んな目からウロコが落ちた思いだった考えてみれば当たり前のことだがあまり身近なことで気にもかけていなかったといえるその日以来一粒の米も粗末にせぬように皆んなきれいに食べるようになった特に茶髪のお姉ちゃん達は今年も又豊年万作で世の中平和でアリマスな
かさおか

『かさおか』第41巻 第10号

布教強調月間をつとめ了えて本年も月日日のヶ月間を布教強調月間としてつとめさせて頂いた青年会では日に分会総会を開催しその勢いで布教推進週間に突入布教部では日日の両日布教所長成人研修会を開催し月末の全教一斉にをいがけデーに向って奮起を促した布教所長夫妻成人研修会開催布教部では九月二十二日二十三日と一泊二日に亘り布教所長夫妻成人研修会を開催し五十四名が参加しました布教所の総数から考えますと参加者が少ないと云わざるを得ません原因は色あると思われます参加したくても高齢のため健康状態が思わしくない又上級の会長さんに尋ねますと入院中とか老人ホームに入所しているという所長さんも相当数おられるようです参加の呼び掛けは上級を通してを通して直接でも致しましたがまだく十分ではなかったのではと反省致しておりますひとつ気懸りなのは参加申込み者の出席率がに留まったことです例年こういう数字が出ておるようですこの点の改善も含めて次回の開催ではどうでも参加者の増加の御守護を頂くべく案内の方法など再検討致したいと思います今回は大教会長様の親心で一日目の夜は全体のねりあいを親睦会形式として弁当飲物を用意して頂き懐かしのメロディーを聴きながら大教会長様にも御出席頂き一人くに親しく語りかけて日頃の労をお犒い下さいました最近にない試みでしたが大いに楽しんで頂き大変好評のようでした二日目は十九才から単独布教に出て九年後に教会設立部内四ヶ所の御守護を頂かれた岐美部属越美錦分教会長田口美代子先生の講話を頂きました先生は根であるおぢばから流される旬の理教会から流される理につながっていないと枯れてしまう根から充分に栄養を吸わせて頂くよう親から流されることを素直に実行することにをいがけおたすけも行動していないから結果が表われてこない結果が表われてこないから神様をありくと見ることが出来ない親から教えて下さったことを素直に実行することが親神様にお喜び頂いているという気持にならないとにをいがけおたすけは出来ないと思うとお話し下さいました又どのようなたすけするのもしんぢつのをやがいるからみなひきうけると仰っているどんな御守護をも見せて頂くにはよふぼくは常に心が澄みきることが大切である霧の中の車の運転は先が見えなくて不安でありノロノロ運転するように信仰も心に不足不満埃という霧があるといつまで信仰しても素晴らしい景色が見えてこないとお話し下さいました午後から加賀港布教所長夫人の品川さんと稲福布教所の高島裕次郎さんの感話があり続いて最後のねりあいに入り日程を終了しましたアンケートの所感に依りますと自分は本当の信仰からかけ離れた通り方をしていたのがよく分かった落ち込みそうな気持を元気づけられた又殆どの人が感動と勇み心を与えて頂き実動に頑張らせて頂きたいとの感想を頂きました布教部長佐藤道孝熱心に聴講する受講者全教一斉にをいがけデーを振り返って昭和七年に全教一斉路傍講演デーとして始まりました全教一斉にをいがけデーも回を重ねて今年は提唱七十周年の節目を迎えましたにをいがけ課では数年前より四千万軒家庭へのにをいがけを合言葉にリーフレットを使って縦と横が一丸となって進められて来ました本年も教区支部はどれだけ多くの家庭にリーフレットを配布できるか教会布教所はにをいがけのできるよふぼくをどれだけ多く育てられるかが目標でしたがでは殆ど時を同じくして大教会創立記念祭へ向って百万軒にをいがけを提唱して頂いたお陰で全教会でためらうことなく実動出来たと思いますがしかしにをいがけは公園の草を引いたり通路のゴミを拾うひのきしんと違ってすぐに結果が出ない成果が表れない又教理に自信がないなかく話を聞いて頂けない等あってひのきしんデーのようにはなかなか参加して頂けないのが実状ではないでしょうかいつも同じ顔ぶれの人しか参加して頂けないどうしてもにをいがけは苦手の人が多いのではないでしょうか実は私も苦手の一人であります只教会長であるという自覚と病んだ日のことを思いかえし目が見える手足が動く声も出る結構に身上をお借りしている感謝と喜びの心が後押ししてくれて出させて頂いておりますチラシをポスティングすることは心さえあれば誰でも出来ることですが先方の顔が見えないことが多いだけに一字でも一行でも読んで頂きたすかって頂きたいという誠真実の心を添え念じて配布させて頂くことも大切なことではないでしょうか今年の九月ある支部長さんの息子さんが無教会町村を手分けしてリーフレットを持って戸別訪問しておりましたところある家で実はうちの長男は仕事が長続きしないで次と転職ばかりして困っておりまして何か良い方法はないものかと家族で話しておりましたら天理教のホームページで修養科のことを知りもっと詳しく知りたいと思っていたところなんですそこで支部長の息子さんは私は未熟なので教会の会長さんにお話を聞いて下さいと教会へお連れした結果九月に家族四人が別席を運ばれ長男さんが十一月から修養科に入られることになったそうですこういうお話は数多くあることではございませんやはり常日頃から御恩報じを念じて強いたすけ心を持って行動する教会長によふぼくに不思議な御守護をお見せ下さるのではないでしょうか私たちが実践いたしました百万軒にをいがけは決して過去の活動にしてしまうのではなくこれからも全教会で継続され教祖百二十年祭活動の柱としてつとめさせて頂こうではございませんか布教部長佐藤道孝談話室磨き上げれば川島郷分教会長香取雅人少し前のことであるが山あいにある静かな町の教会に参拝させて頂いたことがある町内に分水嶺を持ちかつては幕府の天領として栄えた趣のある町であるそこで通して頂いた客間にはたっぷりと墨を使い雄渾でありながらも実に爽やかで素直な筆致の見事な書が掛けられていたしかも少し視線を変えて見ると優しげな女性の後ろ姿のようにも見え何も言えずにじっと見入っていたするとその教会の役員先生が御本席様の御真筆ですとお教え下さりなるほどなあと改めて感動したことがあるさてその教会の床の間にはまるで御真筆を引き立てるように複雑にねじ曲がり瘤だらけのつやつやと輝く見事な床柱があった何でも常に強い風雨に曝される山頂に辛うじて残っていた唯一の木で教会普請の時信者の方によって慎重に樹皮を剥ぎ丁寧に磨き上げられた逸品だということであったどのような環境に育ってもたとえ複雑に歪みひねくれてはいても一度教えの理によって心を磨き上げよふぼくとして生まれ変わったならばこの見事な床柱のような役割を果たせるのではないのだろうかそれよりもひねた木からたんくとていりひきつけあとのもよふをおふでさき第七号十九とお聞かせ頂くように私たちは夫の持ち場立場で努め励ませて頂き陽気ぐらし世界建設のよふぼくとして親神様教祖にお喜び頂けるよう共に成人させて頂きたいと願う次第である雅鶯会笠岡市の公式文化行事に初出演月日雅鶯会大教会雅楽部楽長谷内伸自は管立て人のメンバーで笠岡文化連盟主催の第回名月鑑賞の夕べに出演長唄合唱ピアノ箏曲日本舞踊銭太鼓大正琴詩吟茶の湯音頭尺八民謡などの演目の最後番目に出演して観客の足を引き留めてほしいとの連盟の期待に見事に応えた演題は平調の音取と越殿楽陪臚の曲演奏の様子は全部ビデオに収録してあくる日大教会の会議室で披露した当日夕時半に開会した催しが時すぎに終了する迄笠岡市長は会場に居られ途中で挨拶され又茶の湯音頭の場面では舞台の上でお茶の客をつとめられた会場の中央公民館についた時階の大ホールは立見の客もこれ以上ははいれない程に溢れドアの外のホールも満員であった雅楽演奏の終った時客席は感極まっての大拍手となりそのまゝ舞台に残っている状態の中閉会の挨拶となりその言葉の中に初出演した雅楽への礼讃の辞がありました大教会の月次祭をつとめ終え夕刻時直会もそこそこに集合して楽器や舞台装置をワゴン車に積み込み楽服姿に着替えてマイクロバスで会場へ夜時前大教会へ帰り翌朝は秋季霊祭に雅楽奉仕して解散した出演者鞨鼓谷内伸自太鼓黒瀬修弍鉦鼓森本孝志笙西江昌直武内清明掛谷宣和仙田公男篳篥森本重吉原正彦北川治史森本忠善龍笛中島誠治枝廣隆文森本正典森本実雅鶯会は来る月日笠岡市民会館大ホール座席で行われる笠岡市制周年記念大芸能祭に出演することが文化連盟理事会月日開催で決まり午後時に始まる芸能祭プログラムのオープニング第番目を飾ることとなっているマネージャー森本忠平大教会だより辞登令立教用青年年月上原淺野日付志郎明教本部巡教のお知らせおぢばの秋季大祭に於て教祖百二十年祭に向う諭達第二号の御発布がございますがその理の徹底と活動について直属教会への本部巡教がございますでは左記の通り巡教を頂くことになりましたのでその理を受けられますよう御案内申します記一巡教日時十一月二十一日午後一時より一巡教員本部員飯降政彦先生一参加者大教会役員おつとめ奉仕者教会長夫妻布教所長教会後継予定者一服装ハッピ着用のこと笠岡の五歌人養徳社発行の陽気誌には道柳と題されたコーナーがあり定められた課題について全国の教友達が心の綾を歌った秀歌が並ぶ月号のお題は糸今月も笠岡関係の人が載ってるかなぁと編集子が頁をめくるとなんと天位に次ぐ地位に東京都田林美智子とあった直轄東悠分教会長夫人である細けれど真実太し道の糸続いて人位秀詠秀詠の一に広島県黒瀬修弍とある直轄油木分教会長であるおや人は皆親神につながる一糸なり秀詠の締めは大阪市杉原幹夫芳阪布教所長教祖と子のつなぎの糸が日太り準秀詠に倉敷市香取敏子川島郷分教会前会長たてよこの糸で織りなすたすけ合い同じく大阪市杉原優子芳阪布教所長夫人ぢばの夏一糸乱れず鼓笛隊今月の選は首その内に実に名の笠岡の方が選ばれて掲載されていた快挙快挙今後とも諸氏のご健闘をお祈りしなお誌へのご寄稿もお願い致したいものでありまする尚欠席される方託児の必要な方は月日迄に御連絡下さいますようお願い申し上げます大教会長様お話支部長挨拶感話ねり合い等午後時分頃解散平成年月日土祭日午後時分受付婦人会委員部長後継者講習会学生のつどい月日土午前時午後時頃まで学生層高校生大学生専門学校生など学生会青年会女子青年の行事紹介模擬店昼食グループワーク九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様にはいちれつのこともがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなりとお望み下さる一列子供の陽気ぐらしを楽しみに長の年月変わらぬ親心と御守護をお与え下されお育て下さっております事は誠に有難く存じます加えて只一つ我がのものとお許し下さった心の自由を使い誤り陽気ぐらしとかけ離れてゆく姿を見るや直ちに身上事情にしるしを付けて心の向きを立て替えて下さいます事も誠に有難く勿体ない極みでございますお陰を持ちまして私共は確実に喜びと感謝の心が弥増して日結構に生活させて頂いておりますが世の中には未だその理がわからず目先の苦しみに心を惑わせている人が多くいます事は只私共の成人の足りなさ故の事と反省しつつ御恩報じの心で日夜たすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの理を現し陽気ぐらしへと立て替えるべくお教え下されたおつとめをつとめる日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜びを心一杯に湛えて明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて九月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集い相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます又今月はにをいがけ強調月間とのお打ち出しを頂いておりましたので青年会の布教推進週間や教区支部のパンフレット全戸配布等の活動を利用し今日まで勇んでにをいがけに歩ませて頂きましたが月末二十八日から三十日の全教一斉にをいがけデーを目指し益勇んで勤めさせて頂く所存でございます更には又来月は大祭月に当りますので全直轄教会に対し秋季大祭参拝を実施させて頂きます本年は教祖百二十年祭に向けての下地作りの年と位置づけて頂いておりますが来る十月二十六日の本部秋の大祭で真柱様より年祭に向けて諭達第二号を御発布戴く事になっておりますのでそれに向けて一手一つの心作りをさせて頂く所存でございます何卒親神様には旬の親の声を頼りに成人を目指し精一杯に歩む皆の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り旬に応じた喜びと感謝に溢れる成人の姿をお見せ下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます日日委員部長後継者ハッピ円日時場所参加御供対象内容携行品日時対象会場内容原稿募集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記してください俳句等は首からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿ください郵便電子メールなお原稿はお返しいたしませんので予めご了承ください月日月日月日みんなそろってひのきしん秋季霊祭祭文これのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家ご先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊大教会創設の頃より長の年月歴代会長を芯に共に御苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます御霊様方には親神様教祖のお見定めにより早くからこの道にお引き寄せ頂かれ身上や事情を通して親の声を聞き分け我身我家の因縁を悟り貨物借物の御恩報じの思いと共に因縁納消を念じつつどんな難儀不自由の中も心倒すことなく只一筋に親神様教祖に凭れて生きの限りたすけ一条の道を歩み切られましたこれの笠岡の道が創立百十周年を越え今日の結構な姿をお見せ頂いておりますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜である事は申すまでもありませんが又一つには御霊様方が一身一家の都合を捨て神一筋にたすけ一条の真実の伏せ込みをして下さったお陰と朝夕に御礼申し上げつつ私共も後を受けたすけ一条の日を歩ませて頂いておりますその中に本日は秋の霊祭を執り行う定めの日柄でございますので言改めて御礼申し上げて御遺徳を称えたいと存じまして御前に旬の草の物を供えて只今はおつとめ奉仕者一同参来集うゆかりある人と思いを一つにし親神様の御前にて陽気に勇んでてをどりをつとめさせて頂きました皆の真実の姿を御覧下さいまして御霊様方にもお喜び頂きご安心頂きたく存じますさてお道は今教祖百二十年祭に向け下地作りの日を歩ませて頂いておりますが来る十月二十六日の本部秋季大祭に於いて真柱様より諭達第二号を御発布戴いていよいよ本格的に年祭活動を推し進めて行くことになっておりますまず本部巡教が行われ続く来年三月から六月にかけて地方講習会が行われた後実動へと移っていきますが笠岡は地方講習会を待たずして年明け早に実動に取り掛かれるよう体制を整えております何卒御霊様方には只親の声を待つだけでなく先んじて動こうとする皆の真実の状を御覧下さいまして笠岡に繋がるお互いが喜びと感謝の心に満ち溢れたすけ一条に奮い立ってますます笠岡の道が伸び広がりますようお導きお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます献血ひのきしん年末大掃除詰所餅搗内容字数寄稿先第期修養科募集要項修養科期間教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目岡﨑真一大教会役員高橋徳行亀田山分教会長時宗一実吉舎分教会長瀨良善彦髙児島分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会順序参拝票別席願席札別席のしおり大教会御供本部御供おさづけの理拝戴願おはなし大教会御供本部御供修養科入学願修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本詰所備考初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席を運ぶ者のみ願書に日付を入れない事おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみ願書に日付を入れない事御供は任意であるが慣例により円以上戸籍記載事項証明書身分証明書でもよいチョちょ一寸の話し逸話篇三一天の定規に世界の人が皆真っ直ぐやと思うている事でも天の定規にあてたら皆狂いがありますと教えられる同じ逸話篇の一六七人救けたらには人言伝ては人言伝て人頼みは人頼み人の口一人くぐれば一人二人くぐれば二人人の口くぐるだけ話が狂う狂うた話した分にゃ世界で誤ちが出来るで誤ち出来た分にゃどうもならんとお戒め頂く立教は年であるつまりそれだけの年限が経ち教祖御自らお聞かせ下された御教えも現在の私たちにとっては先達先生方からの又聞きに過ぎない一体教祖は何をお教え下され何をお望みなのだろうか教祖年祭を目前に控え立教年の時空に身を置く私たちにとっての羅針盤は何だろうある人はしなければと言いしてはならないと言うそれが教祖の御教えだろうか徳の為すがまゝに勝手気儘に歩む者もある不徳の致す所と懺悔し続けて只管年限の理を重ねる方もある訳の分からぬまゝに年限だけを重ねるのも術であるこの道は悟りの道ともお聞かせ頂くが勝手の二文字は禁物である儒教の戒め大いに結構倫理も道徳もそれなりにしかし自らを律するには足りるがそもそもこの道は一名一人の信仰である教会長が教会を思う心も一信者が如何に歩むべきかを悩む心もたすけ一条の親心に通じていなければ道の信仰とは言えまい一人万人に向うとお教え頂く私なんかではなく私だからこそを探して年限を深めたいものである
かさおか

『かさおか』第41巻 第9号

教祖年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しよう学修高校の部去る月日から日まで親里において立教年学生生徒修養会高校の部が開催されました受講生は昨年とほぼ同数の名昨年名が修了しました講師カウンセラー等のスタッフは名大教会からは名男子名女子名が参加してくれましたこの誌面をおかりして彼らの感想文を紹介したいと思います学生担当委員長吉岡誠一郎橋本佳奈國須高校年生回生私は年間学修に参加させていただきました回生は回生と違い天理教の信仰を学ばせていただく機会が多くとても忙しかったです週間の短い間でしたがその週間で色なものを見せていただきました私は身上をいただき自分を見つめ直すことが出来班の人たちにとっても見つめ直すことが出来たようです私はこの週間で今までの学修では味わえなかったものを味わえたし回生まで参加したことを誇りに思います岩坂瑛治米府高校年生回生今回友達の誘いで学生生徒修養会に参加させていただきましたもうとにかくサイコーでしたこの貴重な体験は一生忘れません自分は天理教を信仰していない身なんでこの学修に参加してもいいのかなぁなんて思っていましたすっごく不安を抱えたままあらき寮に行き部屋に着いた時ある男の子がこんにちはーっと声をかけてくれ自分の不安がその一言でいっきにふきとびましたそれからはみんなでノビノビと楽しく過ごしました学修ではレクチャーおつとめ勉強ひのきしんなどたくさんおもしろい企画がありましたどれも楽しいイベントでした女の子ともすっごく仲良くなり学校の友達よりも学修で知り合った友達の方がスゴイよかったしカウンセラーの方や講師の方も天理教の事を全く知らない自分をあたたかく迎えてくれましたまだ学修が終わったなんてゼンゼン実感がないですあとまたこんな機会があったら是非参加したいですこの学修で会ったみんなそれとお世話になった方本当にありがとうそして天理教サイコーです北川祥江稲倉高校年生回生本当に楽しくてあっという間に終わったはっぴすとの密着取材とか全体の集いに出たりでけっこう忙しかったけど楽しかったやっぱり学修は最高だ短い間でこんなに仲良くなれて感動できる事は他にないと思う来年もまた参加したい青年会総会を終えて九月一日日青年会全分会布教推進週間の初日に総会を開催させて頂きましたが総会を開催するにあたって青年会本部の委員さんに打診したところ総会願書提出を控えるよう助言がありましたしかし青年会の本分は本来布教と求道にあることを会員さんに認識してもらい布教推進という新委員会の方向性を打ち出すためにあえて布教推進週間の初日に総会を開催させて頂きたいと思い無理を承知で総会願書を持参し総勢一四名で自転車団参に臨みました結果全員完走でおぢばに到着し皆で青年会本部に総会願書を提出したところ後日副委員長さんよりがありどうでもこうでもと押しての願い受けとらせて頂きました総会開催の方向で話を進めて下さいとの事でしたこのようないきさつで青年会本部に無理を願いでて承諾を得たわけであり是非とも総会を意義あるものとするために委員会の活動として全ての教会に足を運ばせて頂き総会の意義の徹底と布教推進週間を各分会とも意義あるように活動されるべく活動計画書の提出のお願いに回らせて頂きました結果数の上では例年を大きく上回る計画書を提出して頂きましたが計画書の提出という動きから実動へそしてさらに大きな動きへとつながっていくことを願わずにはおれませんさて総会の大教会長様の祝辞の中で短期間ねぎらの準備の中で総会が開催された事への労いの言葉と祝辞を戴きましたが反面あらきとうりょうとしての青年会員の皆さんらしくもっと荒しくみえるような面もあっていいのではないか勢いがみえてきてもいいのではないか一見おとなしくまとまっているように思えるふしがあるというお話しを頂きました数年前の風潮として指示待ち人間が増えているという言葉が聞かれていましたが指示を待ってその通り動いて終わりというのではなく自らをしっかりみつめて自らで判断し次に何をしていくかという事が大切であると思いますあらきとうりょうとして未開拓な荒野へ足を踏み入れていく事も大切です心を素直にその方向へ向けていく事も大切でしょうしかしその過程として今の自分はどうなのかどのように一歩足を踏み出すべきか日の求道の中から答えを導いていきたいと思います青年会委員小西陽司フリーマーケット開催所感先日大教会の祭典後に第一回目のフリーマーケットを開催しました大教会長様よりその企画を依頼され青年会を窓口として行いましたまずは一応の規約を整え青年会ほか三組から出店させて頂きましたアンケートなど取っていないので反応はハッキリとは分からないものの掘り出し物や格安で提供されたものなど一部では瞬く間に完売した商品もありました新品中古品問わず売り手と買い手がコミュニケーションを取りながら値段を決められるのでバザーよりは高めでもいい物があるという利点があります又利益も出店者の物というのも魅力でありますそもそもこの企画の狙いは物を大事に活用するという事と参拝された方の拠り所に新しくなったピロティーを自由に活用していこうという事だと私は認識しております又後には若年層とのコミュニケーションを図っていけるのではないかと思います詰所にて日夜に売店を開いておりますが一番の収穫は若者が寄り集える場所になっていることです先日名の十代の若い子達が青年会布教推進のキャラバン隊に連日参加してくれましたが彼らはこの売店で知り合い売店を手伝ってくれた子達でしたこのことからもコミュニケーションがいかに大事かと思いますこれからも大事な角目を忘れずに工夫を重ねてフリーマーケットを開催していきたいと思います尚出店希望者を募集しております大教会神事所に設置してあります書類にお書きの上お申し込み下さい又青年会では携帯及びパソコンからのウェブサイトも開設しておりそちらからの受付も可能です個人でも各会でも遠方の方でもどうぞ気軽にご参加下さい青年会委員本多正悟修養科を終えて大教会直轄斉藤務私が天理教を意識し始めたのは二十五年前の父の死後からと思います以前より母は天理教を嫌っていた父に隠れて教会に参拝を続けていました私も子供を授かっておびやをいただきにおぢばには帰ったりしていましたが信仰には程遠いものでした十五年前私は身上をいただきました全然食べ物を受けつけなくなりみるみるうちに何キログラムも痩せていきました病院に行き診察してもらい胃カメラを飲みました結果は胃カイヨウでした約一年間薬を飲みながらタバコを止めその間は二三回胃カメラを飲みました通院しながらも仕事はしていましたが食事をおいしいと思ったことはなくやっとのどを通している状態でした母も妻もすっかり困っていましたある日母が天理に参拝に行こうと誘いました食事も十分取っていない身にはきつかったけど本部に参拝し詰所に泊まって朝の食事をいただいた時本当に久し振りにおいしく食べることが出来ましたこれがおかげというものなのだとおぢばは何と良い所だろうとこの時つくづく感じましたそれからまもなく母は私の為に修養科を志願してくれました七十歳を越えての三ヶ月は厳しかったと思いますがそのお陰で私もすっかり元気になることが出来ましたこのたび店を閉めることになり今まで延ばしていた恩返しをしなくてはと思い修養科を志願しました修養科生活も初めの一週間は早起きやおつとめひのきしん修練と今までのダラくな生活とは一変したのでとてもきつかったです六月に入り学校も始まり外の空気も吸え生活の変化にも身体も慣れてきて少しづつ楽になりました一ヶ月二ヶ月と過ぎてみると色な行事に追われ長いようで短かったように思われます自分なりに暑い中を一生懸命ひのきしんさせてもらい決められた行事や授業を欠席することなく出来たのも親神様教祖様の御守護のお陰と感謝しています私がおぢばはすごい所だなぁと思った事がありました二ヶ月目に食堂で赤いバッヂの修養科生が食事がノドを通らずごはんを口に入れたまま頭をかかえて苦しんでいるのを見ましたところが私が修了を目前にしていたある日偶然に彼をまた食堂で見かけましたそのとき彼はパクパクおいしそうに何もなかったように食事をしていましたこれが御守護なのだとつくづくありがたさを感じましたこの光景を見て自分の信仰が誤っていないことを強く感じました修養科での三ヶ月がこれからの人生に生かされるよう教祖のひながたを手本として自分なりに精一杯頑張ろうと思います全教一斉にをいがけデー提唱周年布教アラカルト私の布教行路国里布教所長國須河田和江修養科を出てにをいがけを始めた時人目をさけ夜中にポストへパンフレットを入れて歩くことから始め自分の心の中でこれではダメと思うようになり昼間にポストへ入れるようになり又これではダメと思いやっと呼鈴を押し天理教の者ですがと戸別訪問ができるようになっていきました今思えばいんねんの自覚のできていなかった私の将来を見抜かれた親神様教祖が私の成人に応じておつれ通り頂いたにをいがけおたすけの道中であったと思います訪問先で天理教ってどんな教えと聞かれまともに話すことのできない私でしたが布教を続けましたあんたより私の方が何十年も生きとるんだあんたに教えてもらうことは何もないとよく叱られ心をたおしていた時今は亡き國須の前会長橘高キヌヨ様は人生は長く生きておられ色経験はしておられるでしょうが天理のおしえを先に聞いて信仰しているという立場から話を聞いて頂けとお仕込み下さり又お道を通る上で天理の信仰を何十年もし修養科講習も修了し何十年も教会へゲタがちびるほど日参し天理の教えはよくわかっているがひとつもおかげがないと言う者がおるが頭でわかっていてもダメだひながたを少しでもたどりにをいがけおたすけをしなければ真に神様をつかみかしものかりものの理病の元は心ということもわからないしわが家のいんねん地癖性分を切り替える心の成人はできないと厳しくお仕込み下さいましたそして若くして身上を頂きやっとわが家のいんねんを自覚した時じっとしていては助からん回るコマはたおれないの如くにをいがけおたすけに歩けとお仕込み下さり大手術の告知を受けましたがその時より医者と縁を切り橘高会長の声を神の声とし身上で時には体重もかなり減少し食べ物ものどを通らない中歩き続けて今年で身上を頂いて年間生かされていますしかしその道中の厳しいお仕込みに橘高キヌヨという人が都合のいいように言っていると思い何度も不足をしました橘高キヌヨという人を通し親神様教祖が私の将来を思い助けてやろうとの親心であったことにその当時は思えませんでしたその後にをいがけおたすけをし理の親となるにつれ深い親心がわかり始めました今理の子も私があの頃橘高会長に思っていた時のように河田和江が自分の都合のいいように言っていると時に反発し成って来る姿に少しずつ親の思いをわかり通ってくれている人もいますですから親の思いは人を助けて我が身助かる道中を通らなければわかりませんでしたあのまま橘高会長を不足し挫折していたら親神様教祖理の親家族生きてゆく中で出会った人に恩になりっぱなしで恩返しせずふしに出会っても苦しんでばかりで心の切り替えができず真の陽気ぐらしを知ることもなく出直していたかと思うと今は亡き國須分教会前会長様の御恩を一日たりとも家族共忘れることはできません私自身病の元は心からにたどりつくまで頭で聞いてはいても心より理解できたのは歳月がかかりましたがしかし私は成人がにぶくのどもとすぐれば熱さ忘れるので時神様からメッセージを頂いていますそして住む家の隣近所どこに引越しても又にをいがけおたすけ先も身元調査して行くのではありませんが不思議とわが家のいんねんと似た方ばかりがおられ時におそろしくなることもありますがいくら嫌われても毎月訪問し今では件数も多くなり訪問先も大変な家数となりましたがいくら玄関先でことわっておられた方でも突然助けてほしいとが日中も夜中でもかかってきたり知人よりこんな方がいるから助けてあげてと一緒に参拝して下さったり初めて出会った方に天理の話をしたらその日から日参をして下さりトイレ掃除を続けて下さり家族の反対の中十年間かけて別席を運び用木となり月次祭をつとめて下さる方もお与え頂いたり病院に知人のお助けに行き隣の人が流産後出血が止まらず明日子宮を摘出するというのでおさづけを取り次ぎすぐ御守護頂いて下さった方子供おぢば帰りへ行って下さった子供さんには学修へ参加して頂いたりその中から初席を運んで頂いた方が今年は天理大学受験を希望して下さったり不思議不思議をお見せ頂いております嫌われてもいつどこにいてもにをいがけおたすけの心を持ち続け常にカバンにはパンフレットとごくを持ち歩きお助けに出れない身上が重たい日は布教文章布教と一言話はひのきしんにをいばかりをかけておくその心を持ち続け通らせて頂いておりますですから我が家では小さい時から子供を布教につれて歩いてきたことで現在大学生の娘高校生の息子小学生の娘は戸別訪問がそれぞれできるまでに成人してくれておりますそうした家族ぐるみでの道中が一番大切だと信じまず外のにをいがけおたすけも大切ですが一番は我が家からと思い日を通らせて頂いております異教徒から見た天理教髙屋分教会長武内正美七月初旬里の父からが入った笠岡の大教会長さんすごいナー新聞に載ってるよとの事詳しく聞くと女性画家で尼さんである渡辺妙法さんという方が愛は地球を救うというテレビの募金キャンペーンにこたえて北九州から東京までの千二百キロの托鉢の旅を尼さん托鉢日記と題して読売新聞に掲載しているその尼さんがに宿泊した時の様子いわが書いてあるとの事そして父曰く夫人がふすま越しにご不自由はございませんかここがまたいいねお前だったらふすまをパーンと開けて尋ねるだろうが失礼しちゃうわ早速新聞を切りぬいてコピーしたものを送ってくれた大教会長様ご夫妻のお人柄底なしの親切教えの実践がこの方の心を動かしたのだろうそれからと言うもの妙法さんは東京に着くまで随分たくさんの教会に泊めていただきその都度味わった人の心の温かさ教えの素晴らしさを素直に日記体で連載していたとの事である大きなにをいがけになったことと思う私も教会長のお許しを頂いて早や六年始めは会長さんと呼ばれることに戸惑いを感じすぐに返事が出来なかったしかし今は信者さん部内の会長さんから会長さんと呼ばれても何の抵抗もなく返事が出来時には茶目っ気たっぷりにポーズまで付けることもある先日町内の寄り合いに出た時のこと少し顔見知りの方から会長さんと呼ばれてドキッとした教会に出入りされている人ならともかくこんな場では私は武内さんでいたその方が気分は楽だったしかし私は武内さんだけど天理教の会長さんなんだと自分の言葉態度の重さを感じた世界は未だ争いの絶え間なく飽くなき欲望は生命の母体である自然環境をも危うくして人類の未来を閉ざしかねない人は我さえ良くば今さえ良くばの風潮に流れまた夫婦親子の絆の弱まりは社会の基盤を揺るがしているまさに今日ほど世界が確かな拠り所を必要としている時はない諭達第一号にこめられたをやのおもいがひしくと胸に迫ってくるそして今月は提唱七十周年を迎える全教一斉にをいがけデーの月おやさまのお伴で歩かせて頂くにをいがけおやさまにお喜びいただけるよう明るく力強くつとめさせて頂きたいこの記事は本年七月二日讀賣新聞筑豊版に掲載されたものでからの転載です異教との出会い温かく月日続き午後四時過ぎ笠岡市に入って間もなく道沿いに天理教の看板を見る宿をお願いすると快く受け入れてくれた最初に決まってホッとする断る寺もあるのに天理教で受け入れられるなんだか変な気持ち上原理一大教会長は人を大切にするのは人として当たり前のこと人をたすけて我が身たすかる一列兄弟という教えを実践しただけとこだわりも気負いもない午前五時半に尾道をたって約十一時間約三十キロほとんど歩き詰めの一日国道号線は車が横を通るだけ人の通りはない人と話すのはガソリンスタンドでトイレを借りる時くらいだった信者用の食堂でキュウリの酢物ホウレンソウとモヤシのいため物魚と大根おろしご飯を頂く用意された八畳の間にはテレビと扇風機があった入浴後足をもんでいると夫人がふすま越しに声をかけてきたご不自由はございませんか明日の行程を尋ねられ倉敷までと答えると倉敷の天理当たってみましょうと言い下がった午後九時就寝月日天理教会の朝は早い午前四時から掃除が始まる五時にみそ汁とご飯たくわんの食事を頂く上原夫妻を煩わせては悪いと思い大教会長宅に寄らずに午前五時半教会を出発約三十分ぐらいたって後方から来た乗用車が止まった上原夫妻だった倉敷の天理にお願いしていますからと地図四枚を渡された倉敷市の窪屋分教会までのルートがわかりやすく記されてあったさらに昼食代でもと白い小封筒に入った三千円本当に何と言ったらいいのか前夜遅くまでかかって手配しパソコンで地図まで作ってくれていたのだありがとうございます幾度も礼を言い去っていく車に深と頭を下げた上原会長は話す人間は人を苦しめれば来世で自分が苦しむことになる今だけ現世だけを考えていては本当の幸せはこないと談話室最近思うこと上下分教会山野季彦今年の夏は年のせいか異常気象のためか非常に暑い毎日であった夏の教職員の集いでの英会話講習会広島教区で毎年行っている常緑塾は私たち夫婦にとってきわめて大切な行事であり日夫婦共に子供の世話に明け暮れている私たちにとって未信者の子弟への伝導教育として極めて重要な行事と受け止めている本部主催の道の教職員の集いは同じ立場にある教職員が胸襟を開いて信仰を確認しあう場であると共に時代を反映した研修の場でもある今年は天理時報で既報の通り福島智先生のお話に感じ入るものが多く有りました私は常人間という形も自然現象も全て親神様のご守護の賜であり心だけが種でありその心の種が現在のあらゆる現象として生起しているのだと悟らせて頂いておりますしかしその悟りの奥に常にお前自身が蒔いた種は自分で刈り取るしかないのだから身上をいただいた一人一人は深く蒔いた種に思いを致ししっかり懺悔することが大切だと考えてきましたその内向的な信仰が他の人をもその尺度で評価し始めると高慢という埃に行き着きますしかし考えてみますと人間出直しの現象は誰も障害を受け持って出直していく存在であり今現在耳の聞こえない人目の見えない人はご不自由な人と自然に考えていますが私たちの出直しは目も耳もそして誰が今いるのかという現実も理解できぬまま出直していくのが真実だと思います障害のあるなしと陽気暮らしは次元の違う問題であり生かされているという真実を深く実感できたとき喜怒哀楽全てが有り難いこととして受け入れられるのではないかと思っていますと言いつつ毎日埃いっぱいの生活に埋もれてしまっているのが実感ですシンデレラ福満分教会長福島大介本年五月十九日福山分教会に於いて六代会長就任奉告祭と創立百十周年記念祭が執り行れたときのことだった参拝者六百名余り履物の数六百足余り当然かその中に一足残された迷子の靴そして福節分教会より参拝された方の靴おやじが無い二十四センチならうちの前会長と同じじゃ履けそうなのがあったら持って来てあげるえっほんまぁ福節の藤井治喜さんとうちの会話そのときはまだ福満からの参拝者が間違って履いて帰ったとは知らなかった八月七日わたし宛に一通の手紙が届いたここにその全文を引用させて頂く迷子がもどるお父さんの靴あったんよ福山の教会にとどけてあるそうよへぇ現代の奇跡じゃのぉと娘と会話をしたやがて原爆記念日の前日に靴が返ってきた福満分教会の縁で知り合ったさん夫妻との交流がその暖かく誠実な人柄に惹かれて二十年ばかり続いたおぢばがえりだが歴史的発見を主眼にするからと二泊の家族旅行にも誘われた合掌造り台湾の石の家天理図書館参考館などなどで文化活動に目を見張った福山分教会の就任奉告祭へのお誘いがあって参加した会場に入るのに靴の脱ぎ場が広くあったものぐさだから入口近くの土間にひょいと脱いだ祭りが終わってからすぅっと履いたらビッタリだったので帰った家で間違えとると言われたが自分にピッタリの靴だから向こうの人にも合うはずじゃえっと値打ちは変わらんじゃろうと話は終った北京へもベトナムへも畑仕事の靴ベラ不用の安物靴を雑巾でぬぐうて行ったが一足くらいパリッとした靴を持っておらねばと言われて老いては子に従った面倒くさいのでいつも運動靴で済ませるからこんなことが起こる最近娘がふと福満分教会でその話をしたらその靴は届けられていて名乗り出る人を気長に待っているとの事だったムネオマキコなどの話が渦巻く中で律儀な人と律儀な集団がある日本の未来を信じられるカギが見えた一世紀にわたる教会のぶあつい活動の凝縮したこの一場面は忘れられないこの手紙を読んで大変嬉しく思ったと同時にシンデレラみたいな人やと思ったすぅっと履いたらピッタリだったには思わず笑ってしまった間違って履いて帰られたことで却ってこのような感動を味わって頂けてこちらもほのぼのとした気分にさせてもらったかくして迷子の靴はそれぞれの持ち主の元へめでたしめでたしあのとき靴が無かった福節分教会の方にはご迷惑をおかけしたのだがともかくシンデレラと同じハッピーエンドとあいなった育てる楽しみ天場山分教会仙田公男私がかつて単独布教をしていた頃ある先輩布教師が三才になる男の子を連れてよくにをいがけに歩いていたその子も楽しそうにパンフレットをポストの中に入れながら歩いていた私はその姿を見ては自分も将来こういう風にしなければとよく思ったものである私は今二人の子どもがいる先輩に倣って赤ちゃんのうちからベビーカーに乗せてにをいがけに連れて歩いた初めはベビーカーに乗っているだけそのうち自分の足で歩くようになり今では親の手伝いをしてパンフレットを配って歩くようになった私は本人が何が何だか訳がわからなくてもにをいがけに慣れさせることが大切だと思っているそうすれば大きくなってにをいがけの大切さを自覚した時抵抗なくそれが実行できるだろうと思う私の家は私が高校生の時布教所になり八年前にやっと教会になった小さい頃は講社があったので手を四つたたいて拝むことぐらいは知っていたがめったにおつとめをしたこともないし鳴物に触れるのも家が布教所になってから初めてだったある時知人の教会に泊めてもらった時のことそこは夫婦と上は中学生から下は保育所までの子ども五人の家族だった朝づとめでは会長を芯に子ども四人が鳴物をつとめ奥さんと一番下の子が下でおつとめをしていたまなびが終わり朝席の時保育所の子が前に出ておふでさきを読んでいた私はその光景に感心して後で会長に聞いてみると子どもには毎日役割を決めてそれを順番にさせているとのことだから小学校の高学年までには一通りのことができるようになっているそうだ私はこれが縦の伝道かと思ったこれも見習わなければならない又別の話になるがある教会の夕づとめに参拝した時おつとめの後でそこの教会の娘が参拝者におさづけを取り次いでいた会長さんも奥さんもいるのに自分でせずに娘におたすけの実行できる用木に育てるために仕込んでいるのだなと思った私は子どもの頃にはおつとめはしなかったしにをいがけも知らなかったおさづけとは生きるか死ぬかの時に会長さんから取り次いでもらうものと思っていたしかし自分の子にはこれらの事が特別なことではなく日常生活の中で普通に行われるものという認識を植え付けたいそして実働用木になってもらいたいと思っている勿論理想通りに育っていくという保証はないし恐らくそうはならないであろうしかし何も考えなしに育てていくよりは子どもの用木としての将来を考えて育てていく方が子どもが成人した後に親として悔いを残すことがないのではないか月日日午前時本部中庭月日土夕づとめ後東西泉水プール前広場月日日第回天理教青年会総会八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の親心溢れる御恵みによりまして日は結構に恙なくお連れ通り頂いております事は誠に有難く勿体ない極みでございます特に今月は学校に通う子供達の夏休みという事もあり子供おぢばがえりや学生生徒修養会を通しておぢばへとお引き寄せ下さり親の息をかけて下さったばかりでなくその間天気の御守護を始め少しでも成人出来るようにとお働き下さいました事を御礼申し上げますしかし一方で世界に目を向けてみますと大洪水で多くの人が亡くなったり避難生活を余儀なくされている姿を見るにつけたんくとなに事にてもこのよふわ神のからだやしやんしてみよとのお言葉が心に浮かび借り物の有り難さを忘れいかに我が身勝手の心で過ごしているかを反省せずにはおれません私共は改めてこの道にお引き寄せ頂いた元一日を振り返り生かされている喜びと感謝の心を強めつつ御恩報じの心でたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は八月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同遠近を問わず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達のお歌の唱和と相共に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて来月九月は本部より布教推進強調月間とのお打ち出しを頂いております月初めには青年会が全分会布教推進週間として月末には全教一斉にをいがけデーという事で活動させて頂きますがその青年会笠岡分会では委員新体制の元九月一日に総会を開きその勢いのまま布教推進を図っておりますしにをいがけデーではリーフレット全戸配布を目指しすでに動いております全よふぼくはこの動きに遅れないよう百万軒にをいがけで培った実動力をより一層発揮してお互い声を掛け合ってにをいがけに邁進させて頂く所存でございますそしてこの活動が単なる行事活動に止まらず成人目指しての日の活動になるよう勤めさせて頂く覚悟でございます何卒親神様には皆の真実誠の心をお受け取り下さいましてたすけ一条の上に尚も自由の御守護をお現し下さり人の心を喜びと感謝の心一杯に立て替え助け合う理によってお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます総会式典日時場所前夜祭日時場所今私のところでは我が家のアイドルおしゃべり椋鳥ムック久福分教会長佐藤憲美わが家のムックは今日もママの炊事の水音と合唱するかの様に次に早口でおしゃべりしていますムックジーシテじっとしてアーウンチシタハバチィネー汚いねーウンチシタラメート駄目とイッテルデショードーシテウンチスルノパシャパシャシテ水遊びしてキレイキレイシヨームックカワイイネーピーチクパーチクオシャベリネエームックオヤスミ等お気付きの様に世の母親が赤ん坊に話しかけている時の言葉ばかりしゃべっています椋鳥ムックがわが家の一員になったのは年前広島在住の時でしたママが平和大通りの並木道を散策中樹上の巣より落ちたのかギャーギャーと大口を開け喚きながら鳴いている一羽の雛鳥を見つけそのあどけなさと鳴き声に哀れを感じ持ち帰ったものです産毛も生え揃わず目も開けきらぬ雛鳥ですが直ぐに餌の支度が必要なので小鳥屋を訪ねた所椋鳥でしょう摺り餌を与えてやりなさいとの事でした以来ムックと命名し飼育して来ました最初の二三ヵ月間雛鳥の時の餌やりがママの大仕事でバタバタ暴れながらギャーギャー騒ぐ鳥を左手に掴みムックジーシテじっとしてと言っては右手で摺り餌を箸にくっつけて雛鳥の大きな口へ一日に十数回やっておりました餌に満足すると大人しくなり目を閉じて生理現象からかママの手にウンチをかけ眠りに入ろうとしますママが思わずアーウンチシタハバチィネー汚いねーウンチシタラメート駄目とイッテルデショードーシテウンチスルノなどと餌やりの度に同じ言葉を繰り返していました四五ヵ月経つ頃になると灰褐色の成鳥となり自分で摺り餌を啄む様になりました普段は本来の鳴き声でギャーギャーと鳴いていますがある日台所の水音がすると突然早口で何か人間の言葉をしゃべっている様なので能く聞いて見るとママが鳥に話してい日時対象集合場所参加費内容日時対象会場内容おぢば管内の学生の親睦会月日日本部青年会総会後正午時までおぢば管内の学生高校大学など笠岡詰所なし昼食とお楽しみ行事学生のつどい月日土午前時午後時頃まで学生層高校生大学生専門学校生など学生会青年会女子青年の行事紹介模擬店昼食グループワークる言葉ムックジーシテじっとしてアーウンチシタ等を真似してしゃべっているのでした家族全員びっくりし面白いので台所の水音を出しながら鑑賞したものです今は十五ぐらいの言葉をしゃべる様になりましたが気まぐれ故なかなかこちらの思う時にしゃべってはくれません思うに幼い頃より親の愛情に支えられ繰り返し繰り返し自分に話かけられる言葉を聞いて育てば椋鳥でもしゃべれる様になるものですにをいがけも親の深い愛情と繰り返し繰り返し根気強く理を説くことが必要だと痛感させられますこかん様に続く会延期のお知らせ婦人会笠岡支部の諸事情により月日に計画しておりましたこかん様に続く会を下記の通り延期させて頂きます日時場所内容対象参加御供平成年月日日午後時開会日月祝午後時閉会予定支部長様お話にをいがけひのきしん会食他お楽しみ行事中学生高校生円内容字数寄稿先原稿募集小随筆教会布教所の独自の活動の紹介俳句和歌川柳教会行事開催後の報告記事等字前後字字題名所属教会名氏名を明記してください俳句等は首からでも結構です下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿ください郵便電子メールなお原稿はお返しいたしませんので予めご了承くださいチョちょ一寸の話しこの時期になると大祭団体は何所に行くのかと聞かれる今年の大祭には教祖百二十年祭が発布されて諭達第二号も配布される大切な大祭いいのかなと思いながら模索している自分が怖い道中の周辺の名称旧跡に案内しているがもうネタ切れいま全教一斉にをいがけの旬いっそパンフを団体で配布してみるのも本来はこうするべきかなあそんな事になると来年から参加する者が無くなるかなあお地場でも前夜祭などのお楽しみ行事で待ち受けて下さるのだからやっぱり必要だろう秋は初参拝者や新米を供える老人が多いので歩きの多い所は階段とか坂道はと模索の此の頃であります先人の話に京都夜行列車でゴトゴトと隣席する人に話しかけてにおいがけならぬ個人調査でお前さんは何所の何方でどこまで行かれるのから始まりついには家族から親戚まで聞いてすきあれば親神様親さんはなあであるそして近くに天理教会があるから行って参拝せよなどとまたおたすけ話で心たすけをする懐に忍ばせたチラシが教科書にもう余人でなく先生である相手は座り合わせた弟子でありますだからお道が伸び栄えたのでしょうそう云うパワーが無い私人の目を気にして何所に行けばなんて御免なさいせめてこんな話をバスの中で話し自他共に勇んでお地場に帰らせて頂こうと決めた初秋の午後です
かさおか

『かさおか』第41巻 第8号

教祖年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しようの様に次から次と大ぜ立教年こどもおぢばがえりい懸命に探し始めた品物は見つからなかった職員おやさとによろこびいっぱいひのきしんの人たちはその子供さんをなぐさめあとで届け海松ヶ岡分教会長森本忠平られた時は必ず送らせて頂くからと住所や番号を書きとめたお道の年間行事の中でもその参加者の人数に数日後その子の家に品物をもったディズ於て指折りの大行事である真夏のこどもおぢばニーの職員の人が訪れ気の毒ですが拾がえり得物として届け出がありませんでしたこれ近年万人万人という参加者であるがはあなたのものとは違いますが同じ物を万人を越えた年も何回かあった持って参りましたのでこれで辛抱して下さ我の周辺では子供の数が年減り続けるとといせっかくおいで頂いたのに悲しい思いもにこどもおぢばがえりの人数も確実に減少ををされたことと思いますが元気で毎日を過続けている確かに年前を思えば半減以上のごして下さいと丁重にやさしく声をかけ現実がある何とか一人でも多くと毎年懸て帰られたそうです命に募集につとめていることに変りはないこの話を聞いた人の多くは考えさせられたさて参加人数も大切な事であるがもっと大私は特にそうであったひのきしんの精神切なことは無いだろうかと考える底なしの親切など私は早くから教え我が教会の月の月次祭のおつとめのあと去られよく識っていたつもりの大切な御教えをる月日日と青年会笠岡分会の自転車団本気で考えその様に身に行って来たであろう参に加わった若人たちを含めて人に感話リかと考えた時背中に汗が出るほど恥しく申訳レーをやってもらったなく何もわからず何も実践できていなかったその最後の一人の話の中で千葉の東京ディズ自らの信心を省みずには居られなかったニーランドの話があったこどもおぢばがえりに多くの世間の子供さんた今年春のはじめ頃入園した子供さんがちをおぢばにさそい教祖のおひざ近くに帰って自分の大切なものを園内で失った落し頂いてもその子供さんの一人一人に真実を尽物の届けをうけた職員の人たちが我が事し切ってほんとに喜び満足して頂ける心で言動でお世話させて頂き生涯忘れられぬ程の楽しさとおぢば恋しさを与えられる育成会員であっただろうかと思い返す時反省の念一入であった私は道に世界あり世界に道ありと聞かされて来たが今年のおぢばがえりは一人でも多くとおさそいするのは勿論であるが世界に道ありを実践して居られるディズニーランドの人の心を思い御教えをもう一度素直に噛みしめて本当の親心真心を自らに問いつつつとめさせて頂こうと心に決めた他の人にもその思いは芽生えていた様に今思える募集は昨年迄と同じ様に近隣の学校の校門でのおさそい声がけをメインとしてつの小学校で行った校は登校時に校は下校時に正門裏門など少くともヶ所に立って本部からのカラーのチラシを手渡した今年は枚程配って枚ほど残った例年枚につき人位の申込みという状態である校門でのおさそいの他昨年参加の子供さんの宅を訪ねる人知り合いにをする人などもあった日が近づいて来た月日申込者は人位であったやはり少なかったしかし今年は大人数よりも一人一人の子供さんへの優しい行き届いた接し方話しかたお世話取りに心が向いていた出発の日昨年より少し多くの子供さんが参加して下さった世話係の大人が続と申し出てくれた仕事の休みを取ってくれた人土曜日の仕事を終って日目の夕方出発しておぢばへかけつけてくれる若人たちもいた才と才のじぃちゃんも係員のシャツを着てくれた人の乳幼児をつれて臨時列車に乗ってくれた母親もいた私の長男は今年輸送掛に任命され団体本部でつとめたので次男夫婦が中心になって計画から準備引率の全てをやってくれた係員に笑顔は絶えなかった意見の食い違いのトラブルなど一度もなかった子供さんたちは人組人組など自然にグループが出来和やかににこやかに係員を手こずらせたのは最初の夜寝苦しい暑さで仲寝てくれなかった一夜だけであったけが人も病人もさいふや物を失う子もなかったみんな仲良く明るく係の大人と友だちの様に昼も夜もすごし続けた係員は子供さんたちを叱ることなく満足させることに徹したのべ人が世話に当ってくれまるでマンツーマンの様であったので慾求不満の声やムードはどの子にもなかったありがたくてありがたくて心にのこるこどもおぢばがえりになった月日のお泊り会に大半の子が来てくれることになったディズニーランドを忘れぬお泊り会にしたいと思っている少年ひのきしん隊に参加して教祖殿まなびの三味線を弥髙山分教会岡﨑かおり私が少年ひのきしん隊に参加することになった理由は親に本部の朝づとめのあとの教祖殿での手をどりまなび十一十二下り目の三味線を岡山教区代表で出ることになったから天理に行きなさいと言われたからです私は最初少年ひのきしん隊に参加するのがいやでした日焼けするし朝起きるの早いしめんどくさそうだしとか思ってたからです鼓笛隊も学校も同じ友達が少年ひのきしん隊に参加するので私も参加することにしました私は天理に着いても暑いとかだるいとか思っていましたけどひのきしんしてていろんな人にありがとうとかバイバイとか言ってもらえてすごくうれしくて少年ひのきしん隊のいろんな人たちとお話をしても楽しくて最初思ってた暑いとかめんどくさいとかがなくなってきました本部のおつとめは八月一日にあってすごく緊張しましたがおつとめをさせて頂いてよかったと思いました本当はおつとめが終わったら天理から家に帰るつもりだったのが少年ひのきしん隊の楽しいところとかがたくさんわかって八月一日で帰るのはなにか寂しいなと思い八月五日の最終日まで残ることにしました私と友達は三班で私達以外の女の子はみんな小学生で三年生の子もいました朝起きるの早いし暑いし大丈夫かなと思っていたけど毎日みんなすごく元気にひのきしんをしてて楽しいと聞くとみんな来てよかったと感激している姿がすごいと思いました私が小学六年の頃少年ひのきしん隊に参加した時には私は暑いとかめんどくさいとかばっかり思ってて早く帰りたいって思ってたからです楽しくすごしているともう八月四日になりお別れ会で泣いてる子とかもいて私もすごく感動しました連続歩調で大きな声を出すのはずかしかったし朝起きるのが早くて疲れたり日焼けもすごいしたけど少年ひのきしん隊に参加して本当によかったと思いました少ひに参加して本当に良かった雲東分教会安部里美私は今回初めて少年ひのきしん隊に参加させてもらいました最初は友達も出来ず週間ちゃんとやっていけるのかという不安がありましたでも実際に少ひをやってみるととてもたのしかったですとくにたのしかったのはパレードに参加した事です回目はピカピカ光る車みたいなものにのらせてもらい回目は旗をもってあるきました回目の時は車みたいなのに乗りながらペンライトをふりましたとってもたのしかったです回目は旗がおもくて大変でしたでもどうどうと前をみてあるけてよかったですそれと少ひでいちばん大変だったのはお茶くみです私は最初お茶が好きな時にのめてこんなのラクだよと心の中でおもっていたけどそれはおもいちがいでしたお茶いかがですかーと大きな声で叫んでのどがいたくなるしずっとたちっぱなしで足がいたくなったりしましたそのなかでも一番つらかったのは裏方で熱いお茶をしゃくをつかってさます仕事でしたねっきがすごくて汗もダラダラでてくるし腕がいたくなりましたでもそんなのがふっとんでしまうのがみんながいってくれるこの一言でしたありがとうこの言葉ですなぜかとてもいい気持になれました少ひでの一番の思い出というとやぱりあれかあれだなと思いますそれは交流会と行進コンテストです交流会ではいろいろな国の人たちと一緒にたのしめて本当に良かったし行進コンテストでは順番が番になりみんな緊張していたのかいきなりまちがえたりアクシデントが発生してしまったけどみんな笑顔でやれたからよかったんじゃないかなと思っていますでも本当に今回少ひに参加して良かったと思いましたカウンセラーの人もとてもやさしくておもしろいし友達もたくさん出来てよかったですそれに両親にはこの少年ひのきしん隊に参加させてくれた事に本当に感謝していますつらくてかえりたくもなったけど最終的にはかえりたくなくなるぐらいたのしかったしたくさん友達ができました本当に少ひに参加して良かったですありがとうございました安部里美さん中二は未信者の子弟です小学校の時にこどもおぢばがえりに参加して少ひ隊の姿が強烈に印象として残っていたようです私共の三女と部活が一緒で少ひ隊に参加する話しから自分も是非参加してみたいと両親を説得し御両親が信者でもないのに良いのかと御相談に来会されましたおぢばへお引き寄せ下さった教祖の親心にお応え出来るよう今後の丹精に努力したいと思います三代談話室身辺雑感陶山分教会上原順子つばめガレージの天井近くの梁に巣をつくり燕が今年二度目の出産をした二羽の雛の黄色い口が巣からのぞいていたが過日一羽が落ちたのか落とされたのか地面に居るとの事毎日バードウオッチングを欠かさなかった会長の発見と通報に野菜ウオッチング専門の私もさすがに無視できず見に行った翼がまだ充分にのびていないはばたため当人は羽搏いているつもりらしいが二十センチ位しか浮上せずそれでも二三メートルは勢いで移動する餌をやろうとして近づくとその調子で逃げるふと見上げると頭上の電線に親燕らしきのが止まって様子を窺っている大家の真心が信用できぬかとつぶやきながら蛇にでも襲われないかと見守っていると突如眼前を影が横切り雛のそばをかすめて去った口をあけたままの雛の横にイナゴの子がもがいている巣の中とちがって親燕も的を絞れずやりにくいのだろうがいささか早すぎる巣立ちをした子に親としてやらねばならぬことを必死にやっているという印象だ一方巣に残った雛については巣立ちを促しているどうもこちらは臆病らしくなかなか巣から離れようとしないある時は親や先に生まれた兄姉達が揃って巣のまわりでエールを送るがダメ無理もない自分が本当に飛べるのかどうか分からないのに断崖絶壁から落ちねばならないのだからしかしいつまでも巣の中におく訳にはいかないとたまりかねた親は巣に入り自分の身体でこの雛を押し出しはじめたいつまでもこの家に居る訳にはいかないのよつらくても世の中へ出て自分で食べていかなければ親の脛かじりはこれで終りなどと云って聞かせているのではないかこの点我が子可愛さの余り苦労をさせまいといつまでも手許に囲って離そうとしない人間の親は是非見習うべきだろうさて地上で暮している雛の方は頭上の親からの警告があるのかあるいは本能からか少しでも他より高い場所に止まり時位置を変えながら翼の訓練をしているもしかすると親鳥は生命力の強い方を先に巣から出させて自立させたのかなどと思いつゝ少心を残してこどもおぢばがえりに出発したそして一週間帰って見上げればどこにも燕の姿はなく彼等の巣がポツンと残っているのみ無事巣立ち完了とみたかくて春以来糞害を避けて斜めに止めていすぐた車もまっ直になった今私のところでは教会に集まって来るものを生かして東福山分教会長枝廣隆文消費は美徳という時代があったが今やこれが百円というものやジャパネットタカタの如きは金利手数料送料不要欲しい意志のままに簡単にすぐ手に入る時代となったまだ使えるのにスマートでより便利な性能の良い型にとあるが上にも買い求めれば前のものは不要となる現在我が教会の自慢は倉庫は満杯のところ出直された主人の左官道具や息子が結婚して家を出たので不要になった大工道具や工具類を喜んで頂いたが納めるスペースが無いちょうどタイミング良く近くの工務店より風呂の薪にと頂いた木材で必要なものがすぐ取り出せる様倉庫の棚を二段に作り変えたらこれもタイミング良くある用木の方がいらにゃ捨ててほとんど古着と教会へ昔不自由した方は捨てる勇気がないのか教会の者は不自由していると思ってか教会へ持って行けば何とかしてくれると加えて前会長夫人は良い顔してどんく引き受ける現在では集まるというより押し寄せて来る感じである物は大切にしなされや菜の葉一枚粗末七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに日の御守護はもちろん四季折の旬の御恵みをお与え下さるばかりでなく月日にはせかいぢうヽハみなわが子たすけたいとの心ばかりでとの親心のまにく身上や事情にしるしを見せこの道にお引き寄せ下さると共に心の立替をして下さり陽気ぐらしへとお導き下さいますことは誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日夜御礼を申し上げつつ成って来る理に親心を思案し心の向きを陽気ぐらしへと立て替えるべく御恩報じの思いを重ね合わせて成人を目指したすけ一条の上に邁進させて頂いておりますその中にも今日の吉日はたすけの元立てとして教祖御自らお教え下されたおつとめをつとめる定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心たすけ心も一汐に明るく陽気に勇んで座りつとめてをどりをつとめて七月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には暑さ厳しき中も厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました理に繋がる道の子供達が相共にお歌に唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいます様お願い申し上げます又今年も子供おぢば帰りが開催されますのでそれに向け一人でも多くの子供達に参加して貰うべく募集や鼓笛の練習に余念がありませんが何分にも暑いさ中でありますのでどうぞ事故怪我や食中毒のないようにお連れ通りの程をお願い申し上げます又同じく夏休みの間に子供達を対象におぢばでは学生生徒修養会高校の部が開催され大教会では英語講習会や野外練成会を開催致しますこれらの行事は道の子供としての自覚や成人を促しておりますので一層の参加呼び掛けをしていく所存でございます更には又先日道の後継者練成会を開催させて頂きましたが改めて成人へと導いて行く事の難しさと育成が急務であるとの思いを強くさせて頂きましたこの上は道の先達である私共が我流に走らず親神様教祖にお喜び頂けるしっかりとした信仰信念を持ち必ず道の後継者に育て上げるという決意で以ってたすけ一条に邁進して行く覚悟でございます何卒親神様には皆の親孝心一筋の真実の心をお受け取り下さいまして今日のおつとめに神人和楽の一時をお現わし下さると共にたすけ一条に尚も自由の御守護を賜りまして後に続く子供達の更なる成人とお望み下さる陽気ぐらしの世の状へと一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますにしてくれなというお言葉に無い後髪を引かれながら手を汚すのは何時もこの私だー閉口するけれど良い事もある調子の良いもので自分の欲しい物を持って来て下さった時にはその物がひときわ輝いて見える水準器パイプレンチ等極め付けはパソコン一式である飛び上がる程喜んだところで棚を整理する際常に使用するものは取り出し易い一番良い場所に何時か使うかも知れないものはとりあえず奥の方へ何れ捨てる運命かも何時迄置いて居てもずっと寝て使わないものは処分するのが地球を汚すことになるその点八月大教会祭典後より開催するフリーマーケットは大変良い企画と思う諭達にお示し頂くように飽くなき欲望は生命の母体である自然環境をも危うくして慎みとたすけ合いの精神が求められるだからまだ使えるものは使えなくなるまで使わせて頂きあるが上にも求めないことが大切である余談だが我用木も何時か使えるものとおいていて下さるのに何時迄も甘んじていると神様が棚おろしされる時に何時迄おいていても眠っていて使わないものとして処分されない様心掛けたいものであるおー恐名月鑑賞の夕べ会場笠岡中央公民館階講堂月日夕時分開会連盟会長笠岡市長挨拶夜時閉会までプログラム雅楽は時分から分間演奏会の最後を飾る入場無料会場の直近に茶席が設けられ茶道家による接待ありカラー印刷案内状枚ポスター枚大教会にあり演奏曲目平調音取越殿楽陪臚の曲車吹き使用楽器箏琴鞨鼓太鼓鉦鼓笙篳篥龍笛服装全員楽服名月鑑賞の夕べに雅鶯会世出演大教会創立後間もなく祭典楽として取り入れられた大教会の雅楽の歩みは既に百年の道を辿るこの間多くの信仰者の絶え間ない努力研鑽によって技量が磨かれ教内教外の多くの人にその存在を知られる様になっている雅楽が祭典の御用等にとどまらずにをいがけ布教の御用にも役立つ日の訪れることを雅鶯会員が望んでいることは言うを待たない一日も早く公然と世間に認められる日を念じ続けたその想いについに黎明が訪れた去る五月二十八日雅鶯会は笠岡市文化部笠岡市教育委員会と他の多数の文化活動団体によって組織される笠岡市文化連盟の正式会員と認められ連盟の一員となったのである谷内楽長以下笠岡市在住者を中心に近在の会員二十八名が名簿に名を連ねたこれは一昨年春を皮切りに二年間で三回笠岡市の桜祭り秋祭りに出演してその見事な演奏が市民の注目を浴びたからであるこのたび文化連盟の今年の二大行事の一つである第二十五回名月鑑賞の夕べ九月二十一日夕に出演が決まり当日のプログラムの最後をめくくるプログラムに組み入れられた雅楽奉仕人たちの永年の夢が実現して同志達の喜びは大きい旬と言うものはありがたいもので名月鑑賞の夕べに先立つ八月十日には笠ばんちょう岡市番町夏祭りの舞台演奏の依頼も来た番町は旧笠岡の街並の二倍もある新しい町で戸数は数千戸雅鶯会が世の表に出る日立つ日を迎えの教友のよふぼく信者の方の絶大な声援を期待しお願い申し上げるとともに関係者一同は一層の精進に励むことをお誓いする森本忠平記月日日青年会笠岡分会総会今我は道の信仰者として何をなすべきかモノやカネにあふれた暮らしの中で徐に失われつつある人間らしさ今こそ真に信仰を求め勇み立とうではありませんか開催日時参加対象携行品月日日受付おつとめまなび式典昼食講話神名流しパンフレット配布解散予定青年会員おつとめ着にをいがけのできる服装月日日日日全分会布教推進週間月日日第回天理教青年会総会人類のふるさとーぢば人は真実のをやを慕いぢばへ帰る月日天理教青年会総会はわれわれ青年会員がぢばに集い青年会長様よりお言葉を頂き更なる実動を誓い合う場である教祖年祭に向け今勢いをもって成人への新たな一歩を踏み出すためにさああらきとうりょうそろってぢばへ帰り集おう総会式典日時場所前夜祭日時場所月日日午前時本部中庭月日土夕づとめ後東西泉水プール前広場提唱周年全教一斉にをいがけデー立教年主旨期日内容報告今年のにをいがけデーは提唱周年の節目を迎え全戸配布万軒に向って教会布教所はにをいがけのできるよふぼくをどれだけ多く育てられるか教区支部組班はどれだけ多くの家庭にリーフレットを配布できるかが目標です教会長が先頭に立ってよふぼく信者各会が一手一つに全戸配布の大きな渦を巻き起こすべく勇んでつとめさせて頂きましょう月日日月日日日布教強調月間一斉活動日戸別訪問リーフレットチラシを配布参加者数を支部へ報告教会で参加者名簿の作成を布教所長夫妻成人研修会テーマ日時場所講師内容対象受講お供奮起と実動月日日午後時分受付日月午後時閉講田口美代子先生岐美部属越美錦分教会長講話質疑応答田口先生感話代表人ねりあい少人数制布教所長夫妻円日時場所内容対象参加御供こかん様に続く会平成年月日日午後時半受付日月午後時閉会支部長様お話にをいがけひのきしん会食中学年生高校年生円下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿ください郵便電子メールなお原稿はお返しいたしませんので予めご了承ください字前後字字題名所属教会名氏名を明記してください俳句等は首からでも結構です原稿募集内容小随筆ミニエッセイ心に思い浮かぶままに書いた感想文で信仰的な内容であれば傾向は問いません例教会長などの立場の上から自分のなすべきこととして日頃思うこと一般のボランティア活動などに参加して思うこと世上での出来事を通してお道は何をなすべきか組織としての自教会の運営の上で工夫をしていること教理研究の上から思うことなど今私のところでは教会布教所の独自の活動などをご紹介ください例我が教会の名物祭典日直会のオリジナルメニューなど俳句和歌川柳傾向は問いません教会行事開催後の報告記事等チョちょ一寸の話し今年の夏の祭典こどもおぢばがえりも期間中日間を通して支障なく晴天の御守護を頂き万余の人が参加し携わっておや里へ帰り集った今回引率に携わって暑い最中ではあったが子供達の生き生きとした笑顔を見る度に連れ帰ることができ本当に良かったなあと思うと同時にこれを機に少しでも多く親里の素晴らしさを伝える事ができたらそして楽しませてあげなくてはと思うにをいがけに出させてもらうと運良く話ができた時などの会話の中で小さい頃それに参加した時の思い出を殊更好意を持って語ってくれる事がしばしばあるだからといって現在天理教を信仰していると言う訳ではないのだが全く生まれてこのかた何の身上事情も無く五体満足で親にも信仰がないと言う家庭で有りながらも友達の誘いからこどもおぢばがえりを通しておぢばへとお引き寄せ下さる謂わばこの事がにをいがけ先でのでき事なら早に無縁と諦めなかなかおぢばへとは話が行かないだろうそれがこどもおぢばがえりだとどうと言うことはない喜び楽しんで親里に触れ教えに触れる毎年恒例となったこどもおぢばがえりも来年で年目を迎えると言う記事が天理時報に載っていたその当初から換算すると世代に渡って受け継がれてきた行事になるおさしずにもう道というは小さい時から心写さにゃならんそこえく年取れてからどうもならん世上へ心写し世上からどう渡りたらこの道付き難くいとまた前文略いろくの道一つく事情にて一般皆開けてある天の理であればこそ万国まで一寸付け掛けてある万国一体世界一体いずれ開いて見せる現在はどうであれ理有ればお繋ぎ下さるこれからも先を楽しみに勤めさせて頂きたいと願う寄稿先字数
かさおか

『かさおか』第41巻 第7号

道の後継者練成会開催約百名有意義に練り合う講習会を開催するに当たり対象者が若い世代ということで学生担当も兼ねている私如き者に企画が任されて正直困りました集合時間と解散時間がある程度決められ先生とそのお話内容も決った中でプログラムを作り受講者にまた受講したいと思ってもらえる内容にするのが今回の課題でしたプログラムは学生担当の吉岡委員長と色練った結果学生担当で使うと呼ばれる手法を取り入れたもので大教会で行われる講習会では今回が初めての試みでした不安な所は多あったわけで練り合いを担当して下された会長様方は相当気を遣われただろうと推察しますありがとうございました開催後色な方の感想を聞くと満席後は教話は聞いても教理のお話を聞くチャンスが少なかったそういった意味でも今回の講話の元の理十全の守護などを詳しく聞きたかったとか同じ世代の人たちの考えや思いが聞きたかったなど前向きな考えの方が多かったようで今までこういう企画が無かったのが残念に思えました今回の失敗点は広報と時間的なことにつきると思う時間があればお話ももっと詳しく聞けて解り良かったであろうし練り合いもゆっくり出来色んな意見交換が出来たであろうそして講習会があることを知らなかった人や教会長子弟が少なかった点を思うときちんと連絡が流れていなかったのではないかと思われる今回内容はともかくこのような行事があったことは好評だったので次回は今回の反省点をふまえて長期的な計画シリーズ化対象者別等で行事を企画し進めていけばよいと思いました最後に参加者の皆様関係の諸先生方ご協力ありがとうございました布教部員三阪泰人我が家のめざるに髙児島分教会瀨良恵いつも委員部長後継者講習会などで同年代の方と話す機会はありますがだいたい十人前後でメンバーも同じ顔ぶれになります今回の道の後継者練成会では神殿いっぱいであまりお会いした事のない方も多く同世代の方がこんなに居られたのかと驚きました練成会では班に分けられほとんど話した事がない方と違った立場での意見が聞けて貴重な一日でした幾度となく講習を受ける度に滅入っていた気持が上向きになったり今悩んでいる事への糸口がつかめたりするのですがしばらくするとまた元のもくあみで今回も進歩のない自分を情けないと感じつつ受講させて頂きましたそこでいきなり今回のテーマはどんな時でも幸せの席に座る考え方をしようということで最も私の苦手とするところを指摘されたようでした平野先生がわかりやすく元の理のお話からたすけの理話についていくつか例をあげてお話し下さいました元の理の話を現実的なイメージしか出来ない私には謎だらけでなかなか悟るまでに到らないのですが平野先生のお話の冒頭にはたして本当に神様を信じているのか元の理の話を信じきるところが大切という事を言われ内心ドキッとしました元の理の話がきちんと理解出来ていないから人にも話が出来ないんだと痛感しましたお話の中でめざるが一匹残ったというのは教祖のごとく滅せざるつなぎの役でどの家庭にも居なければならないとお聞かせ頂き世間の不況の波も例外でなく押し寄せる我が家でもうこれまでと思えどもその中を通ってこそ天の理というお言葉を胸にめざるになれるよう努力したいと思っています道の後継者講習会に参加して米府分教会下鳥山千文六月三十日にで開催された道の後継者講習会に参加しました笠岡につながる道の後継者の男女約百名弱の方が参加されたそうでこれは今まで滅多に無い機会だったそうです私自身今回はどのような内容の会なのか最初は不安半分での参加でしたがとても充実した時間を過ごせたように思います午前中はまずウォーミングアップとして自己紹介を兼ねての簡単なレクレーション緊張がほぐれたところで平野鉄之助先生による約九十分の講話元の理十全のご守護など難しい話にもかかわらず途中話の聞き方のタイプなどの身近な例を交えながらわかりやすく紹介いただきました食事の時間をはさんで午後からは講話を振り返って話題や天理教に関するに関する練りあいこのとき配布された資料の中で今後何か変化がおこりそうですかの設問がありました私はおこりそうと答えました私自身普段の生活の中で同年代の人とお道に関する意見を交わす機会がなかなかありませんそんな中で今回の講習会は道の後継者である私たちに何かが変わっていく変えていかなければならないと感じるきっかけづくりが目的の一つではないかと感じたのです今後私たちの世代は道の用木として自ら歩んでいくとともに次代の後継者である子供たちにお道の大切さを伝えていくことが必要になりますそのときに子供たちにどのようにコミュニケーションを取り伝えていくのかそして子供たちだけでなく社会に伝えていくのか今後もっともっと時間があればこのような話題に関する意見交換もできるのではと思っております第二回三回と会を重ねられるごとに笠岡につながる道の後継者が男女を問わず活発な談じ合いと自己研鑚が出来る場となることを楽しみにしております縦の伝道講習会を終えて少年会笠岡団では去る六月二十一日少年会本部より杉本重樹委員高安部属をお迎えして大教会月次祭の祭典講話として縦の伝道講習会を開催させて頂きました道の後継者育成をお急き込み頂くこの旬に一人でも多くの方におぢばの声を直接聞いて頂き更なる勇みを頂こうと声を掛けさせて頂く中に受講者三百七十一名内教会長百三名が受講させて頂きましたまずビデオわかぎが輝くときを上映し続いて杉本先生より少年会の活動方針をお示し頂きました特にわかぎの育成が急務である事を重点に少年ひのきしん隊を通して子供達の心の成長の変化に世話取りをさせて頂きながら感激をさせて頂いたとお話し下さいました最後に子供に信仰の喜びを伝えさせて頂く私達自身の心が日を喜びの心で通らせて頂いているのだろうかそして如何に親神様教祖の思いに添わせて歩ませて頂いているのかをしっかり思案させて頂き信念と熱意をもって縦の伝道につとめて頂きたいと締めくくられました午后から大教会長様と団の委員全員が杉本先生を囲んでなごやかにねりあいをさせて頂きました例年同様今年も会場を野外客殿庭園に移し親しく先生の話しをお聞かせ頂く中にわが笠岡団では教会おとまり会を全教会で実施させて頂く事が出来るよう声を掛けさせて頂きわかぎ育成にしっかりとつとめ今年の活動の柱でもあります道の後継者育成に更に励ませて頂く決意をさせて頂きました笠岡団副団長北川治史笠岡分会総会に向けてのひのきしん隊入隊この度六月一日二十四日まで青年会ひのきしん隊に笠岡分会より十一名入隊させて頂きました二月より田中委員長より佐藤委員長へと交替となり初めてのひのきしん隊でもあり九月一日に開催される笠岡分会青年会総会に向けて一人でも多くの入隊を求めるものでした新委員会発足にあたり五月に自転車団参をさせて頂いたのですがこの自転車団参の目的は委員の心を一つに揃える為ともう一つは全分会布教推進週間の初日に総会をさせて頂きたく青年会本部へ総会の願書を提出する為でした本来なら本部の行事の期間に総会を開催することなど無理であると聞いていたのですが願書持参で心を一つに自転車団参をさせて頂き結果どうでもこうでもという押しての願いを青年会本部に承諾して頂き何とも言えない喜び又これからの方向性を打ち出して頂きましたこの度のひのきしん隊は二十名の心定めをしていましたが入隊二日前の時点で五名という現実の中残り数ない時間でしたが声を掛け合い何とか十一名の御守護を頂きおぢばへ向けて出発させて頂きました人数的にはまだ納得いかないものでしたが一ヵ月皆が心を揃えひのきしんに励み無事に十一名が揃って解隊させて頂くことができ親神様教祖に喜んで頂けたと思いますこれから九月一日の総会までにはこどもおぢばがえりや各行事等が有り時間も限られ青年会のことばかり考えられない現状ですがこの総会は委員一同だけでは何もできないものです笠岡につながる会員一同が心をつないで頂いてこそ総会が開催されるものですどうぞ他人ごとではなくこの総会を意義あるものにしあらきとうりょうの本分である布教と求道でこの後の全分会布教推進週間に臨み共に成人させて頂きましょう笠岡分会委員淺野明教今私のところでは多目的広場の活用中村義太郎大教会神殿南側回廊の窓から下を望むと巨大な白岩に松樹が滑らかな曲線を描き上へと伸びている四方を建築物で囲まれた空間に緑が飛び込んでくる毎度の食事時には今から思えば好んでこの庭園を望める方向から食堂へと向かっていたような気がすること雨天時に至ってはその様相で味わい方も違って来る例えば霧雨時雨台風霙夕立に小雪等感覚とは不思議なもので雨の降り方でその趣に気が付いた訳でなく枝葉が雨に濡れ行く状を見てそれぞれの自分の抱く雨を感じ取った様に思うし楽しみとなったただ悪点を言えば実に人の侵入を拒む贅沢な空間であった青年としてつとめだして二三年経った頃中庭をどの様に活用するか発想は自由具体的に図面にして考えよと言われ青年同士無い知恵を絞って考えては見たものこれという案はでなかったこれに先んじて何方でも利用して頂ける空間憩いの場として談話室をまず先に建て提供された記念祭当日神殿に入り切れなかった大勢の方がこの日の為に前もって中庭を撤去し新たに特設会場として設けられた場所で参拝され雨天にもかかわらず弁当をひろげ今日の日を存分に楽しんでおられた様子が今も目に浮かぶ今また新たに中庭に於いて多目的広場の活用に向け連日大工ひのきしんに精を出す音が響いている見事に出来上がった木製の長椅子やテーブルを眺めると記念祭を機に長年に渡り心を砕き着手して来られた親心溢れる思いが形として出来上がろうとしているこの親心に対し楽しまない策はない訃報藤本まこと姉惠陽分教会四代会長六月二十日出直されました享年七十六才原稿募集内容小随筆ミニエッセイ心に思い浮かぶままに書いた感想文で信仰的な内容であれば傾向は問いません例教会長などの立場の上から自分のなすべきこととして日頃思うこと一般のボランティア活動などに参加して思うこと世上での出来事を通してお道は何をなすべきか組織としての自教会の運営の上で工夫をしていること教理研究の上から思うことなど今私のところでは他の教会布教所と違う独自の活動などをご紹介ください例我が教会の名物祭典日直会のオリジナルメニューなど俳句和歌川柳傾向は問いません教会行事開催後の報告記事等字数字前後字字題名所属教会名氏名を明記してください俳句等は首からでも結構です寄稿先下記大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿ください郵便電子メールなお原稿はお返しいたしませんので予めご了承ください人事会長室常詰神事部会計部庶務部布教部海外部史料部管理部室長武内清岡﨑真一今川昌彦企画運営担当武内清田中一之上原繁道吉岡事情運び担当上原澄雄壽武内清田中一之門脇誠教岡本久善上原繁道佐藤道孝吉岡壽中村邦義河原節喜中島誠治上原きよの吉岡誠一郎佐藤真孝部長岡本久善淺野和芳岡﨑輝夫中村邦義田林志計實三島克巳岡﨑和夫三代昌豊田道人森本忠平谷内伸自西江昌直三島渉中島誠治中村道德笹尾正治黒瀬修弍門脇元教杉原博之中村義太郎赤木由枝田中隆之岡﨑輝彦福田勝岡田誠開地俊夫室喜久子淺野明教赤木素志部長武内清今川昌彦北川勇部長上原繁道岡﨑真一今川昌彦山野弘実枝廣隆文部長次長次長佐藤道孝中村剛谷内伸自岡﨑和夫西江昌直杉原博之中村義太郎藤井昭子内海安子田中隆之佐木滋郎三阪泰人渡邊勇喜三代幸三代温生渡邉眞次高田弘之武内清明部長田中一之上原繁道上原眞雄中村義太郎上原順子山野弘実吉岡貞彦津森朋之香取雅人上原聡上原志郎吉岡誠一郎藤本晴司部長上原繁道岡﨑和夫西江昌直門脇元教淺野明教部長中村邦義岡﨑和夫森本忠平中村義太郎横山逸郎高山森雄桑田則昭渡邉孝信虫明立生赤木素志防災管理者中村邦義電気管理責任者桑田則昭危険物取扱責任者中村邦義車輌管理責任者今川昌彦詰所部輸送掛編集掛教養掛部長次長門脇誠教上原澄雄門脇郁子武内清和上原浩上原珠世主任岡本久善高木昭祥藤井宣人三代温生秀平善敬吉岡誠一郎森本忠善主任河原節喜岡﨑真一中村義太郎枝廣隆文吉岡輝昭西村彦一佐藤憲美時宗一実主任副主任吉岡壽杉原博之岡本久善上原繁道佐藤道孝中村邦義中村剛岡﨑和夫森本忠平谷内伸自西江昌直中島誠治岡﨑真一笹尾正治門脇元教立教百六十五年六月二十九日発令婦人会笠岡支部支部長常任委員青年会笠岡分会委員長副委員長委員少年会笠岡団団長副団長常任委員委員部員相談役鼓笛顧問笠岡学生担当委員会委員長委員上原きよの田中ますみ門脇郁子虫明好美山野あや子上原順子中村満子岡﨑豊子武内正美門脇加津中村幸子今川佐智子髙田賀代子内海安子佐藤真孝森本孝志淺野明教小西陽司瀨良昇下田誠輝猪原啓介高橋徳行今川昌彦渡邉泰造森本忠善藤井保人平盛尚樹髙島伸雄本多正悟藤本晴司谷内秀自中村真人杉原善朗高田一弘中村行善中島誠治横山逸郎北川治史上原きよの谷内伸自武内正美平盛秀年田中隆之藤井正仁掛谷宣和猪原啓文余村健高島定彦福島泰道岡﨑輝彦小池宏一佐藤昌平山野弘実桑本光則奥忠郎友井道弘渡邉孝信淺野明教谷本光司森本孝志杉原善朗森本ひさの三島知佳子藤井保人酒井信広藤井治喜猪原啓介吉岡貞彦藤本ひさよ門脇裕教雜賀元生原田千加子中村剛史高田一弘山田睦浩福田恵司岡本久善森本忠平瀨良善彦高田弘之森本重吉大月敏正田中一矩高木昭祥吉岡誠一郎門脇元教山野弘実桑田則昭三阪泰人藤本芳久香取雅人上原志郎淺野明教武内清和森本忠善瀬藤友昭本多正悟仙田公男教会長教人よふぼく信者育成に関すること各種講習会修養科生検定講習生任命講習生の修了講習を含む大会研修会対外ひのきしん路傍公園に関すること本部詰所関係のひのきしんに関すること文書並びにその他国内布教に関すること海外部海外伝道に関すること海外布教所よふぼく信者の育成に関すること海外巡教に関すること日本在留の外国人布教伝道に関すること外国人参拝者の世話取りに関すること文書並びにその他海外伝道に関すること史料部史料の蒐集保管編纂提示展観に関すること本部史料集成部との連絡に関すること管理部建造物施設及び備品の管理営繕に関すること清掃衛生に関すること大教会ひのきしんに関すること墓地に関すること教旗掲揚献灯に関すること車両の管理に関すること詰所部詰所管理運営に関すること信者宿泊に関すること修養科講習の手続き並びに別席をびやおまもりに関すること部内教会事情願書の取次に関することおぢば在住の教人よふぼく信者学生生徒育成監督に関すること輸送掛信者輸送に関すること編集掛編集配布に関すること教養掛修養科生及び検定講習生の教養並びに生活指導に関すること修養科の入学前講習会に関すること教養掛員会議運営に関すること婦人会青年会少年会学生担当委員会機構と分掌会長室本部よりの巡教参拝の受入に関すること企画運営に関すること事情お運びの世話取りに関すること巡教及び日程に関すること部属教会の鎮座に関すること諸会議の招集運営に関すること会長に関する諸祭の祭文祭詞作成に関すること会長に関する文書の整理保管に関することその他会長補佐に関すること会長宅並びに客殿に関すること常詰理事各部長各掛長各主任各会責任者で構成する大教会諸行事の推進に関すること会長室提案案件の審議及び具体化に関すること神事部おつとめ祭儀に関すること神殿奉仕に関すること神実様御供に関すること別席をびやおまもりに関すること霊爾に関すること大教会及び部属教会の冠婚葬祭年祭に関することお供物品の取扱いに関すること日報作成のこと会計部会計並びにお供物品に関すること食堂及び賄に関することつなぎ袋に関すること庶務部教会事情の諸願書に関すること布教所設置その他布教所の諸願書に関すること個人事情願修養科講習登録扶育等の諸願書に関すること諸統計に関すること渉外事務に関すること他の部掛に属さない往復文書に関すること受発信簿作成のこと調査名簿管理に関すること布教部教義の宣布布教昂揚に関すること部属教会育成に関すること教会別人づくり一覧表名称初授修講前講後名称初授修講前講後名称初授修講前講後笠岡福山髙屋神邊島根久松鶴山弥髙山陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備廣町福廣福勇福芦福満福岩西村福年引野福昭福春福中福冨士福東東福山福南福順福節福備福輝坪生八尋深安笠尋芦品安那芦田川三郡芦常芦辺芦加茂惠陽陽實御野香地華真金仲條稲倉稲瀬稲富士稲讃門司港大惠山東水島高児島出雲瑞雲海潮川錦洋米府弓ヶ濱西伯米美伯仙照雲輝伯松都樺島亀田山出雲川津天場山簸ノ川多古浦瑞北雲東神村呉中大江橋品治久福久津呉福鶴南鶴眞川島郷鴨方作備輝華錦ヶ原行縢眞府吉舎清嶽上小畠木津和國須上吉野上備河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面府鮮府庄府世原神驛神免葦沼合計月日月午前時受付日水午後時頃解散中学年生以上高校生大学生一般円英和和英辞典筆記具着替え洗面具パソコンを使った英語の学習英会話おつとめレクチャーひのきしん詳細はスタッフの香取雅人吉岡誠一郎連絡下されば大門駅まで送迎します六月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心溢れる天然自然の御恵みを頂いて日は結構に恙なくお連れ頂いております特に今は梅雨の季節とて主食である稲作に必要な水の御守護を下さっております事は誠に有難い事と喜ばせて頂いておりますしかしながら所によっては雨が降らなかったり集中豪雨によって被害が出るなど思いもよらず天災に遭いますのも人が親心に甘え当たり前に流されて御守護の有り難さを忘れている事に対してかみなりもぢしんをふかぜ水つきもこれわ月日のざねんりいふくとの親心の現れと思案し少しでも被害が出ないようにする為にも親心と御守護の有り難さをわかって貰うべく御恩報じを念頭に日たすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は六月の月次祭を執り行う定めの日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達と思いを一つにし明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりを勤めさせて頂きます皆の勇み心を御覧頂きまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向け道の後継者育成を合言葉に丹精の歩みをさせて頂く中声は肥やでとのお言葉から先ず声掛けから始めさせて頂いておりますが本日はより一層拍車をかける為に縦の伝道講習会を開催させて頂きますお聞かせ頂く事をしっかり心に治めて夏の子供おぢば帰りに一人でも多くの子供に参加して貰えるよう声掛けさせて頂く所存でございます又今月三十日には道の後継者練成会を開催し道の後継者としての自覚を促すと共によふぼくとしての実動が出来るよう丹精させて頂く所存でございますそしてこれらの行事に対して声掛けするなりひのきしんをする等全てのよふぼくが何らかの関わりを持つ事によって一丸となって丹精の歩みを進めさせて頂く覚悟でございます更には今年の上半期の終わりに当たり半年の歩みを振り返ると共に年頭の心定めに思いを致し心新たに心定め完遂に向け勇躍歩み出させて頂く所存でございます何卒親神様には皆の一つ心をお受け取り下さいまして願う心の誠の理に尚もの自由の御守護を賜りましてお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます期間受講対象受講御供持参品プログラムお問合せときところ内容対象定員参加御供申込切少年会笠岡団夏季練成会サマーキャンプ月日木月日土鳥取県大山鏡ヶ成キャンプ場ハイキングキャンプファイヤー野外ゲーム他小学校年生中学校年生名円米合と野菜品月日までに各ブロック委員に申し込んで下さい青年会笠岡分会総会今我は道の信仰者として何をなすべきかモノやカネにあふれた暮らしの中で徐に失われつつある人間らしさ今こそ真に信仰を求め勇み立とうではありませんか開催日時参加対象携行品月日日受付おつとめまなび式典昼食講話神名流しパンフレット配布解散予定青年会員おつとめ着にをいがけのできる服装全分会布教推進週間月日日日日提唱周年全教一斉にをいがけデー立教年主旨期日内容報告今年のにをいがけデーは提唱周年の節目を迎え全戸配布万軒に向って教会布教所はにをいがけのできるよふぼくをどれだけ多く育てられるか教区支部組班はどれだけ多くの家庭にリーフレットを配布できるかが目標です教会長が先頭に立ってよふぼく信者各会が一手一つに全戸配布の大きな渦を巻き起こすべく勇んでつとめさせて頂きましょう月日日月日日日布教強調月間一斉活動日戸別訪問リーフレットチラシを配布参加者数を支部へ報告教会で参加者名簿の作成を第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目門脇元教大教会役員島根分教会長香取雅人川島郷分教会長三宅俊正作備分教会長藤井宣人福東分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい日時場所内容対象参加御供こかん様に続く会平成年月日日午後時半受付日月午後時閉会支部長様お話にをいがけひのきしん会食中学年生高校年生円表紙の写真福島大介さん福満分教会長本年上半期上下分教会の田中珠美さんが絵とカットで華やかに盛り上げてくださいました田中さんありがとうございました下半期は田中さんに替わり福島さん秘蔵の写真集から拝借微妙な色合いを表現できないのが残念ですが実物を見たい方は浦崎へチョちょ一寸の話し我が新任会長は日頃の教会のつとめは自信ないのだかこの祭典杯サッカーに限っては見違える程生き生きとして熱心に前会長婦人会委員部長の分からない事柄の質問に応じ相手に興味を持たし普段有していないテレビのチャンネル主導権を確保しテレビ参拝に成功した様でしたどんな質疑応答であったか馬鹿馬鹿しいがお教えしましょうサッカーはどんな競技つとめ人十一人ずつの二組がほこり払い人ゴールキーパー以外は腕や手使わずに八つのほこりのほこり玉ボールを蹴りまた頭でうって一定時間内に相手方のほこり箱ゴールに数多く入れ合い得点を争う競技てをどりならぬ足をどりで両手両腕身上者の難儀を体験しかしものかりものの理を悟らせる一種のかぐらつとめとも言うオフサイドって何に簡単にほこり玉をほこり箱に入れさせては教訓とならぬ故攻撃側がパスする時はパスを受ける攻撃側のつとめ人は守備側に二人以上のつとめ人がいることを確認してパスを受けに行かねばならないルールカメルーンセネガルはどこにあるの埃をかぶった世界地図を出し会長も詳しく知らないので確認した滅多に見ないのでソ連邦や東西ドイツが載っていた会長曰く南北朝鮮が統一されたら新しい地図を購入しよう何時のことやら奇抜なヘヤースタイルサッカーのつとめ人は運動が激しくかぐら面が着けれないので面の替わりに独自の髪型を面とすることが許されているベッカムヘァーモヒカン刈り大五郎カットなどこれからもさらに奇抜な面がでるよ以上たわいもないことを申しておりましたが教祖百二十年祭には杯サッカーの様に若い青年さんが大勢参拝頂ける様にほいがけおたすけに一層励まねばと申しておりました
かさおか

『かさおか』第41巻 第6号

教祖年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しよう学生層育成者講習会講話学生一人一人に月に一度は声をかけよう本部学生担当委員松村登美和先生本日は育成者講習会ということで学生一人一人に月に一度は声をかけようということをお願いしたいと思います学生層の育成といっても実際何をどうしたらいいのかまた学生層の育成というのは難しい厄介だと思ってしまいますがとりあえず学生に月に一度声をかけるまずそこから始めようという話しです十のもの半の理で九つ半まで消す学生層の育成についてお話しするときよく引き合いに出されるおさしづがあります明治二十六年六月十九日平野トラ身上願というおさしづですが前略日という遠く所より又年の寄らん者一寸や若い者寄り来る處厄介世界から見れば厄介なれど道から厄介ではない道から十分大切道は遠かろが言わんたすけ一條と言うこれ聞き分け十のもので九つ半大切にして半分だけ出けん十のもの半の理で九つ半まで消すよう聞き分け喜ぶ者は少ない成る事情いんねんであるいんねんというは面倒いなる者も寄せる寄せる皆運ばすも同じ理出て救けるも内で救けるも同じ理いんねんならどんな者もいんねん道の處は重掛かりこれから先掛かりの者そこで入り込む年の行かん者我子より大切そうしたなら世界からどういう大きい事に成るやら知らんすればそんだら何が間違うてある日という言葉一つというこれ聞き分けてくれるよう明治二十六年ごろは非常に教勢がありどんどん外へにをいがけに出ていたときでしたが郡山の教会ではいろんな身上事情の方を預かっておられ平野トラ奥様がその方の面倒を見なければなりませんでした当時は外に出て行ってなんぼの時代で教会の中でずっと人の面倒を見ることが布教だとは思ってもらえませんでしたのである若い方を教会で預かるという話しになったときにも躊躇されたようですこのおさしづでは若い者というのは世間一般で見れば厄介だけれどもお道の上から考えたら厄介ではなくとても大切だと神様が仰る訳ですおたすけを全部で十とすれば外に出てのにをいがけおたすけは九つ半で残り半分ができていないそれは何かと言えばつながった人達の後継者を育てるということこれをしなければいくら一生懸命外ににをいがけに廻っても代が変われば全部ごっそりいなくなってしまうからまた一からやらなければいけないということをこのときにすでにご指摘くだされています若い者を喜んで中に入れて育てていく人は余りいませんが長い目で見たときに学生に限らず道の後継者の育成は本当に五分五分で大事なことだと思います思春期反抗期は丹精の絶好期こどもおぢばがえりには少年会員だけで例年十五万人くらいの帰参者がありますが十五歳までですから一学年あたりで考えると一万人の子供がおぢばに帰っている計算になりますところが春の学生おぢばがえりには今年はちょっと多くて四千七百名の学生さんが帰られましたので高校大学の七学年でならべると一学年六七百人になりますこどもおぢばがえりの十五分の一程度ですそこで少年会から育ててきたそれぞれの子供達の育成が教会でできているかと考えると子供の頃はおとまり会やおぢばがえりに来てくれていた子供達が小学校の高学年くらいからだんだんと足が遠退いてくるのが分かりますクラブ活動だ塾だアルバイトだということで昔は来ていたのにだんだん見なくなる二三年経って高校大学に入ると偶然出会っても姿形から大きく変わってしまっている会長としたら昔のように声をかけにくくなるということもあるでしょうこの辺も月に一度声をかけ続けるということは大きいメリットがあるのではないでしょうかもう一つ言えるのが昔は素直だったのにということが頭に浮かぶでしょう昔は素直だったのに最近文句を言うとか親の姿を批判するとかいろいろあるでしょうそうこうして上手く答えられなくて放っているうちに何となくどこかへ行ってしまうこともあるのではないでしょうかその子達が親なり教会からちゃんと神様の話しを聞いているかといえばなかなかそうでもないでしょうそんなとき我が思ってしまいがちなのがいずれわかってくれる親が一生懸命やっていたら親の姿を見ていつか気が付いてくれる事情が起きたときにまたお道に帰ってきてくれるというようなことでこれは希望的観測なのではないでしょうかしかしこの子供達が親に対する批判を言いだす昔は素直だったのに変わってくるというのは我の目から見ればただの厄介な姿ですが人間が育っていくうえで当然越えていかなければならないハードルだと思います子供達というのは小さい頃は親の言動をそのまま見て育っていくので心をうつすように育てましょうといいますが思春期反抗期の十四五歳の頃になると子供達は親から無条件に受け入れてきたものの考え方を一回全部チャラにするこれが人間の心理的な成長の正しい在り方だと言われていますどんな子でも遅かれ早かれそういうときがやってくるそれは何かと言うとそれを通り越して批判するということは自分の中で考えている訳です親はこう言ってるが本当にそうなんだろうか俺はここがおかしいと思うというのは反抗しているだけではなくて彼らが自分自身でその答えを探している時期なのですその時期に大人が中途半端な姿を見せたり怒ってごまかしたりするとこれは逆効果だと思います何かきれいなこと言ってるけどやはり中身は違うやないかと子供は思ってしまう彼らが反抗する時期というのは我にすれば丹精をする絶好の旬でありまた彼らにとっても成長していく絶好の旬である我大人がその時期を何となくやり過ごしてしまうというのはみすみすその好機を見逃しているということになるのではないでしょうか伝道の極致は求道一時期オウム真理教や法の華三法行に若い人達が大勢入りましたまた十七才の事件というのが取り沙汰されましたが十七歳の事件を起こす子達の言い分は存在感を感じられない自分が何者なのかわからないということです彼らは真柱様が御諭達で仰る確かな拠り所を求めているのです存在感がない何をしたらいいのか分からない何を信じていいのか分からないこれが絶対だという何かを求めているその結果オウム真理教や法の華三法行に行ってしまうのではないでしょうかそんな中で我はこのお道の教えをしっかりと聞かせていただいているのですからそれを伝えていかなくてどうするのかと思いますもう一つ学生層の育成ということで厄介と思いがちなことは例えばお父ちゃん陽気ぐらし陽気ぐらしって信者さんには言ってるけど家族の前ではいつもプンプン怒ってるなぁというような親の姿に対する疑問です言われる方にとったら厄介ですがここが大事なところでいったい何が学生さんに伝わっていくのかといえば布教にしても縦の伝道にしてもやはり自分自身の信仰ではないかと思います今学生生徒修養会が評価をいただいていますがそれは何かと考えてみるとスタッフの正面きった人間性とでも言いましょうか学生達に対して自分の間違っている所わかってない所も全部さらけ出して共に育とうとする姿勢が伝わっているのではないでしょうか天理大学成人会が発会した昭和二十八年二代真柱様は伝道の極致は口先で云することではなく道を求めることである伝道の極致は求道だと思うのであります究極的には求める態度をそのまゝ伝えるすなわち伝道即求道なのでありますというようなことをお話しくださっていますこれは布教にしても縦の伝道にしても結局伝わっていくのは自分の姿勢だということです学生層の育成も一緒で厄介だ厄介だと思っているとき一番厄介なのは大人自身のそういう癖性分弱さそれが厄介なのではないでしょうか厄介だと思ったときにこそ自分の信仰を試されているまた自分の信仰を学生が育ててくれているというくらいの気持ちで育成に当たっていくとその学生さんは育っていくのではないでしょうかまずは学生会の行事を活用しよう同じくらいの年代の学生さんが何人かいてそこでいつもわいわいとやっていけるような環境であれば教会でも学生を育成できるでしょうが実際はやはり難しいでしょう大教会に集めてやろうとしても大人と生活範囲の違う高校生ではなかなかそうもいかないやはりその地域教区やおぢばで行事があるときにとりあえず参加させるだけでも大きい効果はあると思います天理教学生会の行事によく参加する子達に何がそんなに楽しいのかと尋ねると天理教をしている仲間がいるという答えがよく返ってきます同じことに悩み戸惑っている仲間がそばにいるという安心感でしょう学校では信仰に対する思いを友達には話せないし話しても分かってもらえない普段は信仰について話しができる仲間がいないけれども学生会にはそういう仲間がいるからそこへ行く安心して自分のことを出せる悩みを聞けるということです学生会の行事を通して大きな御守護をいただき信仰をつかんでいったとか道から離れようとしていた子が学生会の行事を通して立派なよふぼくへと育っていったというような話しは珍しくありませんそういう育ちの場が学生の集まりにはありますので是非お声をかけていただきたいと思います来る来ないではなくまず教会として学生に声をかけていただく第一歩としておぢばや教区の行事を使っていただけたらと思います声をかけてからその芽が吹いてくるのは十年先かも二十年先かも分かりません学生層の育成というとどうしても高校大学の内にどうにかしようと思ってしまいがちですがそうではなくて長い目で人を育てて行くそのための第一歩をこれから始めるんだというお気持ちで月に一度は学生さんを見付けて声をおかけいただきたいと思います月日全教一斉ひのきしんデー輝美濃分教会長谷内伸自やればできる二日前の予報では高い降水確率でしたが前日にはゼロと変わり当日十二日は清しい好天に恵まれ心地よいひのきしん日和となりました頂上に岐阜城がそびえる金華山の麓岐阜公園が会場でした三ヶ所に設けられた受付には次と参加カードを出して記念の軍手とティッシュをもらいホウキを手にゴミを集める人しゃがみこんで楽しく語らいながら草を引く人若い人の中には川の中に入って空き缶を拾っている思いくに作業が進められましたたまたま知事さんが犬の散歩をされていましたので声を掛けしばらく立ち話をさせてもらい毎年この時期にひのきしんをさせて頂いていることなどを話しました処大変喜ばれ感謝して頂きました一緒に写真にも収まって下さいましたので嬉しい限りでした記念品を差し上げ参加カードにも記入していただきました新聞社の取材も受け翌朝刊に載っておりにをいがけの一助になった事と思いますこの日の目標千三百人を掲げておりました処一二六六人が参加して下さり感激でした全教会へ巡回をさせて頂き管内ようぼくを対象にした機関誌を通し更には全ようぼく家庭へ案内ハガキを出すなどあらゆる手だてをしたことが功を奏したのではないかと思っております私共の教会でも当日朝にもを掛けたりして呼びかけを行いました二月に生まれた赤ちゃんを抱いて参加してくれた若いお母さん普段は何処へも行かない八十八才の私の母も楽しく参加してくれました表統領先生のメッセージの中でひたむきにひのきしんに励む喜びの姿はいずれ多くの人の喜びとなり陽気ぐらし世界実現のご守護を頂くもとになると信じますと仰有っていますいつでも何処でもひのきしんをさせて頂ける自分でありたいと思います翌週十九日には組で会場を設けており共に参加させて頂きましたひのきしんの途中から小雨になりましたが誰ひとり止める者がなく黙と除草に励んでいました四会場合わせ六百を超える参加者があり前回を合わせ千九百余の多くの人に参加して頂きました心定め二千名には届きませんでしたが一昨年が八百人昨年は七百人だったことを思えば倍以上になり努力の甲斐がありました次と親から流して頂く御声を素直に受けとめお応えさせて頂く努力を今後もさせて頂きたく思っております月日日青年会笠岡分会自転車団参佐藤真孝去る五月二十四日夜自転車団参に参加すべく十数名の青年会員が大教会の青年会室に集いましたそもそもこの自転車団参を企画した目的は新委員会発足にあたり委員の心を一つに揃える為のものでしたが新委員会に賛同して下さる会員さんの方も加わり更に勢いづきました翌朝四時一同が道中の無事を祈念してのお願いづとめの為神殿に集まろうとしたとき委員の平盛さんが栄養ドリンクをかかえて激励に来て下さいました彼は残念ながら今回の団参には都合がつきませんでしたがこのような心寄せで我の士気は大いに高まり夜明けを待たずして一路おぢばへと旅立ちました一行は備前付近までは大したアクシデントも無く順調にペダルを踏み続けていたのですが船坂の峠にさしかかった頃より次第に遅れをとる者が出てきましたそして姫島まで来たときついに二三名の者が体力の限界を訴えましたそこで森本孝志副委員長が主だった委員を呼び寄せこの度の自転車団参の意義を問い直し傷ついた方への配慮という点において心を一つにさせて頂こうと呼びかけましたそうしてある者はおさづけを取り次ぎ又ある者は励ましの言葉をかけ傷む箇所を懸命にさすってあげたりとお互いの出来る限りを尽くしましたその甲斐あってか体力の限界をとうに越えているはずの方が驚異的な頑張りを見せ二十六日祭典中ついに全員でおぢばに到着することができました南門前で神殿に向かって一礼すると誰からともなく互いに握手を交わし感涙にむせんでいましたその後南礼拝場にてお礼のおつとめを済ませ私たちは今回の自転車団参のもう一つの目的を果たす為に青年会本部へと向かいました実はこの度の新委員会の方針として布教と求道を推進する上から是非とも全分会布教推進週間の初日に総会を開催すべく委員会例会にて話をまとめていましたしかし青年会本部の委員さんにその旨を打診したところ総会願書の提出を控えるようにとの提言がありましたそして再度例会にて練り合いやはり却下されることを覚悟で布教推進週間の初日開催の願書を提出しようといういきさつがありました一行は青年会本部に到着すると本部委員長さんにお会いし総会開催についての主旨を申し上げ願書をお渡ししましたそれから三日後どうでもこうでもという笠岡分会の皆さんの思いを受け取りました総会開催という方向で話を進めて下さいとの連絡を青年会本部より頂きました私たちの新委員会は今ようやくスタートラインに立ちました月日日全委員部長講習会婦人会五月二十二日二十三日の二日間にわたって開催しました初日には大教会長様より道の台としての婦人の在り方や日の心遣いなどについて懇ろにお話をいただきました続いて笠岡市教育相談室の髙田芳信氏が現代の親と子の関係といったテーマに基づき不登校児童や児童虐待といった昨今の問題の根底にあるものを例をあげて説明しながら話しました子供を不幸せにする一番手近な方法は欲しがるものを何でも与えること又親が子に手をかけすぎることが結果として子供のやる気をなくすことになる等子育てに悩む親へのお救けに役立つ話でしたその後年代別に分かれてのねり合いをしました夜は門脇加津島根中村満子久松虫明好美陽備の感話をききました翌日大教会奥様のお話に先立って上原順子陶山が世界がもし人の村だったらという本を紹介年二回のバザーに関連しての衣料救援活動は国際救援活動の一つとして私達にできるささやかな世界救けであることを話しました大教会奥様は四月の第回婦人会総会における真柱様のお話をもとに前婦人会長様の御遺志に応えさせていただこうとの思いを熱く述べられましたこの後奥様のお話及び昨年度の活動について等の班別ねり合いを行ない後に全体に発表して閉講しました受講生にたずねたアンケートには二日間教会を留守にすることの大変さと合宿したことでお互いに親しくなり楽しかったという両方の気持ちが表わされていましたきっとこの貴重な二日間に学んだ数のことが今後各教会の道の台としての活動に生かされることと思った次第ですこころの詩くれないとき寒桜うす紅に季節つげる雛もささやく午後のひと時薫風を得て舞い泳ぐ鯉のぼり幼なの瞳が両手がおどる保津川の新緑を逢い行く嵯峨野眼下の舟人手を振り返す亡き人を偲びつゝゆく寒河江路のがっさん月山いまだ白き水無月みぎわふる里の蛍火湧きいず汀にて幻想のなか宇宙子となる東悠分教会田林美智子月日笠岡市文化連盟に加盟雅鶯会去る五月二十八日雅鶯会雅楽部楽長谷内伸自が笠岡市文化連盟に加盟しました笠岡市文化連盟は昭和三十七年文化活動団体が集まって結成され今年で四十年を迎えました常時活発に様な催しなどを行っており加盟団体数は七十を超えました雅鶯会はすでに百年以上の歴史を刻んで居りますが度この連盟に加盟の申込みをしながら仲受諾されずに今に至った訳ですが去る五月二十五日創立四十周年を祝う記念式典が行われたのを期に新規加盟団体として受け入れられました入会したのは市内在住の祭典奉仕者十名をはじめとする総員二十八名ですこれからは笠岡市文化課又文化連盟が主催する発表会などに堂と出演出来ることになり土地処の人との交流にをいがけなどに道が開けて来るものと考えられます往くくは市内の学校の音楽の授業などにもつながりを持ち或いは秋の名月観賞の夕べなど多くのグループ団体が出演する舞台への出演機会も出来て日頃の研さんの成果を示す中で大教会の存在を市民にアピールすることにもなるものと期待がふくらみます今後とも大教会につながる皆様の御声援御支援をお願い申し上げます今私のところでは大往生吉舎分教会長時宗一実今私のところではの原稿をと言われてさてさてさてピタリとペンが止ってあっという間に早や一ヶ月切間近そうだこの話しか無いとようやくペンを持ちいざスタート心に浮んだその話とは前会長である私の父より幾度となく聞かされた私の祖父吉舎分教会初代会長時宗才一郎の出直の時の様子であります昭和十三年冬二月の大変寒い日吉舎の駅へ人を見送りに出て帰って来るなり震えが止らなくなり高熱が出て二週間程で急性肺炎の為出直したそうです今晩が山ですと言われたその日当時二十歳だった父が手をにぎりお父さん今上下から皆んな来てくりょってじゃけぇ頑張りんさいよと言うと止まりかけていた脈が再び動き出すそんな状態をくり返えしながら最終電車でようやく上下分教会より会長様他九名の方が駆け付けてくださいましたその方一人一人に何さんかどうもありがとうあっ何さんもありがとうありがとうと声を掛け御礼を述べてその当時唯一人の信者さんだったおばあちゃんが会長さんさぞかししんどうござんしょうのぉと声を掛けるとはぁーまるで死ぬ時の様にしんどうござんすよと皆んなを笑わせてその当時流行していた歌を鼻歌まじりにあそれなのにくと口ずさんで父の手を握って一善後は頼んだぞと言って息を引き取ったそうです極貧の中四十過ぎの女房を残し二十歳の子供を頭に四人の子供を残して出直して行く時の気持はいかなものだったろうか如何ばかりだっただろうかと思った時その出直さまの様の何と見事なそれは正に大往生と言えるものだったそうであります神様にお引き寄せ戴いてそして精一杯に通り切り神様の御教えを信じ出直を信じ切っていないと出来ない出直の様だなぁーとそんな父親を誇りに思い自分の息子私に話して聞かせる父そんな父を通して祖父の事を誰よりも尊敬し誇りに思わせて貰っている私です父前会長もお父さんの様な見事な出直をさせて貰いたいものよのぉと話しますがその話を私も又今年高校三年生になる息子に話して聞かせています息子もすごいなぁーと感じる所がある様です我が教会自慢はこうして初代様の話を心底尊敬して語り継いでゆける事だと思っていますさてさて今歩む私共の生き様がこの出さま直の様に恥じない様一生懸命歩まなければと改めて思い返しながらペンを置かせて頂きます福山分教会で会長就任奉告祭執行笠岡支教会が設立のお許しを頂いた翌明治年月日玉島福山髙屋神邉の四教会が揃って名称設立のお許しを頂いた大教会では昨年創立周年記念祭をつとめ了えたが本年創立周年を迎える四教会はそれぞれに記念の月次祭や記念祭を執行するその口火を切って去る月日福山分教会が六代会長就任奉告祭並びに創立百十周年記念の祭を続いて月日神邉分教会が記念の月次祭を無事つとめ了えた髙屋分教会は月日に記念の月次祭を大教会に陞級した玉島は月日に記念祭をそれぞれ予定しているここに福山分教会の記念の祭の様子を報告していただいた月日大教会長様奥様前奥様武内岡本両ご随行の先生の御臨席を頂き余名の参拝者と共ににぎやかにつとめさせて頂きました当日は前日の夏を思わせるような快晴に反してのどしゃ降りで色先案じをしましたがおつとめが始まる前には上がり当初予定していた通りに進みました奉告祭をつとめるに当たりおつとめの完修と万軒にをいがけ陽気ぐらし講座開催を記念祭の年としての活動方針と定めましたそしてまずはおつとめ奉仕者からおつとめを勉強し直そうということで大教会長様を講師にお迎えしておつとめについて鳴り物について又祭儀についてお教え頂きました現在も毎月月次祭前日をおつとめ練習日と定めて陽気なおつとめがつとめられるようそして今後は部内教会へ赴いておつとめが完修出来婦人会による踊りるようつとめる予定にしております奉告祭に参拝して下さる方に如何に喜んで頂けるかを練り合った結果昔の写真の展示と余興の最後に福引きを計画しました写真については旧神殿当時のものが見あたらず又古い時代は写真が小さく展示するには見にくいという問題などが起きましたがパソコン処理でネガサイズの写真でも大きく引き伸ばす事ができたおかげで年輩の方には当時を懐かしむ声が聞かれ大変好評でした余興では鼓笛隊の演奏に始まり台湾の方の歌ダンスや手品等があり最後に福引きをしました商品は各教会より持ち寄って頂いた物でタンスや自転車テレビデオや扇風機等様な商品に歓声が上がり賑やかな当日であったように思われます奉告祭を通してどんどん教会に寄って頂き新会長様と共に成人の道を歩んでいきたいと思っております花束贈呈期間受講対象受講御供持参品プログラムお問合せ主催英語講習会って知っていますかかれこれ今回で回目を迎えます英語が好きな人もまたそうでない人も楽しく英語を学びましょう外国からゲストもやって来ますパソコンも使いますお楽しみ行事も終わる頃には英語で夢を見る人も募集要項月日月午前時受付日水午後時頃解散中学年生以上高校生大学生一般円英和和英辞典筆記具着替え洗面具パソコンを使った英語の学習英会話おつとめレクチャーひのきしん詳細はスタッフの香取雅人吉岡誠一郎連絡下されば大門駅まで送迎します天理教海外伝道部岡山県立教年こどもおぢばがえりテーマ期間おやさとによろこびいっぱいひのきしん月日金月日日列車団体直轄福山久松月日日髙屋月日月日詰所模擬店月日日月日いずれも午後時時半食べ物たこ焼きかき氷フライドポテトゲーム輪投げスーパーボールすくい回円青年会婦人会少年会各ブロックひのきしんの皆さんのお力添えをお願いいたします五月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様の親心溢れる御守護とお導きを頂いて季節は確実に春から夏へと移り変わろうとしておりますし年頭から始まった教祖百二十年祭に向けての成人の歩みも昨年並みとは行かないまでも一歩一歩着実な歩みへと進みつつあります事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日身上や事情に戸惑いを感じながらもだんくとせかいぢううをしんぢつにたすけるもよふはかりするぞやとの成って来る理に込められた親心に浴し喜びを感じつつかしものかりもののお礼と共にご恩報じを念じて日夜たすけ一条の上に届かぬながらも精一杯つとめさせて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの教会にお許し下された五月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には五月晴れの陽気に心躍らせつつ今日の日を楽しみに寄り集い共にお歌を唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる皆の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます又道の後継者育成を推し進める為今月は直轄巡教をさせて頂きましたがより活発な動きになる事を願って本日は本部より講師をお招きし学生層育成者講習会を開催させて頂きますお聞かせ頂いた事をしっかりと心に治め実動へと繋げていく所存でございます加えて明日明後日は婦人会全委員部長講習会を開催し練り合い等を通じて道の台としての後継者育成を目指す所存でございます更には又一名一人に心の自由を許されていながら世上の常識やお金身上事情等に囚われ視野が狭まり心の自由を失って助け合えなくなっている現状を見るにつけ少しでも心の自由を取り戻し助け合う心になって貰うべく私共一人一人が世界救けの用木との自覚を一層高めたすけ一条に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には旬の親の声に素直に添いきる皆の誠真実を受け取り下さいましてたすけ一条の上に尚もの自由の御守護を賜り未だ道知らぬ人をお引き寄せ下さいましてお望み下さる陽気づくめの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますチョちょ一寸の話しつい最近わが町町の目抜き通りの一角でちょっとした珍事が起きたある民家の母屋へサッシの窓を突き破って野生ジカが乱入して来たのです母屋の中を駆けまわり又又サッシを突き破り出て行ったそうです家の中はグチャグチャ何の断わりもなく謝罪もなくまぁシカたないかと言ったとか言わなかったとかそれと時を同じくして近くの国道に熊が出没し車と衝突してそのまま逃げたとのニュースが流れた車はかなり修理代がかかった事だろう持ち主はクマッタクマッタと言ったとか言わなかったとかだんだんと野生の動物達の住処が狭まりこんな珍事が起るのであろう地球全体に目を広げれば加速度的に進む環境破壊野生の動植物にとってもひいては人類にとっても由しき事態になりつゝあるのでは我が身にしてもここ数年前より突然悩まされ始めた花粉症アレルギー症状等考えさせられる最近ですそれにしてもやはり地球的規模で何かがおかしいオカシイ前号引用
かさおか

『かさおか』第41巻 第5号

教祖年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しよう春の学生おぢばがえり学生会新入生歓迎会談話室道につながる学生達の祭典春の学生おぢばがえりが三月二十八日おぢばで友とおぢばへあふれる喜びを胸にをテーマに開催されました中庭で行われた式典には約四千七百人の学生が参加し真柱様は御教えを守り日を通ることの大切さについて分かり易く諭されましたその後詰所で行われた直属アワーで大教会長様はかしものかりものについて死ぬという言葉をてがかりに分かりやすくお話し下されました参加した学生は九人例年より少なくちょっと寂しい感じがしましたまた四月二十八おぢばの学校で学ぶ学生を対象に新入生歓迎会が詰所で行われました現在笠岡につながる学生は天理高校部に四人内新入生二人天理高校部に五人親里高校に七人内新入生二人附属高校に二人天理大学に七人内新入生一人天理看護学院に一人の計二十六人います学担が把握しているだけで当日はクラブ活動や寮の行事等で参加者は四人でしたが大教会長様からもお話しをしていただき昼食の後は参加者の希望でボーリングをして親睦を深めました最近思う事美之郷分教会長桑田則昭春麗らかな四月七十三年前のこの月九日に美之郷は宣教所としてのお許しを頂きました教会倍加運動の最中に設立されたとは言え先人達の通られたそのご苦労の程は並大抵なものではなかったと思うのです格調高く書き始めましたが後が続きそうにありませんのでマイペースで文書を書いて見たいと思います昨年十月会長のお許しを頂きまして半年ほど過ぎました大教会の百十周年奉告祭陽気ぐらし講座はたまた支部行事教会の行事となかなか忙しいのに驚いています会社勤めをしていた時とは違いほんとに限られた予算の中で動かなくてはならないので大変です不足に思う事もたびたびあるのですがしかし最近少し心境が変わってきましたどういう風に変わったのかいいますと唐突ですが地球温暖化防止と言う環境問題に貢献できているのではという意識なのです電気関係の技術者を長年しておりましたが日頃みなさん方に電気を効率よく使う方法などご提案していたにもかかわらず自宅教会では節電のせの字も考えた事がなかったように思うのです会長に就任しまして少しでも教会の出費を押さえたい思い持ち前の技術電気器具の元スイッチを切るだけですがをいかして節電に取り組んだ結果前年同月比での電気使用量の削減を達成しましたどうですかみなさんやればできるできるんです電気使用量を少なくする事は節約と言う事もありますがと同時に発電ベース考えた時地球温暖化の主要な原因とされる炭酸ガスの発生量を減らすという効果もあるのです話がだんだん大きくなってきまして収拾がつきませんが真柱様も諭達のなかで自然環境について危惧されている下りがあるのはみなさんご存じだと思います私はこの部分についてこだわりを持ち続ける教会長であろうと考えています最初は単に出費を押さえようとの思いでしたが環境について考える意識ができそれが教祖百二十年祭活動の中で何だかの形でリンクできるような事になれば楽しいのではないでしょうか新しい年祭活動の姿が生まれるかも知れませんこの世では呉照分教会長岡﨑輝彦私が会長になって早一年四ヵ月世界では世界貿易センターへのテロそしてアフガニスタン侵攻又中東情勢世界難民問題世界ではいろんなところで内戦が起きていますそれによる被害は何百万人ともいわれますます増えるそうですお道では世界一れつみな兄弟と教わっていますしかしこの実情はどうでしょう我が国日本も二世紀中間まではそうでした平和になって数十年平和ボケと言う人もいますイスラエルに関しては紀元前にユダヤ対イスラムの戦いにユダヤが敗れ今の地を追われ世界に逃げて行ったそうです第二次世界大戦後アメリカの支援を受けて今のイスラエルに侵攻し今に至っています人種宗教国の違いによってさまざまな戦争が終わる事なく続いています核実験が行なわれるたびに広島の平和公園では核実験反対の座りこみ行動を続けています今では世界の平和の象徴広島にまでになりましたああだこうだと思わず一人一人に助かってもらいたいと思う気持が中国ではないですけれど百年二百年後に花開くよう皆様一緒にガンバッテ行こうでは有りませんか我が教会自慢霞か雲か呰部分教会長河原節喜やまと本居宣長の有名な歌に敷島の倭ごころを人とはば朝日ににほふ山ざくら花があり又しんちゅう嶋屋都志郎の句に心中にいつも山あり山桜というのがある山桜は遠く古事記日本書紀万葉集に登場する当時の日本人はサクラよりウメを愛したが平安時代になりウメとサクラが逆転するまそれはさておき我が教会の敷地内にも山桜が三本ある内二本はまだ小さく花もつけないが後の一本は目通り九センチ樹齢約二年樹高約八メートル毎年それは見事な花を咲かせてくれる山桜は病気や虫に強いまるで野良犬の如し今から二数年前山路でフト目についた小さな山桜の木を引き抜いて持ち帰り植えた木であるいつの間にか堂たる木に成長したそしてこの花は見ていて飽きがこない他のサクラは一見きれいに見えてもどうも飽きがくるさてサクラの種類は一体何種類あるのだろうかと樹木たちの歳時記を開いてみた一野生の桜一種類一それらの自然交配二種一野生種を親としたサトザクラ三種ざっとでもこれだけあるその中我が教会には大小合せて四十七本の桜がある何でこんなに多いのかとふり返ってみると二数年前ヒガンザクラとソメイヨシノの苗木を三本植えたが五年程で脇根から脇芽がどんどん出てきた樹勢があるだけに一年で五センチから一メートルにもなるその若木を切りすてるには忍びないので一本又一本と移植していたらいつの間にか桜屋敷になっていた次第であるその種類は主にヒガンザクラとソメイヨシノであるソメイヨシノの一番大きいのは目通り一一メートル樹齢約二年樹高約七メートルこれも毎年見事に咲いてくれるその他珍しい種類も何本かある例えばカンヒザクラ四季桜ウコンザクラ極めつけはヒマラヤザクラであるその名の通りヒマラヤ原産で咲く時期がふるっている一月の厳寒期に花をつける零下五度までは大丈夫だというこのサクラの苗木は因島市の重井農園で栽培されているが値段の高いのが玉にキズそれはさておき我が教会のサクラというサク原稿募集我が教会の自慢祭典日直会の御馳走建物自慢庭の銘木エッセイ談話室信仰的な内容俳句和歌川柳傾向は問いません教会行事開催後の報告記事等大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿くださいラはワッと咲き春じゃ文句あるかというすると近所の呑兵衛が待ってましたとばかり花見をしょうや一杯呑もうやとやってくるホイホイとそれに乗る花もめでたいが人間もメデタイその他には八重桜楊貴妃などがあるまそんな具合で春に限らず四季を通じて花を楽しめるように木の花草花などいろんな種類を植えているだからどの時期でも何かの花が必らず咲いているサクラを始め花という花の咲き方が今年は不自然だおかしいオカシイ少年会縦の伝道講習会平成年月日金本部講師少年会本部委員次代を担う少年会員の丹精こどもおぢばがえりについて祭典講話としてお話し下さいます教会長夫妻布教所長夫妻隊育成委員長よふぼく四月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしを楽しみに泥海中より道具を引き寄せ守護を教え八千八度の生まれ更りを経て人間へとお育て下さったばかりでなく海山も天地も世界も整え智慧の仕込み文字の仕込みもして下さって陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く又その為のご苦労を思います時只勿体ない極みでございますしかるに人は親の心や苦労を忘れ御恩報じをするどころか我が身思案に溺れ宗教を隠れみのにして殺戮を繰り返す等陰気ぐらしをする状を哀れと思召されるや天保九年教祖をやしろにこの世の表にお現れになり教祖御自らお通り下されたひながたを通して親心とご苦労をお示し頂いて陽気ぐらしへと向うこれの御恩報じの道をおつけ下さいました以来私共は代とその思いを引き継ぎつとめとさづけを通してたすけ一条に邁進させて頂いておりますその中にもこの月は御身お隠しに成られつつもたすけ一条の先頭に立ちお働き下されている教おうまれ祖が御誕生になられた目出度い月でございますので慶び心も一汐に只今からおつとめ奉仕者一同明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて四月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には年度初めの慌ただしさの中にも春の慶びを心に感じつつ今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌に唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます又来る五月十二日は全教一斉ひのきしんデーでございます提唱七十周年という事で参加者の増員が呼びかけられておりますが私共は単なる増員に止まらずひのきしんの言葉に込められた親心にまで思いを致し文字通り日の心の寄進になるよう成人の節目とさせて頂く所存でございます更には又本部では道の後継者育成をより推し進めるべく教化育成部を新しく設けて下さいましたが創立百十周年同様まさしく当大教会の今の動きに対しての後押しを親がして下さっていると大変喜ばせて頂いております教祖百二十年祭に向けますくにをいがけ道の後継者育成の上に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には親孝心一筋に我が身を捨てたすけ一条につとめる皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして一人一人の真実が世の人の心に写り助け合いの輪が広まってお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますよう御守護お導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます日時ところ講師内容対象日時場所テーマ講師内容対象受講お供持ち物立教年道の後継者練成会布教部月日日午前時分受付時始まり時終了どんなときでも幸せの席に座る考え方をしよう平野鐵之助先生東本部属道竹分教会前会長教誨師大教会長様挨拶ウォーミングアップお話し平野先生アイスブレークねりあい質疑応答才才迄の道の後継者男女円受付で筆記具ハッピご参加下さった方は必ずよろこびが出ますスタッフ一同心を込めてつとめさせて頂きます大教会だより辞令付登用幹部承事佐藤道孝吉岡壽承事岡﨑和夫準承事今川昌彦中村義太郎職制人事青年会笠岡分会委員長佐藤真孝訃報平井年姉大教会おつとめ奉仕者弥髙山分教会五代会長五月十六日出直されました享年九十四才チョちょ一寸の話し最近有った二つの出来事それは我教会の傍で作業していた折隣へ来た郵便配達員と一瞬目が合ったが相方面識がないので知らんふりをしていた他所を配達して再度来た時私の一輪車が道を塞いでいたので私はすいませんと言って一輪車をかわすとさっと通り過ぎた暫くしてガチャーン郵便物が重くてバイクが起き上がらないので手を貸して欲しいと走って来た私もすぐ駆けつけ手伝うと先方は急に親しくなって丁重にお礼を言うた今度は反対に私が新聞配達中通れないのでバイクを止めたそこには奥さんが道の中央に車を止めてゴミステーション扉の閂をしようとしている所だったどちらか寄せて止めれば通れるのに早ようせんかとクラクションの一つも鳴らそうかと思ったが止めた暫くして奥さんは軽く会釈して車を発進させた早朝でまだ薄暗く閂が入りにくかったんだろうなぁ近づいてバイクのライトで手元を照らして上げれば良かったのにと思ったそしてその車は三軒先の私の配達する家へと入って行ったおークワバラクワバラ自分の身の廻りに起こる出来事はすべて縁あってのこと挨拶や思いやりの心が使えたらお互い気持良く生活出来る何も新しい所を求めて教えを説いて歩くだけがにをいがけではない今の自分の置かれている縁を大切にしたい
かさおか

『かさおか』第41巻 第4号

教祖年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しよう立教年教会長講習会開催される年一度の教会長講習会今年は大物講師二人をお迎えして一泊二日でつとめさせて頂きました大教会長様のご挨拶は教祖一二年祭をお迎えする心の基礎づくりをして過去三年間創立一一周年で勉強した事を忘れずに良かったおさづけの取り次ぎ百万軒陽気ぐらし講座等を続けていってほしいと申されこの講習会が有意義に進めるようお願いし挨拶といたしますとのべられました講習の目的主旨教会内容の更なる充実を目指し教会長はなるほどの人を目標に世界たすけの使命感を高めることを目標とするそして大教会本年の方針教祖一二年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しようこの指針にしたがい一つは布教にをいがけ二つは道の後継者の育成について講習会を進める事となりましたところでプランニングを布教部で練り次の様に決まりましたそれはねりあいです丁度ご本部布教部より推進されています六人制のねりあいです一つの班が六人で構成されその中に司会進行係がいます大勢ですと話したい事もなかなか話せませんが少人数で膝を付き合せて語る事が出来ますので個が満足出来る仕組ですねりあいには毎回シートを配り自己紹介シートに始まり一シート二人の講話はどうでしたか二シート教会のことで私が今気に掛けていることは大教会創立一一周年後今のあなたは三シート大教会では道の後継者の育成が重点目標になっていますあなたはどのように育てていますか四シート教祖一二年祭を迎えさせていただく今年は基礎づくりの年あなたの素敵な考えを聞かせて下さい等正味五時間のねりあいでしたが大変好評を得る事が出来ました一人一人が満足に話が出来た事又人の話が身近で良く理解出来たことです以後も六人制ねりあいは続けてほしいです扨て大物の二人の先生のお話しです一人は本部講師の筒井敬一先生ですテーマ布教お話しで東中央大教会初代柏木庫治先生の話をなされました一布教師が一代で大教会長本部員本部布教部長になられた事大正十二年に道一筋の心を定めて以来広くかつ深く人だすけねいのために働かせて頂くことをその信条として寧じつ日暇なき布教活動を展開された人です先生は単独布教こそ道の生命とまで云われ健康長寿をまっとうしてこそなるほどの人と云われるのではなかろうかと申されました次に本部員冨松幹禎先生はどう育てる道の後継者をテーマにお話し下さいました一おつとめに真心を込める二おたすけに励む三親孝行日のつとめにかんろだいの理を戴き親の理を戴くと初めに申されその中で親孝心こそが教会長の大事なつとめでありこれがわからないと何も成ってこないとまで申され本当に悲しみや苦しみがわかる相手の苦しみのわかる教会長であってほしいたすけ心が必要なのですまたおつくしをしっかりせんと後継者は育てられないつくす事の大切さを大きな声でのべられました健康な人は案外日身に頂いているご守護がわからないおつくしはうそいつわりのない真実なのだまた教祖の後継者のお話はこかん様だ二才の頃より話を楽しませ勇ませ世の中には水を飲めばの話菜の葉一枚の話と順に明るく教え導かれました私達教会長も今からでも遅くない教祖の子育て特にこかん様を勉強させて頂きたいものです夢を教え笑いを持って勇む教会長になろうと結ばれました最後にアンケートより一講話の先生のお話は如何でしたか大物の先生をお呼びして頂き心の眠がさめました又天の恵みの如く有難く拝聴いたしましたと二日程は良い人が大半ですが春の行事があるので他の月を選んでほしいと三六人制ねりあいはどうでしたか良い思う存分にねりあいが出来た又司会者のリードが良かったと四何かひとこと音響マイク悪かった欠席者は代理を出すべきだ決断実行あるのみご参加下さった会長様方大多数がご満足いただいた様でした旬は有難いと思いますこの講習を無駄にしないようお互い努力する事が主催者大教会長様にお応えする道と存じます有りがとうございました布教部吉岡壽笠岡むつみ鼓笛隊春の合宿開催される大教会では三月三十日から四月二日まで恒例の笠岡むつみ鼓笛隊春の合宿が開催されましたこれは夏のこどもおぢばがえりに向けて毎年笠岡に繋がる鼓笛隊が大教会に一堂に集まり合宿練習をするというものです例年になく早咲きの桜が満開に咲きみだれる陽気の中鼓笛合宿はスタートしました今年は大教会の少年会委員も育成係として加わるなど大教会あげての盛り上がりとなりました参加者は隊員が本隊三十五名福山隊二十九名髙屋隊二十名島根隊十二名係員が三十九名の総勢百三十五名でした内容は昼間はパート別の練習合奏行進練習と充実した練習が続き夜は巨大スクリーンのビデオ鑑賞女子係員による人形劇少年会委員によるゲーム大会また最終日に控えたおつとめまなび総会のためのおつとめ練習もあり子供達に喜んでもらおうと係員が一生懸命頭をひねらせた楽しい行事が行われました鼓笛合宿のもう一つの楽しみは大勢の友達と食べるおいしい食事です今年は連日ほっぺたの落ちる様なごちそうが続き参加者一同練習の疲れを忘れておいしく頂きました期間中は鼓笛係員はもとより大教会に大勢のひのきしんの方が来て下さり合宿を見守って下さいました本当に有難うございましたこの誌面を借りて御礼申し上げます今からでも鼓笛をやってみたいと思う子供が近くに居りましたらどうか各隊の方に御連絡下さい各隊では月に一度は練習日を設けておりますので皆様方の一人でも多い連絡を首を長くしてお待ちしております引き続き少年会おつとめまなび総会開催少年会笠岡団では四月二日に本年度のおつとめまなび総会を開催しました当日は朝からからっと晴れわたり受付が始まる九時前から会長さんや親子での参加者などが続と集まってきましたそして参拝場廊下にといっぱいになった九時半丁度に雅楽の澄んだ音色が鳴り始めおもむろに祭儀式が始められました今年もおつとめ衣に身を正した少年会員は大人顔負けの堂たる祭式をつとめ祭文では元気で生きている喜びを神様と親に感謝をすることをまた今年のこどもおぢばがえりには仲良く助け合ってたくさんの友達をさそって参加することを親神様教祖に奏上しましたつづいて直轄教会による坐り勤めまた各ブロックによるよろづよ八首十二下りのておどりまなびが少年会員らしくはつらつとのびのびとつとめられましたおつとめの後の式典では少年会長様からの御告辞を頂きましたまた育成会長様からは教えの根本を分かりやすくときには微笑みながらこども達にとって身近な質問をはさみながらのお話しをして下さいましたまたこの春中学校を卒業する少年会員に若木の門出として記念品が贈られましたその後昼食のおいしいカレーライスをいただき午後からのアトラクションは少年会員が各チームにわかれ大なわとび靴とばし空き缶剣玉ペットボトルの起き上がり米袋送りクイズ伝言ゲームスーパーボールすくいなどもりだくさんのミニ運動会を楽しんで午後三時には閉会しおやつのアイスクリームを食べて解散しました参加者は少年会員育成会員合わせて五百名余りの大勢でした各教会各隊また婦人会をはじめ関係各会各部の皆さまがたのお力添え誠にありがとうございました青年会自転車団参視察隊隊長森本正典この度青年会笠岡分会委員長が田中隆之氏から佐藤真孝氏に交替しましたそれに際し何か委員全員がまとまることができるような行事がしたいという思いから五月二十五日二十六日で自転車団参をしようという事になりましたそれに先駆けて委員以外もぜひ何かさせて頂こうと思い視察隊隊長以下九名が結成されました四月六日に大教会を出発岡山を過ぎた頃から大雨に見舞われ転倒者が続出する中大した事故もなく三十時間を仮眠無しでついにぢばに到着する事ができました今回皆が手にする事ができたのは本物の友と初代様の思いに似た何かだったような気がしましたこの命をも落としかねない先行行事に参加頂いた方には素晴らしい勇気を見せて頂いた様に思います今の笠岡は昔よりも静かになったような気がしていたのでこれを機に何かが動き始めてくれればと願いこれからも頑張っていこうと思いました青年会の佐藤委員長には寛大な計らいを頂き又大教会の方に大変御協力を頂きました事心より感謝申し上げます本当にありがとうございました隊員手記先人の足跡を自転車で海松ヶ岡分教会森本実今度四月六日七日に自転車でおぢばがえりをするからよろしくなとの言葉にうん分かった気をつけてなと他人事のように軽く返事をしたそんな事を忘れ三月末からの行事続きで四月三日にはぐったりとしていた私四月五日には準備くで大慌てそんな中兄からこの自転車はお前が乗るから空気多めに入れとかんとなと言われちょっとまってぇ僕も行くのかそれは無理やでと言い返すが見事に聞き流しそれに続いて兄はお前は先人達の苦労を少しでも味わわせてもらったほうがええと言われ準備していた看板の文字書きの手がだんだん動かなくなって来たそこに居た会長様に自信のない事を伝えると会長様からも考えすぎやもっと大事な事があると説得めいた事を言われ逃げ道はなくなった意を決ししかたなく参加する事にした四月六日朝五時起床六時四十五分大教会到着だんだん身も心もふるえて来た七時十五分大教会をいざ出発喜び心を忘れずにの兄の言葉にみな元気に勇んでペダルを踏み始めた隊長以下七名が大教会を出発した鴨方近くを四十五分程度で通過した時には少しわくわくしたが玉島で休憩した時初回メンバー三人はおしりの痛みに苦しみ始めた行けど進めどなかなか岡山市を脱出できず本当に大丈夫かなと思っていた時最年長の人の自転車の前タイヤが溝にはまって変形してしまい一時は走行不能とまで考える程の状態を何とか前に進めるという事で再出発だんだんに峠の多い岡山のはずれまで行くと一つの峠を越える度に足腰体全体と痛み辛みが増えてよろいモーテルに着いた時はもうふらふらそこで強敵の雨が降り始めるちょうどここに着く前に合流したトラック搬送隊二名はカッパのズボンを探しに走るがなかなか見当たらない自転車隊はその間も雨に打たれながらペダルをこぐ体は雨で冷え前も見にくい状態やっとの思いでカッパのズボンを見付けてくれた時には全員ずぶ濡れだったがはいてみるととても温もりを感じ元気付いた全員は一気に姫路まで走ったほとんど言葉数も減り疲れはピーク時計を見るとこのままのペースでは完全に明日の別席に間に合わないその時今回二回目の氏が僕は一回目の時も奈良付近で時間が間に合わず強制的に車に乗った今回こそはと臨んだのにととても悔しがるその姿にみな心を打たれ仮眠なしでもいいから頑張ろう雨も少し軽くなったからペースを上げて行けるところまで行こうという事になり力を入れてまたペダルを踏み始める須磨到着午前四時半雨は止んだ一気にペースが上がってるからこのまま行けば何とかなるぞ全員そんな気持で前に進む大阪に入った時にはもうすっかり朝となっていたみんな後半にペースが落ちると思っていたが休憩らしい休憩もなく気力だけで進めた甲斐あって何とか先が見えてきたしかし奈良に入る直前から気力もままならなくなり先頭から最後尾までの距離もかなり離れてきたがみんな後少し後少しと踏ん張り続け天理の看板を目にした隊員は心にゆとりが出始めた何と時計の針が午前十時をまわった所だったからだ時間に間に合わなかったらと心配して天理から森本忠善氏が救援車で駆け付けもうここまで来た十二時半には神殿に着くぞと励まされ感動というか感激で一杯だったそれは氏のみならずみな同じ気持ちだったそこでの休憩もそこそこにすぐに出発何と時間通り十二時二十分黒門を全員揃ってくぐり抜けることが出来た十二時半に神殿に着いた時何より嬉しかったのはやはり自分がここまで来られたという実感だったが次の瞬間氏の笑顔を見た時涙がこぼれそうになった一回目の失敗を二度も繰り返してなるものかと言わんばかりの姫路からのペースメーカー先頭に立ちぐんぐんスピードを上げて踏ん張った彼におめでとうよかったネという感じがした私は一回目にして無事みんなについて行けてよかったというだけだが彼は本当によく頑張った他のメンバー全員が頑張ったから彼も頑張れた一人の気持ち心は弱いものだがお互いが一致団結して励まし合うのは本当に心強いものだ心の中ではもっと簡単に考えていた今回のおぢば帰り今後生きていくためには本当に大きな自信になりそうだやる前に出来るか出来ないか考えるより先ず行動それでダメならそこで考えるそれぐらいの勢いを私達お道の者は忘れてはならないのだとやっと考えられる今日この頃本当に今回参加を許可してくれた会長様又誘ってくれた兄にそして道中を引っ張ってくれメンバーに又教会で無事を祈って十二下りして下さった皆様に感謝感謝本当にありがとうございました笠岡さくら祭りに雅鶯会が花を添える市政五十周年に沸く笠岡市では去る四月七日日笠岡運動公園において笠岡さくら祭り笠岡市笠岡商工会議所共催が行なわれたメイングラウンドにはフリーマーケットや露店など百店舗が出店それと向かい合う形で芸能特設舞台が設けられ多様な演目が披露された芸能プログラムにはダンス大正琴銭太鼓応神太鼓傘おどりなどがあったが中でも観衆の目と聴衆の耳を惹いたのは雅楽だった我らが雅鶯会の演奏であるこの催しは年に春秋二回行われているが雅鶯会は一昨年春出演を申し込み初めて出演して以来主催者の方から毎回出演を依頼されるようになった昨年秋は大教会記念祭の為欠席したので今回が四回目になる雅鶯会員十八名が楽服にて出場広い会場の市民に千二百年の歴史を持つ日本独特の雅な古典音楽の調べをお聞き頂いた欄干などで舞台を整えマイク六本で集音する中舞台前に集まって来られた興味津の聴衆に婦人の手で雅鶯会紹介明治二十年発足以来の会員数やヨーロッパ等への招待演奏など雅鶯会の演奏経歴を紹介したプリントが配られたメンバーは左記の通り九時半拠点教会に集まって更衣練習十時五十分出演好評を頂いて拠点に戻り会食懇談した雅鶯会桜祭りの様な雰囲気であった手早く処理して現像した記念写真をメンバーに配って解散した鞨鼓西平和史太鼓鉦鼓笙篳篥龍笛司会原公彦渡邉孝信掛谷宣和藤井正仁谷内幸司森本重吉北川治史北川和成森本孝志森本勉森本勇矢田哲一枝廣隆文山野弘実森本清伸森本慶二森本忠平談話室よふぼくの種大切に育てたい湯田原分教会長高木昭祥私が学生の頃先輩が続いてこそ道と言われたことが凄く心に残り親に喜んで頂くことが大切だと思いお道を通らせて頂く要員の一つになりましたその時から早くも三十年余りが過ぎ未だにその言葉が忘れられず脳裏に残っています今は自分の徳一杯の小さなでこぼこ道を曲がりなりに通らせて頂いて居りますがいつも次の代に信仰が続くことを願っておりますでも成人不足から信心の道を次の世代へうまく伝え切れませんそこで我子はもとより信者さんのこどもさんも大教会の鼓笛の練習を通して親神様のご恩が少しでも分かってくれたらいいなと思っております私が小さい時今は亡き藤井さんに大教会の鼓笛合宿に一度だけ連れて行って貰いました小さな伏せ込みの種であったと思われますそれから私が上級への伏せ込み時代上級の会長さんにお願いして友人と多くの係員の手助けを頂き鼓笛隊を結成し多くの少年会員が育ちましたその中にはお道につながってくれてる人も大勢いるので大変喜ばしいことだと今でも思っていますですから教会内容の充実の為にも鼓笛隊活動が必要だとの思いが一杯あることと道は小さい時からとお聞かせ頂くことから三年前保育園児の女の子をはじめ小学校低学年の子供四人を大教会の鼓笛合宿に参加させたけれど夜が深まるにつれホームシックになり途中止めして帰ってしまいましたその子供達に昨年鼓笛合宿に参加するように誘ったが二度と鼓笛練習に行かないと強く言ってたがこの度再度その子たちに楽しみと喜びを見つける様に言って誘ったら九名の子供が参加してくれることになり大変うれしく思っておりますそしてほんの数名の小さなよふぼくの種大切に育てたいなとも思っております今年から教祖百二十年祭に向かって大教会の歩みが道の後継者の育成に主眼を置かれますので少しでも旬の歩みに沿うように努めさせて頂きたいものです学生層育成者講習会日時平成年月日火正午月月次祭祭典講話として講師本部学生担当委員会委員松村登美和先生東京分教会長内容講話学生層育成の大切さ対象教会長夫妻布教所長夫妻よふぼく信者報告書提出の都合上受付にて参加人数をお知らせ下さい間近に迫るひのきしんデー曜日大教会長様は月日のひのきしんデーの重みを考え日が祭典の教会は祭典後に必ずさせて頂こうと発表されました次に今迄と変った事は人のよふぼくが複数の会場に参加する場合お手数ですが毎回参加カードを提出するようお願いいたします大教会は昨年の倍の動員をさあいよいよひのきしんデーが間近に迫ってきました今年のテーマである全よふぼくが家族ぐるみで参加する大教会につながる全よふぼくの大勢の参加を希望いたします月中何回参加してもかまいません布教部いいざざ青年年会会ひひののききししんん隊隊へへ第百母屋での団体生活及び修練活動を通して信条神一条の精神ひのきしんの態度一手一つの和を身につけあらきとうりょうの名に相応しい成人への歩みを進めようご身上の方でも大歓迎です育ては育つ育てにゃ育たんのお言葉通りお世話取りしてもらう方お世話取りさせて頂く方の双方が成人させて頂ける絶好の修練道場です皆様の入隊をおやさまがお待ち下されています期間月日土月日月月日金午後時に大教会よりマイクロバスが出発します携行品参拝往復に使用する履物作業ズボンのベルト作業用履物地下たび長靴等筆記用具保険証カッターシャツネクタイスラックス白靴下原稿募集我が教会の自慢祭典日直会の御馳走建物自慢庭の銘木エッセイ談話室信仰的な内容俳句和歌川柳傾向は問いません教会行事開催後の報告記事等大教会内編集掛宛ドシドシご寄稿ください三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます日増しに日の出が早まり寒さも和らぎ暖かさも増しウグイスの鳴き声も多く又大きくなって春ときの喜びを感じる季節となりましたそして学校に通う子供達には悲しい別れの旬であり又新しいとき環境への希望と不安の旬でもありますそういう喜怒哀楽を味わえるのも親神様から心の自由をお許し頂いているからでありますしお身体を貸し与えて下さっているお陰と今更ながらに親神様の親心と御守護の程に感じ入りお礼を申し上げる次第でございます私共は日朝夕のおつとめを通してお礼を申し上げつつ御恩報じを思い念じてたすけ一条の上に一生懸命勤め励ませて頂いておりますがその中にも今日の吉日は三月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一汐に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりを勤めさせて頂きます御前には今日の日を待ちわびて寄り集いました道の子供達が相共にお歌に唱和し同じ喜びと感謝を胸に伏し拝む真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて教祖百二十年祭に向けにをいがけと道の後継者育成を申し合わせて成人の歩みを進めさせて頂いておりますが今の旬はこれからの道を担う子供達がいろんな感情を味わう事によってまさしく大きく成長する旬でもあります道の後継者へと成人して貰う為にはこの旬に子供達と関わりを持つ事がいかに大切であるかとの思いから声は肥やでとのお言葉に添うべく今まで以上にしっかりと声掛けをさせて頂く所存でございます又人が助け合う事が希薄になり助け合う範囲が狭まってきた為に世上不安を招いている現状を見るにつけ少しでも助け合う事の大切さを知らしめ広める為にも損得ではなく只親神様の御心にとけ込む事の出来るにをいがけに邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には神一条に心を向け思召に添い切る皆の誠真実をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り人の心をたすけ一条へと立て替えて下さいましてお望み下さる陽気ぐらしの世の状へ一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます春季霊祭祭文チョちょ一寸の話しいるのに何で母ちゃんなんだ母ちゃんがそこれのの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二んなにいい代真柱様の御霊中山家ご先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さカチャギーバタんか父ちゃんだってと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会ンミッシミッシただいまー長上原郁雄大人の御霊大教会創設の頃より長の年月歴代会長と共に御苦労下さいました役員部内お帰りお前たちのために一生懸命頑張ったぞ一回ぐらい父ちゃんはどこ教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます何かある今日のクと言ってみろまあ御霊様方には親神様教祖のお見定めにより早くからこの道にお引き寄せ頂かれ思召のままにたラブしんどかったここ一番という時は父すけ一条の上に生きの限り勤め切られました今日の笠岡の結構な姿をお見せ下さっております中学二年生の三男の場合のもひとえに親神様教祖の御守護とお導きの賜である事は申すまでもありませんが又一つには御親の出番なんだからそれでいいっか息子二人がやって来霊様方が身上事情を通して我身我家のいんねんを悟ると共に無い命助けて頂いた御恩報じの思いガチャギバタたと世界一列を助けたいとの親心に触れ何でもどうでもと心定めの上に心定めを重ねたすけ一条のンギッシギッシ母ちゃん晩ごはん真実を伏せ込んで下さったお陰と朝夕おつとめを通して御礼申し上げておりますがその中にも今お帰り日の佳き日はこれの教会の春の御霊祭りを執り行う日柄でございますので只今は親神様の御前にムニャムニャ言葉何おいおいまた母ちゃんか感情神経細ておつとめ奉仕者一同心を揃えて一手一つにてをどりをつとめさせて頂きましたそしてゆかりあとは思えない言葉胞が溶けはじめたぞる人が御前に寄り集い旬の草の物を供え在りし日の面影を偲び御遺徳を称え改めて御礼申しあー腹へったもーこりゃいかんもう一上げる状をご覧下さいまして御霊様方にもお勇み下さいますようお願い申し上げますだりーなー高校二年生の次男のさて昨年は大教会創立百十周年記念祭を盛大につとめさせて頂く事が出来ました事は誠に有難場合杯いかんといけん無二の親友焼酎クンに手を伸した瞬間家く御霊様方の伏せ込みとお力添えの賜と改めて御礼を申し上げますと共に本年年頭に当たって真内の無言の視線を感じ柱様より教祖百二十年祭を執り行うとのご発表を頂きましたので年祭に向け私共はにをいがけ帰宅時の様子であた思わず手を引っこと道の後継者育成を申し合わせて尚一層の成人を目指し実動に邁進させて頂いている最中でる二人の行動には少の違いがあるがございますれば何卒御霊様方には子供の為にと難儀不自由の中をお通り下さった親心に応えるべこの後の言葉は同じめる私習慣とは恐いものだ主のいないコップの中で寂しくカく親に喜んで頂きたい一心で成人へと歩む皆の真実の心をお受け取り下さいましてよふぼく信者お母ちゃんはランと音をたてる氷の家族が皆揃って信仰の喜びを分かち合える姿を御守護頂けますようお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます夜一杯飲みながらふと思い出す父ちゃんが目の前にひょっとして俺の出番なんかもうないのかもしれないゾ
かさおか

『かさおか』第41巻 第3号

教祖年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しよう会長就任記念総会に寄せて来る四月十九日六代婦人会長就任記念第八十四回総会が開催されるにあたりへの原稿依頼を頂きましたのでこの場をお借りして会員の皆様方に一言申し上げたいと存じます思い返せば一年前婦人会創立九十周年の旬を頂き育つ努力育てる丹精一手一つの和を活動のスローガンに日活動方針の実践に心を尽くし道の台の使命を果たしていくことを申し合わせてつとめさせて頂いてまいりましたこれは従来のように言われるのを待つのではなく会員一人ひとりが日の努力により自分から行動を起こすことを求めて歩ませて頂いたのでございます九十周年総会も滞りなく了えさせて頂き笠岡支部では会長様御臨席の総会もつとめさせて頂いた翌月の御本部月次祭時に忘れもしませんかんろだいのふしをお見せ頂いたのでございますこの度のことは信仰の中心であるかんろだいに関わる大ふしでございました親の目から御覧になられて本当に何をしているのやどんな心を遣っているのやとお仕込み頂いたようで忘れることのできないことでございましたそれに引き続き会長様の御身上というふしを頂いたのでございました私達の望みは一日も早い会長様の御快復でございました昨年四月の総会にお元気な姿で御挨拶頂きました時の喜びは本当に大きなものでございましたその翌月五月二十七日の婦人会支部長主任会にお出まし下さいました時に例会後改めて全支部長主任をお集め下さり翌年の総会に向かって別席者の御守護を頂くこと勇みの渦を起こす働きをお促し頂いたのでございますが私達にとりましてはそれが会長様にお出まし頂いた最後の支部長会になったのでございました再び会長様御身上の知らせを聞かせて頂いたのが一ヶ月後七月の初め頃でございました支部長主任一同おぢばに集合させて頂き真剣に練り合い心定めをさせて頂きお示し頂いた目標に向かって躍進することを親神様の御前に誓い御快復を祈願させて頂いたのでございます以来朝夕国内外をとわず会員一人ひとりが心をこめて祈り続けてまいりましたその後会長様には不思議な御守護を頂かれ小康を保たれておられると伺い一同安堵の胸を撫で下ろしたこともございました更に一層会員としてのつとめに心を打ち込ませて頂きましたが遂にお出直しという厳しい現実に直面させて頂いたのでございます本当にこれは大きなづつないふしでございましたですがわたしたちはふしから芽を吹かせて頂かなければならないのでございますまさ会長様が会長御就任以来ずっと思いを込められたこと年限に相応しい成人年限に相応しい婦人会活動この思いを今熟考させて頂いているのでございます昨年総会での会長様のお言葉は忘れることができません日の暮しの中で神様にお喜び頂けることお受け取り頂くことを学び合い陽気ぐらしを生み出す台として実行することが婦人会活動でございますまさ会長様が本年総会に向けてお打ち出し下さいましたことは一万七千のどの委員部も皆残らず動いて頂きたいという思召であろうと思わせて頂くのでございます今までに心にかかっていながら実動できなかったことを何からでもこの旬に実動へと踏み切っていただきたいのでございます動かなければ何も分かりません動きも出てまいりませんしっかり動かせていただきましょう私達はこのお言葉をしっかり心に刻ませて頂いて新しく御就任下さいました会長様にしっかり肉を巻かせて頂ける活動を進めさせて頂きたいと願わせて頂いていますどうぞ皆様方一人ひとりから婦人会成人目標を自らの成人目標としてこれからも励まし合って台に相応しい成人の道を歩ませて頂きましょう就任記念総会というまたとない旬にめぐり合わせて頂きましたことをしっかり心して通らせて頂きたいと存じますづつないことはふしふしから芽を吹くやれふしやふし楽しみやと大きい心を持ちてくれ二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には月日にハせかいぢううはみなわが子かハいいつぱいこれが一ぢよと昼夜を分かたず御見守り下さりお育て下さるだけでなくだんくとせかいぢううをしんぢつにたすけるもよふばかりするぞやと常に成人へとお導き下さっております事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は成って来る理にたすけたいとの親心を感じ感謝の意を強くすると共に御恩報じを念じて日はつとめとさづけを通してたすけ一条の上に邁進させて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの名称の二月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同たすけ心も一汐に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には寒さ厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供たちが同じ思いに伏し拝み尚も変わらぬ御守護にお縋りする状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて世界情勢は霧が晴れるどころか暗雲が立ち込めている感がありますテロもそれに対する報復攻撃もどちらも正義を唱えつつ殺りくを繰り返していますし純粋なスポーツの祭典であるべきオリンピックも欲がからみ政治的な思惑もからんで純粋さを失っています実に残念な事でありますがしかし一方でボランティア等で人の為に汗を流す人が増えて来ているのも事実で心強い感があります親神様よりせかいぢうたがいにたすけするならば月日も心みなひきうけるとお聞かせ頂いております私共は陽気ぐらし建設の用木との自覚を尚一層強くしたすけ合いの理が世界に広まるようにをいがけと道の後継者育成を合言葉につとめとさづけを通してますますたすけ一条に邁進する覚悟でございます何卒親神様には皆の心定めの真実をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り人に真実の親を知らしめ一列兄弟の理に目覚めさせて互いに助け合い心澄み切ってお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早く立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます学生層育成者講習会日時講師内容対象平成年月日火正午月月次祭祭典講話として本部学生担当委員会委員未定講話学生層育成の大切さ協会長夫妻布教所長夫妻よふぼく信者お知らせ四月二十八日二十九日に開催を予定しておりました道の後継者練成会は都合により六月三十日開催に変更します報告書提出の都合上受付にて参加人数をお知らせ下さい笠岡支部別席団参いずれの便も大教会発着月日土日日別席日午前午後月日日日帰り別席日午後月日土日日別席日午前午後月日水日金教祖誕生祭参拝婦人会総会別席月日木日金月次祭参拝別席日午後円往復運賃のみ宿泊食費は別途午前九時三十分式典本部中庭南東西礼拝場前記念行事土持ちひのきしん式典後引き続き婦人会別席月間三月二十六日四月二十六日委員部長てをどりまなび十八日午後五時南門周辺一委員部一名以上の別席者をチョちょ一寸の話し今年は国際山岳の年である何のコッチャと思うでしょうが国連が二二年を国際山岳の年と宣言し国際的なキャンペーン活動を展開している具体的には地球温暖化や森林伐採などによる環境破壊の脅威にさらされている山岳地帯の生態を守り山地に住む人の貧困を解消し水資源の確保や希少生物の生息地として重要な山岳地帯の生態系保護の重要性や約八億人が慢性的な栄養不足に悩んでいるとされる発展途上国の山岳地帯の人の生活レベルの向上に向けた取り組みを推進するという長ったらしいものである水の惑星がいかに瀕死の状態にあるかが分るさて私達は親神様のふところずまいと聞かされているが頭では分かるが体では分からないというのが本音ではなかろうか例えばコップ一杯の水やひと粒の米のありがたさは分っているようで分っていないのではなかろうかこの地球上では食べ物がなくて一日約五万人の子供が死んでいくというこの現実を聞いても私達は心が痛むのを通り越して無感覚になっている溢れる物に囲まれ溢れる食べ物を前にして感覚が完全に麻痺してしまった道の教えを聞いている私達は今一度足元を見直しもったいないの心を取りもどさねばならないと思う二十一世紀は水の争奪から戦争になると警告されている一杯の水ひと粒の米を大切にし広く大つくきな目で親神様の創造られたこの地球を考えねばならないと私はいつも思う
かさおか

『かさおか』第41巻 第2号

教祖年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しよういう思いにまでは至っていませんでし年頭会議ごあいさつたので今年からの歩みについてはそれを主眼にして歩みたいと思いますが真柱様が年頭のごあいさつで教祖百二十年祭をつとめたいと仰いま明けましておめでとうございますしたので記念祭を終えての笠岡の次の節目は百二昨年は十一月二十九日に創立百十周年記念祭を十年祭になりましょうから今年一年だけというこ賑やかに滞りなくつとめお入り込みくださった真とではなく百二十年祭に向けて道の後継者の柱様御夫妻随行の先生方にお喜びいただけた素晴育成ということを申し合わせたいと思いますらしい記念祭でしたそれに向けての皆様方の真実の賜物と御礼を申し上げますありがとうございましたどうぞ今年も変わらず心一つに揃えておつとめいただきますようお願い申し上げますにおいがけと道の後継者の育成さて昨年は米国同時多発テロ事件に始まり教祖百二十年祭に向け道の後継者の育成いろいろと心を荒ませる事柄の多い年ではありましたがその中で私たちはにをいがけを通して心に喜びを与えていただきましたこの三年千日せっ年頭に当たり今年一年の心の向き置き所につかく歩くことによって喜びを与えていただきましたいてご相談したいと思いますが記念祭のときにのでこれからも百万軒にをいがけというよ真柱様から記念祭をつとめるということはそれうな打ち出しはしませんけれどもそれぞれの教会を吉祥として教会設立のときの初代の思いに立ち返で心定めをしていただいてにをいがけというり新たな歩み出しをすることが大切でそのときことは続けてしたいと思いますの初代の思いとは御恩報じであり末代の記念祭における真柱様のお理に許された教会であるというようなおことばことばの御恩報じとを頂戴しました末代の理という二つのこの三年千日にをいがけを通して何でもどう角目から記念祭後の歩み直しを思でも御恩報じさせていただきたいという初代の思い案して御恩報じの一つの方に立ち返るべく歩んできましたが末代の理と法としてにをいがけをまた末代の理ということから道の後継者の育成をこの二つを心に置いて今年一年なりまた百二十年祭に向かっての歩みにしていただきますようお願い申し上げたす部内巡教について話しは変わりますが部内巡教について二三月は寒くもありなかなか思うようにいかないので暖かくなってからの方が受け入れやすいというような話が聞かれますせっかくだから少しでも多くの人に集まってもらいたいとか年に一回だから少しでもいい接待をしたいとかそれぞれ思いがあるのも分かりますそれは大変ありがたいのですが二三月に行なうわけは年頭会議で申し合わせる今年一年の角目を一日も早く部内先にまで流したいからです年頭会議には教会長も布教所長も出てその人たちが流すのだから二三月でなくても五六月でいいという方もおられますが部内を回りますと教会の役員さんや信者さんからうちの会長さんは上級大教会おぢばといろいろ話しを聞かれているのに私共はどういう話しだったのか一つも聞かせてもらえないという方も少なからずおられます立教年教会長講習会日時月日午後時分受付時開講月日正午閉講場所笠岡詰所講師本部員櫻井大教会長冨松幹禎先生本部講演部講師越美分教会長筒井敬一先生内容大教会長様挨拶講話筒井敬一先生講話冨松幹禎先生ねりあい約時間対象教会長受講御供円受付で頂きます会長さんの思いがあってそうされているところもありましょうからそれが悪いとは思いませんが大教会としては笠岡に繋がるよふぼく信者一人ひとりが一手一つになるために部内先のよふぼく信者の端にまで思いだけは流し切りたいということで二三月に行なっている次第です先ず受けるという思いが第一で少しでもいい状態でとか少しでもいい接待をと思うのは第二第三の思いだろうと思いますので順序を考えていただいて先ず第一に受ける気持を持ってつとめていただきたいと思います人数が多いに越したことはなくその努力はしていただきたいとは思いますが人数云とか立派なごちそうとかいうことではなく先ず理を受けることの方が大切だという思いを持って二三月に受けていただきたいと思いますそれなら二月に全部受けさせてもらいたいというところもありますが何分にも巡教員の数が限られておりますので二三月に分けておりますからその点もご了承いただいて本当は二月の方がよかったのにという中も三月に受けていただきたいと思いますその点も心に置いて今年一年心を一つに合わせてつとめましょう記念祭までの一手一つの思いを今年も持ち続けておつとめいただきますようお願いを申し上げまして今日の新年の挨拶とさせていただきます心定めについてなお本年の大教会のおぢばへの心定めは初席者三名おさづけの理拝戴者二名修養科修了者一五名教人登録一五名とさせていただきました一教会最低一名を御守護いただくための動きをしたいという思いですが決して数にこだわるのではありません私は数に向けての動きにこだわりたいのです数は御守護いただかないかも知れないけれども初席者なら最低でも二名よふぼくなら一人できたらもう一人修養科生や教人も一人は何とか御守護いただきたいそういう動きをしたいこれに向けての実動を今日お互いに心定めして歩みたいと思います成っても成らいでも動くそれが諭達の精神ですとにかく共に何でもどうでもという思いで今年一年精一杯に動きましょう以上要約びがあったという喜びを感じたのは春季大祭講話私一人だけではなかったと思うのです大勢の方がそういう喜びの心を持てたのはやはり実動したからこそでありその実動自体が大きな御守護の姿ただいまは春の大祭理のお許しを戴いての本だったろうと思うのです年最初のおつとめをつとめましたが年頭に当たっ去年の世上の姿を考えてみてくださいやれ狂牛ての心定めをするのもその意義だろうと思います病やら同時多発テロを発端とした戦争行為炭疽ので今年一年の心の角目について思うところを菌の問題大きな事件事故心が痛むような暗くお話ししたいと思いますなるようなことばかりでした政治の行く先も経済の解決の糸口も見えず愛子内親王御誕生の外は心与えていただいた喜び心が明るくなるような材料がない世上の姿でしたそうした中でこの笠岡に繋がるお互いは一年この三年千日百万軒にをいがけを基本に皆さ間喜びを味わうことができたということは大変ん心を一つにして歩みました三年間通る中に何すばらしい御守護だったと思いますかしら心に喜びを与えていただけたということで結婚式やめでたいことというのはそれ自体が個記念祭の日だけではなくそれまでの一年間通しての喜びになりますがにをいがけはどうでしょうか喜びを与えていただいたと私は思います記念祭それ自体は喜び事というよりむしろつらいことに向けての三年千日の歩みがあったからこそ一年もあったりして喜びに直結するものではあり間の喜びがまた記念祭の大きな喜びがあったとませんしかしそれによって他人には味思うのです喜びいっぱいでつとめたことが私はわえない本当の喜びを味わうことができた百十周年の歩みの大きな御守護の姿だったのが昨年の姿でありそれこそが本当ろうと思いますに大きな御守護だったと思うのです正直申してにをいがけといってもいつい私たちはご守護といえば身いことばかりではなく三年四年と歩けば上事情がたすかった良いことが起つらい思いをすることもなきにしもあらずだっこったということだと思っていますたわけですがその中にも歩くことによって百万軒にをいがけをして別席者がでつらいけれども一つひとつの中に何かしら喜きたとか修養科生ができたといえばそれは確かに御守護でしょうが別席者も修養科生もできなかったというところもあったと思いますしかしそういうことが現われてこなくても喜べたということは正しくこれが他人の味わえない御守護の喜びではなかったのかとそしてこれこそが三年千日の本当の成人の姿だったと私は言えるのではないかと思います喜べる種は何もなかったが心に何かしら喜びがあった昨年はそういう一年だったと思う次第ですがせっかくそういう喜びを与えていただいたのですからその喜びの境地はやはりこれからも続けて味わうべくつとめるそれが成人に繋がることになるのではなかろうかと思います道の後継者の育成そしてより大きく成人しようと思うなら同じことをしていたのではいけない一歩前進することが大切ではなかろうかと思うのですが昨年真柱様からその宿題末代の理に繋がるようにつとめようという宿題を頂戴したわけですその上から道の後継者の育成ということについて申します稿本天理教教祖伝逸話篇一一七父母に連れられてに明治十五六年頃のこと梅谷四郎兵衞が当時五六才の梅次郎を連れてお屋敷へ帰らせて頂いたところ梅次郎は赤衣を召された教祖にお目にかかって当時煙草屋の看板に描いていた姫達摩を思い出したものか達摩はん達摩はんと言ったそれに恐縮した四郎兵衞は次にお屋敷へ帰らせて頂く時梅次郎を同伴しなかったところ教祖は梅次郎さんはどうしました道切れるでと仰せられたこのお言葉を頂いてから梅次郎は毎度父母に連れられて心楽しくお屋敷へ帰らせて頂いたというとあります道は一代で終わってはいけない代と引き継いでいくことの大切さをここでお教えいただいておりますまた同書九一代より二代には明治十四年頃山沢為造が教祖のお側へ寄せて頂いた時のお話に神様はなあ親にいんねんつけて子の出て来るのを神が待ち受けていると仰っしゃりますねでそれで一代より二代二代より三代と理が深くなるねで理が深くなって末代の理になるのやで人の心の理によって一代の者もあれば二代三代の者もある又末代の者もある理が続いて悪いんねんの者でも白いんねんになるねでとかようなお言葉ぶりでお聞かせ下さいましたと正に末代の理というお言葉でお諭しくだされていますまた稿本天理教教祖伝第六章ぢば定めには教祖は先ず自ら庭の中を歩まれ足がぴたりと地面にひっついて前へも横へも動かなく成った地点に標を付けられた然る後こかん仲田松尾辻ます檪枝村の与助等の人を次と目隠しをして歩かされた処皆同じ処へ吸い寄せられるように立ち止った辻ますは初めの時は立ち止らなかったが子供のとめぎくを背負うて歩くと皆と同じ所で足が地面に吸い付いて動かなくなったとありますが辻とめぎくさんといえば教祖が直に女鳴り物を教えられたほどの方ですのでつまり親にいんねんつけて子の出て来るのを神が待ち受けているというお言葉を証明するようなお話しが載っております代続いてこその信仰私たちも何らかの形でこの道に引き寄せられていますが私をお引き寄せくださったのかひょっとしたら私の後に繋がる者子孫曾孫を引き寄せようとされているのかも知れませんとするなら私一代で信仰を終わらせては申し訳ないもちろん私自身のいんねんも切るために引き寄せられたわけですが但し私だけをということでは決してないということをここには仰っているのではないかと思います確かに一人ひとり生まれ変わり出変わりです私も今生精一杯道の御用をし神様に少しでもお喜びいただいたならば来世また少しでもいんねんを切っていただいて生まれ替わることはできますまた来世少しでも御用をして一代通り切ってまた出直をしてまた改めて生まれてきたときにはまた少しでもいんねん切ることができますがただそれは私一人の理になってしまいますところが私の後を続いてくれる者ができる二代の者ができるまたその後続いて次の代の者ができるというふうに代続いてこそ白いんねんに切り替わるということです今道を通っている者の子供なり孫なりが代と続いてくれることによってより白いんねんに切り替わる速度が速まるのです私はこの信仰をして五代目です初代は一家離散でした主人は事情から東京へ働きに出子供は里子にあるいは養子に出すという形で大教会創設の祖佐吉八重夫妻とともに笠岡でこの道を歩みました女児一人ですから二代は養子取りでした一生懸命通りましたが女児ばかり四人でしたので三代目も養子でしたところが大きな御守護をいただき今度は男児ばかり九人でしたが二男は夭逝長男は戦死四代目は三男が継ぎました五代目になってやっと長男の私が継ぐことができたというわけですもし初代二代三代で道が切れていたらどうなっていたでしょう確かにその代ごとに身上事情は御守護いただいたけれども代と繋がっていくということがなかなか御守護いただきにくかったそれが代と道を繋げることによってそういうことも御守護いただいたしかしこれは形に見えた御守護の姿で最初に申したような心の御守護この三年千日を通って得た喜びの心の上から申せばどうだったのかは分かりません私は天理教で育ったからこの道を信仰しているわけではありません皆さんに信仰の元一日があるように私自身にも信仰の元一日があります何でもどうでもこの道を通らしてもらおうと思った元一日がありますそれはある事情を契機としていかなる中でも親神様を芯に思案しそれを喜ぶことができるようになったというですそれまでの私が素晴らしいことをしていたのでそういう心の入れ替えができたというのなら分かりますがはっきり言って親不孝ばかりしていた私がどうしてそういう思いに切り替わることができたのでしょうかそれは遅たる歩みではあっても初代二代三代四代そして五代と続いてきた代の伏せ込みのお陰です本当のたすかりそうやって代を重ねることによって心一つが喜びの心に切り替わってくるこれこそがいんねん納消の道でありお道の本当の御守護の姿ではないでしょうか身上事情がよくなることだけが御守護ではありませんそれは本当の御守護をいただくためのきっかけに過ぎません本当の御守護というものは喜べなかったものが喜びに切り替わるという姿ではないでしょうかこれは一代ではできません二代三代四代と代を重ねて末代の理にすることによって全てが喜びに切り替わっていくという大きな御守護を頂戴できるのではないでしょうかそれが正しく陽気ぐらしの世の中ですいんねんなら通らにゃならん通って果たさにゃならんといわれますお道を通っていても身上事情が起こりますしかしそれを喜びに切り替えられるようになるそれこそが本当のたすかりでありそのたすかりを目指すためには一代ではいけませんしっかりと代続けることが大切な角目ではないでしょうか道を繋ぐ思いを持つことなお一代より二代二代より三代と仰っていますこの信仰は親から子子から孫へが理想ですが何らかの事情で我が子へとはいかない場合もありますので家族や親戚でなくても誰かに自分の跡を受けて信仰してもらうこれも代の理です自分の信仰を受け継いでくれる人ができたら二代目その次ができたら三代目四代目です子供がいるいないは関係ありませんあとへ続けていくということが大切だということを改めてしっかりと思案していただいてあとの代に繋がるように歩みたいと思います代続けていく上で大切な角目を一つだけ申しますがそれは次の代に引き継いでいく思いをしっかり持つということです自分が息を引き取る瞬間まで何としてでもこの信仰を続けてもらいたいという思いを持ち続けることによって神様がその心をちゃんと受け取られ息を引き取ったあとでもあの人にはたすけていただいた私も何とか続けさせてもらわなければ申し訳ないといって跡を受けてくれる人が必ずできてきますいくら言っても自分の子がお道を信仰してくれないからと途中で諦めてはいけません心一つが我がの理ですからこちらから切ってしまったら神様も働きようがありませんので人がいくらいても代の理にはなりませんということで何でもどうでもこの信仰を伝えさせてもらうという思いが大切な角目になってきますが思いだけでは伝わりませんので声にも出して話しもしていかなければなりません思いがなければそれさえもできませんそこで先ずその思いを持ちそして伝えていく努力をするそのためには少しでも自分の成人を高めていく必要も出てくるということで成人がより深まり自分自身も白いんねんに切り替わっていくのですその思いを持つということは次の人に繋げるということだけではなく自分自身の成人にも繋がってくるということです教祖百二十年祭に向けてこの三年千日御恩報じということでにをいがけに歩きましたがこれは横の広がり横の繋がりです末代の理道の後継者の育成というのは縦の繋がりだろうと思います紙でも布でも横糸だけではすぐに破れてしまいます縦糸がしっかりとかみ合うところに突いても裂いても破れない大きな力になってくるわけですこの三年千日横糸をしっかりとしましたので今度は百二十年祭という次の塚に向かって縦糸をしっかりとすることが大切です記念祭を終えたあと部内のあちこちでにわかに後継者問題がでてきましたが百二十年祭に向かって仕切ったところに大きな成人の姿を見せていただくのではなかろうかと思います横糸としてのにをいがけ縦糸としての道の後継者の育成これを二つの柱として百二十年祭に向かって成人の歩みを進めたいと思いますので心を一つに合わせて共に歩ませていただけますようお願い申し上げます以上要約談話室道の後継者育成にまつわる父の思い出御野分教会長佐藤主計今のこの旬に父は個性の強い私をどのように育てたのだろうかとしきりに思う立派に育ったとはどこから見ても思えない私ではあるが曲りなりにも一教会長として通らせて頂いて三十余年我が子を思うときそれなりには育ったのだと思う幼い頃から高慢の塊のような私だった人から言われてするのは大嫌いだったというより言われたら絶対にしなかっただからだろう母はいつもお前はあまのじゃくだと言っていたこのような私を道の後継者にそして教会長の後継者に何とか育って欲しいと願う両親の苦労は並大抵のことではなかったろうと今にして思えるのである父からは母からは勿論のことそれらしきことを言われた憶えはない唯一つ自分が若き日に肺結核を病み医者から匙を投げられたところを親の信仰とぢばの理によって親神様からおたすけ頂いて道一条になった話は小さい頃から幾度となく飽きるほど聞かされていた唯それだけであるそんな私だったから私は親から言われる前に前に何事もしていった十九歳で肺に身上戴いた時にも言われる前に私は信仰の道に向き直って別席を運び月次祭をつとめることを心定めしたし月日火午前時受付時分開会午後時終了予定午前おつとめまなび式典午後こども運動会小学生中学生スーパーボールすくい幼児少年会員めばえわかぎ育成会員高校生大学短大生大人おつとめまなびをつとめる人はハッピに帯かバンド白靴下祭儀式をつとめる人はおつとめ衣少年会笠岡団おつとめまなび総会教区ごとに団参計画を立てておりますので詳細は所属の教区支部にお尋ねください高校生大学生短大生大学院生専門学校生など後夜祭春まつり夕つとめ後東西泉水プール前広場正午より受付午前時真柱様お言葉午前時本部中庭友とおぢばへあふれる喜びを胸に真柱様のお言葉を心に治め今後の成人を誓い合う道につながる学生が一人でも多くの友とおぢばに帰り集い春の学生おぢばがえり後年修養科に入ったのも又教員を辞めて教会に帰ったのも自から決めて実行していた言われてするのがいやだったから教会に帰り青年会のご用を共にさせて頂いていた或る時福山分教会長の田中一之先生がこんなことを仰言ったことがある主計には親神様が太い綱をつけとってだからたとえ宇宙の果てまで行っていてもここという時必ず引き戻して下さるから心配はしてないと父が話していたことそして本当にその通りになったことに感心したというお話でした教会長を私に譲った時もそうです祭典終了後のあいさつで次を主計に譲りたいと思いますが皆さんどうでしょうかと皆さんの同意を得翌日わしは高屋の人間だから高屋へ帰るあとは皆さんと何事も相談して自分でやれと言ってさっさと上級へ行ってしまった他にも父の思い出話はいろいろあるがこうした一連の父の態度から思えることが二つあるその第一はそう言えるだけの通り方というかそれだけの信仰信念をもつということその第二は我が子我が理の子を信ずるということである今自分を反省してみて私にはこれだけのものがなく父に申しわけないという思いにさいなまれる日でありそのようになりたいと努力を重ねている私である別席直属アワー式典月日木日時場所内容対象服装主旨テーマ期日内容参加対象午前九時三十分式典本部中庭南東西礼拝場前記念行事土持ちひのきしん式典後引き続き婦人会別席月間三月二十六日四月二十六日委員部長てをどりまなび十八日午後五時南門周辺一委員部一名以上の別席者を笠岡支部別席団参いずれの便も大教会発着月日土日日別席日午前午後月日日日帰り別席日午後月日土日日別席日午前午後月日水日金教祖誕生祭参拝婦人会総会別席月日木日金月次祭参拝別席日午後円往復運賃のみ宿泊食費は別途春季大祭祭文チョちょ一寸の話しこれのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げますはじめ親神様には人間をお創造になられたその時より今日まで何一つ変らぬ一列子供かわいいの親心と果てしない教祖百十年祭以降立教百六十年自由の御守護のまにく日夜を分かたずお見守り下さり陽気ぐらしへとお導き下さっております事は誠に勿体の節目の年に続き教祖御誕生二百ない極みでございます加えて心一つの理で生まれ替わり出替わりする間に親の心や働きを忘れこの世限りと年の年には真柱継承奉告祭がつとめ我が身勝手に心を遣い争いに明け暮れ身上事情に苦しむ姿を哀れと思召されるや天保九年教祖を社としてこのられ続いて創立百十周世の表に現れ自由の御守護で以て人をお引き寄せになり万いさいの真実と陽気ぐらしへ向かうたすけ一条の道年に向かう三年千日のお打ち出しををお明かし下さいました頂きまして昨年暮れの記念祭まで以来お引き寄せ頂いた私共は世界一列助けたいとの親心に少しでもむくいたいと御恩報じを念じ日夜たつとめて参りましたすけ一条の上につとめ励ませて頂いておりますがその思いは一代に留まらず二代三代と代受け継がれ今日の更に本年年頭の御挨拶で四年後に代までつとめさせて頂いて確実に白いんねんへとお導き下さっております事は誠に有難い極みでございますは教祖百二十年祭をつとめたいとのその喜びを胸にますく勇んで万たすけの道を歩ませて頂いておりますがその中にも今日の吉日は明治二十年真柱様の親心をお聞かせ頂きまして教祖がろっくの地に踏みならしに出られた尊い日を記念してつとめる春の大祭として又本年最初の理のお許し明年からその三年千日活動に掛かりを頂いてつとめる御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一汐に明るく陽気に勇んで座ますので本年はその準備期間としりづとめてをどりをつとめて春の大祭を執り行わせて頂きますて大教会長様より末代に続く道を御前には折からの大寒の寒さの厳しき中も厭いませず今日の日を楽しみに寄り集い日頃の御高恩に改めて御目指して後継者の育成を念頭に礼申し上げる皆の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます置いてつとめるようにとお仕込みをさて本年本部元旦祭に於いて真柱様は更なる実動に邁進する旨述べられ加えて年頭会議で教祖百二十年祭を頂いておりますつとめたいとの思いと成人へと育成する為に自分の役割を果たす事の大切さをお述べ下さいましたそれを受ホッとしたのも束の間とは申しけ笠岡では昨年の記念祭での真柱様のお言葉であります御恩報じと末代の理を合わせ思案しよりそのますが何れの世界も高齢化が進ん思いを強くした上で教祖百二十年祭目指しにをいがけと道の後継者育成に主眼を置いて記念祭同様一でおります余りご無理はなさりま手一つに心を合わせて実動にかからせて頂く所存でございますせぬようくれぐもご自愛の程を何卒親神様には旬にお聞かせ頂く親の声をたよりに精一杯に歩む皆の誠真実の心をお受け取り下さいましお祈り申し上げまだぐ若輩のて万たすけの上に尚も自由の御守護を賜わると共に今年一年にふさわしい成人の姿をお与え下さいますよう一我は小人閑居して不善を為す同と共に慎んでお願い申し上げますと言われぬよう身を引き締めて通りたいものです
かさおか

『かさおか』第41巻 第1号

教祖年祭を目指し道の後継者の育成を念頭に邁進しよう立教百六十五年の新春に当たり新同時多発テロを発端とした戦争行為二十年祭をつとめるとのご発表があ年のご挨拶を申し上げますや炭素菌騒動天皇家に愛子様がおりました具体的にはこれから機会明けましておめでとうございます誕生になられた事を除けば心苦しを追ってとの事ですが私たちは昨昨年は大変ご苦労さまでした創くなるような事ばかりであったよう年の記念祭に於いて真柱様より御立百十周年に向かう三年千日と仕に思います恩報じと末代の理についての切っての歩みの仕上げの年として迎日本はもとより世界中の人が心お言葉がありそれに対して皆様をえ過去二年間実動の上に歩み切れ痛めていたその中にあって笠岡に代表して御礼の言葉を述べると共た自信と誇りを持っての仕上げの繋がるお互いはにをいがけお助けにに末代の理を思案し道の後年にふさわしい実動の歩みでありま多少つらい思いをする事はあったか継者の育成に力注いで行く事の決したもしれませんがその中に常に喜び意を申し上げさせて頂きましたのその甲斐あって三つの実践項目を感じさせて頂く事が出来喜びので教祖百二十年祭に向かう歩みはを次と達成して行き記念祭には記念祭をつとめる事が出来たという道の後継者の育成に主眼を於いその全てを達成した喜びと真柱様ご事は正しく御守護であり成人して進めさせて頂きたいと思います夫妻にお入り込み頂いた喜びとが相た姿であると思わせて頂きます誠具体的には来年からとなりますがまって喜びに満ちあふれた記念祭に有難い事であります今年一年はその事を心に留めつつ昨となる事が出来ました改めて皆様この喜びを胸に今年から新たな塚年同様実動に邁進して下さいま方の一手一つの心寄せに御礼を申しに向かって歩み出させて頂きたいとすようお願い申し上げて新年に当上げます思いますそしてその塚とは四年後たっての挨拶とさせて頂きますしかし考えてみれば世上に於いに迎える教祖百二十年祭でありまての昨年は大変な年でした政治もす長経済もますます混迷を深め狂牛病年頭に当たり真柱様から教祖百上原理一談話室真の御恩報じを平成十一年三月五日信者宅の年祭をつとめに行こうと用意をしている時父が倒れて体が動かないのでこれから救急車で病院へ行くと言う母のが入った年祭の事は他の方に頼み入院先へ大急ぎで車を走らせ病室へ飛び込むと親類のおば達も集まって来て下さっており少し黒い顔をした父が何で来たと言う様な目で私を見たお医者様の見たてでは脳梗塞を起こして体の自由が効かず言葉もしゃべりにくくこのまゝ脳圧が上れば覚悟も必要との事でしたこの一大事にあたり上級の会長様の大丈夫だと言って下さる親心とつとめて下さった御願いづとめ又毎朝朝づとめの後通って下さった某先生のおさづけの理のお取次を頂いて脳圧も上る事無く毎朝お取次ぎ頂く後毎に倒れた翌朝には食べる事が出来次の日には起上り三日目には先生が帰られてすぐに立ってみると言ってベッドの横に初めて立った父の姿を今でも覚えていますが次に不思議なおたすけを頂き一週間ぐらい後には珍らしい事だと歩くところを病院からビデオに撮られ一ヶ月後には退院させて頂ける迄に良くならせて頂きました此度の父の身上を御真実よりお救け頂いた喜び嬉しさを何とか御恩返しさせて頂き度いと届かぬ私の事乍身上や心を病んでおられる方の家や病院へ運ばせて頂きますがなかなか重たい方や残念ながらお出直しになる方何とかと思いますが申し訳ない事ばかりでお受取り頂ける心お働き頂ける心を少しでも使う事だと言い聞かせまわらせて頂きます中に喜んで下さる方もあったりして何とも言えない心になる時本当に有難いと感じますしかしながら私みたいな者は形ばかりで運び先の方に真にたすかってもらう事が出来ませんが今年も御指導頂きまして少しでも御恩報じの道に進ませて頂ける様励ませて頂きます大難を小難に弥髙山分教会長岡﨑和夫月日登校中の次男が交通事故に遭い救急車で病院に運ばれたとのがありうろたえる家内が先づ病院へ私も取る物も取りあえず病院へかけつけると医師より検査では何もなく打ち身と軽い傷で本当に運が良かったですねとの説明有り本人に会い状況を聞くとよくこれだけで済んだなと大難を小難にお連れ通り頂いた親神様教祖の御守護に御礼申し上げ私自身を省みて連日のひのきしんに不平不満の心があったのではないかひのきしんに来て下さる人に不平不満な気持をいだかせていたのではさせて頂く心低い心喜こび心でひのきしんに掛からせて頂こうと思わせて頂いた矢先夜明け前にリーフレット配りをして朝勤に日参して下さる婦人用木が途中ころんでケガをされた熱心な人なのにどうしてリーフレット配りという旬の御用をさせて頂いている時に何故勇んだ心が萎えていく婦人用木相次いで見せられた事に大教会創立百十周年という大きな旬を思案させて頂いたある朝勤の後ケガをされた婦人用木に右腕だけが自由に動かせなかったのに左腕も動かせなくなりましたおさづけをして下さいとさえない顔で言われました今の旬はおさづけの取次ぎをさせて頂く旬と大教会よりお打ち出し頂きます両腕が自由にならないのはおさづけの取次ぎを待っている人がおられるのではないですかおさづけを取次ぐ事が御守護頂ける一番の道ですよ等とお話しさせて頂きました処素直に聞き分けられ婦人用木は大阪へおさづけ取次ぎにと運びおぢばにお願い参拝もされて帰られた翌日の朝勤にこられて笑顔一杯にお陰で御守護頂きました手が自由に動かせます人救けて我身救かるとお教え頂く事を旬の素晴らしさを体験させて頂き有難うございました又大阪におたすけに行ますと勇んで話され共に親神様教祖に御礼申し上げさせて頂く姿をお見せ頂きました旬にまかぬと芽は生えぬとのお言葉身上事情は道の華勇み心と実動で実を結ぶともお教え頂きます人は何もない時には成人は鈍く色見せられる事によって成人への道を促進して頂けるし喜こび心勇み心も大きなものとなると思わして頂きますこの大きな旬にお見せ頂いた事はより大きな成人をさせてやろうより大きな徳をやろうとの親神様の大きなく親心と感じさせて頂く事が出来大難は小難に小難は無難にとお連れ通り頂きました事大教会創立百十周年記念祭を感動の中に終えさせて頂きましたが今年が終る迄旬は続いているのだと気を引きしめて通らせて頂こうと思います母親がしっかりしないと国はほろびる母賢にして愚か成る子無し興明分教会長吉岡壽昨年の暮れ教会のファックスに一通の便りが届いたそれは私の尊敬している先生からの文面である文章は某新聞に載った記事のことだみなさんのお役に立つような人になりんさいえろうならんでもええんじゃそれが亀井郁夫長男静香二男両国会議員を含む四人の子供を育て上げた母の口癖だった平成十三年十二月中旬に亡くなった母静枝さん八十九歳のことである子供たちが母親の寝ている姿を見た記憶がないと口をそろえるほどの働きづめのひたむきな一生だったそうです子供達二人の代議は東大出である子供達が独立し社会で認められるようになっても静枝さんはうちは貧乏なんじゃ貧乏なんじゃとつつましい生活を続けた今の世にこんなお母さんがほしいものだファックスを送って下さった先生は日頃から私の心を読んでいらっしゃるのだ今一つは元経団連会長臨調会長をつとめた土光敏夫の母である土光家の躾の最初は挨拶と返事であった両親にも知人にもよく挨拶ができ呼ばれるとはいと大きな声で返事をするように躾けられた土光氏の母は自然を愛し自然から学ばせた具体的に言えば同じ農作物の種子を播いても早く芽を出すものもあれば芽の出方の遅いものもある遅いからといってそれは役に立たないから抜いて捨ててしまってはいけない将来それがどんな立派なものに成長するかわからない人間も同様である小さい時期に勉強や遊びに遅れているからといって軽視してはいけない大切に育てなければならない人間の貴さは思いやりの心の深さにある自分が人にされたらいやだと思ったことを人にしてはいけないそれが思いやりであるまた土光家の躾の一つに正直ということがあった人間はあくまでも正直でなければいけないということを教え込んでいたその手本が父土光菊次郎の正直さであった扨て私は朝起きも正直も働きも好きですうち文に記した二つのお家の母親の姿が行動が後継者を世のため人のためになる人と創りあげたのです年頭会議で大教会長様は各自の信仰を掘り下げて後継者の育成につとめようと申されました父親はもちろんです母親の力で陽気ぐら十二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様の一れつ子供かわいいの親心溢れる御守護とお導きのまにく月日を重ね立教百六十四年の本年もあと十日を残すのみとなりました日頃の御高恩に御礼申し上げつつ今年一年を振り返ってみますと四代真柱様の諭達第一号を受けて三年千日と仕切って歩み始めた笠岡創立百十周年記念祭に向けての歩みも三年目仕上げの年として迎え一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえりを実践項目として歩み出させて頂きました一月の直轄大祭参拝二月三月には部内巡教重ねて五月の直轄巡教を通して笠岡に繋がる皆が心を一つに睦び合わせて年頭より勇んで歩ませて頂く事が出来ましたそして八月二十六日には二千人を超える人で祈願のおぢば帰りをさせて頂き感激の内にお願いづとめをつとめることも出来ました十月の直轄大祭参拝でラストスパートをかけ実践項目達成の喜びの内に十一月二十九日真柱様ご夫妻にお入り込み頂いて平日に関わらず二千五百人余りの人と共に盛大に創立百十周年記念祭をつとめさせて頂くことが出来ました改めて親神様に御礼を申し上げます誠に有難うございました只今から今年一年賜った御守護の数に御礼申し上げたく師走の慌ただしさも厭いませず寄り集いました道の子供達と相共におつとめ奉仕者一同喜び心と感謝の心一杯に陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて十二月本年納めの月次祭を執り行わせて頂きます皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて世上ではアメリカとタリバンの戦いがイスラエルとパレスチナにも飛び火しインドとパキスタンにも広がって世界戦争へと発展しかねない状況でございます又日本経済も先行き不透明で連日マスコミが人の不安をつのらせている有様でございますそんな中だからこそ親神様の御守護を喜び感謝する事が大切との思いを強くし道に繋がるお互いは陽気ぐらし建設のよふぼくであるとの認識を高めて親神様の思召しを伝えるべくにをいがけおたすけにとたすけ一条に邁進させて頂く覚悟でございます又記念祭での真柱様のお言葉にありました末代の理にも思いを致し教祖百二十年祭に向け道の後継者の育成にも全力で取り組んでいく所存でございます何卒親神様には親と慕い親孝心一筋に歩む皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り陽気ぐらしへとお導き下さると共に心豊かな明るい年末年始になりますようお連れ通りの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます表紙の絵本文中のカット田中珠美さん上下分教会天領布教所よふぼく独学で始めた絵画の趣味を生かして地元上下商店街の活性化に貢献中しの世界がすぐ其処までやってきます道の後継者のうえに努力させて頂きます今日を精一杯生きよう今こそ大河ドラマ利家とまつをみましょう何故か前田利家の妻まつは内助の功にとどまらず教養豊かですべての才覚を持ち合せたたくましい女性であるこのまつがいて加賀百万石が築かれたのだアッパレだ立教百六十四年歳晩祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様の親心溢れる御守護とお導きのまにく日結構に恙なくお連れ通り頂く中に今年もあと数時間で暮れようとしております思い返してみますと今年日本ではドタバタの首相交代劇に始まり金融破綻や大手スーパー等の倒産が相次ぎ世界では第三次世界大戦が始まるのではないかというような出来事が次と起こる等人の心がより暗くなるような事ばかりでしたその中笠岡に繋がる私共はたすけ一条の実動の達成はもとより創立百十周年記念祭の盛大な姿を御守護頂く等喜び一杯の一年を過ごさせて頂く事が出来ました事は誠に有難く勿体ない極みでございます今年一年賜わりました御守護の数に改めて御礼申し上げたいと存じまして只今から立教百六十四年の歳晩祭を執り行なわせて頂きます御前に寄り集い同じ思いに伏し拝む皆の真実の姿を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますそして来るべき立教百六十五年の年が今年一年の反省を基に一人一人や民族や国がお互いの主義主張を越え互い立て合い助け合い喜こび合える世の姿に一歩でも近づかせて頂ける一年になりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます立教百六十五年元旦祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様の御守護とお導きを頂戴してここに目出度く立教百六十五年の新年を迎えさせて頂きました一同と共に心よりの御礼を込めて新年のご挨拶を申し上げます明けましておめでとうございます昨年お掛け下さった親心と御守護に御礼申し上げると共に今年一年も一列子供かわいいの変わらぬ親心と御守護お導きをお願い申し上げたいと存じまして只今から笠岡に直に繋がるよふぼく一同新年の慶び心も一入に心を一つに睦び合って明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて元旦祭を執り行なわせて頂きます御前には寒さ厳しき中も厭いませず寿ぎ心を胸一杯に湛えて夜も明けきらぬ内から寄り集いましたよふぼく信者並びにこれからの道を担う子供達が共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて昨年の創立百十周年記念祭に於て真柱様よりたとえ人が変わり建物が変わっても教会設立当時の人の思いを後に続く者が変わらず持ち続け又後へと伝えて行く事が理の栄えとなりひいては陽気ぐらし実現へと繋がって行く事をお示し下さいました今世上は欲にきりない泥水に深く足を踏み入れ混迷を深めようとしておりますそんな中だからこそ私利私欲を捨て親神様の思召と初代の思いを我が思いとして後に続く者へと伝えていく事の大切さを痛感しております四年後には教祖百二十年祭を迎えますそれを目指し少しでも教祖にお喜こび頂けるよう外にも内にも目を向けにをいがけおたすけに励ませて頂いて道の後継者育成にと邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には年の始めに当っての皆の心定めの真実をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜わると共に至らぬ点は幾重にもお仕込み下さり成人へとお導き下さいましてお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一歩でも近づける一年になりますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます教会別人づくり一覧表名称初授修講前講後名称初授修講前講後名称初授修講前講後笠岡福中福山福冨士髙屋福東神邊東福山島根福南久松福順鶴山福節弥髙山福備陽備福輝摩耶金浦坪生興明八尋ひろさと深安陶山笠尋芳井芦品呉照安那海松ヶ岡芦田川東悠三郡吸江芦常照陽芦辺輝美濃芦加茂新山邑惠陽呰部陽實明石市御野上下香地華府中市真金東城仲條服部稲倉島中稲瀬驛家稲富士油木稲讃葦陽門司港湯田原大惠山備中東水島神昭高児島美之郷錦備出雲瑞雲廣町海潮川福廣錦洋福勇米府福芦弓ヶ濱福満西伯福岩米美西村伯仙福年照雲引野輝伯福昭松都福春樺島亀田山出雲川津天場山簸ノ川多古浦瑞北雲東神村呉中大江橋品治久福久津呉福鶴南鶴眞川島郷鴨方作備輝華錦ヶ原行縢眞府吉舎清嶽上小畠木津和國須上吉野上備河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面府鮮府庄府世原神驛神免葦沼合計立教年定期巡教表教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員廣町月日佐藤道孝御野月日岡崎輝夫大江橋月日岡崎輝夫福廣月日大教会奥様香地華月日吉岡壽品治月日大教会長様福勇月日大教会長様真金月日大教会前奥様久福月日佐藤道孝福芦月日大教会奥様仲條月日大教会長様呉福月日上原繁道福満月日河原節喜稲倉月日佐藤道孝久津月日岡本久善福岩月日岡本久善稲瀬月日大教会奥様鶴南月日河原節喜西村月日吉岡壽稲富士月日中村剛鶴眞月日吉岡壽福年月日上原繁道稲讃月日大教会奥様川島郷月日大教会前奥様引野月日武内清門司港月日吉岡壽鴨方月日門脇誠教福昭月日岡崎輝夫大惠山月日岡本久善作備月日佐藤道孝福春月日大教会前奥様東水島月日中村剛輝華月日武内清福中月日岡崎輝夫高児島月日大教会長様錦ヶ原月日中村剛福冨士月日大教会長様出雲月日中村邦義行縢月日武内清福東月日武内清瑞雲月日中村剛眞府月日中村剛東福山月日佐藤道孝海潮川月日吉岡壽吉舎月日大教会奥様福南月日大教会奥様錦洋月日岡本久善清嶽月日中村邦義福順月日武内清米府月日岡本久善上小畠月日岡崎輝夫福節月日武内清弓ヶ濱月日上原繁道木津和月日上原繁道福備月日大教会奥様西伯月日上原繁道國須月日大教会奥様福輝月日吉岡壽米美月日中村剛上吉野月日佐藤道孝坪生月日吉岡壽伯仙月日大教会長様上備月日中村剛八尋月日中村剛照雲月日吉岡壽河佐月日上原繁道深安月日田中一之輝伯月日武内清上川邊月日上原繁道笠尋月日佐藤道孝松都月日吉岡壽甲井月日武内清芦品月日吉岡壽樺島月日上原繁道上父月日田中一之安那月日岡本久善亀田山月日河原節喜阿木行月日岡本久善芦田川月日岡本久善出雲川津月日上原繁道宇津戸月日佐藤道孝三郡月日佐藤道孝天場山月日大教会長様河面月日大教会奥様芦常月日中村剛簸ノ川月日中村邦義府鮮月日大教会前奥様芦辺月日岡崎輝夫多古浦月日河原節喜府世原月日大教会長様芦加茂月日岡本久善瑞北月日大教会長様神驛月日門脇誠教惠陽月日佐藤道孝雲東月日河原節喜神免月日岡本久善陽實月日大教会奥様呉中月日武内清葦沼月日河原節喜第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目岡﨑和夫大教会役員弥髙山分教会長田渕光明上備分教会長猪原啓介門司港分教会長本多一男西伯分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者のみおはなし願書に日付を入れない事大教会御供本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい教区ごとに団参計画を立てておりますので詳細は所属の教区支部にお尋ねください参加対象高校生大学生短大生大学院生専門学校生など東西泉水プール前広場後夜祭春まつり夕つとめ後正午より受付午前時午前時本部中庭真柱様お言葉別席直属アワー式典期日月日木テーマ友とおぢばへあふれる喜びを胸に春の学生おぢばがえり主旨道につながる学生が一人でも多くの友とおぢばに帰り集い真柱様のお言葉を心に治め今後の成人を誓い合うチョちょ一寸の話し立教百六十五年の新春を迎えてこう思った昨年は同時多発と言う空恐ろしい事件で戦争が始まっていまだに終極が見えない聖域無き改革を歌って企業を淘汰する行政は金脈の道路を袖の下に隠して銀行の尻拭いを国民に押し付けた五右衛門の釜である正に今さえ良くば我さえ良くばであった終末の姿であると言えますね真柱様はこの世は全て親神様の深き親心の御支配のもとにある真実を思案し人間心のみに流れがちな世情の歩みの中にあって慎みが理慎みが往還との教えに己を正し互いに心を通わせたすけ合うて陽気ぐらし建設の道に励むのだと祭文で御促し下されて居られますここ数年にわたり四百万軒以上の配布を経験した事も全世界では十六億人となれば地域だけでは途方も無い様に思われますでもそれを実践しながら推し進めない事には届かないのである訳ですだから日曜参拝を計画し皆でやろう続けようと思ったので有りますその事を容内
かさおか

『かさおか』第40巻 第12号

創立周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえり月日木創立百十周年記念祭執行真柱様御夫妻の御臨席を賜り雨天下余名が集う去る十一月二十九日待ちに待った創立百十周年記念祭が執行されました思い返せば教祖百十年祭の年続く立教百六十年の節目の年をつとめ了え次の塚への歩み出しを始めた平成十年教祖御誕生二百年の年存命の教祖にお喜び頂こうと百万軒にをいがけが打ち出されましたこの年図らずも真柱継承奉告祭が執り行なわれ新しい真柱様より諭達第一号を御発布頂き実動のお言葉を追い風にいよいよ創立百十周年記念祭に向けての三年千日活動が打ち出されました諭達を実践しをやの理を戴こうをスローガンとして歩んだ三年千日一年目の年は前年果たせなかった百万軒にをいがけ完遂を期してためらいを捨て勇んで百万軒を実践項目と定め見事成し遂げました二年目の昨年はさらにつとめに専心百万軒にをいがけ全教会で陽気ぐらし講座開催をそして三年目の本年はおさづけの取り次ぎ陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一万人のおぢばがえりを実践項目としてそれぞれに持ち場立場の上から弛まず努め励んだ三年千日だったことでしょうお入り込み下さった真柱様のおことばを拝聴してまた大教会長様による祭文奏上お礼の言上犒いのご挨拶をお聞きして何を感じたかがすなわちそれぞれの三年千日だったことでしょう記念祭の詳細については追って発刊される特別号を御覧頂くとして先ずは三年千日の実動にお犒いを申し上げ今後のご活躍をお祈り申し上げます心の通ひ路落ち葉に学ぶ久松分教会長中村剛昨年十一月の月次祭おつとめも終り直会が盛り上がっている頃心ある人が撤餞と後片付けのひのきしんにつとめて下さっている私はその様子を見て教会周辺の清掃につとめる事にして箒とチリ取りを持って玄関前横と済ませ神殿裏側に回る片側に五本程ある街路樹が日増しに落葉の量を増しているその落葉を無心に掃き集めているとフトある事が思い浮んだそれはある新聞の読者広場に投稿された文であるある外国の中年女性が日本に観光に来られ友人の案内で各地を観光していた時丁度十一月の中頃で街路樹を七八人の職人が手際良く枝を落としている見ている間に葉を一枚も残す事なく丸坊主にされていたその様子を見ていた外国女性が不思議に思い何故枝を切り落してしまうのかと友人に尋ねた友人は落葉になって困るから枝を切っているのよと答えると理解出来ないのか何故落葉になったら困るのかと聞き返す毎日落葉を掃除するのが大変なので苦情が多く業者に頼んで枝落をしているのだと答えると彼女は不満の声を大きくしてあの樹はどんなにか人間のために役立っているのに落葉になると掃除をするのが大変だと邪魔者扱いにする日本人は身勝手だと怒っていた事を代筆で投稿された内容である私はその事を思い出しながら晩秋の恒例行事ぐらいに思っていたが外国の人が見ると恩知らずの身勝手な国民に思えるらしい色と思い巡らせているとこの事は先祖や親の姿に似ていると思った街路樹は春ともなれば若葉青葉で春のよろこびを教えてくれる夏には木陰をつくり景観を良くして目を楽しませ心の安らぎを与え空気を浄化して酸素を出してくれる等計り知れぬ程人間の役に立っているだのに落葉になるとそのご恩働きを忘れて邪魔者扱いにする人間の親も子育のためにはそれこそ昼夜の厭いなく親心の限りを尽して養育に励むやがて段と成人して一人前になると結婚家庭を持ち子育に励み家族を守るために一生懸命に励むその頃になると親は定年を迎え段と役に立たなくなり人の手を借り介護が必要となるこうなると感謝の心ご恩の心も薄れ忘れて邪魔者になる親神様の御守護教祖の親心親のご恩を忘れる事は不幸の元である成人不足は実に悲しく恐いこの様な事を思い巡らし大切な事を気付かせて頂くと心がだんだん温くなるひのきしんは本当に大切でありがたい来年は全教一斉ひのきしんデーが提唱七十周年を迎える一人でも多くの人を誘い家族揃って参加しよう一生懸命一生懸命私はこの言葉が大好きである何事も一生懸命にやれば神様が働いて下さる私はこの事について忘れられない思い出があるそれは今は布教所長となって下さったある婦人用木の方の話しであるその方は全く見ず知らずの方と一寸した事から知り合い悩みを打ちあけられたその年の夏の終りに近づいた頃夏休みの最後にと海へ出かけた娘さんが帰宅して夕食の支度をしていたお母さんに突然とんきょうな声でお母さん大変やテレビで私の事を放送しているこわいと叫んだびっくりした両親はなだめて心静めようとしたが効果なく近くの病院へつれて行った以来娘の状態がおかしいのでつらい毎日をすごしていますとの事婦人用木は絶対良くなる所へ連れて行ってあげましょうと教会へその両親を連れて来られたお盆なので海へ流された霊がとりついたのでしょうかどうしてこんな事になったのでしょう涙ながらに話される御両親の姿に私は本当に心の底から可哀想何でも助かってもらわねばと御両親に別席を運んで頂く事にした翌日早速にお地場へ行かれ婦人用木は毎日病人にお授けを取りつぐためバスで彼女の家に出向いた別席も運ばれ毎日のお授けも来て頂いたら気の毒と娘を連れて両親がその用木の家に出向いて行った藁をもすがる思いで必死だったしかし中御守護の理が見えないある時その用木の方が泣きく教会へをしてこられた私にはこのお助けは無理です今日から教会の方でお願いします病人の父親が何時になったら御利益があるのかあんたの言う通りにしたのにすぐにも助かると言いながらうそばっかりとカンカンになってしかられました恐くて恐くてとをかけてこられました私はとっさにどうしたら良いのか絶句しましたしかし必ず神様が働いて下さる所までいかねばそして大丈夫必ず助けて下さる今日から深夜十二時の十二下りをつとめようつとめた理をもってお授けを取りつがせて頂いたら絶対大丈夫だから私も応援するから途中でなげたらあかんよハイ分かりましたがんばりますその夜から隣に寝ている子供を起こさない様静かに十二下りをつとめた十日以上過ぎた頃或る夜十二下りが終って着のみ着のままで床に寝たその方が一時間もしない間によろづよのせかいと又十二下りを始めた隣室で試験勉強をしていた娘さんがびっくりしてお母さん十二下りすんだのよ何べんするのとの大きな声で我に返ったんですとをしてこられました私は涙が出ましたその婦人用木の方の頭の中はお助けで一杯です遂に神様が働いて下さったのでしょう病人はその日を境に薄紙をはぐ如く少しずつ生気に帰ってきました両親は神様のお働きを心から感じ以来今日迄一筋心でつとめて下さっています現在その娘さんは再発が二度程ありましたが三人の子供の母親として元気にがんばっております修養科を終えて福東分教会藤井妙子私が修養科に行くきっかけは家が天理教の教会だからというただそれだけ義務みたいなものであと少しはそう思う自分を変えたいという願望からでした入ったばかりは分からないことばかりで生活に慣れるのが必死でした毎日が楽しくなく心身が疲れこんなことではヶ月もつかなとさえ思いましたそんな気持ちで過ごしながら学校が始まりある先生からあたりまえという詩を聞かせてもらった時私の心に変化がありましたあたりまえ医師井村和清作あたりまえこんなすばらしいことをみんなはなぜよろこばないのでしょうあたりまえであることをお父さんがいるお母さんがいる手が二本あって足が二本ある行きたいところへ自分で歩いてゆける手をのばせばなんでもとれる音がきこえて声がでるこんなしあわせはあるでしょうかしかしだれもそれをよろこばないあたりまえだと笑ってすます食事がたべられる夜になるとちゃんと眠れそして又朝がくる空気をむねいっぱいにすえる笑える泣ける叫ぶこともできる走りまわれるみんなあたりまえのことこんなすばらしいことをみんな決してよろこばないそのありがたさを知っているのはそれを失くした人たちだけなぜなんでしょうあたりまえこの詩を聞かしてもらった時すごく心につきささるものがあり今まで自分が使っていた心遣いを反省させられましたそれからは親神様に体をおかりし動かさしてもらえるそれだけでありがたいと素直に思えるようになり毎日が楽しく何をするのも喜んでさしてもらえるようになりましたヶ月という短い期間ではまだまだ親神様教祖の教えを学びきれてなく心もまだまだ未熟ですがこれからは少しでも親に喜んで頂けるように通らしてもらおうと思うことだけは心においていきたいと思います最後になりましたがお世話になった教養掛の先生方期の同期生その他大勢の人達のお陰でヶ月無事終えることができ自分自身みつめ直せることができました本当にありがとうございました大教会だより直轄教会春季大祭参拝福山武内清高屋門脇誠教神邊門脇誠教島根田中一之久松門脇誠教鶴山大教会奥様弥高山大教会長様陽備摩耶金浦興明ひろさと陶山芳井呉照海松ヶ岡東悠吸江照陽輝美濃新山邑呰部明石市上下府中市東城服部島中驛家油木葦陽湯田原備中神昭美之郷錦備武内清大教会前奥様武内清大教会長様武内清門脇誠教上原繁道大教会長様大教会奥様岡本久善岡崎輝夫田中一之岡本久善上原繁道上原繁道大教会長様門脇誠教大教会奥様上原繁道岡崎輝夫大教会前奥様武内清岡本久善岡崎輝夫大教会奥様岡本久善大教会長様岡本久善武内清第七二五期修養科修了者福山池田福輝岡本稲瀬吉川亀田山竹内日修了豊秋宏美幸知眞府福山福東稲倉稲倉高田一弘池田操藤井妙子坪田園美渡邉和子第七二八期修養科教養掛三ヶ月間一ヶ月目二ヶ月目三ヶ月目中村邦義大教会役員佐藤昌平呉福分教会長竹本和道福芦分教会長北川治史稲倉分教会長修養科生摩耶葦陽安那安那惠陽錦ヶ原阪根大蔵笹尾孝治岩佐博岩佐恭子藤本ひさよ花島智恵子訃報三島富代姉大教会おつとめ奉仕者新山邑分教会二代会長十二月三日出直されました享年九十五才立教年年間行事予定表部会全体行事月ひのきしん布教部直轄教会春季大祭参拝年頭会議直属ひのきしん特別隊春季大祭詰所受入部内巡教本部食堂直ブロック修養科修了講習会部内巡教教会長講習会海外部婦人会委員研修会教祖ご誕生祭詰所受入道の後継者練成会直轄教会定期巡教本部食堂直ブロックひのきしん推進旬間全教一斉ひのきしんデー修養科修了講習会婦人会本部総会全委員部長講習会本部食堂福山ブロックこどもおぢばがえりこどもおぢばがえり詰所受入英語講習会修養科修了講習会布教推進強調月間布教所長夫妻成人研修会全教一斉にをいがけデー直轄教会秋季大祭参拝ケ年本部保安名本部食堂髙屋ブロック秋季大祭詰所受入こかん様に続く会修養科修了講習会委員部長後継者講習会年末大掃除直属ひのきしん特別隊献血ひのきしん詰所餅搗部長会議毎月日午前註ブロックの区分けは備役員会議毎月日午後直鶴山明石市考直轄教会長の集い直久松東城錦備毎月日午後上府上下府中市月例勉強会英文発行海外よふぼく月報支部例会毎月日午前時直轄委員部長連絡会毎月次祭後女子青年例会日毎月第日曜日ひまわり会毎月日部会青年会月少年会学生会学生担当委員会輸送部雅楽部春季大祭春の学生おぢばがえり直属アワー鼓笛バンド講習会おつとめまなび総会教祖ご誕生祭新入生歓迎会おぢばキャンプ研修会学生層育成講習会ヶ月ひのきしん隊縦の伝道講習会布教推進週間野外錬成会キャンプこどもおぢばがえり本部青年会総会大教会ひのきしん備考毎月日午前学生会親睦会おぢば秋季大祭学生の集い練習毎月次祭前日夕勤後舞楽練習毎月次祭日夕刻十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様の果てしない親心と御守護によりまして日は結構に恙なくお連れ通り頂いております又旬刻限の到来と共に教祖を社としてこの世の表にお現れになり以来陽気ぐらし実現の為の成人へとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はお教え頂いた最後の教えを心に治めひながたを辿るべく日は朝夕にお礼を申し上げつつたすけ一条の上に勤め励ませて頂いております特にこの月二十九日は創立百十周年記念祭をつとめる芽出度い月に当たりますのでその喜び心も一入におつとめ奉仕者一同心を一つに睦び合わせて陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて十一月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌に唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて創立百十周年記念祭まであと僅かとなりました記念祭までに実践項目の完遂を合言葉に今日までつとめてまいりましたところ一ツおさづけの取次については回数はもとより例年より多くの人が取り次がさせて頂く事が出来ました一ツ陽気ぐらし講座開催についてはほとんどの教会が実施し百万軒にをいがけについては百万軒を越える事が出来ました一ツ一万人のおぢば帰りについては実数には至りませんでしたが延べ人数で一万人を超える事が出来ました改めて御守護の程を御礼申し上げますこの上はこの実績を基に経験を生かすべくこれからのたすけ一条の上により勇んで勤めさせて頂く覚悟でございます何卒親神様にはお与え頂く節目に際しおかけ下さる親の声に素直に心を一つに合わせ添いきる皆の真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜わると共に三年千日の歩みをお互いに称え合い喜び合い新たな歩み出しを誓い合う陽気づくめの記念祭を迎えさせて頂けますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますふたことみこと去る月日真柱様御夫妻の御臨席を賜り笠岡創立百十周年記念祭が執り行われ平日にもかかわらず二千五百人を超える参拝者の方で神殿はもとより廊下階段特設会場まで人の波が押し寄せ喜びの中滞りなく座りづとめ手をどりが和かにつとめられた思い返えせば三年前一月の終り頃一本のかいづかの木を剪定している所へ大教会長様が通られ剪定はなあ云と一声かけて下さり大教会長様はその足でにをいがけに歩いて出かけられた昼を過ぎた頃から吹雪になり夕暮れが近づいて来たのを機に切り上げようとしていた所へお帰りになられたそういう日が度続き三年千日のお打出しが発表され百万軒にをいがけがスタートした夫婦で乳母車を押しながら戸別訪問させてもらったり剪定の方も有志が集まり六月を待たずに仕上がったその後御命を頂き境内掛へ二年間勤めさせて頂いた当日お昼を過ぎ日ぶりの雨になった数ヶ月を擁して準備した会場を日が落ち雨が容赦なく降り注ぐ中を誠真実を尽くして撤収に当たられたものの見事に片付け切られた中に新たな息吹との変わらぬ心をかいま見た気がします
かさおか

『かさおか』第40巻 第11号

創立周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえり木午前時執行記念祭まであと一週間さあもう一踏ん張りその日に向け三年千日の成人の歩みを推し進めてきた大教会創立百十周年記念祭まで余すところ一週間となりました大教会ではその慶びの日を迎える準備として神殿横中庭の整備を始めエレベーターの設置石段の手すり設置道路部アスファルト敷設工事等は既に為し了え続いて草刈木の剪定など連日ひのきしんの方の真実の伏せこみによって着とその準備が進んでおりますその中に記念祭の諸係役割が発表され去る十月二十日には各係キャップの打ち合わせが翌日の秋季大祭後には各係での係員の打ち合わせが行なわれていよいよ目睫の間に迫った記念祭に向け事務上のシフトもオーバートップに入りました大教会長様は記念祭まで四十日ほどとなった秋季大祭に当たって先般の米国同時多発テロ事件に触れられながら立教の元一日のをやの思いを諄と述べられ続いて笠岡の元一日を基に三年千日活動の縁起を再び振り返られて残された日の弛みなき実践を鼓舞されました次頁に要旨掲載秋季大祭後にはおうた七心つくしたものだねが記念祭後に参拝者で斉唱させていただくべく合唱練習を重ねてきたコーラス隊のリードする中にハーモニーも麗しく斉唱されました大教会では先日来記念祭前夜の夜警屯所となるべき車庫裏少年会倉庫の新設神殿横中庭の臨時屋根設営客殿池掃除屋内壁塗装工事と随所でひのきしん者業者による作業が行なわれ植木剪定作業の仕上げも記念祭間際まで続けられる模様です目に見えるひのきしん各係による目に見えない準備言わずもがな記念祭寸前まで行なわれるであろう三年千日活動親の理を戴ける千載一遇の好機を逃す手はないにちにちに心つくしたものだねを神がたしかにうけとりているす秋季大祭講話元の理のお話は荒要旨唐無稽な人間創造のお話ではなくその中に大教会長様は私たち人間が生きていく上で大切な角目がいろいろと述べられています人間創造に当たって本日は秋の大祭で立教の元一日を記念してつの親神様の思召は人間を造りその陽気ぐらしをとめるのがその意義ですがその上から立教の元するのを見てともに楽しもうと思いつかれたと一日のをやの思いと元一日の思いに立ち返るいう一言に述べられここが一番肝心な部分ですという二つの事柄についてお話ししたいと思いますここに最後の教えといわれる元があります今問題になっているような宗教から考えれば神が喜ぶために人間を創ったのだから言うこと聞か最後の教えの親の思いとはないなら滅ぼしてしまえということにも繋がってしまいますが親神様は人間をただ創ったのでもなければ神が楽しみたいから創ったというのでもこの道は世界一れつをたすけたいという親心にありません私たち人間が陽気ぐらしをするのを見よって始まりましたて共に楽しみたいから人間を創られたのですつま親神様は教祖を月日のやしろとなされてひなりそれによって神という言葉の前に親心がたを通してどうすれば陽気ぐらしができるかをという心があるということを教えてくださったのでお教えくださいましたはないでしょうか形の上からはかりものの御守護のありがたさおふでさきの中では最初神というお言葉その上の喜びに立ってのおたすけ活動おつとめのが月日というお言葉になり最終的にはをや大切さをそして見えるものだけではなくむしという言葉に変わってきました全て親神様のころそれよりも大切な心の世界も教えていただきましだめたそれは最後の教えいわゆる元の理のお話でとを現わす意味は同じで単なる神ではなく親であるということです根の教えの親の思いを伝えよう私たちの信仰している親神様の御教えは今話題のイスラム教やキリスト教とは違う別の教えだと思われがちですが実はそうではありません私たちはこのことを改めて思案しなければならない旬を迎えていますおふでさきにいまゝでもどのよなみちもあるけれど月日をしへん事わないぞや十号月日よりたいてへなにもだんくとをしゑてきたる事であれども十号これまでハからやとゆうてはびかりたこれも月日がをしへきたるで十号というお言葉がありますつまり親神様はこの世に現われて最後の教えをお啓きくださったけれどもそれまでにもいろいろな土地処でいろんな時旬に応じて陽気ぐらしができるようにと今までも教えてきたということです今世界中で問題になっている宗教も実は親神様が教えられた道で本来それによって世界中がたすけ合って陽気ぐらしができるはずですが神という名で信仰して神のため神の戦いというような表現の中でつい殺し合いをしてしまっている一つの姿があります親神様にしてみれば一れつ人間が一つの親一れつの子供として助け合ってくらしてほしいからたすけ合う理として教えたのに神という名に囚われて肝心のたすけ合いを忘れてしまい神という名の下に同じ兄弟同士が殺し合いをするのは実に情けない神は信仰しているかも知れないがそこに込められた親の思いが一つも分かっていないではないかということになりますこれまでの教えは枝先の教えでどれが素晴らしいとか間違っているというものではなく元を尋ねれば全て同じ根親神様の教えである肝心なのは全ての教えの元は大いなる親心だということですだからこのたびは神が表へ現われて教えていなかった親心信仰を通して一れつ兄弟という理に目覚め民族国家を越えて互いたすけ合い陽気ぐらしの世界に立て替えてほしいという思いを現わしてくださったのがこの最後の教えではないしょうか今神という名の下にいろいろと血生臭いことが起こっています実際このたびのテロ行為に対して思わず目を塞ぎたくなる事柄がありましたそれは犠牲者が出たことだけではなくアフガニスタンの人たちがテロ行為の成功を喜んでいる姿でした大人や子どもも女の人も皆喜んでいてそれがショックでした民族が違い国が違う宗教は違うかも知れませんがそこで多くの犠牲者が出たことは明らかですそこにもし自分の子どもがいたとしたらそこまで考えられなかったのでしょうか母親なら少なくとも分かると思いますどんな子であれ可愛い我が子ですそれがもしそこにテロが起こった中にいて死んでしまったら果たして喜べるのだろうかそれが喜べるというそのことに私は驚愕しました一れつ兄弟がなぜ殺し合わなければならないのか本当の親心が分かっていないとても残念ですこれからはにをいがけおたすけをする者が身上だすけだけに留まらず少しでもこの親心を心に置いて布教活動をすることが大切だと思いました皆さん方も身上事情だすけだけではなくそこに大きな親心一れつ兄弟という思いもお取り次ぎできるように共にこれから歩みたいと存じますこれが先ず第一点です元一日を振り返り五分からの成人をもう一点は立教の元一日を記念してということに関わってそれぞれの信仰の元一日についてですが一人ひとりの信仰の元一日もさることながら笠岡に繋がるお互いは笠岡の元一日にも思いを馳せその思いに立ち返ってつとめなければならないと思いますこのたびの百十周年に向けての歩みもそこに端を発しています百周年が済んで今から四年前百十周年のことを考えたときに先ず思ったのは百周年のことでした百周年は祭典に合わせて記念祭の思いを込めてつとめました形だけの記念の祭をつとめて共に喜びましたがそれに相応しい成人ができたかと考えてみると残念ながらできていなかったと私は思いました百周年からも成人の歩みを進めてきたつもりですがまだまだ本当にそこまでなり切れてなかったという思いが強かったわけですそうしたときに百周年には間に合わなかったので百十周年には何としかして百周年という一つの成人の姿をつとめたいと思っていたところ元の理のお話の中の一節が心に浮かびました最初に産みおろされたものは一様に五分であったが五分五分と成人して九十九年経って三寸になった時皆出直してしまい父親なるいざなぎのみことも身を隠されたしかし一度教えられた守護によりいざなみのみことは更に元の子数を宿し込み十月経ってこれを産みおろされたがこのものも五分から生れ九十九年経って三寸五分まで成人して皆出直したそこで又三度目の宿し込みをなされたがこのものも五分から生れ九十九年経って四寸まで成人したというこの一節ですこれはいわゆる成人の段階のお話でこれが私たち人間の成人の一つのサイクルではないかつまり百年経ったまた百年後に今の百年よりも大きな成人をしょうとするならば百年までの歩みをまたそのまま続けていくことよりももう一度白紙に戻ってまた五分から生まれ五分五分と成人していく道の中に百年後に最初三寸だったものが三寸五分という一つの成人ができるのではないかここに私たちの心の成人の段階もお述べくださっている気がしましたということは一度出直して五分から生まれ五分五分と成人する成人の仕方でなければ百周年の成人の歩みにはならないつまり百周年ができなかったので百十周年になったわけですから五分からの歩みがなければこの百十周年の歩みにはならない五分からの歩みにするにはどうすればいいのかと思案してみたとき初代の会長様が残してくださった元道は無かった歩いて歩いて付いた笠岡の道というお言葉が目に飛び込んできました考えてみれば初代もよふぼくを作ろうとか別席者を作ろうという結果を求めて歩いたわけではありませんとにかく御恩報じ少しでも親神様のたすけたいという思いに添いたいと思って一生懸命おたすけに歩かれた歩いて歩いて歩いた道ですそれが御供さんを主としたおたすけ活動にをいがけおたすけだったろうと思いますそしてその真実の姿に親神様がぼつぼつと不思議な御守護を現わしてくださって今日の大きな笠岡の道を付けてくださったその姿を思案してみたときに今までこうだったからこれからもそうだというのではなくむしろもう一度初代の思い歩みに立ち返って先ず歩くことから始めることが五分からの歩みになるのではなかろうかと思い至りました諭達を実践しをやの理を戴こうそして最初の百万軒にをいがけになってきましたがそれが今から四年前でしたこのことにつきましてはありがたいことに最初の百万軒の年に真柱様が替わられたときの諭達の中でよふぼくの実動と仰有った笠岡の歩こうみんなでとにかく歩こう歩こう歩こうということに対して親神様がさあ後押ししてやるぞと諭達を通して仰有っていただいた気がしましたそして教祖の百十年祭のときに真柱様が言われてするのではなく言われん先から自分たちでしっかり心を定めて歩ませてもらうことが大切だと仰有いましたので百十周年への三年千日を迎えるに当たって私が三年千日の歩み方を決めるのではなく実行委員会に任せてそちらの思案で決めていただいたところ是非とも百万軒をやりたいということで結局三年千日の中心になったのがまた百万軒でした今年はおさづけの取り次ぎまた一万人のおぢばがえりという形で次としていますがこの百万軒は歩くことを基本にしたのは結局最終的には間違いなかったと思います今回の笠岡の活動に関してはいろんな所から笠岡さんは素晴らしい動きをしているからうちも真似さしてもらいたいうちも五十万軒をさしてもらおううちも直属挙げて陽気ぐらし講座をさしてもらおううちもおさづけをしっかりやろうと全教の動きの刺激になって動きに繋がってきている姿を見せていただいてありがたいなと思いますまた道友社が日曜日ごとにスカイパーフェクで放送をしておられる天理教の時間で今月の第一日曜日には初代の歩みを放送してくださいましたちょうど今跡を辿ろうと歩んできたその総仕上げの百十周年の一ヶ月前に全教に向かって笠岡の初代の歩みを放送してくれました正しくまた初代さんがさあ頑張れと後押しをしてくれた気がして仕方ありません正直この三年千日この百万軒の歩みの上についてはいろんなご意見を頂戴しました素晴らしいという意見もあれば反対の意見もあったその中で本当にこれでよかったのだろうか本当はもっと立派な花火を打ち上げた方が良かったのかなぁと自問自答しながらこうやってなってくることを見てみたら間違いはなかったこの歩みは正しく親が望んでくださった歩みだったと今さらながらに喜んでいます皆様方もこの三年千日いろんな思いがあって歩んできたものもあるかも知れませんが皆さん方が歩んできたこの三年千日は間違いではなかったむしろ親に喜んでいただけたまた親が後押しをしてくれた歩みだったことを心に置いて残された後一月余りまだまだ実動のできる道はいくらでもあろうと思いますのでしっかりと実動の上に歩みたいと思うと同時に自信を持って百十周年記念祭を迎え共にこの三年千日よう頑張った良かったなぁと互いに功績を褒め合える百十周年にしたいと思います百十周年が過ぎてからの歩みはまた心を揃えてこれから共につとめたいと思いますがせっかくこの三年千日心一つに歩んできましたその勢いをこれからまたしっかりとつとめるためにも大きな踏み台としての記念祭があると思いますので賑やかな記念祭にしたいと思いますどうぞ皆さん方ますます心一つに合わせておつとめいただきますようにお願い申し上げて今日のお話を了えます以上要約心の通ひ路便所掃除に学ぶ会簸ノ川分教会長津森朋之表統領先生よりさかんに地域におけるひのきしんの実践という事を聞かせていただいております昨年夏頃より何かできる事はないかと探しておりましたが近くの運動公園にトイレが一ヶ所裏の愛后山公園にトイレが二ヶ所ありますので気が向いた時に出かけては交互に掃除をさせていただいています今の時季は紅葉した落葉をはき清めているといい気持ちがいたします先日は平田市青年商工会議所主催の月一回の便所掃除に学ぶ会に参加させていただきました今回の会場は子供が通う小学校のトイレで一人が一つの便器を受け持ってヤスリやドライバーなどのさまざまな小道具を使ってそれこそ見えない裏の裏側までみがきあげて新品同様の状態にまでしていきます掃除を終ると掃除前の独特のアンモニア臭がすっかりなくなっていますここまで徹底的にみがきあげる掃除もあるんだな確かにこれは掃除に学ぶ会だなと貴重な経験をさせてもらって喜びましたがその反面お道の専売特許であるひのきしんの面でもとり残されていくのではないかとかすかな不安感を抱いたのも事実でしたひのきしんを通してか児童委員などの地区の役を仰せつかる様になりました無事につとまるかなという不安感半分どんな経験ができるかなという楽しみ半分の心境ですが地域に根ざした教会目指して進んでいけたらと思います大教会だより教会指令任命願美之郷分教会前任桑田正則新任桑田則昭奉告祭承認國須分教会前任橘髙キヌヨ新任橘髙祐高奉告祭承認秋季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしをするのを見てともに楽しもうとの思いから道具を寄せ守護を教え八千八度の生まれ更りを経て人間へとお育て下さったばかりでなく身上事情を通して常に陽気ぐらしへとお導き下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日朝夕のおつとめを通して御礼申し上げつつその思いに少しでも応えさせて頂きたいものとせかい一れつをたすけたいとの親心に添うべくつとめとさづけそしてにをいがけを通してたすけ一条の上に勤めさせて頂いておりますその中にもこの月二十六日は教祖を月日の社とだめお定めになり最後の御教えをお開きになられた尊い日に当たりおぢばでは秋の大祭が執り行われますので当教会でも理のお許しを戴いて只今からおつとめ奉仕者一同立教の元一日の親心に思いを一つに結び合わせて陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて秋の大祭を執り行わせて頂きます御前には季節の御恵みに喜び心を一杯に湛えて今日の日を楽しみに寄り集いました理に繋がる道の子供達が相共にお歌に唱和し親と慕い御礼申し上げる状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて世上では神の名の下に暴挙が行われておりますが親神様にしてみれば全ての教えは陽気ぐらしへと続く為の教えであり全ての教えの元なり神名の奥は只一つ一れつ子供かわいいの親心であるのになぜその事がわからず兄弟同士が争うのかとはがゆい思い一杯の事と思わせて頂きこれからのたすけ一条の上に今まで以上に親心がわかって頂けるよう丹精させて頂く所存でございます又創立百十周年記念祭にあと一ヶ月余りとなりました真柱様の御予定も決まり準備の方も急ピッチで進めておりますが記念祭に向けての実践項目の実動がおろそかにならないようより心を引き締めて勤めさせて頂く所存でございます加えて年頭に定めたおぢばへの心定め達成の上にも心と行いをつくしたすけ一条の上に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には皆の親孝心一筋の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り荒びがちなる人の心が澄みきり一列兄弟の理に目覚め助け合ってお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますふたことみこといよく今月日創立百十周年記念祭が執行されます三年千日と定め種の実践項目のお打出しがありそれぐ誠真実につとめて参りました芽出度い立派な祭典が執り行われると思います親神様は勿論として今の私達に道をつけて頂いた初代会長様を始め代の会長様並びに先達の先生方にもお喜び頂けるものと思いますしかし創立記念祭は陽気ぐらし世界実現の一通過点旬でありこの旬に創立者である初代様始め先達先生方の信仰の思いを再確認させて頂き明日への道末代への道をつける心定めの時ではないかと思います先ずその思いを再確認する術は今の私達には史に頼る事しか出来ません大教会史を再読される事をお勧めしますそして自分の思いを照合し明日からの心定めとしては如何でしょうか余談ですが史は平易な現代文で記述され年代順に整理されて大変判り易いものですしかも所に語り継がれた逸話や脚注付の書簡等があり一層身近なものになっています編纂のご苦労は大変だったと思います更に付け加えれば上原繁道先生のあとがき結びの言葉故人の跡を求めず求めた処を求めよには感銘致しました
かさおか

『かさおか』第40巻 第10号

創立周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえり一手一つの奮起と実動を本部員高井猶久先生お話し月月次祭講話要旨百十周年を迎える意味十一月二十九日全教のをやと仰ぐ真柱様がこの教会にお入り込みになりますが真柱様は大教会といえども滅多にお出でいただくことのできないお方ですからただ百十年だからお祝いするというようなことではなくこれを一つの吉祥として今までの通り来たりの道を反省してみてそれぞれの立場の上からさせてもらわなければと思っていることや今までのいろんなわだかまりしがらみそれぞれを変わるあるいは変わろうと思わなければならないと思います思ってもなかなか変われないというのは人間のさが性ですがをやの理を戴いて水に流すものは水に流して成人させてもらうそれが百十周年を迎える意味だと思いますお道の教会信仰者はをやの理を戴かなければことがうまく運ばないことが多いので生みの親育ての親理の親とにかく親と名の付くものにはしっかり喜んでもらうということが一番大事ですをやに理を立てるということはそういうことだと思います上級に理を立てるとは上級の会長さんに大教会に理を立てるとは大教会長さんにおぢばに理を立てるとは真柱様に喜んでもらうということでその中にいろんな不思議も現われてきますお互いこのお道を信仰しながら何もないときは解ったようなことを言っていてもこと身上や事情が起こってくると案外常識で良い悪いを考えていることが多いように思います事情身上があるというのはむしろ親神様が力こぶを入れていてくださるときでそういうときにこそ理の思案をしなければなりませんそう考えればこうしてをやが入り込んでくださるというのは滅多にないチャンスですからこういうときに今までのことを清算して新しい出発をしなければなりません心機一転世界たすけの旬特に時旬の理から言えば真柱様がお代わりになって諭達第一号を聴かせていただき諭達の精神徹底の上からようぼく躍進地方講習会が開催されそしてまた地方における推進役の教会長さんにリーダーシップをしっかり執って頑張ってもらうという上から教会長おやさと講習会も開かれました諭達の冒頭に世界たすけということが出てきますこのお道の本来の目的は世界たすけですが今日までの道すがらを考えると個人の事情や身上のたすかりが主でした言うなれば人間が心得違いをするのでその心得違いに対して事情や身上をして見せて心の入れ替えを望まれたそして心の入れ替えができた人たちに対して不思議を見せて親神様の存在を教えてこられた百年経った今日少なくともこの日本では天理教という名前もあらあら行き渡ってきたそしてこれから世界たすけが始まるという今はその時旬です世界たすけは何から始めるかといえば隣から隣へ自分以外は全部世界だと教えていただきました先ず隣から隣へにをいがけをしなさいおさづけを使いなさいということですとにかく銘がしっかりおさづけを取り次がせていただいて不思議をお見せいただかなければなりませんましてや心機一転世界たすけの旬です心機一転というのは何も新しく事を始めるのではなく今まででもよふぼくとして日の懇切にお話しくださる高井先生生活の中であの人に声を掛けてあげたらこの人を手助けしてあげたらここが汚れているなぁと気が付いていても忙しかったり恥ずかしかったりしてできなかったことをこまめに一言の話もしなさい声も掛けなさい手助けもしなさいそして身上者にはしっかりおさづけを取り次ぎなさいそれが心機一転です真実を尽くしていこうよくおさづけが効くとか効かないとか言われますが親神様の御守護が効く効かないというような言い方はそれこそ神様に申し訳ない話でもしそういう言い方が許されるなら効かないおさづけはない必ず効きますただこちらの願い通りに働いてくださるか否かは神様の御思案の中ですからこちらの願い通りに働いてくださらないときには自分の心定めなり相手の精神なりを省みて徹底して御守護いただけるまでつとめさせていただくということがなければなりませんお道は大正年間非常に大きく伸展しました時の政府は天理教は邪教だといって秘密訓令を出して天理教を潰しに掛かった当時の政府の力からすればまだ小さかった天理教を潰すくらいのことは何でもないはずだったのに潰れなかったなぜ潰れなかったかといえば当時親神様の不思議を見せられ誰が何と言うても天理教をやめないという人が多かったということですそれこそ雨後の筍とのごとく不思議がどんどん現われた当時死に病といえば肺病死に病といってもすぐに死ぬわけではなく何年もかかって次第に痩せ細りしかも人に移るので病院の完備されていなかった当時肺病の人は家で寝ていてそういう家は人に嫌われたそういう家へ布教して回った聞いたこともない神名を唱えて拝ましてもらおうとしても当然断られる断られても断られてもそこへ訪ねていく余り何遍もくるので罵倒する頭からバケツの水を掛けられるそれでもまた行く余りしつこく来るのでそこまで心配してくれるのなら肺病の親爺の痰壺を呑めと言われて一息に飲み干したこんな話はいくらでも残っています痰壺を呑めと言えば逃げて帰ると思ったら呑んだもう好きにしろとなって水垢離はとる断食はするおぢばへ帰りかんろだいでお願いしてきておさづけするおたすけ人として有りと有らゆることをその当時の布教師はしたのです確かに不思議が次と現われたしかし反面いわゆる御守護いただけずに出直してしまった人も結構たくさんいましたそれなら不思議を見せられた家の人が熱心になったかといえばそうではないそれでは御守護いただけなかった人の家族は誰も信仰しなかったのかといえばこれもそうでもないそこで事後続けて信仰するかどうかはどこで決まるのかそれはおたすけ人の真実ですまさか呑むと思わなかった痰壺を呑んだ実の子供にもできないことをこのどこの馬の骨とも分からない天理教の布教師がやったああもしたこうもしたそして挙げ句の果てに死んだ子供たちにしてみればいくら親でも人から嫌われる病気で何年も寝ていたら看病疲れでヘトヘトになり内心ホッとしてるどうかすれば涙も出ないところがその天理教の布教師は涙をボロボロこぼして私の真実が届きませんでした申し訳ありませんでしたと土下座して詫びる姿そういう姿に接して信仰する人は信仰したのですこう考えると病気が治るか否かではなくどこまで真実を尽くし切るかが問題なのです今の世の中はそれこそ何が本当か嘘か分けの分からない時代ある意味では非常ににをいがけのしにくい時代神様のお話をまともに聴こうとする者もいないし話してみてもいくらでも理屈が返ってくるけれどもこういう時代だけに本物を求める人も多いのですお道の方は皆さん概して真面目で熱心ですしかし七八分は一生懸命やってもそれから先になったら最後折り合うところまでいかずに諦めることが多いこんな時代であるだけにこちらが真実を尽くし切ったらお道を信仰してくださる方はまだまだいると思います問題はよふぼくがそこまでできるかどうかですところがなぜできないのかといえば結構すぎるという返事が返ってきますこれほど神様に申し訳ない言い方はありませんお互いの初代はなぜお道を信仰したのでしょうか事情や身上であちこちの医者や神様をさんざん探し回って最後どうにもならないようになって嫌いな天理教の話を聞いてるという場合が多い初代の方は天理教の話を聞いていんねんを自覚しこんないんねんは孫子に残すわけにはいかん自分一代限りでうち家のいんねんを全部見せてくださいというような心定めをしたそして一生懸命おたすけに励んだ苦労の中へ我が身を投じた貧乏しながらコツコツ布教してそして代が重なって今日結構になったのですその神様から与えられた結構さがあるがゆえに神様の御用が務まらないというのはそれこそ神様に申し訳ないと言わざるを得ませんいんねん納消の道また理の親理の子上級部内という線上にお互いのいんねんを見せられておりますいんねんあって理の親理の子となり上級部内となってるそしてその中にいろんな姿を見せられるそれは間違いなく自分のいんねんですその見せられた姿を自分のいんねんとして自分がどうさんげをしお詫びをするかそのさんげとお詫びからおたすけが始まらなければなりません昔は不思議がたくさんあったのにこの頃は少ないという声もよく聞きますがそういう声が出てくるのはおたすけが他人事になっているからではないでしょうか一つ間違えばあの人は俺がたすけたということになりますがそこに見せられた姿を自分のいんねんとして自分がどうさんげをしお詫びをするかが大切でそうしておたすけにかかったときに初めてそこに不思議をお見せいただけますまたお道の者の祈りの方法も自分個人の事情身上のお願いだけではなく世界で苦しむ人たちのために祈るひのきしんをするおつとめをするおつくしをするというような人のためにどんなこともさしてもらうという祈りに変わってこなければならないのではないでしょうか世界中どこの国でも身上事情は非常に苦しい早く楽になりたいという気持ちは人間である限り同じですそういうことを御守護いただくことのできる道はこのお道だけですおつとめ以外に人をたすける道はありません地球上の半分以上の国が開発途上国といわれていますが難民と言われる大勢の人たちをどうやってたすけられますか物ですかお金でしょうかこれはおつとめをお措いてほか外にはありません人間というものは一人ひとり自分自身の前生前生からの通り来たりの道によって今生食べる与え着る与えその他諸の与えを頂いて生かされている言うなれば与えの無い方の特徴といえば一口に言うと感謝がない恩が分からないそれでも少ない程度の与えがあるから人間としてこの世に生を享けているそれも事実ですだからそういう方におつとめを通してその小さな与えを喜ぶことを教えてあげると少しずつよくなり与えが増えてくる年限かけて通る内に結構になってくるそういうことを教えられるのはおつとめしかありません人間というものはなかなか思うようにいかないことの方が多い思うように成らぬがいんねんです事情というものはその大小に拘わらず自分は正しい相手が間違っているというのがその特徴です自分の意見を堂と言いなさいというような教育をしていますから今自己中心に物事を考える人が多いそういう性格の人は他人から嫌われる自分の身の回りから人の与えが無くなる物や金というものは人に付いてくるのでいい人が周りから離れていけば物や金も自然に我が身から離れていく無い無いずくめでどうにもならなくなってくる最終的には神様から貸して頂いている身体を自分の思うように使わせてもらえなくなるそれが身上です多くのよふぼくは病気が治ることを最終目的に話しておたすけをしていますがこれは勘違いですその人の前段階に必ず心得違いがあるから事情身上が起こるのであって神様がなぜそういうことをしておられるのかを相手に分かってもらえるようによふぼくは道を説かなければなりません一日一日身に行なおうそれぞれの町などで三分の一の人が大なり小なり親神様の御守護が分かるようになれば物事の見方受け止め方思案の仕方そういうものがお道的になってくるそういうところへ何も知らない人が入ってきても同化されて自然にそういう考え方をするようになってくるそういうふうに考えていけば親神様が世界一れつ残らずたすけ上げたいと思召される親神様の御理想は夢でなくなるということですその原動力になるのはよふぼく一人ひとりがどこまでそういう気になってやってくださるかです一人ひとりが精一杯つとめさせていただくことによって丸の御守護を頂くということに繋がっていくわけです今は本当に大変な世の中ですがお互いお道の者がしっかり真実を尽くし至るところでひのきしんをし身上の人を見たら片っ端からおさづけを取り次ぐということが対外的に始まっていかなければなりません今ちょうどこういう旬にこの教会が百十周年を迎えて真柱様にお入り込みをいただくことができるそれこそそういうことを始めさせていただくのに一番良い旬を神様からお与えていただいているのですいずれにしても吉祥がなければ変われません目前に大きな吉祥を与えられ新しい出発をされる皆様には最高のチャンスだと存じます笠岡に繋がる皆さん方そういうことをしっかりお考えいただいてとにかくもう自分の利害や都合を一切捨ててしっかりをやの声に添うてをやに喜んでもらえるように百十周年に向け一日一日身に行なうてつとめていただくということでひとつしっかり頑張ってもらいたいと思います心の通ひ路時旬に見せて頂いた大節出雲分教会前原布教所長髙島哲雄ドスン今の音何お父さんがたおれてる早く皆な来てしておさづけを早く早く救急車を呼んで呼吸していない心臓がとまっている何とかして心臓だけは動かしていないと脳がやられる必死で人工呼吸する心臓が動き出す昨年の九月三十日の朝七時の出来事何と言う事やはり親神様は大変なりっぷく布教所は引取られるのかなと私の頭の中をよぎった大教会百十周年記念祭を一年後にひかえた昨年教会の中で大変な事情がおきている事をきき全身の血の気がひくおもいをしたのがたおれる一カ月前の八月何かのすがたを見せて頂くだろうと覚悟はしていたもののあまりにもきびしい現実にやっと医者にあずける事が出来たけれども医者は出来るだけの事はしますけれども覚悟をして下さい一言大動脈瘤破裂とのこと頭の中はまっ白子供たちと顔を見合せけれどもなお父さんの信仰のすがたは並ではなかった親神様には厳しく向合いまさかの時に動いて下さる信仰と常に口にして厳しいと言って良い毎日だったこのすがたを無駄にしてはだめ何かをやらせてもらおう親神様は私共に何をおっしゃっているのだろうはっきり私共にわかるようにおしえて下さいとこのたびほど思った事はない大教会の記念祭には真柱様をお迎えしておこなわれるこの時旬にこの現実を見せていただいた私共背筋に針金を一本とおした様な気がする心をよせ合って固まったお供をさせていただいたあの方この方とたくさんのかたがたの心をよせていただき病院の婦長さんからはこの人はたくさんの人たちに見守られて天理教の教祖さんのような人ですねとよろこんでくださったない命をつないでいただき一年をむかえる事が出来九月本部月次祭には孫たちをつれにぎやかに御礼参拝をさせていただき一万人おぢば帰りの声にのせていただくことが出来たこの大教会百十周年記念祭の時旬にない命をも助けて頂き親の理を頂けるすばらしい旬である事を身をもって体験させていただきました親神様ありがとうございます一年生の想い鶴南分教会長酒本嘉子私は此の六月にお許しを頂いたばかりの新米の教会長でございます私の実家は代仏教でしたが御縁がありまして天理教にお引き寄せ頂きました昭和二十五年の夏主人前会長が盲腸から腹膜炎を併発しあと数時間の命と二人の医師より手を離されてしまいましたが鶴山分教会の前会長様のおさづけにより一夜の内に鮮やかな御守護を頂きました以来五十有余年無事にお連れ通り頂きました永い道中には雨の日風の日又嵐の日も有りましたが目の当りに見せて頂いた親神様の御姿に勇気づけられ教祖におすがりしながら御恩報じの一念で通らせて頂きました昨年十一月に主人が出直しましたが何年も主人に寄りかゝって通って参りましたのでつっかえ棒をはずされた今なれない立場にあたふたとうろたえて居ります亀田山分教会の前会長様が自分への布教をと書いて居られたましたが第号第巻私も初心に帰り一から出直さなければいけないと思って居ります自分自身を見つめ直し自らを律し九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしが見たいとの温かく慈しみ深い親心のままに自由の御守護を下さり日は結構に恙なくお連れ通り下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながらその親心はおろか一列兄弟の理さえも忘れてただ民族や宗教や国に囚われ兄弟同士がいがみ合い傷つけ合う姿が未だに無くならない事は誠に申し訳なくひとえにお引き寄せ頂いた私共の成人の至らなさ故の事と日反省を重ねつつ成人を目指してつとめとさづけを通してたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は九月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達と相共に心を一つに睦び合わせて明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は記念祭にお入り込み下さいます真柱様の随行員をお勤め下さる高井猶久先生と島村廣義先生に視察打ち合わせの為お入り込みを頂いておりますので後程高井先生より親しくお話を頂戴しお聞かせ頂く一つ一つをしっかり心に治めて成人へと歩みを進めさせて頂く所存でございます又月末の全教一斉にをいがけデーに併せにをいがけ強調の月とお打ち出し頂きいつもの月より思いを強くしてにをいがけに邁進する中宗教による聖戦という名の下にテロという暴挙が行われ大勢の犠牲者が出ました事は誠に痛ましく哀悼の念に堪えません加えて報復という名の暴挙が行われようとしている今日親神様の心中は何と残念無念の思いに溢れているかと思う時諭達の中の今こそ人に元なる親を知らしめ親心の真実と人間生活の目標を示し慎しみとたすけ合いの精神を広めて世の立て替えを図るべき時を実感し更なるにをいがけおたすけに思いを致し実動に邁進する覚悟でございます何卒親神様には皆の心定めの真実をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護をお現し下さいまして世界中の人の心に真実の親を思い起こさせ一列兄弟の理に目覚めさて神一条の精神で日を通らせて頂かなければならないと思って居ります成人のにぶい私には仲むつかしい事だと思いますが日反省をしながら教祖のひながたを見つめて少しずつでも成人させて頂きたいと思って居りますおさしづに反対する者も可愛い我が子念ずる者は尚の事なれど念ずる者でも用いねば反対同様の者明治二十九年四月二十一日とあります親不孝者にならない様心して通らせて頂きます世界情勢について福東分教会藤井保人九月十一日米多発テロ事件発生から世界はこの事件を中心に様な物事が進み激変する日が過ぎています誰もが予期せぬ大惨事民間人の犠牲者を多く巻き込み悲しみと衝撃を与え世界中の人が不安にさらされました何故こうした事が起ったのでしょうか原因は多くあるかもしれませんが全ては人間の心遣秋季霊祭祭文此のの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家ご先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊大教会草創の頃より長の年月歴代会長と共にご苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます御霊様方には早くから親神様教祖のお見定めにより身上事情を通してこの道にお引き寄せ頂かれ教祖ひながたを辿るべく道の先達として艱難苦労の中も決して心倒す事なくむしろ悪因縁切り替えや悪因縁納消の時とばかりに親神様教祖に凭れて生きの限りたすけ一条の道を通り切られましたこれの笠岡の道が創立百十周年を目前に控えた今日の結構な姿をお見せ頂いておりますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜である事は申すまでもありませんが又一つには御霊様方が私利私欲を捨て神一条に真実の伏せ込みをして下さったお陰と日朝に夕にと御礼を申し上げておりますが本日は秋の祖霊祭を執り行う定めの日柄でございますので言改めて御遺徳を称え御心をお慰め申し上げたいと御前に海川山野の草の物を供えて只今はおつとめ奉仕者一同ゆかりある人と思いを一つにして親神様の御前にて陽気に勇んでてをどりをつとめさせて頂きましたさて記念祭に向け先月二十六日二千人で祈願のおぢば帰りをさせて頂き実践項目の仕上げと共に更なる実動を誓い合わせて頂きました加えて先日のアメリカで起こったテロによる暴挙を発端として世界戦争へ突入しかねない今日の世情を思う時諭達に込められた今こそ元なる親を知らしめ世の立て替えを図るべき時を実感し改めてよふぼくが一丸となって世界だすけに邁進すべき旬と悟らせて頂きました何卒御霊様方には親孝心一筋に我が身捨ててかかる皆の真実誠の状を御覧下さいましてたすけ一条にますます拍車がかかり理の栄えをお見せ下さると共にお互いの実動を称え合いにぎやかな記念祭になりますようお見守りお力添えの程を一同と共に慎んい心の埃が元になって生じた事だと思うのですやり返すという心の使い方が報復という言葉を生みその延長線上に争いがあり被害は拡大し事態は収拾のつかない状況になりかねませんまずは当事者自身が反省をしどこが悪いのか省みる努力が必要です事が国レベルになるとこの些細な思案の仕方が難かしいかもしれませんがお互いに協議を重ね合い和解の方向へ進んでほしいと思いますある新聞に関連する記事が載っていました世界のどこかで平和が売っていたら自分の国のために買いたいこれはアフガニスタンの首都カブールの少女が語っていた願いだそうですなんとも言いきれない胸が痛む思いがします一日も早く世界中の人が安心して暮らせる日が訪れるよう一信仰者として陽気ぐらし世界建設を祈願するばかりです大教会だより教会指令神殿建築願深安分教会鎮座祭奉告祭承認日服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散中村邦義大教会役員佐藤昌平呉福分教会長竹本和道福芦分教会長北川治史稲倉分教会長修養科期間第期修養科募集要項ふたことアメリカ同時多発テロ狂牛病発生等心が暗くなる様なニュースがみこと飛び交う今日この頃少し目を転じて我が家教会のホットニュースをお送りします去る九月十六日姪姉の子が結婚させて頂く事が出来ました前会長夫妻父母と私と三人で出席しましたが事件ハプニングは帰る途中起こりました姉が時間の流れを考えて帰りの飛行機の予約を入れておいてくれたのですがその時刻は六時十分発です披露宴が予定時間を一時間以上オーバーして終ったのが午後四時過ぎ大急ぎで着替えをし池袋駅へその時点で五時丁度普通に行けば羽田迄五十五分ですこれはギリギリだなと思い電車の中で父母に飛行機の出発時間にギリギリなので乗り換えの時は急いでと言って浜松町へ到着そこからモノレールへ八十四才八十才の老夫婦が息子の後をヘタヘタと走ってくれます私めは浜松町ののカウンターで父母を見失わぬ様こっちこっちと手招きをしつゝ搭乗手続チケット購入をし走ってくモノレールへ羽田へ着くなり階上の搭乗口へエスカレーター動く歩道を又又ヘタヘタゼイゼイ老夫婦を急かしく走ってもらうその間七メートル以上呼び出しの放送が流れる中飛行機内へ五分前ギリギリセーフヤレヤレ前会長父曰わく昔のわしなら死んどったぞとゼイゼイ第二次世界大戦を九死に一生を得その後二十八年前心筋梗塞の発作で何度も死にかけた父同じく戦争をくぐりぬけ五十年程前に病気で死線をさまよった母その二人が八十を過ぎて揃って孫の結婚式教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目へ出席し息子に急かされながら叱られながらゼイゼイと息を切らして走りぬき飛行機内へゴール何とありがたい事でしょうへぇじゃがほんまにくたびれたのぉと言い合う父母の姿まあ何はともあれ元気で十一月二十九日には参拝させて頂きましょう
かさおか

『かさおか』第40巻 第9号

創立周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえり創立百十周年記念祭祈願おぢばがえりを終えて八月二十六日本部月次祭終了後東礼拝場には関係のようぼく信者約二千名が左肩に紺色のハンカチをつけ続と集合しました十二時三十分大教会長様の手に合わせて柏手の音が神殿に響き渡りますおつとめには青年会女子青年二十五名が黄色のシャツを着けポイントポイントに立ちあがっていましたその一糸乱れぬ手振りに合わせて参拝者全員が一手一つに創立百十周年記念祭祈願のおつとめを勇んでつとめることが出来ましたおつとめの後大教会長様はご挨拶で三年千日の打ち出し以来今日までの丹精のお礼とあと三ヶ月に迫った記念祭へ向かって最後の仕上げへの熱い思いを述べられています思えば一昨年年頭会議で諭達を実践しをやの理を戴こうとの三年千日の活動方針を御発表頂きました第一年目は実践項目百万軒にをいがけを掲げ皆様方のお力添えのもと大きく目標を超える御守護を頂いています更に昨年第二年目はつとめに専心百万軒にをいがけ全教会での陽気ぐらし講座の開催を目標に励みました十一月二十一日大教会祭典日には達成の喜びを胸に八百余名の参拝者と共に十二下りてをどりを全員総立ちでつとめ記念祭への決起を誓ったのでした本年は仕上げの年としておさづけの取り次ぎ陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一万人のおぢばがえりを合い言葉につとめて参りました皆様方のお心寄せを頂き今年の七月末日現在おさづけの取り次ぎ四万二千七百二十四回にをいがけ軒数六十五万四千五百七軒おぢばがえり八千四十五名となっています一万人のおぢばがえりにつきまては今回の祈願おぢばがえりをもって完成の御守護を頂きまし祈願おぢばがえりに感激明石市分教会長杉原博之無事一手一つにつとめ了え満面笑みの奥様た子供おぢばがえりに引き続いての帰参で大変な努力を頂きましたこと厚くお礼申し上げますこの喜びと勇み心を持って残された二ヶ月心定め達成に全力を尽くさせていただきたいものと思いますそして十一月二十九日には大勢の参拝者を頂き明るく勇んだ創立百十周年記念祭を迎えさせて頂きたく思いますのでどうぞ更なるお心寄せを賜りますようよろしくお願いいたします西礼拝場で家族で参拝させて頂きました真柱様の祭文奏上には誠に身の引き締まる思いで決意を新たにいたしました今回の月次祭は一二下り神殿講話が終わった後百十周年の意義深き盛会を願ってのお願いづとめが有るので何だかワクワクした不思議な気持ちでみかぐらうたを唱和させて頂きましたお願いづとめにワクワクはおかしいのですがどうしてでしょう私はこんなことを思いました世界中の人間は皆なおぢばで生まれた兄弟姉妹その中に只今の西礼拝場は正に百十周年記念祭の成功を願う道の兄弟姉妹の中の兄弟姉妹で埋まっている見知った先生方の真剣な表情笠岡の印のブルーのハンカチを肩に付けている方その思うところ純な素直な正に真実の皆様ばかりああ心強いなあきっと親神様は受け取って下さるとの思い心躍るときめきの時ブルーのハンカチは祈りの色に思えますまた静かな決意の色ブルーで埋められた神殿は祈りと決意の場笠岡の旗を持って案内をされる先生方何くれと世話をやいている会長様方皆真剣な表情をされているどちらの大教会の皆様か多数の団体の真剣なお勤めが始まった静かに私達の時を待つその時の高揚した気持ち何とも言えない嬉しい心静かな決意やっと心を解き放つ時間が来ました親神様に拝礼合図をされる先生の誠に凛とした口調無数の幾千の皆様のお勤めの祈り声が一つに揃い解け合って結び合う喜びと感激に涙が出そうになるああ有難いなあ心からそう思う大教会長様の皆様をねぎらう言葉とこれからの実践活動の励ましを頂きこの素晴らしい行事に参加させて頂いた大きい喜びに浸らして頂きました祈願おぢばがえりの種の麗しい実りを心から信じて精一杯力を尽くしたいと心から感じさせて頂きました待っていて下された教祖久松分教会喜多村則子百十周年を迎えるにあたって月次祭の後ご巡教にこられた教会長様のお話で大教会長様より百万軒にをいがけが打ち出されたというお話をされましたパンフレットを配るだけなら私にも出来るだろうやらせて頂こうとその時は思いましたが時間が経つと忙しい忙しいとすぐ我身勝手の心が湧いて実行に移せませんでした忙しい中も時間をつくって配っておられる方今年から月次祭には会社を休んでおつとめをつとめる心定めをした信者さん身上の中でもコツコツと配っておられる理の親である布教所長様の姿に心をうごかされました毎月の月次祭に参拝しておつとめをして帰るだけでは教祖様に申し訳ない今こそ私も心を定めて実行させていただかなくては早速帰りに奥様にパンフレットをいただいて帰り勇んで配らせて頂きましたありがとうご苦労さんとか姉が教会に参拝していますとか私もお話は聞いているんだけどなかなか心がねえと言われる方に出会った時は何か親しみを感じてうれしかったです中には天理教も何教もうちには要らんと言って受け取ってくれない人もいます留守のお宅へはどうぞ読んで下さいと心の中で言って郵便受へ入れます少しでも癖性分を取って頂けるように百十周年がすぎても頑張らせて頂こうと思いますそして帰参当日満員のバスの中は和やかな雰囲気で所長様のにおいがけで初めておぢば帰りをされた身上の方も体調をくずすことなく無事おぢばに着きました教祖様が待っていて下されたのだと思えて胸があつくなりました早速参拝し親神様にお礼を申し上げ教祖殿に向いました磨きぬかれた廊下ピカピカのトイレに身上の方も感動しておられました教祖様にお礼とお願いを申し上げて頭を上げるとすぐ前で若い娘さんが男の人におさづけを取り次いでいるのが目に入りました私には出来ないなと思いました改めて日教祖様にお喜こび頂ける通り方をしなければと思いました夏休み中と言う事もあって礼拝場や境内には青年さんや子供達がいっぱいで頼もしく思えました礼拝場を出ようとした時よろづよ八首を歌いながら回廊拭をする人達に出会いました三十数年前修養科生だった頃を思い出させてくれました祈願おぢばがえりも終えた今残された三ヶ月を精いっぱい頑張らせていただきたいと思っています共に参拝させていただきました感無量のおつとめ米府分教会下鳥山千文米府分教会の月の月次祭で月日日の土日におぢばがえり団参があるという話を伺って即これはぜひ家族みんなで行かせてもらおうと思いました私の家は妹が嫁いでからは両親と私の三人暮らし今回の祈願おぢばがえりへの参加は日ごろいろいろと面倒を掛けている両親への恩返しになると考えたのです費用は私が持つからみんなで行こうよというと両親は大そう喜んでくれました三人が揃っての団参は四年ぶりくらいでしょうか両親は久しぶりに訪れた天理の街に対して以前とはずいぶんと趣が変わった印象を持ったようです私たち家族が思っていたおぢばがえりの目的は日ごろの感謝のためでした両親とも六十歳を過ぎてもなお元気に働いており自分自身もまた事故や病気も無く元気に通らせていただいているこんなごく普通に暮らさせてもらっていることに対する親神様への感謝の気持ちを家族揃ってそして米府に笠岡につながるみんなと一緒におぢばかんろだいで伝えたいそして両親におぢばでの休日をゆったりとした気持ちで過ごしてもらいたいそんな気持ちがありました後で団参の話を聞いた妹も私も行きたいと言っていたのですが都合で参加できなかったのは残念ですそんなことから日の西礼拝場でのおねがいづとめは感無量でしたにつながるみんなが大教会長様の手に合わせて一つになってのおつとめは壮観でした私は今回の祈願おぢばがえりの機会を家族と一緒にそして道につながるたくさんの人と迎えられたことに大きな感謝の念を抱きましたこの秋のの大きな旬を家族ともどもに迎えられることを楽しみにしています学修で得た宝物を生かして神邊分教会佐藤夏代高一回生で参加したので本当に何も分からなく不安でいっぱいでした朝はとても早くて起きるのがつらかったけどだんだん慣れてきて朝づとめも一生懸命できました私はとても人みしりをしてしまうので話すとき気を使ってしまって体がしんどくなることがありましたそれで学校の救護室に回も行って休んだりさせてもらいましたその時に同じ班の友達カウンセラーさん講師の先生みんなが心配してくれて優しい声をかけてくれたのですとても嬉しかったですみんなに感謝しています集団生活はとても苦手だけど集団生活でしか味わうことのできないものもありました食事の時は周りの人達のはしを配ったりお茶を入れたり自ら進んでできました協力することの大切さを実感しました人のためにという心が自分も周りの人も気持ちよくなるんだなと思いましたカウンセラーさん班のみんな講師の先生みんなとても優しくしてもらって感動しっぱなしでした学修でいっぱい宝物をみつけましたこれから家に帰っても学修で得た大切なことを忘れずにいたいですそしてつらいコトがあっても班のみんなたちを思い出してがんばりたいですありがとう学修前会長さんありがとう國須分教会河田裕也高最初寮についた時はすごく帰りたかったですでも学校も始まり日がたつにつれて友達もたくさんでき楽しくなってきました毎朝に起きて眠い目をこすりながら通った朝づとめでも一日も欠かすことなく頑張れたのもカウンセラーの先生友達がいたからできたのだと思います学校では少し寝てしまったけど一生懸命僕なりに頑張りました僕らの班は最初から男子と女子の間が深くその事での話し合いもして何とか仲良くなりました二回生のメイン行事と言えばなんといっても先人の道十三峠越えだと思います僕は最初は正直言って行くのが辛くしんどかったですでも僕の所属する教会の初代会長さんが何度も行きたがってた十三峠それなのに越える事なく昨年出直しされました僕はその会長さんの気持ちを思うと辛いとかしんどいとかは言ってはいられない僕が会長さんの分まで頑張るんやと思って歩く決意をしました僕は会長さんを背中におぶった気持ちで十三峠越えをさせていただきましたそしてちょうど頂点についた時にみんなでよろづよ八首奉唱をしましたそれから平群総合スポーツセンターで夕食をすませて女子はバスでおぢばへ男子は班ごとに歩いておぢばにかえらせてもらいました帰る途中すごく足がいたくなり歩くのもだるくなりましたでもそこで前会長さんの事が思い浮かび僕の足は止まるコトなく自然に体がおぢばへと引きよせられましただから僕にとっては班の人だけでなく前会長さんも一緒におぢばに着いた気がしますそして毎日寝る前に行われる夜の挨拶ではおふでさきを拝読したりよろづよ八首八種をおどったりったりして一日のしめくくりをしました退寮式ではこみあげるものがあり涙をふきながら先生の話を聞きましたやはり一回生とはちがうものがありました終わりになりましたがカウンセラーさんのお言葉の中にバカになりなされやと言うコトを言われ最初は意味があまり理解できなかったけどこの学修終えさしていただいてバカになれば人より低くなれる低くなれば自分の思いや気持ちのもちかたもかわってくると思いました僕は普段からおもっていることは人をかえようと思えば自分がかわらないといけないと言うコトです僕はこのコトはバカになりなされやと同じ意味じゃないかと思わさせていただいていますこの学修で学んだコトを親や兄弟友達にも話そうとおもっています学修参加させてくれた両親にありがとうの気持でいっぱいですありがとう友達ありがとう先生ありがとう学修そして今は亡き前会長さんありがとう教祖ありがとうございました川島郷分教会香取満彦高今回あまり乗り気で参加させていただいたわけではありませんでしたこどもおぢばがえりから帰ってすぐであり学校の予定がつんでいたりと時間的にかなりキツい状況でなかば強制的に参加させられましたが開講してすぐ聞いた言葉が教祖が手を取って引き寄せてくれたのだ偶然かと思うかも知れないがこの出来上がった班は班員達の姿を見てこうすればよくなるこうすれば変わると教えてくれるためのものなのかも知れないといった意味のものでしたこの言葉を聞いて僕は確かにそれはうなずけるが本当にそうなのかと驚きながらもうたぐっていましたそれなら自分で確かめさせて頂こうと思い少しやる気を出して学修に臨みましたコミュニケーションをとるまでに時間のかかる僕が班員達を見て一日目を除き昔からの友人のように感じました日を追うごとに僕の無愛想もなくなってゆき後半では他愛のない会話をするという僕にしてみれば快挙を成しとげることも出来ましたまた友人だけでなくカウンセラー講師も素晴らしい方でした講師の先生は通常のレクチャーのみならず親身になって話を聞いて下さり個がかかえている問題の解決法を教えて頂きましたもちろん僕もお世話になり実際自分が気づきもしなかったことをピタリと言われ心の中の黒としたものが消えたように感じました先生も若いころ大変苦労なされレクチャー中にその話をして下さいました苦労した人は良い道悪い道のどちらかに分かれ良い道に進んだ人はきっと立派な人間になると思わされましたレクチャーなどは大変興味深くお道の理解を深めることができましたクラスミーティングも楽しめながらクラスメートの相互理解が行えるという濃い内容のもので深く感謝していますそしてカウンセラーも日そばにいて下さり僕らのことに身を砕きお世話になりました面白いネタも豊富にもっておられ笑いが多くあったと覚えています最後のあいさつのとき泣いておられるのを見て胸が熱く感じました今ではあまりない熱血でした結局始めの方の情けない考えを打ち砕かれあの言葉が真実として考えられるようになりました素晴らしいカウンセラー講師の先生そして友人彼らに会わせていただけたことを教祖に感謝するとともに何かが変わった自身も今後を前向の姿勢で進みたいと思います天理教が大好きになった樺島分教会岩崎道理高ぼくは天理教が大嫌いでした部活の試合があっても月次祭で出場できなくなったりしてたからですでも父にこの学修に参加したらいいんじゃないかと言われてしぶしぶ参加しました寮に行ったらみんな最初は何も話さなかったけど分ぐらいしたらみんなテンションが上がって日でみんな仲よくなりましたきっとぼく達が番最初に仲よくなったと思いますそれからいろんな行事を通してぼくは天理教が大好きになりました教会長おやさと講習会を受講してそのものからわかりてくれ伯仙分教会長川上道美去る八月二十六日本部月次祭後の西礼拝場に於いて創立百十周年祈願おつとめに続いて二十八日より三日間教会長おやさと講習会を受講させて頂きました会場は熱気に溢れんばかりの中三講師の方は体験をもとにお話下さいました第一講は信じて通ることに勇み心がわいて来るということ第二講は幼ない頃母とはなれて暮らしていたがいつも教祖が側にいて下さると思いさびしい思いはしなかった自分から教祖に近づいていくのだと第三講は教祖の存命の理は道の命である道は末代と今までにも何度かお聞きした話もなにか深い重みを感じましたビデオシンポジウム練り合いでは二十代から八十代の男女の教会長さんのなやみや失敗談それ等についていろいろ答弁をしあい時間のたつのも忘れる程有意義な練り合いでした一人の教会長さんの話でおぢばへ参拝の団体募集に歩いていてある家に入ったら大勢の人が集まっておられそこは創価学会の家であった天理教ですがと募集のチラシを出すと追い返され又何度か訪ねると同じであった何年かたって募集に行くと出てやるが条件がある天理教の話はするなとのことであったその後団体に出られる様になり先方から天理教の話が聞きたいと訪ねてこられたとのこと根気よく通われたものだと感心し自分のいたらなさを痛感しました最後に真柱様よりそのものからわかりてくれとのお言葉を頂戴しこのお言葉をいっそう胸に修めおかけ下さる親心のおこたえ出来る様勇み心で教会内容の充実にと百十周年に向ってあます三ヶ月をがんばりあとで意義ある教会長講習であったなあと思える時が来ることを願います心の通ひ路心のバリアフリーを目指して金浦分教会長西江昌直先般の教会長親里講習会で私は月中旬第次を受講させて頂きましたがそれに先立ち小生の幼ななじみであり悪友でもある某教会長の車椅子を押して一緒に受講するように云われお引受けしたものの果して日間のお世話どりが出来るかどうかいささか不安であったと云うのは車椅子で昇殿参拝した事など一度も無かったし段差の所では向きを変えて引張らないと前につんのめってしまうしじゃり道でどうか等余計な先案じをしていたがいざ始ってみると体力の無い私に代って若い教会長さんが押して下さったり会場と詰所との往き来に某教会長さんが快く運転して下さったりで諸先生方の御陰で無事に日間を了える事が出来ました昨今や新聞でバリアフリーという言葉を見聞き致しますが最近の本部の神殿廻りも教内諸施設に至るまで昔に較べると全ゆる面で参拝し易くなっているので本当に有難く思います振り返って私の天高二部の頃三島町の或る先生のお宅に約年半住込でお世話になって居ましたその先生は本部准員で本部の雅楽部長という要職に就いて居られましたが中風と下半身不随という御身上で大変不自由な生活をして居られました先生のお立場の関係で本部の著名な先生方が頻繁に出入りされるのでお顔とお名前を憶えるだけでも大変でした天中時代詰所で割とのんびりと過ごして来た私にとって急激な環境の変化にはついてゆくのがやっとでした薪割り風呂焚き風呂掃除各部屋の掃除等は何とかこなしましたが苦手だったのは茶道具雅楽の修理道具修理技術又定期的に行われる俳句の会リヤカーを押しての遠出それも南は三昧田大和神社北は櫟本の和爾神社一番大変だったのが毎月日月次祭に雅楽演奏に赴かれる時現在のように西側にスロープはありませんリヤカーの右車輪を石段の右端の急な斜面に乗せ押し上げて境内地へ入ってからが又大変リヤカーを目ざとく見つけた境内掛がすっとんで来て私達と押し問答の末事態を了解して手伝ってくれる人も居れば渋納得してそのまま去ってゆく人も居たりして反応は様でしたしかし旬の忙がしい時には中央大惠愛分の板橋先輩が天理大生としての学業はさて置き必ず駆けつけて下さり助けて下さいました又夕刻登校すれば兵神大系の親友井上君が私の悩みを聞いてくれました良き先輩良き友人に恵まれて苦しかったトンネルを抜け出す事が出来ましたさて記念祭まであとヶ月余り昨年不眠症で修養科を出た信者さんが何とか職場復帰を果したのですが症状が一進一退を繰り返していて申し訳ない次第です私が真の心のバリアフリーを目指して行動しない限り御守護頂けないと思って日頑張りますなぜ修養科へ行ったのか海松ヶ岡分教会森本三千代私が何故修養科へ行ったのか多分私の事を良く知っているいとこや親戚達は私が修養科生となったことを驚いていたと思います何故なら私は随分前から天理教があまり好きではなくなり何年も前から教会へ参拝することもなければ用木であることの自覚も全く無い生活をしていたからでしたそんな私が約年間勤めていた会社を辞めたのは今年の月の半ばの事でした私は会社での人間関係によるストレスから人に対して優しさをもって接する事が出来なくなりそれどころか嫌な事があればそれを顔や態度に表す様な自分の事しか考えられない高慢な性格になってしまってそんな自分を変えたい改めたいと思っていたからでしたしかし会社を辞めたからといって新しい所で働いたからといって周りの環境を変えても自分自身が変わらなければどこに行っても同じなんじゃないかと親に言われた時に今まで天理教が嫌いでましてや修養科なんてと思っていた私がそういえば笠岡ではヶ月ごとの入学になっている修養科が次は週間後だなあとふと私の気持ちの中に表れて今行かなければ絶対に後悔するだろうという思いで決意しました修養科のヶ月は真夏の厳しさに子供おぢばがえりも加わり大変忙しく本当にきつかったけど終わってみるとあっという間のヶ月でした毎日のひのきしんの中で今まで悩んでた事もすっかり忘れて充実したヶ月だったと思いますおぢばに来る前の私と今の私がどう成長したのか自分では分かりませんだけど天理教が嫌いだった少し前の私ではないという事だけは確かだし今までの高慢な自分を変えるきっかけにはなった実りある修養科生活だったと思いますありがとうございました婦人会委員部長後継者講習会八月二十一日夕方から翌二十二日昼まで委員部長後継者講習会が催されました折から台風一一号の接近で荒れ模様の天候でした支部長様のお話をきかせていただき夜は支部長様を囲んでの練り合いをしました後継者としての自覚の確認をすると共に日の教会での過ごし方について話し合いをしました翌日はひのきしんの後大教会長様よりの親の声に素直に応え実行することが将来の理づくりになる一番大切なことだというお話を心に治めて終りました参加人数は十八名でした大教会だより第七二二期修養科修了者修了笠岡安斉和美西村藤本晴司笠尋三嶋潤出雲若槻好美海松ヶ岡森本三千代第七二五期修養科教養掛三ヶ月間森本忠平海松ヶ岡分教会長一ヶ月目三島順敎葦沼分教会長二ヶ月目枝廣隆文東福山分教会長三ヶ月目掛谷富子坪生分教会長志願者福山福輝稲瀬亀田山眞府福山福東稲倉稲倉池田豊秋岡本宏吉川美幸竹内知髙田一弘池田操藤井妙子坪田園美渡邉和子直会のこと毎月月次祭の後の直会はねりあいの場親睦の場としてなくてはならないひと時のことと思いますしかし教会の台所では前日より婦人会が献立の智慧を絞って大変なことはどの教会も同じではないでしょうかそうした中我が教会の自慢料理アイディア料理があれば教えて下さい原稿口頭等で編集部までぜひお知らせ下さい第回天理教青年会総会式典前夜祭月日土午前時本部中庭月日金夕づとめ後東西泉水プール前広場笠岡分会からも模擬店に出店します肉うどん創立周年記念祭木開扉献饌祭典開始真柱様おことば余興模擬店第回女子青年大会帰ろうぢばへおやさとへ祝式典本部中庭記念行事天理大学杣之内第一体育館ほっと和太鼓ダンス感話お話し記念行事後笠岡詰所でお楽しみ行事があります笠岡女子青年では下記の予定でバスを出しますご利用下さい月日集合出発月日詰所出発予定費用円お申し込みは各委員部へ八月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様には深く果てしない親心によります十全の御守護のまにく日は結構に恙なくお連れ下さいまして誠に有難うございます加えてわかるよふむねのうちよりしやんせよ人たすけたらわがみたすかると単なる現世利益に止まらず末代に亘って真実にたすかる人だすけの道としてこの道をおつけ下され私共をお引き寄せ下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は日朝夕に御礼申し上げると共に御恩報じを思い念じ真にたすかる道を求めてたすけ一条に邁進させて頂いておりますその中に今日の吉日はお許し下された御祭日でございますので只今からおつとめ奉仕者一同心を一つに睦び合って明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて八月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には台風の影響によります雨風の強い中をもいとわず寄り集いました道の子供達が相共にお歌に唱和し日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年も子供おぢば帰りや学生生徒修養会等を通じて大勢の子供達がおぢばに帰らせて頂きましたが事故怪我等が無く結構にお連れ通り下されたばかりでなく親の息をかけて下さり誠に有難うございましたこの上は道の後継者に育つようしっかりと丹精させて頂く所存でございます又今月二十六日の本部月次祭には笠岡に繋がる一同が揃って参拝をさせて頂き十一月二十九日に行う笠岡創立百十周年記念祭が無事滞りなく執り行われ神人和楽の一時を味わえるよう祈願のおぢばがえりとさせて頂く所存でございます加えて記念祭に向け特に九月はにをいがけ強調月とお打ち出し頂いておりますのでいよく実践項目の仕上げの実動に心を奮い起こし取り掛からせて頂く覚悟でございます何卒親神様には諭達第一号に込められた全よふぼく実動の親心に添い旬の御用として一手一つに歩む皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りましてお互いの実動を称え合い喜び合える記念祭を迎えさせて頂けますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますふたこと我教会で大教会百十周年三年千日みことのスローガンや実践項目を流してもなかなか心が一つにそろわない充実感なく日は過ぎるばかりそこでこの問題に対して色思案を重ねて一つの解答を得た諭達を実践しをやの理を戴こうとは言い換れば親の言う事聞いて人をたすけたい心になって人がたすかってゆくご守護の理を頂こうとその実践項目としては例えが幼稚だがちょうど子供が親に言われるまま茶碗洗い玄関掃除肩叩き等すると親はその出来具合よりも素直に実行する心を喜んでくれるものである親神様教祖の思召を真柱様が諭達で述べられそれを受けて大教会長様がスローガンと実践項目を発表され直轄の会長様がそれを部内へ流され逐一その実動を報告している事が信仰の遠心力と求心力になっている我教会の欠けていた特に大切な点はすぐの上級に対して親子団らんが築けていなかった点大いに反省するところだこの事がクリアー出来れば教会内の心が一つにそろってくると思う我教会の心揃う妙薬は記念祭目ざして否生涯かけて竜頭である会長の求心力とそうして上級との親子団らんの絆の太さがをやの理を戴けるバロメーターと気付いたもうすぐ採点祭典が始まる時期だがあなたはこの解答に対してどう採点してくれる
かさおか

『かさおか』第40巻 第8号

創立周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえり記念祭まであと日大教会では周年を期に新しい時代に相応しい設備の整備が進んでいますバリアフリーの世相を受け神殿正面石段の両側には手すりが取り付けられ一階玄関にはスロープとエレベーターが付き自動車から神殿まで車椅子に乗って移動できるようになりましたまた神殿南側中庭の樹木を移植し多目的広場として利用できるようにインターロックレンガタイルが敷き詰められ引き続きピロティー用防風壁の工作に取りかかっています記念祭まであと日九月からは障子張り池の水換え植木の剪定とひのきしんはまだまだ続きますが形のふしんに先行して心のふしんを進められるよう実践項目の完遂に向けさらに弛まずつとめさせて頂きましょう真夏の祭典こどもおぢばがえり今夏も万余の帰参者を集めて無事終了今年も夏恒例のこどもおぢばがえりが十日間に亘って親里周辺を会場に開催されました大教会からは先ず月日に髙屋久松団体が日には直轄と福山団体がそれぞれ団体列車でまた島根上下府中市や他の教会も順次バスや自家用車で帰って来ましたこども達は連日の猛暑の中も元気に生きる喜びを味わいながら行事を楽しみ夜は詰所の中庭で開かれたゲームや模擬店で遊びながら涼みましたまた直轄福山髙屋島根の各鼓笛隊は日頃の練習の成果を親神様教祖に御供演奏をさせて頂きオンパレードでは各隊とも限りなく金賞に近い銀賞に選ばれましたまた詰所では晴れの日を選んでのふとん干し部屋やトイレ食堂の大掃除など大勢の宿泊者にそなえ準備に大わらわでした今年も多くの人の真実により大きな事故もなく無事にこどもおぢばがえりは終了しましたなおおぢばは期間中に全国各地から万千人余の帰参者で賑わいましたまちにまったこどもおぢばがえり上下分教会田中愛理小四私はまい年こどもおぢばがえりがまちどおしくてたまりません今年も早くからクラスの友達をさそって自分でおつとめのおてふりを教えてあげたりしました学校での友達とのおしゃべりはいつもこどもおぢばがえりの事ばかりでみんなもとても楽しみにしてましたそしていよいよその日がやってきましたまずおぢばについてすぐみんなでさんぱいしましたそのあとつのお約そくの話とビデオかんしょうをしました物を大切にします生きるよろこびを味わいます仲よくたすけ合いますこの三つをすこしでも守れるようにどりょくしたいと思いましたそして日目で一番楽しみにしていたパレード友だちの由真ちゃんと感どうしながらみました私もいつかこてきたいに入ってパレードにさんかしたいなぁーと思いましたそして二日目けっせんにんじゃ村土持ちひのきしんあせをたくさんながしたあとプールに入ってすごく気持ちよかったです楽しみにしていた商店がいでの買い物つめしょでの夜店あっという間に日は終わってしまいました私がはじめてこどもおぢばがえりにきたのはしゅうようかに出ていたお母さんのおなかの中にいるときでしたお母さんのおなかの中でいっしょにひのきしんしてたんだよとおしえてもらいましたわたしももう少しおおきくなったらこどもおぢばがえりに少年ひのきしんたいとしてさんかしてみたいと思いましたそしていろんな所の人とたくさん友だちになれたらいいなと思いましたこどもおぢばがえり井原瀬藤謙徳なぜぼくがこどもおぢばがえりに行ったのでしょうかそれは夏休みにどこも行く所がなかったからですでも今年は行きたかったからですこどもおぢばがえりの少し前のことですぼくははやくこないかなと思っていました行く用意もできてまちきれないほど楽しみです少しのふあんは電車の中ではどうしようかなと思っていましたでもこどもおぢばがえりにつくともうあんしんですさっそく入ると広いへやですクーラーもきいていてすずしいへやですまずパレードを見に行きましたパレードの組は五十一組もありましたパレードのこうしんはみんながそろっていてリズムがよくってぼくはなんだかわからないけどわくわくしました次の日はアタックワールドと忍じゃ村が楽しかったですアタックワールドとはいろいろなゲームをしてカードに丸をつけてもらってカードをもらうゲームですけっせん忍じゃ村とは水でっぽうで忍じゃに水をかける遊びですななめのゆかやめいろもありましたそしてとうとう帰る日がきましたおぢばから帰ってぼくは元気な声でただいまと言いましたきょ年より一日少なかったけどぼくはしっかり楽しみました三つの約束平田津森美教ぼくは最近まで三つの約束をどういうふうにすればうまく守れるのかわかりませんでしたでも最近になってやっとそのこたえがでましたそればおぢばへ行って楽しく過ごすことですなぜかというとおぢばへ行けば自然と約束が守れるからですたとえば食堂では友達にはしをわたしたりお茶をついだり自然にしていますふだん学校ではきらいな物をすぐ残してしまうけれどおじばではなるべく残さないようにみんなで助けあっています特に鼓笛では自分の楽器を大切にしすばらしい演奏をするという目標に向かってみんなでたすけあいふだんのつらいこといやなことつらかった練習もわすれて楽しく過ごします楽しく過ごすということはおじばへ無事帰らせて頂きこんな楽しい思いをすることができましたと親神様への感謝の気持ちがわき自然と生きるよろこびがあじわえるとぼくは思います三つの約束はおぢばだけでするんじゃないからおぢばでその基礎をしっかり学び家に帰ってからもいろいろな所でできるようになれば一番いいと思いますおぢばでたくさんよろこび思いっきり楽しみそして新しい仲間に出会いました最後の別れは悲しいけれど新しい仲間ができたという思い出を心にしまいこれからの生活に生かしていきたいと思いますこどもおぢばがえりに参加して笠岡佃美佳私は年ころからおぢばがえりというのを知って行き始めました私は五年生まではたんにおつとめをしたりひのきしんをしたり遊んだりするだけだと思っていたけど六年生になって鼓笛というのがあると知りました私はその鼓笛に入っている友達に紹介され鼓笛に入りましたその鼓笛の名前は笠岡団笠岡むつみといいますそれはとても楽しく係員の人もやさしくしてくれ私はそれが楽しく今もやっています私は毎年おぢばのころになるとはやく行きたいなぁといろいろと考えますそしておぢばにいる日間は気温も暑くみんなばてばてになっているけど遊び場所になるとみんな元気になります私は暑さに負けて日陰に入ってずっと休けいしていますいつも思うことはみんな元気ありすぎと思いますそして帰るころになるとみんな日間が短くかんじたとかまだおりたいといっています私もそれはいっしょの気持ちですおぢばがえりに必要なのは団体行動の大切さ私は団体行動をせずみんなが心配しているのも知らず友達といっしょにほかの部屋へ行っていましたそして次の日の朝私はそれを注意されましたその時に団体行動の大切さを覚えましたおぢばに行ったことのない人はおぢばなんか楽しいと聞いてきます聞いてくる人は自分でおぢばに行ってたしかめてみればいいと思いますおぢばがえりは本当にたくさんのことを知りますものの大切さたすけあいの大切さおぢばがえりに参加してこうかいしたことはありません私は来年はひのきしんにも参加したいと思っていますおぢばがえりはとても楽しいですみんなも参加して友達をつくりまた来年も行きたいなぁと思うようになってくださいいい思い出になったこどもおぢばがえり新市中山真奈美参加するまではとても不安でドキドキしていましたでも不安がなくなりだんだん楽しくなってきた始めは神殿でおつとめをしました何をすればいいのかよく分からなくて周りの人のを見てやっていました次は廻廊ひのきしんをしましたでチャレンジ遊びの世界ではいろいろな遊具にのって遊んだのどがかわいても少年ひのきしん隊員の人達の冷たーいお茶でかわいたのどもスッキリしましたなんと次は恐怖の館おそるおそる入ったらゾンビがおいかけてきてとてもこわかったいったん宿舎に帰って大部屋で説明を聞いた食事をしてパレードを見にいきました高校生のお兄さん達がゲームをしてくれましたまずおつとめをしておやさとパレードの始まりの花火があっていよいよ始まり小さい子からお年寄りまで参加していたのでとてもびっくりしましたにぎやかな鼓笛隊のみんながバトンやボンボン横笛などいろいろやっていましたすごかったですとても感動しました宿舎に帰って入浴その間班会議班長会がありました時しょうとう電気をけしていろんな話をしたりとてもたのしい日をすごしました日め長しまスーパーランドに行くから時分起しょうでした朝早いからちょっとねむたかったですでもわたしが一番楽しみにしていたところが長しまスーパーランドでした遊園地でジェットコースターとかはちょっとこわくてのらず空中ブランコを回ものってしまいましたでもいがいと楽しかったですあともう個はゴーカートをのりました楽しかった次はプールで十種類ものプールがあったのでびっくりしました水はしょっぱくて目が痛かったジュースとか買ってのんだおいしかった日目初めはやかた講話で助け合いのビデオを見ました次にバライティーを見ました歌やおどりがすごくじょうずでしたマジックもじょうずでしたカッコよかった次はアチコチランドでいろんな場所を見て回ったりおにいさんといろんなはなしをしたりしてあっという間に時間になってしまいました昼はカレーを食べておいしかったのでおかわりをしましたそしてバスにのっていよいよお別れ次とバスから人がおりていきだんだん少なくなりさみしくなりましたバスや交流の中でいっぱい友達ができいろんな思い出ができて本当によかったです今年の英語講習会は月日から日にかけて大教会を会場にして開催されました年から始まって今回で回目を数えます今年の講師には本部の天理教語学院より井上純子トゥリーナ先生東中央大ハワイセントラル所属をお迎えしましたとても親しみやすく魅力的で素敵な女性でした何年か男の先生が続きましたので余計新鮮な感じがしました受講者はスタッフ名受講生名の合計名でした受講生の内訳は中学一年生名中学二年生名中学三年生名高校一年生名といったものでした今年はスタッフの数が例年に比べ少なく手薄な感が否めませんでしたがその分パソコンの教材が充実しておりました今年はパソコンにマイクを取り付け発音の練習をみっちりとすることができました正確な発音をするとパソコンからをもらえますが発音が違うとなかなかがもらえずみな四苦八苦しながらも歓声を上げて練習に取り組んでいました講師の先生が発音しますと回でがでますので皆やっぱり違うねと感心しておりました一日目の夜は大教会長様からプロジェクターをお借りしてディズニーの最新映画ダイナソーをさながら映画館にいるように見せて頂きました二日目には例年の海水浴を取りやめて倉敷市にある倉敷科学センターに出かけました全天周映画エベレストが上映されておりその迫力に圧倒されました次にプラネタリウムで夏の星座を見せていただき連日の猛暑を忘れてひと時の清涼感を味わいました三日目にはハープというゲームを通してお互いの連帯感を深めることができましたこの様にレッスンの合間合間にお楽しみ行事を入れていただきあっという間に過ぎ去った三日間でした英語というとしり込みする人が多いようですが楽しく学べる英語講習会です何卒多くの方に英語講習会参加のお声がけを下さるとともに積極的なご助言ご協力を頂きますようお願い申し上げます最後になりましたが連日おいしい食事を作ってくださいました大教会の奥様方に厚く御礼申し上げます心の通ひ路納涼まつり海潮川分教会長高島寛八月三日今年も納涼まつりのお手伝いとして支部青年会が呼ばれた出雲市から号線を西へ南側に神西湖があり北側に入った場所に養護学校ふたば園があるこの学園は知的障害のある人達の施設で代代位の人が入園しているここでは年に回対外的に開放している祭りがあり夏は納涼まつり秋には学園でつくっている農作物の収穫祭がある夕方時我支部青年会をふくめたボランティア団体の人達は学園に集合控室に通され学園のハッピを借りて模擬店や駐車場の手伝いをさせてもらう時分祭りは学園長の挨拶で始まりステージでは学園生の合唱合奏カラオケボランティアの踊りなど様な出し物が続く会場では学園生やその家族近所の人が大勢集まり笑顔が溢れる中時分終了学園生職員ボランティアで後片付けをして時分解散となるこの祭りは学園生と家族近所の人達とのふれあいの場であり学園と外との交流の場となっている支部の青年会は期前の委員長簸ノ川分教会の津森さんの時から年以上学園に出入りさせて頂いている最初はハートクリーン活動の一つとして行なっていたが介護の資格などの問題があり今は学園からの依頼がある時だけ参加させて頂いている我の立場としてはにおいがけひのきしんとして行かせて頂いている喜んで頂ければそれでよいのだが将来的にはおぢばがえりしてもらえればとも思う学園としてみれば我はボランティア団体の一つであってそれ以上でもそれ以下でもないだろうが今後は我の自己満足で終わらないようにボランティアとひのきしんの違いを学園の人達にも理解して頂けるように努めたいと考えている明日への志向品治分教会長渡邉眞次目がさめて窓を開けるまだ何処も灯のついた家はない皆変りなく今朝もすばらしい朝を日の出を迎える事が出来そうである今朝はあれをしてあそこへ行ってあの人が来られたら暮れる迄外の事して夜は書物をあの事も先に済ませた方がいい一日の計は早朝にありと言う母は今この道中を通りきるにはと考へて早起きを実行すること六十有余年一日も欠かすことがない今八十九才だがまだ一度も入院したことはない昭和廿年十才を頭に五人の子を連れて朝鮮から引き揚げ父主人の戦死を聞いて因縁納消と初代の後を受け継ぐ為教会へ移り住んだ信者はなかった中学一年を頭に五人の子を置いて正月をはさんだ一番寒い時修養科へ出た費用は若干の衣類を売り後は神様におまかせする積りが数日前全部盗難に遭ったそれでもお金を借りて三ヶ月は必死で通ったようだそして検定講習とその留守を守る我は若輩と云うより幼子だった不自由な中を工面し力を合せ家事もおつとめも勉強も人に頼らず通って来られたもう二度と経験することは出来ないと思う或る信者が修養科へ入ると日参をしておられたがお茶の出し方も世間も挨拶の仕方も解らない子ばかりの姿にわびしく淋しく思われたのか途中で止められた今その人が続いて信心されておれば残念乍ら不運続きだった私も九分九厘救からない身上も全快今よろこべる元がここにあるあの時の事思えばどんな中も通れる自信が本当に苦しい時は歯をくいしばって苦しいと云う前につらいと思うよりファイトが湧く今を通り抜かねばとだから早起きを実行することを昔話をしてくれる中に教えてくれたそして歩いて歩いて運んで運んだ処が今教会に繋がっている人達だよとこれ又布教おさづけの取次ぎの大切さを教えてくれるあヽ無情ジャンバルジャンの本を老奥様より留守中に頂いた指折り数え待つ家族への暖かい親心を何十回も読んだ真面目な生き方も学んだ今もこれからも忘れられない今日一日が家族の為にどう変っていくか今日一日が信者の家にもたらす影響は今日一日が一生を左右することになるかも今日のつとめは一生の生涯の為の一日である早朝に頭をよぎる志向今日も三百人位夢参って来るぞと嬉しくて寝ておられない大教会だより教会指令任命願神殿増築願大江橋分教会前任村川秀夫新任村川和司承認ふたことみこと二年程前から一月七月末は憂うつだ郵便配達のバイクの音がする度に落ちつかない郵便受けを開けて見てあー今日も生き延びたとホッとするこんな事が連日繰り返されるそれにしてもーと思って恐る恐る覗いて見るやっぱりだ入っている例の物がー首筋がブルッブルッと震える戦時下の赤紙の召集令状ごとく封筒の表の左側に誌原稿依頼という赤文字がさん然と輝いているのだ本人の意思に関係なくこの赤文字は絶対なものなのだ意を決して封を開ける日は道のご用の上にご丹精くだされ誠にご苦労様でございますさて不景気極りない昨今ですがこの度貴殿は芽出度くも機関誌八月号の編集後記ふたことみことの執筆当番に当選されましたのでここに原稿用紙を贈りその幸運を讃えますおめでとうございますという芽出度くない前書きにはじまり記事内容記述についての事細かな諸注意更には返信用の封筒までが入っているのだ私は日の出と共に大教会の方に向い拝礼しその紙を太陽に透かして見るのだ少しずり落ち気味の黒ぶちメガネの上からギョロッと目を出しこちらの心を見ぬくがごとくニタッと笑って切日はちゃんと守って下さいヨ僕もいろいろ忙しいんだからーと大教会の先生の顔が浮かび上がってくるハハーと平伏す私憂うつな日がこれから当分続くのだ今度こそと思うのだが今月もまた遅れてしまった先生の大変さは誰よりも誰よりもこの私が一番よく知っていますハイッ先生より返信用封筒から原稿用紙を取り出すと正に右の通りの文したた章が認められていたこれは私への残暑見舞いかと思いきや肝腎の編集後記の原稿用紙が見当たらないよく見れば右の文章の各頁には頁番号が振ってあるはて立秋後も続く毎夜の熱帯夜で融解寸前の私のおつむでは真意を解し兼ねる今日は月日終戦記念日である召集令状は無効になったとでも仰有るのか昨朝の讀賣新聞の編集手帳に孫子の兵法には囲師は周するなかれとある完全包囲すれば相手は万策尽きてがむしゃらな強行突破を試みかねないからとの教えだとある中国の唐外相に靖国参拝をやめろと追い詰められた小泉首相が万策尽きて日に参拝したことを指したものだなるほどふたことみことの執筆者は熟慮に熟慮を重ねてこの原稿を返してこられたのかというここころきょしんたんかいこだわとはその意は虚心坦懐何の拘りもなく穏やかな気持ちか矢張り私のお脳はとろけている例年を上回る参加者を目指して来年は周年の年です対象教会長を先頭によふぼく信者婦人会青年会学生会少年会報告参加者数を支部を通して教区へ必ず報告して下さい報告書は支部より配布月日日日一斉活動日支部組を通して内容戸別訪問リーフレットチラシを個人宅へ配布青年会笠岡分会全分会布教推進週間布教強調月間月日日から日日までの全分会布教推進週間を共に勇んで合力して月日日日と定め地域と系統が一丸となって進められます大教会では月はにをいがけ強調月間として日から日までをまた青年会笠岡分会の大意諭達第一号を受けて実動二年目の全教一斉にをいがけデーは一斉活動日を地域と系統教会が一丸となって全家庭へにをいがけをしよう立教年全教一斉にをいがけデー七月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心によります天然自然の御恵みのまにく季節は梅雨が明け夏本番を迎えさせて頂きました当然これからも暑い日が続き過ごしにくい旬でありますがこれもより良い実りの秋を迎える為の一時の事と思えば有難く同様に成って来る理は全て救けたい陽気ぐらしをさせてやりたいとの親心の現れと思えば有難く改めて親神様の御恵みの有り難さをかみしめている次第でございます私共は日御恵みに御礼申し上げると共にご恩報じを思い念じてつくし運びに又にをいがけおたすけにとたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますがその中にも今日の吉日はこれの七月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には折柄の暑さを厭わず今日の日を楽しみに寄り集いました皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて今年も子供おぢば帰りが開催されますが本年の一万人おぢばがえりの実践項目が実数となるべくより多くの子供を誘っておぢばに帰らせて頂くだけでなくこの家へやって来る者に喜ばさずには一人も帰されんとの親心を少しでも感じて貰えるように勤めさせて頂く所存でございます更には又この夏休みを利用して特に八月は学生生徒修養会や英語講習会等に参加して貰うだけでなく少しでも子供達と接する機会を増やすべく触れ合い強調月間との思いを持ち道の後継者の育成に力を注いでいく所存でございます加えて八月二十六日の祈願のおぢば帰りには大人も子供もこぞって参加出来るよう声掛け丹精に力注いで行く覚悟でございます何卒親神様には旬の成人怠る事なく思召に添う皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護をお現し下さいまして人の心が澄み切りお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げます月日日期日月日日つとめさせて頂きましょう
かさおか

『かさおか』第40巻 第7号

創立周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえりこかん様に続く会を終えて六月二十三日から二十四日にかけてこかん様に続く会をさせて頂きました今年は大教会創立百十周年の旬の年で大教会長様より一万人おぢばがえりのお打ち出しを頂いております事と委員会員さんの中から十三峠越えをしたいという声があったので十三峠を越えて歩いておぢばへ帰らせて頂こうという事になりましたこう決まったものの女子青年委員のメンバーも変わり新体制での初めての行事なので大きな不安もありました参加して下さる会員さん一人ひとりに喜んでもらいこの道につながってもらうかを考えたら私達委員の御用がすごく大切だという事の自覚また長い道中精神的にも体力的にもしんどいという事でもしんどい思いをした分必ず大きな喜びがあると信じてこの日を迎えました会員さん二十九名婦人会青年会会わせて四十三名で雨の中歩いておぢばへ帰らせて頂く事が出来ました身上者なく皆無事に帰らせて頂けた事親神様教祖の御守護を感じずにはいられませんでしたまた途中で雨が大降りになり交通量も多く疲れもピークに達してきたので参加して下さってる会員さんに喜ぶどころか嫌な思いをさせてるのではないかとバスに乗る事を勧めましたがみんなここまで来たからには歩くと言ってくれて最後までみんなで歩く事が出来ました私自身足がちぎれそうな程痛かったですが一緒に歩いてくれた委員会員さんのおかげで頑張れました神殿に着いてお礼参拝をさせて頂いてる時は達成感充実感でいっぱいでしたこの時は皆同じ気持ちで一手一つにお礼のおつとめをさせて頂きました二日目にはおぢばの会員さん七名も加わり支部長様からこかん様についてのお話を頂きお昼は青年会の方の協力をえてバーベキューその後ゲーム大会で交流を深め楽しいひと時を過ごしました一緒に歩いて下さった支部長様婦人会青年会の方また今回初めて会員として参加して下さった旧委員さんのお力添えを頂いて無事こかん様に続く会を終えさせて頂く事が出来ました反省点はたくさんありましたが次の行事に生かせるよう頑張ろうと思います今思えば当日雨が降っていた事を不足に思いましたがこの雨のおかげで最後までリタイヤなしだったと思わせて頂きましたこれがもし晴天だったら暑くてしんどい子が出ていたのでは何もかもが御守護でした本当にありがたかったですまた十一月三日には本部中庭で女子青年大会が行なわれます一人でも多くの会員さんを誘っておぢばがえりさせて頂くつもりで委員一同頑張らせて頂きますのでどうぞよろしくお願い致します婦人会笠岡支部女子青年部委員長藤本ひさよ降り出した雨も何のその笑顔満面でこかん様に続こう学生層育成者講習会お話し抜粋五月月次祭祭典講話に替えて本部学生担当委員会委員中林由紀子先生簡単に自己紹介をさせて頂きたいと思います私共の教会は立教年教祖年祭当日に番目の新しい大教会として陞級させて頂いたばかりのその会長の家内でございます学生担当委員の御命を頂いたのが年前になります頂きました御用や行事の中の役目を必死でつとめさせて頂いておりますうちに実に大切な御用を頂戴しているのだなということに段と気が付き始めました若年層の育成前真柱様が若年層の育成を急務急いで繋いでいくことが大切だと私達よふぼくにお促し下さいましたことは皆様も覚えておって下さると思わして頂きます昨年の月日秋季大祭におきまして真柱様はおたすけの出来る人材育成これを私達自身が自ら育つ姿を見せてそして成人する努力を促されまして若い人との育成をしっかりと丹精するようにとこのようにお話し下されましたしかも本年の年頭会議におきましても昨年は諭達実動の年であったが掛け声だけであったような気がすると余り実動が伴わなかったのではないかというふうな御指摘を下されたように私は感じましたなぜなら私自身が掛け声ばっかりでしっかりとした声掛けにをいがけが足らなかったと反省中であったわけです今日のように育成講習会に来させて頂きまして高校生にはっぴすとを手渡して下さいまた学生一人一人に月に一度は声をかけて下さい学生生徒修養会の参加者の丹精をお願い致します各教区では高校生セミナーが開催されていますので地域の高校生達に参加するように声掛けをお願い致します大学生にはワークトークというのがありまして信仰を深める企画がありますので声を掛けて下さい本日配布しているビジュアルはっぴすとに全部詳しく書いてあります受験生の中学年生は歳です歳といえば教祖から頂戴する証拠まもりも歳までは親が代わって戴けますおさしづにさあく小人くは十五歳までは親の心通りの守護と聞かし十五歳以上はめんくの心通りやとお教え頂きますように歳までは親が御教えを十分心に修め子供に成り代わって日真実の心を尽くさせて頂けます歳以上はめんくの心通りですから高校生にとって中学生が高校生になるというだけではない本人が意識するしないに関わらず実は子供にとって大切な門出新しい人生の出発の時とも考えられると思います旬に心を掛ける私共の家では子供の歳の誕生日がきますと主人が我が家の救けて頂いた信仰の元一日家のいんねんの話を聞かせます今の結構な日当たり前のように思っているような事も親神様にお手引きを頂かれていんねんを自覚されそして素直に人だすけに励まれていんねん納消の道をお通り下された初代さん以来親から子子から孫へとそれを伝え続けそして後の者の為に徳を積んで下さっているお陰で今があるのやもう歳になったのだからその徳に甘えることなく自分の行動に責任をもって自分で運命を切り開いて間違いなく日を通るように心掛けていかないともし困ったことが起きてきても親がいくら代わってやりたいと思っても代われないのだからしっかりせーよとこのようなことを子供自身に理解が出来ているか出来ていないか分かりませんが懇と話を聞かせられますだからといって歳になったからもう子供をほおっとくというようなわけにはまいりません時には身上に時には事情で悩む時もあるわけですけれどもその身上がその事情が子供達の将来にその節が生き節となるように親神様の親心を探りそして事の解決に導いていくその姿勢がより一層大切になってくる年代でもあると思わして頂きます親と子の繋がりは我が子だけではなくて理の子達にとっても旬に心を掛けしっかりと繋ぐことが生涯末代の繋がりになっていくのだと思わして頂きます道を通ってくれる子供お互いに子供達の大事な節目節目に信仰の喜びを伝えていく努力をしていなかったら子供は何も知らないんですからいつまで待っても自覚も生まれませんしまた何かの節を頂いてもどのように親心を探ればいいのかということも解らずにせっかく親神様が下さったお手引き節から芽を出すチャンスを失ってしまうことになってしまうと思うのです前真柱様は私達が親神様から預かった自分の子供を一人残らず道を通ってくれるような子供に育てよう漠然と縦の伝道というのではなくて自分の子供にこそしっかりと信仰の道を通ってくれるような子供に仕込もうということでありますこれは私達の責任であるということをお互いに認識したいのでありますどれだけ沢山の子供を親神様から授けて頂きましても私達にとってその子供達がこの道を通らずして授けて頂いたをやの心に応えるということにはならないと言えるのではないでしょうか信念をもって我が子を同じく教子として立派に道を通ってくれるように指導することその子の親として一番関心を持って力を入れなければならない問題であるということを新しい友を引き寄せることと合わせていやそれ以上に大切なこととして心に治めて頂きたいこのことを心を放たず日考えながら道を通って頂きたいと思うのであります自分のこととして考えて進めて頂きたいと思うのでありますこのように私達にお話し下さっております十七才先程お話し致しましたように歳も子供にとって大切な旬ですが次に大切なのが歳であります歳になったら別席を運ばせて頂くことが出来ますが歳といってもそんなにいろいろな経験を積んだ年齢ではありません人だすけの上に常識や経験が必要なわけではなく純粋な若い内に純真な心で親神様の御教えを聞き分けて教祖の手足となって御用にお使い頂けるようにとの教祖のお考えではないかと思わして頂きます歳までは親の信仰に支えられ親の心通りの道を歩んできた子供達が歳になれば自分の心に責任をもって自我の目覚めと共に教祖にお使い頂き易いよふぼくになれるような心の使い方身の行ない方をしていく大切な年齢なんです自我が目覚め自己主張がしたくなるその自己主張が周りの人を驚かすような行動にでたり言ったり今まで素直に親の言うことを聞いていた子が段と反抗したり喋らなくなったり大人にとって何を考えているのか親でさえ我が子が解らないと感じる難しい年齢なんです年頃なんです教祖が天保年月日に月日のやしろになられて親神様の思召を人に伝えられるようになられるまでの貧のどん底の最中御苦心なされたのはお子様達にまた夫善兵衛様に親神様の思召を解って頂くことに心を砕かれたのではないかと思わして頂きます教祖のひながたに水を飲めば水の味がする親神様は結構にお与え下されてある本当に米粒一粒ない言わば苦労のどん底の中でも喜び方をお子様達にお教えなされそして根気よく導きお育てになっておられますそのような子弟の育成のひながたがあるわけなんです気長に親切に教え導き態度に表しそして口で説くだけでなく教祖の足跡を踏ませて頂く信仰生活が大切であり子供はその親を見習ってまたついてくるのでありますと気長に親切に態度に表すこれは二代真柱様が昭和年の婦人会総会の時にお話し下さっております親から子子から孫へと真柱様も代に亘って私達に子弟の育成の大切さを折に触れお教え下さっております教会の役に立つ話は突然変わりますが私共の教会では子供達をどう繋いでいくかという一つの方法として全部内の少年会員生まれてから中学年生までの名簿を全教会から出して頂いておりますそしてその子達の誕生日に手作りのバースディ葉書を出さして頂いております少年会の担当者が必ずメッセージを添えて誕生日に届くように苦心をしておりますところがそれが中学年生まででしたのでせっかく名簿があるのに勿体ないやないかと私が思いまして一昨年から高校生に今度は学担の者が変わりまして高校年生の誕生日要するに歳の誕生日は来年は別席が運べますね歳の誕生日はもう別席が運べますね歳の誕生日はおさづけはいかがでしたかとそういう書き方じゃないですけれどもそういうような意味のことを年に回出すように致しましたそれはいつの日か全員が別席を運んでよふぼくなってくれる夢を描いているんですまた年間の活動としましてなかなか学生会独自ということはうちも小さい教会ですのでできませんので少年会の総会の時の準備片づけのひのきしんとかあるいは模擬店などをしましたときはそのゲームコーナーのつを受け持ってもらうとかまた年末はおぢばにお供えさせて頂きますお餅ですねそのお餅つきのひのきしんを学生達にしてもらっています年前から少しずつですがこういうことをしているんだということが学生達の間にちょっとずつ広まりまして毎年少しずつ増えてきておりますこれは教会が自分達の為に何かをしてくれるんじゃなくて自分達が教会のお役に立つということに喜びをもちそして勇んでやってくれていると思いますビジュアルはっぴすとこれ先程言いました歳ですね歳からここにほとんど書いてありますのでさっと紹介させて頂きます年の始めからおせちひのきしんがありますお正月の日から日までの泊日冬休みを返上して遠いところから旅費を使ってまでもおぢばに帰って来ます見た目は茶髪や金髪とってもカラフルで個性的な服装の子もいます同じようにおせちひのきしんをしておりますおぢばの親里附属天理高校生と見比べると派手に見える子が多いように見受けられますしかしとっても真面目に一生懸命ひのきしんをしておりますある高校生に何でおせちひのきしんに来たのと聞きましたらその子はいろいろな年齢の先生方奥様方とお話しが出来て教えて頂けることがいっぱいだからですと言いましたまた夜にお休み行事があります学担の先生が交代で短いちょっといい話と称してお話しをするのですが今まで大騒ぎをしてみんな歌っていたのにシーンと注目して話に聞き入ります中には感動して泣いている子もいます話の後で泣きながら教祖を信じます頑張りますと伝えに来てくれる高校生そっと一人で今まで神様が分からなかったけど今度おせちひのきしんに来て分かり掛けた気がする帰っても一生懸命頑張りますありがとうございました髪の毛はポマードでとんがってズボンは半分脱げそうな男子高校生が言いに来てくれますみんな私達大人から教えを求めに来ているのですそんな学生達に心を向け目を向けそして声掛けをすることです今ではおせち学生ひのきしん隊は教内で頼りにされるほど真面目なひのきしん態度で頑張っております若者達の眼次に学修大学の部月の日から日までの週間学修大学の部があります大人の大学生達は大学では聞けない天理教の講義やその話についてのねりあいおてふり鳴物にをいがけの布教実修神名流し路傍公園などみっちりとお道の勉強をするためにすると共に同世代の仲間達のいることに心を強くし夜の更けるのも忘れて談じ合い信仰心を高め合う素晴らしい修養会です私は高校大学共に女子寮の寮長をさせて頂いておりますのでそういう大学生達の純粋な信仰をそのまま伸ばしてあげたい所属の教会の方に受け皿をしっかりもって頂きたいそのように願わせて頂いておりますまた月日は春の学生おぢばがえりです企画運営全て大勢の学生達のひのきしんで実行されます真柱様のお言葉を頂戴し心温まる清しい式典が執り行われます大教会長様の御挨拶も学生さんを対象にして頂けますのでどうぞまた来年の春の学生おぢばがえり大勢の方にお帰り頂きますよう御丹精お願い致しますこれから読むこれは短い文ですがこの子はお母さんが学校でも停学中親も非常に困って夜中にバイクで走り回っているというようなちょっと困った子なんですがその子のことを相談されましたそれで学修に行ったら絶対大丈夫やからと私はそう言うて勧めたのですが実際そのバイクで走り回っているだけではなくてその中身は遅刻どころの騒ぎじゃないもう私はもし学修中に問題を起こしたらどうしようと思ったぐらいの男の子だったのですがそこの教会長さん夫婦と両親が熱心に勧めて下さいまして本人は仕方なく制服も着ず筆記具も着替えも持たずとにかくおぢばまで来たんです嫌なら途中で帰ってもいいからということですぐに帰ってくるつもりやったんですねところが人の男の子と気が合いましてとにかく行くだけ行こうかということで参加をしてくれたんですその子の感想ですが夜中中走り回っている子ですよ学修に参加して自分が変わったと思うことは朝早くに起きて生活するという素晴らしさを知りました規律のよい生活をすると一日の大切さも知りました学修の友達はいろんなことを会ったばかりなのに話せて相談にのってもらったりして本当に良かったです学修の生活で困ったことはなかったです学修の授業では天理教のことがいろいろと分かり学校の授業とは一味違い勉強になりましたカウンセラーさんには本当にお世話になったりいろいろと相談にのってもらったりして本当に良かったですよい思い出がつくれてよかったですこの子のお母さんが手紙を下さいました今回参加させて頂くに当たり教会の皆様にはいろいろとお世話になりありがとうございましたどうなるかと心配していたことが嘘のように楽しかったわぁ僕来年も生きたいわぁと帰ってきたときの笑顔が忘れられませんまた同時に神様に凭れておぢばに行かさせて頂いているのに何の心配もする必要がないのにどうして私は心配なんかしたんだろうかと思うと本当に申し訳のないことだと思いますこの子を通じてもっともっと学ばせて頂いていきたいと思います本当にお世話になりありがとうございましたこのようなお手紙を下さいました後で聞かせて頂きますと週間無事に参加してくれるようにと両親が教会に日参され所属の教会長夫妻もある心定めをされその子がおぢばで修養出来るようにと願われていたようです送り出す側の姿勢もきっと親神様はお受け取り下さったのだと思いますその後その高校生は以前とは少しずつ変わり始めていると聞いておりますまたその他の人は学修で別席を運びだしこの月におさづけを頂戴いたしました若者達はとっても敏感ですから大人の誠真実は直ぐに見抜きますどれだけ親や周りの人達が自分達のことに心を向けてくれているのかまた育てるために大人自身が成人しようと努力しているのかそれが分かるのですそれぞれの家庭で教会で若者達を受け入れ丹精するのは勿論大切なことですがおぢばでの行事に参加しておぢばの理を戴きまた真柱様のお声を聞かせて頂くことが出来るように私達はそういう方向にもしっかり心を向けていかなければならないと思います教えに基づく生き方平成年の学生担当者大会にお出まし下さいました前真柱様はしっかり学生層を中心として若い人達を育てることに心を配る真剣に取り組む諦めずにやるということをお互い心に決めてもらいたいこどもおぢばがえりも春の集いも学生生徒修養会も力を入れてやらなければならない末代かけての大きな責任問題だと思うと仰せ頂きましたまた一昨年の年頭の御挨拶におかれましてもこの若い人達の将来を考えるときに今すぐに道の御用には間に合わないかもしれないしかし長い長い将来を考えるとこの人達に掛ける期待をもって言うならばどれだけ心を配っても配り切れないほど大切なこの人達はこの子達は宝だと思うそれに対して私達はもっともっと心を配って真っ直ぐに育つ道を誤りなく示唆してやらなければならないとお話し下さいました今私達は若い真柱様を戴きよふぼくがよふぼくとしての御用を担うとは我が子理の子も含めての若い人達にしっかりと道を伝えていくことも世界だすけの大きな御用だと信じます真柱様は月大祭におきまして若い人より早く道を歩いている私達に先達をもって任ずる方には何よりも先ず自分が先達として若い者や周囲の人達の手本となるようにつとめて頂きたいたとえ一歩でも教祖のひながたに近づくんだという意志努力をする姿勢が周りに映ることをお考え頂きたい目の当たりにする生きた手本によってひながたの道がより一層身近なものとなり後に続く者もまた自分も辿ることが出来るんだという意欲が湧いていると思うとお促し下さいましたお互いに諭達第一号の中に教えに基づく生き方をしっかりと心掛けさせて頂いて大切な御用なんだという意識をしっかりと持って頂いて後継者育成の上に明るく勇んで歩ませて頂きたいと思います教会長おやさと講習会を受講して心の養いが身の養いに福東分教会長藤井宣人今回は存命の教祖の直の元で有難く受講させて頂きました受講に先だち心得を一読その中に百も承知の話をなるほどそうであったなぁと素直にお聞き取りを頂いて云三講師感激の涙を流されつつ親の思いをお話し下された第一講は基本教理をわかり易く第二講はひながたの道の体験をもとに自信と勇気をもってうれしい楽しいとひながたの道を通って欲しいとお話し下された第三講は道の命と仰せ下され末代続く救け一条のつとめとさづけについてお話し下された続いて練り合いシンポジウムによって教会長の悩みの回答をわかり易く進められた最後に真柱様よりそのものから心わかりてくれとの親心あふれる有難い直のお言葉を頂戴致し甘露台でのおつとめに今後の躍進を誓いました以前或る道の本で道の先輩にどうしたら道は活性化するでしょうかと尋ねた時その先輩いわく教会長が年に一回でいいからおさしづを通読したらいい皆な神様の心がわかっていないから勇めないと言われ私は背中をどやしつけられたような思いがしたと書かれていたのが今日でも印象に残っている心の養いが身の養いと聞かせて頂くそれを養うのが原典である或る教会より記念祭を前に次の様なおさしづの一端を見せて頂いた事がある私の日の心の指針にさせて頂いている人間と言ふは一代と思うから頼りない理は末代これよう聞き分けてくれ尽くした理は末代食べたり見たり着たりするのは僅か一代の楽しみである道に尽くした理は反故にはせん反故にはならん又反故にしてはならん尽くし切った理運び切った理に楽しみの芽が吹き喜びの花が咲く難儀不自由の理はないこのお言葉を日心の糧として内においては理づくりとしてつとめに専心し外に向っておさづけの取次ぎに励みもくもくいそいそにこにここつこつをモットーとして近づく大教会創立百十周年をめざして教会らしい教会へ用木らしい用木への成人を目標に微力ながら努力させて頂く次第です最後におさしづを以って終りとさせて頂きます精神一つの理によって一人万人に向う合掌初心にかえる芦品分教会長吉岡孝彦私は第十三次教会長おやさと講習会を受けさせて頂いた梅雨の最中であったが一滴の雨も降らず外は暑かったが会場は冷房で涼しく快適であった私は五月末より約一ヶ月間修養科教養掛助員としてつとめさせて頂いた教会に帰ると数の身上事情が私を待っていたおぢばでのこの講習会でなんとか御守護の手懸りを得たいとそういう気持ちで受講させて頂いた講習会資料には教会内容の更なる充実を目指し教会長の役割を改めて確認するとともに世界たすけの使命感を高めることを目的とすると記されている内容は講話ビデオねり合いシンポジウム等であった中でも私にとっては特に講話が素晴らしかった今迄何度も聞いたお話しであったが何故か大変新鮮に感じた第一講の山田忠一本部員先生は教会内容の充実はおつとめとおたすけの実践と一手一つの団結によってなされると話されつとめさいちがハんよふになあたなら天のあたゑもちがう事なし教会内容充実の第一はおつとめの完修にあるおつとめの手を揃えてつとめるところに陽気ぐらしは実現すると強調された私は教祖百年祭を目前にした昭和五十九年教会長の御命を頂いたおつとめの完修が全教挙げての合言葉であった様な感のする時であった任命講習会で新任教会長の集いでおつとめの完修を教会長としての生涯の目標にする様にとお聞かせ頂いたそのお話に感激しよし私もやらせて頂くんだと心に誓ったあれから十七年の年が経ったあの時の心定めは忘れてはいないしかしどこか心の片隅に置いてしまっているのが今の私ではないか大いに反省をした私達のねり合いの組の担当の先生から最后に次の様な話を聞いた河原町大教会初代深谷源次郎先生はけっこう源さんとしてよく知られているがもう一つてをどり源さんと呼ばれていたことはあまり知られていない私達は今一度おつとめについて真剣に考えさせて頂くべきではないかと今年は大教会創立という大教会の出発を思案すべき極めて意義深い年であるこの旬に講習会を受講して私は自らの教会長としての出発点を思い返えし如何に時間がかかろうともおつとめの完修への努力を通して少しでも教会内容の充実につながらせて頂きたいと改めて決意をさせて頂いた次第です布教所長夫妻成人研修会を受講して稲倉分教会稲福布教所長髙島裕一郎この度布教所長夫妻研修会を初めて受けさせて頂きまして布教所長と言う立場に対しての親の期待の大きさに比べて自分自身の認識の甘さと成人不足をつくづく感じさせて頂きこのままではいかんなあしっかりせんと今年残り半年精一杯つとめさして頂こうと心定めて帰らせて頂きました特に各班ごとの練り合いでは各布教所長さんの今現在持たれているおたすけ中の悩み又仕事と信仰との両立していく為の悩みに対して担当先生の自分自身の経験をもとに一人一人と納得行くまで練り合い時間が足り無い位の熱いものでしたその中で昨年の秋に布教所長に成ったばかりの私にこれから先布教所長と言う立場を努めさせて頂くに当たり上級教会へしっかりと心をつなぎ身をつくし運ばして頂く事が自分の布教所へつながる信者さんの成人へと成りにをいがけおたすけにおける事情身上のうえにも不思議をお見せ頂ける事と確信いたしました今まで気づかぬ内に自分よがりの信仰へと成っておった事がこの研修会で気づかせて頂きまして私自身大変うれしく思っておりますこの研修会を機に心新たに明日より精一杯たすけ一条の道をまことに遅い足どりでは有りますが旬に遅れぬ様親の思いに少しでも近付かさして頂く様つとめ切る覚悟で有りますこの機会をお与え下さった事をまた懇切丁寧に御指導下さいました諸先生にお礼申し上げます十五年がかりの布教所長研修会國須分教会国里布教所長河田和江わが家の信仰は私が初代です私が布教所長となったのは二十四才の時今年で十五年になりますこの布教所長夫妻成人研修会は以前から参加はしていたのですが宿泊して初めから終わりまで受講できたのは今回が初めてです私は長女を妊娠中から肩や背中に痛みを感じるようになり医者は妊娠による座骨神経痛だから出産すれば治ると言われ出産出産後も肩背中の痛みは治らないまま長男を妊娠無事出産することができましたしかし産後も相変わらず痛みは続き呼吸困難のような息苦しささえも感じるようになり他の病院で検査を受けることにしました検査が進むにつれ医者や看護婦の言動で軽い病ではないと直感しました医者がレントゲンをみて右肺に影があると説明してる時そばの看護婦が先生肺ガンではと口をすべらせあわてた先生は肺の奇形かもしれないここの病院では手におえないので紹介状を書きますと言われさらに大きな病院でも難しいと言われ心が乱れている時私は天理教の信仰者です手術をする事は教会の会長様故橘高キヌヨ様に相談してから決めますと医者に伝え会長様へ相談に行きました私と夫はこの現実とまだ幼い子供のことを考えると涙が止まりません会長様はその日から私達夫婦親族に毎日お仕込み下さり夫婦に三日間神様に受取って頂ける理づくりを考え心を定めて来なさいと言われその心定めが世間並みに身上や事情で苦労させられるいんねんをお道の上で苦労しなければいつまで経ってもいんねんの納消ができないという自覚をもち生涯人助けの道を通ることを定めて布教所長に就かせて頂くことでした心を定めて十五年一度も医者に診てもらっていないどころか次女を妊娠出産というご守護も頂きました会長様の言葉を神の声として通らせて頂いた十五年間はまさにいばらの道中でしたおぢば帰りの団体列車や新幹線の中でも胸の痛みや呼吸困難は襲ってきました神様の元へ帰るのにどうしてと思うと神様を見失うこともありましたその時主人がやはり夫婦一緒におぢば帰りしろと言うことかなと言ってくれおぢば帰りも夫婦揃って帰らせて頂くようになりその頃から不思議にあの苦しかった胸肩背中の痛み呼吸困難がなくなってきましたこの身上を通して神様からのメッセージとしてわが家のいんねんの自覚と夫婦揃って通らせて頂くことの大切さを教えて下さった親神様の厚い親心に有難い気持で一杯です毎月二十六日には教祖殿でおさづけを主人が取り次いでくれている道中ですので以前のこの研修会の受講は付き添いが要ったり泊まれなかったり体調に合わせた受講をしていましたしかし今回は理の親を亡くし同時に身の回りに多くのふしを見せられ暗やみの中のトンネルのあかりが消えたような心境になり精神的にも落ち込んでいたので体がついていけるか心配でしたがすべて受講できたことが身上で病んでいた日を思うと明かりの見えた研修会でした昨年まで若い方の参加が少なかった研修会でしたのにある教会の布教所の若い方の参加者が多いのに驚きあとでその教会の奥さんに話を聞くと会長さんが参加の声かけを熱心にされていたということでした私はその教会の姿を見てなるほどと思いました創立百十周年記念祭もあとわずかです諭達をたよりに思召しにふさわしい円満な家族夫婦となりなるほどの布教所をめざし歩いて歩いて尽す運ぶを目標に日通らせて頂きたいと思っております心の通ひ路布教亀田山分教会前会長高橋久光一口に布教と云っても大きく分けて三ヶ条に分ける事が出来るのではないでしょうか一つは自分自身への布教心のふしん求道心二つ目は縦の伝道三つ目が横への布教にをいがけおたすけではないでしょうか勿論三位一体でなけねばならない事は申すまでも御座居ません現在のお道は教会も信者家庭も三代目四代目が中心を占める迄になって参りましたその中で信仰の後継者の育成が一番遅れてはいないでしょうか後継者の育成は二十年も三十年もかゝる大仕事だと思います教会内容の充実は縦の伝道なくしては有り得ないと思われます道の先達としての御用の一つは自分よりも大きく豊かに成人してくれるよう二十年も三十年もかけて育て上げて後顧のうれいなく立場を譲り御用の一端を全うしたいもので有ります最近の道の次第は教勢の低下と云われて居りますその一因は求道の欠如今たちまち間に合ってるからといって後継者の育成を疎かにして来た事も一因の一つではないでしょうか少年会の子供達も二十年三十年先にはたすけ一条の御用の上には働き盛りとして心のつとめ身のつとめつくし運びに活躍して居らなければなりません信仰の原点は三原典ひながたの道旬に打ち出される真柱様のお言葉だと思います道を通らせて頂く者一同向う方向は一つでもその中身は独自性に溢れて親よりも子子よりも孫と年限の理と共に成人の歩みを確かに進めさせて頂きたいと念願して居ります今日此頃で御座居ます四代目に渡せた道芦加茂分教会よふぼく小川孝夫天理教は子供の頃から聞き慣れた言葉であり字である小学年生の時子供団参に出るまでは私は天理教は新市にあると思っていたそれが芦品分教会である祖母や母に連れられ電車に乗って行くのが楽しみだった地元の友達と天理教の友達と沢山の友達が出来た私は長男で兄がいない天理教へ行くといろんな事を教えてくれる兄ちゃんがいた食事も皆で一緒に頂くおなかがはじけるくらい食べたものだ年生夏子供おぢば帰り団参があると聞き母が参加させてくれた初めての団参楽しかった事が今も思い出される兄ちゃんは内田さん原公彦さんこの二人は私には実の兄の様に思っている私の理想の兄である本当に良き思い出ができ改めてありがとうございますとお礼を言います私にはお道なくては今の私はありません青年の頃は家庭に事情があり色と親子関係に迷いがあった時がありますその時私の前にいつもいて下さった人それが原コトさんです色な悩みの相談の受皿として頂いて本当にありがとうございます私や皆様の為にもいつまでも元気で長寿でいて下さいお願いします私は結婚が少し遅れて二十八才でした見合い結婚ですが紹介者は信仰のない方でお互い天理教の事はまったく言っていませんでした見合いの席で天理へ野球をしに行くんですよと野球の話をしました相手の母が天理教へ行く様な方だったら話を進めて下さいと言ったそうです神のお導きといいますか相手は京城大教会の信者でした一番驚いたのは紹介してもらった私でしたおかげで信仰のある妻を頂き三代目を継ぐ事が出来ました子供達も子供会おぢば帰りと妻と共に信仰の道を四代目として一生懸命勤めてくれています長女は先月修養科を卒業して帰って参りました今私は幸せですでよのもと会青年野球大会に参加させて頂き教会関係の友人の輪を広げて頂きました今は大きな私の財産です大教会の屋根改修工事広島教区の屋根改修工事等の仕事をさせて頂き親神様は私を道具として使って下さいまして本当にありがとうございますどうか皆様にも私を道具に使っていただきますようお願い致します最後に私の信念を出さねば入って来ない道具は使われて道具であり使われない道具は飾りである訂正とお詫び前号頁実践項目集計のおさづけとにをいがけとの内容が入れ替わっておりましたまた頁段目行目来年はは来年はの同段目信仰の行目荷台二代は二代の誤りですここに訂正しお詫びいたします六月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様にはいちれつのこともがかハいそれゆへにいろく心つくしきるなりと変わることの無い親心のまにく永の年限私共を慈しみ育て成人へとお導き下さいまして誠に有難うございます加えて成人鈍い私共に関わらず決して見放すことなく常に温かくお見守り下さりお育て下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共は成って来る理に多少の戸惑いを感じながらも親心の有り難さを感じて日朝夕にお礼を申し上げつつたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日はこれの笠岡の理にお許しくださいました六月の御祭日でございますので只今から梅雨の最中足下の悪い中に関わりませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達と相共におつとめ奉仕者一同陽気に喜び勇んで座りづとめ手をどりをつとめて六月の月次祭を執り行わせて頂きます皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は先月の学生層育成者講習会に引き続き縦の伝道講習会を開催させて頂きますこれは学生層のみならず道の後継者を育てる為の土台作りとなる活動の徹底を計るものですのでお話頂く一つ一つをしっかりと心に治めて子供おぢば帰りを芯とした活動に実動を以て応えて行く所存でございます又今月二十三二十四の両日に亘って布教所長夫妻成人研修会を開催させて頂きお互いよふぼくの中のよふぼくである事の自覚を高めて実動の上に邁進させて頂く所存でございますそして同日婦人会女子青年部がこかん様に続く会を開催して道の台としての人となるべく伏せ込みをさせて頂きます更には又創立百十周年の本年もあと半年となった今日創立百十周年に向けての実動により一層拍車をかけると共に年頭の心定めをしっかり見据えて完遂への思いを新たにしこれまで以上にたすけ一条に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には時旬の理に添うて実動で応える皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り我が身思案で荒みがちなる人の心を助け合う陽気づくめの心へと立て替えて下さいましてお望み下さる陽気ぐらしの世の状へと一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますふたことみこと火と水とは一の神と子供の頃からよく聞かされたが何のことやらよく分らなかったそして今火水風の御守護が骨身にしみるところが水の惑星といわれる地球がおかしくなってきた一体どうおかしいのか中東のチグリスユーフラテス川が合流する地点に広がる大湿地帯の九十が消滅しているという世界最古の都市シュメール王ギルガメシュの叙事詩の中にはノアの箱船の原形となるような物語がすでになるバベルの塔懸空庭園大きな町ニネベなど建造物や都市の跡が発掘されているこれ程の文明が生れたのもチグリスユーフラテスという二大河川のおかげである今回の大湿地帯の消失はここ四十年程の間に三十以上のダムが建設されたり一九九年代にイラクが進めた排水設備整備が原因とみられるという原油には困らない中東も水には苦労している水飢饉が起れば日本も対岸の火事ではすまなくなる同じ三大文明の一つ黄河でも水不足が伝えられている二十一世紀は水の戦争になるといわれている水の惑星のキーワードが水対策という笑えない話になりそうだ親神様がお与え下された地球という惑星の水を私達は本当に大切に使っているだろうか日本は水に恵まれすぎているそれ故にありがたさが麻痺している水を飲めば水の味がするとのお言葉を今一度私達は足元からみつめ直さねばならないと思う第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目森本忠平大教会役員海松ヶ岡分教会長三島順敎葦沼分教会長枝廣隆文東福山分教会長掛谷富子坪生分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会順序参拝票別席願席札別席のしおり大教会御供本部御供おさづけの理拝戴願おはなし大教会御供本部御供修養科入学願修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本詰所備考初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席を運ぶ者のみ願書に日付を入れない事おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者で修養科入学後におさづけの理を拝戴する者のみ願書に日付を入れない事御供は任意であるが慣例により円以上戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい英語講習会期間受講対象受講御供持参品プログラムお問合せ月日月午前時受付日水午後時頃解散中学年生以上高校生大学生一般円英和和英辞典筆記具着替え洗面具パソコンを使った英語の学習英会話おつとめレクチャーひのきしん詳細はスタッフの香取雅人吉岡誠一郎までお尋ね下さい連絡下されば大門駅まで送迎します教会別人づくり一覧表名称初授修講前講後名称初授修講前講後名称初授修講前講後笠岡福中福山福冨士髙屋福東神邊東福山島根福南久松福順鶴山福節弥髙山福備陽備福輝摩耶金浦坪生興明八尋ひろさと深安陶山笠尋芳井芦品呉照安那海松ヶ岡芦田川東悠三郡吸江芦常照陽芦辺輝美濃芦加茂新山邑惠陽呰部陽實明石市御野上下香地華府中市真金東城仲條服部稲倉島中稲瀬驛家稲富士油木稲讃葦陽門司港湯田原大惠山備中東水島神昭高児島美之郷錦備出雲瑞雲廣町海潮川福廣錦洋福勇米府福芦弓ヶ濱福満西伯福岩米美西村伯仙福年照雲引野輝伯福昭松都福春樺島亀田山出雲川津天場山簸ノ川多古浦瑞北雲東神村呉中大江橋品治久福久津呉福鶴南鶴眞川島郷鴨方作備輝華錦ヶ原行縢眞府吉舎清嶽上小畠木津和國須上吉野上備河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面府鮮府庄府世原神驛神免葦沼合計月日日本部月次祭直後教祖殿祖霊殿礼拝後各教会より配布のハンカチ団参記念品を同封の安全ピンで左肩に留め西礼拝場にご集合ください大教会長様を芯におつとめをつとめさせていただきます
かさおか

『かさおか』第40巻 第6号

創立周年おぢばがえりにをいがけ実践項目集計設置当時のの図三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえり教会長おやさと講習会を受講して上吉野分教会長桑本光則此度五月十六日より三日間教会長おやさと講習会を受講させて頂き己の至らなさを痛感致しおかけ頂いております親心に対し自分は何をしているのかと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました三日間の講習会のメインは何と言っても延べ五時間十五分になろうかと言うねり合いの時間ではなかったかと思います最初プログラムを見た時には此の時間の長さには思わず溜息が出てしまいました同じ教会長同士ではありましても当たり前の事ながら持場立場が異なり教会の大きい小さい年限の深い浅い老若男女等と千差万別であります一つの悩み事意見に対しても各人各人の意見と悟り通り方を聞かせて頂きその確固たる信念と経験からの説得力ある言葉には思わず勇気と力が湧いてくるのを覚えましたおさづけ月月月月累計その中にも年若い会長さんが有名無実の事情教会を親の声一つに素直に受けられて私は親孝心という言葉が大好きなんですとすがすがしい笑顔で言われていたのが心に残りましたお言葉の中に続いてこそ道と言うと聞かせて頂きます今私達の使命は実動布教であります此機に何か一つ自分に出来る事を新たに心定めに加えさせて頂きおかけ頂く大いなる親心に届かぬ乍も末代かけてお応えさせて頂き教会内容充実へと勤めさせて頂く所存でございます百万軒にをいがけ活動を通してクレームかと思ったら海松ヶ岡分教会森本孝志五月十八日の夜九時半頃でした父母その他数人で相談事をしていたところにがかかって来たので私は機を廊下へ持ち出して受話器を上げました先日私の家に気まま勝手が不幸を生むと題する天理教のリーフレットが配られていたのですがどういう事ですかとの事でしたこちらがたずね直すと私は一年程前からお宅の教会のスタンプが押されたチラシが入るのを楽しみにしていつも読ませて頂いてきましたそんな中最近近所の人達ともめ事があり一人考え込んでいた時にこのリーフレットが配られこれは近所の人のイタズラか教会の誰かが私のことを聞きつけて配られたのかもと思って念のためにさせて頂きましたという内容でした当教会で毎月配らせて頂いている地区でもありリーフレットの裏に教会名が入っていたので私共が配らせて頂いているものに違いなくどのお宅にどの内容のものを配るということはなく軒並みに同じものを皆で手分けして配らせて頂いている旨を伝えましたご婦人は納得されその後は最近のご自分の身辺の事情についてお話し下さいました詳しい事情が分からない私は何もおさとしする事ができませんでしたが最後には今後も配りものを楽しみにしているのでまたお願いしたいとおっしゃって下さいましたそのの内容がどんなものだったとしても何十何百何千軒かにほんの一軒でもそうして我のリーフレットを真剣に読み信じ頼り楽しみにして下さっている方がいるどんな所においてもそこに我のリーフレットを待っている方がいると考え一軒一軒を大切に抜け目なく配らせて頂いて間違いないと感激させて頂いた一瞬間であった母は月に何度となく今日はどの用木の方と一緒にと次と信者さんと共に時には何時間もお配りに回らせて頂いております同じ様に回らせて頂いている私の妹はこの家は何となく入りづらいなと思ってしまう事がある様ですがそんな妹に母はこの家に今リーフレットを配っておかなかったらあとで後悔するかもしれないよねと言うそうです加えて笑顔が何より大切ねと自ら率先してニコニコと配っている様です大教会の記念祭が近づく今親の声に素直にいそいそと楽しみ喜んで添わせて頂く事の尊さをしみじみ感じさせて頂きますひのきしん大好きの流れを海松ヶ岡分教会長森本忠平私達の支部では五月十三日に笠岡市古城山公園で除草清掃を行いました昨年より参加人数がかなり少なくどうしたことかと思いました我が教会は三十五人程で昨年並みでした教会長率先参加と仰せられますがお蔭で私は永年欠席無し身上の健康を御守護頂いて居ればこそと感謝しております支部では十一月三日にも総出のひのきしんを行いその場所で例会をもつ慣わしです春と秋の二回私の楽しみは道具の準備から始まります数日前から手ぐわとカマを十丁ずつ位サンダーで研ぎ軽トラックに手袋熊手竹箒などを積み込み又草刈機三台位が絶好調で回転し刈刃がよく切れる様に整備していると早くも現場が想像されて心ワクワクして来ますのこばさみ今年は鋸刃の付いた位の高枝鋏を準備して自分はそれを使いました草刈機を使える人が増えて若い人にゆずるからです屋外で体を動かした日は夜不思議といつもの五十肩の痛みを忘れます時たま時間と気持にゆとりがある日は大教会で参道の除草などさせて頂くとなぜかおぢばがえりなどの意慾が沸いて来たり又予定外の日帰り希望者などが出来て今年はすでに四月末でおぢばへ二十回以上帰らせて頂く結果につながっています私はひのきしんさせて頂くと皆喜びの姿になって帰ってくるものと信じております信者の方にハートクリーンなどひのきしんと言えばいやがる人なく勇んで動いて下さるのも有難いことです又ひとことはなしはひのきしんとお聞かせ頂きますがこの頃はリーフレットや特別号配りのひのきしんも大ぜい歩いて下さる様になり教会が明るくなった様に思います全教一斉ひのきしんも百万軒にをいがけも夫ぢば大教会という親の御声のおかげと御礼申し大きな働きは出来ないが親が笛吹けば子供が喜んで踊るという楽しい受け留め方を子供や孫たちにもわが家の方向流れとしてキッチリと伝えることが私のつとめと心に決めております来年も宜しくネ多古浦分教会長余村健初春の頃全教一斉ひのきしんデーの打ち出しを頂きアー毎年の事だと思い気にもかけて居なかった所家内が今年は五月の月次祭の日がひのきしんデーですネと一言アレッチャント予定表を見ると五月十三日しまった例年支部会場国立療養所松江病院の草刈りひのきしんに参加させて頂いて居るので準備等何も関係なく唯参加させて頂けば良ったのですがひのきしんの時間が午前九時から正午までまるっきり月次祭の時間と重っている全教一斉のひのきしんデーに参加をせずには居られない何とかしなければ何かしなければどこかに良い現場はないものかと教会のまわりをウロウロと歩き廻って居ると教会の川をはさんだ隣にマリンゲートと云う建物が有り気が付かなかったけれどその一角に小さな児童公園の様なものがある役場に勤める知人に聞いてみると町の公園との事雑草もなかなかに繁って居るここだここだ自分の中で会場が決まった三月に役場に出かけ案内でどこの管轄ですかと聞くとうさん臭げに商業観光課ですとの返事そこで事のよしを申し上げると始めうさん臭げに見て居られた顔がニッコリと笑顔に変る快諾を頂いた月次祭当日なので例年より多くの参加者をとの思いから講社祭布教所月次祭教会月次祭を通しておさそい申し上げる当日晴れ晴れとした日月次祭を元気につとめさせて頂き現場に直行皆各にカマ等を持参下されて居る狭い公園なので三十分程度の時間を予定していたがひのきしんに入れば皆熱心につとめられるので時間的にははるかにオーバー少年会員からお年寄りまでにぎやかになごやかにつとめさせて頂き皆良い汗を流し笑顔を満面その後直会へそこへマリンゲートの方よりお茶ジュースの差し入れ皆笑顔満面ところが後で統計を取って見るとなんと例年より人数が少ない皆に参加を呼びかけたけれど炊事当番の方又例年遠くから来られる方がない月次祭に参拝した方しか参加がない等の原因の様だ町内に天理教は我が教会の関係しかないその中に地区の方から天理さんはこんな事もされるんですネきれいになりましたネ等の話しを後で聞かして頂く喜び一杯来年はどうし様か検討中支部会場で大勢でつとめ勇む姿も大切だし地域への貢献を考えれば今年と同じでも良し仲難しいけれど来年までに考える事にした最後に一言地区の方が来年も宜しくネ心の通ひ路信仰芳井分教会佐藤真孝今現在教内に於いて横の伝道と共に縦への伝道が大きな課題の一つに挙げられるだろうと思いますひと口に縦の伝道と言っても色な立場からの様なアプローチがあろうと思いますがここでは個人の信仰の捉え方との関係にスポットを当てて考えてみたいと思いますこの道の信仰初代の多くの方は神様の不思議なたすけに浴して又は魅せられて入信されたようですが荷台二代三代と下って私たちの代になるとどうでしょうか現在の日本は衣食住が満たされず十分な医療が処されず藁をも縋る思いで神仏にたすけを求めた時代とは社会背景がかなり変化しましたつまり現世利益をわざわざ神や仏に求めなくてもよい時代になったと言えるようです宗教に現世利益しか求めない方には当然信仰は不要のものとなるので次第に信仰から離れていく現状を招いているように思えますしかし現在の世相に見られるような混沌とした人間社会であるからこそ私はこの道の信仰目的心の成人陽気ぐらしを再確認し次世代へ伝えてゆかなければならないと思うのです私事で恐縮ではありますが三年程前から布教専従の生活を続けてきて思い当たった事があります身上の方にたすかって頂きたいと神様に願って断食禁酒お願いづとめといったことを度させて頂いたのですがこの最中には早く食べたい飲みたい眠りたいとの我欲ばかりで真にたすかって頂きたいとの誠の心は微塵もない我こそがたすけて頂かなければならない人間であると気付かされました御利益を願うばかりの信心であるならば今日の日本人には信仰の必要などあまり無いのかもしれませんが親神様が人間をお創り下された思召に近づかせて頂くことが真のたすかりでありこの道の信仰の目的であるならば一代限りではなく末代続く信仰にしてゆきたいものです大教会だより教会指令任命願久福分教会前任新任奉告祭立教立教佐藤佐藤年月年月ミツコ憲美日日承認任命願神殿増築願鶴南分教会前任酒本喜之新任酒本嘉子奉告祭承認教会長おやさと講習会第次受講者興明吉岡壽芳井佐藤道孝吸江赤木由枝輝美濃谷内伸自呰部河原節喜明石市杉原博之府中市豊田道人東城横山逸郎島中内海安子驛家高山森雄油木葦陽神昭美之郷錦備照雲錦ヶ原河佐上川邊甲井阿木行宇津戸河面神驛神免葦沼黒瀬修弍笹尾正治開地俊夫桑田正則室喜久子雜賀明池平武司友井道弘友井道雄山田敏教田原節夫松谷靜子川上正毅渡邉孝信石井幸三島順敎教会長おやさと講習会第次受講者福山田中一之陽備虫明好美金浦西江昌直ひろさと淺野和芳陶山上原繁道呉照岡﨑輝彦東悠田林志計實照陽中村道德新山邑三島克巳上下山野弘実湯田原高木昭祥福勇福芦東福山川島郷鴨方眞府吉舎清嶽上小畠木津和上吉野上備府鮮府世原鳥井利昭竹本和道枝廣隆文香取雅人田中照夫髙田弘之時宗一実岡田光夫田中一矩丸山勤桑本光則田渕光明奥忠郎高信公枝第七一九期修養科修了者髙屋藤本島根吉岡久松中村輝美濃黒田呰部河原福芦佐藤福満壇上引野小山東福山鈴木芦加茂小川出雲鳥谷西伯本田伯仙安部亀田山今川日修了睦夫政治剛史多恵このえ光孝節雄武志信次美和喜美枝知代子文雄克則亀田山多古浦久福上小畠上吉野宇津戸永田和雄玉木直美羽原澤美田中扶美恵久永妙豊田カツ第七二二期修養科教養掛三ヶ月間中島誠治鶴山分教会長一ヶ月目吉岡孝彦芦品分教会長二ヶ月目余村健多古浦分教会長三ヶ月目下田輝夫神村分教会長助手貞清知実三郡分教会志願者笠岡安斉和美西村西村晴司笠尋三嶋潤出雲若槻好美海松ヶ岡森本三千代教会長資格検定講習会修了者前期終講米府塩田能住五月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます目に青葉山ほととぎす初ガツオと詩にもうたわれる良き旬を迎え初夏の清しさに心も洗われる思いがする今日この頃改めて親神様の親心溢れる御守護の賜と御礼申し上げる次第でございますしかしながら世上では目先の欲に囚われ身上事情に心を曇らせかしものかりものの喜びを失い苦しみに喘いでいる人が多くいます事はまことに申し訳けなくせっかく世界一列救けたいとの思召からお引き寄せ下さった私共よふぼくの成人の鈍さ故の事と日は反省をしつつたすけ一条の歩みを通してより成人を目指して頑張らせて頂いておりますその中にも今日の吉日はお許し戴いた五月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今から今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達と相共におつとめ奉仕者一同喜び心も一汐に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます皆の今日の日に寄せる真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて笠岡創立百十周年に向け仕上げの年としてより一層成人の歩みをさせて頂きたいと諭達第一号に込められた実動の思いに応えるべく三つの実践項目を掲げて実動に邁進させて頂いておりますが今月は定例の直轄巡教を通してそれの再確認と一手一つの実動の促進を計らせて頂きました加えて道の後継者を一人でも多く育てる為には育てる側の意識高揚が大切な上から本日は学生層育成者講習会を開催させて頂きます高齢者社会の現代であるからこそそれを支える若年層育成は急務の今日少しでも親神様教祖にお喜び頂ける育成に力を注いでいく所存でございます又時の流れや物の流れ全ての流れが速い中にあっておたすけをする心だけはそれに流される事なくじっくりと落ち着いてたすけ一条に邁進する覚悟でございます何卒親神様には我身思案を忘れ親孝心一筋の皆の誠真実をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜り次とこの道にお引き寄せ下さいましてお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますふたことみこと先日冊のコーラン聖典が無惨に破り捨てられイスラム教徒が大挙して抗議した彼らは言う日本人には解らんかも知れんがコーランは命よりも大事だとある時分教会の修養科生に本を借用したいと申し出たらこの本の上に物を置かないでくださいね初代会長様の写真が載っていますのでと言われたそうである私達笠岡の理に繋がる者は創立周年の記念祭を目前に控えているこころ言わずもがな記念祭の意は年の歩みを経て集い得た信者が寄り集まってお祭り騒ぎをすることではないそれはその時にそこに身を置く者が相集まって信仰の元一日を振り返り同じ思いに心を揃え再び陽気ぐらしを目指して弥進むことだと思う本年の実践項目も初代様の歩みに倣って唱えているはずである極端に教えの始祖や聖典を大切にする余りそこに争いの起こることを避けてか教えのをやを忘れ聖典おふでさきを朝の発声練習にしてしまった方もおられるかも知れないが山陽本線笠岡駅で電車に乗ったら桜井線天理駅を笠岡で山陽道に入ったら西名阪天理を目指すべきであるいつまでもユニバーサルスタジオジャパンで遊んでいると知らぬ間にハッピの襟がに変わってしまうかも知れないので気を付けたい月日にわにんけんはじめかけたのわよふきゆさんがみたいゆへから
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『かさおか』第40巻 第5号

創立周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえり堂と祭文を奏上する上原一始君実践項目集計月分おさづけ回にをいがけ軒おぢばがえり名少年会おつとめまなび総会学生会新入生歓迎会今年は曇天の多いゴールデンウィークとなりましたが少年会笠岡団では月日に本年度のおつとめまなび総会を開催しました当日は朝から雨模様でしたが午前時の開式時には大勢の少年会員や育成会員で参拝場もいっぱいになりました礼拝につづいて少年会員による祭儀式が行われおつとめ衣に身を正した少年会員は荘厳な雅楽が鳴り響く中やや緊張した面持ちながら堂とつとめました祭文奏上では親に感謝することこれからもなかよく助けあって将来は立派なようぼくに育つことを親神様教祖にお誓い申し上げましたつづいて直轄教会による座り勤めまた各ブロックによるよろづよ八首十二下りのてをどりが賑やかにまた少年会員らしくはつらつとつとめられましたおつとめの後式典の部では少年会長様からの告辞がありましたまた育成会長様に代わって奥様から少年会員としての日の過ごし方親神様教祖に喜んで頂ける通り方などを小さい会員にもわかりやすくお話し下さいましたその後婦人会の方たちが作ってくれたおいしいカレーライスをいただきました昼食の後講堂でビンゴゲームを楽しんで午後時には閉会しみんなそれぞれにおやつと景品を手に手に持ってニコニコ顔で帰りました参加者は少年会員名育成会員名合計名でした各教会各隊のお力添え誠にありがとうございました講堂でビンゴゲームに興じる家族連れボーリングで親睦を深める学生たちまた大教会学生担当委員会では月日日笠岡詰所においておぢばで学ぶ学生を対象にした新入生歓迎会を開催し学生人と担当委員等人の合計人が参加しました現在おぢばでは天理高校部人天理高校部人親里高校人教校附属高校人天理大学人天理看護学院奈良保育学院白梅寮天理教語学院各人と係が把握しているだけでも人の笠岡に繋がる学生が学んでいますしかし折角おぢばで学ばせて頂いていても学校や寮が違えばほとんど触れ合う機会がありませんそこで数年前から親睦会を年に一度開催してまいりましたがやはり新入生が入ってきた春に歓迎会を催したほうがよかろうという意見もあり入学後一ヶ月位経過し新しい生活にも慣れたこの時期に昨年より新入生歓迎会と名付けて開催させて頂いております昨年に引き続き幸運にも大教会長様が丁度おぢばに居られ学生達にお話しをして下さいまし学生たちに懇ろにお話し下さる大教会長様たその中で大教会長様はみなさんは試験に合格し自分が選択してこのおぢばで学んでいると考えているかも知れませんが実は全て親神様のお引き寄せなんですと述べられおぢばで学ばせて頂くことの有難さおかけ頂く教祖の温かい親心について分かりやすくお聞かせ下さいました今回の歓迎会には月にに入学したばかりである台湾の周雅茹さんも参加されましたが海外部の宮本君が通訳として活躍してくれましたので大助かりでしたその後は食堂でつのテーブルに分かれ広島風大阪風あるいは上下風相撲部屋風といった夫が自慢のお好み焼きに挑戦しましたその全てをお召し上がりになった大教会長様も大変御満悦の御様子でしたさて昼食の後片付けを済ませた後残念ながら大教会長様は教務御多忙のため参加されませんでしたが田原本町のボーリング場へと移動し和気あいあいとした雰囲気のなかでゲームを楽しみ午後時頃解散致しましたクラブ活動やアルバイト等で参加できなかった人も多くおぢばに在住する学生の約分のが参加しただけでしたがお道の将来を担う若者達が同じ大教会に繋がる喜びと連帯感を持つことの出来るよう努めさせて頂きたいと考えていますまたこれに先だって月日に行われた春の学生おぢばがえりには広島岡山鳥取より名の学生と担当委員等人の合計人が参加し楽しいひとときを過ごしました教会長おやさと講習会を受講して教祖の親心に感謝この喜びを胸に照雲分教会長雜賀明日親神様の御守護は申す迄もなく大教会の指針にむかって通らさせて頂く中此の度教会長おやさと講習会を受講させていたヾきおぢばにおいて心あたヽまる親心に接し諭達を通して真柱様の深いご期待について第一講二講三講と三人の先生方が御自身の体験談を通して私達教会長としての通り方心のおきどころをお説き下されその力強さに心が勇みました親神様の御守護の理の深さ教祖が身近においてお見守り下され存命の理をもって私達のおさづけの理にのってお働き下さいます思いをなお一層深く感銘致しました三日間の講習を通して特に心に残っているのは少人数でのねり合いでした一つ一つの話題について教会長という立場の者同士が老若ひざを交えて話し合うことで密度の濃い内容となりましたこうした話合いもおぢばならこそと思いましたこの喜びを成ってくるのが天の理と少しでも明るい心で前向きにつとめさせて頂き度いと思いました又ビデオでの教会活動に日勇んでおられる教会長さん達の姿を見させて頂き自分の信仰はまだくいたらない日であったと痛感しました三日目のシンポジュウムでは勇み立とう教会長と三人の先生方の体験を通しての思いを聞かせて頂きました親神様を信じて実行あるのみと思いました最後に真柱様より陽気ぐらしの出来る教会内容充実にしっかりとつとめさせて頂くようにとお言葉を頂き教会長として心引きしまる思いが致しました私達笠岡につながります教会は大教会創立百十周年にむかって日を勇んで通らせて頂き来る十一月二十九日の記念祭には喜び一ぱいの心で参拝させて頂き度いと存じます三日間意義ある講習会を受講させて頂き有がとうございました竜頭の一人として島中分教会長内海安子教会長おやさと講習会のテキストの表紙を一枚めくると教会内容の更なる充実を目指し教会長の役割を改めて確認するとともに世界たすけの使命感を高めることを目的とすると講習会の主旨を述べられています第三次講習受講者は笠岡二八ヶ所の内五ヶ所は女子会長さん全体的に五十才七十才が多く在任年数を重ねたよりになられて新まいの私の目にはまぶしく感じられました一日目は第一講親神様の御守護ビデオねりあい二日目第二講教祖を身近にと第三講教祖存命の理と続きビデオねりあいが一時間三十分休憩をはさんで二回行われました三日目はシンポジウムは壇上で司会者名と回答者名の形式で会場からの質問に答えて頂きましたビデオの方も里親として沢山の子供さんを預かり明るくみちの子として育てていく姿や友達を大勢作り地域活動を通じて教会への繋がりを持ちつつ信仰のきずなを深めていく布教を見させて頂きました他の例もまだありましたがその中でも自分の心に残ったところはどのビデオを見ても会長さん教会は明るく勇んだ包容力のある姿でした子供さん達も大人の皆さんに混って神殿掃除をしてまるで学校の掃除当番のような雰囲気で自然に身についていました教会は用木信者さん達の心のより処と聞かせて頂きました心を寄せ合いたすけあい喜びを作り出す処私も小さな竜頭の一人ですが教祖を定規として自分自身も日誠真実の気持ちで通ればひのきしんが実行であり匂い掛けお救けを勇んで実践し続けることで末代喜びずくめの世界があると信じています今自分たちがあるのは代育ての心を持って信仰を続けて下さったご先祖に対して感謝で一ぱいです今良い時期に受講させて頂いた事は大変幸せですまだ一度もお地場に帰ったことが無い人天理教を知らない人達も身の廻りには沢山居られます一生懸命お話し下さった先生方のお話や班別の練り合いの中での助かった話あるいは失敗談ビデオを思い出し参考にしてこれからも匂い掛けお救けに精出し教祖の用木としてお連れ通り頂きたいと思います大教会だより辞登令用準承事杉原おつとめ奉仕者藤井内海博之昭子安子日付職制人事少年会笠岡団団長中島誠治付教会長おやさと講習会第次受講者髙屋神邉海松ヶ岡作備福満福年引野福昭福中福東福南福順福節福輝坪生芦品安那三郡惠陽御野香地華真金仲條稲倉大惠山布教所長夫妻成人講習会テーマ日時場所講師内容対象受講御供実動月日土午後時受付日日午前時分閉講相原義和先生髙知大教会布教部長夜須分教会長大教会創立周年へ向かってあなたはどう動いているか布教所長である私に対して人はどんな見方をしているかうちの会長を立派だと思っているか布教所長夫妻円四月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしを楽しみに泥海中より道具を引き寄せ守護を教えて人間世界をお始め下さったばかりでなく長の年限親心のまにまにお育て下さり成人へとお導き下さいましたしかるに親心を忘れ御守護の有難さを忘れ己の欲望に溺れ挙げ句の果てに身上事情に心を濁し陽気ぐらしからかけ離れて行く人の姿を哀れと思召されるや天保九年教祖を月日の社とお定めになり月日にハとのよな事も一れつにみなにをしへてよふきづくめにと元の理を明かし人を陽気ぐらしへと導くべくこの道をおつけ下さいました事は誠に有難い極みでございます以来この道にお引き寄せ頂いた先人始め私共は人助けて我が身助かるとの御教えのまにまにつとめとさづけで以って日夜たすけ一条に邁進させて頂いておりますその中にもこの月は月日の社となられたすけ一条のひながたを自らお通りなされ今尚たすけ一おうまれ条の先頭に立ってお働き下さっている教祖が御誕生になられた芽出度い月でございますのでその慶び心を胸に湛えつつ今からおつとめ奉仕者一同明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて四月の月次祭を執り行わせて頂きます御前には春を迎えた喜びを胸に今日の日を楽しみに寄り集い日頃の御高恩に改めて御礼申し上げる皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げます又創立百十周年に向け実践項目の実動にもいよいよ拍車が掛かってまいりましたにをいがけにおさづけの取り次ぎにそして陽気ぐらし講座開催にと尚一層勇んで勤めさせて頂く覚悟でございます加えて一人でも多くの方をおぢばへお連れすべく十八日の教祖御誕生祭の帰参にも力を入れていく所存でございます更には又二十一二日には青年会全部属分会委員長研修会を二十九日には少年会おつとめ学び総会を開催させて頂き道の後継者たる青年層若年層の育成にも力を注いでいく所存でございます何卒親神様には私利私欲を捨て親孝心一筋にたすけ一条に邁進する皆の真実誠の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護をお現し下さると共に一人でも多くの人をこのお道にお引き寄せ下さいましてお望み下さる陽気づくめの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますふたことみこと過日のこと風邪を引いた痛いほんとに痛いのであります元来喉が弱くすぐに赤く腫れて咳ごみ声がかすれるのですが不思議と熱には強いのかいつも微熱程度であるだがしかし今度の風邪は咳をすると腹の皮や身体全体がそれはもう痛いのでありますもう何も出来ませんお勤めも寝返りもそれこそ食事や用便さえ痛い痛い苦行なのです二日間ただ横になって寝るのみの生活になったふと母の言葉を思い出した風邪を引いたと思えば何でも出来るワ結構な事やと母は滅多な事では寝ない元気な人いや最近は足腰が弱って休む材料にしておられるが御免私の息子達にも仕事を休んで御用を頼む時など風邪を引いたらどうでも休むやろであるこれは会社も黙認してくれて重宝な理由でよく使う手であります風邪を引いた私は自分の身から出たほこりでありますその痛さほど埃がこびりついているのだが親神様に取って頂いているのや不足に思うのやないでと母はその時聞かせてくれたのを思い出しそうやったナと回想したら痛みもどことなしか治まった気がする風邪の菌から身体を防御する機能が備わっているので熱で殺菌したり咳で吐き出すなどまた痛いので知覚神経で感じ取り風邪やとか変だなと解るのでありますこんな事がいつも身体の中で機能しているのです親神様が身の内に入り込んで絶え間なく働いてくださっているお陰なのですだから親神様のはたらきに感謝しないといけない訳でありますあまり喜んで風邪を頂きたく無いけど時注意お知らせ頂くのでお手入れと聞かせて頂くのだなと御礼申上げた風邪の痛さでありました日時場所講師内容対象縦の伝道講習会月日木月月次祭祭典講話として高田薫先生少年会本部委員少年会員の育成こどもおぢばがえりについての講話教会長夫妻布教所長夫妻各隊育成委員長用木信者第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間中島誠治大教会役員鶴山分教会長ヶ月目吉岡孝彦芦品分教会長ヶ月目余村健多古浦分教会長ヶ月目下田輝夫神村分教会長助手貞清知実三郡分教会募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会順序参拝票別席願席札別席のしおり大教会御供本部御供おさづけの理拝戴願おはなし大教会御供本部御供修養科入学願修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本詰所備考初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席を運ぶ者のみ願書に日付を入れない事おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者で修養科入学後におさづけの理を拝戴する者のみ願書に日付を入れない事御供は任意であるが慣例により円以上戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい
かさおか

『かさおか』第40巻 第4号

全教一斉ひのきしんデー三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目おさづけの取り次ぎ陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一万人のおぢばがえり創立周年各地の会場集合時間など詳細は天理時報月日号日号をご覧下さい実践項目集計月分おさづけ回にをいがけ軒おぢばがえり名旬の動き個人宅で開催した陽気ぐらし講座の喜び上下分教会田中勇昨年十一月決起の集いで二宮先生は陽気ぐらし講座を個人宅で開催する喜びをお話下さいましたその話を聞いて私は心に期するものがありましたかねてから上下町に隣接する甲奴町と総領町で陽気ぐらし講座をさせて頂こうと思っていましたがなかく実現の運びになっていなかったのです両町とも教会はありませんが甲奴町に十人総領町に八人の用木の方が居られますそれらの人に働きかけて個人宅をお借りして開催させて頂こうと心を定めました先ず開催日を立教一六四年三月十八日日と決め支部担当の人を通して講師の都合を伺ったところ丁度その日は空いているとのことで事前に内諾頂きました又両町の用木宅へ何回か足を運ぶ内にそれぞれ個人宅をお借り出来ることになりましたそして会場となる家の用木の方が熱心に周辺の人に呼びかけをして下さり足の不自由な人のためにと椅子など用意下さるなど心をこめて準備をして下さいました開催当日は晴天と暖かさの御守護を頂き甲奴町は二十名内未信者八名総領町は二十九名内未信者十九名の受講者でした境のフスマも取りはずし和気あいあいとした雰囲気の中講演下さる先生も大変お喜び下さり勇んでお話下さいました明るく分り易いお話は時間超過気味で少しはらく致しましたが定刻通り次の会場である豊松村へ無事先生をお送りさせて頂きました先案じが多く遅として成人の足取りの鈍い私ですが心を定めてからは教祖が先廻りしてお働き下さったのだと信じ御礼を申し上げております一番うれしかったのは自宅を提供下さった用木やその地域の用木の方と感動と喜びを共に出来たことです受講された未信者の中には新興宗教を熱心に信仰されている人も居られました又もっと話を聞きたかったとの声もありましたにをいがけにつながる陽気ぐらし講座それは個人宅開催にあると思いました創立百十年今この旬に生きる感激と個人宅でつとめさせて頂いた喜びを胸に勇んでつとめさせて頂いている昨今です末筆ながらお忙しい中お世話取り頂いた支部担当の先生方ありがとうございました心の通ひ路えらいところにきたものだあれから年稲倉分教会北川壮一おぢばに引き寄せて頂き早年現在天理教校の職員として勤めさせて頂いています上級の会長様より附属高校入学の勧めを頂き第一期生として入学させて頂いたのです振り返ってみるとよくここまでお連れ通り頂いたものと改めて感謝させて頂いています思えば当時テレビで青春ドラマが流行っていた頃とあって夢と憧れをもって入学させて頂いたのですところが今でこそ立派な校舎と寮はあるものの開校当時は現在の別席場東側駐車場に古い木造の建物旧女学校と旧西宮詰所がありそこが学校兼寮でグランドもなかったのです幸か不幸か天校の女子寮が隣接していたのです寮の生活といえば毎朝の起床は軍艦マーチ時ある午前時起床の非常訓練また夕方の規律訓練等それは軍隊生活を思わせる青春ドラマとはほど遠い生活スタイルだったのですえらいところに来たものだとよく親に不足を言ったものでしたそしてまたまた待ちかまえていたのがどんなところとも知らず一期生として入学させて頂いた第二専修科だったのです五年間ということもあり当面一年間は学ばせて頂こうと思っているとこれまたとんでもないところに来たものだと親に不足したものでしたしかし一年と思い一日一日をがむしゃらに言われるままを通っていたことが今更ながら思い出されます高校時代の生活に輪を掛けたような厳しい生活その環境だから通れたと思える京都での布教実修生活そんな中ただ教祖を思い空腹の中寒さに震えダンボールにくるまって夜を明かした野宿布教そんな時教会の母からもらった便りからおまえだけに苦労の道を通らせているのではないと朝暗いうちに起きて私のために神殿掃除をしてくれていた母の蔭からの支えがあったからこそと感謝させて頂きますこうして知らず知らずのうちにおぢば教校の理で親神様の御守護教祖の親心そして親のすばらしさを学ばせて頂いていたのですこうして夢中に通った年間卒業後当時は夢だったアメリカ行きが実現それは伝道庁での半年間の青年づとめとしての本部からの派遣だったのです帰国後教校職員として勤めさせて頂き現在に至っていますがこれまで回半年間の布教実修に学生と共に出させて頂く等いつも布教できる学生の育成を目指し自らもお仕込み頂いて御用の一端を歩ませて頂いていることを喜ばせて頂いています昨年は教校百周年の節目の年を職員として勤めさせて頂くことができ今後ここまでお育て頂いた恩返しの道を真っ直ぐ歩ませて頂き兄である会長の手足となれるよう夫婦共喜び一杯で通らせて頂きます修養科生活も早や一ヶ月七一九期小山武志修養科への通り道真柱様の御屋敷から東左四棟にかけて今桜は咲き誇り心を楽しませてくれてます思えば新世紀元日即ち本年一月一日夕方四時引野分教会の元旦祭を妻と勤め帰宅昼寝をしていた時夢の中で明かるい光と共に天理に行けとの言葉に目を覚まし早速妻を呼び相談子供二人の賛成を得て一月十五日より修養修学をしてます妻の案外の賛成は昨年暮早やければ今年中にも薬局をやめ五六年位リュックサックを背に海外をバックパッカー予定を決めず町から町国から国へ総て自分の力だけで旅行をする形をする約束をしてましたのでそれ程難しい選択ではなかったのでしょうさて根が単純ですので簡単に仕事を妻に任せて授業お手ふりひのきしんに専念しております今回はこちらの生活ではなく決断して以後の次の御守護の中で特に我家にとりまして有難い御守護を書かしていただき皆様にとりましても日親神様にもたれて何ら困る事などないと言う事を僭越ながら体験を通してお聞き下されば倖わせですそれは昨夏頃息子が福山の会社を退職した事に始まります語学力を生かせる企画開発の部門で長年の不況で新規事業がなく仕事が出来ぬなどと生意気な考え方の基に退職した訳ですがしかし家の中では所詮粗大ゴミ妻と少心配してました矢先の三月始め息子が町でバッタリ会社の会長さんに出会い職を探してる旨話しをしましたら再度入社せよとのお話で更に本年三月三十日に正式に入社になったとの報告が妻よりあり誠に有難く御守護のお陰と感謝致して居ます妻との約束もこれから果たして更に人生の最終コーナーまでは神にもたれてのお道を歩む決意です妻子供に感謝すると同時に先輩諸氏の皆様に御指導よろしくお願い申しあげます修養科生活を通して小川美和私は花嫁修業の為修養科に来ました夫婦家族について習いこれからの生活に役立てれたらいいなぁという気持ちでした楽しいしいい事があると聞きどんないい事があるのだろうと期待していましたしかし始まってみるとの起床からひのきしん修養科修練で一日が過ぎ予想外の生活でしたでもたくさんのひのきしんをすればたくさんご褒美をもらえると思い人の仕事にまで取り組みひのきしんをしているつもりでいましたが何日経っても良い事はなく逆に疲ればかりを感じるようになりましたそしてこんなに働いているのに何も良い事はない何でこんな事をしているのだろうと不満な気持ちが強まるばかりでしたそんな気持ちと疲労の為とうとう日目の朝起きれなくなってしまいました食欲もなく食べてももどしてしまう状態でしたいくら休みたいと望んでいたと言っても起きれない状態はとてもしんどくて悲しいものでしたなぜ私がこんな風になるのかこんなんじゃ駄目だしっかりひのきしんをしなければ誰よりもたくさんと思い明日こそと思うのですがやはり起きれず三日が過ぎましたすっきりしないまま三日目の朝教養掛の岡本先生が声をかけて下さり話を聞いていただきました生活修養科で私の思っている事を話しただけで今では何を話したんだろうという感じですが話していくにつれ体が少しずつ楽になっていくようでしたそして話し終え自室へ戻った頃には三日間続いた体のだるさは抜け昼食の後は少し散歩に出ようという気持ちになっていましたこの変化を三日間の休息で疲労回復したのだと考えるとそれまでですが私はそれだけではないと思いますなぜならその日を期に心が軽く柔らかになってると感じるからです以前の心はトゲトゲしく重たいものでした何にしても人より良くなりたいという欲な気持ちが強かったのだろうと思いますひのきしんを自分を助けて欲しい人より良くして欲しいと自分だけの欲でしていた為守護の代わりに身上でお知らせされたのだろうと思います今疲れは取れ心は軽くすごしています朝の起床は相変わらず辛いですが毎日朝起きられる事体が動く事食べられる事が嬉しいですそして体が動くからできるひのきしんにはだれかの為にと思え自然に取りくめています初めは修養科に対して不信感が強くありましたが一ヶ月過ぎてみるともう少し居てみようかなと天理教や修養科での話を素直に聞けるようになりました後二ヶ月の間にはまた悩む事もあると思いますが周囲の流れに逆らう事なく楽しく無事終了できればいいなと思います教会長おやさと講習会第次受講者福山陽備金浦ひろさと陶呉照東悠照陽新山邑上湯田原川島郷鴨方福勇福東福山行縢眞府吉舎清上小畠木津和上吉野上備府府庄府世原山下芦嶽鮮ふたことみこと二ヶ月程前のある日丁度夕づとめの前に玄関に一人の青年が立っていました応対に出ると僕はそこの現場で仕事をしているものです実は僕も天理教を信仰しているので参拝させてもらいたいのですがと思わず君どこから来たのと聞くとブラジルですとの返事ビックリしたまままぁどうぞ今から夕づとめだから一緒につとめようと言うとハイと夕づとめ後話をしブラジル伝道庁の直轄の教会の四男で四年前に来日して建設で働いているとの事等色聞かしてもらい遠くブラジルの地で教友が頑張っている事本当にうれしくなり一緒に夕食を食べて行く様すすめて楽しいひと時を過しました聞くと二週間で他の現場へ移るとの事それじゃぁ仕事の後日参して夕食を食べて帰ったらいいよと言うとありがとうございますと毎日参拝してくれましたところがその週の土曜日の朝が鳴りです加古川の伯父がトラックに跳ねられて重体ですおさづけを戴いている者の中で僕が一番近いそうなのですぐ取り次ぎに行かなければならないのですが先生どうしましょうと声を震わせて大急ぎで福山駅まで送って行きましたそれから三日後君は帰って来て参拝してくれましたが神戸大学病院のへ入院中で重体との事今ブラジルから奥さんと子供達が向っているのでとそれじぁ君毎日神様にお願いに来なさい私達も添い願いするからと話し四日間日参し次の現場へと行きましたそれ以後残念ながら出直しましたが奥さんは間に合ったのでと元気を出す様又来てくれる様話しを切りました君との出会いで彼のそしてブラジルの方の信仰心の深さ純粋さに触れ心改まる思いがしましたさて十一月に向け心引き締め実践く共に頑張りましょう学生層育成者講習会日時会場内容講師月日月正午午後時まで学生層育成の大切さ月月次祭の神殿講話として中林由紀子先生本部学生担当委員会委員大原大教会長夫人管内学生新入生歓迎会日時月日日午前時午後時頃まで会場笠岡詰所及びその周辺対象おぢば管内の学校に通う学生内容親睦会お天気がよければお弁当を持ってピクニックに参加費無料学生には直接案内のハガキを出します三月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます寒さ厳しかった冬も春分の日を過ぎた今寒さが和らぎ暖かさも感じられ春の訪れを喜ぶ季節となりましたこの季節は同時に一つの終わりと始まり又別れと出会いの季節でもありそれは春の食べ物の特徴のように苦みを伴うものでありますがその苦みこそ芽生えと成長の証でありますならばこれも大いなる喜びでありますそう思う時改めて親神様の子を思う親心と御守護の有り難さを感じずにはおれません誠に有難うございます私共はご恩報じを思い念じて日夜御礼を申し上げると共ににをいがけおたすけつとめとさづけを通してたすけ一条の上に邁進させて頂いておりますその中に今日の吉日は三月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同春の陽気心を一つに睦び合わせて喜び勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には年度末の慌ただしさを厭いませず今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いに伏し拝む真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申しあげますさて一月には直轄の大祭参拝を二月三月には部内巡教をさせて頂き今年一年の実践項目の徹底をさせて頂きました時には雪の日もあり移動もままならない場面もありましたが滞り無くつとめ終えさせて頂くことが出来ましたことを御礼申し上げますこの上は笠岡に繋がる全ての人が心を一手一つに結び合って実動の上に邁進させて頂く覚悟でございます加えて来月からの教会長おやさと講習会でのお仕込みを実動の糧とさせて頂き尚一層勇んでつとめさせて頂く所存でございます何卒親神様には親孝心一筋に実動を通して助け合いの輪を広げて行く皆の誠真実の心をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護を賜り世の人の荒びがちなる心が春の雪解けのように助け合いの心に立て替わりましてお望み下さる陽気ぐらしの世の状が一日も早く実現しますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます教会長おやさと講習会事務局よりお願い御本部では身上者等の便宜を図って本部宿舎での合宿とは別に詰所通いの制度も設けておられますこの場合期間中の朝夕の食事は詰所で頂くことになっておりましたが申し出により本部で喫食することができるようになりました大教会事務局といたしましては御本部や詰所の方にできるだけ事務的なお手間をおかけしないように取り計らいたいと存じますので今後は詰所通いを申し出られる方は原則として朝夕の食事を本部で喫食して頂くことといたしますいずれにいたしましても詰所通い付き添い等の願い出また万止むを得ず割り当ての受講次に受講できないような事情が生じた場合はその旨速やかにお申し出でくださいますようお願いいたします春季霊祭祭文此のの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家ご先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊大教会草創の頃より長の年月歴代会長と共にご苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます御霊様方には早くからこのお道に引き寄せられお引き寄せ下さった親神様教祖の思召を悟られると共に無い命助けて頂いた御恩報じを胸に生きの限りたすけ一条の道を歩みきられました今日の笠岡の道の結構な姿をお見せ頂いていますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜であることは申すまでもありませんが一つには御霊様方が我が身我が家のいんねんを悟り全てを納消し艱難苦労の中も心倒すことなく親に凭れきりたすけ一条の真実の伏せ込みをして下さったお陰と朝に夕に御礼申し上げておりますその中にも今日の日は春の御霊祭りを執り行う日柄でございますので先程の親神様御前でのてをどりに引き続き只今は祖霊殿の儀を執り行わせて頂いております御前に寄り集いしゆかりある人が草の旬の物を供え在りし日の面影を偲び御遺徳を称え改めて御礼申し上げる状をご覧下さいまして御霊様方にもお勇み下さいますようお願い申しあげます又御霊様方の足跡の万分の一でも辿りたいとの思いから創立百十周年に向け伏せ込みを念頭に三年千日と仕切って歩んできた仕上げの年に相応しくおぢばへの運びそして百万軒にをいがけおさづけの取り次ぎに力を入れてたすけ一条に励ませて頂いている皆の真実をお受け取り下さいまして旬に相応しい心の成人と道のにぎわい又それぞれの子孫のにぎわいを御守護頂けるようお見守りお力添えの程を一同と共に慎んでお願い申しあげます教会長おやさと講習会受講の心得担当者会議における永尾一夫先生のお話し要約講習会について芯というものあるその者から心分かりてくれ竜頭が狂うたら皆狂うと教祖から切なる親心のご期待をお掛け頂く教会長がおやさとに集われての講習会です講話について恐らくお聞きになる話は新しい珍しい話は何一つとしてないと思いますみな教会長なら百もご承知の話ばかりであろうと思いますしかしながら他の信仰ならいざ知らずこの道の信仰に関する限りはご存命の教祖にお連れ通り頂いてひながたの道を歩んでぢばの理をお互いの隅から隅まで流す以外に目的も方法もないわけで分けてもこの時旬よふぼくの実動ということを諭達に強くお謳い下さいます躍進の動きの中で今申しました当然のことをよふぼく一人ひとりの方に徹底させて頂くということは信仰のない方におさづけを取り次ぎさして頂く時に相手に替わって取り次ぐ者が心を定めてお縋りをさして頂くように教会長の方が教祖の切なるお心を旨にひながたの実践を心に定めてご丹精下さる以外に道はないのでして改めて百も承知の話をなるほどそうであったなぁと素直にお聞き取りを頂いてそして何からでもその中から改めて心に納めて頂くということがあれば有難いとこれが講話です練り合いについてそして教会長の方は容易ならんいわば布教の難しさの中でお通り頂いている方ばかりです教祖伝逸話篇の中に増井りん先生のお話があります雪の日に河内から山を越えてお帰りになったその凍えた手を温めて下さりよう帰って来たなあ親神が手を引いて連れて帰ったのやであちらにてもこちらにても滑って難儀やったなあその中にて喜んでいたなあさあへ親神が十分受け取るでどんな事も皆受け取る守護するで楽しめ楽しめ楽しめこういうお話がありますが手を引いて連れて帰ったのやなぁと仰有る中に神様に連れて通って頂く私たちの信仰生活があるまた大切なことはその中をあちらにてもこちらにてもて難儀やったなぁその中にて喜んでいたなぁそして十分受け取る楽しめ楽しめと仰有ったそういう道中をお通りの会長さん方がたくさんおられるわけですがその中で練り合いを通してお互いに胸を開いてそして日のそういう道中をお互いに励まし合って心打ち解け合ってそして一段と勇まして頂く気持ちそういうことが練り合いのねらいです講習会についてどうぞまた講習会かまた同じ話し聞くのか滅多なことでそういうことはないと思いますがしかしながらこの教会長おやさと講習会が本当に次の塚を目指して諭達で仰せ頂いた真柱様の思いを成し遂げさしてもらうあのご決意をもって先頭にお立ち下さる真柱様が初めてお迎えになる教祖の年祭本当に喜んで頂けるようにつとめさして頂きたいその自力をしっかりとつけさして頂く講習会であるとこういった思いをご受講下さる教会長の皆様方にもお持ち頂きたいと思います
かさおか

『かさおか』第40巻 第3号

創立百十周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目おさづけの取り次ぎ初代上原さと様が笠岡へお帰りになって霊救を頂いたのは金平糖の御供であった初代は身上の人に御供を渡し奉祀していた神様に添え願いをして次と御守護を頂いた明治二十一年おぢばへ帰りおさづけを拝戴してからはおたすけに一層の拍車がかかり明治二十四年笠岡支教会が設立されたのである陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ初代は称念寺橋のたもとの借家に上原家を構え世すぎの道として小間物屋を営んだがおたすけが次とあがるようになって朝早くから夜遅くまで笠岡の街中は言うに及ばず新山追分金浦陶山茂平あるいは園井大島と足を運んだ笠岡の道は歩いて歩いてついた道と初代は後年話したが私たちもその歩みをこの一年を通して我が物としたい一万人のおぢばがえり笠岡の別席団参は教内で有名であったまた私達の信仰の源はおぢばである事を考えればおたすけに歩いた足でしっかりとそれ以上におぢばに運ばして頂きたいものである明治二十七年御本席のご来臨が頂けたのも初代がおぢばへおぢばへと交通不便の中運んでいた賜である事を思えば私たちはおぢばへ運ぶことによって見えない大きな徳を頂戴できるのである旬の動き時には喜びを与えて下さるチラシ配り葦陽分教会長笹尾正治只今帰りましたいつものよふぼくさんとチラシ配りから帰って来た家内の声がいつになくはずんでいた会長さん今日は話を聞いて呉れたよとうれしそうに云った家内の云うには教会からさほど遠くないある喫茶店に入ったこんにちは天理教の者ですがこれを読んで下さい気むずかしいマスターがチラシを受取ろうともせずあんた等みたいな宗教をする人間がいるから世界中で戦争が止まらんのぢゃ民族宗教戦争の事らしいわしが発起人で宗教反対運動を起そうとしとるんぢゃ店を出かけたら一人だけ居た常連らしいお客さんがそれは何かと呼び止めて呉れたので天理教の者ですと云ってチラシを渡すとあヽおミキばあさんか家内はいきなりこの教えは天然自然の教えを説いているんですと女中かのの一件から浮ぶまヽに教祖のひながたを話しまくったらマスターはだまって聞いていた最后にこんな教えで戦争の起るわけがないでしょう他の宗教と一緒にしないで下さいと話し終ったところへ次のお客さんが入って来たので店の邪魔をしてはとお邪魔しました又来させて頂きますと云ったらマスターはもう結構とも来んで呉れとも云わなかったやっぱり教祖のひながたってすばらしいわととてもうれしそうに話したなかなか結果の見えないチラシ配りではあるが神様はたまには喜びを与えて下さる現在当教会では毎月月次祭に人余りの人に大教会より頂くチラシを大きい茶封筒に名前を書いて人によって枚数が違うおみやげとしてお渡ししている当初百万軒にをいがけをお打出し頂いた時は私自身お道独特の数字へのこだわり出来るわけがない続くわけがないと思ったものである所が毎月チラシをもらって帰らなければならない毎月配布数を報告しなければならないこれはとにかく配るしかないと思いみなさんにもお願いした今迄は年一回の全教一斉にをいがけデー一日だけみなさんにお願いしてなんとか格好だけつけていた考えてみるとよふぼくとしてにをいがけは当実践項目集計月分おさづけ回にをいがけ軒おぢばがえり名然の事でありチラシを配るだけでもたすけ心を育み成人へとつながると今さらのように思えたチラシ配りはなかなか結果が見えないが先日チラシを読んで思いが変わったとの礼状別掲が教会にとヾいた又朝の太鼓の音で朝起きをしているとの事うれしかった無駄ではないんだと朝のおつとめにも力の入る日である葦陽分教会に届いた手紙前略先日ポストの中を見ますと天理教葦陽分教会様よりのお便り日に嬉しい種まきと題しておりますパンフレットがありました持ち入り夕食後ゆっくりと机の前で読みますと文面は誠にうなづくことばかり心の持ち方について学ばせていただいたという思いです私は一主婦でこれといった得手とするものはなくただ毎日家事や雑務に追われ過ごしている者ですがそれでも思いや感情でひとり何故だか心にかかることあればしばらく苦しみどうしようもないことがよくあります人間生きることはしんどいことです確かにしんどいことではありますがすばらしく又美しいものでもあろうかと思います私の周囲を見渡せば人それぞれ喜怒哀楽実に様な思いを抱えて生活している人がいっぱいで生きていますとそれは当然のことと言えるでしょうでもこのパンフレットの中の文字一行一句目を通させていただきこのような考えや見方で日過ごしてゆくことができるのならば自分としてどんなに楽で幸せなことでしょうかと気付かせていただきましたもう人をうらむのはやめよう怒りはすてようと思っているところです自分で楽しみを見出し心安らかにこれから明るく向かってゆこうと思っている次第ですありがとうございます葦陽分教会様から朝かすかに太鼓の音が聞こえてくるようです早朝よりお祈りをされておられるそう思ってぼつぼつ起きる支度をしております雑書きになり申し訳ございませんこのパンフレットは大切にとっておきます心がすさんだ時思い出しそして時読んでみます寒さまだ厳しい折どうかお体大切にされますよう皆様のご健康をお祈りいたします突然のお手紙を差し上げ失礼をいたしました桜馬場町一主婦陽気ぐらし講座実践の喜び油木分教会長黒瀬修弍陽気ぐらし講座については大変良い事であると思い乍らもさて各教会での開催となれば何かと重たく感じていましたしかしもうどうでもと云う事態を迎えて種考えを練りあげくに同地区内の知人をたずね話しましたところ快く受けて下さり呼びかけ人集め等その上での働きに協力を頂いて開催の日には先生を会場百楽荘老人クラブセンターへ案内し共に迎えられて講師の先生のお話には感銘深く大変喜ばれ誠に好評でした老人大学の集いの方二十名未信者そして後日老人会長から先生に御礼状が出され先生からも我教会へお喜びの声を頂き大きな喜びと安心を得て親の理を頂く事の有難さを痛感致しましたそして次回への望みを託し以前より再三云われて居りました隣村豊松村教会布教所無しでの開催に当り度の運びもはかどらず期日せまり来る中成すすべにも事かく時当村内に住む我教会の信者の協力を得てやっと来る三月十八日の開催の運びとなりました初の開催の時には大変結構に順調に事が運んで思わぬ盛況に感激しそのまま調子に乗って居りました何事も苦労が大切で苦悩しただけ喜びも深く味わいも濃く冷静なる時改めて親神様の深い親心が感じられ遅として進まぬ我心の成人のにぶさを思い知り誠に申しわけなくお詫び申し上げ前向きの進行へと急ぎ居る日でございます婦人会委員委員部長研修会報告婦人会委員委員部長研修会が去る二月二十一日午後より翌二十二日昼迄開催されました毎年恒例の行事ではありますが大教会祭典日という事もあり何かと出にくい中でしたが三十余名の参加を頂きました先ず支部長様より我道の台として又各委員部長としての日の通り方教会において頂く立ち場としての心の持ち方など婦人会長様の思いに添って心を込めて分かり易くお話し頂きました続いて大教会長様からは理の大切さを十全のご守護の上から悟らせて頂くようにと厳しくもあり又例にとって分かり易くお聞かせ頂き改めて心の在り方をお教え頂きましたその後今年は何年ぶりかの移動例会という事でマイクロバスと乗用車に別れて移動し場所を変えて夕食を囲みながら親睦会を持ち楽しい一時を過ごしました翌日は日本三大庭園の一つであります後楽園を見学し昼食後解散致しましたこの度の研修会は例年と違って何より大教会長様支部長様の親心から移動例会を計画して頂き思う以上に参加頂けたのではと感じています十一月二十九日大教会創立百十周年という大きな旬を目前にしてのこの研修会でお聞かせ頂いた数の親の思いをしっかりと心において話だけで終わらせる事なく日を通らせて頂きたいと存じます教会長おやさと講習会第次受講者興明芳井吸江輝美濃呰部明石市府中市東城島中驛家油木葦陽備中神昭美之郷錦備照雲錦ヶ原河佐上川邊甲井上父阿木行宇津戸河面神驛神免葦沼心の通ひ路おぢばの方向福節分教会藤井治喜少し前の事ですがおぢばへ帰らせていただこうと思い福山から高速バスに乗りましたお陰さまでここ数年観光バス以外はバスに乗ることもなく高速バスもその日初めて利用させていただきましたその日はかなり早起きをして停留所へ行きました待合いにはあまり人影はなくそれでも私を含めて三四人の人が同じ始発便の大阪行を待っているようでしたそこへライトを照らして白い大きなバスがやってきましたバスを待っていた人は皆足早にそれに乗り込んでいきました私も少し慌てて皆の後に付いてそのバスに乗りました車内は広としていて少ない乗客は皆思いのところに座っているようでした私は一番後ろの席に座りこれから数時間の一人旅を楽しむこととしました暖い車内はとても心地よく安心して睡魔にいざなわれることとしましたしばらくして辺りをうかがうと外は雨模様でした夢見心地で見る外の景色は少し見慣れないようにも映りましたが目線が違うからだろうと思っていましたその時次は本郷という車内放送が聞こえてきましたホンゴウそんなところがあったかなとぼんやりと考えているうちにある疑念が湧いてきましたそしてその疑念は次の車内放送とともに恐ろしい現実となってしまいました次と到着予定時刻を告げだしたのですそして終点を広島と告げた時には睡魔も安心も心地よさもどこかへ飛んでいってしまい一人旅を楽しむどころのさわぎではなくなったのです思い返せば福山で予定時刻より二三分早いような気がしたのだが皆が行くままに後についてバスに乗ってしまった広島行とも知らずに大阪行と思い込んで信じて疑わず乗ってしまったのですこれに乗ればおぢばの方へ向いて行くんだと思い込んで全く反対の方向へ行っていたのですバスや乗物ならたやすく方向を変えられもしますがこれが人生や信仰でしたら気がついた時には大変なことになるのではないでしょうか信仰の方向を間違えないように素直な心で親の声に耳をかたむけたいものですそして他人にも間違えのない親の方向を伝えたいものです二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心と自由の御守護によりまして日は結構に恙なくお連れ通り下さいます事は誠に有難いことと喜ばせて頂いております殊に我さい良くば今さい良くばの風潮の中にあってそれに流される事なく常に親心を感じ御守護を感じてご恩報じとしてたすけ一条の上に邁進させて頂けますことは考えてみれば実に有難い事の極みで御礼の申し上げようもございません私共はより感謝の思いを強めて本年申し合わせた実践項目の実動の上に勤めさせて頂いておりますその中に今日の吉日は二月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同喜び心も一入に明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます暦の上ではすでに春とはいえまだまだ寒さ厳しき中をも厭いませず寄り集いました道の子供達が相共にお歌に唱和し御前に伏し拝む状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて世上では親が我が子を虐待したり死に至らしめる等人を人と思わないような痛ましい事件が多発しておりますまさしくたんくとをんかかさなりそのゆへハきゆばとみへるみちがあるからの姿が表に現れているような感がするのでありますがそれを陽気ぐらしへと導くべく一列の子供が兄弟の理に目覚めて助け合う事の大切さを思い起こさせる為にかみなりもぢしんをふかぜ水つきに現さなければならない親の残念を思います時何とも言えぬ申し訳なさを感ぜずにはおれませんそれと共になんとかその思いに応えさせて頂きたいものと本年の実践項目の実動を通してよふぼくお互いのたすけ心を少しでも多く使わせて頂くことによって助け合いの理を人の心に映させて頂く所存でございます何卒親神様には旬の理に添い親心にお応えする皆の真実誠の心をお受け取り下さいましてたすけ一条の上に尚も自由の御守護をお現し下さり人が助け合いの理に目覚めて一日も早く陽気ずくめの世の状に立て替わりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますふたことみこと諭達に教えに基づく生き方を心掛けようとお示し頂いているが用いねば痛い目に合うという事を身をもって教えて頂いた先日車でチラシ配布に出掛けてデパートの駐車場に止めてさぁにをいがけという所へガードマンが無断駐車になるとクレームをつけに来た車のことだからカーと来て買物するかどうか分からないじゃろうあんた何言うとんなーとひと理屈言い返してやった以前ある先生がチラシをポストへ入れるのは誰か分らんのだから覆面しているのと同じと仰有ったが正に覆面居直り無断駐車犯と化してしまった後から何かもやもやしてすっきりしないおまけにチラシ配布中門続きの植木囲いのレンガで左すねをいやという程ぶつけてしまった痛い足を引きずりながらあの時向うからにをいにかかりに来たのだから一応謝って私達は天理教の者で陽気にくらす方法を伝えてたすかって頂きたいとこの近辺を廻らせて頂くところですどうか一時間程止めさせて下さいと言葉が出ていたらどの様に展開したか分からない教えに基づく生き方を心掛けるとは自分は用木であるということを四六時中忘れない事だと思った春の鼓笛合宿日程月日午後時受付時分開講式各自昼食は済ませて集合してください月日午後時解散予定参加御供円携行品楽器筆記具宿泊道具防寒着婦人会総会月日に婦人会総会が開催されます婦人会長様が御身上であることも思案し昨年の周年同様の参加者が募れるようご協力をお願いいたします各委員部長が漏れなく参加できますよう教会のご協力もお願いいたします青年会全部属分会委員長研修会とき月日日集合月日午後時受付時分開講式解散月日午後時分予定内容青年会本部委員挨拶活動目標発表分会活動報告神名流し練り合い等全分会委員長が欠けることなくつとめられますように各委員長に連絡を取らせていただいておりますので各教会におかれましてもご協力をよろしくお願いいたします少年会おつとめまなび総会ときところ内容月日日大教会おつとめまなび総会式典アトラクションドッジボール大会歌詞募集創立百十周年実行委員会ではをテーマにした歌の歌詞を募集いたします形式は自由月日必着で大教会内実行委員会宛送付ください応募の中から選出した適当な詞に曲をつけて記念祭の舞台で披露されます
かさおか

『かさおか』第40巻 第2号

創立周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目おさづけの取り次ぎ陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一万人のおぢばがえり仕上げの年に相応しい心の成人を年頭会議における大教会長様お話し諭達を承け実動の年と意義付けてつとめた昨年は大教会では創立百十周年に向かう二年目ということでそれに向けての実動という思いで動きました三つの実践項目を掲げてつとめた結果は百万軒にをいがけは百二十万軒余り数の上から言えば一昨年よりも十万少ないということになりますが心を一つに合わせてつとめられよかったと思います陽気ぐらし講座は一四二会場で開催され総参加数は四八二五人その内未信者が二六七一人五五三でした普通なら半分の教会で開催するのも難しいのに全教会で開催され参加者の過半数が未信者だったということはとても凄いことだと思います教会らしい教会を目指して教会に勢いがなくなったさて真柱様は本年も年頭のご挨拶で実動ということについて話されましたこれは言われたからする言われないからしないということではなく教会というものが教えを実行する中から生まれたのだから教会そのものは実動してこそ教会だと言えるしかしどうも実動のない教会があるようなので教会らしい教会を目指してしっかり実動してほしいというようなお話だったと思います笠岡においては今年は創立百十周年の年です三年千日仕切って歩んだその仕上げの年ということで一年歩むわけですからそれに相応しい実動の年にしたいと思いますその実動の内容については決起の集いや直轄教会の大祭参拝で申しましたので今日はそれに関わって少し気になることをお話しして新年の挨拶にしたいと思います毎月各教会から提出される祭典報告書の中に教会長所感という欄がありますがそこに教会長の思いを書かれる方がだんだんと増えてきましたその中で百万軒にをいがけについての喜びの声を書かれる方が特に増えてきました百万軒によってよふぼくが動くようになってくれたとか切れていたよふぼくが教会に通うようになったとかまた実際におつとめ奉仕者が増えてきたところもあり喜んでおります他にも悩みや質問等を書かれる方がおられますがその中に疑問点を書かれた方がおられますのでこの場でお答えします先ず祭典報告書を読んだ後どうしているのかということですがこれは一ヶ月分の祭典報告書をバラし教会毎にファイルに綴じ直して全部保管しています私の手許にあるのは昭和六十年からの分で十五年間分を保管しています次に祭典報告書は役に立っているのかということについては私にとっては十分役に立っています教会毎に綴り直した報告書を時折一年間通してザッと目を通したり十五年間の動きを確認したりします良い悪いを含めて教会の動きが分かります祭典役割や参拝者数だけしか書いてありませんがそこから教会長のつらさや喜びなどを読み取ることもできますしかし私はなんだこんなことかとバカにして読んだことは一回もありませんたった一枚の紙切れですが書いてある内容によっては頑張っているなぁ辛い思いをしているなぁとか感じたり上級の会長さんと相談したり直接本人とお話しすることもあります報告書を書くのが辛いと書かれる方もおられますがそれは書くこと自体が辛いのではなく何か辛いことがあるのだと思いますそれではそれぞれの教会がなぜ辛いのかその原因は何でどうすればよいのかなどと十五年間の動きをみていろいろと思案してみます毎年の報告書を読んでいると名前のなくなった人が分かりますつまり出直もあろうしお道から離れた方もありましょう新しい名前が増えればさほど辛い思いをしなくても済むでしょうがだんだん名前が減るだけで増えてこない教会の勢いがだんだんなくなっているこれが報告書を書く上で辛い思いをする一番の原因ではないかそういうことも読んでいくうちに感じます教会に動きを創り出そう教会に勢いがなくなったのは教会に動きがなく教会の中だけの動きになっているのが原因だと思います信者の丹精も大切ですがそれだけでは少なくなってしまいます少なくとも信者子弟をもっと丹精すればそういうことにはならないでしょうがそれではそれを解決していくためにはということで教会が動きを出していくことが大切という結論に達し動きを創っていかねばということで百万軒にをいがけの発想のもとになりましたそれには教会長一人だけではなく教会に繋がる一人ひとりが動くことが大切です昔の教会は皆そうでした教会に繋がるよふぼくが皆にをいがけおたすけをしましたそれがだんだん教会長だけがにおいがけせんならんおたすけせんならんというふうになってしまっているところに大きな原因があると思いますですから教会長だけが百万軒するのではなく教会に繋がるよふぼく信者に少しでも動いてもらえるように丹精してほしいのです自分が動くだけなら簡単ですが教会が本当に伸びる動きには繋がりませんまだ教会長だけが動いている限られたわずかのよふぼくだけが動いているという教会もあるでしょう動かないよふぼくに動いてもらう苦労をするのもこれは教会長のつとめだということも心においてそういう苦労をすることも今年一年は大切でしょうそれがもとになって昨年まで動いてきたわけで今年の動きにも繋がっているということも心において実動を目指して動いていただきたい一回でも多くおさづけの取り次ぎをそしてよふぼくの使命はと言えばおさづけの取り次ぎというのが先ず第一ですこれもいっぺんに何もかもというとなかなか動きにくいのでこの三年間かけてじっくりやっていこうということでだんだん実践項目が増えてきたわけですが昨年末に実践項目を発表し項目別の実績を報告するようにお願いしたところ数名の方から数を報告せよと言うが数に捕らわれておさづけを取り次ぐのはおさづけの理を軽しめないかと質問されました結論から申すと数の大小に関わらずおさづけの理が軽くなることは決してありませんおさづけに関して数の上でお教えいただいているのは一人の身上者に対して一日に取り次げるおさづけの回数が六回であることだけですそれ以外には一日に何回以上取り次いだら理が軽くなるなどとは仰っていませんむしろ人をたすける効能の理としてお許しいただいた理ですから勿体ないというて懐にしまい込んだりしないようにしっかりと一人でも多くの身上者にお取り次ぎするようにと仮席ではわざわざ仰っていますたくさん取り次げば理が軽くなるから取り次ぐなではなく一人でも多くの方にお取り次ぎしてくださいと仰るおさづけです仮席の中で重い軽いという表現をしておられるところは理を重く扱うというような表現でつまり扱う人の心次第だということですということは数に捕らわれてたくさんおさづけを取り次ぐと理が軽くならないかという言葉の意味は数を取り次いだら心が軽くなってしまわないかということでそれは逆に言えばおさづけの理を重く扱っていない証拠ではないのかと言わざるを得ません一人でも多くの方にお取り次ぎするようにとのおさづけの理ですからしっかりとお取り次ぎしていただきたいそしておさづけの理を重く重く感じてこの重いおさづけの理をむしろ少しでも多くと思ってお取り次ぎすれば取り次げば取り次ぐほど理を重く扱うことになるとは言えないでしょうかついでに申すと本当に数にこだわらないのなら一回でも一万回でも百万回でも関係なく少ない方が云ということ自体が既に数にこだわっている姿ではないでしょうか数にこだわらず実動の心を培おうそして数を報告するということは数が多ければよい少なければ悪いということではなくただ回数を報告するだけのことであって少ないからダメじゃないかという攻め道具にするために数を報告していただくのではありませんむしろそれぞれの教会が一つの目安としてよし来月はもっと頑張らせてもらおうというような一つの励みになればありがたいなと思って書いていただきたいのです一番大切なのはそのための心を遣うということですからおさづけを取り次ぐための心を遣っていただきたいのですいかなる身上であろうともこんな軽い身上におさづけをお取り次ぎしたら申し訳ないという心が申し訳ないのであってとにかくおさづけをお取り次ぎしようという心を遣っていただきたいにをいがけに出ておさづけのお取り次ぎを申し出てもなかなか受けてはもらえませんが申し出ること自体がありがたいその心を遣うことが一番大切だということですおさづけを取り次げなかったら結果的には数はゼロですしかし数に出なくてもその心を遣うこと自体が旬の御用だと私は思いますですからよふぼく一人ひとりに皆さん方の方から声をかけてその心を遣ってもらえるようにご丹精いただきたい百万軒にをいがけも他の実践項目も同様です少ないと思えば頑張ればよいと思います数が出たから良いとか悪いとかいうことではなくそれがそれぞれの励みになれば私はありがたいと思いますそのための数だということを理解していただいてこれは正直に出していただきたい聞くところによると百万軒の上についてやっていないが数だけ出しておけばよいというような方もあるそうですがはっきり言ってそれでは意味がありませんそんなことのために数を出していただいているのでも百万軒をやっているわけでもないので少なくても多くても関係ない本当につとめられた数だけを正直に出していただいて結構ですそれがそれぞれの教会の励みになれば一番よいのではないでしょうかとにかく今年一年実動あるのみ百十周年という大きな節目に相応しい一年にしたいと思いますのでしっかり心を一つに合わせてつとめられますようお願いを申し上げて新年のご挨拶とさせていただきます以上要約ちゃんと育つようにしっかりと育てよう春季大祭講話大教会長様育てとは今はどういうときか育てを思う旬昨秋天理教校が創設百周年を迎え教校創設の意義が人材育成にあったことから真柱様は秋季大祭で人材育成の大切さについて触れられました大教会では本年三つの実践項目を掲げて実動を期しているがこれも自分だけが動くのではなくそれを通して教会長布教所長よふぼく信者がそれぞれの子弟を育成すべくつとめることも大切だと思います本年も年頭からいろいろな事件が起こっております昔なら事件の加害者と被害者には何らかの関係がありましたが最近は無差別に殺傷を行なう傾向がありますので誰でも被害者になりうるつまり他人事ではありませんまた親が子を子が親を殺すというような事件も多発しておりますこうしたことから今は育てということの大切さを考えなければならない旬だと思います育てば育つ育てにゃ育たんそういうことで今日は育てということについてお話しを進めます最近放任主義という育て方があります本年の成人式などに現われているように言葉通りにほったらかしにする風潮があるようですが親はちゃんと育てているつもりでも育て方が間違っているあるいは育てているつもりだけになっているのではないでしょうかおさしづにいずれへ尽すれど一つの道に集める人間心の理は世界の一つの理である危うき道を見にゃならん通らにゃならん聞かさにゃならん元一つの理に帰る早く一つの理を聞き分け見分け天然自然の一つの理を見れば行末一つの道を見るどうやこうやと言わん尋ねるから一つの理を聞かそう育てるで育つ育てにゃ育たん肥えを置けば肥えが効く古き新しきは言わん真実あれば一つの理がある明これからは多くの中人という理を以て集まるいかなるも皆育てば育つ育てにゃ育たんこの道は聞けば聞く程難しいと言う難しいやない心の理が難しいのや育てるというは心だけの理を以て育てる明というお言葉があります育てば育つ育てにゃ育たん育つ理は育てるところにあると仰っています放任といってもほったらかしにするのではなくその中に育てがなければ本当には育ちません育てにゃ育たんということこれをしっかり思案しましょうひながたにみる育て育て方の足りない姿はお道の中にも現れているようですが教祖のひながたの中に育ての姿を求めてみると簡単に申せば厳しさと温かさ優しさではなかろうかと思います最初はより来る人を温かさいっぱい親心いっぱいに迎えられたその中からだんだんに道を求める人がでてきたがこういう人には温かさよりもむしろ大和事件などのように厳しさをもって仕込まれたそして明治二十年を迎え正に厳しく厳しく仕込まれたのです教祖のひながたは人間をたすけるたすかる理を伝えるという上では凄く厳しい道ではなかったでしょうかそれは寄り来る人に厳しいだけではなく御自らも厳しい道を求めて歩まれたひながたでもありましたこのひながたは一人ひとりが道を通る上で自分自身に対する厳しさであると同時に人を育てる上での厳しさでもあると思いますちゃんと育てるためには育てる理がなければ育たない代を重ねて楽の道安易な道に流れやすくなってくるとだんだんと道の理が分からなくなりたすけの理が現われてこなくなるのではないでしょうかおさしづにも上から下を育てにゃならん一日でも早く入りた者は育てる理が無くば聞き流し思い違いなら育てにゃならん明また道に外れたる心で育てようと思うた処が育たん明というお言葉があります育てる者が道に外れたような心であってはいくら言葉でお道の真理を説いてみても残念ながらそこには育たない理しかありませんということは育てる気があるならしっかりとその気で育てなければならないということです遠慮気兼あっては育たない私たちが育てる上においてどうしても自分に甘えがあって厳しくなれず自分が成人していないのに申し訳ないというような思いもあってなかなか厳しく言えないという部分もあるでしょうが理ということに関しては厳しい心でしっかりと育てなくてはなりませんおさしづに遠慮気兼は要らんすっきり要らん遠慮気兼あっては真の兄弟と言えるか明これは本席様に対するおさしづで飯降伊蔵様は本席という立場と人間飯降伊蔵という立場との中で葛藤もあっただろうが本席と言っても一人間だからというような遠慮があってはならない飯降伊蔵様より入信の古い先生方もおられただろうが理に与る者としては遠慮せずにしっかり理を取り次がなければならないということではないでしょうか親は親神様教祖だけ我は兄弟として生まれているので真の兄弟として遠慮なく育てなければ一体誰に育てることができましょうか特に教会長は教会長の理を戴いているということを考えてみれば教会長という立場でのお話しはどんな状況でも遠慮気兼せずに取り次がなければなりません特に教会長の身内に対しては子供だから嫁だから主人だからとつい遠慮していては育ちませんいんねんと感じるものがあればいんねんの自覚を促すように取り次いでいかなければその者をたすけられないと思います相手が聞く聞かないに関わらず本当に大切だと思えばちゃんと言って聞かして通らさなければなりません放任では育たない自由ということを履き違えてはなりません道を継ごうが継ぐまいが子供の自由だから道を選ぶのは子供に任せておいたらよい継がないと言うのなら仕方ないこれでは育てではありませんこの道を通ることによってたすかるあるいは世界人類が陽気ぐらしに立て替わるという思いが本当にあるなら子供に任せるというような育て方ではいけないと思います自由という言葉に踊らされてわがままに育ててはいけませんむしろ何が何でもこの道を通らなければならないという確固たる信念で理を植え付けて子供がこの道を通るようにしっかりと育ててやるということこそが親心ではないでしょうか子供の好き勝手に任せてやるというのが親心だと思ったらそれは違うということですもしそうなら何故教祖はあれほどに御苦労くだされ厳しくお仕込みくだされ厳しく仕込んででもこの道に引き寄せられたのでしょうかやはりたすけてやりたいその一条だったと思いますましてやこの道を通らなければたすからないからこそ引き寄せられたということを考えてみればこの道を通る者はそのことをしっかりと子供に伝えて子供が信仰に繋がるようにしっかりと育てなければなりませんそして育てる上で一番大切な角目は育てるという心です育てる方に心がなければ育ちませんいずれ分かるだろうとかその内神様が何しるしか徴を見せてくださるだろうというようなことでは育ちませんやはり小さいときからしっかりと育てる気で育てなければ育たないということも心におかなければなりません人を育てるということは自らが育つこと自らも育つ努力を子供には分からないかもしれないし厳しいかもしれませんが育てる上ではこちらも人に言う以上は自分自身に厳しくできるように成人の道を歩みつつ育てなければなりませんこちらが成人できているから育てる成人できていないから育てられないではなくまだまだお互いに成人が足らないのですから先ず育てるという気持ちをしっかりと持ってそれに相応しい自分になれるように自分自身も育つ努力をすることが大切です理の取り次ぎは遠慮気兼なくこれは理ということの思案でこの度のおさづけの取り次ぎの上においてもおさづけの理をお取り次ぎするのですからそのときに遠慮気兼があってはなりませんですからしっかりとお話しのお取り次ぎをし理のお取り次ぎをしたらよいのです私のおさづけは効かないかなぁというような遠慮の心であるいはこんな話をしたらこの人はお道を離れてしまうかなぁというように気兼をしながらお話しを取り次いでおさづけをお取り次ぎしてはならないということですなんとかどうでもたすかってもらいたいというその思いでお話しすることは受け取ってもらえる理があるので相手がどう受け取るかは別として親神様教祖が働いてくださるからこそお取り次ぎする理だという心でしっかりとお取り次ぎすることが大切だと思います理を重く扱おうという心が自らを育てるよふぼくならば理というものの大切さは自分自身で培わなければどうしようもありません理は普遍のものですから理そのものが重くなったり軽くなったりすることはありませんが扱う人の心一つによってはおさづけの理も重きに思えば重き理になるし軽きに思えば軽き理にしかなりません理によってたすけていただくのですからその理を重きに扱うというその心を培うことが大切だと思いますそれも自分が育つことに繋がるでしょうこの程度ならとかこんなものならと思ったらそれまでですそれは結局自分自身がそれに流されているのであってその理に相応しい成人をしていないのです会長さんはこう仰るがこの程度にしておけばよかろうとかこの程度で勘弁してもらおうとかそう思ったらそれだけの理ですそれでは自分が育たない育つ理が培われません人が育つように自らも育ちつつ育てるということは人を育てるとともに自分自身も育つことなので育てる理で人を育ててほしいと思います子供や孫や後に続く者をしっかりと育ててやってほしいと思いますその育てる理によって自分自身が育つということを心においてお互いに育てられるようなまた育てに心を配りながら今年一年実践項目にも関わりたいと思います今は育てるということが大切な時代であり世の中であるということをしっかりと心において育てができ自分が育つことができる一年になるように実践に歩みたいと思います以上要約心の通ひ路この旬に福岩分教会長夫人三阪由紀大教会創立百十周年仕上げの年であちこちより勇み立つ声が聞こえてくる今日この頃ですが私自身を顧みて考えると甚だ恥ずかしい限りに思えてなりません三年千日の打ち出しがあった年に会長交代の話になり二年目の歩み出しと共に会長交代後継者夫人から会長夫人の立場になりその重みに苦しみ悩み投げ出したい一心の一年であったように思いますそんな中いろいろな方のアドバイスを頂きやっと前向きに考えられるようになり今を通らせて頂いております百万軒にをいがけが打ち出された頃は二枚のパンフレットがなかなか配れませんでしたが今ではだんだんと歩けるようになってきました今まではいくら子供に身上をお見せ頂いた時でも歩くことはなかなか出来ませんでしたそれが数にこだわっても配らせてもらおうとの打ち出しを頂いたおかげで少しでも歩かせて頂こうという気にならせて頂けたように思いますそして昨年からは月に一度休みの日に子供達と歩くようになりました父さんチームと母さんチームの二手に分かれて配ります子供はとても純粋です何のためらいもなく犬のいる家ではおびえながらも楽しそうにそして元気な声で挨拶しながら配ります帰る道中ではお互いの状況や成果を話しながら笑っている子供達を見ていると親の声があったからこそ子供達にも喜びの種まきをさせてやれることが出来ると感謝しておりますこんな未熟な者ですが今年も一年私なりに親に喜んで頂けるよう微力ながらつとめさせて頂きたいと思っております言葉一つ御野分教会長夫人佐藤喜代子百万軒にをいがけも今年で四年目に入り今では信者さん達も何の抵抗もなくためらいもせず中には楽しんで自分の持場地区を廻って下さっており大変ありがたいことと喜ばせて頂いております私自身も忙しい忙しいと言いながらも何とか時間を作って町内の公務も兼ねて月に二回か三回廻っているのですがそれはさておき私はこの上級で作って下さるチラシの文言が大好きでそれを先ず自分の心に治めさせて頂こうとそちらを楽しみにしている位でまことにお恥かしい次第です今月はひとを暖める言葉という題のチラシですが何年か前にも丁度この二月言葉一つというチラシを配らせて頂いたことがありましたそれを小学校の校長先生が卒業式の席上卒業生に贈る言葉に取り入れて話され出席していた私はいろいろな意味で感動したのを憶えていますがそのことば一つでけんかしてことば一つで仲なおりという内容が私自身も大好きで長らく台所の壁に貼って毎日読んでは自分に言い聞かせていました人と人との関係で言葉程大切なものはありません文字にすれば同じ一つの言葉であっても出し方一つによって感じが大きく変るしまた聞く方の性格や立場やその時の精神状態によっても受け取り方が大きく変ってくるものですつい先日一つの経験をさせて頂き私の至らなさを親神様教祖に心からお詫び申し上げたことがありましたある中年の女性の方なのですがその方を労わるつもりで言った一言がその方の心を傷つけてしまったのです日参に近い状態でずっと参拝しておられたのにしばらく時にしか姿を見せられない年の始めだし寒さも例年になく厳しいからかななんて思っていながら私自身も申しわけないことに訪ねることもしていなかったのですそうした或る日参拝して来られ私の言った一言がショックで夜も眠れぬ程落ち込んで苦しんでおられたというのです私としてはまさに青天のへきれきで早速お詫び申し上げた次第です教祖は声は肥やでと仰せ下さいましたまた教祖が桝井伊三郎先生にお聞かせ下されつたお話の中で言葉一つが肝心吐く息引く息一つの加減で内治まると仰せ下さったと聞かせて頂きますこの度の経験は親神様から私への今年最初のプレゼントですこれを機に更に心して人を暖める言葉人をつなぐ言葉人を生かす言葉を使えるよう温くやさしく低い心で通らせて頂きたいと思っています還暦後継者の某様宛手紙久福分教会後継者佐藤憲美前略その後お変りございませんか私は今おぢばに帰らせて頂き後期教会長検定講習会を受講させて頂いております今夜は特に底冷えしていますが詰所内は皆様の暖かいおもてなしと若く溌剌とした修養科生講習生の修学の熱気に包まれ青春を取り戻した感覚で寒さも吹き飛んでいます講習会ではご経験豊富な先生方の心に響くお話に接し御教の偉大さ奥深さを痛感すると共に御本部の一貫した後継者教育の素晴しさに感動していますこの中にあって私の過去の所業を反省しますと還暦迄の我儘を許し大難を小難小難を無難に通して頂いたのは親神様の広くやさしい御心と亡祖母や母素直に協力してくれた妻の徳を頂いたものと悟らせて頂きました皆様への感謝報恩は人に喜びを施し自分も喜び共に楽しむ陽気ぐらしと悟らせて頂きました思えば私の還暦迄の天理教忌避もシャイな性格ゆえの世間並志向と教理の無理解に起因していると反省していますその上心遣い労力を惜み見せかけの働きで高給を欲しがり欠点をつく人を憎み人より我身かわいく顔を潰されたとて人を恨み腹を立て酒色は男の甲斐性と無力を棚へ職権を乱用し嘘は方便追従は利便とばかり八つのほこりを積重ねて来ましたしかしこれを反面教師としてにほいがけおたすけに励み人の喜び我が喜びにするのが私に荷せられた役目と認識し実行しようと考えています帰福すれば教会長の席が待っていますが未だお道の離島です一人のようぼくとして動く所存です才の会長もまだく肩の荷は降せないでしょう妻や子供役員信者の方にもますくご苦労をかける事になるでしょうが快諾頂けるものと確信しています又私を見守り応援頂ける方が沢山いて下さり心強いばかりです親会長様奥様役員先生方修養科講習会の先生方や数多くの同僚達で何時でも叱咤激励頂けます最後に当面の教会活動方針は次の通りを思っていますつとめとたすけの再認識と実行一つとめかんろう台づとめの理につながる大切なつとめと再認識し真剣に正確なつとめの実行とつとめ人数の確保二たすけ継続的飽くなきにをいがけの実施と親神様のさづけの取り次ぎ者の認識し一期一会の気持でおたすけの取り次ぎとするこの様な心定めを致しましたのでお見守りの上時旬のご指導ご鞭撻をお願いします神の思召しのまゝに平成十三年二月三日某様春季大祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様には人間の陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思召から紋型無いところより道具を引き寄せ守護を教え八千八度の生まれ替わりを通して今日の人間生活へとお育て下さいましたその親心とご苦労の程に心より御礼申し上げます加えて成人に鈍い私共をあわれと思召され天保九年教祖を月日の社とお定めになり陽気ぐらしに向かうひながたをお示し下されたばかりでなくこれの世界だすけの道をおつけ下さいました事は誠に有難く勿体ない極みでございます私共はこの道にお引き寄せ下さった温かい親心を悟りご恩報じを思い念じて届かぬながらも精一杯つとめにさづけに又にをいがけにおたすけにとたすけ一条の上に勤め励ませて頂いております分けてもこの月は教祖が一列子供の成人を促しつつ我が身をお隠しなされてろっくの地に踏み均しに出られた尊い月に当たりますのでお許し戴いた今日の吉日におぢばの理にならい只今からおつとめ奉仕者一同心一つに睦び合わせて明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて春の大祭を執り行わせていただきます御前には数年ぶりの厳しい寒波を厭いませず寄り集い同じ思いに伏し拝みお歌に唱和する皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本年年頭に当たり真柱様から実動によって教会が出来たのだから教会らしい教会になる為にも実動をして欲しいとのお言葉をお聞かせ下さいましたので実動を合言葉に三年千日仕切って歩んできた仕上げの年に相応しい実動の年にしたいとの思いから一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえりを実践項目に実動に邁進させて頂く覚悟でございます又昨年の秋の大祭で真柱様から人材育成の重要性についてのお言葉がございましたので本年はその事も視野に入れ教会長子弟布教所長子弟よふぼく信者子弟も何らかの形で実動に関わるよう丹精させて頂く所存でございます更には又創立百十周年に相応しい年になるよう昨年より増して初席者三百名おさづけ拝戴者二百名修養科修了者百五十名教人登録者百名を年頭に心定めさせて頂きましたこの心定めが実動に繋がり実動が人づくりの理作りになるよう心を一手一つに結び合って勇んでたすけ一条の上に勤めさせて頂く所存でございます何卒親神様には皆の親一筋心の真実をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜りましてよふぼく家庭がたすけ一条に一つにまとまりより大きく成人できる一年になりますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げます陽気ぐらし講座開催集計ブロック参加男性女性者数開催会場出向講師名山内宣暁計未信者教会布教所公共施設直轄京塚貢田村辰久伊藤通友福山藤原晃雄東誥淙冨松幹禎髙屋島根二宮勝巳山田鎮郎加藤芳樹久松上下府中市宇恵義昭伊藤正和山本武生野村英輔清水栄吉その他合計開催会場の内芸能人有の会場は会場ふたことみこと昨年十一月二十一日大教会創立百十周年決起の集いが開催された私は当日の記録写真を撮るよう仰せつかった久しぶりにカメラをケースから取り出しファインダーを覗いてビックリ目の前に霧のかかった様な風景が何とレンズにカビきれいに拭き取り撮影となった仕上ったプリントを見てまたビックリ最近急に進んだ老眼のせいかはたまた手の震えのためかピンボケありシャッターチャンス遅れなどなど到底人前に出せる様な物ではなかったきねづか昔取った杵柄ということわざがある以前に身につけた技能はいつになっても衰えないという意味だ私も二十数年前小さな地方新聞社の記者としてカメラを肩に駆け回っていたしかし常に写すという作業から遠のいた今残念ながら当時の様には写せなくことわざ通りにはいかないのが現実だ本年の大教会の実践項目の一つとしておさづけの取次をお打ち出し頂いたおさづけは取り次いでこそ尊いおさづけの理である昔戴いたおさづけにならない様常に取り次がせて頂かねばと思う日だ宿舎男子は第母屋女子は第母屋身上やいびき等により合宿がむずかしい場合は笠岡詰所から通うこともできます子供連れの方は笠岡詰所からの通いとなります服装ハッピは自教会のものを着用してください真柱様からお言葉を頂く際男子はカッターシャツネクタイを着用してください女子はこれに準じますスカートスラックス着物等考えられますが特に定めません携行品筆記具宿泊用具ネクタイ等その他受講御供円第日目午前時分より笠岡詰所で徴収します笠岡詰所に立ち寄らず直接宿舎受付へ行かれる方は予め事務局までご一報ください受講者おぢばへの往復の交通手段は近隣の教会長で相談の上考慮願いますなお下記のように大教会より上和便を運行します乗車御供は人円往復で旅行保険は掛けておりませんので予めご了承ください便乗をご希望の方は早めに事務局までお申し込みください先着名集合前日午後時大教会出発午後時頃笠岡詰所着第日目午後時笠岡詰所発午後時頃大教会帰着諸注意受講できない事情が生じた場合は速やかに事務局までご連絡下さい付き添い者について付き添い者は原則として同時に受講する同じ直属の中の教会長としますやむを得ずそれ以外の方が付き添う場合は講話ねりあい等の場には同席できません託児について希望者のみ生後日目より小学校就学前までの子供の託児の世話取りをします託児御供人円詰所通い託児付き添い透析車椅子での受講を希望される方はヶ月前の日までに事務局までお申し出でください事務局連絡お申込みお問い合わせ等は事務局岡﨑真一まで教会長おやさと講習会要項主旨教会内容の更なる充実を目指し教会長の役割を改めて確認するとともに世界たすけの使命感を高めることを目的とする実施期間月までの期間に次にわたって開催各次泊日笠岡へは下記の通り割り当てられています第次月日日名第次月日日名第次月日日名第次月日日名第次月日日名各受講次ヶ月前に割り当て教会長に案内状を送付します急な身上等で割り当て内に受講できなかった場合は願い出て頂いて残る開催次の中で受講して頂きます尚最終の第次を欠席した場合は今回の受講は不可能となります集合第日目午前時頃朝食の準備はありません解散第日目昼頃昼食の準備はありません集合前日から笠岡詰所に宿泊する方は必要に応じて前日夕食詰所宿泊第日目朝食第日目昼食等について銘で必ず笠岡詰所の方へお申し込みください対象教会長含代務者月までに新設があった場合は新設教会長は受講対象者となる担任変更によりすでに前任者が受講している場合でも新任教会長も願い出により受講できる内容ぢばの理を世界へ第講親神様の御守護第講教祖存命の理教会らしい教会を目指して少人数によるねりあいビデオその他会場おやさとやかた及び第食堂教会長おやさと講習会割当表改訂版第次月日日第次月日日第次月日日第次月日日第次月日日名称次名称次名称次名称次名称次名称次名称次名称次福山照陽廣町福備真金米美久福國須髙屋輝美濃福廣福輝仲條伯仙久津上吉野神邉新山邑福勇稲倉照雲呉福上備島根呰部福芦坪生稲瀬輝伯久松明石市福満八尋稲富士松都鶴南河佐鶴山上下福岩深安稲讃樺島鶴眞上川邊弥髙山府中市西村笠尋門司港亀田山川島郷甲井陽備東城福年芦品大惠山出雲川津鴨方上父摩耶服部引野安那東水島天場山作備阿木行金浦島中福昭芦田川髙児島簸ノ川輝華宇津戸興明驛家福春三郡多古浦錦ヶ原河面ひろさと油木福中芦常出雲瑞北府鮮陶山葦陽福冨士芦辺瑞雲雲東行縢府庄芳井湯田原福東芦加茂海潮川眞府府世原呉照備中東福山惠陽錦洋神村吉舎海松ヶ岡神昭福南陽實米府呉中清嶽神驛東悠美之郷福順御野弓ヶ濱大江橋上小畠神免吸江錦備福節香地華西伯品治木津和葦沼各次本年開催第日目午前時頃開講第日目お昼頃解散の予定表中と書かれた安那三郡芦常陶山は秋季霊祭などの都合で割り当てられた受講次を受講できないため第次または第次の受講を希望しておられます第次または第次に割り当てられた方で第次に変わっても構わない方名第次に変わっても構わない方名を募集いたしますので都合のつく方は事務局までご連絡ください割り当てられた受講次の第日目の午前時頃までにおぢばに到着できないなど不都合がある場合は事情が発生した時点で速やかに事務局までご連絡くださいなお各受講次はギリギリの選択肢の中で割り当てさせていただきましたので中には祭典直後はもとより祭典前日にお願いしてある教会もありますその点を踏まえ余程の理由以外では変更を受けかねますが必ず受講していただくことを第一義に考えておりますので欠席する可能性のある方は必ず事務局にご相談くださいますようお願い申し上げます