諭達 第四号

Last Updated on 2022年10月26日 by kasaoka44

諭 達 第 四 号


立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。

親神様は、しゅんこくげんの到来とともに、おやさまとしておもてにお現れになり、世界一れつをたすけるため、へのの道をはじめられた。

以来、おやさまは、として、親神様のおぼしめしをお説き下され、を教えられるとともに、おんみずから、の道をお示し下された。

そして、明治二十年いんれき正月二十六日、子供の成人をき込まれ、定命を縮めてうつしをかくされたが、今もぞんめいのまま元のに留まり、世界の先頭に立ってお働き下され、私たちをお導き下されている。

このおやさまの親心におこたえすべく、一人ひとりがおやさまどうしゅうとしての自覚を高め、って成人の歩みを進めることが、おやさま年祭を勤める意義である。

に、

の道を通らねば要らん。(略)の道より道が無いで。

(明治二十二年十一月七日)

と仰せられている。おやさま年祭への三年千日は、目標めどうに教えを実践し、の歩みを活発にし進めるときである。

おやさまの道を、まずひんに落ちきるところから始められ、どのような困難などうちゅうも、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。

あるときは、

「水を飲めば水の味がする」

と、どんな中でも親神様の大いなるご守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、

から芽が出る」

と、成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のおはからいであるとさとされ、周囲の人々を励まされた。

さらには、

「人たすけたら我が身たすかる」

と、ひたすらに歩む中に、いつしか心はみ、明るく陽気にすくわれていくとお教え下された。したい親神様のおぼしめしに添いきる中に、必ずなるほどという日をお見せ頂ける。この五十年にわたるこそ、へと進むただひとすじの道である。

今日、世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や、せつ的行動があふれ、人々は、おのが力を過信し、我が身あんに流れ、心のやみをさまよっている。

親神様は、こうした人間のこころちがいを知らせようと、じょうや事情にしるしを見せられる。ひんぱつする自然災害やえきびょうの世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、である。一れつ兄弟姉妹きょうだいの自覚にもとづき、人々が互いに立て合いたすけ合う、の生き方が今こそ求められている。

は、進んで教会に足を運び、日頃からに励み、家庭や職場など身近なところから、を心掛けよう。じょう、事情で悩む人々には、しんに寄り添い、で治まりを願い、む者にはを取り次ぎ、しんにたすかる道があることを伝えよう。親神様は真実の心を受け取って、自由じゅうようの御守護をお見せ下される。

おやさまお一人から始まったこの道を、せんじんを心の頼りとしてけんめいに通り、私たちへとつないで下さった。その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、まつだいへと続く道となるのである。

この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、おやさまの年祭を成人のふしとして、世界の歩みをいっひとつに力強くし進め、ぞんめいでお働き下さるおやさまにご安心頂き、お喜び頂きたい。


  立教百八十五年十月二十六日

真 柱 中  山  善  司