『かさおか』第40巻 第1号
いよいよ創立百十周年の年さあもう枚脱皮しましょうツチノコ共和国パスポートより転載あけましておめでとうございます創立百十周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目おさづけの取り次ぎ初代上原さと様が笠岡へお帰りになって霊救を頂いたのは金平糖の御供であった初代は身上の人に御供を渡し奉祀していた神様に添え願いをして次と御守護を頂いた明治二十一年おぢばへ帰りおさづけを拝戴してからはおたすけに一層の拍車がかかり明治二十四年笠岡支教会が設立されたのである陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ初代は称念寺橋のたもとの借家に上原家を構え世すぎの道として小間物屋を営んだがおたすけが次とあがるようになって朝早くから夜遅くまで笠岡の街中は言うに及ばず新山追分金浦陶山茂平あるいは園井大島と足を運んだ笠岡の道は歩いて歩いてついた道と初代は後年話したが私たちもその歩みをこの一年を通して我が物としたい一万人のおぢばがえり笠岡の別席団参は教内で有名であったまた私達の信仰の源はおぢばである事を考えればおたすけに歩いた足でしっかりとそれ以上におぢばに運ばして頂きたいものである明治二十七年御本席のご来臨が頂けたのも初代がおぢばへおぢばへと交通不便の中運んでいた賜である事を思えば私たちはおぢばへ運ぶことによって見えない大きな徳を頂戴できるのである立教百六十四年の新春のお慶びを申し上たのでありますがその後数の事につ扱う人の心にあるといえますとするならげますいて数人の方から質問がありましたのでば理を重んじ多くおさづけを取次げば取昨年は大変ご苦労さまでした創立百十この紙面で答えてみたいと思いますそれ次ぐ程おさづけの理は重くなると言える周年に向かう三年千日二年目の年としては数にこだわるとおさづけの理が軽くなのです仮席中に人様をおたすけさせてつとめに専心百万軒にをいがけ陽らないかというものでありました結頂く為にお渡し下さるこうのうの理であり気ぐらし講座開催と諭達にお示し頂く論からいうと答えは軽くならないでます従っておさづけはたゞ頂戴して結実動にお応えさせて頂きたいとの思いありますというよりも厳密にいえば理構であったというだけで終わってはならなに加え一年目より一歩前進した実動に重い軽いは無いのであります辞書いのでありまして一人でも多くの方にこを目指して歩ませて頂きましたが実動によれば理とは不変の法則原理とあれを取次いでおたすけをさせて頂くとこに相応しい又二年目に相応しい年であったりますつまり変わらないものでありますろにその尊い理が生かされるのであり我ように思います改めて皆様のお心寄せおから重くも軽くもないのでありますとが身も結構をお見せ頂くことが出来るので力添えに御礼申し上げますころが仮席おさづけを拝戴した後の席ありますとありますどうぞ一人でもさて本年は創立百十周年の年であり三前席中席後席とあるで服装につい多くの人におさづけを取次がせて頂きま年千日仕上げの年であります十一月二十てお話下さる中におおよそ服装を正す事しょう九日の記念祭に向け昨年以上に実動は一般の人間としての礼儀でありますが数にこだわるなと言われますが私は決に拍車をかけてまいりたいと思いますつ殊におたすけは私用ではなくおさづして数にこだわっているのではありませきましてはもうすでにご存じのようにおけを取次がせて頂く重い御用をつとめるのんこだわっているのは実動でありまさづけの取り次ぎ陽気ぐらし講座と百でありますから尚更理を軽しめぬようす本当に数にこだわっているのは数に万軒にをいがけ一万人のおぢばがえり普通の服装であっても理を重んじこだわるなと言う人自身だという事に一日の三つを実践項目に掲げ実動に邁進とあります又取次の注意として心も早く気付いて実動に邁進してくださせて頂きたいと思いますそしてその事安い間柄やとて又始終側に居るからといさることをお願い申し上げて新年の挨拶は昨年十一月二十一日の決起の集いの時うて何遍もおさづけを取次ぐようなこととさせて頂きます大きく成人できる一年に発表しその後の役員直轄教会長会議をしては尊い理を軽く取り扱うことになに致しましょうの時に改めて申し上げて月毎に項目別のるともありますこの事からどう長実施数を報告するようにとお願い申し上げも重い軽いは理そのものではなくそれを上原理一立教年年間行事予定表部会全体行事月ひのきしん国内布教部直轄教会春季大祭参拝直属ひのきしん特別隊年頭会議春季大祭詰所受入部内巡教本部食堂直ブロック修養科修了講習会部内巡教海外伝道部婦人会委員研修会直属ひのきしん特別隊教祖ご誕生祭詰所受入教会長おやさと講習会第次直轄教会定期巡教本部食堂ひのきしんデー上府ブロック名教会長おやさと講習会第次福山ブロック名修養科修了講習会婦人会本部総会午前布教所長成人研修会教会長おやさと講習会第次本部食堂髙屋ブロックこどもおぢばがえりこどもおぢばがえり周年祈願おぢばがえり詰所受入英語講習会修養科修了講習会教会長おやさと講習会第次布教推進強調月間教会長おやさと講習会第次にをいがけデー直轄教会秋季大祭参拝ケ年本部保安名本部食堂島根ブロック秋季大祭詰所受入創立百十周年記念祭修養科修了講習会委員部長後継者講習会こかん様に続く会第回女子青年大会本部年末大掃除献血ひのきしん詰所餅搗部長会議毎月日午前註ブロックの区分けは備役員会議毎月日午後直鶴山明石市考直轄教会長の集い直久松東城錦備毎月日午後上府上下府中市部会青年会月少年会支部例会毎月日午前時直轄委員部長連絡会月例勉強会英文発行海外よふぼく月報毎月次祭後女子青年例会日毎月第日曜日ひまわり会毎月日学生会学生担当委員会輸送部雅楽部春季大祭参拝鼓笛バンド講習会部属分会委員長研修会少年会笠岡団総会ヶ月ひのきしん隊縦の伝道講習会布教推進週間野外錬成会キャンプ春の学生おぢばがえり直属アワー教祖ご誕生祭団体新入生歓迎会おぢば学生層育成講習会こどもおぢばがえり髙屋久松直轄福山列車団体以外本部青年会総会大教会ひのきしん備考毎月日午前秋季大祭参拝学生会親睦会おぢば練習毎月次祭前日夕勤後舞楽練習毎月次祭日夕刻勇んで仕上げの年を周年実行委員長田中一之諭達を実践しをやの理を戴こうとのスローガンのもとに二年前すなわち立教百六十二年年頭会議に於いて大教会創立百十周年記念祭と三年千日活動のお打ち出しを頂きましたまず一年目はためらいをすて勇んで百万軒とそく諭達の実動に移り百万軒にをいがけを達成させて頂いています昨年は第二年目にあたりつとめに専心百万軒にをいがけ全教会で陽気ぐらし講座開催の三つの実践項目を合い言葉に励ましていただきましたそして皆様方のお力添えで百二十万軒を越える家庭に神名を流すことが出来ました陽気ぐらし講座も百四十会場を越える御守護を頂いています更に昨年十一月二十一日に行われた決起の集いでは八百名が心一つに十二下りのてをどりをつとめ勇ませていただきましたそして大教会長様より本年仕上げの年の実践項目を発表頂いています即ちおさづけの取り次ぎ陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一万人のおぢば帰りでありますおさづけの取り次ぎにつきましてはそれぞれ教会ごとに談じ合い心を定め勤めさせて頂きたく思います教会で目標回数を定めそれに向かって一手一つにつとめるところもあれば毎日一回のおさづけの取り次ぎを目指す等いろんなケースがあると思います私事になりますが今年の元旦祭の後毎日一回のおさづけの取り次ぎを目指して頑張りましょうと挨拶をしました話した後ふと自分自身のことに思いを巡らしました一日元旦祭二日私方の教会の年頭会議三日広島教区年頭会議四日本部年頭会議五日六日おぢばでお節ひのきしん七日広島で会合九日本部神殿奉仕のため八日には天理へその後大阪で慰霊祭東京へ巡教更に年祭と考えると十五日の祭典まではほとんどおさづけの取り次ぎが難しいことに気がつきました一日一回おさづけの取り次ぎをとみなに話しておきながら自分が出来ないのはまったく申し訳ないとの思いからお詫びに夕食を抜く心を定めました心を定めた元旦の昼前のことです昨年十二月結婚したよふぼくが新嫁と父親を連れて挨拶にやって来ました見ると父親は半身が不自由な方でした天理教は全く始めてでありましたが早速おさづけを取り次ぐことが出来ました不思議なことにそれ以来一月十四日現在に至るまで毎日おさづけの取り次ぎが続いています四日に本部年頭会議のため天理に帰ったときのことですその夜遅くおじば帰りしていた五十才のよふぼくが脳内出血のため詰所で倒れ救急車で憩家へ入院されています翌日朝食堂で駆けつけた娘さんから話を聞き五日六日とお節ひのきしんがすんだ後おさづけの取り次ぎに通いましたすべて昏睡状態の中でのことです七日広島で用を済ませ再度天理に帰り九日本部神殿奉仕の合間を縫って憩家におさづけの取り次ぎに行きました部屋には誰もいなく床が片づいており一瞬ドキッとしました看護婦に聞くと今食事をしているとのことです見ると病棟の受付前のホールで車椅子に乗り自分でスプーンを使い食事をしいる姿に我が目を疑いましたそして感激の内におさづけを取り次がせて頂きましたよふぼくは先ず日月のおつとめにをやの理を戴きまた病む人に進んでおさづけを取り次ぐとともに原典に親しみをやの思いを求めて教えに基づく生き方を心掛けようとの諭達の思召を実践させていただきましょう今の旬親神様教祖が特別にをいがけおたすけをせよと強くおっしゃっているのですにをいがけをしないで教会内容の充実はありませんいんねんの切り換えも徳積みの信仰もありません初代を始め先人の先生方ががむしゃらににをいがけに歩いてくださったおかげで今日の天理教の姿があり私たちは今の時代に生かされていますよふぼくお互いがパンフレットをポストに入れて歩くだけでも立派なにをいがけであり親神様教祖が最もお喜びくださる信心であると思います百万軒にをいがけと陽気ぐらし講座今年も頑張らせていただきましょう更に一万人のおぢばがえりには笠岡につながる全よふぼくが友をさそいおぢばに帰らせて頂きたいものとも思います共にひとだすけに努め互いに手を携えてせかいのふしんに勤しむまでに導くこれぞ教祖の道具衆としての至上のつとめであり無上のよろこびであると諭達で真柱様がお述べ頂くように理につながる全よふぼくが十一月二十九日大教会創立百十周年記念祭を目指し決起するよう丹精のほど宜しくお願いいたします仕上げの年の始めに当り決起の集いを振り返る去る十一月二十一日創立百十周年記念祭を一年後に控えた大教会では八百余名の参拝者を集めて十一月月次祭に引き続き創立百十周年決起の集いが開催されました祭典時間を三十分繰り上げ九時より開扉献饌が行なわれ祭儀式おつとめも滞りなくつとめ了えられた後大教会長様より約十五分間に亘りご挨拶がありました参照大教会長様は今日の決起の集いを迎えるに至った身と心の歩みについて回顧され引き続き迎える仕上げの年の実践項目をご発表決意を新たにされました続いて二宮勝己先生中和部属瀬戸路分教会長本部布教部講演講師より記念講演がありました参照二宮先生は聴衆への一方通行の講話ではなく巧みな話術で聴衆を引き込み拍手をさせたり返事をさせたりしながら面白可笑しくお話しくださり親神様おやさまの親心の程をお聞かせくださいました定められた四十五分の時間も講師と聴衆が一体となる中アッという間に過ぎ先生のお話しで胸襟を開いた参拝者は通り来た二年間の思いを募らせながら陽気心も一入に晴れ晴れとした心で総立ち十二下りてをどりまなびをつとめました時刻はすでに午後一時足の不自由な方が座って共につとめられる姿も見受けられ皆意気軒昂としてお歌に唱和していましたしばし腹の虫を黙らせてどうにか最後までつとめ了えた参拝者は今日の日を十分に意義あらしめ心新たに仕上げの年を迎えることができたことでしょうてをどりまなびをつとめ了えた参拝者は参拝場横に設けられた特設ステージで熱演される天中軒鵬さんの歌謡ショーを堪能しつつささやかなお弁当で腹の虫をあやして二年間の労苦を癒しました決起の集いは三年千日の二年目をつとめ了えた喜びの打ち上げ花火で終わることなくむしろ仕上げの年の始めに当りもう一度それを振り返っては思いを新たにすべき二里塚になったことでしょう司会あいさつ只今は喜こびいっぱいに一手ひとつに勇んでてをどりまなびをつとめさせて頂き親神様御存命の教祖も私達のこの姿を御照覧下さりさぞかしお勇み下さっていることと思いますさていよく私達は来年十一月大教会創立百十周年を迎えさせて頂きます先ほど大教会長様より仕上げの三年目の実践項目をご発表頂き皆様方には新たなる実動の決意をなされたことと拝察致します初代会長上原さと様そして先輩諸氏がどんな中も教祖ひながたを慕うて懸命にたすけ一条の道をお通り下されたればこそ今日の笠岡の道がございます又ご挨拶にもございましたように笠岡の道は歩いてくついた道とお聞かせ頂きました後に続く私達はこのことをしっかり肝に銘じて先人のおたすけに掛けられた厚き情熱に負けず劣らずの心意気をもって歩いてくく笠岡の人はなんと色の黒い人ばかりでしょうと云われるぐらい歩かせて頂き私達の身の回りで身上に苦しみ事情に悩んでいる大勢の人にたすけ心をもって教えの理をおさづけの理をしっかりと取り次がせて頂こうではございませんか笠岡につながる八千人のよふぼくが私がやらねば俺がやらねば誰がやるの気概をもって今こそ世界だすけの使命感に燃えて総決起する時ではないでしょうかこの旬にに大きなたすけの渦が巻き起こるべく奮起させて頂きましょうそして来年十一月二十九日親に心からお喜こび頂けるような意義ある記念祭を迎えさせて頂こうではございませんかさあ皆さん一手ひとつに勇んでつとめさせて頂きましょう祭典は分繰り上げて始まったマイクロバスでの参拝者も障子は外され参拝者であふれる完遂の喜びを述べられる大教会長様講堂のモニターで参拝する人まなびの地歌にも力が入るだんだんと話に熱が入る二宮先生扇の手も揃って壮観の参拝場青年会員が先頭に立って階段でつとめる参拝者も講堂では子連れも安心して司会の言葉に胸を熱くする参拝者幼子もなむてんりわうのみこといつもより気合の入る天中軒さん好天下に急きょシートを拡げてかよひ道髙木由理子月吉日ハッピーマンデーのおかげでのんびり過ごしていた連休のある朝のことちょっと修養科にでもお世話になろうかな何気なく口にした一言だったがこの時から始まっていたのかもしれない月吉日下旬とは思えない好天の中おぢばに帰らせて頂く自分で修養科に入ったつもりだったが神様に引きよせられたことを教えられつもりちがいに気付いた日月下旬何事も素直な心でと教えられるが口ではハイと応えても心で舌を出している時があり神殿でお詫びばかりする日月中旬神の恵みに感謝すれば報恩せずにはいられないと教えられひのきしんの意味あいがわかったような気がしてなんでもさせて頂こうと勇んだ気持ちがわいてくる日月下旬身上の受けとめ方について教えられ今までずっと抱えていた不足心がようやくひいてゆく心がだんだん軽くなってゆく日ひのきしん修養科はとにかくひのきしんとは誰もが口を揃える言葉で正にその通り忙しいながら楽しいのは期やクラスに関係なく知り合い話せるチャンスだから笑い屋と呼ばれるぐらい笑っていればまわりもつられて笑いだすから不思議だね一言小話夕づとめの後に教養掛の先生から数分間のお話を聞かせて頂くその時の心向きに添ったテーマで気付かされ反省させられる迷った時にこの一言語録を読み返してみると心に染み込む一言がそこにある何はともあれ縁あって集まった期名は教養掛の先生方や詰所の皆さまに見守られ日教えて頂きながら和やかな雰囲気の中で過ごしている修養科を無事修了する頃にはおぢばで育くまれたかけがえのない実を糧にして私たちは種蒔きに励んでいるでしょう心の通ひ路素直に辿ろう仕上げの年輝美濃分教会長谷内伸自八年程前岐阜教区書記代行をつとめさせていただいた時いつにも増して教会事情願書があり困惑した事を思い出します三ヶ月の間に十五件程あり月末から月始めにかけ連日教区長のお伴をして視察に出かけておりました行先の教会で教区長が必らずおさとし下さる言葉が今でも私の耳に残っている私にできる事でしたら何んでもさせていただきますと言われる人があります一見素直な人だなあと思えるが裏を返せば私にできない事は何もしませんとも受け取れるこれでは本当の素直ではありませんとニコニコされて言われていました私自身も胸に手を当ててみると全てがそうでなかったかなと反省させられました大教会初代会長様が昼夜を問わず歩いて歩いてつけられた道があったからこそ四百キロ離れた岐阜の地で結構をお見せ頂いている今は亡き古老の先生から聞かせていただいた話に笠岡が芦津から分離する時今ではとても考えられない荷物を背負わせてもらったしかし誰もできるとは思わなかった事を部内先が必死に担いだから今があるんだ創立百十周年記念祭に向っての三年千日大教会長様からお打出し頂く実践項目心さえ動けば何んら難しい事はないと思います今年も角目は昨年の延長で仕上げの年にふさわしくにをいがけの実がおさづけの取次ぎであり陽気ぐらし講座開催一万人おぢばがえりですやる前からこんな事できないと思うのではなくやってみなければわからないの勇み心で日汗をかかせてもらいましょう今までが出来てないと思われる人は前真柱様が時仰有ったお言葉に今からでも遅くないとお聞かせ下さいました親心をしみじみ感じさせて頂きます楽の中に楽はない苦の中に楽があるの教祖のお言葉を信じて十一月二十九日まで苦労を重ねてみませんかコアラとマングース高屋分教会役員武内清明師走慌ただしい十二月二十三日従兄の結婚式に出席させていただいた新郎四十六才新婦三十五才世に喧しい芸能界を思わせる結婚年齢であるその従兄は歯科の開業医である彼のお父さんは他人から仏さんに砂糖をまぶしたようなと言われその血を受け継いで彼も温厚そのものおまけに治療は早い安いうまいと要するに腕が良い彼が実家近くに開業するや瞬く間に近辺の歯痛に苦しむ老若男女を根こそぎ奪い去った結果彼の町内には他に歯科医院は見あたらないらしい今やその年収は遠く天理教徒の考えの及ぶ範囲ではないその彼がこの歳まで結婚しなかった親族一同の七不思議の一つであったいつしか彼の結婚のことは皆口にしなくなっていたところが先の十一月末彼の親と思い当たらぬ名前との連名で封書が届いたの所に寿のシールが貼ってある葬儀のお返しではないのは明らかだったあの家で誰が結婚するんだとちょっと考えたが忘れていた彼の顔が浮かんできた式当日は冬の中休みといった晴れやかな暖かい陽射しに包まれていた式は滞りなく終わった式の最後を飾り彼は僕は若いとは言えませんしかし今まで結婚を焦りませんでしたそれ故に最良の伴侶を得ることができましたと今時の薄っぺらい若者からは聞くことのできない挨拶をした最高といわず最良といった言葉に彼の人柄を感じた式を通して新郎の友人知己はもとより新婦の縁ある人たち今まで新婦を取り囲んできた人たちの人柄を垣間見させていただき彼のお嫁さんの一番大事な部分がわかるような気がしたあのすばらしい彼に相応しい相手がやっと現れた本当に嬉しく思った縁とは不思議なもの切っ掛けは見合いであれ恋愛であれ成り行きであれできちゃったであれ遍く夫婦とはそれなりに釣り合いのとれた二人であると常思うコアラとマングースが結婚したという話は聞かないそこに自らの好み親の希望を越えた何か大きな力が確かに働くそれはそれぞれの持つ徳分であり前生のいんねんであろう袖摺り合うも他生の縁と言うが今生の組み合わせはすべて前生の絡みである六十億の中のたった二人の組み合わせである大切にしたいご縁である彼の結婚式はキリスト教式で行われたが神父の言葉が耳に残る神が引き合わせたものを人間がきってはいけない問われる意識変革問われる宗教の真価東悠分教会田林宏章本部海外部翻訳課勤務ここ数年思い続けていることの一つに現代という時代をいかに認識するかという問題がある敗戦後日本は高度経済成長をなしその結果現代においては堂たる経済大国となった人はかなりの程度まで物資的繁栄を享受できるようになった反面精神的貧困および道徳的価値観の喪失が深刻な社会問題を惹き起こしている世界を見渡してもグローバル化が急速に進展する一方宗教や民族に絡んだ紛争は絶えず時代は混迷の度合いを深めているように思われる今どうやら地球規模における大きな変革の時代を迎えていると言える確かに現代という時代は後世の人に地球的規模における変革の時代と呼ばれる可能性は高い産業革命の現代版とも言える情報通信革命の急速な進展等により旧来のパラダイム思考的枠組みが次に壊され時代のトレンド趨勢は現状維持から創造変革へ組織全体から個人個へハードからソフトへ平等から公平へと根本的変革を促しているこのトレンドは経済を中心として進展しつつあり国民の意識生活様式までをも大きく変えようとしている歴史を振り返ると時代の変化は一定ではなく急激に変化する節目となる時代がある日本の場合明治維新にその例を見ることができるが変化の後には向かうべき目標があることが大切となる明治維新であればそれは欧米先進諸国を目指し近代国家日本を築き上げることであったろうでは現代日本の場合向かうべき目標とは何であろうか追いつくべき理想的先進諸国はもはや存在しないと言っても過言ではない即ち自らがパイオニアとなって道を切り開かねばならない段階に入ったと思われるのであるその道とは単に利便性に富んだ物質的繁栄ではないことは言うまでもないこの種の繁栄は既に大方達成し得たと言えるそうではなく精神的繁栄への道であるそしてこの繁栄は物質的繁栄を否定するものではなく物質的繁栄をも内包した精神的繁栄であるこの繁栄の基礎をなすものこそが宗教であり宗教が提示する世界観価値観であると考える混迷する現代社会及び個人に対し宗教的世界観価値観に基づく具体的メッセージを提示することができるか否かが今宗教に問われている即ち人が陽気に暮らせる豊かな社会を築くための指針が時代的要請として宗教に問われているのであるこの問いにはたして答えることができるか否かは宗教の存在価値そのものに関わることでありまた宗教に関わる者すべてがこの問いに答える責務を負っている宗教的真理の根本は不変であるしかし時代は常に変化し人の考え方も変化するそれが故に時代に応じた真理を具体的に説き分ける努力が要請されるのである今宗教に携わる者は信仰心を基に大いに思案する力が求められている即ち天理という宗教的真理を基にそれが現代に生きる人が抱える問題解決につながるように深く思案し具体化し実践しパイオニアたるあらきとうりょうとして新たな道を切り開いてゆく覚悟が求められているのである時代そのものが宗教的世界観価値観を必要としている現代にあって宗教が真に価値あるものであることを証明するのは信仰者一人一人であり智恵ある信仰の力でもって二十一世紀を物質と精神を調和させ得る希望の世紀とすべく自己変革と挑戦を新年の目標として掲げたいアルバイトを通して雲東分教会三代あゆみ天理大学生私は今レストランでアルバイトをしている送り迎え付きである日同じレストランのおばさんと一緒になったその車の中でおばさんがこんなことを言った天理教の人は口ばっかりで何にも知らんだからあたしは天理教は嫌いやおばさんの話によると今家に若い天理教の子が来ていてどうやらその子の事らしい私はへぇと曖昧に答えることしかできずそのまま車を降りた又別の日同じアルバイトをしている私の友人が事情あって車を途中で降ろしてもらったことがある彼は何度もお礼を言って降りその後も深く礼をして車を見送ったそれを見た車内の人達はこう言ったわぁまだ礼してるで天理教のアレみたいやなえらいなぁ私はそれを聞いてとても嬉しくなった礼という何気ない動作あたりまえの動作一つでもにをいがけになるんだと強く感じたからだレストランのアルバイトを初めて間もない頃私は挨拶と愛想と仕事を代わることを注意された挨拶は大きな声で誰にでもすること接客は常に笑顔でいること先輩ここでは社員の方の仕事をなるべく代わることこの三つをこんこんと注意され落ち込んだことは言うまでもないこれは全部当たり前の事やからできなあかんでこれも社会勉強や当たり前の事もできていない自分が情けなく恥ずかしかったそれ以後負けず嫌いな私はその三つを特に気をつけて行動に移すようにしている一番初めのおばさんの言葉は私の様な当たり前の事ができていない子を見ての発言だったのではないだろうか自分ではしてるつもりの事でもできていなかったりする場合もあるそんな自分の行動一つで天理教の総評価に成り得ることを考えるとどれだけ日の生活普段の行動がにをいがけになっているか改めて強く感じないわけにはいかない口ばっかりで何にも知らんと言う言葉はもしかすると神様が私に言われている事かもしれない私はおぢばで生活し始めて約五年がたつその中でお道の事をより深く色と見聞き体験させて頂く機会も有難い事に沢山あるそうしてお道の素晴らしさを知っていくと同時に果たして自分はそれを行動に移せていたのだろうかと考えるとまず当たり前のはずの挨拶からきちんとできてはいなかったのだ様な事を学ばさせて頂く中であれが大事これが大事と口では言っていても大切な事を行動できないでいては何も伝わらなくなり意味がなくなる私はアルバイトを通してその事に気づかせて頂いたおぢばにいて聞かせてもらったお話に日の理づくり徳積みが大切というのがあるこれを聞いている時は具体的にどうしたらいいのだろうと考えていたが実はそれも簡単なことから始められるのではないかと今では思う日の挨拶や笑顔人に喜んでもらえる行動は簡単な様で難しくしかし一番身近なことであり理づくり徳積みといわれる事の最も基本なのではないかと自分なりに思ってみる今日この頃である訃報酒本喜之氏鶴南分教会長十一月二十九日出直されました享年七十八才十一月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の慈しみ深く限りない親心と自由の御守護によりまして日は結構に恙なくお連れ通り頂いております事は誠に有難い極みでございますしかるにその理がわからず心のほこりが積もり重なりシミとなり因縁となって我が身に我が心に苦しまなければならない人が多くいますことは誠に申し訳ない次第でございます身上事情にお手入れを頂きおたすけによりこの道にお引き寄せ頂いた私共お互いは親神様の自由の御守護にふれお聞かせ頂いたお話の中に親心を悟ると共に我が身我が家の因縁も悟り助けて頂いたご恩報じの思いと共に因縁納消の道はこの道しかないと朝夕に御礼申し上げつつたすけ一条の上に邁進させて頂いておりますその中に今日の吉日はこれの大教会の十一月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同心を一つに睦び合わせて明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます御前には今日の日を楽しみに寄り集い日頃のご高恩に改めて御礼申し上げる皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて笠岡では来年の創立百十周年記念祭に向け諭達を実践しをやの理を戴こうを合言葉に三年千日仕切って成人の歩みを進ませて頂いておりますが二年目の実践項目としてつとめに専心百万軒にをいがけ陽気ぐらし講座開催を申し合わせて実動を進めてまいりました加えて是非とも記念祭の一年前に当たる今日の日に決起の集いを開催しそれまでに実践項目の完遂をしようと申し合わせて勤めさせて頂きましたところ皆が一手一つの心で勤めることが出来ましたのでここに完遂の報告をさせて頂きます誠に有難うございましたそして今日の祭典に引き続き決起の集いをさせて頂き完遂の喜びを分かち合うと共に百十周年に向けての気持ちも新たにさせて頂く所存でございますどうぞこの上は百十周年に向けより一層成人への前進が出来ますようお導きの程をお願い申し上げます又本年残された後一月余りの間年頭の心定めを改めて想い起こしその完遂をも目指して精一杯勤め切らせて頂く覚悟でございます何卒親神様には旬の声に添い何でもどうでもの思いで勤める皆の真実誠の心をお受け取り下さいましてたすけ一条の上に自由の御守護と旬に相応しい心の成人をお見せ下さいましてお望み下さる陽気ぐらしの世の状に一日も早くお導き下さいますよう一同と共に慎んでお願い申し上げますふたことみこと立教一六四年の新春を迎えおめでとうございます昨年をふり返ってみるとお道の上にも大変な出来事が起りました又日本中に戦慄の走る事件が続きました一体どこがどう狂ったのでしょうか事件が起る度にあらゆる評論家教育学者心理学者行政の担当者等があらゆる角度からマスコミを通じて話していましたそんな中元岡山大学長大藤真先生の談話があります二十世紀の教育を振り返るとき戦後の教育改革昭和二十二年について失敗と云わざるを得ない中略教育は知育体育徳育で成り立つだがわが国の戦後教育は知育に偏り徳育が忘れ去られた人道教育を十分に受けていない大人が増えその大人が子供の虐待などという異常な事件を起している中略最近の学生像も道義を知らない上個人主義の傾向が強まっているの進展が人の心に及ぼす影響が出てくるかもしれないいづれにせよ二十一世紀は経済立て直しもさることながら人間の心の立て直しを図らなくてはならないもう一人この人の意見も聞こう岡山市円山の古刹曹源寺岡山藩池田家の菩提寺の原田正道住職の話仏教をはじめとした伝統的な精神的背景は軽視され心の豊かさや人間の在り方生きることの意味といった内面の問題は放置されたままだ二十世紀とは自己を確立する内なる知恵を無視し続けた近代以降の歪さが表面化した時代でもあ十二月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の親心溢れる御守護お導きのまにまに立教百六十三年の今年も早あと十日を残すのみとなりました改めて今年一年を振り返ってみますと昨年の諭達巡教やようぼく躍進地方講習会を受け今年は年頭に当たり真柱様からよふぼくのより活発な活動をお促し下さいました加えて笠岡創立百十周年に向かう三年千日二年目の年として昨年に増す成人への歩みを促すべくつとめに専心百万軒にをいがけ全教会で陽気ぐらし講座開催の三つを実践項目に掲げ成人への道を歩み出させて頂きました最初はゆるやかな歩み出しではありましたが気温の上昇と共に意気も上がり実動するよふぼくも徐に増えてより勇んで勤めさせて頂くことが出来ましたお陰で昨年同様十月末には百万軒にをいがけも達成させて頂き陽気ぐらし講座の開催も数件を残すのみとなり十一月の月次祭には完遂の報告をさせて頂くと共に創立百十周年決起の集いも合わせて実施させて頂いて共に喜びを分かち合わさせて頂き仕上げの年に向けての誓いも新たにさせて頂くことが出来ました重ねて御守護お導きの程を御礼申し上げさせて頂く次第でございますそして今日の吉日は本年納めの月次祭を執り行う日柄でございますので只今から師走の慌ただしさも厭いませず今日の日を楽しみにより集いました理に繋がる道の子供達と相共におつとめ奉仕者一同感謝と喜び心も一入に陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます皆の今日に寄せる真実の心をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて世上にては金融関係や大型店舗の破綻や犯罪の凶悪化低年齢化などが目立ちより不安を募らせているのが現状でありますこういう中だからこそよふぼくとしての自覚と実動が求められている事をしっかりと心に留めてよふぼく一丸となってますますたすけ一条に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様には届かぬながらも親孝心一筋に精一杯勤める皆の誠真実をお受け取り下さいまして万たすけの上に自由の御守護を賜ると共に新世紀の始まりと言われる新しい年を希望と喜び一杯の心で迎えられるようお導きの程一同と共に慎んでお願い申し上げますったのではないか中略物質文明の高度化は進む一方でありその中で人はどうあるべきか自己の内面を見つめ深める心の教育なくして幸福な新世紀はあり得ないと思えてならないとお二人は共に心の問題をとりあげておられるさてふり返って私達道の用木の心の在り方は諭達第一号にはなさけないとのよにしやんしたとても人をたすける心ないので十二人をたすける心は何よりも親神様の思召に適う誠真実である教祖はこのたすけ一条の道の上につとめとさづけを教えまた自ら身を以てひながたをお示し下されたばかりでなく今もなお存命のお働きを以て私たちをお導き下されている中略我さえ良くば今さえ良くばの風潮に流れまた夫婦親子の絆の弱まりは社会の基盤を揺るがしているまさに今日ほど世界が確かな拠り所を必要としている時はない中略よふぼくお互いはその使命を自覚し勇気を奮って人の心の扉をたたき心の闇を開くべく努力を傾けようとお示し下されている前述の二人のお話ではその心をどのように立て直しするのか具体的な姿が今ひとつ見えてこないしかし諭達にはより具体的に用木たる者の歩むべき道が示されている新しい世紀の始まりにこれからの百年を私達用木はどのように歩めばいいのか今一度諭達を精読し実行に移さなければならないと思うコップの中で満足している時ではない歳晩祭祭文元旦祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の子供かわいい一条の親心による御守護とお導きを頂戴し日結構に恙なく生活させて頂く中に今年も早やあと数時間を残すのみとなりました思い返してみますと今年は政治と経済に混乱を極めた一年でありました又それに誘発されたように犯罪の凶悪化が進みたんくとをんかかさなりそのゆへハきゆばとみへるみちがあるからとのお言葉の真意を垣間見るような出来事も多発したのでありますがその中にあっても親心は変わらずむしろたすけ一条の親心をより深めて下さったように思います私共はその思召に少しでも添い成人を早めたいとの思いから三つの実践項目を定め実施してまいったところ全てやりとげる事が出来ましたので大変喜ばせて頂いております改めて今年一年のお礼を申し上げたいと存じまして只今から歳晩祭を取り行なわさせて頂きます寄り集う皆の真実の状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて来るべき年は二十一世という百年単位での始まりの年のみならず西暦三千年に向けての千年単位での始まりの年でもありますのでそれにふさわしい伏せ込みが出来るよう一歩ずつ確実な歩みを進めさせて頂く所存でございます何卒親神様には皆の喜び一杯の心をお受け取り下さいまして明るく喜びに満ちあふれた立教百六十四年の新年を迎えさせて頂きますようお導きの程を一同と共に慎んでお願い申し上げますこれのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎んで申し上げます親神様の御守護とお導きのまにまにここに芽出度く立教百六十四年の新年を迎えさせて頂きました一同と共に心より御礼申し上げ新年の御挨拶を申し上げます明けましておめでとうございます昨年賜りました御守護の数に御礼申し上げると共に今年も一年間かわいい一条の変わらぬ親心と御守護をお願い申し上げたいと存じますので只今から寿ぎ心を一つに睦び合わせて明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめて元旦祭を執り行わせて頂きます御前には寒さ厳しき中をも厭わず夜も明けきらぬ内から寄り集いました道の子供達が相共にお歌を唱和し同じ思いで伏し拝む状をご覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本年は世上では新世紀の始まりの年という事で少しでも明るい年にしたいとにぎわいの様相を呈していますが私共はよくにきりないどろみづやこころすみきれごくらくやとのお言葉をしっかり心に治め目先の明るさに心奪われることなく心から湧き出る本当の明るさを目指して笠岡創立百十周年記念祭に向けしっかりと真実の伏せ込みをさせて頂く所存でございますその為の実践事項としておさづけの取り次ぎ百万軒と陽気ぐらし講座一万人のおぢばがえりの三つを申し合わさせて頂いております三年千日仕切って歩んで来た仕上げの年になるよう一手一つに心を結び合ってたすけ一条に邁進させて頂く覚悟でございます何卒親神様にはたとえ牛歩の歩みではあっても確実に成人へと進む皆の真実の状をお見守り下さいまして至らぬ点は幾重にもお仕込み下さり成人の旬には自由の御守護をお現し下さいまして仕上げの年ならではの心の成人が出来ますようお導きの程を一同と共に謹んでお願い申し上げます第期修養科募集要項修養科期間月日教養掛ヶ月間岡本久善大教会役員摩耶分教会長ヶ月目山野弘実上下分教会長ヶ月目雜賀明照雲分教会長助手猪原啓文真金分教会ヶ月目藤本芳久東水島分教会長募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴書類大教会詰所備考順序参拝票別席願初席願の順序参拝がまだの者で修養科入学後に初席席札を運ぶ者のみ別席のしおり願書に日付を入れない事大教会御供おさづけの理拝戴願の順序参拝も合せて行なう本部御供別席の誓いの言葉は別席の誓いの日までに覚えることおさづけの理拝戴願おさづけの理拝戴願の順序参拝がまだの者で修養科おはなし入学後におさづけの理を拝戴する者のみ大教会御供願書に日付を入れない事本部御供修養科入学願御供は任意であるが慣例により円以上修養科入学事由書修養科入学御供住民票または戸籍抄本戸籍記載事項証明書身分証明書でもよい立教年定期巡教表教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員教会名巡教月日巡教員廣町月日大教会長様香地華月日大教会奥様品治月日門脇誠教福廣月日大教会長様真金月日田中一之久福月日武内清福勇月日上原繁道仲條月日吉岡壽呉福月日大教会長様福芦月日岡本久善稲倉月日大教会長様久津月日上原繁道福満月日中村剛稲瀬月日岡本久善鶴南月日大教会長様福岩月日河原節喜稲富士月日上原繁道鶴眞月日大教会奥様西村月日中村邦義稲讃月日中村剛川島郷月日上原繁道福年月日大教会前奥様門司港月日大教会長様鴨方月日佐藤道孝引野月日吉岡壽大惠山月日大教会前奥様作備月日大教会前奥様福昭月日武内清東水島月日大教会前奥様輝華月日岡本久善福春月日武内清高児島月日大教会前奥様錦ヶ原月日佐藤道孝福中月日門脇誠教出雲月日岡﨑輝夫行縢月日岡本久善福冨士月日武内清瑞雲月日中村剛眞府月日中村邦義福東月日大教会奥様海潮川月日中村剛吉舎月日吉岡壽東福山月日河原節喜錦洋月日大教会奥様清嶽月日大教会前奥様福南月日門脇誠教米府月日大教会奥様上小畠月日上原繁道福順月日吉岡壽弓ヶ濱月日大教会長様木津和月日武内清福節月日河原節喜西伯月日大教会長様國須月日武内清福備月日中村剛米美月日上原繁道上吉野月日門脇誠教福輝月日門脇誠教伯仙月日佐藤道孝上備月日中村邦義坪生月日中村邦義照雲月日上原繁道河佐月日大教会長様八尋月日中村邦義輝伯月日中村剛上川邊月日大教会長様深安月日門脇誠教松都月日中村剛甲井月日大教会奥様笠尋月日岡本久善樺島月日大教会前奥様上父月日吉岡壽芦品月日田中一之亀田山月日田中一之阿木行月日大教会奥様安那月日佐藤道孝出雲川津月日大教会長様宇津戸月日大教会長様芦田川月日吉岡壽天場山月日佐藤道孝河面月日武内清三郡月日大教会長様簸ノ川月日岡﨑輝夫府鮮月日中村邦義芦常月日中村邦義多古浦月日田中一之府世原月日田中一之芦辺月日大教会長様瑞北月日佐藤道孝神驛月日大教会奥様芦加茂月日大教会前奥様雲東月日田中一之神免月日大教会奥様惠陽月日門脇誠教神村月日大教会奥様葦沼月日田中一之陽實月日佐藤道孝呉中月日岡本久善御野月日吉岡壽大江橋月日大教会奥様