教祖百四十年祭 全教会一斉巡教 テキスト 【はじめに】 「全教会一斉巡教」の趣旨は、教祖百四十年祭に向かう三年千日の歩み出しの時旬にあたり、各直属教会が本部巡教を受け、引き続いて全部内教会への巡教を実施し、所属する全ようぼく信者に対して「諭達第四号」の精神と年祭活動の意義の徹底を図ることにある。加えて、直属教会として定めた方針や具体的な目標とその思いを伝え、全ようぼくが仕切って三年千日をひながたの実践に励むことを誓い合う場とする。 講話では、まず、年祭の元一日に簡潔に触れ、教祖の親心を銘々が我が事として受け止め、その親心にお応えすべく、自ら求めて年祭活動をつとめよう、との思いを伝える。 今回の年祭活動の角目は、銘々がひながたを目標(めどう)に教えを実践すること、たすけ一条の歩みを活発に推し進めることである。 ひながたの説明に重きを置くのではなく、ひながたに込められた思召に沿って、確かな身の行いや心遣いができるよう、その受け止め方を自らの例も挙げて話す。後半では、年祭活動として仕切った実践を受講者が具体的に考えられるよう、ここでも実例を示して実動を促す。 仕切った目標を定めて、日々実践を継続することで、自らの成人を図り、陽気ぐらしの道の伸展につなげることを目指す。 そのために講師は、「諭達」に込められた精神をよく心に治め、テキストに準拠するとともに、自らの信念や体験例も交えて信仰の年限の浅い信者などにも理解しやすいようにわかりやすく伝える。 講話45分程度 一、教祖年祭の元一日と年祭活動の歩み方(約10分) 【ポイント】 年祭の元一日と今なお一れつ人間をお導きくださる教祖の親心に触れ、教祖の親心を銘々が我が事として受け止め、その親心にお応えすべく、自ら求めて年祭活動をつとめよう、との思いを伝える。また、年祭活動にあたっては、銘々が三年千日を仕切ってひながたを目標に教えを実践すること、たすけ一条の歩みを活発に推し進めることを促す。 立教百八十五年十月二十六日の教会本部秋季大祭において、真柱様より「諭達第四号」が発表された。 「諭達」の冒頭に、 立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。 とあるように、この教祖百四十年祭に向けては、全教ようぼく信者の心が「諭達」の精神のもとに一つになって進んでいくことが大切である。 教祖は、月日のやしろにお定まりくだされてより、世界一れつをたすけるために、陽気ぐらしへのたすけ一条の道をお創(はじ)めくだされた。以来、五十年にわたって、親神様の思召をお説きくだされ、よろづたすけのためのつとめを教えられるとともに、自ら通ってひながたの道をお示しくだされた。 そして、明治二十年陰暦正月二十六日、子供のさらなる成人を急き込まれ、定命を縮めて現身(うつしみ)をおかくしになったのである。教祖が、定命を二十五年縮めてまでもお姿をかくされたのは、子供たすけたい故の親心からである。 以来、今も存命のまま元のやしきにお留(とど)まりくだされて、世界一れつをたすけるために先頭に立ってお働きくだされ、私たちをお導きくだされている。教祖存命のお働きは、おさづけの取り次ぎや御供(ごく)を通して現れるご守護など、また日々の信仰の歩みの中で、私たちはありありと感じることができる。この道の信仰は、ご存命の教祖のお導きがあってこそ通らせていただけるのである。 「諭達」に、 この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である。 とお示しくださるように、この、現身をかくされてまで子供たすけるためにお働きくださっている教祖の親心にお応えしたいと、十年を節目として、全教のようぼく信者が足並みを揃えて取り組むのが年祭活動である。百四十年祭にあたっては、私たちがご存命の教祖のご恩にお応えしてお喜びいただこう。 「諭達」に引用されている ひながたの道を通らねばひながた要らん。(略)ひながたの道より道が無いで。(明治二十二年十一月七日) とのお言葉は、親神様から、ひながたの道を通る大切さをお示しくだされたおさしづの一部分である。親神様は、このおさしづを通して、私たちの道を歩む目標が、教祖のひながたにあることを明示され、ひながたを通る目安として、三年千日という期間を示された。そして、これを通り切れば、教祖五十年のひながたを通ったのと同様の理に親神様が受け取ってくださるとお約束されている。 その思召に基づいて「諭達」には、 教祖年祭への三年千日は、ひながたを目標に教えを実践し、たすけ一条の歩みを活発に推し進めるときである。 とお示しくだされているのである。 次なる百四十年祭に向けても、ようぼくお互いは、三年千日という期間を仕切って、ひながたに沿った教えの実践とたすけ一条の歩みを進めるために、自分にできる何かしらの「心定め」をさせていただいて実行し、陽気ぐらしに向かって精一杯努力している姿をご存命の教祖にご覧いただき、お受け取りいただこう。 二、陽気ぐらしのひながた(約10分) 【ポイント】 「諭達」に挙げられている教祖のお言葉と、それを通して教えられているひながたの道の通り方について話を進める。ただし、ひながたの説明に重きを置くのではなく、ひながたに込められた思召に沿って、確かな身の行いや心遣いができるよう、その受け止め方を自らの例も挙げて話す。 「諭達」には、教祖のひながたの道について簡潔に触れられているので、いま一度読み返してみたい。 教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ、どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。 あるときは、 「水を飲めば水の味がする」 と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、 「ふしから芽が出る」 と、成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。 さらには、 「人救けたら我が身救かる」 と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。ぢばを慕い親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂ける。この五十年にわたるひながたこそ、陽気ぐらしへと進むただ一条(ひとすじ)の道である。 教祖は、どんな中も親神様のお心のままに、子供をたすけたい一条の親心から、明るく勇んでお通りくだされた。教祖のひながたは、神一条のひながたであり、たすけ一条のひながたであり、陽気ぐらしのひながたである。 教祖は、ひながたの道中、明日食べるお米がないというときにすら、「水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、心の持ち方一つでいつでも陽気ぐらしができることを示された。 また、迫害干渉の御苦労の中では、いつも「ふしから芽が出る」と、成ってくる姿は、すべて人々を成人へとお導きくださる親神様のお計らいであると諭して、親神様の思召を悟り、ふしから出てくる芽を楽しみに教えに添って勇んで通る道を教えられた。 また、道に引き寄せられた人々には、常に「人救けたら我が身救かる」と教えられ、自分さえ良ければよいという心から、人をたすける心に入れ替えて、たすけ一条の道にひたすら尽くして通るならば、いつしかほこりが払われて心は澄み、自分自身が明るく陽気に救われていくことをお教えくだされた。 そして、元のぢばを慕い、神一条の精神で親神様の思召に添いきる中にこそ、将来に必ず成程という日を見せていただけるという証拠をお示しくだされた。 教祖が五十年にわたるひながたの道をお示しくだされたのは子供たすけたい故であり、教祖がお通りくだされたひながたの道の一つひとつの事柄は、私たちが真にたすかる御守護を頂戴するための確かな道標(みちしるべ)なのである。 このひながたの道の奥にある親心をしっかりと見つめて、自分自身も教祖のお心を体して通らせていただこうと努めることが大切である。 三、ようぼく一人ひとりのひながたの実践(約20分) 【ポイント】 ようぼくとして年祭活動の仕切った実践を受講者が具体的に考えられるよう、実例を示して実動を促す。 教祖のひながたに基づいた、いまの時旬のようぼくの歩み方として、「諭達」の中では具体的な項目が挙げられている。ご存命で私たちをお導きくださる教祖のご恩にお応えする心で、しっかりと実践させていただきたい。 〇進んで教会に足を運ぶ 教祖は、どのような中も、親神様のお心のままに心明るくお通りくだされ、神一条に歩む者のひながたをお示しくだされた。 ようぼくは、普段から親神様、教祖に心をつなぎ、教えに添って暮らすことで、心明るく勇んで日々を歩むことができるのである。そのためには、自ら進んで教会に足を運び、御守護の元であるおぢばにも帰らせていただくことが欠かせない。この親神様、教祖への常日頃からの運びが、いざというときにお力を頂ける元となるのである。 〇日頃からひのきしんに励む 教祖は、「水を飲めば水の味がする」と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられた。そして、その感謝の心を行いに表すひのきしんをお促しになられた。日頃からひのきしんに励むことは、陽気ぐらしの生き方の基本であり、後に結構な芽生えをお見せいただくことのできる種まきとなるのである。 〇身近なところから、にをいがけを心掛ける また、家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けることも、親神様の大いなる御守護に感謝し、そのご恩報じをするための大切なことである。親神様、教祖は、私たちが日頃から道を広めようと努める心の誠を受け取って、お働きくだされるのである。 〇身上、事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治まりを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝える さらには、身上、事情で悩む人には、心の痛み、身の痛みが和らぐように心を尽くす。そのうえで、おつとめを勤めて親神様にたすかりを願い、身上を病む者には、真実を込めておさづけを取り次がせていただき、真にたすかる道である親神様の教えを伝えていくことが、ようぼくの務めである。 おたすけには苦労や骨折りも伴うが、子供をたすけたい一条の親心から、どんな苦労も厭わずに通られた教祖のお心を我が心として、真実の心でつとめさせていただこう。 親神様は、私たちの真実の心を受け取ってお勇みくださり、自由(じゅうよう)の御守護をお見せくだされるのである。 〇信仰を次代へ引き継ぐ 「諭達」には、さらに続いて 教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。 と、ご教示くだされている。 親神様は、世界の陽気ぐらし実現をお望みになっている。そのためには、この道を未代へとつなぐことが欠かせない。普段からにをいがけ、おたすけを通して道を弘めていくと同時に、自分の子供や孫をはじめとする次の世代にも、この信仰をしっかりと引き継いでいくことを怠ってはならないのである。 この年祭活動の時旬には、改めて自分の子供や孫にも真摯(しんし)に向き合って、懇(ねんご)ろに声を掛けて導き、教祖が付けられた信仰の道を引き継いでいく努力をさせていただこう。 四、結び(約5分) 【ポイント】 ようぼくとして、直属教会の方針と目標、また所属教会として定めた目標に心を合わせて、自分としても何かしらの心定めをさせていただいて日々実践を継続することで、自らの成人を図り、陽気ぐらしの道の伸展につなげ、教祖にお喜びいただくことを目指して歩むことを促す。 「諭達」の最後は、 この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。 と締めくくられている。 私たちの年祭活動を親神様にお受け取りいただき、ご存命の教祖にご安心いただきお喜びいただくには、まず「諭達」の精神を心に治めた一人一人が、ひながたの道を通る自分の「心定め」をして、たすけ一条の歩みを具体的に進めることが肝心である。 お互い「心定め」を持って、それを親神様、教祖にしっかりと申し上げ、教会として一手一つに年祭活動をつとめさせていただこう。 立教185年11月27日