
『かさおか』第40巻 第10号
創立周年三年千日スローガン諭達を実践しをやの理を戴こう本年の実践項目一おさづけの取り次ぎ一陽気ぐらし講座と百万軒にをいがけ一一万人のおぢばがえり一手一つの奮起と実動を本部員高井猶久先生お話し月月次祭講話要旨百十周年を迎える意味十一月二十九日全教のをやと仰ぐ真柱様がこの教会にお入り込みになりますが真柱様は大教会といえども滅多にお出でいただくことのできないお方ですからただ百十年だからお祝いするというようなことではなくこれを一つの吉祥として今までの通り来たりの道を反省してみてそれぞれの立場の上からさせてもらわなければと思っていることや今までのいろんなわだかまりしがらみそれぞれを変わるあるいは変わろうと思わなければならないと思います思ってもなかなか変われないというのは人間のさが性ですがをやの理を戴いて水に流すものは水に流して成人させてもらうそれが百十周年を迎える意味だと思いますお道の教会信仰者はをやの理を戴かなければことがうまく運ばないことが多いので生みの親育ての親理の親とにかく親と名の付くものにはしっかり喜んでもらうということが一番大事ですをやに理を立てるということはそういうことだと思います上級に理を立てるとは上級の会長さんに大教会に理を立てるとは大教会長さんにおぢばに理を立てるとは真柱様に喜んでもらうということでその中にいろんな不思議も現われてきますお互いこのお道を信仰しながら何もないときは解ったようなことを言っていてもこと身上や事情が起こってくると案外常識で良い悪いを考えていることが多いように思います事情身上があるというのはむしろ親神様が力こぶを入れていてくださるときでそういうときにこそ理の思案をしなければなりませんそう考えればこうしてをやが入り込んでくださるというのは滅多にないチャンスですからこういうときに今までのことを清算して新しい出発をしなければなりません心機一転世界たすけの旬特に時旬の理から言えば真柱様がお代わりになって諭達第一号を聴かせていただき諭達の精神徹底の上からようぼく躍進地方講習会が開催されそしてまた地方における推進役の教会長さんにリーダーシップをしっかり執って頑張ってもらうという上から教会長おやさと講習会も開かれました諭達の冒頭に世界たすけということが出てきますこのお道の本来の目的は世界たすけですが今日までの道すがらを考えると個人の事情や身上のたすかりが主でした言うなれば人間が心得違いをするのでその心得違いに対して事情や身上をして見せて心の入れ替えを望まれたそして心の入れ替えができた人たちに対して不思議を見せて親神様の存在を教えてこられた百年経った今日少なくともこの日本では天理教という名前もあらあら行き渡ってきたそしてこれから世界たすけが始まるという今はその時旬です世界たすけは何から始めるかといえば隣から隣へ自分以外は全部世界だと教えていただきました先ず隣から隣へにをいがけをしなさいおさづけを使いなさいということですとにかく銘がしっかりおさづけを取り次がせていただいて不思議をお見せいただかなければなりませんましてや心機一転世界たすけの旬です心機一転というのは何も新しく事を始めるのではなく今まででもよふぼくとして日の懇切にお話しくださる高井先生生活の中であの人に声を掛けてあげたらこの人を手助けしてあげたらここが汚れているなぁと気が付いていても忙しかったり恥ずかしかったりしてできなかったことをこまめに一言の話もしなさい声も掛けなさい手助けもしなさいそして身上者にはしっかりおさづけを取り次ぎなさいそれが心機一転です真実を尽くしていこうよくおさづけが効くとか効かないとか言われますが親神様の御守護が効く効かないというような言い方はそれこそ神様に申し訳ない話でもしそういう言い方が許されるなら効かないおさづけはない必ず効きますただこちらの願い通りに働いてくださるか否かは神様の御思案の中ですからこちらの願い通りに働いてくださらないときには自分の心定めなり相手の精神なりを省みて徹底して御守護いただけるまでつとめさせていただくということがなければなりませんお道は大正年間非常に大きく伸展しました時の政府は天理教は邪教だといって秘密訓令を出して天理教を潰しに掛かった当時の政府の力からすればまだ小さかった天理教を潰すくらいのことは何でもないはずだったのに潰れなかったなぜ潰れなかったかといえば当時親神様の不思議を見せられ誰が何と言うても天理教をやめないという人が多かったということですそれこそ雨後の筍とのごとく不思議がどんどん現われた当時死に病といえば肺病死に病といってもすぐに死ぬわけではなく何年もかかって次第に痩せ細りしかも人に移るので病院の完備されていなかった当時肺病の人は家で寝ていてそういう家は人に嫌われたそういう家へ布教して回った聞いたこともない神名を唱えて拝ましてもらおうとしても当然断られる断られても断られてもそこへ訪ねていく余り何遍もくるので罵倒する頭からバケツの水を掛けられるそれでもまた行く余りしつこく来るのでそこまで心配してくれるのなら肺病の親爺の痰壺を呑めと言われて一息に飲み干したこんな話はいくらでも残っています痰壺を呑めと言えば逃げて帰ると思ったら呑んだもう好きにしろとなって水垢離はとる断食はするおぢばへ帰りかんろだいでお願いしてきておさづけするおたすけ人として有りと有らゆることをその当時の布教師はしたのです確かに不思議が次と現われたしかし反面いわゆる御守護いただけずに出直してしまった人も結構たくさんいましたそれなら不思議を見せられた家の人が熱心になったかといえばそうではないそれでは御守護いただけなかった人の家族は誰も信仰しなかったのかといえばこれもそうでもないそこで事後続けて信仰するかどうかはどこで決まるのかそれはおたすけ人の真実ですまさか呑むと思わなかった痰壺を呑んだ実の子供にもできないことをこのどこの馬の骨とも分からない天理教の布教師がやったああもしたこうもしたそして挙げ句の果てに死んだ子供たちにしてみればいくら親でも人から嫌われる病気で何年も寝ていたら看病疲れでヘトヘトになり内心ホッとしてるどうかすれば涙も出ないところがその天理教の布教師は涙をボロボロこぼして私の真実が届きませんでした申し訳ありませんでしたと土下座して詫びる姿そういう姿に接して信仰する人は信仰したのですこう考えると病気が治るか否かではなくどこまで真実を尽くし切るかが問題なのです今の世の中はそれこそ何が本当か嘘か分けの分からない時代ある意味では非常ににをいがけのしにくい時代神様のお話をまともに聴こうとする者もいないし話してみてもいくらでも理屈が返ってくるけれどもこういう時代だけに本物を求める人も多いのですお道の方は皆さん概して真面目で熱心ですしかし七八分は一生懸命やってもそれから先になったら最後折り合うところまでいかずに諦めることが多いこんな時代であるだけにこちらが真実を尽くし切ったらお道を信仰してくださる方はまだまだいると思います問題はよふぼくがそこまでできるかどうかですところがなぜできないのかといえば結構すぎるという返事が返ってきますこれほど神様に申し訳ない言い方はありませんお互いの初代はなぜお道を信仰したのでしょうか事情や身上であちこちの医者や神様をさんざん探し回って最後どうにもならないようになって嫌いな天理教の話を聞いてるという場合が多い初代の方は天理教の話を聞いていんねんを自覚しこんないんねんは孫子に残すわけにはいかん自分一代限りでうち家のいんねんを全部見せてくださいというような心定めをしたそして一生懸命おたすけに励んだ苦労の中へ我が身を投じた貧乏しながらコツコツ布教してそして代が重なって今日結構になったのですその神様から与えられた結構さがあるがゆえに神様の御用が務まらないというのはそれこそ神様に申し訳ないと言わざるを得ませんいんねん納消の道また理の親理の子上級部内という線上にお互いのいんねんを見せられておりますいんねんあって理の親理の子となり上級部内となってるそしてその中にいろんな姿を見せられるそれは間違いなく自分のいんねんですその見せられた姿を自分のいんねんとして自分がどうさんげをしお詫びをするかそのさんげとお詫びからおたすけが始まらなければなりません昔は不思議がたくさんあったのにこの頃は少ないという声もよく聞きますがそういう声が出てくるのはおたすけが他人事になっているからではないでしょうか一つ間違えばあの人は俺がたすけたということになりますがそこに見せられた姿を自分のいんねんとして自分がどうさんげをしお詫びをするかが大切でそうしておたすけにかかったときに初めてそこに不思議をお見せいただけますまたお道の者の祈りの方法も自分個人の事情身上のお願いだけではなく世界で苦しむ人たちのために祈るひのきしんをするおつとめをするおつくしをするというような人のためにどんなこともさしてもらうという祈りに変わってこなければならないのではないでしょうか世界中どこの国でも身上事情は非常に苦しい早く楽になりたいという気持ちは人間である限り同じですそういうことを御守護いただくことのできる道はこのお道だけですおつとめ以外に人をたすける道はありません地球上の半分以上の国が開発途上国といわれていますが難民と言われる大勢の人たちをどうやってたすけられますか物ですかお金でしょうかこれはおつとめをお措いてほか外にはありません人間というものは一人ひとり自分自身の前生前生からの通り来たりの道によって今生食べる与え着る与えその他諸の与えを頂いて生かされている言うなれば与えの無い方の特徴といえば一口に言うと感謝がない恩が分からないそれでも少ない程度の与えがあるから人間としてこの世に生を享けているそれも事実ですだからそういう方におつとめを通してその小さな与えを喜ぶことを教えてあげると少しずつよくなり与えが増えてくる年限かけて通る内に結構になってくるそういうことを教えられるのはおつとめしかありません人間というものはなかなか思うようにいかないことの方が多い思うように成らぬがいんねんです事情というものはその大小に拘わらず自分は正しい相手が間違っているというのがその特徴です自分の意見を堂と言いなさいというような教育をしていますから今自己中心に物事を考える人が多いそういう性格の人は他人から嫌われる自分の身の回りから人の与えが無くなる物や金というものは人に付いてくるのでいい人が周りから離れていけば物や金も自然に我が身から離れていく無い無いずくめでどうにもならなくなってくる最終的には神様から貸して頂いている身体を自分の思うように使わせてもらえなくなるそれが身上です多くのよふぼくは病気が治ることを最終目的に話しておたすけをしていますがこれは勘違いですその人の前段階に必ず心得違いがあるから事情身上が起こるのであって神様がなぜそういうことをしておられるのかを相手に分かってもらえるようによふぼくは道を説かなければなりません一日一日身に行なおうそれぞれの町などで三分の一の人が大なり小なり親神様の御守護が分かるようになれば物事の見方受け止め方思案の仕方そういうものがお道的になってくるそういうところへ何も知らない人が入ってきても同化されて自然にそういう考え方をするようになってくるそういうふうに考えていけば親神様が世界一れつ残らずたすけ上げたいと思召される親神様の御理想は夢でなくなるということですその原動力になるのはよふぼく一人ひとりがどこまでそういう気になってやってくださるかです一人ひとりが精一杯つとめさせていただくことによって丸の御守護を頂くということに繋がっていくわけです今は本当に大変な世の中ですがお互いお道の者がしっかり真実を尽くし至るところでひのきしんをし身上の人を見たら片っ端からおさづけを取り次ぐということが対外的に始まっていかなければなりません今ちょうどこういう旬にこの教会が百十周年を迎えて真柱様にお入り込みをいただくことができるそれこそそういうことを始めさせていただくのに一番良い旬を神様からお与えていただいているのですいずれにしても吉祥がなければ変われません目前に大きな吉祥を与えられ新しい出発をされる皆様には最高のチャンスだと存じます笠岡に繋がる皆さん方そういうことをしっかりお考えいただいてとにかくもう自分の利害や都合を一切捨ててしっかりをやの声に添うてをやに喜んでもらえるように百十周年に向け一日一日身に行なうてつとめていただくということでひとつしっかり頑張ってもらいたいと思います心の通ひ路時旬に見せて頂いた大節出雲分教会前原布教所長髙島哲雄ドスン今の音何お父さんがたおれてる早く皆な来てしておさづけを早く早く救急車を呼んで呼吸していない心臓がとまっている何とかして心臓だけは動かしていないと脳がやられる必死で人工呼吸する心臓が動き出す昨年の九月三十日の朝七時の出来事何と言う事やはり親神様は大変なりっぷく布教所は引取られるのかなと私の頭の中をよぎった大教会百十周年記念祭を一年後にひかえた昨年教会の中で大変な事情がおきている事をきき全身の血の気がひくおもいをしたのがたおれる一カ月前の八月何かのすがたを見せて頂くだろうと覚悟はしていたもののあまりにもきびしい現実にやっと医者にあずける事が出来たけれども医者は出来るだけの事はしますけれども覚悟をして下さい一言大動脈瘤破裂とのこと頭の中はまっ白子供たちと顔を見合せけれどもなお父さんの信仰のすがたは並ではなかった親神様には厳しく向合いまさかの時に動いて下さる信仰と常に口にして厳しいと言って良い毎日だったこのすがたを無駄にしてはだめ何かをやらせてもらおう親神様は私共に何をおっしゃっているのだろうはっきり私共にわかるようにおしえて下さいとこのたびほど思った事はない大教会の記念祭には真柱様をお迎えしておこなわれるこの時旬にこの現実を見せていただいた私共背筋に針金を一本とおした様な気がする心をよせ合って固まったお供をさせていただいたあの方この方とたくさんのかたがたの心をよせていただき病院の婦長さんからはこの人はたくさんの人たちに見守られて天理教の教祖さんのような人ですねとよろこんでくださったない命をつないでいただき一年をむかえる事が出来九月本部月次祭には孫たちをつれにぎやかに御礼参拝をさせていただき一万人おぢば帰りの声にのせていただくことが出来たこの大教会百十周年記念祭の時旬にない命をも助けて頂き親の理を頂けるすばらしい旬である事を身をもって体験させていただきました親神様ありがとうございます一年生の想い鶴南分教会長酒本嘉子私は此の六月にお許しを頂いたばかりの新米の教会長でございます私の実家は代仏教でしたが御縁がありまして天理教にお引き寄せ頂きました昭和二十五年の夏主人前会長が盲腸から腹膜炎を併発しあと数時間の命と二人の医師より手を離されてしまいましたが鶴山分教会の前会長様のおさづけにより一夜の内に鮮やかな御守護を頂きました以来五十有余年無事にお連れ通り頂きました永い道中には雨の日風の日又嵐の日も有りましたが目の当りに見せて頂いた親神様の御姿に勇気づけられ教祖におすがりしながら御恩報じの一念で通らせて頂きました昨年十一月に主人が出直しましたが何年も主人に寄りかゝって通って参りましたのでつっかえ棒をはずされた今なれない立場にあたふたとうろたえて居ります亀田山分教会の前会長様が自分への布教をと書いて居られたましたが第号第巻私も初心に帰り一から出直さなければいけないと思って居ります自分自身を見つめ直し自らを律し九月月次祭祭文これのの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に会長上原理一慎しんで申し上げます親神様には一列子供の陽気ぐらしが見たいとの温かく慈しみ深い親心のままに自由の御守護を下さり日は結構に恙なくお連れ通り下さいます事は誠に有難く勿体ない極みでございますしかしながらその親心はおろか一列兄弟の理さえも忘れてただ民族や宗教や国に囚われ兄弟同士がいがみ合い傷つけ合う姿が未だに無くならない事は誠に申し訳なくひとえにお引き寄せ頂いた私共の成人の至らなさ故の事と日反省を重ねつつ成人を目指してつとめとさづけを通してたすけ一条の上に勤め励ませて頂いておりますその中にも今日の吉日は九月の月次祭を執り行う日柄でございますので只今からおつとめ奉仕者一同今日の日を楽しみに寄り集いました道の子供達と相共に心を一つに睦び合わせて明るく陽気に勇んで座りづとめてをどりをつとめさせて頂きます皆の真実の状を御覧下さいまして親神様にもお勇み下さいますようお願い申し上げますさて本日は記念祭にお入り込み下さいます真柱様の随行員をお勤め下さる高井猶久先生と島村廣義先生に視察打ち合わせの為お入り込みを頂いておりますので後程高井先生より親しくお話を頂戴しお聞かせ頂く一つ一つをしっかり心に治めて成人へと歩みを進めさせて頂く所存でございます又月末の全教一斉にをいがけデーに併せにをいがけ強調の月とお打ち出し頂きいつもの月より思いを強くしてにをいがけに邁進する中宗教による聖戦という名の下にテロという暴挙が行われ大勢の犠牲者が出ました事は誠に痛ましく哀悼の念に堪えません加えて報復という名の暴挙が行われようとしている今日親神様の心中は何と残念無念の思いに溢れているかと思う時諭達の中の今こそ人に元なる親を知らしめ親心の真実と人間生活の目標を示し慎しみとたすけ合いの精神を広めて世の立て替えを図るべき時を実感し更なるにをいがけおたすけに思いを致し実動に邁進する覚悟でございます何卒親神様には皆の心定めの真実をお受け取り下さいまして万たすけの上に尚も自由の御守護をお現し下さいまして世界中の人の心に真実の親を思い起こさせ一列兄弟の理に目覚めさて神一条の精神で日を通らせて頂かなければならないと思って居ります成人のにぶい私には仲むつかしい事だと思いますが日反省をしながら教祖のひながたを見つめて少しずつでも成人させて頂きたいと思って居りますおさしづに反対する者も可愛い我が子念ずる者は尚の事なれど念ずる者でも用いねば反対同様の者明治二十九年四月二十一日とあります親不孝者にならない様心して通らせて頂きます世界情勢について福東分教会藤井保人九月十一日米多発テロ事件発生から世界はこの事件を中心に様な物事が進み激変する日が過ぎています誰もが予期せぬ大惨事民間人の犠牲者を多く巻き込み悲しみと衝撃を与え世界中の人が不安にさらされました何故こうした事が起ったのでしょうか原因は多くあるかもしれませんが全ては人間の心遣秋季霊祭祭文此のの祖霊殿にお鎮まり下さいます本席様の御霊初代真柱様並びに奥様の御霊二代真柱様の御霊中山家ご先祖の御霊大教会創設の祖上原佐吉大人八重刀自の御霊初代会長上原さと刀自の御霊二代会長上原伊助大人光刀自の御霊三代会長上原繁雄大人くにゑ刀自の御霊四代会長上原郁雄大人の御霊大教会草創の頃より長の年月歴代会長と共にご苦労下さいました役員部内教会長教人よふぼく信者の御霊諸の御霊の前に会長上原理一慎んで申し上げます御霊様方には早くから親神様教祖のお見定めにより身上事情を通してこの道にお引き寄せ頂かれ教祖ひながたを辿るべく道の先達として艱難苦労の中も決して心倒す事なくむしろ悪因縁切り替えや悪因縁納消の時とばかりに親神様教祖に凭れて生きの限りたすけ一条の道を通り切られましたこれの笠岡の道が創立百十周年を目前に控えた今日の結構な姿をお見せ頂いておりますのもひとえに親神様教祖の御守護お導きの賜である事は申すまでもありませんが又一つには御霊様方が私利私欲を捨て神一条に真実の伏せ込みをして下さったお陰と日朝に夕にと御礼を申し上げておりますが本日は秋の祖霊祭を執り行う定めの日柄でございますので言改めて御遺徳を称え御心をお慰め申し上げたいと御前に海川山野の草の物を供えて只今はおつとめ奉仕者一同ゆかりある人と思いを一つにして親神様の御前にて陽気に勇んでてをどりをつとめさせて頂きましたさて記念祭に向け先月二十六日二千人で祈願のおぢば帰りをさせて頂き実践項目の仕上げと共に更なる実動を誓い合わせて頂きました加えて先日のアメリカで起こったテロによる暴挙を発端として世界戦争へ突入しかねない今日の世情を思う時諭達に込められた今こそ元なる親を知らしめ世の立て替えを図るべき時を実感し改めてよふぼくが一丸となって世界だすけに邁進すべき旬と悟らせて頂きました何卒御霊様方には親孝心一筋に我が身捨ててかかる皆の真実誠の状を御覧下さいましてたすけ一条にますます拍車がかかり理の栄えをお見せ下さると共にお互いの実動を称え合いにぎやかな記念祭になりますようお見守りお力添えの程を一同と共に慎んい心の埃が元になって生じた事だと思うのですやり返すという心の使い方が報復という言葉を生みその延長線上に争いがあり被害は拡大し事態は収拾のつかない状況になりかねませんまずは当事者自身が反省をしどこが悪いのか省みる努力が必要です事が国レベルになるとこの些細な思案の仕方が難かしいかもしれませんがお互いに協議を重ね合い和解の方向へ進んでほしいと思いますある新聞に関連する記事が載っていました世界のどこかで平和が売っていたら自分の国のために買いたいこれはアフガニスタンの首都カブールの少女が語っていた願いだそうですなんとも言いきれない胸が痛む思いがします一日も早く世界中の人が安心して暮らせる日が訪れるよう一信仰者として陽気ぐらし世界建設を祈願するばかりです大教会だより教会指令神殿建築願深安分教会鎮座祭奉告祭承認日服装ハッピ及び帯バンド長ズボン又はそれに類するもの靴携行品おつとめの扇筆記用具認印笛男鳴物の講義で笛と小鼓の内笛を選択する人のみ参考書出来れば持参おてふり概要なりもの練習譜笛打楽器または三曲おやしき史跡案内教科書必須おふでさきみかぐらうた天理教教典稿本天理教教祖伝よふぼく手帳募集要項志願者は月末日現在で満歳以上で下表の必要書類を携え上級教会を経由して大教会に順序参拝すること月日までに笠岡詰所に入所し教養掛の面接を受けることヶ月の修養期間を修了後は大教会での修養科修了講習会を受講し月日の昼食後に解散中村邦義大教会役員佐藤昌平呉福分教会長竹本和道福芦分教会長北川治史稲倉分教会長修養科期間第期修養科募集要項ふたことアメリカ同時多発テロ狂牛病発生等心が暗くなる様なニュースがみこと飛び交う今日この頃少し目を転じて我が家教会のホットニュースをお送りします去る九月十六日姪姉の子が結婚させて頂く事が出来ました前会長夫妻父母と私と三人で出席しましたが事件ハプニングは帰る途中起こりました姉が時間の流れを考えて帰りの飛行機の予約を入れておいてくれたのですがその時刻は六時十分発です披露宴が予定時間を一時間以上オーバーして終ったのが午後四時過ぎ大急ぎで着替えをし池袋駅へその時点で五時丁度普通に行けば羽田迄五十五分ですこれはギリギリだなと思い電車の中で父母に飛行機の出発時間にギリギリなので乗り換えの時は急いでと言って浜松町へ到着そこからモノレールへ八十四才八十才の老夫婦が息子の後をヘタヘタと走ってくれます私めは浜松町ののカウンターで父母を見失わぬ様こっちこっちと手招きをしつゝ搭乗手続チケット購入をし走ってくモノレールへ羽田へ着くなり階上の搭乗口へエスカレーター動く歩道を又又ヘタヘタゼイゼイ老夫婦を急かしく走ってもらうその間七メートル以上呼び出しの放送が流れる中飛行機内へ五分前ギリギリセーフヤレヤレ前会長父曰わく昔のわしなら死んどったぞとゼイゼイ第二次世界大戦を九死に一生を得その後二十八年前心筋梗塞の発作で何度も死にかけた父同じく戦争をくぐりぬけ五十年程前に病気で死線をさまよった母その二人が八十を過ぎて揃って孫の結婚式教養掛ヶ月間ヶ月目ヶ月目ヶ月目へ出席し息子に急かされながら叱られながらゼイゼイと息を切らして走りぬき飛行機内へゴール何とありがたい事でしょうへぇじゃがほんまにくたびれたのぉと言い合う父母の姿まあ何はともあれ元気で十一月二十九日には参拝させて頂きましょう